ドキドキドキリコ初体験(97)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めての未知なる遭遇?

小学5年生のクリスマスイブ…いや正確には日付ではクリスマスの出来事です。サンタクロースの正体を薄々感じ始めた年頃の私ですが、その年は予めプレゼントで欲しいファミコンカセットを親に言ってその日は寝ました。そして…夜明け前に目が覚めてしまった私、目をつむりながら手探りで枕元を触るのですが、プレゼントらしき個体の感触はありません。 プレゼントあらへん…。サンタさんは忘れたんか、それともサンタさんって本当は…。と思っていた時に、廊下で謎の音…これは誰かが歩いている!来たー!サンタクロースが本当にいるのか?と子供心にドキドキして布団の中に頭から潜りこみます。そして足跡は私の部屋へ。のっそりのっそりと歩き、枕元へ何かを置く音。寝たふりしている私はここではっきり見るんだー!と念じましたが、悲しい哉、ここでわかってしまった後、明日から何かが崩れるのを本能的に感じてしまったのでしょう。今考えると大袈裟ですが、この時は子供でしたから。私はずうっと布団の中でうずくまってしまうのでした。小心者め。
その後、足音は部屋を出て遠ざかってしまいました…。
しばらくたってから目を開けたらプレゼントが置いてあったので包装紙を開けたものは欲しかったファミコンカセットでしたとさ。

以上、人生の中でたった1度だけの体験でした。(もちっこ 20/1/3)

(寸評)なんとなく分かってはいても知ったら壊れてしまうものってあるからね。
誰でも一度はある初体験かもね。6ポイント。

初めての長期無職状態での心情吐露〔2011年3月〕

波照間エロマンガ島@タイランドです。わたくし2012年3月〔49歳5ヶ月〕よりこちらで生業〔なりわい}を得て現在に至るまで暮らしています。しかしそれ以前3年近くのあいだ、チェンマイにて求職活動はすれど結果の出ない、無職状態が長く続いていました。そんなさなかの心情を吐露した文章を発見したので、恥ずかしながらここに採録いたします。

〔引用ここから〕
2011年3月15日(火) チェンマイ 48歳

無職状態から見た世界について(心情吐露)

「空腹の科学」。ダイエットの最中にいつも頭に浮ぶ言葉〔自分が名づけた〕だ。確かにその時間を生きているときは、前向きで目標に向かって前進していて、時間が充実して満たされている。どんな瞬間も空腹だけど幸せだ。それとは関係ないが、今ふっと俺は自分をマルセル・デュシャンの弟子筋にあたる「デュシャンピアン」だな、とふと思ったのだけど、創作しない芸術家の人生を生きるなんて、なんて素敵なことなんだろう、と自分を正当化してみようともした。

一生をろくでもないことに使うこと。誰に認められなくてもいい。自分さえ満足すればいい。そんな人生。ほら、こう書いていて、なんだか気分が少しだけ軽くなってきた。最低限の生活を保つために。それでいいじゃないか、やりたいことをやる人生で。少し捨て鉢な自分。

でもそれは「象使い」ではないと思う。それともトークセンのマッサージ師。それでもなさそう。たぶん今からまた、求人サイトへの巡回が始まり、それが飽きるころにバンコクに行って、また面接も不調に終わりすごすごとチェンマイに戻ってくる。そんな駄目ループが予想されてもいるのですが。でもマイナス局面をその都度断ち切って道を開き成功するのは某氏から学んでいこうと思ったことではある。心折れても続けないと結果は出ない。

さて、気分を変えて夜間の散歩に出てみようか。そこで植物の匂いを嗅いだり、虫の音を聞いたりして、自然から刺激をうけよう。今午後9時だから2時間くらい歩けばそこそこ汗もかいていい運動になるだろう。俺は本当に淡白な人間で、まったくぎらぎらしていないから、例えばW社の社長とか目の離れたおばちゃんコメンテーターみたいな生き方は軽蔑するほうなんだけど、でも自分のほしいものを得る人生には、しゃにむにやらにゃ、しゃーないでしょ。そういうことなんだなー。

支離滅裂かもしれないけれど、このmixiの吐き出し日記は、自動筆記みたいな感じで書いていて、無意識層に働きかけて自分を解放させてくれるかもしれないな。小説家にはなれないし、なろうとも思わないけれど、そんな中から何かが生まれればいいな。〔引用ここまで〕


はい、この頃ちょっと追い詰められていました。これは母が他界してお葬式等が終わり、またタイに戻ってきた時期の心情。〔東日本大震災の4日後の日記ですが、それに関する記述は何もありません。でもたぶん意識はしていたはずで、その影響でこんな日記を書いたのかもしれません〕

感覚としては階段の踊り場で少しだけのつもりで休んでいたら、その踊り場が限りなく広がってしまい、もう1フロア以上の広さの《日常》になってしまったと絶望している状態です。そこからの脱出を模索し苦悶している。わたしはこれまで転職は数度しましたが、いつも友人や知り合いの紹介で新しい仕事にスムーズに就いていたので、コネなしでの転職は本当に本当に苦労しました。翌2012年にチェンマイからバンコクに引っ越して、ようやく某企業に拾ってもらえましたが。

編集者でエッセイストの南伸坊さんも就職面接だけは苦手で落ちまくったらしく、それでもガロの編集長からフリーランスになったのだからすごいなぁと、常に意識していました。今日この文章をアップしたのは、最近精神と身体に負担がかかり、芳しくない症状が発生しているからなのです。詳しくは書きませんが、この先どうなることか、その一部をこのHPでこれから吐露していければ、幸甚でございます。ではそんな感じで、お目汚し失礼いたしました。(波照間エロマンガ島 20/1/3)

(寸評)人には言わずともみんな不安や葛藤はあるんだよね。子供でも大人でも。まして完全無職だと何かに掴まりたい気持ちも。その掴まった先がどんなところかはそれからの問題で。
俺もオファーがいつ全く無くなるかも分からないことを考えれば、無職に近い生活ともいえる。
なんとか頭を使って一生乗り切れればいいなと策略だけはしているけど、本当の気持ちが書けない時もあるね。 7ポイント。

初めてのニカブスタイルの女性〔2001年3月〕

波照間エロマンガ島@バンコクです。

わたしが初めてタイ国を訪れたのは2001年3月です。最初に宿をとったのがナナ地区というアラブ系インド系アフリカ系などの人々が多く住まうエリアでした。ここはタイの中でもっともインターナショナルなエリアで、イスラム教系の人が想像以上に多いのでびっくりしました。あとから知ったのですが、この「ナナ」という地名は、「ナーナーシャニット」の略語で、インターナショナルの意味だそうです。
中でもインパクトがあったのは「ニカブスタイル」といって、目の部分以外はすべて黒い衣服で覆った女性の姿でした〔画像参照〕。



あるとき古式マッサージ屋さんでタイマッサージをしてもらっていると、カーテンのとなりからなにやら会話が聞こえてきました。普通はスペースには施術師とマッサージを受ける人の二人しかいないはずですが、あとでそちらのスペースを見ると、このニカブスタイルの女性が二人マッサージされる男性の横に座っていて、全部で4人もの人が会話していて、ギョッとしてしまいました。どうやら、ニカブの女性はこの男性の第一夫人と第二夫人のようです。

日本ではイスラム教徒と接したことはほとんど無かったので、この体験は海外ならではだと思いましたです。(波照間エロマンガ島 19/12/17)

(寸評)確かに街では見かけるけど、接することは無いなあ。
イスラム教はやっぱりクリスマスもしないんだろうか。6ポイント。

はじめてのインネン

あーーーー怖かった恐かった、ちょっと前のことなんですけど42年生きてて初めてのことなので勢い投稿しちゃいます。

皆様は往来で見知らぬ他人に何かしらの言い掛かりをつけられ、恫喝された経験などはおありでしょうか?
まぁありきたりと言えばありきたりな話で、どなたもそういった体験を一度はされてきたことかとは存じます。
しかし私こと大阪のクネクネ小太りのおっさん、こんなガラの悪い土地で育っておきながらどういうわけか非常に運の良いことに生まれてこのかた見知らぬ他人にインネンをつけられたことが皆無であったのです。
普通に考えれば私のごとき気弱な小太り男なんぞ格好のカツアゲやオヤジ狩りの標的ですが、おそらく眼つきが狂人のそれであるのと、クネクネした異様な体幹の歩き方で気色悪がられてチンピラの皆様方も不気味がゆえに標的にしづらかったのでしょう。奇人として生まれてみるもんですね。

そんな私が遭遇した事件、事の発端はニョーロ結石をこしらえて爆泣きの末救急車を呼んでもらいヒニョーキ科へ、そこで石の早期排出&再発防止の目的で飲水・カルシウム摂取・コーヒーナッツチョコレート断ち・肉摂取の制限・そして日常的な運動の習慣づけを命じられたからなのです。

