ドキドキドキリコ初体験(66)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールにて。題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

はじめてのハエさん接写

私は家庭内によく現れる黒光する奴はもちろんのこと、テントウムシや蝶々などの可憐なものたちまで含めて虫さん全般が昔っから苦手です。
みんなが網とカゴを持って野原へ繰り出していた頃、私は家でひたすら魚へんの漢字をながめてはほくそ笑むという薄気味悪い児童でした。

だって奴らったら裏返すと大抵うぞうぞしてて気色悪いし、何かの拍子で踏んづけでもした日にゃあ嫌らしいブニッとした感触のものからバリっなんて景気のいい音を立てるやつからどちらにせよおぞましいし・・・ すみません、読んでて実に不快ですよね。私も書いてて果てしなくブルーになってきましたが続けます。

そんな虫さんイヤイヤ小太りもどうにか高校にひっかかり、生物の授業が始まりました。
生物。私は恐怖におののきました。
元看護師の母親は、生物の授業が大好きで、中でもエキサイトしたのがカエルの解剖であった、と語ります。
カエルは虫さんではないにせよ小さい生き物全般が大嫌いな私、そんなもんやらされたら雄叫びを上げて生物実験室の窓ガラスをぶち割り逃走、嗚咽号泣の末昏倒、とまではいかないにせよ相当危険な精神状態になるであろうことが想像されました。どうしてこう私は両親の大事な部分はちっとも似ずに不要なスキルばかりを遺伝してしまったのでしょうか。

授業中、教科書のその手のページを見て涙目になっている私。しかし生物教師は言いました。
「おまえらの期待してる解剖はやらんぞ、今日は顕微鏡でスケッチや」
えぇ〜、と盛り下がる教室。私はひとり安堵のため息をつきました。

ところがどっこい、そのスケッチする対象と言うのが・・・ 
“ショウジョウバエの身体の一部”
というものでした。

私の眼前は闇に閉ざされました。
なにさせるねん、あほかいじめか、拷問か。
一体全体何が悲しくて毛だらけのハエさんの身体を極限までズームアップしてその気色悪さを堪能したうえさらに己が手でスケッチせなあかんのでっしゃろかいな。悪趣味もいいとこです。

クラスのみんなに1mm程度のちっさいちっさいショウジョウバエのもちろんナンマンダブしたものが配られます。
はいはいそしたらカバーガラスの上にハエさんをのっけスポイトで水滴を垂らしたうえスライドガラスを置いてハエさんのプレパラートをこしらえましょうね。何故こんな目に遭わねばならんのか。俺も、ハエも。

キリキリと顕微鏡のピントを合わせていくと、奴のグロテスクな複眼が私を睨めつけて来たので泡を吹きそうになった私はただちに目を離しました。まわりの連中は嬉々としてハエさんのお目々やお口を点描していやがります。
もうあんな景色は二度と見たくないのですがこの状態のプレパラートだとまたぞろあの瞳で見つめられる可能性は否めません。本当に発狂したふりして窓ガラスをかち割り遁走してやろうかしらん。

追い詰められた私は、できるだけグロくない部分をピックアップして描写する作戦を思いつきました。
身体の中枢は顔・腹などどこをとってもグロ祭りなので、私はピンセットを使って小器用に羽を分離しました。
本体を顕微鏡の視界から遠ざけ、ふたたびズーーム! ゲッ!!! は、羽も予想以上にアップが気持ち悪い!!
無理だ。こうなったら最後は・・・ 脚です。
本体から脚を一本拝借し、脚単体のプレパラートを作ります。まさかカエルの解剖ではなくショウジョウバエの解体をする羽目になるとは思いもしませんでした。ぽきり。

脚も脚で毛だらけで嫌なのですがまだましです。なにぶん長時間スケッチするのに精神が耐えられそうな部位はもはやそこしかありません。真っ黒でギザギザな脚を丁寧に点描してゆきます。

息も絶え絶え、やっとの思いでスケッチを終え、提出しました。ちなみに授業中に書き切れなかったので自宅に持ち帰り、遅くまでかかって点々を打ち続けました。結果その学期の生物は五段階評価でハエある5でした。後にも先にも理系の成績の5はこの時だけでした。
窓ガラスを破壊しなくてよかったです。(オポムチャン)

(寸評)俺だったら完全に窓ガラスをウオオオーッと破壊してる・・・。 7ポイント。

はじめての浴槽内エクスプロージョン

去年の今頃。私の日課はまだハイハイのぼうずのお風呂当番です。

今でこそ私の膝上でお座りして頭等を洗われている息子ですが、当時はまだ立つことも覚束ない状態、必然湯船に入れたうえ沐浴剤を投入してコシコシしてやらねばなりませんでした。

暖かい時期になったら、もう膝で洗えそうだなぁ、と日に日に少しずつ大きくかるぼうずを感慨深く眺め、手拭いで身体をコシコシしようとしたその刹那です。

ボフゥッ。

ついに、この日が来たか・・・
今までいろんな親達から、「そのうちフロん中でやられるで〜」と脅されていた、これ。
しかし覚悟が出来ていたからか私の精神は冷静でした。量的にも何とか浴槽内から汲み出せそうなレベルです。
ひよひよ漂う浮遊物を何とか手桶で排出し、湯は多少は汚いでしょうが私的には入浴を続行できる状態にまで回復させた途端・・・

ブフォオッ。

2発目の炸裂です。
ははは、と私は声を出して力なく笑いました。まあ赤ちゃんだし、こういうこともありますわな。
ここで一旦お湯を入れ換えてキレイにするのが正しいのでしょうが大雑把な私、またぞろ抵抗して手桶で湯船に拡がった浮遊物を掻き出して「元気なお尻やな!」なーんて噴出元のぼうずに語りかけていましたらば。

ドゥブォッッ。

環境の変化が楽しいのでしょうか、息子はケタケタ笑っています。
対称的に全身浮遊物まみれの私、顔から笑いが失せました。

いみじくも先人は云いました、二度あることは三度ある。私はいよいよ湯船における入浴続行をあきらめ、水栓を抜き3度目の彼らに別れを告げました。グルグル吸い込まれて行くブラウンの物達を眺め、ぼうずは愉快そうで何よりです。

3発は、折れました。何がいな。言わいでか、ハートやがな。

夏のお皿はよく割れる、冬の風呂場は良く冷える。不馴れな膝上で私は手早く(テキトーに)安定しないぼうずを石鹸で撫で上げ、嫁はんに引き渡しました。はずです。なんだかショックであまりよく憶えてないや。

新米父親の洗礼を受けて、これで俺も一人前だ、と手前を慰めてみる私でした。ちなみにエクスプロージョンしたのは後にも前にもその日こっきりでした。不思議。(オポムチャン)

(寸評)育児は大変やな〜。
って近々また俺幼児に戻る予定なんだけど、介護してくれる人がいないっ!
誰か俺の「ドゥブォッッ」を受けて〜〜〜! 9ポイント。

はじめての自己消滅の自覚

小学4年の夏休み、私達一家7人は今はなき父方の爺さんの親戚の家がある鳥取県へ観光がてら遊びに行きました。

親戚の家は砂丘からは少し離れた山の方で、目の前には大きな畑。裏には小高い丘。雑然とした大阪市内暮らしの私にはとても開放的な場所で、普段はインドア派の私も兄弟達とおもてを駆け回り、よく日焼けしました。

さてその駆け回った小高い丘には、斜面に沢山の墓が並んでいました。
私の姓はレアという程ではありませんが、あまり見かけない苗字です。
しかし親戚も同じ苗字、聞くところによるとこの辺りには沢山の同姓の世帯があるようです。

その墓場は見渡す限り、私の姓の墓だらけでした。

昼間はその事に対して、珍しいなあ、程度の感想しか抱かなかったのですが、日が落ちてから、改めて沢山の墓々のことを考えると、今まで感じたことのない、いや無意識裡に遠ざけていたかもしれない感覚に陥りました。

幼く漠然と送ってきた人生。

しかしそれは、いつか確実に、終わる。

私は気付いてはいけないことに気が付いてしまったような心持ちになり、脳裡をどうしようもない不安が支配しだしました。
でも、そんなこと誰に相談したって、なにも解決しないことは解りました。

すっかり夜の帳が落ち、私達兄弟と母は先祖らの写真がそっとこちらを見下ろしてくる畳の部屋で床に付きました。
しかしもちろん、私は寝付けません。

母の呼吸に耳を澄ませ、まだ起きていることを確認した私は、答えが判りきっているのに、こう問わざるを得ませんでした。

「お母さん・・・ 人は、絶対に、死ぬん・・・?」

返ってきた答えはもちろん、こうです。
「・・・そうやで、お母さんもあんたも、死ねへん人間はおれへん」
母はしずかに言いました。

でも私は、それを聞いて思った通りの答えだったなあ、と絶望するのと同時に、ああ、大人はもうこの事実を受けとめて自分たちより何十年もの長い間生き続けているんだなあ、ということに気付き、少し恐怖が軽くなったのを憶えています。

鳥取の親戚の家に行ったのは、それっきりです。しかしあれから25年以上も経つのに、その日の事はずっと忘れないでいます。

自分は、確実に、この世界から居なくなる。

でもみんな、それを受け入れながらも明るく生きているんじゃないだろうか。

そんなもしかすると他の皆には当たり前の事なのかもしれないことをはじめて意識した、遠い夏の思い出でした。(オポムチャン)

(寸評)死の問題は人の永遠の命題。
俺も意識無意識にかかわらずずっと考えているなあ。 8ポイント。

はじめての先生だまし

基本的に卑怯・姑息という属性を帯びている私ですが、私の卑怯歴は長く、早熟なことに小学校1年の頃からすでにウソで大人を騙すことを憶えていました。

夏。泳げない、潜れない、顔を付けるのが精一杯という私は、幼稚園の頃何度も中耳炎を患ったこともあってプールの授業が大っ嫌いでした。
どうやったら、プールという生き地獄から逃れられるだろうか。幼いオツムを必死で回転させ、遅っそい鈍っぶい思考の結果、底の浅い名案が思い付きました。

