ドキドキドキリコ初体験(32)
初めての後姿
平成3年くらいだったでしょうか。
友人宅が高円寺にあったので飲んだ帰りに友人と駅構内を歩いていると、見たことのある後姿がありました。
他にも人がパラパラ歩いていたのですが、改札付近に立つそのお方が、大谷ひろゆきさんだとピンときたのです。しかも後姿を見ただけで。私は友人と一緒におそるおそる「大谷さんですよね」とお声かけすると、驚かれていましたが、やはりご本人ということでこころよく握手してくださいました。友人が「地下生活者の夜で観ただけだったのによく後姿でわかったね」と笑いながら感心してました。(杏)
(寸評)あいつの後ろ姿もわかりやすいよな。何せ俺とふたりで「座りのっぽの会」をやっているぐらいだからな。立つとたいした身長じゃないのに何故か座るとのっぽになる。世界の七不思議のひとつだな。
それはともかくいいことをした! 大谷はやっぱりテレビとかには出てないのでほとんど人から声をかけられることはないと思うので「東京歩いていて女の子に声かけられちまってさ~」というそのネタで一ヶ月は彼に幸福を与えただろうからな。7ポイント。
初めてのAVオヤジ
小学6年の頃、友達と公園で遊んでいたら小汚い格好をしたオヤジがやってきて、俺にラベルの剥がれた1本のビデオテープを渡してきた。そのオヤジは何も言わず、どこかに消えた。
早速、友達の家に行ってビデオを再生してみると、白黒の画面で女がオカリナを吹いたら3人の男に犯されるという極めてチープなAVだった。しかも無声なので喘ぎ声すら楽しめない。俺たちはこのAVは暴力団が制作したものだと勝手に解釈し、何故か法的措置をとるという結論に至った。そこで、警察に通報するのは大人の方がいいということで、友達の母親を呼んで通報するように頼むと、その母親がビデオテープを粉々にしてしまった。
すると突然インターフォンが鳴り、母ちゃんがドアを開けると先刻のオヤジが背中を丸めて立っていた。母親が「どうしたんですか?」と問うと、オヤジは「ボランティアです…。」と言った。母親が何度訊いても、オヤジは「ボランティアです…。」と言うだけだった。そこで、母親が「警察呼びますよ」ととどめの一言を吐くと、オヤジは逃げていった。…これは嘘ではありません!!!!(フィールドオブウンコ)
(寸評)ということはその友人の家に入るまでこっそりついて来ていたのかな? 怖いな。でももしそのオヤジの本名が「ボラン・ティア」という名前だったら・・・? もしくはその友人の母親というのが実は秘密の組織に入っていて「ボランティアです…。」が合言葉だったのだが、子供のいる手前誤魔化したとか・・・。謎はつきんな!! 7ポイント。
初めてのもんじゃ焼き
先日、友達と市内に新しく出来たばかりの食堂へ行き、「もんじゃ焼き食べ放題」を注文しました。
最初に店員さんが「焼き方知ってますか?」と聞いてきたので素直に知りませんと言ったら、「じゃぁ、最初は説明しながら焼いてあげますが、2回目からはお客様の方で焼いてもらうことになりますので」と言って、目の前の鉄板で1回目を焼いてくれました。友達は昔、関東に少しだけ住んでいたことがあったためか、まったく初めてじゃなかったようですが、久しぶりということで一緒に真剣に聞いてました。
生まれも育ちもほとんど九州の自分は、20代後半にして初めてもんじゃ焼きなるものを目の前にして「お好み焼き」との大きな違いに驚きの連続(^_^;
もしその友達がいなかったら、危うく小皿に形あるままの状態でのせようとして「お箸下さい」と店員さんに言ってしまうところでした。。。(^_^; (あるみりゅう)
(寸評)確かに初めてだと「キャベツで堤防を作り、その中に汁をはみ出ないように入れる」っていう発想は出ないもんな~。で、さらにもんじゃの醍醐味といえば「ヘリにこびりついたゴミのようなおこげをへらですくいとること」だもんな。確かに不思議な食い物だ。5ポイント。
初めてのフィーバー
