ドキドキドキリコ初体験(59)
はじめての玉突き事故。
つい3日前、通勤途中に片側2車線の国道を走っておりました。
私の仕事は昼休憩が長くいつも一旦お家に帰るので、午後の部の出勤途中の事でした。
私が走っていたのは左側の車線。
交差点に差し掛かり、赤信号だったのですでに3台の車が停車していました。
減速しながら3台目の後ろに付き、間もなく停車する時です。
右車線の後方から、なんだか鈍い音が。
うん? 誰か事故でもしたか? と思いバックミラーを見るとシルバーの車が右後ろ方向から自分の車に突っ込んでくるのが見えました。
え? ええええええ!?
と思った0.5秒後にはものすごい衝撃と顔面に直撃するエアバッグ。
たぶん5分くらい意識が飛んでいたと思います。
焦げ臭い臭いで気が付き、ぼんやり目を開けると、もう何がなにやら分からなくなった車内で前方のパネル部分から煙が出ているのが見えました。
あかん! 車が燃える! 死ぬ!
とにかく車から出ないと。と思ったのですがその前にipodを…たまのお宝映像と貴重音源がたくさん入ったipodを探さないと!
と、朦朧とした意識の中、一瞬にしてひっちゃかめっちゃかになった車内からipodを探し出し、運転席のドアを開けようとしたが別の車密着した状態で開かない。
えー! ならば助手席。ロックが壊れたみたいで開かない。
ええー! 前の方の倒れてきてる後部シートを押し戻してなんとか後部座席にもぐりこみ右側のドアを開け…開かない。そもそもドアの形をしていない。
えええー! 結局後部左側のドアを足でガーン!と蹴って外にゴロゴロゴロと転がり脱出する事が出来ました。
出られないと思ったときの恐怖感といったらもう…。
車外に出て初めて分かったのですが、すごい台数の車が事故に巻き込まれていたようで2車線と右折レーンの計3車線が全て塞がった状態でした。
路肩には怪我をした人達がうずくまっていて、ものすごい状況。
私はといえば、息を吸うことが出来ない状態で、左足と左腕も動かせないし、あぁ散らばったガラスが刺さってる…と思いつつも路上に転がっていました。
そこに、たまたま通りがかったオフ日の消防隊員の人が車を降りてきて怪我人を並べて「どこが痛い?」「息吸ってみて」「名前言える?」とテキパキとその場を仕切ってくれました。
なんでそんなものを車に積んでいたのか分かりませんが、タオルやら氷やらを自分の車から持ってきて怪我をした人に巻いたり、冷やしたり。
(今書いてて思いましたがあれはバーベキューでもするつもりだったのかも知れません。きっとそうだ。)
そのうち救急車が来たのですが、救急隊員の人にも「この人はこれこれこうで」「この人一番に搬送で」とかまたもやテキパキと指示を出し、朦朧とした意識の中、なんて格好良いんだ…と感心していましました。
到着した救急車は3台。負傷者はなんと8人。ぎゅうぎゅう詰めで救急病院に搬送されました。
病院に着くと、なにせいっぺんに8人もの人が運ばれてきたので、そのてんてこ舞いぶりは傍目にも分かります。
患者を取り違えないように全員腕輪のようなものを嵌められ、そしてあのムチウチの時に着ける首を固定する道具。
交通事故の時にはとりあえずあれを装着する決まりになっているようで、全員が首を固定され長椅子に並んでいる様子は、さながら野戦病院でした。
流れ作業のように一人づつ診察を終え、後に警察の事情聴取があるというので、終わった人から順番にロビーで待たされました。
その後分かった事は、車7台が絡む事故であった事、一台の車が右車線の車2台を跳ね飛ばし、何故かその後左車線に突っ込み私の車に激突。
勢いで私の前の3台も次々と追突した…という事でした。
その車は終始ノーブレーキだったそうで、とても正気の沙汰とは思えないのですが、何せあまりに悪質だというので結局はその車の運転手一人が「被疑者」あとの人は全員「被害者」という事で調書を取りました。
車数台が絡む事故では滅多に無い事らしいのですが、全員が100対0。
被疑者は業務上過失傷害で裁かれるらしいのですが、私の車と私の前の車は廃車。
私は直接激突されたのでその中でも一番ダメージが大きくて、骨折などはなかったものの当分リハビリに通う羽目に…。
治療費などはもちろん保証されますが、正直そんなもんでは納得いかないこの気持ち。
みなさんも事故にはくれぐれも気を付けて……と結びたいところなのですが、気の付けようのないこんな事故もあるんですよね。
信号待ちで後方がら猛スピードの車が激突してくるなんて誰が予想しましょうか。
王様の「痛かった話」に投稿しようかとも思いましたが、痛かったというより今現在痛いのと、長文になるのでこちらにしました。
お付き合いありがとうございました。首痛ぇ。 (サカナ)
(寸評)いやあ良かった。死ななくて。いっそ運が良かったと思う方が気持ち的には楽かもね。
それにしてもこういうのはどうしようもないね。ま、今後捜査が終わってからじゃないと分からないだろうけど、ノーブレーキということは自殺とかの巻き添えかもしれないもんね。たぶん加害者も普通の精神状態じゃなかった気がするね。
ともあれ、投稿できるくらいの怪我で良かった。
その分の貯まった「いいこと」貯金が、きっといつかやって来るよっ! 8ポイント。
便器が詰まる、そしてマーフィーの法則
私はアメリカの片田舎で8人くらいのアメリカ人ルームメイトと大きな一軒家に住んでいます。
今朝生まれて初めて便器が詰まって流れない体験をしました。
そんな時に限って生理中で下痢で、時間をかけて準備した大切な会議があるのでいつもより早く家を出なきゃいけないです。あぁマーフィーの法則。
ルームメイトと言っても赤の他人だし血のつながった家族とは違うのでさすがに下痢生理の便器の前には呼べないしそのまま放置して出かける訳にも行きません。
泣きたかったです。
けど泣かなかったです。自分で自分をほめてあげたいです。 (Sabina)
(寸評)ということは、相当な後処理を?
むーーーん。・・・ご苦労様。6ポイント。
!!!!!!お食事中の方には不向きな内容です。ご注意下さい!!!!!!
生まれて初めて検便提出しました。
正確には2度目ですが、家で採取したのは初めて。以前はボットンだったので、家ではできなくて。
最近の検便の容器は薄い筒になっていて、中心の細い穴に蓋と一体型の棒がついてるんですね。
以前は直径1センチくらいの丸い筒で、棒の先がスプーンになっていたのですが。
しかし、この検便が厄介で、毎朝宿便がない私には、2日連続で朝の便を採取するなんて大変でした。
前夜は水分をとって体操をして寝ました。で、朝起きると・・・便意全くなし。
それでもお尻を落とした姿勢で座っていれば出るかと思いトイレに行きました。
容器と同封の便器に敷く、便受け取り紙シートを敷きました。
ウーーーーン・・・ウーーーーン・・・やっぱ出ない・・・
ウーーーーン・・・あ、出そう。・・・・・・・・・ぽろっ。×3。
ウサギか鹿か、ってくらいの粒が3回出た!よし、採取だ!!
立ち上がって容器を手に便器の中を・・・・・・あれっ!?ナイ!!!
確かに産んだはずの3粒がない!
あまりにコロコロしていたので、シートを転がって、水の中に落ちてしまったようでした。
泣きたいー!力を振り絞って産んだのにー!
仕方なくシートはそのまま流してしまい、ご飯の後に再チャレンジ!
便器にトイレットペーパーを敷き、緊張して座りました。すると同じ様な粒が2つ。良かった!やっと採取できます。
容器から棒を取り出して、便にくっつけました。しかしコロコロなので触っただけでは棒についてくれません。
じゃあ、と、私は棒をコロコロの便に突き刺しました。
今度は団子みたいに刺さって、抜けなくなりました。
微かなトイレットペーパーのシワに引っ掛けたりひっくり返したり、焦って焦って、何とか抜く事に成功しましたが、この貴重な2粒も、危うく水の中に落とす寸前でした。
2日目は、前夜に食物繊維を多めに摂取した甲斐があって、すぐ出ました。
検便って、なかなか手ごわいんですね・・・。(秘密の座席)
(寸評)おぉ、便秘の多い女性は検便ひとつも必死なのね。
浩司君、よーく分かりました!
でもコロコロだといいよね。かわいいし。キャハッ! 7ポイント。
はじめての100倍カレー
ある日、友人とカレー屋に入ったときのこと。
その店は~150倍まで辛さを調節できるそうで、僕と友達の一人は軽いノリで100倍を注文しました。こういうのは、なんだかんだ盛り上がりながら食べられるもんだと思い、何も気にすることなく来るのを待ってました。
いざ、カレーが運ばれてくると、目を疑いました。
ルーが真赤!!しかも具が全く入ってないし。ちょっとやばいなと思いつつ、一口。
・・・
・・・
・・・!?ゴホッ、ゴホッ。
食べた瞬間、もう駄目だと思いました。
食べれば食べるほど、口は痛く、胃は痺れ、ものすごい汗が出てきました。しかも、椅子にふつうに座っていられなくなり、危険だと思い食べるのをやめました。
お店の人によると辛さというのは痛みだから、痛みの耐性をつければ誰でも食べられるようになるみたいです。常連さんなんかはペロッと食べちゃうそうです。逆に耐性がついてないと、人によっては、倒れこんでしまうそうです。結局、ルーをほとんど残したまま、店をでて、ホッと一安心。
しかしほんとの地獄は、翌日のトイレだったのです、うぎょー、痛てー。(ちょんぼ)
(寸評) 若いとそういうのにゲーム感覚でチャレンジしたくなるよね~。
向こうもそういう若者がいるのを分かってて「チャレンジしないかい?」と誘っている商売戦略なんだろーな。6ポイント。
はじめての禁煙成功
会社役員が離煙パイプという禁煙器具のチラシを喫煙する社員に配っていました。
煙草をやめたいという気持ちはあったので興味はあり、ちょっと買ってみようかと思いました。しかも12000円!!1日数%づつ、脳がストレスを感じない程度にニコチンをカットするという代物。一か月吸い続けると、吸ってないのと変わらないくらいのニコチン量になるそうです。
正直、パイプ自身に吸いたい衝動を抑える効果はない感じがしました。
それをつけて吸うことにストレスを感じます。ただ、12000円出したこと、禁煙導入期間が一か月もあることで、やめられなければこれらが無駄になるという感じです。
禁煙開始後、あいかわらず吸いたい衝動が抜けないまま、数日が過ぎ、夢の中で、ほんとに何度も煙草を吸う夢を見ました。しばらく苦しんだ後、気分転換にジョギングをしたところ、これが効果抜群でした。頭がすっきりして、気分爽快で吸いたい衝動がなくなります。
禁煙からもうすぐ一年。ジョギングのおかげで今では吸いたい衝動は一切起こりません。
煙草をやめたい方、参考までに。(ちょんぼ)
(寸評) あー、分かるなあ。「12000円払った」というもったいない観念がやめさせられるとこ大きいかもね。これが120円だったら「まぁいーかー」になっちゃうんだろうけどね。6ポイント。
初めての生爪はがし
小学2年生の時の事です。季節は晩秋、稲刈りが終わり水の抜けた田んぼに行っては、ザリガニの巣穴に手を突っ込んでは逃げ場の無いザリガニを捕獲して回っていました。水中のザリガニとは違い、確実に穫れるので喜々として捕っていました。連日田んぼの泥穴の中に手を突っ込んでいたので、そのうち右手の小指の爪の付け根が辺りが化膿してしまいました。ザリガニ捕りを休止して様子を見ていたのですが、化膿は悪化する一方で、遂に病院に行かざるを得ないと判断され、親に連れられて今は有名な廃墟となっている病院の外科に向かいました。
診察が始まりました。先生は患部を消毒したのち、ピンセットで小指の爪の先端を摘みました。つかんだ爪を左右に揺らし、「あー、グラグラだね。こりゃあダメだよ」と言った後に、突然爪を引っこ抜きました。
「のわーーーーーーーーっ!」
突然の事に衝撃と悔しさでいっぱいです。そして痛みと共に涙が溢れてきました。
しばらくの間は痛みましたが、痛みが引くと今度は患部がどうなっているのか興味深々です。爪の無い小指。爪のあった部分はツルツルのお肉があるだけです。やがて爪が生えはじめると、徐々に伸びていく爪のすがたはとても愛おしいものでした。
穴いじりは程々にしないと…。これを書いていてそう思いました。ガフン(T.E.E)
(寸評) 俺が小学二年で転校したクラスの一番のワルは「生爪はがし」が必殺技だった。
あれは想像するだに怖かったなぁ。メリメリメリッ!
ちなみにその友達はその年で少年院に入っちゃいました~。6ポイント。
初めての510円ハゲ
あれは忘れもしない2008年2月の事。某浩司さんが一ヶ月の長期に渡ってチェンマイに避寒のために滞在するというのを聞きつけて便乗することにしました。
行くに当たって、現地は汗かきの自分にとっては些か暑かろうと言うことで、事前に床屋に向かいました。
店員さんは皆知った顔ぶれで、だから故になかなか床屋を変えることはできないというシステムにいつも感心しながら、自分の番が来たので椅子に着きました。
「暑いところに行くので短めに」との注文を伝え、櫛を入れた刹那、「あれ、あるんだね。」と言われました。いつもは暗黙の了解で順番を変えてでも店長さんが担当していたのですが、店長が不在であったために、別の理容師さんが担当。初めて触った僕の頭を見て発した一言でした。
こちらとしては何の事だか解りません。「何がですか?」「いや10円ハゲが…」「ええーっ!本当に?ドコ、ドコ?」
頭頂部を触れられ、手鏡で見せられ、存在を確認しました。いやいや、待ってくれ僕も知らなかったぞ、そんなハゲの存在は…。「このパターンだと、大体もう一個あるんだよねー。」と言うが早く捜索が開始され、右側頭部にも500円玉大のハゲが発見されました。
「何かストレスでも溜めてるんじゃない?」
全く心当たりがない…。ストレスと言えば全てがストレス。どうしようもない世の中に抗う事を、ストレスを感じても無駄だと気がついてから10年。ストレスとは無縁の生活を送っていたはずなのに…。胃痛も頭痛も無い素晴らしい生活を送っているのに…。
結局、短くすることはせずにハゲが隠れている現状の髪型を維持する程度の散髪とし、店を出ました。
円形脱毛症…。
その後、皮膚科に行くなり様々な考えうる策を講じましたか、結局はハゲを気にすることが最大のストレスと気がつき、放置する事に決め、半年もすると何もなかったかのように現状回復しました。
思い当たるフシの無い突然のハゲの出現。症状に見舞われた人を幾度も見てきましたが、まさか自分の身に起きるとは思いも寄らなかっただけに衝撃的なものでした。(T.E.E.)
(寸評) 俺も実はある。だけど頭じゃなくてヒゲなのだ。口の下のヒゲに一部生えないところがあるのだ。
なので、立派なヒゲの紳士になる夢は潰えたのだ・・・。 6ポイント。 (石川浩司)
初めての外国で迷子
2008年2月の事。某ミュージシャンの方が一ヶ月の長期に渡ってタイのチェンマイに避寒のために滞在するというのを聞きつけて便乗することにしました。
航空券は最寄りの代理店で格安航空券を手配し、宿泊するゲストハウスへはインターネットで予約を済ませました。ゲストハウスとのメールのやりとりの中で、「有料になるけれど、宿から迎えの車を出すけど必要ですか?」との申し出があったので、喜んで申し込み「到着ゲートで名前を書いたカードを掲げて待ってます」との返答をもらいました。
準備万端、用意周到、意気揚々とチェンマイ空港に降り立ちました。
午後6時。国際線のゲートを出ると客待ちのプラカードを掲げた沢山の人々が待ちかまえていました。しかし、そこには私の名前がありません。いくら見回しても無いのです。降りてきた乗客は次第に消え、そしてロビーには誰も居なくなりました…。
後に解った事なのですが、チェンマイ空港には国内線と国際線のゲートがあり、海外から乗り継ぎで来た旅客は手荷物の関係で国際線のゲートから出る仕組みになっているのでした。しかし、迎えに来ている人からすれば、到着の便名だけを知っているのですから、国内線のゲートで待つのがセオリーであり、ここで行き違いが生じてしまったようです。
さて、困りました。宿に関する書類は全く持ってきていませんでした。プリントアウトしていなかったのです。迎えに来てくれる事が前提だったので、全く無防備でした。宿の名前もうろ覚えで、空港内のインフォメーションカウンターに寄ってゲストハウスのマップを貰いましたが、そこに目的の宿の記載はありませんでした。時間はどんどん過ぎていきます。行動を起こさねばと、ボンヤリと覚えていた所在地の地図のイメージを脳内に呼び起こし、タクシーの配車カウンターに伝えました。
タクシーに乗り込み旧市街を目指しました。濠に囲まれた旧市街の南西の位置に目指すゲストハウスがあるはずです。がしかし、よく解らないが、ここまでだと言うことで濠の外側で降ろされてしまいました。
これも後に解ることなのですが、当日は花祭りが濠の内周道路を封鎖して開催されており、タクシーはその渋滞にハマることを嫌がって、降ろされてしまったのでした。
さて、いよいよ参りました。ここからは手探りで行くしかありません。既に日が暮れた、真夏の気温の言葉も通じぬ見知らぬ町で独り。地図も無い。トランクケースを引きずりながらとにかく歩きました。汗は滝のように流れ出し、焦燥感は増していくばかり…。
見当をつけた路地を折れてぐるっと一周。しかし宿は見あたらない。元居た場所に戻ってきました。ふと、下調べの中でフリーのwifiが使えるカフェが近所に在った事を思い出しました。疲労困憊の状況でしたが、濠の外側にあるそのカフェの対岸まで進み、ノートパソコンを立ち上げ、無線LANのスイッチを入れると見事に受信できました。
やっと開いた宿のホームページには、とてもアバウトな地図しか載っておらず、唯一の手がかりになりそうなのは電話番号のみ。
開いたノートパソコンを片手に、頼りにならない地図に従って、とっぷりと日の暮れた町を歩き続けました。
いよいよ見つからないので、夕食を済ませて店先でまどろんでいる暇そうなオバサンのやっている花屋に飛び込みました。
言葉は全く通じない。ノートパソコンの画面を見せて、身振り手振りで会話にならない会話をすすめます。すぐ近所のはずなのですが、宿の位置が解らない様子。掲載されていた電話番号に電話をしてくれたのですが、留守番電話になってしまうとの事。「いよいよダメか…。」焦りが頂点に達しようかというその時、そのオバサンの娘さんらしき女性が子供を連れて帰ってきました。オバサンと二言三言会話をすると、案内するから親子に着いて行けとの事。やっと宿に着ける!トランクからこんな時の為にと買っておいた日本土産の海老煎餅(ex.坂角・ゆか閨jを取り出し、オバサンにお礼ですと言って押しつけて、娘親子に付いて店を出ました。
宿は花屋から5分くらいの距離にありました。探し回っていた時に、曲がって引き返してしまっていた路地の次の路地に存在していたのです。
送ってくれた親子に丁重に感謝の意を伝えて宿にチェックイン。すでにフロントは閉じていて、留守番のオバサンが携帯電話を片手に宿の軒先のデッキのテーブルで待っていました。電話がつながらない理由は、これで判明しました。
午後9時少し前。やっとの事で部屋に着き荷を解いて、某ミュージシャンと合流。空港からタクシーで15分の距離を3時間もかかった事を爆笑されました。
明けて翌日。某浩司さんと近くの食堂で食事。その店で昨夜案内してくれた娘さんが働いていて会釈。ちょっと気恥ずかしい。食事を終えてデパートに向かう途中、助けてくれた花屋の前で「ここが昨夜飛び込んだ花屋です」と説明すると、某浩司氏は、もの凄くニコニコして、「ここ、棺桶屋だよ」と指摘して下さいました。
昨夜は慌てており、状況がつかめていなかったのですが、冷静に見れば確かに棺桶屋でした。花も造花ばかり。通り過ぎた店の建物を振り返って、某浩司氏に指さされた壁面に描かれたペイントには大きな棺桶が描かれていました。
海外に行くときは、せめて宿のメモだけは持って行くべきだと痛感しました。(T.E.E.)
(寸評) これはなんせリアルで聞いてたから笑ったなあ。
なんせ片手にトランク、片手に開いたままのノートパソコンを持ってうろうろしているなんてそんな怪しい奴は、チェンマイじゅうまわったってまずいないからね~。
俺たちも「どーしたんだろう?」と言いながらどこに迎えに行ったらいいかも分からないので、飲んだくれていました(笑)。8ポイント。
初めての急性胃炎
何年か前、いつもは目覚ましが鳴ってもまだ眠くて二度寝しちゃう私が、なんと腹痛によって起こされました。
仕事に行ってしまえばもう忘れるだろうと思い、食欲のない胃袋に水分だけでもと流し入れたのがハーブティー。
これが最悪でした。胃が「やめて!」と言ったかのように元に戻ってきてしまいました。
何も食べずに出勤。仕事をしようとしたのですが、どうしても腹痛が治らない。
仕方なく帰宅すれば今度は真夏だというのに寒い!
トレーナーを一枚着て病院に行ってみると、やっぱり熱もありました。
待合室で座ってるのがやっとです。やっと順番が回ってきて診断の結果、
「急性胃炎」でした。
「昨夜何か変わったもの食べませんでしたか?」
そう言われても、思い当たる物はなかったんですが、数日してヨーグルトを風呂上りに食べたのを思い出しました。
乳製品が体に合わない人がいると聞いた事はありますが、まさか私だったとは。
でも、胃炎で熱が出るなんて初耳でした。あの痛みはもう味わいたくないので夜は乳製品の摂取はあれ以来していません。(秘密の座席)
(寸評)君の乳製品を摂取したいです。ちうちう。 5ポイント。
初めての肺炎の一歩手前
10年前、体の痛みから始まり熱が出て、38度以上が3日も続いたんです。
父に車で送ってもらい病院で診てもらうと、「肺炎の一歩手前ですね。」
そう言われました。
3日間、寝てゼエゼエしているしかなかった苦しさが、一歩手前?じゃあ肺炎って一体・・・。
咳も出てきて、一ヶ月止まりませんでした。怖いです、風邪って。(秘密の座席)
(寸評)俺、4歳までの間に肺炎5回くらいやったらしい。
医者に「今夜がヤマダ・・・」と言われたことも二回くらいあったとか。
両親、すまねえ、世話かけた。4ポイント。
初めての新種の虫
立派な初体験しました!私にとっては嘘のような体験です。
気がつけば、夏になると出てくる茶色の虫(ゴ がつく4文字の虫)が気持ち悪くて大嫌いだった私。
家の中で遭遇すると声も出せないでただ逃げるだけ。始末は母に任せていました。
そして今年、部屋に小さな虫発見!何の虫?ハエくらいのサイズだし・・・
その時薄っすらとあの名前が脳裏をかすめましたが、私は頑張った!
違う!これは新種の虫だ!外から飛んできたんだ!!きっとそう、いや、そうなんだぁー!
そう言い聞かせ、ティッシュペーパーを2枚手に取り、上から潰しました。
私エライ!凄い!やったぞ!やれたんだぞー!
・・・そう言い聞かせているってことは・・・あの虫だって確信してるって事ですけど・・・。でも頑張ったんです。
でも大きいのの退治は絶対に無理!!!(秘密の座席)
(寸評)大きいの潰すとグシャッメリメリメリって音がするよ。甲羅が割れるんだね。変な液体も出るよっ! 6ポイント。
はじめての紐パン
看護師「紐パン買ってきてもらって」
りあ「・・・」
足に骨を支える機器がたくさんささっているため、
ふつーのぱんつははけないんです。
ひひひ、紐パンなんてもっと美人でセクシーな人がはくもんなんじゃないの!?Σ(;゜д゜)
入院は驚きでいっぱいです。
さて、友人たちが各自お見舞いの紐パンをもって現れました。
あけてみるとー・・・
か!かわいい!!!(どーん)
さすが友人たち。あたしのヒットポイントをよく知っていらっしゃる。
こんなかーいいのがあるのかぁー。よしはこう。
はいてみると・・・ぎゃふん。
毛がかくしきれないorz
面積せま!
紐パン面積せま!!!
まーしかたないからはいてます。
ある意味セクシー。(りあちゃん)
(寸評)今度、面積せま!!!付けてるところ見せてね。
ああ、ちょっと介護の勉強をしたいだけですよ。はははっ! 6ポイント。
はじめてのおむつ
兎に角大怪我だったので、ベッドからあがることができない。
で、1ヶ月くらいおむつですごしました。
小は専用の管でとるかたちだったので、おむつは大用。
その、おむつで用をたすのが気持悪くて気持悪くて、老いぼれになった時は死ぬまでおむつなのかと思うとΣ(;゜д゜)ガーンなほど。
赤ちゃんだってあれは泣くわ。
ところでおむつプレイにスカト・・・
なんでもないです。(りあちゃん)
(寸評)癖になって「もうあたしには、トイレなんかいらないの。ふふ」ってな感じになったりして・・・。6ポイント。
はじめての姉妹愛
旦那と結婚して姉ができたのですが、人見知りのあたしにしては随分あっさり仲良くなりました。
電話したりメールしたり、お揃いのネックレスを買ってもらったり。
可愛がられてるなぁ。あたし可愛いからなぁ。
その姉が、泥酔しているときに、こんな事を言ってくれました。
「妹ができて嬉しい」
泥酔してる人ってそーゆー嘘はつかないと思うんですよね。わかんないけど。
ああ、あたしはこの人の妹なんだなぁ。姉妹なんだなぁ。て、なんだか包まれる気持ちになりました。
結婚て向こうの家族との愛称はかなり重要なポイントですよね。
もちろん義母・義父からも愛されてますよ。
りあは恵まれているのです。(りあちゃん)
(寸評)良かったね~。俺も男兄弟しかいなかったのに、結婚して姉妹が突然出来た。
何か変な感じだけど面白いよね。5ポイント。
はじめての「クララが立った」
入院・リハビリ3ヶ月目にして、ようやく歩く練習がはじまりました。
それまでは曲がらなくなっていた膝をむりやり曲げられるのが主なメニューだったので痛くて痛くて泣きながらの、かなり憂鬱なリハビリだったんですが。
やっと立ったんです!
手放しでは10秒くらいしかもちませんが(笑)
平行棒で体を支えつつよちよち歩き。
母に、やっと10ヶ月児くらいになったねと言われました(笑)
友達からのメールではどいつもこいつも
「クララが立った!」
と決まり事みたいにみんな同じ事言うし。
中にはペータ(だっけ)やおじいさんにまで知らせてくれた人もいました(笑)
歩く練習は楽しいです。
早く補助なし歩きたいなぁ。(りあちゃん)
(寸評) 俺はよく「クララが勃った!」と言ってます。
・・・スマン。 5ポイント。 (石川浩司)
はじめてのヤクザな友達
同じ病棟に、背中に絵ぇ書いてある人がいます。
こ、これがヤクザなの!?Σ(;゜д゜)
顔もかなりコワモテ。
なるべく近付かないようにしてたのですが、ある日。
廊下でふいに、目があってしまったのです。
わたしは死を覚悟しながら(ごめんなさい、今ちょっと嘘つきました。)その人に、
「こ・・・こんちわ」
すると、
「こんにちわ」
と普通に返事が返ってきました。
ちっさい声で。
それで顔見知りとなり出くわした時はまず挨拶。
車椅子のあたしのために椅子をどけてくれたりもして、
実は彼は、ただの心優しいシャイじじいだったのです。
どーん。
今まで避けててごめんね!
私の方が退院あとになると思うけど、暫くの間仲良くしてネ!あまのさん!(りあちゃん)
(寸評)例えその筋の人だったとしても、何も常に怖いわけじゃないからね。
それに事前に注意できるし(笑)。
逆に一般人が逆上してキレタ時の方が怖いかも。 6ポイント。
はじめての点滴地獄
だいたいあたしゃ一日3食、パン一枚でいーんだよ。
しかも大怪我で足いてーんだよ。
こんな健康的で温かくて味も美味しい病院食なんか、食えるか!
・・・なんの話かといいますと、点滴。
入院したてはどうしても食事がとれなくて、栄養の点滴さされてたんです。
が、あたし血管がみつけにくい腕らしくて、
どの先生も1時間くらいさしたり抜いたりしたんです(;´д`)
いーたーいーーー!(泣)
途中、休憩をとる先生もいました;
この点滴地獄にどうしても耐えられなくて、
ちょっとずつ頑張ってだいぶたべるようになりました。
もう点滴やだから退院するまではこの健康的で温かくて味も美味しい病院食を頑張って食べる所存です。 (りあちゃん)
(寸評)俺も点滴苦手。あの長時間体を動かせない束縛間が駄目。
しかし一時間も抜き差し・・・ち○こなら気持ちいいのだが。6ポイント。
はじめての千羽鶴
入院の多いワタクシですが、千羽鶴を贈られたのは初めて。
義母が折ってくださったのですが、 義姉の話によるとおかーさまは寝る間も惜しんで折り続けていたとか。
・・・(´;ω;`)ママ-ン。
千枚も折り紙するなんて考えるだけで気が遠くなる。
あ、でも中に旦那の折ったのも混ざっているそうです。
・・・2羽。
どうもありがとうございます。(りあちゃん)
(寸評)鶴、折れない・・・。
ってか俺は鶴のつもりなのに、誰も気づいてくれなかったなあ。ただのグチャグチャ。5ポイント。
はじめての「メス」
手術のときに足の中に入れたピンを抜くことになって、処置室へ行きました。
「中に入ってんでしょ?どうやって抜くの?」と私か問うと、
「切って抜く」と。
・・・あんぎゃー何を言い出すんだこの男は!!!
「部分麻酔するってば(笑)」
あ、麻酔すんのか。びっくりして得した。
さて麻酔注射。
・・・先生、手が震えてます(´;ω;`)
いつもの調子なら「せんせー手ぇ震えてるよ(笑)」とか冗談でからかうとこなのですが、さすがにこの時は声も出せず息も殺しました。
と、注射が終り先生の一言。
「メス!」
・・・生で初めてきいた。カコヨス。
そして私の足にすぅ・・・っとメスが入り・・・血。血ぃどばー。
そして器用にピンを取り除く先生。そして針。
最初は、そんな震えた手で大丈夫かよ!と思ってたけど、さすが人気名医。
せんせーカコヨス!!!
と、先生のひとこと。
「これうまくいって一番驚いたのは俺だからね^^」
・・・Σ(;゜д゜)(りあちゃん)
(寸評)ははは。先生も自分の言葉に酔ってたかもね。6ポイント。
初めての歩行器
最近ようやく歩く練習がはじましまして、 最初はつかまり歩きだったのが、歩行器も使うようになりました。
母につかまって立てるようになったよ、とメールしたら、やっと10ヶ月児くらいになったね
と返されたのですが、たしかに、あたし、赤ん坊のような道を進んでいるような。
寝たきり
自分で寝返り
おむつ
つかまり立ち
歩行器
あ、ハイハイとばしちゃったか。
歩行器つきでも、歩くのはとっても楽しい。
歩行器慣れたら次は松葉杖だそうな。
うふふ けきゃきゃ たーのしーい。(りあちゃん)
(寸評)おー、進歩を実感してるのね。
そのうちかけっこで一等賞が取れるよっ! 6ポイント。 (石川浩司)
はじめての松葉杖
すっごく難しいです。
あたしは両足とも骨折しているから、上手に体重かけないとまた骨折してしまうのです。
5歩くらいしか進まず・・・断念orz。
主治医の意図としては歩行器よりも松葉杖を使って欲しいらしくて;
でも最終的には支えなしで歩かなくちゃいけないんですもんね。
今日もリハビリ頑張るよー。(りあちゃん)
(寸評)両足骨折なのか、それは本当に大変だな。
でも大丈夫。これだけ投稿出来る気力があるんだ。きっと直りも早いよ!
お見舞いポイント、10ポイント。
へびを首にぐるぐるまきにする夢初体験。
私はへびとか好きなので一度首に巻いてなでなでしてみたいと思っていたのですが、チュニジアに行ったときにそういうサービスがあったのでやってみました。
おじさんがへびの頭をつかんで私の首に巻いてくれて写真を撮らせてくれるのですが、私はおじさん、私怖くないから手、離しても大丈夫だよ。
と、言おうとしてへび、なでなでしたらコブラでした。
コブラは離しちゃいかんなあ~ (ますちゃん)
(寸評)むむ~、残念、夢は体験じゃないからなあ。3ポイント。
はじめてのデブ
中学まで続けていたバレーをやめて早7年。
当時標準でナイスバデーだった自分は、気づけば3桁を超え
文字通りの巨漢に。どういうこと?病気?
この時点でデブと気づくのもおかしな話ですが
もう息のきれっぷりが半端ない。
当時にくらべりゃ40キロも太ったんだ、米俵一個以上背負ってるってことかあたりめーだ。
ジーンズなんて片足しか入らないじゃないか。
おっぱいは重力に逆らえず、ややたれ始めている・・・。
そして体脂肪率は65%。
はたしてわたしはまだ人間と呼べるのか・・・。
そして次回、はじめてのダイエットがはじまる・・・。(八千代)
(寸評)俺も高校生の頃から、つい最近まで40キロ太った。
でも数ヶ月で20キロ戻した。
ちょっと努力すれば戻るよ。ゲーム感覚でチャレンジ!6ポイント。
はじめての涙の別れ
今朝、短い期間ではあったけど凄く仲良くしてくれたスペイン人の患者さんが、退院しました。
英語全くわかんないくせに国際交流が好きなりあなので、拙い英語で、いっぱいお話しました。
今朝早くに発つときいていたので、最後のお別れができなかったらと思うと、こわくて寝れず、よなよな彼へ手紙を書きました。
なんとかお別れの挨拶に行かれたんですが、最後に握手したとき、ぽろ・・・と涙が落ち、エレベーターが閉まりはじめるとそれはもうボロボロに、泣きじゃくってしまいました。
たぶん、死別以外でのお別れで泣いたのははじめてでした。
彼との交流は私の人生にとってかけがえのないものとなりました。
彼はプロのチェリストで、病棟内でぷちコンサートをしてくれたのですが、あの優しい音色が、未だ頭から離れません。
入院も運命だなと思いました。(りあちゃん)
(寸評)どこで自分に取って大事な人が現れるか分からない。
神様は意外なところにそういう人を用意しているからね! 5ポイント。
はじめてのチェロ
病棟内で、チェロのソロぷちコンサートがありました。
あの大きな楽器ですから、もっとどーんとした音がするイメージだったのですが、実際は小鳥のような風のような凄く優しい音色でして、楽器自体は、赤ちゃんを抱きしめる母親のような揺るがない愛を感じました。
世の中にこんな美しい音があるのかと思うと、音楽の世界は想像を絶するほどそうだいなのだと思い、心打たれました。
音楽は神です。
勉強になりました。(りあちゃん)
(寸評)俺の知っているチェロはよく火花を吹く楽器という印象だが・・・。
違うの!? 5ポイント。
はじめての「ひゅー!」
そのぷちコンサートなんですが、病院なので客がお年寄りばかりだったので、演奏者が姿を見せても、シーン。
えー!( ̄□ ̄;
どうにかこの場を盛り上げようと思い、戦陣きって拍手しながらあたしは叫びました。
「ひゅー!!!!!」
・・・ひゅーって日本語でなんて意味?
あたしのようなシャイガールにはちょっとハードルの高すぎる行為だったか、と悔やんだのもつかの間、
ぱち・・・
ぱちぱち・・・
ぱちぱちぱち・・・!
会場が盛り上がったなりよコロ助ー。
ヽ(´▽`)ノワーイ。
途中で飽きたり具合い悪くなって去り行くものは拒まず、アンコールまでずっとあたしが盛り上げ役に徹しました。
ひゅー・・・;
いい汗かいたぜ。(りあちゃん)
(寸評)日本人は他の人に合わせる文化なので、お互いの反応を探りながら自分の反応を決める。いい悪いじゃなくてそういう性質なんだね。
だからパスカルズとかでもよくヨーロッパツアーから帰って日本でライブやると、あまりの反応の無さに一瞬あれっとなるんだよね~。
率先してひとりでもそういう反応すると「あれ、この音楽でも盛り上がっていいんだ」という雰囲気になるんだけどね。
なので最初の勇気あるひとりは重要。6ポイント。
初めての産婦人科
少し気になることがあったので、産婦人科を受診したときのこと。古くてレトロな感じの病院だ。朝一番だったためか、他の患者さんはいなかった。
受付を済ませ、すぐに診察室に呼ばれた。さっきまで庭をぶらぶらしていたおじいさん先生はいつの間にか診察室でスタンバっていた。
問診の後、「じゃあ、このカーテンの中に入って。そこで脱いで」と言われた。
中では看護師さんに「はい、ここに寝て、ここに足を置いて、はい、スカートをもっと上にしないと水がかかって濡れちゃうわよ」とされるがままに。お腹の上にカーテンがあり、自分ではその向こうの様子がわからない。そんなわけで恐怖心の方が強く、意外と恥ずかしさは感じなかった。
おじいさん先生が「はい、見ますよ~」と言い、診察が始まった。何かされているが全くわからない。するとおじいさん先生、「あ、しまった~。あぁ、うん、まぁいいか」と言いながら続ける。何?何があったの?と心配する間もなく、激痛が走った。何かを突っ込まれ、もう何がなんだかわからない。
「もっと足を広げて~、お腹の力抜いて~、ほら、まだまだ」
「いたっ!痛い…」と思わず言うと、おじいさん先生は「そんなに痛い~?」なんて言う。わかるわけないのに。
なんとか診察は終わった。ほっと一安心していると、今度はベッドに横になるように言われた。おじいさん先生に下着を下ろされ何かを塗られた。エコーだ。これは痛くもなくかゆくもなく。しかし最悪なのはこのあとだった。
「じゃあ注射打っとこうね」と言われ、どこに何の注射!?と思ったが普通に腕に打つようなので安心。静脈注射を打たれたのだが、打っている最中に非常に気分が悪くなってきた。
「すみません、気持ち悪いんですけど…」
「大丈夫大丈夫、これはみんな気持ち悪くなるんだよー」
そんな注射しないでほしい。だんだん目の前が霞んできて、耳鳴りがきぃーんとして、頭を起こしていられなくなった。暫くの間、ベッドで休ませてもらった。
起き上がれるくらいになったので、病院を出て自転車をよろよろとこぎながら帰宅。初めて行く病院は何から何までドキドキだ。(可南)
(寸評)産婦人科は男には未知の領域だからな。
診察を受けてる時に、
「すみません、気持ちいいんですけど…」
「大丈夫大丈夫、これはみんな気持ち良くなるんだよー」
という会話があったら、逆にまずいかもね・・・。6ポイント。
初めての逃亡
あまりに格好悪い話なので今まで投稿するのを躊躇っていましたが、恥を忍んで投稿することにします。
今から1年くらい前のこと。平日の昼間に、友人が遊びに来ました。
僕はアパート暮らし故に、あまり大きな音を出したりするとお隣から苦情がきます。が、この日は平日でしかも昼間ということもあり、そんなに気にしなくても大丈夫だろう、と張り切って大きな音を出しました。エレキギターを弾いたり、大声で歌ったり…。
一通り弾いて歌い終わった後、友人となんだかんだとくっちゃべっていました。するとその時、部屋内にチャイムの音が鳴り響いたのです。
この時、得も言われぬ嫌な予感を感じました。そこで、友人に頼んでドアスコープ越しに来客者が誰なのかをコッソリ覗いてくるように頼みました。
覗いてきた友人はいささか慌てた状態で、「不機嫌そうなオッサンが立っている!」と報告してきました。間違いなく、先ほどのギター演奏や大声歌唱の苦情を言いに来たのでしょう。
普通ならここで潔くドアを開け、どんな不満も真摯に受け止めるのが正しい姿勢です。が、その時の僕らは正しくない姿勢をとってしまいました。すなわち、
「うわあ~、ふふふ不機嫌なオッチャン、こここ怖い! 居留守使うべ居留守!」
と震え上がったわけです。居留守を使ったところで、状況が大きく変わるわけではありませんが、とにかくその不機嫌なオッチャンと顔を合わせたくなかったが為にそういう行動に出たわけです。
チャイムの音は、その後も2,3回ほど部屋内に鳴り響きました。僕らはその音が聞こえる度に「うわあ~」と恐れおののいたのでした。
ようやくチャイムの音が鳴りやみ、今度は一緒にドアスコープから外の様子をうかがいました。オッチャンの姿はもう無く、とりあえずひと安心しました。
しかし、またいつオッチャンがこの部屋を尋ねてくるか分かったものではありません。そう考え、僕は1つの提案をしました。その提案とは、友人のアパートに身を隠そう、というものでした。出来ることなら、今日1日。友人も最初はどうしようかと迷っていましたが、そこをなんとかと拝み倒し、ようやく宿泊の許可をもらったのでした。
そう決まったら一刻も早く逃亡しようと、必要な物品を準備してから部屋を抜け出しました。オッチャンに遭遇しないように静かに素早く。普段では考えられない俊敏さで行動しました。
ちなみにこの時、僕の部屋のすぐ真ん前に煙草の吸い殻が捨ててあるのを発見しました。恐らく、あのオッチャンのものでしょう。そしてこの吸い殻もまた、僕らを震え上がらせるのに一役買ったことは言うまでもありません。
アパートの外まで出て、ようやくほっと一息つき、後はそのまま友人宅へと向かっていきました。結局その日は友人宅に泊めてもらい、今頃自分の部屋はどうなっているんだろう、とあれこれ悪い想像を膨らませながら1日を過ごしたのでした。安堵感よりも、どうしてこんな事をしてしまったのだろう、という後悔の念の方が強かったのを覚えています。
アパートの部屋に戻ったのは翌日の昼過ぎでした。その時は煙草の吸い殻も無くなっており、それに妙な安心感を感じながら部屋に入っていったのでした。
とはいえ、その後もしばらく、あのオッチャンが来るのではないかと恐れながらの生活が続きました。チャイムの音が部屋に鳴り響く度にビクッとなったものです。こんなに恐れながら生活するくらいなら最初から逃げずに応対すればよかった、と、この時も後悔したものです。
ちなみに、それからギターを弾いたり歌ったりするときは、周りの部屋の状況を考えながらするようにしています。今のところ直接文句を言われる事態には発展していませんが、今度直接文句を言われるようなことがあったら、居留守を使わずに正々堂々と応対するようにしたいです。逃亡は無駄に疲れるだけので。(たちつ亭と~助)
(寸評)でももしかしたら開けなかった方が正解だったかもよ。
だって、オッチャンの右手には出刃が握られていたんだから・・・。7ポイント。
初めての乳覗き。
次女がまだおっぱいベイビーだったころ、連れ合いと買い物に行き、 私車の中でおっぱいあげてくるね~と、車に戻りおっぱいをあげていたら知らない叔父さんが、じろじろ見てました。
だんだん近づいてくるのでなんですか?と、窓越しに聞いたら
おっぱいいいね~とじろじろ見るのです。
早くあっち行かないかな?と無視してたら
反対側もあげるんでしょ?と、
妙にくわしい(吸えば吸うほど乳を作るようになってるので両方同じくらい吸わせないとおっぱいがちぐはぐになります)やつで、
私は反対側をあげたかったのに娘を離すとおっぱいがあらわになるので離すに離せず困っていると、叔父さんの奥さんが、あんたなにやってるの!という感じでぎらぎらしながらでてきました。
叔父さんはいまどきおっぱいあげてるのめずらしいよね~なんてへらへらして奥さんに言ってましたが奥さんは怒ってる感じでした。ざまーみろ♪
人は見てるようでそんなに見てないもんだから私はどこでもおっぱいを決め込んでましたがこういうこともあるってことですね。 (ますちゃん)
(寸評)そうだね、そりゃめずらしいケースかもね。
子供がいなかったら、万人が見せて欲しいと思うけどね。6ポイント。
初めての勉強しないで小テストを受ける
先日、学校でとある科目の授業開始を待っていた時のことです。
昼食を済ませ、1人で本を読んでいると、なにやら周りの同級生達にただならぬムードが。
みんな、次の授業のファイルを血眼になって、読み返しています。
はて、何かあったかなと思っていると、入ってきた先生は開口一番、こう言い放ちました。
「先週お知らせしたとおり、これから小テストをします」
なっ、なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃ!!!!!
慌ててファイルを開き、2・3ページほど読み返しましたが、時既に遅し。
実際に受けると、空欄のままの部分が目立ち過ぎ。
かろうじて半分近くは埋められましたが、その埋まったうちでも、正解はせいぜい4,5問程度でしょう…。
絶対先生、「この学生さん、キ○ガイじゃないの…?」と思っていること請け合いですな。
今度からはテストの日程はちゃんと把握しておかないと…。(Hi-)
(寸評) 「この学生さん、キ○ガイじゃないの…?」と思っていたとしても、学生ひとりひとりのことなど先生、すぐに忘れるから何の問題もないさ・・・。
というか、テストだからといって勉強したことほとんどない俺にとっては意外(笑)。4ポイント。
初めての足の小指が痛い
その悪夢のテストがあった夜のこと。
階段を上がって、自分の部屋に入ろうとした、その時。
左足の端を、ドアと蝶つがいの間にぶつけました。
しばしの間、その苦痛に悶え、声にならない声を発し、部屋を転げ回りました。
そして、左足の小指を見ると、なんと爪が半分近く剥がれて、血がダラダラ。
ヤクザが指を詰めるのに比べれば、まだましだろうけど、そんな世界に触れたことのない自分にとっちゃ、痛すぎる…。
ひとまず、出血がひどくならないよう、左足を高く上げて、しばし横になりました。
当然ながら、風呂も左足を湯につけず、入らざるをえませんでした。
翌朝には、爪の剥がれた部分も、まだ赤褐色が残っていますが、爪の断面はふさがっていました。
家の中を歩くにも、気は抜けないと実感した瞬間でした。(Hi-)
(寸評)その年まで「初めての足の小指が痛い」 ことの方がすごい。
俺なんか子供の頃から病気・怪我のオンパレードだったからなあ。
そのくらいは数え切れないほどあるなあ。4ポイント。
初めてのお弁当つけたオッサン
先日、バイト帰りの電車に、途中からとあるオッサンが乗ってきました。
短髪で、いかつい感じで、声をかけるのには憚られるような、ヤクザっぽさのあるオッサンです。
しかし、そのオッサンの口元をよく見ると…。
ご飯粒が一粒。
「ついてますよ~」と、教えてあげた方がいいのか。でも、もしも本当のヤクザだったら、「よくも人の恥をさらしたな!」などと、キレるかもしれないし。
そうこうしている間に、自分が降りる駅に着いてしまい、声を掛けるどころか、目さえも合わせずじまいで、そのオッサンと別れました。
親しい間柄だったら、「お弁当つけて、どこいくの♪」みたいな感じで済みますが、赤の他人には微妙に言いづらかったなあ。(Hi-)
(寸評)「ついてますよ~」と、教えてあげてたら、ポイントは倍にはなったのにな。無念! 4ポイント。
はじめての病院でバースデー
毎年、あったかい嬉しい誕生日をむかえてきましたが、今年は病棟でのさーみしい誕生日。
・・・のはずが。
誕生日一週間前から当日まで、生誕祭カウントダウンという形で劇団のみんながメールや手紙で愛を送ってくれて・・・趣向もこらされていて凄かったです。
うれしかった。
旦那もケーキ屋さんのちっこいホールケーキをみつけてきてくれて、 看護士にみつからないようにこっそりろうそくたてて、歌ってくれて、全人類の夢・ホールケーキをそのままフォークで食べる・を実現して、いろんな人からプレゼント貰って、ぜんぜん、寂しくないしあわせな誕生日を送ることができました。
みんなには、必ず恩返ししようと思います。(りあちゃん)
(寸評)愛されてるねー!
愛の恩返しはさらなる愛を呼ぶよ。
連鎖作用で人生ハッピー也! 5ポイント。
はじめての男性看護士とお風呂
男性看護士・28歳。
見た目が好みだったのでなついているのですが、いつだったかのお風呂当番、その人だったんです。
「なるべく見ずに済むように設置するから・・・」
とは言ってくれたのですがどーしても無理!と思い
結局女性看護士さんと替わってもらいました^^;
やっぱいくらタイプの男性でも嫌なもんは嫌なんですなぁ。(りあちゃん)
(寸評)逆にタイプだったから嫌だったのかもね。
枯れた爺さんだったら大丈夫だったかもね。
「ヨボヨボ・・・若い娘さんは股座を良く洗いんしゃいよ・・・ゴホゴホ」
しかも目も良く見えてない。これならきっとOKだったかもね~。5ポイント。
はじめての電気毛布
今現在はつたいけんちゅうです。
あったかー(*´д`*)
寒くて仕方なくて、熱をはかってみたら高いどころか低い。低すぎる。
そこで登場したのが、じゃじゃーん。電気毛布。
そういえば子供のころ、体温下がりすぎて死にかけたことがあてたなぁ。
あなおそろしや。電気毛布、くるまっときます。(りあちゃん)
(寸評)俺は体温上がり過ぎて体温計の目盛りがないとこ(42℃以上)いったことあるなー。
医者に「今夜が峠。そしてもし熱が下がっても脳障害が起きる可能性があります」と言われたらしい。
ということでノーショーガイの浩司くん活動中で~す! 4ポイント。
初めて襲われそうになった話。
っていうかこの話を口外するのもはじめて。うっふん。
まだ子供がいなかったころのこと、ある夜家にいるとピンポーンとチャイムが鳴ったので見に行くと夫の仲良しの従弟がドアの前にゆらゆら立っていました。
もうべろべろに酔っていたのでえ~!どうしたの?とにかくはいんなよ。と、ソファーに座ってもらって飲み物を出してあげようと前を通ったら抱きついてきて、
ますちゃん!に、に、日本のおまんこみせてくれっ!
と、嘆願してきました。
相手は相当酔っていたのでなんとか逃げ出すことができ、駄目でしょ!なんてなだめているうちに連れ合いが帰ってきたので事なきを得ました。
こういう話を嫉妬の権化のような連れ合いに話すと私までとばっちりを受けてひどい目にあうと思ったのでこの話は今の今まで封印しておりました。これが正しい判断というものです。わはは私ったらお・と・な。
この後も従弟とは何事もなかったようにあっていますが本人は覚えているのでしょうか?相当酔っていたので覚えていないと言うこともありえますね。でもおまんこは本当にみたかったんだろうなあ(笑)。
あ、でも連れ合いには内緒なのでどうか皆様フランス語翻訳して送りつけたりしませぬように! (ますちゃん)
(寸評) に、に、日本のおまんこみせてくれっ!(笑)。
ますちゃんのじゃなくても、日本のなら良かったんだな。
今度90ぐらいのおばあちゃんを連れてきて見せてあげるといいかもね。
「これが日本のわびさびの詰まった、正統的なおまんこよ!」と言って。
よくぞカミングアウトしたな! 8ポイント。
初めての恋人
私の実家は共働きだったので早い時期から家事をしたり、子供のころでも病院なんかは私1人で行ったり、結構自分のことは自分でする。という環境で育ちました。
高校1年生になってはじめての恋人ができて、ある日彼が家の途中まで送ってくれました。
そうしたらそれを見ていた知り合いの人(田舎ってやあね)が母にますちゃんが男の子と歩いてた!と、伝えたらしく、母が逆上していいました。
なんでお母さんに言わないの!
え~。今のいままで放任主義だったのに~なんで?と言う感じだったのですがそれに追い討ちをかけるように母は、
いままでお姉ちゃんとお兄ちゃんを大学に出すのに一生懸命であんたのことはほっといたけど(やっぱりほっとかれてたんかい!?)これからはあんたを監視するからね!と。。。
これが両親の私の恋愛に対する態度でした。
あーん。お姉ちゃんのときはもうちょっと自由だった気がするんだけど?
あ、それで失敗したと思ってるのかっ(笑)!
と言うわけで恋人が動物園に誘ってくれてるだけなのに相手の両親が来て挨拶してくれなきゃ駄目だ!とか父までも言い出す始末で私の青春の恋は親への秘密の多い恋となりました。
友達と行くって嘘ついて彼とお祭り行ってばれた時のお母さんは怖かったなあ~。鬼の形相で駅で待たれてたときは心底びびった。
そんなわけなんで東京での1人暮らしも認められず東京の学校に片道2時間かけて通ってましたが東京が駄目でフランスはオッケーってどういうこと?お母さん!! (ますちゃん)
(寸評)フランスは若干、毎日は通いづらいからかな。
動物園に行くのに相手の両親が揃って挨拶に来たら、なんかその方が怖い気がするな。
「父です」
「母です」
「動物園に」
「連れて行きます」
ゾゾーッ。5ポイント。
初めてのいじめ。
私が初めていじめられたのは幼稚園でのこと。
私が幼稚園の庭で遊んでいると、ちょっと高い位置からそのころから身体の大きかった大津達矢が、
やーい!アメリカ人~
と、にくったらしい感じで言って来るのです。
私はアメリカ人と言われるのは別にいやじゃなかったけれど(なぜアメリカ人かというと、私は小さいころ色が白くて髪も茶色かったからです)、怖くて泣いていると先生が、ますちゃんはアメリカ人じゃないわよ!と、大津達矢をたしなめてくれました(そういう問題じゃないけど 笑)。
そしておなじころ、私の叔母は美容師だったので幼稚園児の私にもたまにマニキュアを塗ってくれることがあり、ある日庭で遊んでいると、またもや身体の大きい小池愛子ちゃんが(こういう子の名前ははっきり覚えてる、恐ろしい私のゆがんだ記憶力 笑)、
ますちゃんマニキュアなんかして、自分がかわいいと思ってるんだよ~
と、またこれまた憎憎しげにいわれました。
言い返せるような性格ではなかったので、叔母ちゃんが勝手にやったともいえず。。。
とまあこういうことがしばしばあったのでそのころおとなしかった私は余計に萎縮していまい、理不尽なことに身体の大きい人=怖い、苦手な人という図式ができてしまったのでした。
大きくなってから大津達矢はいいやつだったし小池愛子ちゃんもいい子になってたのでその図式も崩れましたが私がこんなおっきい連れ合いと一緒になってしまったのもなにかの因縁ではないかと思っております。わはは。 (ますちゃん)
(寸評)ますちゃんのダンナさんはフランスの国土の5分の1くらいあるもんね。
でもそっか~、日本人に生まれて子供の時はアメリカ人で今はフランス人か。
次は何人になる予定?
陽気なメキシコ人あたりがいいな。
アミーーーーーゴ! 6ポイント。
工場勤め初体験。
私は元料理人で、フランスのさまざまなレストランで働いてきましたが子供ができてからは夜家にいられるような仕事を探していました。
そして以前から一度はやってみたかった、工場勤めに重点を置いて探していました。
というのも料理と言うのはいつもスピーディに臨機応変に動かなくてはならずそれが楽しいのと同時に少し重荷にもなっていたので、少し気分転換をしたかったのです。
単純作業を続けるだけでお給料をもらえる。という工場の流れ仕事というのを一度経験したいものだ。と思っていたところに、果物の缶詰工場が工員を募集していたので行ってきました。
この時期はさくらんぼのかんづめで、ベルトコンベアに乗って流れてくるさくらんぼの柄をとりはずし、痛んでるのをとりのぞく、という単純作業でした。
もちろん手早くやらなくてはいけないので右手でさくらんぼをつかみ、右手で柄をはずし、左手でも同時におなじことをやる。という芸当をおぼえました。
ぴんっぴんっっと飛ばしますよ!さくらんぼの柄。
さくらんぼの柄を口に入れて舌で結ぶこともできますので今度実演みてくださいね(あ、これは工場で覚えたんじゃないぞ)。
いたんでいるさくらんぼは無駄になるのではなく、かき集められて発酵させ、キルシュというおいしいお酒になるのですが、その作業をしているおじいさんが凄く強烈に汚くて、発酵の匂いなのか彼の臭いなのかよくわからない匂いをじんじんさせていて、なんだか昔、大きな船には必ず乗っていたと言うみんなのお守りのような不浄のこじきの存在を髣髴とさせるものがありました。なんか工場の人にも大事にされてる感じだったし。天使かも~
すぐに次の仕事が見つかってしまったのでこの仕事は1週間程度しか続かなかったのですが、私の工場体験の欲求を充分に満たしてくれる体験になりました。 (ますちゃん)
(寸評)俺も高校生の時、ガードレール工場で一週間バイトしたことあるけど、単純労働は凄く苦痛だったな~。
流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネコ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し流れてネジ差し。
うぎゃ、気が狂うっ!
でもそれが向いている人もいるんだろうな。
そしてそのおじいさんがお酒を醗酵させる大元なのかもね。
う~ん、トレビアーン! 5ポイント。
はじめてのスクーター
そうさなあ、あれはもう10年以上も前のこと、運転免許のなかった私は通勤が自転車ではいかにも遠かったので中古のかわいいスクーターを手に入れ、ほくほくでした。
ある日友人が来て庭でお茶してたときにふと思い出し、私スクーター買ったんだよ!
見せてあげる~!
と、ガレージからスクーターを引っ張り出してきて、庭で待つ友人のとこにスクーターでかっこよくのりこもうとキックしてエンジンをかけると、調子に乗りすぎていて、ハンドルのアクセルを強く回しすぎたスクーターは勝手に走り出し、あれよあれよというまに私はスクーターのハンドルを握ったまま引きずられるように走り、最後は庭にあった小屋に激突。
小屋はトタン製だったのですごい音がし、友人に心配させてしまいました。
どんがらがっしゃん。
太ももに大きなあざができて、なかなか治らないので1度病院でみてもらったら
あなたのスクーターはひとりで勝手に走るんですか!?
と、お医者さんに大笑いされました。 (ますちゃん)
(寸評)日本にも東北地方にどんがらがっしゃん仲間がいるらしいよ。
なので今度是非どんがらがっしゃんコンビでどんがらがっしゃん音楽を奏でてくださいな。
そして俺とセッションしよう。6ポイント。
初めてのパドドゥ
私は大学1年までずっとバレエを習っていた。バレエを習う者として、発表会で男性と組んで踊ることはひとつの憧れだった。そしてそれは高校1年のときの発表会で実現した。
しかし発表会の諸費用に「男性パートナー料」という怪しげなネーミングのものが加わる。それが結構な額だ。一応相手は他のスタジオから呼んできたプロなのだからそれなりの金額を払っても仕方がないのだが。
そして心配なのが、私を持ち上げることができるのだろうか?ということ。私はバレエをやっている人間にしてはそれほど軽くはない。ぎっくり腰にでもさせてしまわないだろうか。
もうひとつ心配なのが持ち上げるときや回すときに腰を触られてくすぐったくて笑い出してしまわないだろうか?ということ。私はちょっと脇腹を触られるだけで「うひょっ」と言ってしまうほどくすぐったい。
やがて練習は始った。心配していたことはどちらも起こらなかった。しかしもっと危険なことが起きた。密着して踊る、というのに慣れていない私は、相手を蹴っ飛ばしてしまったのだ。トウシューズは堅いので、どこに当たったか全くわからなかったのだが、どうやら一番蹴っ飛ばしてはいけないところを蹴ったらしい。的は微妙に外したらしいがかなり危ないところだったらしく、それでも一瞬うずくまっていた。そして笑いながら「もう少しで大変なことになるとこだったよ。気をつけてね~」と言っていたが目は怒っていた。怖い!
今度蹴ったらどうなるかわからなかったのでその後の練習ではとても気をつけて踊った。そして無事本番を迎えることができたのだった。(可南)
(寸評)いや、うずくまるほどだったら、的は微妙に外し・・・てないと思うよ。
命中おめでとー。カーン、大当たりいいっ! 7ポイント。
初めてのウンコで電車止めた
電車に乗っている時に便意を感じたら、車内のトイレに行くか、トイレの無い通勤型の電車であれば、最寄り駅で下車してトイレに行くのがセオリーです。
しかし、私は自分が用を足すために電車を止めました。何故なら私は電車の運転士だからです。安全運転と便意は天秤にはかけられません。安全運転こそ優先すべき事なので、「止めてトイレに行くべし」となっているのですが、「トイレで電車を止める」という事は、実はとても勇気の要る事なのです。その心情を知って頂きたく書きます。
かれこれ2年ほど前の2月の話です。当日は郊外の車庫泊。現代ではありえない酷い寒さを体験できるプレハブ2階建ての「寒さの体験パビリオンかよっ!」という素敵な宿泊所にて震えながら朝を迎えました。ここの寒さは強烈なので電車の点検後にトイレに寄るよう心がけています。前回ここに泊まった時には点検途中にハライタが襲来し、トイレに駆け込んだのを覚えていました。実はこの行路、起床後のロングランが敬遠されて、回ってくると有給を取って避ける人も多い仕事なのです。
「今回は大丈夫そうだ」そう思っていても、前夜食べ過ぎたという不安があったので一応トイレに寄りましたが出ず。まぁ、自在に出せたらそれもそれで病気だなと思い乗務を開始しました。
前夜はトンカツ屋でメンチカツ定食を食べていました。通常1時間強の休憩なのですが、ダイヤの乱れにより20分繰り上げて到着していたので1時間半を超える休憩になりました。実はこれがいけなかったのです。ゆっくり食べられると思い、この店では初めてのサイドメニュー、ポテトサラダも頼んでしまったのです。
出てきたポテトサラダは、定食のカツに添えてあるものと同量の千切りキャベツと茶碗1膳分ぐらいのポテトサラダ。デカー!モッタイナイオバケが怖い。ので完食。それはどうかと思うほど腹を膨らませて泊地に向かっていたのでした。
起床して1時間後、粛々と発車を迎えました。ここから本日の乗り出しにして最長、1時間半の長丁場。車庫から回送として終端駅へ。5分の折り返しで北へ向かう。昇りくる朝日を前から受けて肌がジリジリと暖められてくる。強にして動かしていたヒーターを弱に切り替え、窓を少し開けて空気を回す。ついでにコートも脱ぎました。
幾つかのトンネルを抜け、トンネル地帯最後のトンネルの中ほどに差し掛かったとき、突如ハライタストとしての自我に目覚めました。
「何スカ!えっ、いきなりココからっスカ?」
みるみる血の気が引いていくのが解りました。手など冷たくなってしまって、鞄から軍手を出してはめたほどです。 暖めなくてはヤバイと思い、緊急避難用にカバンに忍ばせてある使い捨てカイロ貼るタイプを取り出してお腹に当てるが迫りくる鬼気は手を休めてはくれません。
とりあえず2駅進む。なんという残酷なスゴロクなのだ!絶対「1」しか出ないよ…。その2駅目は目の前に乗務員用トイレ。しかし、ここでは敵の攻撃は収まっていた。ので気を取り直して鼻歌などで自分を誤魔化す。
更に2駅すすむ。ここが我が本拠地。詰所のトイレは目の前。しかし、完全に手を止めたと見える敵は我に油断を与える。
横を見れば、向こうのホームに到着待ちの先輩。かの先輩が「安全の為に、トイレで電車を止めても賃金カットをしない」という事を会社に決めさせた闘いの端緒となった御仁だ。先輩ごめんなさい。ボクはまだヒヨッコです。と思いながら発車。
さぁ、ここからが勝負。残り1時間。目の前トイレは4駅先。
淡々と2駅進んだその時、敵の大攻勢が押し寄せてきました。
「いっそ漏らした方が楽じゃないかコレ?」
嗚呼追い詰められてる自分…。
もう1駅進んだ所でカバンを開いて中を見る。この期に及んで車内で済ます手段を探している自分が居た。しかし何も無い。
力なく発車。
次の駅は目の前詰め所だ!トイレがある!そして先ほどの先輩の顔が浮かんだ。
無線機の受話器を上げて指令に連絡。
「こちら○△A運転士。次の■駅でトイレ行きます」
嗚呼、頑張ったよ俺。勇気あるじゃん俺。俺を褒めてやるよ俺。産んでくれてありがとうオフクロ。
もう、トイレの事で頭いっぱいだよ自分。入り方までシュミレーションしてるよ。今日はトイレ工事してるから車掌さんの詰所のトイレ借りなきゃだな。
線路横断するから電車が来なけりゃいいな。誰かが入ってなけりゃいいな。ウォシュレット使ってもいいのかなこういう時って。しっかり拭かなきゃやだな。全部出し切らないと辛いな。いざ出なかったらどうしようかな。
目の前の景色は見えども音の無い世界に。ふと気づくと指令が自分を呼んでいる。
「運転士さんは次の駅で交代じゃないのですか?」
「違います、通しです」
ああ、通常は交代する駅だからな。こんなロングラン作った奴がいけない。よって、このウンコは会社の責任だ!
さぁ、あの転轍機を曲がればホームが…。
アレ。
アレレ。
運転台のモニターに先行電車がホーム居ると表示されている。
チン、チンとベルが連打してオートブレーキが段階的に速度を下げていく。
嗚呼見えた。先行がまだホームにいるよ。先行の後方150メートルほどであろうか。空しく停止信号にて停車。この時間がもったいない。飛び出せるように身支度を整える。
信号が開くや慌てず急いでホームに進め、止まると同時に飛び出した。
うん。ありえないほどのせいかだったよ。やっぱりゆうべたべすぎたんだね。でもこれだけのものをよくおさえていたよ。こんだけくだってるのにね。がんばったね、おれのこうもん。
清々しくトイレを後にすると、ホームにいた後続列車に交代乗務する運転士が、継続乗務可能か訊ねてくれた。「お気遣いありがとう、すっきりした僕は大丈夫さ!」と爽やかに答えたかったが、慌てて声をかけられた方向に気をやった僕は階段を踏み外してしまい、階段に手を付いて、体勢を直しながら「大丈夫です」というのがやっとだった。
運転再開、定時より1分20秒の遅れ。
朝のラッシュ帯で、運転時分に余裕があるので4つ先の駅で定時。
安全運転はこうして守られていくのでありました。 (匿名希望)
(寸評)絶対「1」しか出ない残酷なスゴロク!
こりゃ、ちょっとした小説だね。映画化もあり得るね。
君の頑張ったこうもんに、10ポイント!
初めての生出来アイスココア
近所のスーパーにある、紙コップ式の自動販売機でアイスココアを買おうと、小銭を投入しました。
後ろに並んでいる人もいたので、出来上がったら早く受け取ろうと、飲み物を取り出す取り出し口の前にしゃがみこんで、出来上がるのを待っていました。
ふとその時、某落語家が自動販売機の下を探って、小銭を集めるネタをやっているのが頭に思い浮かび、「ここには落ちてないかな~」というような意識に駆られ、いつの間にか僕の視線は自販機の下に向かっていました。
どこかで、「ピ・ピ・ピ…」という音が聞こえたのですが、次の瞬間!
手に変な感触が走りました。
はっとして、目を手元にやると、まだ出来上がっていないにもかかわらず、もう手が取り出し口の中に突っ込まれていたのです!
そして、ココアの原料の液体が、突っ込まれた手にまともにかかっており、その液体は手首まで垂れてきていました…。
案の定、振り向くと、後ろに並んでいるおばさんの表情は口あんぐり。
ひとまず、紙コップを取り出して、並んでたおばさんの視線を避けながら、そそくさとその場を立ち去りました。
しかし、デキソコナイのココア入りの紙コップはやけに軽く、そして、液体のココアの量よりも小さい氷がギッシリ入っているという有様です。おまけに、完成前に取り出してしまったので、味も上手く混ざり合っておらず、最初は甘かったのですが、徐々に粉っぽい感触が…。
いつもなら5分かけて、嗜みつつ、家への道を歩いて行くのですが、当然ながらこの日は1分もしないうちに飲み干してしまい、シラーッとした気分に陥りました。
皆様、脇見をしながらお湯を注いだり、紙コップ式の自動販売機で飲み物を注文したりするのはくれぐれもおやめ下さいね。(Hi-)
(寸評)俺も昔、紙コップが自然に出てこないで、自分で装着してからボタンを押すタイプだということに気づかずに、あっ、と思ったときは何もない空間に飲み物がただ流れていくのを呆然と見送ったことがある。
あれは悲しくて、そしてその悲しみを超えるほど恥ずかしかったなぁ。
お互い頑張って生きようや。6ポイント。
初めての1000円おばさん
この前初めて1000円おばさんに遭遇しました!
塾に行くつもりでバス待ってたんですよ。
そしたらおばさんがあたしの方に歩いてきて
おばさん「もう…3日も何も食べてないんです…1000円…貸してくれませんか…?」
きよ「ごめんなさい…持ってないんです…」
おばさん「…じゃあ…500円でいいんです…」
きよ「ごめんなさい…ないんですよ…学生なんで…」
おばさん「…」
きよ「すいません…」
おばさん「…」
この後おばさんは違う人に向かってまた歩いていきました…
すごい怖かった!
喋り方にまして髪の毛振り乱してたのが印象的すぎる・・・
今思い出すと笑い話になるんですけどねー…(きよ)
(寸評)あげちゃ駄目。もしあげたいなら「せめて踊りでもなんでもいいから
芸をしてください。そうしたらそれに応じていくらかあげられるかもしれません」。
もし体が動かないと言うなら「私に話しかけてきたということは、喋ることは出来るんですよね。それじゃ、何か私に面白いお話をしてください」というべき。
何も努力しない者には、一円でもやるべからず。
人は何かしらは出来るのだから。5ポイント。
初めての「たま」その1
私が「たま」にはまったのは、小学4年生の後半からでした。
私はイカ天の再放送らしきものを見て「たま」を知ったわけですが、その当時は正直「ふーーん...」くらいの反応だったのです。
と、しばらくそんな状態のまま時が過ぎていきました。
しかし、ある日。私が兄のベットの布団の下を(特に意味はなく)覗いた所、四角い黄色の物体を発見したのです。
「なんだこりゃ」
そう思い、その物体を引きずり出しました。それは、「たま」の「さんだる」だったのです。
私はまるで引きずり込まれるかのように「さんだる」の歌詞カードをすべて見てしまいました。
初めて「さんだる」の「たま」の方々の曲を聴いた時、どのメンバーの曲にも今までにない とても強い個性を感じたのを覚えています。
そして、この日から本格的な「たま」人生が始まったのでした。
―しかし、その時にはすでに「たま」というバンドは解散しており、この世には存在していませんでした...。
そんな時、ある情報が私の耳に入ってきました。
「8月9日 たま復活ライブ」
父の話によると、このライブは瞬間的、つまり、この時限りのライブ。
そりゃあもう 行きたくなりました。曲が聴けるのはライブですから当然ですが、それ以前に「会いたい」という気持ちが何よりも強かったのです。
しかし、残念ながら チケットは目が点になるほどの売れっぷりで、とる事はできませんでした。
それは追加公演も同じでした。
でも まだ諦めるのは早かったのです。私には、もうひとつ目的があったのです。
という事で、父が提案したある作戦を実行したのでした。
「☆たま に会いに行こう!出待ち 大作戦☆」
9日の日のライブ終了後に、「たま」の方々が出てくるのを待つ。
会う方法は それしかありません。
そして私達は、「東京 吉祥寺」へ向かったのでした。
お昼の12時頃に家を出て、吉祥寺に着いてから 「スターパインズカフェ」さんの写真を撮ったりそこら中をウロウロしてまた写真を撮ったりとヒマを潰しておりました。
リハーサルを聴こうと怪しげにライブハウスの中へ侵入したりもしました。(コラ)
(でも、なんか滝本さんの曲とか、あと「チャーチャラチャラチャッ♪チャーチャラチャラチャッ♪」とか、あんまり聴き取れませんでしたが、聴こえました。)
あー、やっぱり「たま」のメンバーはココにいるんだなあ、と思ったものでした。
そんなこんなしてライブハウスの前で座っていると、ライブハウスから滝本さんがいきなり出てきたのです。
(ぐおおおおおーーー!!!!)
たま メンバー 1人め登場!どうやら滝本さんは一服しに外へ出てきたようです。
ちなみに その時の私はといいますと、
手汗MAX & 心臓バックバク & 半泣き といったところでしょうか。
特に、本当に本当に心臓はヤバくて、「飛び出すか!?」と思ったくらいで、父いわく音が聞こえたとのことです。
とりあえず滝本さんに写真を撮ってもらい、少しだけ話をして(主に母が。おそらく母がファンなんだと思われた事でしょう)私はすばやくその場を立ち去りました。
その後、8時間あまり その辺をブラフラして、30分ごとにライブが終っていないかチェックしに行きました。
そして、9時を過ぎたかと思って辺りを見回すと、私達のように出待ちをしに来ている人がそこら中に座っていました。
私の隣には出待ち目的で来ている滝本さんファンのお姉さんが座っていて、お話をしました。
お姉さんは滝本さんの「星を食べる」がすごい好きなんだとか。
あと私達は「たま」の方々がライブ終ってからすぐ帰っちゃうんじゃないかとか、心配していたのですがお姉さんは言っていました。
「逃げないから大丈夫ですよ。昨日もファンと交流してくれたみたいだから。」
と、 いう事は?石川さんや知久さんとも...。。。?? 続く... (東京フルーチェ)
(寸評)ベッドの下に「四角い黄色の物体を発見」したのに笑った。
普通、兄貴のベッドの下と言えばエロ本とかビデオとか、そういう家族に見られたくないものを隠す定番の場所だろ~。
ということは、余程たまのCDは隠しておきたかったものなんだろうね(笑)。
とにかくそんなにキンチョーしましたか。俺たちみたいなもんに~。ありがとね。6ポイント。
初めての「たま」その2
お姉さんと話をしたその後。
辺りを見回すと、出待ち目的で来ている(?)人が何人かいました。
「チケット取れなかった人は 他にもいたんだあ」と思っていた その時。
ライブが終ったらしく、ファンがライブハウスからでてきました。
私は ついにメンバー全員が見れるんだと思い、じっと入り口を見つめていました。
そして、ついにその瞬間がやって来たのです。
「!!!」
最初に出てきたのは、滝本さん。
私は会ったばかりにもかかわらず、ビクッと飛び跳ねてしまいました。
次に出てきたのは、そう、石川さんです!
そして何故か石川さんが出てきた瞬間、場の雰囲気が急変したのです。
「あ、れ??」
今まで座っていたファンが一気に立ち上がったかと思うと、囲むようにして石川さんの周りに集まってきたのです。
気づけば、私もその中にいました。
石川さんは まるでそれに答えるかのようにハイテンションで(後に疲れたと言っていましたが)
踊ったり跳ねたり。
本当に、石川さんはファン思いだなぁと思ったものです。
そんな石川さんを見ながら、入り口の方に目をやると
そこには疲れ切った顔の知久さんが...!
父は「写真撮らなきゃ」と思ったらしく、知久さんの所へ駆け寄ろうとしました。
しかし、知久さんは「あー疲れた、あー疲れた」と繰り返し言っていて、半径5メートル以内に「こっち来んなオーラ」をふりまいていたのです。
という事で、まずは滝本さんにサインを。石川さんにサインと握手と写真を求めに行きました。
石川さんも滝本さんも、とても親切にサインをかいて下さりました。
特に石川さんは最高の笑顔で写真を撮って下さったので、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
知久さんにも後でサインと写真をお願いしました。
あんなに疲れた顔をして、断られても何も言えない状況でもあったのに、親切にして下さったので、もうホントやさしさが伝わってきました。
とても嬉しかったです。
この初体験で「たま」の方々は やさしく、ファン思いだという事が良くわかりました。
石川さんは空気が読めすぎる事も良くわかりました。
そしてこの日初めて
ずっと「たま」のファンでいようと 私は思ったのでした。 (東京フルーチェ)
(寸評)確かに久しぶりの全力たまライブは疲れたけど、それが吹き飛ぶくらい楽しかったからね。踊りもするさっ!
俺で良かったら、よほど急いでるとか事情でもない限りは写真くらいいつでも撮るので、気軽に声をかけてくれや~! 6ポイント。
初めての大横綱
就職活動の開始が遅かった私は、大学4年の夏にのろのろと動き始めた。相撲が好きなので、相撲関係の仕事ができたらいいな~と思っていた。小学生の頃から相撲振興会というのに入っていた私はその会長さんともお会いしたことがあり、その時に「相撲博物館で働きたかったら自分が紹介してやる」とおっしゃっていたことが印象に残っていた。なので手紙を出し、その後電話で連絡をとった。その返事は驚くべきものだった。
「では、館長である大鵬親方の家へ直接行ってみてはどうですか?いい人だから大丈夫ですよ」
人を頼った私もよくないかもしれないが、なんという無責任な返事。しかしそう言われたからにはそうするしかない。
数日後、手土産を持って大鵬親方の家へ向かった。ちなみに実際もう「親方」ではないのだが。場所は相撲部屋のすぐそばなのでわかった。家を前にして非常にドキドキしていた。だって巨人と卵焼きと並んだ人だ。そんな人の家にいきなり押し掛けるのだ。なんて無茶なことを私はしようとしているのか。
だがここまで来たのだから仕方ない。インターホンを押した。
「あの~、相撲博物館で働きたいと思って参った者ですが、お話させていただけるでしょうか?」
上がってきてよいという返事だったので、勇気を出して入って行った。
大鵬親方だ!!もう何がなんだか自分でもわからなくなっていた。それでも一生懸命、相撲への熱意を語った。だが館長だけの意見で決められることではないので、また日を改めて他の人の意見も交えて、ということでその日は終わった。
しかし本当に凄い方だと思った。いきなり知らない人が来たのに親切に迎え入れてくださり、話も聞いてくださったのだから。(可南)
(寸評)おぉ、凄い。大鵬と言えば俺の子供時代は生きている神様みたいなもの。行った勇気に乾杯! 7ポイント。
初めての大横綱との食事
後日、相撲博物館へ出向き、他の人とも話し合った。いろいろ話したが結局、今は人手が足りているということで話は終わった。でも諦めません、という意志だけは示しておいた。すると大鵬さんから驚くべきお誘いが!
「今日、このあと食事なんかどうかね?」
勿論、即OK。国技館内の相撲博物館から出て、大鵬さんの運転するベンツの助手席に乗って大鵬さんの自宅へ。ホテルの食事の予約の時間まで大鵬さんの家で過ごした。奥さんもすごくかわいらしい方で話しやすい。
大鵬さんとテレビを見ながら、みかんなど食べて過ごした。大横綱と一緒に家でくつろいでいる。
やがて予約の時間が来て、ホテルへ向かった。大鵬さんはそのホテルの常連さんだ。ホテルへは大鵬さんと奥さんの他に部屋のお相撲さん数人も一緒だった。緊張していたので何を食べたかなんて覚えていない。が、覚えていない何かを食べていると、いきなり眩しい光が放たれた。写真だ!そうだ、今隣には有名な人がいるんだった。大鵬さんは写真撮影に快く応じていた。
緊張で何がなんだかわからないうちに食事は終わった。お土産にケーキを持たせてくださり、帰宅したのだった。
結局、私は今、相撲とは関係のない仕事をしている。しかし、大鵬さんとはすっかりお友達になり、メールや電話のやり取りをしている。(可南)
(寸評)ずおーっ、すげー! 大鵬と友達!
