ドキドキドキリコ初体験(96)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

はじめての2日間停電

先の投稿「はじめての激烈台風大阪襲来」の続きです。

さて2018年9月4日に上陸した台風21号により私が40年生きてきて初めての規模の被害を受けた大阪。のちに近所のお客さんに聴いてみても、「こんなん50年住んでてはじめて」「60年住んでて」「70年」「80・・・」と皆さんが口を揃えてこんな滅茶苦茶な風は初めてだった、とおっしゃるのでした。それほどまでに基本的に楽天的な大阪のおっさんおばばん達をもびびらせるレヴェルの災害であったわけなのです。

私のまわりには落命なさった方はいませんでしたが、勤務地域のすぐ隣にある大阪市港区ではマンションの8階の部屋に屋根の一部が飛来し突っ込み、1人がおなくなりになった、という痛ましい被害がありました。いま(2019年3月)現在でもまだ屋根や硝子の工事が追いつかず、段ボールやブルーシートで仮補修になったままの家屋・店舗が散見されます。ほんとうに大阪が近代化してから、これほどまで広範囲でいろんなものが破壊されたのは初めてのことだったのでしょう、どこの業者に頼んでも数か月待ち、というたまらない状況が永らく続きました。

当日、車で出勤していた店長に、木々は倒れ標識はあさってを向きそれ故に渋滞する暗い街中を家付近まで送ってもらった私。果たして我が家は無事であろうか。町は見たことのないような暗闇に包まれ、一部の家から懐中電灯の明かりがわずかに漏れるばかりで、いかに普段電気の点いた世界の中で暮らしているものなのか、その時はじめて意識しました。ほんとうに、ここいら一帯は完全に停電してしまっています。ごくたまにすれ違う車のヘッドライトのみが、いやに眩しく明るさを放ち、通り過ぎると景色はまた、息絶えたような、闇夜。

辿り着いた光を失った我が家は、なんだか別の顔をしていました。
各所損壊はしていないものの、真っ暗な中で視るもの、というのはどうしてこうも拒絶的なのでしょう。自分の家だというのに、なぜか入ってはいけないような、そんなおかしな気分にさせられたのです。

目玉を掻き掻き、私は扉の鍵を手探りでこじ開けました。なにしろ沢山ある鍵のうちどれがドアの鍵だか目視できないので、感触で判断するしかないのです。それにしても昼間の突風でなにか入ったのか、目が痒い。バリバリ、バリバリバリ。

懐中電灯を持った嫁はんとぼうずが、階段を下りて出迎えてくれました。でないと玄関は真っ暗闇でなにも視えないのです。
ラジオや未来電話によると電気は復旧の目途が立たず、順次大変な箇所から作業中とのこと。まだ家自体に被害が無く、ガスも水道も問題ない我々は恵まれています。冷蔵庫はできるだけ開けないように、と最低限の開け閉めを命じられます。この暑い夏、冷たい飲み物を摂ることがままならないのは厳しいものですが、水道が使えるだけましでしょう。

パソコンも駄目、テレビも駄目、本も読めず、電子ピアノなどもってのほか、あっギターは弾けるがな、ってもう夜じゃい。未来電話は使い過ぎると瞬く間に充電が切れてしまいます。そして切れてしまえば充電が出来ないということで、私は連絡手段を失います。この状況下、迂闊にさわらぬ方がよいでしょう。
もう、寝るしかないですね。

おっと私はまだ風呂に入っていなかった、まぁ風呂ちゅうても切なく水しか出ないシャワーでちびちびこの身を洗う行為のことなのだけれどもね。たはは。しかしこれが思いのほか辛いものでした。
夏場といえど水をジャァジャァぶっかけると身体は寒いもので、手にちょびっと掬いつつちゃぷり、ちゃぷりと少しずつ身体を湿らせ、石鹸で狭い範囲を洗ってはちゃぷりと流し、の繰り返し。そうしないと冷たくって仕方ないのです。本当に冬で無くって良かったと思いました。ガスは生きてるのに、その肝心な風呂の湯の温度を調整するには電気が必要なのですね。台所のコンロは問題ないのですがそこで沸かしたお湯を風呂桶にいちいち運んでられませんし、真っ暗な中で大鍋でそんな大層なこと何度も繰り返してるとしまいにコケて大やけどをすることは目に見えていますからね。いや真っ暗で視えてへんけども。

