ドキドキドキリコ初体験(100)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

はじめてのオンライン授業

最近、「オンライン授業」というものが、テレビや新聞で取り上げられています。学校に学生が来れないので、ウェブを使って授業をするというものです。オンライン授業を受けている当事者として、少し報告をしてみようと思います。

まず、僕の大学にはもともと、オンラインで課題を提出したり、教員が資料を受講生に配ったりする学内サイトがありました。以前は全く使われなかったそうですが、今回の事態を受けて、今や全教員が使っているように思います。どの科目でも、一応このサイトを土台として行われています。

オンライン授業が始まったのは、2年生以上だと4月第2週から、学部新入生だと第3週からでした。ごく最近始まった大学もあるみたいなので、比較的早い方だと思います。また、使い始めたときにサーバーがダウンしたことも無かったはずです。ひとまず、うちの大学は順調にオンライン授業を開始できたようです。ただ、外国語科目は3日遅れで始まりました。やはり準備が大変なのでしょう。

今のところ、それぞれの授業の形式は以下の通りです。

【1】リアルタイム授業(テレビ会議のようなもの)

(1)授業時間に非リアルタイム授業(音声とパワーポイント)+zoomを使い出席取りと質問

(2)テレビ会議アプリを使用

【2】非リアルタイム授業(資料を教員が学内サイトに掲示し、学生は期限内にそれを読む)

(1)音声付きパワポ

(2)パワポと音声(と資料(pdf)など)

(3)資料のみ(pdf、word)

(4)別サイトを利用

これだけだとよく分からないと思うので、補足します。【1】(1)は、地学の先生がやっている形式で、「何時何分になったらzoomのこれこれに入ってください」と先に伝えておき、学生はそれまでに当日の資料を読みます。Zoomのチャット機能を使い、それぞれの氏名を書いて出席証明とし、チャットに質問を書き、見ている先生がこれに答えるというものです。オンライン授業の欠点として、先生には学生が聞いているという実感が湧かず、学生は先生の話をただ聞くだけになる(交流がない)ということがありますが、この形式だと、この欠点が若干解消されています。

(2)は、世界史と韓国語の授業で行われています。英語以外の外国語だと、発音が重要になってくるので、先生の発音を聞ける点は重要でしょう。韓国語の授業は受講者が少ないので、先生が学生を指名して単語を読ませたり、意見を述べさせることもできます。普通の授業と非常に近い環境です。一方、世界史の方では、画面共有によって、先生のパソコン画面に出ているパワポを皆で見るというものです。見ながら、先生が口頭で解説します。受講人数が多い教養科目なので、学生の発言などはありません。これだと、リアルタイム授業で行う意味は無いように思います。

余談ですが、zoomなどを使った授業だと、たまに学生の嫌がらせ(?)が入ります。僕が受けている世界史の授業では、画面に落書きされるといったことがあり、他の授業でも、先生が管理者権限を学生に渡してしまい、学生がそれを使って先生の音声を聞こえなくしたとか。現に、他大学では、そういった嫌がらせを防ぐため、セキュリティが弱いzoom以外のテレビ会議システムを使うという動きがあるようです。また、こちらは嫌がらせではありませんが、学生側が「音声を共有」してしまい、雑音が入ることもよくあります。

 【2】(2)は最も多い形式です。音声ファイルに入った先生の声を聞き、「〇ページを見てください」「添付資料の〇〇を見てください」という指示に従って資料を見ていきます。僕はパソコンを使って見ているので楽ですけど、スマホだと複数のウインドを同時に開けないので、不便かもしれません。資料を印刷するのも大変ですし。ただ、ほとんどの学生はパソコンで見ているように思います。

 (4)は、中国語の先生がやっているものです。「東京外国語大学言語モジュール」というサイトを使います。授業の前日ぐらいに、「今回はこれこれをやります。このサイトのどこそこを見てくださいね」とメールが来ます。もちろん、サイトの内容についての補足が添えてあります。Youtubeのリンクが貼られているときもあります。

 多くの授業では、各授業後に感想・レポート(数百字)を提出させ、出席確認としています。もっとも、これは文科省の方針だそうです。


 受けた感想を。オンライン授業の利点としては、受講する時間が任意である、何回も見れる、巻き戻しが利く、いろいろな場所で見れることが挙げられます。特に受講時間の問題は、おもしろそうな講義がかぶっていた時、一方を別の時間に見る、といったことができ、より幅広い学習に役立ちそうです。巻き戻しによって分からないところを何度も聞いたり、復習できるのもいいですね。場所の制限が無いことについては、これによってうつ病の学生の支援ができると言う人もいるなど、とても大事な利点と言えそうです。もしかすると、近い将来、学生が自分の大学近くに引っ越す必要がなくなるかもしれません。

 一方、良くない点としては、(1)先生のパソコンへの習熟度で、授業の質が大きくずれること、(2)学生が持っている機器によって、授業が十分に受けられなくなること、があります。(1)について、例えば先ほどの韓国語の授業では、80分間みっちりと発音・文字等々を叩き込まれますが、一方の中国語の方では、ただ指定されたサイトを見て、自分で練習するだけです。それぞれの外国語が習得できれば大丈夫ですけど、きちんと習得できるか、とても不安です。また、これに関連して、オンラインだと内容が薄くなるという問題もあります。オンライン授業開始時に準備がごたごたして、授業が潰れたのもありますが、データ容量の制約上、本来80分授業なのが、30分ぐらいに短縮されたり、大きな容量の資料を送るのが避けられています。いくつかの授業では、当初の予定から授業内容が遅れています。(2)については、特定のOSでなければ視聴ができない、特定の機能が使えないという問題があります。また、別の大学では、教員の人たちが、オンライン授業をするために新しいパソコンなどを買わされたと聞きました。学生だけでなく、教員の人たちへの支援も必要かもしれません。

以上、今の様子を長々と書きましたが、何かの参考になれば幸いです。(未成年 20/5/30)

(寸評)お〜、俺の学生時代だったらスマホはおろかパソコンも個人が持つなどあり得なかったので、どう考えても不可能。
これを機会にオンラインが当たり前の授業も増えて、大学の形態も微妙に変わっていくんだろうな。7ポイント。