プールの授業に参加するには、保護者が記入したその日の健康状態チェックシートを提出する必要があり、×が多いと見学になるのです。
兄弟が多いことを理由に忙しくしている母親の心の隙をついて、私はこう言いました。

「お母さん、プールのチェックシート書いとくで〜」

はいはい書いといて〜、と生返事をし、母は家事等に追われたままです。しめしめ。
私は健康状態チェックシートの6つの項目のうち3つに×を付け、親を介さず先生に提出しました。
「オポム今日は調子悪いのか、ほな見学やな」
うまくいきました。ウヒヒ。みんなが忌まわしい水責めに遭っている最中、私はプールサイドで三角ずわりして我が身の楽チンさを顔には出さず喜びました。

そこで味を占めたのが幼い浅知恵の悲しさ、私のニセ健康報告は日に日に頻度を増してゆきました。
ある日何かの用事で母親が学校に来た際、先生が尋ねました。
「オポム君、最近体調が悪い日が多くて全然プールに入れてないんですわ。どないかしはったんですか」
「・・・え!? 毎日元気にしてますけど・・・」
・・・・・・ドキッ。
「そうなんですか?? プールの健康チェックがここのところ×が多いんですけど・・・」
「そういえば最近、自分でチェック付けとくわ〜、ってこの子が自分で書いてたんです・・・」

私は親に信じられないと歎かれ、先生にこっぴどく叱られたうえにほっぺたを掴まれたまま持ち上げられ、危うく瘤取り小太り少年になるところでした。うそをついてごめんなさいもうにどとしませんとほっぺたを引っ張られながら誓わされたのでしたとさ。

その後は心を入れ替えて報告の偽装はしなくなりましたが、罰が当たったのか私は筋金入りのカナヅチになり、高校卒業まで毎年夏休みにはプールの補習を受けさせられる羽目になるのでした。
それにしてもあらためて思い返すと、すでに小1(6歳ですよ、6歳!)の頃からこんな人間性だったのか・・・と戦慄するばかりです。神仏の類は信じない性質ですが、いらっしゃるなら後にトンデモナイ裁きに遭いそうだ。ナマンダブナマンダブ、うーん時すでに遅しですな。(オポムチャン)

(寸評)ふふっ、俺は幼稚園の時に既にズルはしてたぜ。
電車でふた駅の友達のところに遊びに行くのに親に電車賃をもらったものの「(知らない)大人の後にぴったりくっ付いて改札を出れば切符を買わなくても電車に乗れる」というのにすぐ気づき、その電車賃でアイスを毎度買っていたのさ。
オーホッホッホ、俺の方が一枚上手だったな! 7ポイント。

初めての動く下等生物

昨日、家族旅行で伊豆に行って一泊して帰ってきました。
とても楽しかったんですが泊まったペンションが伊勢エビを使った懐石料理が売りの宿。
私は懐石料理も、海産物、特にカニ以外の魚より下等な生物(貝だとかエビだとか)がすごく苦手。
なんでそんなとこ選んだんだよ!私がエビ嫌いなの知ってるだろうが!でも気がついたらこの宿に決まっていたのでしょうがない。
そっかぁ伊勢エビか…まあ刺身ならなんとか…と思いながら事故渋滞の中車で6時間。
猛烈な車酔いとおしりの痛みをなんとか乗り切り例のペンションに着いて、夕ごはんです。ああ伊勢エビ…
最初奴はいませんでした。そのかわり、またサザエやらウニやら食べつけない下等生物が並んだ前菜的なものが…
アナフィラキシーショックで走馬灯が見えるかと思いましたが見えませんでした。
しばらく下等生物どもと戦っていると、「お刺身でーす」とおばさんが刺身を…

ぎええええええええええ!!!!!!
伊勢エビの…なんていうんですか…姿…姿造りみたいなのが…舟に…その上に刺身が…
伊勢エビがこっちを見ている…なんておそろしい…

「こちら動きますからねー、気をつけてくださいねー」

ん?
いまなんとおっしゃいました?
動く?何が?伊勢エビが?
だってもう微妙に茹でられてるじゃないですか。
まさか生きたまま茹でたんですか?なんてしうち…
と私が引いていますと、

ひえええええええええええ!!!!!!!!!!!
う、う、う、動いたぁぁぁぁぁーーーーー!
動揺する私の頭の中ではなぜかかの「さよなら人類」の石川さんの「着いたーーーー!」というすばらしいシャウト(媚び)がぐるぐる回りだし、結局唯一食べられそうな刺身もトロとタイしか食べられず、奴の背中に乗っている刺身がまぎれもない奴自身の刺身だと知ったときには、もうさよなら人類もエンディングを迎えてさるになるどころの騒ぎではありませんでした。

翌日、気が重い中朝食を食べるため食堂へ向かうと、

ぎゃーーーーーーーーっ!!!!!!!!!
またも伊勢エビが…今度は味噌汁に…しかもこれ…これ…どうなってるの?
足の横に目が並んでいる…これは…
おそらく切ったということはわかったのですが、どういうふうに切ればこの位置に目が来るのか…
動いていなかったのはよかったですが、今度はこの不自然な、見ていると心が不安定になってくる生物から目が離せません。
しかもまたこっちを見ているんです。
すると今度はかの素晴らしい「学校にまにあわない」(媚び)が「倒れたラクダの〜」から頭の中で流れだし、また下等生物だらけだし奴をどうしても見てしまい本当につらい時間でした。
申し訳ないことに売りのはずの伊勢エビにほぼ手をつけられず、帰ることになってしまいました。

あれに比べればもうバナメイエビでもバナナの刺身でもなんでもいいです。
活け造りという文化だけは滅びてほしいです。
甲殻類の断末魔なんて二度と見たくないです。(すこんぶ)

(寸評)うちの妻は子供の時まったく同じ目に合って、以来一切海老が食べられない。
でも和食って何かというと海老が出るんだよね。
その度に妻から投げつけられる様に海老をもらってます。下等生物の(笑) 7ポイント。

はじめてのシングソングライト

こないだ「おバカ」で投稿したY元知事の曲を作った無職時代。これが私の処女作・・・ では悲し過ぎます。違いますって。

8トラックの録音機材を手に入れ、自宅録音が出来るようになった我々あほ4兄弟。
どっこい、機材はあるものの、肝心の楽器をまともに演奏できるものは、ひとりもいません。

ギター教室に通っているものの、几帳面すぎて最後まで途切れずに演奏できない長男。
ストロークはある程度できるがソロギターが出来ず、声もまずい私、次男。
ギター・ベース・ドラムを操るがどれもテキトーでアラが目立つ三男。
声は良いが楽器がほとんど弾けない四男。

こんなメンツでオリジナルの曲を作れという方が出鱈目です。意気込んで機材を買ったものの、兄弟たちは次々と作曲の道から脱落していきました。
かろうじて諦めなかったのが粘着質な小太り、私です。
ストローク専門でコードの種類や進行の理屈がある程度解っていたので、ギターはどうにかなりました。問題は演奏したことのないベース・ドラムです。
三男に聞いてもテキトーなことしか解りません。既存の楽曲を参考にすると、どうもベースは小節の一拍目はコードの根音を使うこと、ドラムはバスドラ・スネア・ハイハットが基本になっていることがなんとなく解ってきました。
解ったところでリズム楽器が演奏できるわけではありません、ではどうするか? 私はカシオの安物キーボードの音色(100種類あるやつ)を基本のピアノからベース・ドラムに替え、安っぽいリズム音を録音しました。慣れぬ鍵盤の演奏、非常に時間がかかりました。
ギターを重ねる段階で気付いたのですが、微妙にリズムがズレています。正確な速さで音を重ねていくことは、素人には相当困難な作業なのでした。こういう機材で起こるなんちゃらディレイ現象だ、とか専門的な話はさっぱりわかりません。何度か録音しては切り、録音しては切り、とツギハギで修正していきます。

曲の大枠はできました、問題は詩です。
以前にも曲そっちのけで兄弟で作詩大会をやってみたのですが(ヒマな奴らやな)、4人のうちで圧倒的に下手糞だったのが私でした。幻想的な世界を書き切るにも照れが残りすぎる、世間に対する反抗を歌い上げるには世間を知らな過ぎる・・・ 恋歌を書くためには一旦思いきりナルシストにならないといけないことに私はまだ気付けず、これまでの文章でお分かりの通り自己卑下の激しい私にはどだい無理なお話です。すると残された道は・・・ ナンセンスか、ギャグソング。

石川さんのようなシュールなナンセンス歌謡を作ろうとするのですが全然うまくいきません。知久さんが石川さんの曲を聴いて「ナンセンスってかなり難しいこと」と『「たま」の本』でおっしゃっていたのを思い出しました。もうこうなったらひがみっぽい性格を逆手にとって、モテない男の悲哀を歌うギャグソングをこしらえてしまえ。事実モテない小太りの私、そう割り切ると作詩は驚くほどスルスル進みました。ちょうど曲調も弾むようなクリスマス風だったので、アレンジにしょぼいベルの音・ファルセットで山下達郎っぽいコーラスも加えて聖夜・バレンタインを呪うひとり者の切ない叫びをポップに卑屈に仕上げました。タイトルも付けるに事欠いて『冬ってサムイよね』。誰のニーズもないことを承知しながらも1番を思い出してみましょう。

D G   E7 A B♭ A
   ♪やって来た来た今年も シングルベル響くFree Christmas

D               G     E7 A B♭A
聖なる夜のセイの字 間違っちゃいませんかSexual Night!

