ドキドキドキリコ初体験(56)
さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!
初・タイのアイス
とにかく片っ端から食べた。日本のアイスが見た目から味が大体想像できるのに対し、チェンマイのアイスはパッケージからどんな味か、予測がつかないものが多い。紙のカップに入ったカラフル粒状アイス、グロテスクな見た目からは想像のつかないほど、まろやかなヨーグルト味のアイス、床屋の店先においてある赤青白のくるくる回るヤツみたいな形状のアイス、コーラ味の氷菓などなど。値段は、高くても日本円で50円程度。毎日食べたのに、「まだ食べたりない!」と泣く泣く帰国。(桃玉)
(寸評)確かに常にアイスを持っている桃玉さんはよく見ました。昔のアイスみたいな安っぽい感じが逆に良かったよね。5ポイント。
初・タイのグミ
量の割には安い。が、見た目はやっぱりグロテスクなもの多し。一番グロテスクなのは、芋虫の形状をした芋虫グミ。幸い、味は芋虫じゃなかったからいいものの。一番気に入って食べまくっていたのは、パチンコ玉サイズのグミに、プチプチとした食感の飴?がまぶしてあるグミ。コーラ味、イチゴ味、みかん味とあったがコーラ味が一番バカみたいな味で美味しく、買い溜めして持ち帰ったがすぐ食べ終えてしまった。また食べたいぞーーー!(桃玉)
(寸評)そういえば骸骨の形のグミもあったね。俺も実はグミ好きなんだよね~。5ポイント。
初・タイのジュース
ファンタ・コーラなどの日本で見かけるものから、スター愛飲の、サロンパス味と評判の「ミリンダ・ルートビアー」や、容器ばバカでかいヤクルトのようなもの・・・・などなどどれもハズレがなく、面白かったり美味しかったり。色々飲んだが、中でも私は特に豆乳を推したい!くだもの、五穀、チョコレート、野菜ミックス味など多種多様。どれもまろやかで癖がなく、飲みやすい。日本で売り出せばこれはヒットになるんじゃなかろーか。だれか輸入してー!(桃玉)
(寸評)確かにそれまで豆乳はほとんど飲めないと言っていたアナーキー吉田君がすっかりはまって毎日飲んでたもんね。意外なグルメかも! 5ポイント。
初・タイのヨーグルト
私はトロっとしたヨーグルトが好みなのだが、日本ではあまり売っていない。(「ダノン」が一番それに近いかな。)しかーし!タイではトロっとしたヨーグルトが主流!!種類はさほど多くなかったが、どれも美味!イチゴ味、スィートコーン味、南国フルーツミックス、コーンフレークをかけるようになっているもの、「ナンジャコリャ!?」という謎のプチプチした食感の物体が入ってるもの。コンビニやスーパーで見つけてはほぼ毎日食べた。おすすめ。(桃玉)
(寸評)コーンが入ってるやつが結構ポピュラーだったりするんだよね。タイではコーンはフルーツ扱いなのかもしれない。5ポイント。
初・タイの干し梅
私は梅干キチガイで1歳の頃からお菓子代わりに梅干を食べております。残念がならタイには輸入物の梅干しかなかった。代わりといっちゃなんだが、干し梅を買って食べた。パッケージには「あきこ」。そして、江戸時代の田舎娘のような女の子の絵。干し梅の形状は、干しプラムのような感じ。味もそんな感じ。やたら甘くてでも食べ易いのですぐ間食。だがすっぱい梅好きには、かなり物足りなかった。(桃玉)
(寸評)生の梅干しも売ってたけど、輸入品なので高かった。感想梅は種類たくさんあったね。かなりポピュラーなお菓子といった感じだったね。あきこはタイ駄菓子界ではかなりの大手。もちろん日本の女の子の名前からきている。5ポイント。
初・タイのハムサンド
滞在するゲストハウス近辺にあるパン屋兼食堂で一度ハムサンドを食べて以来、とりこになってしまった。ジューシーで甘みと酸味の強いマヨネーズ、歯ごたえがよく少し厚めのハム。噛むとマヨネーズがじゅわあああとにじみ出て来るのがたまらない!うまーーーい!!唯一残念だったのが、食パンにムラがあったこと。美味しい日は焼きたてふわっふわなのに、「これ、いつの?」というような固い日も。いや、それでも美味しかった。美味しかったなぁ・・・食べたい・・・・。(桃玉)
(寸評)確か桃玉はいきなり「ハムサンドふたつ!」とか頼んでたね。もうおかわりするの分かってたからね。ダブルでいくのはなかなかのお人ですな。5ポイント。
初・タイカレー
毎週サンデーマーケットというお祭りが催される大きめの通りに面した、カレー屋。タイの大衆食堂の大半が薄汚れているのに対し、その店の造りはこじゃれていて、パッと見「ははぁん、観光者向けだな?」といった趣き。値段も少し高め。・・・・が。少し高いだけあった。ここのチキンイエローカレーは、私が今まで食べてきたカレーの中で・・・・というとカレーの達人のようだが、カレーはとりわけ好きというわけではない・・・・圧倒的に美味しかった。辛いのに甘くまろやか、香るココナッツミルクや香辛料!これをタイ米と一緒に食べるのが実に美味しかった!!!「タイ米ってこんなに美味しかったのかーーー、米不足のときに嫌がってごめんよーーータイ米!」と謝罪しながら食べた。日本でこれを食べられるなら、一食1000円でも足しげく通うであろう(貧乏人が通える限界)。(桃玉)
(寸評)確かにあそこのは旨かった!
たぶん相当いろんな物が入っている複雑なコクのある味だったよね。ガイドブック等で紹介されているのは見たことないから、チェンマイの穴場かもね。5ポイント。
初めての三上寛
s○-heyさんが「北海道来るよ」と教えてくれたので、観てきました。石川浩司の歌うきっかけになり、かつ多大なる影響を与えた人物、ということで見ておかねば!と。
寛さん登場。坊主頭で猫背、どこかで見た事あるなぁ(笑)。でも、寛さんのほうがスマートだわ。
歌はCDでも多少は聴いていたのだが、いざライブが始まると今までCDで聴いていたという事を忘れるくらい、びっくりした。節々に聴き取れる詩もものすごかったのだが、私が一番びっくりしたのは、「イ゛ア゛アアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」という絶叫!「この絶叫に全てが込められている!!」とか思わずにいられないほどの、凄まじい絶叫。絶叫にここまで心を揺さぶられたのは、初めてかもしれない。いや、「誰も起きてこないよ」の絶叫以来かもしれない。
寛さん、誰かに似ていると思ったら祖父だった。骨格、顔つき、喋り方・・・なんか似てる・・・、と思い巡らせていたら、おお、祖父も東北の出で、警察官だった。(寛さん、元警察ですものね。)
ライブ終了後、思わず「言葉にならないけど物凄かったです」と握手してもらった。「忘れないでね」と言われました。いやいや・・・・忘れようとしても忘れられませんって・・・・。(桃玉)
(寸評)俺も高校生の時、あの叫び一発でノックダウンさせられた。あの中には複雑な感情のカオスがあるよね。三上寛先輩、万歳! 6ポイント。
初めての個展
わしのお仕事はニヒル牛みたいなお店のスタッフです。
始めて3年目くらいでしょうか。うちは委託販売ですけど、当初はボックスショップを考えてましたし、カフェもやっております。
1年位前まで石川さんがニヒル牛なるお店のプロデューサーをしているということすら知らなかったし、ニヒル牛がボックスショップの元祖だなんて知りませんでした。
まあ、そんな関係で店でデザイナーのようなことをしたり、自分で作品を作って置いてみたりすることも多いのです。そうしているうちに、今度は近くのギャラリーで作品展をやってみないかという話になりました。
昔から絵を描くのが好きだったけど、特に人に見せようとか思ったこともなく、いつも1人で秘密のノートに向かって手が勝手に動くのを楽しんでいて、その絵の中からおもしろいものを紙粘土でカタチにしているのも最近のことだし、そのカタチにした自分の作品をお店に置いてるうちに、まさか個展をすることになるなんて思っても見ませんでした。ただ作りたいという衝動にかられて思いついたもの、見えたものをカタチにしただけのことだったのに。
タイトルは作変展。わしが紙粘土でダニとか、雨雲ラジコンとか、変なものばっかり作ってるからこんな名前が付けられました。突然の企画で準備期間も短くて、でもやるからには来た人に楽しんでもらおうと1ヵ月半で8つも新作を作り、自家プリントの写真も展示。BGMには作品の雰囲気にぴったりだったのでしょぼたまとパスカルズを選び使わせてもらいました。(誰か食いつくかなと思って)
ほんとに人来るのかな?なんて思ってたけど、たまーに通りがかりの人が入ってくれるとうれしいもんです。気に入ってくれて何度も来てくれた人もいたし、あなたの頭の中は一体どうなってるの?というほめ言葉までもらいました。
作品に積極的に触れて遊ぶというコンセプトも珍しかったようで、壊れてもいいから遊んでいいよって言うとみんな驚くので、その姿を見てはニヤニヤしてました。それにBGMに食いつく人もいて作戦成功です。
期間中は突然知り合いが来てライブをやってくれたりと、とても楽しかったのでまたやってもいいかな?なんて思いました。こうやって人に見せるという事はわしにとって一つの大きな発見でした!(2代目水牛)
(寸評)一度、是非ニヒル牛を見に来て!
なんかそのへなちょこな作風はニヒル牛に合ってそうだ~。地方だったらスペースを借りた後、作品を送って展示するとかも出来るからね。
ちなみに昨日からニヒル牛2で2週間ほどやっている「ニヒル牛秘宝館」では、俺のやっぱり「触れて遊べる」作品が置いてあるから、案外感性が近いのかもね! 6ポイント。
はじめてのウキュラーとの出会い
去年の冬。かねてから憧れの人であったCさんが浜松でライブをやるというので、初の生Cさん&初ライブで一人ドキドキリコしながら、なぜかミラーボールが回っている不思議で小さなスナックへ出かけて行ったのでした。
知り合いもいないので会場でも一人ぼっち。こういう場に慣れていなかったのでオロオロしながらドリンクを注文し隅っこでチビリチビリ呑むのでした。
やがてライブ開始時刻になりCさん登場。ほ、本物!本物がいる!本物が動いた!本物がしゃべった!本物が歌った!本・・・(以下略)
ライブ終了後、サインを貰うべく一番に話しかける。今思えば人見知りチキンの私がよく最初に話しかけられたものだ、相当に浮かれていたらしい。ブルブル。
サインに入れる名前を聞かれ、「ねこじんです」と答えると、Cさんが「めこじん?め?め・こ・じ・ん?」と聞いてくるので「ね、です。ねこじんです!」と念を押したが「め」と書き出すCさん(ズコッ)。慌てて止めて「ねこ、です!!(汗)」と再度説明すると「め」を何とか誤魔化そうとしばらく考え始めるCさん。結局絵を描いてくれて一件落着。
・・・が、この様子を近くで面白がって見ていた人物がいたのです。その名はM次郎。M次郎は携帯で投稿王のページに私の名が載っているのを確認していたのです。(しかもこの時初めて100ポイント超えで投稿王に名前が載ったばかりなのでした。)
「ねこじんさんですか?」と声を掛けられ、ただでさえ浮かれ気分の私は思いがけず自分の名前を呼ばれて嬉しかったらしく「はいっ!!!」と元気に返事をしていたようです。
なんじゃもんじゃの写真を見せてもらって興奮。バスの時間があったのでちょっとしか話せなかったのですが、後日mixiでメッセージを頂きました。
それがきっかけでチャットにも出入りするようになり、都電なんじゃ、天使のお昼寝で石川さんや他のウキュラーの方にも出会う事ができました。あの時M次郎に声掛けてもらわなかったら私は今でも皆に会えていなかったかもしれません。(M次郎に感謝!)
後から考えるといろんな偶然が重なっていたんだなぁ、ふふふと可笑しく思えます。(ねこじん)
(寸評)いろんな人が繋がっていくのって面白いんだよね。趣味が同じだと話しているうちに共通の知り合いがいることが分かったりすることも多いしね。
これからも、めこめこ言って、この界隈で遊んでくださいな~。6ポイント。
はじめての里帰り
13歳の夏休みに初めて弟(当時9歳)と2人きりで祖父母のいる新潟へ遊びに行きました。
親なしの旅は初めてだったので、緊張しつつも楽しく電車内を過ごし、無事祖父母の家に到着。
翌日、子供達と近くの土手で遊びました。土手の上をのんびり歩いていたら1人取り残され・・・
「まぁ、いいや。」と思い、日除け用に頭からタオルをかぶり、風に飛ばされないようにはじっこを噛みながら鼻歌を歌い、ダラダラ歩いていました。
すると土手の下の方で、おばさん2人が囁いていました。聞き耳を立てると
「かわいそうにねぇ。暑さで気が狂っちゃったのかねぇ。」
ですって。私は正気ですってば!