先日、冷蔵庫の中からジャムを取ろうと探していたら上のほうの段から怪しげなビンが出てきました。
中に何が入っているのか気になって、開けてみたところ、ものすごい光景を目にしました。
ふわふわの綿飴みたいなものが入っていたのです。しかし、それとともに変色し、変わり果てた姿の大根の葉っぱ(細かく切って炒めたもの)が発見されました。
よく見ると、そこはもうカビフィーバーでした。青黴、黒黴、白黴。。。赤い黴なんて、初めて見ました。
おばあちゃんに「何であんなになるまで放っておいたの?!」と聞いたら、「だって、冷蔵庫が高くて手が届かなかったんだもん。」と言われました。
あんなことになるくらいだったら、言ってくれれば取ったのに・・・。(鯖子)
(寸評)赤い黴は確かに俺も見たことないな~。「カビパラダイス」を作って入場料取って大儲け! ・・・は出来ないと思うのでやめるように。8ポイント。
初めての人様に迷惑かけた不時着
…あぁ、タイトルが長いですね。
一昨日と昨日(3月9,10日)は入試だったのです。9日、お昼ごはんを友達2人と食べていました。私は最初にミニトマトを口の中に入れ、いざ噛み砕こうとしました。すると、トマト汁が口の中から飛び出て、友達の制服に…!ちなみに私のクラスでは給食中に食べた給食が口から飛び出ることを「不時着する」というのですが、まさにそれで人に迷惑をかけるとは!
まぁ飛び出ること自体迷惑なんでしょうけど、私のクラスでは日常茶飯事なので仕方ないのです。
そんなことしたのに10日も友達は一緒にご飯を食べてくれました。いい友達を持ちました…ハイ。(36)
(寸評)俺もライブ中は「幸福の唾シャワー」を前列のお客さんに不時着させまくって、日々人の幸福を祈っております。7ポイント。
初めての放火未遂
11年前の冬、当時小2の私は、留守番中ガスストーブを見て、「どう動いているんだろう?」と考えました。そして、近くにあった紙屑を突っ込みました。…途端に手まで数cmの範囲が一瞬にしてメラメラと炎上。すぐに水につけて消したため、火傷もボヤも免れましたが、帰宅した両親に焦げた紙屑を見つけられ、散々怒られました(当然だよな…)。両親はもう忘れてますが、今の時期に消防車のサイレンを聞くと、このトラウマが蘇ります…。(Hi-)
(寸評)まぁ以前も書いたけど俺は小1の時友達とマッチで遊んでいたら野原を焼いて、パトカーに乗せられた前科者だからな。小5ぐらいの時には焼けた火の棒を友達に手に押しつけられて今でもその火傷の跡が残ってるしな。大人になって「火遊び」をする度胸がないのもそのトラウマかもな…。5ポイント。
初めての死にそう
東北に住んでいるもんで、冬になると路面凍結することがある。俺は自転車で通学しているので、その日は大変厄介である。特に去年の冬、歩道は雪が積もっているので運転が難しい。そうなると車道を通るのだが、車道はカチカチに凍っていた。そこで滑ってしまうと車にひかれること必至である。俺は死にたくなかったので、全神経を集中させて滑らないように努めた。
坂に差し掛かったとき、大胆にスリップしてしまい体のどこかをうった。けど、案外大丈夫だった。その後、無事学校に着いた。けど、神経を使いすぎたので疲れて授業どころではなかった。寝た。(フィールドオブウンコ)
(寸評)俺も20才ぐらいの時バイクに乗っていて路面凍結にやられて俺を残してバイクだけ100mぐらい先まですっ飛んで行ったことがある。あの時うしろに車が来てたら完全にお陀仏だったな~。なので、免許は書き換えもしないでポーンと捨ててしまったので、今は無免許。4ポイント。
初めての昆虫大発生
