ドキドキドキリコ初体験(71)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールにて。題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めてのドングリ酔い

近所の運動公園には、さまざまな樹が植えてあります。ポプラ、イチョウ、椎の木、樫の木。秋になれば葉が赤や黄に色づくものもあって、素敵な眺めです。

椎の木、樫の木などには、ドングリが実ります。
よく見てみると、土の上にたくさんのドングリが落ちていました。

これは食べられるのかなあ。ちょっと食べてみたいなあ。
ある日ふとそんなことを思って、紙袋いっぱいに拾って帰りました。

さてどうやって食べようか。まず椎の実と樫の実、それぞれ皮をむいて生でかじってみよう。

椎の実は…かすかに甘い。炒ったら美味しそうだな。
樫の実はどうかな。…ううっ、苦くて渋い。
とてもじゃないが飲み込めないな。アク抜きしないと体に悪そうだ。

次に、生食の感想をもとに、椎の実をフライパンで炒って食べてみました。
…うん、思った通りだ。美味しい。かすかに苦くてクリーミーな甘さが、カフェラテのクリームに少し似ている。これはいいな。

樫の実は、とりあえず皮をむき、鍋いっぱい分を水にさらしました。
すると水が30分ほどで麦茶色に。なるほど、やはりアクが強いんだな。

こんどは水を取り替えて、鍋で塩ゆでにしてみました。すると沸騰して5、6分で、また水は麦茶色に。

もういいかな、と思ってひとつかじると、うぇっ、まだ渋い!
コイツ、なかなか手強いぞ…!
味見しつつ、火にかけながら都合5回にわたり水を替えました。

そうしているうちに、茹で汁がだんだん甘ったるくて少し油っぽいような、例えるなら化粧品売場のような香りを発し始めました。
それがいつしか部屋いっぱいに充満。鍋をのぞき込むたび、濃厚な湯気が顔面に直撃。ウップス!

天ぷらを揚げて油酔いをしたときのように、ドングリですっかり胸の気分が悪くなってしまいました。

一応、ゆで上げた樫の実を味見してみました。渋は大体とれていましたが…でも香りがキツいです。頭が痛くなります。

食べるのは断念して、鍋いっぱいの樫の実をゴミ袋に詰めました。
そして窓を全開にして、しばらく寝込みました。

教訓。樫の実は鬼のようにアクが強くて、煮詰めるとアブラ臭くなる。

布団の中でこめかみを押さえながら、二度とするまいと誓いました。水もガスもずいぶん無駄にしてしまった。
止めとけば良かったな。 (イーダ検事)

(寸評)いや、その実験精神や良し!
おかげで犠牲者が君だけで済んだぜ・・・。 7ポイント。

はじめてのチャットで「たまカラ」のお誘い

ここから先日の「わっかをなくした天使のおっさん in 大阪」の後に開催した「たまカラ」のお話を「初体験」と「おバカ」にまたがって投稿していくという斬新なんだかややこしいんだかわかんねぇ試みをやってみましょう、そうしましょう。まずエピソード1。

ある夜。今夜はどのコーナーに投稿しようかしら、と考えながらふらりと「チャットバー・ウキュピ」を訪れてみると、マスター石川さんがお越しだ! と発見、そして関西の石川さん絡みのライブでよくお見かけするNヤンさん・Sちゃん・Mちゃんがいらっしゃることにも気が付きました。

その夜はおもにふぐりについてすてきな千葉県のお兄様・newguineaさん達と盛り上がっておったのですが(笑)、石川さんのひるね屋が近いこともあり話題に出したりしていました。
そこで、前回石川さんがホルモン鉄道でひるね屋と同会場の天満橋へお越しになった際にNヤンさんと朝までカラオケに行ったことを思い出し、あれは最高だったなぁ、という話をしたりしているうちに私の狂おしいばかりのカラオケ熱、いや「たまカラ」熱が再燃し、場違いな発言ではないかと躊躇していたのですがとうとう我慢が出来なくなり、こう打ち込んでしまいました。

『11月1日のひるね屋の前後で「たまカラ」やりたいなぁ。誰か付き合ってください(笑)。』

嗚呼! 我ながらなんと恥知らずなおっさんでしょうか。己の欲望を我慢できずに、マスター石川さんや関西以外の皆様をおいてけぼりにした発言を放ってしまったのです。卑猥な奴! この変態め! ・・・なんか違いますがとにかく石川さんに対して実に無礼な発言であることは間違いありません。
にもかかわらず、ぴちぴちの女子でありながらフグリトークにもついてきた猛者Sちゃん、Mちゃんが「いいですね、後なら行きます!!」と反応してくれました。
前回参加してくださり圧倒的な実力を披露いただいた石川さん曰くセミプロの(とてもお洒落でかっこいいCDもリリースされている)Nヤンさんは行けるように調整します、とのこと。無礼をかましたというのに私は性懲りもなくまたテンションを上げました。
なんというか、濃度の高いファンによるたまのカラオケは普段カタギの連中と行く気を遣った選曲しか出来ないカラオケとまったく質が違うのです。

「ど」の付くカラオケバカの私からすると、あのパスカルズの齎す圧倒的多幸感にともすれば匹敵するほどの快感がディープなたま仲間との「たまカラ」にはあるのだ、とまで思っているのです。もうここまで来ると完全に狂人の域ですね。

舞い上がった私は「たまカラよろしくお願いします!」とチャットバーから退室、後になって「石川さんが天満橋で打ち上げなさったらそもそも中止・・・? ていうかもしかしてその打ち上げの予定をたった今私が破壊してしまった・・・?」と絶望、己の欲望をむき出しにしてまた人に迷惑を掛けてしまった、とひとしきり落ち込みましたが言ってしまったものはしょうがない、石川さんには失礼なことをしてしまいましたがひるね屋でたくさんオーダーすることで御赦しいただこうとこの際切り替えて、さらにたまカラの参加人数を増やそうと思いました。

しかし私はライブ新参者。おまけにラインもツィッターもしない偏屈なので、縁あってメールアドレスを頂戴したカラオケ好きのお姉さま方・でゅおめいぷるようこさんとハーブティーさんをお誘いしようと早速メール、有難いことに快いお返事を頂きました。

それにしても普段は引っ込み思案な私が誰かに対してこれほどまで積極的に催しへのお誘いを掛けたのは初めてのことでした。
私をそこまで駆り立てるほどに、前回のNヤンさん、ようこさん、そしてNTさんとの「たまカラ」が至福の体験だったのです。

さて当日、はじめてのひるね屋と2度目のたまカラへの期待にうきうきしつつ、私は大きなギターを抱えて電車に乗るのでした。「おバカ」のエピソード2へ続く。 (オポムチャン)

(寸評)いやいやチャットはチャットバーと名乗ってる通りバーだからマスターの俺と関係無い話しでも一向にかまわないよ。
もちろん俺がいない時でも自由に使ってもらって。
実際7、8年前は俺が居ようが居まいが夜中は数名の誰かしらが常に居て関係あることないこと喋ってたから。
また天使の後も翌日昼間からライブ&打ち上げだったので当初から行わない予定だった。
宿泊先に風呂が無かったことから銭湯に急いで行ったくらいだからねー。
なので今後もみんな自由にいつでも使ってくださいなー。 6ポイント。

初めての自虐キャラ

以前、友人と一緒に飲に行った時の事です。
初対面のサラリーマン風オジサン2人が話しかけて来ました。

「仕事は何してるの?」と訊かれ、ジョークのつもりで「ブサイクだから外で働けないので内職してます。」と言ってみました。
オジサン達はそれに乗っかり、調子に乗ってヤイノヤイノと酷い事を言ってきます。

自分から振ってはみたものの、だんだん切ない気分になって来ました。
それ以来、自虐ネタは2度としないと心に誓いました。(♪ごりぽん)

(寸評)そういうことってあるよねー。
あとちょっとした悪口ジョークでも一回二回は笑えるんだけどあんまりしつこく何度もされると突然むかっ腹たつことってあるよね。
なにごともほどほどが一番でヤンす! 5ポイント。

初めてのナンパ注意

そのオジサン2人に「店を変えて飲み直そう」と誘われました。

私は乗り気がしなかったのですが、友人が行きたいと言うのでついて行く事にしました。
次の店に入り、ボロクソ言われたことは置いといて飲んで楽しく過ごしました。
トイレに行きたくなったので席をはずしました。個室で用をたし終え、さて出ようかと思っているとドアの向こうのから男の人の声が聞こえて来ました。
「スゲーかわいいじゃん!!名前なんていうの?」…誰かナンパされてるわ〜。と軽い気持ちで個室を出て手を洗いに行きました。

するとそこには困った感じでうつむいてる友人と、さっきの声の主が「電話番号教えてよ」などと畳み掛けています。
私は友人を助けようと「なにしてんの、嫌がってるじゃん」といいました。さすがにナンパ男は気まずそうに去って行きました。

してやったり!!と満足感に浸っていると、なんと友人は「嫌じゃなかったのに」と言うではありませんか!!
あまりにも予想外だったので、びっくりして何も言えませんでした。
こういうのを“余計なお世話”というんでしょうか…。(♪ごりぽん)

(寸評)ありゃりゃ〜。そういうこともあるよね。
特に女性は一見嫌がっててもそうじゃないことも・・・複雑でオッサンとごりぽんには分かりません(笑)。 6ポイント。

初めての相殺

職場の仲間内で誕生日のプレゼントを交換するのが恒例となっていて、1月に誕生日を迎える人がいたので何にしようかと考えていました。
するとその本人がやって来て「誕生日プレゼントなんですけど、私はいらないのでごりぽんさんの分と相殺にしませんか?」と言われてしまいました。
え?!相殺?!??一瞬聞き違いかと思いましたが、確かに相殺と言っています。プレゼントの相殺って何ですかそれ!!と頭の中でツッコミ入れて、その言葉を受け入れました。

こんな事言われたの初めてです。(♪ごりぽん)

(寸評)多分無駄を省く人だったのかね。
もしくはごりぽんのセンスをまるで信じていない人・・・。 6ポイント。

初めての救急車同乗

先月のことです。資格試験を数日後に控え、遅くまで自分の部屋で勉強の毎日だったのですが、夜、家族の一人に「なんか胸が苦しい、119番して」と、突然呼ばれました。
急いで電話をかけましたが、症状の詳細は本人が伝え、15分ほどで救急車が到着。
僕も同乗者として、ストレッチャーの傍らに座りました。

乗ってから、口頭での質問やら、詳しい血圧測定やらでしばらくスタンバイし、行き先の病院が決まってから、出発。
20分頃で到着し、そのまま病院の内部に通されて検査が始まり、僕は入口で待機。

