ドキドキドキリコ初体験(50)

初めての肛門科



私が初めて肛門科の専門病院を訪れたとき・・・それは、便秘を長期にわたり放置した後にやってきた、悪夢でした。

きっかけは、6年前の初めてのお産のとき。とても大きい赤ちゃんを無理やり押し出してしまったので、お尻の方まで裂けてしまい、ドクターから縫ってもらっていました(それがお産より痛かった・・・)。そしたら、便を出すのに怖くてとても力めず、便を出さずに2週間くらい経つと・・・気がついたら、糞詰まりで日常生活が困難なくらい、具合がわるくなっていました。いちじく浣腸を使っても、ウンともすんとも言いません。近所の世話好きのおばちゃんに話すと、「便秘がひどくなると、浣腸じゃすまないのよ・・・肛門科に行かないと。」浣腸じゃすまないって?と思いながら、タクシーを呼び、最寄駅近くの肛門科専門病院へ(とても自分じゃ運転できないくらい、便で圧迫される下腹部&肛門に自分の意識が集中していました)。

肛門科の診察は、行かれた方はご存知と思いますが、ベッドに横向きに寝て、ズボンを下ろし、お尻をドクターに向けるスタイル。先生は私のを見るとひとこと「穴の中は、四方八方、うんちだらけです。ほじり出します。」と。浣腸じゃすまないとは、このことか・・・と思っていると、おばちゃん看護婦に連れられ、個室へ移動。おしりの部分だけ切り取られた薄い布の長ズボンをはかされて、またベッドに横になる。パフェ用スプーンのようなものを持った看護婦に「どうしてあんた、こんなんなるまで放っておいたのさー!ああ、掘っても掘ってもうんちだらけできりがない!」と小言を言われながら、もりもり掘られてしまいました。「これでそろそろ、浣腸でも利くくらいうんちが減ったから、これから浣腸だよ!」と。「でも、浣腸されても、五分は出さずに待つんだよ。お腹がぐるぐる痛くなっても、五分待たなきゃ、お腹中にちゃんと液が回らないからね!」

そう言われても、もう打たれてすぐに出てしまいそう・・・なのに、それをがまんしたまま、看護婦に連れられて、なんと他の患者がいる待合室を横切って、その向こうにあるトイレへと誘導され・・・しかも、尻に穴あきズボンをはいたまま、お尻をバスタオルで押さえての移動。結局トイレにつくまでは便をがまんできましたが、五分待てなんて拷問だー!

それからは、ヨーグルトをもりもり食べて、絶対便秘にだけは気をつけています。 (まんまるちゃん)

(寸評)おぉ~、俺は便秘にはなったことないのだが、壮絶なものだな。「穴の中は、四方八方、うんちだらけです」って羞恥プレイみたいだな。とにかく貴重な報告ありがとう。今日も元気だ、モリモリ出そうっ! 10ポイント。

初めてのエロ本



小学3年くらいのときかな? 幼馴染みに連れられて川原で見せて貰ったのが、何冊かの新品のエロ漫画本でした。
エロ本の自販機が目に付いてとても気になっていましたが、本物をみるのは初めてでした。劇画タッチの激しい描写のそれは、カルチャーショックでした。覚えてるのは、『魁!男塾』に出てきそうな筋肉りゅうりゅうなゴツい看護婦(女)が、妖艶な後輩看護婦を犯すというもの。こんな世界があるんだ!と、エロ妄想は広がるばかりです。そして、川原に遊びに行く度にそのエロ漫画を読みたくてしかなかったのですが、当時のわたしは悪いことしてるみたいで近付けなかったです。
数ヵ月後、ひとりで意を決してまた川原にエロ漫画を見に行きました。残念なことにエロ漫画本は雨に濡れ、ページとページがくっつき読める状態ではなかったです。えーいっ!と、漫画本を遠くの繁みに放り投げました。それからかなりエッチな知識がついてしまい、落ちてるエロ本のページを拾いあるったり、学校の先生のシャツからはみ出るブラジャーのラインが気になってしまったり、自分で漫画のシーンを思い出しながらエロな会話を脚色してみたり、どんどんととどまることを知らないハレンチな脳味噌満載になっていきましたとさ。(おっく)

(寸評)ううむ、小学生くらいの時はエッチなことに興味があるのは男子だけで、女子は「男ってエッチね!」とか嫌な顔されてたけど、本当は変わらなかったのだな。同性でそういう話を恥ずかしがる子もいた分、つもりつもって莫大な妄想を産んでいたのかもね。
しかし女子が同性の先生のブラジャーのラインが気になっていたとは驚いたなっ! 7ポイント。

