ドキドキドキリコ初体験(87)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めて映画館で映画鑑賞中に…。

波照間エロマンガ島@バンコク・タイランドです。先日のこと、バンコクのシネマコンプレックスで映画鑑賞中の出来事です。
その日観たのはリブート版「猿の惑星」シリーズの最新作「War for the Planet of the Apes」(邦題「猿の惑星: 聖戦記」日本公開2017年10月13日)。いつものようにチケット購入後トイレで用を済ませ、館内の自分の座席に座りました。
映画が始まり30分くらい経ったところで、とつぜん尿意を催しました。映画が始まる前に確かに排尿したのにどういうことでしょう。毎秒ごとに高まる尿意に我慢できずに席を立ち、トイレへ中座しました。
おしっこを我慢できずに映画を観るのを中断しトイレに行ったのはたぶん初めての体験です。このところ仕事中でも部屋にいてもなんとなく尿が頻発することが気になっていたのですが、まさか映画鑑賞時間内で我慢できない事態に陥るとは!!

翌日すぐに病院の泌尿器科に行き検査と診察し、薬を飲むようになると、すぐに頻尿は止まりました。それにしても「猿の惑星」で見られなかった数分間、実に惜しいことをしたなぁ、と後悔することしきり。

という、初めての映画鑑賞中に我慢できずにトイレに走ったの巻きでした。老人まっしぐらの昨今、体調ネタの多いわたしでした。(波照間エロマンガ島 17/8/6)

(寸評)いや、俺なんか最近は一時間に一回が基本。寝てる間も2、3回はトイレに起きる。
なので座席のある映画はともかくギュウギュウに詰めてトイレに立てない小劇場の芝居などはもう絶対に観られない。
変わるのは自然だからしょうがない・・・。 7ポイント。

初めての駅のホームで気が遠くなり倒れるの巻き

波照間エロマンガ島@バンコクです。
このところタイは雨季に入り曇天の日々が多く気温は27度前後で過ごしやすいのですが、雲が晴れて太陽が出るととたんに気温が32度くらいまで上昇します。また公共施設内のセントラルエアコンの温度は23度前後に抑えられており、温度の変化に体調がついていかなくなったこともあるのでしょうか、先日通勤途中駅で初めて倒れてしまいました。
夕方の駅のホームは人が多かったのですが、電車を待っていたある刹那、とつぜん意識が遠くなり目まいがして倒れてしまったのです。すぐに駅員さんが駆けつけてくれてベンチで横になりました。目まいの症状はここ半年ほどよく出ており薬も飲んでいるのですが、日中の活動時間に出てくるのは初めてだったのでかなり動揺しました。目まいがひどいので車椅子に乗り、駅の休憩室に運ばれて30分ほど寝台に横になって休みました。そして吐き気がするので駅員さんにエチケット袋を求めると、信じられないほど嘔吐してしまいました。吐くといくらか気持ちはよくなりました。駅員の方に献身的に介護され、ようやく気分が安定して立ち上がることができました。その足で駅近くにある病院の救急外来に飛び込 み、治療してもらいました。かなりの高熱で意識が朦朧としていて、検査と注射をして2時間ほど仮眠しドクターに診察してもらい、入院はせずに帰宅しました。
最近体調不良がずっと続いていたのですが、日常生活でついに倒れるという事態にちょっとショックを受けています。できるだけ無理はせず、休息するときは休息し、しっかり地に足をつけ生活していこうと思います。(波照間エロマンガ島  17/8/6)

(寸評)それは大変だったね。俺も同世代。まだ倒れたことはないが仕事がちょっと続いたり移動が長かったりすると疲労熱が出たりする。
お互い無理のきかない年だということを自覚して体調と相談してゆく時期にきたんだろうなあ。 7ポイント。

はじめてのよその家の喰い方にカルチャーショック

私の実家は小さな町工場で、昔はバール、と呼ばれる木造建築の解体等に使われる鉄の棒(鉄梃:かなてこ、とも呼ぶ)をぎょうさんこしらえて生計を立てていましたが、爺さんが引退し息子も巣立ちいかんせん親父ひとりでは小さな町工場でこのバールを作ることはできず、現在はもっぱらバールの修理でおかんと弟との3人暮らしの家計を支えています。高校・大学の時は私もごくまれにハンマーを振るってバールの先端に割れ目を入れる作業を手伝ったものです。

そんな工場家庭、今でこそ細々やってますがバブルの時は景気がよく、お金の使い方はなかなかもって豪快であったようです。私は幼かったのであんまり憶えてないんですけどね。その日の儲けを爺さんが勝手に引っ掴んで酒を飲みに行ったり・・・。
さてそんな実家の工場、昔は大阪市の天神橋筋にうなぎの寝床のような細長〜い土地を借りてやっていました。この天神橋筋の北側には天六市場・天満市場という2つの市場があり、爺さんはよくそこから果物をもとめてきました。

それに加え、親父の妹すなわち私の叔母さんは九州は熊本のひとと結婚、毎年お盆には玉名平野特産の西瓜やメロンを送ってくれたものです。
すなわちその当時オポム家には夏になると爺さんの買ってくる、また親戚から送ってくる西瓜・メロンがしばしば冷蔵庫に存在したのです。贅沢な話です。私を含むあほ4兄弟は貪るようにそれらにかぶりつき、外皮ぺらっぺらになるまで実を食したのでした。

さてバブルもはじけて私も大人になりました。そんな大学のころ、なにかの折によそのお家でデザートにメロンを頂戴する機会に恵まれました。
もう実家でもながいこと頂いていないメロンにありつける、うほほ。私はにこにこしていました。
お皿に盛られて出てきたメロンは半月型にカットされており、スプーンが添付されていました。

うん?

いやいや、なにもおかしな描写はしていませんよね。尋常なメロンの登場シーンですよね。しかし、私はこの光景に確実に違和感を抱いていました。

お上品なお家もあったもんだなぁ。
なんて思って。

そんな釈然としない心模様はおくびにも出さず辞去、ほいでその後も幾度かよそのお家でメロンを頂戴したとき。
やはりおかしいのです。
スプーンが添えられておるのです。

え? このオポム気が狂った? だってスプーン無いとメロン食べられないじゃん。とおっしゃる皆様の反応は至極まっとうなものであるのですが、私はそのたびに今までの人生を問い直す作業に追われておったのです。

半月型に切るまではいいのです。
なんで、西瓜みたいにそのまま、がぶっ、と行かんねん。
でも・・・ えっあれ・・・・・・ どこでメロン出されても、絶対にスプーン付いてくる・・・・・・・・・ これって、もしかして・・・・・・

そう、メロンを西瓜と同じ時期におんなじように食べていたオポム家。西瓜をスプーンでは食べないように、メロンもそのままかぶりつくスタイルを採っておったのです。そして、そのスタイルでメロンを食べるご家庭は、周りには一切存在しなかったのでした。
えええええええええええ恥ずかしい!!! メロンは直に実ーにかぶりつくものでは無かったのだ!!! 歯型とか付けるものではないのだ!!! もっとお上品に食すべき食材なのだ!!! きゃぁぁなにそれノースプーンスタイルてウチだけやったんやぁぁぁぁぁぁぁぁ(恥)!!!!!

このウチだけ貧乏くさくて野蛮、というイメージは気づいた私に大いなるショックを与えました。その後の人生でも未だにメロンを直ガブするスタイルのお家には出会ったことありません(笑)。非常にありがたいことにメロン・西瓜の両方を同列に感じるくらい、当時は食べる機会に恵まれていたんですね。ただバブルで少々儲かっても性根は貧乏人、喰い方も汚かった、というわけです(笑)。

・・・ただまぁ、ここまで書いといて何ですがこんなもん各家庭ごとでぜぇんぜん違ってる可能性もあるわけで、ひょっとするとおもむろにメロンに頭突きをぶちかまし頭部をめり込ませて窒息覚悟でぢゅぶぢゅぶ喰らう、というのがオーソドックス、というお宅もあるかもしれませんからね。当時はしばらく恥ずかしかったもんですが、今はどう喰おうがメロンはメロンよ、好き勝手にいこうぜ、と開き直れるようになりました。恥を知った上で捨てる、というのも、ある種かしこい選択なのかもしれませんね。私風情が何を偉そうに。たはは。(オポムチャン 17/8/6)

(寸評)いや、メロンなんて普段ちょっとしか分け与えられない物なのでかぶりつくなんて豪快な食い方はしたくても誰もそんな境遇になかったのだよ。
もしそんな食い方してる人を見たら野蛮どころか「超お金持ちの食い方や。すげぇ・・・」と思うよ。 7ポイント。

はじめてのライブハウス

以前、はじめてのコンサート、のネタを投稿しました。はじめてのコンサートホール、ということにもなります。 そこで、次は、はじめてのライブハウス、をいきたいと思います。

はじめてのライブハウスは、今は新宿FACEとなっている、歌舞伎町のリキッドルームです。1996年のことでした。 アーティストは筋肉少女帯で、それまで何度か見ていますが、すべてホールで、ライブハウスで見るのは初めてです。

ライブハウスというものはどういうものなのか。音楽雑誌でアーティストが「ライブハウスはお客と近いから」というようなことを言っているのを読んで、ハウスというぐらいだしホールよりは狭いんだろう、ステージは近いんだろう、と思っていました。

当日。のちに名物と知る長い長い階段を上り、ついに未知のライブハウスに進入。

広っ! 

ライブハウスというのはこんなに広いものなのか・・・ 
ホールとの違いは立って見るだけだなあ、と思い込んでしまいました。

ライブでは、1曲目の終わりでノリ方を間違えて自分だけ右手を挙げてしまい、まだ言われていなかったKYぶりを発揮してしまいましたが、その右手に、ギターの本城聡章さんが投げたピックが放物線を描いてKY野郎の掌に吸い込まれていきました。

広いし、思ったより近いしいいなあ、と、思い出のピックを握りしめ大満足で帰りました。

数か月後。フリーのギタリストだという職場のオペレーターさんが、今度バンドにギターで参加するから見に来てよ、というので、行ってみました。
西荻窪にあるライブハウスだといいます。

ライブハウスの広さの基準がリキッドルーム、という頭になっている私は、「ほう、広いステージでやるんだなあ」、と、貰ったチケットの会場に向かいます。

そこには雑居ビルが・・・ここの地下?

入って行きます。狭っ!
食堂と教壇?