40分ほどで検査が終わりましたが、何も異常は見つからず。今までにも、何度か息苦しくなることがあったのですが、病院で緊急の検査をするたびに、全く「平常ですね」の返答だったのです。
2人でしっくりしないまま、会計カウンターへ行くと、相当の請求額。
そして、帰りはタクシーでしたが、夜の12時を回っていて、診察費も含めると、1万円近くに。

…今回はただの同乗者だったからいいものの、将来、自分が搬送されることになったら、懐が痛みそうだと、つくづく感じました。(Hi-)

(寸評)病院の受付バイトやっていたから分かるけど深夜は割り増し料金が凄いよ。
ちなみに当時で保険証持って来ないと初診料(見るだけ)で10800円だったな。
なので病気はなるべく昼間になりましょう(?)。 6ポイント。

 

初めての対自販機クレーム

ある晩、友達に会って来た帰り道、自宅の近所の自販機でミルクティーを買おうと、小銭を入れました。
しかし、点灯した飲料のボタンを押しても、ランプの点灯が消えただけで、製品が出てこないのです。
奥で詰まっているんじゃないかと思い、もう一度コインを入れて、ボタンを押しましたが、結果は同じ。
腹が立って、自販機の会社に抗議の電話を入れようとしましたが、もう夜で、自動音声のみだったので、携帯のカメラで自販機の番号を控えて、帰宅。

翌朝、改めて家電からかけて、オペレーターに詳細を説明。どの番号の自販機か、どこにあったのか、何円入れたのかなどを言いました。
数日後、入れた金額が現金書留で届きました。銀行振り込みでいいと言ったのですが、現金書留しか行っていないとの事。 封筒には、その際の被害金額と一緒に、お詫び状と、シャープペンシルが一本。

しかし、対応が事務的だった印象こそあったものの、こんな際にクレーマーと接するオペレーターも大変なんだなと、実感しました。
自販機でお金を入れたのに、商品が出てこないなんて、周囲の人で経験はあったものの、自分では初めてでした。
それだけに、抗議やクレームの付け方も結構考えて、なるべく紳士的にしたつもりでしたが。(Hi-)

(寸評)まぁオペレーターもプロで仕事だからね。
それでも相当なイチャモン付けて来る人もいるから神経がぶっとく無いと出来ない仕事かもね。 5ポイント。

初めてのリコーダー

あれは小学1年か2年の頃やったと思う。

向かいの家から聞こえてくる笛(いわゆるソプラノリコーダーというやつですな)。それを俺もやりたくてね。で、学校で先生に聞いたら、「あんたらが音楽で笛やるんは小三からやわ」と言われて。

そんなん待ちきれんわよ。それで帰って母親に言った。「音楽で使う笛、オカンもやったやろ。あれ買ってきて。小さんまで待てんわ!」

そしたら何日かして帰ったら笛ありました。早速ピーピー開始。

「オカンこれどうしたらドレミ出せるん?」と聞いたら、「左手の親指をその内側の穴。そこ押さえっぱなしにして外側の穴を左手の人差し指から順番に押さえて行ったら出ると思うで!」てな感じで、持ち方と実際どの穴まで教えてくれたよ、確か。

で、暫くしたら、「シラソファミレ」まで高音から順番に出せたよ。ところが、一番低い「ド」がこれなかなか出されへん、どうしてもピーピーなってしまう。

でそんな事してるうちにまあ何とか「ド」までは出せるようにはなった。

ところが、「シラソファミレド」の「シ」より上、つまりソプラノリコーダーの音域では、真ん中の「ド」から上はどうやっても出されへんかった。

これは学校の音楽の授業で教えてもらうしかないわ。

というわけで、初めてのソプラノリコーダーはその時点で終わったのだが、先生俺の欲求に根負けしたのか、小学2年からソプラノリコーダー始まったのであった。

余談だが、中学3年の時勿論一人でやってましたよ、さよなら人類の笛の部分。

そしてそのソプラノリコーダー、20何年ぶりに最近またピーピーやってます。小学生からずっと使い続けたソプラノリコーダーで! (西大路)

(寸評)これからは「西大路の笛吹き男」として名をあげるのじゃああ! 6ポイント。

初めてのプロの前座

  僕は趣味で、自作曲のウクレレ弾き語りをしています。
主にチケットノルマのない「ライブバー」と言われる形態のお店でライブをしています。
  歌い始めてかれこれ5年目、先日は初めてプロの人の前座として演奏しました。
会場は水戸の90eastというお店、「ギターパンダ」という、山川のりをさんの独りロックバンドのブッキングでした。
  前座は僕を含めた地元のアマチュア四名。
リハを終え、出番を待ちながら、僕は「歌で生計を立てている人から感想をもらってみたいなあ」とか、「叶うのならば気に入られたいなあ」とか、「そんなこと考えるのはかっこわるいなあ」とか、ぐるぐるぐるぐる考えて、とても緊張してしまいました。
プロの前だろうがなんだろうが知ったこっちゃねえ、俺ぁ俺の表現をするだけでいっ!
なんて思えたらいいんですが、僕の器はお猪口のウラ。
そう大きくは構えられません。

やがて開場時間が過ぎ、他の出演者の演奏が始まり、とうとう僕の番がやってきました。
  ステージに立って、マイクの位置を合わせます。
軽くサウンドチェックをして、お店の方にOKのサイン。
  BGMが止み、僕に照明が当たります。
お客さんがこちらを見ます。
そのとたんです。
気持ちがつむじからつま先まで真っ白になりました。
  それは、いつも通りの緊迫で、毎度おなじみの孤立無援でした。
  プロの方がどうの、とか考えてる余裕はありません。
今、お客さんが僕を見ています。
精一杯の僕を見せなくちゃいけない。
下手さも余裕の無さもいつも通りに、自分の歌を歌いました。
  MCではお客さんを笑わせることもできました。
自分の気が小さくて良かったなあ、と思います。  下手に欲をかくほど余裕を持てないから。
大切なのは、どれだけお客さんの気持ちに訴えられるか、ということなのですね。
  さてさて、メインのギターパンダさん、そのステージの凄かったこと!
プロは、プロでした。
へへーっ、と平伏す思いで聴いていました。
  ステージング、演奏、全てが工夫に満ちていて、楽しさで1時間があっという間に過ぎました。
  単純に客として聴くときとは違って、その「プロ」性というものへ恐れ入るようにして聴いていました。
  プロを目指したいとは思わないけれど、僕ももっと工夫をして、より良いライブをしたくなりました。

得るもののとても多い、プロの前座の初体験でした。 (イーダ検事)

(寸評)俺が初めてプロの前座をしたのは二十歳に成り立ての頃だったかな?
相手はその後一緒にCD作るなんて想像もしてなかった友部正人さん。
プロはそれで食ってるということだから次もまた来たいと思わせないといけないからね。
そうしないと食えなくなってお腹と背中がくっついちゃうからね。
傍目にはそう見せなくても内心毎回必死です(笑)。 8ポイント。

はじめてのリアル目覚ましTV

  私が大学3年生の夏。我が家では朝の番組は永らく関西色の濃ゆい「おはよう朝●です」だったのですが、その頃はなぜか「め〇ましテレビ」が主流になっていました。

  情報番組のわりになんだか空気が弛緩していて、アナウンサーさん同士が生放送でふざけてじゃれ合っているのを見せられているような感じがして私はあまり好きになれなかった記憶があります(あくまでも個人的な意見です。番組ファンの皆様ごめんなさい)。

  その日も朝から講義だった私は、おかんのこしらえてくれたなんかのっけトーストを齧りつつ、まだ寝ぼけまなこでぼけーっとその番組を眺めていました。
すると番組は若くて元気なアナウンサーのお姉さんの体当たりレポートー! 的なコーナーに入りました。  

なんと、5階の窓から簡単な避難器具で地上へ降りるというおっそろしいレポートを敢行する、というのです。  

おいおい大丈夫かいな、と器具の簡単っぽさに不信感を抱き、不穏な心地でおとん・おかんと3人で眺めていました。
そんな我々の心配とは裏腹に、お姉さんは笑顔で窓の外へ身体を乗り出しています。さすが踏んだ体当たりの場数が違います。肝が据わっています。  

不意に、笑顔のお姉さんが地上に向けて落下しました。  

ありゃ?  

落下しても、いいものなの?  

どさり。  

カメラが寄ります。
お姉さんは動きません。
スタジオでは「〇〇さん?」「〇〇さん・・・?」と呼びかける声。
お姉さんは動きません。
「一旦、コマーシャルです」

  えええええええええええええええええええええええええ!!!???  

「おいおいおいおい、ほんまに目ぇ覚めたわ!!!」
私は大声でそう叫んでいました。
「あんなちゃっちいのんで降りれるんか、と思てたら・・・ もうこの器具の会社はアカンな」
おとんも冷静なコメントながらも動揺を禁じ得ない様子です。
人が地上5階から自由落下してマットに叩きつけられる瞬間を生で見せられるなんて、衝撃映像もいいとこです。
これ、下手すると、人があちらの世界へ行く瞬間が朝から全国で流れることになりかけたわけですよね・・・?  

不幸中の幸いかお姉さんは命があり、長いリハビリの末復帰、退社後猛勉強を経て現在はそのテレビ局の顧問弁護士をなさっているとのこと。それにつけても・・・ 生にこだわりたいのは解らないでもないですが、盛り上がれば何でもやっていい、という安直な過刺激嗜好が高じてこんな事件が起こるのはもう見たくありません。視聴してもらうことでテレビ業界は利益を得るわけですから注目されることをやりたいのでしょうが、今の世の中行き過ぎたゼニカネ主義でいろんなことがおろそかにされてしまっていると感じます。  

人命、さえも。
悲しいですがこの手の事件は、またほとぼりが冷めた頃起こるのでしょう。  

しっかし番組タイトル通りホントに目が覚めましたよ。
ともあれ最後に、最近結婚されたらしいお姉さん、この事件の不幸を帳消しにするくらい、どうぞお幸せに!! (オポムチャン)

(寸評)これ俺も動画サイトで観た。
ほんとあと一歩で生放送で人が死ぬのを見せられるとこだった。
流石にシャレにならない。こう見えてグロは苦手だから。
命がかかわることだけは慎重の上にも慎重を期して欲しい。 7ポイント。

はじめての名無しさん

これを書いている日の午前11時すぎの事。
「Eメールアドレス変更のお知らせ」という題名のつけられたメールが着た。こんなメールなので勿論携帯に名前は出ない。
しかし、本文を読んでも名前はなし。携帯番号は書かれてはいたものの、電話帳検索で該当者なし。
  実は俺の携帯、今年4月に壊れて電話帳が全て消えてしまった。なのでその方のデータも消えて電話番号検索で名前が出なくなったのかもしれないが、
こんなメールは初めて。あんたいったい誰じゃ?新たな迷惑メールか?とりあえず保存だけして放置するぞ! (西大路) 

(寸評)俺の投稿でもよくクイズとか正解してるのに名無しさんがいる。
アドレスにヒントがある場合は何とかすることもあるが数字の羅列とかだともうお手上げっす。
なので「あれ、投稿王のポイントが足りないぞっ!」という人、ちゃんと全部名前を入れて投稿してるか再確認してねー。 6ポイント。

はじめてのここはどこ?

