ドキドキドキリコ初体験(102)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めてのカートン買い

私は、タバコはカートンでは買いません。なぜなら無尽蔵に吸ってしまうからです。
しかし、タバコ税の値上げ。
お金がないので今のうち買っておこうと思い、買いましたとも。ハイライト1カートン。
しばらく使ってないクレジットカードで買ったので、反応が悪かったのはご愛敬。サービスライターは遠慮したのです。 さぁって・・・、何カ月で切れるかな・・・・?(ズミ天 20/9/29)

(寸評)俺は空港の免税店でしか買わないなー。でもしばらく海外にはいけないしな。ムムム。5ポイント。

初めてのさしすせそ

波照間エロマンガ島@もうすぐ58歳です。今から50年以上前、幼稚園年少組のときのことです。
わたしは練習していた「さしすせそ」の発言がとつぜん言えるようになった瞬間のことを覚えてます。それまではさ行の発言は難しくてどうしても「たちつてと」と「ちゃちぃちゅちぇちょ」の中間の音だったのですが、その言いにくさを自ら克服して突然言えるようになったのです。それは幼稚園の水道の蛇口の近くだったかな。かなりうれしかったはずですが、そのことは自分の中だけにとどめておきました。そんな初めての「さしすせそ」。(波照間エロマンガ島 20/9/29)

(寸評)記憶力が凄いね。それともよほど嬉しかったのかな。5ポイント。

初めての港雄一

波照間エロマンガ島@バンコク在住です。
わたしが港雄一さんを初めて見たのは1981年頃、千葉県船橋市のストリップ劇場ででした。
港さんというと1960年代のピンク映画草創期から活躍した伝説のポルノ男優です。凶悪な風貌から「犯し屋」の異名をもち、数々の映画で怪演し人気を博しました。あ、もちろん「お菓子屋」ではありません。
その出演作のタイトルを見るだけで1960年〜70年代の騒乱の政治の季節のアナーキーな空気を感じることができます。「荒野のダッチワイフ」「乾いた処女」「ピカピカハレンチ」「穴をねらえ!」「性の配当」「十三段こんにゃく締め」「廓秘聞 情事のあとさき」…。また遊郭街に生まれたので精通とほぼ同時にセックスも体験、生涯で何人とセックスしたのかわからないほど女性とまぐわい、そしてついには「女性には飽きた」と言い残し、男色の世界に突入、晩年は同性愛の映画を製作しました。

さてそんな港さんですが、映画出演と並行して実演の劇団を作り、全国のストリップ劇場で興行を行っていました。1981年たまたまわたしが西船にストリップを見に行ったときに「邂逅」したのです!やはりピンク映画より何倍も興奮しました。女優さんを調教して嗜虐する様子は鮮烈な印象をもち、勿論ちんこは勃起しまくり。日本的SM芝居のエロさに脳天に血が登ってぼーっとくらくらしてしまう体験でした。
そして一幕芝居が終わると、舞台に港さんと一座の女優さんが再登場してフリートークを展開したのですが、それが爆笑の連続でした。なんと港さんはしゃべりもでき、芝居上の「犯し屋」の顔はどこへやら、好々爺で笑顔の素敵なすけべおじいちゃんのキャラになっていました。わたしはすっかりファンになり、その後も港さんの映画やストリップ興行を一時追いかけました。
そんな、港雄一初体験でした。(波照間エロマンガ島 20/9/29)

(寸評)あ〜、昔はよく見たなあ、そうか、女に飽きて男色へか〜。その劇団も観て見たかったなぁ。6ポイント。

初めての「月経カップ」

女性の生理現象に関することですが、仕事柄あまり口にすることが憚られないタイプなので失礼します。
  いわゆる低用量ピルというものの服用を中止して以来、本来の経血量である経血の量が思いの外多い日があり、なんとかしようがないものかと、以前ネットで知った「月経カップ」なるものを導入しました。
いざ取り寄せたものは、医療用シリコンでできた盃?三角帽子?状のもの。
これを折り畳んで膣内に挿入し、おおよそ8時間はそのままで大丈夫というものです。
正しい位置に挿入していれば、何の違和感、入っている感覚すらありません。
女性の性器に関わるものは「スピリチュアル思考」が絡んでくるものも多いので、慎重にならざるを得ませんが、まあまあ使い勝手は良いです。
そもそも使い捨てのナプキンというものはおむつと同じポリマーでできているので、私のように立ち仕事でトイレに行かれないとポリマーがよれてボロボロになるのが嫌で、布ナプキンを使用したり、タンポンを使用したり、色々ジプシーをしてきました。
これを目にした女性の皆さん、興味があれば是非使ってみてください。(キット 20/9/26)