チェンマイ初上陸、第一日目〔2003年7月1日〕

わたしが初めてチェンマイを訪れたのは2003年7月1日。
チェンマイはバンコクの700km北方、飛行機で70分のところに位置します。しかし気候から風土からまったくバンコクと異なります。いくつか峠を越えた高原に位置し、タイ中央平原部よりはいくぶんか気温も低く凌ぎやすい。
かつてのランナー王朝の首都があった都市で、城壁と堀割りで旧市内は囲まれています。
ホテルはインペリアルメイピンホテル。初めてなので一応名の通ったホテルに泊まろうと思ったのです。ここは歌手のテレサ・テンが謎の死を遂げたことで有名です。噂によるとテレサ・テンの幽霊が出るという話ですが、実のところどうなのでしょう。

さて、さっそく市内の徘徊を開始しました。わたしは初めて訪れた都市はまず徹底的に歩いて土地勘を養うというモットーに従い歩き回っています。その途中ネット屋にて情報収集。歩いて回るにはちと広いかも知れません。レンタルバイクやレンタルサイクルもあるし、疲れたら乗ってもいいかな。まず第一印象として街路や木々の緑が萌えるように濃く、目に優しいということ。遠景の山嶺とあいまって独特の景観を構成している。そこかしこにあるワット(仏教寺院)の金色の仏塔との相性も気持ちいいぞ。かなーり気に入ったかも。という印象でした。探検を再開しようっと。

ターペー門の前の広場に面しているイタリアンレストランで昼食。やはり想像したとおり、チェンマイは西洋人相手の店がやたら多い。逆に中華系の店は少ない感じがした。漢字の看板はほとんど見なかった。〔それから17年経ち、中国からの観光客が激増し、チェンマイは中国語の広告看板だらけになりました〕

午後はレンタサイクルで市街を走ることにしました。値段は60バーツ(約180円)。ただしデポジットとして1000バーツを預けなければなりません。
しかしこれがなかなか大変で、天気は曇っていて陽射しは凌げるのだが、風が少ない分どうにも蒸し暑く、あっという間に汗だくの塩ふき状態になってしまいました。おかげでいい運動になりました。
夕方近くなり、とつぜん雨が降ってきた。典型的なスコールでバケツをひっくり返したような大量の雨が一時に降りました。仕方なく街路樹の下に雨宿りしましたが、水冷式のクーラーのように身体に心地よい涼をもたらしてくれました。
いったんメイピンホテルに帰りシャワーを浴び少し休んでから、自転車を返しに行きました。そのころには雨は止んでました。



背後の山の稜線の青味がよい「気」を送ってくれているように感じます。日本の地方都市に見えなくもないですね。 夜はナイトバザールをそぞろ歩き、屋台料理屋でタイ料理をいただき、21時過ぎホテルへ戻る。疲れたのですぐに就寝。

この都市を初めて訪れてから約4年9ヵ月後、日本での仕事を辞めてこちらに引っ越してくることになるとは、このときは考えもよりませんでした。今でも思いますが、チェンマイはタイのほかのどの都市とも雰囲気が違います。外国人が長期滞在するのにはちょうどよい感興をもつ都市だと、初めての訪問時以来現在に至るまで感じています。コロナ騒動が終息したらまた行きたいなー。2月のチェンマイ逃避組も実現することを祈念します!(波照間エロマンガ島 20/5/30)

(寸評)俺も10数年、チェンマイのいろんな意味での「ちょうど良さ」が気に入って沈没してるが、さて来年は...。
こればかりは現時点ではなんとも言えないね。タイの情勢だけじゃなくて日本の情勢も関係してくるしね。
無事いつものようにのんべんだらりと遊びに行けることを願うのみっすな。6ポイント。

初めてのブルーフィルム上映会〔中学2年、1976年〕

波照間エロマンガ島〔57歳〕です。いまやポルノ動画はインターネットで見放題ですが、1980年代前半に到来した家庭用ビデオ普及期の前の時代は、出版媒体を主なるおかずにして男子は性欲を発散していました。個人用のビデオレコーダーは一般の家庭には無いので、ポルノ映画は公共空間である映画館に行かなければ観ることはできません。そんな1970年後半の頃。

当時は8ミリ映写機が普及していて、そこで「ブルーフィルム」というポルノ映画が、好事家に非合法で出回っていました。ノーカットポルノ映画なのですが、プロが作った高水準のものからエロ好きのアマチュアが作った低水準のものまで「ピンキリ」で存在しました。中学2年のとき、ほかのクラスのNくんがブルーフィルムの上映会をひんぱんに行なっているといううわさが自分のクラスまで流れてきて、それならと、つてを頼りわたしも友人数人とその上映会に参加したいと共通の知人を通しお願いし、無事上映会に参加させてもらえることになりました。

ある土曜日の午後のこと、Nくん宅を訪れました。Nくんは自宅が商売をしていたので日中はご両親は不在で、そのすきに居間で上映会ができたのです。わたしが覚えているのは学校では大人しいどちらかというと目立たないNくんが、8ミリ映写機とフィルムをもって部屋に現れたとき、みょうに自信満々で「お前たちに見せてやるんだ」という意識が見えたこと。そして何度も上映会を行なっているので、映写機に8ミリフィルムに装填するのもすばやく手際よく行なっていました。
少々意外だったのは、音声トラックと映像は同期しておらず、音声は別にカセットテープレコーダーで再生していました。それが少しばかり音声と映像のあいだのずれを生み、100%興奮にいたらず残念だったのですが。

作品は日本製でした。どうも趣味のサークルが作ったような作品で、ひとりの女性を複数の男性が犯す内容でした。 女性は陰毛がやたらと濃く、大陰唇から肛門のまわりにも濃く生えており、まずそこが興ざめしました。男たちも撮影に慣れてないのか、フル勃起している男はひとりだけで、残りの男はなんとか奮い立たせようと自分で自分の陰茎を必死にしごいているのが滑稽でした。つまりは、ポルノとしてはあまり出来の良い作品ではなく、しかしながら一緒に観たほかの友人たちは黙ってスクリーンを凝視していました。

映画が終了し居間の電気が点き部屋が明るくなったとき、10秒以上沈黙があったことを覚えています。わたしの感想は「酷いものを見せられた!すぐに帰りたい!」というものでしたが、ほかの友人たちも似たような感想らしく、そのあと特に感想を述べないまま、早々にNくんの家を後にしました。Nくんの見せてくれたブルーフィルムよりも上質で興奮するネタを自分は持っていたので、早くそちらでマスターベーションして今日の汚れた体験を精算したい思いでいっぱいでした。どうしてそういう心持ちになったのかわかりませんが。
そんな初めてのブルーフィルム上映会体験でした。(波照間エロマンガ島 20/5/30)

