ドキドキドキリコ初体験(90)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

2017.12.23に松黒毛ぼっくすさんと知久さんのライブに行った後の宴会で知久さんからギターのレクチャーをしてもらったお話。

20年以上ファンやってる人によるとこんなサービス初めてだったらしいので、たくさんの人にとっての初体験だったのかなぁ、と思います。

ライブ終了後、松黒毛ぼっくすの大槻さん主催で一般客も参加OKの宴会があって、私と妹は本当は参加しない予定だったのですが、代官山駅の場所が分からなくて目黒駅の方まで来てしまい周りを見渡すと、知久さんがいたので「ああ、ここが会場だったのか。せっかくだから参加しよう」ということになりました。

今からでも参加できるかどうか関係者に確認を取りたかったのですが、関係者の顔を覚えてなかったのでもう知久さん本人に聞くしかないな、と思って知久さんに話しかけました。

私「さっきのライブ見ました!ファンです!飲み会に参加してもいいですか?」

知久さん「そうなんだーさっきの…。みんな参加してるよ」

私「…」

知久さん「…」

そこで私は石川さんのホームページのどこかで読んだことを思い出しました。
「ファンです!」と来られれば歓迎だけど、サインとか求めてるのか、ミーハーなのかコアなファンなのか考え込む時があると。
そしてたまのメンバー全員がきちんと考えてから話すタイプだということを。
知久さんが目の前でそういう状態になっているのではと思いました。

でもせっかく目の前に知久さんがいるんだし、どのくらい好きか伝えるぐらいはしないと、と思い、

私「Youtubeを見て半年前からファンです!妹なんか知久さんの影響でギター買って練習してるんです!どうしても分らないところがあるみたいなんですけど、毎日練習してるんです。私はベース練習してます!」

知久さん「分らないとこって?」

妹「あの曲のここの部分です…」

知久さん「その部分は弾き語り用に変えたところだから…そういうところも見てもらえてるんだね。ギターの話は飲みながらでもね」

まさかの、教えてくれる流れ!全く予想外でした。

飲み屋に入ったら知久さんは全然違う席で、すごく遠かったのに私たちの事を覚えてくれてて、ギターを下げて隣に座って歌いながら教えてくれました。
そしてレクチャー大会が始まって、他のファンのみんなもテクニックの事を聞いてとても盛り上がりました。

完全に酔っぱらった大槻さんがギターかついで「俺も…俺も…歌う…」と言いながらフラフラやってきて知久さんと二人で歌って、三味線弾きの樹海ちゃんも歌ってみんなで大笑いして…すごく宴会らしい楽しい楽しいひと時でした。こんなに楽しい宴会は初めての経験でした。

ファンの人が3人くらい私に「知久さんにギターテクニック聞く流れにしてくれてありがとう!」と言ってくれたのも嬉しかったです。

ライブが時間押してて「ぼくの曲は端折っていいです」って知久さんが言うくらい巻きで終わらしてたから歌い足りなかったのかもしれないですし、妹が分かんないって言った選曲が良かったのかもしれないし、いろいろ偶然が重なって楽しい宴会を過ごせました。

いつか同じような機会があったら石川さんとも飲みたいです。
それまでに面白い話を仕入れておかないと!と思う今日この頃です。(マジョライト 18/1/14)

(寸評)俺も「ここは桶がいいか、鍋がいいか」と聞かれれば答えるよ〜(笑)。
具体的に聞かれるとコアなファンだと分かって嬉しいもんなんだよね。
そして知久君の指導、良かったね! 7ポイント。

はじめての溝の中の人

そのむかし。未だぼうずも生まれていない結婚5年目くらいの夏の夕べ、私と嫁はんは家からほど近い回る寿司屋へ晩飯を喰いにほつほつと豊中市は岡上の町の能勢街道、という名の細道を歩いておりました。ちょうどお給料日だったのかもね。
すると前方に、なんとも不安げな足取りのご老人が、杖を突きつつよろぼいよろぼい進んでいるではありませんか。

最初に見かけた段階では道のまん中を歩いておったのですが、だんだんだんだん、左方向へ歩みが補正されてゆくのです。なぜだろう。答え:それはこのご老人が酒精を摂取なさっているから。足をすこし悪くされているご様子ですが、それ以上にただならぬ動きをなさっていることからもそのことが推測されました。ときおり呻き声のようなものも上げています。

お爺さん、大丈夫かいな・・・ と我々ミョート(標準語訳:めおと・夫婦・つがい)は心配しつつ後ろを歩いていました。左手の民家の壁にぶつかりかけてはふらりと戻り、また左へ寄りかかり戻り・・・・・・ と、道の端に幅30cm・深さ4,50cmほどの溝が現れました。
ちょうどやせた大人ひとりが横向きにすっぽり収まりそうなサイズ感です。

