ドキドキドキリコ初体験(84)
さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!
はじめてのスコティッシュダンス
このあいだ初めて「スコティッシュダンスパーティー」で演奏をしてきました。
スコティッシュダンス?
全くどんな物か見当もつかぬまま、フラットマンドリンを背たろうて神戸の外国人倶楽部という場所へ。
立奏との事だったのでフラットマンドリンでの演奏でした。そういやフラマンで舞台に立つのも初めてでした。
受付を済ませ、ホールに入ると、約100名のダンサーさんがすでに集まっていらっしゃいました。
めいめいにドレスアップされた女性。とターターンチェックのスカート姿の男性!!
「あーっっこれか!!キルトだっバグパイプだっ!!」
子供の頃「キャンディキャンディ」という漫画で見たヤツだーっ。
男の人がスカート履いてるーっ変なのー(笑)って子供心に思ってたヤツだーっ。
初めて見たーっ!!
そして驚いたのは、ダンサーさんのご年齢。
訊くとほとんどの方が60歳以上との事。
「若い頃流行ってたんですよー。ダンスホールに入り浸っていて(笑)」
て方から
「若い頃はやる余裕がなかったから最近始めたの(*´ω`)」
という方まで。
演奏をしながらダンスを眺めていたのですが、皆さんクルクルと器用に楽しそうに踊っていらっしゃる。
何だか優雅な趣味だよなぁ〜。
これならサルサやフラメンコと違って、ゆったりしてるから年配の方でも負担なく踊れそう。
そう思ったのですが、これは大きな間違いでした。
3時の休憩でケーキセットをいただいた後、演奏の方もダンスに参加してみませんか?
とお誘いのアナウンスがありました。
私はずっと下を向いて誰とも目を合わさないようにしていたのですが、上から下までビシっとキルト衣装でキメたオジサマに見つかってしまい結局踊るハメになりました(ひえーっ)
スコティッシュダンス経験なんて皆無の私。
しかも腰痛持ち。だから絶対嫌だったのに。
がしかし、舞台に出るからにはきちっとやりたいタイプの私。
軽くレクチャーを受けた後は、もう本意気に踊ってしまいました。
それが、見ているのとやるのとでは大違いで、かなりキツイっっ。
足も腰も痛いし、回転すると目も回る。
飛び跳ねたらさっき食べたケーキが出てきそうっっ。
何故か足だけではなく腕も筋肉痛だし汗だくだし息は切れてるし・・・
すごい・・・この人達・・・っっ
改めて、ダンサーさん達を尊敬したのでした。
ようやく演奏に戻った私でしたが、その後の演奏はヘロヘロでした。
終盤に近づくにつれ、アップテンポの曲になっていきます。
演奏も大変ですが、ダンスも大変になってくる。
それでも皆さん、一生懸命踊り続けておられました。
一曲終わるごとにダンサー皆さんが、こちら演奏隊に向かって拍手をしてくださりこちらもまたそれに演奏で応える。
何だか感動的でした。
最後の曲が終わった後は、何かをやり遂げた満足感でいっぱい。
ダンサー、演奏者、入り混じってのハグタイムになりました(笑)
元々団体行動が苦手でソロ活動している私ではありますが、たまにはたくさんの人と触れ合うのもいいなぁと思いました。
いい体験ができました。(でゅおめいぷるようこ 16/11/24)
(寸評)へ〜、俺も知らなかった。そういう世界があるんだね。
そういえば大阪でダンスホールというところに行った時もそんな衝撃を受けた。
普段何してる人が地下で夜な夜なこんなことしてるんだろうって。異次元だったな〜。 8ポイント。
はじめての他所様のライヴで『着いたーーー!!』
こないだ「おバカ」にも寄稿しましたが、2016年10月15日に私は女房子供を騙くらかして1人広島へ発ち、ファンである元たまのベーシスト・滝本晃司さんと広島の完璧たまカヴァーでお馴染みの実力派バンド・ビッグロウのライヴを拝見/拝聴に参ったわけなのです。
路面電車は18時5分に会場「ヲルガン座」前の本川町駅に到着。なわゎっ、もうすでに行列が出来ています! 私はきっとアンコールの最中にお店を出なければならないので、出口近くの席を確保しないと大阪へ帰れなくなるのです。しかし列は10人程度、どうにかなりそうですね。
おやおや、この昼に九州から来て広島たま会を楽しまれたNHさんが不思議そうな顔でこちらを見ています。九州たま会メンバーのRKさん、前回の九州たま会に逆に広島からお越しくださった0さんもご挨拶くださいました。そうなの、たま会行きたかったんだけどぼうずの幼稚園のこどもまつりがあったのですよ・・・。
続けて東京のたま鑑賞会でお逢いしたウサギ先生、熊猫ミキさんも! 私はSNSをほとんど駆使しない原始人なので事前に来広を予告しなかったため余程物珍しかったのでしょう(笑)。ミキさんのお隣には先の生誕祭で沢山のお万葉集を掲載されていらっしゃったOKNさんも。皆さん私よりも遠方の関東からお越しになるなんて、素晴らしいGイストでいらっしゃるなぁ・・・
ようやく開場の時間に。階段を上り2階が入口です。よかった、するりと外へ出やすいお席が空いていました。おおっ、あれがたま時代に使われていた伝説のオルガンかっ!!
座ってしばらくすると、ビッグロウの面々がセッティングに現れました。そこでにこやかにニイヤンさん(Gt、Key、Vo、Cho)に手を振るとこれまた驚いた顔、実は私は2年前ニイヤンさんとホルモン鉄道のライヴの後にたまカラオケで夜を明かして以来、随分と良くしていただいているのです。勿体無いことです。
そこで握手を交わしつつ、ニイヤンさんは驚くべきことを私に依頼してきました。
ニイヤン「オポちゃん・・・ 石川さんのパート、任せた!」
はへゃ!!!???????
いきなりのとんでもない依頼に、私のちっこいちっこい脳味噌は機能停止しました。今日は滝本さんのライヴです。ビッグロウ単体のライヴで叫ぶならまだしも(それさえあまりに恐れ多いことですが)、滝本さんと一切面識のないド素人の私がそんな大役を務めるなんて、ありえない話です。
私は目ん玉を見開き、口をパクパクさせてニイヤンさんに問いました。
オポ「・・・・・・ま、マジで?」
ニイヤン「頼んだよ、オポちゃん」
笑顔で肩をポンと叩き楽器の調整へ向かうニイヤンさん。どうやら恐ろしいことにこれマジみたいです。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、無理無理無理無理無理無理無理無理。
だってそうでしょう、ニイヤンさんが言ってるのはたぶんアレでしょ? 「さよなら人類」の、『着いたーーー!!』でしょ? 去年のライヴではどうしたのさ、なになにランニング姿のムキムキ君(Ba、Gt、Perc、Key、Cho、三味線)がやってくれた? じゃあそれでいいんでないかい? 医院de内科医?? なぜにミュージシャンでもバンドマンでもない、「音楽やってます」だなんて口が裂けても言えない大阪のあほの屁垂れのクネクネカラオケ野郎に白羽の矢が!!??
だってだってだってあの滝本さんのライヴで、しかもこれリハもなしの一発勝負なわけじゃないですか。それも大事な大事な曲ですよこれ。なんだろうほれあのあれみたいな緊張感、そう、長いオーケストラの曲中で一回こっきりの出番のシンバル奏者みたいな。ヘタなことをしたら滝本さんやビッグロウのメンバー、はては観客の皆さんやライヴハウスの方にも一生恨まれることになりかねません。その日の夜のネット空間を想像してみます。
「なんか気持ち悪いおっさんがさよなら人類でスタンドプレーして台無しになった」
「なんなのあの素人!? 私達のGさんのライヴを汚して、絶対許さない」
「当該の観客は今後当ライヴハウスは出入禁止と致しますので、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます」
などと大炎上の予想。ガクガクブルブルガクガクブルブル。村八分。サラウンド私刑。市中引き回しの上獄門。あらゆる恐ろしい妄念が私を襲います。
精神が耐えきれそうにないので、ここはひとつライヴに集中して、いったん忘れることにしました。あぁ、滝本さんのソロはおもしろい曲ばかりでいいなぁ。市電の音が聴こえるなぁ。わぁ第2部からはビッグロウがバックだ、サトルさん(Dr、Perc、Gt、Mandolin、Cho)が相変わらず男前だなぁ。ニイヤンさんもムキムキ君も良い顔してるなぁ。スッと足りないハモりパートを埋められるたま曲オートハモり機能が搭載されている稀有なバンドだなぁ。あまり感想をここで書くのはマナー違反というか趣旨違いでもありますのでこの辺にしておきます。
さぁアンコールです。きますよ、あの曲。ね。まさか、ね。ニイヤンさんも。本気じゃ、ないよね。なにかの冗談だよね。ドンヲーリーママベイビードンヲーリーマー。現実逃避。するとふたたびステージへ向かうニイヤンさんが私に駄目押し。
ニイヤン「オポちゃん・・・ 頼むよ!」
ここで私は腹を決めました。もう逃げられません。ニイヤンさんはこんな無能な私のことを「友達」と言ってくれます。たとえ皆さんの大事なライヴに泥を塗ろうとも、友達の頼みを無下にするのは男の子として情けないことです。私は、しずかに頷きました。
アンコールの曲がはじまります。やはりあの曲。高鳴る心臓。湧き立つアドレナリン。もう周りなんて一切見なくっていい。たとえ睨まれようがビールを投げられようが気にするな。ニイヤンさんのアドリブが終わり、歌詞は3番に入ります。ここのサビ。叫べ。ステージへ向かって。全力で。
滝本&ビッグロウ「今日〜人類がはじめてぇ、木星に着いたよ」
オポ『着いたーーーーー!!!』
私は満面の笑みで、両の掌でメガホンを作ってステージへ叫びました。
叫びながら声が完全に上ずっていることに気が付きましたが、夢中なので修正できません。これがライヴの恐ろしさなのでしょう。でも私は素人、評価/能力など低くてあたりまえなのです。この場で大事なのは怖気づいて沈黙しないこと。私はただ、そのことだけを守れました。
出来は、当然納得のいくものではありませんでした。でも、それでも私はニイヤンさんとの約束が果たせた。それだけで良かったのだと思いました。
本来なら終演後皆さんに土下座でもすべきところでしたが私はアンコール2曲目の途中で退出リミットが来てしまい、それも叶いませんでした。あの会場でご不快に思われた皆様にはこの場でお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。
そしてこの際感謝します。こんなとんでもない機会を与えてれて、ありがとう、ニイヤンさん。私の一生の思い出となるでしょう。
誰にも挨拶できないままで、どうにか最終の新幹線にギリギリ間に合った私は広島を去りました。車中ではその夜のネットの炎上に怯えていましたが、幸い私の目の届く場所は平穏無事でした。見えない所では非難囂々かもしれませんが見えないので気にしないことにします(笑)。
そしてライヴ数日後。こんな風に私が怯えているであろうことを察知したニイヤンさんがTwitterでこうフォローしてくださいました。
ニイヤンTwitter「こないだは客席にオポちゃんを発見したので本番前に『石川さんパートよろしく!』 と伝えました さすが完璧でしたよ(サムズアップ)☆」
ああもう・・・ 完璧じゃないのに気ぃ遣ってくれて・・・(笑)! まぁこれで当事者からのアナウンスがあったので私のスタンドプレーではないことが証明され一安心です(笑)。ありがたいことにイイネが10も付いていました。イイネの皆様に救われました。ありがとうございます・・・・・・!!
