ドキドキドキリコ初体験(65)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールにて。題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

はじめての猥褻雑誌購入

小学生の頃下半身まる出しで押入れから発見された経緯が兄を通じて学校中に広がり、「ムッツリ助平」といえばオポムチャン、というステキな風評を頂戴した私。恥辱に満ちた学校生活でいつしか開き直ることを習得し、どうにか精神を誤魔化して生きてきました。

まぁそんなあほな過去もあり性的なことには開き直れる、と思っていましたがそれがなかなか。
男子たるもの、小学校高学年から30を迎えるまでは、基本的に起きている時間帯の9割がたは助平な事を考えていると言っても過言ではないでしょう。そうです、中学生の頃から私、とってもとっても猥褻雑誌が読みたくて仕方がなかったのですが、親からの小遣いはファミコンのソフトや兄貴の徴収により泡と消え、購入するにも元手がない。ましてや身分は未成年、さらに輪をかけた恥ずかしがりと自意識過剰からくる挙動不審。買えぬ。私には到底手の出るものではなかったのです。

そんなある夏の日に河原で厭な湿り気を帯びた投稿系猥褻雑誌を拾って興奮して泣く泣く便所で抹殺して以来、猥褻雑誌に対する熱い想いは日々いや増すばかりでした。爾来私は道端や土手べりを注意深く観察しつつ過ごしましたが、そう簡単には落っこちていませんでした。

首と身体の某所をうなだれさせて悶々とし続けた毎日。私は、なんて私は助平なのだろうか。そう懊悩する夜もありましたがそこは次第に吹っ切れました。「種の保存の本能」がそうさせるんだもーん。変に知恵をつけて理屈を用いておのれのど助平さを正当化しました。それでも雑誌は買えません。親から貰ったお金で、性欲を満たすための本を買う。なんだか物凄く人として情けない姿なのではないか、と思ってしまったのです。
私は助平でいい。だが猥褻雑誌を小遣いで買うのは人倫にもとる気がする。心は千々に乱れます。

一年が過ぎ秋に入り、府道沿いのグラウンドでプラバットとゴムボールで野球をしていた最中、K野君がホームベースの代わりになるものを茂みで探していると、私にとって二度目の出会いが訪れました。

その日のホームベースは、「デラべっぴん」という名の猥褻雑誌でした。
プレイする度にページがめくれてゆき、非常にきわどく修正した、もうこれ一部見えてんじゃないの? と思われるくらいのご婦人のグラビアが満載でした。
みんなはもう既にそんなもの見慣れていて何とも思わないのか平生の通りに野球を続けますが、ひとり気が気でないのがうぶな私です。膨れる膨れる身体の某所、私はこの素晴らしい本を、必ずいつか自分の手で買って見せる。そう心に誓いを立てました。

その後高校生になり、部活の性的伝道師Nからあまたの性的記録媒体を借りた私ですが、個人的に所有する猥褻雑誌は1冊もありませんでした。バイトをしなかったため、購入資金は未だお小遣い。それでは駄目なのです・・・!
猥褻雑誌への想いを忘れない私はその頃、あの日の「デラべっぴん」はコンビニでも買えることを発見。あ、あんな危険な雑誌をコンビニに置いてて大丈夫なのか!? と勝手に心配したりしました。

結局18歳未満は購入しない、というルールを糞真面目に守ったまま大学に入り、深夜のアルバイトを始めた私。・・・機は熟した。時は来た! 顔の濃い私、おっさんらしさも湛えてきた! レジで咎められることもまず無いだろう!

仕事終わりは午前5時。夏の早朝、空は爽やかな明るさ。私はムッツリ助平であることも忘れて、堂々とヤマザキデイリーストア原田元町店の猥褻雑誌コーナーへまっしぐら、迷わず「デラべっぴん」を手にしました。

積年の願いが叶う瞬間。拾ったり借りたりするのではなく、自分のお金で猥褻雑誌を買えるようになるのだ。
意気揚々と手にした割に、やはり足がすくみます。
しかしここまで来たら後には引けません。店員も兄ちゃんです。若いお姉さんではありません。夜勤明けの脳味噌の万能感に任せてレジへ、ついに念願の「デラべっぴん」をお買い上げ。・・・感動の瞬間です。

無駄に壮大な話にしていますが、これは大変内気だった私にとって堕落、ではなく成長、だったのです。(←と、信じたい。)

あの日と同じ、素晴らしい本でした。以降大変お世話になりました。昼間にお姉さん相手でも買えるようになりました。これで私もムッツリからオープン助平へランクアップ・・・ アップ、か? まあいいでしょう。

結局私が買い始めてから8年後、「デラべっぴん」はその歴史を閉じました。ありがとう、そしてさようなら。
なんとなくこの文章を打っていて懐かしく思い検索してみると、なんと非公式でアーカイブを作っていらっしゃる変態さんが!! 今に比べてモデルのご婦人も野暮ったい感じなのに思わず見入ってしまい、懐かしさのあまりついつい小刀を抜刀してしまいました。ぽっ。(オポムチャン)

(寸評)うちは図書館だったな〜。
オポムチャンのように自宅に保存しておけない友人達が溜まり場である我が家に置いていく。
おかげで充実したGライフを送ることが出来た。
もっとも家が引っ越す時、その隠しておいた百冊を越えるエロ本を「これも捨てておいて」と母親に言った時だけはちょっぴり恥ずかしかったな。 7ポイント。

初めてのデビューライブ。

それは2013年、秋口の日曜日の雨の日。台風が来ていました。
昔からライブがしたかったんですが、人前で演奏する勇気がありませんでした。
ある日、ふと思いついたのです。
自分の部屋でライブをすればいいじゃないか。
オーディエンスはお隣さん。
台風で、雨も降ってるし、多少うるさくても許されるのではと思い、ギターを取り出し、さっそく「ご近所さん」という曲を即興で歌いました。
意外とギター弾けるなと思ったのを覚えています。
引きながら歌うなら、フォークの即興オリジナルで十分です。
歌詞は
「ご近所さん、日曜日に雨は良いですね。
うるさいと思ったら呼び鈴鳴らしてくださいね。」
ピックもめんどくさかったので、そのへんにあるペンを使いました。使いやすいです。
ファーストセットが終わり、MC、そして、セカンドセットが終った頃、ご近所さんから、うるさいと言われたような声が聞こえたような気がしたので、これはヤジが来たんだと思い、ライブは終了しました。
プレッシャーがほぼなかったので、楽でした。たのしかったです。
でも、これからやるかは・・ ・・(マサラ)

(寸評)ええと、それをライブというなら風呂の中の鼻歌でも・・・。
今後も活躍期待してるぜっ! 6ポイント。

はじめてのWii U カラオケで「たま」曲を全国採点

カラオケ好きの3歳下の弟が、私の実家に任天堂の「Wii U カラオケ」を買ってきました。

このソフトは決まった期間分のお金を払えば(例:1時間100円・3か月2,000円など)、家庭に居ながらもカラオケBOXさながらに楽曲がダウンロードでき、期間中歌い放題、というものです。
もちろん一般のご家庭では近隣への騒音問題が予想され、カラオケキチガイたる私も購入を控えていたのですが、私の実家は町はずれの個人営業の工場、近隣にはまったく人が住んでいない無法地帯。どんなに絶叫したって家族以外に怒る者は誰もいないという家庭用カラオケにうってつけの立地なのです。

到着を待ちわびていた甥っ子が設定をせかします。さあスタート、おおっ、思いがけずなかなかの音質。
音と曲目は某カラオケ機種Jに準じており、Jはマニアックな歌の多数収録に定評があります。
ポケモン・仮面ライダー・キョウリュウジャー・イナズマイレブンのテーマソングを次々と歌う甥っ子、1時間ほどマイクを離さず歌いっぱなしで満足して帰っていきました。

さあここからは大人のマニアカラオケの世界です。
このソフトにはカラオケBOX同様、全国の歌い手と点数を競い合う通信採点機能が付いています。
画面に次々表示される緑のバーによりたくさん音程を合わせて歌えば加点が大きい、という仕組みのようです。
マイクはなかなか精密に発した音を拾い、自分の音のズレが的確に露見してしまいます。
弟がインディーズバンドの曲を歌い切り、採点は86点。それまでに誰もこのWii U カラオケで歌ったことがない曲だったらしく、全国1位/1人中という結果が表示されました。
ここでもちろん、私は34曲も入っているたまの曲を選びます。なかでもカラオケでは珍しい「夜のどん帳」。
全国のカラオケマニアの中に、たまマニアは果たしているのか!? 採点途中結果が表れます・・・ 3位!
しかしいったい何人中なのかは、曲が終わるまで表示されません。
また私の声は波長がおかしいのかマイクが拾わないことが多々、そういえば長く合唱をしていますが「お前の声とはハモれない」とよく言われます。そういうことだったのか、とへこみながらも完唱。結果は・・・ 85点、3位・・・/3人中。
トホホ。上位の方は忘れましたが確か90点と88点位だったと思います。全国のカラオケたまマニア(2名)、レベル、高っ!

意地になった私は歌い方を調整し声が画面に反映されるように工夫、次の「まちあわせ」では逆転1位に!! よっしゃあ! どんどんいったれ! ・・・といっても毎回歌ってるのは全国でも2,3人という狭い狭い戦いですが・・・。調子づいた私、その後も何度か1位をゲットしていきました。

そこへ問題の曲が現れました。「かなしいずぼん」。
いましがた歌ったチャゲの曲では、アドリブ部分は画面に「FREE」と表示され、その部分も採点の対象になるようでした。じゃあこの曲は、あの石川さんの「ぉ奥さん・・・ あんたー・・・」の部分も加点対象になるのか!!?