楽しい田舎ライフも終わり、弟と2人で帰宅しようと電車へ。
あとは、おうちに帰るだけ。安心してはしゃぐ2人。
そのうちトイレに行きたくなり、トイレでショートパンツを下ろすと・・・
ポケットから切符が2枚、ヒラヒラと落ちて流れていってしまいました。
その切符はどうにもならず、駅に着いてから家に電話をして、父に迎えに来てもらいました。
駅員に事情を説明したらわかってくれて、追加料金なしで出してもらえました。
あの時の駅員さん、本当にありがとう!(ごりぽん)
(寸評)うんこまみれの切符を拾って駅員さんにギュウウッと押し付けて渡しても思い出になったかもね。
たぶんポカンと殴られるけどな。6ポイント。
初めてのパジャマ通勤
10年以上前のある朝、寝坊をした私は、家族の洗濯物が畳んで置いてある椅子の上から、この日着ていく服を選んでいました。
いつもは必ず寝る前に用意しておくのですが、前夜あまりにも眠かったようで、夕飯の後、何の支度もしないで寝てしまったようです。
自分の服を探していると、何やらピンクの半袖シャツが目に入りました。きっと、母か妹のだろう。今日だけ借りて行こう、と急いで着たのです。
職場に着いて同僚が一言。
「今日の服、パジャマみたい。」
「まさか!母のか妹のだけど借りてきたんだもん。」
言われてみれば、綿素材でそう見えなくもないんだけど。
そして数日後。母が「パジャマの上だけないんだけど知らない?ピンクの開襟シャツみたいのだけど。」と探しています。もしかして、あのピンクの・・・?
実は部屋で脱いだまま放置してあり、クッションの下敷きになっていたのです。
ってことは、あれってやっぱり見た目通りパジャマだったのー!?
パジャマで出勤(しかも電車通勤)するなんて、今どきドラマやアニメでだって見たことない!やっちゃいました・・・。(秘密の座席)
(寸評)やってもたなー。
高校の時、学生服の下に寝ぼけてパジャマ着ていた奴が友達にさんざ馬鹿にされてたけど、それでも学生服の下だもんな~。
今度は是非ネグリジェに挑戦してみてくれ! がむばれっ、露出狂! 7ポイント。
初めてのプロ野球(球場)体験
初めてプロ野球の試合を観に行ったときのことを書いてみます。私が小学1年生(昭和44年)のころだったと思います。
ある日叔父と2歳下の弟と3人で川崎球場の大洋=巨人戦のナイトゲームを観に行くことになりました。
家を出るときは晴れてよい天気だったのですが球場に着いたころには曇りだし、入場したときにはとうとう雨が降り出してきました。時間が経つにつれ雨は強くなり、ついには試合は中止になりました。そうです、私の生まれて初めてのプロ野球観戦は≪雨天中止≫という悲惨な体験でした。私たちは傘を持っていかなかったので、ずぶ濡れになってしまいました。
覚えているのは、スタンドから出口に下りてゆく階段の途中に金網ごしにブルペンがあって巨人の選手が投球練習をしていたんですが、選手に向かってだれかが「馬鹿野郎、金返せ!!」と怒鳴っていたこと。選手には試合中止の責任はないはずなんですが「天気のことにも責任をとらなくちゃならないってプロ野球選手って大変だなぁ」と7歳の私は思いました。あと、弟がトイレを我慢しきれずに内野スタンドの階段のところにおしっこをしたことも覚えています。会場整理の黄色い合羽を着たお兄さんが「ここにしちゃえよー、どうせ雨降ってんだからわかんないよ」と言ってました。それくらいのざんざん降りだったのです。
それにしてもなぜ初めてのプロ野球体験が雨天中止だったのか。以来45歳の現在にいたるまで何十回もプロ野球を観に行ってますが、雨に降られて中止になった経験は一度もありません。 (波照間エロマンガ島)
(寸評)俺が初めて野球観戦したのは、確かやっぱり小学生の時。群馬で巨人とどこかの対戦。群馬だったのでオープン戦かもしれない。
でも、そこで見事に長嶋と王のアベックホームランを見た!
最初にしてはついてたかも。6ポイント。
はじめての円形脱毛症
忘れもしない30歳の誕生日の朝です。いつものように髪に分け目をつけていたら、前髪の右のほうがすかすかになっていることに気づきました。
ハゲ?!ショックよりも笑っちゃいました。ハゲてやんの!!!
その後ハゲは1ヶ月ほどかけて500円玉くらいのサイズに広がって、そこだけつるんつるんの「あらあら」という感じになり、産毛が生えてきたのは更に1ヵ月後でした。(鈴べる)
(寸評)俺も円形脱毛症になったことある。但し、髪の毛じゃなくてヒゲの部分に。今でも完全には生えない。
これじゃモジャラーズに入れないよ・・・。6ポイント。
はじめてのコンサート
谷山浩子さんです。チケットを見ると、1985年10月31日と書いてあります。17歳です。ぴちぴちです。
今でいうオタクみたいな人ばかりで恐かったのを覚えています。上下ジャージ姿の人とか、ヒロコさんと同じ髪型(おかっぱの長いの)の男の人とか。
印象的だったのは小銭が降ったことと、花束贈呈の列が出来たことと、「ゴキブリのうた」を歌ったことです。
客が小銭を投げるのです、ステージに向かって。それをヒロコさん、「わ、500玉だ、いいのかな」とかおっしゃりながら拾って歩いておられました。
花束贈呈の方々には一人一人握手をしたり、言葉を交わしたり。
「ゴキブリのうた」は確かリクエストで、「出来るかな?」とおっしゃっていた記憶があります。
ちなみに「ゴキブリのうた」は現在封印されています。CDにも収録されておりません、大丈夫です。(鈴べる)
(寸評)お、俺のライブの時は是非「札束首輪」でお願いします。ゴキブリの歌はCDに収録されていま・・・す。6ポイント。
はじめてのスパゲティミートソース
14歳の時初めてスパゲティのミートソースを作りました。
初めての料理にしては順調に進み、味見の時も上々。
さて、最後の仕上げに味の素をパラッと一振り・・・のつもりがドバッ!!と山盛りに入ってしまった!!ギョエー!!
どうやら中ブタが外れていたみたい・・・。
あわててその山を取り除きましたが、飛び散った分は取り除けず、仕方なく混ぜてしまったけど、とってもヘンな味。
どうしようもなくて捨ててしまいました。
それ以来、味の素は怖くて絶対使いません。(ごりぽん)
(寸評)俺は味の素だめだなー。料理番組なんかは「旨味調味料」なんて言い換えているよね。ケミカルケミカル。6ポイント。
はじめての爪がないっ!
ある日、靴下を脱ごうとしたら、何か引っかかって脱げない。
しかし、勢いをつけてしまってはいけない、危険なニオイがしました。
引っかかっている所を触ってみると、小指の爪の辺り。
一度靴下を戻して、浮かせて脱いでみました。
しかし、あるはずの爪がないっ!!!
信じられない状況に一人パニックに。
小指の爪よー!どこへ行ったの?
冷静になってみれば、さっき引っかかっていた、あれがそう。
靴下を裏返してみると、しっかり爪がくっついていました。
(これを時間差で両足やりました。)
そういえば、一週間くらい前、爪の先の方がグラグラしてたんだ。
10年前に買った靴を履いたら、太ったせいで靴の中いっぱいに足がピッタリはまってしまったのです。
でも、それを履いていかないとならない状況だったので、痛いのを我慢して一日履いていました。
気をつけましょう。キツイ靴をたった一日でも履くと、取れる痛みは全くないのですが、足の小指の爪が両足とも取れます。
今では完全復活していますが、爪のない指はとても不気味で、根元から生えてくる爪も軟らかくて異様でした。再生するもんなんですね。
上に向かって起き上がって生えてこなくて良かった。(秘密の座席)
(寸評)もしもヤクザとかに不手際を起こしてしまったら、
「この通り、小指・・・の爪をつめてきやしたっ!」
と言ってみましょう。
・・・きっとどつかれます。6ポイント。
はじめての猫またぎプリン
中学生の時の事、プリンを作ってみたくなり、本を見ながら作ってみました。
本と同じ様に上手に出来上がったので、ワクワクしながら一口味見を・・・「マ・・・マズイ・・・。」
もの凄くまずくて、どうしようもなくて家族人数分の5個を縁側に並べました。
そのうち野良猫が来て、食べるだろうと思ったのです。
夕方プリンを見に行くと、全部そのまま・・・。
猫も食べない「猫またぎプリン」と名づけ、家族が帰ってくる前にこっそり捨てました。(ごりぽん)
(寸評)まぁ、あんまりプリンを喜んで食べている猫もみたことないけど。
しかしプリンとかはそんなにまずく作る方がむしろ難しいと思うのは、作ったことのない俺だけ!? 5ポイント。
はじめての沢ガニ
幼稚園生の頃、親戚の家に遊びに行きました。
夜に祭りがあるとかで、昼間は親戚の子達と家の前の川にサワガニを捕りに行ってきました。
帰ってきてバケツの中のサワガニを他の入れ物に移し、お祭りに行きました。
お祭りで風船や綿菓子を買ってもらったりして楽しく過ごし帰って来ました。
そして移し変えた入れ物の中を覗いてみると、サワガニがいない!
「ああ、この辺はネコが多いから、フタしとかないと食べられちゃうよ。」
子供心に、さっきまで生きていたサワガニが全て食べられてしまったと思うとかなりのショックでした。
でも、食べられている所に出くわしていたら、今私はネコが大嫌いだったかもしれませんが。(秘密の座席)
(寸評)逆に沢ガニが逃げ出して猫を襲い、そのままムシャムシャと猫を食べていたらもっと怖かっただろうなあ・・・。5ポイント。
はじめての梅酒
2才の時、親が面白がって私に梅酒を飲ませたそうです。
全く覚えていないんですが、酔っ払って縁側から落ちてしまいました。
しかも頭から・・・。
数字が覚えられないのはその時頭から落ちたせいだ、絶対!
ちなみに小学生になってからは夏休みになると毎日飲んでました。(ごりぽん)
(寸評)毎日酒を飲む小学生。
なんかかっこいいっ! 6ポイント。
はじめてのタクシー
19歳の時、初めてタクシーに乗りました。
人数が多かったので後部座席は先に座られてしまい、仕方なく助手席に。
行き先を告げて「これで私の役目は終わった!」と安心し、外を眺めていました。
すると、何やら運転手が話しかけてくるのです。
これは、助手席の私が返事をしなければ!と思い、いつもよりもはきはきと答えていました。
でも何か反応がヘン・・・と思って良く聞くと、運転手は無線でやりとりをしていたのです。
その事に気づいた時にはもの凄く恥ずかしかった!(ごりぽん)
(寸評)最近は横でいきなり声をかけられたと思って「はい!?」と答えると携帯電話で話していただけ、なんて多いよね。
でもそのタクシーの件は微妙になかなか恥ずかしいかもね。6ポイント。
はじめての「握手してください!」
あるバンドのライブに行った翌日に聞いた話です。
その話をしてくれた友人とは、そのバンドのファンとして知り合いました。
バンドメンバーの中に二人、私と友人が住んでいる某市出身者がいるのです。
全盛期だった為、「ファン友募集」の欄に私の住所が載ると、100通以上の手紙が届きました。
それくらい、某市はファンの中で有名になったんですが・・・
ライブ当日、友人がライブ後に駅まで歩いていると、後ろから呼び止められました。
「何でしょうか。」
「あの、某市の方ですか!?」
と興奮気味に聞かれたそうです。そして「そうですけど・・・。」と言うと
「握手してください!!!」と無理矢理握手をさせられたそうです。
ファンって、好きなアーティストが住んでいた所にいる人なら誰でもいいんでしょうか。ちなみに友人は、そのバンドメンバーと同級生だという事は伏せておいたそうです。(秘密の座席)
(寸評)うちも「石川さんの奥さんですか?握手してください!」なんて時々あるみたいだけど、それ以上だね。
そのアーティストが不祥事でも起こしたら、市の面目丸潰れだね。6ポイント。
はじめてのやっぱりついてた
今年に入ってから、便秘気味で体を動かしたり努力をしていました。
やっと便意がきたのでトイレに行きました。
やっと出た・・・・・・。
喜びの為か、力が入っていたようで、お尻を拭いた時に、トイレットペーパーが破けました。
それと同時に、自分の指が、ブツとその出口に触れたのがわかりました。
恐る恐る自分の指を見ました。やっぱり・・・ついてました。
何度も何度も手を洗いました。泣きたかったです。(秘密の座席)
(寸評)ぼくはだいたいまいにちつくよ。5ポイント。
初化粧
あれは怖かった・・・本当に怖かった。そして恥ずかしかった。
それは友人の初化粧。
高校卒業後の初めての買い物に行くことになり、電車に乗っていました。
友人は途中の駅から乗ってくる事になっていたので、その駅に着く時に窓から友人の姿を探しました。
女の子で身長173センチは、どこにいても目立ちます。
そして「見つけない方が良かった!」と瞬時に思ってしまう顔が、窓の外に見えました。
その友人の顔は、初化粧のせいで、一言で言うとオカチメンコ。
頬だけ赤く浮いていて、眼の上は真っ青。子供がお母さんの化粧道具で遊んでしまったかのような化粧でした。
私は、友人が私を見つけられないでいてほしいと願ったのですが、その願いも空しく・・・友人がこっちに近づいて来たのです。
もう逃げ場がない!き・・・来たー!!