厭な予感がしました。
まさか、ね。マンガやコントのような、そんな事態が、ね。我々の目の前に現実に起こるなんて、ナンセンスで・・・・・・

ずぼっ。

ご老人は、道の左端の溝に、からだ全体、頭から足まできれいにすっぽり嵌まりました。

溝の、中の人。
目だけ、ひらいてる
いや、口も、ひらいてる
やっ、手指も、ひらいてる。

眼前の危機状態の爺さんにGさん的な感想を述べてる場合ではありません、ここに通りかかったのは我々ミョート2名のみ。ただでさえ人通りの少ないこの一方通行の狭い道、もしここでお爺さんを打ち捨てれば夜に雨が降るとブクブクがぼぼ、丘の上で土左衛門が一丁上がり、翌朝ポリスがこの辺をウーロウロするなんてな寝覚めの悪い事態に発展しそうです。

私と嫁はんはあわててお爺さんに駆け寄りました。

オポ「大丈夫ですか!?」
お爺「あ、あぅ〜〜」
嫁はん「引き抜こ、とにかく溝から!」
オポ「そ、そうやな! ぐっ・・・・・・ ふぐぬっ・・・・・・」
嫁はん「ぜんぜん動けへんやん!」
オポ「こ、これっ、ガッチリ溝に嵌まってもうてる・・・」
お爺「あ、あぅ〜〜」

私と嫁はんは成人の中では非力な部類です。このままではどうにもなりません、誰か助けを・・・ と思っていたところへ、自転車にのった眼鏡の若人がこの異常事態を見て停まってくれました。

眼鏡「どうされましたか!?」
嫁はん「お爺さん、転んで溝にハマってしもうて・・・!」
眼鏡「手伝います!」

嗚呼、神は何と清い心の眼鏡、いや若人を我々に遣わしたのでしょう。昨今の一般的な若い者ならば見て見ぬフリをするでしょうに・・・ 私と嫁はんと眼鏡の3人で力を合わせ、どうにかお爺さんを溝から引き抜きました。酒の匂い。ぎゃぶ。ぜぇぜぇ。ひとまずよかった、丘の上の土左衛門をこさえずに済んで。眼鏡はお爺さんを救出すると、「良かったです、それじゃ」と颯爽とチャリで去って行きました。ありがとう、眼鏡。もとい若人。

救出されたお爺さんは「いゃー助かった、ありがとう、ありがとう」と我々に礼を述べました。このホイデさん(仮名)というご老人はお一人暮らしだそうで、やはり駅前の呑み屋でひっかけた帰りだったようです。お近くにお住まいだとのこと、もっぺん嵌まられても大変なので送って行くことにしました。幸いホイデさんのお宅は我々の目的地の途上だったのです。

ホイデさん「わしここの路地入ったとこに住んでまんねん! なんかあったら声かけてな! ありがとう!」
オポ・嫁はん「お気を付けて!」

ホイデさんは昏い細路地の奥へと、消えてゆきました。

やぁ、とりあえずよかった。と気を取り直して、私と嫁はんは回る寿司へ到着しましたが、お店に入るなり店員さんがギョッとしたような表情になりました。
なんだなんだ、人がきもいからってあからさまにギョッだなんて失敬な。いや現にナチュラルにきもいおっさんですけれども。と憤慨しかけて気付く、私の白いTシャツは、溝で挫傷したホイデさんの体液で真っ赤でした。きゃぉ。おんもは薄暗くてわからなんだ。私はなすすべもなくブラッディなままで嫁はんと回転する寿司を12皿摂取、会計を済ませ帰宅したのでした。シャツはすみやかに鈴蘭の香りのニュービーズでお洗濯、綺麗になりました。

それからちょいちょい気になって、近くを通るごとにホイデさんの入って行った細路地を覗いてみたのですが、どうもその辺りに人が住んでいる気配がありません。私達は狐狸妖怪に化かされたのでしょうか?? 近くに森も林もないこの街中で。

数週間後。私と嫁はんは阪急豊中の駅前の呑み屋の近くで、見覚えのある特徴的な杖を持ったご老人を見かけました。ホイデさんです。

嫁はん「ホイデさーん!」
ホイデさん「?? なんで、わしの名前を?? どっかで、お逢いしましたかいなぁ」
嫁はん「こないだお家の近くで溝にハマってはって・・・」
ホイデさん「・・・はぁ・・・・・・ そんなこと、ありましたかいなぁ・・・?」

完全に、忘れとるの、この爺さん。なんかあったら声かけて、って、そもそも憶えてへんのやないかい。わちゃぁ。

まぁ、こちらも何かの見返りを期待していたわけでもなし、所詮は酔っ払いのお爺さんです。ものを忘却する能力はあらゆる人種の中でもピカイチでしょうから。足取りは相変わらず不安でしたが、こういうタイプの方のほうが案外、長生きなさるのかもしれませんね。関係のないひとに戻った我々は、ホイデさんを尻目に家へ帰ったのでした。雨の日は呑みにいかないでね。いろんな色のパラソルで助けに行ければいいのだけれど、私達もうたどって行けないほど遠くへ引っ越しちゃったの。どうか末永く、おげんきで。(オポムチャン 18/1/14)