普段まったくと言っていいほど運動をしない絵に描いたような出不精デブの私、ちょっとジョギングをすればたちどころに関節を痛めて3日坊主未満で終了してしまいます。ゆえに誰にでもできる運動、すなわち歩くことを習慣づけることにしました。
とはいえただ歩くだけでは大したカロリー消費にもなりません、軽度なかわりにそのぶん距離を稼がないとね。てなわけで未来電話のアプリケーションで毎日9000歩を歩いたらコンヴィニのグリーンスムージーがたまに当たる、なんてなやつを導入し、達成するとスタンプが表示される、てなことにも気を良くして日々のウォーキングは順調に習慣化しました。

そんなある日の晩。
仕事帰りで歩数を気にしていた私、この日はあまり歩数が稼げていなかったため、普段降りる駅の4駅前で下車し、そこから歩いて帰ることに致しました。これなら充分な歩数稼ぎが出来そうです。
しかしそこに問題がありました。
その降り立った土地は、私の住まう市内でも折紙付きのガラの悪い地域だったのです。私がこの市の中学に転校してきた初日に、クラスのガラ悪めの野球部員・ヒラノ君にも「◎◇(←地名)だけは一人で歩いたらアカンぞ。すぐ△中の奴に絡まれるからな」とご親切にも注意喚起をしてもらった場所でありました。

とはいえこれまで幸か不幸かそういった目には奇跡的に遭ってこなかった私、そんな人間は漫画やニュースの中の住人、と自分に関わることはないものと思い込んでいたのです。

駅を出て、すぐに大通りに出ます。国道176号線、これを北上すれば私の家に近づきます。そもそもカツアゲ・オヤジ狩り等はもっぱら薄暗く狭い路地や裏通りがメイン会場で、国道のような交通量の多い目立つ場所ではあまり敢行されないのが一般的です。
歩道をほてほて歩いていると、横断歩道のある小さな道に差しかかりました。信号は、赤です。私は普段ならばこんな小さな車どおりの無い道の信号は無視してしまういけない子なのですが、その日はパッと見2、30代らしき男性が信号を真面目に待っていらしたので、私もそれに倣うことにしました。こんなガラの悪い土地で珍しい生真面目な方だなぁ。

信号が青に変わり、私は早足なので自然とその男性を左側から追い越す形になりました。その刹那、男性は大きな音で唾を吐いたのです。
あまりの至近距離だったので、私はスーツの脚に唾が掛かってたらやだな、と首を90度弱右に向けました。
すると。

「なんやコラお前、文句あんのかオエェ!!!」

という大きな声がしました。
私はその声が自分に向けられたものと認識せず、そのまま前進しました。私は首をわずかに右に向けただけで、顔さえ見ていません。なんら、挑発をした意識もないのです。
されど声は止みません。

「ナメとったらあかんぞコラァ、調子のんなボケェ!!!!!」

舐めても調子に乗ってもいない私は意味が判らないので、私ではない誰かに喧嘩を売っているのだろう、と思うことにして歩調を上げました。

「そこの前歩いてるやつ、お前じゃきっしょいヤツ、殺すぞコラァ!!! かかってこいやアホンダラ、殺すぞ!!!!!」

ようやくその怒号&殺意が確実に私に向けられていることが解り、急速に私の動悸が高鳴りました。

「コラボケェ、なに無視してんねん、きっしょいのぉボケが!!! 前歩いてるきっしょい奴お前、殺すぞ!!!!!」

私は自分が大変きっしょい奴であるという自覚はしていますので大正解なのですが、こうも繰り返されるとつい振り返ってひと言云いたくなってしまいます。しかし私は男性には申し訳ないのですが比較的まだ死にたくなく、可能なら生きておうちへ帰りたい、と望み願うものです。ここで応対してしまえば、私の未来によいことが起きる確率はまず0%でしょう。

土地柄、シャブをお使いになっていらっしゃる可能性もあります。
土地柄、小粋な刃物を所持していらっしゃる蓋然性も疑えません。
眼の前にボクシングジムがあります。ともすれば男性はそこの落ちこぼれでいらっしゃり、浴びるように酒精などを摂取した挙句どうにも今宵は人を殴りたい、とお思いであるという線も浮かんできました。
もひとつ言うと、私はたいへん喧嘩に弱い、腕力にかけては他の追随を許さぬひ弱なおっさんで、仮にバトルと相成った場合勝利する可能性は一点の疑いなく、0です。そもそもひとと面と向かって殴り合いをした経験などなく、喧嘩と言ってもただただ一方的に殴られた記憶しかないのです。

私は走って追いかけてくるな、走って追いかけてくるな、と念じながら競歩の選手の如くツカツカツカとひたすら前に前に早足で歩きました。ここで私が下手に走って逃げてしまえば逆上して追いかけてくるかもしれません、野良犬は逃走する者をこそ追走するものなのです。そしてさらに言うと、私は致命的な鈍足です。また警察に逃げ込もうにもさっき通り過ぎたばかりで、私の進行方向にある交番はまだひと駅以上先です。

いつまで続くかと思われた挑発的・侮辱的な罵倒と殺害示唆は、そんな行為を受けたことがない私の精神をおおいに脅かしました。しかし時間にすれば恐らく実質20秒程度のことだったかもしれません。最後に彼は、地域全体に響き渡るような大音声で私への感想を叫ばれました。

「キっしょぉぉぉォォォォオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!」

その声が街に谺してからも、私は心臓をバクバク鳴らしながらひたすら前だけを見て、必死で早足で歩き続けました。大きな道路を渡り、声も気配も無くなってからさらに15分ほど歩いたのち、ようやく後ろを振り向くことが出来ました。脚を確認しましたが、幸い唾は掛かっていませんでした。

怖かった・・・・・・・・・。
ここで教訓、ガラの悪い土地では人を追い抜くことにも細心の注意を払わねばならない。何が挑発と取られるか、分かったもんじゃないですね。きちんと律儀に信号待ちする真面目なひとなのにね。恐ろしいことです。もしくは私の天然自然なクネクネ歩きが、無意識的に他者を激しくおちょくっているのでしょうか。もしそうならばいよいよ自決を考える頃合いですが、そんなことしなくても無意識に私がおちょくった誰かがむこうから撲殺してくださる方が早いでしょう。そうではないことを祈るばかりです。

ちゅっか、夜にそんな土地歩くな、ちゅう話ですね。すんません。歩数は駅とかスーパーとかなるべく比較的平和な場所で稼ぎます。

それにしても私はこの心の傷を如何に慰撫すればよいのでしょう。と思案した挙句、とある事に気が付きました。
彼が最後に放った言葉「キっしょぉぉ(以下略)」、それは気色悪い、の意ではなく、「吉祥」だったのではなかろうか。

吉祥。きっしょう。きちじょう、とも。幸福・繁栄を意味し、よいことが訪れる兆しをあらわす言葉です。吉兆、とも言いかえられます。
なんと彼は、声の限りを尽くして、私の行く末をことほいでくれたのではありませんか!!!

やぁ道理でその後の検査で石は消滅してたしアトピーも快癒したし体重も減少したしといいことづくめなので、ひとえに彼の言葉が私に吉祥を与えたのでしょう。見知らぬ他人さまから将来を祝福されるなんて、私はこの上ない果報者だなぁ。うーん今日も幸せ倖せ。ははは。あほう者だわ。(オポムチャン 19/11/28)

(寸評)神様がお試しなすったんだね。振り向いたら「アウト〜〜〜!!」と叫ばれて結石は倍の大きさに、アトピーは全身に広がり、体重はムクムクと30キロ増加していたところだった。
良かった、良かった。7ポイント。

はじめての手作り楽器

私が始めて作った楽器は単弦のフレット付きの弦楽器です。これは中学の時の話です。
ある日私はネットで手作り楽器について調べていました。そしたら単弦フレット付きギター(?)の作り方の動画が出てきたので、私はお父さんと一緒に作ることにしました。
ヒートンをペグ代わりに、そこら辺にあった木材をネックに、爪楊枝をフレットに、お菓子の缶をボディーに、割り箸をブリッジにしたのですが、一つ重大な問題が発生したのです。ネックの木材の強度が不足しているせいで、ネックがすぐに曲がってしまうのです。
いつの日かもっと丈夫な木材をネックにして作り直そうと思います。(Kotosan Dog 19/11/28)

(寸評)富山では確か「缶から三線」という手作り楽器の同好会みたいな人たち(主におばあさん)が演奏活動しているみたいだよー。是非またチャレンジして。
ちなみに打楽器なら俺のように不器用でも作ることができるよ。5ポイント。

