ドキドキドキリコ初体験(69)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールにて。題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

はじめての責任とってなんかやれ

  高校2年の修学旅行で、南九州へ赴いた時のことです。

  友達作りが苦手と言うかべつに構ってほしくない気弱で根暗な私。そんな私でも中学からの友人K山と1年生の時に級友だったF岡とつるみ、また出席順が近かったため話をせざるを得なかった同じく根暗なA川、その友人K戸・T内・S山とクラスでもとりわけ陰気な連中でグループを形成し、爽やかな5月の南九州をじめじめと彷徨いました。

  さて初日夜。2日目の夜の集まりまでに、各グループで劇でも何でもいいから出し物を考えてくること、なんて鬱陶しい指令が担任から出されました。
高2ですからみんな無駄に若気が至ってて妙にハイテンションです。どいつもこいつも、うわなにしよ、今晩寝られへんわ、なんて早速乗り気になっています。・・・そう、我々陰気ーズを除いて。

  とはいえ責任感は大してないものの無理矢理グループの班長にされた私は一応皆に聞きました。

  オポ「なあ、夜の出し物、どないしょっか」

 

      誰も何も答えません。

  そこには確固たるどーでもええわ感が満ち満ちていました。そう、我々の間に友情など存在しません。一応グループを作らねばならないから仕方なく、という連中だけで構成された、楽しむ気・協力し合う気nothingチームなのです。

  オポ「なんか考えとかな、絶対ぼろかすに言われるで? なんかいい案ないかな?」

  やっと口を開いたK戸はこう言い放ちました。

  K戸「そんなもんせんでええって。考えられへんかったって謝ったら仕舞いや」

  思い出して書いてても鬱陶しいほどのやる気の無さ。とはいえ私とてそんなもんしたくないのは同じです。ただ班長だからすべての責任は私になすりつけられる、ということは確かです。

  結局夜までたっぷり時間はあったのに、何の話し合いも持たれぬまま時は流れ、その日の夜のクラスの集いが始まってしまいました。

  担任「ほな、各グループで考えてきた出し物、発表といこか」
・・・どうか他のグループも「何も用意できませんでしたー。てへっ☆」とか言ってくれますように、という私の愚かな願いはもろくも打ち破られ、皆そこそこクオリティの高い寸劇を展開していきます。

  ・・・あかんがな。

  そしてとうとう我々の出番です。私は卑屈なな笑顔を作り、気弱にこう言いました。
オポ「すんません、何も準備してません、ごめんなさい・・・」

  一斉にかなり本気度の高いブーイングがクラス全員から発生しました。
「アホか! 俺らどんだけ本気で考えてきた思てるねん!!」
「ふざけんな! 笑ってごまかしたら済む思てんのか!!」
「何もやらんと追われると思うなよ! 責任とってなんかせえ!!」
担任「何もやらん、ちゅうのはマズイな。」担任まで皆に同調します。

  グループの連中は沈黙して下を向くだけで、事態の解決になんら手を尽くそうともしません。
仕方ない。私の最近出来るようになった秘奥義を出そう。

  「なんかやれ! なんかやれ! なんかやれ!」
オポ「・・・・・・なんか?」

  そういうと私はスリッパを脱ぎました。
会場が一瞬どよめきます。
オポ「・・・では行きます」

  私はまっすぐ立った状態から一気に身体を後方に反らし、床に両手を付いていきなりブリッジを形成しました。
その勢いで、脚を片方ずつ上に振り上げ、倒立のような形から両脚をそろえて着地、ポーズを決めました。
つまりは宙に身体を浮かせない、尺取虫のようなバク転とお考えください。

  おおおおおお!!!
罵声が、歓声に変わりました。
そう、私は軟体変態生物。体操を習っていたおかげで他のスポーツはからっきしでも柔軟性だけには自信があったのです。運動まるで駄目系デブがその場でふにゃふにゃっとタテ回転するもんですから、その意外性はなかなかのものだったのでしょう。これに免じて、我々陰気ーズはやりたくもない寸劇を回避することができたのでした。

  無事班長として責任を果たせた私。他のメンバーも「ようやった!」「助かったわ!」とねぎらいの言葉を掛けてくれました。よかった、よかった・・・・・・ ってお前ら全然なんにもせぇへんかったやんけーーーーー!!!!!

  すっかりおっさんになったこれからもずっと、責任なんて取りたくもないですが意外性のあるお人好しな馬鹿でありたいと思います。(オポムチャン)

(寸評)今度俺の歌の合わせて俺のまわりを軟体変態生物がぐうるぐうる動きまわる、をやってくらさい。
ギャラは、ガリガリ君だよっ! 8ポイント。

初めての「武器にも邪魔にもなりまっせ」

  女性は良いよなあ。いろんな意味でよく思ったものだ。
でも大変よなあ。人によっては毎月一回は腹痛に悩まされる上旅行も大変。
  で、何日かまでは覚えていないが、ここ一年以内に経験した話だ。
JR京都駅9番ホームに止まっていた普通電車の最後尾での事。
これは全盲でも人によって違うのだが、俺の場合、京都駅から自宅に帰る時以外は、電車には先頭車両か最後尾の車両に乗る事にしている。
理由は、どちらかの車両に乗れば、降りる駅の構造がわかっていなくても、降りてから階段を探しやすいという事だ。  なので、ガラガラの車両があるのにも関わらず、俺が乗った車両はぎゅうぎゅう詰めという事はよくある。そんな車両での話。
入り口入ってすぐの所に立っていた俺は、発車間際になって乗り込んできた人に中へ押し込まれた。
  それもその人は、鞄で押し込むのではなく腕や背中で押し込むわけでもない。
見えてないので自信持って書けないのが残念なのだが、それは明らかに胸だ。感触が正しければ、明らかに巨乳だ。年齢まではさすがにわからないものの、明らかに胸には間違いない。
実はこの一週間前、家の最寄りの西大路駅から電車に乗ろうとしていた時、そんな俺に気づいた電車内の人が降りてきて俺の左腕を引っ張って乗せてくれようとした。
それは良かったのだが、入り口側の俺は、左肘がその人の胸につかえてドアからなかなか離れられないのだ。
  結局その人が少し強引な感じで入ってくれたので俺も中へ入れたのだが、お胸はどちらにも働くのだなあと。
いや、30何年と電車・バスには乗ってるんですけど。
もし全盲の誘導方法に興味のある方で、自身のお胸に自信のない(邪魔)方には、そんなん気にしなくても良い誘導方法伝授しまーす! (西大路)

(寸評)おっさんが「ここをちゃんと握ってなさい」と言ってちんちん握らされたら嫌だな・・・。 7ポイント。

はじめての乳児からツッコミ

  私にはもうすぐ3歳になるというのに「かさーん、ちっち(母さん、乳)」とまるで乳離れが進まない、あんんまえんぼうの息子がいます。

  このぼうず、そういう時期なのか知りませんが色んな言葉を憶えるのが好きで、嫁はんがテレビはもっぱらNHKをつけている関係上「あべそうりだいじん」「おすぷれい」「みくろねしあれんぽう」などの言葉を早くから口に出しては周りを吃驚させるという珍妙な乳児です(お乳を飲んでるからまだ幼児には成れてないですよね)。
またNHKは晩のニュースの前に大相撲中継を放送するシーズンがあるので、必然お相撲さんの名前も少し憶えます。「ごえど(豪栄道)」と「えんど(遠藤)」がお気に入りのようです。

  さて過日。私は月曜の夜、帰宅後に仕事に疲れて畳の間に寝っ転がっていました。
するとぼうずが駆け寄ってきて、「とさーん、おいかけっこしてあそぼーよ」などとせがみます。
私はくたびれてるので「とさん今日は疲れてて寝てたいねん。御免な」などと言ってかわそうとします。

  何度誘っても遊びに応じない私に業を煮やしたか、ぼうずは私にこう言い放ちました。

  ぼうず「なんだきみは! きみはおおすなあらしか!!」

  聴いていた私と嫁はんは、その後1分ほど笑い転げていました。

  「大砂嵐」とは2014年現在大相撲でぐんぐん番付を上げているエジプト出身の力士で、名の通り大柄です。
私は大砂嵐関ほど巨大なガタイはしていませんが、どちらかと言えば太っているおっさんです。私の寝姿が、よほど大砂嵐関とオーバーラップしたのでしょうか。この2歳児らしからぬシュールなツッコミに、我々アホミョートは爆笑を禁じ得なかったのでした。

  今後もわけのわからない珍言で、世知辛い世の中に苛立ちがちな我々を和ませていただきたいものです。(オポムチャン)

(寸評)おぉ、その年でかなり上手なツッコミ!
決まり手は上手出し投げ〜! 8ポイント。

初めての「さすが東京は臭い?」

高校2年の12月下旬の事。当時所属していたグループの先輩三人(全員大学生)に三泊四日の四国ドライブに誘われ、阪急西院駅前を四人で出発。出発直後は名神京都南ICに向かっていた。

ところがどんな話し合いが行われたか覚えていないが、突然「京都東ICに行く。関東方面な。ええか?」「勿論オーケーですよ。ただ、四国と親に言ってきたので方面が変わった事だけ電話させて下さい。その電話の後は帰るまで家には電話しませんので!」

この時点でどんなドライブになるのかドキドキしたものだが、三日目はいろんな意味でおもしろかった。

山梨県河口湖近くに泊まった四人はまず富士五湖周囲を走り、でもここでの会話は覚えている。「凍結注意て出てるで!」「冬装備全くないで!」「あー、なるようにしかなりませんよ!」

そんな事言いながら国道139号線で富士IC方面に向かったのだ。本巣三叉路ここか、渋滞スポットやな。北山料金所?あー、バスやトラックが立て続けにブレーキ加熱でつっこみよった所やな。

