ドキドキドキリコ初体験(89)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

はじめてのたまファンお嬢さんがたのウフフなお写真(※合法です)

「おバカ(39)」の「えっ、☆子ちゃんのオパーイ!!? 広島行こ(鈍行で)」の続編です。

以前に何度かお逢いしたたまファンのイラスト作家・小骨さんの愛と性に満ちた個展「あいの劇場」を一目見ん、とただそれだけの為に大阪から7時間掛けて鈍行を乗り継いで広島までやって来た狂人・オポム。今日は最終日、この作品展と階下でおこなわれる原マスミさんのライヴの両方を目当てにたくさんの小骨ファン・たまファン・マスミファンが集合するとの噂。

びびりつつヲルガン座の建物4階へ進むと、早速小骨さんが出迎えてくださいました。

小骨「こんにちは! オポさんですよね? ようこそ!」

なんと小骨さんは数回お逢いしただけの私のことを憶えていて下さったようです。千倉で酔っぱらって私のとはいわず男女無差別に〇首を弄っていたことは憶えてないかもしれませんが(笑)。そんなステキに豪快な20代のレイディーです。会場にはBGMを流していらっしゃいましたが、私が来たからとわざわざ「Go Go! ホルモン鉄道」をかけてくださいました(笑)。ステキだ。2人でしばらく歌いながら石川さんの形態模写を楽しみました。お主、なかなかやるな。

会場には小骨さんの独得のタッチのセクシャルなイラスト、共感された他の作家さんたちによるストリップ入門漫画の原画、男性ストリッパーさんのお写真、そして先ほど鈍行の中で「ハダカ拝みに今から広島行こ」とメールを送った☆子ちゃん、当HPに投稿もされている◎子さん、某たま会でお世話になってる♪子さんの、小骨さんによって撮影されたちょいとエッチな感じのお写真が飾られているのであります!! だいじょうぶ、ここまでは18歳未満もOKよ。
さらにその奥には18禁のお部屋が! 小骨さんがデザインし、私もお世話になっている投稿仲間さんに依頼して作ってもらったというイカす意匠の暖簾の隙間から、壁に貼られた外人さんのオパーイのポスターがチラ見えしています。私は18歳に達してから22年経過した完全変態ですので迷わず暖簾をくぐります。デザインと言い仕上がりの丁寧さと言い、いい暖簾だぜ。
そこには小骨さんによるストリップを題材にした、エロくも切ない物語の漫画。どこから調達してきたのか、いろんな時代のエロ本。あっこれ私も持ってたやつや!! なっつかし。さすが18禁だけあって、このお部屋の展示物にはアレが写っているものもチラホラ。なんて落ち着く空間だろう(←おかしい)。吸い込む空気がすべて私の生きるエナジーに変換されてゆくようだ。リビドーは生きる活力の源。ああ幸せだなぁ。エロスっていいなぁ。それにしても小骨さんの描く女の子はとてもいやらしい。まず汗の量がハンパない。エロい。瞳が妖しい。エロい。はわわわな形の口が興奮しちゃってどうしようもない感じを表している。エロい。積極的には露骨な部位を描写していないにもかかわらず、ここまでの助平さを出すには相当な創意工夫と性欲(笑)が必要でしょう。ブラボー。ブラ棒。

さぁいよいよたま友のお嬢さんがたの、小骨先生渾身のお写真をじっくり拝見しましょう! ・・・・・・って、ここへきて実はちょっと違う意味でドキドキしてるというか、ハラハラしてるというかなんだか妙な感情が渦巻いています。この被写体の3人はみな20代。そして私は、40なりたてのおっさん。最大たぶん18歳差。各人一対一でお話させていただいたこともある女の子たち、拝見してエッチな気分になるよりは、親的な目線で「あわわわ、こんな恰好皆さんに公開しちゃって大丈夫なの?」なんて心配しちゃう自分がいたのです(笑)。
しかし私だって変態の末席を汚すものとして、卑猥な目で見ることを諦めてはいません(←やはりおかしい)。では脳をそういうモードに切り替えて、いざ尋常に!

おぉ・・・・・・ 素晴らしい。3者3様の、チャームポイントが引き立っている。ここはしつこいと正直きもいので1行ずつレヴュー。

まずは♪子さん。露出部位は控えめなれど、この子は眼つきがイイ! 蠱惑的だ! この太ももの質感はタマラナイものがあります。
お次は◎子さん。ふだんおとなし目な方ですから、表情のエロさのギャップが最高! おパンティとお尻のショットが私をズキュン。
そして☆子ちゃん。堂々の上半身マッパ。刺すような視線もゾクゾクします。評価数値Eは伊達ではなかった! 下からの絵も鼻血モノ。

いいものを見てしまった・・・。よくこの姿、この表情を引き出してくださいました小骨先生! エクセレント!! 大阪からはるばる来た甲斐があったというものです。いや、これご本人に承諾の上で公開されてますからね。私、なんも犯罪的なことしてませんからね(笑)。

にこにこしつつ展示を何周かしてたら続々とたま友の皆さんも集まって来ました。千倉で同じ部屋にいらしたSTさんとお連れのお姉さん、いつもの関東組投稿チーム・にゅーさやのお二方、お眼鏡のKTさん、緑の髪がキュート過ぎて直視できなかった(笑)RKさん、そして被写体の◎子さん、☆子ちゃん! わわわわわ、ご本人を前にしたらなんだか緊張しちゃう(笑)。それにしてもほんとに千倉の再来みたいなメンツだな・・・。

小骨さん「どうでした、◎子ちゃんは」
オポ「・・・いい顔しますね・・・」
◎子さん「恥ずかしいです・・・」
小骨さん「☆子はどう?」
オポ「・・・・・・(照れて)ヨカッタヨ♡」
☆子ちゃん「オポさーんホンマに来るとかめっちゃオモロイ!」

ちょっとちょっと、本人の前で詳細な感想とかまともに言えんって(笑)!! やぁでもほんとに良かった。顔見知りの皆さんのちょっと違った一面が見られてドキドキしましたよ。音楽の趣味の合う仲間がこういった被写体になるって、そんな機会ふつう無いですからね(笑)。お三方、小骨さん、ありがとうございます。御馳走様でした(笑)。

あと面白かった出来事、突然話しかけてくださったSTさん、私が町田康さんのことが好きだ、という噂をあるさんから聴いた、ぼくも町田康が大好きで・・・と、思わぬ場所でマチダトークに花が咲きました。ってアレ? あるさん、私のことなんて知らないはずなんだけどなぁ・・・。石川さんが話題になさったのかな? 町田さんの作品に漂う諦念のようなものは、とある外国作家の「ま、そんなもんだろ」というある種の悟りきった前向きな諦念と同質のものである、という話で盛り上がったのでした。ヲルガン座の屋上で。雨の予報だったけど晴れてよかった。

オポ「や〜素敵な空間でした」
小骨さん「ありがとうございます!」
オポ「小骨さんの作品って、何て言うんでしょう心の肉ヒダの内側を紙ヤスリで削るような、ヂリヂリしたエロスを感じるんですよ」
小骨さん「心のヒダ! そんな感想はじめてもらいました」

この作品展を堪能したらすぐに大阪へ帰るつもりだったのですが、結局原マスミさん大好きな☆子ちゃんたちに誘われて原さんのライヴも1部だけ拝聴してから帰阪することにしました。ここへ来た証におとなしい方のあいの劇場キーホルダーをもとめて退出。最後に小骨さんは握手してくださいました。こんな異常者おっさんの私に。ありがとう。

1時間半ほど並んではじめての原さんソロライヴ、とても引き込まれる声と詩とエレキギター。知久さんの源流を感じる。この方のファンにたまファンが多いのも頷けます。1部終了後、混み合っているので皆さんにまたしてもご挨拶できないままダッシュでバス停へ。広島遠征の時は新幹線の都合で絶対に最後まで居られないので切ないなぁ。たま友の皆さんはこのあとストリップにも繰り出されるそうです。いいなー。今回の展示で私もストリップ行きたくなっちゃいました。大阪にも劇場はあるから、今度いってみよ。

でも今夜は遅いので、♪子さんの素晴らしい太もも・◎さんの素晴らしいお尻・☆ちゃんの素晴らしいオパーイに挟まれる妄想をしつつ幸せに眠ります(笑)。しっかしこんな投稿しちゃって、もう次逢った時は目ぇも合わせてもらえねぇだろうな・・・ (オポムチャン 17/11/14)

(寸評) 今度はオポムチャン素晴らしい太もも・オポムチャンの素晴らしいお尻・オポムチャンの素晴らしいオパーイをみんなに送りつけたらどうだ!? 7ポイント。

はじめての滋賀でおっさんが迷子

「おバカ(38)」に投稿した『「おいお前、9/20試験やど」「知らん。連休は遊ぶ」→結果』という投稿の中出、もとい中で、2017年の9月中旬の3連休の過ごし方について触れたのですが、その大事な大事な試験2日前の9/18(月・祝)敬老の日、私はよめはんぼうずを伴い滋賀県の希望ヶ丘公園まで車で遊びに行きました。と書きました。えーと先に試験の結果ですがギリギリ通っちゃってました(笑)。すんません、おもろない結果になっちゃって・・・・・・って誰もそんなこと関心もないわいな。

さぁて試験も忘れてだだっ広い公園で遊び呆けたオポムさん達、日が完全に沈んでしまう前に帰りましょう、何故なら私の車にはカーナヴィゲイションスィステムが搭載されておらぬので。ほいでちょうど私の持ってる古っるぅい道路地図に、この辺の地理がぎりぎり載ってないんですよね〜。関西広域地図なんですがここいらはメインどころからちょいと外れてるみたい。

16:30に私は公園駐車場を出ました。行きしなは栗東インターから右折、左折でここまで来たので帰りはっ、と・・・。左、右でいいのかな?? あれっ? ま、ええか。・・・馬鹿ですね。まともに考えれば帰りも右折、左折が正解ですね。私はこういう論理的思考(?)がからっきし駄目なのです。 しばらく走って、行きと景色がまるで違うことに気が付きました。・・・わちゃぁ。やってもた。

オポ「こら道間違えたな。ちょっとUターンできそうなとこで戻るわ」
嫁はん「え、そう?? 全然気づかんかったわ、よう判ったな」

呑気なメオトです。されど行けども行けどもターンが出来そうな広い場所や曲がり角は無く、細い道を後ろから何台も他の車が追っかけてくるので戻るに戻れません。こらあかんわー。そのうち、帰るべき栗東インターのひとつ先(家から逆方面)のインターへの案内が出てくる始末。しょうがない、こりゃ流れに任せて次の竜王インターから高速に入るか。