(寸評)俺の知り合いのお母さんは酔っ払って自転車で転びたった数センチの溝に顔がはまり溺死した。
夫婦で酔っ払いの命、すくったで! 8ポイント。

初めて聞いた種類の機内アナウンス

波照間エロマンガ島@バンコク在住です、ごきげんよう。
2009年11月30日、一時帰国していた日本からタイへ戻る飛行機内での出来事です。ドキッとする機内アナウンスが流れました。

「お客様でお医者様、看護士の方はいらっしゃいませんでしょうか?もしおられましたら近くの乗務員に声かけください」と。

なんじゃこりゃーー??!
もう数え切れないくらい飛行機に乗っていますが、こういうアナウンスは初めてです。こういうのはドラマや映画の話だと思っていました。

まず考えたのが(1)機長が急病で倒れた。(2)お客さんの中に妊婦さんがいて産まれるーーー!!っていう非常事態になった のどちらかだと思いました。そのとき沖縄上空あたりを飛んでいたのですが、これは最悪成田に引き返すか、台北に緊急着陸するか、といっしゅん覚悟しましたよ。
しかし結局その後何もアナウンスはされず、問題は解決したようです。 無事バンコクに着陸しました。それにしても、何があったんでしょうね。

という初めて「お客様でお医者様いらっしゃいますか」のアナウンスを聞き、心の中ざわざわしたという話でした。(波照間エロマンガ島 18/1/14)

(寸評)日本だとそこで手をあげるのは勇気のいることだそうだ。
例えば診療科目が違っても診なくてはならず、それによって治療が失敗した場合その責任はその医者に全部のしかかるとのこと。
眼医者さんが心臓の悪い患者さんを診るのは大変だもんなあ〜。 5ポイント。

はじめてのVR

先日レイクタウンで初めてのVRにチャレンジしてきました。あれれれ確かお台場のジョイポリスでやった気もするがええい関係ないのてある。
VRとはゴーグルをつけて仮想空間で、恐竜に追いかけられたり恐怖の館に入ったり敵をライフルで打ったり高いところを歩いたりする体験型ゲームです。
残念なのは、実写でなく、アニメというかなんというかそういう映像。
これ、実写とかCGで作ったらどうでしょうか。

夏の甲子園でピッチャーができるVR。
箱根駅伝の大声援の中走るVR。
満員の旧国立競技場でラグビーができるVR。
ワールドカップ10万人の大観衆の中サッカーをするVR。
満員の武道館でコンサートができるVR。

私は敵の機械兵団を剣でなぎ倒すVRをしていましたが、ゲームの後ふと思いました。(わいわい 18/1/14)

(寸評)多分まず普通の人が考えるのはエッチなことなんだろうな・・・。 5ポイント。

前橋育英全国初優勝

やりました!
前橋育英高校が群馬県勢初の全国高校サッカー選手権優勝を果たしました!
悲願の全国制覇です!
おめでとう!!!!

インターハイでは群馬県勢は過去優勝が一度あったものの、冬の全国高校サッカー選手権では初めての優勝です。
幾度となくベスト4までは進んでもどうしてもファイナルへはいけませんてした。時は平成になり前橋育英が二度ファイナルへ進むもいずれも準優勝止まり。
怖くてテレビで見ていられませんでした。
私か高崎に住んでいた時期、家の近くにサッカー練習場と短大があったので感慨も一入(ひとしお)でした。(わいわい 18/1/14)

(寸評)正直、俺が中学生の時は「躾は厳しいが自分の名前だけ書けば入れる高校」と言われた学校。
時を経てこんなにスポーツ名門校になるとは。やったね! 5ポイント。

初めてのびっくりペナン島上陸作戦(2004年11月12日)

2004年11月、わたしはインドシナ半島をシンガポールからバンコクまで陸路で旅行していました。
その日は朝マレーシアのマラッカを長距離バスで発ち午後3時頃、錫〔すず〕の産地として有名なイポーのバスターミナルに到着しました。そこで遅い昼食をとったあと、もう少し北上してみようと思い立ち、バスターミナルにいたペナン島行きのバスに乗り込みました。夜8時くらいには到着するとのことだったので今日はペナンに宿泊しようと思ったのです。

イポーを出発してしばらくすると疲れからか眠りに落ちてしまいました。次に起きたときはあたりは真っ暗でどこを走っているのかわかりません。ただ左側が暗いので海岸の近くを走っていることだけはわかりました。時計を見るとあと30分ほどで到着時刻。あと少しだな、と安心して再びうつらうつら意識が遠のいていきました。

ギギー。バスがターミナルらしき場所に停車したのであわてて荷物を持って下車しました。いちばん前の席に座っていたので最初に下りました。しかしあとからバスを下りたのは数名でバスはすぐに発車してしまった。あれー、どういうことなんだ? ここは終点のジョージタウンではないのか? ちょっとだけ不安になりなす。近くにいたタクシーの運ちゃんに「ここはジョージタウンか?」と尋ねると「No,BUTTERWORTH」と言う。なんてことでしょう!ペナン島へ渡る橋の手前のバタワースという街に下りてしまった!!



