ドキドキドキリコ初体験(119)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めて変質者に遭遇した体験

私が高校生の時、帰りのSL(当時、1日1往復、黒煙を出してD51が走っていました)のボックス席に座っていると下品なニヤニヤ顔の小柄な三十代くらいの男性が私の前に座りました。初めは全く気付かなかったんですが腰から狸の尻尾のようなキーホルダーをぶら下げています。その時、突然それがその男性の露出された一物だと判明し停車した駅に飛び降りました。今でもハッキリと覚えています。この世で一番醜い男の顔を。
初めて痴漢に遭遇したのは私が大学生の時。通学1日目に名古屋の地下鉄(当時1路線しかなくラッシュ時は激混み)に乗ろうとすると駅員さんに後から背中を押され電車の中へ。身動き取れない状態で空中に浮いていると、アチコチから手が伸び触り放題。翌日から地下鉄を諦めて下宿から1時間歩くことになりました。
私を男性恐怖症に落とし入れた体験です。(nanzan27 2025/8/12)

(寸評)わあ、それは怖かったねえ。特に後者は集団心理だとしたら恐ろしい。そういう奴は徴兵制されて戦地で犬死にしろ、と思っちゃうね。7ポイント。

はじめての賢者モード

前回初めての自慰行為でメールを送らせていただきました、うぬぬです。
最近久しぶりに自慰行為してみるかーってなってしたんですよ。
そしたら!女性ではないはずの「賢者モード」と言うのができてしまったんですよ!
数秒前まではもうめっちゃ体暑くて気分が高まってたのに、すぅ…って消えて急に冷静になったんですよ!
なんか不思議な気分でした。虚無感と惨めさをすっごく感じました。正直死にたくなる系の感情でした。
そして賢者モードと親とご飯が食べる時間が重なってちょっとだけ気まずかったです。
ちなみに性癖は輪姦です。(うぬぬ 2025/8/12)

(寸評)女性でも男ほどではないけど賢者タイムはあるのかもね。男性は爆発するから急に冷え込むけど、女性は緩やかな曲線とも言われているから感じはちょっと違うかもしれないけど、まあ、そのうち慣れるよ。誰に迷惑がかかるような、悪いことしてるわけじゃなし。しかし「性癖は輪姦」というのは想像上だろうけどちょっとドキッとするね。6ポイント。

はじめてのスイカ味の蒟蒻ゼリー

先日 ドラッグストアへ行ったら、スイカ味の蒟蒻ゼリーが売られていました。
「おっ、新商品か? 夏だし、スイカ 味ってどんなだろう」そう思って購入し、早速 食べたのですが、、、
ゼリーの蓋を開けた瞬間、子供が飼っている カブトムシの餌の樹液ゼリーとまるっきり 同じ匂いがしました。フルーティな香りで、別に嫌な匂いじゃないんですが、カブトムシの餌かと思うと食指がなかなか動きません。それでもせっかく買ったし、蓋も開けけちゃったから頑張って食べたんですが
「うぉおお、スイカの味が微塵もしない。それにやっぱり自分がカブトムシになった気分だ」
そんな風に思いながら、けれども 蒟蒻ゼリー、1袋 ペロリと全部 平らげました。
カブトムシには、なりたくない!
カブトムシになったら、人類はどこの星に行くんだ?(ブルマン青山 2025/8/12)

(寸評)もしかしたらカブトムシの餌の樹液ゼリーを知らなかったら、もっとおいしく食べられたかもね。何かを知ることは、何かをひとつ失うこともあるのかもしれないね。5ポイント。

はじめての生ドラム

私が生まれて初めて 生ドラムをこの目で見たのは、彼氏の部屋でした。
その彼氏はちょっとヤンキーな人で、髪の毛が青くて、改造車が趣味で、車の半分がシルビア 後ろが ワンエイティという不思議な車に乗っていた人でした。
初めて彼氏の部屋に上がった時のことです。その彼氏は 建設会社に勤める父親を持っており その三男坊でボンボンです。十畳近くある自室を持っており、畳3畳分はあるのでしょうか、広々と ドラムセットが置かれていました。それも キラキラとしたブルーのデザインで、すごく きらびやかで美しいのですよ!
私は目をキラキラさせながら、「叩いて〜〜」と頼みました。
恥ずかしそうにしながらも、彼氏はドラムを演奏してくれました。そうなんです、その元彼は小学校5年生からずっとやってたらしく、すごくドラマが上手で、叩くというよりは演奏しているという方がしっくりくる、私の胸を掴むには十分な 叩きっぷりでした。
それで私は、すっかり 彼氏ではなく ドラムに打ちのめされ、自分がドラムをやりたいと思ったのでした。
彼氏に少し教わり 叩いてみたのですが、その面白いったらない。
しかし、ドラムってね、一般の市民が練習するにはかなりハードル高いですよ。
私のドラム レベルは 初心者からやっと 8ビート レベルです。

私とドラムのお話は、また今度。
それでは、この度は、さよならさよならさよなら〜。(ブルマン青山 2025/8/12)

(寸評)俺はよく「たまのドラム」と間違って表記されることがあるが、本当はまともにドラムを叩いたことは一回も無い。特にキックはからきし駄目。手と足を別々に動かすなんて、なんか長くやってると体のどこかに不調が来そう。俺の好きなキース・ムーンもジョン・ボーナムも若くして死んじゃったしなあ。あ、でもリンゴ・スターはまだ元気だけど。6ポイント。

始めて駅のホームでタバコ吸う

さて これを書いてるのは 山梨の温泉ホルモンの行き道

新宿駅でかいじという電車に乗る所を探してると(鼻がとんがってるギャンブラーを思い出す電車だ)のホーム(中央線特急)には喫煙所が

一瞬幻覚でも見たのかな?と思ったら本当にあった

昔はホームの隅っこに灰皿があるのが当たり前だったのが 某Xジャパン大好きライオン総理大臣の力で終日禁煙に

私は 24歳(8年前くらい)で吸い始めたので その頃は喫煙所を、探して吸うが当たり前でした

なのでちょっといけない事をしてるようでちゃんと合法に吸えるという不思議な感覚に襲われました(ズミ天 2025/8/12)

(寸評)これは昭和と現在で一番変わったことのひとつかもしれないね。昔は食堂や喫茶店はもちろん、電車でも飛行機でも吸えたからね。なんなら教室で先生が煙草吸いながら授業をしてたこともあったくらい。今後は麻薬のような扱いで白い目で見られる時代になるのかなあ...。5ポイント。

はじめての自慰行為

私は小4で初めての自慰行為をしました。
まだピュアだったころ(小2)にSNSに触れていろんなサイトを何時間もずっと見ていたのですが、とあるHな広告が出てきて思わずタップをしてしまいました。
すぐ閉じようと思ったのですが、なぜか目が離せなくてずっと広告ページをスクロールしていました。
そこで出ていた単語が全く持って分からず色々調べていくにつれ、性知識も豊富になって行き、男子と同等レベルの下ネタ博士になってしまいました。
そんなこんなしていたら「自慰行為」という単語が目につきました。
この行為は一体なんだろう、と思い調べました。
そしたら自分でもできて、気持ちよくなれる行為だと知りました。
そして夜、漫画(えっちな)で見た通りにしてみたら謎のすごいものが来るような感覚がして、興奮してたまりませんでした。
そこから毎日狂ったようにしたのですが、ふと冷静になり、小6ぐらいでやめました。
今、中学2年生。ちょっと黒歴史です(笑)(うぬぬ 2025/7/29)

(寸評)そうか、今はネットがあるからそんな早い時期から知識を得られるわけだねー。でも人よりちょっと早いだけで全然悪いことじゃないよ。人間の当然の欲望で、それが無かったら子供も産まれなくて子孫繁栄も無くて、人類が終わっちゃうからね。まあ適度にストレス発散にやるのは誰にも迷惑かけないし、なんら問題ありませ〜ん。楽しんでね! 7ポイント。

