ドキドキドキリコ初体験(53)
初めてのカルピス放出事件
小学校3年生の時でした。
自宅付近の道をてくてくと歩いていたら、軽トラックからおじさんが
「道が分からないから案内してくれないかな~」
と声をかけてきました。
普通ならそこで断るなり逃げるなりするモノですが、アホな上に好奇心だけは人一倍ときてるのでホイホイついて行ってしまったのです。
案の定トラックはだんだん違う道を走って、人っ子ひとり通らないんじゃないかという山道に到達すると、トラックはそこで止まって、私はおじさんに後ろの幌付き荷台へ移るようにうながされました。
そこで初めて、私はヤバイ空気を察しましたが、もう後の祭り。
おじさんは荷台に入ると、やおらズボンを脱いで一物を出し、シコシコシコシコシコシコ・・・っと始め出した!!
やっぱりアホな私は逃げもせず、怖さ半分好奇心半分でその行為をじーっと見ているだけ。
しばらくしてその一物から何かが(その時は当然それが何かわからなかったので)飛び出したあとおじさんが一言
「カルピスなめる?」
と私にたずねたので、
”バカヤロー、そんなチンチンから出たものなめられるかー!!”
などと思いながら黙って首を横に振った私にその後何かやらかしたかというと、どうもそれだけで満足したらしく、私には指一本触れることなく、再び運転席に戻って車はもと来た道を戻り、私を乗せた場所で止まると、そこで私を降ろし、何事もなかったかのように立ち去ってしまいました。
そんなわけで、別に私が何をされたでもなかったことからトラウマになるでもなし、
「へー、男ってあんなとこからカルピス(くどいようだがそのときは正体を知らないので)出すんだー」
くらいの余計な知識を蓄積させただけの結果となり、その程度で騒がれるのも嫌だったので親にも言わず、成人して酒の肴になるまでは誰一人あずかり知らぬ事件となったのです。
かなり早い段階で「オトナの現実」を知らされた私が、トラウマにならないどころかその後下ネタ大好き女に成長していったことは言うまでもございません。
今でも幌付きトラックを見ると、「初カルピス」のことをふっと思い出します。 (梅桃ひよ子)
(寸評)カルピスのメーカーの人たちは本当大変なんだよ。出社したと同時にシコシコシコの毎日・・・。
とにかくトラウマにならなくて良かったな!
むしろメスネコにっ! きゃはっ!
そのおじさんも今じゃカルピス製造もきっとなかなかままならない年になったんでしょうな・・・。8ポイント。
初めてのきんたま
わたしはずっときんたまに憧れていました。なんだか不思議なものだなぁ、と思って、憧れていたんです。周りに気持ちが通じたのでしょうか、なぜか、「きんたまゆらさん」と呼ばれるようになり、(きんたまないのにな・・)と思いつつ、なんともならぬ微妙な気持ちでエヘヘとか、無駄な愛想笑いを浮かべたりしていました。
あるとき、股の間に痛みが。触ってみると、きんたまチックなものが!股の皮に内包されているものの、これはきんたまだ!と思って、わたしは大喜び。場所的に、それは完全にきんたまでした。最初はちょっと小さめないでたちでしたが、それはどんどん成長してゆくのでした。どんどん肥大してゆくきんたまに、喜びを通り越して驚きすら覚えました。
しかし、時間が経つにつれて、正常な感覚が生まれてきました。きんたまが生えるっておかしくないか?だっておかしいだろう、きんたまが生えるなんて。でも本物だったらどれだけいいだろう!あまりに不思議な存在と化した・わたしのきんたまについて、さまざまな思惑・不安が募り、「これは本物のきんたまなのか?」の、答えを求め、ワクワクドキドキソワソワと病院に行ったんです。
お医者さんは、即、「良性の腫瘍ですね。」と、一言。えー。
疲れがたまると出来るものらしいです。きんたま。女性にきんたまが生えたときはなんかの危険のサインです。見逃さないようにして下さい!!わたしといえば、くやしいので、絶賛育て中です! (まゆら)
(寸評)う~む、いつか夢をかなえてあげたいなぁ。オカマで取っちゃう人のを移植とか出来ないのかな。
確かにきんたまはとてもいいものだからな。特に風呂上がりで裸で家の中などを歩くと、揺れるきんたまがペシペシと太ももに当たる時など「うわぁ、ほんっとに、きんたまあってよかったな~」と思うからな。
まゆらの夢がいつかかないますよーに! 8ポイント。
初めての救命
弟の命を救ったと言っても、過言ではない体験です。
幼い頃住んでいた家の側に、幅・深さとも1m以上ある溝があり、時々金属の柵を乗り越え中に入って遊んでいました。
靴の底が濡れる程度の水量で、足がつるつる滑るのがまた楽しかった記憶があります。
その日も親の目を盗み遊ぼうとして、弟が先に下に降りた瞬間でした。
あんなに私の反射神経(と言って良いのでしょうか)が鋭かった事は、後にも先にもありません。 頭で考える前に体が動いた自分を誉めてやりたいです。
いつもより多い水流(と言っても足首以下だと思いますが)に足を取られた弟の手をとっさに掴んだ私ですが、私の力では傾いた弟を引き戻す事は出来ません。
さすがに弟の命の危機を目の前にして、怒られるのが嫌だとか考えている暇は無く、大声で助けを呼び、家から父が飛んで来て事なきを得ました。
溝は、軽く傾斜しすぐ目の前で地下に続いていたので、私が手を掴んでいなければ死んでいた可能性が高いと思います。
ただ、弟をその遊びに誘ったのがそもそも私なので、えばれる話ではないんですが…。
私のせいで弟が死ななくて、本当に良かった!(グミ)
(寸評)おー、それは危機一髪だったな。
俺は小学校低学年の頃、親にまだよちよち歩きだった三男が外で遊んでいるのを「見てて」と言われて、しばらくして三男がドブ川にドブンと落ちたのを、言われた通りにただボーッと「見てた」そうだ・・・。6ポイント。
初めての視線
空港到着ロビーのトイレでいそいそとメイク中、後から来た人が私から1つ空けた鏡の前に立ちました。
特に気に留めずにいると、ふと視線を感じました。
鏡の中で目が合いすぐに私の方から反しましたが、執拗な視線に再び見ると、何か異様で、思わず直接見てしまいました。
微かに笑みが浮かんでいるような表情なので、化粧をしている事を笑われたのかと一瞬思いましたが、嘲笑のニュアンスはなく何かジットリと不気味で、底知れない怖さがありました。
刺激しない方が良いと思い、激しい動揺を隠しましたが、彼女はただ鏡越しや直接にじっと私から目を離さないのです!