10月27日。この日は月曜の仕事休みを利用して、家の最寄りのバス停(西大路七条)から京都市バスで京阪七条駅へ。 

何年ぶりやこの駅来たん。地下の駅なのだが入り口忘れた。すぐ側うろうろしてたらおっちゃんが声かけてきてくれたため、階段はすぐわかったのだが。 

しかーし、下りてから改札までどんな道やったっけ?本当に忘れてるよ(泣) 

初体験はこの駅ではないよ。行き先よ、行き先。しかも、この日は下見よ、駅ホームから改札までの下見。 

実は、乗る時に事前に駅員に下車駅を言っておいたらその下車駅の駅員がホーム上で待っててくれてそこから改札までは連れて行ってくれるのだが、乗る電車の時間が迫ってたらそれはきついので事前に調べておく事に。 

そして何とか改札見つけてホームへ。入ってからホームはすぐわかる。そして、特急で40何分、初めて降りました、京阪天満橋駅。 

とりあえず見つけたエスカレーターで改札へ。一人の時は階段がええんやけどまあ良いわ。で改札でたのは良いのだが、俺でもわかるこの寂しさ。大阪市内にもこんな駅改札あるんや。 

で、駅員に改札名聞こうと思ってさがすのだが何処?駅員居らんのか。 

うろうろしてたらカップル風の二人組が声かけてきてくれたので、駅員さがしてと言ったらはいはい、無人改札でした。 

そして、インターホンで改札名と改札数を聞きました。俺が出たのは西改札か。 

で、声かけてきてくれた二人に礼を言って京都に戻ってきたのであった。 

さて、本番はこれを書いてる日の夕方。天満橋駅までは三人の方が迎えに行くよと事前に言ってくれてたため、そのうちの一人(親子)にお願いして向かいまーす! (西大路)

(寸評)本番は無事間に合って良かったねー。
確かに最近無人改札増えてるから困ることあるよねー。 6ポイント。

 

初めての自虐キャラ

  以前、友人と一緒に飲に行った時の事です。
初対面のサラリーマン風オジサン2人が話しかけて来ました。  

「仕事は何してるの?」と訊かれ、ジョークのつもりで「ブサイクだから外で働けないので内職してます。」と言ってみました。
オジサン達はそれに乗っかり、調子に乗ってヤイノヤイノと酷い事を言ってきます。  

自分から振ってはみたものの、だんだん切ない気分になって来ました。
それ以来、自虐ネタは2度としないと心に誓いました。(♪ごりぽん)

(寸評)ううっ・・・それは・・・。
俺も山下清ネタすると本当に知恵おくれだと思われるから気をつけよう。
まぁ本当に遅れているところもあるのだが・・・。 6ポイント。

   

初めてのナンパ注意

  そのオジサン2人に「店を変えて飲み直そう」と誘われました。

  私は乗り気がしなかったのですが、友人が行きたいと言うのでついて行く事にしました。
次の店に入り、ボロクソ言われたことは置いといて飲んで楽しく過ごしました。
トイレに行きたくなったので席をはずしました。個室で用をたし終え、さて出ようかと思っているとドアの向こうのから男の人の声が聞こえて来ました。
「スゲーかわいいじゃん!!名前なんていうの?」…誰かナンパされてるわ〜。と軽い気持ちで個室を出て手を洗いに行きました。

するとそこには困った感じでうつむいてる友人と、さっきの声の主が「電話番号教えてよ」などと畳み掛けています。 私は友人を助けようと「なにしてんの、嫌がってるじゃん」といいました。さすがにナンパ男は気まずそうに去って行きました。

してやったり!!と満足感に浸っていると、なんと友人は「嫌じゃなかったのに」と言うではありませんか!!
あまりにも予想外だったので、びっくりして何も言えませんでした。
こういうのを“余計なお世話”というんでしょうか…。(♪ごりぽん)

(寸評)ううっ・・・それは・・・。
俺は電話番号聞いたとしてもケータイが無い・・・。 6ポイント。

   

初めての相殺

  職場の仲間内で誕生日のプレゼントを交換するのが恒例となっていて、1月に誕生日を迎える人がいたので何にしようかと考えていました。
するとその本人がやって来て「誕生日プレゼントなんですけど、私はいらないのでごりぽんさんの分と相殺にしませんか?」と言われてしまいました。
え?!相殺?!??一瞬聞き違いかと思いましたが、確かに相殺と言っています。プレゼントの相殺って何ですかそれ!!と頭の中でツッコミ入れて、その言葉を受け入れました。

  こんな事言われたの初めてです。(♪ごりぽん)

(寸評)ううっ・・・それは・・・。
慣習儀礼の相殺ならした方がいいと思うが、それが無くなるとニヒル牛のような雑貨屋は困ります(笑)。
【CM投入】他に無い一点物のプレゼントは是非ニヒル牛にてお買い求めください〜! 6ポイント。

はじめての稲刈り

  大阪というのに最寄りのコンビニが1.5km先、という片田舎に住んでいるオポム家。周囲には工場と田んぼが混在した景色が広がっています。

  私が大学の頃、そんな田んぼのひとつの持ち主であるご近所のHさんから、稲刈りするのに人手が足りないから来てくれないかとオポム家に依頼が来ました。
幸いなことに我が家には男手がおとん+兄弟で5人も居ます。おかんも男並みの腕力を有しているので実質6人みたいなもんです。

  土手に近接したHさんの田んぼはなかなかの面積です。それを一日で刈り取ってしまうとのこと。マジでか?
・・・とはいえ、山中でもない平地の大阪の稲田。鎌で手刈りするのはごく一部で、コンバインという刈取りと脱穀をいっぺんにやってくれるかしこい乗り物に乗っかって刈ってゆくわけです。
ただまあ、コンバインのスピードはほぼ歩くのと同じ。1台しかないし、大きな田んぼを刈り取りきるには1日仕事です。我々は朝から現場に入り、その日の作業の手ほどきをうけました。

  コンバインが稲穂を刈り取るとタンクにお米が貯まってゆきます。レバーを引くとイセキ農機の専用袋にどさっとお米が降りてきます。袋がお米で満杯になるとレバーを押し込んでお米をまた貯め込み、パンパンの袋を田んぼから道路まで運ぶ。袋をまたセットしてタンクの刈り取ったお米を入れていく。それが主な仕事です。

  なにそれ、そんな簡単な作業でこれだけ人数要るの? と思われるかもしれませんがどうしてどうして、けっこう大変なのですよ。
まず作業は動くコンバインに合わせておこなうため基本的に歩きながらになります。スピードが速くないとはいえ慣れないうちは足がもつれたりしてしまいます。そしてお米がパンパンになった袋、これがまた重い!! はじめのうちは道路の周りから刈り始めるので運ぶのも楽ですが、外側から中心に向かってうずまき状に刈り取っていくのでだんだん道路から遠ざかってゆくのです。
また袋をヒィヒィ言いつつ運んでコンバインのもとへ戻ると替えの袋が無くなっていてあわてて倉庫へ走ったり、お米の落下口と袋の入り口がずれていてまるで入っておらず刈り取ったお米があらかた田んぼに落っこちて非常にもったいないことになったり、また道路に運んだお米の袋が溜まってくると手の空いた人間が軽トラックに乗って回収(とうぜん荷台まで上げるのがめっちゃ重い)、離れの乾燥機まで運んで随時投入していく、という作業も追加され、これはもう本格的な肉体労働です。そのうえ刈り取られた稲藁の粉が目や服の中に入り大変、藁そのものも靴の中に容赦なく入ってきます。加えて作業が行われるのは当然晴れた日、雨ではお米が湿気るしぬかるんで作業にならないからです。イコール、暑っついの。晴れた10月の上旬、大阪はまだ暑さの残る時期なのです。こりゃ多人数で交代でやらないと早々にへたばってしまいます。

  1時間お昼休憩をはさんで作業再開、コンバインから逃げるバッタやカエルを尻目に作業は続きます。
揺れる稲穂の海はようやく半分以上、短い刈り跡の残る土地に変わりました。おお、と感慨を深めつつ朝からと変わらぬ作業にいそしんでいると、コンバインに乗ってみないか、とのお声をいただきました。
いやいや、僕どんくさいから壊しますって! などと固辞するもHさんはニコニコしつつなかなか強引です。3歳下なのに年上に見える長男のKくんにサポートしてもらいながら、恐る恐る前進します。
ほぉぉ・・・ じゃんじゃん稲穂が刈り取られていくさまを正面から見据え、妙にテンションが上がります。しかも体力的に楽(笑)。流通しない身内で食べるお米なので多少は失敗しても大丈夫、とは言われますが手塩にかけた1年の実りを無駄にはしたくないでしょう、私も刈りそこないの無いように慎重にレバーを調節します。

  そのお米を大事にする姿勢がやはり垣間見えました。女声陣が刈られた稲藁の積もる地べたからコンバインで刈れなかった稲穂を丹念に見つけて拾い出し、脱穀していきます。やはり農家の方は穀物に対する尊び方が我々とは違います。ベタな感想ですが命をつくるものへの感謝を、我々はあらためて思い知ったのでした。

  長かった稲刈り作業を終え、最後は刈り跡地に火をつけます。こうすることで灰が土の養分になるそうです。ボーっとしてると周りを火と煙に囲まれ、危うく焼き討ちにされるところでした(笑)。無駄に男手の多いオポム家はたいそうHさん一家に感謝され、その後の良好なご近所づきあいに拍車をかけたのでした。

  後日出来上がったお米をわけていただきました。大阪の、工場近くのおそらく水質もベストとは言えないであろう環境ながらも育ったお米はそんなイメージをまるで感じさせないおいしいお米でした。う〜ん幸せ。

  今年も久々に行ってきましたが、あらためて命を支える仕事の尊さを感じました。今から新米の到着が楽しみです。 そういえばホルモン鉄道の相方・大谷氏も農家。石川さんは大谷さんのところから送ってもらえるんですかね(笑)? (オポムチャン)