知久さんヴォイスを真似て高らかに歌いながら、私はアルバム「ひるね」の語りの部分のイメージを何度も脳内シミュレートして、来たるべき場面に備えました。(脳内:ゴライコウデショ! オクサンノソノ、ハチキレンバカリノ、ワカサノゴライコウガー、ヤ゛ァ゛ーーーーーーーーー!!!!!)

さぁさぁ、柳原さんの「魚になりたくない〜」部が終わり、間奏に入ります! バッチ来い!!

・・・・・・とん、「かんなしぃいい〜、ずーうぼ〜ぉおぉん」。

語り部分はしょられたぁぁぁぁぁ(泣)!!!!
ドキドキした分、思いきりテンションが下がりましたが、なんとか完唱。これも3人中1位を奪取しました。

それにしても何だか嬉しくなりました、カラオケが好きでWii Uまで買って、しかも「たま」の曲を採点機能を起動して歌う同志が全国に約2名も居たのです(笑)!! 燃えられるライバルが見つかりました。

今度実家に帰った時は「学校にまにあわない」に挑戦しようと思います。(オポムチャン)

(寸評)もしも俺のソロが入ったら「秋の風」歌ってね。
多分一位になれるよっ! 6ポイント。

初めてのすれ違いざま

通勤の改札付近での出来事です。

その日もいつも通り遅刻すれすれで焦って改札に向かっていました。

その時、前方からガタイの大きなサラリーマン風のおじさんが歩いてきました。
おじさんも焦っていたらしく、すれ違いざま私にぶつかって通り過ぎました。
その時私の顔の辺りに肩が当たったようで、メガネがずれてしまいました。

それ以後、何だかやたらメガネがずり落ちるので良く見たら、おじさんに当たった側のツルが少し広がっていました。

今もツルは広がったままでメガネはユルユルです。
この怒り誰にぶつければいいのでしょうか?! (♪ごりぽん)

(寸評)ええと怒りは平和の象徴の鳩にぶつけて下さい。
あっ、危害は加えずに言葉で罵るだけね。 4ポイント。

初めての後ろから踏まれた

これも通勤時の改札付近での出来事です。

この時も遅刻すれすれで焦っていて、かなりの大股で改札に向かって歩いていました。

すると後方から歩いて来た人にサンダルのかかと部分を踏まれたのです。

私の歩く勢いとその人のふんずけ力とで、サンダルは底の部分が「ばきっ」と折れてしまいました。
歩いていてかかとを踏まれたなんて初めてです。

振り向くと、またもやサラリーマン風のガタイの大きなおじさんが通り過ぎて行きました。
でも、メガネを壊した人と同一人物かどうかは定かではありません。 (♪ごりぽん)

(寸評)同一人物だったら運命だから結婚すべき。4ポイント。

はじめてのファミコンカセット被盗難

タイトルがへんな日本語ですが要はパクられた体験です。小学校3年の頃。

近い未来に兄貴がサクライ君にビックリマンシールを騙し取られることになるお寺の横の公園。その公園を挟んだお寺の向かい側に、当時私がよく遊んでいたM君が住んでいました。
当時の私にはよくわからなかったのですが、お家の様子からしてM君はあまりたくさんお金を持っていない様子でした。

さてもうすぐ4年生になろうとしていた3学期の2月の末、大阪では珍しい雪の日です。
我が家には丁度兄貴の誕生日に発売日を迎えたファミコンソフト「ドラクエ?」がありました。
この頃からドラクエは長蛇の列を作る社会現象ソフトとなっており入手が困難な地域もあったようですが、幸い私達の近辺のおもちゃ屋は全店予約制をとっており、早めの予約さえしていれば問題なく発売日にソフトが買えたのです。
その日も私の家にM君は遊びに来ていました。
兄貴は自慢げに、誕生日に買って貰って間もないドラクエ?を私達の眼前でプレイしやがります(無論私にプレイの権利は一切ありません。ゲーム内のお話に無関係なレベル上げはさせられましたが)。
社会現象ソフトだけあって、内容の面白そうなこと! しかしM君と私は遊ぶこともままならず、ただじっとテレビの画面を眺めつづけるしか術はなかったのです。

ただ兄貴も小学生、体を動かして遊びたい盛りでもあります。
ゲームはそこそこにして、我々は部屋の中、時には雪の降り積もる外にまで出てひと騒ぎしました。
5時を迎え、M君は家に帰ります。手を振って別れました。

しばらくの後、兄貴がファミコンの置いてある2階で騒いでいます。なんじゃい、と思って聞くと、
「ドラクエ?が無い!!!」
なんじゃとぉおお!! これは一大事です。しかもよくよく見ると、ここ最近にじいちゃんを騙して買って貰った「ポケットザウルス 十王剣の謎」も一緒に無くなっています。えらいこっちゃぁ!!

家中どこを探しても見つかりません。弟二人が何処かへやった様子もありません。となると・・・。
親父がM君のお家に電話を掛けます。
ソフトは見つかって欲しい。でも、想像してるような結果で出てきてほしくない・・・
どうか、どうかいつも一緒に遊んできたM君がそんな事をしていませんように。

探し疲れた私は、お小遣いの50円を握り近所のサンチェーンへ赴こうと玄関に向かいました。
するとそこには母の前で、ぺこぺこと頭を下げる見たこともない奥さんが。
その後ろには・・・ 顔を赤くしてうつむき、小さくなっているM君がいました。
私はなんだか声を掛けることがためらわれ、そのまま2人の横を素通りしてサンチェーンへ向かいました。帰って来た時、すでに2人の姿はありませんでした。

ソフトは還ってきました。M君のお母さんが電話を受けて探したところ、家の外の子供用の小さなバケツに隠してあった、とのことでした(雪の中そんな場所に置かれていたにも関わらず、ソフトは2本とも無事でした)。

翌日学校でM君は小さな声で謝ってくれました。ソフトも還って来たし、私はううんいいよ、気にしてないよと答え、それまで通りの関係に戻ったつもりでした。私自身、本当に気にしてはいなかったのです。
しかし噂がどう広がったのか、もはやその事は学校の皆が知る事実と成り果て、M君は新年度から隣町の学校に転校してゆきました。

親御さんの立場になると、そりゃ居続けるのも辛かったのでしょう。でも私はもう気にしてなかったのに・・・
3年生にしては少々悲しい、友達との別れでした。(オポムチャン)

(寸評)ああ、それはお互い切ないねえ。気持ちもわかるし。
一本の小説にしたらどや!? 8ポイント。

はじめての軟禁

あれは小学生3年くらいの頃だったでしょうか。
私は兄貴に追随して家の近くをうろうろしていました。

強引で好奇心旺盛な兄と、気弱で消極的な私。おっさんになった今では比較的仲は良いですが、いつも兄貴には都合よく振り回されておったのです。
家のすぐそばに、街路樹を植えるためのアスファルトに土が露見しているスペースがありました。
まだ街路樹は植わっておらず、そこにはマナーの悪い大阪らしく空き缶やガラス瓶が打ち捨てられていました。瓶は割れているものもあり、とんがってて危なそうです。
よしゃあいいのに、兄は傍らの木の枝でガラスの破片をかき混ぜて遊んでいます。なにが楽しいのでしょう、わたしはそばでぼうっと見ているだけ。

それが始まって10秒もしないうちに、少し向こうから中学生くらいの男の声が響きました。
「お前ら何してんねん!!」
何してんねん、も何も、見ての通りこの兄貴が瓶の欠片を無意味に混ぜ混ぜして遊んでまんねん。
などど説明する暇も与えず、中学生は
「ちょっと来い! お前ら自分が何やったかわかってんのか!? うちに来て反省せぇ!!」
と言い、私と兄を掴んで引っ張っていきます。
なにがなんだかわからぬまま有無を言わさぬ中学生の勢いに圧倒されて、私の家の前の天神橋筋という大きな道路を挟んでほぼ真向いの建物の中に連れ込まれてしまいました。

中は広い畳の部屋で、「〜館」とあったからおそらく柔道場なのでしょう。
「お前ら、そこに正座せぇ!」
怯えながら正座する2人。
「おい、何であんなことしとってん」
せやから何でも何も、割れ瓶を他愛無くつついとっただけでしょ? そんなもん理由なんてあるか? だいたい私は近くに居ただけで何もしてませんけど。
「何で答えられへんねん! 自分がやったことの意味もわかってへんのか!?」
解ってませんってば。
「ええか、世の中にはやってええことと悪いことがあるねん。お前らはそれが解るまでここでずっと正座しとけ」
理不尽な仕打ちにわけが解らなくなりました。
家の向かいとはいえ見知らぬ柔道場の中で恫喝され、正座させられる兄弟。
そんなに兄貴の行為は社会通念に反する悪逆非道な振舞いだったのか? いくら考えてもまるでそうとは思えませんでした。誤解があったとしても、瓶をその場に捨てた、あるいは捨ててあった瓶を叩き割った、程度のものでしょう。
しかし相手は強そうな中学生。一方的な説教は止みませんし、口答えできるような雰囲気ではありません。