(寸評)昔はエロも大変だった。俺は中学生の時からポルノ映画館に出入りし、古本屋でエロ本や官能小説をドキドキしながら買っていた。でもそのスリルの末に得たものだからこそ、楽しみも倍増したような気がしたので、あれはあれで良かったな、とも思っている。
♪不便だ 不便だ 不便だ 不便だ でーも不便の方が便利よりだいぶいい〜
どこかで誰かの歌っている声が聴こえる。7ポイント。

初めてのミスターピブ、ドクターペッパー、A&Wルートビア

波照間エロマンガ島〔57歳〕です。わたしが初めてミスターピブを飲んだのは1973年〔小学5年、11歳〕のときです。 アメリカで売られていたこの清涼飲料水が、日本の一部の地域でコカコーラ社から発売されたのが1973年、不人気ですぐに発売中止になったので飲んだ時期を特定できるというわけです。缶入りコカコーラの売られている自動販売機にミスターピブも含まれていたのを覚えています。現在でも日本で販売されているドクター・ペッパーと製法がほとんど同じということで味はほとんど同じ、味の違いは忘れてしまいました。はてさて日本人にはこのドクターペッパーはその独特の風味のせいであまり人気は上がらず、50年近く発売はされているもののメジャーな飲み物とは言えない「知る人ぞ知る」ドリンクの座をいまだに保ち続けています。

さて、わたしは同時期A&Wのルートビアも飲んだ記憶があるのです。当時日本に参入していたアメリカのアイスクリームショップチェーンのデイリークイーンで売られていました。たぶんミスターピブよりも時期的には古く、1971年頃デイリークイーン渋谷店にて飲みました。カウンターでコーラを注文したつもりで、メニューに載っていたA&Wを指さし注文したのでしょう。
購入後ストローで吸い込んだしゅんかん、「げげげげぇえぇ、なんじゃこのサロンパス風味の飲み物はー!!!」という衝撃を受けました。コーラのつもりで飲みこんで湿布薬風味の炭酸飲料の刺激的な味を体内に吸収したので、ショックは大きかったのです。
時は経ち2001年にタイに旅行したときにバンコク市内のA&Wショップで数十年ぶりにルートビアと再会、以来たまに飲むようになりました。ハンバーガーやフライドポテトとの相性はまぁまぁで好きな風味であります。(波照間エロマンガ島 20/5/30)

(寸評)実は炭酸飲料の中ではルートビアが一番好き。毎年のチェンマイでもさすがに日本ほど新製品は多く出ないので、一通り新しい缶ドリンクを買った後はルートビアをよく飲んでたなあ。
ミスターピブ、そしてSASUKEが販売終了した頃に缶コレクションを始めたのでそのふたつは俺も持ってないんだよね。自分が飲めない空き缶の状態の物は見たことあるけど、それはルール違反なのでコレクションには出来ないからねー。5ポイント。

初めてのバイク修理

5月も終わりに近い日、なんの気無しにバイクを走らせようとしたら
「ガガガガガッ」
異音がしました。
エンジンは不調。
仕方なく、最寄りのバイク屋に持ち込むことに。

点検してもらうと、パーツはこわれ、オイルは空っぽ。
いつ壊れてもおかしくない、というより壊れてました。
結局5万円ほど払ってフルメンテ。

トホホ…(ズミ天 20/5/30)

(寸評)俺も昔買ったバイクが最初から多分不良品でトラブルが多かった。それもあって走らせるのが面倒になったんだよなー。5ポイント。

初めてのポリスにしょっ引かれる

ついさっきの話。病院からの帰り、バイクに乗ってさぁ帰ろうとしたとき、後ろからサイレン
「そこのバイク、とまりなさーい」
ん?と思い止まると
「あんた、ノーヘルで運転しちゃあかんでしょ」
・・・、しまった・・・
暑さでボケーっとしていてヘルメットをつけ忘れていました。
事情聴取され、数分後に帰宅。
点数一点でなんとかすみました・・・

ついてねぇ・・・
でも、この状態で事故ったら、即死だったなぁ・・・(ズミ天 20/5/30)

(寸評)昭和の時代はノーヘルもノーシートベルトも多かったけど、今は残念ながら昭和じゃないものなー。4ポイント。

初めての射精を見た

小学校2年生の頃、不良児童だった私は、エロサイトの警告を無視して無料サンプル動画を漁っていました。
ほぼ全ページを見ていた私は、必然的にホモ動画も見ていました。
そのころは「ウゲゲ・・・」ではなく「あーこーゆーのもアリなんだぁ」という感じでした。
そこで見たのは、美形の細マッチョ男性の乱交モノでした。
そこで見たものは
チンチンから見慣れぬものが・・・!
当時は、裸などは見ても、射精を見たのは初めてです。
何だこれ、と思いつつも興味津々に見ていました。

後に学校で保健体育の授業でならうまでは、なぞの液体として脳内では処理されていました(カルロスイベリコ豚 20/5/30)

(寸評)精液知らなかったら「男はオッパイがチンチンから出るんだ」と思ったのかな? 6ポイント。

初めての射精

小学校4年生の頃、早あがりだった私は、テレビでグラビア動画(当時、BSフジでやってた番組)を見てました。
確か、女優がいろんなセクシーポーズをして、それにナレーションがかぶさるという内容でした。なぜこんな昼間にやってるのかが不思議でしょうがありません。
いつものごとくオナニーをしていると、股間に違和感。
そして
ビュッ
発射しました。
残暑の秋、クーラー、居間
今でもその状況を覚えてます。(カルロスイベリコ豚 20/5/30)

(寸評)射精は知らなくてもオナニーはしていたのだね。誰でも自然にチンコに手がいくのって不思議。6ポイント。

初めての乱交見学

某ハプニングバーでのできごと。
その日は、酒を飲んでグワングワンしてました。
すると、ある女性から
「ねぇ、あっちでおっぱじめてるわよ、あなたも見てきたら?」と話しかけてきました。
さっそく見に行くと、女性一人に男性4人が群がっているではありませんか。
ビデオでしか見たことのない乱交を初めてみることができました。
・・・、しかし、自分が参加してないと、エサにたかるアリにしか見えませんんね・・・(カルロスイベリコ豚 20/5/30)