是非俺のライブに・・・いや、俺が緊張するからいいや(笑)。
せめてパスカルズかたまのCDでもプレゼントしてやってくださいな~! 10ポイント。
初めての外国人からナンパ
仕事帰りの夜11時頃、最寄の駅の横断歩道を歩いていると、隣の人が何か喋っているので何気なく見ると黒人の男の人でした。
私に話しかけてきたので(もちろん日本語で)返事をすると、切れ間無く話し掛けて来るので答えていました。
そのうち「これから呑みに行こう」と言い出したので断ると「一人で日本に来ていて淋しいから付き合ってくれ」と言うのです。
「電話番号教えて」とか「どこに住んでるの」などと聞いてきましたが、「怖いからイヤだ!!」の一点張りで逃げるつもりでした。
でも、同じ一丁目に住んでいると言うので、このまま歩き続けたら家まで付いて来そうで本気で怖くなりました。
何とかして撒かねば・・・しかしどうやって・・・と考えていると、なんとラッキーな事に「コンビニに寄っていくから待ってて」と言って一人で入って行ったのです。
今しかない!!!と思い必死に走りました。
振り向くたびに、追いかけて来てやしないかとヒヤヒヤでした。
角を曲がってやっと一息ついたけど、まだ怖くて遠回りでもたくさん角を曲がる行き方で家に辿り着きました。
ターミネーターに追いかけられるってこんな気分でしょうか・・・。 (ごりぽん)
(寸評)今、君の家の床下に彼はいるよ。
ほらっ、よく耳をすましてごらん、ハァハァという息遣いが聞こえてくるはず・・・。5ポイント。
初めての喉に異物
ビタミンCのカプセルを3錠手の平に乗せ、一気に口に放り込みました。
コップの水をグビッと飲んで喉に流し込んだら、なんと3つのうちの1つが横になって、喉に引っ掛かってしまったのです。
今までに経験した事のない苦しさで「ぐえっ」って感じでした。
水をたくさん飲んでも一向に流れていかないので、喉を押してみるとカプセルが指に当たりました。
こうなったら喉を指で押して、横になっているカプセルを何とか縦にしようと思いぐりぐりと押してなでて、押してなでて・・・何度も繰り返しているとやっと縦に向きを変えてくれて無事、喉を通過し胃に落ちて行きました。
あんなに小さなカプセルで、食道って塞がってしまうんですね。
それ以来、カプセルは1錠づつ飲む事に決めました。
石川さんも気をつけてくださいね。 (ごりぽん)
(寸評)俺の知り合いのお父さんもタコが喉に詰まって亡くなったからなー。
でもビタミンカプセル・・・。健康の為にしたことで窒息死したら笑うに笑えないよなあ。
とりあえず横のものを縦にして良かったね。5ポイント。
初めてのカギが無い
20歳の頃、歩いて15分位のスーパーに、自転車で買い物に行った時の事です。
買い物を済ませ、さて帰ろうか・・・と駐輪場に行きポケットを探ると・・・な、無い。自転車のカギが無いーーー。
仕方なく歩いて家に帰りました。
「そうだ、確かスペアキーがあったはず」・・・が、しかし・・・どこを探してもスペアキーが見付からないのです。
こんな時はどうしたらいいんだろう???と知恵を巡らせ、出た答えは自転車の車輪を留めてある金属の棒を、糸ノコで切るしかない・・・というワイルドな考えでした。
次の日、糸ノコを持って駐輪場に行き自転車の横にしゃがみこんでギコギコと、カギの棒の部分を切り始めました。
道行く人が私をけげんそうに見ているのを感じましたが、必死で切り続けました。
かなりの時間が過ぎて、やっと金属棒との戦いが終わり、私は勝ち誇った気持ちで自転車に乗り颯爽と家路へと向かいました。
でも、今になって気づいたのですが、ドライバーでネジをはずせば楽に鍵本体が取れたのでは・・・・・。 (ごりぽん)
(寸評)あるある。俺も鍵を石でガンガン殴って崩壊させたことが。
焦っていると正常な判断できなくなるよなー。
でも「初めてのガキがない」じゃなくて良かった(笑)。6ポイント。
はじめての救命病棟
事故って救急車で運ばれました。
事故った時から3日間記憶がなく、気が付くと救命病棟にいました。
週1で4回の手術を受けましたが、痛みで眠れず強い痛み止めの点滴を受けたり。
少年漫画などの戦闘シーンでよくみる、ズタボロになってやっと敵を倒す主人公は嘘だと思いました。
あんな怪我したらすげぇいてぇよ。
3月に入院したんですがまだ退院の日は遠いようで。
気も遠くなるにゃー。(りあちゃん)
(寸評)3日間記憶がない、というのは相当な大事故にあっちゃったんだな。
実はいつも投稿の多いりあちゃんから投稿がパタッと来なくなり、ミクシィを見ても「アクセス3日以上なし」になっていて、心配していたんだよ。
とりあえず投稿出来るということは最悪の事態は脱したということで、ちょっとホッとした。
これは神様が「ちょっと休みんしゃい」という合図を出したのだと思って、少しゆっくりしてください。6ポイント。
はじめてのCT
CTっていうんだっけかな。
筒抜けのかまくらみたいな機械に入る検査。
体の中が見えるんだって。
すげー。
現代医学侮りがたし。
主治医によるとまだ骨は完全にくっついていないとのこと。
がっくし。
しかしリハビリでは既に立つ練習があったりして、ちきしょ、いてぇっつうの。(りあちゃん)
(寸評)CT苦手。閉所恐怖症だから。顔が出てればまだいいんだけど。
でもまだ若いから骨もきっと早く付くよ。
俺が骨折したら倍以上かかるだろうな。ヨボヨボ年寄り~。4ポイント。
はじめてのリハビリ
はじめの頃は悲鳴をあげながらのリハビリでした。
もう痛いのなんのって。
でも、手術の傷が治まりはじめてからは、
「あたしが頑張らなきゃ歩けるようにならないんだ」
と思ってやっと頑張れるようになりました。
最初は曲がらなくなった膝をただただむりやり曲げる練習。
そいから車椅子乗るための筋トレ。
で、長い期間を経て、ようやく。
少しずつ加重をあげながら、立つ練習が始まったのでした。
リハビリがつらくて泣いた夜もありました。
強がって笑ったりもしました。
治るまであと幾月でしょうか。
頑張ります。(りあちゃん)
(寸評)笑い話に出来る日が絶対来るから。
踏ん張りどころだね。陰ながら応援しているからね!5ポイント。
はじめての車椅子
コツさえ掴んじゃえば漕ぐのは簡単でした。
問題は乗り移り。
腕の力がまだ足りなくて、3人がかりで抱えられての乗り降りでした(-_-;)
やっと自分で乗り降り出来るようになった頃には楽しくて乗り回してたけど、今はすっかり飽きて、トイレも億劫だからあんまり行かないで済むようにと日々水分補給量を減らしたりしてます。
やっぱり足が床につけられないと不自由ですねー。(りあちゃん)
(寸評)俺はベトナムから帰国した関西空港で凄く体調が悪くなって歩くのもしんどくて、初めて車椅子に乗った。
結局一日で直ったのだが、あれは何だったんだろう。5ポイント。
はじめてのオペ
手術がうまくいくだろうかとか、そういう不安はあまりなかったのですが麻酔されたらあたしすんげーいびきかくだろうなぁというこだけが心配でたまりませんでした。
その結果がどうだったのかは闇の中ですが。
話が変わりますが麻酔。
3回目までは起きたら手術終わってたんですが、・・・最後の手術。
目覚めるとトンテンカンコン足に鉄?の棒を打ち込んでいるのがみえました。
このあたしの足に。棒を何本も。
痛みはなかったけど・・・・・・・・・こわかったです;(りあちゃん)
(寸評)俺も子供の頃、内耳炎の手術をしたことがある。
部分麻酔なので意識はある。そしてなんせ耳なので耳の一部を切開している音がモロに聞こえる。
ガリゴリガリゴリ・・・あれは嫌な音だったなー。7ポイント。
はじめての、カワイコちゃんにあぁん。
4月から新米看護士が入ってきました。
あたしは偉くなった気分であれこれ教えてあげましたが、実はどーぉしても勝てないシゴトがありました。
「おしも洗い」
シャワー入れるようになるまでは毎日あのへんを洗ってもらうのです。
ベテラン看護士は院内のふうきを乱さないよう「お豆」には触らないように気を配るのですが、新米ちゃん達は何故かそこばかり執拗に洗ってくれるのです。
で、あたしが盛り上がってきた頃にお湯で流しておしまい。
ほ、ほ、放置プレイ?お前ら俺をどうしたいんだ!・・・いや、洗いたいのか。
どうもありがとうございます。(りあちゃん)
(寸評)俺もそれだけはやってもらいたい・・・。
直ったら、ベテランのりあちゃん、俺を洗ってねっ!6ポイント。
初めてのオッチャンキス
小学校の頃、登下校にはバスを使っていました。帰りのバスは、当時町内にあったデパートのすぐ真ん前にあるバス停から乗っていました。
そのデパートで働いていた、40代くらいの1人のオッチャンがいました。僕の名前を親しげに読んでいたことから、恐らく両親の知り合いだったのだと思います。下校の際にそのデパート前でバスを待っていると、よく声を掛けてくれ、話をしたものです。
ある日。いつものようにデパート前でバスを待っていると、そのオッチャンが声を掛けてきました。僕も挨拶をし、2,3の会話をしました。そこまでは良かったのです。
次の瞬間、オッチャンは何を思ったのか僕をぐいと抱き寄せ、
「愛してる!」
と言うやいなや、僕のおでこにブチュッとやってきたのです。
瞬間、何があったのかよく分からず、呆然とする僕。家族にされるのならまだしも、微妙に知り合いというポジションにいるオッチャンにそんなことをされるとは、まったく予想外でした。気持ち悪いと思うよりも先に、「なして?」という疑問を感じました。
その時、近所に住む学年が2、3ほど上の女子の先輩方も一緒にバスを待っていたのですが、ドン引きした様子で、
「わ~、キスされてる…」
と囁き合っていたのを覚えています。
それからしばらくして、そのデパートは閉店し、建物も取り壊されました。今ではその跡地は駐車場となっています。あのオッチャンとも、デパートが閉店してからは会っていません。
あの時オッチャンが何故いきなりおでこにキスをしてきたのか。それは今となってはまるで分かりません。衝動的にそういう気分になったのか、それとも実はもともとそういう趣味があったのか。真相は全て闇の中です。(たちつ亭と~助)
(寸評)今度会ったら、君も大人になったことだし、キスだけじゃ絶対にすまないだろうな。
そして・・・。
そのおっさんと今後の人生をふたりで生きていくのもいいんじゃないか。 6ポイント。
初めての謎の袋
先日、山梨方面にドライブに行った時のこと。
前の車を何気なく見ると、何やらワイパーの根元に白い袋がぶら下がっている。
もしかしてあれは、スーパーもしくはコンビニ袋!!
どうしてそんな所に!?自分でかけたのか、それともイタズラか。
生ゴミだったら嫌だな。(イタズラ前提。)
でも、よく見ると、車には「コッカーなんとか」という犬種のシールが貼られていました。
それってもしかして、犬のウ・・?
もしそうだったら、愛犬のモノなのに、愛情が足りないんじゃない?と、かなり長い間、この袋を見つめながら話していました。
結局、本当のところは何だったんだろう。(秘密の座席)
(寸評)いやその袋は、車を降りた君にいきなり被せ、何故かタコ殴りにする為のものかもしれないぞ。
いずれにしろ、君子危うきに近寄らずだな。注意、注意。5ポイント。
初めての公衆トイレ閉じ込められ
彼氏と2人で花火大会に行ったときのこと。
河川敷に敷物を敷いて、缶ビールを並べて、準備万端!
今日はお気に入りのワンピースも着てきたし!(?)
と、飲みながら夏の花火をゆったり満喫していました。
そこまでは良かったのですが・・・。
お酒を飲みすぎ、トイレに行きたくなりました。
でも当然のことながら、トイレは長蛇の列。
我慢に我慢を重ねて、やっと自分の番!と個室に入ると、鍵が古くてうまくかからりません。
尿意が限界に達して焦っていた私は、酔いも手伝って力ずくで鍵をかけました。
やっと目的を達成し、ホッとして鍵を開けようとすると、
「開かない・・・」
どれだけ力を入れても開きません。
何だか外がザワザワ。「この人、閉じ込められてない?」という声。
焦った私は、恥ずかしかったけれど「すいませーん、閉じ込められました・・・」と白状しました。
そして、外で待っている彼氏に携帯電話で「警察に電話して!」と頼みました。
15分くらいして、知らないヤンキーのような若い男の子がドアの上から個室に入ってきて、内側から力ずくでドアを開けてくれました。
外に出てみると、野次馬50人くらいがトイレを取り囲み、一斉に拍手!拍手!
・・・するわけもなく、ニヤニヤしながら私をチラチラ見ていました。
うわー、恥ずかしいぃーーー!
中には、彼氏が呼んでくれたのか、特殊部隊?みたいな格好をしたおじさんも数人。
その中心で、恥ずかしくてヘラヘラ笑うしかない私。
お気に入りの奇抜なワンピースがバカみたいで、余計恥ずかしかったです。
特殊部隊?の方々は疑わしそうな目で「いたずらじゃないんやな?」と何度も確認して、帰って行きました。
あー、恥ずかしかった・・・。
たくさんの人に迷惑かけたなー。スイマセン。(なん)
(寸評)しかもでっかいウン○が何故か詰まって流れてなかったら・・・。
それがなかっただけでも良しとしようよ。
ガンバレ!(何を!?) 7ポイント。
はじめての顎はずれ
彼氏と会う約束をしていた日のこと。
約束の時間の少し前、メールが来ました。
「あごが外れました」
えっ?顎外れって漫画の中だけの話じゃないの?と思いましたが、
会うと本当に外れていました。
手で顎を支え、もう片方の手で口の端から出るよだれをハンカチでガードしていました。
急いでタクシーに乗り、2人で救急病院へ。
タクシーの中では、おかしいやら心配やらで複雑な気持ちになり、
笑ったり真顔になったり大変でした。
病院では歯科医の先生に無事治してもらいました。
本人に顎はずれの感想を聞いたところ、
「言葉はほとんど喋れないし、焦って呼吸困難になるし、よだれは出てくるし、皆は笑うばかりだし」で大変だそうです。
皆さんも大あくびには注意してくださいね。(なん)
(寸評)あくびからそんなことに!
くしゃみからぎっくり腰になる人もいるし、人生どこに落とし穴があるか分からないな。
また落とし穴に落ちたらせめて「投稿するネタが出来た!」と前向きに考えてください・・・。6ポイント。
次女(7歳)のウォシュレット初体験。
この前日本に行ったときに、うちのお子たちはフランスにいたらなかなかできない経験をたくさんいたしました。
ウォシュレットには2年前の帰国のときにも遭遇しており、まったくの初対面ではありませんが友人の家のトイレがひとりでにかちゃかちゃなった(機械音ですね)ときにびっくりして大泣きしたという経験があるので今回は満を持しての試みでした。
まず、ことを終えた娘に、あのね、おしりだって洗って欲しいのよ。と、どこかで聞いたことのある台詞を刷り込み、いざ出陣。
途中で立ち上がってしまっては大変なことになるので気持ち彼女の肩をおさえて(気持ちです、押し付けてたわけじゃないない)なるべくやわらかいモードにしてボタンを押しました。
うひゃひゃひゃひゃ~
と、なんともくすぐったい声を上げながらもだえる娘、
やめて~お尻におしっこをかけるのはやめて~
と、いいながらもまんざらでもない様子。
よし!君もこれで日本の尻をもつ女になったわけだ(謎)!
日本の風呂についで、日本のトイレのすばらしさも教えることができて感無量です。
うちの子たちは洗礼してないからこれが洗礼になったかな?
ところで和式便所についてはニヒル牛2で初体験をいたしました。こちらもなかなかに味わい深いものとして思い出に残ったようでございます。 (ますちゃん)
(寸評)そうそう、ウォシュレットってほぼ日本にしかないんだよね。おみやげに買って帰る人も多いとか。
フランスはドアを開けないとトイレが流れない方式のものがあってあれは焦ったな~。
各国、いろんなトイレ事情があるよね。6ポイント。
初めてのダンゴ屋で
高校の頃、とある秋の日に学校のすぐ近くで、街いちばんの大きなおまつりが行われていました。
平日だったので授業があり、いつもどおり部活が終わって外が薄暗くなってきた頃、せっかくなのでそのおまつりにちょろっと行ってみることにしました。
普段は野球やサッカーの練習場として利用されている広いグランドにはたくさんのテントが建ち並び、ステージでなんとかダンスを披露する人たちやそれを眺める大人たち、ヨーヨー釣りや型抜きゲームに興じる子どもたち。土日でないにもかかわらず、会場はたくさんの老若男女で賑わっています。
(そういえば、腹が減ったなあ)
ちょうど部活が終わって小腹がすいていたので、何かおいしい食べ物はないかと探し回ることにしました。
しばらく歩き回っていると、「だんご」と書かれた看板が目に入りました。
(おっ。ここにしようっと!)
ふらふら~っとそこのテントに近づくと、サングラスをかけてパンチパーマの少し強面のおっちゃんが仁王立ちして店番をしています。
「おう、いらっしゃい!」
と威勢良く声をかけられました。
おっちゃんのいかつい風貌に萎縮しながらも、(ここのだんご、いくらなんだろう)と、テントじゅうを見回す僕。
どこにも値段が書いていないので、仕方なく
「一本いくらですか?」
と尋ねると、
「コレたい、コレ!」
と右手でじゃんけんのパーをつきだして教えてくれました。
(なるほど500円ね、ちょっと高い気もするけど)
と思ったが、よく見ると…
ゆ、指がない!
正確にいうと、右手の薬指と小指、それぞれの第二間接から先がない!
これじゃあ3本指にしか見えない!!
不敵な笑みをうかべて掌をみせるおっちゃん。もしかして、300円なのか!?
どっちなのかわからない。500円か、300円か。もしここで、
「あの~。で、いくらなんですか?」
と間の抜けた質問をすると、おっちゃんを怒らせてしまうかもしれない。悲しませてしまうかもしれない。自分の言動次第では、何をされるかわからない…!
ひとり気まずくなりながら財布の中身を見てみると、そこには500円玉が!
これで、値段はどうあれどちらも傷つかずにだんごを買える!
ほっと胸をなでおろしながら500円玉を渡す僕。だんごを渡すおっちゃん。
「はい。ヨモギだんご一本ね。ありがと!じゃ、またきてね!」
あ、あの~。お釣りは~??
500円だったようです。なかなか商売上手なおっちゃんでした。
まぎらわしいからせめて値段くらい自分の口で言ってくれっ!!(ざる)
(寸評)だんご500円!
でも確かにそう言われると、もし指が2本しか残っていない人がいて、
「じゃんけんしよう。勝った方が500円ね」
じゃんけん、ぽん!
「あ、パーですね。チョキだから僕の勝ちですね」
「いや指二本だからチョキたい。あいこたい」
じゃんけん、ぽん!
「あ、チョキですね。グーだから僕の勝ちですね」
「いや、これはパーたい。はい、500円よこすたい」
「・・・・・・。」
6ポイント。
初めての特急列車で立ち往生
今回の連休中、特急列車で長野へ行った時の事です。
親戚に会った時のお土産も用意して、新宿で無事自由席を確保し、いざ出発。
しかし、西荻窪を通過した辺りから、やけにスピードが遅くなってきました。
ついに三鷹で停車。そして、アナウンスが。
「先程西八王子付近の踏切で、人身事故が発生しました。申し訳ありませんが中央線全線で運転を見合わせます」
慌てて親戚に電話を掛けて、到着が遅れそうだと伝えました。僕はそれでよかったものの、隣の席に座っていたとある女性はもっと「ついてない…」という表情をしていました。
彼女は八王子まで有料特急で速く行こうと、わざわざ特急料金を払って乗ったそうですが、その対価は早く到着するどころか、缶詰にされたせいで快速列車の倍近い時間が過ぎ去ってしまったのです。隣のホームを見たら、通勤電車が特急電車よりも早く動き始めてたので。
JR側の責任じゃなくても、これじゃ「金返せ!」の一言は言いたくなりますよね…。
結局、40分缶詰にされた末、復旧しました。その間、しばらく彼女とも雑談をして、留学中の話もしました。
駅まで車で迎えに来てくれた叔母には、30分ぐらい待たせてしまいましたが、久しぶりに体験した非日常という瞬間でした。(Hi-)
(寸評)特急は確か二時間遅れると払い戻ししてくれるんだよね。
というか長野行くんなら松本まわりの特急使うより新幹線の方が早いのでは!? 4ポイント。
初めての初対面Skypeユーザーとチャット&通話
留学中にノートパソコンを通じて、家族と電話するのに使っていたSkypeですが、帰国後も現地に残っている友人達と格安電話をするのに使っています。
しかし先日、パソコンを使っていたら、突如、青いマークのSkypeのウィンドウが自動で開かれて、「Skypeコンタクト登録希望者がいます」との表示が。
どんな相手だ?と思い、その相手のプロフィールを開くと、なんと全く面識のない、日本語学習者の韓国人女性。しかし、自分の会話の練習になるかと思い、承諾しました。
すると、10秒もしないうちに、今度はその韓国人の方から、チャットのページが開かれ、あれよあれよという間に「こんばんは!」の日本語。「ネット相手とはいえ、初対面にして、堂々としてるなあ…」と思いつつ、ハングルで自己紹介をしました。
しばらくの間のチャットで、相手が元留学生と知って、「音声電話かけてもいいですか?」と一言。二つ返事でOKして、今度は日本語で音声通話。初対面でここまでやるとは、やはり日本人よりも肝っ玉があるなと実感しました。
ま、実際に会える訳じゃないけど、mixiを初めとするネットか、それ以上に見知らぬ人と、肉声で接することができると実感して、便利さを感じると同時に、怖くもなりました。しかも、相手は外国人だから、ID持ってるだけで、ネット上で声掛けてきたりできるしなあ。
ちなみに、外国の固定・携帯電話にも有料ですが、掛けられるのですが、その相手国の中にアフリカの途上国や、北朝鮮もありました。…国を選択して、適当に番号をダイヤルするだけで、逆探知されて、ヤバい事態に陥ったりなんてことは起きるんでしょうかね?(Hi-)
(寸評)へえー、どうなんだろうね。
是非ヤバイ状態になってさらに高得点の初体験ポイントを狙ってください(笑) 。5ポイント。
初めてのオタク系な店
かつて、悪友から押しつけられた成人向けゲームがありました。対応機種が全然合わないのでずっと持て余していたのですが、先日仙台に行く際に売り払えそうな店を見つけたので、そこへ行ってきました。
辿り着いた先の店は、いわゆるオタク系統のモノを取り扱っている店でした。店内に一歩足を踏み入れただけで、異様な空気が立ちこめているのがよく分かりました。何しろ、一番最初に目に入ってきたのは、成人向けの同人誌です。前々からその存在は知っていましたし、中身を読んでみたこともあります。が、本棚にずらっと各種各様の同人誌が整列し、1冊5000円なんていう同人誌が売られているのを目の当たりにすると、恐れおののかずにはいられません。
面白かったのは、「この作品の同人誌は高く買い取りますよ~」という一覧表があったことです。ゲームの買い取りのように、この世界でも需要が大きいものは値段が高いんだな~と、思い知った次第です。
他にも、同人ゲームやらテレホンカード(これにも、1枚5000円なんてのがありました)やら申し訳程度に陳列された家庭用ゲーム機のソフトやら色々ありましたが、その中でも特に印象的だったのが、コスプレ衣装のコーナーです。
その店の奥に、コスプレ衣装はたくさん並んでいました。それだけでもとてつもない存在感がありましたが、それに輪をかけて凄かったのは、数々の模造刀です。コスプレ衣装も相当な値段がするのに、模造刀もそれに負けない、或いはコスプレ衣装以上の値がつけられていました。確か、万単位のものもあったような…。コスプレの道は奥が深いんだな~。
ちなみに、僕が持参した成人向けゲームは、800円の値が付きました。いささか期待はずれの額ではありましたが、しかしこれほど濃厚な店ともなると、成人向けゲーム一本くらいじゃ対した値も付かないのかもしれません。結局、その値段でそのゲームを売却しました。
売却が終わった後は、そそくさと店を後にしました。店内にいるだけで緊張するなんて、かなり久しぶりのことだったかもしれません。(たちつ亭と~助)
(寸評)今度は君の「自分縛り映像集」でも持っていったらどうだ?
もしかしたらマニアがとんでもない値段で買ってくれて、東京にも頻繁に来られるようになるかもよっ!5ポイント。
初めてのGさん
下北沢の440にて、Gさん出演のライブを鑑賞してきました。正確には、しょぼたまライブの時に生のGさんのお姿は拝見しましたが、ソロで出演するGさんを見たのはこれが初めてでした。
ステージに登場したGさんは、いささか長い髪の毛に帽子を被り、その姿はメジャーデビュー当時を彷彿とさせるものがありました。…ということは、Gさん若返ってる!?
歌った歌はほとんどがソロで発表した歌で、中には初めて聞く歌もありました。が、そのどれもがGさんらしい歌詞・曲で、そんなに抵抗なくすんなりと歌の世界に入ることができました。そして、ギターやウクレレを弾くGさんの姿も初めて拝見したのですが、凄く様になっているな~、と失礼な感心をしたりしました。
今回はあくまでもゲストとして出演したGさん。今度は、ソロライブにも行ってみたいな~と思いました。(たちつ亭と~助)
(寸評)ピアノを弾くGさんも悪くないぞ。あと黒ビキニパンツのGさんもな・・・。4ポイント。
はじめてのモガ
色々と経緯があって、石川浩司+アナーキー吉田デュオライブの日に、日本モダンガール協會の會長Kヨさんにモガにしてもらいました。
ニヒル牛2で待ち合わせて、そこからすぐ近くのKヨさん宅へ。
外観は古めの建物でしたが、Kヨさんの部屋に入るとそこは別世界、一気に大正時代になりました。
とても素敵なお部屋だったのでゆっくり見せてもらいたかったのですが、あまり時間がなかったのですぐに準備に取りかかりました。
まず、何を着るか決めるということで、Kヨさんが衣装箪笥から次々とモガ服を出してくれました。
どれも素敵で迷いましたが、いちばん惹かれた服があったので、それに決めました。
白と紺の長袖ローウエストワンピースです。
その服は、Kヨさんが大会で優勝したときの衣装だということでした。素敵なわけです。
着替えたあとは、髪のセットと化粧をしてくれました。
髪は、Kヨさん行きつけの美容室でフィンガーウェーブを施してもらうと本格的で良いと教えてもらったのですが時間に余裕がなくて断念。
もみあげを椿油でまとめて頬にかかるようクルッとしてもらいました。このもみあげが大事だとか。
化粧は、元々ファンデーションをつけていたので少し白粉を塗り、眉を濃いめに書き、アイラインを上下に引き、口紅は口の端を避けて真ん中に塗り、完成。
普段、アイメイクを全くしないので結構な変わりようでした。
そして帽子、コート、靴などモガ小物をいろいろ借り、新人モガの出来上がり。
Kヨさんと一旦お別れし友達と合流、モガ姿の御披露目。
街を歩いたり、食事をしたり。
ちょっと照れがあったので、まだまだ修行が足りないと感じました。
ライブ会場のサンジャックでモガ師匠Kヨさんと再会。軍人さんもいました。
何時代かわからない不思議な感じがおもしろかったです。
ライブを楽しんだあと、Kヨさんが写真を撮ってくれるというので、ポーズを指導してもらいましたが、なかなか難しい。顔はにやけるし、ポーズはぎこちないしで。
もちろん、Kヨさんはカメラを向けられても完璧なモガでした。
うっかりしていて、自分のカメラで自分のモガ姿をあまり撮れなかったのが心残りでしたが、とても貴重な体験ができた楽しい1日でした。
Kヨさんに感謝です。
今回のことでモガになる楽しみを知ってしまったので、今度は自分でもモガになってみようと思いました。(若様)
(寸評) これは実際若様がモガになった現場に俺もいたからね。
「まぁ、お美しい!」
以外の言葉ないですよ。友達もはしゃいでたね。
その時も言ったけど、これは是非Kヨさんプロデュースで「モガモボ結婚式」やるべきですよ。衣装だけじゃなく、細部も当時を再現したらかなり面白くなると思うよ。
結婚までまだ時間がかかるようだったら、自費出版で写真集なんてのもいいかも。あの美しさを見たら、ポンとお金を出してくれる人もいるかもよ。
とにかく、是非何らかの続編、期待してまっせ~!9ポイント。
初めての熱湯攻め
蜘蛛が嫌い。というかものすごく怖い。なかでも家の中を素早く徘徊するアシダカグモが恐ろしく、草むらに囲まれた実家に住んでいたころは、夏場だと家の部屋という部屋に入る度に、室内にクモがいないか逐一確認する日々を送っていたほどです。
高校生の頃のある夏の日。僕はなぜか台所の床に寝ていたのですが、夜中に目を覚まして立ち上がり、
(こりゃいかんわい、布団に入ってちゃんと寝よーっと。でもノドが乾いたので水でも飲むか)
と流し台に目をやると…。
直径10cmはあろうかという体格のいいアシダカグモがシンクに!!
(うわー嫌なものを見てしまったおげげげげーーーぞぞーーっ!)
と一瞬飛び退いたのですが、僕の頭が半分は寝ていせいか、恐怖よりも気分を害された怒りのほうが勝っていたらしく、
(ふふふ今に見ておれ!)
何を思ったか、僕はこのクモを茹で殺すことを決意したのです。
刺激を与えてクモが動き出さないよう細心の注意を払ってやかんを取り、台所の水を使うのは怖くてできないので洗面所に駆け込んで水を汲みいれ、台所に戻るとまた細心の注意を払ってコンロにやかんをセット。点火。
湯が沸いたので火を止め、確実に急所(胴体)に当たるようにやかんを持つ手に全神経を集中し、100℃の煮え湯をぶちまける…!
命中!!したはよかったが、
バタバタバタバタバタバタバタバタバタッ!
熱湯攻めをまともに喰らったクモはあまりの熱さに瞬時に足が数本もげ、もの凄まじい勢いで暴れ始めたのです。その後10秒くらいで動かなくなりましたが、あの瞬間は僕のそれからの人生にトラウマを残す光景となってしまいました。もともとクモが怖いのに、もっと怖くなってしまった。
翌朝、母に怒られました。「夜のクモは殺すな」と。オイオイ。。。 (ざる)
(寸評)地獄に落ちても一本の糸も上から降りては来ない運命のようじゃの。
ナンマンダブ、ナンマンダブ。7ポイント
初めて見たトイレの洪水
それは小学生の頃よく遊びに行った友達の家で起きた。
その友達の家は広かったので、かくれんぼは毎回やっていた。…といってもだいたい隠れる場所っていうのは決まっているのだが。パターンの一つにトイレがある。トイレといっても3か所ある。1階と2階に一つずつあるのだが、1階には男性用トイレもあった。珍しかったのでよく忍び込んだものである。
その日も男性用トイレに隠れた。ちょっと暇だったので、水を流してみた。
珍しいので興味津津だったのだ。調子に乗って流しまくった。あれよあれよと言う間に水は止まらなくなり、便器は浅いので水が溢れ出た。もうかくれんぼどころではなくなり、泣きそうになりながら「どうしようどうしよう」と言って友達のおばあちゃんに助けを求めた。水はいつの間にか止まり、おばあちゃんはせっせと床を拭き、騒ぎは収まった。今思うと、私って悪ガキだったな…。(可南)
(寸評)男性用朝顔は、深さもないからな。
男はまずあそこで朝起きぬけに顔を洗ってから(だから朝顔と言う)、その後におしっこして流すんだよ。知ってた?
ま、嘘だけどね。6ポイント。
初めてのウォッシュレットに囚われる
学校のトイレで用を足そうとした時の事です。
その日は腹具合がさほどよくなく、食べた物を緩めに垂れ流してしまいました。
さて、ウォッシュレットを使おうかとした途端、スイッチを押してもいないのに放水が始まりました。
「おっ、このトイレのウォッシュレットはテレパシー認知機能でもあるのか?」
しかし、ある程度出してから、「止」のボタンを押して、教室へ戻ろうとしたのですが、そこで異常事態が発生しました。
ウォッシュレットの吹き出し口が引っ込む音が聞こえたのですが、そこで立ち上がろうとすると、また機械音が鳴って、放水が始まりました。
もう一度「止」のボタンを押しましたが、それでも再び止まってから5秒後には、また放水が始まってしまいます。
何度もしつこくボタンを押すものの、この繰り返しが続きます。そうこうしているうちに、3分は経ってしまいました。明らかに、故障です。ふと便器の横を見ると、漏れた水が少々床に広がっていました。
…ヤバい。このサインに気付いて、「このトイレは使わない方がいいぞ!」などというメッセージを判断していれば、この罠にはまらずに済んだかもしれないのに。何も気づかず、ただ催された便意に従って、個室も選ばずにトイレに入るんかい!
こうなったら、どこかいいタイミングで立ち上がって、脱出せねばなりません。しかし、停止ボタンを押して、放水が止まってからまた始まるまでの間の5秒間の間に、立ち上がり、紙で尻を拭き、ズボンを上げるだけでなく、便器のふたも閉めなければなりません。そんな神業を、果たして5秒の間にこなせるのか…。
…できました。
ただ、尻があまり十分に拭けず、しばらく生乾き感が残りましたが。
パッと便座のふたを閉めるのには成功しましたが、その直後、放水された水が便座の裏側に当たる音が聞こえました。
…マジでギリギリセーフ。ウォッシュレットの水を浴びずに済みました。一歩間違えれば、顔面発射をもろに受けるか、下の部分がとんでもないことになる瀬戸際で、緊張の一瞬でした。
そして、下の階の庶務課へ行き、「ウォッシュレットが故障したみたいです」と、伝えておきました。その後、再びそのトイレに手を洗いに行くと、便座のふたに「故障中につき、使用禁止」の張り紙がちゃんと貼ってありました。
今度からは、トイレに入る時は気をつけようと思った一幕でした。とさ。(Hi-)
(寸評)まるで盛岡のわんこ蕎麦のごたる便器ね。わんこトイレ!? 7ポイント。
初めてのメタボ検診
この前、会社の健康診断があった。その項目のなかに初めて行うものがあった。
メタボを確認するために腹囲を測るのだ。まだ20代前半なのにだ。
検診用の変なガウンを着た。心電図などもやるので下着もはずした。
内科やら採血やら普通の健康診断の項目を済ませ、ついに腹囲だ。
個室に入れられ、そこにはおばちゃん看護師みたいな人がメジャーを持って構えていた。
「はい、ガウンの前をはずして。ほら、早く」
え、胸出すの?測るのは腹でしょ?
「女同士なんだから恥ずかしくないでしょ!」
なんかフェアじゃない。おばちゃんは服着てんじゃん。いや、おばちゃんの上半身ヌードを見たいわけじゃないけど、なんかずるい。しかもなんか強気で嫌だ。
でも仕方なく、されるがままに測られた。おばちゃんの視線はしっかり胸にいっていた。メジャーの目盛りだけ見ろ~!ちょっとムカッときた初メタボ検診だった。(可南)
(寸評)ああ、それレズおばちゃんだわ。こっそり写真も撮られたかもね。
そういえば俺も最近の健康診断で腹計られたわ。
今までそんなことなかったのに。
おホモおじちゃんだったのかな。 6ポイント。
初めての登園拒否
三歳の頃。母に手を引かれて、ちょっと急な坂道を下ったところにある近所の保育園に通っていました。
ある朝、いつものように母と保育園へ。母は僕を保育園に預けると、その日はどこかへ出かける予定だったそうです。
正面のドアを開け……るはずが…!
「イヤ~~~だ~~!!」
突然母の手を振り解こうとし、泣き叫ぶ僕。家を出たときには、嫌がる様子を何ひとつ見せなかったのに…
「行かん~~~!」
母が無理やり僕を引っ張ろうとしても、僕は頑なに泣きじゃくりながらそれを力いっぱい拒否しました。母はドアの前で必死に格闘を続ける僕に根負けし、
「じゃあ、今日は行かんとね?」
僕は頷く。
「家に帰っても誰もおらんよ。よかね?」
またしても頷きます。それならばと母は僕をその場に置いて、どこかへ行ってしまいました。取り残された僕は、そのまま一人で歩いて家に帰っていたそうです。
保育園に通ったのはその事件の前の日が最後になってしまい、すぐに兄と姉の通う幼稚園に入園することになりました。幼稚園では登園拒否することもなく、ほぼ皆勤賞で卒業しました。
僕の覚えている限りの古い記憶であったにもかかわらず、この事件は頭のなかでかなり鮮明です。でも、どうして誰も家にいないのに無事に帰ることができたのかは、全然覚えていないんだなあ。(ざる)
(寸評)まぁ、本当はもちろん母親が後ろからこっそり着いてきてたんだろうね。
もしくは、実はそこで家を間違えて、その後の人生、全く知らない家庭で育ってたりして。6ポイント。
初めての銭湯
初投稿です。
ずーっと、銭湯に言ったことのなかった僕。先日、家から原付で1時間半くらいかかるちょっと遠い場所で、とある短期のアルバイトをする機会がありました。ちょうど寒い時期だったので、バイトを終えた後、暖をとろうとタオル1枚を用意して、帰り道の途中にある温泉街へ。
すぐに「○○の湯」と書かれた建物を発見。
(へへへ、ここが銭湯というやつか)
原付を停めて中に入ろうとすると、入り口には「○○様、◇△様ご一行」などと書かれた看板(?)が置いてあって(へえ、たいそうな銭湯だなあ)と思いつつも、正面の自動ドアを通過しました。
中に入ると、右手には受付のカウンターらしきもの、左手にはソファーに座ってテレビを見ながらくつろぐおっさんたちが!
(せ、銭湯の割には大袈裟じゃないか。。。)
自分が思い描いていたものとはかけはなれた光景を目の当たりにし、きょろきょろと目を泳がせていると、僕を不審に思ったのか受付に立っていたスーツ姿のおっちゃんに
「あのー、トイレをお探しですか?」
と尋ねられ、
「あ、はいそうです。」
と答えたので、べつに行きたいわけでもないトイレの場所を教えてもらいました。せっかくなので用を足しにいくと、廊下からはだだっ広い畳の部屋がいくつか見え、そこで酒を飲みながら談笑をかわしているおっさんたちの姿が!
(あ、ここ銭湯じゃないやん!)
そう思いながら顔を赤らめてそそくさとその建物を出て行く僕でした。
そこを出て、改めて看板を見なおしてみると「旅館○○の湯」とはっきり書かれておりました。ごめんなさい!便所を使っただけですぐさま引き返すなんて、ただの嫌がらせだよね!!
恥ずかしい思いはしましたが、暖をとるという目的を果たさないわけにはいかないので、今度はちゃんとした銭湯をみつけるため、しばらく原付を走らせました。
そしてとうとう見つけた「公衆浴場」の看板!店番のおばちゃんから30円で石鹸を買って、初めて浴びる銭湯の湯で、冷や汗もいっしょに体を洗い流しましたとさ。とほほ。。。(ざる)
(寸評)あー、あるんだよね。○○の湯、という名前の旅館ね。確かに紛らわしいが、佇まいを見れば普通は気づくよな・・・。
今後もどんどんドジって、投稿してくれいっ! 6ポイント。
初めての石川さんとセッション
このホームページに通い始めてから、1つの夢を持っていました。それは、「いつか石川さんとセッション出来ればいいな~」というものです。これは、自分がなんじゃもんじゃを開催しない限りは無理だろうな~と思っていたのですが。が。
先日、ひるねやイベントに行った際に、石川さんとセッションする機会を持ったのです! もっとも、正確には石川さんによく似た天使、なのかもしれませんが。
天使のメニューには、「オンリ・ユー」がありました。そして、僕の手元には何故か愛用のウクレレが。石川さんの曲のコードはあまり把握していませんが、「オンリ・ユー」は僕も何とかコードを覚えている曲です。早速注文用の伝票に「オンリ・ユー 僕のウクレレ演奏で」と記入し、天使を起こします。
天使もすぐにその趣旨を理解してくれたらしく、手短に打合せをした後、いよいよ「オンリ・ユー with ウクレレ亭」が始まりました。
結果。ウクレレでコード伴奏をするのが主となり、自分らしい演奏はなかなか出来なかったかな、というのが正直な感想です。でも、手短な打合せだったし、変に自分らしく演奏して天使に不便をかけるわけにもいかないことを考えると、このくらいが丁度いいのかもしれませんね。
それに、演奏している間はとにかく緊張し、コードを押さえる左手も音を奏でる右手も尋常じゃない汗でした。それでも何とかフルコーラスを弾き終わり、天使が気持ちよさそうに歌い終わったのを見届けた瞬間、とてつもなく大きな安堵感と、「やってよかった。またいつかやろう」という思いに変わっていったのでした。
今度、いつになるか分かりませんがひるねやイベントにまた参加する際は、「ガウディさん」を僕の演奏で天使に歌ってもらおうかな、と密かに考えている次第です。(たちつ亭と~助)
(寸評)いいよ~、そういう注文。失敗しても俺のせいじゃなくなるし(笑)。
それはともかく、何でも「やってみる」姿勢はホントに正しい。見る前に跳べ、だよなっ! 7ポイント。
初めての痛気持ちいいくすぐったさ
先日上京した際に、Mさんにマッサージをしてもらいました。以前は肩を重点的にやってもらったのですが、生来肩よりも脚が疲れやすいと言うこともあり、今回は脚を重点的にマッサージしてもらいました。
ふくらはぎ、足の裏、太ももと、次々に揉まれていきます。その度に、「うう」だの「ぬあ」だの「おふっ」だのと呟きながらマッサージを堪能していきます。
「その瞬間」が訪れたのは、マッサージもそろそろ後半というあたり。内股よりの脚の付け根を揉んでもらった瞬間、体中に衝撃が走りました。
その衝撃は、まさに電気が走ったようでもありました。まず痛かったのです。でも気持ちよかったのです。そしてそれらを感じた次の瞬間、猛烈なくすぐったさに襲われたのです。
痛さと気持ちよさとくすぐったさを同時に感じるのは、たぶんこの瞬間が初めてだったと思います。気持ちよさ+くすぐったさや、気持ちよさ+痛さは色々と体験してきましたが。
この三位一体攻撃に、たまらずもんどり打ちたくなる僕。しかし裏を返せばそこが相当に疲れているのだとも言えるので、マッサージを何とか受け続けようと我慢します。しかし、再び味わう痛気持ちいいくすぐったさに、やはりもんどり打ってしまい、思わず顔を手で覆い…。
程なくして内股よりの脚の付け根へのマッサージは終わりましたが、痛気持ちいいくすぐったさの後遺症か、少なからずグッタリとしていました。これほどまでも乱心状態にさせられる部位がある以上、しばらくマッサージは知り合いのみに依頼することになりそうです。赤の他人様にこんな状態を見られたらと思うと些か恐ろしくもあります。
なお、余談ですが。Mさん曰く、僕がマッサージを受けている時、石川さん同様顔を思い切りしかめていたよ、と言われたことを付け加えておきます。(たちつ亭と~助)
(寸評)元々彼女がなんかのライブの後に俺の肩を揉んでくれて「うまいじゃん!」と言ったのが本職になるとはねー。
女性とは思えない力強さに、今後もお互い喘ぎ声をあげ、顔をしわくちゃにしよう! 6ポイント。
初めての原付走行
友人が家に遊びに来て、友人宅の近所にある原っぱで酒を呑もうじゃないか、という話になりました。しかしながら、僕は外に持って行けるような酒の準備はしてなかったのでその旨を友人に告げると、
「んじゃあ、俺が乗ってきた原付のバイクを貸すから、今からコンビニで買ってこいよ。俺アパートで待ってるから」
と言われたのでした。ははあ、原付でねえ…、てな感じで最初は聞いていたのですが、徐々に不安が込み上げてきました。
今年の初めに普通車の免許を取得し、一応原付も運転してよろし、ということにはなっています。が、教習所に通っていた期間中、実際に原付に乗ったことは皆無であります。そこで、友人に一通りの操作を教えてもらってから走らせてみることにしました。
エンジンはブレーキを握りながらかけるとか、ウィンカーは自動車とそれはちょっと違うんだとか、主要なところをある程度教えてもらい、いよいよ走行です。が、それでもやっぱり不安は残ります。何しろ、自動車は都合2ヶ月くらいの教習を経て1人での走行を許されましたが、原付は都合10分程度教えてもらったのみで1人走行をするわけです。そんなんで本当に大丈夫なんかい、と、不安にならざるを得ません。
しかし友人はとっくに行ってしまいました。こうなったら、もう走らせるしかありません。しょうがない。走らせるしかないだろう。出発進行! …あれ、エンジンがかからない。あ、ブレーキを握るんだった。
原付は、本名:原動機付自転車ではありますが、実際に走らせてみるとまるで自転車とは思えません。やっぱりバイクなんだな、という感じです。ペダルなんてのはありません。
自動車の最高速度が時速60kmなのに対して、原付の最高速度は時速30kmです。これだけ聞くと、なんだ原付はそんなものか、という感じなのですが、自動車の時速30kmと原付の時速30kmでは印象がかなり変わります。原付の方はスピードをゆっくり出していてもとてつもなく早く感じられるんですよね。車体の大きさによる違いなのかな。
また、自動車に乗っている時は言わば密室空間の中にいるわけなので、例えば隣の車のエンジン音なんてのは僅かに聞こえる程度です。が、原付を走行しているとエンジン音が直に聞こえてきます。そうすると、当然デカイ音なわけで、早い話が、
「わわわ、ももももしかしたら、く、車、近くにいるのか!? ぶぶぶぶつかるのか!?」
という心理状態に陥ります。
他にも、原付の低速走行を追い越してくる車なんてのも当然出てくるわけで、そういう車が後ろからやって来たりすると、
「ぬわわわ、追い越してきたきたきた! ぶつかるなよぶつかるなよぶつかるなよ!!」
という心の叫びを聞くことになります。
結局、何とかコンビニで酒とそのつまみを購入し、無事に友人宅まで辿り着きましたが、肩に力が入った状態でのゴールだったので、その様を友人に笑われちゃいました。当分は原動機の付いていない自転車でいいや、と、酒を呑む前から疲労困憊しながら思ったのでした。(たちつ亭と~助)
(寸評)俺も18くらいの時は原付乗ってたけど、凍結した路面でスッコーンと俺の体を残し、バイクだけ10メートルくらい先にすっ転がってたことあったな。
あの時、後ろから車が来ていたら、確実に俺の体は裂け、千切れ、破れ、砂とともに一陣の風に舞って消えていたな・・・。5ポイント。
はじめての白い液体をあんなところに・・・・
途中不快な発言などがありますがご了承ください。苦手な方は読まないことをお勧めします。
去年の夏、7月の半ばある晩のことです。寝苦しい夜だったと思います。
やっと子供たちも寝静まり、わたしもいつの間にやら眠りについたころ、突然なのだか、じんわりなのだか、おなかの痛みで目が覚めた。
へその上辺りを内側からギュ~~~っとやられたような痛みが間隔空けて襲ってくるのである。
朝になってもその痛みが治まることは無かったが、仕事もあり、当時日雇い派遣で働いていたので、そう簡単に休めない状態だったため痛みをこらえて現場へ向かった。
しかし、痛みは一向に治まらず、徐々に痛み具合も激しさを増すばかり、やはり間隔をあけて痛みがやってくる、そう、陣痛のように・・・。
こんな痛みはこの年の前の年にも実はあって、そのときはまた旅行の出発日でやはり痛みに耐えながら観光したのだが、今回は仕事中、作業の手が止まってしまうほど、痛みが激しく、去年の痛み以上だった。
しかたなく、派遣先の社員に事情を伝えると「少し休んでる?」という。内心休んでいたところで絶対この痛みは沈静しないのはわかっていたのだが、「はい・・すいません・・」と端っこのほうのスペースで休ませてもらったが、 結局無駄に時が過ぎたが痛みが治まるはずもなく、本当に動けなくなる前に早退させてもらった。 しかし、派遣先は自宅から自転車で30分・・・夏の日差しが照りつける中、変な汗をかき痛みに耐えながら自宅までと思ったのだが、もう直接病院に行ったほうが早いと向かいました。
診察してもらい、レントゲンや触診、採血など、一通りの検査を終え、採血の結果を聞くと白血球の数がハンパねぇ!!
ひとまずこの日は痛み止めの点滴を2本さして不安の残る中帰らさせられました。
翌日も、まだ痛みは残っていたが昨日よりはたいぶましになった。
そしてもう一度触診、おなかを押されると激痛と吐き気がする、そして触診が終わると、先生から疑わしい病名が告げられた。
「憩室炎」
腸に袋が出来てそこに、ガスやウンチョスが溜まるとそこに炎症が起きて痛むらしい。後でネットで調べても当てはまることばかり。。
そして、先生に「炎症と痛みが治まったら一度検査してみましょう。簡単な検査ですから^^」といわれた。
検査したところで、憩室炎だったら完治は無いらしい。たまにくる痛みと一生付き合っていかなければならないのか・・・
しかし、痛みの原因を探るという意味でも、一度大腸の検査をするべきだとのこと。
説明をしますからと今度は看護婦さんに呼ばれ、検査の予約と検査の内容説明を受ける。
ふむふむバリウムを・・・・え!?ええええ? マジかい?
凹むわ・・・
しかし、痛みなどもなく、割と簡単な検査というので受けることを決心した。
約三週間後、検査前日、検査をスムーズに受けられるよう大腸を空っぽにする作業に入る。 流動食のような食事が用意されていたのでそれを朝昼晩3色食す。
夜は、いよいよ完全に空っぽにするために下剤を投入。
ある意味これも初体験!
汚い話だがまさに大噴射!!
音で例えたらシャバァアアアアア!!!である。
下剤恐るべし・・・
さてタイトルの本題である。前説が長いっ!
検査当日、まずは検査服に着替える。
パンツももちろん検査用、そして、検査服はわたしの体型に合わない一回り小さなものを用意されてた、、まぁ何とかぎりぎりに着替えた。
そしていよいよ検査、レントゲン台に乗り15分ほどずっと放射能を浴び続けるというものらしいが、バリウムを普通なら、口から飲むというイメージであろうが、大腸ともなると違うのである。
お尻から注入なのだ!!
検査用パンツはこのためのものであります。もちろんお尻のセンターに穴が開いてるもので、大股開くと丸見えになる・・。
そしてそこから想像以上の屈辱を受けることとなる。
レントゲン台に乗り、では、検査始めますね~といったといわれた瞬間からいいなりです、すべてをお任せします・・・ ちなみにレントゲン技師らは男性であった。。。
まずは横向きになってといわれ、言われたとおりしたら、技師さんが「はい、ちょっとごめんね~」といって、なにやら潤滑ゼリーのようなものをお尻に塗られたと思ったら、次の瞬間!!!
ズボッ!っと何か筒状のものがお尻に!!
「ウググググッ!」声にならん!
はいじゃあ、ちょっと空気を入れますので、おなかの膨れる感覚ありますよ~
「おわわわわわっ!」膨らんでいく感覚がものすごくわかる!
では入れます~
ぶじゅぶじゅぶじゅぶじゅじゅじゅ~~~
「ぐぉおおおおおおお!!」←獣化
この説明でわかっただろうか? 二人の男性技師にお尻を押し広げられた上に筒状のものを挿入されたうえに、そこから白いものを大量に入れられたのだ。
こんな屈辱的なことがあっていいのだろうか!! こっちはバージンだったのにぃ!!
台に乗ったままうつぶせにさせられたり、仰向けになったり、横向きになったり、そうしてるうちにサイズ違いの検査服がどんどんはだけて来るので、うっかりポロリしそうになる。
台もアトラクションなら楽しいが上向いたりした向いたり、そのたびに腸内のバリウムが上がったり下がったり気持ち悪い・・・
もみくちゃにされてる気分だったがそれでもがんばって指示通りに動いたので、順調に検査は終わりました。フゥ・・・
検査結果を聞くために待合室で待ってる間に「うっ!」
キタキタキターーーーーー!!
トイレに駆け込み、座った瞬間便器が真っ白になってしまったことは言うまでもありません。
結局検査結果は憩室炎はなく、ただの腸炎でした。おまけで綺麗な腸ですね~と褒められました。
大事に至らなかった事は幸いでしたが、もうあんな検査は二度と受けたくないと思った32才、なにかを喪失した夏の日でした。 (シーチャッキー)
(寸評)おぉ、これは壮絶なっ!
なにかを喪失したかもしれないが、もっとすごいなにかを得たかもしれないぞ。
今度その検査用パンツで俺のライブの時、ステージで踊ってくれいっ! 10ポイント。
初めて馬に蹴られた(娘)?の巻。
乗馬クラブに行ってるなんていうとええとこのお嬢様みたいですが、ちがうよっ!
次女がなぜか馬好きで(私が小さいころに馬刺しをたくさん食べたから?)、2年間も乗馬クラブに行きたい行きたい行きたいと申しておりましたので今年は奮発して加入させてあげました。
娘がやるとはいえ、彼女はまだ6歳、まだ一人でできないことも多く、当然そこは親の私の仕事となるわけです。
その日は年末の発表会の練習で、これまた音楽にあわせて親がポニー(まだ馬には乗せてもらえない)を引っ張って走ったりしなくてはならない日でした。
娘のパートナーになるポニーがなかなかやんちゃで、先生が見てないと小さい娘に噛み付こうとしたり(なめられてる?)、なかなか言うことを聞かないので先生が違うポニーに変えてくれました。
がが!その変えてくれたポニーはもっとやんちゃな感じの子で、かわいかったのですが、なんか凄くおきゃんな感じでした。
練習が終わってお世話してるときに小さい男の子が袋に入った馬のおやつをあげに来ました。私は素直にありがとう!と言ったのですが、こんなことが裏目にでるとは。。。
私が足を持ってあげて足の裏の土をかきだしてあげようとしたその瞬間、彼は足をばたばたしはじめて、蹴られる!と思った私はしゃがんだ状態からスタントマンのようにざざーっと横にすべり回転し、逃げました。
娘は立っていたのですぐに逃げて大丈夫だったようですが、ここを蹴られた!と、主張している腿のところはなんともなっていませんでした。ほっ
びっくりした先生がきてくれて、いくらやんちゃだからって普通こんなことしない!と、何が起こったのか検証してくれました。
そしたら先生、誰かおやつあげたでしょ!って。。。
図星~!!ブラシかけたり足を綺麗にしてあげたりしてお世話してる最中に食べ物を上げるとポニーは食いしん坊だからもっとちょうだい!って駄々をこねるんですって。
知らなかった。
しかしお母さんさっきのスタントは素敵でした!と、先生にほめてもらいました。
わはは (ますちゃん)
(寸評)今度ボクにもおやつちょうだい。走るよ~。パカランパカランとっ!5ポイント。
初めての腰蓑おじさん
横浜で働いている私。お昼頃、会社の入っているビルから出たら、初めて見るいでたちのおじさんを見た。まだ寒い時期。雨が少し降っていた。
そのおじさんは、髪が伸びて髭も伸びて、服を着ていなかった。
勿論、裸足で足はどろどろに汚れていた。
辛うじて腰蓑のようなものは着けていたが、ほぼ全裸。
雨を背中にうけながら下を向いて歩いていた。ホームレスでも最近は皆もっといいものを着ているし…。趣味にしてはちっと辛そうだったし。腰蓑着けてるからお巡りさんにも捕まらないのだろうか。駅も近く人通りも多いのに、こんな人いるんだな~とびっくりした。(可南)
(寸評)うちの町にもそういう名物おじさんいる。通称原始人。絵に描いたような原始人の格好をしているのだ。もちろん風呂には何年も入っていない感じで、ボロ布だけを纏って裸足。
但し、このおじさんは決してホームレスではない。ちゃんと自分の家を持っているし、お金にも不自由はしてなてようだ。
いつもニヤニヤ笑いながら駅の改札付近にいることが多いが、人には一切触れたりしない。
時々何故か「私は買い物をしてるんですよー」という自己主張の為にネギを持っていることもあるので「ネギ男」とも言われる。
日本中のそういう人のカタログが本屋に売っていたら、
立ち読みしたい・・・。 5ポイント。
はじめての「協賛」!!
このたび、パスカルズいよいよ北海道上陸!という嬉しいニュース!!
私はまだパスカルズライブを観たことがありません。いいなー観たいなー、と思いつつ、北海道で観るなんて夢のまた夢なんだろうなーと、数年前は思っていたのです。それが実現に!
すごい!嬉しい!このために動かれた人々、大変だったのでは!?ありがとうございます!!
ということで、私もなにか、したい・・・!と。
「チケットをたくさん買って売る」という部門では、小心者?のため、なんとなくまわりに気を使わせそうなのがどきどきしてしまう・・のですが、ん?「協賛」というテもあるじゃないですか!
さっそく、ちょっとどきどきしながら夫に相談。「あのさあ、実はさあ・・」
なんせうちは、他にバイトもしないと成り立っていないような、いとしきボロ屋での旅人宿。
たった一口協賛とはいえちょっと勇気がいるのです。でも夫、快諾!パスカルズとかよくわからねえ、と言ってる夫も、去年の夏の石川さんツアー以来、の私を見ているので気持ちもわかってくれたのでしょう、感謝!
というわけで早速振り込み用紙を送っていただき、1万円を振り込みさせていただきました。
協賛するとパンフなどに名前も載るそう。しかもその時点での協賛は、あの、全国でも有名な「白い恋人」をつくっている石屋製菓と、近所の人にさえまだそんなに知られていないわが「舎(やまきち)とまや」だというじゃありませんか!
それって笑える~、すごく面白い!よーし、「舎とまやはパスカルズライブに協賛しています」と言い続けるぞ~!
とうきうき日々を過ごしています。
そして先日も、1人で完全無農薬の畑や田んぼの農園をやってるブルースマンな友達にその話を笑ってしていたら「俺も協賛するわ!」と。びっくりしている私の目の前で、その日中に行動を起こしてくれました!
というわけで、専用HP内の支援者のところには近々「櫻井BLUES農場」も載るはず・・・面白すぎる~~~
パスカルズに興味を持ってくれてる友達や、パスカルズを全く知らなかった友達も、「是非行くわ~、チケット買うにはどうしたら?」
と次々声をかけてくれています。うれしー!たのしー!
うう、待ち遠しいです、6月6日!会場は札幌ですが、駅直結だし小樽寄りでそんなに遠くないので、「パスカルズ観てみんなでうちに泊まろうよツアー」も呼びかけていこうと思っています。
心から、お待ちしていますよパスカルズのみーなーさーまーー!!!(どんぐり子)
(寸評)おおっ、これはまじでありがとだっ!
ま、「このために動かれた人々」ってメイン3人のうち2人はここの投稿王のベスト10に入っているんだけどね(笑)。
とまやに泊まってパスカルズを見に行くと、とまやから専用ワゴン車が出るよ~、とかのツアーにしたらすぐ満員になりそうだね。
今後もご近所さんで協賛してくれそうな人を見つけておくれー。たのんまっす! 個人的ありがとポイント10ポイント!
初めての道ばたで痴漢
高校を卒業した年、華の浪人生時代の事です。
所沢の駅から西武池袋線で池袋まで通う電車の乗車率は激しく痴漢にあった事もありました。電車の痴漢は幸い逃げようがある事が多かったのでまあいいと言う訳ではありませんが非常に不快ではあっても恐怖という物は感じませんでした。
が、自宅から駅まで自転車を漕いでる時に出会ってしまった痴漢は本当にこわかったです。
どちらかと言えばスカートよりズボン派の私ですがその日はたまたまスカートを履いて、朝から自分でも「今日は私スカートだわ」とか思っていました。
私が自転車で走っていると後ろから白の確かマーク2。私の後をずーっとついてくるのですが、小心者のドライバーは自転車を追い越せない事があってもおかしくはなさそうな位細い道だったのでできるだけ端によけて心の中で「早く追い越せよ」くらいに思っていました。
が、一分くらい追走された後でしょうか、車の中のおじさんが何か言っているのが聞こえました。
で、ちょっと振り返ると、なんとおじさん車の左側にいる私を運転席からかがむ様にして見ながら
「お前丸見えだなー」「ちょっと止まってパンツ舐めさせろ」と 「おい止まれよ」とかにやにやしながら言っています!
私は内心「え、何が丸見え!?」とびびりつつ思い自分のスカートをチェック。確かにスカートでしたが、別にミニでもスリットでもない地味な膝丈スカートで裾の位置はちゃんと膝の上にあります。この状況で止まれと言われて止まる奴がいるのかと心の中では結構冷静に突っ込みつつ、ちろん全力で自転車をこいでスピードアップを図りましたが相手は車、何の意味もありません。そして微妙に幅を寄せてくるおじさん。絶対転んじゃダメだと自分にいい聞かせつつ、もしここで転んだりこの人に牽かれたらどうなるんだろう、車をぶつけられて半ば強制的に止まるはめになったらどうしよう、と泣きそうになりながら必死に自転車をこぎました。きっとこの人は車を私にぶつけたら救急車を呼ぶより強姦するに違いないわ、と妄想が更なる恐怖と泣きそうになる衝動を誘います。
そんなこんなで永遠に思えるくらい長い時間自転車を全力でこいでいたら(正確にはたぶん5分ないかなあ)道がちょっと広くなって、前におばさんが見えたのであの人のところまで頑張って行こうと思って一心不乱に自転車をこいで、気づいたら痴漢のおじさんは行ってしまいました。
それから大学を卒業するまでの5年間、ジーパンしか履きませんでした。スーツもパンツスーツしかありませんでした。もともとどちらかと言えばズボン派ではありましたが、あれから約10年たった今はスカートをはく事もあるので、今思えば浪人時代の痴漢体験が私の大学時代の服装を更に地味にした気がします。私の青春を返して! (Sabina)
(寸評)それじゃあ、返しましょうかね、お嬢さん、フフフ・・・。
って、俺がそんな勇気あるはずがな~い。ってか車も乗れないし。
やっぱり痴漢はちんこチョン切るの刑にしないと駄目かもね。
そいで、切ったちんこは焼いて食べるの。お醤油でさっぱり。七味をかけるのもいいよね。ピリリっとして。6ポイント。
初めてのお能 in US
お脳は結構好きでちょくちょく行っていたのですが、先日米国で初めてお能を見ました。
きっと違和感があるだろうなとは思いつつ、どんな物か非常に興味深かったので実は結構前から楽しみにしていました。
演目は「隅田川」背景の松がヘンなこと、台詞の英語がお能風のイントネーションででも英語な事。出演者が白人な事、どれも予想してた範囲内の違和感だったので割とすんなり受け入れられました。台詞はむしろ英語の方が聞き取りやすいくらい。
がしかし、阿弥陀仏という単語が出て来た時衝撃を受けました。
あ~み~だ~ぶー・・・ッダ!!
確かに仏は英語でブッダですから阿弥陀仏はアミダブッダですけど
南無阿弥陀仏を唱えるときも
ナムアミダブッ・・・・「ダ」
どうしてそこにダがつくのーぉ!?とものすごい違和感を覚えました。
面白かったです。 (Sabina)
(寸評)あーそれ面白そうだね。
日本人がバリバリのリーゼントで決めてロックンロールなんかをやっているのも、本場の人から見たら突っ込みどころ満載な、まるでギャグなのかもしれないねー。6ポイント。
初めての鼻カメラ
喉というか顎の裏というか、そこら辺に2つぐりぐりを発見したので耳鼻咽喉科へ行った。癌とかだったら怖いし、リンパ腺が腫れているみたいな感じだったが何なのかはっきりさせるために行ったのだ。地元の駅前の耳鼻咽喉科へ行った。この辺はヤブ医者が多いので、きっとここもヤブだと思ったが遠くに行くのも面倒だったので諦めた。
朝一番で行ったが、お年寄りたちで賑わっていて整形外科のような印象を受けた。結構待たされて遂に自分の番が来た。医者はやはりヤブっぽい顔をしていた。髭の生やし方がなんともヤブっぽさを際立たせている。
症状を説明し、ぐりぐりを触られ、「リンパ腺だね」と言われた。「でも生まれつきここに袋を持ってる人がいてね、それが膨らんでくることがあるんだ。それかもしれない」とも言われた。勿論のどちんこはあるけど、更に喉に袋2つまであるかもなんて私の喉って凄いわ、なんて思ったりして。どちらにせよ癌ではないらしい。
少しほっとしたのもつかの間、「喉を見ましょう」とヤブに言われ、いきなり鼻の穴に細い管を入れて風を入れてきた。更に、風の入り方で通りのよい方の鼻を見極めたのか、左鼻の穴に先端の光った細い管を入れてきた!
「カメラ入れます」と言いながら、するすると鼻から喉へ怪しいカメラが入っていく。鼻の奥がむずむずするし痛いしで、左目だけ涙ぼろぼろ。
こんな辛い思いをしてわかった情報は「痰が少しあるね」だけだ。
結局ぐりぐりは様子を見ることに。「2週間くらいしてもまだあったらまた来てね。切りましょう。切れば何だかわかるから」ととんでもないことをヤブは言った。切らなきゃわからないのは典型的なヤブだ。切らなきゃ死ぬとかなら切るけど、そんなくだらん理由で切るのはごめんだ。
あれから1か月以上経つが、ぐりぐりはまだある。勿論ヤブのところへは行っていない。そしてときどき左鼻の奥がむずむずする。カメラが体内に残されて、撮影され続けている気がする。(可南)
(寸評)きゃ~、地味に嫌な話だね。
でもそれは面倒でも遠くの病院で見てもらったほうがいいと思うよ。
咽喉の中にコビトさんが間違って住み着いているかもしれないからね。コロポックル、喉ちんこ、住み心地いい。7ポイント。
初めての鼻パーマ
近所の美容院の割引券を手に入れた。カットだけでロング料金を取る、ちょっぴりけしからんとこなのでどうせならパーマかけるぞ!と思いきった。
そして鼻カメラと同じ日にパーマをかけた。真っすぐで硬い髪質だし、染めたりパーマかけたりしたことがないのでかかりにくいとは思っていた。
まずは普通にかけた。髪の量も多いので巻くのにも時間がかかる。「この前、パーマに5時間かかったお客さんがいたのよ~」なんてことを美容師さんは言い、私は「え!?」と驚いた。
全部の髪を巻き終わり、紅茶をいただきながら暫く待つ。そして巻いたロットをはずしていく。駄目だ、全然かかってない。一度でかかるとは思っていなかったが…。ヴァージンな髪なのでかからないらしい。何事も初めてはうまくいかないのだな。
二度目の巻き。一度目よりもパーマ液も多めに、時間も長めにした。また全部巻き、今度はコーヒーをいただきながら待つ。「お腹空いたでしょ」とチョコまでいただいた。そしてロットをはずし…今度はちゃんとかかっている。めでたしめでたしでお金を払って、時計を見れば5時間経過していた。
数日してやっぱりとれちゃうようだったら1週間以内ならまたやってくれるそうだ。そして案の定、翌日にはほとんどとれていた。なのでまたかけてもらった。
これでもかってくらいにきつきつにかけてもらい、この日は3時間かかった。合計8時間で記録更新である。払ったお金で計算すると、美容師さんの時給は1000円以下になる。パーマ液代とか引けばもっと低い。こんな客、もううんざりだろうなぁ。(可南)
(寸評)そんなにかかるんだ!
俺はパーマとは一切縁のない生活送ってきたからなぁ。
ちなみにパスカルズの坂本さんはよくアフロと言われるが、そのことを指摘すると「テンパだよっ!」と激しく拒否します。
坂本さんの激しい拒否が見たかったら「そのアフロ、どこでやってるんですかあっ!?」と聞いてみよう。うししし。6ポイント。
初めてのレインボーブリッジを封鎖
この前の日曜に、久々の日雇いのため、お台場へ行きました。この日の仕事は、東京オリンピック誘致イベントとして、応募で選ばれた人々がレインボーブリッジの上の高速道路を歩いて渡るというもので、橋の両端に立って、警護するというものです。
朝4時起きで、向ってみると、寒い海岸の縁に、スタッフのテント。ジャンパーに着替えて、ぞろぞろと100人ほどの他のスタッフと共に橋に向かいました。
高速道路の入り口では、早速警察により、封鎖が始まっています。そして、高速道路のインターから、道の両端に5m間隔でスタッフがロープを持って立ち、歩いて渡る人々がその道路の中央を往復するのです。配置されたのは8時半頃で、イベントが始まったのは11時頃でした。
しかし、懐炉を忘れたため、寒さが半端ではありません。小雨も降りだし、大勢の人が歩くと、なんか道路が波打っているようで、若干気分もふらついてきました。僕の隣に立っていた人に至っては、気分が悪くなったのか、参加者の人垣に倒れこみ、人々が驚く一幕がありました。
慌てて現場のチーフを呼んだり、参加者に「驚かせて、すみませんでした!」と言ったりと、初対面の人ながら、対応に追われました。
それはさておき、とある有名人もちらほら見かけ、空を見れば、マスコミ関係のヘリが飛び交う、非日常的な一幕でした。
翌日新聞を開いてみると、社会面に縦長で歩く人達を上空から撮った写真が堂々と載っていました。そして、「レインボーブリッジが封鎖されたのは、悪天候による規制以外では、開通以降初めて」で、「参加者は約5千人」だったとのことでした。
そんな現場に自分がいたと知って、少し誇らしく思えました。ただ、その新聞の写真には、両端に立っているスタッフ達は1・以下の砂粒ぐらいの大きさでしか映っていませんでしたが…。(Hi-)
(寸評)若いうちはいろんなバイトしとくといいよ。
お金はもちろんだけど、いろんな現場、いろんな仕事、いろんな人などを見られるアトラクションだと思えば辛い現場も少しは楽しくなる。
俺の年からじゃ、バイトもままならないからな・・・。6ポイント。
ネットカフェデビューしてきました
web座席予約をするその時間、なんと家のネットが繋がらないというお知らせがきました。なので前から気になっていた駅前のネットカフェに下見がてら体験してきたわけです。入り口だけは明るいけれど、中はうすぼんやりの明るさ、別に怪しい感じではなかった。会員証を作って、フロントのお兄さんから説明聞いて、会員証をピッとして、「今から30分290円です」。焦って半個室の番号札貰って二階へ。結構な数があり、自分の個室探すのに二分はかかった。個室は頭の部分だけ隠すようなドアが付いていた。荷物を置いてから、ドリンク飲まなきゃ損ニドリンクバーでコーヒー落とすのに一分。席に着いてから慣れぬマウスを使って、web座席の画面を出して。これならできそうだなと思って、残り時間を「石川浩司HP」を見たけれど、履歴は自動的に削除されると退館の時に言われた残念。
後は時間が気になって、そそくさと出てきてしまった。もっと面白い場所かと思っていたらそうでもなかった。夏場は喫茶店代わりにドリンク三杯飲んで、マイボトルを補充すれば元はとれるかなという感じでした。
自宅で子供に話したら一言「たけえ!」そうなんでしょうか?(むりや)
(寸評)俺は最近は行ってないけど3時間パック千円ぐらいのを使ってたので、そこちょっと高いかもね。
ちなみにそこは、ソフトクリームなども食べ放題だったな。
最近はシャワールームのあるところで若者がホテル代わりに使うことも多いみたいだね。ま、今流行のネット難民ということだが。5ポイント。
初めての乳出し
もう10年ほど前の話です。
私が出産した病院は、母乳育児でなくてはならない、という先生の強い信念があり、出産前から、母乳の大切さの指導が何度もありました。
その時は、私も
「産んだら必ず母乳は出るもんだ!」
と信じていたので、特に何とも思わずに指導を受けていました。
そして、とうとう私も出産。
難産の末の帝王切開で、いろんな機器がついたままの私の横にちょこんと赤ちゃんが置かれました。それはとてもうれしかったのですが…
何と、今すぐ授乳をしろ、という先生からの指令が下ったのです。
ちょっと、今、腹閉じたトコなのに?という私の軽い突っ込みは無視され、
手足が全く動かないまま、助産婦の婆さんに乳を出され、ダンナの父母もいるというのに授乳する羽目に(泣)。
乳は全く張っておらず、1ミリの乳も出ず、それでもとにかく30分は吸わせなくてはならない、と無理やり赤ん坊を押し付けられ、精神的にも肉体的にも、どん底に落ち込みました。
さらにその『どん底乳やり』は翌日から、1日3回行われ、30分吸わせ続けた後に、婆さんのとてつもなく痛い乳の出るマッサージを受けなくてはならず、私の乳は青アザだらけに…。
導尿の管も外れた4日目。
あまりに出ない私にちょっと苛立ちながら、婆さんはやってきて、乳を吸わせました。
「あれ?乳出てるんじゃないの?」
ちょっと婆さんの顔がぱぁぁ、と明るくなりました。
良かった!!!!!
そう思ったのも束の間でした。
私の乳首は半分取れかかり、大出血していたのです。
婆さんが先生を呼びに行き、治療。
乳への痛さに慣れてしまい、こんなことになってるなんて全く気がつかず…。
でも、反面、これで乳やり苦悩から逃れられる!と思ったのも事実です。
ところが甘かったですね。
乳首には、馬の脂を塗ると痛くなく授乳できる、などと先生が言い出し、
何だかわからない馬の脂を塗りこまれ、退院前日になっても出ないまま、
どん底マッサージは毎日続いたのでした。
ところが、退院したら、湯水のように乳が出るようになりました。
ストレスとプレッシャーでかえって出なかっただけなんじゃないかと
思われます。
あの先生と婆さん、今でも思い出すと腹が立ちます。(ピン)
(寸評)そりゃあ大変だったねー。
俺が子供の頃にはよく「乳出します」という看板のある家があったけど最近はあまり見かけなくなったな。
俺もちょっと前までは腹から乳が出そうだったけど、ダイエットのおかげでそれはなくなりました・・・。8ポイント。
初めてのサンキューベイビー!
学生だったころパリの地下鉄の構内で太鼓をたたきながら一人で歌うジャマイカ人みたいなおにいさんがいました。
遠くから聞こえてきたときからもうもんのすごく良くて (太鼓をたたいて歌を歌う人が好きらしい私 んふっ)、しばらく聞いてから彼からカセットテープを買ったら。
サンキューベイビー!
って言われました。
サンキューベイビーってよっぽどふざけてるときにしか言わない言葉だと思ってたのでサンキューベイビーをリアルに聞いた初体験でありました。 (ますちゃん)
(寸評)俺も昔はよくサンキューハニーと言っていたものだった。
男には、サンキューを言いたい年頃というものが誰しもあるのさ。
嘘だけど。4ポイント。
初めてのダマココア
「トロメリン」というものがあります。名前だけ聞くとドラえもんの道具みたいですが、さにあらず。飲み物にこれを入れるととろみがついて、むせやすい方や飲み込みの力が弱くなった方でも飲み物をスムーズに飲めるという、わりと介護の現場ではよく見かける代物です。
先日、学校の授業でトロメリンを使った食事介助の練習を行いました。その終了間際に先生が、
「ここにトロメリンを置いておくので、興味のある方は持って帰って使ってみて下さい~」
と言ってたので、早速持って帰りました。
さて何にとろみを付けようか考えました。現場でよく見かけるのは、水やお茶や味噌汁です。出来れば現場でもなかなか使わないような飲み物にとろみを付けてみたいけど、さて何かあっただろうか。色々考えた結果、アパート前の自動販売機で売っていたココアにとろみを付けることにしました。
コップにココアを注ぎ、いよいよトロメリン投入です。トロメリンの封を開け、一気に投入する…。
それがいけませんでした。本来トロメリンは、少しずつ入れながらスプーンでかき混ぜるものなのです。だからこそ、全体にとろみが付くのです。しかしその時の僕はそのことをまるで分かっていなかったので、一気にドバッと入れちゃったのでした。
結果どうなったか。全体にとろみが付くことはなく、トロメリン同士で固まった物体がいくつかココアの中でプカプカ浮いている、言わば「ダマココア」が完成したのでした。ココアの色合いとダマの存在からビーフシチューに似てるな、ともちょっと思いました。
トロメリンドバ入れ行動が間違いだったことを悟ったものの、後の祭り。そのまま捨てるわけにもいかず、見るからに風貌がおかしいそのココアを口に運びました。
ココアに具が入っているというのは、あまり気分のいいものではありません。トロメリン自体は無味無臭なので、ココアの味が大きく変わることがなければダマにも味はしません。が、食感は大きく変わってきます。液体のココアと一緒に無味無臭のダマを噛みつぶす感覚は、ふやけた麩を噛みつぶす感覚を連想させます。もっとも、ココア内に麩があったとしても、苦渋の思いで飲んでいたとは思いますが。
このダマココアの経験から、トロメリンは少しずつゆっくり入れて使うものなんだな、ということを体得しました。それだけでも、このダマココアを作って良かった、と思うことにします。もう飲みたくはないですが。(たちつ亭と~助)
(寸評)あ、でもフニャフニャ食感が好きな人もいるから、案外いけるかもよ。タピオカとかナタデココみたいに、もしかしたらビッグビジネスになるかもしれないぞっ!
儲かった際には指導料はわずか100万円でいいです!太っ腹ですから。5ポイント。
初めてのプロポーズ
本屋ででバイトしてた頃、レジでお会計をする時お客さんに
「結婚してよ」
と言われました。
チンピラっぽいお兄ちゃんでした。
特に表情を変えずに本とおつりを渡して「ありがとうございました」と言っておきました。
今考えれば私の人生で唯一の結婚のチャンスだったなあ。(Sabina)
(寸評)今度は君がいろんなレジでいい男を見つけたら「結婚してよ」と言うといいよ。
「は、はい」
とうまくいくかもよっ!
ま、名物レディになる可能性の方がちょっとだけ高いが・・・。5ポイント。
チェンマイで初めて猿にパンチくらう
この間、タイのチェンマイに遊びに行った。
そこでチェンマイの動物園「チェンマイZOO」にチェンマイ在住のHさん、モガのKさんと行くことにした。宿からソンテオ(乗り合いタクシー)を拾って割とすぐに着いた。入園料は100バーツで、最近できたらしい新しい水族館が別料金でなんと500バーツ。思ってた以上の出費となってしまうので、我々は水族館はやめて動物園だけに入ることにした。
園内に入るとすぐに象が目の前に!有料で餌やりをしていたので、Kさんが早速それを体験。私も餌をわけてもらって与えてみた。象は足に鎖、牙は二本まとめて固く縛ってあって、眼も近くでまじまじと見ると意外に鋭く怖かった。
そしてここチェンマイZOOはとにかく広い!広すぎる!ところどころに動物の写真入りの看板が立てられていたが、どれも「1,5キロメートル先」とかそんな距離なのだ。坂道も多く日中だったので日差しも強く、ただ普通に歩くだけで疲れてしまい、そしてこの広さ。数時間滞在したが、たぶん半分も見て回れなかったと思う。
そんなこんなで、入ってすぐのところが猿ゾーンになっており、猿山がいくつもあったり、猛獣ゾーンやヤギ、鳥、唐突にアシカの建物が出てきたりして「アシカは動物園の範疇か?それとも水族館か?ここに入ったら500バーツとられるのか??」などと言いながら入ってみたり(結果、動物園のテリトリーだった)で、園内を散策。
観光客はそれほど多くなく、ゴーカート乗り場があったり、休憩所があったり、と雑談しながら散歩するにはごくごく普通の一帯に差し掛かったその時。
「おろ?」
私たちはおかしな物体を発見した。それは小さなゲージだった。何の動物もいなく、人がいるわけでもなく、店があるわけでもないエリアに、なぜか二匹の猿が入った小さなゲージが突然現れたのだ。そして、猿ならまさに先ほど入口からほど近いゾーンで立派な猿山が設けられていたのでもうすでに見ている。なぜ突然?どういうこと?しかもそのゲージ、一般家庭でペットを飼う用に使うような大きさなのである。なんだろうと近づいた我々。さらに好奇心余ってそのゲージの前にしゃがんだ私。その瞬間である。
キィー!!
