ドキドキドキリコ初体験(79)
さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!
初めてのタイ=カンボジア国境にてカンボジア人に観光ビザ代をボラレる
波照間エロマンガ島@バンコクです。 今から6年くらい前のこと。バンコクから汽車に乗りタイ=カンボジア国境のアランヤプラテートまで行き、陸路で国境越えする旅をしたことがあります。歩いて国境越えしたポイぺトの町からバスでアンコールワットのあるシェムリアップに向かいました。
カンボジア入国には観光ビザが必要です。これは各国のカンボジア大使館で作ることができますし、国境のイミグレーションでもその場で発行してもらえます。以前空路でプノンペンから入国したときには空港で作ってもらったこともあります。手続きが面倒くさいので私は国境でビザを作ることにしてアランヤプラテートに行きました。
駅に到着し列車を降りると、駅前には客待ちのバイクタクシーやトゥクトゥクのドライバーが10人以上待ち構えていました。観光客と見るやだれかれと無く声をかけてきます。私はドライバーにボラレないよう注意してそのうちの一人と交渉して国境まで行ってもらうことしました。国境はそこから6kmほど離れていました。
国境が近づくとバイクタクシーのドライバーは「ビザはどうする?」と質問してきました。私は「イミグレーションでとるよ」と答えると、ドライバーは突然次の十字路を右に曲がり、カンボジア政府経営だというビザ発行所に連れて行きました。そこはあずまや式の食堂の一角にあり、ひとつある机に向かって制服を着た男が退屈そうにたたずんでいました。「ここで作れるの?」「うん。国境は混んでいるからこっちのほうが時間が節約できるんだ」とドライバーは言います。私はドライバーに運賃を支払い、ここでビザを作ることにしました。
ところが、これが後から考えるととんでもない詐欺でした。通常のビザ作成代金のほかに手数料がとられ、おまけにカンボジアに入国してからバスターミナルへのバイクタクシー代、シェムリアプへのバス代もその場で払わされました。「なんか変だぞ?!」と思いつつ、気づいたら通常料金の2倍くらいのお金を払ってしまいました。
そのあとはカンボジア人スタッフがイミグレーションまでアテンドしてくれ、国境を越えるとカンボジア側のスタッフに引継ぎまでされました。
(こんなの必要ねえ、ひとりでできるわ!)と心の中で叫んでいましたが、詐欺か詐欺でないかの判断が微妙につかずにカンボジアに入国、バスターミナルまで連れて行かれました。
さて、最後の最後に詐欺だとわかった瞬間は、バスターミナルでシェムリアプへのバス代は、料金に含まれてないと知った瞬間です。そのことがわかった瞬間わたしを案内した詐欺師たちはもうどこかへ立ち去っていたのは言うまでもありません。「ざけんなー!!」と叫んでもあとの祭りでした。
・・・・・・この後、私はチェンマイからバンコクに移住し、このアランヤプラテート=ポイぺト国境はビザランでも数回来ましたが、そのたびにカンボジア側のイミグレーション役人に賄賂を要求され何度も煮え湯を飲まされ、自分にとってはとてもタフな陸路国境となったのでした。タイ最北端のミャンマー国境のメーサイでも、タイ最南端のマレーシア国境のスンガイコロクでも賄賂を要求されたことは一度もありません。皆さん、この国境はカンボジアの役人が公然と賄賂を要求してくるのです。今はっどうなっているかわかりませんが、くれぐれもご注意お願いします。
という初めてのタイ=カンボジア国境でビザ代をボッタくられたの巻きでした。(波照間エロマンガ島)
(寸評)ああ〜、そういうのって分からないよね。「おやっ?」と思ってもそれが正しい場合もあるしね。
元々発展途上国とか定価という概念が無い国なんかもあってそこではボラれたのかどうか最後まで分かんないこともあるしね。
でもアフリカとか行ったらもっと凄そうだな〜。
まあここでネタにしてせめてもの鬱憤を晴らしてくだせえ! 7ポイント。
はじめてのティッシュ貰えなかった
ティッシュを持参したのに足りなくなって、マスクを買った。それでも鼻水が出るので困っていたら、ティッシュ配りのお兄さん発見。
手を出しても知らん顔してるので「ください」と言ったら困った顔。これは、求人情報なので…と。ちらっと見せたティシュッは多分、エロ系だったと思う。
お兄さんの心の声「ばばぁに配ったらこちとら怒られるんだよ」が聞こえたので、引き下がりました。
その後、メガネのジンズで鼻バッド直してもらってる時に、店の真ん中に洗面台&発見(トイレじゃない)。助かりました。(むりや)
(寸評)俺も欲しい時に限って貰えない。
鼻ズビズビで何度も前を往復してるのに・・・。 6ポイント。
はじめてのお届け先でありがたい書籍
私は無職時代から就職するまでの間、お正月周辺の時期に郵便配達のアルバイトをしたことがあります。
誤配を繰り返しさんざん苦情を受けてどうして馘にならなかったのか不思議というくらいそれはもうぼろっかすだったのですが、なんとか3ヵ月滅茶苦茶ながらも勤め上げたのでした。
さて普通郵便ならポストにポン、でお終いだから簡単なのですが慣れてくると書留や速達も任されるようになり、この場合玄関先まで、会社さんなら受付までずかずか入って行ってハンコもしくはサインを頂戴せねばなりません。
猛犬のいるお宅、書留を届けに行ったらまさに御出棺の瞬間で誰もサインを出来る状況じゃなかった葬儀屋、迷宮のような工場、幽霊の出て来そうな薄暗くてぼろい文化住宅、エレベーターの無い団地の5階・・・ 面倒な配達先はそれはそれはいろいろありました。
さてある日、私は川沿いの大きなマンションの10階に配達に行きました。インターフォンを押すと、テンションやや高めの40代半ばとおぼしき女性が出て来られました。その後そのお宅へ何度か配達するうちにどうもその女性は私のことが気に入られたようで、「歯ぁキレイやね! 煙草とかで汚れてない白!」とか妙なところを誉められたりして、気色を悪くしていました。どうでもいいですが実際私の歯はあまぁい清涼飲料水の飲み過ぎで黄色く汚れています。
そして5度目ほどの配達の日、午前中。書留を渡すと、女性は満面の笑みで「この本読んでみて! 私の尊敬してる先生の本なんやけど、すごくいいことが書いててもう感動するから! 私がいいと思った所に付箋つけてるから、はい!」と、私に分厚い本を渡しました。
私はあまりの勢いについ受け取ってしまい、次の配達先へ向かう途中エレベーターでその本を見てみたら某ゆうめい宗教の教祖様のお記しになったそれはそれはありがたい書籍でございました。
ひょぇぇぇぇぇぇ!!! 変なおばは・・・ んっん゛ん゛、女の方と思ってたらそっちか! そういう特殊な信仰をなさってる系のお方か! 私はまさか配達先でこんな物騒な(?)ブックを渡されるなんて思いもしなかったので、激しく混乱、動悸・息切れ・眩暈など起こしつつ局へバック、主任さんにあわあわしつつ「こんなん渡されましたけど」と見せてみたら「アホか、返して来い!」と。そらそうですわね。
お昼からの配達で返すにも、どんな顔でどう言って返せばいいのか。もう話をするのも怖くって嫌です。悩んだ挙句私は当該マンション1階のその方の郵便受けに「配達多忙のため遠慮させて頂きます」と書いた紙を添付してありがた書籍を投函、その後もあらゆる手段を使って顔を合わせないようにしました。どうせ私は最長でも3ヵ月しか働かないのです。
叩き返してから3週間後くらい、そのマンションの別の階に書留を届ける際に不幸にもその女性と鉢合わせた時は心の臓が止まりかけましたが、彼女は一方的に「本受け取ったから。忙しいのに御免ね」と笑顔で告げると去って行きました。それっきり、辞めるまで顔は合わせませんでした。
みんな好きですね、某先生。ありがた過ぎてまるで読む気がしませんでしたが、ええこと書いてはるんでしょうね。一生読まんけど。私は今先生のお導きを峻拒したお陰様で幸せに暮らしております。はは。(オポムチャン)
(寸評)まあ、本当にいいことは書いてあるとは思うよ。
だっていいことなんて誰でも書けるんだから。裏の顔さえ隠せばね。 8ポイント。
はじめての勤務中に交通事故
私は上記のように郵便配達のアルバイトを短期間しておったのですが、私の脚、というものは赤いバイクでした。
ギア付の原付バイクは初めてで、慣れない頃は道路の真ん中でエンストを起こしたりして半泣きで道の端までバイクを引っ張っていました。
さてこのバイク、運転が困難です。左手は常にすぐにポストへ投函する郵便を構えていないといけないので、ハンドルは握れず添えるだけ。しかもバイト用の車両だからメンテも適当で、ブレーキの利きが非常に弱かったのです。あほな私はそれを総務課に伝えることも思いつきませんでした。おまけに私の雇用期間は12月から2月、手もかじかむ季節(手袋をはめてはうまく郵便を掴めません)。運転が覚束ない日もありました。
ある寒い日、私は局から遠方の配達先へ向かうべく交通量の多い国道をややスピード出し気味で走行していました。
すると突然、私の2台前の車が予想外の場所で急に右折し、驚いた直前の車が急ブレーキ、それに反応したもののブレーキがすかたんなバイクに乗っている私は滑り滑り、30代くらいの女性が運転する乗用車の左後部に衝突してしまったのです! 幸いそれほど勢いはついておらず、私に怪我はなくバイクも少しヘコんだだけ、相手方の車も微小な傷をつけたにとどまりました。とはいえこれは立派な交通事故です。私がスピードを出していなければ衝突は免れたはず、責任が問われ馘になることは確実です。
私は「終わった・・・」と即座にこれからの様々な叱責を思い浮かべ、やっぱり就職もやめてこの世界を放浪しに出かけよう。そして旅先で人知れず野垂れよう。と一瞬でいろんなことを考えましたがそれより今は運転手さんにお詫びをしにいかないと。大変だ。
オポ「すみませーん!! 大丈夫ですか!?」
女性運転手「大丈夫です・・・ あの(前方で急に右折した)車め・・・・・・」
というや否や、運転手さんは前方へ走り去ってしまいました。
あばっ?