そんな事思いながら走っている途中、ついに出てこなくなった。何が?聴いていたカセットが出てこない。「ついに引っかかったな」と先輩。機械やから痙攣して出てこないという事はないやろうけど、出てこない。

富士IC手前のガソリンスタンドでどないかなれへんもんか聞いてみたもののどないもでけへんという事なので、FMラジオを聴きながら東京方面へ。

当時関西の名神は片側二車線しかなかったので、片側三車線の東名に入った瞬間「広い!」「広いやんけ!」「気持ちええ!」

何もかもが新鮮だ。「金太郎飴?」「金太郎ラーメン?」「金太郎ばっかりやな!」「先輩ここ、足柄SAですよね。そやから金太郎ちゃいます?」「あーそうやわ!」

足柄を出ると、「先輩、次のICでは大井さんが松田さんを呼んでるんですよ!」「大井松田ICあるある!」

本当に何もかもが新鮮だ。そしてそんな話をしながら東京本線料金所到着。おー、いよいよ用賀から首都高やん。

「都心環状線を先頭に、一号線は羽田、二号線は天現寺、三号線は三軒茶屋、四号線は幡ヶ谷、五号線は東池袋、六号線は向島、七号線は錦糸町、九号線は枝川までのじゅうたいです。」

横田さんや土屋さん(交通情報センターの方)がよく言ってはる首都高三号線やん。青山トンネル、「東京にトンネル?」と先輩びっくりしてる。

俺は東京の眼科に通っていたため、新幹線や地下鉄には乗った事はあるものの、車では初めて。「しかし煙ってるよなあ東京」

「この臭い何や?」

「僕が最後に東京に来たのが5歳の時ですけど、こんな臭いしなかったですよ。12年でこんなにも臭くなったんですねえ!」

霞ヶ関で首都高を下り、国会議事堂周囲をぐるっと走りはした。しかし、「おー、左折レーンに入ってしもてるわ。今度は右折レーンや。俺ら何処や?あー、246号に入ったわ!」

こんな事が続いたため、はっきり言って何処に居たかはわからない。ただ、246号をそのまま走ってたら東名と平行に横浜に入れる事だけは俺はわかっていたのだ。

その事を伝えはしたものの、どうやって入ったか第三京浜。ここで俺は、第三京浜が高速道路である事を初めて知る。第一京浜と第二京浜は確か一般道やったよな?て、その二つが国道何号かはあやふやだが。

そしてその夜は鎌倉周辺で宿泊先探そうという事になり、第三京浜から何処走ったか?横浜横須賀道路は通ったわ。で、鎌倉で宿泊先を見つけてチェックイン。

そして夜は部屋で四人で飲みながら一人が言い出した。「あの引っかかったカセット出さへんか?」

その一声で機械本体を車から取り外しに行く。でこれはどうしてもカセット切断しないと出せない状態になっている事がわかったため、作業開始。そして直後に四人は東京の方向を向いて謝る事になった。

東京の皆様、臭い臭いと言って大変申し訳ありませんでした。臭いの原因は車の中にありました。引っかかったカセットが一部焼けてました。本当に申し訳ありませんでしたm(_ _)m (西大路)

(寸評)はははっ。
でも東名走ってると富士市あたりは本当に臭いよ。製紙工場があるから。
あっ、紙の製紙だからなっ。ちんちんから出るやつとは違うぞっ! 7ポイント。

初めての前売りチケット発売日に買いに行き買えなかった体験

今年の石川さんの生誕祭の前売り開始日の事です。思えばメールでの予約が開始から1分と経たずに締め切られたという事を知っていたのにだいぶ気軽に考えていたのです。
発売日が平日だし、時間より少し前に着けば大丈夫だろうと思っていたのですが、まだ発売時刻よりも2時間以上も前から長い列が出来ていると、石川さん繋がりの方のツイッターが!
ここでちょっとあきらめかけて買いに行くのを止めようかとも思いましたが、せっかくの機会に何もしないのはと思い直し、吉祥寺に向かいました。
なんだかんだで吉祥寺に到着が発売開始時刻の15分くらい前。そこからライヴ会場まで5分ほど。どんだけの列なんだろうと思いつつ近づいてきますが、全く列がない。これはどうしたものかと店頭に行くと、「もう売切れました」との報告が。あまりの列で前倒しで販売されたようでした。
「あー、やっちまった!」と思ってすぐに売切れ報告をツイッターしたらすぐに石川さんが反応してくれたのが嬉しかったです。
そしてもう当日もないだろうし当日絶対に行けないのだろうと、生誕祭前にあった石川さんが出演されたライヴの物販でもチケット買えず行けないです報告を石川さんに直接したりしたのに、これまた偶然にも飲み仲間でパスカルズ繋がりの友達から、地方から来る予定だった方がどうしても来れなくなったから一緒にどうかと誘って頂き、なんとなんと行くことが出来たのでした(生誕祭の1週間くらい前)!様々な飲酒の失敗を積み重ねてきましたが(今後も繰り返しますが)、無駄ではなかったなあとしみじみ思いました。  (おっくだ)

(寸評)しかもその後コンビニで偶然会って、打ち上げにまで参加してくれたよね。
さすが「悪代官」のタイトルを考えたお方、運がいい! 7ポイント。

はじめての結婚式で単独弾き語り

2014年4月頃。職場の偏屈な課長が突如結婚する、と言いだました。

まあそれはおめでたいことなので良いのですが話を聞くと余興をしてくれる人がいない、とのこと、そいで「オポム君、なんか歌ってくれへん?」と来たわけです。

オポ「いやいやいやいや課長、2次会とかならともかく大事な披露宴の余興でお聞かせできるようなレべルの腕前はあいにく持ち合わ」
課長「(遮って)ええやん、オポさんカラオケ得意やんか」

特異ではありますが得意と言える実力かどうかは甚だ怪しいところです。そもそも課長はカラオケでは音程が合うことが稀なタイプで、誰かが調子に乗って採点ゲームなんかをしだすとそれはそれは悲しい点数の出るお方。歌のウマイ下手の判断基準を大いに誤っている可能性があります。

オポ「無理です無理です、親御さんはじめ親戚ご友人の前で歌う曲なんてレパートリーに無」
課長「(遮って)ええやん、“アナと雪の女王”歌ってえな」

ぜんぜん結婚と関係無いやないですか。だいたい私はおっさんで、そんな高っかい声出せませんがな。

課長「それで相手側も誰も余興したくない、って言うてるねん。頼むわ」
オポ「・・・え゛っ、ほしたら披露宴の余興、僕一人、っちゅうことですか」
課長「そうやねん、他に頼む人もおれへんし、よろしく」

おいおいハードルめちゃめちゃ上がったで。
その日たったひとりの余興、しかも披露宴の後半にやるとのこと。
しかし助け舟は誰にも出してもらえません、職場のほかのメンツはこれまたうた物に不安のある店長、歌は好きだけど私以上にプレッシャーに弱いただ一人の部下56歳女子社員。この2名です。
2人を(無礼にも)指導鞭撻して戦力に仕立て上げて余興メンバーにするよりは、私一人で責任を負う方がまだ楽です。 とりあえず前にも弾いたことのあるミスチルのラブソング、「365日」てゆうやつをギターで弾き語りすることにしました。
ただ以前にやった時は友人を中心とした2次会で、あくまで私は新郎のハモりとギター伴奏というサブに徹した役割でした。
今回は両親族の前でメインヴォーカル、しかも誰も助けてくれません。
こうなったら腹を括るしかないな。

そうして7月末の式の日まで私の猛特訓が始まりました・・・ と言いたいところですが実質平日は帰宅するとぼうずのお風呂やこのHPへの投稿(それは後回しにせぇ、と言われてもだいじな趣味なので)で忙しく、休日は休日で研修やら旅行やら育児に疲れた嫁はんを解放するためにぼうずを連れまわしたりとなにかと用事が入り、ろくすっぽ練習も出来ぬまま一週間まえになってしもたー。わちゃあ。

わちゃあ言うてる場合ではありません、とっとと練習しないと。なにぶんこの曲はコードがややこしいうえに歌詞が1番と3番が同じようで微妙に違い、間違えると意味がてんでわやになり台無しになります。まぁ余興の歌詞なんか聴いてるやつなんて誰もいないのでしょうが演ってるこっちが一生後悔しそうで嫌なのです。ひとの晴れ舞台ですもの。

そうして最低限の投稿はしながらも深夜、女房子供が寝静まってからクーラーもない別の部屋でちいさくちいさく弦を鳴らし、ピヨピヨさえずるように小声で練習をするのでした。ぐゎっコード間違えた! あぎゃあ歌詞出て来ぇへん!! しもた結構でっかい声出してもた、など粗忽を重ねつつ熱帯夜のさなか汗ぐずぐずになりつつ練習を重ねました。
されど悲しいことに、何度やってもどっかの歌詞が間違えたり出て来なくなったりしてしまうのです。ほんで歌詞に集中するとコードを間違えるという絶望的なありさま。さっぱりうまくいきません。
仕方ないので某動画サイトで繰り返し脳味噌に焼き付けることにしました。CDを買わずに楽曲を頭にインプットするのは音楽家に対する泥棒行為以外の何物でもないのでそんなことしたくないのですが、この際やむを得ません。そのうちCD買うからミスチルのサクライさん(じつはよく知らない)、ご勘弁願います。

結局当日のAM1:30まで練習し、7:00起床の予定だったのですがその日に限ってぼうずが早起き、「とさん、あさだよー、おきてー」と叩き起こされ「ぎゅうにゅうのむー」と私を強制起動、ふらふら冷蔵庫に向かい時計を見ると5:30でした。
4時間しか寝てへんやんけー。

えーとね、今日演る歌はピアノのど真ん中のドから右(高い方)へ向かって一つ目のシ♭まで出さないといけないの。寝不足でそんな声、出せねえの。試しに逆にどれくらい低い声出るかなあと出してみたら必要なシ♭の3オクターブ低いやつが出せました。こんなん普通のポップスでぜったい使わない音域です。あかんがな。あかんがな。