(寸評)大谷からは何度か送ってもらったけどうまいー。
それにしてもやはり農業は大変そう。昔なんてコンバインも無かったんだもんねー。
そんな農家に感謝しながら今日もたらふく頂きまーす。僕のお腹はお米でいっぱいだよ! 7ポイント。

はじめての新御堂筋

  はじめに。「新御堂筋」とは、大阪市営地下鉄御堂筋線と平行に大阪北部を南北に走る国道423号線のことで、車線も多くほとんどが高架になっているさながら高速道路のような大道路なのです。もちろん国道なのでお金はとられませんが。交通量は西日本でもトップクラスのようです。

  そんなだれしもが法定速度を無視して爆走する大阪の大動脈に、ろくに高速道路にも乗ったことがない私が挑むことになりました。
なんでか。
妻の父が、大阪市内にある府立成人病センターに入・退院を繰り返すようになったからでした。  

2008年の8月に喉に違和感をおぼえた義父は、行きつけの医者からもっと大きな病院を紹介され、上記のセンターを訪れました。
妻と義弟が別室に呼ばれ、告げられた病名は肺がん、来年の1月でお別れだろう、と。  

ただ病院も何もしないわけにはいかないので、しかしもう手術しても間に合わないから放射線治療と抗がん剤を中心に頑張ってみよう、ということになりました。  

しばらくして、体力が落ちてきた義父は一人で市内まで電車で出向くのが辛くなってきたようでした。
しかし義弟は運転免許証がなく、妻もペーパードライバー。しかも市内に出るには前述の新御堂筋を通るのが一番早いのですがスピードが速くて運転経験の少ない者は尻込みしてしまいます。  

となると、妻よりもわずかに運転経験のある私がやるしかありません。
この状況で、尻込みなんてしてられなかったからです。

  複雑な大阪の道路事情。入り方を間違えたり、合流で本線の車に当たりそうになりながら、荒々しい運転者で溢れる新御堂におっかなびっくりしつつようやく乗っかりました。
結婚して5年、私の事は「なんやようわからん奴」という評価だった義父。しかしこの際私を頼るしかないので、この荒くれ者の走り場の進み方をレクチャーしてくれました。どの車も法定速度を40km/hは超えるスピードで走行する中、たいへんな危険と緊張を感じつつも、なんとか無事に送り届けることができました。  

時には妻も義弟も用事があって私一人が義父の送迎をする日もあり、そんな日はいろんな話をしてくれました。  

「営業するんやったらええ時計と靴は身に付けとけ。足許みられるからな。それが自己防衛、セルフディフェンスの術や」そういって安物買いの私に上等な時計とボールペンをプレゼントしてくれました。  

「運転中に低血糖で眩暈がしたのは参った。あわてて歩道に寄せて、自販機までふらふら歩いてコーラ買うた。あれは危なかった」糖尿も患っていた義父、おやつは味無しのユデアズキばかりだった、とのこと。この事件を機にブドウ糖を携帯したとも。  

「川沿いに倉庫があるやろ。あれがレンガ造りなんは、海が近いからや。レンガは潮風に強いからな」なんてな雑学も大好きな義父、妻と義弟はさんざん聞かされてきた話に食傷気味でしたが私にはどれも新鮮で、不慣れな運転中の緊張を少なからず解きほぐしてくれました。  

お医者が予告したリミットの1月まで、送迎は続きました。私の運転技術は日に日に向上、義父はその間目に見えて細っていきました。
もう喉が痛くて固形のものが食べられない義父が欲しがったのは森永の牛乳プリン(ふつう・いちご・コーヒー)。この際糖尿病には目をつぶります。
1月9日、そのプリンをたくさん積んで3人で成人病センターへ赴くと、もう痛いのは辛い、と次の日からモルヒネを入れてもらう、と義父から告げられました。
もうまともに会話が出来なくなるので、と私、義弟、妻の手を強く握り、「あとは頼んだぞ」と掠れた声で告げた義父。その力強さはもうすぐいなくなってしまうとは思えない、きついきつい握手でした。

  翌日からは、ほんとうに薬の影響でなにも話せなくなりました。昨日のうちに、もっとたくさんの事を伝えておけばよかった、と後悔しましたが後の祭りです。
そして下旬。職場に震えた声で妻から電話が掛かりました。私も上司に事情を話し、環状線に飛び乗りましたが、間に合いませんでした。
22年前に先立った義母と、ちょうど半年違いの日付での旅立ちでした。  

気丈に斎場まで行き一通りの手続きを済ませ、親戚と義弟と別れ、みんなの姿が見えなくなったところで初めて妻は「しんじゃった」とつぶやき、肩を震わせしずかに泣きました。
私は黙って寄り添い歩くしかできませんでした。

  義父は沢山の教訓を私に残してくれました。
自己防衛、タバコの害、がんにつけこんで法外な値段の怪しいキノコを宣伝してくる者・・・   

そして、運転技術。  

一家の柱として高速道路のひとつも走れんでどうする、と、いなくなる前に私に身をもって授けてくれたのだと思っています。
あの日のドキドキ初新御堂を経て、私は大幅に行動範囲を広げることができました。  

お義父さん、お彼岸に京都に会いに行くときも前は電車でしたが今は車です。ちょっとは上達、しましたよ。
「頼んだぞ」の言葉と固い固い握手、ずっと、忘れません。(オポムチャン)

(寸評)ええ話しやな・・・年取ると涙もろくなるんや・・・まったく泣いてはないけど。
俺は免許も持たないまま逝きそうや・・・。 10ポイント。

はじめての四重奏

お会いした事のある方はおわかりだと思うが、この雰囲気で不器用な俺の子供の頃の最大の苦痛だったと言っても良い事が、ピアノ。

単にポロポロと自由自在に自分勝手にやれるものならそれは楽しくできたと思うよ。しかし、週一回先生の所に通って、家ではいやな宿題を終わらせてヤレヤレと思ったら母親につきっきりでやらされる。

しかも、俺が行ってた所は夏の通常の発表会に加え、1月には書き初めならぬ弾き初め会というものが存在していたのだ。

貴重な自由時間、特に日曜日をこんなんでつぶされるなんて。そりゃこんな思いで上達なんかしないよ。

さてさて、それは小学5年の秋の事。

どういう会かは覚えてないというより聞いた記憶がないのだが、同じ曲をピアノ四台でやるという会に、なぜか俺が出ろと言われて行ったのだ。しかもそれは、同じ系列の別の先生の所で習っている人ばかりが集まってやるというものだ。

しかしそれは同じ曲をパート別に分かれて四人で演奏するのではなく、同じ曲を同じように四人で合わせて演奏するという実にしょうもないものだったのだ。

じゃあなぜ俺が選ばれたのか?そんなん知らん。

ただ一つ言える事は、俺が出たらある意味目立つからという事ではない。と言うのは、俺が通っていたピアノの先生所属のやり方というのが、障害者に特別何かするわけではなく、その人にあったやり方で教えて行くという感じだったのだ。曲目は決まってたけどね。

なので、視覚障害と知的障害の重複障害者が普通に居た所だったし、お母さんにベンツで送り迎えしてもらってるような女の子も居たのだ。

で、その四人で演奏とは言っても初めて集まる者ばかり。でもさすがに一回練習はあったよ。しかしそれは当日ではなく本番二週間前にね。しかし一人間違えたら目立つ目立つ。それがわかったので、当日は本番前からドキドキ。

しかし、始まってみたらあっという間に終わってしまったという感じだったわ。でも同じやるなら、同じ曲を担当パート別に分けてそれを四人でやりたかったよなあ。

そうそう、本当にピアノできないので。ピアニカかリコーダーは久しぶりに買ってみようかなあと思ってみたりみなかったり! (西大路)

(寸評)実は俺も唯一子供の頃習っていた楽器がピアノ。もう嫌で嫌で。友達にも隠してた。当時はピアノ習うなんて女の子みたいと思われていた時代だったし。
案の定嫌なものが続くはずもなく挫折した。
ただ今でもネコ踏んじゃったも弾けないけど即興でピアニカとかで遊ぶのは楽しい。イシマツなどでは結構やってる。
嫌々だったけど、今の俺のさり気ない基礎になってるところもあるんだなーと感謝。
西大路も是非何かはじめてみなよ。そしてセッションでもいつかやろうよ! 7ポイント。

はじめての混浴(むろん、おかんを除く)

なんかここへの投稿がエロ方面に傾倒してて申し訳ありません。でもまあ今回は幼い話です、ご容赦ください。

小学校3年生の頃。私はいつも夏休みになると母親と兄弟4人で九州は天草の母方の田舎に遊びに行っていたのですが、その年は近所で仲良くしているO谷さんの2人姉妹もおかんが引き受け、総勢7人の大所帯で伊丹から熊本へ飛びました。
ボーイッシュで何処へ行っても男の子と間違われるお姉ちゃんのユキちゃん(仮名)は兄貴と同じ5年生、ぽちゃっとした妹のサヨちゃん(これまた仮名)は1年生でした。私はちょうどその真ん中の歳だったわけですね。

毎年帰っている天草の自然あふれるなじみの光景に、いつもと違うメンバーが居るだけでなんだかおもしろく、毎日を海水浴・虫取りなどに費やし楽しく過ごしました。

そんなよく汗をかいた宵。6人もいる子供をお風呂に入れないといけないのでおかんは大変です。
そこでまだ2歳の末弟はばあちゃんが入れるとして、残りの子供はまとめて私が入れっとよ、と、おかんはのたまいました。

はうい?
感嘆詞が変になるほど感嘆しました。

いやいやいやだって女の子と一緒ってそんなん恥ずかしいやんかいややいやや、などの抵抗も空しく、私・弟(5歳)・ユキちゃん・サヨちゃん・おかんの5人でまとめて入浴することと相成りました。まだ私にはなじみの女の子たちにエロス的興奮を感じるような感受性はなく、ただただ性別の違う同じような歳の子と裸どうしで同じ空間に居る、という事態が恥ずかしくて仕方なかったのです。ただ先述のそういう感受性をすでに備えていたであろう兄貴は「まとめて入浴」のメンバーから排除されました(笑)。

さて入浴です。だばだばと駄々を捏ね続けているのは私だけ。お姉さんのユキちゃんはボーイッシュな外観も相まって堂々としたものです。石鹸で身体を清め、浴槽にみんな入っていきますが・・・ 私はそれでも恥ずかしくって同じ浴槽に入ることを拒み続けます。
結局赤ちゃん用のたらいがまだ風呂場にあったため、私と弟は浅く狭いたらいの中で入浴することにしたのです。
それにしてもなんで、おかんはこれほどまでにユキちゃん達と同じ浴槽に我々兄弟を入れたがるのか・・・ とたらいに足を踏み入れたその時です。

女の子チームがさんざめく浴槽の底でゆらめく景色に、見慣れないものがありました。
体育座り風のユキちゃんの両足の付け根に、ほの赤い、なにかが存在したのです。
???
あんまりそちらへ視線を向けることも出来ないのですぐに目を逸らしましたが、私のちっぽけな脳味噌は瞬く間に疑問符で満たされました。
しばらくしてから意を決してもう一度水底に目をやると、なんと驚くことにサヨちゃんの同じ場所にも同じ存在が見受けられたのです!!