Em       DM7        G6       Bm    F♯7 Bm 
  街にゃ素敵なイルミネーション ホテル街には“満”の字キララ

Em     DM7 G G♯dim A
電球祭りのこの夜に おいらはお母んとケンタッキー(No!)

D   F♯7 Bm     Em   G A 
いいさ今年は 愛する家族と聖夜を祝うのさ

D   F♯7 B7       Em   Em7/A D G6   D
   いいさ今夜は サンタにお願いPlease give me Sweet Girl!

・・・如何でしょう、酷い出来栄えですね。
コードだけいっちょ前で、楽曲にぶざまな詩が乗り全体を腐らせているという見事な悪循環。ここまでとは思わなかった渾身の駄作でした。
それでも思い出深い、はじめて自分で作詩・作曲・編曲・楽器演奏・ボーカル・コーラス・録音をした曲なのです。
その後も般若心経に曲を付けたり、バラードをこしらえたら声が野太すぎてはなはだ不細工だったりと、無職のあいだに私は30曲ほどを作り上げましたが、まぐれで就職してからはめっきり機材に触れることも減り、さらにまぐれで結婚してしまってからはまるで恋歌が書けなくなりました。同時に己の才能のなさを改めて確認し、オリジナルを作ることをよしました。

凡人なりの結論、曲づくりに必要なものは何か? 思い切り・開き直り・そしてヒマ、でしょう(笑)。(オポムチャン)

(寸評)俺は音楽理論、作詞理論を全く知らないというか勉強しようとしたことも無く、無知のままオリジナルを作り始めたからなー。
基礎を作っちゃうと、その基礎が指し示す範疇の物しか所詮出来ないから。ナンチャッテ。 7ポイント。

はじめてのツィッターで自分の名前発見

私は圧倒的に気が小さいことを主たる理由として、チャットやツィッター、フェイスブックが出来ません。
ただ、石川さんのツィッターだけは、間違ってクリックしてしまったことをきっかけに覗き見するようになりました。また小心者に加えて重度のあほなので、フォロー/フォロワーの理屈・意味もさっぱりわかっていない始末です。たぶんすごく失礼な状態なのでしょうが当方あほかつビビり、何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます。

さてその定期的に覗き見している石川さんのツィッター、まるで無縁な私ながらもそこに私の名前を認める事態が発生したのです!
とはいえ石川さんのつぶやきではなく、間接的なコメントの中だったのですが。

石川さんがこないだの「誰でもセッションライブ」でもお越しになっていたでゅおめいぷるようこさんに返事をお返しされているツィート。12月6日あたりでしょうか?
石川さん「ようこさん、俺のホームページ見てから寝た方がいいよ」
的な事をつぶやいていらっしゃったので、これも[会話を表示]ってしてしまっていいのか実は失礼なことなのかよくわかっていないのですが多分あかんかったらどっかにその旨書いてるやろ、と勝手に自分を納得させ開いたところ・・・

なんと! 私が投稿した「ザ・レポート」のデュオ・メイプルのセカンドアルバムの感想を石川さんが本人様に見ておいで、とおっしゃり、見てきた結果をようこさんが石川さんに返つぶやき(?)している中に、「オポムチャンさんに演奏の意図が上手く伝わって嬉しいです」的なコメントをなさっていたのです(うろおぼえ)!

多くの皆さんが利用されご覧になっているかの有名なツィッターに、私の名前が登場した・・・ まあ見た方ははなはだ限定的でしょうが(笑)。なんだかドキドキしました。ようこさんにも喜んでいただけた様子ですし、夜なべしてレポートを書いた甲斐があったというものです。

自己顕示欲はさして無いのですが(←本当かよ)、天下のツィッターに自分の名前を出していただいた、という事実は、しばらく私を妙に高揚させたのでした(まぁちゃんと調べたら最近調子に乗ってるとか、全然おもろない投稿ばっかりしてるカス、とかどっかにつぶやかれてるかもしれませんが調べてやらないよーだウフフ)。(オポムチャン)

(寸評)何か発すると人を喜ばせることがあるからね。もちろん悲しませることもあるだろうけど、とにかく発することからほとんどの物事は生まれる。
そういうオポムチャンだって、これだけ投稿していれば充分発してるから大丈夫。
ちなみに投稿ポイントを沢山稼いでる人の中にも会ったことない人がいるのはもちろん、未だに性別すらハッキリしない人もいる。でもそんなのは二の次だよねっ! 7ポイント。

はじめての足の甲に落ちて来よったギャー事件

あれは身の毛もよだつ夏の日の事件。

小学3年の私は、町工場兼自宅のごくごく粗末な脱衣所で、いざ風呂に入らんとシャツを脱ぎ脱ぎしておりました。
ドアの向こうでは兄弟がすでに楽しく入浴しています。
はやくその輪に加わろうと、ズボンを下ろした直後。

実際のスピードは天井から足元まで1秒かかったかかからないか位だったのでしょうが、スローモーションで、私の眼の前を垂直に降りてゆく小さな物体を認識しました。

その黒い影は、私の左足の甲に、ぺとり、と着地しました。

奴でした。

『ぎえよわあああああああああああああ!!!!!!』

私は頭が真っ白になり、隣近所にまで響く大音声で雄叫びながら左足を全身全霊で振り回しました。

「うるっさいなぁ、なにふざけてんのん!?」
「あばっ、んごっ、ごきっ、あばあばばあしにおちてきてあばばば」

母親に怒られながらも私は動転して空中に百裂キックを放っていました。
気付くと黒い奴は既にこの家の何処かに消えてしまっていました。

しかし、なんで、そんな垂直に、天井から、足の甲へ、ダイレクトに、落ちてくるかな、お前。
着地したのが頭頂や鼻の先でなかったことをせめて喜ぶべきでしょうか。

私は即座に風呂場の扉をぶち開け、半狂乱で左足の甲を洗い続けました。しかし、どれだけ洗ってもあのぴとっ、という感じで落ちてきた重さ・脚の感触はなかなか消えてくれないのでした。
・・・あれ? ついこないだも似たような投稿をした気が・・・。あっ、2年のとき、検尿。3年のとき、奴。4年のとき、イヌクソ。なんと今気づきましたが、私は3年連続でおぞましい物に初めて触れてギャーという経験をしていたのでした。
もうすこし記憶をほじくり返せば、1年や5年でもやってるかもしれません。また思い出したら投稿・・・ って誰もこんな話聴きたくないわい、ど阿呆。毎度毎度すみません。今私が大変運の良い人生を送っているのは、4年の時のブツが幸運を齎しているのでしょうか。モノがモノなだけに・・・。(オポムチャン)

(寸評)あ、小さい方のGさんね。
俺も高円寺のアパート時代、夏に窓開けてたら外から無音で飛んで来て俺の顔を直撃したよ。
あと病院の受付していた時「寝てる間に耳の中に入って来て・・・ギャー動かないでーーーッ!!!」と泣き叫んでる女性も来たな。
ちなみに寝てる間に耳の中、案外多いそうですのでお気をつけて・・・。 7ポイント。

はじめての貴族と遭遇

電車の中にはいろんな人が居ます。

高校時代、私は祝日に部活へ行くため、北大阪を走る阪急電鉄・宝塚線の宝塚行普通列車の車内で立ったまま揺られていました。
この阪急宝塚沿線の人々は北上して兵庫県に入ると途端にセレブ率が高くなります。私はこの沿線でも南の方に位置する駅を利用している貧民なので、その実態をよくは知らないのですが。
しかしその日。そのセレブとは何ぞや、と世間知らずな僕ちゃんに否応なしに知らしめる存在が眼前に現れました。

途中の豊中駅で、その人は颯爽と車内へ入ってきました。

真っ赤なリボン。
長々とウェーブした赤茶色の髪。
濃厚なアイシャドウ。
クリムゾン、とでも呼ぶべき深紅の口紅。
パッションを無闇に掻き乱すほどのパッションピンクの全身フリルのドレス。
胸元を飾るは、淡い桃色の入った花珠パールのネックレス。
金色に輝くベルト。
細く可憐な指には、大きな大きな石の入った、すべて色の違う指輪が。10指すべてに。

貴族だ・・・・・・。

宝塚の貴族ともなると、70のご婦人でもこのピンクを着て往来を闊歩するのか・・・!
それにしても悪趣・・・ い・いや、輝かしい。眩し過ぎて、眼が腐・・・ も・もとい、くらみそうだ。

貴族は私と同じ駅で降りて行きました。学校最寄りの下町くんだりに何のご用事でいらっしゃったのかは定かではありませんが。

世の中には自分の常識・規格を超えた超越的な存在が居るものなのだなあ。と軽べ・・・ ん゛っんん、感慨を深めて詠嘆した高校生の私でした。(オポムチャン)

(寸評)それ、新手のコスプレ風俗嬢す・・・。6ポイント。

はじめての車中総尿臭

電車の中にはいろんな人が居ます。

先日、JRで大阪駅へ向かう最中の大阪環状線外回り先頭車両に空席を求めて辿り着いた時、妙な空きかたをした座席を見つけました。
仕事疲れでへろへろの私、やっと見つけた空席にこりゃ幸いじゃと向かいかけて、空気の異様さに気が付きました。
空いている席に近づくと、その臭いはもう何日も体を清めていないであろう、前衛的な綻びかたをした服を纏ったご老人のものだということが判明しました。

どうりでご老人の周りの座席がぽっかり空いてるわけです。
ご老人は何か言葉を発しますが、先に「おバカ」に投稿した次郎長のおっさんとは異なりまるで不明瞭です。
不明瞭なのもそのはず、足元には堂々と一升瓶が置かれていました。
アンモニッシュな空気に、アルコールの発酵したような臭いも混じります。
ちょっと近くには居られないような事態です。私は座るのを諦め、なるべく遠くへ行こうと先頭車両の端の端まで歩を進めました。