私、無罪放免??
ここから警察を呼んだうえ局に電話、各種調書をとられたうえ私は馘首、って流れだとおもったのに。
その後に運転手さんから局へ「配達のバイクにぶつかられた」と連絡されたら一巻の終わりでしたがそれもなく、私は辞めるまで辞めてからもこの件に関しては誰にも打ち明けずないしょを貫きました。結果お咎めなしでした。いまさら時効でしょう。
まぁ他にも悪いのは急に右折した車、そして急すぎるブレーキを掛けた運転手さんにも非があるととれなくもないのですが・・・ つくづく私は運のいい奴です。皆様、バイクのブレーキのメンテはしっかりと! あとキープレフトでよろしくね! 真面目か。(オポムチャン)
(寸評)バイクは怖いよね〜。
以前も言ったが高校卒業時に引っ越しをしてその時駅から10キロ以上離れたところに住んでいたのでどうしても必要でバイクの免許を取ったが一年後に上京することになってポーンと捨てまいた。
もうバイクはいろいろこりごりっす。 7ポイント。
はじめての打倒! タワーバーガー
2月末。月末は何だかんだで私の勤務する接客窓口は慌ただしく、そのうえ腰の重い上司はよっぽど混み合わないと出て来てくれないしで右へ左へてんてこ舞いの私はいろんなことを中途半端に放擲しつつあっちで作業そっちで接客こっちで補充とわけがわからなくなりながら終業、口からなんか霊的な物質が漏れ垂れ出てるような感覚で職場を後にしました。ってかこれ他の社員さんが原因というかひとえに私の処理能力の低さに起因してるものが大半なんですけどね。人の所為にしたらいかんわね、たはは。は。
駅まで課長と何を話したのか一切記憶にないまま電車へ。疲れた。こころが。なんで私はこんなに毎日疲弊しておるのだ。頭が悪いのは何処で見てもらえるのですか。えっうそ付ける薬が無いんですか? 馬鹿って。ショック。そんな毎度毎度のあほ問答を続けているうちに、私の脚は自動的に心の駆け込み寺・某ハンバーガー屋へ向かっていました。
いつもお気に入りのエビバーガーを喰おうと思って来たのに毎回期間限定のわけのわからないバーガーを疲れに任せて注文してしまうたわけの私。今日は大丈夫かな? でもなんかエビって気分じゃないなぁ。ここんところ自主的ラマダンを敢行して減量に成功こそしたものの反動でめちゃめちゃ肉が食べたいんだよなぁ。やっちゃおっかなぁ。やっちまおっかなぁ。やってこましたろかいな。と俯きながらブツブツ言ってると、眼前に魅惑的なポスターが貼っつけてあるではあーりませんか。
『29日は肉(29)の日チャレンジキャンペーン! タワーチーズバーガー5段が840円→750円!!』
じゅるり。
に・・・・・・肉。
タワーチーズバーガー5段とは、チーズバーガーのチーズと肉が5枚ずつ挟まっているという、まさにタワーなバーガーデブ垂涎の一品。
ここまで日が沈んでからの余分なお肉の摂取は控えてきましたが、もう私の心は肉でしか癒せない。私は迷いなく澱みなく店員のお姉さんに「タワーチーズバーガー5段にレタスをトッピングとからあげっと1つください」と言い放ったのでした。
飲み物も注文せんと待つこと5分。なんか紙に包まれた大きな塊がニコニコフェイスのお姉さんに運ばれてきました。猫舌の私にいつも超揚げたてのからあげっとを用意してくださる店員さんありがとう、てかめっさ熱くて喰えないんでバーガーの後にするね。
包みを開くと、肉汁でビッシャビシャになった分厚いなにかが現れました。
これは、あほです。あほの喰い物です。分厚すぎてもうバーガーの体を成しておらず、写真のように肉達は乾いてない、とにかくお互いの肉汁を逃す場所がなく、いやに汁気たっぷりなやらかい肉の層になっているのです。
その頂点と底辺に、申し訳みたいにバンズが座っています。これは無意識的にレタスを挟んでおいて正解でした、ここまで肉だらけでは脂っ気にあてられて気分が悪くなってしまうかもしれません。
もはやきちんと挟んで上から下まで噛むことは困難です。肉塊に顔面から突っ込んで喰らい付くしか術はありません。しゃむっ、じゅぶっ、ぎゃぷっ。顔中汁まみれです。おおお・・・ 見事になに喰ってんだかわからない・・・・・・。これはもうハンバーガーというカテゴリを外れたなにか違う物体です。やわらかくて脂っこい謎の塊に顔をうずめていると、隣の席のかわいい女の子もなんと同じものを注文しており、私同様果敢に顔面から肉塊にぶち当たっています。なんだこの光景は。恐るべし肉の日。しかし肉を渇望していた私は獰猛な様子でその塊を喰い進め、およそ5分で完食、からあげっとを喰ったらまだ熱かったですが我慢していただきました。
ええ、もうこれ完全にハンバーガーではありませんでしたが味はそこそこだったので満足しました。そしてレタスは好判断でした。顔面と掌はぬるんぬるんになりました。
私の出した結論は、
「3段でやめとき」
です。お肉の汁でじゅびじゅびして食感が妙な感じになってしまうのが勿体無いです。どんな物事もバランスが肝要です。パンと肉の割合が大きく狂えば、料理の本来の良さが損なわれる可能性があります。って私は何様だ。はい、その妙な物体喰って早速1kg太ったただのあほです。もう私も40、あほなことができるうちにタワー征伐ができてよかったです。またへんなことやってね、某バーガーさん。私は明日から第2期ラマダンに入ります。ぶよぶよ。(オポムチャン)
(寸評)分解してナイフとフォークで食べたいね。
ってかチャレンジキャンペーンなら完食したらタダにせい! 7ポイント。
初めての時間と空間のからくりについてある「悟り」を啓いた瞬間
中学生の時分だから1975〜7年頃でしょうか、世の中の真理、しくみ・からくりについて突然自分なりに大発見した体験があります。
そのとき私は国鉄中央本線を高尾から大月方面に向けて走る普通電車に乗っておりました。車窓から流れては消える景観を見るとはなしに見ていました。ふと窓から線路の後方をじーっと凝視すると、今数分前に通過した駅のホームと駅舎が遠く何千メートル後方に見えました。その瞬間、「がーーーん!!」と岩を叩きつけられたような衝撃を覚えました。「あ、あ、あ、過去があそこにある!」今見えているその駅のホームを「空間と時間の塊り」として過去として認識してしまったのでした。数分前に通過した駅が「過去」として可視できるということ。それを認識した人の個人史のタイムテーブル上にまぎれもなく「現在」とつながっている「過去」が映像として見えている、という衝撃を受けました。そういう言葉にすると途端に理論的でもなんでもない陳腐な妄想に過ぎなくなることなのですが、そこに見えた駅舎とホームは「現在」ではなく「過去」にしか見えなかった。
