ドキドキドキリコ初体験(67)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールにて。題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

はじめての脚プチプチポッキン

  カエルin空き缶with爆竹からさらに記憶を幼少期に遡ってみましょう、自分の行為を残酷と感じるのは、私の場合小学生になるかならないかのラインにあったようです。
つまり、小学校に入るまでは、たいていのことは平気で出来てしまうのでした。
飛ぶハエを平手で叩き潰したり、アリの胴体をひねったりと、命を命とも思わぬ大きい者の特権を濫用していたわけです。  

そんな私の鮮明な4歳の頃の記憶。父方の従兄弟の兄ちゃん(カエルの話は母方の従兄弟でしたが)の家は堺市と大阪市を隔てる大和川のすぐ南側、すなわち堺市の北端にありました。
初夏の日曜日、その従兄弟と兄貴と私は3人で、大和川の土手に出来た泥だまりでザリガニ釣りをしようとスルメ・箸・糸・虫かご等を携えて表へ飛び出しました。

  まだ不器用な、というか未だ不器用ですが小さな私はザリガニを釣り上げるタイミングや力加減がてんでわからず、上の2人が夢中になるのをよそに早々に飽きてしまいました。
初夏の草叢でしゃがみ込んでいて目につくもの、それは沢山の緑鮮やかな虫たちです。

  そのとき、どういうわけか不器用な私は一匹の小さなバッタを捕えることに成功しました。
潰さない程度にバッタを握り、ぼやんとしていましたが、退屈な中なにかこれで遊ぼう、と思った私は、おもむろにバッタの脚をプチンと根元からもぎ取りました。
なんだかその感触が楽しかったらしく、私は次々とバッタの脚をプチプチポキンと折り取り、ザリガニ釣りに興じる従兄弟と兄に見せました。

  「うわっ、えっげっつっな〜〜!!」

  バッタの脚は2本になっていました。人とおんなじにしたかったのでしょうか、その時の私はほんとうになんの哀れさ、躊躇いを感じることもなくただ無機質に脚もぎを敢行したのです。
もいだ根元はなぜか場所ごとに違う色に光っていました。ピンクがかった赤と、青が綺麗でした。不思議な話ですが、いまバッタを捕まえて本当にもいだ根元の色がそれぞれ違うのか検証する気には絶対なれません。

  上2人が私に非難的な態度をとるので、私は2本脚のバッタを草叢に放りなげ、何事もなかったように土手道を帰りゆくのでした。
幼さゆえの無自覚な残虐さ。それを憶えていてその行為が残虐であることに私は幸いにして気付くことが出来ましたが、石川さんのおっしゃるように今の世の中ではそれに気付く機会というものが失われているのかもしれませんね。(オポムチャン)

(寸評)まあ豚や牛や鶏は平然と大人になっても殺してるわけだしね。
命は少なくとも人にとっては平等じゃない。 7ポイント。

   

はじめての「縁」ってほんまにあるかもしれんと思った出来事

  私は超常現象・奇跡・何かのご縁・占い・神仏などをまるで信じない、夢の無い偏屈として生きてきました。
そんなつまらん男の私でさえも、はじめて「縁」というものを感じてしまった、大学から結婚に至る若かりし頃の出来事です。

  私は大学時代合唱団に所属しており、その年の1年生は男声9人、女声16人とそこそこの数でした。
すでに私には生意気にも高校時代からの彼女(1学年後輩)が当時は居たのですが、恋愛感情とは別で気の合う女の子が同期にいました。仮に島熊山狸子、とでもしておきましょう。
狸子ちゃんはすでに3年生の先輩とお付き合いをしており、1つ年上でもあったことから私からは随分大人に見えました。
ともかく気が合うし、お互いすでに相手は居るので謀反気を起こすこともなく、笑いのツボが合致する異性の友人として重宝しました。
ところが残念なことに2年生に上がった時に親父さんが入院してしまい、お母さんに幼い時分に先立たれた狸子ちゃんは家の事をあらかた請け負っているので部活などしてられない状況になって退団してしまいました。

  さて話は変わり、我々関西の大学合唱団は他の大学とよく合同演奏会などを開催するのですが、その時に相手に憶えてもらいやすいよう名札を付けます。
プラスチックのケースに紙を入れるだけの簡単な作りのものですが、3年に上がった際、なぜか私の名札の紙が行方不明になっており、総務係が再作成してくれました。
何の気なしに裏側を見ると、果たしてそこには「Soprano 島熊山狸子」の文字が。
私の名札は、すでに退団して名札が不要になった狸子ちゃんの紙を再利用して作られたものだったのです。
これを利用して、私はよく名札をひっくり返して「狸子です」と名乗るボケをしばしば飛ばしていました。声域といい体格といい私と狸子ちゃんは真逆だったので、ギャップが笑えたのです。

  そして記念に名札をもらって卒団と同時に大学を卒業、2年の潜伏期間を経てまぐれで社会人に成りすました私は、誘われて母校の小規模なOB合唱団の創設メンバーになったのですが、そこには懐かしい狸子ちゃんも参加していました。久しぶりの再会、お互いに元の相手とはすでに別れてひとり身でした。
それでも気の合う友人として、恋心はとくに芽生えなかったのですが、私のこれまた元合唱団の男友達が狸子ちゃんに告白したことをきっかけに、相談相手として2人で話す機会が増え、結局その男友達の告白をゴメンナサイするのですが、何気なく冗談っぽく口にした「ほな僕にしたらええねん」という台詞をきっかけに、私と狸子ちゃんはお付き合いをすることとなり、あれよあれよと半年で結婚してしまいました。

  2人で住む賃貸ボロマンションで引越の荷物を解くと、私は思わず声を上げました。
あの名札が出てきたのです。
1枚の紙の裏と表に、私と彼女の名前が記されています。
6年前に自分の名札をなんとなく裏返した時には、まさか2人がくっ付くなんて周りはともかく本人たちでさえまったく想像の出来ないことでした。

  これが、「縁」というものなのか・・・。
偶然にしては、よくできた話です。不思議な出来事を信用しない私ですが、この時ばかりは「何か見えない力」というものの存在を認めたくなりました。この5月で結婚10年目、今でも名札は私の引き出しの中にあります。(オポムチャン)

(寸評)クーッ、いい話じゃねえか。やるねぇ、この幸せ者。持ってけ10ポイント!

はじめての尻から伝説の剣

  ※下品です。お食事のあとでご覧ください。
運動不足が顕著な、小太りと大太りの狭間で揺れる私。173cmに対して80kgでは少々鏡で裸を見るのが辛くなってきます。
さて私を小太りたらしめる原因の一つと思しきものに、お通じが安定しない、という事象があります。
毎日出るものが出ていれば余計なものが体内に残らないので良いのでしょうが、2・3日いい感じのこともあればやたらと滞ることもあり、後者の場合お手洗いで排出する際にそれはそれは堅固な存在と成り果て、私のデリケートなお菊を破壊せんとばかりに痛めつけてくるのです。

  堅固なそいつのワガママな外へ出たいという願いを丸ごと受け止めれば、拭いたトイレットペーパーが日本の国旗のごとき白地に赤く染められるのは必定です。ゆえに私は一気に排出するのではなく、括約筋を最大限に稼働させ、排出口で絞りながら奴を細くしぼって排出、お菊のダメージを食い止める、という高度なテクニックを習得しました。誰も誉めてくれませんが。

  まぁ誉めてくれないのも当然で、この方法にはアナだけに穴があったのです。
お菊を通りやすいように細くしぼられた奴は、押し固められたぶん硬度をさらに増します。
もともと硬いところへさしてさらに圧し固められるため、便所が流せないレベルの物体を生み出してしまうことがあるのです。

  その日も私は2日間モノを溜め込んで、ようやく訪れた排出欲求に従い洋式厠の腰掛けに座しました。  

くぬっ・・・ ふぐっ・・・・・・  

奴の勢いに負けるとお菊が崩壊し、しばらくトイレの紙は日の丸確定です。念のため言っとくとお菊が裂けて流血するため、拭いたトイレ紙も白地に赤のデザインになるから見た目があたかも日本国旗に見える、ちゅうことです。  

私は奴に抗い、ゆっくりとジワジワ奴を締め上げ、長い長い奴を体外へ排出することに成功しました!
・・・しかし。

  あまりに長く、そして硬すぎたためか、洋式厠の底の水を溜める場所に、奴がまっすぐ、立派に突き刺さったのです!!  