初めてのニヒル牛!



 mixiで知り合い、その日出逢ったばかりのたま好き6人と、西荻窪駅に集結した。ニヒル牛へ押しかけるためである。人たま歴は2年から10年以上と様々だが、なぜか皆、初めて会った気がしない。ともすると『あ…久しぶりです』と言ってしまいそうだ。

晴天の中ニヒル牛へぞろぞろと歩く6人衆。ニヒル牛の看板が見えたときは『おぉ!!』と歓声が挙がった。
 ニヒル牛店内はわたし達の集団であっという間に大混雑してしまった。店番をするは、あるさん!!皆さん口を揃えて仰るように、私も一目でわかりました。『お会いできて光栄です、いつもファザーにはご慈悲を戴きまして…』と自分でもよくわからない事を口走った。

 興奮を抑えつつ、店内を見渡す。ブログやホームページで見るのと実際見るのは全然違う!!小さい店内の箱を見ても面白い。作家さんそれぞれの世界が、小さな箱で展開している。魅力的すぎるお店だった。広くて何でもあるお店より、狭くてすみからすみまで見たくなるお店のほうが、心くすぐられるものだ。

 5分ほど眺めた時点で『満足するまで見るには3時間はかかるな…』と悟った。それに欲しい物を全部買っていたら、私の財布はスッカラカンになってしまう!それもまた一興…というわけにはいかない。私たちはこの後、ニヒル牛2、そして知久さんのライブになだれ込まねばならないのだ。

 ニヒル牛の魅力の魅力は、凝りに凝ったお店の造り、複数の作家さんの作品の集合体がひとつのお店になっている点、そして看板娘、あるさんにあり!!!(ニヒル牛2へつづく)(桃玉)

(寸評)看板娘は確か桃玉と同じくらいの年齢のひろかちゃんであって、決して妻ではないのだが(笑)。あと『いつもファザーにはご慈悲を戴きまして…』って逆になんか俺が変なことしてそう。お慈悲・・・。
ニヒル牛はやっぱり時間をかけてじっくり見ないと、ぱっと見ただけでは面白さは分からないよね。そういうタイプの店だよね。
ちなみにひとつひとつの箱は最初から少し古びた感じを醸し出す為に、何度も色塗りをしてはヤスリでこすってを繰り返して、結構実は手間がかかってます。作家が作品を持ってくる度に毎日微妙に変化する店なので、また遊びに来てね~! 4ポイント。

初めての、死ぬかと思った。



東京へ二泊ばかり遊びに行った。現地の友人たちとも別れ、いよいよ帰りの空港へ向かうという時、突如、体から力が抜けていった。『緊張がとけたのかな?』なんて気楽に構えていたら、手と顔まで震えだし、しまいには立っていられなくなってしまった。

 『ああ、どうしよう、死ぬんだ』本気でそう思った。救急車を呼ぶべきか否か、遺言を書くべきか。書くとしたら何て書こう、『我が人生に悔いなし?!』脳味噌フル回転しているうちに、旅行中遊び狂っていて、常備薬を前日の晩と今朝、飲み忘れていたことに気づいた。

 近くにあったコンビニに這いつくばって入り、『すいません…具合わるくて歩けないんで、水買って下さい…』と店員に頼んだ。しかし店員はキチ○イを見るような目で私を見ている。違うのよー!
 幸い、薬を飲んで安静にしたらすぐ良くなりました。皆さんも薬の飲み忘れにはご注意を!!
生きてて良かった…。(桃玉)

(寸評)持病がある人は本当に薬の飲み忘れにはご注意を!! なんか夢中になってるとついつい忘れて、緊張がとけた時に一気に来ることあるからね。今後も気をつけてね! 
でも俺が店員でも、コンビニに這いつくばって入って来る人がいたら、さすがにギョッとなるかも・・・。6ポイント。