はじめての手術と入院

私が高校生の頃のこと、腹痛と熱があり、母とお医者さんへ行ったら盲腸炎だと言われました。
お医者さんから点滴で散らす方法と手術で取る方法があると説明を受けました。
母が「じゃあ とりあえず 点滴で」と言うのに、私は「手術を受けます」とお医者さんに答えました。
別に何も考えず、手術を受けるのってどんな感じなんだろうってただそう 思って言ったんですよね。
それで早くも その日の午後に手術を受けることになりました。
その時のお医者さんが看護師さんに「アッペ。アッペの準備しといて」と言ったので、盲腸のことをお医者さんはアッペと言うのだなあ なんて呑気に思ったものでした。
今思うと、母はパートとはいえ、仕事もしていたから、いきなり 私に手術受けたいって言われて狼狽えたでしょうね。そんな母の気も知らず、手術を受けるのにどこかワクワクしている私でした。
手術室は機械的な部屋で、手術台にあげられると次々と 器具が体に取り付けられ 腹を 消毒され、緑色の掛け物をかけられ、私は看護師から動かないように説明を受けました。
看護師が「心臓の動きが少し早いわね。緊張しているの?」と話しかけてきました。私は緊張している自覚がなく、けれども 元来 人見知りをするタイプで初めて出会った人とうまく会話できないので、小さく 首を数回振るのがやっとでした。
主治医の先生が来て、体を横に向けるように言われ、背骨の下の方に針を刺されました。腰椎麻酔です。
その先生の手術は全然痛くありませんでした。気持ち悪くもなりませんでした。
思ってたよりずっと早く手術は終わってしまいました。
消毒液で「感じる?」と言われながら体をこすられるのですが、なんとも感じなくなった途端 お医者さんが私の右下腹部にメスを入れたようで、その作業はさっさと終わってしまいました。
私はただ 本当にまな板にのせられた魚みたいにただそうしているしかなかったので、何の感想も持ちませんでした。
ただ、手術が終わってストレッチャーに移動される時、看護師が4人がかりで私の背中に敷かれたバスタオルを使って移動させたんですが、「重たい」と言ったのをよく覚えています。
高校生でしたから、自分の体が重いということには、やっぱり意識が向きます。
私にとっては手術を終えてからの方が大変でした。母が一晩泊まってくれたんですが、手術が終わってから翌朝までトイレに行けないんです。ベッドの上で排尿するように言われ、母がベッド上で排尿するための 差し込み便器 というのを入れてくれたんですが、出そうと思っても全然出なくて、でも点滴をずっとされているからトイレには行きたいんです。それで、手術が終わってから翌朝になるまで 看護師から2回ほど管を使って尿を出してもらいました。
そんなふうに考えると、手術だけでなく、導尿も初体験でしたね。
その管を使って尿を出される作業もすごく気持ち悪いし、早く自分の足で立ってトイレに行きたくて仕方なかったです。
簡単な手術の後だったので、翌朝から食事が出たんですが、なんだかお腹が苦しいんです。
食事をしようと思っても、思ったように食べられず、いつまでも胃がムカムカしていました。
それに、私が入院した部屋は8人部屋で、私のすぐ隣は80代のおばあちゃんでした。そのおばあちゃんがポータブルトイレを使っていて、ときどきトイレを使っている音が聞こえてきます。それに、おばあちゃんはいきなり仕切りにしていたカーテンを開け、突然私に話しかけてきます。私のベッドに敷かれたバスタオルを見て、「チャップリンだねぇ。いい男だったねぇ」などと言うのです。当時、私はチャップリンなんて知らなかったし、母が用意したものをただ使っていただけでした。
それに、そのおばあちゃんは「あたしゃ、あおそこひがあって、目がよく見えないんだよ」と言っていて、実際、ふらふらと部屋から出て行ってしまい、自分の部屋が分からなくなってしまうことが度々ありました。そのたび、私が連れ戻しにいっていました。今思うと、そんなことしなくとも、きっと看護師さんがおばあちゃんを部屋に誘導してくれただろうに。
そんなこんなで、すっかり胃を悪くしてしまい、ベッドで横になっているときもひどい痛みが出るようになりました。
すると、主治医の先生が、また、言うのです。冗談か否か、「胃カメラ、してみる?」と。そして、もちろん私は「する」と母の承諾も待たずに答えていました。よくもまぁ、未成年の人間の意志が次々と通ったものです。母はどんな気持ちでいたのでしょうか。
はじめての胃カメラはとても辛く、二度とうけまいと心に誓いました。のどに溜めておくゼリー状の麻酔薬は苦いし、全然効果がないので、管を入れられるときにスプレータイプの麻酔もされたのですが、あまりの臭いとまずさに嘔気はこみ上げるしむせ返るしで大変でした。
それにしても、自分の胃の中を見るなんて、またとない機会です。管が喉を通ってしまうと、それからはずいぶん楽になりました。「これは、胃炎だね」と主治医が説明するのを不思議な気持ちでただ画面を見つめていました。「本来、胃の粘膜はピンク色なんだけど、こんなに真っ赤になってしまっている。手術を受けて、ストレスだったのかな」とほほ笑んで、本来はここまでは見せないという食道と胃の接続部のあたりや、食道の側面なども見せてもらいました。管が食道のほうへ来ると、また苦しさがこみあげてくるのですが、主治医は気づきもしません。医者なんて、そんなもんです。
しかし、胃炎によく効く薬を出してもらえ、その後は順調に回復しました。
もう、二度と胃カメラだけは御免だし、あおそこひのおばあちゃんの世話も御免だと心底思った高校一年生の梅雨のころの話でした。
お風呂に入れなかったのも、つらかったなぁ。
退院したら、入学して知り合って少し会話しただけのクラスメイトが私の分のノートをとっておいてくれてすごく感動しました!(ブルマン青山 2025/7/29)

(寸評)俺も人生で3回入院したことがある。本当は幼児の時にあと何回かしてるのだけど、俺の記憶外なので除外。一度目は小学五年生ぐらいの時に外耳炎でイボのような物を切り取った。二度目は30歳くらいの時に上顎洞炎という顔をめくる手術、三度目は二年ほど前の内臓疾患。いずれにしても入院は嫌だなあ。手術は全身麻酔なら自分の意識がないからまだいいけど、時々全身麻酔から体のどこかの機能が戻らず死亡することもあるという話も聞いていたから、いずれにしろもうなるべく入院も手術も無くて人生終わりたいなー。7ポイント。

はじめて心臓を触った、この手で、触った

今は現役を退いているのですが、私は高校卒業してから20年近くずっと、病院で働いていました。
看護師をしていたのですが(資格は働きながら取りました)、実は、この手で人の心臓を触ったことがあるのです。

心臓血管外科病棟で勤務していた頃のことです。私は当時「院内循環器ケアナース」というプロジェクトの参加者で、1年をかけてじっくり循環器(心臓系)の勉強をし、患者さんの看護計画を立てて症例発表会をするという内容なのですが、その中に心臓手術の見学というのがありました。
私が心臓を触った日、その日は平素より親しくしていただいている部長先生の術日でした。