ほあぁ・・・ 私はそれまでは、女の子には男のような物体が付いていない、とだけ聞いてきたので、その場所は何もない、ただただつるんとした肌色で平らな部分で、小さな排泄口のようなものがその時だけ現れる、くらいの認識でいたのでした。
しかし違いました。今になればだいたい察しはつきますが、当時はなぜそんな色の部位があるのか、また歪んだお湯の中の景色ゆえにそれが立体なのか平面なのかもわかりません。

繊細な(?)私は無邪気に「なんかある!!!」などと声を上げるような子ではなく、ひとり女体の神秘について思いを巡らせ呻吟し続けました。まぁ、答えが出るのは当面先の事でしたが(笑)。その時はエレクトこそしませんでしたが、思えばこの経験が私の本格的な性の目覚めのはじまり、だったのかもしれません。

にしてもおかんもデリケートな時期に私を混浴させたものです。まだまだ子供、とタカを括っていたのか、それともなにか別の性的な意図があったのか・・・ いや単にめんどくさかっただけでしょう(笑)。そして浴槽にいっしょくたに入っていれば、逆に近すぎてそのものを私は発見できなかったでしょう。

こんな事まで憶えている自分が今更ながら気持ち悪いですが、まぁいつもの事、ということで(笑)。こども混浴のお話でした。(オポムチャン)

(寸評)俺は大人になってからも何度か混浴の温泉に行ってるが、真っ暗で灯りもない野趣溢るる場所だったり湯気がもうもうと激しくあがっていてほとんど見えなかったり・・・。
そんな中、一度だけクッキリ見たことがあるよ。北海道の温泉で。
その時はうちの夫婦と柳ちゃん夫婦の二人で来ていたので・・・柳ちゃんの奥さんの生尻を俺は見た! 7ポイント。

はじめてのリアル雨男体験

中学3年のころ。限りなく兵庫県に近い、伊丹空港の飛行機が頭上すれすれで飛来する大阪の片隅に住まいたるオポム家。
そんな環境が故に、ちょっと何かを買いに出掛けるのも不便していました。最寄りのコンビニさえ1.5km先、CDレンタル店に至っては4km走らねばなりません。もはや都会のイメージの大阪では、完全にないですね。

まだバイクには乗れないし、一番の交通手段はもちろん自転車です。ある日私は曇天模様の空の下、嘉門達夫のCDをレンタル店に返却せん、と自転車をにまたがり、颯爽と長い道程をこぎだしました。

するとどうでしょう、1km程度こぎ進んだ、戻るにも絶妙に勿体無い地点で、ぽつらぽつらと降雨が始まったではありませんか。

くわぁ、難儀やな。でも戻って傘を取りに帰ったらたかだかCDを返しに行くだけの無為な旅路に何分の時間を割かねばならんのだろう。ええいここは一丁水も滴るいいオポム、男らしく濡れてこましたろ。

私はカゴに入れていたCDを水に濡れぬよう袂におさめ、にわかに強まりだした雨脚を気にしつつペダルの回転数を上げました。

道程の半分もいかないうちに、雨は土砂降りになりました。
もちろん傘はありません。その上、行程には雨宿りできそうな場所すら見当たりません。だが出発の段階では1滴も降っていなかったことから考えても、これは通り雨でしょう。
そうタカを括った私は、とにかくレンタル店まで急ごう、とざんざ降りの中さらにスピードを増しました。危険な中坊です。

雨脚はどういうわけか容赦というものを知らずに育ったわんぱく者らしく、まるで通り過ぎる気配を見せず私のぽっちゃりボディをがんがん蹴りつけてきます。
おっかしいなあ、こういう突然降る雨は大概通り雨ですぐ止む、っておかんに教えてもらったのになぁ。どうも話が違うなぁ、と思いつつ漸くレンタル店に辿り着いた時にはもう全身ずっべずべ、見るも無残な濡れ鼠。いい男とはほど遠い無気味な風体に成り下がっていました。

借り物のCDは表面のプラケースこそ濡れてしまいましたが、中身は無事でした。
いましがた焼きそばUFOを食った気配が濃厚なレジのおっさんに代金を支払い、私は店の軒先でこの豪雨が通り過ぎるのをただじっと待ちました。

待つこと30分。
堪え性のない私に我慢の限界が訪れました。

全然止まんやんけーーーーーーー!!!!

この雨のぼけは本格派のごんたくれで、断りもなくいきなり降ってきてまるでその攻撃の手を緩めようとしやがらないのです。これでは傘を取りに帰ったほうが時間のロスが少なかったことになります。溢れる屈辱。

私は敗北感いっぱいで、降り頻る雨のなか傘もなく自転車をこぎだしました。

帰路の間も絶え間なく私を打ち据える雨、雨、そして雨。ここまで来ればなんか恨みでもあんのんか、というレベルです。
すると。やっとこさ残り500mを切った時点で、ふと空に明るみが射しました。そして自宅の前に私が自転車を止めた途端、見事に、という表現がぴったりな位に、あれほど私を陵辱した雨はぴたり、と止み、空は玄関を出た時と同じ顔の曇天模様に戻りました。

OOOOOOHHHHHH!!!!! アイム・ザ・リィィィィアル・レインメァァァァァァアン!!!!!!

私が外出した間だけ、めっちゃ、雨。
忘れられないどんぴしゃ雨降られ体験でした。店のおっさんのUFOの臭いが、未だ切なく湿った記憶と共に鼻腔の奥に残っています・・・。ホマホマホォォ。 (オポムチャン)

(寸評)俺もたいていそんな感じっす。
特に雨男では無いが雨に限らずタイミングが悪いんす。
わざわざ目指して行ったお店はたいてい「本日臨時休業」です・・・。 6ポイント。

はじめての「カブト合わせ」動画閲覧

  ネタが無いのでこないだのかおるちゃんの続編的お話です。  

過日大阪は服部緑地のライヴイベント・レインボーヒルでもお逢いしたニヒル牛作家のかわいこちゃんから勧めていただいた、女装男子? 男の娘? のセクシャル女優(??)さん、かおるちゃん。その倒錯した世界に、私は激しく脳味噌の新しい領域を揺さぶられ刺激され、すっかりソチラ系動画の閲覧にハマってしまったのでした。  

なんのこっちゃわからん方にご案内を申し上げると、要はふつうの兄ちゃんと普通でない兄ちゃんのカラミの映像を見て興奮する性癖をゲットしたわけですね。とんだ変態37歳おっさんですね。えぇ、どうぞそんな目で私を見てください。慣れたものです。グスン。
まぁその普通でない兄ちゃんの方が声も顔も肌の質感もほぼほぼ女の子、なかなかの美形でおまけに陰茎がやたらと立派というトンデモ生命体。そんな生命体がこの世にはけっこうな数で生息しておったのです。いやしかしいったい全体どういうことなのでしょうなんでそんな存在がこの世におわすのでしょう、声は訓練すれば女の子っぽい出し方も可能でしょうが、骨格やら筋肉やらは誤魔化しようがないものだと思っていました。なのに私が大雑把なのか、細かいところを見ればアラは見つかるかもしれませんがパッと見、女の子with陰茎なのですよ。はい。恐らく皆様が想像するニューハーフ、というものとは一線を画する方々が今の世には溢れているのです。えらい世の中になったものです。  

そんな動画を漁っていると、動画のウィンドウ脇の説明書きにちょくちょく「カブト合わせ」なる単語が出てきます。 はん? 
カブト。合わせる。一体何を指し示すことなのか見当が付きません。
私はかおるちゃん以外のべっぴんさん(陰茎付)の露骨動画をクリックし、謎の単語「カブト合わせ」の正体を探るべくパソコンの画面を凝視し続けました。すると。  

はぁ・・・。そうか。そういう事か。
お互いの、ピンピンの、タートルのヘッドを、(ローションなどを介して)擦り合わせ、同時に快楽を得る、っちゅう行為だったわけですね。なるほどご立派に露出したそれは兜の形に似ていなくもありません。お互いのカブトとカブトを合わせるから、「カブト合わせ」。ほっほう・・・・・・ 一般的なおっさんとやれ、って言われてもゲロ吐いて逃げ出したくなるでしょうが、この美形の棒付きおねえさんがやってるのを見ると・・・・・・・・・ き、気持ちよさそう、と思ってしまうのです。  

新しい単語の知識を得た私、この歳にして開けてはいけない扉を開いてしまった気がしないでもないですが、興奮の対象が増えることは幸せなことだ、と納得しようと思います。念のためお断りしておきますが私はふつうの男性を性的な目で見ることはまったくできません。女房子供もいる、女の子のお尻と太ももが大好きなおっさんです。守備範囲の広いすこやかな変態、とカテゴリ下されば幸いです(誰に対して弁解しとるんだ、とどのつまり変態)。ははは、もうこれで誰もライヴで私に声を掛けてくる方は居なくなるだろう(泣)。 (オポムチャン)

(寸評)奥さんに陰茎を付けてくれるよう頼んだらどうだ?
変態の妻なら意外と了承してくれるかもしれんぞ!
そしてカブト合わせの日々で家庭も円満!
朝もカブト昼もカブト夜もカブトでチャンチャンチャン♪ 万事ハッピー、めでたし、めでたし。 7ポイント。

 

初めての土鍋ご飯

  実家の庭にですね、ムカゴが実っていたのです。僕はそいつを使ってムカゴご飯を作ってみようと思ったのですよ。 

ムカゴというのは山芋のツルにできる豆粒大のコブで、ジャガイモのミニチュアみたいな食材です。 

これをお米と一緒に炊きますと、香ばしいムカゴご飯ができるのです。 

思い立ったが吉日、さっそく作ろうと台所に向かいました。すると炊飯器は、もう夕飯の為の炊飯を始めていました。 

炊飯器が使えない。どうしよう。 

…そうだ、土鍋があるぞ。 

「炊飯器がなければ土鍋を使うがいいや」と脳内のマリーさんも宣っている。
ここはひとつ、土鍋で炊飯してみよう! 