(寸評)ナプキンとタンポンの中間的なものかな?ちゃんと見たことないので分からない...。
少し前から、もう我が家には生理用品が必要なくなったからなぁ。6ポイント。

初めてウイーン国立歌劇場でオペラを観劇 〔1985年2月、22歳〕

波照間エロマンガ島です。
わたしが初めてウイーン国立歌劇場でオペラを鑑賞したのは、1985年2月のことでした。初めてのヨーロッパ旅行でウイーンに到着したとき、友人たちと立み見席でもよいから国立歌劇場へ行ってみようということになり、推参したのです。演目はロッシーニの代表的オペラ『セビリアの理髪師』。なんという偶然でしょう。ロッシーニのオペラの中でもっとも好きな演目でした。映画『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』のエンディングタイトルでこのオペラの序曲の旋律がアレンジされ、フルオーケストラで演奏されているのも親しみをもった理由でした。

劇場に着くと想像したとおり当日売りの立ち見席以外はすべて売り切れ。なので何種類かある立ち見席のひとつのチケットを購入、入場ゲートに並んで開場を待ちました。開場すると皆急ぎ足で立ち見席に向かいます。そこには列順に太いパイプの手すりがあり、自分の場所を確保した人はマフラーやスカーフをそこに巻いて、自分の場所だという証しをたてるのです。そうすればいったん席を離れてもその場所はその人のものという暗黙のルールがありました。わたしたちの席はステージからほぼ同じ高さの立ち見席のエリアで、幸運にも1列目でオペラを見ることができる場所を確保しました。「やったぁ」わたしは内心狂喜しました。

そして『セビリアの理髪師』の開演です。先述の序曲から気分の高揚はMAXレンジに入ってきました。本編に入ってもそれは続き、言語はわからないのになぜか内容がすとんすとん入ってきました。喜劇で明るくわかりやすい内容だからかもしれません。あーっというまに第一幕〔100分〕が終わりました。そして第二幕〔60分〕はたたみかけるような展開で、実際の時間よりも短く感じるようにフィナーレにまでたどりつきました。

このオペラ独特の構造にわたしは大変感銘を受けました。その直前に鑑賞したフェデリコ・フェリーニの『青春群像』〔1953年〕も二幕構造で後半部分がたたみかけるような内容だったことを思い出しましたし、この約10年後に読んだ、根本敬の『亀ノ頭のスープ』〔漫画〕でも同様の構成を発見しました。とにかく読後感、鑑賞後感はめちゃくちゃ気持ちよいんです。

現在のコロナ禍が過ぎ去ったら、またウイーンでオペラを観たいなー、ということをこのレポートを書いて強く思いました。タイに引っ越す前8年間ほどは声楽の先生について歌を習っていたこともここにカミングアウトしちゃいます。オペラのアリアなど歌ってました、下手でしたが。(波照間エロマンガ島 20/9/14)

(寸評)おおっ、オペラやってたのかー、それは聴いてみたい。
本格的なオペラを舞台で観たことは忘れてなければ無いが、ミュージカル映画とかは好きなので楽しめるかも。
俺も大声の方だけどオペラは体力使いそう。6ポイント。

初めての肝試し

波照間エロマンガ島です。記憶に残っている限り初めての肝試しは小学5年生時の林間学校で、でした。
夕食後しばらくしてから、クラスごとに集まり山の中のある場所まで散歩をするというイベントを告げられました。各組の担任の先生が児童たちを怖がらせる趣向で山の中の各所に潜み、そこを児童たちが少人数で歩いていきます。怖がりの男の子が怖さに耐え切れず逆ギレしてシーツをかぶった先生に向かって「ばかやろうー!!」と突進して体当たりしたのを覚えています。が、全体的にそれほど面白い趣向ではなく、子供だましのお手軽な教師たちの自己満足イベントという印象で鼻白みました。