「誰か入ってきて!」と心の中で叫びながら、超高速でファンデーションを塗り終えると(早く逃げて)、外へ飛び出しました。
パッと見た感じは、ショートの明るい茶髪で、普通の若い女性に見えたのですが…。
異様さに気付いた時、足の裏から頭の先まで一瞬で鳥肌が立ち、髪の毛がゾワゾワと逆立つような感じがしました。
「怒髪天を突く」は「あり得ない話ではないな!」と、思わされた体験です。(グミ)
(寸評)ただ鏡に付いた虫かなんかを見てただけだったりして・・・。5ポイント。
初めての染髪
今までずっと髪型は坊主で通してきましたが、この冬から髪の毛が茶色くなっています! といっても、自費ではありません。自費ではそんなことはしません。友人が、提案し、総計3000円ほど出してくれた上での実行です。
まず、ブリーチなるクリーム状のモノで髪の毛を脱色・染色するのですが、これが何ともヒリヒリするんですね。というのも、原材料がもともとは劇薬だそうで、まかり間違って目に染みこんだりしたらエラいことになるのだそうです。
ブリーチを髪の毛に塗ってから一定時間の後、洗い流し、鏡の前に立ってみたところ、見事なまでに真っ茶色になった髪の毛がそこにありました。
また、友人はワックスなるものも買ってくれ、これで色々試してみろとのことでした。これさえあれば、ベッカムヘアーもオールバックも思いのままなのだそうです。せっかくなので色々試してみましたが、今のところ「これだっ!」という髪型には巡り会えていません。
余談ですが、この後実家に帰ったところ、家族に「おぉ~」と変な関心をされながら「髪はあるうちに遊んでおけよ」という励ましを頂きました。理解のある家族でよかったです。(たちつ亭と~助)
(寸評)「髪はあるうちに遊んでおけよ」はいい言葉だな。俺がするなら一気にレインボウとかかな。5ポイント。
初めてのパチンコ
最近、友人二名がパチンコに凝っているらしく、先日、学校が終わった後に誘われました。僕はそれほど興味があったわけではありませんが、せっかくなのでとやってみることにしました。
パチンコ店に入って最初に感じたことは、「やかましい!」でした。カラオケも段々とやかましくなりますが、パチンコ店の場合は四六時中やかましいので、やってきた友人らと会話をするのも一苦労です。
友人らは「この間の負けを取り戻すぞ!」と躍起になり、7000円をそれぞれ持ってきていました。貧乏な僕にはそれは一週間分の生活費に相当します。僕の持ち金はというと、1500円しか無く、友人らには「それだけでパチンコが出来るか~!」と散々突っ込まれました。
また、台探しをしているときも、大当たりが何回出ただとか、確変が何回出たというのがいちいち表示されており、そういうのでどの台を選ぶのかが決まってくるんだなあとぼんやり思いました。ちなみに、僕は未だに「確変」というものがどういうものなのかが分かりません。
適当に台を選び、1000円札を入れると、玉がジャラジャラと大量に出てきます。しかし、僕は玉が全部出てきてから弾くのだなと思っていたため、みるみるうちに玉が溢れ出し、何個か床に落っこちてしまいました。そこで僕は慌てて玉を弾き始めましたが、結局落っこちたうちの何個かは行方不明となってしまいました。トホホ…。
パチンコは悪い意味で着々と進み、気が付くと溢れんばかりの玉と残りの五百円玉はあっという間に消え去っていました。
「やっぱり、そうだよな…1500円じゃ勝てるはず無いよな……」
と、半分落ち込みながら一人の友人の席の隣を陣取り、その成り行きを見守ることにしました。
こちらもやはり着々と進んでいましたが、何回かリーチがかかりました。時には二回連続でかかった時もあり、
「おお! いよいよ大当たりか!?」
と胸躍らせて見守っていましたが、結局どちらも外れ、友人の顔が若干殺気立っていました。
結局、その後何も起こらず、あっという間に7000円はすっかり無くなってしまいました。パチスロをやっていたもう一人の友人も同じらしく、三人揃って完敗したことになります。僕は1500円なのでそれほどの損失ではありませんが、7000円が無くなった友人二名の心境となると…僕より悲惨であることは容易に想像がつきます。
帰り道、「もうあそこのパチンコ店には行かねえ!」「取り返すつもりがまた奪われた…」などと喋っていましたが、三者三様、心の内で考えてたことは多分一致していたと思います。
「明日から、生活どうしよう……」(たちつ亭と~助)
(寸評)俺はパチンコやらないなー。もちろん若い時何回かやったことあるが、機械相手には一切ギャンブル運がないのが分かったからなー。
俺のミュージシャン友達も最近「仕事行って来る」と言ってパチスロで5万負けて青くなってる奴いたなぁ。6ポイント。
初めての泥酔及び二日酔い
大分前になりますが、祖母が亡くなり、お通夜がセレモニーホールにて執り行われました。そこでのお話しです。
時刻は夜八時半。そろそろお通夜に来る方も無いであろうということで打ち切られ、翌日のお葬式に備えようと言うことになりました。が、何人かがセレモニーホールに残る必要があるらしく、そこに僕と叔母が残ることになりました。
時刻は午後十時過ぎ。さてそろそろ寝ようかなと思っていた時に、ホテルに泊まっているはずの、遠い親戚に当たるオッチャンがやってきました。オッチャンはかなり酔っぱらっており、僕に酒を勧めてきます。そろそろ寝ようかなと思っていた時なので少々戸惑いましたが、僕も酒は嫌いじゃないので勧めに応じるまま、コップを片手にオッチャンと向かい合わせに座ったのでした。
