石ヤンのテキトー日記00年2月(1)


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 2月13日

  昼はお世話になった古い家の掃除をしたり、布団干しをしたり、また近所の温泉につかりに行ったりする。帰りは「日本一の笑顔」として有名な健さん(なぜ日本一かというと、彼が子供の頃、なにかで泣きそうになった健さんを「健ちゃんは日本一だもんね。泣かないもんね。」といっていつも母親がはげましたことに由来する)の車で17号を東京方面へ。すると「このあたりで、見ておいた方がいい下着屋がある」と健さんが変なことをいうので、その下着屋「ランジェリーショップ アズズ」へ。するとそこは確かに下着の総合デパートのようなところなのだが、それにまつわるあらゆる物---コスプレ衣装、ちょっとHな下着、そして大人のオモチャまでもが、大きな店内のガラスケースに鎮座ましましていたのだ。つまり下着屋といってもかなり「アダルト系」なのだが、驚いたことに店内はごく普通の若いカップルたちであふれかえっていた。何の恥じらいもなくあんな物やこんな物をふふふふ笑いながら見入るカップル達・・・かなりきわどい物もあるというのに。今時の若者は何の躊躇もなくあんな物を買っていくのか・・・。

 この3日間の温泉旅行を通して実感したのは「あぁ、もう俺は若者の範疇からは完全にポーンと放りだされてしまったんだなー」ということ。でも大丈夫。別にめげたわけでは、全然ない。若者じゃないなら、ここは腹をドスンと決めて、「かわいい中年スター」を目指すだけじゃいっ。どんな年でも「かわいい」はあるはずだからな。そして「かわいい」はとてもとても人として大事なことだからな。よっしゃ、今年、2000年。「石川浩司、かわいいおっさん目指します宣言」じゃいっ!! 行ったるでい、中年の、このトランポリン腹で!!

2月12日

 沼田という町に出かける。古いさびれた町並みで「俺の観光的には」なかなかいい町。住むのはちょっとやだけどな。駅前で群馬名物焼饅頭を食う。この焼饅頭、ふわふわの皮にみそだれをつけた物で確かにうまい。元々、俺の小学校時代の友達の原島ん家の親父かその祖父かが始めた物で、「焼饅頭屋一代記」とかいう本が学校の推薦図書かなんかになって、感想文をかかされた。今考えてみれば原島ん家の親父が政治力かなんかで、推薦図書に祭り上げたのかもなぁ。だっておかしいよな、他の県にいったら誰も知らないもんな、焼饅頭も、ましてや「焼饅頭屋一代記」も。ま、そんなことはいいが、焼饅頭は、甘辛のみそだれだけが味付けのシンプルさがその身上。しかるにここのは、中にあんこが入っている。それじゃあ、台無しじゃあなかとねー。でも聞いたところ、このあたりの焼饅頭はどこでもあんが入ってるとのこと。原島の親父よ。確かにあんたは偉大な饅頭を作ったかもしれないが、どうやらその真実の味付けは、半径20kmぐらいしかないようだぞ。さらにがんばってくれい。たのんだぞ。

