ドキドキドキリコ初体験(72)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めての、朝4時半出社で仕事してギリギリ校了間に合うの巻き

タイは通信インフラが完全に整備されていません。そのため仕事をする上で困ったことが多く起こります。ネットの断線等々…。
というわけで皆さんこんにちは、波照間エロマンガ島@バンコクです。このところ忙しすぎて「王様の耳はロボの耳」の投稿、1回分お休みしてしまいました。今朝は朝4時半に出社して朝8時までに原稿を3つ書き上げ、月2回発刊している紙媒体の原稿の校了に間に合わせました。本当はお昼までに終了すればよかったのですが、昨夜突然出版社より電話がかかってきて、編集長に「明日朝9時から夕方5時までインターネットが断線するから、朝8時までにどうしても原稿を上げてほしい」と言われたんですね。「どひゃーーー!!!!」あわてふためくわたし。完全に目算が狂ってしまいました。
もう毎日毎日ワーカホリックのように働いている私はその瞬間、気が萎えるのを禁じえませんでした。どうしよう・・・。あと12時間ですべて終わらせなければならない。私はそこである博打に出ることにしました。このまま徹夜覚悟でだらだら仕事をしても、終わらないかもしれないので、先に脳を休ませて明日早出して仕事を終わらせよう、と。そのためすぐに帰宅することにし、ふだんならありえない早い時間に帰宅して睡眠をとりました。午前3時すぎ起床。すぐにシャワーを浴び支度をして、タクシーで会社へ。4時半に出社して、超集中して連載コラム3本を書き上げました。校正も含めて午前7時45分に無事完了。やったー!!!! 計画大成功!! 俺やったー!!!
というわけで、初めての朝4時半出社してギリギリ校了に間に合ったの巻きでした。でも、52歳のおっさんが、よくこんなことよくやるなぁ・・・。(波照間エロマンガ島)

(寸評)スゴい!
というかなんかみんなダラダラ仕事している印象のあるタイで未だにこんなモーレツ社員(死語)がいるとは。
体に気をつけてバンコクライブでお会いしましょう! 7ポイント。

初めての2週連続週末チェンマイ弾丸トラヴェル

こんにちは、バンコク在住の波照間エロマンガ島です。
これを書いているのは2015年2月9日です。2月といえば、このホームページの読者の方で知らなかったらモグリだというほど石川浩司さん界隈では恒例の「チェンマイ1ヶ月避寒滞在」があり、現在その真っ最中であります。明日2月10日はこれまた恒例の、知久寿焼さんと石川さんのジョイントライブが開かれます。さぞ楽しいライブになることでしょう。2013、2014年と体験できましたが、3年目の今年は残念なことに会場に行くことができません〔悔し泣き〕。

そんな私ですが、チェンマイからバンコクに引っ越してきて3年経ち、現在バンコクで仕事をしている身なので、休暇をとってチェンマイに来るのはなかなか難しい状況にあります。2013、2014年は休日を何日かとり、週末とあわせて4泊5日くらいのチェンマイ滞在をしてきたのですが、今年は仕事が忙しすぎてまったく休暇がとれない状態。でもって、いろいろ思案の結果、週休2日の金曜日の夜にバンコクから飛行機でチェンマイ入りし、2泊して日曜の夜にまた飛行機でバンコクに戻るという「弾丸トラヴェル」を実行して、「チェンマイ逃避」に参加することにしました。とは言え、仕事が終わらなければ土曜日も出勤になるので、ぎりぎりまで飛行機の搭乗券もホテルの予約もすることができません。
とにかく必死になって金曜日仕事をして夜6時すぎに仕事を終え、ドンムアン空港にタクシーで駆けつけ、格安航空券の航空会社のセールスオフィスで当日のエアチケットを購入しチェンマイに行くという運命「綱渡り」を体験しました。これはスリル満点です。せっかく土日休めることになっても飛行機が満席で乗れなかったら、夜行バスなどのほかの交通手段を選択するほかなく、週末のチェンマイ滞在時間が短くなるからです。

そんなわけで1月30日〔金〕〜2月1日〔日〕の2泊3日と、翌週の2月6日〔金〕〜2月8日〔日〕の2回、バンコク=チェンマイ間を飛行機で往復したのでした。2週連続でこの弾丸旅行をしたのはさすがに初めてでした。特に2回目の2月6日は、実はワークパーミットの書き換え時期と重なり、パスポートと労働許可証を役所に預けていたので、パスポートの顔写真のコピーしかもっていず、一時はセールスカウンターの係員の女性に「あなたは買えません」と断られ、必死にタイ語で相手を説得してチケットを売ってもらったという経緯があり、なかなかの冒険旅行を体験できました。生意気なようですがタイで旅慣れてくるとこういうハプニングにはなかなか出会わなくなるので、こういう体験は面白くて仕方ないのです。

でも、なんのために2泊3日しかできないのにチェンマイに行くのか?と疑問に思う方もいるかと思います。それは石川さんに会いたいというのももちろんありますが、それ以上に日本から来る友人たちと再会したり、新たな出会いがあったり、ほかの時期のチェンマイではけして味わえない面白いことがこの2月には体験できる、ということがやはり大きいですね。2009年から2012年までは、石川さんがチェンマイにいる1ヶ月の最初から最後までご一緒してその時期も楽しかったですが、短い休みをやりくりしてバンコクから参加するここ2〜3年も相当に面白いですもの。

なので、これを読んでいる皆さんも参加されると良いと思いますよ。人生一期一会、来年にこのイベントがある確証は何もないんですから。2月の終わりまでチェンマイに石川さんはいるので、遊びにくればいいのにと思います。以前2011年にネットラジオでそんな感じで告知をしたら、見事つられてチェンマイにやってきたツワモノもいましたしね〔笑〕。おバカな伝説をぜひぜひ作ってくだせー。

というわけで、2週連続して初めてバンコク=チェンマイ弾丸トラヴェルしたの巻きでした。(波照間エロマンガ島)

(寸評)そうそう、今からでも間に合う!
逆にチェンマイライブのある2/10前後はちょっと人が多過ぎて(15人以上!)あまりひとりひとりとゆっくり喋ったり出来ないとこもあるけど、今月後半は人も少なくなるので濃度は高くなるよん(笑)。
もっとも昼間はひとりが好きなのでひとりを満喫するけどね。
初めての人は象に乗ったり観光も楽しいよーん。 8ポイント。

はじめてのプロデュース(?)

無職時代。暇にまかせてしょっぼい自作の音楽アルバム(カセットテープ)を作成して独りほくそ笑んでいた、自分の殻の中大好き人間・私。

自分でもちょっとどうかと思うロークオリティの作品ばかりで、周りの人々の反応はあまりにも微妙なものでしたが、ただ一人、そんな楽曲群を気に入ってくれている人物がいました。
私の3歳下の弟です。

当時弟は大学生(じき辞めました)、構内で出逢ったあほ仲間とバンドを組むことにしたようです。この弟、妙に小器用な奴で、たいていのことはちょこっとずつ出来るという広く浅く主義で、ギターもちょこっと、ベースもちょこっと、ドラムもちょこっと演奏できました。決して上手くはないのですが、演奏の体はなんとか成している、という感じでしょうか。

残念ながらヴォーカルは私に似てドブ声(←父親の表現)でメイン向きではありません。また作詞はそれっぽいのをサクッとでっちあげるのですが、作曲もあまり得意ではないようです。
そこで白羽の矢が立ったのが、大学出てからろくに働きもしない暇そうなニートの兄、私です。

弟「おいポム兄ちゃん、お前最近いっぱい作曲してるやろ。俺らのバンドの曲書いてえな」
オポ「無茶苦茶ぬかすな、ロックバンドの曲なんかよう書かんわい」
弟「大丈夫、コードと詩は用意してるからメロディだけ付けてくれたらええねん」

弟はテキトーに録音したAメジャーのコード進行のギター伴奏と、中3英語の教科書のLesson 1 の英文を私に用意しました。

“I like music,song and sunshine.
I like sound of the sea.
I like voices of the forest...(中略)

What do you like most in the world ? ”
みたいな感じのいかにも教科書のLesson 1、てな文でした。
でもまあオリジナルで出鱈目な英文を創作してやるよりは幾分かましでしょう。私はどうにかそれっぽいメロディとコーラスを付け、尺が足りない部分はAh、とかOh、とかYeah、とかとりあえず歌詞をリフレインしたりしてやっつけました。

すると弟のバンド内でも、また数少ないオーディエンスにもそこそこ好評だったようで(私は行きませんが)、私はその後も演奏はお粗末ながらもノリだけで乗り切っている様子の、奴のバンド“Fielder's Choice”(フィルダースチョイス、野球用語で野手の送球選択ミスのこと)にしばしば曲を提供する羽目になりました。おそらく出来のいいものではありませんでしたが、なにぶん奴らには英詩に対して作曲するというスキルがはじめは無かったので、要するにメロディが付きさえすれば何でも良かったのでしょう。

さてそんなFielder's Choiceも下手糞なりにも若さと勢いだけはあったので、実力を顧みずバンバンライヴハウスへ出演し、そしてオーナーがそのライヴの一部始終を撮影してくれたものを、弟が見せにきました。

おおお・・・ 人前で私が作曲した歌が演奏されている・・・ 
演奏はやはりお粗末で、本当に勢いだけなのですが、私は自分の作ったメロディが他者によって奏でられ、また評価はともかく他者の耳に入るという現象に、妙な喜びと感慨を覚えたのでした。

その後私は詩・曲とも完全自作のものを提供したり、また弟自身も作曲をこなせるようになりましたが1年ちょっとでバンドはあえなく解散(やはり私の曲がまずかったのでしょうか)、私もプロデュース(?)をすることはなくなりました。
しかしあの妙な高揚感を得た体験は、ど素人なりに音楽を作るもの、の喜びを知った瞬間でした。

・・・すると意外な方面から、私に声が掛かりました。続く。(オポムチャン)

(寸評)自分の作った曲が人に演奏されるのって気恥ずかしいけれど嬉しいよね。
処女のように・・・。 6ポイント。

はじめてのおかんの詩に作曲

そう、おかんです。
ろくに職探しもしない小太りニートたる私を憐れんでか、それとも私のへっぽこオリジナル曲や弟への楽曲提供などを見て自分も曲を作って欲しい、と単純に思ったのか、ある日突如「なあ、お母さんの詩ぃにも作曲してぇや」と依頼してきたのです。

これはあまりにも意外な展開でした。
まさか自分の母親の書いた詩に曲を付ける、なんて気味の悪い・・・いやレアな経験が訪れようとしているとは・・・思いもよらなかったのです。

さてこのおかん、おかんとは言い条、ノーマルな大阪のおばはんとはいささかニュアンスが違い、自然と動物を愛する夢見る九州女子がそのまま大きくなった感があります。要は50を過ぎてなお都会の汚れにも負けず、多分にろまんてぃっく、なのです。

そんなおかんが眼をキラキラさせながら持って来た詩が、こんな感じです。

「私の願いを ひとつだけ聞いて
あなたに掛けて欲しい 星屑のネックレス
くちづけひとつではじまるふたりの宇宙旅行
月明かりのヴェール 藍色のドレス
さぁ ふたりだけのウェディング
彗星に誘われて」

・・・・・・逆に凄い。その歳で息子の前にこの単語を並べられる精神が、凄い。いやもしかするとすべてのおばはんと呼ばれる方達のハートの中には、かようなキラキラ世界が広がっているのでしょうか??