はじめてのトラウマ夢

王様の話題123 夢の報告とかぶるのですがドキドキドキリコだったので初体験で投稿します。
人生で初めて見た夢です。
それは…盗撮された夢。
私の部屋の中を撮られて写真が郵便で届きました。手紙付きで私のフルネーム、ズラズラと文章が書かれて、写真はベッドの上にパジャマ着で寝そべっている私が写っていて、枕のそばに紙袋が置いてありました。その写真を父親と見ていました。写真に写ってる自分の顔がリアルで本当の出来事だと感じてしまい、怖くて、これからどうしよう、警察行くか?これ以上自分の身に危険な事が起きたら?と不安に感じていましたが、父親が既に故人という事と枕のそばに荷物を置く習慣がない事でやっと夢なんだと寝ながら気付きました。
学生時代に全く知らないおばさんに言いがかりをつけられて写真を勝手に撮られたり、駅の伝言板で悪口書かれてたり(この時は名前と住所も書かれました)、テレビ放送局に私のやってもしないことを電話したり(この事はテレビ局から自宅に連絡が来てわかりました。)という経験があり、そのトラウマがあるせいかめちゃくちゃ怖かった夢でした。(もちっこ 19/11/28)

(寸評)ああ、そういう自分の原初的な恐怖に触れる悪夢って忘れた頃に見るよねー。あるある。3ポイント。

初めての京王百貨店新宿店

波照間エロマンガ島@タイランド在(1962年生まれ)です。
わたしがものごころついて初めて行ったデパートは京王百貨店新宿店と記憶しております。当時東京都渋谷区に住んでいてアクセスがよかったのと、1964年11月に京王新宿駅の駅ビルにこの百貨店が新規オープンして物珍しかったこともあったのでしょう、両親は頻繁にわたしを連れて行ってくれたようです。覚えているのは玩具売り場と最上階にあった食堂。そこは食堂エリアと喫茶エリアと低いパーテーションで隔てていて、いつも食堂エリアでお子様ランチを食べるのが好きでした。なんとなく覚えているのはどうして喫茶コーナーでは食事もしないで人が座っているのか意味がわからなかったこと。でも「きっさ」という日本語の音だけは先に覚えたのだと思います。喫茶店に行くようになったのはずいぶんしてからでしたが、それでも1960年代後半は喫茶店によくあったピーナツの販売機は覚えてますね。あと、大人になってから勤めていた会社がこの京王百貨店新宿店の進物サロンに出店していて何回か用事で訪れたこともあり、京王百貨店は想い出の場所であります。

そんな昭和の記憶を発掘するの巻き、でした。(波照間エロマンガ島 19/11/17)

(寸評)俺も藤沢に住んでいた幼稚園の頃に新宿のデパートに行った思い出はあるのだが、それが京王百貨店か小田急百貨店かは覚えてない。どこもデパートと言えば最上階に大食堂、屋上にミニ遊園地があった時代。
あの頃は「東京に行く」というだけでよそいきの一張羅を着させてもらった記憶があるなぁ。 5ポイント。

初めてのボウリング場での超ドキドキ体験

小学4年生頃の話です。ある土曜日の午後、わたしと悪友たち5人組は地元にあったボウリング場に行ってボウリングを楽しみました。当時のわたしはわりとやんちゃで放課後は悪友たちとチャリンコ珍走団を気取ってあちこち徘徊していました。でゲームセンターやもんじゃ屋など入り浸る「悪い子」でした。その日は誰かが「今日はボーリング行こうぜ」と言いボーリング場に行ったのだと思います。場所は都立大学駅近くにあった柿の木坂トーヨーボウル。好きなボウリング場でしたが、ボウリングブームが過ぎてからは細々と営業を続けるも2005年に閉館になったそうです。

何ゲームか楽しんだあとのことでした。ふっとベンチから受付のほうを見ると超びっくりしました。なんとクラス担任の男の先生がボウリングの受付をしているではないですか!! するとしばらくすると他のクラスの先生方もぞくぞくと入館してきました。ぎゃー!!なんとその日は、先生たちのボウリング大会だったのですね! 保護者無しで盛り場に遊びに来ているわたしたちは、心臓が止まるかと思いましたよ。校則に児童だけでボウリングにくることは禁止されてはいなかったかもしれないですけど、でも先生たちの登場は驚きの基準をはるかに超えていました。わたしたちはしらばっくれてゲームを続けていたのですが、やはり先生に見つかってしまいました。でも、ここは学校ではないのできつく咎められるでもなく、早く帰るように促されてそのゲームで打ち止めにしました。

ボウリング場をあとにしたわたしたちはドキドキ緊張感から解放されたので「ぎゃーーー!!!」ってみんな叫んで興奮のきわみに達しましたね。「なんで都立大のボウリング場にしてしまったんだろう、ちょっと遠くの二子玉川のボウリング場にすればよかった」と誰かが言いましたがあとの祭り。その日はアドレナリン出まくりで暗くなるまで遊びました。(波照間エロマンガ島 19/11/3)

(寸評)高校生の時ポルノ映画館から出たところに部活の顧問の先生とバッタリ会った時も気まずかったが、先生はニヤリとしただけだったな。考えたらいい先生だったな。6ポイント。

初めてのネットカフェ

キッカケは何だったかよくは覚えていませんが、確か自宅にポーダブルDVDプレーヤーがなかったころ、パソコンでDVDを見ていました。
実写版「るろうに剣心」の映画のDVDを買ったころで、午後の6時から夜中の3時ごろまでネットカフェで映画を鑑賞していました。結構な時間をネットカフェで過ごしていましたが、このころはお店のポイントキャンペーンは意識していませんでした。
1年位お店に行かないブランクがあり、ポイントは無効になったことがあります。

そのうち、ドリンクバーやソフトクリームバーを利用しながら、石川さんのホームページを観覧しているのがとても楽しく感じるようになりました。最初は6時間連続でお店を利用。そして次には12時間連続利用を2回達成しました。
懇意にしている石川さんのホームページを観覧しながら流れる時間は、格別に楽しい時間でした。

このころからお店のポイントキャンペーンを意識するように。ある程度お金を使うを翌月にポイントが倍増になるキャンペーンを知りました。またそのネットカフェにはカラオケもあり、大いに楽しみが増えました。
先輩の男性はネットカフェには否定的ですが、そのお店は特に変なこともなくクリーンな雰囲気だと思います。

最後に、お店の名前は「快活CLUB」
性能のいいパソコンでじっくりと投稿の文章を練る時間は貴重です。(Sankaku 19/10/27)

(寸評)俺も一時期ネットカフェの定期券を持ってることがあって、毎日通ったな〜。
最近もツアーの時の昼間の時間調整などに使ってる。
ホテルは朝10時にチェックアウトで、ライブハウスの入りは17時だったりするので時間を潰す場所としては最適なんだよね。 6ポイント。

初めてのVPN導入後、24時間以内に「石川浩司のひとりでアッハッハー」サーバー移転完了、ふつうに海外からも当該サイトアクセスできるようになったの巻き

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。前回2019年10月17日に「初めての海外からの当HP禁アクセス案件、VPN使用によりアクセス可能になった! 」という投稿をしたのですが、投稿してから24時間もしないうちにサーバー移転作業が完了し、海外からVPNを使わずともふつうに当該サイトにアクセスできるようになりました。石川さんはこの間、中欧各国を旅行中でわたしと同じくサーバーにアクセスできずホームページの更新作業ができない状況にありましたが、ちょうどのタイミングでサーバー移転作業がおわり、海外からのアクセスも可能になり更新できないのは10月11日の1日だけという目出度い結果に終わりました。



わたしは今後中国旅行をすることも考慮にいれ、しばらくはVPNははアンインストールせずにもっておこうと思いました。そんなわけでめでたしめでたしでした。(波照間エロマンガ島 19/10/27)

(寸評)今回は外国とサーバ移転というダブルだったのでどちらが原因かわからず焦ったな〜。
でも無事できてしばらくは安心。サーバを貸してくれてるて〜お〜、本当にありがと! 6ポイント。

初めての韻松亭(いんしょうてい)



2002年12月7日、上野恩賜公園にある韻松亭を借りて、毎年恒例の友人有志の忘年会を行いました。わたしが幹事で総勢21名が参加し盛会となりました。

この店は明治8年創業、一時期日本画家の横山大観も経営に参画していたという、明治から続く由緒ある料理屋です。正午と午後六時に近くの上野寛永寺から聞こえる鐘の音が風情がありよかった。女将さんが横山大観のことを「大観先生はずいぶんとお酒が好きでして、このお店を買い取ったときはすごい出鱈目な経営をしてすぐに潰してしまったんですよ。それでうちの祖父が大観先生から店を引き継いだんです」と言っていた。