それからしばらく、色んな話をしながら酒宴を行いました。僕が福祉の勉強をしていると知ると、福祉の現状について熱く語り、僕もそれに熱く感動する、なんてやりとりが、今も記憶の片隅にぼんやりと残っています。その間もコップに酒はどんどん注がれ、僕もどんどん飲んでいく……。
……ふと気が付いたら、僕は布団の中でうつ伏せになっていました(嫌な予感、少々)。外には朝日が差し込み、何やら聞き慣れた天気予報の声が聞こえてきます(嫌な予感、増幅)。そして、服はさっきまでと全く同じ服装で、息が酒臭いことに気付きました(嫌な予感、有力)。さらに、起きあがろうとしても腹痛と吐き気により、ぐったりとしていたのでした(嫌な予感、確定)。
もうここまで分かると弁解の余地はありません。そうです。僕は泥酔の挙げ句二日酔いになっていました。
何でも叔母の話によると、オッチャンと話が盛り上がっていた僕は、一升瓶を全部飲み干した後に急にころんと眠りだしたそうです。叔母は何とか無意識の僕を布団まで連れて行き、無意識の僕はうつ伏せになって眠りだしたそうです。
しかも、しばらくしてから僕はいきなり大量にゲロゲロし、布団に嘔吐物をまき散らしたというのですから、そこまで面倒を見てくれた叔母には感謝しきれません。そう言えば、起きた時に服が異様な臭いを発散していたような気がします。
しかし、嘔吐した時がうつ伏せ状態で本当に良かったです。もしそのとき仰向けになっていたら……、その時僕は祖母の後を追っていたことでしょう。
何はともあれ、その後は二日酔いです。頭痛はまるでしませんでしたが、もともと胃腸が弱いためか、その辺りにダメージがぐんぐん来ました。葬儀中にも襲ってくる、猛烈な吐き気、腹痛、体のだるさ…。
祖母には申し訳がありませんが、泣いたり偲んだりする暇はその時の僕にはほとんどありませんでした。もう昨日までに散々泣いたからいいや、と屁理屈をこね、読経の最中も兄貴が弔辞を読んでいる最中も、ひたすら二日酔いとエイヤエイヤと戦っていたのでした。
二日酔いの症状は、半日経ってからやっと回復しましたが、しばらくの間、僕は酒及びアルコール類を飲む気にはなれませんでした。(たちつ亭と~助)
(寸評)確かにゲロを喉につまらせて死んだ有名ミュージシャンとかもいるからな。今後も吐く時はうつぶせでね。亡くなったおばあちゃんも「しょうがないわね」と苦笑していることでしょう。6ポイント。
初めての大人のおもらし
初めて大人のおもらしを見ました。
職場に居る外国人(男)が、ふいにエプロンを脱ぎました。
まだ終わるまでには時間があったし、どうしたんだろう?と思っていると、
「早く下(床)拭きな。」
と言われていたのです。
そしてこっちに振り返りました。彼は気持ち悪いんだか泣きたいんだかわからない表情で仕事を続けています。
でも、下を拭け、とは・・・?
ふいに目線は、両手で押さえられた彼の股間に下がりました。
ギャッ!!作業ズボンが濡れているっ!
それからトイレに走って行きましたが、もう遅い。
しかも、床を拭かないまま行ってしまったので、下はビチョビチョ。
あとで聞くと、小心者の彼は「人にトイレに行きたいと言えなかった。」そう。
36歳にもなって人前でおもらしする方がよっぽど恥ずかしいと思いますが。(秘密の座席)
(寸評)うっ、おもらしとは微妙に違うが最近、残の量がもはや残の域を越えて出ることも・・・。
いっ、いや俺はまだまだ老人じゃないはずだ!
今後どうなるんだろう・・・。6ポイント。
初めてのアンラッキーが1日に5連発
先日、1日の中で起きたアンラッキーな出来事5連発を報告します。
手を洗おうと蛇口をひねったら熱湯
ポットに水を足そうとして蒸気が手に
ごみを捨てようとしてロッカーに頭を打ち付ける
魚を食べようとして骨が指にささる
ご飯を食べようとして頬の内側を強く噛む
生きていくのが嫌になりました。 (さっちゃん)
(寸評)どれも地味だけど微妙に痛いやつばっかりだ。「頬の内側を強く噛む」とかね。アンラッキーというより、老化の華々しい幕開け・・・。6ポイント。
初めての恥ずかしい試着
先日、正月のセールで、お気に入りの服屋に行った。
素敵なズボンがあったので、試着した。
店員さんが足元にひざまづき、ズボンのすそを調節してくれる。
「いや~いいズボンですね~いいっすね~!すそあげどうしようかな~」「おすそ直しできますけど、折り曲げてはいても素敵だと思いますよ!」と何気ない会話を楽しんでいた時のことだった。
はたと気づいた。
自分の靴下が強烈に毛玉だらけだったことに・・・。
穴でも開いていれば明らかな笑いになっただろう。
違う。毛玉だ。微妙に気づかれ、微妙に笑われたに違いない。
は・恥ずかしい!!!
必死に冷静さを装い、かっこよくクレジットカードで支払い、
店を出た瞬間、ものすごい速さで靴下屋へ駆けていったことは言うまでもない。 (さっちゃん)
(寸評)まぁ毛玉くらいいいじゃないか。
俺なんか袋が人よりちょっとだけ大きいせいか、小学生の時、体育座りすると必ずといっていいほど短パンからはみ出たもんさ。
しかも男女合同の低学年の体育の授業の時など、向かい側に女子がいたものだからよく誰かがこっそり指摘してざわついたものさ!
俺自身が性教育の動く素材となってな!
さすがに小学低学年だから「毛玉」ではなかったがな・・・。6ポイント。
初めてのオ?ニー
二十歳前後の頃だったと思います。
当時よく一人で映画館に行っていて、その日は一番後ろの左隅に座って観てました。
途中、背後に気配を感じて振り向くと、なんと目前に男性のアレが!