まだ幼稚園くらいの頃か。春の陽射も麗らかなある朝のこと、庭で洗濯物を干していた母が「きゃー」と絶叫するのが聞こえてきました。直後、今度は少し落ち着いた声で「ちょっとー! 来てみてよー!」。白いシーツの前に立ち尽くす母は、私にもっと近くに来るよう促します。指差す先を凝視するに、そこには無数のうごめく生物が。アリではない。何だ? シロウオのように半透明なその生物には特徴的な前足が。おおっ! カマキリではないか! 1cmあるかないかの赤ちゃんカマキリの大群でした。しかし、何故シーツに群がっているのか? 謎はすぐに解けました。カマキリは空から降ってき…、いや、二階の軒下から次々とダイブしてきていたのでした。そういえば…、二階の軒下には前年の秋にカマキリが生涯を終えた虫かごがぶら下がったままでした。そして、その虫かごの中に、道端に吐き捨てられたガムのような、奇妙な物体が残されていたことをすっかり忘れていました。赤ちゃんはその物体から次々と湧き出てきていました(正確には幼虫として孵化し、即脱皮してカマキリの姿になるのだそうです)。お母さんカマキリが、決してその手で抱くことのない子供たちを、この世に残すための忘れ形見だったのです。
十匹くらいはガラスの水槽の中で観察することにしました。しかし、子供の目にも捕食すべき獲物がいないことは明らか、すぐに、他の兄弟たちが待っているであろう、猫の額ほどの庭へ放してやりました。その時、私が、我が家の庭に出現するであろう「カマキリ王国」の王として君臨する野心を抱いていたのか、あるいは呆気なく臣民のことを忘れてセミやトンボを追い回してひと夏を過ごしたのか、今となっては記憶にありません。しかし、事実として言えるのは「カマキリ王国」建国祝賀式典の記憶がないことのみです。
その年、春から秋へとめぐる季節の中で…、庭で逞しく成長したカマキリを見かけたのは数えるほどでした。ある者は庭の板塀と生垣の間を抜け、アスファルト・ジャングルを越えて新世界を目指し、ある者は生き急いで母の元へと旅立ち、また、ある者は他の生命の一部となって生き続け…。成虫にまで育つことの奇跡。自然界の生存競争、淘汰はやはり厳しい。私がこのことに気づくのは数年の後のことでした。 「Fuck-Dah」
(寸評)いや~、カマキリ俺だめでさ~。見た目で気持ちが悪くて駄目な虫も多いんだけどカマキリの場合は違って、小さい頃カマキリで遊んでたら本当にカマでざっくりと手をやられて血がドクドク出て。この話しても妻は信じてくれないんだよ~。誰か「カマキリには私もやられましたっ!」という同志の報告待つ。カマキリが本当に怖ろしい生き物だということを妻にもわからせるのじゃ~っ!! 6ポイント。
初めての昆虫脱皮
ある夏、その街で過ごす最後の夜を前に、職場の残務を片付けるのに疲労困憊した私は、呆けたような顔をして公会堂前バス停の楠の大木の下に立っていました。家に帰ったところで、待っているのは寝る場もないほど散らかった家財とダンボールの山。明日は引っ越し。出るのはため息ばかり。と、その時、右手の脇のあたりがチクっと痛みました。手を向けてみて、今度は奇妙な感触に再度びっくり。なんだ? そこにはなんと、セミの抜け殻が…、いや違う、動いているし柔らかい。なんとセミの幼虫がしがみついていました。常識的な対応は、楠の木の下へ行き、幹の高いところにそっと放してやることでした。しかし、この時の私の精神状態は若干、常軌を逸していました。
「なんの因果か知らんが、俺の腕を木の幹と勘違いしてしまったお前さんよ、そもそもどうやって俺のところに辿り着いたんだい?(今、冷静に考えてもまったく以って不思議。頭上の枝から落ちて来たのか?)今夜は一世一代の大仕事なんだろ? 一緒にしちゃあ失礼だが、実は俺も俺なりにたいへんな夜なんだ。どうだい、今宵かぎりの一期一会、俺の部屋で一緒に過ごさないかい? こんな街のど真ん中よりは安全だし、そうだ、脱皮が終わるまで、ずっと見守っていてやるから」。
