ドキドキドキリコ初体験(88)
さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!
初めての「スマイル」0円
この前、近所のマクドナルドにいった時に初めて「スマイル」を頼んでみました。忙しそうなピリピリ感が無く愛嬌のある女性店員さんで、自然と頼めてしまいました。ほんとうはマックシェイクだけ頼むつもりだったけれど、つい他のものも買ってしまいました。ここら辺は私も小心者です(笑)。(Sankaku 17/9/24)
(寸評)今度は持ち帰りで頼んでください! 6ポイント。
初めてチェンマイで石川浩司さんに会う(2007年2月20日)
波照間エロマンガ島です、こんにちは。
2007年2月、休暇をとってフランスとイギリスに旅しました。フランスではパリのサクレクール寺院の近くに投宿し、メトロやトラムに乗りまくって街歩きを堪能したほか、偶然シャンゼリゼの映画館で劇場公開していたデヴィッド・リンチ監督の「インランド・エンパイア」を鑑賞したのが思い出深いです。そして別の機会にも書きましたが、パリからロンドンへはユーロスターで移動しイギリスに入国、20年ぶりにロンドン観光を楽しみました。
航空会社はタイ国際航空だったので、行き帰りともバンコクで途中降機して1〜2泊ずつ過ごしました。
旅の途中、石川浩司さんからメールが入りました。「今チェンマイに滞在しているのですが、タイに寄るのでしたらチェンマイに遊びに来ませんか?」という内容で、わたしはふたつ返事で「行きます」と答えました。
2月20日朝バンコクのホテルをチェックアウトしてタクシーで空港へ。TG国内線カウンターにチェックイン。午前10時過ぎの便でチェンマイへ行きました。70分余りのフライトを経て着陸。久々のチェンマイです。タクシーに乗りサービスアパートの名を告げ行ってもらいます。チェンマイ空港は市街地まで10分くらいの近さなので15分もしないうちにホテルに着きました。
フロントから内線電話で電話をかける。すると電話に出た石川さんは「おーこんにちはー」と言ってエレベーターでフロントまで降りてきました。石川さんは開口一番、「おれ、ほとんど声出してないんだよね。エロさんと話すのって、久々の発声かも」とのたまいました。
食事とマッサージ以外はほとんど部屋に閉じこもりっきりで、インターネットしかしてないというのです!それにはびっくりしました。
ツインベッドなので部屋に泊めてくれるというご好意に甘え荷物を置くと、世間話もそこそこにお昼を食べに外に出ることにしました。ホテルのすぐ裏がタニン市場というマーケットで、そこにフードコートのような食堂があるとの由。 タイ特有の高い屋根の広々とした体育館のような空間で、タイの屋台料理を久々に味わいました。
昼食を終えたあとは、毎日石川さんが通っているという市場の中にあるタイマッサージの店へ。40過ぎの母と10代後半の娘の二人でやっているらしいです。石川さんはお母さんの施術師に、私は娘にマッサージしてもらいました。私はバンコクのワットポーのマッサージ学校に通いタイマッサージ師の資格をとっていてチェンマイ式は微妙にやり方が異なることを知っていましたが、この親子はそれほどバンコクのマッサージ方法との違いはわかりませんでした。
終わった後石川さんは「あの娘、押す力弱くなかった?やっぱお母さんじゃないとダメなんだよねー」と言っていました。極度の肩凝りの石川さんが言うのだから説得力があります。
ホテルに戻り、またすぐ散歩に出ることにしました。最初にホテルの近くにあるワット・クー・タオに行きました。 カメ(タオ)の名前があるとおり、カメをモチーフにした石像が多くありました。おみくじの自動券売機などが目をひくくらいで人っ気はまったくありませんでした。
また歩き始めます。石川さんは「知っている店に行こう」と城郭の掘割りの通りに出ます。チェンマイというと中世のランナー王朝時代の城壁が有名でその名残が今もところどころに残っています。 そしてチェンマイを流れるピン川にかかる歩行者専用橋を渡りました。 橋は工事中でなんと手すり・欄干がありませんでした!!
橋を渡ってすぐの通りを歩いて目指す店レジーナコーヒーハウスに到着、中に入りました。このお店は石川さんが以前発見した店でガイドブックにも出てない穴場的なレストラン&ゲストハウスです(後年ガイドブックに載り観光客で賑わうようになりました)。ピン川のリバーサイドにあって川に反射する夕日をバックに飲み始めました。 猫を抱く石川さん。リバーサイド席でのビールはとても美味しかったです。人なつっこい猫が近づいてきて椅子に乗ってきました。大いに飲んで食べて語り合いました。
夜になってナイトバザールの方を少し冷やかしてそれからもう1軒飲みに行って、夜11時過ぎにホテルに戻りました。言うまでもないですがとても楽しい宴でした。そして1泊しバンコクに戻りました。
この翌年からは2月は「チェンマイ逃避組」としう企画がスタートし、石川さんの友人やファンの方と遊ぶようになりました。昼間は個人で観光等好きなことをして過ごし、希望者がいれば夕食を一緒にいただく程度の、ゆるいつながりの会です。わたくし波照間エロマンガ島は2008年にタイに移住したので、毎年参加させていただいています。来年も楽しみにしています。(波照間エロマンガ島 17/9/24)
(寸評)ああ、あれからもう10年経つのかー。多い時は20人以上の人であたふたしたり、ライブでランニング復活させたり。いろんな人が来てくれたなー。
「海外にまだ行ったことが無い」という人にもチェンマイは治安や物価、人の好さなどいろんな面でオススメの場所です。
来年も2月はまるまるいる予定なので例年の人や久しぶりの人はもちろん、初めての人も一緒に飯でも食おうや! 8ポイント。
はじめての昼夜モツモツDay at 福岡
過日、9/10。私は女房子供をほっぽらかして単身新幹線で博多へびゅう、みんなで映像や演奏を愉しむというステキオフ会・九州たま会に参加してきた、という話は最近の投稿でもちょいちょいさせていただきましたね。ただこないだの「おバカ」は私の無知に起因したバッドエンドなお話だったので、ここらで楽しかったアッピールもしとかんと折角の夢のような想い出が霞んじゃう気がしましたので、ニーズの有る無しは置いといて(泣笑)たま会周辺のお話を少々させていただきますね。
10:17に博多に到着した私を迎えてくださったのは九州たま会の古参メンバーのお2人(仮にαさんとβさん、としておきましょう)。朝からじょーもんさん2人に囲まれて鼻の下が伸びっぱなしの助平オポム。ほらね、もういきなり幸せそうでしょう(笑)?
βさんの運転する車に乗り込み、早速お昼ご飯のお店へ向かいます。αさんが私の好みに応じて天麩羅屋さんと変わった麺屋さんをピックアップして下さっていました。うすのろなもんですからウムウム悩みましたが、そらぁ変わった物体である私、変わったものを選ぶのが筋というものでしょう。「めんちゃんこ亭」なる面白そうなお店にカーナヴィゲイションスィステムを合わせます。車中のBGMはモロチン否モチロン、たま。たまがらみのトークで盛り上がりつつ、ちょうど11:00の開店に合わせて到着。素晴らしい。
ここでおもしろイベント発生、車を降りる時に重い資料を後部座席に移動させようとしたαさんが「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」と気合を入れた瞬間、カーステレオからはちょうど石川さんの「学校にまにあわない(さんだるVer.)」の語りが流れており、気合の声に合わせて石川さんが『パァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!!』と叫ぶもんだから全員大爆笑、しばらくヒーヒー言って車から出られませんでした(笑)。石川さん、タイミング良過ぎ・・・・・・!!!(笑)
さて「めんちゃんこ」とは読んで字の如くお相撲で食されるちゃんこのソップで麺を煮込んでいただくもので、福岡を中心に展開されるご当地グルメです。鉄鍋で提供されるこのめんちゃんこはヴォリュームたっぷり、女性にはなかなかヘヴィな量ですがお2人なんとか平らげました。
私はホルモン鉄道も実際のホルモンも大好きなホルモンキチガイですので、迷わず「牛もつめんちゃんこ」をオーダー。おほほ、濃厚でたまらぬ。昼間からもつ三昧なんて最高です。んでまた麺がほどよいコシでツルツルいけちゃう! 最近まで腹をおかしくして節制していたのも忘れて爆食してしまいました。ふぅ幸せ。バチが当たりそうだ(笑)。
αさんがお家で荷物を取りに行ってる間に、βさんと私はお家のすぐ傍のゆうめいパン屋さんをちょっとのぞいてみようかな・・・ と覗いたが最後、あれよあれよと非常に美味しそうなパンと珈琲牛乳をもとめてしまいました。や、やられちまったぜ、ついさっきあれだけ喰ったのに・・・・・・ しかもβさん炭水化物を控えるダイエットしてる最中だってのに(笑)。パンめっ、このウマいパンめっっ!!! 結局即座に車中でもしゃもしゃ、βさんは華麗にハンドルを捌きながらパンを食すという荒技を披露されていました。
さてたま会の会場であるカラオケ店でのまちあわせにはいま少し時間があります。じゃぁ折角なのでαさんお薦めの生チョコレートソフトが食せるステキ洋菓子店へ行ってみよう、ともうダイエットもヘチマもない3人。いいんです、今日はハレの日たま会だい。ゴー。ゴー。ゴー。