中の猿が喚いたかと思うと、ゲージの柵の間から出てきた手が私の顔面にクリーン・ヒット!一瞬の出来事であった。驚いて駆け寄るHさんとKさん。
怪我はないし、さして痛くもない。ただびっくりした。なぜ私はチェンマイで猿にパンチをくらったか一瞬わけがわからなくなったのだ。よく見ると猿は大きいのと小さいのが一匹ずつ。つまり母と子のようで、私が受けたパンチは子供を攻撃されるかも、と怯えた母猿が子を守るために繰り出した鉄拳であることが容易に推測された。
「大丈夫!?怪我してない!?」と驚くKさん
「・・・・なぜ・・・・なぜ唐突にゲージが・・・猿が・・・」とHさん
しばらくして「・・・はっ!わ、罠か!?罠なのか!?」と閃くHさん
「・・・罠ですかね・・・しかしなぜ罠を・・・Kさん、私、怪我してないっすよねえ?」
「ちょっと赤くなってるけど大丈夫。・・・それにしてもなぜ・・・」
チェンマイ動物園は他にもライオンのエリアでは檻が普通に腰くらいの高さで上部分は解放されており、一応溝が掘ってあったがライオンさえ本気になればたぶんとび越えられるだろうぐらいの深さしかなかったし、象も牙を固定されてるとは言え鎖は地面にダランである。日本の動物園ではちょっと考えられない状況だった。Hさんの話では別の動物園で観客がトラに噛まれて大けがをしたそうだが、以降もなんら変わらずに営業をしているらしい。ちょっとこわい。
それにしても猿山とは別にし、子育てで気がたっている猿をなぜかお披露目し、周囲に動物のいないエリアでこのゲージだけが突然出現した理由がわからない。みんなで終始「なぜ・・・なぜ・・・」と言いながら退館した。
旅はハプニングがおもしろい、ということを某スターが言っているが、まさにそのハプニングが起きた。我々にいくつもの謎を残して・・・。(さっちゃん)
(寸評)猿も、見たことない黄色い顔の「チンポ先輩」にビビったのかなあ。
なんせチンポ先輩だからなあ。
チンポ先輩は知らんだろうしな。
女性なのに「心のチンポ勃起中」のチンポ先輩だからなあ。
さっちゃんというあだ名の本名・チンポ先輩だからなあ。
それにしてもタイは時々そういう謎のことがあったな。7ポイント。
チェンマイで初めての昆虫博物館見学
先日、チェンマイ動物園でなぜか猿にパンチをくらった私であるが、新たに行ってみたいスポットを見つけた。その名も「昆虫博物館」である。これは「地球の歩き方」などの観光本には一切載っておらず、チェンマイで手に入れた日本人向けのフリーペーパーについていた地図の上だけに小さく書かれていた場所であった。しかも「昆虫博物館」とだけ記され一切の説明も写真もなかった。この時点でうっすらと変な予感がしていた。・・・これは怪しい。ぜひとも行かなければ・・・。
ちょうど同じように興味を示したモガのKさんが一緒に行くとのことだったのでふたりで昆虫博物館に向かった。宿泊先のゲストハウスからソンテオで10分も経たないうちに、目的地に到着した。「INSECT MUSEUM」とかかれていたが、一見マンションの一階部分ぐらいのノリだ。館長と思わしきおじさんが大きなキャンバスに向かって絵を描いており、私たちをニコニコしながら出迎えてくれた。入場料は300バーツ。高い。
しかし引き返すわけにはいかない。なぜなら、すでに入口で私たちを出迎えたのは巨大な蜂の巣と埃をかぶった何なのかよくわからない木のオブジェだったからだ。がーん。早速チェンマイでおかしな場所に来ちゃった。やっぱり思った通りだった。
館内は一階と二階で構成されており、一階で木の何かをちらっと見てすぐに二階に上がった。するとなんと、おびただしい数の昆虫の標本が並んでいた!おお、これよこれ。しかし、入ってすぐに現れたとある標本箱の中身は、どういうわけか明らかに大きさがおかしいムカデが混ざっている。
他の虫は本物。つまりこのムカデだけなぜか偽物なのである。そして配置がアートだ。捕獲場所や日にちなど一切書かれていない。
「・・・これって標本じゃなくて芸術作品ですね、Kさん」
「そ、そうみたいだね、さっちゃん」
2階のフロアは壁の隙間がないほどびっしりと標本のようなアートのようなもので埋め尽くされていた。大体は同じ種類の虫がきれいに並べられていたが、なぜかいきなり『世界の石特集~!!』と見出しでもつけたくなるような変な石コーナーが出現。世界各国の有名観光地の写真とそこから持ってきたらしい石が並べられていた。富士山や金閣寺まであった。笑顔のおっさんの記念写真も添えられて・・・。でも脱力するのはまだ早かった。「石コーナー」がいつのまにか「貝コーナー」になり、「珊瑚礁コーナー」になり、そしてなぜかは知らないがついには「鳥の足コーナー」になったのである!!!鳥の足の部分だけがいくつも並んでいたのだ!
「・・・ついにチキンが出てきたよ、Kさん」
「うっ・・・虫よりずっと気持ち悪いね、さっちゃん・・・」
その後館内を一通り見て回ってわかったのは、どうやらここの館長は「蚊」の研究者らしく「蚊」に強烈な愛情を注ぎ、でも他の虫も好きだから集めてみて、でも結局は何でも集めるのが好きらしい、ということだった。
驚いたのは、壁にいくつもの絵画が飾られていたが、どの絵にもかならず「蚊」が描かれていたこと。半裸で横たわる美女に蚊、きれいな夜空に蚊、という感じである。それに気づいた私たちは思わず全ての絵を見て回り「蚊」がどこに書かれているのか探した。ああ、本当におじさんは蚊を心の底から愛しているんだなあ・・・。その絵画からおじさんの情熱がヒシヒシと伝わってきた。しかし、そのそれらを見て回った2階の終わりの場所にはいきなり「エラーコインコレクションコーナー」が。こうなると昆虫とか蚊はもう何も関係ない。もうただの節操のない収集癖おじさんだ。客が入れないようにしてある3階への踊り場部分に、館長の奥さんが日本の大学を卒業したらしいとされる卒業証書が。それにしてもなぜ踊り場なのか。そして最大の謎となったとどめは「標本に入れられた壊れたサングラス」である。こればかりはシュールすぎるので、追及するのはやめた。そしておじさんが「これに何か書いてっておくれよ!」というので分厚い来客ノートを見ると・・けっこうな頻度で客来てる!!しかも館長のニックネームは「モスキートおじさん」であることが判明。奥さんが蚊の研究者で、館長はマラリアの研究者であることもわかった。そして入口で入る前に配られた館内の説明用紙にははっきりと「注意!ここは私設博物館です!」と書かれていたことも。
最後にモスキートおじさんは笑顔で私たちを見送った後、再びキャンバスにむかった。そう、美しい絵画に最後に「蚊」を書き足すために。(さっちゃん)
(寸評)むむ~っ、そんな凄い施設だったのか!
まさに桂小枝言うところのパラダイスだな。
これは来年は是非行かねば!
でも突然おじさんの態度が豹変し・・・
新しく「人間コレクション」としてさっちゃんが展示されていたら、ちょっとだけ怖いな。8ポイント。
チェンマイで初めてのヘビ首かけ
先日チェンマイ動物園で猿にパンチをくらい、昆虫博物館でモスキートおじさんに強烈な洗礼を受けた私が最後に出かけたのはチェンマイ中心部から少し郊外に離れたメー・リム地方にある「メーサ・スネーク・ファーム」である。
私はヘビは大の苦手だがガラス越しに見たり、図鑑で見るのがなぜか大好きなのだ。たぶん怖いものみたさ、好奇心が原因だろうと思う。
ガイドブックに載っていて、他に一緒に行きたがる奇特な人がいなかったのでひとりで出かけることにした。ソンテオ(タイの乗り合いタクシー)をチャーターし片道30分近くかけて山道を走った。ひとりで異国の地で遠出するだけでも少々ドキドキしたが、500バーツで交渉したら運転手のおじさんが「400バーツでいいよ」と言ってくれるし嬉しい。
さあ!ヘビみるぞーー!!ショーもみるぞー!!なんならいっそのこと思いきって首にかけようかどうしようか。・・・いや・・・待てよ。私が好きなのはあくまで見ることだけだ。幼少のころ、両親と登山に行って山中でヘビに出くわし、腰が抜けて歩けなくなって父親におぶってもらったことがあったじゃないか。そんな私がヘビを首にかけるだなんて!できるわけない!!想像しただけできゃああああ!!
と考えながらタイ語でかまわず話しかけてくるおじさんに変な愛想笑いを浮かべていた。そうこうしてるうちにメーサ・スネーク・ファームに到着。
着いた瞬間こう思った。「・・・ち、小せえ・・・」ガイドブックからの勝手な想像と程遠い、思ったよりもずっとずっと小さくてしょぼい、でも素朴な建物が現れたのである。ソンテオのおじさんに帰る予定の時間を告げ駐車場で待っててもらうよう伝える。そして園内に入った。周囲が解放された小屋にホルマリン漬けのヘビがずらっとならび、後にショーが行われるステージと客席を抜けると・・・庭にたくさんの檻が無造作に並んでいた。コブラやニシキヘビ、カナヘビなどなど当たり前だがヘビだらけ。しかしである。狭い庭をどんどん歩いて行くといつの間にかなぜか周囲は鳥だらけ。どういうこと?「ヘビヘビヘビヘビ・・うんうん。なるほど。鳥!?鳥鳥鳥鳥・・・うっ今度はなぜワニが・・・と思ったらマングース・・これはよくコブラと闘うやつだからな・・これはいいとしよう・・はっ!ウサギ!なぜウサギ!ん?終わり!?これで終わり?」と園内は数分で回りきってしまった。「嘘つけ~!この間の昆虫博物館じゃないんだから。ここはちゃんとした飼育施設でしょ?もっといろんな資料とか展示物とか見たいんだけどそれはどこに?」とウロウロしてるとヤギ(確かこれもいた)を抜けた先に建物を発見。あそこが屋内展示かな?と思い行ってみることにした。
・・・・・ただの民家じゃねえか。サンダル転がってるじゃねえか。
いささか拍子抜けしたが、しかたない。ヘビだけで園内を埋めるには限界があったのだろうと自分自身を納得させるしかなかった。じっくりヘビをみよう。
しかし、園内のあまりの雑然さに、もしかしたらそこの草の茂みからいきなりヘビが出てくるかも・・・という不安が終始ぬぐい切れず、また時々木から落ちてくるでかい葉っぱが体に当たるたびに「きゃっ!ヘビ!」とビックビクで園内を散策したのであった。・・・いや、こんなこと大したことじゃない。ショーを見る前に一番びっくりしたのは、ヘビの入っているとある檻の南京錠が完全に開いていたことであった。・・・見ると毒蛇ではなかったのでもういい。
思ったよりかなり早く園内を回りきり、ショーが始まるのを待った。それにしてもショーの客入りは謎だ。園内はかなり閑散としていて、ほとんど貸切状態だったのにショーが始まったら数十名分の客席がほとんど埋まった。一体どこからいつの間に湧いて出てきたんだろう、この人たち・・・。
ヘビ使いが3人、司会がひとりでショーが始まった。この司会者、MCとPA(音響)をひとりでこなしていた(笑)最初は人手が少ないのかと思ったが、ちゃんと理由があった。ショーの説明をしながら時折、ヘビ使いがヘビを「わっ!」とかやって観客を驚かすのだがその時にこの司会者が音楽のボリュームを巧みにいじり、怖さを倍増させているのである。英語で話していたのは「みんな、もしこのコブラに噛まれても大丈夫さ!なぜなら病院がすぐ近くにあるからだよ!」みたいな古典的ギャグだ。好感を持てる。またコブラの毒が抜かれていないことを証明するということで、コップにコブラの牙を入れて出た毒を見せて回ったり、「ンーキッス!キッス!チュー!」と司会者が言うとヘビ使いがヘビにキスをする。(コブラへのキスはなかったが)そしてなんだかジャンプ力がすごいヘビを出すと言い出し、かごの中をまさぐるヘビ使い。その瞬間、かごから取り出したものを観客に向かって投げた。悲鳴をあげる客。ロープだった。好感を持った。
そしてそして最後に大蛇を取り出すヘビ使い。キタ、これ。ついに来た。やる・・のか、私。やるのかやらないのか・・・そして何の因果か私の座った端の席の反対側からヘビ首かけタイムが始まったのだ。じわりじわりと自分の元へ回ってくる大蛇。こんなにどうしようか迷った数分は今までの人生でもしかしたらなかったかもしれない。
「せっかくここに来たのだからこんなチャンスはない。(どんなチャンスだ)今までのヘビに生で遭遇した体験では山道に転がってたヘビだから怖かっただけで、今回はヘビ使いが絶対にヘビの頭を持っててくれてるし、胴体だけだから、やれ自分」そう自分自身に言い聞かせながら本当に直前まで迷っていた。しかし、ヘビ使いのお兄さんが「さあ!やるんだ!」とでも言わんばかりに最後に私にヘビを差し出したのだ。ぬおおお!!私は勇気を振り絞って手を挙げた。ということで私の初めてのヘビ首掛けの感想はこんな感じである。
「・・・・重っ!極太ホースじゃん!おお。極太ホースだと思えば全然怖くないわ。ああ。はいはいなるほどねー。あったかくもなく冷たくもなく・・うーん。ほどよい!硬さはこんなもんか。ふむふむ。キス?するする!全然するよ。チュー。あ、全然余裕だわ。」(さっちゃん)
(寸評)結局猿といい蚊といい蛇といい、生き物が好きなのね。
その割には猫カフェにはあまりはまっていなかったなぁ。
変な生き物ならなんでもいいの?
・・・はっ、まさかそれで俺のDVDを制作!? 7ポイント。
初めてのチェンマイのクレープ、そしてMが全て食ってくれる
チェンマイのゲストハウスの周辺には夜になるとたくさんの屋台が現れる。
その中で気になったのはクレープ屋。日本では見たことのない赤や緑のカラフルななグミのようなゼリー、その他たくさんの具材がケースに入って並び、店主の兄ちゃんがクレープの生地を焼き続けている。毎晩、夕食をとった後にその店の前を通っていたが、しかるに店が出るのが夕方で夕飯と微妙に被るので、できれば空腹状態でどちらも楽しみたかったので、タイミングを見計らっていた。ある晩、夕食を少なめにして、食べ終わったその足でクレープ屋に行った。とにかく一番気になったのは「ハム」だ。どきついピンク色のハムが小さく切ってあり、ボトルに詰まっている。あやしい。食いたい。
英語も通じないので、まずはハムを指さす。「次は?」という表情の兄ちゃん。しかし、カラフルなグミやチョコスプレーなどはいいとして、一体どれがおかず系なのかがわからない、という最大の問題点が立ちふさがった。
食べたことのあるご飯の食材らしき「でんぶ」のような茶色い物体を見つけ、これならなんとかおかず系だとわかったのでそれを指さす。最後に兄ちゃんはいくつものソースのボトルを次々と指さし「どれにする?」という表情を見せた。「・・・おかず系はどれなんだ!?」と思いながらマヨネーズらしきボトルを指さしてみる。「頼む兄ちゃん!もしそれがコンデンスミルクとかカスタードクリームだったら、止めてくれ!」と念じながらドキドキしたが、兄ちゃんが躊躇なくそのソースをかけてくれたのでホッとした。結局それはマヨネーズであったが・・・・甘っっっ!!!
ハムはハムだが、マヨネーズとでんぶみたいなやつが甘っっっ!!!焼きたての皮もけっこう甘っっっ!!!タイのマヨネーズが甘いことをその時はすっかり忘れていた私は焼きたてのうちに食えるだけ食ってしまえ!とパクついたが、結局食べきる前に「グフッ」となってしまい、ゲストハウスに持ち帰った。しかし、ほどなくしてクレープを買う前に別れた今回一緒に来たMが「せんぱ~い、クレープくれ~~」とかなりいやしい声で部屋に電話をかけてきたので、これ幸い、と食い残したクレープをMの部屋に持って行った。「甘いことは甘いですけど、うまいっすね~~」とMは完食してくれた。その他にも食べてみたけど甘すぎたプリン、謎の畳味ゼリーも私が残すとすべてMの胃袋に収められていったとさ。(さっちゃん)
(寸評)俺は見た瞬間「これは食わなくていいな」と思ったが・・・。
ま、旅先では何事もチャレンジだな! 6ポイント。
チェンマイで初めてのメクラマッサージ(強烈)
チェンマイでは毎日マッサージを受けた。なんせ2時間受けても日本円にして600円程という値段がかなり魅力的であり、普段はほとんどマッサージを受けないため、こんな時こそとことん受けようと思っていた。
そんな中新しいマッサージ屋を開拓しようと、ゲストハウス周辺を散策してみると・・・「ブラインド・マッサージ」と書かれたマッサージ屋を発見。日本語で「いらっしゃいませ」と書かれてあり、1時間100バーツ。今までに行ったどのマッサージ店より安かった。安い。メクラ。早速興味をそそられたので入ってみた。受付の人含めて全員目が見えなかった。女の人を指名したら、めっちゃ小っさいコロボックルのようなおばさんが出てきた。他の従業員もコロボックルのおばちゃんも目が見えないので、壁とかにぶつかりながら私を誘導してくれた。
早速横になりマッサージが開始されたのだが、すぐに異変が。「今まで経験したことのないほど痛い」のであった。
ぐおおおおおお!!なんだ、この痛みは!!ぴえーーおばちゃんいたいよーー!うおお!!その肩のところまじハンパねーー!!ヒィヒィ!
今思えばすぐ「モアーソフトリープリーズ」とか「アウチ」とかなんなら「痛い」とか言えばよかったのかもしれない。なぜ、「ぐおお!!」と思いながら一時間の激痛マッサージに無言で耐えたのか、自分のことながら謎だ。
それにしても痛かった。コロボックルのおばちゃん、最強。ぜひスターもコロボックルのおばちゃんを指名するといいと思われます。(さっちゃん)
(寸評)俺もこのマッサージを受けたあと、異変が体を襲った・・・(下に続く)
6ポイント。
初めて病床に伏した石川浩司を見た
このホームページの過去の日記に時々記されてあるが、石川浩司(以下・スター)は疲労が溜まると突如として高熱など様々な激しい症状を呈し、寝込むらしいことはファンの間では有名な話だろう。しかしまさか自分がその状況を目撃することになろうとは・・・。
去年に続き、今年も「チェンマイで遊ぼうよ~」というスターのお誘いにほいほいヒャッホーと遊びに行ってきた。バンコクからチェンマイに行く飛行機の機内、みんな眠くてヘロヘロしていたが、スターだけはひとりきゃっきゃとはしゃいでいた。朝、チェンマイに着くと少しの休憩をはさんで、マッサージをして夕食を食べた。次の日も適当に遊んだり食事をしにいった。しかしである。到着して3日目、スターが突如として行方不明になった。なぜならたぶん出歩いていないであろう時間にmixiのログイン時間が5時間を超えたからである。
おかしい!絶対におかしい!スター、行方不明になっちゃった!絶対どこかで迷子になってひとりで泣いてるに違いない!と一緒に行ったMやKと言い合った。その夜である。やはりスターに異変が起きているらしいことがわかった。スターの部屋に行った私は絶句した。・・・最初は冗談かと思ったが、暑い日の犬のようなすさまじい頻呼吸でベッドに横たわり、「うぐぐぐ・・・・・手が・・・手が動かない・・・・はぅあ!!足が・・・足がいたいよー・・うーんうーん・・体が・・・はっ・・はっ・・はっ・・はっ・・・うううう・・・」とまったく見たこともない姿になっていた。
ちなみに私は普段、日本で集中治療室の看護師をしており、さらに救急車で搬送される患者を担当することもある。しかしである。そんな私でさえ、こんな犬のような呼吸の人はみたことがなかった。「・・・ほら・・・手、手がしびれて、じゃんけん・・でき・な・・い・・・・・ガクッ。」というスター。きゃひーーん!!こ、これは一体・・・スタァァ!死んじゃいやあああ!!きゅ、救急車を呼ばなきゃ・・これ絶対歩けない。それどころか起きれない・・・。
しかし、いつも疲れるとこうなる、病院には行かない、とスターが言うため、結局私は何もすることができなかった。数日後、あの犬呼吸は何だったのだ、というようにスターは復活した。チョコレートパフェを食べながら痛々しいガッツポーズを見せるスター・・。ご無事でなにより・・・。後日、Mが言うには高熱で意識が朦朧としていたであろうスターは「・・(ホームページの)こ、更新しなきゃ・・・」と言ったらしい。つくづく不思議な人だな、と思った。あと、健康でいてほしいと思った。(さっちゃん)
(寸評)つまり俺もその後この高熱の原因を考えてみたところ、例の盲目マッサージ、これしかないんだよね。
あれは本当に凄かった。腕を突如関節も抜けよとばかりに引っ張られた時は思わず「何するんじゃあ!」と日本語で言ってしまったくらい。とにかくあんな力技の連続マッサージは俺の長いマッサージ史上でも類のないものだった。
で、おそらく瞬間にして極度の筋肉痛になり、どこか体に異変が起きるとすぐに「高熱」という症状で現れる俺の体の特徴が、見事に出たんだよね。
明らかに突如40度近くある高熱、だけど熱以外はその熱による体の節々の痛み以外は、一切例えば頭痛がするとか、風邪の症状みたいなものはなかったのだから。
そういえばHさん(男性)もこのマッサージを受けた次の日は歩くのもままならぬほどの筋肉痛に襲われたという。
マッサージって、一体なんだね!? 7ポイント。
はじめてのネットオークション出品
お小遣い稼ぎで、ネットオークションに手を出しました。
ネットオークションといえばヤフオクですが、あれは月額料・出品料等を支払わねばならないので、 無料で出品出来る楽天オークションに。
楽オクなんて見る人いるのかなぁー
なかなか買い手つかないんだろうなぁーと思っていたある日、チェックしてみると、なんと、にゅにゅにゅ、入札者がいる~~~~~~~~~~~~~~!!!Σ(・ε・;)
結局その方が落札することとなり、こちらは慣れない作業のうえ入院を挟んだので対応はかなり悪かったと思うのですが、とても親切な落札者さんだったので、助かりました。
レンタルボックスは大失敗で、損をしてしまったしフリーマーケットは使う体力の割に収入が少なくて、どうしたものかと思っていましたが、そうかー。ネットオークションかー。
はまりそーですb(りあちゃん)
(寸評)ん、もしかして自分の作品を売ったのかな?
それだったら凄いね。
俺もちょっとなんか売ってみるかな。なんだったらみんな高く買う!?
この間ニヒル牛イベントの賞品で出した、俺がアマチュア時代からたま解散ライブの最後の曲まで使い続けたタンバリンなんて、もしかして結構いい値で売れたりして。
でも100円とかだったら虚しいからやめとこう(笑)。 6ポイント。
初めての吉原
医療従事者には守秘義務があるので、あまり仕事の事でいろいろ書いてはいけないかな、と思うのですが、少しだけ。
場所柄、吉原(よしわら=日本に名だたる風俗街)のおねぇさまがたが受診されることがあります。
初めて受診された方には
・名前
・生年月日
・住所
・連絡先
・職業
を記入して頂くことになっています。
吉原のおねぇさまがたが職業欄に記入されるのは(多い順に)
【約90%】
・サービス業、接客業
↑まぁ、分類的にはこうなりますかね。
【約10%】
・風俗
↑そのものズバリ。むしろ潔さすら感じます。
【番外編】
・吉原
↑…エッ!?吉原って職業なの?いや、すごい分かるけど、職業じゃないよねw
“職業:吉原”を見つけた時には、思わず笑ってしまいました(もちろんご本人の前じゃないですよ!)。 (キット)
(寸評)いいね~。仕事に誇りを持ってるね~。
俺の仕事は「デブ太鼓」にしようかな。7ポイント。
初めてのキ・キ・キターーーーーー!
喘息があることを知人に話したら、「知り合いにいいサプリメント知ってる人がいるから紹介してやる」と。
こう見えて(どう見えて?)ワタクシは小心者です。
結構ですとは言えず、とりあえず電話で話だけ聞くことになったのです。
「すぐに資料お送りしますから。セミナーがありますからぜひ聞きにいらしてね!」
うーん、そこはかとなくあやしいカホリ・・・
届いた資料に目を通すと、750ml1万〇千円也のサプリメントと、“わたしもこれで〇〇が治りました”の体験談、セミナーの日程案内が・・・
サプリメントなのに何で清涼飲料水なわけ?
明確に効能をうたってる訳じゃないけど、“わたしもこれで〇〇が治りました”って、ナントカ法的にどうなわけ?
君子危うきに近寄らず、という訳で、さっそく書面にて“購入の意志はない”旨、“今後電話も資料も必要ない”旨書いて送り、電話は着拒させていただいたのでした。
それから数日・・・ キ・キ・キターーーーーー!
着信アリ(着拒にしても履歴が残る)ですよ・・・
家まで訪ねて来られたらどうしよう・・・と、しばらくびくびくしながら生活するワタシなのでした。 (キット)
(寸評) 人の弱みに付け込む商売はなくならない。
精神的・肉体的に弱っている人のところには商売にしろ宗教にしろ、ハイエナのように群がってくるからね。
絶対相手にしちゃ駄目。 6ポイント。
初めての停電
AM8:40
朝出勤したら…
近所の人達がみんな表に出てる…
向かいのコンビニ真っ暗…
事務長が走り回ってる…
上司に向かって「?」という仕草をしたら、遠くにいる上司の口が動きました。
「ていでん」
停電?!
あちゃ~…と思いながら通用口から診療所に入ったら、いつも一番乗りで通って来る患者さんが二人、真っ暗な待合室で、なにくわぬ顔でいつも通り定位置に座って談笑中w
さすが戦災を乗り越えて生きてきた高齢者。多少の事では動じない(?!)
AM8:50
東電の緊急車輌が診療所の目の前で復旧作業を開始。
同僚と二人「おぉ~」とか言いつつ、2階事務室から高見の見物。
職員が「なに~!?」「暗くて見えな~い」等と言いながら、続々出勤。
AM8:55
受付を開始しない訳にいかず、真っ暗なまま受付開始。
AM9:00
窓際のロールスクリーンを全て開け、電気の点かない中、看護師さんたち問診開始。
物療(遠赤外線治療器、牽引装置など)・レントゲン・会計コンピューター・レジ等、電気が復旧しないと何も使えない。さすがにやきもきし始める。
AM9:15
電気復旧!
しかし会計コンピューターが正常に立ち上がらず、肝を冷やす。再起動で無事に起動(サーバー機はさすがに停電に耐え得る代物であったらしい)。
何事もなかったかのように一日が始まった…
後から事情を聞いたら、地中ケーブルが漏電し、局地的に送電がストップされたらしい。
上司はかなり肝を冷やしたようだけれど、何だか歴史的瞬間に立ち会ったようで、不謹慎にもちょっとワクワクしてしまいました。 (キット)
(寸評)でも災害とかだったら笑い事じゃないよね。
俺がバイトしていた病院には臨時の際の自家発電装置があったけどな。6ポイント。
初めての疲れてんのかしら? 憑かれてんのかしら?
霊感も何もないワタシなのですが・・・
ある日の明け方、金縛りに遭いました(…という夢をみた!?)。
気づいたら手足が動かなくて、 黄土色っぽいスウェットの30代~40代の男の人が、 ワタシの左側から覆い被さるように両手を押さえつけていて。
南無阿弥陀仏を繰り返していたらその男の存在がだんだん薄れてきたんですが、 南無妙法蓮華経と唱えたら再び手首を押さえつけられる力が増して。
南無阿弥陀仏を唱え続けるうちに男の存在が消えました。
夢だとしても怖すぎる(泣)
ましてや身体が動かないだけならともかく、人はいないで欲しかった(大泣)
疲れてんのかしら?
憑かれてんのかしら?
どっちもイヤです。 (キット)
(寸評)というか強姦魔に押し入られてた、という線はないのかっ!? 6ポイント。
初めてのアーミッシュ
石川さんアーミッシュという人たちを知ってますか?
ウィキペディアから一部抜粋で
「アーミッシュは電気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話等々)も家庭内にはない。原則として、現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前と同様の生活様式を基本に自給自足の生活を営んでいる。」
という信条をもって生活している人たちでアメリカやカナダの一部の地域に住んでいます。
彼らの住む地域のあるペンシルバニア州に行ったときのこと、田舎道をドライブしてたら生まれてはじめて見てしまいました。二人連れで歩くアーミッシュの人々。
「ああ!本当のアーミッシュだ!!!」
とテンションが上がりすかさず車を止め助手席の友人にカメラ!と囁く私。フィリピン人の友人は隣でかばんをひっくり返してカメラを探しています。
そんな私たちの行動に彼らが気づいていたかは分かりませんでしたが、気分を害して欲しくなかったので私は車の中から笑顔で彼らに手を振っていました。
と、次の瞬間、私たちを見て固まるアーミッシュ二人組み。そして
「アジア人だ!しかも本当にカメラをもっている!!」
みたいなことを叫び、暫くこっちを凝視していました。
確かに彼らの生活圏内にアジア人はいないだろうなぁ。 (Sabina)
(寸評)いくらアーミッシュの生活をしていようと、文明の知識はある程度はあると思うのだが。
アジアの人はアーミッシュよりも原始的な生活をしていると思ったのかな? 6ポイント。
初めて男の人にかき回され
それは、ある夜の事でした。何日か前から違和感を感じていた睾丸が、どうにもこうにも存在感を示しだしたのです。これは男性にしか解からない感覚なのでしょうけれども、寒暖に反応して伸びたり縮んだりしているはずなのに、平素は全くと言ってよいほど気配を消していらっしゃるキンタマさんが、この夜に限っては、猛烈に存在感を示したのです。
もうとにかく「邪魔」なのです。仰向けに寝ても、「ここに鎮座してます」と言わんばかりに感覚があるのです。当然うつ伏せになどなれません。痛みではなく、存在感。
いよいよ病院に行かなければとは思うのですが、恥ずかしい病だったらどうしましょう?と、症状をネットで検索すると、恐ろしい病が羅列されています。観念し、そして意を決して病院に行きました。
泌尿器科は皮膚科と掛け持ちでやっている医院が多く、皮膚科のふりして行けば恥ずかしくないと、手近の医院に行きました。医院に入ると待合室には幸いにも他の患者さんはおらず、ほっとしました。受付のおねいさんに症状を伝えて、しばらくして診察室に入りました。そこにいらした先生は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドクにそっくりな先生が待っていました。
診察台に下半身露出状態で寝かされ、両手にゴム手袋を装着した先生は、おもむろに僕の睾丸をまさぐりました。
「ここは痛い?」「ここは?」全然痛くもかゆくもありません。そう伝えると難しい顔をして、「じゃああれだ、両膝を抱えて」と言われ素直に応じました。「じゃあ前立腺を触診しますから。」「えっ!」
指を第2間接ぐらいまで挿入され、指を折り曲げて前立腺を刺激しはじめました。
「ここは痛いですか」「ムギー、いたたたたたた、痛いです。先生止めて下さい。」
「いや、マッサージして前立腺液を採取しなきゃダメだから」
「マジでやばいですって、イッちゃうって先生」
「いや我慢して下さい」
そうしたやりとりがしばらく続き、尿道口から出てきたカウパー液を綿棒にて採取されました。
これが俗に言う前立腺マッサージなのですか。いやはや恐れいりました。
息子は全くうなだれたままなのに、発射寸前の如しの劣情がこみ上げてくるものだとは知りませんでした。
採取した前立腺液に白血球の混入が認められ、前立腺が炎症を起こしている事が判明しました。菌によるものなのか、慢性なのかは検査の結果と言うことで、診察室を出ました。
待合室に戻ると、他の患者さんがいました。誰もいないタイミングで入れて良かった。と思い起こしていたところ、みなさんが変によそよそしい。
ハタと気づき赤面しました。先ほどの診察室でのやりとり。必死の僕はかなり大きな声を上げていたのです。待合室に丸聞こえだったのです…。
以降、1年以上にわたり通院は続き、再度の検査の度に同じ失敗を繰り返しました。
いつの間にか消えていた症状が最近たまに出ます。もう経験したくないので、完治に向けて養生することにします。(T.E.E)
(寸評)診察室から随喜の喘ぎ声をあげるT.E.Eか。聞いてみたいような、まっぴら御免のような・・・。
でも「息子は全くうなだれたままなのに、発射寸前の如しの劣情がこみ上げてくる」とは随分気持ち良さそうだな!
女医さんにならやってもらいたい、男の永遠の妄想だな。8ポイント。
初めての逃亡。
まだティーンでおバカだった私は、そんなに悪くなさそうに思ったおじさんと一緒におでかけ。
おじさん、優しかったんだけども、なんだか時間がたつにつれてだんだんおっかない感じに。
あれ??なんで??あれ???って思ったけどやっぱおじさんはどんどん怖い感じで。
「売春組織に入らないか。」
と話を持ちかけられ、それはちょっと・・・・・っとおっかなびっくり言うと、
「それじゃあ、帰すわけにいかないな。」と真顔のおじさん。
ブーーーンと走る車の中、無言でおじさんと二人。
しばらく走ると、私が育った町内の付近に。ここだったら私のほうがきっと地理に詳しいはず・・・・!
と、信号待ちで車が止まったところで静かに車の扉のロックを上げ、静かにシートベルトに手をかけ、
一気に外してドア開けて車から飛び出して逃亡・・・・・・・!!
後ろも振り返らずに車道から飛び出して必死に走って、追っかけてきてたんだかどうなんだかもわかんないけど、とにかく必死に走って、なるべく道細かく曲がって、団地の中に入っていって、階段登って・・・・・・・。
階段の三階くらいの踊り場から下を覗いてみると、どうやらうまく逃げとうせたようで、おじさんは追ってきていませんでした。
だけども、もしかしたら近くにいるかもしれないって怖くって、私は一時間余り、、団地の階段の踊り場に隠れ続けました・・・・。
この体験は、夢みたいな、追われて必死に逃げるみたいなので、逆にこの体験から私は追われて逃げて中々うまく逃げられない夢をよく見るのかもしれません。
若者のみなさん、あんまりよく知らないおじさんにはついていかないほうがよいでしょう。
・・・・・・・・当たり前ですよね。(ことり)
(寸評)どーしてことりのまわりには、奇人変人に加えてそんなベタなドラマみたいな展開が訪れるのでしょーか。
その後、カーチェイスとかあったらさらに完璧だったけどね(笑)。
めざせ、ハプニング女王! 7ポイント
初めてのおもらし。
このお話は大人になるまで恥ずかしくってあんまり口にできないお話でしたが、大人になるということは色々なことがクリアされていくのでしょう。
わたしはじゅぎょうちゅう、おしっこがしたくなってしまいました。でも、じゅぎょうもあともうちょっとでがまんできるし、つぎの休みじかんにおトイレにいってこようとおもっていたの。
あー、はやくおしっこしたいなっておもっていると、キーンコーンカーンコーンってチャイムがなりました。
あー、やっとおしっこしにいけるー、ってわたしはおもったんだよね。
だけども先生がお話をやめないの。
「それじゃあ、このままテストをやります。」
って、お休みなしにテストようしがくばられてきちゃったの。
わたしのしんぞうはドキドキドキドキ。
どうしよう、すんごいおしっこしたいのに・・・・・・・。
でも、先生はいつもおしっこしたいっていうひとに、いつもおこっていたんだよね。
「じゅぎょうちゅうでなく休みじかんにいっておきなさい。」って。
だから、おこられるのヤだから、先生にいえなかったんだよね。
テストやりながら、時計にらみながらがんばったんだけども、ちょびっとずつおしっこがでてきちゃったんだ・・・・・。
でも、わたしがおもらしとかするはずないし。ちょびっとずつしちゃってもだいじょうぶーって思ってたの。
だけども、なんどめかのちょびっとのとき、ジャッ!!!ってでちゃって、そしたらもう、とまんなくって、
いっきにぜんぶ、ぜんぶジャーーーっていすにすわったまま、教室でぜんぶ、ついにおしっこしちゃったんです・・・・・・・・。
けっきょく、おしっこしちゃいましたってせんせいにいって、ぞうきんでふきなさいっていわれたから、わたしははずかしいのでいっぱいで、おしっこいっしょけんめいふいたんだけども、そのときふとみあげると、おとこのこがニタニタしてみおろしていて、ちょっとえっちだなぁ、っておもいました。
そんなわけでそれから数年が経ち、ことりさんは立派なドMに成長致しました。(ことり)
(寸評)おじさんもね、はなしをよんでちょっとだけおちんこがおおきくなって、かちんこちんになって、こうふんしましたよ。
ことりはみんなをこうふんさせるわるいこですね。7ポイント。
初めてのトルコ風呂
昔トルコに行ったときにそのころの彼氏といっしょにハマムに行きました。
入り口で好きなコースを選び、日本人の客が親切に書いてくれたのか、日本語で三助風呂などとかいてあり、大変うけました(笑)。
結局良くわからないので適当にコースを選ぶと、私があなたの担当よ!と、英語が良くわからないおばちゃんが私の担当として、身振り手振りで更衣室につれてってくれました。
ここは男女別で、女性には女性の、男性には男性の担当がつくようになってたようで、更衣室からハマムに行く途中、男性用の控え室みたいなとこが見え、男性用の方がおおっぴらに立派な感じだったので軽くジェラシー。。。こんなところに男尊女卑が。
おばちゃんがここに寝るように。と、身振り手振りで指示してくれた、あったかい石のベッドのようなところに寝転ぶと、大きな布袋をたらいの中で石鹸とこすりあわせたっぷりの泡をつくって、豪快にごーしごーしと、背中を大きいストロークでこすってくれました。
ちょぴり恥ずかしいお腹の面になったときに、おばちゃんは語彙の少ない英語で、
ベイビー?
と何度も聞いてきました。
そのころ二十歳とはいえかなり子供っぽかったので、トルコの人たちにベイビーフェースといわれまくったので、
あなたは子供なの?
といいたいのか、
あかちゃんいるの?
と、ききたいのか、よくわからなくてすまなかったな。
言葉が通じないのでせっかくいろいろやってもらってもなにも話せないのだが、私はすごいくすぐったがり屋さんなのです。
仰向けに寝て、両脇を泡の手でにゅる~にゅる~っと、やられたときには思わず悶えました。
それをみておばちゃんはおもしろがって何度もやられたのでプチ地獄でした。
はあ~でも足をやられなくてよかった。
足を狙われてたら死んでたからな。
はっ!こんなところで自分の弱点をばらしてしまった!危険なのでは(笑)?
この彼氏はマッサージが得意で、今になってみれば別れてしまって惜しいことをした(笑)と思うのですが、彼も私の足をマッサージしてはきゃ~きゃ~逃げ惑う私を見て怒っていたので(くすぐったいものは仕方ない)、今はもう、足をマッサージされても大丈夫になったよ!と伝えたいです(嘘)! (ますちゃん)
(寸評) トルコ風呂、という言葉を聞いてドキリとするのはもう古い世代なんだろうなぁ。
俺もトルコ行ったけど、ハマムにはなんか勇気がなくて入れなかったが、くすぐり地獄だと知って、行かなくて良かったと思った。
俺も冗談でもくすぐられたら、条件反射で意思とは関係なく蹴りとかが出てしまうかもしれないので、くれぐれも試してみないように。5ポイント。
大きな蜘蛛を踏み潰してしまったトラウマ初体験。
実家では、結構蜘蛛ムカデの類がよく見られ、両親に、ムカデはともかく蜘蛛は蝿や蚊を獲ってたべてくれるから、そっとしておかないといけないよ。と言われて育ちました。
だからからか、蜘蛛は怖くないし、むしろ好きなのですが、ある朝事件は起こりました。
小学校に行くためにいつものように玄関で靴を履くとぷちっと、いや~な感触が足の指先に。。。
恐る恐る脱いでみてみると、なんと大きな蜘蛛が私の靴に隠れていたらしく、無残に踏み潰してしまっていたのでした。
安眠から永眠に。。。
虫は好きだけど、潰れたやつはいやです。
私はおとなしい子だったので大騒ぎすることもなく、潰れた蜘蛛を取り出し、蜘蛛の体液のついた靴下を洗濯籠にいれたと思うのですが、その日は一日中足がむずむずいたしました。
このトラウマのせいで、いまでもガレージに置いてあった靴を履くときなんかは、やっぱり靴底に誰もいないかついつい見てしまいますね(笑)。 (ますちゃん)
(寸評)「虫は好きだけど、潰れたやつはいやです」、分かる。
もしこの逆で「潰れた虫はだ~い好きだけど、元気なやつはいやです!」という人がいたら、相当変わってるよな。6ポイント。
ナメクジを素手でさわってしまった初体験。
私は小さいころ、キャンディキャンディにあこがれて、そばかすのある私の姉の鼻がうらやましかったものですが、唯一私とキャンディの共通点は、私が、周囲の人々の公認のおてんばであるということでした。
キャンディといえば、木登り。
実家の裏に大きな木があるのでいつか登ってやろう!と思っていたのですが、ついにその日が来ました。
よ~し!がんばるぞ!と、その大きな木に両手をまわした瞬間、いや~な感触に鳥肌がたちました。
恐る恐る木の反対側を見てみると、私の手があたる、ちょうどのところにいましたよ!
ナメクジが!!
ぎゃ~お。
もうそれ以来、家の木に登ろうと試みたことはありません。
残念。 (ますちゃん)
(寸評)予想外のところに生き物は生息しているからな。
というか人間の体だって顕微鏡で見れば無数の菌という名の生き物の巣窟だからな。ゴソゴソゴソゴソ。
なるべくその事実には気づかずに日々暮らしていくしかないよな。5ポイント。
はじめてのテレポート
あれは去年の11月のことだった。体調がすぐれず会社を早退し、帰宅後、寝床に直行した。
眠気が襲ってしばらく経ったのち、気がついたら実家の居間に立っていた。
これは夢だと思い、足の甲をつねったところ、痛かった。
これはテレポートってやつなのか???
に、しては実家の様子が少し変だ。居間から見えるはずの庭がなぜか真白だったし、台所の窓から見た風景は、やけに黒雲が立ち込めている。時計に目をやると、時刻は9時10分過ぎだったのを覚えている。
「しまった!会社に行く時間をとっくに過ぎている。遅刻だ!」
と、思った瞬間、寝床の布団の中にいた。
夢にしてはリアルすぎるし、内容もしっかり覚えている。
絶対あれはテレポートだ!(ちちぼう)
(寸評)俺もよくあるよ、絶対現実にしか思えない、夢(笑)。
よくあるのは「やばい、遅刻だっ!」と思って急いで用意して、さて家を出ようとしたらまだ布団の中で、それが何遍も繰り返される夢。
結構、疲れるんだよね。5ポイント。
初めての凍傷?事件。
昨日スキー初体験の子供たちをつれてスキー場に行って来ました。
私にとったら十年ぶりくらいだし、もともと教えられるほどできるわけではないので私はスキー靴を履かずにブーツのままでいました。
スキー場はマイナス15度、まったく腹が立つほど寒く、足先は案の定冷たいから痛い!そしてさらには無感覚になりました。
しかし子供のために2時間も走り回るうちに体も温まり、どんどんやろう!と、張り切っていたのに左足の親指に激痛が。。。
足を引きずって子供をおいかけていたもののダウン。
もうなれたんだから自分たちでなんとかしてね、と、連れ合いにバトンタッチしてちょっとおとなしくしていたものの痛みはぜんぜん引かない。
もう帰るよ~というときになって、連れ合いは親切心からか、ますちゃん今日は子供の世話で滑れなかったから2度くらい滑っておいでよ~と、
言ってくれました。
で、でも、足痛いって言ってるのに!!!
嫌だ!といったらまだリフト券が残ってるからもったいない!と。。。
あの、親切じゃなくて、もったいないから行って来いと言ってるんでした。
で、私もバカですので足が痛いのに我慢して滑ってきました。わはは。
十年ぶりでもまだ滑れるとわかったことはうれしかったけど痛くて痛くて拷問でしたよ。。。
帰りにスキー場の近くに住む友人がご飯に誘ってくれたのでお邪魔して、お風呂場で着替えさせてもらい、やっとタイツを脱いで左足の親指をみたら、真っ黒。
親指の爪が真っ黒になっていたのでした。
そのとき頭をよぎったのは凍傷。の文字。。。
すかさず連れ合いに見せて、ほらっ!私が痛いって言ったら本当に痛いの!嘘じゃないでしょ?と、きちんとみせ、帰りに救急病院に寄りました。
どうなさいました?ときいてくれたおにいさんに今朝子供をスキーに連れて行ったらこんなになっちゃいました。というと、口の端でにやっと、でる笑いをこらえてるのがわかり、面白いけど本当なんです~と。
そのあとすぐに個室に連れて行ってもらえ、ベッドの上で黒くなってしまった自分の足の爪をまじまじとみつめながらお医者さんを待ちました。
そこで、これはあまりに冷たくて無感覚になってるときに子供のスキーが当たるかなんかして爪にショックがかかり、爪の下から出血してるから黒くみえるんだろうな~凍傷のわけないよな~わはは。
と、勝手に結論を出していると先生がやってきました。
先生の見解も私と同じで(どうだ!!)、このままにしておくと、出所のない血が爪をおして痛みがなかなか引かないばかりか、爪もはがれ落ちてしまいます。
痛いですが、爪に穴を開けて血を出してあげましょう!
と、 爪に穴。。。爪と指の間に針を突っ込む拷問のシーンが浮かびあがりました。
いや~!!拷問はいや~!!
えーと、絶対やらなくちゃ駄目ですか?と、私は食い下がって見ましたが
先生はにっこり笑ってはい。やりましょう!と、思わず逃げるためのドアを確認いたしましたよ。
先生がコンピューターに向かって何か書いている間、 拷問拷問拷問。
病院に来なければ、爪がはがれちゃったね、で済んでいたのに病院なんかに来たばっかりに。。。ぶつぶつぶつ。。。と、で、ぱっとひらめいて、先生?爪に穴あけるって別に爪と指の間に針を通してってことじゃなくて、爪だけに穴をあけるんですよね?と聞いたら、その通りだと。
ああ~よかった。あんまり良くないけど。でも拷問とは違うようで良かった(笑)。
アシスタントのおにいさんが二人、一人は先生の助手、もう一人は私を押さえつける役。としてやってきて、私を押さえつける役のおにいさんは、痛かったら僕を殴ってもいいよ!僕はそのためにいるんだからね!と、言ってくれました。わはは。
アルコールランプの乗った台が私の右足の辺りにあったので左足はもうおにいさんにがっちり押さえられているけど右足でアルコールランプを蹴り上げてしまったりしたら惨事になりかねないので、自分で右足を押さえました(冷静!自分!)。
先生はアルコールランプでなんとぐんにゃり開いたクリップ(書類を留める用のまさにクリップ!)をちんちんに赤くなるまで熱し、助手さんに、血が飛び散るかもしれないから気をつけて!と言って、私の爪の真ん中にじゅう~と、焼けたクリップの先を刺しました。一度では開かずに2度目、ぷちっと痛みが走り、シーツをみるとどぴゅっと血が飛んだあとがありました。
するってえとあら不思議、爪はみるみるうちにピンク色に戻ったのでした。
凄い!荒治療だったけど凄い!
先生ありがとう!私やっぱり病院に来てよかった!医療費はただなんて素敵フランス凄い(そのぶん税金がっぽり取られるけど)!と、感動して私は病院をあとにしました。
しばらくはまだちょっと痛かったけど、もう普通に歩けるし、今度爪が黒くなってる人がいたら私、助けてあげられます!うふっ、いつでもどうぞ!
(ますちゃん)
(寸評)新宿駅の地下道にも爪が真っ黒なオッサンたくさんいるよっ!
ますちゃん、助けてあげて。6ポイント。
初めての焼き芋
高校生のときの話です。
授業が早めに終わって、仲の良い友人5人で学校を出ました。ちょうど秋の始まり頃で、公園が枯葉の絨毯になっていました。それを見た友人の一人が「なんか焼き芋食べたいね」と言い、その一言から、5人は盛り上がって公園の枯れ葉を集め、芋を八百屋で、芋を包むアルミホイルを100shopで購入し、なぜか誰かがもっていたライターで、枯葉の山に火をつけようとしました。
しかし、そこで私は気づいてしまったのです。
「これは、やばいのではないか?」
盛り上がっている他の4人に水を差すようで、言いにくかったのですが、何か起こってからではいけないと思い、ストップをかけました。
「高校生しかいないわけだし、自宅の庭ってわけでもないから、火をつけるのは何か問題になるかもしれないよ!」と私は友人達に言いました。
確かに、これはやばいかもしれないと、友人達も納得しました。
しかし、私も含め、みんなやる気満々の状態だったので、ここであきらめたくはない!
私は、公園の端に設置してある立て看板を発見し、その公園を管理している事務所に電話をかけました。
「すいません。●●公園で焼き芋をしたいのですが、こちらにお電話すればよいのでしょうか?」
なんだか、“焼き芋”という言葉をだしたことで若干の恥ずかしさが出てきましたが、“やりたいのだから、しかたがない!”とひらきなおって話をつづけました。
電話の相手の話によると、公園で焼き芋をするには、その公園の持ち主(管理者とは別らしい)とその地域を管轄している消防署の許可が必要とのこと。
なんだか、大事になったぞ…とおののきましたが、“やりたいのだから、しかたがない!”と、ここでもひらきなおりました。そして、公園の持ち主の元へ行き、焼き芋の了解をもらい、消防署へ行き、(火を公共の場で使う為の)許可証をもらって、公園に戻り芋を焼き始めました。
焼き芋はとても盛り上がりました。
帰宅途中の担任の先生や、犬のさんぽ中の見知らぬ人も加わり、みんなで芋を食べました。
しかし、そこで恐れていた事態がおこったのです。
その公園は小学校の隣にありました。その小学校の先生がやってきて怒り始めたのです。
「火をつかっているなんて、どういう事なんですか、あぶないじゃないですか」と…。
ついさっきまで、芋をほうばり、ほんわかムードだったその場が凍り付きました。
説明をしようとしたのですが、話は一切聞いてもらえません。あれよあれよと言う間に、私は責任者として小学校に強制連行となりました。
校長先生以下一同が集まり、ついさっきまで職員会議が開かれていた雰囲気の職員室。
私は焼き芋の首謀者として、一人で校長先生以下一同の前に立たされました。
焼き芋裁判の始まりです。怒られました。高校生だけで焼き芋をやるなんて危ないじゃないかと…。
悪夢のような状態でした。
「あの、バケツに水も用意して、ちゃんと気をつけてやっていたので…許可も…。」
としどろもどろになっていたのですが、そこで気がついたのです。私は消防署の許可証を持っていた事に…。
それを見た、校長先生以下一同の顔色が一気に変わりました。
「こういう事なら、しかたがない…」「ちゃんと印も捺してあるし…」
それはまるで、水戸黄門の印籠を見た悪代官。手のひらを返した様に校長先生以下一同の様子が急変したのです。そして、私は小学校から釈放されました。
公園に戻ると、友人や高校の担任の先生などが心配そうな顔をして待っていました。
そして、「これがあったから救われたよ。」と消防署の許可証を広げると、皆から歓声があがりました。
月日が流れ、高校を卒業する時、友人の1人に言われました。
「焼き芋の時のアヤちゃん、最高にかっこ良かったよ。」
皆さんも、焼き芋を公園等で焼き芋をやる時は、許可証を忘れずに…。(ジャン子アヤ)
(寸評)良かったね。やっぱりお上の書類は印籠だね。
でもそこに高校の担任がいたのなら、最低限同行するのが常識のような気もするが。大人なんだし・・・。
ともあれ俺の小学一年生の時のように、野原で友達とマッチで草を燃やして遊んでいたら、想像以上に火の手があがったと思ったらいきなり近所の人に警察呼ばれてパトカーで連行されなくて良かったなっ!8ポイント。
初めての検査入院
私は昔から常日頃慢性的に眠たくって、でもそれは自分がグウタラのダメ人間だからだと思って生きてきたので疑問に思ってなかったのですが、32歳の今になって今更ながらこれはやはりおかしいだろうと気が付き病院へ。
睡眠ポリグラフィー検査を受けるべく病院に一泊する、人生で初めての検査入院することになったのです。
そもそも入院自体初めてのことなので、おしっこを尿瓶でさせられるところだったらどうしようとそればかり気にして前日から緊張しまくっていたのですが、行ってみると完全個室のトイレ付き、脳波や心電図の線を引き連れて自分でトイレに行けるシステムだったので一安心。
なんか一気に開放的な気分になって、私はホテルにでも宿泊しに来た気分になったわけです。
そんな風にのんきにベッドに座っていると、検査技師の女の人と院長先生が私に電極を取り付けに登場。
このとき現れた検査技師の女の人が、これがもう、女優の小雪さんにとても顔が似ている、小柄で清楚で真面目そうで色白ですんごい可愛いメガネ女子だったのです!!!!!!!!
ああ・・・・どうしよう・・・・・・・!と私は動揺。
しかし院長先生もいるし、わぁー可愛くて嬉しいなーー程度の盛り上がりで、検査技師の小雪さんの指示の元、院長先生に頭部と顔面の電極を取り付けられ、どんどんアンドロイド化していきワクワク。
さて、次は体への取り付けだというところで、「若い女性だし女同士のほうがいいだろうから私は退散してあとはまかせるよ。」と院長先生が退散。
なんと!!!!狭い個室で二人っきり、私の胸や指や足に小雪さんが直接電極やセンサーを取り付けるというのです!!!!!!!!!!!!!!!
私の興奮は一気に最高潮!!!!!!
「お顔にアルコールは染みませんでしたか??強くこすられていたから少し心配で・・・。」
など清楚な小雪さんは私に話しかけながら、「あ、すみません。ちょっと失礼します・・・。」
と私の胸元へ手を伸ばし、私の胸へ心電図センサーを・・・・・・・・・・!
・・・・ああっ!!もう、たまりません・・・・・・・・・・!!!!
お次は胸の脇の下にセンサー取り付け。
「申し訳ありませんが服をまくってもらえますか・・・・?」
と清楚な小雪さんに言われ、私はなすがままに服をまくり、小雪さんにペタリとセンサーを貼られ、ドキドキが止まりません。
すでに私の脳波や色々がモニターに出ているので、ドキドキしてしまっているのがバレてしまったらどうしようとドキドキしないようにしようと思うのに、言うこと聞かずにドキドキドキドキ。
そんな風にドキドキしていると、極めつけに、抱きしめるような形で私のお腹と胸に小雪さんがベルトを巻きつけてきたのです!!!!!!
ああ!!これが医療行為でなかったら、私は小雪さん・・・・・!!と抱きしめ返し、キスしてしまったことでしょう。
しかし、これは医療行為の一環でしかないので私はぐっとこらえ、電極や各種センサーの取り付けは終了。次は、ちゃんとに波形が取れているかのテストに移って行きました。
テストでは私はベッドに横たわり、小雪さんが言うがままに体や目を動かすのです。
電極を取り付けられ、抵抗できない私。そんな私に命令を下す小雪様。
ああ・・・・私、今、小雪様のいうがままにされている・・・・・・・小雪様の命令だけで動いているの・・・・・・・・!!!!
私はそんな陵辱感にやられ、清楚な小雪様に興奮し、そんな興奮した私を置いて去ってゆく小雪様を惜しみ、「ここが今日の絶頂だった。」と深く噛み締めながら、病室で静かな夜を過ごすのでありました・・・・・・・・・・・。
そんな、初めての検査入院です。(ことり)
(寸評)もしも本当に「小雪さんっ!」って言ってキスしてしまったらどーなっただろう。
1・「わたし、小雪じゃありません!」と狂人を見る目付きで見られ、他のおばちゃんナースに代わられる。
2・彼女の舌も入ってきて「わたしもあなたを見た時からこうしたかった・・・」と囁かれる。
3・何故か田代まさしが柱の陰から盗撮している。
どれかだな。6ポイント。
初めて、本の原稿を書く
春に出版されるガイドブックの、私の住んでいるエリアのページ担当に。
写真はつかわない、そして、「るるぶ」とかにはないような本物の内容で。
はいはいやりますよー♪って感じで引き受けたのですが、ページ数などを考えながら、伝えたいことを、手短に、わかりやすく文章で表現していくって、難しいなあ!と実感。。。
そう考えると、石川さんの文章は本当にすごいよなあ、 「たまという船に・・」は本当に一気読みしてしまったしなあ・・とかこのHPに投稿されてる方々のなかにも、文才がきらりと光る方々がいらっしゃり、むむむ、すてきだなぁ・・ とか、そんなことを感じながら、なんとか締め切りまでに原稿を送ることができました。
投稿頑張ってたら、文章を書くセンスもついてくるかしら!?(どんぐり子)
(寸評)いやいや俺も本とかは編集の人に見てもらって何度も書き直してやっと作り上げてるから。
俺も投稿者で何人かすらすらとうまい文章を書いてくる人には驚かされる。
でもさくらももこさんも聞くと、元々エッセイを書きたかったんだって。
だけどエッセイというのは普通何事かの仕事を成し得た人が書くものだと思ったので、とりあえずエッセイを書ける人になる為に漫画家になったんだって。
まぁそれで漫画もエッセイもあれだけ成功出来る人が日本に何人いるか、という話でもあるのだが。凄いよね~。6ポイント。
初めての「好きなもの買っていいよ」
8年ほど前、仕事帰りにスーパーで待ち合わせをして母と合流した直後、人生で初めて
「今日は好きなもの買っていいよ。」と言われました。
私は場所を無視して「コンポが欲しい。」と言い、即却下。
何故今日に限って気前がいいのか尋ねると、
「一万円拾った。」とのこと。
贅沢に牛肉でも?いや、一万円拾っても、無理に使わない方が・・・。
そんなこんなを考えて、野菜売り場へ。すると母は
「いつもは1袋だけど、今日はお金あるから3袋買おう!」
と・・・もやし(30円)を手に取りました。
・・・・・・母の贅沢って・・・。(秘密の座席)
(寸評)最後に財産を残すのはそういう人。ちょっと金が儲かったからってカッコヨク奢っていると誰かさんみたいに・・・。
でもせめてジャガイモ増量ぐらい奮発しても良かったかもね。モヤシは足が早いからなぁ。6ポイント。
初めてのカード提示
「タダで貰える」ってどうも苦手です。
小心者の性か、悪いなーと思ってしまうんですよね。
昨年の暮れに近所にある施設が出来、そこの会員になりました。
その施設の会員カードを店頭で提示すると、割引や粗品の特典が受けられる店があるのです。
でも、いざ店頭でカードを提示するのにはとても勇気が必要。
しかし、勇気を振り絞り、本日、ケーキ屋で初提示!
すると「少々お待ち下さい。プレゼントがあります。」
そう言って、170円相当の焼き菓子を一つ頂きました!
ドキドキだったですが、提示してみて良かったー!(秘密の座席)
(寸評)カードを使うと、お店にとっても「リピーターとしてきてくれる」と言う損して得取れでやっているから、どんどん使っていいんだよね。
そっちの方が総体的に儲からないと思ったら商売だからすぐに止めるはずだからね。4ポイント。
初めての「つ・・・冷たい・・・。」
15年ほど前、友達と名古屋港水族館に行きました。
私が住んでいる所は、滅多に雪が降りません。
踏めばなくなるほどの雪が降ったのも、もう24年前。
なのでこの日、地下鉄の駅から水族館に歩いていく途中、雪が積もっている植え込みを見つけ、友達と大喜び。
そして、その雪の中に手の平をそっと押し込みました。
「つ・・・冷たい・・・。」
雪に慣れていないので、「雪は冷たい」という当前の知識は、喜びにすっかりかき消されてしまいました。
今度雪が積もっている所に行ったら、雪だるまを作ってみたい!
でも、手の感覚がなくならない方法を考えないと。(秘密の座席)
(寸評)手袋をしたらいいよ。そしてその手袋はニヒル牛で買うといいよ。4ポイント。
初めてのピンク色の物を吐き出していた人
今から10年以上前のことです。
製紙工場が沢山あるF市の駅にある本屋に入りました。
友達と別々のコーナーで本を見ていると背後に近づく学生に気づきました。
するとすぐ座り込むような姿勢になった気配がありました。
怖くて振り返れず、視界に入る範囲では何もわかりません。
痴漢?と思ったんですが、何か様子が違います。
恐る恐る横目で見ると、口からピンク色の物を吐き出していました。
怖くて見れないでいると、反対側で連れらしい学生が。
「大丈夫かよぉ・・・。」とポツリと言ったのです。
こういう場面に遭遇した事がなく、挙句にかなりの小心者の私は動けなくなり、そのうち近くの女性が気づいて店員に知らせ、救急車を呼んでいました。
今ならすぐに対応すると思いますが、あの時すぐ
「大丈夫ですか?」の一言だけでも言えたら・・・と後悔。
きっと自分が同じ状況になったら、声かけてもらえそうにないなぁ。(秘密の座席)
(寸評)ピンク色の物は、普通の人間は吐かない。
たぶんスライムに体を占領され、人間ではなくなった生き物だと思うので、声をかけなくて正解だったかも。
「大丈夫ですか?」と言った途端、彼が吐き出したピンクの物体はきっとあなたの口にとスルルルッと入り込み、あなたもまた彼と同じ運命を辿ったかもしれない・・・。5ポイント。
初めての水牛暦で暮らしてみる
今年の初め、友人からあけましておめでとうと電話があった。そこでふと、どうして1月1日がみんな同時に来ているのか?というか何でみんな同じ日付を基に暮らしているんだ?たまにはちょっと違う暦を使ってみたくならないんだろうかと思った。
そう思うと自分だけの暦を作ってみたくなり、水牛暦という暦を勝手に作ってカレンダーに書き込んでみた。
かきこみ。
かきこみ。
書き込んでみたところ、水牛暦は16月まであることになった。
これで1年過ごしてみよう。
今年の目標は水牛暦で過ごす事とご飯をいっぱい食べることだ!
偶然にも旧正月である、西暦でいうところの1月26日は水牛暦では2月1日であった。
しかし実際に過ごしてみると、ある程度は社会とつながりがあるため、仕事上のスケジュールなどは圧倒的に広まっている西暦でもって他人に決められることになっていて、圧倒的に少数派というか、わし一人しか使っていない暦はもうすでに負けそうになっている。
ちなみに今日2月2日は水牛暦2月8日です。ではまた報告します。(2代目水牛)
(寸評)がんばれよ!
マジでそういうことを徹底的にするならなかなかの人物だぞ!
ところで一週間は何日あるの? 6ポイント。
初めてのオムツ
先日、オムツを装着して生活していました。…と言っても、突如として下半身不随になったわけではなく、大学にて勉強の一環としてオムツを装着した状態での生活、および排尿をやってみよう、と言われての事だったのです。
最初にオムツ装着令が先生から出された時は、生徒一同「…へ?」と呆気にとられていました。先生はそんな僕らを尻目にしごく真面目に、「介護職に就いている人のほとんどはこれを体験しているので皆さんにとってもいい体験になると思います」と説明しました。そこでようやっと、まあそれじゃあやるしかないかなという雰囲気になっていきました。
その夜、就寝前に1人でオムツの装着を試みました。当然ながら、パンツなんてのは穿きません。故に、下半身スッポンポン状態で装着してみたわけです。
一応、授業や実習にて他者のオムツを装着した経験はあるので一通りの装着方法は分かりますが、これが自分で自分のオムツを装着するとなると一筋縄ではいきません。オムツを広げ、適当な部分にお尻を乗せてから下半身部分をマジックテープ式の留め具で包む、という手順を踏みます。が、適当な部分というのが果たしてどのあたりなのか、とか、しっかり留めたつもりでもマジックテープがピリピリと破れる音が聞こえたり、とか、何しろ下半身スッポンポン状態なのでなんとなく情けない気分になったり、とか、とにかくいろいろな要素が相まってなかなか装着完了までたどり着くことが出来ませんでした。
それでもなんとか装着し終え、ズボンを穿いた上で改めて着け心地を確認してみました。なんとなくゴワゴワするし、下半身部分が奇妙な違和感があるしで、やはり普通のパンツなど比べるといくつかの相違点が感じられました。
翌朝、起きがけの排尿もオムツで、そしてなるべく寝た姿勢のままでしてみるように、とのことだったので、目覚めたときにそのままの姿勢で排尿を試みました。ところが、これがまるで出ないのです。当然、起きたばかりなので尿意はあるのですが、排尿に向いてない姿勢だからなのか、それとも横漏れしてズボンを濡らしちゃうのではないかと心のどこかで心配していたからなのか、一滴たりと出ません。
仕方がないので、一旦起き上がって少し体を動かした上で改めて排尿を試みたところ、なんとかいつもの3分の2くらいの排尿をオムツ内ですることに成功しました。尿が出された瞬間はあの変に温かい感覚がオムツ内に染みわたり、「あ、ヤバイ、これ、もしかして、やっぱり漏れちゃってとんでもないことになるんじゃないか!?」と一瞬顔が強張ったものの、すぐにその感覚は消え、オムツ内は何事もなかったように平穏な状態を取り戻していました。
近年の紙オムツの性能を思い知らされた、そんな朝からその日は始まったのでした。(たちつ亭と~助)
(寸評)ほほー、それはいい体験したね。
あぁ、でも俺はそれが日常になる日が近づいている・・・。7ポイント。
初めての遠い日本
結婚後、日本初めての連れ合いを連れて、日本へ行きました。
そのころはまだどのようにして行ったら効率がよいのか?なんてことはぜんぜんわからなかったので普通に旅行会社に行って、パリ発のチケットを買いました。
そのころまだパリまで5時間かかる時代でしたので鈍行電車でえっちらほっちらパリまで行き、やっとこさ飛行機に乗りました。
それで乗った飛行機は結構ボロ、ついつい
うひゃ~結構ボロだな。
ともらすと、飛行機苦手な連れ合いが余計にびびってました(笑)。
離陸したときも荷物入れがこれでもか!というほど揺れて、ガタガタわさわさいいました。おっこってくるかと思ったよ~
しばらく飛んだらなぜかもう着陸のアナウンス。。。
え?と思ったらお隣の国、ドイツに着陸してました。
エンジントラブルとかで、2時間待たされ、しばらく待ったら食事に行かされ、やっと使者が来たと思ったら今度は、すぐには直らないのでホテルにご案内いたします!
とのこと、結構いいホテルだったけど楽しむ余裕もなかった。残念。
乗客の中にはうちの連れ合いよろしく飛行機始めての人もいて、エンジンを直してるとこをみて怖気づき、奥さんに、もう旅行なんていいからパリに帰ろう!と泣きついているおじさんもいました(笑)。
一晩ロスしてしまったけど予定の乗り換え地のマニラでの待ち時間が結構あったので乗り継ぎは大丈夫!と安心して再出発。
マニラについたよおっかさん!空港で、トランプしながらお腹が痛くなったっていいからいくらでも飲む!といいながらマンゴージュースを大量に飲みながら乗り継ぎの時間が来るのを待ち、所定のカウンターに行って、日本行きに乗りたいんですけど、というとなんだか様子がおかしい。
カウンターの女の子があなた日本人?日本語できる人がいるからつれてくるね!と、嬉々として去っていき、これまたうれしそうな日本語ができるという女の子を連れてきたので日本行きの飛行機はどうなってるの?と聞いたらひとこと
まだ!
と。。。
彼女が知ってる日本語って、まだ。の一言でした。なあむう。
結局飛行機が見つからない!というわけのわからない理由をききだし、マニラのホテルにまた一泊することになりました。わはははは~
ここも高級ホテルでよかったけれど、ちょっと外も観光したいなあ~と、外を覗きにいくと、機関銃をもった兵士がいっぱい立ってたので断念。なんなんだよお~
で、ここで問題発生。
日本についたら空港に迎えに来る予定だった兄が、もう家をでてしまう時間だったのです。
大急ぎで家に電話すると家族は大慌てで高速道路の料金所に連絡を取り、これこれこういう人が通ったら到着が明日になったから、と、とめてください。と連絡して兄は料金所の人のおかげで無駄足を踏まなくて済みました。あのときの料金所の人ブラボー!
次の日の朝今度こそはマニラの空港で飛行機発見!(あたりまえのことがこんなにうれしいなんて!)
なんとか日本につきましたが日本に行くのに3日かかって、連れ合いのトラウマにおおいに貢献することになりました。
おおいに心配された帰りの飛行機は、予定になかったはずのアブダビにとまり、石油王のリッチさを見せつけられましたがなんとか通常通りに飛行。
しかしパリにそろそろ着きますよ。というころにあった機長さんの機内アナウンスがまた洒落てました。
みなさまわれわれは1時間後にロンドンに到着いたします。
。。。すぐに訂正のアナウンスが入ったけどやっぱりわざとではなかったんだろうなあ~
ちなみにこの航空会社はフィリ〇ンエア〇インといいます。
時間がたっぷりあってハプニングを楽しみたい方にはお勧めですよ! (ますちゃん)
(寸評)うぎゃあ、パリまで普通に12時間くらいかけて行ってもそこそこ疲れるのに3日!?
そりゃあトラウマにもなるわな~。
飛行機乗るの大好きっ子だったら、たまらなくって随喜の小便ジョージョーだろうけどね。8ポイント。
初めての城住まい
フランスの留学先の学校では、一般家庭に招待してもらえるというイベントがあり、2人一組で、晩御飯をお呼ばれにいけました。
私も学友と組み、お迎えを待つと、小さな車に乗った、素朴な感じの優しそうなおじいさんとおばあさんが迎えに来てくださったので安心すると同時に一張羅のスーツはちょっと大袈裟だったかな?と思いました。
私の学校は古いお城を改造して学校と寮になっているので外見はまだ素敵なお城のまま。
このやさしいカップルは、素敵なお城だねえ!私たちはお城が大好きなんだよ!
なんて言ってくれましたがそのときは、ふうん、お城が好きなんだ。と思っただけでした。
しかし彼らのお家に着いてびっくり!彼らのお家はお城だったのです。
一張羅着てってよかった(涙)。
そのころはお城に住んでる人がいるって知らなかった。っていうか、思ってもみなかったもん。
日本にはお城に住んでる人っていないですよねえ、お城に住むとしたらちょんまげですかねえ? (ますちゃん)
(寸評)俺も初めてたまでイギリスにレコーディングに行った時、宿泊所が城ではなかったがホラー映画に出てきそうな中世の貴族の屋敷だったので驚いた。
日本なら絶対重要文化財とかになってもおかしくないような家だったもんな~。
しかもそこで次々に起こる怪事件。
詳しくは俺の「たまという船~」を読んでね。5ポイント。
初めてのパソコン臨終の瞬間
初めてその瞬間に立ち会ったのは、中学校か高校の頃でしょうか。
当時使っていたパソコンは、以前から画面が前触れもなく消えて真っ暗になることはありましたが、それでも少し時間をおけば元通りに映るので、そんなに深く気にしてはいませんでした。
臨終の瞬間は、突然訪れました。
その日も前触れもなく真っ暗になり、今日は随分真っ暗になりやすいな~と思っていたのですが、やはりさほど気にせず使用していました。
その日何度目かの、画面真っ暗状態。
「なんだ、またかよ…」とちょっと嫌気がさす僕。仕方なく、その時も元通りに映るのを待ちました。
しかし、それからどれだけ待っても元に戻らず。そのまま電源も自動的に落ちました。その音を聞いてから、どうも只事ではないとようやく気付きました。
結局、パソコンの寿命ということで決着がつきましたが、僕の使い方がもしかしたらまずかったのかな~、と少しヒヤヒヤしたものです。
ちなみに、ちょっと前まで使っていたノートパソコンは画面が画面上に変な線が走って、今使ってるパソコンは画面がずれた状態になって、それぞれ壊れていきました。時代を重ねるごとに、パソコンの壊れ方も多様化してきているようです。(たちつ亭と~助)
(寸評)俺も今まで何度も臨終の現場を見てきた。
たいてい「そろそろ逝きまっせ~」という感じになってくるので、あわててバックアップを取ったりする。
毎日使用しているものなので愛着も湧いてきているので、壊れたことだけじゃなくてもか悲しいよね。5ポイント。
初めての知久さん
高校3年の春、地元に知久さんがやってくるということで小躍りしてライブに行ってきました。当時は少しずつたまのことを知り始めていた頃で、折しもそんな時に知久さんが地元にやってくるとは! と信じられない面持ちでいっぱいでした。
開演してからしばらくはゲスト的なアーティストによる演奏・歌唱が続きましたが、知久さんのことで頭がいっぱいになっていた僕には、残念ながらその歌声は届きませんでした。あの時出演していたアーティストさん、本当にごめんなさい!
ゲスト的なアーティストさんの演奏が終わり、ステージを去ったのとほぼ同時に、会場の後ろ側にある階段から知久さんが下りてきました。初めて見た知久さんは、不思議なオーラみたいなものを感じました。また、本当にビール飲みながら歌うのか~、と変な所に感心したりしました。
実際に聴く「鐘の歌」や「おるがん」はCDで聴くよりも素晴らしく感じられ、このライブで初めて聴いた「学習」「ゆめみているよ」にもうっとりし、演奏している間の2時間は知久さんも「あらららら」と驚くほどあっという間に過ぎていきました。
ライブ終了後、物販で売っていた「しょぼたま」を購入し、さらに勇気を出して、知久さんにサインと握手をしてもらいました。知久さんの手はとても大きく、柔らかかったことを今でも覚えています。(たちつ亭と~助)
(寸評)知久君の手が柔らかいかどうかは知らないけど、でかいよね。
どうしても「小さい人」というイメージがあるから余計に大きく感じるのかもね。
実際は身長196cmあるからなぁ。
嘘だけど。5ポイント。
初めての柔らかいタマネギ
近所のスーパーでタマネギを購入しました。購入してから1~2日後くらいに、さてカレーでも作ろうかなと冷蔵庫から取り出してみたところ、妙にブヨブヨとした感触であることに気付きました。
「ありゃ?」と思いながらも皮を剥き、半分に切ってみると、中から茶色く濁った汁と生ゴミのような臭いが! どうやら完全に腐っていたようです。どう考えても調理で誤魔化せるような状態ではありません。しかたなく、そのまま燃えるゴミの袋へと投げ入れました。
捨ててからしばらくは、んなもん客に売るな~! と、1人スーパーの方に向かって念を送っていました、とさ。(たちつ亭と~助)
(寸評)生ものは時々そういうことあるよね。
ブヨブヨボールとして悪い奴らに投げつけろっ! 4ポイント。
初めての歯石除去
高校の頃、歯磨きをなおざりにして歯石が酷いことになり、歯医者さんで除去してもらうことになりました。
まず口全体に麻酔がなされます。歯茎に注射針が刺さるという状況は、あまり何度も体験したくないものです。なんというか、歯が全部抜け落ちてしまうんじゃないか、というような痛みでした。
麻酔をしてしばらくしてから、いよいよ歯石除去が始まります。その歯医者さんはかかりつけ医で、長いことお世話になっているのですが、今まで聞いたことのない大きなドリル音が聞こえてくるや否や、体中に戦慄が走りました。
ガリガリガリガリ、と響く歯石除去の音。麻酔はなされているものの、それでも痛みがあるというのは果たしてどういうことなのだろうか、とふと思ったりしましたが、それについて深く考える余裕すら与えないような、そんな激しさが歯石除去にはありました。
終了後はしばらく口の中がスースーするような、そんな感覚がしましたが、しばらく経ってから、麻酔を注射された時と同じような、あるいはそれ以上の痛みが襲ってきました。歯が全部抜け落ちそうな痛みが再び現れ始めたのです。おそらく、歯石除去による痛みも加わってパワーアップしていたと思います。
枕に顔をうずめながら苦しむ様は、傍から見たからアホにしか見えなかったに違いありませんが、そうでもしないと耐えられないような、そんな痛みがありました。
最近、歯医者さんにいった記憶がありません。時間がとれないから、というのと、またあの苦しみを味わったら嫌だな~という思いとで、なんとなく足が遠ざかっています。歯科検診くらいには行くべきなのかもしれませんが…。(たちつ亭と~助)
(寸評)歯はね~。どんなに痛くても死ぬようなことはまずないから、同情されないんだよねー。
なむ~。5ポイント。
初めての晴天雷
太平洋側の岩手から日本海側の秋田に居を移して間もなく3年目になりますが、一番驚いたのは天候でした。
冬に入るか入らないかというある日、朝は雷が光る大雨、学校に登校したころは雲の間から太陽が顔をのぞかせ、おや晴れてきたな~と思いきやまたもや暗雲立ち込め雷が鳴り…という天候が繰り返された日がありました。
1日の中では、空は晴れ渡っているもののそれでも雷がピカッと光る、という時間帯もあり、今まで経験したことのないような変な天気でした。
今まで生きてきた中で、一番大気の状態が不安定という言葉がピッタリと似合う日だったと思います。(たちつ亭と~助)
(寸評)天候が不安定だと気分や、時には精神状態が不安定になることもある気しない? 3ポイント。
初めての水シャワー
人形劇サークルでの合宿の話です。人形劇の合宿では、夏休み、遠方の地域で公演させていただきます。ので、公演会場が宿泊先になります。その宿泊先で、身体を清めるためにシャワーを借りることができました。
舞台の仕込みも終わりに近づき、一日の疲れを癒すための、ほっとできるひと時です。とてもありがたい。
私は(じゃんけんに勝利したので)一番にシャワーを浴びることができました。裸になり、蛇口をひねる。水です。そりゃそうですよね。お湯が出るのには時間がかかるのですから。
数分後、水を流し続けているにも関わらず、相変わらず出てくるのは冷たい水。おかしい。もしや、お湯がでない・・・?まだ出ません。私で時間を使いすぎるわけにもいかないので、(他のメンバーが待っている)私は水のまま体を洗うことを決意しました。夏とはいえ、水で身体を洗うのはとても冷たいです。冷たいというか、疲れます。ちっとも癒されません。いかに水に触れずに身体を洗うか。私の思考はそこに集中しました。しかし、なんということでしょうか、水だと石鹸の泡がなかなか落ちないのです!石鹸の泡を落とそうと思うと、どうしても大量の水ノ触れなければいけないのです。最低限の水で効率よく泡を落とそうと、私は1人シャワー室で格闘していました。
癒されるはずのお風呂タイムが、身体も頭も疲れさせる格闘タイムになってしまいました。
なんとか泡を落として、バスタオルに包まり、体温を回復させました。どうみてもお風呂あがりの光景ではありません。数時間後、サークルメンバー全員が同じバスタオルに包まった格好をしていました。
翌日、ボイラーの栓が開いていなかったことが判明し、その日はあったかいお湯でお風呂に入ることができました。あったかいお湯のありがたさを実感した体験でした。
私たちは夏だったのでまだよかったです。元TというバンドのCさんYさんに比べれば…(はちこ)
(寸評)そうそう。CM撮影で獣たちと長時間ぬるま湯に浸かっていてやっとシャワーを浴びれると思ったら水シャワーがシャー!
先に入った俺とGさんはいい湯加減で控え室でまったりとして待ってたけどね。ふふふ。5ポイント。
初めてのナンパ?
2年前ぐらいに、初めてナンパされました。でもこれはナンパなんでしょうか・・・?
某99円ショップで買い物をしていたときのこと、いきなりおじさんに話しかけられました。「絵のモデルにならない?」何で私が!!(笑 by鼻)と丁重に断り、早めにその店を出たら、またそのおじさんに「絵のモデルにならない?」
話を聞くとそのおじさんは画家で最近この辺に引っ越してきたそうです。なので絵のモデルになって友達になってくれ、家に来てくれ、ということでした。どう考えても怪しいです。本当に絵のモデルを募集していたとしても、エロ目的としか思えません。もちろん断りましたが、おじさんはしつこく話しかけてきます。私の連絡先を聞き出すまで返さないぞ!という雰囲気でした。話の中で、おじさんの車は高い外車だ!と金持ちアピールをされました。そんな金持ちが何で某99円ショップの割引コーナーにいたのでしょうか?
まあそれはいいとして、私はなんとしても断らなければなりません。
結局次の日曜に喫茶店で会う約束をしました。その約束をすることで、ようやく解放してくれました。そのおじさんは、話している間はいい人そうでした。本当にいい人なら、このように「怪しい人ではないか」と疑っているのは申し訳ないと思いました。本当に友達が欲しくて、下心なく絵のモデルになって欲しかったかもしれません。絵のモデルになることで、私にもなにか新しい知見が開けるかもしれません
しかし、こんな世の中です。
わたしは次の日曜、喫茶店に行きませんでした。(はちこ)
(寸評)今頃彼は自分のイチモツを寂しく描いているよ。シャーッシャーッと悲しく筆を走らせながら。
ま、家に行っていたらそれを見せられていたんだけどね。5ポイント。
初めてのバイトでうれしかったこと
私は、個別指導塾でバイトをしていました。そのときの私としたらひどいもので、私なら、私に教わりたくないなと思っていました。というのは私は自他ともに認める説明下手だからです。本当に生徒にとって理解しやすく説明できているか心配でした。それに他の先生と生徒の様子を見ているととても上手く関係を築きあげているように見え、私はあまり生徒に慕われていない先生のように思われました。
そんな中、いつも教えている生徒が、「先生これ・・・」と小さな袋を取り出しました。それはミッ○ーの柄の袋。修学旅行の、お土産でした。
こんなに駄目な先生なのに、お土産をくれようとしてくれたのです。目頭が熱くなり、胸のうちからあったかいものがじんわりと広がってきました。
その子は中学生なので、おこずかいもさほど持ってきていなかったでしょう。友達も多く、いろんな人にお土産を買わなければいけなかったでしょう。そんな中で、私のお土産を用意してくれたのです。その子のために役に立っているのか怪しい私にお土産を買ってきてくれたのです。本当にうれしくって、「うれしい」と「ありがとう」の言葉しかいえませんでした。
本当に残念なことに塾の規律で生徒からどんな状況であっても物を受け取ってはいけませんでした。受け取りたい気持ちは山々でしたが、私は受け取ることができませんでした。本当は受け取りたかったです。でも受け取ることはできませんでした。その子に規律のことを説明し、受け取れない旨を伝えました。その子は笑って「いいですよ」といってくれました。申し訳ない気持ちとうれしい気持ちが交じり合った気持ちでいっぱいでした。感謝の気持ちを「ありがとう」という言葉でしか伝えれないことにとてつもない歯がゆさを覚えました。
その子のことは中学卒業までみることができました。志望校にも入れたようです。その子をみることができて本当によかったです。本当にありがとうね!!(はちこ)
(寸評)そういうの嬉しいだろうな・・・。
予測でしか言えないのは俺が貰ったことがないから・・・。5ポイント。
神様のバチがあたった初体験。
思い出すために身体が熱くなる恥ずかしい体験なのですが、石川さんになら話しちゃう。うふっ
小学生のころ、運動会の練習の後など、暑いときは特に水飲み場に生徒が殺到し、順番を待って、水を飲んでいたのですが上級生のやんちゃな子は水のみ場のワキからダイブして順番を抜かして ずるいことして早く水にありついていたのです。 (寸評)
それを見ていた私はあ~あ、あんなことしていけないんだ!!