一瞬でしたが、それ自体もそれを握っている手もはっきり目に入りました。
すぐに前を向いたんですけど、顔はスクリーンを見ながらも意識は完全に背後にありました。
何かされるんじゃないかという恐怖で、全身が冷たく感じて脈拍は跳ね上がりましたが、動けませんでした。
どれくらい時間が経ったかやっと後ろを振り向くと、居なくなっていました。
私にも椅子の背にも、何も付いていなかったので、
もしかすると、気付かれた為やる気を失ったのかも知れません…。
初めてオ?ニーを見た日です。 (グミ)
(寸評)それはちょっと怖いよね。もしかしてグミが背中をお尻の割れ目までパックリ露出しているもんんんんのすごい刺激的な服装をしていたとかじゃないんだよね。
初めて、というと二回目、三回目もあるのか・・・。7ポイント。
初めての始発待ち
私も始発待ちなのですが、最悪の思い出です。
その日私は渋谷のパルコ劇場に居ました。
公演後、彼氏に電話し車で迎えに来てもらう予定だったのに、携帯を家に忘れた事に気付いたのは、終わってからでした。
その場で待機後、公衆電話でうろ覚えの彼氏の番号を押すも徒労に終わり、再び劇場へ。 劇場前は混むから近くで待つ、と彼が話していたので、周辺を探し歩き、入れ違いの不安を抱えながら戻り、待つ。
携帯の留守電にメッセージが入っているかも!と、公衆電話から遠隔操作を試みるも、方法が分からない。歩いてる人に聞いても分からない。 交番で聞いても…。
交番で想像以上に時間が経っている事を知った時、恥ずかしい事に涙が…。
気持を切り替え、とにかく早く彼を解放しなければ!と電車に飛び乗ると、途中の駅で終電が終わるという、信じ難い事態に…。
渋谷のマンガ喫茶で、パソコンのメールから彼の携帯にメールを送れば良かったと気付いたのは、始発が出る頃。
諸々、バカな20代でした…。 (グミ)
(寸評)それはちょっと寂しいね。俺ははなっから携帯電話持ってないのでそんな失敗もなし! ♪ラララ~ 6ポイント。
初めてのコラボ
交差点で信号とコラボレーションしました。
青になると
♪カッコ~ カッコ~ カッコ~
と単調に鳴る信号に、口笛で絡んでみました。
♪カッコ~カッコ~!カッコ~カッコ~!カッカカッカカッコ~!
と賑やかになり、楽しかったです。機会があったらぜひやってみてください!
?家族、恋人、通行人に呆れられる可能性があります。(桃玉)
(寸評)口笛ではないが、手でリズムを取るコラボはよくやっている。例えば歯医者の金属音とかとやったり、列車がホームに入ってくる音とやったり。
家の中ではテレビのCM音楽に合わせて常に手パーカッションのコラボをしている。6ポイント。
初めてのビジネスクラス
国際便に搭乗すると、なぜかエコノミークラスより、ビジネス・ファーストクラスなどのプレステージの方がマイレージなどの関係で安上がりになる場合が多いそうです。先日の渡航の際もこのケースに該当し、初めてエコノミークラス以外で飛行機に乗ることになりました。
座席番号を参照して座ってみると、確かに広々。窓際の席はエコノミークラスだと3席ですが、ここは2席で、前も横も本当に広いです。
しかし、周りを見渡してみると、空席が目立ちます。エコノミークラスだと、基本的に国内線・国際線とも満席になってるのですが、ここは明らかに座ってる人が疎らでした。
それはともかく、ここの座席は背もたれだけでなく、ふくらはぎの後ろのシートも動き、体全体がマッサージチェアのように、仰向けに若干近い姿勢になれるので、楽でした。食事もエコノミークラスよりは少々ゴージャス。
少し気分も良くなったので、アイマスクをして、CDを聴きながらしばし寝入り、目が覚めて窓の外を見ると、既に離陸時に見えた富士山に代わって、韓国ならではの道路の右側を走る乗用車や、寂れた感じの団地が見えていました。
しかし床を見ると、そんな姿で寝ていた自分にCAのお姉さんも適当に済ませておけばいいと思ったのか、入国申告書や検疫書が床に落ちていました。
そして、離着陸時の衝撃は変わりませんでしたね。(Hi-)
(寸評)入国申告書や検疫書が床に落ちていたのはささやかなキャビンアテンダントの抵抗かもね。
「こんな若者がこんないいシートに乗るなんて生意気だわっ! 寝ているようだし、こうしてくれるわっ!」と。
たぶん、用紙の裏側には鼻くそも付いていたことでしょう。5ポイント。
初めての韓国語でパスカルズ紹介
現地の大学の授業で、韓国語で自由作文をして、発表するという宿題が出され、「好きなバンド」という題名で、パスカルズの紹介文を書きました。
前日にワープロで書いてメールで送信し、翌日に添削を受けて、クラスの方々の前で発表するのですが、どう書くかで悩みました。
基本的なバンドのプロフィールはサイトにあった通りの文を引用し、次にCD・ライブについての自分の感想、そして先日のクイズのページにあったような、メンバーがほぼ中年層であるが故の混沌ぶりや、日本国内での知名度の問題について記述しました。
しかし、先生からは感想の部分について、「何が言いたいのかが伝わりにくい」と言われました。さらに、ちょっとした文法・語彙・発音ミスもかなりありました。
とりあえず翌日には「どですかでん」のCDを持って行って、クラスの休み時間の間に少し流してみました。クラスの比率は日本人は僕も入れて3人、米国・ウクライナ人がそれぞれ1人、中国人が5・6人でしたが、やはり知ってる人は全くおらず、リズムに乗ってる人が多かったです。果たして、ヨーロッパ以外でもこんな調子 の紹介で流行するのか…。
ちなみに、こちらではバンジョーという楽器の存在自体が知られておらず、先生への説明がちょっと難しかったです。自分でもどんな楽器なのか、ウクレレやマンドリンとはどう違うのかも知らなかったので。
原さんにとっては、日本以外でもバンジョーの指導ができるかも知れないですよ。(Hi-)
(寸評)バンジョーは結構マイナーな楽器らしいね。原くんも教室とかをやっているらしいけれど、そんなに生徒は多くないというようなことを言っていた。なかなかカッコイイんだけどね~。5ポイント。
初めてのひるねでグー
ロザリオです。おおげさなんですが初めて凄い生きててよかったと思いました。ネットカフェでyoutubeの動画検索で何気なく「方向音痴」と打ったら「ひるねでグー 牛小屋・方向音痴」が!私の好きな牛小屋が聞けて本当によかったです。追伸 前、「牛小屋からたまが好きになった」の投稿のコメントに「太鼓叩きがシンプルで動き回れて楽しかった」のコメント通り凄い楽しそうに踊ってましたね。
(寸評)すごい楽しいよ~! 「動く俺」コーナーでたくさん紹介しているので、是非観てねっ! 4ポイント。
初めてのSkype
