ドキドキドキリコ初体験(80)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

-初めての石川さんのお腹タッチ-

時は約1年前に遡ります。本ホームページにちょこちょこお邪魔し始めた頃のこと、チャットバーにふらりと気が向いて独りカランコロン入店しましたところ先客に居てらしたのはオポムチャンさんという常連さんでした。
その時ほんの短い時間お話をさせていただいたのが今日に繋がる有難いご縁の始めでございました。
投稿もはじめたばかりでした私は、丁度その頃石川さんのライブが近々迫っている折で、初めて生で拝見いたしますのが楽しみで!等かなり前のめり気味で話し掛けた挙句、オポム先輩に対して必ずザ・レポートと、ドキドキドキリコ初体験"初めての石川さんのお腹タッチ"を投稿しますね!と後先も考えず軽々しく約束してしまったのです。

ところがどっこい、いざライブに行ってみますと、その素晴らしい内容に、思っていた以上に様々込み上げてくる感動や、本ホームページを通じることによってお知り合いになり得た人々との邂逅であるとか、そんなこんな心が千々に乱れてしまいとてもではありませんが投稿文に纏めることが出来なくなってしまったのでありました。
また初対面の緊張もあって石川さんに「お腹おさわりさせてください」と申し出ることすら頭からスッ飛んでどこかに行ってしまっていたようで、後で考えてみるとその約束も果たせぬままに帰ってきていたのでした。

この件は誰にとってもどうでもよい事でありながら、私の中ではずっと引きずる大きな楔となりました。
が、先ずは兎に角約束を果たさねばと、去年の内にザ・レポートの方はどうにかこうにか文章にして投稿することが叶いました。もうこうなったら自分の中だけでの意地です(苦笑)。一度言ってしまった約束は出来うる限り果たしたい!

そんなこんな前置きが長くなりましたが、1年越しでそのもう1つの約束を果たす時がきました。
先日4月1日、佐世保は地球屋さんでのライブ後石川さんにお願いしてCD『玄関』へのサインを頂戴したのち、今回は冷静を務めてわたくしはこう申し出ましたのです。
「オポムチャンさんとの約束を果たす為に、ドキドキドキリコ初体験、石川さんのお腹にタッチさせてください」と。
「はい、どうぞ」と石川さんはアッサリ承諾、その立派なお腹を触りやすいように差し出してしてくださいました。
ランニングの上から両手でタッチ…どきどき
はわわ、やわ硬い、、、ランニングの手触りがなんだか暖かい〜(赤面)。
更に石川さんは「あ、なんなら直にもどうぞ!」と気前よくランニングを捲りあげてくださるではありませんか!
南無八幡大明神、手を合わせて拝みたいところをグッとこらえてもう一度両手でお腹タッチ…どきどきどき
はわわ、今度はちょっと冷たいぞ。そしてやっぱり硬い。決してプヨプヨした感触ではないのです。それは程よい張り具合。う〜んトレビアン☆

……どうも、石川さんm(_ _)mその折はセクハラ大変失礼をいたしました。いやはや、なかなかご一緒にお写真をお願いしても、触れるということの滅多に出来ない石川さんに、有難くも直接"ふれあい"させて頂くことができましたことは、これ以上ない思い出になりました。
オポムチャンさん、大変遅くなりましたけど、オイラぁやりましたぜ!!!!(ジェレ美)

(寸評)もうこれで「肌を重ね合わせた関係」だな・・・。
腹と手だけど。 7ポイント。

初めてのエアバスA-380搭乗

2015年年末に日本に帰国した時に世界最大の旅客機であるエアバス社A-380に搭乗しました。

バンコクスワンナプーム国際空港に行きタイ国際航空にチェックイン、搭乗ゲートに行くとひときわでかいA-380の威容を発見しました。びっくりすると同時にみるみるうちにテンションがあがって行きました。タイ国際航空では運行便が決まっていてバンコクを早朝に離陸するTG676便はA-380が機材としてアサインされているようです。

この旅客機は全席2階席で定員525名。ボーイングのジャンボ旅客機の2倍近い乗員数を誇ります。全長もボーイング777の63.7メートルに較べて一回り大きい全長73メートルで、見つめていると遠近感がおかしくなってくるようでした。

乗り心地は飛行中はジャンボ旅客機に較べて振動は少なく静かな印象を持ちました。着陸時もジャンボに較べて衝撃は少ないです! これはびっくりしました。本当に静かに接地したんです。まだこの先何十年かの世界のジェット旅客機の主導権はエアバス社になるかボーイング社になるかはわかりませんが、安全性の高い乗り物としてエアバスA-380は21世紀前半を代表する旅客機として記憶されるであろうことはまず間違いないと思われます。(波照間エロマンガ島)

(寸評)そのうち豪華客船の様にプールやショーの観られるカクテルラウンジの付いた飛行機も現れるのかな? 6ポイント。

初めての、部下にソープを奢るの巻き

このホームページ一部のコーナーでは御馴染みの HTRMERMGS です。

昨年の会社のクリスマスパーティーでの出来事です。私の専属アシスタントのSくんというタイ人男性に、1年間仕事でサポートしてくれた御礼にパーティーが終わったあと2次会に飲みに行こうと約束していました。

パーティーはとんでもなく盛り上がりました。高級ホテルのプールサイドを借り切って行なったパーティーなので、泥酔してプールに落とされる者続出の日本では考えられない楽しい宴でした。そのうち会はお開きになり三々五々社員は帰って行きました。ところがタイ人の男性社員たちは飲み足りないのか皆「次へ行こう」と言っています。その中にくだんの私の専属アシスタントも含まれていました。
仕方なく私は「じゃあみんなで行くか!」と、5人くらいのタイ人社員を引き連れてマッサージパーラー(日本でいうところのソープランド)に行きました。まぁ飲み屋よりもソープランドのほうが悦ぶだろう、というその場のわたしの判断です。

ソープランドの金魚鉢の前はお酒も飲めるスペースになっていて、皆酔っ払って下司なことを言いながらマッサージ嬢の品定めをしています。スポンサーは私で「ダータ」で女性に奉仕されてしまうのですからもう皆盛り上がりまくりです。そうして一人ひとり女性を選んで別室に消えていきました。自分も含めて6人分の入浴代すべて私が払いました(笑い)。

ちなみにタイでは複数の男性でソープランドへ行くと、自分が選んだマッサージ嬢たちと宴会部屋へ行ってそこで一緒に飲み食いや大浴場に使って楽しく談笑したあと、別室へ行き「ずっこんばっこん」する、という「アレキサンダープレイ」という遊びがあります。さすがにそこまでは恥ずかしいのでしませんが、タイのお金持ちはそういう遊びをするんですね。世界各国共通スケベはスケベですね。

というわけで、初めてのタイ人の部下にソープランドを奢った、という話題でした。(HTRMERMGS)

(寸評)うううっ、行きたい。どんなテクニックがあるのか知りたい。
だけども風俗童貞・・・。知らない人とふたりになるのが気を使っちゃうので今日も妻が寝てからコソコソ・・・。 8ポイント。

はじめての野外アイリッシュ音楽&タップダンス

2016年の3月29日、火曜日。優秀な店舗巡回社員さんが来るため役立たずのお前は家で寝てろ、と年度末というのにお暇を出された私はさて家で寝たところで春休みのぼうずと嫁はんに鬱陶しがられるだけだしどないしょっかいな、と思案しつつ石川さん&石川さんファンの皆さんのトゥイターをいやらしくいやらしく覗き見するという卑猥極まりないプライヴァシー侵害をおこなっていたところ、投稿者仲間でありマンドリン演奏家でいらっしゃるでゅおめいぷるようこさんが大阪駅前のオシャレ街・グランフロント大阪の広場にてワールドミュージックのイベントにご出演になる、という記載をなさっており、こりゃいいわー、と家族3人で大阪駅へ赴くことにしました。

春休みだけに人々で賑わう大阪駅。阪急電車梅田駅からJR大阪駅へ移動し、駅前の階段を降りると広場が見えてきました! おお、早速ようこさんのトリオ・メイプルでの相棒・ギターの岡崎やすまささんとメイプルさんとよくセッションなさっているフィドル/ニッケルハルパ奏者の大森ヒデノリさんが先鋒を務めていらっしゃいます。

階段を降り切ってしばらくするとアイルランド音楽チームの皆さんがギターとフィドルに加わります。追加のフィドルとティンウィッスル、そしてようこさんのマンドリン! おお・・・ 5分咲きの桜の見える春先の屋外で、時にたおやかに時にリズミカルで愉しげに時に激しく情熱的に演奏されるアイリッシュはなんとも言えず開放的で、ぼうずを肩車する私も己の動きのキモさを忘れて身体を躍動させます。後ろの方や演奏中の皆様は甚だ気色悪かったことと存じます。申し訳ございません。

これは音楽全般にうとい私の個人的な感想ですが、アイリッシュな音楽は独特のドライな感じがあり、複雑な和音や豊潤な響き、をこれでもかっ、と浴びせるタイプの音楽ではなく、パリッと軽やかに少人数でも楽しく音で遊べちゃう、という雰囲気があります。いい意味で、音楽に暑苦しさがないのです。旋律もシンプルながら、なぜか心にすうっと入ってくる。日本にはない音の動きをするのに、耳馴染みがいいんです。ど素人のトンデモ解釈でしょうが何卒ご了承くださいませ。

そこへタップダンスも加わります! 国際的なタップの達人・吉野寧浩さんがソロ&アイル音楽に合わせて軽快なタップ! 私も思わずリズムに乗ります。きもいです。するとなんとぼうずも演奏隊の間近までしゃしゃり出てきて、吉野さんのタップにあわせてもったりもったり4歳児らしい覚束ないダンスをかますではありませんか(笑)!! これが意外と演者の皆さんに好評だったようで、ようこさんのトゥイターには「驚くことにオポジュニアはくねくねしてなかったわ!!」と(笑)。楽しいなぁ、アイリッシュ&タップ、大好き!