と思いつつも、引っ込み思案だったのでそういうやんちゃな子が少しうらやましくもありました。
ある日のこと、私に魔が差す日がやってきて、私はとうとうみんなおとなしくならんでる水飲み場のワキから大きくダイブ!
しかし、しか~し私の神様はやっぱりちゃんとみていたらしく私は大きく跳びすぎて、蛇口に飛びつくはずが蛇口がジャージの襟に突っ込み本当に漫画みたいに私は、ぶら~ん。とぶらさがってしまったのでした。
暗黙の規則を破ったことの恥ずかしさと、ぽかーんとして私をみている下級生の顔が今でも思い出されます。
ああ~、恥ずかしかったばい。
以来やっぱり私はおとなしく生きるようにできてるんだなあ。。。
と、おとなしく?生きて参りました。うふふ (ますちゃん)
(寸評)いや、大丈夫。その時の精神はまだぜーんぜん衰えてないように見受けられるよっ! 6ポイント。
初めての潮
11歳くらいのときだったかな?
私は小さいころから中野区の親戚の家によく行ってました。
すごくやさしいおばちゃんがいて、
よくきれたねえ!
と、来れたの活用をこのようにして発するのが印象的なおばちゃんなのですが、いつものようにお泊りしてると学校で、男子を外に追いやってきいたあの話の
そう!
初潮が訪れてしまいましたのでした。
あ~はじまった~
と、結構私は淡々としてたっけな。
なんか独特の生臭さがあるなあとおもった。
トイレにそれだけのにおいがたちこめたような記憶が。。。
おばちゃんは男の子2人のおかあさんなので
うちは男の子ばっかりだからうれしいわ♪
といって、嬉々として生理パッドやら生理用パンツなどを大量に買ってくれました(笑)。
その夜マージャンをはじめた男衆におばちゃんが、ますちゃんに隣にすわってもらうと縁起がいいよ!
なんて言っていたのでうれしはずかしでした。
電話で母に伝えると、だから今回は行くのやめときなって言おうと思ったんだよ。虫の知らせだね。
といって、ちょっと残念そうでした。
でも帰ったらお赤飯炊いてくれたっけ。
これもお赤飯がでると、どうして?ってきかれるから恥ずかしいんですよね。
日本の習慣って良く考えるといやらしいなあ、ハァハァ (ますちゃん)
(寸評)「さぁ、あんたもセックスずっこんばっこん出来る年になったんだよ~!」と言われているようなものだもんな。
さらに赤飯て。
まるで初めて出た血を象徴するようで。
他の国とかどういう風習なんだろね? 7ポイント。
初めておじいちゃんの存在に気付かされた初体験。
占いとか霊視とかにはとても興味があるのですが、いままで縁がなく、今の仕事を始める直前に、友人に教えてもらった占い師さんに初めて会ってきました。
そのころ離婚も考えていたし、求職中でもあったのでちょっと参考になると思って。
ちょっと田舎だったので苦労してたどり着き、彼女にはまず、ため口きくよ。と、言われました。そのほうがスムーズにいくそうで。。。
何種類かのカードがあり、それを私が引いたのをみて判断の役にたてるようですが、カードはあくまでも補助的なもののようです。
結果は。。。答えを誘導されないように私からは何も言わないで見てもらったのにこの通り。
まず開口一番、あなた離婚の危機ね!と言われてしまいました。大当たり。。。
それから私の引くカード、引くカード、旅の神様みたいな人が何度も出てきて、私が飛行機、電車にたくさん乗って旅行してるとこが見える。といわれました。
そして次の日にパリに行くことになっていたのですが、パリのこともバレてました。パリで友人家族が待ってることまで!わはは。
全体的には良い運勢でしたので占いとはいえよかったのですが、離婚の危機、旅行づいてるということも大当たりでこの年は、パリ、チュニジア、日本など、いままでで一番旅行の多い年でした。仕事に関しては、あなた白い服で仕事をする人ね(料理人ですね)だけど、仕事は事務系になるよ(私が秘書になるなんて誰も予想できなかった!)、会社のすごく近くに川が流れてる(会社の真下を川が流れているのです)。忘れたころに次女が入院(肺炎だったけど3日で退院できた)。
これ以外にも周りの人のこと、名前がばっちりでてくることもあったし、凄く良くあたる人だと思いました。
1時間みっちりみてもらって20ユーロ(2000円程度)は安いし、っていうか、こういうのはあまりにも高い値段を吹っかけてくるのは信用しちゃいけないと思う。
もちろん占いの結果もあくまでも参考として聞いたほうがいいし。
しかし私には言われても良くわからないこともあって、私を守ってくれているのは私のおじいちゃんだと言うのです。彼は悟った人で、お香を炊いて祈ることを知っていた人でしたよ。と言うのですが、私が生まれたとき、おじいちゃんは両家とも既に亡くなっていたので唯一知っているであろう、年の離れた従姉に電話して聞いてみました。
そしたらおじいちゃんは今で言う職業斡旋みたいなことをして、凄く面倒見の良い人だったらしく、とてもたくさんの人に慕われていたそうです。
従姉にもそんなおじいちゃんに守られてるなんていいなあ!と言われましたが、私もうれしい。おじいちゃんありがとう!あんなことしてもこんなことしても生きてこれたのはおじいちゃんのおかげなのね!
しかし、いままでおじいちゃんがどんな人だったのかということをまったく考えたこともなかった。ということに私は愕然といたしました。。。
とさ。 (ますちゃん)
(寸評)俺も物心ついた時はおじいちゃん、おばあちゃんという人はいなかったからなぁ。
会ったことない人だと、どうしても自然には敬うという気持ちは特にはわいてこないよね。
でもやっぱり見ててくれる先祖がいるんだろうなぁ。
すんごーい昔のまだ類人猿の先祖がついてるなんてこともあるのかな? 6ポイント。
初めての目撃者
中学2年生のとき、初めて万引きしてる人を見かけました。
友達とスーパーにお菓子を買いに行ってたんですが、お菓子の棚に近づいたとき、すごい速さで出口に向かって走っていく人とすれちがいました。
「あの人たぶん万引きしたよ…チョコレート持ってた。」
と友達が言うので棚を確認してみると確かにチョコが一つなくなってました。
「言う?どうする?」と言いながらも結局お店の人には言えぬままでした。
自分がしたのではないのに怖かったなあー…
それにしてもチョコ1個盗んでどうするんだろう?(きよ)
(寸評)新人さんだね。ベテランは走ったりしないだろうから。
万引きをスリルとともに味わってみようという気持ちは分からないでもないかな。俺も子どもの頃駄菓子屋で一度や二度はやったことあるし。
でもお店を経営するようになって、いかに万引きが多いか、そしてひとりひとりは小額でもそれがたまることによって店が潰れてしまうほどの打撃を与えているかは、やっている人には分からないだろうなぁ。5ポイント。
初めての目の前が真っ白
某遊園地でのことです。
絶叫系が大好きな私は、初めて立ち乗りコースターに挑戦することにしました。
立ち乗りなだけあって、厳重に体を固定され、身動きができない状態でスタートしました。
てっぺんに登っていくまでは(たいしたことないな…)と思っていたのですが、落ち始めてびっくり!
頭にものすごく圧力(いわゆるG)がかかるのです!
何度も上り下りを繰り返すうちに、目を開けてるのに何も見えなくなり、(かすんで真っ白状態)頭を動かそうにも身動きが取れないし、あたしやばいんじゃないか…と違う意味で恐怖を味わいました。
幸いそれは少しの間だけで、無事生還しましたが、(二度と乗らん!!)と心に決めました。
後日談ですがその数ヵ月後、そのコースターで死者を出す事故が起こり、また恐怖を味わいました…危ないよ…(きよ)
(寸評)昔後楽園遊園地で体が一回転する乗り物に乗ったら、胸ポケットに入っていたボールペンなどがすべて落ちたことがある。
もし胸ポケットに入れていたのがボールペンじゃなくて君だったら・・・。危ない、危ない。5ポイント。
初めてエレベーターに閉じ込められた
5人で友人のマンションに遊びに行ったときのこと。
買い出しに行くために、3階から1階へエレベーターで降りようとしました。
忘れもしないあのエレベーターは積載量350kg最大人数4人の、畳半畳分ぐらいの広さでした。対して私たちは5人。しかし、明らかに350kg未満。
畳半畳というスペースはやや狭いですが、乗れんことはない。ってことで乗りました。
そして一階に差し掛かった頃、いきなりガコン!と大きな音がしてエレベーターが止まったのです!!本来到着すべき位置よりも30cmぐらい上の位置で停まっていました。ドアを開けようと試みるも、開かない。
そう、私たち5人はエレベーターに閉じ込められたのです!!
怖いです。怖いのは、エレベーターが一番下まで落ちることではありません。
怖いのは、エレベーターが何かの拍子で、急に下がって、それにびっくりしてしまうことが怖いのです。エレベーターが下がること自体ではなく、それによってびっくりしてしまうのを味わってしまうのが何よりも怖いのです。
さて、閉じ込められて、まずしたのは、管理センターへの電話。当然ですよね。電話がつながり、管轄のところに連絡が行くのを待ちました。その時間がなんとも長いこと!狭い空間のため、できるのは立つことと、恐怖を感じることだけ。
そしてやっと管轄と連絡がとれました。その担当の人の言うとおりにドアを開けようとすると、あけることができ、脱出することができました。エレベーターに閉じ込められていた時間、約30分。体感では2時間ぐらいに感じました。
脱出できて、そしていきなりエレベーターが下がることがなくて、本当に良かったです。
全員が降りた後、エレベーターは自然に本来到着すべき位置に戻りました。積載量を超えて無くても、人数が超えていると、だめなんですね。みなさんも気をつけましょう。(はちこ)
(寸評)たぶん、重い重い背後霊を誰かが背負っていたのでは・・・。ブルブルブル怖いよー。7ポイント。
はじめての心霊現象!?!?
私には、霊感が全くありません。しかし、2年ぐらい前に心霊現象?を体験しました。
人形劇サークルでの夏合宿での出来事です。その地域での人形劇の公演も終わったので、夜、肝試しをすることになりました。先輩たちが驚かし役になり、私たちはペアでコースを歩きます。
コースといっても森の中等ではなく、人気の無い車道を歩くだけです。人気の無い、というか本当に私たち以外には人はいません。右側には雑木林、左側には川の一本道でした。
先輩たちがどこで驚かしてくるのかドキドキしながら進むと…
「ふふふ」
という女性の笑い声が聞こえてきました。
ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!私の声が響きました。女性の声は雑木林のほうから。もうー、先輩ったら、雑木林の中に隠れて、わたしたちを驚かせたのね。手が込んでるなあ!!と二人で、笑い声が聞こえたことを話しながら進んでいきました。
さらに進んでいくと、懐中電灯のライトが。だれかと思っていると、先輩。
あれ、先輩、さっき、雑木林のほういませんでしたっけ?え、あっちのほうには誰も隠れてないはずだって?
あの雑木林の辺りには人はいないだって?
じゃあ、私たちの聞いた声は一体、誰の声?
これって心霊現象??(はちこ)
(寸評)いや、普通に道に迷った女性が漫画を読んで笑っていたのだと思うよ。6ポイント。
初めての妊娠
すでに妊娠出産の話をされた方もいらっしゃると思いますが、妊娠出産の話はそれぞれ個性的なのであえて話させてください。
結婚5年たっていたにもかかわらず私たちには子供がいませんでした。
別に狙ってしたことではなく、特に避妊もしてなかったのですが、たんに時期が来ていなかったということでしょうか?
しかし私の子供っぽい風貌のおかげか、いつも仕事で家にいやしない生活習慣のせいか、周りからもうるさく言われることはなかったな。
日本なんか特に周りがうるさく言うので大変ですね!プライベートなことなのに!
そのころ働いていたレストランで、一緒に働いていた女の子6人がつぎつぎと妊娠するという出来事があり、仕事仲間の赤ちゃんをだっこさせてもらったりしたら、
あれ?かわいいな。こんなのが家にいたらいいだろうなあ~!
と、ちょっと思ったのでした。
同じころ連れ合いも、そろそろいいかもね~
なんて言ったりしてて、タイミングはよかったのだなあ
なんて言ってたらすぐにできました。わはは。
えーと、そのころ家には子供もいなかったし、仕事ばかりしていたのでせめてもの贅沢に!と、キングサイズのジャグジーを購入してあったのですが、その中で発射された精子が当たったに違いないと、私は思っています。
予断ですが、よくドラマなんかでおねえさんが、うっとかいってトイレに駆け込み、調べたら妊娠3ヶ月だった。なんてシーンがありますが、あれは私には不可能です。
なぜなら私は妊娠するとすぐに体調が変わるのでわかってしまうから。
産婦人科にいって、妊娠かも知れませんと言ったら、生理がどれだけ遅れてるの?というので、まだぜんぜん遅れてません。といったら鼻で笑われたけど、コンドームをかぶせて中から見るタイプの超音波検査をしてもらったらしっかりできていて、先生もありゃま。という顔をしていました(笑)。
やはり初期も初期でしたので、胎児の形どころかまだまあるいたまごみたいな形でしたが。
家に帰って連れ合いに報告し、まず思ったのは、わ~なんか凄い新しい!という喜びに似た感覚と同時にできてしまったからには生まなくてはならない。ずど~ん。。。という恐怖でした。
なぜかと言うと私が中学生のときに担任の先生が奥さんの出産に立会い、生まれる瞬間にあそこからハサミを入れてお尻にむかってジャキッと切ったんだ。という話を聞いていたからです。
それ以来会陰切開が私の身体に関する3大恐怖の中に入ってしまっていたのです。
しかし肝はわりと据わっているほうですから仕方ないとあきらめ、楽しい妊娠生活を!と思ったのもつかの間、地獄のつわりが始まりました。
吐け!吐いてしまえば気持ちよくなるぞ!なんて尋問中の刑事のようなことをいっても私はなかなか吐けないのです。ああん、9ヶ月間ずっと気持ちが悪かった。。。
妊娠したら赤ちゃんの小物を手編みしたり、部屋を整えたり。とか、夢見ていたのですが、体力は続かないし集中力はなくなるしで、出産の何週間か前に産休に入るまで仕事はちゃんとやった以外は、だらだらしていて、途中、やってきた両親に、ますちゃんはいつもだらだら寝ています。と、日本の親戚に報告されてしまいました。むむう。
つわりさえなければ後何人か生んでもいいのにな。つわり防止薬があればいいなあ。 (ますちゃん)
(寸評)でも「あかちゃん」って実はほんの1、2年の間だけなんだよね。あっという間に子供になっちゃうんだよね。
しかもどんなに苦労して育てても、あかちゃん時代のことを本人はまったく覚えてないからなー。むむむ。
それにしてもジャグジー産の子供ですか。発射されましたか。6ポイント。
出産初体験
えーと、バージンなのになぜか出産してしまった私の体験談です。
嘘、妊娠したときの話を投稿してしまったので、それから生んだ時の話です。
妊娠期間のこと、日本ではとつき十日とかいうのに、フランスでは9ヶ月。というのです。
ま、数え方の違いであって、日本人のほうが1ヶ月長く身ごもるわけじゃないと思うのですが。
日本ではどういうのか知りませんが、生まれる時の体重は、両親が生まれたときの体重とリンクすることが多いらしく、私は4200g、連れ合いは4500gで生まれていたので先生は心配していました。
フランス人には私が小柄に見えるのか、どんどん大きくなる赤ちゃんが私の骨盤を通らないといけないから、あまりに予定日を越えるようだったら促進剤を打って、陣痛を人工的に起こして産んじゃおう!ということになっていたのですが、予定日の2週間以上も前に私は激しい下痢に苦しみ、往診を頼んだお医者さんが、病院に行ってしまいなさい。もしかしたら陣痛もはじまるかもね。なんてニコニコして言ってくれたので病院にいったら即入院。
明日の朝8時に促進剤を打ちましょう!ということになりました。
ゆるい陣痛ははじまっていたものの余裕。この後、本当の陣痛の痛さを私は知ることになるのですが。。。
翌日の朝、8時に促進剤を打ってもらい、無痛分娩のための予約も取ってあったので、時期が来たら麻酔師さんを呼ぶことにしてました。
赤ちゃんが降りてきていることが本当に良く感じられるずどーんずどーんという痛みに耐えていたら、連れ合いのおばあちゃんからまだ生まれないの?という電話があり、今生もうとしてるんです!と、答えた私も馬鹿だった。。。でなきゃいいんですね。電話。
フランスの医療は痛みを抑えることに日本よりも力を入れていて、出産も、無痛が主流、私は、あの、会陰切開のジャキッが怖いものだから無痛分娩を希望していたにもかかわらず出産が始まって、いきむ段になっても麻酔師さんは現れず(他に緊急があったらしい。。。)私が陣痛に耐えながら、まだですか?まだですか?と言うと、
助産婦さんが、誰?あかちゃん?
というので、いいえ、麻酔師さん!
と言うと、笑われました。
結局麻酔師さんは間に合わず、私は麻酔なしに3400gの子を産んでしまい、胎盤も無事に出て、もう結局ジャキッと切られた会陰を縫ってもらってるときに彼はようやくあらわれ、間に合わなかったと言うことがわかると、連れ合いの持っていたカメラをいじって、これデジタル?とか、どうでもいいことを聞いていました(笑)。
結局初産なのに3時間足らずというスピード出産だったので、下手に麻酔を打って、余分な薬を身体に取り込むよりは結果的にはよかったし、麻酔なしで産めた!という自身がついて、2人目ははじめから麻酔なしで取り組んだのですが(助産婦さんに、本当に麻酔いらない?って何度も聞かれた。)、今度は12時間かかった。。。というオチがついていたのでした。
会陰切開は、あかちゃんがでるときに伸びきっていない膣の入り口がびりびりにやぶれないようにハサミでパチンと切ってしまったほうが治りが早いからやるのですが、陣痛の痛みが凄すぎて、ちょっとハサミをひんやり感じただけでどうと言うことはなかったです。あとでちくちく縫われるほうが痛いし。。。
あはん。
しかし、2人目はちょっとびりっときてしまったようで、私のあそこはがたがたのような気がします。
みる? (ますちゃん)
(寸評)えーーーーと、一応見ようかな。6ポイント。
初めてのヘアピンで頭皮をえぐった(剥いた)らしいです・・・
額に前髪がかかるのがいやなので前髪をヘアピンで留めているのですが、どれだけ思いっきりヘアピンを差し込んだのか、頭皮に瘡蓋ができました(汗)
ちなみに「瘡蓋」は、「かさぶた」と読むのですが、“瘡(きず)”の“蓋(ふた)”なんて、言いえて妙だな~、と変な納得をしてしまいました。
どうして瘡蓋って剥きたくなるんでしょうね?
もっと前髪伸びたら、年甲斐もなくひとつに結わえたいと思います。
(以前やってたけどね) (キット)
(寸評)なんか「まだ駄目だ」と分かってるのに剥きたくなるよねー。
人間の三大欲望が性欲、食欲、瘡蓋剥がしたい欲だからかな。4ポイント。
初めての就職6年目、ついにやらかしそうになりました(汗)
前日、ちゃんと手帳は見たんですよ。
でさ、“遅出”って書いてあったのです。
だから7:30のアラームの後も当然二度寝して、ふと8:50頃、な~ぜか見たんだねぇ。
勤務表を・・・
今日、通常勤務(9:00始業)じゃん!!!!!
さ~ぁ、焦りましたよ!
だって、
現在8:50、仕事は9時開始
着替えてない
化粧してない
・・・ ・・・ ・・・
考えてる暇無い!
とりあえず服着た!!
顔洗ってない!!
化粧してない!!
カバンに財布とケータイ突っ込んだ!!
念のために職場に電話を入れようかと思いましたが、賭けに出た。
うちからなら普通に出勤しても10分はかからない。
自転車、猛スピードでこぎました!
結果・・・
タイムカード打刻8:57!!
うちのタイムレコーダーがちょっと遅れてたから助かったってのもあるけど・・・
そして、なんとロッカーを開けたら制服のブラウスが無い!
こんなときに限って洗濯に持ち帰っていたのであった・・・
その日着てきたTシャツは派手なTシャツで、とても制服(銀行員さんみたいな制服)の下に着るわけにはいかない・・・
・・・と、ホームヘルパーをしていたときのユニクロのTシャツ発見!
不幸中の幸い!!
9時少し過ぎに受付に滑り込んだのでした・・・
汗はダラッダラ流れてくるし、息苦しくて喘息になりそうになるしで散々でしたが、なんとか一日無事に終わりました(苦笑)。
原因は・・・
うーん、研修に参加する都合で、上司とシフトを交換したんですよね。
そのときに、交換前が遅出だったから、勝手に、交換した後のシフトも遅出だと思い込んでいたっぽいです・・・
あ~、とりあえず仕事に穴あけなくてよかったぁ~~~~ (キット)
(寸評)裸のまま受付にトリャアアアアッ!と飛び込んでいたら、もっとポイントあげたのだが(笑)。5ポイント。
初めての今まで帰省すると
「結婚なんて焦ってするもんじゃないんだでな。ゆっくり考えないよ」
(結婚なんて焦ってするものじゃないんだからね。ゆっくり考えなさいよ)
…と言われてきたのが
「誰かお嫁に貰ってくれる好い人おらんのかな?」
(誰かお嫁に貰ってくれる好い人はいないの?)
…に変わりました!
\(^O^)/オワタ!!
'08年暮れに初めて家族に結婚を急かされました!
そんなワタシはミソジーズに片足つっこんでいます。
(仮に)出産はひとりでできたとしても、妊娠と結婚はひとりじゃできんのジャー!!
家族の期待に沿わない長女で、おとうさん、おかあさん、ごめんなさい・・・ orz (キット)
(寸評)に、妊娠の方だったら手伝うよ・・・。5ポイント。
初めてのアニメの声優さん
仕事関係の送別会でワタシが幹事代行だったので、お支払いに行くと、大将(寿司屋で送別会だった)に突然、
「おねぇさん、アニメの声優さんか何か?」
・・・と言われました(滝汗)
(;・∀・)ハッ?
ちなみに、普通にお会計をお願いしただけで、別にキャピキャピしたりとかそういうことは一切ありません(汗)。
「いやー声がかわいいからさー。(しばらく間があって)あ、顔もかわいいけどね」(←大将、すごーくすごーく苦しいお世辞をありがとう)
・・・だそうで。
あまりのことにワタシは
「あ、えへへー、声優さんとかなれますかねぇ?qあwせdrftgyふじこlp 」
なんて、訳のわからない返答しかできませんでした(苦笑)。
今までも声についてはいろいろご意見賜っておりますが、下町の寿司屋の大将的には“アニメの声優”だったんですね(謎)。
“アニメの声優”と言われた初体験でした・・・ (キット)
(寸評)おっ、今度キットのいろんな声を聞いてみたいな。悪女とかもいいな。「この坊主豚野郎!」って言って! 5ポイント。
初めてのマンションセールスのキャッチ
冬の寒い日暮れ時に、初めてマンションセールスのキャッチに声を掛けられました。
自転車をこいでいたら、交差点にキャッチ?みたいなスーツの男性が…
人通りも少ないのに、何だろうと思ったら、自転車に乗って信号待ちしてるワタシにまで声をかけてきましたよ。
「○神不動産の者なんですが~。すぐそこにとてもいいマンションが建ったので、もしよろしければ―」
寒い中ご苦労さんなこってす。
…と思いましたが、それとこれとは話が別なので、丁重にお断りして立ち去りました。
あんな、道行く人に無差別に声を掛けるみたいなマンションのセールスで、成果なんて上がるんでしょうか?
マンション売るのも大変なんですねぇ~。 (キット)
(寸評)「おっ、いいねえ。寒いから一軒もらっていくかあっ!」
なんて言ってみたいな。
昔の小室哲哉なら言えたかも・・・。6ポイント。
初たま
現在米国在住ですが、よくアメリカ人に日本の文化とかなんか日本のことを教えてと言われるのでそんな時には兎にも角にもたまを教えます。
「これは日本で最もすばらしいバンドだから覚えとけ。この人たちは社会現象にもなったんだ。」と説明します。
反応はまあ色々ですが、印象的だったのは「まちあわせ」のyoutube動画を見せたら「え、これだけ?」と言われたことです(英語だけど)。で、歌詞が分かって聞くのと分からないで聞くのじゃたまの曲って天と地ほども違いがあるだろうなあと思うのです。
ライブだったらまた違うだろうに、もったいない。
私が住んでる場所がいなかだからだとも思うのですが、今のところ私を満足させるような面白い反応をしてくれる人に出会えていません。ニューヨークとかカリフォルニアの大都市とかにいけばまたテイストの違う人たちがいる気がするのですが・・。
アメリカ人に教えたらみんなたまを大絶賛みたいなストーリーじゃなくてすいません。
気に入ってくれた人がいても歌詞が全く分かってないとなるとなんだか私自身が「ほんとか~?」と薦めておいて疑心暗鬼になっているというどうしようもない感じです。 (Sabina)
(寸評)アメリカ人は実は単純な物を喜ぶ人が多いので、どちらかというとたまはヒネクレ物が好きなヨーロッパ人向きかもね。
もっとも「まちあわせ」はそれだけ聞かせたら日本人でも「これだけ!?」という反応だろーな。
何故ならあの曲はバックボーンが分かってないとつまらない。
つまりロックバンド合戦で4週目まではまとも(音楽として)な曲をやって勝ち抜いてきて、最後のグランドチャンピオンになれるかどうかの大事な場面でいきなりギター一本のお間抜けなあの曲を繰り出してきたところが面白いのね。
一週目があれだったら、絶対勝ちぬけられてない(笑)。5ポイント。
初めての夫婦蛸
親の実家に行った時のこと、田舎の本家なのでご近所さんがみんな親戚でイベントにはすごい人数の人が家に来ます。
子供の頃から顔は知っているけど誰だかよく分からない、多分遠い親戚のおばあさんが私に「ちょっとここへ来てお座り」と言います。
黙って従うと「ここの浜辺であがった蛸と隣町の浜であがった蛸は夫婦だったんよ。」とおっしゃいます。
その他にも私の曾祖母が狐にばかされた話や、蛸が畑にいたずらをしに来た話・・私はなんと言っていいか分からずひたすら絶句。
そのおばあさんがぼけていたかと言えばそうでもなく、みんなその界隈では有名な常識(?)らしいです。
蛸の話もきっと「いつの話?何で夫婦って分かるの?」なんていう野暮な質問が許される雰囲気ではありませんでした。どきどきしました。
消化不良だけどいい経験だったと思ってます。 (Sabina)
(寸評)「その夫婦から産まれた子が・・・あたしだよっ!イッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ」と笑い出したら、救急車を呼んだ方がいい。6ポイント。
学校の先生が親の顔を見に来た初体験。
よく人の行動にあきれると、親の顔を見てみたいものだ!などといいますが、小学校1年生のときの担任の先生が、ある日、親の顔を見にきました。
なぜかと言うと、私が父に教えられたすずめの捕り方の話を先生にしたからです。
そのすずめの捕り方とは。。。私としては一般的な話だと思っていたのですが、ご存じない方もいらっしゃるかと思うのでここで紹介いたします。
まず、お猪口にお酒を一杯、すずめが来そうなとこにおきます。そしておつまみに殻つきの落花生をひとつ(殻が大事!)、そして柿、もしくは林檎の皮をくるくるむいたものを1つ分おいておきます。
するってぇと、すずめはやってきて、あらら?こんなとこに、お酒がある!おつまみはてえと、落花生があるじゃないか!てえんで、落花生を割って、おつまみにしながらお猪口のお酒を飲むわけです、ぽかぽか日和がいいのでなんだか眠くなったな、と落花生の殻を枕にごろんとなると、柿の皮がいい具合においてある。それで柿の皮をふとんにみたててくるまって寝てしまうってえと、日差しが柿の皮をかわかし、皮が乾くにつれ、くるくると縮み、憐れ、すずめは柿の皮の虜となってしまうというわけです。
と、このようなことをべらんめえ調ではないけれど(笑)、先生に話したら先生は感動して、ますちゃんのお父さんに会いたいわ!と、連絡帳に書き、両親が、一度晩御飯に招待したと、そういうわけです。
先生がお父さんを見に来た!と、しばらくは語り草になりました。。。とさ (ますちゃん)
(寸評)おおっ、凄いじゃないか。
俺もそんな風に柿の皮で昼寝をしてみたい・・・って、そういう話じゃないか。7ポイント。
初めて札束で頬をはたかれてみた初体験
料理の専門学校に行っているとき、その学校の付属のフランス校に進学することに決めました。
そのころ学校にはすごい奨学金制度があって、それは半年分の学費300万円が、フランス校入学試験の最優秀者2人にはただになる。というものでした。
以前の試験では、この制度だけを目当てに試験を受け、奨学金が得られないとわかるととたんにフランス校進学をキャンセルする生徒が続出したので、私が受けた年は、300万円耳をそろえて用意して、奨学金が出なくても進学します。という一筆を書かされて試験にのぞんだのでした。
うちは裕福じゃないのに母はあちこちから工面してきてくれたらしく、ある夜、300万円がちゃぶ台の上に乗ってました。
それを見てわ~すごい!おかあさんちょっとそれで私の頬をはたいてみて!
と、言うと、母は苦笑いしながらも楽しそうにパタパタはたいてくれました。
ひゃ~ご利益ご利益(??)とか言っていると、母は、ますちゃん試験がんばって奨学金とれればこれが全部もどってくるんだよ。と、何気にプレッシャー。。。
いままでにこんなにがんばったことないというほどがんばったので無事1次試験にとおり、ある日帰りの駅で人生はじめての宝くじを買いました。
どっちかには当たれ!という私のテキトーな願掛けでした。
うふふん。
結局2次試験にも受かってしまい、見事奨学金をゲット!両親に300万円返して喜ばれました。
好きなこととはいえ、本当にこんなにがんばって勉強したのなんか後にも先にもないでしょう。
ということで、現在の私は抜け殻ですので、おてやわらかに~ (ますちゃん)
(寸評)おおっ、300万円当たったのと同じだね。すごい!
で、その残った300万円はどうしたんだい?
「豪華フランスなんじゃ」やろうよ。ベルサイユ宮殿で。7ポイント。
はじめての活性炭
ようは炭。
うちの犬が老いて具合悪くなってから活性炭入りの薬を飲んでいたらしいのですが、私もこないだびょーいんで飲まされました。
看護師の女性に「吐いちゃだめよ!吐いちゃだめよ!」
というよくわからないプレッシャーをかけられるなか、、
とりあえずひとくち。
「・・・おぇー」
「吐くなー!!!」
うちの犬が平気な顔してふつーに飲んでた活性炭。
こんなに不味いもんなのか・・・。
うちの犬大往生だったもんな。
てか、炭を薬として摂取しよう(させよう)なんてそもそも誰が考えたんだろう。
毒にしかみえないのだが。
良薬はなんたらとは、うまく言ったもんですな。
あ、ちなみに翌朝は活性炭にまざってた下剤のおかげでベッドのうえが大変でした。(りあちゃん)
(寸評)大変だったのか。炭まみれの朝だったか。
人生、そんな朝もあるよな(いや、ない)。6ポイント。
はじめての暴力沙汰
同性の友達とケンカになって、はじめてひとに暴力をくわえました。
一発ひっぱたいてやればいいやって思ったらなんとその人立ち上がってきて、やりかえされたのです。←あたりまえか。
パチーン!
りあのメガネがとぶ。
・・・ちょ、おま、それ、強すぎるだろー!
と思って今度は手をぐーにして二発目繰り出そうとしたところ・・・
女性「やめて!やめてください!!!」
知らん人に割って入られたのでとりあえず収まりました。
「ついカっとなってやった」ってのはこんな感じなのかなぁ。
いや、しかし!・・・どんな理由があっても手だけはあげちゃいけませんね。
反省しとります。 (りあちゃん)
(寸評)そんな時、力のある男だと相手が大怪我して事件になっちゃう。
非力の方が結果的に良かったりすることもあるのだ。6ポイント。
はじめての救急車でたらいまわし
いやぁ、危なく死ぬところだった。
意識朦朧としているなか救急隊員がそっこら中に電話かけまくってるのが聞こえ、やっとこさ病院についた時には[手遅れですねぇ]とか言われて
えー!はー!?あんたなにいってんのー!!!とか思って。
まぁ結果的に助かったんだからよしとするけど、ああいうのもっとスムーズにいくといいのになぁ。(りあちゃん)
(寸評)難しい問題なんだよね。通常はもちろんたらいまわししたくてするわけじゃないからね。
俺も病院事務やってたから分かるけど、深夜は大学病院でも各科当直の医師がひとりずつくらいしかいないんだよね。
だからたまたま同じ科の患者が重なると待たされたり、手術とかが入れば別の病院に行ってもらうしかない。
それを解決しようとすれば当直の医師を増やさねばならず、そうなるとその医療費はどうするのか、という問題になる。
結果、医療費負担が今よりもっと増えてもいいのか、ということになるんだよね。
いい解決策ないかね。
今の政治家じゃきっとアイデアなんかないんだろうな・・・。
でも助かって良かったね。6ポイント。
はじめての点滴
まぁ病気がちは私のこと、うでに針入れるのはそんなにこわくなかったんだけど・・・
・・・遅!!!
点滴の液[薬?]がなかなか終わらないーorz
退屈に弱いもんで、かなりつらく、そしてめんどくさいひとときで。
ジュース買いに行ったりラジオ体操してたら多分怒られるしなぁ。
でも薄幸の微少女に憧れる私としては、そのくらいへっぽこぴーなのです。
ああ、この窓から見えるあの木のはっぱが全て散る時、わたしも散るのね^∀^(りあちゃん)
(寸評)俺も点滴駄目。おそらく「束縛恐怖症」なんだよね。体が自由に動かせない状態が精神的に駄目なので、体に線が繋がって動けないのは本当に嫌だからよく分かるなぁ。5ポイント。
はじめての家計簿
さて半年前より主婦として生活している私。
あたしのやりかただと毎月どのくらい収入・出費があるのかやはり気になるので、石川さんのダイスキなブランド「ダイソー」に行って、家計簿を手に入れました!
一ヶ月目
「ほほう」
二ヶ月目
「ふむふむ」
三ヶ月目
「・・・。」
三ヶ月目から今までずっと真っ白になってしまいました。
やーい三ヶ月坊主。
ってうっさい!うっさい!
俺ぁ数字とか計算とか逆上がりとか、そーゆージャンルは苦手なんじゃい!(どーん)
でも旦那はお金とか時間とかにルーズなので、任せられん・・・。
やつなら今あたしが一生懸命貯めてるお金あっという間に使いきりそうや。
まぁ、節約についてはなぜか細かい人なのでそのへんはおまかせして、
家計の予算オーバー防止についてはあちしががんがらねばにゃ。(りあちゃん)
(寸評)俺も数字とか計算とか逆上がりとか、そーゆージャンルは親から禁止されている。5ポイント。
はじめてのオトナ買い
結婚とかなんとか色々あって、今までなかった人生の波や渦に遭った昨年。
自分へのプレゼントとして、ずっと欲しかった物を買いました。
それは、じゃじゃーん。少年ジャンプコミック「ONEPIECE(以下ワンピ)」の全巻まとめ買い~~~。
ワンピは少年漫画ながら性別年齢関係なく笑えて泣けるすごくいい作品でホントにほしかったんだけど、
「また今度」「また今度」してるうちに、いつの間にやら52巻まで出てしまった。
人気漫画なのでブックオフで全巻揃えるのは大変だろうと思って、ネット通販しらべたんだけどこれまた人気商品のため、どの店行っても売り切れ、売り切れ、売り切れ・・・
もしくは、古本なのに計算してみると新品とほぼ同じ値段だったり(^^;
で数日間調べまわってやっとちょこっと安めの古本やさんを見付けたので、今発売されてる分を全巻買いました。
いやー、高かった。
あたしのギターよりずっと高かった(笑)(りあちゃん)
(寸評)大人買い・・・ないなぁ。
ボクきっとまだ子供なんだ。
りあのお姉ちゃん、ボクに何か買って!
というか、ボクを大人買いして! 5ポイント。
はじめての生きてるかつおぶし
こどものころ、家の食事で焼きうどんが出ました。
するとどうでしょう。
かつおぶしがぁぁぁぁぁあ!踊ってるではありませんかぁぁぁぁあ!!!!
それから暫くは、焼きうどんが出るたびに生きてる生きてるといって騒いだもんです。
あと、味噌汁のお椀が勝手に動いたりとか。(りあちゃん)
(寸評)うちの妻は結婚前一緒に飯食っている時、味噌汁のお椀が動いたのを見て、真顔で「今、お椀がひとりでに動いた!」とマジに驚いていた。5ポイント。
はじめての(/・ω・\) ハズカシイ♪
旦那が夜型であたしは昼型なんですが、好きな人と暮らすにあたって、
おならっていつごろから解禁されるんでしょうか。
照れ屋で可憐で清楚なりあちゃんは、旦那の前でおなら初披露するのがとても恥ずかしくて、我慢したり、すかしたりしているのですが。
「りあちゃんて寝ながらおならするよね」
・・・。
<(゜ロ゜;)>ノォオオオオオ!!(りあちゃん)
(寸評)一所懸命我慢していたのが裏目に出て「寝屁の女」に・・・。
ご愁傷様です。6ポイント。
はじめての実家への新年の挨拶
まずは義父んち。
ちょっと遠くに住んでいるので、泊まりで。
着いて早々、義父とおばあさまからお小遣いをいただきました。
結婚する前からたびたびお小遣いをくださるんですが、そんな時思うんです。
「ああ・・・私、この人と結婚してよかった」と。(嘘だよ愛してるよ)
続いてあたしの実家。
旦那があたしの家族とうまくやっていけるか不安そうだったので、
「うちのママンはおいしそうにたくさんご飯を食べる人がすきだよb」と教えておいたのですが・・・
着いて早々、調理師免許を持つ母による盛大なご馳走がずらり。
・・・こりゃ食いきれないな。
でも母も旦那に凄く気を遣ってくれたし、旦那も美味しそうに食べていたし、職業柄話しが実際はうまいのでなんてことなかったです。
で、さてそろそろ帰ろうかな?というころ。
なんと母からもお年玉をもらってしまいました。
ありがたいことですねぇ。(りあちゃん)
(寸評)もらえるうちが花だよね。
俺は前も言ったけど、親にも甥・姪にもあげなくちゃならない立場。
中間管理職の哀しみみたいなもんだよな・・・。5ポイント。
はじめての新婚旅行
いや、初めてじゃなかったらいやだけど(笑
行き先は伊豆高原。
お泊りコースに、露天風呂の貸切がありましてねー。
あたしも旦那もシャワー派なんですが、折角だからとちゃぷん。
ふむー。ふみゅー。ほうほう。なかなか気持ち良いではありませんか。
「ナニが?」って。あんた。察せ。
あとは、温泉にかかせない、アレ。卓球(笑
あたしが下手くそすぎて全然試合になりませんでした(^▽^;
でもほかにも無料であそべるゲームとかあったりして、たとえばオセロとかやってみたけどあたしが強すぎて全然試合にならなかったり(笑
でも、食事も美味しかったし、愛も深まった感じで、まいにちしゃーわせです。(りあちゃん)
(寸評)うちの夫婦は相当湯船が大きくない限り、一緒に入ることは物理的にあり得ません・・・。4ポイント。
はじめての、便利より不便の方がだいぶいい
母とケンカした翌日、謝ろうと思って母のケータイへ電話。
すると、ちょー機嫌悪く電話に出る母。
ケンカしたことについてまだむしゃくしゃしてるとかそーゆーんじゃなくて、個人的にイライラしていたようです。言ってみれば「やつあたり」~。
なんか、こっちは逆に冷静になってしまいました。
馬鹿にする気はないんだけど「なにこのひと一人で怒ってんだろー」みたいな。
そんな母の口から出てくる怒鳴り声のなかに、ひっかかるものがひとつ。
「大事な用事以外の時は電話じゃなくてメールにしなさいよ!」
・・・。
こっちゃ大事な話したいから電話かけとんじゃーい!
母は誰かのお祝いごとや、ケンカの謝罪等、メールですませているのだろうか・・・。
てか電話くるのがいやなら持たなきゃいいのに(・ε・)プップクプー。(りあちゃん)
(寸評)まぁいらいらしている自分への照れもあるんだろーね。
電話やメールの使い分けって、時々悩むことあるよね。5ポイント。
はじめての階段からおちた
出発する電車に急ごうと走る旦那を追いかけてたら、階段から落ちました。
目立った外傷等は特になかったんですが、いや、外で転んだりすると、どうしてあんなに恥ずかしいのでしょう。
子供の頃ならへっちゃらで泣けたのに。
でもなんか、たくさんの人がたくさんの人が手を貸して起こしてくれて、
「日本もまだまだ捨てたもんじゃねぇなε- (´ー`*) フッ」と、思いました。(りあちゃん)
(寸評)恥ずかしいんだよね。少々の擦り傷くらいなら(なんでもないですううう。見ないでえ~!)と言いたくなっちゃうよね。4ポイント。
はじめての、服がはいらねぇ
結婚してからあまり考えず食事を摂るようになりぶくぶく太って、とうとうMの服がきれなくなりましたorz
現在大急ぎで減量中ですが、かなーりへこんでます。
こないだなんて、大家さんに「あら、おめでた?^^」と訊かれてしまいましたorz
ちがうわぼけー!
でぶっただけじゃぼけー!
全人類みんなぼけー!
こんな惑星滅んでしまえー!
・・・はい。すみません。
全部僕が悪いです。
ダイエット頑張ります。(りあちゃん)
(寸評)ま、幸せ太りってヤツだね。
結婚した途端、何故か骨が見えるほどガリガリになるりよりいいんじゃない!? 5ポイント。
はじめての相方募集
ギターを習い始めてそろそろ2年。ぜんぜん上手にはなってないんだけど、作詞作曲が出来るようになりまして。
作詞作曲+ヴォーカル、あと出来るならばオカリナ、口琴、鳴子を使って、ユニット組んでくれる人ギタリストさんを探しているのですがね。
やっぱりちょっと条件が我が侭すぎますかね。
てかやっぱ年齢的に無理もあるのかな・・・
なんかしらアーティスト活動やりたいんだけどなー・・・(りあちゃん)
(寸評)ギター弾く人なら世の中にごちゃまんといるから、本気で探せばきっと見つかるよ。4ポイント。
初めての人前セッション
中学校の頃にウクレレを始めてから早数年。その頃の目標として掲げていたのは、「誰かと一緒にセッション出来ればいいな~」というものでした。
この目標が達成できたのは、つい最近のことでした。もっとも、担当楽器はウクレレではなくてギターでしたが。
去年の秋、大学祭で友人2人と出し物をすることになりました。それは、カラオケ大会の場でなぜか演奏を行い、3人全員でボーカルをとり、うち2人がギター、もう1人がタンバリンで、セッションを行うものでした。
3週間ほどの練習期間の後、いよいよ文化祭のステージにて発表する日となりました。カラオケを行う人達の順番に紛れ込んで、出番を待ちます。周りを見渡しても、楽器を持って出番を待っているのは僕達だけなので、余計に緊張が走ります。
いよいよ出番となり、3人でステージに上がります。友人2人は、それぞれの恋人が見に来ていることもあり、さらに緊張が高まったようです。僕にはそんなのはいませんが、それでも2人と同じくらい緊張していました。
いよいよ演奏、そして歌唱。僕は間奏のソロ弾き部分なども担当していたので、本番までひたすらその部分を繰り返し練習していたのですが、何とかうまくいきました。その時の快感がとてつもないもので、
「嗚呼、多くのミュージシャンはこういう感覚がたまらないんだろうな~」
と、変なことを考えたりしました。
が、ラストにて。曲もクライマックスを迎え、ノリに乗っていたところで、ギターのストラップが肩からずり落ちそうになりました。掛け直したいものの、そんなことをすると演奏が止まってしまいます。
仕方なく、肩からずり落ちそうなストラップを気にしつつ、落ちそうになったらこっそり肩をいからせる、というちょっと間抜けなことをしながらクライマックスの演奏を続けました。幸い、完全にずり落ちて「どんがらが~ん!」ということにはならなかったので、一安心でありました。
演奏終了後にまず感じたことは、曲を演奏しきった達成感でも喜びでもなく、「ストラップがずり落ちなくて良かった~!」というものでありました。ここいらへん、ちょっと情けなくもあります。
演奏終了後、カラオケ大会の責任者から、特別賞ということでうまい棒をもらいました。人前で演奏して初めてのギャラがうまい棒であったということも、報告しておきます。(たちつ亭と~助)
(寸評)ストラップずり落ち、今でもあるなあ。人のギターを借りてばかりなのが悪いんだが(笑)。
あと「歌っている時って、どんなこと考えながら歌ってるんですか?」
とかたまに聞かれるけど、たいていの場合は次の歌詞を懸命に思い出してます。5ポイント。
初めてのクレジットカード
12年間続けた仕事場を離れることにして、時間的にも精神的にもぽっかりと空白ができてしまい、こうなったら思い切ってローマにいる友人を訪ねることにしました。初めての一人旅です
いろいろなことはネットで簡単に調べられる世の中になったものです
航空券、ホテル、向こうでの移動の手段、予約、保険等々
しかしながら予約をしようとするとほぼ全てにおいて「クレジットカードの番号の提示」を求められるのでした
なかばぷーたろうのような生活を続けていた私には、これまで必要だなあと思ったこともなかったクレジットカード。てゆーかそもそも年収が低すぎて審査に通らないんじゃないかと思い、作ろうともしなかったクレジットカード
しかし、自分で一人旅を手配しようとして初めてその必要性を痛感しました
カードがないと、何の予定も組めないのです
行き当たりばったりのすごろく旅行もいいですが、やはり初めて一人で行く海外で、ろくに英語も話せない私が(しかも非英語圏)予約もなしに飛び込んで行くのは無謀というものです
よくわからないまま、駅に置いてある、どうやらクレジットカードを申し込めるらしき冊子を持ち帰り、「こんな低所得者にもカードを作ってくれるのだろうか…」と不安に思いながら正直に記入しました。
「カード会社の種類を選択」のところで、ハタと手が止まりました
じぇいしーびーとかビザとかいわれても、私にはどれにしたらよいのかさっぱり見当もつかず、一番最初にかいてあったじぇいしーびーを選択したのでした
思えばここでもっとよく考えればよかったのですが…
さて、バイト先にも私にも本人確認の電話が来て、無事、ピカピカのカードが届きました
カードだカードだ!なんか社会にようやく参加できた気がする!
ご機嫌な私は(パソコン持ってないので)真っ先にネットカフェに向かい、あらかじめ目星をつけておいた向こうでの移動のための国内線、ホテル、特急列車の予約をしようとすると、なんと!扱えるクレジットカード会社のなかにじぇいしーびーがのってない!どこにも無い無いビザとかAMEXとかしか無い!
あっ!Jってつくくらいだからひょっとしてジャパンの会社なのか…!?
せっかく届いたカードでは何ひとつ予約することもできず、ネットカフェをすごすごと後にしたのでした
まったくなんてこったい
パソコン持ってないってだけで肩身の狭い生き方をしているとゆーのに…
アナログ人間にも愛の手を… (うみうし)
(寸評)確かにじぇいしーびーは国内くらいしか使えないな(笑)。
そうなんだよね、外国に行くと身分証明書代わりに提出を求められることがあるんだよね。
バスポートじゃ、収入の証明にはならないからなんだろうね。6ポイント。
はじめての「ポイントもらえず」
いつ頃だったか覚えてませんが
以前王様への投稿をした記事をうきうき読んでいたら・・・
「この記事にはポイントはあげられません」
Σ(゚Д゚;エーッ!
王様って全部採用じゃないのー!
王様でポイントもらえなかったのってこのサイト史上はじめてなのではないだろうか。
てかポイントくれないなら載せなくていいよーあたしちょー恥じ晒しじゃーん(´△`;)
まぁでもこれもいい思い出になりましたわ。
あの出来事を投稿のネタにしちゃってるくらいだしな。(りあちゃん)
(寸評)あー、なんかあったな。なんだっけ?
たぶんただのうなづきみたいな投稿だったのかな。
実は他の人から、そういうある種のポイント稼ぎ的な投稿があると、非難のメールが来たことも一度や二度ではないのだ。
「私たちはちゃんと意見なりエピソードなりを考えて書いてるのに、ただの『私もそう思いまーす』みたいなどうでもいい投稿だけで同じポイントはおかしい。そういう無気力なポイント狙いだけの投稿は、載せるべきではない」と。
そして実際本当に怒って、結構内容のある投稿をしていた何人かが離れていっちゃったんだよね。
難しいとこなんだけどね・・・。4ポイント。
はじめての鐘
新婚生活初の年越し。
お蕎麦作ったり、お蕎麦食べたり、お蕎麦片付けたりしていると・・・
「ボーン」
除夜の鐘だ。いぇーい☆
あけおめー!!!
というわけで早速初詣に行ったんだけど、鐘がつけるらしい。
いや、そのシステム自体はしってるんだけど、あまりにも並んでる人が少ない。
つこうか止めよかどうしよか、とうろうろしていると、
スタッフ???の人に「ついて行きんさい」と言って並ばされて、じゃあ折角だから・・・と、ぶっとい縄を両手で持って、おもいきし、「ボーン」。
ああ、今、あたしのついた鐘が近隣中の人たちに届いてる。
神も仏も信じてないけどな!
でもなんかお土産にうしさんストラップもらった。
縁起がよさげなので、ポーチにつけてまふ。(りあちゃん)
(寸評)子供の頃はつかせてもらったなぁ。大人になってからは、あまりないなぁ。4ポイント。
はじめての「その場で試着」
新婚生活初の年越し。
服屋さんに行って、すんげかわいーのみつけたから奥にあるスペースで試着させてもらおうとレジに居たおばちゃんにお願いすると、
「じゃーこれぬいで、あれぬいで、あ、これもやな」
・・・その場でギリギリまで脱がされました。
な、なにプレイだこれはぁ!!!?
てか、なにその奥の、カーテン着きの四角いスペース!
なんであのスペースを試着室としてつかわねぇんだYO!!!
外から丸見えの中脱がされたりして、
かなり羞恥心のギリギリまでいったとき・・・
恐れていた事が起きました。
「あーボタンしまらんな。お客さん、これ無理やわー」
・・・(==)
体重体型コンプレックスのあたしとしては、このおばちゃんや、外の通行人のみなさまの前で「デブ」の烙印を押されたようで、酷く傷つきましたとも。。
もーあんな店いかないっ(T-T)(りあちゃん)
(寸評)えっ!?公開ストリップが見られるの!?
そのお店どこにあるのか、おせーて! 6ポイント。
はじめての値切り交渉
最近服ばっか買ってるんですがその日とっても欲しい一枚に出くわして、
見惚れているとオーナーのおっさん、「お、気に入った?いくら出す?値切るでー(・∀・)」とやる気満々。
でも、値切るとかしたことないし、どうしたらよいのかわからず・・・
たしか7000円程度だったのを、「に、2000円。。。」と言ってみました。
するとおっちゃん「それは無理やでw」 私「Σ(゚д゚;)ガーン」
何が間違ってたんだろう。
今度関西に遊びに行く時は、交渉術を身に着けていかねば、と思った次第であります。(りあちゃん)
(寸評)まぁアジアとかだったらそのくらいから始める交渉もあるだろうけどね。
でも値切りを大っぴらにするのは関西くらいだけかもなー。5ポイント。
はじめての新婚3いらっしゃーい
うちも新婚ですが、実は旦那の友達2人も最近結婚したらしいということで、なんか めでたげ なので6人で飲みにいきました。
こうやって家族ぐるみでなかよくしていかれたら楽しいなぁ。
ちなみにそのお友達2人は旦那とはもう20年以上の付き合いとなるお友達なんだそうで、この人らすごいなーと、尊敬したものです。
あたしは友達ネット内にしかいないからorz(りあちゃん)
(寸評)知久君はじめ、音楽仲間は30年近い付き合いの友達結構いるな。
でもネットの友達も気楽。どっちもいいとこあるな。4ポイント。
はじめてのマウンテン」
名古屋の有名珍パスタ店「マウンテン」にいきました。
ネットやってる方なら大概知ってると思うんですが、「ゲテモノぱすた」を提供するお店なんですね。
抹茶小倉パスタとか。いちごに生クリームのを食べてる人もいたな。
甘いのはさすがにこわかったので激辛系のにいったんですが、予想通りのお味でした。・・・ただ辛いだけorz
相方は甘い系にいったのですが、ひとくちもらったらそっちの方があたしには食べやすい感じがしました。
でも、相方、途中でへろへろーん。「飽きた 多い きもちわるい」
等と文句言ってましたが頑張って、完食した相方に乾杯。
ちなみにりあもただ辛いだけの味付けのそのパスタ、きっちり完食しました。
次行く機会あったら、今度は甘い系いこーっと。(りあちゃん)
(寸評)噂には聞いてるけど行ったことはないな。
まぁ、スポンジの代わりにパスタと思えば味は想像付くな(笑)。5ポイント。
初めての乱暴注意
先日、数年間我慢していた事をやっちゃいました。
職場の60歳代の女性のお喋りがあまりにも長く、度々そのせいもあって失敗を重ねていました。
納品した物も、ヘタをすると返品されたり、大迷惑。
そしてXデーがやってきました。
仕事の手を止め、話し相手の方へ体を向け身振り手振りのお喋り三昧。
あまりに長いことお喋りが止まらず、仕事に集中していた私は、次第に頭に血が昇っていくのを感じました。
そしてその人の前に勢い良く進み出て言いました。
「そうやって喋ってるから、ミスするんじゃないの!!」
25歳以上年上の人に、こんな乱暴な言い方で注意したのは初めて。
でも、そういうのも必要ですよね?
その人がその後どうなったか・・・さほど改善されていません。
言うだけじゃ足りなかったようです。(秘密の座席)
(寸評)もう60過ぎたら、まず性格を変えるのは無理だろーなー。
あとは上司なりが、いかにその人にあった、多少のミスが許される仕事に変えるかどうかくらいかもね。
でも、人間たまにはブチキレてもいいんだよね。
俺にブチキラレルのは嫌だが・・・。6ポイント。
初めてのスタッフ
ニヒル牛にて行われた、夜の教室・新春ライブかるた福袋宴会。
この催しにおいて、僕は初めてスタッフをやらせていただくことになりました。というのも、Mさんに席がまだ空いているかどうかの連絡を取ったところ、スタッフとして見に来ないか、というお誘いを頂き、せっかくなのでとお引き受けした次第です。
スタッフとして働き始めたのは、ニヒル牛が一旦閉店してからでした。ニヒル牛内にある箱の移動をすることから、始まりました。
その後、店内に座布団を敷き、受付時に配るドリンクの準備をしました。今回の僕の主な仕事は、受付時に飲みたいドリンクを伺い、ドリンクと一緒になんじゃもんじゃのチラシを配る、というものでした。
Mさんからは「愛想よくしてれば誰にでも出来るよ」とアドバイスを頂いたものの、緊張が高まり、今自分の顔は強ばっているな、というのが鏡を見なくても伝わってきました。
時間が来て、いよいよ開場。次々と入ってくるお客さんには知り合いの方もおり、その方々にはさほど緊張せず対応できましたが、そうでない方々にはやはり緊張感たっぷりな感じで対応してしまったような気がします。
また、予め何杯かのドリンクをそれぞれ準備しながらの対応だったので、些か忙しく、次々と入ってくる方々に対応していくのが大変でもありました。
会が始まってからは僕もすっかりライブやカルタに集中し、飲み物のお代わりを頼まれた時以外は、ほとんど1人のお客として参加していました。
会終了後、最初に移動させた箱を元の位置に戻した他は、夜行バスの時間に間に合わないため、Mさんに任せてニヒル牛を後にしました。本当は、座布団の撤去とか、会場の後片づけとか、することがたくさんあったと思いますが、結局その程度しか働けませんでした。
この場を借りて、Mさんに謝ると同時に、今回の機会を与えてくれたことを感謝を。本当にすみませんでした。そして、ありがとうございました。(たちつ亭と~助)
(寸評)確かに「あいつ終わったらすぐに帰りやがって(笑)」と言っておりましたな。本当は終わってからの掃除とか後片付けの方が大変だからね。
とはいえ、あのイベントの為だけに岩手から日帰りバス往復(!)したあんたは偉い。大物になれるかもなっ!5ポイント。
初めての目黒寄生虫館
先日、今年初めての上京を果たした際に、ウキュラー兼マイミクさん達と連れだって目黒寄生虫館へ行ってきました。
本などでは以前から読んでおり、「どんなとこなんだろうな~」と思っていましたが、いやはや予想以上に凄まじい場所でした。
まず、入場してから目に付いたのはホルマリン漬けの寄生虫たち。目に見える形のはっきりした寄生虫から、よくよく目を凝らさないと見えないような寄生虫まで、何匹もの寄生虫がホルマリンの中で真っ白になって展示されていました。
また、日本地図に豆電球をあしらった展示もあり、寄生虫の名前の側にあるボタンを押すとその寄生虫が生息している場所が豆電球に照らされる、という仕組みになっていました。
圧倒されたのは2階の展示でした。眼球に寄生虫が寄生した写真、鼻がほとんど崩れている写真、男性の陰嚢部分が普通に立っていても地面に届くくらいまで腫れ上がっている写真などがあり、それらを見ているだけでも痛々しさが伝わってきました。
面白いところでは、体内に生息することが多いサナダムシの実際の長さを体験するコーナーがあったことでしょうか。といっても、もちろん本物のサナダムシを手に取るわけではなく、サナダムシと同等の長さの紐が準備され、それを使って実際のサナダムシはいかほどの長さなのかを体感する、というものでした。いくら広げてみてもきりがないその紐は、本当に体内にこんなのが居ることがあるのかよ、とビックリさせられました。
2階の奥には物販がありました。寄生虫の写真を使ったポストカード、反対に寄生虫をマンガっぽくしたポストカード、寄生虫の絵が描いてあるTシャツ、実際の寄生虫が中に入っているキーホルダーなど、当たり前ながら全て寄生虫尽くしでした。食指が伸びなかったと言ったら嘘になりますが、流石に買う勇気が無く、その日は購入を諦めました。
次に行く機会があったら、何か安めの物を買ってみようかな、と密かに思っていたりします。(たちつ亭と~助)
(寸評)日本を代表するキワモノ博物館だからね。俺が行ったのは30年くらい前で、まだ改装前だったのでさらにおどろおどろしかった。
あそこはやはり一度は行ってみる価値のあるところだね。
館長が本当に寄生虫マニアだからな~。姪っ子のお腹で寄生虫を育てるって凄いよな・・・。5ポイント。
初めての、大事な会議があるのに電車に乗り遅れ、TGVに飛び乗るために濃霧の中、半泣きでなれない運転をした。の巻。
フランス在住とはいえ、フランスは広し、行った人は知ってると思うけど、どんな大都市でもちょっと郊外に行くとすぐにもんのすごい田舎になるフランス。。。
パリまで行くのには今まで電車に乗り継ぎ、乗り継ぎがよくても早くて4時間半という距離ですのでなかなか行くことが出来ませんでした。
しかし、しか~し、日本で言えば田中角栄首相がいらっしゃったために新潟に新幹線が通ったという話に酷似して、私の住んでる田舎町にも政治のエライ人がいて、彼のおかげでTGV(電車、すごく、速い。の意)が通りました!こんな田舎なのに(笑)!本数はあまりないけどパリまで2時間半になったよ!いえ~い!
でもだからといってしょっちゅういけるわけでもなく、ああ、パリにいけたらラーメン屋さんがあるのに!とか、ブックオフに行って大人買いしたい!などと夢見ていたわけですが、こんな私にも去年はほぼ毎月パリに行く、という幸運が訪れたわけです。
ま。平たく言えば出張です。あ、平たく言わなくても出張か。。。
その大事な出張の去年最後の日、やはり本数が少ないために朝5時発、と言うヤツにのって、パスカルズも何度も訪れているナンシーの駅で乗り換えパリに向かう。という日。
とろいので朝4時に起き、目を覚ますためにお風呂に入り、余裕をもって駅に向かうつもりが車を見たらあ~らららら、がちがちに凍ってるじゃあ~りませんか!
仕方ないのでぬるま湯をぶっかけ、強制的に出発、横と後ろが見えない(涙)!!
無事駅についたものの横と後ろが凍って見えないために駐車に時間をかけすぎた!
駅に駆け込みホームにつくとあはれ、電車は去ってしまった後でした。
次の電車は1時間後だよ~という駅員さんの言葉に絶望し、私はとぼとぼ出て行きました。
さて、そこで私の脳みそはフル回転!ナンシーを6時15分出発のTGVにはどうしても乗らなくてはならない、そのためには、ああん、バカにされるのやだから連れ合いは起こしたくない。。。タクシーで行く?と思って運転手さんに聞いたら150ユーロだってさ(1万8000円也ちぃ~ん)。
仕方ないのでポンコツで今まで一人で運転したことのないナンシーまで走ることにしました。
ナビをとりに行ってる暇もないので看板を頼りに。。。あ~眼鏡作っといてよかった!(今まで看板は見えてなかった、たまに白線もあやしかった。。。)
すごい悪天候で濃霧の中を半泣きで走る私、一度まちがえたもののなんとか時間通りにナンシー駅に到着、TGVに乗ることが出来て事なきを得たわけですが、こういうときって寂しいですね!
はあ~
しかしこの直後に会社の人を仕事でナンシーに連れて行かなくてはならない仕事が控えていたので、ま。予行練習さっ!と、負け惜しみを言いました。
ふふふ (ますちゃん)
(寸評)「今まで看板は見えてなかった、たまに白線もあやしかった」って、そりゃあ危険が危ないよ、ますちゃん。
気をつけておくれよー。6ポイント。
オフ会初体験
ブログというものの存在も知らずにいた私ですがある日姉にその存在を教えてもらい、遠くにいる友人や家族のことが凄く近くに感じられるし、〇〇食べた、とか〇〇と思ったとか、本当にささいな、電話やメールなどではわざわざ言わないようなことまで書いてあったりするのでとてもいいなあ、と思いました。
私の活用法としてはなにしろ私自身が遠くに住んでいるので普通に見せられない子供の成長ぶりなどを載せたりしていたのですが、趣味を分かち合うのにもいいことに気付き(気付くのが遅い!)陶芸関係の検索をかけてたくさんの陶芸家さんや陶芸を趣味とする方たちと交流することができました。
幅は広いとはいえ考え方や趣味の傾向が同じような仲間と仲良くなるのでリンクしている陶芸ブログの仲間同士でオフ会をしよう!という話にまで進み、あまりにも遠い私は指をくわえて見守っていたわけですが、幸運なことに彼らがオフ会を企画したそのころに里帰りすることができて、無事、参加を果たしました。
茨城県の笠間市というところでやったのですが、車でピックアップしてもらえる、と言うことで集合場所は早朝の築地市場。初めて築地でお寿司食べた~しかも朝っぱらから!
すべてカウンター席で、いすの上に荷物を置くと、そこは荷物置くとこじゃないでしょ!なんてしかりにくるおばあちゃんもいたりして、なかなか私の理想の築地らしくすばらしかったです。
板さんがみなさんどちらから?と質問したときは私たちばらばらなのよ~と、秋田、静岡、はてに私なんかフランスですから。
そしたら、板さんは実はパリで握っていたことがあったそうで、あらら~と、なったのでした。世界はせまい!
笠間では笠間の陶芸家の方の先導で、野焼きという、たいへん野蛮(プリミティブとお言い!)な焚き火をしてその中で焼いてしまうという焼き物体験をし、スーパー銭湯に行き、そのあと彼の家に集まり酒盛りをし、最後は雑魚寝になって寝ました。
みなさんもともとネット上での付き合いがあったので初めてあったとは思えず、大変親しみやすく、ネットって電子だけど凄く気持ちが伝わる媒体だなあ!と思いました。
初対面なのに酔っ払って寝てしまった幹事長さんの顔に落書きして、皆で声をおしころして笑う。なんてこともあった(犯人は私か。。。)凄く親密な楽しい会でした。 (ますちゃん)
(寸評)ネットで知り合った人は、まず趣味が同じという共通項があるし、外見より先に考え方やなんとなくの性格も分かってくるので、打ち解けるの早いよね。
ここのチャットで数回話しただけで、親友のような感じになってしまうこともあるし。
特にマイナーな趣味の人はどこよりも見つけられるものね。そうじゃなきゃフランスの人と沖縄の人と北海道の人がそうそう知り合える機会もないもんね。
とはいえ、落とし穴もあるし、会ってみて違うなと感じる人もいないわけではないけどね。それは一般社会でも同じだからな。それも分かって楽しむのがいいよね~。6ポイント。
刺青初体験
2年ちょっと前に今の仕事を初め、日本の会社なので当然日本人が居るわけでそのころ病的な嫉妬に悩まされていた(悩まされていたのは私だけど!!)連れ合いに、すごく反対されました。
なぜかと言うと、彼は常に自分にないものを持ってる人に嫉妬していたからで、それは特に日本人なのです。
私が日本人と、浮気すると思ってたわけですね。
ほかにも、ギターを習えば、ギターの先生と寝てるんだろ!とか、陶芸をやれば、陶芸家と寝てるんだろ!とか、本当にいわれのない疑いを突きつけられて、病気だから。。。と思わなければ、とっくに。。。以下自粛(笑)。
で、彼が言うには、私が浮気できないように身体に刺青で彼の名前を入れれば、働きに行ってもいいと。。。
そんなんいやだ!
と、思ったものの、
どうせ刺青するんなら自分の気に入るかわいいのがいいなあ!
とか、心が別の方向に動きだし(私ってどこまでお人よしなんだろう!)、
街なかの彫師のところに見に行ってきました。
おどろおどろしい店構えにおびえるお子達をなだめながら品定めし、
結局かわいい自分の気に入った柄を小さく入れてもらうことにし、彼の希望の彼の名前もその柄に入れてもらいました。
すんごくすんごく小さく(笑)
だから名前が書いてあるなんてよく見ないとわからないし、彫師のお兄さんも、男変わったら消してあげるからね!と、言ってくれました。ぐふっ
かわいい仕上がりに乗り気でなかった私は大満足でしたが、彼はやはりちょっと小さいな、と思ったようです(笑)。
昔の日本の刺青は針でちくちくやらなければならないので大変だったようですけれど、今は針がががががが~!!と、自動的にでるペン型のマシーンでやるので意外と痛くなかったです。
それでも剃刀でちりちり削っていくような痛みが走るので連れ合いには是非感謝してもらいたいと思うと同時に、こんな音で嫉妬が消えるなら警察はいらない。とわかって欲しいと思いました。。。とさ
ああん!こんな内緒話を投稿してしまった~!!
うわ~ん、もってけ泥棒! (ますちゃん)
(寸評)おおっ!ほんじゃ今度は股間に「浩司」と入れてくらさい。
ぜ、絶対に殺される~!10ポイント。
初めてのエロ
私の初めてのエロとの出会いは小学校1年でした。友達K子のお兄ちゃんがリアル「ビーバップハイスクール」でバリバリの絵にかいたようなヤンキーでした。K子の家は近所でよく遊びに行っていたのですが、お兄ちゃんの部屋にエロ漫画があるのを発見し、よくそれをふたりでこっそり読んだものです。でもセックスの存在は知りませんでした。なぜなら、その漫画はまんこの部分が花に置き換わっており、セックスシーンは出てこなかったからです。おぼろげに覚えているのは「まんこが花」だけです。
「K子!まんこが花だよ!」「あはは!!本当だ。まんこが花だ!」子供の作り方さえ知らない幼いふたりはそれだけで大興奮です。でも兄ちゃんはヤンキーですので、ばれたらめっちゃこわいです。でも読みたかったのでなんとか当時7歳の二人は考えました。そこで私たちは「ドラえもん」の漫画のカバーだけを取り、そのエロ漫画に被せる、ということを思いつきました。これでどこからどうみてもドラえもんです。ドラえもんを読んでいる一年生にしか見えません。
でもあっさりばれました。制服を短くしてそり込みを入れた眉毛のない兄ちゃんは「K子、ゴラァァァァァ!!!」とぶちキレ、暴れる兄ちゃんにK子の母親は泣き、Kも号泣、私はそそくさと逃げました。しかも懲りずにその後その遊びを何度も何度も繰り返した私たち。K子が引っ越して離れ離れになって、最後に会ったのも十年以上前ですが、今でも時々思い出します。「まんこが花…」と。(さっちゃん)
(寸評)確かに花だ。男をパクッと食ってしまう怖い怖い人食い花だ。
エーン、怖いよ~。5ポイント。
はじめてのマジックラーメン
最近引っ越した所の、徒歩30秒ほどのところに、某有名中華料理チェーン店があります。その店頭に「マジックラーメン 定価680円のところ、期間限定490円! カレー風味の元気ラーメン」というちらしが貼ってあり、ずっと気になっていました。
その中華料理チェーン店は、子供のころ、年に一度の外食の時に行っていた所で、その後十年以上は行っていないけど、普通に美味しい印象がありました。しかもマジックラーメンはその店オリジナルメニューのようで、ネットにも情報が載ってないし、「ここは食べてみるしかない!」と思い夫と二人で挑戦する事に。
店に入ると、床をはじめ、なにもかもがが油でべたべた。前の客のゴミが机に残ってる。ということで早くも後悔。
気を取り直して、運ばれてきたラーメンを食べると
「マズ!」
うっすらとカレー粉の香りと、よくわからない臭いスパイスがバランス悪くふりかかっていて、麺は、麺のゆで汁を濃厚にしたような味。後味はしつこくて、変な化学調味料の味。
二人で黙々と食べました。
その時、サイドメニューで注文していたしゅうまいが登場。小さい蒸籠に入っていたので、こっちは美味しいかも!とちょっと期待。
口に入れた瞬間、二人で「美味しい~♪」…「ん?」
瞬間、美味しい気がしたものの、噛むほどにラーメンにあった変な化学調味料の味がもわ~っと広がってくるのです。
無言で目の前の料理を口の中に押し込み、マジックラーメン終了。
お会計、1300円程だったのですが、これほど払うのが悔しかった外食はありません。
子供のころ、ここの料理を美味しいと思って食べていた事にもショックです。めったになかった外食にきっとわくわくして美味しく感じていたのだと思います。子供の舌ってけっこういい加減だ。
その中華料理チェーン店は、今日も満席。持ち帰りの人も順番待ち。
一方私は、変な化学調味料の味が口に残っている感覚に、三日ほど苦しみました…。
「食の旅人」(引っ越した先付近の外食屋発掘)にはまった夫は「今度はうちのマンションの下にあるビックラーメンに行こうよ」としきりに誘ってくるのですが、ビックラーメンの店の前は、先日食べた、マジックラーメンのくさい麺のにおいが漂っているのです。
まずさに負けるの必至。また体調のいい時に挑戦します…。(ぴよまる)
(寸評)時々「えっ、この味で商売してるの!?」と驚くようなまずい店ってあるよね。家で冷凍食品の方がよほどましなこともざら。
だけど満席ってことはやっぱり旨いと思っている人もいるんだね。
まさか「包丁人味平」のブラックカレーのように、麻薬が入っていて、客がみんな「ケヘヘ」「フハハ」と笑い転げながら食っているんじゃ・・・。5ポイント。
アルバイト初体験
高校生のとき、専門学校で料理の道に進むことを決めたので学校では禁止だったアルバイトを始めました。
両親は厳しいのにこういうことには寛容で、というか、母がこのアルバイトの話を持ってきたのですが、ファミリーレストランの厨房に入りました。
初日はおなじみ皿洗い、残飯を捨てて、食器洗浄器に入れるだけとはいえ、きちんとオーガニゼーションができてないとどんどん洗いものがたまってしまうのでなかなか技術が要り、だんだん早くできるようになってくるのが楽しかったのに、すぐにデザート部門に呼ばれてしまいました。
知り合いがいて、私のお菓子作り好きを知っていて、抜擢してくれたのです。
日を追うごとにいろんな部門の仕事が習えて、楽しく仕事していたある日、心配した母が厨房を覗きに来ました。
そしていつもぼーっとしてるはずの私がガンガン仕事しまくってる姿をみて、
席に戻ると、あれは私の子じゃない。。。
と、ショックを受けていたそうです。
わはははは
小さいころから、人前ではなせないし、とろいし、この子は将来大丈夫なんだろうか?と、周囲の人を心配させてきたので母はうれしかったそうです。
でももっと大きくなった今はこんなんなっちゃったけどね、
はい、すみません。 (ますちゃん)
(寸評)お母さん、どうぞ「おバカ」の投稿を見てください。
娘さんは立派になりましたよ・・・。5ポイント。
浴槽にたたずむネコをみた初体験。
昨日寝る前にお風呂場に歯磨きに行ったら
うちのネコが浴槽にたたずんでおりました。
もちろんフランスのお風呂は日本のお風呂のように追い炊きができないので
水は使うときしか入っていないので空ではありましたが、
栓の近くの蛇口の前で、たたずむネコ。。。
なにしてるの?と、声をかけても耳を動かすだけでたたずみ続けておりました。
お風呂場から戻ると連れ合いが、夕方しゃまろ(ネコの名前)がストーブの側面に熱いだろうに結構長いことさわっていて、ちょっとしたらやっと熱い!と、気付いたかのように飛びのいてたよ!と、
そうか。やけどでもしたのかな?
でもなぜにストーブにさわらなくっちゃ?
と、思った瞬間、名探偵ますちゃんの思考回路はパズルのピースがはまるかのようにようにシャキンシャキーン!とかっこよく回転いたしました(笑)。
そういわれてみれば夕方、ストーブの近くで大きな蜘蛛のバラバラ死体を見つけて捨ててました、私。
ということは、大きな蜘蛛を見つけて喜び勇んで遊ぼうとしていたうちのネコは、蜘蛛が逃げ惑いストーブの側面にぺたっと張り付いてしまったところをとろうとして前足で剥がす作業にはいっていたのでしょう、
そして気付いてみたらすんごく熱かった。
ということなのでは、
お風呂の浴槽に水滴がついていてひんやりしているのを知っているからそこで冷やしてたんだな。
涙ぐましい。
おバカだけど涙ぐましい努力じゃありませんか!
ネコはものが言えないのでこの推理が当たっているか聞くことはできませんから肉球を見てみたけど、うちのネコの肉球は全部真っ黒で火傷してるのかどうかわかりませんでした。
しかし浴槽の壁に向かってたたずんでいる姿はなんだかもの言いたげだったのでこれからはもうちょっと気をつけてくださいね!お互いにね!と、思いました。 (ますちゃん)
(寸評)猫や犬がそういう人間的な動きをみせるとまたかわいいんだよね~っ。キャハッ!5ポイント。
一人で飛行機初体験
学生のときに初めて一人で飛行機に乗りました。
フランスに来てはいたものの、添乗員さんつきの手取り足取りの旅行でしたのでなんの苦労もなく、夏休みにトルコに行くときが、初めての一人で飛行機体験となりました。
出かける前に学校の先生にレクチャーを受け、教えてもらったとおりにチケットのナンバーと照らし合わせながら乗り場に着き、しばらく待っていたのですが、
かれこれ15分も待ったでしょうか、
なんだか不安になってきてしまったのです。
なぜかというと、今から私が行こうとしているトルコはどちらかというとアラブ系なのに私以外の人はみなアフリカ系のバリバリの黒人ばかり。。。
なんか変だと思い、列を外れて確認しに行くと、なんとその列はセネガル行きでした。
ははは。
ああん、もう少しでセネガルの空に消えるところでしたわん! (ますちゃん)
(寸評)ま、その乗客も別に空に消えるわけじゃないが・・・。
セネガルだったら、もっとすごい体験できたかもね。惜しいなっ!5ポイント。
はじめてのあそこに違和感
まんこ(あっ言っちゃった)に変なできものができてしまいました。
正確に言うと、まん毛(あっ言っちゃった)の終わり部分ですので、まんこ(あっまた言っちゃった)と言えるかどうか際どいゾーンなのですが、体にニキビというか吹き出物ができることってありますよね。それだと思うんですけど、いかんせんまん毛(あっまた言っちゃった)が生えているのでいまいちちゃんと確認できないのですが。それが先月の22日にスターのライブを見るために上京したあたりにはもうできていて、今もまだあるのです。幸いだいぶ終息に向かっているのですが、でかいので、もしかしたら変な病気かもしれまんこ。どうしたらいいのかわかりませんこまんこ。教えてまんこ。 (さっちゃん)
(寸評)まずは状態が見えづらいので剃毛が必要不可欠だね。
がんばって、俺、やってみるよっ! 5ポイント
初めての野外セックス
初めての野外セックスで膀胱炎になり2週間苦しみました。
割りに合わないー。お外はばいきんがいっぱいだー。もういやだー。
あ、ちなみに膀胱炎も初体験だ! (副乳)
(寸評)いやよいやよも好きのうちじゃて。この好き者めっ! 5ポイント。
初めてのネットカフェ
これも先日東京へ行った時の話なのですが。
高速夜行バスを利用して秋田に戻るために、池袋駅西口のバス乗り場に到着しました。が、予想よりも時間が余ってたので、さてどうしようかと思案していたところ、ネットカフェの看板が目に留まりました。
あ、そういえばまだネットカフェに入ったことないや、と思いたち、初めてのネットカフェを体験してみました。
部屋が混雑しているのか、少しの間待たされた後に部屋番号を書かれた伝票を渡され、エレベーターでその部屋に向かいました。
通された部屋は、一畳くらいのスペースにデスクトップ型のパソコン、棚に陳列されたマンガ、リクライニングシート、ハンガーがあるという、些か身動きの取りづらい部屋でした。因みに、ハンガーの存在に気付いたのは入室してしばらく経ってからだったりします。
入室時間は1時間半ほどでした。この間何をしていたのかというと、mixiの日記を書いたり、チャットバーを覗いたりと、およそ自分の部屋と変わりない時間を過ごしていたのでした。
当たり前の話かもしれませんが、やはりパソコンの環境は申し分ないですね。画面も広くて見やすく、自分の普段のパソコン環境と比べたら格段にいいものでした。お金と時間が許せばこのままいくらでもこの場にいたい。そんな気分にさせられ、ちょっと自分に危なさを感じたりもしました。
いわゆる、ネットカフェ難民が何故増えているのか。その理由がちょっとだけ分かったような、そんな気分になりながら、店を後にしたのでした。(たちつ亭と~助)
(寸評)実家にいても自分の部屋がない人とかには至れり尽くせりだよね。家の近所のネットカフェはソフトクリームも食べ放題だよ~。5ポイント。
初めてのデート(らしい)
僕自身、未だに信じられない面持ちでいっぱいなのですが。先日東京へ行った際に、女性と2人きりで会い、一緒に遊ぶ機会がありました。
この女性が誰なのかといいますと、ウキュピやmixiなどでお世話になっている某Kさんのことなのです。従って、恋愛的なあれこれがあるわけではありませんが、それでも初めて女性と2人っきりの状態だったことには変わりありません。
Kさんと浅草でお会いしてどんなことをしたのかというと、
「浅草寺にてお参り→花やしきのローラーコースターにて絶叫→モボモガ御用達のお店を見学→有名人の手形を鑑賞→赤提灯灯る居酒屋で乾杯→カラオケボックスにて熱唱」
という段取りでした。花やしきのローラーコースターも、モボモガ御用達のお店も、行ってみたいけどなかなか行けない場所だっただけに、今回この機会に行けたことがとても嬉しかったです。
カラオケボックスを出た頃には、もう夜の9時を過ぎていたので、ここで解散することにしました。Kさんは東京メトロの浅草駅改札まで僕を見送ってくださり、また会うことを約束して握手で別れました。
後日、「言ってくれればハグもしたのに」と言われ、悔しい思いをしたのはナイショの話です。
それにしても、他のウキュラーさんに「それはデートだ!」と指摘されるまで、まるで今回の一件がデートだと思わなかった僕は、相当な鈍感なのでしょうか。(たちつ亭と~助)
(寸評)何故夜9時に解散する!そこからが最大のお楽しみムフフフタイムじゃないかっ!