 口直しに、みそパンを食ったり、さびしいニッパー君を見たり、安い食堂をみつけたり、を買おうか迷ったりして町歩きを堪能するもまだ時間は早い。さてどうしようかと地図を広げると、近くに「大釜温泉」という文字が見える。ところが他の地図で見ると全く載ってなかったりする。ここで、「むむむ」とマイナー観光地好きの興味がその鎌首をもたげた。「こりゃなんかあるぞ!」
 そこで昼飯を食った食堂で聞いてみると、5人ぐらい従業員がいるのだが、誰一人として知らない。地元の、ここから一番近そうな温泉だというのに。地図を見せると「場所的には、なんかそこの市役所のところを曲がって、坂を下って川を渡ったらまた細道を上がった集落あたりだねー。そこら辺に確かスーパーがあったから、そこで聞いてみたら」と心もとない。しかしこの「地元の人すらよく知らない」というのがまた、「マイナー観光地好き」にはゾクゾクするものがあるので、とにかくその集落まで行ってみる。言われたとおりにスーパーがあったので「沼田納豆」を買いがてら聞いてみる。と、ひとりは
「はぁ? こんなところに温泉なんかありませんよ」の声。
 しかしもうひとりのおばさんが、
「・・・そういえば、ちょっと聞いたことあるわね。その角曲がって突き当たりを右に行って歩道橋の先の幼稚園の角に、すごい細くて急な坂道があって、確かそこを降りた谷のあたりにあったような・・・」
「そんなのあったっけか?」
「あたしもあんまり自信ないから、そこらでまた人に聞いてくださいな」
 とのたよりない返事。
 ほぼその集落まで来ているのにこれではあんまりだが、とにかく行ってみることにする。幼稚園の角は確かに細い急坂で、若葉マークのドライバーなら絶対に降りられないようなところだ。ブレーキをかけかけ雪が残る細い道をくねくねと曲がって谷の方に降りてみる。と、下の集落に「大釜温泉」の文字。「あっ、あったー!」喜び勇んで温泉に車二台を横付け。しかし入り口には鍵がかけられている。布団が干されているので、人は生活しているらしいが・・・。あたりを見回すと、人影は縄跳びで遊んでいる女の子がふたりだけ。しょうがないので、その女の子たちに聞いてみる。
「温泉に入りたいんだけど・・・」
「もう、やってないです」
 やっぱりそうか。そうだよなー。地元の人間、いや同じ集落の人間にすら知られていないんじゃあ、廃業はいたしかたないよなー。温泉の裏はすぐに川が流れていて、岩場がむき出しになったなにか殺伐とした風景で、まさに「つげ義春的いい温泉」だったのに・・・残念至極。

 しょうがないので、高山村というところの温泉センターへ。ここはまさに「今どき」のスパセンター。それでもやっぱり露天風呂は気持ちよし。晩飯を食ってさらに伊香保温泉で温泉のはしごをしようとしたが、残念。時間切れでここは入れず。「懐かし屋」とかいうレトロを売り物にした店は若者客でごった返していたが、どうも俺たちには中途半端で「えっ、こんなの最近のものじゃん」という印象。でもよく考えてみたら、俺たちの「レトロ」はやっぱり子供時代のもの、ということだから約30年前以前の物だけど、20歳の若者にとっての子供時代はすなわち10年前程度の物が結局彼らの「レトロ」なんだよなー。それはしょうがないのか・・・。石段の温泉街だけをポクポクと散歩した。

  2月11日

 「わしももう年やけー、神経痛が今年になってからひどおてかなわんわー。おー、おまはんもそうかー、お互い年だけには勝てませんなぁー。うおっ、ふぉっふぉっふぉっー」を合い言葉に、友達7,8人で療養という名の単なる温泉旅行に出かける。群馬に実家のある友達がいて、最近そこに住んでいた両親が町に引っ越して家が無人になったので、こりゃ幸いじゃわいと家に空気を通しがてら、遊びにいくことにしたのだ。
 まずはインターを前橋で降り、その親のマンションに実家の鍵を借りがてら近くを散歩。実は俺は小学2年から高校卒業まで前橋に住んでいたのだ。でも生まれは違うので親戚がいるわけではないので、一応俺の中では一番の「故郷」なのだが、そんなわけで滅多に来ることもない。ので、とても懐かしい---はずだったのだが、さすがに20年も経つと町の雰囲気も全然変わってしまって、その頃あった店もほとんどなくなり、道路も拡張されたり、新しいでかいビルディングが建ってたりして、うーむ、懐かしさよりも時代の早さを感じてしまった。俺が8年ぐらい住んでいた家も、今じゃ大学の陸上グラウンドの一部だからなー。「あぁ、この辺でよく遊んだっけ」とか地面をすりすりしたら、たちまち走ってきたランナーたちに蹴飛ばされて、思い出と共に俺自身が遙か彼方まですっ飛ばされてしまうからなー。しくしく。
 ただ、一カ所だけほとんど全くといっていいほど変わっていない場所があった。それは「前橋中央児童遊園」という小さな遊園地だ。そこには、 20年前とほとんど変わらない遊具が、依然として現役で動いていた。豆汽車、飛行塔、徒歩より遅いスピードのゴーカート。料金も10円から40円。そして、俺は驚いたね。それはそれらがあの時のまま動いていたからがひとつだが、もうひとつ---どの遊具も、長蛇の列で人々が競って並んでいたことだ。だって、今や2回転3回転、いや立ち乗りさえあたり前のジェットコースターですら、最大落下高度が1mぐらいしかなくて思わず「えっ? 世界一怖くないコースターという売りか?」と従業員に聞きにいきたくなるようなものでっせー。そんな時代遅れの物に何故1時間待ち? しかし客の様子を見ても別にレトロブームだからわざとそれらに乗ってレトロ感を盛り上げてる風ではもちろんなく、純粋にキャーキャー言っているのだ。しかも全体的に遊具の数が少ないので、途中に小さな川と、登れる岩があって、遊具券を使い果たした子供たちは、その川に石をポチャンポチャンと投げ込んで遊んでいる。今はいったい昭和何年なんだ? う~む。前橋市民、わけわからん。
 それから子持村という田舎にある友達の家へ。食料を買いに近くの「北群スーパー」というところに行くと、ここにも「本当に、俺たちはさっきの中央児童遊園から、タイムマシーンに乗ってしまったわけじゃないんだな?」というようなお菓子がたくさん売ってて、嬉しくなる。大袋のウイスキーボンボン、大袋のABCビスケット、大袋のパイン飴、大袋のゼリービーンズ。もう絶滅したと思われる老人向け大袋菓子がコーナーを占拠していた。
 夜は、近くの温泉に入ってから、広い家にもかかわらず全員ひと部屋に固まって寝る。男女混合。しかしもちろん、変な想像は全く不要だ。田舎の夜は想像以上に寒く、同じ部屋に固まってお互いの体温や吐息で部屋を少しでも暖めていない限り、「家庭内凍死者」が出るおそれがあるからだ。ま、山小屋みたいなものか。

