石ヤンのテキトー日記00年2月(2)

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2月23日

 ネパール公演の為のリハーサル。ネパールにはオルガンが大きくて運べない。なので、オルガンを使う曲を、カシオトーンやアコーディオン、ピアニカなどで代用して試してみる。と、意外にも別のアレンジの面白さが出る曲もあってなかなかよかった。

 さて、休憩時間に階段を上って事務所に行くと、事務員のマニが泡をブクブク吹いている。「ファンクラブの会員のデータが全部消えちゃったよー」「な、なにぃ!?」そりゃあ一大事というか、とんでもねーぞ! 会社終わるぞ! しかしよく聞いてみると、MOにきのうまでのデータは残っているらしく、とりあえずはひと安心。でも、今日朝からやっていた打ち込みが一瞬にして消えてしまったという。まぁ、パソコン仕事の怖いところだ。しかしなんとかマックに詳しい友人に連絡したところ、なんと彼の的確な指示により、消えたデータが見事修復! その素晴らしい友人の名は・・・日本一の笑顔をみせる男、といえばもうみなさんおわかりだろう。そう、健さんだ!! すまんのー。俺のページでさらし者、いやスターになったばかりか、有限会社たま企画室まで救うとは、なんて、なんてヒーローなんだ、おめいさんってば!

   じゃあ、今日はそんな健さんの素晴らしさを、世界中の良い子のみんなにもうひとつ教えてあげよう。今から18年くらい前、俺はミニコミを毎月発行していた。その時、その誌上の俺の企画した、とある大会で健さんは見事にグランプリに輝いたのだ。ちなみに、グランプリ以外の各賞は次のとおりだ。「きっついにおい賞」山下由、「銀色角形ペリペリ恥垢賞」大谷博之(現・大谷氏)、「頭でっかち賞」石川浩司、「努力賞」知久寿焼。(それにしても、18年間、友達はちっとも変わってないな~)
 そう、もうわかったろう。健さんは「ちんこ」もグランプリなのだよ。長さ&太さ&色&ツヤ。どれを取っても俺たちの仲間の中じゃキング・オブ・キングスだった。みんな今だから言うけど、おめいさんのブツが大会でベールを脱いだ瞬間に、へこんだもんだぜ。へこんだもんだぜよーっ。とにかく、いいたい事はただひとつ。健さん、おめいさんは、最高だぜっ! もうすぐG4を買ってG3があまる健さんよ! あれっ!? まだ「今月の物々交換」におめいさんからのメールは届いてないぞ、健さんよ。メールの事故かな? 早くしないと2月が終わっちゃうぞ。それはともかく、ブラボー健さんよ! よっ、日本一!!

2月22日

 歌人の田中章義さんらとたまで、有線放送のラジオ番組を録音。話が盛り上がり、1時間番組を1本取る予定が2本分に延長。「すごろく旅行」を海外で行った設定で、いろんな国にバンバン飛んでそこの思い出を語る話。有線放送の中にあるチャンネルらしく、来週あたり繰り返しで聴けるらしいので、環境のある人は要チェック。

 帰ると、先日一緒に川越に取材を兼ねて遊びに行ったさくらももこさんから妻のR君に世界の各地で買ったらしい「小物おみやげセット」が届いており、R君が喜んでいる。特に小さなガラス玉に入った金魚がお気に入りのようで、ガラス玉の向こう側にいろんな色の物を透かして楽しんでいた。さくらさんのお父さんであり、なおかつ漫画の名脇役でもあるヒロシさんからも手紙が入っている。将来、「なんでも鑑定団」になにかで呼ばれる事があったら、出してみるかな。『人気漫画の名脇役の、実在の人物からの手紙』ということで。

 あと、実家の親からも葉書が。数日前の日記にR君の悪口を書き、「うちの親も見てるかもな」と書いたら、見事に「見てます」と書かれていた。しかも父親が見て、パソコン画面が苦手な母親は、それを縦書きに変換してプリントアウトしてもらい、数日分をまとめて読んでいるとのこと・・・やはりこんな年になっても息子の動向は気になるのか・・・。いやー、お宅の息子さんは立派ですよ~。こんな風に毎日変化に富んだ素晴らしい人生を送っていますよ~。また、嫁もこれまた素晴らしい! 家事は完璧、いつも三つ指ついて「おかえりなさいまし、あなた。」家の中じゃチリや誇り、いやホコリも見たことない。食事も毎日健康に気を使ったフルコースが供され、なおかつ夜は夜で妖艶美女に早変わり。男言葉を使う?・・・ははは、ご冗談を。「しとやか」「女の鑑」を辞書で引けば、「R君」と出てくる、ってなもんで。(・・・こんなもんでいいかい、R君よ。これで親も安心だぜ。俺たちのお気楽馬鹿暮らしは、バレないって!)