何分間、おんなじような内容の説教をされながら正座を続けたでしょうか。
道場の奥の生活スペースにつながっているらしい扉から、中学生の母親が出て来ました。
「もう反省したでしょう、おうちに帰してあげたら?」
「でもこいつら、道端で・・・」
「もういいでしょ? ごめんね、大丈夫?」
・・・女神が来た。

「お前ら、もう二度とあんなことするなよ!」
「ハイ!」
と威勢よく答える兄。
黙って後ろにいる私。
「よし、帰ってええぞ!」
ようやく解放されましたが、妙に改心した様子の兄とは裏腹に私は何とも言えないやるせない思いがいつまでも蟠っていました。

兄貴、別に怒られるほどの事してへんやんけ。
そもそも何より、僕、なんにもしてへんやんけ。

親父に事の顛末を話すと、
「なんや、別に何も悪いことしてへんやんけ。あそこはな、ヤ〇ザのやってるとこや」
!!!
「そこの息子やから、なんか町のパトロール気取りで言いがかり付けよったんちゃうか」
・・・なんとなく納得。

その後も例の中学生は遭うたびに
「おう、真面目にやってるか」
「ハイ!」
と兄に声を掛けたり、
「これ、ホンモノやねんぞ」
と、日本刀(←たぶん模造刀)を道場の前の道端で構えていたりしていました。そっちの方が社会通念上やったらあかんわい。それからかれこれもう30年近く、彼ももはや立派な若頭さんにおなりになられていらっしゃるのでございましょうかしら。けっ。

物騒な町、大阪。10歳位にして、いろんな人間が居るのだなあと実感した軟禁体験でした。(オポムチャン)

(寸評)実はな…。ワイがあん時の中学生やねん。
お前ら、そこに正座せぇ! 7ポイント。

はじめての船が海中ザブン

  大学時代、私の所属していた合唱団では例年春合宿を小豆島にて行っていました。

  合宿の取り仕切りを任されていた渉内マネージャーの私は、サブマネ2名と学生指揮者を伴って、宿との事前打ち合わせを主目的とした下見に行くことになりました。

  合宿本番は春分の日の前後4日間。下見は3月の上旬に1泊2日で済ませます。練習会場の公民館の使用許可とり、ボイストレーナーの先生の送迎依頼・部屋の位置や食事の調整、50人近くのあほ大学生の入浴時間の設定、送迎バスのガソリン代の交渉、気晴らしの観光ポイントの選択・下見、レクリエーションの計画、まだ寒さの残る春先に宿の目の前の海へ飛び込む阿呆どものために危険な海棲生物の出没情報・水温の確認・・・ どうでもいいことがいくつか含まれていましたが下見もなかなか大変です。精神レベル小学生以下の言うこと聞かない50人(私含む)をどう制御するかを考えつつ、計画を立てねばなりません。

  渉内マネージャーに就任してはじめての大仕事。緊張する私。いざ、下見へ!
そんな私の心の揺れを敏感に察知した自然が、小豆島の浮かぶ瀬戸内海を揺らしました。

  歌の節にも「瀬戸は日暮れで夕波小波」などとありますが、基本的に内海である瀬戸内海は大きく荒れることが少ない穏やかな海です。
どっこい当日集合時間の朝9時、神戸元町の中突堤。見渡す限り、瀬戸は朝から大波津波です。
我々下見組4人が搭乗する小豆島坂手港行き高速艇ジェットラインは、果たして運行されるのか!?
10時からの便の情報を確認したところ、運休はしない、とのことです。
このジェットラインは波の上を浮かぶようにすっ飛んで行く高速艇で、多少の高波では大丈夫、との案内でした。
理屈のよくわからない我々あほ4人、ほぉぉ凄いのねー、と感心して揺れる艇内に乗り込みます。

  名前のわからないなんかごっつい扇風機みたいなんがそれはそれはグルグル回り、高波の上をジェットラインはかっ飛んでいきます。この荒れた海を走るのに、さほど大きな揺れもありません。凄いや!
雨風の中、明石海峡大橋が見えました。これをくぐれば海路は残り3割程か。無事に小豆島に着きそうだ・・・ と安心し、さらに10分程進んだあたり。

  波が激しくうねり、高速艇が大きく揺れました。
ガガガッ、ジョウッブァーーーンン!!!

  私の眼に飛び込んできたのは、一面アクアブルーの世界。

  ま、窓の外、海の中やああ!!!!! ぎゃあああああ!!!!!

  名前のわからないなんかごっつい扇風機みたいなんが止まります。
船はにわかにスピードを落とし、一瞬で海上に復活しましたが、動力は止まり、荒れる波の上でどんぶらこっこ揺れまくります。
騒然とする艇内。一体、どうなるのか!?
  停止時の衝撃で私は隣の指揮者に膝蹴りを入れたらしく、たいそう痛がっています。
鞄の中では、昼飯に買っておいたマクドナルドのセットがぐしゃぐしゃに潰れています。
それまでの揺れの少なさから一気に大揺れアトラクション、そのギャップに辺りから早くもオエエヴォイスが聞こえ始めます。
そしてオエエの合唱がサラウンドで聞こえるようになった頃、私もついに限界が訪れました。
しかしチーフマネージャーとしてサブに恥ずかしい姿は見せたくない。でもこの揺れには勝てない。私は精一杯強がって、笑顔で皆に宣告しました。
「みんな、御免な。御免な。俺、もうあかんわ」
おろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛。
他にやり方が、なかったのです。

  どれほど揺られたのでしょうか、名前のわからないなんかごっつい扇風機みたいなんが、ゆっくり回転し始めました。 やった・・・ 助かった!
なんのアナウンスもなく、ジェットラインは変わらず荒れた海を走ります。
良かった、無事に小豆島に行けるのか・・・ と思った矢先、なんだか見覚えのある橋が見えてきました。

  ありゃ・・・ 明石海峡大橋。
なんで2本目があるの? 当たりが出たの??

  アイスバーを想起して混乱していると、艇内アナウンスが流れました。
「皆様にお詫び申し上げます。本日小豆島近海の天候不良のため神戸中突堤に引き返します」

  がぁぁぁぁん。
神戸に戻り高速艇を這い出た我々は各方面に船の欠航を連絡し、急遽代替日程を組まされることと相成りました。
腹いせに元町の中華街で1人前3,000円のコースを全員で注文し、空っぽになった腹一杯食ってやりましたとさ。

  あやうく海の藻屑となりかけた20の春。あの窓の外一面アクアブルーは強烈なインパクトとして私の脳内に今も残り続けています。(オポムチャン)

(寸評)今度は小型飛行機にチャレンジしてみよう。
何色が見られるかな? 7ポイント。

初めて空を飛んだ日

  忘れもしない、小学校1年生の夏休み初日、7月21日。
当時、登校班で学校に通っておりまして、その登校班毎に夏休みは「子ども会」と称するちょっとしたイベントをやることになっていた。
内容はチープ。昼はスイカ割やってスイカ食べて、夜は家から持ち寄ったカレーを屋外で食べる(カレーを作るイベントがないのが淋しい)。チープで些細なものだったが、小学生にしてみればお祭である。特に、「屋外でカレーを食べる。」何だかとってもキャンプっぽい!!

小学生になって、初めての子ども会。
毎年いつも、いいなぁー、って思ってたイベントにとうとう参加することが出来る!!私は浮かれまくりでした。 

そして、いよいよ子ども会。まずはスイカ割!!
  自分はスイカに穴を開けただけで終わったが、班長(小6)が最後、見事にスイカを割った!!
  1年生から見た6年生の班長は、もう憧れのオトナ、ヒーローである。その班長がカッコ良くキメた!!ひゃっほーぅ!!

私のテンションはMAXである。
  小躍りしながら道路とも歩道ともいえない道に飛び出す。(団地の集合体の場所だったので、歩道と道路は分かれておらず、車より人の方がよく使うような道だった。)
歩道と言えど、一応道路。道を渡って戻るときは、ちゃんと右見て左見て…バイクが近づいてきてる。でも、走ればきっと大丈夫!早く班長たちとスイカ食べよう!!

テンションMAXな私は、自分の走る速度を過信した。

バン!!!とゆう音が全身に響き、目を開けると青空と夕暮れの独特な色の空。ゆっくりゆっくり、景色が流れる。当時も今でもこう思った。あ、私、空を飛んでる…。

地面に引っ張られて尻餅を付き、勢いで軽く頭を打った。ほんとに軽く。そして右足に訪れる激痛。バイクに乗っていたお兄ちゃんが、真っ青な顔して私に近寄る。父も駆け寄る。痛くて泣く私。そう、私はバイクに跳ねられたのだった。 

右足にヒビ。ヒビでも骨折。
  私の夏休みは入院と松葉杖生活で終わった。

  跳ねられた時、確かに私は空を飛んでいた。恐らく、私の後ろに憑いている方が、ヒビだけで済むように引っ張ってくれたんじゃなかろうか、と思っている。
夏が来る度、骨折生活と、空を飛んだ時見た空の色を思い出す。 (ウサギ先生)

(寸評)そのまま空にあがりっぱなしでお星様にならなくて良かったね!
お星様になったらハグが出来ないから案外つまらないからなっ。 6ポイント。

はじめての胃カメラ

30を過ぎたある春。おっさんの階段のぼる、僕はまだ平社員さ。
ご機嫌に歌ってる場合ではなく、そろそろ今までの暴飲暴食のツケが身体の何処かに現れてくるのでは? そんな気持ちになり、会社が斡旋する格安の人間ドックを申し込みました。