その幼虫を細心の注意を払ってハンカチに包み、私は家へと向かいました。孤独で長い夜に、格好の友を見つけたというのが本音だったかもしれません。さて、どこか適当な場所は…。「クーラーもないこの部屋、網戸で夜風に当たりながら、ゆっくりやりなよ」。幼虫はその屈強な前足でしっかりと網戸にしがみつきました。一人と一匹の長い夜が始まりました。かたや、過去の思い出の品を見つけては立ち止まり、かたや、未来だけを見据えて。かたや、雑多な荷物の前で右往左往、かたや、身動きひとつせず。かたや、捨てるか捨てないかの煩悩にさいなまれ、かたや、我が身ひとつの潔さ。そのようなコントラストは時間が経つほどに鮮明になっていきました。しかし、一人は一匹に目線を送るたびに、覚醒し、解脱し、癒されました。一人は時計の針に焦燥して衝き動かされ、一匹は地球の鼓動に静かに呼応しつつ、夜は更けていきました。まったく微動だにしないように見えていた幼虫はゆっくりと、しかし、確実にその姿を変えていっていました。薄茶色が半透明になり、うっすらと白と緑色が浮き上がってきました。そして、いよいよ背中が割れ始めると、私は10分おきくらいに作業の手を止め、その様を見守りました。それからの変化の様は…、逐一を描写する適切な言葉が見つかりません。というか、その必要もないでしょう。これから先、実物を目にする方の感動を薄めるような無粋なことはしません。
熱帯夜の終わりにひとときだけ涼風の吹く早暁、ふやけたようだった羽や体も十分に固まった、立派なセミの成虫が私の目の前にいました。朝日の逆光の中でその羽はキラキラと輝き、その体躯のシルエットは十分に逞しいものでした。「さあ、いよいよ旅立ちの時だ。そうだ、軽率だったが俺はお前さんを網戸の内側に招いてしまっていた。外に出てもらわないといかん。悪いがちょっとつまませてもらうぞ。二度と人間には触られないように気をつけろよ。俺はまだもう少し頑らないといかん。見送りが出来ないかもしれないが、まあ、好きな時に飛び立ってくれ」。網戸の外側に静かに佇む一夜の友に向かって私は、長い地中生活を生き抜いた来し方への畏敬の念とともに、これからのあまりにも短く儚い行く末に幸多かれと祈りました。
数時間後、いまだカオス状態の部屋に引越センターの兄さんたちが現れました。なかなか「脱皮」ができない私の荷物を手際よく箱に詰め、旅立ちの用意をしてくれて、次の街へと運び去っていきました。雑巾バケツと掃除機、CDラジカセだけを残して、しばし呆然と座り込んでいた私の様は、網戸に残されたのと同じ、まさに「抜け殻」でした。 「Fuck-Dah」
(寸評)それは貴重な観察が出来たね~。俺は猫のお産は結構何度も間近で見てるんだけど、あれもちょっと感動というか生命の神秘を目の当たりにするよね。でも蝉の成虫の寿命は確か一週間だっけ? 自分の葬式の為に最後にバッと花を咲かせて散っていく桜みたいだよね。6ポイント。
初めての暴利話
今日、社長にお客さんが来たなーと思ったら、顔に塗るクリームを売らないかというお話だったようです。基本的には燃料販売のうちの会社が何故化粧品を売ることになるのかは疑問ですが、定価18,000円で仕入がなんと5,400円!うちから他社に卸すから特別に安いとはいえ、製造会社はそれでも利益が出るだろうから、原価はいったいいくらになるのでしょう…。
高いからいいもの使ってるとは言えないんだと、化粧品をちょっと信じられなくなりました。(うろたえ太郎)
(寸評)まー物の値段ちゅーのも不思議なもんだよね。例えばCD。制作に何ヶ月もかけてスタジオ代だけで何千万もかけて作った物でも、ライブをそのまま録音して実質ほとんどプレス代ぐらいしかかかってない物でも販売金額はほとんど同じ。結局、需要と供給の関係で物の値段て決まるからね。逆に100円ショップで「これ原材料費だけで100円以上かかってるだろう!?」ってなものもあるしね。5ポイント。
初めてのサルの忠告実行計画
久々にサルの忠告を見てみたらそこには「石川浩司の口座に意味なく一万円振り込め」。いつも見るだけで従ってなかったサルの忠告。一万円は痛いけどこれなら石川さんを混乱させられて面白いかもしれないと思った私はそこに出ていた口座をメモして退社時間を待った。