もううだうだ言うてても仕方ない、最高気温36゜Cで快晴、とクソ暑い中を黒のスーツに白ネクタイでデカいギターをかつぎ、バス停までよろよろ歩きました。かばんなんて持てやしません、祝儀袋も招待状もすべてギターケースの中です。会場までは幸い電車一本で行けます。最寄りの駅へ行きゃあ早いのですがギターかついで乗り込む勇気はありません、始発駅までわざわざ遠回りしてスカスカの車内に乗り込み、網棚をギターで占拠してこれで一安心。ギター弾きはつらいよ。

無事会場のホテルに辿り着き、クロークに祝儀袋を抜き取ったギターを預けてチャペルへ。丁度いい、讃美歌で声出しして喉にエンジンを掛けてやろう。

「♪い〜〜〜つくしみふか〜〜〜き〜〜〜、と〜〜〜もなるいぇすわぁ〜〜〜〜〜!!!」

ひとり馬鹿でかい声で神への賛美を叫ぶ私。まあギリギリ神聖なる結婚式をぶち壊さないレベルではあったと思います。周りの「あいつ何者?」という視線が刺さりますがそんなものはキ〇ガイの私、馴れたものです。よし、思いのほか声は出るようです。

これで気をよくした私はさらに喉を温めようと披露宴の乾杯の直後から酒精を摂取、いい気分でへらへらしてるところへ進行係のおねえさんから「お前、ケーキ入刀しとる最中にこっそりクローク行ってギター取って来んかい」と叱咤され慌ててクロークへすっ飛び調弦、戻ってくるとすでに椅子とマイクがセットされていました。心の準備とかもう全然できてないんですけど。

黙っていきなり歌う訳にもいかないのでテキトーに思い付きで祝辞を述べたあと、一礼して椅子に掛け、ギターを爪弾きました。前奏のリードは弾けないのでストロークを小細工して誤魔化し、歌詞を必死で思い出しながらあたまグルグルフル回転で歌い続けました。

結果、今まで一度もまともに完奏できなかった曲を本番に限りノーミスで演じ切ることができました。

これまでは練習ではバッチリだったのに本番に限って間違えるというパターンが多かったのですが、この日は逆でした。よかった。よかったぁ。なるほど演奏の本番当日は寝不足かつ酒精を摂取すれば上手くいくのだな(笑)!!
そのうえ課長の親御さんからお礼として5千円を頂戴しました。私のギターの腕前はへっぽこにも程があるお粗末なものなのですが、演奏してギャラ(?)を頂戴したなんてこれが初めてなので嬉しかったです。

席に戻ると「熱唱やったね!」とねぎらいのお言葉を他店の社員さんらから頂きました。
そんな演奏に関する話をしていると、その社員さんは社員仲間と長いことバンドを組んで時折ライブなどをされている、とのことでした。

・・・・・・・・・え。

コラッ課長、なんでこの人に余興のオファー出さんかったんじゃい(じゃいじゃいじゃいじゃいじゃい←エコー)!!!!!

・・・まぁ原曲を知らなかった課長も新婦さんも喜んでくれたようですし、良しとします。しっかし式に呼ぶくらい親交のある社員さんなんだからバンドされてる事くらい知ってるでしょうに・・・。

ともかく長きにわたるプレッシャーから解放されてほっと一息、今日は頂いた5千円で豪遊しようと思います。おいおいお前ミスチルのCD買うんとちゃうんかい(笑)。 (オポムチャン)

(寸評)おいおい、そんな時は「僕、プロのミュージシャンで知り合いがいまして・・・若干お金はかかりますが人生で一度きりのこと、おめでたい人を呼んでみては如何でしょう」と言って俺の出前ライブを頼まんかーい。
でも本当、披露宴は緊張するよね。普通のライブと違って一世一代だからね。
気持ちは分かるでー。 7ポイント。

はじめてのライトバリバリぶーん

20代半ばの頃。私は毎週土曜日の夜、自転車で30分の道を自転車で走り、合唱団の練習に通っていました。

なにぶん夜なものですから石川さんもよくおっしゃるように無灯火の自転車は大変危険です。真面目っ子な私はブンブン音を立ててピカピカ走っていたのですが、この自転車がまた古い。ある帰り道でライトが点かなくなってしまったのです。
近くに自転車屋は無いし、仕方なく家までそろそろ走って帰ると、パンク修理なんかは自分でやっちゃう工場のおっさん・父がライトを直してくれるというのです。

いやぁお金もかからないし工場のおっさんを親にもって良かったなぁ、と無能な私はことほぎました。

そいで次の土曜の晩。親父が修理してくれた自転車にまたがり、私は颯爽と夜道を駆けました。
随分と光り方がパワーアップした模様です。煌々と行く手を照らすライトに、私は誇らしささえ覚えつつ走り続けました。

ところが歩道もなく狭い両方通行の車道に差し掛かった時、ライトのカバーがぽろん、とはずれ落ちてしまったのです。 私はブレーキを踏み、プラスチック製のカバーを拾い上げて暗い中どうにかはめ込んでみました。
どうにか元には戻ったようです。しかし起伏もない平坦な道路で外れるなんて、親父もテキトーなところあるからなぁ。でも直してもらっといて文句は言えません・・・ ってまたぽろっ!!?

あわわわ、拾って直してから100mも走ってないぞ、早く拾わなきゃ・・・ と車道側に身を出そうとした刹那。

バリバリッ!!!

ぶ〜〜〜〜んん・・・・・・・・・

凄まじいスピードでトラックが駆け抜けてゆきました。
地面には、なんか粉々の白いのんがありました。
自転車を見ると、カバーに加えて電球まで無くなっていました。
カバーにくっついて地面に落ち、一緒にバリバリぶーんしちゃったのでしょう。

あまりにも突然の喪失感に、私はしばらくその場に立ち尽くしました。
そして、もう20代半ばというのにお目々がウルウルしてきました。
なんなんでしょう、このぶつけ所のない情けなさは??
最寄りの自転車屋はもはや閉まっており、私はなすすべもなくノロノロ運転で無灯火のまま練習会場へ向かい、その時の様子を面白おかしく状況説明して笑いをとりました。そうでもしないと悲しくてやりきれなかったのです。

帰宅して親父に折角直してくれたのに、ごめぇん・・・ と子供のように謝りました。なんだかバツの悪い顔をされました。
翌日私は自転車屋へ赴き、ライトを新調したのですがこのライトもなめたことに1日でぶっ壊れるというライト運の無さ。さすがにこれは無料で替えてくれましたが。
この事件で私が得たものはライトカバーバリバリッ!! ぶぅ〜〜ん・・・ という音ネタで笑わせる小咄。意外と長いことウケたので良しとします。
最後に無灯火自転車はホントに危険です! 多少音うるさくても皆さんライトは点けてね! (オポムチャン)

(寸評)そうそう、人の車に乗せてもらって初めて気がついた。
無灯火の自転車直前まで全然見えないね。
なんとなく自転車に乗ってる本人が前を照らす為、という認識だったのだがそれが間違いだと気づいた。
発光している物が前にあるかどうか車から見る為の方が余程理由としては大きいんだよね。
安全運転でいきまっしょい! 7ポイント。

はじめてのサイドミラー爆発

またも合唱がらみの行き帰りの交通の話です。
今私が車で通っている練習会場から最寄りの電車の駅までは丘を越えねばならず、つまり長い坂道を登ってさらに下りないといけないので、私はいつも日曜の練習のあと電車組を駅まで乗せて行ってあげるのです。

そうして電車組を駅前で降ろして元来た丘の狭い上り坂をぶーんと走行していた矢先。

ボンッ!!!!!

いきなり大きな音がして、嫁がキャァァ!! と叫びます。
私はなにが起こったかさっぱり把握できず、呆然としていました。
「寄りすぎやで〜〜!!」と言うので何かと思って見ると、左のサイドミラーレンズ部分が木端微塵、その破片は開けていたウィンドウからすべて車内へ飛び込んで来ていたのでした。

後部座席に居たぼうずには角度的に当たらず、まともに細かい破片を浴びたのは嫁だったのです。
幸い大きな破片は身体に当たらず、また私も嫁も眼鏡をかけていたことから怪我はありませんでした。

つまり要は狭い道だったので、私が道路左側に寄りすぎて電信柱にミラーをぶつけたのでした。
事故当時乗っていたのは私達家族だけでしたが、もしこの事故を電車組を乗せているときに起こしていたら・・・ ゾッとします。
その足で即刻ディーラーへ赴き、早速修理してもらおうと思いましたがミラーレンズは翌日取り寄せになるとのこと、平日はどうにもならないので1週間左ミラーなしで過ごす羽目に・・・。

隘路には自信があったのですが加齢による感覚の劣化でしょうか、いよいよ今後運転するのが怖くなってきました。これからは自動車教習所で習ったキープレフトを捨てて右寄り人生で行こうと思います。それにしても合唱の練習場への行き来で乗り物の樹脂部分が破損するというへんな事象が2度、2度あることは3度ある。自転車・自動車ときて次は飛行機で練習会場へ向かう最中でしょうか。そんな特殊なシチュエーションが今後無いことを祈ります。あとどうでもいいですがマイサンは常にキープレフトです。 (オポムチャン)

(寸評)いや、飛行機じゃないな。
流れから言って自転車・自動車ときたら・・・次は自慰車だ!
気をつけなはれ! 7ポイント。

初めての「あめあめふれふれもっとふれ」

20何年前の話なので記憶があやふやではあるが、覚えている範囲内で書いてみたい。

長野市中心部と戸隠村(現在は長野市の一部?)とを繋いでいる道が、当時は国道406号と県道(通称七曲がり)だったと思う。で、両親と車で最初に善光寺と戸隠に行ったのが確か中学の時。その2年後、今度は白馬村から406号線で戸隠に入ったのだ。