ハグがOKということは、裸でハグもOKという意味。
田舎の人は馬鹿だなぁ。ケラケラケラ。6ポイント。
初めての試験監督バイト
帰国してから、塾に加え、会場整理や祭り会場の設営などの日雇いを主にやっていますが、ちょうど都電なんじゃの日、中学生の受験模擬試験会場の監督バイトをやっていました。
1日で相当の額が得られると知り、応募の電話をかけると、返す刀で書類が送られてきて、「朝7時に来て下さい」とのお達しが。
…当然ながら、朝5時起床。こんなの、中学の時に部活で早起きしてた時以来ですな。
というか、留学中は深夜番組やチャットバー漬けだったので、遅くて夜4時ぐらいまで起きてた時もありましたし。
前日には別のバイトも入れてたので、果たして、起きられるか…。
不安に思っていましたが、無事起きられて、スーツ姿で会場へ向かいました。到着してみると、自分と同じく、若い世代から、中年層の方まで、大勢の監督者たちが集まっていました。
まず、配置教室を告げられ、受験票の準備をしてから、会場にやってくる生徒達の誘導に回されました。一通りみんな集まってから、教室にテストの冊子を持って、いざ1日が始まりました。
ドアを開けて入り、「おはようございます!」と挨拶。然るに、少し暗めの反応。
教室には、中2の生徒達が40人ほど。制服の種類もまちまちで、生徒同士も知らない相手が多かったようです。
軽く説明をして、5教科の試験時間を淡々とこなしました。でも、不器用ゆえに紙の枚数を数えるのに時間がかかってしまい、生徒達の「早く休み時間にしてくれよ!」というオーラも伝わってきましたな。
途中、説明中に噛んでしまうこともあったり、黒板に書いた試験時間が違うと生徒に指摘され、慌てて書き直したりも。
特に大きなトラブルもなく、試験時間は終わりました。しかし、終わってからが大変。今度は会場の出口で、帰る生徒達の誘導をしに出て、おおわらわ。
やっと昼食の時間になって、休憩です。しかしその後には会場の片付け。解散になったのは午後2時半。
翌日は立ったままだったため、膝が筋肉痛になりました。
またやろうか、少し悩ましい仕事でした。(Hi-)
(寸評)まぁ、いろんなバイトをやって世の中を見るのは損じゃないよ。一日なら社会見学と割り切っていろんなことをやってみるのもいいかもね。5ポイント。
初めての札束付き両替
昨今の円高のため、将来のため、外貨に両替するには今がチャンスだと考え、箪笥預金の一部をウォンに両替しました。
そしたら、さすがはマスコミで報道されているだけのことはありました。ちょうど出発した去年の今頃は、部屋代だけで2ヶ月分、15万円は両替に必要だったのですが、その頃とは全く今の状況は違いました。
10万円を出したら、なんとその時の部屋代に加え、2,3週間の生活費になる程の金額が付いてきました。詳しい金額は言えませんが…。
そして、1万ウォン札が100枚を超えてしまったので、その100枚は帯封付きで出てきました。
この帯封を見ると、億万長者気分満点になりますが、1万ウォンが日本円で1千円ぐらいなので、実際にはすぐに使い果たしてしまうだろうな…。
同時に、この情勢で苦労なさってる方々には申し訳ありませんが、何で自分が滞在している間に金融危機が起こってくれなかったのか、少し歯がゆい気分にもなりました。
それも運のつきで、いつ両替をするかによって、得られる金額も変わるんだな、と、実感しました。ちなみにその後のニュースを見たら、また両替率が上がり、少し後にやってれば、もっとたくさん得られてたかもしれないという、別の悔しさも感じました。
現在、その札束は机の奥深くに眠ったまま、使われる時を待っています。なんじゃで全て消えてしまうかもしれませんが…。(Hi-)
(寸評)今、ウオンはちょっと前の半額くらいになってるらしいね。凄いね。
ウオンが安いうちに早く韓国なんじゃをやってくれ!向こうで「秋の風」を熱唱させてくれいっ!5ポイント。
初めての「腰を動かす方の」オナホール
秋葉原に大人のコンビニMsというビル全部がアダルトグッズのお店があります。(タモリ倶楽部でも紹介されました)
去年の12月に目新しいものがないかと色々物色しておりました。
オナホールというのは結構当たりと外れがありまして、「これってシリコン製じゃなくてプラスチック製じゃないのか」と環状七号線で叫びたくなることがままあります。
そこで新商品の「その性感射精以上ポリネシアン」というのが出ていたので「これでいいか」と買ってみました。3500円です。
アパートに帰ってから開けてみると、これが結構重い。普通に手で持ってやるにはきつ過ぎる。ケースには抱き枕などに装着するように書かれていたので、大き目の枕カバーに中学生の時に使っていた布団の木綿を入れて安全ピンで止め、「こんな感じでいいのか」と使用。
これがなかなかいい具合なのです。
キュポキュポキュポ。
ただ二穴式のかーなーりゆるいタイプなので若干問題が・・・。
しかも形あるものは、いつかは壊れる。
3月には上方向(クリトリス)へ裂けてきて修復不能に。でもアナルホールは使える。4月に同じものを買ってきたものの、今度はアナル方面へ裂けて使用不能に。
今は手で持てるサイズのものに戻しました。
でも皆オナホールの使い過ぎは遅漏や射精不全の原因になるので、気をつけような。(ももか777)
(寸評) はーい、気をつけマース。しかしどこがポリネシアンなのだろうか・・・。
今後も新製品試したら詳細報告待ってま~す。
みんなも興味津々だろうからね。8ポイント。
初めてのシステム復元
去年からパソコンの調子が悪く、すぐにフリーズして動かなくなることが多くなりました。
だから今年の5月によく分からずにF11のシステムの復元をやったところ、すべてのデータが吹っ飛びました。
石川さんからもらったメールも消えちゃったよ。
Gatewayに電話して、次にJ:COMに電話して、とりあえずメールの送受信ができるようにしました。
でも消えたメールはもう元には戻らない。覆水盆に帰らずともいう。
このことで石川さんに謝っておきたかったのです。
けど再発見したこともありました。
ずっとわからなかったToHeart2XRATEDの未回収のCGがようやく判明したのです。タマ姉の下着の色違いでした。PS2版では攻略に関係なかったので気付きませんでした。
あとフルアニというエロゲー麻雀の「ウルル・フルル」という女の子のHシーンが出てきました。「コルネ」に負け続けた後に出てくることが判明しました。(こちらはゲーム雑誌に攻略記事が載っていません。)
しかし、またなんとなくパソコンの調子が悪くなっているような・・・。
石川さん麻雀教えて~。またメールちょうだい~。(ももか777)
(寸評)後半の専門用語のとこはイマイチ分からなかったが、とにかく凄い発見をしたんだね。良かったじゃん。5ポイント。
はじめての胃カメラ
先月、おなかがやけに、きりきり痛むので病院の消化器科へ行ったところ、3週
間後に胃カメラ撮影をすることになりました。
胃カメラ撮影の前に喉の麻酔をするために麻酔剤を飲むところを、私は麻酔剤を
飲まずに喉の辺りで止めていました。10分後、寝台に寝かされて、胃カメラが
喉の辺りまで入れられたとき、あまりの苦しさと痛さで、
「おオオオオ~うえエエエエエエエエエエ」
と、胃カメラを吐き出しそうになってしまいました。担当の先生が、「喉の麻酔
が足りないようだ」と、喉に麻酔剤をさらに入れられ、再度胃カメラが入れられ
ました。麻酔が効いているとはいえ、苦しいのは変わりなく、「おえええ~、ぐ
ええええ~」と、のたうち回りそうなところを「落ち着いてくださいね。楽にし
て。」と助手の方に背中をさすってもらいました。胃カメラが喉を通過した後
は、不思議な事にさほど苦しくはありませんでした。そばにあるモニターに自分
の胃腸の中が鮮明に写っていましたが、「私の胃腸はなんて健康的なピンク色を
しているんだろう」と感動してしまったほどでした。
胃カメラ撮影の後の診察で、胃に小さなポリープが見つかったのと胃の出口付近
が胃炎でただれていたことを指摘され、胃薬を出してもらいました。
しばらくは麻酔で口が麻痺状態になり、つばが飲み込めず、よだれダラダラ状態
寸前でした。知らないおばちゃんから話しかけられてもしゃべる事ができず
「ぶぉむぅえんぬぁすぁぅうぃ(本人は「ごめんなさい」と言っているつも
り)」と言うのが精一杯でした。(ちちぼう)
(寸評)というか、何故薬を喉の途中で止めたのかが全く謎だ・・・。6ポイント。〔石川浩司〕<br><br>
初めての「若いって・・・」
それは、10年以上前の仕事帰りのことです。
電車通勤していた私は、後輩と一緒に電車に乗りました。
一駅目に停車しようと電車のスピードが落ちた時、
後輩の話がつまらなかったので線路沿いの公園に視線を移しました。
すると、公園のベンチに座っている高校生の女の子の背中が視界に入ってきました。
しかし足を広げて座り、上下に揺れているのです。
その原因はすぐにわかりました。
なんと男の子の上に、向かい合うように乗っていたのです。
ねぇ見て!とも言えず、私は唖然とし、その光景を見送りました。
夕方、まだ明るい時間に、屋根も壁も木陰もない丸見えの線路沿いのベンチで・・・!
ネコでもなかなか人前では・・・ねぇ。
若いって・・・こういうことなのかしら、と、後輩の話もそっちのけで考えてしまいました。(秘密の座席)
(寸評)若い、というか露出趣味だったのかもね。
でも俺も高円寺で遅くない夜に道の隅っこで立ったままやっているカップルを見たことがある。すんごい欲情してたんだろうなぁ・・・。7ポイント。〔石川浩司〕<br><br>
はじめての銭湯
先日の「夜の教室」イベントの直前。某ウキュラーさんに誘われて、銭湯へ行くことになりました。
実は恥ずかしながら、この時まで銭湯なる場所に行ったことがないのです。地元の銭湯は既に廃業し、大学先にある銭湯はやたらめたら遠い場所にあり、行く機会すら今まで無かったのです。
なので、銭湯に行くことが決まった時、変にワクワクしました。たどり着いた時の高揚感も妙にあり、下駄箱に付いてる札にすらテンションがあがったものです。
番台にて某ウキュラーさんが料金を支払っている時。周りをキョロキョロしていると、1人の男性の姿が目に入りました。ひときわ目立つ坊主頭とその体型。
あれ、あの方はもしかして……。
なんとなんと、夜の教室出演前の大スターだったのです。同じ町にいることは確かでしたが、まさかこんな裸の付き合いの場でお会いするとは…。そこそこの挨拶はしたものの、既にあがったところらしく、本格的な裸の付き合いまで行うことは出来ませんでした。
その後、体を一通り洗った後、泡風呂をウハ~うは~と唸りながら堪能しました。しばらく手足を広げられる風呂には入ってなかったので、存分に手足を伸ばして入浴しました。
で、初めて銭湯に行ってみた感想ですが、やはり施設がそういう施設だからか、暖簾をくぐってすぐそこが、温泉の大浴場入り口、といった感じでした。また、前述の下駄箱の札鍵(というのかな?)がどういう仕組みで鍵をかけたり開けたりするのかも不思議でした。世の中、まだまだ分からないことだらけです。(たちつ亭と~助)
(寸評)おぉ、もう少しでヌードをサービスするとこだったよ。
俺が初めて銭湯に行ったときはひとりだったので、下駄箱のところで間違えて服を脱ぎ始めてしまったよ。わははは。6ポイント。
初めての電車で「痛い!」
終電も間近になり、電車に飛び乗ったときのことです。
ギリギリで電車にのれ、母に帰宅する時間をメールで伝えようとした瞬間、
「ごつん!」と頭に激痛!
何かと思ったら、ドア付近でドアの方を向いて立っていた男性が、私にヘッドバットしてきたのです!!
まさか電車でヘッドバットされるとは思っていなかった私は、始め、何が起こったのかわからず、そして何故ヘッドバットされたのかもわかりませんでした……
その男性を見てみると、ドアの窓に向かって何かぶつぶつ言っているのがわかりました。何を言っているのが耳を傾けてみると、
「(電車に)乗せたってんのに、携帯ひらくなや………!ブツブツ……」
どうやらこの男性は私が駆け込み乗車をしたのに、平然と携帯電話を使っていたのが許せなかったようなのです。窓に映った私に説教をしていました。
確かに駆け込み乗車をした私は悪かったと思うのですが、注意したいなら、ヘッドバットでなくて、言葉で言ってほしかった…… (はちこ)
(寸評)そんな時は、
「(電車に)乗せたってんのに、ヘッドバットするなや………!ブツブツ……」
と言うのがいい・・・じゃないな。ひでーめにあったね。6ポイント。
初めての電車でチラリズム?目撃
若い女性が電車に乗ってきました。
なんとその女性の胸元のボタンが外れ、ブラが見えている!!!
一番上のボタンがとまっている状態なので、ちょうど胸のあたりだけが露出している状態。
私が彼女になんて伝えれば、どうやって伝えればいいか、考えている間に、彼女は自分の状態に気付き、あわててボタンを止めました。
…………ブラの色は、ベージュでした………(はちこ)
(寸評)新しいファッションとして定着させよう。そうしよう、そうしよう。5ポイント。
初めての電車で注意された
私は座席のまえのつり革をもって立っていました。
すると私の前に座っている年配の女性に手招きされました。
?なんだろう……なにかものでも落としたのかな……
と思って、その女性の口元に耳を近付けてみると……
「ズボンのチャック、開いてるよ……!」
恥ずかしかったです><
がご注意ありがとうございます。
(そうか!私もブラチラ女性にこうやって伝えればよかったんだな!) (はちこ)
(寸評)「ズボンのチャック開いてて、その上、毛まではみ出てるよ」
じゃなくて、良かったね。5ポイント。
初めてのサプリメント
ちょっと汚い話で恐縮です。
なんとなく胡散臭い気がしてサプリメントというものは生まれてから一度も飲んだことがなかったのですが、最近いくつかの理由が重なってサプリメントでも飲んでみようかなと思い至りました。
理由のひとつに生理痛がひどいと言うこともあり鉄分補給のサプリメントを購入。鉄分のほかにもカルシウムやらビタミンやら一錠に色々入っているお得な錠剤のようでした。よく読むと過剰摂取すると死ぬかもしれませんとか裏に書いてあるし(外国製品)購入した時点でもやはり胡散臭い感とちょっと怖い気分が抜けなかったけどとりあえず決められた容量を飲むこと約2週間?
効きました!
いつもは生理前になると痛みで寝ているときにとび起きたり脂汗が出てきたりともう散々なのですが今回はまったく何の前触れもなく、気づいたら流血!
痛みが比較的軽い時もありますが来る前に気づかないというのは初めての体験です。すべてがサプリメントのお陰かは分かりませんが、物は試しだなあとつくづく思いました。
以上、なんだか普通にサプリメントの体験談でした。(球)
(寸評)サプリメントも薬だもんねー。でも効くということは逆にマイナス部分も体のどこかに出来るかもしれないんだけどね。
用法を間違わなければサプリメントもいいものなのかもね。5ポイント。
初めての副乳発見!!!
副乳って皆さんご存知なのでしょうか。ウィキぺディアによると
乳腺堤(脇の下、通常の乳頭、股を通るライン)にある乳房。女性の5%、男性の2%が副乳を持つといわれている。
そもそも一般的に人間の乳房の数は1対(左右に1つずつ)とされているが、複数対の乳房を有する哺乳類もおり、更には個体によってその対数が異なるケースも存在する。元来ほ乳類では乳房は前足の腋の下から後ろ足の間、恥骨に続く弓状の線上に形成される位置があり、この線上のどの対が発達するかは動物の種によって決まっている。しかし、それ以外の部分も乳房に発達する要素は持っているのであるから、決してそれほど異常な現象ではない。
らしいです。要するに三つ目以降の乳首または乳房です。
先日家の洗面所でキャミ一枚でなんとなーく鏡を見ていたら、脇の横辺りになんだかピンクの点が!!
よーく見ると少しだけ盛り上がっています。指で盛り上がりを確認しているうちに周りまで赤くなってきて、そもそもキャミからはみ出した肉がたまっているところなのでさながら三つ目の乳房の様。
副乳というものの存在は知っていましたがまさか自分にあるなんて私の人生四捨五入して30年間まったく気づきませんでした。
結構ショック。吹き出物か何かかとも期待しましたがなんだかそうでもない気がしています。普段は別にピンクじゃないし、とっても小さいので見なかったことにしようか迷っています。(副乳)
(寸評)や、やっぱりその乳首も感じるのかね!?
性感帯が増えて良かったね!
最高に副乳がある人っていくつぐらいあるんだろう。世界は広いから全身に散らばっている人もいるのだろうな。全身性感帯。うらやましいような、大変なような・・・。6ポイント。
初めての垢すり
今年の春、初めて海外旅行をした。場所は韓国。現地のガイドのキムさんの案内で、初日の夜に本場韓国の垢すりを体験することになった。
垢すり、というよりもエステのような感じの場所だ。いろんなコースがあったが、金額的にも内容的にも真ん中くらいのコースに決めた。
まず脱衣所に連れていかれ、全て脱ぎ、ガウンのようなものを着た。化粧もそこで落とすように言われた。
最初は顔剃り。変な台に横になり、糸のようなもので顔の表面を剃られた。微妙に眉毛まで剃られた。韓国のおばちゃん、ちょっと凶暴。でも凶暴なのはこれから。
次は蓬蒸しだ。トイレよりも小さく、お風呂のイスよりは大きい穴の空いた椅子に座らされた。乗せるお尻はガウンごしではなく、ナマだ。その穴から蓬の湯気が出ているのだ。友人たちは普通にしているのだが、私は暑くて耐えられない。明らかに50℃はありそうな湯気がお尻とその前の穴に直撃している。店の人に湯気を弱めてもらい、なんとか終了。絶対私のだけ湯気が強かったぞ。
次は岩盤浴のようなところ。これはまぁ普通にクリア。
今度はサウナ。いろんな種類のサウナに順番に入る。この熱さが半端じゃない。ずっと入っていることは不可能で、私も友人も出たり入ったりしていた。するとスタッフのおばちゃんが、入ってなきゃ駄目だ、というようなことを言っている。怖いよ~。ふと気がつくともっと怖いのはこのスタッフたちのコスチュームだ。スタッフは皆怖そうな韓国人のおばちゃん。身につけているものはブラジャーとパンツのみ。しかも黒で、しかも上下ともにすけすけなのだ。乳首やら毛やらみんなすけすけ。かなり過激な格好だ。また、おばちゃんたち、迫力がある。強烈だ。
さて、いよいよ垢すりだ!垢を出すために、これまで汗をたくさんかかされてきたのだ。垢すりルームに入った。ガウンはおばちゃんたちによって脱がされた。すっぽんっぽんで台に寝かされた。そしておばちゃんは力いっぱい私の身体のありとあらゆるところを擦りだした。なんだかかなり恥ずかしいが、ちらっと隣の台に寝かされている友人を見て、皆一緒なんだ、と思い、されるがままにしていた。ひっくり返されたり足を引っ張られたり、おばちゃんはやっぱり乱暴。いつの間にか髪までおばちゃんに洗われている。おばちゃんは大量の垢を見て嬉しそうに声をあげている。顔には知らないうちにきゅうりが乗せられた。
垢は流され、最後にお風呂に入る。黄土のお湯や蓬のお湯など、いろいろなお湯に入り、やがて終了時間。
なんとなく自分が綺麗になったような気がした。だけどそんなことよりもおばちゃんの強烈ぶりが印象に残っている。
初めての韓国で迎えた、初めての垢すりの夜だった…。まさかすけすけコスチュームのおばちゃんに素っ裸にされるとは思わなかった。ちなみに男性用の別の入口があった。そっちではどんな世界が繰り広げられていたのだろうか…? (可南)
(寸評)韓国って普通の銭湯にも垢擦りおばちゃんがいるのでびっくりしたことがある。俺は受けなかったけど妻が受けて、垢擦りおばちゃんの風貌はほぼここに書いてある通りだったらしい。男性用にも垢擦り場所はあったけど、個室とかじゃないので変なサービスはないのだろうけれど、韓国ってなんか大阪に全体的に似ている気がしておばちゃんも「ガハハハッ!」という感じで下着一丁、これ上等といった感じか。
でも本当は垢はあまり落とし過ぎるのは体には良くないんだよね・・・。6ポイント。
初めての一人暮しDE高熱
去年の今頃、一人暮らしで風邪をひきました。
「あぁ、こりゃ風邪だわ」と思ったのが夜。体温、39度。とりあえず、市販の薬を飲んで寝ようとしましたが、体温が熱くて、眠れない。
でも翌朝、病院にいって薬もらったら、よくなる……一日の我慢……と思って、布団のなかでじっとしていました。
一人暮らしで大変なのはごはんですよね。私の友人達は私の家から離れているところに住んでいるので、買い出しを頼むのは申し訳なく、病院行ったついでに買うことにしました。
翌朝、とりあえず、薬確保。秋晴れのあったかい日でしたが、この時ほど太陽を恨んだ日はありませんでした。39度の身には直射日光熱いんじゃ!!!って感じです。
そして治すためには水分とビタミンcと薬から胃を守る程度の食料が必要……と思い、ペットボトル数本とゼリー系の食物を購入しました。重いです。でも自分ひとりでなんとかもっていかないかん。自転車で行けばよかった……
でも薬を手にいれたのです。これで治る一方だ……と思っていました。
ところが3日間薬を服用し続けたにも関わらず、ずっと体温変わらず。39度のまま。しかもゼリー状の食物では胃をカバーできなかったらしく、薬を飲むたびに胃がキリキリ痛い。あとゼリー状の食物は病人には向きません。形状、風味が、嘔吐を彷彿させる。
そんなこんなで3日間、薬を飲んでもちっともよくならないので、一人暮らししてから初めて、実家が恋しくなりました。両親の看護がどんなに手厚かったか!!
そうして風邪をひいた日から4日目、体温は40度。
これは、もう一度病院に行かな!と思い、病院へ……と病院にいったら、物凄く混んでる!!
おひとりさまの私が、熱を計っているとその時の体温41度…
本当はどこかに寝かせてほしかったのですが、「いいや、みんなしんどいねん。うちもしんどいけど、順番は守らないかん」と思い、病院の片隅でじぃっと待っていました……
としばらくすると看護師さんが私に気付いてくれ、ベッドと氷枕を用意してくれました。その時の氷枕の気持ち良かったこと!!
風邪における氷枕の重要性を知りました……
4日目にして本当に効く薬を手に入れ、風邪をひいてから1週間後、完治しました!
幸いにも私の人生のなかで、インフルエンザでもないのに39度以上の熱が連日続いたことはなかったので、この風邪を「熱の7日間」と名づけました。
私は学生だから、よかったものの、おとなはこういう状況でも仕事をせにゃならんという話をきくのですから、おとなは本当に大変ですね…
という私ももうすぐおとなです。
体調管理をしっかりしたいと思います。(はちこ)
(寸評)俺もたまで北海道にツアーに行った時、ずっと39度くらいの熱が下がらなかったがライブを休むわけにはいかない。
でもお客さんに辛い顔を見せるのは嫌だったので演奏中は平静を装って、いや、ばれないようにいつも以上にテンションをあげて叫び、おどけていた(ひきつっていて逆にもんのすごく怖かったかもしれないが)。
しかしちょっと水を飲むふりしながらステージに背中を見せた途端、顔面蒼白、冷や汗ダラダラだったなー。
そういえば今年のチェンマイ旅行も前日までインフルエンザで40度の熱があったけど、航空券代がもったいないので息も絶え絶えに旅立ったんだっけ。6ポイント。
初めての大切な日NI高熱
高熱、というよりはこのときはインフルエンザでした。
この大切な日というのは高校受験の日です。といっても滑り止めの高校でしたが。この高校は2日間試験をするのですが、1日目の試験後、バスに乗っていると急にのどが痛くなり、(風邪はのどから派)変だな、と思ったら、インフルエンザ。
もちろん、予防注射しました。それが効かなかったのです。せっかく予防注射したのに、何でやねーん!と思う暇も無く、明日も入試です。
とりあえず、その日はなにもせず、翌日は一人でその高校の保健室で受けました。
受験中のことはとにかく必死で良く覚えていないです…
幸いにも、一応予防注射の効果があったらしく、そこまでひどい熱にはなりませんでした。(38度ぐらい)もう何とかして、問題を解くしかありませんでした。
結果は合格。
本命の高校に合格したので、結局インフルエンザで受験した高校には行きませんでした。
入試1日目に病院にいってカルテを見たとき、昨年の同じ日に私はインフルエンザでその病院を訪れていました…
3年目はありませんでしたが、その日は忘れもしない2月2日です。(はちこ)
(寸評)熱であつくてフーフー、と覚えればいいねっ!
・・・別に覚えなくていいか。5ポイント。
初めてのATMにて…
先日、某銀行で、バイトの給料を引き出そうと、ATMコーナーに並んでいました。
空いた機械の前に行き、いざキャッシュカードで引き出し。
と、目の前の機械がピーピー鳴っています。よく見ると、札が出てくる所に千円札が残ったままで、機械のアナウンスが「紙幣をお取り下さい」と言い続けていたのです。
前の人が忘れたのか…。数えてみると、全部で4000円。
一瞬、自分の心の中に天使と悪魔の囁きがこだましました。
天使「人様のものに手をつけるな!正々堂々と行員の人に渡せ!」
悪魔「黙っときゃ誰もわからないぜ。どうせ金欠なんだ。こっそり持ってっちまいな!」
銀行の入り口を見ましたが、さっきまでここにいた前の客は、もう既に出て行った後らしかったです。
天使と悪魔の囁きに悩まされた末、何か怪しい匂いもするので、天使の声に従い、正々堂々と行員のおばさんに渡しました。
しかし、とある権利のことについては何も言われず。遺失物扱いになったら、1割はもらえるとのことだから、若干心残りでした。(Hi-)
(寸評)あぁ、銀行はカメラ撮られているからその行動は良かったと思うよ。
道ばたで拾ったら剥き出しの金なら届ける馬鹿はいないじゃろーて。
でも八王子で財布を拾った時は知久君やGさんがいたのでちゃんと交番に届けたなー。そして「お礼拒否」をして交番を出てきた。あのふたりがいなければ数千円ポッケに入れられたのに。むむっ。5ポイント。
初めてのできレース求人応募
一つ前の契約が期限切れとなり、でもそのまま似た様なところで似た様な仕事をしてた私。働き始めて数ヶ月経って、規則上今の私のポジションを公にアナウンスしなければいけないという事で求人の張り紙やらネットでの公募やらが始まりました。
曲がりなりにも理系の研究職なので一応倍率は低くないはずの仕事なんです。
で、上司から「応募してね」と一言。
といっても実際もうお給料もそこからもらっているし、応募しながら大してドキドキもしなかったのですが、世の中こうやって回って行くのかと少し複雑な気分かつ大人の階段を一歩のぼった気がしました。
こういうのって自分が蚊帳の外でも中でもあんまりいい気分がしないなとつくづく感じた一件です。 (Sabina)
(寸評)でも万一それで「今回は残念ながら・・・」なんて通知が来たらショックだよね。「あたしを切る為にやったんかいっ!」と。
世の中、もっと大胆な出来レースいっぱいあるんだろーなー。イッツ・大人の世界。6ポイント。
初対面の健さんと富士そばへ
2008年11月2日、私に革命が起こった。このホームページで素敵な笑顔を世界中に発信する健さんと初対面を果たしたのだ。
こ、これが健さん・・・・。笑顔だ・・・。素敵な笑顔だ・・・。
ライブハウスで健さんの存在を確認した私は勇気を出して笑顔の健さんに挨拶をした。そこまでは普通だ。しかし、私はライブの打ち上げ終了後、なぜか健さん含む地下生活者の面々と一緒に帰る羽目になってしまった。それはまあいい。高円寺の駅に降り立つ、大谷先生、とっちゃん、カブラギさん、青木さん、健さん、私。一体なんなんだ、このメンツは。何をしようと言うのだ。いつから私の人生はこんなおかしなことになってしまったのだ。
百歩譲ってそれもまあいい。許す。飲みに行かないかと誘われたのだが、大谷先生の目がショボショボだったこともあり、私も明日は早くに札幌に帰省することもあり、大谷先生はソーセージは食べられるがベーコンが食べられないこともわかったので、十分満足だ。
しかーし!!私は腹が減っていた。高円寺駅周辺には飲み屋かマクドナルドか富士そばしかなかったのだが、マックよりかは蕎麦だろうと連日富士そば通いであったが、今日も同じく選ぶ余地がないので(今日も富士そばにしよう)と思った。地下生活者の面々も「まあ帰るか」みたいな空気になり、とっちゃんはショボショボの大谷先生を気遣い「先生、ご飯どうする?それよりお風呂?」と愛の言葉を投げかけていた。三々五々散る地下の面々。楽しい時間をありがとう、地下の人たち・・・
するとやおら健さんがこう言った。「おれ、富士そばいくわ~」なにーー!?私も富士そばに行きたいというのに!?
私は初対面の人や慣れてない人やスターと二人っきりになると極度に緊張する気質なので、一瞬とても困った。スターならまだいい。が、健さんだ。笑顔が素敵だという以外の情報があまりなく、ホルモン鉄道のCDのミックスをした人で、大谷先生の作ったコピー誌に健さんの上半身裸のセクシー写真が掲載されていたこと。それと強いて言えば、先ほどのライブハウスでの打ち上げで、くだらない下ネタ話になった時に激しいエアーフェラチオをしていたぐらいだ。
ホルモン鉄道のCDのミックス担当?笑顔が素敵?上半身裸のセクシー写真?激しいフェラチオ?わからない!健さんがどういう人物なのか、これではまったくわからない!
どうしようか本当に迷った。ただ、スターや大谷先生にはいくらでも会えるが、健さんに会うことはもしかしたら今後あまりないかもしれない・・・。すると突如神から啓示を受けた。
「健さんは石川浩司と20年来の友人だ。きっと面白い話が聞けるであろう!このチャンスを逃してはならない!行け、行くのだ!」
そこで、私は勇気を振り絞って「私も富士そば行きます!」と言い健さんの後をつけた。すると帰り際の大谷先生ととっちゃんが足を止めて振り返り二人してこう言うのである。
(まじな感じで)「ほんとに気をつけて!健さん危ないから!何かあったら逃げて!」
・・・・なんなんだこれは。WHAT’s健さん?逃げて?ますます混乱しながらも、富士そばに入った。カウンターに並ぶ健さんの横に行き「け、健さん。私も富士そばです。」緊張のあまり変なことを言ってしまった。富士そばなのにラーメンとカレーライスという複雑な注文をする健さん・・・。後から来てきつねそばを頼んだ私より出来上がるのが遅かった。とりあえず並んで座れるように席を確保する私。さあ、健さんは隣に来るのか・・。健さんにしてみれば私こそ「この人は誰なのか」といったところだし、富士そばまで尾行されたわけである。一緒に入ったわけでもないし、一緒に食べましょうとも誘っていない。はたして来るのか・・きたーーーー!!!
健さんは私の隣に座ると、開口一番「で、どういうきっかけで?」
来た。当然そうだ。なぜこの人は地下生活者を見にくるに至ったか、なぜだんな(石川浩司の友達間での愛称)のDVDまで作ってしまったのか?なぜだんなをそこまで・・?健さんにしてみても、私の存在こそ大きな謎だったのかもしれない。そこで私がたまに出会い、今に至るまでを簡単にさらっと説明。理解を示した健さん。しかし、そんなことはすぐにどうでもよくなった。これは言っておくが私から聞き出したわけではない。健さんが勝手にペラペラしゃべったのだ。
「だんなは臆病だから。臆病、臆病。ひどいよ、あれは」
「昔、紅白歌合戦とかいろいろテレビに出たけど、臆病臆病。ははは。」
「今日、(地下生活者の面々を)見たでしょ?もてるわけないじゃん。ははは。」
そして最大の謎であるスターの秘密が、スター、大谷先生、健さん、全員言ってることが違うということが判明。「どええええ!?」驚愕の新事実を突き付けられた私は即座に芸能レポーターに変身。きつねそばなど食べてはいるが無味となり、隣に座る健さんに45°の角度で姿勢を変え、「ええ!ええ!それで!?まじですか!まじですか!ちょっと待ってください。大谷先生と石川浩司、二人ともまったく違うことを言うんですけど、どういうことですか!ええ・・え!?これが本当?・・わー、どうしよう(なにがどうしようだ)ええと・・」「だんなに聞いてみれば?」「そんなこと聞いたらスター、泣いちゃうじゃないですか!」「健さんが言ってたけど、そこんとこどうなんですか?って聞けばいいじゃん」「いや・・えー?そうですか?大丈夫ですかね・・(混乱)」「大丈夫大丈夫!健さんが言ってたよーって。ははは。」
はあはあ・・・疲れた。バカだ。どうでもいい。スターの初体験の年齢なんて・・・。
別れ際、健さんはまたしても激しいエアーフェラチオをしてみせた。高円寺の駅前で。私は身の危険を感じたので、大谷先生ととっちゃんの言うことを聞いて、逃げた。もういい。疲れた。(さっちゃん)
(寸評)健さんは今でもさっちゃんがいなくなったことに気づかず、ずっと高円寺駅前で激しいエアーフェラチオしているよ。満面の笑顔でね。
それはともかく、俺の初体験は16歳の時に京都の舞妓はんに奪われました。
「ボン、ちょっとこっちお越しやす」と言われて脱がされて・・・。
それが厳然たる事実です。信じなさい。8ポイント。
はじめてのクレーマー(と頑固者)
たまに定食屋さんでバイトをしています。
今日、私が店に行くと、もう食べ終わったお客さんがいました。夫婦らしき30代くらいの男女。
男は「お会計」と低くつぶやき、お金を無造作にテーブルの上へ。私は「感じ悪いなあ」と思いながら、同じくらいのテンションの低さで「どうぞ」と、お釣りを手渡しました。
その瞬間、男が「あんたらさあ!感じ悪すぎだよ!」と怒鳴り出しました。
やべー思ってること顔に出た…。
まあでもこちらが悪いので「すみません」と謝りました。
しかし男はどうやら私が来る前の店長(じいちゃん)の態度が気に入らなかったらしい。
「おめー、いらっしゃいませとかどうぞとか言えねーのか!」
じいちゃん店長も、すみませんって言えばいいのに「え、どうぞっていいましたよ」とか言うもんだから男はますますカーっとなったみたいで、罵倒は止まりません。
「おめー、さっき水どこに置いたよ、え?俺がここにいるのにあっちの方に置いたじゃねーかよ!」
「俺はこの店に10年通ってる客なんだよ!」
「中国人のねえちゃんなんでやめたんだよ!」
「いいよ!じゃあ警察よべよ!」
と、だんだんわけがわからなくなっていきました。
中国人のねえちゃんのことは私にはわかりません。
妻らしき女の方までも「じゃあさ私も言わせてもらうけど、あなたは『どうぞ』って言ったかもしれないけど私には聞こえなかったってことは、それは言ってないってことなのよ」などと言い出す始末。いや、ごもっともです。おっしゃるとおりです。
じいちゃん店長は確かに愛想のいい人ではなく声も小さい。そしてどうやらとても頑固みたいです。
じいちゃん店長「言ったもんを言ってないっていわれても言ったんだから」と言って譲らない。
私はその間2度ほど、棒読みだったかもしれませんが「もうしわけありませんでした」と言い、頭の中真っ白で、ぼーっと立っていました。
じいちゃん店長は最後まで謝らなかったので、男は全然腹の虫がおさまらないまま「てめーがオーナーなら大丈夫!潰れるよ!」と吐き捨てて出ていきました。
目の前でこちらにむかって罵倒され続けるダメージはこんなに大きいのだなあと、かなりへこみました…
その後もじいちゃん店長、やっぱり無愛想で声小さかったです。でも小さい声で確かに「どうぞ」って言ってました。(うみうし)
(寸評)本当の喧嘩とか関係者が起こすと、俺、泣きたくなっちゃうんだよなー。
俺は鍵は中国人のねえちゃんにあると見た。
店長に「本当に何故やめたんですか?」と小さな声で聞いてみてください。7ポイント。
はじめての至近距離嘔吐&転倒
※お食事しながらは読まないでください。
学生の頃、学校の帰りに小田急線に乗っていた時のこと。夕方のまだ帰宅ラッシュになる前、新宿行きの急行列車。車内は座席がすべて埋まって、立っている人がちらほらといった感じ。私は電車のドアの脇に立って乗っていました。気づくと何処から乗ってきたかは定かでないですが中年のオジサンがひとり、両開きのドアの私が立っているのとは反対の方に立っていました(この表現で通じるでしょうか)。背は割と小柄で、上下に青い作業着のようなものを着てたと記憶しています。ただ顔はだいぶ赤ら顔で、お酒を飲んでだいぶ酔っている様子。かなりふらついていて、下を向いたまま手すりに掴まって、かろうじて立っている状態でした。
電車は成城学園前を出発し、いくつか駅を通過した頃。そんなオジサンを横目で見つつ私は「昼間っから泥酔して、大丈夫なのかねぇ」なんて思っていました。周りの人もそんな心境で横目で見ていたと思います。
すると次の瞬間、オロロロローッ!!オジサンがドアに向かって大量の嘔吐!しかもドアから床へ流れた大量のブツの上にオジサンは転倒したのです。手すりにもたれながら完全にブツの上に尻もちをついている状態に。周りにいた人達はギョッとして身を引き、何人かはなにげなく遠くへ立ち去りました。私もかなり驚き少し後ろへ退いたものの、あからさまに避けて移動するのもどうかと思い、その場に立ち止まりました。近くに座っていた親切な人がポケットティッシュを差し出し「大丈夫ですか?」とオジサンに尋ねるとオジサンは「大丈夫大丈夫」といってゆっくり立ち上がりました。私は驚きのあまり親切に声をかけられなかった自分が情けないと思うと同時に、こんなに大量のゲロじゃぁポケットティッシュではどうにもならないとも思っていました。オジサンが立ち上がったので周りの人たちは「とりあえず大丈夫みたいだ」と安堵しつつその後どうしてよいか分からないといった空気に包まれました。
やがて電車は下北沢駅に到着。オジサンは足早に下りて行きました。何人かの他の乗客も、最初から降りるつもりだったのか、臭いからなのか降りて行きました。私は現在一番吐瀉物に近い所に立っていたので車両を変えようかとも思いましたが、次の代々木上原で降りる予定なのでそのまま立っていました。息はなるべくしないようにしていました。そして靴やズボンにはねていないか確認。見たところはねていないようなので安心しました。電車はそのまま出発、次の代々木上原までは2~3分。早く降りたくてたまりません。そしてようやく駅に到着。ドアが開いた瞬間、ホームから乗ってこようとした何人かの人がギョッとして一瞬身を引き、別の乗り口へ移動していました。(作戦失敗)
(寸評)これあるね~。入ってきた電車で他はギュウギュウなのにやけに空いている車両があるのでそっちに向かうと「・・・うひゃあっ!」ってことね。
こんなに吐瀉物が町に常にあるのは、日本だけの光景なんだよね。7ポイント。
初めてのピンポンダッシュ
毎朝新聞を配達しながら、いつかはやってしまうのではないかと恐れていた事態が、ついに起きてしまいました。
門などに備え付けられているポストのすぐ側にピンポンチャイムがついてる家が多いですが、
新聞を入れながらいつも、いつかうっかり手が触れてピンポン押しちゃいそうだな~と思ってました。
そして先日、ついに・・・
とある家のポストに新聞を入れようとしたところ、中に別の新聞や郵便物が入っておりうまく入れられませんでした。
新聞を小さく折り、ポストのフタを片手で押さえて中を見ながら入れよし入ったかな、と安心したその時。
ピンポ~ン ピンポ~ン♪・・・
っえええええーーー!!!
一瞬何が起きたのか(なんの音なのか)わかりませんでしたが、すぐにピンポンチャイムを押してしまったのだと気付きました。。。
あわわわわやばいごめんなさいごめんなさーーーい!!!と言いながら、バイクに乗り一目散に逃げました。
ああぁびっくりした・・・!
でもその家の人はもっとびっくりしたことでしょう。夜中にいきなりピンポン・・・
寝てて気付いてなかったら良いなあなどと都合のいいことを考えてしまいましたが、きっと気付いただろうな・・・
家の人に心の中で謝りつつ、やった、投稿ネタが出来た!と喜んでしまった自分。(ななを★)
(寸評)もちろん気づいて「今後こんな悪戯をする奴は絶対に許さんっ!」と監視カメラが付いていたりして。6ポイント。
初めて○○○状のものをかぶってる人を見た
目のやり場に本当にこまりました。
タイトル「状のもの」と書いているのは、本人に確認していないからです。本当は、そんな形の前衛的な帽子かもしれないので…。しかし、どう見ても○○○としか見えない。まだそれをかぶっている方が女性だったのが救い(?)です。男性だったら、どうなることか。
勘のいい方はもうお気づきでしょう。○○○とはパンツです。女性物の、赤の、Tバックのおぱんつ(と思われるもの)です。彼女はそのおぱんつ(と思われるもの)のお尻にくる部分(と思われる)を前にしてかぶっていました。彼女は平然と友人と話し、その友人も平然と彼女としゃべっています。周りの人も気にしていません。でも、私はその光景を異常だと思ってしまい、とても気にしてしまいます。その光景の日常さが、私をとても混乱させます。
あれは、パンツだったのか、それとも私の見たことのない帽子だったのか、それとも私の幻想だったのか…。否、本当にパンツで実はパンツをかぶることがとても普通なことだったのか…
その時一緒にいた友人にも確認しないままここまで来てしまったので、いまだに謎のままです。でも、私はパンツだと思います。(はちこ)
(寸評)すいません、最初に○○○が出てきた時、チンポだと思いました。チンポ状のものをかぶってる人。いそうでしょ?
もし本当にパンツで、それがファッションとして認められたら凄いねー。
もっともルーズソックスを初めて見た時も、ズボンずり降ろしてパンツ丸見えで歩くのも「そりゃないだろー!」と思ったが「赤信号みんなで渡れば怖くない」で、あっという間に日常の光景になったからなー。ファッションって不思議だね。7ポイント。
初めてのブツ激痛
中学1年生の冬に入るあたりだったでしょうか。僕にとって、衝撃的な事件が発生しました。
この事件というのが…、ちょっと言いづらいんですが…、ええと、つまりは、男性のブツを手術することになったのです。
事の発端はこうです。当時、包茎だった僕はブツを包む皮を剥いて中身を洗う、てなことをやってました。しかしある日、ブツを包む皮を剥きすぎたらしく、元に戻らなくなりました。元に戻らないだけなら良かったのですが、中身は真っ赤に腫れ上がり、さらにはキリキリと痛みだしたのです。
あまりの痛さに両親に訴えるものの、「剥けたならそれでよし!」と最初は取り合ってくれませんでした。が、僕のブツの状態を見て状況は一変、「すぐに医者に行こう」ということになりました。
しかしこの日は土曜日。最寄りの泌尿器科は土日は回診していないとのこと。しょうがないので、2日間待って病院に行くことになりました。
この2日間をどのように過ごしたかは、覚えておりません。しかし、寝る時にパンツに擦れるブツがとてつもなく痛かったことはよく覚えております。
右へ転がっても激痛。左へ転がっても激痛。うつ伏せで寝ても仰向けで寝ても激痛。結局は激痛なのです。そして激痛の要因は、変わり果てたブツにあるのです。
どうして、こんなことに…。何だってこんな目に遭わなきゃいけないんだ…。眠りたいのに眠れないなんて…。そう思うと何だか悔しく、涙が止まらなかったものです。
こうして、三日三晩ならぬ二日二晩、僕は病めるブツと共に眠れない夜を過ごすことになったのでした。(たちつ亭と~助)
(寸評)ぎゃあああああっ、痛いのが伝わって来るううう。ポイントは次にまとめて。
初めての手術
さて、ようやく迎えた月曜日に、母親に付き添われて病院へ行きました。泌尿器科の先生は僕のブツを見るなり、「あ、じゃあ皮を切ろうか」と言ったのでした。この時僕のブツは「嵌頓包茎」という状態になっており、そのままにしておくとブツが壊死しかねないという状態だったそうです。
つまり、包茎手術を行うことになったのです。そして、それが人生で初めての手術だったのです。
その日のうちに手術の準備が行われ、手続きが行われます。用意された手術着に着替え(手術着の下は全裸でした)、用意された車椅子に乗り、手術室へ向かいます。これら全ての準備と用意が、僕のブツのためになされたのです。
手術室に入り、手術台に仰向けになると、ドラマなどで見覚えのある例のライト(?)が目に映ります。
ああいよいよ手術が始まるのだな、と、ドキドキが隠せません。そんなドキドキな僕を見て、担当のお医者さんは、
「大丈夫だよ、すぐ終わるから。何か音楽をかけてあげるよ。そしたら落ち着くでしょ?」
と言って、何かの機械から音楽を流してくれました。この機械が果たしてどういうものだったのかは忘れてしまいましたが、いいお医者さんだったな~ということは覚えております。
手術は部分麻酔で行われるとのこと。従って、ブツの周辺のみ感覚が無くなるのだそうです。
記憶が正しければ、まず行われたのが、筋肉麻酔でした。臀部、すなわちお尻の上部に注射の針を打ち込み、そこの筋肉に注射するものでした。
注射の針が差し込まれる瞬間、思わず、「うっ!」と腰を引きそうになりました。それ程の激痛だったのです。が、そこで腰を引いたりしたらちょっと情けないな~と思い、何とか我慢しました。
後で聞いたところによると、この筋肉注射なるもの、やはり注射の中でも痛い部類に入るらしく、大人でもその痛さに泣いてしまう人がいるとか。
そんなわけで、筋肉注射を我慢しながら受けました。続いて行われたのは、ブツの根本に打たれる麻酔注射です。まだ筋肉麻酔が効いてなかったからなのか、これまたしみじみと痛い代物でした。
いよいよ手術が始まります。僕の顔とブツの間が幕のようなもので遮られ、僕の視界からブツの様子は見えなくなります。どんな風に手術されるのか気になりましたが、あんまり見ない方がいい過程を辿っていったのかもしれません。だからこその幕だったのかもしれません。
手術は順調に進んでいるらしく、ブツを色々弄くり回されているのが、麻酔をかけられていても分かります。ブツを苦しめていた余分な皮がちょん切られているような気も、何となくしました。周囲には穏やかなBGMが流れています。
ああ、早く無事になったブツに会いたいものだ…。早く手術が終わるといいな~…。なんてことを考えているうちに、いつの間にか眠ってしまったのでした。これが麻酔の効き目によるものなのか、不眠によるものなのかは、未だに分かりません。
目が覚めた時には、手術は終了していました。促されるままに車椅子に座り、病室へ誘導されました。ここでしばらく点滴を受けながら休み、その後家に帰されるのだそうです。
手術が終わってからしばらくは、何だかぼんやりとしていました。
妙に体は疲れ切り、物事を考えるのも億劫でした。間もなく家に帰れるという開放感も、ブツが痛くなくて済むという喜びも感じられないでいました。
初めての手術はこのような気怠い余韻を残して、終了しました。(たちつ亭と~助)
(寸評)そうか・・・結構痛いものなのか・・・。そうか・・・。9ポイント。
初めての殺生
今住んでいるアパートは、築年数がかなり経っていて、どう考えても28歳児であるワタシよりも歳のいったアパートなのです。
部屋を仕切るのは全てふすま(風呂トイレの仕切りのみ扉)。
押入れつきで、鴨居もある、そんな物件。
思えば、不動産屋と初めてこの部屋を見に来たとき、その予兆に気付くべきでありました。
ふすまの縁や柱の一部が、不自然に削れていたことを・・・
ある日、ふすまを開けっ放しにしてしまったのか、どこかの隙間から紛れ込んだのか、部屋にネズミ(忌々しいので、以下、N)が侵入したのです!!
殺鼠剤を仕掛けたり、ぺったんこのN捕りを仕掛けたり、強烈なハッカの臭いのする忌避剤を仕掛けたりと、様々手は尽くしましたが・・・
プラスチックケースにしまっていた食品の類は、ケースもろとも食い荒らされ、衣類までかじられ・・・
精神的にもかなり発狂寸前のところまで追い詰められました。
のみならず!
ワタシが普段寝起きをしている部屋にまで、Nが侵入してきたのです!!
そして、どうやら、出て行ってくれればいいものを、部屋にNを閉じ込めてしまったらしく、食べ物のない部屋で飢えたNは観葉植物をかじり、畳までかじり・・・
Nと同室で過ごさざるを得なくなってから、ワタシは追い払う目的で、常にモップの柄を手元に置いていました。
ある日の朝、その事件は起こりました。
出勤の支度をしているワタシの隣に、空腹で動きも鈍く、よろよろしたNが現れやがったのです!
Nも長期戦でかなり憔悴しきった様子でしたが、憔悴ぶりといえばワタシの精神的消耗もかなりなもので、今思えば正気の沙汰ではありませんが・・・
ワタシのすぐ脇に現れたNめがけて、ワタシはモップの柄を振り下ろしました・・・
どうなったかは書きませんが、ご想像の通りです・・・
生まれて初めて昆虫以外の動物を、そして、捕食以外のための殺生をした瞬間でした。
殺生をすることにもちろん肯定的な感情など微塵もありませんが、人間、追い詰められると何をするかわからないな~、という恐ろしさも感じた体験でした。
※古い物件を借りる際には、必ず柱などの状態と、鴨居を覗いてNの残した痕跡が無いことを確認することをお勧めします!! (キット)
(寸評)最近ディズニーランドにMッキーマウスを見なくなったのは、キットのせいだったのか・・・。6ポイント。
初めての食べすぎによる吐瀉
このあいだ、仕事終わりに友人に連れられて、大阪・中津にある喫茶店に行きました。
前から、そこには名物オカンがいて、雑誌に載ったりしてて、吉本の芸人の方も来る。と聞かされてたのでおもろそうやとは思ってました。
見た目はいたって普通の喫茶店です。
店に入ると、友人がいきなりキッチンに入り、食器を洗い出しました。
なんやなんや、と驚いていると、友人が「オカン!皿全部洗うからご馳走お願いなー」と言い、常連さん達と笑い合ってます。
その常連さんも初対面の僕に
「よう来たな、今日はどんどん食べや!残したらオカン怒るぞ(笑)」
僕は言われるがまま席に座り、
とりあえず、しょうが焼きを注文しました。
「じゃあ、しょうが焼きお願いします。」
すると、オカン
「あかん!しょうが焼きできへん。ハンバーグおいしいで!」と言ってハンバーグになりました・・・。
そこから激しい料理が始まって油やらかつお節、卵の殻が中に舞うショーを見ているうちに次から次に、ベーコンエッグ、かき揚げ、煮物、味噌汁、ご飯、サンドイッチ、とあっという間に目の前に並んでいきました。
僕は圧倒されながらも「よし!今日はもりもり大食いしてやろう!」と、腹を決め、それをひたすら食べました。味はどれもとてもおいしかったです。
でも、やっぱりこの量はきつい・・・。仕事終わりでお腹は減ってましたが、普段から別段大食いというわけでもありません・・・。
やっと、メインのハンバーグが来たときには、腹が張り裂けそうで、顔からは汗がふき出して、初めて「マヨネーズ」という単語だけで吐き気を誘発されるほどでした。
それでも、気合でハンバーグを食べたら・・・もう・・・・限界・・・
ふとトイレに目をやると今まさに人が入っていくところでした。
「う、うそ、、まいった・・・・・・空気吸うて来ます」
と、意味のわからんことを言い残し、、
外でリバース。
とっさの判断でした。
初めての食べ過ぎ吐瀉。
やっぱ限界こえると体が拒否するんですね。(すごい犬)
(寸評)なんかご飯のメニューの中にサンドイッチが入ってるのが凄いな。強制バイキングみたいなものだな。6ポイント。
初めてのバニーバー
(あらかじめ言っておくと、私は女である。)
今から2年ぐらい前の話である。好奇心が旺盛なほうだと思う私は夜のうさぎちゃんに会いに行った。
サークルの男の先輩が以前そこで、バーテンをしていたので、他の人とも一緒に連れて行ってもらったのである。
その店は雑居ビルの中にあり、男性の店員の案内で狭いエレベータで上がっていった。(これは余談ではあるが、元バーテンの先輩は店員に「キミ中学生でしょ!」と入店に足止めを食らっていた…以前そこで働いていたのに…)
中にはいると、カウンターオンリーの狭い空間に男性がひしめき合っていた。外で席を待っている人もいた。私が入店したとたん「うおー、女の子や!」「女の子がこんなところにくるんや!」という声が上がった。どうやら結構男性向けの店らしい。
多いのはお客だけではない。バニーさんも多かった。狭いスペースで10人ぐらいのバニーさんがあっちにいったり、こっちにいったりとしている。そのカウンターでギュウギュウになっているバニーさん、まずイメージと異なっていたのが、耳をつけていない人が結構いるということ。もしかしたらこの店は結構バニーとしてはゆるいほうなのかもしれない。バニーバーなのに、バニーの耳がないなんて!それどころか、普通の服を着ている人もいた!(後で聞いた話どうやら彼女達は一日入店の人だったらしい)他の意外な点は、下着の上からバニーの衣装を着ていること。なので肩からブラの紐が出ていたり、足の付け根あたりにはパンツがはみ出たりしている。そしてバニーさんはどちらかというと、元気で、溌剌としているバニーさんが多かった。
期待していたバニーさんとは違って私は少しがっかりした…
私の期待していたバニーさんは、ストレートヘアのおしとやかでつつましいバニーさんだったのだ。たとえるなら、テレビの手品の助手ようなバニーさんである。
イメージと違うところもあったが、イメージどおりのところもあった。
それはみんな乳がでかいということ。多分、彼女達の中ではDカップは小さいほうにはいるのであろうと思われる。乳がでかいから、谷間にライターを挟むのが似合ってる!それはとてもよかった点だ。
そしてやはり接客業。とてもお話が上手。普段お店に来ないと思われる女の子がお客として来ても十分に楽しめた。
そして男の先輩たちはバニーさんに乗せられて、お酒をおごらされていた…。
そんな私の行ったバニーバー、チャージはあったかどうか忘れてしまったが、(おそらくなかった気がする)1ショット820円でなんともバニーな値段である。
いかがですか?(はちこ)
(寸評)俺も昔一度だけバイトの先輩に連れられて行ったことがある。公認会計士を目指してエリート街道を走っていた先輩だが、結局受験に失敗し、今は奥さんの実家の弁当屋でおかず詰めているらしい。7ポイント。
はじめての「生」!!!
えろい話じゃないです よっぱらいの話です。
こないだとあるライブ行った時、前から3番目に並んでたんですが
ドリンク選ぶのに悩んじゃってそうこうしてる間に後ろのお客さんたちがどんどん入ってきちゃって、
こりゃまずいと思い、選ぶ余地なく、「生!!!」と注文しました。
オリオンビール以外で自らビールを注文したのは実ははじめて。
味は・・・うまかった。ビールってうまいんだなぁ。
なんだか癖になりそうだ。(りあちゃん)
(寸評)俺は瓶ビールの方が好き。理由は、同じ値段で量が多いからです。俺ってすんごくセコいんです。3ポイント。
初めてのサッカー競技場
小遣いの足しのため、先日短期バイトで、サッカーの試合の会場整理のバイトに応募しました。
会場整理の日雇いのバイトはこれが初めてではなかったので、大したことはないだろうと思っていました。
しかし、集合するや否や、現場のチーフからこんな言葉が。
「サッカーの場合、負けたらサポーターの方々がイラついて、八つ当たりで殴ってくるとかもあるので、接客マナーには十分注意して下さい」
…緊張度が一度に5倍ぐらいに跳ね上がりました。いくらスポーツ、とりわけサッカーに興味がほぼ0で、サッカー観戦すら見に行ったことがないとはいえ、W杯の際のフーリガンなどの情報は熟知していました。
不安な面持ちで、会場に移動し、スタジアム内の配置場所に向かいました。まだ試合開始までは時間があるのですが、昼過ぎからサポーターの人々がぞくぞくと入ってきています。
と、自分の配置場所は、なんとゴールポストを背にした、サポーター席の最前列!両端には、試合中に振る、大きな応援旗も20本ぐらい立てかけてあります。しかも、地元の有志のチームで、この試合に負けたら、2軍に降格という、重要な試合だそうです。一気に背筋が冷え冷えとしてきました。
試合開始前には、その旗での応援の仕方を巡って、同じチームの応援団の老人同士で、口論も。果たして数時間後、生きて帰れるか、この仕事で得られる数千円が安すぎはしないかと、そんな不安が頭の中を錯綜し始めました。
そして、試合開始。サポーターの方々と向き合う形で、会場の警備をして、過激な行動を取るサポーターがいないかを見張る役でしたが、幸い、そのようなフーリガンはおらず。
それよりも、老若男女一斉に同じ色のユニホームを着て、一糸乱れずに同じ応援歌を歌い、同じ柄のタオルを振ってる姿は、見ていてやはり「非日常」でした。奇声を上げ、唾のシャワーを撒き散らし、審判にも抗議の罵声を惜しまないおっさん達も、家や職場では、マイホーム・パパや課長職や管理職かもしれませんし。
韓国に滞在中にも目にしたのですが、普段は何ら特異な事もない日常を送っていながら、このような日常の中の一幕では(第三者の目から見ると)宗教信者のような状態にガラリと変わってしまう訳ですから、普段では見る事の出来ないワンシーンでした。
とかいう自分も、ライブ会場に行けば、宗教信者の如く、生歌に聞き入っているのだから、みんなそれぞれ「宗教」とまではいかなくても、魂や情熱を捧げる何かがあるということを実感しましたね。
そんなこんなで、無事僕が配置されていたサポーター席側のチームが勝ち、特にトラブルもなく、終わりました。初めてサッカー競技の場に行ったのが、観戦ではなく、単なる会場整備のバイトというのにしては、若干あっけなさのような感じも残りましたが。
でも、緊張感が高すぎて、肩こりがひどくなったので、今度はもっと安全なところを選ぼうと思いました。(Hi-)
(寸評)勝ったら報酬が倍、とかになればいいのにね。
あ、それじゃ負けた時みんなに腹いせに暴力ふられて、踏んだり蹴ったりか・・・。6ポイント。
初めての学習塾バイト
帰国後、行く前にやっていたのとは違った業界のバイトに応募しました。
求人広告を見てみると、「平日出勤のみ・私服OK」と会ったので、条件がピッタリだと思い、面接の電話を入れました。
そして、面接に行ってみると、他に来ていたもう1人の応募者の人はなぜかスーツ姿。
…職員の方にも「私服は業務の時だけだよ」ダメ出しされたので、業界の事をまだ知らないうちじゃ、多分採用されないだろうなと、絶望視していました。その後に採用試験(中高生の英語・数学・古文)もやったのですが、英語以外燦々たる結果でしたし。
しかし、1週間ほど経って、次なる面接場所を探し、履歴書の下書きをしていたら、「採用します」との連絡が。
つくづく、世の中とは不思議なものです。
早速、中学生と向かい合って授業をしてみましたが、どの程度理解できてるのだろうかと、不安に。
授業をしてみて、教えたところの問題を解かせてみると、案外スラスラできてます。
ただ、文法用語を絡めて教えてみると、やはりまだ難しいレベルっぽいです。
週ごとに様々な子供の相手をするのですが、果たしてどれだけ続くのやら…。(Hi-)
(寸評)塾と言っても遂に「先生」になったんだね。Hi-先生・・・いぢめられないようにね。6ポイント。
初めての革パン
先日、某量販店で服探しをしていた時、黒革製の革パンを見つけました。試しに一度履いてみると、素肌に触れる革に違和感があるものの、スタイル的に気に入ったので、即行でレジに向かいました。
しかし、裾は縫うといった感じではなく、ただ地の革が切ってあるだけ。裾直しはどうするのか、店員さんに尋ねたところ、裁縫で裁断するのではなく、自分で足の長さに合わせて内側に折って、折り目にボンドを塗り、丈の長さを調節するのだそうです。
…もちろん、革製品を水洗いで洗濯になんて出しませんから、方法としてはわかりましたが、実際に家に持って帰って、足の長さに合わせて折り目をつけて、内側にボンドを塗りました。
すごい違和感満点の裾直し。中学生の時、後輩が制服のズボンの裾の処理に困り、直すまでの間、安全ピンで裾を止めてるのを見た事がありましたが、あれと同じくらい違和感がありました。
しかも、水に濡らさない・脱いだ後にはブラシで手入れを必ずするなど、普通のズボンとは扱い方が大分違います。
大切に着なきゃ、と思い、まだ2週間に1回ぐらいのペースでしか履いてません…。(Hi-)
(寸評)今度ライブの時、是非はいてきてよ。2秒間だけ見て「ああ、これね」と棒読みするから。4ポイント。
はじめての点滴
ここのところ具合の悪い日が続き、病院へ行こうにも
「こっちゃ具合悪くて動かれへんねん そっちからこいや(#゚Д゚)ゴルァ!!」
というような状態だったので旦那に時間を作ってもらって、病院へ連れてってもらいました。
予め電話しておいたので診察はあっという間でした。
主治医「じゃ、点滴打とうか^^」
りあ「て、天敵を討つぅぅう!!?」
りあは注射とかダイスキなド変態なので点滴打ってもらえるなら是非、と思い受けましたが・・・。
時間かかるんすね、あれ。
旦那が夕方から仕事だったんで点滴のお薬が全部終わる前に「ま、いいでしょう」と針を外されました。
点滴中、看護師さんとかが入れ替わり入ってきて、
「結婚したんだって?」「おめでとうー」「もう宮崎さんじゃなくなるのねー」
って色々話しかけてくれたからあたしはいいんだけど、
待合室で独り45分近く待っていた旦那は退屈だったろうなぁ。(りあちゃん)
(寸評)俺「拘束恐怖症」だから点滴駄目なんだよなー。ずっと体に何かが付いているという状態が我慢出来ない。ということで普段はアクセサリー類はもちろん、腕時計すら付けられないんだよね。5ポイント。
はじめてのファミリープラン
「たまの月経散歩」初合の巻にてメンバーのみなさまが「ファミリープラン」なるものを発見していますが・・・
最初読んだ時はなんだろー?と思い、気になり検索。
・・・はあなるほど。大人ですな。。てかこんなん路上で売ってていいんかなー?今はもう無いのかな?多分無いんだろうなー
などと思ってたんですが、、、近所で発見いたしました。
何回も通ってる道だったのですが、道の端っこにぽつんとあるので気づきませんでした。
ある日歩きながらちらっと目をやると、ん?なんか見たことあるよおな??
よくよく見ると「ファミリープラン」の文字。月経散歩に載ってた写真そのままでした。
こっこれは!!!たまのみなさまが喜んでいた(?)ファミリープランではないかッッ!!
興奮しました。まさかこんな近所にあるとは。なんだか嬉しい。
しかも新聞配達でいつも通る道だったので、夜中、人がいない時にまじまじと観察いたしました。
「LOVELYN Soft」と書いてある500円のが1つ、「PASSION ROSE」と書いてある600円のが2つ並んでました。
知久さんが散歩の中で「あのガッチャコーっていう音がイヤなんだよね。」と言ってるので、どんな音なのか非常に気になります。。。
親子で歩いていて、お子様に「ねえねぇこれなーに?」と訊かれたら、親御さんはどう返すのでしょおか。
ファミリープランを見つけてから、その道を通るたびにニヤニヤしてしまってます。
アヤシイ事を考えてるわけではなく・・・たま関係(?)のものをみつけた嬉しさゆえです。(笑
そして先日、西荻からの帰り道で、またもファミリープランを発見いたしました。
探せば結構あるのかなあ・・?
これからは歩きながら、ファミリープランを探してしまいそうです。。(ななを★)
(寸評)意外とまだあるよ。ある種の生活必需品だからね。でもファミリープラン、家族計画って良く考えるとなんかおかしいよね。確かに家族を増やすかどうか計画するものではあるのだが・・・。6ポイント。
はじめての名曲喫茶バイト
本日、新宿に古くからある、たまのみなさまも御用達の某喫茶店(ってミクシー日記には思いっきり名前出してますが。)で初バイトしてきました。
昔は名曲喫茶で、お客さんのリクエストでレコードをかけたりしてたらしいですが、今は普通の(?)喫茶店です。
アルバイトの募集は某無料求人誌で見つけたのですが、「名曲喫茶」と書いてあるのが気になり(最近名曲喫茶に興味があるのです。)、珍しいな~と思ったのと
ほかの広告にくらべて、余計なことが書かれてなくシンプルなのに惹かれて、ダメモトで応募したら受かりました。
しかし飲食店の経験はあるものの、前はキッチンだったので接客は未経験・・・
しかも自分は人が苦手、喋るの苦手・・・
それを克服したいからこのバイトやってみようと思った訳でもありますが。。。
お客さんの前で口回らないし、敬語は訳わからなくなるし、、、
オーダーとったり料理やドリンク持っていったり食器下げたり
とりあえず出来ることを、先輩達に指示してもらいながらやりましたが
忙しくなってからは訳わからなくなり、あまり動けませんでした・・・うう。
行く前は、どんな人がいるんだろう・・・厳しかったらどうしよお・・・とか考えて不安でしたが、いい人ばかりでした。ニヒル牛も知ってましたよ~。
仕事が良くても、人間関係が悪いと嫌ですからね・・・
苦手を克服出来るように、無理しすぎず頑張ろうと思います。
石川さん、遊びに来て下さい~。(ななを★)
(寸評)うんうん、そこは確かにたまやパスカルズなどで打ち合わせの時よく使った。最近少なくなったマンモス喫茶だからねー。あの天井が高いのがなんかいいんだよね。
今度みんなで覗きに行くか~。6ポイント。
はじめてのおませさん
隣の女の子は、とても「おませさん」でした。
大人の会話を聞いているんでしょうか、時々ドキッとさせられました。
その女の子が幼稚園生の時、回覧板を持ってうちに来ました。
私の母が玄関に行くと、女の子がこう言ったそうです。
「お隣の??ちゃん、友達が少ないからって大学落ちたんだってねぇ。」
まるで主婦の井戸端会議のような立派な口ぶり。
母も「・・・そうなの・・・。」としか返せなかったそうです。
私も「あの家の子はまだ結婚してないんだって?」と近所の幼稚園で噂されてないかしら。(秘密の座席)
(寸評)されているに500円! 5ポイント。
はじめてのガソリンスタンド
数年前、15年以上ペーパードライバーだった私が、初めてガソリンスタンドに行く事になりました。
?
職場で「給油口の位置さえ間違わなければ平気だよ。間違ってもまぁ大丈夫。」
と言われて、いざ!初めての給油に!
「いらっしゃいませー!」
「レ・・・レギュラー満タンで・・・」
「はい、レギュラー満タンですねー!」
実際、「レギュラー満タンで・・・」なんて中途半端な日本語に
「満タンで・・・何?」
とツッコミが入ったらどうしようかとヒヤヒヤしてましたがクリア。
?
しかし、油断しました。落とし穴です。
?
「給油口の方、お願いします!」
?
ありゃーーー!!給油口開けるの忘れてたー!
運転席で1人真っ赤になりながら、給油を待っていました。
未だに、給油の時は給油口開けるの忘れちゃいます。
行く、という事だけで、何故か凄く緊張して、車を停めるとホッとしちゃうんです・・・。
何をしに行ってるのかわかりませんよね。(秘密の座席)
(寸評)俺も昔バイク乗ってたけど、ガソリンスタンド苦手だったなー。特に最初の頃は手順とか、言い回しとかが分からなくて「けっ、シロートが来たよ!」と笑われる気がして・・・。5ポイント。
初めての・本当に頼りになる10歳児
ネパールの村にホームステイした時のことです。
カトマンズからバスで2時間ほど山奥へと走りスンコシ川のほとりで待っているとホームステイする村の子供が迎えに来てくれました。
ここからは道無き道を歩いて行くしかありません。
がけ崩れしたような岩山を歩きだして10分もしないうちに酸素、酸素・・・とうめきながら、しゃがみこむ私。
すると10歳になったばかりという子供が
どデカイ登山リュックをひょいっと担ぎ
私の手を引き、元気出してっと歌まで歌ってくれながら
村まで2時間の山道を歩いてくれたのでした。
ちなみにビーチサンダルでした。
ビーサンで岩山を笑いながら駆け下りても転ばない10歳児!
人一人分の幅しかない道を牛がすごい勢いでこっちへ向かって走ってきたとき抜群の反射神経で私を土手のやぶに突き飛ばした10歳児!
アニキ!いや親分!と心のなかで叫んでいました。
無事、村に到着すると前の日の夜から歩いてきたという(やはりビーサンで)隣の村の子供たちが待ってくれていました。
超、超華奢なその身体のどこにそんなパワーが・・・!
カトマンズにいたガイドのおじさんの100億倍(強調!!!)頼りになる子供達でした。(aina)
(寸評)山奥の生活だとそんな超人にもなることがあるんだね。偏差値では計れない人間としての力。
その力が逆に「グルカ兵」(ネパールの輸出兵隊)として各国に売られ、自国の国民を傷つけず、ある時はネパールとなんら関係ない第三国同士の戦いでお互い険を交えることも。
皮肉なことだよね・・・。8ポイント。
宝毛
出勤前に化粧をしていたら、目じりの辺りに毛がついてる。
「抜け毛が顔についたのかな~?」
・・・と、顔を払うも、その毛は取れませんでした。
・・・?
・・・ ・・・?
生えてました。その毛。
すぅーっと引っ張ったら、色素のない、透明に近い、細い3~4cmの毛が、確かにワタシの目じりの辺りに。
ピッと引っ張って抜いてしまいました。
その日の夕方、ウキュピでチャットしているときに、何気なくその毛の話をしたところ、その毛が
『宝毛』
という代物であることがわかりました。(別名、福白髪や神の毛、幸せ毛ともいうらしいです)
これのある人はとてもラッキーな人生が送れるとのことです。(結構何度も生える人は生えるみたいですが・・・)
初めての宝毛、何の迷いもなく引っこ抜いてしまった!!
あぁ、ワタシの初宝毛・・・
その後、某SNSに宝毛のコミュニティがあることを発見し、その時チャットをしていた3人で迷わずコミュニティに参加、記念に?3人して自己紹介文を書いてきました(笑)。
今度宝毛を見つけたときには、引っこ抜くなんてことはせずに、大事~に育てようと思うのでした。 (キット)
(寸評)ほーけ、ほーけ。あれって、変なところから生えるんだよね。宝かどうかはともかく、科学的にどんなものかちょっと知りたいね。
ま、たいしたもんじゃないだろけどな(笑)。6ポイント。
はじめてのチケットぴあ前で野宿
8月のしょぼたま復活ライブのチケットを生まれて初めてチケットぴあ店頭で取った。
ぎりぎりまで前日から並ぼうか朝から並ぼうか迷っていたが、ここのチャットで「どうやら花より男子の試写会のチケットも同じ発売日らしい」との噂がまことしやかに流れたため、午後11時、のっぽの友人Mと待ち合わせ、チケットぴあにむかった。
なるべく中心街ではなく不便な場所にあるぴあを選び行ったところ、それと思わしき一人の女性がすでに座っていた。案の定、花より男子目当てだということがわかり、私たちが2番、3番を確保。すぐに4人目がやって来たが「うわー!!3人もいるー!もうだめだーー!!」と叫ぶや否や踵を返して行く。すいません。花男のライバルじゃないけどぴあのライバルです・・・。
閉店前のぴあの店員が、私たちの元に来て「今回の花より男子のチケットは1番でも取れない可能性があるのでご了承ください」と言ってきたが・・・我々には関係ない。
「花より男子ですね」と当然の顔で聞いてくる店員。
「あっ・・いえ。すいません。ちがうんです。」
「あ、そうですか。ちなみに何の公演ですか?」
「・・・あ・・えーと・・ふぬー・・秘密で・・・」
「・・・・わ、わかりました・・」
そんなやりとりをしながら、路上に座布団や毛布を敷き、翌朝のチケット発売までの約10時間、意外に楽しい時間が過ぎていった。先頭に並んでいた女性は嵐の松本潤の強烈なおっかけで、嵐の北海道でのライブ終了後、急きょ花男の試写会チケットの発表があったため、見知らぬ土地のぴあ前にひとりで野宿しているのだということ。チケットのための野宿は慣れているらしく、薄いシートを一枚だけ敷いて「松潤の肌荒れが最近ひどい」など割とどうでもいい雑談をしたり、私もJ事務所の某アイドルグループSのライブに毎年行っている話から、J事務所の話でやけに盛り上がった。友人Mを置き去りにして。
途中、夜食の買い出しにひとりで行き、せっかくスーパーに行ったのにトイレに行ってくるのを忘れたので、しかたなくぴあの建物のかげで用を済ませる。ちなみに友人Mは10時間の間に一度もトイレに行かなかった。でかいのは身長だけではなく膀胱の容量もだということがわかった。
朝方いつしか眠りにつき、起きると、私たちの後ろには長蛇の列が!!天気は快晴、藻岩山が富士山のように雄大に広がっており、めちゃめちゃ気持ちよく起床。そして、整理券を受け取り、ぴあ開店までの間、Mと松潤のおっかけ女(夜通し話してて仲良くなった)と三人で朝食をとり、ついに発売の時が来たのだ!!
申込用紙に「しょぼたま」「スターパインズカフェ」などと書き、店員に渡すと、当然のような顔で「お客さん、会場、間違ってますよ。・・・ん?あ!花男じゃないんですね!失礼しました!」と言われた。もういいです。チケットさえ取れれば・・。
そして、受け取った申込用紙の内容を店員が事前にパソコンに入力し、受話器片手に時報を聞きながら、10時になったその瞬間。高速の手さばきでエンターキーを連打。
「はい、取れました。はい、取れました。はい、取れました。」
なんと一番乗りでも取れないという噂の花男のチケット、松潤のおっかけ女は大阪城ホールの前から数列目をゲット、そしてそして私はしょぼたま復活ライブの整理券番号1番を取ってしまったのだ!!最初は“1番”という文字を見て「ふーん。記載ミスか。とりあえず1番で印字されたのか。」と思いこんだが、違うことがすぐに判明。時間的に考えると松潤おっかけ女の次だったので、多少の遅れは取ったものの・・。ぴえええ!!こわい!運良すぎてむしろこわい!!!!!そんなすごい腕を持つ店員と、待ってる間もむしろ楽しい時間を過ごせた松潤おっかけ女とのっぽのMには感謝!おかげで、私はしょぼたまのステージを最前列でなめるようにみることができたのである。 (さっちゃん)
(寸評)今度は本当に舐めてね。ハァハァ。7ポイント。
はじめてのショップオーナーデビュー
とある街のレンタルボックス屋さんで、ショップを開きました。
手描きポストカードと、絵本と、ビーズアクセ売ってます。 (うわー統一感ねぇー)
多分ビーズアクセが一番お客さんの目をひくと思うんだけど、もしイラスト関係の作品の評判がいいようなら、グリーティングカードも作ってみる次第。
ボックスレンタル料けっこうするんで、売れてくれるといいなぁ・・・。
売れなかったらどぉしよぉぉぉお。
ま、でも新しい事をやるだけでも楽しいんで、がんがりまっしゅ。わくわく。(りあちゃん)
(寸評)ニヒル牛でもアクセサリーとかは売れるものと売れないものはハッキリ分かれるね~。
明らかにレベルが違うならともかく、俺が見てもたいして差がないようなものでも、何か人の心をくすぐるものとそうじゃないものに分かれるから不思議だ。
ちなみにニヒル牛はスペース代はおそらく業界最安値です。(一ヶ月500円から。一番高くて確か2000円)。何故なら「売れなくてもいいから人に見せたい」アバァンギャルドな作品も置きたいから。
ま、そればかりじゃ困るけどね(笑)。
その後の反応なども教えてくださいなー。6ポイント。
はじめての知久さんとちゅぅ
いあ、間接キスですが。
前々から間接キスを狙っていて、例えば「ビールひとくちちょーだいっ」とか言ってひとくち貰うついでに間接キス☆
なんて作戦も考えてたんだけど、井の頭公園での知久さんのライブで口琴を披露してるのを見て、
「いける!!」
と思い、何故か外出時は必ず持っている口琴を知久さんに見せ、
「これって、こうはじくの?それともこう?」
と教えてもらうふりして、知久さんが「びよーん」て鳴らしてみせた口琴で、間接キッス☆
しちゃいましたとさ。
ああ、しあわせ也。(りあちゃん)
(寸評)俺なんか例えば「ビールのグラスを間違える」とかで知久君と一体何度間接キスしてきたことか。
はっ!?そう考えると俺とりあちゃんも間接間接キスを何度も?6ポイント。
初めてのmixi参加
加入はないだろうと思ってましたが、諸般の事情から、1か月前に加入するに至りました。
留学期間中から、お誘いの声が他のウキュラーの方々からありましたが、加入するのに携帯アドレスが必要であるため、解約していた自分は帰国後に加入することを余儀なくされました。
そして帰国後、携帯電話を新しく購入し、新しいアドレスを設定、いざ加入!
…しかし、前使っていた会社のよりも、携帯の操作がわかりづらく、何度やっても弾き返されてしまいます。
何度か繰り返すうちに、ネット上の設定ではなく、本体でできる操作で設定できると判明し、それにてやっと加入を果たしました。
たま絡みでなくても、様々なコミュニティーがあって、昔の知り合いに出会えたりとかもできたので、入って損はなかったですね。
でも自分の文章力が低いせいか、日記などを書いても、まだあまりコメントが少ないですね(涙)
投稿した自分の文章に、文字化けなどがなくなったのは嬉しいのですが。
そんな感じで、日々日記などを書いている毎日です。ただ、さすがに忙しくて、あまり多い頻度で手を加えられないのが少しさびしいですが。(Hi-)
(寸評)そうか、今入会するにはケータイが不可欠ということか。俺はもはや仕事の打ち合わせもミクシィでしていることが多いので万一何かの間違いで退会したら大変だにゃ~。
日記、読ませてもらってるけどまだ過去の留学の話とかが多いね。なんか自分と接点が少ないとコメントしづらいかもな。
おそらく現在の誰かのライブ報告とかだと、また書き込みも増えるかもね。コミュニティに積極的に書き込むのもいいかもね。5ポイント。
はじめての楽器購入
オカリナやギターを嗜む程度にやるんですが、今まで自分で楽器を買ったことはありませんでした。
数あるオカリナはみんな母が買ってくれたものだし、ギターは彼氏が譲ってくれたものだし。
それまで持ってたオカリナもギターもとってもお気に入りのものだったので、新たに購入する事はないと思っていたのですが、ある日、楽器屋さんに遊びに行くと。
りあ「なんだこれ!Σ(・ε・;) 」
ギターの穴?のとこがハート型になってる。。。
どーせ高いんだろ?と思って値段を見てみたらたったの1万円。
りあ「ほ、、、(゚д゚;)ホスィ…」
手の届く金額だったもんで。すっかり虜になってしまいました。
で、ちょっと弾かせてもらってから即購入。
こんなかぁーいいギターに出会えるなんて運命としか思えない!
あたし似合い過ぎだし!(←
ケースも付属でついてきたんだけど、ちょっと使いづら過ぎたんでそれも初めて自分で購入。
ついでにピックも。かわいーのいっぱいあるなぁ。
いっぱいいっぱい練習して、はやく上手になりたいにゃ♪のりあちゃんでした。(りあちゃん)
(寸評)あれ、かわいいよね。一番最初に俺のサインが入ったところが特にねっ(笑)。5ポイント。
初めてのき○○りの用途を間違えた
20年の封印を解いて、ここに秘密の初体験を投稿させていただきます。
あれは、確か小学6年生ころだったでしょうか。
幼馴染で、同学年の女の子Yちゃんの家に泊まりに行ったときの話です。
夕飯も済ませYちゃんのへやでマンガ読んだり話したり過ごしていた。
そしてYちゃんはなにやら机の奥のほうからゴソゴソとある雑誌を取り出した。
近所の中学生のお姉ちゃんがくれたらしい?
そう、それは「エロ本」。
Yちゃんは私にその雑誌を読んでみなと勧めてきた。
当然、エロ本など読んだこともなく興味津々!さっそく未知の世界へのページは開かれた。
ケチャマンだのなんだの知らない単語がびっしり、おおおお~~これが大人のエロという世界なんだ~生理すらまだ来ていない私にはケチャマンという言葉すらものすごくエロく感じる。ただ、今の現在まで記憶に残った単語がケチャマンだ。他は何が書いてあったか覚えてはいない。
当時の記憶では、雑誌の真ん中あたりにエロい読みきりマンガがあって、内容はやたらムッチムチの女の子が同級生の男の子たちに囲まれあんなことやこんなことをされるという、小学生が見たらまさに衝撃的な内容であった。
そんな衝撃的なマンガを見た後、Yちゃんがなにやら物言いたげに近づき、ちょっと待っててねといって一階へと降りていったので、Yちゃんちの2段ベッドでごろごろしてたらYちゃんがおなかから洋服で隠していたあるものを取り出した。
その物を見た瞬間に、何を語っているのかすぐにわかった!Yちゃんが今まさにこれから何をしようかということは、先ほどまで見ていたエロ本マンガに答えは書いてある!!