しかしその日は土曜日。「振込みできるのだろうか?」という疑問と、手持ちの現金が足りないという事実。さらに会社を出る時間がATMも使えなくなる6時になってしまったため、仕方なくあきらめることに。
いやー、残念残念(笑)。(うろたえ太郎)
(寸評)途中まで読んで「えっ?」とほほがゆるんだ俺の顔は後半を読むにしたがってどす黒く変色していった・・・。他にも「サルの忠告」実施した人、報告待つ! 4ポイント。
初めての「すがすがしい顔」
朝、会社に着いて「おはようございまーす」と言いながら入っていくと、「おはよう、すがすがしい顔してるね」と言われました。前夜午前2時くらいから茶の間のストーブの前で寝てしまい4時ごろ目が覚めて布団で寝なおし、7時に起きて物凄いボンバーだったねぐせを必死で伸ばして、雪が積もったツルツル路面を冷や汗かきながら出社した朝にそんなことを言われたものだから、「これですがすがしいならいつもの自分はどんな顔をしてるんだ!?」と思わず考え込みそうになりました。(うろたえ太郎)
(寸評)た、確かに。きっとその本人はちょっと誉めたつもりが、的が外れていてやばい発言になってしまうことってあるよね。「痩せたじゃん! ダイエット成功!?」「・・・末期癌です」とかな。6ポイント。
初めての万引き。
具合が悪かったとき、ボーっとしながらスーパーで買い物していて、ふと気がついたら、買い物かごを持ったままスーパーの外にでて数歩ほど歩いてました。
警備員さんとかいたのに、誰も止めてくれなかったよ・・・。(りあ)
(寸評)で、結局そのまま帰ったんかい! あまりに普通にしてるとわからないんだよね。よく警備員も手元とかを見るより挙動不審や目が泳いでいる人をマークする、と言うもんね。某タレントのように段ボール箱ごと持ち出さないように注意しよう。7ポイント。
初めての恐怖検査と看護婦の顔
先日、カゼらしき症状を患ったので病院へ行った。受付から1時間くらい経過した頃やっと、体温計を持って看護婦サンがやって来た。症状をきかれ私は、頭と喉が痛い、クシャミと鼻水が止まらない、背中や肩が筋肉痛のように痛くてダルイ、と自分の症状を話した。それから熱を測りながら再び待ってると、なんだかだんだん体調が悪化してきたような気がした。イスに腰かけてるのもツライ。「ピピピピ」と体温計が鳴ったので見ると、38.4℃。今朝家で測った時は37℃だったのに…。
再びやって来た看護婦サンにその体温計を見せると「インフルエンザの検査をしてから診察しましょう」と言われる。エッ?もしかしてインフルエンザっぽいってコト?オイオイそれ困るよ!仕事にも行かなきゃならんのに…。「インフルエンザです」と診断されたワケでもないのに、インフルエンザと聞いただけでなんだか急に脱力してしまった。
そして場所を移動してその検査をしたのだが、それがスゴイ。普通のヤツの2倍くらいの長い綿棒を、鼻の奥まで突っ込むのだ。それがあまりに痛く、思わず逃げ出そうとしたいい大人の私を「こんなの赤ちゃんだってやってるんだからね!!」と言ってつかまえる看護婦。そして、恐怖と痛みで泣きわめく私をなだめながら、しかし遠慮なく綿棒を突っ込む。目まで貫かれるかと思うような痛みに、更に泣く私。終わった時の看護婦の顔は、そんな私の様子にあきれを通り越して呆気にとられていた気がする。しかしアレは泣くのが普通だと私は今でも心の底から信じている。しかし痛かった。もちろん鼻血も出た。それに検査の後数分は、まるで鼻の貫通式でも終わった後みたいな、ヘンな虚無感・空洞感を鼻の中に感じずにはいられなかった。
結局、検査の結果インフルエンザであることがわかり、私は脱力しきってしまった。
それにしても、この検査をやる時の赤ちゃんは私のように泣き叫ばないのだろうか?子供たちは、黙って耐えるのだろうか?いい大人ですら、例え学校の先生ですら、あの痛みの前では己の弱さを剥き出しにして、聞き入れられるはずがないと知りながら許しを請うに違いないと思うのは、私の勘違いなのだろうか?