博多のチョコのはじまりとも呼ばれる人気店ゆえに購入までは長蛇の列。αさんが並んでくださってるその間にβさんと私は店内の目くるめくスウィーツたちを物色、乙女心をときめかしていました。きゃん。
βさん「(店内ショウケース中の生スウィーツをみて)オポさんオポさん見てください、これ確実にカタチ失敗してますよね」
オポ「・・・いや、これはこういうもんなんですよ。〇〇(←忘れた)はこうです。これでいいんです。知らんけど」
βさん「知らんけど」
オポ「知らんけど」
などとあほな会話に終始しているうちにαさん生チョコソフトを3つご購入、お代を渡して即車中へ戻りイート。お店の前で停まってるうちに食べるのかと思いきや、先程のパン同様βさんは運転しつつ生チョコソフトをペロリ。恐ろしい子・・・・・・!!! これまたお味はとんでもなく上等、至悦の極みであったことは言うまでもありません。
オポ「おっそろしいお店でしたね、ダイエットなさってるβさんには目の毒すぎましたよ。ヴィジョンオブポイズンですよ」
α & β「??」
意味が解らないことをほざいたのでこれは流されました(泣笑)。だいたいヴィジョンの意味がおかしい(笑)。
さあさあいよいよたま会本番、さっきのもつちゃんこのパンチの効いたニンニクを誤魔化すためにカラオケ店近くのローソンでブレスケアをもとめかつ喰らう私。楽器を会場の部屋に置きに行くとすでにNHくん、森嶋さん、OTMさんがスタンバイ。しかし前回より部屋が、せ、狭い・・・・・・!! すでにみんなの楽器でパンパンになっていました。なんとか個々のスペースを確保していざたま会スタート! 今回はほぼギターを弾かずパーカッションがメインだった私、初ベースこそ残念でしたが(笑)楽しく合奏できました。今回森嶋さんがこだわりの小さめのシンバルを導入しOTMさん特製の石川さんパーカッションセットに装着! サウンドが非常にたま寄りになりこれまたたまらん瞬間をたくさん味わえたのですがいかんせん主に叩いてるのは習ったことも無い素人の私。いままでのたま会ではシンバルが無かったのでどうにか誤魔化してた部分もあったのですが、いいタイミングでシンバルを入れる難しさにすっかり翻弄されてしまい肝心のコーラスがおろそかになってしまい無念(笑)。次回からはもっとパーカッションの研究をしていかなくちゃ・・・ また呼んでもらえるかどうかは知らんけど(笑)。ベースも買って練習したいなぁ、私は楽器隊のなかでは一番お荷物ですからね。まぁ部分的にはいい仕事できたかな? と調子に乗っておきましょう。あくまで部分的ですが(笑)。
夢のようなたま会が終わったあとは近くの呑み屋さんで打ち上げ。私はここでもまた性懲りも無く博多名物もつ鍋をオーダー、昼夜連続でもつを食すというこれまたライクアドゥリーィムな体験をかましたのでした。ホッホッホッホッホールモン。九州たま会最高じゃぁ。この日私はシャンディーガフ、というビールにジンジャーエールを混入させてあまぁくした邪道な飲み物を「こどもビール」と茶化して飲み続けており、ジェレ美さんに「オポさん飲み物は?」と問われた際も「こどもビールで」とほざいてしまい、オーダーを取りに来たお店のお兄さんにジェレ美さんがそのまま「こどもビール1つ!」と発注してしまい私大慌て、「シャンディーガフ! シャンディーガフ!!」と訂正する騒ぎに(笑)。
NHくんがお店でギター弾いちゃったり、森嶋さんのたまに関する想いを語っていただいたり、と盛り沢山の打ち上げも私とNHくんの新幹線の時間が迫ってしまい名残惜しくも2人は途中退場。またひとつ、素敵な想い出ができました。九州の皆さん、本当にありがとうございました!!!
毎回初体験やおバカに乗じてたま会のレポートをする→(オポムチャン 17/9/24)
(寸評)なんか最近、新しい世界が開けてきてない?
若い時とは違った楽しみ。
同じ趣味の人とこれだけ繋がれるってやっぱりネットも大きいよね。
ツイッターとかだと「オポムチャンは神」とか言われてるね。
今後も俺たちを肴にいろいろ楽しんでくれーい。 7ポイント。
はじめてのぼうずと2人でコンサート
さる2017/9/9、九州たま会に臨む前日のこと。私はたま会が決まる前から約束していたイヴェントがありました。それは当HPでも現在投稿王29位に着けていらっしゃる関西の投稿仲間・マンドリン演奏家の江藤ようこさんことでゅおめいぷるようこさん(だから逆だろ)の、恒例の夏の終わりのコンサートが大阪の八尾市にある八尾プリズムホールで開催されるのです。
私はようこさんとはじめてお逢いした翌年2014年からはほぼ毎年聴かせて頂いているのですが、クラシック寄りの音楽で歌メインではないものって、私はたいがい寝てしまうんですがこのようこさん、とその周りを彩るミュージシャンさん達の演奏は、眠くならないんですね。この経験は私にとって衝撃で、なにか惹き付けるものがあるのでしょう、とその謎を探りに時間が合えばコンサートにちょこちょこお邪魔させていただいているのです。ってか謎もヘチマもありません、純粋にいい音楽が聴けるんです。ほな私の言う、いい音楽とは? 演奏の仕手が真剣ながらも楽しそうで、こちらも引き込まれて楽しくなってしまう、歌心のある音楽、と言いましょうか。石川さんはモロチンモチロン、その周辺のアーティストにも多いですね。そしてようこさんはずばり周辺のアーティストにも当てはまります(笑)。
そんな素敵なようこさんのコンサート、その美麗な音色と気さくなお人柄に惹かれて嫁はん・ぼうずもたびたび私に着いてくるようになったのですが、この9月は嫁はんが幼稚園の行事や地域の自治会の委員会などで大忙し、ちょいと疲れてしまっていました。
そこで今回はぼうずと私の2人で近鉄八尾に赴くことと相成ったのです。
とはいえぼうずはまだ幼稚園の年長で5歳。あまり長い時間集中して演奏を聴くことができません。嫁はんが居たなら対応もしやすいのですが、私ひとりではぼうずを制することは困難です。
ではどうするか?
エサを仕込めばいいのです。
私は阪急梅田駅のコンヴィニで、袋入りのラムネをもとめました。森永の例のビン型のやつをイメージしてたんですが置いてませんでした。
ぼうずは近鉄特急が見られるやもしれん、とウキウキモード。電車大好きのぼうず、道中は問題ないのですが果たして開演後、どうなることやら・・・・・・
近鉄八尾駅でさらに保険のつもりでポケモン野菜ジュースを購入、プリズムホールへ走ります。もたもたしてたらもう開演10分前やんけー。でべでべでべ、全速力のはずなのにもったりダッシュの親子2人、どうにか開演に間に合いました。
今年で9回目を迎えるこの夏の終わりのコンサート。これまでこの場所でたくさんの投稿仲間の皆さんとも逢いました。ハーブティーさん、なおさん、Hiroroさん、て〜お〜さん・・・ おおっ、今年もて〜お〜さんとお逢いできました。ぼうずに「大きくなったなぁ」とお言葉。私は毎日見てるから変化がわかりませんが(笑)、たぶん大きくなってるんでしょう。でも果たしていい子に出来るかな?
会場の照明が落とされ、舞台が照らされます。ハナを切るのはなんとようこさんのマンドリン弾き語りの独奏で「つぐみ」。普段マンドリンはギターなどの伴奏楽器をバックにメロディを彩るのですが、ひとりマンドリンでメロディアスに伴奏しつつご自身で歌唱するという稀なスタイル!! 私好みのオリエンタルな音階に高低レンジの広い音楽、それを弾きながら歌うようこさんの声のよさ。いきなりこれか・・・!! 私はやはり来てよかった、と感嘆しましたが、すでに問題は顕現していました。
演奏がはじまったらラムネがもらえる。そう約束してしまったが故に、音楽に集中する前からぼうずはラムネを催促、袋を突っついてせっついてくるのです。
わちゃぁ。失敗した。
折角の素晴らしい演奏中なのに袋をわしゃわしゃする音で台無しにしてはいけません、私はそうっとラムネの袋を開封し、ぼうずに与えます。だがしかしこのラムネがまた2色入りという面倒なやつで、食ったぼうずは逐一私に「グレープやった」「オレンジや」とせんでもええ報告をしよるのです。演奏中に。やめんか静かにせぇ、と小声でたしなめますが次の瞬間には忘れてやがります。
さらにしくじったことに、このラムネははじめて買ったのですがお口の中で素早く溶けて消滅するタイプで、森永の硬いやつみたいに長持ちしないので次から次へとぼうずに要求され、私は常にぼうずに給餌をしながらの鑑賞を強いられるというわけのわからない事態に。
くたびれました。
ラムネの選択に失敗したのもありますが、まず「良い子にしてたらラムネをやる」という条件を提示しておくべきでしたね。これだから私は脇が甘いのです。そもそもレセプションホール内で飲食することもおそらくルール違反でしょう。私は迷惑なバカ親です・・・。
ともあれ、コンサートは期待を裏切らず、いや、いい意味で裏切るほどの素晴らしいものでした。
情景の浮かぶ「倉敷川」「ゴンドラのゆらぎ」、さらにいきなり楽譜を渡されたという歌もの「はつ恋の街 倉敷」、泣かせの定番「A Ballad」、ようこさんがハンマーダルシマーという珍しい楽器をデュオで演奏される、2台のダルシマーとギターの響きが美しい「妖精の涙」「花のワルツ」・・・
全曲出演メンバーのお作りになったオリジナル楽曲、というコンサートでした。一般的なお客さん向けに有名な曲をアレンジして演奏、とかもよくあるんですが今回は無しでやる、というその気概もお見事。また休憩後のようこさんの衣装の可愛いこと!! ぼうずにラムネ与えながらキュンキュンして見て&聴いてました(笑)。さすが八尾の妖精、私メロメロです。YouTubeにも当日の演奏を何曲か上げていらっしゃるのでそちらも是非!