そして肝心のようこさん、3月中旬のアイルランドの祝祭日セントパトリックス・デイのイベントカラー・緑のカーディガンを纏われますます妖精感アップ、この日も美麗なマンドリン演奏をお聴かせくださいました。野外でバックに数名のフィドルが居るという状況下ではどうしても音が埋もれてしまいがちなのですが、私の耳はちゃあんと2弦のトレモロを拾っていましたよ! 中盤でソロも聴かせていただけたので嬉しかった! じつはこの日は会場の屋根のあるスペースで演奏と聞いていらっしゃったのですが来てみたらモロ屋外だった、とのお言葉。でもこういう音楽って室内向けだと思ってたんですが野外で聞くのも素敵でした! カラッとした陽気さがパブに似合うのでしょうがそれを春先の野外で聴けるなんて、なかなか貴重なシチュエーション。世間が決算でわちゃわちゃしてる最中に春風に吹かれながら軽やかな律動で心を弾ませた、幸せなひとときでした。ちなみにようこさんのアップしたお写真の一部に、大阪駅の階段を手を繋いで降りてくるオポ一家が顔もわかんねぇくらい小さく小さく載っています(笑)。(オポムチャン)

(寸評)なんか全員幸せになったね。良かったね。俺も久しぶりにマンドリンとセッションしてみたいな〜。 7ポイント。

はじめてのインドスナック

で。ようこさん達の出番が終了し、ちょこっとご挨拶をしたのちに梅田大好きの嫁はんをウィンドウショッピングへ解放、私とぼうずはその辺をぶらぶらすることにしました。

しかし新しいファッショナブルなお店など私もぼうずも興味ありません。建物の中にいても特段面白くないので、先ほどの広場へ戻ってみることにしました。次のワールドミュージックはまだだいぶ時間が先のようでしたが、広場にはワールドバザーと称してちょっとした世界のお店が出ており、イタリーのパスタ、ドイツのビール、フランス語教室、アイルランド雑貨・・・ 8か国のプチお店が並んでいます。
なんとかぼうずの気を紛らせるブースはないものかしら・・・ とチラ見していたら、ありましたようってつけのお店。インドのお店では普段なかなか見かけないインドスナック1袋200円とインドドリンク1缶100円が販売されています。これじゃ。でもインドといえば香辛料でしょう? こんな5歳にもならないぼうずに食べられるお菓子はあるかしら。

お姉さんA「ちーさいこもこれならだいじょぶ、ムング・ダル、これおすすめよ(流暢)」

試食用のプラカップから手の平にムング・ダルを乗っけます。米粒大のサクサクしたもの。食べたけどシンプルでおいしい。塩気はあるけど辛くも無い。これいいわ。ん〜じゃぁ私用に、ちょいとスパイスィーなやつも買っちゃおうかな。あんまり買う機会なんてないもの、インドスナック。
私が手に取ったのはベビースターラーメンをもっと細くした風のスナック。おほっ、アジアンなスパイスが美味しい! 日本に無い爽やかな辛さです。大阪梅田の繁華街・茶屋町で勤めていたときに窓口に来てたインドのお客さんのにおいがします。

オポ「このムング・ダルとえ〜と・・・(読めない)麺のやつ、あとぼうず、缶ジュースはどれがええ?」
ぼうず「これー」
オポ「ほぉ、ちょっと味濃いでこれ。いいの? じゃあこのグァバジュース下さいな」
お姉さんB「インドスナックハ3フクロデ500エンデス、イカガデスカ(片言)」
オポ「ん〜食べきれないから、これでいいです」
お姉さんB「500エンデス、オツリ500エン。ハイ、アリガトゴザマシター」

早速すぐそばにあった野外テーブル席で、香辛料の利いてないほう、すなわちムング・ダルの袋を開けました。
ぽりぽり。お皿はないので手の平に盛って、ぼうずにも与えます。ん〜素朴にうまい。大きさはお米みたいだけど結局なんじゃらほい、ムング・ダルって?? 裏側の原材料表示にはちゃあんと日本語表記も貼っ付けてくれていました。ムング豆。はっ、ダルって豆だったのね! ムング豆と落花生油、塩。おしまい。シンプルな筈だわ。でもおいしい。ぼうずも満足。ただ米粒程度のめっさ小さい乾燥した粒で、やったらポロポロこぼれるのが難点。でもまぁここは野外、落としたそばから鳩がキレイに食べていきます(笑)。

食べてると演奏を終えたようこさんのお姿が。(※会話はイメージです。実際はもっと関西弁です(笑))
ようこ「おぽちゃんまだ居たんだ。おやつ?」
オポ「ええ、ちょっとそこのインドスナックを(ポリポリ)」
ようこ「私ね、終わってちょっと気が大きくなってアイルランドのブースでティンホイッスル買っちゃった♡」
オポ「ワォ、そのうち演奏会でのご披露、楽しみにしてます」
ようこ「そうね! じゃぁね〜」

・・・あとあとトゥイターを拝見したら、なんと3本目だったそうです(笑)。でも音がクリアで吹きやすいからもう一本・・・ ってノリで。ふむふむ、ようこさんは咥えるためのティンホを3本保有しています・・・ って怒られるわ。

さて・・・もうひとつのピリ辛細麺スナックはなんて読むのかな? えーとアルーブジア、ですって。これは5日後の今日おうちで食べました。
おお、ムング・ダルの倍以上の原材料だ(笑)! なになにじゃがいも、落花生油・・・好きだな落花生油。ひよこ豆、緑豆、サゴ澱粉・・・なにそれ? 塩、ミント香料、赤唐辛子。それでも日本のスナックに比べたら添加物はあっさりしています。
パリパリサクサク、辛い! でも美味しい! たぶんビールに合うけど私は家でビール飲まない(笑)。ただベビースターラーメンをさらに細くしたみたいなやつで、やったらポロポロこぼれるのが難点。っておまえらどっちも小さすぎてちゃんと掴まれへんのんじゃい(笑)!!! というわけで私は皿に盛ったムング・ダルとアルーブジアをさながら犬のように皿に顔面をくっ付けてザフザフ召し上がったのでした。不細工極まれり。

でもどっちもおいしかったなぁ。いずれも150g前後で200円でしたが、輸入雑貨屋さんならもうちょっと安いのかな? amazonだと240〜370円くらいで買えるみたいです。よかったそんなにボられてなかった(笑)。(オポムチャン)

(寸評)それ多分最近割とよく出てるライブハウスでもツマミとして販売してる。
素朴なアジアのお菓子っておいしいよね! 6ポイント。

初めての精神科

高校1年生の時から何に対してもやる気が起こらなくなりました。
高校2年の面談の際、担任の先生に、「僕は何かの病気なのでしょうか」と相談。すると先生は、「そんな訳あるか!いいから勉強しろ」と仰いました。
病気の訳がないか。先生の言うとおり思い過ごしに違いない。
そのまま無気力状態で、ひどい成績のまま高校を卒業。大学でも何もやる気が出ないまま。
気がつくと、大学卒業後就職できずに1年が経っていました。
これではいけない。ハローワークのカウンセラーに相談しました。
「良い病院があるから行ってみてください。」と紹介されたのは、精神科でした。
精神科と聞くと暗い イメージでした。緊張気味に病院へ。
いざ着いてみると明るい雰囲気の病院。日の光が良く入っている。壁の色は真っ白。空調が快適な院内。
まず個室に呼ばれ、スタッフの方に今までの経緯を丁寧に聞き出していただきました。
その後医師の診察を受けました。予想外の軽いノリのお医者さん。つい笑ってしまいました。
鬱病の診断が下りました。テレビなどでもよく聞く鬱病の話。こういう症状もあるんだ。全く知りませんでした。
良い助言をいただくためには、人間関係は重要だったと今になって思います。高校時代、友達もおらず孤立していたのは結果としては問題でした。
病気を疑った自分自身を信じる事も必要だったと思います。
通院を繰り返し、1年が経ちます。症状はじわじわと良くなってきているようです。
失った時間の長さを後悔している場合ではない。何か良いものを得なければ。
という訳で初めてたまのCD『汽車には誰も乗っていない』をネットで購入しました 。CDはまだ届いていません。(猫のチップ)

(寸評)ネットって地球レコードかな?だったらすいません(Gさんに成り代わりお詫び)。
違うとこだったらなるべく発売元の地球レコードで買ってください〜。他のとこで買うと手数料取られるので(笑)。7ポイント。

初めての水族館

3〜4歳のころ、初めて水族館へ行きました。
水族館の第一印象は、水が怖いという事でした。こんなに水が沢山あって、水槽が割れたらどうなるんだろう。みんな溺れるのかな。
そんな事ばかり考えているので、なかなか楽しめません。
水槽の中ではスナメリが魚と一緒に泳いでいますが、ツルツルした薄気味悪い生き物に見えました。母が「可愛いね」というので、一応「うん」と返しました。
施設の真ん中あたりに、円形水槽があります。チョウザメが泳いでいます。この水槽に突き落とされる妄想に襲われ、私は水槽から離れようとします。私の手を引く母が私を引っ張り、元の位置(水槽の側)に戻します。覚えているのはこれだけですが、水族館はとにかく怖かったです。(猫のチップ)

(寸評)ああ、俺も怖いな。
でももっと怖いのは海。あの水の量。ゾッとする・・・。 6ポイント。

初めてのテレビ出演

2000年の冬、地元のローカルテレビ局の幼稚園探訪番組に出演しました。

といっても、無理くりテレビに出たくて司会のお姉さんに付きまとってEDのシーンに出してもらったのです。

今考えるとものすごく恥ずかしいです。テレビ局さん、お願いですからフィルムの最後の部分を削除してください。

ちなみに同テレビ局のクイズ番組にも出演し、一人で全問正解してしまい番組内容をつぶしてしまい、放送も打ち切りになってしまいました。

こちらも今考えるとものすごく恥ずかしいです。テレビ局さん、お願いですからフィルムを焼却処分してください。あと親戚一同の自宅に配ったVHSも。(ズミ天)

(寸評)早くYouTubeで観たい。観せてくれ。 7ポイント。

初めてのラジオ出演

2012年の冬、高校の放送委員会に所属していた自分は、コミュニティFMの学校紹介の番組に出演することになりました。

「自分の趣味を紹介できるものと、紹介したい曲を一曲持ってきてください」とのことで、ブックオフで3000円で売っていたミニギターとGさんの「空の下」のCDをもってラジオ局へ

タイトルコールの練習を自分ひとり失敗するも、なんとか番組開始。自分のインタビュー順が回る直前、自分の担任から「卒業おめでとうFAX」が届いた。だが半分はほかの生徒の愚痴であった・・・

そしてGさんの「空の下」が流れながらインタビュー。インタビュアーの「得意な曲は何ですか?に「カニバ・・・、おやすみいのししです」となぜか変えてしまった。

その後は制服が自分の代から変わること、大学合格したことなどを話して終了。帰りに今回の番組を録音したCDをいただいたのですが、どこかへ消えてしまった・・・(ズミ天)

(寸評)カニバルの歌詞も朗読し、放送禁止用語喋ったら伝説になったかもしれない・・・。 6ポイント。

初めての、紀伊国屋書店メンバーズカードを作るの巻き

波照間エロマンガ島@バンコクです。バンコクのどーでもいい情報をお届けしていますが、今回はどんな話題でしょう…。

勤める会社のビルから徒歩圏のところにエムクォーティエという巨大商業施設がオープンし早1年。一流ブティックや銀行やらレストランやらたくさんテナントが入っていてバンコクでいちばんオシャレなスポットのひとつです。