いくつかの会場から最寄りの場所を選べるのですが、ある会場ではそこ限定で胃カメラが無料でオプションとして付けられる、とのことでした。
胃カメラ。誰しもが忌み嫌う恐怖体験。いい思い出を持っている人など聞いたことありません。
しかし馬鹿食い馬鹿飲みを繰り返してきた私の酷使されたであろう、胃。どんな様子なのか確認したい気がしました。
ここはひとつ30になった記念、いっちょ冒険したろかい。嫁はんも居ることだし、ね。いつになく挑戦的な私、申込書の胃カメラオプション是非欄に「はい」を選択し、その日を待ちました。  

当日。朝から会場はたくさんの身体の悪そうなおっさん達でごった返しています。
今日の結果次第では、私もまたそこに加わる可能性があるのです。軽く戦慄します。
受付で1万円を支払い(詳しく知りませんが物凄く安いようです)、順番待ちを経て採血検尿便提出心電図血圧腹部超音波と次々とこなし、さあ大ボス、胃カメラの登場です。

最近は鼻から通す負担の少ないものも増えていますが、いかんせん金額をケチった分この会場の胃カメラは従来どおりの口からタイプのごっつい太いやつ。恐怖におののく私。
検査室からは涙目の憔悴したおっさんが出て来ます。大の大人をああも無様たらしめる胃カメラ・・・ 取り返しのつかぬところまで来てしまったなぁ。
待つ間、白い液体を飲まされます。胃と喉の動きを鈍らせる薬とのこと。これを飲まないと喉にカメラを突っ込む際に反射的にオエッと身体が異物を排出しようとしてしまうのだとか。また胃が元気に動かれては、カメラも異常を捉えにくいでしょうからね。
壁には健康な胃の写真、悪くなりかけの胃の写真、えらく悪くなった胃の写真、もはや素人目にもどないもこないもな状態であることが理解できる胃の写真。検査前にこんなん見せられてもへこむ以外にすることもありません。  

私の順番が巡ってきました。
若そうな女医さん。しかし手際よく私を検査場へ誘い、ぶっとい胃カメラを口中へぶち込みます。
機械の管を飲み込む動きを喉に要求されます。もごお!
く、苦しい・・・。しかし薬のせいか吐き出したくても吐き出せません。その状態が続くのです。
腹の中を機械がくにくに動く気配がしてたまらなく気色悪い。喉は相変わらずのオエオエ持続状態。
こりゃ大の大人がベソかいて嫌がるわ。よく調べて鼻から診てくれるところを選べばよかった? いや貧乏性の私に初めからその選択肢はなかったでしょう。どのみち同じことよ・・・オエ。
女医「余裕があったらモニタでご自身の胃を見てみてくださいね〜」
余裕なんぞ無いわいっ!!! サド女医めっ!!! し、失礼。つい我を忘れました。

ようやく管が喉から出てゆきました。涙目、息ハァハァ。
女医「・・・すごく、きれいな胃ですね(失笑)。」
・・・おいおい、最後の(失笑)は何じゃい。「あんた何で胃カメラ撮りに来たん?」とでも言いたげな女医さん。
まあ幸いなことに非常に綺麗なピンクの胃の中でした。酷い目にあったうえへんな腫瘍まで見つかったんじゃ立ち直れません。私の胃は思いのほか逞しい奴だったようです。ともかく良かったことにしましょう。  

さて胃カメラが済んで安心していたところ、受付で提出した便に血が混じっていたと告げられました。
汚い話で恐縮ですがその頃少し固めの日が続いていたので単にお尻が切れたのでは? と思いましたが、便の提出だけでは腸の異常か単なる切れ痔か判らないので近くの消化器科の病院で調べてもらった方がいい、という結果になりました。  

なんということでしょう、発達した現代医学でも腸の病とケツの切れの区別が付かないのです!!!
後日私を待っていたのは、胃カメラに勝るとも劣らない、恐怖の責め苦でした・・・。つづく。(オポムチャン)

(寸評)むむっ、続きが気になる。
何でもなければいいが、何にもないと話として面白くないという矛盾。
続編を待ってるぞい! 6ポイント。

はじめての尻カメラ

(内容がいささか下品ですので閲覧にはご注意ください。)
えー、誤解を生む表現ですが「はじめての胃カメラ」の続きです。

人間ドックにおける検便の結果、血液が検出されたことで近所の消化器科で詳しく調べないといけない羽目になった私。 幸い最寄駅から徒歩1分に医院があり、人間ドックの診断結果を見せると検査の準備が要るので来週土曜に来てください、とのこと。
そこで前日に飲む下剤と、当日朝に2ℓの水に溶かして飲むという粉状の薬を渡されました。  

朝から2ℓも水飲むのか、えらいこっちゃなぁ。最近お通じが悪いから単にちょっと切れただけだと思うのにえらいことになってきたもんだ。  

要は腸を空っぽにして、出血など異常が起こっている部分は無いか、カメラを挿し込んで確認する、ということになったのです。どこに挿し込むかって、そりゃアレですがな。皆まで言わします? タイトルでお解りですね。
今月はついこないだ口からぶっといカメラを突っ込まれたばっかりなのに、今度は逆から突っ込まれるという体内カメラ突っ込まれ月間だ。もう好きにして。

前日、金曜の夜。仕事の後、早めに食事を済ませ、組合の会議を経て赤いカプセルの下剤を服用。8時までに食事を済ませたのちに下剤を飲まないといけないので慌ただしいこと。残りの分は朝の2ℓ水の薬を使って出す、とのことです。カプセル服用後おっそろしい勢いでもよおし、夕方に摂った飯まで出てったんじゃないか? と思うくらいでした。すげえな、下剤。

朝。今日は飯抜きだ、トホホ。代わりに胃に流し込むのは、昨日のうちに溶かして冷やしておいた薬の水溶液2ℓ。その方が飲みやすい、と説明書きにあったので従いました。さて飲むか・・・

正直、ナメてました。

得体の知れないしょっぱさが激烈にマズくて、コップ1杯も喉を通らないのです。少し口に含んだだけで吐き気のする、人体に絶対とどまれない液体。しかしこの液体を飲み干さないと、検査が出来ません。「飲みやすい」も何も、冷やそうがぬるかろうがこのマズさには太刀打ちできそうもありません。ズズッ、オェッ。ズズッ、オェッ。まるで薬は減りません。
こうなったら薄めてみよう。もう半泣きと全泣きの中間くらいの悲壮な顔で、薬を2倍に薄めます。グビッ、ぐおええ。まだ飲み下すことが非常に困難です。

その時、強烈な便意を感じ、手洗いへ駆け込みました。薬はまだ1.9ℓは残っているというのにこの威力!!
  ともかく少しずつ飲んで、少しずつ出していくしかありません。長い戦いが始まりました。
この濃度では飲めない。 3倍、いや無理だ、ならば4倍。つまり全部飲み干すには8ℓ飲まなくてはならなくなりました。絶望的なありさま。
嗚咽し、目を泣き腫らして尻にカメラを突っ込まれる準備にいそしむ私。なぜこんな目に遭わねばならんのか? 己の運命の数奇さを呪いながら、間抜けな服用行為は続きます。しかしこの世界には時間というものがあり、しかも時間は悲しいことに無限ではないのです。診察時間がいよいよ迫ってきました。

取り急ぎ医院に電話をかけ、相談します。
「すいません・・・ 薬が気持ち悪くて全然飲めないんです・・・」
今までにそんな根性無しの患者は居なかったのか、医師も困惑しています。
「とりあえず飲めるだけ飲んで、あとは浣腸で出しましょう」

何処まで屈辱の上塗りをさせられたらこの一連の検査は終わるのでしょうか。
しかし指示に従うしか術はありません、泣き泣き少し飲んでは便意、少し飲んでは便意を繰り返し、どうにか半分飲んだところでタイムアップ。よろよろと家から徒歩7分の医院へ歩きます。

受付で半分しか飲めなかったことを告げると、中のモノは出たか? と聞かれました。出るには出たと伝えましたが、やはり念を入れて浣腸を施されることとなりました。
様式の便座に腰かけズボンを下ろしたところで、後ろから若い看護師さんが浣腸を挿し込みます。忸怩たる思いなのは私も彼女も同じでしょう。若いお嬢さんに辱めを受ける私、おっさんの毛だらけの尻にイチジクを放り込む看護師さん。大変な仕事に就かれたものですね。
「イタタ・・・」と声が出る私。やっぱり単純に出口付近が切れてるだけだよな・・・ それなのに、それだけなのに・・・・・・
もよおしても5分間我慢してください、といわれる私。時計をしてないので何分経っているかももはやよく判りませんでしたが、闇雲に耐えていると
「もう出ましたか?」
との声。まだです、と応えるともういいですよ、と返事が。ああえらい目に遭った、これでおそらく腹の中はからっぽでしょう。もうふらふらです。

後ろが丸開きの検査用下穿きを穿かされ、診察台へ進みます。
診察台は大層な機械で、立った状態で身体を固定されたのちにウイーンと横たえられます。
麻酔を受け、横臥させられて普段は出口である入口に何やら塗られます。変に興奮してしまわないかなんて心配は杞憂で、そんな余裕はまるでありませんでした。
麻酔でまどろんでるうちに挿入されます。感覚はありません。しばらく記憶が途切れたのち、医師から説明を受ける段で気が付きました。
モニターには私の腸内が。カメラはキョロキョロ動きますが何も感じません。
「キレイなものです。腸管の異常ではなく、切れ痔でしょう」

