ドキドキドキリコ初体験(60)

初めての逆走


自動車の運転はまだ若葉マークの私。でも毎週運転してるのでだいぶ慣れてきました。慣れてきたのですが、その慣れが危ないのです。
その日は回転寿司に母と行きました。ランチタイムに行くと安いのでそれに間に合うように…と頑張ったのですが、車で行くのは初めて。しかも道路は渋滞気味。早く行かなきゃ間に合わない!という焦りもあったと思います。片側2車線に慣れていた私は、右折をする際に「もう車線変更しといた方がいいよねー」なんて言いながら右側の車線へ。すると母は「あんた!何やってんの!?」。そう言われて気づきました。この道路、1車線ではないですか!危ない危ない、慌てて左に戻りました。運よく対向車は走ってませんでしたが(もっとも走ってたらその時点で気づいて車線変更なんてしなかったでしょうが)、後ろに走ってた車は「前の車、何やってんだ!?」とびっくりしたことでしょう。
後からじわじわと怖くなってきましたが、この場合同乗者の母が一番怖かったと思います。
ちなみにお寿司屋さんにはランチタイム終了1分前に駆け込み、なんとか間に合いましたとさ。(可南)

(寸評)俺もバンでツアーしている時、助手席に乗っていたら運転手が居眠りしていて、中央分離帯に向けてゴゴゴゴーとまっしぐらに走って行った時は思わず声をあげたなあ。
あれは怖かった! 7ポイント。

初めての喝上げ


数年前、近所の夏祭りでのことです。毎年母とそこの花火を見るのを楽しみに行きます。その日はお気に入りのちょっと高級なアロハシャツを着て行きました。私たち親子はアロハシャツを着るとなぜだかガラが悪くなります。でもそんなことは気にしません。
お祭りを一回りして楽しみ、ついに待ちに待った打ち上げ花火の時間が近づいてきました。その時、背後で高校生くらいの男の子の集団がふざけあって騒いでいるのを感じました。うるさいわねーなんて思っていたら、いきなり背中に冷たいものが!彼らに飲み物をぶっかけられたのです。ちょっとぶつかっちゃってちょっとこぼれちゃってちょっとかかっちゃった~って感じなら事故だし勿論怒ったりなんかしません。しかし彼らは明らかに故意です。背中はびっちょり、コーラでべとべと。そりゃ怒りますわよ。しかもアロハシャツでガラの悪い私です。
「ちょっと!」
彼らは謝りもせず、へらへらしています。こりゃ許せん。
「なんかぶっかけたでしょ!?どうしてくれんの!?」
流石にヤバイと思ったらしく「すみません」とは言うが相変わらずへらへら。
「びっしょりじゃないの!拭いてちょうだい!」
その時花火は始まりましたが、彼らは私の背中拭きに専念。私は背中を拭かせて花火をしっかり見ました。
一通り拭き終わり、まだへらへらだったので、「あーあ、シミになっちゃうわ、どーしてくれんのかしら!?クリーニング代出しなさい!」と言ったら500円玉を渡し、彼らは逃げて行きました。
度を越した悪ふざけをする方が悪いのです。彼らも思い知ったことでしょう…。ちなみにアロハシャツはクリーニングに出さずに家で洗濯しました。500円はなんだか使えずにずっと残ってます…。(可南)

(寸評)喝上げされた方かと思ったらした方かいっ!
しかしコーラぶっかけるのも意味が分からんな。
何かコーラをぶっかけたくなるような背中をしていたんだろうか!?
今度その不思議な背中、見せてね。
そしてコーラぶっかけちゃったら、ごめんね。 7ポイント。

初めての健康診断in韓国


就職した後の外国人登録の際、必要な書類の関係で、病院に行き、採血・健康診断を受けることになりました。
職場の近くの病院の受付にて、「この検査を受けたいんですが…」と申し出ると、地下の階の検査室へと案内されました。そして、女医さんから大まかな検査の説明。
しかし、相手が韓国語ができる外国人であると知って、配慮する必要はなさそうだと思ったのか、一度にたくさん速いペースで話すので、理解が追いつきません。何度か説明してもらって、ようやく検査が始まりました。視力・聴力などの測定は日本と同様でしたが、体重・身長測定は1つの器具で済みました。
あとは3000円ほどの料金を払い、数日後の証明書発行を待つのみ。
しかし、職場に戻って、控え証を所長に見せたところ、こんな一言が。
「…心電図、視力、聴力も?ここまで受けなくて、よかったのに;」

必要な証明書一覧をよく見ると、必要だったのは採血検査だけで、健康診断のほうは必要なかったのです!
知って、超ショック…。懐が痛くなりました。

そして、いざ発行された証明書を持って、外国人登録に行くと、なぜか受理されず。
採血検査の際、エイズ・麻薬検査の結果が必要だったのですが、エイズ検査の結果が記載されていなかったのです。
再び病院に行き、採血を行い、出費も時間も二度手間に。結局、外国人登録を果たせて、携帯の申し込みや、銀行口座の開設に至ったのは、渡航から1ヶ月も近く経ってからでした…。

いずれも、自分の理解力や、発話力に問題があったが故にこうなってしまったので、自らを悔やむばかりです…。(Hi-)

(寸評)在日韓国人ならぬ、在韓日本人になったんだね~。
で、エイズ・麻薬検査はひっかからなかったの? 7ポイント。

初めての水筒変形


まだこちらは日本に比べ、寒い日が続いています。なので、温かめのお茶やコーヒーなどが、出勤中は欠かせません。
しかし、ガラスのお茶用の容器は熱湯を入れると、割れてしまいます。かといって、金属製の水筒だと、重いし、高いです。
どうするか悩みながら、雑貨店に行くと、プラスチック製の透明水筒が150円ぐらいで売られていました。プラスチックなら熱湯を入れても大丈夫だろうと思い、購入しました。

でもやはり、熱湯を入れてもいいものか、気になるものです。職場の給水機で、まず水を入れて、それから熱湯を足しましたが、ひとまず異常なし。でも、最初に入れた水の量が多かったせいか、飲んでもぬるいです。 翌日、今度は熱湯を先に入れて、少し温かめのお茶を入れようとしましたが、水筒の半分ぐらいまで熱湯を入れた途端、異変が。

徐々に水筒の下の部分が縮み始めたのです!!!!
「あっ、やっぱり熱湯はダメか!」と思いましたが、時既に遅し。
プラスチック水筒の口と胴体は斜めに傾き、見事な不良品になってしまいました…。

ひとまず、中身が漏れずに済んでいるので、今も使っていますが、かっこ悪さの極みです。なんだか、自分を象徴しているようにも見えるので。(Hi-)

(寸評)「変な水筒」というあだ名がもう陰で付けられてたりして。
「おいっ、変な水筒が歩いてきたゼッ!」 6ポイント。

はじめてのクオリティの低い猿のショー(inチェンマイ)


チェンマイで象に乗ったり、虎と触れ合ったりする合間に、モンキーパークへ猿のショーを観にいきました。
中に入り、しばらく園内の猿達を眺めていると猿のショーが始まりました。客は6人。とても無愛想なアナウンスに呼び込まれ、猿と猿使いの人が登場。
木に登ったり、自転車に乗ったりと、いつくかの軽い芸を披露してから、いよいよメインイベント的な雰囲気に。係員がステージに数字の書かれた札を並べ、お客さんが言った数字の札を猿が選んでみせるといった芸でした。しかしそれも、明らかに猿使いの人が紐を使って「あっ、そっちじゃない。こっち、こっち。そうそう、それを取れ」って猿に指示を出しているのが丸分かりでした。
180バーツで食い放題&飲み放題に行けるチェンマイで200バーツもとっておいてこのクオリティの低さ。一緒に行った妻は「金返せー!」って怒ってました。
でも、頑張って芸をしている猿はかわいかったです。ひたむきな猿の姿、プライスレス。(DO)

(寸評)B級施設は「なんじゃそらー!」と突っ込むのが楽しむ秘訣ですな。
200バーツ、現地の感覚だと2000円くらいだろうなあ。
市場だったら焼きソバ10皿分だね。 6ポイント。

はじめての虎との触れ合い(inチェンマイ)


「タイガー・キングダム」という所で虎と触れ合ってきました。
園内には小さな公園くらいの檻がいくつかあり、調教師のような人に連れられて順番にその中に入っていきます。すると中では、ちょっとした成人男性よりも大きな虎が木陰で気持ちよさそうに横になっていました。調教師は「さあ、どうぞ触ってくれ」って感じなんで、あとは好きなように撫でたり抱きついたりして楽しみました。
調教師の人は虎が暴れないように抑えてる係りなのかと思ったら、むしろ逆に、眠そうにしている虎を「おい、起きろ」って棒でペシペシ叩いて起こす役割でした。
その晩、皆さんと夕食に行った時、タイガー・キングダム行ったという話をしたら、「あそこ去年、事故があったんですよねぇ」という話をされちょっとビビりましたが、実際の虎はちょっとした猫より人になついてましたよ。(DO)

(寸評)べったりと虎と寝転んでる写真、見せてもらったよ。
ちなみに中国の食堂でメニューに虎の字があったら、猫肉の料理のことらしいよん。6ポイント。

はじめての値段交渉(inチェンマイ)


チェンマイでナイトマーケットに行きました。そこはほとんどの品物に値札が付いていなく、毎回の買い物で値段交渉が必要になります。
はじめはちょっと遠慮がちに値切っていたんだけれど、何度か買い物をしているうちに「もっと値切れる!」ということを学び、徐々に強気な値段交渉ができるようになっていきました。
妻はこの値段交渉がとても楽しかったようで、今度チェンマイに行った時もまたナイトマーケットに行きたいと言っています。しかしあれ以来、家計についても強気な値段交渉をしてくるようになってしまったので、俺としては少し困っています。(DO)

(寸評)値段がはっきり付いていないものは、たいてい値切れる。
ただ国によって、最初の言い値が2倍くらいのところと10倍くらいのところがあるので相場は調べておいた方がいいかもね。
ちなみにタイは通常せいぜい1.5~3倍くらいだと思う。
ベトナムは10倍言ってくるね。 6ポイント。

初めてウキュピネットラジオを聞きましたっ。


海外からのラジオを生で聞けちゃうなんてスゴイ~。
チェンマイ情報、興味津々で聞いてましたー。
お歌のサービスまであってキャハーでした♪たのしかった♪

そして初めてチャットルームなるものを覗きました。
なんも考えず入室したものの、どしたらいいものかわからず、無言の退室!
ぎゃびースイマセン。
今日初心者のチャットマナー集みたいの見てうぎっとなりました。
あいさつは最低限のマナーです!あと、無言は不気味。ヤメロ!とか! ぎゃーゴメンナサイ!
えっと、あのあの、それでは猫のふみふみタイムですので、お先に落ちます。
次のウキュピラジオはいつかな~って楽しみです。すっとことっとっと~(逃)(トゥーリッキ)

(寸評)あれはDJをしてくれたチャットの管理人のざる君がマイクを持ってきてくれたから出来たんだよね~。
チャットと連動のラジオは海外でも大勢で会話が出来るから面白いね。
ちなみに聴取者の人数も分かるのだけど、常時50人程度いたので、チャットに入室・閲覧している人以外で純粋にラジオだけ聴いていた人も同じくらいいたんだね。
チャットはなんなら俺が入ってる時にどうぞ。
怖くないよ~(笑)。 5ポイント。

初めてのキリ番


ミクシィの中でマイミクのマイミクさんをいろいろ巡っていたところ、石川さんがミクシィの中にいらっしゃるのを発見!さっそくあしあとをつけていろいろ見ちゃいました。
それからしばらくが経ち、なんだか自分のところに見ず知らずの方々からのあしあとがすごくたくさん来だしました。
原因がわからずなんだと思っていたところ、それは私が石川さんのとこの「77777」のキリ番を踏んだからでした。石川さんが日記に書いてくださってそれをたどってたくさんの方が来たのです。マイミクのマイミクさんが知らせてくれて、原因がわかりました。
そしてそのおかげで石川さんとマイミクになることが出来て現在に至ります。

あの時踏んでなければ、実際に石川さんとお会いしたりしなかったかもしれないから偶然だけどほんとよかったなぁって思います。
ただ原因がわかるまでだいぶビビってました(笑)。 (おっくだ)

(寸評)偶然の出会いは時に一生の出会いになることも。
偶然って、なかなか面白いことする奴なんだぜっ! 6ポイント。

初めての目撃


大学のときに所属していた部活の合宿でのことです。軽音楽部みたいな感じの部活なので、毎年最後の夜は飲んだり食べたりしながら各バンドの演奏発表をやります。もう最終的にはみんな酔っぱらって何が何だかわかんなくなっちゃってます。私はそんなに飲まないので特に酔っぱらうこともないですけど。
発表とか宴会的なものが一通り終わり、何人かは部屋に戻り始めたので私も部屋に戻ることにしました。女子部屋のドアを開けると、すでに誰か戻っていて寝てるようです。静かにしないと…なんて思いながらもう一度見たら同輩のMちゃんとIくんが寝ているではありませんか!二人が付き合ってるのは知っていたけど…うわ、まずい、と思い、私は何も悪くないのにこそこそと逃げていきました。その時Iくんの方ががばっと起き上がってこちらに気づいたようです。Mちゃんは気づかずそのまま眠っているようでした。
ところが部屋から出ても行き場のない私は向かい側にあった男子部屋に助けを求めに行きました。Iくんに気づかれたっぽかったのがなんだか怖かったので、かくまってもらおうと思ったのです。だけど二人をそっとしておこう…なんてほど私は大人ではないので「MちゃんとIくんが寝てるよー!!」と報告。何人かは「見に行こう見に行こう!」なんて興味津々で部屋を飛び出て行きました。「いや、服も着てるし、ただ眠ってるだけよ…」なんて私の言葉も聞かずに。
その後どうなったのかはよく覚えてませんが、翌日Iくんと顔を合わせるのがなんとも気まずかったです。(可南)

(寸評)女子部屋侵入罪でひん剥いちゃえば良かったのに!
そいで女子全員で男性器の生態観察をするのだ~。
カップルで入ってるのが悪いので「ふむふむ。ここが黒ずんでますな。」とか今度はやっちくり! 6ポイント。