・・・・・・ところが。ここで来ました、滋賀の恐ろしさ。
案内表示に従って竜王インターを目指したのですが、進んだ先はT字路、インター、右とも左とも書いてません。

どっちやねん、途中で案内やめんなや、こらぁ。

困り果てた私は近くにあった駐車場が大阪に比べて異様に広いローソンに緊急駐車、頼りない地図を閲しました。広域地図の端っこに、ギリギリこの辺りが掲載されています! しかし・・・ あまりに古過ぎて周辺の施設がぜんぜん違う物に変わっています。これほんまにこの辺か?
もうこうなったら勘で行くしか仕方ありません。こっちだっ! こういう時私の勘は結構当たるのです。と自信満々で突き進みますと、一気に雲行きが怪しくなり、乗りたい高速道路の下をくぐった先は細道だらけの住宅地。なんじゃこりゃぁぁ!? しくじったぁ。どんどん泥沼化してゆく事態。ついにぼうずが泣きだしました。

ぼうず「もういっしょうしがからでられへん、しがでくらさなあかん、わぁあぁぁぁぁ」

その言い方は滋賀の皆様に対して失礼じゃないか、などと思いながら

オポ「あほか、家も無いのに暮らせるかい。とさんにまかせとけ、絶対帰る」

と言い伏せました。不吉な住宅を彷徨ううちに、案内が現れました。『←希望ヶ丘公園 南口』 おおっ!! とりあえず、一旦希望ヶ丘公園に戻って体勢を立て直そう。そうしようそうしよう、と矢印に従い進んだら、行き止まりでした。

滋ィィ賀ァァァァァァアアアアアアアアア!!!!! どこまでわしを嘲弄したら気ぃが済むねん!!!???

・・・・・・いや、滋賀の方の感覚ではきっと辿り着けるのでしょう。滋賀の所為にしてはいけません。なにかにつけておせっかい気味な大阪とはわけが違うのです。それにその昔こちらから見た滋賀の特異性をネタにして「おバカ滋賀」なんて投稿をこちらのHPにしたバチが当たったのでしょう。トホホ・・・。 諦めてもと来た道を探りつつ、ふたたび高速の下をくぐります。あれっ、さっきと微妙に違う場所に出たな・・・。えーとこの道を右に曲がってみたら・・・ ゲゲッ、関係車両以外進入禁止の、高速道路に非常用車両が入るための道路に入ってしまってた!! 戻ろ戻ろ。もう無茶苦茶です。

半泣きになりながら、どうにかさっきの地図を見たローソンまで戻ることが出来ました。今日の私の勘は最悪です。たはは。ここまで来ればあとはさっきと反対の選択肢を選べば良いだけですね。んで、進んだ先は一本道の山中を通る道でガッチガチの大渋滞。もう日はとっぷり暮れました。これほんまに竜王インターに繋がってるのか? もはや地図にない場所やし。半泣きが全泣きに変わろうとしたその刹那、ようやっと竜王インター入口の表示が顕現しました。よかったぁ・・・。ひとつのボタンの掛け違えでここまで無茶苦茶にされるとは・・・ やはり滋賀、恐るべし・・・って、ぜんぶ私の不注意が原因なんですけどね(泣笑)。

ようやく高速に載れるぞ、帰れる帰れるわーいわーい、と大阪方面に進入したら、見たことも無い大渋滞でした。 ぼうずが、また泣きだしました。

長くなったので、続きは「おバカ」へ。とほほのほ。でも断じてカーナヴィは、買わんぞ。(オポムチャン 17/11/14)

(寸評)俺もこの前滋賀県で映画のロケした。
一番近い商店まで車で30分はかかるという山奥の廃村。
よくぞこんな集落が残っていたという場所。滋賀はなんだか俺の中では謎の県っす・・・。 7ポイント。

初めての北海道奥尻島

今は亡き江差線江差からフェリーで奥尻島へ。
しかし私は船酔いに弱いのだー(自慢)。
乗船して即効ダウン。道中二時間死んでいました。
ようやく奥尻の港へ。何も見ることなく待合室のベンチでただひたすら寝ています。そして一時間、乗ってきた船でそのまま江差へ戻りました。
何しに行ったんだー。一応奥尻島を訪れたという記録を作りました。

十何年かしてリベンジ。今回はちゃんと酔い止めを飲みました。
港でレンタカーを借り、時計回りに島を一周。
石川さんも行ったであろう島西側のディープな日帰り温泉(神威脇温泉)にもつかりました。
港近くの旅館で一泊。 そして江差へ。
なかなかよい島旅でした。(わいわい 17/11/14)

(寸評)俺は行きは同じく船で、帰りは函館まで小型飛行機で帰った。操縦席丸見えの飛行機は遊園地のアトラクションと言っても良かったな。
そしてその数年後、島に大津波が。
おそらく俺の泊まった宿は跡形もなくなった・・・。 6ポイント。

タイに移住して初めてのチーズの値段に驚く!

これは2008年7月1日に食した朝食の写真です。当時チェンマイのタイ語学校に入学して2ヶ月ほど経った頃でした。

豆乳。スアンドーク門近くのファイベーカリーで買った食パン。自家製クッキー。 KIRIクリームチーズ。

KIRIチーズは175バーツ(約602円)もするんでびっくりしました!! 日本の倍近くするんじゃないでしょうか。買ったあとずっといじいじ後悔していました。何の気なしに買い物カゴに入れて買ったときやけに総計が高いなと思い、レシートを見たら「ぎょえーー!!」と驚いたんですね。輸入物なので高いのはわかりますが、チェンマイでは175バーツあれば普通のレストランでけっこういいものを食べられるので。いやぁ、悔やまれる!



タイは乳製品の中でチーズがめちゃ高いのです! タイは乳酸業はあるのですがあまり発達してないようで、このとき以来スーパーマーケットでチーズを買うときは、特に気をつけています。クリームチーズ好きな私がタイに移り住んで後悔した数少ないことのひとつがチーズが高価だということでした。(波照間エロマンガ島 17/11/14)

(寸評)俺もチーズ好きなのでこれには驚いた。
なので時には日本からわざわざチーズを買って持って行ったこともある・・・。 5ポイント。

初めてのバンコクバス子ども車掌さん

波照間エロマンガ島@バンコク在住です、こんにちは。
先日びっくりする光景を目撃しました。
中華街で食事したあと家路につこうと路線バスに乗ると、

8歳くらいの少女が車掌さんをやっていたのです!!

これには魂消ました。でもよくよく見ると後ろのほうに制服を着たお母さんらしき人が座っていたので、ちょっとのあいだ車掌業務を代わっていたのだと思いますが。。それにしても子どもが労働しているってすごい国だなぁ。。



写真を添付しましたがバンコクのバスは乗降扉はあけっぱなしだし、バス停のアナウンスはほとんどしないし、かなりいい加減です。バス車体の前と後ろに数字が書いてあるだけで行き先は表示されていず、ルートを知らないと乗ることはできない、かなり難易度の高い乗り物なのです。観光客にはちょっと大変かも。何年も住んでみてようやく地元界隈を走るバスのルートはわかってきました。運賃はまちまちで低所得者用に「赤バス」といって運賃無料のバスもあります。

そんな路線バスで子ども車掌さんを初めて目撃したの巻きでした。(波照間エロマンガ島)

(寸評)あっ、俺もどこかで子供車掌さん見たことがある。ベトナムだったかな?
ネパールでも大人に混ざって普通に仕事している子供を見たことがある。
微笑ましいと思うか可哀想と思うかはその時の感じ次第だが考えさせられることあるよね。 7ポイント。

初めての階下の住人に騒音苦情を抗議される

波照間エロマンガ島@バンコクです。先日のことです。

帰宅後ベッドの上でごろごろしながら本を読んでいました。最近は空いている時間に長編小説を読むのがマイブームとなっている私にとって至福の時間でした。
すると「トントン」と部屋のドアをノックする音が聞こえてきました。「こんな時間にだれ?大家さん?」とつぶやきながらおそるおそるドアを開けました。するとドアの前には見知らぬタイ人夫婦が立っていました。

タイ人の男性は言いました。「下の階に住んでる者ですが、少し前から上の階から騒音が聞こえます。うるさいのでやめてもらえないですか?」と。まったく心当たりのない私は「知りません。ほかの部屋と勘違いしているんじゃないですか? わたしは朝7時前には部屋を出て夜は10時頃帰ってくるのでまったく心当たりないです」と答えました。その夫婦は納得しないような表情を浮かべてます。
私は「それはどういう騒音なんですか?ハンマーでトントン言うような音?それとも音楽やラジオみたいな音?」と訊ねると、奥さんは「何かの振動音のような連続した微振動音のような」と言いました。私はだんだん理不尽さに腹立たしくなってきて、「とにかく知りません。なにかあったら大家さんに言ってください。わたしはもう寝るので」と言って、会話を終了しドアを閉めました。

ベッドに横になって考えてみました。まったく心当たりがありません。そういえば日本のテレビドラマで、マンションの部屋の真上ではなく、斜め上の完全防音の部屋で大音響で音楽を聴いていてその音圧が斜め下の部屋にビリビリ微振動として伝わったという内容のドラマがあったな、と思い出していました。はてさて、なんだろう……。

「!!!!!」

とつぜん私はあることを思いつきました。あれだ、あれかもしれない。
それは、物干しに使っている松葉杖です。石川さんのHP「俺の日常クイズ」2012年3月3日の問題として出題されたこれ。
( http://ukyup.sr44.info/q12.html 参照)

(ばっすいここから)
12/3/3・骨折の時使った松葉杖はタイに住んでいる友人に進呈した。
この松葉杖が別の用途に使われ第二の人生を送っているという。
日常生活でほぼ誰でも使うある物に変身したというのだが何になった?