あの『生々流転』の横山大観がずいぶん身近に感じるようになった。

この会のあとしばらくしてある時『感動プレイバック50年』(NHK)という番組を観ていたら、横山大観と吉川英治の対談シーンがあったんです。テレビ創成期の1950年代に収録されたと思われるのですが、二人とも泥酔して今のテレビではとても放送できるような内容ではなかったのがすっごい面白かったの。当時はまだテレビが世の中に定着する前の時代だから、顔を無理に「作る」ことをせず自意識が無防備になっていたんでしょうね。このときの横山大観はかなり酷くて名前を出さなかったらただのヨッパのジジィにしか見えないんだもん。豪放磊落すぎてよかったです。

そんな初めての上野・韻松亭での宴会体験と横山大観の想い出でした。(波照間エロマンガ島 19/10/17)

(寸評)へぇ、その番組観てみたいね。YouTubeとかにはNHKじゃあがってないかー。6ポイント。

初めての海外からの当HP禁アクセス案件、VPN使用によりアクセス可能になった! の巻き

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。
2019年8月19日から1ヶ月半にわたり、タイ国内から「石川浩司のひとりでアッハッハー」にアクセスできない件について、何度か投稿してきましたが、10月11日、事態に進展が見られました。

海外旅行に出た石川さんがSNSに「海外からホームページ更新できない!」というつぶやきをしたのですが、そのエントリーへ「VPNのアプリをスマートフォンに入れれば問題なくアクセスできますよ、わたしも以前中国や東欧でアクセスできました」というコメントが入っていたのでした。わたしはそれを見て、すぐさま紹介されていたVPNをアプリに入れてみることにしました。手続き時間1分もかからずインストール完了、すぐに「ひとりでアッハッハー」にアクセスできましたー!!



おー、お久しぶりの黄色いページ、なんともうるわしい。これでまた「俺の日常クイズ」も解答できるぞー! というわけでまた健全な投稿者生活に戻れることに幸福感を感じ、あらたに決意をしたわたしでした。これからもよろしくお願いいたします。(波照間エロマンガ島 19/10/17)

(寸評)やったー。俺の怪我から巧妙が(笑)。
今後も王様として爆進を続けてくだせえ! 6ポイント。

初めてのパスカルズライブ

はじめまして。
私は先日初めてパスカルズを生で観る機会に恵まれました。そのあまりの素晴らしさと感動に、御礼の意を込めてこちらに感想を投稿させていただきます。
9月29日、30日と連チャンで参加させていただいたのですが、今回は主に2日目の磔磔公演をメインで書かせていただきたく思います。
(投稿先をザ・レポートにするか迷いましたが、ライブ自体の内容と言うより自分語り多めとなってしまったため、こちらに投稿させていただきます。)

事の発端はちょうど1年前のこと。ひょんなことからたまというバンドを真剣に聴き始めてドハマりし、関連する音楽を動画サイトで聴きあさっていた時分にその公式チャンネルに行き当たったのが私のパスカルズ初体験でした。
それまでいわゆるロックやらジャズやらソウルやらといったオーソドックスにジャンル分けできる音楽を主に聴いてきた自分にとって、それは今まで全く体験したことのない世界観でした。まさに驚愕の一言です。しかし、京都磔磔でのライブを鮮やかに映し出したその動画のタイトルをよく見てさらに驚愕。
「え?このライブつい先月のやん・・・?」
このことが何を物語るかというと、むこうしばらくの間は磔磔公演は無いということです。調べてみるとパスカルズが関西でライブを行うのは大体1年に1度ほど。つまり来年まで関西では観られないと言うことか・・・!?
京都在住で、しかも磔磔からほど近い場を住処とする私にとってこれは大きな不覚でした。
その日以来、パスカルズは完全に「今行きたいライブNo.1」の座に君臨し、情報をチェックしては東京遠征をももくろむもののうまいこと日程が合わず、ニューアルバム『日々、としつき』に聴き惚れながら地団駄を踏む日々が続きました。海岸線を歩いていると、リハなのか本番なのかパスカルズが浜辺で列をなして演奏しているところを偶然に通りかかる夢を見た時はもう末期かなと思ったものです。

それから月日は経ち、ようやくチャンスが訪れます。ついに2019年度の関西ツアーが発表されたのです。
しかも服部緑地レインボーヒルと京都磔磔の2本立てではありませんか。加えてレインボーヒルはたまの3人が勢揃い!なんと素晴らしいことでしょう。
「野外フェスなんて暑そうやし、そんなに沢山のアーティスト見たいわけじゃないしなあ」などと普段野外フェスを敬遠していた自分もこの時ばかりは受付開始日へと日付が変わった瞬間にチケットを予約、念願の磔磔公演も店頭販売で即座にゲット。我ながら人が変わってしまったようです。
ついにあの世界を生で体感できる・・・!しかも服部緑地と磔磔で2度も!!
まさに1年越しの悲願成就、期待に胸は膨らむばかりです。

そして迎えた9月29日、レインボーヒルは素晴らしかった。
詳しい感想はまたの機会に譲りますが、当日は汗ばむほどに天候にも恵まれ、会場規模もちょうど良く、主催者・演者・客席一体型のとてもピースフルな企画でした。
パスカルズは大トリとして有終の美を飾り、他の出演者も巻き込んだラストの大団円はレインボーヒルという企画のコンセプトを体現していたと思います。
翌日の磔磔公演では演奏されなかった曲目も多く、時間が巻いていて急遽2曲が追加で演奏されたのも嬉しかった。その2曲、『ハートランド』と『のはら』はまさに私が生で聴きたかった曲ド直球で、もう感謝感激でした。
初野外ライブ、初パスカルズ体験が今年のレインボーヒルで本当に良かったです。
疲労感もそこそこに足取り軽く、帰り道でやっと気づいたことは、「あ、そういえば自分、今日一日誰とも話してねえわ・・・」
ぼっち参加者にも優しいレインボーヒルなのでした。

ところがどっこい、翌日の磔磔ワンマン公演、これがさらに凄かった。
この日のために仕事は1日休暇を取ったので、昼間に別の用事を済ませて久々の鴨川沿いを歩いていると・・・なんと前方からロケットマツさんの姿が!
「ああ、きっとこれからリハなんやなあ。確かに今メンバーは京都に集結してるんやなあ」
などと来るステージに思いを馳せながらマツさんとすれ違い、いったん帰途へ。
ひとっ風呂浴びて少し横になり、日頃の睡眠不足を吹き飛ばせば準備万端です。
なんと幸せな1日でしょうか。
開場約5分前、訪れた磔磔は平日にもかかわらずすでに黒山の人だかりです。
「さすがはパスカルズ、お客さんもみんな気合いが入ってるなあ」と思いつつ物販でアルバムを購入し、無事に入場。(ちなみに磔磔は住宅街の真ん中にあるため、あまり早い時間から開場待ちをすることは基本的に禁止されていますので、初めて行かれる方はご注意ください!)
場内のレイアウトは前方数列に座席が配置され、その後ろはすべて立ち見。幸い私は前の方のよく見える座席に座ることができました。たまたま両隣をタイプの違う綺麗なお姉さん方に挟まれる形となり、若干どぎまぎしながら開演を待ちます。 パスカルズに限らないのですが、たまのメンバー関連のライブに行くといつも感じるのは、その客層の多彩さです。普段はどこで何をしていて、何を求めてこの人たちはこの場に集うのだろうか・・・と思わせるような多様な人たち。ゆるやかになんとな〜く存在している、るつぼのごとく不思議なコミュニティ。そんな会場の雰囲気もたまメンバー関連ライブの魅力の一つだと思っています。
そして迎えた開演時刻、メンバーが2階の楽屋から一人また一人と降りてきていよいよ演奏スタートです。記念すべき磔磔第1曲目は・・・ごめんなさい、実はこんなに期待していた割に曲目をあまり知らずセットリストを詳しく書くことができないのです!今最もホットな『凪のお暇』も1話も観ていないという体たらく・・・(メンバーの皆さんごめんなさい)。しかし、それでも問題ないのです。たとえ曲をそんなに知らなくても、パスカルズのライブは100%楽しむことができるのですから。(ちなみに1曲目は原さんのバンジョーが冴え渡るアップテンポナンバーで、ショウのオープニングにぴったりの楽しい1曲でした。)
開放感あふれる野外パスカルズも良いですが、やはり磔磔のあの雰囲気と距離感で観られるのは格別です。間近で観るパスカルズは、バンドのような迫力、楽隊屋のような賑やかさ、芸術家集団のようなクオリティの高さで迫ってきます。「蝶」の不穏な緊張感、「リボン4拍子」の溌剌としていながら感じさせる切なさ、「さんぽ」の慰めと安心感ゆえの泣きたくなる気持ち・・・等、目の前で展開されていく一筋縄ではいかない変幻自在の世界観をしっかり堪能することができました。あとは決定打の「Taking Dog Fields」、この曲はライブで観て完全に好きになりました。天高く昇るような充実感と高揚感がそのまま飛んでくるド迫力の演奏でした。
また、演奏中のメンバーの様子も興味深いです。目を閉じて躍動的にピアノやピアニカを演奏するマツさんの姿はもう楽曲の化身といって過言ではない。そんなマツさんの指揮に何度も目配せしてニヤリと笑う知久さんはとてもクールで、「やっぱりこの人はソロになってもバンドマンなんだなあ」と感じさせるものがありました。石川さんのリズムパターンや楽器のチョイス等の引き出しの多彩さとその切れ味、好き勝手にやっているさなか時折見せる冷静さにもうならされます。ステージ端から積極的に他メンバーとアイコンタクトを取る松井さんの姿も印象的でした。テルミン?を演奏しているのは誰だ・・・?と思っていたら、終演後に三木さんが「坂本さんの弾くウオーターフォンという楽器の音だよ」と教えてくださりました。メンバーの皆さんはこのグループを心底大切に思っているんだなあ、ということがひしひしと伝わってくるステージでした。
さらに、アンコールでは前日のレインボーヒルでも素晴らしいパフォーマンスを見せてくださった「ふちがみとふなと」のお二人が登場し、1曲パスカルズと共演!前日の彼らの演奏と歌唱に完全に圧倒されてしまっていた自分にとってこれはとても嬉しいサプライズでした。
そんなこんなで時はあっという間に過ぎ、お待ちかね「凪のお暇テーマ曲」をもって終演の時間を迎えてしまいます。・・・が、終演後も楽しいのが磔磔。演者の皆さんと交流するうちに「よっしゃ、あとビール2,3本空けたろ」という気分にさせる魔力がはたらくので注意が必要です。
この日も何人かのメンバーの方とお話しすることができ、感想をお伝えすることができました。中でも石川さんのおっしゃった、「もうみんなパスカルズやれば良いのにね」という言葉がとても印象的でした。パスカルズのメンバーには、ミュージシャンが本業でない方も多数いらっしゃいますが、そのことがかえって音楽で寛容さや肯定感を表現することに繋がっているのではないかという気がします。みんなパスカルズをやれば、きっと世界は優しさで満ち溢れるに違いありません。
その日は閉店時間がいつもより早く、半ば追い出されるように外へ出ましたが、こんなに会場を後にするのが名残惜しいライブも珍しいです。居心地の良さが半端じゃないし、ビールも飲み足りないし、皆さんともう少し一緒に居たかったなあ。 ということで、とてもとても幸せな2日間を過ごすことができました・・・とさ。

