ドキドキドキリコ初体験(34)

初めての稲刈り

それは私が小学生だった頃。母のおばさんの稲刈りを、わが家で手伝いに行く事になった。今は機械の性能も格段に良くなり、刈り取りは全て機械だが、当時はまだ台数そのものがあまり無く、人力でも行っていたのだ。
小学生の高学年だった私にも鎌が渡され、刈り方を教えてもらい、いきなり本番だ。
今にして思えば危険きわまりないような気もするが、あの頃は小学生も普通に手伝っていた。稲を刈るのも鎌を持つのも初めてで、恐る恐るやっていたが、やっていくうちにコツがつかめ、どんどん刈れるようになった。ザックリ、ザックリ、刈ってゆくのがとても楽しかった。

私の刈り方は、稲を持つ手が逆手、つまり親指が下になっていた。その方が刈り易い、と思っていた。そして調子に乗って、スピードアップした時に事件は起こった。
「シュバッ!!」
稲を刈る手ごたえとは違っていた。じんわりと、指が熱くなり、心臓がドクンドクンと脈打ち、身体からは嫌な汗が出た。私は稲ではなく自分の指を切っていた。逆手に持っていた為に、左手の人さし指の表面を切ったのだ。
驚いて、「わああああ~~~」と叫びながら左手を大きく振ってしまった。全く冷静さのかけらもなく、意味不明の行動である。当然、血が飛び散った。それを聞き付けた母が飛んで来て、病院に行く為、結局私達家族はそこを後にした。殆ど手伝いにならず、しかもこんな大騒ぎを起され、母のおばさん達はいい迷惑だったに違いない。

その後の私の記憶はあまり無い。病院で包帯を巻いてもらっている記憶と、傷口は骨が見える程だった、という親からの伝聞くらいしか覚えていない。何針か縫ってもらったらしいがそれは全く覚えておらず、傷口も自分では見ていない。
治りかけた頃になって、親が「破傷風にならなければいいけど」と何度も言うので、それはどんなものか?と聞いたら「ばい菌が入って、背骨が曲がって呼吸が出来なくなって1週間で死ぬ」と教えられた。その話しの方が、自分が指を切った時の衝撃よりもインパクトが強く、しばらくは破傷風の恐怖におびえていた。
傷痕は大きく残ったが、破傷風にはならず、そしてあれ以降、稲刈りのお呼びはかかることはなかった。一生に一度の稲刈り体験であった。  (かなめ彦)

(寸評)俺も小学生の頃遊んでいて釘を踏み抜き、足を貫通して「破傷風」になるかも、と言われたことあるなー。怪我よりも怖いよねー。あと狂犬病。水におびえて狂い死ぬ。怖い怖い怖いよーーー。8ポイント。

初めてのチャットバー待機

いつも挨拶のみのチャットバーなのですが、勇気を出して5分だけ待機してみることにしました。
5・4・3・2・1・・・誰も来ません。もう駄目かな?と退室しようと思いましたが、その時。
ギリギリのタイミングで一人の常連さんが入室してくれました。やったぁ。
こうして念願のウキュピチャットを達成したわけですが、しかし。
今回の初体験はこれで終わりではありませんでした。
なんとマスターである石川さんが、普通に入室してきたのです。
何食わぬ顔でチャットを続けていた私ですが、実は緊張と興奮で神経が飛ぶ寸前でした。
生きてればいい事あるもんですね。素敵で貴重な時間をありがとうございました。(りあ)

(寸評)いやいや、りあさんが入ってるのを見て入室したんだよ! いつも投稿してくれるのに話したことないなーと思って。でも投稿だけでチャットには一切来ない人、その逆の人といろいろいて面白い。せいぜい暇つぶしに今後も遊びに来てねっ! 6ポイント。


初めての扁桃腺(の膿)

私は昔から扁桃腺が腫れるタイプだったが、数年前に初めて気が付いたことが有る。
扁桃腺が真っ赤に腫れたところに、膿が付くことを!