こんな体験が記憶にあり、それから40年間くらい、現在にいたるまで時間について考えています。大学では現代美術を学んだのですが、自分の考えに最も近いことを実践している芸術家に河原温という人を発見し、ずいぶんと作品とその考察について考えたものでした。わたしは現在タイに住んでいるのは、日本という母国を離れ時間の流れについて考察すると何かヒントのようなものがあるのではないか、という理由もあります。河原さんは生前メキシコとニューヨークに居住して作品を制作していました。(波照間エロマンガ島)
(寸評)ほー。言わんとしてることを完全には理解出来ないがなるほど。
俺は「今夜空に見えてる星はものによっては何億光年も昔の光で、今実在しているかどうかは分からない」というのが今見えているからといって現実では無いということを知った驚きにも似てるのかな。 7ポイント。
初めてのポイント食事会で1000ポイント使用、投稿王をサプライズ的に後進に譲る
2016年2月21日、私、波照間エロマンガ島は休暇でタイのチェンマイにいました。その日は夕食を石川さんとご一緒しました。
このホームページの読者の方ならばご存知のとおり、石川さんはここ10年以上毎年2月はまるまる一ヶ月間チェンマイに滞在して、日本の寒さから逃れ休暇をとっています。いつの頃からか同じ時期に石川さんの友人・知人・ファンの人などが集まるようになり、一緒に遊ぶようになりました。しかし、石川さんは観光などまったく興味がないので昼間はばらばらの個人行動、夜だけ「都合がよい人だけ気が向けば夕食をご一緒しましょう」的なゆるい縛りの会をここ8〜9年行なっています。
その夜は石川さんの友人たちが皆所用があって集まらず、石川さんと2人で食事することになりました。
最初に料理を注文する前に私はそのちょっと前から考えていたことを石川さんに提案しました。それはこの食事会を1000ポイントのポイント使用の食事会にできないかどうか、と。石川さんは別にかまわないよ、と答えました。
実はその前日の2月20日に投稿王の発表があったのですが、私波照間エロマンガ島のポイントが14988ポイント、2位のオポムチャンのポイントが14352ポイントでその差は636ポイントありました。オポムチャンは毎回すごい勢いでポイントをゲットしているので、私が抜かれるのは時間の問題です。このままだと4月か5月頃にはポイントは逆転するだろうことが予想されました。
そこで私はちょっとサプライズを仕掛けてみようと思いついたのです。つまり石川さんとの食事会で1000ポイント使い、次回の「投稿王」のページで「投稿王 オポムチャン」と表示させてみようと! これはオポムチャンも投稿者の皆さんもびっくりするに違いない、と。
ということを石川さんに話すと、石川さんも「そうだね、面白いね」と笑ってこの申し出を快諾してくれました。
はたして3月5日にどんなポイント結果になっているかわかりませんが、確かなことは投稿王がオポムチャンになっているということ。でも投稿王を譲ったといっても、不肖波照間、投稿を止めるつもりは毛頭ありません。このポイントから投稿を続けて再逆転し、再び投稿王を目指してまいります。オポムチャンも私のイタズラに屈することなく、どうか「投稿王」人生を極めていってください。これからも何卒よろしくお願いします。今回はどうもお騒がせしました。(波照間エロマンガ島)
(寸評)さてさて新投稿王オポムチャンはこの棚から牡丹餅にどう出るか?
戦いの火ぶたは切って落とされた。今後が楽しみ! 8ポイント。
初めての取締役
波照間エロマンガ島@バンコクです。小生このほど勤めている会社の関連会社の取締役に抜擢されました。といっても株主ではなくただのサラリーマンなので名目だけの役員です。しかして「サイン権」はあるので、最近は決済書類のサインを山ほどしています。今年54歳になり本当は退職してやりたいことがあるのですが、なかなか辞めさせてもらえないようです・・・・・・。(波照間エロマンガ島)
(寸評)あっという間の出世。だてに投稿王張ってるわけじゃないね。
でも俺も取締役になったことあるよ!
但し取締役が4名、取りしまわれる側の社員が一名の会社だったが・・・。 8ポイント。
初めてのクンニリングス
いつ初めてクンニリングスをしたのか記憶に残っていませんが、学生時代サルのようにセックスしまくっていた頃だと思います。男性の征服欲を満足させる大好きな大好きなプレイでした。ある夜、クンニリングスをしていると、相手の女性の膣から「ぶひひひひひひひひひひっひひーー!!」とものすごい轟音が出たのには驚きました。女体の神秘に震え上がりました。(波照間エロマンガ島)
(寸評)豚さんを飼っていたのかな。
「そこは豚さんを飼う場所ではないよ」と教えてあげてね。 8ポイント。
初めてタイのテレビ局にインタビューされタイ全土にオンエアされたの巻き
2016年1月30日、タイバンコクの沖縄料理金城にて行なわれたアコースティックルークトゥン〜ガラクタパーカッション〜「石川浩司xブワ・カモンティップ」というライブを観にいったときのことです。
終演後、会場で友人らとまったり談笑していると、取材に来ていたテレビ局のレポーターの人に声をかけられました。ライブの感想を聞かれたのです。そのレポーターは日本語の話せるタイ人で、どちらかというと石川浩司さんを取材に来たというよりも「期待のタイ人若手ルークトゥンシンガーのブワ・カモンティップさんがもし日本に進出したら売れるでしょうか」的なニュアンスの強いものでした。わたしは多少酔いがまわっていたのも手伝い、テキトウにペラペラとインタビューに答えました。先日Facebookでこのレポーターの人が動画をアップしたのですがそれを観てびっくり!