そばを食べた後親父が言ったのが、「さすがに京都のドライバーにとって2年前に走った七曲がりはきついわ。しかも今日は下りやし!」「そやったら406で行ったらええやん。善光寺温泉406沿いやったやん!」と俺。ここまでは良かった。

そして、バードラインかアップルラインか、何か有料の道を通り抜け、「うん?406どうやって出るんや?」と親父。2年まえに七曲がりからそのまま有料道路に入った記憶のある俺。ハッハー、このルートは七曲がり通らされてしまうんやな。そして、七曲がりの強烈な下り坂で事件はおきた。「うわ、ブレーキきけへん!」と親父。恐がりな母親は震えに近い状態。正直俺も恐い。ところがここで俺は思い出した。

実は、友人が親戚のスポーツタイプの車の助手席に乗せてもらってて、西神戸の広い道でスピンさせて遊んでいたら、ブレーキが加熱してきけへんようになったけど、暫く止まってたら戻って垂水区(浜側)内まで下りてきとった事を。俺らもどないかなる。

幸い車は止められたのでとりあえずは胸をなで下ろす。そんな事をしている内に強烈な雨。これこそ恵みの雨?いや、そう思いたい。そうであって欲しい。とは言ってもその雨は一瞬で終わった。しかし山間部なので、京都市内と違って冷えるのも速い速い。

そして、エンジンかけて坂下り始めたらブレーキは戻っていた。そして、今はあの旅館どうなっているのか、善光寺温泉に無事に到着したのであった。 (西大路)

(寸評)俺そのルート高校生の時にサイクリングで行ったな。
長野から当時の鬼無里村を抜け白馬の方に抜ける。
夏休みだったので暑かったなぁ。無人駅で野宿したな〜。 6ポイント。

はじめてのコアたまファンによるたまオンリーカラオケ

2014年6月末のホルモン鉄道関西3DAYSの中日。想定外にそれはそれは愉快な打ち上げが開催されてしまい、あんまり楽しいもんだから気付けば太郎はお爺さん、ってな具合に家に帰る術を失ったあほの私。始発を待つためにカラオケBOXにひとりで籠もろうかな、と呟いたところ有史が2人集まり、ただ女性1人に男2人はマズいでしょう、ともうひとり女性が参加してくださることになりました。根性のある4人の戦士はマンドリンお姉さん・Yさん、お家が比較的近いので付き添い&案内役を引き受けてくださったニヒル牛作家・NTさん、3たまと一人ずつセッションしたことのあるスゴイお方・Nヤンさん、ただの低スキル社会人・オポムチャン。またホテルに直帰するのがさみしいからカラオケ屋に着くまで一緒に歩いて話したい、とNさんも付いてきてくださいました。

すぐに見つかるかと思いきや天満橋駅周辺には恐るべきことにカラオケ屋が1軒もありません。そこで小雨の中ではありますがひと駅歩いて京橋まで行こう、とNTさんの提案に乗ります。
出だしから赤信号の大きな道路をなんの躊躇いもなく渡ろうとするメンバーの1人。なかなかのつわものです。
傘の無いNさんをNヤンさんと私で雨からガードします。2kmほど歩く間に、このお2人からはここには書けないとても素敵なお話を伺いました。いやいや非エロですよ! 書き手が私だからって変な想像しないで下さい! 
親御さんの話、たまの事、どうして石川さんは「どうせ君も離れていく」なんて言うのか、みんなであれこれ話しつつ感極まって泣きながら歩くNさん。
元たまの4人の現在をすごくいい表現であらわしたNヤンさん。
音楽的見地からたまと石川さんを嬉しそうに語るYさん。
あるさん萌えから「萌えの概念が世界に拡がれば戦争なんてなくなるんじゃないか」と他者に依らず自己のみで満たされる「萌え論」を展開するNTさん。
ただただ相槌をうつだけの中身の無さが虚しい私。
よくよくこのメンバーの皆さんを振り返れば、私を除いて全員クリエイティブな仕事ないしは経験をなさっています。道理でお話が深いわけです。なんか唯一の凡人オブ凡人の自分が恥ずかしくなってきました。
ですが私が他者より優れているのは創造性、ではなく模倣性なのです。オリジナリティの無さは天下一品ですが(威張るな)、既存の何かをパクる・真似ることは比較的得意な方なのです。

やっとこさカラオケの話に入ります。
ようよう辿り着いた京橋の商店街の名も知らぬカラオケ屋の前でNさんとお別れ、カラオケキチガイの私はJサウンド(機種)の部屋を選びました。なぜならたまが一番充実しているからです。その曲数38曲! 
もちろん全員たまの歌以外は一切歌う気はありません。

早速先陣を切って私がリモコンを奪います。オポ「いっそ“あ”から順に全部歌っちゃいますか?」なんて言いつつ選んだのは、ライヴの余韻も冷めやらぬ石川さんの曲。「ひるね」ヴァージョンの「ウララ」を歌い上げます。
絶対音感に近いインチキの亜絶対音感を持つ私。早速石川さんのアルバムの声のトーン・音程を緻密に模倣して周りを驚かせます。
この曲は兄弟にもお墨付きをもらった得意曲なのですがテンポダウンして「まぁアどの〜そぉ〜とは〜〜」の場所にくると、なんと他の3人全員がコーラスをとってくださったのです!!!
余程メンツに恵まれない限りこの曲はカラオケで歌わないのですが、自分のヴォーカルにたまを愛する皆さんがハモりを(しかも的確に)入れてくださるなんて・・・ こんな喜びは初めてでした。

また私は主に石川さんのメインボーカルの曲、コーラスや叫びを担当したのですが、「学校にまにあわない」の叫びや語りをほぼ忠実に再現したり(残念ながら6小節くらい余りましたが)、Nヤンさんの歌う「お経」でボボボボボボ!!! と鮮やかに6連符を決めることができた時は周りからも喜んでいただき、これ以上ない自己満足に浸っていました。にひひ。
それにしても全員がディープなファンだけにどの歌もディテールに凝って歌い上げます。普通に友人・同僚・家族とカラオケに行って、こんな濃厚な所業をすれば次回から呼んでもらえなくなるかも・・・ と思うくらいハードコアなカラオケ。しかしこの場はそれがすべて許されるのです。「満月小唄」で普通に歌詞に無いスキャット「チャチャぷー」を歌える人がここに居る喜び・・・。

皆さん素晴らしい歌いっぷりで幸せ死にしそうになりましたが、とくに私を唸らせたのは実に音源に忠実なハモりをかぶせてくださるNヤンさんの実力です。私は人にハモることはしょっちゅうですが、他の人に的確にハモっていただくことが稀なのでいたく感動しました。さすがたまのみなさんと実際にセッションしてステージに立った方のコーラステクニックは半端ではありません。ボーカルは「どんぶらこ」「お経」「マリンバ」など主に柳原さんの曲をそれっぽい声で歌ってらっしゃいました。

女性お2人は音域的な問題で知久さんの曲を歌われることが多くなります。
クラシック寄りの音楽をされているYさん、音感が抜群です。「らんちう」や「方向音痴」「鐘の歌」をお酒を呑んだ後の夜中3時でさえ高らかに歌えるという凄さ。

そして付き添いで来てくださったので始めは「・・・私も歌うんですか?」と一歩引いた感じだったNTさんも「おるがん」「満月小唄」「夏の前日」などを音域に苦労しながらも歌ってくださいました。

そして女性がボーカルをとるとNヤンさんも私もハモり師としての血が騒ぎます。
「ロシヤのパン」では上下のハーモニーを分担し、「夏の前日」では最後のア〜〜ア〜〜〜という部分をどちらと決めるでもなく分かれてハモり、最後の全員での「まちあわせ」でもNヤンさんの指を上に向けるジェスチュアで「ハモりは俺に任せろ!」という意思をくみ取り主旋律を歌う、などこの日初めて会ったのにありえない気心の知れっぷり。

こんなに楽しいカラオケは、人生で初めてでした。

Yさんは夜明けを迎えても全然眠くならない、と興奮状態、Nヤンさんはもうこれはバンドやるしかないっすね、とその気。あのー・・・ 私とNTさん楽器ほとんど出来ないんですけど。でもセミプロの方にそんなお言葉を頂けるなんて光栄なことです!