私だけではなく、周りの乗客も友人の化粧に目が点になっていました。背が高いだけでもいつも振り返って見られているというのに、あの化粧じゃ無理もありません。
他人のフリをするには、あまりにも狭い場所でした・・・。(秘密の座席)
(寸評)時々、冗談かと思うような化粧の人っているよね。
でもいっそ化粧もそういう「面白化粧」が化粧の中のジャンルとしてあればいいのにね。ピエロとかのように、一般市民も。7ポイント。
初めてのへび
子供の頃…確か暑くて玄関の戸を開けっぱなしにしていた日。
私は二階の部屋にいたんですが、下から「へびがはいってきた!!」というおねーちゃんの声が。おそるおそる下を見てみると…
玄関の下駄箱の下の隙間に、へびが頭をもぐしていました。
私はてっきり玄関を越えて廊下、そして部屋の中に侵入したのかと思ったので少し安心。
初めて生でへびを見てドキドキ…!しかも真っ白なへびだったんです。
白いへびは良い生き物だとおかーさんに聞いていたので、うちに来てくれた事に感謝しつつも…へびに近付いたら噛まれると思い込んでいたので、恐くて二階から眺める事しかできませんでした。
へびはしばらくそのまま動かずにいましたが、ほっといたらいつの間にかいなくなってました。
真っ白でとても綺麗だったあの姿は、今でもはっきりと覚えています。恐かったけど感動しました。
ちなみにそれと同じ日か別の日だったかは忘れましたが、白くない普通のへびも入ってきて、白へびと全く同じこと(下駄箱の下に頭をもぐす)をしていた事もよく覚えてます。ちょっと笑えました。(ななを★)
(寸評)下駄箱の下を覗いてみると、何千何万という蛇が絡み合いもつれあい・・・ぎゃあぁぁぁぁっ!!
6ポイント。
初めてのとかげ
ある日バイトから帰ってくるとおねーちゃんが「とかげがうちの中にいる…」と言うではありませんか。
とかげのしっぽをつかまえて、切れたしっぽを保存しておく事を夢見ていた私は大興奮。
しかしうちの遊び盛りのにゃんこがすでにしっぽを切ってしまったらしく…ガックリ。
廊下の壁の所にいるというので早速見てみると…確かにとかげがいました!間近で見るのは初めてで、つぶらな瞳がとっても可愛くて、写真も撮りました。
全然動かないのでしばらく眺めているとそのまま目を閉じて眠ろうとしたり…!可愛すぎました。
そのあと仕事から帰ってきたおかーさんにも見せましたが、かなり小さく、家中を探して見つけたしっぽも長かったのでとかげではなくカナヘビじゃないかという事が判明。
とかげじゃないのかー残念…と思いましたが似たようなものだし、しっぽも手にいれる事が出来たので感激でした!しかしカナヘビは猫に遊ばれてかなり弱っていた模様…ごめんよおぉ。。;
捕まえようとしたけど素早くて、高い所に逃げてしまったので椅子に乗って割り箸で掴もうとしましたが失敗、カナヘビはぼとりと落ちてしまいました。
ひーーっっ弱ってるのになんてことを…!
再び捕まえようとしましたがカナヘビはどこかの隙間から逃げてしまいました。
おかーさんは子供の頃とかげのしっぽを捕まえた事があるらしいのですが、切れたあとも少しの間しっぽはピクピク動いてたそーです。見てみたい…(ななを★)
(寸評)トカゲもカナヘビも蛇も、子供の頃は結構家の庭とかにいたな。そういえば最近は田舎にでもいかないと滅多にみかけることもなくなった。
もしや、ゴキブリにみんな食われてたりして・・・。そうだったら、ちょっと怖くない!? 6ポイント。
はじめての女子高生とデート
「誰か一緒にニヒル牛2に行ってくれませんか?」と書いたFちゃんの日記を読んで、「私、行こうか?」とメッセージを送りました。
Fちゃんとはエコーユナイトのライブで1度会っているのです。
最近の女子高生はみんなこんな感じなのでしょうか。作りたてのほやほやみたいなの。やわらかそうで「取り扱い注意!」とぺたっと貼りたくなりました。
23歳くらいで産んでいれば私にもFちゃんと同じ年頃の子供がいるわけで、私のアソコから出てくるものがいずれこんなカタチに成長するのだなあと、すごくシュールなことまで考えてしまいました。
天使にハグされたFちゃんはとても小さく見えました。(鈴べる)
(寸評)みんなアソコから出てきて、いろんな人間になる。考えてみるとちょっと不思議だよね。本当にアソコはいろんな物を出すわい。5ポイント。
初めての御用現場目撃
何年か前、日本のとある空港で、搭乗待ちをしていた時のことです。
窓の外を見ながら、音楽を聴いていると、いきなり目の前をある人影が横切りました。
ヘッドホンを外して、その人影が駆け抜けた方を見ると、茶髪の若い男の後ろ姿が見え、その男を空港職員らしき男性が罵声を発しながら追いかけていきます。
行く手を別の職員の男性が塞ぎましたが、男はよけて逃げようと右往左往し、チェックインカウンターの方へダッシュしようとします。
立ちはだかった職員を振り切りましたが、後ろから別の職員に腰を捕まれ、床に組伏せられました。
その男はしばらく抵抗しましたが、馬乗りになった職員の下敷きになり、身動きが取れず、悔しそうな表情をしてました。それで余計、悪人っぽく見えてしまいましたが。
何の悪行を働いたのかが気になりましたが、職員が無線で通報している間に搭乗時間が来てしまい、その場を去りました。
刑事ドラマでは犯人逮捕のシーンはつきものですが、実際に見ると、緊迫してました。そしてふと、犯人がこっちに逃げてくるのに気づいて、足掛けで転ばせでもしてれば、カッコよかったかも…。
などとしばし幻想に浸りました。(Hi-)
(寸評)ただの鬼ごっこ愛好会の人たちだったりして・・・。6ポイント。
初めての“堪忍袋の尾が切れる瞬間”を体感
職場に苦手な上司がいて、できれば一緒に仕事をしたくない、顔も見たくないぐらいなんですが、先日、一緒に仕事をせざるを得ない日がありました。確かに私より知識も経験も豊富ですから、言っていることも間違ってはいないし、まだまだぺーぺーの私は間違った判断を下すことがありますから、彼女の指導または助言は必要なことは必要なのです。
が、しかし、いかんせんこの人の物の言い方がいちいちムカつくのです。
一緒に夜勤などすればそのむかつきは17時間にも及ぶのです。もうヘトヘトです。顔も青ざめます。手足も冷えます。
その日も朝からねちねちと嫌味を言われ始めました。なんでそんな言い方しかできないのか?どうしてだ?と逆に不思議になるほど。その前に、言われる私の方に問題があるのだろうとは・・・・すいませんが、思えない。思えないのです。
朝から昼までその攻撃は続きました。むしろ、相手には攻撃する意識すらなかったのではないか、とも思うほど、彼女の口からはポンポンと威勢良く嫌味しか出てきません。
私が準備したとあるものが、たまたま彼女の歩く先にほんの少し、わずかにはみ出ていたことに、彼女が「もう邪魔!」と言い放った瞬間、私の堪忍袋の尾がついに切れました。かなり巨大な舌打ちをしたではありませんか。誰が?私がです。自分でもわからないぐらいの突発的な舌打ちでした。
「今の舌打ち何なの!?」と怒り出した上司。
「主任が嫌味な言い方するからですよ!!」と初めてまともに面と向かってキレてしまいました。また面倒なことにそんなやりとりを目撃した課長が間に入ってきて「何やってんの!!」とさらにぶちキレてきました。
血の気多すぎです。
課長は私が突然気がふれて声を張り上げたと勘違いし、めちゃめちゃ怒ってきます。冗談じゃないんだよ、と反論する私。課長も私の言い分はわかったようです。その後は何も言ってきませんでしたから。
なんか、言い過ぎたかな、といかいう気持ちは一切なく、すごーくすっきりしたのと「堪忍袋の尾ってほんとに切れるんだ~へぇ~」
と新たな発見までできたので、これでよし。悪いのは主任。 (さっちゃん)
(寸評)いや本当、「言い方」ってかなり重要っていうか、争いごとの実は最も本質的なことだよね。
人は怒られる「内容」よりも、その時の「言い方」に切れることの方が何倍も多い。
それがでかけりゃ、戦争だ。7ポイント。
初めてのちくわぶ
この間、某テレビ番組で「大阪におでんのはんぺんとちくわぶを持っていくとどうなるか?」と実験していた。大阪でははんぺんもちくわぶもまったく一般的ではないらしく、誰もが「これなんですの?」と怪訝とした表情でそれらを見る。そしてはんぺんを食べると「おいしい!」と言いちくわぶを食べると「まずっ!」と言って吐き出している光景を見た。
そういえば、私もついこの間、生まれて初めてちくわぶを食べたのだ!親が買ってきたちくわぶ。見たことさえなかったので「これなんですの?」と聞くと「ちくわぶ」だと言う。
ほぉ!これがちくわぶというものか。どれどれ。
口に入れてみる。
「まずっ!!ぶべぇぇ!!」と思わず吐き出してしまった。テレビの大阪の人と全く同じ反応だったのだ。一体、何だあの塊は!ねちょねちょした塊は!ちくわの形をした「麩」らしいのだが、関東の人は普通にあれをおでんで食べるのか?? (さっちゃん)
(寸評)ちくわぶはんまいよっ! まずくないよっ! ぶべぇぇじゃないよ~~~っ!(泣)
俺がおでんで絶対必要な具No1が、ちくわぶです・・・。まじで。6ポイント。
初めてのタイの日本料理
先日、チェンマイでひとりでブラブラしていたら、偶然日本料理屋を発見。仲間がそこに行った話をもう聞いていたので「ああ、ここか~」と入ってみることにした。
たこ焼きを注文した。メニューはもしかしたら日本の定食屋より多いんじゃないか??というぐらい数があり、「さわら焼き定食」とかまであった。
店内は「おいでやす京都」とかのポスターなど、とにかくたくさんの日本のもので装飾されていた。へー!!と初めて来た国、外国で日本語表記や日本料理を見るのは意外にも新鮮なことを実感した。
たこ焼きが来た。・・・・なんだこのソースは。想像していたのはマヨネーズとおたふくソース。でも来たのはそれらを混ぜ合わせたような色合い。恐る恐る食べてみると・・・その混ぜ合わせたものにさらに砂糖を混ぜ込んだような妙な甘さ!!
・・・う~ん・・・甘い。甘すぎるぞ。たこ焼き自体はうまいのだが・・・焼きそばにするべきだったか?はたまた親子丼にするべきだったか?
これをおいしいと言うべきか?わからない・・・。 (さっちゃん)
(寸評)タイに限らず、日本ほど味覚に繊細な国はないから、たいてい「すんげえ辛い」か「すんげえ甘い」になっちゃうんだよね。
あの店、そばとかは日本のへたなそば屋よりもうまかったよ。6ポイント。
初めての新人教育
二年前、初めて新人の教育係りになりました。しかし、入職してきた新人は干支一回り年上でした。私より遥かに社会人(別の職種ですが)経験の長い人だったので、礼儀正しく、常識があり、大人。課題を出すとすぐにやってくる。しかも「自己学習を深めたいので、○日までにチェックをお願いします。」とご丁寧な付箋つきで…。チェックするこっちが余裕ないわい!添削しきれんわい!!っていうかあんた偉い!さすが伊達に年取ってない! (さっちゃん)
(寸評)俺も昔医療事務のバイトやってた時、定年後の再就職で来た年配の人を何人も教えた。真面目で頭も悪くないのだが、年を取るとやはり物覚えが若い人とあまりに違うのがちょっと切なかった。
そんな中、研修期間中、威張ってばかりであまりにも使えないので、俺が自らクビにした人がいた。
彼の前職は、教師だった。6ポイント。
初めてのホームステイ
生まれて初めてのホームステイはヨルダンだった。中東の国で、その中のパレスチナ難民キャンプ(キャンプといっても普通の家です)で、わずか三日間だけだったが、初体験したので報告する。
まず、家に異様に人が多い。訳を聞くと、ヨルダンの夫婦一組に生まれる子どもの平均人数が5~10人。しかも日本人の来客が相当珍しいらしく、近所の人、親戚、友達が大集合。ものすごい人数に見つめられながら食事をする羽目になる。
出てくる食事が毎食ほぼ同じ。薄く延ばしたパンに魚肉ソーセージなどを挟めて食べる食事。本当にそれしか出てこないので、文句も言わず食うしかない。しかも腹いっぱい食べた後も「まだいらないか?」とビニール袋に入った焼きだめした大量のパンを見せられる。
ちなみにヨルダンはものすごくもてなしの精神が強く、これも食えあれも食えっていうか全部食え状態。入国前にこれだけは覚えろ!と教えられた必須のアラビア語は「ありがとう」「こんにちは」「お腹一杯なので、もういりません」だった…。
そして、私の本名は“鈴木さつき”なのだが、“さつき”の発音が現地の人には難しいらしく、それに加えて「SUZUKI」の日本車はヨルダンでも一般的なので、一切苗字を言っていないのに「鈴木」と勝手に聞き間違え、何度「さつき」と言っても「Oh!SU~ZUKI!」とハイテンション。
・・・奇跡的にどちらでも間違っていないのだが・・・。
またイスラム教は一日五回のお祈りが必須なので、私や友人とその一家の子供達で鬼ごっこをして走り回っていても、お祈りの声が町のスピーカーから流れるやいなや、全員地面に突っ伏してしまう。取り残される私たち。
極め付けがトイレ。ヨルダンでは紙で尻をふく、という習慣自体があまりなく、備え付けのシャワーで尻を洗うようである。それはいい。でも水で洗った後の尻はどうなるのだ。かまわずズボンを履くのか?わからない。
しかたないので持参したトイレットペーパーを使った。
しかしである。捨てる所がない。(*基本的に水道の状況が悪いため、トイレの中に紙を流すことは禁止されている。)
どうする!?絶対絶命のSUZUKIさん。しかたなく、使った後の紙(持ってるだけで嫌)をホストマザーに「これ、どこに捨てたらいいんでしょう?」と聞くと
「????」と全く状況を分かってくださらない。
トイレで拭いた、とかなんとかジェスチャーで伝えると「・・・・?これでいい?」と室内のゴミ箱を渡される。
私はいいんですけど・・・これ使用済みのトイレットペ・・・何でもないです・・。
夜も夜でハイテンションに「よっし!今から俺の妹の家いくぞ!」と疲れきった私と友人を車に乗せるホストファザー。真夜中だっつーの。しかも突然訪れた日本人に妹一家も大喜び。10人近くの家族が出迎えてくれたので、ここまでしてもらったらお返しでも・・・と日本の文化とか言いつつソーラン節を踊る。真夜中だっつーの。
まだまだハイテンションのホストファザー。愛用の携帯で私たちの動画まで撮り始める始末(ちなみに私の携帯より機能性高い)。
翌朝、疲れの取れない私たちを迎えたのは、大量のパンと魚肉ソーセージだった。(さっちゃん)
(寸評)世界は面白いよねー。毎日食卓に並ぶのが同じものという生活でも、携帯電話の機能は最新式だったり。
そういえば、中国で風呂なぞ全く入っていないだろうと思われる浮浪者が住むような小屋を覗いたら、DVDだけはちゃんと揃っていたっけ・・・。8ポイント。
初めての白髪
この前…初めて自分の髪の中に白髪を発見致しました。
…まだ20代前半なのに……
ストレスかなぁ…あと生活も不規則だからですかねぇ…あんまりまともな物食べてないし(お菓子を主食にしてしまったり)…
その後も何回か白髪発見してます。。でも抜いてよく見るとつやつやしてて綺麗ですね。
ちなみにおねーちゃんも結構前からよく白髪ができてます。
白髪姉妹…いやああぁ(ななを★)
(寸評)俺は白髪少ない方だけど、生える人は20代前半から結構きてるね。
俺の友達なぞも「あれ、おまえ白髪、前より減った?」とか聞いたら、
「なに言ってんだよ。全部染めてるんだよ。染めなきゃ真っ白で完全に老人にしか見られないよ!」
と言ってる奴いたなぁ。6ポイント。
初めてのひとりパン作り
この前初めて、一人でパンを作りました。
以前は生地をこねる機能があるオーブンレンジがあったのでおかーさんと一緒によく作ってたんですけど、それが壊れてからは…
手でこねるのはすんごい大変そうだな~と思ってたんですけど、最近バイト先(飲食店のキッチン)で暇な時、パンを作ってみようという事になり…
こねるのは、思ってたよりも楽しい!ストレス解消にもなる。。。後から腕痛くなりましたが;
そしてパンらしきものがちゃんと出来て感動しました…!