2月10日

 今日もまたしても川越へ。別に俺は川越が好きで好きでたまらなくって、一日一度は川越の町に身を投じないとせつなくて悲しくてウキキウキキと狂わんばかりになる特殊な人格、というわけではもちろんない。もしくはきのうの「発狂くん」が忘れられずに、いつのまにかハッと気づいたらまたここに立っていた、というわけでもない。
 ネパール行きが近づいてきたので、パスポートの更新をしようと思ったら、自分の町では出来ずに、川越に行ってください、と言われてしまったからだ。時間ぎりぎりでなんとか申請を済ませ、せっかくなので帰りに新狭山、という駅で降りてうろうろしてたら、古本屋で「つげ義春『ねじ式』ゼンマイ人形」を見つけたので、購入してから帰る。

 明日は妻の誕生日。といっても妻はブランド物とかアクセサリー物とか全く興味がないし、あったとしてもそんな物を買って、苦しい家計のさらに首をおっ絞めることはお互いちっとも嬉しくない。どーせ金使うんなら、どっか旅行でもいくわいっ! という夫婦なので、サービス券を出すことにした。36歳なので36枚。以下の通りだ。

1・雨の日に傘を持って駅まで迎えにいきます券
2・甘い物が奇数個あったら、ひとつ余分に取っていいです券
3・足ツボマッサージ券
4・一緒にカラオケに行く券(注・俺はカラオケが大嫌い)
5・出しっ放しのマージャンパイ片づけ券
6・とにかく頭ナデナデ券
7・ビデオ予約録画券
8・おぶって2階まであがる券(注・妻の体重は女の人としては上の部)
9・1日じゅう、駄洒落を言い続けます券(途中中止なし)
10・ご飯のおかわりをよそってきます券
11・電球取り替え券
12・玉袋おさわり自由放題券
13・レンタルビデオ返却してきます券
14・出前の器を洗って外に出してきます券
15・洗濯物たたみ券
16・朝食のパンを急いで買ってきます券
17・嘘をつかずにすべてを喋ります券
18・甘いプレゼントをなにかひとつ買ってきます券
19・本当はホームページの日記に書きたいようなエピソードがあっても、書かないで我慢します券(注・このホームページは俺の親も覗いているらしいので、『いい嫁』を装っている妻としては、書かれたくない時に使用予定)
20・風呂そうじ券
21・ゴミを部屋のそこらじゅうにばらまいても、全部拾い集めてちゃんとゴミ箱に入れます券
22・マージャンのメンツを集めてきます券
23・家の中の地味な場所をふき掃除します券(例・テーブルの裏とか)
24・スッパダカで3分間、あなたのまわりをグルグルまわりながら陽気な踊りを踊ります券
25・トイレのスリッパの裏そうじ券
26・オリジナル子守歌をうたって寝かせつけます券
27・風呂場で三助になります券
28・半日ミニ旅行を企画、連れていきます券
29・コーヒーをレンジであたためて、家のどこにでもお運びします券
30・背中のかゆいところ思う存分かきます券
31・靴の裏にへばりついたガム取ります券
32・大嫌いなトレンディ・ドラマを1時間つきあって一緒に見ます券
33・近くのコンビニエンスストアーで買い物してきます券
34・5分間、かわいい犬になります券
35・5分間、おびえたラッコになります券
36・どこでも「カワイイよ」とささやきます券