正解 物干し竿  正解者2名 (ひとり15ポイント)

松葉杖が見事に物干し竿に!
確かにアパートのテラスとかだと普通の竹竿は長過ぎるから丁度いいのかも。
強度もあるしね。ナイスアイデア! (ばっすいここまで)



5年間物干し竿として活躍した松葉杖なのですが、最近スタンド式物干し台を買ったので必要なくなったのです。ただ、松葉杖をクーラーの室外機の鉄枠に厳重に縛り付けていたので取り外すのが億劫になり、そのままにしていました。そして最近はクーラーをつけると松葉杖に干し物やハンガーを掛けてないと、鉄枠から「うぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん」と微振動ノイズが聴こえることがちょっとだけ気になっていたのです。ちなみにバンコクでは平均気温が年間30℃くらいあるので1年間クーラーを使っています。(ちなみにチェンマイは北部にあるので暑季以外はクーラーなしでも過ごせます)

「これだ!これに違いない!」

原因は俺ではないと啖呵を切った手前、とても恥ずかしくなり、すぐさま松葉杖を室外機の鉄枠から取り外しました。これでもう騒音は出ないはずです。という、松葉杖物干しの5年後のてん末を踏まえた、初めての階下の住人に騒音苦情の抗議を受けた話でした。各位ご迷惑をかけてすみませんでした。(波照間エロマンガ島 17/10/31)

(寸評)てっきり毎夜の電マ使いのことかと思った・・・。 8ポイント。

初めてのホーチミンのサイゴン川、対岸探検(2011年7月12日)

波照間エロマンガ島@バンコクです。2011年7月にタイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの4カ国を陸路で一筆書きのように旅行した話はここでも以前書きましたが、細かいエピソードはいっさい書いてなかったので思い出してぼちぼち書いていきます。今回はベトナムのホーチミンで石川さん夫妻と散歩したときの話。

ホーチミン2日目。午後2時に石川さん夫妻の宿泊しているマジェスティックホテルのロビーで待ち合わせし散歩へ出る。本日は渡し舟でサイゴン川の対岸地区へ行ってみることにした。ホーチミンはビル建設ラッシュで高層ビルが建ちはじめているが、川向こうは再開発から取り残されているようで古い民家がぽつぽつ建っているだけのさびしいエリアだった。(2017年現在はどのような変貌を遂げているか定かではありません)

あるさんから「お昼ごはんは食べてこないでね」という指示があったので、お昼はこの川向こうエリアでとることにした。ちょっと大きめのエンジンボートで対岸へ。5分くらいの短いクルーズですぐ到着。着いてみて驚いた。

見渡す限り、お店らしきものが一軒もないのである!!




そしてここは再開発が決まっているのか、たて壊しした廃墟のような民家が多いことに気づいた。せっかく来たのでこの場所をバックにニヒル牛マガジン「石川浩司 妖艶ホリデー」の撮影を行なった。ポーズをとるわれらがアイドル石川浩司。
(第四十一回「石川浩司、異国にて」参照 http://nihirugyubook.but.jp/youen4.html )

さて、あたりを食堂をさがして歩くもなかなか店が見つからない。ホーチミンでいちばん高級ホテルの建ち並ぶリバーサイド地区の対岸なのに、とにかく寂れた街並みであった。そして民家の塀の前に麺屋台が出ているのにやっと出会ったとき、ちょうどスコールが降ってきた。雨宿りしなければいられないほどの強い降りで、ちょうどビニール製の屋根を出すところだったのでその中に入り、雨宿りしながら麺をいただくことにした。麺はあっさり系で美味しかった。というか、ひじょうに空腹だったので何を食べても美味しかっただろう。

20分もすると雨はやんだので散歩を再開した。メインストリートをそれ裏道を歩くことにした。するとすぐに未舗装のあちこち水溜りだらけでわだちもひどいでこぼこ道になり、歩きづらい一角になった。木がうっそうと茂る一帯を過ぎるととつぜん景色が開け、対岸のホーチミンの高層ビル群が見渡せる広場に出た。

結局、お店らしい店は一軒もないので、来た道を引き返し船着場に戻った。そしてまた船に乗りマジェスティックホテルに戻って散歩は解散した。

6年経って今から振り返ると、あれは過渡期的状況で、あと1年くらい前に訪れたらもうちょっと違う光景に出会えたのではないかと思います。そして2017年の現在はかなり再開発が進んでいるのではないか、と想像。
旅というのは一期一会で、どこへ行っても同じ体験はないのかもしれないと思った、初めてのホーチミン対岸への散歩、でした。(波照間エロマンガ島 17/10/31)

(寸評)ベトナム国中でもおそらく最も栄えている街から船でちょっと対岸に渡っただけでこの大変貌。
船には満員の乗客が居たがその人たちも一体ちゃんとした町も見当たらないどこに行ったのか?と疑問符が付くような場所。
でも書かれている通り再開発が始まればあっという間にただの郊外住宅地になってしまうだろうことは大いに予想がつく。
ローカルなものこそその国の味わいが見られる。
旅は脇道やちょっと外れたところにこそ、その本来の魅力が垣間見える。 7ポイント。

初めての帰国

*ドキドキドキリコ初体験(57)の桃玉さんの同じタイトルの投稿からインスパイアされました。

私が初めて海外旅行をしたのは23歳のときでした。30日間ヨーロッパを回り、帰国したときのことを今でも覚えています。成田空港到着ロビーで団体は解散し、成田空港から新宿駅行きのエアポートリムジンバスに乗りました。東関東自動車道から首都高に差し掛かるところで大渋滞に嵌ってしまい、ドライバーの機転で一般道に降りたんですね。しばらく一般道を走り木場のあたりだと思うんですが、反対側の歩道を人が歩いているのがバスの車窓から見えたのです。

その歩行者が日本人には見えなかったんです!!

中国人か日本人かわからないけど、誰か黄色人種の人間がそこにいる、という印象を受けたのでした。それは自分がずっとヨーロッパにいて、日本人が常にマイノリティの状態が当たり前になっていたから、視覚したものをまずありのまま受け止めそれから脳の中で「目の前のこの人間は日本人だ」というプロセスで認識する癖が出来ていたからだと思われます。この体験はある意味、ショッキングな出来事でした。

自分は日本で生活しているとき、「ここは日本で目の前に現れた人は日本人である」という前提を当たり前のように認識していて、それから所作や言語、立ち居振る舞いなどを見て、その差異から「あれ、この人は日本人ではないかもしれないぞ」と認識していくプロセスをとっていることに気づかされました。それは生まれて23年間、日本の中でしか生活したことがなく、海外に出てみて初めてわかったことでした。

海外に出て日本に帰ってきたときに気づかされた体験でした。(波照間エロマンガ島 17/10/31)

(寸評)分かるなー。そこまでじゃないけど今まで中にしかいなかったのが外に出ることによって中が別の形に見える。
まだ海外に行ったことない人、近くの国でもいいから騙されたと思って一度は行ってみることをおススメする。
実際20数年ほど前に母親を海外に連れて行ったことがある。
母はそれまで海外に出たことがなく行くまでは「私は国内でも行ったことないところまだまだたくさんあるから一生国内旅行だけで十分」と言っていたのだが「金は出すから」と渋々連れて行った。
そしたらまぁハマった!
当時還暦ぐらいだったがその後の20年は毎年1、2回はイソイソと海外に出かけるようになってしまった。
「あの時誘ってくれて人生が変わった。まさかあんな年から変わるなんて」とも言ってた。
井の中の蛙から、抜け出てみよう! 6ポイント。

はじめてのダチョウ倶楽部

先日の土曜日、某ショッピングモールへダチョウ倶楽部を見に行ってきました。
私は出川さんとかダチョウ倶楽部とかドリフターズとか、おおいなるマンネリ芸というのが大好きで、その中でもダチョウ倶楽部を一度見てみたいと思ってました。
1300と1500の二回公演。雨というのに凄い人。
一度目と二度目両方を見ました。
30分ほどでしたが、お約束ギャグを見て満足。
しかし喋りがうまいなあ。ダチョウ倶楽部はすべったりするギャグも多いのですが、それもネタにしてしまうお笑いセンス。
一度目と二度目はほとんどネタを変えてやっていました。
お客さんを舞台にあげてネタをし「訴 えてやる!」や「一斉にジャンプ」するネタをお客さんに先にやられ、
竜ちゃん「それは俺のネタだああ」
と客席は大爆笑。みんなダチョウ倶楽部が大好きなんですね。

ダチョウ倶楽部は開始直前にステージ近くのテント入り。終わるとすぐに楽屋へ戻ってしまいました。

客層は、子供から老人まで見事に細分化されていました。高校生や若い女の子が多かったのもうれしかった。
おでんが用意されたときには、悲鳴に近い歓声が上がったりして。

いやあダチョウ倶楽部、いいなあ。
朝早く並んで、優先券もらうべきだったか。(わいわい 17/10/31)

(寸評)あれだけテレビに長年出られる人はやっぱりスゴいんだよね。
テレビでは出来ない芸も出来るしね。営業で稼げていいな〜。 6ポイント。

初めてスカートをはく

私が初めてスカートをはいたのは、小学校六年生の時のクラス会でした。
グループで喜劇というかコントをすることになり私がスカートをはくことになりました。
私は女の兄弟がいないため、仲の良かった女子に頼んで持ってきてもらいました。
白の無地の膝くらいまでのスカートでしたね。
ズボンを脱いではきました。
あれすげースースーするんですね(笑)
コントは受けて、無事終了。

スカートをはいたのは、後にも先にもこれ一度きりです。(わいわい 17/10/31)

(寸評)アイルランドあたりじゃ男がスカートはくよね。
あれなんで女子がはくようになったんだろ?理由がよくわからないよね。
女性の方が冷え性多いのに明らかに冷えるしね。 6ポイント。