この日のメンバーの中で唯一平凡な存在の私、たとえ独自性が一切なくてもとことん模倣を窮めればある種の感動を与えられるのだな、と妙に嬉しい発見がありました。石川さんからすれば完全に真逆のスタンスなのでまったく面白くないやり方だと思われるでしょうが・・・。

次の日のライヴもあるから全然眠れませんでしたが、それに引き換えても様々なトークも含めて、本当にやってよかったと心から思えた、至福のカラオケ体験でした。

私はツィッター・ブログ・フェイスブック等は一切やらない基本人間嫌いの偏屈なので、ほかの皆さんみたいにフォローし合ったり感想を共有したりして繋がりを持ち続けることができません。またそうしていただく価値もないしょーもないおっさんです。
ですがこの日の朝までのカラオケは何処かに書き記して、この日のメンバーの皆さんも決してこんな所読まないでしょうがせめて感謝の意を表したいと思い、投稿させていただきました。

Nヤンさん、Yさん、NTさん、そしてこの最高のカラオケ体験のきっかけ(ホルモン関西ライヴ)を作っていただいた石川さん、ありがとうございました!! 個人の自己発信に満ちたいまのこのご時世ではさながら架空の人物のような私ですが、偶然どこかで見かけられたらまたたまオンリーカラオケにお誘いください。ええ仕事、しまっせ(笑)。 (オポムチャン)

(寸評)あぁ、マニアックな仲間が集まってのカラオケは楽しいかもねー!
突然段ボール・三上寛・原マスミってカラオケに入ってるんだろうか・・・。 7ポイント。

はじめてのネカマ

世の一部の男もすなるネカマといふものをオポムもしてみんとてするなり、と今年に入ってから一度だけ、このHPへ女性風の文体で投稿しました。

もともとこの場での一人称は「私」なのですが、なんかいつのも投稿文の雰囲気を変えたくてはじめて気まぐれにやってみました。
文体を異性風に仕立てあげるのはなかなか苦労するんですが、架空の女性のキャラクターをなんとなくでっちあげ、その人物になりきってみたら意外とあっさり書きはじめられました。

古くは平安時代前期の歌人・紀貫之からはじまった(と思う)「女性仮託」という形の表現法。はじめはなんだか新鮮で愉しいんですが所詮正体である私は大阪のおっさん、じきに地の部分が出て来たがって難航するようになりました。これは一部の方には男が書いたもの、って既にバレてるかもしれませんね。故に一度きりのネカマ投稿となったわけです。

まぁあくまで女性風、ということで投稿者の性別を特定する表現は入れていないので、事実にないことを捏造して投稿したわけではありませんのでご容赦ください。当たり前ですが各種投稿は多少の誇張表現はあれど実際に経験したことしか記していません。

・・・さて、一体いつのどの投稿でしょう? もちろんハンドルネームは変えています。正解が分かった方は石川さんにメールして当たれば1ポイント獲得・・・ 嘘です。てかたぶん石川さんも忘れてます。ご多忙な石川さんに要らん手間を与えないようにお願い致します。ほな書くな。うふふっ。(オポムチャン)

(寸評)それはどの投稿だか俺も覚えてないな。
だって別名投稿する人は意外と多くて、毎回ペンネーム変えて来る人すらいるくらい。
まぁ正体がバレたくない投稿もあるもんね。
みんなも「これはちょっと」というものは別名投稿全然かまわんよー。ただポイントの関係があるのでいつものハンドルネームもちゃんと書いてね! 6ポイント。

初めての携帯

実は、今の職に就くまでにかなりな回り道をしている。その一つが短大入学。しかも、この短大に入るのに一浪。それは良いのだが、点字のサークル(点訳サークル)へ入る事を決めたのが、入学二ヶ月後ぐらいたってから。その入部から一月後ぐらいの事。

「何日(土)夜飲み会な。7時半、京阪四条(祇園四条)駅の中央あたりの改札出た所集合な。来れるやつは言ってくれ!」

俺は勿論出席で出した。そして、当日はサークルのボックス(なぜか「ラウンジ」と呼んでいた)から電車で一人で向かったのだ。

京阪四条に着いた。改札を出た。ところが20分たっても誰も集まらない。ありゃ?同級生を含め、連絡先を聞いているメンバーが居なかったため、仕方なく帰宅。

二日後ボックスに行ったら、「おまえ待ってたけど来えへんかったやんけ。どないしたんや?」「すんません。四条駅の改札には時間通りに行ったんですけど、思ってた所と違う改札に居たようです。すんませんでした!」「そうか、それはしゃあないな。おまえの自宅の電話番号聞いとくべきやったな、すまん!」

この日の後も実は、駅の正式な改札名を聞かないままの状態で、「降りたら進行方向すぐの階段上がれ」とか、「後ろの方の車両に乗ったら、降りたらすぐ階段あるしそこから出ろ」みたいな説明で、合流できない事が続いた。さすがに実家の電話番号を聞いてたため、お互い電話をし自宅を出た事は確認できた。

「おまえが電話嫌いなんはわかってる。そやから、俺らに電話せえとは言わん。俺らが電話できるようにして欲しいから、できるだけ繋がる携帯持ってくれ!」

彼女ができて携帯持てと言われてもとことん持たないと決めてた俺。さすがに友人からのこの言葉には持たざるをえなくなったのだ! (西大路)

(寸評)ああ、そういう経験があるとそうか・・・。
俺、大谷、知久の「ケイタイモターズ」はまだまだ頑張るでいっ! 6ポイント。

初めての路線バス物語

あれは高校の時の話し。高校と言っても、今で言う特別支援学校に通っていたため生徒数も少なく、こんな状況になったのか?

授業中に14歳上の女の先生と山の話しになり、「じゃあ夏休みに近くの山行こうや。何人行く?」と聞かれ、俺ともう一人(二人とも全盲)が参加表明した。全盲二人を山へ連れて行くとなると、もう一人見えてる人が必要になるのだが、どういうやりとりが行われたのか、当日になっての人数は俺とその先生だけ。朝7時ぐらいだったか、阪急大宮駅に集合し、清滝行き(清滝トンネルは霊が出る事で有名)のバスに乗ったのだ。山へ行くと書いてはいるが、話のメインはバスの中。

そのバスは京都駅から出ている上、夏休みだったため身動き一つできないような混雑。俺ら二人は右側の座席側に前後に並んで立っていた。俺が前に立っていたためこの状況。俺は身長159センチ、先生は150センチちょっとぐらい?俺はつり革を持っていたのだが、「下持ったら?」と言われて持つ。159センチではあるが、手だけで言えば正直つり革の方が良かった。しかし俺の右肘。ありゃ?先生の立ち位置からして、明らかにそれは先生の左胸。

バス乗車後すぐにそれは始まっていた。しかし前にも書いたように、身動き一つできないような状況だったため立ち位置一つ変えられず。座っている誰か降りないかとばかり思った。しかも肘の感触で言えば、下から胸を突き上げてるのではなくまさに直撃状態。しかし、調子一つ変わらず先生は喋りかけてくる。乗ってくる人は居るが降りる人は誰一人として居ない。「痛くないんですか?」とも聞けず。そのうち、後ろ側の集団から聞こえてくる。

「バス停あと13」「あと12」「あと8」みたいな感じ。この頃から明らかに俺に喋りかけてる声、「あと8で降りるよ」、はい。

しかし状況は変わらず。しかも、クーラー入ってても暑い。そして乗車1時間ちょっとの後、バスは清滝トンネルを越えて終点「清滝」に到着したのであった。そしてその一日、俺は悪代官になるどころか、「痛くなかったん?」と言うことすら聞けなかったのだ! (西大路)

(寸評)先生がひそかに快楽に身悶えする顔は見られなかったのだね・・・残念! 7ポイント。

はじめてのTrap of Kyoto

6月27日。予定外に仕事が早く片付いた私は一大決心し、大阪市内の職場から京都のSole cafeへホルモン鉄道のライヴに行ってこまそう、と突如思い立ちました。

一体どれくらい時間がかかるかなんてあまり考えず、阪急電車の京都線の特急に乗りゃあ小一時間で着くだろう、とタカを括っていました。

・・・思えば既に、ここから京都の罠は始まっていたのでした。

JR大阪環状線を経て阪急梅田、京都線のホームに人はまばら。なんとラッキーな事に次に来る通勤特急・河原町行きに座って行けそうです!
おひょひょ、こりゃ京都市バス乗り換えの大宮駅にゃ相当早く着くぞ! 駅前で晩御飯でも食べてからライヴに臨もう。この段階で時刻は18時20分。

梅田駅を出発した通勤特急はスイスイと京都へ走ります。行け行け早よ行け、大宮駅前で何食べよっかな。
と、急に電車が速度を落としました。何だろう信号待ちかな? と気楽に構えていましたが、何のアナウンスも無いまま電車のスピードは歩く方が速いレベルまでに下がり、どこが特急やねん、という有り様に成り果てました。

あかんあかんあかん、こんなん間に合わへんやんけ。とイラつく私の心を見透かしたのか、淡路駅をゆぅっくり通過した辺りから電車はようやく特急らしい速度に戻ります。
普段京都線を利用しない私に襲いかかる罠①・通勤特急は淡路駅を抜けるまでめっちゃ遅い。

予想を大きく裏切られ大宮に着いたのは19時5分。あと25分でライヴが始まってしまう!! こんなんメシ食うてる場合とちゃうがな。

バス停に一番近い出口を的確に見つけ、駅の外へ飛び出し6番乗り場を探します。しかし出てきたのは大きな五叉路の交差点、目印の【餃子の王将】など広すぎて見つかりません。罠②・京都の街は碁盤状で交差点が多く、目当てのバス停が見つけにくい。

埒があかないので長い信号を待ってしらみつぶしに交差点を回ります。そして発覚、6番乗り場は私が出てきた阪急大宮駅出口の背後20mの場所にあったのです・・・
わかるかぁぁぁぁぁ!!!

餃子の王将からは小憎らしいほどにうまそうな匂いが溢れ、私の食欲をこれでもかとそそりますが当然ここで飯を食える時間などありゃしません。

ようよう乗り付けた市バスはほぼ満杯、すでに19時13分です。一体会場最寄りのバス停まで何分かかるのやら・・・ 見たところ20近くの停留所があります。

当日いきなりライヴ行きを決定したため、携帯電話のバッテリー残量も財布の中身も心もとなく、到着時間の検索さえも躊躇われます。いや、これは京都の罠とか関係無く私があほなだけですが・・・。

お財布に金は一万円足らず、今日のチャージは当日だから4000円。ちょっと不安だけど私のIC乗車カード「ICOCA」には2000円の残があります。当然バスはこれで会計しようと思ってたら罠③・大阪市バスとは異なり京都市バスはICカードが使えない。ぐわぁぁぁ!!