今年もいいコンサートだったなぁ。来年で最後なのかな、また来れますように。
ラムネにしがみつくぼうずを引きはがし、ようこさんにご挨拶をして辞去。「大きくなったね〜!!」やっぱりそうなのか(笑)。このあと翌日単身九州に行くお詫びに家族を外食へ連れていく&旅支度が待っているのであわただしく近鉄電車へダッシュ、て〜お〜さんようこさん共にご挨拶もそこそこに去にまして失礼しました。どこで謝っとんねん(泣笑)。とかくまだまだこのぼうずには、手がかかりそうですね。(オポムチャン 17/9/24)
(寸評)手のかかるうちが華なのよん。そのうち「このクソ親父!」と手を上げられるようになるかもしれないからね。
でももし今度会った時に身長が2mを優に超える本当の意味での大きくなってたらビビる・・・。 7ポイント。
はじめての仕事帰りに投稿仲間とバッタリ
さてそのでゅおめいぷるようこさんのコンサート、どのように私は予約を取ったのか? というと普段なら直接会場かようこさん御本人にメール等をするのですが、今回はなかなか面白いことになりました。
ある7月の金曜日、仕事帰りのJR大阪環状線・西九条駅。私とぽっちゃり上司はなんか肉っ気のある物でも喰いにいこうぜ、ということで大阪駅からひと駅西隣の福島でローストビーフ丼をガツガツ貪ることにしました。すなわち西九条から言うと大阪駅のひと駅手前で大阪方面へ2駅ね。なにこれ説明が超下手。
普段は私はいちばん大阪駅方面寄りまでホームを進んでから電車を待つのですが、この日は福島駅で降りやすいようにホームの中盤にとどまっていました。
ほどなくして大阪方面行の電車が到着しました。
扉が開くと、その扉から私に向かって手を振る、すてきな笑顔。
はゎっ!? よ、ようこさんだ!!!
まさかまさかの偶然。私がいつも通りホームの大阪寄りの端っこまで行ってたらお逢いすることはなかったでしょう。ですがあまりにもようこさんが驚きもせずナチュラルになさっているので、私も「あ、こういうのよくあるもんなんかな」的にこちらもごっついナチュラルに「どうも〜ようこさ〜ん」とかめっちゃ普通に御挨拶してしまいました(笑)。いやいやこんなん滅多にあるかいな(笑)!!
ようこさん「今仕事終わり?」
オポ「そうです、金曜やし今から肉食べにいこか思て」
ようこさん「私は今からカプリシカ(※お仕事で向かう、兵庫県西宮のアイリッシュパブ)!」
オポ「わー今からですか! 頑張ってください」
こちらもようこさんもお連れがいらしたので(当方上司、ようこさんはユニットの相方さん兼プロデューサーさん)、お話はそこで切り上げてお互いの同伴者とトーク。
課長「知り合い?」
オポ「ええ、僕がよく聴きに行くマンドリン演奏家の方です。めっちゃ偶然ですわ」
ほどなくして電車は福島駅へ到着。降り際に私はようこさんにこう申しました。
オポ「ようこさん、9/9の八尾、行きますからね!」
ようこさん「ありがとう! またね!」
いや〜、課長と肉をうっちゃってカプリシカに行くべきだったなぁ(笑)。でも課長のお肉熱は半端ないので断ればめんどくさい、予定通りローストビーフ丼を腹一杯食べました。さらにラーメン屋にも(笑)。馬鹿です。そら8月あたまに腹も壊すわ。
それにしてもようこさん、なんら驚きもせずに私を見つけては自然になさっていらっしゃった。こういう不思議な出来事に馴れていらっしゃるのかなぁ。3年前も天満橋で道もよくわからんままなおさん探しに行って出逢って泣きながらハグしたらしいしなぁ。たぶん知り合いとバッタリ、っていうのはようこさんにとって日常茶飯時なのだろうなぁ。やっぱ八尾の妖精だしなぁ。とか思ってたら数日後Twitterにて、
「そう言えば電車の中でおぽちゃんに会った事ってもっとビックリしてもよかったんじゃないか! と。焼肉美味しかったかな?」
という旨のコメントが。い、今か(笑)!! 驚くのん、今か(笑)!!! ってか私もふっつーのリアクションでしたから、お互いさまですね(笑)。あとすいません「肉食べに行く」って言っちゃいましたが焼肉ではなくローストビーフ丼でした(笑)。
ちなみにこんなふらっとした口約束であったにもかかわらず、9/9のコンサートの受付で見た予約者リストの一番上に私の名前が書いていて感動しました。嬉しいなぁ。ていうか単に私の名前があ行だからあいうえお順か(笑)。ともあれ素敵なコンサートを、ありがとうございました! そろそろ久し振りに、石川さんの横にいるようこさんも拝見したいですね! (オポムチャン 17/9/24)
(寸評)ふふっ、多分近々見られるよ。
何故なら、デキテルから。 7ポイント。
はじめての蒼の戦慄 at 厠
8/6からのお腹の不調による医者通いで精神と肉体と財布をせんどぼてくりこかされて半泣きのオポムさん、さぁ尻ーズじゃねぇシリーズ第4弾です。
8/23、仕事を休み腸内検査の内視鏡で前立腺をクリクリされ愉悦をおぼえてご機嫌で家に辿り着いた私こと変態。そこへやって来たのは腹部の不快感でした。
前回10年前にもクリニックからの帰り道、下っ腹の膨満感にウグウグ苦しみながら歩いた記憶が残っているのですが、今回はなんだか様子が違います。膨満感とかじゃない、身体がなにかを拒絶しているのが解ります。ギリギリ痛い。
以前の膨満感は小一時間で解消されたので、我慢して待っておれば快癒するのもだ、とタカを括っていましたが、どうにも堪え難いことになってきました。おまけに吐き気まで催してきたではありませんか!!
んでも吐き気っつったって、朝っぱらから凶悪な下剤を2l も飲まされ胃中はもはやすっからかん、慌ててすっ飛んだ厠でえずいたって何も出て来やしません。苦しい。おかしい、いましがた私はお菊から恥ずかしくも腸内をくまなく覗き込まれ、何らの異常も見当たらないから明日から何喰ってもいいよ、とお墨付きを貰ったばかりだというのに。
脳中を疑問符で埋め尽くしていると、覗かれたお菊の側が悲鳴を上げだしました。
便座の蓋を掴んでよろよろ立ち上がり、どうにか腰を掛けた私は朝からの荒行に疲れ果てたお菊からなにものかが勢いよく走ってゆくのをただただ感じるばかりでした。
・・・・・・何だ?
だってもう、腸内検査のためにすべてを放ち切った腹のなかには何も残っていない筈。一体これは・・・・・・?
恐る恐る便壺を覗き込むと、そこに拡がっていたのは蒼の世界でした。
!?!?!?
驚く隙も与えず、第2波が来ます。ジュバァッ!! ぐわぁぁあぁああああ!!!! 何だ!? 何だ!? 私の身体に一体何が起こっているのか!!?
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・
息も絶え絶え、私は謎の蒼いものを出し切りました。
やや白みがかった、濁った蒼。そんな色のもの、人体内に存在する筈がありません。やはり私はこの星の生き物ではなかったのか。母星からの“帰還セヨ”のシグナルが、此度の嘔吐&発熱であったのか。どうりでこの星は生き辛いと思った。はやく、はやく迎えに来てくれ。できればいっそこのまま宇宙葬にしてくれ。
便座に凭れかかり呻くも星からのお迎えは来たらず、失意の私は8/6の昼と同じうっすらとした吐き気をかかえつつベッドに倒れ込みました。ふりだしにもどる。嗚呼。あああああ。点滴打ってCTまで撮ってお菊にカメラをもぶちこまれて、そこまでしてもこの不調は治らないのか。私はそのうち気を失うように眠りに落ちました。
18時。店長からの「明日は出勤できますか!?」メールで私は目を醒ましました。すこし長めに眠ってしまったようです。
起きると、それまでの不快感はきれいさっぱり消えていました。
落ち着いてネットを閲してみると、
「検査後、腸内の洗浄液が残っているためしばらく青色の便が出ることがあります。」
と。
そんな説明なかったんですけど。
ここに私が単なる地球産のデキソコナイということが証明され、母星へ帰還する必要は消滅しました。残念でした。おそらく前回(10年前)と検査方法が異なったためでしょうか、今回は洗浄液が腸内に残留するタイプの検査で、それを出し切らないとそらぁ気持ち悪いですわね。てかそれを事前に言うとけ、お医者よ。びっくりするわ。
されどお陰で好調を取り戻した私。とはいえ直腸に荒れがみられるとのことで、出されたものは、♪セロテープ、ではなく・・・。まさかのさらにつづく。(オポムチャン 17/9/10)
(寸評)続きは・・・遂にエイリアンの出産かっ!? 8ポイント。
はじめてのボラギネーション
すいませんまた調子に乗ってわけのわからんタイトル書きましたテキトーな造語です。えーとあほのおっさんオポムの8/6から起こった夏の体調不良シリーズ第5弾。これで終わりにしましょう、そもそもこんなもんもう誰も読みたくないでしょうからね・・・
さぁて8/23に大腸内視鏡検査でお菊のちょいと奥をグリグリされてあはんの後ウチで腹部不快感に悶絶からの蒼の衝撃、という流れがシリーズ後半の展開でしたね(知るか)。9/6に採取した組織の検査結果が出るから来てね、と言われクリニックへ、出されたものはいままでどおりのゆうめい乳酸菌ビオフェルミン、胃にベールするやつ、そして・・・ お初にお目にかかります、注入型軟膏さんです。
検査の結果直腸に炎症は認められるものの、特段重篤なものではないとのこと、しばらくは投薬でお通じを回復させましょう、ということに相成りましたのです。先生は大腸がんを疑っていたのですがこの直腸の荒れと何らかの不調が重なって高熱・嘔吐に至ったのだろう、と。よかったぁ重い病気じゃなくって。ごめんなさい長期入院で投稿戦線離脱はどうやらしないみたいです(笑)。それはいいんですが、注入型軟膏さんと申しますとあの、お菊に、プスッと挿して、ほいでその、ちゅーっと、やる浣腸的なやつ、ですやんね。でヤンスね。
きゃぉぉぉぉぉぉぉぉ怖い。
こないだの内視鏡の管みたいに、それほど大きくない固体ならなんか大丈夫なんです、挿し込まれても。実体があると安心する、っちゅうか。逆にこの軟膏のようなほぼ液体のものが、身体の、普段はもっぱら出す一方の器官から、侵入してくる、という感覚がおそろしいのです。固形じゃないから侵入されても抗えない、っていうとこが。んで液状じゃぁ刺激できないし、前り・・・ って何を期待しとるのだ。
そのうえこれ、使用している最中を誰かに見られるのが絶望的に恥ずかしい。お手洗いでスッキリした後や入浴後に、と書いてありますが家族が目を開いている時間帯になんて使えやしません。だいいち向こうもそんなもん、どう考えたって見たくもないでしょうからね。
処方された当日の晩、私は女房子供が寝静まったあとこっそりお薬の引き出しを開けました。
外側のダメージには指に取って塗布、内側のダメージには注入、とあります。私は両方にダメージを被っているので両方を一挙に経験できるというわけですね。アーメン。
おそるおそる個包装(?)の包みをひらき、キャップを回します。2g入りのチューブからすこし指に取ると、白い。純白の軟膏です。べつに嬉しくない。どうせ見るんなら純白のパンティがいい。あほか。
身体を横たえ、右人差し指でじわじわ丁寧に塗布してゆきます。
予想に反して、なんだか気持ちがよいではありませんか。おお。癒されてゆく。私のダメージが。いや、塗布ミッションはまだいいんです、なんとなく想像はできてましたから。問題は未知の注入ミッションのほうです。
ある程度の量を表面の患部の塗布に使用したのち、内部の患部に注入をはじめます。痛くなかろうか。そうっと挿入。いつつっ、すこし角度を誤りました。だが先端は丸く加工されており思ったほど痛くありませんでした。なんとか先端部は挿し込めたようです。ここでチューブ胴部を、加減しつつ指できゅっ。
むもっ!? むももももっ!!? きっ、気っ色悪い!!!
