ドキドキドキリコ初体験(113)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めての青汁

今は亡き祖父が、自分で青汁を作っていた時期があったんですね。それはそれは結構なハマりようで、わざわざ畑で栽培したケールを収穫し、ジューサーですり潰して飲む。こんなことを繰り返していました。
幼かった僕は、いかにも不味そうだなあと思いつつそれを眺めていたのでした。

ある日その青汁を、「お前も飲んでみるか!?」と祖父に勧められました。小学校に入るかどうか、って頃だったと思います。
見るからに不味そうだったので、断っててもおかしくないはずなのです。が、周囲の視線が多数あったからか、あまりに執拗に勧められたからか。その辺りは忘れてしまいましたが、とにかくそれを仕方なく飲んでしまったんです。
その時の味も、これまたよく覚えていません。苦いとか青臭いとか、そういう次元を通り越した、味とも言えない味があったような気はするのですが。脳味噌が詳細を記憶するのを拒否したのかもしれません。
ともあれ、そこから先はさらなる飲用を強く強く拒否し、それっきりだったのは確かです。なんならその日、ろくにご飯も食べられなかったような気がします。ひどい初体験でした。

後年、祖父が亡くなってから、家族間で件の青汁が話題に出たことがありました。僕が「一度飲んでみたけど、あれは不味かったな〜」とぼやいたところ、母親からこんなことを言われました。
「そりゃ不味いよ。アレってケールについた青虫を取りながら作ってたのに、たまに取り忘れたのをすり潰して作ったりしてたもん。あんた、それ飲んだんじゃないの?」(たちつ亭と~助 2023/12/8)

(寸評)これからの未来に訪れると言われてる昆虫食の先取りですな。ヨッ、未来人! 6ポイント。

初めてのバリウムとその周辺の諸々

どうもそれなりの歳になると、健康診断でバリウムとやらを飲まされ何やら苦痛を味わわなければならない、というのは風の便りで聞いていました。
去年までの僕は、そんな体験談を「そうなんすね〜、お疲れ様っす」となんとなく聞き流すだけでした。が、とうとう今年、その苦痛を味わう歳になってしまったのです。

そもそも、スタッフさんからしてなんとなく怪しかったんです。
「今回、バリウム初めてですね? 今日の体調は問題ないですか〜?」
これ3、4回は訊かれました。正直、体調に問題ないから今日来てるんじゃないかい、と思ったりもしましたが、今にして思うと、これも優しさというか、気を遣っていただいての言葉だったんですね。
中でも白眉なのが、一番最初の受付のおじさん。こんなことをおっしゃってます。
「今日、初めてのバリウムですね? 最初が一番いいかもしれないね。慣れませんので。何回も何回も繰り返していって、ずっと慣れずにやっていくようになりますので(ニッコリ)」
……苦笑を返すしかありませんでした。

以前から行っていた体重測定やら血圧測定やら心電図やらを突破していき、いよいよ最後に待ち受けるのが、バリウムを用いる胃X線検査。
検査室に入り、着替えた後にまず手渡されたのが発泡剤、いわゆる炭酸です。
細粒状のそれを口にしてみると、味はないものの、口内でシュワシュワしていくのが分かります。味のないパチパチキャンディーを食べてるような気分になりました。
そしてその次に飲んだのが、問題のバリウム。どうも世間では美味くないものと認知されているようですが、実際に味わってみたところ……。
「あれ、そんなに不味くなくね?」
味わいとしては、駄菓子屋のヨーグルトに乳酸菌飲料を足して混ぜたような感じ。
抜群に不味いわけでもなく、さりとて目が覚めるほど美味いわけでもなく、なんとも微妙な味わいでした。ひとまず、それほど不味くなかったことに安心した次第です。
とはいえ、最初おちょこ一杯分だけ飲まされ、「あ、この量だけ飲めばいいのか!」と油断した直後、数倍デカいバリウムのボトルを渡され飲用を指示されたのにはビビりましたが。
ともあれ、バリウム検査で口にするものは総じて駄菓子屋の何らかのお菓子に似ている、という結論に至りました。ここまでは良かったのです。が。

バリウムを飲まされてから何が大変だったかというと、ゲップ禁止令もさることながら、胃の撮影のために自分で体を回転させなければならないこと。
スタッフさんからの指示で大体の動き方は分かりますが、分かったからといってその通り動けるかといえば、そういうわけでもなく。
そもそも、体を乗っけられてる台からして、個人的に不具合だらけです。標準体型ならば難なく動けるのでしょうが、身長が標準より目視1.1倍、体の横幅と奥行きが目視2.5倍デカい僕には、その台の上で身じろぐことすら苦痛でした。とにかく小回りが効かず、うんしょうんしょと必死で動くしかありませんでした。
そして、あっちへこっちへえっちらおっちらしてるうちに、「ハイ、もうちょっと体を横に向けて〜」「膝をつかないように回転してね〜」「手すりは内側から掴んでください。そっちは外側ですよ〜」「ハイ、ゲップしないでね〜」なんて声が聞こえてくるのです。加えて普段装着しているメガネも外しているので、指示されている手すりやら何やらがどこにあるのかも、よく分からなかったりします。その上で、遊園地のアトラクションのように台があちこち回転するので、楽しさを味わう前に間違えて落っこちないかと恐怖を感じるのです。
大人になるってこんなにも辛いことなのか、と思いながら四方八方に体を動かしていたところ。

「……ゲフゥ」

ゲップが出てしまいました。出すなと言われていたゲップが、いとも容易く。それもこちらが意図しないうちに。
もう少し細かく言うと、普段の何気ない呼吸をしている最中で、自然と出てきたゲップです。
すわこれは一大事か、厳しめの叱責を喰らうか!? と覚悟したものの、自分以外誰もこの自然なゲップには気づかず、淡々と体の向きを変える作業は続いていったのでした。何も言われなかったということは、たぶん問題なかったのでしょう。
ちなみに検査開始直後、胃の膨らみが足りないとかで、発泡剤をもう1包飲まされてたりします。つまり、合計2包の発泡剤を飲んだ上でのゲップなんです。そりゃ出ても仕方ないよな、と思うことにします。
恐らく検査自体は5〜6分ほどだったのでしょうが、体感としては1時間くらいに感じられました。ようやく一切の検査が終わって真っ先に思ったのは、
「メガネを、何はなくともメガネをくれえ!」
でした。とにかく、見えないまま事態が進行していくのが恐ろしかったんです。
こうして、いささか血が上った頭を抱えながらも、どうにかバリウム検査は終了しました。

さて、検査が終わったとなると、飲んだバリウムを早急に出さなければならないとか。検査室を出る直前に下剤を手渡され、なるべくすぐに多めの水と一緒に飲むように、との指示が出ました。
そこで車に乗り込み、服用してから職場に向けて出発したところ、早速便意が。どうにか職場まで我慢し、そこでようやくトイレに直行。
噂で聞いたところによると、バリウムを飲んでから出すアレは、どうやら白いらしいとのこと。果たしてどれほどの白さなのか、正直楽しみでもありました。
トイレで踏ん張り、拭くべきところをしっかり拭いた後、出たものを確認してみると。

「これは……白……い…………?」

白といえば白っぽいけど、普段出るアレと比べても変わりない色というか。そもそも出てきたのが下痢っぽいので、白もへったくれもないというか。
ということで、結果は「よく分からないけど、なんとなく白いといえば白いモノが出た」という、肩透かしのものでした。
もっとも、この後下剤の効果か、しばらくお腹のみ風邪をひいたような状態に陥り、アレが白いかどうかどころの話ではなくなりました。その日は終日トイレと近しい間柄となり、仕事しに行ったのかトイレしに行ったのか分からない1日となったのでした。
これを今後毎年続けるとなると、なかなかしんどいものがありますねえ。確かに、全くもって慣れる気がしません。大人になるってこういう意味でも辛いのか、とまたもや思い知らされたのでした。(たちつ亭と~助 2023/12/8)

(寸評)それでも昔に比べると飲みやすくなったね。駄菓子風の味、わかる。ああいう場所のベッドって、基本安いビジネスホテルのしょぼいシングルベッドの大きさだよね。本当の巨体の人が来たらどうするんだろ。せめてもうちょっと大きくてもいいといつも思うね。落ちそうな狭さだよね。6ポイント。

初めての全身麻酔

若い頃、突然頭の中が激痛に襲われ即入院、脳出血ということで開頭手術をしました。当然、全身麻酔だったのですが、意識を失う瞬間の事はよく覚えています。
具体的な仕組みは知りませんが、たしかマスクをされた状態で注射を打ったような記憶があります。そして息を二吸いした瞬間ストン!と落ちました。
いつか死ぬときはこんな感じで逝きたいな~と思うくらい見事なモノでした。しかし...手術が終わり目が覚めてきた私は、「痛い..痛い..」と呻いていました。王様のほうに少しだけ書かせてもらいましたが、ここから地獄の点滴漬け入院生活が始まることとなります笑。(ひももん 2023/12/8)