手術室の見学は2日間もうけられており、私は3件分の手術を見学したのですが、最初の見学は手術しているところを遠目に先生たちの背後から隙間を覗き込む程度でしたので、手術の見学といっても大して面白くもない、何やってるのかも分からない、こんなことで手術見学なんて、ずいぶんと大袈裟なものだと思っていたのです。
ところが、1日目の午後からの見学は、その部長先生の術日で、先生は私を見つけるなり「彼女にガウンの着方、教えて」とお弟子先生に言うのです。
「僕の隣で見させてあげるよ」と広島弁訛の口調で私に告げ、私は手術室用のガウンや帽子、マスクを着用し、綿密に手を洗った後、手術室用の手袋をはめ、その先生の横にぴたりとくっつくようにして、まさに自分の手元で手術の様子を見たのです。
正直、私は手術を見たら気持ち悪くなったらどうしようかと思っていました。実際、若い頃、看護学校の実習で手術室の見学をしたときには目眩を起こしましたし、手術後の患者さんの傷口をお医者さんが消毒しているのを見て倒れかかったことがあったので、今度もそうなったら大変だと思っていました。
ところが、部長先生のメスさばきは、まるで職人、例えが適切か分かりませんが、まるで鰻屋の店主さんが鰻を手際よく捌いていくかのような、目を見張るような美しさがありました。迷いがほとんどなく、神業というよりは、まるで教材か何かを見させられているような的確さが見て取れました。先生の手術していく様を、我を忘れてじっと見つめていました。
すると、おもむろに声をかけられました。
「触ってみる?」
「えっ?」
私は、おそるおそる、割れた胸骨の下に露出された心臓を、指先で触れてみました。
すると先生は「そうじゃない」と言い、私の手を握ると心臓を包むような形で誘導しました。
瞬く間のことで、私は拒むこともできないまま、心臓は私の右掌にありました。
怖いと思うでしょう?
それが、全然、違うんです。
心臓って、めちゃくちゃ柔らかいんです。ふんわりとしていて、まるで、生まれたての赤ちゃんみたいに柔らかいんです。
私は少しだけ産婦人科を手伝っていたこともあって、生まれたての赤ちゃんをこの腕に抱いたことが何度もありましたが、まさに、そうした感触でした。
こんなに柔らかな臓器が、健気に一生懸命、全身に血液を巡らせているのかと思うと、あまりに切なく、感慨深い気持ちになりました。
私たちは、自分の身体のことを、なんにも知らない。
この先生のことを、私は、心底尊敬しています。私に、こんな感動を与えてくれた人は、他にいないかも知れません。

余談ですが、この先生、本当に職人肌で、金欲や名誉欲が一切無いのです。チームを大切にし、忙しくても時間を縫って術後の患者さんを診にくるような先生です。なんと、私の父もこの先生に手術をしてもらいました。すっかり現場を離れていたのに、私のことを憶えていてくれて、とても嬉しかったです。

手術の翌日は、集中治療室での研修で、私が心臓を触った患者さんが意識を回復してリハビリをしていました。
なんだかおかしな気分でした。

石川さんは、どうか、心臓の手術なんてことにならないよう、お体を大事にしてください。(ブルマン青山 2025/7/289)

(寸評)それはいい体験したね! 時々「心臓って生まれてからずっと動き続けてるんだよな。急に止まることはないだろうか」と考えると急に心臓の動悸が早くなるような気がする。貴重な時間だったね! 7ポイント。

ライブ初参戦

7月6日知久さんのライブに金沢から豊橋まで行きました。
小さな舞台の前の床にそのまま座っている人が多数。私は後ろの椅子に座って聴きました。それでも間近に顔が見え声が聴こえました。
知久さんは声帯に痰が絡んで調子が悪いと言って舞台上で袋に痰を出して歌っていました。そんな事を感じさせないほどの圧倒的な歌唱力。鐘の歌も歌えるかなと言いながらも最後まで歌いきりました。
私がその場所に居たことは確かなのですが、フワフワして魂がどこかに行ってしまったような夢の中に居るような体験でした。またライブに行かなくてはと強く思いました。
石川さんと滝本さんのライブも行ってみたいです。さんたまを制覇します。(nanzan27 2025/7/29)

(寸評)是非是非! CDはある意味音量とか音圧とかが一定化されているから、音ひとつ取ってもライブとは違う。そして本人と同じ空間にいるという存在認識は、ライブならではの体験。機会があったら、是非来て欲しいっす! 5ポイント。

はじめての救急車


そういえば、とおもいだしたので。

今でも極度のストレスやら、
水分不足などでたまになります。
さ、さすがに一年に一度、または二年に一度なる事はなくなりましたが。

あれはそう、私が関西で頑張ってるころ、急な激痛に襲われた時でした。
何をどうしても我慢できない腹部の激痛。
めちゃくちゃ痛くなる一方で治る気配がない。
「動けない。どうしよう。これ、盲腸じゃないよな?入院なんてヤダ。」
そんな事を想いながら、一人暮らしの部屋で、悶え苦しむ。
兄が上にいるんですが、兄に電話してどうしたらいいか聞いてみる。
うん、役立たず。

とりあえず、入院の可能性はおいといて、この激痛を何とかせねば……。
でも耐える以外の方法が見つからない。
そのうち、襲い来る吐き気。
この時吐いたモノは今でも覚えていて、たまにトラウマとしてフラッシュバックします(笑。

四の五の言ってる場合ではなく、救急車を呼ぶ事に。

【人生初の救急車】

である。
どんな乗り心地なんだろうかと思いを巡らせつつ、待っていると、
夜の遅い時間にけたたましい音を鳴らしてやってくる救急車!
そして、あつまってくる見物人。
えーい、恥ずかしいではないか!!

激痛に呻きつつ、救急車に担架で乗り込むと、思った以上に揺れるし、乗り心地最悪!(苦笑。

この激痛の正体は何かというと、【尿管結石】。
盲腸じゃなくて何よりだったんですが、そう、尿管結石で救急車を呼び、帰りはタクシーで帰る事に。
その日は様子を見る事になったのです……<続>(美ゆり)

(寸評)尿管結石痛いよね。でも痛い割にそれで死ぬことはまず無いからないがしろにされがち。虫歯の痛みもそうだよね。6ポイント。

人生初入院

人生初の救急車ぱーと2

その後を早速……

すぐにまた激痛に苛まれ、二度目の救急車。
前回運ばれた病院が少し遠かったので、今度は家から近い病院へ。

「入院しましょう」

恐れていた事態が現実になってしまった。。
一人暮らしだった私は、とにかく金の心配。
入院するという事は、収入が途絶えるという事とイコールである。

【人生初入院】

結石で入院は、これが最初で最後であってほしい……。

「石が出るか、二、三日様子を見ましょう」

地元を離れた一人暮らし。
こんな時は心細い。
当時付き合ってる人はいたが、全然役に立たない。
そこは毎日見舞いに来る所じゃないのか!
彼女が入院して心配じゃないのか!こんちくしょー。←

入院初日に少し付き合って貰ったものの、
お見舞いは数日に一回だったかな。

そう、入院期間は延びたのである。

先生!?二、三日って言ったよね?!

周りの入院患者は、年の近い人はおらず、
お年を召したお姉さま方(つまりはおばさま、おばあさま)が……。
でも、もちまえのコミュニケーションスキルで仲良くなりましたよ、ええ。

初結石と入院の感想。
――命に感謝!

というのも、入院患者の特典。
生まれたての赤ちゃんに出会える。
そう、あの味わった人ならわかる大激痛の後、生まれたての赤ちゃんを見ると、
母親に感謝せずにいられなくなるんだ。

「この激痛を乗り越えて産んでくれたのか……ありがとう」と。

私の母も結石を経験していて、その時は呑気に
「体の中に石?キラキラして綺麗なんだろうな、いいなぁ」
と思っていたが。

初結石の感想その2。
――この小さい砂粒みたいな石に私が負けただと!?
でした。

そう、私の中から出てきた石は、ちっともキレイなんかじゃなく。
その上、めちゃくちゃ小さくて、砂粒みたいな奴だったんです。

痛みを結構な時間我慢したせいで、腎盂腎炎も併発し、
入院が10日間に延び、その10日間の健康的食生活で、1キロ痩せ。

巫女をやってる入院歴の長いネット友人が言ってくれた
――神様からの休暇
という名の入院生活は終わり、仲良くなったお姉さま方ともお別れ。
それきりというのも寂しいので、暫く同じ病室の方々のお見舞いに行く日々を過ごしていました。

退院する時に看護師さんが言った一言が10年以上経った今でも忘れられない。
「もう戻ってこないようにねー。」

看護師さん、その後結石で入院はしていませんが、1年か2年に一回、結石でしばらく救急車のお世話になりました(苦笑。(美ゆり 2025/7/14)

(寸評)俺も入院まではしなかったけど石ができたことあって、病院の待合室で痛みで「うぅ〜」とか唸ってたら看護師さんに「唸らないでください!」とか怒られた。そんなら2時間も3時間も待たせるんじゃねえ〜〜〜! 7ポイント。

はじめての生きててよかったなぁ


病関係の初体験ネタ、割と尽きないな……(苦笑。
また自分ネタで恐縮ですが、聞いてくださいますか。

【松茸アナフィラキシー】

9月28日。
その日は母の誕生日。
少しだけいつもより豪華に食事をしよう。
そうしよう。
どこにいく?何食べる?

