ドキドキドキリコ初体験(51)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント~ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めての飛田新地見学(注:私は女です)



先日、大阪の友達を訪ねて旅行に行った。事前にどこに行くか決めようとその友人とメールでやりとりしていた。友達は「ユニバーサルスタジオとかスパワールドに行く?」と言ってきたのだが、あんまり観光地は興味が持てず「う~ん・・・」と思い、「大阪 ディープな旅」とか適当に打ち込んで検索したところ「飛田新地」が出てきた。忙しかったのであまり詳しく読まず「新地って・・・遊郭??じゃあ跡地??」ぐらいにしか思わなかったのだが、とりあえずそこに行きたい、と返事をした。友達は男。「・・・・女の子が行くようなとこやないで?・・・・まぁいいわ。行こう。でもはっきり言うけど、働いてる女の子か働きたい女の子に勘違いされるかもしれんで?」と言われ、そうか、すすきのみたいなとこか、と典型的な歓楽街を想像して、「とにかく行ってみたいから別にそういうのは気にしないよ」と返答。
大阪へ向かった。最初は昼に飛田新地の観光を予定に組み込んでいたのだが、気をきかせた友人が「夜と昼とでは全然違うから、夜の顔も見る?」とナイスな提案。じゃぁ、行ってみましょう、幸い彼は男なので何かあっても大丈夫でしょ、とかるーい気持ちで行った。
着いた先は普通の商店街が並び、ふんふ~ん余裕じゃんなんでもないじゃんとかいいながら散策していた。
「ここから飛田新地やで」と言われ新地に足を踏み入れる。んん??想像していたのはすすきのみたいな歓楽街。。全然雰囲気がちがう。なんだこれ??
と、一軒の店の前を通りかかった時、見たこともない光景が目の前に広がった。
「お、女の人が、げ、玄関に座ってライトアップされてる~!!横に普通のおばちゃんがいる~!猫もいる~!」
あわてて友達に話しかけたら「う、うん、わかったから、ちょっと離れて歩いて・・・」と拒否られた。
そう、私が想像していた歓楽街、風俗街などとは全く違う、本物の遊郭がそこにあった。女の人がそれぞれの店の玄関前に座り、ある者は制服姿で股を開き、見事にライトアップされていたのだ。そして“やり手婆”と呼ばれる、一見ごくごく普通の、エプロンなんかつけちゃってるぐらいのおばちゃんやおばあちゃんが「兄ちゃん、おかえり!!」とかなんとか言って、客引きしてるのだ。
一般的な風俗店なら女の子の写真や、女の子自身が店の外で客引きしていたり、それを仕切るのはスーツを着た男、ネオンや音楽がギラギラしている汚くて騒がしいものだろう。
そんなものとは全く違う、閑静で、碁盤の目で、ゴミひとつ落ちていない、そんな通り全てが遊郭、遊郭、遊郭。全ての店の看板や店の建物の形は統一されており(建物のデザインは微妙にちがうけど)、とにかくきれい。

そして!!日本一、女の子の散策はしずらい!!!めちゃくちゃ不穏な目でみられとる~!!!店の前を通り過ぎるやいなや、やり手婆が「いらっしゃいま・・・ああ??」ってなってる~!!気まずさMAX!!!
やばい、ここは本当に女の子が通ってはいけない場所だ!!!!
中には、友人の後に続く私を見て「あら、お連れさんがいたんですね。ごめんね~」と言ってくれる婆もいたが、9割は、私を見るやいなや顔が鬼の形相になっとる~。

「だから言ったやん・・・」と言いながら、友達はその後もいろいろ説明してくれた。飛田新地の組合の事務所にも行った。新地、という言葉はイメージが悪いので「飛田料理組合」になっとる~。言葉狩られとる~。
ちなみに表向きを料亭に転向すれば、客と仲居との自由恋愛となり、売春防止法を逃れられるかららしい。

玄関先の女の人は「今夜、わたしを買ってください」と言っているようだった。今夜も何人の男が女の人の上を通り過ぎていくんだろうか。
こんな時代にも遊郭は変わらずに存在する。でもそれを知っている人は極わずかなのかもしれない。でも存在する。友達の家に帰ってから地図で場所を確認した。なぁんにも書かれていない。地図から消されちゃってる。これは世間からも消されちゃっているということだ。
なんてノスタルジー・・・。幸い、友人も地理や歴史に関心が高く、私が飛田新地で見たことや感じたことに共感してくれ、一緒に楽しんでくれた。
「営業中は写真は絶対無理やけど、昼ならたぶんやってないから写真撮れるやろ。明日も昼から行こう」と言ってくれる。
行きましょう、是非行きましょう、ルンルン。写真いっぱいとるぞ~!!と意気ごんで、翌日も新地に足を踏み入れた。

やっとる~!!!店、ほとんど営業しとる~!!