・・・・・・ここまでせんと判らんのか。

兎も角も長年暴飲暴食をしてきた割に胃袋に続いて腸も健康であることが判明した私。ケツが切れてたお陰で確認できた、といい方に考えるしかないでしょう。それにしてもカメラはもう懲り懲りです。
感覚もなく管は抜き去られ、診察台が90°倒れて寝→立ちへ移行。お疲れ様でした、俺。帰り道、麻酔が切れたためか腹痛に苦しみながら家路をぜぇぜぇ歩きました。・・・お尻、大切に。そう誓いました。

今回の教訓
・人間ドック前には適度な運動と繊維質・油分水分の程よい摂取を心がけ、健康的なお通じを続けて痔疾を解消してから臨みましょう。

もうどうでもええわい、となげやりになりそうな気持ちを抑えて、健康が一番、と低くつぶやく私でした。(オポムチャン)

(寸評)おおっ、早速続編がっ。
痛そうじゃのう〜 辛そうじゃのう〜 
俺もどこから血が出ても痔ということにしようっと。そうしようっと! 8ポイント。

就労支援B型初体験

就労支援B型初体験、作業所(事業所)は最初調理の仕事の初体験でしたが包丁が扱えないということでだめになり、もう一度制度が変わったので挑戦しました。

今は洗濯、ゴミまとめなどをしています。今の状態が一番いいかなと思ってます。楽しいです。(大空きらり)

(寸評)それは良かったね〜。仕事があることも幸せのひとつだものね。4ポイント。

初の自殺防衛

午後二時一分の電車に乗るため、栗橋駅をうろうろ。
するとスマホを片手に大声で叫ぶ女の人。
どうやら相手は男かなんからしい。こっちにまで聞こえる。
痴話喧嘩かな〜。怖いなー。
「今からホームに行って飛び込んで死んでやる!」
と叫んでホームへむかうエスカレーターにのる女の人。
自分も行き先が同じなのでそのエスカレーターに乗る。
女は泣きながらエスカレーターに座り込み、同じエスカレーターで後ろにいる僕など眼中にない。
ホームでも同様に叫ぶ。
ホームの人達もみんな気づいているだろうが無反応。

貨物列車が丁度来るアナウンス。

女の人歩き出す。
黄色い線の外側に立って列車を待つ女。やばい。

目の前で人が死ぬのをみたくないな
という気持ちと
珍しいものを見る好奇心がないまぜになりました。

誰も止めません。

電車がホームにはいり、飛び込むタイミングを逃した女性。

しかし、走っている車両に手で触ったりしていて
危ないので、つい女の人が襷掛けにしていたショルダーバッグを後ろから引っ張りました。
そこに倒れる女の人。

すると周りの人がいっきに騒ぐ。
駅員くる。

逃げて遠くから見てる僕。

駅員さんが、「喧嘩?相手の男は去ったんですか」

去った?僕のことか?

女の人と付き合ったこともない僕が女の人を自殺に追い込むような男とでも思われたのだろうか!?許せぬ!と思いましたが過剰反応でした。

周りの人が「違います。一人でいました」
と言い、他の人も次々事情説明。さらに死のうとしていた(まだ泣いてる)女の人に頑張ってと叫ぶおばさんまで現れる。さすがおばさんだ。
駅員三人に増えてる。

 僕は電車に乗りました。昨日、宇多田ヒカルの親も死んだんだよな〜。死なないでよ〜と思い、石川さんのオンリー・ユーを思い出しました。が、死のうとしていた女の人には毛虫おじさんとかを聴かせたかった。駅に常日頃流れていれば、シリアスな気分にならず、死なないのではないか。
電車では興奮して寝るはずが眠れませんでした。

一応、どこかでまたあの女の人がチャレンジしていなければ、初の自殺防衛でした。 (多摩川)

(寸評)うわぁ、凄い場面に遭遇したね。自分だったらその対応出来たかな。

そういえば俺も自殺ではないが新宿のマクドナルドにひとりでいてカップルが痴話喧嘩しているなぁと思ったら突如女性が俺の後ろに隠れののしりあいを始めたのには驚いた。
チンピラみたいな男に「おめぇは何だ!」と恫喝された。
何だと言われても知らない女の人に(多分体がデカイから)隠れられただけなのに。
でもそのチンピラがでかい植木鉢を持ち上げて投げようとして来たら妙に冷静になって、店員に
「110番しなさい。暴力事件になりますよ」
と告げていた。
「けっ!」
と言って男は逃げていった。
女性もお礼のひとつも無く去っていったな〜。なんだかな〜。 勇気に10ポイント。

はじめてのビデオ→DVDダビング

はいはい、エロいお話をご期待の皆さん御免なさい(いねぇよ馬鹿)。
今回もたま関連の記録媒体のお話です。

遠い遠い昔1991年、兄貴が我々弟から小遣いを徴収して買ったたまの映像作品『野球』。
2年ほど前、うちから車で10分ほどの実家にふらりと寄った際、あんまりのこころ退屈さに引出しをほじくりかえしてると、このVHSテープがひょっこり出てきました。
まぁ懐かし! とその場で再生、親父に「こいつらまだやってんのか?」など質問されながら久々の演奏を楽しみました。
あぁ良かったなぁ。しかしこれビデオデッキ無かったら再生できひんがな。うちに持って帰ってもどうしょうもないし、このままだとそのうち見れなくなるんちゃうの? 

私は危機感を覚えました。
どうにかこれを現在も簡単に視聴が出来る媒体に移し替えられないか?
でもパソコンに保存、っていうのも他人にデータを簡単に渡せる感じが嫌だ。そもそもビデオテープ→パソコンへの移し方なんて逆立ちしても判りません。皆さん過去の映像をどうやって動画サイトなんかに載っけているんでしょう??

じゃあ移すとしたらDVDか。もちろん機械音痴も甚だしいあほの私、周りになんかそんなん得意そうな奴はいないか探しましたが駄目でした。あかん。名作『野球』はここ実家でビデオデッキが壊れるまでに見るしかないな・・・。

ある日のこと、近所を散歩していると写真屋の看板が目に入りました。
曰く「見れなくなったビデオ・8ミリ、DVDに残しませんか?」
こっ、これだ!
私は早速実家に戻り、『野球』のVHSテープを写真屋に持ち込みました。
ところが店員のお姉さん、渋い顔をしています。

店員「これ、販売してたものですか?」
私「は、はい。」
店員「だとコピーガードがかかってる可能性があります。工場で調べないとわからないんですが、お預かりして宜しいですか?」
ガーン、そういうものなのか。基本的に家庭撮りのものが専門なのね。
私「そうですね、お願いします。」
店員「かしこまりました」

複雑な顔をして店を出ました。これって違法行為? う〜んでも大量生産して人に売るわけじゃないしあくまで個人で楽しむ目的だし元はお金払って手に入れたものだしでも著作権の観点から著作者の許諾を得ないで映像を複製することは・・・  心は千々に乱れました。
まぁ街のちゃんとした写真屋がやってることだから・・・ と無理矢理納得し、無事にDVD化されるのを祈りつつ2週間待ちました。ドキドキ。

仕事終わり。携帯電話に写真屋から着信が。留守録を聴くとちゃんとDVDに出来たとのこと! よかった! 帰宅前に寄り道し、写真屋で2,500円ほど支払いついにDVD版『野球』を手に入れました。これでいつでも、この名作が家で観られるぞっ!! 嬉しいなぁ。

はーい、いつものパターンですね。1年後の6月、インフォメーション。

「『野球〜たまグローブ座ライブ〜』1990年のLIVEがDVD化します!」

・・・・・・・・・・・・・・・。

しかも何? LDに封入されてた特製切抜き人形「たまのみなさん」・アンケートハガキを再現封入、新たに歌詞カード・萩原健太氏による解説収録やとぉ? もうなんでですの運命の神よ!? わたしそないにあなたを冒涜しましたか!!? なんでそんな意地悪しはりまんねんなーーー!!! あっ俺神信じてなかったわ。失敬失敬。

というわけで「そのろく」、「おいしいうそがいっぱい」に続いてどうにか手に入れるとちょっとしてから正規のルートで再販される、というパターンがここに成立しました。・・・いいもん、今回は買うよりちょっとだけ安かったもん。

「タイミングがワルイ、別に誰も悪くない」
私の好きな、柳原さんのある歌のワンフレーズです。そう、私は悪くないんじゃーい。(オポムチャン)


(寸評)それは・・・。
でも再発売されるまでの一年間の(実際に観たかどうかは別にして)「DVDで持ってる」という所有感・優越感代として考えれば・・・(笑)。
まぁでももうほとんど再発売ものはだいたい出きったよね?(よく知らないが)
今後もよろしゅうお願い致しま〜す! 7ポイント。