このエムクォーティエに、バンコクに住む日本人にとって最大のヨロコビとして、日本語の書籍が数多く撮り揃っている紀伊国屋書店さんがあります。幼い頃から地元の玉川高島屋にあった二子玉川店には大変お世話になっていましたが、中年から初老を迎え、自分の生活圏内に再びこの本屋さんができたことはなんとも嬉しく、このたびメンバー会員になってしまいました。
年会費500バーツを払うと書籍が10%割引になるという特典付きです。そんなこんなで最近はここで新刊本を買って、むせかえる本のにおいに鼻孔を押し付けてうっとりしながら読書しています。透明のビニールカバーを無料でサービスしてくれるのもいいっすネ。通勤の電車内が楽しくて仕方ありません。そんな、初めての紀伊国屋書店メンバーズカードを入手したという話でした。(波照間エロマンガ島)

(寸評)町中に日本語がほとんど無いので飢えるよねー。
俺も毎年のチェンマイには文庫本10冊近く持ってくもんなあ。分かる分かる。 6ポイント。

初めての、地震発生で上越新幹線車両内に4時間閉じ込められるの巻き

1990年代前半、コンピュータ会社で働いていた時の話です。
その日わたしは出張で東京本社から群馬県前橋市にある支社に行くため、上越新幹線にて移動していました。
新幹線が大宮を過ぎて熊谷に行く途中だったか、大きな揺れを感じ、緊急停車しました。車掌さんのアナウンスがすぐに入り、関東地方にて大きな地震を観測したとの由。ついては架線の安全を確認するまでしばらくお待ちくださいとのことでした。
携帯電話やインターネットが普及する前のことだったので、まわりがどういう事態なのかいっさいわからず、わたしはじっと車内で待っていました。車窓からはちょうど大正製薬の工場がすぐ近くに見えたのが印象的でした。今調べてみると、埼玉県さいたま市北区にある大宮工場・総合研究所であることがわかります。大宮駅を出てすぐ地震が発生し停車してしまったようです。
結局、新幹線内には4時間近く閉じ込められました。でも乗客は整然としていてただただ静かに待っていました。わたしは不思議とイライラはせず、読書したり妄想したりしてこの非日常の時間を楽しんでいました。

ちなみに当時は前橋支社への出張が多かったのですが、高崎駅で在来線の両毛線に乗り換えるとき「高崎駅のホームで立ち食いそばを食べるのが楽しみだった」と別コンテンツで投稿したところ、石川さんが高校生時代に立ち食いそばに目覚めた店ということが判明し、時空を超えたシンパシーを感じたことが強烈に印象に残っています。(波照間エロマンガ島)

(寸評)ちゃんと座れてて本も持ってたから良かったね。
これが立錐の余地も無いギュウギュウの立ちで暇つぶしものも何も無かったら4時間は地獄だったろうなあ。
そして新幹線じゃない普通車でトイレも無かったら・・・ギャアアッ〜。放尿、脱糞! 7ポイント。

初めての移動式オービスに速度違反の写真を撮影され免許停止処分、略式裁判を受けるの巻き

神奈川県横浜市戸塚区に「原宿」という地名があるのをご存知でしょうか?
唐突にローカルな地名ネタふりから入って恐縮です。こんにちは、波照間エロマンガ島です。
国道1号線の「原宿交差点」といえば、環状4号と交差する渋滞の名所で、日中のAMラジオの交通情報ではほぼ必ずアナウンスがされる場所でした。あまりにも慢性的に渋滞が続くため、国土交通省はこの原宿交差点にアンダーパスのトンネルを建設し、2010年に立体交差化が完成しました。現在わたしはタイのバンコクにて生活しているためここを通ることも滅多になくなりましたが、この原宿交差点にまつわる初体験の話をしたいと思います。

1997年から2006年までの約9年間、わたしは副業で横浜駅近くのキャバクラで働くキャバ嬢の送りの仕事をしていました。週3〜4日ほど深夜お店に出勤し、キャバ嬢の自宅までコースを決めて送るのです。当時わたしは日産ホーミーというワゴン車を所有していたので、そのような仕事ができたのでした。その後10年のあいだに、三菱デリカワゴン、ホンダモビリオと乗り換えました。
最初は送りのエリアは横浜市内のみという話だったのですが、いつのまにかなしくずし的に横浜以西の嬢も送るようになっていきました。ガソリン代と給料との費用対効果は十分とれていたので辞めずに続けましたが、ある日は15分で仕事が終わる日があったかと思うと、ある日は3時間以上拘束される日もあり、日中も仕事をしていたので身体を壊すこともある、かなりリスキーな仕事でした。

そんなある日、わたしは当時茅ヶ崎に住んでいる嬢を送るため横浜新道から国道1号線を走っておりました。日中は酷い渋滞の戸塚界隈もすいすい流れがよく走ります。原宿交差点で先頭で信号待ちしていたのですが、青になると迷わずアクセルを深めに踏み込み発進しました。ところが、その加速するゾーンにいたんですね、ワゴン車に偽装した移動式オービスが。深夜なので加速して速度オーバーする車両が多いと見越して警察は「張って」やがったんです!

数日後ナンバープレートから割り出したのでしょう、出頭命令の手紙が届き、横浜の交通機動隊本部に行きました。係官のいる部屋に通されるとまず紙焼きした1枚の写真を見せられました。「これはあなたに間違いないですか?」
写真を見てびっくりしました。深夜だったのに車両のナンバープレートと運転者のわたしの顔が鮮明に写っていたからです!そしてその手前に計時装置に時速XXキロという表示も同じ画面内に表示されていました。もうぐうの音も出ません。
「はい、わたしです」と答え、調書をとられました。35キロオーバーで一発免許停止処分が決定、後日交通裁判所にて略式裁判を受けることになりました。
移動オービスで撮影されたのも初めてなら、交通裁判所で略式裁判を受けたのも初めての経験です。結局罰金7万円を支払い、免停講習を1日受講し放免されました。
自動車に乗る仕事をしているとこういうことが起こるという話です。しかし幸いにして今まで事故で人や物を傷つけたことはありません。改めて自動車に乗る方はくれぐれも交通安全でお願いします。(波照間エロマンガ島)

(寸評)もういまやどこにでもカメラまわってると思った方がいいかもね。
この件はともかく、何だかちょっと世の中窮屈になってきた感じはあるなー。 6ポイント。

はじめての恋の終わりとひとりちんちん焼き

大学2年の夏の終わりでした。

高校の部活で不届きにも後輩をたぶらかし・・・ ってか向こうが勝手に先輩フィルターに騙されて告白してきたんですが、お付き合いさせて頂いた女の子がいました。
しかしお互いに違う大学へ進み、それぞれの部活動やサークル、またアルバイトに時間がとられるようになると必然逢える時間が少なくなってしまいます。
逢える時間が減るとどうなるか? お互いが本当にまだ好きでいられてるのか? という疑念がもっこもっこと湧いてくるのです。

「私より大学の同期の子が気になるんでしょ、なんで混声合唱なんか始めたの? 浮気します、って宣言してるようなもんじゃない」

言いがかりもいいところです。自分だって男女参加のサークルに入ってるくせに・・・ 女の嫉妬とは恐ろしいものです。まぁ私は昭和の香りのする西アジア系男前ですので(←ほざけ)、心配する気持ちも解らないではないですが小太りで動きと性格がまじきもいのでそういった心配はまるで無用だったのですが。

結局電話しても逢っても喧嘩ばかりする(おおむね私が一方的になじられる)ようになり、懸念をしていた私ではなく彼女の方がサークルの男と浮気をかましてしまいました。そんなこともあったりして一旦別れたり、でもってそのサークルの男とも破綻してまたヨリを戻そうと言われて応じたりしていたのですが、あまりにも相手が身勝手なので私もほとほと疲れてしまいました。折しも部活では同期の学内マネージャー候補が総会(という名のダメ出し大会)でぼろかすに罵倒されて退団してしまい、もうひとりの学内サブマネだった私が役員選挙に臨まなければならないという緊急事態。部活と恋愛のダブルの精神的重圧、口を開けばわがままばかりの彼女はもはや完全に重荷でした。

秋も近いある日。私は学校帰りの彼女と自分の家の最寄駅で待ち合わせました。
その日も彼女は私に対する不満を一方的にぶちまけます。お人よしで辛抱強い私も、とうとう本音を漏らしてしまいました。

「今のお前は僕の重荷でしかない」

当然彼女は激昂し、私を怒鳴りつけるとホームから改札へ走り去っていきました。
これまでも何度か喧嘩になった時同じようなことがありましたが、私はもう、疲れ果ててしまいました。
今日はもう、いや、もう二度と、僕は君を追いかけて抱きしめたりしない。

そう思い、顔を見るのも嫌になった私は、やってきた普通梅田行きの電車に乗り込み、彼女を置き去りにしました。
いつまで、待ち続けるでしょう。でももう、そんなことは知ったこっちゃありません。

次の駅で下車し、私は自宅最寄り駅へとぼとぼ向かおうとしていました。最寄と言えど私の家はその駅から徒歩30分。自転車では10分程度でしたからもちろん自転車で駅に行っていたため、当然私は自転車で家に帰らねばなりません。私は間抜けにもひと駅分歩いて、駅には入らず駐輪場へ直行、さっきまで彼女だった元後輩女子に遭わないように帰る算段をつけました。

駅を出た場所には、ちんちん焼きの屋台が出ていました。
解説を要します、ちんちん焼きとは関西の一部地域におけるベビーカステラの呼称です。要はたこ焼き大のちっさい球形にホットケーキ生地を焼いたもの、とお考えください。
さんざんあの子に使役したちんちんもこれでおひとりさま用に戻るのだなぁ。なんて阿呆なことは思いませんでしたが、ぽっかり空いた心の穴は、目の前の、あったかい、いいにおいのものを欲しました。

気が付くと、いままで買ったことも無いちんちん焼きを一袋、屋台のお兄ちゃんにお願いしていました。
一袋300円程度の簡単なおやつ。しかし今は、それが私の心を癒してくれる、魂の命の源のように見えました。

「兄ちゃんちょっとオマケしとくわ、熱いうちに食べてや」
「・・・ありがとう」

こんな時はちょっとした人の優しさがグッと来ます。気さくなお兄ちゃんにお代を支払い、私は次の駅までのとぼとぼ道を、ちんちん焼きを一個一個、ゆっくり噛みしめながら歩きました。
屋台のお兄ちゃんの計らいと、ちんちん焼の甘くてやさしい感触に、そしてひとりで食べるちんちん焼きの切なさに、涙が出そうになりました。
とんでもない娘だったけど、はじめて、本気で身も心も捧げた恋でした。
その結末は、卑怯で、酷い、惨めな私からの強制終了。
それでも心と身体に栄養をもらった私は駐輪場へようよう辿り着き、改札の方向には目も呉れず、まっすぐ家に帰りました。どうせあの子の性格上、怒ってもう帰ってしまっているでしょう。きっと何度も電話してくるでしょうが、もう、出ません。