(寸評)俺も全身麻酔した時はそんな感じだったな。本当にあっという間に意識なくなるよね。俺は薄ら覚醒した時に(自分は記憶にないけど、周りが言うには)「モーロー」と言ったそうな。結構的確な状況描写だったかも!? 6ポイント。

初めての海外移住の見送り

2008年4月、私は45年間住んだ祖国日本を離れ、東南アジアのタイ王国に移住しました。
出発の日は両親が見送ってくれると言うので、3人で成田空港まで行きました。
父親に譲渡した乗用車〔ホンダモビリオ〕を成田空港3階の出発ゲートの車寄せまで私が運転し、そこで別れ、帰りは父親が運転を代わり、その車に母親を乗せて帰りました。
車内で何を話したかは忘れてしまいましたが、感情が込み上げてくるようなこともなく、しんみりとするわけでもなく、淡々と首都高速と東関東自動車道を通って行った感じですね。途中私が車で成田から海外に行くときに、よく使っていた酒々井のパーキングエリアで休憩した記憶があります。でも、家族でドライブしたのはこの時が最後になったのでした。タイに移住して15年間のうちに両親とも鬼籍に入りました。当たり前のことですが、人間は生まれて、生きて、そして死にます。そんなことを「初めての海外移住の見送り」の投稿をしながら思いました。(波照間エロマンガ島、61歳 2023/12/8)

(寸評)俺も先日30年以上お世話になった義母とお別れをしました。多少の年齢の前後はありますが、老いた人は死に、新しい生を受ける人がいる。機械的な言い方をすればコンベアーのようにこの世は人が入れ替わって続いているんだよね。その中の一端になれただけでも有難いことなのかもね。誰しもこの地球の上で流れていく存在なんだよね。6ポイント。

物凄い至近距離で相手の顔面を凝視すると目鼻立ちの図像が最初の認識からずれて来る初体験

ここ1年ほど、テレビ電話〔LINE〕やネット会議〔ZOOM〕などのインターネット通信機材を使って、タイ国内の離れたところに住んでいるタイ人男性女性と仕事で面談する機会が増えています。タイ人の日本語能力をチェックする必要があり、質問に対する解答の音声を聞き取るためにマイクとスピーカーに顔をできるだけ近づけて作業します。一人につき1時間以上かけ視覚と聴覚を総動員して会話するので、1回面談するだけでへとへとに消耗します。
その作業で発見したことがあります。最初は相手の人の顔立ちを認識して「この人はこういう人」という容貌の図像を脳内にイメージを浮かべて認識するのですが、その図像が面談をしている間に微妙にずれて来るのです。それは第一印象で脳内に作り出され認識される視覚や聴覚からの情報受容のイメージが、いかにいい加減かを表すものだと気づいたのです。

それはワンナイトスタンドの相手が「こういう顔だと思っていたのに、実はああいう顔だった」という経験に似ています。セックスの際の顔面接近はセックスの時間的推移での表情の変化から、信じられないほどその相手の印象を変容せしむるからです。物凄い接写のクローズアップショットを連続させ、その人間の観相の印象が変わっていくポルノビデオまたは芸術映画は作れないか、そんなことを最近は考えています。(波照間エロマンガ島 2023/12/8)

(寸評)確かに、最初は全体の印象で勝手に脳が補正して「この人の顔はこう」と認識させるも、実際近くで見ると全然違うっていうのわかるなあ。是非それを主題にした映画作って! 面白そう。7ポイント。

日本一時帰国旅行記〔3〕。バンコク・スワンナプーム空港搭乗ゲートにて出国トラブル初体験

波照間エロマンガ島です。「タイの高速道路でバスのエンジン停止初体験(その2)」の続きです。

さて、10月15日夜9時頃、予定より30分ほど遅れてスワンナプーム国際空港に着いた。早速航空会社にチェックイン。今回の旅程は往路が中国の吉祥航空、上海浦東〔プードン〕国際空港乗り換えの成田国際空港行き。復路がエアアジアX、羽田空港発のクアラルンプール国際空港経由ドンムアン国際空港行きの格安航空券を購入した。往復11000バーツ〔約44000円〕で得したと思ったが、結果から言うと、とんでもない酷い目に遭うことになった。中国経由はもうこりごりだ。

というのは、ちょっと余裕を見て搭乗時間の30分ほど前に吉祥航空のゲートに行ったのだが、入口はやたらと混雑していた。自分の順番が来ると吉祥航空のスタッフは、私の携帯電話でQRコードを読み込ませ、コロナワクチンの接種記録を提示させようとしたのだ。すると私の携帯電話のVer.が古かったからか、先方が欲するページにどうしてもアクセスできない。「ふざけんなー!!」と強行突破しようとすると、吉祥航空の地上スタッフは半ギレ気味に私を取り押さえた。後ろに長蛇の列ができていたので、列を外れさせられ、健康チェックシートのサイトにアクセスさせられ、それを記入させられる羽目に陥った。しかもそのチェックシートのフォームは全て中国語で書いてあり、私はいっさい読むことはできなかったのだ!
結局、全乗客が搭乗ゲートから飛行機に乗りこんだ後に一人取り残された私は、中国人地上職員にチェックマークを代わりに記入してもらい、ようやく飛行機に乗り込むことができたのであった。ダチョウ倶楽部ではないが「聞いてないよー!!」な世界。まあ、飛行機に乗れたからよかったのだけれど、このトラブルの最中、私はもう半泣きで「俺は今日日本に行けないんじゃないか」と半分くらい諦めの境地に入っていましたよ。それでもこの飛行機に乗ってやるという最後の強い意志があったので、乗れたんだと思いますがね。知りうる限りのタイ語、英語、ジェスチャーを使って地上職員を粉砕しました。
かくしてなんとか飛行機は離陸、私は乗り換え経由地の上海への乗客となったのであった。続く。(波照間エロマンガ島 2023/12/8)

(寸評)ぎゃあ。俺だったら多分、中国の藻屑となる...。怖い怖い。6ポイント。

初めての夜間外来 その1 激痛編

その日私は腹痛に悩まされていた。
普段なら白湯の飲むや便を出すことで収めてた腹痛が止まりません。

前科(救急車乗った途端体調が良くなる)があるので 一旦 救急相談に電話 結果 救急車を呼ぶことに

すぐさま電話し 親父に同行を願い 母親には「ふざけるな!!」と怒鳴られ(まぁ前科があるから当たり前か)
数分後に救急車へ

その中でも激痛は増すばかり
数十分(よくわからない)後に病院へ

そして激痛の中 ベットに寝かされるのであった
次へ続く (ズミ天 2023/12/8)

(寸評)俺も先日、人生で初めて救急車乗ったからなあ。玄関から歩いて行ったら「歩いて来たんですか!?」と言われた。自覚症状があまり無かった...。5ポイント。

初めての夜間外来 その2 点滴編

しばらくすると 看護師さんがやってきて採血
慣れっこなのでスムーズに終わる
そして点滴と痛み止めの管を挿入
実は点滴は初めてだったのです
痛いかなー?とは思いましたが 全然痛くない
不思議な感覚でした
そして初めて車椅子に乗り レントゲン CTスキャンを行いベットへ
検尿をしてから
結果が来るまで待っててくださいねーと看護師さん

さて病名は?
  次へ続く(ズミ天 2023/12/8)

(寸評)途中経過なので3ポイント。

初めての夜間外来 その3 胆石痙攣編

1時間後 先生がやってきて 胆石由来の腹痛だと判明
これからは油ものは控えてくださいねーと言われました(一応減らして入るのだがなー)
そして点滴の管が外れ 一時金を渡し 薬をもらい タクシーをチャーターして家に帰りましたとさ
親父 ごめんなさい
そしてあとは母親への平謝りだー

あと 壊せるなら胆石壊したい(ズミ天 2023/12/8)

(寸評)ううーっ、辛いのう。でも入院じゃなくて良かったな。入院は嫌だったなあ。でも入院しなければ俺はたぶんもうこの世にはいなかったからなあ。5ポイント。

初めての柳原さん

王様の話題54に投稿しようと思ってたところ、思いの外長文になったので、こちらに送らせていただきます。
さて、高校の頃、地元に来た知久さんのソロライブに参加したのを皮切りに、石川さん、Gさんのソロライブまではトントンと参加できていました。
残すは柳原さんのみ! となってからがなかなか長く、気がつけば最初の知久さんライブから15年以上の月日が経っていました。
今年になって、ようやく自由に出かけやすい条件が揃ったこともあり、地元県内にやってくるところを見計らい、ついに初の柳原さんライブに参加した次第です。

会場で待っていると程なくして開演時間となり、待機場所からやってくる柳原さん。実にお洒落で、颯爽としていました。
実は柳原さんのソロは一部しか聞いたことがないため、事前に知っていた曲は、実はセットリストのうち半分もなかったと思います。でも、初めての曲もすっと頭に入り、「きっとハワイ」や「ロンサムジョージの独り言」など、聴きやすい曲も多かったように思いました。ただ、やはりたま時代と比べると、毛色は随分変わりましたね。