半べそかきつつ千円を両替機へ。230円を用意します、それにしても停留所ごとにバスが停まるとはどういう訳か。1つくらい通過したって良さそうなものなのに律儀に全てのバス停に停車していきます。

・・・全然進まへん。

罠④・京都の街は碁盤状で交差点つまり信号がやたらと多く、夕方は恒常的に混みあっている。

罠⑤・京都の街は日本の誇る歴史的文化遺産がそこここにあり、大抵のバス停留所は古跡名勝のそばにあるのでスルーは稀である。

・・・・・・。
本当に、ひとつの停留所も逃さず誰かが乗り降りしてきやがった。開演時間を過ぎた時計を見て、私はイライラを通り越して呆然としていました。

〜おじはん、ここは大阪とちやうのえ。アウェイなんどせぇ。〜

そんなインチキ京都弁の幻聴すら聴こえそうな気分で私はバス停を降り、道路向こうのSole cafeへ渡る信号がこれまた長く青になった瞬間ダッシュで会場へ向かいました。

とはいえ初めての会場です。昔グーグルのストリートビューで周辺の風景をインプットしていたのでおおよその場所はわかりますが何しろ19時半過ぎ、とっくに日は暮れています。
ここだなっ!! と目星を付けて駆け寄ったのは・・・ペット専門店でした。
罠⑥・Sole cafeの外観はとってもそれっぽくない。

・・・舐めてました、京都。空きっぱなしのお腹のままライヴは感動のうちに終了、大谷さんのCDがなんと2枚で3000円!? そんなチャンスはまたと無かろう、財布の中身も考えずに購入してしまいました。
今度は余裕持って行動しようと反省、名残惜しくも
22時にお店を出ました。

帰りのバスはさすがに通過の停留所もちらほらありました。いろいろあったけどありがとう京都! と阪急大宮駅から梅田行きで帰ろうとしたところ、なめたことに人身事故が発生し、もう1時間以上電車が止まっているとの案内がありました。

京都ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!
嫌いか? そんなに私が嫌いか!? 嫌いやったら嫌いで構へんから早く大阪に帰らせてオクレヤス!!

財布に残った金は1500円、何処かに泊まることは不可能です。
携帯電話で助けを呼ぶにもそんな時間に京都まで来てくれる友人は私には居ません。しかも電池はもはや1目盛しか残っておらず、ちょっとした使用でただの鉄屑に成り下がる準備ができています。
京都→大阪への最終電車の時間は刻一刻と迫ってきます。こうなったら、どうにかしてJR京都駅まで辿り着いてそこから帰るしかない! 阪急以外の電車で阪急大宮付近からJR京都へ行く方法は・・・ ないっ!! 罠⑦・京都の街は数多くの電車が走っているがJRとの連絡が今一つ効率的でない。わなわなわななな。

半狂乱でバス停に駆け寄り、JR京都駅行きの直近のバスを必死で探しました・・・あった!!! 時刻は10時35分。さらに230円が徴収されいよいよひもじい嚢中。バスよ間に合え、大阪行きの電車にっ!!

果たしてバスは10時47分にJR京都駅前に到着、大阪行き最終の新快速に滑り込むことが出来ました! 最後の最後に運良く席に座ることさえできました。

JR大阪に着いて乗り換え、阪急宝塚線に乗り込むと京都線は止まったまま。そして私は家の最寄り駅で日付の替わる頃遅い遅い晩飯を食べ、30分の帰路を歩いたのでした。財布には1枚の紙幣も無くなりましたがもう安心です。

あのまま阪急大宮駅で電車の復旧を待っていたら、私は確実に野宿していたでしょう。私は珍しく判断の良かった自分を褒めましたがだいいちいきなり思い付きでライヴに行こうとするのがそもそもの判断の間違いだったような気もします。

でもね、最高のライヴだったんです! レアな石川さんの曲も聴けたし、それを思えば散々私を嘲弄した京都ですが行った価値はあったのです!!!

てか罠罠言うたけどちゃんと事前に調査準備をしたなかった私の単なる逆恨みの話でした。京都の皆様ごめんなさい。 でもねでもね、バス降りるときは早めにボタン押して運転士さんに知らせてあげて! 今回だけなのかもしれませんがほとんどのお客さんが停留所の直前でボタンを押すもんだから運転士さんも心の準備ができてなくて急な停車になりがちでした。せっかちに過ぎる大阪人は、「次は・・・」の段階でバス停の名前を聞くまでもなくピンポーンと押す人がほとんどです。
やはり商人の街とは文化が違うわけで、都暮らしの方は気持ちにゆとりがあるのでしょうね。

ちょっと隣の街なのに感覚の異なる京都に勝手に翻弄されたあほのある夜の出来事でした。(オポムチャン)

(寸評)ここは千年の都京都どすえ。
一筋縄で田舎者のあんたはんをお通しすることはでけひまへんなぁ。
まぁ、あんじょうおきばりやすぅ。7ポイント。

初めての自由落下と救急車

  あれは2006年12月の事だった。その日の夜は疲れていた。何かわからぬが疲れていた。当時は前の職場だったので、仕事終了後に鍼の研修会に続きで行く事もあった。その研修会からの帰りだった。

  先輩の治療院を出て一人で最寄りの駅に到着。電車が遅れている。京都駅で乗り換えるのだが、11時10分やったか、その電車には乗りたかった。もしそれに乗れないぐらいまで遅れていたらタクシーで帰ろう。それぐらい疲れていたのだ。 

電車来た。これなら間に合う。安心した。ほっとした。そしてその電車がJR京都駅9番ホームに着いた。下りた。9番ホームの点字ブロックだとわかったので、その先の通路を歩こうと、隣の8番ホームの点字ブロックまで行ってしまわぬように確認したつもりだった。右足を出した瞬間抜けた。何もない。シュルルルルルルルーン、ゴローン。右わき腹から2メートル近く下に転がったのだ。つまり、8番ホームから線路に落下したのだ。 

右わき腹を打って呼吸ができない。左手を擦りむいたようで痛い。でも立ち上がれた。杖がブラーンとなってる。これは破壊されたな。手を上に上げるとホームまでは届いた。しかし159センチの俺は上がる事ができない。「上がれますか?」とお姉さんのような声がした。「無理」とだけ言えた。左右一人ずつ、二人から手を引っ張られて引き上げてもらった。「ありがとう」が言えなかった。駅員と思われる者が「救急車」と叫んでいる。これで救急車?俺は次の電車に乗りたいんじゃ。ありゃ?右唇がグチャ。これは従っておいた方がよさそうやな。唇は縫われそうやな!両脇を抱えられながら階段を上り下りさせられた。そして、車いすか何かに座らされてそのまま中へガチャーン。「はい、仰向けになって下さい」と。これが救急車か。こりゃおもろい夜になったぞ!しかしここまで来る間、「誰かに押されて落ちられましたか?」と何回も聞かれたのだが、はっきり言ってうざい。もしそうならそう言う。これは完全に俺のミスや。 

さて、病院を何処にするか交渉していただいてる。「できれば家の近くのKT病院にしていただけますか?あの病院からですと道覚えてて帰り一人で帰れるんですよ!」その願いは叶えていただいた。「ご家族で迎えにきていただける方はおられますか?」と聞かれたので、「母親にお願いしますわ!」とだけ答えた。彼女と違っておかんかよ。彼女も京都市内に居るとは言え遠いし、彼女も全盲、俺が逆に連れて帰らなあかん。さすがにそんな元気はない(今は彼女はなし)。さて、病院も受け入れてくれると言う事なので出発、ピーポーピーポー。 

おー、速い。速い。おー、スピード落としてはるし信号か。ありゃ、止まらんやん。そうか、救急車に信号停止は基本的にはない。そうやったそうやったー。さっきからずっとまっすぐ進んでる市これは七条通か。「すんません。いまこれ七条通走ってますか?」「はい、今七条七本松ですよー」「やっぱり救急車は速い!」思わず呟いた。 

そして病院到着。母親は既に到着していた。診察開始。「えー、よくこれですみましたねえ!」と看護師さん。「はい、8番ホームから落ちたんですけど、あれが5番ホームやったら救急車ではなく霊柩車に乗せられているところでしたねえ(笑)この年齢で霊柩車にはまだ乗りたくないですねえ!」そんな事を話しながら、やはり予想通り、唇は三針縫われ、擦りむいた左手の処置もしてもらったものの、骨には全く異常なし。「その肥った体、どないかせんととは思てたけど、こんな時には脂肪もつけとけへんとあかんもんなんやなあ!」と母親に言われながら、「落下初体験と救急車初体験」から歩いて帰宅したのだった。 

余談だが、俺は実家からまだ一度も出た事がない。でも、先輩後輩を含め、友人がよく家に泊まってくれる。みんな、「居やすいからや」と言ってくれるが、飲んで俺一人で帰るよりも、見えてる誰かと一緒なら安全に帰れるという意味もあるからだ。そしてこの落下初体験の後は、「今夜泊まってもええか?」の後に、「ホームから落ちて後で香典請求されても困るし!」「おまえのために電車止まったらみんな帰られへんやん」というのがつくようになった。「俺、落ちた時は全くのんでへんねんけど!」 (西大路)

(寸評)いやあ良かったねえ。全盲の人はどんな時でも「次の一歩が無い」という恐怖が常に横にあるんだものね。
俺もライブ中イントレ(照明を吊るす鉄骨)に登って照明が当たっていず、真っ暗な中でふと気づいたら足の下に何も無くて頭から転落したことがあるから気持ちは分かる。
一瞬何が起きたか分からなかったけどすぐ意識を取り戻して舞台に上がれたから良かったけど、終演後鉄骨がグニャリと曲がっているのを見て「俺の首の方がグニャリと曲がっていたといういう可能性もあったんだ」と思ったらゾッとした。
あと俺の一人暮らしの時も家が溜まり場だったからそれも分かる。
冗談の面白い西大路だから人が集まるんだろうね。
今後も出来ない部分はそんな友達にも手伝ってもらって、またライブに来てね! 8ポイント。