まさにそのものとは漬物には欠かせない
『きゅうり』
まぎれもなくきゅうりなのだ。
もしかして、、もしかして、、まさか、、、Yちゃんにこんなものをあんなふうに、、、嫌だ、、、どうしようどうしよう。。。。とドキドキしていたら、Yちゃんがこれを入れてみてと言うではないか!!
Yちゃんは当時の6年生からしたら少し成長が早く、胸の膨らみも私よりもあった。そしていい?いいでしょ?ナイショだよと焦りつつ今がチャンスとばかりに私がゴロゴロしていたベッドに入ってきてゴソゴソとパンツを下ろしてきた。そりゃお母さんがきたら大変だ!ものすごく焦る!
ひとまず、私の秘密の場所に異物を突っ込まれるということは免れたが、Yちゃんの秘密の場所にこんなものを・・・
Yちゃん計画的なことだったのか布団の中には懐中電灯が潜ませてあり、布団の中でゴソゴソと女の子2人がまさかこんなことを・・・。
Yちゃんに言われるまま秘密の場所を覗き込んでみるが、自分自身のすら見たこともないのにこんなとこで、こんな感じで見るなんて、この短時間の間にいったいどのくらいの衝撃的な出来事を体験しただろうか!
Yちゃんには少しばかりモサモサと生えているものがあった。
そしてとうとう先ほど持ってきたきゅうりを入れて見てというが、当然どこにどうするのか解かるはずもなくとにかくグイグイっとさせればいいんだっ!という感じにやってみたが、入るはずがなかったが、二人とも焦っていたのでさらにグイグイと入れようと・・・・・
するとYちゃんが「イターーーイ!!」と小さな声で叫んだ!!
入ったか?入ったのか?と懐中電灯で照らしてみたがどうやら入ってなかったみたいだ。だが、Yちゃんは本当に痛かったのか、もういい!っとそそくさパンツを履いて、何事もなかったかのように1階の台所に戻った。どうやらおばさんはお風呂に入っていたらしくうまいこと冷蔵庫に戻してこれたらしい。
エロ本を読んでからいったいどのくらいの時間がたっていたのだろうか、私には何もかもが衝撃的過ぎてパニックだがとても変な気分だった気がする。悶々と言うかなんと言うか・・・
Yちゃん今のことは絶対誰にも言っちゃだめだよ絶対絶対だからね!!と念を押して来るが、私自身もこんなこと誰にも言えるわけないじゃん!って感じでもうイケナイ事をしたという罪悪感で犯人になったような気持ちで、このことは二人だけの秘密と封印しました。
翌朝の朝食にきゅうりが出たというのはハッキリと覚えています
味噌つけてスティックにして食べたあのきゅうり・・・・
あのときの記憶は鮮明に焼きついて離れないがトラウマにもならず、同性愛にも目覚めず、ノーマルな人生を送っています。
しかし、Yちゃんのバージンを奪わずにすんでよかったと今は思います。しかもきゅうりなんかでね・・・
Yちゃんもきっとそれでよかったと思うよ。 PN(シーチャッキー)
(寸評)おおっ! おおおおおおおおおおおおおっ!
12ポイント。
はじめての結婚なんじゃ
王様とかでちょくちょく言っていたとおり、あたしは結婚式をなんじゃでやりたいと思っていたのですが、ついにそれが実現しました!
石川さんを呼んで、新宿パセラで豪華なパーティー。
石川さんに神父をやってもらったり、旦那と3人でセッションライブしたり、お客さんもすごい盛り上がってくれて。
すんごいしあわせだなぁー・・・。
パーティーやったら、「結婚したんだなぁ」っていう実感もわいてきて。
心の中が青空です。(りあちゃん)
(寸評)なんじゃで誕生会とかは何回かあったが、結婚パーティは俺も初めて。俺も初めての神父さんだった!
末永く愉快な日々をっ! 6ポイント。
はじめてのセッション
ギターはじめて1ヵ月半ですが、ぜんぜん下手くそでなかなか上手にならず、 そんなスペックをかかえつついざ!石川さんとのセッションライブにむかいました。
・・・が、30人近いお客さんに、右隣は石川さん、左隣はギター歴の長い旦那。
緊張しまくって、手も声もふるえちゃってちっとも演奏になりませんでした(´・ω・`)
でも、石川さんからあとで、「プロでも即興は難しい、はじめてであれだけできれば十分」と、優しい言葉をいただきましたw
また誰かとセッションしたいなぁ。
まぁ、その前に日々練習だな。修行が必要だ、修行が。
でもほんとに楽しかった♪
憧れの歌手とセッション。
有り得ない贅沢ぶりです☆(りあちゃん)
(寸評)俺、最近自分がセッション好きだと気づいた。その場の思いつき、ノリで叩くのって本当に楽しいな♪ 5ポイント。
はじめてのサメ
サメに出くわしました。・・・スーパーで。
旦那「買ってみよう!」
りあ「!!!食った事ないもんは作れん!!!」
旦那「サメだって魚だ!食えるはずだ!!!」
というわけで買うことに。
安かったし。
で、だ。
問題はどう調理するか。
焼くの?煮るの?揚げるの?それとも照り焼き?ムニエル???
こんな時は・・・じゃじゃじゃーん。
「ぐーぐる」~~~。
「サメ」「レシピ」「簡単(←)」でぐぐる。
おお、出てきた出てきた、山ほど出てきた。
とりあえずその中でも一番簡単そうな、
しょうがに塩胡椒、醤油で焼いてみました。
わくわく、てかてか。
で、数分。。。よっしゃ!焼きあがった!
旦那、(・∀・)つ~ クエ !!
わたくしも味見を。むむう・・・美味しいではないか。
昔スーパーでイルカ売ってるのも見た事あるんだけど、
あれも美味しいのかな・・・。
ちなみにわたくしくじらも食べた事ございません。
どんな食感・味なんだろう。(りあちゃん)
(寸評)くじらとイルカは同じ生き物だよ。
フカヒレとかじゃないサメは食べたことないかもな~。でもおいしければもっと流通していいと思うのだが。調理難しくなかった? 5ポイン
ト。
はじめての石川浩司さんの足跡
今日ミクシーの足跡に石川さんの名前を発見した!
有名人のお名前ってはじめて~!!
それもフルネームだよ~ぉ!
これってあの石川さんだよねぇ??
先日、初めての西荻に関谷エプロンちゃんの展示‘世界一美しい生き物展’
を見に西荻のニヒル牛2にでかけたばかりです。
店内でエプロンちゃんに会うことはできませんでしたが
石川さんの奥様のあるさんが気さくに声をかけてくださり感激~!
そしてアタシはまえにミクシー内で見たウサギのピアスを探しましたが
見つけられず、あるさんにお伺い…
どうやらニヒル牛1のほうだったみたいですなぁ
とは言ってもそのウサギさん買った話はずいぶん前のことで
今お店にあるとは思えない品物でしたのであっさり諦めました~
なんでピアスか?
あ!そうそうwピアスも初体験しましたぁ
石川さんより2コ下ですよぉ
この夏2008に長女(23歳)にピアッサーで穴あけてもらって
まだ穴がきっちり乾ききっていないんですけど
あんなのもつけたい!こんなのも欲しい~!と
いろんなお店でピアスを買い歩いてる訳なんですわ。
ピアスの穴あけはかなりドキドキ(((´゚艸゚`)))ドキドキ しましたぁ
だって自分では見えない場所で鋭利なものを耳に当て
いつそれがブッ刺さるか、分からないんですから~!!
あれを自分でやるって人は相当な何かですよ。。
人に頼んでやって貰っても大騒ぎするアタシはきっと普通です。
1個あけてからもう片方って時はかなり身構えますぜ
石川さんはピアスしてますか?
石川さんご夫婦の足跡があるのもアタシ的にはかなりのドキドキです。
たま全盛期アタシは大好きでいつも見てましたし
今もカラオケに行くと唄ってます♪
とぉ~っても気持ちよく唄えるのでアタシの十八番と言えるでしょう
ではでは、サルになるよぉ~♪(?)
(寸評)「石川浩司・パスカルズ・ニヒル牛」などは検索して覗くことがあります。本当の評価を知りたいからねー。
覗かれたくなかったら暗号を使ってくらさい。5ポイント。と言っても名前ないんでポイントあげられないけど・・・。
はじめてのビキニ
今までタンキニだったのですが、せっかくの20代ですもの。
ビキニに挑戦!
紺と白のストライプのホルターネックのビキニです。
友達からも似合ってるって言われて、楽しい海水浴!
後に男友達からこういわれました。
「もう少し首の後ろきつく締めたほうがいいと思うよ」
たまに乳首が見えていたそうです。 (はちこ)
(寸評)男は見えてるその時点では、絶対に言わないものだからな。楽しまれたな。
ところでタンキニって何? タマキンみたいなもの? そんな物着るのはよしなさいっ! 6ポイント
はじめて自分が新聞に載った
こちらのHPでも画像をアップしていただきましたが、先月生まれて初めて新聞に載りました。私と桃玉が出会い、異常なほどに意気投合し、石川浩司ほっかいどーツアーを計画して取りまとめるまで、という内容でドキュメントタッチで記事が構成されておりました。
新聞が出たその日は札幌でのライブの日でした。始まる前、記事を見て思いのほか大きかったのとカラーだったため、テンションが急上昇。片っぱしから友達に「今日の北海道新聞の夕刊をみるように!!」と連絡入れまくり。
次々に「え!?どういういこと?なんで新聞に?」やら「見たー!!」という返事が来ました。ペットショップに勤めている友人は猫の檻の中に敷くためその新聞を開いて偶然見つけ「あ!さっちゃんが!」とあわてて切り抜いてくれたそうです。もう少しで猫の糞尿にまみれるところでした。
記事本文の“看護師の仕事の合間に活動を追いかけている”という文章に職場の同僚に「本職どっちだよ~…」と言われたり。
ライブ直前に入った喫茶店にもその新聞が置いてあったため、気分が高揚した私は、初めて会った見ず知らずのお店のマスターにも「これ、私なんです!今日、向かいのライブハウスでライブです!!そうそう!さよなら人類の!着いた~の人です!!」と報告。
またその新聞に掲載された私と桃玉とスターの写真、最初は3時間の本取材の後の、私・桃玉・スターが会う日(しょぼたまのライブの日かアイヌモシリ一万年祭の日)に三人で写真を撮ってメールで送ろうと思っていたのですが、すっかり忘れてしまい、急遽記者の方に、私たちの3ショットの撮影のために夜中にわざわざ出てきてもらいました。夜中しか都合がつかなかったのでそれは申し訳なさすぎる、と言ったのですが、むしろ記者の方が「いえ、行きます行きます行きます」とノリノリでした。スターに一目会いたかったのではないかと勝手ながら推測オます。
その後も偶然見たという知り合いからの連絡がいくつかあってうれしかったのですが、何よりもやった!!と思ったのは旭川で、「この新聞記事で今回のツアーを知りました。石川さんを見ずに死ねないと思って来ました。」と声をかけてくれたお客さんがいたこと!!頑張った甲斐があったなーとしみじみうれしく思いました。本当によかったなーーー!! (さっちゃん)
(寸評)確かに思いのほか大きい記事だったよね。さっちゃんと桃玉が写真写りの関係でさっちゃんの方がのっぽさんに見えたのがおかしかった。桃玉は自分を小さく見せる方法を知っているな。むむむっ。
次に新聞に載る時はまさか「ち○ぽTシャツを着た変態女性、猥褻物陳列罪で検挙」じゃないよね・・・。8ポイント。
はじめての梅干しに助けられた話
ほっかいどーツアー、旭川公演前日、桃玉さん宅に数人で宿泊させてもらいました。桃玉さん宅にはその時ネコが3匹おりました(現在は増殖して5匹になったそうです)。
私たちはツアーの余韻さめやらぬ夜を過ごしていたため寝たのは朝に近い時間でしたが、明日のことを考え、楽しいおしゃべりもやめて寝ることにしました。しかし、ネコは夜行性なのでめちゃくちゃ元気でした。川の字に並んで寝る私たちの上を縦横無尽に飛び回り、どんどん着地してはまた飛び回りを繰り返す3匹のネコたち。それは何度となく私の体の上に降って来ました。なので私はろくすっぽ寝ることができませんでした。
夜が明けて、めちゃくちゃ眠いまま旭川へと向かうことになり、疲弊しておりました。しかも高速道路を走っているため、運転操作の単純さと景色がかわらない単調さに眠気はついにMAX。もし事故ったら、日本は偉大なスターを一人、失うことになります。
いかん!!起きろ自分!!とサービスエリアでコーヒーを買って飲んだり、目をものすごい大きさにカッとひん剥いたり、
「桃玉ー!スター!何かおもしろいことしゃべってー!」
などと絡んでみましたが眠気はいっこうに消えませんでした。するとやおら、桃玉さんがかばんから何かを取り出しました。それはこのHPのチャットによくくる「うきうきさん」のお母様が漬けたという梅干しでした。「これ食べてみなよー先輩(桃玉が私を呼ぶ時のあだ名)」と差し出すので食べてみると・・ぴええええーーーすっぱあああーーー。すんごいすっぱああーー。
その瞬間、落ちかけていた瞼がギュイーンと上に釣り上げられ、全身がカッカし、汗が噴き出てきました。
「うおおお!眠気が瞬時にして消えたー!」私が今までの人生で食べた梅干しの中で最もすっぱかったです。ああ、思い出しただけで唾が・・。
その後、またいくつか頂戴し、無事旭川にたどり着くことができました。梅干しに助けられたのも人生で初めてでした。うきうきとうきうきの母ちゃん、こんなところからありがとうございまーす!!(さっちゃん)
(寸評)あ、俺は梅干しに助けられて今生存しているのか。梅干しには足を向けて寝られません。6ポイント。
はじめての移動販売車
以前このコーナーに投稿されていた秘密の座席さんの
わらびもちの歌の話を拝見して、思い出した話です。
小学校ころの話です。
私は当時、移動販売車でものを買うことにあこがれていました。
よくテレビ等で「いしやき~いも~」という声が聞こえてくると、
財布をもって家から飛び出すという「日常風景」を見ますが、
その当時の私の家の周辺には移動販売車などがきたことがなく、
その当然のようにテレビで描かれる移動販売車の風景を
「現実の世界」のものではなく「想像の世界」のもののように感じていました。
そういうわけで、その「想像の世界」のものである移動販売車にあこがれていたのです。
そしてある日、
「わらび~もち~」という声が聞こえてきました!
生まれてはじめての移動販売車の放送です。
ついに想像の世界のものが私の現実の世界に来たのです!
これを聞いたとたん、私はいてもたってもいられず、
母に「わらびもち買ってきてもいい?」と聞きました。
「いいよ」
そして渡してくれた数百円のお金。
私は妹と一緒に玄関をとびだし、
家よりも少し遠いところでゆっくりとした
スピードで進むわらびもち屋さんを目指して
走りました。
母からもらったお金を握り締めて。
ようやくわらびもち屋さんに追いつき、
初めての体験にどきどきしながら
「わらびもちください!」とお店の人に言いました。
走ってきたので、
もしかしたら、少し声がうわずっていたかもしれません。
するとお店の人は
「妹さんもいっしょなの?お姉ちゃんえらいねえ。
じゃあサービスしてあげるね」
と最中一杯にわらびもちをもってくれました!
「ありがとう!」
初めての移動販売車でものを買ったこと、
母から数百円のお金をもらってわらびもちを買ったこと、
そしてお店のひとがサービスしてくれたこと、
わらびもちがとてもおいしそうなこと、
これらのことがすべてうれしくって
そしてこの喜びを早く母に伝えたくって、
別に急ぐ必要はないのにも関わらず、
家に走って帰りました。
「お母さん!わらびもち買ってきたよ!」
「よかったねえ。お父さん帰ってきてるよ」
父が帰ってきているということで、父にもこの喜びを
伝えようと思いました。
「お父さん!買ってきたの!」
父はそれを見るやいなや
「そんな不衛生なもん捨てろ!
お前(母)もこんなもん子供に食わすな!」
ショックでした。
初めて移動販売車で買った喜びを伝えたかったのに…
そしてそのものを「捨てろ」と
自分の喜びをすべて否定された気がしました。
もちろん私は、不衛生じゃない!反抗しました。
しかし父は「捨てろ」と言って聞きません。
泣く泣くわらびもちを捨てました。
一口も食べていないのに…
泣きはしませんでしたが、
捨てている間、
父の「捨てろ」という言葉が何度も胸の奥に突き刺ささり、
お金を渡してくれた母、
サービスしてくれたお店の人
ついてきてくれた妹
これらの人を裏切ってしまったような気持ちでした。
それ以来、1人暮らしをするまで移動販売車でものを買ったことは
ありません。
1人暮らしをしてから食べた屋台のラーメンはとてもおいしかったです☆ ペンネーム:はちこ
(寸評)わ~、なんか切ないねー。気持ちが痛いほど分かる。
いい悪いじゃなくて、そういう一生忘れられない光景ってあるよね。8ポイント。
初めての絶交
子持ちの姉が別居を始め、僕は、相手の男と連絡を取り合う関係を持ちました。
彼は復縁を望んでいて、"その気持ちが本当のものなのならば、私はそれを尊重する"という取り決めでした。
この微妙な関係、、、当初は、
相手「電話しても出ないのだが、今、何をしているのか?」
僕「○○みたいです」
この程度だったのですが、やがて苦悩の吐露が頻繁になり、次第に、振り向かない姉と姉を取り巻く我が家に対する怨念を、相手はオープンにしてきました。
僕は黙々と聴いているだけでしたけど、深夜に泥酔状態の電話も頻繁になったので、いつまでもお人好しのままではいけないと思い、文句を言うことに決めました。
電話が来るまでに慎重に言葉を考え、「今のままでは、姉は決して帰りません。端的に言って貴方にはモラルがありません」と言い放ちました。以下は要約です。
「何!? なんだと? モラルって何のことだよ!?」
「していいことと悪いことを見極め、守ることです」
「俺が何か悪いことをしたのかよ、俺のどういうところが悪いんだよ、言ってみろよ」
「カクカクシカジカのときのことです」
「あぁそーかよ! 仮に俺が悪いとしてだ、オメーの姉貴の方はどうなんだよ!」
「○?△」
「□+÷!?」
…。…。
このときは深夜の3時まで口論になりました。
翌日、「おい、モラルがないなんてよ、○○??みてーなオメーによォ、言われたかねぇんだよ!」と、痛いところ(○?の部分)を突かれました。
それで、僕にはこの人を改心させる力はないと判断し、連絡を取り合う関係を止めました。向こうからの電話もありません。
このやり取りのときほどに、他人に、冷たく突き放すようなものの言い方をした事はありません。
いま思うと、人を見る目がなかったと思います。人を見る目をきちんと養って、付き合う人を選ばなくちゃダメだなと。トホホな体験でした。(ほっすぃ~)
(寸評)そりゃあお姉ちゃんも離れるよね。でも冷たい言葉を吐かざるを得ないのって、苦しいよね。
でもそういうことって人生に何回かは訪れるんだよね、誰にでも。7ポイント。
初めてのお葬式
20歳になって、初めてお葬式に出席した。
私が20歳になるまで、
それはとても幸いなことに私の親戚は皆元気で過ごしていらっしゃった。
その中での突然の出来事であった。
20歳といえば、ほんのわずかにしかすぎないが、知識を得つつあると思っていて、ほんとは何も知らない歳であると思う。
「初体験」を告白するページに投稿させていただくので
その「お葬式ってこういうものだと思っていた」というものとの
「初体験」を通して感じたギャップに絞ってこの経験を述べさせていただきたいと思う。
1.お経の話
お経って平坦なものだと思っていた私が間違いだった。
お坊さんがお経を読んだ瞬間、衝撃であった。
大変な美声であったのだ。
まるでオペラ歌手のようなよみ方である。
お経自体も一般的な「お経のイメージ」とはかけ離れていて、
浄土真宗だからであろうか、まるで歌のようなお経。
まさかこんな悲しみの場でそんなオペラ歌手のような美声が聞けるとは
思っていなかったので大変びっくりしてしまった。
そういえば高野山で聞いたお経もこんな感じであった。
お坊さんが数人いてそのお坊さんがお経でハモっているのである。
その高野山では、正座がきつかったが、そのお経だけは聞き続けていたかったなあ。
ということを思い出してしまった。
2.火葬場の話
もちろん、火葬場にも初めて行った。
私達だけじゃなく、多くの家族がいた。
「私達だけじゃないんだ」ということに気づいた。
しばらく経って、火葬が済んでお骨を拾うときが来た。
「お骨の説明をさせていただきます…」と係員の人。
どんな説明をしてくれるのだろう…と考えた。
例えば、
ここが○○骨、こちらが??骨とか大体の大きな骨の名前の解説とか…
もしかしたら
この骨の形からこの方の生前の様子がこのようであったことが伺えます…
ということも説明してくれるかもしれない。
そして説明
「こちらがお顔のほう、こちらがお足元のほうになります。
お顔が綺麗に残っていますね。」
見れば分かる
とつい思ってしまった。見て分からないものを説明してほしいなあ…
いやいやきっとこれから…
「こちらが喉もとの方です。」おお!
「さてお骨を拾っていただきたいと…」
えっ?それだけ?
説明ってもっと詳しくしてくれるもんだと思っていたが、
案外アバウトであった。少しびっくりした。
そして私がお骨を拾う番が来た。
お骨のそばによってみるとものすごく熱い。
こんな熱い炎に焼かれても骨が残るということに感動していた。
お骨を箸で持ってみると、もろいものであることに気づいた。
熱い炎を潜り抜けて、残った大切なお骨を壊すまいと慎重に、丁寧に
骨壷に運んだ。
さて大分骨壷にお骨を納めることができた。
しかしまだお顔のお骨とかが残っているなあ…
と思った瞬間!
ザクッ
!!!!
なんと係りの人がお顔の骨をお箸で壊し始めた!!!
「お前さっき、『綺麗にお顔が残っておりますね…』て感慨深く言っとったやんけ!それを壊すんかい!!!」
と心の中で突っ込まざるを得なかった。
しかもお箸では壊しきれなかったのか、次は手でばきばきと分解し始めた!
せっかく熱い炎にも耐えて残ったお骨。
大切な、故人のお骨。
これがまさか人の手によって壊されようとは。大変な衝撃であった。
いいのか?これはそういうものなのか?
と初めての経験に戸惑いながら、火葬場をあとにした…
以上がお葬式に初めて出席したときの衝撃です。
最後に一言。
本当に20年間ありがとうね。 ペンネーム: はちこ
(寸評)まー火葬場の人も毎日何体もの人間を焼いていれば
「骨壺に入れるにはもっと小さくしなくちゃ、・・・えいっ!!」
という感じなんだろうけどね。
ま、やっぱり人間生きてるうちが花なのねん。
俺が死んだら、骨は面白い形にして遊んでいいよ。8ポイント。
初めてのショット
私ははじめはお酒が飲めませんでした。
まったくといっていいほど。
チューハイ半分でもう駄目でした。
しかし今は飲めるようになりました。
日本酒、焼酎、ワイン、ウイスキー…なんでもいけます。
なぜ私が飲めるようになったのか。
これはたった一杯のお酒を飲んだからです。
テキーラのショット。
レモン噛んで、塩をなめて、一気に!
飲めない私がテキーラのショット!
案外いけました。さほど酔わず。
お酒に目覚めた瞬間でした。
ですから、お酒の飲めなくて、少し飲めるようになりたいと
思っている人は、テキーラのショットをやるといいかもしれません。
そのテキーラショットの帰り道。
自転車でこけましたが、酔ってはないつもりです。 ペンネーム:はちこ
(寸評)おおっ、なんか新しい説だな。下戸な人、騙されたと思って(多分騙されるが・・・)一度試してみんしゃい。
俺は、元々両親もその上も下戸だという話を聞いて、中高生時代からビールを毎日のように飲んで鍛えた。
おかげでロシアでも地元の青年とウオッカ対決をして勝つほどになったよ~ん。6ポイント。
はじめてのラジオ出演(収録と生放送)
ほっかいどーツアー中に、生まれて初めてラジオに出演した!
最初はまさか出るなどと思っていなかったので、パーソナリティの人に「どうぞ!」と案内され入ったブースにイスとマイクとヘッドフォンが3つあったので、まじで!?とびっくりした。当たり前だが、打ち合わせの時に話していたことを、本番ではさも初めて聞いたかのように
「へぇー!チェンマイに行ったんですか!」
「ほうほう!えっ?そこでフェロモンが!?」
と司会の方がリアクションを取っていた。それを目の前で見て、うわ~!さっきそれ言ったのに同じこと言ってる!と、なぜか笑いがこみあげてきた。当たり前のことなのだが、素人からすると、こういう光景ですら新鮮なものである。
あとは音楽を流したらヘッドホンを外すこと。みんな(桃玉さえも)音楽を流し始めたら当然の顔でヘッドホンを外しだしたので、私も負けじとクールさを装いつつヘッドホンを外した。その数日後も、別の番組に出演した。こちらは収録ではなく生放送だったので、音楽をかける時に、手元にあるマイクのボリュームを石川浩司(以下・スター)と司会の人が下げていた。(声が入ってしまうから)当たり前なのだが、ボリュームを上げ下げしているスターを見て、なぜか「きゃーーっプロー!かっこいいー」とひとりで密かに興奮していた。
その後、司会者が「き○がい、なんて言葉がありますけどうんぬん」と最強の放送禁止用語をさらっと言い放つわ、未帰宅老人情報というニュースを流したとき「服装、持ち物の特徴ですけど、風呂敷を2個、持っていたということです。」の「風呂敷2個」に思わず「ぷぷーーっ!!」と吹き出しそうになるわでものすごい焦った。非常に危なかった。
ニュースの内容が内容だけに絶対に笑ってはいけない場面である。しかも司会者は真剣な表情で「その風呂敷には一体何が入っていたんでしょうかね?」と言い出したのである。ぷぷっ・・・うはは・・・風呂敷2ケ。一体その中には何が入っているんだ未帰宅老人よ・・・。笑いそうになったのを溜息を織り交ぜたような相槌にしてなんとかごまかした。
コミュニティFMのため、聞いてる人の数は少なかっただろうが、ここで笑ったら、それこそ「きち○い発言」より非難を浴びただろう・・・。最後にDVDの告知をさせてもらったのだが、時間が足りなくなってしまい、「巻き」も初体験した。
司会者とスターと桃玉と他のスタッフに急かされて、焦って変なことを言った記憶がある。それにしても吹き出さなくてよかった。本当によかった・・・。
こうして私の人生初のラジオ出演(収録・生両バージョン)は終わったのである。 (さっちゃん)
(寸評)そうだよね、素人の人がラジオにゲストとして出演することなんてまずないもんね。
今度は鼠先輩ならぬチンポ先輩として出演してくださいな。
ま、出演交渉段階で完全に拒否られるがな・・・。7ポイント。
はじめてのラジオ必死聴き体験
はじめてのラジオ出演から数日後、その番組を聞こうとしたが、コミュニティFMのため、可聴域が異常に狭かった。
まずは自分のCDプレイヤーのラジオで聞こうとしたがだめ。その番組のチャンネルに合わせることすらできなかった。
次にただのラジオ。これでもかというぐらいアンテナを伸ばして窓際に立てかけてみたが、これもだめ。
どうしたものか、と考え、自分の車のラジオを試す。チャンネルのボタンを微妙な力加減で半押しするとなんとかチャンネルが合った。しかし、とんでもない雑音。むしろハングルしか聞こえてこない。これは困った。どうしても聞きたい。
そこで閃いた。このラジオを収録したスタジオ付近の町に向かえば絶対に電波は良くなるはず、と。車にエンジンをかけ、いざ出発。ラジオを聴くために!と、駐車場から少し車を動かすと、なんと日本語が聞こえてくるではないか。
んん?と思いながら、車道に出てみるとノイズはさらに小さくなる。おお??と通りをソロソロを走ると途端にものすごいノイズに戻る。その後、電波は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、ゆっくりと近所を走りまわり・・・なんとOh,No!交差点のど真ん中で最もクリアな音に!!
さすがにここに車を停めてラジオを聴いていたら、速効警察を呼ばれ、「道の真ん中を占拠、しかもコミュニティFMを聞く不審者、発見」で連行だ。
しかたないのでその後も家の周囲を明らかに怪しげな速度で走りまわり、最終的に近所の駐車場に腰を据えることにした。
しかも、電波の関係上どう見ても怪しすぎる角度で駐車することを余儀なくされた。
車のオーディオでの録音ができなかったので、ICレコーダーをスピーカーの近くに設置して、こうして無事ラジオを聞いたのだ!!
おお!しゃべっている(当たり前)!
でも自分の声は機械が通るとさらに男だか女だかわからん声になって少し嫌だった。公共の電波にニューホルモン鉄道の「どうでもワルツ」が!!どうでもいいことに本気になって・・・めちゃくちゃ心に染みた。まるで自分のことのようだ。
今度はぜひ「せんずり数え唄」をかけたい。 (さっちゃん)
(寸評)コミュニティFMって各地に出来ていて、俺も時々出ることがあるのだが、いつも疑問なのだ。
本当に狭い範囲でしか聴けないので、聴いてる人がいるのだろうか、と。
誰も聴いてなかったらオナニー放送だねっ!
どうせオナニー放送なら放送禁止用語ビシバシ使おうぜっ! 6ポイント。
はじめてのアーティスト仕事
アーティストデビューすることになりました。
イラストの依頼を受けたのです。
ちゃんとギャラも発生するという事で、
しっかり勤まるかどうか、あたしなんかの絵でいいのか心配ですが、
締め切りに間に合うようちょこちょこ描いてます。
絵でお金が貰えるなんて夢みたい・・・。
楽しく頑張ります♪(りあちゃん)
(寸評)おぉ、何に載るのかな?
まさか、エロイラストかっ!?
出たら教えてね! 6ポイント。
はじめての野外フェス
私の住んでいる大阪には、ラジオ番組が主催する野外フェスがあります。
ラジオを聞いて応募し、当選するとそれに無料で招待してもらえるというものです。
私はとある1つのバンドが目当てで応募し、(応募期間中ずっとラジオを聞きました)当選しました。当選者とあともう1人ペアで参加できるのですが、周りに私と同じバンドが好きな人がいなかったため、一人で行くことにしました。
そして7月の下旬の当日!初めての野外フェスです!
しかし当日はその日の翌日までに仕上げなければならない課題を徹夜で、出発ぎりぎりまでやっていたので、寝不足でふらふら、朝ごはんを食べる時間も無くものすごく空腹、という状態で出発しました。
あるバンド1つだけが目当てだったためと、まだ課題が残っていたため、そのバンドだけ観たら帰ることにしました。
そのため、持っていくものもそういらないだろうと判断し、ハンドタオルとペットボトルの水だけもっていくことにしました。
会場に到着。
炎天下の中、芝生で開演まで待つことに。
しまった!!!
そう思いました。
まず、スカートで来てしまったことに後悔。芝生に座るので、座り方を工夫しないとパンツが見える!
次に装備がハンドタオルと水だけというかなりの軽装であることに後悔。周りを見れば、レジャーシート、つばの広い帽子、小さい椅子、バスタオルなど重装備な人が多いではありませんか!確かにこの炎天下の中長時間過ごそうと思えばそれぐらいの装備は必要です。あまりにも、私は無防備です。
最後に一人できたことに後悔。2人づれで来た人たちは、場所を確保しながらも、交代でトイレに行ったり、屋台で食べ物を買ったりできます。私は一人のため、場所を確保しようと思えば動けません。つのる空腹。
ひろい会場で、私はひとりの軽装女。芝生にスカートで直に座り、細いタオルで日光を防ぎながら、寝不足頭と空腹に一人で1時間30分ぐらい耐えてつづけました。(最初の30分でパンツのことはあきらめ、できるだけ体力を消耗しないような体勢をとることに専念しました。)
野外フェスを、完全に舐めていました。
そんな状況の中で、「あのバンドのライブが見れる!」ということだけが私の支えでした。どのライブに行っても、入場してから開演の時間までの、あの好きなアーティストが出てくるまでのなんともいえないドキドキの時間は、たまりません。時計を何度も見てしまいます。(そして時計を見るたびに5分程度しかたっていないことを知ってがっかりするのです)
いよいよ開演!私の目当てのバンドが一番だ!
といった瞬間
ブチッ
と音がしました。サンダルの紐が切れたのです!このタイミングで!
とてもじゃないが歩けません。とりあえず、ライブ中はその場から動かないようにしました。
問題なのは帰り。駅まで15分ぐらい歩かなければなりません。私はフェスのスタッフさんに頼み、ガムテープで紐を補強して、野外フェスを1組目で帰りました…
ガムテープサンダル、とても惨めで、恥ずかしかったです。
電車の中で、あれほど人の目を気にしたことはありません。
でもその目当てのバンドのライブはとても良かったです!
(はちこ)
(寸評)ガムテープサンダル、パンクのふりすれば大丈夫さっ!
俺も出たことはあるけど見に行ったことはないので参考になったー。7ポイント。
初めてのカメ手荷物
カメは、ある程度の大きさまでであれば手荷物として国内線の飛行機内に持ち込めることに気づきました。
「ある程度」がどの程度かよくわかりませんが、手に乗るサイズなら問題ないと思われます。甲長14cmのアカミミガメは持ち込めました(2008年8月現在)。
持ち込む際に、カメの姿が外から見えてはいけないそうです。キャリーなら布をかぶせるなどして、カメを隠匿します。
鳴いたり臭いがするのもいけないそうです。でも我が家のカメ夫さんの様にほのかに藻の香りがするのはOKみたいでした。
キャリーの中には、排泄しても吸い取れるようにペットシートなど敷いておきます。今回、カメ夫氏は6時間の移動中に二度糞をしました。
空港で見つけて、ちょっとあわててトイレの洗面台でシートをとりかえようとしているとき、うっかりと氏のキャリーを洗面台の上の不安定な位置に置いていました。
キャリーの中で氏が動いたときに、不安定だったキャリーが倒れ、その拍子にキャリーから出たカメキチ氏は、洗面台の流しの中にすべりこみました。
氏が蛇口の真下に的確に滑り込み、頭を上げたために、それに反応した自動で水の出る蛇口から水が流れ出し、カメキチ氏の頭上に降り注ぎました。
「蛇口から水を出したカメ」として、カメ夫氏には誇りを持って生きてほしいと思います。
話は戻って、カメ連れにとって一番の難関は手荷物検査ゲートです。
普通にキャリーを差し出すと、手荷物と同じようにX線をかけられるので、
「これはカメです。手荷物用のX線機器にはかけないでください。」
と検査員さんに申し出ます。
「中を見ていいですか?」と言われるので、キャリーを人間用ゲートに通したあと、蓋をあけて、カメ以外に隠匿物がないことを確認されました。
中には「ええっ、カメって持ち込みできるんすか?」と動揺する検査員さんがいます。 私は事前に自分のカメのサイズ・種類が持ち込み可能かどうかを航空会社に確かめておいたので「いいんです」と自信を持って押し通ることができました。
手荷物検査を通過できれば一安心です。さりげなくカメを持って搭乗口に向かいます。
飛行機に乗ったら、前の座席の下にキャリーを置いておきます。足でそっとキャリーの壁を触ると、ガサガサと氏が動く振動が伝わってきますが、飛行機の飛ぶ音にまぎれて音は聞こえません。隣の人もとくに不審そうにキャリーを見つめてはいませんでした。
到着後には何も検査はないので安心です。
旅のストレスは大きそうです。ごめん、カメ夫。移動後はできるだけ早く水槽に入れました。氏は今日も元気です。 (Sabina)
(寸評)この文章、カメを別のカメのことと思いながら読むと、大変変態チックになります。
あっ、決してそんな風に読んではいけませんぞっ!
こっ、こらっ、駄目だと言っておるのにっ! 7ポイント。
初めて、女の人を拾った。
夜、バイトを終え、颯爽とH街道という通り沿いに自転車を飛ばしていたら。
…道端にぐにゃりと、茶色い髪に肌を露出した性が倒れてるじゃないすか。死んで…は、ないね。ただの酔っぱらいだ。ひと安心。
夏とはいえ、ここは札幌、夜は肌寒い。そのまま放置して帰る気にはなれず、
「オネーサン、風邪ひきますから、家で寝ましょうよ」
反応ナシ。しつこく声をかけていたら、ようやく顔を上げてくれた。化粧が濃いなぁ、すすきのでで働いてるのか?という印象。
その人、私をみて開口一番
「かっこいいお姉さんだ」。
…この一言で、かなり酔っているのがわかる…。そしてポロポロと泣き始めた。好きな人がいるのに不倫をやめられない云々、職場では弱音が吐けなくて、強いと思われている、云々。
さんざん話しておいて、「なんでこんな通りすがりの人にこんな話してるんだろう」
…私が知りたいよ。
随分老けて見えるこの女性、聞いてみたら同い年だった。
家はどうやらすぐそこらしいので、送っていって、ホルモン鉄道のライブのチラシを渡し、別れた。
ライブには来なかった。道端で寝るのは、やめましょう。(桃玉)
(寸評)まぁ、道に落ちてる人はなかなかライブには来ないものと、大正の昔から相場が決まっているからな、しょうがないな。7ポイント。
初めての変質者!
また別の日、深夜1時頃にH街道沿いにを自転車を走らせていたら。灰色の、夏場にはふさわしくないコートを着た、金正日の息子のような風貌をした男がもの影をじっと見つめて立っていた。
「一体コイツ、何やっとんじゃ?」
そう思うも、何事もなくすれ違う。
十数メートル自転車を走らせただろうか。今度は、道の真ん中に、先ほどすれ違った金正日の息子風の男と寸分違わぬ男が、こちらを向いて立っているではないか!!!
驚き、注視していると、
バッ!!!!!!!
と、その灰色のコートを開いた。
全裸。
イチモツらしき物が、露出した瞬間に「びよよよ~ん!!!!」と動くのは認めたが、幸い目が悪いのと、自転車を飛ばしていたために、細部までは見えなかった。
それにしても、二人は双子かつ変質者なのだろうか?初めの金正日の息子風の男が、「間もなく自転車に乗った女が通るよ」などと連絡し、それを受けたもう一方が道に立つ、というふうに。だとしたら、なかなか狡猾だな。あ゛ーーー不快だった。(桃玉)
(寸評)違うよ、夏だからただ涼んでいただけでしょ。札幌では屯田兵の時代からごく普通の風習と聞いたよ。
ごくごく、常識人だよっ! 7ポイント。
初めて道で寝ている人発見
この前の夜中、初めて道で寝ている人を見ました。
自分は朝刊配達の途中で、まだバイクに慣れてなくて自転車で配ってたんですが
住宅街の交差点を曲がると、道の真ん中に自転車と人が倒れてました。
も、もしや事故!??と恐る恐る近付いてみると、おぢさんが気持ち良さそうに寝ておりました。自転車と一緒に。
び、びっくりした~・・・
あまりにも気持ち良さそうだったので、起こさないようにそーっと通りすぎました。
その後大丈夫だったかな、あのおぢさん・・・
ちなみに今日も配達の途中、歩道の真ん中で丸くなって寝てるおぢさんがいました。でっかいカバンか何か??と思ってよく見たら人だった・・・。(ななを★)
(寸評)あっ、それは「道の真ん中で寝る会」の会員の人達だよ。最近、流行ってるらしいよ。ななをもやってご覧! 6ポイント。
初めての吐瀉物じっくり拝見
朝刊配達中、狭い路地にある飲み屋さんの前に、多分誰かの吐瀉物と思われる物体が・・・
しかも新聞入れなきゃいけないその飲み屋さんのシャッターの前に・・・
踏まないように気を付けて新聞入れました。
他人の吐瀉物をこんなに間近でよく見たのは多分初めてでした。
卵かけごはんみたいでした・・・って大好きな卵かけごはんが食べれなくなるー!!
お食事中の皆さますみません。
・・・夜中~早朝は色んな事、色んな物があって楽しいです。。。(ななを★)
(寸評)楽しいのかいっ!
でも一番多いのはもんじゃ焼きだね。それを掬って月島あたりじゃよく焼いてるから、ななをも行ってご覧。6ポイント。
初めてのパトカーに注意
新聞配達ネタばかりで申し訳ないですが、今日朝刊配達中に初めてパトカーに注意されました。
いけないと知りつつもちょっとだけ歩道をバイクで通っていて、その短い間に運悪くパトカーが・・・
やばいっ!と呟きましたがパトカーは通りすぎて行き・・・と思ったら、通りすぎる瞬間「駄目だよ」という声が・・・;
ご、ごめんなさいーー!!!あぁあびっくりした。これだけで済んで良かったです。。。
けど、初めてパトカーに注意されたという事に動揺してしまい、その後はびくびくしながら配達しました・・・
スピード出しすぎないようにしたり、住宅街で一方通行を逆走しながら、今パトカーが来たらどうしよう;;と思い、なんとか逆走しない道のりを考えてみたり。
次からは、面倒臭くても歩道はちゃんと歩こうと誓いました・・・
あぁこわかった。。(ななを★)
(寸評)歩道を走ると補導されちゃうからねっ!
ってな親父ギャグを、ななをも言ってご覧。6ポイント。
初めて石川浩司ほっかいどーツアー主催 ~前編~
8月14日~9月15日まで、チンポ先輩こと、さっちゃんと一緒に、石川浩司ほっかいどーツアーを主催しました。
事の発端は「王様の耳はロボの耳」。「話題259なんじゃもんじゃ会」で
「来年の夏、札幌でなんじゃもんじゃ会を企画します!」
と宣言したところ、07年11月10日の更新で
「いいね~夏の北海道。長くいようかな。ついでに何ヶ所か回れたらベストだね」
と、石川浩司から反応が。本当に、たったそれだけ。
その頃既に石川浩司が楽しくてたまらない病気に侵されていた私は、
「長く石川浩司と遊ぶためには…ツアー組めばいいんじゃん!」
と、飛びついた。後々の労苦のことは、何ひとつ考えずに…
これらの計画を、ひと月前にに出会ったばかりだった先輩にお話すると、
「やる!私もやるわコノヤロー!!!」
と、完全に乗っかっていらっしゃいました。予定通りです(嘘)。そして、先輩と二人で膨らませたツアーの計画を石川浩司に打ち明け、実現に向け動いていいかと問うと
「どんどん進めて下さいな~」
との返事。斯くして、石川浩司ほっかいどーツアー計画は始動した。(桃玉)
(寸評)そーかー。最初はそんな軽い感じから始まったんだっけ。
どんな大きなことも、始まりはいつもさり気ないもんだよね。6ポイント。
初めて石川浩司ほっかいどーツアー主催 ~中編~
あらすじ
ド素人が、石川浩司のツアー主催を宣言してしまった。一体どうなる!?
ほっかいどーツアーと平行して、私たちは「石川浩司ライブ・イン・チェンマイ」「年刊石川浩司」の制作、「パスカルズを北海道に呼ぼう!」の活動をしていた訳だが、これはまた別の話である。
ツアー主催を決め、まず始めなければならなかったのは、情報収集。
「ツアーを始めるには、一体何からすりゃいいの?!」
そんな事すら、私たちにゃわからなかったのである。先輩が連絡を取ってくれたテレビ局関係者だった人などから、ツアーにあたっての心構えなどを聞き、だんだん、事の重大さに気づく。そう、事の重大さは、話が具体化するにつれ膨れ上がってゆくことになる。
・地方で石川浩司ライブを主催したい人を募り、連絡を取り合う。
・必要経費を計算する
・ツアー中の滞在場所を探す。
・チラシをデザイン・制作する、撒く。
・ファンクラブツアーの内容を考える。
…これ以外にも、まだまだまだ、いくらでも、やることがあるのだ!!!こちとら、人員たった2名…。
いくら私たちが自他共に認める石川浩司キチガイとはいえ、会う度に衰弱してきているのが、はっきりわかった。話題も、
「石川さん好き!好き!」
から、
「石川浩司のバカヤロー!!二度とツアーなんかやらねぇ!(まだ始まってすらない)」
と荒んでいった。
そんな中、先輩は、看護士の仕事をしている身にも関わらず、新聞の取材やラジオ出演を取り決めてくれた。勤めている病院で、×××××××してくれた。ツアーにも全同行するという。
私も、札幌でのライブをふたつ企画してしまった。へばってる間もなかった。(桃玉)
(寸評)独断で、一部伏せ字にさせてもらったよ。勤務先に万一ここを読まれたら・・・と、小心者の俺。7ポイント。
初めて石川浩司ほっかいどーツアー主催~後編~
嵐のように時は容赦なく過ぎ、8月13日、ついに石川浩司、北海道上陸。始まったのだ、ツアーが。
これからは、引き続きライブの宣伝や主催者とのやり取りをしつつ、週末にはライブの物販・雑用をこなさなければならない。平日はもちろんバイトがある。ますます多忙になるであろう事は、想像に難くなかった。
怠け者の私は、ツアーが始まる前は、その忙しさを考えるだけで、具合が悪くなりそうだったのだが。
いざ始まってしまったら…毎日が、楽しかった。
先輩の運転する車で旅をする道中。地方で食べるご飯。打ち合わせ。打ち上げ。先輩の、石川浩司への求愛。ライブ後のマッサージ。週末ライブがあると思うと、バイトもさほど苦にならなかった。
そして、何より、ライブ!会場によって広さや客層、共演者、出演時間も異なり、最高に楽しいものだった。
中でも特に頭から離れないのが、北海道在住のミュージシャン達との、即興セッション。石川浩司のパーカッションが加わるのは、モノクロ映画がカラーになるような、えもいわれぬ鮮やかさだった。即興で入れる合いの手やコーラスも見事!
「これを観るために生きてきた!」
と思う瞬間が、ツアー中何度もあった。贔屓目でなく、なんて素晴らしいミュージシャンなんだろう!と。
また、石川浩司の音楽やお腹に触れた人たちが、なんてイキイキとした表情をしていることであろう!そんな人たちを見ているのも、幸せだった。
やはり、石川浩司はどことなく、天使なのかもしれない。 (桃玉)
(寸評)だから天使だって自ら名乗ってるのに~。誰も本気にしないんだもんなぁ。
天使の実体なんて所詮こんなもんだよ。6ポイント。
初めて石川浩司ほっかいどーツアー主催 ~あとがき~
ツアーを終え、もう十日以上経つことになる。
けれど、
「終わったーーーー!」
というような達成感は、味わっていない。私の中に残るのは
「形だけでも、無事終われたんだよな」
という頼りない安堵感、
「もっとああ出来ればなぁ」
というボンヤリした反省、そして
「なぜ、無事終われたんだろう?」
という疑問である。
「ああ、あれやらなきゃ、これもやらなきゃ」
と思っているうちに、自分はほとんど何ももせず仕舞いだったような気がする。私の頼りなさを見かねて、多くの人が力を貸してくれたからこそ、無事に終わることができたのは、間違いない。ひたすら「ありがとう!」である。
ド素人にツアーを任せた石川浩司もさぞ苦労したことであろう。今回で、
「ド素人でも、熱意さえあればツアーを主催できる!」
という事は、身をもって立証出来たのではないだろうか。
これを皮切りに
「石川浩司東北ツアー」
「石川浩司九州ツアー」
が組まれることを願ってやまない。良いものは多くの人に見聞きされて然るべき!!である。
1ヶ月に及ぶツアーを終え、石川浩司を見送った時、淋しさはさほど、なかった。
「まだ始まったばかり」
そんな声が聞こえた気がした。(桃玉)
(寸評)そうそう、お楽しみはまだまださっ!
ほんとに他の地方にもこんだけ熱意のある人、出てこないかな~。日本はまだまだ広いからねっ!
とにかく、まじでありがとな、おふたりさん。
お疲れ! 6ポイント。
初めての名画座
職場が浅草にあるために、よく六区通りを歩いたりします。
8月上旬にフラっと名画座の前を通ったら「釈迦」という映画が名画座で公開されていました。
本郷功次郎さん、勝新太郎さんが出演されている映画で公開は1961年とのことなんで、
私は生まれているどころか、親も小学生の頃の作品。
なんだか大がかりな感じの大作で、古い映画に興味のあった私は、
受付のおばちゃんに、何日まで公開しているか確認し、週末夕方に観に行くことにしました。
外の券売機で入場料1,000円を払い劇場に入る。
勝手がわからないので、売店のおばちゃんに話を聞くと、
劇場内は1階と2階に分かれていて、どちらで観てもいいとのこと。
とりあえず1階の前方で観ようと1階の扉を開くと、
小便くさい感じの、独特な臭いが…。
建物が古いのでしょうがないが、いい臭いではない。
前の席に足を乗り出して椅子に座る親父、
禁煙の場内で煙草を吸う親父、
4席ぐらい使って横たわり寝る親父。
場内は煙草吸い殻、空き缶、ティッシュなど散らかり放題。
古い劇場で場所柄、綺麗ではないと思ってはいたけど、ここまで汚いとは。
マナーもへったくれもない。
何となく気分が悪くなったので、1階を諦め、2階へ。
しかし当然のことながら2階も一緒。
開放的なため、少しだけ臭いが和らいだような気もする。
椅子も湿っているような汚い感じで、座るのが嫌だったので、
しょうがなく、一番後ろの扉付近で立ち見で鑑賞することに。
上映時間が約2時間半と長いのに最悪だ。
やがてオープニングが始まる。
デカい画面で観た方が良さそうな重厚なタイトルに期待が高まる。
と同時に異変に気付く。
ここまで汚い劇場にキャミソールを来た髪の長い女がいるのです。
普通では考えられない。
よっぽどこの映画が観たかったのかな?と思った私が馬鹿でした。
そんな奇特な女がいるはずもなく、年老いた女装のおじいさんでした。
更に周りを見渡すと和服を着ている人からピチTを着ている人まで、総勢10人はいる様子。
どうやら入ってはいけない、 ラビリンスに迷い込んでしまったようです。
還暦超えのオッサンが女装男のケツを触り、連れられて座席でもぞもぞと。 (以下自粛)
今すぐにでも、この空間から抜け出したいけど、
お金を払ってわざわざ見に来ている以上、そう簡単には外に出たくない。
そんなジレンマの中、とりあえず映画を鑑賞することに。
すると、やはり事件は起こったのです。
ゾンビのような親父が近づいてきて、隣に来ると、
様子を伺いながら、マイティンコを握ろうと手を伸ばしてきました。
俺はマタドールのように、ひらりとかわし親父を睨みつけると、親父はそそくさと扉を出ていきました。
もうそれから気が気じゃなくて、せっかくの映画が台無し。
取り合えず最後まで観ましたが、面白かったものの、それどころじゃない環境に精一杯でした。
「完」の画面が表示されるのを確認すると速攻で劇場を後にしました。
で、家に帰ってきてネットで色々調べてると、酔っ払いやニコヨン(労務者)、ホモの痴漢、スリのたまり場とのこと。
日曜、祭日は普通の客もいるらしいですが、治安の悪さは半端じゃないとの書き込みが。
また劇場内後ろの通路に立つというのは、「これからやらない?」の合図らしく、
知らない間に俗に言う、ハッテン場に迷い込んでいたのでした。
しかも普通の人は二階席には行ってはいけないらしい…。
(俺は普通じゃないのか?)
いろいろな経験をしてますが、こんなに脅えたのは久々でした。
皆さんに一言、浅草の名画座には近づかない方がいいです。(ネーポン)
(寸評)俺もかつて上野で全く同じ目にあったことがある。座席に座って映画を見ているとなんか気持ちいい。とっても気持ちいい。いきそうに気持ちいい。
ふと自分の股間を見てみると、隣りのおっさんに握られて、こすられとるうぅぅぅ~。
座席を替わってもそこでも握られて、こすられる~。
しょうがない、小便でもして帰るかとトイレに立つと、入り口にいたおっさん3人が俺が小便をし始めた途端、一斉に俺の横に来て、もろに覗き込み、ブツの品定めをはじめる・・・。
結局数年後、そこは完全にホモ映画館になったのでもう間違うことはないが、なかなかの経験であった。
逆に、興味のある人は近づくといいで~す。8ポイント。
はじめてのライブ単独主催
石川浩司のライブの主催(なんじゃもんじゃ会)自体は、前回のタイ・チェンマイがはじめてで、その時は桃玉との共同主催で、しかも彼女にほぼおんぶにだっこ状態だったが、今回はじめて単独で主催した。
石川浩司ほっかいどーツアーを構成するにあたり、私も何か主催しようと思ったとき、即決で「じゃあ私、ホルモン呼ぼっ!!!ルンルンッ♪♪」との思い立ちが最初だった。
その後、何度も大谷氏と連絡を取り(詳しくは、「私のまわりのおバカさん」の大谷氏についての頁を参照されたし)準備を進めていった。
やることは山ほどあった。出演者との打ち合わせ、会場決め、宣伝、チケット作り、会場の人とのやりとり、当日のさまざまな雑務などなど。といってもまた桃玉、石川浩司におんぶにだっこ状態になってたような気がしないでもない。いや、する。おおいにする・・・。
ライブ当日は、不安でいっぱいだった。みんな(客)ほんとに来るのだろうか、無事にここまでたどり着けるだろうか、なんてことをずっと思って、心配で落ち着かなかった。しかし、みんな驚くほどの時間厳守で予約者だけでなく当日の人も来てくれた!!場所が場所だけに(ライブ会場は一般の家でやった)分かりにくく、しかもチラシの地図は私が書いたものだったので、来てくれた人達全員に、よくぞご無事で!と言って抱きしめたくなるぐらい嬉しくてしょうがなかった。
ライブ中も、みんなの反応が気になって仕方ない。自分もホルモン鉄道を今、初めて見ているというのに、だ。客が喜ぶと、もうそれが嬉しくてたまらない。お客としてライブを観るのとはまた違った感情になって、主催者ってこんな気持ちになるのだなーと緊張や不安と同じくらい、ウフフフキャキャッ!という嬉しさと新鮮さも大きなものになった。
会場となったなまらや(期間限定料理屋としてニヒル牛2で営業されていたことがあるお店。9月末には小樽で開店予定!)でたくさんの料理を用意してもらい、みんな満足した表情を浮かべ、打ち上げではなぜかパンツやおでこにサインをもらっている人がいた。中年おっさん客の中に石川浩司に座ってもらい、おっさんオンリーの塊を作ってみたりした。ちょっと離れたところに座っていた大谷氏が「おれもー!おれもー!」と言っていた。
あー!楽しかったなあ!!!ホルモン鉄道、なまらや、ほんとうにありがとう!! (さっちゃん)
(寸評)主催って大変なんだなーと、端からボーッと見てました(笑)。でもみんなが喜んでいるのを見るのは、主催者だけにしか味わえない喜びなんじゃないかな。
癖になってまたやって~ん! 7ポイント。
はじめてのアイヌモシリ1万年祭
石川浩司ほっかいどーツアーに関わらなければ、このお祭りの存在すら知らずに死んでいったのだと思う。アイヌモシリ・・・一体何なのか、教養のない私にはさっぱりわからなかったが、わかったのは、会場が車でしか行けないどえらい田舎にあり、公式のホームページにも「ヒッチハイクで来てね!」と書かれていたことぐらいであった。会場までは北海道の高速道路の限界まで走った。途中何度か道に迷った。助手席の桃玉はナビをしてくれるどころか延々グミを食べているだけだし、後部座席のスター石川浩司は天使の顔でスヤスヤ寝ていらっしゃった。札幌から日高まで2時間弱、実に孤独な戦いだった。
ようやくスターがお目覚めになり、日高の山道を走った。すると前方にワラ人形を超巨大化(身の丈5メートルぐらい?)した奇妙すぎる物体が現れた。するとところどころに、運営スタッフがシコシコ手作りしたと思われる怪しげな立て看板がチョロチョロ出現し始めた。これがアイヌモシリ1万年祭…。
グミを食べながら桃玉が叫ぶ。「こわいよーー!!」
ようやく会場に到着。ついた瞬間、「あ・・・なるほど」と思った。アイヌというより、ヒッピー大集合祭り。みんな、ゆるい民族ファッションを身にまとい、足まで延びたドレッドヘアーを引きずって歩く者までいる。というかもうそれ頭髪じゃないんじゃ…。
まずは今回、石川浩司を呼んでくださったPさんが、石川浩司を無言で熱く見つめたのち、強く抱擁。宿泊場所となった小屋には犬が2匹。しかも片方が病気なのか目のあたりの毛がなく、もう片方は触ると本気で吠えてくる。もちろん電気も水道もなく、ろうそくさえも売り切れていた。そして寝袋?3。
・・あははは!なんか楽しい~!何、この予想できない感じ!
ワクワクしてしまった。1日目は前ノリの日だったため、特に何もせず、会場をぶらぶら見て回ったり、Pさんの熱弁を聞いたりした。夜になると何の明かりもなくなるため、常連客は皆、己の額にライトをこうこうとつけて、颯爽と歩いていた。粋だな~と思った。
二日目、近くの温泉に行って(車で30分は走らないと、こういった公共施設やお店などがない)のんびりした後、会場に戻る。昼から夜にかけて行われたステージには十数組が出演、石川浩司の順番はくじ引きで15番だった。みそっかすだと言うことか?
ひとり20分の持ち時間であったが、最初の数組が出た時点ですでに押していた。しかしである。どんな状況でもステージは22時で絶対に終了!じゃないと騒音がストレスになって近隣の農場の牛の乳が出なくなる、とのことなのである。死活問題だ。石川浩司のおたけびが牛の乳を止めてしまっては日高町民にとってはたまったものではない。しかし、もう日が暮れ始めていた。持ってきた物販は超至近距離でも確認できなくなった。パーカッションセットも夜露で濡れてきた。まずい、まずいで~。時間は刻々と迫っていた。私たちは「どうかステージに出る時間をおくれ~!せっかくはるばる来たのに~!」とやきもきした。
最初は言えば繰り上げて出演させてもらえるだろう、と思ったのだが、別にスペシャルゲストというポジションではなく、しかもこのお祭りには全国からヒッピーが集結しているため、何も関東から来たのは石川浩司だけではなかったのである。特別にやらせてください、などとは言える空気ではなかった。容赦なく時間は過ぎていく。
アイヌの人のステージが始まった。ムックリの演奏やアイヌ語学校の生徒と思われる子供たちが歌っていた。とてもいい音だったので近づいたら、石川浩司がすでに前列で普通に手拍子を叩いてステージを楽しんでいた。私たちも、もうこれはだめだ、と暗闇の中で諦めの舞を踊った。
しかし、ステージ終了数分前、数人の女性がやってきてこう言っててくれたのだ。「石川さん、ぜひ歌ってほしいんです。なんとか私たちから言ってみますから、歌ってください。」
スタッフというよりおそらく常連の人だったのではないか。そう言い残すやいなやすぐに関係者に掛け合ってくれ、マイクで呼び出しがかかった。こうして急きょ、最後までの数分間、大トリとして出演することになったのだ!!
一発目は「秋の風」だった。「ち・ん・ぽ…」と言った瞬間、客席から「か、かっけーー!!」と若い男性の声が聞こえた。そうでしょう!そうでしょう!!他の客も続々とステージの前に集まってきた。私は嬉しさのあまりしばし悶絶。
結局、ステージで3曲ほど歌ったあと、ただちにマイクや照明などの全ての電気が落とされた。しかし、そのステージで興奮した客が石川浩司を離さなかった。「ここで歌ってください!!」そこはキャンプファイヤーだった。こんなに熱いとは思わなかった。火の粉を浴びながらの熱唱だった。
その後、一息ついていたら、近くでギターと歌声が聞こえてきた。石川浩司が「ギターはもういいや。パーカッション叩きたい。」と言ったため、私たちも「行きましょう!行きましょう!ただちに行きましょう!」とそのミニステージ(と言ってもどこかの小屋の前でやっていた)に行き、パーカッションでセッションが始まった。ギターをひとりで弾いていたその男性は突然の石川浩司の乱入に、「あああーーー見てましたーーテレビでよく見てましたーーイカ天世代ですーーー」と驚きのあまり完全に挙動不審になっていた。お客さんも大騒ぎ。大盛り上がりの中、即興でセッションした。(ただし、そこには小さなランプがひとつあるだけで、おそらく誰も石川浩司の顔などはっきり見えていなかったと思われる。)
こうして予想しなかった3つのステージはどれも素晴らしすぎるハプニングだったと思う。居合わせた女性が「こんなに笑ったの久しぶりだ~!!」と満面の笑みで叫んでいた。
濃すぎるツアー1発目のステージを終えて、翌朝、犬に吠えられながら、札幌に向かって帰ったのだった。
呼んでくださったPさん、ステージ出演を掛け合ってくれた方、最後にセッションをしてくれた方、観てくれた方、本当にありがとう!! (さっちゃん)
(寸評)いやあ、この日のライブ及び宿泊環境は、俺の長いライブ歴でも五指に入るほどインパクトのあるものだったなー。
女性スタッフふたりともバラック小屋で雑魚寝だったが、もちろん何も起きるはずがない。というか、俺が一瞬でも妙な動きをしたら、その時点で二匹の犬に一瞬にして喉笛を噛み切られて、悶絶死するからな・・・。8ポイント。
初めて、父親の友人を石川浩司のライブに呼んだ
私の父親の友人は、定年退職後、趣味の映画好きが高じて映画制作を始め、よく映画や芸術の話をする、世代や年齢を超えた「友達」です。その友人はアマチュアの映画監督をやったり、札幌でオールロケが敢行された「壁男」(諸星大二郎原作の映画)にセリフのあるエキストラ役で出演したり、と活き活きと趣味の世界に没頭している人です。
今回のほっかいどーツアー、このHPをいつも見ている方はご存じかと思いますが、宣伝のひとつとして、新聞に取り上げてもらうことに成功しました。新聞掲載を取り付けるにあたって、どう話を持っていけば興味を持ってもらえるか、と助言をくれたり、記者さんの紹介などもしてくれ、多大な力になってくれたのがこの友人なのです。いろいろ相談に乗ってもらったし、芸術に造詣が深いこの人なら、石川浩司の世界観ももしかしたら少しは受け入れてくれるかも・・と思い、小樽文学館で行われたライブに思い切って誘ってみました。
彼は「たま」のことも「石川浩司」のこともよく知りませんし、音楽は映画ほど詳しくなく、「行けたら行こうかな」との軽い返事しかもらえなかったので、来るかな来ないかな・・・と思いながら待っていました。
しかし、彼はやってきました。「きたーー!!」と受付ではしゃいで、たとえどんな感想を持っても、もういいや、観ておくれ!と案内。
ライブを見ながら、彼の反応が気になって仕方なかったのですが、「秋の風」が始まったため、少々「しまった…」という気分になりました。
帰らずに最後までみておくれ~~~と祈りながら、最後のハード・トゥ・ファインドとのセッションで、石川浩司の華麗なパーカッションたたきが始まった時、彼は席から立ち上がり、驚きの顔でそれを見ていました。
いもむしのネジ巻きのおもちゃが2匹、太鼓の上を這っていたときは「ええ~!?なにそれ~?」というような表情でまじまじと覗き込んでいました。
うほーーー!!嬉しい!嬉しすぎる!ステージと彼を含めたお客さんの表情ったらほんとに素晴らしいものでした。帰りに「ライブ・イン・チェンマイ」を購入してくれ、舞い上がってしまったため(よせばいいのに)「どうでした!?」と聞くと、よほどショックが大きかったのか、彼は「お、お・・おおうっ・・」と言って去って行きました。
後日、うちの父親に「いや~ライブ、よかったよ~」と言ったそうです。
こんな新鮮な驚きの反応が私にとってこれからも一番の楽しみかもしれません。 (さっちゃん)
(寸評)若者に受けるのも嬉しいが、そこそこの年の人に受けるのもまた別の感じで嬉しいねー。
好き・嫌いは人それぞれの趣味だからしょうがないが、プロとしては何らかのショック(広い意味で)をお客さんに与えることがアーティストの仕事だと俺は思っているので、より嬉しいね~。6ポイント。
初めてのワーキング・プア・ヒーロー連呼
石川浩司ほっかいどーツアーの最初のイベント、アイヌモシリ1万年祭が濃すぎたイベントだったことは前述の通りですが、もうひとつ起こった濃すぎる事件のことも投稿しておきましょう。
前ノリした晩でしたでしょうか、祭り会場の中心部にあったお店にスター石川浩司と桃玉さんと入りました。
偶然、その時私が着ていたTシャツの前面には「WORKING POOR HERO!」と大きく書かれておりました。
直訳すると「働く貧乏な勇者」です。
ふう、今日は長旅疲れましたね~~まあ一杯飲みましょうや、と同じく祭りに来た人たちの輪の中に入った瞬間です。
「ん?おい!お前、ワーキング・プア・ヒーローじゃないか!!」
目の前に座っていた老人がやおらこう言うのです。
「ん?ああ、Tシャツね…いえいえ…まあまあ…」と私が口ごもると老人は大声で、
「みんなー!!ここにワーキング・プア・ヒーローがいるぞ!!」
と叫び始めました。
まずい、絡まれた…。
老人(もちろん泥酔)は叫び続けます。
「ワーキング・プア・ヒーロだぜ!!ワーキング・プア・ヒーローなんだぜ!!」
それをかけることの10回ほど叫び、
「立て!俺の近くに来い!みんな!話を聞け!ワーキング…(以下略)」
をかけることの20回ほど叫び…
もう私の人生こんなんばっかだーー(泣)しかも圧倒されたのか何なのか知りませんが、スターと桃玉さんは一言も発さずに縮こまり、一向に助けてくれません。こいつら…。
「みんな聞けーー!!」
なおも老人は叫び続けます。口から唾を飛ばしまくって。
誰も聞いてません。けれどじいさんは叫び続けます。
周りにいたヒッピー達も「・・・・」とじいさんを止めることができず黙り始めました。
・・・雰囲気が悪くなってきた。まずい。・・・わかった。そこまで言うのなら・・・。
意を決して、私はじじいの近くの席に移動し、
「私がワーキング・プア・ヒーローだ(泣)!!」
と叫んでやりました。まだ甘い。もうここまで来たらノッてやるよーーオラオラー(泣)
じじいに「ちょっと!あっちの端っこにいる人たち、全然話聞いてないじゃないですか!ワーキング・プア・ヒーローにちゃんとみんなを集中させてくださいよ!!私はワーキング・・・(以下略)」かけることの3回ほど言ってやりました。
じじいのその時の反応はあまり覚えていないのですが、最終的には捕らわれた宇宙人のような状態でテントに連れていかれました。
ふうーーーーー・・・・じじいが去った・・・そのあと、偶然隣に座っていたマッサージ師の男性が「お疲れ様でした!!」と肩を揉んでくれたし、丸く収まったので一件落着。
そして翌朝、何事もなかったかのように会場をうろつくじじいを発見。素通りされました。けっっっ。メガネまでかけちゃって、おとなしくなっちゃって。
「おい!じじい!!私はワーキング・プア・ヒーローだぜ!!まさか昨日のこと覚えてないとか言うんじゃないだろうな!忘れましたとか言わせねえぞーーーー!!ワーキング・プア・ヒーローだぜーーーーー!!!!」
とかけることの100回連呼してじじいの胸倉をつかむ妄想だけを頭の中でドラマティックに繰り広げました、とさ。 (ワーキング・プア・ヒーロー)
(寸評)いやあ、これは実際俺も横で見ていたけど凄かった。
まるで芝居のように、
「ワーキング・プア・ヒーローがここにいるぞぉ! おいっ、みんな良く聞け。ワーキング・プア・ヒーローだぞぉぉぉっ!」
と狂ったように叫び続ける老人、そしてそれを一切無視しようとする人達との壮絶な精神的バトル。
ちなみにこのTシャツは俺がこの春出演した芝居「どん底」のグッズTシャツだった。
さっちゃん、本当にご苦労だったね。8ポイント。
はじめてのバラックで犬2匹と3日間
アイヌモシリ一万年祭が濃すぎたイベントだったことは前述の通りだが、どういうわけかバラックで犬2匹と過ごすことになった貴重な体験もしたので報告する。今回、石川浩司を呼んでくれたPさんに案内されて、我々は祭り会場に建てられたボロボロのバラック(そもそも豪邸のバラックなど存在しないが。)にたどり着いた。
一瞬ビクッとなったものの、この会場に着くまでの道のり、ただの野原に設営された祭会場、一番近くのコンビニまで車で30分、電気ガス水道なし、ヒッピー大集合。なるほど、うんうんわかるわかる、ですよねー!と己の置かれた状況を飲み込んだ。むしろ屋根があっただけで儲けものだ。たとえ寝袋が無造作に3個、放り投げられていても、だ。
そうこうするうちに、2匹の犬がドカドカと部屋に入ってきた。最初は誰かの犬が勝手に侵入してきたのだと思い、「もー。何この犬ー」などと思っていたのだが、私たちが一息ついたり、寝転がると2匹もなぜか落ち着き始めた。
実はこの2匹、Pさんの愛犬であった。というよりお祭りの間はここはPさんの住処、すなわちこの2匹の住処でもあったため、むしろ私たちが「すいません!お邪魔します。三日間よろしくお願いします!」と犬に言うべき状況だったのである。また会場は山の中でもあったため、犬は対熊用の番犬として重要な役割を果たしていた。会場には他にも十数匹の犬がいて、あちこちで走り回ったり転がったりしていた。
長旅の疲れか、いつしか我々は眠りについていた。夕方のことだ。
日が沈むと当然小屋の中も真っ暗で何も見えなくなった。
犬が相変わらず動いている。何匹いるのかさえもよくわからないが、いる。
1匹が近付いてきた。あひゃっ!!顔を舐められ飛び起きた。私の奇声で桃玉とスターも起きた。目が覚めたため「じゃあぼちぼち飯でも食いにいきますか」と起き上がり、手探りで財布やリュックなどを探した。すると突然「バフッ!!」舐めてこない方が本気で吠えている。「バフッ!」まじだ。少し体に触っただけで「バフッ!」
触ったらバフッ!寝たらペロッ!
桃玉が翌朝「もう・・・犬が・・犬が舐めてきて舐めてきて・・何度も目が覚めて・・」と疲れ切った顔をしていた。もう片方が完全に夜通し私の足の上で寝ていた。「これ、吠える方?舐める方?」と言いながら、触ってみるとバフッ!スターも何度も吠えられていた。
結局、二匹は片時もその小屋から離れず、私たちを熊から守ってくれたのだった。なんだ。いい話じゃないか(さっちゃん)
(寸評)俺も電気も、いや蝋燭すらない真っ暗な部屋で、放し飼いの犬二匹と同室で寝た経験は初めてっす。
・・・凄かったす。9ポイント。
はじめての(ツアーのために)勤務変更を強要
石川浩司ほっかいどーツアースタッフとして、全公演に(当然だが)同行したことで、決まってお客さんや友人から言われる言葉があった。「看護師さん、忙しいでしょ!?よく休み取れたね!」である。「看護師=多忙」というのが世間一般の認識。もちろん忙しくないとは言わない。が、土日祝日分の休みは確保され、それに有休などを組み合わせ、また「お願いぃぃ。勤務希望全部きいてぇぇん」と上司にごねる、などをしてうまく立ち回ったおかげで、全10公演(ファンクラブツアーや地方への移動日なども含めるとそれ以上の日程になる)の勤務希望が見事に通った。
しかし、ひとつだけ、少しやっかいな勤務になってしまった日があった。8月29日の小樽公演の日である。その日は朝から夕方までの通常の日勤。加えて会場は私の住んでいる市の隣の市だったため、少し距離があった。お客として見に行く分には問題なかったが、そうではなかったため、とてもじゃないが間に合わない。若干悩んだが「こんな楽しい時にむざむざ仕事なんてしてられるかよー!きゃはは!」という思いが軽く100%に達したため、初めての勤務変更を頼んでみることにした。
前日、課長を呼び、開口一番こう言った。
「あのー明日、昼で帰りたいんですけどー」
すると課長はこう言った。「はっ!?な、なんで?」当然であろう。「いやーちょっと小樽で撮影がありましてね・・」「さ、撮影!?な、なんの?」「・・まあ・・ちょっとした撮影ですよ、撮影」「だ、だから、なんの!?」「・・えーと・・とにかくまあ撮影です撮影・・」わけのわからない会話になってきた。課長と私はひたすら「・・ん?」「いや~・・」「・・んん!?」「へぇぇ~・・」などと繰り返した。
嘘をつくことも考えたが、たぶん絶対口ごもるであろうと思い、それはやめた。しかしだからといって詳しい実情を話してしまうと、次に同じような状況に陥った時にもう願いを聞いてもらう余地はないだろう、ここはとにかくモヤかけてボカせ!逃げろ!この時だけはやたら頭がフル回転で非常にキレた。
「・・・お願いします!!別の日に埋め合わせしますから!馬車馬のように働きますから!」頭を下げて懇願。
「その気持ちはわかったけど、私、部長に何て言えばいいの~!わかんない~!」
それから課長が部長に何を言ったのか知る由もないが、めでたく午前中だけの勤務になった!その後、部長がニヤニヤしながら近づいてきて私にこう言った。「あんた、嘘ぐらいつきなさいよ~」
こうして、翌日、仕事を終えて「きゃほほーい!」と小躍りしながら小樽まで車を飛ばしました、とさ。 (さっちゃん)
(寸評)俺は就職経験がないから良く分からないが、確かに一ヶ月のうち3分の1以上こっちに来てたもんね。
よくやった・・・さっちゃんのお馬鹿に乾杯っ! 6ポイント。
初めての夢精
先日、友人が「最近夢精してね~。」と話してきたので、初めて夢精したときのことを思い出しました。
あれはたしか、中学生になったばかりくらいの頃………。
夢の中で普通に歩いていると、ふと気がついたら、何故か全裸になっていました。
驚いたおれは「こ、こんな大事なところ丸出しの格好を、クラスのみんなに見られたらどうしよう!」と、まわりに気付かれないように全裸じゃないフリ(この時点でおかしいけど…)をしていたのですが、ドキドキバクバク興奮してどうしようもなくなったところで、「はっ!」と目を覚ましたら、なんかリンスみたいなものがチンチンから出てました。
そのときは、まだこのリンスみたいなのがなんなのか知らなかったので、「あ~、こんな年にもなっておねしょしてしまった!母ちゃんに気付かれないようにパンツ洗っとかないと!」くらいにしか思ってなかったのですが、後から考えたら、「あ~、おれ見られて興奮する癖があるんだな。露出狂の変態にならないように気をつけよう。」と、深く考えさせられた一件でした。
これからも気をつけます。 (うきうき)
(寸評)今度、みんなで見てるからしてみて。7ポイント。
はじめてのホルモン鉄道
自分の主催でホルモン鉄道バージンを終わらせたかったので(?)、今まで、あえて東京のライブには行かず過ごしていたが、ついに9月5日、はじめてホルモン鉄道のライブを観劇した!!
会場となった部屋の横には暖炉の枠組みだけの(ような)ものがあり、以前、打ち合わせで訪問した時にその家の方と「ここをホルモンの2人にはくぐって出てきてもらいましょう」とか話し合ったのだが、当日、2人には特に何も言わずに暖炉を見てもらったと思う。
2人はすぐさま「これくぐろうぜ!!」「石!こっちこいよ!きゃはは!」「写真とって~!」とはしゃいでいた。・・・ああ、ホルモン鉄道。好きだ。
ライブが始まった。
・・・・全編通して、くだらね~~!!うらやましくさえ思えてくるぐらい、くだらね~~!!小学生の男子が「うんこうんこ」と言って喜んでるレベルのくだらなさがここまで表現として成立するものなのか。ただのスリッパや鉛筆削り器や腹や尻がここまで唯一無二の楽器になるのか。ステージに立つアーティストのパンツはここまで簡単に目撃できるものなのか。下品というのはここまですがすがしいものだったのか。ただ、子供を連れて来るのをやめた友人の判断は正しい。実に正しい。
途中、Mr.ベースボールという外人もゲストで来てくれた。ベースボール氏は石川浩司と入れ替わりでやってきては、何かを叫んでいた。坊主でメタボ腹であった。私がリクエストした「境鉱泉」、最後に歌った「雨の日のサーカス」などしんみりする曲が、くだらなさ、下品さをさらに引き立てていた。大谷氏の声がいい。石川浩司の奇声がいい。メロディも良すぎる。服を脱ぎ捨てパンツ一丁になっても靴下は死守するところもいい。「ねんど」という歌がリクエストされたときに「粘土に一番近いもの、と・・・」と言って鎖をこねくり回していた石川浩司Bそれはむしろ粘土とは対極だ。結局中盤から終わりまで二人が再び服を着ることはなかった。
くだらないにも程がある。47歳のおっさん二人が、こんなことをやって飯を食っているのだ・・と考えると・・・
う~~~ん・・・・。好きだ。稚拙な言葉しか出てこない自分がもどかしいが、初めて観たホルモン鉄道は斬新すぎて、かっこよすぎて、たぶんこれからも世間はついていけないだろう、と強く思った。
最高のステージをありがとう、ホルモン鉄道。 (さっちゃん)
(寸評)いくつかの雑誌に今回のホルモン鉄道の新譜のCD評が載っていた。ほとんど「天衣無縫の馬鹿馬鹿しさ!」という感じで褒められていた。
やったね、大谷君! 7ポイント。
はじめてのチケット作り
しつこくはじめての単独主催の中で体験したことの報告を続ける。
ライブの主催者の楽しみとして、チケット作りは欠かせない。今回、どんなチケットにするか、考えあぐねていたがツアーが思った以上に多忙で、駆け足で作成することになってしまった。時間をなんとかやりくりし、夜勤中に基本的なデザインを考えていた。本職の仕事中にあれこれとくだらないデザインを何パターンも考えていたわけである。どんなチケットにしよう?私は普段絵など書かないし、むしろ不得意である。芸術的な才能は持ち合わせていない。そんな私が考えたこと。
まず、ホルモン鉄道は下品だ。それは火を見るより明らかだ。全国民が即答するだろう。ホルモン鉄道は下品よ、と。ただ、あまりにも下品さを全面に押し出しては安直すぎる。というか、ここに来る人はホルモン鉄道がいかにそういう人たちかは十分知っているだろう。(何の予備知識もなく来てくれたお客さんも数名いたが…)
したがって、あくまで文字などのデザインは上品な感じにして、写真だけを非常に品のないものをスマートに使うことにしてみた。もちろんふたりへ事前の許可など取らずに。今回のツアーのために特別に再販の許可をもらった、ふたりのしょうもない写真集『男の友情』から、ふたりが浴衣姿で黒棒(うんこのような駄菓子)を股間に当てて「ちんぽ!?」というタイトルがついている写真を何のためらいもなく選別。職場のコピー機を無断で拝借し、コピー。チョキチョキと切り抜き配置。ご丁寧に会場の住所や開場・開演時間を丁寧に書いたあと、「下品なライブのあとは上品な料理をご堪能ください」とのメッセージを添えて。完成した。品があるのかないのかもう判断できなくなった。ちなみにその写真はかなり古いものだったので、今の石川浩司からはまったく想像できない“長髪の石川浩司”が写っている。加えてもとの原稿のコピーのコピーなので、写真が荒く、コアなファンでなければ、もしかしたら誰かわからなかったかもしれない。いや、わかるか。
そして大きさを微調整し、再び、職場のコピー室に侵入。無事コピーを終えて、何の残骸も残さないように「原本、よーし!」「コピーしたもの、よーし!」と慎重に指さし確認までして後にした。
当日、会場に向かう途中、完成したものをさっそく石川浩司本人に見せた。
「あ!!」と言っていた。
(ちなみに大谷氏に見せたかどうかの記憶は残念ながら、ない) (さっちゃん)
(寸評)あの写真のとこだけ見たら完全に「中年親父のめくるめくホモショー」のチケットだったもんな。
あれ程インパクトのあるチケットはそうそうないだろう。7ポイント。
初日本の車検のありがたみを痛感体験
私の勤務先には2代のバンがあります。多分もう30年モノ位の、古くて大きな車です 。
片方はバックミラーがなくて車線変更が非常に恐ろしく、もう片方は後ろのスライド式ドアがきちんと閉まらないのでうっかりすると走っている途中に乗っている人や物がさようならとなることがあります。(日本だったら150%車検に通りませんが私の今いるところではOKな様です。)
私はなんだかんだでこの二台が大好きで、両方とも使用可能な時は迷わずドアが勝手に開く方を選びます。勝手に開いてしまうのは運転席とは逆側の後ろのドアなので一人で乗っている限り大して害はないし、高速乗りながらドア開いちゃったりした日には、クーラーなんかもちろんないけど夏でも車内は快適になります。
先日もこのバンを使って15キロほど離れた目的地に向かいましたが、上り坂を登っている途中にがっこんばっこんきゅぃぃぃと大きな音をたてて後ろのスライド式ドアが開いて行きました。このドアは開いてしまうと閉めるのに一苦労な上、止まれない道だったのでまぁいいやと思いつつも、高速に乗る前に信号で止まったので助手席にあった荷物だけ転げ出て行かないように運転席の自分とドアの間に移動。そのまま何の問題もなく目的地へ到着、いつも通り作業を終えて戻ろうと思った瞬間、何やら運転席のドアのロック部分に不穏な動きがありました。
運転席のドアが(も)閉まりません・・・。
ロックの引っ張るところとロック部分の間のパーツが老朽化でばかになってしまっていたようで(多分折れてた?)、その場で30分格闘しましたがもうどうしようもありませんでした。という訳で腹をくくって運転席のドアの閉まらない車で帰る覚悟を決め、大切な一眼レフカメラを首からかけ、その他貴重品を股間にはさんで、窓を全開に開けた運転席のドアを肘で押さえながら15キロドライブ。
怖かったです。 (Sabina)
(寸評)どこの国か分からないが、確かに日本ほどきちんと車がメンテナンスされてる国はないよね。
その分、外国では「笑える車」にも出会えるんだけどね。乗りたくはないわな~。6ポイント。
初めてのタンポン装着
2年前、海外旅行したときに、メキシコでダイビングのツアーに参加しました。しかし、ガッデム!!思いっきり生理とぶつかりました。しかし、せっかくのダイビングです。参加しないわけにいくかい、とのことで、急遽タンポンを試してみることにしました。
初めてですので、何をどんな手順でどこまで入れるのかイマイチわからんわけです。ちょうど友達がタンポンを持っていましたので「どうやって、どこまで入れるの!?」と聞き、ドキドキしながら入れました。
・・・むっほっっ!!ぎえーーー。入んねっ!いて!なんだこれ!入ってるのか?え?どうなんだ?わからん。うへぇ!もっと奥か!?…おおっ?違和感なくなった。入ったのか?これでいいのか・・・?