結論。やっぱりあの叫びは、石川さんの専売特許ですね! ほかの誰かに真似できるものではありません。そんな石川さんの『着いたーーー!!』が生で聴けるのはたぶんセッション出前ライヴだけ(笑)!! 皆さんの街に是非石川さんをお招きして(ギターと歌はそちらで用意して(笑))セッションしてみてくださいねっ。絶対楽しいですよ!!(オポムチャン 16/11/24)
(寸評)よしっ、今度は俺は口パクで本当の声は全部君にまかせるライブしてみようかな(笑)。10ポイント。
ローマ旅行中、パラティーノの丘を徘徊中に見つけた静謐な雰囲気あふれた教会、そして丘を下りてコロッセオ前で見た初めての光景
2005年秋に20年ぶりにイタリア旅行をしました。ローマのコロッセオ界隈を散歩したときの体験です。
ミラノから列車に乗りローマに到着、テルミニ駅前のホテルにチェックインすると、荷解きもせぬまま、近辺の散策に向かいました。このテルミニ駅は1953年製作のヴィットリオ・デ・シーカ監督作品「終着駅」という映画の舞台となった駅です。甘い甘いメロドラマで小学生のときテレビで観て覚えていました。
地図も見ずにあたりをつけてコロッセオ〔ローマ帝政期に造られた円形闘技場〕を目指して歩き始めました。すると3分も歩かないうちにカーブを曲がったあたりでいきなり前方はるか彼方にコロッセオの威容が見えてきてびっくりしました。周りの建物との大きさの比較をすると、遠くにあるのに巨大すぎて遠近感が狂うほどでした。その迫力、イムパクトは圧倒的で感動しました。
とにかくあそこまでまず行こうと歩きました。ところがなかなか近くにたどり着きません。道はあちこちカーブをくりかえし、ようやくコロッセオに到着するまで20分近くかかってしまいました。
コロッセオの前で写真を撮り、ただただ目の前の圧倒的風景に呆然と立ち尽くしていました。すると革ジャンのインナーシャツから胸の谷間がはみでるほど大きな胸をした10代後半の少女とその両親がすぐ目の前を通りかかりました。一瞬の出来事でしたが、わたしは瞬間的に恋に落ち、彼女に気をとられついふらふらとあとをついていってしまいました。5分ほど家族を尾行して坂道を上るとそこには小さな教会があり、その家族に続いて中に入りました。教会の中は小さなランプの灯で部屋全体を照らしていました。不思議と音が壁に反響しないで吸い込まれるかのような静かな空間でした。そこにいたのはわずか3〜4分間だったのですが、なぜかとても敬虔な気持ちになったことを憶えています。気がつくと巨乳
娘と両親の家族連れは消えてしまい、仕方なく外に出ると辺りはすっかり暗くなっていました。
2000年前の古代遺跡であるフォロ・ロマーノを日中は見渡すことのできるパラティーノの丘は当然のことながら照明をもたず真っ暗でした。ふと視線をさっき歩いてきた方向に向けるとライトアップされた美しいコロッセオが見ることができました。さっき来た道をとぼとぼと戻っていきます。するとコロッセオ前広場に戻るとある光景を目撃しました。
純白のウェディングドレスを着た花嫁と衛兵のような制服を着た花婿がコロッセオをバックに腕を組んで歩いていたのです!そしてその模様を照明を当ててビデオカメラで撮影していました。
こちらでは結婚するとコロッセオをバックに記念撮影をするのが慣わしとなっているみたい。ローマっ子にとっては一生の記念になるのでしょうね。「末永くお幸せに」と心の中で祝福しました。夢のような光景でした。
そんなこんなでコロッセオをあとにしました。ミラノから5時間かけて鉄道旅行した疲れなど吹っ飛ぶほど刺激的な初体験でした。 (波照間エロマンガ島 16/11/24)
(寸評)旅行、特に海外に行くと一瞬でもそれが生涯の走馬灯の一コマになるような光景に出会うことあるよね。
だから旅はやめられないんだよね〜。 6ポイント。
初めての、沖縄県波照間島「たましろ」
今回は、観光客が行くことのできる日本最南端の地波照島の宿について書かせていただきます。
三度ほど行った事があるのですが、一度目は星空荘、二度目はみのる荘のプレハブ、三度目がこの民宿「たましろ」でした。
このたましろは、旅人の間ではかなり有名な宿で、
「北の桃岩、南のたましろ、ちょうどいいのが小笠原」
と都都逸で呼ばれているくらいです。
宿は、沖縄によくありちな民家を使用しているのですが、中が凄い。
畳の上には砂、すでに液の無くなったベープマット、ぼろぼろの動くかどうか微妙な扇風機、私が通された部屋は仏壇がありました。シーツだけは綺麗でした。
お風呂はこここ数年誰も入ったことのないような浴室で、せいぜいシャワーがいいところです。
部屋も虫がやたら出るのがなんともはや。
有名なのが夜食で、丼ぶりいっぱいのソーキまぜごはん、丼ぶりいっぱいの八重山そば、ぐるくんなどの唐揚げ、バナナ、味噌汁、総菜、お刺身、バナナなどが、食えるものなら食ってみろという感じでどーんと登場します。これでもあまりにも量が多く苦情が出たので減らしたというからすごい。
食べ終わった後は、ゆんたくです。ここの宿では幻の泡盛「泡波」がおしげもなく提供されます。ゆんたくでは自己紹介などまあよくありがちなので気にもしませんが、そのあとは合唱大会。やどのおじぃが音頭を取り、歌詞 の書かれている紙をめくりながら歌を歌います。
私の時は、夏だというのに「ペチカ」を歌いました笑。
三線が弾ける人は三線を弾き、沖縄民謡も歌います。
夜が更けていくと、みんなでニシ浜へ海を見に行ったり、道の上へ寝転んで星空を眺めています。
かなり濃い宿なのですが、一人旅の人が多く、女性もどうしてもここに泊まりたかったと、わざわざ選んで泊まる人もいます。リピーター率もかなり多いディープな宿です。常連になると、宿-ニシ浜-港の三地点しか行かなくなるというので大笑いになります。
朝食は、おひつがだされ、自分で食べるのですが、昼食のおにぎりはいくつでも作って持っていいというものでした。朝食だけでも他の宿の夕食くらいはあるのでしょうね。
レンタル自転車は、みんなパンクしています。乗るには自分で直さないといけません。
そして日に3便くらいある船わざわざ宿泊客みんなでお見送りに来てくれます。
エッセイ漫画のたかぎなおこさんもこの宿に泊まられていて『一人旅2年生」で書かれています。たかぎさんも一人旅で、アネックスという一説によるとオーナー(おじぃ)の姉の家に泊まったみたいです。ここは比較的小奇麗な宿です。
みなさんも波照間島に行ったらこのワイルドな宿「たましろ」に泊まってみてくださいね。(わいわい 16/11/13)
(寸評)なんか昔のユースホステル的だね。
俺もアングラバンドのツアーでお金が無くてそういうとこ行ったらお遊戯やらされた・・・。 7ポイント。
はじめての月に恐怖
たまの曲達にもしばしば登場する、月。
電器のない古の時代には、闇夜を照らす存在として尊ばれ、28日ほどを周期にして様々に姿を変える月に人々は親しみを込めて数多の呼び名を与えてきました。
そんな月の姿について、中学生の私は授業中、上弦の月・下弦の月の見分け方を地学の先生に教わりました。
先生「三日月や上弦の月は右側が膨らんでて、上に点を付けたら“う”や。どんどん大きくなっていく月、つまりこれから生まれる、の“う”やな。逆に下弦の月や二十六夜月なんかは左半分やから“し”みたいに見えるやろ。死にゆく、つまりだんだん小さくなっていく月。憶えやすいやろ」
ほっほーん。これはうまいこと考えたもんだなぁ。私は感銘を受け、月の満ち欠けをすっと憶えたのでした。
ただその後何十年も生きてきて、どうも若い月齢の月ばかり、私は見ている気がするなぁ、とある時思ったのです。すなわち三日月や上弦の月、または満月とせいぜい十七夜月くらいまで。圧倒的に“う”系の月ばかりを空に認める回数が多いのです。
なんでかなぁ、でもまぁしかし死の月よりは生の月の方がなんだか縁起が良くって好きだからいっかー。
とか思っていたらば、その謎は息子が生まれてからすとんと解決しました。
ぼうずは太陽と月の本をどこかで読んだのをきっかけに図書館でもそんな関連の本を借りてくるようになり、私もこども向けの天体の絵本を一緒に読むうちに今まで知らなかったことが判ったのです。
三日月は日没周辺の時間、西の低い空に見え、やがて間もなく沈んでしまいます。上弦の月になるともう少し暗くなってから姿を現し、沈む時間も遅くなります。満月は日没のころ東から昇り、一晩中煌々と闇を和らげます。そして立待月・居待月・寝待月と段々出て来るのが遅くなってゆき、お仕舞いには夜明け前にちらりと細い“し”の形を見せた後に朝の陽の光に溶けて消えてしまいます。
かしこい皆様は何を今更小学校のおさらいしとんじゃ常識知らずの無学め、と仰るでしょうが、事実私はこの理屈を存じませんでした。そう、つまり私が下弦の月などの“し”の月を見ないのも道理、お外で夜遊びをしない健全なよいこの私(家の中では夜更かししてます)はそんな深い夜に空を見上げることがこれまで無かったのです。