すべてが終わり、部屋で消灯時刻になったあと、担任の女性教諭が男子の部屋の入り口に見回りでやってきました。先生はぽつりと「ごめんね。これから教頭先生に説教を受けることになっているの」と言うではないですか。
なんとこの肝試し企画は引率責任者の教頭先生に無断で行なったようなのです。教育的に問題があったということなんですかね。小学5年生のわたしは大人の世界のくだらなさに幻滅しました。自分たちだけの満足が優先し、児童への教育の視点が欠けていたのかなと思いましたが、別にそれでもいいじゃん、と。
肝試しよりも教師たちが教頭に説教を受けたということが印象的な出来事として覚えております。でも先生がこれから怒られにいく、と児童に告白したのは余計だったかな、と。47年くらい経ってそんなことを思いましたデス。(波照間エロマンガ島 20/9/14)

(寸評)新卒の先生とかだと大学出て間もなかったりするしね。でも教師が怒られるのって、なんか切ないね。6ポイント。

初めて食べたパリパリチョコレート

デイリークイーンのチョコソフトクリーム。
初めに通常のソフトクリームをまるんまるんと二段重ねにした後、逆さにして液状チョコレートに入れると、あら不思議。
表面がコーティングされパリッパリになるチョコソフトを最近思い出しました。
今考えるとソフトクリームを逆さにしてもボトッと落ちないのも不思議ですね。
しっかりチョコで固められていて、噛んだ時のパリッとした食感と包まれたクリームの組み合わせが最高でした。日本から撤退したのは残念です。(もちっこ 20/9/14)

(寸評)そんなのあったのねー。なんか石の上で転がすアイスもあったよね。
私的にはねば〜るトルコアイスが好き。4ポイント。

初めてのスターバックスコーヒー〔1996年8月、33歳〕

こんにちは、波照間エロマンガ島です。わたしの初めてのスターバックスコーヒー体験は1996年8月でした。当時東京銀座の会社に勤務していたのですが、開店の噂を聞きつけ、松屋銀座店の裏にあったスターバックス1号店に開店直後から毎日のように通っていました。
当時はその後これほどまでに日本国中津々浦々まで支店ができるとは思いもよりませんでした。1号店は確か1階がレジとちょっとの座席、階段をのぼって2階が禁煙席だったでしょうか。
好きなメニューは25年近く経った今でもカフェアメリカーノ〔タイ風呼称〕がずっと好きでした。このシアトル風のローストコーヒーとは本当に衝撃的な出会いでした。思い出すに1990年代前半くらいまでは、日本には当然のように存在したアイスコーヒーという飲み物は、アメリカではほとんど売ってなかった記憶があります。このころハワイに社員旅行で毎年行っていたのですが、ほとんど見なかったですね。ところがスターバックスのアイスコーヒーが出てから急速にアメリカでも売られるようになりました。
初期のフードメニューでは「レモンポピーシード&クリームチーズ」というケーキが大好きで、2000年代初頭はよくブログにアップロードしていたのですが、すぐに販売中止になってしまい、何回か復活と販売中止を繰り返していました。 2008年以降はタイに住んでいますが、最初の3年くらいはスターバックスは値段が全世界共通価格なのでタイの物価を考えると高価すぎると実感し、ほとんど店に入ったことはありません。しかし就職して給料をもらうようになってからようやくスターバックスに行くようになりました。日本ではどうか知りませんが、タイでは注文するとき名前を聞かれてコーヒーができると店員さんから名前を呼んでもらえるんです。常連になると名前を覚えてくれて名前を名乗らなくても呼んでくれるサービスはとてもうれしいですねー。
そんなスターバックスコーヒーの思い出でした。(波照間エロマンガ島 20/9/14)

(寸評)そうそう、アイスコーヒーってほぼ日本にしかないものだったんだよね。
スターバックスは単純にコーヒーの味があんまりわからないのに高いから行ってないけど、海外の友達には「人種差別の店だから行かない」と明言してる人もいるね。真相は知らないけれど。5ポイント。