石川さんのインタビューのあとに、私のインタビューが続いて放映されていたのですが、ほぼほぼ(最近流行ってる言葉ですね)ノーカットでオンエアされていたのです! 普通日本のテレビ番組だと余計な部分は極力カットすると思うのですが、しゃべったことほとんどすべてが放映されてました。しかもわたしの言葉一字一句、タイ語に翻訳されて字幕に起こされてました。タイ全土でどれくらいの人が見たのかわかりませんが、ろれつのまわらない、酔っ払いの不審人物が日本語でしゃべっているのを観て、かなーり恥ずかしくて落ち込みましたね。これは酷いと……。そんなに長生きしないだろうからまっいいか、と開き直りましたが。
という、タイのテレビ局にインタビューされたの巻きでした。〔URLは恥ずかしいの貼りませんw〕(波照間エロマンガ島)
(寸評)俺も自分のインタビューで無駄なところもあり(こんなとこカットするだろ普通)とか思っていたら波照間エロマンガ島が出て来て結構長い時間喋っていて大笑いした。 8ポイント。
初めてのネット購入
最近、仕事で地域向けの音楽イベントの企画運営をすることになったのです。
何も設備がないところからのスタートだったのですが、音響設備の予算を割と高めに組んで上司に提出したところ、満額OK出たので、ミュージシャン仲間にアドバイスをもらって、某大手の楽器関係販売サイトで購入することになりました。
しかし、正直なところ、今まで仕事上で取り扱かったことのない金額だったことや、ネットで買い物をするのは初めてのことだったので、テンションが上がりすぎて、変な笑い声が出るし、最後の確定ボタンをクリックするのにえらく時間がかかったりして、周囲に小心者アピールをしてしまいました。
今度、その機材を使ってのイベントがあるのですが、実はミキサーとか使ったことがないので、それも初体験です。「淡路の阿部」
(寸評)おおっ、遂にイベントも出来るようになったのね。
ということは分かってるわよね。
「淡路の阿部feat.石川浩司in淡路島」のお誘い待ってるわ〜ん♡ 6ポイント。
はじめてのボウリング&兄貴への勝利
ものごころつく前から、私は1歳半離れた兄貴に疎まれ、いじめられてきました。
今では見る影もありませんが、どうも私は幼少の頃たいへんかいらしいお子さんであったようで、そのことが幼い兄貴にとって非常に不愉快であったことは言うまでもなく、皆があとからやって来た私を「ポムちゃんかいらしな、かいらしな」と言って褒めそやした挙句自分をないがしろにするもんだから憎悪はいや増し、常に罵倒・殴打の対象となってきたわけです。もうこれは兄貴が悪いというかやむを得ない状況だったんでしょうね、1歳半の半分赤ちゃんの子にそんな酷なシチュエーションを耐えろとは言えません。美しさって、罪。あほか。
さて自分の思うことを言ったりやったりしては殴られる。早くから自己の意志を暴力による恐怖統治で封じられた私は次第に卑屈な小児に成り果て、お外で快活に遊ばず家の中で漢字やアルファベットをえんえん憶えるという気持ちの悪い幼稚園児になっていました。
そんな私が各種運動で兄貴に敵うわけがなく、1歳半のハンデも相俟ってぼろっかすにされて兄貴はざまみろ、と狂喜、私は沈黙してただただ感情を殺す練習をしていました。
そんなある日のこと、家族みんなで近所のボウリング場へ遊びに行くことになりました。
とはいえ私も兄貴もまだ小学校に入る手前くらいのちびっ子もちびっ子、ろくにボウルなんて持てやしません。それに今の近代的なボウリング場のようにガーター防止の柵なんてありません、スコアだってコンピュータがほいほい計算してくれる、なんて便利なものは存在せず自分たちで鉛筆で紙に付けていた時代です。そういう大人と同じ状況で、親父は遊ばせることを好みました。なんでもやらせてみる、という教育方針だったようです。ろくな思い出はありませんが。
履き慣れない小汚い靴を履かされたうえに、球は5〜6歳の子供には重たく、我々兄弟の投げる、ってか転がす球は次から次へと端っこの溝に消えてゆきました。親父の書くスコア用紙には「G−」「G−」「G−」の連発。
半分自棄になりつつ、私は心を無にして重たい球を転がし続けました。すると。
何故か放った球は、偶然にもまっすぐまっすぐ、ピンへ向かってまろびゆくではありませんか!!
もてっ、こてっ、ぽててごててすてん。
迫力のない間抜けな音を立てて、私の球はそれでもピンを続々なぎ倒し、なんと9本もいてこましたのです!!
私は大歓喜し飛び上がった、というわけでもなく、ぼんやりしていました。大きなリアクションは取らず、ただ心中でじっくり喜びを噛み締めていました。
もちろん、これで面白くないのが兄貴です。今まで負かし続けてきた私ごときに後塵を拝してはいられない。兄貴の目に炎が上がりました。
それまでガーターしか投げなかった兄貴、プライドを賭けた次の一投はっ! ガーターでした。
結局終盤でいっぺんに8本ピンを倒したもののあとわずか届かず、計20投で9 vs 8で私の勝利〜〜。ともにガーター率19/20という滅茶苦茶な初ボウリング、そして私は兄貴に対して偶然とはいえ初めての勝利を味わったのでした。
兄貴はその日1日ずっと、おもんない、ボウリングつまらん、ポムに負けるなんて絶対いやや、と延々文句を言い続けては親父とおかんに怒られていました。
そして私はパッと見無表情で、しかし心の底では「ざまみろ」と勝利の美酒に浸り、嫌らしい笑いを笑っていたのでした。ケケケ。気色悪い子供でした・・・ って今も充分気色悪かったわ。すんません。(オポムチャン)
(寸評)俺の投げた玉は全く知らない人の隣のレーンを転がっていたことがある・・・。 6ポイント。
(たぶん)はじめての投稿王ブースターに驚愕
この2016年の3月で、私がこの「石川浩司のひとりでアッハッハー」に投稿をはじめて丸3年になります。
途中あまりの投稿の粗末さに一部投稿者さまからお叱りを頂き、1週間ほどふつうの男の子(もといおっさん)に戻ったことはありましたがそれを除けばほぼ毎日なにかしらのコンテンツにひたすら投稿を続けてきて、もうお前の個人的な思い出話なんてだれも見たくもない、っちゅうぐらいに当コーナーにも寄稿をしまくりとにかくてっぺんへてっぺんへ、と悪い頭を余計に悪くして駆け続けてきました。私は運動系統ではないあらゆる競いものでいいところまで行くことはあっても頑張って2位、なにかの実績でナンバーワンになったことはこれまで一度もありませんでした(もちろんスポーツではほぼすべての能力がクラスでべべ(←最下位の意)でした)。
そしてここへきて、2014年の10月下旬に目出度く投稿王に君臨された波照間エロマンガ島さんを目標に追いかけ続けてようやく、2015年8月に2位に到達、本当にようやくです。ここで終わればこれまでと同じこと。私は寝不足をおして投稿のペースを上げ、勝手に尊敬している偉大なるエロマンガ先輩に追いつくんだ、とスパートをかけました。結果恐ろしいことに私は2ヶ月で1000ポイントというかつてないペースでポイントを稼ぎ、この2月に14000ポイントまで辿り着きました。ついに、ついにあの投稿王様と同じケタに並んだのです!! その差、578ポイント。どうにかじわじわと差を詰めていかなきゃ、と気合を入れ直した矢先。
2016/2/20の「投稿王」更新。
・・・・・・おりょっ???
げぇぇぇ!!?? は、離されとるぅぅぅぅぅぅ〜〜〜!!!!!
この半月の私の獲得ポイント、199ポイント。うんうん、けっこう頑張った。
続いてエロマンガ島さんの半月の獲得ポイント、なななんと、257ポイント!!! 私との差、636ポイントに離されてもたぁばぁぁぁぁぁぁ・・・・・・!!!