2月21日

 打ち合わせの為、メンバーと新宿の「ランブル」という喫茶店へ。俺たちは、誰も決断力が体のどこにもついてないで生まれてきたので、たいした打ち合わせでもないのに、ちょっとした事が全然決まらないで6時間。まぁ、やっぱり馬鹿だな、一種の。ちなみに「ランブル」は巨大昔風喫茶なので、何時間いても文句言われないぞ。メニューは、レモンティーがお薦めだ。なぜなら、アイスコーヒーより50円安いのに、ポット(というか、紅茶の葉っぱをキューと上から絞って出すアレ。名前はわからない)なので2杯分でなおかつクッキーが2枚オマケについてるからな。
 そーいえば昔やっぱり新宿の巨大喫茶で「六本木」(まぎらわしい)というのがあり、ここはいつでも「トーストガール」が広い店内をトーストを持って歩きまわり、片手を「ヘーイ!」と挙げさえすれば、いつでもトーストが食い放題、という素晴らしい店だった。なので、よく半日ぐらいいて、2食浮かせた物だが、今はもうないしなー。でも好きだな、巨大喫茶。

  帰りの電車では持病のシンケーツーが痛くなり(6時間も座っていれば当たり前か)強引に眠りに入ったら、また駅を乗り越してしまった。電車を降りて階段を渡って上りの列車に乗り換える時は、特にホームでの冷たい風がなぜだかヒュルリヒュウルリと身にしみるな。
 シンケーツー(もしくは四十肩、というヤツか?トホホホ)の為、最近はファンの人からもらった「草津の湯の花」を入れた風呂に、一日2回ずつぐらい入ってる。なので自分の体が「湯の花」の硫黄臭くなってるのがわかる。だから、俺から硫黄の匂いがしても「よっ、温泉帰りかいっ、粋だねっ!」と声をかけてくれよ。って、かけなくてもいいけど、そんなだから「石川さんと町ですれ違ったら、なんかクッサーイ臭いがした」とは思うなよ。温泉の硫黄の匂いは、浮浪者のソレと若干共通点があるからな。誤解されたら困るからな。

 ところで、きのう漫画家の赤星たみこさんのホームページを見つけ、昔、漫画の欄外に「今日、ローリングストーンズのライブで、たまのランニングの人を見た」みたいなことを書かれていたのを思い出し、うちも赤星さんの漫画はほとんどの単行本を持っているので、「ファンで、なおかつネタにされたこともある縁なので、相互リンクしませんか?」と伝言板に書いたところ、すぐに返事のメールがきて、もうリンクを張ってくれていた。嬉しいな。
 これが電話だったら、きっと一生できないことだもんな。直接面識がない有名人と連絡を取るなんて。俺は実は電話が苦手なのだ。どーも切るタイミングがうまくつかめないのだ。それでも受ける方はまだ良いのだが、かけるのは、知り合いですらあまり好きじゃない。ましてや、直接知らない人に電話するなんて、あな怖ろしや。かって友人のとうじ魔とうじも、同じようなことを言っていて「『知らない人に電話する』なんて大作業しなくちゃならない日には、朝からそのことだけで憂鬱になり、何度も受話器を取っては置き取っては置き、ようようやり遂げた時は、もう一日分の仕事をしたのと同じくらい疲れ果てて、自分に「お疲れさま」とビールの栓を抜いちゃうよ。」と言っていたが、その気持ちよおくわかるぜ。
 でもなぜかメールや伝言板に書き込む、という作業は全然苦にならない。きっと、電話だと、常に相手の様子をうかがいつつ会話を成立させなくちゃならない、という小心者の変な強迫観念があるが、メールや伝言板はあいさつだけ一応すれば、用件だけスパッと書ける、という気楽さが俺にはあってるんだろーなー。

2月20日

 義姉の亜古ヤンが韓国から帰ってきた、というので海苔のおみやげをもらいがてら遊びにいく。亜古ヤンは女性誌系のフリーライターなので、いわゆる「今、最も新しい韓国3泊4日の旅」みたいな記事を書く為に一週間程取材で行って来たらしい。なんでもニンニクたっぷりを使ったフライドチキンが絶品だったとか。あと、スパセンターもなかなか良かったらしい。って、こんなこと先に書いたらライターの亜古ヤンに悪いか。でもとにかく、韓国はまだまだ奥が深いそうだ。尚、韓国での前回の亜古ヤンの活躍ぶりは、俺の「すごろく旅行日和」にも載っているから読んでくれよな。

 ところで今月は伝言板は随分賑わっているが、「物々交換」の投稿がちょいと少なめだなー。・・・ところでG4を買うかもしれないと言っていた健さんよ。とすると健さんの持っているG3が余ることに・・・。G3とレトロおもちゃセットの交換はいいぞー。なんか、理由はよくわからないが、すっごい良いことが健さんに訪れて、来月の「今月の健さんの笑顔」は日本一をピョーンと通り越して、世界一の笑顔が見られる、そんな気がしてならないんだなー、俺には。なっ、健さん!

