ドキドキドキリコ初体験(31)
初めてのジグソー切符
友達と会うため電車に揺られながら景色を眺めていると、突然MDプレーヤーの電池が切れてしまった。
暇になっちゃったと思い、仕方なくポッケの中の紙きれを丸めたりちぎったりしながら過ごす事に。
夢中でくるくるビリビリしながら5分経過。
ようやく駅に着いたので、改札へ向かいながら切符を探したら、どこにも無い!
「あれ…?」
ポケット中の紙屑を見てみると、なんとそれが電車の切符だった。
駅員さんと残骸を繋ぎ合わせて料金が合っている事を見てもらい、無事に改札を通過。
凄く恥ずかしかった。(なめくぢ)
(寸評)うちの妻もよく切符を手でグシャグシャに丸めて持っていて改札機にはねられ、駅員に「切符は丁寧に扱って下さい!」と大人なのに言われてる。7ポイント。
初めての糖尿殺人卵焼き
小さい頃、初めて母に教わった料理が卵焼きだった。
1人で作れるようになってからは嬉しくて毎日の様に卵焼きの練習。
しかも砂糖をどっさり入れてたので、両親は「上手にできたねぇ」と言ってくれてはいたけれど、1口食べてはお茶をゴクゴク飲んでいた。
父の友達が来た時にも待ってました!とばかりに砂糖の固まりの様な卵焼きを作って持っていったら「1人で作ったの?凄いなぁ~」と、誉めてもらい大満足。
ニコニコしながら食べ終わるまで見てたので、迷惑だっただろうな~と思う。(なめくぢ)
(寸評)「子供が作った」と言われて見られていたらゲロ丼でも食う。嘘、食わない。6ポイント。
初めての嘘
俺は宇宙に行くという野望があった。劇場版「明日があるさ」みたいに。宇宙船はライト兄弟と一緒に作っていた。やがて、立派な宇宙船が完成した。宇宙船の名前は形が一物に似ていることから、「宇宙船ちん号」とした。すると、誰が宇宙船に乗るのかという話になった。ちん号は費用の関係で1人しか乗れなかったのだ。俺はどうしても宇宙に行きたかったので刃物で脅し、俺が宇宙に行くことに決まった。
宇宙船の中は熱かった。松岡修三よりも熱かった。なんだかんだやっているうちに、大気圏を抜け宇宙に出た。最初は感動したが、退屈になってきたので、地球で買った「Mr.Boo!」のビデオを見て暇を潰した。
やがて、地球に戻ってきた。ライト兄弟が出迎えてくれた。二人が「地球はどんな形だった??」と聞いてきた。しかし、俺は「Mr.Boo!」のビデオに夢中で地球を見るのを忘れていた。そんなことを言えるわけがないので「うんこの形」と嘘をついた。
二人は本気で信じていた…。
…というよりこの話自体嘘です。このコーナーに初めて作り話を投稿してみました。
(フィールドオブウンコ)
(寸評)初めて嘘を載せてみました。本来最低の3ポイントだけど「初めて」に免じて4ポイント持っていきやがれいっ!!
初めてのおじょうちゃま
たまが昔、六本木ピットインでライブをしたことがありました。店頭には沢山の人が並び、私も友人たちと寒い中数時間並んだ記憶があります。場所柄、芸能人が通るらしく私がコンビニから戻ってみると「きたろうさんや、宮沢りえさんを見た」と皆がざわついておりました。並ぶ時間も長いことから友人らと交代で近所をぶらついていたときのことです。ピットインから少し離れた場所でしたが、小森のおばちゃまが愛犬のマルチーズを連れて、お散歩をされておりました。当時の私は50、60年代~フランス女優のブリジット・バルドー(通称BB)にあこがれていたので、失礼ながらも映画評論家のおばちゃまをお呼び止めしてしまいました。BBについてお聞きすると、 おばちゃま「あなたのような、おじょうちゃまが何故ブリジット・バルドーを知ってるの?そうねぇ、おばちゃま、彼女に会ったことあるけどほんとにね、自由奔放なおじょうちゃまっだったわよ」 と、海外スターへのファンレターの出し方等やさしく教えていただくことができました。そのおばちゃまの訃報をさきほどテレビで知り、とても残念に思います。あのおばちゃまに私自身「おじょうちゃま」と呼んでいただけたのがとても光栄でした。
この投稿のため調べていたら六本木ピットインも2004年7月に閉店してしまったようで、感慨深いです。(杏)
(寸評)形あるものみな壊れる。物事「今度」という言葉が叶う確率はかなり低い。合掌。10ポイント。
初めての苦しそうな運動
昔、冬休みの度に祖父の家に親戚中が集まっていた。
小学生の時は仲良しの愛ちゃんという子と、その子の両親と私が同じ部屋で泊まるのが定番。
隣の部屋では父の兄家族が、その反対側の居間には両親と祖父母が就寝するという感じだった。
何時頃だったかふと目を覚ますと、何故かおじさんの布団の中でゆっさゆっさと動く人影が…。夜中なのに愛ちゃんの両親が苦しそうに運動をしていた。(おばさんが上)