初めての広島ラブホ探し

 初めてこちらのコーナーに投稿します。これがドキドキドキリコ初体験だったりして(笑)
 さて、今回の初体験は先週末、広島ヲルガン座まで原マスミさんのライブに遠征したときのことです。あの原マスミさんがあのヲルガン座で!加えて「たま」界隈の音友さんである小骨さんの作品展「あいの劇場」がヲルガン座4階廃墟ギャラリーで同時開催されていたこともあって全国からたくさんの同志が集結しました。
 さて、ライブも終わってヲルガン座で余韻タイムを過ごした後、原マスミさん一行とともに広島の歓楽街に繰り出します。広島の夜は案外早く、軒並み飲食店の営業時間が終わっていたものの、なんとか朝5時まで営業している千年の宴にたどり着いて閉店まで打ち上げ。ヲルガン座に集結した音友さんたちも三々五々散って行き、打ち上げまで集ったのは5人。10代女子1人、20代女子3人、そして50代のおっさん1人。僕ともう1人はホテルを予約していたものの、残り3人は宿泊先が決まっていませんでした。翌日の広島第一劇場ストリップ鑑賞を前に風呂に入ってひと眠りしたいということで、そこからホテル探しの旅が始まります。
 それにしてもここ数年、大都市観光地の週末ホテル事情は圧倒的な部屋不足で、お手頃価格のホテルはだいたい満室御礼。そんな中「あいの劇場」で素敵なおっぱいを披露してくれた大阪のS嬢がラブホ女子会やろー!って提案して、名古屋のR嬢、山陽のZ嬢もノリノリで流れに乗っかる展開に。広島一の歓楽街を歩きながらラブホを探し始めます。胡(えびす)町〜銀山(かなやま)町は風俗案内所も林立するような歓楽街然としたところですが、居酒屋が早々と店じまいをするような土地柄、難なく見つかると思ったラブホがほとんど見当たらず。やがて歓楽街の端っこにたどり着こうとする頃、S嬢が通りかかったタクシーを止めて「ここら辺にラブホないですか?」(!)。なんという直球剛速球の情報収集。面食らった運ちゃんが道の先を指さして「あっちに少し行ったところにありますよ」と。そして女子4、おっさん1のいびつな一行は夜の歓楽街をラブホに向かってデキソコナイの行進。やがてラブホ前に到着、宿なし女子3人を送り出し「じゃーねー!」とホテルに戻ろうとしたところ、一旦入ったラブホからすぐに出てきて腕で大きなバッテンを作る乙女たち。満室だったようです。悩んでいる暇はない。ラブホ探し再開です。一つ見つければ近くにもう一つぐらい。あった!……そしてそこも満室でフリダシに戻る。
 もう歩いて探すのも限界か……。そこからラブホ探しカオスの世界に。車の通りの多い辻に出て、来るタクシーを次々と泊めて「空いてるラブホないですか?」と尋ねまくる大阪S嬢。僕はスマホで近隣のラブホを検索。フリック入力ももどかしくオッケーグーグルを起動して音声検索。「広島、ラブホ」「この近くのラブホ」「ラブホに行きたい」「空いてるラブホ」……思いつく限りの検索ワードを独り言のように問いかけ続けるという悪魔の展開。その時は、なんとしても乙女たちの宿泊先を見つけなければ!との思いで必死でしたが、なぜか遠目で冷静に眺めていた埼玉のS嬢にいわせると、それはそれは異様で笑える光景だったといいます。4人の乙女に1匹のおっさん。乙女たちにラブホ行きタクシーを止めさせて、その後ろでスマホに向かってラブホをつぶやき続けるなんとも謎のやなおっさんの出来上がり。あーあーあやーだ。
 僕自身、結婚前に今の妻と乗物(車といえないところがね。二輪タンデムでも探したよね。)でラブホ探しをしたことはありましたが、繁華街で歩いてラブホを探したのは初めて。そのうえ複数女子をともなってのラブホ探しをこの年になってするとは。
 結局、空きラブホは見つからず、僕と埼玉のS嬢はそれぞれ予約したホテルの部屋に、ラブホ女子会を希求していた大阪S嬢、名古屋R嬢、山陽Z嬢は再び夜の街に消えていきました。ホテルの部屋に戻った後、近辺のラブホ検索結果を3人に送信してその一日は終了。3人は結局ネカフェに入ったとのことです。ラブホ女子会はまた次の機会にね。
 そんな広島夜の歓楽街ラブホ探しの初体験でありました。(newguinea 17/10/27)

(寸評)それは端から見たら「若い娘を何人も連れてラブホ探しとはなんちゅうやっちゃ!」と思われながらも男としては垂涎の光景だったろうなあ。
それにしてもnewguineaが記名入りの長文投稿なんてほぼ初めてじゃ?
毎日のクイズと匿名のインディアンケートだけで現在17位というのもスゴい! 9ポイント。

はじめての雨中ウォーキングトライアルFrom寺田町To大阪梅田

「おバカ」に投稿した「ミート課長の闘い」の後のお話です。

2.2kgのおバカラーメンの完食にあとわずかのところで失敗し肩を落として夜の天王寺へ消えて行った課長を尻目に、私はお腹にぶち込んだお肉馬鹿盛り油そば300gを消化しようと帰宅時使用路線たる阪急電車の始点である大阪梅田を目指すことにしました。
・・・いや、すなおにJR大阪環状線に乗りゃあ30分もかからずに大阪駅に着けるんですが、お腹にははちきれんばかりの若さの御来光ならぬ馬鹿さの油そばがパッツパツに詰まっているため、このままなにもせず家に帰り寝ちゃうとおっそろしいこと太ってしまうのではないか、という焦燥感に駆られての行動です。焼け石に水だって解っちゃあいるんですが、これも私の脳味噌の悪い癖ですね。

というかなによりまぁ、私は(比較的遭難の可能性の薄い)知らない所を歩くことが、好きなのです。

さて時刻は20時過ぎ、梅田へ向かうったって道を全然知らぬわけですが、大阪市内の便利なところは南北に伸びる道を「筋(すじ)」、東西に走る道を「通(とおり)」と呼ばう、ちゅうことで(ex:御堂筋・天神橋筋/千日前通・中央大通)、大きな筋や通りに出くわすまで歩いてみて交差点の案内表示を見ればだいたい現在位置の目安が付くのです。早速手近な標識を閲してみましょう、なになにここは国道25号、さっぱりわからん。んで、このまま真っ直ぐ進めば難波、左が天王寺駅、右が森ノ宮駅ね。わかりました。これは右をチョイスすれば北へ向かいます。電車によく乗っていれば駅名でおおよその方角がわかりますからね。それにしてもローカルな話で申し訳ありません・・・・・・

ところがどっこいぎっちょんちょん、いまグーグルさんで地図と照らし合わせながら足跡を辿ってみたのですが、私に誤算が生じていました。
私が右折して進入した玉造筋は、なんとここでは北東方向に伸びており、しかも左へ進めばほぼほぼ西向きに伸びているというイレギュラーな筋であったのです! 筋が通っとらんやないかい。ちゅうて、ははは。笑てる場合か。
そんなこともつゆ知らず、私は玉造筋を玉のスジをねぶねぶ舐め上げるがごとく北上ならぬ北東上していきます。ねぶねぶ。そんな趣味ないですが(笑)。だいたいこの辺りは天王寺区、おっさんと云えども夜に独りでふらふら歩くには適しません。早々と脱さねば。しかし焦りは禁物、大きな筋や通を選んで明るい場所を歩かないと、金品、衣服は当然のこと時には生命まで奪われる恐れがあり、ともすればお菊の操という命以上に奪われたくないモノまで奪われかねません。夜の大阪市内南部はかほどに危険なプレイスなのです。私は傘を持つ手にぐっと力を込めて歩きます。ってか環状線で帰れや(笑)。

標識はこのまま進めば森ノ宮駅、と示しています。梅田に帰るにはいささか東寄り過ぎます。ここで私は聞いたことも無い勝山通で左折、じわじわ西に軌道修正しつつ北上することにしました。身を打つ雨が激しくなってきました。見知らぬ場所でひとり夜の雨に打たれ不安が心を過りましたが、ちょっとドキドキして愉しんでいる自分もいます。40にもなって困ったもんですね。

筋、筋はまだかいな。と歩を進めると左前方に四天王寺さんを囲う木々が見えてきました。ていうか歩いてる最中は夜やし雨やしなんの敷地の木ーかわかりませんでしたが。案内表示には右折すれば上町筋、とあります。曲がってみれば天王寺区役所、天王寺郵便局、天王寺警察。きゃぁ、未だ天王寺区から脱してへんのんかいな。私は足を速めます。私の早足に反比例して、雨足はいささか勢いを弱めて来ました。まるで私の心象を表すかのごとき雨。
左手に立派な大阪国際交流センターを見やりつつ北へ北へ。ちょっと先のコインランドリーにはおっそろしい量の洗濯物を巨大な紙袋に3つも床において異国の方がすべてのランドリーマッシーンを占拠、ああこのあたりは異国の方が多いのだろうか。きっと私も通りすがりの皆様からはパキスタンあたりのお方にでも見えてるんでしょうね。そうです私の顔面は西アジア系。アッサラーム。

そろそろ天王寺を脱したろうか、とさらに北を目指せば右手に大きな建物、近鉄上本町駅に辿り着きました。

ああ・・・・・・ ここは。
私は昨年2016年の8月、ちょうど九州たま会の1週間前にこの場所を訪れていました。
何をしに? 高校の同級生で部活も一緒だった、K中の墓参りのあと、皆で飯を喰った処です。
ちょうどこの上町筋のもうすこし北には、あいつの眠るお墓があります。かなり高齢の親父さんの介護を最後までやりきったあと、後を追うようにしずかに旅立ったのだそうです。39年間生きてきた中で私の、はじめての友人の逝去でした。いつも諦め調で生きる気力に欠けた野郎だったけど、口は悪くっても友達想いでユーモアのある、優しい奴だった。
こんな雨の夜にお参りはできませんし、そんな思い出の場所を通るにはあまりに心の準備が不十分です。まさかこの場所に出るなんて、私は思いもしなかったのですから。あいつには悪いですが、まともな気持で横を過ぎることは私には出来そうにありません。千日前通を過ぎてすぐに、私はたまらず裏通を西へ折れました。

天王寺を過ぎたとはいえこんな細い裏道にあまり長居はできません。幸い隣の大きな筋である谷町筋はほどなく現れました。雨は、止んでいました。
傘をまるめ、右手によそのお寺の壁を眺めつつ切ない気分を引きずりながら歩くと、筋の西側が下り坂になっていることに気付きます。そうか、聴いたことはあったがこの辺りは上町台地と呼ばれる地域で、山という地形ではない大阪城を建てる上での要衝となったそうです。このあたりにお寺が多いのは、お城の南側の守りが弱いので寺町を造って攻めづらくした、と言われているようです。今、知りました(笑)。