とひとりトイレで悪戦苦闘。正しく入ったのか分からないのだが、かと言ってさすがに「あのー私のタンポンちゃんと入ってますかねーちょっと見てもらっていいですかー?」などと聞けるわけなし。
まあ・・周り海だし。日本じゃないし。いいや。遊ぼ!
・・・入れ方が甘かったのかどうなのかはわかりませんが・・・タンポンって万全なものじゃないっすねー!全然カバーできないっすよ!いっそのことなくても一緒っすよ!
その時撮った写真が・・・生々しいんでここらへんでやめときます。失礼しました。(さっちゃん)
(寸評)うちの妻も、同じ理由で露天風呂に入るのに1時間近くかかったことがあります・・・(妻には内緒ね)。7ポイント。
はじめてのありえない大荷物
石川浩司ほっかいどーツアー最終日の9月14日、札幌から釧路までバスで移動した。北海道はとても広いので、飛行機を使わない限り、どんな手段で行っても、片道最低5~6時間はかかる。なので釧路には車ではなくバスで向かうことになった。
その日は今まで石川浩司が借りていた札幌の繁華街・すすきののラブホテル街にあるウイークリーマンションを引き払う日でもあった。なのでスターの身の回りの荷物があった。それに加え、釧路では空き缶の展示もあったため、自宅から持ってきたという空き缶が大量にあった。さらに、北海道滞在中に手に入れたという空き缶が100個ほどあった。さらにさらに、DVDやCDなどの物販物が大量にあった。さらにさらにさらに私と桃玉の荷物ももちろんあった。とどめはもちろん大事なパーカッションセット。3人の荷物は合計11個。ひとり頭3、4個である。補足するが移動はバスだ。バスターミナルに向かうために我々は車に乗った。11個の荷物はトランクに入らなかった。
桃玉が嘆く。「トランクにすら入らない荷物を釧路まで・・・」
ターミナルに着き、バスのトランクのところまでそれらを運んだ時点で、我々はすでに疲弊していた。お分かりかと思うが、我々がすべての荷物を詰め込んだその時、トランクが満タンとなった。運転手の表情が険しかった。案の定、次のバス停から乗車した他のお客が、スーツケースを車内に持ち込まなくてはいけなくなった。運転手はその客に「すいませんね。」と言いながら席を案内しつつ、我々の近くを通りながらぼそっとこう言った。
「預ける荷物はひとり一個じゃないとゆるくないわ~・・・」(注・ゆるくない=大変、つらいという意味の北海道弁)
確かに。申し訳ない。
しかも最終公演の15日、深夜バスで札幌に戻り、スターもおうちに帰るので、実質一泊の旅である。一泊なのに何カ月も泊まるかのような井出達で、申し訳ない。
主催者であるUさんらが車を出してくれたため、釧路に着いてからは一転して非常に快適に過ごさせてもらったことに感謝したい。
そして、あの日乗ったバスと他に乗り合わせたお客にスターの分まで謝って、次回があったら反省材料にしようと思った。ちなみに空き缶は見た目はものすごく大きいのだが、空き缶なのでめちゃくちゃ軽い。場所だけとる憎いあんちきしょう。 (さっちゃん)
(寸評)あっ! かさばるから皆コレクションしないのかっ! 今気づいたっ!
憎いあんちきしょう! 6ポイント。
はじめてのホルモン鉄道を後部座席に
ほっかいどーツアー中、ホルモン鉄道のライブが2回ありまして、初日のライブ終了翌日、初めて私の車にホルモン鉄道のお二人が乗りました。
大谷氏は(温泉キチガイなので)「温泉!温泉!温泉見つけたら車止めて~あーここは銭湯だからだめ!・・・ここは土日の料金違う!高いからだめ!」
石川浩司は「なんでもいいからCD取ってくれー!背中が痒いーー!届かないから手じゃ掻けないんだー!・・・だめだ、CDでも届かないー!背中掻いて~~!!痒いところって移動するからクルンクルンって掻いて~!!」
助手席の桃玉さんはやっぱり延々グミを食べ続けていました。
3人のおかしな人たちを乗せて走るなんて・・・。非常に感慨深かったです。
その後、「私の車の前のカバーが外れてひきちぎれ、駐車場でなんじゃこりゃあああ事件」に続く! (さっちゃん)
(寸評)不思議だよね。痒いところって移動するよね。背中にカユイカユイ虫が住んでるのかな!?
いっ、いやあああっ!! 6ポイント。
はじめての車が見たことない状態に壊れた話
石川浩司ほっかいどーツアー中に、何回か運転する機会があり、某日、ホルモン鉄道のお二人と桃玉さんを乗せて運転をしておりました。
スター2名、ノッポ1名を乗せています。一瞬のハンドルミスも許されない、緊迫とした状態でした。無事、ライブ会場から札幌市内までたどり着き、大谷氏が「温泉に行きたい」と言うので、近くの温泉施設まで送りました。
今までのツアー中、安全運転を第一に心掛け・・だってスターを乗せてますから。ミスは許されません。
しかし、その日、無事着いた安心感からか、やや大らかな気分になってしまい、威勢良く駐車してしまったことが最悪な結果を招く羽目に・・・。べらんめえと言わんばかりに段差に乗り上げ、あろうことかその段差に車の下の何かがひっかかり、バックした瞬間、ギリギリギリギリー!!と聞いたことのない音が!!一瞬、無視しようかと思いましたが、そんな次元ではありません。慌てて降り、車の先を見てみると・・・「なんじゃこりゃぁぁぁ!!!」びっくりしすぎて自分では覚えてないですが、松田優作したようです。
いやあああ!!何かわかんないけど、車の先からベロって何か出てるーーー!!っていうか、明日旭川でライブなのに、ベロって出てるーーー!!しかも液まで垂れてきてるーー!!
急遽、みんなを降ろし、自力で各々の家に帰るよう頼み、近くのガソリンスタンドへ。
「すいません!何か今段差にひっかかっちゃって、下からベローって何か出てきたんですけど、しかも液までたれてきて・・・助けてください!」
ちなみに私は運転はできますが、こんなトラブルに見舞われた経験はなく、あまり知識もありません。この液に発火して炎上したらどうしよう、石川浩司もろとも丸焦げだわ!!知識がない分、想像力だけは無駄に広がっていきます。旭川へ行く道すがら、3人丸焦げ!そんなのいや~!
早速ジャッキで車を上げてもらい、見てもらいました。店員さんは垂れる液を指ですくい、においをかいで、ベロっと出てきた何かを見て、「カバーが取れただけですね。大丈夫です。しかもこの液体はエアコンの水なんで。何ともないです。」
笑顔の店員さんが仏に見えた・・・。「ほんとですね?ほんとに大丈夫なんですね!?」としつこく5回ぐらい聞きました。
この程度で済んでよかった・・・・もう威勢良く駐車しません!
その節はすいませんでした!! (さっちゃん)
(寸評)さっちゃんの「なんじゃあ~、こりゃあぁぁぁっ!」という雄叫びと、その後車の下から出ているベロンとした物体を狂ったようにガッツンガッツン蹴り続ける狂気の貴方の姿は、北海道の大地とともに、大きく僕の記憶にと刻みこまれてます。大事に至らなくて良かったね。8ポイント。
初めての公衆の目前で全裸
朝から凄いの見ちゃいました。
通勤電車を乗り換えるために一旦外に出るんですが、改札を抜けて階段を
昇ろうとした時の事です。
階段の横にちょうど座れる位の台があるのですが、そこに60歳位のおじいさんが座っていて な、な、なんと全裸!!靴下さえもはいていません。
足をびろんと広げて座っていて、真ん中に真っ赤なタオルをぐしゃっと
丸めて置いて隠していました。(なぜ真っ赤?)
そして「へら」みたいな物で皮膚をこすっていました。
(アカを落としてたのか??なんで「へら」?)
「へら」でこすっているのが可笑しくて思わず笑ってしまいました。
朝陽に照らされて気持ちよさそうでした。真っ赤なタオルがポイントになって、以外と絵になってました。
そして通勤の人々が次々と通り過ぎるのを、おじいさんは全く気にしていませんでした。(ごりぽん)
(寸評)それはね、ごりぽん、神様というものだよ。
会えて良かったね。6ポイント。
爆弾夜行列車初体験
今年の夏休みはいつもフランスの鉄道会社SNCFが宣伝してる、TGV(電車、すごい、速いの意 テージェーヴェーと読む)に乗ってパリに旅行に行こうと思っていたのですが、パリ旅行はもう去年お子達としたし、インターネットでビアリッツ行きの夜行列車、その名もiDNIGHTというのが安かったのでそれに乗ることにしました。
なんでも夜遅くでる電車が早朝ビアリッツにつくまでに車内のバーとディスコで盛り上がれるというものなのです。
私は子連れなのでまさかお子達を座席に寝かしつけてからディスコでイエイ!なんてことをしようと思いませんが、どんな電車なんだろう~?と、興味津々でした。
私の住んでいるところからTGVでパリまで2時間半、パリで朝から夜の11時まで待ち時間がまるまる一日あったのでパリも楽しめました。(お昼に念願のラーメンを食べた。うひひ)夕食に選んだパスタ専門店がおいしくてボリュームたっぷりで大満足して(ここでしっかり食べておいてよかったと思える事件が後に。。。)駅に向かい、いよいよ電車に乗り込む時に通常どおり、自分で切符を切って乗るのではなく(フランスの電車は乗る前に駅にある切符切りマシーンで自分で切符を切るのです。切ってないと罰金!)、飛行機みたいにきれいどころのおねえウんがずらっと並んで切符をバーコードマシーンで読み込んでもらってから乗り込むのでびっくり!
すごい対応が良いのでどんなに素晴らしい電車か!?と思いきや、通常走っているTGVには似ても似つかぬボロ電車でした。。。
座席も割と狭く、一切リクライニングしないので身体の大きい連れ合いは2人がけ座席に座り切れず(ひざが前座席にあたってしまっていた)、4人がけの所に移動しました。
幸運なこと?に、この電車はガラガラだったのです。
私とお子達が早速ぐうぐう寝てるのに身体を縮めるようにして寝る連れ合いが気の毒でしたが、これも旅の1ページです。
肝心のバーやディスコは見に行く気にもなれませんでした。
さて、夜中の3時ごろに目が覚めると、あの赤ワインで有名なボルドーの駅に一時停車しておりました。
あ、止まったからめがさめたのか~なんて思いながらまた寝込んで5時ごろ目を覚ますとなんと、私たちはいまだにボルドーに停車したままだったのです。
なんでも線路に馬がいたそうで、そのために2時間おくれてしまったとか、
いつでるのかな?と思っていたらぱっぱっと電気がついてアナウンスが!
みなさまお荷物をもって速やかに下車ください。とのこと、噂にきいていたので私はピンときました。
あ~、爆弾かな?と、
そう、私たちが行こうとしていたビアリッツというところはフランスとスペインの国境で、バスク地方というのですが、バスクの誇りをもつ一部の人たちはスペインにもフランスにも属したくない、バスク人でありたい!という主張をするために、まったく迷惑なことですがよく爆弾を仕掛けるのです。
それにしても電車に仕掛けるとは思わなかった。。。
案の定爆弾告知が入ったようでボルドーの駅前に全員待機、2時間以上待たされてやっと再乗車することが出来ました。
なんでも警察犬が1匹しかいなくて全車調べるのが大変だったとか。。。
この後発車したものの再度爆弾告知があり違う電車に乗り換え、また告知があったので迂回し、と計3回の爆弾告知がありました。
結局目的地のビアリッツについたのは7時間遅れの午後1時でした。
電車に再乗車したときに、ご安心下さい、爆弾は発見されませんでした。なんてアナウンスされましたが、ニュースでは電車から爆弾発見!と実物の写真まででていたのでやはり私たちは爆弾と一緒に電車に乗っていたのでした。
ビアリッツは凄く良いところで、もともと爆弾が多くて危ないからということで行く気がなかったフランス国境近くのスペインまで足を伸ばしてきました。(爆弾馴れしてしまった。笑)
帰りの電車は普通の綺麗なTGVだったのでほっとしたと同時に行きの電車には爆弾が仕掛けられやすいので爆発しても惜しくないようにボロ電車をつかっているのではないか?と、あらたな疑惑も湧いてまいりました。ふふ (ますちゃん)
(寸評)おおっ、一歩間違っていたらますちゃんは今頃100万個くらいに分裂させられてたのだね。
良かった、一個で・・・。8ポイント。
初めての与論島
高校2年の夏、沖縄のすぐ上にある、鹿児島県の与論島という島に行きました。今現在、日本国内で行ったことのある地域の中で、最西南端がこの島です。
親父が数か月前に世話になった民宿にお邪魔して、近くの砂浜などを回りました。ためしに一回海で泳いでみたら、予想以上に潮流が速く、一時沖合に流されて、ヤバい事態に陥りました。しかし、沖合では地元の日焼けした子供達が悠々と泳いでいた…。
夕方、民宿の奥さんが「嫌いなものはないの?」と聞いてきたので、「オクラ」と答えたら、何と夕食にそのオクラ料理をわざと出してきました。しかも丸ごと1本煮たものです。
ウッときましたが、輪切りの場合の中の卵みたいなのが見えて苦手だったので、何とか堪えて飲み込みました。そうしたら、おばさんは「あら、食べられるじゃん。ホントに嫌いなの?」とあっけらかんと一言。
…そばアレルギーがあるなんて答えてたら、ヤバい所でした。(Hi-)
(寸評)「お暗」と間違えられて電気全部消されて真っ暗な中で「うひひひ、食べられるんじゃないかえ」と老婆の歯だけがニカッと光ったらちょっと怖いな。5ポイント。
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初めてのノン・モジュラーでのネット
北海道滞在中、ネックに思っていたのが、通信手段です。
韓国にいた時のように、転々とする宿泊先ではモジュールがなく、自由にインターネットができません。パソコンの扱いや操作ならともかく、接続や契約などの技術には疎すぎるので、大きな問題になりました。
ネットに加え、留学中は日本の携帯も解約してたので、Skypeはおろか、電話も公衆電話を使うしかありません。
札幌に来た際、宿泊先ではモジュールがないが、無線LANはあるという部屋に通されました。そこで、持ってきたノートでできるか、立ち上げてネットワーク接続の試行錯誤を始めました。
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当初は何度やっても、「アクセス不可」や「設定に失敗しました」の表示が。
1時間ほどやって絶望しかけていたその時!「つながりました」との表示が出たのです!やっぱり人生、トライしてみれば何とかなるもんだ…。
しかし、同時に微弱なネットワークであるうえ、詳しくは言えませんが、マズイ表示も。そしてつながった2日後には、いきなり原因不明のトラブルでまた開けなくなりました。宿泊先のご主人の協力で復旧しましたが、果たして帰宅した後でも、そのままネットを続けても大丈夫なのだろうか…。(Hi-)
(寸評)マズイ表示が出るといえば大抵エロサイトの課金だが、一体どんなサイトを・・・。
きっとHi-のことだ、普通のじゃ満足出来ないんだろう。獣姦、それとも老婆マニア、もしくはスカトロ?
完全なる変態だな、君っていう人間は。よく覚えておくよっ! 5ポイント。
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初めてのすごろく旅行
小樽ツアーの一環で、小樽市内のすごろく旅行に参加させて頂きました。昼過ぎから12人ほどで宿泊先から徒歩で出発。天候にも恵まれて、ルンルン気分でスタートしました。
しかし、夕方5時過ぎまでかかって、やっと全員にくじの番が回りました。くじのお題が時間のかかるものが多かったのもありますが、やっぱり人数や奇妙なオブジェへの関心度の影響も大きかったようですね。
僕自身も3つほどくじのお題を考えましたが、初参加という事もあり、あまりまともな内容ではありませんでしたね…。まともに遂行できたのはその内の1つだけでしたし。今度参加する時はもっと楽しめるものを考えなきゃ。それと、1人で書くくじの数は1つずつで充分ですね(汗)
一番楽しかったお題は、「石に似顔絵を描く」というものでした。遂行後の状態がどうなるかを考えると、笑えましたし。
来年あたりにはぜひ韓国でもできたら!と思ったひとときでした。でもその前に、もう800ポイント近くが必要ですね。(Hi-)
(寸評)「石に似顔絵を描いて、その地に石塚を建立する」は俺の作ったクジだよ~ん。今は一体どうなってるんだろう。発見した誰かが妙な噂を流し、都市伝説になってたら面白いな~。
で、すごろく旅行はあのペースでいいんだよ、クジはあくまで旅を楽しむ為のスパイスで、普段見慣れない物があったらどんどん勢いにまかせて入っていったり、時にはのんびりしても。
今回はたまたま参加者が10名以上になってどうせなら全員クジを引かせよう、という感じになったけど、本来はクジの内容にもよるけど一日5、6個ぐらいかな。
その町の観光客が見逃してしまうような一面がゆっくり見られることが、すごろく旅行の本来の楽しみなんだよねー。今後も是非また仲間を集めてやってご覧。6ポイント。
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初めての薪割り
小樽でのすごろく旅行の翌日、僕は宿泊先に残り、数日間の北海道放浪の準備をしておりました。
と、宿泊先のご主人が、「庭で薪割りやるか?」と一言。
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…一瞬躊躇しました。何せ最近運動不足で、体重は4キロほど上がり、自分の体格はヒョロヒョロで、両腕とも細すぎます。斧自体、触ったことすらありません。こんな体格条件で斧なんか使う仕事をしたら、薪を切る前に、振り上げた途端に斧が手から飛んで行って、他の人の頭に命中などという、想像するのもはばかられる事態が起きかねません。
然るに、他の方々が豪勢にやっているのを見て、案外簡単そうに見えてきました。僕は傍らで、ご主人のお子さんを「危ないから近くに行っちゃダメ!」と制止しているだけでしたが、自分への番が回ってきて、斧を手にしました。
しかし、斧の先端部分を見ると、やはり手が震えない訳がありません。ボクサーや剣道と同じ感覚で、振り下ろした後、上に引く感じでやってみろと言われ、いざトライ…!
?
幸い、自分の足に斧がグサリとなんていう事態は起きず、一方で何度か振り下ろしても、薪には浅めの打ち込みの跡しかつきません。しかも、その跡がバラバラで、なんか人の顔の表情にも見える…。
それでもなんとか火が通るほどの太さに割ることができ、名前を書いて、置いておきました。ご主人に「今年の冬に来る時に、この薪で温まりな」と言われましたが、自分より他の方々が温まるのに使われる方の可能性が高いと思われます…。
ちなみに僕の番が終わった後、今度は同じ宿泊客のお姉さんがトライしました。しかし、彼女の場合は僕をはじめとした男の割り方とは違い、正面から斧を振りかぶるのではなく、餅つきの杵のような感じで振り下ろしていました。やっぱり違和感が大きかったなあ。(Hi-)
(寸評)薪割りリザーブね。粋な宿だったね。薪割りした人だけが生き残り、あとは全員凍死。6ポイント。
初めての小説審査
中学2年の頃の話です。
当時、僕は自分のホームページを持ち、そこで自作小説を公開していました。先日読み返してみたところ、その内容は、自分が好きだったシリーズをモロに真似した作品あり、起承転結がハッキリしないままに完結している作品ありと、稚拙としか言いようがない作品ばかりでしたが…。
ある日、聞き慣れない会社からのメールが届きました。読んでみると、とある出版社から届いたものであることが分かりました。
そのメールによると、僕が公開していた一編の短編小説が目に留まり、是非他の小説も審査させてもらい、内容によっては出版の検討もしたい、とのことでした。
当時から自分の本を出版することが夢だった僕からしてみると、これは千載一遇のチャンスにしか考えられませんでした。当然狂喜乱舞し、あまりの嬉しさにそのメールを印刷して持ち歩く、なんてこともしちゃってました。そしてそれを友人や先生に見せびらかし、どうだどうだとえばってたことを、今でも覚えています。
嗚呼、恥ずかしい…。
早速、出版社に送る作品を選定、執筆し、それらに書き慣れない季節の挨拶などを添え、その出版社に向けて送信しました。もう頭の中では、将来出版されるであろう小説集の構想が固まりつつありました。
あちらから送られてきたメールには、審査は3~4週間かかると言われていましたが、その頃を過ぎても一向に審査結果は送られてきませんでした。あまりに遅かったので、催促のメールを送ってみたところ、年末年始を挟んだので審査が遅れてるとのこと。そんなもんかなと思いながら、さらに待ちました。
1ヶ月半ほど経った頃でしょうか。ようやく審査結果のメールがやってきました。
本文には、送付した作品一作一作への批評文が事細かに記され、それを読むだけでも十分に楽しかったのですが、肝心の出版については今回見送ることになったとのこと。
もう出版されるとばかり思っていたので、その時のショックは決して小さいものではありませんでした。本当にショックを受けたときはガーンとするものなのだなあと、変なことに気づいたりしたのでした。
まあでも、最初に書いた通り、今読み返すと相当稚拙な作品ばかりなので、出版社の判断は大正解でしょうね。こんなのが世に広まってたらどうなっていたかと思うと、少々身の毛がよだちます。
初めての小説審査は、かようにあっけなく終了したのでした。(たちつ亭と~助)
(寸評)凄いじゃん! 是非ウキュピの人達をモチーフに小説を(笑)。
俺も出版の話をいただいて、打ち合わせまで何回もしながら結局上層部の判断で今回は見送り、ということも何回も経験してるから、よくあることなんだよね。全然気にしなくて大丈夫。
でも中には自主制作本を自社で作るようさり気なく勧める為に連絡してくる巧妙な業者もいるから、まずはその出版社が過去にどんな書籍を出しているかも是非チェックしてみてね。8ポイント。
初めてのお便り読まれ体験
少し前の話です。
当時、僕はとあるバンドに夢中で、発売されているアルバムを全部買いそろえようと試みるほどの夢中っぷりでした。
また当時、そのバンドがDJを務めるラジオ番組があり、当然ながらそれも夢中で聴いていました。毎週MDに録り、何回も何回も聴き直す、というようなことを続ける日々を過ごしていました。
ある日、そのバンドが発売した新曲に感銘を受け、「これは是非とも感想を届けたい!」という衝動に駆られました。
そこで、件のラジオ番組にあったお便り募集といった感じのコーナーにその曲の感想を書き連ね、送信したのです。
実を言うと、番組内で読んでもらおうなどとはこれっぽっちも考えていませんでした。とにかく、感想が彼らに伝わればいい。感銘を受けたヤツがいることが分かってもらえればいい、と。
だからこそ、番組内で僕のハンドルネーム(今使ってるこれに非ず)と本文が読まれたときは、心臓が止まるかと思いました。
毎週聴いているその声から発せられる、僕の名前と住所と文章…。そしてリクエストと勘違いされたらしく、続いて流れてくる感銘を受けた曲…。
この一連の流れを聴いているうちになんとなく恥ずかしくなり、その回もMDで録っていたものの、後にMDで聴き直した回数はそんなに多くなかったと思います。聴くにしても、その部分だけを飛ばして聴いたりしたものです。
でも、今考えるとちょっともったいないことをしたかな、という気分にもなります。あのMD今どこにやったっけなあ…。(たちつ亭と~助)
(寸評)俺も高校生くらいの時は深夜ラジオとかに投稿したことあるなぁ。読まれたこともあるよ。
・・・愛川欽也に。7ポイント。
初めてのチュニジアガイド
チュニジア旅行に行ったとき、街中のバザールにいくとインドのサドゥみたいな清潔感があり、いかにも人生を知ってそうなおじさんが現れて勝手に案内を始めました。
私達もちょっと道に迷ってたからガイド大歓迎だったし話も面白かったのでなすがままになっていました。
ほかに何が見たいのか?というので友人に頼まれていたチュニジアの皮スリッパとサフランが買いたい、というと彼のなじみの店に連れて行ってくれました。
皮スリッパは別にすごく安くなるわけでもありませんでしたが無事購入、サフランに関してはおじさんのなじみのお店に行き、おじさんはサフランを出してやってくれ。と、言ってくれました。
スパイス屋のおじさんがにわかガイドさんに二言三言いうと、にわかガイドさんはいいんだいいんだ、このひとたちは料理人だからスパイスのこと良く知ってるんだ。と言うようなことを言っていました。それでもスパイス屋のおじさんが解せない様子でいると、にわかガイドさんは、いいからサフランを売ってやってくれ。と言いました。
なんかおかしいし、サフランも地元のバザールで買ったにしてはそんなに安くなかったのですが、まあいいか。と購入しました。
にわかガイドさんにお礼を言ってわかれようとしたら案の定施しを求めて来ましたが、案内してもらったし、話も面白かったのでお礼を渡しました。
このふらっとあらわれてあれよあれよと言ううちにガイドさんになってしまう手口に感心したし!
でも、フランスに帰国してから私の何かおかしいと言う気持ちの原因がわかりました。
サフランだとおもって買ってきたブツ、サフランじゃないし!紅花ですよ~
こら~!私!サフランがどんなものかも紅花がどんなものかも知ってるくせに!
こういうの旅の恥は何とやらというのでしょうか?
ぷぷっ。
初めてお茶目な詐欺にあったわ~
これからはなるべく元料理人だということを晒さないように生きていこうと思いまっす! (ますちゃん)
(寸評)「あいつ、元料理人だってよ。サフランも分からずに。ぷぷっ!」とか思われてたのかな。
ま、騙されてもこの程度のことなら命にかかわるわけじゃなし、ここの投稿ネタになっただけでい~んじゃない!? 6ポイント。
はじめてのフリーマーケット
お小遣いが欲しくて、服やぬいぐるみ等をフリマで売ることにしました。
彼氏に付き合ってもらいさむーい冬場の会場で、シート広げて着なくなった服やら要らなくなったぬいぐるみやらを粗雑に並べて叩き売り。
思ったより売れて、外国人のお客さんとかもいたりして、楽しかったです。
でも売り上げは参加費を抜いて2000円くらい・・・
儲けるのは結構難しいなぁ。むむぅ。(りあちゃん)
(寸評)昔、地方の駄菓子屋に眠っていた大量の駄菓子屋の玩具を大きな段ボール一箱叩き買って東京で売ったなー。
そこそこ売れたよ。今だったらプレミア付いた物もあったかもなぁ。5ポイント。
?初めての歯磨き粉噴射
ケチではないがケチくさい性格(両者は違うのだ)であるから、マヨネーズが残りわずかになると「チューブに空気を入れフタを閉め逆さにして前後に振る」行動にでる。
すると、あっという間に もうふた押し分くらいのマヨネーズが溜まるのである。エコだ。
元来そんな習性なので、洗面所でも残りわずかな歯磨き粉に同じことを試みた。
?‥!‥‥!!凄い速度で、天井付近四方の壁紙にウエッジウットばりの模様が現れた。
パチンと閉めるタイプのフタがキチンと閉まっていなかったのだ。
飛び散った、とも言う。
歯磨き粉は想像以上に残っていたので、遠心力により綺麗に装飾された壁紙を このあとの掃除を考えブルーな気持ちで眺めた。
が、我が家の洗面所が狭いのはこんな時便利だ!と思うようにした。
人間、自分に都合がいいように解釈する前向きにな姿勢は何時でも大切である。
で、意を決し片付け始めたら、歯磨き粉は適度な柔らかさで固まっており簡単にめくれた。
おまけに日焼けの皮を剥がすような快感を伴って、ちょっと楽しかった。
人間、自分に都合の‥もう えぇて。(ハルキ)
(寸評)いや、もっと続けてくれ。小説家の才能あるかもしれないよ。6ポイント。
?初めて祖父に手紙を書く
数ヶ月前に祖父の肝臓に癌が発見されたという一報を受けてから約一ヶ月、いろいろなところに転移していてもう先はあまり長くないかもしれないという連絡を家族から受けました。私は今外国に住んでおり、仕事もあるしすぐに帰ることもできません。そこで一刻も早く祖父に手紙を書けという指令を母から電話にて仰せつかりました。
入院している祖父をほぼ毎日見舞う祖母や母と、遠いところで生活している私とは病床の祖父に対する感情が違って当然かもしれないのですが、私はこれはこれで仕方ないのではないかという気がしている一方で、他の家族は非常に落ち込んでおりかつパニック状態で、祖父が死ぬと決めて話をするなんてあり得ないという感じです。
けれども癌が複数の場所に転移で先が長くないと言っても、祖父は大正生まれで一ヶ月前に入院するまでほとんど病気もせずに祖母と二人で暮らして来た人です。まだ死んでない人に使うのは非常に縁起の悪い言葉かもしれませんが、これが最期だったとしても大往生というか、そんなに悪くない人生だと思うのです。
祖父本人は割と冷静で、自分の葬式の準備などをしているそうです。そういう80代後半の癌患者に、「元気になって、死なないで」と本気で言う事が私にはできません。とりあえずでもできません。しかし転移のことなどについて細かい事は祖父には話していないという事を何となく家族から聞いている私は「おじいちゃん自身が知っている事と私が聞かされている病状が一致していないんてことがあった場合この手紙は地雷になりかねませんが・・・」と前置きして、死んで行くというのはどんな気分なのでしょうか?というストレートな質問を書きました。
他に書いた内容も含めて、きっと家族の期待していた手紙とはかけ離れた手紙になっていると思います。後は手紙が祖父以外の人の目に触れない事を祈るのみです。
冷たいと受け取る人もいるかもしれませんが、私自身は至って真面目に書いた手紙なので、返事がくるといいなと、すこーーしだけ期待しています。
以上、たぶん最初で最後の祖父への手紙体験でした。(Sabina)
(寸評)もし返事が来たら是非内容を知りたいね。
たぶんその人その人の性格で「なんじゃ、この手紙は!」と思う人と心底「正直な手紙、ありがとう」と思う場合があるかもね。7ポイント。
?はじめての包丁で「ざくっ」
最近包丁捌きがうまくなってきて、「トントントン」って
綺麗なリズムで野菜を切れるようになりました。
それで、「あーあたし料理上手じゃね?」と思って調子に乗って、
「トントントン」のリズムをちょいと早めてみました。
・・・ら。
「ざくっ!!!」
・・・ぎゃーーーーーーーーー!!!
血ー!!! 血ー!!!
指切れたー!!! 爪ごと切れたー!!!
いたいー!!!
ぎゃーーーーーーーーー!!!!!!
絆創膏が真っ赤に染まる染まる;
あれから数日経ちますがまだ痛みますorz(りあちゃん)
(寸評)爪が切れたなら、爪切りの手間が省けて良かったね!
って、そういうことじゃないか。4ポイント。
?初めての渋谷暮らし
2008年8月、東京で一人暮らし始めました。
精神不安定で前のバイトを辞めて、家にいてぬくぬくしてても何も変わらないと思い、環境を変えてみようと思ったのです。
でもお金がないので住み込みのバイトを探し、体力も精神力もつきそうだし、昼間は自由に過ごせそうなので新聞配達に決めました。
バイトでも住み込み可能な所がなかなか無く断られてばかり、やっと見つけた所に面接に行き採用されました。
親は驚いてましたが、やりたいことはやらせてくれる親なので無事上京出来ました。(反対されても無理矢理上京するつもりでしたが。)
落ち着いたら実家に戻るということは伝えました。
しかしバイト先が渋谷という賑やかな場所だったので・・・人混みが苦手な自分は買い物や駅に行くだけで疲れてしまい・・・
(住み込み先のアパートはわりと静かな所にあったのですが。)
一人暮らしは少し寂しいけど楽しいし、仕事は研修で、とりあえず朝刊を配達する先輩の後について行き、それは全然大丈夫だったんですが生活環境に耐えられなくなってきて・・・あまり眠れなくなったりして・・・
結局そこは一ヶ月も経たない内に辞めてしまいました・・・
とりあえず上京したい、とあまり考えずに行動してしまった自分も悪いのですが。
今は、新しく見つけた杉並区の新聞屋さんで住み込みバイトしてます。憧れの杉並区です。ニヒル牛に歩いて行けます♪
いつまで続くか判りませんが、楽しみながら頑張ります。
(ななを★)
(寸評)渋谷は遊びに行くところで住む場所じゃないね。でもとにかく「飛び出してみて良かった!」と親に報告出来るようになればいいね。7ポイント。
?初めての原付免許
渋谷の新聞屋さんでバイト始めてから、原付免許取りました。
最初は自転車で配達だと思ってたのに、いきなり免許取ってくれと言われて少々戸惑いました。
原付の本を買って2~3日必死に勉強して、いざ試験場へ。
道に迷って午前の部に間に合わず、午前の部を受けることに。
待ってる間も勉強し、緊張でお腹痛くなりました。。
そして筆記試験。手の震えを必死におさえて名前を書き、試験開始。
不思議と緊張がとけ、すらすらと問題を解くことが出来ました。曖昧なのもありましたが、そこは勘で答えました。
終了後少し待って、合格者発表。自分の番号が呼ばれ、一気に力が抜けました。。。
良かった本当に良かった・・・。ちなみにほとんどの人が落ちてました。
喜びに浸ってる間も無く、免許用の写真を撮り、実技講習へ。
これが凄く辛かったです。
先ずは一通り説明を受け、そのあと実際にバイクに乗り、直進、カーブの曲がり方、等やりましたが
カーブがどうしてもうまく曲がれない・・・!
みんなちゃんと出来てるのに・・・(原付乗ったことある人もいたみたいですが)
直進、ブレーキもまだ不安定で、自分だけ別の場所でひたすら直進の練習をさせられました。
悔しくて情けなくて、泣きながらひたすら走りました。初めてなんだから仕方無いと自分に言い聞かせても、涙が止まりませんでした。
教官のおじさんがいい人で、怒ったりせずにずっと練習に付き合ってくれました。
涙でぐしょぐしょになりながら取得した原付免許、たからものです。(ななを★)
(寸評)俺も19の時、一年間だけ茨城県に住んだのだが、最寄り駅まで12キロ離れており、興味はなかったが仕方なく原付免許取ったな。
でも翌年東京に出ることになり「東京にゃ電車があるからいらないや~あはははっ!」と更新もせずにポーンと捨てちゃった。
それ以来、俺には何の資格もありません・・・。6ポイント。
?初めての杉並暮らし
杉並の新聞屋さんにやってきて、1日目、2日目は自転車で朝刊配達しているおじさんの後についていき、昼間順路を教えてもらいその後3日間はおじさんについてきてもらい自分で配達しました。
そしてついにひとりで配達。まだ順路帳見ながらですが、なんとか配り終えました。
しかし一件、間違えて配達してしまってました・・・アパートだったんですが、隣の部屋に入れてしまったのです。。
ちょっとへこみましたが、昼間空回りして部屋をしっかり確認し、次の日は間違えませんでした。
しかし今度は、〇〇新聞とスポーツ新聞を取っている美容室に、スポーツ新聞入れるのを忘れてしまってました。。。
またへこみましたが、その次の日は、誤配、不着なしでした!
渋谷の販売所では先輩の後についていくだけでしたが(バイクに慣れるためでもあったとは思いますが)、こっちの店では、こんなに早く一人立ち出来るとは。
でももう1つ覚えなきゃいけない区域があるので、頑張らないとです。。
朝(というか夜中)早く起きるのはまだ少し辛いですが、人も車もほとんどいない中を自転車で走るのは凄く気持ちいいです。
そして配達終わったあとの朝ご飯が美味しいです!(ななを★)
(寸評)俺は典型的な夜型なので、逆に深夜のバイトをしてたな。
・・・はっ!? 深夜と早朝は結局時間帯的には同じかっ! 気づかなかった! 5ポイント。
?初めてのスクーター
渋谷の新聞屋ではスクーターに乗ってましたが、杉並の新聞屋ではカブに乗ることになりました。
スクーターは小回りがきかずUターンなどがしにくくて、カブの方が扱いやすそうだな~とは思ってたのですが・・・
初めてのカブ。実際乗ってみると、当たり前ですがスクーターとは違うので、難しい。
スクーターには無いギアチェンジがあります。
停止したらギアをニュートラルにして、発進時は1速、そして2速にシフトアップ、そのあと3速・・・
ギアチェンジのタイミングがまだうまく掴めません。。。
曲がる時は2速にシフトダウンしたいのですが、ペダルの場所を足で探してもうまく踏めず、仕方なく3速のままスピードを落として曲がったり。
自転車で癖がついてしまっているのか、右足でブレーキ踏まないといけないのについつい両足つこうとしてしまったり。
カブでもUターンはうまく出来ません・・・ただ単に下手なだけですね。
とにかく慣れだと思うので、毎日練習して早く上達したいです。(ななを★)
(寸評)今頃は5速でぶっ飛ばしているかな!? ひゃっほーいっ! 4ポイント。
?はじめての新千歳空港
はじめての北海道の空は、どんよりとした曇り空で、今にも雨が降りそうな天気。
飛行機から見える景色も、だいぶ高度を下げてからでないと見えませんでした。やっとこさ見えたときは、もう着陸寸前でしたけど、畑、森林、農地などがたくさん視界に入ってきて、ビバ!北海道!!(古)とテンションが急激に上がりました。
到着の日は平日のど真ん中の水曜日で、旅費も安くなったオフシーズンの時期だったので、人ごみに遭わずに済むかなと思っていたら、到着ゲートを抜けたところはツアー客の集団がごっそりかたまっていて、土産屋に行けば到着客出発客でごったがえしており、これは羽田よりも人口密度が高いんじゃないかと思ったほど。
土産屋をのぞくと、海の幸山の幸乳製品加工品等が目白押しで、欲しい物全部買ったら所持金が底をついてしまいそうだったので、欲しい物をしぼるのに相当頭を悩ませました。これは帰る時に相当時間を食いそうだと思ったので、スケジュールをちょっと変えて空港での時間を多く取ろうと考えつつ、端の方にあるバス乗り場に移動すると、先刻とは打って変わって人も激減し照明も暗くなりしーんと静かになって、同じ建物内とは思えず驚いてしまいました。
外に出ると、天気のせいか風も涼しいので、トランクから上着を取り出してはおりバスを待つことに。
バス停歩道の側溝の蓋が北海道や観光地の絵になっていて、カメラに収めようと思ったけれど、そのときに丁度バスが来て、うまく撮れず全種類撮りきれなかったのが残念無念。(梅桃ひよ子)
(寸評)「マンホールの蓋」という林丈二さんの著作には影響を受けたことがあるなぁ。4ポイント。
?はじめての洞爺湖
洞爺湖では、夜間花火が上がるとのことだったので、オプションで遊覧船に乗って花火を見よう!という予定を組んでいて、バスでの移動中雨が降ったり止んだりしてるのを見て、これは花火できないかなーと思っていたのですが、室蘭を過ぎたあたりから、ところどころで晴れ間も見えてきたりして、これはひょっとすると千倉の奇跡再びか!?と期待したり、また雨が降ってきてやっぱりダメっぽいと落胆したりしながら洞爺湖到着。
ホテルの規模がかなりでっかくて、エレベーターを出てから部屋に着くまで数十メートルはあろうかという距離で、まだ日本語覚えたてくらいの中国人らしき女の子が案内をしてくれるんだけど、日本語だと疎通が難しそうで、かといって中国語はほとんど忘却のかなたにあって言葉を発する勇気もなかったので、会話もあまりないまま静かーに、なんとなく気まずい雰囲気で部屋に案内してもらいました。うーむ。
部屋に入ると足置き付きのリクライニングチェアが2台置いてあって、しかもそのすぐ横には洞爺湖を一望できる大きな窓があって、1,500円しかグレードアップしてないのにすごくリッチな気分になり、その椅子に座ってみるいつものヘキサゴンが一味違って見えたほどでした(笑)
結局その後は雨も降らず、花火も予定通りに上がるとのことだったので、その前に夕食を済ませておくべくバイキング会場に向かうと、数百人はいるのではないかという予想外の規模で、しかも夕食をとりながら太鼓のショーが見られたり、鉄砲汁や焼きたてのホタテ、海鮮フライや魚のてんぷらなど、北海道ならではの海産物が目白押しで舌鼓を打ち、しかもその会場もまた湖畔側が一面ガラス張りの窓になっていて、湖畔の夜景が大スケールで飛び込んでくる状態。ますますハイな気分になり、食べるだけ食べてから今度は遊覧船に乗るため移動。
ちょっとレトロな遊覧船から見る花火は人ごみで汗だくになって見る地元の花火と違い、心地よい涼しさで優雅に見ることができました。普段ギリギリのタイムスケジュールを組みホテルでは寝るだけの貧乏旅行しかやってこなかった夫婦には思いがけなく優雅な旅となり、ホテルに再び戻ってきた後は温泉で長旅の疲れを取って、ホクホク顔で眠りについたのでした。(梅桃ひよ子)
(寸評)おおっ、俺も北海道にいるのにそんな旨いもの食ってない。もっぱら納豆の日々。うう。5ポイント。
?はじめてのルスツ
2日目は洞爺湖と札幌の中間地点の山あいにあるリゾート高原・ルスツの遊園地でハッスルしました。
元々夫婦そろって絶叫系が大好きで、旅行に行けばその地の遊園地に足を運んでいたので、これは北の大地の遊園地も制覇せねばということで行くことにしたのです。スノーボード好きのダンナは冬場に行きたそうでしたが・・・。
到着が早かったこともあって、入場直後は人の気配がなく、本当に人がいるのか!?と不安になりましたが、遊園地周辺には結構な人がいました。
リゾート自体が既に高原にあるのに、その斜面にアトラクションが立っているので、移動するのに坂を上ったり降りたり、平地よりもエネルギーを使ったので、久しぶりに運動した気分になりました。最初急斜面を歩いて上ってたら、後から上りだけ動く斜面があったことを知りガクッときました(笑)
アトラクションの振動が激しいのか年なのか、コースター耐久レースに身体がついていかず、ほとんど1~2回くらいしか乗れなかったのが残念で、そろそろ絶叫系全国制覇の旅は引退が近いのかなーと思ったりしてました。急流すべりやポセイドン、ゴーカートを青森の小学生と相争うようにして乗ってる自分がちょっとだけ悲しかった・・・。
前日は曇り空でしたがこの日以降は快晴で、九州よりも心なし涼しい・・・かな?という程度まで気温が上がったので、秋のスタイルで行った私には若干暑く感じられる気候でした。そして、ウキュピでSっちゃんから「コースターの顔に当たるところはくさい」という話を聞いていたら、乗り場で既にその香りが漂っていたので本当だなぁ~としみじみ思ったりしながら、北の大地の遊園地も制覇した私たちなのでした。(梅桃ひよ子)
(寸評)絶叫系全国制覇の旅・・・。俺には絶対無理だが、レポート本を作ってニヒル牛で販売すれば意外に売れるかも!? 5ポイント。
?はじめてのジンギスカン
北海道旅行最大の楽しみはホルモン鉄道ですが、その次にわくわくしてたのが、このジンギスカン。
実は羊肉自体初めて食べたのが今年の春で、その時肉のクセとかそんなに気にならなかったので、本場札幌では美味しく食べられるなとワクワクワクワクしてました。
例によってタイムスケジュールがギリギリだったので、ルスツ→札幌に移動後、すぐチェックインして、一息つく間もなくホテル前からタクシーに乗り、サッポロビール園に向かったのです。ビール園は広く、入ってすぐのところに総合受付があり、「それではポプラ館の何番になりまーす」と言われポプラ館に向かうと待つことなくスムーズに席につけるという、予想をはるかに超えた規模とシステム。しかも平日の夜なのに人が多い。地元の花金でもこんな熱気なかなか見ないかも。
最初は空腹とテンションの高さと熱気とで、会話したり写真を撮ったりする間もないほど黙々と焼いては食べ続け、ある程度食べてからようやく写真を撮ることができました。北海道型の鉄板は類を見ないほどユニークだと思いましたが、函館や釧路の部分でやけどしそうだったので終始気が抜けませんでした(笑)
やっぱり本場のジンギスカンは美味いっっっっっ!!!
私は肉に集中し、ダンナは肉とサッポロビールを堪能し、ほとんど焼いて食って焼いて食っての繰り返しだったので、思ったより早い時間にふたりとも満腹になり食事終了。
行きに乗ったタクシーの親切そうなおじさんが「帰りはバスに乗るよりタクシーの方がいいよ」と言っていたけれど、ビール園→札幌駅に行ける環状バスがあって、しかも待つことなく、それも200円で乗れたではありませんか。このウソツキっ(笑)
予定よりかなり早い時間に戻ってこれたので、駅の地下街に行ったり、コンビニに寄り道してから部屋に戻りました。
そしてダンナは蟹加工品のつまみと北海道限定の缶ビールを片手にひとり二次会をやっておりましたとさ。
こちらに帰還してまだ3日と経過しておりませんが、もうジンギスカンを取り寄せたくて取り寄せたくてたまらないようです。(梅桃ひよ子)
(寸評)いっそ羊を飼ってしまうというのはどうだ?
そしてさらに宮崎でジンギスカン料理屋をはじめて大繁盛。うひゃあ、夢は広がるねっ! 5ポイント。
?はじめての札幌
札幌では色々行きたかったところがあったのですが、時間が半日ちょっとしかなかったため、そのほとんどを買い物に費やしました。札幌駅だけでも、ステラプレイス・大丸・パセラ・エスタが入っていて、周辺にもビッグカメラやロフトなど、行きたい店が目白押しで、とても半日で回れる量ではありませんでした。本当は大通り公園やその界隈の店にも行ってみたかったけど、時間の都合上やむなく断念。札幌は1日にしてならず(意味が違う)ということをつくづく実感しました。
観光地で行ったところは時計台だけ。中に入るには入場料が必要だったため写真だけ撮って終了(ケチ!)。
昼食は北海道のラーメン店が軒を連ねる「ら~めん共和国」でとりました。博多のラーメンスタジアムにはある「すみれ」がここにはなかった(笑)ランチを頼んだら、ついてくるおにぎりがいくらおにぎりなのは、さすが北海道。
食後はおみやげ屋さんでアイスキャンデーを購入。ものすっごく凍っていて、歯が欠けそうなくらいの硬さでしたが、それでこそアイスキャンデーとばかりにがしがしかじりついていました。
いつも旅に出ると地元にないブランドの服だのバッグだのを買いあさるのですが、今回も結構な出費で服などを買わせていただきましたとさ。いいなぁ、やっぱり都会ってうらやましい。(梅桃ひよ子)
(寸評)札幌の時計台は「日本三大ガッカリ観光地」と呼ばれているよね。
これは時計台が悪いんじゃなくて、時計台のまわりに無計画にビルを建てさせた行政が悪い。あれじゃ商店街の時計とほとんど変わらないよね。
もっともあれだけ駅に近いと難しいか・・・。5ポイント。
?はじめてのホルモン鉄道
さあ、お待ちかね、初ホルモンの時間がやってまいりました(笑)。
小樽に着いたのは予定よりも1時間ほど早かったのですが、チェックイン時に大浴場の無料券をもらったのでこの短い時間で入るか否かで頭を悩ませたのち、超特急で入ることに。
そんなわけで、お風呂上がりの参戦です。
バスで近くまで来たのですが、あらかじめもらった地図には坂を上ってさらに路地に入るように矢印で示してある。本当にこっちでいいのかな?と思いつつ奥のほうに進むと本当に一軒の民家で、もらったチラシが入ってなかったらわからないだろうなぁ。玄関に入るも勝手に入っていいのか悩んでしまってつい「ごめんくださーい」って声をかけてしまった。すると、奥の方からSっちゃんやM玉ちゃんが出てきてくれて千倉以来の感動的な再会。そういえば特にうっぴーだと名乗らなかったし千倉のたまTを着てきたわけでもなかったけれどもわかってくれてて嬉オかった。
開演までしこたまグッズを買い込み、それらをニヤニヤ眺めながら待っていると、「ホホホホホールモン、ホホホホホールモン♪」の掛け声とともに、私の座っていたすぐ横のレンガの暖炉跡のような穴をくぐって登場。そのすぐ横にはドアがあるのにあえてくぐって出てくる人たち。
初めて聴くホルモンワールドは抱腹絶倒の世界。なーんでこんなおバカで下品なことを真剣に作品にできるんだろうなって思ったくらい。かなり最初の方で「正調腹太鼓音頭」が入りこの時にパンツ一丁になったのだけど、その後服着るのが面倒だと言ってそのままアンコールまでパンツ一丁のライブが続くことに。「初ホルモン」以外に「初パンイチライブ」のおまけもついてますます抱腹絶倒というわけです。
「ホルモンは短い曲が多いから、時間が余るから延ばせ、延ばせ」と言いながら曲をアレンジして延ばしてみたりトークをその分織り込んでみたりして、予定時間ちょっと前にライブ終了。いったんレンガをくぐって退場した後、大谷氏が自分で「アンコール」と言い出したのに大笑い。そして、よくよく見るとパンイチにもかかわらず何故か靴下だけは脱がなかった石川さんにも笑ってしまいました。
いちばんおかしかったのは、「これでライブは終わりです」と宣言終了後、何事もなかったかのようにレンガのくぐり穴ではなく、隣のドアから素の顔で帰っていったこと。本当に何で笑わせられるのかわからないホルモンワールド、たっぷり堪能させてもらいました。
そして、その後の打ち上げで「秋の風」をリクエストしたのですが、「恥ずかしいからイヤだ」とお断りになったので、「えええ、さっきまでパンツ一丁でライブやってたじゃないですか~」と言うと、ライブの時の石川さんとその後の石川さんとは違うのでできないとのことでした。生そして初「秋の風」聴いてみたかったのですが、残念でした。(梅桃ひよ子)
(寸評)いや~。ステージの上なら何でも出来るけど、素に戻ったらただのシャイなおっさんだから。
実は俺だけじゃなく、過激なパフォーマンスをするアーティストほど、楽屋に戻ると内向的な人に戻る人、結構多いよ。
遠くからありがとね。6ポイント。
?はじめてダンナが狼狽するのを小樽で見た
最終日。前日に引き続き短い時間で色々回らないとならなかったのですが、帰路に着く日のため移動が多く、また、前日にかなりの出費をしてもう大きい買い物ができなかったので、行きたいと思っていたオルゴール館は断念しました。なので、少し早めにホテルを出て、小樽運河を散歩して、余った時間でウイングベイに行って買い物しようとJRに乗って移動。
二駅なのですぐに着き、いざ出発、と思いながら改札を出ると、ダンナが駅員さんと何か話していました。
「どうしたの?」と聞くと、「カバンを忘れた・・・」と言うのです。
そのカバンに財布も入れていたのを昨日見ていたので、私も言葉が出ず顔面蒼白になって固まってしまいました。
近場ならともかく国内では一番遠い北海道、しかも最終日、下手をすると見つからないかもしれないし、その電車の終着駅が岩見沢なので、そこまで取りに行くとなると、移動する時間もギリギリになるかもしれない。それでも何でもとにかく見つかって欲しいと思いました。夫婦別財産制でやってるとはいえ、全部なくなると、我が家の財産の半分以上がなくなってしまうことになるので・・・。
とりあえず、車掌さんに無線で連絡してもらったものの、見た感じではわからないらしい、ということでダンナは急いでカードを止める手続きをし、私は連絡があったときにちょっとでも早く取りに行けるように札幌駅で待っておこうと思って切符を買いました。
札幌行きの急行列車を待っている間、ダンナがカード停止の手続きの電話を終えたころ、駅員さんが走り寄ってきてくれて、親切なお客さんが札幌駅に届け出てくれたとのこと。親切で迅速な対応をしてくれた駅員さんに厚く厚くお礼を申し上げて、急ぎ札幌駅へと向かうと、お金もカードもそのまま無事で戻ってきてくれました。本当によかった。
安心した途端お腹も減ってきたので、迷惑をかけたおわびにと、お昼ごはんをおごってもらうことになりました(別財産制だからこそ、夫婦間でおごりおごられの会話が成り立つ)。駅地下のレストラン街で、真っ先に目に入ってきた店名が「ザ・丼」。そういえば海鮮丼も食べてないし、この店名は私のためにあるようなもの(そんなバカな)。即決で入っていくらてんこ盛りのいくら丼をもりもり食べました。顔面蒼白になるほどの大事件が解決したからこそ、余計に美味しく感じる丼。もちろん、あっという間に食い尽くしてしまいました。そしてこの味は一生忘れないでしょう。
この一件が相当堪えたらしく、食後ダンナはすぐさまショルダーバッグを購入しました。
最初にダンナと出会った時からほとんど何かに動じた姿を見た事がなかったのですが、この一件で初めてその姿を目の当たりにする事になり、予想外の経験をさせていただきました。
予想外のスケール、予想外のライブ、予想外の事件、何から何まで衝撃的な北海道での思い出を胸に抱えて、お騒がせ夫婦は再び南の国へと戻っていきましたとさ。(梅桃ひよ子)
(寸評)結局、丼でしめたのが大変よろしいっ!
丼女、うっぴーとして今後も精進するようにっ! 6ポイント。
初めてのびろびろのシートベルト
大分前の事ですが、友人と2人で後楽園遊園地に行きました。
当時はジェットコースター等の恐ーーいアトラクションが大好きで、色んなのに乗っては「キャーキャー」叫んでいました。
そして、とうとう運命のその時がやって来ました。
そのアトラクションは、観覧車の恐い版みたいな感じで、1つ1つのゴンドラが180度まで揺れながら回転して、てっぺんまで昇って降りてくるというものでした。
ウキウキドキドキしながら乗って、さてシートベルトを締めようと手に取ったら、なーーーんと!!びろんびろんに伸びていて、セットはしたものの
何の役にもたたないのです!!!
既にゴンドラは結構な高さまで昇っていて、降りるに降りれず、そのまま乗っているしかありません。
そしてゴンドラはゆら~りと揺れ始め私の体は真横の体勢に!!
「お、落ちるうーーーーー」と叫びながら、両手でワクをつかみ必死で
ずり落ちるのを防いでいました。
隣を見ると、友人のはちゃんと締まっていました。
なんで私だけ~!?!
てっぺんまで行き降りてくる間、何回も真横になり手は疲れてくるし、お尻はつるつるすべるし、本当に恐かったです。
「もうやだーこわいよーーおろしてーーー!!!!!」というような事をずっと叫んでました。
そしてやっと地面にたどりついた時も「こわかったよーこわかったよーwww」とエンドレスに繰り返し、係員に文句を言うとかの発想が吹っ飛んでしまいました。
あの”びろびろのシートベルト”を次に使った人は、はたして無事だったのでしょうか・・・・・。
それ以来、恐いアトラクションには絶対乗らない・・・というか乗れません。(ごりぽん)
(寸評)俺も後楽園遊園地で空中で逆さ吊りになって止まるやつで、ポケットの中の物全部下に落ちて、係員に届けられたことあるよ。
やっぱり恐怖アトラクションは絶対悪魔の手先だ。近寄るなっ! 6ポイント。
初めての新聞配達員
杉並区のとある新聞屋に朝刊配達のバイトとして入って、研修を始めて10日目。
教わった区域を、初めてひとりで全部配りました。
前半は店から近い住宅街なので自転車で充分なんですが、後半は駅周辺で、店から離れてるのでバイクで配ります。
バイクまだ慣れてなくて少しこわいです・・・新聞積んでるのでバランスがとりづらくて転ぶし・・・。
順路帳を見ながらですが、無事に配り終えました。ひとりで配れるようになって、やっと「新聞配達員」になれた感じです!
事故らないように、不配、誤配がないように、頑張ります。
朝に強い人、新聞配達オススメです。朝というより夜中から配達ですが・・・。
そのかわり昼間は自由です♪(ななを★)
(寸評)でも今時新聞配達の仕事する若い女の子というのも珍しいかもね。早朝老人のアイドルになるかもよっ! 5ポイント。
初めての長万部
小樽でのライブの翌日、関東への帰り道の最中に、ローカル線で長万部という街へ降り立ちました。
関東へ行く列車が来るまで時間がだいぶあるので、途中下車の旅として、散策を始めました。
然るに、前日止まった宿泊先のおばさんは、「長万部?温泉と蟹飯ぐらいしかないわよ」と言っていたのです。名前だけ有名で、特に見るべきものはないとの事。
どんな所かなおさら気になり、降り立って、歩いてみると、駅の近くに元祖蟹飯食堂が。駅前広場から海辺が見えます。しかしそれ以外は、殺風景な住宅街のみ。しばらく街のあちこちを歩いてみましたが、人通りも少なく、つぶれた感じの宿屋もところどころにありました。やっぱりゴーストタウンか…。韓国にあった売春 街みたいでした…。札幌に行くには必ず通る街ではあるが、同時に素通りされてるだけなのかな?
とりあえず、銭湯を1軒見つけて入ってみましたが、韓国での銭湯生活が長かったこともあり、水風呂がなく、熱湯風呂しかなかったのはきつかったなあ…。上がっても、かえって汗だくになってしまったので。
浜辺にも行ってみましたが、天気が荒れていることもあり、シケ状態で、人っ子1人いません。波打ち際はゴミだらけで、漁船の出入り口近くも船が全くなく、殺風景過ぎました。
しょうがないので駅前近くの食堂に行き、蟹飯を注文しました。値段はセットでちょっと高めでしたが、味は良かったです。懐かしの茶碗蒸しも出てきましたし。
ま、テレビの取材は絶対にやりにくいところだろうなあ。(Hi-)
(寸評)俺は昔、長万部からちょっとタクシーに乗って二股ラジウム温泉という風情ある温泉行ったよ。妻と、柳原夫妻と4人で。混浴だったにょ~。ほほほ。5ポイント。
?
はじめての出演依頼
小樽なんじゃで共演してくださった、ハードトゥファインドのリーダー、小松崎健さんへの最初のメール(コピー)です。
健さん、「断ってもしつこくて」みたいなことをおっしゃってましたが、嘘です、好感触でした。。
石川浩司(元たま・現パスカルズ)とハードトゥファインドの共演を企画しており、元上司であるKさんに相談したところ、「小松崎さんに直接コンタクトをとったほうがよい」と勧められ、突然メールで失礼します。
たまのランニング氏との共演ということで驚かれたのではないかと思いますが、私の中ではハードトゥファインドとたまははじめから繋がっています。
たまのファンクラブの特典のCDを紛失、とてもキレイな曲でもしかして有名な曲なのかなとKさんに「『シーベック・シーモア』という曲、ご存知ですか?」と尋ねたことがハードトゥファインドとの出会いでした。Kさんにお借りしたCDがものすごく私好みで、返却後自分で購入、5枚持っています。
札幌在住の友人が石川の北海道ライブを企画、私の母の家が小樽にあることから小樽ライブの主催を頼まれ、病気療養中無職の身であり、最初は断りました。でもだんだんハードトゥファインドの音楽に石川のオリジナルパーカッションセットはすごくよいのではないかしらと妄想が膨らみ、ハードトゥファインドと共演というかたちなら、と主催することになりました。友人もホームページを見てとても気に入ったようで「実現したら素晴らしいね」と2人で話しています。
ハードトゥファインドとのセッションは想像以上に素晴らしく、皆さんに喜んでいただけて、嬉しくて気が狂いそうでした。(鈴べる)
(寸評)ライブ後、ハードトゥファインドの複数のメンバーから「楽しかった、またやりたい」とのメール貰いました。思い切ってやってくれてありがとう。とても大きなパイプを作ってくれたね。
多少赤字だったかもしれないけれど、その分を超える大きな思い出が出来たとしたら、嬉しいな。7ポイント。
はじめてのお泊まり
子供の頃から全然社交的ではなかったので、友だちを家に泊めた経験がありませんでした。
小樽なんじゃの夜、石川さんをはじめ、4人が私の母の家に泊まることになり、前夜、母と色々打ち合わせ。朝ご飯の献立を相談したり、ふとんを用意したり。
そしてなんじゃ終了後、母の家へSちゃんの車で向かいました。「歩道橋の向こうを左に・・・」「キャー、ごめんなさい、違います!」そんな感じで車を置いてから居酒屋へ。
ご飯を食べたあと、家に戻ると母が「高級な車でしょう。車庫に入れなくていいの?」と、こっそり。
「!!!」。Sちゃんに訊こうとしたら、Sちゃんはもう酔っ払って車を動かせる状態ではありませんでした。
Sちゃんをベッドに寝かせ、どうしよう、どうするのっ?ふとんを敷くの?お風呂を勧めるの?何するのっ?と、わからないまま、母がセットして置いてくれたお酒とおつまみで静かにお喋りをはじめました。
4:00am頃、M玉ちゃんが石川さんのマッサージをしたり、布団を敷いたりなんとなく寝る雰囲気になり、歯も磨いてないけど・・・えーい、それはみんな一緒だ!と、ふとんに潜り込んだとたん、意識をなくしたようです。
朝は母と一緒に朝食作り。不味くないかな、みんな食べてくれるかしらとドキドキでしたが、みんな、おいしいおいしいと、おかわりまでしてくれて、嬉しくて手がぷるぷる震えてしまいました。
色々至らなかったところがあり、恥ずかしく申し訳ないのですが、私自身は楽しくて、とてもいとおしい一夜になりました。そして快くみんなを泊めてくれて、温かくおもてなししてくれた母に心から感謝です。(鈴べる)
(寸評)人泊めるの初めてだったとは知らなかったなー。何の問題もなく快適だったよ!
朝ご飯も味はもちろん、その雰囲気も相まって最高に幸せな時間だったな。最近食べた朝ご飯では一等賞!
お母さんが「べるがいない時でも、いつでもまたいらっしゃい」という感じのことを言ってくれたのも嬉しかったな~。6ポイント。
初めての〇ナルド
私の姉は化粧嫌いで、学生時代の友人は姉の化粧した顔を見てみたい!と思っていたそうです。
そしてみんなでスキー旅行に行くことになったときにチャンスは訪れました。
スキー旅行とは言っても変わった雪だるま作りに夢中な姉に友人が、私のリップクリームかしてあげる!と差し出したのは当時はやっていた見た目が無色でも塗った後に発色するタイプのリップクリーム。
そんなことには気づかずに姉は塗りました。
そしてひとすべりして戻ってきた友人がみたものは。。。
いやん、やっぱり化粧映えする顔だわ~
口紅がひかる唇がまぶしい!
なんてうるわしい光景ではなくマク〇ナルドの〇ナルドのような大きな口になった姉でした。
そう、乾燥肌の姉はリップクリームをいつも唇だけでなく唇の周りにも塗りつけるクセがあったのです。
こうして初めての化粧顔をみる友人達の夢は崩れ去ったのでした とさ。
なんて大袈裟なものでもないか。 (ますちゃん)
(寸評)メイクをするつもりが仮装大会になっちまったのね。
いっそ誰も教えてあげないで〇ナルドとして生きていくユニークな人生もありだったかも。
・・・って、ないか。5ポイント。
絶叫マシーン初体験。
まだ新婚だったころ、彼と私の実家に滞在し、地元の富士急ハイランドにみんなで遊びに行きました。
絶叫マシーンが苦手な彼はゴーカートとかの地に足のついたものは得意で、みんなで競争して1位になっては天狗になっていました。
ハイランドのアトラクションで一台の車に、前に2人、後ろに2人のって進んでいくと、モンスターがたくさんでてくるのでそれを備え付けのピストルで撃ち殺し、4人でスコアを競い合う。というやつがあります。
やはりこういうの得意な彼はバンバン撃って一番!一番!とまたまたさらに天狗になっておりました。
良いのです。神様はちゃんとみているのです。ふふ。
バンバン撃ってもうモンスターが出てこなくなったとき、事情のわかっている私は隣に座っていた彼の腕をむんずとつかみ、
用意はいいですか?
と、確認しました。
む?なに?なんのこと?と、首をかしげるや否や車は一気に真っ暗闇の中に突っ込んでいき、奈落の底に一直線に落ちていきました。
実はこのアトラクション、バンバン打ち合うだけのお遊びだとおもいきや、最後にスペースマウンテン並みの実力を見せてくれるのです。
まっくらやみのなかのジェットコースター。ふふふ。
連れ合いの
うお~
という雄たけびがひびき、
出てきたとき、彼は憑き物のおちたような顔をしていました。
実際ふっきれたようで彼は人生初の絶叫マシーンめぐりを行うことができました。(このあとほとんど全部乗った)
最近ずっと地に足のついた生活でまた天狗になって、私にパンツ脱げ!とか言ってふんぞりかえってるからまたなんかやって懲らしめてさしあげなければ!
あ、こんなこと心臓の悪い人やお年寄りにやっちゃいけませんよ!もちろん。 (ますちゃん)
(寸評)じゃ、今度「パンツ脱げ!」と言ったらますちゃんの中から何故か巨根がこんにちわしてくるという演出は・・・。6ポイント。
カルチャーショック初体験
20歳の時に留学で来たフランスが実際、私の海外初体験でしたが、日本の情報のあふれる世界に住んでいたせいか、日々新しいことの発見の感動こそ沢山ありましたが、これぞカルチャーショック!と思うほどのことはありませんでした。
そんな私が初めて激しいカルチャーショックを感じたのは、なんと自分の結婚披露宴でした。
母が美容院をやっていたため日本で結婚式を見る機会は多く、私の中で、花嫁さんはおとなしくすわっていれば良い。というイメージが作られておりました。
フランスの一般的な結婚式はドレスから料理からなにから、全て自分か家族が手配しなくてはならないので大変なのですが、私の家族は来ていなかった為、人数もそんなに多くないし、レストランで食事をすることにしました。
それでも段取りは一般的なフランスのやり方で、バンバン音楽をかけてゲームをしたり、ダンスしたりダンスしたりダンスしたり。。。ダンス好きなんですよフランス人は。
フランスに来てまだ間もなかった私はまだ頭の中が少し日本風だったので小さな子供が夜遅くなってもまだうろちょろしてるのを見て、この子達はいつになったら帰るのかな?と疑問に思っていました。
しかし、帰らないのです。子供だって。
結局朝5時過ぎまでダンスして片付けながら朝のクロワッサンを食べて結婚披露宴はおしまい。となりました。
とってもとっても楽しかったけどびっくりした~!
花嫁がこんなにリードとってダンスして場を盛り上げなくちゃいけないなんておもってもみなかった~
連れ合いは逆に日本で披露宴だけやってもらって、日本のやり方にびっくりしていました。
それにしてもやはり、日本はどんな習慣でもどんどん取り込んじゃうから、日本からフランスに行ったときのカルチャーショックより、フランスから日本に行ったときのカルチャーショックのほうが大きいような気がします。 (ますちゃん)
(寸評)へ~、ずっとダンスなのか。そんなに腰を使ったら新婚初夜が台無しになるんじゃ・・・って、そもそも初夜という考え方自体がフランスにはないか。
恋愛の国だもんなー。6ポイント。
初めての台所用洗剤誤飲
昨夜、結構な量の台所用洗剤を誤飲していしまい、非常にドキドキしました。
石けんやシャンプーが微量口に入っておえっとなったことならありますが、それとは量が違いました。シンクにおいてあったスプーンをあまり考えずに使ったら、その中にばっちり洗剤が入っていました。私かなり目が悪いです。
口に入れてから1秒後くらいに「!!!」となり、慌てて吐き出し、口を濯ぎましたが時既に遅し。ここで「ああまずかった。」と事が終わると思ったのですが本当の恐怖はその数十分後から始まりました。
口から泡が出てくるのです。瀕死のカニの如く。
始めは洗面台まで吐きにいっていましたが途中で面倒くさくなり部屋に専用ビニール袋を用意しました。誤飲は夜の8時か9時くらいだったと思いますが午前2時になっても泡は止まらず、ビニール袋は洗剤のCMの如くアワアワ。
今一晩あけた日の午後1時ですが私はいまだに泡を吐き続けています。
未体験の皆さんにはこの体験をしないで済む様気をつけていただきたいと思いました。(Sabina)
(寸評)まさに泡を吹くほど驚いたわけだね!
ま、食品に使う洗剤だから命にかかわるようなことはないと思うけど、その場にいたら・・・きっと笑い転げてたな。6ポイント。
初めて泳げるようになった
わしは今年の夏まで泳げなかった。というか水にも浮かばなかったのが、ついに泳げるようになりました。きっかけは暑いから海に行こうよと言われ遊びに行ったこと。
車で20分で海へ。どこまでも遠浅で足が着く、ちょうどいいので練習してみることにした。水の上ら辺をすすーっとすべるように。そして手足で水をかくと・・・おっなんだか泳げるような気がしてきた。しばらくすると、あっなんだか泳げてるっ!こういうことだったのか・・・。意外と簡単じゃないか 。何で今までできなかったんだ?
それから休みのたびに海へ行って練習したら水にも浮くようになったし、後ろ泳ぎもできるようになりました。今のお気に入りは後ろ向きに進む後ろ泳ぎです。でもこれ進む方向が見えなくて岩にぶつかって流血。危険です。今はクラゲも出て海も終わり。あ~また来年か。(2代目水牛)
(寸評)いっそ「流血泳ぎ」を得意技にしたら。怖いけど。
それにしても進歩が早い。未だに俺は犬かきのみ。しかも10メートル進んだらその場でブクブク沈んでいきますっ! 6ポイント。
初めての市営プール
海で泳ぐ練習しているうちに今度はプールでも練習したくなってプールへ行ってみた。
プールは楽しくなかった。まず630円も取られた。高い。高すぎる。そして右側通行、帽子をかぶることという規則、それにコースロープにつかまると怒られるということ、塩素臭いし、魚いないしゴミも流れてこないし、やっぱ海、海がいい・・・。なんだか今まで泳げなかった理由がわかった気がした。プールではいつも監視されて居心地が悪い、わしはどこかに遊びがないとやる気が起きないということじゃないだろうか?
こんなの二度と行くものかと思いました。(2代目水牛)
(寸評)プールでゴミが流れてきたら嫌だと思うが。まぁ、人の趣味だからいいか・・・。5ポイント。
初めての石川あるくんと、そのおかん
8月23日、サザンオールスターズの30周年記念ライブに行ってきました。
その日の東京・横浜は、とてつもなくサザンファン一色だったような気がします。 帰路につく24日、私は西荻窪に足を運んだ。
行き着く先は、『ニヒル牛2』でした。
店内に入るとそこには、かなりよく喋るおかんがいた。
『ん??この方、石川さんに似てるなあ』と思い、尋ねてみる。
おかん 『私は石川あるくんの母です!よろしく!』とおっしゃった。
その後おかんの話は続く。
北海道で石川さんが犬3匹と暮らしその犬が、熊を追う犬らしく、石川さんが動くとウナル話だとか、イマワノキヨシロウさんの話だとか!!
とても気兼ねなく話せる楽しいおかんでした!
しばらくし『ニヒル』に行くことを伝え店を後にする。
『向こうには、あるくんがいてるよ!』
と見送ってくれた。
しかし不思議な雑貨がおおいね、ここ。
その後、約20分歩きニヒルへ到着!!
そこに入って、またもやビックリ!!
石川さんの女バージョンがいるではないか!!
よく見たらこの方が奥さんであった!!
めちゃ似てる!!
仲の良い夫婦は似ると言うが、あからさまに似すぎである!
そしてよくしゃべる!
『旦那と旅行は時間があわないからあまりいけないが行ったとしても別行動と言っておられた。』あと女の人がゴロゴロ付きの大きい旅行ケースを持っている人は皆、スチワーデスと思っていた話などを聞く。
本当に楽しそうなファミリーであった。
以上、同じ日に初めて石川ファミリーに会え、たくさんのおもしろい話を聞いた満足のニシオギ旅誌であった。
その日の帰りの新幹線で小田原地方、大雨のため運転できず8時間、車内にとじこめられてしまった! (YOJI )
(寸評)俺の女ばーじょん(笑)。
確かに服も夫婦で交換して着れるメリットもあるしな。
ファンの人にもよく「石川さんの妹さん見ました!」とか言われたこともあったからなー。
ちなみに俺には実妹はいません。6ポイント。
はじめてのジェットコースター
はじめてジェットコースターに乗ったのは確か小学校低学年か中学年の時でした。
うちの親と、弟と、親の友達のご一家と一緒に、遊園地に行ったんですね。
それではじめてジェットコースターに乗る事になって、並んでる間、何食わぬ顔でみんなと会話していたんだけど、
実はあたしものごっつ怖かったんですね。
そこで、脳内で「あたしはRPGの主人公。これからボスを倒しに行くんだ!」
という妄想をして、これから始まるボスとの決戦に向けて、テンションを上げていきました。
並んでる間に脳内で何匹もスライムを倒し、経験値を上げ、レベルを上げ。
そしていざ!!!!!!!!
ボス戦に突入です。
結果・・・
・・・ボスは思った以上に強かったけど、なんとかクリアする事が出来ました。
因みに今はジェットコースターとか平気で乗れるけど、
最近遊園地の事故なんかも多発してるので積極的に乗ろうとは思いませんね。(りあちゃん)
(寸評)もしクリアできなかったらどうなってたんだろ。ちなみに俺も好きじゃない。金くれるならともかく、なんで金払って怖い思いするんじゃ~、といつも思う。ブルブルブルブルブルドック。5ポイント。
はじめての電気けいれん療法
うつ病で入院中、一向に回復の兆しが見えないという事で、電気けいれん療法を受ける事になりました。
頭に5秒ほど電流を流す療法なのですが、失敗(死亡)の確立はお薬の副作用より低いということなので、受けてみる事にしました。
治療をうけたあと頭痛を起こす事もあるようなのですが、
あたしはそういうの殆どなく、数回にわけて手術を受けました。
初めは怖かったけど、動脈麻酔気持ちいいし、治療を受ける前の記憶が飛んでたりして、面白かったです。
あれから病状は随分回復して、今は元気に劇団員やってます。
もう二度と受ける事はないと思うけど、電気けいれん療法、貴重な体験でした。(りあちゃん)
(寸評)うわっ、それは貴重な体験。というか5秒後に死んでるかもしれない状態って凄いな。がんばったね。
ま、それだけ鬱という病気が厳しいわけで、実情を知らないで「うつ?そんなの気合いだよ!」なんて未だに時代錯誤なことを言っている人がいるとムッとするな。
俺のまわりでも程度の差はあれ、苦しんでいる人がたくさんいるので特にそう思うね。7ポイント。
はじめてのうんちおもらし
酷い便秘症で2週間くらい平気で便が出ないので、度々下剤を使うのですが、ちょっと飲みすぎちゃったのかな、効き過ぎちゃって、朝パンツがベタベタして気持ち悪いので起きました。
ハッ!!Σ(ll゚Д゚ノ)ノ
急いでトイレに駆け込んでみると・・・
・・・パンツにうんちorz
泣きそうになりながら取り敢えず用を足して、こっそりパンツを洗いました。
あれ以来あまり下剤は飲みません。(りあちゃん)
(寸評)人間ならそんなことよくあるさー。知らないうちに付いてたりな。これから年とともにますます括約筋も弱くなるしな。みんな隠しているだけで多かれ少なかれそういう経験はあるさ。気にするな、あっはっは~。6ポイント。
はじめての知久さんとメール
ちょっとお話したい事があってでも暫くライブに行けそうになくて、知久さんのサイトに「メールは目通してます」って書いてあったから「読んで貰えるだけでもいいや」と思ってメールを送りました。
・・・ら。
数日後。
な な なんとおおおおおおおお
知久さんからあああああああ
メールの返信がきたああああああ!!!!!!!!
あたしの事も覚えてくれてて、かなり親身な返信でした・・・。
知久さん優しい(゜ーÅ) ホロリ。
鼻血ぶしゅー!!!!!!! >┼○ バタッ(りあちゃん)
(寸評)たまの人達はみな優しいです(笑)。
ただこれを読んでやみくもにメールしても、たぶん誰にでも返事をくれるとは思わない方がいいね。ライブに通って、顔や名前を覚えてもらって、そして想像だがそれなりの事情のあるメールをしたんじゃないかな。
俺も極力疑問とかには時間があれば答えるけど、ただの「好きです!」メールは逆にあまり返事書いたことないな。
おめでと。6ポイント。
はじめての100万円
100万円貰いました。
とりあえず写メりました。
それから扇形に広げて、扇ぎました。
お金だ・い・す・き。
ちゅ。(りあちゃん)
(寸評)俺も100万貰ったことあるな。
まずファミコン買ったなー(笑)。5ポイント。
はじめて愛犬との別れ
17歳まで長生きしてくれた我が家の愛犬が、
今年の6月26日、死去しました。
外にいたんですが、母からの訃報を受けてすぐに実家に帰り、
動かなくなった愛犬と対面しました。
にくきゅうが氷みたいに冷たくなって、
抱き上げてもぐにゃんって力が入らなくて、
泣いて泣いて泣きじゃくりました。
父が死去したのがあたしが10歳の時なので、
父と過ごした期間よりも長く生活を共にした愛犬。
前日まであんなに元気だったのに。
涙、涙、涙、涙。
あの子はうちの子になってシアワセだっただろうか。
あたしは、あの子と出会えてシアワセでした。(りあちゃん)
(寸評)飼い主が幸せだと思ってくれるのが一番犬にも幸せなんだよ、たぶん。きっとあっちの世界で元気に跳ね回ってるよ。
「長生きしてから、こっちに来てね。また遊ぼう!」と言ってるよ、きっと。6ポイント。
はじめての交通事故
自転車でブレーキかけないで坂道ぴゅーんと走ってたら、
左から来た車につっこんでしまいました。
ぶつかる瞬間とっさにブレーキ踏んだし、車の方もスピード緩んでたんであたしは怪我とか一切しなかったけど、きっと車傷ついただろうなぁ、と思ってちょっと申し訳ない気分・・・
謝罪もしないで走って逃げちゃったし。
でも、法律上は車が悪いって事になっちゃうんですよね。
どう考えてもあたしが悪いのに。(りあちゃん)
(寸評)俺は高校生の時、同じような状況で車に全身乗り上げ、玉が3つになりまいた。5ポイント。
はじめてのボンボンと交際
おぼっちゃまと付き合っていた時期がありました。
彼のうちにはジャガーとかゆう高級車が3台あって、子供たちにはカードが一枚ずつ配られ、いくらでも使っていいよ的な勢いで、お義母様はいかにもセレブで、始めてのデートでは夜景の綺麗な高くて広ーいホテルに泊めさしてくれました。
貢がれるのは趣味じゃないのでなんとかあたしもお金を出そうと思うんですが、移動にはいちいちタクシーを使ったり、食事はいちいち高級料理店だったりとあたしの財力ではとてもついていけないデートばかりで、結局殆どお金の面では甘えきってました。
金銭感覚の違いって結構重要で、それが原因で別れたとこもあるかなぁ・・・。
それに、紳士なとこはすごいよかったんだけど、でも、それが逆に悪い緊張に繋がったり。
まぁ色んなとこ連れてってもらって、楽しかった・・・かな。(りあちゃん)
(寸評)あっ、初めてのデートでホテル行ってるなっ! 5ポイント。
はじめてのちゅう
実際にははじめてのちゅうは赤ちゃんの時に父に奪われたのですが、それは記憶にないので記憶にある中ではじめてのちゅう。
相手は・・・父でした(笑
小学校低学年の頃。
父が、あたしにちゅうしてきて、軽く「ちゅっ」くらいならいいんだけど、なんとどさくさに紛れて舌を入れてきて、唾と唾が絡み合って非常に気持ち悪かったので母に言いつけました。
その後父は母にこっぴどく叱られてしゅんとなっていてちょっと可愛そうでしたが、あの気持ち悪さは今でも忘れないぞ、父よ。(りあちゃん)
(寸評)この間ステージ上で元・ころばぬさきのつえの相棒とパフォーマンスの流れでディープキスしたけど、そいつも気持ち悪かったです。
ま、気持ち良くなくて良かったとも言えるが・・・。6ポイント。
はじめてのセッション
幼児とギター弾き語りのセッションしました。
幼児はおもちゃのギターでボタンを押すとABCの曲が流れるもの。
あたしはそれを耳コピして、生ギターを披露。
幼児も楽しそうに歌ってくれて、その弟もヘドバンでノリノリで、楽しかったっす!