そっかぁ。それでなんか育ちゆく月ばかりを見てきたのかぁ。合点合点。と納得し、己が平凡かつ平穏な生活をことほいだのでした。
で、ある夜。
私は職場の付き合いで酒を呑み高歌放吟、終電で最寄り駅に辿り着き家までよろぼい歩いていました。
もうすぐで家に辿り着くそんな折、私の視界の上方に見慣れない光が飛び込んで来ました。
東の空に、大きな大きな、下弦の月が浮かんでいました。
次の瞬間、私は息を飲んで動けなくなりました。
恐怖で、いっぱいになったのです。
いつも見てきた、右半分や真ん丸の月ではない、きっとはじめて意識して見たであろう左半分だけの、月。しかも巨大な。“し”の月。死にゆくもの。不吉。冥府への誘い。滅亡のメタファーのような。様々な思いが一瞬で脳裡を駆け抜けます。戦慄。
“う”の月に馴らされた私の脳味噌は、突如顕現した見慣れない、なんだか強烈に違和感を覚える右半分が欠損した“し”すなわち“死”の月に、畏れをなしてしまったのです。
中学生の頃、ほっほーん、これはうまいこと考えたもんだなぁ、と感銘を受けていた裏で、その生と死のイメージが強烈に張り付いて、私はやはり恐怖を感じていたように思います。今になって。そう、私ももう40。日本人男性の平均寿命が80歳、生まれゆく月の時は去り、あとは死にゆくもの。私の下弦化も、はじまろうとしているのです。
大きな欠け月は、ぢぃっと私を見下ろします。
怖ろしい。恐ろしい。でも見ないように見ないように見ないようにと思っているのだけれど、
どうしても、見てしまう。
私は身をこわばらせながら、屋根に隠れてしまうまで月を見上げて歩きつづけました。
・・・・・・とまぁ、単に狂人である私の考えすぎで、勝手にひとりでびびってる訳なんですが、要するに“生き”物にとっては“死”の月が出てる時間はおとなしくネンネしとけ、って戒めなのかもしれません。遅くまで起きてないと出会えないわけですからね。丁度そんな月が南の空で高く輝くのは、丑三つ時あたりですし・・・。そもそも考えたら昼間輝く太陽を生の象徴とみれば、夜に現れる月自体がどんな形をしていようがもともと死のイメージを持っているとも言えますからね。陰と陽。
月をうたうたまの歌詞に死を想わせるものが多いのにも、なんだか頷けるなぁ、と、勝手に納得して今宵も浮かぶ月に神秘を感じたりびびったりしてる、おかしなおっさんのひとりごとでした。(オポムチャン 16/11/13)
(寸評)僕の「汽車には誰も乗っていない」の「星を見るのは怖すぎるよ」の一節もこれに近いのかもしれない。 7ポイント。
チェンマイのソンテオで初めて出会った歳の差カップル
波照間エロマンガ島@バンコクです。今から6年ほど前、わたしがまだチェンマイで暮らしていた頃の話です。
ある日わたしは「ソンテオ」という1トントラックの荷台を改造した乗り合いタクシーで移動していました。するとフルーツ市場の前で、大きなプラスチックの籠にいっぱいのランブータンを抱えもった年配のタイ人の女性と、若いファランの男性が乗車してきました。籠をどーんと通路におろすと、その女性はいきなり私に話しかけてきてびっくりしました。「コーリア? ジャパン?」。私は「ジャパン」と答えると、彼女はいきなり流暢な日本語で話し始めました。まだ乗って30秒も経たないうちの出来事です。
女性曰く、わたしは以前は観光ガイドをやっていて、日本語、英語、中国語、あと韓国語が少し話せる。今は市場で店をもっていて、彼(ファラン、ポーランド人)と一緒に仕事をしている。私は63歳で彼は50歳だ、と。
フェーン(恋人)だったのか!!あぜんとする私。ファランの男性は無口で、私がちょっとした世間話をタイ語ですると「彼は何と言ってるのか?」と女性に訊き返します。タイ語は苦手で日常会話は英語でしているようでした。
しかし63歳のタイ人女性(まぁ見た目、年齢相応の日焼けしたそこらのおばちゃんですわ)と、50歳と言ってもまだまだ見た目は若い西洋人の恋人は、とても印象的でした。馴れ初めを聞こうと思ったら、先に私の目的地に着いてしまいました。
また近いうちに再会したいと思いました。いつでも会えるだろう、と。でもそれから6年くらい経ってしまったんですけどね。次回チェンマイに行くときは、あのフルーツ市場にカップルを探しにいこうかな、なぁんて思いました。という、チェンマイで60代タイ人熟女と50代西洋人年下彼氏に初めて出会ったという話でした。今は女性は70歳近くなっているのか…。(波照間エロマンガ島 16/11/13)
(寸評)まぁそのくらいの年になると13才はさして年の差とは感じないが・・・。
普通は西洋人の方が年取って見えるのにね。 6ポイント。
タイで日本人に言われた初めての「ひとこと」
波照間エロマンガ島@バンコクです。今朝の出来事です。
通勤時、駅を下りて会社までの歩道を歩いていました。すると後ろから歩いていた40〜50代の日本人女性に追い抜かれました。彼女がどうして日本人かわかったかというと、私を抜くときにこう言ったからです。
「邪魔や、どけや」
私は歩道を普通に歩いていただけなのですが、このように罵倒されるいわれはまったくありません。一瞬の出来事でしたが私は瞬間湯沸し器のように激昂しました。が、彼女はものすごい早歩きで立ち去ってしまい、私は反撃することはできませんでした。
わずか数秒の出来事でしたがこんなことはタイに移り住んで初めての体験で、ショックを受けました。そしてこの出来事を反芻するといろいろなことを気づきました。
(1)この女性は私を歩くのが遅いタイ人だと認識して、抜きさるとき私が日本語がわからないだろうと思い罵声を発したのだろうと思われる。
(2)この女性はタイ人を罵倒するのに、日本語だったら何を言ってもわからないからよいだろうという驕りや人種差別的な意識があるように思える。
(3)この女性は自分の母国ではなく外国人としてタイに暮らしているのに、その国に住んでいるタイ人に対する尊敬が見当たらない。
(4)私ももしかしたら日頃、同じような態度をタイ人に対してとってないだろうか。目の前のタイ人に対して腹が立った時、タイ人だから、言葉がわからないからという理由で、日本語で感情を発露していることはないだろうか。
(5)私もどこかでこの女性と同じように高慢になっていて謙虚さがなくなってきていることはないだろうか。
と、連続して頭の中をぐるぐるといろいろなことが駆け巡りました。
確かにこの女性を追いかけていって罵倒し返してもよかったのですが、今回はこの女性から、自分のありようを学ぶ貴重な機会を作ってくれたと感謝することにしました。他山の石として自分を前進させる材料にします。(波照間エロマンガ島 16/11/13)
(寸評)意外なところに日本人はいるし、意外な人が日本語を理解する。
また言葉の本当の意味は分からなくても語気でなんとなくその意味するところが理解できることも多い。
外国では特に注意が必要だね。 7ポイント。
初めての自転車長距離旅行
私が自転車で最初に長距離の自転車旅行を行ったのは、長瀞まででした。
日帰りで、距離にして約45km。
好のとき、陸上部の友達2人と計3人で行きました。
今考えるとすごいなーと思うのは買ったばっかり3日くらい後に出かけているということです。
買った自転車は、赤いドロップハンドルの自転車。ロードランナーだったかスカイロードだったか、そんな名前でした。
当時は若かったんですねえ。(わいわい 16/11/13)
(寸評)俺も中学三年生の夏休みの最後の日の前夜。
突如「何か記憶に残ることをしなければ駄目だ」と思い立ち夜中にひとり自転車にまたがり前橋ー東京間約250キロを往復した。
いろいろ無謀だったけどやって良かった。 6ポイント。
初めての「ニュークォーター」との情事
「ニュークォーター」という言葉をご存知でしょうか。直訳すると「新しい1/4」。ニューハーフ(1/2)の半分という意味です。女性ホルモンを打っていない男性、つまりニューハーフよりもさらにストレートの男性に近い人のことです。最近は「女装子」なんていう風にも言いますね。
女性ホルモンをまだ注入していないので、メイキャップやかつらや女性用衣服を着て「女装」はしていますが、身体つきは胸も膨らんでないですし男性性器は竿も玉もあります。身体つきの大部分は「男」です。身体が触れるほど接近すると「男」の臭いがします。でも、そのなかにほのかに香る「女」の部分にくらくらくるのです。
私はオネェ系・レディーボーイとは、男性の中にある女性性のパーセンテージが0%から100%までのあいだの数値を持つ人びとと認識しています。タイに住むようになり8年経ち、わたしの性的嗜好も変化してきました。以前はニューハーフ以上性転換者未満(50〜99%)でなければ欲情しなかったのですが、ここにきて50%未満、つまり「ニュークォーター」の領域のほうが「イケル」ようになってきました。それは何故でしょう?