熱が上がり「ひどい風邪だな」という自覚が出ると、大抵それは付いているようだ。
鏡の前で大きく口を開け喉を見てみると、それはまるで、タコの吸盤のような形状をしている。それが何個も出来ているのだ。赤いボールにタコの吸盤だけが幾つも付いている状態を想像して頂くと、近いかもしれない。
「なっ、なんじゃこりゃ!?」初めてそれを見た私は、悪い病気にでもなったのかと心配したが、どうやら世間ではよく有る症状らしく、医者は「薬出しますね」の一言だった。

見れば見る程、それは不思議な物に見えて来る。しまいには身体が生み出す芸術!のように感じ始め、これは自分だけで見るのはもったいない。是非夫にも見せなければと思い立ち、夫に、「いいもの見せてあげる~」といいながら口を開けて見せてた。
すると彼の表情はみるみる変わり、脱兎のごとく部屋の隅に走り寄り「なんてものを見せるんだ~~!!き、気持ち悪いっっっっ!!」と言い放ち、しばらく私に近付かなかった・・・。
今も時々その話しをするとぶるぶる震えているので、世間の人々が、どの位の割り合いで「気持ち悪い」と思うのか気になるところである。   (かなめ彦)

(寸評)たぶん医学的には問題ないもんなんだろうけど、俺も見学遠慮致します。ちなみに俺の尻の出来物も、まじでみんなひきます。なので浮気は出来ません・・・。6ポイント。

初めての大蛇

小学校低学年の頃、群馬県前橋市三俣町の桃ノ木川でひとりでいた時、大蛇がズルズルと草の茂みに入っていくのを見た。直径が30cm以上はあった。でももう上半身は茂みの中なのでどんな顔の蛇だかは不明。すごい勢いで家に帰って報告したが、誰も信じてくれなかったが、確かに見たんだ。たぶんアナコンダだな。へたすりゃ今もいるぞ。信じてくれいっ! そして桃ノ木川流域の人、気をつけてくれ! 信じる者は救われるぞっ!! (石川浩司)

初めての大糞射!

ある年の健康診断で、私は人生で初めて「再検査」を申し渡されました。容疑は「便潜血」。検便に血液が混じっていたとのこと(あ、ウンコねたが嫌いな方はこれ以上読まないでください)。痔の自覚症状はなし。しかし、たまに痛飲した翌朝などに赤黒いウンコが出ることはあったので、念のため出頭することに。判決は初体験の大腸ファイバー。

前日は完全欠食。当日は朝から、ポカリスエットみたいな下剤を2~3リットル、1時間くらいかけて飲み干します。そして、ウンコが出尽くして、大腸が空っぽになるまで、何度もトイレに「お百度参り」。「もう全部出ましたか?」「ハイ」。午後になって、10人ほどいた受診者が一人ひとり呼ばれていきます。私はというと、どうもまだ、完全には出尽くしていないような・・・。しかし、いよいよ最後のひとりになってしまうに及んで、不承不承検査室へ。ふつうの男性用トランクスとは逆に、お尻の方がぱっくり開いた検査着に着替えて、ベッドの上で横に。自分で見ることのできないお尻から、得体の知れないものを挿入されるという不安感。痛そうであり、また、恥ずかしくもあり。しかし、その恥ずかしさなんぞ、その後に起こる惨事に比べれば・・・。

ついに始まりました。医師がズブ、ズブッ、シュルシュルと、肛門からファイバースコープを挿し込んでいきます。「痛くないですか?」「あへ、あふ、は、はい」。顔の見えない医師との対話はより一層不安感を煽ります。スコープはさらに奥へ。しかし、ここで予期せぬ急変が。直前まで何度トイレに行っても出なかったのに、スコープ挿入に刺激されてか、ナースの視線に欲情してか、突然便意を催したのです。「あ、あの・・・」。異状を告げる間もなく、括約筋の脱力しきった肛門から、物心ついて以来初めての人前脱糞。それも液便。「す、すんません・・・」「み、見ないで・・・」。屈辱に打ち震える私に対し、医師をはじめ、私の痴態を冷視しているであろう数人のナースは、しかし、至って冷静でした。なにやら、「ズズ、ズーッ」と音を立てながら、バキュームカーのような機材で私の粗相を吸い取っている様子。「は、恥ずかしい・・・」。検査は続けられました。が、その後も何度となく、スコープの画像にいきなり茶色い奔流が現われては、視界を遮ったのでしょう。検査はしばしば中断。医師もナースも無言のまま、「ズズ、ズーッ」。で、ようやく視界が開けたかと思ったら、再び茶色い・・・。この期に及んで下剤が効いてきたのか、私の肛門からは止め処もなく・・・。これ以上は、書けません。