いずれにせよ、この検査はもう2度とやりたくない。
看護婦にあんな呆れ顔をされるのももう嫌だ。(ミドリン)
(寸評)へ~、それはやられたことがないな。でも俺も昔「尿道カテーテル」というまぁ尿道口に管を入れるのをやられて、あれは痛いなんてもんじゃなかった! 全身麻酔で手術をした後、尿が普通に排出されないことが多いらしくその処置の為だったらしいんだけど、すぐナースコールを押して「這ってでも自力でトイレに行くから外してくれ!!」と言った。そして本当に這ってトイレに行った。ズルズルナメクジ。8ポイント。
初めての小屋
一昨年の春。大阪府では有名な某お花見スポットへ、友人2人と桜を見に行った時のことです。
夜店がたくさん出ている所を歩いていたら、少し先になにやら人だかりができています。なんだー?と思って見ていると、それは見世物小屋のようでした。小屋の外では初老のおじさんが軽快な口調で語って客を呼びこんでいるのです。その話の内容は「外国の山奥で獣に育てられた蛇娘の悲しさ」みたいな感じでした。う、うさんくせー。
しかし前々から見世物小屋を見てみたいと思っていた僕は即、入ることを決めました。そう、大好きなんです。胡散臭いものが。笑 てへ。
よぅーし!と、喜び勇んで中へ入ると、あれ?客が二人しかいねーよ!外はあんなに人だかりなのに!?
ステージは地面と同じ高さのちっぽけなもの。
こ、こりゃ期待はしてないが予想以上にしょぼいな。まぁいいや。・・・しばらくして開演。
音楽が鳴り、雑技団風のぴったりとした服を着て、クネクネとフラフープしながらゆっくりと女の子登場。そして北●鮮の子供の様な笑顔で曲芸をやり続けること数分。・・・・えーっと・・・蛇娘は?? 笑顔で芸をし続ける少女と、ぼーっとステージを見続ける5人程の客。異様な雰囲気の小屋内・・・。やがて女の子はステージ袖に帰り、音楽が止みました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。終わりかいっ!!?
えぇっ?見世物小屋ってこーゆうもんなの?うむー。と思いながら小屋を出た僕等。あることに気付きました。見世物小屋の隣にくっついて立っている小屋があって、僕等は間違ってそっちの入り口に入ってしまっていたのです。じゃあさっきのは見世物小屋じゃなかったのか!くっそう!やられたっ!(いや自分のミスだよ)
どうしても気になるので、気を取り直して見世物小屋に入ることにしました。よぅーし!今度こそはー!
中に入ると、さっきとは比べ物にならない客の数。小屋も広いです。客から見て小屋の右半分が小さな舞台に。左半分の中央寄りの所に蝋燭がたくさんのった低い机があり、その前にふてぶてしい感じの老婆が、でーんと座っています。そして一番左には、長方形の、試着室のような大きさの微妙に雅なデザインの箱の中に、さっきの老婆よりもかなり年上であろうヨボヨボの老婆がなぜか胸元から上だけが見える状態でセットされているのです。いかにもな雰囲気にテンションが上がる僕等(笑)
右の舞台上に女の人と進行役の男の人が出てきて、世にも珍しい「二つの頭を持つ牛」の話を始めました。その牛はもう死んじゃって剥製になった、と。作り物かもしれない二つ頭の子牛の剥製を見せびらかされ、客の反応いまいち。 そして次は蛇娘だ!と紹介されたのは蝋燭机の前のふてぶてしい老婆・・・。うへー、全然娘やあらへんがな!蛇老婆ですがな!
蛇老婆は蛇が好物らしいです。袋の中からおもむろに生きた蛇を取り出し頭を切り落として生き血をゴクゴクと飲む老婆。。。。引く客。
お次は火のついた蝋燭の束を口に入れ、火を消して見せるといいます。「さっき飲んだ血の油分に引火するかもしれないので、とっても危険です!」という解説と共に芸を披露。お婆さん身体張ってます!
その時、ふと思い出して左の箱に入ったヨボヨボ老婆の方を見ると、老婆に異変が!!
さっきと衣装が変わってる!?・・・なんか、ギラギラしてるー!??
こんな大勢の人がいる中でいつの間に着替えたのでしょう。ヨボヨボ老婆は華麗な変身をとげていたのです!衣装だけ。
僕等笑いを堪え切れませんでした。笑
そうか、じゃあ次はこのヨボヨボ老婆が何か芸をするんだな。と思っていると進行役が、「それじゃあ、全部終わりなので退場してくださーい!次のお客と入れ替えますのでー!」と、ヨボヨボ老婆の事には一切触れずに叫びます。
マテー!!ちょっっとマテー!!あの老婆はなんやねんー!?気になるやろがー!!なんでずっと箱にセットされてたんや!?なんでいつの間にか衣装が変わっとるんやー!?うおおううおおう!!