ライブハウスというのは、店によって規模が違う、リキッドルームは特別だったことをこの時初めて知りました。 チケットを貰った出演のギタリストさんには、ライブ後の挨拶で、「狭いんですねえ」と、言えませんでした。(猪熊猛 17/8/6)

(寸評)ライブハウスはあくまで音楽を基本とするステージのある店、くらいの意味なのでお店によって規模は極端に違う。
1000人入れるほとんどホールのようなところもライブハウスだし、お客さん20人でギュウギュウもライブハウス。
まぁ田舎の無人駅も新宿駅も同じ「駅」のようなものだね。
個性的な面白いところは小さいところの方がある。
是非ミュージシャンと同じ空気を吸いにまた来てみて! 7ポイント。

はじめての投稿掲載除外

最近、どーぅもバテてまして、暑さによる寝不足に加え水気の摂り過ぎでの腹の不調、すっかり夜が弱くなっちゃって、投稿に脳味噌を使う余裕がなくなって来ちゃってます。いかんいかん、これは悪い傾向だ。趣味に時間を費やせなければ人はダメになってしまう。

しかしだるいもんはだるい。ねむいもんはねむい。それでも最低限の投稿はしたい。そう、その最たるものが「インディアンケート」。かんたんなアンケートに5問答えるだけでなんと15ポイントもゲットできちゃうというお得コーナー、そのうえ今月下旬〜来月までボーナスポイント月間で15ポイントが20ポイントですって! これは見逃す手はないですよ奥さん! だれが奥さんじゃ。

おおっ、今回のインディアンは各都道府県にまつわるエピソードを投稿すればよいのか。わちゃぁ、私旅なんてほとんどしないからネタに困っちゃうなぁ。まぁ思いつくままにいつも通り脳から出まかせでいったろかい。えーと北海道だけは行ったことあるな、青森はこれで、秋田・・・・・・ 秋田!!? お、驚くほどネタが浮かばない。よっしじゃぁこれで、と。おぉっちょっと下ネタに寄り過ぎたな、訂正訂正。岩手はこれ、宮城はああ書いとこっ。よっしゃポチ、これで20ポイントでしかも毎週ゲットだなんて、今月はツイてるなぁ、おひょひょ。

と、笑っておったのも束の間。早速一週間後の更新を迎えました。

さてさて皆さんはどんな投稿をされてるのかな? わひゃひゃ、こんなエピソードが。楽しいなぁ。十人十色、ちゅうのはこういうこっちゃなぁ。文章に過度な関西弁を使用すると読みづらいなぁ。ほな止めんか。

・・・・・・ってアレ? 北海道、青森、岩手、宮城の投稿はともかく、秋田の項に私の投稿が見当たりません。

おっかしいなぁ、このコーナーは基本的に投稿全採用だから、余程のことが無い限り掲載されてるはず・・・ 私が秋田だけ回答を飛ばしちゃったのかな? と自分の送ったメールを見て仰天。

わざわざ訂正したというのに、それでも完全にアカン内容の下ネタ全開でした。

そのうえ秋田の方がご覧になったら確実に投稿者に怒りを感じるであろう内容、これはいけません。ぜんぜん秋田の良さを出せてない。私は疲れのあまりウケ狙いでご覧の方々の気持ちを無視して下ネタに走ってしまい、初めて「基本的に投稿全採用」から漏れてしまったのです。

私ったら駄目ですねぇ・・・ こないだ「王様」でこの「インディアン」のコーナーのある投稿者さんに苦言を呈したばかりなのに、自分がそれ以上のひどい投稿をしてるんですから・・・ 自分だけが正義のつもりだなんて、私も愚か者にも程があります。石川さんもよくお気遣いくださいました、こんなのが載っては見る人が悲しくなるだけです。新規の投稿者も狙ってるコーナーなのに、あまりに公序良俗に反する内容では新規参入の妨げになりますものね。大変申し訳ありません、またボツにしてくださってありがとうございました。今後は冷静に投稿内容を吟味して送信します・・・。(アホムチャン 17/8/6)

(寸評)もう、いけずぅ。そんなことあるはずないでしょ。俺の凡ミスっす。
投稿全採用と書いてあって採用しない特別な例(一般の人のプライバシーが書かれてるなど)の場合は本人に直接「こういう理由で掲載できません」とひとつひとつ連絡してます。
それ以外は全部俺のアップする時の凡ミス。もっとも投稿メールは溜まっちゃうのですぐゴミ箱に捨てちゃうので残ってないけど、ポイントはちゃんとついてるよん。
今度そういうことがあったら気軽に連絡してねん。ごめんねー。 7ポイント。

初めてのLINEアカウント乗っ取り被害に遭う

こんにちは、波照間エロマンガ島@バンコクです。実は先日、LINEのアカウントを乗っ取られました。

そのとき会社で仕事していたのですが、とつぜんスマートフォンのアラーム音がなり「Lineのパスワードが変更になりました」というメッセージが表示。自分のLineアカウントにログインできなくなりました。すると1分もしないうちに一斉同報でLineでフォローしている人にメッセージが勝手に送信されてしまいました。それは「今、いそがしい?」というメッセージであったそうな。すぐさま何人もの友人や同僚から電話やメールが入り「エロさんのLine乗っ取られてるよ!」と教えられました。

すぐさまLineの本部サイトの問い合わせフォームから送信して状況を説明、アカウントを停止するよう依頼しました。そして友人たちに乗っ取られた内容のメールを送信して「詐欺を誘導する書き込みは無視してください」とお願いしました。さいわい数時間以内にアカウントは停止されましたが、同じアカウントは復活できず、新しいアカウントを作成。Lineでのみつながっている人のIDのいくつかは消去されてしまいました…。

それにしてもLineのセキュリティーシステムがこれほど脆弱だとは思ってもいませんでした。わたしは怖くなったのでふだん使用しているほとんどのWEBツールのアカウントのパスワードを変更しました。

印象的だったのはつながっている全員に「今、いそがしい?」というメッセージが飛ばされてしまったので、仕事関連の関係者、上司や同僚などにそのメッセージが届いてしまったこと。特に上司の副社長には「ふだん言葉遣いが丁寧なのにとつぜんため口になったから気が狂ったかと思ったよ」と笑われました。

スマートフォン時代になり、通信手段はますます便利になっていますが、思わぬ落とし穴があるんだなぁ、と今回の件で学びました。(波照間エロマンガ島 17/8/6)

(寸評)俺はLine使ってないけどこんな脆弱な感じで国はLineとマイナンバーを繋げようとしている。おそろしあ〜。 7ポイント。

初めての石川さんへの暑中お見舞い

暑さ厳しき折柄、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。
猛暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
昨年にもまして暑さが厳しく感じられます。
お体を大切にお過ごしください。(わいわい 17/8/6)

(寸評)そう来たか(笑)。
「いかがお過ごしでしょう」って毎日このホームページ見とるやろが! 4ポイント。

はじめてのニヒル牛

東京で12年働いていた友達が東北の実家に帰るという。「なんの挨拶もなしに東北の家に帰っていってしま」うこともなく連絡をくれたので長崎から東京まで送別会に出かけることにした。奇しくも日時は7/1で「どうしよう、、生誕祭に、、行きたい、、」とちらりと頭をかすめてしまったので、俺がメロスならセリヌンティウスに殴られているところだ。

送別会は楽しく終わりその翌日、飛行機まで時間があるので、日頃から行きたいと思っていたニヒル牛に行くことにした。東北の友達もついて来てくれるという。ただ時間がわずかしかない。14時の飛行機なので12時15分には店を出ないと危ない。調べたらニヒル牛開店12時じゃん!滞在時間15分か。。もちろんそれでも行くことにした。開店時間同時に店にはいれるようちょっと早目に行って待つことにした。すると幸運なことに10分前にあるさん(と思われる)方が来てお店のシャッターを開け始めた。わし「入れますか?」「準備しますのでちょっと待ってください。」しばらくするとお声がかかった「すみませんお待たせしました!」こっちこそ無理言ってすみませんでした。

お店に入るとお店はキラキラしている。丁度海中アパルトメントの期間中で店内は海の雰囲気になっていた。しかし時間がない!のんびりしてられん!そもそも雑貨屋さんでのんびり出来ないというのは致命的である。とりあえずお目当てのものを探す。焦って焦って見つからない。仕方がないのできいてみる。わし「あの、石川さんのキーホルダーはどこでしょう?」「あ、あれならそこです(指差しながら)」これこれツイッターの写真で見たやつだ〜。わしが手にとって見てると、あるさん「そんなので良ければどうぞ」(製品がどうこうではなくそんなモデルのキーホルダーでいいのというニュアンス)と仰る。そんなのってあなた、この方が最高だから結婚したんでしょうにのろけ?と思いながらも3つ購入決める。その他石川さんモデルの葉書とシール、シングル「マトリョーシカ」「玄関」。あと一緒に来てた東北の友達のために招き猫の人形を購入。この友達は東北に帰って自分のお店を開くんですよ。お店にこの招き猫置くそうだ。ニヒル牛の招き猫よ、お客をいっぱい招いておくれ!