 但し、使用は1日1枚限り、他人に譲渡禁止、よく考えてから使うように(俺がボロボロの時に使うと、おざなりになります)の注意書き付きだけどな。俺って、もしかして愛妻家?

 2月9日

   川越に、さくらももこさん、漫画でおなじみのさくらさんのお父さんのヒロシさん、R君(妻)、そして新潮社のスタッフ数名で観光に行く。なぜそんなメンツかというと、さくらさんとR君が友達なので電話をしていたところ、さくらさんが編集している雑誌「富士山」の第二号の企画で川越に行く、という話しから「そこなら家から近いよ」ということで、「じゃあ一緒に遊ぼう」ということになったのだ。なので、この小旅行の詳しくは、さくらさんが4月頃出す「富士山」の第二号で明らかになるので、あえて記さない。但し、さすが川越。「芋に始まり、芋に終わった」ということだけは言っておこう。それから、基本的にさくらさんは自分の顔写真を出さないので、たぶん写真には、俺と、なぜか「父ヒロシ」のツーショットが出るかもしれない。わけわかんないけどな。

 そういえば、きのうでこのHPもちょうど2ヶ月。1と月めにピッタリカウンターが1万で、きのう約2万4千だったから、約1.4倍増。ふむふむ。なかなか調子がいいぞ。実は、トップページもコンテンツがだいぶゴチャゴチャになってきたので新しくしたいのだが、レイアウトを変えると、カウンターがゼロにいったん戻ってしまうのだ。なので勇気がなくてなかなか変えられない・・・。小心者と、お笑いくだされい。でもそのうち英断するからな! 俺だってきっといつかはやる・・・はずさ! なのでそれまでちょいと見づらいコンテンツも勘弁しとくれ!

2月8日

 朝方、寝る前にブライアン・フェリーのビデオをつけて、ひとりで部屋でクネクネフニャフニャ踊ってみる。なんといっても、最近体力の衰えをメンバー全員が実感。と、なんと、知久君はその姿・形・顔・性格・趣味のどこを取っても縁がなさそうなのに、ついにジムに通い始めたぐらいだからなー。(なので、知久君を見かけたら『ヘーイ、ジム!!』と呼んでやってくれ)そこで俺も負けてはおれんと。ただし、「ただ運動する」のはなあんかせっかく体使うのにもったいない気がして、せめて何かもうひとつぐらい自分の為になることで体を動かそう。と考えてみたら思いついたのが、俺はダンサーだ、という大いなる事実だ。そうだ、どうせ動くなら、わけのわからないダンスを開発すれば、ステージでも使えて一石二鳥じゃないか。そーだそーだ、そーしましょーっ。ということになり、ブライアン・フェリーで踊り狂ってみたのだ、早朝の6時に。
 ブライアン・フェリーはなかなかダンディなので、俺にピッタリだ。でも2曲踊ったらへとへとになった。俺は知った。みなさん、アイドル達を馬鹿にしちゃいけませんぜ。踊り、ってすごい運動量なんだから。スマップもピンクレディも、榊原郁恵も一世風靡セピアもみんなあんなに動いたうえに歌ってて、すごかったんだなー。というか、アイドルってみんな凄いぜ。ブラボー、アイドルだ。ただし東海林太郎以外はな。あれは動かないからな、口しか。
 おそらく、体重は計ってないが、俺も2曲で5キロは痩せたと思うな。