何度か流そうとしますが、ちっとも流れません。それにしても、風貌(?)がやけに堂々としており、長さはともかく太さといい刺さった角度といい、まるで伝説の丘に刺さった勇者の聖剣のようなたたずまいです。  

私はこれを引き抜いて勇者になろう、とはもちろん思わず、柄付タワシで破壊の上、便壺奥底に押し込んで伝説の剣とオサラバしました。それにしてもあれほど見事に倒れたり折れたりせず、斜め80°にまっすぐ突き刺さった奴を見たのは、あの日が最初で最後です。間抜けさの中に、妙な誇らしさも感じたある日の夕方でした。(オポムチャン)

(寸評)いつか硬くなり過ぎてダイヤに変貌した聖剣を突き刺した時、真の勇者としての戦いが始まる!
日の丸を背負って・・・。 9ポイント。

はじめてのカエルin空き缶with爆竹

  これは小学生1年の頃ですね、九州の田舎に兄弟・従兄弟・母と帰っていた夏休み。

  当時爆竹は近くの何でもショップ(野菜・果物・鮮魚・精肉・菓子・玩具・日用品が揃うがコンビニではなくごく小規模の市場)にてかんたんに求めることができました。120本入りで100円ポッキリ。
私達こどもは昼間に小遣いの100円を貰い、よく爆竹を購入しては中空で爆破したり、ミニトマトに突き刺して火をつけた上必死にダッシュ、背中に炸裂したトマトの種が付いていなければセーフ、などという他愛のない遊びに興じていました。

  爆発する、という過激な現象に興奮した我々は、エスカレートしていよいよ爆破する標的を生き物に定めます。  

従兄弟の兄ちゃんがじいちゃんの家の傍のドブで早速一匹の小さなアマガエルを捕まえてきました。
普通に爆竹を使っても逃げられてしまうので、飲み干したジュースの空き缶を使おう、ということになりました。
250mlのスチール缶。今のものとは違ってプルタブが缶から外れるタイプの、三角の飲み口にカエルが投入されます。
無邪気な我々は、「爆発するカエル」というキーワードに一層興奮し、いよいよテンションが上がっています。  

爆竹に火をつけます。
カエルが見つめる空から、一本の小型ダイナマイトが、からりと缶の中へ放り込まれました。
みんな期待に胸を弾ませ、ドキドキして顔がにやけています。そして。  

パァン!  

大きな音、耳を塞いでいた私は皆に遅れて缶のもとへ駆け寄りました。
が、みんなの様子がさっきまでと明らかに違います。  

マンガの様に焦げてバラバラ、なんて図をみんな想像していたのです。
現実には、カエルは缶の中、あおむけに息絶えていました。
傷一つない姿なのにピクリとも動かない様子に、かえって自分たちのした行為の残忍さがあらわになりました。
その口からは、かすかに赤いものが溢れていました。

  一同、しばらく何も言えず夏の日差しの中立ち尽くしました。
従兄弟の兄ちゃんがぼそりと、
「可哀想なことしたなぁ・・・」
と、つぶやきました。

  なんで、こんなひどいことしてしまったんだろう。
おのおの自責の念にかられ、うなだれてじいちゃんの家に戻りました。

  折りしも時はお盆。命の大切さを親から説かれ、今後爆竹は生き物に使わないこと、と約束させられました。
弱いものを蹂躙するよろこび、楽しいことはどんどんエスカレートさせてしまう、という人間の持った業、について、幼いながらも考えさせられた遠い遠い夏の日の一幕でした。 (オポムチャン)

(寸評)今考えると子供も充分残忍なことしてるんだよね。ってか子供の方が残忍か。
でもそれが経験となってカエル程度で済んでるが、最近の子供は小さい時に残忍なことをしてその後悔までの過程を経験してないから逆にいきなり人を殺しちゃったりもあるのかもね。
ちなみに俺がカエル爆発遊びを最後にしたのは10年前ほど。40歳くらいの時。
あおいちゃんという名前の少女とふたりでやったのさ。
俺に残忍なカエル爆発遊びをやらせた張本人のあおいちゃんはその後国民的スターになったとか・・・。8ポイント。

始めてのバンド

去年の秋、高校の文化祭を機に人生初のバンドを組んでライブをしました。
事の始まりは夏休み前、「この日までにメンバーと顧問を集めて申請書を提出しろよ」という期限に追われるバンドメンバーたち。
その中には私の友達もいましたが私は
  「へェーバンド?高校の文化祭のバンドなんてどうせ思い出作りでしょ、あっでもどうしてもっていうならやってやらんこともないよ?ないよ?しかし私楽器できないしボーカルなんてもう埋まってるんだろうな…」
という気持ちを高校のバンドに対して抱いていたので、自分から入りたいとは言い出しませんでした。
  その日の放課後もおとなしく下校の準備などしていました。
すると、16歳になっても未だに首がすわっていない私の心のお友達、ドラムのうまいTが首をぐらぐらさせながら走ってくるではありませんか。
T「おーい昆布ー、うちのバンド入ってくんない?」
  す「えっ」
以前「王様」に私は引きが良いのを自負しています、という旨の投稿をしたことがありましたが、まさかここまでとはグフフフフ と言うわけにもいかないので、とりあえず驚いておきました。それに私は
す「楽器できないんだけど…」
T「あー大丈夫、もう楽器は間に合ってるから!おまえ歌けっこううまいしボーカルね」
  す「おお」(歌…うまい…!?う、うううれしい)
す「じゃあやる」(ヒエー!!ヒエー!!)
ギターK「入ってくれるって!?」
他「やったー!!!」ワー

こうして、向こうからお願いされる形でバンドの仲間入りを果たした私でした。
  お願いするのはほんとはこっちの方なのに…

そのバンドは、私が思っていたような思い出作り目的の、かっこつけたものではないようでした。
まずバンド名が某漫画のタイトルの濁点を全て半濁点にしたもの(略してぽっぽ(仮)としましょう)でした。
  ひどい!この時点でひどい!盛大なパクりです。私は別にいいですけど。
そして多すぎるイカれたメンバー。
1:例の首ドラムT
2:残像を自在に作れると噂のギターK
  3:蒸し料理が食べたくなる顔のベース人間バーミヤン
  4:声と身長はひたすら高いけどハートは繊細なキーボードAちゃん
  5:バーミヤンにベースの座を奪われサイドギターにされてしまったぽっぽのマスコットきっしー
  6:奇声ボーカル昆布
紹介が長いのは愛故です。お許しください。
  6人。多いです。これでは私が間奏のあいだ暇じゃないですか!
  言葉遣いはよくないですがガールズバンド(笑)なので恋の芽生えとかはないです。

そんなバンドでも忙しい中練習を重ね、曲間にはさむ変な茶番劇の練習を重ね、メンバー紹介の練習のデスボイスで喉を痛め、本当に時間が素早く過ぎてしまいました。(ちなみに茶番劇の内容は、メンバーを楽器を弾けない体にしてやろうと目論むTを私がへなちょこボーカルパンチで殴り、その後全員でボコボコにするというものでした)
文化祭当日、パンフレットに載っているライブの時間が間違っていたり、理不尽に点呼漏れして半泣きで先生を探したりとアクシデントもありましたがなんとか完奏し、茶番劇も受け、持ち時間30分を無事終えることができました。 

そんなわけで、バンド初体験の話でした。内容がない割に長くなってしまいましたが愛故です。お許しください。
  私風情に本当はありえなかったであろう青春(青春?)を突然担ぎ込んできてくれたぽっぽとそのメンバーには本当に感謝しています。
今年は時間もあるので、もっと頑張って本番に臨もうと思います!(すこんぶ)

(寸評)最初は誰しもそんなものさ。
それがいつの間にか50過ぎてパンツ一丁でステージで踊り狂う最初の一歩なのさ・・・。6ポイント。

はじめてのチンコーラ

御多分に洩れず性欲が盛んであった高校時代の私。
されど本物の女性とねんごろになることは生涯不可能であると信じ切っていた根暗な小太りの私は、いろんな手段で性的快感をおのれに与えてみようとひとりせっせと猥褻的研鑽を積みました。憐れなものです。

左手の使用・順手に対して逆手・祈るように指を組んだ中にブツを包み込み両手でしごくジーザス手淫(罰当たりにも程があります)などなど、手指のあらゆる快感の高い使用法を研究していました。

ぼちぼちそれだけでは飽き足らなくなり、そこで道具を使ってみるのはどうだろうか、と考えだしました。
とはいえ現在のようにTENGAなど発売されていなかった時期、たとえあったとしても私の財力ではそういった器具など購入できません。てかお店に入れません。
ほなどないしょ? 手近にあるものといえば・・・ そう、食べ物です。
かといって冷蔵庫のコンニャクなんか勝手に使ったらおかんの献立が狂ったりして「コンニャクが無い」なんて騒がれたらこちらも気が気でないし、コンニャク一枚コンビニに買いに行く高校生、なんてモロ過ぎて嫌です。
仕方なくまだ無くなってても言い訳が立ちそうなチクワの穴に挿入を試みましたが、いくら愚息が小ぶりだからってチクワの穴はそこまで拡がりません、途中で裂けてしまいました(裂けたチクワは洗浄の上おいしくいただきました。オェッ)。

では何でこの有り余る性欲を始末しよう? 若人にはまこと切実な問題です。たまると放出したくなるのが動物のオスの性なのだから、自然の摂理なのだから仕方がなーい。
ふと、私はどっかで見たエロ小説の一節を思い出しました。
男が女性に対して口腔性交を行う際、なんと口にコーラを含み女陰に刺激を与えだしたのです!
おお、ほしたら逆のパターンでもシュワシュワと棒を刺激して大層気持ちがええのとちゃうんけ。

私は早速自宅近くの自販機へ走りコーラをひと缶もとめました。
深めのコップに注ぎ、まさにキューピッド(コーラと“カルピス”のカクテル)を作らんと鼻息も荒くなります。
どんな未知の快感が私を待っているのでしょうか。ドキドキ。
あらかじめある程度の性的刺激を奴に与えておき、いざ、尋常に、いや完全に異常な行為ですが、コップに、挿入!!