初めての100人に1人



私はパニック障害です(しつこい?)。
 なりたての頃、恐くてひとりではいられなくて、入院したいと医者に相談したところ、かかりつけのクリニックは入院設備がなかったので、睡眠障害の専門病院を紹介されました。
 儲け主義の病院のようで不要な検査をたくさんされ、CTを撮った時のことです。
 「前頭葉が萎縮してる」と言われました。
 医者は「僕は専門外だからよく判らないけど、1年くらい放っとけば?あはは」と明らかに看護師についてクレームをつけたことを根に持った、無責任な発言をします。
 冗談じゃないよとさっさと退院、脳外科へ走りMRIを撮りました。
 写真を前に医者は黙っています。
 アルツハイマーだと思い込んでいた私の「先生、私、覚悟は出来ています。ほんとうのことを・・・」と振り返れば笑っちゃうような台詞を遮り、医者は「100人に1人、多くて2人、いるんだよね、こういう人・・・」とぼそりと呟きました。
 通常脳は頭蓋骨にぴったりくっつきながら成長しますが、時々脳と頭蓋骨の間に隙間が出来る人がいるのだそうです。
 「日常生活に支障は?」「全然ありません」
 そんな訳で今も私は元気に(いえ、病気なんだけど)生きています。(鈴)

(寸評)いやいや、気持ちは分かるよ。30代半ばも過ぎると「完全健康体」の人の方が少ないもんね。みんな大なり小なり何か持病を持っているからね。で、やっぱり検査の結果が思わしくないと言われれば「死ぬのかも?」とはどうしても考えちゃうよね。
まぁ直ればそれに越したことはないが、すぐにそうはいかない場合はうまく病気と付き合って、のらりくらりとやっていきましょう! 6ポイント。

初めての厚化粧



エステシャンの資格を習得しようとしている友人に、「化粧の講習会があるから一緒に来てくれないか」と誘われました。私は自主的に化粧というものをしたことがありません。しない理由は沢山ありますが、一番の理由は、面倒だから。
 人一倍化粧に興味が無い私ですが、好奇心で付いていくことにしました。小ぢんまりした集まりだと思いきや、ホテルの宴会場のようなところに数百人ものエステシャンが集合しておりました。なんだか新興宗教のようなノリだぞ・・・おい。

 趣旨は、「高名なエステシャンの化粧術を盗み、実際やってみよう」といったもののようでした。私は友人から全く聞かされてなかったのですが、化粧の実験台にされるようです。化粧に興味はないとはいえ、「一度くらい、お化粧をしてみてもいいかな~♪」なんて思っていたので、これは良いチャンス!と、内心わくわくしながら仕上がりを待っていました。

 少女漫画などでお決まりの、『えっ!?これが本当に私!?』というのを期待していたのですが、バレリーナ並みの厚化粧の自分を見て、正直、ただただ不気味でした。講習会が終わり、バレリーナ並みの厚化粧の人々が会場からゾロゾロと出てくる様子もかなり不気味。帰りの地下鉄で手鏡を覗いたら、鼻の周りのファンデーションと、口紅がはげてる。「慢性鼻炎の私に化粧は無理!」とますます化粧から興味が遠のいた一日でした。『生涯すっぴん!』(桃玉)

(寸評)俺も薄化粧はともかく、厚化粧はただただ引く。「どんだけ素がひどいんだっ!?」と。
厚化粧ってまるで仮装大会になってるのって、やってる人は気づいてないのだろうか。
・・・って化粧バリバリの人を敵にまわすのも怖いので「どうせするなら完璧にうまい化粧で文字通り化けてください。それ以外の人は化粧品会社の商法戦術に騙されないで、きれいなすっぴんでいてください」と言っておこう。6ポイント。

初めての牛小屋



ロザリオです。わたしがたまを初体験(知った)のはある日、お母さんがひるねを撮ったカセットをかけてくれました。その時、ふと流れた〈牛小屋〉がツボにはまりました。それから、たまが好きになりました。