幾分かくらくらしつつ、私は誠実に、「アップテンポの曲にしてな」という要望まで受け入れ、ギターで伴奏を加えてメロディとハモりを構築し、おかんにプレゼントしました。たいそう喜ばれ、車の中でヘビーローテーションされて私は顔面から火焔を放射しそうになりました。おまけにそのテープが入ったままの車に乗って弟が先述のバンド仲間と遊びに行ってしまい、そのバンドのドラムの奴がどんなセンスをしとるのか知らんが何故かその曲を絶賛しだし、私はもう顔面から溶岩を噴射しそうになりました。

なんでしょう、先のバンドの曲を書いたのと違って、なんでこんなに恥ずかしい気分になるのでしょう!? ・・・と考えるに、原因は私のヴォーカルでおかんの詩が高らかに且つもっさりと歌われているからでしょう。

まぁマザコニックに見えるのはこの際仕方ないとして、しかし世の中に自分の母親の詩にメロディを付けかつ歌った人間は今まで何人居たろうか、と考えればそれはそれで貴重な経験であるように思われるので、よしとします。

ちなみに今回載せなかった2番には「ワォ!」という歌詞がありましたがその部分については私の意向で作曲しませんでした。てか、ハイセンスすぎて作曲できませんでした(笑)。すごいぜ、おかん。(オポムチャン)

(寸評)ゆ・・・愉快な家族だね。
そりゃあオポムチャンという人間も育つかもしれんな・・・。 7ポイント。

はじめての広島

「ザ・レポート」にも寄稿させてもらったけど、2015年1月の神戸のTHE・BIGRAW&ホルモン鉄道を見たあたしは、その翌々日には大切な行事があるんだけど、これを見逃す手はないわ!って思い立って、さっそく翌日の広島行きの新幹線の手配をした。

ただ、あたしは周りからも珍しい、って言われるんだけど、今まで修学旅行なんかでも、一度も広島に行ったことが無かった。

広島…小学校の頃、授業でいろんな話を聞いたし、いろんな詩、映画も見せてもらったし、そういう歌も歌った。

ちょうど今年はあの8月から70年、いま、広島はどんな街になったのか、私はじっくり歩いて見てみたいと思って、ライブの開始よりも5時間早く到着した。

広島駅に降り立ち、ひとまず会場の「otis!」まで、歩いてみることにした。

なにしろ、ライブハウスのフレコミから、『爆心地に一番近いライブハウス』って書いてあったから、それにまつわるものも、おのずと目に入ってくるんじゃないか、と思って。

当たり前だ、としかられそうだけど、中国・山陽地方の中心都市・広島は、背の高いビルが立ち並ぶ都会だった。

まるで、何事もなかったかのように栄えているその街で、ビル建設のためなどで地面を掘ると、いまでも誰とも知れない骨が見つかることがある、と聞く。

街往く人たちは、そんなことはおかまいなしに、自然に往来する。

あの日、この場所で自然に往来していた人たちで、御存命の方は、おそらくほとんどいない。

いま自然に往来している人々は、あたし達以上に、何度も何度もその日のことについて、学び、語られてきているだろうから、一見平然としてはいるけど、心のうちではそういった悲しさを、常に抱いて日々を生きているんじゃないかな。

わからないけど、そんな気持ちになった。

市電の走る大きな道路に沿って会場を目指すと、川にさしかかった。

ああ、この川も授業で習った、水を求めて、人で埋めつくされた川だ…ふと、雲に覆われた寒空から、川に向かって、なんだか神々しく陽の光が降り注いだ。

あたしなんかの祈りでは鎮魂の何の足しにもならないけど、思わずにはいられなかった。

路面電車の停車場の名前は、ずばりそのまま、「原爆ドーム前」、あえて忘れないように、この強烈な名前を使うのだろう、そのまま会場に行く前に、平和記念公園に立ち寄ってみる。

ともしびの前、白人さん一家がにぎやかに笑いながら記念写真を撮る、気もちもわからなくはないけど、ここはそんな観光名所とおなじではない、と複雑な心地。

「過ちは繰り返しませぬから」……この文言を守っていくことはとてもとても大変なことだ、あたしが軽々しく論じられるお話じゃないのは重々わかってるけど。

ドームの脇を、地域の小学生たちがふざけあいながら駆け抜けてゆく、この建物を、生活の中のいち風景にしてしまってはいけないんだと、思うんだけど、あたしは住人じゃないからなんとも言えない。

いまから26年前、「DAY DREAM BERIEVER」で有名な忌野清志郎さん率いるTHE TIMERSが、「原子爆弾ブルース」という歌を歌った、その歌の舞台となった場所にあたしはいる。

清志郎さんの警告は、結局現実となってしまったんだけど、ひとりひとりの祈る気持ちは、無力かもしれないけど無意味ではない、と、思った。

楽しみなライブの前に、なんだか暗いこと考えてしまったけど、日本に生きるものとして、ここに来られて、良かったと思う。

さあ、日も暮れた、「otis!」に行かなきゃ!もう誰か並んでるかな…

とりとめなくってごめんなさい、はじめての広島、でした。(黒岸なぎ子)

(寸評)やっぱり広島と長崎は特別な場所だよね。
それに福島が加わってしまうとは、数年前には思いもしなかった。 8ポイント。

初めての猛烈台風接近時の西湘バイパス

今から15年ほど前、深夜にキャバクラ嬢を店から自宅に送り届ける仕事を副業でしていた頃の話です。その夜は大型の台風が関東地方に接近していました。お店も閑古鳥が鳴いていたらしく「通常より早くXX時に店に来てください」と店長から連絡がありました。指定された時刻に店に行くと、近所に住むキャバ嬢はすでに帰ってしまい、遠くに住む子だけが2〜3人残っていました。私は内心「げっ」と落胆しました。残っていた子たちは茅ヶ崎や平塚という店のある横浜から西へ30km以上あるエリアに住んでいたのです。深夜なので交通量は空いているのですが、それでも往復で1時間半から2時間はかかってしまうことが予想されました。

雨が激しく降る中、女の子たちを乗せ、店を出発しました。横浜新道から国道1号線に出て、藤沢からはバイパスに入ります。
茅ヶ崎に近づいた頃、もう笑ってしまうくらい風雨が強くワイパーも効かない状態になり、自動車もスピードを出すのが危なくなってきました。すると、気圧の変化でみんなナチュラルハイでヘラヘラし出したのでしょう。一人の女の子が「ねぇ、エロさん、海に行ってみない?
波がどんだけあるか見に行こうよ」と言い出しました。私は内心、早く帰って仮眠して翌日の仕事に備えたかったのですが、湘南の海がどうなっているかの興味もないわけではなく、女の子の提案を二つ返事で「行きましょう」と答えてしまいました。バイパスをそれて国道134号方面へ向かいます。実は当時はデジタルカメラを買ったばかりだったので、デジカメで台風の海を撮影して、ネット上にアップして自慢したい気持ちがむくむくともたげてきたのです。それこそ、田舎に住むお爺ちゃんが「ちょっと田んぼの様子を見てくる」と言って家を出てから、半日後水死体で発見されるのと同じメンタリティーに陥っていました。

さて、加山雄三やサザンの桑田さんでお馴染みの茅ヶ崎海岸に着きました。カメラを持って車を降りる私たち。しかし、波はかなり高かったですが、いかんせん真っ暗で肉眼では台風の猛威が体感できません。カメラで無闇に暗闇を撮影しても、まだ西暦2000年頃のデジカメのスペックでは海の暗闇しか写っていませんでした。うーむ。納得しないメンバー。

というわけで、さらなる刺激を求め、もっと台風の猛威が体感できるところを目指し、一行は西に向かうことにしました。平塚から西湘バイパスに乗る頃には夜が白み始めてきました。西湘バイパスはいちばん太平洋の海側を通る道路で、普通だったら間違いなく通行止めになるだろう風雨のところ、その日はなぜか入路できました。すると、ものすごい荒々しい風景が現前に展開していました。「なんじゃこりゃああああああああああああ!!!」な世界です。はじめは全員超興奮していました。自然の猛威、こんな風景が世の中にあっていいの的な自然のワイルドな美しさを感じまくってました。しかし、だんだん海の潮位が上がっていることに気づきました。波しぶきが道路に打ち付けてきているのです。興奮 が恐怖に変わるのに時間はかかりませんでした。二宮を過ぎ小田原に着く手前で、ついに波がバイパス道路に達し、冠水し始めている箇所に出くわしたときには、全員「うぎゃーーーーー」と叫んでいました。全速力でそのポイントをやり過ごし、次のインターチェンジで下り、平塚方面へ引き返しました。

そのあと、興奮は彼女たちの家に着くまで、1時間近く収まりませんでした。「今日は面白かったねー」とか「最高だった」とか女の子たちは口々にうわごとのようにつぶやいていました。私はというと、実を言うと一瞬「死ぬこと」を感じていました。本当に怖かった。女の子たちの手前、落ち着いているフリをしていましたが、いちばんガクブル状態だったかもしれません。もしそのとき死んでいたら、現在タイにも住んでないし、投稿王にもなってなかったわけですね〔笑〕。当たり前のことですが、あらためて申し上げます。皆さん、台風のときは絶対海には近づかないでください。