駄目でした。

車両のおよそ真ん中の席に鎮座ましましているにもかかわらず、ご老人の尿プラス酒の臭いは未だ私の鼻腔をこれでもかと刺激します。
なんという影響力だろうか。あのご老人一人で、この広大な空間すべてを蹂躙するとは・・・
最近一番前の車両ではろくな目に遭わんなあ、と己のツキの悪さと昔っから臭さにだけは妙に敏感な鼻を呪いながら、私は身を固くして電車が大阪に着くのをひたすら待ちました。

車外に駆け出ると、平生の空気のうまいこと。大阪中心部の、小汚い排気ガスまみれの空気であるにもかかわらず。
世の中には自分の常識・規格を超えた超越的な存在が居るものなのだなあ。と感慨を深めて吐き気を催した社会人の私でした。オロッ。(オポムチャン)

(寸評)よく見てみい。それ、オポムチャンのお父ちゃんやないか。
親は大切にしないといかんぞ。胃肝臓。 6ポイント。

はじめてのドッペルゲンガー

電車の中にはいろんな人が居ます。

高校時代、私は部活の帰りに、北大阪を走る阪急電鉄・宝塚線の梅田行普通列車の車内で立ったまま揺られていました。
この阪急宝塚沿線にはたくさんの学校があり、夕暮れ時の車内は様々な学校の生徒たちが駅々で入れ替わります。
その日はいつもの同じ中学の腐れ縁2人との会話には加わらず、何やらぼーっとしておりました。
途中の駅で、とある女子高の生徒が何人か車内に乗り込んできました。
そのうちの一人・・・ 頭に布を巻き、額に煌めくちょぼ(←名前がわかりません)を付けた、やや色黒のおそらくインドの出身であろう女学生の顔が・・・ 私でした。

一瞬気が動転しました。

今のおっさん顔からはまだいささか可愛かった(←阿呆)当時の私、もちろん男です。
その女生徒がおっさん顔だったというよりは、純日本人であるはずの私の顔面があまりにも西アジア的だったのです。私がその事実を自覚したのは、この出来事がきっかけでした。

天六(大阪)と天草(熊本)のハーフの、天パ(天然パーマ)の私。天てんづくしかい。いやいやほら両親日本人でしょ?
いかなる神の悪戯で私の顔面はアジアを駆け巡ったのでしょうか。眠たい目が好みの石川さんも、この無駄に濃くて必要以上に眼つきがギラッとした私の表情には辟易されたことでしょう。でも有難いことに忘れてくださるので安心。

それはともかく、ドッペルゲンガーに逢った人は死ぬなんて言われていますが今ん所元気です。
・・・ハッ、そういえばあの子にはその日以来逢ってない・・・ 私が彼女のドッペルだったのかしらん、とか言うたりなんかしてね。(オポムチャン)

(寸評)俺とほぼ同じ人は養護施設等にたくさんいるそうな・・・。 6ポイント。

初めての石川さんとセッション

  ツイッターにて石川さんが「誰とでもセッションライブ」をやるよ〜と告知されました。

  「いいな〜やりたいな〜でも無理かな〜」
と思っていたら石川さん直々に「ようこさんの為に企画しました」と言われこれはもう出るしかない!と意を決し11月15日ムジカジャポニカに行ってきました。  

現場に到着するとそこには「○○さんの為に・・・」と言われたのは自分だけではないのにのぼせあがった調子乗りの関西人が多数集まっていました(笑)。

てっきり1部は石川さんのソロでセッションは2部だと思っていたのにいきなりセッションタイム。
  入口で記入した『名前と演目』が書かれた紙を石川さんが舞台の上でくじ引きしていきます。
同じ列の子達と「トップバッターは嫌ですよねw」「まだ温まってないしね〜」「真ん中くらいが良いなぁ」とか言ってたら石川さんからいきなり名前を呼ばれました。

「ぎょ・・・トップか〜」

もじもじしててもしょうがないので、覚悟を決めて舞台へ。
  よくよく考えてみれば石川さんとのセッションも初めてだけどムジカの舞台に上がるのも初めて。
  なんだか凄く嬉しくなって泣くんじゃないかと思ってたのにニヨニヨ笑いが止まりませんでした。

いきなり石川さんに「カウントお願いします」と言ったら石川さんに「何やるか分かんないのに?テンポも何拍子かも分かんないのに(笑)どのくらいでやればいいの?www」と言われ、あ〜そうか!!と。
  「ではワンツースリー!このくらいで」
と言ったけど、言うんなら自分で始めりゃ良かったって事ですね。

  でも自分的には「石川さんのカウントで」弾き始める事に意味があったので叩いてもらいました。

石川さんにもご参加頂いたアルバム『楓・二人囃子?』の中からマンドリンで2曲(シーベックシーモアとエル・クンバンチェロ)演奏しました。

(え!?CD出してんなら石川さんと初めてじゃないじゃん。と思った方。
  色々大人の事情があるのですよ。それにほら。二人きりは初めてなワケですし。ごにょごにょ)

  けどアルバムの中では石川さんは叩いていない曲です。
元々決めてた曲とは違いました。
何故シーベクを弾き始めたのかは、自分でも覚えていません。
  あの日はあれを弾きたかったんでしょうね。うふふ。

貴重な体験なので、もったいなくて石川さんから視線を外さずに演奏してたら
  「そんなにずっと見ないでくれる(笑)?」と石川さんからダメ出しが。
だって嬉しかったんですもん〜。
なので2曲目はちょっと横目でちらちら見ながらにしましたよ。
  パーカスだけじゃなくて声も入れてくださり、とても楽しかったです。

  持ち時間の5分なんてあっと言う間に過ぎて行きました。

トップバッターやだな〜と思ってましたが、よくよく考えてみたらトップで良かったと思います。
  2番手以降の全員濃過ぎました。私なんてもう〜ただ演奏してるだけですからね。
さっさと終わっといて良かったなと思いました。

1部があまりにも濃かったので(内容については、それぞれの方のレポがあると思うので割愛)
  2部の石川さんソロが少しは薄味に感じるかしら・・・と思ったけど、そこは大御所。  

さすがに石川御大です。
いつも以上にすんばらしいライブでした。
  笑いすぎて腹筋痛いのに、最後は泣かせにかかってきますからっ。
  ラストの「オンリー・ユー」せっかく堪えたのにアンコール「ネムイ」なんてズルい〜。

  前列の乙女二人とおばさん一人が揃って涙を流すという始末。

うーん。
あれだけ濃い人達と全部その場の成り行きでセッション出来てしまう広さとか柔軟性とかやっぱり凄いお人っすな〜!!
  楽しいライブはあっちう間に終焉となりました。

  フリースタイルのお兄さんが、すごく演奏を誉めてくれてライブ情報とか知りたいから検索するからもう一回名前教えて」って声かけてくれたんだけど別れ際に「いや〜ほんまよかったで。バンジョー」って言われたので笑った。
  「メイプル バンジョー」で検索して出てくるんかな〜。

せっかく宣伝したのにCDそのまま持って帰るの悲しいな〜と思っていたら「空き巣ちゃん」の宣伝に来られていた「ほなみちゃん」と、このサイトでおなじみの「オポムチャン」さんが買って下さいました!!
ほなみちゃん、オポムチャンさん、ありがとうございました。
この場をお借りしましてお礼申し上げます。

そして、石川さん!!本当にありがとうございました。
今度はいつか何処かでもっと、しっぽり・・・じゃなくてたっぷりセッションしたいです。
  出前考えよ〜。

あ〜それとムジカの音響、とても気持ちよかったです。
  リハもしてないのにさすが慣れてはるんやな〜。

セッションの時の写真がよく撮れてたので今年の年賀状にします。
  ユニット名は「アイコンタクト・オーケストラ」(石川さん命名)。
誰か自治体の偉い人とかいたら祭とか老人会とかの仕事ください。

そしてCDまだまだいっぱいあるので誰か買って下さい。

最後は宣伝で締めるといういかにも大阪人な、でゅおめいぷるようこでした。 (でゅおめいぷるようこ)

(寸評)いやあトップバッターはやはり緊張するよね。
でも流石プロの音だったね。プロで始まって子供で終わるというセッションの流れも面白かったな。
本当は順番的にはソロ→セッションの方が良いのだけれどセッションをする人が開演時まで何人か分からなかったので、曲数で時間調整出来る様にソロを後にもってきたんだよね。
なんせ開場前にお店のスタッフに聞いたら「セッション希望のメッセージを頂いてるのは2名だけです」と言われたので、こりゃあセッションはあっという間に終わってソロをたっぷりやらねばならんぞ〜と思ったからね。
でも蓋を開けたらセッション8組いたからね。ちょうど良い塩梅だったね。
出前でたっぷりなら俺も嬉しい(笑)是非是非来年は企画してちゃぶ台ねっ! 8ポイント。

 

はじめての直接イヌクソ

  私の住む大阪では、8月のうちに大きな花火大会がいくつか開催されます。
そのうちの1つ、淀川花火大会は、毎年多くの観客で賑わう一大イベントで、川べりには浴衣姿の人々がわんさかわんさか。

  そんな中、偏屈な私は人込みも花火も大嫌いな小4。家族みんなが淀川の河川敷に行こう、と誘ってきましたが留守番してる、と断固拒否。それでも無理矢理手を引かれ、しぶしぶ夕涼みの中、長柄橋の南詰までやってきました。  

日はすっかり暮れました。見たくもない花火を見にそこそこの距離を歩かされ不機嫌な私。
土手から河原へ降りる階段のそばで腰を掛けよう、ということになり、私はまたも厭な気分に。
だって外だから土埃で服が汚れるし、なによりマナーの悪い大阪、土手なんかにゃあそこいらに犬の、ね。  

暗くて足元はよく見えません。尻を下ろすのは階段横のコンクリ部分。私は何かを予知したのでしょうか、こんなセリフを吐きました。  

「まさか犬のフンがあるんじゃないやろな・・・」  

尻は何事もなくコンクリと触れました。安心したのか私は草むらに左手をつきました。  

果たして左手が触れたものは、草ではなくクソでした。  

ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!  

