ドキドキドキリコ初体験(35)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント~∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めての再検査

花も恥じらうぢょしだいせえだった頃。レントゲンの検査結果が「要再検」だった。
それまでも学校で毎年のようにレントゲン検査は受けていたし、何とも無かったのでまさか再検なんて思いもよらなかった。
それだけでもどきどきするのに、理由欄には「リンパ癌疑い」、と有った。
一瞬我が目を疑った。
癌・・・!?正に晴天の霹靂である。癌なんてじいちゃんばあちゃんが罹るものだと思っていたのに、何でハタチそこそこの私が!?と言う思いが頭を巡った。本当に信じられない気持ちでいっぱいで、大学から帰った後、TVを眺めているだけで、内容が全く頭に入って来なかった。

両親に言わなければ・・・。その日の夕食時に、報告した。
食卓の温度が、一気に5度くらい下がった感じだった。家族の顔に笑みは、無い。
父親が「もう一度レントゲンを撮ってもらうしかないな」と言った。確かに、「疑わしい」というだけで、癌だと決まった訳ではない。もう一度診てもらおう。それが皆の一致した意見だった。「そうだよね~!別になんともないと思うよ!あははは」努めて私は明るく言ったつもりだったが、皆の笑顔はぎこちなかった。

一週間後。市内の保健所が再検査場所だった。長かった一週間。この大喰らいの私の体重が、2キロも減った。御飯なんてまるで喉を通らなかったのだ。再検査のことは、大学の友人にすら内緒である。話す気持ちにならなかったからだ。初めて入る保健所の中は古びていて、不安な気持ちが膨らむ。案内図を頼りに検査場所に行った。
その部屋には女の先生が1人居た。先生と私の2人。とても心細い状況だった。勧められて椅子に座ると、先生は開口一番、
「う~~~~~ん・・・」
と唸った。もう、その表情だけで冷や汗が出、心臓はバクバク言っていた。最後通告される気分とはこういうものか、と思った。
「ここに白い影が有るんだよねー。見える?」と、先生はレントゲン写真を指した。
左肩の上部。・・・ん?

「あのう、ここに、しこりが有るんですが・・・」
実は高校の時に、その辺に大きなニキビのようなモノが出来て、膿を出し切らないうちに固まったようで、しこりとなって残っていた。結構大きなしこりだったが、その後それは、それ以上大きくも小さくもならなかったし、痛みも無いままそこに有った。
「どれ?」と言いながら、先生が触診する。
「痛く無いの?」
「全然・・・」
「そうよね~、リンパ癌なんて若い子は滅多にならないから、変だと思ったのよね~」
先生は思いがけずあっけらかんとそう言い放った。「これがレントゲンに写ったんだね、きっと!心配したでしょ~!?」
はあああああああ~~~~~~!!!???
なんじゃそらああああああ~~~~!!!!
心配したなんてもんじゃないんですけどーーーーーーーーーー!!!

その日はとても晴れ晴れした気持ちだった。全てのものに感謝したい気持ちだった。
それまでの、死にそうな気持ちが嘘のよう!!生きているってスバラシイ!!落ちた体重も、二日で元に戻りました。 (かなめ彦)

(寸評)ひゃあ~、そりゃビビルわな。わなわなわな~。でも「リンパ癌疑い」って・・・。本人が見るんだからもう少し曖昧な表現にしてもらいたいよね~。「もう駄目だ」と思いこんで全裸で交差点で笛の音も高らかに交通整理を始めてしまう輩もいるかもしれないしなっ!
12ポイント。