留学に合わせて、自宅のパソコンと新たに購入したノートにSkypeをダウンロードしました。
外国でもネットにそれぞれ繋がっていれば、無料で通話ができるソフトだそうです。テレビ電話もできるそうですが、家のパソコンの方につける専用のカメラが高いので、そちらは断念しました。
さて、先日繋がったので、自宅と電話してみました。しかし、繋がった第一声が、「聞こえてますか~」
…よく見たら、こっちのヘッドホンのマイクとイヤホン各端子の穴がそれぞれ逆になってました。慌てて挿し直して、通話を試みましたが、今度は自宅からの声が聞こえるのに、こちらの音声が伝わらない。
とりあえずチャットシステムを使い、そちらの声は聞こえてるという趣旨の返答を続けました。
しばらくして、こちらの声も聞こえるようになり、しばし近況報告などで30分通話。
でも音声がつながるかどうかのテストシステムも途中で試して、その時喋った声が我ながら嫌だったなぁ…。(Hi-)
(寸評)使った事ないけど俺も興味ある。通話料無料って、それじゃ何で運営資金を稼いでいるのだろう? 4ポイント。
初めての韓国携帯
留学業者から、現地用携帯の紹介を受けました。
こちらの携帯はあらかじめ店の方で通話料を支払い、その後で通話した時間に応じて、差し引かれるというシステムだそうです。
ひとまず、日本円で千円ぐらいの金額を払いました。
しかし、添付写真を見てもらえばわかると思いますが、日本のと比べてとても小さいです…。音楽ダウンロードや通話・メールはどの機種にも必須らしいですが。
通話するには電番を最初に押して、通話ボタンを押すのですが、日本のように通話ボタンを最初にやったら、変な状態になりました。
メールはアドレスがなく、電話番号を打ち込めば送信できるようですが、知り合いから届いたメールに返信するのに結構時間がかかりました。何せ、ハングルでの文字入力が全く分からず、30分ほど悪戦苦闘した末、結局英語で返事を書いて、送信しました。恥ずかしい…。
しかも知らない人からの間違い電話や勧誘メールも多く、まだ使う時には電子辞書が欠かせません。(Hi-)
(寸評)やっぱり海外で生活するとなると、いろいろ日本と微妙に違うことも多いよね。是非「日本と韓国、ここがこう違う!」を送って来てくれい! せっかく行ってるのだから、生の声の投稿待ってるぞっ! 6ポイント。
初めての始発待ち
中学生の頃の初体験です。
当時ハマっていた劇団の劇団員さんがやっていた「ひうがなつ」というバンドのライブを観に吉祥寺へ出かけていたのですが、ウカレウカレで打ち上げに参加してしまい、著しく帰りが遅くなってしまったのです。
電車の時間ギリギリなっちゃったなーと思いつつ、優しい劇団員さんと一緒にこれまたウカレウカレで駅に向かい、至福の時。
しかし、平和は長く続きませんでした。
私は猛烈にトイレに行きたくなったのだけど、雲の上の人・劇団員さんの話を遮ってトイレに・・・とは言えず、我慢したまま電車へ。
劇団員さんとは中野で別れたのですが、もう乗った電車が東京駅行きでは最終だったので降りるに降りられず尿意を我慢し、もう漏れる!いやがんばれ!むしろ多少漏れてる!の壮絶な戦いを繰り広げるも、なんとか東京駅のトイレへ到着し勝訴!!!!
スッキリして、勝利に足取りも軽やかに乗り継ぎしようとすると、なんと!すべての電車がもう終わっているではないですか!!!
呆然と立ち尽くすが無情にも東京駅のシャッターが閉まりはじめ真冬の野外へ。
途方に暮れぼとぼと真冬の駅前を歩いていると同じ境遇の「米米クラブのライブ帰り」というお姉さんと出会い意気投合!
仲間がいるのは心強い!!一気に愉快になり、お互いの観てきたライブの話をしあったりしながら楽しく始発を待つことにしたのです。
しかし、ここで「自称・ヤクザの16歳少年」というあまり歓迎できない人物が登場。聞きたくもない彼のヤクザ武勇伝を延々と聞かされるハメに・・・。
しかしこの彼、どんどん派手な行動を始め、ホームレスの人のダンボールを奪うわ、駅前の植木に火をつけるわ、ライターを燃やして小爆発起こすわで遂に近くの交番へ連行され、やっとお別れ。
とんでもないのに捕まってしまったな、とややグッタリしつつも平和は戻ったのですが、遂に雪まで降り始めてしまい、お姉さんと寒さに震えていると、今度は営業前のタクシーの運ちゃんが話しかけてきたのです。
「お姉ちゃんたち、始発までタクシーの中にいなよ。」と!!!
もう、おじさんが天使に見えました!!!!!
私たちは一目散でタクシーに乗り込み、先ほどまでいた雪の世界を眺めていたのですが、すると同じように外で震えている外人さん二人組を発見。その人たちも乗せてあげることに。
話を聞くと二人はオランダ人留学生で「オランダはチューリップが一杯咲いている」「ほんとに風車も回ってる」「チーズがおいしい」というわりとどうでもいい情報を教えてもらい、運ちゃんからは昔遠洋漁業の漁師だったから色んな国の言葉が喋れるというややオーバーな武勇伝を聞いたり、知らない者同士愉快におしゃべりしていると無事東京駅のシャッターは開き始め、皆で運ちゃんにお礼を言い解散。
終電は逃したけれども、尿への勝訴と米米クラブと2個の武勇伝とオランダを抱えて、ホクホクと始発に乗って家路へとつきました。
色々あって面白い夜だったなぁ。(ことり)
(寸評)青春だなぁ~。「ひうがなつ」懐かしいなぁ~。劇団ってきっと少年王者館なんだろうなぁ~。パンツは大丈夫だったのかなぁ~。8ポイント。
初めてのボロ家に驚かれる
ある日、私は家でアニメのタッチの再放送を観ておりました。
我が家の裏は公園だったのですが、公園側の窓のとこのブロック塀から、二人の同じ歳くらいの小学生が恐る恐るヌ~~~っと頭を出してきたのです。
私も気になってそっちを見ていたところ、すっかり頭を出した小学生たちが部屋を覗きこんできたので、私とバッチリと目が合ったのですが、すると・・・・
「・・・!!!ひ、人が住んでるぞぉぉぉ~~!!!!!!!!!」
と叫び、小学生たちは一瞬で姿を消し、一目散に逃げていってしまったのです!!
確かにいつだって締め切ってても部屋には風が流れている。
チンケな風でもゴーストハウスのようにガタガタガタガタ大袈裟な音が鳴る。
私の2畳間の部屋の外壁側の壁はよっかかるとグラグラして怖い。
ボロボロの砂壁には私が爪で彫った私の名前が書かれている。
綺麗なおうちに住んでいる優しい友人は我が家へのコメントに困って「珍しいおうちでなんだかおもしろいお城みたい」とだいぶ苦しいフォローをしてくれて友情に感謝した。
なので私もわかっていた。自分がだいぶボロの借家に住んでいるということは。
しかし、廃墟と思われているとは思わなかったわ!!!