「こね」の恐怖が無くなったので、一人でも出来るかも…!と、家で作ってみたのです。
…ちゃんと、パンらしき物が出来ました!!ひたすらこねてこねてこねまくったので、腕は大変な事になりましたけれども。
味があんまり無くて、粉風味?イースト風味?のパンだったけど美味しかったです。手作りは良いものですね。お菓子作りはよくやりますが、今度はパン作りも楽しもうと思います!(ななを★)
(寸評)僕にジャミラのパンを作って! 5ポイント。
初めてスター石川浩司とと飯を共にした思い出。
遥か昔の事に思えるが、初めてスターと食事をした日の事を思い出してみようと思う。
2007年月7月8日、釧路のジャズ喫茶「ジス・イズ」。ライブ開始より遥か前に会場に着いた私の目に飛び込んできたスター、石川浩司。ちょうどリハを終え、ライブ前の腹ごしらえをするために外出するところだった。「目の前にスターがいる!」という状況が飲み込めない私を、スターは食事に誘い出して下さる。主催者のうろたえさんも一緒。近場のハヤシライス屋へと向かった。
この時私は内心パニックだった。「1000ポイント使ってないのに一緒に食事できるの!?」と。
着席、目の前にはスター。ああ、もう、なに喋っていいかわからん。口の中カラッカラ。笑うと歯茎に唇がくっつく(泣)。
運ばれてきたハヤシライスも、「美味しいですね!」と食べたが味なんてわからん。食欲はあるのに喉も通らず、「どうしよう!スターは食べ終わってるのに、私はまだ半分もある!!」と焦りまくったのだった。
必死の思いで完食、「そろそろ戻ろうか」と席を立つと、隣のテーブルに座っていた人たちが「石川さんですよね!!」と握手を求めてる。
うわああああ、やっぱりスターだああああ!!
…目眩がする思いだった。
しかも…ハヤシライスの会計はスターもち!「石川さんは気前がよかった、ってミクシィ日記に書いてね」と言われたが、「こんな幸せすぎる事、とてもじゃないけど書けませ~ん!!!」と結局書けず仕舞いでした。
初めてのスターとの食事、せっかくご馳走していただいたのに………無味でした。その節はどうもです!!!(桃玉)
(寸評)無味・・・。こんな俺に緊張してどーすんだ(笑)。
ま、主催者が男だったら奢る気はさらさらなかったがな・・・。7ポイント。
初めての船の中で演劇出演
生まれた頃から目立ちたがり屋の私は、小学生時分、学芸会には必ず演劇のステージに立ってきたわけなのですが、中学以上になると学芸会自体がなくなり、部活に入るほどでもなかったので、大人になるまで演劇とかステージに立つ、とかいうこととは遠ざかっていたのです。
ただ、演劇は大好き、できればステージにまた立ちたい、と心のどこかで思っていました。
そんな中、二年前に行った世界一周の船旅で、長いこと船生活をしていたのですが、一番長いときで10日間以上船に乗りっぱなしなんです。なので、そんな生活を有意義にしようじゃないか、と劇団が結成されました。
(こっぱずかしいのですが、時間的にも非常にタイトで、いつもてんやわんやだったので、劇団名は“劇団TENYAーWANYA”)
しかしです。生活環境は船の中。外に出ても見渡す限り海。大道具、小道具、衣装など、物資の買出しにはいけません。っていうか行こうとしたら大海原で溺死します。
一応、船の中では常にいろいろなイベントが開催されていたので、多少の素材的なものはあるにはあるのですが、限界もあります。
仲間とあるものを最大限に使おう、次の寄港(どっかの国に着いて買出しができるチャンス)まで足りないもの、買うべきものを考えよう、ということになり・・・衣装は船内にいるたくさんの乗客に分けてもらったり、ピアノのうまい子に生演奏をつけてもらい、ダンスのうまい子に振り付けをしてもらい、裁縫のうまい子に衣装を縫ってもらい、暇な人にはひたすらティッシュの空き箱を集めてもらい・・・そんなこんなで集まった大量のティッシュの空箱で家の外観をなんと3パターンも作り・・・・紙ながらも、南京錠とかダイナマイトとかの小道具まで作りました。たいしたもんです。
上演当日、満員御礼。ダブルキャストで二回公演。
限られた環境でよくもまあここまで作り上げたな、という内容でした。
もちろん照明、PA、効果音も完璧に使いこなしました。数人の経験者が参加していたものの、8割以上はど素人。私もど素人。
演劇の内容は「三匹のこぶた」の真逆のお話。三匹のオオカミがブタに苛められるお話でした。(パロディですが一応原作もあります。『3びきのかわいいオオカミ』(大日本絵画出版)Eugene Trivizas原著 こだまともこ翻訳)
ちなみに私の役は次男のオオカミでした。台本にはこう書いてありました。
役柄:お調子者でひねくれ者。弟をよくいじめる。
なるほど。
監督の友達とはそんなに深く話し込んだわけではなかったのですが、「この役にはさっちゃんが一番ふさわしいと思うんだ・・」
正義感に満ちた長男は無理。天真爛漫な三男も無理。包容力に溢れた母オオカミも無理。その他、無邪気な子どもカンガルーも無理。お花屋のかわいいフラミンゴは絶対無理。
見事に見透かされた私って一体・・・。 (さっちゃん)
(寸評) でもある意味一番おいしい役だよね。個性派女優が演じる感じの。今度ふたりきりの時、演技見せてくださいな~。
ベッドのう・え・で! 6ポイント。
初めてのチラシ配り
皆様には周知のことと思いますが、私「パスカルズを北海道に呼ぼう!」という企画で突然代表的な位置に着いた者です。
今回のこの運動、普段はしがない一般人の私が仕切ってるという時点でかなりの大事件なんですが・・・。
まずは基本的な活動をしようと、仲間の協力を得てチラシを作成。折込を頼んだり、他の人に配布を依頼するため発送ばかりしていたのですが、自分の足で配布してみようじゃないか、と桃玉さんと何軒かお店に回ってきました。こんなことやったことありません。めちゃ緊張します。
札幌市内にはいくつかたまの元メンバーがライブで回る店があるので、そこでの話をつけるのは早いのですが、困ったのはそうじゃないお店でした。果て。どう話を切り出すべきか。
簡単でした。
「あのー“たま”っていうバンドご存知です?そうそう、さよなら人類の!で、その中で・・・そうですそうです、ランニングの!ええ、山下清みたいな人の!えーその方と、変な頭の人の、そうですそうです!その二人が今やってるバンドなんですけどね!」
すぐに理解してもらえます。話早いです。さすがスターです。よっ!
こんな感じでスイスイでございますわ。
私自身もこんな話の切り出し方は如何なものか…という気持ちもあるのですが、これが一番効果的なのです…。この場を借りまして謝っときます。すいません。
そんなこんなで現在札幌市内だけでなく道央、道東の方までチラシが広がっていますよ~!! (さっちゃん)
(寸評) 分かりやすくて良かった~。いやいや宣伝の時は分かりやすいところから入るべきだから全然いいよっ!
あとはそのチラシが北海道中に捨てられていないことを祈るのみ・・・。7ポイント。
初めての「突然、開かない」inチェンマイ
チェンマイのゲストハウスで、携帯灰皿を持参し、毎日ベランダでプカプカしていた私。いつも左側から出入りしていたのですが、最終日だったか2日前だったか、一体どういうわけか、ドア(窓ともいうのか)が開かないではありませんか。鍵をいじっても、どうやっても開かない。
WHY?
そこで右側を開けてみると、スーッと開く。まあいいけど、なぜ?
しかたなく、それ以降は右側からベランダに出入りしていたのですが、いかんせんそこにはテレビがあるのです。
毎日数回、体を奇妙にくねらせながらテレビの背後を絶妙に潜り抜け、ベランダに出る羽目になりました。一体何だったんだ…。 (さっちゃん)
(寸評) ホテルの室内ですら禁煙だったからね、タイは。
そしてそれはチェンマイ名物「妖怪左すり抜けちゃイヤ~ン」です。5ポイント。
初めてのモガとの出会い
去年、暮れの東京での石川さんのライブで、初めてモガのKさんとお会いしました。以前すでにKさんと会ったことのある桃玉いわく「ぜっっったいすぐわかります。すごい遠くにいてもわかります。モガですから。」と聞いていました。このライブにモガが来ることは知らなかったのですが・・・
すぐわかりました。モガです。どこからどう見てもモガです。
大正の仮装(というのか?)コンテストに普段着で優勝しまくるモガです。
そんなモガのKさんも私がコテハンに顔写真つきで掲載しているため、私のこともすぐわかったそうで、声をかけてもらえました。
最初は服装だけモガだと思い込んでいましたが、驚愕の事実、というか驚くべき普段のKさんの生活様式まで知ることになりました。
まず最初に、ライブ終了後、小雨が降っていたため店長が「傘、持って行ってくださいねー」と言ったとき、Kさんはこう言うのです。
「柄がプラスチックなのは触れないんで…これで!」
柄が木の傘をチョイス。その後一緒に食事に行ったのですが「チェーン店は入れないので…ここで!」と個人経営の居酒屋をチョイス。
その後話を聞いてみると、すごいじゃないですか。普段の生活をできる限り当時の方法で営んでいるらしく、「テレビはありません。蓄音機とラジオで…」「SUICAも一度買ったんですけど気持ち悪くて無理でした」「自動販売機でジュースは買いません」「スーパーには行きません」「携帯も持ってません」
ひたすら、「そんな人がいる」という事実に驚愕しまくっていたのですが、私は「不便じゃないのですか?」と聞くと、Kさんはこう言いました。
「でも不便の方が便利よりだいぶいいんですよ」
私の目からは大量の鱗がバラバラと落ちていきました。
す・素晴らしい!!!!!!!!!感動した!!!!!