谷町9丁目、8丁目、7丁目・・・ と進むと、左手に突如現れた商店街。「空堀商店街」とあります。私の好きな万城目学さんの大阪城を舞台にした「プリンセス・トヨトミ」という小説にも登場した、昔ながらのアーケードのある商店街です。これは通らないわけにはいきません。抜けた先はいったい何処に出るのか分かったもんじゃないですが、好奇心には従うほうが吉です。
お店のラインナップは大阪によくある屋根つき商店街そのものですが、先述した上町台地から坂を下りるかたちになっているため大阪市内に在りながら傾斜がついている、という珍しいアーケード商店街です。入口と出口の高低差はなかなかのもの、この坂を利用してジョギングに励むおねえさんもいます。これはいい体験したなぁ。っと抜けた先の筋がなんだか細くって不安っ! 何処に出て来ちゃったの? と道幅が細いのも道理、ここ松屋町筋は南方一方通行なので車線もそのぶん少ないのです。今年石川さんをライヴの後に会場のある扇町から天王寺の宿近くまで車でお送りした時に通った筋ですね。

ここ松屋町、大阪風に発音するとまっちゃまち、は、昔からのお人形の店やおもちゃ・お菓子の問屋さんが並んでおり、幼少の頃天神橋筋の北の端に住んでいた私はよく祖父に連れられてこの辺りでお菓子やおもちゃを買ってもらったものでした。今は時間的にもシャッターが下りていてその賑わいを感じることは出来ませんが、ほんのり懐かしい想いを抱いて、さらに北へ進みます。缶コーヒーをもとめて飲んだはいいものの、寺田町のラーメン屋さんから我慢していた尿意がさらに増す結果に。もう1時間は歩き続けていますが、小便のできるチャンスは点々と現れるコンヴィニエンスくらい。ただ私はへんな所が神経質で、見知らぬコンヴィニで厠を貸してもらうのが苦手なのです。めっさ汚染されてることもあるしね。ましてや今日は金曜の夜だもの、その確率は跳ね上がります。・・・梅田まで、我慢しよっ。

中央大通の農人橋交差点にさしかかります。おや・・・ 自動車で通る時は気が付きませんでしたが、交通量が多いためかこの交差点、横断歩道が無い。交差点の4隅をぐるりと繋いで中空で1周できる歩道橋が架かっています。こんなおもしろい歩道橋、はじめて渡るなぁ。でもジジババ完全に無視してるなぁ。もとい、ご年配の方々にこんなもん登れん、っちゅうの。でも歩いてみるもんだなぁ。
今度は歩行者も横断できる本町筋で信号待ちしてると後ろから「スミマセン」と半島系の片言。

半島系の方「ワタシタチーワ、セイショノベンキョウヲシテイマス。チョットオジカンイイデースカ?」
オポ「いえ結構です」
半島系の方「ゴフンクライデモ・・・」
オポ「(手を左右に振って冷淡に)結構です」

イライラ。尿意がマックスの時に信号待ちの気の弱そうなおっさん狙って宗教の勧誘しにくるなぼけ。不幸せそうに見えて悪かったな、こちとら動きが異常で精神が狂ってても毎日幸せ一杯じゃい。貴様らの助けなんぞ、要らんわ。・・・ってごめんなさい、この手は苦手なのでついつい口が悪くなってしまいます。遅くに勧誘ご苦労さん、ノルマ大変なんやろけどあんたらもぼちぼち帰って寝ーや。と口にしてもないこと書いて投稿上では善人ぶってみる。たはは。私は振り返らずフライング気味に信号を渡りました。

しばらく頭の中で「ぼけ、ぼけ、ぼけ」というリフレインが鳴りやみませんでしたがふと気が付くと左手に見覚えのある建物。大阪商工会議所・・・? い、いや、まったく私に関係ないぞ。ああこっちだ、マイドームおおさか。なんの必要性も無いファイナンシャルプランナー2級の資格試験受けたとこだ。たまたま合格しちゃったけど絶対仕事上で名乗れんなぁ・・・ 内容完全に忘れたし。
しばらく行くと天神橋の手前、右手にまだ電気の付いてる大きなビル、郵政の近畿支社ね。こんな時間まで書留やらゆうパックやら配達してんのかしら、ご苦労様なことです。
松屋町筋はこの天神橋から天神橋筋に替わります。大川(旧淀川)を渡れば天神橋筋商店街に入りますが・・・ 幼少時代の想い出に浸るのはまたこんど。左にカーブして梅田方面へ歩きます。この先はこの「初体験」(87)の「はじめてのミナミ(よりもうちょい南)からキタ歩破」の終盤と同じ道です。しかし・・・ 前回とおんなじような動機で歩いたのに、なんか今回の方がドラマや発見が多かったなぁ。ジジィになってからもこれで充分ヒマが潰せるなぁ。ただ昼間にやろうな(笑)。あっまだ出汁の自販機が頑張ってる。700円かぁ・・・ 間に合ってます。

国道1号を渡り梅田へ到着! 泉の広場はしゃらくさいハロウィン仕様、ようやく厠で用を足せてほっと一息。時計は21:38、今回も約1時間半のウォーキングでした。帰りの電車はひたすら座りつづけました(笑)。体重は、きれいに食べただけ増えてました(泣)。腹ごなしにはあまり意味がないことが判明しましたが、未だ知らぬ地元・大阪のいろんな発見をしに、また市内の違う道を歩きまわってみたいです。しかしなんかえっらい長なってしもたな・・・ 恐れ入ります。(オポムチャン 17/10/27)

(寸評)大阪は頑張れば歩けるからちょうどいいかもね。東京だとこうはいかないかも。
松屋町では昔駄菓子というか駄玩具を箱買いとかした思い出もあるな〜。 7ポイント。

初めてのサービスエリア

団体旅行で初めてサービスエリア(SA)へ行った時の思い出です。
どこかで書いたように、毎年夏天理教のこどもおぢば帰りというものに参加していました。我が家は天理教ではなかったのですがいろんな年代の子供たちとバス団体旅行が出来るというので毎年楽しみなイベントでした。
二台〜三台のバスで奈良県までの旅行です。
最寄りのICから高速道へ乗りました。
そして途中途中のSAで休憩します。
しかし団体旅行のSAってなんであんなに楽しいのでしょうか。
カップラーメンを自動販売機で買ってバスへ持ち込んで食べてみたり、行きというのにお土産を買うやつがいたり、スタンプを押しまくったり、でかいせんべいや木刀を買うやつがいたり、マウンデューを買ったり(おかげで次のSAでマウンテンデューブームが起きた)、めちゃくちゃ楽しかった気がします。
また夜は夜はでなんか不思議な雰囲気がSAにはあり、怖いような大人のようななんだかいつもとは違う世界でした。現在でも夜のSAやPAは変わった雰囲気がします。

学校の団体修学旅行は小6のときでしたので、こっちの方が若干早かったんですね。

子供のころのSAの思い出でした。(わいわい 17/10/27)

(寸評)俺はツアーとかでなんだかんだでサービスエリアに寄るけど、我が家は誰も運転しないのでうちの妻は友達がドライブに連れて行ってくれた数回しかサービスエリアに行ったことがなく、ものすごい食のアミューズメントパークだと思っていて稀に行くとテンションの上がり方が半端じゃない。
あとマウンデュー。今は無き後楽園球場でマウンデューの売り子バイトをしたことがあるのを思い出した。6ポイント。

初めてのオフ会の優勝賞品

ウルトラクイズのオフ会後のクイズ大会を行った後の優勝賞品を考えました。
面白いもの、みんなが主役になれるもの。
第一回オフ会はウルトラクイズ終了後、池袋の居酒屋で打ち上げ、そしてオールナイトのカラオケ店でクイズ大会を行いました。
現在のイズ大会はパソコンで映像を使ったものが多く、早押し機もウルトラハットも本格的なものを使用していますが、当時はほとんど手書き。せいぜい早押し機が、ウルトラクイズのボードゲームのものくらいで、問題もクイズも小道具もすべてが手書きという時代でした。ワープロで印刷さえしなったんですねえ。

まずトロフィです。これは業者に外注。文字だけはちゃんと「××××年××月××日 第一回アメリカ横断ウルトラクイズ公式オフ会 クイズ大会優勝」と打ってもらいました。トロフィって意外と安く、文字を入れても2000円くらいだった気がします。
次に賞状。これは字のきれいな家族に書いてもらいました。名前の部分だけは空けておきます。
そして問題の商品です。
参加者に受けるもの、楽しめるものはなんだろう。
最初はクイズ王に何かノベルティとか非売品とか記念品をもらおうかとも思ったのですが、最終的に考え付いたのは「親の総取りシステム」てす。
参加者には、300円から500円くらいのものでなんでもいいからプレゼントを持ってきてもらいます。但し生ものとかごみはだめです。
そして優勝者に全てをプレゼントしようというものです。途中で帰らなければならない人は、プレゼントだけ置いて行ってもらいました。

居酒屋で乾杯の時、全員の自己紹介で名前(ハンドルネーム)とウルトラクイズの感想と何問目まで行ったか、そしてプレゼントの商品を披露するという段取りでした。
私はたしか宝くじを500円分くらい持って行った記憶があります。衣類とか文房具とかちょっとしたグッツとか受け狙いのものとかみんないろいろ考えてきましたねえ。
優勝者は、第十三回ウルトラクイズ準優勝の永田喜彰さんでした。Pnは「冬虫夏草」。これは実際のウルトラクイズでご本人の正答からとられた名前でした。
トロフィと賞状。そして50人分のプレゼントを持って徹夜明けで大阪へ帰宅しました。
とにかく荷物が多くなり「これは優勝賞品じゃなくて罰ゲームだよー」と嘆いていました。
他人にあげたり捨てることは許されません。
私の宝くじは「当たった参加者全員に何かおごってやる」といってヤンヤの喝さいを受けていました。まあ外れたみたいですが。

懐かしい思い出です。(わいわい 17/10/27)

(寸評)50人分のプレゼントの総取り!
確かに運ぶのが大変そうだが楽しそうだねー。
このホームページのオフ会もいつかやろうか!? 8ポイント。

初めてのデート

石川さんもご存じかもしれませんが、毎年3月ごろに私が在住している市内の文化センターで映画祭が開かれます。独自の視点で選んだ作品に監督などの関係者も呼ばれ、トークショーも開かれます。
2010年ごろでしょうか。母親がチケットを買ってきて、少し余りができました。そこで思い立って通い先の誰かを誘ってみることにしました。ちょうどそういう映画に詳しい女性がいて、西川美和監督の「ディア・ドクター」と言う映画を一緒に観ました。映画の終了後監督と司会者によるトークショーも開かれ、生で西川監督を観れたことにとても喜んでくれました。
特に何があったという事もなかったけれど、やっぱり喜んでくれたというのがいい思い出です。最近は映画も見ないのでやっぱりあのときは行動的な時期だったんだなと思います。(Sankaku 17/10/27)