初投稿と言うことで気合いが入ってしまい非常に長文となってしまいましたが、以上をもって私の初パスカルズ体験記を終了させていただきます。
石川さん、パスカルズの皆さん、関西ツアーに来てくださり本当にありがとうございました。1週間経った今でもパスカルズロスが根深く続いている有様でございます。
また必ずライブに足を運ばせていただきますので、よろしくお願いします!(Kth 19/10/7)

(寸評)ありがと〜。ちなみに一曲目は「フェアウエル・ソング」。バンジョーの原くんが舞台前に出る演出があるのだけど、磔磔は非常にステージが狭いので、リハーサルの時に俺がパーカッションを少しどけて、こう動けば前に出られるよ、を練習した(笑)。
あと「凪のお暇」のテーマ曲の時に俺が扇風機のオモチャを出したのは、ドラマで扇風機が物語を象徴するひとつのオブジェだったから。
他のライブ会場ではたいてい客席乱入とかもするのだけど磔磔はなかなかそれは難しい。だけど、とっても好きなライブハウスっす! 7ポイント。

初めての家出

小さい時の事なので、私の記憶の断片と母の話を合わせてです。
私は3才の時、勝手に家を飛び出して駅前のお店へ遊びに行きました。家から駅までは大人で徒歩20分はかかる所で、いつも駅前のお店へ行くには母は私を自転車に乗せて連れていってた距離です。
3才の私は信号の色とか、歩道、車道の区別がわかっていません。また、自分の名前、住所、連絡先も満足に話せない頃です。
私が覚えているのはドキドキしながら出て行った事、お店の中に入っていた事、交番で親に会えた事です。
母は私がいなくなった事に気付き、大慌てで探したのですが思い当たる所にはいなかったので誰かに拐われたんじゃないかと心配してました。その時にお店から家に電話があり、私が店内で1人でいたのでお店の方が心配してくれたのでした。そして私はお店の隣の交番で預けられ、無事、母と出会えました。
そしてなぜ家の連絡先がわかったのかというと、私は親と外出した時、目の離した隙に勝手にフラッとどこかへ行ってしまうので「迷子札」という、木製の手形に名前・住所・電話番号を書いた物とお守りを毎日付けられていました。この迷子札と心配してくれたお店の人のおかげで誘拐されずにすみました。
お店の方ありがとうございました。
お母さん心配かけてごめんなさい。
因みに迷子札はまだ私の手元にあるのと私自身の放浪癖は健在です。(もちっこ 19/10/7)

(寸評)お〜、3才じゃほとんど記憶もないだろうね。
俺も6才ぐらいの時に自転車でひとりで遠出したら道に迷っちゃって、でも偶然近所のお兄さんが通りかかって、でも話しかけたことはないような人だったので、必死にその自転車の後ろに付いて行ってなんとか帰宅できた。
冒険心があったんだろうね。7ポイント。

初めてのニヒル牛

先日、東京に遊びに行った折に、念願のニヒル牛に行きました。
私がお店に入ったときには2人の先客がいましたが、しばらくするとお会計を済ませて出て行ったので、1人でじっくりお店の中を見ることができました。
ニヒル牛は小さなお店ですが、狭苦しい印象はぜんぜん受けませんでした。小さなものたちのための小さなお店といった感じです。
繊細でかわいらしいものや不思議なものがたくさん置いてあったので、私は何だか身の置き場に困ってしまって、「あぁどうしよう、どうしようかしら」と思いながらちょこちょこと箱の中を覗き回りました。

これは私だけかもしれませんが、「いいな、素敵だな」と思うものと、自分の手元に置いてしっくりくるものは実は同じではない気がします。
ニヒル牛の作品たちの中でも、スズメの髪留め(?)やビーズのチョーカー、ちょっとヘンなぬいぐるみなど「これ可愛いな、欲しいなぁ」と思ったものはたくさんありましたが、私が身に着けたり部屋に飾ったりすることを想像するとどうにも似つかわしくないように思えて、「きっと貴方達のお客さんは私じゃないね」と溜息をついて手に取ったものを元に戻したりもしました。
逆に、一目惚れではなく自分の趣味とは違っても、「あれ、これ私に合うかもしれない」と思えるものとの出会いもありました。
まず、ゆらゆら揺れる大ぶりのイヤリングを買いました。「綺麗だな、でもこういう華やかなアクセサリーはどうせ私には似合わないから…」と思いながら鏡に向かったら思いのほか良かったのです。デートのときに身に着けたらとても素敵だろうと思います。ところが今のところデートの予定がないので、忸怩たる思いで来月のホルモン鉄道とふちがみとふなとのライブに着けていこうと思います。
次に、小さなちりめんで出来たカタツムリのピンは帽子につけることにしました。それと、旅ぱんだの絵葉書を3枚買いました。行ったことのない風景が描かれているのに、私はこの路地裏をきっと見たことがあるような気がして、嬉しくなったのです。
最後に、たまのCDアルバム『しょぼたま』を買いました。いつかどこかで買うつもりでしたが、今回ニヒル牛で買うことができて良かったです。
それにこのCDをレジに持っていけば、店番の石川あるさんにも自然にお話できると企んだのです。

「あの、石川浩司さんのライブによく行ってるんです…関西から遊びに来たのでニヒル牛にも来ようと思って」
「あぁ、それで…(『しょぼたま』を見ながら)関西ならムジカジャポニカとかでのライブですか?」
「はい…あ、いや、石川さんのライブはムジカではまだ…あ、でも今度観に行きます(アセアセ)」
「今度…といえばパスカルズですか?」
「あ、いえ、パスカルズはちょっと行けないんですが、あの、11月のホルモン鉄道のライブに」
「エッ!ホルモン鉄道のライブに行っていただけるんですかッ!!」
「いやぁ、実は前にもホルモン鉄道のライブには行ったことがありまして。それが良かったので」

ホルモン鉄道に関してやたらへりくだった物言いをするあるさんが、内心すごくおかしかったです。
あるさんにとっては、大谷氏も半分身内みたいなものなんだろうなと思いました。

家に帰ってからニヒル牛で買ったものを見返すたびに、実にいい買い物をしたなぁとニマニマしています。
もう一度、ニヒル牛に遊びに行きたいです。(ANA 19/10/7)