という、初めての猛烈台風接近時の西湘バイパス行きのお話でしたー。失礼しましたーーー。(波照間エロマンガ島)

(寸評)観に行きたくなるのはきっと本能。
それを理性が止められるかどうかだねー。 8ポイント。

はじめての鼻洗浄(一部お見苦しい表現があります。ご注意ください)

  只今、絶賛鼻喉故障中です。
接客窓口の仕事をしていると、不特定多数のお客さんと毎日接触するのでどうしても年に2、3回は耳鼻科関連の病気をこじらせて長引かせてしまいます。馬鹿のくせに風邪を引くなんて馬鹿の風上にも置けぬ愚物、そっか私は馬鹿じゃないやい、あほでした。たはっ。

  いきなり話も展開せぬままオチになりかけたので閑話休題、そんでもって近所の耳鼻科の朝7時に開く予約カード入れ場に6時前からずらりと並び談笑するアーリィモーニングバァ様方の最後尾に付き、7時になって診察券をことんと投入し一旦帰宅、診察開始時間の9時まで詰まる鼻でブヒブヒ不器用で短い呼吸してあてもなく彷徨う中途半端なハダシではないおっさん、私。

  さてバァ様の群れが終わるまで随分待ちぼうけたのちようやく私の診察です。レントゲンで頭部を被曝させ、意外と広い鼻腔の中の状態を調べてもらいます。これでちょっとは脳がかしこくならぬかしら。
平たい棒で舌を押さえたうえ喉の奥を覗かれ、なんか痛そうなギャズギャズのついた切符にハサミを入れるやつみたいのを鼻の穴にねじ込まれいたいいたい、拡げられた鼻腔口へぴゅぴゅっとお薬をシュート、いいおっさんがボロッボロ涙を零して行為に耐えます。

  先生曰くどうも今回は随分鼻の奥に膿が溜まっているようで、ゆえに鼻腔内を清潔にするため来院のたびに鼻洗浄をご自身でおこなってください、とのことでした。
たいへん広い診察室の一方の壁にズラリ並んだ洗面台と鼻洗浄器とブラシと丸椅子。かんたんな水鉄砲状のもの、これで鼻の奥に自分で洗浄液をまたぞろぴゅぴゅっと発射して鼻の穴奥を清めてこますのです。

  どうすんねやろ(訳:どのように行うのだろうか)。壁に貼った手順図を順に見て実践していきましょう。
まずは片鼻に水鉄砲の先端、洗浄液の出る場所を突っ込みます。
薬液が気道に入りむせたりしないように軽く「エ゙〜〜〜〜〜・・・」という声を出します。
水鉄砲の水勢を確かめて、いざ尋常にトリガーをBang! じゃなかったぴゅっ!! ああっ、気持ち悪い!!
  普段満たされてはいけない場所に塩気のある液体が流れ込むのです。そりゃ異常事態です。でもそうせんと鼻は衛生的になりません。
トリガーを引くたび逆側の鼻からボヴョヴョヴョ、と鼻腔を通った洗浄液が洗面台に落ちていきます。えげつない色彩の邪悪そうな物質が滴ります。気色は悪いですがこれは確かに効果がありそうです。ただしかし、鼻からボヴョヴョヴョ滴らせながら情けない声で「エ゙〜〜〜〜〜・・・」としずかに呻きつづけるのはなかなか気分が沈むものです・・・。
左右2回ずつ洗浄し、洗浄器の先端を付け替え、ブラシで洗面台をキレイにして次の方への気遣いを忘れずに。  

週末に3回通って、なんとか治まりました。
しかし職業柄か何度も繰り返してしまうので、今では嫁はんが通販で見つけてくれた家庭用の鼻洗浄器を使用しセルフケアしています。嗚呼、今宵も1人洗面所で、エ゙〜〜&ボヴョヴョヴョヴョ。・・・・・・やっぱり、へこみます。 (オポムチャン)

(寸評)その洗浄器、別のことにも使えそうやな・・・。
ムヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ。 7ポイント。

はじめての阿波踊り

こないだの投稿では盆踊りに関して書きましたが、そういや5年ほど前に徳島に引っ越した同じ合唱団の女の子の家まで遊びに行ったとき、「阿波踊り会館」みたいなところで踊りを見る機会に恵まれました。

その日はやはり同じ大学の合唱団の同期のバス・O杉とアルト・Y部とソプラノ・狸子(嫁はん)を車に乗っけ、パート不定無職(嘘)の私が親からナビ付きの車を借りて高速道路を爆走、明石海峡大橋と大鳴門橋を駆け抜けなんと集合場所の大阪梅田を出発してから約2時間で徳島市に到着、ほどなくしてS子夫妻の指定した待ち合わせ場所に辿り着きました。橋が架かって四国へのアクセスはほんとに便利になりました。

市内を買い物して回ったり、100円観光ボートに乗ったり、車で眉山に登り徳島の街を一望したりと楽しんだ後は、やはり徳島名物・阿波踊りを見とかないといかんでしょう。チケットを購入し、合唱仲間みんなでぞろぞろと会館へ入ります。 ただ車を停める場所が若干離れているので、私とS子の旦那・Gくんは市内地下駐車場へ車を置きに行きます。

車を降り、Gくんと談笑しながら我々も会館へ歩きます。
Gくん「踊りを見てる途中で、皆さんも舞台に上がって踊ってみませんか、みたいなコーナーがあったはずやで」
オポ「うわほんま? 僕想像以上に動きがきもいからなんかお笑い特別賞みたいなんもらってまうで」
・・・てな具合のトークを楽しんでいました。

さて皆に追いつき会場へ。傘を斜め後ろに高く上げた独特のスタイルで、綺麗な浴衣のお姉さん方がしなやかに、かつ景気よく高々と手を上げて踊ります。女踊り、男踊りなど種類もあり、またシーズンには全国から“連(れん)”と呼ばれる踊り子と鳴り物のグループが集まり街がえらいことになる、等々さまざまな解説を受け、ほほぉ、と感心しながら関心を抱いた矢先。

「それでは今から、客席の皆様にも阿波踊りを体験していただきましょう! 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!」
司会のおじ様がコールします。ふざけたがりの私は真っ先に舞台へ、経験済みのS子夫妻を除く合唱団メンバーが後に続きました。
「ヒジを肩より上にキープするのがポイントですよ。それではどうぞ!」

司会のおじ様の言うとおり、私は不自然なまでにヒジを高く上げ、リズムに乗って気味悪い動きで(※注:本人は作為的に気持ち悪い動きをしているわけではなく、本人の意思に反してまったく自然にきもい動きになってしまうのです)ハッスルします。
さきほどGくんに宣言した通り、私の首には開始間もなくしてレイが掛けられました(笑)。

レイを掛けられた選ばれし3人、優秀賞だそうです。2人はなんと県内の方、地元民です。そして私は御存知の通り初体験、あまりのきもさで悪目立ちしていたため、特別賞みたいなもんでしょう。堂々他の県内の皆さんをおさえ(他に居なかった可能性もありますが・笑)、入賞を果たしたのでした。O杉にはえんえん「あれはどう見ても阿波踊りじゃない・・・」などとディスられながらもにこやかに賞状と阿波踊り手拭いをゲット! 手拭い多用派のオポム家には最適なプレゼントとなりました。わはは、きもくて良かったぁ。嬉しいなぁ。

その後S子に教えてもらって生鮮食品売り場へ、大阪で買う値段の1/10か!? と思うくらい激安の魚。ブロッコリーなんかもう鈍器レベルの巨大さのものが120円! 橋2本渡っただけやのに一体どうなってんの!? とひとしきり驚愕したのちS子宅へ赴き楽しいトーク、愉快なモノを見せてもらったりして1日で可能な限り徳島を満喫し、戦利品の手拭いを高く掲げて夫妻に手を振り大阪へバック。車中で混声4部合唱を高歌放吟しつつ淡路島を駆け抜けたのでした。いやぁ、珍しく我が身のきもさが役に立った踊り体験でした。(オポムチャン)

(寸評)そうそう特徴のあることはマイナスに思えても使いどころがある!
今度是非俺のライブでその踊りを披露してくれ。
笑っちゃいそうだから俺は決してそちらを見ないがな・・・。 8ポイント。

はじめての声ドッペルゲンガー

その昔当コーナーに「はじめてのドッペルゲンガー」の題で高校時代電車の中で見かけた私そっくりのインド人の女の子の話を投稿しましたが(おもろないので探さなくていいです)、今回は見た目の話ではありません。上記の徳島来訪の際に合唱団の同期・S子の旦那Gくんにご自宅で面白いモノを視聴させてもらいました。

ちなみにS子はGくんにこんなことしてるアホが居る、と私が無職時代に作成してしまった自作曲のアルバムカセット「キモーズworst」をあろうことか聴かせており、なんとも気恥ずかしいことになっておったのですが、ある日Gくんが徳島市内の海産物店「八百秀商事」のHPを開いたところ、キモーズで聴いた私の声そっくりの歌声がパソコンから流れ出したというではありませんか!