初めての「俺のわがまま聞いてくれ」

  すんません、関西の方しかわからないねたで申し訳ないです。 

それは6月28日の朝10時過ぎの事でした。僕のTwitterは、なぜかメールが1年近くも止まったままなので、「僕宛に誰からか来てるか?」とログインして確認しました。すると5分前の表示でありました。「私は今日は梅田に行けば良いんだよね?」これ見てなければ相手はどうなっていただろうかとあせりました。いや、本題はここからですよー(笑) 

何処泊まってるか確認すると、「小野(僕の本名です)ちゃんが言った、阪急大宮だよ」との事。「それやったら阪急で梅田に行ったらええよ。阪急梅田のある所がJR大阪駅やからね!」ところがこれを書いた後で不安になったので行き先を確認すると、「天満橋」て返してくるではないか。事前情報で、僕は相手がJR環状線の天満駅に行くものだと勝手に思いこんでいたのです。 

相手が関西人ならこの時点で梅田とは逆方向の、「河原町で下りて四条大橋渡って京阪に乗れ」と言ったのですが、相手は京都に殆どなれていないであろう関東人。「それやったら、淡路で下りて隣に来る電車に乗れ。で、「天神橋筋六丁目(天六)」で下りるんやで。ここまでオーケー?」「天六で下りたら改札出ずに、地下鉄谷町線八尾南方面に乗ったら天満橋あるから」 

ところがここでまた不安になって、駅探で時刻表を見たらやはり的中。「もし、天下茶屋行きの電車に乗ったんやったら淡路で下りずにそのまま天六に行けるからな。もしわかれへんようになったら、淡路と天六で「天満橋行きたい。関東から来て何もわからない!」て言ったら教えてくれるわ!」ところが、次の返信で僕の頭は梅田行きに戻されたのです。
「ごめん、天満橋に行く前に、塚本に行かないと。本当にごめん!」「それなら、梅田に行って、JR大阪から神戸線の普通電車で一駅。で、塚本から天満橋は、大阪駅に戻って地下通路を地下鉄東梅田まで歩き、天王寺・八尾南方面に乗ったらあるから。これでオーケー?」「大丈夫」の返信を確認したのですが、夕方になって「東梅田何処?」というやりとりを、その夜合流予定の方とTwitter上でやっているではないか。「そうや、環状線京橋乗り換えで京阪があった。やってもうた」 

本当にこの時は泣きそうになりました。携帯持ったまま泣きそうになりました。一番歩かせたくなかった梅田の地下を45分も迷わせてしまいました。でも、天満橋には何とか行けた事を確認しました。そしてこの方には次の日に会って言いました。「俺のわがまま聞いてくれ。次京都に来た時は、JR西大路駅と、駅から俺の家までの道覚えて。ここからやったら、時間はかかるけどバスやタクシーをフルに使ってナビれるから。お願い!」 

回らない頭グルグル。そして、メール止まったままのTwitter上グルグル。一日でここまで頭使ったのは初めてでした。でも、この方には僕の方が間違いなくお世話になります! (西大路)

(寸評)いやあ、それだけでも凄いよ。目が不自由なのにそこまでナビ出来るのは。
だって関東人はまず同じ大阪駅なのにJRは「大阪」でそれ以外は「梅田」ということから教えなければならないからね。
さらに梅田と東梅田は別の駅だけど歩いて行くのが普通、とか。
もっと言えば「新今宮」「動物園前」「南霞町」の3駅が実はほぼ同じ交差点にある、なんて高度なこと大阪に何度も通わなければ分からないものね。
しかもその相手は有名な方向音痴さん。そりゃふたりがタッグを組めば最強だ(笑)。
しかしスムーズに行かないのも旅の楽しさのひとつ。思い出にもなる。
結果的にライブにも間に合ったし、いい笑い話が出来たと思った方がいいよ。
また友達出来て良かったね! 8ポイント。

 

初めてのセルフ…

僕が中学生の頃です。
その夜は夜更かしして、もう家族はみんな寝静まっていました。
宿題に追われて風呂に入るのもずいぶん遅くなりました。
脱衣場で裸でストレッチをしてると、目の前に自分の物がぶらさがっていました。
中学時代といえば、もっとも盛んな時期です。
なんのおかずなしでも盛り上がれる、多感な時期です。
唐突に僕はなんの前ぶれもなく、気持ちよくなりたくなりました。
もうみんな寝静まっていることだし、いろんな体勢でいじってみました。
新鮮でした。
何の気なしに脱衣場に寝転がって、両足を頭の方にやって〇んぐりがえしの体勢になってみました。
すると、目と鼻の先に僕のいきり立った物があったのです。
僕は思いました。
これは、もう少し頑張れば届くんじゃないか。
でも首を必死に伸ばしますが、あと少しのところで届きません。
一度諦めかけましたが、休憩をはさんでもう一度挑戦してみました。
すると体がさっきの体勢になれたのか、僕の物はもう目に当たりそうな場所に来ています。
僕は唇を湿らせて顔を近づけ、物をつかんで引き寄せると、ぷるぷるっ、と、口にしたことのない感触が唇に触れました。
しょっぱくて、でも不思議といやな感じはしませんでした。
こんなに変態的なことをしているのに。
それは今まで味わった中でも最高の快感でした。
ただ出し入れするというレベルではなく、唇で擦るという程度しかできませんでしたが。
背中に限界がきて、達する前に体勢をもとに戻しましたが、これは練習を重ねたら病み付きになりそうだと思った中学の夜でした。(こっくん)

(寸評)リアル中学生円山!
もしかしてこっくんの本名は宮藤官九郎か!?
よほど体が柔軟じゃないと出来ないな。
逆に言えば柔軟な人は皆やってるかも!? 10ポイント。

初めての自家製飲み

脱衣場で自分の物を口にするという、雑技団のような行為に目覚めた僕。
するたびに背骨がきしんで痛いのですが、その変態的な行為に興奮して、その後も半年に一度のペースで挑戦しました。
高校生に上がると、体がだんだん成長したのか堅くなって曲がりにくくなってきました。
その一方で、僕の物も成長して少しずつ長くなりました。
口まで持ってくるのに時間がかかるようになりましたが、刺激しやすい大きさになりました。
その夜もみんなが眠ったのを確かめてから、脱衣場でひっくり返り、体をならして徐々に物を口に近づけていきました。
やはり口の中に完全にくわえこむのは厳しく、それでも唇に擦り付けたり舌を使って充血した先端をなめまわしたりします。
するといままで意識的に避けてきた、あることをしてみようとふと思いました。
自分の口に出してみよう。
それをやってしまうと本物の変態になるような気がして、ためらわれました。
でも今の自分だって、もう十分に変態です。
せっかくの人生、ここまできたらとことんやってみようと思いました。
やらないで後悔するより、やって後悔しようと思ったのです。
舌先でもてあそんでいる自分の物が、最高潮を迎えようとしています。
恐くて、逃げ出したいような気持にもなりました。
本当に、自分の出したものを口の中に直接放つなんて、気が狂っているんじゃないかと、もう一人の自分が言います。
でも、やって後悔すると決めたんです。
絶頂を迎える瞬間、背骨を無理に曲げて口と物を接続します。
とくっ、とくっ、と勢いよく流し込まれる、そのもの。
無理な体勢をとったため、口に含んだまま、しばらく大の字になって倒れていました。
なんとも言えないとろみの、しょっぱい液体。
吐き捨てても良かったのですが、そういうサービスをしているお姉さんの気持になって、あえて飲み込んでみました。
言葉にし難い達成感と引き換えに、今後自分の物を口にしよう、という欲求はその瞬間から消えてなくなりました。
きっと人間としてやってはいけない行為だったのでしょう。
脳が僕にそう指示したのかもしれません。
今は成人しましたが、久し振りにひっくり返ってみたら物は遥か遠くになっていました。
もはや体が堅くなり果てていたようです。
ですが、ちょっと安心しました。
アクの強い話ですいません。(こっくん)

(寸評)変態!!!
もっとすごいのない!? 話聞きた〜い。
欲望はつきない! 15ポイント。

初めての大怪我?

2014年6月現在、地上デジタル9ch「TOKYO MX」で日曜日に「ウルトラマンタロウ」が放送されているのをご存知だろうか。
最近になって自分の夢はゴジラやウルトラマンのスーツアクターになる事だったのを思い出し、まあちょこちょこと体を鍛えている。Youtubeなどでは割と映像が投稿されているが、先日何年かぶりに1973年当時の本編放送を見た。主役の篠田三郎さんの元気はつらつとした演技やタロウの戦う姿にやけに馴染んでしまう自分。

そんな事もあってから次の日に散歩に出かけた。そろそろ引っ越してこの地域ともお別れなので意識して通った事の無い道を選ぶ。ふと畑の向こうに見たことの無い公園を見つけた。入ってみると小さなアスレチックがある。4mくらいの高台に上り、体の鍛え具合を確かめるためなんて思って飛び降りてみた。が、慣れていない上に姿勢が全然なってなかった様だ。膝にあごを打った上に腰を大いに痛めてしまった。音こそ聞こえなかったものの骨が折れたかと思った。しばらく寝転がっていたがなんとか立ち上がり、10分程の帰路を歩いて帰った。
当然ながら帰宅した所で痛みは止まない。寝転がるとなんとか治まるが、立ち上がると辛くなってくる。3時間程寝込んだ。帰宅した父に湿布を貼ってもらった。どこかで掃除機を使っている様な音がしたが、強めの耳鳴りだった様だ。立ち上がると、意識こそしっかりしていたと思うがもの凄い立ちくらみがした。寝ていて脳内の興奮物質が切れた様だ。・・・ヤバいかも。
さらに1時間程寝込み、杖を使って階段をおりるまでの事態に。リビングに入るとまた立ちくらみがし、さらには吐き気を感じる。救急車を呼ぶ様に言われた。なんとかネバって静かにしていると少し楽になってきた。その日のうちになんとか自転車をこげるまでに回復した。