さ、さすがは私の(勝手に)尊敬するエロマンガ先輩です。いちいち突っかかってくる小癪な若造の私に、タイ国で重要なポジションをお務めになりながらもその本気の実力を見せつけてくださるとは・・・! 投稿王の名は、伊達ではありません。投稿の有利不利に関してはいわずもがな、完全に私の方が暇ですからね、仕事も閑職だし、ニヒル牛マガジンの連載も持ってないし、各種えすえぬえすもやってないし。それなのにこの剛腕・・・ そうなのです、私はこの「投稿王」にランクインしてから狂人のようにポイントを乱獲してきましたが、必死こいて差を縮めてきた波照間エロマンガ島さんに恐らく初めて差を拡げられてしまったのです! このまま本気モードをご継続なさると、私はどんどん離されていってしまうでしょう。
今朝結果を見て腰を抜かした私は一瞬にして心が折れそうになりましたが、私ごとき屑に簡単に王座を明け渡すなんてエロマンガ先輩もプライドが許さないでしょう(勝手な想像)、そうこなくっちゃ面白くない、ってもんです(必死の強がり)。私はどんな卑怯な手を使っても一度だけ、王冠をもぎ取るんだ、と誓った身、まだまだもともと少ない脳味噌の搾りカスのさらに残滓を使って投稿を続けます!! てなわけでこんなことまでネタにする卑怯っぷり、どうぞご容赦ください・・・。(オポムチャン)
(寸評)確かにスッとすんなり抜かれたらそれはそれで面白くないもんね。
本当の一騎打ちの勝負はここからじゃあ!ふたりとも楽しみにしてるで〜。 7ポイント。
はじめての「なんじゃもんじゃ会の御案内」に掲載
ネタがな〜〜〜い。物心ついた頃から今に至るまでの思い浮かぶ様々なハプニング・出来事を半ば無理矢理「初体験」か「おバカ」に仕立て上げて約3年間ここまで投稿を続けてきましたがいよいよ崖っぷちです。もう大きなインパクトのある経験はあらかた出尽くしてしまいました。完全に私の思い出置場になってしまったこの2コーナー、書くこともないくせにダラダラ書きまくった結果、コーナーの半私物化みたいなことになってしまい申し訳ない限りです。
じゃあ一刻もはやくやめちまえばいいのですが、「コテハン」でも投稿王を狙う、と書いてしまった以上もうどんな卑怯な手を使ってでも、ほんの一度だけでも投稿王になってみせる、と愚かな誓いを自分に立ててしまったがゆえに、こんな業の深い真似を続けているのです。約3年でおよそ14300ポイント、もう完全になにかの病気ですね。アハッ(乾燥した笑い)。最近よけいにつまんなくて数少ないご覧の皆様ごめんなさい。でも石川さんも投稿はライヴに来てくれる人、CD等を買ってくれる人の次に嬉しい、なんておっしゃられてたので、精神力の続く限りどうにか書くネタをでっちあげないと・・・。これまで以上に内容スカスカの投稿で喜んでいただけるとは思えませんが、このページの更新が途切れることは私だって嫌です。ネタ。ネタはどこじゃい、と一旦初心に立ち返っていろんなコーナーを眺めておったら、普段はあまり見ない「出前ライブ(なんじゃもんじゃ会)・どこでもレコーディングの御案内」の中身が、ちょっと前と変わっていました。
コーナー中盤の「なんじゃもんじゃ会レポート」に、私の投稿した新宿のカラオケ屋での「たま鑑賞会」に石川さんがドッキリご登場なさった時のレポートが紹介されていたのです!!!
ひゃおおぅ!!!
私は随喜の声を上げました。肥後ずいきじゃないよ。
私が掲載を記憶していたのは2014年の仮面次郎さんによる名古屋芸大の「アートと音楽のセッションライブ」のレポートまで。それ以降しばらくこのコーナーに特に変化はなかったので、まぁ私のわけのわからんレポートなんぞはこちらには掲載されまい、とマークしていなかったのですがこれは嬉い誤算でした。
だってだって、他のコーナーに比べて初見の方が見る可能性が高い(←※推測)このページに載るってことは、石川さんの出前ライヴはこ〜んなに楽しい、って例として挙げられてる、ってことでしょ!? 自分の書いた出鱈目な駄文がそんな扱いを頂いてる、なんて思うと嬉しいに決まってるじゃないですか!! ・・・・・・んまぁ、やたらと私が悪目立ちしている実際の投稿内容の質はともかくとして・・・・・・。
もちろん以前の投稿文の再掲なので追加のポイントは発生しませんが、それ以上に嬉しい名誉です。おっ、今回投稿に仕立て上げたことでちゃんとポイントになったやんか(笑)! 採用、ありがとうございました!! (オポムチャン)
(寸評)ふふっ、苦し紛れの初体験も初体験也!
産みの苦しみも傍から見てれば喜劇なので今後も「こんなとこに初体験がっ!」を見つけてくだせー! 6ポイント。
はじめての成田さん
当HPコンテンツ「私のまわりのおバカさん」にも投稿しましたが、こないだ2016/2/4に気がまぐれて家族で闇雲に東へ東へドライヴしてこましたところ、大阪の交通安全祈願のメッカである成田山大阪別院明王院、一般的に成田山不動尊、さらに通称っちゅうか俗称と申すべきか「成田さん」にたまたま辿り着き、神さん仏さんの類は信用していない私ですが折角なので、と記念にお参りしていくことにしました。
成田さん。お寺として初めて人と車をいっぺんに祈願しちゃうという大胆な手法を用いたのが有名になり、車ごとお祈りしてもらえるんかいなそらええこっちゃ、とわかりやすい関西人の人気を集めています。ってか調べるまで完全に神社と勘違いしてました。お祓いとかお守りとか完全に神社の領域と思ってたんだもん。そのうえ偶然迷い込んだ大阪市からみて北東の街・寝屋川市にこの有名な成田さんがあるなんて、無知なおっさんの私はまるで知りませんでした。
思えばここに至るまでに伏線めいたものはありました。
ここへ来る5日前、1月31日の日曜日。私達一家3人は京都の伏見にある妻のご両親のお墓参りにモノレールから京阪電車に乗り換えて向かいました。いつもなら車で行くのですがたまには電車で行ってみよう、とやってみたらば、その京阪電車には各車両の端に成田さんの交通安全のお守りが装備されていたのです。
へぇ〜〜、交通安全で有名な成田さんのお守りだ、電車に付けてるなんて初めて〜〜、とぼんやり感心していたのですが京阪電車が成田さんのお守りを付けているのには実は交通安全祈願の他にも理由があって、その昔この寝屋川あたりは先ほども触れましたが大阪からみて北東、すなわち艮(うしとら)の方角、つまり鬼門とされていたため、電車を引っ張ってきた割にだぁーれも人が住まなんだので困った京阪電鉄が千葉の大本山・成田山新勝寺にお願いして大阪別院を建立してもらい、この地に鬼は居りまへんでーアッピールをして高級住宅地を作ったった、といういきさつがあるから、なのだそうです。調べた。そもそも電車に乗ってた時点ではこの京阪沿線に成田さんがあるなんて知りもしませんでした。
そして前日2月3日、節分。家に帰ってコンビニでもとめた巻き寿司を無言でガツガツ喰っている最中にNHKの関西のニュースで成田さんの盛大な節分祭の様子を紹介していました。ここの節分祭はNHK連続テレビ小説の出演者が豆をまくことで有名なのだそうです。
この5日の間に2度も成田さんを意識させられる出来事があり、しかもまったく場所を知らないで目的地不明のでたらめドライヴで辿り着いてしまうなんて、これはもう不思議な力が私を成田さんへ導いたとしか思えません。さあ坂を上りましょう。ぶーん。
小高い丘の上にでかでかと「成田山不動尊」の柱。一発でここで曲がれ、って解ります。
さすが車の祈願もやってるってことで、駐車場は広大です。しかも大阪にあって無料なんてビックリしました。マジか。
朱色と黒を基調とした建物、綺麗にしています。ほら完全に神社カラーじゃん。私は不動尊、なんてキーワードを見てもそれが仏教にかかわる施設、だなんて連想も出来ない無知無学なあほです。
まっすぐ祈祷殿へ、おお、車が停められるスペースがあります。ここで車に乗ったまま御祈祷を受けられるのですな。べつにそこまでしに来たわけではないのでここは穏便にお賽銭でお茶を濁します。ちゃりんこん。お寺と思ってないのでぱんぱん、って神式で二拍手しちゃったよ。まぁ信心の無い罰当たりなので気持だけでもあればよいでしょう。
さてこれだけではなんか物足りないので、折角ですからお守りの一つでも買って成田さんにわずかばかり貢献しちゃいましょう、わっ広くて綺麗な事務所。かつ華美でない。えーとミラーにぶら下げられるようなちっこいのん、これくださいな。ほしたら受付けのお兄さんが、「残り福のお豆です。皆さんどうぞ」と3人分、「福豆」と書かれた小袋を渡してくれました。そうか昨日の節分祭の余ったやつか。やほほ、いい時期に来たなぁ。私豆大好き。クルッポー。くるくるっぱー。鳩かあほかはっきりせぇ。
さてこれから日が暮れる前にお家まで帰らんなん、随分遠くまでテキトーに走って来たもんだから道もいささか不安です、ぼうずよ嫁はんよ今のうちにトイレに行っておき給え。おっと私も行こ。ウォウ、予想外に綺麗だ。こういう施設のお手洗いは汚くて臭いのが当たり前だと思っていた私にはうれしい誤算。メッカだけに行き届いてるねぇ。豆呉れるし。
バックミラーに買いたてのお守りをちゅるんとぶら下げ、豆をポリポリ喰いつつ成田さんを後にしました。オーソドックスな大豆と殻付きの落花生が入っていました。嬉し。そこで帰路にふと気が緩んだのか、というか前の日は朝まで投稿文をこしらえていたため2時間しか寝ていなかったのでふっと集中力が切れかけました。前の信号は赤に変わり目の前の車が近づいてきます。やばい!