ということでたま時代の歌は、後半で歌った「さよなら人類」のみ。間奏の「さる〜」や終盤の「ららららら〜」は、我々観客と一緒に歌ってくださいました。
そういえば今回のライブで驚いたのが、柳原さん、がなりながら歌うこともあるんだなあということです。といってもアンコールの「再生ジンタ」という歌だけでしたが。気持ちが昂ってきたのか、結構最後の最後で声を張り上げて歌っていたのが意外で、ひょっとしてたま時代にもそんな時があったのかな? と思ったりしました。

最初のうちはやや丁寧な口調でお話を進めていました柳原さん。ですが、曲のコーラスを我々客がつけたことで喜ばれたのか、時間が経つにつれMCの口調もフランクになってきて、「そう言えばさあ」なんて観客に話しかけてきたのがなんだか嬉しかったです。
それに乗っかってというわけではありませんが、終演後の物販にて、CDを購入しがてら思い切って柳原さんに話しかけてみたのです。

「あの、実は、今日でたま全員のソロライブに参加したことになるんです。15年くらいかかりました」
「全員!? ……何もいいことないよ(笑)。でもご苦労様ね」

いやはや、柳原さん、最高でした。
なんとなくの思い込みで、いささか気難しい方なのかなあと心配したりもしましたが、全くの杞憂で、MCの感じと全く変わらず、1人1人に優しく丁寧に接してくださいました。
こうして、初めての柳原さんライブは、なんだかフレンドリーな雰囲気の中幕を閉じたのでした。

個人的な話になってしまいますが、あれやこれやと忙しなく時間を過ごした時期があったため、いつの間にかたまのかけらの皆々様のライブへも足が遠のいていました。
しかし、今後は再び少しずつ、それぞれのライブに足を運んでみようと決意した夜にもなりました。(たちつ亭と〜助 2023/11/13)

(寸評)お〜コンプリートおめでとう。解散して20年、柳ちゃんが抜けてからは30年近く経ってるのに、全員が今でもソロでやってるバンドって珍しいかもね。しかも普通はメインの人はメジャーで大活躍とかが多いと思うのだけど、誰ひとりそんな様子も無く(笑)ライブハウスに戻って地道に活動している。
柳ちゃんのソロは結構たま時代と変わった、という話も聞くけど、そもそもたま時代の曲は(柳ちゃんだけじゃなく他のメンバーの曲もそうだけど)全員でこねくり回してアレンジして曲を作ったからね。「オゾンのダンス」の知久君のマンドリン然り、「さよなら人類」の俺の「着いたー!」然り。それがないと「アレッ」って感じになるのかも。とにかくみんなの要素が混ざってああいう曲は生まれたからね。単体ソロになった時、一番アレンジの違いで変化が出ちゃったのが柳ちゃんだったのかもしれないね。ともあれみんな活動してくれてるのは嬉しい。機会があればいつか一緒にセッションやりたいなあ! 6ポイント。

初めて女になった日

昔我が家ではメス犬を飼っていました。小学4年生くらいの頃に友達の家に遊びに行った時、その家のオスの小型犬が私の腕に向かってず~~っと腰を振ってきました。ウチのメス犬の匂いが私のジャンパーについていたのでしょう。
家に帰ったら母が「あんたジャンパー臭いよ?洗濯するよ」と言われ、私は「友達の犬にオシッコつけられたかも」と答えました。オシッコもつけられたでしょうが、まさか精液をかけられたとは知らないどころか、精液自体も交尾も知らないお子ちゃまでありました。
私が初めて男にぶっかけられて、女になった時のお話であります。(ひももん 2023/11/13)

(寸評)これを読んでまず「あれっ、ひももんって男じゃなかったっけ?あ、でも会ったことないからどっちかわからないや」と思って過去の投稿を漁りました。「人妻と...」「AVが...」等の投稿があったのでほぼ男だと思うけれど、女性でもLGBTなら人妻もAVもあるなあとも。男か女かハッキリしないと、コメント出来ないの巻〜。6ポイント。

初めての股擦れクリーム

今年の夏頃から発病した股ずれ
冬になる今でも長時間歩いてるとすぐ股擦れ

仕方なく 薬局で股擦れクリー厶を買いました
いやぁこれがしみるしみる
でも半日で治ります

今後持ち物が増えそうです…(ズミ天 2023/11/13)

(寸評)股を切除してはどうだろう。熊とかサメとかに食べてもらうとか。5ポイント。

初めてのGO

ライブ帰り 大抵12時過ぎにタクシーで帰ります
しかしそこには長蛇の列

そこで使ったのが スマホアプリ GO
タクシー配車アプリです(伊集院光さんも愛用されてますね)
登録も比較的簡単でした(私はd払いで支払い)
しかも初回特典で500円クーポン付き

指定した場所から行きたい住所を入力し 配車ボタンを押せば簡単にタクシーが来ます

目的地と自分の名前を改めて伝える(トラブル防止ですね)のには戸惑いましたが 並ぶ手間を考えれば軽い軽い

結果 20分早く帰宅 

また使おーっと!(ズミ天 2023/11/13)

(寸評)東南アジアでは「グラブ」というアプリ。タイでもベトナムでもみんなこれ。自分もタクシーの運転手さんもお互いの顔写真登録、料金も事前に全部決定済みなのでとても便利。5ポイント。

初めての0.1t

この前健康診断をして 体重を測ったら
104kg そう0.1tになりました
伊集院光さんと肩を並べたぞ!!

でもなぜかな?
食事減らしたり 意図的に歩いたりはしてるのに
なんで増えるのだろう…?(ズミ天 2023/11/13)

(寸評)自分が人間だと思ってない?ズミ天は怪獣だよ。怪獣にしては結構ちっちゃい方だけどね〜。6ポイント。

初めての怒号レジ

いつも行くドラッグストアは駐車場も広くスーパーも兼ねておりとても助かっています。 ある日、いつものように行くと駐車場がえらく混んでいました。わが家は新聞チラシが入らない地域でセール情報がわからないため「お、今日はラッキーだぞ!」とウキウキ入店しました。
入口に貼ってあるチラシを確認したところ、今日明日は半期に1度の大セールであることが判明、どの品も激安です。カートにカゴを2つ乗せお買い物楽しーー!とテンション上げ上げでした。
しかし少し奥の食品のコーナーへ行くとすごい人でごった返していました。ちょっと嫌だなと思いつつ見るとやはり激安。もう買うしかない!気付くとカゴ2つは満タンになっていました。悔いナシ!!とレジへ向かうときに気付きました。「アレ、これは列か?」 食品のコーナーの辺りには列ができており辿ってみるとレジから続いています。このドラッグストアは1列に並び最前列が順に呼ばれるタイプで、店内のおよそ3分の1周並ぶことになりました。この量の商品を返しに行くことも無理だ…素直に最後尾へ並びました。
皆カゴは満タン、なかなか列は捌けません。
しかし15分も並んでたら前後仲良くなってくるもので前のおばあちゃん、後ろのおっさんと世間話でもしながらついに次は私の番になりました。
と、ここで不審な女が現れます。スイカ柄Tシャツ、カゴ2つ満タンにトイレットペーパーを抱えてレジ列を行ったり来たりしている…不審だ…前方の者は皆警戒していました。
アッ!!
一瞬の出来事でした。
前のレジが終わり私が向かうその一瞬に割込まれたのです。レジの人は列に背中を向けてる状態なので気付いておらずサッサとレジを始めてしまいました。
「こっちに並んでます!並んでください!」
と言った私にニヤリと笑みを浮かべる女。
確信犯じゃないかーーーー!!!!!
後ろからも何人もの声で「割り込むなー!」「レジをするなー!」と怒号が聞こえますが無視。レジの人何で気付かないの…な状態。そんな中、私の前にいたおばあちゃん「あなた若いから言えないよね」と、自分のレジを他の列でしているというのにその女の所へ行き

「皆が並んでるとこ見てたでしょう!わざと割込んだのも皆見てる!私等は20分以上並んだんだ!ふざけるな!店員も悪い!皆の大声が聞こえないわけない!」

とこの日1番の怒号を女と店員に浴びせたのでした。
おばあちゃんカッコいい…!
後方からは拍手が起き、レジの人も列に来て謝罪。その女はちょっと居心地悪そうにしてはいたものの最後まで並び直しますとも言わず図々しくレジを終えました。
割込み女は袋詰めをしてる間も後方の人から聞こえるように馬鹿スイカ女!とか言われてて流石にちょっと気の毒だな、と思ってみたりしたのですが、店を出るときニヤリとしたので「見習いたくないがある意味心が強い人がいる」とこの怒号レジから学びました。

ちなみに怒鳴ったおばあちゃんがスイカ女に何かされてはならぬ!と心配でこっそり見ていましたがスイカ女はサッサと帰りました。(ピン 2023/11/13)