(寸評)あの曲はやってても本当に楽しかったな。太鼓もシンプルなので演奏中動き回れるのも愉快だったんだよね~。3ポイント。

初めてのケアンズ



オーストラリアのケアンズというところに行ってきました。
私が行ったときは乾季で気温も20℃~25℃と過ごしやすい時期でした。
ケアンズの街を歩いていて思ったのは『日本人多い!!』ということです。
すれ違う観光客の半分は日本人だったような気がします。
街を歩けば日本人観光客、ホテルのフロントには日本人スタッフ、みやげ物屋や食事処にも日本人店員、もしくは日本語ができる外国人。
「どうぞ見ていってくださいねー」と何回言われたか。
みやげ物屋が集まっている場所のある店の柱には日本語で『スタッフ募集』と書いた紙が貼られていました。 どれだけ日本人向けの観光地になっているんだ。
外国人の多い日本みたいだと思いました。
日本人店員が居たのは助かるけど、外国に来たー、という感じはやっぱり薄かったです。
地元のスーパーに入っても日本語で品名が書かれたりしていました。
そこで目に付いたのは『ジゃーキー』と書かれた紙。
『ゃ』だけ平仮名で『ジ』の濁点は後から付け足されている感じだったのがおかしくて写真を撮ろうかと思いましたが、店員に「ヘイッ!!」と怒られるかもしれないと小心者の私は諦めました。
でも一つ違う通りに行くと日本人の姿はぐっと減り、外国気分を味わうことができました。
少し離れた大型のショッピングモールにも行ってみましたが、そこも日本人が少なく外国だわ~という気分を味わえてよかったです。
歩いていて目が合った外国人に「ハロー」と挨拶してみたり、(多分)オーストラリア人店員相手に頑張ってシャーベットも買ってみたりしました。
ケアンズは日本人が多かったけど気候も良く、治安も良く、きれいな所で行ってよかったです。 (若様)

(寸評)俺も昔スイスの山岳観光拠点のとある町に行って、夜メインストリートに行ったらすごい人出だったんだけど、それがぱっと見全員日本人! これにはたまげたなぁ。
なので海外旅行にまだ行ったことのない人よ、おびえるな。ガイドブックに載ってるような有名観光地に行けば世界中どこでも日本人だらけじゃて。5ポイント。

初めてのコアラだっこ



オーストラリアのケアンズ駅からキュランダ鉄道に乗って約一時間のキュランダ村というところに行きました。
途中、世界の車窓からのオープニングになっているという場所も通りました。
キュランダはカントリー調の村でした。
まずツアーの予定にコアラと記念写真というのが入っていたのでコアラ園に向かいました。
そんなにコアラが好きだったわけじゃないので、コアラとの写真も特に楽しみにはしていませんでした。
コアラ園に入るとほとんどのコアラは木に?まって眠っていたのですが、一匹だけ起きていて元気に走り回っていました。
そして近寄るとこちらに興味を示して塀に寄りかかって立ち上がるのです。
コアラ、なんてかわいいんでしょう!!!
本物を見ないとよさってわからないものだなぁと思いました。
日本人ガイドの人も「コアラは20時間は眠っているので起きてるのは珍しいんですよー。」と言っていました。 起きているコアラを見られてラッキーでした。
そのすぐ先でコアラとの撮影会が行われていました。
ひとりひとりが順番にコアラをだっこしてコアラ園のカメラで撮影してもらいできた写真をもらいます。
その間に自分のカメラでも撮ってもよいのです。
並んでいる間に見た撮影中のコアラは、先ほどの元気いっぱいのコアラと違ってたくさんの人と撮影をして疲れていたのか眠いのか、ぐったりしていたのが可笑しくて可哀想でした。
私の番になり飼育員から私の腕にコアラが。
コアラは思ったより大人しく(ぐったりしていたからか)、ふわふわしていて物凄くかわいかったです。
コアラ大好き!!
あまり時間がなくゆっくりできなかったのは残念でしたが、コアラと触れ合えてよかったです。
コアラに心奪われました。 (若様)

(寸評)今度は是非タスマニアデビルも抱いてやってくださいっ! 5ポイント。

初めての救急車乗車



あれは9歳か10歳の頃でした。
ある冬の一日。風邪を引いていた私は学校を休んで寝ていました。そして鼻をかんだ瞬間、何かが切れました。血がだら~と。しかも大量に。最初はティッシュで抑えていたものの、間に合わず、両手ですくい慌てて家人を呼びに行きました。ところがみんな外出中でしょうがなく台所に顔だけ出して、とりあえず周りが汚れないように、誰かが来るのを待っていました。
そこへ祖母が帰ってきました。祖母に「鼻血が止まらなくなった……」と言い、また布団に寝かされました。祖母がかかりつけの小児科に電話をして、対処法を教えてもらい、待つこと2時間。頭を高くして冷やしたり、横向きになったりしましたが、止まる気配がまったくありません。祖母は運転免許を持っていないので、仕方なく救急車を呼びました。数分後、衆人環視の中救急車の担架に乗せられ、病院へ行きました。そしてそのまま入院。病室の中には、ご飯が食べられない子がいたため、看護婦さんにこっそり食事を出してもらったことを覚えています。
一週間くらい点滴しましたが、大量の鼻血の原因は今もなお不明のままです。 なつめ