はじめての中国

ずっと憧れていた中国。
優雅な船旅を思い描き船で行くことにしました。
それは今から9年ほど前の大晦日・・大阪発上海行き「鑑真号」(船中二泊三日)の片道切符を手に1人乗り込みました。
まるで戦時中のドラマのヒロインになった気持ちで、1人レストランのテーブルに頬杖をつき時折目を伏せてみたり「ワケありなの」と言いたげに憂い顔をしてみたり・・(ああ、二等大部屋客のくせになんておバカ!)
夜には中国人乗務員と筆談でおしゃべり、またロビーのテレビでは紅白歌合戦、杏里の「オリビアを聞きながら」を聴いたりしながら
ながらいい気持ちで年越し・・。
ところが優雅だったはその日のみ。
翌朝(元旦)から海は大荒れに荒れて、大きい客船が遊園地のバイキングのように揺れる揺れる~どひゃ~。
椅子や観葉植物なども柱にロープでしばりつけられ、乗務員はビニールを配り歩き、船中「おえー、おえー」の嵐!
もちろん私も大船酔いでおえーおえー雨あられ。
座っていてさえ静止状態でいられないほどで、寝てるしかないのですが、気持ち悪いので寝ながら体をずりずりローリングしていました。思い出すもオソロシイ海の威力・・。
「そういえば鑑真も日本に来るとき船が難破して大変だったんだよな~船の名前変えたほうがいいんぢゃないか」
なんてその時は考える余裕もありませんでした。
が、思えばこれは、それから二ヶ月間の波乱の旅を暗示していたのでした。つづく。かな。 (ザムザムコーラ)

(寸評)鑑真号、俺は乗ったことないのだけど、上海に行った時向こうで待ち合わせした何人かの友人(とうじ魔夫婦とか)がそれに乗ってやってきてたなー。続きを読みたい! よろしこ!
6ポイント。

初めての家庭裁判所

今から5年前くらいですかねー、当時学生だったおい等は根っからのバイク好きでしたw 高校卒業と同時に車の免許ではなく、中型自動二輪の免許をゲット! 合格した大学が他県の大学だったので一人暮らしをすることになり、新しい気持ちと、譲ってもらったバイクで新しい生活をスタートさせました。
 講義も始まり、友達も何人かでき生活に落ち着いてきたころでした、そんなときにこともあろうか交通事故を起こしてしまいました。原付を後ろから当ててしまったのです。
言い訳ですが、二列に並んで走行する原付を追い抜こうとしたときに指示器も出さずにいきなりコンビニに入ろうとした原付、、、
てな具合で事故を起こしてしまいました。相手は同じ大学の学生で学年も同じ、幸い軽い擦り傷ですんだようで、本当によかったです。
当時高校を出たばかりのおい等が保険がどうこうと言える知識もなく、親に任せて、相手の方も大したことないので壊れた原付などの修理代や、医療費だけで、とな具合で話はすすみ、結局人身事故扱いで警察に任せました。事故の事情聴取や事故現場の確認など初めてのことばかりでした。まあ、ともあれ相手の方が大したことなかったのでよかったと思い、二ヶ月ぐらいたったころです。
アパートのポストに一通の封筒が、表を見ると「家庭裁判所」・・・
何で?! 中の手紙には「親ときてね」みたいなことが・・・
仕方なく、まだよく知らない土地の裁判所へ親子でゴー!
タクシーの運転手さんには「家裁までおねがいします」みたいな感じにお願いするも、運ちゃん苦笑w
結局、親子で家裁で半日潰れ、開き直ってそのまま観光して帰りました。裁判所なんてテレビの中でしか見たことないので、まさか自分が行くはめになるとは・・・あのときのドキドキ感はもう結構ですよw  (勝飯)

(寸評)家庭裁判所って高校出ても行くことあるんだー。俺も長崎の町をぶらぶら歩いていたら、当時16,7歳だった友達が偶然親と歩いていて「なんで親と!?」と思ったら家庭裁判所帰りだった・・・。
7ポイント。