弟くんはまだ「ママー」しか喋れないくらいなんですが、
音楽が大好きで、あたしが一人でギター弾いてると寄ってきてノリノリヘドバンで踊ってくれます。
子供って懐くと可愛いなぁー。(りあちゃん)
(寸評)ヘドバンじゃなくて、ただ何かが苦しくて激しくもがいているだけだったりして。ブルブル。5ポイント。
はじめてのダンス、殺陣
劇団に所属してるんですが、今稽古してる公演で初めて、
ダンスと殺陣をやることになりました。
最初はついていけなくて泣きそうだったけど、コツコツやってくうちにだんだんついていけるようになって、 褒めてもらえるようになって、劇団やっててよかったーって、すんごいシアワセな気持ち☆
特に殺陣のシーンは、あたしびっこの役で出てるんで、かなーり難しいんですね。
それを褒められるともう・・・
嬉しすぎて伸びちゃいますよ。びろーん。(りあちゃん)
(寸評)奇妙なダンスはともかく、殺陣は俺もまだやったことがない。決まると快感なんだろなー。日本人だけの快感かな。5ポイント。
はじめての手応え
7年ぶりに役者復帰したんですが、7年のブランクはかなり大きくて、滑舌が酷く悪くなってたり、体がすごい硬くなってたり、いっぱいつらいこと抱えながら、楽しみをちょいちょい見つけつつ稽古頑張ってるんですが。
こないだ、「流し」を演ったあと、いや、やってる時から、7年前にも体感した事のない、なんともいえない「手応え」を感じました。
演じきったというか、なりきったというか。
その手応えに、「なんだこの気持ち、なんだこの気持ち」と思って浸っていると、先輩から、「今日のりあよかったよー!」とお褒めの言葉がかかりました。
自分自身で手応えを感じた演技を褒めてもらえた事がスゴク嬉しくて、すんごい自信になりました。
演じるって、こんなに気持ちのいいもんなんだー!って。
これって演劇に限らないですよね、「手応え」。みんな経験する事なのかな。
ちょー気持ちよかったっす!!!(りあちゃん)
(寸評)俺も日々石川浩司演じてまーす。本当の俺は・・・本当の俺は!?
自分探しの旅に出ようかなー、ってそんな金はないわ。5ポイント。
はじめての大学受験
あたし高校殆ど行ってなかったんですよね。
友達も少なかったし、先生とか大嫌いだったし。
だから成績もすごい悪かった。
単位計算しながらギリギリで学校行って、で、高校3年の3学期を迎えて。
急に勉強に目覚めました。
いや、学校は行ってなかったっす、相変わらず、先生大嫌いだし。
過去問とか買ってきて、自分で勉強したんです。
いっぱいいっぱい勉強して、結果。
うちの高校から行くのはかなり難しいレベルの大学に合格する事が出来ましたー。
これには先生生徒一同びっくり。
だって、学校にも全然来てなくて、ずっと成績悪かったあたしがいい大学に合格しちゃったんだから。
学校中をひっくり返してやったような、「しめしめ」って気持ちですごい気分よかったです。
学校なんか行かなくても大学いけるわ。
若者諸君、学校なんか行かなくていいぞ。(りあちゃん)
(寸評)そして大学も嫌いな先生ばかりで・・・ということはあったのかな!? 6ポイント。
はじめてのセンター試験
まぁ学校行ってなかったんで成績悪かったんですが。
受験勉強というものがマイブームになっていて、家で楽しく勉強してました。
で、結果。
国語の点数校内1位、全国でも10位以内に入ることができましたー☆
これには先生生徒一同びっくり。
だって、学校にもずっと来なくて、ずっと成績悪かったあたしが校内1位とっちゃったんだから。
学校なんか行かなくても勉強は出来るわ。
若者諸君、学校なんか行かなくていいぞ。(りあちゃん)
(寸評)うわっ、連投。俺も知能指数テストでは一番だったんだけどなー。高校はクラス43人中42番で卒業したな。ちなみに俺より下の43番の奴は、卒業と同時に精神病院に入院しました。何故ならテスト全部白紙だったので。
つまり、俺は白紙に限りなく近い成績だったというわけね。でも何とか生きていけるものさっ、こんな風にねっ!
学校なんて人生のほんのわずかな時間だけさっ。5ポイント。
はじめての年下の男の子
派遣バイトやってた時に知り合った年下の男の子と、
一度だけデートしました。
あたしは年上好みなのでぜんぜんそういうつもりはなかったけど、折角遊びに誘ってくれたのだから、行ってみようかなと。
二人で海を見て語り合い、自転車二人乗りして雨に降られて雨宿りし、そこでまた語り合い。
その後も何度か電話がかかってきたりして、一期一会が基本の派遣バイトにしてはかなり濃い仲となりました。
自分でいうのもなんですが、彼はあたしに惚れてたんだと思います。
でも、あたしは彼氏いるし、年下をひっぱってあげるような性質でもないし。
あたしがケータイかえるのと同時に、仲は自然消滅しました。
なんであたしなんかを気に入ってくれたのかわからないけど、自然消滅でも、思わせぶりするよりはいいと思って、連絡を断ったんです。
でもなんか、あのデートはちょっといい思い出になりました。(りあちゃん)
(寸評)くぅ~。いい女で悪い女ね。5ポイント。
はじめての遭難
友達と、とあるちっさい山に登りました。
徒歩で行く道があったはず、簡単にてっぺんまでいけるはず、と思っていたら、どこで道を誤ったのか、次第に道は狭く険しくなり、というか、道らしい道は殆どなくなり、
すぐ横は断崖絶壁、あたし山登りなのに何故かヒール靴、落ちたら死ぬ、絶対死ぬ、やばい、キケン、怖い、あわわおろろ、何時間迷った事か・・・やっと頂上に辿り着いた時には、二人とも汗びっしょりでした(;´Д`)
それから桜の写真を撮ったりして暫し休憩し・・・
帰り道はあんな危険な道通らずに、別の道を下りようねと別の道をチョイス。
が、行けども行けども山を下ってる気がしない・・・
てか、遠!ちっさい山なのに!登山道のはずなのに!遠!遠!!!
あたし山登りなのに何故かヒール靴、もー足痛くてうごけなーい><、
何時間迷った事か・・・やっと下界に辿り着いた時には、二人とももーぐったり(;´Д`)
ところで、えーと、駅。駅はどこだ。というかここはどこだ。
あ、電車の音が聞こえる!あっちだー!!!
よろよろと音の鳴る方へ歩み寄る私達。待ち構えていたのは・・・
・・・山の反対側の駅。
・・・・・・・・・山越えちまったよorz
あの一日で多分10kgは痩せたかと思います。(りあちゃん)
(寸評)じゃあ、あと何回か登ると体重がマイナスになるかもしれないね。マイナスになった体は是非見てみたいので、よろしくね。6ポイント。
はじめてのデモMD
あたしが作詞作曲した歌たちを、MDにだーっと収録しました。
すると、なんとこの1年ちょいで、22曲も作った事が判明。ギターも歌もへたっぴでとてもヒトに聴かせられる代物ではないけど、曲自体は悪くないんじゃないかと自画自賛。
あたしの歌を聴いてくれる色んな人が、「あたしはこれがすき!」「あたしはこれ!」って、色んな曲をそれぞれ気に入ってくれるので、きっと、どれが「一番」という事はなく、どの曲も誰かにとって心に響く作品になってるんだな、と、また自画自賛。
音楽っていいですねぃ♪(りあちゃん)
(寸評)曲が湯水の如く湧く時ってあるんだよね。
俺は本業のはずなのに、最近全くできない。
枯渇したのかなあ(涙)。5ポイント。
はじめての男の子役
今回はじめて男の子役を演るのですが、立ち方・歩き方・座り方・声のトーン、なにからなにまでこの「ちょーヲトメ」のあたしには難しすぎて、かなり泣きそうな感じでした。
でも、重たい物を背負いながらギリギリで生きてる少年の役で、身体障害もあって、未来に光なんて見えなくて・・・という、とても難しい役なので、「これはあたしにしか出来ない」と思って(また自画自賛)、頑張って稽古に励んでいます。
お芝居は7年のブランクがあるので基礎がだいぶ崩れちゃったけど、7年間の人生経験分、演技に深みは出てきた気がします。
実は最初は、「もっと主役格がやりたい!」とか「可愛い女の子がやりたい!」とか思っていじけてたんだけど、
あたしが貰った役もこの芝居にとって必要不可欠な大切な役。
芝居って終わるとあっという間だけど、最後までしっかり、大事に演じていこうと思います。(りあちゃん)
(寸評)難しい役に挑んでるんだね。
俺に来るのはたいてい浮浪者役なので、自ですむ・・・。5ポイント。
はじめてのテレビ出演
某番組のファッションチェックコーナーを受けました。
オシャレには気を遣っているつもりなので、楽しく撮影を済ませました。
後日、ビデオ録画のセットをして番組をみると・・・
ををををををををををを!
映った!あたし映った!!!
テレビデビューいえあー☆☆☆
・・・でも因みに、ファッションチェックの方は辛口で、散々言われてしまいましたorz
あの人だめだ!パンクロリィタをわかってない!!!(笑
あたしはあたしなりのオシャレをこれからも突き通すぜb
でも、いい思い出になりましたー♪(りあちゃん)
(寸評)おっ、俺もパンクだ。同士だな。
ちなみに俺は100均パンクという奴だ。ヨロシクッ! 6ポイント。
はじめてのオリオンビール
オリオンビールの唄が大好きなんですが、それまでオリオンビールって飲んだことなくて、っていうかビール自体あまり飲まないんですが、機会があり一度飲んでみました。
結果・・・美味しかった!
普通のビールより飲みやすい、ぐびぐびいっちゃった。
それ以来、オリオンビールを置いてる店があったら必ず注文してます。
オリオンビールを浴びながら僕らは渦の中ぁぁぁあ~~~~。
あ、でもそういえばあたしは沖縄に行った事がありません。
いつか本場で飲んでみたいものです。(りあちゃん)
(寸評)オリオンビールもそうだけど、南国のビールはたいていグビグビ飲めるようにちょっと薄く作ってあるんだよね。
沖縄のアチチチな環境の元でグイグイいくと、本当に旨いっ! 4ポイント。
はじめての30kg
ハタチの頃、びょーきになって体重が30kgまで落ちました。
2,3ヶ月くらいで20kg近く落ちたことになります。
見る影もないほどやつれて、脳が萎縮しちゃって、ハタチの頃の記憶は殆どありません。
それが今ではこんなにぶくぶく太って・・・orz
まぁ、健康なのが一番ですよね!
治ってよかったです♪ダイエットぼちぼちがんばろぉー。(りあちゃん)
(寸評)脳が萎縮はちょっと怖いね。ダイエットもほどほどにね。ガリガリより、ちょっとポッチャリ好きな男性の方が多いのはデータでも出てるからね。 6ポイント。
初めての選挙運動員in韓国
国会議員の選挙があった数か月前、市街地を散歩していたら、歩いて選挙活動中の候補者と、選挙運動員の一団に道で出くわしました。こっちでは日本同様、選挙カーや街頭遊説の他、その際に選挙運動員達がダンスをするぐらいしか目にした事がありません。
その運動員の人達が「ご挨拶していきますか?」「我々??党に一票を!」などと、お決まりのトークをしてきたので、「僕は留学生なので投票できませんけど」と言ってやったら、途端にみんな「えっ?声掛けちゃったじゃん!どうしよう…」という気まずい表情に。
ひとまず、1人の運動員から「じゃ、これだけでも…」と、候補者の名刺を渡されました。ちなみに、自分の韓国語にはまだ若干訛りがありますが、この時、日本人であると言いませんでした。
滑稽でしたが、政治家のみならず、外国でも選挙候補者は人々を「選挙の際に釣る対象」としか見てないんだな、と思った一幕でした。テレビカメラの前じゃ、外国人と同様、投票できない子供や赤ちゃんに対しては愛敬を振りまいてるくせにね。(Hi-)
(寸評)ま、それはある意味全世界共通なもんかもねー。人間なんて善くも悪くもそんなとこが平均的なとこなのかもね。5ポイント。
?
初めての精肉注文in韓国
こちらでは以前にも書きましたが、野菜や肉などは大きめの単位で売られています。なので、それらを買ったら、なるべく早く食べないと、腐ってもったいないのと気持ち悪いのとで胸やけ状態になってしまいます。
先日、滞在最後の1週間となり、鶏肉を1食分買おうと思ったのですが、普通のスーパーでパック詰めで売られているのは多すぎるので、少し遠くにある市場で買ってみる事にしました。
いざ通ってみると、多くの人達がいて、活気はありますが、豚の足や頭やら、鶏が丸ごと1羽内臓を切り開かれたままの姿で棚に積まれていたりと、若干グロテスクな光景です。スープでだしをとるのに使うのか、鶏の脚も肉とは別に売られていました。
さて、いざ「鶏の胸の部分の肉を200g下さい」と言ってみましたが、「鶏肉は2k単位で売ってるから無理だよ」との返事が。他の露店も回ってみましたが、露店ではやはり販売単位は多めに設定されているようです。
露店のおばさんから精肉コーナーのあるスーパーで注文するのがいいと言われたので、3度目の正直という事で、足を運びました。
スーパーの精肉コーナーへ行き、カウンター内の店員のおじさんに同様の注文をしたら、冷凍パック詰めの鶏肉を開けて、その中の一部を出しましたが、若干容量オーバーではあるが、サービスとのことで、多めに出してくれました。
しかしそれが皮肉にも、その晩のクリームシチューが鶏肉だらけになり、更に翌日に昼のメニューを親子丼に変えざるを得なくなるという、ちょっとしたトラブルにつながりました。
それはさておき、やはり直接店に行って注文するのは韓国での滞在期間中にはほとんどなく、言いなれない表現や調理用語で、あまり発音も流暢ではありませんでした。何せ、お店のおじさんやおばさんに外国人だと見破られ、日本語や英語で返答されたぐらいだったので、赤面状態でした…。(Hi-)
(寸評)そういう生活に本当に密着したことは外国人にはなかなか難しいのかもね。日本でも、外国人が本当の市場で買い物するのは、割と難しいかもしれないしね。6ポイント。
初めての4号式黒電話
自宅で黒電話を使いたかったので、公衆電話から116番へ掛けました。
モダンガールの私は、もちろん携帯電話を持って居りません。
NTT「・・・と云うことは、これから黒電話を使いたいと云うことですか?」
淺井カヨ「ええ。」
NTT「他に回線は繋がっていらっしゃいますか?」
淺井カヨ「ADSLで、インターネットに繋がっています。
(・・・やや自戒を込めて。)」
NTT「ADSLで、インターネットに繋がっていて、
黒電話を引きたいと云うことですか?(何でだ!?)」
淺井カヨ「・・・ええ。(ご、ご免なさ~い。)」
嬉しいことに4号式黒電話を入手することが出来ました。
昭和25年発売の電話で、よく知られている黒電話(600型)の前の物で、昭和37年製でした。
“ダルマ”の愛称でも親しまれた4号自動式卓上電話機です。
モダンガールとしては、昭和8年からの3号自動式卓上電話機を使いたいのですが、希少価値があってどうしても高額になる為今回は4号式黒電話を引くことに決めました。
(それ以前の物は交換手が必要になる為、諦めました。)
工事日になり、引き戸をドンドンと叩かれ工事のおじさんがやって来ました。
私の素敵な4号式黒電話を見るや、開口一番。
工事のおじさん「これ無理ですよ!」
そう云われても、此処で引き下がるわけにはいきません。
淺井カヨ「いえ、繋げられます。600型は勿論、4号だけではなく3号も使える筈です。実際に使って居た方も知っています。」
眼光鋭く、やれ!出来るまで帰さない。絶対に出来る!と、無言の圧力を掛ける私・・・。
工事のおじさん「・・・。(えー!!)」
「しかし、この電話よく探しましたネ。」などと云われながら工事に邪魔な大正時代の柱時計を外しました。
工事が始まってから、一時間弱ほど経過した時。
工事のおじさん「これで繋がる筈ですが、、。」
すると、リン・リリ~ン、と電話機から愛狂しい音が!
淺井カヨ(嗚呼、我が家に4号式黒電話が繋がった!!)
一人、感動の嵐に、、、。
と云うわけで、工事のおじさんは最初に出来ないなどとは露ほども云わなかったかの様に
「じゃあ、印鑑お願いします。」と
明るく軽やかに云い、去つて行きました。
その時私には、工事のおじさんが天使に見えました。
最終的には昭和初期発売の3号式電話機を使ってみたいと思っています。声が一オクターブ高く聞えると云う噂もありますが、真相は謎です。
何年後に入手出来るのかわかりませんが、入手した暁には
流行の「機種変更」をしたいと思って居ります。
と云うわけで、初めての4号式黒電話の話でした! (淺井カヨ)
(寸評)さすが日本モダンガール協会代表だけある!
今度はそれにもの凄く長いコードを付けて携帯電話として持ち歩いたらおしゃれかも・・・。9ポイント。
初めての変な脂取り紙
私の顔は、半日くらい経つと「油が出てるの?」ってくらいテカります。
その為、あぶらとり紙は以前からあれこれ違うメーカーのを試してきました。
でも、毎日こんなにあぶらとり紙を捨てていては、世界が私の顔油で埋もれてしまう!
そこで教えてもらったのが新聞紙の様なざら紙。
いささか新聞紙は・・・と思い、カタログなどと一緒に入ってくる「お客様の声」が載っている紙を小さく切って試してみました。
これが最高によく顔油がよく取れるんです!
でも、嫁入り前の乙女が、外出先でそれを出すのはちょっと・・・。
なので、家で「この石鹸はよく落ちる!」などと書いてある紙を使ってペタペタ油を取ってます。誰にも言わないでね。(秘密の座席)
(寸評)誰にも言わないよ。しょぼたまライブのように約束は守る俺だ、安心してくれ。
ひとついい方法があるよ。紙なんか使わなくてもいい方法。
それは、家にろくろっ首を飼うことだ。そうすればペロペロペロペロ、油は全部舐めてくれるよっ!
ただ、ろくろっ首を売っている場所はイマイチ分からないが・・・。5ポイント。
初めてのどっち?
滅多、デートしない私なので、ちょっとした事でドキッとしちゃいます。
共通の友人に紹介された男性とドライブした時、横道から急に車が出てきました。
その男性は「危ない!」と言いながら急ブレーキをかけたのですが、それと同時に私の体が前に飛び出さないように、左手で押さえようとしてくれたのです。
男性は前を見ているので、手がどの辺りにあったかわかっていなかったと思いますが、しっかり押さえられていたら、間違いなく胸をガッツリ触られていました。
その後も何度もブレーキを踏み、その度に「ごめんね、ごめんね。」と言いつつ押さえようとしていたのです。
触るつもりで出していなかったとしても、私はブレーキごとにいちいち気を遣われるのが嫌だったな~。
車を運転していれば、ブレーキ踏まずにはいられないんだから、気にしないで~と言いたかった。
それともやっぱり、間違って触っちゃった!を狙ってた?(秘密の座席)
(寸評)いや~、その人はジェントルマンだと思うよ、状況からして。
ただ、何故かいつも完璧にあなたの乳首をその腕が捉えていたら、違うかもしれないが・・・。5ポイント。
初めてのわらび餅の歌
10年ほど前に発見した時には心躍りました。
会社からの帰り道、「わらびーーーもちぃー。」という歌が聞こえました。
近づくその歌は、わらびもちの移動販売車から。
あまりわらびもちが好きではなかったので、買わずにゆっくりと車の横を歩いて聞いていると、
「わらびーもっち!冷たくてー美味しいよー。わらびーもちぃー。氷で冷やしたぁぁぁ・・・」
と、完璧な歌だったのです。
その後も近所で聞きますが、歌詞はグレードアップしていました。
(セリフ)冷たい冷たい、わらびもち・・・ダ、ヨーン。
(歌詞)わらびーもっち、わらびーーもっちっ!急いでこないとぉ、行っ・・・・・・ちゃぁうよぉーーー。
急いでぇー来てもーコケちゃぁうよー。
あー!いつかこの歌を手に入れたいっ!(秘密の座席)
(寸評)商売歌って、面白いんだよね。目的は販売なのにだんだん歌うことが楽しくなってきちゃってどんどん歌詞が増えてきたり、違う方向に行ったりね。
だんだん移動販売の物売りが少なくなってきているこの頃、これも大切な文化なんだよね。是非記録しておいてくださいな。5ポイント。
初めてのチケットぴあ
生まれて初めてチケットぴあに徹夜で並びました。
目的はズバリしょぼたまのチケットをゲットするためだったんですが、花より男子の舞台挨拶と日程がかぶってしまい、私が店頭に到着した頃には既に数人の列が。
一番前の人たちは毛布とか持ってきて寝てましたね。
ぴあに並ぶだけなのに気合入れてオシャレして、ミニスカートとか履いていってしまい夜風の寒い事^^;
まぁそんな事はどうでもいいのです、もしとれなかったらどうしよう、とれなかったらどうしようとハラハラドキドキで、生きた心地がしませんでした。
結果的には私は無事ゲット出来たのですが、なんでもチケットは6分で完売してとれなかったファンがたくさんいらっしゃったとか。。。
追加公演(勿論とってないです、知久さんに冷たくされたくないから)に至っては3分で完売とか、ヤフオクで高額で遣り取りされてるとか、なんか、大変だったようで・・・
チケットとれてよかったです・・・。
ぴあの人、頑張ってくれてありがとう!
本当にラッキーでした!(木)
(寸評)なんか大変みたいだったねー。俺もその話は各方面から聞いていたので、ライブ当日は「ここにはそんなに頑張って苦労してチケット取った人達ばかりが来てくれているんだ!」と思って、自分也に精一杯やらさせてもらいました。ほんと、ご苦労様! 6ポイント。
初めてのしょぼたまライブ
ファンになったのが解散後なので、一生ナマで見る事は出来ないだろうと思っていたたま。
それが、なんと10年前の約束ライブと称して2日間だけ復活するとか!?
そりゃ行くしかないべ!と言う事で頑張ってチケットを無事ゲットして、見に行きましたよ、しょぼたま。
もう、なんていうか、目の前に3人並んでるのが不思議で不思議で、嬉しいような、夢でも見てるかのような、ふわふわした感覚で聴き入りました。
後ろの方のドリンクを溢してしまい怒られるというハプニングもありましたが、とっても楽しい素敵な夜でした。
また、見る機会があるといいな・・・。(木)
(寸評)俺もやっててデジャブのような感覚におそわれた。リハーサルの時は楽曲の練習だけで分からなかったけど、ライブがはじまってみると、その独特のメンバー間での雰囲気とか間を思い出して「そうだ、これだ、これ!」となんだかにやけてしまったな。楽しかった。5ポイント。
初めてのテキスト中継
今回の東京1人旅。何かもう一捻り面白そうなことは出来ないか…と考えていたところで思いついたのが、マイミクさん限定のテキスト中継でした。
何か自分で気になるものや事柄があったらその旨を携帯電話を介して即座にmixiに記し、場合によっては写真も撮って貼る。これをひたすら繰り返していましたが、いやはやなかなかに大変で面白いものでした。
大変だったのは、上記の課程が意外なほど時間と電池を消費することですな。写真を撮影して、それをmixiのフォトアルバムに載せて本文に貼り付ける作業は、携帯電話からだと結構な労力を使うものでありました。時には、写真を撮ったのはいいけどアップロード作業に時間を食ってしまい、結果としてリアルタイムの意味がないから更新できない、なんてこともありました。
それでも少しずつ何があったかを説明していくことで僕にとっても詳しい日記となり、大切な記録となりました。マイミクさんからもわりと高評価をいただき、ちょっと鼻高々な気分です。
あまりに鼻高々なので今度また機会があったら是非ともやろう! …と、次の機会があったときも胸を張って言えるかどうかは、今のところ分かりません。(たちつ亭と~助)
(寸評)確かにと~助に会った時「やけに鼻がピノキオみたいに高い男だな」と思ったらそういうわけか。
人生はどんどん貪欲に楽しんでやれ! 6ポイント。
初めてのウキュラー交流(スペシャルゲスト含む)
8月9日の正午にニヒル牛2で待ち合わせてから、8月10日の早朝に井の頭公園で別れるまでの間、たくさんのウキュラーさん達と会ったりお話をする機会がありました。
ウキュラーの皆さんはいろんな所に住んでいるものの東北出身・在住の方はあまりいらっしゃらないらしく、西荻窪にたどり着くまでずっと緊張の面持ちでした。目の焦点は定まらず、思うように言葉は出ず、あたふたとした状態で初めての遭遇を果たしたのでした。
しかし、そんな緊張を解きほぐすかのようにニヒル牛2で会った皆さんは接してくれ、なかなか言葉が出ないでいた僕も自然と一言二言と会話を交わせるようになっていきました。
その後も、ニヒル牛で、開場直前のスターパインズカフェの前で、ライブ終了後のスターパインズカフェで、中華料理屋で、井の頭公園で、ウキュラーさん達との交流は続いていきました。流石にそのあたりになると幾ばくかの余裕も生まれ、友人といるときのような口調になり、ライブ終了後の打ち上げ会あたりでは、長年の友人と語るような口調になっていました。ゲンキンなものです。
井の頭公園に言った頃には真夜中のテンションからかリアル・チャットバーと化し、あっちでは自分のウキュピ名の由来を語り始め、こっちでは某お2人が愛を語らってるような雰囲気になっていたりと、それぞれの方々が声高らかに喋り合っていました。僕もその輪の中に混ぜてもらったりしました。
雰囲気が変わったのは、井の頭公園にスペシャルゲストこと石川浩司が見えてからです。あ、雰囲気が変わったと言っても僕の中で、ですが。それまでそれなりにウキュピの皆さんと話していた僕にとって、石川さんの登場は天変地異のような衝撃でした。先ほどまで、舞台上で踊りまくり鳴らしまくっていた石川さんがまさかやって来るなんて!
途端に、僕の中にはニヒル牛2を訪れたばかりの頃の緊張が蘇り、石川さんと何を話そうか、どう接すればいいのだ、と考えているうちに電車の時間が来てしまい、結局僕は石川さんと大して話をすることもなく去っていったのでした。
石川さん、あの時僕ことと~助がそんなに喋らなかったのは緊張でテンパってたからです。せめて、今度会う機会があったらもっと緊張をほぐすようにせねば…。(たちつ亭と~助)
(寸評)ま、最初は仕方ないよ。なんたって石川浩司さんは大スターだからね(笑)。
でもウキュピに集まっている人達も、基本的にはシャイな人が多いんだよね。でも共通の趣味があるとここまで仲良くなれる。
みんな、もしかしたら一生の友達になれるかもしれないね。というか生涯の伴侶が実はもうそこにいたりして!? 6ポイント。
初めてのニヒル牛
8月9日。しょぼたまライブを目前に控え、ニヒル牛へ行ってきました。東京1人旅などと銘打っておりますが、ここらへんからはもう1人じゃいられません。
大勢のウキュラーさんと合流し、正午、ニヒル牛2に入店しました。大勢のウキュラーさんと実際に会うのも初めてですが、それはまた後ほど。
入店してみて最初に思ったのは、失礼ながら、
「思ったより狭い、かな?」でした。
ニヒル牛のホームページ内でそれぞれの作家さんの箱を紹介していますが、あれほどの箱があったらさぞかしちょっと広めの場所なんだろうなと勝手に思っていました。
しかしだからといって窮屈感を感じたかというと、そうでもありませんでした。むしろあの広さだからこそ、それぞれの箱の特徴が際立ち、輝きを増すのだろうな、と、これまた勝手に推測しました。
あ、そうそう。カフェのメニューもいただきましたよ~。甘トーストとほうじ茶(すっぽん)。ジャムとバターがいい具合にマッチして、大変美味しかったです。
この日は、Nじんさんの納品日でもあったので、「納品式」と銘打ってNさんが納品していく様を写真に撮ったりしました。これ、全く知らないお客さんからしてみると、
「えっ、何だ何だ!?」
という感じだったでしょうな~。
また、ニヒル牛の方にも行きました。こちらも2とは違った雰囲気ながら、ちょうどいい広さで、箱をあれやこれやと覗き込みながら過ごしました。
ああ~、また行ってみたいな~。(小声で)そして自分も何か出品できたらな~。(たちつ亭と~助)
(寸評)ニヒル牛はオリジナル作品の駄菓子屋、もしくは大人のお店屋さんごっこみたいな店だからね。
是非ニヒル牛に参戦して、新風を巻き起こしてくれい。待ってるぞっ! 5ポイント。
初めての痴漢目撃
東京の友人宅に泊めてもらってた時の話です。
友人と外食した帰り、僕らの前方を若い女性が歩いており、向かい側から小柄のやせた男性が歩いてきました。
女性と男性がすれ違うまさにその時、僕らは目撃しました。
男性がこともなげに女性の太ももに触れようとし、女性がそれに抵抗するまでの2秒ほどの一部始終を。
この間、2人の間には何の会話もなく、両者はその後、何事もなかったように別々の方向を歩いていきました。このことから、両者に面識は無いと思われます。女性が何度か男性の方を振り向いていたので、多分、
「何だったんだあいつは!」
と思っていたことでしょう。
僕らもしばし呆然とし、彼が何をしたかったのか、なぜあんなに平然と触れるのかが解せないままでした。
東京旅行中に起こった、よく分からない小事件の目撃談でした。(たちつ亭と~助)
(寸評)俺もそういう人の気持ちは全然分からないなー。よく「ミュージシャンは変わり者が多い」とか言われるけど、一般人の方がもっと静かに壊れている人、多いと思うなー。
そのうちオッサンの太腿を撫で回す輩も登場するかも。怖いワンッ! 5ポイント。
初めての浅草、そして寄席
東京で是非とも行ってみたかった場所が、浅草で寄席です。どちらもどういうわけか僕の心を長年くすぐり続け、あまりにくすぐったかったので今回の旅行で行ってみることにしました。
浅草にたどり着いてからの最初の印象は、
「意外と垢抜けてる!」
でした。ビルは建ち並び、車はガンガン走り回り、歩いている人の中には渋谷とかにいてもおかしくなさそうな人もいました。まあ、どれもこれも当たり前の話ですがね。
それでも、雷門や仲見世通りなどは古の空気みたいなものを感じ、人形焼きや煎餅を頬張りながらゆったりと散策しました。
それにしても驚いたのは、外国人観光客の多さです。周りから聞こえてくる言葉はほとんど外国語で、見た目は日本人のように見えても実は他のアジア諸国から来た人だった、なんてことも何回もありました。日本的な異国情緒って、もしかして浅草にあるんでしょうかね?
中には、明らかにそんな外国人観光客の層をねらっている商品もあり、リストバンドや帽子に漢字熟語を印字したものがありました。その漢字というのが、日本の漢字で少しでもカッコイイと言われているのをとにかく印字してけ~というようなもので、「一番」とか「合格」とかいうのが陳列されていました。「一番」と書かれた帽子を被る勇気は、今のところ僕にはありません…。
一通り仲見世通りを散策した後は、もう1つ行きたかった場所、寄席へと行きました。
寄席の中はいかにも昭和中期に造ったような雰囲気が漂い、新しすぎないその雰囲気が、これから始まる寄席には十分すぎるなあと思いました。
11時半から開演した寄席には、落語もさることながら、色物でも面白い方がいらっしゃいました。例えば、バイオリンで赤ん坊の泣き声や新幹線の通り過ぎる音を表現したり、バイオリンとタップシューズを組み合わせたりという芸を披露するバイオリン漫談の方がいらっしゃいました。
寄席は順調に進み、とある噺家が落語を演じていたその時。
地面が、グラリと動きました。地震です。客席からもどよめきが湧き上がりました。落語を演じていたその噺家の表情がいっぺんに変わったかと思うと、
「落ち着いてください。大丈夫です」
とお客さんを制し、さらに、
「本当に危なかったら私が最初に逃げますから」
これには客席が大爆笑しました。緊張した空気は、一瞬のうちに笑い声に変わりました。
僕もその時はただただ爆笑するだけでしたが、どんな時でもお客さんを楽しませる、その意識に改めて敬服するところであります。
何かの芸事を職とする人は、一瞬の不安をそれによって取り去ることができるんでしょうね~。(たちつ亭と~助)
(寸評)プロだね~。地震は本当に落ち着くことが大切で、それを一瞬のうちに察知して、芸を使いながらお客を落ち着かせる。
俺も久しぶりに寄席、行ってみようかな。6ポイント。
初めての高速夜行バス
今回の東京1人旅を行うに当たって、高速夜行バスなるものに初めて乗ってみることにしました。
普通の高速バス内のチラシなどを読んで前々から興味はあったものの、そんなに遠方まで出かける用事もなく、どんなんなんだろうな~というのを空想する以外にはどうしようもなかったのでした。
今回の旅行が決まり、それじゃあと予約をとったのが、実行のほぼ1ヶ月前。いかに僕が旅行及び高速夜行バスに興味を抱いていたのかが手に取るように分かりますな。
さて、時は流れていざ決行の日。夜の盛岡駅にて汗を垂らしながらバスを待つ僕。バスを待っている人々は周りにも居ました。それを見た僕は、
「これからこの人たちと東京に行くのか~」
と考え、仲間がたくさん増えて心強いような、絡まれるんじゃないかと心配して不安なような、よく分からない気分に苛まれました。
で、実際に乗ってみての感想ですが、相当に寝にくかったです。席が窮屈で(僕の体格にも問題があるのかもしれませんが)、リクライニングシートも思ったほど倒れず、膝掛けがなんとも中途半端な存在で、寝に来たのかただ横になりに来たのかどっちなんだ~、という状況になってしまいました。
何より個人的に辛かったのは、運転席と客席の間及び窓がカーテンで全て覆われてしまったことです。即ち、景色がまるで見られない状態なのです。とはいっても、乗客が簡単に開けられないような造りになっているのではなく、ボタンで留めてあるのでそれを外せば簡単に開きます。しかし、乗り始めの頃にアナウンスで、
「他のお客様のご迷惑となりますので、カーテンを開けないようご協力お願いします」
というようなことを言われていたのです。そう言われると、なるべく開けないようにするしか、小心者の僕には出来ませんでした。
大して眠れず、バスが今どこを走っているのかも分からない状況というのは、かなり落ち着かないものです。結局、途中途中運転手の休息のためにバスが止まるたびに目が覚め、また動き出すとうとうとする、というようなことを繰り返していました。
これから先、どこか遠方に用事がある場合、高速夜行バスを使うか否かには、一考を交えざるを得ないようです。
しかしながらそれでも、目前に広がった終点東京駅の大きさに圧倒されて一気に目が覚めてしまった僕は、何か単純な刺激があったらまだ高速夜行バスに頼れるのかもしれません。(たちつ亭と~助)
(寸評)実は俺もついこの間、初めて新潟まで夜行バスで行って、同じような感想を持った。
正確には外国では夜行バス経験あるんだけど、もっとラフな感じだったので、あそこまで完全に照明を遮断されるとは思わなかったな。
でも、移動手段としては一番安いんだよね。若者としては思案のしどころだよね。5ポイント。
初めてのトルジャンチ
「トルジャンチ」とは、こちらでいう子供の1歳の誕生日のお祝いの事です。昔は子供の成長率が良くなかったため、1歳の誕生日を迎えた事を祝う習慣ができたそうです。先日、こちらで知り合った方の子供が1歳になったとのことで、お邪魔してきました。
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会場は大学のホールの一室。ホテルで行われる結婚披露宴のように、入口にバイキングの食事がドッサリ用意され、ホール内にはお祝いの垂れ幕。しかし、訪ねてくる人達は基本的に私服姿で、ところどころで伝統衣装姿の人々も。結婚披露宴みたいで、少しくだけた印象がありました。もっとも、より大規模にやったり、こ じんまりとした感じでやる場合もあるようですが。
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まず、食事をしつつ、親族の挨拶と乾杯。それからテーブルごとに軽いゲームをしました。それから、衣装のお色直しをして、今度はメインの「トルジャビ」に。
これは子供の将来を占う仕来たりで、子供の前に置いてある物のうち、どれを子供が掴めば将来、どんな性格になるかが分かるというものです。前に置かれたものにはお金やパソコンのマウス、生糸や鉛筆などがありました。
ただ、いざこれらを目の前に置くと、周りに写真を撮ろうと、来客の多くがドッと押しかけ、緊張したみたいで、なかなか手が動こうとしません。しばらくして、鉛筆を手にしました。ま、幼かったら、この時の記憶は全くないだろうから、後でこの時の予想と違う人格になったら、どれだけプレッシャーになるだろう…。
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8時ぐらいに終わって、帰宅の途につきました。と、結婚式と同様、来客1人づつに引き出物が。お菓子と小さめの鍋敷き。
確かに結婚式と似て非なる行事でした。(Hi-)
(寸評)もしも目の前に大人のおもちゃがあって、それを掴んだら・・・。6ポイント。
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両親の初めての市内バスin韓国
先日、両親が韓国にやってきたので、 ソウル市内観光などで付き添って案内をしました。
そして、泊まっているホテルに戻る際に、市内バスで帰ろうとしたのですが、バスは地上交通で階段の上り下りがない半面、地下鉄に比べ、どこで降りるのかが慣れるまでわかりにくいのです。加えて、両親は全く韓国語ができないので、ハングルで「ここで降ろして下さい」と書いたメモを渡し、両親はやってきたバスに乗 って、夜の闇に去って行きました。
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部屋に戻って、テレビニュースを見ていると、なんと市内の中心部でデモ集会が行われているとの事。大抵歩行者天国状態で、バスなどは迂回せねばならなくなっているようです。無事にホテルまで辿り着けるのかと気がかりでしたが、後から電話がかかってきました。
やはりバスは迂回して、途中で降りざるを得なくなったのですが、そのバスに乗っていた会社員の女性が、僕が書いて渡したメモを見て、「目的地が同じだからついてきて下さい」と、声を掛けてきたそうです。ただ、その女性も日本語ができる人ではなく、正確に言うと、身振り手振りで言ってきたというのが正しいですね 。
メモを書いてなかったら果たしてどうなっていたことか…。(Hi-)
(寸評)でも確かに韓国って、行く前に思っていたのとは大違いで、すごく親日的で優しくされた思い出ばかりがある。
たまたまそうだったのかもしれないけど、人はイメージだけで考えちゃ駄目ですな。6ポイント。
初めてのプロポーズ
誕生日の日に彼氏から封筒を渡されました。開けてみると、そこには彼氏の名前が書かれた婚姻届が!
そんなどっきりを仕込んでいるとは思いもよらなかったのでうっかり泣きそうになり、でもぐっとこらえて俯きました。
「泣いてる?」と訊かれたけど、「ちょ、ば、おま!な、泣いてなんかないんだからねっ!!!」と切り返す。
こんな素直じゃないあたしだけど、旦那さま、あたしの人生は全て貴方に捧げます。一生を共にしてください。(匿名キボン)
(寸評)くぅ~~~っ!
こりゃこりゃ、めでてーでやすな。
俺は焼津のなんか流鏑馬とかやってる祭りの中でプロポーズしたっけかなぁ。
「すごろく旅行」の第一回目の最中だったな。
おめでとーを含めて、10ポイント!
初めての婚姻届
初っ端から書き損じました。
一緒に暮らしてるのに、現住所の欄に実家の住所書いてしまった~~~~~~~~。
が、幸い転出届を出す前だったので、「今は実家に暮らしてる振りをしよう」と言うことで、書き直さずそのままいくことに。
その他、戸籍謄本が必要だとか認印が必要だとか免許証の住所昔ののままだやっべーとか色々頭ぐちゃぐちゃで、「もしも不備があって出したい日に婚姻届出せなかったらどうしよう」と不安でいっぱいだったのですが。
役所とはあっさりしたものですね。すんなり入籍出来ました。
担当の人が、私の事を「奥さん」と呼んでくれるのに照れる照れる。
そんな訳で、無事、晴れて夫婦になりました!
万歳!!!(匿名キボン)
(寸評)俺はちゃんとした結婚式はせずに、両家の家族を呼んで食事会をして、その時婚姻届を書いたんだっけ。
今年の9月23日でちょうど20年になるな~。5ポイント。
はじめての殺陣
うちの劇団は殺陣とダンスが売りなのですが、ダンスは参加した事あるんですが今回初!
殺陣をやることになりました~。
まぁ元がびっこの役なのでかっこよくってわけではないんですが、でもびっこの足で女の子を助けるべく果敢に立ち向かう男の子の役で、主役でもないのにクライマックスを貰ってしまったような感じで、かなりおいしーなーうえへへへと思っています。
びっこだけじゃなくて吃音でもあるので、演じるのは結構難しいのですが、
「この役はりあにしか出来ない」と言われているので、
期待に応えるべく頑張って、早く役を掴もうと思います。(りあちゃん)
(寸評)なんか逆にかっこいい。びっこでどもりのヒーロー。
これは真面目に思うのだが、ハンディキャッパーのヒーローが活躍するテレビ番組が作られてほしい。
単純な揶揄なども平気で取り込んでしまうような番組ならなおいい。がんばってね! 5ポイント。
はじめてのファンレター
テレビで見た、プロ麻士兼モデルをしている方のファンになり、ブログを見ていると、「ファンレターの返事もう少しまってください」などと書いてあるので、「返事がもらえるなら書こう!!」と思い立ち、自分の気持ちを便箋2枚にしたためて送りました。
そして月日は流れ、ファンレターを送ったことなど忘れていたある日、出掛けにポストを見ると、本当に返事が届いていました!葉書1枚に手紙の返事が書いてあり、その方が写ったプリクラが貼ってありました。鉛筆で書かれていたので、きっと本人が書いてくれたのだと思います(じゃなかったら泣きます)。
ミーハーですが、その方がちょっとでも自分のことを考えてくれたのだと思うと本当にうれしくなりました。(こぼりん)
(寸評)それはその人偉いなぁ。俺もたまにファンメールとか貰うけど、なかなか返事が書けない。
ま、めんどくさがりというのはもちろんあるのだが、なんて書いていいか分からないんだよね、たいてはべた褒めなので、照れくさくて。
逆に何か具体的な質問があると結構返事は書いたりするかな。
なので書く方も是非工夫を。あ、でもあまりに現在旬な人の場合は数が多過ぎて難しいかもなぁ。
ある程度マニアックな有名人にツボを押すような質問をすると返事も期待出来るかもね。5ポイント。
初めてのママのちんちん
あれは今8歳の息子がまだ3歳だった頃。
一緒にお風呂に入ろうと二人で脱衣場で服を脱ぎ、
息子に「ハイ、はいって~」と言いながらパンツを脱いだらちょうど私のお股の高さが息子の目線辺り。
「ママ~?」と話しかける息子に
「なぁに?」とにっこり答えると
「ママ、ちんちん出ちゃってるじゃん」と言われた。
(えっ?!何?どういう事?)とうろたえつつも
「どこ?どこにちんちん?」と確認しようとしたのに、
「ほら~ここ!」といい加減に小さなゆびを指しつつ息子はお風呂へ。
とんでもない発言と共に残された私はあわあわしながらしばらく自分のそこらへんを何度も角度を変えて眺めました。
特にそれらしいものも見えなかったので切り上げましたが、どんなちんちんが出ていたんだろう?
5年経った今もたまに気にしている。(yukari)
(寸評)それはすぐに確認しないと、とんでもない時に恥をかきますぞっ!
ちんちん探しなら俺にまかせなさい。実は内緒だけど俺、ちんちんソムリエなんだ。すぐに俺のとこに来るように。手みやげは笹団子でいいよ。7ポイント。
はじめての取材
「石川浩司ほっかいどーツアー主催者」として、さっちゃん先輩と二人で取材を受けました。「たま現象を知らぬ二十代女子たちが、なぜ石川浩司に情熱を燃やすのか」という観点で、記者の方は興味を持って下さったようです。なので主役は石川浩司でなく私達!取材を受けること自体全くの初体験、何を準備してよいかもわからず当日を迎えました。
インタビューアーは知的美人女性記者。最初に私たちがたまを知った経緯などを、追って話す。なかなかあちらの引き出したい事を話せていないなあ、というもどかしさを感じつつ。
質問は多岐に及びましたが、印象に残っている質問のみ投稿します。
▼「たまの魅力とは」
「説明不可能なところにたまの魅力がある」というのが正直なところだったので、そう伝えると、「昔、ラジオもなかった時代のレコード評は、文字だけで音楽の魅力を伝えていたのだから、言葉にする努力はした方がよい」というような事を言われ、ハッとし、必死に言葉を探しました。
たまに惹かれる理由。私にとっては、幼い子供が「面白そうなものがある!」とそちらへ近づいていくような、実に単純な動機。きっとそれ以下でもそれ以上でもない。気になる、楽しい、心地よい。
たまの音楽はこれからも聴かれ続けていくであろうし、技術も(私は音楽をやらないからわからないけど)素晴らしいし、紛れもなく唯一無二の存在。でもそれは、後付けでしかない。とにかく、私はたまに惹かれてやまないのである。
数多い魅力の中でもわかりやすいところを言うと、たまの詩は、情景的。しかもどれも浮かぶのは、夢の世界みたいなヘンテコな情景。それだけでも私が聴いてきた音楽(狭いけど)とは一線を画していた。私はたまに孤独の中にある安心のようなものを見いだし、先輩は見てはならない物をみてしまったような恐怖心を見いだしていた。
聴く人によって、たまの曲から連想する情景は無限にあるであろう。想像力を掻き立てられる音楽。聞き手に解釈を委ねる音楽。(解釈しようとすることすら、野暮に思えるが。)たまは、そんな音楽。
そしてたまの感性は、一般的に広く受け入れられるものではないかもしれない。だからこそ惹かれる人たちはどこか共通するものを持っている。そんな、聴くべき人が聴く音楽であるという事も魅力のひとつ。
▼「たまの音楽に出会ってどう変わったか」
それは常日頃意識はしていないけれど、答えは私の中に、かなり明確にありました。「大人になるということは、様々なことを諦めていくこと」という思い込みを「別にそんなことないじゃない」と気づかされたこと。
私を苦しめていた既成概念や固定観念が、たまを前に脆くも崩れ去った。「この枠の中でしか好きなことはできない」と思っていたけれど、もとよりそんな枠なんてなかったのです。
たまの音楽は、限りなく自由でした。色々話しているうちに、初めてたまに出会った時(もう解散してたけど・・・)の感激と興奮が蘇ってきました。
▼「ツアーが失敗したらどうするか」
「失敗とは、具体的に言うと赤字を出してしまうと言うことでしょうか」と思わず言ってしまった(笑)。事実そういう意図の質問だったようなので、「今回のツアーは各地に主催者がいて、自分も主催するライブはあるが、私たちの役割は主にパイプ役や広報である」ということをお話ししました。他のツアーのことを知りませんが、これは特殊なケースなのかもしれませんね。
「とにかく私たちは何も考えず、思いつきだけで始めてしまったので、今とても苦労しています」と、事実をお伝えしました。我ながらアホだと思いました。
取材終了まで、なんと3時間。大変ながらも、とても良い体験をできました。石川浩司の魅力についても、随分話した気がするけれど・・・・・忘れました(笑)。
これが記事になったものを見て、一人でもライブに足を運んでくれる人が増えれば、と思います。(桃玉)
(寸評)3時間はかなりのロングインタビュー。俺も取材は数多く受けてきたけど、3時間というのはほとんど経験ないなぁ。
北海道新聞だっけ?
どんな記事になってるか楽しみだね。
個人的によくやったので10ポイント。
初めての掛布団洗濯
今使ってる掛布団はもう使い始めてからかれこれ半年以上経ちますが、徐々に自分の体臭なんぞに耐えられないほどひどくなりました。一度、ベランダに干してみましたが、若干ふっくらした感じはあっても、臭いまでは消えません。なので、共用の洗濯機で洗う事にしました。
しかし、洗濯機に入れてみると、思ったより布団は大きく、回りにくいです。まあ何とかなると思い、時間表示を見ると、脱水まで45分程度。そのまま、洗濯機を離れました。
ところがその45分後。やはりでかすぎて十分に回らなかったのか、洗剤が布団の一部に付いたままです。水で洗い流せる部分は洗い流しましたが、それでもまだ感触は残ったまま。
…やっぱ専用のクリーニングとかに出した方がよかったのかな?(Hi-)
(寸評)俺は体からフェロモンしか出さないので、洗濯は必要ないからわかんないや。きゃはっ! 4ポイント。
初めての北海道
小6の時に北の大地に祖父と従兄と共に足を踏み込みました。
中標津から入り、根室、摩周湖、知床などを車やローカル線で回り、中標津から飛び立ったのですが、ホントに畑や牧場ばかり。車に乗って延々走ってると、信号が滅多にない。そして鉄道は田舎だけあって、ほとんど無人駅か小規模な駅!同じ日本のはずなのに、若干違和感みたいなのがありました。
泊まったペンションでは、庭で羊と犬が1匹づつ放し飼いにされてて、寝てる最中に鳴き声が聞こえてきて、愉快でした。
でもなんだかんだ言いながら、8月末だったのに、上着が必要なくらい涼しかったので、暑さが苦手な自分には案外向いてるかなとも思いました。最近では異常気象のため、網走とかでも最高気温が関東と変わらないようですが。
それから、2度目に北海道に行ったのは高校の修学旅行ででしたが、コースは旭川、網走、知床、帯広、そして新千歳と、なぜか小6で行った時のように、道東のみしか回りませんでした。場所柄、2度とも食事の最中に蟹を食べるため、蟹の足をほじる時間が食べてる時間よりも長かったような。
できれば函館や札幌とかも回って、ラーメンを堪能したかったのですが、修学旅行とだけあって、ススキノの類に生徒が行ってしまうのを避けるためだったのかな?
いずれにせよ、1ヶ月後の道央での滞在はどうなるか、気になってます。(Hi-)
(寸評)札幌は大都会だよ。
でもやっぱりあれだけ広々とした場所で育ったら、内地で暮らしている人とは性格のおおらかさとかが変わるだろうなぁ~。夜の方もおおらかかも・・・。5ポイント。
初めての擬似マネキン
ドキドキドキリコ初体験のごりぽんさんの投稿を拝見して
投稿させて頂きます。私もマネキンに間違えられたことがあります。
「江戸東京博物館」に、東京ゾーンと言う所がありまして
そこには凌雲閣(別名「浅草十二階」。関東大震災で倒壊。)の10分の1の模型が置かれています。
約6メートルはある大きな模型で、傍らには当時の電話ボックスに当時の電話が備え付けられていました。
その電話ボックスに入って受話器を上げると、説明が音声で聞こえる仕組みになっておりまして、一人電話ボックスに入ってじっと耳を傾けて居りました。
すると、後方から何やら声がします。どうも親子連れの様でした。
子「あれ、本物!?」
母「本物よ!動かないでしょ。それに手袋までちゃんとしてる!よく出来てる!」
子「本当だ~。」
と、親子で延々と話し始めたもので動くに動けなくなってしまいました。
私は大正~昭和初頭に大変興味を持っておりまして、いつも大体昭和初頭の“モダンガール”の格好をして居ります。
この日も、ロー・ウエストラインのドレスに金口のハンドバッグ、白手袋、お釜帽、断髪、当時の化粧と云う感じの装いでした。
何とか親子をだまし通し、向こうへ行ったのを見計らって動こうとしたら、今度は外国人の集団がやって来ました。
「アレ、ホンモノ?イキテル??」と言う様なことを口々に言い出しました。次々と順番に顔を覗き込んで来るので、こちらも負けじと完全に受話器を持ったまま、ピクリとも動かないで居たら好奇心一杯の外国人らが「触ッテミヨウ!!」と遂には手を触れようとしたので、(ギャ!)と思い、「イキテル!?」と一瞬思われた様ですが
ここで動いては悔しいので、そのまま更に停止していたら
外国人たちは、「ヤッパリマネキン??」と言った感じで
不思議な顔をして去って行きました。
一人になってからそっとその場を立ち去りましたが、その光景を思い浮かべたら、我ながら馬鹿馬鹿しくなってしまいました、とさ。 (淺井カヨ)
(寸評)おぉ、これは日本モガ協会代表のカヨさんならではだね。
しかし観客の期待に答えて、頼まれてもいないのに自らマネキンになりきるとは。凄いっ! 10ポイント。
初めての目黒寄生虫館
この前初めて、念願の「目黒寄生虫館」に行って参りました。
昔、故・中島らもさんとチチ松村さんのラジオでらもさんが、すっごく長い寄生虫がいる、と言ってたので、もともと虫は平気だしかなり気になっていたのです。
(寄生虫苦手な方は読まない方がいいかも・・?です。。)
開館と同時に中に入り、じっくりゆっくり、見て回りました。
様々な寄生虫や寄生された魚や動物、その体の一部などのホルマリン漬けがたくさん並べてありました。寄生虫の説明が書かれたパネルや、寄生虫病に冒された人達の写真もたくさんあって、興味深かったです。
お馴染み(?)の、うねうねした長いミミズのようなのや、ウミガメのまぶたに吸着したヒル、犬の心臓に寄生したそうめんのようなフィラリア、ぎょう虫がぎっしりと詰まったムササビの大腸、アニサキスが寄生したイルカの胃などなど・・・。写真撮りまくりました。
シーラカンスから出てきたという寄生虫も・・・!
いちばん衝撃だったのが、2階に上がるとすぐに目に入る写真・・・男性の陰のうが風船のように膨れ上がり、地面につくほど大きくなっているのです・・・!
びっくりでした。しかも日本でした。
マラリアに冒され、お腹が膨れている子供たちが並んでいる写真もあり(中国)、あたまのふくれたこどもたち じゃなくて、おなかのふくれたこどもたち だなぁ・・・とか思ってしまいました。
研究者の資料や、寄生虫の卵を拡大した模型などもあり、ほんとに寄生虫尽くしでした。
そしてついに見ました。8・8メートルのサナダムシ!!
ながーー!これが人の体から出てきたとは。
マス寿司を食べた人の体の中で成虫になり、食べた人は3ヶ月経ってから、便と一緒に虫の一部が垂れてきて気がついたらしいです。自覚症状は無かったそうです。すごいなー。
そのサナダムシが飾ってある横に、同じ長さの布みたいなのが掛けてあり、子供が伸ばしてましたが、長かった・・・。どうやって体の中にいたのか不思議です。
2階の奥には、寄生虫グッズが色々売ってました。Tシャツとポストカードと寄生虫館ガイドブック買いました。ストラップや定規も可愛かった・・・。
寄生虫というと、上にも書いたうねうねしたのばかり想像していましたが、様々な姿の寄生虫がいて面白かったです。入館無料だし、また行きます♪(ななを★)
(寸評)俺も30年くらい前、まだ古い建物だった時に行ったことある。館長さんが出てきて直々に話も聞かせてくれた。
俺の記憶が間違ってなければ、その最長のサナダムシは、館長が自分の姪っ子さんの体の中でわざわざ育てたもののはず。まだサナダムシダイエットなんてものはもちろんなかった時代だから、館長も館長なら、体を提供した姪っ子も姪っ子だよなぁ。すげえ。
とにかく館長は寄生虫の研究以前にマニアなんだよね。そこが凄いよなー。6ポイント。
初めての手鏡
ちょいと酔っ払った帰り道、深夜のコンビニで立ち読みしてました。
私の他には若い女性2人とギターを抱えた男性。30代くらいか…。その男はしゃがんでいたので、下の段の雑誌を物色してるのかなあと思ったら、なんとギターを脇に立ててそのかげに隠れて手鏡で女の子のスカートの中をじぃ~っと覗いてる!あわわわわ!痴漢だちかんだチカンだ…!
痴漢や変態に出会うことの少ない私の頭の中はぐるぐるしてました。
とっさに「なーにやってんの」と言うと、男は即座に店を出ていきました。女の子は、自分がされていたことに気が付いたのかどうかはわかりませんがすぐに店の奥へ。
その瞬間、ぞわわわわ~と怖くなってしまい、すたすたと出ていく男にむかって「バカがー」としか言えなかった…
この人痴漢です!とかドラマみたいなことは出来ませんでした…
イクジナシの私… (うみうし)
(寸評)いや、それはあまり深追いしない方が賢明だよ。逆恨みされたら身に危険がせまるからね。
それよりすぐお店の人に知らせて警察呼んでもらって、防犯カメラをチェックしてもらうのがいいだろね。今は変質者も多様化してるから、気をつけて。6ポイント。
初めてのKTX
先週の地方旅行で、韓国版新幹線・KTXに乗りました。南東部の大邱という所から、ソウルまで2時間少々かかり、運賃は4000円ほどでした。
駅のホームへ降りてみると、一般の特急列車と同じく、低めのホームで、入ってきた列車の乗降口は明らかにステップの位置が高いです。入ってくる時に、ホームで待ってる乗客が端に立っていたので、大きな汽笛を鳴らしながら入ってきたぐらいでした。客室に入ってみると、座席は動かせないタイプでしたが、車両の両端 から中央部分に向かって設置されており、中央部分の8席がコンパートメントになってました。
そして、車窓から外の風景を眺めていると、在来線と並行してる部分と、KTXのみで走ってる部分がありましたが、ほとんどは在来線とセット。停車駅もほとんど在来線とセットでしたが、1駅のみ新幹線単独の駅がありました。その駅の周辺を見渡してみると、すぐ近くが山岳地帯。駅前にはほぼ何もなく、道路開発や山肌の掘削工事やらで、駅の開業に遅れて駅前開発を慌ててやっているというような感じでした。
そして、在来線と同じく、山のあちこちに土饅頭の墓地が見えたのは同じでしたね。(Hi-)
(寸評)その駅はいわゆる政治駅かもね。地元の有力者が「うちの村に新幹線引いちゃる!」という。日本でも岐阜羽島をはじめ、いくつかそういう駅あるよね。
韓国のその新幹線には俺も数年前乗ったことあるよ。日本語でアナウンスもあるんだよね。5ポイント。
初めての猫を救出
ある晩、部屋の近くを散歩中の事です。路上に止まっている車の周囲に人だかりができているので、何かと思って近づいてみると、車のボンネットが開かれていて、中から猫の鳴き声がします。
集まった人達が代わる代わる覗き込んでいて、どうやら野良猫がエンジンルームに入って、出られなくなったようです。しかし声が聞こえるだけで、エンジンのどの部分にいるのかがわからないようです。どこに入っているかわからないからといって、エンジンをかける訳にはいかないし、誰もあまり車に詳しい人はいなさそ うです。
そこで、自分の出番!僕はこっちに来る前、車関係のバイトをしていたので、何とかなるかと思い、羽織っていたシャツを地面に敷いて、仰向けの状態で頭から車の下に潜り込みました。
と、その猫の鳴き声のする部分がまさに自分の鼻の上。そしてエンジンの隙間から、その猫の尻尾が見えました。
外に出て、「尻尾が見えました」と、周りに伝えてると、近くの飲食店のおばちゃんも駆けつけてきて、ライトでエンジンルーム内を照らし始めました。そして、猫は自らエンジン内の狭いスペースを移動して、脱出しました。
…救出に一躍しましたが、拍手は起こりませんでした。(Hi-)
(寸評)日本人なら拍手喝采なのにね。
ハッ!? もしかしたら食用猫だったのかも・・・。
助けた数時間後には鍋の中。
なんせ俺韓国の市場で食用猫バッチリ見ちゃったことあるからなぁ。君の努力は、おっさん達の腹の中。7ポイント。
初めてのタイ料理
クラスの同級生のタイ人学生の誘いで、通ってる学校の近くにあるタイ料理屋に初めて踏み込みました。
東南アジア出身の学生が今学期は多く、その関係で初めてそちら方面の食事を口にすることに。
まず、前菜らしきキュウリっぽい漬物が出てきて、それから個別に料理を注文。
僕はうどんを頼みましたが、今までに東南アジア系列の料理はほとんど口にした事がなかったため、なんか変な感じがします。でも、一度口にしたものは最後まで食べなきゃという強制観念が拭いきれず、眉をつり上げて完食。
…なんかかったるさが胸に残りました。(Hi-)
(寸評)タイのうどん・・・平べったいきしめんみたいな焼きそば(パッタイ)かな? 汁麺かな?
自分でお好みでいろんな調味料をかけて食べることが多いんだよねー。
抜群にうまいとは思わないけど、まあまあイケルとは思うけどね。5ポイント。
初めての水洗トイレ崩壊
今過ごしている部屋にはシャワー・トイレが付いているのですが、そのトイレでとんでもない事態が起こりました。
ある朝、用を足して水を流すと、いつもとは違った感じの音が。便器を見てみると、いつもよりも水が高い位置まで来ています。
もしや…、詰まった?だとしたら、史上初自分の出したものと対面するのか…。ウゲッ!
しかし、管理人さんを呼んで、点検のため、レバーを押すと、自分がやった時は流れが悪かったのに、まるで嘘のように流れて、水の高さも普段と同じ位置で止まったのです!
なんか便器から「お前が出したものを一遍まじまじと見ろ!」と言われたようでした。ただでさえこっちの食事に舌が慣れてないので、腹が下り気味なのに…。(Hi-)
(寸評)俺は外国で溢れたこと、何度もあるよ。公衆便所だといつも慌ててスタコラサッサと逃げて来た。4ポイント。
初めてのチンジルバンサウナ
大学での知り合い数人と、こちらのサウナへ行きました。どれほどの広さかは建物にもよりますが、ここは健康ランド扱いでした。
入って1階が下駄箱で、2階は脱衣所と銭湯。そして3階へサウナ室用のTシャツと短パンに着替え、上がってみると、子供からお年寄りまで、様々な人達がはしゃいだり、床に寝転がったりしてます。上の階には、トレーニングジム室や食堂、パソコンの部屋まで、至れり尽くせり。1回の入場料は600円ぐらいなので、浮浪者とかが1日入り浸ってたりとかもしてそうでした。
そして、一番奥にはサウナ室。温度表示を見ると、1つは58℃、もう1つは78℃。まず58℃の方から入りましたが、床に敷き詰められた小石が異常に熱を保ってて、歩くのにも一苦労。横になっても、床に触れると、熱に慣れるのに時間がかかるので、普段寝る時のように、体を楽に動かせません。それに加え、普段の灼熱地獄以上の熱気ノ。
結局、もう1つのサウナ室もそうでしたが、10分も入っていることすらできず、外に出て、テレビを見ながらゴロ寝して、終わりました。(Hi-)
(寸評)ちなみに俺がソウルに行く時には、常宿サウナがある。東大門のビルの上。安ホテルの5分の1くらいの値段で仮眠室でぐっすり眠れる。
ロシア人の親子がキャッキャ言って広い風呂で遊んでいたのが印象的だったなぁ。5ポイント。
初めてのツノゼミ
この前ツノゼミを初めて見ました。(写真でしか見たことなかったので・・・)ちっちゃくてかわいかったです。
しかも知久さんに見せてもらいました。うひゃー。(ななを★)
(寸評)俺はしょっちゅう見せてもらってるからなぁ。なんかそんな山奥に入らなくても、都会にも結構いたりするんだよね。あまりに目立たない虫なので普通の人はスルーしちゃうんだけどね。4ポイント。
初めての東京
今年は1月からほぼ毎月東京に行ってるので、少しは東京に慣れてきたと思ってるのですが東京に行って初めて知った事や驚いたことが色々ありました。
・エスカレーターは右側をあける。(これは中学の修学旅行の時知りました)
・駅のホームに、どこにどの車両のドアが来るか書いてある。
・電車に乗る時は並ぶ。
・電車のドアが全て自動。・・ボタン押すのもありましたが、田舎ではそれどころか手動のもあります。
・電車が発車するときに音楽が流れる。
・電車内のアナウンスが、英語でも流れる。
・大きい駅は複雑で迷う。出入り口が何ヵ所もあるし・・・
・西荻の辺りは地元みたいで、商店街とかもあって、東京はどこもかしこも「都会!」というイメージを持ってたので嬉しかった~。
・次は何駅です、とか どっち側のドアが開きます、とかが電車内でちっちゃい画面に出る。わかりやすい・・・
・地下鉄がある。
・路線がいっぱいある。
・高層ビルがいっぱいある。
・電車のドアが閉まる時ちゃんと、ドアが閉まりますって言う。
・平日の朝新宿駅に行ったら、通勤&通学ラッシュがすさまじかった。
・・・などなど。電車に関することが多いです。田舎者にはびっくりです。
きっとまだ知らないこといっぱいあるんだろうな・・・。東京に住んでる人は凄いです。(ななを★)
(寸評)いや、東京は田舎から出てきた人達が集まって住む町なので、生粋の東京っ子は案外ださかったりするぞ。
「カブラギのおしえ」のカブラギ君も原宿生まれの原宿育ちだけど俺の友達の中でもとびきり(以下自粛)
ちなみにエスカレーターの右側空けは東日本だけ。関西、もしくは欧米などは全部左側空けなので、こちらの方が国際基準だね。5ポイント。
初めての針灸治療
バリバリの料理人だったころ、腰痛と胃痛に悩まされて (バリバリじゃないじゃん!) 藁にもすがるおもいで、針灸診療所に行きました。
針灸治療なんて日本でも受けたことなかったけど、興味はあったので、腕がよいと評判のお医者さんのとこに、フランスには意外にも針灸治療の出来るお医者さんが結構いたりするのです。
TVでみたことある、私が恐れていたあのホラー映画に出てきそうな頭に長い針を刺した人にまずさせられ、足の血行を良くするために座った状態のまま、足に針をさされました。
先生は、このままでしばらく待ってね、その間に他の患者さん見回ってくるからね。
ただし気分が悪くなるかもしれないからね!それじゃ行ってくるけど大丈夫?
と、なんでこんなに心配するんだろうと思うほど念を押してから出て行きました。
先生が出て行ってから10分くらい経ったでしょうか、なんだかぐるぐる気分が悪くなってきて、座っているのにこのままでは倒れてしまう~!!と、危機を感じ、恥ずかしいのを我慢して助けて~!!と先生を呼ぼうとしたそのとき、ガチャっとドアを開けて先生が入ってきて、
ね?気分が悪くなったでしょ?
と、にこにこ。。。
ね?じゃないでしょ!(笑)
ううむ、なかなか効くのだな~と、感心いたしました。
何度か通ったものの胃痛のために本当に胃の上から針を刺してぐりぐりやられるのが本当に痛くてギブアップ、でも胃痛はいまはないな~、おかげさまで。ふふ。
後日長女のアトピー対策のために一度連れて行ったら、赤ちゃんには針を刺すのではなく、なんかぎざぎざのトゲのようなものがついている小さな肉たたきのようなものでトントンとたたくのでした。BCGみたいなもので、まとまってると痛くないのかも。
娘はおびえてびゃ~びゃ~泣きましたがトントントンが10回くらいで、いま泣いてたのにびゃ~びゃ~びゃ~コトン、と電池切れのように寝てしまい、先生にいつもこうなの?と驚かれました。
先生が何かしたんじゃなくて?ふふ。 (ますちゃん)
(寸評)フランスの鍼治療かぁー。西欧もだんだん東洋医療が見直されているんだよね。6ポイント。
初めてのカエルとドライブ
昨年、初めて両生類とドライブしました。
仕事の帰り道、ふと窓に目をやるとカエルがいたんです。
しかも窓全開にした、窓ガラスが収納されている上に。
ゆっくり走ってはいたんですが、どうしてここに?
しかも外の景色を楽しむかのように、私にお尻を向けていました。
このまま広い道路に出て信号待ちで隣に車が止まったら、
「あの車、カエルとドライブしてるぅ!」って言われかねません。
いくらカエル好きでも、これは恥ずかしいぞ!
速度を落とし、車内にあった洗濯バサミでカエルをちょん、と押し退散していただきました。
そういえば後ろから車が来ていたような・・・。
その後のカエルくんの運命は・・・知りたくありません。(秘密の座席)
(寸評)ま、そのカエルは君の亡くなったご先祖様だったんだけどね・・・。
カエルとドライブもたまにはいいじゃな~い! 5ポイント。
初めての残念な変態
けっこう前のお話です。
当時、同居していた激情娘が、部屋に好きな人を連れてくるという話だったので、これはどこか行かなければセクシャル行為の邪魔をすることになりかねない!と、空気の読める私は一目散に部屋を飛び出しました。
とは言え、頼る人もいなかったので、夜はビジネスホテルにでも泊まろうか、と探していたらば、若い男子が声をかけてきました。
夜中に知らない人が声をかけてきた時点で、もうだいぶ怪しいのですが、聞かれるままに泊まるところを探してるとか話したら道案内してくれたり、顔もラッパーのGKマーヤンみたいでかわいかったので、あまり気にしませんでした。
それに顔だけじゃなく格好もラッパーのよう(ちょっとしょぼめ)だったので、下手に逃げ出して捕まえられて、ベイサイドのギャングスタラッパー仲間をわんさか呼ばれて、輪…みたいなことになったら大変だ、親が泣く、と変な妄想を繰り広げて、あまり抵抗もしませんでした。
とゆうか、まず話し方から、強引を目指してるんだけど俺にはムリ…みたいなのが伺えて、見るからに態度がMだったので全然怖くありませんでした。
だがしかし!とゆうか、やっぱりとゆうか、彼の話題はだんだんエロ方面に向かっていき、性交渉の交渉をし始めたのです。
しかし、当時の私はまだそうゆう意味で大人になっていなかったので、さっき会ったばっかりの人と、いきなりそんなことーー!と思い、丁重にお断わりしました…(いや、大人になっても、お受けしませんが…)
そしたら納得してましたが、やっぱり気は弱くても男なんですかね。
アレの収まりがつかないようで、「じゃあ見てるだけでいいから!」みたいなことを口走ったまま物影に潜んで、し始めてしまいました…
あらららら…
詳しい感想は書かないほうがよいですよね、はい。
しかし、あんなものを生で見たのは初めてだったので、単純に、わーすごい!と思ってしまいました…(馬鹿か自分)
その人は、終わった後も全部自分で始末して、ギャングスタ仲間を呼び出すこともせず、きちんと私を宿まで送り届けてくれました。
なんにも協力しなかったのに。
出したら、もう用なんかないだろうに。
その優しさを他のところに役立てろよ!と、思いつつ、その人と別れました。
やってることはだいぶ残念だったけど、なんだか少しも憎めない人でした。
まあ、変態ですけどね。
優しい残念な変態in横浜でした。(のっち)
(寸評)詳しい感想聞きたかった~。是非「王様~」の痴漢のトピックにでも続きを書いてくださいな。
ただ、悪い印象ではなかったんだね。
よしっ、俺もチャレンジするか。ラッパーの格好をして夜の町に繰り出すかっ! 9ポイント。
はじめての水鉄砲式トイレ
以前、うきうきさんがどこかで「家は以前水鉄砲みたいなので水を流すトイレだった」という投稿をしていらして、石川さんが「そんなのうきうきの家だけじゃないの?」というやりとりがなぜか印象に残っていたのですが、遭遇しました。水鉄砲式トイレ!
観光で行った舞鶴の「五老ヶ竹公園」の外のトイレがそれでした。
外のトイレに行列ができていて、それに並んでいたのですが、なにやら前の方の人たちが「水の流し方が…」とか「操作が…」とか言っているのです。
何か操作が難しそうなトイレだ!?と思って、私も前の人が出てきた時に聞いてみると「そこのピストルみたいなので流すのよ」と教えてもらいました。
便器はぼっとんかはわからないですが、なにやら黒くて深そうな穴が。そして前の壁にはりついている箱からチューブが出ていて、その先に手の平におさまる位の水鉄砲みたいなものがついていました。
私も後に並んだ人に実演までしてこのトイレを説明し、無事トイレ終了。
けど、ご年配の方も「何!このトイレ??」という方たちばかりだったので、マイナーなトイレなのかなあと思いました。(ぴよまる)
(寸評)おぉ、それは幻のトイレか、もしくはある地方にはまだ結構残っているのだろうか?
見てみたいな。もしかしてウォシュレットのルーツなのか?
下手な人が失敗することはないのだろうか!?
あぁ、疑問が次々とわく。是非その研究を今すぐ始めてくださいなっ! 8ポイント。
はじめての寝坊遅刻
朝起きるのが大得意で、昼夜逆転もしたことなくて、
今までの人生一度も寝坊遅刻というのをやったことがないのですが。
・・・やってしまいました。今朝。
アラームかけたはずなのに、何の音もなく起きてみると
起床予定時刻より大幅に遅れた時間。
アラームは止めた形跡がありました。あたしが止めたんでしょうか。
なにはともあれ急いで支度して、出掛けましたが、40分の遅刻。
ああああああやってしまったああああああ
今まで寝坊遅刻する人とか見てて、
「なんで起きられないんだろう、不思議」
と思っていたけど、起きられない事もあるもんなんですね・・・。
今度から寝坊遅刻する人を見たら、生暖かく見守ってあげることにします。(りあちゃん)
(寸評)生暖かく(笑)。それよりこの年まで一度も遅刻したことない、というのが凄いと思ったなぁ。
「妖怪・目覚まし時計のポッチ押しちゃうもんね~へっへらへー」に初めて会った、ということでもあるんだよね。5ポイント。
初めての夜行バス
以前、友人達と初めて夜行バスに乗った時の事です。窓側に座っていた私は、隣の友人とずっと喋っていました。
話にも飽きて、ふと窓の外を見ると・・・なんと!!真っ暗な空にUFOの大群が、低空飛行しながらバスを追いかけて来るではありませんか!!!
予想外の風景に、頭は完全にパニックになり、叫びそうになりました。
・・・・・が、バスに乗っている人達は皆、何事も無いように落ち着いています。
「なんで・なんでーーー。私にしか見えてないのーーー???」と思っていると、バスが停車しました。
「あれ?UFOの大群が全部止まった。おかしいな~??」と思い、落ち着いてよ~く見ると、ちょっと離れた道に楕円形の街灯が、ズラーーッと並んでいるのを確認しました。
あ~、友人に言わないで良かった。
また、伝説を作っちゃうところでした。(ごりぽん)
(寸評)いや、それは逆に大騒ぎするべきだったね。
何故なら、害のない天然は人を幸せにするからな。
今度見かけたら「うぎょおぉぉぉ~っ!」の絶叫から入ってください。6ポイント。
初めての謎の紙袋
一瞬にしてドキッとしたお話です。
昨日電車に乗っていたら、乗務員が私の乗っている車両に入ってきました。
その車両には20人いたかいないかで、それまで静かだったんです。
乗務員は入ってすぐ左の席にいた男子中学生2人に話しかけました。
「これ?」
「はい。」
その会話の直後、乗務員が男子中学生2人の横にあった紙袋に手を伸ばしました。
気がつくと2人は紙袋を見つつも避けているような・・・。
もしや、誰の持ち物かわからない不審物!!!薬品か何か!?
やめてよー!そんなの、こんな田舎で!
緊張しながらその乗務員が手を紙袋から引き出した瞬間をじっと見ていました。
??
黒・・・ヒモ・・・?・・・布・・・ワイヤーの形・・・?
??
あれって女性用の下着?しかも上下で。
??
男子中学生は照れてバカらしくて苦笑い。乗務員は無表情。
かなり念入りに見た後、それを持って行きました。
あの後、乗務員はあの黒い上下の下着をどうしたんでしょうね。
もしかしてもしかするかもしれませんよ。(秘密の座席)
(寸評)それはさすがに乗客の前では平静を装っても、詰め所に行けばすぐ同僚集めて、
「おいっ、これ見ろよ。忘れ物だよな。うっひょ~!」
と言っているのはほぼ確実だな。
へたすりゃ、被って踊り出してるな。
♪やっほやほほほっ下着のダンス~
7ポイント。
初めての全身刺青男をマッサージ
バイト先のマッサージに、見るからにチンピラな3人衆がやってきた。子供が指をさして「ママー、チンピラだよー!」と言いそうな、どチンピラ。構成は、ボス・子分・女。私はボスを担当することになった。
マッサージを始める前には、パジャマに着替えてもらい足を洗うのだが、パジャマをめくると足首はもう立派な刺青。全身刺青だと、容易く推測できる。こんな刺青、見るのも触るのも初めて。怖いというよりはワクワクした。
さて、マッサージを開始。「強く押してくれ」と言われていたので「任してください!」と意気込んで押していたら、太ももに差し掛かったところで「ウヒャヒャヒャ!くすぐったい!」とチンピラ。なんか、可愛いぞ。が、他の部分は馬鹿力には定評のある私がどんなに強く押しても「もっと強くていいよ」と言う。やっぱり可愛くない。それでも必死に力を込めて押していると「いいねぇ、力強くて」と言われたので「そう言っていただけると、やり甲斐があります!」と言うと「なんだい、風俗嬢みたいなこと言って!」と言われた。そうか、風俗嬢って、そんなこと言うのか・・・。
そしてマッサージが手にさしかかったら・・・・・・アレ!?指がない。ちゃんとある指は、人差し指と親指だけ。あとは、第二間接までしか、ない。ああ、訊きたい。「どうしてないんですか?指をつめる、ってやつですか?」って。さすがにそれを訊いたらタマ取られそうなので、黙ってたけど。
チンピラ(ボス)、満足して帰っていかれました。よかった。(桃玉)
(寸評)おおっ! 入れ墨の体をゆっくり観られる機会は案外ないからな。貴重な体験だったな。
いっそ「ジャンケンしませんか? 私が負けたらただにします。勝ったら倍額だしてくださいね」と言えば、相手はグーとチョキしか出せないので、延々グーを出し続けたら、絶対いつかは勝って倍額貰えるぞ。
但し同時に恨みも購入するけどなっ! 6ポイント。
割礼式初体験。
学生のときにトルコに旅してきました。
ある夜、歩いているとどこからともなくお祭りのような音楽が聞こえてきて、 広場のようなところを覗くとたくさんの人が集まって大きな宴会を開いていました。
ぱっと覗いただけなのにおいでおいで!と、あれよあれよといううちに彼らに捕まってしまい、テーブルの一つに座らせられました。
よくみてみると広場の中心に真っ白なベッドに寝かされた男の子がいたのですぐに割礼儀式があったのだとわかりました。
生バンドで盛り上がっていて演奏も歌手も凄く素敵でいつまでも聞いていたい!とおもってながめていたら、酔っ払ったおじさんがジェスチャーで私に踊ろう踊ろう!としつこく誘ってきたのですが、なんだか場違いな気がして断っていたらそのおじさんはやはりお酒に厳しい(ビールとか紙袋で隠してのんでいるとこたくさん見かけました)イスラムのお国柄か、みんなからも酔っ払っているということを良く思われていなかったらしく、親類であろう一人になにか言いがかりをつけられて口論が始まってしまいました。
もみ合いになりそうかも!
と、ドキドキしてたら突然音楽もぴたっと止まって楽隊のみんなはちりぢりに逃げ出し、たくさんいた人たちもあっという間にどこかにいなくなってしまいました。
さっきまでにぎやかに宴会が行われていたのにこんなに簡単に誰もいなくなっちゃうなんてなんだか夢のような体験でした。 (ますちゃん)
(寸評)あ、俺もトルコ行った時見た~。ますちゃんのように参加はさせてもらえなかったけど、子供が王冠とか被ってるんだよね。
王冠は被らされるけど、ちんこの王冠は切られるんだよね。
トルコは親日的なので、いい印象だったなー。カッパドキアはやっぱり凄かった。アタチュルクー! 6ポイント。
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