(寸評)子供ってよく鼻血出すよね~。あと乗り物酔いも。あれはなんで大人になるとなくなるのかね? 6ポイント。

初めてのお葬式



8才の時、父のお葬式でした。
 記憶はおぼろげなのですが、割りと鮮明に覚えているのは、父の上司が父のことをぼろくそに言っていたことです。
 「××くんは頑固でわがままで子供のような人でした」
 お、おいおい、と内心突っ込みながらも、その言葉に深い愛情と大切な部下を失くした悔しい気持が込められていることが、子供心にも伝わりました。
 この人はお父さんのことがすごく可愛かったんだなあ、と思ったものです。
 ありがとう、あの時のおじさん(とっくの昔に亡くなっていると思うが)。
 娘は嬉しかったよ。(鈴)

(寸評)本音で言えると一見悪口のように聞こえても愛情ということあるよね。もちろんその逆もある。ちゃんと見極めて真の優しさを知りたいね。5ポイント。

初めてのキヨシ



カラオケ店で勤めていた頃、私の店舗によく来る近所でも有名な山下清がいたのです。(マ、マスタのことではないですよっ・・!)
もちろんすぐに「キヨシ」と皆、呼び始めました。

キヨシとの初対面は強烈でした。
深夜3時頃、上着を全部ズボンの中に入れてすごいハイウエストでズボンをはき、
顔中血まみれで頭からも血を流し、
「カッ、カラッ、カラオケー!・・・」
などと1人で やってきたのです。
な、なんだこの怖い山下清は・・・・!!!と思い、絶対入れらんない、絶対無理!!
と思いかなり熱く攻防戦を繰り広げてお帰りいただき、なかなか恐ろしい思いをしたのが最初でした。

その後もちょこちょくキヨシはやって来て、お金はちゃんとに払うので悪いお客さんではないのだけども、 来ると部屋にはいないでずーーーーっとフロントに居座り「お縄にかかっちゃうぞ!グヘグヘグヘ!」と笑ったり、
ハーーッ!とかいって空手の型をやったり、よだれでベトベトの手でフロントのボールベンをつかみ、幼稚園児の描くような意味不明なお絵かきをして見せてきたり、
人生相談みたいのを聞かされたり(でもキヨシの言っていることは7割方聞き取れない)、来週アル中で入院する話を聞いたりとずっと相手しなければならぬので忙しい日はやはり絶対に入れられないなかなかハードなお客様でした。

他のお客様も確実に怖がるので本気で困るキヨシなので、
「ちょっとお酒が 入りすぎちゃってるから今日はもう帰りましょうよ!」だとか、
いつも自転車移動のキヨシなので「大将の自慢のベンツ見せてくださいよ!」(キヨシは自転車をベンツと言っていた)などと諭して外へ誘導したり、
窓の向こうに向かってくるキヨシが見えたら、今だけ入り口鍵かけてしまえ!!とか根本的に入れなくしたりも色々とがんばったものです。

そんな迷惑なキヨシだったので皆ウンザリしながらも、たまにはベトベトの賞味期限切れたパンをくれたりとか愉快な面もあるキヨシだったので来ないと来ないでキヨシが心配になってきて、いつの間にやらこの街一番の有名出入り禁止人物に皆魅了されてきてしまったのです。
こんなキヨシ、本物の精神薄弱なおじさんなのかと思っていたのですが、ある日、夜中にキヨシをお断りした後日中に自転車をキヨシが探しにきて、うおっ・・!と再度構えたのですが、
「昨日ここに来たと思うのですが、自転車を見かけなかったでしょうか?」
と、なんともまともな真人間となってキヨシが登場。
どうやら太陽が昇ると真人間に戻るキヨシだったようです。
キヨシ、今も元気にしてるかなぁ。(ことり)

(寸評)うわあ、これは凄い。血まみれのホラーキヨシ、そして昼間は真人間に戻るキヨシ。ことり、これで小説書け! 絶対面白いぞっ! 10ポイント。

初めての、写真。



ライブが終わった後、黙々とお片づけをなさっている知久さん。
ぺ○さんが「写真撮って貰っといで!」と背中をプッシュしてくれたので、 持てる限りの勇気を振り絞り、
「あ、あの、いいですかっ」と、不審者になりつつ写真をお願いした。
引きつりながら、笑みを浮かべるわたし、シャッターを押す○ロさん。
・・・・・フラッシュが光らない。
「桃玉、これ電池切れそうだよ」と、○ロさん。
う、うそだろ。この時のために、電池入れ替えたのに。
知久さまをお待たせして、カメラを調整する私。よし、もう大丈夫だわ。
気を取り直して、○ロさんと知久さんにお願いする。
さあ、今度こそ。
・・・・光らない。
ほんとうに、その場に崩れ落ちてしまいました。がらがらがら。。
デジカメなんて!デジカメなんて~~~!!泣
幸い、優しい友人が変わりに写してくれましたが。 (桃玉)