(寸評)確かにパスカルズに比べるとホルモン鉄道はマイナーだからね。
でも「たまの映画」を作るキッカケも、実はプロデューサーがホルモン鉄道に惚れ込んだから。
よりソロに近いので俺も嬉しいな〜。 6ポイント。

初めての電動アシスト自転車

波照間エロマンガ島@タイランド在です。

今年の8月、山梨県の河口湖畔にある温泉民宿でホルモン鉄道1泊ライブを観覧しました。時間があったのでライブの1日前に河口湖入りし、別の民宿に1泊してからホルモンライブに臨みました。

さて、富士急の河口湖駅を下りて界隈をぶらぶらしていると貸し自転車屋さんを見かけたので、自転車を借りることを思いつきました。店に入ると電動アシスト自転車が目についたので早速借りることに。実は生まれて初めての電動自転車体験です! はじめは慣れないので乗りにくかったですが慣れるとすいすいスピードに乗って楽しくサイクリングできます。特に上りの坂道がこれほど楽チンに走れるのはびっくりでしたね。河口湖大橋を渡り、対岸の湖畔のカフェレストランで飲食をしたり、温泉に行ったりと、翌日の夕方石川さんたちに会うまでのあいだ河口湖界隈をあちこち乗り回しましたよ。そのことをチャットバーウキュピにつぶやいたところ、ライブ会場で久々にお会いしたYさんが「エロさんがレンタサイクルしたとという書き込みを見て、僕も自転車借りましたよ。今、河口湖一周してきました」とのたまうではないですか! 富士五湖の中でも河口湖は湖畔がくねくねしていて一周20キロ以上あると思うのですが、さすがYさんだなぁ、と妙に感心したしだい。
そんな初めての電動自転車で河口湖湖畔をさくさくサイクリングしたの話でした。来年の温泉ライブも楽しみダー!(波照間エロマンガ島 19/10/7)

(寸評)電動アシスト自転車はまだ未経験だなあ。乗ってみたいなあ。そしてYさんはいつもすごい。6ポイント。

初めての海外から当ホームページへの禁アクセス案件について見えてきた一筋の光明

波照間エロマンガ島@タイランドです。2019年8月19日から確認された、タイ国から当「石川浩司のひとりでアッハッハー」HPにアクセスできなくなっている件ですが、9月が終わろうとしている現在もこの現象は続いています〔泣〕。「俺の日常クイズ」や「意味のない言葉のしりとり」などのコンテンツは最新版のキャッシュが手に入りにくいので投稿することができません。

数日前、ふと思い立って中国在住のこのHPのファンの女性にメッセージを飛ばしてみました。質問したのは「中国ではこのサイトを閲覧できますか?」と。答えはまもなくありました。「問題なく見られますよ」と。そして追加して以下の説明をしてきたのです。

曰く「中国ではご存知のとおり国家の規制が厳しいので、VPNを通してネットを観ているのですよー。石川さんのページへのアクセスも日本からのアクセスってことになってるので問題なくアクセスできますよ」との由。

VPNというシステムがあるんですね。調べましたがちょっとむずかしいのでここでは説明は省略します。そしてしばらくするとまたメッセージがあり次のことを教えてくれました。

「アクセスポイントを海外にしてみて試してみると、今確認出来る地点で色々試してみたら、USAはいけたのですが、台湾、香港、韓国では石川さんのサイト繋がらなかったです。他のサイトには繋がっていたのでVPNが落ちているわけでは無さそうです!」

そうか、アジア各国では石川浩司のホームページはまだアクセスできないようですね。VPNを導入すれば「ひとりでアッハッハー」を以前のように快適にアクセスできるんだな。ようし、検討してみよう。

そんなわけで私もVPNなどのシステムについて少し勉強してみようと思います。そんな「初めての」石川さんHP禁アクセスをなんとか打破して光明が見えそうな昨今、の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 19/10/7)

(寸評)俺も中国では無料のVPN使ってたなあ。なんせそれがないとツイッターさえ見られないからね。
なんとか普通に見られるようになることを祈ります! 6ポイント。

初めてのウクレレ

そろそろウクレレが弾きたいなと思っていたころ、通い先のリサイクルショップにウクレレが入ってきました。ケースや教本もついてきて500円くらいで、渡りに船とばかりに早速購入しました。
しかし新品で買っても3000円くらいの安物で、チューニングがダメでした。失意のあまりブックオフに売ってしまいましたが、教本とケースは活きました。

2018年夏、改めて近所の楽器店にウクレレを探しに行きました。19000円ちょっとの穴がネコの形をした、しっかりしたものを見つけました。
本当は滝本晃司さんの「お月さん」を弾きたかったのですが、このころはまだCDでは発表されてなく、ほかの曲を探しました。
たまの「学習」を弾いてみるとコードも簡単ですぐに覚えられました。また知久寿焼さんの曲とふれ合ういい機会でもありました。

2019年4月。ついに『ガラスのコップの』(滝本晃司)で「お月さん」が発表され楽しみが迫ってきました!!
滝本さんのようにギターとウクレレの絶妙な使い分けを真似て、僕も曲作りに挑戦したいです!!(Sankaku 19/9/29)

(寸評)新しい楽器を手に入れると世界が広がるよね〜。俺も何かいい音のする日用品を探すか〜。6ポイント。

初めての正解

2019年8月1日。初めて俺の日常クイズに正解しました!
この解答の缶ジュース、実は6月頃、通っているスポーツジムの自販機で売っていたので、そのとき珍しい絵柄と文字にそそられてしまい買って飲みました。ですが、問題文にマイナーな国とあったので、「あの国マイナーかな?」、「もしかしたもっとレアな缶ジュースかも?」と迷いました。朝から、そして仕事中も(笑)、ず〜っと考えましたが、とうとう時間が迫ってきたので、自分の飲んだ缶ジュースに書かれた国のルーマニアで解答しようと決心し、1回限りの解答なので誤字脱字ないか念入りにチェックして送信しました。翌日の朝HPを見たら正解!「当たったー!」と大喜びしました。 まだまだ解答者歴の浅いワタクシもちっこでございますが、これからも解答させていただきます(笑)。(もちっこ 19/9/19)

(寸評)ネットで調べるとなんとなく分かるものもあるけど、基本は勘。
なので「間違ってるかも」と思っていてもとりあえず何でも回答するが吉。
だってみんなが分かる答えだと、逆に正解者が多くてポイントは少なくなるからね。
一発大逆転を狙うのだ〜。 5ポイント。

はじめての無効票

日常クイズのお話です。

自分の回答率は低いと思いますが、「こういう時だけは当たる」というはじめての体験がありました。
ある日、返信があり、「もう答え出てます」 あれ? 23時半過ぎてから送ってしまったのかな? なんてことがありまして、その後には、「前日の答えです」 なんてことも。
しかもその答えは正解している・・・ まるで不正。
しかし、その謎が解けました。
ある日、ほとんど明け方にメールソフトを開いたら、メールを送信していますという表示。もしかして・・・ と送信中を開こうとしても送信中は操作できませんと出て、タイトルには「クイズ」 もう正解が出ている回の回答です。
送られてしまった・・・ すぐに言い訳メールを送ります。
どうやら、送信ボタンを押し、まだ送信途中なのにメールソフトを閉じたか、PCを切ってしまい、数時間後や、次の日に起動した時に送られていたようなのです。
はじめての無効票、それから計3連発。しかも、すべて正解。こういう時だけ回答率が高いとは・・・。(猪熊猛 19/9/19)

(寸評)これ、他の人も時々ある。メールって時々誤作動ですぐに送れてない場合があるんだよね。
でもこちらもそれを許すとグダグダになってしまうのであくまでその日の23時30分までに回答があったもので、例えこちらの更新が遅れたとしても、1分でも過ぎたものは無効とさせてもらってる。
御愁傷様としか言いようがないが、時間があったら是非送信確認してみてね〜。6ポイント。

初めての海外から「石川浩司のひとりでアッハッハー」サイト禁アクセスを部分的解消してくれる方法発見

こんにちは、波照間エロマンガ島@タイランド在住です。
先日この初体験のコンテンツに海外から石川さんの当HPがアクセスできなくなったことを投稿しましたが、いろいろ考えた末以下の方法を発見し実践することにしました。

(1)石川さんがSNSにてホームページ更新のアナウンスをするの (2)(1)の情報をもとにその更新したページが自分が投稿したと思われるコンテンツならば、日本在住の友人に連絡して当該ページをスクリーンショットで画像として保存してもらう
(3)保存した画像をメールでタイ在住のわたしまで送ってもらう。

これは非常に面倒くさい方法ですが、この方法ですと確実にわたしの投稿した記事と石川さんの寸評を両方読むことができます。しかし日本に住む第三者の方に手間をかけてしまうことになり、これがとても心もとないです。