進んでは止まり、また、進んでは止まる。無限に感じられる時間だけが過ぎていきました。検査は難航しました。溢れ続ける奔流に加え、私がひどく痛みを訴え始めたからです。ちょっと進むと「痛っ!」。角度を変えると「うおっ!」。「こっちはどうですか」「あ、だ、だめです」「少し体を横にして」「うげっ、ちょ、ちょっと・・・」。顔を伺い見ることのできない医師の苛立っている様子が、背中越しにも感じられました。それはそうでしょう。「上の口」も「下の口」も、検査に非協力的なのですから。ついに「もう、このへんにしておきましょう」。検査は打ち切りになりました。バキュームの音も、止まりました。医師とは顔を合わすことができませんでした。

しかし、屈辱はこれだけでは終わりませんでした。ベッドを離れようとしたところ、またもや激しい便意が! 予定外に汚れてしまった(であろう)検査具を片付けている医師たちスタッフの視界に、もはや私の姿は存在していないようでした。この場所で、もうこれ以上の粗相は許されません。「トイレに駆け込むしかない!」。その距離、廊下の先まで約10m。生涯に催した幾多のピンチを振り返っても、初めて経験する「火山活動レベル5(最大)。極めて大規模な噴火を警戒!」。静かに歩いて誘爆を防ぐか、暴発覚悟で突撃するか。歩いていては100%間に合わない、だが、走ると、下手すると・・・。しかし、もう、考えているヒマはありません。走りました。鬼の形相。虚空をつかむ拳。トリッキーなステップ。そして、制御不能の肛門。ドアを閉め、便座に向かって180度回転、パンツを下ろ・・・。結局、30分近く、トイレに引きこもりました。下半身の活動レベルが鎮まるのをひたすら待ちました。そして上半身は・・・、トイレットペーパーをちぎっては、大噴火により広範囲に飛び散った痕跡を黙々と消しつづけていました。善良なる市民として、できるだけのことはやりました。帰り際にナースステーションでありのままを報告し、事後処理を頼み、深々と頭を下げて病院を後にしました。

検査の結果は・・・、「異常なし」でした。「1986年、ハレー彗星のコマに突入した探査機が送ってくる画像を生中継で見てたけど、結局なにがなんだか分からなかったな」。そんなことが頭をよぎりました。 「Fuck―Dah」

(寸評)うう・・・。これは他人事ではないな。俺も人前ではないが「ンゲッ!?」という自宅内糞射(まさに制御不能の散弾銃のように壁の上の方とかまで。どういう糞射口構造になっているのだ!?)の経験あるのでいつ自分に降りかかってもおかしくない。笑いながらも明日の自分と思って口元をギュッとギュッと閉めました。よくぞ報告してくれたっ、偉いっ! 15ポイント!

初めての誘拐

過去に私は誘拐されたことが有る。と、言っても2~3歳頃だった為、私自身に記憶は全くないのだが。ウソのようなホントの話し。以下、母からの伝聞。

幼い私は一人で、借家の庭で砂遊びをしていた。母は、私の様子を窓越しに時々確認しつつ家事をこなしていた。と、数分目を離して次に見た時、私はそこに居なかった。
子供の足でそんな遠くに行ける訳がない。母は近所を探し回ったが、どこにも居ない。
探す事数時間。もう夕方。心配はピークに!その時電話が鳴った。交番からだった。

慌てて行ってみると、私は居た。呑気にも、頂いたあんぱんを食べていたそうだ。
お巡りさんの話しだと、私はごみ箱に捨てられていたらしい。当時有った、いわゆる近所のごみ拾集場所のごみ箱の中で泣いていたそうだ。
・・・自分で入り込んだともいまいち考えにくい場所だったので、恐らく誘拐だろう、との話し。誘拐の目的は何だったか分からないが、身代金の要求でないことだけは確かである。