会計であるさんとお話をする。わし「石川さん熱は大丈夫ですか?」「すぐに体調崩すんですよいつもの奴なので大丈夫。ひょっとして昨日のライブ行きました?」「すみません行ってません。。」話をしながら思ったことは、たしか石川さんが妻が妹とよく間違えられると呟いていた通り、本当に似ているなぁてこと。よく夫婦は似るって言われているけど、毎日同じ物食べているからかなぁ。それからツイッターで見ていたしまざきみくさんのDM(まるで商品)を貰い、重慶で購入されたビニール袋(感動した)に商品を入れてもらい店を出た。

初めてのニヒル牛は思ったよりこじんまりしていましたがとても居心地のよいところでした。上に書きそびれましたが、店内に入ってすぐ大荷物を抱えてた私をみて荷物を預かってくれたり、店内写真オッケーですよといってわしの携帯で店内背景にしてあるさん自らの御手でわしの写真とってもらったり、雰囲気がいい空間でした。本当は箱一つ一つゆっくり見たかった。今度来るときは十分時間を作ってのんびりさせてもらいます。

ちなみに空港にはメロスのように滑り込み(搭乗締め切り10分前)、無事に帰ることができました。ありがとう友達!ありがとうニヒル牛!また絶対に会いに行きます!(長崎パピー 17/7/16)

(寸評)おおっ、来てくれたのねん。嬉しい〜。
ニヒル牛は基本的に一点物の作品なんかも多いのでじっくりひとつひとつ見ようとしたら一時間はかかるからね。わずか7坪の駄菓子屋くらいの大きさの店なのにね。
今度は是非ライブと組み合わせて遊びに来てね! 7ポイント。

はじめての私のお肉が知らぬ兄ちゃんのもとへいやんいやん

こないだ。私が最近某ステーキ店にハマっており減量のご褒美に月に1,2回行ってる、という話を受けて、勤務先の直属の上司たるぽっちゃり課長がうずうずしていました。

この課長は私と同様お肉と甘いものに目がなく、先だってドーナットの喰い放題に出掛けた投稿にも登場しました。
前回のドーナットパラダイスのちヘルでは私が課長の希望に応えるかたちで段取りしてご一緒したのですが、今回は私からお誘いしてみました。

オポ「課長、おうちの近くにも某ステーキのお店あるって言うてはったじゃないですか。この金曜に行きましょうよ」
課長「そやな、今度の金曜やったら行けるわ」

案の定誘いに乗って来ました、ミート課長。
さてさて金曜日。無事に仕事を終え、JRでうきうき内回り、西九条から天王寺へ。いつもはJR天満駅すぐのお店に行くのですが今日は課長の家のそばであることを重視し天王寺のお店へ出向きます。まだお子さんが小さいので早く帰りたい、とか。悪い事しちゃったかな? まぁたまには、ね。

天満のお店はほぼ椅子が用意されていましたがこちらは奥にわずかに座席があるくらい、立ち食いがメインのようです。そのかわり調理場の様子がよく見えて楽しい。高くあがる炎。ぼゎぅ。うきょきょきょ、俺の肉が燃えているぜ。俺の心も燃えているぜ。誰や。この日は1g6.5円のリブロースステーキを400gカットしてもらいました。贅沢の極み、じゅるり。♪お肉は厚めの、レアがいい〜〜(「舟唄」ふうに)。
ぺっこぺこのお腹でお肉が焼き上がるのを今か今かと待っているアラフォー小太りおっさん2匹。そこへやってきたのはお肉ではなく予期せぬ事態でした。

私はこのお店で注文をする際に、ちょっとしたこだわりがあります。それは付け合せのコーンをブロッコリーに替えてもらうこと(インゲン・ポテト等にも変更可)。細かいコーンは、不器用な私ではフォークで食べるのに時間が掛かり過ぎてしまうのです。ブロッコリは大きいからぶすっと刺せば仕舞いだもんね。
そんなブロッコリーとお肉を乗せたお皿が、給仕のお姉さんの手に。よっしゃぁ喰うぞ、と興奮したのも束の間、我々より後にお店に入った兄ちゃん達の席へ運ばれていき、兄ちゃんはそのお肉をうまそうに食べ始めました。もうひとつのお皿も、その兄ちゃんの相方の席へ。

ひょっ??
厭な予感が。
付け合せのコーンをわざわざブロッコリーに替える奴なんて、これまでに私以外で見た事ありません。
しかも私より後に注文した人のところへ先にお肉が行くなんて。いやんいやん。

にわかに厨房がざわつきはじめました。
同時に、課長がこれ以上ない、極まった仏頂面になりました。トップオブザ仏頂面。この男は精神に不快が生じると誰から見てもひと目でわかる不機嫌フェイスが出来るという接客業においては稀有な存在です(あかんやんけ)。

あばあば言い合う厨房のお姉さんお兄さん方。そのうち給仕のお姉さんが私&課長のものであろうお肉をうまそうに召し上がっている兄ちゃん2名に申し訳なさそうに歩み寄り、事情を説明しています。お皿は無情にも下げられ、彼らが受け取るべきであった正規のお肉のお皿がほどなくして運ばれました。
んで、我々の立場は??
もう注文してから、ずいぶんな時間が経過していました。そこでこの、仕打ち。腹はすでにぺっこぺこからべっごべごになっています。

真横の課長。死んだように見えて怒りを内に秘めた瞳の奥は獰猛に光ります。この男に罵倒されると私は1週間ほど立ち直れなくなるのです。わちゃぁ、誘って失敗した。私はすべてを諦めて笑いだしました。はははははははははは。
するとすでに説明を待つまでもなく勝手に状況を察している我々に、店長さんがハの字眉毛でやって来ました。

「お客さま大変申し訳ございません、お召し上がりのなる筈のお肉を誤って別のお客様のテーブルへ運んでしまいました。まったく同じグラムでカットするのは難しいのですが、何グラムでご注文いただきましたでしょうか」

我々はまじめに400gと答えました。

「恐れ入ります、ではすこし大きめで再びご用意いたします。お待たせ時間が倍になってしまいましたので、どうぞこちらでお掛け下さい」

私と課長は奥の数少ない座席を用意され、立ちっぱなしからは解放されました。

「こちらはサービスです。お待ちの間にどうぞお召し上がりください」

なんと注文していないサラダ、しかもビッグサイズが運ばれてきました。これまた注文していないスープも付いてきました。そしてお肉は若干多めで登場し、一緒にオーダーしたガーリックライスは大盛りでやって来ました。

きゃっほう。

厨房のチョンボの責任を取らされた店長さんは気の毒ですが、私はもう超ハピネスフル(?)な顔面でお料理を眺めました。
世界仏頂面コンテスト第1位に輝きそうな勢いだった課長も、ようよう機嫌をなおしてお肉にかぶりつきました。

オポ「や〜余計に腹減った分お肉も美味しいですね。サラダまでもらえて増量してくれるなんて。良かったなぁ、ツイてたなぁ」
課長「・・・まぁ、ある意味そうやな」

余りにも私が上機嫌なので、課長も徐々に硬化した態度を崩しはじめました。あぁ良かった。
お会計時、店長さんからあらためて詫びられました。

店長さん「お客さま大変失礼いたしました」
オポ「いえいえいえなんかいろいろ戴いちゃって、逆にすいません」
店長さん「とんでもない、今後ともよろしくお願いいたします」

(待つくらいでいいなら、またオーダーミスしてくださっても私は構いませんですことよ・・・)
なんて本音はしまっておき、お会計を済ませお店を出ました。お肉は美味しかったので課長も満足したようで一安心。それ以来このお店でテーブル間違いは発生しておりません(笑)。う〜んちょっと残念(笑)。しっかしテーブル番号とバーコードで席とお肉の紐付けはオーダー時にきちんとされていた筈なのに・・・ 不思議なこともあったものです。私にしては結果オーライですが。うふふ。得したなぁ。ただしかし予定外にお腹がぱっとぅんぱとぅんに成り果てたので、リバウンドを恐れた私は天王寺から梅田まで歩いて腹ごなしすることにしました。アディオス課長。さぁて道はようわからんけど、いっちょやってみたろっ。ぽてぽて。(オポムチャン 17/7/16)

(寸評)時々あるよね。「こっちが先だろがいっ!」
でもこんなサービスなら次から「順番抜かしサービスひとつ!」とオーダーしてみては・・・。 7ポイント。

はじめてのミナミ(よりもうちょい南)からキタ歩破

ちゅうわけで、大阪の繁華街ミナミ(難波駅周辺)・・・からもうちょいと南の、「あべのハルカス」が有名? 全国的には無名なん? まぁようわかりませんがそんな空高っかいビルのある街・天王寺から、もう一つの中心地キタ(梅田駅周辺)へ向かって、お肉を食べ過ぎたあほが道もようわからんまま金曜の夜に歩きだしました。

某ステーキ店で課長と別れた時刻は19時半。さぁて何時間かかるやら・・・。いささかびびりつつもわくわくしている自分が恐ろしい。ははは。この歳になってわけのわからない小冒険をするのが好きになってきたのです。40前のおバカ覚醒。バ覚醒。

ふらふらと天王寺動物園をかわして西へ。テキトーに北方向へ曲がろっかな、と国鉄新今宮の駅をくぐればアッ、ここごっついお金かけて建物のなかにジェットコースターとか通して開業当初話題になったけど一瞬でポシャった“フェスティバルゲート”のあったところやんか。大阪プロレスの常設会場デルフィンアリーナもあったけど一回も行かんかったなぁ。ということはここは堺筋に通ずる道。あっっここでこないだのレポートの誤りを発見、「ザ・レポート(37)」の「2017.5.12 PM11 雨のキタからミナミへ車中で2人っきり」で私は石川さんを乗せて堺筋を南下したと書きましたが堺筋は北方一方通行で、私が南下したのは“松屋町筋”でしたね。お詫びと共に訂正いたします。どこでしとんねん(泣笑)。
パチンコ屋に身を転じたフェスゲを尻目に北上すると右手にびゃらびゃら光りそそり立つタワー、通天閣。ああ、ピンクにびかびかしていてとってもお下品だ。お前は陰茎か。いいえ違います。そうですね。すんません。ともあれこの辺りはあまりガラの良い土地とは言えません、さくさく進みましょう。

チンポを過ぎると(違う)、大阪の秋葉原的電気街、でんでんタウンのある恵美須町〜日本橋に差しかかります。大阪にも東京には負けますが日本橋って地名があるんですよ。よく幼稚園以来の友人MJとファミコンのカセットを買い漁りに来たなぁ、ファミコンブームから25年くらい過ぎてから。「トムとジェリー」めっちゃ難しかったなぁ。「あらいぐまラスカル」は何故かパズルゲームやったなぁ、説明書無いからルールがようわからんかったなぁ。あっメイド喫茶の看板がある。まだ流行ってんのかな。行ったこともないのに『お帰りなさいませ♡』とか言われたないわー。

電気街を抜けて黒門市場を横目に過ぎると日本橋駅。あ、ここのビル、関西随一のエイナル風俗のお店やんか。ドキドキ、あっなんか閉まってるみたいやわ。ホッ(なにが「ホッ」、だ)。さぁ北へ北へ、道頓堀のまわりも綺麗になったんやなぁ、TVで視るだけで歩いたんは初めてやけど。んむむ、この辺はおもろない、郵便局とポリさんがある。もはや橋のない長堀橋を通過、ここからはビル街が続き途端に歩くモチベーションが下がります。そうだ、最近結婚してこの近所に住んでる中学からの友人・豊中の3バカS井に営業でもかけたろ。あっ赤ちゃん小さいから電話はNGやな、メールしとこっと、えー「いま天王寺から堺筋を歩いて北上しています。こないだのこども保険の話よろしくね。もし都合が合うなら今から伺います」それにしても私は一体なに屋なのだ。まったくわが社はわけがわからん会社だぜ、そらこんな社会不適合者を15年も雇うわ。はは。ぼちぼちクビかなぁ。ながいこと歩いてるとどうでも良いことまで脳裏にぷかぷか浮かんできますから厄介です。