そう、昼もばりばり営業してるのだ。しかも昨日と違う通りを通ると、微妙にジャンル分けのようなものがされていることもわかった。
・・・・あんまりきれいじゃない人ばっかだな・・・の通り。
・・・・やり手婆とたいして変わらない感じの人ばっかだな・・・の通り
・・・・これまたずいぶんふくよかなお身体で・・・・の通り

おもしろい。しかも二日かけて散々歩きまくったのだが、飛田新地全エリアの実に五分の一も歩いてなかったのだ。なんて巨大な・・・。
そして、大正時代に遊郭と世間を完全に分離していた飛田大門の跡地も訪れた。途中、道で人に聞きながら歩いた。そして発見した。
見覚えのある交番の前で2人で笑ってしまった。

「昨日も通った!!」

そう、昨日は商店街から遊郭へ、今日は遊郭から商店街へ、我々は同じ飛田大門を全く気づかずにくぐっていたのである。
それは建物の中にひっそりと建っていた。大昔、遊女が外へ逃亡するのを防ぐために立てられた門。今は隠れている。いや、隠されるかのうようにあるだけなのだ。ちなみに門の下にあった石碑にはこう書いてあった。
「その後昭和三十三年に飛田新地は廃止されました」

廃止されてねぇ~。今も全然ある~。しかも昼からやってる~。

次に向かったのは赤井●和の実家。なぜ赤井●和の実家に・・・と思いながら友人が行ってみよう、とそこらじゅうの店に場所を聞きに入るので、仕方なくついていくと・・・思いっきり遊郭の真隣に・・・。しかも笑ってしまったのは その遊郭だけがなぜか最近建てられたであろうごく普通のマンションの一階にあるのだ。なぜ?
そしておもしろいことに飛田大門を隔てて、町の雰囲気が一変する。大門を境に周囲の町をよく見てみると、本当に全然違うのだ。門から外は普通の下町。門から中は遊郭&赤井●和の実家・・・。 ちなみに有名な「鯛よし百番」にも入ってみた。玄関は開いているのに誰も出てこない。「もうこわいからいいって~・・・」となぜか尻込みする私に対して友人は「すいませ~~ん!!」と強気の連呼。その隙に中をのぞくと、なんとまあ「千と千尋の神隠し」の湯屋みたいな内装。感激した。 元々はここも遊郭で、今は建物はそのままで料亭になっており、有形文化財に登録されている。 しばらくして支配人と思わしきおじさんが出てくる。
「今日は無理ですけど、休みの日なら見学してもいいですよ。」と快い返事をくれる。
事前予約しか受け付けないが、料理の値段も普通。むしろ少し安いぐらいだった。今度はぜひ、食べに来たい。

そんなこんなできっとユニバーサルステューディオに行っていたら、アキャキャーとよだれでも垂らしながらジェットコースターにでも乗っていただろう。それもそれで楽しいのだろうが、今回は心の底から充実感に満ち溢れた。ガイドブックには当然のように無視され、世間に忘れられながらも、ひっそりと朽ち果てながらも続く遊郭。大正時代の価値ある建物も、京都のような保存のされ方はされないだろう。世間からは「汚らわしいもの」と忌み嫌われているものかもしれない。ちなみに大阪滞在中に会った他の友達も、大阪で生まれ育っていながら、最近まで飛田新地という存在さえ知らなかったという。
でも私の目には儚く美しいものに見えた。このまま世間から忘れられたまま、いつまでも残っていてほしいと思った。 (さっちゃん)

(寸評)俺が昔出した本「すごろく旅行のすすめ」の前半「日本キテレツ観光地23選」でも飛田新地は紹介している。思わず「ここ現代か? 赤線は廃止になったんじゃなかったっけ?」と言いたくなる光景だよね。店の横に「女入用」という単刀直入な募集告知が貼られてたりしたな~。
あとたまの唯一の写真集「きゃべつ」は「鯛よし百番」でロケしてるぞ。ついでに飯も食ったがすごく旨かったぞっ!
大阪の裏観光地としては絶対外せない界隈だよな。9ポイント。

はじめての中国。



学生時代の三国志オタクぶりが高じまくった結果ついにローン組んでまで短期留学を強行してしまった私。
はじめての外国だったし、現地の日本人グループで行動とはいえ実質的にみんなと仲良くなれるまではひとりと変わりないわけで、そりゃもうドキドキドキリコで・・・正直泣きそうでした(笑)

ところが、現地についた翌日に私はやらかしてしまった。
アルコール56度の「白酒」をあおり、せっかくはじめて食した本場の北京ダックをわずか2時間余りでリバースしてしまうハメに・・・・・・・。
知り合ったばかりの仲間に、しかも年下の学生の子に介抱される何とも情けない姿・・・夢にまで見た留学、とんでもない幕開けでした。

しかし、みなさん思った以上に心が広い方ばかりで、こんなワタクシでも、すんなり仲間に入れてくださいました。
最初は語学留学らしくみんなまともに授業受けていたけれど、途中から意気投合し過ぎて毎夜毎晩飲んだくれ、しまいには起きられず授業をサボるようにまでなってしまいました(汗)。
一体何のために留学したのでしょう・・・と帰国後周りからさんざん言われました(笑)

結果的に酒に始まり酒に浸り酒で終わったような留学でしたが、思い出もたくさんできました。
中国の緑茶ウーロン茶は「低糖」という甘いヤツが普通であるということ。
口に含んだ瞬間、甘いと思わず驚いて吹き出してしまったこと。
「無糖」と書いてあるモノを探さないと、普通のお茶は飲めないということ。しかもそれがあまり売っていないということ。
北京で「お茶」と言ったらウーロン茶じゃなくてジャスミン(茉莉花茶)だったということ。
中国のヨーグルトは、ツボに入っていてニオイがすさまじくて、最後までニオイを克服できなくて食べることができなかったこと。
中国の日本食店はまずいということ。
中国では普通に中華を食うよりファストフードの方が高いということ。
中国での物の買い方は、日本と全然違うということ。
中国のトイレは戸がスカスカで、慣れるまでかなりの勇気がいったこと。
ただし慣れるとドアなしでもいけるという(笑)
街でトイレに入るときはお金がいるということ。
現地でチャイナドレスをオーダーメイドしたこと。
試着会をみんなでやったら全然似合わなかったということ(爆)
人生初のディスコ(クラブ)デビューが北京だったということ。
当時爆発的に流行っていたリッキー・マーティンの曲で踊ったこと。
人生初のビリヤードも北京だったこと。
勝負に白熱し過ぎて気がつけば朝方になっていたということ。
軍隊パレードでデパート全閉鎖されていて、1時間かけて来たのに、泣く泣く寮に帰ったこと。
行ったのが9月で、来たばかりの頃は夏だったのに、中旬過ぎると冬になったこと(笑)冬物は持ってきてなかったのでさすがに困った・・・。
同行メンバーに恋をしたこと。相思相愛になったはいいが、日本に彼氏を置いてきていたので、帰国後修羅場になったこと。