さて、今、犯人に言いたい。殺さないでくれて有難う!!しかし!!よりによって、ごみ箱に捨てんでもよかろう!?何故ごみ箱か!?あ・・・もしかして、その辺に放置しておけば車にひかれるかも、とか思ったのか?なんだ~、犯人いい奴じゃん!! (かなめ彦)

(寸評)おおっ、これは本人の自覚なしとはいえ一歩間違えば新聞の一面記事! しかしゴミ箱って・・・まさか犯人は実は犯人なんかでは全然なく、単なるちょっと目の悪い町の美化運動に真面目に取り組んでいるおっちゃんで、
「誰だ! こんなところに汚い生ゴミ捨てたのはっ! プンプン!」
と道に小汚い様子で落ちていたかなめ彦を普通にポイッとゴミ箱に捨てたのでは。

・・・あわわ、10ポイント。

初めての72時間耐久ワープロ

大学4年のクリスマス前、1万字の卒論は既に脱稿していました。が、提出期限三日前になって、「そういえば「ワープロで提出のこと」だった!」ということを思い出しました。急遽、友人が住んでいたYMCA(キリスト教青年会)寮の、不良学生のたまり場に置いてあった共用のワープロを借りることに。たしかディスプレイが縦長の「書院」とかいう、今では歴史資料館級の機種であったように記憶しています。「ちょっと2、3日、貸してくれや」。それまでワープロというものを触ったことすらなかったというのに、私は全く以って能天気でした。「別に頭を使うわけでないし、どうせ単純労働だろうから、焼酎でも一杯やりながらテキトーに」と高をくくっていました。

ところが一日目、早くも壁にぶつかりました。フロッピーというものは初期化して使うということ、「何で、あ・い・う・え・お、がバラバラなんじゃー!」と怒っても無意味であって「ローマ字打ち」の方が慣れれば速いということ、時々保存しないとそれまでの苦労が突然消失することがあるということ・・・、すべてが「未知との遭遇」でした。そして自らの無知と無力を悟った時点で、既に30時間ほどが経過していました。1万字のうち、8百字くらいまで到達していました。

二日目も半ば、どうにかローマ字打ちが様になってきた頃、今度は、勝手に変な改行がされて文章がデコボコになったり、何かに触れてしまったのか「挿入モード」が「上書きモード」になって驚いたり、さらなる試練が待ち受けていました。余談ですが二日目に悟ったこと。その寮に居ついていたオス猫が、時々私の膝の上に乗ってはじゃれついてきました。殺気立った時間の中で、その好き放題の甘えっぷりは、疲れ果てた心を和ませてくれまし・・・、「うぉー!このクソ猫!」。猫は突然マーキングをする習性があること、が二日目の悟りでした。

昼と夜、そして時間の感覚が徐々に無くなってきました。たぶん、もう、一睡もせずに三日目。クリスマス・イヴ。それでも何とか5千字は超えたなと、一服しようとしたとろ、突然、ワープロがうんともすんとも言わなくなりました。憔悴しきった私は、聖なる夜に野郎だけで焼酎をあおっている、たまり場の無能者どもに助けを求めました。ところが、非情なる無能者どもは、しょば代や顧問料などの名目で、恫喝同然の不当要求を突きつけてきました。「コンビにでおでんを買って来い。買ってきたら教えてやる」。「クズだ。悪魔だ。鬼畜だ。こんな奴らがキリスト教徒名乗っているのか! こやつらは邪教の徒だ!」。悪態をつきながら歩く深夜のコンビニへの道のりは、限りなく遠く感じられました。普段は酔っ払いだけが闊歩する時間だというのに、何組かのカップルともすれ違いました。「寒い。飲みたい。眠りたい。女もいらない。ワープロなんて無かった時代に生まれ変わりたい」。怨念を込めたおでんと、一番高いユンケル皇帝液を買い求めた私は、最後の力を振り絞り、目を充血させながらキーボードと格闘しました。例の猫が、今度は原稿にマーキング・・・なんてことにはもう構ってはいられませんでした。