松茸フルコースなんていいんじゃない?

悲劇の始まり始まり~♪

お店を予約したんだ。
豆腐料理のお店。
うちでは割と祝いの席で良く使うお店。

お店についたら早速部屋に通されて。
楽しい食事の始まり始まり♪

主役が普通上座に座るもんだけど、
座り辛いとか何とかで、まるで主役は私。

まぁ、外の景色が多少楽しめるので、母は下座でもいいのかな?
次々とタイミングよく運ばれてくる松茸料理たち。

悲劇は始まったと言ったね?

そう、料理に罠が仕込まれてたんだ。
キノコ類は通常生では食べない。
どのキノコもしっかりと一度大体火を通す。

メニューの中に、人生初土瓶蒸し。
その中にはエビ。
後天性アレルギーの代表格。
でも、こいつは問題じゃない。

次第に痒くなる身体。
手のひらがわずかに赤い、痒い。
……おかしい。

そう思いつつも、気のせいだろうと、
料理を完食。
止まらない痒み。

段々と酷くなる痒み。
そして、出てくる蕁麻疹。
あきらかに何かが変だ。

体中が痒い。
痒くてたまらない。
何故だ。痒い。
どんどん酷くなっていく。

これはおかしい。
という事で、救急の判断をしてくれる所に電話する。
電話して指示を仰ぐ。
その間にも広がる痒み。

病院に行った方がいいのか?
行った方が良さそうだ。
親に救急に連れてってもらい、診療の順番を待つ。
次々と来る救急車。
その間にもどんどん具合は悪くなっていく。

待つ事一時間近く、まだ順番は来ない。

痒い、とにかく痒かった事だけ覚えている。
付き添った父が心配そうに時々覗く。

そのうち限界が来て、吐いてしまった。吐いてしまった。
病院のトイレに行くまでの道中で。

鏡を見ると明らかに顔色が悪い。
いわゆる土気色である。
我慢強いのも本当に問題だ。
これが土気色というものか。
まるでゾンビじゃないか。

窓口に吐いた事を訴えて、未だに診療の順番が来ない事を言う。
すると、割とすぐに通された。
症状を確認され、点滴が始まる。
「原因は現時点では確定できないが、アナフィラキシーだろう」と言われて、
ほぼ朝まで点滴だっただろうか。

エビか?ついにエビアレルギーになったのか?
そうなると死活問題だ。
エビもカニも大好物なのだ。
この先食べれないとなったら死ぬ。
それくらい大好きなのだ。

だが、罠はそこではなかった。問題はそこじゃなかったんだ。
これは、朗報である。これからもエビもカニも食べられる。

松茸にあった。
松茸のメニュー―に「焼き松茸」があったんだ。
生焼けだったんだろう、、生焼けの松茸を食べた事により、
アナフィラキシーの症状が出て、全身蕁麻疹。そして、発熱、嘔吐。

以来、松茸の吸い物すら食べるのが怖くなった。
キノコは変わらず大好きだ。

秋の味覚の王様、松茸。
殆どみんな食べる機会がないから、アレルギーも見つかりにくいし、
調査すらされない松茸。
アレルギー専門医に行っても、風邪だったのでしょうで終わった検査。
どうやら食物アレルギーは、それを食べて調べるらしい。

松茸はもう勘弁して貰いたい。
美味しかったけど、松茸。君はダメだ。
特に焼き松茸はダメだ。
もうあんな目に遭いたくない。

生きててよかったなぁ……。(美ゆり 2025/7/14)

(寸評)うちの妻は舞茸アレルギー。何かの食材の中に紛れ込んでたりするとわからないからね。突然の腹痛とかでかわいそう。でも世の中には小麦アレルギーとかの人もいて、パンもうどんもカレーも食べられない人もいる。昔はこんなにアレルギーってなかった気がするから、何かの化学反応による現代病だと思うんだけどね。蕎麦が大好きなので蕎麦アレルギーにだけはなりませんように! 7ポイント。

初めての万博


この度大阪の万博に行ってきました。
最初はあまり興味なかったけど口コミのおかげで行きたいという気持ちになりようやく行くに至ったといった感じです。
地元からバスで直接万博会場に到着し、その後友人と合流して一緒に行きました。
大阪万博の目玉でもある巨大な木製リングは本当に圧巻の一言でした。ちょうど良い日除け、雨避けにも利用することができました。
そして今回私達が向かったところはというと、モナコとスペインのパビリオン、イベント会場でした。
イベント会場には東北を紹介するブースが期間限定であったのでその日の万博は主にそれメインで見に行きました。そしてそこで牛タンや玉こんにゃく等東北の名物を昼食として食べに行きました。
モナコとスペインは待機列があまり混雑してないという理由でいきましたが、どちらも展示物に楽しめました。
ちなみにスペイン館のお土産コーナーではスペインの地ビールが売っていたので、今石川さんのお土産として、今度の生誕祭に渡す用に買いました。
他にもまだ行けてないパビリオンが大量にあるので次も必ず行きたいなと思いました。(ラメール・ローラ 2025/7/14)

(寸評)万博、事前の予想に反して評判がいいようだね。もっも俺は人混み自体が苦手なので行くことは無いと思うけど。・・・あっ、自分のライブの人混みは大歓迎! 5ポイント。


初めての日本酒


万博の東北ブースにて日本酒の試飲が行われていました。
口に合わなさそうと今まで日本酒を避けてきた私ですが、ここで一旦試飲して合うかどうか確かめてみようかなと考えそこの行列に並びました。
酒は全部で8種類ありそのうち2種類飲むというシステムとなっており、待機中にスタッフからその酒の種類と特徴が書かれた紙を貰いどれを飲もうかじっくり見ていました。そして断然甘口派の私は甘さが強い酒を選んで飲むことにしました。
1種類につき50ml飲むことができ、私は2種類合計100mlの日本酒をぐびぐびと飲んでいきました。
アルコール度数が15パーセント前後だったので、アルコール感強い!と感じましたが、味は確かに甘かったので拒絶することなくそれぞれ飲み終えました。
量としてはほんの少しでしたがアルコール度数が強いということもありしばらく歩くと酔っ払った感覚に陥りました。が、そこからまたしばらく歩くと一気に酔いが覚めました。
とにかく今回で甘口の日本酒ならば行けると感じたので何かまた機会があれば積極的に飲もうかなと思いました。(ラメール・ローラ 2025/7/14)

(寸評)俺も二十歳の頃にひとりで日本酒一升飲んで気持ち悪くなってからトラウマになって飲めなくなってしまった。でもあの当時の一番安い日本酒は質の悪い合成酒だったので、最近は飲めるのも分かったのだけど、やっぱり積極的には飲みたいとは思わないのが正直なところ。たまが全国ツアーしてた時代なら、地方のおいしい地酒たくさん飲めたのになあ、とちょっと残念な気持ちになるなあ。5ポイント。