来たときは孤独で泣きそうだったのに、帰るときは帰りたくなくて号泣しました。まぁ・・・色んな意味で(笑)
それから8年。4年前には京都で同窓会もして、現在も年賀状の付き合いながら、交流が残っていたりもします。
あんな出会い方だったのに、思い出満載で、全国に友達もできて、ドキドキがいっぱいの、最高の初体験になりました。

肝心の中国語は帰国後さして上達もせず、検定受けたり友達と習いに行ったりしましたけど・・・やっぱり現地習得に勝るもんはないなと痛感しました。 (梅桃ひよ子)

(寸評)海外には絶対行った方がいい。
特に先進国より、日本より後進国と言われている国に。
俺も新婚旅行で初めて海外に行くまで「海外なんて別に行かなくても・・・」と思っていたが、人としての物の見方が確実に広がる。今まで日本では常識だったものが簡単に覆って「そういや、こういう考え方もあるよな~」と感じるだけでも行く価値はある。

俺も中国は一番印象の強かった国と言ってもいい。なんせ白人とかと違って一見日本人と顔つきとか変わらないのに、あらゆることが違う。目から鱗がポタポタ落ちる経験は、国内では絶対出来ない。
と言っても最初に中国に行ったのは15年ほど前。今年も上海に行ったがあまりの変貌ぶりに驚愕。もはや特に都市部では日本とほとんど変わらない。でも地方に行けばまだ古き良きならぬ、古き驚きの中国があると思う。

とにかく海外は行くべきだ。へたな国内旅行よりもコストも安かったりもするんだから、行ったことない人は思い切って行って損することはないぞ。人として絶対に得るものがあるっ!
ちなみに来年2月は俺はまるまるひと月タイのチェンマイでボーッとしているので、遊びに来たら酒ぐらい誰でも一緒するよ。・・・奢らないけどな(笑)。8ポイント。

はじめての「たまのビデオありますか?」



ロザリオです。今回の初体験は友達に些細な事で電話した事です。家にはさよなら人類2つと方向音痴とオゾンのダンスとらんちう(途中で終わる)を撮ったビデオしかないので、たまを知ってたKさんとMさんのお母さんに電話で家にあるか聞く事にしました。Kさんの家に電話しました。
「あのー、Kさんの家ですか?ロザリオですが・・・・」
「ああ、ロザリオね。Kの家だけど、何か用?」
「お母さんに代わってくれる?」
「いいよ。お母さん、ロザリオから電話だよ。お母さんに用が有るって。」
「はい、代わりました。ロザリオちゃん、用って何?」
「あのー、家にたまのビデオありますか?」
「はい?・・・ああ、たまね。家を引っ越しする時に捨てちゃったんだよ。ごめんね。」
「あ・・・そうですか・・・」
「一応親戚なんかに聞いとくよ。」
「ありがとうございます。それでは。」
今度はMさんの家に電話しました。
「あのー、Mさんの家ですか?ロザリオですが・・・」
「あ、ロザリオちゃん。どうしたの?」
「あの・・・たまのビデオありますか?」
「ごめんね。家には無いの。」
「そうですか・・・・。ありがとうございました。」
どうせこうなると思っていました・・・こんな事になるなら聞かなきゃよかった・・・

(寸評)まぁ、たまがテレビによく出てたのってもう15年以上前だからね。俺も一応自分達の出てた番組は録画していたけど、もうテープ自体が駄目になって観られなくなってしまったものも多い。
なので一番いいのは、ここに投稿している人達は基本的にたまファンでそういう映像を持っている人も多いから「誰か見せてくれませんか?」と聞いてみたらどうだろう。常連の人なら俺が直接知っていて信頼出来るちゃんとした大人の人もいるので、そういう人に観せてもらうのがいいかもね。
でもくれぐれも「テレビに録画したのを売ってあげる」とかいう人の誘いに乗っちゃだめだよ。それは法律違反の悪い人だからね。
ま、とりあえず前も言ったけどちゃんと現在も発売されている「たまの最期!」というDVDをおこづかい貯めて買いなさい。面白いよ。5ポイント。

初めての毛虫屋敷



毛虫との戦いが始まったのは高校生になった年の春でした。
ある日なんの前触れもなく、真っ黒い5cmほどの大きさの毛虫が家の壁を埋め尽くしていました。
原因は庭にあった屋根ほどの高さの樅の木。
何故あんなに大量発生するまで気がつかなかったのか不思議でなりません。
屋根から壁から這っているので玄関のドアを開けると上から毛虫が落ちて来るため、学校に行くとき帰ってくるときは命懸けでした。
自転車に乗るときも毛虫がついていないか確認し、壁に触れないよいに細心の注意を払うのです。 そのうえ毛虫は隣近所の家々にまで勢力を伸ばすので、家族で毎日わりばしで毛虫を取っていました。
いくら取っても減る様子はなく毎回ゴミ袋がいっぱいになるのです。
毛虫を取っているときに近所の人が通ると非難の視線を感じるので、それもストレスで気が狂うかと思いました。
それからというもの何年か周期で大量発生がおこり毛虫と戦ってきましたが、今年ついに原因の樅の木を切りました。
木に罪はないけれど、やっと平和が訪れた気がしました。 (若様)