はじめての身体障害の実感


一年前の事故で、そこら中手術されて、中でも粉々に砕けていた右足首は、どうしても治せなかった。
主治医の判断で、仕方なく足首を直角に骨で固定し、結果右足首は動かす事が出来なくなった。
でも私は、歩けるようになるだろーって、気楽に考えてた。
だけど違った。
足首が固定された状態では普通に歩く事が出来ないのだ。
特に屋外は、坂道やちょっとした段差等が私の行く手を阻む。
同時期に入院していた人たちはみんな、もう松葉杖なんかはずしてるのに、私は未だにはずす事が出来ない。
はずしたら道を歩けないのだ。
私はぼんやり、実感した。私はもう歩けないのだと。
これは諦めではない。どんなに頑張っても、無理なものは無理なのだ。・・・動かないのだから。
リハビリは努力した。少しずつ出来る事が増えていくのは楽しかったし、嬉しかった。
まだベッドに寝てた頃、自主練で足を持ち上げられるようになったのは自慢だ。
私は歩けなくなった。一生杖の生活だろう。でも、私は、悲しんでいないよ。
主治医が「大変な大怪我だったんだよ?」と言った。
粉々に粉砕した私の足を、固定してくれてありがとう。先生。(りあちゃん)


(寸評)どうしようもないことってあるんだよね。
目に見えること以外でも。
完全な人なんてどこにもいないからね。
自分の与えられた環境・状態の中で最大限何が出来るか、何が幸せな方向かを考えるしかないんだよね。
具体的に言うとりあちゃんの場合は何かを書く仕事とかを本格的に始めたらいいかもしれないな。
応援してるぜっ! 8ポイント。

はじめての創外固定抜いた


創外固定(以下ピン)というのは、骨がしっかりくっつくまでの間、骨を支える医療器具だ。
何本ものピンが脚を貫通していた。
そして事故から1年。とうとうそれをはずす時がきた。
先生、診察室で、看護師に向かって、「メス!」という代わりに、「ハンマー!」と言った。
私&旦那「ハンマー!?www」
ようは、ピンをペンチで持って、そのペンチをハンマーで叩くことで、抜くわけだ。
先生は「かなり痛いけど宮崎さんなら平気だろ」と言って、おもむろにハンマーを振りかざす。
「ガン!!!」
・・・いてえええええええええええよーーーーーーーーーーーーー!!!
先生、「びくともしないや。あ、部分麻酔する?」
最初からしろ(#゚Д゚)ゴルァ!!
そして麻酔注射してもらい・・・「ガン!ガン!ガン!!!」
・・・いってーよぉぉぉぉぉ。・゚・(ノД`)・゚・。
入院中、部分麻酔でメスを入れられた事はあったんだけど、あの時は全然痛くなかったんですね。
でもこれは半端ない。先生たちの間で「痛みに強い宮崎さん」と呼ばれていた私なので、誰にも顔みせないようにして必死に耐えていたんだけど、
その「痛みに強い宮崎さん」でさえ、こんなに痛いのだ。
想像を絶していた。
やっと全部抜いたあとも、傷口がじゅくじゅくして出血が数日間止まらなかった。
でも、これでとりあえず、体の外の器具は全部とれたのだヽ(´ー`)ノ
あとは体の至る所にまだいくつか器具が残っているので、3月に入院して再手術でーすv(`ゝω・´)キャピィ☆(りあちゃん)


(寸評)ハンマー!
もしかしたら鋼鉄の体に改造中!?
生まれ変わった気持ちで変身しちゃえYO! 7ポイント。

はじめての子供欲しいよ


子供が欲しくなった。
急に欲しくなった。
それはある日唐突だった。
旦那に言った。
「子供をつくろう」
旦那は言った。
「俺は要らない」
私は言った。
「私とあんたの子よ!絶対可愛い女の子よ!」
旦那は言った。
「女の子なの?(笑」
私は言った。
「男の子も(・∀・)イイネ!!」
だが旦那は言った。
「俺は要らない」
えー子供ほしいのにいいいいいいい。
旦那との子供が欲しいよー。
なんなんだこの感情はー!!!
子供がほしいー!!!!!!!(りあちゃん)


(寸評)急に母性が出たのかね!?
でもあるよね。
それまで大して思ってなかったのに突然気持ちが変化すること。
ひとりで出来ることなら「思いついた時がやり時だっ!」と言うんだけど、こればかりはひとりじゃ出来ないからね。
気持ちが続くようだったら、頑張って旦那さんを説得してくださいな。
きっと楽しい子どもが産まれるよっ! 6ポイント。

はじめての☆の女王


先日やっと貯めた2000ポイントを一気に使って、石川しゃんとカラオケに行きました!
で、今日の投稿王を見て愕然。
ランキングものごっつ下がってる(笑)
わかってはいたけどプチショック(笑)
ところが、あることに気が付きました。
1000ポイント使った証の☆マークの数が、なんと、投稿王の中でトップになっていたのです!
いやあ、これはなんとも誇らしい気分ですb
遠方で、使いたくても使えない方ってのもたくさんいると思うので、住所にも恵まれましたね。
まだまだ貯めて使うぜえー(・∀・)
石川しゃん、また遊ぼうねっ☆(りあちゃん)


(寸評)おお!
投稿王はなかなか難しいかもしれないが「星の女王様」として、どんどんポイント稼いで星を増やしていってくれ!
それはそれでカッコイイぞ。
ヒューヒュー! 6ポイント。

はじめてのポニョ


私はポニョの予告をテレビで観たとき、
「ああ、とうとうジブリも終わったな・・・」
と思っていました。
CGになったり、声優を使わなくなった頃から、私のジブリへの熱はどんどん冷めていたのです。
当初のポニョのテレビ版予告の印象は、雑な絵、気持ち悪い生き物、そしてなにより、クオリティの低すぎるテーマ曲。
完全に悪印象でした。
でも、子供の頃トトロを100回観倒し、開館前にジブリ美術館を鑑賞し、そして完璧なるムスカのセリフ暗記をしたほどジブリ大好きの私。
・・・金曜ロードショー、気が付いたらチャンネルをまわしていました。
感想は・・・
「宮崎駿が帰ってきた!!!(感涙)」
すっげよかった!
CGなんかよりずっと綺麗なアニメーションだったし、登場人物はみんな素敵で、むっちゃ愛に満ちた映画でした(T-T)
ずばり、私の中の、ジブリ作品ランキング、上位に食い込む作品です!
観てよかったあー。
何度か触れましたが、宮崎りあの宮崎は、宮崎駿(と、あおいちゃん)からお借りしているのです。
宮崎駿さいきょー、長生きしてくれー!!!!!(りあちゃん)


(寸評)俺まだポニョはなんか子ども相手過ぎる気がして観てないのだが・・・。
観てみるかぁ! 5ポイント。

はじめての下痢ぎみ


王様にも投稿したことありますが、私は以前月に2、3回くらいしかうんちくんが出ませんでした。
ところが!
ここ最近になって、コーラック3錠飲んだ時みたいな軽く緩めのうんちくんが毎日出るようになったのですうううううう。
しかも多い日は一日2回!
食物繊維なんて一切とってないのに!
具なしうどんか、おかゆか、マックのサンデーしか食べてないのに!
栄養偏りすぎなのに!
しかも食ってる量少ないのに!
下痢ぴー(∩´∀`)∩バンザ──イ!!!!!!!

・・・普通の硬さだともっといいのですけど。(りあちゃん)


(寸評)排便の快楽。
俺も一日二回が基本さっ! 5ポイント。

はじめての、挟まれたー!!!


立ち見の、2時間程度のイベントがあり遊びに行ったのですが、私ちょっと甘くみてました。
下痢ぎみだから座薬入れたくなくて、鎮痛剤使わずにいったんです。
そしたら・・・。
イベントが終わる頃には両足激痛;;;
会場から駅までの帰り道も酷く遠く感じる。
やっとの思いで電車に乗ったんですが、降りたい駅についた頃、立とうとしても痛くて立てないorz
でも降りねばならないので、がんばって立って、ドアへ向かって歩いていくと・・・

「えーまもなくードアがしまります」

Σ(゚Д゚)ガーン

急げ私、急げ私、・・・でも、痛くて足が前に伸びず、ヨチヨチ歩きになってしまうのです><
笛の音が聞こえた頃、ようやくドアにたどり着き、降りようと片足をホームにつけたその時。

・ ・ ・ 挟 ま れ た ー ! ! !

電車のドアに挟まれたw
なんて貴重な体験なんだw

感想は・・・「思ってたより痛い」w

まあいいやと思い、ホームをよちよち歩いていると、後方から、駅員さんが走ってきました。
そして、「申し訳ございませんでした!お怪我はございませんか!」と何度も繰り返しながら、よちよち歩きでついてくるのです。

私は、だいじょうぶですよ、私こそすみませんでした、と、
駅員さんが謝罪するたびに、笑顔で返しました。
実際、閉まろうとするドアから無理やり降りようとした私が悪いんだし。

とりあえず、もうドアに挟まれないように、遠出の時は、うんちくんが指についても、座薬入れることにします・・・(*-∀-)ゞ(りあちゃん)


(寸評)いやあ、大事にいたらなくて良かった。
足が不自由だとこれからも人より苦労することは多いだろうけど、時には人の手を煩わせてもかまわないんだよ。
感謝の謙虚な気持ちさえ持ち続けていれば。
うんちくんは誰でも意外とついている(笑)。
なのでそんなに気にするな!
とにかく命の危険にだけは気をつけろよっ! 6ポイント。

初めてのさわやかさん


新宿西口で
コートの下はすっぽんぽん!というお兄さん30歳位?を見ました。
多くの人が行きかっているのに混じり
冷静に、さーて仕事仕事って感じで歩いてきたんです。
彼の周りの人はぜんぜん気づいていませんでした。

わたしも何かがおかしいケド、なんだ?
しばらく脳みそが?マークでした。
なんだか生き生きしたオーラが・・・・ん?んん?あれ?
はへ?といってる間に彼はさわやかに去っていきました。

とにかくさわやかでした。(トゥーリッキ)

(寸評)さわやかなのか!
もしかしたら本当に風呂から上がって、まずコートを着ちゃったさわやかさんだったりして。
もしくは、ふんどしが落ちちゃったのに気づかない関取かもしれないしな。
いろんな可能性が考えられるなっ! 6ポイント

初めての変なお兄さんと電話で会話


普段は知らない番号からの電話にはほとんどでないのですが、たまたま友人達と大人数でバーベーキューをやっていた時に非通知設定からかかってきたので、誰か今から来ようとしているのかと思い電話をとりました。といってもバーベキューは思いのほか早く、夜の11時過ぎには終了しており、私が電話を受けたのも丁度片付けをしている時でした。
私が出ると相手は私じゃない名前を言ったので、
「私シンディーじゃありません、間違いです。」
と言って切ろうとすると相手は「じゃあ誰?」的な質問をしてきます。
そこで私はそっちこそ誰だよと聞き返し、この時点で自分が相当酔っていることに気づいて電話を切ればよかったのですが相当酔っているので相手をいぶかりながらも会話をしてしまいます。そうすると相手は「ジョンだよ」とここ米国でジョンという知り合いがいない人の方が少ないであろう名前を言ってきます。そこから会話は
「私あなたのこと知ってるの?」
「もちろん知ってるよ。今からここ来る?」
「私酔ってて運転できないから行かない。」
「じゃあ今から行ってもいい?住所どこだっけ?俺今○○にいるけど。」
「私の家知ってるならどうぞ」
「知ってるけどあんまりよく覚えてないんだ。住所何?」
と続き、てっきりバーベキューに来る人からだと思って電話をとった私はバーベキューの話をしてしまってだいたい家の区域が分かるようなことも話してしまっていたのですが、さすがに何かが変だと思いそこで電話を切りました。
すると10分後また非通知設定から電話が鳴り、実際にジョンという名前の知り合いが数人いる私はいまいちその人が絶対に私の知り合いじゃない自信が持てず(+酔ってて訳がわからず)一応電話に出てみました。すると相手は
「近くの○○まで来たけどここからどうやって行けばいいの?後でセックスできる?」と言います。一生懸命冷静に状況を分析した酔っぱらいの私は
「名字は?なんで私あなたのこと知ってるの?」と質問すると
「えー、クラブで話したじゃん、君酔っててさー。で、名前なんだっけ?」と言うので
「あんたが私のこと知らないなら私があんたを知る訳ないじゃん。」
と言って電話を切りました。

ジョンがクラブでナンパしたシンディーが教えた偽電話番号がたまたま私の番号だったのか、適当にかけた番号に適当に話をしただけなのか、はたまた私の番号を知ってる誰かによる嫌がらせだったのか真相は定かではありませんが私が住所を教えたら彼は本当に家にきて私とセックスするつもりだったのでしょうか。それって男性側にとっても結構リスク大きくありませんか?(Sabina)

(寸評)怖いねー。こっちは知らないけど、向こうはこっちの素性を知っている場合もあるからね。気をつけないとね。
ただ、ケータイを持たない俺は、外からだと公衆電話しかないので、いつでも非通知です・・・。 6ポイント。

初めての外国人真顔接近


先日上京したときの話です。
原宿駅に赴き、駅前の細い通りをブラブラと歩いていました。歩行者天国っぽい雰囲気だったと記憶しています。
だいたい東京という場所は、あちこちでビラ配りやら勧誘やらがなされています。最初の頃はその雰囲気に怖々としていましたが、最近ではなんとなくスルーすることも出来るようになってきました。
その通りを歩いていたときも、何度かそういう感じの皆さんに声を掛けられましたが、ことごとくスルーしてきました。イヤホンを耳に突っ込みながらの行動だったので、スルーされた方々とはそれでお関わりが終了、となっていきました。
そのうち、交差点に出ました。その交差点を真っ直ぐ渡ろうとした瞬間、視界に大きな黒いものが迫ってきました。
驚いてそれに目をやると、体格が非常によろしい、ボビー・オロゴンみたいな黒人のお兄さんが、こっちに向かってツカツカとやって来るではありませんか。しかも今までにこやかに声を掛けてきた方々とは異なり、真顔でこちらへ迫ってきます。
慌てて視線を外し、いつものようにスルーしようとするも、黒人のお兄さんはそれに構わず、どんどんこちらへ向かってきます。たまらず、本来の進行方向ではない方へ移動し、その場をやり過ごしました。
しばらく時間をおいてから再びその交差点へ行くと、またしてもこちらに向かって真顔で迫ってきます。それを無視して無理矢理交差点を突破しようとすると、その行く手を遮るかのようにして、こちらへ迫ってきます。たまらず、回れ右をして元来た道を引き返したのでした。流石に引き返した僕を追っかけてくるようなことはなく、何とか逃げ切ることは出来たのでした。
何故彼が僕を狙ったのか。何故行く手を遮ろうとしてまで向かってきたのか。何故真顔だったのか。謎はあれこれありますが、未だに謎のままです。
東京という場所はやっぱり恐ろしい場所だな~ということを、改めて実感させられた出来事でありました。(たちつ亭と~助)

(寸評)「NIGURO get out!」Tシャツを着てたとか・・・。
と~助がその黒人のお母さんにそっくりだったとか・・・。
頭の上に彼の大好物のオオトカゲが載っていたとか・・・。
原因はいろいろ考えられますな。 6ポイント。

初めてのSkype面接


改めて就職活動を行っているとある日のことです。書類審査に通過した、応募先の企業から、「Skypeのテレビ電話で面接を行いたい」と、メールが来ました。
もうSkypeに加入していたので、二つ返事で日時を指定して、了承の返信をしましたが、よく考えると、これまでSkypeを使っていた2年少々、テレビ電話は私事でしか使ったことがありません。しかも、話し相手は家族のほか、留学中に知り合った方々や、このSkypeでのユーザー検索を通じて、間接的に知り合った方々のみ。
どうやって使うかにはだいぶ詳しくなり、それに従って、音声・テレビ電話やチャットも頻繁にやっているのですが、今回は就職できるか否かを賭けた電話になる訳で、今までのように、ノホホン状態でのテレビ電話など、言語道断。
使い方を知っていても、そちらの緊張が高まってきました。

そして、遂にその指定時間が来ました。テレビ電話で、相手に見えるのは上半身だけなので、普段着のズボンを履いたまま、上半身はワイシャツにネクタイ、そして上着という、傍から見たら、明らかに異様な姿でパソコンに対峙。背景はあまり目に付かないよう、花柄のカーテンのみにしました。
しかし、いくら電話発信のボタンを押しても、つながらず、切れてしまいます。「もしかして約束忘れたのかな?だとしたら、スッゲールーズな職場かも…」という疑念がわいてきて、諦め半分で上半身を普段着姿に着替えた後、ある事実が発覚。

…ユーザーモードが「オフライン」になってる!!!!!