早速S子のお家でパソコンを開いてみました。

「♪(前奏・ちゃらっちゃちゃっちゃらちゃっちゃちゃっちゃらちゃっちゃちゃっちゃ)、瀬戸んの海かぁあぜぇえ〜〜〜〜、かぁんいさぁんぶっつわぁあ〜〜〜〜、阿〜波〜〜ぁっあの〜ォ〜〜〜〜、八ぁあ百っっ秀ぇ〜〜〜〜・・・」

・・・・・・私だ。これは私の声だ!!
Gくんに「これ絶対ポム君が歌ったんやと思ったわ」と言われるくらいの激似っぷり、もちろん私は楽曲提供なんて大それた副業はいたしておりません。野太い声の質もそのまんま、必要以上にくどい歌い回しも完璧に私そのものです。
まさか阿波の国で私の声そっくりさんがCMソングを歌っていたとは・・・ パソコンの前で私を含め全員が爆笑しました。

残念ながら現在はHP上で聴くことは出来なくなっていますが、この正体不明の歌い手の方と一度カラオケに行ってみたかったなぁ、めちゃめちゃハモるだろうに、なんて夢想した次第です。あと実家でこの歌を流したら親までも爆笑しました。どんだけ似とんねん。(オポムチャン)

(寸評)それはな、お前を原っぱに投げ捨ててどこぞにと消えて行ったお前のお父ちゃんや。お父ちゃんやで。オロロン。 7ポイント。

はじめての子供布団購入

ぼうずを授かって3年が経ち、それまではベビーベッドに備え付けだった赤ちゃん用ベッドパッドを布団がわりに畳に敷いて使っていたのですが、それでは小さくて夜中に転げ落ちることも増えてきました。

そこで大型家具店なんぞに新しい子供布団を見に行こう、と嫁はんに腕を引っ張られたのですが、大型家具店は遠いし車も混むしだいいち私が退屈して仕方ありません。ああいう所に行くと興味がこれっぽっちもない私は魂が抜け落ちたようになり、ゾンビの如きありさまでそこいらを白目がちにうろつくので同伴者全員が恥ずかしい、といった弊害が生じるのです。

すき好んでそんな所に出向きたくない私は無い脳味噌をブニブニしぼって代替案を考えました。
そうじゃ。近所に、まさに近所に年がら年中、しかも何年も前から「閉店最終セール」の手書きの張り紙が貼ってあるわりに全然潰れない布団専門店があるやないか。そこに行ってこましたろ。

私の提案に渋々納得した嫁はんと布団の主たるぼうずを伴って、さっそく件の布団屋へ。車の渋滞も無いしすぐ着く。う〜ん素晴らしい。おほっ、しかも扱ってるのは西川のお布団!! 国内有名布団メーカー、こりゃ間違いありません。

我ながら好判断だったなぁ、と自画を自賛しつつ店内に入ると、これほんまに閉店しそうやんけ・・・ という品数の少なさ。
広いお店のわりに、店員さんも1人しか見当たりません。
店内を一瞥し、見たところ子供布団は目に入って来ません。こりゃしくじったか・・・? とさっきまでの勢いは何処へやら、超弱気になってきた私を、店舗の奥から見据えている瞳がありました。

大ボス、店のバァさんの登場です。

バァさん「お客さん何探してはんの、うちは西川の工場と直接やりとりしてるから品物は絶対よそに負けまへんで、今やったらセールの最中やから勉強させてもらいまっせ。あら僕ちゃんかゎいらしな、いくつ? 子供さんの布団でっか? 掛けと敷きの両方のセットでこんだけ安ぅさせてもろてまんねん、ほしたらこの2点とシーツも掛け敷きふたつ合わせて・・・」

オポ「ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待ってください」

バァさん「タケちゃぁん、いま子供布団セットでなんぼや、お菓子取ってきてんか。せやせやシーツの色みてもらわんなんわ、いま子供さんの布団のシーツはサイズ置いてまへんねん、ぴったりのサイズのん工場に発注して3日で出来まっさかい、ええこれも1枚2,500円のとこ2,000円にさしてもらいますゎ、ほいでタケちゃぁん、シーツの色見本も取って来てんか」

オポ「すんません、すんません、あのね、掛け布団は間に合うてますねん! 今日欲しいのは敷き! 敷きしか要りません」

バァさん「敷きだけでんの? せやかて子供さんすーぐ大きなりまっせぇ? 今やったら掛け敷きセットで・・・」
あああ、話ループしとる! このバァさん、聞こえんフリしてるのかマジで聞こえてないのか判りませんが、相当の剛腕アキンドです。マシンガントークでこちらの思考力を減衰させ、流れを勝手に作って気の弱そうな客に思惑通りの商品を販売してしまうというナニワ根性が備わっています。今どきもう珍しくなった人種です。すげえ。

いやいやすげえけれども今私共が欲しいのは敷き布団だけです。安月給で金もないのに無駄な出費はできません。
だいたいまだ敷き布団のガラさえ選んでいないではありませんか! パッと見では見つけられなかった子供布団は・・・ 果たしてバァさんの背後の高いところにありました。
ひとつはベージュのプーさん柄。嫁はん好みの地味なやつです。
もう一方は赤・青・黄色・緑・紫、とほぼ原色のサイケな色使いの・・・ なにこれ、巻貝柄・・・です。

何故!? なぜに巻貝!!? そして何故巻貝がその色使い!!!??

まぁ気に入らないなら選ばないまで。そのプーさん柄を貰おうとすると・・・
タケちゃん「すみません、プーさんは掛け布団で、敷きはこれ1点だけなんです」

あぴゃぉ! サイケな巻貝オンリーやった!! 選択の余地、無し!!!
嫁はんは明らかに店を出たがっています。しかしこれだけ時間も掛けて、そのうえまた大型家具店なんかに行く気力は私に残っていません。強引にぼうずの判断を問うことにしました。

オポ「なぁぼうず、ぼうずのお布団の模様、これでええか?」
ぼうず「うん」
オポ「これでお願いします」

卑怯な私の作戦で、サイケな巻貝柄の敷き布団が我が家にやって来ることが決定しました。
ブツブツ言う嫁はんの不満を察知したのか、バァさんが言います。
「シーツ掛けたら目立てへんからね、大きなってきたら打ち直しでサイズ変えられるし、ええ買いもんでっせ。ほしたら掛けと敷きの2点とシーツのオーダー2枚で・・・」
タケちゃん「お母さん敷きだけです、敷き1点とシーツ」
・・・まだ掛け布団も買わせる気のようでしたがタケちゃん(店員さん)がフォローしてくれてなんとかなりました。恐ろしい商魂のバァさんです。ここまで来たらあっぱれです。

布団とシーツ込みで、各種割引のうえに端数までカットしてくれ、私的にはなかなかお値打ち価格で購入しました。嫁はんは高い・・・ 私らの布団より高い・・・ とボヤいていましたが、なにぶん国産・西川のお布団ですからね。間違いないでしょう(たぶん)。
去り際、バァさんの旦那さんであろうおそらく本物の(?)店のご主人が現れ、お菓子を3箱も呉れました。えらいサービスっぷりですが卵入りの甘ぁいお菓子を好んで食べるのは私だけ。そんなに貰っても逆に困るのですがバァさんが持っていけ持っていけ、と言うのでとりあえず貰っていきました。

車に積んだサイケな巻貝布団を見つめて、嫁はんと私はしばらく笑いが止まらなくなりました。なんてシュールな布団だろうか。なんてベタベタな商人のバァさんだったろうか。もはや文化遺産クラスですね。

後日談。布団のサイケカラーは嫁セレクトのベージュのシーツにより目立たなくなり、布団を敷くたびに笑いが止まらなくなる症状は治まりました。そのシーツは嫁はんが出来上がりの連絡を受けてお店まで受け取りに行ったのですが、その際にもまったく同じお菓子の箱3つを持たされ帰ってきました。帰宅して菓子棚を見た私が「分裂した!!」と目を疑ったのは言うまでもありません。その賞味期限のさして長くない甘ぁい菓子群は当面私の晩飯後のノルマと化しました。肌が悪くなりました。はは。(オポムチャン)

(寸評)流石関西商人でんな〜。
俺だったらちょっとしつこくされただけで尻尾を巻いて逆に逃げてしまうだろーけど。
そしていつでも打ち直し出来るって、まだまだお店やる気満々やありまへんかっ! 8ポイント。

はじめての速度規制がかかった新幹線

2015年1月2日の新春ホルモン鉄道ライブに行くために乗った東海道新幹線、予想通りの事になっていた。何が?自由席の混雑。
いやそんな事は本当はどうでも良い事。時間通りに動くかどうかだ。
何で?米原から関ヶ原にかけての雪ですよ。毎年の事ですよ。
しかーし!
京都市は前の日から雪で、20年近く出されなかった大雪警報が出たという大当たり。
いやこれどないなるねん?行きもそうやけど帰りが。
何が?帰りはバス。ところがこの帰りのバスは、俺が一人で予約して乗るのではなく、関西組の一人に予約をお願いして一緒に帰ろうという事になっていた。
完全に頼り切っていたため、乗り場は新宿からだけとしか知らない。しかも、その人は行きもバスで行くと言うではないか。
ほんまに来るのか?東京には着けるのか?
事前に天気予報はチェックしてたため、31日の夜には昼バスで行くか夜行で行くか確認。
夜行で行くという事だったためこりゃ大丈夫とは思ったものの、1日の夕方ついに恐れていた事が現実に。名神京都東から先が閉鎖。
いやこれほんまやばいよ。バス動けへんかったら当日の新幹線で何としてでも一緒に行きたいよなあ。
実は俺が新春ライブに行こうと決めた時は関西組が一緒に居た時だったのだ。で、帰り何で帰ろうかなあと呟いたところ、「じゃあバス一緒に予約しますね」と言ってくれたという流れがあったのだ。
何が何でも行きたい。そりゃ当然の思いよ。
この人のバスと、もう一人の関西夜行組のバスが出た事をツイッター上で確認し俺は眠りに。
で当日、新幹線は速度規制はかかっていたものの動いている。これは予想通り。
しかしいざ乗ってみたら。
速度規制がかかった新幹線に乗ったのは、実はこれが初体験。まあ遅い遅い。名古屋まで1時間かかるんやからねえ。普段は30何分。
やはり遅い新幹線は新幹線ではありません(笑)京都から名古屋まで1時間、普通に考えたらまだ速いんですけどね!
名古屋を出たら普通に走ってました。で、4時ぐらいに東京に着いたら今度は中央線。実は家を出てから初めてここから座れる事になった。
しかし、優先席に案内された上、「ここ優先席て書いてるでしょ」と、隣の子供が母親らしき人に言われているのだ。
携帯メールチェックでけへんやん。地元関東組の一人から何処まで来てるか聞いていただいてるため返信したいのに。
結局吉祥寺に着いてからその方には連絡。しかしここで新事実。
遅れないと思っていた九州方面からの飛行機も遅れてたんですなあ。詳細は書きませんけどこれはさすがに見てなかったー。
最終的には俺が行くと聞いていた関西組は全員開始時間には間に合ったのであった。
俺が初めて行く関東ライブへの道のりは到着までドキドキであった!(西大路)

(寸評)そんなドラマもあったのねー。
でも無事着けて良かった。大谷の金玉も触らせてもらったし(笑)。
ハプニングは過ぎてしまえば思い出話になるからね。良かった、良かった。 7ポイント。