(寸評)ほえー。どちらも強い女性。俺は割り込みはもちろん声もかけられないだろうなー。ボクチンヨワイノ。6ポイント。

タイの高速道路でバスのエンジン停止初体験(その2)

2023年10月15日、タイ東部のチョンブリ県からスワンナプーム空港へ向かって乗っていたバスが、突然高速道路上でエンジンストップ。高架橋上にてバスを待ち、30分以上経ちようやく後続車両が来てバスに乗り込んだという初体験の続きです。

再びバスに乗ったは良いが不安は解消しなかった。というのもエンストしたバスは空港行きだったのだが、今乗っているバスは空港行きではなく、エカマイのバスステーション行きだったからだ。エカマイ経由で空港へ行くとかなりの迂回になってしまい、それだけチェックイン時間が遅くなる。搭乗時間に間に合うかはまだ予断を許さないのであった。 するとさっきのバスに乗っていた女性の車掌が「空港へ行く人はおらんかねー」と通路を歩きながら訊いてきた。「はい!空港に行きますー」と私は答えた。このバスには空港へ行く人が4人ほど乗っていた。
私は大体の通り道はわかっていた。この先、高速のインターを下り、ホームプロというホームセンターのバス停のところで空港行きとエカマイ行きの便と順路が別れることを知っていたからだ。
私は「このバスでホームプロで下りるのですか」と車掌の女性に尋ねた。「はい。この先のホームプロの停留所で乗り換えです」と女性は答えた。私は納得したが、新たな不安が頭をもたげた。乗り換えのバスはまた別途来るのだろうか。そのためにまた待たなければならない?時間との闘いはまだ終わらないのか。
ホームプロのバス停に着くと空港へ向かう4名は降車した。すると有難いことに、車掌の女性はすぐにタクシーを拾ってくれた。そしてタクシーのドライバーにお金を渡し、わたしたちを空港まで送ってくれたのであった。そこから10キロほどの道程を経て、スワンナプーム国際空港に到着。なんとか間に合ったのであった。
ところが、このあと搭乗時、新たな初体験トラブルに見舞われることになる。このことはまだネットでも明かしていないのだが、以下、次号につづきます。(波照間エロマンガ島 2023/11/13)

(寸評)これ、旅行で行っていてタイのことほとんど知らなかったら、もっと恐怖だったろねー。6ポイント。

初めてのスパンコール ニップレス殿岡ハツエ

先日ケーブルテレビで「無頼 人斬り五郎」〔1968年日活 渡哲也主演〕を観ていると、1950年代という設定で地方ストリップ劇場でスパンコール ニップレスし乳首を隠した殿岡ハツエが踊っていた。めっちゃ可愛かった。私の殿岡ハツエ体験はというと、1970年代前半に「11PM」でテレビショーでストリップティーズしていたとか、西岡恭蔵作「プカプカ」を歌っていたとか、そんな印象があるが、さらにそこから5年位遡っているのでニンフェット的な可愛さに満ちていた。渡哲也主演の「無頼」シリーズは役者の配置がワンパターン的なプログラムピクチャーだったが、その中で非常に魅力的なキャラクターを与えられ輝きを持ったのだと思う。(波照間エロマンガ島 2023/11/13)

(寸評)ううっ、11PMほとんど観られなかったから殿岡ハツエ顔わからない。イメージもできない。すまん...。4ポイント。

初めての猫島

何年か前ですが、お隣宮城県にある田代島という離島を友人と訪ねたことがあります。ここはいわゆる猫島で、島の方々で猫がたむろしているのです。

港からフェリーに乗り、1時間弱かけて田代島に到着。降り立ってすぐ、黒猫が目の前を横切りました。普通なら縁起が悪いと危惧するところですが、ここは猫島。却って幸先が良かったのかもしれません。 そこから先は、もう次から次へと出るわ出るわ猫の大群。公園のテーブルや散歩道、土産屋の長椅子で堂々と寝っ転がってるのもいました。
僕には普段猫が近寄らず、反対にこちらから近づくと一目散に逃げられるという、悲しいシチュエーションに遭遇しがちなのです。が、この島では一度もそういう目に遭うことなく、こちらから近づこうが写真を撮ろうが撫でようがお構いなしとばかりの、かなり人慣れした猫たちが闊歩していました。何なら、足下に擦り寄ってくるのもちらほら。
半日のみの滞在でしたが、帰りのフェリーに乗るときはすっかり骨抜きにされていたのでした。

島はそこまで大きくなく、日帰りでも十分堪能できる島ですが、宿泊施設もありました。この時は泊まりませんでしたが、そのうち再訪した際には泊まりがけで行ってみたいなあと思っています。(たちつ亭と〜助  2023/10/28)

(寸評)ああ、行ってみたいな〜。確か瀬戸内海とかにも猫の島あるんだよね。そういえば猫でも島でもないけど、タイのロップリーという「猿の町」があって、そこでは道でも公園でもどこでも猿に体中登られて、ホテルの窓の金網から夜中にずっと小猿と指を絡めあって遊んで、こちらも骨抜きにされた〜。猫も猿もかわいいっ! 6ポイント。

初めてのコロナ感染

5類に移行する少し前の今年2月、コロナに感染しました。
最初に感じたのは、倦怠感と微熱、そして喉の違和感でした。と言ってもそこまで強いものではなく、な〜んかおかしいなあという程度。その日から仕事は休みましたが、この時はあまりの症状の軽さに、半分サボりみたいな気持ちもありました。

サボりどころじゃなくなったのが翌日以降。症状は全く改善せず、むしろ悪化していました。怠さが一層酷くなり、喉の痛みも増長。加えて、咳や鼻水といった症状まで出現したので、こりゃ明らかに体調が悪いと判断し、かかりつけ医に連絡し検査を受けることとなりました。
それでも、この時もまだコロナに感染したとは思っていませんでした。症状的に、インフルエンザじゃなかろうか。匂いも味も感じるし。職場以外で誰とも会ってないし。そう考えていたのです。
が、抗原検査にて敢えなく陽性が判明し、敢えなく感染者の1人としてカウントされることとなりました。当時流通し始めたコロナ専用の治療薬ではなく、解熱剤と咳止めが処方され、そのまま帰宅。

それからしばらくの間は、ウンウン唸り続けベッドから起き上がるのもままならず……ってほどではありませんでした。それなりの症状はあるものの、ずっと寝てるのも暇なので、時々起き上がってゲームをしたり本を読んだりする程度には元気でした。
食欲もあり、いつもと同じくらい食べることはできましたが、その頃には喉の痛みが最高潮だったので、嚥下するのには一苦労でした。
そして、この喉の痛みこそが、今回の感染で一番しんどいことだったかもしれません。食事もさることながら、一番大変なのは寝る時です。ウトウトしかけても、唾を飲み込むたびにフォークでザクザクと刺されるような痛みを発し一気に眠気が吹っ飛ぶ。こんなことを延々と繰り返したため、感染した数日は昼も夜も安眠できた覚えがありません。
先ほど「ずっと寝てるのも暇」と書きましたが、「寝てても痛いだけなので起きてた方がマシ」とするのが正しいかもしれません。

そんな調子を1週間ほど続け、どうにかこうにか快癒した時には、ゆっくりぐっすり眠れることがどれほど素晴らしいか。改めて実感した次第です。
自分も外出制限に嫌気がさしていた口なので、5類に移行してからはあちこちに出かけていますが、コロナ感染には引き続き気をつけていきたいと思います。じゃないと、再び喉をフォークで刺されるような痛みで寝られなくなるかもしれないので。(たちつ亭と~助 2023/10/28)

(寸評)コロナは本当に人によって出る症状が千差万別。後遺症の種類も強さや長さも全部違うから難しいよねー。「あんなのただの風邪だよ」という人もいれば「後遺症が酷すぎて会社も辞めざるを得なかった」まで。
でも5類に移行したのは個人的にはありがたかった。先日二週間入院したが、もし5類移行前だったら、家族も一切面会できなかったからね。パンツも取り替えられないところだった〜。6ポイント。

初めての激辛カップ麺リバース

今から数年前。某カップ焼きそばブランドから、獄激辛シリーズなるものが激推しされていた時期がありました。
その辛さと言ったら尋常ではなく、一部のネットユーザーからは「これは食べ物ではない。兵器だ」と評される始末。
そこまでの評判となれば、敢えて購入せず、食べている誰かの反応を見て済ませる選択肢もあったでしょう。
しかし。あろうことか、僕はそれを買ってしまったのです。時はコロナ真っ只中。実際に集まって飲み会をすることもできず、オンライン飲み会なるものが推奨されていた時期でした。
僕ら友人グループもその例に漏れず、一緒に集まってどんちゃん騒ぎする代わりに、各々の場所で飲み食いしながら、モニター越しに日々バカ話をしていました。
そんな中で目をつけたのが、くだんの極激辛焼きそば。間違いなく話のネタになるだろうと、購入したのが全ての始まりでした。