爆音で鳴る花火に負けじと劣らず、私はありったけの声で咆哮しました。
なんて、なんて当たらなくてもいい予感が当たってしまったのでしょう。
固まってはいたものの、ヒンヤリしたまだ新しい、それ。いまでも感触は忘れることが出来ません。  

気が狂ったようにそこいらの地面の土に左手の平を擦りつけ、涙目で絶叫する私。親父はそれを見て爆笑しています。
しかしひとりで帰るわけにもいかず、汚染された手を洗うにも近くに水道などありません。土でくすくすになった左手を呪いながら、私はやかましいだけの花火が終わるのを、じぃっと待っていました・・・ とさ。(オポムチャン)

(寸評)どうりでこの間、君の手臭いと思った!
嘘す。 7ポイント。

   

はじめてのギター通勤

  夢にまで見た石川さんとの誰でもセッションライブ。しかし悲しいかな、金曜日に休みを取ることは出来ませんでした。 へったくそなギターでセッションがしたい私。迷うならやらないと後悔するぞと弱気を奮い立たせ、ライブ会場にマイギターを持参することにしました。
するとどうなります? 仕事が終わるのは6時、ライブの開始は7時半、職場から家まで1時間、家から会場までも同様。つまり、一度ギターを取りに帰ってる暇はないということです。
となると必然、ギターを担いで通勤電車に乗らねばなりません。

  前日木曜。いつも乗る朝の電車はすし詰めオブすし詰め、こんな中にギターを担いで乗り込む勇気が私にはありません。
そこで気の小さい私は、電車を1時間早くすればまだ余裕があるんじゃないかと早起きを企てました。
目覚ましは5時40分に設定、6時台の電車、しかもいつもの急行ではなく普通に乗れば安心だ、と。
そしたら普通の人間なら早めの睡眠を心がけるべきところですが私は投稿キチガイ、その日もあろうことか深夜2時近くまで「私のまわりのおバカさん」に送る長文をこしらえてしまったのです。

  寝不足で唇はボロボロ、もそもそ夕飯の残りの朝飯を食い、いつもなら弁当をこしらえて鞄に放り込みますが今日は鞄なんて持てません、職場にはギターだけ持っていくという36歳社会人としてどうよ、と思われる蛮行。ギターケースに必要最低限のものをねじ込み、女房子供がすいすい寝息を立てる中、6時15分家を出ました。なめたことに雨でした。  

幸い折りたたみ傘をギターケースに入れていました、しとど雨降る中大きな楽器を抱えて駅へ。着いた時点でケースはびしょ濡れ、ハンドタオルまでねじ込んできた自分をひとまず褒めてやり、電車の到着を待ちました。  

やはり6時台の普通電車は空いており、何年か振りに朝の通勤電車で座ることが出来ました。ギターは網棚をまるまる占拠しています。早く起きてよかった。大阪梅田に近づくにつれ、電車は次第に満員に。急行にはとても乗れなかったでしょう。珍しく好判断の続く私。  

さあ阪急電車からJRに乗り換えです。いつもなら歩道橋を渡りますがあいにくの雨、遠回りして雨に濡れにくい地上の横断歩道を通ります。乗客数を心配しましたがまだ余裕がありました。ここまですべて計算通りです。  

駅を降りて忘れず弁当を買い、雨の中徒歩で職場へ。いつもより1時間早い到着に、職場の隣の家のおじさんも上司も驚いています。しかも、ギターしか持ってないもんですから状況の説明にまた一苦労。「仕事なめてんのか?」と詰られてもおかしくないのですが、理解のある上司でよかったです。  

仕事はおおよそ問題なく終わりに近づきましたが、ここで私の書類が要る事態に。
今から取ってきます、と控室に戻ったところ・・・ ねぇの。書類が。

  なぜならいつもの鞄に入れていたからです。そこにあるのは、いつもの鞄ではなく、ギター。書類は入ってません。  

「すいません、今日はありません・・・」  

同僚から冷たい視線が注がれます。何しにここに来てんねん、的な。トホホ。  

気を取り直して仕事を無事に終え、ギター担いで夜の梅田へ。さすがに帰りのJRは混み合って、肩身の狭い思いをしました。
今度からは、ギターを使う日はお仕事休もうね、阿呆。  

そんな苦労して持って行ったギターも、本番チューニング狂ったままだったんですけどね! 
でも良かったです。たとえ狂ったギターでも、あの場所に持って行ったからこそ貴重な素敵な体験が出来たのですから。苦労して持って行ったという行程を経なかったら、手に入れた感動もきっと薄いものだったでしょう。

  石川さんのライブには、いろんなことを教わりますね! 皆さんも是非! ってまとめが強引か!?(笑) (オポムチャン) 

(寸評)おぉっ、そりゃ大変だったね。ギターって大きいもんね。
俺も荷物持つの嫌だからパーカッションは宅配便で送り(内容を楽器、と書くと保証書とか書かされて面倒なのでいつも「玩具」と書いている)、ギターは現地調達!
あの日はお店のママさんのギター借りたのよ〜ん。 8ポイント。

ドクドクドクリコ初体験

  初めて「Dr.Pepper」[ドクターペッパー/通称:ドクペ]なる炭酸飲料を「鈍器包手」で極秘に入手しました・・・[小声]。

  プシューッ!

  色・・・コーラのような色です。

  匂い・・・杏仁豆腐のような匂いがします。

  そして味・・・何の薬品だよっ!

  炭酸ジュースに龍角散を混ぜたような・・・?

  ニッキ玉を舐めながらコーラを飲んだような・・・。

  うん、嫌いじゃない!

  検索すると「うわっ! こんなもの飲めるか!」などの拒否反応を示す感想がほとんどでしたが、意外にも割とイケる味でした[笑]。
本当は皆と同じく「マズー!」という体験をしてみたかったのですが・・・、やっぱり味覚も馬鹿なのかな?(デクノボー)

(寸評)俺大好きだからなー。俺の味覚ではすんげえ旨い。
きっとみんなが狂ってるんだよ。
キ○ガイたちの世界。 5ポイント。

初めての「飲むサロンパス」・・・?

  このサイトの別コーナー「王様の耳はロボの耳」の「話題207 好きな香り、におい」にエアーサロンパスの香りが大好き13/11/26と投稿したところ、石川さんから「ルートビアって飲んだことある?」とのコメントを頂きました。
ルートビア?
名前だけはこのサイト界隈で見たことがあるけど、ただのビールだと思ってノーチェックだったな・・・。
「これがモロにサロンパス味」って、ほんのり湿布のような香りがする炭酸飲料なのかな?
さっそく近場で買える店舗を検索っと。酒の「やまや」さんか。福岡で「やまや」って言うと、100%明太子屋さんなんだけど[笑]。
「ちょっと人気がなくて、取り扱いを止めたんですよ。申し訳ありません」
あらら・・・。色々調べてみましたが、売っているのは「沖縄」がメインのようです。
う〜ん・・・、アメリカの飲み物か。だったら「アメリカ輸入雑貨」のお店に置いてあるかも?
検索すると「ヴィレッジ・ヴァンガード」という全国展開している店舗がヒット!
そして、ゲット!
「A&W ROOT BEER」355ml缶で128円でした。

  プシューッ!

  色・・・薄いコーラのような色です。

  匂い・・・あははは、笑いが出るくらいサロンパス[爆]!

  味・・・口の中に入れたサロンパス[笑]! いやいや、ちゃんとした甘い炭酸飲料なんだけど・・・やっぱりサロンパス[爆]!

  これはもう炭酸飲料という概念を超越した物体です[笑]!

  もう一口・・・ぶははは、何度飲んでもサロンパス[爆]!

  「ちょっと首筋にエアーサロンパスかけて。シュー・・・うわっ、口の中に入っちゃったよ」的な感じです[笑]。
これでハッカのようなスースーする成分が入っていたら、物凄く悪趣味な飲み物に・・・いえ、飲めないと思います[笑]。

あ、もう一口・・・ニヤ〜[笑]。(デクノボー)

(寸評)ねっ、サロンパスファンにはたまらない飲み物でしょ?
ちなみにそのA&Wは沖縄ではファストフード店を展開している。
食べ物は普通にバーガーとかだけどドリンクにはもちろんルートビアもある。
  で、このルートビアをオーダーすると・・・。
ミスタードーナッツ等で「コーヒーのお替わり無料サービス」をやっているように何とルートビアのお替わりが無料サービスなのだ!
どんだけルートビア好きやねん、沖縄!
俺?もちろんお替わりするさっ! 5ポイント。

   

初めての「ガラナ」飲料

  アメリカ輸入雑貨店「ヴィレッジ・ヴァンガード」で「ガラナ アンタルチカ」という炭酸飲料を購入しました。

  プシューッ!  