ここまで、好きなものに傾倒しまくり、生活自体も変えてしまう、そしてその生活を楽しんでいるなんて。こんな極端な人、なかなかいません。
私はすごい人と出逢った!!その後、帰宅した私はあまりに衝撃的だったため、家族や友達に「こんなすごい人がいるんだよ!!」と熱弁して回りました。・・・・Kさん、出逢えてよかったです。というかそんなKさんと出逢わせてくれたのは、石川さん、あなたです。二人に感謝!(さっちゃん)
(寸評) さらに「ファーストフード、チェーン店のレストランや飲み屋には一切入りません」「ボールペンは持てません」などなどあったよね。
でもそんな不自由な生活をわざと楽しんでいる感じ。
俺もKさんの生き方にはとても感銘を受けています! 6ポイント。
初めてのモガにつっこみを入れる
そんなモガとの再会はすぐに訪れました。チェンマイで、です。
ちなみに私は去年の暮れに聞ききれなかった質問をいくつも用意し、モガにぶつけてみました。
「ごはんはどうしてるんですか?炊飯器なんかありませんよね?」
「土鍋使ってるの。土鍋でたくとおいしいんだよ」
「冷蔵庫がない、ということはおかずは?食材はどうしてるんですか?」
「根菜中心なの。ちゃんと当時の人は保存食をたくさん作って冷蔵庫がなくても生活していたんだよね。室温でももちますよ。」
「服は?」
「骨董屋で買ってるの。ちゃんと今も着れますよ。」
その他、何を聞いても「なるほど!」という答えが返ってくる。そりゃそうです。歴史からなにから当時の生活、文化、考え方、などなど膨大な知識を持つモガですから、かなうはずありません。
そんな中、チェンマイでKさんが帰った日。Kさんの着ていたカーディガンに私はあることを気づきました。
古くない。当時のものではない。時々、ファッション雑誌(現代の)で取り上げられるブランドのマークがついているではないですか。
ふっふっふ・・・なぜかつっこみたい衝動に駆られ・・・
「Kさ~ん・・・・それ、古くないですよね~?」とKさんに歩み寄りました。Kさんはこう言いました。
「しまった・・・・」
なんかよく分からないんですが、うろたえるKさんがかわいくて、ちょっと嬉しかったです。 (さっちゃん)
(寸評) そうそう、そうは言っても忸怩たる思いでパソコンだけは使ってたりと、時々アラを見つけると突っ込みたくなるよねーん。そこがまた楽しいのよねーん。6ポイント。
初めての共同生活100日
二年前、船で世界一周したのですが、相部屋を頼んだので初めての他人との共同生活を体験しました。ちなみに私は一人っ子ですので、生まれたときからひとり。遊ぶのも寝るのもひとり。他人との共同生活なんて想像もつきませんでした。それにひとりの時間がないことはそんな自分にとってはかなりのストレスにもなるので、ひとり部屋をとろうかぎりぎりまで迷ったのですが値段が高く断念。でもまあこんな機会もなければそうそう体験できることじゃないし、100日も一人部屋だとたぶん寂しくもなるだろうと、相部屋に。
ある程度同じ年の人と部屋を組んでくれるし、数日間なら遠慮しあうだろうけど100日も一緒なら、返って開き直れるだろうと思いました。
幸運なことに同じ部屋だった2人の友達とはテンションが同じ。いくら年が近くてもノリが違いすぎるのは苦痛ですから、この面ではかなり運が良かったと思います。私が北海道、二人は千葉と福岡出身。日本列島の位置から考えてもうまいことバラけており、かなり新鮮でした。
三人の中でそれなりのルールも決まりました。
30日ごとにベッドを移動する(二段ベッドが一個とシングルベッド一個で人によっては二段目がいいとか、下がいいとか好みがあったので)、他の友達は極力入れない、誰かが部屋に帰ってこなくても先に寝る人は部屋の電気を消して良い、誰かが寝てるときはドライヤーを使わないなどなど。
ちなみに相当古い船だったので、トイレのレバーの力加減が微妙に難しかったり、シャワーヘッドがスッポ抜けたり、飲んじゃいけない洗面所の水を飲んで腹を壊したり、などのハプニングはあったものの、うまいこと初めての共同生活は終わりました。
日本ではちょっと考えられないのですが、100日の期間限定ルームシェアも意外にいいものでした。 (さっちゃん)
(寸評) ふたりきりだとちょっと合わせたりと窮屈だけど、3人だとちょっとした「社会」になって面白いこともあるんだよね。
でも気の合う人で良かったね~。6ポイント。
はじめてのたまははき
北海道から埼玉に越してきて2年も経とうという頃です。パニック障害のため、近所での買い物もつらかった私が何故か急にライブに行きたくなり、ネットカフェで検索、知久さんのたまははきでのライブを見つけました。
やばいと思ったら引き返すつもりで敢えて予約はせず、友人に電車の乗換えを教わり、無事最寄の駅に到着。闇雲に歩いてもたどり着けないことは火を見るより明らかなので、交番を探し場所を尋ねたところ、電話をかけてださり、ここでたまははきが居酒屋であることを知りました。
い、居酒屋っ?!ものすごく混乱しながら教えられた道をたどり、お店に着いた私は半ば呆然としながらお金を払い、カウンターの中へ通されました。
左右に人、後ろは食器棚、つまり全然動けない・・・。そしてパニック障害は空気の流通の悪く人がたくさんいる閉じられた空間がとても苦手です。心臓も苦しくなり、かかか、帰っちゃおうかな・・・と迷い出した時、カウンター越しにアタマを抱えている人に気づきました。
ち、ち、ち、知久さんだっ!!!そしてカウンターの中は向こうよりも少し高いので知久さんの頭頂部がばっちり見えてしまいます・・・。知久さんのアタマがあんなことになっていようとはっ!!!
またまた呆然としている内に「はじめまーす」とおもむろに帽子をかぶった知久さんでした。でもあの時知久さんのアタマと遭遇しなければ「す、すみません、気分が悪いので・・・」とかなんとかいって、帰ってしまった可能性も・・・。
予想出来たことですが、立ち見はとてもつらく、今度は必ず予約をしようと心に決めた私です。(鈴べる)
(寸評) ハゲに救われたね。いやあ本当に知久君がハゲで良かった。ハゲ知久万歳っ! 6ポイント。
はじめてのマルタさん
友人がエコーユナイトの「惑星」をフリーマーケットか何かで見つけてきてくれたのは、2005年の夏でした。
滝本さんがベースを弾いているバンドということで名前は知っていたけど何故か全然興味がなく、友人の部屋にあるエコーユナイトのCDに手を触れたこともなかった私ですが、ふたを開けてみたら可愛くてかっこよくて素敵な世界が待っていたのです。
「このバンドはライブだ!」と燃え上がる私に友人は「解散したよ」と冷たく(1度解散しています)、で、でも、ボーカルの人は歌っているはず・・・とネットカフェで検索、マルタさんのソロライブを見つけました。
とても小さなお店のドアをそっと開けると、中には7~8人の人がおり、1番奥の椅子に座っていた人が顔を上げ、瞬間、私はパニックに襲われました。こ、こ、こ、この人???嘘、写真と全然違うじゃん・・・。更にこちらにやって来て私と並ぶようなかたちになりました。ち、ち、ち、小さい・・・爆笑問題の小さいほうか?
やがて彼を大好きになり、追いかけて必死で走ることになろうとは、その時の私はまだ知りませんでした。(鈴べる)
(寸評) 爆笑問題の小さい方だと思ったことは本人には内緒にしといた方がいいよ。俺からのささやかな助言だ・・・。6ポイント。
初めてのM輪さんの講演会、音楽会そして呪い
10年近く前、M氏(昔銀座に出没した紫のおばけ)の講演会があるという事で、その会場がある大学に通う友人にくっつき、話を聴きに行きました。
それまでにM氏の著書を何冊か読んでいた私は、ファンの部類に入っていたと思います。
講演で話される内容も、著書で読み知った話が多かったのですが、その時の私は、話を聞くほどに(自慢話ばかりじゃないか)と、反感を持ったのです。
原爆も経験されており、逆境をいくつも乗り越えてきた方で、私は尊敬していました。
それなのに講演では、すごく尊大で傲慢で、鼻持ちならない嫌な人に思えて、(聞くに堪えないという意思表示しよう)と、わざと寝たフリをしました。自意識過剰です。
M氏は、「私に対して悪いことをした人は、あとでかならず不幸になってるんですよ」
「例えば、今、私の話を聞かないで寝てる人とか」というような事をおっしゃって。
(なんぼのもんじゃい!)と、その時の私は思ったんですが・・・
数年後そんな事も忘れて、はじめてM氏の音楽会を聴きに行きました(笑)
一曲目で感じ入って涙し、その後も表現力に魅了され、浮世の憂さが浄化される心地でした。
しかしコンサート終了後、これは以前「おバカ」にも投稿したのですが、携帯電話を自宅に忘れ、合流予定だった彼と連絡がとれずに右往左往した末、結局、終電を逃して、見知らぬ土地で悶々と夜を明かすことになったのです。
単に、私の不注意とオツムの足らなさによる失敗だろうと思われるかも知れませんが、私は、一度コンサートで感動させておいて、天国から地獄に突き落とす計画的な呪いだと思います。
Mさんから呪いをかけられるなんて、ちょっとレアですよね。(グミ)
(寸評) Mさん確かに歌は凄い。だけど最近のテレビではちょっと見てられない・・・。気持ち、よく分かります。6ポイント。
初めての珍島
珍島とは、韓国南西部の端にある島で、本土と鉄橋で繋がっています。ソウルからはバスで6時間と、遠いですが、のどかな所で、珍島犬という愛玩犬が名物だそうです。
先日、観光のため、夕方出発のバスで夜10時に訪問しました。
しかし、いざ島を散策しようとすると、思った以上に広い島で、島の中心部以外は山林・畑・民家ばかり。
バスも走ってますが、3時間に1本と、田舎っぷりが際立っていました。
とりあえず、タクシーで季節ごとに引き潮で海に道が開く海岸へ向かいましたが、16キロもある長い道のりでした。しかも、行ってみたものの、シーズンオフ。
なのでしばし周辺を散歩してみると、珍島犬が鎖に繋がれて飼われている家があちこちにありました。見知らぬ人が来たので、吠えて威嚇する犬もいれば、「遊ぼー」と言わんばかりに、跳ね回って喜ぶ犬もいました。
それから、歩いて島の中心部に戻ろうとしましたが、道のりが半端じゃない。タクシーやバスがあるかと思いきや、ほとんどない…。
なので山道を延々3時間、歩くことを余儀なくされました。景色はきれいで、昔ながらの田園の美しさも見れましたが、時たま通り過ぎる車が恨めしかった…。
それでも、タクシーをやっと拾い、市街地に戻れました。運ちゃんは「行きのタクシーに乗った時に、運転手の名刺がダッシュボードにあるから、貰って行けばよかったのに」と言ってましたが。
泊まっている旅館に戻り、テレビをつけてみると、こちらで成人番組専用のチャンネルを初めて見つけました。
しかし、局番が2つあったものの、やってるのはほとんどが日本のばっかり。もちろんこちらのオリジナルもありましたが、明らかに日本のが多く、内容も加藤鷹からSMものまで、多様でした。
こんな物の需要がこの島では高いのか?と思いました。これに触発されたのか、夜10時辺りに、隣の部屋から喘ぎ声が…。(Hi-)
(寸評) その犬聞いたことあるなー。日本でいう秋田犬みたいなものか?
出来れば山で遭難すればポイント高かったのに、惜しいな(笑)。6ポイント。
初めての通訳トライ
先週、民俗村のある韓国のとある地方都市に1人で行った時のことです。
駅前から路線バスに乗っていると、地元の老人や中学生達がたくさん乗ってきましたが、民俗村に近づくにつれ、乗っている人も徐々に減ってきました。振り返ってみると、いつの間にか乗ってるのは自分と、日本人観光客らしき女性が数人のみ。
と、いきなり運ちゃんが信号待ち中に「韓国語ができる方はいらっしゃいますか?」と発言。
とりあえず手を挙げると、「民俗村よりちょっと遠くに別の史跡があるのだが、そこまで行くバスは今日でこれが最後です」と、少し早く発言。
そして、「後ろにいる方々にも説明してあげて下さい」と言われました。
しかるに、あまりに早口だったので、頭の中で日本語に直して伝えるのにちょっと時間がかかりました。とりあえず、何とか要点を絞って説明。
その旅行客の中の1人の女性が、「歩いて行くには近いですか?」と聞いたので、今度は日本語×韓国語の通訳をしました。尋ねる文章が短かったせいもありますが、こっちの方がやりやすかったです。
やっぱ韓国語×日本語には少し慣れたとはいえ、まだ難しい点が多いので。(Hi-)
(寸評) 通訳出来るくらいになったか。やるな! 4ポイント。
初めてのCD紛失&韓国警察にお世話になる
この翌日、別の観光地に行き、快晴日和を満喫。しかし、食事の時に、カバンを開けると…。
CDウォークマンがない!