僕は料理本を紐解きつつ、なんだかイタズラでもするみたいにドキドキしながら炊飯しました。 


〜土鍋によるムカゴご飯の炊き方〜 

まず、米を水に二時間ほど浸します。 

浸している間にムカゴを塩ゆでして、あくを抜いておきます。 

二時間たったら、浸した米とその1.2倍くらいの量の水、ひとつまみの塩、乾燥昆布ひとかけらを土鍋に入れて蓋をして、弱火から中火くらいのかけます。
沸騰するまでに約10分かかるくらいの火加減が望ましいそうです。 

沸騰したら火を弱めて、ムカゴ、しょう油適宜を加えます。
水がグツグツ言わなくなって、しょう油と米の焦げる香りがしてきたら火を止め、10分ほど蓋を閉めたまま蒸らしたら完成です。 

…蒸らしを終えて蓋を開けると、香ばしい湯気が立ち上りました。
  炊飯器で炊いたときより、心なしか好い香りでした。金属臭さがなく優しい香りがしました。 

味も素晴らしくおいしかったです。雑味がなく米とムカゴの旨味・香りがよく引き出されていて、土鍋で炊くだけでこうも違うのか…!と感動させられました。 

以来、僕はこれに味を占めて、ずっと土鍋炊飯を続けています。 

歴史的には原点回帰ですね。(イーダ検事)

(寸評)ムカゴと聞くとどうしてもムカデを思い出してしまい、ムカデがいろんなところからヒョイヒョイと顔を出しているご飯を想像してしまふ。怖いよー。怖いよー。怖いよー。
土鍋飯きっと旨いね! 6ポイント。

初めての初めて

    僕が大学1年生の夏、19になる目前でした。
付き合っていた高校3年生の彼女と、夏休みに泊りがけで旅行する計画を立てました。
そんな受験を控えた身で相手の親が許すかって?
許すわけありません。
だから、イベントの偽装をしました。
某湖のほとりの国民宿舎に、部活のみんなとちょっとした息抜きも兼ねた勉強合宿に行く、という体裁を繕ったのです。
もちろん、部活のみんなにはうまいこと口裏を合わさせて。
僕は彼女の親にも言い訳が立つように、ワープロで「勉強合宿のしおり」まで偽装し、それっぽいタイムスケジュールも組みました。
なかなかの出来でした。
人間、すけべな事がからむと本気度が上がるものです。
旅行の目的はもちろんお互い一致していました。
この夏、さくらんぼを湖に捨ててくる、ということです
。 2泊3日の宿泊代はアルバイトで稼ぎました。
前金を現金書留を送るなんて初めてで、近くの郵便局で四苦八苦しました。
ともあれいよいよ当日。
JRの駅で待ち合わせ、朝からお互い緊張しています。
大きな駅で高校時代のクラスメート(女子)に出くわし、ニヤニヤされました。
ああもう、彼女の機嫌が悪くなる。
黙りがちで電車で移動、ふたつ隣の県へ進みます。
緑濃い湖畔。
胸が躍ります。
でも湖にはいっさい入らない予定です。
はいってやるもんか。
駅へ着くと宿舎に電話、車で迎えに来てもらいます。
浴衣の大小と食事券をもらい、部屋に入ります。
お楽しみは夜、入浴後にとっておきます。
それまでギターを弾いたり、じゃれ合ったりして夜を待ちました。
ところが。
彼女が、ここに来て「始まっちゃった」と泣きだします。
「大丈夫」と抱きしめ、なだめて晩御飯を食べました。
お風呂から上がると、彼女が「大丈夫かも」と言います。
なぜか、おさまったようなのです。
確かに始まってたかんじだったのに。
不思議なこともあるものです。
いよいよ初めてです。
お互いに下着の上から体のいろんな場所をこすり合わせ、気分を高めようとします。
裸になります。
健全にかぶせものも用意しました。
でも、駄目です。
目の前にあんなにいやらしいものがあるのに。
普段なら準備万端なのに、今夜に限ってしおれてしまいます。
悔しくて泣きそうになりました。
慰められ、抱き合って眠りました。
真夜中。
寝起きのせいなのか、勢いが甦ってきました。
彼女を揺すって、促しました。
応じてくれました。
充分に、潤いを与えます。
慎重に歩を進めます。
あ。
痛みに耐える彼女。
しばらく、そのままでいました。
痛みが和らいできた、と彼女。
じっくり、じっくり動きます。
我慢するような呻きが、いつしか甘い響きをたたえはじめました。
ああ。
あああ。
お互い幸せなよろこびに満たされ、くちづけを何度も交わしました。
僕らのさくらんぼは無事、夏の湖へ沈んでいきました。
こんなにしあわせな初めてが迎えられたなんて。
生涯忘れることはないでしょう。
結局、一度も湖へ出掛けることなく部屋にこもりっきりでした。
外出のために鍵を預けに来ることがいっさいないので、受付の人もいぶかしげでした。
汚した浴衣をその受付で替えてもらうのは恥ずかしかったです。
3日目の朝9時のチェックアウトぎりぎりまで、抱き合っていました。
幸せでした。
残念だけど次の夏にはもう、喧嘩してさよならしちゃったあの娘。
変わるのは、しょうがない。
でも。
ありがとう。
僕は幸せに暮らしています。
きっともう逢えないけど、どうかきみも幸せな今を過ごしていますように。(こっくん)

(寸評)どんなオチがあるのかにゃーーーっ? と思ったらマジのやつやんけー!(笑)
いやあ、やっぱり初めてって多少最初はうまくいかなくてもいいもんだよね。
ちなみにその湖に今度行ってご覧。
年老いてヨボヨボになった彼女がちょっとハニカミながらまだずっとそこに立っていて君を見つめてくれるから・・・。 8ポイント。

初めての「生きたいか死にたいかどっちや」

あれは小学6年の夏。 

当時所属していた、ボーイスカウト京都69団のキャンプに出席していた時の事だ。 

二泊三日のキャンプの三日目の朝、俺はリーダーの話し声と、土を掘る音で目覚めたのだ。 

「おはようございます!何やってはるんですか?何かありましたか?」 

「おはようさん!テントの上のこの音、さっきから雨降ってるんや。その音や。このまま放置しといたらおまえらのテント浸水するから、土掘ってそこへ水が流れるようにしてるからな。端のおまえ狭いやろうけど我慢せえよ!」 

「そうなんですか。ありがとうございます。でもまだ朝ですのに、昨日の夕立のような雨ですねえ!」 

「いやこれ昨日よりきついで。このまま降り続いたらやばいよ!」 

そんな会話をしつつ起き上がった俺。ところがそんな時に始まってしまった。腹痛だ。 

そんな風に見えないとよく言われるのだが、俺が何処かに宿泊つきで行くとなったときに付き物なのが、便秘と下痢の繰り返しと、持病のアトピー性皮膚炎の悪化だ。 

10年ちょっと前、友達何人かと温泉旅行に行った時、一日目の夜に友達の治療をしたのに、二日目の朝に俺自身がトイレから20分出られなかった事があったり、 

2カップル4人でディズニーランドに行った時は飲み過ぎも重なって、二日目は何一つ食べられず、何一つできずと言った事も。 

さすがに今は以前よりはましにはなったものの、「それほんまに何とかせえへんかったら行きたい所に行かれへんからもったいないで」と、これ書いてる前の日に友達に懇々と怒られたりと。 

「もったいないというのはわかってるよ。俺を外に出したいというのも、いろんな人と喋らせたいというのも。さすが、俺のあの金槌での傷から立ち直ってくれた人や。ありがとう。いや本当に感謝してるよ!」 

で、話を戻そう。 

俺が寝ていたテントは、そのリーダーたちのご協力により浸水はしなかったのだが、俺の腹痛は悪化するばかり。そして、 

「ピシャーンがらがらがらがらー」 

落ちはしなかったものの、真上で鳴り響く雷は本当に恐ろしいよ。 

でもそんな中俺はついにリーダーに言ってしまった。 

「すいません!トイレ連れて行ってもらっても良いですか?」 

「おまえ、生きたいか死にたいかどっちや?」 

「生きたいです」 

「それやったら我慢せえ。今外に出たら間違いなく打たれるから!」 

「わかりました。我慢します!」 

そんな会話からやく1時間、俺は脂汗を流しながらの我慢が続いたのであった! (西大路)

(寸評)ウンは天にまかせというように、もし行ってたら天がウンコを吸い取ってくれたかも。
神いらず!いや間違い。紙いらず! 6ポイント。

初めての全くエンジン音聞こえなかった

これはまだ最近の話。 

俺の家から最寄りのJR西大路駅までの途中に、ガソリンスタンドがある。 

その日は友人から俺の携帯に電話があると予想できていたため、胸ポケットにマナーモードを解除した携帯をつっこんでいたのだ。 

で、スタンド手前で電話のベル。ここで喋っても大丈夫と思って電話に出たのだが、左耳で電話の声を聴く俺。しかし、片側2車線の車道もこれまた左側。完全に集中力が左耳に行ってました。 

で、右側のガソリンスタンドすぐ手前と思っていたのだが、実はちょっとだけ出口にかかっていたようだ。用件を聞いて電話を切ったら俺のすぐ前に、スタンドから出てきた車が居たのだ。 

いやーあれはびびったね。全くエンジン音聞こえなかったね。 

普段、単独歩行中に携帯を取る事はしないのだが、その日は急ぎの用事だったのでやってしまったのだ。 

やはり不器用に反抗したらあきまへん。しかもその友人とは電話の後に合流予定が。 

あの時轢かれたらどないなっていた事か。あかんあかん! (西大路)

  (寸評)最近の車って昔に比べるとすごい静かだよね。
一見いいことのように思えるがこういうこともある。
俺も時々歩いていてすぐ横に車が近づいていてドキッとすることあるもんねー。
誰かは忘れたがとある偉人が言っていた「不便の方が便利よりだいぶいい」という言葉は真実なのかも・・・。 6ポイント。