その日用意したのは、極激辛シリーズのレギュラーサイズ……ならばまだマシだったのかもしれません。あろうことか、超大盛サイズなるものを購入しちゃったのでした。レギュラーサイズ2個分の大きさです。 仰々しく開封し、ご丁寧にも湯入れ湯切り仕上げまでを実況。そして出来上がったものを1口食べてみたところ……。
「ぶはっ!」
口内から喉にかけて、激しい激痛。たまらずむせ込み、悶絶しました。味なんてものはどこにもなく、痛みを伴う麺やキャベツがあるのみ。味覚ではなく、痛覚が圧倒的に刺激された食べ物は、これが初めてです。どこかのネットユーザーが言っていた兵器という評価は、嘘ではないことが証明されました。
七転八倒した後、あらかじめ用意していた牛乳や生卵も早速投入しましたが、あまり辛さ、というか痛さへのフォローにはならず、ほんの一瞬だけ刺激が和らぐ程度で、あっという間に1リットルの牛乳はすっからかんになりました。
カップ焼きそばが通常の倍量なら、辛さを和らげる物ものも倍量用意しておくべきだった、と後悔しても後の祭り。ちびちびと食べ、ちびちびと悶絶することを繰り返すしかありませんでした。
モニター越しに挑戦を見ていた友人たちも、最初のうちこそ盛り上がってくれましたが、そんなちびちび喰いに辟易し、いつの間にか別の話題を繰り広げていました。孤立無援とはこんな状態を指すのかもしれません。
どうにかこうにか完食したのは、食べ始めてから30分経過したあたりだったと思います。すっかり疲労困憊し、口内はヒリヒリを通り越しガタガタでベコベコでジンジンとやられまくっていました。なんなら胃の辺りも、激辛ソースにやられてシクシク痛み始めていました。
どうにか最後の麺一本を飲み込んだ時には、友人たちに「食い終わったぞ〜!」と報告し、わざわざ空になった容器をモニター越しに見せつけたものです。
やってやった。成し遂げた。その時は、確かに達成感がありました。

しかし、悲劇はここから始まるのです。
完食し、僕も雑談の輪に加わったのですが、しばらくすると何やら腹部がモヤモヤと痛み始めました。喫食していたときとはまた異なる痛みです。
とはいえ、これまでも辛い料理を食べた時にはこうなりがちだったので、それほど気にしないでいました。
看過できなくなったのは、その痛みに気持ち悪さがプラスされたあたりから。何かがおかしい。こんなことは今までなかったぞ。体全体が、先ほどの焼きそばを拒んでいる感じがする。この焼きそばを、どうにか即急に体外に排出したがっている。そう、たとえ今通ってきた道を「逆流」してでも……。
この辺りで僕は危機を察知しました。気がつくと、額には脂汗が。
「ゴメン、チョトトイレ」と短く言い残し、部屋を出たのでした。
その頃には、ちょっと下手な動きをするだけでも、腹部に刺激が加わって大惨事を招きかねない状態となっていました。そのため、歩き方にも気を遣わねばならず、結果急ぎたいのにチョコチョコとしか歩みを進められないもどかしい状態とも言えました。しかも、緊急任務を遂行するためのトイレは、これまでいた部屋からは少し距離があります。
そこで、目的地をトイレと部屋のちょうど中間点にある洗面所に切り替え、改めてそこまでチョコチョコと移動しました。目的地が近くなったとは言え、限界点はもう間近。いつぶっ放されてもおかしくない状態です。
どうにか洗面所に到着し、放出の構えを整え、リミッターを解除。そして……。

「ぐはあああああああああああぁぁぁぁ!!」
胃の中のものを、綺麗さっぱり逆流させたのでした。

任務とその片付けを終え、改めて雑談の場に戻った時も、体の調子は万全とは言えませんでした。何しろ、つい今し方リバースしたばかりの身。体はすっかり病人モードとも言える状態になっていました。
そこで、傍らのベッドに横たわりながら、どうにか雑談に加わったのでした。もっとも、リバース後の嫌な余韻と奴らが往復したことで悪化した喉の痛みに苛まれ、その声は自分でも分かるくらい覇気がなくなっていましたが。

なお、このあとしばらくの期間、甘党に寝返ったのは言うまでもありません。(たちつ亭と〜助 2023/10/28)

(寸評)わあ、最近の激辛は本当に激辛だからねー。わしゃ、よう食わん〜。アメリカでは激辛で死んじゃった人もいるらしいし、とりあえずお互い生きてて良かった! お見舞いポイント10ポイント!

はじめての意味不明弁当〜日向国シリーズ4

さて夏休み宮崎旅行の2日目。この日の17時半には宮崎港でフェリーの乗船手続きをしないといけません、逃すとどえらい事態に相成りますから旅程は余裕を持たさねば。
宿のお布団は心地良く前日海上でさっぱり眠れなかった私も無事に快眠できました。さわやかな朝を迎え7時、食堂へ降りると早速てげてげ炸裂か、宿のご主人が上半身裸に短パン1枚のセミ全裸でくつろいで居ました。ワォ。
ご主人は慌てて奥へすっ込み、シャツだけ羽織って給仕のお手伝い。下は短パンのままでした。いいですね。朝からてげってますね。なお先程から当然のように使用しておる「てげてげ」の意味については前回の投稿『はじめての「てげてげ」宮崎縦断ドライヴ初日〜日向国シリーズ3』をご参照くださいませ。いやべつに大したこと書いてないのでいいです〈はよ続きを書け〉。

女将さんお手製の朝ごはんはどれも美味しく、目玉焼きの焼き加減の絶妙さに嫁はんは舌を巻いていました。それにしても旅館のお米はどうして到底3人で食べ切ることが不可能な量を出して来るのでしょうか、我々はレスラーでも相撲取りでもない子連れの40代後半夫婦です。久々の味付け海苔が嬉しくて2杯おかわりしたものの最終的にお櫃の中にはまだ3分の2ほどの白塊が鎮座していました。これも宮崎てげてげの一貫と数えても良いでしょう。どんだけよ。

支度を整え8時半、色々親切にしてくださった女将さんにお礼を述べてチェックアウト。Go Toなんちゃらの恩恵にあずかって頂戴した道の駅のクーポン3人分で6,000円、宿代が3人で10,200円でしたから実質我々は朝食付きで計4,200円、つまり1人当たりたったの1,400円で宿泊したことになります。今令和よ? これほんとに大丈夫? 私、化かされてる? 実は女将さん、狸?
まぁもし仮にそうでもこのまま化かされたまんまで行きましょうGoGo、近くの友人宅へ向かう前にもはや大阪ではほとんど見られなくなった給油機がひとつだけの小さなガソリンスタンドへ。料金表示もセルフの機械もありません、まごついていたらランニングのおっちゃんがふらっと現れて給油してくれました。満タンにした割に随分キリの良い値段、おっちゃんの言い値だから高いのか安いのかも分かりませんが常識的な範囲だったので素直に現金払い。やぁ…てげてげだ。この全体的にざっくりとした空気感、これです、これこそが私の感じた宮崎の醍醐味なのですよ。誠にいいですね。

そして9時ちょうど、今旅の有能プランナー兼ナヴィゲイターたる友人をピックアップして助手席にお迎えし2日目の旅程も本格スタート。まずは美々津の集落を目指します。
この美々津の町はこれまたいにしえの伝説として初代天皇とされる神武天皇が東国へ遠征に出港した場所、と言われており、その時急な出発のためありあわせの材料でやっつけでこさえた「お船出団子」という紫色のお菓子が今に伝えられています。いままでに食べたことのないシンプルながらも不思議な味わいがありました。江戸時代末期からの町並みが保存されている、風情あふれる場所でした。

次に向かったのは日向岬の展望台。「馬ヶ背」と呼ばれる岬の美しい光景、ここには金玉の縮み上がりそうなスケルトン床が設置されており、その名も「スケルッチャ」。まんまやないかい。てげってますね。
さてこの後楽しみにしていたお昼ごはん。道の駅ほそしまでなんともレアな食材のマグロの胃袋「ごんぐり」を使ったごんぐりかき揚げ丼、を堪能するはずが… どういうわけか道の駅は地元のお祭り民の皆様に占拠されており入ることが能わず、なんと道の駅たるものが地域のお祭り日に被ってまさかの休業。そんな事前情報は何処にも載っていませんでした。これが… そう、これがてげてげの国・宮崎なのだ…。
2日連続のお昼チェンジ、そこでも友人は慌てず騒がず代替案の宮崎名物の釜揚げうどん「天領うどん」へ我々をナヴィゲイトしてくれました。対てげてげ能力どれだけ高いねん。私はもはや感心を通り越して感動すらしていました。