はじめての盆踊り

大学の頃。学生と言えども本分たる勉学にさっぱり身を入れず毎日毎日モラトリアムをがんがん満喫していた親不孝者のあほ、私。
高い金払って学校に行かせてる甲斐もなく苦々しい気持ちであったであろうそんな親から、ある夏の日「世話役をやってる地域の盆踊りの参加者が少なそうだから、あんたヒマやろから参加して」との依頼が。
そんなもんもちろん嫌ですが、骨が見えるまでスネを齧りつづけている私に逆らうという選択肢はありませんでした。

とはいえ、今まで小さい頃に無理矢理連れて行かれたことはあっても自分から盆踊りに参加するなんて考えてもみなかったため、勝手がよくわかりません。踊りなんてまるで縁のない生活をしてきたもんですから。
まぁ会場たる小学校の中には私の大好きな夜店も出てるし、そっちメインで楽しもかな、と自分を納得させるのでした。

自転車でおかんと小学校へ。おお、お目当てのラムネ・フランクフルトに眼が輝きます。
そしてそのバックには耳をつんざくばかりの大音量で、ドンパン節や炭坑節、東京ドドンパ娘にビューティフルサンデー等々が流れ、数あまたのおっさんおばはんじいちゃんばあちゃんが蝟集して輪になりゆるやかな回転を続けています。
私はそんな群れに放り込まれるのはまっぴらごめんさ、とポテトと唐揚げに舌鼓を打っていたのですが、稲刈りのお手伝いをさせていただいたご近所さんに見つかったもんだからもう逃げられない。
「オポムくんもほら、踊って踊って」
この方にかかれば逆らうひまなんてありません、わけもわからぬまま人生の先輩方がゆるゆる回るサークルに投げ入れられた私。

もうこうなったら腹を括るしかありません。前を踊ってるおばちゃんの動き・脚捌きを参考にし、どうにか追いつこうと必死で模倣します。しかし盆踊りという奴は曲が変わるとなんと振付が変化するというサディスティックな仕様なのです! なんてぇ恐ろしい行事なのだ! 折角身体が覚えはじめた頃にはもう次の曲かよ! そんな仕打ちに戸惑いながらも私は2周・3周と櫓(やぐら)の周囲を巡りました。 
するとどうでしょう、今までにない珍妙な楽しさが心と身体に湧いてくるではありませんか!
スポーツがからっきしの私、身体を動かすことに関してはまるで良い思い出がありませんでしたが、これならどうにかイケる! しかも多少もたついたって誰も叱責したり嘲笑したりしません。むしろ若いもんが踊っていることに喜んでくださっている様子さえ感じます。

ええやんけ! 盆踊り、おもろいやんけ!

それまでご老人の健康維持の一環ていどにしか思っていなかった盆踊りの愉悦を、私は二十歳そこらにして思い知ったのです。身体を動かすことの楽しさを、はじめて感じたのかもしれませんね。
また驚いたのは別段〇〇節や△△音頭でなくっても踊れちゃうということ。ビューティフルサンデーなんてリズムを完全に無視して音頭のハネた感じを無理矢理ねじ込んで踊ってましたから(笑)。

以来私は近くで盆踊りを見つけると、自分のクネついた気色悪い身体の動きもかえりみず、積極的に輪に飛び込むようになったのでした。もちろん、屋台にもまっしぐらに飛び込むのでカロリーは消費以上に摂取しちゃうのですが(笑)。 (オポムチャン)

(寸評)高校時代、長野の山奥に「学生村」というのがあってそこに勉強するフリして長期滞在してた。
その村の盆踊りが国の無形文化財にもなっている不思議な盆踊り。
太鼓や笛などの楽器を一切使わず声だけで延々三日三晩踊るというもの。
それは踊ったなあ。半分トランス状態になって。あれは面白い体験だった。 7ポイント。

はじめての異人扱い

そんな盆踊り体験をしてからおおよそ10年後の夏。私は信じがたいことに妻を娶っており、その日は近所に住む友人K山と3人で談笑しつつ歩いていました。
すると同伴していた嫁はんの母校のそばを通りかかった際、中から「マツケンサンバII」が流れて来るではありませんか!!

こりゃぁ地域の盆踊りだ、是非中に入って踊ってこまそう、とK山と嫁はんを誘い、よしきた、と仲良く校門をくぐってグラウンドに出ました。
見るからに喰えば太りそうな油で揚げた食い物の数々をかたっぱしから平らげるK山と私、それを呆れて見ている嫁・狸子。さあ、カロリー補給はバッチリです。いざ輪の中へ!

見たこともない踊りですが、おかんに教わったことを思い出します。浴衣で背中にうちわを挟んでる、キレのいいお婆さんは盆踊りの師範さんだからその人を見とけ、と。早速ロックオンし、踊りの型をラーニングします。
きよしのズンドコ節などにリズムを合わせ、いい気分でひととおり踊って輪から離脱すると、近くにお住まいであろう奥さんが私に話しかけてきました。

『お上手ですね! 何処の国の方ですか!?』

・・・・・・・・・・・・・・・

嫁が即座に「あっ、日本人なんですよ!」と答えましたが、私はご質問の意図がさっぱり理解できておらず、脳天に疑問符を突き刺したまま半笑いで固まるしか出来ませんでした。

5秒後。
あっっ!!!
私は漸く見知らぬ奥さんのおっしゃることが理解できました。

(どうもこの動きがヘンな若い人は即興で踊りに合わせてるらしい。
動きもクネついて妙だけど、顔を見たらなんか濃いし、日本の方ではないのかしら。
アッチの国の宗教儀礼なんかの踊りの動きもミックスされてるのね。
それにしても即興で日本の曲に合わせて踊れるなんてすごいわ、何処の国から来たお兄さんかしら。)

内心を読み解くと、こんな感じでしょう。
高校時代電車の中で私そっくりのインド人の女の子を見かけましたが、そうだそうだ私は西アジア系の顔面を有していたのであった。忘れてた。おまけに動きも変やし。はは。間違うか。間違うわなぁ。クスン。

愛情あるせせら笑いをかました嫁の隣で、私はリアクション出来なかった自分を悔いました。
なんであそこで「ボクムジャヒディン、パキスタンカラキマシター」とボケられなかったのか・・・・・・ッ!

べつにやったところでおもろなかったですね。(オポムチャン)

(寸評)えっ、日本人だったの!?
オポム・チャンだからアグネス・チャンのように香港系かと思った。 7ポイント。

はじめての自動車学校卒業検定

  いや、はじめても糞も何も1回しか受けてないので日本語として変だしどうかと思うんですがまあそのーネタも無いしドキドキしたしまぁえっかー、と思い書きます。

  時は2000年。就職をしくじり学生の頃からのローソンでのバイトを続けつつも週に3日は家でゴロゴロしていたろくでなし穀つぶしの私。しかもバイトは深夜なので昼間は毎日家に居て、そんな色白小太りが平日の昼からダラダラしてるのに親も鬱陶しく思ったのか「金は出してやるから運転免許を取りに行け。さもなくば出ていけ」的な発言を私へ。ただちに戦慄した私は親のよこした、もとい下さった30万円をポッケにねじ込み近所の自動車教習所へバイクを飛ばしました。ばびゅん。  

視力の検査を済ませ、コースの選択を迫られました。
ミッション(MT)操作のコースと、オートマ(AT)限定のコース。男性はまずAT限定コースは受講しないのが普通ですが、私は実家の自家用車がAT車しかなかったので躊躇いなくAT限定コースを選びました。受講者は女の子しかいませんでした。げへへ。ちなみに今までAT限定で困ったことはほぼありません。受講料も安かったし、いいことずくめでした。  

どんくさいものの基本的に真面目かつへんに小器用な私。サディスティックな教官に無茶な指示を出されては罵倒されながらも根気よく教習所に通いつめ、ほとんど再受講もせずにスピーディーに仮免取得、ふた月ちょっとで卒検目前までクリアしました。

  筆記試験は辛うじてパス、あとに残るは実技試験です。
あまたの車が跳梁跋扈する大阪の街中を実際に走って決められたポイントへ到達、最後に教習所の中の狭いスペースに縦列駐車して完了、となります。

  今までの町内実走とは違って、基本的にすべて自分の判断で運転しなければなりません。教官は基本的にアドバイスをせず、助手席で採点をするのみです。卒業検定は2名同時に行われるため、後部座席にはもう1人の受講者の女の子が座っています。
さあ設定のルートを走り出します。ここでも真面目な私は前日にバイクでルートを確認、想定される交通事態をシミュレートして臨んだのですが思わぬ落とし穴、この日は違法駐車が道路わきに多く、さすが大阪の街中ですがなかなか通りづらいのです。

  センターラインすれすれで走って違法駐車車両をかわしていくと、いきなり教官から警告されました。  

「君、2回も指示器出さずに駐車車両避けたやろ。次やったら不合格やで!」  

げべっ! まじでか!!
途端に動きの硬くなる私。もうそこからはちょっとでも進路を変えようものならとにかく指示器指示器、実際の交通の流れからしたら明らかに不自然なウィンカーの出し方ですが、もうこっちは必死です。
どうにかおっかなびっくり自分の走行ルートを走り切り後ろの女の子と運転交代、教官は
「ぎりぎりセーフやな。教習所の縦列で失敗しなかったら合格やな」
との有難いコメント。な、なんとかなった・・・! そう、皆が嫌う縦列駐車はへんに小器用な私の得意科目だったのです。

  さてタッチ交代した女の子ですが、教官の「検定開始!」の声と同時に赤信号なのに交差点へ進入、開始3秒でサイドブレーキを引かれ不合格となりました。  

でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!???  なにこれ! いたたまれなっ!!
どうにもこうにも気まずい空気の車内、もう運転する権利がない女の子は後部座席私の隣へ消沈して戻り、車は教官が教習所まで運転して帰りました。掛ける言葉もありません。

  そんなトホホな空気の中私はこれ見よがしに縦列駐車を完璧に決め、無事合格となりました・・・ やった・・・ って、ぜぇんぜん素直に喜べないのはハンドルを3秒しか握れなかった彼女の落胆っぷり。合格者の私には各種連絡事項があるため先に帰らされた彼女。すると落胆のあまり、合格した項目にハンを押していく教習ファイルを車中に忘れていってしまいました。
「君、渡しといてくれるか?」
・・・教官よ、私が渡したらものすごく嫌味になるまいか? でも逆らえません。  