虚しく不細工な行水を終えた私は、すでに眠る嫁はんぼうずの布団に入りましたが、冷えた身体は一瞬にして熱帯夜に蒸し返され、どうにも眠れません。その夜の最低気温は26°C、窓を開けても生温い空気が漂うばかり、あれだけ大暴れした風すらろくに吹きやしません。
私は寝室を離れ、ベランダ傍の板の間に転がりました。床板はひんやりして心地よく、一時的には私の火照る身体を冷ましてくれましたがそれも一瞬のことで、私は私の体温が染みついていない場所をもとめて床をごろんごろん彷徨い続けました。

そのうちいい加減に身体の節々が痛くなってきたので、私は床スリープを諦めてよろよろと窓際にシングルベッドの置いてある部屋にゆき、窓をめいっぱい開けて横たわりました。2時ごろにささやかな雨風があり、私はそれを涼としてようやく眠りに就くことが出来たのでした。

翌9月5日の朝6時。いささか期待してTVのリモコンを押しますが、駄目でした。無論エアコンも駄目です。便所は流れます。そこはよかった。でもこのままでは冷蔵庫の中、とくに冷凍物は全滅も必至です。はやく復旧してくれればよいのですが。ともあれこれは今日も交通手段は自家用車オンリーでしょう、私は嫁はんが夕べの明るいうちにガスで調理したおかずと炊飯ジャーが使えぬ故に鍋で炊いた冷や飯を掻き込み、車に乗り込んで職場を目指しました。嗚呼、車はエアコンが使えるのだ!! なんという倖せ。

街は未だ信号の点いていない/ひんまがった箇所が多く、やはり道路は混んでいます。しかし陽の光があるおかげで視界は良好、通行は昨夜よりスムースです。ここに来て感じる、日光のありがたみ。お天道様とはよく言ったもんですね。
大阪市街に入ると営業しているコンヴィニもちらほら。弁当が用意できなかった私はどこかで昼飯をもとめねばなりません。どうにか空いていた大阪市西区九条の街中の駐車場にパークした私は地下鉄、とは言い条どういうわけか高架線になっている大阪メトロ中央線九条駅傍のファミリーマートへエサ探し。辛くも残っていた惣菜パンとミニ手巻き寿司をゲット、私はじつに運の良いおっさんです。しかし歩いて様子を窺うに、同じ九条の界隈でも電気が復旧している区画とそうでない区画に分かれているようです。

案の定、私の職場たる支店は停電したままでした。隣の会社の倉庫に落っこちた屋根も、もちろんそのまんまの惨状です。
電気が点かないと営業用端末も動きませんから、私は店長、どうにか出勤してきた課長と乱れた店内の片付け、店舗周辺の掃除をするほかありませんでした。蒸し暑い。車の中はなんと恵まれた環境であったのだろうか。
そういえば昨日窓口がまだ稼働している最中になにかしらのチョンボをかまして、近所のお客さんに書類を返しにいかないといけないんだった。私はがらくたの積み上がった道を自転車で走ります。

帰ってくると、支店の電気は復旧していました。
ありゃぁ、感動の瞬間を見逃した。しかしクーラーは室外機が裏の民家に落ちていて1台しか稼働しません。店長はこれからの対応を考えなければならずあちこちに電話を架けています。よそに落ちた屋根の除去はどこへ架けても手一杯で対応してくれそうにありません。するとふだん医療保険の請求手続きなどをお世話している工務店の大将が心配して見に来てくれ、職人さんを手配して午前中のうちに隣の倉庫からうちの建物の屋根を取っ払ってくれました。有難い・・・!! 持つべきものは工務店のお得意さんですね。ちなみに隣の会社さんも「自然のことなので・・・」と損害請求をしてきませんでした。これまた有り難い・・・!! 店長、ひとまずホッと胸をなでおろします。