慌ててオンラインに直し、再びためしにかけてみたら、繋がってしまいました。パソコンの画面には、面接担当の方の姿がデカデカと映し出されました。
しかし、この時点で約束の時間から、10分程度、遅れてしまった訳で、相当イメージダウンになっただろうな…と後悔。その上、上半身は普段着に着替えてしまったので、「君、それが面接を受ける服装かね?」と、詰られるかと覚悟。しかし、それらについては何もいわれず、電話面接は淡々と進みました。
数日後、結果通知のメールが来ましたが、見事に不合格。やっぱり、いろいろとマズい印象を与えてしまったのだろうか…。

それはさておき、直に面接会場へ行って、担当の方と会って、面接をやるのとでは、微妙に違いがありました。間接的とはいえ、自分の顔を相手方に晒しているので、面接であることには間違いない一方で、その日は普通に学校から家に帰って、その時は特に何も意識していなかった訳ですから…。
この業界の求人でも、「Skypeが使える、在宅勤務者募集!」という広告をちらほらと目にしたこともあったので、もしかしたら、将来そんな働き方をしているかもしれないなと、ふと思った一日でした。(Hi-)

(寸評)おマヌケさんだなぁ(笑)。
ま、服装以前に遅刻の段階で落ちてたろうね。
Skypeかどうかはともかく、今後在宅勤務は増えるだろうね。

俺のライブ会場として貸してくれたチェンマイ在住のお母さんは、パソコンで翻訳の仕事をしていた。英語と日本語なので居住しているタイとは何の関係もないが、給料はドル建てで貰うので、チェンマイでは豪邸に住んでいたな。
こういう仕事の仕方もあるんだなと、目からウロコだったな。 7ポイント。

初めての都電ライブ


今まで何度か、都電を貸し切って行われるライブをインフォメーションやらライブレポートやらで耳にしましたが、今回、初めて自分も客として、Gさんのソロに参加しました。しかし運悪く、ちょうど予約の日の受付開始時間が、試験監督のバイト中の時間!やむを得ず、こっそり予約メールを書いた状態の携帯をポケットに忍ばせ、試験時間中に密かに送信。
しかるに、競争率がだいぶ高かったのか、予約番号はだいぶ後ろの方になってしまいました。座席に久々に座らないで、音楽を堪能することになるのか…。

当然ながら、当日会場へ行き、整理番号順に並ぶと、列のほぼ後ろ。先に入った方々は、座席を確保。予約確認メールには「床に座って見てください」というお断りもあったので、結構見るのが厳しいライブになりそうだと、覚悟。
しかし、その予想を大きく覆す光景が車内にありました。確かに先に入った方々は、座席を確保していましたが、自分達は遅れて入った分、出演者の目の前の床に座って、ほんの50cmぐらいの位置で鑑賞できたのです!
行きのコースでは、なんとGさんが自分の左隣で、譜面&歌詞メモがよく見える位置。帰りのコースはすぐ目の前で、しかも好きな選曲でしたので、正座して、じっくり聞き入りました。

終わってみて、今更ではありますが、つくづくライブっていいものだなと、実感しました。普通のライブ会場だったら、立ち見で見るのも疲れて、滅入ってしまうライブもあるでしょうが、今回は座席がない=立ち見という構図ではなく、むしろ本当に近くで見ることができたので、この上ない嬉しさ満点でした。(Hi-)

(寸評)俺も都電はとうじ魔とうじさん企画をきっかけに、三回ほどやったけど、いいよね~。
大きな大きな舞台セットとも言えるしね。
いろんな場所でライブした~い! 6ポイント。

初めての結婚式&披露宴


この前、初めて結婚式&披露宴というものに出席させてもらいました。
もちろんもちろん素敵な式だったけど出席者の服が地味っていうか会社!?親戚達にきいたところ、どこも大体はこんな感じだとか。
私はハリウッド映画で見るような結婚式をがっつり思い描いてみんなどんなドレスかな♥なんてウキウキ楽しみにしていたという!着物にして助かった。

グレー、ダークカラーのスーツワンピの人波の中を、あいさつしてまわって~お酒注ぎに行ってぇ~
あぁぁ キラッキラに着飾った女の子がわたしにウインク・・・(幻覚)
ドラッグクイーンの友達がまだ来てないみたいデスヨ。寝坊かな?
あの~、”ジャクソン5”と”天使にラブソングを”の曲で踊るダンスタイムは・・・・・ない。
そうか。それは映画の中のことなのですね・・・。

現実は、大事な袋が3袋なのですね!
よし,トイレに行ってこよう。
・・・という初体験でしたよぉ♪オトナの階段♪上がった気がする。

しかーし、私の結婚式(願望)では
出席してくれる人は超本格的な仮装&どハデ・コスチュームを着てこないと強制的にロバ!もしくはオイルをテカテカ塗られてハードゲイですよ!親戚たちよチェンジ !!!

それでジャクソン5と、パスカルズと、ジプシー音楽とおゲイ丸出しミュージックでダンスターイム!おチビたちカモ~ン!!
恥ずかしがり屋さんな親戚用にマイムマイムタイムもありまーす (トゥーリッキ)


(寸評)俺は結婚式はしてないが、友達を呼んでの結婚パーティはやって、そこでのパーティルールは「頭の上に何か載せてくること」。
いや~派手だった。
頭上に機関車、頭上に人形、頭上にカツラ、頭上に生鮮食料品で作った帽子etc・・・。
是非アイデアで派手な結婚式をして、ここでまた報告してくださいなー。 6ポイント。

初めての格闘技会場


大晦日の日、とある格闘技の会場整理のバイトに参加しました。とある大物歌手の大晦日コンサートの会場整理もありましたが、年が明けて、朝までの仕事がほとんどで、せめて新年がやってくる瞬間ぐらいはゆっくり迎えようということで、夜11時には終わる予定のこちらの仕事を選びました。昼の11時から勤務開始の上、昼食・夕食も出て1万以上儲かるとのことで、お得さ満点で応募完了。

さて、最初に入口にて、やってきたお客さんにアンケートとビラを渡す作業。しかし、観客の方々の風貌は見るからにヤンキーっぽさが満点。しかも、渡すタイミングにも結構気を使うもので、途中からビクビクしてきました。
イベントが始まってからは、試合を終えた選手の退場口にて、選手にサインやら写真やらを求めるファンを制止する役に回されました。試合に出場しないで、ゲストで来た有名人(角田信朗や内藤大助など)も通る度に、黄色い歓声が上がり、その時も慌てて通路を封鎖。
熱狂ファンだったら、警備スタッフを突き飛ばしてでも選手に迫っていくかと思いましたが、さすがにそこまでのレベルの類はおらず、一安心。

しかし、テレビで生中継もしているせいか、とにかく長い。試合の度に、選手双方の紹介&インタビューのVTRや、相手にタンカを切る映像が延々と流れ、その後に選手が1人づつ、セコンドを率いての入場が繰り返されるのです。その入場の際も、派手なイルミネーションや火花の演出の連続。それにもかかわらず、大勢の観客達は熱狂ぶりを衰えさせず、行われた17試合ほぼ全てに渡って、声援を送り続けていました。
今までテレビでワンシーンのみ、見た事はありますが、端折らずに見ると、こんなに時間がかかっているのかと実感して、少しくたびれてきました。

更に、とある話題の選手が試合中、相手の急所に膝蹴りを入れてくれたおかげで、試合が20分ほど中断。その選手へのヤジが飛び交い、その選手は判定負け。自分が配置されている花道を通って、退場する予定だったのですが、トラブルになることを考慮してか、どこかの秘密の退場口から抜け出したらしく、退場に合わせて通路を封鎖したものの、結局通りませんでした。

それが災いして、予定が大幅に狂い、終業報告をして、解散する頃にはもう夜の0時。いくらか残業代が追加で出たのはいいけど、帰宅できたのは夜1時半。 つくづく、選手によって左右されるものだなと、実感しました。(Hi-)


(寸評)テレビは、ほとんどの番組は編集で面白いところだけをダイジェストで見せてるからね。
その合間には莫大なカットシーン、準備の時間などが流れているのだ。
かつて俺がNHKの「熱中時間」という番組に出た時も、沖縄へのロケシーンもビデオで流れたんだけど、それはせいぜい7~8分の映像。
でも実際は5日間朝から晩までロケにかかっているからね。
中には、丸々一日かけて遠くまで言ってたくさんカメラを回して喋ったけど、一切使われてないシーンなどもあったしね。
テレビと現実の違いが分かって良かったね。 6ポイント。

初めての日本語ボランティア


9月のとある日、通っている学校の必修課題のため、とあるマイミクの方の紹介で、外国人相手の日本語教室にボランティアとして、足を踏み込みました。
行ってみると、公民館の大きめの部屋で、長いテーブルに日本語を教える日本人1人と、習う外国人が3・4人という具合です。
早速、敬語を習いたいという、とある中国人女性を相手に、個別授業を始めました。案外、主語を見落とすため、尊敬語と謙譲語の区別がしにくいようです。時に電子辞書も使いながら、じっくりと説明をしました。
しかし、塾のバイトとさほど状況が違わないとはいえ、やはり生の学習者を相手にやるのは緊張するもの。終わる頃には、喉が若干痛くなり、足の裏は汗で湿っているのがわかりました。初めて塾のバイトを始めた時も、全身冷や汗の状態で、その時を思い出しました。
更に、教室を主宰している方が「初めて来た方はご挨拶をお願いします」と言うもので、自己紹介を振られましたが、あまり言う内容を整理できないままでの自己紹介となりました。他にも初めて、ボランティアに参加した人もいましたが、そっちの人達の方が自然にできていたしなあ。

今も週末に度々その公民館を訪問し、教えているのですが、教える内容がその日に会う学習者次第で決まるので、電子辞書や文法書が手放せず、素早く説明できないのがもどかしいです。その上、外見から、「日本語を習いに来た外国人」と見なされやすく、そういう勘違いをされるのが嫌なので、主宰者の方々と同じように、名札を付けるようにしました。
少し前からは、以前教えたのと同じことを教える時のため、教授ノートも新たに作り、教える時に描いた説明のための絵などを残すようにました。しかし、時には「もう日本での滞在歴は長いから、英語を教えて下さい」と言う方もいて、バイトの時との区別が難しくなってきてます…。
でもやっぱり、無意識に使っている日本語の中で、どこが外国人にとって難しく映るのか、日々わかってきたような気がします。(Hi-)

(寸評) 日本語を教えるのって難しそうだなー。
俺だって例えばラジオなどに出ると「これ、仲間内では伝わるけど、不特定の第三者には分かりづらい表現だなあ」と思う喋りあるしね。
ま、例えば挨拶で言えば「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」よりも、親しい人に限れば「どうも!」の方が一般的だったりするしね。  6ポイント。

初めての抜本的早寝早起き


ここ数日、学校の発表などで多忙を極め、徹夜作業も続いたため、昼間、ウトウト状態が続くのも日常茶飯事になってきました。
中学の時でしたら、頬に洗濯バサミをはさんだりして、眠気に耐えたものですが、さすがにこの年になってまでそういう眠気対策をするのは勇気がいります。
そこで抜本的にライフサイクルを変えて、心身の安定を図る事にしました。

まず、日中はコーヒーを飲んで頭を冴えさせ、昼食後のウトウト後も顔を洗って凌ぎ、いろいろと授業やら実習相談やらに加え、地下鉄で帰宅中もPC作業を続けて体を疲れさせ、その後、家に帰ってからは、夕食を取った後、9時過ぎには床に就く、というものです。
その分、翌朝5時に起床し、登校するまでの限られた時間内で、メールの確認など、やるべきタスクを済ませるようにしました。これでなら、朝には強くなるし、ネット中毒になってる暇なんかなくなる!