シュワワワワワワワワワワ・・・・・・

イ痛い痛い痛い痛いたいたいたたたたたた!!!???

私の未熟な先端は、その強力な炭酸の刺激を快感と受け取らず攻撃と見做しました。
暗い部屋で独り、小さくまるくうずくまって、肉体的な痛みと自分の取った憐れに過ぎる行動を思うが故の精神的痛みの両方に耐えかねて私は枕を濡らしました。

キューピッド作成は未遂に終わり、やはり食べ物は粗末にしてはいけない、と心を改め、至極まっとうなセルフサービススタイルを確立しだした、思春期のあほの変態話でした。ぼちぼち検閲かかるかしら・・・ (オポムチャン)

(寸評)素晴らしい。こういう投稿こそ待ってたよ!
俺の高校時代の友達には「釣り」というのやってる奴いたなぁ。
棒の先に紐を付けそれをチンチンの先に結んでクイックイッと釣る。
しかも奴はそれをポピュラーなオナニー法だと思ってた・・・。
今後も創意工夫がんばれ! 9ポイント。

初めての当HP閲覧によるオ〇ニー

僕はこのHPをちょこちょこ見てるんですが、結構Hなことが書いてあって興奮することもあります。特に女の人がHなことを投稿してるのを見ると、秘密の日記をのぞき見してるみたいで、ちんちんがムズムズしてしまいます。
たとえば「王様の耳」の女性の性欲処理とか、大人のおもちゃの話題なんかがそうです。ここ最近で一番興奮したのは、この「ドキドキドキリコ(66)」で初めてトイレで女性が立小便した体験談です。女の人のアソコやお尻の穴にガーゼが付いたり離れたりする様子を想像して、びんびんになってしまいました。
そうしてこのコーナーを楽しみにしていましたが、Hな話題ばかりが投稿されるわけでは無いので、しばらく勝手にひとりでじれていましたw。すると前回の更新(14年2月下旬)で、女の人がタイでとんでもなくHなマッサージを受けたという投稿文が掲載されました!待ってました!
僕はまるでアダルト小説を読むような気分になりました。しかも最後の最後まで、ギリギリのところで一線を越えないマッサージ。投稿者さんと同じように僕もじれてしまい、この上ないいやらしい気分になってしまいました。最近は簡単にパソコンでまる出しの画像を見ることができます。でも、画像も文章も、まる出しよりも一線を越えないギリギリの方が興奮すると思います!
その点でこの投稿は、僕の右手をちんちんに向かわせる以外の選択肢を与えませんでした。そこそここのHPを見てきましたが、投稿された文章でオ〇ニーしてしまったのは初めてです。また来年、投稿者さんには勝負パンツがどうなったかレポートしてほしいですw。(匿名希望・実際こきました。ことりさん万歳!)

(寸評)おっと、その投稿はことりじゃないよ。よおく名前を確認してご覧。ほら、違うだろ・・・。
俺も若い頃ヘタなエロ本よりは官能小説の方が好きだったからな。
こそりの文章力アッパレ!
そして匿名君の射精もアッパレ! 7ポイント。

初めての家電説明書翻訳

本業の仕事が減り、苦労していた時のことです。とある方から購入した、家電製品がふと頭に思い浮かび、売った方が説明書は日本語版しかないとおっしゃっていたことを思い出しました。
購入者には韓国人ユーザーもいるだろうから、全ページ、韓国語に訳してみようかと思い、購入から2ヶ月少々経った時だったのですが、ワードファイルを開き、翻訳を始めました。

しかし、全部で11ページ。予想以上にカタカナ語でハングル表記に迷うものがあり、半分の5ページまで訳すのに3時間ほどかかりました。韓国語のタイプは難なくこなせるのですが、途中に何度かアルファベットの大文字・小文字に表記を切り替えなければならなかったうえ、ネット用語もスペルがわからなかったものが多かったので、ポータルサイトの辞書ページを開き、スペルを何度か確認しました。。
当然、一晩では終わらず、4日がかりで仕上げました。しかし、2日目の作業で、2時間かけて作業を進めたものの、最後の1ページの翻訳中になぜかファイルがいきなりバグり、強制終了になってしまいました。
それ以降は、マメに保存しながら、作業を進行。4日ほどかかり、最後の一日で文体を統一したり、オリジナルの説明書の図形をスキャンして、ファイルに加えたりなどの構成を行い、やっと完成。

そして、その家電の販売元の方に、頼まれた訳ではなかったけど一人で翻訳を行ったことをメールで告げ、そして翻訳したファイルをそのメールに添付して、送りました。
数日後、不自然な表現の部分の訂正付きで返信が来ました。訂正された部分は11ページ中、75ヶ所。
何年住んでも、癖というものはすんなり直らないものだと、実感しました。

ちなみに、翻訳のバイト代などが出るかなと、わずかながら期待はしていましたが、今のところ、言及はナシです。
勝手に自分が言い出したことだから、ボランティア扱いにされてたのかもしれませんが、後になったら、少しはもらえるかな?(Hi-)

(寸評)製品に付属されて販売になったら多少出るのかな?
でも向こうから頼まれたわけじゃ無いと難しいかも。
まぁビジネスのことはよくわからんが・・・ご苦労。 6ポイント。

初めての擬似UFOキャッチャー

韓国はゲームセンター以外にも、UFOキャッチャーや、似た種類のゲーム機が街中にあります。
興味を持ったので、先日、初めて挑戦してみました。
どんなものかと言いますと、ガラスのケースの中に棚が四層ほどあり、その棚の上にマフラー・キーホルダー・パソコンやスマートフォンのアクセサリーなどの景品が並べられており、
①お金を入れる
②それらの景品に向けてセットされている棒を上下・左右の順に動かす
③棒で商品を突いて、棚の後ろへ落とせれば、下の穴から出てきて、ゲット
という具合です。
景品の中に、32GBのmicroSDカードがあったので、安くゲットできるかと思ったのです。

しかし、商品を突いて落とす棒があまり奥まで行かないのです。
そのため、商品も完全に落ちず、棚の後ろの方に押されて、止まったまま。
途中で2度ほど、棒の位置を棚に当たるところで止めてしまい、余計に悔しくなりました。
1プレイで100円でしたが、600円分やって失敗して、結局、諦めました。

たまに中高生の男の子たちがこのマシーンに挑戦して、失敗して、悔しがっている様子も何度か目の当たりにしていたので、「無駄遣いしてんなぁ…」と、呆れて見ていたのですが、自分もそうなってしまった訳です。
中学以来、UFOキャッチャーすらほとんどやっていなかったので、その分、自分も大損するのは明らかですよね…。(Hi-)

(寸評)まぁ簡単に取れたら商売にならないからね。
取れそうで取れないにするのがプロの技というやつか。 5ポイント。

初めてのぎっくり腰

帰国のため、荷物を詰めた段ボール箱を空港の近くの宅配事務所へ持っていったときのことです。
自宅から空港までは600円ほどのリムジンバスも走っていたのですが、生活費節約のため、150円ほどで路線バス2本を乗り継いで、約2時間。
乗換えで乗ったバスの運ちゃんは、大きな箱を持って乗り込んできた僕を見て、笑ってさえいました。
そして、空港に着き、空港内の無料シャトルバスに乗り、宅配事務所に向かおうと、箱を持ち上げた瞬間でした。

ズキッ! ヴアッ!!(…と叫んでしまうほどの衝撃)

腰に激痛が走ったのです。
その場で倒れるほどではありませんでしたが、何とかバスに乗り、宅配事務所の前で降りました。
しかし、これ以上自力で運ぶのは無理に近かったので、まず、バス停に箱を置き、宅配事務所へ行って、台車を借りて、事務所までエッチラオッチラ。
重さを量ったところ、26キロ。自分の体重の半分近くでした。

空港で帰りの航空券の予約をしてから、2時間ほどラウンジで休み、安いバスで自宅へ帰りましたが、腰の痛みは取れません。リラックスしようと、自宅の床にうつぶせになりましたが、その後は起き上がるどころか、寝返りさえまともにうてませんでした。
何とか家具につかまって起き上がってから、晩御飯も作って食べましたが、それが精一杯で、皿洗いまではとてもできず、翌日にエッチラオッチラしながら洗いました。
寝る時も、頭ではなく、腰の下に枕を敷いて寝ました。
翌日、銭湯に2時間近く浸かると少しは楽になりました。
そして、数日間湿布薬を貼って過ごしました。

…このままじゃ、20年後にはもう車椅子生活になるんでしょうかね?トホホ。(Hi-)

(寸評)それ腰痛の酷いのじゃない?
俺の知り合いギックリ腰の人何人かいるけど、ほぼ歩けないし寝ても痛みは変わらないと言ってた。
俺も時々「このままだとヤベェ〜」という腰痛があるけどね。
ま、誰しも若いままではいられないからね。 6ポイント。