(寸評)もう7年前か・・・デートは機会があったらどんどんしんしゃい。 5ポイント。

初めてのタイの会社でタンブン(2013年7月4日)

波照間エロマンガ島@バンコクです。初めてのタイの会社でタンブンを行なった時の話です。

「タンブン」とは、喜捨、寄進、寄付などを指すタイ語です。輪廻転生を信じている多くのタイ人にとって、来世は今よりも高い人間の位階に生まれ変わりたいと願うことから、現世で徳を積み、善行を行なうということをごく自然に行なっています。

会社でもお坊さんを呼んでタンブンする行事がよく行なわれます。お祓いをすることによって会社の業績が上がり、社員とその家族が幸せになることを祈願することから、タイ人は進んでこの行事に参加します。読経によってオフィスがリフレッシュするので、タイ人はこの行事が大好きなのです。

大まかな流れとしては以下の通り。

(1)お坊さんが来る前に屋上の祠に食物をお供え。合掌して祈る。(2)お坊さんの読経を合掌して聴く。(3)お坊さんに食事を献上する。(4)お坊さんにお清めの水をかけてもらう。(終了)



当日は朝からタイ人スタッフたちは張り切ってタンブンの準備をしていました。オフィス家具を移動してお坊さんが読経するスペースを作ったり、各部屋に紐を渡し結界を作ったり、お坊さんに献上する料理を作ったりしています。日本人スタッフはそれを見よう見まねで手伝いました。日本とタイの風習の違いを実感しました。お坊さんの読経に合わせて合掌し黙想したときには「あぁ、わたしはタイにいるんだな、仏様の功徳がありますように」としぜんに霊験あらたかな気持ちになりました。

以上、なかなか体験することのない、初めてのタイの会社でのタンブンの巻き、でした。(波照間エロマンガ島 17/10/17)

(寸評)確かに日本の企業ではよほど宗教系の会社じゃなければそういう行事はないだろうね〜。
でも根本的なこととして「高い人間の位階」って完全にヒエラルキー思想だよね。 7ポイント。

初めての野球の試合

ソフトボールは高校時代に何度もやったのですが野球はたった一度きり。
小4の時でした。
6番だったか7番でライト。
二打席、1四球1三振1盗塁。
という記録でした。
ユニホームを着たのが楽しかったなー。
そのあとチームで食堂へ行き、なんでも好きなメニューを注文できたのがうれしかった。ご褒美で料金はこども会持ち。私は卵丼でした。(わいわい 17/10/17)

(寸評)よく覚えてるなー。
俺も好きじゃないけど子供会でチームを組むことになり無理やりやらされた。
制球はまあまあだったがヒットはほとんど打てなかったなあ。
元々興味がなかったので練習会場の前を通らないようにして逃げてやめた記憶がある。 6ポイント。

初めての夜行バス

初めて乗った夜行バスってなんだっけと振り返ってみました。
おそらく東京-弘前間を走っていた「ノクターン号」だったと思います。
私は旅行好きであるくせして車酔いが激しいのです。
この日はリバースしなかったものの寝られないわ冷や汗は出るわもう少しで・・・ヤバかったです。(わいわい 17/10/17)

(寸評)初めて乗った夜行バスってどこかなー。夜行バスに乗る前にライブツアーでバンとかで夜に長距離移動したことが何度もあるのでハッキリ覚えてない。
パスカルズのヨーロッパツアーなんて毎日6〜7時間バス移動なんて普通だったからね。40歳過ぎてから・・・。6ポイント。

初めての献血

私の初めての献血は高校一年生の時でした。
土曜日、友達と近所の公園へ訪れたところ福祉フェスティバルをやっていました。
手話や健康チェック、ダイエット運動などを教えてくれるイベントです。
私は高校生になったこともあり、もう大人だべと、友達と献血をすることにしました。
ご存知のように献血の前には事前判定検査を行います。
本献血の前に少し血液を採ります。
私はこの段階で貧血になってしまったのでした(笑)。
友達は普通に献血をしています。
わたしはふらふらしてベットで横になっています。あー情けなや。献血でなくその前の検査で貧血になるとは。
初めて血を抜かれたので身体がびっくりしちゃったんでしょうか。(わいわい 17/10/17)

(寸評)俺も献血どころか内科の検査のちょっとした採血で貧血になりとても献血どころじゃなかったのでしたことない。
むしろ俺が血が欲しいくらい。弱い・・・。 6ポイント。

初めての天井から人間落下

今から8年前、チェンマイのタイ語学校での出来事です。
朝いつものようにタイ語学校に行くと、ビルのスタッフや先生が教室に集まり騒然としていました。人が輪になって集まっていました。輪の中心には誰かが倒れていました。近づいて「どうしたんですか?」と訊ねると、先生は天井を指差しました。

天井に穴が空いていました!

そうです、そのちょっと前に天井を踏み抜いて人間が落下してきたのです!これには驚きました。ちょうど椅子や机のある場所ではありませんでしたが、もし落下した真下に自分がいたら…、と思うと怖気をふるいました。

実はそのタイ語学校の教室はビルの2階にあったのですが、上の階は空洞で部屋はありません。床も張ってないので、水道管や電気の配管の線が縦横に延びています。
水道工事をしていた作業員の人が誤って天井を踏み外して落下してきたというわけです。作業員の人は軽い打撲の症状でしたが命に別状はなし。しかしビル内で天井が抜けて人が落ちてくるなんて、日本では普通考えられないよーー。



(写真はとりあえず穴をビニールシートでふさいだ応急処置した状態)
以上、初めての天井から人間落下の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 17/10/13)

(寸評)我が家は人こそ落ちてこないが天井に穴が空いている。
上はベランダなので大きなビニールシートを貼って雨漏りを防いでる・・・。 8ポイント。

初めてのサバンナケート=ムクダハン国境橋横断

波照間エロマンガ島@バンコクです。2011年7月にタイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの4カ国を陸路で一筆書きのように旅行した話はここでも以前書きましたが、細かいエピソードはいっさい書いてなかったので思い出してぼちぼち書いていきます。

国境通過は4回ありましたが、最後のラオスからタイへの国境越えが印象に残っています。2011年7月17日(日)朝6時45分、ベトナムのフエからラオスのサバンナケート行きの国際長距離バスにて出発しました。この日はベトナム=ラオス、ラオス=タイ、と2回国境を越えました。
午前11時30分過ぎ、ラオバオ(ベトナム)=クロン(ラオス)国境越え。 そして午後4時30分頃、サバナケットの国境イミグレーションに到着しました。

私はサバンナケートのバスターミナルに着いてバスを降車してから国境を渡る算段をしようと心積もりしていたのですが、バスのドライバーがいきなり「国境だよー」とアナウンスしたのでびっくりしてしまいました。そして窓から前方を見ると、橋がかかっているではないですか!!

そのとき私は2001年刊行の古いガイドブックをもっていて国境橋のことはいっさい書いていなかったので、対岸のムクダハンには船で渡河するつもりだったのですね。しかしどうやら2006年に橋は完成していたたらしい。

思い返すと、1990年代一世を風靡した「進め!電波少年」の猿岩石の香港〜ロンドンヒッチハイクの旅で、このサバンナケートは渡し舟で横断するのにとても難儀しているのを覚えているので、当然船に乗らなくてはならないと思っていたのです。

海外を一人旅しているとさまざまな局面で決断が要求されます。その決断によって旅の体験がまったく変わってしまうわけで、ガイドブックをいくら熟読しても、実際にその場所に行ってみなければ何もわからない。これぞ旅の醍醐味だと思います。いろいろなトラブルがあって、それがあるからこそ旅は面白い。私はその瞬間決断しました、バスを降りタイにすぐに渡ることを。本当はサバンナケートで1泊しようかとも思っていたのですが、行けるところまで行ってみようか、と。

バスを降り、係りの人に「タイ行きのバスはどこですか」と尋ねると、30メートルほどのところに停車しているバスを指さされ「もうすぐ発車するよ」と教えてくれました。私は走ってそのバスに向かいなんとか乗り込みました。すると、バス代30バーツとドライバーに請求されたのです。私はあいにく持ち合わせがなかったのでした。「すいません、あとで払います」と言いましたが、「マイペンライ」と無料にしてくれました。なんと国境橋を無賃乗車で横断してタイに入国したのでした!このときは「ドキドキドキリコ」な気分でしたね。

無事タイに入国しムクダハンのバスターミナルから15分くらいの待ち時間で、出発するコーンケーン行きのバスに乗り込み出発しました。その日はコーンケーンに宿泊し、翌日7月18日(月)朝、コーンケーンからバスに乗り12時間かけ深夜にチェンマイの自宅に帰ることができました。

またこの旅で「ドキドキドキリコ初体験」したことを書きたいと存じます。ではではん。



画像左上)乗ったバス
画像右上)ベトナム=ラオス国境、300メートル歩いてラオス入国
画像左下)途中ドライブインで食べたお昼ごはん
画像右下)サバンナケートのイミグレーション。メコン川にかかる橋の向こうはタイだ! (波照間エロマンガ島 17/10/13)

(寸評)あ〜猿岩石が船だしてもらって渡ったところね、覚えてる。
アジアは特にガンガン変わるから到底ガイドブックでは追いつかないよね〜。現場処理が試されるよね。 7ポイント。

初めての寄席

先日の三連休草津へ行ってきました。台風が近づいているというのに凄い人。
今の時期はカップルが多かったですね。これが年が明けると一転卒業旅行で大学生クループが多くなります。
存在は前々から知っていたのですが今回初めて「温泉落語」を楽しみました。
参加料は1000円。
草津は湯もみが有名ですが、その湯もみショーを行っている「熱の湯」で行います。別に落語家や客が落語を聞きながら湯もみ体験をするわけではありません(笑)。
落語家は東京から来ており、おおよそ二日で交代します。真打でなく二つ目の若手落語家が高座を行います。
時間は50分。お客は100人くらいの人。一階と二階に分かれて落語を鑑賞します。
はじめて本格的に落語を聞いたのですが、喋りが本当に上手ですね。
その日は春風亭昇太さんの弟子の方。いろいろ裏話も教えていただきました。
終了後は物販。扇子やタオルなどを売っていました。
またいきたいなー。(わいわい 17/10/13)