うどんとおでんで腹満った心経、この先は県の南端までのロングドライヴになります。美々津〜都農のリアス式海岸沿いにはかつてのリニアモーターカーの実験線が。山梨にその場所をバトンタッチするまではここでリニアが走っていたのですね。役目を終えた高架の上には大量のソーラーパネルが置かれており壮観と言おうか異様と言おうか、作っちゃった高架を無駄にせず利用しちゃうのが素敵です。このミスマッチ感にも感じてしまうてげてげ感、勝手に私が結び付けているのでしょうか? 否々! 是非皆様も日向国を訪ねてみてこの空気感を肌でお感じ下さいませ。
途中道の駅つのにて、朝に宿でもらったクーポンを使用し1人2,000円の豪遊ウヒョヒョ、チキン南蛮やら地鶏焼きやらまんまとお土産代を浮かせて南へ大爆走。友人が隣町へバイクで行く際に大声でたまの曲を歌いながら疾走するというひと気のない海沿いの裏道を走り高速道路へ、航空自衛隊が近くにあるらしく「戦闘機注意」の看板には度肝を抜かれました。

この先しばらくは長い移動、助手席の友人のおもしろトークにツッ込んだり遺品整理ではエロいのんはしっかり始末しとけとか猟友会が家族に居たら銃弾の始末が大変とか狭いトンネルで突如オポム劇場が始まり「『ガシャンバリーン』ワ、ワイのミラーがあぁ!?(註:実際には事故ってません)」と謎のおっさんキャラが爆誕したりと賑やかな道中、すれ違い不可のおっそろしい細道を抜ければそこは名勝・鵜戸神宮。友人曰くこの日向国いちばんの観光スポットとのことで、前出の神武天皇の父であるなんか長い名前のひとが生まれた地とされている日向灘海岸の裂け目の中に本殿がある珍しい神社です。
この洞穴の中にはお乳岩というさながらオパーイの如き形状の岩が天井にあり、神武天皇の父が生まれた際に泣く泣く海に帰ることになった母親が我が子の健やかな成長を願って己が乳をこの洞穴の天井に貼っ付けて帰った、という伝承がこの神宮に伝わっているそうです〈古事記に当該の記述はない〉。いやいや、なんぼ赤ちゃん残して帰るからってオパーイ捥ぎ取ってペッターン貼り付けて行く、て。神話までてげてげではないか。そう、神代の出来事は往々にしておおらかなのです。古くから天孫降臨の地とされてきたこの日向国の空気感も、ひょっとするとその名残りなのかもしれませんね。

ひょんなところで壮大な宮崎てげてげの由縁が見つかってしまい妙に納得したような出鱈目なような面白おかしな気分で帰路、フェリーの時間に間に合うように鬼の洗濯板で有名な青島をちょっとだけ冷やかして宮崎市内へ。友人と別れる前にこの旅最後の見どころとして案内してくれたのが、地元スーパー・ナガノヤでした。

衝撃でした。

まったく、お惣菜コーナーに置いてある弁当のネーミングの意味がわからないのです。
あまりの衝撃に我々は食した後にこの弁当たちの名前を遺しておこうと思い、裏側に貼られていた成分表示ラベルを保管していました。石川さんにはまたお手間をお掛けして恐縮の極みですが、以下に画像を添付いたします。


……ね。
もう何が何だかですよね。意味不明を通り越してシュールですらありますよね。羽交い締め唐揚げ。しかも3。が、4個。なんですかそれは。この不可解な現象の理由を求めて辺りをキョロキョロ見廻すものの売り場にこの名付けの説明なんてなものは一切無く、お客達も淡々とこれらのお弁当を手に取り、ニコリともせずにレジへと赴くのです。で、民放2局のり弁? 宮崎におけるテレビの選択肢が少ないのは旅館で思い知りましたが弁当とどう結び付くのかいくら考えても解らない。メインの具が2つだから?? いやいやシャケに白身フライに手作り焼肉山賊さんの3つやがな……と危うくスルーするところでしたが、原材料名までふざけているではないかいさ。これ大丈夫なの? 右上のビリー南蛮ショーはまぁギリで元ネタのフォークデュオが浮かびますが、これまた生酢てやら手作りナポリタン5やらこちらを混乱させること甚だしく、このスーパーの責任者は相当な強者である事だけは間違いなさそうです。

息子は呟きました。
「敗けた… 大阪は宮崎に… 敗けた……」

あまりのわけのわからなさに呆然としている我々を尻目に、それら謎商品名をなんらの疑いも無く受け入れて日々生活している宮崎の皆様よ。もう一度言います。これが、これこそが「てげてげ」の国・宮崎なのです…!! あっぱれ。ちなみに他のスーパーはまともです。

日向国の長い旅路もこれにて終了、プランニングから道案内まで完璧にこなしてくれた友人に別れを告げ宮崎港に向かいます。この2日間、頼りない私をナヴィゲイトし続けてくれた彼女が助手席にいないことに寂寥感を覚えつつ港に着くと大阪行きはこっち、と書いてあります。表示に従って進もうとすると港のお兄さんがストップをかけてこられ、「乗船手続きは済みました?」と。
はゃ? 神戸では先に船の側の車列に停めてから乗船手続きだったのに、こっちでは乗船手続きをする建物の側の駐車場に停めたうえ乗船手続きをして待機、みたいです。そんな説明どこにも書いてなかった…って、もはやここまで来ると説明も不要でしょう。私達大阪の民が、あまりにすべてのことに説明を求め過ぎなのでしょう。

帰りのフェリーは慣れたもの、早々に外海に出るので早くから揺れが出ましたが疲れもあり電話機の電波も即死したのでバタンキュー、ちゃんと冷房をつけたので快適に眠れました。
そして翌朝、神戸港着。帰りは阪神高速を使わずに下道で帰ろう、とカーナヴィゲィションスィステムで自宅を選択したところ。

901.1km 11時間5分

と表示されました。

待たんかい待たんかい待たんかい。
神戸から大阪北部の豊中市まで、車で11時間て、なにをこのナヴィ子の奴は気を違えとるねん。案内を開始すな開始すなそんなわけのわからんルートを冷静なトーンで、ってよくよく見ればナヴィ子の奴は寝呆けておるのか未だ宮崎気分が抜けておらず、神戸港洋上のフェリー内車庫においても現在地表示は宮崎港のまんまでした。そして港に降りた瞬間に突如正気を取り戻し、何食わぬ顔でいま神戸やんね? ほな行くで、って風情で案内を始めました。
恐るべき、いや愛すべき宮崎のてげてげは車にも伝染していたようで、我々はひとしきり爆笑したのち我が家へ向かってお土産いっぱいの車を疾走させたのでした。とさ。最後まで楽しませてくれた日向国よ友人よ、ありがとう。(オポムチャン 2023/10/28)

(寸評)宮崎で「宮崎の名所を石川浩司が叩く!」という仕事があった。鬼の洗濯岩とか椰子の木とかをスティックで叩いて、それを映像にして流すというもので、一日かけて宮崎の名所を叩きまくった。
・・・「天然記念物を叩くとはけしからん」とお蔵入りになった。俺がやりたくてやった仕事ではなく、頼まれた仕事。てげてげなんだろーけど、仕事は事前にちゃんと許可を取ってやって欲しかった〜。6ポイント。

初めてオリジナル曲

ギターを手にして歌い始めて13年。去年初めてオリジナル曲ができた。誰にも触れられないように自分の中に閉じ込めていた気持ちを表に出すようで怖くて泣きながら作り、曲の仕上げを親愛なるギターとうたの先生に手助けしてもらいながら、やっとのことでできたオリジナルソング。

先生から「もう歌は生まれているのに、峰子ちゃんが認めてないだけなんだよ。認めたら歌になる。出会ってしまったこと、生まれてきたものは変えられないんだよ」と励まされ、恥ずかしかったり怖かったりしながら、やっと人前で声に出して歌えた。そんな初めてのオリジナルソング

去年の秋、よしこストンペアと石川さんのライブを観て、あんな風に真っ正直にスッポンポンに自分の歌が歌えたら…と思った。なかなかオリジナル曲が生まれて来なかったのに、今年の9月から突然何曲も歌が生まれ始め、それを人前で歌ってみたくなって、11月2日に地元の小さなライブバーでオリジナル曲全出し自主企画ライブイベントを行います!