 夕方から、西武線の小川という町を散策する。ここはいつも事務所(スタジオ)の通勤の乗り換え駅なのに、下車したことがなかった。でもきのう見ちまったのさ、駅のホームから。「99円ショップ」の看板を。俺の最近のショッピングの主流といえば、なんといっても100円ショップ。99円ショップもまあ、100円ショップの範疇だから、行きたくてウズウズしていたのだ。夜11時まで、と看板が読めたので、昨日帰りに寄れるかな~と淡い期待を初恋のカルピスのようにしていたのだけど、終電までレコーディングがかかってしまい、今日はわざわざその為だけに電車に乗ってエッコラやって来たのだ。馬鹿だな、俺も。

 俺がなぜ100円ショップがそんなにも好きかというと、もちろん「安さ」も大きいが、それだけではない。しょーもないバッタ物、なんじゃこりゃ物がさり気なく置かれていることがままあるからだ。普通バッタ物やなんじゃこりゃ物は、例えばディスカウントショップとか、質屋とか、ぼろぼろの、「よくこんなんで店開けてるな~」というような雑貨屋の片隅に眠っているものだ。確かにそういう店を探すのは楽しいし、本当に苦労して手に入れた物はなににもまして感動も大きい。しかるに、そういう店はえてして入りづらい所が多い。偏屈そうな老人が「うちになんの用だ。はんっ!?」ってな顔で客を見る店だの、なんかあまりにわびしすぎて、何も獲物がなくても、なんにも買わないで帰ったら、その後この店主首くくって自殺しちまうんじゃねーかと思わせるような陰気な主人の店だとか。はたまた、確かに凄そうな物が店の奥に眠っていそうなんだけど、ほとんどどこまでが商品で、どこまでがこの家の家財道具で、どこまでがこれから捨てようとしている燃えないゴミなのか全く判別がつかない埃まみれの店とか。そんなこんなで、決して入り易い店ばかりじゃなかったのだが、そこに昨今の100円ショップは、俺のニューヒーローとして登場したわけだ。広い店内で、店主に話しかけられる心配もなく、お宝が掘り出せるかもしれない。だいぶチェーン店化が進んだけど、所詮根っこは「倉庫の余り物」「つぶれた会社の在庫物」「安かろう、悪かろう物」なので、俺の趣味にはピッタリガッチリバッチリなのだ。「うちの近くにゃ、なんかすっごい変な物ばかり置いてある100円ショップありまっせ~」という人いたら、俺に情報ちょうだいね。馬鹿だから、明日すでに黄色いカゴぶら下げて鼻歌唄いながらショッピング楽しんでるかもしれないから。
 それから「悪の指令」言い出しっぺなので、遂行して(詳しくは近々「悪の総司令塔」でアップ予定)たら、雪が降ってきたので、あわてて家に帰る。

 夜中は、Gさんの奥さんと、2時間ぐらい電話。
「Gさん、寝ちゃったから大丈夫よ」
「こっちも、妻は2階だから、全然聞こえないさ。ふふふふ・・・」
 ってな色っぽい話しではもちろん全然なく、「たま企画室」の経営についての業務報告。なんせこれでも俺は取締役だからなー、れっきとした有限会社の。ただ、社員より取締役の方が多いのがちょっと・・・。「船頭多くして船、山に上る」ってなことわざがあるけど、船頭は多いのだけど、山に上るならまだいいけど、誰も舵を取るのすらすっかり忘れてて、よく沈みかけてるんだ、この泥船は。俺達がブクブク沈んでるのを見かけたら、是非声をかけて欲しい。「あなたたち、沈んでますよ~」と。誰にも言われないと、本当に気づかなくて、いつのまにか海底二万里ぐらいまで沈んでて、潜水艦かなんかにボーンとはねられてしまうからな。よろしくな。