これは自分の中での「受け」と「攻め」のパーセンテージの変化にも関係があると思います。よくレディーボーイの人とお話するとたいてい話題になるのが「あなたはTOP、それともBOTTOM、どっち?」と聞かれます。TOPというのは文字通り「上」にいる状態、Bottomというのは「下」にいる状態。つまりTOPとは「舘ひろし」、BOTTOMとは「猫ひろし」のことを言うんですよ、奥さん、カオチャイマイ?(Do you understand?)
50代になって精力が弱くなったこともあるのかな、攻められるのが好きになったというか。だから、より「男」に近い「ニュークォーター」に欲情するのかもしれませんね。これは今最高に注目している自己観察のテーマです。まぁ、わたしはTOPにもBOTTOMにもなる「ヴァーサタイル」(versatile)な人間だと認識してますけども。
さて、そんなこんなで先日知り合ったニュークォーターさん、彼はまだ「男」の臭いが色濃く残っていて、わたしはほぼ一目ぼれしてしまったのです。最近はよく合うようになりました。ラブラブです。これからも自分探求をしてまいります。またレポートします。(誰だかほとんどわかってしまうかもしれませんが匿名にしますよ、AF Man 16/10/28)
(寸評)おおっ、50代になっても性を責めるねー。
俺はすっかり枯れているので同年代の冒険譚を今後も是非聞かせてもらいたい。
未知の領域にトテチテター! 9ポイント。
はじめてのアーティストとひみつ飲み会
8月の終盤。その日のおととい当ページ投稿仲間のでゅおめいぷるようこさんのマンドリンコンサートに出かけた際にもお逢いしたこれまた投稿仲間&サーバ管理人・て〜お〜さんから、我々にゆかりのあるとあるアーティストから連絡を受け、いま関西に来ているが時間が余ってて、良かったら今度のライヴの参加者に声を掛けてこっそり飲み会でもしないかい? と持ちかけられたのだ、とのメールを頂戴しました。こりゃビックリ仰天!
ありがたいことに私は該当のライヴは予約済みで、月末でバタバタする日でしたがこんなレアな機会は千載一遇ですから問答は無用、一も二もなく参加させて下さいっ! と返信しました。私は他の関西の知り合いの皆さんにお声かけをしましたが残念ながらみなご多忙、結局メンバーはそのアーティスト、て〜お〜さん、前述のようこさん、私、といういささかアダルトなメンバーで大阪のミナミからちょいと外れた場所に集まることに相成ったのです。珍しく私が最年しょ・・・ おっと、ようこさんは妖精のたぐいなので年齢とかの概念はありませんでした(フォロー)。
さて当日。運良く仕事はほぼ定時で終了、課長が同じ方向だったため乗り換えかたを教えてくれたのでスムーズに到着できました。って予想外に早く着いちゃったい。えーとお財布に細かいお金がないからどっかで崩さなきゃ・・・ おはっ、改札降りたとこ正面にファミマがあるやんか。飲む前にお店で食べ過ぎないようにすなわちお代を抑えるために、ちょいとお腹にいれとこか。と、大好物のメンチカツと白バラコーヒー牛乳を購入し無事にお金も分解、さぁひとりで至福の時を・・・ と思てたらこちらを見てニヤニヤしている見知ったお顔。わっ、4日前にお逢いしたばかりのて〜お〜さんとようこさんじゃないですか!! いまお越しになったんですか?
ようこ「も〜、改札の中からずっと後ろにおったのに、全然気づいてなかったん?(笑)」
・・・・・・へぁ?? だって後ろに目玉なんて付けてませんよぅ。
て〜お〜「いやいや、普通に気づく距離におったんやって(笑)」
オポ「いやいや無理無理無理、私ひとりの時は完全に自分の世界に入っちゃってますから絶対気づきません」
ようこ「そんなにメンチカツ食べたかったんや・・・」
いやいやだからお札を崩したいから便宜上・・・ とかどうでもいい言い訳をかましているうちに予想外の方向から帽子をかぶったアーティストがご登場!! 比較的宿の近くだったから歩いてこられたそうです。わわ〜嬉しいなぁ、こんな機会に立ち合えるなんて。
お店はて〜お〜さんが見つけてこられた、大阪の隠れた名店と名高い某居酒屋。周りにはなんにもありません(笑)、そのお店だけ開いてるかんじ。ですがさすが名店、予約時間前に入ろうとしてもお客さんでもう一杯!! まだ暑さの残る夕暮れ、しばし4人でお店の前で待機しました。
名前を呼ばれお店の奥へ。飲み物のメニューはありません、明日も仕事なので自粛してテキトーにコーラを。我らがアーティストはビールだったかしら? しかしメニューが壁釣りの小さい札しかなくってやや困っちゃいましたがここは名店、突きだし(いわゆるお通し)からもうウマい!! なんかの魚卵の炊いたやつと南瓜、いきなり絶品。おいしいお料理に舌鼓、お話も弾みます。
今度のコンサートにはようこさんも出演されるので、共演のピアニストの方と事前に打ち合わせしてたらその方がめっちゃ真面目で大丈夫か!? と心配したりいろいろドキドキです、という裏話や、アーティストと私達の共通の知人に関するたいへん大変興味深いないしょのお話(笑)、そのアーティストはどのようにHPを更新されてるのかをその場で実演、と石川さんのHPのサーバ管理者たるて〜お〜さんはもう興味深々で見入ってらっしゃいました。私は私で演奏家でもサーバ管理人でもない只ののきもい若造なのでにこにこお話を聞いて楽しんでいました。てか楽し過ぎて会話の内容もほとんど憶えてません、またはここにはとても書けません(笑)。べつに誰かの悪口とかじゃないんですけどね、ネットで個人情報は迂闊に晒せませんから(笑)。
お刺身にゲソバター、あまりよそで見ないものを、と、きずしにぬたにうざくにミンチボール小鉢。おおっ小鉢はさっきの突きだしのなんかの魚卵があっさりしたミンチボールに変わっただけだった(笑)。じゃぁハモの子小鉢で、と注文したら完全に突きだしと一緒のやつやった(爆笑)!!! 全員ハモの子ってどんなんか知らんかったのでした(笑)。気を取り直してハモの湯引き。関西の夏には欠かせません・・・ と言えば言い過ぎですが。銚子港でも日本4位の水揚げ量なのに、関東ではあまり召し上がらないんですってね。小さい頃は爺さんが好きだったのでよく市場で買って家で骨切りしてました(鰻も捌けるとんでもねぇ爺さまだった)。
ふぅ・・・ 美味しかった。さすが名店、ってこのフレーズお店で20回くらい口にしました(笑)。楽しかったなぁ、憧れのアーティストとお話ができてご飯も美味しかったしとても言えない裏話も聴けたし(笑)。私はなんて運のいいおっさんなのでしょうか。そのうえアーティストが「今日は急に呼び出したのにわざわざ来てくれたから」と、お代を済ませてくださったのです!! なんという太っ腹!!! こんなに良くして頂いていいのかなぁ、わーこれメンチカツ買わんでよかったやん(笑)! んで一応お会計も気になるから(笑)見てたら4人で1万円行かなかった! おいおいこの名店どうなってんだい(笑)!? ウマくて安いのかよ!! ・・・また来ることも場所的にそうそう無いでしょうが、来てほんとに良かった・・・。
健康的に10時台に解散、アーティストにお礼を告げて乗換駅でお別れ。幸せだったなぁ。やーファンやっててもこういう幸運が訪れることは滅多にないことですよね。たぶん。後日のライヴも大成功、ますます私はそのアーティストのファンになったのでした。一体私のこの異常な運の良さは何なのだろう、やっぱり職業の適正は遊び人なのかな(笑)・・・ (オポムチャン 16/10/28)
(寸評)なにっ、太っ腹!? それはきっと腹太鼓を叩く為の・・・。
とにかくそんな素敵なアーティスト、見捨てちゃいかんぞ。いかんぞ。 7ポイント。
タイ国王崩御で国中服喪期間に入るという初めての体験
皆さんご存知のように西暦2016(タイ仏暦2559)年10月13日、タイ国のラーマ9世プミポン・アドゥンヤデート国王が逝去しました。現在、30日間の服喪期間にあります。歌舞音曲の類いは自主規制しています。街中やテレビから音楽が消え、政府の呼びかけから国民は皆モノトーンの服を着て弔意を表しています。国王の崩御で経済活動が停滞することを政府は望まず、臨時の休日はなく日常生活は続いています。
10月12日、国王の容態が急変し王族各位が代わる代わるお見舞いしたというニュースを聞いて、なんとなく悪い予感はしたのですが、それでもまさか亡くなるとは思いもしませんでした。またお元気な姿を見せてくれると信じていました。
10月13日の夕刻、訃報がいっせいに流れました。わたしはその瞬間、通勤のBTSスカイトレインに乗っていました。車内はたくさんのタイ人が乗っていましたがとても静かで、皆スマートフォンの画面を凝視しているのが印象的でした。そして何人もの人が涙を流していました。
その瞬間、つぶやいたTweetが下記のものです。
帰りのBTS線車内。皆スマートフォン画面を熟視している。何が起こったのかほとんどの人が知っているだろう。けれど整然と静かにいつもの乗客としてそこに立っている、座っている。心なしか鼻をすする音が複数個所から聞こえる。そんなタイ仏暦2559年10月13日午後7時台のバンコク。
この国ではわたしは外国人なので、国王の崩御についてそして今後のこの国の行く末について言及することは避けたいと思います。ただタイ国民の気持ちといっしょにいて、私も弔意を表し国王の死を悼みます。RIP。(波照間エロマンガ島 16/10/28)
(寸評)本当に慕われていた王様だったよね。音楽にも造詣が深かった。
彼の力で政情が安定していたという話も聞く。今後も変わらないタイでいてくれることを望みたい。 7ポイント。
初めてのルアンパバーンで栗コーダー&フレンズ体験
波照間エロマンガ島@バンコクです。
先週末タイは3連休の休日だったので、その休みを利用して隣国ラオスのルアンパバーンに遊びに行ってきました。
ルアンパバーンはメコン川に面した小都市で、古い街並み全体が世界遺産に登録されています。タイに住むようになり8年、隣国ラオスを訪れる機会はほとんどなかったのですが、このタイミングでようやく初めてルアンパバーンに行くことができました。
訪れた目的は観光の他にもうひとつありました。日本の音楽グループ、栗コーダーカルテットがビューティフル・ハミングバードと知久寿焼さんとともに「栗コーダー&フレンズ」としてラオスツアーを行なっていて、ルアンパバーンでもコンサートを行なうと聞いたので「おお、行ってみよう」と決めたしだい。チェンマイやバンコクでお会いしたことのある栗コーダーの川口義之さんにメールを出してその旨伝え、コンサート会場の情報を返信いただきました。