初めてのドラム缶で焚き火

  甥がまだ小学生だった頃、焚き火で焼き芋がしたいとせがまれました。 

庭も狭くて焚き火出来そうなスペースがありません。そこで閃いたのが、玄関前の駐車場でドラム缶を置いてその中で焚き火する事でした。 

早速、甥とその友達と3人でドラム缶を探す旅(?)に出ました。
あちこち歩き回りやっとガソリンスタンドにドラム缶が置いてあるのを見付けました。 

手にいれたドラム缶に、かき集めた落ち葉と芋を入れて火を付けたのはいいのですが、火力と落ち葉不足で芋は端っこが焼けたのみでした。
それでも端を割ってみたら、とてもおいしそうな焼け具合です。
  端から3㎝程の焼き芋を3人で分けて食べてみたらクリームみたいにとろけてとっても美味しかったです。
  ほんのちょっとずつだけど3人共満足して盛り上がっていたのですが、丁度帰って来た弟に、車のそばで焚き火したことを「引火したらどうするんだ。バカじゃないの!!」と叱られてしまいました。 (♪ごりぽん)

(寸評)それ以前にそのドラム缶にガソリンが残っていたら・・・ブルブルブル。6ポイント。

初めてのおっぱいブルンブルンマッサージ

初体験はタイランド・チェンマイにて。
私はいつもチェンマイのマッサージ店ではごく普通のタイマッサージを受けていたのだが、ふとオイルマッサージというものにも興味を持ち、とりあえず1時間試しにオイルマッサージを受けてみようとデパート内にあるとあるマッサージ店へ足を運んでみた。
オイルマッサージをオーダーしマッサージ店内に案内されると、ワインレッドの薄いカーテンで仕切られていて布団が一枚敷いてあるところへ案内され、これは完全にファッションヘルスだ、ファッションヘルスだ!と思いながら布団に横たわり、まるで客待ちをしているヘルス嬢の気持ちに陥りつつも施術のお姉さんを待った。
ほどなくして施術のお姉さんはやってきたが、服を着たまま横たわっている私に「全部脱げ」的なジェスチャーをしてくるのでオーケーオーケー!と私は内心「どこまで脱ぐものなんだ?」と思いながらパンツ一丁まで服を脱いで横たわった。
お母さんが買ってくれたへっぽこパンツ履いてきちゃったな、でへへへへ、とか思いながらパンツ一丁で布団に寝ていると再びお姉さんが現れ施術が始まった。
最初、足裏から始まりふくらはぎ・太ももと進んで行くのだが、オイルでヌルヌルにされながら太ももの付け根をマッサージをされていると、
んっ??・・・・んんっ??????・・・・・・・・????????
お、おねえさんの指が触れる、わ、わ、私の敏感なところにお姉さんの指がパンツ越しにスルッスルッっと触れるのだ・・・・・・・!
こ、これはなんだ、スケベなのか??それとも一所懸命で気付いてないだけなのか?!?!
オイルでぬるぬるにされているところ、私自身もヌルヌルしてきてしまい、戸惑っていると、マッサージは上半身に移り、今度は念入りにおっぱいを、おっぱいをブルンブルン揉み始めたのです!!!揉み始めたのです!!!!
おっぱいを念入りに揉むお姉さん、乳首をたまにクルン!てするお姉さん。お姉さん!お姉さん!!野 私は結局、一時間の印象・ほぼおっぱいで一回目、店を去るのであった。

二回目。私はあのお姉さんがスケベなのか真面目なのか、今度は二時間コースにして確かめに出かけた。
私は今回、念のため「シミにならない、かつ薄めだけど薄すぎない新品のパンツ」をセレクトしてお姉さんに挑んでみた。
二回目のお姉さんはというと、やはり下をペロンペロン触ってきたが、でも触れるか触れないか、でも確かに触っている 寸止めプレイタッチで私は悶絶した。お姉さん、勘弁してくれ!!!
そしておっぱいのターンへ行くと、この日は何故か3、40分は延々とおっぱいをブルンブルンされ続け、私はひたすら 悶々とするのであった。

二回目を経て、私は他の店舗のオイルマッサージはどうなのか興味が湧いて他店へ二時間コースで出向いてみた。
しかしそこでは至って真面目にオイルマッサージをされ、下を触られることもなく、おっぱいもずっとタオルで覆われ、 おっぱいをブルンブルンされることもなく、真面目に真面目にマッサージは終了した。
そうか、分かった。やっぱりあそこがおっぱいブルンブルンマッサージなんだ。あそこが特殊なんだ!!!

三回目。おっぱいブルンブルンマッサージ・略してOBMへ向かうと私の顔をそろそろ覚えてきたお姉さんが一昨日も来たよね?と言いながらいつもの二階へ案内してくれた。
私ももう慣れたもので素早くパンツ一丁になって横たわっているといつものお姉さんがやってきて施術してくれた。
・・・・・エロい。今日はいつになくエロい・・・・・!!
下を触る回数がなんだかとても多くなった。そして何故かずっと片方の手は私のそこに添えられている。
お姉さん、なんだかそっちの方も念入りにやっておりますが、そこはもう完全に大陰唇です。
私は確信した。このお姉さんはスケベだ。スケベだ・・・・・・!
「このお姉さんはスケベだ」
そのことを私は心に刻み込み、この日もおっぱいをブルンブルン、乳首をクルンクルンされホテルへの帰路についた。

四回目。あのお姉さんはスケベだ。私は少しばかりの挑戦状でダサいけど小さくて薄いパンツを履いていった。
「オイル2アワー」
言葉はそれだけで十分だ。今日も任せておけ、といった頼もしいお姉さんの背中を追い、服を脱ぎ施術を受けていると、おかしい。
真面目だ。お姉さんが真面目なのだ。
今までのマッサージがなんだったのかってくらいお姉さんのマッサージ部門の技術が上がりレベルが高く、昨日のスケベ認定が揺らぎ始めてしまった。スケベなのか?真面目なのか?!?!
結局この日もペロンペロン同様に触られ、おっぱい揉まれ、唯一うつぶせパート時にパンツを今まで以上に下まで下ろされるようになった程度で更なるスケベはやはり無く、施術は終了した。
終了後、日本へはいつ帰るかなんて話になり、明日の夜旅立つなんて話しているうちに、明日も朝10時に来ると言ってしまい、帰国直前の約束をして店を去ったのであった。

LAST DAY。
時間通り店へ行くと、お姉さんも受付で既に待っていてくれた。
既にコースなぞは聞かれもしない。オイル2アワーがやってきたのだ。
ラスト、私はお姉さんへの挑戦状としてスケスケうすうすペラペラパンツでマッサージに挑んだ。
お姉さんはこれまで以上に念入りに私をマッサージしてくれた。
お姉さん、やはり最初の頃は手抜きだったのか?やればかなり出来る子ではないか。
それくらいお姉さんの真面目マッサージの技術はとても高かった。
だが、やはり最後も核を、私のソコの核をペロンペロン触ってくるので、どっちなんだ、スケベなのか、真面目なのか!?!?
私は大いに悶々とした。触るならハッキリ触ってくれ!触ってくれ!!と何度思ったことだろうか。そしてそっちのそこはやはり大陰唇だ。
尻のパート、いや、いままでは明確な尻のパートというのは無かったが、最終日、遂に尻の下まで完全にパンツを下ろされ、尻も念入りにお姉さんは揉んでくれた。たまに尻を開くのでそれは丸見えなのではなかろうかと何度も思った。
おっぱいも勿論ブルンブルンマッサージしてくれた。日本に帰ったらもうお姉さんが乳首をクルッってしたりキュッてつまんだりしてくれないのかと思うととても悲しくなった。

施術後、次は一年後にまたチェンマイ来るという話になり、それはとても遠いけどまたここにおいでとお姉さんが言うので私はまた来年もまた来ると約束し、このお姉さんのスケベなのか真面目なのか問題を来年に持ち越し、日本へ帰国していった。
スケベなのか真面目なのか。私は恥ずかしくてずっと目を閉じてばかりだったが、来年はお姉さんを見つめてみようか。
私は来年の為に今から下着をセレクトしていこうと思う。(こそり)

(寸評)これは本当にどっちなんだろ!?
風俗街とかならそっちだろうけど場所はデパートの中。
もしそんな中でそれ以上のことが行われたら・・・
それはパラダイス・デパートではないかっ!
誰か、他に試すものはいねがっ!?
それともこそりのエロさが伝染しただけなのかも!? 10ポイント。

はじめての屋外「大」放出に立ち合い

  高校2年の時。私は家の最寄駅から一緒に登校している友人が何名かいました。  

その日もそのうちの一人といつものように電車に乗り合わせたのですが、朝からそいつはどうもお腹の具合が悪いようでした。
学校の最寄駅に到着、あわててトイレへダッシュする奴。しかし、
「なんか不良っぽいんが居てるから、アカン!」
なんて言います。私から見ればどうにも切羽詰まってるように見えるのですが、奴は学校のトイレまで我慢する、と言ってあくまでも駅トイレを使うことを拒否します。見ず知らずの不良が便所に入ってきたいち高校生をいたずらに襲撃する時代でもありませんでしたから、何度も無理するなと説得しましたが聞きませんでした。  

何故私が奴を説得したかというと、駅から学校までは約1.2kmの坂道なのです。歩いて20分近くはかかります。
そんな肛門に手厳しいシチュエーションで奴が耐えきれるとは、様子からしても到底できるようにはみえなかったからです。  

それでも強情な友人は早足で坂路を往きます。
時おり苦しそうにうめきつつ、「アカン・・・」「キツイ・・・」などとネガティブな単語を吐きつつ。
だから駅で済ませとけ、って言ったのに。まぁしかしそんな事言っても今さら何にもなりません。
彼の顔がいよいよ蒼褪め、私は通学路途中の少し広い公園に目をやりましたが、なめたことにトイレはありませんでした。  

突然、友人は学生が続々登りくる通学路のメイン通りから、住宅が並ぶ脇の細道へ駆け出しました。
「オポム、付いてきてくれ! 頼む!」  

???
ここで私が付いていく理由はまるで思い当りませんが、勢いに負けて私も駆け出します。
脇道は左右に家々が立ち並ぶ、人通りの少ない舗装道です。
その道の端の角地に三角形のスペースを見つけた奴は、
「もうアカン! ここで出す!!」
と叫びに似た声で私に告げます。
「なっっ!? おい、こんな場所丸見えやんけ」
私の言葉などもはや耳に入らない様子で、彼はベルトを外し、ズボンそしてパンツを擦り下げます。  

私は目を背けるしかやりようがありませんでした。
腹痛時特有の切ない音が響き渡る中、ひとりの若い女性が信じられない、という顔で我々を見て足早に通り過ぎてゆきました。
どうして私は、このやりきれない現場に立ち合わされたのでしょうか・・・?  