仕方ないのでその運ちゃんにジョージタウンに行ってほしいのだがと尋ねると、橋を渡るよりもすぐそこにフェリー乗り場があるからそこからフェリーに乗れば10分ほどでペナンに着くよ、と教えてくれました。バタワースはペナン島へのフェリーの発着場でもあるのです。

そこからてくてくとフェリー乗り場に向かいました。5分ほど歩くとすぐにフェリー乗り場に到着。チケットを買い待合所のベンチで船を待つとさいわいにしてすぐにフェリーはやってきました。

フェリーに乗ると前方に街の灯が見えました。おー!すげぇきれいだ! バタワースから見たペナンの夜景の美しさは一生忘れないと思います。半島ではなく、島のほうが発展したというのが面白いです。この光景はストレートにペナンに着いていたら見られなかったんですよ! 逆にラッキーだったかも。と自分に言い訳をしました。15分足らずでフェリーは対岸のペナン島のジョージタウンに接岸しました。ペナン島は中華系テイストがふんだんに残っている島でその後2回ほど訪れ、わたしにとってはとても気持ちの良い島でした。

というペナン島初上陸のてん末でございました。(波照間エロマンガ島 17/12/30)

(寸評)俺もペナンには一週間ぐらい遊びに行ったことがある。
対岸のバタワースにも船で渡ってみたけど鉄道駅くらいでろくに店もなかったな〜。
ペナンではE&Oホテルという高級ホテルに泊まった。エレベーターにエレベーターボーイ(老人)がちゃんと居たのだがいちいち鍵を使って作動してたので悪くてあとは階段で移動した。6ポイント。

初めてのケロヨンが幼稚園にやってきた

1967年当時テレビにて放映されていた人気者、ケロヨンが通っていた幼稚園に来訪したことを思い出しました。50年前の話です。
ケロヨンとは日本テレビ系『木馬座アワー』のコーナー『カエルのぼうけん』の主人公であるカエルの着ぐるみ。影絵作家の藤城清治さん発案のオリジナルキャラクターで一世風靡しました。「ケロヨ〜ン!!」と言って登場して「バッハハーイ!!」と言って退場する愛嬌のあるキャラクターでした。

ある日とつぜん幼稚園にこのケロヨンがやってきたのです。テレビの人気者の来訪とあってかつてないほど高揚した記憶があります。ケロヨン以外のキャラクターは名前もすべて忘れてしまっているのですが、なんか子どもながらもクサイ小芝居をしてるな、と鼻白んだ記憶があります。
いや、それよりも5歳の私をトラウマに落とし50年経った現在も鮮明に記憶に残っているものがあります。それは番組進行役の森あきこお姉さん。当時からちょっと老けた印象だったのですが、至近距離から見た彼女は化粧がものすっごく濃く、真っ白に塗ったドウランが怖くて仕方ありませんでした。ケロヨンよりもあきこお姉さんの厚化粧のほうが強烈な印象として記憶に残っているくらいです。今どうしてるんだろうな。。。(波照間エロマンガ島 17/12/30)

(寸評)ケロヨンは俺たちの世代のまさにヒーローだったね。
今は歴史に埋もれて当時を知る人以外にはほとんど知られてない気もするが。
お姉さんは覚えてないなぁ。 6ポイント。

生まれて初めてのコンタクトレンズ

波照間エロマンガ島@55歳です。
わたしが生まれて初めてコンタクトレンズを購入したのは1997年1月4日のことです。当時わたしは34歳でした。
朝起きるととつぜんコンタクトレンズをつけたい衝動にかられ、当時住んでいた横浜市中区の自宅から歩いて関内駅近くの馬車道にあるショップに駆けつけコンタクトレンズを購入したのです。視力検査をするとまもなくコンタクトはできあがってきました。わたしはコンタクトレンズを装着したまま、近くの映画館へ映画を観に行きました。その映画とはシルヴェスター・スタローン主演の『デイライト』というパニック映画。
それまで近視用眼鏡をかけていて視界が狭くなる違和感を覚えていたので、コンタクトレンズをしての映画鑑賞体験を確かめたかったのです。大スクリーンを観るのはダイナミックで痛快な体験でした。日記には「コンタクトはメガネより視界が広くなるのでびっくり!これはいいよ! 」と興奮した様子が述べられています。

以来、しばらくはコンタクトレンズ使用者になりましたが、約10年後にタイに移住した頃から今度は老眼が進行し、コンタクトレンズを装着していると細かい文字が読めない事態に陥り、コンタクトをやめ眼鏡使用に戻り現在にいたる、というしだいです。(波照間エロマンガ島 17/12/30)

(寸評)最近は本を読む時に老眼鏡を使うことはあるが基本コンタクトはおろかメガネとも今のところ縁はない。
と言っても裸眼でいつまでいられるかは時間の問題なんだろーな。
体に何かを付けるのが気持ち悪くなってしまう俺は出来るだけ先延ばしにしたいもんだな〜。6ポイント。