ふやふやした軟膏がお菊のすぐ奥に流し込まれました。ものすごく、不安定な心地になります。こんなに出口に近いところにこんな半液体がふやふや蟠ってるなんて。ああわわわ。なんか力の入れ具合でびゅっと飛びだしたりせぬだろうか。
しかし心配も杞憂に終わり、お薬は漏洩しませんでした。よかったぁ。と安心したのも束の間、塗布した際にチューブに空気が入っていたようで、私は自らに(微量の)空気浣腸を施すというマニアックなプレイを図らずして敢行してしまったのです。ぐげげ気持ちわるっ、わしゃカエルのオモチャかっ!
そんなこんなではや1週間、このお薬は嚥下する錠剤と共に1ヵ月分処方されちゃったので今日も今日とてボラギネーション。なかなか慣れるもんじゃありませんが、そのうちクセになって毎日が悦楽の日々でハッピー、とかなるのも今後の人生を考えると微妙な気がします。なんとも言えない嫌悪感に耐えつつ投薬を継続し、直腸とお菊をいたわって行こうと思います。ちなみにこの軟膏を使用して以来驚くほどお通じ後の拭取りに改善がみられました。それまで拭けども拭けどもだったのがたった2,3回でキレイになるんですね。凄いぜ、注入型軟膏。
どうか皆様も暴飲暴食にはお気を付けて、ほどほどの飲酒・喫煙・水分・運動を。Take care of your anus & rectum! おしまい。(オポムチャン 17/9/10)
(寸評)えっ、終わりなの!?
読者としてはまだまだお菊の旅は読みたいのに・・・。 8ポイント。
初めてのLager Beer U
タイで新しいブランドのビールが発売されました。その名も「Lager Beer U(ラガービール U)」。
タイ大手ビールメーカーのシンハーから発売された3番目のブランドです。あとの二つは言うまでもなく、シンハー(ライオン)のロゴでお馴染みのシンハビールと、労働者階級の人々に愛されてるLEO Beer(リオビール)です。ちなみに知久さんはこのリオビールの大ファンでタイに来るといつも飲んでます。
ある日近所の酒屋へ行くと、見慣れない金色をした「U」のラベルの瓶ビールが冷蔵庫に並んでいました。「なんじゃこりゃ?!」とけっこうイムパクトありさっそく購入して飲んでみました。美味しい!! この絶妙なまろやかなのど越しはなんだろう、昔ヨーロッパで飲んだビールを思い出しました。プレスリリースによるとタイの都心部にて消費動向を担う若者層をターゲットにしているとのこと。今年の2月に発表されたのですが、最初は限定販売だったのですが、ようやく街場の酒屋にも置くようになったとのこと。アルコール度数は5.0%です。
ビールの選択肢の少ないタイで久々に出た新ビール!ドキドキワクワクな味です。この味を初体験しにタイにいらっしゃいませんか。(波照間エロマンガ島 17/9/10)
(寸評)来年2月には飲めるのだな。タノシミタノシミ。4ポイント。
サッカー初ゴール
祝! 日本ワールドカップ出場記念、と題して誰も聞いていないけど、わいわいのサッカー初ゴールの話をしたいと思います。
試合での初ゴールは、小学校4年の時、サッカークラブの試合でした。
DFだったわいわいは、試合終了間際、相手ボールを取るとちょこちょことドリブルしていって敵GKをかわしゴールしました。
今でもしっかり覚えていますねー。(わいわい 17/9/10)
(寸評)俺が中高生の時はまだサッカーはマイナーな競技だったなぁ。
サッカーやったのってたまの写真集の撮影の為の時だけかもしれない・・・。 5ポイント。
初めて出来た大学の友人を卒業後30年後サーチすると……。
波照間エロマンガ島@バンコクです。
ふと思い立って大学に入学して初めて出来た友人の消息を追って、検索エンジンで彼の名前を入力しました。出た!!
彼は版画家になって、ある大学の准教授になっていました。わたしたちが通学したのは美術系の大学で彼は油絵科に入学したのですが、版画専攻の大学院に進学したのち、海外留学を経て日本の大学で美術を教えているとのことです。元気そうでなにより。
彼とどうして知り合ったか、以下に記します。
大学入学2日目駅のバス停でスクールバスを待っていると、わたしはバスの回数券を忘れたことに気づいたのですが、そのとき隣に並んでいたのが彼で、事情を説明してバス券を売ってもらい、それ以来仲良くなったというきっかけでした。学科は違っていたのですが同じ学年でよく遊びました。
いつか連絡して再会したいと思いました。卒業以来、まったく会っていないので。
そんな大学時代、初めて出来た友人の話でした。(波照間エロマンガ島 17/9/10)
(寸評)大学時代の友人・・・ほぼいないがゼミで合宿して学内で演劇の公演を一度したのでその時の友達でひとりアップルに勤めてパソコンの操作方法を後日聞いたことのある人がいたなあ。
それも20年前。女性だったので結婚すると性が変わっている可能性もあるのでなかなか調べるのは難しいんだよなあ。 6ポイント。
初めてのしらこばと水上公園。
す、すいません。埼玉県民しかしらないネタで。
この夏初めて越谷のしらこばと水上公園へ行ってきました。地元なのにこれまで行ったことが無かったので、これじゃいかんとばかり一念発起。
金曜日だというのに凄い人です。駐車場も満杯。係員や警備員(チケットもぎりのところにまで)も沢山、中には海の家みたいな食事処がたくさんあり、ワゴンの屋台も何台も。思ったより活気があります。こういう地方のプールは利用者も少なくどんどん廃止されているのに、人がたくさんいるのはなんだかいいですねー。子供連れの親子や生徒同士で来ている人が多かった。
ホテル以外のプールは10年弱ぶりだったので最近のプールの傾向を紹介したい と思います。
(1)ほとんどのグループがワンタッチの小さなテントを持参している。シーツを引いている人は2割くらいだった。
(2)女性の水着が、Tシャツやハーフパンツ、日焼け止めの長袖やタイツ、カーディガンぽいものなどなどを着てプールに入っている人が多い。
(3)防水用のスマホ。若しくは防水ケース(袋)に入れて首から下げプールで撮影。
んー、時代ですなあ(わいわい 17/9/10)
(寸評)埼玉県民だけど地域が違うので知らなかった。
最近はプールと言えば毎冬のチェンマイのホテルのプール。
欧米人はほとんどチェアーで肌を焼いている人ばかりでいつも空いているのでひとり静かに背泳ぎというか背浮きしてボーッとしとります。 5ポイント。
はじめての点滴
こないだ。2017/8/6、広島に非人道的な武器が使用されて72年経った朝。
私は8時に西へ向かってすこし黙祷をし、オポム家日曜の朝定番のピザトーストをこしらえはじめました。
私、嫁はん、ぼうずの3枚分、おやおやピザ用チーズがないやんか、ほなQBBの固形のんを細こう刻んで無理矢理ピザにしたれ。えいっ。ピーマン玉葱をさくさくとんとん、あら今日はトマトも無いがな、しめじを入れたらぼうずが喰わないでやんの、鬱陶しいので私のトーストの上にぽいぽいっ。ピザにきのこは付き物やないかい。えっ? おかしい? だってマッシュルームなんてお洒落なもん買わんもん。味噌汁にも使われへんし。
なぁんて本編にはまるで関係ない朝食の風景を切り取ったのち、突如私の全身に異変が生じました。
なんだか、おそろしく禍々しい、悪い渦が身体中でぐるぐる回転しているような。
いやな感じがして、ルルを3錠飲みこみベッドに倒れ込みました。その後にやって来る、強烈なお母ん、もとい悪寒。とんでもなく暑い日というのに、私は陽のあたるベッドの上でブルブル震えています。
そのうち、うすーく、いやーな感じの吐き気もやってきました。
ぉあぁ、こりゃ腹からくる夏風邪だな。今朝の自作トーストは原因ではない、なぜなら嫁はんとぼうずはピンピンしてるから。最近冷たい物の摂り過ぎでずっと調子悪かったもんなぁ。ぐぶぶきぼぢわるい。あかん、あかん、悪寒、あかん。私はベッドの部屋から這うように厠まで辿り着き、必死で吐瀉しようとしましたが出て来ません。このあといたぶるような吐き気と私は3時間格闘の末、ようやっとすべての胃袋内容物を排出、正露丸を3粒嚥下すれどそれでもしつこく残る吐き気に悶えながら夕方まで呻吟し続けたのです。
唸りのたうつ間、頭の中身がいろんな意味不明の事象に支配されて世の中の理がまともに考えられなくなっています。何故か此度私が昏倒したことについて狸協会に20万円強のお詫び金を支払わねばならないという観念に取りつかれ、わちゃぁ、こんなタイミングで夏風邪なんか引くもんやからえらい散財や、とか思ったり、いやそんなあほな、てか狸協会ってなに? と思い返してみても健康保険に対して違約金を払わないと後々法令違反でしょっ引かれてしまう、というわけのわからない妄念に駆られ支離滅裂、嫁はんがタイ恩恵? 変換まで狂ってきました、体温計を差しだすので測ってみたらば39.2°C、こんな高熱滅多に出したことありません。