初めてのウ○コを焼いた臭い

私はトイレに苦労する仕事をしています。いざ仕事が始まるとトイレの無い、トイレに行けない環境で仕事をしているのです。別にトイレに行っても良いことになっているのですが、それはプライドが許しません。トイレにいくという事、それは電車を止めることになるのです。そう、私は電車の運転士をしています。
 トイレにいけるのは電車に乗っていない時。休憩時間と終着駅での折り返し時間ぐらいしかないのです。走り出すと1時間近くトイレは我慢しなければなりません。お腹の調子が悪くなったときなどは、冷や汗タラタラで仕事をしています。
 そんな環境で皆悩みながら仕事をしてるなかで、始発駅から終着駅のちょうど中間にある某駅、快速電車が普通電車を追い越す駅に乗務員が駆け込めるトイレを設置してくれという要望により、トイレが設置されました。
運転台から駆け込めるトイレとなれば、先客でふさがることが無い様に乗務員専用のトイレです。それはホームの先、線路と線路の間に設置されました。しかしながら下水道整備をすると、大工事になってしまうため、「インシノレット」《参照→http://www.dirac-inc.co.jp/》というトイレシステムが導入されました。そう、ウ○コもオ○ッコも燃やすトイレなのです。

そして、遂にそのトイレにお世話になる時が来ました。急にお腹の具合が悪くなり、冷や汗タラタラで運転を継続していました。運転していたのは、その某駅で快速の待ち合わせをする普通電車。駅に着くなりトイレに駆け込みました。待ち合わせの停車は5分。緩める事を許された栓は安堵と共に大爆発をし、便座に座るなり1分も立たずに作業を終えました。トイレのペダルを踏んでスッキリして清々しく運転台に戻りました。

そして発車時刻。目の前に見えるトイレの煙突から白い煙が上がっています。風向きはこちら向き。この煙の中を走らねばなりません。時間です。発車しないわけにはいけません。そしてあろう事か私は好奇心が旺盛です。
窓を開けて嗅ぎましたともさ。

焦げ臭いだけでした。もっとなんだか不思議な臭いを期待してたのになぁ…。(匿名希望)

(寸評)そうか、焼くと臭いはなくなるのか! 発見だね。8ポイント。

初めての火遊び

もうあれは今から20年近く前、、、私がまだ小学1年生の頃。
私と友達の2人は何かの理科の「虫眼鏡による黒く塗った紙への穴開け実験」に触発され、火遊びに夢中でした。
その日はいつもよりも大きな火を炊いてみよう!と、当時団地の1階に住んでいた別の友達の家のベランダの下に身を隠し、拾ってきた大きめのダンボールに火を点けて遊んでいました。
最初の内は火という大人だけが扱える物を自分達が今扱っていると言う嬉しさと火という物に対しての好奇心で楽しくてしょうがなかったのですが、時間が経つにつれ火が段々と大きくなっていき煙がもくもく出始め、「流石にこれはヤバイ」と思って友達とパニックになりかけた正にその瞬間!
「あんた達何やってんの!」と煙を見て異常を感じ飛び出して来た友達のお母さんに見つかり私、友達X2、友達のお母さんの4人でバケツリレーをして消し止め事なきを得ました。

しかしその後「お母さんに後でこの事を話しに行くから」と言われ一緒に火遊びをした友達と二人夕暮れのブランコに乗り、日が落ち辺りが真っ暗になるまで「やばいかなぁ、、、」「どうしよう、、、」と話合っていました、、、。
とにかく時間も遅いし家に帰ろうという事になって帰宅してから1時間程、、、親と一緒に晩御飯を食べていたその時「ビーッ」と家のブザーが鳴り、親が「ハイハイ」と出て行くと案の定友達のお母さんの声。

ついにこの時が来たか、、、!

玄関に呼び出された私は親のすぐ横に立たされ、事の真相を全てあらわにされる中ずっとビクビクしていたのですが、何やら意外とほのぼの雰囲気でいつものお母さん同士の日常会話な感じ。
「何だ、、、意外と平気かも、、、」とわたしがホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間、友達のお母さんが帰ると同時に親の顔は豹変し、即座に居間に連れて行かれ、父と母による尋問会が始まったのでした。
「何でこんな事をしたんだ!」
「もうすぐで大火事になる所だったんだぞ!」
涙ながらに必死に謝る私、怒る親、しかし、この時私にはもう一つ大変気がかりになっている事がありました。その時です。
「その火を点けるのに使ったライターはどうしたんだ?」
この言葉を聞いた瞬間、私の小さな心臓はもう今にも爆発しそうな勢いでバクッバクッバクッと脈を打ち始め
「あのぅ、、、それは、、、あの、、、、、セブン○レブンで、、、あの、、、」
「盗って来たのか!」
「、、、はい」
バチーン!!
その瞬間もの凄い音が部屋中に響き私は頬に痛みを感じ、と同時に親に殴られる程の事をしたというこの事態の大きさに泣きじゃくりました。
そう、ダンボールに火を点けたあのライターは実は近くのセブン○レブンで盗んで来た物だったのです。