サンタさんがフィンランドへ帰り着いた頃、ようやく私の死闘は終わりました。薄れゆく意識の中で茫漠と考えました。「就職したらみんな、ワープロとか使わざるをえんのかなぁ?」。生命体には無限の慈悲を注ぐ私は、反面、無生物に対しては容赦なく激昂する方でした。「会社でパソコンとか殴らなきゃいいが・・・」。この懸念は、10年後に現実のものとなりました。 「Fuck-Dah」

(寸評)俺はパソコンからでそれまではワープロにも触ったことなかったんだけど、よくあったな。ボタンひとつで一晩の作業が全て灰燼に帰して、部屋でひとりでふすまなどにいきなり格闘技の試合を申し込んだことが。これは多分ワープロ、パソコン初心者には誰でもある通過儀礼なのかもね。8ポイント。

初めての赤ちゃんにお化粧

子供が生後4ヶ月くらいのとき、抱っこ紐(抱っこした状態のおんぶ紐)で子供を連れてでかけたときのことです。
出先でおなかがすいて、どこに入ろうかグルグル歩いてみても適当なところが見つからず、某天丼屋に入ったのでした。
なんとか‘テーブル席‘に座って、子供を抱っこ紐からおろしてイスの上に寝かせて食べたいと思っていたのですが、あいにくカウンター席しか空いておらず、抱っこ紐のままやむなくそこへ座りました。こんな状態で食事するのははじめてです。
出てきた天丼を見つめようとすると、抱っこ紐で私に密着してる我が子の顔が目の前にある状況で食べ始めました。
しばらくすると、私のとなりの席に座っている老夫婦のご夫人が私をしげしげ見ていることに気がついたのです。
「なんで見てるんだよ、たべづらいなぁ」と思いながら食べ続けましたが、何度も目が合います。
食べ終わると、すんごく不愉快だったので、すぐさま外へでました。
道を歩きながら我が子の顔を見ると、なんとご飯つぶがいくつか乗っかっていたのです。
「これだ!」と気がついた瞬間、すんごいはずかしくないました。
だって子供の顔にご飯つぶ落としながら、夢中で食ってる姿ったらないなぁと…。(杏)

(寸評)老夫婦には杏が怖ろしい「食魔人」に見えたのだろうな。どうか子供の顔についたご飯つぶを拾って食べるうちに子供の顔まで食べてしまいませんように。ブルブル。7ポイント。

初めての最終ランナー

大学時代4年間 、毎年60km遠歩大会を踏破していた私は、自分の体力を過信していました。「50kmなら、なんとかなるんじゃないか」「別に歩いたっていいんだし」。阿蘇カルデラマラソン50kmの部(100kmの部もあり)に、フルマラソンも未経験のド素人がエントリー。ジョギング中毒の職場上司の誘いに乗って、私はお気軽に参加を決めてしまいました。しかし、今になって思うに、私はあまりにも楽観視、いや、なめてかかっていました。まず、季節。遠歩大会は11月、しかも深夜0時スタート、暑さ対策不要。かたや、カルデラマラソンは5月の真っ昼間、当然、太陽は苛烈で暑い。遠歩大会は全行程、山頂からひたすら下り道。かたや、カルデラマラソンは過酷なアップダウン。そして、遠歩大会はある意味お遊び、途中でビールを飲んだり。かたやカルデラマラソン、鍛錬しているスポーツマンの真剣勝負。そんなことに思いも馳せず、たいしたトレーニングもせず。さらに当日阿蘇までは、車を100kmくらい運転し、フェリーにも40分揺られるという、ある意味「トライアスロン」。