初めてのセルフ洗車

ガソリンスタンドにあるセルフ洗車機。最近運転するようになったので1度経験してみたいと思って。お金を入れてコースを選択、後は所定の位置に車を停めるだけ。シャワーとブラシであっという間に洗車が終わりました。乗ったまま車が洗われていくのは面白かったです。ただ、細部までは綺麗にはならないので仕上げは自分でやります。道具は全部スタンドに揃っているし、備え付けの大型掃除機はとても便利でした。小さい砂利などもグングン吸ってくれます。自分の手で洗車となると億劫でつい放置してしまいますが、これなら気軽に洗車できていいな。(美月 20/9/7)

(寸評)自分は車運転しないけど、友達の車で洗車した時、泡に包まれて楽しかったな〜。5ポイント。

しつこいすすきののキャッチセールスに遭遇、初体験〔1986年11月、24歳〕

1986年11月、父が札幌と函館の2箇所に仕事で出張したとき、時間を作ってわたしもついていったことがあります。札幌・函館で出会った人びとや観光名所の見学などは実に素晴らしい体験で、行ってよかったと心の底から思いました。しかしひとつだけ残念なことが。それは札幌すすきのでしつこいキャッチセールスに遭ってしまったことです。

すすきの〔薄野〕は「アジア最北の歓楽街」と言われ、その誕生は明治初期の開拓使の時代まで遡ることができます。風俗店から飲食店まで狭いエリアに密集して存在し、雑居ビル内にそれらが同居している歓楽街です。
通りを歩いていると最低1分間に1回以上、いやもっとか、キャッチセールスのおっさんに声をかけられたのです。これには本当に辟易しました。しかも性風俗系の勧誘は父と一緒に歩いているのでお互いバツが悪く、言葉を失いましたね。当然ずっと無視して行き過ぎました。
その数年前、パリのモンマルトル通りを歩いていたときに遭遇したパリのポン引きのことを思い出しました。あれもめちゃくちゃしつこかった。世界で1位2位かもしれないな、と思った。

あと旅行中気づいたのは函館でタクシーに乗ったとき海沿いの道を通ったのですが、「ああ、ここは北海道なんだ、本州よりも北の島にいるんだ」としみじみ実感できたこと。北海道は2回目だったのですが、そんなことを感じました。あー、また北海道で美味しいもの食べたいなー。友達に会いに行こうかなー。(波照間エロマンガ島 20/9/7) (寸評)とにかく世の中の人の中で客引きが一番嫌い。なのでインドも興味は大いにあるのに、客引きがしつこいというので行けないくらい。
以前歌舞伎町で声をかけられ「うるせぇ」と小声で言ったら殴りかかられそうになったなー。5ポイント。

初めてのメロン

初めてメロンを食べたのがいつだったのか思い出せないのですが、幼少時今でも記憶に残っているエピソードがあります。小学1年のとき同級生の女子児童がメロンの中央部にある種を思いっきり食べてしまって、それで体調悪化、病院に搬送されて盲腸手術をした事件は強烈に印象に残っています。その時以来「メロンの種は食べてはいけない」というトラウマがあります。まぁ皆さん、種は当然食べないと思いますが、なんかエピソードがあればご教示お願いします。(波照間エロマンガ島 20/9/7)

(寸評)たまに「すいかのタネを食べると腹からスイカがはえてくる」とか聞くけど、すべて冗談だと思ってた。本当にメロンの種が原因だとしたら、もっとその話広まってもいい気がするから、タイミングだったのかもね。
中国人とかひまわりの種とかおやつに好きだよね〜。6ポイント。

初めて曲を発表する

王様の耳はロボの耳 話題307「最近買ったもの」の中でも発表しましたが、私の作った曲を初めてネットに公開しました。

このサイト以外にも、某youtuberのラジオにも投稿しました。
コメントでは
「チューニングが怪しい」、「さだまさし感ある」、「弦が暴れてる」、「メロディがこびりつく」などのコメントをいただきました。

配信者様からは、「メロディはキャッチーで嫌いじゃない」、「詞の展開をもうちょっとほしい」、「もっともっと上手になるかもしれない」など貴重なご意見をいただきました。

また手直しして発表したいと思います。(ズミ天 20/9/7)