朝に心で唱えた「過ちは繰り返しませんから」がこのご時世あまりにも見栄をすいていたため御霊から罰を受けたのだろうか。そんなまさか。だいいち私は基本的に無宗教で、純粋に亡くなった方々への哀悼の意を示しただけです。そんな小物を逆恨みするほど御霊も小さくはないでしょう。それに72年前のこの日に受けた絶望に比べれば、私の今の呻吟など取るに足らぬ些末事です。でも苦しいもんは苦しい。はぁはぁ。
まる一日ぶっ倒れ、夜になってようよう吐き気は治まりました。しかし頭が痛い。キリキリ痛むので再度熱を測れば驚きの39.6°C。私史上最高記録の体温かもしれません。明日は仕事です。あわてて店長と課長に明日無理かもメール、夜中に何度も氷枕を替え、保冷剤を脇にはさみ、とにかく解熱しなきゃ、と浅い眠りを眠り翌朝、結局38.6°Cとさして状況はかわらず、医者の苦手な私でもこれはしょうがない、って耳鼻科へ行く女房子供の車に乗っかり、その耳鼻科の向かいのビルにある内科へ。症状を伝え検尿&採血、「尿の数値もあまり良くないけど、どうする? 様子見て出勤するか、点滴打っておくか」
私はこれだからお医者さんが苦手なのです。
だっていきなりそんなこと言われてもぱっと答えられないし、点滴なんて打ったこともないし、どっちが自分にとってよい判断なのかよくわかんないし、そもそも自分の身体の感覚をひとに説明することが昔っから絶望的にへたくそなのです。
私は「よくわからないのでとりあえず様子見で」とかるく答えましたがお医者は「いや〜どうかな? 血液検査の結果が10分あれば判るから、それまで待てる?」とおっしゃいます。はじめからそう勧めてくれ。わしゃよう決めん。ってか昨今の風潮でとにかく患者の意思を確認してからでないと裁判とか起こされる厭な世の中だからだな、この聴き方。されど言われるがまま10分待って見たらば言わんこっちゃない、的な感じでお医者、「血中のCRPが正常値0.3のところ10.0、30倍出てるねん。これは炎症を表してる数値でこれは予想以上にやばい値です。どっかの器官が炎症おこしてる可能性が高いわ、点滴しよっか」とのこと。
ひょぇぇぇぇぇ!!?? 単なる夏風邪かと思たら内臓疾患!!? しかも正常値の30倍の炎症反応!!?? 私はここで死ぬるのか。マンマンコージも果たせぬままに。石川さんに後生だからと頼みこんだら九州たま会のために代行で使ってもらえるように出来んだろうか。嗚呼譲渡や相続は出来んってクエスチョンで聞いたがな。嗚呼ぁ。
などと懊悩も束の間、ベッドに寝かされぷっすん、さっき採血で右腕を刺したから平等に? 左腕に穴があきました。
点滴は40年生きてて初めてですが、不思議な感覚です。
大きなパックに入った透明な液体が、自分の体内にちゃぷちゃぷ入っていくのです。少しずつ。しかも10分ほど経って気分が変になってなければ、看護師さんの判断でちゃぷちゃぷやる速度を随意に速められるのです。ワオ! そんなことしていいのか。こんな500mlくらいのお汁、血管に入れちゃって濃度が薄まったりしないのかしら。間違って医療用阿片とかがお汁に混ざってて完全体のあほになったりせぬだろうか。
それにしても退屈です。お汁はゆっくり減っていますがなにぶん1時間掛けて体内に入れるとのこと、そりゃいきなり身体の汁気が一気に半リットルも増えたら阿片が入ってなくてもあほになるかもしれません。動けないし本もパソコンも無いし天井を見ているだけ、看護師さんはおばさんでいらっしゃるので裏腿がチラ見えしたってときめきません(馬鹿)。ベッドが狭いぜ枕が硬いぜ頭痛がひどいぜ冷房きついぜ隣のいびきが凄まじいぜ。外は台風5号でびょうびょう。寝れん。このパーテーションだけの小部屋では慰みに陰部も弄れぬ。こんなに点滴が退屈なものとは知りませんでした。
どうにか1時間が経過、お医者さん「どう? だいぶ良くなったでしょう(あまりよくわからないがとりあえず「はい」と言っておく)、この数値は異常やから今からCTを別の医院で予約しておきましょう、よろしいか」
もう気力もすっからかんですが一体何が私の身体で起こっているのか不明のままでは不気味です。ふやふやしてよくわからなかった点滴は結果数値の大幅な改善と脱水を起こしていたことが起因の頭痛の解消を後日示したのですがその日はやった意味があったのか否かもてんで判らないまま、私はふらふら昼飯を摂りに帰宅、そして予約時間が迫ると嵐の中自宅近くのクリニックへさらに未知なるCTを撮りに車を嫁はんに運転してもらい向かった、のでした。なんかいつもに増して日本語が無茶苦茶ですが書いてる現在も微熱継続中、ご容赦くださいまっせませ。つづく。(オポムチャン 17/8/26)
(寸評)俺、点滴だめなんだよなー。
何度かしたことはあるけど束縛恐怖症で何かに束縛されて体が自由に動かせないと突然冷や汗が出てきて心臓がドキドキしちゃう。
ちなみに通常の栄養剤の点滴の中身はポカリスウェットと成分は全く同じと聞いたことがあるな。 7ポイント。
はじめてのCTスキャン
「はじめての点滴」の続きです。
8/6の朝飯後に突如吐き気と高熱に襲われ悶絶、翌月曜の出勤を当日欠勤というただでさえまともに仕事が出来ない屑の分際で社会人としてあるまじき体調管理上のミスを犯した人外のミジンコ・オポム。ああっそんな書き方したら全国微塵子連合略して全ミジ連の皆様から苦情のお手紙や「我々ミジンコの尊厳を著しく傷つけた極めて許しがたき表現活動」などと訴訟を起こす旨の内容証明郵便が到着したりするので撤回のうえ謝罪いたします。この度は私の至らぬ・・・・・・ ってもうええわ、話を進めます。
翌8/7は大阪に「迷走台風」5号が最接近した日でした。朝のうちに内科にかかり採血のうえはじめての点滴を経たへろへろのオポム、お昼からその内科の近くのCT専門のクリニックで私の内臓の輪切り写真を撮影していただき、一体全体何処の不調で今回のゲロ&39°C熱が巻き起こったのか、を解明せん、という流れになったわけなので御座居ます。
ごうごうびょうびょう、おもてはなかなかの荒れ具合です。
しかしこのまま原因不明の奇病で死ぬるには少々未練があります。なにより嫁はんとまだ小さいぼうずに悪いし、8月後半には大阪に待望のホルモン鉄道がやって来るし、9月の9日は大阪府やや南部の八尾市で投稿仲間のでゅおめいぷるようこさんのコンサート、10日には九州のたま仲間さんとたまの曲を演奏して遊ぶ「九州たま会」が開催されるので、私は何が何でもそのイベントたちが終わるまでは死んでも死にきれないのです。私は嫁はんに依頼し、嵐の中クリニックまで車を運転してもらいました。が。
お盆前だからかクリニックの駐車場はぱんぱんで、我々の車は停めようがありません。已む無くすぐ近くにある台風の影響でガラッガラのディスカウント酒屋のパーキングを拝借、悪いので一応お菓子を購入のうえクリニックへ向かいました。雨風に身をなぶられつつ。
よちよち扉を開くと近代的で洗練された受付、広い待合室。時間は先ほどの内科で予約してもらっていたので問診票を記入ののちほどなくして私の名が呼ばれました。金属の装備品は外せ、とあったので、久し振りに結婚指輪を外したらごっつい楕円になっていて嫁はんが吃驚しました。私の指の形に変形してたんですね。なぜか嫁はんのはまん丸のまま。
晴れて独身の身となった私(コラ)、エレヴェータで3階に上がります。
そこで何やら説明を受けたのち2階に下っていよいよCT、という流れらしいのですがたいした案内は無く、ひも付きの名札を首に掛けられぼんやり2階行きを待っていました。これ、下の受付でしてもええんちゃうの? わざわざフロアを分けてまでする意味がようわからんなぁ、とぼんやりする脳味噌で思いながら。
名前が呼ばれ、2階のCTのフロアへ下ります。
そこでも空きが出るまで若干待機、さすがにCTのある部屋へ向かう場所には厳重なセキュリティがあるようで、スタッフの方がIDカードをかざして扉を開いていました。CTっちゅうたらそら高価な機材たちですからわけのわからん奴が闖入して部品を盗んだり破壊されては大変ですし、なによりへんなボタン押して必要以上に被曝しては危険ですからね。そう、内科でもらった書類にも被曝についての説明がなされていました。
しかれども私は気にしません、むしろひょっとすると悪い頭の虫が死滅してかしこくなれるやもしれん、程度に思っていました。
無機質で、いやに広い廊下を進み、これまた無機質な四角い部屋へ通されます。
CT屋さん(?)「こんにちは、オポムさんでお間違いないでしょうか?」
オポ「はいオポムです、よろしくお願いします」