とりあえずこの日は14時頃までまだ機械が動いていないフリをしてのんびり片付けをして営業をサボタージュ、ひととおり段取りが付いてからゆるりと営業再開。しかし硝子ドアにバリバリにヒビが入っているので、応急処置で段ボールを全面に張っ付けたうえ注意書きを付けていたらあんまりお客さんは来ませんでした。まだみんな自分の家の始末でいっぱいだったのでしょう。ちなみに硝子ドアの修理が来たのは、3ヵ月も経った12月のことでした。

退社まぎわ控室でTVを点けるとさぁ大変、港で車が浸水&炎上、停電は依然広範囲で復旧せず電車も運休続行が多数、関西空港では連絡橋に船が激突して通行止めが発生し旅客が関空島で立ち往生、近辺では軒並み電柱が倒れ伏しているというショッキングな映像&情報のオンパレードです。しかしそれでも街の電灯は昨日よりも確実に復帰しており、次第に営業を再開する店舗も目立って来ました。

車で豊中に戻ると、相当の地域にあかりが灯っています。おなじ豊中市内にある実家のおかんからもメールが入り、「もしまだ電気が戻ってなかったら、こっちはもう大丈夫やからお風呂入りにおいで」との内容。おお!!! ついに我が家も電源復旧かっ!! と光を取り戻した街中を北上したら、私の住まう区画だけガツンと真っ暗なままでした。私は運転しながら思わずこけそうになりました。余程日頃の行いが悪かったのでしょう。2日連続の停電なんて、私は生まれて初めての経験です。

さてこの夜も嫁はんは電気の無い中立派に飯を作り上げていました。冷蔵庫内の食材を傷まないうちにできるだけ使いたかった、との思いだったようです。さすがに冷蔵庫も2日目となるとほとんど冷気を失っており、氷は融けて製氷皿がちゃぷちゃぷになっています。牛乳もあぶなそうだけどもったいないので沸かしてコーヒー牛乳にしました。うまかった。ご期待に添えず恐れ入りますが腹はべつに壊れませんでした。
先んじて電気の戻った私の実家からのメシフロいかが? の申し出も、早くにお義母さんをなくし安易に人に頼ることを良しとしない無頼の精神で生きてきた嫁はん、丁重に断ったとの事です。私はこの嫁はんを誇りに思いました。しかしそれでも2日続けての温水なしシャワー行水・冷房なし就寝・光と冷たい飲み物なしの生活は私の脆弱な心を蝕みました。むしろ私よりも幼いぼうずの方が余裕があり、非日常の出来事にワクワクしながら過ごしています。嗚呼、なんと強い子だ。私は私の配偶者と愚息を尊敬しました。ただひとり、私だけこの状況に弱音をこっそり吐いていたのです。目が痒い。ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ。弱者だ。私は恥ずべき弱者だ。嗚呼。

この9月5日〜6日の夜は昨晩よりも気温が高く、雨はおろか風のひとつも吹きゃしません。台風一過、っちゅうやつでしょうか。やはり暑くて寝付けない私はまたぞろ涼をもとめて窓辺に近い床をゴロゴロ、でも窓を全開にしたって空気はまるで爽やかな気配を感じさせません。ベッドの部屋にゆき気紛らしに未来電話の貴重な充電で桃色違法動画を閲しますがよけいに身体が火照るばかりでまるで寝付けません。
しかしそのうち魂の疲弊が熱帯夜の蒸し暑さに勝ち、夜中の2時45分ごろでしょうか、私は気を失いました。

翌朝、ちゅうても3時間後。嫁はんが私を起こしに来ました。
「オポム、電気戻ったよ!」

・・・・・・ぇっ? 一体いつの間に!!? 