タイバンコクで初めて会社からアパートまでタクシーで帰宅

「世の中は、初体験のことで満ち満ちている。」と石川さんは仰いますが、社会人生活を送っている身には、日々の暮らしでなかなか初体験を見つけ出すことは容易ではありません。ところが、よーく振り返ってみると、あ、ありました! というわけで、それを書きますね。
私はタイのバンコクで働いていますが、通勤はBTSスカイトレインという電車か、路線バスを使っています。スカイトレインは片道34バーツ(約100円)、路線バスは片道13バーツ(約40円)です。通勤時間は約30分内外です。先日のこと、会社の近くの日本料理屋さんで夕食を食べて帰ろうとすると、スコールが降ってきました。たまたま傘を持っていなかったので、店で少し雨宿りをしましたが、30分くらい経っても雨は止みそうにありません。仕方ないので、初めてタクシーで帰ることにしました。タクシーを拾うと、スコールで多少は渋滞していましたが、30分内外で帰宅することができました。値段は80バーツ(約240円)。なんだ、そんなに高くないじゃん、というのが感想でした。バンコクで働き始めてから1年ち ょっと、倹約してできるだけタクシーには乗らないようにしていたのですが、タクシー料金は、バンコクの物価に較べたらそれほど高くないことを実感しました。かえって、地方都市のチェンマイでタクシーを使う時のほうが高いかも、と思いました。以上、タイのバンコクでタクシーで会社からアパートまで初めて帰ったの巻き、でした。(波照間エロマンガ島)

(寸評)最近所用で田舎に何度か通ったのだが交通手段はタクシーしか無い。
田舎ではマイカーが常識になってるので、以前あったバスも廃止になっていた。
「タクシーはお大臣様の乗り物」と思って、見えても見えない振りをしていたがこうなっちゃ仕方ない。
忸怩たる気持ちで乗ったな〜。(しかも帰りは流しが全然無いので送迎料金までかかった)
人生でほんの僅かな時だけ、毎日タクシーを二万円使っていた時期があったけど、あれは俺の中では嘘の世界ということになっている・・・。6ポイント。

はじめての救急病院

2013年8月8日、夜8時。
何やら末広がりな縁起の良い日時、我々は阿鼻叫喚の最中にありました。

その日はしばらく私の実家に泊まっていた、というか保護してもらっていた、体調不良の妻と息子を引き取りに来ていました。
おおむね体調も回復し元気に走り回る2歳前の息子。さあそろそろ家に帰ろうか、と思った矢先。
目の前で息子がふざけて台にのぼったと思うや、バランスを崩して物凄い勢いで頭を角に打ち付けたのです。

あまりに一瞬の出来事で、止めることも支えることも出来ませんでした。

ワンテンポ置いて、息子は大きな声で泣き声を上げます。出血している! しかも凄い量! 白い部分が見えてる!!
元看護婦の私の母が
「こらあかんわ、救急車!」
と妻に電話を命じます。泣き叫ぶ息子、強打した左眼の上の額からは押さえても血が流れ、傷口にガーゼを当てて押さえつつ抱きかかえる私のシャツは見る間に真っ赤に染まりました。
こういう場合何処に電話すればいいのか? 直接救急病院? 小児救急ダイヤル? 妻と母は半ばパニックに陥っています。
「判らんかったらとりあえず119したらええ!」
と私。しかし119に電話したのは間違いだったのでした。状況を説明する妻。ところが電話の向こう側の声は
「それ救急車が必要なんですか?」
とイライラした声で何度も聞いてくるというのです。そりゃあなたからしたら凡百の事例だろうがこちらは初めての事故でいっぱいいっぱいになっている素人、もう少し配慮のある言葉は無かったのか、と思うのは私の無知・非常識でしょうか。救急車が足りない等の事情はわかるのですが・・・。

「もういいです!!」
と電話を切る妻。こうなったら電話より先に病院だ、大泣きする息子を抱えて妻と母を帯同し、車で30分ほどの夜間救急医療センターへひとまず向かうことに。
最短の道をシミュレートしつつ運転していると隣に座る母が、そこでは歯科・内科のみで外科は診てもらえない事を確認してくれました。すぐさま最寄りの救急病院へ電話、いくらか待ち時間は覚悟の上お越しください、とのこと。
かつて原付にぶつかられた忌まわしい交差点をUターン、あの日は4月4日の夜だった。4の倍数の日付の夜に、私はどうも大きな事故に遭うようです。今後は12月12日に気を付けよう。5分後、到着しました。

夜の救急病院。患者の姿はそこそこ居ますが溢れかえっているわけでもなく、3時間も経てば帰れる気がしました。
待つ間も息子は泣き続けていますが、気持ちを安定させるためか失われた体液を補充する意図か、嗚咽しながらも懸命にお乳を飲みます。泣き続ける元気がありお乳も飲んでいるんだから大丈夫だろう、とひとまず楽天的に考えることにしました。

到着してから1時間も経たないうちに声が掛かりました。最悪日付が変わることも覚悟していたのですが、たまたまこの病院は空いていたようです。良かった。
優しそうな先生に事故の状況を説明します。看護士さんにお父さんとお祖母ちゃんは外で、と促され退出、妻も縫う所を見たいかと問われイヤデスと即答、あわれ息子は母親と引き離されたうえ見知らぬおっちゃん・おばちゃんに囲まれ更に大泣きしています。
麻酔を施し縫う間も息子は叫び続けますが、先生と看護師さんは落ち着いた優しい声で息子を励まします。それだけで随分救われました。もうすぐだよ、がんばれ。すると泣き続ける息子が
「も゛ぉすぐ、がんんばれ゛ぇぇ〜〜!!!」
といわれた言葉を絶叫オウム返し。思わず診察室の内外で笑い声があがりました。頭を打っているのでしばらく油断は出来ませんが、とりあえずこれで安心です。

迅速丁寧に手当して頂いたうえに、乳幼児医療の負担軽減制度で500円で済みました。大事にならなくて本当に良かった。

今回の教訓。
・119をあてにせず、怪我等事故時の連絡・相談先一覧を見えるところに貼っておく。
・間近にいても、防ぎようのない怪我もある。倒れるスピードには咄嗟に反応ができない。
・夜間救急センターにはすべての科は揃っていない。最寄りの救急病院に電話したほうがいい。

息子は3針を縫い、1週間後の今日抜糸しました。相変わらずよく喋り元気なので恐らくもう心配ないでしょう。
それにしてもあんなに取り乱した妻を見たのは初めてでした。今まで運よく身内の怪我の経験がなかった私には、大きな人生勉強になった夏の夜でした。(オポムチャン)

(寸評)これは大変だったね。
特に子供だと自分以上に心配するものね。
俺もデビュー前は夜間救急の大きな病院で事務していたから、毎日取り乱しながら患者を運んで来る家族をたくさん見ていた。
でも本当こういうのってタイミングもあるんだよね。
例えば夜中の当直の医師はせいぜい各科ひとりぐらい。
なので頭を打った人が立て続けに来るとやはり脳外科の医師はひとりずつしか見られないから救急と言っても必ず一番に診てもらえる保証はないんだよね。もちろん重篤の患者は優先されるが同じ程度の患者が何人もかちあってしまうこともあるからね。
あと夜間はどうしても年の若いインターンあがりのお医者さん初心者が多いという現実もある。
ベテランの年配の医者はやはり昼間担当だからね。
でも誰だって怪我や病気はある種避けて通れないところもあるからね。
教訓を活かして子育てがむばってね! 7ポイント。

はじめての交通反則切符

8月20日、大阪梅田へ車で出かけて駐車場で1200円取られて半へこみの帰り道。
国道へ合流する長い信号、左折しようとして信号がすでに赤であることが判明。しかし1台前の車にピッタリくっ付いていたのでタイミング的には危なくないかな・・・と油断したらいわんこっちゃない、曲がったところでうまいことポリスに引き留められました。下手打つと撥ね飛ばされるタイミング、大したものです。
停止線の段階ですでに信号は赤だったため、信号無視で減点2点、反則金9000円を支払ってください、とのことでした。
安全上問題ないタイミングだったなんてこちらの言い分、完全に私が悪いので文句も言わず免許証を提示し、ポリスが切符を切るのを待ちました。このクソ暑い中炎天下で書類を作成する若ポリス。ご苦労様なことです。
もともと運転に関しては出鱈目で集中力も低い危険運転者の私。いままで反則を取られなかった方が奇跡的だ、と割り切って切符が完成するのを待ちましたが、やはり警察に拘束されているという雰囲気が無用に私をドキドキさせました。何よりこんな金のない暮らしをしてるにもかかわらず駐車場代に加えて罰金まで徴収されることのショックがデカく、後ろの席で黙っている嫁の心中を想像する方がもっと心臓に悪いです。ので考えないことにしました。アハハ。

長い時間が・・・実際は2・3分だったのでしょうが・・・経ち、汗ダクダクの若ポリスが切符をこしらえました。お金はその場で徴収はせず、近所の金融機関か郵便局で支払ってください、とのこと。
「交通事故が無くなるのが本当に我々の願いなので、どうぞ宜しくお願いします」
と大阪の割に(?)あくまでも誠実なポリスに免じて、きちんと運転しようと思いました。

折角なので反省の意味を込めて内容を見てみましょう、「交通反則告知書」。
告知・交付日時、平成25年8月20日午後1時◎〇分。
交付者の所属階級等及び氏名、大阪府Y警察署巡査若ポリスさん。
(1)反則者氏名、オポムチャン・男。
  他に生年月日・住所・職業・免許証の情報・連絡先。
(2)反則車両、普通車・自家用。
  登録(車両)番号、大阪5☆〇、△9◆◎▽。
(3)反則日時、上記とあんまり変わらんがな。
(4)反則場所、大阪市Y区J町3−〇−△◆。ごっつい正確に判ってんのね。レギュラー取締りポイントなのか。
(5)反則事項・罰条、?信号無視(赤色等)。
  ?は速度超過、?は指定場所一時不停止等。ほか?まで項目有。
(6)反則行為の種別、普通車、信号無視。上と内容かぶっとるがな。
(7)反則金相当額、9000円。
(8)出頭、日時9月6日午後1:00〜4:00。えぇっ、そんな金曜日に仕事休んで出頭なんて殺生な、と思ったら横っちょに「反則金を納付した場合には出頭する必要がありません。」との文言が。ホッ。ビックリさすなや。