メールを打ってる間に気が付けばでっかい銀行ビルの群れ、ここ北浜は大阪の金融の中心地です。まぁ私には縁もゆかりもござらぬのでスルー・・・ って2015年10月に石川さんを暗闇出前ライヴでお招きした画廊喫茶のすぐ傍じゃないか。もはや懐かしい。最高に楽しかったなぁ。うーんメールの返事はない。まぁこんな時間(20時15分)に家に来られても奥さんベビーに厭な顔されるだけだろうしな。
中央公会堂、大阪市役所、日銀、フェスティバルホールなどが並ぶ中之島をまたぐ難波橋を越えたところで三叉路、堺筋は右へ曲がり天神橋筋と合流してここで終焉です。私はそちらへは行かず梅田方面、左すなわち北西へ進みます。なんじゃこりゃ出汁の自販機がある、おもろいけど間に合ってます。
国道1号を縦断、「もうあかん、やめます!!」と何十年もずぅっと店先に書いてた靴のオットー、ほんまになくなってる・・・・・・ よう粘ったなぁ。えーとでもこの先北に歩いたことないぞ・・・ってああ! ようやっと梅田の匂いがする、見覚えのある場所へ出ました。こないだ石川さんがライヴに来てくださったムジカジャポニカの近くの神山町の交差点。あとちょっと歩いたら昔裏DVD買いまくった(照)東通商店街やがな。ふぅ良く歩いた。思いの外するっと迷わず行けたなぁ。ここで時計(がわりの古代携帯電話)を見ると21時、ちょうど8km歩いた計算です。お腹もこなれた感じです。いやぁはじめて歩いてみたけど面白かったなぁ。しかしちっさい「ぁ」ばっかり文章に使てて読みにくいことこの上ないなぁ。ほれ言うてる傍から、ははは。後日石川さんを天王寺の宿泊場所にお送りする際にこの経験が活きて、周辺地理が把握できたのでよかったです。

歩いて景色を見ながらその場所を意識する行為、って、車とかで通り過ぎるよりも自分の中の脳内地図がより確固たるものになっていくようでとっても面白いです。あっ、よい子の皆さんはお昼間にやろうね! 婦女子が夜の大阪市内をふらつくのはオススメできませんよ(笑)! (オポムチャン 17/7/16)

(寸評)歩きながら自販機で珍しい缶ドリンクを探しながら歩くと意外と早く着くよん。
オポムチャンの場合は前を歩いている女の人のぁなるを想像しながら歩くといいかもね。ご苦労さん! 8ポイント。

初めてのラオス・ヴィエンチャン旅行〔2008年6月15日〜18日〕

2008年6月。タイへ移り住んで1ヵ月半。タイ語学校で毎日たくさんの宿題に悪戦苦闘悶絶しつつ、タイ語三昧の日々をすごしていました。少しずつですがタイ語の日常会話のエッセンスがわかるようになってきました。 そんな中、とつぜん3泊4日でラオスのヴィエンチャンに行くことになりました。

クラスメートの一人の女性が学校側の書類ミスで留学ビザが間に合わなかったので、いったん国外に出てタイのEDビザを取る必要があり、それでラオスに行くことになったのです。

その間学校は休みになるので、それならばと、一緒にいくことにしました。タイ語学校の校長先生から「お金は出しますので行きませんか?」という誘いがあり、ふたつ返事で「行きます」と話に乗ったのでした。

しかしながら、チェンマイからヴィエンチャンまではかなり遠いんです。地図を見ると山脈や国境やらがあって直線では行けないんですね。
校長のKさんの運転で、南に下りピサヌロークから東に折れて、イサーンのノンカイまで12時間かけて行きました。国境の町ノンカイで一泊し、翌日にタイ・ラオス友好橋を渡ってラオスに入国しました。ヴィエンチャンのタイ大使館で手続きをして、翌日ビザ発給までのあいだヴィエンチャンに1泊、翌日の午後当地を発ってチェンマイに戻ってくるという旅程でした。
陸路での移動だったのでめちゃくちゃ疲れました。
ざっとですが移動距離を地図で測ったら、往路(チェンマイ―ヴィエンチャン間)が670km、復路(ヴィエンチャン―チェンマイ間)が820kmありました。 帰りはスコータイ遺跡を観光して遠回りしたので距離がかかっています。
合計1490km、なんと1500kmになんなんとする距離でした!!タイって広いと実感しました!!

簡単にラオスの首都ヴィエンチャンの第一印象を(長所、短所)というかたちで箇条書きにしてみたいと存じます。あくまで私の独断なので他の方は違う評価をくだされると思うので鵜呑みにしないでくださいまし。

[ヴィエンチャンの長所(とわたしが思ったこと)]

・旧フランス領だったせいか、屋台でフランスパンが売っていて美味しい。
・屋台料理はタイのイサーン料理と変わらず。カオニャオ、ソムタム、ぶっかけ飯、…なんでもあった。 (あとから勉強したところによると、タイのイサーン料理とラオス料理は同族の料理でした)
・タイバーツが使える。両替する必要はなかった。
・地ビールのビアラオの美味しさ。タイには輸出してない模様。免税店でたくさん買い込みました。
・中心部のサオ市場には中国産のDVD商品(違法コピー含む)が大量に売られていた。宮崎駿の作品13枚組で1000バーツ。その他、日本のドラマは12話ものが6枚組で250バーツくらいから。公開直後の「インディ・ジョーンズ4」もすでに出回っていた。
・タイからビザなしで入国できる。
・街がきれい。人が少なくて静か。
・タイよりも肉感的なぽちゃ体系の人が多い。

[ヴィエンチャンの短所(とわたしが思ったこと)]

・チェンマイに較べて暑くて湿気が多い。汗をたくさんかきました。
・帰国時、ノンカイのイミグレーションが時間によって激しく混む(ビザ発給者が多いため)。ちなみに私たちは1時間近く並びました。
・舗装されてない赤土むき出しの道路が多いので雨が降るとすぐにぬかるみができる。
・物価もそれほど安くはない印象があり。バーツで買い物ができるのですが、自国通貨でないので、ある程度端数は上乗せしているのだと思います。

それとこれは大変貴重なものを見させてもらったのですが、バトゥーサイ近くの寺院を拝観しているとき、ある広場に人が集まっているので何かなと近づいてみると、お葬式をやっていました。そしてびっくりしたのは、なんと人が大勢見ている前で遺体の火葬をしていたのです!それで翌朝また散歩でその寺院に行ってみると、人が集まって骨を拾っていました。日本のように高圧高温で焼くわけではないので、粉々になるまで時間がかかったのでしょうね。これは文化・習慣の違いとはいえ、たいへん衝撃を受ける体験ではありました。

そんな初めてのラオス旅行の話でした。しかしながらわたしがもっともインパクトを受けたのは、タイという国は大陸にあり、四方を外国と接しているので、陸路で簡単に国境を越えることができるということでした。これは日本に住んでいては味わえない醍醐味だと実感しました。(波照間エロマンガ島 17/7/2)

(寸評)タイには10数年通ってるのに隣国ラオスには行ったことがないんだよなー。
「世界一(国としての特徴が)何もない国」という話もよく聞くけど一度は訪れてみたいな〜。8ポイント。

初投稿から1年

2016年5月の初投稿から1年が過ぎました。
これまでの投稿を振り返ってみたいと思います。
最初の投稿はクイズでした。そして5クエスチョン、クイズの順となっています。
少ししてチャットにも入っていましたが、2016年末から一度も顔を出していません。

今思うと、昔の投稿王のポイントの推移をデータにして残しておけばよかったなあと後悔しています。どこかで過去ログ見られないかなあ。
途中からはポイント値と順位は記録しているのですが、分かっている限りでは一回(半月)の最多ポイントは247点でした。
投稿したのに一度も採用されていないのは「ヒゲカバ」と「行方不明ヤギ」の2コーナー。

投稿して嬉しい石川さんのコメントは、主にレポートでの、
「まだ読んでいない、届いていない・・・」と「これは初耳」を聞くとうれしいですね(笑)。
「王様」での「それは知らなかった」というのも。特にいか天などで「知らなかった」というセリフを聞くとやったという気になります。

石川さんからもらったレスで印象的なのは
1・「『さよなら人類』は柳原くんの曲です」(もう2000回くらい書いていますがやっぱこれかな)
2・(イオンなどのリカーショップの缶を集めましたかの問いに)「基本です」というレス。これは思い出深いレスです。
3・わいわいって何者?(初期のころ王様やチャットでよく書かれていた)。
ですねえ。
投稿王で顔と名前が一致するのは、女性の方で一名だけ。
石川さんの周りの人で気になる人は「(笑顔が素敵な)健さん」。

クイズでの30ポイント総取りは「Rさんが朝早く部屋から飛び出した何をしに行った」で「ポケモンgo」で持ち越し60pを二人で山分け。これは当時私もポケモンgoをやっていて全国のポケモンが出るのを地図で知らせてくれるアプリを入れていたので、これだなあとすぐ気づきました。近所に珍しいポケモンが出るとよく家を飛び出していました(懐かしいなあ)。ポケモンは30分程度しか出ないので忙しいのです。
単独30pは「ライブで物まねをやったけど誰?」「山下清」で30p。一度きりですね。
毎日クイズは解答しているわけではありませんが、見事なまでに正答率は低いです。

わたくしはネットゲームやネット投稿は、1年を過ぎるとどうしても急激に飽きちゃった回路が働いて辞めてしまいたくなるので、この先どうなるかわかりませんがこれからもよろしくお願いします。(わいわい 17/7/2)

(寸評)あ〜、一年でここまで上がってこれたんだね。スゴいスゴい!
ライブに来ると他の投稿者の人などと会えてまた話題も広がるよん。
旅の話もいつかゆっくり聞きたいね。
継続こそ力。今後も末長くよろしく〜! 7ポイント。

初めてのタイビール





今回は初めてのタイビール、チャーンビールです。チャングでは思い切り中国ですが、英語スペルからして中国に近いのでは。
呑んでみましょう。
ごくごくごく。
味は濃く、匂いはあまりしません。
以上です(グルメレポにも何にもなっていません^^;)(わいわい 17/7/2)

(寸評)いつも俺がタイで飲んでるのがこれ。瓶だけど。
日本の酒税法だとビールじゃなくてその他の雑酒になると聞いていたのだが。
この表記は見なかったことにしよう。だって痛風でビールはやめてるけどタイでは毎日これを飲んでるから・・・。 5ポイント。