どの曲も短く、子どもじみたような歌ばかり。だけど、そんな自分を恥ずかしがらずに全出しで人前で歌う初体験に挑みます。

そして、いつか石川さんとも歌ってみたい!(吉田峰子 2023/10/28)

(寸評)おお、歌手デビュー、おめでとう! 俺が元気なうちに一緒に何かできればいいね。待ってる! 期待ポイント、8ポイント。

初めて小学校の集会で褒められた

田んぼの用水路でカエルを捕まえて遊んでいたとき、ゴミが邪魔でしょうがなかったので拾っては全部ゴミ袋に入れました。ゴミ袋はその辺に捨てるわけにもいかず家に持って帰りました。 その様子を見ていた人が学校に連絡したようで、翌日の集会で生徒の前で褒められました。まるでヒーローの凱旋かのような拍手が気恥ずかしかったです。
「そんな高尚な気概はなかった」とはついぞ言い出せませんでした笑(とると 2023/10/28)

(寸評)高尚な気概が無くてもしちゃうところが本当のヒーローかも! 5ポイント。

初めての「写真撮って下さい」と、仕込み疑惑

ボウリング場にいた頃は団体客などからカメラを渡され、〔自分たちの〕写真を撮ってくれとお願いされる事がよくありました。ボウリング場は騒がしいので「撮りますよ~!!」「ハイ、チーズ!!」とか必死に叫んで写真を撮ってました。
そんなある日、また客から写真撮影をお願いされたのですが、その時は女性のお客さんが私と一緒に写真を撮りたいという事で、ビックリしましたが二人で並んで写真を撮りました。その女性は私の肩に顔を寄り掛からせて積極的なテンションでした。それを見ていた同僚の女の子はニヤケが止まらない私に向かって「何よあの人オバサンやん」と言いましたが、私は上機嫌でありました。
しかしその後、以前メル友だった沖縄の人妻さんのことを思い出しました。私より少し年上のその人はユーモアがあってざっくばらんな人で、くだらない下ネタとか私が当時好きだった女の子の話とか将来に関する事なども話し、人妻とか関係のない良い話し相手で、頻繁にメールのやり取りをしていました。
そして相手の事を信用した私は、福岡に来たらぜひ寄ってくださいと私の働くボウリング場の場所と私の名前も教えていたのです。...まさか一緒に写真撮影したのはこの人だったのか!?この人は旦那さんらしき人たちと来店されていたのですが、年齢も私より少し上に見えたし、明るくて積極的な感じもメールで話した印象と同じで、従業員は名札を付けているのでメールの話はせずに私に写真撮影だけお願いしてきた?そして何よりも、普通なら私と写真を撮りたいなんて思う女性がいるはずがない...という事はつまり、今回の件は私が無意識に仕込んだ出来事だったんだな、と思うようになりました。
スターであらせられる石川さんはファンとの写真撮影は日常茶飯事だと思いますが、私のような小市民は一生の中でもそうある話ではないので、今でも周りの人間に「ぼく昔見知らぬ女性から一緒に写真撮って下さいって言われたんだよ~」と自慢げに話していますが、もちろん仕込み疑惑の件は内緒であります。ワハハ。(ひももん 2023/10/28)

(寸評)デビュー直後、確かに「写真撮ってください」が日常茶飯事のことはあった。でもどこかで「写真撮ってください」と言われて横に並んだら「はぁ?このカメラでお願いします」と言われて顔トマトになったことあったな。あー恥ずかしい。6ポイント。

はじめての恐怖の歌舞伎町

8月の末に、10月からの復職に向けて気が済むまで東京に滞在してやろうと(かつて17年間都民だった)、1週間歌舞伎町と大久保の境にあるホテルに滞在していました。
帰郷後2日目に咽頭痛と発熱に見舞われ、医療用キット自己検査で見事コロナ陽性…
発熱は最高39.0℃、とにかく喉が痛かったのと、喉が常に痰に薄く覆われている感じで、咳払いばかりしていました。
当時東京で感染推計15,000人以上出ていました(9/28現在6,000人台です)。
心当たりがあり過ぎて原因が分かりません。
6回ワクチン接種しているし、医療機関で働いていても無傷で過ごしていたのに…
当時地元でもそこそこコロナは流行っていましたが、やっぱり人口密度が違いすぎますね。
1週間寝込んで、同居の両親には移さず、個人的コロナ騒動は収束しました。
ありがたいことに目立った後遺症はありませんでした。
東京恐るべし。
でも久しぶりの東京は楽しかったです!(キット 2023/10/28)

(寸評)今、東京に住んでいて都内の病院に入院中にこれを書いているけど、ワクチン2回のみで、未だコロナに罹ったこと無し。元々虚弱体質なのに。こういうケースもあるから、どんな場合に罹るか読めないよねー。6ポイント。

初めてのガラム

大谷氏のライブに行く道すがら タバコ屋さんがあったのでよってみました

そしておもむろに「ガラムのメンソールください」と告げて 購入 店の前でプカリとふかしてみました

んー …すげぇ甘い
でもニコチン摂取量は高いので 一本で満足
さらには葉が詰まってるからか 長く吸える
みなさんが仰ってる通り パチパチと火花も散る
ハイライトより吸いやすい(ガラムメンソールは普通のガラムよりタールが少ない)

でもリピートはないかなぁ… (ズミ天 2023/10/28)

(寸評)ガラムのメンソールは吸ったこと無いなあ。いろいろ混ざり過ぎて味がわからなそう。5ポイント。

初めての「着いたー!」

9/27 国分寺クラスタで行われた円 知羽(えんちう)さんのライブ 彼女はアコースティックベースでたまの曲をカバーしてました。 ド頭からカニバル(これはビックリした)
パルテノン銀座通りなどを歌い もちろんさよなら人類も

私はいてもたってもいられなくなって「サルー」や「ア”ーーー」や「着いたー!!」やらを叫んでいました。

気持ちよかったです。
終演後「邪魔してごめんねー」というと「いえいえ、うれしかったですよー」とのこと。

このアーティスト ちょっと目が離せません!!(ズミ天 2023/10/28)

(寸評)ほお、さよなら人類だけならときどきいるけど、カニバルを。むむっ、出来そう! 5ポイント。

初めてのウクレレ

大学時代 知久さんに影響されてウクレレを買いました
ギターに似た構造で Fも二本指で行けると聞いて 楽器屋で1万円くらいで購入

たまなどの音楽を片っ端からカバーしてました

しかし そのままほっぽってたら ある日プチンと留具が壊れ インテリアに

でもいい経験でした(ズミ天 2023/10/28)

(寸評)そーか、Fが2本か。俺もまた試してみるかな...。5ポイント。

初めての熱中症

一人暮らし時代 あまりの暑さの日

扇風機だけで暮らしてた私はある日異変に
目元ふらふら 頭ガンガン
でも会社が…と思いバイクで会社へ

しかし頭痛は増すばかり どうしたもんかと思い 裏で休んでいると徐々に回復

結局 熱中症でした

その日から エアコンを解禁したのはいうまでもありません(ズミ天 2023/10/28)

(寸評)エアコンは確かに電気代かかるけど、医療費の方がもっと高いからねー。ここは電気代使おう。5ポイント。

初めての民宿

ホルモン鉄道 一泊ライブで思い出したのは 民宿に初めて泊まったときのこと

小学生の頃 ボーイスカウト的な団体に所属し 夏の旅行と称し 隊長の実家が経営してる民宿に泊まることになりました

そこは千葉の海岸が近くの民宿
伊勢海老などをBBQで食べたりしました

花火大会もしたり ボードゲーム大会もしたりと楽しかったです

大人になってから また民宿に泊まる機会があるとは思わなかったのですわ(ズミ天 2023/10/28)

(寸評)俺の子供の頃の民宿は本当に「民宿」で、泊まる部屋にそこの家の箪笥とか普通に置いてあって中に下着とかそのまま入ってたなあ。最近は「安旅館」という感じだよね。5ポイント。

タイの高速道路でバスのエンジン停止初体験(その1)

どうも、波照間エロマンガ島です。
これを書いている1週間前、2023年10月15日の出来事です。
私はバンコク東部のチョンブリ県で仕事を終え、高速バスに乗りスワンナプーム国際空港へ向かっていました。夜行便で上海経由成田行きの飛行機に乗るためです。所用があって4年ぶりの帰国になります。
ハイウェイを快調に飛ばしていたのですが、バスに乗って1時間ほど経った頃でしょうか。突然バスが減速し、停止してしまいました。高速道路の上で、です。2〜3分間は何のアナウンスもなかったのですが、車掌の女性が車内を歩きながら大声で「バスがエンジントラブルで停止してしまいました。後続のバスがピックアップしますので、少々お待ちください」と説明してまわりました。私は内心ドキドキドキリコになりました。
「おいおい、まじかよ」「間に合わなかったらどうすんだよ」「これはドキドキドキリコ初体験のネタになるな」うんぬん・・・、さまざまな気持ちがいっぺんに脳裏を去来しました。なぜなら以前、国内線のスワンナプーム=チェンマイ行きの飛行機に乗り遅れたのもこのルートの高速バスだったからです。その時は単に到着時間ギリギリのバスに乗ったという当方のお間抜けミスだったのですが、今回は時間に余裕をもってバスに乗ったんがな。不吉な予感がするぞ・・・。
そんなことを思っていると、車掌が「もうすぐバスが来ますよ」というので、乗客たちは我先にと出入り口から表へ出ました。しかし、当然のことながらそこは高速道路の上なのです。自分の腰ほどの高さにガードレールの壁があるだけで、その下は6階建てのビルの高さくらいの橋桁空間になっている状態。つまり高所恐怖症の自分にとっては気が遠くなるような悲惨な光景なのでした。しかも表に出ても30分近くバスは来ませんでした。時間を持て余した私は、現在の状況をリアルタイムでSNSで伝えることにしました。突然のエントリーに私をフォローしてくださっている方はさぞかしびっくりしたでしょうね。青ざめた私のアップの写真から始まり、バスとフェンスぎりぎりの間に立つ乗客たちの夜景のショットなどアップ。すると何人か奇特なフォロワーが「いいね!」を押してくれました。
やがてバスが来ました。LINEで会話していた人に「Bus is coming!」とつぶやいた言葉が今も記憶に残っています。つづく。(波照間エロマンガ島 2023/10/28)