その刹那、私はシャキッと覚醒し鮮やかに車線を変更、それまでのぼんやりモードを吹き飛ばし華麗に安全に停車したのでした。
おひょっ、早速交通安全お守りの御加護だ! やぁ買うた甲斐あったなぁ、さっすが成田さん、と私は自分の体調管理の出鱈目さを棚に上げて喜び、その後はさらにご機嫌で帰路を走ったのでした。しあわせな単純野郎です。あほほ。(オポムチャン)
(寸評)というか成田(千葉)以外に成田山の支店が関西にあるのを初めて知った・・・。 6ポイント。
はじめての本
首のない馬のお化けを集めており、とある会で発表などをさせていただくことに。
研究会ではないので、いろいろゆるゆるとした、学門の垣根を越えている会でありました。
いろいろな学門の垣根を越えているのでむしろその可能性はすさまじいことになっていると思いますが。
会をつくったのはこんど、異類や擬人化についての本をお出しになるという先生でした。
しかし、自分はもともと、いわゆる学門の世界にギリギリいるようなもんで、とくに発表頼まれることもなく、実質いわゆる好事家でした。
好事家というのは、時には悪口にもなります。社会の役に立っていない、今の日本では真っ先に切り捨てられるべきひとのようなものーーだと自虐的にもなっていました。
しかし、その先生のところには趣味で自分の好きなお化けをひたすら集めている人もおり、そうした人がまたそこら辺の職業研究者よりもマニアックなお化けを集めており、感動しました。年齢はなんと一つ年下でしたが、まだまだ日本には奇特な方もおられるのだと思いました。
しかし、会には大学で研究されている方が多くいるので、まぁ、自分のようなものが発表できたのも不思議なことだと思っていました。
そんななか、夜、横になっていると、その会の先生からメールが届きました。
今度出る本に妖怪について文章を書いてくれないかという内容でした。
自分の集めていた馬のお化けについて、の依頼でしたが、テーマが「人との関わり」や「喋る動物」のようなことがかかれており、悩みました。
願ってもないことですが、「首のない馬」は頭がないため、人との会話もあまりないのです。
むしろ、頭が人になっている牛、「くだん」もあつめていたため、よく喋るそっちでいけないかと連絡をして、書かせていただけることに。
後輩に介護職をしていて、石川さんのライヴで「介護」という歌を即興で作らせた男がいます。
彼は憑き物ばかりあつめているので、推薦すればなにかかけるかと思ったのですが、なにぶん介護が忙しくて、代わりに憑き物についても書きました。それから一年ほどたち
「妖怪・憑依・擬人化の文化史 笠間書院 http://www.amazon.co.jp/dp/4305707977/ref=cm_sw_r_tw_awdo_rTBMwb1ABRDE0 」
という本になりました。
次があるのかはわかりませんが、これが流通するはじめての本であります。初体験で終わるとしても、本の売れないといわれ大学がいじめられる時代に貴重な体験をさせていただきました。(エル・タマガーワ三世)
(寸評)君にライブ後の打ち上げで初めてあった時「何か凝っているものとかある?」と聞いたら「首の無い馬の幽霊の話を集めてまして・・・」と言われたのには度肝を抜かれた。
単純な幽霊の話とかなら兎も角「首の無い馬」って。そんな話いくつもあるんかい〜!と言ったらあると言って資料まで見せてくれたよね。
人のやってないことに没頭している人、大好き。
出版おめでとうお祝いポイント10ポイント!
はじめての高がくお買いもの
小学2年生の時、テレビでロボットアニメ「闘士ゴーディアン」が放送され夢中になりました。
そして男の子なら誰もが思うように、「DX超合金 分身合体 ゴーディアン」(玩具)が欲しくなったのです。
当時ですら8,000円もしたので、そう易々とは買ってもらえません。お手伝いを重ね、おこづかいを貯めて、やっとのことで半年後に買ってもらえることになりました! やったね!
母親から1万円札(聖徳太子)を預かり、同級生の父親が経営する「おもちゃのこぐ〇や」に向かいました。
こんな大金は持ったことがないので、内心ヒヤヒヤです。
何度も通い「DX超合金 分身合体 ゴーディアン」があること(ある場所)は知っていたので、店に着くなり駆け寄りました。あった!
「これください」
「お、いらっしゃい。ゴーディアンね。8,000円(当時は無税)になります」
「1万円で足りますか?」
小学2年生の自分は、お金の価値をよく理解できていませんでした。
とても可愛い「はじめての高がくお買いもの」でした。
……じゃねえ!
ここからが終わらない悪夢の始まりでした。
「おお、1万円も持ってるのか。だったらこっちにしな」
「ううん。ゴーディアンがいい」
「こっちのゴッドシグマにしときなって。1万円以上するけど1万円にマケとくから」
ゴッドシグマ……見たこともありませんでしたし、売れ残りを売りつけてきたに違いありません。
「いや、ゴーディアン……」
「じゃあ、ゴッドシグマをキレイに包装してあげるな」
「いや……」
「ちゃんと落とさないように持って帰るんだよ、ほら」
「……」
「毎度あり〜」
小学2年生の子供には、大人に逆らう知恵も勇気もありませんでした。
そして家に帰ると……。
「あんた! ゴーディアンが欲しかったんじゃないの!? あんなに欲しがってたじゃないの! で、おつりは?」
「やっぱりこっちの方がよかったから。一万円ちょうどだった……」
本当のことを言えませんでした。子供ながらに押し売りに負けたのが恥ずかしかったのかもしれません。
そのクソ「おもちゃのこぐ〇や」はとっくにありませんが、潰れる頃には子供たちの間で悪徳商店として有名になっていました。
「DX超合金 宇宙合体 ゴッドシグマ」で遊んだ記憶もさほどなく大人になりましたが、「DX超合金 分身合体 ゴーディアン」が買えなかった(売ってもらえなかった)という思いだけは忘れることがありませんでした。
不器用ながらダンボールで再現してみたり粘土で作ってみたりしましたが、これじゃない感は半端ありませんでした。
しかしながらその間に発売元のポピー(現バンダイ)から再販されることもなく、時だけが無情に過ぎて行くばかり。
インターネットの時代になりオークションサイトで当時の物を見かけるようになりましたが、どれも欠品だらけの上にボロボロ。
2010年にシーエムズコーポレーションから「BRAVE合金 ゴーディアン」(24,780円)が発売されましたが、気付いた時には完売……そして倒産。またもや、がっかり。
オークションサイトでは55,000円もの高値で売られていますが、小学2年生の子供……並の収入じゃ手が出せません。
あれから何十年が経ったことでしょう……(遠い目)。
ところが2015年になり、絶版となっていた「超合金 ゴーディアン」がマルサン商店から「ダイカモデル 闘士ゴーディアン」(32,184円)として再販されることになったのです! やったね!