はじめての小笠原

小笠原父島母島は、船で24時間かかる上、飛行場もなく、船は6日間に1便しか出ず、おそらく日本で一番行きづらい観光地でしょう。
私の席は安く上げようと二等雑魚寝席。ただし毛布が敷いてあって自分のスペースは指定されています。大量にカップラーメンやお菓子やジュースを買い込みます。船内にも売店やレストランはあるのですがやや高いのでみんな持参するのですね。ほかにもシャワーやビデオ室やゲームセンターや喫茶店(Bar)がありときどき気分転換に寄ったりします。
父島に到着して、三泊すると船は折り返します。これを一航海と言います。
面白い話があり新婚旅行で小笠原へ行って喧嘩をして帰ってくるときも同じ便だったとか、行きの船で「どこへ行くんですか?」とナンパしたらどう見ても父島しかありえなかったとか(笑)。

船が島へ着くと生鮮食料品や一週間の新聞がまとめて到着するので島はすごい熱気となります。小笠原では一週間というより船の寄港日が生活のリズムなんですね。
私は日本中の離島へ行きましたが、一番若者が多く町がおしゃれなのは間違いなく父島です。ちなみに子供が日本で一番多い島は沖縄の多良間島でした。
小笠原に憧れて移住する若者も多くみられます。問題は仕事とアパートなんですね。土地が少なく世界遺産認定されたのでアパートがあっても家賃は高く、仕事も男は土木作業員、女はレストランやパーの店員が多いです。あとはネイチャーガイドとかマリンスポーツの指導員に従事する人もいます。



沢山楽しんだ後、私たちは小笠原丸に乗って東京へ帰ります。その時、現地のダイビングショップや釣り船が小笠原丸に乗って見送りに来てくれます。中にはカヤックで一生懸命漕いでいる人も。みんな大爆笑。
みんなレイを投げたり手を振ったり。
出航風景は感動的で女の子の中には泣き出しちゃう子もいます。私もじーんとしてしまいました。
そしておがさわら丸のスピードが上がりもうついていけなくなるとボートはストップ。「それっ」と見送りに来た人はボートから海へ飛び込みます。船では大喝采! ぷかぷか浮きながら我々に手をふってくります。それを見送りに来てくれたボートが次々やってくれるんですね。

小笠原丸が出ていくと島は静かになります。引き続き滞在する観光客(二航海)と島民しかいません。ここで曜日にかかわらず休暇を取ります。次のおが丸がやってくるまでしばしの休暇となります。

島には戦争時の機関砲や陣地、廃船などの遺跡がのこり、ダークツーリズムがいたるところに放置されている歴史の島でもあるのです。

出典・小笠原村観光協会HPより。(わいわい 17/12/30)

(寸評)俺も行ってみたい場所のひとつだね。
もっともほぼカナヅチだしアウトドア派でもないので島を散歩するくらいしか無いのだが。
船でしかいけないというのはロマンがあるよね。 6ポイント。

はじめての石川さんへのクリスマスカード・メール

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***メリークリスマス♪ 石川さん ***
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(わいわい 17/12/30)

(寸評)あ、どうも・・・でもこれは。う〜む。3ポイント。

はじめての自動改札

生まれてはじめて自動改札を体験したのは、高校3年の冬、大学受験で東京か埼玉に行った時のことです。1990年秋から1991年冬の間です。

地元の駅の券売機では安い切符しか買えず、遠距離の場合は窓口で買ってボール紙の切符を渡されていた記憶があります。

厚くミシン目のついた切符を握りしめ、いざ受験へ。

どこの駅かは忘れましたが、生まれて初めて自動改札を発見しました。意気揚々とボール紙の切符を投入します。初体験!

「ドン!」 突然、左右対称の黒い何かが足を叩きました。通れない? すぐに駅員がやってきて、上に出てきたボール紙の切符を手に、「これは窓口ですね」

それにしても、あの衝撃はすごかった。何せ、「自分は通れる」と思い込んでズンズン行こうとしているところに「ドン!」ですから。

これでケチがついたのか、受験は全滅。全く勉強してなかったので当然ですが。自分の年代は団塊ジュニアで受験人口が多く、レベルが異常に上がっていて某大学のセンター試験など100倍以上を記録したそうで、勉強しないでどこでもいいから四大に、は難しかったのです。と言い訳しておきます。その後の自分は大学を諦めて、仲井戸麗市さんや高田純次さんの通った専門学校に行きました。(猪熊猛 2017.12.8)

(寸評)SUICAとか使ってても時々認識してなくて「ドン!」あるよね。
実際はもちろん大した衝撃じゃないんだけどメンタル的にビビるよね。
スーパーマーケットやコンビニなどでも出口の赤外線で何も盗んでないのに鳴るんじゃないかとヒヤヒヤすることあるよね。
一度ブックオフで誤作動でブザーが鳴って店員が駆けつけて来た時は焦ったなあ。何も悪いことしてないのに犯罪者になった気分だった。6ポイント。

はじめての焼き馬

さぁて年もいよいよ暮れかかって参りました。毎日さっぶぅ御座いますね。
そんな年末に向けて忙しくなりつつある私の一体何屋なのかよくわからない職場の、ちょいと気の早い忘年会が先日11月22日執り行われました。なんでかっちゅうと当該のお店が人気店で、12月に入っちゃったら瞬く間に予約でパンッパンになってしまうのだそうです。