…とまあ、大雑把にいえば、こういうパターンなのですが、果たしてこういう生活習慣が自分に定着するのやら。
家族には夕食を取った後、風呂には入らず、また何も言わないで寝てしまったので、翌朝には「どうしたんだ?」と、怪訝な目で見られました。
また、登校するまでの間、満員電車内でのウトウトまでは解消できず。学校にいる間はひとまず、授業中のうたた寝という事態は起きずに済みましたが。

実際に働き始めたら、寝ている時間自体がなくなると、大学時代の先輩や志望業界の方々がおっしゃっていたため、社会人になって、徹夜の日々を送るのに恐怖感を覚えています。数十年もすれば、徹夜自体、するのが厳しくなるかもしれないので、徹夜で仕事ができること自体、若さの指標とも言えるのかもしれませんが。
ま、慣れれば1日の睡眠時間が3時間でも、何ともなくなるとのことですが、果たして自分もそうなれる(なってしまう?)のやら。あくまで今現在は時間帯をずらしただけで、睡眠時間に7時間近くも費やしているので、俗に言う「仕事人間」の方々から見れば、「時間の無駄遣い」をしている訳ですよね…。(Hi-)

(寸評)夜9時過ぎには床に就くのか~。
それじゃゴールデンタイムのテレビはともかく、ライブとかにも行けないね。
でもまぁ大人になったらその仕事内容によって生活時間は変わるのはしょうがないね。
俺もデビュー前の医療事務のバイトやってた時は夕方5時~朝9時が勤務時間だったからね。ちょうど一般の人と逆の時間。
でもそれでなければ救急患者の受付は出来ないからね。
最近はやはり仕事の要はライブなので、ある意味仕事時間は午後2時から11時といったところなので、生活時間も自然と明け方寝てお昼頃起きる生活が基本。
でも地方ツアーなどでは早朝に家を出なくてはならないこともあり、一定じゃないんだよね。
ま、いろいろバランスを考えながらその中で最善の健康策を考えるしかないよね~。 6ポイント。

初めての幻聴?!


先日のことです。
自宅の1階から母が「今から出掛けるわ」と、2階にいる私に声をかけてきました。
私は「行ってらっしゃい」と応えました。
しばらくして、いないはずの母が題目をあげている声が聞こえてきました。
私は自分が病んでることを自覚してますが、まさか幻聴が聞こえるようになるなんてどうしよう、と青ざめました。
しばし動揺した後、よくよく聞いてみたら、どうやら1階から声が聞こえてきます。
どうやら幻聴ではなくて、ほんとに母が題目をあげていたみたいです。
きっと出掛けようと思ったけど、ちょっと時間があったので、題目をあげたのでしょう。
ふ~、幻聴じゃなくてよかったです。(匿名希望)

(寸評)俺も昔イギリスでレコーディングしていて、夜中にみんなで飲んでいたら、突然二階にいたスタッフが「うわああああっ!」と叫び声をあげて階段を駆け降りてきたことがあった。
その宿舎はそれまでも怪現象がよく現れるところだったので、
「今度は、どうした!?」
とみんなが青ざめて聞くと、
「て、天井裏からお経が聞える!」
と。
日本ならともかくイギリスで日本のお経が聞えるというのは普通あり得ない話で、みんなもビビりまくった。

翌日、天井裏と思われていた三階に管理人室があり、そこに創○学会のイギリス人信者である管理人がいて、夜毎お経をあげてるという事実を知ったのだった・・・。 5ポイント。

初めてのNaverブログ開設


留学中に韓国語のメールも受信できるよう、メールアドレスを作ったNaverという、ポータルサイトがあるのですが、IDを持つと、メールだけでなく、ブログも作れると、最近知りました。
しかし、コテハンと紹介文を作ってみたものの、誰か他のID所持者が見たら、どのように映るのか、イマイチピンときません。Skypeで自己紹介に同じくブログのアドレスを載せている人がいたので、参考までに訪問してみると、派手なデザインにして、いろいろ写真や動画を載せている人もいれば、至ってシンプルな作りにしている人もいます。
とりあえず、背景を設定し、最初の1日目のコメントだけ書いて、後は何もしておりません…。他の人のを見ると、動画や写真に加え、日記など、mixiと同様にいろいろ作っていますが、そういう風にするにはどうするか、使い方がまだわからず、後の操作は手つかずの状態のままです。 時間があったら、もっといろいろ掲載しようと、思っている今日この頃です。(Hi-)

(寸評)Naverというのは知らないな。ミクシィに近いものなのかな?
面白そうだったらまた詳しく教えてね。 4ポイント。

初めての台湾


4カ国目の外国訪問ということで、5日間、台湾へ学校の研修旅行で足を運びました。
まだ暗いうちに家を出ると、とても寒く、長袖の上着が必要だったのですが、成田空港のテレビを見ると、なんと台北は日中の最高気温が11月なのに、30℃。
11月に30℃にまでなるとは、いかほどのものかと思いながら、飛行機に乗り、南へ向かい、いざ空港の外へ出てみると、みんな半袖。そして、とても蒸し暑い…。
そして、迎えに来た車で市内へ。しかし、高速道路では中国本土や韓国と同様、危険すれすれの車線変更の連続。ただ、あまりクラクションの音は耳にしませんでしたが。
台北市内は高層ビルや、ドラマなどで見る中華街のような、多彩な看板であふれており、活気にあふれていました。特に日本式スクーターがたくさん走っていて、交差点では信号待ちの車の最前列にたくさんのスクーターが並んでいました。
街中には、昔の日本風の家屋もありましたが、見えたのは荒れ果てた瓦屋根だけ。年配の観光ガイドさんが、「日本統治時代の家も残っているが、もうすっかりあんな状態になって、ほとんど少なくなってしまった」と言っていました。
さて、ホテルへ着き、テレビをつけてみますと、中国本土と同様、ドラマだけでなく、ニュースにも字幕が。やはりここでも、訛りの差が激しいようです。字幕付きで、日本のアニメも放送されていました。
そして、犯罪者が連行されていく映像がニュースで流れていましたが、なぜかバイクのヘルメットを被らさせた状態で、連行されていました。日本だったら、ジャンパーなどで顔を隠す時もあったり、隠さない時もあったり。韓国だったら、基本的に隠した状態で、警察署内で記者団の質問に答えたり。普段テレビで見ているものでも、国によって、結構違いがあるなと、実感しました。(Hi-)

(寸評)そういう微妙な違いで文化を知ったりするよね。
ちなみに車のマナーなどは、一度ベトナムとかに行ってみると面白いぞ。
日本はもちろん、台湾・韓国ですら如何にマナーがいいかよ~く分かるよ。 6ポイント。

初めての本場北京ダック


さて、到着初日の夜は、同じ学校の面々と一緒に中華の店へ。店の看板や内装を見ると、横浜などの中華街の如く、鮮やかで高級感あふれるデザイン。そして席に着くと、定番の回転式テーブル。
注文をして、前菜を嗜んでいると、黒味噌とネギに薄皮、そして真っ赤なアヒルの姿焼が。顔などもそのままの状態で両足の下から腹が真っ二つに切り開かれ、赤く焼かれていて、今にも動き出しそうで、直視するのは若干怖かったです。
そして、お店のおばさんがテーブルの片隅の台で表の赤い皮と、中の肉を薄く切り分け、テーブルに運んできました。薄皮にネギで黒味噌を塗り広げ、そこに赤い皮と肉を包んで、口に入れて、じっくり味わう、というパターンです。

黒味噌が甘く、一方で皮が固く、やはり食べてて、安物とは違うなと実感しました。
しかし、他にもいろいろ食べた末、帰国する5日目には、トイレに行くのが億劫になりました…。(Hi-)

(寸評)ま、 「本場北京ダック」と言っているが、本場は台湾じゃなくて北京だと思うが(笑)。
俺は北京で本場北京ダック食ったことあるよ~ん。むふふ。
すんごく安くて、すんごくおいしかったじょい。 4ポイント。

初めての台湾の高校訪問


研修旅行ということで、現地のとある高校を滞在2日目に訪問しました。1・2年生は日本語の授業があり、生徒達を相手に日本語のレクリエーションをしに行ったのです。
しかしよくよく考えてみると、日本で高校を卒業して以来、学園祭以外で高校を訪ねるのは、今回が初めて。まさに、教育実習に臨むリクルート学生のような、神妙な気分もあり、同時に楽しんでくれるかという、不安もありました。加えて、まだ蒸し暑い気候だったので、学校に到着し、校門の警備室で待たされている間、担当の先生がやってくるまで、心臓バクバク&ドキドキで、まさに緊張の面持ちでした。

さて、まず1年生のクラスにお邪魔して、自己紹介。そこからまず、ビンゴや果物名前当てゲームを始めました。まだ1年生ということもあり、難易度を低くしたのですが、簡単すぎて、予想以上に早く終わったり、正解率が高くなりすぎたりしました。事前にいろいろと考えましたが、なかなか計画通りにはいかないものです。
その次には、2年生のクラスを2つ訪ね、同じくクイズや伝言ゲームを行い、最後にみんなで歌を歌いました。ただ、行ったメンバーの中で、自分だけが男であったため、声が通るとのことで、自動的に歌のコーナーの進行を任されてしまいました。最初は声の加減がよく掴めず、CDが流れるまでの間も上手くMCで繋げなかったです。それでも、みんな楽しんで歌ってくれているようで、やりがいを感じられました。
 ちなみにその時歌った歌は、光GENJIが歌っていた『忍玉乱太郎』のオープニングテーマだったのですが、以外と高音で弾けた感じで、部分的に歌いにくく、そこは他の同行メンバーにフォローしてもらいました。後になって考えてみると、Re:Japanの「明日があるさ」や、たまのメンバーの歌だったら、それぞれ「南風」「オンリー・ユー」「オヤスミ」「はこにわ」とかのほうが歌いやすかったかなとも思えました(歌詞などの問題は別として)。

3クラスとも、ほとんど中国語混じりの状態で続いて、生徒の間でも、日本語の上手さに差が結構あって、レクだけでも進めるのは大変でした。それでも、見る限りではみんな積極的に参加してくれて、断片的な日本語で話そうとする姿も見る事ができて、よかったです。あまりド不良というような感じの生徒もおらず(普段はそうかもしれないけど)、むしろノリノリの状態の兄ちゃんもいて、ホッとしました。
ホームステイのホストをやった高校時代も振り返りながら、「すっかり立場が逆転したな…」という、ある種の寂寥感も感じつつ、昼過ぎにその高校を後にしました。(Hi-)

(寸評)学校を出て数年で教育実習だもんな。実際の年は生徒と3年くらいしか変わらないこともあるもんね。
俺もイシマツというユニットでマツさんとほとんどタメ語で話しているけど、実際は5歳も年上なんだよなー。
ま、若い時期は次々と慌しく経験していくものなのかもしれないな。
それこそ、後ろを振り返る余裕もなく。
それでいいのかもしれないな。 7ポイント。

はじめてのチャット


僕はもともとあんまりチャットとかもしたことがなく、石川さんのサイトを見つけてからもチャットに入る勇気がなく、しばらく閲覧専門でした。

でもあるとき勇気を出して入ってみたら、みなさん優しくしてくれて、普通に会話に入れました。 (shotu)

(寸評)なんせ中学生だもんね。でもチャットには小学生から俺より年上の人まで誰でも自由に集えるので、いつでも遊びに来てね。
まぁ、みんなの会話を見ていれば、大人になっても下品で馬鹿なのはちっとも変わらないという社会勉強にもなるしね(笑)。
また、いろんなコーナーにもどしどし投稿しておくれ。
ライブもパスカルズとかなら親と一緒に来ても面白いかも。
5年くらいはあっという間なので、そしたら一緒に飲もうや~! 5ポイント。

はじめての無事に帰宅


整形外科をむりやり退院させられたのはいいんですが、最寄り駅まで歩いただけで限界の日々が続き、タクシー無しでの遠出がなかなか出来なかったワタシ。
が、きのー。
大田区から神奈川の平塚までタクシー抜きでゆき、長時間居酒屋で過ごし、(あたしは飲んでない) 帰りもタクシーなしで電車乗り継いで歩いて帰って、そして奇跡。
いつも「痛い痛い」と泣きながら帰るあの坂道が、 なんと痛くも痒くもなかったのです!!!!!!!!
ふつーに歩いて帰宅出来て。
嬉しいのなんのって。
いつも出掛けた帰りは軟骨潰れて死に掛けでしたから。
あたし治ってきたんだなぁ。
これで石川さんとも会えるぞぉ。
ワチョ――ヽ(・∀・)ノ――イ♪(りあちゃん)

(寸評)怪我は治っていく。
それは普段の、日常の生活では気づかない喜びなのかもね。
その喜びを享受出来たことだけで、もしかしたら鬱々とした毎日を送っている人より、めっけものかも!?
元気になったら楽しいポイント食事会しようね!(もしくはなんじゃもんじゃ会かな?) 6ポイント。

はじめてのおバカ


投稿歴もだいぶ長くなってきたこの度、はじめておバカさんに投稿しました。
どうしても思いつかないんですよ。
あたしの周りではあたしが一番おバカだから、あたし以外の人でおバカって。
いくら頭ひねっても思いつかなかったので、あのコーナーが出来てから数年、ずっと放置だったんです。
が、最近ちょっと挑戦心が湧きまして。
自信もあまりないネタだったんですが、一生懸命打って投稿してみたのです。そしたら・・・奇跡。
5ポイント!
ざっと見た感じだと平均ポイントくらいはもらえたのです。
このなんの面白味もない平凡かつ基地外の主婦・宮崎りあでも、おバカのコーナーに通用したのです!
嬉しくて、嫌がる旦那にむりやり読ませました。
誘導尋問でよかったねと言わせてひとり満足。
よーし、あたしの周りのおバカなやつを、もっといっぱいみつけるぞ!
そのうちあのコーナーの常連になってやるから待っていろ!!!(りあちゃん)

(寸評)今はあのコーナーの女王はますちゃんだからね。
一応「わたしのまわりのおバカさん」になっているけど、自分も入れても全然いいよっ!
とにかく俺は実は「おバカ」こそ人間関係の醍醐味だと思っている。
マジで。
それなくして、何がそれ以上に世の中に大事なの?
とまで極端に言えば思ってしまう。
科学の発展、いいでしょう。
治せなかった病気が治せてより長生き、いいでしょう。
でも本当に、本当に大事なことは何?
それはクスクスでもゲラゲラでもいいから、笑うこと。

極論、笑う為に俺は産まれてきたと思ってる。
人生のほとんどが苦しくても、心から笑えた瞬間があれば、それだけで、それだけで産まれて来た価値があると思ってる。
だからおバカなことをしでかしている人は本当は天使だってことに気づいてもらえば幸い。
嘘じゃなくて、本当に俺に取っての一番の「価値」はそこかもしれない。 5ポイント。