(寸評)滋賀県の草津市にも草津温泉があって入ってみたことがある。
「群馬県の草津から温泉を運んで来ました」という湯があった・・・。
春風亭昇太さんは同じイベントに出たのでソロのCDをお渡ししたところ「ひとり闇鍋」という曲を気に入ってくれたらしくオールナイトニッポンで二回もかけてくれたとのこと。
落語家のよどみない喋りはやはり芸だよね〜。 6ポイント。

初めて一人で平日外野で試合を見る。

六大学野球は総当たりリーグ戦で行いますが、勝ち点数という独特のシステムで行います。2勝したほうが勝ち点1をもらい勝ち点の多いチームが優勝です。ですので最大は5点。同点の場合は勝率。9勝2敗勝ち点4より、10勝5敗勝ち点5の方が上のようになります。通常土日を使って行いますが、〇●や、●△のように2試合で決着がつかない場合は月曜日以降に持ち越されどちらかが2勝するまでずっと続きます。月曜以降体育会は授業が公休扱いになるので、わざと三試合以降に長引かせるといううわさも(うそです)。
さて本題。ある月曜日、午前中で用事を済ませた私は、午後やることがありませんでした。そこで初めて神宮へ一人で野球を見に行くことにしました。
いつも友達や知人と応援席でわいわい応援しながら見るのですが平日の午後に突然見に行くといって一緒に行ってくれそうな友人もおらずまっとうな人は仕事をしているわけで。
わたしは応援席も考えたものの初めて外野席で観戦することにしました。入場料金は応援席も外野も同じで大学割は300円になります。
双方の内野は応援団や応援者で埋まっていましたが、外野は人もまばら。野球好きのおっさんがちらほらいるくらいです。大学OBなのでしょうか。
中には上半身裸で見ている人も。外野自由席なので移動も自由。回ごとにいろいろな場所で観戦をしていました。
両軍の応援を見ることができ、いつもは中で応援しているので応援席を外から見るという貴重な経験ができました。(わいわい 17/10/13)

(寸評)昔はプロ野球でも人気のないカードの外野席など明らかに酒に酔って寝てるような人もいたよね・・・。6ポイント。

はじめてのカフェライブ

はじめまして石川さん。いつも楽しくホームページを拝見させていただいています。
私は現在岡山在住、通信制高校に通っている高1女子です。2年ほど前に動画サイトで偶然見つけた「電車かもしれない」のアニメーションがきっかけでたまを聴き始めました。今ではほぼ私の精神安定剤です。ありがとうございます。

そんな訳で最近元たまの皆さんのソロでの活動に興味が出てきたので、とりあえず順番に調べていたところ、なんと近日中に柳原陽一郎さんが岡山でライブを開催するとの情報を発見しました。会場はどうやら市内中心部のカフェだそうで、家からバスですぐに行ける距離でした。
前売りチケット 3000 円……月のお小遣いの 6 割が吹き飛ぶ額ッ……!しかしこれを逃せば次はいつになるか……いいや限界だ買うねッ!
と思い切って財布の紐を解きました。ありがとう 3 人の英世、お前らのこと忘れないぜ……

しかし音楽のライブなんて行ったことねーもんなァ、何着て行きゃいいんだ?カフェでやるってことは食事も出るのか?サインとか貰えっかなァー曲のリクエストとか出来んのかなァーあーもうよく分かんねえよォ〜ッ!不安だよォ〜ッ!誰か一緒に来てくれよォ〜ッ!と元来のビビりが顔を出してきたので、おそらく知人の中では最もその道に明るいであろうギター講師 F 氏に「今度『さよなら人類』のヤナちゃんが岡山に来るんだ!アンタも聴きに来いよォ!ぜってー楽しいぜッ!」とメールを飛ばしたところ(実際は礼儀正しく敬語で送ってますよ!ただ自分の気持ち的にはだいたいこんな感じなものですから)「その日は出張だなーごめんねー!」との返信。オーマイガッ!

てな訳で結局一人で会場に向かうことになりました。うえーん。ですが F 氏から「大抵その手のライブなら言えば快くサインしてくれるよ!」と教えて貰ったので、近くの文房具屋で色紙を買っていくことにしました。服も一応持ってる中で一番いいシャツとスカート、靴とバッグを装備。あとはペンとチケットと財布とスマホとハンカチと……よし、スタンディンバイッ!コンプリートッ!さあバスに飛び乗れッ!
とここまで来たのが出発 1 時間前です。早い、早過ぎる。焦り過ぎだ私。しょうがないのでそのまま部屋でたまの曲を聴きながら待っていたら、今度は逆にバスに乗り遅れそうになり大慌てでございました。いやー危なかったー。

そんなこんなで到着したバスを降りて会場のカフェまでトコトコ歩いて行きました。岡山ってこういうお洒落なお店結構多いんだよなー、いいよなーでも高いから滅多に入れないんだよなーと思いながらドアを開けて、受付の人にチケットとドリンク代を渡します。ああ、カレーが美味しいってネットに書いてたからちょっと期待してたけど食事はなしなのねー、もっぱら夜はライブ仕様なのねー。 周りのお客さんはというと、大学生っぽい感じの人が 4 〜6人、あとはみんな 30 〜 40 代以降といった感じで、おそらく私がその場最年少かと思われました。うわぁ〜!どうしよォ〜!滅茶苦茶アウェイだよォ〜!キンチョーするよォ〜!

しかし何とかカウンターでアイスティーを受け取って壁際の端っこの席に座りました。することもないのでちびちびストローを吸いながら開始時刻を待ちます。 10 分ほど経ったころでしょうか。店の BGM が止まり、主役の柳原さん登場です。わぁーい!待ちくたびれたよォ〜!
開始と同時に盛大な拍手。そっかそーだよなァー、みんなこの人の歌聴きたくて集まってんだもんなァー、よくよく考えりゃクラスの教室よか全然アウェイじゃねーや。

曲目は新曲からたま時代からのものまでより取り見取り。合間にちょこちょこ制作の小話なんかが入って笑いの絶えないステージです。
そうそう、「思い出したから話すんですけど……」とたま結成前夜のお話も聞かせてくれました! 夜にメンバーで集まって「結成会議だ!」「ビールかなんか飲もう!」となり、近くの酒屋に行ったところ、誰かがつまみに買おうとした「鯖の水煮」の缶詰を見て「あれ?これ猫が食べるやつなんじゃないの?」と思って言ってみたら「お前育ちがいいんダー!」と他のみんなにからかわれてからかわれて。別にそんなわけじゃないよ〜!ただ単純に食べたことなくて知らなかったんだよ〜!

とそんな他愛もないお話だったんですが、石川さんも覚えていらっしゃいますでしょうか?よかったら聞かせてください。

さて前半が終わったところで軽い休憩。飲み終わったグラスを返してちょっとお手洗いに向かいました。店の外にあるらしく、場所がいまいちわからなくてきょろきょろしていたら「こっちの階段あがってったとこですよー」とタバコ吸ってる首元にタトゥー入ったロックなお姉さんが教えてくださいました。

用を足して水道で手を洗っていた時にハッと思い出したこと。あれ……サインてどのタイミングで頼めばいいんだ……? ぐるぐる回転する脳内。ライブ終わった後?普通そうか……いやでもこの後帰るって言ってたし、新幹線の時間とか大丈夫なのか?もしこの後時間なかったらどうしよう、せっかくここまで来たのに色紙真っ白のまま持って帰るなんてそんなのやだよォ〜ッ!!あーもーちゃんと F 氏に聞いとかなかった私のバカーッ!どうする!?もしそうだとしたら今しかないよな!?えっ、でも休憩中だしやっぱ嫌かな!?いやでもやっぱり……えーいもう行くしかねェッ!突っ切れ私ッ!

と自分の席まで戻ってひとしきり覚悟を決めたところで、持参したペンと色紙を持って突撃です。ヤーッ!
会場後ろの控えスペースで何やらお店の方と談笑していらっしゃる柳原さん。それが終わるのを待って踏 み出します。

「あ、あのっ!」
「はい、なんですか?」
「あのっ、えっと、きゅ、休憩中申し訳ないんですけど、サ、サインとかしてもらえたり、しますかっ!?」
「あ〜いいですよ〜、どうぞどうぞ」
「あっ!ありがとうございますっ!」

やぁったあああああーッ!!!

「えーっとお名前は?」
「あっ、えっえーと、〇〇です!」
「〇〇さんねー。えーと漢字どう書くのかな?」
「あっ、あのー△△に□□って……」
「△△に□□……? あっ、分かったこういうやつ?」
「あっ、はい!それです!」
「はいはーい。はい、どうぞ」
「わぁー!あっ、ありがとうございますっ!」
「はーい、お粗末さまでしたー」

うわぁあああ〜いッ!やったぁあああ〜ッ!チョーうれしーよぉおおおお〜ッ!ついにやったよぉおおおお〜ッ!
こんなにうれしーのは小 4 の頃にさかなクンのトークショーでサイン入りの絵貰ったとき以来だよぉおおおお〜ッ!
どうしよぉおお〜ッ、手足の震えが止まんねえよぉおおおお〜ッ!あっつッ!頬っぺたと耳の裏熱ッ!
よかったぁあああ〜ッ!これどこに飾ろっかなぁああ〜ッ!

そうこうしているうちに後半スタート。貰ったサインは大事に膝の上です。バッグに入れて曲がったりしたら大変ですもんね!
クライマックスに向けてライブは大盛り上がり。私の好きな「夜のどん帳」もアレンジバージョンで演奏して頂けました!
やっぱいい曲だよなァ〜、ライブってこんな楽しいのか〜ッ!でもあとちょっとで終わっちゃうかなァ〜……
と思っていたらついにラストの 1 曲、「満月小唄」わぁああ〜ッ!それ大好きなんだよぉおお〜ッ!生で聴けるなんて感激だよぉおおおお〜ッ!
あー来てよかったなァ〜。 3 人の英世!お前らの死は無駄じゃなかったぜッ!
曲が終わった後、拍手が徐々に手拍子に変わっていきます。ああ!これがアンコールってやつかッ!

手が疲れてきた頃に再び柳原さんがステージへ。わぁーい!
「上手くいくか分かんないけど、リクエストとかある?」とのことで誰かが言った「オゾンのダンス」に決定。
やったぁーッ!人前じゃ言いにくいけどこれも好きなんだよなァ〜、こういう馬鹿な下ネタソングって楽しいくていいよなァ〜。
「夜風がスカートめくったら〜♪見えたよあの子の『ももたろう』♪」で会場爆笑。そうきたか!
大喝采の中ライブは幕引き。いやぁ〜楽しかったぁ〜ッ!