はじめての吊橋

19日三島のスカイウォークと言う吊橋に行ってきました。
初体験の吊橋、結局怖くなり1m辺りで引き返しました。
何と言っても400mだから無理なわけだ。

のそのそと歩いている私に他の観光客は追い抜いているし
他の家族はさっさと行ってしまうし悲惨だった。

お土産買うときが一番楽しかった(大空きらり 17/7/2)

(寸評)俺も高所恐怖症だから多分無理〜。
やっぱりお土産屋さんが一番だよね! 5ポイント。

初めて蜂に刺された

初めて蜂に刺されました。朝、大学に行く途中、坂を登っているといきなり左のまぶたにバチンっ!と虫が激突。激突だけならよかったのですがさらにそのあと激痛が。まだまぶたに蜂がついていたらどうしよう〜!と思うも、痛くて分からず、触る勇気もなく、とりあえず痛すぎて、「いででいでいていていていたいーーーーー!!!!」と喚きながらバタバタ頭を振ってました。その声を聞きつけた近所のおばちゃん2人がかけつけて、私を助けてくれました。保冷剤を家から持ってきてくれて痛いよ〜痛いよ〜と思いながら当てがってると、ダラダラ滴り落ちるものが。血かな?と思ったら痛すぎて出てきた私の涙でした…。そのあと鏡を見せてもらうと、ポチッと赤い点がまぶたにありました。こんなに痛いのに、こんな小さな刺しあとなのか〜と騒いだ自分が恥ずかしかったけど、でも本当に痛かったんだよ〜とほほ。そのあと、大学の保健室でムヒを塗って氷で冷やしてもらって大分痛みはひいたのですが、夜中にまた腫れたら大変ということで病院で診てもらうことを勧められ、その足で行って薬を処方していただきました。まだ少しピリピリ、ズキズキ(打撲のような痛みです)します。早く治ってくれい。石川さんは蜂に刺されたことはありますか?(つしまん 17/7/2)

(寸評)蜂もアブも昭和の時代はもっと多かったのでもちろん刺されたことはあるよん。
女に刺されてないだけマシか・・・。 5ポイント。

初めてのセルフホールインにチャレンジwww(下ネタ・閲覧注意)

このHPでさ、石川さんチョイチョイ投稿者に「次は自分のケツの穴に自分のモノを入れるのに挑戦だっ(笑)!」みたいなこと書いてんじゃん?で、やってみたの(笑)。まずいきなりフルボッキじゃ後ろにモノが回んねー、フニャッとしてるうちにホールに添わせて…ってボール2個がジャマだなwww2玉まとめてサイドによけて(笑)添わしたほうがホールに近づく。引っ張って引っ張ってやっと先端が触れる程度。もうちょっと頑張ると(笑)頭がホールの真上にキタ!俺も大概変態だわwww、さ、いっちょホールインしてみっか!と思うも入んねー、ナンデ?まずムリヤリ後ろに回してきてるモノの硬さが足りねー、んでそもそも挿し込むにはある程度角度がいるケド角度つけるには長さが足りねー(笑)粗珍じゃ無理じゃん!しょーがねーから頭をホールに押し込むようにしてグイッグイッて繰り返してたらなんかイイ感じになって来て(笑)ホールにインはしねーけどコレ前立腺に響くわ!先端と前立腺に、一押しで同時に快感が…俺もうこれでいいわwwwうつ伏せでクイクイ押し込んでるうちに果てた、折れ曲がってるからかあんま出なかった(笑)、でも自分のホールにブッカケってヘコムな(笑)もうしねーwwwんである日ネットでエロ動画漁ってタラ偶然「SELF F●CK」って見つけて外国の長竿レディーボーイがガンガンセルフでホールインしてて笑いながらヌイタ(爆)(ナルセ 17/6/18)

(寸評)おおっ、それって出来るのか!
俺も考えてみたことはあるが勃起時の角度から無理と諦めてた。
何事もまずはチャレンジが必要ですな! 8ポイント。

初めての「マルサ」体験

1990年代半ば、当時勤めていた会社に東京国税局特捜部の査察が入ったことがあります。

伊丹十三監督作品「マルサの女」とまったく同じく某月某日某時刻ちょうどに東京の本社、関東に14箇所あった営業所、XX県にあった工場、あとは社長の自宅と同時一斉に「踏み込まれ」たのです。わたしは生まれて初めての体験にもちろんドキドキドキリコでしたー!

といっても、わたしは下っ端社員なので、脱税や帳票不実記載などの犯罪に手を貸したというわけではなく、「マルサの女」のように社長の愛人が夜間金庫の鍵をもっていたということもなく、調査は淡々と進められました。後から知ったのですが、弊社に査察が入ったのは弊社を摘発したいわけではなく、弊社の大手取引先の某社の不正取引を摘発するためだったらしいです。

会社の会議室のテーブル上に過去何年間分かの資料が山積みに詰まれ、それらを段ボール箱に入れて運び出すところなどは、映画やドラマのシーンで見たことのあるシーンみたいで興奮しました。作業は夜まで行われていました。夕方廊下を歩いていると、会議室の中で弊社の部長が国税局の役人に「こんなことしてもちょっと調べたらすぐにわかるんですからね!」と語気強く叱責されているのが聞こえ、怖気を奮ったものです。

査察の結果、うちの会社は罪には問われませんでした。というマルサ初体験の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 17/6/18)

(寸評)ほえー。昔やっていた有限会社たま企画室にはマルサ来なかったなあ。
来てもあまりに規模が小さく見合わないだろうからな・・・。 7ポイント。

はじめての混声三部合唱編曲&演奏会で披露

その昔、もう10年近く前ですね。私はかつて所属していた少人数の合唱団において歌唱能力はダントツの屑でしたが厳しいトップのそばで練習がギスギスしないよう道化役を買って出るムードメーカー的なポジションをやっておりました。

大学の合唱団で同期だったメンバー中心でやっていたので、団の代表兼指揮者はなんでも言い合えるぶん指導もいささか辛辣で団員が心を折られることもしばしば。ですがその代表が参加できないときは私がそれまでの練習で足りないところの補佐を受け持っていました。一番歌下手なくせになんでって? だれもやんないからです(笑)。なぜか私団員ウケはよかったのでね。
発声練習なんかもふだんはやらないことを、たとえばいつもの音階を短調にしてみたり、CMソングをテキトーに3和音でハモらせてみたり、ピアノが弾けないのでギターで伴奏したりと鬼の居ぬ間にやりたい放題(笑)、緊張のなかの緩和パートを担当してたんですね。

そんなおふざけの発声練習から、意外と自分は3部合唱のアカペラ(無伴奏・声のみの)アレンジすなわち編曲もやってみたら出来るかもなー、なんて思ってたら代表が「うちの合唱団だけで演奏会するぞ、教会借りて。演目は一部が北欧の宗教曲、二部が日本の大正昭和歌曲のオリジナルアレンジ、三部はWilliam Bird(オポ:誰?)の三声のミサや!」と突然の事態、そして「オポム、お前も二部の日本歌謡で何曲か書いてこいや」と相成ったのでありました。

代表が編曲に選んだ題材は「月の沙漠」「叱られて」「待ちぼうけ」など。私は小学校の頃から丸メガネの早逝の作曲家・滝廉太郎の楽曲が妙に好きであったへんてこな餓鬼だったので、迷わず「箱根八里」をチョイス。♪はっこねんのやっまわ〜てーんかーのけ〜〜ん、っちゅうやつですね。5年生の時に音楽の授業でこの曲のあまりに無意味な(?)盛り上がりで奏でられるオーケストラのレコードを鑑賞して以来大好きになってしまったのです。

当団の代表は楽譜とにらめっこして緻密に小難しい曲を理系的な脳味噌で作り上げて来ましたが、私は計算や新しいことの創造は大の苦手です。感覚的に聴いててたのしいものをこしらえてみよう、とまずは五線紙を放り投げて録音機材の前に座りました。
生きてゆくために肝心なことは一瞬で忘れる癖に、人生の上ではどうでもいい事柄など、わけのわからない部分で記憶力のよい私は当時聴いたレコードの旋律・和音がしっかりおかしな脳味噌に残っています。それをもとに和声をつくればいいのです。

まずはソプラノ・アルト・男声の3部を楽譜を書く前にイメージで録音してみます。女声パートも裏声で歌っちゃうの。なぜって? だれもやってくれないからです(笑)。ソプラノ(女声高音)ばかりがメインのメロディを執ることが多いのですが、それじゃ他のパートは歌っててもつまんないもんね。ただやはりメインはソプラノにしないと聴き映えもしないのでアルトと男声にも4小節だけ主旋律を歌わせることに。この主メロディにどうハモったら気持ちいいかな、楽しく聴こえるかな? 音域的に無理はないかな? わーこれ大変だけど楽し(笑)。

ひとしきり録音してなんとなく形ができればあとは楽譜に書きおこして和音の整合性をチェック。3パートしかいないから音の数は限られてくるので同じ音がかぶると和音に色が付かないのでもったいない。あっここハモってないやんか。でもあえてこれでいってみたろ。いやいやこれよく聴いたら違和感あるわー、と譜面と録音機材を行ったり来たりして調整、ようやく出来上がりました。

しかしもとの楽曲そのまんま過ぎるのもなんだか淡白だなー、と謀反気を起こした私は突如頭のネジがいかれて奇抜な路線を渇望、2番からは6/8拍子と7/8拍子の混合変拍子で曲を書き(歌い)進めてしまい大後悔、ハッと冷静になって聴いたらあまりに前衛的過ぎて誰にも、自分にすら理解できない意味不明のアレンジが出来ていました。

あわててごっそり五線紙を隠し、元の路線に軌道修正、リピート記号を書いて代表に提出しました。いろいろダメ出しを喰らいましたが団員は私の味方で(笑)、「楽譜面だけで判断しないでいっぺんこれで歌ってみたら?」と提案してくれ、3声で歌ってみたら意外と感触がよく、若干の修正を加えられただけで採用となりました。ヤッタネ! ちなみに滝廉太郎でもう一曲、♪は〜〜るの〜〜うら〜ら〜の〜〜〜、っちゅうやつ(「花」)も作りましたがこれは歌われる前にボツを喰らいました。

2007年。地元の教会を借りて団はじめての演奏会。お客さんは代表が100人くらい集めてくれました。第二部のオープニングは、私の編曲した「箱根八里」です。鳥居忱さんの書いた詩の内容は「箱根の山ってもうほんまめっちゃ険しいけど昔のごつい武士とかがんがん駆け回ったんやろから凄ぇ、最近の若いもんもそう(豪快で)あって欲しいのぉ」みたいなもんです(笑)。大したこと言うてないのでノリが大事です。