はじめてのアプリ


ミクシで流行のアプリ。
みんな楽しそうだけど、あたしはあまり興味なかったんですね。・・・今までは。
そこに、キタ━(゚∀゚)━! 「恋する私の王子様」
モバイル限定の恋愛シュミレーションげーーーーーーーむ!!!!!!!
ヲタクな自分なんて10年も前に捨てたのに!捨てたのに!
・・・2次元の男子かっこいいよーーーー!!!!!!!!!!
あたしの攻略キャラは同級生のヒロト。
クールさもあり甘さもありのまぁ標準的な男の子だ。
マイミクの協力がないと進展しないのだけど、マイミク誰も参加してくれないので公式コミュニティーでマイミク漁り。
若い子ばっかしやのぉ・・・まぁ舞台が高校だしな・・・まさか28歳主婦が一生懸命ピコピコやってるなんて、作った人も思わんだろう。
称号を集めるとかっこいいボイスが聴けるのも魅力のひとつ。
面白い!アプリ面白い!
ちなみに旦那は漢字とか計算とかのやつで石川さんと勝手に対決しているようですよ。
旦那は計算ものや音楽ものは専門家なのでずるい。
石川さん、絶対音感のやつとかどうです?☆(りあちゃん)

(寸評)ううむ、絶対音感ないから即興が気軽に出来てるとも言える(笑) 。
「雰囲気音感」なら一寸はあるかもな~。

でも今後発展していって、マイミクとの直接ゲームがますます充実していったら、ミクシィの新たな魅力は確かにあるかもね。
結局本当の意味での友達なんて100人がせいぜいだから。
あとはまぁ、「知り合い」だから。
なのでその100人と、トコトン付き合って遊んでいければ、かなり充実した休日は過ごせると思うからね。
ミクシィ、まだ不具合もあるにせよ、面白いところは突いてるとは思う。
結局人と人とのコミュニケーションがネットという媒介はあっても、一番面白いからねっ!
あ・そ・び・ま・しょっ! 6ポイント。

はじめての家庭崩壊


父が死に・・・
弟に殺されかけ・・・
あたしに残る生まれの家族は母だけでした。
母だけはあたしを愛していると信じてました。
・・・ところが。
骨折入院の半年間、ほぼ見舞いにこない・・・
こないだ精神病院で酷い目に遭った時も、何故か助けに来ない・・・
問いたざしたところ、旦那が真実を知っていたんです。
・・・母は、あたしが飛び降りた時から、あたしの病気の事が理解出来なくなって、あたしのキチガイ狂った部分を直視出来ず逃げているようなのです。
・・・それって他人じゃん・・・・・・。
あたしはそう思いました。
本当に愛していたら、死に掛けた娘を心配してもっと顔みにくるだろうし、精神病院で助けを求めたら直ぐにかけつけてくれたはず。
表面上だけ親子ぶって昨日とか一緒に食事したけど、もう我が家は終わりだと、私だけが気付いています。
まず弟とはもう会うことないでしょうし。
母も大事な時には逃げていく。
あたし、結婚してなかったらまぢで今この世に存在していなかっただろうなぁ。
・・・旦那ぴょんとの新しい家庭を、大切にしていかなくてはですね。(りあちゃん)

(寸評)もう君は、生まれ育った家庭を出て、新しい家庭を作ったのだよ。
血とかはまったく関係ないとは言わないけれど、「愛」こそが血なのだよ。
一番一生付き合っていく、一緒にいる人が誰かが一番重要なのだよ。
それが血より濃いものなのだよ。
俺はまぁ正直、両親や兄弟とも特別悪い関係ではないが、何かの状態で「誰かひとりしか助けられない」という事態になったら、他の人には悪いが、妻を選ぶ。
それだけは確かだ。 6ポイント。

はじめての痛い点滴


吐き気・嘔吐で救急外来に駆け込んだとき。
担当してくれた医師が、若くて、あたしのちょー好みだったのです!
そんなせんせーに、おなか触られたり、ちょっとスカートさげられたり!
背中トントン叩かれたり・・・うぎゃー。抱いてください!
と、そこまではよかったのですが。
「内科的には問題ないようですが、点滴だけでも打っておきましょうね^^」
というイケメン医師、どの医者でも見つけづらいあたしの血管をさぐり、一気にブスリ。
・・・ぎゃーーーーーーーーー!!!!!!!!!
いてぇ!すげぇいてぇ!
刺す瞬間だけじゃなくて、刺したあとまで激痛!
そのまま30分すごさねばならず・・・;;;;;;;
いや、一応せんせーにも、看護師にも、何度も「痛いです」って訴えたんだけど。
「短時間だから我慢して」って。うぎゃーーーーー。
旦那によるとあのイケメン医師、実は研修医だったのです。
名札に書いてあったそうな。
甘いフェイスに騙されたー>< ひよっこ研修医めー!
でも、あなたの顔、忘れないヨ・・・☆(りあちゃん)

(寸評)まあ、そこは大人になって「いい医者になるんだよ」と応援してやってくださいな。
そんなヒヨッコがいつか成長したら、ポンポンと肩を叩いて誉めてあげてやってくださいな。
俺も不器用だから「やべえ、患者さんが痛がってる。もっと頑張らなきゃ」と思っているその研修医の気持ちが分かる気がするから。 6ポイント。

はじめての車椅子ランド


東京ディズニーランド行って来ました。
長時間並んだりするのは足に悪いので、念のため車椅子借りたんです。 その車椅子のかーいいことかーいいこと。
流石TDR!
車椅子だとキャラクター達が向こうから寄ってきてくれて優待遇を受けるというのはきいてたんですね。
で、実際とあるキャラクター達のはけぐちあたりで居てみると。
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
数え切キャラクター達にはぐはぐされたぁ。
すげー。優待遇。
あと、びっくりしたのは。
なんと車椅子で乗り物に並ぼうとすると、車椅子専用ファストパスみたいのがもらえるのです。
とどのつまり、「なん時にきてください」的なメモを貰えて、その間好きなところをぶらぶらしていてよかったのです。
おかげで短時間だったんだけど、色んなアトラクションに回れましたー。
でもみんな、羨ましがったり嘘付いて車椅子借りたりしちゃいけないYO. あたしはただの骨折だけど、本当に具合の悪い人や疾患のある人たちにも楽しんでもらえるように、というTDRの気遣いなのですから。
駐車場で車椅子の人いないのに車椅子専用の場所にとめている家族をみたんです。(ランドの入り口に近い)
ちょっと常識疑いますね。(りあちゃん)

(寸評)そこは流石だね。
ディズニー好きな人もちょっと苦手な人もいるだろうけれど、かなり「分かっている」ことだけは確か。
もちろん障害のある人にも優しいが、そういう姿勢を見せることによって、まわりにもほっこりいい雰囲気を作る。
だてにディズニーの金看板しょってるんじゃないな、というのは分かるな。
その徹底ぶりには、例えアングラ表現な人でも学ぶべきことはあると思う。 6ポイント。

初めてのストリップ


けっこう前の事になりますが、石川さんご夫妻がグアム旅行へ行くという事で思いだしましたので投稿です。
彼と2人でグアムへ行った時の事。夜、コンビニへ寄るがてら、ホテル横のストリップ劇場へ足を運びました。
中へ入ると、いきなりトップレスのオネーチャンが真ん中のステージでポールダンスしています。
ステージを取り囲んだ席からチップを紐パンツへはさむと、ご開帳というシステムらしく、隣で米兵がウキャウキャ楽しんでいました。
踊り子さんの一人が、どうやらレズビアンだったようで、私に「so fine…」とささやきながら、しょっちゅう近づいてきました。
薄ら笑いを浮かべ「センキューセンキュー」と繰り返していた私ですが、とうとうその踊り子さんは、私の胸にタッチ&もみもみ。
その様子を見ていた隣の米兵は喜んでしまい、踊り子さんへチップを渡すと「Get do it!」と私を指差して言いました…。
何をされるかと思いきや、その踊り子さんは私の目の前でパンツを脱ぎ捨て、私の顔面にpus○yを近づけてくるではありませんか!
「うわー!!このままだと、顔にくっついてしまう!」と思いきや、なんと私のおでこに“ペチョ”…(いまだかつて味わった事のない感触)。
隣で米兵はおろか、彼まで大笑い。pu○syをくっつけられている時の私の顔が、これ以上ない程、困った顔になっていたそうです…。
本場のアメリカでは、もちろんそんな無茶はとんでもないですが、グアムだからこその冒険でした。
長くなりましたが、石川さん、楽しいご旅行を~! (閏子)

(寸評)そこ、行ってみるか・・・。
なんせただ格安というだけでグアム行きを決めたので、マリンスポーツなどにはまるで興味がないからなー。
しかも妻が「どうやら生理とバッチリぶつかる」とかで海にも入れないかも。一体何の為に行くのだろう(笑)。
そこって、朝から開いてる? 7ポイント。

はじめての学校にまにあわない


こないだカラオケに行ったとき、初めて学校にまにあわないを入れました。
語りが難しかった・・・
あんな語りだったっけ?
あたしはたまの最期のを一番聞き慣れてるから、いっそあれを真似すればよかったです。
ついでに初めてまちあわせも入れました。
石川さんばりに大声でうたったので、ハウってました。
まちあわせは短い曲なのであっという間に歌い終わってしまい、次の曲探してた連れが、慌ててました。
ああ、もっといっぱいたまの曲入らないかなぁ。
昔よりは随分はいったけど 、まだまだ名曲あるのになぁ。(りあちゃん)

(寸評)あれってどういう基準で曲入れてるんだろうね?
シングル曲は分かるけど、アルバムの中の曲からの選曲の基準がよくわからん。
もしかしてどこかでリクエスト募っているのかもね。
友達集めて組織票でカラオケにしてもらいましょ。
俺、自分の曲でもギター弾き語りでは再現不能な曲があるので、カラオケ出来れば歌えるしなー。6ポイント。

はじめてのくっついてない骨で立ちっぱ


短距離なら手放しでも歩けるんだけど、基本的には両手杖のワタシ。
あの日、あたしは頭がおかしくなって、こりゃやばいと思い精神病院まで タクシーと電車乗り継いで事故以来初めての遠出をしました。
そして即入院。
入院は何度もしているので大部屋で問題ないさと思っていたのだけど、 あたしかなりやばかったみたい。
部屋のなかの会話や独り言や泣き声や笑い声がどうしてもうるさくて、 こりゃよけいに悪くなると思い、退院を要請。
あたしは任意入院なので、医師が手続きしてさえくれれば、退院できたはずなんです。
ところが、答えは「NO」。
理由をきいても答えてくれない。
あたしは頭に血が上ってそこらのものを投げ付けてしまい、あたしも悪い、悪いんだけど、でも、その時の女性看護師の態度。
冷たい視線を残してその場を去り、男性看護師を連れて来る。
面倒な患者は独房に入れときゃいいやみたいな、凄く冷淡かつ機械的なやり方であたしを独房へ連れて行き、杖を取り上げ、ガチャンと鍵を閉めた。
あたしは慌てた。
あの病院、独房は敷布団がぺらりと置いてあるだけの、腰掛けるところがない部屋なのだ。
あたしは足が悪くて地べたに座れないから、敷布団じゃ横になれない。
慌ててドアをノックした。
応答がないので何度も何度もドアを叩いた。血豆出来るまで叩いた。
だれもこない・・・
あたしは、杖なしで立ちっぱなしにされたのだ。
じわじわ足が痛くなってくる。軟骨が潰されかけているのだろう。
あたしは待った。待ちきれないとドアをがんがん叩いた。
それでも誰もこなかった。
いや、時折様子を見にくるんだけど、一生懸命事情を話しても看護師は何も言わず去ってしまう。
これが病院のやることなのか!?
あたしは絶望した。苦労してここまできたのに。
余計具合が悪くなり、死にたい気持ちが強まった。
今が何時なのかもわからず、希望を失ってドアに体を預けて「痛い・・・」とつぶやいていると。
やっとドアが開いた!・・・あたしの足をドアと壁の間に挟みながら(== ベッドが運ばれ、ベルトで体を拘束され、鎮静剤を打たれた。
・・・あたしここまでされるほど暴れたかなぁ・・・
寝返りも打てない、悲しく、寂しく、つらい夜を過ごした。
翌日きた主治医は直ぐに拘束を外し退院させてくれた。
そして、あたしは返された杖で足を引きずりながらまたあの道程を経てやっと帰宅したのだった。(りあちゃん)

(寸評)怖い・・・。
もし主治医がいなくて即日帰してくれなかったら・・・。
自分がそんな目にあったらどうなっていたか・・・。
昔読んだ「ルポ・精神病棟」(大熊 一夫)という本の恐怖が久々に蘇った。
いろいろ大変だけど、俺の冗談神父の加護がありますように・・・。10ポイント。

初めての頭を鷲掴みにされる


先日、バイト帰りの電車に乗っていた時のことです。
事故が起こったため、ダイヤが乱れ、1駅進むのに10分近くかかるという状態のため、車内にムスッとした空気が漂いつつありました。
最寄り駅に家族が迎えに行こうかと、電話をかけてきたので、車内で通話をしていたところ、突如、後ろから伸びてきた手が、僕の頭をガッと掴みました。
ハッとして、何が起きたのか、理解ができないでいる0.5秒ほどの間に、ドスの利いたオッサンの声が聞こえました。

「オイ、電話してる暇があったら脇へどけよ。(他の乗客が)痛がってんだろ!」

…確かに、自分も配慮は足りなかったのは間違いないですが、いくらダイヤが乱れてイライラしていたとはいえ、面識のない人間に対して、随分な事を突発的にやる奴がいるもんだと、面喰いました。
どんな面のオッサンなのか、振り向いて拝んでやろうとしましたが、何せ振り向くことすらできないほど、車内はギュウギュウ。
しかも、当然ながら、そのオッサンの声は電話の向こうの親にも聞こえていて、後で「少し緊張感が伝わってきた」と、言ってました。
ま、とりあえず脇へどいて、スルーしましたが、この時電話を続けて「あ、気にしないで。どっかの酔っぱらいの戯言だから」なんて言ってたら、相手は後ろから頭を掴める位置にいるのだから、下手すりゃ、何かが自分の頭に串刺しになってるなんて事態もありえたかも…。
この一件以来、電車に乗ってる間は、サングラスが手放せなくなりました。(Hi-)

(寸評)ふうむ、状況を第三者的に見てみないとやり過ぎなのかどうか判断は微妙な感じもするが・・・。
でも何故サングラスが手放せないのかは、ちょっと分からないな。
なんせHi-はサングラスかけても全然怖くはならないからなー。目の不自由な人かな、とは見えるかもしれないけど。そしたらどうせなら杖も持った方がいいな。
バレた時、怖いけどな(笑)。 7ポイント。