嫁はんの話によると、私が気絶したほんの10数分後の未明3時ちょうどに、突然家じゅうの電気が“ヴンッ”と音を立てて点いたのだそうです。私は昨朝に続いて感動の瞬間を逃したのでした・・・ 久々に働いたTVが映し出したのは、その未明3時7分に発生したばかりの北海道の大きな地震の報せでした。こちらが戻れば今度は他方が困難に遭うなんて、なんという因果な話でしょうか。それでも今は、ようやく原状復帰を果たした我が家の電気をことほぎましょう。

私に、かなりの割合の日常が帰って来た実感が湧きました。
しかしまさか2日連続で電気が停まっただけでここまで心にダメージがあるとは想像もできませんでした。あの阪神大震災の時でさえ私の地域の電気はすぐに戻りましたからね。それでも極寒の冬や緯度の高い地域でなかったこと、そこは不幸中の幸いと言うべきでしょう。
私はいつもの出勤スタイルで7時ちょうどに家を出てバス停に駆けました。

が。
定刻を5分過ぎてもバスはやって来ません。替えたばかりの未来電話であわあわしながら時刻表のQRコードを読み込んだらば、

「路線上に信号機の停止している箇所があるため豊中市内線は運休します」

やて。日常はそう簡単には戻って来ないようです。私は大慌てで家へとんぼ帰り、またしても自家用車で職場に急ぐのでした。この日は駐車場が見つからず難儀し、遅刻しかけました。コンヴィニはほぼ復帰、しかし帰りに寄った牛丼屋は「すいません、今日はふつうの牛丼とカレーしか出来ません」と半泣き、近所の大型ショッピングセンターも施設の安全性の確認のため閉まってしまいました。石川さんもおっしゃったように、この3日後に行われた同じ豊中市の服部緑地野外音楽堂でのライヴも公園内が凄まじい状態のままでの強行開催でした。

冒頭にも書いたように、未だに元の暮らしに戻れていない方々もいらっしゃいます。多額の修繕費に肩を落として帰って行く街の皆さんを見るのは辛いことですが、そんな時でも笑っている大阪のおっちゃんおばちゃんはえらいなぁ、と思いました。
と書きましたがこの災害時にも笑顔を見せる精神性はなにも関西人だけのものではないらしく、外国のメディアが日本の災害の様子を取り上げては被災者の笑顔に驚く、という話を聴いたことがあります。ほんとうは、思い切り泣いたほうが心にはいいのかもしれませんけどね・・・。

などと言っている私、ここまでにも何度も目を掻きむしる描写をはさみましたが、とうとうそれが困ったことを起こしました。泣きたくないのに涙が止まらないんですね。いや精神的なもので泣いてるんじゃなくって、物理的に。なんじゃこりゃ。つづかなくてもいいのに、さらにつづく。(オポムチャン 19/3/9)

(寸評)我が家も今年引っ越して、風呂も電気式になったし、ウオッシュレットも付いた。
暖房もストーブは使えないということで廃棄し、エアコンだけに。完全に電力に頼りきった家になった。
なのでこんな災害が来たらひとたまりもない。
ちなみに車も無いので電車が止まったらすべてお手上げ。陸の孤島。都内までタクシー使ったら片道一万円ではいかないしね。
まあ、人の命にかかわるような仕事じゃないから大災害ならライブやイベントもそもそも中止になることも多いけど。
でもちょっとは非常事態のことは考えなくちゃな、とはこれを読んで思ったね。
明日、せめて水のペットボトルぐらい買ってくるかな。 9ポイント。

はじめての目ぇ不調により長文投稿不能状態に

「はじめての2日間停電」の続編的なやつです。

2018年の夏の大阪にはまっこといろんなもんがやって来やがりまして、6月18日に震度6弱の大阪北部地震、7月6日には平成30年7月豪雨、とどめに9月4日の台風21号、と、普段どういうわけか自然災害から縁遠かった大阪の街は、ここへ来て一気にタコ殴りに遭いました。きっといままでの運が良過ぎたのでしょうね。

さてその台風の影響による2日間にわたる停電で、脆弱な私の精神はずいぶん傷めつけられました。いかに文明に頼り切って日々ボケッと生きているかが知れますね。情けない。

さらに情けないことに、私はそのストレスからかはたまた強烈な風で仕事場の建物の中まで吹き込んできた砂塵の仕業か、目ぇが、めっさ痒くなって掻きむしる手が止まらなくなってしまい、左目が充血して涙が止まらない状態になってしまったのでありました。