頂戴した納付書には反則金なんて文言はありませんがモロバレな様式。だって「大阪府警察本部」「交通安全対策特別交付金勘定」なんて書いてあるんですもの。1週間以内に納付しないと郵送料込で再送されてしまいます。期限経過しちゃうとその納付書は使えません、郵便局の兄ちゃんを恫喝したって駄目です。釈放され無事駐車場にたどりつき次第、その足ですぐそばの郵便局で金をおろし即座に支払いを済ませました。1秒だってこんなもん持っていたくなかったからです。

長年続いたゴールド免許もこれでオサラバ、自動車保険も高くなっちゃうな。しかし罪を犯したのは事実、私は貧乏人ゆえに今後交通ルールを順守することにより神経を使うこととなるでしょうから罰金という懲罰はなるほど交通安全に効果があるのでしょう。ちょっとしたことなら大丈夫・・・という甘い目論見が大きな事故につながるかもしれません。免許を取って13年、あらためて運転者の責任の重さを思い知らされた1日でした。なんか交通安全協会の回し者みたいだな。(オポムチャン)

(寸評)成る程、そうなってるのね。
俺は二十歳の頃原付取ったものの(田舎だった為、最寄り駅まで20kmぐらいあったので仕方無く取った)本来車やバイクに興味が無かった為、翌年上京にあたり更新せず失効した。
現在も免許何も持ってない。特に差し迫った必要性も感じてない。
運転は(習えば)普通に出来ると思うが優柔不断な為、ちょっとした駐車場が決められずウロウロしたり上記の様に軽い交通違反をして罰金取られたりするのがめんどくさかったり悲しくなったりする為、多分今後も取らないと思うな。
でも実家の田舎とかに帰ると地方では車の必要性をひしひし感じる。
特に買い物は完全に駅前から郊外のショッピングセンターに移ったから車ないとどーもならんもんねー。
歩行者は一方通行とかないからグータラな俺は生涯歩行者かな・・・。 7ポイント。

初めての変態

むかーしむかし、私がまだ幼稚園児だか小学生低学年だった頃。
当時、父は趣味でテニスを嗜んでおり、仕事が休みになると、私を連れて色んなテニスコートで、やれ試合だ練習だ、とまるで青春真っ盛りの学生のようなことをしていた。
私は私でそんな父にくっついて行くのが楽しく、テニスコートの近くの公園やらで遊んだり、父のテニスプレイをお菓子食べながら見てたり、時にはボール打ちに参加したりしていた。
子どもってのは不思議なもんで、初めての場所で初めて出会った人が居ても、仲良くなれてしまう。
公園で出会った子と仲良くなってテニス終わるまで遊んだり、父のテニス仲間から可愛がられたり、退屈することはほとんどなかった。

そんな中。いつも来ている、公園が隣接されたテニスコートに行ったとき。珍しく、誰もいない。ひとりで遊んでたら誰か来るかな、と、ひとり遊びを始めた。

「お嬢ちゃん、可愛いね!」

急に声がした。いつの間にか、ベンチにおっちゃんが座っていた。

「こっちおいで」

退屈も手伝って、素直におっちゃんのとこに行く。…と。おっちゃん、何か得体の知れないモノを手に持ってる。???と思いつつも、何だかその物体は、見てはいけないモノのような気がした。警戒する。

「おじちゃんね、虫を飼ってるんだ」

と、手に持ってるモノを示す。
虫???確かにミミズっぽいけど、ミミズって虫だっけ???それに、その虫、おっちゃんのお腹らへんから顔をのぞかせている。むしろ、おっちゃんから生えてる。しかも、ミミズにしてはでかい。でかすぎる。 なんかおかしい…。子ども心にそう思う。逃げなきゃ、と思うが身体が固まってしまって動けない。

「…虫、触ってみる?」

そんな見たことない虫なんか、触りたくない。首を横に振る。

「じゃあ、虫しゃぶってみる?」

虫 は し ゃ ぶ る も の じ ゃ な い !
一気に恐怖がこみ上げ、お父さんのとこに行ってくる、と、走ってその公園から逃げ出した。テニスコートのベンチにいた父に抱き付く。怖かったけど、何となくこの話は大人にしてはいけない気がして、何も言わなかった。
この事件をキッカケに、あまり父のテニスにはついて行かなくなった。またあの虫おじさんに会うのがイヤだったからだ。

オトナな今なら分かる。あの虫は、オッキしたおっちゃんのティンコだったのだ。それに気付いたのも、高校生になって初めての裏エロビデオを見たとき。あ!あの時のアレはこれか!と急に思い出したが、それはまた別のお話。(ウサギ先生)

(寸評)確かに「虫しゃぶってみる?」で「うん!」という子がいるとは思えないな(笑)。
しかしうまく逃げられて良かったねー。
今は自ら虫しゃぶりにいく方かなあーーー? 9ポイント。

初めての自分もびっくり

大分前から、店番をしていると人形やマネキンに間違われていたので、驚かれるのにも慣れたつもりでいました。

でも、先日いつものように店番していた時、その私も驚くような事がありました。

見た感じ21、2才の女子が店の入口から入って来たのですが、私の顔を見るなり、まるでお化け屋敷で出すような声で「キャーキャー」騒ぐのです。
いきなりだし、その声の大きさにこっちがびっくりです。
そして、いつまでも止まない悲鳴の長さに腹立たしい気持ちになり「驚きすぎで失礼ですよ」と言ってしまいました。

何年も接客していますが、こんなに思い切り驚かれたのは初めてです。
いくら人形が動いたからといっても驚きすぎですよね?! (♪ごりぽん)

(寸評)・・・相当な人形体質なんだね。
まぶたも手も足も固まったまま一切動かないのに「イラッシャイマセ」と言いながらズズッズズッとお客さんの方に近づいていくわけじゃないよね!?
でもこれは・・・早く♪ごりぽんを観て、いや見てみたいっ! 8ポイント。

はじめての露骨桃色映像

運動神経というものの存在が疑われる私ですが、高校の時何をとち狂ったのか合気道部に入部しました。 3年生は受験のため引退、2年になると急にえらくなります。部長は中学からの友人K山、副部長はNが務めました。

このNが私にステキなものを貸与してくれたのです。

しずかに黒く光るビデオカセット。タイトルのシールには
『トレイシー・ローズvs愛染恭子』
と手書きで記されていました。
Nによると、やんちゃなNの兄貴が入手した、ご婦人のとある部位が露骨である、桃色の映像が収録されているビデオとのことでした。

露骨桃色映像!!!

い・いや、当時はそんな言葉で叫んだわけではないのですが今更ながら念のため、婉曲的表示を。
うぶな私は当時は女性経験は勿論のこと、本屋でそういった書籍を買ったこともない真面目っ子っちゅうか小心者。
そんな経験値の低いひよっ子がいきなりボス級と対峙することになったのです。それはそれは興奮しました。

部活が終わり、もう帰りの電車から気が気でありません。意識が鞄の中に吸い込まれていきます。
私の家の映像再生機は皆が飯を食うリビングに一つと父母の寝室に一つの計2台、後者は勿論使用不能。となればチャンスは皆が寝静まった頃合いを見てリビングに下りてきて、件の桃色映像を再生するほかありません。

その夜。12時をまわり、家族皆の寝息が聞こえ始めました。
私はきしむ廊下を抜き足で歩き、さらによくきしむ階段を下りてリビングに向かいます。ビデオカセットは寝間着に隠しつつ。
まさに心臓ドキドキドキリコ、テープを持つ手が震えます。
これを再生機に挿入すると、さい、せいきに、そうにゅうすると、うへへへへへへへへ。
脳髄と身体の某所がオーバーヒートしています。

その時! 階段のきしむ音が!? ば、馬鹿な! みんな眠りに就いた筈では!?