CT屋さん「ではこちらに横たわり、お腹を出してください。ズボンも下げて頂いてよろしいでしょうか」
CT台(?)にはタオルケットが掛かってあり、想っていたより幅が狭いです。
台に寝そべる前に言われたようにそそくさとズボンを下ろそうとすると、女性CT屋さんがあわてて
「い・いえ、横たわってタオルケットの中で下げて頂いて結構ですので」
とおっしゃいました。そらそうだ、誰が好んで40のおっさんの下着を見たいもんか。でもきっちりその通り言われないと私は相手の思っているようには決して行動しません。何故って? いつも間違った忖度を勝手にするからです(笑)。すなわち極まったあほなのです。
幸い私のお粗末さんを露出することはすんでの所で回避されました。台に横たわり、タオルケットの下は裸のお腹とトランクス、という状態。
「腕を頭のうえに上げてください」
ちょうど背泳ぎのような格好になりました。おお、なんだか間抜けでいいな。こんな恰好で内臓を輪切りにしていただくとは想いもせなんだ。
ちなみにCT、とは Computed Tomography の略だそうで、コンピュータ断層撮影、という意味なんですって。トモグラフィーなんて単語、まず習いませんからね。知らんけど。
台が頭方向に進みます、ごごごごごごごご。私がまるっこいトンネルへ放り込まれていきます。光ったり音がしたり、ということも特になく、薄暗い室内で私の臓器部分がスキャンされたようです。念のためかもう一回、私の身体は逆方向へ戻りいま一度スキャンされました。
焦らした割にあっけないものです。CT室に入ってからものの2分くらい、もっと時間かかって中で機械がガシャガシャビカビカするもんなんだと思ってた。
脳味噌は被曝してかしこくなったかしら。1 +1 = 2。√2はイヨイヨニイサンゴロツイタ。あんまり変わってませんでした。
変わらずの残念なおつむで退室、1階に下りて待機、受付でさっき掛けられたひも付き名札を回収されお会計、内科でもらった説明書きには1万円程度と書かれていましたが6千円台で済みました。お腹だけだったからかな? そして画像データの入ったCDを手渡され、次の日先生に渡すように指示されました。パソコンでどんなのか見てやろうかとも思いましたがそんな時に限って挿入ドライヴが損傷し取り出し不能、再びCT撮影なんて羽目になると超厭なのでやめました。だいたい自分の輪切り写真なんて不気味だしおそらく素人が見てもわけわからんでしょうし、ね。
データCDは翌日無事内科へ私が持参、結果は緊急を要する状態ではないが血液検査の結果がもうひとつ良くない、これは大腸のどこかで詰まりがあるかもしれない、ということで8/23にまたぞろケツメドから管を突っ込んで腸内検査をおこなうことと相成りました。この「ドキドキドキリコ初体験(65)・はじめての尻カメラ」にも昔投稿した、あの恐怖の激マズ下剤の責め苦です。もうやだ。
しかし体温はずっと37°Cあるし、お通じもなんだか不調だし、大腸がんなんて厭な単語も脳をよぎります。結局1週間に5回も点滴を打ち体調は比較的回復、血中の炎症の数値はすっかり標準値におさまりいまのところ痛みもなく熱の割に自覚はなく元気なので10日から仕事にも復帰しました。ただ腸がねじれた時に出る数値は上昇傾向なので気がかり、23日に原因が判明して早く治れば良いのですが。当面腸に負担のかかる油モノは控えないといけないので、大好きなコンビニ揚げ物やハンバーガーやステーキはおあずけ。ってかこの乱れた食生活と日課の投稿と手淫による睡眠不足が今回の不調を招いたのでは・・・・・・ 知らない知らない。それを封じるほうが私には大きなストレスですもの(笑)。
さぁ投稿者の皆さん! 私が長期入院したら2位を奪い取るチャンスですよ(笑)!! これを機にニクいあいつたる私(笑)を乗り越えてごらんなさい!!!(オポムチャン 17/8/26)
(寸評)未だに病気の3分の2は本当の原因は不明なんだそうな。
なのでもちろん治療法が確立されてるものなんてさらに少ない。個人差もあるしね。
まぁ人間何かしらの病気をいくつか持ってる方が普通だと思ってうまく付き合って行くのも年を取ったら大事なのかもね。
死ぬ前には「初めての死亡直前」の投稿してね(笑)! 7ポイント。
はじめてではない尻カメラではじめてのグリグリ、アッッ
さてさて8/6からの突然謎の嘔吐&高熱でダウンしたあほオポムシリーズ(誰も期待してない)第3弾、時は流れ8/23の内視鏡検査の日がやって参りました。そこまでの顛末。
CT撮っても大きな異常はないみたいだし、血中の炎症を示すCRP数値もほぼ正常値になったのに今度はCPKの値が上昇??? もうあたまにCの付く略語だらけでなにがなんだかわからなくなってきました。若年性CHSの疑いあるCRZなおっさんの私、CNKでもいじり倒して気でも紛らわすしかないのか。何のこっちゃ・・・。
あほなことを言うてる場合ではありません。ほんで月曜(8/7)にCTを撮って木曜まで様子見をした結果、30のとき人間ドックに行って以来10年ぶりの大腸内視鏡検査をやってこまそう、という医師の決断に至ったわけですが、さぁ早速ケツメドから管挿れたろかい、と事はすぐには運ばず、なんとクリニックは翌週からお盆休みに入ってしまい、その間は大好物の油モノやら肉類やら炭酸飲料、きのこさえ封じられ、おまけに私の職場は基本お盆休みというものが存在せず、休もうにも8/7から8/9まで医者通いでたっぷり予定外に欠勤してしまったため8/14〜8/18は否が応にも働かねばなりません。がぼーん。首都リーブルヴィル。
身体に負担が少ないように通勤手段を一時的に車に替え、お盆で空き空きの新御堂筋をかっ飛ばすのは爽快でした。しかしこのタイミングで課長がプール熱に感染し一家全滅で出勤停止、必然私の作業は増加、もう窓口は放ったらかして裏方に専念しようと思ったけど残りの人材は店長と60歳になった同僚女性の約2名、ともにややこしい手続きの受付けはてんで出来ません。そのうえお盆時期は会社がお休みであるが故に普段ややこしい手続きが出来ない会社勤めの皆さんが住所変更やら相続手続きやらめんどくさい案件をやたらと持ってくることが常で、私は這う這うの体でお盆週間を乗り切りました。処方されたお薬のおかげでお通じもそこそこ、腹痛や嘔吐もありませんでしたが微熱続きでふらふらでした。一体なんなんだこれ。
さて前日8/22。朝から野菜・果物・きのこ・油モノ・刺激物を禁じられた私は玉子と豆腐の味噌汁と白米を喰ろうて出勤、コンヴィーニエンスストーァで買った昼飯のすだちおろしうどんはネギと生姜を打ち捨て、天かすを1/10まで減じ、大根おろしも消化に良いとは言い条繊維が多いしジャンルは禁止物の野菜だからごく微量のみ摂取、すだちは汁をごく軽ぅくしぼって廃棄、こんなみじめな喰いものに400円を支払ったのか、と吝嗇な私はひとり嗚咽しました。
仕事から帰って9時までに飯を終わらせろ、とのことでタラと卵のやわらか汁と具なし素麺を平らげ絶食スタート、ここでパウダー下剤50gを200ccの水に溶き嚥下せねばなりません。ぐええ。10年前はこれがまずくってまずくって結局飲み切れなかったのですが、10年の月日は患者からの苦情を受けとめたのか、はたまた単なるメーカーの違いか、今回のお薬はさわやかなレモン味で大変飲みやすくなっていました。た、助かるぅ!! ネットであれこれ閲してみたらこのマグコロールPって下剤は「当たりのほう」だそうです(笑)。
そんで就寝前に錠剤タイプの下剤、ピンクの小粒を3錠嚥下。コ〇ラックじゃないよ。されどどうも様子がちょいとおかしい。10年前はこの錠剤を飲んだ瞬間に猛烈な便意がやってきて吃驚したのですが、今回はそれが一切、ない。なんじゃいな、今日はお通じが無かったのでさっさと明日に備えて出すものを出し切っちゃいたいのに・・・ だいいち夜中に己の意思に反してお布団にモリモリ、などという地獄絵図なぞ絶対に見たくありません。だが、出ない。私は諦めて布団に入りました。夜中の3:40にお腹が張って目が覚めましたが出て来そうな気配はなし、さらに諦めてじっと横になっていました。
どうにか眠りに落ち、明けて検査当日、23日。朝飯は抜きです。そのかわり、マグコロールP水溶液をなんとたっぷり1.8l も飲めるんだよぅ。わはは、毎度のことながらこの暴力的な量、どうにかならんのか。しかも7時からスタートして1時間〜1時間半で飲み切れ、と。つまり1時間半を90分として計算すると、200mlのコップで10分に1杯のペースで飲んでいかんといかんのです。大丈夫か?
・・・はは、こんなもん楽勝楽勝、だってスポドリみたいな味やもん。マズくて飲み切れなかった前回とは訳が違うぜ! さぁ成敗してくれる!!!