ルアンパバーンはバンコクから直行便があり、およそ2時間ほどで着くことができます。初日は夕方にルアンパバーンに到着、ゲストハウスにチェックインしてすぐに荷物を置いてコンサート会場にかけつけました。会場はルアンパバーンきっての高級ホテルの中庭で行なわれました。実はこのチームのライブを鑑賞するのは、今年1月のバンコク以来、約9ヶ月ぶり。まさか1年のうち2回も栗コーダー&フレンズを観ることができるとは思いもよりませんでした。ライブでは日本の童謡やヨーロッパのクラシックなど世界の音楽から主に演奏しました。想像したとおり5歳以下の子供たちはプリミティブに反応し、その場で元気に踊りだしたりして、音楽には国境はないことを実感しました。特に知久さんの歌声やギター
、口琴などの音は、子供たちには特に魅力的に映るようでウケまくっていました。
休憩時間中、隣に日本人のお客さんがいたので話しかけたところ、次の日にハーフマラソンの大会があり、当地を訪れたと仰っていました。お客さんは日本人の方は少なく、現地のラオスの方が大半でした。
翌日は日中ルアンパバーンの街中をぶらぶらして過ごしました。街の中心部は川沿いに2〜3kmくらいの距離なのでじゅうぶん歩いて移動することができます。この大きなメコンの流れがベトナムまでつながっていると思うと感慨がわいてきました。
そして夜は国立博物館の舞踊劇場にて2日目のライブ。この日はラオスの伝統芸能との共演で、これまた素晴らしかった。民族衣装に身をまとった子供たちがラオスの伝統舞踊を踊り、そのバックで演奏する栗コーダー&フレンズの面々にうるうるきました。そしてラストは日本人なら誰でも知っている童謡「おさるのかごや」を演奏。途中でイベントの司会者の人に促されて最前列に座っていたラオスの子供たちといっしょにわたくしも舞台の上にあがってみんなで踊りまくって大団円という楽しいエンディング。この趣向には興奮しました。わたくしのほかにも何人もおっさんやおばはんたちがステージにあがっていたのでそんなに悪目立ちはしなかったと思います。本当に思い出に残るライブでした。
そして次の日はもう最終日、終日のんびり過ごして、夕方の便でバンコクに戻りました。
ルアンパバーンは時間の流れが遅いのでのんびりでき、近いうちにまた訪れたいと思いました。相当端折りましたがそんな初めてルアンパバーンへ行ったという話でした。(波照間エロマンガ島 16/10/28)
(寸評)ああ、ルアンパバーンは俺も行こう行こうと思って時が過ぎてしまった。
来年こそチェンマイから行ってみたいな〜。 6ポイント。
はじめてのサーキットのクリーニング伝票
というわけで「おバカ」にも投稿した鈴鹿サーキットへ親族一同で初めて行って参ったわけですが、サーキット併設のホテルは本館北館南館西館東館があり、我々は東館に宿泊いたしました。
内装はお子様連れを意識したサーキット風の装いで、部屋にはサーキット場の大きな絵、じつは間違い探しになっており、さらにマスコットキャラクターのコチラくん(ちゃん?)を探してその数を当てれば正式な名前は忘れましたがこどもコインみたいなん(集めたらポップコーンかなんかがもらえる)がもらえるという遊び心満載な仕様になっており、さらに床の簡易腰掛けの大きさが三段階になっててなんじゃらほいと思たらああそうか、これは表彰台だ! 1位2位3位のお立ち台でんな! さよかさよか。うーんサーキット場っぽくてよろしいな。
ちょうど食事の時間までヒマだったのでいろいろ部屋の中を物色します。うんうん聖書も置いてる。読まんけど。お菓子も置いてるしアメニティもしっかり揃ってる。そして別段見もしませんがテレビの下を探ると、クリーニング伝票が出て来ました。
ああそうか、ホテルってクリーニングサービスもやってるんだな。使ったことないから知らなんだ。私は面白がって眺めていたら、あることに気がつきました。荒い画像ですが添付しましたので皆様もご覧ください。
上の方は尋常です。シャツ、550円。ズボン、700円。スーツ、1800円・・・ とくに問題ないように思われましたが、私は下3段に見慣れない衣類を見かけました。
レーシングスーツ、2000円。レーシンググローブ、1000円。レーシングマスク、550円。
わひゃぁ! このホテルこども連れ家族向けやと思てたら、ガチでレーサーも泊まる感じなんかい!!
・・・そっか、レーシングスーツってやっぱり洗うの大変そうだから高いんだな。セーターやズボンよりレーシンググローブの方が高くつくのが面白い。しかしもっと面白かったのは、こんなファンシー仕様の部屋で命懸けの真剣勝負に挑む、もしくは挑んだ後のレーサー達が英気を養っている図を想像するとあまりにもシュールだということです。ベッドのヘッドボード、タイヤ型でっせ。・・・まぁ、入れ替えとかすんのかな?
それにしてもレジャー施設の老舗(?)として奢ることなく、全般的に様々な工夫・気配りがされていて楽しかったです。最近観光地はどこもかしこも外人さん天国なのになぜか外国の方はほとんど見かけませんでしたが。鈴鹿サーキット、おススメです。(オポムチャン 16/10/28)
(寸評)逆にレーシングスーツは普通のクリーニング店では扱ってないからこのホテル直属のお店でしか洗えないのかもね。
漁師の宿とか魚臭い漁師服専門のクリーニング店とかもあるのかね。 7ポイント。
はじめての風車
どこのコンテンツに投稿しようかかなり迷ったのですが、ここにさせて頂きました。
先日、長野へ旅行に行きました。
小諸の道の駅に寄ったところ、フリーマーケットでこのようなものが売っていました。
いかにも石川さんに関係がありそうなのでネタになるかと思い、写真を取ってしまいました。
空き缶を使った風車ですね。これを売っていました。一個150円くらいかと聞きました(違っていたらごめんなさい)。
製造者に話を聞くと、最初はとても作るのが難しかったらしいです。今では現地で制作することも出来るようになったらしいです。
こういうのを趣味で作って安く販売するのって、とでもいいですよね。
風が吹くとクルクル回っていました。(わいわい 16/10/28)
(寸評)ベトナムとかはこの手のアルミ缶リサイクルの小物よく売ってるね。
俺もアルミ缶で作った帽子を買ったことがある。
頭に端っこが突き刺さってちょっと血が出たな。7ポイント。
はじめてのサッカー試合
現在、ワールドカップの最終予選真っただ中ですが、私は一度だけサッカーの試合を見に行ったことがあります。
それが日本で行われたワールドカップです。
場所は宮城で行われたアルゼンチンvsスウェーデンでした。
チケットはインターネットで必死になって取りました。真夜中、公式HPでアクセスするのですがなかなか繋がらず、たまーにオープンになってもすぐ埋まり、またオープンになるのを待つという具合でした。いつ何時行われるかわからないクリック勝負でした。
新幹線で宮城へ。駅前は多くの外国人観光客が集まっています。仙台駅前の跨線橋では外国人が各国のユニホームを売っています。
試合は公式サイトでも見ていただくこととして、個人的に感じたことは、応援が楽しかったということです。日本戦やJリーグでは、同じ応援やサポーターの画一的な応援ですが、外国同士なので、太鼓もサポーターもいません。野球やサッカーとは違う、相撲やプロレスやラグビーのような各自が好きに応援するタイプでした。一応応援席は分かれていて、私はアルゼンチン側でした。
当時のアルゼンチンは、オルテガやバチストゥータらのスターを擁し、優勝候補の一角ととられえらていました。南極へ行った事からも、アルゼンチンびいきでもありました。
ハームタイムは「ケセラ・セ・ラ」が流れています。これは意外な曲でした。
ピッチ上では、試合に出ていない控えの選手がずっと練習していました。
試合後半になるとアルゼンチンが負けており異様な雰囲気に。この異様な雰囲気というのが、現地でしか感じられなかったことでしょう。2分前になんとか同点に追いつき、会場は凄い声援に。ロスタイムに入りましたが、1-1のまま終了。アルゼンチンは、リーグ戦で敗退となってしまいました。(わいわい 16/10/28)
(寸評)サッカーは見に行ったことないなー。
というかプロの試合は野球とプロレスしか行ったことないのだが。
野球は前橋市民球場でON砲、つまり王と長嶋がともにアーチを放つという昭和を代表するような試合だったな〜。
プロレスは知人が出ているので行った。大仁田の「肉体芝居」が面白かったな。 6ポイント。
初めての鼓笛隊。
わたしにも石川さんに負けない輝かしい音楽歴があるのですっ。
それは小学生の時の地元夏まつり鼓笛隊です。夏祭りに合わせて、小6小5全員で夏祭りをパレードしたものです。
約300人程度の大選手団。
一学期の終業式終了後一度自宅に帰り、食事を済ませて再び学校に集合します。学校は市の中心地近くにあったんですねえ。
楽器は、先頭に旗やバトンといったスター的なもの、続いて太鼓やトランペットなどの人目を惹くもの。楽器が演奏できないものは最後尾のあまり目立たず人数が一番多いコーダーに回されます(涙)。
さてワタクシはピアニカを選択。横向きというのかな、ピアニカは 手にもって演奏しました。笛でなくなぜピアニカにしたかというと、笛と違って音階が分かりやすかったからです。
曲目は今となっては全く思い出せません。唯一覚えているのが「ドラえもん」です。「こんなこといいな、できたらいいなー♪」というやつです。なぜ覚えているかというと、どうしても演奏できないパートがあったからです。このことは大人になっても覚えているんですねえ。
一度家に帰り、最後の最後まで練習したのですが、どうしても楽譜がないと弾ききれませんでした。
で結局本番では、そこの箇所は、適当にごまかしながらふきました。
なつかしい小学校の思い出です。
付記・書いていてふと疑問に思ったのですが、 小5小6と参加したのなら、二年間やっていないとおかしい。あれ? 一学年だったか? どちらでもいいです(笑)。(わいわい 16/10/28)
(寸評)俺は高校卒業のちょい手前まで音楽は授業以外ではほぼ何もやってなかったなあ。
なので今音楽で生計を立ててるのが不思議っす。
聴くのは好きだったけど不器用だったから何も楽器なんて出来なかったからなぁ。
あ、今も桶叩くことしか出来ないや。 6ポイント。
はじめての石川さんから本もらっちゃった
はい、こないだの2016.9.2の大阪梅田・創徳庵「いしかわとにしかわ with 江藤ようこ」のレポートでもちょいと触れましたが、このライヴの最後に私は石川さんから文庫本をプレゼントしていただいたので〜す!