(寸評)あぁ、よくそういう風にあせってる人いる。大丈夫、俺や知久くんはよほど急いでたり他の人が待ってない限り、多少待つのなんか平気だから。かといってあまりに堂々とされたらむかつくかもしれないが(笑)。ぜーんぜん問題ナッシングよ~ん。6ポイント。

初めての、残り香。



同じく知久さんのセッションライブを見に行った日の話。
友達と話していて、ふと目を反らすと、知久さんがお手洗いの列に並んでいた。
「ねえ!!ちょっと!知久さんが並んでらっしゃるわっ!」と報告したらば、
「桃玉!並んできなさい!そして残り香を嗅いできなさい!」と、皆に言われました。
「おうよ!行ってくるぜ!!」と、浮き足たって並んだものの、知久さんの隣!!!
段々、変な汗をかく私・・・。知久さんがお手洗いにお入りになるまで、
とても長く感じられました。
で、知久さんの残り香ですが、・・・・トイレの匂いでした。そらそーだ。 (桃玉)

(寸評)今度は「だあれえ、くっさいうんこしたの!」と言ってごらん。必ず嫌われるでしょう(笑)。 
でもトイレを嗅ぎにくるのはまじでやめてくださいな。自分がされたらさすがに嫌でしょ。6ポイント。

初めてのダイエット



わたしが大学生一年目の夏休みは故郷に帰郷し、桃の仕分けのアルバイトをすることにし、同時に、当時寸胴体型を凄く気にしていた乙女のわたしは、この夏を期に痩せようと決心し、サラシダイエットを決行しました。仕事場は暑くて汗かくので、腹にサラシ巻いて汗をもっと出して痩せようとする計画です。グッドアイデア?!早速腹に布まいて暑苦しくして出かけました。
あ、あづい…。
たまりません。汗がポタポタ吹き出ます。ウエスト絞ってるから、もともと動きが鈍いのがますますどんくさいし。
さらにその上、ここは桃が沢山あり空気中に桃の毛がモアモア舞いあるきそれが激しいカイカイ~ぃぃ痒みを催すのです。
汗ばんだ肌に毛がくっつきます。最悪です。そして、やっぱり汗ばんだサラシの腹の周辺がグウアアアッッッッとすごーーく痒くなりましたが、バイト初日はそれでも我慢して帰ってから速攻サラシ外して腹をかきむしりました。
それでも二日目も頑張って巻いてバイトにいき見苦しい汗かきながら暑さに耐えてみましたが、帰ってから腹をみると見事にミミズ腫れのかぶれが出始めてたので、わたしはダイエットを二日目で挫折することにしました。このかつて若かった夏の日々は、三日ももたなかったショボいアイデアでしかなかったダイエットとウザイ暑さと強烈な桃の毛の痒さの暑苦しい思い出だけが残りましたとさ。ちーん。(おっく)

(寸評)まぁ、それも青春よね~。で、寸胴直った? 6ポイント。

はじめての鳥の耳



うちのペットの文鳥ぴよまるの、羽の生え変わりの時期のこと。

ほとんどの毛が抜け落ち、肌がすけすけになっていました。そんな時、ぴよまるの顔を見た夫が「どうしたぴよまる、頬に穴があいてるよ!」というのです。

みてみると、目の下辺りに、目と同じ位の大きさの肉色の穴が…。
これは、耳だということになりました。人間の耳の穴とほぼ同じ形です。

耳の穴、生々しくて気持ち悪いですが、なぜかくせになり、今も毛をなぜるふりして毎日確認しています。ぴよまるの機嫌がよければえさ袋も見せてくれます。(ぴよまる)

(寸評)まぁ人間だって冷静に見れば耳の穴とか気持ち悪いもんねぇ。もっとも一番グロいのは内臓が外に出てると言ってもいい、マ○コかもしれないが・・・。何故男はあれ素敵な物と思うのだろう。頭で考えたら絶対分からない生物の神秘也! 5ポイント。