2月19日

 午後からまず、吉祥寺で大学の取材を一本。実は俺はその昔、和光大学というところにちょっとだけ通っていた事があるのだ。この「ちょっとだけ」は謙遜のそれじゃなくて本当の意味でのちょっとだけなので、もちろん卒業証書とかはもらっていない。まぁそんなことで今度和光大学で学内雑誌を作るとかで「OB」として、その第一号の表紙&インタビューをお願いされたのだ。冗談だとは思うが、「OBで一番知られているの、石川さんですから」などと言っている。大丈夫か!?和光大学。俺が一番有名なOBだなんて。それはちとやばくないか? だって、もっとすごい人がいくらでもいるじゃないか。吉田戦車、早川義夫、コシミハル、町田忍、そしてパリのグルメっ子、佐川君。
「でも、佐川君とか、最近の学生は知りませんよ。」
 時代も変わったな・・・。というか、確かに佐川君は少々使いづらいかもしれんが・・・。

 それから「むさしのFM」というコミュニティラジオのゲスト。ゲストなんて、曲かけてもらって、適当に相づち打ってりゃいいだけの、お気楽な仕事さ、アッハッハーと思ったら、なんと、
「ディスクジョッキーの篠原りかさんが、風邪で倒れた」との事。
 前にも一度出たことのある番組だったので、
「それは大変だねー。代わりは誰なの?」とマネージャーに聞くと、
「大変なのは石川さんの方です。代わりはいないので、石川さんにそのままDJやってもらいます。」
「は、はぁっ!?」
「しかも生放送です。あと一時間で始まります。」
「な、なんやてーっ!」
「しかも一時間番組で相手もいないので、ひとり喋りです。」
「そないなアホなー!」
 って、関西弁にも思わずなるわ。そりゃあ今までだってラジオのゲストにはそこそこ出たことはあるけど、いきなりメインて。しかも相手もいないひとり喋りて。しかも生って。あと一時間て。
「さ、早く行きましょう!」
 マネージャーは有無も言わさず俺をズルズルひきずっていく。
 ラジオ局について、ぼーっとしている間に流す曲の打ち合わせも終わって、はっと気づいたら、ラジオのカフ(マイクのスイッチを入れるレバー)を上げていた。

「こんにちは。篠原りかです。今日はちょっと風邪引いちゃって、こんな声でごめんなさい。でも、風邪じゃなくて、「第三次成長期」の声がわりかもしれないの・・・」
 としょーもない振りからトークを始める。しかも何曲目かにかける予定の「ハダシの足音」の前の曲を流している時、マネージャーも忘れていた、ある事実に気づいた。俺はヘッドホンを素早く外し、スタッフルームに走る。
「そういえば、この歌の中に『色きちがい』って言葉入ってるけど、大丈夫なの?」
「むっ、それはヤバイ!」
 と急遽「トカゲ」に切り替えたりと、なんだかんだゴチャゴチャしながらも、この日一日限りの「石川浩司のランブリングミュージック」(正式番組名は『篠原りかのランブリングミュージック』) はなんとか終わった。ちなみに「生だったんじゃ、もう聴けないな。しかも武蔵野市のあたりだけのローカルFMでしょ」の声に答えよう。なんと、この番組は同時にインターネットラジオでもあったのだ。なので、今からでもこの番組は環境がある人は聴けるのだ。興味のある人は、ここをクリックして俺のあわてぶりを聴いてみてね。ちなみにたまのニューアルバム「東京フルーツ」の曲もたっぷりかけているよ。