混乱する心の中でツッコミを入れ続けながら僕は渋々小屋を出ました。出口で料金を払う時、もうすぐ二十歳の僕は、どさくさにまぎれそっと子供料金を支払いました。
いつかまた見世物小屋に出会ったら、また入ってしまうんだろうなぁ。と思った春の日の事でした。
・・・あの、長くなってすいません。(グレ松)
(寸評)俺も新宿の花園神社で見た。内容はほとんど同じだから同じ一座かな?というか日本にそんなにいくつも見せ物興行師がいるとも思えないけどね。でも俺もまたあったらしょーもないと思っても入ってしまいそう。何せ「見せ物」だもんな。場合によっては不具者を見せる場合もあり「・・・いいのか?」と思うこともあるが、あの独特の怪しさって今の日本にはほとんど残ってないからね~。俺がリスペクトする寺山修司の世界だもんなー。でもその老婆が死んだら後継者はちゃんと育てているのだろうか?見せ物小屋の火よ、永遠に! 8ポイント。
初めてのアルバイト
お正月に初めてアルバイトをしてきました。巫女さんのアルバイトです。
2日間だけだったので、全然平気だろうなーとのん気に構えていたのですが、結構大変でした。
10時間立ちっぱなしで、今までで一番「おめでとうございます。」と「良いお年を。」と言った2日間でした。
しかも、寒さと使い過ぎで指が1.5倍くらいに膨れました。
働くって大変なんだなぁと、改めて思いました。(笑
でも、お札やお守りについての知識を少し得られたような気がします。(鯖子)
(寸評)初めてのアルバイトが巫女さんというのも変わってるな。確かチャットの常連さんでも本職が巫女さんだった人がいたような気がするな。立ちっぱなしってそれだけで疲れるからねー。俺もいくつかバイトやったけど、とある会場の入り口でずっとピシッとした姿勢で立っていなければならない警備員のバイトは結構辛くてすぐ辞めたもんな~。あと流れ作業的な仕事も気が狂いそうになった。まぁ人の向き不向きで全然それが楽な人もいるんだろうけど。で、結局一番長く続いたのが病院の夜中の受付。座ってられるし、患者が来ない時はずっと本を読んでられたからねー。7ポイント。
初めての真っ青な空
読書感想画って、苦手でした。他県の出身者に言うと「はぁ、何それ?」と訊かれることもあるのですが。私が中学生時代を過ごした県では盛んでした。読書感想文と双璧。ということは読書感想文と同じく苦痛。そもそも、その読書感想画というものの意図するところが分かりません。物語の中の、頭に浮かんだ一場面を描いてみる? それって、あらすじだけ書き写すだけの読書感想文と同じく、無意味。小学生の頃はそれでよかった気がしますが。自分の感情を絵にしてみる? 思春期の、そうでなくても微妙な、言葉にさえできない心の内を絵に描くなんてできるはずもありません。一体、大人たちはどういう教育的効果を期待しているのか、どのような目線で評価を下すのか…??? その意図するところは掴みかねましたが、それでも、コンクールで賞を獲った作品などを眺めるに、大人たちが求め、賞賛する作品の「傾向と対策」は徐々に見えてきました。要するに抽象画。理解不能、言語化不能のおどろおどろしい情念を、次のような「様式」に基づいて、「ステレオタイプ」的に描けばいいようだと分かってきました。
まずは、背景全体を暗く不気味な色に染めることから。あたかも死へ向かいつつある赤色巨星と白色矮星しか存在しない宇宙空間のように。次に、シュールレアリズムの作法に則って、その暗黒の空間に、壊れた椅子、割れた砂時計、朽ちたバラの花、半開きのドア…などを、中空に浮いているかのように散りばめていきます。そして、最後に不可欠なアイテム。それは、人間の目。夢も希望も失ったような虚ろな瞳。そして、その瞳からは降水確率99%で涙が溢れ出している…。要するに、明るく、楽しく、前向きなポジティヴ・シンキング、雲ひとつない青空のような心象風景じゃだめなのね。若者は自分の力でも制御できない混沌とした心の深みの中で、常に悩み、悲しみ、葛藤し、怯えるべし。