色・・・薄い麦茶のような色です。  

匂い・・・ほんの少しだけ薬品くさい、ベリー系の匂いがします。  

味・・・甘いジンジャーエール[しょうが飲料]のようです。  

ああ、先に飲んだ「ルートビア」のせいでインパクトは小さいですが、薄いオロナミンCのような美味しい炭酸飲料でした[笑]。(デクノボー)

(寸評)ルートビアとガラナという癖のあるふたつの炭酸飲料。
ルートビアが沖縄なら、ガラナは北海道。
地元のメーカーはともかく、東京に本社のあるキリンとかも北海道限定で発売しているので常時数種類のガラナが売られてる。
どんだけガラナ好きやねん、北海道!
俺?もちろん大好きさっ! 5ポイント。

はじめてのたまアトピー

私は全身にアトピーがありますが、またもうこれが痒いの痒くないの、ってかゆいんですけどね。
季節や体調によってマシになったりするので常に皮膚が掻き壊しでボロボロ、という状態までには幸い至ってはいないのですが、ひとりフェラに挑戦するくらい妙に全身が軟体なため身体中手の届かない場所が無いので、背中全面がクレーター状になった時は「どうやってそこ掻いた!?」と驚かれたり、ととにかくあっちこっちにアトピーが現れてしまうのです。

しかし。まさか奴がそこまで攻めてくるとは予想もしませんでした。
そう。陰部です。

顔、手足首、ヒジひざ裏はしょっちゅうの事ですが、30代前半の時にたまが痒いのが延々治らなかった時は一瞬なにか違う病気を覚悟しました。
とはいえそんな病気を貰うような所へは行った記憶もありません。
余程特殊な環境でセルフサービスを繰り返した、ということもありません。
こ・・・ これはかの有名な、水虫菌が陰部に感染するとなると言われている、陰金田虫という奴なのか!?
だが症状を調べてみてもなんか違うみたいです。
そもそも私は水虫を患っていませんし、それっぽい人が歩き回るような場所では床に陰部を擦り付けたりしません(それっぽい人が歩き回らない場所ではたまに擦り付けたりするのか、お前は)。

あまりに痒みが続いてズボンの上から掻く癖がついてみっともないので、思い切っていつもアトピーを診てもらってるお医者さんへ相談することにしました。

いつもなら各部位の症状を報告しお薬を出してもらい終了、なのですが、恥を忍んで私は先生に告白しました。

「あのう・・・ お恥ずかしい話ですが、この辺り(指で股間をグルグル)が最近ずっと痒いんです・・・」

そう言うと先生は、診察室では他の患者さんや看護師さんの目もあるから別室で待つように、と言われ、電器の少ない薄暗い部屋で先生の到着を待ちました。

ズボンを下ろし患部を見せるよう指示されます。嗚呼、60過ぎのお爺ちゃんにルーペでたまをまじまじと診られる、えもいわれぬ恥辱体験。

「アトピーですな。大丈夫、あなたのような人は沢山います」

その言葉に救われました。へんな性病じゃなかった! ひとまずよかった! でもそんなとこまでアトピーなるもんなんかい!?
処方箋を貰い、近くの薬局に行きます。受付のお姉さんがお薬の説明をしてくれます・・・

「これがグリメサゾンです、お風呂上りに一日一回、・・・(少し言い澱んで)陰嚢に塗ってくださいね」

ここに来てまさかの追加恥辱プレイ。お姉さんもこちらも気恥ずかしい、という絶望的なありさま。
チューブにはご丁寧に、『陰嚢』と書いたシールが貼られてありました。言葉に出来ないマヌケ感。
出してもらったお薬は異常におっさん臭い黄色の軟膏。侘しい気持ちでたま裏にヌーリヌリ。すると塗った指から恐ろしいことにおっさん臭が消えないのです! ノォォォ。

おっさん臭は朝になるとおおよそ指から消えていました。そして長期にわたって私を苛んだたまカユカユは、たちどころに快方へ向かいました。・・・すごいぜ、おっさん臭塗り薬!!

アトピーはなかなか完治の難しい病気で、疲れたり汗を沢山かくとちょこちょこ顔を出します。今でも私は時折たまや棒にちょっかいをかけてくるアトピーに、おっさん臭塗り薬で対抗しているのでした。それにしても効くぜ。臭いぜ。 (オポムチャン)

(寸評)俺も手の指にアトピーがあって一時期掻いてしまうので絆創膏だらけになったことがある。
昔はなかった病気なのにね。
やっぱりいろんな食品の化学反応なんだろーね。
まぁ、掻くの気持ちいーけどね。 8ポイント。

はじめての屋外自主的快感提供

なんだこのエセ中国的なタイトルは。それはともかく高校時代、塾帰りの夜。

冬空の下、私はかじかむ左手をポケットに突っ込んで、片手運転で長い長い帰り道を自転車で走っていました。
学校の後に遠い遠い塾通い、もうすっかり真っ暗です。
道は、私の住まう人気(ひとけ)と電灯の少ない工業地帯へさしかかりました。
そこへ妖しい夜の光が見えてきます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、エロ本の自販機は夜になるとその猥褻な販売内容が公に明らかになるシステムを有しているのです。

うぶな私はその猥褻な内容を直視できませんでしたが、若さ故の逞しき妄想力により、かわいらしい小ぶりな陰茎に熱が籠ってきました。
するとポケットの左手はどうなります?
おのずとしまい込んだ手の平に、生地越しに膨れたモノが押し付けられます。

人気もないし、これは、ちょっと実験してみよう。
性的に旺盛な当時の私は着衣のままポケットの中から左手でくりくりと陰茎を刺激し、屋外で性的快感を得るという変態行為に挑戦しました。しかも無為な移動時間を利用でき、他者からも悟られにくいといういいことずくめ。
自転車で走りながらの自主的快感提供は続けられ、うっとりしてきたところで重大な問題に気が付きました。

これ、出してもうた後の処理、どないすんねんな。

帰宅して家族に見られる姿は、股元かぴかぴの陰気な小太り。
想像するに堪えません。

冷静さを取り戻した私はしずかに左手をハンドルに戻し、かじかむ手で家路を安全運転で帰りましたとさ。我ながら変態高校生だ。 (オポムチャン)

(寸評)いや、全然普通です。
俺の友達はポケットに穴を開けてポケットの中に手を突っ込んだ振りしてバスや電車で目の前の女性の鼻の先でそれをしごいたという。
・・・犯罪スレスレだが。
俺はビデオの無かった時代、ポルノ映画館で映画を観ながら処理。
射精しても大丈夫。
何故ならコンドームを装着してポルノ映画館に入ってるから。
もっとも途中で萎むと外れてしまうので常に勃たせておかなければならない。
なので関係ないドラマシーンなどでも必死に勃起を持続させていた。
今じゃ絶対無理だな・・・。
って、いつの間にかカミングアウトしてる!?
やられたぜ、7ポイント。

初めてのテレポート[瞬間移動]!

毎年「金木犀」が香る頃に微熱を出すのですが、今年は様子が違っていました。
喉の痛み・倦怠感・関節痛が現れ、その3日後には体温も39.3℃まで上昇してしました。
いつものように大人しく寝てれば汗をビッショリと掻いて治るだろうと、2階の自分の部屋で横になりました。
体温を下げたいという思いが夢に現れたのか、夢の中で「567890+789012+345678=123456 が正しいと証明せよ。出来れば体温を下げてやる」というゲームに挑戦し、「そんなに少ない訳が無い。どうして過少な答えを押し付けるのか。嘘をつけとでも言うのか」との問答を延々と繰り返していました。
午前10時、自分でも寝ているのか起きているのかも分からない状態で、酷い吐き気がしてきました。
いつでもトイレに行けるように1階に下りようと、波間に漂うような感覚の体を起こし部屋を出ました。

テレポーテーション!

普通に目が覚めるように目を開けると、1階の階段の下で仰向けに倒れていました。
何があったのかは分かりませんが、両腕両足に多数の擦り傷が出来ています。左足の甲からは血が滲み、紫色に腫れ上がっています。
時計を見ると、30分後にテレポートしているようです。
「風呂に入って、髭を剃って、歯を磨いて、着替えて、病院に行く」なんて気力も湧かず、薬箱から数年前の「ロキソニン」を見つけ飲むのが精一杯でした。
6時間後、見事に汗をビッショリと掻き、体温も36.1℃まで下がりました。
「平熱」が人間にとって如何に素晴らしいことなのか、よく理解できました。松○修造さんにも教えてあげたいです[笑]。
不意のテレポートはとても危険なので、風邪だと思ったらすぐに病院に行きましょう!(スペックホルダー)

(寸評)そうだな、例えテレポートが本当に出来たとしても30分かかって怪我までするなら出来なくていいや。しかも二階から一階までの移動で・・・。
俺も先月40度近い熱が出た。
虚弱者は無理しないことが肝心だね。7ポイント。

はじめてのメール応答せず

このコンテンツ「ドキドキドキリコ初体験」に枯渇がちな私の初体験談をなんとかひり出して投稿しようと、この金曜の夜も長文をこしらえるのに精を出していました。
昔の記憶を懸命に手繰り、文章にしていく作業は時に眠気を誘います。
ましてや、仕事疲れのピークである金曜の夜。私はうっつらうっつらしては我に帰り、再び記憶を辿り打ち込んではまたうっつらうっつら・・・ という状態でした。

しかし眠気には勝てず、半分くらい書き上げたところで力尽き、気が付くと朝5時前になっていました。

身体はしんしんと冷えています。しかし内容が少々下世話な内容だっただけに、仕上げて送信したらすぐに削除したかったので、冷えた身体のままキーを叩き続け、けっこうな行数の投稿文を完成させました。
さあようやく布団で眠れるぞ・・・ と送信ボタンをカチッとな。
ところが。私が寝落ちした間にメールソフトに何らかの不具合が生じていたのか、処理中をあらわすなんか水色のグルグルしてるやつがグルグル回り続けるばかりで、ちっとも送信が完了されません。
おっかしいなぁ、もう一回送信してみるか。そう思いウィンドウを閉じたところ、「このプログラムは応答していません。プログラムを再起動・キャンセルすると編集中のものが失われる可能性があります。」
なんてなめたメッセージが現れ、3つの選択肢を迫って来ました。

1.プログラムを再起動する
2.プログラムをキャンセルする
3.プログラムの応答を待つ

諦めきれない私はダメモトで3を押します。しかし案の定、水色のグルグルが待てど暮らせど回り続けるだけ。
・・・これ、残りどれを選んでも編集中の文章は失われることになりましたよね。
えーと、でも、可能性があるだけ、やし、もしかしたら、ね。イケるかもしれへん、よね? 1をクリック。ドキドキ。

時間をかけて編んだ文章はメールソフトの何処にも存在しませんでした。

今まで途中で寝落ちしても朝には続きを普通に送信できたのに・・・ 安物パソコンのあほんだらぁぁぁぁ!!!
と、腹が立ったので投稿にしてみました。おもろないので3点で結構です・・・ (オポムチャン)

(寸評)おおっ、パソコンってそれがあるからね。こまめに保存してないとヤバいんだよね。
かわいそうなので5ポイント!