さて、やっと仕事も終わりマネージャーと別れて、そばを食おうと駅前の立ち食いそば屋へ行ってみると、混んでて入れない。朝から(といっても起きたのはお昼すぎだが、もう夕方6時過ぎだ)何も食っていないので腹がへった。腹がへったら俺はとにかく立ち食いの「天玉そば」(天ぷら、玉子)なのだ。ところが店は満席。むむむっ。しょうがないのでいつものように、町をうろつく。変な寿司屋を見つけて戻ってみてもまだ満員。変なお寺を見つけて戻ってみてもまだ満員。変なベンチを見つけて戻ってみてもまだ満員で、「もういいわいっ!」と駅の構内にある立ち食いそば屋に行くことにした。古本屋とか100円ショップとかにも寄ってたので、いつのまにかもう8時過ぎ。俺の「すくと柔らかくなる腹」はほとんど伸びきったゴムのようにタルンタルンになっていた。これは嘘じゃなくて、俺が腹がへっているかどうかは、触ってみるとすぐにわかるのだ。パンパンの時は見事に太鼓腹に張っていて、へると本当にペコンとなるのだ。それがあまりにもわかり易いので、最初は妻だけが俺の腹具合を調べるのに使っていたのだが、最近はメンバーにまでもバレて、「あっ、今、石川さんお腹へってるでしょ」なんて触られて笑われる。俺の腹で遊ぶな、ちゅうねん。
 とにかく俺の頭の中は天玉そばのことでいっぱい。切符を自動改札機に入れるのももどかしく、吉祥寺駅構内のそば屋に駆け込む。「天玉そばだ、天玉そばだ!」
 ・・・ところが運命というのは得てしてそういうものさ。あぁ、わかっていたさ、そんなことは俺の人生でいくらもあったからね。というか、スムーズに行くことの方がよっぽど珍しいもんな。あぁあぁ、そうですか、わかった。わかりましたよ。いや、別にそば屋がもう閉店してた、ってんならあきらめもつくさ。何故に「本日、そばは売り切れました」なのだ!? 俺はもう、うどんとか、カレーライスとかじゃ駄目なんだ! 頭の中は「天玉そば」だけで、他の選択肢はどこにもないのだ。もう改札を抜けてしまったので、今さら町に戻ることもできやしない。そうさ。いつだってそうだったさ、俺の人生なんて・・・ふふっ。ふふふっ。もう9時になるよ。ふふふっ、ふふふっ。虚無的に心の中で笑いながら、中央線に乗り込んだ。「あぁ、中央線よ。オットセイを乗せてどこまでも走るがよい・・・」そういって、ふと、ホームを見ると、そこに天使がいた! いや、「天使のやっている店」があった。階段下にそば屋があったので、まさかホームにはないだろうとたかをくくっていたのだが、もう一軒、立ち食いそば屋がホカホカの湯気を立てて、俺の目の前に、今、現実に、ある!

 発車寸前の電車からポーンと勢い良く飛び降り、ネギをたっぷりかけてもらって天玉そばを泣きながらほおばったのは、言うまでもない。

 2月18日

 またまたまたーの川越へ。今日はパスポートを取りに行く。今度は10年用なので、次に取りに来るとしたら48歳か。すんげえ年じゃん。商店街を歩いていると、「マルヒロ」という川越に昔からあるデパートの屋上に観覧車が見え、なんだか嬉しくなる。数年前に改築するまであったのは知っていたのだが、てっきり取り壊された物とばかり思っていたら、なんと新しい小さな観覧車が見えるではないか。子供の頃はデパートといえば観覧車と大食堂だったけど、どちらもほとんどなくなっちまったもんなぁー。それから変なスナックのような喫茶店に間違って入ってしまい、アチャチャチャーと思って「表に書いてあった780円の"魚定食"ありますか」と聞いたら焼きサバになんとおでんとか、カボチャの煮たのとか6品も7品も小鉢がついていて、ベリーラッキー小幸福だった。

 ところで数日前に、この日記でちょいとまじめモードになって、恥ずかしくも意見っぽいことを書いたら、意外に反響があって驚いた。ってなことで、今日もその続きのよーなことをちょっと書いてみちゃおーかなー。いい気になって。
 この間の「バランス」の事とも似てるんだけど、よく「良い」とか「悪い」とか「長所」とか「短所」とかって言葉を使うことがあると思うんだけど、その度にちょいと「おやーっ?」って思ってしまうんだなー、俺は。例えばとても「素直」な人がいるとします。そして「素直」は一般的に「良い」こととされています。でも、「素直」な人はそれが純粋であればあるほど、自分の気持ちに素直なわけだから、自分勝手でわがまま、とも言えます。
 で、例えばその人に彼女(まぁ彼氏でもいいんだけど、とりあえず男っちゅうことで)がいるとします。そして「素直」にその人が好きなのは間違いありません。しかし、町に出ると、また別の「素敵な人」はいくらでもいます。それはハンバーグも旨いけど刺身定食も旨いし、お好み焼きやシュークリームだって全部別のおいしさがあって、だからシュークリームを食べたからって、別に刺身定食が嫌いになったことには全然ならないのと同じです。なので、その全く「別の素敵な人」のことも自分の気持ちに素直になれば、好きになります。好きになれば、世間で言うところの「浮気」をすることもあります。それが感情的にも肉体的にもより自然なことなんです。でも、世間はそれを一般的に許しません。「自分の彼女がいるなら、他の女の子のことを好きになるのは良くないこと」とされます。ということは、言い換えてみれば「自分の素直な気持ちをおし殺せ」ということです。ここでもうはっきりと「素直=良い」という図式は崩壊します。