そんな電光石火で予約がウマってまうお店って、一体全体ナニを喰わすお店じゃい? ってタイトルからモロバレやっちゅうの、お馬さんのお肉を提供しておるお店なのです。うちのぷりぷり課長が「年に一度の忘年会くらいちょっとエエもん喰いに行きましょうよ」と庶民感覚の欠如したコメントをなさったところ、店長がもっともだ、とその気になって10月の段階で予約をしてくれたのですね。ちょっとあの貧乏平社員の意見は? まぁしゃあないか、もともと私はいちばん年下かつ下級社員のくせに飲み会の段取りなどようせん(訳:執り行う能力に著しく欠ける)ため、モノ申す権利などはじめからないのです。ははは。店長の話では5000円では収まらない、とか。虎の子の定期預金を破壊しとかんならん。

当日閉店間際に手間のかかる手続きに当たってしまいてんてこ舞いの中どうにか仕事を終わらせ19時前、我々はJR大阪環状線福島駅へ降り立ちました。歩いて3分、お店の名はズバリ「けとばし屋 チャンピオン」。馬だけにね。一瞬元世界王者のキックボクサーの店かと勘違いしそうにもなりますが。
生まれは熊本の私、母の帰郷時に馬刺しは何度か食べたことはあるのです。生姜醤油でおいしくね。でもせいぜいそこ止まり、今回のお店は値が張るぶんいろんなヴァリエーションのお馬のお肉をいただけるのだそうです。

まずはお酒で乾杯。ほぼ下戸の私が愛飲するこどもビールことシャンディーガフはないので、今宵は柚子チューハイ。はじめにオーダーしたのはオーソドックスに馬刺し盛り合わせと生馬レバー。馬刺しはたっぷりの玉葱とにんにくと生姜醤油で、レバーは胡麻油とネギと塩でいただきます。おいしい! 熊本から直送のいいお馬。滋養が沁み渡します。

そしてここでかねてからの疑問。どうしてお馬のお肉すなわち桜肉は生ばっかなの? 焼いて喰ったらおいしくなくなるの??
答えはそもそも単純に桜肉自体があまり流通してないので牛豚等に比べて値段が高くなっちゃうということ、牛に比べて体温が低く寄生虫が少ないため生食に適していること、そして赤身が多く筋があるので焼きすぎるとどうしても硬めになっちゃうことがある、とのこと。脂の乗ったお肉が好きな方からしたらちょっと物足りないんでしょうね。

しかーし! このお店では焼き馬を提供しています。馬焼肉が桜肉の最高の食べ方だとまで書いてあります。しかも出てくるお肉には部位の書かれたちっちゃい札が添えられており、赤い字で書いてるのがほぼレアでもOK、黒い字で書いてるのもミディアムくらい焼けば多少赤くっても可、みたいな感じなのです。もともと生で食べてるんだから、それもそうですよね。専用の透明なタレと柚子胡椒をつけ、注文したご飯に乗っけてパクリ! う、ウマい!!! クセが全然なくって脂っこくなくて、スイスイ食べられちゃう!! なんで今まで焼いて出してくれなかったんだよ(笑)!!! 私絶対ウマくさいから馬焼肉はNGなんだと勝手に思ってたのに、こんなにヘルシーで美味しいなんて早く言ってよ(笑)!! 

これからは提供するお店が増えるといいなぁ、馬刺しよりも馬焼き。私は新鮮な感動に超ご機嫌になり、ホルモン唐揚げと桜コロッケとローストホース(これまた絶品だった)を追加オーダーのうえ凍った柑橘入りグラスに入れたサワーが無くなればサワー部だけを追加で注いでくれる「追いサワー」を2杯もおかわりし回る視界、ありえないくらいのハイテンションでお店を出ました。意識はしっかりあったので憶えていますがひとり5000円できっちり収まりました。よかったぁ。保守的な私もたまにはエエもん喰いにいってみるもんだなぁ。桜ちゃん、だぁいすき。きゃははっ。異常なまでにテンションの上がった異常者の私はそのあと何処へ。エッチなお店には行きませんよ期待外れでごめんね(笑)、またしても続きは「おバカ」で。べつに読まなくていいですからね。しっかしほんと美味かった。馬だけに。もうええっちゅうねん、この中年。たはは。(オポムチャン 2017.12.8)

(寸評)俺の「まちあわせ」でハムカツを食う歌詞があるが、あれは俺の小学生時代に習っていた柔道の帰り道にハムカツを買い食いするのが常でそこから出て来た歌詞。但しヨシムラというのは仮名。
数十年が経ちある雑誌の企画でそこら辺りを歩くことがあったのだが、なんとその肉屋も営業しているかどうか微妙な感じだったが残っていた。そしてそこに衝撃的なノボリを見た。
「馬肉専門店」。
俺のあのハムカツは馬肉だったのかもしれない。 6ポイント。

初めてのニャチャン。とつぜんのスコールで膝下まで冠水、そして2段ベッド付き寝台バスに乗って移動するの巻き(2011年7月14日)

