ザ・レポート(56)
今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「ホルモン鉄道」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
既にどこかに発表したものの再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メールにて題名「レポート」でお願いします。投稿ひとつ10ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな〜っ。
例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ〜ん。
父が「たま」を買ってきた日
私がたまさんの音楽と出会ったのは、小学5年生の頃のことでした。
父が突然、「たま、買ってきたでぇ」と、なぜか青森出身なのに関西弁で嬉しそうに「さんだる」のCDを見せたのを今でもよく覚えています。
しかし、もっぱらタイガースやテンプターズ、カーペンターズといったグループサウンズ好きな母と、当時流行っていた米米CLUBや徳永英明さんに熱を上げていた姉はほとんど興味をしめしませんでした。
CDをかけると、歌がすごく怖かった記憶が強くて、母や姉が聴く類のものとは明らかに異色であることは小学五年生の私であってもよく分かりました。父は元来飽きやすい性格で、それ以降新しいアルバムが出ても買ってくることはありませんでした。
なのに、私はどうしてか怖いのに聴くのをやめられず、なんでかずっと聴いていました。ずっとというのは、世間からたまさんがどこへ行ったか分からなくなるまで。
当時はインターネットもなかったし、小学生・中学生だった私がたまさんたちの活動を知る由もありませんでした。高校生になったころ、学校の図書室でなぜかたまさんの本を見つけたけれど(けっこう厚みのあるやつ)、どんなだったかそれはよく憶えていません。
それで、当時私はセキセイインコを飼っていたのですが、学校から帰るとインコたちを放鳥しながら飽くこともなく連日「さんだる」ばっかり流していました。それぞれ、なんとなく歌詞を、全文ではないけれど、そらんじています。
「ひどい詩だ」といつも思いながら、ギロチンにかけられた人魚や、「僕」をにらむラクダの目を想像しました。川をどんぶらこと流れてくる女性の腹を殴るボクサーは、なんと恐ろしいことだろう。おやつが風邪薬7錠じゃ、それこそ自分のほうが医者にかからなくてはならなくなる。
何にも知らない子供の私が「オゾンのダンス」を歌っていたら、母が「それは、家の外では絶対歌わないで。お母さんは、その歌、いやだ」と言うのできょとんと母の顔を見ました。今では、あれは確かに卑猥な感じだったかもなぁと母への理解もいくぶんします。しかし、食事も睡眠もふつうな生命の営みであるのに、どうしてか性的なことだけは、湾曲させてしまいますね、人間は。
それで、「学校に間に合わない」は、忘れ物ばかりする私にとって、すごく怖い歌でした。草むらの中、教科書を探し、ノートもどっかいっちゃって、取り残されてしまうのだから。
それにしても、階段だけしかないそれだけの建物、そんなのがあったら、確かに子供はとりあえず登ってみて、てっぺんから飛び降りてみたくなるかもしれません。
ひところ、バンジージャンプや遊園地ではブルーホールみたいな高いところから落ちていくのを楽しむのが流行っていましたから、歌で、その先取りをしたのかもしれませんね。(ブルマン青山)
(本人より)昔はネットが無かったから、テレビや雑誌に出なくなったら「消えたもの」「やめたもの」と思われてたよね。実際は規模の縮小はあれど、相変わらずライブを続け、CDも出していたのにね。結局大手事務所にいないとテレビに出たりライブの宣伝がちゃんと出来たりしないからね。まぁその辺りは「『たま』という船に乗っていた」を読んでいただければ分かるかもしれないが。
それにしてもある種のトラウマ的なことになっていたのは、良く解釈すると子供ながらに琴線に触れたということで、それが表現者としては一番嬉しいこと。バンドやってて良かったなあ〜。
ぶつぶつ昔話 チャットバー ウキュピ編
私が石川さんのHPに初めてアクセスしたときには まだチャットがあった(なぜなくなったかは 色んなとこで書かれてるので省略)
一時期石川さんが先導して X(当時はツイッターね)でリプして人を集めてたりしてましたね
印象に残ってる会話があります
私がパワハラで会社を辞め 一年就職浪人のようなものをしてやっとこ入社が決まったとき たまたま石川さんがチャットにいらっしゃったので顔を出したら
「ズミ天、仕事決まって良かったね!」と激励してくれました
これは今でも覚えてます。嬉しかったです。
別の日
大谷氏も交えて数名でお話
議題がうんこというお上品なテーマ
私は記憶に残ってた 本物の乾燥人糞が付録でついてたレコード 愛欲人民十時劇場とボソッと呟いたら
石川さんが「懐かしい…」と呟いてくださいました
この頃私は山崎春美さん(上記のレコードの中心人物)にハマっていたので呟いたらまさかの反応
そしてファイブクエスチョンで聴いたことあるか訪ねたら ダビングで聴いてたとのこと
あとで調べたら 山崎春美さんとも共演されてたことを知ってびっくり
他にも私や現投稿王への誹謗中傷などもありましたねー
私はネットの悪口など便所の落書き程度にしか思ってなかったのですが あまりにもしつこいので んーとは思ってました
その後 石川さんとライブで会った時(山下由さんの追悼ライブ)石川さんから「チャットに負けるなよ!!」とこれまた激励
隣りに座ってた知久さんは「なんのこと?」と笑ってました
といろいろブツブツ呟いてみました
復活は望まないけど 昔はこんなこともあったよなぁとふと思い出すことはあります(ズミ天)
(本人より)楽しかったんだけどねぇ〜。マナーの悪い人に潰されちゃったね。残念。
2025/6/11 大阪虎辰企画25周年
ついに来ましたこの時が。
生石川さんに会える時が。
関西にいらしてくれてありがとうございます。
私の住んでる場所はアクセス最高なので、関西までは庭のようなものです♪
夜行バスにて、関西に到着したのは
ライブの朝。
前日にライブがあった京都でした。
まずはいつも行く神社にご挨拶と……。
本当は、ライブの日の夜にそのままトンボ帰りするつもりが、
第二目的の方がトリを務める&夜行バスの時間を過ぎてしまうので、一泊することに。
ネットカフェにて一泊1500円なり。コスパ最高(笑。
会場はわかりやすい一本道なので、迷わずいけました。
と言いたい所でしたが、ほんの少し通り過ぎてしまい、来た道を戻るという失態。
会場への降り方がわからず、ここでも迷いました(苦笑。
昭和ポップな感じが印象的だったANIEKEY A GOGO!さんからはじまり、寺田町さんの美しいギターサウンドが響き、リレー形式で虎辰さんのバースデーと企画25周年を祝っていきます。
石川さんは舞台上では、やっぱりランニング姿(笑。
普通のお姿の時には、ともすれば気づかないんじゃないか?くらいのオーラで会場入りをしていった石川さんは、ランニング姿でステージに立つと、やはりそこはプロ。
会場にいる皆様を惹きつけていきます。
虎辰さんへの導入MCという事で。
「今日は、色々な方が出演してますが……虎辰さんの誕生日という事でね、もう僕らは倍は生きられませんから。」
というような短めの挨拶が終わった後、、まさかあれが来るのか?いや、でもあの曲長いし、まさかね?