ネット通販で現在発売中(在庫あり)であることを確認し、あとは注文ボタンをポチするだけ! よっしゃ!
これでやっと小学2年生の「はじめての高がくお買いもの」が完遂されます!
かれこれ36年も待ったんだから、今さら焦る必要もないな……。
というわけで、ポチする前に寝てこよっと。(やまぐこ)
(寸評)それは悪徳玩具屋だったね〜。
まぁ俺はゴーディアンもゴッドシグマも知らないが。
ジェネレーションギャップか。俺はソランが欲しかったな・・・。 7ポイント。
初めての石川浩司さんと共演
2016年1月31日(日)バンコクの沖縄料理レストラン金城にて行なわれた「石川浩司 ガラクタパーカッション・セッション ライブ x The 昭和歌謡 Vol. 2 (昭和50年代 1970's Japanese Folk Songs) Sing Along with Nostalgic Songs」というイベントにDJとして参加しました。初めて石川さんと共演しました。
私の役割としては客入れの時に会場に流す懐かし歌謡曲DJ。そしてお客さんが入ったらTV用語でいうイベント説明の「前説」トークをし、そして石川さんを紹介してイベントをスタートさせる進行係のようなことをやりました。その後はバンコク在住の歌自慢のアマチュア、セミプロ、プロシンガーの方たちが歌っていくという趣向でした。幸いにしてお客さんもたくさん来てもらえて、イベントは大盛況でした。
石川さんはずっと客席でライブを観覧していて、演者さんが「最後の曲、石川さんセッションお願いしますー!」とステージ上から声をかけると、石川さんは「はいはい」と出て行って、ガラクタパーカッションでセッションするという様式でした。これがまた例によってバカかっこよい。アドリブの天才です。曲は1970年代のジャパニーズフォークやニューミュージックの曲のカバーが多かったかな。もちろん石川さんもギターで弾き語りをやりました。
日本にいたときには遊びのイベント企画をやっていたのでそれほど緊張はしなかったのですが、タイでは初めての経験だったのでトークはぼろぼろ、かみまくりで恥ずかしかったです。その場のアドリブで石川さんへ歌謡曲のイントロ当てクイズを出題して場をつなぎました。イベントの「ツカミ」としてはよかったかな、と自画自賛しています。もちろん反省点も多数ありましたが、この企画にDJを誘ってくれたお店のO店長には本当に感謝しています。そして石川さん、ありがとうございました。(波照間エロマンガ島)
(寸評)長年の付き合いだが初めての共演だね〜。でも今回やってみてまた次回もやってみたくなった。歌謡曲をかけながらゆる〜くトーク。逆に日本じゃなくバンコクだから成り立つのかもしれないね。
ともかくまた機会があったら是非よろしくね!初共演お祝いポイント10ポイント〜!
初めてのチケット転売
先日の新春ホルモン鉄道にお邪魔した際、バイトで一緒だった友達(男)も誘い、当初は二人で見に行く予定でした。
そのため、店頭発売日の開始時間きっかりに店頭へ並び、2枚購入しておいたのです。(チケット代も彼から受け取ったものの、彼の分のチケットは本人が「自分が持ってたら絶対失くすから、Hi-さんが保管しておいて」と言っていました)
しかし前日の夜に年賀メッセージを送り、「予定は大丈夫だよね?」と釘を刺したところ、翌朝「前日の仕事が長引いて、どうなるかわからない」との返事が。
ひとまず「時間通りに来られるよう、願っているよ」と、返信をしました。「えっ?今になってそんなこと言うの?」というのが実感でしたが、何も言わずにドタキャンされるよりかははるかに良心的な対応だと思ったので、「まぁ、そういうこともあるかな…」と考えておきました。
そして、僕は当日韓国からのお客さんの東京案内のため、開場のほぼ直前まで渋谷と新宿を回っていました。そのお客さんと別れて、JRで吉祥寺へ向かう最中に携帯を見ると、「やっぱり時間的に難しい。本当に申し訳ない」とのメッセージが30分前に入っていました。
「えっ、じゃ、このもう一枚のチケット、どうすんの??」と思いつつ、会場へ向かいましたが、開場30分前に着いたところ、まばらにお客さんが。
直接一部の方々に声をかけてみたところ、「当日券の発売開始待ちの方に売ったらどうですか?」とのお返事が。しかし、一見しただけでは、誰が前売りチケットで誰が当日券待ちか、わかりません。当日券が売り出されるのは開場予定時間と同じであるため、その頃まで待たなきゃいけないのかと思っていると、当日券待ちの女性の方がいました。事情を話すと、ラッキーという表情で承諾してくれました。(前売りと同じ額で売って、当日券の金額よりも得になったので)
ただ、前売りと当日券の差額と、他の当日券待ちの方々との機会均等の観点から、よかったのかなという後ろめたさが残りました。今後は誰かをライブに誘う時は、スケジュールが確実になっている場合に限定したほうがいいだろうとも、思い返す機会になりましたし。
その友達もアングラものに興味こそあったものの、ホルモン鉄道を見たとして、どのような感想が出るのか、また次の機会に先延ばしになったため、楽しみでもあり、不安でもあります。(Hi-)
(寸評)初めての人には是非観てもらいたかったね〜。
でも当日の人で前売りで入れたなら損した人は別にいないので良かったんじゃない?
また是非お越しあれ! 6ポイント。
はじめての立ち食い蕎麦
私が小学校5年生の頃です。
私の住んでいた大阪市の北区、天神橋7丁目周辺は当時お世辞にも柄のよろしい土地とは言えず、小学校の通学路に暴力の上手な皆さんの事務所があったりちょくちょく刃傷沙汰が起こったり大きな猥褻映画館が聳え立っていたりご婦人が濃厚なサーヴィスをご提供くださる店舗が駅のすぐそばにあったり、となかなかのバイオレンスシティであったのですが、はじめからそこに住んでいる私にとってはそれが普通の世界であると認識しており、特段恐怖に怯えて暮らすということもせず、またおおらかな時代でもあったため親も我々が何処で何をしようがたいていほったらかしでした。
とはいえさすがに小5でストリップ小屋に出入りするなんてことはこれなく、私が気になっていたのはその親父が絶賛していた助平店の斜向かいにある、古びた狭そうなお蕎麦屋さんでした。
濃厚な出汁の匂いがふわりと鼻腔を刺激します。しかし自分の小遣いではお蕎麦なんてとうていたぐれません。そのうえ立ち食いなので幼い弟の居る我が家が家族で食べに行くなんて真似は不可能です。嗚呼、あのうまそうな匂いのするお蕎麦屋さんに自分は一生入ることも無いのだろな、と思っておったのです。ほしたら。
ある日の夕食後、夜8時頃です。私の実家はバールなどをこしらえる街の小さな工場(こうば)で、仕事が終わるとすぐに晩御飯が始まるので6時半には夕食が終わっているのでした。そんなぼちぼち風呂にでも入ろうか、というタイミングで、親父がこう言いました。
親父「おいお前ら上から3人、蕎麦喰いにいくど」
兄貴と私と小2の弟、この3人が親父に付いて蕎麦を食べに行くことが急遽決定したのです。
おかん「どこのお蕎麦屋さん行ってくるん?」
親父「あそこや、スパゲティ『倶曽陀礼』の向かいの立ち食いや」
我々は男4人兄弟ですが、なんで一番下の弟が連れていけないかは先ほども述べましたがお店は立ち食いで、幼稚園児ではカウンターに頭さえ出ないのです。そんな状況では蕎麦を喰うどころか頭からかぶって大火傷をするのがオチです。
たらふく晩飯を平らげたにもかかわらず食欲旺盛ながきんちょ3人を伴い、親父は助平小屋斜向かいの「天六そば」に入りました。
おっさん「らっしゃい」