はじめての装着

はい、というわけで匿名で文体を変えて投稿しようとした恥多き過去をめんどくさいので正体バラして平常通り投稿します。もう家の者にバレたって過去のことよ。

高校時代の部活の後輩とは別れては復縁し、を繰り返したのち、プラトニックな2年の歳月を経てようやく若者らしいそういうことを近々しそうな気配が漂ってきました。
となるとお互いはじめての身、気を付けなきゃいけないのが避妊です。
なにぶん当時の私はバイト暮らしの大学生。子供のまんまで子供をこさえても養えるだけの責任はとても持てる自信がありませんでした。

ここはひとつ、装着の練習をしとかんといかんな。
はじめてのウフフにムケて、もとい向けて、手際よく装着する技術を身に付けるべきだと思い立った私は、まだ知った顔も少ない大学近くの薬局へわざわざ原チャリを飛ばしました。
家の近所だと、どんな悪友に見つかり冷やかされるかわかったもんじゃないからです。
日の暮れた後、人通りも少ない、大学通りから少し離れた薬局の自販機で、500円で買い求めました。
またドキドキしながら初めて買うなんて時に限ってちょうど自転車の若い女性が通りかかり、しかも前から来た女性と鉢合わせてブツを購入している私の真後ろでよたよた謝りあってるのです。
よりによって今ここでかち合うなっ!! こっちを見るなっ! 恥ずかしわ!!
顔面を真っ赤にしたまま、家の部屋まで戻りました。

皆が寝静まった深夜。さっそく箱を開けてみます。
おっ、3枚も入ってるのか。・・・って500円という値段の割に多いのか少ないのかよく判りません。
なにしろ初めてですから、入念に説明書きも読んでおきましょう。

・裏表があるよ
・きっちり勃ててないと装着できないよ
・いっぺん発射したら新しいのに換えてね
・避妊率はおよそ85%だよ!

てな感じの注意が。 ・・・こいつ、1割5分はしくじりやがるのか。あまり信用できねえな・・・。
かといって無装備でコトに挑むなどそれこそカモンベイベーです。
さあ、いざ装着だ。注意書きに従ってきっちりおっ勃て、ぴりぴりパッケージを裂き、装備品を取り出します。

なんかエメラルドグリーンのべたべたした輪っかがぬるりと出てきて、えっこれを着けるの!? と引いてしまい、へなへなしてしまいました。
こんな事では本番に差支えます。もいちど奮い立たせ、出っ張りがある方を当てて、くるくる引き下げます・・・
いや、下がりません。途中で止まってしまいます。
どうやら裏表逆に着けてしまったようです。
中途半端にびろーんと伸びてしまったので、仕方なくもう1枚。

今度はちゃんとくるくる根元近くまで覆ってくれそうです。あと少し・・・
たいたいた痛い痛い痛い!!! 
一緒に周辺の毛を巻き込んでしまい、肌が引っ張られています。あだだだだだだだ!
涙目で一本一本丁寧に毛を外へ引き抜き、完成・・・を待たずして、しぼんで外れてしまいました。トホホ。

こんな体たらくじゃ、着けてる間に相手が冷めちゃうぞ。
しょぼくれ息子を猥褻雑誌で鼓舞し、三たびのチャレンジでようやく格好が付きました。大変だった・・・。
まぁ練習の成果なんて得てして本番でうまく発揮されることは無く、もたついて難儀したんですけどね!

懐かし恥ずかしい、青春の一コマでした。・・・こんなメールだからパソコンに送信を拒まれたのか? (オポムチャン)

(寸評)ああ、懐かしい青春の一コマよのう。
そういえば最近スキンの自販機見かけない気がするが気のせいかな?
初めての若者も気軽にドラッグストアで買ってるのかなあ。
いつも財布に入れてた時代もあったなあ。
そんでもそういう時には全然機会がなかったなあ・・・。8ポイント。

はじめての紙幣紛失

小学3年のお正月。お年玉を貰ってホクホク顔の私は2千円をポケットにねじ込み、従兄弟や兄貴とそこらを駆け回りました。

お正月なんだからお金持っててもお店が開いてないじゃないか、と思われるところですがどうしてどうして、狡猾な駄菓子屋のおばはんはお年玉貰いたてのアホガキをターゲットにするべく、商魂逞しく元旦から営業をしておったのです。これは大阪ならではのがめつさだったのでしょうか。よその地域の元日の駄菓子屋のおばはん情報求む(何処にだ)。

同級生シンカイ君のお婆さんがやってる行きつけの駄菓子屋ミズノは特に子供相手のツボを得ていて、昔ながらの小さな店構えの割に当時人気だったトランスフォーマーや聖闘士星矢の超合金クロスなどという高額な商品も常に取り揃えていた、目の付け所がシャープな婆さんの店舗でした。

その日もお目当てのトランスフォーマーをゲットせん、と意気込んでみんなで出かけたのですが、残念ながらお目当ての品は先に誰かに売れてしまっていました。
仕方がないのでしょーもない駄菓子を両手いっぱいに買い込み(といっても200円程度)、豪勢に食べ歩いて帰る途中残金を確かめようとポケットを探りました。
700円ちょっとしか有りません。

幼少の頃から鈍くさい私、恐らく駄菓子を買おうとポケットから千円取り出した際、もう一枚の千円がポケットから飛び出していたのでしょう。そして間抜け面で駄菓子を食べ歩いているうちに、するりと落ち、まんまとその辺のおっさんの懐にでも入ったのでしょう。

そんな分析もできない当時の私は半泣きになり元来た道を歩き直しましたが、もちろん何処にも見当たりません。
全員のテンションを著しく下げ、家に帰った私は大人達に強がってこう言いました。
「千円落としてもうた。でもええわ、千円ぐらい」

身銭を切ってアホガキにお年玉を恵んだ大人にしてはたまったもんじゃありません。しばらくお金の大事さや人の気持ちについて懇々と説教されました。
子供らしく、悲しげにしおたれていればまだマシだったのかも知れません。精神ダメージ、倍増。トホホ。

さて大人になった私。財布を持つようになりあれ以来ポケットからお金を落とさなくなったものの財布をいろんなところに置きっぱなしにして大捜索したり、ポケットに新刊の文庫本や手袋を入れて歩いて気付いたら落っことして無くし買い直す羽目になったり、とどうも進化するどころか悪化の一路を辿っておる様子です。

治らないなら、開き直ればいいのですよ。ここに投稿してポイント貰ってね。ホホホ。(オポムチャン)

(寸評)あっ、ゴメン。
オポムチャンのポイント落っことしちゃった。
まだ2ポイントしか無いよ。
でもこの投稿で6ポイントあげるから計8ポイントだ。良かったね!

はじめての紙幣拾得

中学2年の初夏。徒歩25分の通学路で、私は左手に町工場、右手に田んぼの広がる道をのこのこ歩いていました。

田んぼ側の道の端には浅くて小さい溝が掘られており、溝と田んぼの間の部分はちょうど新体操の平均台と同じような幅の場所が続いていました。
小太りが故に体操教室に通わされていた小学校時代を懐かしみ、私はその細い部分をデブながら軽やかに渡り歩いて学校に向かいます。
もちろん足元は見てないと田んぼにまっさかさま、俯きがちに危ない橋を渡っていると・・・

その小さな溝の中に、くしゃっとした紙屑が見えました。
だがその紙屑、どこかで見たような紙屑なのです。
え、これって、もしかしなくても、
お金やん。
五千円1枚、千円2枚。
ドキドキドキドキ。
朝の田んぼ&工場混在道、人っ子ひとり通りません。
誰の目も近くに無いことを首の向きを変えぬまま眼で確認し、ごく自然なムーブで3枚の紙幣を拾い上げます。

もちろん財布など学校に持っていくことが無かった私、お金の入れ場に困ります。そもそも7千円なんて大金、普段からカツアゲが怖くて持ち歩けません。ポケットなんかに放り込んだら、悲しいあのお正月の二の舞です。とりあえず生徒手帳に挟んで、お金の処遇は学校が終わってから親に委ねることにしました。その日は一日、気が気ではありませんでした。不良グループに見つかったりしたら・・・ なんて怯えていましたが、今思えばさすがに生徒手帳にお金を入れてるとは思われなかったでしょう。多分。

帰宅後、親父に相談しました。
結局工場地帯の我が家の周りには人も住んでいないので交番も存在せず、その時誰も居なかったらもう落とし主も判らないだろうから、貰っちゃえば? という結論に至りました。

嗚呼。あの正月に見知らぬおっさんの手に渡ったであろう千円が、何とも目出度い7倍になって帰って来たのか・・・!