なんらかの始末をしない限りコンクリートに残り続けるもので路上を汚染し、我々はその場をそそくさと去りました。
何とも言えない気持ちに沈黙していると、彼は私にこう言いました。
「・・・ありがとう」  

なんだかもういろんな気持ちが入り乱れてグジャグジャです。  

ひとりで屋外で放つのが不安だったのでしょうか。
それとも奥手だった奴、性癖を歪んだ方向に特化させ、誰かに現場を見て欲しかったのでしょうか。
いずれにせよ、理由なんて聴きたくも無いですが。
私はただ、しゃあないしゃあない、と繰り返すことが精一杯でした。  

彼との付き合いはいまだに続いています。高校の時から偏屈で友人の少ない奴でしたが、私にはずっと途切れず年賀状も送ってきます。
その時のことに恩義を感じ、懇意にしてくれているのでしょうか。くされ縁とはよく言ったものです。(オポムチャン)

(寸評)そろそろ言われるよ。
「ぼちぼちオポムの排便も見せてくれよ。俺はもう見せたんだからさぁ」と。 9ポイント。

はじめてのエレベーター幽閉

  おととし2012年8月。私の住まうもうじき築45年を迎える古代マンションの一室に、大学時代の合唱団の同期の連中が大挙して押し掛けてきました。 

別に彼等から借金をしたまま逃げていたとかいうわけではなく、単に久々に集まろかい、という話になったのですが、大人11名に乳幼児3人、東は東京から西は佐賀までの同回生が大集合、まさかそんな大勢集まると思ってなかった我々メオトは狼狽しつつ隣近所に明日は喧しくしますがすんませんと事前に詫び入れを敢行のうえ大量の飯菓子飲料を用意、狭いリビングで犇めきあいながら久方振りの歓談を楽しみました。 

さていろんな場所から来ているため帰るタイミングは各人それぞれです。
  ただ折しも日付は大阪名物(?)淀川花火大会当日、早めに出ないと電車がえらいことになるため、帰りの早い連中が5人ほど固まってマンションを出ることになりました。 

私は1階ロビーまで見送ろうと5人に加わり、エレベーターで降りようとしたところ、タバコを吸いに外へ出ようとOがエレベーターへすいっと入ってきました。
人口密度の高い箱の中、ここでブーとなれば良かったのですがなにぶん古いマンション、エレベーターのセキュリティもいささかいい加減でした。 

オポ「あの拒絶的なシの♭の音でブーーーーって鳴るの嫌やよな」
  などとコーラス部らしい戯れ言をほざきながら笑ってる間に、7階からエレベーターは降りて行きます。 

7人を積載した箱は、いつもの調子で1階に到着、停止しました。
  が、異様なことが起こりました。 

『トビラガ  シマリマス』 

・・・目の前の扉は固く閉まったままなのに、そんな自動アナウンスが。 

そして、扉は開こうとしませんでした。 

箱中の空気が一変します。時間が経てば開くと思ったけど30秒経っても開かないとなればややパニックになります。ましてや小さい子供連れのEちゃんは気が気でない様子です。 

開ボタンは反応しません。手で開くわけもありません。 

Oよ・・・  お前がこのギリギリのエレベーター内に乗り込んで来なければこんな事には・・・  なんてことを考えましたがそんなこと口に出したところで扉が開くわけではありません。
  非常ベルのボタンを押し続けます。反応は・・・  返ってきません。ならば携帯電話は!?  駄目です、電波が厚い扉に遮断されて、まるでアンテナが立ちません。 

「なんか息苦しくなってきた・・・」と弱々しく床にへたりこむEちゃん。この人数で密閉空間で騒げばそりゃ酸素も薄くなるものです。
その時、非常ボタンの傍のスピーカーから声が!!  

「ザザッ、ザザザザザ、ボベボベ、ボボベバブバ」 

クソッ垂れ、マンションもボロけりゃエレベーターもいにしえ製かっ!!
  案の定、こちらの声も向こうには伝わっていない様子です。 

弱気な言葉を連発する子連れのEちゃんを口先で励まし、私は非常ボタンを押し続けます。不安げに立ち尽くすばかりのS所とM。Eちゃんの夫Tは息子を心配させまいとなだめています。 

異変に気付いた1階事務室のおばさん&お姉さんが扉の外から何かこちらに呼び掛けています。開けようと手を尽くしてくれているようですが、扉のやつは無慈悲なまでに堅固です。 

最後に乗り込んできたことに責任を感じていたのかOはなんとか電波が通じないか発信を繰り返しています。
  楽しい同窓会の締め括りにとんでもない事態になった、と歯軋りしながらひたすら非常ボタンを押し続けるしかできない私。
そこへOが会話を始めました。エレベーター会社と携帯電話の通話が繋がったのです! 

ただ連絡が付いたところで今日は土曜日、開けに来るのは相当後になるぞ・・・  と皆の気力を心配しだした矢先。 

すぅっ、と、身体が床側に圧される感覚をおぼえました。
  ・・・上昇してる。
誰かが、上の階で↓ボタンを押し、このエレベーターを呼んだのでしょうか。 

ざわつく箱内。
  階数を表示するランプはみるみる上へ向かい、最上階の9階で止まりました。 

頼む。開いてくれ。開けっ!!! 

ぷしぃぃぃーーー、ごとん。 

扉の前には、小学生の女の子2人が疲れきった表情の大人6人と幼児1人を見てキョトンとしています。 

た、助かったぁぁぁぁぁぁ!!!!!
  くたびれおっさんおばちゃん達はこのエレベーターは危ないから一緒に階段で降りよっか、と少女らに忠告し、9人で最上階からえんえん降下、1階ロビーでは事務室のおばさん達が大丈夫でしたか!?  と迎えてくれました。 

便利なエレベーターも一旦機械の制御が狂うと鋼の監禁装置です。石川さんの名言、「不便の方が便利より大分いい」が心に沁みます。しばらくエレベーターに乗るのが怖かったですが悲しいかな楽チンさには勝てないもの、じきに元の精神状態に復調しました。 

それにしても極端な小心者の私ですが、ああいう不測の事態に陥った時に意外と落ち着いていたことが不思議でした。まぁ当人の感想ですから周りから見ればトンデモなくあわてふためいていたのかもしれませんが(笑)。貴重な経験でしたが、出来ればもう体験したくない幽閉騒ぎでした。(オポムチャン) 

(寸評)ぎゃあ、閉所恐怖症というか束縛恐怖症の俺には地獄じゃ!
満員のエレベーターのままに立ったまま白骨化。
もしその時上の階の人が押してくれなかったら。
・・・ん? もしかしてその階以外では開いたんじゃないのか!?
とにかく白骨にならなくておめでとう。 9ポイント。

初めてのお付き合い

  くだらない話に見えるかもしれませんが、どこかに残したいと思い、ここに書かせていただくことにしました(笑) 

遡るは四年前の冬。 

数ヶ月片想いをしていた人に告白をされ、お互いに、お互いが初めて付き合った相手になりました。当時は中学一年生というのもあり、本当に初初しい恋でした。 

同じバスケ部に所属していて、まるで軍隊のような練習の日々。しかし彼の些細な一言で頑張れる自分がいたんです。 

結果が思うようについてこない時、怪我で苦しんでいるとき、支えになっていたのは彼の存在。恋人であり、一番の心の支えである前に、「苦しみを分かち合える仲間」でした。 

あまり人に広めることはしなかったです。部活が終われば、待ち合わせて一緒に帰っていました。 

しかし、翌年の冬。私が別れを告げてしまったのです。 

何故そういう結論に至ったのか、自分でもよく思い出せません。きっと日々の中で辛いことが募って崩したくなったのでしょう。 

ただ、彼は私と一緒にいない方が、他の誰かの方がきっといいはずだと思ってしまったのは覚えています。
  彼にはかなり引き留められましたが、頑固な私は一度決めたことを考え直そうとはしませんでした。 