ちなみにその廃墟借家のグラグラしていた部屋の壁は本当にヤバかったようで、我が家が引越ししたあと見てみるとその壁は取っ払われ、私の二畳間の部屋は小さな裏庭になっておりました。(ことり)
(寸評)俺の知り合いも山奥のボロ家に住んでいて、ハイキングコースの途中なのでよく廃屋に間違われて石とかボコボコ投げられるって言ってたなぁ。しかも彼女が中学生になるまで家に水道がなく、近くの井戸まで水を運びにいってたそうだ。
・・・いつの時代じゃい!! 7ポイント
初めてのお祝い
数年前ですが、短期の派遣先の職場が「アダルトビデオ販売の会社」でした。納品書を作成したり、膨大な在庫のタイトルを入力していくものでした。あんなのやこんなのや、なんとまあ、いろんな世界があるのね~と、興味津々で入力してました。
と、バイト始めて数日後、最初は見かけなかった社長さんが初めてあらわれました。絵にかいたようなヤ?ザ風。白いスーツに柄のシャツにグラデーションのかかったでかいサングラスに金のアクセサリー…。今どきこんな漫画みたいなカッコしてる人いるんだ~と思ってたら、何人かの社員たちと職場で「かんぱーい」とやっている。
何事かと思ったら「出所祝い」でした。
どうやらモザイクが薄かったとかなんとかで(そういう罪名ありますよね?猥褻物なんとやら)しばらく入ってたらしいです。
貴重な体験でした。 (うみうし)
(寸評)あ、あれ本当に刑務所入るんだ。なんか罰金とかだけと思ってた。というか再犯を繰り返してるのかもね。そいでもちろん在庫は何本かくすねてきたんだよね。今度すんごいの見せてねっ! 6ポイント。
初めての借金取りゲキタイ!
ウチの弟(とりわけ長男)は借金王で、サラ金やら何やら、あちゃらこちゃらから借りてきては遣いを繰り返し、総額数百万くらいにはなっていた模様です。
借りるはいいが返す金はないので、家には督促状や督促電話が毎日のように鳴り響いてました。
ある日、たまたま私が鳴った電話に出ると、何やら怖そうなおっちゃんの声で、
「おたくの息子さん(=弟)が借金返せないんだったら、お母さんに払ってもらいたいんだけど」
って言ってきたので、
「あのー、法律では連帯保証人になってない限り、身内や親でも払う義務はないって定められているのをご存知ですか?」
と言い返してやったら、それ以上は何もいわず相手は電話をブツリと切りました。
大学で民法の授業には出ていましたが、法律に詳しいわけでも何でもなく、丁度2~3日前に「行列のできる法律相談所」でタイムリーにこのネタをやっていて、「へー、そうなんだぁ」と感心した直後の電話だったのです。
後にも先にも「行列」の知識が実践に生かせたのはこの場面だけだったのですが(笑)
身内が借金していて連帯保証人でもないのに督促を受けて困っている人は是非使ってみましょう。
母はそれを言うのもイヤだったようで、それからしばらくして、家の電話線引っこ抜いてしまいました。
学校の連絡網が回せず、当時小学生だった末の弟は大変困っていたようです(苦笑) (梅桃ひよ子)
(寸評)逆に言うと連帯保証人はすんごく危ないわけだよね。俺の親の知り合いでもそれで苦労した人がいるので「連帯保証人だけには義理をかいてもいいからなるな」と言われてまーす。6ポイント。
初めての肝炎
2年前の冬、待望の妊娠をしました。
そして、産婦人科に通い始めたわけですが、妊婦は血液検査を受けなければなりません。
「採血苦手だなー」くらいの気持ちで検査を受け、検査結果を待ちました。
すると、
「HCVの値が正常値より少し高いので、総合病院で再検査」
と言われました。
産婦人科医はちょっと慌てた様子でしたが、私は、
「C型肝炎って?」
位の気持ちで総合病院で再検査に臨みました。
またまた、
「やはり少し高いから、外部の検査機関に出しましょう」
と言われました。
そして待つこと2週間、検査結果が出ました。
ちなみに、さすがにその2週間は少しブルーでした。
で、結果ですが...
「おそらく、以前かかって、今は治ってます。大体7割くらいの人は慢性化するんですが、後の3割くらいの人が運良く治るんですよ。よかったですね、それよりも脂肪肝に気をつけないと」
とのことでした。
私って悪運強いのかなー。(うを)
(寸評)おぉ、それはラッキーだったな。俺の包?も知らないうちに直ってないかな・・・。いっ、いや、何でもないっ! 6ポイント。
初めての銭湯
一人暮らしの為東京に出て来て初めて銭湯に行った19の春。
小さい時は家に風呂のない時もあったが、同じ敷地内に親戚の家があり、そこに入っていたのだ。ちなみにその頃はまだ薪で炊く風呂だった(昭和やな~)。
さて、知識はテレビでの銭湯のシーンだけ。籠、もしくはロッカーがあり、そこで服を脱ぎ湯船につかればいいのは分かっていたが、細かい手順などは知らなかった。
ひとりで行ったので聞く人もいなかったが、別に風呂に入るだけだ。何の知識もいらねーだろーと、石鹸とタオル、替えの下着などを持って銭湯に向かった。
入り口を入ると早速ロッカーがある。
「ふむふむ、ここで服を脱ぐのだな」
そう思って何の躊躇もなく上着を脱いだ。
♪ふふふ~ん、と鼻歌まじりに下着に手をかけた時、
「あれ、ところでまだお金を払ってないけど、どうするんだっけ? 確か銭湯には番台というのがあって・・・」
その時ハッと気づいたのである。
そのロッカーは服を入れるロッカーではなく、靴を入れる為のロッカーだということに。
♪ふふふ~ん、とまた鼻歌まじりの振りをしながらも他の客が来る気配に目をカッと大きく見開き、シュババババーンと大慌てでまた上着を羽織り、事なきを得た。
もうちょっとで「変態男、銭湯の入り口で全裸」で逮捕され、臭い飯を喰らうところだった。
やべえやべえ。すわ危機一髪!(石川浩司)
はじめてのニヒル牛
先日、12年ぶりに東京へ行く機会がありまして、その際には絶対ニヒル牛へと足を運ぼう!と思っていました。
そして西荻窪駅に降り立った瞬間、「ちっ地図がない・・・」ということに気が付いたのです。
でも多分記憶では駅からはそんなに遠くなかったはずだから、歩いてみよう。
それで見つからなかったら、交番に行くか商店街の人の誰かに聞いて探そう、と思って歩きました。
何でこんな時に肝心の地図を忘れるかねー、と自分の間抜けさに苛立つ一方で、石川さんの「すごろく旅行」なるものは予測不可能なハプニングに対応するために地図がなくても歩き回ることもあるんだろうな、とも思いつつ、探し回っておりました。
駅周辺を歩き回って、「もう限界だから、タクシーに乗って行こうか」とまで思っていたときに、商店街の向かい側でたたずんでいるニヒル牛を見つけました。