2月7日

 事務所に行くと、事務員のマニが、「携帯でメール送れないよー」とか言ってる。新しい携帯にしたらしいので、「もう替えたんだ」というと、「鞄の中にお茶のペットボトルと一緒に入れてて、お茶がこぼれてビッショビショになって使い物にならなくなったんだよ~」とのこと。万事おめーはそれだな。
 今日は俺の参加しているパスカルズのデモテープ録音。笛や太鼓(俺は「ひとり鎮守のお祭り」か?)をかき鳴らして4曲も録ったので、終電ギリギリ。「今年は是非ともメジャーから出したい」とバンマスのロケットマツは申してるので、もしも今これを見ている貴方がレコード会社のスカウトマンなら、早めに連絡をした方がよい。お買い得だぞ。メンバーは全員プロかセミプロか画家か漫画家か木工職人か植木屋か水道検針員だぞ。平均年齢は会社で言えば係長から課長クラスなので、無謀な若者のような扱いづらさはないぞ。別の扱いづらさは知らんがな。でも本当に音楽はちょいといいぞ。「のほほんと聴ける、プログレインスト・チープテイスト」だ。映画音楽とかにももってこいだ。(確か「僕のおじさん」とかいう映画ではすでに使われている)ありそうで、なさそうな音楽だ。ただし、ツアーを企画すると、経費はかかるぞ。なんせ、現在メンバーは15人だからな。もうちょっと増えると、動物園とか団体割引で入れるぞ。・・・行かないけどな。

 2月6日

 渋谷・ジァンジァンでしょぼたまライブ。ジァンジァンはたまやパスカルズで数回出演しただけだけど、今年でなくなると聞いて、結構寂しいものがある。客席はちょっと特殊で、ステージから見るとVの字型になっていて、真ん真ん中が壁、という変な作りで、決して「特にやり易い場所」とは言い難い。が、なんというか、「小劇場」というだけあって、ライブハウスとはまた違う独特の「気」が満ちあふれているのだ。どちらかというと、渋い芸を見せる人たち--永六輔、マルセ太郎、晩年の淡谷のり子など--が出演していたことが有名だが、俺たちもその中に少しでも加われたことを幸せと思う。リハーサル時には、加奈崎芳太郎さんや、さくらももこさんなども顔を出してくれた。
 本日はゲストに関島岳郎。全身まっ黄色の「色を間違えた消防士」のような姿で登場。チューバを吹いてくれる。俺が以前この日記のコーナーで「関島さんの眠そうな顔が好きだ」と書いたら、みんなから、「いや、あれは王子様の顔だ」とか「高貴なところの出の顔だ」と言われたので、とりあえず今日は「伯爵」と呼んだ。ちなみに、舞踏会の予定はここのところはないということだ。
 ライブは本日も超満員で嬉しい。今年に入ってから、演奏もなかなか調子がいい。だんだんみんな年も取ってきた、という事実は否めないので、「自分の年をわかった上で、最も良い形で演奏する」コツがちょっとわかってきたのかもしれない。これは決して「無理をしない」ということではない。時には、ライブには無理や、突っ走ることも必要だからだ。但し、その無理の仕方がしゃにむにやるのではなく、出るべきところでバーンと出て、そうじゃない時は抑制も必要だ、ということ。その振幅があってこそ、ライブの面白さ、深みがあるような気がする。な~んて偉そうなこというと、すぐにその反対の馬脚を現しちまうのはわかりきってるんだけどねー。ま、そん時はそん時で、また笑ってごまかそっと。

2月5日

 ほぼ体調は直ったが、念のため、内科にいって薬もらう。ここ2,3回行ったことのある医院で、俺のことには全然気づいてない様子だったのだが、今日突然、「いやぁ、気づかなくてすみませんでしたねー。私、患者さんの胸ばかり見てるので、顔見てなくって。弟がファンでしてねー」と言って、自分の鞄から俺の「すごろく旅行日和」を取り出した。わざわざ買ってもらって嬉しいが、ひとつ疑問はその「弟」というのを俺は一度も見たことがないことだ。小さな医院なので医者はいつもその先生ひとり。あとは受付と看護婦さんが何人かいるが、いづれも女性だ。まさか、女性と思っていた看護婦の誰かが、実は弟だったのか・・・? それなら相当に怖いが。もしくは、天井の穴かどこかからこっそり患者を覗き見る性癖のある弟さんか・・・? それはもっと怖いが。謎だ。

2月4日

 本当はプロモーションのラジオがあったのだが、ちょっと体調が優れなかったので、知久君とGさんにまかせて、ひと足先に帰京。「早割」で取ったチケットだったので、変更が利かず、手数料払って払い戻しして、格安のスカイマークエアラインに乗る。別に何も問題なかったなー。むしろ営業に必死のせいか、カウンターもスチュワーデスも好印象だった。品川駅でコロッケカレー食ってから帰る。夜は「ブルースブラザース」「モンティパイソン」ビデオで再見。10円ビデオ、明日返却だからな。「モンティパイソン」はもう30年前の作品だが、古くならないな。
あっ、そうだ。今日から、伝言板のお返事は別のコーナー「伝言板の返事でアッハッハー」を設けたから、行ってみてね。