車を降り教習所の建物へ戻る最中、ファイルを忘れたことに気付いた彼女がこちらへ向かってきました。
非常に声を掛けにくいのですが大事なファイルを預かっている身です。
「あ・・・これ・・・ 忘れてたみたいやで」

  「ありがとう、探しとってん・・・ おめでとう」
彼女は優しい微笑みを私に呉れると、くるりと踵をかえして駆けてゆきました。
その心中たるや・・・・・・(泣)。

  22歳・夏を迎える前の5月22日。爽やかな日差しの中、なんとも言えない微妙な気持ちで私は自動車運転免許を取得したのでした。
ちなみに今免許証を見てこの日付を記入したのですが、当時無職の私はこの日のちょうど4年後、私の知らぬ間に同じころ同じ教習所で免許を取得していた合唱団の同期・狸子ちゃんと籍を入れたのでした。結婚記念日のマイナス4年目に免許取得。今気づきました・・・。(オポムチャン)

(寸評)俺も原付だけ取りに行ったことがある。
学科は合格、実地は「用事があるので出られませーん」だけど何故か免許くれた。
実際最寄り駅から12キロも離れていたところに一年間住んでいた為取りたくないのに取っただけなので上京が決まった途端、ポーンと捨て去りましたとさ。 7ポイント。

初めてのミカンの皮レシピ

  一部では筑波山名物とも言われる、フクレミカンというミカンがあります。実が小さく、皮が薄く、山吹色をしています。味は控えめで爽やかです。

皮は、ユズのような感覚でスパイスに使うことができます。たとえば、小さくちぎっておひたしに添えたり、乾かしたのち細かく砕いて七味唐辛子に加えたり、といった具合に。

このあいだ、実家(筑波の麓)からこのフクレミカンが届きました。
  そこでひとつ新レシピを考え、作ってみました。

題して「フクレミカンの皮・小松菜・ゴボウのごま油炒め」。作り方はタイトルそのまんまです。
  ①千切りにしたゴボウをごま油で炒めます。
②シンナリしてきたら小さくちぎったフクレミカンの皮(少々)、下茹でした小松菜を加えてさらに炒めます。
  ③全体に火が通ったら皿に盛りつけ、醤油と七味をかけて完成です。

ゴボウ・小松菜の甘みと、ごま油・醤油の旨味、七味・フクレミカンの皮の香味が複雑に絡み合い、猛烈にご飯の進む一品となりました。

フクレミカンが手には入ったときには、是非お試しください! (イーダ健二)

(寸評)フクレミカンなのに実が小さいのか。
じゃあ膨れる前はどんだけ小さかったのだろう・・・ってそういうことじゃない!? 6ポイント。

初めてのそういうプレイ!?

私は月に5日間程度、病院でアルバイトをしているのですが、病院には老若男女、色んな患者さんがいらっしゃいます。 その中の、とある男性患者さんのお話です。

その方はどうやら『痔主』らしく、しょっちゅう便秘や痔の治療に来られます。
物腰が柔らかく受付でも愛想が良いのでスタッフの間でも評判のいい患者さんです。

ある日、その患者さんの担当ドクターが診察を終えた後、血相を変えて医事課にやってきました。

ドクター「もう、信じられないよ、あの人!!」
医事課「どうされたんですか、先生」

ドクター「あの人・・・コッチだったんだよ」
医事課「えっ!?」

ドクターの言う「コッチ」とはすなわち「おネエ組合」?の事の様でした。

医事課「あっ」

医事課全員がその一言で一瞬にして腑に落ちました。

その患者さんの診察内容は、いつも「便秘により自力排便が困難なため摘便。スッキリしたとの事」と記載があります。 ※摘便・・・ドクターがお尻の穴に指を突っ込んで便をかき出す治療
それを見るたびに「この人なかなか治らんねぇ〜便秘苦しいやろうねぇ」って医事課で話をしていたんです。

ドクターが続けます。
ドクター「やたらと摘便を希望するし、痔の薬が一向に効かない(毎回切れてる)し・・・おかしいと思って問いただしてみたら恋人(男)とのHの時にお尻を使ってるって白状したんだよ。。。」
医事課「ヒィ〜( ;∀;)」
ドクター「それはしようがないとしても(←!!)、白状したからには先生、何かいい方法ありませんか?って相談されてもねえ。。。」
医事課「・・・ですねぇ・・・(;'∀')」
ドクター「先生が摘便する時みたいに優しくしてくれたら良いんですけど♡とか言われちゃったよ(苦笑)」
医事課「はぁ・・・」
ドクター「毎回スッキリしたっていうのは、そういう意味だったんだね・・・」
医事課「・・・( ゚Д゚)」

いや、そういう「スッキリ」ではないと思うけど!!ドクターのショックも分からなくもないなぁ〜。
今までたくさんの患者さんの応対をしてきましたが、初めてのケースでした!(でゅおめいぷるようこ)

(寸評)むむむっ、病院を風俗に変化させるとは凄腕也!
これが世間に伝わって「素敵な摘便病院ランキング」なんてのがその界隈で発表されてたりして・・・。 8ポイント。

初めてのそういうスタイル!?

病院には老若男女、色んな患者さんが・・・以下省略。

とある女性患者さんのお話です。

私が2階にある点滴室の前を通ったとき、中から「すみません!看護婦さん!」と呼び止められました。
(私は看護師ではないのですが、患者さんにとっては白衣を着ている人は皆看護師さんなので)

どうされましたか?と私が尋ねると、お手洗いに行きたくなったとおっしゃる。
点滴していると体が冷えて、お手洗いに行きたくなるもんです。
移動しても大丈夫な点滴だったので、では行きましょうと掛布団をはがしてビックリ。
ズボンを履いていないのです。
よく見ると、ベッドの下の籠に畳んで入れてありました。

「あっあっスイマセン!!今スボンお取りしますね」
と慌てて布団をかけなおしましたが、その方は「ええねんええねん」と平然とベッドから出てそのままストッキングのみで廊下へ。
点滴室や廊下には男性の患者さんもいらっしゃるので、バスタオルを持って追いかけましたがよっぽど行きたかったのか、小走りにトイレに入っていかれました。

用を足した後も私が持って行ったバスタオルを腰に巻く・・・こともなくそのまま点滴室へ。
もうっパンツ丸見えやのに・・・( ;∀;)

下に降りて、本物の看護師さんに報告。
「ベッドの中でズボンを脱いでいるのは知らなかったわ!それはビックリしたね(笑)」

ハイ、ビックリしたけど初体験で使える!!

と思っていたら、別の看護師さんが慌てて2階から降りてきました。

「○○さま、何処にいる?」
先ほどの患者さんの事です。

受付に確認したら「精算終わられて帰られました」との事。

「これをお忘れなのよ・・・」
とその手には籠に入っていたズボンが。

「ええーーーっっ!?」

またあの例の『黒ストッキングからパンツを透けさせたままスタイル』で帰ってしまったの!?

「本当に帰った?出ていく所見たの?ズボン履いてなかったでしょ!?」と看護師さん。

「いや、出て行かれました。ズボンですか?そりゃあ履いてたと思いますよ。いくらなんでも履いてなかったら気付きますよ!!」と受付。

私はバイト期間が終わってしまったので真相は分からず終いです。
どうなったんだろう・・・。気になります。(でゅおめいぷるようこ)

(寸評)おばちゃん、もしくはお婆ちゃんならおぞましく、若い子だったら逆に怖いかも。
世の中にはいろんな人がいてはりますな〜。 7ポイント。

はじめての赤の他人にあふれた♡♪意

こないだの仕事帰り。私は大阪の北隣の街・豊中駅からバスに乗り込み自宅へ向かおうとしているところでした。

バスの運ちゃんは初老のベテランといった風情、白髪の多いスポーツ刈りの百戦錬磨のドライバー、ってな雰囲気です。 私はその日は一番前の席をゲットし、運転席と同じようなヴューでバスの進路をぼんやり眺めていました。

夕方、駅のロータリー付近は数多くのバスでごった返す上に、交差点が多重に入り組んでなかなか一度の信号では進みたい方向へは進めません。人や自転車も車と同様に苛々しがちなゾーンであるのです。

ようやく信号は青になりましたが、右折したいバスの定時運行の義務を嘲笑うかのように対向車線は直進車ばかりで、一向に交差点から抜け出せません。しかしさすがの運ちゃんは大したもの、まるで動じる様子も見せず慎重に右折するタイミングを見計らっています。

ようやく歩行者信号が赤に変わったタイミングで、バスは右折しました。
やれやれ、今日もこの交差点抜けるのにえっらい時間食うたな・・・ と思った刹那。

突如、バスの右後方斜め後ろの気付きにくい角度から、ふらふらっと、あたかもバスがそこに居ないような調子で、信号完全無視の自転車が運転席の前に現れたのです!! 