はじめての老いらくの恋の相手


最近レンタルギャラリーを作るのに忙しく、なかなか投稿もできません。そのギャラリーの改装工事を知り合いの大工さんと2人でやってるのですが、わしはその大工さんに大変好かれていて、というか告白された。一目惚れなんだって、かわいいんだって、ふーん。珍しい。
大工さんは70歳過ぎてます。1日1回は抱きしめないと気がすまないらしく、必ず1回は抱きついてきます。
それもほんとに70過ぎか?というくらい馬鹿力で。
いくら「うわー!もうわかったから、はなせ!」と言ってもやめません。馬鹿力には馬鹿力で対抗だ!
と思って鍛えてみたりして。
事あるごとに手をつなごうとしたり(なんで手をつながなきゃいけないのか?)、行く先々で未来の妻と紹介したり(せめて弟子と言ってくれ)、このまえは帰り際に投げキッスして帰っていってた(笑)。
作業で行き詰ってるときにわしがなにかいい方法を見つけると、「やっぱり二人で一緒にいなきゃいけないようになってるんだよ、そうしよう」なんて言います。
「なんとか結婚せずに二人で生きる方法はないかなあ」なんてことも言ってました。こんな直球アタックが毎日続き、思わず笑ってしまいます。
直球には直球で勝負だと「親方、それはないよ、馬鹿だなあ」なんて言って対抗。しかしなかなかうまくはいかない。「なんで抱きつかなきゃいけないんだぁ?いちいち触るなよ」と言っても「だって好きなんだもん。好きと言ってくれればいいんだから、"す"と"き"を繋げればいいんだよ。簡単でしょ」あきれてしまいます。
こうなったらもう戦意を通り越して笑うしかない。親方をからかって大爆笑してると親方はちょっと悲しい顔をしながらも一緒に笑ってる。
しかしね、「この歳になると片想いくらいがちょうどいいのかな、だって、歳が離れすぎてるもんね、結婚なんかできないのはわかってるけど、せつないなぁ」なんて貴重な言葉が聞けると、あぁ、わしの人生おもしろすぎる!と思ってしまうのです。でも一番下の娘と歳が近いんだけどなー。お父さんよりも年上なのにー。
恋に狂ってる親方は子どものようです。男とはいつまでたってもこんなものなんでしょうか?
友達もほとんどいないし、身近にこんなに好いてくれる人はいないので、それなりに嬉しいですよ。仕事も楽しいし、技術には尊敬もします。
ある意味貴重な体験だと思うともったいない気もする。なんだかんだ言って結構いいコンビだったりして。何かいい落しどころはないかな?でも好きなんて絶対に言わないからな! (2代目水牛)

(寸評)それはまじ惚れだねっ!
年を取っても恋は現役だからね。
あとは遺言にうまく遺産のことを・・・。ムフフ、大儲け。 6ポイント。

初めての整形外科退院。


たくさんの人にお世話になりました。
実のところただの事故ではなく飛び降りによる骨折だったのですが、 主治医をはじめたくさんの看護師さん、リハビリの先生、神経科の先生、 レントゲンやCTの先生、救急隊員、お向かいのおばさまとお見舞いのおねえさま、仲良くなった日本人の患者さんや外国人患者まで。
本当にたくさんの人が自分から死のうとした私の命を救ってくれました。
それに気付く事が出来たおかげで、私は凄く強くなりました。
もう絶対に自分の体を傷つけないし、命の危険も冒さない。
私の命は私のものではなくて、みんなのものなのだと考える事ができる様になりました。
生まれてこられたからたまと出会った、石川さんと出会った、みんなと出会った。
私にとって今回の事故は、プラスとまでは言ってしまうとあれだけど、でも一生忘れてはいけないとても大切な出来事となりました。
障害は残りましたが、そんなの乗り越えて最後まで生きます。
みなさん、りあと出会ってくれてありがとうございます。
りあは最期まで生きます。同じように悩んでいる方も、這いつくばって最期まで生きてほしいと思います。(りあちゃん)

(寸評)良かったね。
最後まで生きると、ものすんごいご褒美があるよ。
ほんとだよっ! 7ポイント。

初めての自分で救急車呼んだ。


旦那の出張時に、風邪の様な症状が暫く続き、風邪薬と解熱剤を飲んでいたのですが、ある日唐突に38.5℃の熱が出て、しかもどんどんあがっていって、「インフルエンザに違いない」と確信。
救急車を呼びました。
ちょうど旦那にお金を貸していた時で手持ちがなく、しかも保険証も持ってなく、お金と保険の心配ばかりしていたら「今は治す事だけ考えてください」と救急隊員に叱られました。
救急車内ではすでに39℃前後。
朦朧とするなか、近所の総合病院に運ばれ、インフルエンザチェック。・・・マイナス。
そのままレントゲン・CT等撮って、内科的には何の問題もないとの事。
ああいくら水を飲んでものどが渇く。
今度は整形外科の医師がやってきて、創外固定からの感染が怪しいと診断。
別の病院で半年入院していたのであれば、そちらで診てもらった方がいいでしょうという事で、一週間以内に払う約束で3000円だけ置いて、入院していた都立の病院へ。救急車で送ってくれました。
いちんちのうちに二回も救急車乗っちまったよ。
でも、早く救急車呼んで良かったわぁ・・・しにそーなくらいホントにつらかった。(りあちゃん)

(寸評)たまに熱が出る人には辛いだろうね。
俺なんて毎年一回以上は40度以上出てるからなー。その度に救急車呼んでたら大変。
というか医者に言ってもほとんど「原因不明」と言われるだけなので、ひたすら部屋の中で唸ってます。
ウウウ。
時々痛い辛い悲しい。でもそれが人生だからしょうがない。 6ポイント。

初めての(・∀・)ゥィルスー!!感染。


高熱にうなされ退院したばかりの病院へ救急車で運ばれる私。
救急隊員が、「佐々木先生という方が診てくれるって。がんばって!」
・・・主治医じゃない↓ガクーン。
あたしの足は主治医にしか触ってほしくないんだよーしくしく。
が、病院に着くと。ドアの中から主治医の声が聞こえる。
主治医がみてくれんのかな・・・ドキドキ。
診察室に入る。
暫くすると、主治医登場。あたしの顔は一切見ず、足の腫れを見て「これいつからだ?」と。
いつからだろう。微熱は暫く続いていたが。でも喋る元気もないので、とにかく主治医が診てくれるという事に安心する。
創外固定のピンが足の肉に刺さってるんですが、そこからばい菌が入ったようです。
「入院だな」みん等と言いながら「麻酔するぞ」とちくり。それからメスなんかで処置したのかな。
「痛かったら言えよ」「痛くない」「よし」「あ、イタイ!!!!」「っとごめん」等のやりとりを終え、主治医が前の病棟に入院出来るように対応してくれ、喉が渇いて仕方ないのでアクエリアスを買ってきてもらったり寒くて仕方ないので毛布かけてもらったり。
ぐったりした状態で前の病棟にあがると、お世話になっていた看護師さんたちが心配そうにあたしの顔を見に来ました。
退院早々あんなぐったりした顔見せたくなかったです(´・ω・`)
それからは記憶薄。抗生剤の点滴と水分の点滴を刺され、暫くぐったりしてました。
10日間くらいだったかなー、短期入院しました。
今も感染が怖くて、足だけはどうあっても清潔にとか、小まめに消毒・検温とかしてます。
死のうとしたから神様から罰を受けているのだ。
とにゃかくはやくなおってくれええええ(りあちゃん)

(寸評)うわあ、大変だったんだな。
ま、辛いときはとにかく過ぎるのをじっと待って。
マイナスもあればプラスもきっとある。
楽しい次に期待しましょう! 6ポイント。

初めてのピンク映画館


9月甲府であった某イベント後、隣町の南甲府にあるピンク映画館へ友人らと初めて行って参りました。
我らの到着したときに上映されていた映画は「熟女しびれ味」。
映画館の建て構えはわりと綺麗で普通だったのですが、館内に入ると中々の昭和デッドストック臭漂っていて、これよ、これこれ!っていう空間でした。
私はピンク映画自体観るのが初めてで、どんなんなんだろうと思いながら暗い中着席。
中には結構人がチラホラいて賑わっているのね、といったところです。
熟女しびれ味は、ざっくりいうと姉妹とバイト先スナックの女の子との狭い人間関係エロエロぐちゃぐちゃ物語なのですが、もっと酷いと思ったのに、昼ドラレベルのクオリティーはあって、役者さんたちは結構まともで意外でした(後日大人に聞きましたが、ピンク映画にはハイクオリティな作品も結構あるのだそうですね)。

なのですが!私はというと、予想外にも時々やってくる普通の映画とはまた違う、生生しいセックスシーンがやや苦手に感じてしまい、平気だと思ってたけどよくよく考えたらAVとかも数回しかみたことないもんな、と、 新しい局面に気づかされたので、なんとなく映画は堪能したし、ロビーでハッピータンでも食べたいわ、とか思って皆を残しひとりロビーへ移動。
ロビーでハッピータンを購入し食べていると、ちょくちょく劇場内からかなりギリギリな雰囲気のおじさまたちが出たり入ったりしてくるので、私はそっちのほうが気になってしまい、これは声かけ運動をしなくてはならぬ、とロビーにて声かけ運動スタート。

「おとうさん、こんにちは!ハッピータン、いかがですか?」
「おとうさん、こんにちは!熟女しびれ味はなかなか最高ですね!ハッピータン一枚、どうです??」

と、怪しくないように、快活に、サワヤカに劇場から出てくるおとうさんたちに声をかけるも、概ね、困ったような顔してハッピータンには手を出さず、うつろな顔をして劇場内へ戻っていくおとうさんたち。
後で聞いた話だと、私が去ったあとの劇場内では、1人でせっせとハァハァしてみたり、1人のオバサマに多数のオジサマが群がったり、オジサマとオジサマ同士が・・・・とか、それはそれはとんでもなく発展しまくっていたそうで、そんなふうに劇場内ではわりと社交的と思われるおとうさんたちでしたが、なんだか、なんとなく私が気味悪いみたいで、ロビーではあんまりお話もハッピータンも食べてもらえませんでした。残念。
しかし、数名だけお話してくれるおとうさんたちもいて、我らの来ているグループ内に男の子もいることを知ってガッカリして帰っていくおとうさんや、実はわざわざ私と同じ街・富士宮から観にやってきていて、結構近くに住んでいるおとうさんだと分かったおとうさんや、「自分はシルバーで割引きくから、涼しいしほんのヒマつぶしで」と言い訳をするおとうさんなんかもいて、おとうさんたちと交流できて楽しかったです。
ロビーでくだまいていたこともあって劇場をやっている方も話しかけてきてくれてお話できて、「1人じゃ絶対に来たらいけないよ、危ないからね」と優しいおじちゃんが助言してくれたりしました。
みんなも劇場内から出てきて、帰る際も劇場のスタッフのお姉さんがわざわざ出てきてくれ、観に来てくれて嬉しかった、と言ってもらえてちょっと感動したり。
ここへ来たきっかけやら、前日の某イベントの話なんかをすると、館内でライブすることも大丈夫とのお話ももらえて、映画館の人たちがすごくいいから、また遊びきたいなぁ、とか、ホクホクして帰った初体験でした。ありがとう!甲南劇場!!!!(ことり)

(寸評)さすがことりだなっ!
怪しくないように、快活に、サワヤカに劇場から出てくるおとうさんたちに
「おとうさん、こんにちは!熟女しびれ味はなかなか最高ですね!ハッピータン一枚、どうです??」
って。
そんな怪しい奴いないわいっ!(笑)。

それにしてもそこはピンク映画といっても、全国でも数少ないハッテンバを兼ねたところなんだね。
俺も一度だけ若い時間違って上野のそういう映画館に行って触られまくられたことがあるが、すべてのピンク映画館がそうだ、というわけではないので要注意。
でも最近は家で手軽にアダルトは見られるようになったから、そういう付加価値がないとやっていけないのかな。

あと意外と映画はちゃんと作ってある。
というのは、そういうシーンさえ時間の何分の一か入れれば、あとは割りと自由にさせてくれるのがピンク映画というものだからだ。
なので、新人がある種自分のやりたいことを試せる貴重な場所でもあるわけだ。
ちなみに今をときめく「おくりびと」の滝田洋二郎、「Shall we ダンス?」の周防正行、「パッチギ!」の井筒和幸なども実はピンク映画出身の監督なのだ。 10ポイント。

初めてのあるさん


9月の連休に、投稿王でランクインもしているちょんぼ氏とニヒル牛に行ってきた。お店番をしていたのは、あるさんのお母さんだった。店内を色々と見ていたら、あるさんのお母さんが電話をしながら誰かを呼んでいる。「ほら、そこの、名前忘れちゃったけど、いつも来てくれる彼…」と言いながらちょんぼ氏を呼び、「あるくんと電話して!」と言っている。まさか、ちょんぼ氏はあるさんと知り合いなのか!?電話を代わった訳は、店内に流す音楽の音量の上げ方がわからなかったからだ。ちょんぼ氏もなんとなく困ってるところを見ると知り合いではないようだ。音楽の音量は無事上がった。電話も終わった。やはりあるさんのお母さんの勘違いで、ちょんぼ氏は知り合いではなかった。よく似ている人と間違えたらしい。電話であるさんと話したちょんぼ氏を私は羨ましく思った。

その後、ニヒル牛2の方へ行った。そちらにあるさんはいた。店に入ってすぐに、さっき間違えて電話させられた人だということにあるさんは気づいてくださった。初めてのあるさんに緊張しまくったが、それでもあるさんはとても話しやすい感じの方だった。飲み物をいただきながら、ときどきあるさんとお話しする…とても素晴らしい時間だった。是非、また行きたいと思う。
あるさんはファンクラブの会報の写真とかで見たことがある程度だったが、目の前で拝見すると結構きれいな方でドキドキしてしまった。(可南)

(寸評)おおっ、R君がきれい!
「あるさんは面白いですね」は良く聞くけどこの言葉を聞いたのは何年ぶりやら。オロオロ。ありがとう。
義母はもう70代半ばなので、勘違いは許してやってくださいな。
また来てねっ! 6ポイント。

初めての9月卒業


学生生活で紆余曲折ありまして、卒業が9月になりました。
今までの生涯で、学校の卒業式を迎えたのは、ずっと3月のみ。
3月になれば、卒業の季節という事で、世の中は祝賀ムードになるものですが、その祝賀ムードが半年ずれ込んで醸し出される事もあるものだなと、つくづく実感しました。
しかし、欧米などの国によっては、新学年が始まる節目が夏休み明けと聞いた事もありますが、日本で夏休み明けに卒業式となると、違和感満点。