歌詞に入る前の前奏部分で綺麗にドミソがハモり、練習の成果はバッチリ。よくこんなええ加減な奴の書いた曲をみんな練習してくれました。
フィニッシュもコントラバスとバスドラムをイメージして全員で低いドの音でキメ。第一部では用意した曲が全曲終わるまで静かでしたが、第二部の初曲であるこの曲が終わった瞬間、拍手が巻き起こったのは感動でした。そんな反応があったのはその日この曲だけだったのです。少ないお客さんだけど、私のアレンジを楽しんでくだっさったんだ・・・・・・。嬉しい。細かい計算じゃなくって聴いた感じの楽しさのイメージを最優先して、正解やったんやー。イッツァ・ビギナーズ・ラック(笑)!! 終演後も打ち上げでこの「箱根八里」のアンコールをリクエストいただいたり、大学の後輩の男の子に「これ楽譜もらえませんか?」なんて言ってもらえて有頂天。まぁ何といっても、私の実力はほぼ関係なくもとの曲が良かったのでしょう(笑)。結局既存曲をアカペラ合唱アレンジしたのはこれが最初で最後でした。

それにつけても惜しむらくは2番からいきなり乱調する異様な変拍子でこしらえた幻のヴァージョンをどうしてぶち込まなかったか、という点で、おそらくそれをやれば誰からも相手にされなかったし嬉しかった思い出も生まれなかったでしょうが、きっとそっちをやった方が石川さんは褒めてくださっただろう、ということを想っておるのです(笑)。かつてご自身が演劇部時代になさった、「月の沙漠」ばりに、ね。(オポムチャン 17/6/18)

(寸評)おおっ、アレンジャーでもあったのだね。
今度俺の曲をグッニャグニャにアレンジして誰かとやるのを聴きたい! 7ポイント。

初めての場所

前回の石川さんのコメントを受けて、初めての場所を思い出してみたいと思います。

初めての東京ドーム・・・うーんウルトラクイズの国内第一次予選か大学の合同説明会なんだろうけど、年齢的に合同説明会かなあ。
初めての武道館・・・大学の入学式。
初めての両国国技館・・・入ったことがない。相撲博物館や江戸東京博物館には行っているので周辺をうろうろはしている。
初めての西武球場・・・友達三人と高校生クイズ。
初めての千葉マリンドーム・・・オフ会で、ロッテvsどこかのチームの試合を見に行った。どこだったかなあ。
初めての横浜スタジアム・・・横浜vs巨人戦を見たような見てないような・・・。
初めての埼玉スタジアム・・・入ったことなし。周りは一周したけど。
初めての東京ビックサイト・・・夏コミで(笑)。
初めての埼玉スーパーアリーナ・・・電波少年の年越しイベントで。

こんな感じですね。あ、ここで書いちゃうと、この先投稿できなくなっちゃうかも(笑)。(わいわい 17/6/18)

(寸評)武道館、横浜スタジアム、埼玉スーパーアリーナはイベントで出たことある。
東京ドームはローリング・ストーンズの関係者チケットを貰ったので観に行ったなあ。 7ポイント。

初めてのチェンマイからバンコクへ夜行列車の旅(2008年7月16日)

こんにちは、波照間エロマンガ島@バンコクです。わたしが初めてチェンマイからバンコク間を列車で移動したのは、チェンマイに引っ越した年の2008年7月でした。タイ語学校が1週間休講になったので、バンコクに住む友人に会いに夜行列車で行ってみようと思いついたしだい。早速時刻表などを調べて計画をたてました。2等寝台のノンエアコンカーに乗ることにしました。以降現在にいたるまで10回以上夜行列車に乗っていますが、ほとんどエアコンカーに乗っています。往きは列車で15時間、帰りは飛行機で1時間10分。この所要時間の差を考えると、いかに現代社会が時間に追われているのか、しみじみ実感します。往きだけレポートを以下に簡単に書いてみますね。

7月16日、午後2時すぎにアパートを出る。ホイケーオ通りでソンテーオをひらい、タイ国鉄のチェンマイ駅へ約20分ほどで到着。
以下、写真のキャプションを記していきます。



(1)チェンマイ駅の駅舎(全景)。時計台の時計は2時半を指している。
(2)大きな入り口はひとつ。脇からも入れるんですけどね。改札口はありません。
(3)チェンマイ駅はタイの鉄道の最北端の地ということになる。ここから北へは鉄道では行くことはできない。
(4)チェンマイ発車時は同じ車両には4〜5人しか乗客はいなかった。じょじょに乗客は増えていき、夜7時過ぎに着いたピザヌロークで座席はほぼ全部埋まった。
(5)エアコンは無いので窓を全開にした。午後3時、予定時刻を10分ほど遅れて出発!
(6)夕食は鶏肉のカシューナッツ炒め、ココナツミルク入りカレー、ライス、スープにチャーンビールをいただく。
(7)午後8時過ぎ、車掌さんが来て、2段ベッドを作ってもらう。私は上段。暑くて寝汗をいっぱいかいた。
(8)田園地帯を行く。時速は60kmくらいかな。並行して走る車にどんどん抜かされていったから。それくらいのんびりした汽車の旅だった。
(9)チェンマイを出て15時間後の午前6時、バンコクホアランポーン駅に到着。

15時間の夜行寝台の旅、想像していたよりはハードではありませんでした。ノンエアコンでしたが窓を開けられたのと扇風機がまわっていたので快適でした。もちろん振動の中15時間もいるので、疲労は蓄積しましたが。
同席になったのがタイ人の家族連れで会話できたのも旅の旅情を掻きたててくれてよかったです。
バンコクに近づくにつれて東の空がだんだんと明るくなっていくさまはきれいでした。デジカメではその模様を定着しえないのでひたすら網膜に焼き付けました。

タイで職を得るようになった現在ではこの夜行列車の旅はほとんどしなくなりましたが、初心に帰り、またチェンマイまで夜行列車に乗ってみようかなとも思います。日本で走っていた夜行寝台列車が払い下げられてタイでがんばって走っている車両に乗るのは気分のいいものですから。(波照間エロマンガ島 17/5/30)

(寸評)もう日本には「夜行列車」というものがほぼ絶滅してしまったからね。
夜中に夢うつつのままふいに見知らぬ駅に停車とかしてると不思議な旅情を感じるよね〜。7ポイント。

はじめての国立競技場(旧国立霞ヶ丘競技場)

旧国立競技場が取り壊されるときグランドに降りることが出来るイベントが何回かありました。
国立競技場はラグビーで入ったことはあるのですが、下に降りたことは初めてでした。
国立は、サッカーや陸上でも使われていましたがやはり印象深いのはラグビーです。東京オリンピックの開会式閉会式を除くと、スポーツとして過去最高の観客動員数を記録したのはサッカーでも陸上でもなく実はラグビー早明戦でした。 大学の人たちと国立競技場へ。既に別れを惜しむ多くのファンが列を作っています。
まずは普段は入れなかった一階ホール、そして選手控室、皇族が使用した特別観覧席などを見ることが出来ました。
選手控室など涙モノでした。ロッカーなどもそのままにあり、選手はここで着替えたり待機していたのだなあと・・・しんみり。それでも写真を撮ることだけは忘れません。
そして観客席からグランドへ。
観客席が凄い・・・。
早明戦に出た選手から聞いた事があるのですが「7万人近い観客の中で試合をしたことは本当に気持よかった」「地鳴りのような声援だった」らしいです。
グランドは独特の形をしておりすり鉢状になっています。ラインアウトのノットストレートが国立では多かったのはこのすり鉢状のためだったと聞いたことがあります。
さて初めてのグランドです。
うわーすげー。
ここで幾多のアスリートが走ったり、球を投げたり、蹴ったりしていたのかあ・・・。
参加者は、みんなグランドに触ったり写真を撮ったりしています。
有名な「女子専用の立ちトイレ」は、フィールドの中(中庭のゴールラインの後ろの半円形部分)にあり、私を含め物好きが写真を撮っていました。実際に使われたことはほとんどなく、トリビアで取り上げられるくらいでしたが、みんな興味津々。

私が感じたのは、スタンドはさすがに広いのですが、グランドはとても短く感じました、ハーフウェイラインから、ゴールラインは45メートル程度。小学校の時走った50mよりはるかに短いのです。小学生でさえ50mなんて7秒くらいで走れるでしょう。テレビで見るとめちゃくちゃ長く感じますが実際に現地へ行ってみると目の前にインゴールがある感覚なのです。ラグビーボールを持ってトライするなんてめちゃくちゃたやすいのでは。しかも敵はたった15人。あっという間にゴールにたどり着けそうなくらい短いのです。両側のタッチ間は70mくらいです。この広い中に15人がいるのですからインゴールまでたどり着くのはめちゃくちゃ楽なのでは。
しかしそれが出来ないのです。選手は45m先までたどりつかないのです。タックルされてボールをダウンしたり、選手が立ちはだかってボールを回したりすることもあります。ラグビーはボールを前に投げてはいけないスポーツです。
試合によっては両チームノートライで終わる試合もあります。たった45m(計90m)ですが、幾多のドラマが展開されてきた距離でもあります。

グランドにたたずみながら、ああ7万人の応援を背に、30人の選手(サッカーは22人)が戦っていたのかなあ・・・と目がウルウルしてきました。
最後はゴールラインに寝転んでトライの真似をしたり、芝生をすりすりしたりして、帰路に就きました。
最後の最後で、国立のグランドに降りることが出来て良い思い出となりました。(わいわい 17/5/30)

(寸評)国立競技場は結局入ったことなかったなあ。
武道館にはミュージシャンとして出るより前に小学生の時に柔道で出たことがあるが。
あと後楽園球場で学生時代ジュース売りのバイトしたことあったな。あれももう記憶にしか無いんだもんな・・・。7ポイント。

はじめてのCM音楽に関与!?