はじめての郵便振替


高校に入って学校から支給されたiPadで色々音楽を聴いているうちにたまの良さを改めて実感した事で只今私の中でたまブームが起きています。
サブスクにあるアルバムは全て揃えられているわけではないし、無断転載を聴くのも嫌なので、地球レコードからCDを取り寄せることにしました。1枚目は『そのろく』に決めました。
しかし、見慣れない支払い方法。代引きは日中家に誰も居ないので無理だから、「郵便振替」を選びました。私は校則でバイトは禁止、通帳は完全親管理な、お金・ナイーブちゃんなものですから、「郵便振替」の存在をはじめて知りました。今までやってきたお金の振込みはコンビニ支払いかクレジット(親の)ばかりだったものですから、郵便局で支払いができるなんてこと知らなかったんです。
郵便局の支払い受付は16時までなので、期末考査期間に被るようにCDを注文して、支払いに行きました。
ちゃんと払えるか心配になりながら窓口へ行くと、職員のおじさんがどこに何を書くのか1個1個丁寧に教えてくれたので、無事用紙に書き込めました。ATMでの支払いのほうが手数料安いからとそっちを勧められたけれど、想定してなかったので50円くらい高めの窓口支払いをしました。そしたら小銭がピッタリありました。なんか嬉しかったです。次郵便振替する時はATMでやってみようかな?!
早く届け〜!東京パピーとはこにわを聴くのがとても楽しみです!(ヒョクもく 2025/7/14)

(寸評)「そのろく」はメジャーで出せない放送禁止曲などを出す為に自分たちのインディーズレーベルを立ち上げて作ったレコード会社の第一作だからね。たまのディープな世界にドップリ浸かってくれい! 6ポイント。

はじめてのたま


こんにちは。石川さん。はじめまして。石川さんのファンの皆さま。私はおそらく1カ月前の5月21日頃から『たま』を知ったばかりで、まだ石川さんのことや知久さんや柳原さんや滝本さんのことをほとんど何も知らないですが、気持ちだけは4人のファンと思っている者です。

おそらく皆さまとも同じ想いの方もいらっしゃるかと思い、想いを共有させていただきたいのでここでお伝えさせてください。

私は1982年生まれなのですが、なぜかテレビでたまが活躍されていた時にほとんど聴いたことがなく、先月まではどんな人達なのか歌っている曲名すらも知りませんでした。

奇跡的に『たま』の存在を知ることが出来たのは、ちょうど自分を見失うことが続いて辛くなったときにふと思いつき、「昔好きだったものを辿る」ことをしていたからでした。

インターネットは得意じゃなくても検索だけは出来るので、昔自分が何が好きだったかを色々辿り思い出しながら過ごしていくうちに、忘れていた大事なことを思い出していくようで楽しい発見でした。

そうして偶然に『たま』と出会いました。検索していた音楽の履歴からなのか、とにかく偶然だと思います。

ほとんど知らなかったのに何か惹かれるものがあり、自由に楽しむつもりで聴いてみたら…びっくりしました!

演奏が始まると同時に異次元の世界に引き込まれるような、オペラのような物語がちりばめられているようなのにまったく堅苦しさはなくて、壮大な世界観の美しさや激しさもありつつ、親しみやすさと面白さと楽しさもある…みたいな。上手く言えません。

矛盾したり対立したりするようなものが、なぜか優しく調和しているたまの音楽を聴いて、好きよりもまず感動をしてしまいました。

一番最初に聴いたのは「らんちう」でしたでしょうか…その後は夢中になり過ぎてどれが一番最初だったのか今は思い出せません。

「らんちゅう」
「方向音痴」
「かなしいずぼん」
「夕暮れ時のさびしさに」
「鐘の歌」
「アメフラシ」
「おるがん」
「学校に間に合わない」
「ウララ」
「東京パピー」
「みみ伸びる」
「夏の前日」
「オゾンのダンス」
「はこにわ」
「いなくていい人」…。

聴いたすべての音楽は最初に聴いた時から、それぞれ違っているのも楽しくて、面白くて、でもすごくて、すぐに好きになってしまいました!

正直なところ、よくわからないところがあっても好きなってしまうのです。

今までどんな音楽を聴いていてもこんなことはありませんでした。

それが私には初めての体験で、それがなぜなのか不思議で不思議で、なぜこんなに好きなるのかを知りたくなって私なりに調べてみたくなりました。

そうしていくうちに音楽の中で、ふと何かとても大切なことを私たちに伝えようとしてくれているような、それが『たま』の本当の魅力なのではないかと思うようになりました。

根拠はないですし、私は音楽の知識もありません。まったくの勘です。

でもそう思い聴いてみると、どんなに楽しい音楽でもなぜか少し胸がざわつくことがありました。

それからは、何度も何度も何度も繰り返しスマホを通して耳をすませて何か感じることがないか聴いていました。

でも肝心なところは何も聴き取ることができてないような気がして、心の中に「?」がたくさん積もっていきました。

「聴き方」をかえてみたり、私なりに色々試してみました。

そして、そんな風にしていくうちに、だんだん私の心の中には変化してきたことがありました。

『たま』の音楽が心地よく、一つ一つの音にも意味がある…そんな風にまで感じることができるのは、きっと4人全員が人として一番大切なことを知っているからじゃないかと。

その心持ちが音楽に表れているのだという確信を持つようになったのも、そのひとつです。

いつ聴いても全員が音楽と人を本当に大切にしていることが、音楽にあまり詳しくない私にも心に響いてよく理解できるのです。


最初聴いて何かはわからなかったとしても、この人達とこの人達が今までやってきたこと、この人達の音楽は無条件に信じることができる…だからきっとファンの方々にもずっと愛されてきたのだと思うようになりました。

今はただただ、こんなにすばらしい人達と音楽に出会わせてもらえて本当に幸せです。

だから、私もずっと大切にしていきたいと心から思います。

こんな想いも私にとっては初めての体験です。

この出会いで、私は自分を振り返り、今までは大切なものなのに大切に出来なかったことや、そのことへの色々な後悔の気持ちにも気づくことができました。

だから、私にとって大切なことに気づかせてくれた「大好きなもの」と、大好きになることが出来た自分を何があっても信じて、この気持ちを大切にしていきたいと思います。

そして、どのように大切にしていけるのかは、これから少しずつでも学んでいきたいと思っています。


これが私の出した『たま』の魅力の最高の答えです。

何があってもこの答えを変えることはしません。
本当に心から大切にしていきたいので。

私はファンとしては日は浅いですが、この先もずっと、石川さんと知久さんと柳原さんと滝本さんと、そして『たま』を信じ続けて、歌と音楽と生きていきたいと思っています!(ゆかり 2025/7/14)

(寸評)ありがとー。僕らが人間的にどうかは自分たちではわからないけど、ただ「自分たちの好きなことを素直に徹底して」やっていたのは確かかもしれない。そんな自分たちにとっては普通のことをやっていただけなのに、大人になると「大人なんだから」と社会的に考えてしまってやめてしまう人も多いのかも。要するにただのバカだったので大人になりきれなくて、トコトン好きなことをやっていただけなんすー。6ポイント。

初めての出産

娘が産まれたときの瞬間は、今でも思い出せます。
娘の出産は、帝王切開でした。私にはなかなか陣痛が起こらず、出産予定日を過ぎてもなかなか陣痛の兆しがありませんでした。
出産予定日から10日ほど経ったころ、産婦人科へ行くと、主治医が私のお腹に超音波の器具をあてて言いました。
「羊水が減ってる」と。
それがどういう状況か判らず、先生の次の発言を待っていると「すぐ、入院ね。赤ちゃん、危ない状態かもしれないよ」と言われ、急遽入院することになりました。
いつお産になってもいいように荷物の準備はしていたものの、思いがけず入院することになり、その上赤ちゃんが危ないと言われ、頭の中はパニックになりました。
お腹にNSTと呼ばれる、お腹の張りと赤ちゃんの心音や胎動を感知する器械を装着したのですが、やはり陣痛は弱く、赤ちゃんの心音は正常であったものの、胎動が少なすぎるという結果でした。
翌日の午後には帝王切開をすると言われました。
私は動揺のなか、娘の命を、ただ願いました。
昔、盲腸の手術をしたことがあったので、手術そのものは少しも不安がありませんでした。
しかし、盲腸の手術と帝王切開は、全然違いました。切る範囲が大きいから、麻酔が強かったのかなぁ。お腹を切られるまでは全然平気だったのに、赤ちゃんがお腹から出たあと、すごく気持ち悪くなって、私は少し吐いてしまいました。
帝王切開は、お腹を切った後、先生が切開した上のほうから赤ちゃんを押し出すのですが、枕元に居てくれた助産師さんが「出るよ」と言った瞬間、娘が自分のお腹から出てくるのを見ました。
その時の感動は、先の吐気を軽々と超越するところがあります。勝手に目が潤み、泣いていました。
娘が無事に産まれて、良かった。心からそう思ったし、言葉では表現できないほどの感情が溢れたのを憶えています。
こうして、私は母親になりました。娘の年齢が、私の母親としての年齢になります。私は、今年母親11年目を迎えます。
娘の誕生日がくると、その日のことをいつも思い出します。(ブルマン青山 2025/6/21)