まず、式典自体はちゃんと開かれましたが、会場は同期の友人達が経験した3月の卒業式の会場だったアリーナと比べて、狭いホール。
そして、当然ながら卒業生は全学科で5・60人ぐらい(自分の在籍していた学科に至っては、自分も含めて、8人程度)。
みんないろいろあって、卒業の時期がずれ込んだんだなと、実感しました。もちろん、自分も自らの怠惰と、様々な事の成り行きによって、この場に存在している訳ではあったのですが…。
知り合いも1人見かけ、少し話したところ、自宅療養していたため、卒業が遅れたとのことでした。

ただ、卒業証書は高校までと同様、卒業生一人一人の名前が読み上げられ、前に出て学部長から受け取るという次第でした。
3月の卒業式でも、一人一人名前を呼んで、証書を渡しているのだろうか…。そしたら、一体どれくらい時間がかかるのやら。今回みたいに、高校までの学校の卒業式の時よりも、卒業生の人数が少ないならそうやる余裕もあるだろうけど、不公平だというような苦情が3月卒業の人から来るのだろうか…。

そんなこんなで、心の中でいろいろ突っ込みながら、祝賀会に少し、顔を出しました。
一人で立食をしていると、とある卒業生の父と名乗る方が声をかけてきて、しばらくの間、立ち話となりました。
聞けば、内定を貰った息子さんが、その内定祝賀会での会社の雰囲気に違和感を覚え、辞退してしまったため、卒業が遅れ、卒業と同時に自営業として働き始めるとのことでした。

…改めて、自分も含めてですが、9月卒業の人には、普通の学生4年間&3月卒業の人とは違った、波乱万丈な事情があるんだな、と実感させられました。(Hi-)

(寸評)まぁ俺は大学は卒業出来なかったからな~。
とにかく俺もこの年まで生きてきて感じるのは、本番はやはり学校を出てから、ということ。
そこからは学校というある種の庇護のない、剥き出しの荒地。
ここから本当の自分の実力で人生のすべてが変わる。
右へ行くも、左へ行くも自分次第だ。
是非Hi-らしい生き方を見つけてくれいっ! 6ポイント。

はじめての泥棒


 あれは俺が大学1年生の夏でした。ボロボロの学生寮に住んでいた時のことです。
 お盆の時期だったので、みんな帰省をしてしまい、寮にいるのは数えるほどの人だったと思います。遊び相手もなく退屈で仕方なかった俺は、近くの本屋へ出かけました。冷房の効いた店内をしばらくふらふらと本を眺めて暇を潰し、また家に帰りました。そして自分の部屋のドアに鍵を差し込むと、俺はおかしな点に気付きました。鍵が開いているのです。家を出るとき、確かに閉めたはずなのに。何度もドアノブを回してみて、閉まっているかどうか確かめたはずなのに。部屋の鍵が開いていたのです。
 そしてドアを開き、部屋の中を覗いてみると、俺のベッドの上に一人のおっさんが座っていたのです。中肉中背、身長160cmくらい、白髪交じりの頭髪、上下作業服を着たおっさんでした。
 おっさんは俺の顔を見ると、一瞬驚いたような顔をしたけれども、すぐに冷静を装い、「ああ、ごめんね。今から帰るから」と言って、部屋を出て行こうとしました。作業服を着ているし、何かの工事か点検にでも来た業者の人なのかとも思ったけれど、それにしても勝手に人の家に入るのはおかしい。「ちょっと待てよ」と俺が腕を掴むと、それまで冷静を装っていたおっさんの表情が変わりました。
 おっさんは「何するんだよ!」と逆ギレをしながら俺の手を振りほどこうとしました。そして、それでも手を離そうとしない俺のことを殴ったのです。
 俺はキレました。本気で殺してやろうと思って、おっさんを殴り返しました。何発も何発も殴っているうちに、おっさんの顔は血だらけになっていきました。おっさんがかけていたメガネが割れ、それで俺のこぶしが切れたけれど、それでも殴り続けました。
 おっさんがサイドバックの中に手を入れて、何かを取り出すのが見えました。でも俺はそんなこと気にもせず殴り続けました。おっさんが取り出したのはナイフでした。おっさんがそれを俺に突きたてるようなジェスチャーをしてくれたおかげで、俺はそれに気付くことができました。おっさんがそうしてくれていなかったら、俺はいつまでもナイフに気付かず、おっさんを殴り続けていたことでしょう。
 俺は逃げました。人にナイフを向けられたのは初めて経験でした。俺はずっと掴んでいたおっさんの腕を離し、逃げました。そして、おっさんも逃げていきました。廊下にはおっさんの割れたメガネが、玄関にはおっさんの靴が残されていました。
 それからは警察が来て、鑑識の人や警察犬も来て、ボロボロの学生寮は大賑わいでした。
 俺の部屋の引き出しからは、親からもらった仕送りの1万円がなくなっていました。(DO)

(寸評)おおっ、バイオレンスだっ!
しかしお互い逃げたんだな。ま、そりゃそうか(笑)。
でもナイフでやられなくて良かったな。
一万円で一生話せる武勇伝が作れたと思ったら、むしろお得と思った方が良いかもなっ! 7ポイント。

初めてのネットラジオ


タイトル決定によりやっとネットラジオに漕ぎつけました。

初回放送はウキュピ同時進行w
最初はフッツーに喋り、時折曲流したり・・・。
最後はヒゲカバ回文で〆!ということで終了。
今回は初回ということでほぼ行き当たりばったり。
次の放送時には大方の進行表も用意できたのでもすこしまともに行ければいいと思っとります。 (daipie)

(寸評)俺のチャットと同時進行のネットラジオ、面白かったよ。
ま、そんなにきちんとしなくてもいいんじゃない?
きちんとしようと思ったら本当のラジオにはかなわないから、即時性で対応していくほーが面白いと思うよ。
ま、みんなに共通の興味がありそうな音源とかを多少用意出来れば、そのくらいがちょうどいいのかもね。
次回も期待してるよ! 6ポイント。

初めての卒倒


意識は失っていなかったから卒倒とはいわないが、私が今まででたった一度倒れたときの話。
高校の頃、3ヶ月ほどダンス部に所属していた。全国的にも有名なダンス部である。高校自体も厳しくて有名だったが、そのダンス部は一般的な常識では考えられない厳しさだ。
夏休みに全国大会があり、それに向けて練習が行われた。だが私はバレエも習っていたし、そちらの発表会の練習で忙しかったので全国大会にはお手伝いとして参加することになった。
夏休みに入れば猛練習が始まる。まずは合宿である。学校に3泊くらい泊まり込む。その合宿が鬼のようだ。朝、起きてすぐに階段をかけ上り最上階の講堂へ行く。そこですぐに縄跳びだ。500回だか1000回だか飛ばねばならない。その後ストレッチ等を行い、やっと朝食だ。ゆっくり食べる間もなく、また練習。お手伝いの私は重たいラジカセを担いで走りまわる。みんなが練習している間も決まった立ち方をしていなければならない。夜はシャワー室でシャワーを浴びるが5分しかない。しかも水しか出ない。寝る前には反省会。
合宿の間の3日間、一度も歯磨きをしていない。時間がなかった。トイレも1日に一度しか行っていない。行く気にもならなかった。水分が不足していた。
合宿は無事になんとか乗り切り、休む間もなく全国大会で神戸へ。遠征は合宿よりいくらかはましだった。4日間の遠征もなんとか乗り切った。
その後も学校に通い練習だ。みんなで立って先生の話を聞いていたときだった。目の前がざーっと、映らないテレビのような感じになってきて、ひどい耳鳴りがしてきた。なんだかふらふらして、実際にゆらゆらしていたようだ。先生の補助みたいなおばさんが「座りなさい!」と言ったのが聞こえた。よくわからないが自分に言ってるんだなーと思い、その場に崩れた。その後のことはよく覚えていない。
後日、病院で貧血検査をしたが、貧血どころか多血傾向と言われた。精神的にも肉体的にも限界だったのだろう。
言うまでもなく、その後退部届を出した。勿論すんなり辞めさせてはもらえなかったが。(可南)

(寸評)どひぇ~。学校って時々無茶するよね。そして事故が起こって初めて反省するんだよね。
「とても素直な良い生徒でした。まさかこんなことになるなんて想定外でした」って謝罪されるんだよね・・・。
いくつになっても俺は学校は苦手だな。
そこまで大変じゃなくても、強制的な押し付けの空気が、もう駄目。すごい駄目。

大人になって本当に良かった~。 6ポイント。

初めてのHな夢


男の人と一緒にお風呂に入っていました。その男の人は私の知らない人。もちろん全裸。その男の人が私の体を愛撫してきます。まずは胸から・・・。その手はとても暖かく、夢だとは思えませんでした。
 愛撫が一通り終わると、部屋のベッドに寝かせられました。そしてIN。
驚いたのは、とても感じたこと。私は夢中であえいでしまいました。夢を見ているときは夢だと気づきません。しかし今思うと、夢の中であるはずなのに、その男の人の存在を私の中でとてもリアルに感じていました。
そんな中、目が覚めました。母が帰ってきました。私は家のリビングで寝て、そんなやらしい夢を見ていたのです。夢から覚めてもまだ感覚がのこっています。こんなにリアルで感覚のある夢は初めてです。
本当に夢だったんでしょうか?

寝言であえいでしまって、母に聞かれていないかとても不安です・・・。(はちこ)

(寸評)しっ!あの日のことはふたりでナイショと言ったの忘れたのかい? 6ポイント。

初めての、高校の調理実習~まさか!~


私の高校は60分授業で、金曜日の6時間目に家庭科がありました。初めての高校での調理実習。しかし60分で何が作れるでしょうか?準備、食べる時間を含めて60分です。おそらくとても簡単なものでしょう。
味噌汁とか。

ところが一番初めに作ったのは、なんと「うなぎ」。パックの、すでに加工してあって、下味も大体ついてあるうなぎ丼用の「うなぎ」でした。
1、うなぎのパックをあける
2、うなぎのたれをつける。
3、ごはんにのせる
4、たべる。

これって調理実習?!?!ぜんぜん調理してないじゃん!!時間がないのなら、無理して調理実習しなくてもいいのでは・・・?

ちなみに次はカツどんでした。衣をつけて、ご飯にのせるだけ。(はちこ)

(寸評)ええっ!?
それなら俺も日々実習してます・・・。6ポイント。

初めての金縛り


この前初めて金縛りにあいました。昼間、ベッドでうつらうつらしているときに、急に口の中が乾いてきて、体に重圧がかかってきました!う、動けない!!そのときの体勢は、体の左側を下にして横向きに寝ており、左手は体の腹のほう、右手は体の背のほうに配置していました。体に重みを感じていると、急に背中のほうがなんだかあったかくなってきて右手が握られているような感覚を感じました。ちょうど私の背のほうに、誰かが私の手を握りながらくっついて添い寝しているような感覚です。
これって・・・幽霊に添い寝されている!?!?ビビリの私は怖くて怖くて目を硬く閉じていました。早く終われ!そうだ!こういうときこそ、高校で習った般若心経だ!(高校は宗教学校)と思い、私は必死で心の中で般若心経を唱えていました。

そんな温かみを感じていると次は右耳が耳鳴りし始めました。キーンという耳鳴りからしだいに「あー」とも聞こえるような、電子音に似た音に変わってきました!
怖い!!!!
目を硬く閉じ、般若心経を心の中で唱え、その恐怖に耐えました。
そして急に私が感じていた重みや温かみがふっととれました。しかし怖くてしばらくは動けず、目を開けることができませんでした。(はちこ)

(寸評)俺は中学生の頃はほぼ毎日金縛りにあってた。
般若心経じゃ解けません・・・。
あれは何度あっても慣れることはなかったな。
最近でも年に何回かは来る。あのキーンが。
まじ、怖いっす! 6ポイント。

初めての四国


この夏、日本をもっと知るとの目的で、まだ行った事のなかった四国を訪れました。
飛行機だと学割が使えないので、敢えてバイトが終わったその足で、夜行列車に乗って、出発。

明け方、晴天の中を、瀬戸大橋を渡り、いざ四国へ突入。窓から眺めていると、四国へ入って初めて目にしたのが、橋の両側にある工業団地。 そして朝7時30分頃、高松へ到着しました。荷物をコインロッカーに置いて、レンタサイクルで借りた自転車に乗り、あちこちを縦断。翌日には、渦潮でおなじみの鳴門にも行き、そこでも自転車を借りて、いろいろな所を走ってまわりました。両日とも、知らず知らずのうちに1日中走りまわって、腕が薄く日に焼けて、1ヶ月たった今でも、手首に腕時計の跡が残っています。
鳴門は例の海峡以外は、もう海水浴シーズンが終わったせいか、浜辺はほとんど人がおらず、住宅街にもあまり人がいません。その分、野良猫や野良犬がちらほら。お世話になった民宿の御主人によれば、山に捨てる人が結構いたらしいです。

しかし、真夏で快晴の日が続いたせいもあり、全部で4日間に及んだ旅行は汗まみれの日々となりました。愛媛と高知まで回ったら、金銭的にも体力的にも、大きな負担になってただろうなあ。(Hi-)

(寸評)俺は高校時代、群馬から徳島まで自転車で走ったことがあるな~。
四国って、行こうと思わないとなかなかいけない土地だよね。
俺はその後デビューしてから「どこでもツアー」の担当者が高知にいたこともあって、四国はくまなくライブしてまわったな。
独特の雰囲気のある土地なんだよね。5ポイント。

初めての親父の坊主頭


7月のとある日、僕は自分の部屋で課題をやっていました。夜も遅くなり、少し休んでいた頃、親父が帰宅しました。と同時に、母の変な奇声が聞こえましたが、特にそれを気にかけず、パソコンに向き合っていました。 そして、もうそろそろ床に就く時間帯になり、親父が僕の部屋へやってきました。手をキーボードに置いたまま、目線だけドアの方にやると、そこには…。

見事な坊主頭が。。。
一瞬、「えっ、誰?」と、固まってしまい、5秒ほどその状態が続きました。5○歳にして、初坊主…。

なぜ頭を丸めたのかと聞くと、「夏は暑いから、これに限る」とのこと。
しかし、中年以上の人が今まで頭髪があった状態から丸坊主にしたら、何か悪事を働いたか、ハゲを隠すためにやり始めたか、癌との闘病を始めたように見えてしまい、しばらく見慣れるまで時間がかかりました。
毎晩、風呂でも剃刀で頭をきれいに剃っているそうですが、この頭で一生過ごすのかと思うと、何とも言い難いです。(Hi-)

(寸評)えっ、かっこいいじゃん!
それにしても、Hi-って実はファザコンでしょ。ムフフ。
だって何かにつけて「うちの親父が・・・」が出てくるもの。誰よりも。
そろそろ親離れした方がいいと思うよ~。 6ポイント。

初めてのクレジットカード請求を免れる?