スタート時刻は迫りました。武者震いするにはあまりにも強烈な陽射しの中、「キミはさぁ、ゆっくり景色を楽しめばいいんだよ」と悠揚たる上司。間抜けにも、カメラや着替えや食料をリュックに背負った(←上司のアドバイス。が、荷物を持ったランナーなど一人もいなかった・・・)私は、しかし、何はともあれお祭り気分で号砲を待ちました。「カメラ貸してよ」。何を考えているのか、スタート地点で上司が私に言いました。そして、ついにスタート。数百メートルだけ、私は集団の中にいました。そして、上司は先頭集団に抜け出し・・・、かと思うと、いきなり立ち止まるや、私にカメラを向ける。何という余裕(なんだかんだ言って、この写真はとても大切な思い出になったのですが)。「最低でも10km地点までは走ろう」。しかし、背中のリュックの重み、肩口の痛みに私は苦しみました。さらに予想を超えた暑さ。既にシャツはびしょ濡れ、乳首くっきり。焼けたアスファルトの熱はシューズ越しにも強烈でした。ついに走るのをやめ、歩き始めたその時、とっくに先の方へ行っていたはずの上司が突如、逆走して現れました。「この先にさぁ、キレイな小川があるからぁ、足でも冷やしたらぁ」。数分後、シューズを脱ぎ、せせらぎに足を浸す私。その情けない姿を、またも上司が写真に。

そこから先はずっと一人旅でした。小走りと歩きを交互に、給水ポイントと素晴らしい景色だけを救いに。里山の集落、牛が放牧されている牧野、阿蘇のカルデラを一望する絶景、そして上り坂、下り坂。ふと見上げると、遠い丘の上からおばちゃんたちが手を振ってくれている。「応援、ありがとう」と手を振り返す。が、数十分の後、標高差50mはあろうかというその場所が、実は給水ポイントであったとは・・・。おばちゃんがバケツから汲んでくれる「大塚製薬エネルゲン」を何杯もおかわり。そろそろ、路傍に座り込む落伍者が目立ち始めます。だいたい、私と同じように、見るからにマラソン初心者というような人々。ジーンズ姿の兄ちゃん、洗濯したてのように汗でずぶ濡れ。かなり太目のおばちゃま、その脂肪が燃焼できればもう少しがんばれるのにね。太陽も西に傾き始め、それでも、気温が下がったのと、ランナーズハイもあってか、私はコンスタントに小走りを続けました。

40km地点で6時間を経過した場合には、タイムオーバーという規定でした。私はすれすれのタイムで走っていました。しかし、40km地点さえ越えればあとは外輪山から阿蘇町への一気の下り。「なんとかなるぞ」と思ったその時、背後の4輪駆動車に気づきました。何だろう。時々、振り返ってみると、ずっと追走してきていました。そして・・・ついに、私の後ろを走っていたランナーが4駆に乗り込む、いや、強制的に収容されるのを見てしまいました。「ゲッ! もしかして最終ランナー回収車?」。4駆は私の後ろにぴったりと付いてきました。「はい、キミはそこまで」って、無理やりリタイヤさせられるのか? そう思った私は、9カウントで起き上がってファイティング・ポーズをとるボクサーの如く、「まだやれるんだ!」とばかりにピッチを上げました。そうすると、前方のランナー数人を追い越してしまいました。「とりあえず最終ランナーではなくなった」と安堵しつつ暫く走ると、なんとまた、4駆が私の後ろに。もしかして・・・、やはり・・・。私が追い越したランナーたちが次々と強制収容されているのが分かりました。あとはもう、逃げるだけ。逃げる、一人追い越す、安心する、振り返る、また後ろに4駆・・・。

結局40km地点でタイムオーバー。待ち構えていたマイクロバスに、数人の落伍者と共に収容されました。一番楽しみにしていたクライマックス、西日に輝くオレンジ色の空と阿蘇の山影とが生み出すコントラスト、最も美しい絶景を私は呆然と、車窓から眺めました。ゴール地点では勝者と敗者、そして落伍者も皆で健闘を称えあい、盛大なバーベキュー大会が始まっていました。食い放題、そして、ビールも飲み放・・・、「げっ! 俺は今日は飲めないのか!」。そうでした。運転して帰らねばならなかったのです。フェリーもなくなった帰り道、全行程、高速道路を走らなければなりませんでした。行き交う車もまばらな漆黒の空に、阿蘇の山並みの幻覚が何度となく現れては、疲れ果てた私を「人生のゴール」へといざないました・・・。 「Fuck-Dah」