間違ってもPHP文庫などの立志伝など読むべからず。古典の域にある前時代的な随筆や、誤訳の積み重ねで原作者の意図が伝言ゲームのようにトンチンカンになってしまった海外の名著などに、眉間にしわ寄せて、もだえ苦しみながら耽溺せよ、そういうことなのね。はいはい、分っかりました~! 分かったけどそんな本読んで、そんな絵なんぞ描きたくありませ~ん。その当時はたぶん知らなかったであろう言葉ですが、「ステレオタイプ」って、大嫌いです。その存在を感知した暁には確信犯的に抵抗します。自ら進んでドロップアウトさせてもらいます。
幸いにして中学生の私はその存在に気づきました。そして、思いっきり外れた方向に舵を取りました。選んだのは、幼少の頃に絵本で読んだことのあった、小学校低学年レベルの『てんぐの羽うちわ』という民話(まあ、さすがに絵本というのは気が引けたので、『日本民話云々』とかいうハードカバーの全集ものを借りて読みましたが)。あらすじは、主人公が天狗から、扇ぐたびに鼻が長く伸びる不思議なうちわを貰う(?)。で、嬉々として使いまくる。鼻は伸びる(みみがのびる人もいるが…)。そして、最後には、鼻は雲を突き抜けて、はるか天国まで…、とかいう話だったと思います。実は絵本のひとコマの残像が残っていました。その構図は、画面下1/3=地面で横になり、うちわを扇ぐ主人公と伸び続ける鼻、背景の山並み。真ん中1/3=青空と鼻だけ。そして上1/3=真っ青な空に浮かぶ雲と、雲を突き抜けた鼻の突端。というものでした。私はこの絵をベースに、ある技法を用いて自らの作品を完成させました。言葉で説明するのがまどろっこしいのですが…。簡単に言うと、その同じシーンを、思いっきり「ズーム・アウト」した目線から描くという技法を用いました。その結果…、主人公は米粒のように小さく、鼻は素麺のように細く、かつ、どこまでも長く、そして、雲は低く、空は成層圏に達するほど広く、ただひたすら青く。出来上がった「作品」を遠くから見た人は、真っ青な紙が貼ってあるだけとしか思わなかったことでしょう。教室の後ろの壁に貼られた、「ステレオタイプ」な陰鬱な絵のブラックホールの中で、私の描いた「真っ青な空」だけが偉才、いや、異彩を放っていたように記憶しております。別にいいんです、理解してもらえなくても。もとより、反骨精神と諧謔精神と少々の狂気とに衝き動かされて描いた絵ですから。えっ? 何? 「無限の世界に胸を膨らませた若者の、曇りも穢れもない、いかなる制約からも自由で雄大な精神性を感じる」ですって? おじさん、これはね…、世界をなめきった、穢れに満ちた、「ステレオタイプ」から自由になりたいがためだけの、アンチテーゼ以外の何ものでもないのです。悪いことは言わないから、やめてください。あなたまでを、この無為な抵抗運動に巻き込むのは忍びないですから。 「Fuck-Dah」
(寸評)「読書感想画」確かに全く初めて聞いた言葉だなー。ちょっと話しはずれるが俺も小2ぐらいの国語の時間に「詩をかきなさい。自分の素直な思いをかけばいいのよ」とか言われたけど素直に言ったら「先公、おめーが気に入らないんだよ」(本当にその先生が嫌いだった)になってしまい子供心にもそれは書けないので教科書をめくっていたら「子供らしい詩の書き方の法則」みたいなのが分かって、ぜ~んぜんそんな気持ちはないんだけど、その形式を応用して「子供らしく」書いてみたら先生に絶賛され、黒板に全文写されて「皆さん、石川君みたいなのがいい詩です」と言われた。そこで「はぁ、世の中ってそういうものなのね」と分かった。結局ステレオタイプを求めてるのね、ということが。なので俺も同じように反抗心でそれからの人生ステレオタイプをなるべく避けて生きてきたら、こんなになっちゃった~。なっちゃったのよね~ん。8ポイント。
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