何考えてんねんこいつ、ペランペランになりたいんか!? 
この命知らずのあほんだらは黒い長髪の眼鏡の男で、あわててブレーキをかけたバスの前をまったく悪びれた様子もなく平然と過ぎ去ろうとしました。

「なんやこいつ・・・」

と冷静な運ちゃんが思わず低く呟くと、まさか聞こえたはずもなかろうにその神経質そうな眼鏡長髪はカクンと運ちゃんの方を見つめ、中指を立てて何事かを喚いたようでした。
なんの反応もなくバスの前を横切ったなら交通のルールを理解しにくいといったような少々頭脳に問題のある方の可能性がありますが、こいつは、この腐れ外道はハナから解っていて意図的に道路を無謀横断したうえ突然バスの前に飛び出し運ちゃんを挑発しやがったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・
こいつ、本気で♡♪したい・・・・・・・・・ (伏字の内容はご想像のとおりです。心臓を鎌持って狙ってる象形文字です)

運ちゃんは我慢できず「パッ!」と警笛を短く鳴らしましたが、件の長髪眼鏡はどこ吹く風、往来する自動車を完全に無視して優雅に横断歩道も無い道路をチャリで横切って行ったのでした。

呪いあれ! 呪いあれ! 呪いあれ! 大事なことなので4回言います。呪いあれ!!!
運ちゃんは無線で善良な(決してそんなことはない)市民に警笛を鳴らしてしまったことを報告しているようです。後々苦情に発展すると余計に大変であることを彼は知っているのでしょう。
乗客に何事かと思われるのを避けるため怒りをあらわにすることもなく、やり場のない屈辱を噛み殺しながら運転を続ける運ちゃんの心中を想うと・・・・・・

込み上げてくるもの。それは生まれてはじめてまったくの赤の他人に対して抱いた、禍々しい感情でした。
あの縮れロン毛眼鏡の野郎は存分に呪っておいたので、今頃きっと2日連続で親にオナニーがばれる、などといったボディーブローのような不幸が奴に訪れていることでしょう。ははは。(黒オポム)

(寸評)いや、エロ動画で顔が映ったらかあちゃんだったレベルだっ! 7ポイント。

初めてのFingering

彼女ができた高校時代の話です。
まだ二人ともうぶな頃でした。
ようやくくちづけを交わしたような頃。
そんなある夏の日。
いつものように僕の地元で、夜遅くまでお喋りをしていました。
大好きで、楽しくて、そして何か起こりそうで。
時間を忘れて話していると、終電がなくなりました。
まずいな。
でも彼女はまんざらではない様子です。
朝まで、一緒にいられるから。
親御さんに、電話で友達の家に泊まる、と嘘をつく彼女。
でも行くあてはありません。
バイトもしない高校生に、ホテルに入るお金なんてありません。
しかたない。
うちにこっそり連れ込むことにしました。
足音を立てないように、あまり誰も寄り付かない仏間に入ります。
自分の部屋から着替えを素早く取ってきます。
お互い着替えた後、簡単な敷物をしいて、寝転がります。
おやすみ。
おやすみ。
寝れるわけありません。
寄り添います。
頬を寄せます。
おぼえたばかりの接吻にふけります。
でもまだ、一線は超えられません。
知識もないし、用意もありません。
どこに売ってるかも、知らなかったのです。
でも、気持ち良くする方法なら、本でかじりました。
なにも差し込まなくても、小さいのを擦ってあげればいいのです。
いままでは、せいぜい下着の上からもぞもぞする程度でした。
今夜はその先に行っちゃおう。
はじめて、下着をおろします。
ああ、初めてだ。
兄貴の部屋の本とだいたいおんなじだ。
なにかの本で読んだ、「安心させるフレーズ」を口にしました。
“教科書通りだね。”
きょとんとされました。
失敗です。
気をとりなおして、その不思議な部分の周りをやさしく撫でます。
漏れる声。
いよいよ、裂けた場所のつなぎ目をそっと指で探ります。
あきらかに反応が変わりました。
例の小さいのにヒットした模様です。
自分でさわったこともないうぶな彼女が生まれて初めて受ける、快感。
うれしくて、興奮して、夢中で指を動かしました。
はじめは怖がっていた彼女。
手を止めると、小さな声で告げました。
「・・・・・・もっと・・・して」
いつか読んだ小説のワンシーンのような現実。
眠気なんて何処へやら、疲れきるまで愛撫しました。
5時をむかえ、空が白みだしました。
親にばれたら、勘当ものです。
抜き足差し足、玄関を出ました。
早朝、駅までの2キロの道のりを寄り添って歩きました。
感じたことのない気持ちよさに戸惑い、自己嫌悪に陥った彼女。
それは正しい反応だと悟し、かわいかったよ、と撫でてやりました。
ホームで見送り、手を振り別れました。
甘酸っぱい、青い夏の夜のお話でした。(こっくん)

(寸評)青春はいいなあ。勃起しました。9ポイント。

はじめての黒板にイタズラ

高校時代のエピソードです。

  私が高2だったむかしむかし20年前、巷では紫の作務衣的な服着た空中浮揚ができるらしいひげの肥えたおっさんがおかしな人気を博しており、己が通り名を連呼するポップな歌(作曲も自分でしたらしい)をごっつい低音で歌い上げて選挙に出ては落選するという愉快な所業を展開、じきに大きな事件でそのおっさんと属する集団のえらいさんがあらかたとっ捕まる、という騒動を起こしてました。  

そんな大事件が起こる前、その集団は拉致や暴力やらで疑念をかけられたことを逆手にとって露出を増やし、大阪にはキャラクターグッズを販売するSてあんおおさか、なんてな珍奇なお店も登場、私の友人のクラスメートの1人もおちょくり半分に見に行った、ということですからその影響力たるや凄まじいものでした。  

私も悪い影響は受けたくないから関わらないように気を付けていたのですが、なにぶん相手は心理掌握の達人、報道番組で連日流されるさきほど述べた「じぶんの通名をやったら連呼するマーチ」がえらくツボにハマり、得意の和音解析からギターで伴奏まで付けられるようになってしまったのです。むろん、その集団の方針にはまるで賛同できる要素がなく、完全におちょくり気分ではありましたが。  

そんなある日。あまりに世間の連中が疑惑のひげの人にお熱なので、そんなにひげの人がお好きなら私の解析結果をみんなに披露してやろうじゃないか。と悪戯心が起きてしまいました。
私の通った高校の教室の黒板には普通のプレーンな黒板のほかに五線譜の黒板が脇に標準装備されていて、どの教室でも楽譜が書き込める仕組みになっている、という今思えば無駄な仕様でした。
放課後、私は友人たちのクラスに入って談笑していたのですが、
「そういえばPM、絶対音感があるねんな」
なんて話になり、いや絶対ではないが多少はあるよ、たとえばこんなん書けるで、と、おもむろに五線譜黒板に件の「じぶんの通名をやったら連呼するマーチ」の音符を書きつけました。  

♪〇○ーこー〇○ーこー〇○こ〇○こ〇○ーこー、〇ーさー〇ーらー〇○ーこ〜・・・  

タイトル横に「元気よく」などと指示を書き込んだりして8小節書き切り、コードネームまで付記した出来上がりの見事さに友人らは爆笑、これおもろいなあ、とひとしきり面白がって我々は教室を去りました。  

翌日。お昼休みにそのクラスの友人に食堂で逢うや否や、
「PM、あの黒板消さんと帰ってもうたから、朝クラスでえらい騒ぎになってな・・・」
と言われました。

  え?

  なんと私がおふざけで黒板に書いた例のマーチの譜面がクラスの中の隠れ信者の布教活動ではないか、と恐れられ、一時騒然となったのだそうです。ギャグのつもりが真剣に受け止められてしまったという一番屈辱的なパターンですね。  

まぁその集団に対して世間の注目度が高い時期でしたから、ちょっとおふざけが過ぎたかもしれません。その後某集団の起こした大事件は、おおかたの皆様のご存知の通りです。  

ブラック好きな内輪(バカ)にはウケたけど、一般的な常識を持った人には恐怖の出来事になってしまった、という若き日の過ちでした。(PM)

(寸評)いや、俺なんかたまが人気絶頂時代「ウララ」という曲で歌詞のオウムという言葉に思いっきりコーラスで♪〇○ーこーと付けて何千人もの前でやってるから(笑)。
確かYouTubeあたりでも今でも残ってたような気がする。
俺が20代に住んでいた高円寺も拠点のひとつでよく駅前でゾウの帽子被った奴らがその歌うたってたのでリアルに知ってる。
でもまさかあんな大それたことするとは思ってもいなかったけどね。
未だに奇異な事件だよな〜。
ああいうのに入信するのっていわゆる高偏差値の人多いんだよね。
教えられたことをそのまま信じる教育を受けて来て自分で考える能力に欠けてたのかなあ。
やっぱり洗脳が一番怖いよなー。
まぁ俺たちもそんなこと言ったって例えば「西洋医学教」とかはほとんど疑いもせず信じてるわけで、どこで何を洗脳されてるかの線引きが難しいんだけどね。 10ポイント。

   

はじめての演奏楽曲の採譜

  ある日。そんな楽曲のメロディやコードの分析が得意な私に、知り合った尊敬するミュージシャンから依頼が来ました。  

「君は音感が良いらしいね。僕の演奏する楽器が映えるあるバンドの曲の、僕の楽器のパートを採譜(耳コピして譜面に書き記すこと)してくれないかなぁ」  

とのことでした。  

・・・・・・弱った。弱った。弱った。弱った。弱った。
私は楽曲に流れるコード(和音名)を“なんとなくイメージで”読み取ることは得意なのですが、特定の楽器を他に沢山の音が流れる中から抜き出して音を拾う、というスキルはほぼ無いに等しいのです。  

でもでもでも、音楽家でも何でもないちんけな阿呆を、尊敬する人が頼ってくださっているのです。  

出来ないなんて、言いたくないのです。  

結局メールをいただいたものの、お返事も出来ずに懊悩していました。
でもまず、やってみなくちゃ分からないや、と思い、基本となる資料としてCDを聴いてみました。
打楽器や鍵盤の音にかき消され、肝心の楽器がさっぱり聴き取れません。仕方なくヴォリュームを上げても当然のように他の楽器の音もアップするわけで、耳が阿呆になりそうになったのでやめました。

  だめだこりゃ。すみません、出来ません・・・ とメールを打ちかけて、私の男の子としてのちっさいプライドがストップをかけました。  

【お前は尊敬するその人のために、ほんとに全力を尽くしたのか? お前の尊敬なんてものは、たかだかその程度の軽いものなのか? はっ、尊敬された側もいい迷惑だな。】  

なにおううううううううううううう!!!!!  