初めての採用に喜ぶヽ(^0^)/



先日はうちの末妹(^0^)ネタ採用ありとうございました!本人から喜びの声が届いています。以下、ヽ(^0^)/より

マジでぇぇぇ!!??爆笑
何が??
じゃあまたネタあったら送るよww
まさか採用されるなんて…もう…うっひょおおおおおぉ!!!!(ゆとこさん)
今度記事みしてちょ!wあと.何もないと引きこもりがちになる私はどうすればいいので しょうかって聞いてみてください。。orz
ヴァイヴァイ!!!!! (美空ビバリー)

(寸評)ええと、水を差すようで悪いんですが、特殊なケースを除いてこのコーナーに没はありません。だから、全部載ります。ただ妹さんのネタ、ジェネレーションギャップかイマイチ分かりづらかったので、もうちょっと分かりやすい初体験を送ってくださいと・・・お伝えくださいますか? 4ポイント。

初めてのオーストラリア行きの飛行機



まずカルチャーショックだったのが男性キャビンアテンダントがいたことです。
飛行機に乗ると外国人キャビンアテンダントたちが笑顔で迎えてくれました。
そして席に着きペットボトルの水やブランケットセットを受け取り離陸を待ちました。
一人日本人キャビンアテンダントがいて、アナウンスを始めました。

「~機長はスティーヴです。~」

『スティーヴ!!!いや、でも外国人なのは当たり前か…。でもファーストネームなのか。そうか。』
と心の中で興奮していました。
少しして機内食タイム。
前の席の人たちとキャビンアテンダントとのやり取りを観察しながら心の準備をしていました。
でも私のところには日本人キャビンアテンダントが来たので三種類の機内食から選ぶのに苦労はしませんでした。
でも飲み物を聞いてきたのは外国人男性キャビンアテンダントだったので私も伝わるように
「オゥルェンジジュゥース(オレンジジュース)」
と英語の発音に聞こえるように頑張ってみました。
初めての機内食はおいしく感じました。
夜の便だったので食事の後は消灯、日の出ごろ起こされ朝食の機内食が配られました。
ヨーグルトがあったのですが、気圧のせいでふくらんでいました。
気をつけてふたを開けたのにヨーグルトは私の顔と服に飛び散りました…。
そうこうしているうちに約7時間の飛行を終え、オーストラリアのケアンズに着きました。
国内線と一番違うなと思ったのはキャビンアテンダント同士が和気藹々というかフレンドリーだったことです。 仕事中もおしゃべりをしたりして楽しそうでした。
でもそれが不真面目だとは感じないんですよね。 (若様)

(寸評)昔高円寺に「機内食レストラン」が駅前にあった。各国の機内食を模してメニューにしていたのだ。店員もスチュワーデスのコスプレ状態。・・・3ヶ月で潰れた。5ポイント。

初めてのファンレター



私はこの前、初めてファンレターを書きました!
それまでも、好きなタレントさんや漫画家さんなどいたのですが、いざ書こうと思うと考えがまとまらなくて。
けれど先日、ついに書いたのです。
気持ちがおさまりきらなくて。。
柳原陽一郎さん宛てに。
もう、直球勝負です。
罫線もなにもない真っ白い紙に、大きな字で「あなたに恋をしてしまいました」と。
ファンレターというよりラブレターでした(^_^;)
柳原さん読んでくれたかなぁ。(ふう)

(寸評)読んではくれてると思うよ。デビュー当時の本当に山のようにそういうものが来ていた一時期を除けば、ファンレターを読む時間くらいはあるはずだからね。
だけどひとつ忠告するなら、直球勝負「あなたに恋をしてしまいました」はファンレターとしてはあまりいただけないかなー。「あぁ・・・」と思って読んだら捨てられる可能性大。何故なら「よくある定番ファンレター」だからね。記憶に残らないんだよね。

なので数は少ないがファンレターを貰うこともある俺からのアドバイスだ。
1・自分の顔写真(もちろんなるべくかわいく写ってるやつね)を入れる。
2・具体的に「どの曲が好きか」「どんなところが好きか」を書く。
3・ちょっとしたものでもいいので毎回のライブ後など、回数を多くだす。
これで、あなたへの認識度はぐっと増し、「いつものあの子からだ。今日はどんなことが書いてあるのかな?」と相手が期待するぐらいになれば、お近づきになれるチャンスもぐっと増える。グッドラック!5ポイント。

初めてのたまグッズ当選!