(寸評)おおっ、母子共に無事で良かった!そしてやはり感動ものなのだね。子供のいないうちの夫婦には無い体験を文章で追体験しました。ありがとう。8ポイント。

はじめての生たま

生たまごって、海外の人には衝撃的らしいですね。

突然何を言い出すんでしょう、この人は。

はい、味わってきました。

「生たま」

たまって解散したやん。なんで聞けるんだよ。
そう思った方がいたら、それが味わえるんですよ。と言いたい。

石川さんがいて、そこに仲間がいて。
歌える人がいたら。

まさかの「生たまアレンジ」が生まれます。

知ってます?
生卵って、ごはんに混ぜるときには醤油が定番ですが、
ちりめん混ぜても何混ぜてもおいしいんですよ。

それを象徴するかのように。
行ってきた大阪ライブでは。
確かにそこに「たま」がおりました。

覚えてないだけで、知ってる曲何曲も意外とあるんだろうなぁ……。と、
懐かしく思いながら。

一曲目の「夕暮れ時のさびしさに」(月の夜の寂しさにじゃなかったぁぁぁ>< ごめんなさい。)
を聞き。
まさかあの四人ではなくて、この編成で!
「さよなら人類」が聞けるとは!!
「あぁ、、これこれ。この味!なんだこのガツンとくる隠し味(アドリブ)は!」

みんなが、たま再結成してほしいと願う気持ちがすごく伝わる
そんな「たま」の温かさが伝わるライブでした。

いつか自分も名実ともにプロのアーティストを名乗れる時が来たら。
一緒にセッションできるだろうか。
なんていう夢を見ながら。

47年間生きてきての初めての「生たま」。
もちろんそれはアレンジであって、オリジナルは聞くことは叶わないけど。
少なくとも、元たまのメンバーでおられるパーカッション担当の石川さんは、
オリジナルで、いうならばそれは卵ご飯の卵で。
おいしいおいしい卵はいただけました♪(うきゃきゃ♪)

石川さんのソロセッションパートは、デザート・メインときて
グループセッションパートは、箸休め・ご飯もの。
と、本来出てくる順番とはバラバラだけど音楽のお食事コースを味わった気分なのでした♪

みなさん、生たまごはお好きですか?

追伸:ステージ前・ステージ後と神対応ありがとうございました♪
本当にうれしかったですし、楽しかったです!(美ゆり 2025/6/21)

(寸評)デザート・メイン・箸休め・ご飯もの、どれも大好き。今後もどれもおいしく味わってくださーい! 6ポイント。

初めての骨密度と血管年齢測定

もうすぐ還暦、50代後半フレッシュな婆です。先日、健康診断を受けました。申し込みのとき「特典として骨密度・血管年齢測定とランチが選べます」なんてことを言われ、健診ランチも気になるけれど、人体の神秘への興味が勝り「測定一丁!」とオーダーしました。
ヌルヌル塗られたり、挟んで締め上げられたり、四肢を括って圧迫したりで測定一丁上がり......その結果や如何。
 骨密度、若年者標準の80%、同年代の104%...血管年齢、50代前半......体のあちこちが壊れている割にこれは善戦といってもよいのではないかと思えども、嬉しさが微妙。天気予報で「6月中旬並みの気温です」と言われたときの6月下旬みたいな気分です。(へびのかわ 2025/6/21)

(寸評)年齢より少し若いのか...。でもこれからどんどん若返るのかも!? 5ポイント。

初めてのライブ

昔々、20代の頃、私は音楽教室に通っていました。
その音楽教室の ライブ 発表会で、生まれて初めて ステージに立ちました。とても小さなステージではありましたが、人前で歌を歌うのはすごくドキドキしました。胸はカーッと熱くなるし、頭はまさに真っ白くなる感じ。でも 歌詞を忘れれる感じの真っ白ではなくて、頭の中に湯気が立つような真っ白な感じです。 なかにし礼さんが作った「石狩挽歌」の1番と2番の間に自作のブルースを挟んで歌うというのをしました。
自分はいっぱいいっぱいだったのですが、観客の他の生徒さんは「カッコイイ」と言ってくれ、すごく嬉しかったです。
その時、別の生徒さんの曲でドラムを叩いたのですが、その時のメンバー間で練習中からすごく グルーヴが良くて、私が看護師をしていたこともあり、「グルーヴ ナース」というバンド名をつけ、みんなでナース服を着用して演奏しました。
私以外は3人とも男性だったのですが、なぜか その3人の男性は ワンピース タイプのナース服を着用し、私はパンツスタイルのナース 服を着用しました。
あのまま音楽教室を辞めずに、みんなで音楽を続けてたら楽しかったかもしれません。
もう、かれこれ 20年以上の歳月が過ぎ、その頃のメンバーの消息も私には分かりません。
けれども 懐かしいひとときの思い出です。(ブルマン青山 2025/5/31)

(寸評)思いついたら、またやればいいよ。年齢は関係ないから。是非またナース姿で! 5ポイント。

はじめての不倫と中出し

昔、好きだった先輩で、実際に初体験もその人でした。
それからだいぶ経って、先月、久しぶりに再会する約束をしました。
最初はお茶だけのつもりでしたが、LINEのやりとりはエスカレート。
私は冗談っぽく「じゃあ、ホテルに行きますか?」って書いたんです。
そしたら「いいよ」って。
先輩は既に結婚して子供もいます。
私は長い間誰ともしてないし、ちょっと火遊びのつもりで約束しました。
久しぶりに先輩としましたが、昔と違ってねちっこいセックス。正直、すごく気持ちよくて
「この人こんなにうまかったっけ?」
って驚きました。奥さんに教わったのかなーとかぼんやりと考えたり。
ただ、アレがすごく太くてなかなか入らなかったです。
初体験の時も大変だった記憶はあるのですが、それ以上に痛かった。なぜかは分かりません。
私は事情でもう妊娠できない体なので、中出しも許しました。
本当は今一番好きな人にして欲しかったけど、その人は私なんて全く相手にしません。だから、中出しってどんな感じか興味本位で先輩に許しました。
先輩は当然すごく興奮しています。(男の人って本当中出し好きですね。)
最終的に出した瞬間、アレが脈打つのが分かりました。で、しばらくすると、中がじわっと熱くなってきて。それがすごく気持ちよくて
「これが中出しかー。そりゃハマるよね」
と思いました。

奥さんやお子さんにはごめんなさい、と思いますが、先輩の事は今は特に好きではありません。
私の性格上、情が湧いて好きになるかもという懸念はあったのですが、何ともありませんでした。
ただ、先輩の身体目当てなのでこれからもセックスはこっそりすると思います。
好きな人が振り向いてくれたらな…そしたらすぐそっちに行くのに。
最低ですけど、ここに記しました。(匿名希望 2025/5/27)

(寸評)ははっ、さすがに匿名だね。でも思っている以上に不倫している人は多いのかもね。くれぐれも奥様にバレて家庭を壊さないように注意してくださいな。8ポイント。

はじめてのドライアイ

ずぅっと世間に逆らっていにしえの携帯電話いわゆるガラパゴス携帯を使い続けてきた私が未来電話、などとおちょくって呼んでおったスマートフォンを入手してかれこれ7年、愚かなる私は絶対に中毒になるまでこのちいさな画面にもう四六時中貼り付けになるのだろうなぁ、と予想したとおりにものの見事にスマート電話中毒になり果てました。