部屋に戻り、私はベッドに突っ伏し、ときおり食べきれなかったちんちん焼きに手を伸ばし、終わったばかりの3年間に思いを巡らせました。
しずかに、しずかに泣きながら。

就職してから、一度だけ、家に電話がありました。たまたま出たのが私でした。
また遊ばない? と誘われましたが、笑顔で断りました。

「いつか自分のことが赦せるようになると思うから・・・」

あえて、この【自分】はどちらのことを指しているのか(※関西では相手を指す意味でも使用します)ぼかして答えました。
それっきり、元後輩女子の声は聴いていません。

さよなら。今更だけど、ありがとう。(オポムチャン)

(寸評)おお〜、なんかちゃんと青春してるじゃん!
まぁ切ないも重要な心の歴史だからねー。 8ポイント。

初めてのツレがウツになりまして

今の奥さんと結婚して3年目くらいのこと。
奥さんは現在専業主婦で元気に我が子の相手をしてくれているが、当時はまだ僕ら2人だけのマンション暮らしで、お互い会社勤めだった。夜遅くまでデータ整理や音声収録に大忙しの彼女、夕飯は僕が用意することがほとんどだった(奥さんの方が高給取りだった)。
そんな徐々に社内でキャリアを積み責任を増して行った奥さん、少し上司からの期待が重荷であるように感じてはいた。

そんな折、2人が一緒に属していたコーラス団体で、初めて定期演奏会を開こう、という機運が生まれた。
団体のトップは学生時代からコーラスを共に続けてきた同期の男、この男がまた定職に就かずストイックに音楽の道を窮めんとする、悪い奴ではないけど難しい奴だった。

当時は女声団員が低声に固まっており、奥さんは音域が広いため状況に応じて高声に駆り出されたりしていたが、それがいけなかった。
トップの男が指揮者・指導者として練習を見るのだが、同期だっただけに言葉に遠慮が無い。また出来ていないことに対しての指導が妙に論理的すぎて、頭が付いて行かなくなることがしばしばだった。そんなふがいない我々を見て、指揮者は焦りや苛立ちでよく怒声をあげた。
ある曲の練習時。指揮者がアレンジした日本歌曲であきらかに高音域が厳しい部分があり、彼女を含む高音部の2人はそこを何度も集中的に繰り返し練習させられた。完全にしごきの様相だ。
すると奥さんは、今まで見たことも無い表情で「もう無理・・・」と呟くと、練習室の扉を開けて出て行ってしまった。

練習は中断となり、休憩になった。
いつまで経っても帰ってこない奥さんを見に行ってみよう、と思ったら、練習室を出てすぐ傍のベンチで、彼女は身を震わせて嗚咽していた。
大丈夫か!? と問うても、「・・・わからない・・・わからない・・・」と泣きむせぶばかりで、埒があかなかった。
僕は皆に「御免、今日は帰るわ」と告げ、雨の中、駐車場まで肩を抱いて歩いた。車の中に戻っても、彼女は震えて泣いたままだった。
「辛かったのか」
「・・・わからない・・・」
「どうしたの」
「わからない・・・どうしたらいいのかわからない・・・なんで震えが・・・涙がとまらないのか・・・わからない・・・怖い・・・・・・」
「大丈夫、大丈夫だから」
外は雨、20分くらい寄り添ったまま過ごした車中の時間は、何時間にも思えた。なにも出来ない自分の無力さが悔しく、辛かった。

翌日も朝になるとまた震えと涙が止まらなくなり、ようよう泣き声で電話してそれきり奥さんは会社に行けなくなった。 僕が出勤している間に自力で心療内科へ行った彼女は、「抑うつ状態」と診断された。練習場での症状はパニックというものだった。
職場でのプレッシャーと、コーラスの練習での過度なスパルタに精神が悲鳴をあげたのだ。

奥さんはコーラスを休団、僕は男手が足りないので参加せざるを得なかった。かわりの高音女声の人材が見つかり、なんとか団はもちなおした。
会社は休職、収入の6割は支給された。でも結局復帰は叶わなかった。
その間に2人は30歳を超え、子供も欲しかったが抗うつ剤は胎児に影響があるのでやめておいた。細身だった彼女は今までにない体重をマークした。薬の副作用だ。
しかしもとより真面目で頭のいい奥さんは、自分で薬や克服への道筋を本を買ったり借りたりして勉強し、とうとう2年でうつからほぼ完全に立ち直ってしまった。

この間僕も周りから「お前のせいであの子がうつになったに決まってる」と非難されたり辛かったが、なるべく心に負担をかけないよう気を配ったつもりだ。励まさない。否定しない。無理に気晴らしに誘わない。よく食べよく眠ってもらう。完全にはわからないにしても、彼女の心情の理解につとめる。つまらないことだが出来ることは少なくたってするべきだ。伴侶なんだから。

会社は円満に退職でき、気持ちに余裕ができてからコーラスに低声部として定期演奏会まで限定で復帰した。負担は減り、パニックを起こすこともなかった。体型も元に戻った。しだいに心に活気が出てきて、僕に相談もせずに医療事務のパート(しかも心療科!)を決めて来た時は驚いたが、待望の妊娠・出産を機に辞めるまでうつ症状が出ることもなく勤め切った。経験が活きていて患者さんの心理がよく解り、勤めやすかったそうだ。先生や他のスタッフさんからも評判はよかった。
本当に繊細だけれど強い奥さんだと思う。きっと僕が同じ心の病気になったら、ここまで早く立ち直れない。自分から何とかしなきゃ、と克服法を調べて2年で立ち直るなんて・・・。

育児も仕事以上に大変なところもあるので、今僕に出来ることは彼女が頑張り過ぎないように、時々ふっと息抜きをさせてあげることくらいだ。

心も風邪を引きます。とくに真面目な頑張り屋さんは。そんな時はためらわず、心療内科を訪ねてみてください。(ibm)

(寸評)この病気は俺のまわりでも非情に多い。しかも人によって全部ケースが違うのでなかなか難しい病気。
他の内臓などの病気と同じで自分ではどうすることも出来ないのにともすれば誤解されてしまうところがまた辛いところ。
よくサポートしたね。人の気持ちが分かるって素晴らしい。 10ポイント。

はじめてのポイント使用&敬愛する波照間エロマンガ島さんへの私信的なもの

さてさてこの度は私の身勝手な王冠返還でお騒がせをいたしました。先の投稿で頂いた波照間エロマンガ島さんのお言葉を頂戴し、他愛のない我が人生を振り返っては手を差し伸べてくださった皆様に唾を吐きかけて去って来た自分の浅はかさにおぞ気が走る次第です。

このたび私の行ったポイント使用での王座陥落は、ハッキリ言って私への応援を込めて手を差し伸べてくださった波照間エロマンガ島さんの御厚意を反故にするもの、ということは重々承知しておりました。後進に一旦王座を譲る、というお気持ちも本物であると思いましたし、毎週拝見しているニヒル牛マガジン「チャオプラヤ左岸派」において私への祝福メッセージを頂戴していることも存じ上げておりました。

ただ、今回は私の完全な個人的わがままで、どうしても差し伸べていただいた手を握れなかったのです。
男の子としてのゴミのようなちんけなちんけなプライドとでも申しましょうか、私はゲームといえどもこれはある種の競争だと捉えており、これまでの人生であらゆる競争で一度もイチバンになったことのない私のしょーもない自尊心を賭けたレース、であったのです。それゆえに、私の血眼にはあたたかい応援のおこころざしも素直に受け止められる心構えが出来ていませんでした。

・・・そしてなによりですね、私は毎週土曜日の「チャオプラヤ左岸派」を楽しみにしているエロマンガ島さんファンです。
私なんぞにファンになられてもご迷惑でしょうが、そんなこれまで尊敬のまなざしで見上げていた投稿王が、ご自身の手でその座を手放されるのが、私には寂しかったのです!
どんな手を使ってでも投稿王になる、と常々申していたこととは矛盾するようですが、これが私の気持です。

私のつまらぬこだわりでお心を傷められたこと、お詫び申し上げます。今後は頂いたお言葉を胸に、周りの方々のお心遣いの真意を汲み取れるような人間に成長していきたい所存です。私の如き若輩者に温かいお言葉、ありがとうございます! ただ使ったポイントはもう「Go! Go! ホルモン鉄道」に化けちゃいましたので(笑)、ふたたび精進して頂上を目指して参ります。当面は拗ねて投稿辞めたりしませんので(笑)、今しばらくお付き合いくださいませ! (オポムチャン)

(寸評)まぁ何ごともトップともなるといろんな意見持ってると思うからね。
誰が正しくて誰が間違ってるなんてことは無い。
自分のやりたいことを自分のペースでやってくれれば嬉しい。
俺のしょーもない活動が続けられてるのも言ってみれば他の人からお叱りを受けようが意見を言われようが柳に風と受け流してただただ継続する「ひつこい」性格だったからに違いないと思ってる。
どうかふたりとも、いや他の投稿者たちも是非ひつこくやってください。
ひつこくやった者にしか出来ないこと、分からないこと見えないことも絶対あるからね。 8ポイント。

初めての打ち上げ参加

去る2016年正月のホルモン鉄道のライブの後、吉祥寺の繁華街の飲み屋で打ち上げが行われ、打ち上げというものに初めてご一緒させていただきました。『中華街』という店が候補に挙がりましたが、あいにくの満席でビルの中の居酒屋に。ライブの精算で遅れてきた石川さんを探し、店の中へ。

朝の5時までやっている店で、5時間近く会が続きましたがあっという間に時間が過ぎてしまいました。自分は居酒屋に来たことがないので、料理のメニューが珍しく、結構食が進んでしまいました。

別に何か大きなことが起こったわけでもないけれど、楽しく歓談が進み皆さん楽しそうでした。外国でのトラブルの話などちょっと深い話もありましたが、終始落ち着いた雰囲気で楽しく会が進みました。・・・なんだかんだで自分も料理をたくさん食べました。

ライブが終わり皆さんと街を歩いているときに、音楽の趣味が同じ人と一緒に歩くってとても心強いなと思い、去年の地下生活者の泊りがけのイベントで皆さんとご飯を食べている時を思い出しました。

帰り道、皆さんは駅に向かいましたが、自分は駐輪場へ皆さんとは逆方向へ進みました。自転車を戻して駅の方へ向かってみましたが、皆さんは一夜の幻のように跡形もなく姿を消していました。(Sankaku)

(寸評)お客さんも交えての打ち上げは毎回は出来ないけどタイミングや人数によってやることもあるねー。
あまり大人数だと逆に出来ないのでほどほどの人数が客席に残っていて俺も終電で帰らなくていい時限定だけどね。
なので東京より宿泊のある地方の方がやること多いんだよね。
そんな時は皆さんも是非気軽に参加してね〜。6ポイント。

はじめてのガクブル! ポリスからの留守録

平日のある日。無能者の分際でラッキーで職に就いている罰当たりな私はその日もよちよち出勤してほげほげ勤務しており、窓口がわちゃわちゃしたためすこし遅めのお昼休憩をとりに控室へ引っ込みました。なんだこの無駄に副詞の多い文章は。ちゃんとせぇ。すんません。

ほんで、弁当を電子レンジでティンしている間にたいしてメールも着信も来ない古代携帯電話をぱかっと開けて確認をしましたら、どうも見たことも無い固定電話の番号から着信があり、そのうえ伝言メモに留守録が録音されているのです。 基本的に知らぬ番号からの着信は無視する私ですが、メッセージを残してくださるくらいだからよほどこちらに大事な御用があるのでしょう。早速弁当はあとまわしにして留守録を聴いてみました。

「オポム様の携帯電話でしょうか、こちら曽根崎警察の〇〇課・△△と申します・・・」

け、けけけけけけ警察!!?