子供の私達は簡単にはライターやマッチ等は手に入れられず、どうしようかと思案している時にたまたま通ったコンビニのレジの所にライターが置いてあるのを見つけ、罪悪感など殆ど無い子供の事、レジのお兄さんが余所見をしたスキにパッと素早く盗ってきてしまったのでした。

それから私は怒涛の説教を食らい、親と一緒にセブン○レブンまで行き頭を下げ、更に帰ってからまた大目玉を食らったのでした。
しかし私はあの時見つかって良かったと今でも思っています。
もしあのまま見つからずに本当に火事など起こしていたらと考えると、、、ゾッとします。
長文読んで頂き有難う御座いました。     すぅ社長

(寸評)「虫眼鏡による黒く塗った紙への穴開け実験」興奮したねぇ~。火を見ると興奮するのはニンゲンの性かもね。俺も火遊びも万引きも同じように親に殴られた。殴られないと本当に悪いとわからない年齢もあるからねー。でも最近の親はその「殴り加減」がわからずに子供にとりかえしのつかない怪我をさせてしまうこともあるらしいねー。10ポイント。


初めての交通事故

先日、クラブ仲間4人と共に合宿の下見に行きました。運転は免許を取って一番日数が経ち、運転する頻度も多い僕がしました。高速道路では行き帰り共に無事通れましたが、山道でそれは起こりました。
展望台をから山道を降りて、右180℃のヘアピンカーブに差し掛かった途端、高速で走ってきた対向車がセンターラインを越え、こちらの車の運転席のドアの付け根に衝突したのです。少し外がへこみ、塗装が傷つきましたが、その後は普通に走れました。
とりあえず110番して、警察に事故証明を作って、事故の相手と連絡先・保険会社を教え合いました。でも親しくない人との交換はぎこちなかったです。自分が安全運転しても事故に遭う可能性はあるものだと実感しました。 (Hi-)

(寸評)歩いていても自動車に突っ込まれることもあるからねー。車はピストル以上の殺傷能力を持っているという認識は必要かもね。7ポイント。

初めての被写体

あれは小学4年生頃のことでした。学校が終わってから、近所の公園で遊ぶのが日課でした。その日もクラスメイトと2人で遊んでいると、お兄さん(20代半ばくらい)が私達に声をかけて来ました。当時は今程、知らない人に話し掛けられたからと言って、不信がる風潮も有りませんでしたから、私達は他愛ない話しをしました。
その後も2度くらいお兄さんは来て、少し顔見知りになった感が有りました。

するとある日お兄さんはカメラを持って来て、私達を撮らせて欲しいと言いました。
そんな立派なカメラで撮ってもらえるなんて!と単純に大喜びし「それなら、秘密基地で撮ろう」と、お兄さんをもう少し山の方に有る空き地に案内しました。
草むらに寝転がって笑っているようなシーンを何枚か撮ったような気がします。生意気にも可愛く写るように表情を作ってみたりしました。30分程のことでした。

お兄さんは「写真が出来たら、公園に持ってくる」と言ったと思います。何だか嬉しくて夜に親に話すと、まっ先に「なんか変なことされなかった!?」と言うのです。
「別に、写真撮っただけだよ」と答えました。ほんとに普通に写真を撮っただけだったので。その頃は親が何を心配していたか、全く分かりませんでした。
 が、今にして思えば、めちゃめちゃ怪しいですよね、そのお兄さん。本当にただ写真が趣味だったのかもしれませんが、お兄さんはその後、二度と現れませんでした。そして曖昧な記憶ではありますが、そのもう1人の子がいる時にのみ声をかけて来てたような気もします。彼女は大人になったら、結構美人さんになりました。(かなめ彦)