(寸評)俺も高校の頃、俺の部屋に覆いかぶさるように桜の木があって、そこから大量のアメリカシロヒトリが発生して「アギャキャ~!」の毎日を送っていたことあったな~。公務員宿舎なので勝手に木を切ることも許されず、悪夢の日々だったな~。
その家のあった場所は、今は大学の運動場の一画に。もはや「アギャキャ~!」はともかく、青春の日々を送った面影も全くなくなってしまったなぁ。6ポイント。

はじめての着付け教室



着物には興味があって、自分で着れたら素敵だろうなと思っていたところ、四ヶ月で終了の無料の着付け教室を見つけました。

説明会でも「無理に着物を販売することは一切ありません。着物の正しい知識の伝承が目的」といっていて、CMなども流している大手の会社だったので、こりゃあお得だわとさっそく習い始めたのですが…。

四回目の授業が「帯セミナ-」

京都の老舗のとある帯メーカーに行きました。午前中はほとんど帯メーカーの会社説明会みたいでしたが、色んな帯があって、普段見られないところなので楽しかったです。

問題は午後。ふと気がつくと一人の生徒に帯メーカーの人か、教室の本部の人が一人ついている状態に…。
私は教室の先生と本部の人二人に囲まれていました。

20万の帯を前に勝手にローンの計算をされ「これなら払えるでしょ!」おいおい、買うわけがないと思って周りを見渡すと、ちょっと離れた半個室にテーブルがあり、そこへひっきりなしに生徒が吸い込まれていくのです。なにやら書類を書いている様子。

私は結局三時間、二人からセールストークをされましたが何とか逃げ切りました。説明会で帯が売れようが私達の利益とは関係ないっていってたくせに、あの気迫はねずみ講している人たちと同じ臭いがしました。

結局8人中6人が20~30万の契約をしたと思います。夫には言えない~と言っていました。私は着付けが習いたかったもともとの理由が「祖母の大量にある着物を着たい」という事だったので新しく買うなんて考えられないですが、元々持っていなくて興味のある人には魅力的な機会だったのかもしれません。確かに帯を見ても百貨店よりは良いものが安かったので。…でも、そうはいっても高すぎるよ。(ぴよまる)

(寸評)そりゃあ企業は「利潤を追求する」が最大の命題だからね。あの手この手を使って一見そうとは見えないけど販売戦略は立てるよね。
ま、大きく考えても「そこでたとえ売れなくても和服に興味を持つ人が増えれば 、業界全体としては利益が増える」わけだしね。
もちろんそれが即悪いこととは言えないけど(ある意味「企業努力」だからね)、企業がかかわっているものは、彼らの本当の意図はどこにあるのかは常に頭の隅には考えておいた方がいいよね。6ポイント。

初めての救急車



大学生の時に車にぶつかりました。
なんだか忙しくて半寝入りしながら自転車を漕いでました。十字路に差し掛かり左右を朦朧と確認、そのままふら~っと走り出しました。するとその時右から乗用車が! やっぱりぶつかり、わたしは地面に自転車ごと横転しました。
遠くからその光景をみていた当時バイトしていた社長の奥さんが『あら、女の子が跳ねられたわ。』と、救急車を呼んでくれましたが、そのときは自分の仕事場の子だとは気がつかなかったそうです。ぶつかったのは強い衝撃ではなかったから、べつに何処も痛くなくて、だいじょうぶな気がしました。
なので、しばらくは倒れてましたが、救急車には歩いて乗り込みました。そして、車の中では、『だいじょうぶ?』と聞かれても『ハイ。平気です。』と、座って答えていました。病院では、大した処置もなくすぐに返されてしまいました。 ところが学校に行き、段々と転んだ時に撃った腰が痛くなってきました。そこでやっと我慢出来なくなって家に帰ることにしました。あとで、事故にあった自転車の後始末をバイト先の社長さんが結局してくれていて、それをまかせきりにしたことをこっぴどく叱られたのが一番痛い思い出となりました。(おっく)

(寸評)交通事故はたいしたことないと思っても後で症状が出てくる場合もあるからね。よー注意せーや。骨盤痛んだらお産の時大変かもしれないからな。女の腰は、宝やで! 5ポイント。

初めての点滴



初めて点滴したのは、顔が年とったオランウータンみたく膨れてしまった病気にかかった時でした。免疫力が落ちてた時黴菌が傷口から入り何故か顔がパンパンに腫れてしまいました。点滴でクスリを入れて黴菌を殺したみたいですが、腫れがひくまで4日か5日ぐらいかかったんじゃないかな?
あの時の顔、写真にとっておけばよかったです。
一回点滴の針がずれて、痛い思いをさして頂いた糞みたいな看護婦さん以外は、皆さん優しくて、寝てる時もなんでか頭がスッキリしていて、たまにはこういうのもいいかもなあと、おもいました。

(寸評)パンパン病だね。年とったオランウータンみたいな顔・・・怖いものみたさでちょっと見てみたかったなぁ。5ポイント。

初めての暴力恐怖



本屋でバイトしていた時のこと。

そこの契約社員(男)が、「前に務めていた百貨店は上司を殴ってクビになった」「女、子供でも容赦なく暴力をふるう」という事を自慢話として語るしょうもない奴で、私はできるだけ近寄らないようにしていました。