おいこらなんでやねん貴様、なにを貴様ごときがえこ贔屓されとんねん全裸にして貴様のお粗末くんの余り皮をクレーンの先っちょに引っかけてどんどん吊り上げたろか、とか物騒なこと言わないで下さい、わざわざ私にくださったのにはべつにあほほど投稿してるから、とかじゃなくって理由があるんです。
石川さんがくださった文庫のタイトルは『トロッコ列車』。椎名誠さんの創作に見せかけた風の私小説系の短篇集です。
もとより椎名誠さん・東海林さだおさんがお好きであると公言なさっている石川さん、今回の関西遠征のひまつぶしの一助として買われたのですがページを開いた瞬間、「こ、これは今度のライヴに来るって言ってたオポムにやらなければ」とお思いになり、ゆっくり読むつもりのところをダーッと一気に読み終えちゃったのだそうです。
うれしいなぁでもなんでだろう、と思って頂いてから早速ページをめくってみるとはは〜んなるほど、その理由は作品の1行目からいきなり、「オボ」という主人公より年上の登場人物があらわれ、以降3篇にわたって活躍するから、でした。
私は「オポ」ですが(笑)、あまりに似ているへんな名前なのでインパクトがあったのでしょう。そのオボはSTAP細胞で大騒ぎになった小保方さんみたいな苗字なんでしょうかね? もしくはええとこのおぼっちゃんでオボ、とか。まぁ私のオポに意味はまったくないんですがへんなハンドルネームでよかった! 得した(笑)!!
各お話自体もおもしろく、椎名さんはあとがきによるとこういう短篇は締切に迫られてダーッと出たとこ勝負で書きあげちゃうのだそうです。それが筋道をあらかじめ良く練ったお話とはまた違った「脳から出まかせ感」が出ていて、リズムがポンポーンと弾んでいて楽しい。遠い昔にもう忘れた何かの作品を一度読んで以来久々の椎名誠さんでしたが、ちょっとハマりそうです。ちょいエロもあるし(笑)。またお手本にしたい文体が増えました。
たまたまとはいえ新しい世界を開いてくださった石川さん、ありがとうございました!! 大事にします、オボの登場作(笑)。(オポムチャン 2016.10.10)
(寸評)俺も「オポ」なんて異国ならともかくこの日本でそんな名前が被るなんて思ってなかったよ。
ブックオフで買った108円のプレゼント。喜んでくれて嬉しいよ。 6ポイント。
初めてのタイ王室への献上品
日本で食品系会社で働いていたときの話です。
社長のコネクションでタイ王室の一族ご一行が来日することになり、日本茶を献上することになりました。会社には製茶部門があり、静岡に製茶工場をもっておりました。その献上品のために新しい商品を開発することになり社内で試飲会がおこなわれました。
(そのときの日記からばっすい)
新商品の試飲会が行なわれた。わたくしの勤める会社ではたまに社員をモニターにしてお茶とか和菓子とかを飲み食いさせて意見させる会が設けられる。今回はブレンド茶。来週某国の某得意先に献上する品らしい。なにしろXXXなのでおいそれとテキトウなものはさし出せないというからプレッシャーもあり大変だ。最近は某国では日本茶ブームで健康的観点からも大いに日本茶が飲まれている。ペットボトルが主流だがこれからは葉っぱのお茶も輸出していこうという目論見もあるようだ。しかし、国が違うということは味の嗜好の違いも当然あるわけで、そのペットボトルの茶には糖類が思いっきり入っていて紅茶みたいな味なのだ!
そんなこんなで、そのブレンド茶を飲んでみた。
第一印象は
「あまー〜い!!!」
って最近のお笑いコンビ、スピードワゴンのネタじゃないんだから(笑)。
なんでもオリゴ糖が入っているので、お茶の成分のタンニンの苦さ・味わいよりも先に甘さが口の中に広がる。職場の同僚は玄米茶に味が似ていると言っていたが、あの甘さは日本人には耐えられないかもと思った。某国の人にはいいかな。(ばっすいここまで)
某国と書いていますが、タイのことです(キッパリ)。このブレンド茶は無事にタイ王室に献上されたらしいですが、その後のビジネス展開にはあまり効果を発揮しなかったみたいですね。
以来約15年あまり現在にいたるまで、タイにおけるタイ人のお茶の嗜好について自分なりに観察してきましたが、以前のタイのペットボトル茶は甘すぎて日本人にはとても飲めたものではなかったのですが、最近は糖分を減らしてきて、「微糖」や「無糖」の商品も増えてきています。製茶メーカー大手の駐在員さんに取材したところ、たしかに徐々に糖分の割合を減らすことによって、タイ人の嗜好を変える企業努力が実りつつあるとのことでした。
というわけで、初めてのタイ王室への献上品に日本茶を差し上げた話と、その後のタイ人の味の嗜好の変化についての講釈でした。(波照間エロマンガ島 2016.10.10)
(寸評)子供の頃は麦茶に砂糖を入れて飲むのが基本だった。今、少なくとも東京近辺でそうやって飲んでる人を知らない。もちろん砂糖入り麦茶のペットボトルなども無い。
どこの国でも健康志向は強いのでやがて無糖のお茶が好まれる時期も来ると思うな〜。
ただそれが5年後なのか50年後なのかは分からないんだよね・・・。 7ポイント。
はじめての合唱コンクール
小学生5年の時、市内の合唱コンクールに出ました。5年の時は3クラスだったので約150人。市内全部の小学校が市民会館に集められました。持ち時間は10分程度。
他の学校はいかにも合唱曲ですよとばかり「あの素晴らしい愛をもう一度」「やしの実」「なごり雪」を歌っていますが、私たちの学校が選択したのは「チコタン」という曲です。
チコタンという合唱曲をみなさんご存知でしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=Zh382r25hXc
これです。
のちに大人になってから音楽の先生に聞くと、音楽界の合唱曲ではかなり有名な曲らしいです。
唄ったのはこれ一曲だけ。
曲は5節で、
「1・なんでかな」「2・プロポーズ」「3・ほっといてんか」「4・婚約」「5・誰や!」からなります。
ストーリーは、小学生が好きな子がいて、プロポーズするも振られます。ある理由を克服して婚約しますが、その女の子はダンプに引かれて死んでしまうという歌です。
歌い終わった後、拍手も何も起きず、会場がシーンとなったのを覚えています。
大人になって久々に聞いてみると・・ ・泣いてしまう、怖い曲、悲しい。。。(わいわい 2016.10.10)
(寸評)聴いた。凄い歌だ。知らなかった。みんなも是非聴いてみるといい。
これはさすがに大人もどう反応していいか分からん・・・トラウマソング。 7ポイント。
はじめてのCD
ワタクシが初めて買ったCDはQ3の「永遠のミスキャスト」というシングルCDです。
Q3と言っても多くの方はご存知ないかもしれません。フジテレビ深夜黄金期の1990年に放映されていた「ビデオの王様」「ビデオの女王様」「ビデオの女王様?」という番組から派生したユニットで、フジテレビアナウンサー(当時)八木亜希子、越智静香、中島宏海からなる3人グループです。この「ビデオの女王様?」のOP「女王様たちの夜」とEDの「永遠のミスキャスト」を合わせた作品が本作です。
ビデオの王様シリーズは、大学生役の笠井君(フジテレビアナウンサー)と、ビデオ店店主役の八木さん。そしてアルバイト役の越智さんと中島さんたちが織り成すテレビドラマで、映画評論家が店へ持ってきた映画の新作などを所々作品中に入れ、放映されていました。
凄いのはAVも放送していたことです。AV女優が店にやってきます。笠井さんや八木さんがAV女優やタイトル名を紹介していました。そしてAVを含めて番組中に紹介したビデオを視聴者にプレゼントしていました。凄まじい時代だったんですねえ苦笑。
番組最終回は、笠井君と八木さんが、何年かたって結婚するというのをぼんやりと暗示して終わりました。
あー書いているとまた見たくなるドラマです。
ちなみに「ビデオの女王様」は、かの「ノーマ・ジーン」が歌っています。(わいわい 2016.10.10)