25歳くらいのとき。大阪の食品メーカーのTVコマーシャルで、

「♪お肉〜オニオン炒めてラクラク、ハーヤシラーイース〜(※実際のCMと歌詞を若干変えています)」

みたいなCMソングが流れていました。

まぁよくあるパターンのやつなのですが、この歌は3人のお姉さんが画面に登場し「♪お肉〜(コードはF)」で1人、「♪オニオン(同F)」でもう1人、「♪炒めてラクラク(同G)」でさらに1人が独唱、とどめに「♪ハーヤシラーイース〜(同A)」の部分でとろぉり煮込んだハヤシの鍋を囲みつつ3人でハーモニーを形成する、といった展開なのでした。

ほんで結局なんじゃいな、おまはん一体全体何に文句が有るっちゅうんじゃい? と問われれば、それは形成されたハーモニーすなわち和音の音数です。
妙なところで無駄に音感が鋭敏な私は、お姉さんが3人居るにもかかわらず、和声は2パートしか無かった、ということに気付いてしまたのです! 嗚呼!! 超どうでも良い!!!

しかし私もど下手糞とはいえ小さな合唱団に身を置いてる手前、3人登場させるんやったら3パートでハモってみんかい、といたずらにこのCMソングにいちゃもを付けたくなってしまったのですよ。いわゆる狂人ですね。
和声/和音は異なる音が2つ、ではなく3つ重なることで音色の性質がグッと変わります。2声のハーモニーも綺麗ですが、それだけではメジャー(明るい和音)かマイナー(暗い和音)かも定まらない状態で、そこへもう1音を加えることにより・・ ってごめんなさい、話がくどくなってきたので細かい理屈は省きますね。

まぁ実際お姉さんは恐らく口パクで別に歌専門の人がいるのでしょうがせめて3人居るならソプラノ・メゾ・アルトの3声でハモってほしーわー、などといった既知外じみたぼやきを、合唱の練習あとにその練習場たる公民館近くのファミレスで夜ご飯のオムハヤシなんぞを頂戴しながら団員仲間に向かってほざいておったのです。ほしたら。

1週間ほどあと、なにげなーくTVのコマーシャルを見ておると。

「♪お肉〜オニオン炒めてラクラク、

(3声で)ハーヤシラーイース〜」

ゲゲッ!!??

さ、さささ3声になっとる!! え? え? なんでなんで!!? 主メロディの上にそれまで無かった高いハモりが加えられ、CMソング後半の「♪あかぁいトマートたっぷりはーいったーあーあーあーあぁ〜〜〜(※これまた実際のCMと若干変えています)」という部分も歌詞は同じながらメロディから書き換えられ、3和音を形成して歌いやすいものに作り替えて流されていました(絵面はたぶんいっしょでした)。

・・・・・・はっはぁ〜〜ん・・・・・・ そういうことか。

つまり私達が晩飯を喰ってたファミレスにたまたまその大阪の某食品メーカーのCM関係者がメシなり打ち合わせなりに来ており、私が大声で「あのハヤシライスのCMソング、姉ちゃん3人やのにハモり2パートやんけ! わしの耳は誤魔化されへんぞ!」とか糞えらっそうにがなってたのを聴いてしまった。素人に大きな声で(マニアックに)痛いところを突かれてしまい臍を噛んだ彼は、社に戻って即刻ハモリを差し替えることを画策、あの生意気な小太り視聴者の鼻を明かしてやるぞ!! と意気込み、わずか1週間という驚異的なペースで3声ハモりの新ヴァージョンを作成・放送にこぎつけた、ということなのです。

なんという執念!!! なんという迅速な対応!!! 私はこの出来事に大いに感動し、かくも視聴者の声をスピーディーに取り入れるとはさすが関西の老舗のメーカーであることだなぁ、と感嘆かつ戦慄しました。何処に耳があるかわかったもんやないなぁ、とも。

ただ惜しむらくは所詮素人の思いつきのひとこと、音を加えれば必ず良くなる、というもんでもなく、あらためて聴くと2声でのシンプルなハーモニーの方が耳触りが良く、音が増えたことによって音楽的豊潤さは増したものの主旋律がいたずらにボヤケてしまい、結果インパクトが薄まってしまう、という逆作用を生みだしてしまったのです(※あくまでも狂人の個人的な感想です)。
つまりCM関係者さんが真に採るべき選択は、「画面上に登場する姉ちゃんを2人にする」だったのです。いやぁ音楽って難しい。

というわけで、はじめてのCM音楽に関与でした・・・・・・・・・ って、上記「はっはぁ〜〜ん」以降は完全に私の想像というか妄想で、偶然そのへんのタイミングで音の調整をしただけ、ですよね・・・ ありえないし。これ「おバカ」に投稿するべき案件だったかな(笑)!? 大変失礼いたしました・・・・・・。(オポムチャン 17/5/30)

(寸評)たぶんそういう話してた人が1000人くらいいたんだね・・・。 6ポイント。

ドッキドキ! はじめてのひとりでいけるもん

すいません下ネタじゃないです。期待してくださった方ごめんなさい(いねぇよ屑)。で、超ながいです。

それはそれは昔のことでございました、2017年3月13日。石川さんがTwitterにてこう仰(おっしゃ)いました。

『4月29日の千倉の潮風王国のライブも知久寿焼の出演が決まって翌30日の両日とも元たまメンバー3人が集結することが決定。セッションがどちらの日にあるのか無いのか僕も分かってません。まぁ迷ってたら来た方がいいと思うな。「また来年もあるか〜」とか思ってるうちに…いや、何も言うまい。』

ヅビャン。
私の脳髄に電撃が走りました。ほんまだ。またいつかやるわ、なんて悠長なことを申しておるとメンバーがご調子を崩されたりして揃わないとか日本に某国から飛来した爆発物が落下するとか私が豆腐の角で頭蓋を痛打し逝去、なんてなことになるやもしれません。

行かなくちゃ。

咄嗟にそう思いましたが、私は現在の支店でもう7年も働いており古参も古参、いい加減に転勤を命じられてもおかしくない時期なのです。次の職場が決まるか、4月1日を転勤なしで迎えない限りは、新年度の休暇を申請できません。
なに? 千倉のフリマのライヴイベントは4月29日(土・祝)と30日(日)だからその日のうちに帰れば休暇願なんか出す必要ないだろうがよ、ですって?? ちっちっちっ、時はGWすなわち黄金週間いわゆるゴールデンウィーク、トラフィックジャムすなわち交通渋滞(もうええわ)で千倉から無事に帰り着けなかったらどうするのです? 新しい職場に変わって早々「ちばにあそびにいってじゅうたいでかえってこれなかったからきょうはやすみます」なんて間抜けなことを申さばその新天地での私の立場はどうなります? 言わずもがなですね。だいたい片道7時間の旅程で2日間、昼から夕方まで野外でのライヴ閲覧をば敢行した翌日、まともに働ける体力的・精神的自信が40前の私めにはございません。したがって参加の必須条件は5月1日の休暇の取得。これに尽きます。

そうして4月を迎え、無事転勤は命じられませんでした。あまりにポンコツ過ぎてよその支店から貰い手がなかったようです。よかったぁ、ポンコツで。
ほんのり屈辱を感じつつも私は早速5月1日の休暇を申請し、正式に承認されました。あらかじめ「転勤しなかったら5/1にお休みをいただけませんか?」と打診しておいたのもよかったようです。よっしゃぁ。あとは我が家の苦労人たる配偶者がそれを許可するかに掛かっています。
だいいち独りよがりな行動だし、まる2日間ぼうずの世話を放棄してぷらっと遊びに出かけるのです。それも旅費だって馬鹿にならないのに。
私はなかなか切り出せず、うじうじしていましたが、ある日決心して嫁はんに打ち明けました。

オポ「あのぅ、今年もたまの3人が4/29と30に千葉の南の端っこに集結するって。今年は5/1にお休みを取れたから、最後のチャンスやと思うし行ってきていいかなぁ」
嫁はん「去年も言うてたなぁ、直前で車で行こうかとか。遠すぎてあきらめたけど。いいよ、行っといで。そんなチャンスもう無いやろ?」

なんと理解のある嫁はんなのでしょう。私は寛大な言葉に感謝し、早速旅程の手配をしようとしてふと気がつきました。

私、遠方の泊りがけの旅行なんて自分で段取りしたこと、ないわ。

よくライヴ遠征とかでやる主要都市への日帰り旅行なら簡単なんですよ、新幹線おさえるだけだもの。ところが今回は場所が場所、千葉のほぼ南端まで行くうえに最寄駅から会場まで徒歩75分などと出鱈目なロケーション。複雑な時間計算が必要になってきます。そのうえGW時期の渋滞・座席の確保まで頭に入れねばなりません。だいたい雨が降るとこのイベントは中止になり、それが確実な場合キャンセルもしないといけません。そんなこと私にできるだろうか。いっぺん申し込んじゃったものをこちらの都合で取り消すなんて申し訳ない極みです。私がお客さんにそんなことされたらどつきたくなってしまいますもの。そないなややこしい話、私のポンコツブレインでは完全に処理能力が追いつきません。

などと泣き言をほざいている場合ではありません、刻一刻と千倉周辺の宿は埋まっていきます。寝泊りは最悪の場合野宿でいい、まずは宿を確保する前に千倉まで行くための交通手段を調べて足を確保しなきゃ。私はやや錯乱しながらあれこれ調べますがなにぶんあほ、女房子供が寝静まってからの調査では時間が足りなくなりバタンキュー、朝を迎えてしまって遅々として進みません。
そうこうしているうちに暦は4/12。あかん。もう宿も残り少なくなってしもうた。

私は藁にもすがる思いで、千倉経験の豊富な(?)遠征の達人・関西のたまファンの着物のSちゃんにメールで千倉ライヴの入りと出のおすすめ時間を尋ねると、なんとイベント公式ページに出演者のタイムテーブルが出ていることが発覚、これで行きと帰りの時間が確定できます。ありがとうSちゃん! 
当日4/29の9:20に東京駅から会場へ一本でアクセスできる高速バスが出ており、そちらは予約が可能だそうです。まずはそれをおさえましょう! えーとJRのバス会社のサイトから高速バス予約サイトへ飛んで房総なのはな号を予約、と。私はプリンタが無いからコンビニで支払してレジで乗車券を貰ったらいいのね。かたかたぽん。よっしゃ、これで明日の昼にでもコンビニで・・・ と思てたら、よく読むとなにやら不気味な文言が。私が予約を完了して確認メールが届いたのは2017年4月13日の22時32分です。以下確認メールより。

「料  金:2670 円
 支払期限:2017年 04月 14日 03時 32分 ※時刻は24時間表記です
【ご注意】
・支払期限を過ぎるとご予約がキャンセルされます。」