(寸評)その女性の気分になったら・・・ああ、気持ち良さそう・・・。5ポイント。

初めてのエロ本購入

某大都市のはずれに、小さなエロ本屋がありました。
そこで私は買ってしまったのです。有害図書を。
しかも、現在では所持が禁じられている本です。
4冊セットで1万円でした。
興味本位でした。
家に帰ってヌキました。とても気持ちよかったです。
・・・、ちなみに逮捕を恐れて、その本は捨ててしまいました(カルロスイベリコ豚 20/5/30)

(寸評)ん、現在では所持が禁じられている?ということは当時はOKだったということか。
そして4冊セットで1万円。一体どんなものか気になるなぁ。5ポイント。

初めてのソフトなカツアゲに遭う

1975年〔中1〕の頃です。学校帰りに塾へ行くため、わたしはバス停でバスを待っていました。すると向こうから高校生風の男性が歩いてきました。バス停のところで止まりました。どうやらバスに乗ろうと来たようです。
その高校生はわたしに話しかけてきました。「きみ、○○中?」「はい、そうです」「おー、懐かしい。ぼくもそうなんだよ。2年前に卒業したんだ。ところで200円くらいお金もってる?」

あまりに唐突かつ自然なカツアゲの言葉にわたしは言葉を失いました。「持ってる」とも「持ってない」ともどちらでも回答できるような感じでした。なぜならこの高2の男性は、不良にも見えないし詰めてくる気配もまったくなく、怖くなかったからです。
ほんの数秒だけ間をおいて、わたしはチャレンジすることに決めました。「持ってません」と答えました。
その高校生は「あ、そう」と言うと、バス停から歩いてその場を去っていきました。

あれはなんだったのでしょうか。45年ほど経った現在でも、奇妙な出来事として記憶に残っています。(波照間エロマンガ島 20/5/30)

(寸評)「中学生はだいたいいくらくらいのお金を持ってるか」の調査研究をしているだけの人だったりして。6ポイント。

初めてのビール

波照間エロマンガ島〔57歳7ヶ月〕です。わたしが初めてビールを飲んだのは6歳くらいのときです。
父方の親戚が集まっての温泉宴会場の大広間。ちょっと斜め前、叔父のお膳の前に注がれていたグラスに入ったビールを見て、好奇心から飲んでみたのです。

第一印象は「げぇー、苦いー!」こんな飲み物を大人は好んで飲むってどういうことなんやー、と最悪の印象でした。しかし近くの席にいた同い歳の従姉妹の女の子はぐいぐい飲んでいたので、「負けてなるものか」という対抗意識からわたしもくいーっと一気飲みしてみました。さいわい戻しはしませんでしたが、急に頭がぐるぐるまわりだしました。従姉妹の女の子は酒屋の娘だったので、つまりわたしの叔父は酒屋だったので、子供にも特に禁止するわけでもなく子供の頃から酒を飲ませていたのですね。今から考えるととんでもない家庭だと思いますが。
でもそれからアルコール飲料は特にハマることはなく、本格的に飲むようになったのは大学に入学してからですかね。でも酒は強いほうだったと思います。酒席で暴れて人に迷惑をかけたり、酔いつぶれてゲロまみれになることは今までほとんどありませんでした。そんな初めてのビール体験から始まるお酒の想い出。(波照間エロマンガ島 20/5/30)

(寸評)はじめてはいつだかハッキリ覚えてないけど、両親ともに下戸だったので「これは俺も酒の飲めない人間になっちゃう」と思って、お客様用のビールを中三の頃に意識して訓練して飲み始めた。
高校生の時は既に酒飲みになってたな。当時流行ってた「純」とか「樹氷」とかの焼酎乙類をコーラとかで割って飲んでた。6ポイント。

初めての一人暮らしの自炊

訳あって、数年間一人暮らししてました。
初日、両手に手提げ、背中にリュックサックといういで立ちで部屋に入り、一息つきました。
お腹がすいたので、近所の業務スーパーで手あたり次第食材を買いました。
パスタを4袋ほど購入しました。
パスタさえあればなんとかなるだろうと考えたからです。
フライパンなどはあらかじめ買っておいたので、さっそく帰って調理です。
IHヒーターをつけました。赤くなりました。
フライパンに水を入れ、パスタを茹で、お湯を切り、野菜セットと一緒に炒めました。
一人でご飯を作るのは初めてですが、なんとか形になりました。
すごくおいしい・・・、とはいきませんでしたが、思い出の味です。(ズミ天 20/5/30)

(寸評)自分でやるとちょっとおいしく感じるのはバーベキューなんかでもあるよね。4ポイント。

初めての生活応援米

さて、一人暮らしも慣れたころの話です。
その日、お金はなかったのですが、どーしてもお米が食べたかったのです。
バイクに乗って業務スーパーに行くと、気になったものが
「生活応援米」。
噂には聞いていたまずい米。
背に腹は変えられず、買いました。
さっそく家に帰り、新調した米びつに一度入れ、一人前炊いてみました。
・・・・、ゲロマズ。
こりゃ素で食べるなんてできない・・・
しばらくはチャーハンやカレーにかけて食べてました。
・・・、もう食べないぞ。

PS
私もできれば玄米が食べたかったのですが、高くて買えませんでした。(ズミ天 20/5/30)

(寸評)俺は一人暮らしで夏場になんか変な虫が米の中に発生していて「ウギャー」と捨てた記憶がある。5ポイント。

初めての牛すじ

一人暮らしをやめる半年前の話。
例のごとく、お金がなかったのです。しかし肉、特に牛肉が食べたかったのです。
しかし、ビンボーな私にとって、牛肉は雲の上の存在。どーしても味わいたければ、牛脂ご飯を食べる以外ありませんでした。

ある日、残業を終え、スーパーに行くと、珍しいことに、普段ならばない牛筋が一個。
たまには挑戦してみるか、と思い早速購入。
しかし、あることに気が付きました。
圧力なべがない。
あれがないとトロトロにならない。