波照間エロマンガ島@バンコクです。2011年7月にタイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの4カ国を陸路で一筆書きのように旅行した話はここでも以前書きましたが、細かいエピソードはいっさい書いてなかったので思い出してぼちぼち書いていきます。今回はベトナムのビーチリゾートのニャチャンでスコールに遭遇した話など。

2日連続で石川さん夫妻と夕食をご一緒しお別れした翌日、いよいよホーチミンからベトナムを北上することにしました。朝7時にホテルをチェックアウト、ベトナム全土を網羅しているバスツアー会社のシンカフェ・ツーリストへ。受付であらかじめ予約していた旨伝え、さっそくバスに乗り込みました。本日の目的地はベトナム東部のビーチリゾート地、ニャチャン。ホーチミンの北東450kmに位置します。日中8時間の道のりです。

実はわたしは長距離バスの移動は嫌いではないです。タイに住むようになってからバンコク=チェンマイ間700km、バンコク=プーケット間900km、チェンマイ=ウドンタニ間700kmなど移動する機会が何度もあり、バス旅の旅情を楽しめるようになりました。タイは車窓の風景の変化は日本に較べたら単調そのものですが、道路の舗装状態が全体的に良いので高速で飛ばすと気持ち良いんですね。それにバンコク以外では渋滞はまずいっさい存在しないので、ノンストップですいすい都市間を移動できるのます。ベトナムやカンボジアも道路事情は同じでした。この旅では修行僧のようにただひたすらバスの中でじっとして移動していました。

さて、あっという間に4時間ほど経ったところでとつぜん海辺の町のドライブインでバスが停車し、荷物ごとおろされました。もうニャチャンに着いたの?と思ったらここで昼食休憩とバスの乗換えとのこと。最初に乗ったバスで当然目的地まで行けると思い込んでいたのでバスの乗り換えと聞き、少しだけ不安な気持ちになりました。そしてバスを乗り換えて午後1時すぎまた出発しました。



この2台目のバスがとても変わっていてびっくりしました。ベトナムのシンカフェ名物の2段ベッド付きバス!!写真をご覧になるとわかりますが、全座席がリクライニングになっていて、上下2段に席が作られていたのです。最初は楽しかったですが、狭くて寝返りが打てないので、すぐに不快感いっぱいになり本当に難儀しました。仮眠さえすることができないんです。この仕様のバスにベトナム国内を移動中あと3回くらい乗ることになるとは、このときは思いもしませんでした。

その日の午後はこの2段ベッド付きバスに乗り、夕方なんとかニャチャンに到着しました。ニャチャンで1泊し、翌日夕方に次の目的地の古都ホイアンへ向かうまで丸24時間滞在しました。
ニャチャンはビーチが7kmほどつづく海浜リゾート地で、外国人観光客が多いのでウエスタナイズされたレストランやホテルもたくさんあり、過ごしやすい街でした。翌日の日中はあちこち散策しましたが、おしゃれなカフェにも何軒か出会い、イタリアと同じくらい美味しいアイスクリームも食べました。そんな散歩の最中とつぜんスコールが降ってきたので雨宿りしていたところ、あっというまに膝丈まで冠水したのもよい思い出です。ニャチャンにはいつかまた訪れたいなー、と思いました。(波照間エロマンガ島 2017.12.8)

(寸評)ニャチャン俺も行ったなぁ。最初幽霊屋敷の様なホテルに泊まってうちの夫婦は楽しんだが同行の友達は皆怖がってた。
その後素晴らしいリゾートホテルに泊まり、それまで何となく薄汚れていたベトナムのイメージを払拭するほどだった。
それが20年くらい前だから今はだいぶ変わってるんだろうなあ。 7ポイント。

初めてのフィンガーサイン

波照間エロマンガ島@バンコクです。 このあいだ英語圏の国からいらした西洋人のお客様と商談していたところ、彼が話しながら不思議なフィンガーサインをしたので気になりました。

両手でピースサインをして、人差し指と中指を2回曲げたのです。

わたしは以前観た映画『オースティン・パワーズ』で敵役のドクター・イーヴルが同じ動作をしたので見覚えはありました。でも意味はわかりませんでした。

会社に帰って調べてみると、これは「Air Quotes」と呼ばれるものだそうです。日本語に訳すると「エアー二重引用符」。つまり、会話上で引用したり強調したり皮肉を言いたいときなど、このフィンガーアクションをするとそれが強まるというわけです。

彼はそのとき「so cool」と言っていたので、それを強調する「超絶かっこいい!」みたいなニュアンスで使ったのかな、と思いました。
ふだんはタイ人と話すだけなので、タイ人はほとんどフィンガーサインは使わないのでこれは新鮮な体験でした。
以上、初めての「Air Quotes」体験の巻きでした。また、何かあったら投稿します。 (波照間エロマンガ島 2017.12.8)