(寸評)収容されるの嫌だな。むしろ人間としては収容する側になりたい。8ポイント。

初めての結婚披露宴

まあ、殆どの人が結婚式って一回程度だと思うのだが、それ故に一度きりの披露宴は、自分達のやりたいようにやろう!と決めた私達。おおまかな流れはまあだいたい他の皆さんと一緒だと思うが、仲人立てず自分達でスライドにて経歴紹介、キャンドルサービスしない代わりに、お席に下りて各テーブルへ御挨拶、親戚のおじさん達の酔っぱらいカラオケは避けたかったので、初めからカラオケ機器は置かない、絶対泣くから両親への花束贈呈はナシ・・・等、今にして思えば、招待客には物足りないかもしれない披露宴をした。
中でもこだわりはBGM。好きなバンドの曲をかけるのじゃ~!と、もちろん「たま」の曲も入れた。Gさんの大人しめの曲も入れたりしつつ、最後だけは絶対これじゃなきゃ!!と夫と選択したのは「夜のどんちょう」。
「披露宴での出来事は、みんなこの曲でおちゃらけちゃって下さ~い」という気持ちを込めて選曲。
とどこおりなく宴は進行し、ラスト、扉の前に立つ私達。司会の人の感動的なナレーションと共に、この曲が流れた。
それはそれは場違いな感じで、私はたいそう満足だった。思わず口元がにやけた私だったが、恐らく私達以外、この曲に耳を傾けたものは居なかったかもしれない。何故なら、思ったよりも音量が低かったので・・・。もしかして、式場側で、なんか、配慮しましたか・・・?
後で両親から「バカだね、全く!」と、まるでちびまるこちゃんのお母さんみたいなコメントをもらいましたとさ。 (かなめ彦)

(寸評)式場の人が「やばい! こんな曲かかるはずがない! 選曲ミスかも」とこっそり音量下げたのかもね~。次回のないように! 7ポイント。

初めての切り取られたページ

その日私は、あたかも塾の帰りでもあるかのように大きな手提げのバッグを持って、店に入りました。順番待ちの客がいないことを確かめて。そしてオヤジもおかみさんも、それぞれ客の相手をしていることを確かめて。今日この日に、散髪に行くことになったことに、運命の巡り合わせ、そしてその僥倖に感謝しつつ。

順番待ちのスペースには雑多な雑誌が置いてありました。当時小学生だった私が読むべき、少年ジャンプやコロコロコミックなどもありました。しかし、私の狙いは・・・週間プレイボーイでした。新聞広告に躍る欲情を誘う活字、「えっ?この人が?」と思うタレントのセクシーショットの見出し(この表記が即、ヌードではないことを知るのは、その数年後)。小学生が本屋で買えるものではありません。もちろん、その店に置いてあるものを手にすることもはばかられました。たとえ、オヤジからは死角になっていても。妄想の世界の、そう、11PMと同じような、手の届かない世界でした。

いかし、この日の私は大胆でした。計画的でした。どうしてもこの目で見たい。その週に掲載してあるはずの、ある女性タレントの「セクシーショット」を手に入れたい! 私は自制心を失いました。悪魔に魂を売り渡しました。欲情を抑え切れず、衝き動かされ、そして「これは万引きではないんだ」と自身を欺き、作戦を実行しました。何冊かの漫画雑誌を手に取るふりして、その中にプレーボーイを挟みこみました。そして、全神経を集中して、誰の目も私に注がれていないことを確かめると・・・、プレイボーイをバッグの中にしまいこみました。「満願成就!」。この言葉が心の中で踊りました。あとはオヤジに見つからないようにしっかりとバッグのファスナーを閉めて。髪を切っている最中、気もそぞろ、抑えようのない興奮とちょっとの不安・・・を決して悟られないように。そして、無事、髪を切り終わり、金を払い、店を出る。「うぉっしゃぁー!」。心の中で叫びました。