な、なんでまた私が警察に!? そら変態変態とこちらでの投稿では己をアッピールして参りましたが、ついにその変態性があふれだして警察にマークされるレヴェルに達してしまった!? いやいやいや、こんな他愛もない投稿文でしょっ引かれるなんてこたぁ無いでしょう、知らんけど。
じゃぁ何だ、私がポリスに連絡を受ける理由、理由・・・・・・ 家族が何者かに・・・ ヒィッ、考えたくもない。しかし曽根崎警察は大阪の繁華街・梅田のポリスです、妻子は今日は地元の水泳教室に行ってて梅田には来ていないはず。 ということは・・・・・・ 梅田周辺で私が犯した犯罪。数年前に遡りますが東通商店街の怪しげな雑居ビルで桃色違法映像電子記録媒体を計3、40枚は購入しました。それかっ!? しかし育児&転居を機にすべてハサミを入れて破棄、現在は合法なものこそ若干数所持してはおれど違法なものは一切所持していません。購入時に会員になった、とかも無く、私の個人情報を(現在はつぶれた)お店に通知したことは一度もありませんから足が付く、ということも考えにくい。
では冤罪?? そういえば私は運転免許証をはじめて交付される際に、他の被交付者から区別されてひとり別室に連れていかれました。何でも私と一文字違いの名前の同一誕生月日(誕生年は異なる)の名古屋のおっさんが存在し、違反歴があって同一人なら免許を交付できないが別人ですよね? ということを聴かれました。わし、そんなおっさんに見えますか? 当時18でしたけど?? ってなにかこれと同じような事件が発生して、またぞろ疑われているのでしょうか・・・

私のちいさな脳味噌は疑問符でぱっつぱつになりました。そんなことを一瞬のうちにぐるぐるぐるぐる考えたもんだから、肝心の内容が入ってこないまま留守録が終わってしまいました。
もういちど耳を凝らして、録音メッセージに集中します。

「・・・オポム様に拾得物が届けられております。つきましピピッ(←録音時間切れ)」

ずるっ。なんだ落とし物かいな。いやしかし待て、ここ最近私は身元が割れるようなものを失くした覚えはない。財布携帯カード通帳手帳診察券名刺、私の電話番号まで判るようなものはなにも無くなっていないはず・・・・・・??
不気味です。詐欺かもしれない。でもこれ、調べたらちゃんと曽根崎警察の電話番号だ・・・ 怖い。なんなのだ。一体何処から私の名前と電話番号が漏れたのだ・・・・・・!?

恐怖でいっぱいになりつつも、連絡しないことには何も解決しません。私は意を決してポリスに電話しました。とぅるるる。

オポ「もしもし、さきほど拾得物の件でお電話をいただきましたオポムと申します(ドキドキ・・・・・・)」
警察「ああオポムさんですね、こちらにお宅さんのポンタカードが届けられておりまして」

私は控室でおもいきりこけました。

ポンタカードて・・・ あのローソンとかで使えるポイントカードです。私のはクレジット機能もなにもありません。ピザ屋のネット注文で作らないといけなかったのでパソコン上で手続き、ぽーんと送って来たものです。私はローソンが好きなのでお買い物のたんびに提示していたら400ポイントほど貯まっていたらしく、知らん間にどっか行ったなぁ、と気付いた日に再発行の手続きをしていたためすでに旧カードは無効になっています。だからそいつは全然要らないラッタッタ。

よくよく考えたら作るときに連絡先の入力をしていました。しっかしこんな他愛も無いポイントカードからそこまで警察で情報を引きだせるんですねぇ・・・。ちょっと驚きでした。

警察「ああそうですか、もう再発行手続きされてポイントも移行できてるんですね。でしたらこちらで期限経過まで保管したのち破棄しますので特段のお手続きは必要ありません」
オポ「お手数をおかけしました、ありがとうございます」

ぴ。通話終了。心臓に悪いぜ、ポリスと電話でやり取りだなんて・・・。その後嫁はんに深刻なトーンで「曽根崎警察から出頭を命じる電話があった」と連絡、「お前なにやらかしてん」と半ばキレ気味に問われ「ポンタ落とした」と言うとめっちゃ怒られました。まぎらわしいわどあほ、と。同じ気持ちを共有したかったの、アハッ(迷惑亭主)。(オポムチャン)

(寸評)今結構四本指の人たちのなんやかんやであれこれ忙しいはずなのに忙中閑ありで連絡したんかな。
それにしてもポンタカードて!
いろんなカード落としてみて「どのカードまでは連絡来るか」やってみて(笑)。 8ポイント。

はじめての「王様」に投稿されてたお店へゴー

さってさて「九州たま会」へ参加した大阪のあほのおっさん、開始までちょいとばかり博多の街をぶらつきませんか? という主催者様のありがたいお申し出を受けて、ギター弾きの若人NHさんと3人ですがすがしく晴れた土曜にあっちゃこっちゃ歩きまわり、お腹を空かせて辿り着きましたのが老舗のうどん店「かろのうろん」。
これは当HPコンテンツ「王様の耳はロボの耳」話題103の「うどん屋」に投稿されていたお店で、波照間エロマンガ島さん、ジェレ美さん、デクノボーさんがご紹介くださっていました。石川さんフリークの私が気になるだろうと、主催のジェレ美さんが散策コースに組み込んでくださっていたのです。

デクノボーさんの投稿にもあるように角地のうどん屋さん、ということで「かどのうどん」にさらに方言がかかって「かろのうろん」。胡乱な私にぴったりのお昼ごはんです。

おすすめで「丸天うろん」をオーダー。ほかにごぼう天、お肉等のトッピングもありましたが丸天(まんまるいさつま揚げ)のおうどんなんて珍しいですからね。テーブルの上にはカブトムシがコッペパンを曳いちゃいねぇってばよ、丼に山盛りの刻み葱。がっさがさぶち込み放題です。博多といえばラーメン屋さんでも明太高菜がぶち込み放題だったりして気前いいですね〜。嬉しいな。ってか逆にここまで来といてあえて蕎麦を注文するっていう破天荒な業をかましてやろうかとも思いましたが多分もうなかなか来られないのでまじめにいきました。

ほどなくして運ばれてきたおうろんとかしわおにぎりとおいなりさん。いっただっきまーす。おふぉっ、やらかい。つるんぬるんだ。おおっいま投稿を見返してたら「コシなんて全くありません」なんて書いていらっしゃる! 確かに。しかし硬い麺が苦手な私にとっては実に食べやすく、すいすいイケちゃいます。甘めの出汁が歩き回った身体に沁みわたる。丸天とよく合う! おいなりもかしわおにぎりもシンプルながら美味です。おにぎりものが250円、うろんが520円(2016年3月現在)。値段設定もお手頃です。

ビックリするほどの味!! とか衝撃のやわやわ食感!! とかまでの大げさなインパクトはありませんが、昔からの変わらぬスタイルとやさしい味が人気の秘訣なのでしょう。とんこつラーメンやもつ鍋で濃厚にいきすぎちゃった翌日は、かろのうろんのやさしい味で一服してみてはいかがでしょうか? 
以上、はじめての投稿されてたお店レポートでした。(グルメレポーターには不向きなオポムチャン)

(寸評)なんか年取るとそんなに刺激の無いものが返っておいしく感じられるようにもなるもんなー。
グルメものって基本濃い味のものが多いからね。
これからの老人社会、ラーメンよりうろんの方がニーズ増えるかも!? 6ポイント。

初めての、投稿王が1000ポイント使用で再び自分が投稿王に返り咲いたことについて

2016年3月20日の「投稿王」と「王様の耳はロボの耳」話題122「2000ポイント」のレス読みました。オポムチャン、1000ポイント使用で自ら2位に順位を落とし再度仕切りなおしとの由、了解です。自分自身の手で王座を掴みたいという気持ち、よくわかりました。
その上でこういう話もあるということを読んでください。以下は老婆心から私なりに思うことです。アドバイスとも説教とも爺の繰言でも、なんとでもとっていただいて結構です。

グラフィックデザイナーの妹尾河童さんは若い時分、ひょんなことから世界的テノール歌手の藤原義江の居候をすることになったそうです。専門分野がまったく違うのに、藤原は内弟子でも書生でもない親子ほど年の離れた若者の妹尾さんを同じ家に住まわせたそうな。ある時、妹尾さんは大抜擢され藤原歌劇団の舞台美術の仕事を貰ったそうです。その時妹尾さんは戸惑って「なんでキャリアもない僕に仕事をくれるんですか?」と訊ねると、藤原は「君、チャンスは藪から棒に決まってらぁ」と答えたそうです。そして妹尾さんはチャンスをものにして舞台美術家として大成したというのです。この逸話が私は大好きです。

私がこの話のどこに惹かれるかというと、人生において人との出会いは、自分が想像している以上に大きな可能性を持っているということ。誰かが自分を見守ってくれて応援やサポートをしてくれることって実際にあるんだな、と。でもまた、差し伸べられた手を素直に受け入れるのも、もしくは拒むのも、自分しだいなんですね。ちょっと気障ですが、この投稿王のゲームを人生のことと置き換えて考えてみてください。