先程の四国へ行く時の列車の切符を、7月にクレジットカードで購入し、9月の頭に請求が来るので、それに合わせて、いろいろ銀行からの出費を制限していました。
しかし、9月になって、同じ会社のカードを持っている家族には請求書が届いたのに、自分にはなぜか届きません。
しばらくたってから、通帳に入金・支出記録を記入してみたら、引き落とされていませんでした。四国に行くのにかかった2万弱の交通費がこのまま請求されずに済むのか…?
とりあえず今月末には、その後の8月に使った分の請求が来るはずなので、気を緩めさせておいて、一度にまとめて請求しようという、カード会社の作戦かもしれませんが…。(Hi-)

(寸評)いや、一ヶ月くらいずれることはあるよ。
ちゃんと引き落とされるから安心しなさい(笑)。 4ポイント。

初めての枝豆ゴックン


とある日の朝、朝食を食べていた時のことです。
おかずとして出された枝豆を手に取り、中身を弾き出して、味わおう。。。 としたら。

喉に変な感触が。
そして、その感触が0.5秒ほどで、首の辺りの微妙な苦しさへと変わっていきました。
どうやら、豆を噛み潰す前に、そのまま喉へと吸い込まれてしまったようです。
続いて、その苦しさが軽い吐き気へと変わり、口にした味噌汁なども一緒に吐き出した、地獄絵が脳裏をよぎりました。

幸い、しばらくの間口を押さえ、そのような地獄絵が現実となるのは避けられました。
しかし、数日後のトイレが心配です…。原型をとどめたものを垂れ流したら、これもある意味、「食べ物を粗末にしている」と見做されても仕方ないかと思ったので。
もし吐き出してたら、もっと多い量の食べ物を粗末にしている事にはなりますよね…。(Hi-)

(寸評)まぁ地獄絵図というほどではないが、あるよね。「ウッ」ということ。
コーンなんかもよく原型のまま出てくる。
原型のまま出てきたものは、もう一度食べてもいいんだよっ!ホントだよっ! 4ポイント。

初めての出産


2009年5月28日、長男を出産しました。
最初に陣痛が来たのはそれより4日前の夜で、テレビを何ともなしに見ながらやたらとお腹が張るなぁと思っていたらいつのまにか陣痛になってました。その日の深夜に病院に入院するも、まだこの日に産んでしまうと早産になってしまうため、お腹の張りを抑えて陣痛を止める点滴をそれから2日間投与されてました。そして3日目、もう生まれてもいいからということで点滴を外され午前中に一時退院。
「すぐ生まれてもおかしくない」ということで入院時の荷物一式を病院に預けたままの退院だったのですが、せめて1日くらいはゆっくりしたいな~と思いつつ、この日は5月にあるまじき台風のような悪天候ということもあって余計に出たくないと思っていたのに、夜になると陣痛が始まってしまい、退院からわずか10時間あまりで再入院となりました。
それだけせっかちに始まった陣痛だから「すっぽん!」と生まれるかと思いきやなかなか生み出せるほどの陣痛にはならず、促進剤を投与され痛みはMAXなのになかなか破水せず、助産師さんの手で人工的に破膜され破水、ようやく分娩室に移動。立会い出産だったのでこのときダンナが呼ばれたのですが、それまでは病室で寝て待っていたらしいです。男っていいよなーと実感した瞬間。
で、いよいよ分娩なわけですが、あまりの痛さに記憶がほとんどありません(笑)痛くて足に変な力が入りぴきーんとつったり、痛くて呼吸もまともにできず過呼吸に陥ったり、酸素マスクつけてもまともに酸素が入っていかずに胎児まで酸素が回らず死にかかったり、そんなんだからダンナの声も助産師さんの声も先生の声もほっとんど私の耳には入っていませんでした。とにかく早く出したくてもうむやみやたらと力を入れまくり、最終的には白目までむいて出産したらしいです。息子は一時呼吸不全だったようですが正常に戻り、黄疸が出て治療も受けましたけど今は元気に育っています。
テレビとかでは感動のいちシーン的な出産ですが、私の場合はひたすら放心状態で呆然としてました。ぽかーん。
あれから3ヶ月超経過しますが、もう一度同じ経験をしたいかと言われたら悩んじゃうかも・・・。 (梅桃ひよ子)

(寸評)男では絶対耐えられない痛さだと言うもんな~。
子供を産んだかあちゃんは、それだけで尊敬に値する。
なんせ「赤ちゃん」とか「子供」という言葉を使ってるけど、要は人間をひとりこの世に産み出してるんだもんなー。人間だぜ、人間。
こんな偉大なことが他にあろうか。
いや、ない! 7ポイント。

初めて屋上から…


先日、耐震調査のバイトで田舎のとある高校へ。
現場に到着するなり、僕は学校の2階建ての棟の、全体の写真を撮るように言われました。早速カメラを片手に学校の外観・内観をぐるぐる~っと廻り、報告書を作成するために模範的な写真を、順序よく撮っていきます。廊下・教室・階段にトイレ……

残すところはあと屋上のみ。どこから昇るのだろうと、棟の屋上へ通じる階段を探してまわりましたが、どこも2階まで。これじゃあ上がれない。
困ったなあと思いながら、別の作業をしている社員さんに尋ねてみます。
「屋上ね。外の壁にハシゴがついとるけん」
そう教えられ外に出てみると、棟の外側の壁にハシゴ状の突起が、等間隔に足元から屋上へと延びているではありませんか…!
僕は高い場所というのはかなり苦手で、例えば自分の身長よりも少し高い位置に脚立で昇ったりするのでさえ、好きではありません。まして地上7~8mはあろうかという学校の2階の屋上。これは困った。

怖いといっても仕事は仕事。社員に文句を言われてはなるものかと意を決し、びくびくものでハシゴにつかまり上っていきます。手に冷や汗をかきながら、決して下は見てはならないと自分に言い聞かせ…。

ビビリながらではあるものの、やっとこさ屋上へと這い上がることができ、胸をなでおろす心持で屋上のようすをカメラにおさめていきます。
ひとしきり撮り終え、降りようと屋上からさっきのハシゴから身を乗りだすと…


「こっ、こええ~!」

2階建てとはいえやはり高い学校の屋上。下を見てしまったがために、玉が縮み上がりそうな恐怖が僕を襲います。
木にかけ登った子ネコは、怖くて下りられなくなるといいますが、まさにその状態なのです!

うううううううううううー。。。これは困りに困った。

そもそもこの業務はあまり時間をかけないでやるものだし、このまま降りられないでいると、それこそほかのバイトの人や社員にどやされてしまう。でも怖いから降りられない。でも、早くしないと。いや、やっぱり無理だ。。。

なんといっても高いところから降りるのは怖いので、この壁ハシゴとはべつの降り方はできないかと、しばらく考えてみることにしました。


屋上をあれこれ歩きまわっていると、一縷の望みが…!

ハシゴから離れた場所から外へみを乗り出してみると、そこには2階のテラスがちょっとだけのぞかせているではありませんか!
高さにして自分の身長の2倍、3mはあるでしょうか。ちょうどそこから飛び降りて、着地できるほどのスペースはあります。
「こ、これは…!意外といけるんじゃないか!?」

といっても下はコンクリートの床。失敗して大怪我をしてしまうかもしれません。しかし、ハシゴをほとんど諦めていた僕にとっては、もうこれ以上選んでいる暇はありません。

「よし、いくか!」

万全を期し、外へ向かって屋上の縁に腰をかけ、深呼吸し

「それ!!」

飛び降りました。





ドサッ!

着地。しりもちをついて仰向けに倒れる僕。内蔵に衝撃…。
さらに悪いことに、テラスは僕の左右で微妙に傾斜していたので、着地のバランスを見事にくずし、右足のかかとに衝撃が集中していたのです。
およそ3mの高さからコンクリートの地面に飛び降りた右足へのダメージはかなりひどく、しばらくの間そこにうずくまってしまいました。

片足をひきずりながら歩いて会社の車に戻っていると、同じ現場の仕事で来ていた左官職人のおっちゃんに
「お前、さっきそこで飛び降りたやろ?」
と声をかけられ、
「はい。ハシゴで降りるのが怖かったので」
と答えたら、
「お前、馬鹿だろう?」
と、ガハハと笑われてしまいました。見られていたか…。


ハシゴが怖くても、屋上から飛び降りてはいけません!いてー。(ざる)

(寸評)俺も高所恐怖症あるからわかるぞいっ!
どうせチビチビ恐怖を味わうなら一気にいってしまいたい気持ちが。
ただ・・・本当に無事で良かったな。
死ぬと、スケベ~なことも一切出来なくなるからな。
ホントだぞっ! 6ポイント。

初めての野グソ(汚い話でスミマセン)


つい最近の話です。
その日、僕は高校時代の部活の同級生、後輩、先生と飲み会をしました。焼き肉をモリモリ食べ、ビールをグビグビ飲み、昔話に花が咲き、とても楽しい会となりました。
その帰り道。飲み会の会場から自宅までは徒歩40分くらいの距離があります。その道を、ほろ酔い気分で歩いていました。
半分くらい歩いた頃でしょうか。妙な違和感を感じました。何か恐ろしさを感じるその違和感は、急な腹痛と突発的な便意であることがすぐに分かりました。
それはすぐに分かりましたが、近くに店なんてありませんし、公衆便所なんていう素敵な場所もありません。しかし、食べ過ぎないし飲みすぎが祟ったのか、腹痛と便意はいつも以上に激しさを増していきます。
徐々に焦りを感じる僕。いつどうなってもおかしくない状況の腹。体中に、暑さとはまた違った意味合いの汗が伝います。

自宅まであと10分足らずのあたりにて。徐々に強力になってきた便意がいよいよ防壁を破り、気を抜いたら間違いなくゲームオーバーな状態になりました。
その時。僕は何を考えたのか、おもむろに道ばたの草むらに駆け込みました。そして、あたりに人影や車の気配が無いのを確認してから、ズボンを下ろしたのです。しゃがみ込み、一気にお腹に力を入れ、そして…。

それから先のことは、よく覚えていません。適当に近くにあった葉っぱでお尻を拭いた後は、しまうべきモノをちゃんとしまわないままに、逃げるようにしてその場を後にしました。実を言うと、ちゃんと拭けてたかどうかよく分かりませんが、それでも逃げるようにして去りました。
この一件があってから、今のところその現場付近には近づいていません。あの時排出されたアレが、僕を睨み付けてくるような気がしてならないので。(たちつ亭と~助)

(寸評)いやいや、野グソなんてーのは、男なら平均生涯で100回ぐらいはするから(発展途上国も含めた世界的なグローバル計算)。なんてことないよ。
俺が始めて野グソをしたのは、佐渡にサイクリングに行った時、バス停の待合室でのこと。
ちょっと離れた草むらでおもむろに脱糞していたら、突如誰もいなかった道に次々と懐中電灯を灯した人々が。
一瞬、妖精が僕の出したものを食べにメルヘンチックにヒョロリラ~とやってきたのかな~、と思ったら、単に近くの町でお祭りが始まっただけだった・・・。
辺鄙な田舎での野グソとお祭り。
一生記念に残る思い出糞になった。7ポイント。

初めての富士登山


「なぜ山に登る?」と聞かれ「そこに山があるからだ」と答えたジョージ・マロニーは、その翌日エベレストに挑み、その途中で生涯を終えました。俺はマロニーのようにはなりたくないけれど、彼の気持ちは少しだけ分かるような気がします。山があれば登ってみたくなる。ましてや「世界一の山」なんて言われればなおの事だ。
 ということで、いきなりエベレストに挑むのもなんなので、まずは日本一の富士山に挑戦!

 出発は朝7時半、新宿発の富士登山ツアーのバスに乗り込む。ぐっすりと眠っているうちに富士5合目に到着。寝ているだけでもう半分も登れた。これは幸先がいい。
 昼食を取り、少し休憩してから、登山開始。しばらくは、ハイキングコースのような緩やかな坂道が続く。「こりゃ余裕だな」と思っていると、やがて砂利道に。徐々に斜面も急になり、歩きづらくなっていく。すでに雲は足元よりもはるか下にある。それでもまだまだ元気いっぱいで、夕方4時過ぎ、8合目の山小屋に到着。
 ここで夕食を取り、夜中の0時まで仮眠。ここで是非、皆さんには覚えておいてもらいたい。この山小屋、小屋に入った順番に仮眠をする場所が決まります。ということは、かわいい女性の直後に小屋に入れば、必然的にその娘の隣で寝ることになるのです。
 そんなことも知らない俺だったけれど、幸いにも隣は20代後半くらいのきれいな女性。仮眠スペースは肩がぶつかるくらい狭い。標高3000mを超える高地で、俺は眠れない夜を過ごしたのだった。(股間に大きな富士山を立ててしまいそうだったが、それは必死で押さえた)
 そして深夜0時、山頂に向けて出発。ここからが辛かった。真冬並みの寒さだし、真っ暗だから景色も楽しめない。星はきれいだけれど、一歩足を滑らしたら死が待っているような状況で、空なんか眺めている余裕はない。俺はただひたすら足を運び続けた。
 歩き続けること4時間。山頂に到着。周りから次々と「着いたー!」と声が上がる。富士の山頂でも石川さんの存在の大きさを思い知らされた。東の空はうっすらと明るみはじめている。そして待つこと30分、山頂にご来光が射した。山頂に拍手が沸き起こり、午前5時にして本日のクライマックスを迎えた。
 そしてご来光を拝むと、早々に下山開始。それにしても下山は辛い。上りよりも、下りの方がずっと辛い。さっきからずっと頭の中で流れ続ける「奥さん、あんたご来光でしょ」というささやき声にクラクラしながらも俺はひたすら斜面を下り続け、約5時間後、5合目に到着。バスに乗り込んだ瞬間、俺は眠りの中へ転げ落ちていった。

 いや~、本当に辛かった。初めての富士登山に挑戦して学んだことは、「そこに山があるからといって、そんなに気軽に登るもんじゃない」ってことでした。(DO)

(寸評)俺は六合目までしか登ったことがないなー。
しかも去年。しかもなんじゃもんじゃ会。
ということで六合目で横を通り過ぎる登山者を尻目に、ギターかきならしながら「秋の風」を熱唱した。
頂上まで登ったら「40のマスカキ」がせいぜいだったろうな・・・。6ポイント。


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