と思って、ドキドキしてたら予感的中。
聞いた人、誰もが自然と涙出たと評判のあの曲。
―ソフトムリーク
これを生で聞く覚悟はまだできてなくて、生で聞く「ソフトムリーク」は。このライブだからこそ
最高の輝きを放ってくれて。
私。なんと目の前の席で大号泣(苦笑。
この曲を歌ってるとき、半分も石川さん見れてなかった気がします。
生で聞くソフトムリークは本当に最高でした。
もう一回聞きたい。
曲の後半で何とか持ち直してステージを見ながら聞くも
その曲を聴いてる間はずっと泣いてた記憶があります。
生で聞けて良かった。
二曲目のソロは何が来るんだろうと、思っていたら。
ここはスペシャルステージ。
食事つきライブという事で、
―ラザニア
がふるまわれました。
この曲でしたっけ。途中、最後のほうで、終わったと見せかけて曲が復活して
最後に石川シャウトが炸裂するじゃないですか。
この曲でも、魂のような叫びのMCが出てきた後、
ここは割と普通にあたたかな声で。優しく。
「うまれてよかったなー」が炸裂しました。
そして、ラザニアを歌うとき、実は石川さん。
最初で突然歌詞が飛びまして。
自分で書いたんちゃうんかーい!と心で突っ込みながら、
目の前でこれも泣き笑いみたいな感じで聞いてました。
石川さんは気づいておられたのか、
いや、そりゃ目の前であれだけ大号泣されたら気づくよな。
この二曲を歌った後、はけるときに
「また会えるからね、悲しまないでねー!」
と言って消えていったのが象徴的でよかったです。
京都のライブもきっと温かでよかったんだろうなと思う一方
二か所はいけなかったので、
どっち見に来るのがよかったかというと、
こっちでよかったな、立ち会えてよかったなと思える
名MCとライブでした。
ラザニアの曲の途中のMCですが、
「ここに皆さんがいるということは奇跡的なことなんです!」
というようなことを、おっしゃっていて。
初めて会った方とも、普通に仲良くおしゃべりしてたので、
本当にその通りだよねぇ。と思いながら、聞いてました。
ソロは長い曲と短い曲という石川セレクトで終わった後、いったんはけた後は、
お仲間が増えてグループセッションに切り替わり、バンドバージョン。
何をやるんだろうと思っていたら。
なんと「たま」!!そう、「たまの曲」が二曲!
―月の夜の寂しさに
で、しっとり楽しませた後、
「これをやらなきゃはじまらねぇ……(しゃらららら」
まさか。あの曲が来る?
とおもったらきました。
―さよなら人類
こんな形で、まさか子供のころに聞いていた
あのたまのトレードマークの代表曲を聴けるとは思ってなくて。
聞けないもんだと思ってたので、びっくりうれしく思いました。
生石川さんのステージは、グループセッションの時は、
メインボーカルを立てるように歌ってらして、踊ってらして。
盛り立てるのが本当にお上手だなと。
「ついたー!」
を生で聞けたときは、めちゃくちゃ感動しました。
たまが現役時代にライブに行きたかった。
やっぱりたま最高だよ。たま。
石川さんの温かいエスコートでグループセッションも無事終わり、
次のアーティストへ。
本当に皆さん素晴らしかったです。
石川さん、ほんとにほんとにまた会いましょう。(美ゆり)
(本人より)なんと九州から! ありがとー。
この日はいつも僕の関西出前ライブを企画してくれる方の誕生日企画。出演者もプロばかりがズラリ。その分、ひとりあたりの演奏時間は短かったのに遠方から来てくれて嬉しかったなあ。最近はだいたい僕が最年長なことが多いのだけれど、この日は山本恭司さんはじめ僕より年上のベテランがほとんど。なのでちょっと小さくなっていました(笑)。とはいえステージでは「若造が!」と思われないように(流石に還暦過ぎは若造とは思われないか...)ハッチャケたけどね。ソロとたまカバー、両方観てくれてありがたかった。また来てね!