2月3日

 西小倉「WOW!」というところでしょぼたまライブ。リハーサル後は時間があったのでふらふら歩いていたら、いつのまにか隣の小倉駅まで歩いてしまった。途中、100円ショップがあったので迷わず入って、音の出そうなオモチャを片っ端から買う。ついこの間2000円ぐらい出して買ったリコーダー(たて笛)も100円で嬉し悲し。吹いてみたら問題なく音がでやがるんだな、これが。ピーヒョロと。
 「らんちう」の語りの部分は最近、Gさんがやっているのだが、ここ数回、俺の本「すごろく旅行日和」のあとがきのまじめな部分を読む、っていうのが定番になっていて、それ自体も恥ずかしいのだが、「たぶん今日もあそこを読むんだろーなー」とわかってて読まれるのが、さらにまた恥ずかし。本当に恥ずかしいので、あの誤魔化しの俺の地響きのようなうなり声だけは、本物です。
 今日もアンコールはダイエー知久、そしてアダチ宣伝社と「あるぴの」「フリドニア日記」。そしてダブルアンコールでは、幕(客席との間には、幕が閉じるライブハウスも珍しい!)前でアダチさんに突然曲も知らないまま出てきて「どっこいしょ」やってもらう。アダチさん、色々ありがとうっ!
 帰りは、車が少し人数的に狭かったので、小倉から俺だけ電車で帰る。知らない土地の夜中の電車に乗るの、自分がどこにいるのかわからないちょっと不思議な感覚になって、好きなんだよなー。

2月2日

 昼間は、今回宣伝を担当してくれたアダチ宣伝社というチンドン屋さんのプロモーションでラジオに出演。なぜチンドン屋かというと、ここの社長兼リーダーのアダチさんは、元「たけのうちカルテット」というバンドをやっていて、今から10年以上前に共演したことがあった、という縁なのだ。現在も、チンドン屋をやりながらバンドも続けているという変わり種で、今日と明日のライブのゲストでも出てもらうのだ。

 その後、伝説の「照和」へ。ここはあの武田鉄也や井上陽水、チューリップ、その他福岡ミュージシャン達が続々と生まれた、歴史あるライブハウスだったので一度出てみたかったのだ。ステージは狭いが、その分「しょぼたま」向きの会場。ゲストのアダチ宣伝社にまずはステージをやってもらい、さぁ、本番。椅子では座りきれず本番前に会場に暗幕を敷いて座敷にするも、今日は満員札止め。少ししたら客席から「お尻、痛くない?」ってなひそひそ話しが聞こえてきたので、全員を一回立たせて、お尻の痛みをとってもらった。なんて親切な俺なんざんしょ。でもお尻痛いとゆっくり見てられないもんね。まぁ、途中「家族」でGさん思いっきしトイピアノ間違ってあわわわ状態になったので、思わず歌詞を替え、「俺のお歌で、ちゃんとピアノ弾いてジジ・ジジーッ」ってなこともありつつ全体にとんとん拍子に行って、さてアンコール。なんと、知久君がダイエーホークスのユニホームを着て登場。しかも、背中には背番号「1」と「CHIKU」の文字が。そしてギターをバットがわりに構え、フラミンゴ打法を披露。「用意がいいなー」と思ったお客さんが多いかと思うので、その真相をお話します。実はライブの数日前、うちにこんなメールがファンの方から来ていたのです。少し長くなりますが、掲載します。

『こんばんわ。福岡市に住むたまファンです。
石川さんの伝言板では「サチっぺ」という名前でいつもお世話になっています。今日はお願い、というか提案(?)があってメールしました。
これを使って頂ければ、福岡のアンコールはかなり・かなり盛り上がるのでは?と思う道具があって、是非是非差し上げたいのですが当日になって「そんなのいらないよー」or「そんなんやらんわい!」と言われるのは悲しいので、予め石川さんに聞いてみよう!と思いメールしました。忙しいのにすみません。

その道具というのは・・・
「知久さんのネーム入り、ダイエーホークスのユニフォーム(帽子と上着のみ)+メガホン一式」です!