   つまり、社会的には実は「素直は悪いこと」な事の方がよっぽど多いのです。しかしそういうと、人は言うでしょう。「良い素直だけを持ちなさい」と。しかしその「良い」の基準はまた、どこにもないのです。例えば自分が良かれ、と思って素直に、誰かにその人の悪いところを忠告したとします。そして「よく言ってくれた。今まで自分のそんな悪いところを素直に言ってくれた人はいなかったから、今度から注意してみるよ」と感謝されることもあるかもしれない。しかし反対にそれを言われた事で深く傷つき、その人が自殺してしまったとしたら、どうでしょう。どこまでが「良い」か「悪い」かはなく、ただ「素直」とうことだけがはっきりとあるのです。

 これは何も「素直」に限ったことではなく、どんな性格、性質にもそれがプラスになった時は「長所」と見なされ、マイナスになった時は「短所」と見なされます。しかしそれはある視点によって、同じことでも相手によってどちらにもなってしまうわけです。
 そもそも「汝、隣人を愛せよ」と「汝、姦淫するなかれ」は矛盾しています。それは心と体を全く別物と考えた、全くの机上の空論です。心が動けば体も反応します。逆に体が動いて心が何も動かないこともあり得ません。だって、心だけの人間も、体だけの人間も、どこにも地球上には存在してないんですから。くっついてるものなんですから。

 知久君という身内の人間がいます。彼は、はっきりと、のろまです。「さぁ、出発しよう」と言う言葉を聞いてから、すべての準備を始め、トイレに行き、挙げ句の果てに忘れ物をして途中で引き返します。これだけ見ると「のろま」は悪いことです。というか、実際俺も随分自分の人生の中で「知久君をイライラしながら、ただ待っている」時間は多いです。つまり被害者です。しかし、もしも知久君ののろまが直ったら---恐らく、知久君の歌の作風は変わるでしょう、それが良いか悪いかは別として、変わることだけは確かでしょう。と、今現在の知久君の曲が好きな人は少なくとも落胆するでしょう。つまり彼はのろまだけど、のろまだからこそ、他の人には見えない物、他の人が急いで通り過ぎて気づかなかった物や感情が歌に出来るのです。つまり---「のろまだけ直して、歌はそのまま」というのはあり得ないことなのです。つまりどっちがより大事かです。となると、ファンの人は知久君ののろまの被害を被らないわけだからもちろんのろまのままでいいでしょうが、被害を被っている俺ですら、作風が変わってしまうぐらいなら、のろまを我慢しよう、と思ってしまうのです。(だからと言ってこれをたまたま知久君がなにかで読んで、「なんだーこれからも遅れていいのかー」とは、決して思うなよ!)

 つまり今日言いたかったのは、「人には特徴がそれぞれある。そしてその特徴は『良い』でも『悪い』でもない。もしくは『良い』でも『悪い』でもある。そして、実は一番つまらないのは、その「特徴」がない人だ。俺は、なあんかちょこっとだけどっかがズレてる人の方が、好きだ。それが「人」として「人の面白さ」として、上等だと思う。だからなあんかズレてたり、人と違ったりしているところは、むしろ誇りに思って、ドーンと突っ走ったれ!」ってなことかな。ちょっとカッコつけすぎかな?
 ま、これも結局くっだらないことばっかりやったり書いたりしている俺が、ふっ、とたまには「まじめ」部分に行きたくなるバランス、振幅、ってえことで、かんべんしてくれや~。あっはっはー。

 2月17日

妻と電車に駅ふたつ乗って、新しい漫画喫茶に行く。マクドナルドで65円のハンバーガーと80円のチーズバーガーを持ち込みして、飲み放題のドリンクを飲みながら、うだうだ。なんとつげ義春の漫画も数冊置いてある、なかなかにマニアックな店だ。俺たちにとっちゃ、願ってもない店だが、たいがい俺たち好みの店はなぜか次に行ってみると全然別の店になっていたりする頻度が高いので、注意が必要。ま、俺が注意したところでどーもならんが。逆に俺たちがニコニコ入ってきたら、ちょっと注意してくれ。って、俺は貧乏神か? 
 題名忘れたけど、さいとう・たかをの「サバイバル」の続編みたいなパニック物を夢中になって読んだ。もちろん「ご自由にお持ち下さい」の雑誌の古本も、最低3冊は頂戴するのも忘れない。ま、基本だね。