次の日はやはり寝込んでいたが、明後日には普通に自転車で通所。痛みはあれど仕事もなんとかできた。半身不随の可能性も挙げられたが、そうはならないという奇妙な自信があった。
幸い周りに大した迷惑をかけなかったとは思うが、そろそろいい年である事を感じた。一人暮らしも控えているのでそろそろ節度ある考えが求められる次第である。(Sankaku)

(寸評)ええとやはり病院に行った方が・・・。
あっ、頭の検査の方で。 7ポイント。

初めて石川さんとホテルの同じ部屋で眠ったツインベッドが「水カレーが激しくベッドの上にてんこもり」なベッドだったと7年後に気づいたの巻

2007年2月、タイ旅行中の私は、かねてからチェンマイに長期滞在中の石川浩司さんに「遊びにこない?」と誘われました。二つ返事で「行きます」と答えた私は、バンコクから飛行機に乗ってチェンマイに向いました。そして石川さんの好意に甘えて一晩、同じ部屋に宿泊することにしました。
石川さんは「この一ヶ月ほとんど誰ともしゃべってないんだ、エロさんと話すのが久々」と言うくらい日本人と接触してなかったようで、その日は昼食のあと散歩して、夕食してはしご酒するほど、大いに飲み食い、語り明かしました。そしてホテルに戻り一泊し、翌日別れました。
それから時はあっという間に過ぎ、7年経った2014年のある日のことです。私は当ホームページの「ドキドキドキリコ初体験」のバックナンバーを読んでいました。すると、以下の記事に目が止まりました。「初めてのツインベッドの利用法」http://ukyup.sr44.info/sy38.html これは石川さんが書いたものです。読んでいるうちに驚愕の事実が明らかになったのでした。石川さんがお腹を壊して、シーツを下痢マミレにした同じベッドに私は寝ていたというわけです〔笑〕。もちろん、シーツクリーニングをしているから私が寝た時には異変があったわけではないのですが、その何週間か前に、シーツが下痢マミレになっていたとは、今の今まで気がつきませんでした。しかし、ホテルというのは、以前に宿泊した人が「水カレーが激しくまたベッドの上にてんこもり」しても、当然のことながら、わからないものなんですね。勉強になりました。〔けして石川さんに恨み言を述べているのではありません、時間を超えてわかった事実ににやりさせられたのでした〕 (波照間エロマンガ島)

(寸評)そうそう。もちろんもっと残虐で凄惨なことが起きた現場だとしても。
とりあえず日本の宿に入ったら飾ってある絵等の裏を確認。
お札が貼ってあったらそうゆうこと。 7ポイント。

はじめての恥辱→爆笑へ大逆転

迂闊・粗忽に過ぎる私。服の襟がグシャグシャだったりポケットがひっくり返ったりしているのは日常茶飯事ですが、それ以上に恥ずかしいのが社会の窓、ソウシャルウィンドウがフルオープンの状態で外に出てしまうことです。
変態の私なら意図的にやってんじゃねえの、なんてお声も聞こえて来そうですがこんな私でも恥ずかしさの概念は生きています。ほんとですってば!

さてそんなうっかりやさん(可愛く言うな、あほ)の私、なんの手違いかうっかり社会人になりすましてしまい、そんな折大学時代に所属していた合唱団の同期の連中に誘われて社会人合唱団の立ち上げメンバーになりました。

うっかり者の私でも練習は真剣です。
大阪のアンサンブルコンテストに出場したり、日曜の朝から夕方までストイックにハーモニーの調整をしたりとかなりの本気度で取り組んでいました。
そして初めての演奏会に向けての練習が始まり、雰囲気も相当張り詰めたものになってきました。
実をいうと私は歌が好きだけど野太くて汚い声質の持主、他者とハーモニーを形成するのが大の苦手で、こんな空気のピンと張った練習は嫌いなのです。
もっと楽しく、どんどん先へ進んでいく練習を好む快楽主義者なのです。
しかしみんな最初の演奏会で恥はかけないぞ、とマジメそのもの。指揮者の指導も苛立ちが目立つようになってきました。
こんな練習たのしくないなぁ。音を楽しむ、って書いて音楽なんだから・・・ と思いながら雰囲気を和ます術も思いつかぬまま、私は休憩時間にトイレで小便を垂れていました。

悶々として練習会場へ戻り、アンサンブルが再開しました。
指揮者が一旦曲を止め、各パートの至らぬ部分を指摘します。
その時、ふっと視線を落とすと、なんと私のソーシャルウィンドウがフルオープンしていたのです!!!
しかし勃った、もとい立った状態で歌っているのでまだ誰もその事には気付いていません。しかしそそくさとチャックを上げるのも不恰好ですし、誰かに指摘されるのはもっと嫌です。
このまま放置しておけば、雑念・恥辱にまみれて歌うものも歌えなくなります。そこで私は大胆な作戦に出ることにしました。

指揮者が各パートの課題点を指摘して、練習を再開させようとしたその時。私は大きな、また厳格な調子の声でこう言い放ちました。

「ちょっとみんな聴いて!!」

私は歌声はまずくて戦力外でしたが、音感と和音の知識に関しては団の中でも得意な方でした。
音楽的にはある種の信頼を得ていたのです。
なにか指示を出すのか? と皆が固唾を呑んで私を見つめたところ、5秒の沈黙を作ったのちに私は毅然と、真剣な表情で言いました。

『俺、チャック全開やったわ』

会場はしばらく練習ができないほどの爆笑に包まれ、その中で私は堂々とチャックを上げ、ソーシャルウィンドウを封じたのです。
葬式で面白いハプニングが起こると笑えて仕方ない、なんてなことがありますが、空気が張り詰めている場所での笑いは破壊力が抜群なのです。「緊張と緩和」の理論だそうです、誰かがおっしゃってました。

それを利用して、私の恥ずかしい失敗を笑いに転化してやったのです。
結果は大成功、その後の練習も変な力が抜けて、実に効率的・効果的なアンサンブルが出来ました。
厳格な雰囲気の団に、道化が誕生した瞬間でした。以後も私は要所要所でガス抜きをする、特異なポジションに居続けたのでした。

うっかり者もアイディア次第で良い作用を生むのだ、と自らの経験で思い知った、ある練習日の話でした。(オポムチャン)

(寸評)次は『俺、ウンコ洩れてたわ』でお願いし?。6ポイント。

初めての号泣「初めまして」

「GO!GO!ホルモン鉄道」発売記念 関西ツアー in 満天堂
6月28日(土)待ちに待った「ホルモン鉄道」の関西ツアーを見に行ってきました。
最近、ライブへ行く≒ツイッターでの相互フォロワーさんに直にお会いできる喜びとなっている私は
この日もハーブティーさんと初めてお会いする直美さんとでマックで待ち合わせをしていました。

最初は全員揃って向かう予定でしたが、開場時間がせまってきた為ハーブティーさんは我々の分も含めて席を取る為に、一足先にマックを出発されました。

暫くして直美さんから「先に行ってください」と連絡が入り私も会場へ向かいました。

向かうと行っても、方向音痴。改札を出てまずどちらに向かえば良いのか分かりません。

「駅から西へ徒歩2分」だから、迷ってもたかがしれているだろう〜、又はハーブティーさんに連れて行ってもらお〜と非常に甘い考えで何も準備せずに来ていた私。
通りすがりのお姉さんに「あの〜西ってどっちですか?」と尋ねたら失笑されちゃいました。
方向音痴はね。東西南北なんか分かんないんだよ。前か後ろ、左右くらいしかっ。

本当にここで合っているのか不安になりながら歩いていると、ハーブさんが迎えにきてくださっており
何とか開場時間に間に合いました。
初めて入る「ごろっぴあ」さんで暫くは顔見知りの方数名とお話をしてたんですが、ふと直美さんの事が気になりました。
遠方からお見えなので迷っているかも・・・と心配になり今度は私が直美さんを迎えに行こうと思いました。

外に出てみてもそれらしい人がいません。
というか私達は初対面。お互いの顔を知らない。
『顔のYシャツ』みたいな目印もない所での『まちあわせ』とか無謀でした。

『初めて会う人に方向音痴の私が道案内』
何故こんな高度なミッションを自分に課したのか分かりません。
自分が遠方に行った時、現地の人に親切にしてもらって有難かった事が頭に過ぎり、私が助けなければ・・・と変な正義感が湧いていたのでした。

ですが無情にも、とんちんかん同士(直美さんゴメン!)が半泣きで電話でやりとりしている間に開演時間になってしまいました。
見つけられない・・・どーしよーっっ(T_T)と思いながら歩いていると
遠くの方で、電話をしながらキョロキョロしている女性を発見っっ

思わず「直美さーんっ。こっちこっちー!!」と手を振りました。
「えーっどっちどっちー!?」手を振りながら一回転する直美さん。

そしてようやく目が合った二人。
映画で言えば、おそらくあのシーンはスローモーションだったと思う。

二人が同時に駆け出し、まるでそこがパリかミラノの街角の様に、道のど真ん中で
「会いたかった!!」と熱い抱擁を交わしたのでした。

「初めまして」なのに(笑)。

しばらく二人で号泣しながら抱き合ってました。
周りの人達、どん引きだったんだろうなぁ〜

「はっ!こんな事している場合ではない!」
慌てて会場に戻ったら開演時間がおしていて、本当に助かりました。

ドキドキしたり泣いたり笑ったり・・・まだライブも始まっていないのに!!
器用な人やスマートな人なら、なんてことはない10分間。
だけど、不器用でモタついた私にとっては、この上なくドラマティックな10分間。

便利より不便の方がだいぶ良い様に、器用より不器用の方がだいぶ良い・・・・かなぁ? (でゅおめいぷるようこ)

(寸評)いや、まさにそれっすよ。
そういう感動がある意味、生きる醍醐味なんすよ。
ケータイがなかった時代にあって、今失われたことってこうゆうことっす。 10ポイント。


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