電気は6日の早朝に、通勤に使う電車・バスは7日には復旧し、金曜日から私の生活はほぼ元通りになりました。しかし終息せずに続いていた非日常、それは目玉の痒さ。仕事中も通勤帰宅時も目をゴシゴシバリバリ、私は元来痒みを我慢する、という行為が一切できない意志薄弱者すなわちあほで、どんどん掻き毟ってはどっかしらのお医者のお世話になり毎回どえらく叱られる、といった間抜けを繰り返して生きて参ったわけです。たわけです。
今回もご多分に漏れず早速8日土曜の朝に眼医者へすっ飛んで行って定例的に叱られたわけですが、どうも瞼にヘルペスヴィルスが居るらしく、これは昔だと失明も引き起こしていた角膜ヘルペスに近い状態であることが判明しました。ヘルペスは一度感染し発症すると投薬等で沈静化はするものの体内に潜伏し続け、ストレスや疲労などで免疫力が弱った途端に一気に飛び出してくるのだそうです。道理で。

私はあまり目ぇを触らぬように、とお医者様に言いつけられ、抗ヘルペス剤の眼軟膏と目薬を2種類ずつ処方していただき帰宅しました。なにせ翌日は楽しみにしておったでゅおめいぷるようこさんとパスカルズのコンサートだ。音楽は耳で聴くものだが目玉がやられては会場にも行き辛かろう。さぁ真面目に目薬点して・・・ う〜んまだ痒い。

翌日。私は八尾と豊中・服部緑地の双方のコンサートを鑑賞するため北へ南へ片道30kmの大移動、その片道電車で約1時間。まだ暑い時季なので汗もかくかく、私は手拭いで顔の汗を拭きつつ移動、するとあっさり左目瞼のヘルペスヴィルスは右目にも伝染、私は両の目から涙を垂らしつつ帰路に就いたのでした。不細工極まりない41の赤目の半泣きおっさん、大阪を右往左往。ちなみにコンサートは、両方とも最高でしたよう。

次の日からは痒みに加えて、目が、異常に疲れやすくなってしまいました。
パソコンの画面を見るにも焦点が合わせにくく、利き目である右目の視えが非常に悪くなっています。そして見ること10分も経たないうちに、目が強烈に疲労してモニタ? ディスプレイ?? どっちゃでもええわ、を見ていられないのです。これでは投稿はおろか、仕事にもなりません。
仕事を早退して眼医者へ、案の定両の瞼のヘルペスヴィルスは角膜に感染し、より悪い状態になっているとのことでした。当面の間、たいへん塗りにくい眼軟膏を2種類1日5回欠かさずに塗布すること、と命じられました。でないと最悪失明する、とまで。
このアシクロビル眼軟膏はヘルペスに非常に効果的ですが4〜5時間で体内で分解されてしまうため、それ以上間隔を開けずに投じ続ける必要があるのだそうです。

その後私は約2ヵ月間、毎日欠かさず4時間おきに点眼と眼軟膏の塗布を余儀なくされました。めんどくさかった。またこの際悪そうな所はみんな診てもらおう、と腰医者・歯医者にも通い出し、いつもの皮膚科と合わせれば平日夜に週2日、土曜は2医者をハシゴ、みたいなヨボヨボライフを続けました。ヨボボ。
そうして12月、ようやく右目の状態が快復し、私は趣味の投稿を再開しようとしたのですが・・・・・・

いままでひたすら長ったらしい文章を5年そこらほぼ毎日編んできたものを、ここまで長く休んだことがなかったせいか、てんで長文投稿をする気力が湧かなくなってしまったのです。

ああ・・・・・・ これか、石川さんがいつも仰っている、「とにかく続けること」の大切さとは。一旦日課から外れてしまうと、気持ちがサボってしまうのですね。

というわけで、現在はリハビリ的に従前より時間を掛けてまた投稿を再開しています。どのみち私の短くしたくてもできない無駄に冗長な文章は、これくらいのペースに減った方が各コーナーとも読みやすいでしょうからね〈泣笑〉。
またヘルペスによって角膜に生じた凹凸は残ることがあるそうで、右目は光の見え方がなんだかへんてこになり、眼鏡をせずに夜の街を歩くとくらくらしそうになります。段々慣れてきましたが。

そしてこの投稿不能の間、替わりに打ち込んだ趣味で、またしても私は修羅と化すのでした。続きはまた、別の話。(オポムチャン 19/3/9)