 ところで、この間「妻の誕生日の年の数だけプレゼント券」はずいぶん「石川さんって、愛妻家ね!」の声をいただいたが、妻に言わせりゃ、「ホームページの日記に書くネタの為に半分はやったんだろーがよ、おめーはよ!」(妻は家庭内の言葉使いは常に男まさり、というか完全に男)と言われたけど、いえいえそんな滅相もない。7割がホームページのネタの為ですよ、おほほほほっ。って、妻が男言葉だからって俺がおばさんになる必要はないが、ま、いいじゃねーか。どっちにしろプレゼント券は手に入れたんだから。「でも、半分ぐらいは使えねー券なんだよ。あたしをおぶって二階に登る、なんて無茶したらふたりとも大怪我して、共倒れになるのはわかってんだよっ!」って、それはそうだが・・・。
「あと、ひとつ気にいらねーんだよ。『トレンディドラマを我慢して一緒に見る』って、あたしはトレンディドラマなんて鼻から見ないんだよ。『あら、石川さんの奥さんって、トレンディドラマなんか見るのね。うふふふ。』なんて思われたくねーんだよ!」
「でも、見てたじゃない」
「『金八先生』はトレンディドラマじゃねぇーつんだよっ!」
 そ、そうか。ドラマはすべからくトレンディドラマだと思ってた。水戸黄門以外は。そうか、金八先生は違うのか。武田鉄也は。ロングヘアーだからと、トレンディじゃねーんだな。ひとつ勉強になったな。
 ところでR君(妻の名前)よ。こんな風に男言葉を家庭内では使っているということは、うちの実家にバレたらまずいんじゃないか? うちではついぞ聞いたことのない恥ずかしくて顔面が噴火する「浩司さん」なんて呼び名を、実家に帰った時だけ使っているのがバレてしまうぞ。確かそれを阻止する券もプレゼントの中にあったと思うが・・・。早く使わないと「んまぁ。浩司の嫁は男、いえ、おっさんだったのね。浩司はおっさんと結婚したのね! ホモホモホーッ」と、うちの親が卒倒するぞ、いいのか? って、結婚12年目じゃ、どーせそのくらいお見通しか。

2月16日

またもや事務所で打ち合わせ。知久君とGさんが「インストアーライブ販売用「東京フルーツ」を入れる果物屋用用紙でのCD封入袋作り」なんて地味な作業をやっているので、「あっ、俺もやろっか!」と言ったら、ふたりは「・・・あぁぁぁ、石川さんはい・いいよ。だって切ったり、貼ったりしなくちゃなんないから、はは、石川さんには無理だから」と、とても差別的なことを言われる。「かわりに、糊、買ってきてよ。スティック状の、先がスポンジっぽくなってるヤツ」というので「ラジャー!」のかけ声アーンド敬礼とともに、自転車に乗って近くのスーパー「アルプス」へ。ちょうど文具100円コーナーに糊があったのでシメシメと思ったが、そこでハッと思った。「先がスポンジのやつ」と、なんにでもこだわりを持つあのふたりが言っていたので、見事それを買っていって、奴らのドギモを抜いてやろうと思ったのだ。
 しかしプラスチックの蓋がしてあるおかげで、その中がスポンジタイプなんだか、それともそのまま出るただのスティック糊なのか、見分けがつきにくい。「ムムムッ」俺の脳味噌はフル回転した。ここで袋の上からキャップをはずすのは無理なことだ。強引にやったら、袋がねじれて破れて、何か思いもつかない恐ろしい事態が店内にまき起こるも知れぬ。例えば、ねじれの大嫌いな「ねじれ恐怖症」の人が近くにいて、俺がねじってるのを見るや「ふはははーふはははー、ねっ、ねじれっ、ねっ、ねじれー!」と言いながら包丁でグッサリやられるかもしれない。はたまたねじりすぎて袋が破れ、糊がそのネバネバを大量にビトンビトンと撒き散らしながら店内をゴロゴロ転がり、スーパーの中にいた老若男女がそれによって皆、床にトリモチのように張り付き、パニックになり、阿鼻叫喚地獄絵図が展開するかもしれない。
 そこで俺は冷静になって考えた。「他にこれが先スポンジになっているかどうか、わかる方法はないのか・・・」と。すると、糊の裏側にかすかに小さな文字で説明書きがあるではないか。普通糊やハサミ、ボールペンや消しゴムといった文具たちは、説明書きが例え書かれていても、それはほぼ読まれることもなく、ビニールとともに破り捨てられるものだ。しかしこんな時こそ、そんな「誰にも読まれないとわかっているのに、説明書きを書き続けるライターさん」の虚無感を取り払ってやらねばならぬ。よしっ、読んだる。なになに「まずキャップをあけ、スポンジの中にある銀紙を取ってから使用して下さい・・・」ふ、ふ、ふふっ、ふふふふっ。こりゃ、まごうことなき、スポンジ付きの糊じゃ~い! 俺は小躍りして、「あいつらの鼻をあかせたる!」とレジに急いだ。「でも鼻をあかす、ってなんだろう・・・別に俺にとって嬉しいことじゅないな」とか自問自答しながら。5%の消費税を物ともせずに払い、2本で210円也。と、サイフから金を出しながら気が付いた。(おおっと、危ねえ、危ねえ。このままレシート持ってニッコニッコ帰るところだった。社会人が会社の為の買い物と言やあ、忘れちゃなんねえものがあるのは、俺も知ってるぜえいっ!!)
「あの、領収書下さい」
「ハッ、領収書・・・ですか? 210円の、糊の?」
「はいっ!」
「すいません、領収書は店長しか書けないもんで・・・ちょっと、店長いるっ!?」
「あっ、店長、さっき奥の倉庫の方に行ってくるって・・・」
「じゃっ、誰か店長呼んできて! 早く!」
「店長~! てんちょーーーーーうっ!」
 うわっ、一難去ってまた一難。大きな道路を車を避けながら、命からがら向こうの歩道に渡ってホッとした瞬間に、そこにポッカリ開いていたマンホールにヒューッと落ちたようなものだ。
(しまった。出金伝票っていう処理の仕方もあった! 210円でスーパーで領収書もらう人はいないのか!)
 社会人のふりをしてちっともそうじゃない俺は、やっぱり世間知らずだったのかぁぁ!!!! そういって頭を抱え込んでそこに思わずしゃがみ込みそうになった時、やっと気の弱そうな、かつまた俺タイプの不器用そうな店長が走ってきた。
「あっ、お客様。領収書でございますね。い、今お書きします!」
 しかしやっぱりあまりスーパーで領収書を請求する人はいないらしく、店長も領収書の用紙を眺めたまま、しばらくじいっとしている。ふたりの不器用な男の間に、数秒間の沈黙が訪れる。ミーン、ミーン。そしてハッと店長は我に返り、領収書の前のページとかを繰って書き方を見て、「えーと『上様』でよろしいですか?」とか「お、お、お品代でよろしいですか?」とか聞いてようやく領収書が完成した。しかし完成したあともしばらく、上の方の紙を渡したらいいのか、下の写しの方の紙を渡したらいいのかわからないらしく、困り果て、いっその事両方切って俺に渡しそうになりながら、途中で気づいて、ちゃんとした領収書が俺の手元に、レジを出てから数分の時間をおいて手渡された。俺は「糊買い」の成就に満足し、満面の笑顔を浮かべながら、また颯爽と自転車をこぎ、事務所にと戻った。階段をかけ登る。