これまでのオポムチャンの人生に出会った人の中で、オポムチャンを勝たせたいと応援してくれた人はたくさんいたはずです。そのときに自分のプライドやこだわりから「自分のやり方で勝たなければ勝利ではない」と言って、他人からの好意を受け取らなかったことはなかったですか。これは「投稿王」というゲーム上のことだけれども、同じことをあなたの人生で行なってこなかったかな、と。誤解してほしくないのは「だから良い、だから悪い」と善悪の尺度であなたを責めているのではありません。
「自分の力で手に入れたものではない、だから価値がない」という反応が出てくるのは当たり前のことだと思います。でも人からもらったポイントだとしても「一等賞は同じ一等賞で価値はある」と私は考えます。だってあなたは「どんなことをしても投稿王になる」とおっしゃっていたではないですか。ゲームの参加者は自分ひとりではないんですよ。えらそうで恐縮です、私は神でも仏でもないただの人間ですが、投稿王に向かってがむしゃらにやり続けるあなたの姿の感動して、僭越ながら自分なりに応援したくなったのです。

異論反論はもちろんあると思いますが、私は「前投稿王からポイント使用でポイントをもらって投稿王になった」というのも、「自分の手で投稿王を掴んだ」というのもまったく価値は変わらないと思うんです。後者のほうが相手を打ち負かしたという達成感やカタルシスは得られたりするでしょうけど、どちらもルールにのっとり投稿王になっているわけですから。まぁ私のことを毛嫌いしている人は、今回の私の行為を「ふざけるな」「かっこつけるな」と苦々しく思っているでしょうけどね〔苦笑〕。でもこのゲームでは、ポイントを使って場をシャッフルすることができるのは、ゲームの親である投稿王だけが持っている権利なんですよ。でもって、私はいろいろな偶然が重なりこの権利を行使しようと思い ついたんです。これぞゲームの醍醐味じゃないですか!

なので、次回もし人生の中でオポムチャンが手を差し伸べられる機会があったら、そこで立ち止まって可能性の観点から自分自身を見つめられることを希望します。その時それを受け取ってもよいですし、疑ってみて受け取らず自分のやり方で勝利を掴もうと、どちらの選択肢を選んでも一向に構いません。でも妹尾河童が大成したように次のステージへの飛躍の可能性は、差し出されたプレゼントの箱を開けるほうにあるのではないかと私は考えます。そちらのほうがよりリスキーですよね、相手を信頼して身をゆだねるのですから。あー、とっちらかってしまったけれども、この投稿王のゲームってそういう面白さもあるんだって今気がつきました。これってすごいわ、ふふっ。

以上長々と繰言失礼しました。これからも石川さんホームページをお互いに盛り立てていきましょう。よろしくお願いします。(波照間エロマンガ島)

(寸評)まあ考え方は人それぞれだからね〜。人に影響されるも良し、されないもまた良し。
俺は一騎打ちが延々続く事が一番嬉しい(笑)。 7ポイント。

初めてのタイで股引はいて出勤

波照間エロマンガ島@バンコクです。
3月後半を迎え、タイではいよいよ1年でいちばん暑い季節である「暑季」が始まりました。この時期はほとんど雨が降らず連日晴天で、気温は連日35℃以上に達し、夜も気温は28℃以上の超熱帯夜が続くという灼熱地獄の日々なのです。およそこういう天候が2ヶ月半くらい続き、そのあと雨季に入っていきます。

そんな中、毎年私が悩んでいることがあります。基本的にデスクワークの私は冷房のきんきんに効いたオフィスで仕事をしているのですが、外気温や直射日光の猛威はじわじわと室内にも影響が及びます。室温は22℃くらいなのに微妙に発汗してくるのです。発汗は上半身よりも下半身に顕著で、夕方記者時間になるとスーツのパンツや下着などは相当に汗を吸ってしまいます。

そこで考えたのが股引=ずぼん下を着用するということ。股引をはけば汗は吸収してくれ不快感にも悩まされません。ここ数日試してみましたが今のところ何の問題もありません。実は私は以前Tバックをよく着用していたのですが、尻肉から出る汗がずぼんに直接浸透するのは不愉快でなりませんでした。

やはり、暑いときこそ Momohiki !!これぞ熱帯地方で暮らす人の知恵ではないでしょうか! とえらそうに口上をたれてこの項目終わります。(波照間エロマンガ島)

(寸評)もしかしてビジネスチャンスでは!?
タイMomohikiで大儲け。ありかもよ!いや、マジで。 7ポイント。

初めての、バンコクに住んでいるのにバンコクのリゾートホテルに泊まってプールなどでのんびりするの巻き

波照間エロマンガ島@バンコクです。
ふだんワーカホリックで社畜のように働かされている私ですが、先週珍しく週末2日間休めたので、思い切ってバンコク都内の高級ホテルに宿泊してのんびりしました。私のぼろアパートから2キロ以内のチャオプラヤ川右岸にはバンコクを代表する高級ホテルが建ち並んでいるのですが、その中で価格は低いですがとりあえずプールがあって佇まいに雰囲気のあるリゾートホテルがあってチェックインしました。
いやぁ、たまにホテルに宿泊するのっていいっすねー。観光客気分になれてとてもリフレッシュできましたよ。この楽しみ方は盲点でした。観光客気分になると普段見慣れている同じ風景も違って見えるんです。いつも過ごすパッポン通りのスターバックスコーヒーでブログの更新をしていると、以前旅行者時分よく「ペイバー」(説明省略)したオネエサンとばったり再会してしまったりするというハプニングも起こったりして。ほんと不思議です。ふだんはまったく会わないオネエサンと何年ぶりかで再会ですよ。もっともオネエサンはファランのお爺さんと一緒でしたので目配せだけでしたが(苦笑)。
今日中34度くらいまであがっているのでプールも気持ちよかったですー。これはサバーイサバーイなので習慣化させてもらいますわ。(波照間エロマンガ島)

(寸評)そうなんだよね。同じ町でも別の所に泊まると風景が変わって見えるから不思議だよね。
南国でサバーイサバーイしてくらさい! 7ポイント。

はじめての大学合格

石川さんウキュピの皆さんこんばんは。お久しぶりです。すこんぶです。いまだに信じられませんがはじめての大学受験が無事2度目はない感じで終了したのでご報告しようと思い参上いたしました!
結論から言うとマーチとよばれる大学のひとつに合格いたしました…これからは池袋にちょっと詳しくなると思われます。
これだけで終了するのもなんなのでわたしのグダグダな大学受験の模様をお送りしたいと思います。
わたしの受験は高3の12月から始まりました。ほんとは1学期から受験は始まっていたのですが勉強した記憶が12月からしかないので12月です。
普通は周りの友達が勉強してるのを見てだんだん受験生の自覚が…というパターンだと思います。しかしわたしの周りの友達はわたしとつるむだけあって受験なんかクソくらえ!という雰囲気だったので(9月の文化祭でライブをやった高3のバンドはわたしたちだけでした…
ちなみに1番でWe will 浪人、2番で就職、3番で合格という「We will rock you」の替え歌「We will RONIN」をやりました)
10月は模試をサボって友達とディズニーシーに行きました。
11月のたま鑑賞会、非常に行きたかったのですが断念しました…今となってはいや行けよ!という気持ちです。
1月、いちおう第一志望は国立だったのでセンター試験を受けなければなりません。勉強してません。Twitterでわたしをフォローしてくださっている方は気づいていたかと思いますがやる気ありません。案の定爆死です。
しかし大学なんてどこ行ってもいいと思っている昆布、そんなにダメージはありませんでした。5校のうち1校が難しくなっただけです。昆布の受験はここからが本番です。(1月)
国立は国数英社理の5教科必要ですが私立は国英社の3教科。得意科目です。今更ですが昆布は文系です。
国英は正直勉強しなくてもできたので問題は社会(日本史を選択しました)だけです。
さて問題の日本史、なぜできないかというと勉強してないからです。なんとこの期に及んで暗記科目に手をつけていなかったのです。(1月)
そうですやればいいのです。受験イージーモード!これが周りからバカにされる私立文系だ!
そんなわけであと半月ちょっと俺は日本史をやるぞ!ジョジョーーッ!!!!
2月!おかげさまで私立は4校中3校受かりました。私文がバカにされる理由がよくわかりました。(わたし個人は私文はバカにしてませんよ!)あっ国立は落ちました。終了!悔いとかはない!
そういう感じでわたしのはじめての大学受験は終了いたしました。受験生の自覚的なものは結局ついぞ芽生えなかったような気がします。
3月6日のライブうずまきに行ったとき、ほんとはまだ国立の結果でてなかったのにレプリシン様に池袋の大学です〜と説明してしまったのがなぜかめちゃくちゃ記憶に残ってます。落ちたので結果オーライ!!!
そういえば日本史、いちおう4月から塾で授業をとっていたのですがかなり有名な先生の授業だったようです。確かにいい先生でした…あの授業なかったら確かに全落ちしてたかもしれないですね。
これでほんとに全部終わりです。4月から池袋でロシア語をやります!立派なロシア人になって帰ってきます!ダー!(これしか知らない) (すこんぶ)

(寸評)おー、おめでとう!
俺も勉強しなかったなー。他に楽しいこといっぱい見つけちゃったからねー。
ロシア語かぁ。ロシアは一度ライブツアーしたけど珍道中だったな。
さあ、これからはライブとかも来やすくなるね。
大学に行く行かないに関わらず20歳前後でその後の人生の大きな分岐点を迎える人は多いので是非「自分の本当にやりたいこと」を見つける為にいろんなことを観て聞いて体験してね! おめでとうポイント10ポイント!