(寸評)むむ~っ。そういうのって難しいよね~。まぁ二度と現れなかったということはデンジャラーーース度は高いけどね。今は普通の人と危ない人の境があやふやで、というか普通の人が何かのきっかけで突然変異で危険人物になることもあるからな~。
 でもかつてアラーキーが「さっちゃん」という子供の写真集で賞を取ってカメラマンとして脚光を浴び世に出た、なんてこともあるからね。
 本当に子供を主題に写真を撮りたい人はどうしたらいいんだろー!? 
 ちゃんとお母さんの見ている前で許可を取って、ということになるんだろうけど「お母さんの前」というフィルターがかかってしまう。でもそれしかないのだろーか・・・。 8ポイント。

初めての手術

数年前椎間板ヘルニアで緊急手術をしました。
忘れもしない大晦日で、深夜私はナイナイの岡村サンが火に飛び込むのをテレビで見ていまし
た。
お茶を取ろうとした瞬間激痛。
我慢の甲斐なく救急車に運ばれ、救急病院に外科の先生しかいなくて、
後日整形外科に行ったトコロ即手術と。

手術前にいろいろ検査があって、
アンケートを書いていたのですが、初手術の緊張のあまり、
扁桃腺が悪い私は扁桃腺のトコロに○を付け、先生に渡しました。
それを見た先生のお言葉。
「女性には前立腺はありませんよ(笑」

そうです。緊張のあまり私は「前立腺」と「扁桃腺」を間違えていたのです。
看護婦さんにも笑われ、つかみはオッケィとも思ってられないくらい恥ずかしかったで
す。

術後、目覚めたら鼻とアソコに食管と尿管・・・
入れている状況を想像するだけでもうお嫁に行けないくらい更に恥ずかしかったです
・・・    「あまや」でした(照

(寸評)しかし前立腺って考えてみると身も蓋もない言い方だよな~。でも女性が前濡線だったらもっと恥ずかしいけどな。7ポイント。

初めての家出

小学二年生頃のことでした。当時両親は共働きでしたが、祖父母と同居でしたので、学校から帰っても不自由なことは有りませんでした。
その日は、学校から帰宅して家で遊んでいたのですが、私が祖母の言う事を全然聞かずに、もの凄く騒いでいたのでしょう。こっぴどく叱られ、最後にはとうとう「そんなに言う事を聞かないのなら、出て行きなさい!」と言われてしまいました。

昔から頑固な性格でしたので、そう言われたからには出て行ってやる!!と思い、泣きながら黙って家を飛び出しました。本当に家出しようと決心したのです。
自分が悪いのですが「おばあちゃんなんて死んじゃえ!」とかつぶやきながら、行ったことのない遠くまでどこまでも歩いて行って、このまま行方不明になってやる!!
という思いでした。脇目も振らずに、どんどん歩きました。

10分くらい歩いたでしょうか。子供の足ですので、それ程遠くではありませんでしたが、いつの間にか周りは見知らぬ風景に変わっていました。それと気付いたとたん先程の意気込みは全く失せ、すっかり心細くなって来ました。ほんとうに迷子になってしまいそうでとても恐くなりました。
そこで立ち止まり、もと来た道を走って戻りました。

家に着いたけれど、祖母には何も言いませんでした。祖母も私が家出しようとしていたなんて思いもせず、少し遊びに出ていたと思っていたことでしょう。家出しようと思ったのは後にも先にも、この時だけ。20分だけの家出のお話です。 (かなめ彦)

(寸評)20分の家出でもこれだけ大人になっても覚えてる。すべからく子供は一度は家出すべきだね。俺は家出ではないけど書き置き「旅に行ってきます」ならある(笑)。8ポイント。