初めてのステロイド剤

あれは19歳になる年の5月上旬の事。 

俺の場合、右の肩と肘の間らへんから、それまでなかった皮膚炎と汁のジワジワとした出だし。 

実はこの半月前ぐらい、「アトピーにステロイド剤は最悪やてラジオで言ってたよ。あんたも止めてみるか?」と言う、母親からの言葉。 

「あー止めたろか。どうせ効けへんのやったら!」 

「でも何も先生から聞けへんまま止めたらどうなるやわからんけどな!」 

「あーこれで死んだらそれはその時や。止めたるわ!」 

俺の場合、生後すぐにアトピー性皮膚炎を発症。 

まあいろんな病院に通いましたよ。でも何や言うても、ステロイド剤の服用、ステロイド剤注射(注射は嫌いやけど)、それに患部へのステロイド剤の塗り込み。 

これほど気持ち良い事はないと、医師に言われるままやっていたんだわ。ほんまに気持ち良かった。 

ところが上に書いた、それまでなかった皮膚炎の傷口を手で触ってその臭いをかぐとね、「何この薬品!」 

その症状が出だした時はまだステロイド剤止めてなかったんだわ。でもね、 

俺の居た部屋から一回出て次に戻ってくるとね、めっちゃ臭い充満してるんです、理科室のような臭い。 

「え、俺ここで何も薬品使ってへんよ!」 

その日以来、アトピーでの病院通いは止めたのであった。そしてその日から、家から全く出られないような日々の始まり。 

ここからは皆様にお願いです。 

実際にステロイド剤を使ってアトピーを完治されてる方は多いと聞きます。また完治までは行かないものの、症状をしっかり管理されてる方は居られます。 

この体験はあくまでも僕の話です。 

無闇に薬を止めたり、それまで通われていた病院を止めるという事は、ぜったいにしないで下さい。 

もし現在服用中の薬を止めたいという方は、担当の医師に相談された上で御自身でしっかり判断して下さい。 

お願いします! (西大路)

(寸評)薬って基本的に人体の何かを変えるということだから、薬ってある方向から見ればいいことだけどある方向から見れば毒なんだよね。
それが分かった状態でもメリットが多いなら使った方がいい、ぐらいに考えた方がいいかもね。
アトピーに限らずね。 6ポイント。

初めてのニュース

10年ほど前になりますが部屋を探している時、不動産屋さんが紹介してくれたのが一軒家の2階でした。
  条件は良かったのですが、隣が印刷屋さんだったので「匂いが漏れて来ると嫌だから」と言って断りました。
「最近は仕事しているのかもわからない感じなんですけどねぇ」と不動産屋さんは言うのですが、もしもの事を考えて借りるのをやめにしました。

確かに木の板に墨で「〇〇印刷」と書かれた看板がポツンと掛けてあるコンクリート2階建てビルは、薄暗い階段が見えるだけのひっそりとした雰囲気の印刷所でした。

そうこうするうち、住む所も決まり2、3年が過ぎたある日の事です。
  何気なくニュースを見ていると、私が住んでいる町の名をアナウンサーが読み上げているではありませんか!!
  慌てて見入ると、「偽札」という言葉が聞こえ、画面にはあの看板が掛かったあのビルが映っています!!
あのひっそりとしたビル内で、ひっそりと偽札を印刷していたとは!!
そういえば何だかどんよりとした空気に包まれてたなぁ…。  (♪ごりぽん)

(寸評)もしかしたらごりぽんが秘密を暴いて偽札を大量に手に入れることが出来たかも!?
犯罪は、意外なところでも起きている。
俺も時々、立ち小便。 6ポイント。

 

はじめての遅刻厳禁

午後3時50分、JR京都駅集合。

ところがこの日の合流メンバー、本当に遅刻許されないんですよ。いやこれ本当に。

実は家出る前めっちゃ眠たくてね。前の日の夜あまり寝られなくてね。

いやーもうこわいこわい。

で、京都駅集合にしていただいたのは、僕がわかりやすいというのもあったけど、東海道線(JR琵琶湖線)がこれよく止まるんだわ。

で、京都駅集合にしたらね、地下鉄と京阪を使うという迂回ルートが全員でとれるので、

後で混乱を避けるという意味がありました。

幸いにも電車は通常道理動いていたので問題はなかったです。

その京都出発の電車に乗る前、つまり合流直前、僕は改札外側で待ってたのですが、中心メンバーの声はやはりすごい。改札出てこられる前に僕の耳にその声はしっかり入りました。

いやーもうその時点で気抜けましたよ。

そしてそこから夜まで、いろんな方にお世話になりました。

ありがとうございますm(_ _)m

これに関連した投稿がオポチャンからあるかもです。

あら、ここまで書いたら、いや、書く前に誰と合流していただいたかわかってしまいますね(笑) (西大路)

(寸評)ふははっ、その後の顛末はこの次の投稿で読んでいただきましょう〜。 6ポイント。

はじめての京都東I.C

先日の2014.9.23の信楽の石川さんソロライブ。家からいささか遠い信楽へ赴くにあたって、いささか懸念していることがありました。

ひとつは駐車場。高速道路で片道2,000円ちょいかかるところへさしてパーキング料金もかかるとなれば貧乏平社員の私には大打撃です。
もう一つの懸念、それは慣れない京都市内を車で走るであろうということ。

なぜ大阪府は豊中市在住の私が? というと、チャットや投稿(「王様の耳は〜」)、ツィッターを分析した結果、私の良き投稿ライバルの京都市在住・西大路さんがお越しになるという情報を得たからです。
情報によると石川さん・“スタッフ”なおさんとともにJR石山駅で待ち合わせして会場へお越しになるということ、また石川さん達はお店の方のお家に泊まられるとのこと。じゃぁ帰りは? ということです。
となるとおそらくなおさんは、流れからして私に「オポちゃん、西大路さん(実際は本名で〇〇ちゃんと呼ばれます)を送ってあげられない?」と依頼されるでしょう。

果たして運転に大して自信もなく、ナビなし古代車に乗っている私にお送り役が務まるのか? と不安を抱いていたわけなのです。

さて信楽行き、車をぶっ飛ばして1時間ちょっとで到着したのには自分でもビックリでした。
そしてさらにビックリしたのは、信楽駅前にだだっ広いフリーの駐車場があったこと。料金を取るような気配は一切ありません。こんなの大阪ではまずありえないことで、そんな馬鹿な筈は、と何度も料金案内を探しました。おあつらえに便所まで備わっているという仏っぷり。信楽、愛してるぜ。

そしてライブ会場へ、すでに石川さんご一行は到着されていました。
もうひとつの懸念を確認しておこうと、西大路さんに尋ねてみます。
オポ「今日はお帰りはどうされるんですか?」
西大路さん「ああ、お店の方が送ってくださるみたいです」
あ、これはきっと車で来てる私にお役が回って来るな。やったことないから怖いけど。

オシャレ信楽ィアンの皆さんで溢れかえった楽しいライブは盛況のうち終演、なおさんは私の想像通りのお言葉を述べられました。ナビもないし運転もへたくそだし、無事にお届けできるか・・・ と私なんかでいいの? 的ニュアンスを出してみましたがお店の方も助かるだろうし、自信はないですが引き受けます、と重要任務を開始しました。この際腹を括るか。

車をお店の前まで持ってくる前に、未だ信じがたい無料の駐車場で関西市街地図を閲し、京都市内のI.CからJR西大路駅までのルートを確認しました。おっ、意外と高速道路から近いみたい。なんとか頑張れそうだ。

石川さんとなおさんに見送られ、助手席に西大路さんを乗せて22時に電燈の少ない信楽の道を出発です。
状況をつぶさに知っていただこうと、実況しつつ運転します。
オポ「う〜ん真っ暗ですね」
西大路さん「これが信楽の暗さですわ」
おお・・・ 助手席スキルの高い西大路さん、すべて把握していらっしゃる感じが頼もしい。
西大路さん「オコムチャンさん(私のある投稿が由来で、西大路さんはこう呼ばれます)、さっき京都南I.Cで降りるて言うてはったけど、たぶん京都東で降りた方が帰りが楽ですよ。ナビしますから」
オポ「ほんまですか。では不肖オポムチャン、務めさせていただきます」
京都南I.Cは嫁の両親のお墓があるため、年に2回は降りるインターで多少は勝手がわかります。しかし京都東は未経験、知らない土地が苦手な私に走れるかしら? ドキドキ。

信楽から新名神高速道路に入り、草津でふつうの名神高速に合流します。
西大路さん「こんなに道路に段々あったっけ? 新しくできたな」
オポ「あっ確かに、春のパスカルズのときはこんなんなかったですわ!」
・・・この方はすごいぞ、わずかな変化にも反応される。
西大路さん「やっぱりこの車、回転数上げるといい音しますねえ」
オポ「へぇえ、そういうもんなんですね」
西大路さん「排気量はいくら位ですか?」
オポ「・・・いくらなんすかねぇ」
西大路さん「・・・あんまりご興味ない?」
オポ「あはは、さっぱり興味も頓着もないんです」

西大路さん「大津を超えて、トンネル抜けたら京都東ですわ」
オポ「いやぁドキドキドキリコですね。はじめての京都東インター」
西大路さん「ははは! それ投稿してくださいよ!」
オポ「ええ、約束します!」

インターを降り、西大路さんの鮮やかなナビゲートが始まります。
西大路さん「左、五条方面です」
オポ「おおっありましたこれですね、ええと、山科西野」
西大路さん「まだまだ、ずーっとまっすぐで大丈夫です」
オポ「おっ、なんか山深くなりましたね」
西大路さん「これが東山ですわ。もうすぐトンネルです」
オポ「あっほんまですね、そうかこれがかの有名な東山。おや橋を渡ると京都市街ですね」
西大路さん「河原町五条ですね。堀川五条で1号線から9号線に入りますけど、西大路五条までまっすぐです」

めっちゃわかりやすい・・・。文章にしたらわけがわからないかもしれませんが、これを運転中に聞いてると実に的確なのです。この方、GPS搭載頭脳です(笑)。京都市内に不慣れな素人の私を見事に導かれます。

西大路さん「いま、右側走って行った車、良い音ですね。なんの車ですか・・・ って、そっか、興味ないんですね」
オポ「ははは、ごめんなさい。さっぱりわかりませ〜ん・・・ あっ、ここを左折ですね」
西大路さん「西大路〇〇のひとつ先の信号前で止められます?」
オポ「はい。タクシー止まってるから、その後ろに着けます・・・ あっ思ったよりタクシー手前やった、かわして前はいります」

無事にお家の近くまでお届けできたようです。あろうことか信楽I.C〜京都東I.C間の高速料金をちょっと足付けて出してくださいました。いいですよそんなん! 途中で降りても値段変わらないし! と拒みましたがまぁまぁ・・・ と結局頂戴しちゃいました。よう断れなくってごめんなさ〜い。でもありがとうございます!