しかしネットで調べると、炊飯器で同じことができるとのこと。
私は小さい鍋で牛すじを下茹でし、炊飯器にポン。
スイッチをオンしました。

・・・しかし、2時間たってもできる気配がない・・・
我慢できず、ふたを開けて齧りつきました。
・・・、脂っこい・・・

よし、今度は圧力鍋かって挑戦だ!
と思った数か月後、店長と大喧嘩して会社を去ることになるとは・・・

今思えば、圧力鍋買わなくて正解だったなぁ・・・と思いました。(ズミ天 20/5/30)

(寸評)俺はもやしに落とし肉の炒めがせいぜいだったなー。
食は腹が膨れることが第一で、普通の人よりも味にこだわらないタイプなんだよね。
もちろんおいしい方がいいけど「おいしい」より「安い」の方がより幸福感を感じてしまう根っからのビンボー症。5ポイント。

初めての万引き疑われ

高校時代、某大型リサイクル店での話。
私はギター弦を買いました。
ちゃんとお金を支払い、レシートをもらいました。
小さかったのでポッケにしまいました。

そして店を出ると、一人の店員に呼び止められました
「すいませーん、あなた、万引きしてませんか~?」
ん?と思いましたが
「えっ、してませんよ?レシートもありますが・・・」
レシートを差し出すと、店員は
「ごめんなさいね~、さっき別のお客様から言われまして~」
ふと後ろを見ると、いじめっこが中指をたててこちらを見ていました。
「ま・・・、まぁ別にいいですよ」
堂々と外に出ました。

部屋で
「このやろー ころしてやるー」などと叫んでおりました。
親にひっぱたかれました(ズミ天 20/5/30)

(寸評)あ〜、そういういじめもあるのか。ひとつ学んだ。6ポイント。

初めてのサブタイトル

小学2年生の頃の話です。
当時、「ヒーローのあしあと」というデータベースサイトをよく見ていました。
これは、ウルトラマンなどのサブタイトルや脚本家、登場怪獣などがデータベース化されているサイトで、ウィキペディアを知るまでは、このサイトで特撮知識を得ていました。
ある日、私も同じようなものを作ってみたいという欲望が沸き上がりました。
いろんなヒーローの怪獣のネタをパクって作った
「ゴールドマン」は、私のオリジナルヒーロー第1号となりました。
全26話(うち放送休止3話)。完成したときは一人小躍りしていました。
友人に見せました。笑われました。
それ以来、この趣味は一人で楽しむものとして楽しみました。
だいたい一つの作品が完成するまで1カ月。ワード、自由帳に書きなぐりました。
今はすべて消滅していますが、楽しい思い出です。

・・・、ここだけの話、今でも続けていたりします(ズミ天 20/5/30)

(寸評)俺も子供の頃「人口マニア」だったので各市町村の人口推移などをグラフにしてたりした。
思えば、ちょっと変わった子供だったかもなー。6ポイント。

初めてのフロッピーディスク

小学校三年生の頃の話です。
前述の捏造ヒーロー番組サブタイトル集がHDDを圧迫していました。
家族共用のパソコンなのにこれじゃいかんと、父親からフロッピーディスクをもらいました。
以後、フロッピーにサブタイトル集を保存するようになりました。
無理して音楽を突っ込もうとしたり(容量的にムリ)しましたが・・・

その後、このフロッピーは学校のパソコン部で、課題保存用に使われた後、廃棄された模様。(ズミ天 20/5/30)

(寸評)俺は一時期フロッピーディスクで動く絵本を作ってたな。
音楽一曲も入らないフロッピーディスク容量の中で、如何に工夫して計算して面白い作品が作れるかチャレンジしていて、あれを作ってる時間も充実した、幸せな時間だったなー。5ポイント。

初めてのUSBメモリ

初めて自腹で買ったのは、中学時代、2GBの黒の小さいメモリ。ホームセンターで買いました。確か2000円でした。(毎回思うことですが、なぜホームセンターで売ってるのだろう・・・?)
フロッピーよりも大量の保存ができる!ということで、音楽、画像などを物故んで楽しんでいました。
今や2GBじゃ物足りない・・・、1TBのUSBは高いし、今やネット経由で保存、読み込みが可能な時代・・・
進歩したなぁ・・・(ズミ天 20/5/30)

(寸評)最初買ったパソコン(Mac)は30万円ぐらいしたけど確か内臓ハードディスク容量は500MBだったかな。
この世界はホント倍々ゲームで容量が増えてくね。5ポイント。

初めてのタイ・ウボンラチャターニーのインターネット屋さん(2009年12月14日)

波照間エロマンガ島です。わたしが初めてタイのウボンチャターニーへ行ったのは2009年12月のこと。タイ語学校のコースが修了し、ビザが切れるまでのあいだ、国内旅行を楽しもうとタイ東北部を訪ねる旅に出たのでした。

当時住んでいたチェンマイから夜行バスで12時間かけて翌朝ウドンタニーに到着。そのまま国道2号線をバンコクに向かって長距離バスで移動し、イサーン地方の玄関口のナコーンラチャシマーに到着し一泊。翌日列車に乗りタイ国鉄東北線の終点ウボンラチャターニーまで行ったしだいです。
午後3時頃、駅に到着し、その足で飛び込みで入ったホテルにチェックイン。荷解きをしてすぐに散歩へ出かけました。当時わたしはスマートフォンを所有してなかったので、ホテルに着くとまず街中のインターネットカフェを探すのが旅の習慣となっていました。で、ネットカフェを拠点にしてその街の情報収集をしたりメールチェックやSNSチェックをする按排でした。

ホテルの人が教えてくれたインターネット屋へ向かいました。しかし、そこには店らしきものはなく、その場所には一軒家が建っているだけでした。
暗い通路をどんどん中に入っていくと裏庭に出ました。そこにその家の奥さんらしき人がいたので「インターネットカフェはどこですか?」と質問すると、「こちらです」と案内されたのはその家の書斎でした。書斎にノートパソコンが1台置かれているだけでした。ここでインターネットしろってか。しかし、タイは何でもありだなと思いました。店の登録などしなくても、商売はできる。
で、遅いスピードのインターネット回線であれこれ調べたのですが、行きたいと思っていたシーサケート県にある、世界遺産のヒンズー寺院ワット・カオプラウィハーン周辺がカンボジアとの国境紛争で入場禁止になっており、当初の目的をあきらめ、ウボンラチャターニーに2泊して飛行機でバンコク経由でチェンマイに戻りました。印象的だったのは、ウボンラチャターニーの空港はタイ空軍と民間の共用の空港となっており、市街から歩いて空港に行ける距離にあったこと。ベトナム戦争当時はタイの最東端にあるため、ここからベトナムへの爆撃機が離陸していったそうです。またいつか機会があったら行ってみたいです。(波照間エロマンガ島 20/5/30)