初めての蛙捕りレクチャーでの出来事

これは私が小学校5年生の頃のお話です。その日は親戚中が集まり楽しい時を過ごしていました。ふと気付くと、外でたくさんの蛙が鳴いています。ここはいとこ連中の中で最年長の私が、蛙捕りをちびっ子たちに教えてあげようと、2歳~9歳のいとこ達を連れ、外に飛び出しました。目の前には小川があり、蛙はウヨウヨおり、そんな小さないとこ達でも容易にたくさんの蛙を捕獲することができました。何十匹も捕り、かごの中がかなり不気味な状態になったので、そろそろやめようと、振り向くと・・・2歳のいとこが何と、その捕った蛙を、口の中に入れてクチャクチャと食べていたのです。両手には蛙。彼女はさらに食べようとしています。

「ギャーーーーー!!!!!」

急いで手に持った蛙を取り、口の中の蛙も出そうとしたのですが、しっかり飲んでしまいました。その口の端に付いていた足は相当なインパクトがあり、他のいとこも泣いてしまって大変でした。私はその事実を親達に全く話していません。ちなみにその後、その子はトノサマバッタも食べたのですがこれも親には話していません・・・っていうか話せません。  (ピン)

(寸評)「ギャーーーーー!!!!!」        10ポイント。


初めての二人乗り

それまで自転車の二人乗りなんて、したことが有りませんでした。ところがその日は、必要にかられたと言いますか、魔がさしたと言いますか・・・。

土曜日の午後。大学の帰りでした。天気の良い週末で、軽く気分が浮き立っていました。自転車で家に向かっていると、仕事帰りの幼馴染みが歩いていました。彼女は同い年で腐れ縁の友人です。折しも土曜日の午後。お互いこの後は何も予定が無く、じゃあ私の家で遊ぼう!という算段になりました。なんだか物凄く楽しい気持ちになりました。ですが、家まではまだ少々有ります。
そこで思い付いたのが二人乗り。「よし、後ろに乗りなよ!」と提案しました。
が、ちょっとためらう友人。実は彼女は当時、体重が80キロは有ったのです・・・。
でも私は「ゆっくり行けば大丈夫だと思うよ。歩くより、絶対速いって!!」と、妙な自信を持ってきっぱりと答えました。しぶっていた友人も、それなら、と後ろに乗ったのです。

最初はとても快調でした。多少後ろは重いけれど、普通に自転車は走りました。歩くよりずっと早く家に着くね、とおしゃべりしつつ、結構二人乗りって簡単だな~、いや、私の運転が上手いのかも!と思いながら家に向かいました。
もう少しで到着という頃。実は私の家に着くには、この後長い下り坂が有るのです。
友人は「ここは下りて歩こう」と言ったのですが、すっかり自信のついた私は、このまま自転車で行くことを決めました。ひとりでこの坂を自転車で下るのは、とても気持ちが良いのです。それを友人と一緒に楽しもうと思ったのでした。

それが浅はかだったと、すぐ気が付きました。
初めはゆっくりだったのが、それはもう、あっと言う間にスピードが上がりました。
全く予想だにしない加速でした。スピードが上がるにつれ友人は「恐い!恐い!」と叫び出し、かと言って急に止まることも出来ません。そうこうしているうちに、スピードと二人分の重さを制御し切れなくなり、ハンドルがぐらぐらと左右にぶれ、とうとう友人が「もうダメ~~!!」と絶叫したかと思うと、自転車がふわっと軽くなり、そして同時にドサーッと言う音が!
そうです、友人は自転車から落ちたのです・・・。
「だっ、大丈夫!?」
慌てて駆け寄ると、友人は顔面血だらけ・・・。

もちろんこの後、家で遊ぶのはもちろんお流れ。幸か不幸か、顔面を擦りむいただけというのが分かり、このことは二人だけの秘密にしてもらいました。三千円で。
週明け、友人は職場の皆に「どうしたの!?」と(当然)言われましたが、「歩いていて転んだ」と答えてくれたそうです。もうしません、二人乗り・・・。(かなめ彦)