親父「肉うどん」
おっさん「ぇい」
電光石火で注文を終える親父。これに慌てた私はひとりおぼおぼしましたが、横の兄貴がなにしょうかな、とゆっくりしていたので焦らず好きなものを注文することにしました。「天ぷらそば!」
すでに親父の肉うどんはカウンタに置かれていました。素早い。そして水は自分で汲みに行くスタイルのようです。椅子もなく立ったまま、こんなスタイルは生まれて初めてです。ほどなくして私の天ぷら蕎麦が狭いカウンタに「ぇい天そ」の声とともにやって来ました。
七味をあほほど肉うどんにぶっかけて喰らう親父を横目に、猫舌の私はふぅふぅしつつ海老天を齧ります。うまい。外まで強烈に匂ってくる鰹のしっかり効いた出汁が天ぷらに染み込んでいます。
ご飯を食べたあとなのに、つるつる腹の中へ吸い込まれてゆく蕎麦。これは夜食というものなのだろうか。健全な小学生にはあまりなじみのない食事です。うまい。ずっと立ったままのお行儀の悪いスタイル。お水も自分で取ってくる。まわりは完全におっさんオンリー。なんというかこの普通でないごはん、説明しがたい背徳感すら漂うこの状況に私は実にときめいたのです。
せわしなくうどんまたは蕎麦をすする大人たちの勢いに駆られて、我々3兄弟も瞬く間にフィニッシュ、親父もささっと会計を済ませてしゅるっと店を出ました。
親父「うまかったやろ、〇そばとか◇△そばなんかここの蕎麦喰うたら入られへんど」
果たして親父の言うことは正解でした。
大きくなってから他の立ち食い蕎麦屋に入ってみましたが、この天六そばを超える出汁にはついに出会えませんでした。
また他店の天ぷら蕎麦は、基本かき揚げしか出て来ない、という事実も思い知ったのです。天六そばの「天そ」は立派な海老天です。いちいち「海老天そば」なんて持って回った言い方しなくたっていいのです。
結局立ち退きにより北隣の豊中市へ引っ越すまでに、私達3人は4、5回親父にこの立ち食い蕎麦屋に連れて行ってもらったのでした。
引っ越した後も、私は大きくなったら天六そばで、自分のお金で天ぷらそばにたぬき(こちらでは蕎麦における油揚げの意)をのっけて大盛りにしてもらうんだ、というかわいらしい夢を抱いて日々を過ごすのでした。
時は流れ、古くて小汚い天六そばのあった建物は更地になり、近代的で小奇麗なビルディングに変わりました。
もちろんビルの中に天六そばは入っていません。
残念ながら夢は叶いませんでしたが、私ももう40前、大盛りのお蕎麦に揚げさんと天ぷらを乗っけて食べたい、と思える食欲も無くなってしまったので、そんな夢を持っていたこともいい思い出です。
おっさんと成り果てた私同様、すっかり様変わりしてしまった天六の街を歩くたびに、ほの切なさとともにあの強烈なまでの出汁のかおりが脳裏によみがえるのです。さらば、ありがとう、天六そば。(オポムチャン)
(寸評)立ち食い店はあの「注文して一分もせずに食える」というのも大きな魅力のひとつだよね。
俺も高校時代は晩飯までお腹が持たずいつも高崎駅の両毛線ホームで立ち食い蕎麦食ってた。
寒い日に風に吹かれながら食うのもまた旨いんだよね〜! 6ポイント。
はじめての変形ずぼん?
さて先日はたいしておもろくもないかつ誰も興味もない私の貧相な頭髪についての投稿でしたが、とくに調子に乗りたがる時期である高校時代にはいっさい髪の毛をいじらなかったことからも、私があらゆる身の回りのことに対して無関心・または保守的であったことが窺い知れますね。
それゆえに、周りの皆がふっつぅに装備していた変形ズボン、なるものを私は所有しておりませんでした。
そこへまたいちゃもんを付けて来るのが兄貴、そして部活の連中です。
そんなだっさいストンと真っ直ぐなやつ穿いて近くをうろつかれたら俺らまでだっさく見えて迷惑や、なぁんてこちらとしては甚だどうでもえぇ理由を申しています。あほではなかろうか。だいたいこちらは唯一の学校指定の制服を正当に装備しておるのです(上半身は自由でした)。文句を言われる筋合いなど、これっぽっちもありません。しかし周りを見れば、本当にほっとんどの不良寄りでもない一般生徒はみな腿の部分が外側へもこりと膨らんだズボンばかり穿いておるではありませんか!! 知らなかったぁ。いまは膨れたずぼん、すなわち変形ズボンを穿いていないと頑迷固陋くっそまじめちゃん扱いされるのか。いやまぁ私はだいたいそういう性質の堅物小太りですが、そういわれると反発したくなるのが青春という病気です。
てなわけで渋る親をどうにか説得して金子を頂戴し、合気道部の連中に付き添いを依頼したうえ放課後、学校最寄り駅近くの違則ズボン屋さんへ赴きました。
思いがけず人の良さそうなニコニコした爺さんと婆さんが営む改造制服屋さん。店内にはなんじゃいこりゃ、と思うような滅茶苦茶もっこりしたズボンたちが所狭しと吊られています。なんでか知りませんが、どのズボンも一様に週刊少年ジャンプの主人公や必殺技の名前が付けられていました。
こんなもっこりズボン、恥ずかしくて穿けんわ・・・。極端なレベルまでぱんぱんに膨れ上がったズボンを見て、私はこれを装備して自分がカッコよくなるとは微塵も思えませんでした。
狼狽える私を見たお店の婆さんは、
「お兄ちゃん初めてやさかい、ちょっとおとなし目のんにしといたほうが安心ちゃうか。な?」
おおお婆さん、的確に私の心の不安を突いてきました。
「ほしたらこれくらいがええな、20%くらいのやつにしとこか」
爺さんが助け舟を出します。おお。20%なら悪目立ちしないし、いきなりの変貌で真面目っ子が無理しちゃって〜、とおちょくりの目で見られるリスクも少ないでしょう。私は爺さんと婆さんのコンビネーションセールストークに同意し、採寸・裾上げをしてもらい即時購入、これで私も脱・頑迷固陋軍じゃい、と意気揚々と帰宅したのでした。
家族の反応は散々でした。
「お前、これ普通の制服やんけ!!」
「さすがポム兄ちゃんやな・・・・・・」
オポ「い、いやでもでも、店の爺さん婆さんが20%て」
兄貴「どう見ても真っ直ぐやんけ、あほか」
私はこれまで穿いていたズボンと購入したてのズボンを比較してみました。
めっちゃわずかに、買ってきた方がカーブを描いていました。
これ、ほんまに20%か? 5%の間違いではありませんか?? 購入時に試着して鏡まで見たのに私の両眼はザ・節穴ですか???
それでも、私は翌日から内心いささか誇らしげな気分で登校したのでした。だって、たとえごく僅かであろうが違則のズボンを穿いていることには変わりないのですから。きっちり真面目っ子から、5%だけはみ出せた、記念の日になったのです。
そのうえ、俗に言うボンタン、みたいなのは私みたいな黒髪のおとなしい面構えには絶対に似合わないしだいたいぜんぜんかっこいいと思わなかったし、ほぼほぼ標準服と同様の形をしている、という点もコンサヴァな私を大いに安心させました。
その朝、私と同じように超プチ変形を購入したK山を見ました。
昨日までとまるで見分けが付きませんでした。
・・・・・・ま、ええか。
小心者の、かなしいずぼんのお話でした。(オポムチャン)
(寸評)ズボンもそうだが当時はカバンもみんなぺっちゃんこにするのが流行ってた。
俺は流行に乗るのが嫌いなので逆にメッチャ厚いカバンで通学したった。
もっとも駅からはみんな自転車通学だったが、俺の自転車にだけは前カゴが付いておらず両人差し指をカバンに引っ掛けて通学してた。ブレーキがすげーかけづらい自転車だったなぁ。ある意味誰よりもデンジャラスだった・・・。 8ポイント。
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