(寸評)俺も福島の田舎に行った時「蕎麦」という看板があったので矢印の方にどんどん行ってみたら普通の民家の庭を通り、一般家庭(のように見える)のただの部屋に通され蕎麦を食った思い出がある。あれも不思議で印象に残ってるなー。5ポイント。

初めての福岡旅行の想い出

タイランド在住の波照間エロマンガ島〔57歳〕です。
わたしが初めて福岡県に旅行したのは1973年〔10歳、小5〕の夏休みだったと記憶しています。家族旅行で、でした。 今から47年近く前の話なので記憶もおぼろげになりますが、箇条書きで印象を書きます。

・当時山陽新幹線は新大阪から岡山までしか運転してなかったので、東京から岡山までは新幹線、岡山以西の博多駅までは在来線特急「つばめ」で移動した。
・東京在住の身にとっては日没時間が19時台と東京に比較して1時間くらい遅いので1日が長く使えていいな、と感心した。
・ホテルでテレビのバラエティー番組を見ていると放送時間が首都圏と異なっていて、しかも番組途中でフェイドアウトするように「続きは来週をお楽しみに」というテロップ1つで急に終了した。
・当時福岡のプロ野球球団は、西鉄ライオンズから引き継がれた「太平洋クラブライオンズ」という球団があった。東京では珍しいこの球団の野球帽を買い求め、旅行が終わっても被っていた。するとある日、その帽子を遊び場に置き忘れて紛失してしまった。何日かすると近所のアパートに住んでいたちり紙交換のミニトラの運転手がよく似た帽子を被っていたので泥棒だと思い、「返してくれ」と抗議と嘆願したが、無視された。
・平和台公園で父といっしょに手こぎのボートに乗ったが、水が汚れていて臭かった。
・大宰府天満宮で失くし物をした記憶。何を忘れたかは覚えていない。
・海の見えるホテル最上階のレストランで食事したときに、遠方に島らしきものが見えたので思わず「あ、あれは対馬ですか?!」と近くのウエイターに尋ねたら、志賀島だった。海の中道を通じて九州とは陸続きになっていたことを教えられた。

以上、初めての福岡旅行での想い出でした。(波照間エロマンガ島 20/5/30)

(寸評)50年近く前はそうだったんだねーと。あの頃は駅でしか買えなかった冷凍みかんがすんごくおいしかった記憶があるなあ。あれも無くなったよね。 6ポイント。

初めてのコイと並走

高校時代の話、ということは今から10年前ということです。
そのころのお小遣いは交通費込み5000円でした。
電車では毎日通えません。基本自転車です。
どんなことがあろうと自転車通学です。
当時は、無駄に皆勤賞を狙っていました。今考えると何をやってるんだろうと思います。結局ゲロ吐いて一日休んで皆勤賞は逃しました。

閑話休題

前述したとおり、どんなことがあろうと自転車通学でした。
雨が降ろうが大雪が降ろうが、何があっても自転車で通学していました。

ある大型台風が直下した日。
休校案内をずっと待っていました。
自転車で1時間以上かかるので、万が一学校があったら皆勤賞を逃してしまう、と考えていたのです。

私は痺れを切らしました。合羽羽織り、まるでウルトラマンのようないで立ちでボロボロのママチャリにまたがりました。

道路は川のように浸水していました。
ふと目をやるとコイが自動車道をスーイスーイと泳いでいきました。
わたしは唖然としました。
しばらくコイと並走しました。
コイはいつのまにかいなくなっていました。
あれは幻覚だったのでしょうか・・・?
それとも・・・

ちなみに学校は休校していましたとさ。(ズミ天 20/5/19)

(寸評)皆勤賞狙い! 子供の頃から病弱でしょっちゅう熱を出していて、高校の時は雨の日と風の日は家で寝てるほーが幸せとさぼっていた俺とは正反対だなー。
でもおかげでコイと並走できたんなら良かったね! 俺はあったかいお布団の方が好きだが...。7ポイント。

初めての炭酸水

わたしが初めて炭酸水を飲んだのは6歳くらいの頃。避暑で訪れていた山中湖湖畔の日用品よろず屋で、でした。のどが渇いたのでジュースを買おうとしていると、店の冷蔵庫に透明色のファンタの瓶を発見。「あ、これ新製品だ」と飛びつき即購入。その場で栓を抜き、飲みました。当然サイダーの味がすると思っていたのですが、飲んでみると…。

げぇぇぇぇ、ぜんぜん甘くないーーーー!!!

それが生まれて初めて飲んだ炭酸水でした。ハイボールを作るときウイスキーに割るのが普通の飲み方だと知ったのはそのあとのこと。しかし「ファンタ」と瓶に表示してあったら、甘い炭酸飲料と普通思うじゃないですか。とにかく6歳の子どもには炭酸水は強烈な印象を残しました。

あれから50年以上経ち、現在わたしは炭酸水(SODA WATER)を毎日飲むようになっています。料理との相性は抜群で、酒を止めた身としては欠かせない飲み物です。そんな初めての炭酸水の話でした。(波照間エロマンガ島 20/5/19)

(寸評)俺も初めて味のない炭酸水飲んだ時、同じく「げぇ〜っ」と思ったな。ヨーロッパだと普通の水より炭酸水の方がポピュラーだったけど、そのトラウマから毎回「ノン・ガス・ウォーター・プリーズ!」と言ってたなあ。
今じゃ部屋に常に炭酸水を常備してシュワシュワと喉を潤すようになりましたとさ。5ポイント。

初めて噴火を見た

僕が初めて火山の噴火を生で見たのは2014年の御嶽山の噴火。その日は運動会でした。何時くらいかは忘れましたが、遠くの方に細長い煙が立っていました。でも僕も含めて皆火事かなとしか思っていませんでした。
それが噴火だったのを知ったのは家に帰ってきてテレビをつけた時です。
ニュースで御嶽山の噴火のことをやっていました。御嶽山から学校までは岐阜県をまたいで200km以上離れていたのに、噴煙がバッチリ確認できたのです。これで噴火の恐ろしさを初めて知りました。(ナタデンココ 20/5/19)

(寸評)噴火は見たことないけど、たまの噴火する群馬と長野の県境の白根山をサイクリングで走ってた時のこと。
険しい山に遂にペダルを漕げなくなり、押して歩いていた時のこと。標識が見えた。なになに...。
「このあたり有毒ガスが噴き出ています。車の窓を閉め、なるべく早く通り過ぎてください」
おいおーい、自転車に窓はない。そしてまったく早く通り過ぎれないよー!