それから涙がとまらず、別れて数ヶ月は意地をはって告白された人と付き合っていましたが、一日も彼のことを忘れたことはなかったです。
もう一度だけやり直したい。そう思い、その相手と別れたあと彼に気持ちを伝えました。 

しかしその時には彼は変わってしまっていて、色々な人に付き合ってほしいと言っていたんですね。笑
私はそのことを知っていましたが、彼に付き合ってほしいと言われたので信じてしばらく付き合いました。が、今度は彼が自然消滅をしたかったのか音信不通に。 

もう一度付き合ったことに後悔はありませんでしたが、初めに付き合った当時の彼のことを忘れることはできずにいました。 

ただ傷つけてしまったことを後悔し、私が他の人と付き合って別れた後に気持ちを伝えてきたというのは彼にとって凄く嫌な奴に見えただろうと考えると、自分が本当に嫌になってしまいましたね。
  元気がないことを心配した友人達は私を本当に心配して支えてくれました。今でも繋がってる大切な人達です。 

その頃は中学三年で、学校では作文を書いて各学級で発表する週間が始まっていました。私は(直接わかるようには書きませんでしたが)その時の後悔の思いと支えてくれた友人達への感謝の気持ちを書いて発表をしました。 

そして投票により私の作文がダントツの票数だったらしく学級代表となり、全校生徒、教員の前で発表をすることになったのです。 

原稿は学校側ではコピーをとっていなかったのに、当日の朝に原稿を忘れるという馬鹿なことをしでかしましたが  原稿用紙 約3枚分(?)の内容を何故か全て暗記しており、それでも一応保険があった方がいいのでノートから剥ぎ取った紙に自分の発表直前まで必死で文を書いていました(笑) 

その発表をきいて、彼がどういう感情を抱いていたのかはわかりません。そして私のことを許しているとは思っていません。 

当時から今まで「たま」以外の音楽にたくさん浮気をしてきましたが、なんの曲を聴いても、そしてどんな景色を見ても、彼との日々を思い出して涙がでます。 

それが当時の彼を想っている涙なのか、彼との日々や部活も含め、私の中学三年間の思い出に対する涙なのかはわかりませんが(笑) 

こんな初恋をくれた彼を、そして辛くて幸せな時間を、私はずっと忘れることはないでしょう。(東京フルーチェ)

(寸評)いいね〜、初恋。絶対忘れられないよね。
俺の初恋は・・・ええと、忘れました(笑)。 6ポイント。

初めてのノーパン ノーシャツ外出

給料日の今日 どーにも風俗に行きたくなった
思い立ったらすぐやる課の私、すぐさま寝巻きを脱ぎました
と そこへ悪魔のささやき
「ノーパンノーシャツでいってみようぜ・・・」
するとどうでしょう スッポンポンのままズボンをはき
そして厚手のジャンパーを着込む
これで万全、さあ横浜へ!

しかしお気に入りの嬢は急なシフト変更でオヤスミ
仕方なく系列店の別の風俗に行くことに
嬢と対面し 服を脱がすと
「きゃー エッチー! 家からずっとこれ?」
と驚いてくれました

そんなこともあったからでしょうか
本日なかなかイケない私 珍しく二回戦までがんばれました
しかも片方は潮吹きで(何度かやるとさすがに痛くなくなりました・・・)(カルロスイベリコ豚)

(寸評)帰りは道の真ん中でジャンパーを開けズボンを下ろしてよくあるパターンの人になったのか。
おまわりさーん、犯人はここにいますよー! 7ポイント。

 

はじめてのパソコン前で2時間ブルブルブッルブル

  この話は投稿しようか迷ったのですが、引きずらないように、という意味合いと、自分への戒めも兼ねて。  

さて私は2013年3月から投稿をはじめたクレイジー投稿者ですが、この一年間で果たして石川さんからどれだけポイントを頂戴できるか? というチャレンジをしていました。
動機はどっかでこのHPで新規に上位に食い込むことは無理だ、なんて記述を見かけたから、だった気がします。  

それにしてもこういうやればやるほど点数が加算されていく遊びというものは私にとってタマラナイ快感があり、しかもポイントは基本的に消滅しないという親切さ。私は自分が週5日働いていて小さな息子も居ることをことほぎました。そうでなければ本当に廃人同様になるまでこのページに現在以上のペースで投稿をしまくっていたことでしょう・・・。 はじめは仕事無理矢理休みにして平日なんじゃをリーズナブルに敢行しよう、という目的があるにはありましたが、ポイントが積み重なれば重なるほど、なぜか使うのが勿体無くなっちゃったのです。じゃあ使うのは、とことんポイントを貯めたうえ使ってもまだ上位! なんてな夢のポジションで使用してこましたろ、などと夢想、いっそう投稿数を増やすことに拍車がかかり、およそ3ヶ月/1000ポイントのハイペースでバリバリ投稿を乱発しました。  

しかし。人間の脳味噌の容量には限界が、えーと無いなんて説もありますがあほな私にはあり、各種思い出話投稿系のコンテンツに提出するネタが、だんだん尽きて来たのです。
そうすると思い出の中でもインパクトに少々欠けるものをネタとして文章にすることにもなってきて、必然読んでいてもいまいちな投稿が自分の中で割合を増していきました。  

それでも投稿しなくっちゃ、次の更新までにネタを思いついて送信しないとポイントを損するぞ! と自分で自分を追い詰め、どうにか文章にして毎日毎日妻に呆れられながらも深夜まで投稿を繰り返し、結果「ドキドキドキリコ初体験」「私のまわりのおバカさん」は私の昔話が満載になり、しまいに誰かから「このコーナーはお前の思い出アーカイブスと違うぞあほんだら」、とお叱りを受けてもおかしくない状態です。これだけの投稿数で目立ってしまっているのだから、私の投稿に対して不快感を感じられる方がいても不思議ではないことは理解していました。そのために「王様の耳はロボの耳」等でも苦情が来る前に謝っておこう、と気の小さい私は何度かご覧の皆様宛てにお詫び的なコメントもしていた次第です(「話題122 2000ポイント」に顕著です)。  

そこへ、14/1/23「話題306 最近気が付いたこと」へのある投稿者さんからのご意見を頂戴したところ、私はしばらく何も考えられず目の前が真っ暗になってしまいました。  

私なりに要約するに、「ポイント制システムがあるから、ポイント稼ぎのために色んなコンテンツに投稿を乱発する奴がいてこのページがつまらなくなっている。ポイント制をなくして、内容の薄い投稿を送らせないようにしたらこのHPは読み甲斐があり面白いものになる」との内容でした。  

最近の投稿状況を鑑みて、確実に私に対するお叱りです。  

今までも声(投稿)に出す人がいなかっただけで私の投稿に対して同じようなご意見をお持ちの方はいらっしゃったであろうことは想像できます。
しかし実際にほぼ確実に自分に宛てて(そうではないとおっしゃる方も居ますが私にはそうとしか感じられませんでした)お叱りを受けた時、私の反応は震えが止まらなくなる、という生理現象に顕れました。  

やはり。そう思われていたのだ。当然だけど。ついにはっきりと私の投稿が拒まれた。当たり前だ。石川さんが何でも載せてくれるからって調子に乗りすぎた。馬鹿だ。何を私は図に乗っていたのだろう。一体今までただただ自分の虚栄心を満たさんがためにどれだけの人を不愉快にしてきてしまったのだろう。度し難い。許しがたい。屑だ。いますぐお詫びを投稿しよう。そして二度とこのページに投稿しないようにしよう。誰にも望まれていない文章を編み続けるなんて愚の骨頂だ。もうやめよう。いち閲覧者に戻ろう。ふつうの男の子に戻るんだ。  

私はそんな事を一気に思い、ガクガク震える手指で「王様」の話題306へ謝罪を投稿し、過去の送信済み投稿メールをすべて削除、宛先の石川さんのアドレスも消去し、迫りくる自己嫌悪に震え続けていました。炬燵の中で身を丸め、しばらく経ってもブルッブルは収まらず、早く気分を変えなきゃ、と猥褻サイトに逃避してひと抜きしたにもかかわらずまだ震えていました。都合2時間は震えていたようです。  

知った人間から否定されるのも辛いですが、こちらの存じ上げていない方からお叱りを頂くことがこれほどまで自分に衝撃を与えるとは思いませんでした。自分の「公開された場への書き込み」に対する覚悟の無さ、また36歳の成人男性としてはあまりにみっともない精神的脆さを恥じました。  

投稿した後、自分の行動(お詫び&もう投稿しません的コメント送信)にまた寒気がしました。
結局、そんな去り方したらみんなが後味悪いし、それって誰かに「そんなことないよ」って言って欲しいだけの投稿じゃねぇの? と見られることは必然です。実際、震え続けた私が無意識裡に発露した強烈な、今はやりの「承認要求」だったのかもしれません。  

本当にHPから姿を消すなら、何も言わずに投稿をやめてしまえばよかったのです。それなら「あれっ、あいつ最近投稿無いな〜、またそのうち来るかな」程度で済み、皆さんの頭からしずかにフェードアウトできたでしょう。  