(寸評)今はネットで手軽にアップできて、感想をいろいろ聞けるからいいよねー。
俺なんかの頃は直接聞かせるか、もしくはデモテープを送って何週間、何ヶ月も返信を待つしかなかったからね。
どんどんやってチョーダイ! 6ポイント。

初めての95%

小学生の頃、母がチョコレートを買ってきました。
パッケージには「カカオ95%」の文字が。
甘いチョコばかり食べてた私は、試しに一口齧りました。

おいしかったです。
チョコレート=甘いという概念がゴロリと音を立てて転がり落ちました。

それから数十年。
再度、95%カカオチョコを食べてみました。

・・・、クソまずい・・・

残りのチョコどうしよう・・・(ズミ天 20/9/7)

(寸評)ほぼカカオだよね。チョコと思わず、別物として食べるしかないのかもね。薬だと思って。5ポイント。

初めてのスタバ

スターバックスコーヒーに初めて行ったのは中学生の頃。
横浜駅西口のビブレ内のスタバです。
当時ボーイスカウトもどきに加入していた私は、下見の帰りに指導員数名のスタバに行きました。
周りは甘ったるい名前の長いコーヒーを頼む中、ただ一人、ブラックコーヒー。
ぶっちゃけ、普通でした。
確か1時間ほど、他愛のない話をしたと思います。

それから数十年、スタバはデキる人(あー、この言葉苦手だ)の聖地となってますね。
通勤途中にもありますが、一生無縁だろうなと思います。

もし私が、マックブックプロをもってスタバでフラペチーノをすすってたら突っ込んでください。(ズミ天 20/9/7)

(寸評)俺もコーヒーの味がそんなにわからないのでマクドナルドの100円のでいいや。スターバックスは試しに一回行っただけ。普通のSMLと言い方が違ってわからなかったので「一番小さいの」と言ったな。5ポイント。

初めてのピアス開け実況放送

高校時代、放送委員に所属していました。
昼の放送を担当してましたが、ろくにリクエストを流さず、自分の好きな曲をエンドレスで流す不良生徒でした。

そんな放送委員にも後輩が入ってきます。
彼女は昼の放送でラジオがしたい!と話していたので、サポートで入ることにしました、すると後輩はマイクに向かってこう叫びました
「今からピアスの穴あけまーす!」
えっ!?となりました。
グサっと安全ピンで穴をあけました。
「はーい、今耳たぶから血がでてまーす」
・・・
正直ドン引きしました。

私はピアス、入れ墨が苦手なのです。
ドクドクと血が流れる中、私は見ていられなくなり、控室でポケモンのゲームで遊び、責任放棄しました。

その後、この事件がきっかけかは不明ですが、ラジオ放送時には顧問の先生がつくことになりましたとさ。(ズミ天 20/9/7)

(寸評)ギャー血に弱くてサスペンス映画が観られない俺も絶対ダメだ。それを放送するなんてすごい奴だな。今は何かしらかで名前をなしてるかもよ!? 6ポイント。

初めての彼女との出会い

石川さんがあるさんと出会ったのはドブ川の上とのことでしたが、私と彼女の出会いは空調のきいた高校のパソコンルームでした。

当時、数学か情報の授業のどちらかをとらなければいけないというルールがあり、数学大嫌いな私は、真っ先に情報の授業に飛び込みました。

私はそこでいろいろ悪行(パソコンのセキュリティを突破してニコニコ動画を見ようとしたり、アダルトサイトにアクセスしようとしたり)をしでかしていたので、目を付けられていました。

すると、ある日、一人の女性が声をかけてきました
「キミ、ソッチ系?(要はオカマ)」。
当時、多少のオネエ言葉を使っていたので、ソッチ系に見られていたのです。
その後、話しているうち、お互い話が合い、メールアドレスを交換し、SKYPEで夜通し会話などをしていました。

それから一年後
私は大学に、彼女は介護職に就きました。
彼女は毎日泣いていました。
私はふと、マイクを取り、通話をしました。
「キミを支えるから付き合ってくれ」と
承諾されました。

それから約十年。
二回会っただけでデートもせず、LINEでの会話で関係は繋がっています。

見てないだろうけど、今も気持ちは変わってないよ
今後ともよろしく(ズミ天 20/9/7)

(寸評)やってねーのかよー! やれやれ、あんなことやそんなこと! 6ポイント。


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