恐かったから無理矢理目を瞑って寝たんだけど、翌朝の2人は普段通りだったので
「夢だったのかぁ」
と安心した。(なめくぢ)
(寸評)両親、父の兄家族、祖父母も実は全員ゆっさゆっさのゆっさ祭りだったのじゃーっ。6ポイント。
初めての股間から顔
初めまして!「無意味良品」を見ていたら恋しくなって石川さんのHPを探し出しました。「無意味~」で石川さんを拝見するたび、女子高時代、同級生が「『たま』のコンサートに行くと握手できるかな~」とニコニコしていたのを今でも思い出します。
さて、私の初体験は、ズバリ「初出産」。「胎盤人形」を見ていて思い出しました。
初めてHPを拝見して、初めての投稿なのに、もうHも通り越してます(笑)。
3年前、臨月に入ったばかりの頃、夜中の0時半。
急に腹が痛くなって目が覚めました。
予定日より早いし、誕生日だったので「ケーキ食い過ぎたか?」と思っていたらすぐに痛みがひいたのでまた寝ました。
するとまた痛くて目が覚めて、時計を見ると1時半。
「まさか……」と思いつつ眠ると、つぎはきっちり2時半。
ここから病院で言われた「1時間に6回になったら入院」まで辿り着くまで、苦しむ事20時間。
産婦人科の陣痛室で苦しむ事さらに5時間近く、やっと分娩室に行くと、「どれがいいですか~今日は全部空いてるし」と激痛のピークに達した私の目の前に、いきなり並ぶ分娩台の3択。「どれでもいいです」と言うと「じゃあ初めてだから一番出やすいのね」と、一番奥の傾斜つきにごあんな~い!
するとどうだろう、座った途端に出て来る出て来る!
「さすが出やすい分娩台」と感心していると、「待って待って!まだ産んじゃだめ!先生早く!御主人まだ!?」と助産婦が叫んで、医者と、立ち会いの為に着替えていたダンナが走って来たところで出産終了。
男性は産まれる所をモロに見るとその後の性生活に関わる場合があるため、枕元で応援することになっていたのですが、走ってくる時に、助産婦が私の股間から出てくる赤ん坊の肩を必死に押さえているのを見てしまった上に、枕元に座った途端終了だったので、感動どころか、ショックと拍子抜けで、ただ呆然としていました。
ものすごい安産すぎて、かえって緊迫した分娩リポートでした(笑)。from はむりん
(寸評)俺も病院の受付のバイトをしている時、破水した患者さんを運ぶのを手伝ったら思いっきり破水をジャッバーと浴びせかけられたことがある。無味無臭だった。7ポイント。
初めての外国映画とその和訳、そして父の誤算
「マリセリーノ」。忘れられない響きです。そして、幼き日の、父との問答の記憶が甦ります。「マルセリーノ」と出会ったのは『汚れなき悪戯』(タイトルは随分後に知りました。)という映画を家族で見ていた時でした。当時の私は映画といえば『ゴジラ』。そして、毎日朝晩、祖父に付き従って神棚の前で拍手を打ち、仏壇の前ではお経に手を合わせる、というごく普通の日本的宗教生活を送っていた小僧でした。にもかかわらず、このキリスト教的世界を描いた映画のことが強烈に印象に残りました。考えられるのは、この時の私が主人公「マルセリーノ」と同じ5歳くらいであったことにより、国籍や宗派を超えて通じ合うファンタジーを共有できたのかもしれません。
しばらくは「マルセリーノ」のことが頭から離れませんでした。「神様に良いことをしてあげたのに、どうして死んじゃうの?」「パンと葡萄酒だけで、(仏壇のように)みかんとかお菓子とかはあげないの?」。もっと深く、映画の意味を知りたくなりました。そして、この探究心が父を困らせることになります。折に触れ、父親から英語(といっても、ABCを諳んじたり、ごく身近な単語など、どの家庭でも見受けられる程度のものでしたが)を教わっていた私は、ついに最も根源的な疑問に直面します。「ねえ、マルセリーノって、日本語でなんて言うの?」「えっ…マルセリーノはマルセリーノだよ」「どうして?日本に来たらお名前変わるんじゃないの?」「いや、その、だから、マルセリーノはどこに行ってもマルセリーノなんだよ」「…だって、犬はDOGでしょ、お日様はSUNでしょ。」「ん~、人のお名前は変わらないんだよ…」。
そうです。当時の私にはまだ、「固有名詞」の概念が備わっていなかったのです。「JOHN=太郎、NANCY=花子」みたいに、すべての言葉は日本語にできると信じて疑わなかったのです。「WHAT IS YOUR NAME?」「MY NAME IS…」、この基礎会話を教えていなかったのが父の誤算でした。 「Fuk-Dah」
(寸評)そんな君の名前のuのあとに俺からcをひとつプレゼント。君はこれから「ファックだーっ!」という下品な名前で生きて下さい。よろしく。6ポイント。
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