ありがたく貯金して数日後。例の溝のところで、何かを必死で捜してる様子の工場のおっさんを母が目にしました。
僕、シラナイ。(オポムチャン)

(寸評)くそう。去年くらいに4万円拾ったが財布に入っていたので交番に真面目に届けてしまった。
まあ届けるのはいいのだが深夜の帰路の途中で書類作成の為に交番で一時間も手間がかかったのは辛かったな。
カッコつけて「お礼はいいです」と言ったのでその後一ヶ月以上経ってから落とし主から電話一本あったのみ。
ま、そんなもんかねー。
7千円なので7ポイント。

初めてのトイレでの立ちション

私は今年の8月に、とある肛門科の診療所で痔の手術をしました。
その時の初体験です。
まあ痔の手術自体が初体験で、20代から患っていた切れ痔2つとイボ痔1つを
ついに取ってもらったのですが、そこは1泊入院をしなければならず、
実家の母に息子を見てもらって、入院しました。

その日、痔の手術は無事に終わったのですが、問題はそこからでした。
「トイレは我慢しないで行ってくださいね。ただ、手術の傷に貼ってあるガーゼはなるべく濡らさないようにしてくださいね」
と看護師さんが言ったので、私は気易く「ハイ」と返事をし、持って来た石川さんの「ウヒョヒョヒョお悩み相談室」を読んで笑いながら時間を潰していました。

そして私は尿意をもよおし、オシッコをするのにトイレに行ったのですが・・・
非常に困った事態に陥りました。
この時、男性ならばお尻の穴とアソコが大分離れているから、立ったままパンツからアソコだけ出してシャーっと出来ますが、女性はそうは行かないのです。
女性はお尻の穴と尿道が近いので、普通にオシッコをしたら手術部位のガーゼを濡らしてしまいます。

「それほど心配することもないじゃない?座ってすれば」・・・と思うかもしれませんが、
この診療所の一番困ったところは、施設が古いことなのです。
つまり、トイレも和式なのです。診察室のも、入院患者用のも・・・!!
この肛門科が、なぜ洋式トイレを採用しないのかはわかりません。
単にリフォームをする気がないのか、それともじっと座らせないか、何かの意図があって和式で通しているのか・・・
でも、ただでさえ普通にしゃがむと皮膚が引きつれる状態なのに、どうやってしゃがんで創部を濡らさずにオシッコができるのでしょうか・・・??

『・・・無理だ!!ありえない!!立ちションするしかないじゃないか!! 』

私は、どうしようかと考えながらトイレに入りました。
『鍵を閉めないでください。倒れても助けられません』
『使わないときは電気を消してください。何かあったのか心配になります』
みたいな約束事が2つ、トイレのドアの内側に貼られてあったので、鍵をかけませんでした。
立ってするには服がオシッコで汚れるかもしれないので、パジャマ代わりのズボンとパンツをゆっくり脱いで、手すりに掛けました。
同時に、股に挟んであるガーゼも取って、トイレのタンクの上に置きました。

そして立ったままオシッコ。しかしシャーっと出せません。勢いよく出せば尿がはねて、便器だけでなく足も汚れます。
なので、尿道の括約筋も思い切り広げられません。
足が汚れないように大きく股を開いて、少しずつオシッコをしました。なんかスッキリしない感じでした。
案の定、オシッコで便器も汚れてしまったので、きちんと後始末しましたが・・・
タンクの上のガーゼをまた股間に挟み、衣服を整えてトイレを出て電気を消しました。

オシッコをするだけで、こんなに時間がかかったことは今までありませんでした。
同時に、この時ほど「女は本当に困る!」と実感したことはなかったです(-_-;)
初めての、トイレでの立ちションでした・・・

(ハーブティー) 10点満点、お願いします!!(笑)

(寸評)女の人は大変だねー。ええい12ポイントじゃいっ!(ちなみに10点満点ではないっす。過去には20ポイントとかもありました。凄い初体験ならポイントは無限大っす!)

はじめての投稿&掲載

2005年にこのHPを見始め、昨年世間に超大幅に遅れて自分のパソコンを持つまで、私はコンテンツ「投稿王」はまったく眼中にないコーナーでした。

そもそもパソコンの知識が無いから携帯電話以外でメールを送受信する方法がわからないし、じゃあ携帯電話から投稿すりゃいいじゃんって言っても私のぼろくさい古代電話ではこのページは読みにくいし、通信費もかかっちゃうし、ましてや投稿したところで別段面白いことが書けるわけでもないし・・・

上記のようにもっぱら頭の悪さを主たる理由として、投稿をすることが出来なかったのです。
投稿はしませんでしたが、色んなコンテンツの投稿や石川さんの返事を読むのは大好きでした。
そんな皆さんの面白投稿と、あの石川さんと皆さんがコミュニケーションしているという事実に、だんだん憧れちゃうなぁ、うらやましいなぁ、と思う気持ちが少しずつ、しずかに積み上がっていきました。

そして遅まきながらのパソコン購入、今年3月あたま、長いこと更新されていない「ヒゲカバ」を眺めていた私に、謀反気が起こりました。

ちょっと、記念に投稿してみよっかな。

私は大学時代から温めていた「夜、麗子んちでチンコ挿れるよ」などくっだらない馬鹿下品回文を投稿しようと「メール」をクリック、何だこりゃ、メール作成画面が出て来たぞ。これに打ち込んで送信を押すだけでいいのか。世の中便利になったもんだなぁ。ぽちっと。

さあこれで投稿されたのか。ドキドキ。としばらくすると画面に警告、「これ送れてまへんで」的なメッセージ。
それもその筈、あほな私はパソコンのメール送受信設定をなーんにも行っていなかったのです。
変態的な投稿が届かず落ちた、という言葉にし難い屈辱・恥辱感を噛みしめながら、Windows Live メールをあわててダウンロード&設定。ふたたび「メール」を押すと、よかったぁ、無事に送信できたようです。

残念ながら「ヒゲカバ」は似たようなものがあったのかボツになりましたが、めげずに「ザ・レポート」「王様の耳はロボの耳」と「俺のジャンルは数え歌」に投稿、そしてついに「王様〜」更新の日を迎えました!

・・・しかし。何故か自分の投稿したはずの話題だけ、いつまでたっても自分の投稿が現れません。ちゃんと「new」のマークも付いてるのに・・・! これは、なにか私の知らない投稿上のタブーを犯してしまったに違いない! あああ、調子に乗って慣れん事するんじゃなかった! 
慌てて石川さんに「王様」のタイトルのまま「掲載されてませんが、失礼な事をしてしまっていましたら申し訳ありません」との旨のメールを送ったところ、なんと私のパソコンに石川さんからのメールが!!!!!

「ん? 載ってるよ。
日付は違うけど、ページの一番下に。
出て来なかったら「更新」をクリックしてご覧。
これからも投稿宜しくお願い致しま〜す!
石川浩司」

確かこんな感じだったと思います。ひえええええええええええ!!! 鈍くさいことした私に! 直接! メールが! 投稿は「最新の情報に更新」で、画面に現れました。か、感動・・・ 俺の投稿が、この長年見ていただけの「ひとりでアッハッハー」に掲載されている・・・!! ていうか、「更新」なんてあったのか・・・。ど素人は困ります。

感動のあまり動転して頂いた貴重なメールを削除してしまったのが痛恨の極みですが、ご本人からこんなメールを頂戴したからにはここで記念投稿だけで終わるわけにはいきません。区 私のキチガイハートに火が付きました。

それ以降の私の生活が一変したのは言うまでもありません。
自分の文章が載る快感、それに石川さんがコメントをつけて下さる感動、ポイントがたまりどんどん上位に食い込んでいく興奮・・・! 私の中に、新しい「遊び」が生まれました。
投稿を迷ってらっしゃる皆さん! 人生は一度です! 石川さんと遊べるチャンス、逃す手はないですよ!!(オポムチャン)

(寸評)そーなんだよ!一度投稿すると病み付きになり、で、飽きた頃いったんいなくなり「そういえばあの人最近投稿来なくなったなー」と思うと数年後ぐらいにまた復活してくる人もいて嬉し。
結局なんだかんだでずっと継続している人が今トップの方にいる人。
こんなくだらないことでも続けることは大事だと思うなー。調子が出ない時は無理することないけど。
ま、何の為にもならなくてもリレー物語をお互いでひとつの話を続けていったり王様で会話したりとコミュニケーションがこちらも楽しいからね。俺にとっても楽しい娯楽っす。本とかになる可能性も一寸はあるしね。
音楽同様「言葉のセッション」として今後も俺と遊んでくれいっ! 7ポイント。

初めての懸賞の当選

某写真週刊誌のAVプレゼントに当たりました
元々それ目当てに登録したわけではないのですが
登録してしばらくすると私の元に一通のメールが
「おめでとうございます!プレゼントに当選しました!」の文字が
私は一瞬「ま・・・ まさか個人情報盗むわけじゃねえだろうな・・・」
と思いましたが、ルパン三世やらクレヨンしんちゃんの連載下なので
んじゃあいいやと思い返信。

そして数日後、我が家のポストに無理繰り入ったゆうパック
それはあのAVプレゼントでした。

ちなみに中身は陵辱物。あまり趣味に合わないので、時間があったときにゆっくり見ます(カルロスイベリコ豚)

(寸評)俺が高円寺に住んでいた頃「ぴあ」と「シティロード」という二冊のタウン情報誌があった。
大雑把に言うと「ぴあ」はメジャー指向、「シティロード」はサブカル指向。
当然雑誌の売り上げは「ぴあ」の方が「シティロード」の10倍近い。
ところが映画館とかの無料券の募集人数はほぼ同じ。
ということは「シティロード」の方が10倍当たる!
より当選率を高める為、新宿・渋谷などより高円寺・荻窪あたりの映画館に応募。
結果、ほぼ毎月当たって無料で映画やら芝居やらを観に行ってた。
蛇足ながらたまが初めて商業誌に載ったのも「シティロード」。
好きな雑誌だったなぁ〜。 5ポイント。


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