慌ててゴソゴソと、カバンの隅々から、先程までいた場所を探しましたが、ない…。泊まっていた旅館に忘れたかもしれないと思い、戻ってみましたが、昼間のため、固く門が閉ざされたまま。
止むを得ず、駅前にある交番を訪ね、遺失物申告をしました。これぞこっちに来てから初めて警察を訪ねたことになります。
お巡りさんは外国人登録証とパスポートをコピーし、失くした物と日時、紛失した時の状況を詳しく申告書に書いてくれと言いました。
全てハングルで書きましたが、わからない単語もちょっとあったので、電子辞書を傍らに置いて、10分ほどで書き終わりました。
自分が外国人だと知って、ちょっとお巡りさん方もうまく対応できるかなという表情をしてましたが、ある程度は韓国語ができる相手だということで、少し日本語の挨拶の仕方や芸能などの話題で、若干雰囲気も和みました。
それから、パトカーに乗せられて、泊まっていた旅館に再び行きましたが、あまり韓国語での説明がうまくできず、路地をしばし右往左往。しかも、まだ管理人さんが帰っておらず、閉まったまま。お巡りさんに「説明が下手ですみません…」と言ったら、「いや、外国人でこれ程話せるなら、我々には十分ですよ」と言って くれました。
交番に戻って、「今後、見つかったら連絡するが、連絡がなかったら見つからなかったと考えてください」と言われました。
それにしても、この出来事は心理的にズッシリ来ました。ウォークマンだけでなく、中に1枚、とあるCDを入れたままだったので、それも一緒に紛失してしまったのです。我ながら物への執着心が大きいことに気付かされました。映画などで飛行機の荷物を捨てて、機体を軽くする場面がありますが、そんな状況では自分だったら何を捨てるかで悩んでしまい、墜落してしまうでしょう…。
ウォークマンはまた買うのならともかく、CDは今後、また同じのを買うか、同じのを持ってる方にダビングしてもらうかで、悩みそうです。
ちなみにその後家電屋に行き、「CDウォークマンありますか?」と聞いてみたら、「今はもうMP3だけで、CDウォークマンはありません」とのこと。
買ったCDを直接聞こうという気概があるのは自分だけなのでしょうか…?(Hi-)
(寸評) 確かに最近はCDウォークマン、一気に見かけなくなったね。でもそんな忘れ物でパトカーまで・・・。
韓国人よほど暇!? 6ポイント。
初めての「キレイ!!」
チェンマイ国際空港で、搭乗の手続きを終えたとき。
係員のオッサンがこっちを見てニヤニヤしている。
そして言い放った。
「キレイ!」
即座に
「ミー!?」
と訊き返す。ニヤニヤしたまま頷くオッサン。
お情けや社交辞令で「可愛い」といっていただく事はあるけれど、
「キレイ」なんて言われるのは生まれて初めて。
「サンキュー!」
と言って浮き足立つ私。
『タイ人には、私の薄っぺらな顔がキレイと映るのかしら!』
帰宅してすぐ家族にこれらの出来事を報告した。
してから気づいた。
「あのオッサン、なんで『キレイ』って単語を知ってるんだよ。まさか、来る女性来る女性に『キレイ』とか『ビューティホー』とか言っているんじゃ・・・」
少しでも浮き足たった自分が不憫に思えた。(桃玉)
(寸評)「キレイ」は俺も言われたよ。・・・嘘。
実は「キレイ」はタイ語で「のっぽの~、煙突のような~」の意。
・・・それも嘘。
ヒューヒュー、キレイさんっ! 6ポイント。
初めてのバンコク~チェンマイ
外国で飛行機に乗るのもまた生まれて初めて。フライトアテンダントも勿論みなタイ人。制服や化粧が派手!
自分の席の隣に座ったのがえらく太った白人夫婦で、押しつぶされるよーな気持ちだった。幸い、バンコクからチェンマイまでは一時間半くらいだけれど。
備え付けられたテレビで、安全確認についてVTRが流れる。それも着飾ったタイ人の男女によるもので、言ってる事は恐らく日本のそれと大差ないのだろうけど、新鮮。
離陸して暫くしたら、思いがけず機内食が配られる。日本~バンコク間でけっこうなボリュームな弁当を食べていたので、「まだお腹空いてないよ~」と思って箱を開けてみると、極めて安っぽいプラスチックのケースに入ったミックスジュースと、一口大のパイが入っているだけだった。箱が紫の花柄で豪勢に見えたので拍子抜け。期待通り、そんなに美味しくなかった。
チェンマイに近づき、シートベルト着用サインが点滅。「もうチェンマイか!」と24日間滞在する事になるその街を窓から見下ろす。
・・・田んぼ!!!!
どこをどう見渡しても、田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ。
・・・私はこんな異国の地まで田んぼを見に来たんだっけ・・・
妙な笑いがこみ上げてきた。
チェンマイ国際空港が見えてくるあたりからぐんぐんと都会らしくなり。
想像していたようなチェンマイ市内が見えてきた。(桃玉)
(寸評)ネパールのカトマンズだと、もっと凄いぞ。町が近づいてきても、建物も何もかも土色一色。何も他の色がない。あれは凄かったな~。6ポイント。
初めてのチェンマイ国際空港
搭乗の際に預けていた荷物を受け取り、いざチェンマイ市内へ!・・・とその前に換金をしなけりゃ。換金は私が勝手に「難関」と決め込んでいた。なんとなく、面倒くさそうなんだもん、換金。
換金所が二箇所あって、一箇所に人が列をなしているのでそっちに並ぶと、「どっちでも同じなのに」という声が聞こえ、空いてるほうへ。換金は1分程度で終わった。なんだよ、アッサリじゃないか。
辺りはすっかり夜。エアポートタクシーの受付カウンターで、行き先を告げる。英語で何か説明されるが、何一つわからず、とにかくわかったふりして頷き、その辺にいたた旅慣れていそうな日本人に「タクシー乗り場どこですかね?」と訊く。
教えてもらった方角へ。どんどん人気がなくなり、しかもマシンガンを持った兵士が立っている~~~!!!タクシー乗り場では、運チャンに行き先をなかなか理解してもらえない。滞在地となるゲストハウスの住所は控えてあるのだが、見せてもわかってくれない。ああ、説明したいことが一切英語でできない。バカって大変。
と、突然運ちゃんが
「オー!アラークロード!」
と。どうやら私のメモの綴りが間違っていたみたい・・・。
タクシー発車。陽気な運チャンで、どっから来たの、とか何日間いるの、とか英語で訊いてくる。それくらいならなんとかわかるので、適当に会話している・・・・・と!
「ぞ、ぞう!?」
象!公道を、象が歩いている!
日本じゃまずお目にかかれない光景に完全に子供返りしてしまい、ウキャキャキャとタクシーの中で大はしゃぎ。そんなうちに運チャンはゲストハウスの目の前までちゃーんと送り届けてくれました。
お金を払わず降りそうになりました。慌てさせてごめん、運チャンよ。(桃玉)
(寸評)時々象歩いているんだよね。のら象。塀の上でプースカお昼寝なんかしてることもあるよね。
・・・すいません、また嘘ついてしまいました。6ポイント。
初めての怒鳴り込み
10代の頃友達とまたその友達と、うちのお父さんとその友達とでテツマンしてました。麻雀をはじめたら止まらないわしらは怒涛の勢いで2日連続テツマンに入ったところでした。麻雀に夢中になってると、明け方5時ごろ突然友達のお母さんがものすごい勢いでドアを開けて入ってきたのです。
うちのお父さんに向かって「いい大人が子ども相手に徹夜で麻雀なんてっ!!」とかなり怒ってました。
それに対してお父さんは「徹夜で麻雀くらい大したことないじゃないか。麻雀のなにがいけないんだ」
と言い返していて、さすがお父さん!と尊敬してしまいました。全然悪びれてないお父さんにあきれたのか、今度はその日たまたま来ていた、たぶん誰かの友達であろう劇団員の人にあたりちらしていて、ちょっと運のなかった劇団員はそのまま30分くらい怒られっぱなしでした。あーおもしろかった。(2代目水牛)
(寸評)そうだそうだ、麻雀で徹夜はごくごくノーマルなことだぞ。ピーピー。
ちなみに麻雀小説で有名な阿佐田哲也はもちろん「朝だ、徹夜」から来ている。有名な話だが。7ポイント。
初めて髪の毛が刺さった
何年か前の話です。
友達と出かけたとき、ふと運転中の友達の腕を見ると20cmほどの長さの毛が伸びていました。「な、何それ!!」と言うと、友達もその長い毛に気づき「きゃああああ!!」とパニックになりました。
すぐにその長い毛を抜いたのですが、どうも何かの拍子に友達の髪の毛が腕に刺さったようなのです。
それから何年か過ぎて、自分で切った髪の毛を手で払っていたら手に痛みが走りました。
何かと思って見ると、髪の毛が刺さっているのです!
やはり「ぎゃああああ!!」となりました。
自分の指に毛が刺さっている光景は恐ろしいものでしたが、それを抜くのにも勇気が要りました。抜くときも少し痛かったです・・・
無害だと思っていた髪の毛が刺さったことは、なかなかショックでした。
それ以来、髪の毛を触るときは細心の注意を払っています。 (若様)
(寸評)確か若様は「王様~」で自分が毛深いとおっしゃっていたお方。
朝起きたらその毛が全部体にぶっ刺さっていたら・・・。
ギャーーーーッ!
6ポイント。
初・激烈じんましん
チェンマイにて、ある日膝のあたりにポツポツとじんましんが出ました。私にとってじんましんは日本にいてもさほど珍しい事じゃないので、持ってきたアレルギーの薬を飲んで「ま、そのうち治るでしょ~」くらいの気楽さで就寝。
夜中、また起床。かゆい。なんかボツボツが増えてる。やだな~、と思いつつ再び就寝。
朝。ナ・ナンダコリャ!!!!
まるで、キリンの斑点が赤くなったような密集したじんましんが足の先から膝の辺りまで所狭しと並んでいる。かゆい。かゆいもかゆいが、かゆいを通り越して…痛い。
日本じゃ、じんましんがでたとしても、せいぜい1~2時間で治まるのに、コイツは少しも治る気配ナシ。
初めこそチェンマイに来ている友人たちに「凄いでしょ!」と見せびらかす余裕があったものの、だんだんと「これ、やばいんじゃないか…」と気が気じゃなくなってきた。
しまいには、足全体が熱をもってむくみ、ジンジンする。血液が沸騰しているように熱い!Iさんの部屋でバスタブ(ビニールプール)を借りて水に浸し少し落ち着く。幸いそれを境に回復に向かった。
激しすぎるじんましんは忘れられない旅の思い出となりました!(桃玉)
(寸評)ビニールプールがそんなことに役に立ってたなんて・・・。
俺も子供の頃イカかなんかが当たってじんましんになって、化け物になったことあるなー。あれはかゆ怖かった。6ポイント。
初めての動くシミ
チェンマイで泊まった部屋の天井に、動くシミがありました…
ベッドに入って天井を見ると、何やらジワジワと動く灰色の物体が見えるのです。ナメクジの類の生物かと、恐る恐る顔を近づけるも…シミなんです。ただのシミ。そのシミは数日間私の方に移動してきたり、横に移動したりしていました。途中からは見るのやめて寝ました。
オバケ程じゃないけど、ちと怖かった。(桃玉)
(寸評)シミも退屈だったのかもね。
「毎日同じとこばかりで飽きたわーい!」
と動きまわってたのかもね!
・・・って、怖いじゃないかっ! 6ポイント。
初めての抜歯
数年前、親知らずに虫歯ができてどーにもこーにもいかなくなり、とうとう総合病院にゆくことになりました。
そしていよいよ歯をぬくことに。
しかしここで予想外なことが二つほど起こりました。
まず、なぜか顔に白い布をかぶせられたこと。
そして気がつくと歯はこなごなになっていました。
ぬけなかったのか?ぬけなかったのね。 (あきびん)
(寸評)顔に白い布・・・死者か!?
親知らずは俺もすんごいのが生えて、しかも口の中に出て来ず、顎の骨の中で横向きに生えたらしく、一本抜くのに数人がかりで数時間かかった。まさに歯ではなく、顎の骨の一部を壊している感じだったなー。5ポイント。
初めてのわら人形体験
ある日、左奥の歯がほんのり痛くなりだしました。
ほんのりゆえに、放置してたのですが痛みはどんどん増してゆきました。
そして気づいた時にはすごいことになってました。
なんか、なんにもしてないのに「とんとんとんとん」って言い出して、 まるで釘を連打されてるような気分でした(もちろん痛い)。
なんか、わら人形の気持ちがちょっとだけわかったような気がしました。 (あきびん)
(寸評)でも、もしかしたら口の中にいる孝行息子が「母さんお肩を叩きましょ」ってとんとんしてたのかもよ。5ポイント。
はじめての巻き爪手術
元々両足の親指の爪が巻き爪で、子どもの頃からすぐ化膿して膿んだりしていたのですが、高校3年、受験も間近に控えた初冬のころ、長く化膿し続けひどい状態になってしまったので、ついに切開して手術しましょうということになりました。
これまで、2m級の高さからジャンプして飛び降りても骨折ひとつしたことなかったので、手術と言われても全くピンとこず、麻酔を注射してから切開して巻き爪を切除しますという説明だったのですが、その麻酔をどこにするかを知らされたとき、私の背筋が凍りつきました。爪と指の間に針を刺すと言うではありませんか!