(寸評)4本指のサインをやたら繰り返してくる人がいたら、ただの小指を取られた人だったりして。 6ポイント。

初めての成田空港第2滑走路着陸体験

2002年10月30日、カンボジア&タイ旅行から帰国したときのことです。

飛行機が着陸体勢に入り高度を下げてきたときに以下の機内アナウンスがありました。

「乗客の皆様にご案内申し上げます。当機は成田新東京国際空港の第2滑走路に着陸いたします。そのため、普段より強くブレーキをかけますので、激しく揺れる可能性があります。どうかお座席の安全ベルトはくれぐれも忘れぬようお願いいたします」

そうだ、この滑走路は全長2180mしかないって『ニュース・ステーション』で模型を使って久米宏が解説していたのを思い出しました。日韓ワールドカップ開催のために大急ぎで建設した滑走路なのです。だいじょうぶかなぁ?こういうアナウンスがあるとやはりちょっと不安になります。

はたして着陸するとブレーキはさほど気にはなりませんでした。でも着陸してから停止するまでの制動距離が短いのは素人感覚でもわかりました。これが第2滑走路か、と心の中でつぶやきました。

飛行機が完全に停止してからタラップを下りて機外に出て、バスに乗ると空港施設までなんと20分もかかりました。そうとう離れたところにこの滑走路は存在するのですね。航空文化後進国日本の惨憺たる現状がこれだと落胆しました。国を代表する飛行場に国際線の滑走路がたったふたつ。夜行便で到着した朝の陽光が寝ぼけまなこにはとってもつらかったです。

ちなみに8年後の2010年に本来の長さである2500mに滑走路は延伸され、飛行効率はあがったそうです。なぜ滑走路が短かったかというと1960年代の用地買収をめぐる成田闘争まで時代はさかのぼることになります。つまり第2滑走路建設時にはまだ空港建設反対の民家があったそうです。

そんな成田空港第2滑走路初体験の巻きでした。(波照間エロマンガ島 2017.12.8)

(寸評)ああ、成田闘争。俺の知り合いも参加してたと言ってたなぁ。昭和の話。 6ポイント。

はじめての相撲観戦

残念ながら本場所は一度も見にいったことがありません。
群馬県の太田市へ地方巡業が来たときに家族四人で行きました。升席一人一万円だったかなあ。
もちろん午前中から観戦!
相撲甚句とか、子供との対戦とか、相撲太鼓とか楽しかったですねえ。
その中でも初っ切りが最高! いつ見ても楽しい。
外では力士が稽古したりうろうろしたり、力士名はほとんど知っているのですが、現場でハタと会うと何関かわからん・・・。「誰ですか」と聞くわけにもいかないし(笑)。

相撲はそもそも芝居的な興行でそこに神事が加わったもので見世物なんですね。なのでお茶屋制度とか、ご贔屓とか、お抱えとか、部屋とか独特の制度が残っています。
いろいろとお弁当屋やお土産を貰い帰宅しました。力士湯のみとか力士座布団とか・・・うーむ。どうやって使えばいいんだ。

ラジオとかテレビの実況がないので詳しい取り組みや、リプレイがないのもまた一興(時間割、取り組み表は当日配布される)。(わいわい 2017.12.8)

(寸評)今は「相撲はスポーツ(ガチ)なのかある種のプロレス的なもの(神事)」なのかで揉めてるよね。
どっちも一理あるから難しいね。 6ポイント。

初めての投票所アルバイトの

今回は選挙の投票所バイトについて書きます。
二度ほどやったことがあります。一つは小学校、一つは市民センターでアルバイトを行いました。
拘束時間は0630-2030。0700からの投票開始と閉場後の片付けがあるのでかなり拘束されます。14時間拘束(13時間勤務)、トイレは自由に行けます。飲み物はどうだったかなあ・・・。その場でなく中座して飲んだ記憶が。場所によっては事前準備のバイトもあります。
投票所へ一度入ると二度と外出は出来ません。自分の車にもです。
投票所内は移動可。小学校の時は図書室で休憩しました。公務員扱いなので何時間に何分とか食事時間とか休みはきっちりとることができます。弁当は自前です。

投票所は、立会人(近所の役員おじさん)が二人(半日交代なのでのべ四人)、アルバイトが二人、市の職員が二人、選挙管理委員会の人が二人でした。
私は投票券を渡す役とPC端末で選挙名簿を操作する役でした。
感想は・・・とにかく暇です! めちゃくちゃ暇です! みなさん投票に来てください!!!(笑)
投票者が誰もいないときはしゃべったりできるのですが一人でもいるとおしゃべり厳禁です。もちろん携帯スマホなどいじれません。ただじっと椅子に座っているだけです。入口に立って誘導する役もあるので、そっちの方が体が動かせるので楽でしたね。
立会人の人はおじさんなので「大学生とドリフターズは荒井注がいたんだよ」とかどうしょもない話をしていました(笑)。大学生とはどうやって通学しているのかとか。本当に世間話です。
鉛筆も少し使っただけで削り、なんとなく気を紛らわせり。

じっとしていても平気な人はこのアルバイトやってみてください(笑)。(わいわい 2017.12.8)

(寸評)あ〜そういうのが大丈夫な人には天国のようなバイトだね。
俺はだめだな〜。意味なく不穏な動きとかしちゃいそう(笑)。 6ポイント。


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