そのほかグーグルで当該ページのキャッシュを表示させてそれを保存する方法も試みましたが、いかんせん最新版のキャッシュが表示されつらく、この方法はあまり使えないものとして断念しました。また定期的にロボットがキャッシュを自動的に読み込むInternet Archiveのサイトも3、4ヶ月に一度サイトを保存するだけなので、アップデートされた最新のサイトのキャッシュを閲覧することはできないので諦めました。

ですので、現状なんとかかろうじて石川さんの寸評やほかの方の投稿も読めますので、四苦八苦しつつも閲覧し続けています。以上、引き続きよろしくお願いいたします。(波照間エロマンガ島 19/9/8)

(寸評)サーバの引き継ぎが終わってまた海外からもアクセスできるようになればいいのだけど・・・何とも言えない現状っす。
でもとりあえず読めて投稿出来て良かった。6ポイント。

はじめてグリーン車で芸能人を見る

諸事情で、新幹線で函館日帰りをした時のことです。
往路復路ともグリーン車でした。
函館の観光を済ませ、新函館駅から新幹線へ乗りました。新函館-盛岡間はトンネルばかりでツマリマセン。スマホも使えないし(当時)。

さて仙台へ着くとホームに30代を過ぎたあたりのヤングミドルの女性が沢山いました、「こりゃ芸能人のお見送りかな」と思っていると、その芸能人らしき方がグリーン車へ入ってきました。男二人です。
二人組です、それぞれマネージャーらしき人を連れています。
ホーム側に私の席はあったのですが、二人はホームとは逆側の席へ座りました。
みんな窓から見ています。わたしは窓に置いてあったペットボトルをそそくさとしまってあげて、かれらをよく見えるようにしてあげました。えらいっ。まあ逆に私も彼女たちを見ているんですけどね。新幹線が出ると彼女たちは手を振っていました。

グリーン車はガラガラでした。東北新幹線はグリーン車よりワンランク上のグランクラスという席もあるのですが、二人はグリーン車でした。
二人はそれぞれかなり離れた席へ座り、隣にはマネージャーらしき人が座っています。そしてお弁当とかお茶を出して渡していました。雑誌を読んだり音楽を聴いたり目を閉じたり静かにくつろいでいました。
同じ車両とはいえ、二人の席が離れているのが意外です。
他のサポートメンバーは指定席か、あるいは専用バスで移動しているのか分かりませんがグリーン車にはいませんでした。

わたしは誰だか分かりません。一計を案じ、月、日付、仙台、コンサートとスマホで打ち込むと・・・ある二人組バンドが仙台でコンサートをやっているじゃないですか、そのバンド(ユニット? グループ? コンビ?)でした。私もバンド名は知っていて、その二人の名前も存じ上げていました。ツイッターで検索すると、同じ新幹線に乗っているファンらしき人の書き込みも見れました。
時々ファンらしき人が隣の車両からグリーンへ(わざとらしく)通ってトイレへ行くのですが、ファンの人がキャーキャー言ったり、サインや写真をねだったりしないことに好感が持てました。
駅についてファンが下車するとき、グリーン車へ来て、無言で静かに会釈します、そのミュージシャンも軽く会釈を返していました。

私は終点の東京まで行かず大宮で下車してしまったのですが、そのあとどうなったのかな。(わいわい 19/9/8)

(寸評)俺たちもほんのわずかな期間だけそういう体験がある。駅にズラーッと。
まあ俺たちはグリーン車じゃなくて単なる指定席だったけど(笑)。6ポイント。

鼻に虫が入ったことを気にしないようにした初体験

こんにちは。先日、100円回転寿司に行く約束を友人としていたときのことです。チャリンコで回転寿司屋さんへ急いでいると勢い良く飛んできた鼻が虫に入りました。いつもならいつまでも気にしていますが、外であまり勢い良くフンガフンガできないうちに、気にならなくなりました。また一歩、大人になれた気がします。(メッキがけ  19/9/8)

(寸評)そ、そうだね。成長したんだね。5ポイント。

初めての「ひとりでアッハッハー」禁アクセス体験〔2019年8月25日現在7日目継続中〕

波照間エロマンガ島@タイランド在住です、こんにちは。
2019年8月14〜18日、夏季休暇をとって日本に一時帰国しました。日本では家族と会ったりお墓参りをしたりホルモン鉄道の温泉一泊ライブに参戦したりと、充実した時間を過ごしました。「いい休暇だったナァ」としみじみ実感し、成田空港から帰途につきました。

バンコク・ドンムアン空港に着いたのは8月19日午前0時30分すぎ。早速スマートフォンでネットを立ち上げ、当HPにアクセスしました。本日の「俺の日常クイズ」の解答を知りたかったのです。しかし、しばらく待つもアクセスできませんでした。空港内でネット環境が悪いのかとスマートフォンをしまい、タクシーで帰宅しました。夜遅かったのでその日はすぐに就寝し、翌朝起きるとすぐにインターネットを立ち上げて当HPにアクセスしました。・・・・・・、しかし前夜同様、黄色いトップページは現れません。そのかわりに以下の画面が表示されました。



ほかのページは普通に表示されるのですが当HPだけは表示されないのです! 何故だろう、と不安になりました。こんなことは初めてです。キャッシュやクッキーをクリアーして閲覧データを消去し再アクセスしても駄目でした。いろいろ試してみましたが結局その日はアクセスできないまま一日が終わりました。
その後、2日経っても状況はまったく変わらないので、石川さんに事情を説明し「どういうことなのでしょうか」という質問メールを出しました。石川さんからはすぐに返信をいただき「調べてみます」とのことでした。しかしその日遅くまた石川さんからメールが来たのですが、その内容は失望するものでした。

当HPのサーバーが現在海外からサーバー攻撃を受けていて海外からのアクセスを遮断しているとのこと。

これには衝撃を受けました。投稿をはじめた2008年以来約11年あまり、習慣的に毎日アクセスしていたサイトが突然見られなくなってしまったのです!こんな悲しみってあるでしょうか。先週日本で得た体験の感想をテキストに書き起こし、各コンテンツに投稿しようとしていたのに。モチベーションの萎え方といったら尋常なものではありませんでしたね。

しかし、アクセスできないという事実は変わりありません。この現実を受け入れてみることにします。そして、しばらくしたらまた海外からでも「ひとりでアッハッハー」にアクセスできる日を夢見つつ、アップデートしたコンテンツは閲覧できませんが、投稿を続けてみることにします。そんなわけで、ここしばらくはわたくしの投稿が激減してしまうと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。(波照間エロマンガ島 19/8/30)

(寸評)現在、使っているサーバが合併するとかで移転作業が行われてるのでそれが理由かもしれないんだよね。新サーバに移転が完了すれば海外からもアクセスできることを期待しているのだけど、すみません、それ以上詳しくはサーバの知識がないので分からないんだよねー。
投稿王のエロさんの投稿が止まるのはあまりに寂しいのでなんとかしたいのだけど・・・って、これもきっと読めないんだよね。何かいい解決方法知ってる人がいたら教えてくださいな。
お詫びポイント10ポイント。

初めての井戸水ごくごく体験

波照間エロマンガ島です、こんにちは。日本は猛暑日が続いているそうですね。こちらタイランドは現在雨季で、しのぎやすい天候であります。日本から遊びに来た友人が「サバーイサバーイ(気持ちよい気持ちよい)」と言って喜んでいますよ。皆さん夏休みはタイへ秘所にいらっしゃるのはいかがでしょうか。あ、間違えた、避暑ですね。それはさておき。。

突然ですが、わたしが井戸水の美味しさを知ったのは1982年7月、大学1年の夏休みに行なったお墓掃除のアルバイト時においてでした。新盆前の仏教寺院にあるお墓を一日かけて掃除するのですが、わたしは横浜市にあった古刹の寺院で休憩時間に井戸水を汲んでごくごく飲んだのですが、これが美味しいのなんのって。生まれて初めて井戸水がこんなに美味いんだと驚嘆しました。それは高温の中での作業のせいもあったのでしょうけれども、東京都の水道水の不味さに心底辟易していたので、余計のこと井戸水の美味しさが身にしみました。美味しいのでいくらでも飲めるんです。わたしは何度も何度も水を汲み上げて飲みました。

最高のひとときでした。今から振り返ると水質は安全だったか一抹の不安もありましたが、美味しかったのだから仕方ありません。という初めての井戸水ごくごく体験の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 19/8/13)

(寸評)それとは逆に茨城県に一年住んでいた時の霞ヶ浦の水を浄水した水道水は、ものすごい味だった。
沸騰させてお茶にしても消えない味。今は改善されたが、あれは吃驚した。40年前の話だけどね。 6ポイント。