おいおいおいおいちょぉ待て!!! ご、5時間で予約キャンセル!!? ほなわしゃこんな深夜に今からコンビニまで行って金払わんといかんのんかい!! ちなみに気付いたのは午前0時をまわった時でした。なめとんか。
しかしほかに術はありません。私は泣く泣く寝間着にジャケットを羽織り、まだ肌寒い4月の夜にそぉっと玄関の鍵を開けて最寄りのローソンまでダッシュしました。なんでこんな目に遭わんといかんのか。ううっ。

行きしなのバスを確保したはいいものの、帰りも問題です。行きと同じの予約できる房総なのはな号は15時台に会場の潮風王国を発ってしまい、それではきっとライヴの大事な場面を観られません。ほかに採れる交通手段は千倉駅からJRか、会場前から南総里見号という高速バスに乗るか。後者は必死で調べた結果予約ができず、路線バスのように停留所で待って乗るスタイル。でも高速バスの性質上満席になると立ち乗りが認められておらず、空席があるかどうかは完全な賭けなのです。これは当日に考えよう。念のため千倉のタクシー会社の電話番号も2社調べました。最悪の事態を想定しグーグルマップで千倉駅までの歩き方も憶えました。

そしてあとは東京までの交通手段。Yahoo! 路線情報で調べれば私の家の近辺の大阪府は豊中市の千里中央から東京行きの夜行バスが出ている筈なのですが・・・ いくらバス予約サイトを閲してもそんなバスは一切出て来ません。必死になって路線情報のデータを検索してみると、出てこないのも道理、すでに完売、満席だったのです。
やむを得ず新大阪駅から前日28日の23:40発、翌7:05着の東京行き夜行バスを予約し、さぁ次は帰りの新幹線の予約だ、と思ったら私は大事なことを忘れておりました。渋滞です。いつもGWには各地で高速道路のおっそろしい渋滞がニュースで流れます。2時間遅れなどふっつうに発生しそうです。では2時間遅れたら私はなのはな号に乗れますか? いいえ。私はこんなあほな自分のためにぬか喜びさせてしまって申し訳ない気持ちいっぱいで楽天トラベルに予約取り消しを申し込みました。「またのご利用をお待ちしております。」嗚呼。

もう疲労困憊、小鳥がちゅんちゅら囀り始めました。でもやるんだ。行くんだ、千倉に。雨のことはもうこの際考えません。馬鹿なんだからいちどきに考えることを減らしていくべきです。
結局渋滞等のリスクの少ない新幹線に当日の朝6:16に乗ると、なのはな号に間に合いそうです。予約サイトに行こうと思ったら深夜早朝はやってないでやんの。なんとかその日の宵に調べてみたら、予約には会員登録が必要で、会員になるまで約1ヵ月かかるの?? え? え? もうわけわからん。
厭になって私はさらに翌日、金券ショップへ指定券の予約ができるチケットをもとめに行きました。いつもの遠征に使っている回数券はなんとGW期間中は使用できず、「株主優待券」を購入しJR東海の窓口に行くことで連休中も普通に予約するより安く指定券がゲットできる、とのことでした。確かに計算すると1000円ちょっとお得です。しかし金券ショップのある大阪駅周辺にはJR西日本の窓口しかなく、JR東海は新大阪駅から窓口を置いているのだそうで、私は釈然としない気持ちで改札を通り、新大阪駅のみどりの窓口を訪れました。

え? 九州方面の新幹線の宣伝が貼ってる・・・ これは西日本の窓口だな。東海はどこですか。あったあった、滅茶苦茶わかりにくいな・・・ 受付のお姉さんに株主優待券の記入方法を教えてもらい提出。細かいことで書き直しを命じられ再提出。なんだか一昔前の市役所みたいな雰囲気だな。って文句を言っても仕方ない、大変なお仕事ですね、ありがとう。帰りはバスが渋滞しないことに賭けて、東京20:30発の席を予約しました。そして行きの新大阪6:16発東京行きに乗るためには私は北大阪急行千里中央駅へ朝5:45までに辿り着かねばならず、その唯一の手段は、徒歩です。私は新大阪駅から千里中央まで大阪市営地下鉄御堂筋線で北上、予行練習のために歩いて家まで帰りました。40分かかりました。朝飯を食ってから歩いて千里中央まで行くなら、4:20には起きないとな。ぐふっ。

さあこれで足の準備は寝坊とバスの渋滞さえなければ万端です。残りは宿。もう会場近くのほとんどの宿は満席です。もう寝袋でも買おうかな、とSちゃんにメールしたところ、なななんと会場近くの宿をおさえている共通の知人のたまファンの方がいらっしゃり、その方の部屋にねじ込んでもらえないか聞いてみたらどうですか? と教えてくれました。私は即刻その方にメール(それにしてもラインやTwitterのDMでないところがそもそも鈍臭い)でお伺いを立て、奇跡的に宿に入れて頂けることになったのです!!! Sちゃん、Nさん、本当に有難うございます・・・・・・!!

どうにか独力で千倉行きの段取りを完遂しようと思いましたが、結局最後は親切な仲間に助けていただくことで、あほの私は千倉へ辿り着くことが出来ました。投稿仲間のJさんなどは私の替わりに宿の予約まで手配してくださろうとしていました。本当に私はファン仲間のみなさんに恵まれています。
いつまで経っても脳味噌が幼稚で、段取りを組むのが絶望的にへたくそな私。でもこれだけ苦労した甲斐は、確実にありました。
ぶっちゃけ、各種SNSを駆使していたらファンの方々と活発に交流してもっと楽な方法もあったであろうと思われます。でも私は極端な人見知り、そのうえSNS恐怖症です。それはできません。
それに、尊敬するアーティストは歌っています。「不便の方が便利より大分いい」って、ね(笑)!

長々と失礼しました、あほによるはじめての単独遠方宿泊旅行に挑戦、でした。ライヴのレポートはまた、別の投稿で。最高だったのは言わなくてもわかるでしょ(笑)? (オポムチャン 17/5/7)

(寸評)地方から来るってすげー大変な場所だよね。
しかも午前中から始まるので東京在住の人でも諦めた人を何人も知ってるからね。
それに見合うご褒美は・・・あったでしょ? 7ポイント。

はじめての赤城温泉

赤城温泉の名は以前から知っていたものの、これまで一度も行ったことが無かったので、2017年のGWついに行ってきましたぜ。
大胡から群馬フラワーパークの脇を通り、赤城山に向かって一直線。途中、天然記念物のニホンカモシカの死骸を見たりしてびっくり。
石川さんがかつて泊まられた宿は分かったものの諸事情で別の宿へ。赤城温泉は5件あり、分岐点に忠治温泉、東に滝沢温泉、そして奥深く3件の赤城温泉郷です。
奥まった山道の突端に、寄り添うようにして宿が固まっています。GWということからか、日帰り入浴や宿泊客で他地域ナンバーの車がたくさん。といっても10台くらいですが。
脱衣所に入って行くと、長椅子に座ったおじさんが椅子ごと両膝をつくようにして倒れました。呼びかけても反応がないので慌てて電話でフロントへ連絡。
フロント「ひえ・・・」。
男性従業員とともに脱衣所に戻ってみると、意識は回復したようで、湯あたりして寝ていただけとか。よかったよかった。
お湯は茶色。イメージとしては、群馬の倉淵温泉みたいな感じかな。湯花が固まって岩みたく固まっているのが至る所にありました。

次に訪れたのは一軒家の滝沢館。秘湯の湯らしく、若い人たちのグループがたくさん。駐車場もいっぱい。
こちらは露天と内湯が分かれていて、露天は川&滝沿いにありました。お湯は時間によって、透明、茶色、黄色、黄緑色と変化していくそうです。私の時は無色透明でした。

石川さんのおかげで、なかなか趣のある温泉2つにいくことができました。(わいわい 17/5/7)

(寸評)あっ、俺泊まってないんだよね。ライブの前に日帰り入浴。
でも喫茶店でコーヒー飲みながらジャズのレコードをマスターにかけてもらった。
まだまだ群馬も奥が深いね〜。 6ポイント。

初めてのホーミー体験(1993年4月19日)

営業車で外回り中にカーラジオを聴いていると、NHK第一から聴き慣れない音楽が流れてきました。それがわたしと「ホーミー」との出会いでした。そのラジオ番組では御茶ノ水女子大学の徳丸吉彦さんという音楽学者がホーミーを解説していました。わたしはあまりに衝撃を受けたので、すぐに車を路肩に止めて、内容をメモしました。(ノートを画像に撮影しました)



ホーミーとは、喉を詰めて声を出し、それを口の中、例えば舌と硬口蓋などの間に作り出した空間などで共鳴させて、低音と高音が同時に発声されているように聞かせる発声法。
その起源については諸説あるが、遊牧民ができるだけ遠くまで声を届けるための発声法の開発と関係があるのではないかと言われている。モンゴルや各地で民間伝承の英雄叙事詩の語りの声の装飾として発展し受け継がれていたが、20世紀半ばに西洋音楽を学んだモンゴルの作曲家のロブサンシャラフが「アルタイ賛歌」という初めてホーミーを楽曲の中にとりいれた曲を作曲し、この曲を聴いた国立人民歌舞団の歌手T.チミドドルジがホーミーを習得し、民謡をホーミーで歌うことを思いつき、ステージで繰り返し演じ、モンゴル国内で定着していった。

徳丸先生がモンゴルに行き、上記の国立人民歌舞団のソンドイさんという歌手にホーミーを伝授してもらったそうです。最初に「ホーミーは35歳以上の人が習うと身体の各部位に支障をきたす恐れがあり、危険なので教えることはできない」と釘をさされたところがいちばん興味深かったです。

けっこうその伝授は具体的でメモにも書きましたが、「あーーーーーーーーー」という声を出しながら、同時に下を上口蓋につけて英語の[l](Lの発音)をして声を響かせると男が二重に出てくるとのこと。車の中でさっそく試してみましたがさっぱりでしたよ。喉のホーミー、鼻のホーミーなども解説してくれました。

そのほか、いろいろなエピソードを聞かせてくれましたが、ラジオ番組でこういう文化的な放送がされるというのは素晴らしいと思いました。
その後25年ほど経ちますが、その後あちこちでホーミーについて見聞きするようになり、モンゴル発のホーミー文化が日本に確実に定着していることをとても実感します。壮年にさしかかっているわたしですが、余生研究してみたいテーマのひとつではあります。(波照間エロマンガ島 17/5/7)

(寸評)面白いんだけど口腔ガンになる危険率が高まるんだよね。俺は不器用ゆえに出来ず。
まあ楽しみと危険は表裏一体ということすかね〜。 7ポイント。


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