「買ってきたよっ! スポンジのヤツ! あと領収書ももちろんもらってきたさっ!」
「ふーん、そこに置いといて」
 知久君とGさんは俺の小さな小さな大冒険のことなど知る由もなく、興味もなさそうに袋貼りをいつまでもいつまでも続けていました。・・・とさ。

2月15日

きのう、数日間まとめた日記をアップしようとしたら、何度やっても最後の14日のところがバグ。よっぽどバレンタインの悪魔が天罰をくらわせたのか、と思ったが、よく考えてみたら、くらわせられるのは俺のまわりの「石川さん、素敵!」とかよくライブのアンケートとかで書いてて俺をおだてるだけおだてておいて、現実にゃチョコレートの「チ」の字どころか「チ」の上の「ノ」の部分すらよこさねえ、全国100万人の女性たちであって、俺が天罰を受けるすじあいはない。もしくはいたずら好きのコロポックルがパソコンの中に隠れてて「ふふふっ。石川さん、困ってるぞ。ふふふふ」と笑ってるかと思ったが、そんなメルヘンもないようだ。どうやら、熱くなって日記をがんがんに書いたところ、月の半分で一頁に入る容量を越えてしまったようだ。むむむ。ホームページも結構ヤワだな。
 ということで、数日間旅行に出てた為、この日は一日中、まとめて日記を書き、ビデオから静止画を抽出し、構成してHTMLを書いただけで一日が終わってしまった。  はたから見たら、それはとてもまじめにデスクワークをしているようにうつるのだが、実際はそれは仕事でもなんでもなく一銭の金にすらならない遊びで、どう考えても遊んでいる風にしか見えない、ライブでの即興バカ歌や腰振りダンス、レジャーシートを体に巻き付けバサバサ鳥のまねをしながらはばたくのが仕事だってんだから、まったくもってコンフュージョン・トゥ・ビー・マイ・エピタフだな、俺の人生って・・・。

2月14日

 あぁ、この日はバレンタインデーか。と、今これを書いている次の日にそれを思い出した、ということは? ・・・ムムム。ムムムムム。ムムムムムムムムム。チョコなんて、チョコなんて、ちゅうねんには、関係ないやーい! あんな真っ黒なウンコみたいな色の食い物なんか、へーんだっ!
 って、俺は中年の小学生か。まっ、実のところチョコはそれじゃなくても毎日毎日なぜか家にあふれているから、別に全然いらない。みんなの家もそうでしょ? 妻が、毎日買ってくるものなんでしょ、チョコは。で、たまにチョコを買ってこない日はケーキなんだよね。ねっ、ねっ、妻が「どこの家もそうなのよ」って言ってるの、俺、なんか騙されてるわけじゃないよね? ねっ、ねっ、黙ってないで答えてったらぁ。