心の準備をする間もなく手術は始まり、あまりの痛さで既に18歳になっているにもかかわらず、痛さで涙が止まりませんでした。
あとで知りましたが、古代の拷問に爪と指の間に針や鋭利な刃物を刺すというものがあって、拷問になるくらいだからそりゃ痛いわぁ~~~と涙目にならずにはいられませんでした。
麻酔のときも痛かったけど、抜糸のときもかなり痛かった・・・。足がしばらく不自由であったので、車通学になるという恩恵にはあずかれましたが、その恩恵も忘れてしまいそうな痛さを経験するハメになろうとは思いませんでした。
この痛い痛いづくしの治療を耐え抜いたのに、巻き爪完全には切除できていなかったらしく、数ヵ月後、本体の爪とは別に、脇っちょの方からにょきっと棒状の爪が生えてきたときには、もうすっかり脱力してしまいましたとさ。
そんなわけで、現在左足の親指の爪は、2ヶ所切らなくてはならないハメになっております・・・。(梅桃ひよ子)
(寸評)うぅ・・・ついてないね。でも俺も巻き爪気味。自分の爪が自分の皮膚を刺してると「おまえ、己の身に何しとるんじゃあぁぁぁっ!」って言いたくなるよね。
痛い話だった。7ポイント。
はじめての義母の質問に対して答えに窮した嫁
大分の知久さんライブに行った帰りに、通り道だからとダンナの実家に寄ったのですが、1泊2日のギチギチスケジュールで疲れてるのに寄るのはちょっと面倒だなぁ~と思いながら、でもスルーするわけにはいかないので寄ったのです。
その時ちょうど義弟夫婦と姪っ子が泊まりに来ていて、普段なら私も子どもが好きなので、姪っ子と遊んだりするのは楽しいのですが、それすら面倒だと思うくらいに疲れていたので、正直いつもシーンと静かな実家が賑やかになるのも若干イヤだなぁと思っていたほどの状態でした。
またその時たまたま姪っ子が手にして遊んでいたのが「まりもっこり」のぬいぐるみ。
何でまた「まりもっこり」やねん・・・義弟のシュミか!?と思っていたらそれを見た義母がひとこと、「これはなんていうぬいぐるみなの?」と聞いてきたのです。そのとき部屋にいたのは義父母とダンナと私と姪っ子と犬。
ダンナは自分の実家のくせに実家では貝のように無口になってしまうので、私が答えるしかない状況。
「・・・ああ・・・まりもっこりっていうんですよ、それ」
普段は下ネタ大好きで所かまわずち●ぽちん●叫ぶ私ですが、さすがにダンナの実家でそのキャラを出すわけにはいきませんので、とりあえず名称だけ答えていたら、
「えー、まりもっこりって言うの!」
ってビックリされちゃって、お願いだからこれ以上は何も聞かないね・・・と思いながら笑顔でやり過ごしておりました。
ゲーセンで取ったか何か知らないが、1歳過ぎたばっかりの娘にんなもん持たすな!!とイライラして余計に疲れてしまった私なのでありました。(梅桃ひよ子)
(寸評)沖縄で「ちんこすこう君」というのもあるらしいね。あと秋田の「きりたんぽ」ならぬ「きりちんぽ」は発売中止になったらしい。本当の話。6ポイント。
初めての日本国脱出
「外国なんてCGかもしれない」
こんな思想をもった私が遂に日本国以外の国へ行くこととなったのです。
行き先は日本国から毛の生えた程度の位置にある台湾という国。
我々は成田空港に着いても気安く騙されるものかと身構え、パスポートなんていういかにも騙されそうなアイテムにも気を許さず、いざ飛行機に乗り込み離陸。
こんな猜疑心の塊思想を持った我等でも「カタコトで喋るキャビンアテンダント」「酷く恐ろしい空中揺れ感」「明らかに飛んでどこかに移動している風景」に、これは本当に日本国から出ようとしているのかもしれない!!
と一瞬ウカレルのですが、いやいやちょっとまてよ。
もしかしたら散々飛んだ挙句に「国家機密施設・埼玉県台湾村」に連れていかれるかもしれない、と再度気を引き締めるのでありました。
機内で蜂の映画なんかを観ているとあっという間に台湾「らしい」場所へ着陸。
どうだ、本物か見てやるぞと意気揚々と空港内に降り立つと・・・・・
か、か、看板が一切何書いてあるんだかわからない・・・・・・・。
みんなが何言ってるんだか分からない。トラブルがあってもどう聞いてどう理解すればいいのかも分からない。分からない。分からない。
こりゃ、本当に海外だ!!!!!
この絶妙なリアル感はなんとか村では表現できぬ未踏の地のバランス感!!
ああ、本当に私は外国へやってきたのだ。
海外の話を聞かせてくれるお友達の話も、世界ふしぎ発見のお話も陰謀でも策略でもインチキでもなく本物だったのだ。
現地係り員の親切だけど喋りすぎるおじさんと一緒に遂に空港外へ。
そこには・・・・・・静岡県のような風景が!!!!!!
係員のおやじは美空ひばりの話をやめないし、景色は静岡だし、一転、私の頭は混乱しましたが、ええ、今はちゃんと言えます。
外国は本当にあったよ!!!!!!!!(ことり)
(寸評)台湾が「国」かどうかは大変難しい問題だが、とにかくあったでしょ。ね~っ!
俺も新婚旅行で初めて香港に行くまでは「まじかよっ!?」と疑っていたのだが、日本では到底再現出来ない無勝手無軌道喧噪状態の町を見て「こりゃ、本物ばーい!」と思ったんだよなぁ。懐かしい。今度一緒にどこかに行こうねっ! 5ポイント。
初めてのドームの一番後ろの席(前編)
私は「たま」以外に、Jのつく有名芸能事務所のグループSに入れ込んでいるのだが、そのコンサートでの初体験を報告する。
数年前、北海道にもついにドームができた。札幌ドームだ。
アイドルグループSはここで今も毎年夏にライブを行うし、私は毎年それを観に出かけている。ドームとなると5~6万人もの観客を収容できるため、チケットが落選する、ということはめったにないのだが、いかんせん席の良し悪しは「運」でしかない。(ダフ屋に高額なお金を支払って良席を手に入れるのは別)
しかし、数年前、そのドームでの初めてのライブで、見事に一番後ろの席を当てた。いや、振り分けられた。
確率的には最前列の席を当てるのと同じぐらいのものだろうか。5万人も6万人も入るドームの一番後ろの席のせつなさを想像できるだろうか。
何も見えん。わははは!何も見えないのである。アイドルグループSの大きさは、もはや米か砂か塵並みであった。
望遠鏡を使っても誰が誰なのか判別不可能。音もちっせえちっせえ・・・。というかドームがでかすぎて、音速ってけっこう遅いのねーということまで実感できる。アリーナ席の反応と私のいる席の反応の時間差が数秒あるのだ。
アリーナ席の客と私の周囲の席の客のテンションも明らかに違う。
唯一いいところを無理して挙げるなら、ステージ全体を見渡せるのでSのメンバーがどこにいるのかがリアルタイムでわかるぐらいであった。(その誰が、となると小さすぎて見えないためわからんが)
なんですか、このコンサートは。プンプン!怒っちゃうわよ!っていうか私の周囲の客なんか熱狂するっていうよりまったりしちゃってるじゃないの!
帰り際、同行した友達と「だからドームは嫌だっつってんのよねーー!!」などと文句たらたらで帰路についたのであった。
しかし、その翌年、真逆の初体験が待っていたことを、私達は知る由もなかった。後半へ続く。 (さっちゃん)
(寸評)あぁ、音速からすると明らかにドームの大きさじゃタイムラグがあるよね。ドームライブとは音楽を聞きに行くところじゃなくて、なんか微妙に別なものだよね。本人の存在確認とかね。5ポイント。
初めてのドームの一番前の席(後編)
その翌年、再び札幌ドームでアイドルグループSのライブが行われた。
昨年は魔の最後尾席を奇跡的に当てた私と友人達にはもう怖いものなどなかった。砂でも塵でも観にいってやるよーおらおら~!とまたチケットを申し込んだのである。ちなみにドームの席はブロックごとに分けられており、チケットの番号が若ければ最前列というわけではないため、当日、現場に着いてみないと、正確な席の位置はわからない。
それは忘れもしない2002年の出来事であった。去年とは違い「アリーナ席」のチケットを確保した私と友人達は「アリーナで見られるのだから少なくとも砂ではない。米でもないだろう。悪くてせいぜい豆か。」などと話しながらドームまで出かけていった。ドームに着き、中に入り、席を探した。
おお?ずいぶん前だな。・・・んん!?
わきゃーーー!!!!!!!自分たちの席を確認し、私達は狂喜乱舞。なんと、ステージのさ・最前列!!神様、サンキュー!!!
そこからはもうとにかく素晴らしい眺めだった。豆どころか、衣装の生地がパイル地で、ややほころんでいたことまでわかるぐらいの近さだったのだ。
去年のあれは一体何だったのだ!それにしても猛烈に近い!近すぎるぞ!アイドルグループSとの距離は実に3メートルもなく、なんと視線まで合わせてくれたではないか!これは誰に言っても“嘘だろー”と言われるのだが、その証拠に私達4人がメンバー5人のうちの4人のうちわを持っており、4人がそれぞれのうちわを持っている人に視線を合わせてくれ、唯一誰もうちわを持っていなかったIだけが、誰とも視線を合わせてくれなかった。ものすごく気まずかった。しかし、この気まずささえもこんな席にいない限り体験できるものではない。非常に貴重な経験となった。
そんなこんなで最後尾席から最前列まで一気にランクアップしてしまったお話はこれにて終了! (さっちゃん)
(寸評)俺のライブならいつでも最前列で見れるぞ。ひゃっほーっ! 5ポイント。
初めての成田空港~バンコク空港
成田空港に行くのも生まれて初めて。やたら高い天井から布が垂れ下がっていて、近代的な作り。田舎くさい空港を想像していたので、なんだか感心。
にしても、外人が多い!それもそのはず、成田空港には海外から日本にやってきた外国人も沢山いるのだ。それに気づくまで少々時間がかかったけれど…。
乗り継ぎまでに時間が少しあったので、外国人向けのみやげ物やを覗いてみた。そこで目に付いた北斎の絵がプリントされた豆絞りを購入。レジで「THANK YOU.」と言われる。「オイオイ、私のどこが外人に見えるんだい!?」と可笑しさがこみあげるが、そうか。黄色人種は例え外人でも区別つかないもんね…。
飛行機は成田からバンコク。6時間以上乗っていなけりゃならないという。考えただけで辟易!しかも「アルコール飲んだら具合悪くなるよ」という話も聞いてたので、「酔うよりは飲まない!」と決意していた。しかし。飛行機で真っ先に配られたもの、それは『おつまみ』。私の決意は砂の城よりもあっけなく壊れ、気づいたらビール飲んでました。
幸い酔うこともなく「間もなくバンコク」というアナウンスで目が覚めるまで熟睡。慌てて窓の外を見たら、異国だった。建物や生えている植物は慣れ親しんだ日本のものと違ってひどくヘンテコに見えた。それまで「外国なんかに本当に着けるのだろーか?」と思っていたが、「なんだ、以外とアッサリつけるじゃない!」と思ったのでした。(桃玉)
(寸評)まぁ豆絞り買うのはほぼ外国人だからな・・・。5ポイント。
初めてのバンコク空港
バンコク空港に着くと、完全に外国だった。サリーを来てるインド人女性、でっぷりと肥えた白人男性、けたたましく喋る家族連れの中国人…と人種のるつぼ!