ある日そいつに矛盾した言いがかりをつけられ、流しておけばいいもののつい反論してしまったのです。
するとそいつの顔はみるみる赤くなり、唇がわなわな震えだし大声を出し始めました。場所はレジカウンターの中…。驚いたお客さんがカウンターから去って行きました。
こんな脅しには負けるもんか!と思って相手の顔をじっと見るのですが足だけが勝手に震えてしまうのです。その間そいつは大声で怒鳴りながら私をカウンターの隅に追い詰めていて、初めて「殴られる!」と身の危険を感じました。
異変に気がついた店長が止めに入ってくれて収まりましたが、なんだかなあ…の体験です。

そいつは普段から不愉快のサンプルみたいな奴でしたが、そういうのは過ぎてしまえば「いろんな人がいるっていう勉強」と思えるのですが、不可解な暴力だけは恐怖の感覚として残ってしまって本当に許せないのです。(ぴよまる)

(寸評)あー、もし殴られたら莫大な慰謝料請求したらいいね。顔とかなら100万は取れるかも。でも恐怖の感覚は嫌だね。やはり君子危うきに近寄らずかもね。6ポイント。

初めてのヤクザと戦闘



カラオケ店社員時代、私の店舗によく来ていたヤクザとの戦闘記録です。
そのヤクザグループは山■組系の本物のヤクザの人たちだったのですが、沖縄からやってきたとても小さなヤクザチームで、なんだか本物のわりにはとても金銭関係でしょぼく、いつも支払いのときにツケにしろとか金を持ってない、とか言い始めるのです。
一応いつかは支払いに子分がくるのですが、それもいつくるかわからないし、そういう時は、その分の売り上げを私が立て替えて穴埋めするか、なんとか裏工作して本社に誤魔化すか、そのどっちも無理な場合は報告書を書いて果てしなくそういう事態になったことを本社へ謝らなければならなかったので、度重なる不払いに私は完全にキレていたのです。

その日も子分を連れてやってきたので、最初にまず「ツケはききません」ということを告げ、何かオーダーが来る度に「只今いくらになりますが、よろしいですか?」と確認し「今日はちゃんと払ってくださいよ」と何度も念押したのにも拘らず!!!!!!

「お金ないや」

帰りのフロントでの清算でそんなことをぬかすのです!!!
もーーーーー私はキレました!!!!!
私 「無理です。確認もしましたよね?お支払いください。」
親分「いいじゃん、ツケといてよ」
私 「ダメです。お支払いください」
親分「金無いっていってんだろ?コラ??」
私 「もう何度目ですか?!お支払いください!」
親分「ふざけんじゃねぇぞ!!ムチャクチャにしてやるぞ!」
私 「絶対にお支払いください!!!!!!」
・・・・・・・・・・・
といった感じで延々と30分程バトル。
私もお金さえ払ってもらえれば、ヤクザは警察は困るだろうから一発でも殴られない限りは警察を呼ぶ気はなかったので、延々と口頭バトルを繰り広げていたのですが、遂に親分がキレ、
「女だってメチャクチャに潰してやんだからなっ!!!!潰すぞ!!!!」
とウギャーーー!!と叫んだとたん、突然ゴムまりのように暴れまわりそこらじゅうの物や壁や窓を蹴り暴れ、強く壁に打ち付けたスーパーボールみたいになってブンブン暴れまわっているので、最初こそかなり怖かったのですが、しまいには可笑しくなってきてしまって、アルバイトの女の子と2人で目を見合わせ、ブフッーーーー!と笑ってしまいました。
さすがに大暴れなので子分たちが警察呼ばれると思ったようで親分を捕まえて親分は捕まった宇宙人かおサルさんのようになって外へ連れ出されるのですが、親分はまた子分を振り切って戻ってきてしまってはじけ暴れ・・・・・を繰り返しやっと2人の子分に連れられて退却。
残った子分は深く頭を下げ、どうか警察だけは呼ばないでもらいたい、お金は自分が持ってくる、とのことで丸く収まり、即刻持ってくるよう念書を書いてもらって、お金も持ってきてもらい、無事勝利しました。

その後は刑務所に入っていたらしくしばらく来なかったのですが、久々に来たときにはちゃんとにお金払ってくれ(まあ、当たり前な行為だが)、和平条約結べましたとさ。(ことり)

(寸評) 「突然ゴムまりのように暴れまわり」
「捕まった宇宙人かおサルさんのようになって外へ連れ出され」
ぷぷーっ! なんちゅうコミカルな親分さんなんだ。子分もさすがに「これが俺たちの親分か・・・」と白けたろうな。
ともあれ、ことりの毅然とした態度は偉いっ! 10ポイント。

初めてのシーモンキー月刊



ロザリオです。今回の初体験はシーモンキー月刊を初めて見た時の話をします。私は小学四年生なので、ビデオに撮ってあった知久さんのおるがんしか無かったのです。それで「他のシーモンキー月刊は?」と聞いたら、「これしか撮って無いよ。」え?「だって初期で飽きたもん。」馬鹿ヤロー!このろくでなし!と心の中で叫びました。 話はそれますが、たま関係を撮ったビデオがあったら下さい・・・

(寸評)うわ~ん「シーモンキー月刊」って何!? 全く聞いたことのない言葉。すんません、46のおっさんには何を言われているかも分かりません・・・。
ちなみにビデオはあげられないっす。あと変な人から「ビデオ売る」とか言われてもたぶん違法だから買っちゃ駄目だよ。お年玉を貯めて「たまの最期!」というDVDを買ってもらってね。ニヒル牛で売ってるよ。通販もあるよ。5ポイント。