会場が徐々に明るくなり、席を立つお客さん達。
お店の方が「ではこれからグッズ販売の方を行いますので〜……」
後ろのテーブルに商品を並べて柳原さんが座ってらっしゃいます。
ああ、やっぱり普通そうよね……サイン貰うのこの時間でよかったわね……てか貰ってる人いるわ……次からそーしましょー。
つーかグッズって何売ってるんだろー。あ、 T シャツとかお守りとか CD とか…… CD !?
うわぁああああ〜ッ!!どうしよぉおお〜ッ!!滅ッッッ茶苦茶欲しいよぉおおお〜ッ!!
でも待て! CD だぞ!? 2000 円 3000 円はくだらねーぞ!?忘れたのかッ!既にここに来るまでに英世が 3 人も犠牲になったんだッ!
こらえろッ!こんなもん買ったら確実に死ぬッ!いや……それでも……欲しいッ……!欲しいッ!!
そんなことを考えながら、テーブルを囲むお客さんの中に固まって突っ立っていると
「どうぞ?」と傍にいた眼鏡のお姉さんが私を前に出してくださいました。
ううぇあッ!?ど、ど、どどどどーしよぉおおお〜ッ!?!?なんて言やいいんだよぉおおおお〜ッ!!
でもしょうがないのでガチゴチのロボットみたいな歩き方で前へ。柳原さん絶えず笑顔。

「あの……えっとその、すみません、私その、まだ高校生で……お小遣いしかないので……ちょっと、お金が……」
「そりゃそーだよね〜!俺もそーだったもん。いいよ〜、またお金あるときに買ってね〜」

ああなんてありがたいお言葉!肩の力が抜けました。

「あっ、はい! じゃ、あの、さっき休憩中で、悪いと思ってできなかったんで、あ、握手だけ……!」
「はーい。で高校生って言ったけど 何年生?」
「あっ、あのまだ、高 1 、 1 年です!」
「 1 年生!」

なんか一瞬周りがざわっとしたのは気のせいでしょうか。

「じゃあまだピチピチだ〜」
「ええ、まあ……」
「ハハハ、まだまだ細胞分裂の盛んな時期だ」
「ええ、はい……」
「じゃあ、いい分裂の仕方をしてくださいね!」
「はっ、はいっ!ありがとうございますっ!」
「気を付けて帰ってね〜」
「はい! ほんと、ありがとうございます!」

それから何度もお辞儀をして、名残惜しくもお店を後にしました。
外は真っ暗。来るとき通ってきた商店街はシャッターが全部降りていて人っ子一人いなかったので、ミュージカルよろしくステップ踏んで飛び跳ねて帰りましたとさ。

うわー書きたいこと全部書いてたらこんな時間です。長いなぁ……ちょっと疲れました。
でも本当に楽しかったです。誰かにお伝えしたくて、いい機会かなと思ったので投稿させていただきました。(この投稿柳原さんが見てたりしたらどうしよう)
来年も来てくれるといいなーと今から思ってます。他の元たまのみなさん(当然石川さんも!)のライブも岡山で開催してくださるなら是非見に行きたいです。ありがとうございました!(海星ラブリー 17/10/6)

(寸評)初めてライブに行く時の興奮がよく伝わって来たね。
俺もこんな時代もあったんだろーなー。
鯖缶が好きなのは知久君で、俺も知久君に分けてもらって初めて食ったかも。
岡山には一年くらい前にライブしたけど次の予定は今のところないなぁ。関西なら年内にあと4、5本あるんだけどね。
最近は高校生とかも時々見かけるね。もっとも知久君とかは16でライブに出てた方だけど。
俺はサインはもちろん一緒に写真とかもOKなので気軽に来てね〜! 8ポイント。

初めての小笠原硫黄島

「趣味は旅でーす」という自称旅人が行きたくともどうしても行けない地があります。
無人島では、沖の鳥島、北方領土、竹島。
有人島では、南鳥島と薩摩硫黄島です。
上記は言わずもがな下記は観光客どころか元住民にも上陸が厳しく制限されており、自衛隊、気象庁職員、一部の工事関係者および期間を限定して議員連と元島民関係者の慰霊団のみ訪島が許されているだけです。
こんな薩摩硫黄島ですが、私は上空から見る機会に恵まれました。
マイレージをためてグアムへ行ったときの帰路、進行方向左翼側で気なく窓外を見ていたら島が。
マリアナ諸島? 小笠原諸島? 伊豆七島?
島の形からも、もしかして・・・
「(小笠原)硫黄島じゃないか!」
私は慌ててカメラを取り出しバシャバシャ写真を撮りまくりました。
外は島まで見えるほど晴れており、すり鉢山や滑走路まではっきりと見えています。
旅人が一度は行きたいと思っていてもなかなか行けない島。
わたしが満足に浸っていると、今度は北硫黄島が。
私はハアハアしながら再びカメラで撮りまくりました。
こちらは完全無人島で、戦後は一部の調査団の放島以来ほとんど人の手が入っておらず、現在でも立ち入りが激しく制限されている島です。
円錐型で三角形のように山が海上に突き出しています。緑も見えます。小笠原硫黄島とは違い自然が多く残る島です。
ぜえぜえしながら、CAさんにさっきの島の事を聞いてみたところ「うーんどうでしょうね・・・」とつたない返事。
小笠原硫黄島にはもうひとつ南硫黄島というこれまた自然が豊かな未開発の無人島があるのですが、見逃したか或いは航路の関係で右手に見えていたのかわかりません。
小笠原硫黄島に行くには、おがさわら丸海上クルーズで海側から見るくらいしかチャンスがありません。
この話を自慢げにしていたところ、大学の日本史学専攻で現代史分野のゼミの教授から「自民党の若手議員の訪島団があるので希望者はいるかと」と募集があり2人(男1女1)が自衛隊の説明会に出席。女の子は公務員を目指していたので断念。男(現在教員)が実際に参加しました。その話はうちまで伝わっておらずめちゃめちゃくやしい思いでした。話を聞くと、立川の自衛隊機地で一泊。自衛隊の輸送機で小笠原硫黄島へ。2時間くらい慰霊をしてまた輸送機で戻ってきたとのこと。いいなーいいなー。

でもグアムの旅より感動した始めての「小笠原硫黄島」でした。(わいわい 17/10/6)

(寸評)今度は是非渡鹿野島にも降り立ってみてください! 7ポイント。

初めての薩摩硫黄島。

というわけで、小笠原硫黄島のあとは薩摩硫黄島です。
観光地でなかなか行けない場所があります。その筆頭は紛れも泣無く小笠原諸島で、飛行場が無くかつ船も6日に1航路しか出ていないので一便のがすと6日間待たなければならないというスケジュール泣かせの島です。次がトカラ列島や鹿児島の三島村あたりでしょう。こちらも飛行機が飛んでおらず船が一週間に2便ほどで欠航が多い島です。
先日マイレージがたまったので行って来ました。スケジュールでは三島(竹島、黒島、薩摩硫黄島)を回る予定でしたが、あいにく荒天で船が本土へ戻って来ず、一泊だけの予定に。その間空いた時間を使って一泊で種子島へ行って来ました。 さて船で薩摩硫黄島 です。
薩摩硫黄島で有名なのは硫黄山と温泉です。硫黄島の東温泉は野趣溢れなんども旅特集で紹介されている海岸にある無料の温泉です。
そして写真のような港に溢れている温泉です。http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/fukuoka/508_Satsuma-Iojima/508_picture1.jpg (気象庁HPより)



このように港全体が茶褐色になっており、泳ぐというか温泉につかる事もできます。
後ろの硫黄山は登山禁止ですがふもとまで行くことができます・
旅館など無く民宿だけしかありませんでしたが、とてもよい島でした。(わいわい 17/10/6)

(寸評)昔、式根島の地鉈温泉もこんな感じだったな。
全裸で入ってたらみんな水着を着て入ってきた・・・。 6ポイント。

初めてのナンパ

2015年7月の事です。
その日ぼくは人生で初めてのライブハウス出演に向けて、近所の公園でギターと歌の練習をしていました。
ブランコが近くにあったのですが、そこから小学1・2年生ぐらいの女の子(二人組)の声が聞こえました。その年でもあまりいない、そしてその年特有の可愛らしく元気で明るい女の子でした。
私は何を思ったのでしょうか。考える暇もなくその女の子に「歌を聞いてくれない?」と声をかけました。女の子たちはちょっと困った様子でブランコに乗りながらという事で聞いてくれました。3曲ぐらいやって「疲れていたらもうやめるよ」と声をかけましたが、予定の5曲を全部聞いてくれました。
「どうもありがとう」とお礼を言ってその場を去りましたが、女の子たちも終わると同時に帰ってしまいました。

最近の小学生たちは「知らない人に声をかけられてもついてゆかないように」と指導されているようですが、ちょっとそれを考えると際どかったでしょうか。もうあんなにかわいい女の子は最近見かけません。夏の甘酸っぱい思い出でした。(Sankaku 17/10/6)

(寸評)そのくらいは許してほしいよねー。みんなもライブというほどじゃなくても気軽に弾き語りとかは公園とかでやればいいのにね。爆音は駄目だと思うけど。 7ポイント。

初めてのナンパ その2

これは去年(2016)でしょうか。やはり同じ近所の公園でギターの練習をしていた時のことです。
練習の合間に鉄棒で運動することを日課としています。眼鏡を鉄棒にかけて空中前回りと空中逆上がりをしましたが、その時4・5才くらいの女の子が「めがねが落ちちゃうよ」と僕に声をかけてきました。「ダイジョブだよ!」と言ってやりましたが、その時に「あれ〜、オレに気があるのかな」と思いその女の子に声をかけました。「オレの歌聴いてくれない?」とすべり台にカベドンで声をかけましたが、女の子は不思議そうな顔で「きいてるよ」と返されました。
それ以上声をかけると本当に不審者になってしまうのでそこまでとしましたが、なんといいましょうか。ナンパをするというのはその人を女として扱うという事でしょうか。ちょっと自我が芽生え始めた女の子たちが、女として扱われる一瞬の表情がとても楽しいです。もちろん深入りはしないで軽いニュアンスでやることが必要とされますが、節度を守ってまたやってみたいです。(やめとけよ...w)(Sankaku 17/10/6)

(寸評)近所で評判の歌のお兄さん。体には触れるべからず! 7ポイント。


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