はじめてのゴキブリ退治

少し前、昼寝しようと思ってベッドの上を見ると、焦げ茶色のシミが見えました。「あれ?どうしてこんなところにシミ?」と思って近くに寄ると、シミが動きました。「えっ?」と思ってよく見てみると、ゴキブリ(体長5.6センチほど)でした。「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!出たぁぁぁぁ!!」と叫びながら走って逃げ、母親に「ゴッキーが出たぁぁ!俺のベットの上に!!早くあいつを追っ払ってぇぇ!!」と懇願し、退治してもらいました。いや、高校生にもなってゴキブリ一匹退治できないなんて、情けないとは思います。でも、嫌いなんだからしょうがない。

ともかくもそのゴキブリは退治されました。でも「一匹見たら・・・」というように、絶対アイツの仲間が僕の家に多数潜伏しているはずです。昼間にですら堂々とベットの上に鎮座していたわけですから、夜は何しているのか分かったもんじゃない。カサコソカサコソと、僕の顔の上を歩いたり、布団に入ったりしていると思うと・・・もう我慢できません。「さっさと殲滅してやる!」

翌日、母親に頼んで、煙タイプの殺虫剤を6缶ほど買ってきてもらいました。というのも、少し前に見たネットの記事で、煙が一番と書いてあったのを思い出したので。そして、殲滅作戦決行の前日。またヤツが現れました。ということは、我が家には200匹ぐらいいるんでしょうか。

ところが、いざ煙殺虫剤×6をフル稼働させても、一匹のゴキブリの死体、いや、何か虫の死骸さえも見当たらないのです。「ちゃんと煙出たの?」と母親に聞くと、「家から帰ってきたときはすごい息がしづらかったし、家の中にあった植木の葉っぱとかもだいぶ弱ってる。効いたと思うけど・・・」とのこと。あれからもうゴキブリを見かけてはいないのですが、どこにいるんでしょう。どこにい〜るの〜どこいっちゃったの〜ぼくの目の前の〜ゴッキ〜(未成年 19/7/27)

(寸評)病院に勤めてた時に、「寝ていたら耳の穴の中にゴキブリが入りこみ、そのまま中で動いてる」という急患、来たよ。脳味噌を食べてるのかな。 6ポイント。

はじめてのコガネムシ飼育

♪こがねむしーはーかねもちだー、金蔵がどうこうでなんちゃららーー、てなへんてこな歌を最近の皆様はご存知ないのでしょうか。冒頭から意味不明な展開恐れ入ります、そう、昨夏のこと、うちのぼうずがコガネムシを飼育したい、というわけのわからないことをおほざきになったので御座います。ゆえにその混乱/混迷から私の文章もいつも以上に支離が滅裂してフライトゥザムーン。

さてこのコガネムシの野郎ですが、これまでオポ家では1階に住まう義叔父の趣味の園芸の大敵として認識されてきました。
なんでかっちゅうとこいつら、義叔父の気に入っている樹木の青々とした分厚い葉っぱをモリモリお召し上がりになり、センターの葉脈を残して喰い尽くしてしまうという困ったちゃん、金持ちどころかまっこと餓鬼道精神に則った御仁で、いまネットで検索しても飼育方法より俄然駆除方法のほうがヒットする、という体たらくなのであります。

そんな迷惑インセクツを葉っぱからいっちょつまみあげ、「かう」とのたまった我が子のファンシーさ。まぁ良いでしょう、奇人(=私)の子は所詮奇人、どのみち夏の終わりまでには滅却しているでしょうから、好きにさせておこうと思いました。

早速ぼうずは虫籠にそいつと主食の葉っぱを放り込み、「グリーン」という直球きわまりないおなまえを与えました。確かにその緑の光沢バディから黄金虫の名はつけられておるのですが。
しばらく放っておくと分厚い緑の葉っぱは見事に喰い散らかされており、ホネホネ状に。やはり例の歌は誤りで、断じてこいつは金持ちなどではないっ、とひとり憤慨していた私ですがグリーンのために葉っぱを取りに行かされました。何故俺がこんな奴の丁稚を。

土さえも敷かぬ簡素なプラスティックの箱の中、グリーンは日に2枚、多い時は3枚の葉っぱを喰らい、さして大きさに変化を生じるわけでもなくまたほとんど動くことも無く、緑の身体で緑の葉を喰い緑の糞を垂れ垂れ過ごしました。こんな不毛な昆虫飼育は初めてですが、おそろしいことにどんな物体にも名前を与えれば愛着などというものが否が応にも湧いてくるものなのか、嫁はんとぼうずはあろうことか「グリーン、グリーン」などと声掛けすらし始めたのです。

ある日のこと、箱の中からグリーンの姿が消えていました。単調な暮らしに飽いたのか、脱走を企てたようです。普段滅多に動きもしないくせに。
さして広くもない我等が居住スペース、されど相手はたかだか2cm程度の小虫です。何処を探しても奴は見つかりません。ただあんな目立つ緑色ですからちょっと真剣に探せば見つかりそうなものなのですが・・・。
結局他の虫に喰われたか、ここぞと本気を出して羽ばたいて逃げたんじゃないか、と適当な推測をして我々はグリーンを諦めました。

が、翌日。ふすまを開けようとした私が見つけたのは、薄茶色のくすんだ2cmの物体。ひっくり返っていませんから生きています。どうでもいいですがなんでこういうご連中は絶命するや裏返るんでしょうかね。自慢のボディカラーが変わっていたのは床の色に合わせた保護色だったのでしょうか、ほどなくして奴は元の色に戻りました。丸一日半飲まず食わずでも、葉っぱをふつうにバリバリ喰うので弱っている様子はありません。流石は園芸愛好家の駆除対象、タフな野郎です。

夏は過ぎ、道端のそこいらでやりきった感を出した同族の緑色たちが転がっています。
しかし、我が家のグリーンは雨風から守られ、毎日新鮮な葉っぱを提供され続けているが故かピンピンしています。こんなアホな。人の手で飼育すればこいつ、いつまでも生き延びるタイプの奴なのか。それでも昆虫嫌いの私は癪なので、「コガネムシの平均寿命」なんてあほみたいな検索はかけず、慈愛のまなざしで声をかける女房子供を尻目に日々を過ごしました。

秋も半ばに入り、日射しも徐々に和らいできました。嫁はんが少し顔を曇らせて、「昨日から葉っぱ1枚しか食べへんねん」と申します。この頃になるともはやぼうずは飼育に飽きており、献身的に世話をするのはもっぱら嫁はんでした。“なにかしらの生き物を飼育したいと申し出た子供の親あるある”ですね。植込みの葉っぱからグリーンを誘拐してから、ぼちぼち2ヵ月が経とうとしています。すでに当該の植物には、ずいぶん前からお仲間の姿を見なくなりました。 それから2、3日。いよいよグリーンは葉っぱを喰わなくなりました。
憐れに思った嫁はんがキャベツをすりおろした汁を与えると、なんとコクコク飲むではありませんか。生きる意志を示したグリーンでしたが、次の日になると途端に動きがなくなりました。

嫁はんとぼうずは、心配そうに「グリーン、頑張れ」と声を掛け、もともと元気な頃からほとんど動かないグリーンを応援します。わずかに右前脚をプルプルさせるのが、奴の生存の証でした。こんなちんまい、園芸家が見つけ次第駆除するような虫を、ここまで愛に満ちた瞳で見守る母子があったでしょうか。知らんけど。

翌日仕事から帰ると、虫籠は空になっていました。馬鹿にしていた私でしたが、悔しくも一抹のさみしさを感じてしまったのは事実です。南無阿弥陀仏。主食の樹の下にとむらってやったそうです。

それにしてもグリーンの奴も長生きしたものです。外にいた親族連中に比して1ヵ月以上は生きたでしょう、しかし果たして奴が幸せだったかどうかは誰にも判りません。外の世界で自由を謳歌し、子孫を残すことが奴の本懐であったのかもしれませんが・・・

とはいえ、天敵もおらず労せずして飯も手に入る、これはまさに金持ちの生活ではありませんか!? 私の負けでした。やはり歌にある通り、コガネムシは金持ちだったのです。うちに金蔵は建たへなんだけど。たはは。(オポムチャン 19/7/27)

(寸評)いつかグリーンジャイアントになってウォッホッホッホッと帰ってきて、コーンを山ほどくれるよ! 7ポイント。

はじめてのタピオカ

話題323 女の子になりたい
2019年7月6日(土)
はじめてタピオカを飲みました。
これで僕も女子高生の仲間入りです。

おわり。

付記
美味しかったです。いろいろ種類があったのですが、ベーシックなミルクティを選択しました。
タピオカのもちもちとした噛み応えが良かったです。(わいわい 19/7/27)

(寸評)台湾では飲んだなー。
昔からある物なのに何故今頃大流行してるのか謎〜。 3ポイント。


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