西大路さん「線路くぐって1つ目の信号を左、京阪国道口を右折で京都南I.Cです。今日はありがとうございました!」
オポ「こちらこそ。またお会いしましょう。お気をつけて!」

ご丁寧に帰り道の案内までして頂きました。確かに、私の考えていたルートではインターまで戻るのが難しくなります。 つまり何と西大路さんは、私が帰りやすい方角まで計算して、ナビゲートをしてくださっていたのです!!
あまりの完璧さに脱帽しました。
鮮やかな道案内のお陰さまで私は23:35に家に到着。なんと信楽を出て送り届けをしてきたにもかかわらず、豊中まで1時間35分で帰り着けたのです!! 予定より車移動での出費が抑えられたし、次の日は朝から会議だったのですが、バッチリ睡眠もとれて言うことなしでした。

というわけで、車中の約束を果たした投稿です(笑)。西大路さん、貴重な体験をありがとうございました! またどこかのライブで! (オポムチャン)

(寸評)盲目の人のナビゲーション。一体西大路さんの頭の中はどーなってるんでしょうか。
そして車のエンジン音とかで車種とかも分かるんでしょ〜な。
人は何か欠けているものがあるとその分人より突出しているところがあるという俺の持論を確証にかえるようなお話ですな。
多分俺たちより聴覚は間違いなく良い。
ヤバい、俺のテキトーなギターのチューニングがバレバレや、あはは。 8ポイント。

はじめての友達って?

「王様」「おバカ」と並んでこのコーナーはポイントの取りどころな気がするのになぜかわたしはネタがない。それがドキドキドキリコ初体験だ!イェイイェイ!はぁ…
たったいまあんまりよくない初体験を思い出したのでこれはチャンス!と思い投稿した次第でーす。
文化祭からやっと解放されたことで変なテンションなのです。ごめんなさい!

わたしが小学校高学年のとき。
小学校時代のわたしは、今よりだいぶ社交的(と同時に馬鹿でもありましたが)だったので、友達もたくさんおり男子含めてクラスの全員とそつなく話せるし二クラスしかなかったので学年の人全員とはいかないもののほとんどの子とは話したことがありました。
ただ、今のわたしだったら絶対にあの関係を友達とは言わないでしょう。今だったら、いやですね。なんか癪に障るし。 と言うといじめられてたみたいでアレなんですが、そういうわけではないです。
6年間全く話の合わない子たちと一緒に登校し、下校し、週に一回は遊んでいたとか…というか、話も何も無趣味だったんですね、わたしは。話に入れないことにすら気がつかなかった。何やってんだろ。
そういう他の子とのずれが初めて裏付けられた?意識された瞬間の話です。

その日はなんのへんてつもないただの昼休みだった気がします。背景はあんまり覚えてないです。
やっぱり高学年だから女子の間で恋バナが流行ってきており、当時は口には出さなかったものの心底どうでもいいと思っていました。そこは今も変わってませんね。
クラスの女子の一人(当時の認識はそんなに喋ってない子、今思うとほぼ他人でした)の周りに他の子が集まって妙にはしゃいだ雰囲気で話していたので「何やってるの?」とそのうちの一人に聞いたところ真ん中で話してる子の好きな人を要は自分でばらしてるんだと。来た子一人ずつにひそひそ話で。
(え、どうでもよっ…)とちょっと思ったけど当時のわたしはそういう気持ちをできるだけ自分の中で見ないように、遠ざけるように無意識に努力していたし、混ざりたかったのでわたしも聞きにいきました。
するとその子から「えー、昆布ちゃんはちょっと…」と。
うるせえこのアバズレが、お前の想い人になんてこれっぽっちも興味ねえんだよ、と子供心に思ったものです。
しかし当時のわたしはそういう気持ちをできるだけ(以下同文)ので、その時はそんなに心にダメージはなかったです。というかダメージを受けそうになっていることにも気づかないようにしていました。

数日後の夜、お風呂に入っているときにふとそのことを思い返してみたところ、急にみんなにニコニコしているのが馬鹿らしくなりました。
考えてみたら友達の秘密を教えてもらったことなんて一度もありませんでした。
わたしだってそういう秘密は信用できる親友にしか教えません。
そうです、わたしには友達はいようと親友はいないのです。
そんなわたしについてクラスのみんなはどういうことを話していたのでしょう。
少なくとも今の話の真ん中の子のような系統の子たちの間では一回は話にあがったこともあったでしょう。あまりよくない雰囲気で。
普段から些細なことではわりと顔も心も動かないわたしでも、このことはわたしを今でもいらつかせる要因となっております。
連中も心底どうでもいいけど、そんなのと結局6年間そつなく話していた自分が情けないです。
ちなみに今高校の同じクラスに小学校であのときまさに同じクラスだった子がいますが(地元でもないのになんでうちの高校受けたんだよ…いやなんでもありません)全然しゃべってません。もうどうでもいいです。(すこんぶ)

(寸評)小学生の時は俺も最大公約数の人たちと自分が違っているのにほとんど気づいてなかった。
中学で「アレッ?」となり、高校で確信した。
そしてその後ひとりで上京して来て歌をうたい始めた時はじめて共通の趣味を持つ友達に出会った。
学生時代の友達とはもうほとんど誰とも付き合いが無い。大人になってからの友達が本当の友達。 6ポイント。

 

はじめてのアルバム(?)製作

私は学校を出て2年間ニート的なふらふら人生を経たのちなんの間違いか就職を果たしてしまったわけですが、そのふらふら期に兄貴にそそのかされて購入した8トラックの録音機材と安物の4オクターブくらいのカシオトーンとギターのみで、暇に任せて初めて曲を作ってみた、というお話は以前に投稿させていただきました。あ、探して読まなくていいですから(←心配するな、誰も探さない)。

ミュージシャンを目指したい、という願望は毛頭なく、ただ単に自分の思い通りの音楽を作ろうとあれこれ音を加えたりコードをひねったりするのが楽しいから、楽曲の質は極めてレッサーながらもずいぶん沢山の曲がフロッピーの中に貯まっていきました。

しかしその機材のフロッピーはぢっぷでぃすくとか言うなんかあんまり売ってないマニアックなやつで、しかも機材に適応しているのは容量の少ない方だけだったのです。故に長い曲などを録るとフロッピー1枚に2曲くらいしか作った曲が保存できないのです。
私は“音質”というものが絶望的に理解できず、録音レベルはいつも最低質でおこなっていたので容量を大幅にセーブできたのですが、それでも1枚にせいぜい入って5曲でした。
思い切って10枚入りを買ったフロッピーも、いよいよ底を突きそうになってきました。

これは一度フロッピーをカラにするために、作った曲を別の媒体に移し替えなきゃな。
その録音機材はパソコンとは連結できず、せいぜい外部出力でオーディオやラジカセにつないでMDやカセットテープに録音するくらいしか出来ません。
まあいいや贅沢は言いっこなしだ、さぁMDへ・・・と思いきや、我が家のMDプレーヤーにはなめたことに外部入力の挿し込み穴が存在しませんでした。泣く泣くアナログ丸出しでカセットテープにフロッピーの曲達を落としていくことにしました。

でも数だけ無駄に多くて30曲くらいあるし、まだ改良の余地もあるものやボツ予定のものはそのままに、15〜20曲くらいに絞り込んでカセットに収めよう。そうしよう・・・ って、これ私のオリジナル曲の初アルバム製作になるってこと!? きゃぁ。

そう思うとにわかにテンションが上がってきました。
一度テープに録音した曲はフロッピーの空きを作るために消すわけですから、もう二度と機材での編集は出来ません。
やるからには、一番いい録音でテープに残したい。
8つの録音トラックのヴォリュームつまみを巧みに調整してヴォーカル(重くて不安定)・ギター(ストロークのリズムがてんでわや、ソロ皆無)・ベース(弾けないので安物カシオトーンの音色“WOOD BASS”を使用)・ドラムス(左に同じ、バスドラとスネアだけのあまりにシンプルに過ぎるアレンジメント、もちろんリズムは致命的にズレてる)・その他カシオトーンのやっすい音のトランペット・アコーディオン・フルート・ベルなどの音量バランスをつぶさに調節し、私は幾日も幾日も(ろくに仕事もせんと)孤独なアルバム作成に精を出しました。

そしてひと月。ついに24曲入りの裏表80分オリジナル・カセットテープアルバム「キモーズ第一章(ファイナル)」が完成しました。ご立派なことに歌詞カードまでワープロでこしらえ、ホチキスで冊子状に仕上げました。キモーズとは弟が命名した私のアーティスト名で、きもい小太りニート(私)が何人も同時に奏でる音楽だから、だそうです。見事だ。即採用しました。2枚目はたぶん作らないだろう、と第一章にしてファイナルの副題が付くといううしろ向き加減がなんとも言えません。

興奮して聴かせてみたわりに家族の評判はあまりに微妙で、このニートを傷つけまいと言葉を探している様子がひしひし。いたたまれなくなってきたのでバイト先の後輩にも感想を求めましたが、なんの返事もありませんでした。一部の友人は「一周回っておもしろい」と妙な評価をし、仕事先のインド洋上に持って行っては大いに顰蹙を買ったそうです。

はは。夢中になるのはいいことだが、才能の見極めってものもそろそろ大事だな(中途半端な奴の定番のセリフですね)。

ちょうどその時に新世紀を迎えた22歳、あほ。その後はまじめに運転免許を取得、公務員試験の勉強をはじめるなど、社会復帰へのおぼつかない足をよたよた踏み出したのでしたとさ。

ちょうどいま戸棚をあけるとMD化した件のアルバムが出てきました。聴きました。あまりの稚拙さに、恥辱・屈辱・消滅願望などがちいさな脳味噌に一気に襲いかかって来たのでやっぱり私の判断は正しかったのだと確信しました。アハッ(涙)! (オポムチャン)

(寸評)あっ、俺まだ社会復帰するの忘れてる! 53歳になってもーた! 7ポイント。

はじめての「先輩我慢します」

短大1年の秋の事。

サークルの先輩に夜飯に誘われた帰り、二人で電車に乗ろうとする直前、よく食べた俺はビッグ便に行きたくなったのだ。

普段ならこんな時誰に言っても、「はいよ」と言って連れて行ってくれるのだが、この日はタイミングが悪かった。京都駅から先の先輩の終電時間が近づいていたのだ。

俺はとりあえず言ってみた。

「我慢でけへんか?」

予想通りの答えが返ってきた。でもそれは、「俺の終電に合わせろ」ではなく、「京都駅まで一緒に行くから我慢してくれ!」という意味だ。

本当に俺は幸せなやつだ。

そしてそこから1時間、腹痛と戦いながら帰ったのであった! (西大路)

(寸評)おお、確かにビッグ便は大変だな〜。
いつも行くような場所のトイレは把握出来ても初めてのところじゃ場所も分からないしな。
連れて行ってもらうにも女性だったら入り口までだもんなー。
間違って朝顔にビッグ便しないように形状を確認してな! 6ポイント。


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