「こんにちは~」と中に入ると、中はちょっと不思議な雰囲気を醸し出してる空間。
さんざん探して見つかった喜びと、ずっと見たかったという興奮、そして散々歩き回った疲れで、なかなか始めは落ち着いて箱の中の世界を見られなかったんですが、しばらく眺めているとだんだん落ち着いてきて、あれもいいなこれもいいなと目移りし始めてきました。
店番をされていた方は、とても寡黙な方のようで、黙々と仕事をされていたり、新しく作品を納入される作家さんに丁寧に説明をされたりしておられました。
「たま」関連のCDはいつも通販でしか買えないので、この機会にも買っておこうと思い何枚か手に取っていたら、石川さんの棚に石川さんのCDがない。
「ありゃりゃ」と思って店番の方にたずねると、一生懸命在庫を探して下さったのですが、結局なかったようで、申し訳なさそうに謝られておられました。ニヒル牛2にはあるかもとのことだったのですが、あいにくこの日は木曜日でお店はお休み。残念だなー、見たかったなーと後ろ髪を引かれつつ、「たま」のCD2枚とアクセサリー数点を購入してお店を後にしました。
店外のガチャガチャも気になったのですが、あれには何が入っていたのでしょうか?
またひとつ、東京での思い出を抱えて、西荻窪を後にしました。
CDはポイントを貯めてゲットしたいと思います。
帰宅後HPの地図を確認したら、かなり単純な道筋だったようで、地図がなくても行ける所で良かった、と改めて思いました。
私もいつか、ニヒル牛にほんのちょっとでも関われるような作家になってみたいなあ(遠い目)・・・。
(梅桃ひよ子)
(寸評)ガチャガチャの中にも作家の作品が入ってます。時には「Tシャツ引換券」のように紙が入っていて、店内で大きな物がもらえることもありまーす。
あとニヒル牛は基本無審査タ゛カラ、素人ならではのとんでもないデキソコナイ作品も待ってるぞーい!
今度は2にも是非足を運んでね。5ポイント。
初めての流れ弾体験談
妹が足の手術で外科に入院していた頃。既に3ヶ月ほど入院している青年がいた。一見ごく普通の青年だが、入院の理由がそんじょそこらの患者とは違った。
彼曰く。
「轢き逃げ犯を追っている警察官が犯人に向けて撃った銃弾、たまたま当たっちゃったんだよ。痛いし何が起こったかわからないし、絶対死ぬと思った!!!まぁ生きてたから良かったけど。大腿骨っていうぶっとい骨が折れちゃったよ・・・」
妹は一ヶ月ほどして退院したが、気の毒すぎるその青年は、まだまだ退院できそうになかったという。 (桃玉)
(寸評)本当にそんな運の悪い人いるんだなぁ。警察官が発砲することすら滅多にないこの日本で。治療費の他にいくらぐらいお詫びが貰えるのか知りたい。だって仕事もへたすりゃ復帰出来ないもんねー。5ポイント。
初めてのチャンネル5つ
10年ほど前まで私の住んでいるところでは、テレビのチャンネルが4つしかありませんでした。
NHKの総合と教育、日本テレビ系、TBS系の4つです。
「笑って?いとも」は放送していたのですが、夕方4時からの放送でした。
小さい頃は、なぜお昼休みはウキウキウォッチングなのか意味が分かりませんでした。
ほかにも、何かの番組で最後にプレゼントの応募があったとしても「高知は対象外です」や「この番組は?日に放送されたものです」などといったテロップが流されることもよくありました。
それを見る度に悲しい気持ちになったものです。
そして10年ほど前、ついにフジテレビ系のテレビ局ができ、「笑って?いとも」は生放送になり(見ないけど)、チャンネルは5つになりました。
テレビはあまり見ないのですが、チャンネルが増えたのはけっこう嬉しかったです。
あれから10年以上たちますが、新しくテレビ局ができそうな気配はありません。
民放は3つしかないので、年末に「イカ天」が高知でもきちんと放送されるかどうかが気掛かりです。当時「たま」が出演していたときは放送されていなかったらしいのでとても心配です。 (若様)
(寸評)TBS系があるならやりそうだけどね。関東は基本7つ(NHK総合・教育、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)だけど、昔大分県の国東半島という辺鄙なところからさらに船に乗った姫島という島に友達の実家があったので行ったら驚いた。田舎なのでチャンネルが少ないと思いきや、東京よりはるかに多いのだ。
実はこの島は本州・九州・四国に囲まれた島だったので、そのすべての電波が受信出来るのだった。
ケーブルテレビなどもない時代、日本で最もチャンネル数の多い場所だったのではなかろうか。5ポイント。
初めての韓国のり
友人と酒をたらふく飲み、深夜酔いどれて帰宅していたところ、ふたり組の韓国人男性に声をかけられ、ナンパされたのです。
しかし、私も友人もナンパは好きではなかったので断り続け、黙々と家への足を止めなかったのですが、韓国人男性の二人組も驚異的な粘りをみせて、延々とアプローチしつつついて来るのです。
最終的に家までついてきてしまい、困り果ててダメダメ!遊ばないよーー!!と言いながら家に逃げ込み二人でドアを閉めるのですが、二人組もお願いだからーーー!と引き下がらず、ドアに足を挟んで「せめて!これあげる!!!あげるよ!!!」とドアの隙間から何かを渡してきて、やっと諦めて帰っていってくれたのです。
友人と二人で何くれたんだろう?といいながらみてみるとパッケージには「のり」と書かれており、なんか海苔貰っちゃったねーーー!!とか言って大爆笑しながら食べてみたところ、驚異的においしくて「あ、うまっ・・・!」「・・・うまっ!」「うま!!!!!」と言いながら初めて食べるウマイ海苔をムシャムシャムシャムシャあっという間に食べつくしてしまいました。
これが私と韓国のりとの初めての出会いの想い出です。今も韓国のりのことはとても愛しております。(ことり)
(寸評)韓国海苔、微妙な塩加減がうまいよね~。でもいつも彼らは韓国海苔を持っていてナンパの道具に使ってるのかね。6ポイント。
初めてのタダでカニ
夜中にカニが食べたくなってしまったら行っていたメニューにカニがある近所のカラオケ屋さんがあったのですが、その日も友人と二人でやはりカニを食べに夜中にでかけてカラオケを歌っていたのです。
するとカラオケ屋の男の店員さん二人がもうすぐシフトが終わるから一緒に歌わないかと言ってくるのです。
私たちはナンパは嫌いだったので断ったのですが、しつこかったので「カニとワインをタダでくれたらいいよ。」と交渉。
すると交渉見事成功!!いやぁ、交渉してみるものです!!