家に飛んで帰り、早速自室へこもって、期待に胸膨らませ、当然アソコも膨らませ、私はページをめくりました。♪大人の階段登る~、君はまだ・・・いや、オレはもう・・・。カラーグラビア・・・、巻頭カラー・・・。えっ? なんだ? どこ? 目次のページを探す。たしかにある、はずである。もう一度めくる。最初から最後まで全ページをめくる。な、ない! グラビアのページがない! ない、ない、ない、な、な、な、な、ないーっ! なんと、お目当てのページはすべて切り取られていたのです。 しばし茫然自失。一度手にしたかと思えた幸せが、すっと、手からこぼれ落ちたようなショック。そして、その心のうちは、自分の悪事を棚に上げて、徐々に怒りへと変わっていきました。「あの、くそオヤジ、無口で無表情で真面目だけが取り柄の職人みたいな面しやがって。実はむっつりスケベのエロオヤジだったのか!」。髪切りオヤジは、実は紙切りオヤジでもあったのでした。 「Fuck-Dah」

(寸評)♪チャンチャン。12ポイント。

初めての疑惑

私の住む町で、今年殺人事件があったのですが、犯人が逮捕されていません。
犯人の落としたものが、新聞の折り込み広告になって配布されたり、ポスターになっていたる場所に貼ってあります。
そんなある日、うちに一人の刑事がやってきました。
「○月○日、事件があったのご存知ですよね…」
私は事件直後、ニュースで見て知ったのですが、目撃でもしてれば自ら進んで通報するタイプなので情報提供したいのは山々なのですが、うちの人間はその日事件現場方面にはでかけていないので、うちとは関係ないないやと、すっかり忘れていました。
刑事に、その日何か変わったことがなかったか、その時間何をしていたか、主人は何をしていたか、どこへ勤めてるのか、身長は何センチかなど聞かれ、「なんで?うちって怪しい?疑われてるのか?」と思うと妙にカツゼツがよくなって、ぎこちなくなるのを普通に見せようとして、逆におかしくなってしまいました。
うちの旦那はフリーカメラマンという職業柄、会社勤めではないので、毎日同じ時間に決まった場所に出社という日々を送っていません。
その日何をしていたか聞かれ(3~4ヶ月前のことを)、手帳を見るしかないのですが、さて手帳が見つかりません。
旦那はほとんど探しもしないで「あの日はなにしてたっけなぁ」を繰り返すばかり。「○○の仕事やってる頃じゃない?」と助け舟をだしても「そうだったかな、う~ん」と言う始末。業を煮やしたわたしは、
「なんだっけかな、じゃ済まないんだよっ。その日のアリバイを聞かれてるんだからさ!しっかりしてよ!」と、軽く怒鳴ってしまいました。
すると刑事に、
「まぁ(汗)、犯人の身長はご主人の身長と大分違いますので、気になさらないで大丈夫だと思いますよ」となだめられてしまいました。
無事に話も終わり、刑事は帰ってゆきました。

でも、身の潔白を自然な形で訴えようとすればするほど、わざとらしくなるのはなぜでしょう。
いつかのTVで、人は嘘をつくとき自然に右上だか左上だかを見るというのをやっていて、刑事と話してるときそんなことが頭をぐるぐるまわりだして、「私の目の動きとかも観察してるのかな」とか思って意識したら変になってきて頭を左右に振ってしまいました。(杏)

(寸評)うちも同じようなことあった。妻が5年前にバイトをやめたゲームショップの店長が何者かに殴り殺されたのだ。でもどうやら人付き合いがほとんどなかったらしく、やむなくバイト経験者ぐらいしか当たるところがなかったらしいのだ。しかも俺なんて一度もその被害者の人と面識がないのに、指紋まで採られた。
 しかもその店長が殺されたのはそのお店の営業時間中で撲殺。誰に見られてもおかしくない状況での犯行。今も捕まったという知らせはないので、世の中迷宮入りの事件が多いんだな~と思った。
 でもそんな俺ですらうっすら汗ばんだもんな。あれ、すごい勢いでこられたら気の弱い人がその状況に耐えきれずやってもいないのに「やりました」と言わせてしまう力あるな。冤罪でぶち込まれている人の気持ちがちょっとわかった。8ポイント。

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