初めてのウキュラー大集合



9月17日マンダラ2での知久さんセッションライブで、3人ものウキュラーにいっぺんにお会いできた。
まず、会場前に並んでいると、投稿王のPさんが声をかけてくれた。次にライブ休憩中にS宿さんが突然私たちのテーブルに乱入。そして終演後にNっちがやってきてくれた。私は他に友達2人といたので、6人で大騒ぎになった。
どんな話をしたかほとんど忘れたが(笑)、何も知らない人が見たら頭のおかしい集団に見られたのではないだろうか…。それほどやかましく、バカバカしかった(とりわけS宿さん!)。
でもこの日お会いしたウキュラーの皆さんは、そんな状況も楽しんでしまう、面白いもの大好き、変な人大好きな人たちばかりみたいで、初対面なのに安心しました。
安心したせいで、私も変な人になってたたかもしれません。もっと沢山のウキュラーと会いたいと思いました!(桃玉)

(寸評)ウキュラー・・・このホームページの投稿常連者や、チャットバー「ウキュピ」に夜な夜な出入りしてくっだらねえ話する面々ね。初めて会ってもチャットとかでなんとなく性格が分かっているのですぐに友達になっちゃうみたいだね。というか恋人になっちゃう人とかもいるみたいだな(笑)。
俺は集団は苦手だけど、これは集団じゃなくて「個々が勝手に集まった」ものだからね。そういう個人重視の出入り自由な空間なら大歓迎。変な決まりごととか仲間内意識とかをあまり高めずに自由に遊んでくれたら嬉しいなー。5ポイント。

初めての、楳図かずお先生。



楳図かずお先生といえば、グワシ。
楳図かずお先生といえば、赤白ボーダーのシャツ。
楳図かずお先生といえば、世紀の天才マンガ家。

興奮冷めやらぬ私の気持ちを、どうか聞いてください。
物覚えがついた頃から私はマンガ漬けでした。小さいころは自分でマンガを買うことが出来ないので、飽きもせずに何度も繰り返し同じマンガを読んでいたものです。その中には、楳図かずお先生のマンガもありました。ある日、親が「漂流教室を読むべきだ!」などと言い出し、買い与えられたので、よく覚えています。以来今まで何度読み返してきたことでしょう。全編を脳内で再現することが可能なほど。
高校生になってバイトをするようになってから、未読の楳図作品を買い漁り、新たに数多くの感銘を受けました。中でも「わたしは真悟」を初めて読んだ時の衝撃は、永遠に忘れられません。あれほど感動する作品があるというならば、私はどんなに大枚はたいてもそれを手に入れ、読もうとすることでしょう。

さて、時は2007年9月17日。MANDA-RAの列に並んでいたときのこと。颯爽と歩く、赤い帽子を被った赤白ボーダーの男性を目にしたのです。そりゃあ、目を疑いました。幻だろうと思いました。と、同時に、列に一緒に並んでいたたま友達の青年に告げました。「楳図かずお先生を見つけたので、行ってきます」と。楳図先生までの距離、約30メートルを、人生で一番早い速度で走る走る走る。

「楳図かずお先生ですね!」と声をかける私。紛れも無く楳図先生。「はい~そうです~」というお答えが返ってまいりました。その瞬間私は車に撥ねられそうになり、「ああ~危ないよ!」と楳図先生にニ度も言われえてしまいました。心の中で『今死んでも悔いはありません!』と呟く。

ファンイベントイベントなどで楳図先生にお会いする機会はありました。でも私は楳図先生に関しては作品を読むことができたこと、そしてテレビなどで元気なお姿を拝見できる事だけで大満足だったので、『わざわざイベントやサイン会に足を運ぶことはあるまい』と、ずっと思っていました。にも関わらず、サイン、握手、写真と、一通りお願いしてしまいました。ただのミーハー女と化していました。

東京にお住まいの人には「楳図かずおなんて、その辺よく歩いてるじゃ~~ん!」と言われちまいましたが、札幌からのおのぼりさんである私が楳図先生に巡り会った。そして偶然にもサイン帳、デジカメ、ボールペンを持参し、車に撥ねられなかった事を思うと、奇跡以外の何物でもないと思うのであります。いろいろまくし立てたけど、聞き取れなかったろうな・・・楳図先生。

ご精読ありがとうございました!! (桃玉)

(寸評) 楳図先生も最近家の問題でゴタゴタしてたので、逆にちょっと嬉しかったんじゃない?特に若い女の子にそんなに熱心に声かけられるなんて。
ただ、若い男の子だったらもっと良かったのだろうが・・・。8ポイント。

初めての勧誘



何年か前、高校の同窓生Aちゃんに怪しい仕事に勧誘されました。
Aちゃんとは高校時代同じクラスで卒業してからもたまに遊ぶ仲でした。
ある日、いつものように遊ぶものだと思って待ち合わせ場所のファミレスに行くと、「ちょっと知り合い呼んでもいい?」と誰かに連絡を取りはじめました。
しばらくして来たのはスーツ姿の若い男。
わけのわからない内に自分が取り扱っている化粧品や健康食品の素晴らしさの説明を始めました。 この仕事は人に紹介すればするほど自分にお金が入ってくるよ、とか、やたら「頑張れば結果が出る」「仲間が助けてくれる」などと言ってきました。

極め付けは、仕事を決めるときは反対されるから親や友達には絶対相談しては行けない、と。
怪しいにもほどがある。
結局、その場では断れずファミレスで2・3時間ほど説明を聞かされました。
家に帰ってから別の友達に話すと、それはネズミ講というものだと教えられました。
すぐにAちゃんに電話をし、断る旨を伝えたら逆ギレし態度を豹変させました。
ああいう仕事に手を出すと変わってしまうのか、もともとそういう人だと見抜けなかったのか、恐ろしい話です。
それ以来、Aちゃんとは連絡を取ってません。 (若様)