私は自分に返された自分の言葉に発奮し、折れかけた気持ちを奮い立たせました。
対象の楽曲は幸いにして収録されているDVDを所有しており、また動画サイトにもDVDとは別の演奏の様子が(おそらく著作権を無視して無断で)投稿されていました。そんなものを閲覧するのは心苦しいのですが今の私にはそんなモラルより使命の達成が優先です。食い入るようにその楽器の運指を見つめ、ヘッドホンにも意識を注ぎました。
とはいえやはりDVDや動画もその楽器の運指の様子ばかりを映しているわけはなく、どうしても耳だけに頼らざるをえない場面も出てきます。ついには行き詰まりふたたび諦めかけた時、このアーティストはコアなファンが多いから「この楽器をコピーしてみた」的動画の投稿もあるんじゃないか!? と検索したところ、あった!! なあんだ最初からこれを見ればいいんじゃん、と思ったのも束の間、よくよく比較するとオリジナルの演奏からその弾き手のアレンジメントが加わっており、これでは依頼主の意向に沿う採譜はできません。がくっ。部分的に参考にするにとどめました。  

メールをいただいてから約ひと月・・・ ついに、自信はあまり無いにせよ一応の納得が出来る音を拾うことが出来ました。
しかしここで問題が生じます。
音をテキトーな紙にメモしただけでまだ楽譜の形にはしていないので清書が必要なのですが、私は五線紙を持っていないしおまけに字が圧倒的にへたくそで、楽譜を書くこともまた然りなのです。
さて、どうしたものか・・・ (PM)

(寸評)五線紙を買うといいと思います! 7ポイント。

   

はじめてのパソコンで楽譜作成

  尊敬するミュージシャンの方からある楽曲の一部の楽器の採譜を依頼していただき、苦戦しつつもなんとか音を(おそらく間違いだらけながらも一応)拾い上げた私。しかし、楽譜を書くにも五線紙もなく、字も実にきたない。どうしたものか・・・ と悩んで思い付いたこと。  

このご時世だ、ひょっとしたらネット上で楽譜作成ソフトが出回っているかもしれない。  

今やアナログで楽譜を書くことが主流である、というような感じはしません。なあんでもパソコンで作業できちゃう世の中の流れになっているのですから、何処かにあるはずです。私の読みは当たり、なんと無料の作成ソフトがダウンロードできるようです。
タダより怖いモノもありませんがどうせ遊びでしか使ってないパソコンだ、へんなウィルスに感染して壊れたって自業自得だい、と思い切ってデータを取得、オンラインマニュアルを見ぃ見ぃ打ち込み方を調べました。  

・・・・・・こりゃ大変だ。  

音符の長さを数字キーで決定してあとは音名に対応したキーを打てば音符が打ち込める、という優れものなのですが1つの音符に重ねて音を入れるやり方がわからなかったり、作曲者名の入れ方やカッコの装飾、付点・タイ・スラー・臨時記号・ほんでこの曲何分の何拍子やねん? と音符の他にも考えることが山ほどあり、しかも歌詞を付ける作業の時どうもしっくりこないなあと思ったらこのソフトが元々外国製なので日本語の変換がややもたつくのです。作業は丸2日かかりました。  

しかし自分で手書きで作っていたら、丸一週間はかかっていたでしょう。このソフトの良い所は入力した楽譜を随意のテンポで再生(演奏)できるということで、作曲ツールとしても優れているのです。なので音の打ち込み間違いは発見しやすく、手書きで起こり得る間違いの見逃しが格段と減るのです。しかもコピー&貼り付けが自在で、繰り返しなども楽チンなのです。嗚呼、この時代に生まれてよかった・・・!   

こうして楽譜は出来上がり、一刻も早く送信して差し上げよう、とPDFデータをメールに添付して送信、ああ、やり遂げた・・・! 採譜の精度は甚だ疑問だがやり遂げたぞ・・・! と思い余韻に浸ってもいちど作り終えた楽譜を再生しながらニコニコしていると、致命的なミスが発覚、私は歓喜から一気に蒼褪め、慌てて譜面を作り直しお詫びとともに再送、自分のそそっかしさを改めて思い知り涙に暮れるのでした。  

しかしこんなよく出来たソフト、無料で配布するなんて太っ腹だなぁ・・・ これだけで作曲の間口はずいぶん広がることでしょう。どうか無事気に入ってもらえますように・・・ ドキドキ。ちなみに送信先は石川さんとセッションされたこともあるお方です。(PM)

(寸評)ひとつ前の投稿を読んだ時「あれ、俺が何か頼んだっけ・・・そんですっかり忘れてる?」と思ったので他の人で良かった(笑)。
そりゃそうだ、俺が頼んだとしても俺楽譜読めないから意味無いのだった・・・。 7ポイント。

はじめてのサウナ施設

  2014年11月あたまの石川さんのとってもたのしいひるね屋イベントの後、翌日大事なお客とのアポが朝9時から入っているにもかかわらずオールナイトでカラオケしちゃった37歳あほのおっさんのお話。「おバカ」から続くたまカラエピソード4(完結)です。

  あっまずはお詫びを。先の投稿で「カラオケ好きなお姉さま方」と紹介したでゅおめいぷるようこさんからそれほど好きではないとご指摘を頂戴しましたが、あのレベルの歌唱を聴かせて頂いたら誰でも勘違いします(笑)。大変失礼いたしました。
そんなマンドリンと歌の名手・ようこさんは惜しくも終電でお帰りになりそののち西大路さんら計4人で朝を迎え、至福のたまカラを終えた後JR大阪駅でひとりどうしようか、と思案したところ、そうじゃ行ったことないけど梅田(大阪市内キタの中心地)にはサウナ施設があったはず。昔飲み会の後に行ったバッティングセンターの横に「D東洋」というカプセルホテルとサウナの入ったビルがあったことを思い出しました。

  大事な契約が決まるか否かの瀬戸際、せめてこのぎとぎとの全身を清めなきゃ、とギター担いでやってきました、D東洋。 カプセルホテルはすでに満杯、サウナ(浴場)のみなら2,100円で利用できるのか。
・・・け、けっこう高いんだな・・・。銭湯に毛が生えた程度の料金設定だとタカを括ってた・・・。
背に腹は代えられぬ状況、やむなしと受付のフロアにエレベーターで上がると有難いことにモーニングタイムは1,300円、1時間で出てきたら1,100円にまけてくれるようです。

  そこはドケチの私、タイムアタックに挑戦です。
付けたまま入浴可能なロッカーの鍵をもらって装備し、狭い縦型ロッカーに無理矢理ギターをねじ込みます。入った!
  しかし初めてで勝手がわかんないもんだから、どこから裸でうろついていいのかさえもわかりません。時間が無いのに焦りつつ施設の中を探検します。
まわりのお客の様子をうかがってルールをテキトーに都合よく解釈、お風呂場の入口近くでタオル2枚とうろつき用のへんな短パンをひったくり、ロッカーに戻ってつるんといちど丸裸になってへんな短パンを装着、階下の浴場入口の脱衣所までの妙に遠い道のりを急ぎます。なんでロッカーとこのへんな短パンを脱ぐためだけの脱衣所が別なのか意味もよくわからぬまま、とりあえず粗末な脱衣所でへんな短パンを脱ぎ捨てタオル1枚を持って浴場へ乗り込みます。

  そういや私、石鹸もカミソリもシャンプーも何も持ってきてないや・・・ と今更ながらに気が付きましたがそんな粗忽者が来ることははじめから想定済みだ、とばかりにシャワー傍にはシャンプーコンディショナーボディーソープ、おまけに使い捨てのカミソリと水付けたらアワアワになる個包装の歯ブラシまで備え付けてあるという親切っぷり。素晴らしい。さすが1,100円のお風呂です。
入るまでにもたついたこともあって1時間なんてあっという間です、私は見たこともないシャンプーとリンスをグシャグシャに混ぜて高速洗髪、お肌が弱いのでへんなボディーソープは警戒して備え付けの石鹸で全身を洗浄、髪の毛はキシキシになりヒゲ周辺はカミソリ負けしましたが贅沢言ってられません、都度都度ボタンを押さないとお湯がすぐ止まるエコ仕様のシャワーで身体を温めながら歯ブラシシャコシャコ、これまた用意のいい事に使い捨てアイテムを捨て去るゴミ箱まで足元に用意されています。ボカンと打ち捨て、浴槽にも浸からず搾ったタオルで身体を拭き上げ、ハヤテの様に階段を駆けあがるとそこはさながら野戦病院でした。

  風呂から上がった無数のおっさん達が、着衣もそこそこに地べたに転がっていました。
それはそれは壮観な景色でした。
土曜の夜、家へ帰るに帰れなかった者たちのなれの果て。カプセルホテルが満室だったことから、やむなくこの場で仮の眠りを摂っているのでしょう。
たくさんの一様に太った半裸のおっさんは正規の寝転がり可のスペースからすでにはみ出し、なんの緩衝材も無い通路や床にまで及んでぶっ倒れていました。
私の知らない都会の片隅で、こんなにたくさんのおっさん達が日夜こんなことになっていたのですね。働き過ぎなのか飲み過ぎなのか理由なんてどうでもいいですが、ともあれ戦い疲れたおっさん達よ、ご愁傷・・・ もとい、お疲れ様。  

そんなおっさんへのララバイをいつまでも歌っている余裕はありません、私はちゃちゃっと服とギターを抱えて受付へ鍵を返却、時間はおお! 57分でした。
浮いた200円でようやく開きだした駅の弁当屋でおにぎりとお茶をもとめJR大阪環状線にゲット? テイク? ライド? よう知りませんがとにかく乗り込み3駅7分間虚脱、おにぎりの袋を落としそうになりつつ職場に辿り着くとすでに店長が控室でいびきをかきつつ待っていてくれました。責任者がいないと休日の営業活動は開始できないのです。
時計はちょうど7時、徹夜で荒れた胃袋におにぎりを投げ込みデカい店長の横で身体を小さくしながら1時間半仮眠、それだけでずいぶん元気になれました。制服に着替えると身は引き締まり、私は眠る店長を尻目に準備を整え自転車でいざお客様の居所へ、腹を括った私の珍しく堂々たるトークに圧されたか契約は成立、相手方にもたいへん喜んでいただききゃっほほいと帰店、電光石火で着替えてギターを担ぎ帰宅、泥のように眠ったのでした。

  ・・・それにしても、こんな無茶は初めてでした。結果オーライだったからよかったものの無謀なことをして周りからはお叱りを受けましたが、後悔はしていません。ポイントも貰えたし(笑)。
石川さんのHPに投稿してから、私の人生が随分おもしろい方向に転がっていくのがわかります。
あまたの素敵な演奏、表現、仲間、経験をいただきました。ありがとうございます。(オポムチャン)

(寸評)俺サウナ、健康ランド系は結構好きでいくよー。
仮眠室で雑魚寝も好き。もっともハッテンバじゃないとこね(笑)。
お薦めは信州健康ランド。下手なホテル泊まるくらいならこっちの方が絶対安くていいよーん。 7ポイント。


           トップに戻る