 事務所で打ち合わせ。春のツアーを決める為あちこちに電話したり、その宣伝方法を考えたり、ネパールツアーに参加する人のプレゼントを考えたり、「たま通信」の原稿書いたりインタビューしたり、次の物販物やビデオの計画を立てたり、どこの会社と提携して仕事を進めていくのがいいのか相談したり、経営の収支決算を出して皺よせたり、ナイロン100゜Cの大倉君に頼まれたパンフレットの原稿書いたり、某社から出るたまのベスト盤の校正したり、インフォメーション電話入れ替えたり。なんだかんだで午後2時に集まっても終電までかかる。本当はプロダクションとかに入っていればほとんどの事務的な仕事は人まかせに出来て、バンドはバンドのことだけ考えていりゃーいいんだろうけど、デビューして最初の2年間プロダクションに入ってたら「なんか違うんだよなー」ということで2年で独立しちまったからなぁ。別に悪い人がいる、ということじゃなくても(まぁ、いるけどね)何か物事を伝えても人から人に伝わっていくうちに、伝言ゲームのように少しずつニュアンスが変わってきちゃって、結果的に出来上がった物を見せられたら「全然違うじゃーん」ということがよくあってこりごりしたのだ。だから今後もプロダクションに入ることはないだろうが、やっぱり雑用や事務仕事は多いねー。本来本人たちがあまり聞かなくてもいい話しまで聞かなくちゃならないし。でも自分たちで選んだ道だからなー。面倒臭くっても、表現の面ではとにかく、イヤな事はなにひとつとしてやりたくないわがままだからなー。

 ってなことを言うと「その割には温泉行ったり、けっこう遊び呆けているじゃないか」という声も聞こえそうだが、ふふふっ、正解。なぜなら俺たちに「遊び」は絶対に必要だからだ。まぁ、バンドってえのも大きく考えればもちろん「遊び」なんだけど、それを「仕事」としても、それ以外の「遊び」の時間が、生活の7割は欲しいね。「贅沢いうんじゃなーい!」という声がすぐに聞こえてきたけど、おっと待った。「だからこそ、たまの音楽はあった」という今日はちょっと深い事を言おう、っと。

 人にとって実は一番大事なもののひとつに「バランス」というものがあると思う。これは結構見逃され易いけど、あらゆる面においてとても大事なことだと思う。それはしかし「常に中庸でいろ」という狭い話しではもちろんない。「過激」と言われるミュージシャン、例えばRCサクセション(忌野清志郎)、頭脳警察(パンタ&トシ)、スターリン(遠藤ミチロウ)。テレビカメラにガムを吐き、素っ裸で放送禁止歌をうたい、豚の内臓を客席にまき散らす。そのすべての人たちと今は知り合いになったけど、その人たちがステージ以外の生活の中でなんと心優しく、ちょっと臆病で、まじめで、人にとても気を使うことか。その点でみんな一致しているのだ。つまり自分たちのそんな「優しすぎる」気持ちをステージで過激なことをすることで「バランス」を取っているのだ。だからたまも、「このバランスだからこの音楽」というのはハッキリとあると思う。もしも俺たちが練習の虫だったり、とてもまじめに楽典を学習していたり、はたまた全員が学生時代をスポーツに命をかけていたとしたら、たぶんこんな音楽は出てこなかっただろうし。別に変な自慢とかじゃなくて、「たまたまこのバランスだからこの音楽」というのはとにかく絶対にあると思う。だから柳ちゃんが抜ける前のたまと、今のたまは似ていても絶対に違うもんだし。同じ人がやっていても、年も取るし、環境も微妙に変わっているわけだし。何を言いたいのかというと、「すべては、たった今の、一期一会のバランスでしか『物』はない」ということだ。

 ということで、今後も俺たちの平均バランス「遊び7割重要論」はわかってくれたかな? ま、先ほども言ったように本当はバンドだってそもそも遊びなんだから、「遊び10割」なんだけどね。
 ねー、ねー、ねー、みんなどーせ死んじゃうんだから、もっと遊ぼーよ。よくよく考えてみてよ。「仕事」や「勉強」だと思っているものだって、そう信じこんでるだけで本当はそれも「遊び」だったんじゃないのか? と、ちょっとでもいいから考えてみてくれよー。公務員になって安定すること。野菜を売ること。ゲームを作ること。会社で出世してプライドを高めること。風俗の仕事。客が一日2人くらいしかこない田舎の理容院。編集者。病院の受付。花屋。
 本当はそれは、みんなが色んな人生の分岐点で選んできた、もっとも自分にとって面白い、バランスを取った結果の「遊び」だったんじゃないかって、ちょっとでいいから考えてみてくれよー。


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