「外人だらけ!」と思う自分も外人だという事に、この時は気づかず。空港は驚くほど近代的なつくり。目の前にある不慣れな光景に暫し見入ってしまった。
チェンマイ行きの飛行機に乗り換えしなくてはならない。少し慌てて、乗り場を探そうと歩く。「どれ、ゲートはどこだ」と航空券を見るも書いていない。
そういえば、日本で航空券を渡された時には「ゲートは案内されますから」と言っていたはず…まさか機内で熟睡したせいで聞き逃したんだろうか。やばいやばいやばい。
すっかり迷子の心境になるが、航空券に書いてある飛行機の番号を頼りに電光掲示板で探す。…わからない。冷静さを欠いてるうえに、電光掲示板の表示が英語のみなので、探しにくいったらない。
焦りは増す一方で埒があかないので、案内のお姉さんに泣きつくことにした。「ここでも英語で案内されるんじゃ!」と不安になったが、航空券にゲート番号を記入してくれたので会話は一切必要なかった。私のような迷子観光客の対応は日常茶飯事に違いない。
そのゲートへ向かう入り口で入国審査が。西原理恵子さんのマンガで、旅の目的を訊かれたら「斎藤寝具(サイトシーイング:観光)」と答えればいいという事だけ知ってた。しかしそれすら使うことなく、だるそうな係員のにーちゃんはいともアッサリ通してくれた。
チェンマイ行きの飛行機のゲートに無事到着。やれやれと腰をおろすと、そこには日本人の団体が!私の隣には京都から来たという元気な初老の女性。関西人もかなり多く、大阪弁が飛び交っていて、先ほどまでの不安な思いは途端にどこかに行ってしまった。(桃玉)
(寸評)まぁちょっとあたりを見渡せば、外国といってもよほどマイナーな土地でない限りどこでも日本人はいるんだよね。慌ててる時はなかなか目に入らないんだけどね。
でも韓国人や香港人も外見似ているので、いやが上にも「あぁ、日本ってアジアの一員なんだな」と気づかされるよね。5ポイント。
初めての中耳炎と海外病院初体験
2月にタイのチェンマイに行ったとき、生まれて初めて中耳炎になりました。
旅客機が着陸のため高度を落とすときに、気圧の変化に左耳が対応しきれずに馬鹿になり、物音がモワーっとフィルターがかかって正常よりも小さい音でしか聴こえなくなってしまったのです。水泳時に水が耳に入って聴こえが悪くなる状態に似ていました。
「これはまずい、これから石川さんたちに会うのにどうしよう」内心ドキドキでした。
とりあえず様子を見て悪くなったら病院に行けばいいやと気持ちを切り替え、空港からゲストハウスに向かいました。余計な心配をかけるとまずいので、石川さんたちとお会いしたときはこのことは黙っていました。幸いなことにお昼ごはんを食べてタイマッサージ屋に行く頃には症状はよくなり、耳はよく聴こえるようになりました。
あっという間にチェンマイの休日が終りバンコクに旅立つ日がきました。チェンマイからバンコクまで飛行機に乗りました。そこでまたしても起こってしまったのです、突発性難聴が。バンコクに到着すると、前回よりももっとひどい状態になってしまいました。チェンマイのときは数時間で快復したのに今度は一晩経ってもいっこうによくなりません。私は心配になってホテルの近所にあるバムルンラード国際病院に行くことにしました。ここはバンコクでもっとも大きな私立の総合病院です。
建物の6階にある耳鼻科の受付に行き、まず係りの人に英語で症状を伝えます。すると「カルテを作るので名前と住所を書いてください」と言われました。それが終わるとすぐに看護師さんがやってきて身長と体重の計測、血圧の測定をしました。待合室に戻ると今度は日本語を話す女性職員が現れて、支払い方法に関しての説明を始めました。
「クレジットカードの海外障害保険も会社の社会保険も使えます。診断書を出すので日本で関係機関に提出してください。お金がバックされます。ただここでは実費がかかるのでご承知ください」などと流暢な日本語で話してくれました。ここまでまったく無駄のないテキパキとした見事な対応でした。やたらと待たされる日本の病院とは違い、こちらでは効率的に診療しているみたいだと感心しました。
そしてまもなくその女性職員に誘導されて治療室に入り、診察を受けました。お医者さんは30代の若い男性で物腰の柔らかそうな人でした。かくかくしかじかと状況を説明すると、その女性職員は私の言葉をタイ語に訳して医師に伝えます。「では診てみましょう」と医師が言い耳の中を見ると、すぐに「中耳炎です」と診断しました。
「薬を出しますので飲んでください。(・・・)1週間くらいですぐに治りますよ。(・・・)すぐには飛行機には乗らないでください。(・・・)え?明日、日本に帰るんですか?(・・・)あ、だいじょうぶです。飛行機の離着陸のときはガムをよく噛んで唾を飲み込んでください。(・・・)ではごきげんよう」と医師はつづけて言いました。最後にその医師は握手を求めてきました。私たちは握手しました。日本の病院で医師と握手したことなど一度もありません!国民性の違いなのかな、と思ったりしました。結局診察はすぐに終り、薬局で薬をもらった後に支払いをして帰りました。2300バーツくらいかかりました。
翌日日本に帰国したのですが飛行機に乗ったせいでまたまた中耳炎は悪化し、さらに聴力が落ちてしまいました。3日経ってもまったくよくならないので今度は日本の耳鼻科に行き診療してもらいました。鼓膜に麻酔をしてメスで小さな穴をあけ中耳にたまった膿を出すというプチ手術をして1週間後なんとか治りました。あのバムルンラード病院での体験はなんだったんだ、とトホホな気持ちになったしだいです(爆笑)。まぁ治ってよかったですが。
という私の生まれて初めての中耳炎&海外病院初体験の一幕でした。 (波照間エロマンガ島)
(寸評)うわあ、そんなひどいことになることもあるんだねぇ。そういえばメキシコで義妹が医者にかかった時も医者は付き添いの僕らに握手を求めて来たな。
あれは
「直してないんだけどさぁ、よろしくねっ!」
という意味だったのだろうか・・・。7ポイント。
初めての大地震
少し暗い話になってしまいますが・・・忘れもしない2004年10月23日。新潟県中越地震です。
地震が起きた時、私は自分の部屋(2階)からおりてくる途中で始めは揺れに気付かなかったんですが…
あれ?なんか揺れてるような…と思ったら、茶の間に居たおねーちゃんの「揺れてる??地震?!」との声に、ああやっぱり揺れてるんだ、と階段をおりきると物凄く揺れている事がわかり、こわくてどうしようもなくてとりあえず台所のテーブルの下にもぐりました。
食器たちがかたかた音をたてていて、その音が凄くこわくて…家が崩れるんじゃないかと思い半泣き状態。頭の中がパニックになり、逃げる事も何もできず、ただただうずくまって震えてました。
追いうちをかけるように、その後の何度もの余震…もう、いつ揺れがくるか不安で不安で夜も眠れないくらいでした。
幸い自分の住んでる辺りはそれほど大きな被害は無かったものの、あんなに大きな地震を体験したのは初めてだったので軽くトラウマになってます。。。
小さな地震でも物凄くこわくなるし、何かの振動で部屋のものがカタカタいうとびくっとなってしまうし、大型トラックが家の近くを通って家が揺れる(古い家なので…)のも恐いです。あの地震の後は毎日ヘリコプターが飛んでいたのでヘリコプターの音も苦手になりました。
そしてそのすぐ後には中越沖地震が起きるし…しばらく大きな地震は来ないと思っていたのに。
自然は素晴らしいけれど恐ろしいものでもありますね。。
ちょっとこわかった初体験のお話でした。(ななを★)
(寸評)俺は幸いにも大地震の経験はないんだけど、あれは怖いだろうね。どこまで大きくなるか分からないし、予測も出来ないし、逃げる場所もないし。なんせ大地自体が揺れてるんだからね。
日本が「世界の危険地帯」で安全度が必ずしも高くないのは、地震大国というのもあるらしいね。5ポイント。
初めてのチケット代行
二年前、Jのつく有名な芸能事務所のアイドルの舞台がどーーーーーーーーーーーーーーーーしても死ぬほど見たくて、初めてチケット代行というものを頼んでみた。
というのも、誰でも知っている有名なアイドルの舞台は、その有名度とはどう考えても比率の合わない小さな劇場での公演だった。
会場、ちっさ!一回の舞台でせいぜい200人入るかぐらいの規模。毎年ドームを満員にするアイドルグループSのメンバーで、しかも6年ぶりの舞台。普通にチケットを手に入れられる状態ではないことを、私は本能的に察知した。
元来、欲しいものは己の努力で何でも手に入れてきた私は、金ならあるのさ、ふっふっふ・・・と意味深な笑みを浮かべ、ネットでチケット代行会社を洗いざらい調べ上げた。中には前金を要求する会社もあり、しかもその前金にランクまであり(前金の金額が高い人から優先的にチケットが手に入るしくみ)、ふっふっふ・・・・・と冷静を装いつつ、いくらなんでもこんな金額出せるかボケッ!うわーーん!!(号泣)と狼狽しつつも、いくつか手の届きそうなところに申し込んだ。
結局、念には念を・・・と7~8社ほど申し込んだ末、奇跡の一社のみ当選。むごーーーー!!と狂喜乱舞し、私は定額の○倍の値段でチケットを購入。舞台を見ることができた。しかしそんな○倍の値段でも、劇場の一番後ろの列。前の席には一体どんな輩がいるのか。
世の中は結局金だと実感した初体験でした。
ちなみにかなり金額的には痛かったが、○倍の値段で観にいっても正解だった、というぐらい素晴らしい舞台でした。 (さっちゃん)
(寸評)sではないがJの人たちとは意外と俺って共演してるんだよねー。なんでそんな人生になったんだ??? 6ポイント。
初めての片側顔面麻痺
去年のある夜、眠りにつこうという時に左耳が痛くなりました。
飛行機に乗って耳が圧迫された時、耳抜きをしないと強烈に痛くなりますが、 その痛みに似ていたので、鼻をつまんで何度も耳抜きを試みました。
しかし、痛みは一向に和らぐ気配がなく、結局朝方まで寝付けませんでした。
朝起きるとだいぶ楽になっていて、ほっとして歯磨きを終え、うがいをしたのですが、何気無しにうがいを始めたところ、唇の端からピュッ、ピュッと水がこぼれました。
(だらしないなあ)と思い、もう一度口を引き締め(たつもりで)、“ぐちゅぐちゅ・・・”
この最初の“ぐ”の段階でやはり水が吹き出すので、仕方なく手で押さえてやりました。
ようやく何かオカシイという事に気付きましたが、まさか顔面麻痺とはつゆ知らず。
翌日明らかに顔が歪んでいて、初めて驚いて病院に行った訳です。
顔面神経が炎症を起こしているだとか、その周りの炎症で神経が圧迫されているだとか詳しい事は忘れましたが、そこに至る原因はストレス等一概には言えないということでした。
「もしかしたら後遺症が残るかも」と医者に言われましたが、可能性は低いという事と、原因と治療法がわかった事で、私は安心したのですが、代わり心配したのは、両親です。
確かに、顔面に表れる影響は、当初私が考えていたよりもひどく、特に笑うと、顔のバランスがガクッと崩れ、「貞子」よりある意味怖かったです。
普通に話していても、笑った瞬間、家族の顔が固まるのが分かりました。
結局、二ヶ月ほどで完治して、ただでさえ婚期が遅れている娘の顔面崩壊で、口にはせずとも「もう嫁の貰い手が…」と本気で悩んで居そうだった両親を、とりあえず安心させられて、良かったです。
ちなみに改善には、抗生物質を飲む他に、マッサージ等、動かした方が良いそうです。(グミ)
(寸評)俺の知り合いでも何人か顔面麻痺になった人いたな。女の子で一年ぐらい直らない子がいてちょっと可哀想だったな。二ヶ月でまぁ良かったね! 7ポイント。
初めての名刺作り
最近、知らない方にお会いする機会がいきなり増えたので、礼儀というよりかは、ある程度相手に名前なり連絡先なり肩書きなりを覚えてもらう手段として名刺を作りました。
私は普段はしがない看護師をしていますが、名刺を渡す相手はお店のオーナー、ライブハウスのブッキングマネージャー、CD屋さんの店長、劇場のスタッフ、演出家、ミュージシャン・・・・・もうおわかりでしょう。
私の名刺の肩書きは「パスカルズを北海道に呼ぶ企画・管理人」です。
急な出世ですが、以後よろしくお願い申し上げます(さっちゃん)
(寸評)いよっ! がんばってくれてるみたいだね。成功を祈ってるぞっ! 7ポイント。
初めての幽霊
えーと初体験とは言ってももう10年以上経っているのですけれど。。。
初めてはっきり幽霊をみたことです。
私の通っていた専門学校は新築でとても綺麗なところだったのですがある日友人とトイレにつれションに行きました。(乙女が使う言葉じゃないですね、乙女じゃないけど。。。)
私は用がないので鏡に向かって手を洗っていたら他のクラスの生徒と思しき人物がバーンと凄い勢いでドアをあけて入ってきて私の後ろを通りすぎていきました、荷物を手に持っていたのが見えたので私はあーあ、知らない子でも言ってくれれば荷物の番してあげたのに!と、思ってました。
そしたらトイレに入ってた友人が、ますちゃん今のなに?って。。。
なに?って誰か入ってきただけだよ?といったら出てきて、 それじゃどこにいるの?って、
密室にある3つしかないトイレのひとつには私の友人が出てきたとこなのでカラ、他の2つもなぜかカラなのでした。
びっくりしてきゃー!と言いそうになったら友人がますちゃん私といるとこういうの見えやすくなるけど怖がっちゃだめだよ。 と、言ってくれました。友人はトイレに入っていたけどちゃんと変なのが来たな!と感じたのです。
これが私のはっきり見た幽霊初体験でした。この後この友人にはいろいろ見せてもらいましたぜ、げっへっへ。(悪商人風) ますちゃん
(寸評)そのいろいろも聞きたいな~。
俺も結構見たり聞いたりも実は多いんだよね。一例は俺の「たま船」で。
ま、でも年取るとあっちの世界もだんだん身近になってくるのでそんなに怖くはなくなっちゃったけどね・・・。6ポイント。
初めての東京ライブ
「王様」の柳原さんの話題にも書きましたが、1月に初めて一人で東京に行きました。柳原さんに会いに行く為に!大好きな七尾旅人さんにも!大好きな人が二人いっぺんに観れるなんてめったに無いかも…!偶然仕事も休みになったし…!!ということで。
行くのを決めたのはライブの一週間程前でしたが、新潟から一人で県外にでるのは初めてなので、不安で眠れない日々が続いておりました。
東京は中学の修学旅行で行った事があるくらいで、しかもその時はグループ行動。私は今自分がどこにいるのかもわからずにグループの皆について行くのに精一杯で、何してたかよく覚えてません。。。
けど東京駅のレトロな外観はとっても素敵で覚えていたので、写真撮りまくりました。ライブハウスの場所もすぐわかり、無事にライブも観れてとっても幸せでした!
しかし帰りはかなり焦りました…。予約していた高速バスの乗り場がわからず軽く迷ってしまったのです。次の日は仕事。バスに乗れなかったら帰れない…!知り合いも誰もいない地でひとりぼっち…!やばい!
勘で、多分こっちは違う!と引き返し、地図をよ~~く見直して、無事乗り場に辿り着きバスに乗って帰れたのでした。あぁ良かった。ほとんど眠れませんでしたが。
ライブは良いものですね!引き籠もりで鬱気味な自分ですが、これからは積極的にライブに出掛けようと思いました!一人でこわかったけど行って良かったです。(ななを★)
(寸評)そうそう、CDやDVDならいざとなれば後で何とか手に入るけど、ライブはまさに一回こっきりだからね。例え同じミュージシャンのライブでも、20代で見るのと40代で見るのは、やってる方も見る方も変わるからね。
ライブに使うお金は決して自分を育てる為にも無駄金にはならないと思うよ! 7ポイント。
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