(寸評)あーなんかそんなユニット話には聞いたことがあるが1990年はテレビに出るのが忙しくてテレビを観る暇がなかった(笑)。
ノーマ・ジーンも良かったな。最近はどうしてるのかな。 6ポイント。
初めてのラストワルツ
ああっ。『最初で最後のワルツ』だなんて、まるでライトノベルズのタイトルみたいになってしまった。
おっといきなり脱線。失礼しました。
翌日から銀座で仕事があった私は前乗りで東京に入っていました。
夕方、私はたま友のNさんの車でS縄と共に渋谷にいました。
昼間はMさんも一緒に「N牛」に行き・・・あ、そこは伏せる必要なかった(笑)
久しぶりに「ニヒル牛」にお伺いしRさんに会いランチをした後、原マスミさんのライブに向かうためです。
少し早く到着し過ぎたので、どこかでお茶でもして時間を潰そうとしましたが、Nさんがお目当ての駐車場は満車。
「どこかで二人でお茶して待ってて。お店に入ったら連絡ください」
Nさんは私とS縄を降ろし、駐車場探しの旅に出られました。
さて。
忘れていましたが、S縄も私も東京の人ではありません。
何処に行けば何があるのか分からないまま、道の真ん中で周りをキョロキョロ。
「どうしよう・・・全然分からないよ・・・( ;∀;)」
すると何という事でしょう。
原マスミさんとマネージャーのしのさんが前から歩いて来られるのが見えました。
「あーっ原さんだっっ!!原さーんっっ!!」
助かったーとばかりに二人で手を振りながら原さん達に駆け寄りました。
原さんは最初は「誰だ?」って感じでしたが近づくにつれS縄と私だと気付いて下さり
「あれあれーっ!?ここは何処だー?大阪かー(笑)?なんで(こんなとこに)居るの?」
その後、原さんたちとコーヒーを飲んで(S縄はアイス)Nさんの帰りを待ちました。
暫くしてNさん合流。私は全く興味がないのですが(´・ω・`)シモネタでひとしきり盛り上がったあと、原さんはセッティングの為ライブハウス内へ。
我々もそろそろ並びに行きましょうとお店の前で待機。
開場時間になり店内へ。
全体的にブルーの照明の大人な感じのライブハウスでした。
SNMで前列をキープ。
この日は原さんのファンの方が企画されたイベントで全部で5グループが出演されていました。
余談ですが、大阪から上京したVちゃんが所属のバンドも出演しており、再会が嬉しかったです。
原さんの出番はモチロン「トリ」です。
「それぞれボレロ」「1986」「Air」の3曲を歌われました。
相変わらず心をわしづかみにされたまま、アンコール。
もう一度原さんが舞台に戻られた時に「ようこちゃん、やろうか?」と声を掛けてくださいました。
もうビックリしてしまって「いえ、今日は準備がないので遠慮しておきますっ」と言ったのですが
「なんの準備(笑)?大丈夫だよ、やれるよ」と原さん。
NさんS縄も「行っちゃえ行っちゃえ!!」と。
私もここで時間を食うのはライブの流れが悪くなる事が分かっているので、さっさと楽器を出して
チューニングしながら舞台へ上がらせて頂きました。
私「キーなんでしたっけ?」
原さん「わかんない。カポこの辺・・・6?7?」
私「最初の音だけください」
原さん「(ジャラーン)あ、違う。(ジャラーン)あ、ここか?ここだ」
私「了解ですっ」
ドキドキしながら「ひかりの日にち」を共演させてもらいました。
おっとそうだ。「ラストワルツ」初めてとかいう以前に飛び入り参加させていただくのも初めてだし、立ったまま演奏するのも初めてでした!!
座っていないのでなかなか上手く音が出せず、使える音も限られてくるのですが、出来得る限り絡んで行こうと頑張りました。
誰か褒めてっ。
原さんの横に立てる幸せ。なかなかこんなチャンスはないと思います。
その幸せを噛みしめた夜なのでした。(東京1日目)(でゅおめいぷるようこ 2016.10.10)
(寸評)おおっ、原さんといきなりの飛び入りセッション。それは凄い!!!
あともうひとつこの文章で気になったのは何度も出て来る「S縄」。ずっと縄で縛られてる人!? 9ポイント。
初めての三越劇場
東京2日目3日目は三越劇場でした。
人間国宝の先生(新内三味線)と、その息子さん(浄瑠璃歌)、お囃子チーム(こちらも人間国宝の先生が率いていらっしゃる社中)私(マンドリン)と岡崎さん(ギター)という編成で、舞踊「蝶々夫人」の演奏。
普通の世界とは違う事ばかりでした。
前日のリハーサルでもリハだからと言って普段着ではダメで、私は黒のミニドレスにパンプス、岡崎さんはジャケット着用。
本番は私は黒留め袖、岡崎さんは羽織袴での演奏です。
リハの時に先生たちのご判断で私の出番が増えてしまい、その所為か、リハの時にご挨拶回りをしなかったせいか、よくわからないのですが当日の朝は控室に挨拶に回った時に、他の人から無視されたり睨まれたりして(あるんですねー本当にこういうの(笑))
ちょこっとヘコみつつ、でもスタッフの方々から口々に黒留め袖姿を褒めてもらい機嫌を直して本番を迎えました。
綺麗に楽に着つけていただいたおかげでいつものコンディションと変わらない状態で演奏する事ができました。
「オープニングのテーマ」「さくらさくら」「争いのシーンでの三味線と歌との掛け合い」(はーこれが一番難しかったー)
そして最後は、蝶々夫人が自害し、倒れた時に、いったんすべての楽器が演奏を終えます。
その一息あとに、もう一度マンドリンとギターだけで「ある晴れた日に」を弾いた時、客席からすすり泣きの声が聴こえました。
心の中でガッツポーズ。
ブラックようこが「はっはっは。完全に私の勝ちだな(誰に対して?)。」と呟きながらも、心を込めて演奏しました。
ゆっくりと幕が下りていき、完全におりきったところで演奏も終わる事になっていましたが、幕の係の人からお客さんがまだ座って聴いているから
「もうひと回し弾いてください!」と指示があり、幕が下りた後も予定より長く気持ちよく演奏させて頂きました。
終わって控室に戻る時にある楽器の人が
「マンドリン、素晴らしい演奏でした。感動しました」と通りすがりに小さい声で言ってくださって心が晴れました。
♪あーる晴れた〜日に〜♪
私も大人ですので「なんだよーっオメー朝は無視したくせによーっっ」とかは言いませんでしたよ(笑)褒めて!!
いい演奏をすれば(マンドリンパートが増えた事も)認めてもらえると思っていたので、それが伝わってよかったです(*´ω`)
もっと緊張するかと思っていましたが、この日の舞台も本当に楽しくて幸せでした。
先生の息子さんが洋楽にものすごく興味をもっておられて、今度はもっと三味線とギターマンドリン、歌がガッツリ絡むアレンジにして是非また一緒にやりましょうと言ってくださいました。
来年は出し物が違うから無理かもしれないけど別の形でもご一緒できたらいいなぁ。
と思います。また東京に来たいなぁ。(でゅおめいぷるようこ 2016.10.10)
(寸評)こりゃまた俺たちの出てるライブハウスとは全然違う音楽環境の中でやったんだね〜。
これは俺でもできないね。まず服装の時点でアウトだし。
ようこ、凄い!(←褒めた)。7ポイント。
初めての銀ブラ
さて。大役を終えた私と岡崎氏。
晩ごはんにご馳走をよばれ(東京に来てからずっとご馳走続きで(;´Д`))たあと、腹ごなしに「ちょっと散歩しませんか?」と岡崎さんに誘われ二人で銀ブラ。
私が千疋屋パーラーに入りたいと言い(腹ごなしはどこ行った(笑))それを目指して歩き出したのですが、健脚デュオなもんで、あっという間に到着してしまい、全然物足りない。
もうちょっと歩きませんかという事になり、更に奥へ。
岡崎さん「アカン、上ばっかり見たらおのぼりさん丸出しやけど見てしまう(笑)」
私「ほんまほんま。しかも口も開いてしもてる(笑)」
銀座、本当に華やかだったなぁ。
キラキラしたライティングに高い建物。
ブランドのお店がいっぱい立ち並ぶ。
人通りも車通りも多い。
やっぱり都会、スゲー!