(寸評)やっぱり80キロっておっとろしい。俺も人の後ろに乗るのはやめよっと。それにしても三千円は治療費? それとも秘密保守費? 10ポイント。

初めての一目惚れ

私はこの26年一目惚れをした事がありませんでした。運命の出会いとか、そういうのも縁遠いタイプです。まして彼もいますし。こんな事になるなんて。
(大袈裟)その一目惚れの人は近所の飲み屋の店主です。友人と店に行った時、店は誰もおらず、椅子に座って待っていると、爽やかに登場した店主。店番もいないのに店を空にするてきと~さにまずにやにやしていたのです。そしてそのかっこよさと来たら、これがもうぐふふ。って感じなんです。そして、カレーを注文したら、「ご飯炊いてないんで、オリジン弁当で買ってきますね!」と爽やかにダッシュ。っか~~!いい!いいよ、あんた!でも私はよほどその行動がツボで、かなり酔ってオリジン弁当に行って来て下さい!!と連呼していたみたいです。嗚呼もう行けないかもしれない。儚い、吐かない、初一目惚 れ。。。もう一回あの店に行きたいわぁ。ぽわ~~ん。(にゃりこ)

(寸評)続編を知りたい~! 今からその飲み屋にいってまずは本当にひとめぼれかどうか調べるのじゃっ! もしかしたらひとめぼれじゃなくてささにしきかも知れないしなっ! 6ポイント。

初めての痴漢

こんな私も昔遭いました、痴漢!初めて遭った痴漢は、忘れもしない大学生の時。

友達と3人、電車で家に帰る途中でした。その電車は椅子が向い合せに4人かけられるタイプで、向かいに友達2人、私が1人でこちら側に座っていました。
何駅か過ぎたとき、おっさんが私の隣に座りました。知らないおっさんと、こんなに密着して座るのは気持ち悪いよ~と思いましたが「ここの座らないで」なんて言えません。しかたなく気にしないようにして、それまで通り友達とぽつりぽつり喋っていました。

と、そのうち、なんか太もも、触られてる?おっさんの手の甲が私の太ももの側面を触っているような、いないような・・・。最初はそういう曖昧な感じでした。向かいに友達がいるのに痴漢されるとは夢にも思いませんから、気のせいだと思ったのです。
勘違いで騒げば周りに迷惑がかかるので、ちょ?とじっとしていました。
が、どうもやっぱり触っている!確信に変わったとたん、自分の動悸がドッキンドッキン激しくなるのが分かりました。頭に血が登り、顔が赤くなるのも分かりました。
ああいう時って、何て言っていいのか分からなくなるんだな、と言うのを身を持って体験しました。恐怖と恥ずかしさと気持ち悪さがぐちゃぐちゃになって、友達には「気付いてくれ~!!」と視線を送ったつもりでしたが、全く伝わらず・・・。

もうこうなったら言うしかない、と決心し、どうにかこうにか、「止めて下さい!」って言えました・・・。何を言っているの?という友達の顔が忘れられません。おっさんは触るのをやめましたが、席を立つ様子も全くなく、二駅後で下りました。おっさんが降りた後で、身体が震えました。
まだウブだった頃のお話です(笑)。 (かなめ彦)

(寸評)すげーな、そのおっさん。敵の中に身ひとつで飛び込む特攻隊みたいだな。4人がけ3人女子の中に入るだけでも普通は躊躇するのに。気づかれる可能性も高く、しかも怒られても動じない・・・ただの馬鹿なおっさんだな。ところでウブじゃなくなった今ならどうする? 8ポイント。

初めての「どーん太郎」

子供と、電車で2駅いったところにあるデパートへ。
駄菓子コーナーが結構広くテナントとして入っていたので、子供は喜ぶだろうと行ってみた。
いろいろ物色していると、どこかで見たものが…。
それは麺博士がコレクションしていた「どーん太郎」であった。
「キツネなし」の文字もきちんとある。
10円の駄菓子だが、子供より感動でいっぱいだった。
もちろんレジへ。

さっそく家に帰って食べてみると、味はエビピラフに似ていた。
なぜエビピラフなんだ~! (杏)

(寸評)これは俺の「イラスト図鑑 インスタントラーメン」を読んでないとわからないネタだね。そうかまだあったか。そしてエビピラフの味だったか・・・。7ポイント。
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