どうやら私には、消え去る覚悟さえもなかった様です。  

気持ちの上では14/1/23の投稿者さんの意見が俄然正しい、と思うのは今も変わりません。
ただ、私がポイントを稼ぎたい、という自意識のほかに無意識に出してしまった承認要求のせいで、石川さんや一部の方々が心を痛めてしまわれたのが、私の気持ちをふたたび投稿へ導きました。
こんなどうしようもない馬鹿者の投稿を、待っていてくださる方がいる。信じ難いことですが。
ポイント制廃止論者さんには非常に申し訳ないですが、ここは石川さんのページだ。自分の投稿で嫌な思いをする人は、確実にいる。でも、石川さんを、チャットやメールを下さった一部の方々を悲しませたくない。なによりこんな自分に、これ以上気を遣って欲しくない・・・  

葛藤の末、一週間でしれっと戻ってきました(笑)。
今はもう、内容がどうでも読んで頂かなくても構わない、という気持ちで投稿しています。しょせん私は文筆を生業にするものでもないのだし、内容がうっすうすなのはもともと当然なのです。  

気を揉ませてしまった皆様、これで最後にしますが改めてお詫び申し上げます。
これからも調子に乗りすぎず、楽しく投稿を続行しようと思います。  

私に対する戒めに丁度良い文章が、ニヒル牛マガジン土曜の「波照間エロマンガ島のチャオプラヤ左岸派 chapter 94 2014年1月11日(土) ツールの利用について(提言) 私のコメント」欄にありました。このHPでポイントをちょっとたくさん持っているからって、ネット上で特権的な気分になってしまっては実生活との齟齬が起こってくるのです。投稿王目前のエロマンガ島さんのお言葉だけに、私に重く響きました。  

・・・とはいえ、私の投稿の動機がハッキリ言ってポイント目的なのは今後も変わりありません。
だから今回の顛末も、こうしてポイントに変えてしまおうとする、相変わらずの卑怯者で御座居ます(笑)。(オポムチャン)

(寸評)実は簡単な話で、別に読みたくない人は飛ばして読めばいいだけなんだよね。それはこのホームページに限らず。強制して読めと言ってるわけじゃないんだから。
オポムチャンの話はノッテルからかむしろ俺には今どんどん読みたい文章。それは間違いない。

物事には人によって好き嫌いがあるのは当然で、例えば俺の歌だってかなり癖があるものが多いので一部に好きと言ってくれる人もいるが苦手な人が圧倒的に多いのも知ってる。直接・間接に言われることもあるし。

でもやるんだよ。

少しでも面白いと思ってくれる人がいる限りは。他人の為じゃなくて自分の為に。
ポイント目的大いに結構。そもそもその競争心で投稿が増えるかな、というのも俺の作戦だし。
ベストテンは近い。応援ポイント10ポイントだっ!

始めてのCD

さきおととしの冬のことでした。怖いもの変なもの珍しいもの大好きな私がいつもの如くネットで怖いものサーフィンをしておりますと、近藤聡乃さんのアニメーション「電車かもしれない」が目に止まりました。
なんだこれは。
独特のタッチと動きで描かれた映像はもちろん…なんだこの曲は。ほぼ毎日夕方寂れた京成線を電車で行ったりきたりしている私には効果てきめんというか、なんというか心に刺さるものがありました。
誰が歌ってるんだろこれ…「たま」?あれ、なんか見覚えがあるな。なんだったっけ…

実はちょうどその頃例の(例の?)「きっつっね、たっぬっき…」という知久さんの歌うヒガシマルうどんスープのCMが話題を呼んでいたのです。
画面の下のほうを見ると小さく「♪たま」と…。

  ともかく「電車かもしれない」が頭から離れなくなってしまった私、ぜひiPodに入れて夕方の電車で聴こう!と企み、「汽車には誰も乗っていない」を手に入れるべくとりあえずブックオフに向かいました。 

しかしない。
  「たま」という欄はあるのに、CDは一枚もありませんでした。
  かなり大きい店舗なのに、そんな殺生な…焦る私。
ほかの店も探し回りましたがそもそも「たま」のCDがありません。
  しょうがないのでAmazonで購入し、無事野望を達成することができました。
  そこで一緒に収録されていた石川さんとGさんの曲も聴き、「こんな不気味なバンドがあったなんて!」とすっかり感化されてしまいました。

そこからはもう早かった。
CDをネットでかき集め、「たま?何それ?え!?あのランニングと座敷童子の!?あんたそんなの好きなの?(原文)」と言う親に執拗に魅力を語り、本やDVDは親に無理やりお金を出させてかき集め(恥ずかしながらまだ全部は揃ってません)、たま教の信者として爆誕して今に至ります。

またこの「汽車には誰も乗っていない」が人生で初めて買ったCDになりました。
  「人生で初めて買ったCD」というと思い出すのが、説明が難しいのですが小学校のとき女の子同士で交換していた「プロフィール帳」。
何十枚も友達からもらって心理テストやら好きなタイプやら書いている中に、「人生で初めて買ったCD」という欄がありました。
当時は音楽にそれほど興味がなかったので、「初めて買ったから何なの?そんなに好きってことかなあ、別に初めて買ったからってその後の人生に関わるバンドとは限らないんじゃないの?」と考えていました。
その頃の自分に教えてあげたいです。
「心配するな。関わってる関わってる!」と。(すこんぶ)

(寸評)最近の若い子でたまを知ったきっかけを聞くと意外と近藤さんのアニメからという人もいる。
近藤さんありがとー! 6ポイント。

 

はじめての毛虫わしづかみ

ここしばらく何かえらいものを触ってしまった小学校時代の記憶を次々とほじくり返してきましたが、まだありました。
6年生にあがる前の春休み、その年は暖かくて大阪では桜がもう咲き始めていました。

春うららかな昼下がり、大川(旧淀川)添いにある浅いお椀をナナメに傾けたような大きめの滑り台のある公園で、当時よく遊んでいたI江くんと頭から滑り降り、えせヒーローごっこに興じていたおよそ来年中学に入るとは思えない精神レベルの小太り、そう私。見た目のごとく体力の無さには自信がありました。

何度も高いところへのぼったり滑り降りたりするもんですから、次第に息は切れてきます。
私は花びら散る中、ふぅっと息をついて、かたわらの木の幹が枝分かれしている、逆立ちした時の股的部分に手をつきました。  

ぞわわわわっ。  

・・・け、毛深い。
サクラちゃんの股元が毛深い、なんておっさん的思考が働くわけはありませんでしたが、どう考えてもこれ、木の幹の感触では、ない。
目をやるとそこはもはやタイトルでチョンバレですが、桜の木が大好きな毛虫さん達のの集積地だったのです!!  

「ぎゃ(以下略。)!!!」  

昔から親父が言ってました、桜はキレイやけど虫がようさんおってかなわん、と。
あわてて手を放したのが功を奏したのか、刺されて真っ赤っ赤、という事態は免れ、手の平にはただただゾワゾワの感触が残り続けただけでした。I江くんは触ってなかったんやろー、と信じてくれませんでしたが。やはりあの経験は今でも忘じ難く、私は毛虫おじさんにはなれそうにありません。  

なんとこれで2・3・4・5年の4年連続へんなもの初接触体験が発覚。ていうかここ最近私の投稿虫さん関連ばっかり続いてますね・・・ 石川さんと同じく私も虫さんイヤイヤ人間、書いてても読んでてもウゲゲなので今後はそんな体験が私の脳味噌の奥底から出て来ないことを念じておいてくださいませ(出て来ても投稿するな、あほ)。 (オポムチャン)

(寸評)そろそろ毛虫おじさんがやって来るよ。
窓を破壊しこじ開けても、勘弁してやってね。 6ポイント。

初めての黄金求めて洞窟探検映像(グロ注意)

いつものようにエロ画像・動画を求めてサイトをあちこち見て回ってたら、今まで手を出したことのないジャンルに目が止まった。「腸内カメラ」だって?女のコのAを見たりいじったりするのが何より好きな俺、さすがに中身まで見るのは逆にシュールなだけでエロくないんじゃね?と思ってスルーするつもりだったけどなんとなく引っかかったから見てみることにした。
なになに、便秘気味の腸内にカメラ突っ込んで中を見るだって!?それって黄金モロ見えなんじゃねーの。大丈夫か?期待と不安が入り交じる中、動画の再生カーソルをクリック。
おっ、なかなか可愛い娘じゃん。既に尻はまる出し。医者のカッコした奴(エロ動画だから多分エセ)がカメラの付いた透明な筒をAに押し当てる。映像は女のコの顔とカメラの映した光景の両方を捕えてる。カメラにドアップになるのはもちろん可愛い娘のAの入り口、なかなか入らないのか何度も入り口をズボズボしてる。こ…これはエロい!!恥ずかしそうに照れ笑いする女のコの表情がまたタマランね。でもせいぜいヌキ所はこの辺までかな?なんて思った矢先に画面が真っピンクに。侵入成功!桃色の洞穴が妖しく蠢く。これ単なる消化器官の映像だよな、胃カメラみたいなモン?なのになんか興奮するのは何故?
今までに感じたことのない妙なエロスをビンビン感じながらカメラは洞窟の奥へと進む。腸はカーブを描き曲がりくねる。すると綺麗なピンクの壁の奥に暗い影が!何者か、と思いきや…ってそれを探しに来たんだろーがよ、ついに黄金発見!!
…ってまあブツなんだけどね。ところが黄金発見で萎えしぼむと思ってた俺の小僧、カッチカチやぞ(笑)!!可愛いコの腸にわざわざ潜入し黄金を見つけ出す…そしてその恥じらいの表情に見入る…エロい!エロ過ぎる!!!あーあやっちゃったよ、この歳にして俺のマニアックな性癖がまた増えちゃったわ(笑)。これでヌけた俺の明日はどっちだ!?(ナルセ)