(寸評)本当は「いいね!」じゃないけど「いいね!」しか無いのがSNS。でも他人の悲劇は喜・・・。いや、リアルタイムだとスリルあったよねー。その後どーなったのか!?まぁ俺は知ってるけどお口にチャック。6ポイント。

バンコクで初めての跨座式モノレール、イエローライン



  2023年10月11日、バンコクで初めての跨座式モノレールのイエローラインに乗ってみました。
このモノレールはバンコク都西北部のラートプラーオ駅から東部のサムローンまで全線約30キロの距離を持つ路線で、同年7月に営業を開始しました。駅の数23。
バンコク都の郊外を環状(半円状)に結ぶ路線で、以前このエリアは鉄道・モノレールが通ってないため交通渋滞が激しかったので、新交通機関の開通が待望されていました。日本の首都圏で言うと、府中本町から西船橋まで通っているJR武蔵野線のイメージが近いでしょうか。
モノレールは跨座式となっていて軌道桁に走行輪、安定輪、案内輪が接して車両全体が軌道桁を跨いで支え走行させるシステムをとっています。乗り心地は想像した以上に揺れがあるな、と言うのが第一印象でした。
しかし、車内は鉄道よりも空間が広く取られているので、大人数の乗客が乗車しても電車に比べるとゆったり感はあります。
車窓からは遥か10キロ〜20キロほどの距離に高層のビルが林立するのが見え、バンコクという都市の大きさを感得することができます。東京の首都圏よりは小さいですが、それに比肩しうるスケールを感じました。
そんなバンコクで初めての跨座式モノレールのイエローラインに乗ったという話でした。(波照間エロマンガ島 2023/10/28)

(寸評)バンコクは巨大都市だからどんどん便利になるねー。最初に行った30年前とは隔世の感があるんだろーね。5ポイント。

初めてのフジテレビジョン

私が初めてフジテレビに行ったのは1968年、幼稚園生の頃でした。と言ってもフジテレビはお台場にあるフジテレビではなく、まだ移転前の新宿区市谷河田町にあった頃のフジテレビです。しかしフジテレビの敷地内に入ったわけではなく、入り口から建物を見て「これがフジテレビよ」と母親に言われて認識したしだい。
また、なぜフジテレビに行ったか覚えているかというと、フジテレビの隣に建っていた東京女子医大病院に入院していた祖母のお見舞いに行ったことを記憶しているからです。当時60歳くらいだった祖母はこの病院で10何時間にも及ぶ大手術を受け、それを機に健康になり、100歳近くまで長生きしました。
あと母から聞いて覚えているのは、フジテレビが1959年に開局した時に、同じ町内のご近所さんを局に招待して記念番組を製作したこと。その番組観覧に母も行ったらしいのです。内容は局のお偉いさんが「この度フジテレビは開局しました。この局はこんな趣旨うんぬんかんぬん・・・で放送事業を進めていきます」という内容だったとの由。随分のんびりした時代なんだな、ということがうかがいしれますね。なお、フジテレビは通称であり、正式にはフジテレビジョンと言うそうです。(波照間エロマンガ島 2023/10/28)

(寸評)東京12チャンネルを覚えてる人も少なくなったなあ。5ポイント。

石川さんのいないWEB生活初体験(2008年以来)

投稿王の波照間エロマンガ島です。2008年、タイ移住と同時にこちらに投稿を始めました。以来15年ほどお世話になっています。
さて、皆様もご存じの通り、2023年9月末に大事件が起こりました。
1999年からネット環境の原因以外ではほぼ毎日更新を続けてきた「石川浩司のひとりでアッハッハー」が何の予告も無く、更新されなくなってしまったのです!しばらくすると、奥様の石川あるさんのSNS投稿があり、体調を崩された石川さんは救急搬送され入院したのこと!
Yahooニュースにも大きく取り上げられ、ファンの皆様同様に私も衝撃を受けました。
この投稿がアップロードされている頃には石川さんは病から快復していると信じていますが、これを書いている10月3日いま現在はまだ入院中で、集中治療室から一般病棟に移られたという情報が石川さん本人やあるさんからポツポツ聞こえてくる程度。まだ容態など一切わからないままなのです。ちょっとずつギャグを交えた発信をされ始めたのでホッと安堵しましたが、それでもまだまだ心配であります。
まずはお見舞い申し上げます。ご無理なさらずゆっくり静養して、心身ともによくなること祈念しています。

そして、「俺の日常クイズ」ともうひとつの読者参加型コンテンツが今まで当たり前のように更新されていた私の日常に、ぽっかり穴が空いたような喪失感が去来しました。深夜0時を過ぎれば時計代わりに石川さんのHPを見る日常生活が10年以上続いていたわけですから、そんな感傷も抱くでしょうて。同時に石川さんも健康を崩し、ホームページお休みすることもあるんだなー、という一人の人間として当たり前なことにも思い当たりました。今までの更新ペースは確かに超人すぎましたよ。
ライフワークと仰っている「ひとりでアッハッハー」ですが、これからは自分のペースで無理なさらず更新なさってください。時に何日間、何週間インターバルがあっても、私は待ち続けます。そんな心持ちであります。(波照間エロマンガ島 2023/10/28)

(寸評)次に更新がストップした時は・・・それ以上は言わないでおこう。6ポイント。

初めての午前5時の読経タイム

こんにちは。私は平日はタイ東北部某県にあるビジネスホテルにて起居しており、そこから出勤しています。普段は静かなホテルですが、たまに団体客が大挙してやってきて賑やかというか、時に騒がしいことがあります。
先日も中華系の団体客が来て、夕方ロビーは大賑わいでした。私は時に気にも留めず部屋に戻ったのですが、明け方とんでもないノイズで目が覚めました。
朝5時過ぎ、地響きするような読経の音が聞こえてきたのです!
ははぁ、これはくだんの団体は宗教団体で、聖地巡礼にタイを巡っているのだな、と直観しました。そして宗教は禁止されている中華人民共和国ではなく、近隣のどこかの国から来たのではないか、とそこまで推理を進めました。
それにしても、私はタイ仏教寺院の読経のCDも持っていますが、お祈りの音響って音楽のように聴こえますねー。一瞬の大音響にギョッとした私ですが、すぐに寝直すことができました。
そんな初めての午前5時の読経タイム、でした。(波照間エロマンガ島 2023/10/28)

(寸評)イスラム国に行った時も(どこだったっけかな?)凄い音量で何やら叩き起こされたことがある。宗教が力にもなるとは思うが、洗脳だから俺は一番怖い。6ポイント。

初めて見た他人のゲロ

私が他人のゲロを初めて見たのは小学校低学年のとき。社会科見学で明治か森永かの牛乳工場に行き、出来立ての牛乳を試飲することになったのですが、そこで隣の女子が牛乳を飲んだ直後、盛大に吐きました。私はもらいゲロしそうになり気持ち悪くなりました。そんなことを他の投稿者の投稿を読み思い出しました。(波照間エロマンガ島 2023/10/28)

(寸評)牛乳は独特のニオイがある。あれは引き起こすことがあるね。5ポイント。

初めての極私的「J」小論

日本人の無意識の領域に「忠臣蔵」と並んで確固として刷り込まれているのが「平家物語」であることが、今回の騒動で明らかになったと個人的に思う。日本人は「盛者必衰の理〔ことはり〕」に対する愛着を遺伝子レベルで持っているんだな。奢れるジャニーズ久しからず。ジャニーズは壇ノ浦で沈んで滅んでくれと、私は実は心の中で願っている。暴論すみません。しかし日本にジャニーズに代わる芸能の新時代の到来を望む空気があるんじゃないか、と思うのだ。・・・今この騒動に意見している連中は、突き詰めるところそんな了見で発言しているのではないかと想像する。

かつて日本テレビのプロデューサー井原高忠は、自社タレントを思うがママにキャスティングして専横を極めた渡辺プロダクションを出入り禁止にし排除することで、オーディション番組「スター誕生」を企画製作、そこから多数のスターを生み出し、新たな権益をナベプロ以外の在京芸能プロに与えた。私はどんな形になるかはわからないが、そういう時代の結節点は必ず訪れると確信する。(波照間エロマンガ島 2023/10/28)

(寸評)最近の若手のことは全く知らないが、これだけ莫大なアイドル界の勢力の崩壊、今後どうなるのかは密かに見守ってる。6ポイント。


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