(寸評)いるんだよねー、はまる人。っていうかそれで国家が危うくなった国さえあったな。どこだっけ。
そういえば俺が中学の頃、何の知識もなくて「あれ、こういうことやればお金が儲かるんじゃない?」と偶然思いついたアイデアがまさにネズミ講だった。もしこの世にネズミ講がまだなければ俺は大金持ちになっていたかもしれない。そして末端の人たちに殺されていたかも・・・。5ポイント。

初めてのワンセグでのドラマ視聴



この夏にTBSでやってた、とあるドラマです。
ただジャンル的にメロドラマだったので、家族の前では恥ずかしくて、あまりTVでは堂々と見れませんでした。 しかし、5月にワンセグ機能のある携帯に変えたので、自分の部屋でも見れるじゃないか!という事で、夕食後に部屋にこもりました。
今までドラマは年間で数えられる程しか見ておらず、開放感に浸れました。
現代人の考え方などで、考えさせられた面もありましたね。(Hi-)

(寸評)あまり小さいものを見ると、目が悪くなるぞ。その頃実は家族も大画面のテレビで同じ番組うひょひょひょ見てたりしてな。4ポイント。

初めてのCD大人買い



ロザリオです。コーナーにのせてくれて、感謝しています。今度の初体験は、CDを買った事です。ある日、渋谷のタワレコへ虎の子を持って行きました。そこにはライブイン・ニューヨーク、たまセレクション、リバイバルのきゃべつ、さんだる、ひるねなどがありました。私は小学四年生(本当です。知ってはいけない物を知ってしまった?)なので、怪しまれるんじゃないかと思っていました。もちろん店員さんは普通にしてくれました。一万四千円を出しました。家に帰ったら、お父さんに叱られました・・・ 追伸このロザリオというペンネームはひるねのお経の「ロザリオで首を吊ったのさ」からです。シネラマにしようか悩みました。

(寸評)おぉ、小学四年生! 遂にこのホームページに小学生まで参戦して来たか。しかもたまファンとは、すごいな。今後の活躍期待してまっせ~。期待ポイント6ポイント。

初めての従妹



小学校5年の時、親父の弟一家に娘が生まれました。
初めて自分が物心ある時に年下の親戚が生まれたので、「お兄ちゃんになった」という感覚になり、彼女が寝てるところを正座してまじまじと見つめてました。(その写真が今も残ってます)

そんな彼女も、現在小学校5年。丁度彼女の人生の倍に僕自身がさしかかりつつあります。
やんちゃな幼少期を過ごしたと思いきや、今や背丈もだいぶ高くなり、素っ気ないゲーマー少女です。(Hi-)

(寸評) 同年代の奴らとつるんでると年齢ってついつい忘れがちだけど、俺も友達の子供がまだついこの間幼稚園ぐらいだと思ってたら、もう成人して普通の大人になってるのでびっくりする。人生80年となったこの世でも、最初の20年間でグワーッと成長するよね、人って。驚くわ。5ポイント。

初めての船酔い



勤めていた会社の会長が海釣りが大好きで毎月社内行事で「釣り大会」というのが休日にあって私も力の限りに参加していたのですが、 忘れもしない、フグ釣りのときに波が高く漁船は木の葉のように揺れ、私は乗って一瞬で船酔いしてしまったのです・・・・・・。
時間は深夜、季節は真冬、場所は太平洋・・・・・。
外にいては凍えるほど寒いのですが、船室に入るとタバコと魚の臭いで更に吐きそうになるしで死んでも入れず。
私は寒さに震えながら、吐いてしまうのが恥ずかしくって必死に猛烈な吐き気を我慢していたのですが、もうどうにもならなくなり、 一度吐き出してしまったらもうエンドレス・ゲロ。
もう、車酔いなんて比ではなく、吐くものなんて何もなくなっても吐くのが止まらないので完全に衰弱してしまい、フグなんて釣っている場合でなく。
しかも私は船室に逃げ込めないので寒さとも延々と戦わなければならず、完全に横たわり、半目で血の気引いてガクガク震えて転がっていることしかできなくなってしまいました。
そんな私を見て会長。
「ん。なんだことりくん、寒いのか、それとも船酔いか。」
と聞くので「両方です・・・・・・」と力なく答えると
「それは困ったな」と会長。
しかし釣り大会はまだまだ続き、しまいにはあまりにも釣れない様子なので船頭がサバが沢山来ている船があるから貰いに行きましょうか?などと余計なことを言うので私はもう殺される、いっそのこと殴って気を失わせてくれ・・・!!!と泣きそうだったのですが、なんとかサバを貰いに行かずに釣り大会終了。
陸が見えたときには「陸だ・・・・・!!陸が見えてきたぞ・・!!!!!!!!!!!!!!!!」
と、遭難者さながらの喜び方をしてしまいました。

結局フグは会長しか釣れなかったのですが、不憫に思ったのか私にフグをくれたので帰宅してから「ひとりフグ鍋」しました。
でももう二度と船酔いはイヤ・・・・・・・・(ことり)