これは昨年、地元の福岡ダイエーホークスがリーグ優勝した際、記念に作った物です。
「なんで知久さんなんだ?」等お思いだと思いますが、話を聞いて下さい。(長文です。すみません・・・)まず、これをどう使ってほしいか、どう使ったらライブが盛り上がるのか、私の提案(願望(笑))は・・・

1.アンコール時に使用。アンコールの拍手の後、石川さんと滝本さんだけ登場。
          ↓
2.「あれ知久君は?」ととぼける石川さん。
  「あ!あれは・・・!」
             ↓
3.石川さんの視線の先には、ミニギターをバットの様に持ち、王監督の一本足打法のかまえをして、ホークスのユニホームを着て立っている知久さんか・・・!会場大爆笑!
          ↓
4.(石川さん、ホークスのメガホン構えて)
  「かっとばせー!とーしあきー!!」
  (*できれば秋山の応援歌を知久さんに変えて歌う(笑))
          ↓
5.(*できれば)福岡ダイエーホークスの応援歌「いざゆけ若鷹軍団」の一番を石川さんがダンディーの歌声で、たいこを叩き、リズムをとりながら歌う。会場みんなで手拍子・大合唱。
          ↓
6.盛り上がった勢いで、「お昼の2時に」!!

・・・ってな、私の勝手な提案(願望)です。どんなもんでしょう?(笑)

なんで知久さんの名前でユニフォームを作ったかというと、上記の様な私の勝手な構想が原因という事がまず一つ。と、まだホークスが優勝する前の9月のある日、ボロ負け試合があって気がもうろうとしながらも、頑張って福岡ドー ムのスタンドで応援をしていた時の出来事がきっかけで作りました。

その日の出来事。ボロ負け試合で、これでもか!という位ボロボロに打たれ、それでも応援しなきゃとメガホンを振っていた時の事。
「かっとばせー!あーきやまー!」が
「かっとばせー!とーしあきー!」に聞こえて目の前はグラウンドなのに、何故か知久さんの姿が浮かんきてで、しかもホークスのユニフォームを着てバットを構えているではありませんか。(笑)あまりにもボロボロに打たれて、気 がもうろうとしていたせいか、あまり深く考えず、「ああ、知久さんユニフォーム似合うなぁー」と思い、そして「あの姿で福岡のライブの アンコールにでたら、そりゃー盛り上がるなー」と思ったのです。そしてその後、「もし、ホークスが優勝(リーグ優勝)したら、記念にユニフォームを作ろう!」と決心し、そして本当に優勝したので、速攻優勝した翌日に注文したのでした・・・。

と、いう訳で、もしよろしければ、是非、是非使って下さい。使って下さるのであれば、当日ライブ前、照和のスタッフさんに渡しておきます。(後略)』

 まぁ、「いざゆけ若鷹軍団」や「お昼の2時に」はさすがに出来なかったけど(ちなみに「お昼の2時に」はしょぼたまのレパートリーに入ってないのだ)、ほぼ似たようなことやらさせてもらいました。ちなみにこれはもったいないので次の日の「WOW!」でも同じようなことやらさせてもらったけど、よーするに、この演出は俺達じゃなくて、「サチっぺ」さんだったのですねー。ホームページを持って、メール番号を知らせておくと、こんな遊びも出来るんだなー、と思いました。なので、今後もこんな悪巧み、思いついたらみんな気軽にメールしてね。ただ、必ずしもなんでも出来るわけじゃないので、今回もメールの返事は「メンバーのその時の気分で、やれるようならやるので、とりあえずダメモトで持ってきてね」というものだったので、その辺はゴリョーショー下さいなー。アンコールではアダチ宣伝社の人達と「あるぴの」チンドンヴァージョン。楽しかった。

2月1日

 福岡へ。羽田から飛行機でゴー。さぁ、久しぶりの九州だ。博多ラーメン、長崎チャンポン、明太子、カラシレンコン、にわかせんぺい・・・いろいろ旨いもんがあるぞぉぉぉぉっ、と叫んだものの、寝不足で眠くてどこかに出かける気力がなく、ホテルから徒歩3分のセブンイレブンで、東京でもバリバリに売っている「カニグラタン」をチンしてもらう。あと「キャベツサラダ」。とほほ。そんなものさ、俺の旅の現実なんて。


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