あぶあぶ慌てながら、リモコンで再生機の電源を切ります。
親父が水を飲みに下りてきたのでした。
動悸を隠しつつ、いたって冷静なフリをして私も飲みたくもない茶を冷蔵庫から取り出して飲みます。
こんな情けない事情で縮めなくてもいい寿命を縮めてしまい、アチラで閻魔様も苦笑されていることでしょう。

親父は去り、いよいよ露骨なとある部位があらわれようとしています。
・・・・・・・・・・・・あああ。

なんて、なんて美しい光景だろうか・・・・・・。
ローズさん、確かにあなたは桃色でした・・・・・・。

その後Nから催促が来るまで、私はこの露骨桃色映像入りビデオカセットを、テープや身体の某所が擦り切れそうになるまで再生したおしました。興奮しながらもなぜか妙に感動さえした、はじめての露骨桃色映像拝見でした。(オポムチャン)

(寸評)俺の高校時代はまだビデオなんて一般的には無かったので、露骨桃色映像ではなくて露骨桃色画像だったなあ。
これがどんな動きをするのか想像しつつ・・・。
何でも簡単に見られるようになった今より、よっぽどドキドキしてなかなか見られない物がやっと見れる時の喜びといったら!
今の若い子は損してると思うな、逆に。8ポイント。

初めてのBluetooth

こちらの家電量販店へ行った際、PCアクセサリーのコーナーで、「分離型ヘッドホン」なる製品を見つけました。
パソコンのUSB挿入口に同封の端子を接続して、コードレスヘッドホンをしていると、パソコンから半径10mまでなら音声が聞ける、というのです。
これがあれば、日本のテレビ放送(日本の放送をPCで受信できる装置を使って、視聴しています)やYoutubeなどの音楽を聴きながら、台所で料理や皿洗いができるので、いつか買おうと思っていましたが、値段は8千円ほどと、若干張り気味。

何軒か量販店を回って、もっと安い製品がないか、探していたところ、もっと意外な製品を発見しました。 前に見つけた製品と比べて、千円ほど安かったのですが、より軽い上に、携帯電話などでも使えるのです。 よく見ると、「Bluetoothのヘッドセット」と書いてありました。
日本の携帯電話などの機能にもあるのですが、説明書を読んでも、イマイチ「どんな時、使うの?」と、曖昧な気分になってしまい、結局、スルーしていました。
しかし、お店の人によれば、このヘッドホンをオンにして、パソコンや携帯の設定もオンにすれば、音声を聞いたり、通話もできるとのことなので、使い道は多そうだと思い、思い切って購入。

帰宅後、自宅でテストをしてみたところ、思ったよりも楽に設定できました。ただ、Youtubeや音楽ファイルを再生したところ、音声に若干雑音が混ざり気味でした。
あと、後頭部のうなじから両耳に掛けるタイプなので、首が凝っても、回せないのです。
なので、使うにはドアを開けて涼んでいる時や、料理や洗濯などをしながら、テレビ放送を聴く時だけになりそうです…。

ちなみに携帯では、通話・MP3・DMB(こちらのテレビ視聴)に加え、撮影した動画の音声もヘッドホンで聞けましたが、ボイスレコーダーで録音した音声は聞けず、携帯本体から出ました。
パソコンでは動画やテレビ放送の音声は聴けましたが、スカイプ通話に使ってみると、通話相手の音声はパソコン本体のスピーカーから。
音声は全て出せる訳じゃないとわかり、若干幻滅しました…。(Hi-)

(寸評)成る程。使い道がハッキリしてれば使い勝手もあるものなんだろけどね。
実はパソコン歴は長いものの、実際はパソコン知識は「自分の使うもの」にしか無い俺は、Bluetoothの名前はよく聞いていたが、実際どういうものなのか分かっていなかったのだ。
何か面白い使い方が見つかるといいね! 6ポイント。

初めてのバス事故に居合わせin韓国

週末に路線バスに乗って、移動していた時のことです。
何度も利用した路線ということもあって、座席に座ってウトウトしていました。
車内に若干乗客が増えてきて、座っている乗客としては肩身が狭くなってきたなと思っていた、その時です。

バリン!

突然、大きな音がバスの後方部から響き、他の乗客のおじさんが「何だ、こりゃ!」と、叫んで前にやってきて、一斉に乗っていた人達の視線が後ろに注がれました。
何かにぶつかったのか、最後部座席の側面の窓ガラスが1枚割れて、車内にガラスの破片が散乱していたのです。
慌てて運転手さんはバスを道路のど真ん中に停めて、外へ一旦出て、ぶつかった所へ行きましたが、すぐに戻って、100メートルほど先にある次のバス停の手前でハザードをつけて停めて、「みんな、降りて、別の車両に乗ってください!」と大きな声で言いました。

「どうするんだろう…?」と、周りの空気を窺っていた乗客達もぞろぞろとバスから降りて、炎天下の中、停留所へ移り、めいめい目的地へ行くバスに分かれて乗りました。
僕は同じ番号の路線バスが来るまで待ちましたが、事故によるとのことで、ICカードはタッチせずに乗車(こちらでもバスや電車に乗るためのICカードがあるのですが、違う路線バスや列車なら、下車後30分以内に安く乗り換えられるのです。同じ路線では、その割引が適用されないのですが;)。
そのまま、目的地へ行きました。何が当たったかまではわからなかったのですが…。

滞在暦もはや4年になり、他の車の事故を目撃したことは何度かあったのですが、自分が乗っていた車がこのような事故に巻き込まれたのは初めてでした。
窓が一枚割れただけで、けが人もいなかったのはよかったのですが、ニュースを見ていると、バスに乗っていたら燃料の天然ガスや、タイヤが爆発する事故がたびたび起きているようなので…。
同時に、運転ルールやマナーも日本とは違いすぎるため、運転免許も日本へ置いてきましたので、こちらで運転することは今後も全くない見込みで、タクシーやバスのお世話にならざるを得ない、何とも皮肉な状態が続きそうです。(Hi-)

(寸評)毎年行くタイのチェンマイは治安はいいものの、交通事故は多い。
俺はチェンマイの乗り合いタクシーで二回事故にあった。
他の車と接触事故と、側溝への脱輪。
どちらもスピードが出てなかった為、怪我等はなかったが。
でも自分で運転していない場合、注意のしようもないのが現実だもんね。
外国で大きな事故にあうと何かとその後が面倒なことになりそうなのでなるべく歩くか!
あっ、歩いていても突っ込まれたら駄目か。むーん・・・。 6ポイント。

はじめての河原でエロ本拾得

これまた遠い夏の日、20年前=中学時代です。

今時分のような夏休みのある朝、唯一部活動をしていない私は飼いたくもなかった飼い犬の散歩を命じられました。
動物嫌いなのにヒマを理由に暑い中外へ行かされる理不尽を呪いながら、私は犬を連れて日差しの中へ駆け出しました(犬は小便を我慢していたので引っ張られ、走らざるを得なかったのです)。

日陰などまったくない河原の土手道。犬に逃げられた時用の誘導エサのチクワと、ウンコキャッチャー一式を携えてとぼとぼ小太りが歩きます。その日は歩くうちにすこし薄曇りになってきたので、鬱陶しさはやや軽減されました。

いつものコースを辿り大小便を済ませてUターン、土手を下りて河原のコンクリ道をふらふら歩いていると・・・
この夏の気温のもと、湿り気を含んだ雑誌が草むらに捨てられていました。
表紙をみたところ、今まで見たこともない投稿写真のエロ雑誌のようでした。

急速に動悸が起こります。

そんなものほとんど見たことのない真面目、でも興味は深々のムッツリ助平の見本のような私。犬の手綱をその辺の棒にくくり付けて湿ったページを無心にめくります。
脳内でぼんやり夢想しながらも具体的なビジュアルは無かったエロい場面。その時私は、ついにその具体例を目のあたりにすることが出来たのです。震える身体。ほとばしる興奮。膨らむ某所。

土手の上を走る自転車のおっさん等にビビりながらも無我夢中で読み続けていると、退屈にされた犬がええかげんにせぇ、とばかりにワンと吠えました。
正気に戻った私ですが、このままこの本を打ち捨てて帰るのは惜しい。携えたウンコキャッチャーの袋には予備があったので、じっとり湿った雑誌をビニール袋に忍ばせ家に帰りました。

持ち帰ったは良いが、なにぶんブツは湿っています。保管するにも周りのモノに得体の知れない湿気が移ることはなんだか憚られました(ていうかそんな得体の知れん湿気を含んだ雑誌を持って帰ってくるな、と言いたいところですが当時はエロへの果てなき欲求がそれに勝ってしまったのです)。
仕方なしにこっそりトイレへ持ち込み、湿ったページを再びめくります。あぁ、何と云うエロさ・・・! しかしこの黒塗りの邪魔なこと! でもこれはキワドイ・・・ 中学生には幾分か刺激の強い、めくるめく世界を堪能しました。

さぁ堪能もしたし部屋でひと息つこう、とよく考えたら保管場所の問題が解決していません。参ったなこりゃ、とりあえず一旦トイレのタンクの陰に本を置いて部屋でくつろいでいました。外を見ると母親がベランダで洗濯をしています。
私と適当な会話を交した後、あろうことか母はまっすぐトイレへ向かいます。
こ、こりゃマズイ!!
「おっお母さん、便所に入らんとって」
「なんでぇ? すぐ行きたいねんけど」
「今すぐ、僕がその便所に入りたいねん」
「・・・へんな子」

・・・・・・ふぅぅ〜〜〜。どうにか見つかりませんでした。普段からナチュラルに変な子で助かった。 母が下の階のトイレへ行ってる隙に私はエロ本の始末を急ぎました。もう、この家に置ける場所は無い。観念しよう。
存在を抹殺する前に名残惜しんで三たびページをめくると・・・ なななんとあるページの隙間からナナなめくじがヌルゥリ!! ぎょわわっっ!!! 生き物大嫌いな私、叫びそうになるのをグッと堪えてページごとトイレにジャー。

すっかりいろいろしぼんだ私はトイレに詰まらない程度に少量ずつエロ本を破っては流し、破っては流しを繰り返し、その存在を消し去ることに成功したのでした・・・。さよなら、僕のファースト・エロ本。
自分の手で堂々と性的書籍を購入するには、あと4年の月日が必要でした。それはまた、別のお話・・・。(オポムチャン)

(寸評)嗚呼、そんな感じのことは多かれ少なかれ男子はみんな経験してるよな〜。
あのどきどきはあれはあれで思い出深い青春也。
もう元には戻れない穢れた大人になってしもーたなぁ・・・。 8ポイント。


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