はじめての楽器とおでかけ

先日生まれて初めてキーボード(電子ピアノ、但し簡易版)を背負って外出をしました。
感想は、、、こそばゆい。いえ、つまるところ趣味ですから別に構わないのでしょうし、楽器を背負ってお出掛けになる方なんてこの世に数多いらっしゃる訳で、何も恥らうことはないのでしょうけれど。自分の人生でこんな大きな、しかもケースに楽器メーカーのロゴが入っていていかにもそれとわかるような物を背負って外を歩く日が来ようとは、今迄これっぽっちも思っても見ませんでしたものですから、なんというか、憧れを体験できたような気恥ずかしさを妙に抱きながらのドキドキ初体験となりました。
抱いているものはその内すぐに、ただただ肩にのしかかるだけの重みに変わってゆきましたが。。。(ジェレ美)

(寸評)いやあ俺は楽器を持って歩くのが好きじゃなくてねえ。
重いとかの物理的問題もあるけど未だにミュージシャンと思われるのが恥ずかしい。
日常では一介のただのオッサンで居たいのでなるべくミュージシャンということを隠したいのだ。
もっとも逆に「俺はミュージシャン」を見せたい人もいるんだろうね。まぁいろいろだよね〜。 7ポイント。

はじめての九州たま会

(投稿者の方以外は念のため一部イニシャルを使用しています。ご了承ください。)


私、石川さんはもちろんのことたまが大好き、そしてたまカラオケが大好きです。言わずもがな、「たま」の楽曲をカラオケで歌いたおすことです。

なぜなら普通のカラオケと違って一般人向けの選曲を考える苦労もないし(ふつうの皆さんとカラオケに行くときは頑張って昔の流行り曲とか歌う)、だいたいの参加してくださる皆さんはコーラスにも長けていて歌ってて気持ちがいいし、私もコーラスを付けるのが大好きだし、なによりあまりいないファン同士で楽曲たちの良さを噛みしめながら楽しめるということが嬉しい。横から偏見に満ちたへんな茶々を入れられないのが幸せなのです。

そんな私はこれまで大阪で4度ほどたまカラを開催しましたがどれも至福の時、うち1回は石川さんをお招きして大はしゃぎ、2回はギターを持ち込んでカラオケ機種に入ってない曲まで歌っちゃうという自由狼藉ぶり。また東京で開催されたSGさん主催「たま鑑賞会」では石川さんの歌う「学校にまにあわない」の語り部分をいきなり任されて狼狽、など楽しい楽しい思い出がいっぱい、それがたまカラなのです。

ほんである日。その東京での「たま鑑賞会」にもお越しになった当HP投稿者(2016/3/5現在投稿王ランキング48位)のジェレ美さんが音頭を取って、九州は福岡でたまカラ&レア映像鑑賞会をおこなう、との旨をジェレ美さんのトゥイターをいやらしく覗き見して発見、えっえっなにそれ行きたい行きたいギターも持ってく、と私は衝動的に思い、トゥイターも出来ないくせにジェレ美さんに即刻アポイント、強引に参加を決めたのでした。

参加が決まっていたのは知久さんギターをれんしう中の学生さん・NHさん、ジェレ美さんと同じく第4回東京「たま鑑賞会」に九州から参加されてたRKさん、またたまファンの女性おふたりAOさんとVMさん。ジェレ美さんもキーボードと太鼓を持ってきてくださるそうです。うわぁ楽しみ。嬉しいなぁ。勢いNHさんのトゥイターをこれまた覗き見させていただいたらあの難しい知久さんギターを軽快にぺっぽろぺっぽろお弾きではありませんか!! えっこれちょっと私ギター持って行かなくってもいいんじゃないの?? 私はアドリブのストロークは得意ですが完全なコピーは一切やったことがありません。なんとなぁくそれっぽく、っていうのは出来るかもしれませんが、皆さんの思うような演奏にはちょっと遠いかな・・・ と思っていた矢先に、なんとなんとこのHPの「動く俺」でも石川さんとのハイクオリティなたま曲セッションでお馴染みの「ちくわ定食」でベースを担当なさっていたピンキーヘッドのクールガイ・M嶋さんがご参加を表明、いよいよ我々は浮足立ちました。

オポ「ちょっとちょっとジェレ美さんM嶋さんて! 「動く俺」のちくわ定食のめっちゃうまいベースの方ですよね!?」 ジェレ「YouTube映像で何度か見ました、あまたあるたまコピーバンドの中で一番完成度の高いあれですよね! しかも当日初合わせ、どうなるんだろ・・・ 楽器舐めてるとか思われませんかね・・・」

それでも楽器のなかで弾き手の存在しなかったベースが加わるとお遊びながらもより本格的なセッションが可能ということで、我が身のへたくそさに対する不安はあるものの俄然テンションが上がってきました。私にしては珍しくYouTubeの違法投稿動画で柳原さんのストロークを研究したりしました。ただ我が家の周りは閑静な住宅街で練習はもっぱらイメトレのみでしたが(笑)。

ギターを抱えると長距離の長旅、鞄なんて持てやしません。ギターケースにパンパンに詰め込んだスライドウィッスル、カポタスト、たま詩集、カズー、チューナー代わりのニンテンドーDSLL、今回の目玉として仕込んだ「History of TAMA 15」のVHSを写真屋さんでDVDにしてもらったもの。さぁ朝イチのバスに飛び乗り新大阪、みずほで博多へGo!!

お店の前で全員が揃いました。ワォ、本物のM嶋さんだ!! 皆様よろしくお願いいたします! 大阪から来た最年長のクネクネおっさんサーティーエイトです! とは言いませんでしたが(笑)。
開始に先立って自己紹介。そのあとジェレ美さんから配られたのはなんと! 「♪おやつはいつだって〜」のフレーズ(「ロシヤのパン」)でお馴染みのトラピストクッキー!! マニア心をくすぐるナイスなお土産です。
さて早速ジェレ美さんから請われて持って来たHistory of TAMA 15の鑑賞といきたいところでしたが、ここにきてなんとカラオケ屋さんのDVDが絶不調、どうも音声も映像もてんでアウトな様子。13時から18時のあいだ、このDVD鑑賞で2時間半を予定してたので果たして間が持つのか・・・? と困ってしまっていたらば、ポチポチとギターを弾くNHさんに合わせて演奏が自動開始! どの順で演奏されたかはもはや記憶にありませんが、占めて14曲のセッションがおこなわれました(詳細はトゥイター「#九州たま会」はっしゅたぐ・・・?で)。

しかし! 問題は楽器を操るメンバーが演奏に必死でメインヴォーカルを執るのが困難で、ヴォーカルがテキトーにまだ余裕がある人間が担当するという困った事態に(笑)!! 私は全員分ヴォーカルとコーラスはクオリティはともかくある程度できますが、リコーダー等笛のある曲!! これどうしようもないんです(笑)! 「吹き語り」なんて離れ業、私できない(笑)!!

ちなみにお持ちになった楽器は・・・

ジェレ美さん:キーボード・ピアニカ・小和太鼓・ソプラノリコーダー
M嶋さん:エレキベース・アンプ・ソプラノリコーダー・ソプラニーノリコーダー・カズー・おもちゃの笛(お髪の色に合わせてピンクのものが数点)
NHさん:ギター・ハーモニカ
オポ:ギター・スライドウィッスル

実際の担当は・・・

ジェレ美さん:キーボード・ヴォーカル・コーラス
VMさん:おもに柳原さんヴォーカル
M嶋さん:ベース・ソプラニーノ・おもちゃの笛・コーラス
NHさん:ギター・ハーモニカ・コーラス
オポ:ギター・ソプラノリコーダー・スライドウィッスル・小和太鼓・灰皿・ヴォーカル・コーラス

てな編成になりました。私がいちばんなにもまともに出来ないのでやたらとあれこれ手を出しました。リコーダーはジェレ美さんのを吹くのはちょいとまずいと思ったので敢えてM嶋さんのものをお借りしました(笑)。M嶋さん、勝手に使わせて頂いて恐れ入ります。よく洗っておいてくださいね(笑)!

まずはお忙しいというのに20年ぶりに鍵盤の練習に励み当日を迎えられた主催・ジェレ美さん。「むし」では私が出だしでスライドウィッスルを吹くためヴォーカルがとれず、キー低めの滝本さん曲を女性が歌うという羽目になったにもかかわらず低音に怯まないしぶいお声! 「金魚鉢」でもまたメインを歌いながらもあの不安定な和音をきちっと決めてくるクールプレイ。結局ほとんどの曲でヴォーカルを務めてくださいました! 女性陣は音域的に知久さんしか歌えない(もしくはGさんをオクターヴ上げて歌う)ケースが多いのですがジェレ美さんは逆に知久さんは高い、とのことで柳原さんの曲も平気で歌っていらっしゃり、カッコイイな〜〜! と演奏しながら思っていました。高音は訓練次第でいくらでも伸びますが低音って才能ですからね。

そして難しくって私が弾くことを一瞬で諦めた知久さんのギターソロを次々と披露してくださったNHさん! トゥイター上に音だけを上げていらっしゃったりしていましたがそこからさらに練習を重ねグレードアップしてやって来てくださいました! そうそうこれ! 私はギターがストロークしか出来ないのでいつも弾いてて切なくなっちゃうんですがこれが欲しかったんです! 周りでもギターのカヴァーをされている人がこれまで居なかったので、私は感動に感動、こんなお若い方が知久さんのフレーズをモノにしているなんて・・・ と「マリンバ」のストロークの最中に聴き惚れてしまいコード切り替えを忘れて勝手にグダグダしてました(笑)。ちなみに休憩中にはビートルズのギターソロなんかもこっそり披露してくださいました。いいですねぇ! 

この方に関してはもう文句のつけようもないでしょう、M嶋さん。今回ご参加の中で唯一セミプロレヴェルの腕前でいらっしゃいますから・・・。電池式の大きなアンプをキャスターで転がしてご持参くださったのが功を奏して迫力のベースプレイ! じつはマンドリニストでもいらっしゃるんですがさすがにアンプ等で荷物がたくさん、今回はおあずけです。まさか私がベースに合わせて楽器を演奏するなんて人生のうちで訪れるとは思いもしませんでしたが、もう安定感が抜群で幸せ!! 楽曲のルートにベースの低音が入るとここまで心地よいのか・・・! と(へっぽこ)演者としてはじめて体感できて嬉しかったです。本番前にあまたの曲を耳コピでラーニングして来られ、ほとんどの曲に対応してくださいました。流石です!! おもちゃの笛・コーラスもバッチリでした!