それから数年後、そのあたりを散策していた女子高生数人がガスにより死亡するという事故が。
本当に危機一髪だった! 5ポイント。

初めてのパチンコ

大学時代、部室で何するとなくウダウダしてたときのこと
部長から「ズミ天、パチンコ屋行こうぜ」
きくと、新しくガメラのパチンコが入荷したということで、特撮好きの私は二つ返事で行くことにしました。
しかし、新台は抽選制。はずれてしまったので、テキトーなパチンコで遊ぶことにしました。

私は、トランスフォーマーのパチンコを選びましたが、友人曰く「これは当たらない台だから」と推奨しませんでした。 しかし打ってみるとどうでしょう。ビギナーズラックでしょうか、大当たりが出ました。
結果、1万円の儲け。
二人で山分けしました。

しかし、大当たりがでたときの快楽が強すぎること、当たり前ですが、うるさい&ピカピカ光って眩しいことから、それ以来パチンコはやっていません。
タバコですら、禁煙に苦労しているというのに、これ以上はまったらとんでもないことになります。

イヤホンジャック挿して音がうるさくないパチンコが将来出たら、やろうかなとは思いますが・・・(ズミ天 20/5/19)

(寸評)俺がパチンコ初めてやった時は、まだ手打ちだった。一球入魂するのが楽しく、そこそこの時間遊んでもそんなにお金がかからなかったが、全自動になってからはあっという間に玉は無くなるし、元々ギャンブル運もなくて全然勝てなくなったのですぐ辞めたが、しばらく手打ちのアレンジボールというのにははまったことはあったなー。
やっぱりそれもひとつずつ一球入魂して遊ぶパチンコの兄弟みたいなものだった。
またアレンジボールがあればやりたいな。 5ポイント。

初めての自腹でテレビゲーム

小学生の頃の話です。
当時私はお小遣いがもらえなかった。
なので、周囲の友人が遊んでたカードゲームの類やゲームの類とは無縁だった。
そんな私に、ポンと3000円のお小遣いが舞い込んだ。
踊った。覚えていないが、ワルツを踊ったような気がします。
私はゲーム屋さんへ直行した。

目に飛び込んできたのは「RPGツクール」
これなら、いくらでもソフトを作れるぞと思い買いました。
しかしどうでしょう・・・
作るのがこんなにもめんどくさいなんて・・・
泣きました。
ソフトはどこか遠くの彼方へと消えてしまいました。(ズミ天 20/5/19)

(寸評)初めてのテレビゲームはファミコンだったが、これ結婚が決まった時に親に「少しは家財道具買いなさい」と貰ったお金で、最初に買ったものだった。
思えばひどい息子だったなあ。5ポイント。

初めて人間椅子(バンド)を見た

それは僕がたまにハマり始めた頃YouTubeでさよなら人類の動画を観ていると、関連動画にひときわ目立つねずみ男の姿が。
最初は色物だと思いスルーしてましたが、たまと同じイカ天出身ということでその動画を観てみました。
・・・見た目に反してめちゃくちゃカッコよかったです。何と言うか、あの気持ち悪さが僕にとって丁度良かったみたいです。今もバンド活動をしていると聞いて一番最近のライブ映像を観ましたが、ねずみ男が袈裟を着た坊主になってるとは思いませんでした....
そしてたまと人間椅子のCDを交互に買っていった結果、いわゆる『流行りの曲』みたいなのは一切聴かなくなりました・・・(ナタデンココ 20/5/19)

(寸評)最近、和嶋さんのインタビュー読んで「デビュー当時、ただひとつ『これはかなわない』と思ったバンドがたまだった」と書かれていて嬉しかったなあ。
キング・クリムゾンのカバーとか、完璧だよね。4ポイント。

初めての自分で自分のケツの穴を見る

一人暮らし時代、初めて痔を患いました。不摂生をしていたからです。
ボラギノールを買いました。その時はお金がなかったのですが、おしりが痛いのは耐えられません。本当はハンバーグが食べたかったのです。でもボラギノールを買いました。ボラギノールは焼いてもハンバーグにはなりません。また、ハンバーグを焼いてもボラギノールにはなりません。仕方ないのです。

ふと、トイレでうなっていると、手に持ったスマホで尻の穴を撮影しようと考えました。
難儀しました。
スマホがトイレに落ちたら取り返しがつきません。血で真っ赤に染まった水につかったスマホなんて使いたくありません。トイレには女神様がいらっしゃるとよくいいますが、金のスマホ、銀のスマホなんていりません。金銀は欲しいです。
ギリギリの位置で撮影しました。
撮れたケツの穴には、小さなイボができていました。
そこから出血していました。
気味悪いですが、半月はスマホの中にその写真はありました。

ボラギノールはボロボロになったので捨てました。
今でも痔です。
粗塩でも塗り込もうかと思います。(ズミ天 20/5/19)

(寸評)それじゃオカマも掘ってもらえないな。治るといいね。7ポイント。

初めてのサイゼリヤ

我が町にサイゼリヤができました。
イタリアンレストランといえば、ジョリーパスタがあるのに、と思いながらも車で向かいます。
ガーリックトーストを食べました。なぜなら、当時から見慣れない名前のものは食べないという信条があったからです。 ミラノという名前が名前だけ見るとまずそうでした。
親のを一口食べました。おいしかったです。どうでもいいですが、おいしかったとおしいかったは似ていますね。
しかし、私は長年サイゼリヤいかない運動を続けてきました。
なぜなら、壁に書いてある天使の絵が不気味だったからです。
あの絵のせいでなにもかもまずく感じました。

絵に気に取られていると、ドリンクバーのコーラがまずくなりました。
あんなコーラを出す店にはいきたくないと長年ボイコットをしていました。
しかし、ある日ふと気が付きました。
あれは、ただ氷で薄まっただけじゃないかと
気が付くのに5年かかりました。