タダでワインとカニ!!とウカレテお兄さんたちが来てからはもう更に急ピッチでウヒャヒャヒャヒャ~~~と飲み始め、お兄さんたちが必死に「山手線ゲーーム!」とかお色気のほうに振ってきても「は??」といって無視、しまいには酒を浴び始め、毒霧をし、グラスを割って、手のつけられぬ泥酔状態に。
・・・・お兄さんたちはさぞかしババを引いたと後悔したことでしょう。
一気に青ざめていき、店員モードになってきて、お願いだからもう帰ってくれみたいな風になり、結局電話番号もメアドも聞かれること無く我らはカニとワインを勝ち取り完全勝利して家路についたのです。万歳!!!
タダのカニはおいしかったハズですが、酔っ払いすぎてどう食べたか何個食べたかすら思い出せませぬ・・・・・・。(ことり)
(寸評)むむう、女性の特権じゃのう。ところで毒霧って何? 6ポイント。
初めてのボージョレ・ヌーボー
先日の親戚の集まりの夕食で、解禁されたばかりのボージョレ・ヌーボーが出ました。
食事と共に自分も杯を進めましたが、その夜、床に就いてから、徐々に気分が悪くなりました。
しばらくトイレが近くなり、吐くには至りませんでしたが、腹が下り、マスターの如く「噴水嘔吐」になりやしないかと気になりました。
翌朝まで何とか無事に過ごせましたが、叔母さんから「空きっ腹で飲むとそうなるわよ」と突っ込まれました。
いずれにせよ、ビールが飲めるようになっただけで、ワインの味がわかるはずはありませんでしたね・・・。(Hi-)
(寸評)空きっ腹だとちょっとのアルコールでも酔うよね。逆に満腹だとビールぐらいじゃあんまり酔わない。というか満腹だとあまりビールも飲めないしね。
なので俺は酒代節約の為には逆になるべく空きっ腹の時に飲むようにしてる。すぐ酔っぱらえるので。体には良くないんだろーけどね。4ポイント。
初めてのユル体操
姿勢が悪いと両親から言われ、両親が通っているユル体操教室に行きました。
まず床に横になり、足を組んで、空中でブラブラ、腰や背中を床に押し付けてモゾモゾ、頭を床の上で左右にゴロゴロ。
このように書いただけではわかりにくいと思いますが、これだけでなく、動きに合わせて、「プラプラ」「ゴロゴロ」「モゾモゾ」などの声を出さなければならないのです。メチャクチャ異様で恥ずかしい・・・。
全部で約1時間でしたが、頭が回ったためクラクラになり、全く効果はありません。
来週も同じ講座がありますが、また行くか否か自体がわかりません・・・。(Hi-)
(寸評)それ、新手の宗教じゃないよね。ユルユル教。なんか、かっこ悪いな。6ポイント。
初めての極貧生活
最近、出発が近づくに連れて買う物が増え、何かと出費を抑えざるを得なくなりました。
バイトももう辞めてしまったので、再来月からのカードの使用も危ぶまれます。
バイトをやる前は普通に親から小遣いを貰っていましたが、さすがに今たくさん貰うのは気が引きます。
なので「貧乏」のコーナーを全て読み、日雇いバイトを極秘に申し込み、1日の飲食代を\500以下に限っています。
この状態で、果たして冬を越せるのか・・・。(Hi-)
(寸評)どんぐりをいっぱい拾って冬眠しなさい。4ポイント。
初めてのノートパソコン
留学に備え、先日ノートパソコンを購入しました。
Windows Vista最新型とだけあって、起動が早く、ディスプレイの上に顔認証カメラがあり、画面もメッチャ美しい!
ただ、携帯やデジカメで撮った写真ならともかく、動画が開けないので、ソフトウェアに苦しめられそうです。
更にネットに繋ぐための手続きが多そうで、渡航後にも投稿を続けられるかが不透明です。
ま、最低でもインディアンケートの投稿は続けたいと思いますので、楽しみにしてて下さい。(Hi-)
(寸評)韓国でしょ? ネットは確か日本以上に発展しているはず。向こうでしたとんでもない初体験をガンガン送ってくれ。あんなことやそんなこともしでかしてくれっ。成果を待ってるぞっ! 3ポイント。
初めての投稿夢
ここ最近暇さえあればこのホームページをのぞいて投稿のチャンスをうかがっています。そんなに意識してそのことばかりを考えていたつもりはないのですが、どうやら寝ている間にも脳のほとんどが投稿のことで占められていたらしく、ついにこの間、夢に石川さんが出てきてしまいました。
夢の中でわたしは大学のサークルの仲間とキャンプに行っていました。どうやら石川さんも同じサークルに所属しているようで、わたしたちは二人でボートに乗ったり(しかし転覆(笑))、何か高いところに登ったりして、仲良く走り回り遊んでいました。そして石川さんがいなくなったところで、友達がわたしに「さっき石川さんが、『あの子(わたしのこと)は素晴らしい子だ、遊びの天才だ!』って言ってたよ!」と言ってきました。
夢の中とは言え、自分の想像力で石川さんにこんなことを言わせたわたしって一体・・・とおもいました。
まあでも、投稿するネタができたのでいっかー!とおもうことにします。(まるこたそ)
(寸評)本当にあの時は楽しかったね。高いところは実はちょっと怖かったのだけど。また遊ぼうねっ! 4ポイント。
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