たまの写真集が発売された頃、少年○ンデーに
たまの皆さんが掲載されていたので2冊購入。
そしてプレゼントに注目!
何でも「出さなきゃ当たらない」というのがあるのでまぁとりあえず・・・と応募しました。
すると忘れた頃にその商品が送られてきました。
写真集の表紙(だったかな?)のテレホンカードでした。
当たって喜んだのは当然ですが、使ったら穴が開いてしまう・・・。
持っているだけでは宝の持ち腐れ。考えた挙句、ブランクなく、たまのファンでいる東京の友達にあげました。
勿論その友達は、財布の中に入れて持ち歩いてますが、やっぱり使ってません。(今年の春に偶然チェック!)
たまの名がつくプレゼントに何度か応募しましたが、当選はあれが最初で最後でした。(秘密の座席)

(寸評)ふーん、そんなのあったんだ。グッズとかは実は本人とかがもらえないどころか、どんなものが出てるかも知らないケースも実は多いんだよね。テキ屋さんのバッタ物商品だろうけど「俺の形の貯金箱」を買ったという人の話は何度か聞いたことあるが、現物は見てない。せめて見てみたいなー。5ポイント。

初めての万引き発見



コンビニでアルバイトしていた時。

店員達の中で有名な、浮浪者とおもわれる万引きじいさんがいました。
中々の凄腕(?)で、いつも現場を押さえる事ができなかったのですが、とうとうある日「魚肉ソーセージBIG」をコートのポケットに滑らせるように入れた現場を押さえたのです!

そのまま店を出た所を見計らって「ちょっとすみません」と呼び止め、「ポケットの中見せてもらえますか」というと「なんやねん~なんもしてへんで~」といいながらもポケットの中を見せようとしません。その日に一緒に入っていた子と二人で囲むと「ほな見せたるわ」といってポケットから出てきたものは、畑からちぎってきたような姿の「お米」…。そして「ほら!これいるか!?」とお米をつき出してくるのです。

私達があっけにとられているすきにじいさんは、何かをぶつぶつつぶやきながらすごいスピードで逃げていきました。

逃がしたのは悔しかったなあ。でも、それ以来じいさんは私の前で万引きをしなくなりました。私も当時18歳やってんから偉いものだわ~。(ぴよまる)

(寸評)万引きは見つけてもなかなか声をかけるのも勇気がいること多いよね。常習だとそれなりに度胸も座ってるから逆切れされる場合もあるしね。でも警察呼んでるうちに逃げちゃうしね。でも「魚肉ソーセージBIG」か・・・なんか切ないね。6ポイント。

初めての自転車二人乗り



高校のとき年下の男の子と付き合って、初めて自転車の二人乗りをしました。
高校生なのでほとんどの移動手段が自転車でした。
2人で遊ぶときは彼が自転車をこいで私が荷台に座るのです。
自転車を走らせているときは危ないので彼にコQまるのですが、そのちょっとしたふれあいにもドキドキしていました。
まさにあのときは青春していたなーと思います。
あるときいつものように2人で自転車に乗っていると、前方から高校生らしき集団がやってきました。
よく見ると上の弟がいるではありませんか!
弟とは高校は違っていたのですが、彼と弟は小学校の頃同級生で友達だったこともあり、オープンな家族でもないので彼氏がいることは内緒にしていました。
そのとき私は『ひえー!』と思い彼の背中に隠れ、彼は目が悪いので気づかなかったようでそのまま通り過ぎました。
そして何ヶ月かまえ弟が里帰りをしたとき、「もう時効だと思うから言うけど、見たよ。**くんとの二人乗り。」と言われました。
ばれていたのか…。 (若様)

(寸評)弟の方も心中穏やかじゃなかったろうね。「ね、姉ちゃんあいつと・・・」特に高校生ぐらいだと多感ですからなぁ。ま、どちらも青春ですな! 6ポイント。

祖母のインターネットデビュー



85歳の祖母が遊びに来たときの事。
インターネットというものを初めて見せました。最初は度肝をぬかれて「盗み見しているみたい。知らない方がよかった世界だった…」とうなっていた祖母も結局インターネットにはまり、自分でお寺を調べたり、電気釜を注文したりしていました。

普段から行動的で、みずみずしい感性の人だとは思っていましたが、我が祖母ながらすごいです。いつまでも元気でいてほしいな。目標にする女性の一人です。(ぴよまる)

(寸評)85は凄いな。うちの親父も定年して70になった時「このままだと親父、ボケるな」と思ったのでパソコンをプレゼントしました。今じゃ、俺より使いこなしているかも・・・。5ポイント。


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