3杯飲んだところで、あっさり気持ち悪くなりました。
味の問題じゃないんですね。そもそも身体から排出させることを目的とした物質なので、身体が飲みこむことを拒否するんですね。おいしいんです。確実に前回よりは。でも身体が摂取することを拒んでいやがるのです。ぐげげ。
ここで私はこんな事もあろうかとクリニックの看護師さんに聴いておいた秘策を投入します。好きな味のアメちゃんです。
検査終了まで絶食ですがアメちゃん・ガム・氷砂糖・水・茶・スポーツドリンクはオッケーなのだそうです。そこでこの下剤が飲みにくい場合に備えて、好きなアメちゃんを口中に転がしつつ味覚をだまくらかした隙に下剤を飲む、という方法です。この方法は思いのほか功を奏しました。ただ飲み干す量が重なるほどに効果は薄れてくることは否めません。1l ほど飲んだところでお腹はピーゴロロ、そこからもう何度厠と居間を往復したかわかりません。厠、アメちゃん、下剤ウゲゲ、厠、アメちゃん、厠、厠、下剤ウゲゲ、下剤ワンスモアと思ったら厠、手を洗い終わったらピーゴロで厠、アメちゃん咥えた途端に厠、もう絶望的なありさま。アメちゃん7粒を投入し、どうにか30分オーヴァーの9時に飲み切ることが出来ました。はぁ、はぁ・・・・・・。これ10年後にはもっと飲みやすくなってないかなぁ・・・・・・(泣)。その後も検査開始の12時まで断続的にピーゴロロ、拭きつづけた私のお菊はヒリッヒリです。厠紙もまるまる1ロール無くなってしまいました。
痛むお菊を押さえつつ医院へ。嫁はんが車で送ってくれました。今回は私好みのアメちゃんの購入から消化に良いやわらか飯の用意まで、この嫁はんには多大なる助力を貰いました。ありがとう。ここ読んでへんけど。
15分ほど待つと診察室へ。中には私と同じ下剤を処方されているかわいいお姉さんがいらっしゃいました。今から私と同じような検査を受けるのだなぁ、と思うと不謹慎ながらもいささか興奮してしまいました(変態)。そうです、今から私はお菊に管を突っ込まれるんですってば。
お手洗いで下半身の衣類をぽーんと脱ぎ去り、紺色の穴あきパンツに着替えるよう指示されます。おお、お菊部分のみ裂け目があるぜ。10年前の検査のこともすっかり忘れて愉快な気分で内視鏡室で町田康さんのエッセーを読み読み検査を待ちます。今回は下剤をぜんぶ飲めたので、来院後に浣腸を施されることもなく楽勝気分でしたが、やや懸念されるのは挿入時のお菊の痛みです。ですが問診票に「おしりがかぶれて痛い」という選択肢があったのですかさずマルを付けておいたため、看護師さんが痛み止め的な薬剤が浸潤したガーゼをお菊に挟んでくださいました。有難い。
点滴・血圧計を施され薄暗いなか横臥。診察台がヴイーンと上昇します。鎮痛剤が点滴されはじめ、目の前がぼうっとしてきました。先生がなにかしら仰るのにほやほやしながら答え、肉まみれのお腹をふやふや触られオッケー、ということでいざ挿入。この時点で私の意識はほぼありませんでした。10年越しの尻カメラ、アゲイン。
無意識と意識のはざまで揺蕩っていると、感覚的にどうやら管が引き抜かれているのを感じます。そこで私の意識は次第に明確化してきました。
すると、前回10年前の検査では感じなかった、なにか心地よい感触をおぼえました。
あれっ?
管は今まさに私のお菊の手前まで引き出されて来ています。グリッグリッ。引き出す際に角度があるのか、管がお菊のすこし奥でグリグリされています。
アッッ。
き、気持ちイイ・・・・・・(恥)!!!
そうです。男性のお菊の奥には子種を放つのに必要な器官・前立腺に壁越しに触れられるポイントがおわしまし、私は検査終了間際にまんまとそこに刺激があることに気付いてしまったわけなのです。そこをずっといじくられるとどうなるか? ネットで検索してください(笑)。
さすがに「もっと、もっと・・・!!」などと懇願できるわっきゃありません(笑)、あえなく管は引き抜かれ、私はちょっぴり残念な気持ちで検査結果の説明を聴き、下着を装着してしばらく栄養補給の点滴を受けました。
前回と違って初めてではなかったため、やたらとリラックスしていたせいでしょうか。まさかこんな大層な検査の最中に僅かながらも性的快感を与えられようとは、予想外も予想外でした。幸いなことに、前方の筒はかろうじて硬度を帯びていませんでした(笑)。
結局大腸がんは発見されず、直腸が荒れていてかつ痔疾があるようで、それがお通じの邪魔をして嘔吐を誘ったのではないか、と。しかし冒頭に書いたようにそれではCRP(平たく言うと炎症)が10という異常値を示す根拠にはなり難いし、またCPK(さらに平たく言うと臓器等どこかの筋肉の損傷)の値も高いまま、原因がはっきりわからない、とのことでした。腸内の組織を採取したので2週間後に結果を聴きに来て欲しい、とのことでした。スッキリしねぇなぁ・・・・・・。本人は自覚症状はすでに無くピンピンしてるんですけどねぇ。
ただしかし私に嬉しい報せ、とりあえず腸内に異常は見られなかったので明日からは好きなもの食べていいよ、とのお達し! ひゃっほう!! 気鬱だった粗食ライフともこれでお別れだぜ!!! ってかこれまた近々下剤飲む羽目になるパターン!!?(泣笑)
長くなりすぎたので一旦ここでお話を仕舞いますが、嫁はんに迎えに来てもらい帰宅、意外なところで愉悦を感じて幸せをおぼえたそのあとに待っていた、戦慄の蒼い責め苦とは・・・・・・。さらにつづく。(オポムチャン 17/8/26)
(寸評)災い転じて福となす?
開発されてしまったのねん。ここから変わる人生もある。
すべてを楽しめ! 10ポイント。
初めての夏の高校野球埼玉県勢初優勝
石川さんやりましたぜ。我が埼玉県勢初の夏の大会優勝です。
最後はテレビで見ていました。
花咲徳栄おめでとうございます。
高校野球で涙を流せるのって僅か二年四か月の間だけなのですよね。
選手や応援団が勝っても負けても号泣しているシーンを見ているとジーンとします。
地方大会でも弱小チームが一回戦で負けていますが、必ず今後の人生で大きな経験になると思うし、野球を通じて沢山の親友や知人が出来ています。うーんなんだかうらやましいなあ。(わいわい 17/8/26)
(寸評)実は花咲徳栄という高校が埼玉県代表だと知ったのは優勝のニュースが流れてきた時だった・・・。
俺もなんかスポーツで熱くなれれば楽しいんだろうけど、どうにも興味が湧かない。自分がやってなかったからかなあ。
思えば自分の出た高校が甲子園出た時も球場はおろかテレビ中継すら見なかったくらいヒドイ。
何かに夢中になることが常に自分がやっていることなので他人への関心が薄いのかもなぁ。 6ポイント。
初めての南越谷阿波踊り
地元で行われているというのに今まで一度も行ったことがなかったこの祭り。これじゃいかんというので、この夏行きました。まず岩槻花火祭り、そして東武線で越谷へ。おつり大好き人間です。
今まで行かなかったことを悔いるくらい素晴らしいお祭りでした。
70万人の来場者!
阿波踊りというと大きな通りを連と呼ばれる集団が踊り歩く「流し」だけだと思っていましたが、一か所で踊る「組」、そしてなにより素晴らしかったのがホールで踊る「舞台踊り」というものです。
私のつたない文章じゃ表現できませんが、宝塚のような、オペラのような、バレエのような演武なのです。
半纏や浴衣を着て踊るコミカルで元気な男踊り、そして傘を深くかぶり下駄をはく美しくしとやかな女踊り。
その人たちが、太鼓や鐘太鼓、笛や三味線の囃子に合わせて踊ります。
一か所に纏まり魚群(?)のように動いていく様は舞台芸術ですらあります。
あまりにも感動したのでここに書いちゃいました。
あーもっと早く知りたかったなあ。(わいわい 17/8/26)
(寸評)18歳の頃、芸能山城組というちょっと変わった合唱団にいた。
バリ島のケチャやブルガリアン合唱、また映画「AKIRA」の音楽ではレコード大賞の企画賞か何かも貰った合唱団。
演舞そのものは面白かった。今もやってるので機会があったら是非見てほしい。
ただ自分が集団の一員として動くのが極端に苦手、人に指図されて動くのも嫌い、というのが分かってひとりで歌を作りライブハウスに出るようになり現在がある。
集団を経験したからこそ個の動きを自分に見つけたいい体験だったなあ。 6ポイント。
初めての筏ラフティング
波照間エロマンガ島@バンコクタイランドです。
先日勤める会社の社員旅行があり行ってきました。場所は映画「戦場にかける橋」で有名なカンチャナブリー県。クウェイ川上流にある川沿いにあるコテージ式ホテルに宿泊しました。昨年からうちの会社ではタイ人社員の福利厚生のためにクリスマスパーティーと社員旅行を催行するようになり、今回はバンコク西北250キロにあるリゾート地のカンチャナブリーに一泊旅行することになったわけです。
朝7時半に会社に集合。幹事のタイ人スタッフから、この日のためにあつらえた会社名刺繍入りのポロシャツを着てくるように指示があり、着ていきました。ふだんは寝坊して遅刻常習社員も時間どおりに全員出社。チャーターした大型バスに乗り込み出発しました。途中タイガー寺院というお寺に参拝したり、滝のすぐそばのレストランで昼食をいただいたりして、午後4時ころにくだんのホテルにチェックインしました。
ところが、のんびりする暇もなくすぐに再集合がかけられました。筏トレッキングの出港時間が迫っていたのです。ロビーのとなりにダイニングテーブルが並んだ食堂の筏が係留してありました。そこに行くと救命胴衣を渡され身に着けました。ここで小ボートかゴムボートに乗り換えるのかなと思って待っていると、その係留している大きな筏が小型のエンジン付きボートに牽引されて動き出したのです!なんとこの大きな筏でラフティングするというわけでとても驚きました。
筏は上流に5キロほど進むと停止しました。するとホテルの係員の女性が「ここから皆さん、川に入ってホテルまで泳いで帰ってください。泳ぎたくない人はこのまま筏で帰ることもできます」と説明します。わたしは勝手がわからずポカーンとしていると、そのときを待ってましたとばかり、弊社タイ人スタッフたちが一斉に川に飛び込んでいったのです!