(寸評)いやー、痒いのは我慢できないよね。俺もチェンマイまで「伸びる孫の手」持ってったくらい。
そして目が使えないのは本当に大変だよね。西大路さんの偉大さが身に沁みる。
しかもこれにも増して修羅があるですと!? 投稿が楽し・・・いや、まずは安静にして「世の中に無い言葉しりとり」とかの短いやつにも応募してくれると嬉しいな。自分のペースでいいからね。ゆっくりで。
とにかくお大事に。9ポイント。

はじめての福袋

はじめて福袋を買った時の話です。

2018/12/31、紅白を見て、CDTVを見て、若干仮眠に入ります。
1/1は毎年特にやることが無く、実家へ帰ったり、ニューイヤー駅伝の応援へ行ったり、ぐだぐだして過ごしますが、今年は初めての福袋なので少し緊張。
まずはいつもの近くの神社に初詣へ。さすがに人が少ない。でも警備員さんが何人も待機。ご苦労様です。二年参りからいるのでしょうね。なむなむして車で神社を後にします。
朝6:30ごろ到着。まだ駐車場ゲートがクローズしています。クルマは何台も数珠つなぎで待ってます。勝手知ったる私は近くの別の無料駐車場へ。
本当はレイクタウンへ行こうと思っていましたが、ネット情報で「素人にはお勧めできない」とありびびった私はこちらへ。
その時までに何ヶ所かいろんな店のカルディ福袋数をチェック。ショッピングモールへ行くには苦にならないので、数が多く駅から遠く田舎な所、入店時刻が早いところを選んでみました。
ショッピングモールによって違うのですが、私のところは、福袋列は三つにわけられます。並ぶのは平面駐車場。店名が書いてあってそこへ並ぶ店、通常の入り口に店名が書いてあってそこに並ぶ店、そして私の整理券組です。セーフティコーンとポールで列が作られ、普段はクルマで埋まる平面駐車場が埋め尽くされています。
最初に整理券を貰います。整理券は14::00くらいまで引き換えok。整理券は8:00ごろ配布。8:30ごろ先行入場、9:00から引き換えです。

本当に真っ暗なうちに並ぶんですよ。整理券列は10店舗くらいあってすでに人が・・・。先頭の人は椅子を持っていました。
夜が明けます。駐車場もオープンし続々と人が集まってきます。みな先頭の店名ボードを見て自分の希望する店へ並びます。
警備員も朝早くから10数人おり、そのうち店員さんらしき方もやってきます。
日の出を迎える頃が一番温度が下がる時間です。
朝0800やっと整理券配布です。
カルディは写真の通り二種類あって、最初はカルディに並び、さらにもへじ福袋整理券(カルディに卸しているもへじというメーカーです)の列に余裕があったので並び直しました。二枚ともGET! もへじ(2000円)とカルディ(3500円)です。 カルディの方はあっという間に配布が終わりました。
そのまま車を駐車場へ入れ車内で待機していると、ここでミスを犯しました。整理券を貰った人は、第2の各店舗列に並ぶんですね。私は朝の9時に入店すればいいじゃんと考えてましたが、100何人の人が開店後さらに店舗で並ぶので、結局時間がかかってしまうのです。
ショッピングセンターは整理券が無い店舗や、整理券不要でも待機列が必要な店に並ぶ人も多く、なんかカオス状態でした。



さて開店です。わたしは丸亀製麺に直接行き、3000円の商品券とソースや醤油などが入っている福袋も購入。
紅白お菓子もモールからもらいました。
カルディ店舗前で30分くらい並んでやっとお目当ての品をゲット。カルディの福袋は8500円程度のものが入っているらしいです。
福袋のエコバックだけでもオークションで売れるそうです(笑)。
たしかにお得感満載で、女性に大人気な福袋ですが・・・来年はいいや笑(たぶん)。(わいわい 19/3/9)

(寸評)はは、ご苦労様。
昔、電気屋の福袋を買ったらファミコンの人気ソフトが入っていて、しかしその頃ハード自体をまだ持ってなかったので中古ファミコンショップにそのまま売ったところ、福袋の値段以上に高く売れて得したことあったなぁ。5ポイント。


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