とくに夢中になったのが無料の作曲アプリケイションと、かつてすこぶる嫌悪していた動画共有サーヴィスの閲覧でした。まぁなんで毛嫌いしとったんかというと黎明期はいや今も著作権者に無断で作品を投稿した第三者がうまうま利益を得る、という仕組みが気に入らなかったからなのですが、もはや現在はその影響力の強大さから著作者の側から宣伝のために有効活用しようと公式あかうんとをこさえて無料でMVを公開するようになったり、過去の違法投稿に関しては癪だけどいちいち抗うよりは宣伝もなるし敢えて目ぇつぶる、みたいな形が定着したように感じます〈なにぶん詳しくないので出鱈目でしたらすんません〉。
そんな巨大動画プラットフォームで私がにこにこ閲覧しておったのが懐かしのゲーム攻略動画・音楽理論の解説動画・大食い動画・かいらしいVTuberさんのコラボレーション動画・ひっどい国道の実走動画などで〈かつての嫌悪のなごりからかあまり音楽作品は聴きません、あと桃色動画のほうはパソコンのほうが画面でっかくてうれしいのでたまにしか見ません〉、そらもう己の興味をそそる愉快な動画がまさに無限に投稿されており、これらの閲覧が完全に趣味として生活の一部に組み込まれてしまったのです。

ゆゆしき事態です。こんなスマート電話漬けでは早晩脳味噌が破壊せられてしまう。しかし一度嵌ると抜け出せない麻薬性、私は嫁はんの「あんまり見すぎんときや、そのうちドライアイなるで」などという言葉を無視して日ごと夜ごと動画を閲覧、その時間は1日に6時間をゆうに超えていました。
そして運命の時がおとずれました。

2024年12月上旬。週初めから倦怠感がひどいものの、このくそ忙しい時期に人数の少ない職場で風邪ひいて休むなんて昭和のおっさんにはできません、無理やり自分を誤魔化して熱も測らず1週間、どうにか私は欠勤せずに土曜日を迎えました。さすがに50前のおっさんには相当こたえた故に、土日は隔離用の部屋から一歩も外へ出ずに休養に充てることにしました。
すると、どうなります?
そうです。風呂と寝る時間以外、延々スマート電話で動画を見続けてしまうのです。便所も飯もお供はスマート電話。実にその2日間私は30時間を超えて動画に釘付けになっていたのです。あほの私の脳味噌はすでに相当破壊されているのでしょう、寒気がひどいのでエアコンをガンガン効かせた部屋でまばたきもせずに電話にむしゃぶりつく始末、家族はほとほと呆れかえっていました。

12月16日、月曜日の朝。
意識が覚醒し寝床で眼を開ける前、左眼に異常な圧力がかかってゆくのを感じました。
なんだこれは、と狼狽えていた矢先、びきっ、と強烈な痛みが走りました。ぎゃぁ。
しばらくベッドの上で涙でビショビショになりつつ悶絶し左眼を押さえていたら、痛みは引きました。
突然の謎の衝撃に驚きましたが、ひとまず痛みが止んだことに安心して飯を喰いに食卓へ。しかし。
「これ見てオポム」と嫁はんの差し出すスマート電話の、文字がブレてまるで読めないのです。
寝起きだからかな、と何度もまばたきをしますが、まるで改善されません。
不安を感じつつ通勤のためおもてに出ると、あらゆる光がブヨブヨにブレて眼を開けていられません。
もう一生このままなのか。私は恐怖を感じました。

もともと右眼も2019年からおかしくなって加療中だったのですが、まだ0.2程度の視力が残っておりどうにか右眼だけを開いてよちよち職場へ。しかし書類の文字がまるで読めずまともに左眼が開けられない始末、店長に事情を申し出て早退のうえ従前より右眼を診てもらっているひと駅先の眼科へ電話をしますが一向に繋がりません、評判のよい眼医者なので平日はなかなか電話が架からないのです。しかしこんな状態で過ごすなんて気がおかしくなりそうなので予約なしで飛び込み診察を願い出たら朝10:30に受付して昼13:20にようやく診てもらえました。診察を待つ間も左眼を閉じていれば5分ほどでグングン圧力がかかるのを感じ、あわてて眼を開いてグニャグニャの院内を見つめる、なんてことを繰り返していました。季節柄飾ってあったクリスマスツリーが異様な光り方に見えて気色悪かったのを憶えています。

乾燥により角膜表面が傷つき、視力に影響が出ているようでした。ヒアルロン酸の点眼薬と眼を保護する眼軟膏をいただいて帰宅、投薬により朝よりすこしはましになった気がします。しかし。
この日から夜になると異様に眼が乾くようになりました。
私がたびたび「圧力」と感じていたものは恐らく今まで体験したことのなかった強力な眼の「乾き」だったのでしょう。エアコンを切っても駄目、風呂に入ってる時も乾きを感じるという意味不明、はじめはスマート電話閲覧や読書・ピアノを集中して続けると症状が出ていましたがだんだん夜が来ただけで定期的に乾くようになりました。

そして極めつけに、このドライアイというものは一度発症すると完治しないらしいのです。
「ドライアイ 治療」などと検索しても出てくる結果は絶望的なものばかり、治療を継続しないと症状は抑えられない、とのことです。うそん。知らんかった。そんなん今まで誰も教えてくれへんかったやんか。
どうして嫁はんの言うことを素直に聴かなかったのか。悔やんだところでアフターカーニバル、私は枕元にヒアルロン酸&眼軟膏を常備しないと不安で眠れない人生がスタートしてしまったのであります。

症状は回復と悪化の繰り返しで、調子の悪いときは夜中に眼の乾きで何度も30分〜1時間おきに目が覚めてしまい、油断すれば強烈な痛みが走り、その痛みが走るたびにせっかく少しずつ回復した視力がふたたび悪化するという痛み&寝不足&視界不良という三重苦に悩まされるということもしばしば。ひどい時は寝不足なのでちょっと横になって仮眠でもしようものなら眼が20分もしないうちに乾いてちょっと眼球を動かしただけで激痛、意地でも眠らせてもらえません。仕事でも当然重大なミスを繰り返し、状態が悪いときは乱視がもはや眼鏡で矯正できないレベルになりこのままでは今年の運転免許の更新も危ぶまれます。医者に相談しても私の状態が特殊なのか薬の処方でしか改善のしようがない、と言われてしまいます。

これをパソコンで書いているいま現在は数々の試行錯誤のすえ寝床を変えて点眼・眼軟膏の種類/分量を調整することでようやく1週間連続して痛みが出るのを防ぐことができ、4時間ほどならまとまった睡眠も摂れるようになりました。またなぜかパソコン操作時は乾燥しないというよくわからん事象も発見しました。視力も乱視は残るもののある程度回復し、枕元の目薬だけは決して欠かせませんが日常の生活にも支障は少なくなりました。ようやっと、この悪い眼にも光明が見え始めてきたところです。それにしても毎度のことですが我が嫁はんはいつだって正しい。

あほのアラフィフおっさんから皆様に知っておいていただきたいことは、なんぼ面白楽しいからって締め切った部屋でエアコンガンガンかけて1日中スマホ見とったら眼ぇあかんなるで、ということです。一度発症すると生涯ヒアルロン酸の世話になります。元に戻りません。おまけに脳味噌も鈍化します。けじめが大事です。あほを憎んでスマホ憎まず。どうか私のような文字通りつらい目に遭う方がこれ以上増えませんように祈りつつ。うまいこと言うたな。たはは。(オポムチャン 2025/5/27)

(寸評)ひーっ、そんなことになるのかっ! 俺も日がなパソコンに齧り付いてることはよくあるので注意だな。そしてそれは年齢もあるんだろうな。若い頃は自己回復能力でなんとかなってたものが、その力が及ばなくなるんだろーな。ああ怖い。お見舞いポイント10ポイント。