今はサイゼリヤは普通にいけます。
天使の絵は気にならなくなりました。
私の中で、大人とは、天使の絵を見てもご飯がまずくならないことが条件だと思います。

どうでもよいことですが、毎回毎回サイゼリアと間違えるのは、小林亜星のせいです。
石は投げないほうがいいです。(ズミ天 20/5/19)

(寸評)俺もコスパがいいからサイゼリヤ好きなのだが、我が街からは逆に撤退しちゃったからなかなか行くことはないなあ。
ワインのデカンタ、ミラノ風ドリア、他もう一品取っても1000円ぐらいってビンボー人にはありがたい。5ポイント。

はじめてのジェット

4畳半のワンルームの部屋に、初めての一人暮らしを始めたときのこと。
マンションは10階建ての8階。
初めての一人暮らしで初めての夏。

6月までは換気扇を回すだけでけっこう涼しく過ごしていました。

そのうち、換気扇だけでは暑く感じ、ベランダの窓を開けるようになりました。
ベランダは大通りに面していて、大通りには木々があり、木陰がたくさんありました。

8階ということから、木々も目線より下にあったので、ベランダを開けっ放しにしていました。

ある日、仕事から帰宅したとき、凄まじい速さで黒い物体が目の前を横切りました。

黒くて大きな影、一匹の蜂が、狭い我が家に入り込んでいたのです。

狭い空間での浮遊物の移動はかなりの速さに感じて、恐怖しかありませんでした。

恐る恐るゆっくりと玄関に移動し、靴箱に置いておいたフマキラージェットを手に取りました。
そして、一気に、その黒い影の方に向けて噴出しました。
電器のほうに逃げたので、電器をめがけて集中的に噴射しました。
4畳半という狭さからか、蜂に効くのか、手に持っている私のフマキラーが底をつくのが先か。

すると、私も呼吸がしづらくなってしまいました。

まだ黒い影は電器のあたりでビビビビビと動いています。
意を決してもう一度スプレーを続け、同時に手当り次第のあらゆる換気扇を回しました。キッチン、トイレ・バス…

初めて害虫用のジェット噴射は人間にも効くのだと知りました。

かなりの高密度でジェット噴射したからなのか、黒い物体が息絶えてからも、数分意識を失っていたのと同時に行く苦しさの記憶もあり、殺虫剤は人間にも効くと知りました。

ちなみに蜂との戦闘には私が勝利しました。

害虫用スプレーは、かなり換気をしている状況で使用したほうが良いと学びました。(万里小路 20/5/19)

(寸評)殺虫剤は要するに毒だからねー。もちろん人間にも害がある。
でも咄嗟の時ってそれを考えてる暇ないよねー。そして一匹いるものは百匹出るかもしれない...。5ポイント。

初めてのビール

泡をなめただけをカウントしなければ、確か高校時代。
私は知久さんにあこがれていました。
ギターのテクは近づけなくても、何かしらあやかれるものはないかと
冷蔵庫を除きました。
ビールが鎮座ましましてました。

私はこっそり拝借しました。
プシュっという音と泡。
子どものときなめたビールの泡を思い出します。
私はグイっと飲みました。
・・・うまい!!
なんでこんなおいしいものをみんな飲まないんだろう(そりゃそうだ、未成年なんだもの)
と感動にふけったものです。
それから社会人になって、周りが全員カクテルを注文する中、一人だけビール。
送別会のピッチャービールを一人で飲み明かしゲロを吐いたり・・・

今はお酒はそこまで飲めませんが、季節問わず手に取るのはやっぱりビールです。

知久さんのライブを見るときは、基本片手に缶ビール。
・・・、できればエビスが飲みたいけど・・・、贅沢はできませんね(ズミ天 20/5/19)

(寸評)俺たちの昭和時代は、とある女子運動部の合宿で、生徒ひとりにつきビール大瓶一本が先生により食事時に出されたこともあったらしい。
当然、普通に飲んでいて大人に止められることもほとんど無かった。
今は昔、だなあ。6ポイント。

初めてのカウンセリング

中学時代、いじめの悪化でカウンセラーさんとお話しする機会がありました。
過去を話し、困ってることを話し、箱庭療法を試しました。効果はあまりありませんでした。
・・・、しかし問題がありました。
正直、カウンセラーさんと話すくらいなら、部屋で趣味のことしてるほうがマシ。と思ったからです。
しばらく行かないと話すも、すぐにカウンセラーさんから手紙が。
「また来てください」と。
事が重大だったので、担任も「行きなさい」と諭されましたが、数回いっただけで終わりました。
まぁ、それ以上に教師ぐるみでいじめられたり、からかわれたりしたので、結局変わらなかったんですけどね・・・
高校は遠い、誰も行かない高校に行って、本当によかったと思います。

あっ、カウセリング室の鉄人28号のフィギュアをパクったのは私です。ごめんなさい。(ズミ天 20/5/19)

(寸評)俺も以前も書いたけど、先生主導でいじめられたからなあ。
カウンセリング、俺もあんまり信用してない。まぁ、合う人もいるんだろうけどね。5ポイント。

初めての検査

幼稚園にいた頃はものすごい手のかかる子でした
わがまま放題、昼寝はしない、体操はしない、拾ってきた怪獣図鑑を日がな一日眺めるなど、奇行を繰り返してきました。
それで先生も痺れを切らしたのでしょう。
私が何かしらの障害を持ってるのではないかということで、検査をすることになりました。
東神奈川駅の某ビル。
私はいくつかの検査を受けました。
内容はよく覚えてません。
その後、親と先生との話し合い、その間、一人で怪獣図鑑を読んでいました。
結果は異状なし。

大人になるまではそのことは忘れて、普通に暮らしていましたが、ある時を境にこれを思い出しました。
まぁ、別に学習障害だろうがどうでもいいと言い聞かせています
・・・、言い聞かせています。(ズミ天 20/5/19)

(寸評)今考えると俺を含め、かなりの変わった友達は今だったら学習障害とかナントカ障害と診断されただろうな。
うちの妻も授業中に突然校庭に走り出して遊んでたりしたので親が呼ばれ「特殊学級に入れた方がいいかも」と相談されたらしいし。
そんなんでも大人になればなんとかやってる。
よっぽどひどい場合を除いては、少々の病気は誰でも持っていて、なんとか折り合いつけて暮らしていけると思うな〜。6ポイント。


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