他の皆さんはおもにニコニコ聞いていらっしゃったのですが、柳原さんがお好きなVMさんはジェレ美さんと一緒にノリノリで柳ちゃん曲を歌ってくださいました。ほんで私は「あるぴの」、「鐘の歌」、「学校にまにあわない」を歌い、あとはジェレ美さんの小和太鼓と灰皿をテキトーにチャカポコやったりストロークを適当に合わせたり適宜コーラスを入れるなどべつにいなくてもいいザコ感あふれるポジションで楽しんでいました。リコーダー難しかったです。でもね、これが本当に楽しかったんですよ!! だってだって普通のオフ会ではまず自分以外で楽器を演奏してくださる方なんて居なかったんですもの!! 私の下手糞なギターはカラオケ屋さんに楽曲が無い時は少々役に立ちますがちゃんとした腕ではないのであくまでオマケ的なものです。しかし今回はどうです? ベースがいらっしゃる、ただのストロークだけではない知久さんギターもいらっしゃる、あまつさえピアノとピアニカとオルガンさえいらっしゃる、そして目の前には最近ではなかなか見かけない小和太鼓にリコーダー。これは石川さんファンとして、ろくにやったことなくっても叩かなくっちゃ吹かなくっちゃ損々でしょう!!! なんて幸せなんだろう。なんでこの人たちはこんなに演奏できるんだろう。こんなすごい人たちとのセッションなんて普通に生きてたらまず出来ないぞ。自身の演奏のレヴェルは最低ながらも、私はかつてない至福の時を過ごしたのでした。愉しかった。嬉しかった。

とかセッションを数曲してる最中にお店のお兄さんが、なんと新品っぽいDVD再生機を持ってきてくださったのです!! おお! これで鑑賞会も無事開催できるぞっ!! 映像はようやくちゃんと再生され、計150分のレア資料にみんな見入っていたのでした。残念ながらRKさんとAOさんは途中でご用事があり退出、でもHistory of TAMA 15が見られてよかった、とご感想を上げていらっしゃり、こちらも必死の思いでゲットして持って来た甲斐があって本当によかったです。
ま、M嶋さんが実はお持ちだったんですが(笑)、おそらくまだDVD化なさっていないようなのでとりあえず持ってきてよかったことにしておきます(笑)。それだけに映像の内容にもお詳しくて、場面ごとに詳細なコメントをしてくださるのがとっても愉しく、有難かったです。映像のレポートはまたそのうちに。後編がまだ済んでませんからね。

・・・で、結局カラオケ屋さんで機種もたま曲が40曲くらいあるのでやった〜!! とか喜んでたんですが一回も使わないんでやんの(笑)!! カラオケならそのうちまた出来ますが、こんな腕のいい皆さんとセッション出来るなんて、しかもひとり大阪住まいのへったくその私にとってはもうそうそうない機会です。たまカラ大好きと冒頭で述べましたが、こんなチャンスにカラオケなんてしてる場合じゃない、一曲でも多くの曲を演奏したい、という気持ちで重ねた曲数が14曲にもなってしまったというわけです。ラス前の「おやすみいのしし」では土曜日だったので、石川さんの叫びパートはDVD「野球」の『S! A! TUR! DAY! NIGHT!』でいきました。昼だったけど(笑)。それにしてもほんとに私はド下手のわりにすごい方々とセッションする運に恵まれた果報者です。

いつまでもこのままずっとずっと一緒に遊んでいたい。そんな気持ちにさせられました。

残念ながら時間の野郎は無限ではないのでカラオケ屋さんを退去し2次会の呑み屋さんへゴー、美味しい博多のお料理の数々に舌鼓、SRさんというファンの方も加わり楽しく談笑。解散前に私は新幹線の時間が来たので一足先においとま。最高の土曜日となりました。帰りの新幹線は全力を出し切ったのでほぼ寝てました(笑)。さくらは新大阪止まりだったので爆睡しても安心(笑)。

正直折角のたま演奏に雑音を増やしただけだったかもしれませんが、遊んでいただいた皆様、こんな楽しい機会を与えてくださった企画・主催のジェレ美さん、またM嶋さんをジェレ美さんと繋いでご参加へ導いてくださった石川さん、本当にありがとうございました!!! 次回も開催される予定ですので、九州のたまファンの方は是非ご参加なさってみて下さい! チクショーまた行きたい(笑)!! (オポムチャン)

(寸評)楽しそうだね〜。
俺が誰かとやるとしたら70年代のフォークロックとかかな〜。でも俺パーカッションしか出来ないしそもそもコピーが出来ないからなぁ。
たまをネタに今後も遊んでくだされ。いつまでも人によって歌い継がれていくのはミュージシャン冥利に尽きるからね〜。 8ポイント。

はじめてのウサギの頭上であはんうふん

大学1年の冬。高校時代の部活の後輩といい関係になっていた私はバイトを無断でサボりイヴの夜彼女のお家へ。
っておいチョトマテお前、相手は高校生なのになんでそんなイヴの夜に年頃の娘さんがひとりでお家に居るんじゃい? 知りませんそんなこと、どうもご両親もお姉ちゃんもその夜はどこかでお楽しみのご様子で朝まで帰ってこず、未成年の彼女はひとりおるすばん、と相成ったようです。彼氏が居るのを知っておきながらなんと無防備な保護者でしょうか。こんな性欲に満ちた不審者に玄関を通過させてしまうなんて、娘をウブっ子と信じるのにも程がありますよ! げへへへへへへへへへへ。

というわけでまんまと邪魔者のいない彼女のお家へ。しかしそこには我々を注視するものが存在したのです! はい、ウサギさんですね。タイトルでバレバレじゃっちゅうの。

彼女の部屋には2段ベッドが置いてあり、仲良しのウサギ(名前は一瞬で忘れました)が下段、彼女は上段でいつも寝るそうです。そこでお部屋でウサギに見つめられながら話したりプレゼントを渡し合ったりして夜は更けてゆき、ちゃっかりお風呂まで頂戴したんだっけ・・・ もうそこは記憶にないや、けどたぶんそうして、もう遅いし寝よっか、ということになりました。

まぁこれは字義通り睡眠するわっきゃないですよね。発情した若い雄雌、ぎしぎしと2段ベッドの上段に上ります。大丈夫? たいがいな体重の私、50kg前後の彼女しか載せたことのない上段ベッドが果たしてこれから起こる事態に耐えられるのか心配です。そう、下には彼女の親友さえいるのですよ。我々2人が見境をなくして楽しめば、下段の彼の上にめきめきばりん、と落下するのではないか? という懸念でいっぱいになりました。

「おやすみ」
「おやすみ」

電器を消してぴったりくっつく2人。休むわけないでしょうが。彼女から唇を奪ってきます。
もうそこからはドミノ倒しですね。小沢健二的表現。
ぎし。ぎし。ああ。これほんとに大丈夫?? 親友のウサギ君クライシス。下からの音で推測するに、なんか落ち着かない動きをしているようです。そらそうだ、頭上でベッドの軋みと飼い主のあられもない声、なんか湿っぽい音。耳鼻のいい動物の気が散るのは当然のことです。

されど。しかし。そんな彼の不安そうな動きも。ウサギ臭さも。ベッドの耐久性も。次第に愉悦の波に飲まれて消えていきました。遅くまで私達は若さに任せて湿っぽい音を立てつづけました。

朝5時。目覚ましが鳴ります。彼女の家族が帰ってくる前に私は彼女宅をお暇することにしました。賢明な判断ですね。
ベッドを下りると、彼は一睡もしていない、という風情でこちらを見ていました。眼が赤い。そらデフォルトで赤いんじゃい。というか我々も負けじと赤い眼をしておったのですが。えへへ。お別れのチュッチュを交わし、私は原付で寒い山道をばびゅんと帰ってゆくのでした。

ウサギのにおいと軋みの音が今も記憶に残る、青春の一幕でした。ってか親御さんほんとに気を付けてね! 娘置いてってラブホ行ってる場合じゃないよ! お陰様でごっつぁんでした(笑)。(たーがらさん)

(寸評)家族全員快楽!
その後物足りなかった彼女がウサギに自分の芯を舐めさせるまで・・・。青春ねぇ! 7ポイント。

はじめてのへイストップノーヘルモーニング

・・・あれなんだこの意味が不明なタイトル、ああそうか昨晩夜中の2時ごろ朦朧とする意識の中で書こうとして力尽きた跡だ。なんじゃこりゃ。まいいや、このままいきます。

えとね、そうそう大学時代のある夏のことです。原付バイクで大阪でも山の方にある彼女のお家へ遊びに行って、あろうことかお家を出たのが朝になった、なんて不埒なことがあったのですね。
お家のあったマンションにはバイクを停めるスペースが無かったので、近くの駅の駐輪場に勝手に停めてたんですがお金を取るスペースではなかったため朝まで電車も利用しないくせに放置できました。悪い餓鬼ですこと。

さてさわやかに晴れた朝。駐輪場に戻りバイクのキーを回し、エンジンも快調。ガソリンもしっかり入っています。オイルさえ先日入れたばかりです。ゆうべの目くるめくひとときを回想しつつエヘラエヘラ、さきほど交わしたくちびるの感触なんかの余韻で陶然としちゃったりしてね。キャーこの青春ど助平若人め。羨ましい。馬やらしい。
上記のとおりバイクの具合は万全でしたがいかんせん乗り手のコンディションがあほになっています。よく寝てはいたので居眠りは大丈夫でしたが、こういうとき(ウフフな事のあと)にはなにかしら粗相をかますものです。

まだ低いお日様にセイグッモーニン、早朝の山間の道をすがすがしく走り抜けます。髪をなびかせる夏の朝風がここちよい。山を抜けて道路は市街地へ向けて次第に広くなり、交通量の少ない時間帯ということもあって私は快調にスピードを上げました。
すると特別道幅が広くなった場所で、ポリスが私を呼び止めます。速度は・・・ 快調に飛ばしていたとはいえ危険な範囲ではありませんでした。はて? 呼び止められるようなことは思い当たらないのですが、近くで犯罪でもあったのかな。

オポ「はい?」
ポリ「お兄さんちょっと、どないしたの」
オポ「へぁ? なにがですか」
ポリ「ヘルメットヘルメット、持ってないの?」

あぼばっ!! 忘れてたっ!! そう、私はヘルメットを所持していたのですが駐輪場に居る時はまだウフフの余韻で脳味噌がいっぱいで、座席の下に収納したメットを取り出して無駄におっきな頭にかぶせるのをすっかり失念しておったのでした。どうりで髪に朝風がここちよい、とかほざいていたわけです。たいしてお酒も呑まない私、違反でポリさんに停められるなんて初めてのことでショックを受けます。

オポ「あちゃぱちゃのちゃ、すすすんませんメットはそのあのこの下ですそう座るとこの下にそう入ってますハイすんません」
ポリ「ああ、持ってるねんね。ほな取り出して、免許証も見して」
オポ「はははい、かちゃぱかっ、これですかぶります、ずぼっ」
ポリ「どっからこのまま来たん?」
オポ「えべべべべあのその光風台の駅からです、はい」
ポリ「なんやすぐ近くやな、単にかぶり忘れたんやね。でもこれは立派な違反やから、点数は引けへんけど注意になるから、次の免許の更新はゴールドにはなれへんからね」
オポ「はい、すんませんでした」

てな具合に指導されリリース、初犯? ということもあったし軽微なミスのため特段ぼろかすに怒られたわけでもありませんでしたが、そこまでのるんるん気分から一気にテンションを下げられた私は陰気に帰路を走行、禍福は糾える縄の如し、と呟いてだんだん獰猛さを増してゆく太陽にじりじり灼かれつつおうちへ向かったのでした。皆様もエロ事のあとの運転にはどうぞお気をつけて・・・! ってかタイトルから内容まるわかりやないか。ようこんなスカスカの話を長々と書けるもんです。あほほ。(オポムチャン)

(寸評)ちんちんにはヘルメット付けてたのにねえ・・・。 7ポイント。


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