そんな中を楽器を背たろうたままでフラフラ歩く。
2時間くらい歩いたところで、いい加減どこかに入ろう。でも千疋屋に戻るのはしんどい(何をしてるんやろ。私ら)ので、近くのええ感じのバーに入る事に。
普段飲まないし、飲めないと言ってる私ですが、実はたまに飲みます。
この日もカクテル3杯とジンとウォッカをちょこっと呑んだ所で急に感情のコントロールができなくなりシクシクと泣き出した(らしい)。
その瞬間隣のテーブルのお客さんの会話がピターっと止まり店全体がフリーズしたそうです。
岡崎さん「ちょちょちょっと。誤解されるから泣くの止めてもらっていいですかっ」
岡崎さんが焦っているのが可笑しいのか今度はケラケラと笑い出した(らしい)私。
岡崎さん「シーっっ静かにして。お願いっ」
そのあと気付いたら寝てました。どのくらい寝てたのか分かりませんが、ラストオーダーとなり、岡崎さんに引きずられ外へ。
私「今何時ですか?」
岡崎さん「スタートが早かったから23時50分。まだ健全な時間帯」
私「おーっどおりで全然眠くないと思った!」
岡崎さん「それは店の中で寝たからでしょーが(笑)。あ、嘘。1時50分。もう2時前やんっ」
私「なんか眠くなってきた〜(*´Д`)」
岡崎さん「タクシー呼びますか?」
私「歩くーはっ私楽器は!?」
岡崎さん「僕が持ってます」
私「おしっこ行きたい」
岡崎さん「コンビニまで我慢っ」
アルコールマジック、すごい。10分くらいした経っていないように思うのに時計を見たら1時間以上歩いてました。
明日4日目は初めての東京ライブだというのに何をしてるんだ。全く。
そしてホテルへ到着。
岡崎さん「明日の集合時間、1時間ずらしますか?」
私「明日、なんだっけ?」
岡崎さん「明日は朝から天ぷら屋さんに並ぶ。午後14時からリハ。16時30分ホテル出発でしょ?」
私「おーそうだった!!起きれる自信ない。」
岡崎さん「じゃあ1時間ずらします。もう部屋に戻ったら早よ寝てくださいよ」
私「一緒に寝る〜」
岡崎さん「(食い気味に)寝ません」
毎回フラれっぱなしであるよ。
夜に銀ブラ。いい感じのバーで二人きりで飲んでも何ら色っぽい事がおこらないという(笑)。
「だって天ぷら屋さんに並ばないと。」
「そうそう遅刻できないからね。」
今日はここまで。(でゅおめいぷるようこ 2016.10.10)
(寸評)泣き上戸、笑い上戸かぁ。
遠くで、見ていたい。 6ポイント。
初めての謎の水
いよいよ今日は※Honey Liqueur初のうずまき企画ライブの日。(※Honey Liqueur・・・マンドリン江藤ようこ&ギター岡崎泰正さんのデュオ。)
昨日のアルコールはすっかり抜けていたのですが、毎晩二人で遅くまで遊び過ぎてそこそこ疲労が溜まっていました。
とか言いながら昼は予定通り天ぷら屋さんに。
1時間並んでも価値のある、安くて美味な天ぷらめしに舌鼓を打ったあと部屋でセトリを決め、1時間みっちり音合わせ。ライブ会場の「鯛カフェ」さんに向かいました。
しかし本当に東京は人が多いです。
どの線、どの駅も全部「大阪駅(梅田)」かと思うくらいの人の波。
ふぅ〜息ができない。。。
「昨日、なんで大人しく千疋屋でパフェ食べて帰らんかったんやろ。僕らアホですね。」
「うん。今からライブやのに、めっちゃ眠たいし、しんどいねん。私ら完全にアホですね。」
反省しつつドロドロの状態でお店に到着。
お店の中にはまだ喫茶のお客さんが残っていらしたので私はお店の方が出してくださったお水をのんで休憩。
岡崎さんは煙草を買いにコンビニへ。
喉が渇いていたので出していただいたお水を一気飲み。
なんだか飲みやすいお水(軟水)で飲んだらホッとしました。
そして、そのまま今回色々お世話になったうずまき企画の代表ウサギ先生と、買い物に出掛けた岡崎さんを待っていると・・・
「あれ?なんか、ウンチしたい・・・」
やだん!!到着するなり初めてのお店でなんでいきなりウンチ?
恥ずかしい(;´Д`)ちゃんとホテルで済ませてきたのにーっっ。
でも仕方ないのでお手洗いへ。
所謂「下痢」とは違い、普通にスルンと致したワケですが、それが驚くほどスムーズかつ・・・・まあ詳しく描かなくてもいいか(笑)
とにかく何のストレスもなく用を足し、また店内へ戻りました。
そしてウサギ先生との再会を喜んでいるその時またしても便意が。
「えっ(;´Д`)そんな、さっき全部出したのに」
そんなヘロヘロの私を岡崎さんが散歩に誘ってくれ(早ようセッティングせんかい(笑))しばらくお店の周りを徘徊。
ずっと大きな建物ばかりの所(三越前)にいたので、久しぶりの住宅街に癒されました。
ああ・・・ご飯の炊ける匂い、お味噌汁の匂い、煮物の匂い。。。
「えーん( ;∀;)私今日ここのどこかの家に泊めてもらいたいーっっ!!」
「分かるーっっ僕ももうホテルに帰りたくないーっ( ;∀;)!!」
普通の家並みを見て幾分落ち着いた田舎者二人。
お店に戻るや否や私はまたお手洗いへ。
岡崎さんはお水を一口のんでセッティング。
私はお手洗いから戻り、出したから入れないと、と岡崎さんの分のお水もいただく。
そしてまたお手洗いへ(笑)
何してるんやろ。役立たずにもほどがある。
だけど不思議な事に、トイレに行けば行くほど胸のつかえや体のダルさが消えていく。
要らない物を出してるから当然と言えば当然なんですが、とても元気が湧いてきました。。。
「あーよかった。顔色よくなってる!!お水が効いたのねー」
とお店の人。
訊けば「身体にいいお水なんですよ!(^^)!」との事。
確かに効いたけど、詳しい事を一切訊くの忘れた・・・。
スッキリできてよかったけど、飲むタイミングを間違えたら本番中に何度もお手洗いに走らないといけなかったかも(笑)
謎のお水。いまだに謎のままです。
東京から帰って5日経ちますが、まだ謎のお水効果が続いているのか、毎朝スルンなのです。ホント不思議。
ああ、なかなか初ライブの中身にたどり着けない。。。続きはまた明日書きます。(でゅおめいぷるようこ 2016.10.10)
(寸評)まさか花瓶の水を飲んだんじゃ?
本当にそういう水なら便秘の多い女性には朗報だね。
スッキリ出していい演奏これからもしてねー。 7ポイント。
Honey Liqueur初めての東京ライブ
お店にあった「身体年齢」を測る装置により、結果私は69歳、岡崎さんは90歳と判定され
「とんだ高齢者デュオだね(;´Д`)」と愕然としていたのですが、不思議な水のおかげですっかり元気になった私(だけ)。
いよいよ初めての東京ライブです。
元々二人とも東京には身寄りもなく、下手したらボウズかもしれないよ・・・
計画当初はそんな事を案じていましたが、当日。
うずまきスタッフのフライヤーと宣伝協力もあり、たま友の皆さん、都々逸クラスタの皆さんを始めSNSを通じて知り合った方々で鯛カフェさんはほぼ満席になりました。
SNS以外では、たまたまお店にお茶を飲みに来られていた男性が、元ギターの製作家の方で、興味を持ってそのままライブを聴いてくださったり私の楽器の販売元の社長さんがたまたま東京出張中で、マンドリン愛好家の方をたくさん連れてきてくださったり。
そうなんです、私は運もいいのですー。
本当に嬉しかったです。
「行くからねー」と訊いていなかった方も何人かおられて本当にビックリしました。
中でも一番驚いたのはかぶさんがお見えになったことです(笑)
私と差し向かいの最前列まん前にかぶさんがいる状態で演奏する日がくるなんてっっ!!
お客さんの内半分が男性(しかもおじさん)。
岡崎さんに「いったいどういう経路でこんなたくさんのおじさんと知り合いになるんですか、しかも東京でっ!?」
と驚かれながらライブスタート。
いつもはMCは岡崎さんにお願いし、私はただ横でヘラヘラしているだけなのですが
今回はさすがに私の知り合いばかりなので私がMCをやらねば。
と、最初は力が入っていたのですが、結局途中から主導権を岡崎さんに委ね、ヘラヘラしてしまったな。
セットリスト。
は、今一番好きな曲ばかりを並べました!!
ライブタイトルを「ヨーロッパ紀行」としたので、イタリア、アイルランド、スウェーデン、イングランド、ロシアなどの曲を中心に私のオリジナル曲とデュオ・メイプルの得意な曲も散りばめながらの計13曲。
しんみりとした曲では、すすり泣きが。また賑やかな曲ではお客さんの歓声が感じられた、とてもいいライブでした。
しっかりアンコールもいただき、最後は今イチオシの私のオリジナル「A Ballad」で締めました。
片づけと物販が済み、身体に良さそうなカレーをいただき、残ってくれていた友達の輪の中にいる時本当に幸せでした。
お客様が全員お帰りになり、ウサギ先生と暫く話をして終電に間に合わせて帰りました。
ウサギ先生が今回ものすごく頑張ってくれて、本当に感謝です。
そして今回のライブ、赤字覚悟で私に付き合ってくれた岡崎さんにももちろん感謝。
本来、自身もシンガーソングライターなのにHoney Liqueurの時は完全にサポートに回ってくれる。
岡崎さんとはもうかれこれ、ン十年の付き合いになるんですが、これだけ長時間二人だけでいたのは初めてだったのでお互い色々さらけ出せてよかったな。
お客さん全員にももちろん感謝。
またやりたいなぁ。
またみんな来てくれるといいなぁ。
今度は「千疋屋フルーツパーラー」行こうっと。(でゅおめいぷるようこ 2016.10.10)
(寸評)おおっ、カブラギがっ。多分ようこさんの美しさに吸い寄せられるように会場に行ったのかも。
それにしても「A Ballad」は素晴らしい。何かに使われてヒットしないかな。 7ポイント。
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