(寸評) そうか、残念。俺の夜の奥義「後ろ津波」は出来そうにないな・・・。6ポイント。

はじめての痛風



 えー、このたび2X歳で晴れて痛風の身となりまして、足がパンパンでトイレのスリッパも履けませんでした。お医者様から「駄目だ! 酒は駄目だ!」と諭され、看護婦さんからも「酒飲むと痛み止めが効かん! 効かんぞー!」と云われして泣く泣く酒を絶っているところなのですが、仕事でライブの音響裏方をして、どうしても打ち上げだと飲まねばなりません。ところが、救いの手があったのです。
 打ち上げの会場はいわゆる豆腐料理のチェーン店で、ソフトドリンクの欄に「豆乳 200円」があったのです。ああ、これなら普通にソフトドリンク頼むより笑いも取れるんじゃなかろうか。そう思って頼んで、隅っこのほうでちびちび飲んでました。さすがにメニューにするだけあって美味しいんです。豆乳。
 それから2時間後、夜中12時を過ぎる頃にはその場にいたスタッフ、出演者全員(15人くらい)が全員豆乳を飲んでいた、という。

 お店の人もギョッとしたろうなぁ。(あかゑびす)

(寸評) 最近は酔っぱらい運転が厳しくなったこともあって、打ち上げとかでもひどい時だと酒飲んでるの2,3人でウーロン茶飲んでいる人が圧倒的に多かったりすることもあるよね。豆腐専門店の豆乳なら酒飲みの俺でも〆で飲みたいかも。6ポイント。

初めてのエロビデオ



初めてエロビデオを買いに行った時の話です。
あれは中3の時。
それまで僕はAVコーナーの「18歳未満立ち入り禁止」を律義に守っていました。
周りの友達にもあまりオープンにそういう話をする奴はいませんでした。
なのでそれまでの僕のオカズといえばマガジン等のグラビア程度でした。
「あぁ~早く18にならないかな~…」と切望する日々。
そんなある日の事、「古本屋とかの店員はたいていやる気ないから中学生とかにも売ってくれる」 「俺は小学生の時に買えた」等の情報を手に入れ、買いに行こう!、という決心をしました。
当時の自分としては一大決心だったと思います。
小心者なので友達にバレたくないという思いから、隣の隣町くらいまでチャリを飛ばしました。
そこに行き着くまでの、期待半分、不安半分の心地の良い緊張感…。
30分ほどかかってようやく到着。
まずは店員チェック。
40代後半とみられる、ヒゲ面メガネのオッサン。
あっ今あくびをした!
よし、やる気はなさそうだ。
次は店内チェック。小型店なので狭いし、客も一人か二人。
これなら行ける!と思い、意を決してAVコーナーへ。
しかし、「18歳未満立ち入り禁止」の暖簾が今日は特に意地悪く立ち塞がってるような気がして、いったんエスケープ。
全く興味のない近代文学コーナーで立ち読みするふりをしながら、気分を落ち着かせ、勇気を奮い立たせ、いざ暖簾の向こう側へ!!そこはもうパラダイス、夢の世界が広がっていました。
店員のオッサンも特に注意する様子なし。
でもやっぱりなんか落ち着かないので、あまり物色する余裕もなく、なんとなく目についたナース姿の美女が微笑んでいるパッケージのを買うことに。
ドキドキしながらレジに持っていくと、オッサンは至極事務的に「○○円になりまーす」。
店から出ると外はほんのり暗くなり、初秋のあの独特な優しい空気が流れていました。
僕はなぜか敵武将の首でもとったような、少し誇らしげな気持ちになっていました。
そこからまたチャリで30分ほどかけて自宅へ。
しかし、家に着いたからといってすぐに見れるわけではありません。
うちにはビデオデッキが居間に一台しかないので、家族がみんな寝静まる1時くらいまで待たなければなりません。
それまでの時間のま~長いこと。
しかもこんな日に限って母がいつまでもテレビを見ている。
結局2時くらいになってようやくみんな寝静まって、お楽しみの時間に。
あのビデオデッキにテープを入れて再生ボタンを押す時のドキドキ感を僕は一生忘れないでしょう。 画面に映ったのはまさに男の夢、希望、ロマン…。
マガジンのグラビアから一気にナース美女のオッパイ、マ○コです。
今まで免疫つけないで良かったな~ってぐらい興奮しました。

しょーもないけどこういう最初に感じた感動や、初期衝動みたいなのを忘れずに生きて行きたい!(ミッヒー)

(寸評)俺の時代はまだビデオなんかなくてエロ本程度だったけど、その興奮、分かるぞーい。確かにあれは青春の大事な大事な一コマだった。その感動を忘れずになっ! 6ポイント。

初めての猥褻電話



高校2年生のある日、家に一人で居ると電話がかかってきました。
私「もしもし。」
若そうな男の声「テレフォン××しよう。」
私「!!!?」
男「…………」
私「…………」
男「テレフォン…」
と言いかけたところで私はガチャっと電話を切りました。
でもすぐに電話がかかってきました。
取りませんでしたがずーっと鳴らしているのです。
しばらくして切れたと思ったら、またすぐにかけてきました。
それを何度も繰り返すのであまりに頭にきて罵ってやろうかと思いましたが、電話番号を知っているなら住所もわかっているだろうしこんなことをする頭のおかしい人は何をするかわからないので我慢してました。
そのうち弟が帰ってきたので急いで引っ張ってきて電話を取ってもらいました。
弟が「はい。」と言うとすぐに切れたみたいです。
そしてその日はかかってくることはありませんでした。
こういうのをかわいく「いたずら電話」なんて言ってはいけないと思いました。
もともと電話嫌いだったのにそれ以来もっと電話が嫌いになってしまい、家の電話が番号通知になるまでかかってくる電話を取るのは一切やめました。
番号通知になっても家族と親戚以外からの電話は取りませんが…。 (若様)

(寸評)うちの実家にもかかってきたそうです。母が出てやっぱりそんな風こと言ってきたので「私70過ぎよ」と言ったら向こうからガチャリと切られたそうです・・・。6ポイント。


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