(寸評)カストロ議長一直線やな。黄金食堂開店どや? 9ポイント。

初めての通天閣

先日、大阪へ業界の資格試験を受けるため、2泊3日で帰国しました。
この試験は日本全国の各地でも受験できたのですが、大阪は個人的には小学校低学年の時以来、約20年近く足を運んでおらず、韓国で知り合った方や、数年前から住んでいる親戚もいるので、今回は試験地に大阪を選んで、行くことにしました。
韓国から日本へ戻ることを考えると、東京よりも名古屋以西の地方がフライト時間も短くて、場合によっては航空券代も安く上がるかもしれなかったので。

そして、試験が終わってから、試験会場の難波から通天閣まで歩きました。にぎやかな地域かと思ったら、案外静かな電気街が広がっていました。
日本の自販機も久々に目にしたのですが、東京に比べて、100円以下の飲み物が多く(一番安いので50円)、1日に2、3本ほど買って、飲んでしまいました。

通天閣へは15分ほどで到着しましたが、入り口がどこなのか、最初はよくわかりませんでした。まず最初にお土産屋さんの中に入って、少しうろうろしてから、入り口が地下道だと判明。
入ると、日曜日だったこともあり、エレベーターの前には長蛇の列。上に上がれるまでは40分かかるとのことですが、行列の傍らで行われていたおばちゃんイベントを眺めるなり、携帯であちこちにメールなり写真撮影なりをしているうちに、すぐにエレベーターに乗れました。

エレベーターで最上階へ。そして、四方の大阪の町を眺めました。
近くの別の観光地の天王寺動物園は、上から見ると、都会の中の草原のように見え、遠くには難波のビル群が。
大阪城はここから遠いせいか、あまりよく見えませんでした。
足元に目をやると、ひときわ目立つ黄色い建物があり、「上から見たら、割引します」との看板も。

下の階には「通天閣の歴史」の展示コーナーがあり、古ぼけた感じの写真や模型も。
また、たこ焼きとハローキティーを一緒にしたような人形も置いてありました。

感想としては、東京タワーより入場料は安かったものの、順路が途中でわかりにくく、迷ってしまったのが至らなかったかな、というところです。
周りに庶民的な商店街があるのは、テレビで見るところのスカイツリーと似ているのかな、とも思えました。(Hi-)

(寸評)つい二ヶ月くらい前、俺も行った。
あそこからジャンジャン横町を通り抜けていくとさらにディープゾーンに辿り着くよ。
飛田新地とかね。是非今度行ってみてね。命の保証はしないけど(笑) 6ポイント。

初めてのすき家メニュー説明

大阪の滞在を終え、関西空港へ向かい、荷物を預けて、最後の日本食として、空港内のすき家で山かけ牛丼を食べた後のことです。
カウンターの近くで飲料水を飲んで、一服していると、耳に韓国語が入ってきたのです。
「ねえ、これ、おいしい?」

振り返ると、まだ5歳ぐらいの女の子を連れた、40代ぐらいの中年女性がいました。そして、口からは片言の英語。
知らないうちに、自分の口からは韓国語が。そして、カウンターにあるメニュー表を見て、通訳を始めました。
ほとんどのメニューはその場でスラスラと説明できたのですが、「長芋」「大根おろし」「あいがけカレー」のみ、該当する韓国語がわからず、どもってしまいました。
実際に注文する際は、自分達で考えさせたほうがいいかと思い、その場を少し離れましたが、カウンターのスタッフとの片言での英語のやりとりを見ていると、他人事ながら、通じるかどうか不安に見えてしまい、また傍に行きました。
自分の席に戻った時には、暖房が効きすぎていたせいもあってか、汗ダラダラでした…。

店内はほぼ満席だったので、その親子は僕が座っていた席へ。
注文した料理を見ると、自分が無事に翻訳できた料理(炭火唐揚げ丼)で、親子で分けて食べていました。
聞けば、「おいしいかどうか、わからないから、並盛りを注文した」とか。
そして「韓国語、お上手ですね」「どちらにお住まいなんですか?」と、雑談も進み、先ほどの緊張も、やっとほぐれました。
その親子連れとは、帰りの飛行機も同じ便で、ソウルの空港に着き、荷物を受け取るまで、関空の免税店や、機内でも顔を合わせました。
空港の税関出口での別れ際に親子ともども笑顔で手を振ってくれて、緊張こそしましたが、充実した一日だったな、と感じられました。

ちなみに大阪に滞在中、この親子のほかにも外国人観光客が多く、東京よりもグローバル都市に感じられました。
東京は福島から近いからかもしれませんが…。
滞在していたホテルも、韓国・台湾・白人も目にしました。
関空に向かう最中の列車の中でも、隣に座ったのが高2の息子さんを連れた、韓国人夫婦で、この時も韓国語での話が弾んで、楽しかったです。
ただ、外国で旅行中、自国の言葉で話しかけてくる人には注意するのは常識ですから、自分では「おもてなし」のつもりでも、相手には怪訝な目で見られる時もあるので、コントロールが難しいものですな…。(Hi-)

(寸評)ああ、分かるね。外国で日本語で話しかけて来る人はたいてい詐欺師まがいだもんね。
で、Hi-は今回いくら騙しとったの?(笑) 7ポイント。

はじめてのアリさん捕食

えーっとこれいつ頃だ、そうそう小学校に行く前だ、年中さんの頃。

中1まで住んでいた私の家の周りには白黒各種アリさんが市街地ながらもたくさん居り、よく砂糖の入れ物に列を作ってはおかんを絶叫させていたのを目撃しました。

私は小学校中学年くらいから各種虫さん方に恐怖を覚えるようになるのですが、それまでは何故かしら不思議と虫に触れることに対する抵抗感は希薄でした。ですのでその頃は侵入してきたアリさん連中を無慈悲にもパシパシして排斥しちゃう、なんてマネは朝飯前でした。無分別とは時に残酷です。

そんなボロ屋の前でローセキなんかで絵を描いて道路を汚染する日々、傍らにはいつもアリさんがうろうろしていました。
その日も私は幼稚園から帰ったあと、家の入り口付近で地べたにお絵かきをしている最中でした

そこへ小学校から帰ってきた兄貴がランドセルをしょったまま友達のアキタ君と現れ、こう言い放ちました。

「オポム、おまえアリ食べたことあるか? めっちゃウマイで」

その冬存在をほのめかされたサンタクロースをもはじめから真っ向否定していた、人を疑うことを憶えたのは早かった偏屈なガキの私。
オポ「ウソやー、虫なんかおいしくないで」
兄「アホか、アリって砂糖食うてんねんぞ! めっちゃ甘いっちゅうねん」
アキ「ウソやとおもたら食べてみー、ほら、早よ!」

ニコニコしながら2人は畳み掛けてきます。
ウソっぽい。私は4歳にしてそんな事を思いました。
しかしこれだけ言われてやってみないのも何なので、しぶしぶ折れて壁際を呑気に歩いていた、小粒で真っ黒い奴を丸めてぽいっ、と口中に放り込みました。

瞬間、兄貴とアキタ君は大喜び。
「アホやアホや、こいつホンマにアリ食いよったーー!!!」
キャッキャキャッキャ。

一方の私はおちょくられながらも冷静で、なんじゃこいつら、と思っていました。
なんか、ほんのりにがずっぱい。
ただまあたかだか一匹だけだったのでそれほどオエッというインパクトは感じませんでした。
まっずぅ、という私の反応を期待していたであろう2人に反抗する意味も込めて、ニッコリしてやりました。

それがつまんなかったのか、私をおちょくっててもスカッとしないと判断した兄貴は、おかんに御注進に行きました。
「あんたが食べさせたんやろ!!!」
根性わるの兄貴、あっさり行動パターンを読まれており叱られました。おほほ、良い気味だ。

その後も兄貴はことあるごとにこいつアリ食べた、と周りに言いふらし続けたのですが、私はその度にうん、食べたで、と誇らしげにニヤけ、奴の気勢を大いに下げてやるのでした。うけけけけ。

さておっさんになって調べてみたところ、豪州の緑色のアリさんは爽やかな酸味で知られるとか、あの日感じたにがずっぱさはアリさんの毒腺にある蟻酸(ありさん、じゃないよ、ギサンだよ)という成分だとか、けっこういろんな方がアリさんを食した経験をお持ちであることを知り、なんだか妙に心安らかな気持ちになりました。みんなやってたのね。

ニヒル牛マガジンのデニスさんの連載で、タイの屋台で見かけた竹虫がスナック感覚で食べやすい、と記されていました。もしかしたらアリさんの屋台も出てたりするのでしょうか?(オポムチャン)

(寸評)アリそのものではないけどアリの卵入りオムレツは普通にある。
プチプチした歯触りが嫌いだ(笑)。 9ポイント。


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