初めての卒業ソング伴奏

前の職場での忘年会で留学生たちの歌に合わせてピアノ伴奏したことはあったのですが、現在の職場でも卒業シーズンとなり、留学生たちに卒業式で歌いたい歌のアンケートをとった結果、いきものがかりの「Yell」になりました。そして、今回は自分と同僚の女性の先生とで、2人での伴奏を秘密裏に計画。卒業式会場の下見にも足を運びつつ、一か月前から準備をはじめました。

この曲自体は1週間ほどで自分の主旋律パートは覚えられました。しかし、時折残業状態で2人で練習してみると、タイミングが微妙にずれたり、逆にあまり長く鍵盤を弾いていると重なってしまったり、いろいろと一人でやるのとは違った壁も出てきました。ひとまず、練習を重ねてタイミングや拍の長さを調整し、当日を迎えました。

ちなみに前職では一つの教室にギャラリーと歌う学生で合わせて30人近くの大人数が入ってやって、準備したのは自分のハンドロールピアノとリモコンマウスのみ。それに対して、今年の卒業式会場は収容人数が千人以上の大ホール(当日は全在校生が出席しても座席の半分も埋まっていませんでしたが)で、グランドピアノを借りるのにも5000円かかりました。プロのアーティストだったら大赤字確定の状態だった上にお金も取らないイベントに、自分の趣味半分だったピアノが出てきたわけで、それに職場のお金を費やす事となったわけです。前回とのあまりのスケールの違いで、失敗は許されんというドキドキが拭えませんでした。余談ですがこのホール会場には華〇朋〇のライブのポスターも貼ってあり、チケット代は7000円台でした。

いざ本番の日を迎えて、卒業生たちが入場する前に、一人で2階で練習をしてからホールに入りました。試験自体は特に大きいトラブルもなく進み、そしてクライマックスの合唱の時間を迎えました。

この伴奏担当については、職場の卒業生達には「この曲の伴奏をしようと思ったけれども、難しかったから諦めた」という姿勢で臨んでおいて、同僚のほかの先生たちには何も言わず、半分以上の方々にはサプライズになったかと思います。

なんとか目立ったミスもなく最後まで曲が進み、彼らの門出になりました。ただ卒業生たちがステージの前で歌っている一方で、ピアノの位置がステージの奥の方だったので、あまり歌声が聞こえなかったのが残念でした。何はともあれ、かなりゴージャスな感じで自分の趣味が仕事の場で役に立ったのは達成感のあることでした。来年には、自分ひとりで両手で弾けるようになりたいところですが、どんな曲?を歌うことになるか?が決まらなければ練習していても徒労に終わってしまいそうで、それが、悩ましい今日この頃です。(Hi- 2025/5/27)

(寸評)えっ、大ステージでピアノの片手弾き!?それはそれでスゴいような。聴いてみたかったな。6ポイント。

初めての読み聞かせ

私の子供達の通っている小学校で、去年の6月に初めて大勢の子供たちを前に、絵本を読み聞かせをしました。
読んだ絵本は「キャベツくん」と「ファーブル昆虫記のセミ」でした。
教室に入るまではすごくドキドキしたのですが、思いのほか 子供たちが真面目に聞いてくれ、面白いシーンでは笑ってくれ、読んでいる私の方が、心がほだされるようでした。
せっかく面白いシーンで子供達が笑っているのに、先生が「静かにして」というのが結構 ショックでした。
学校というところは子供たちのためにあるはずなのに、どうしてか大人たちのために子供を育てている感じがして、私は学校のあり方がいつも 腑に落ちません。
そもそも 私は、学生時代、小学校も中学校も好きだったためしがありません。
友達100人できるかな、などという歌は呪いにしか思えませんでした。
だからかな、私が 読み聞かせに行く時は、なるべく そうした学校をつまらないと思ってる子供たちに、少しでも面白く、その子のためになるような、そうした本を読みたいなと思っています。
クラスにいる昔の私のような子に届いて欲しいと思うのです。

そんな 初体験 の読み聞かせ から、早くも1年が経ちます。今年も子供達に楽しい 読み聞かせをしに行きます。そして一番には私が楽しみます。(ブルマン青山 2025/5/27)

(寸評)うんうん。俺も絵本の朗読とかしたけど、お客さんの反応がいいと嬉しい。「静かに聴きなさい」というのは場面によっては正しいけど杓子定規に言うのはおかしいよね。
ちなみにたま解散以降で唯一自分がメジャーの会社から出したCDが実は「雨の日の水族館」という朗読CDなのでした。5ポイント。

初弾幕ギフト発射

こんばんは!
初生石川さんを体験する前にここに投稿する日が来るとは……。 とある配信者を以前応援してたんです。
なんだかんだと未だに見守ってはいるんですけど。拒否られてるのに。
でね、めでたい事にその方のフォロワーが1000人超えたんですよ。1000人の興味を持ってくれた人が居るって事です。
コレってとてもすごい事だと思うんです。

そして、私は踏み切りました。
有償ギフトを投げる事に。
弾幕ってギフトがあるんです(私にとっては割と高額ギフト)。 「今こそ、投げるべき!!」と思って、
金銭的な余裕があるわけではないですが、急いで課金。

【初弾幕ギフト発射!!!!!】

喜ぶ元推しの笑顔が嬉しかったです。
応援に熱が入ると、ついつい目が厳しくなってしまって。
亀裂が入ってしまったけど。
笑顔が本当に素敵な配信者さんなんです。
例え、仲に亀裂が入ったとしても、めでたい事はめでたいので祝っちゃう。
だって嬉しいじゃないですか。お互いに。
相手も心から喜んでくれてたらいいな♪と思うのです。

追伸・石川さんの初サプライズ体験(仕掛け人)はいつどんなものですか?良かったら知りたいです。(美ゆり 2025/5/27)

(寸評)えっ、初サプライズ体験(仕掛け人)ってドッキリって感じかな。なんか子供の頃からプチドッキリは好きで友達とかによくやってたような気がするな。細かいことは覚えてないけど、おそらく幼稚園ぐらいから。人が驚いて、そして喜んでくれるのがとっても好きなんす! 5ポイント。

はじめてのサブスクで曲を購入

今日はもう一つ。

ラザニアって、美味しいですよね。
ええ、ラザニアです。
あの何層にも重なったチーズとミートソースの層。
堪りませんね。
一度作ってみたいモノです。

さて、今回のラザニアは、ラザニアと言っても食べるラザニアじゃぁ、ございません。
耳で味わい、心で味わう「ラザニア」の話です。
といって、ピンと来る方。大多数ですよね。きっと。
もうこのコーナーをご覧の皆さん聴かれましたか?

石川浩司さんって方の歌う「ラザニア」。
購入されましたか?(ΦωΦ)フフフ…

実は曲紹介をさせて頂くために、サブスクで曲を購入するという行動自体、
【初めての体験】でした。
そして、実際に芸能界で活躍する方にリプを飛ばして、 曲紹介許可を取るのも【初めて】でした。
さらに、石川さんのソロを聞くのも【初めて】でした。

【初体験】が沢山。ドキドキドキリコ♪

聴けばきくほど、あの優しい声が層になって心を包みます。
聴けばきくほど、味わい深く、心に忘れられない何かを染み渡らせます。
聴けばきくほど、一緒に歌えば歌う程。
産まれてきたことそのものが、生きてる事そのものが素晴らしいなって思えます。
そうして、石川さんの優しい声に私もすっかり心をほだされた頃……
やってくる最後の石川さんの独特のシャウト。

最高にパンチが聞いていて、美味しいです。
歌で美味しいと思える体験って中々ないと思います。これも【初体験】!
しかも、何度も味わえる。

本当に最高に美味しい歌をありがとうございます。
私なりの解釈を交えながら、美味しくこれからも配信で紹介させてください。
もし、ラジオ番組を担当する機会があったら、その際にも紹介させてください。
こんなに美味しい歌があるんですって。(美ゆり 2025/5/27)

(寸評)ありがとー。ちなみにこの配信シリーズは今後も続きます。とりあえず7曲はチェンマイでレコーディングしてきたので出す予定です。もっともいろんな曲がありますが(笑)。6ポイント。


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