川は流れがけっこう早く、飛び込んだ人たちは流されるように下流のほうへ行ってしまいました。わたしはちょっと飛び込むのが怖かったのですが、後ろから同僚社員に押されて川に落ちて泳ぐ羽目になってしまいました。
でも川を泳ぐのは気持ちよかったですー!流されているのですがところどころ水がよどんでいるところもあり、そういうところは自力で泳いでまた流れに乗るというような場所が数箇所あるんです。15分くらいかけてホテルまで泳いで戻りました。筏ラフティングとは真っ赤なうそで、泳いで川くだりするんじゃねえかと内心ぼやきましたが、ストレス発散できてとても楽しかったです。この場所で75年前ジャングルを切り開く過酷な鉄道工事でたくさんの人が亡くなったことは残念ながら考えもしませんでした。
その夜は遅くまでタイ人スタッフ、日本人スタッフと飲み明かし楽しい酒宴を過ごしました。そして翌日はサファリパークへ行ったり、滝を見物したり、有名な「戦場にかける橋」を見物したり終日遊び倒して、夜バンコクに戻りました。最高に気分発散しました。また来年も行きたいなと思いました。という、社員旅行で初めての筏トレッキングならぬ、川くだり体験の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 17/8/26)
(寸評)ほぉ、さすがタイ。面白そう!
もっとももし参加したらほぼカナヅチの俺はひとり静かに筏で戻っていくのかもしれないが・・・。 8ポイント。
スペイン・マドリードで初めての闘牛見物 (1986年2月)
わたしが初めて闘牛を見たのは1986年2月、美術研修旅行で訪れたスペインのマドリードでした。
ツアーコンダクターの人が闘牛のチケットがとれたというのでグループの仲間と観戦に行きました。そのときは闘牛が何をするかは漠然としていてまったくわかっていませんでした…。
会場に入ると場内は満員ですでに異様な熱気に包まれていました。31年前のことなので記憶は薄れていますが、一回の闘牛は3段階に分かれていたと記憶しています。最初に牛がどんな調子なのか様子を観察するため、若い闘牛士(助手)によるお試しの演武があります。ピンク色の布をもっていてそのそばを牛が何べんもハイスピードで走って通り過ぎます。1回通り過ぎるたびに、大きな歓声が沸きあがります。「すげぇ迫力」とわたしはテンションが上がりました。
次にプロテクター付きの馬に乗った人が登場して、牛にまわりこんで槍で背中を突いて牛を弱らせます。これが非常に危険だと思いました。
そして最後に真打の闘牛士が出てきます。ポーズよろしく華麗に牛と闘います。観衆の盛り上がりは頂点に達します。最後の最後は槍で急所を刺して絶命させます。死んだ牛は縄にひっくくられて引き回すように場外に退場させられる…、そんな内容でした。
肉眼で見るとこれがけっこう残酷でショッキングなんですねー。一緒に行った女性の友人は衝撃で半べそをかいていました。「なんで殺しちゃうの?可哀想」と言ってます。「闘牛なんだから最後は殺すだろ」とわたしは納得しましたが、それでも突進する牛を除けているだけじゃ永遠に終わらないだろ、と最初から結末は予想できました。
でもこれが何百年の伝統をもちスペインにおける国技の位置にあることは、観衆の熱狂的な盛り上がりでうかがい知ることができました。
印象的だったのは1回の闘牛が終わり拍手をしていると、すぐ近くにいた老人の観客が私たち外国人観光客に向かって「拍手するなー!!今回の闘牛は酷くてクソ以下なんだ!!バカヤロー!」と激怒絶叫しまくっていたこと。闘牛の出来にも良し悪しがあるみたいなのですが、生まれて初めて見たのでどこが酷かったのかいっさい理解できなかったんですね。あの爺さん、怖かった。そんな想い出があります。
というわけで、闘牛士が牛の角に刺されて亡くなったニュースを見て思い出した、初めて闘牛を見たときの話でした。(波照間エロマンガ島 17/8/26)
(寸評)スペインは何度も行ってるがいつもライブで大わらわでゆっくりした記憶がない。でも好きな国だ。
闘牛を見るかは分からないがゆっくり町を歩いてみたいなあ。 6ポイント。
初めての高校入学後3ヶ月間で…。
波照間エロマンガ島@バンコクです。
昔のことを思い出すとその当時は当たり前のこととして受け入れていたことでも、今考えてみると相当に「どうかしてる」と思うことが多いことに気がつきます。そんなことを思い出すまま書いていこうと思います。
わたしが通っていた高校は「文武両道」を謳っていた私立の小中高一環教育の学校だったのですが、高校も生徒を募集していました。一般の生徒のほかにスポーツ推薦枠の生徒も受け入れていました。全国大会に出るレベルにあったのは野球、柔道、ラグビー、サッカーなどで、わたしの時代は野球と柔道が強かったです。
学力も優れていてなおかつ運動系部活も強い私立高校というのは、ある秘密がありました。教育は受験対策専門に特化した教育を施し東大合格者を増やすことにひたすら専心する。一方スポーツのほうは県外から特待生を多く入学させて、勉学は二の次で運動部を強くする。スポーツ推薦で入学した生徒と一般の生徒のあいだにひどく学力の差があるのは公然の事実でした。
わたしのクラスは、一般生徒とスポーツ特待生が混然としているクラスでした。その数、50人中10人ほどが特待生だったでしょうか。ところが、入学後3ヶ月後に驚くべき出来事がありました。
スポーツ特待生の10人中7人ほどが、部活の厳しさや授業についていけず、ほぼ同時に退学してしまったのです!しかし、学校側としてはそのことはあらかじめ「想定内」だったのでしょう。担任の教師は淡々とその事実を述べるだけでした。生徒側もある日何の予告もなくスポーツ特待生の生徒がいなくなっても「あ、そうなの」とほとんど無関心な様子でした。わたしは割と彼らと話すほうだったので内心けっこうショックを受けていました。高い学費を払ったのに3ヶ月で退学しなければならないってどんな学校だよ、と悲しかったです。結局クラスのスポーツ特待生で部活を辞めて学校に残ったのは1人だけで、彼は猛勉強の末、京都大学に入学しました。
教育とはいえ私立の学校法人なので経営的側面があるのもわかるのですが、今から思いかえすと生徒を「商品=モノ」みたいに扱う学校の姿勢は疑問点がいっぱいでしたね。わたしは当時も現在も愛校心がほとんどなく、野球部が甲子園に出場しても冷やかなのはそういう「大人の事情」を在学中にいっぱい見せられて白けたからかもしれません。(波照間エロマンガ島 17/8/26)
(寸評)俺の高校もマンモス高校で成績のバラツキは激しかったな。
俺も愛校心薄いので卒業した年に甲子園出たけどほとんど関心なかったな。まぁ俺もちょうど茨城に引っ越してしまったというのもあるが。
今はなんか進学校になっていて「あそこ出たの?頭良かったんだねぇ!」と言われるがいやいや当時は進学と就職が半々くらいのどうってことない高校だったんす。 6ポイント。
初めての飛行機でプーケット
波照間エロマンガ島@バンコク在です。
2017年8月12〜14日、2泊3日の旅程でプーケットに旅してきました。プーケットは4回目ですが、実は空路で行ったのは初めての経験でした。今までは陸路で行っていたのですがバンコク〜プーケット間は850kmあり、バスで14時間くらいかかる大遠征です。50代も中盤にさしかかり身体が疲弊するので今回は飛行機で行くことにしたのでした。
と言っても、実はスワンナプーム空港に着くまでプーケットに行くかどうかは決定していませんでした。旅行初日の12日に人と会う約束があったのですが突然キャンセルになり3日間フリーになったので、とりあえず空港へ行って飛行機でどこかへ行こうと思いついたしだい。こういう行き当たりばったりの旅行スタイルわたしは大好きです。
(当日のFacebook日記よりばっすい)
今航空会社のチケットオフィスで航空券を購入しました。何処へ行くかはしばらくシークレットにしておきますね。またお会いしましょう〜。さてここでクイズです。私は何処に行こうとしているのでしょうか。
(コメント欄)
石川浩司さん: ルアンパバーン!
「俺の日常クイズ」いつもと立場が逆転して石川さんが回答者でしたが、残念、不正解でした、ふふふ。
さて、プーケット島に着陸してミニバスで宿泊地のパトンビーチまで小一時間かけて移動しました。なんと40キロも距離があるのです。そしていつものように予約サイトで予約したホテルにチェックインし、2泊3日プーケットでのんびり過ごしました。
ここで私が感じたプーケットを箇条書きにしてみます。
プーケットの良い所
1.島である 2.島の気候である
プーケットの良くない所
1.日本料理屋が殆どない
2.ショッピングモールが殆どない
3.オネエサン遊びの選択肢が殆どない
4.島がでかすぎるのでサムイ島やサメット島のような「孤島感」が殆どない
5.イタリアン、アラブ、シーフードくらいしかレストランが存在せず、選択肢が殆どない
6.パタヤと違い、ビーチサイドロードとビーチサイドno.2ロードが殆どのソイで繋がってない。2つの通りの距離が遠すぎる。
ホスピタリティほかあらゆる面でパタヤのほうが優っている感じがしました。空港まで40キロというのも遠すぎます、それだけ大きな島ということなのですが。アンダマン海沿いならやはりクラビのほうが好きですね。
でも欧米人は電気も通じてないような原始的生活を好む人もいてプーケットにもビーチのはずれの方にはそういうコテージもあるらしいので、それは好き好きだとは思いますけれども。あ、偶然ですがわたしと同じ時期に電気グルーヴのピエール瀧さん一家がプーケットにバカンスで訪れていたようです。自分的には今回のプーケット旅行はマイナス面ばかり感じてしまいましたが、以前来たときはそれなりに満喫したので、タイミングがよくなかったのかな、と思いました。という初めての空路でプーケット旅行の一幕でした。(波照間エロマンガ島 17/8/26)
(寸評)俺が初めて行ったタイはプーケットだったな。
小道に牛とかが普通に歩いていてのんびりした感じだった。
小銭があった時代だったので結構豪華なホテルのコテージに滞在したバブルの思い出。 6ポイント。
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