ザ・レポート(54)


今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「ホルモン鉄道」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
 既にどこかに発表したものの再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メールにて題名「レポート」でお願いします。投稿ひとつ10ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな〜っ。
 例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ〜ん。



映画「日日芸術」初日舞台挨拶



2024年4月12日(土)、やっと訪れた春らしい陽気の中、妻と2人でJR新宿駅東南口階段降りてすぐの新宿K's cinemaでの映画「日日芸術」(にちにちげいじゅつ)初日舞台挨拶(伊勢朋矢監督と主演の富田望生さん)に行ってきました。映画「日日芸術」は、2023年春にNHKで放送された「富田望生の日日是芸術」(とみたみうのにちにちこれあーと)の拡大映画版作品で、私は「日日是芸術」を観る機会がなかったので、今回事前情報なしの全くの初見でした。結論から言えば、目から鱗が落ちるどころか、目ん玉自体がポロリと落ちるような衝撃を覚えました。
この映画は、プロデューサーの牧野望さんによると元々は2017年にNHK Eテレで始まったETV特集「人知れず表現する者たち」を端緒としており(2023年3月のパート4まで放送されている)、その延長線上で2020年1月に同じくNHK Eテレで現在は毎週日曜日の朝放送の「no art,no life」という作家さんを紹介する5分間番組が始まり(これまで100名以上の作家さんが登場されている)、そのスピンオフ的特番として2023年春に「富田望生の日日是芸術」が放送された、という流れで、それらの番組のディレクターもされていたのが今回監督をされた伊勢朋矢監督との事です(パスカルズの映画「PascaLs〜しあわせのようなもの〜」を撮られた伊勢真一監督の息子さんです)。
生来の遅筆故、レポート書けていないライブが山積みなのですが、時系列を無視して今日観た「日日芸術」のレポートを先に書こうと思います。
この映画は富田望生さんが「女優富田望生さん」役として、喫茶店でマネージャーから「日日芸術」の台本を渡されるシーンから始まります。観客に劇中劇を意識させる作りになっています。そして「女優富田望生さん」は、おもむろに台本を開くのですが、その1ページ目にはただ「やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ」との一文(「じゃがたら」の江戸アケミさんの有名な言葉)が記載されているのみです。およそ台本らしからぬ体裁になっています。「女優富田望生さん」は怪訝に思いマネージャーに視線を送りますが、マネージャーはスマホの操作に夢中で取り合ってくれそうにありません。そこで仕方なく「女優富田望生さん」は渡された台本を読み進めます。およそ台本らしくない台本を。
そうして、マネージャーとの打ち合わせの帰り道、台本にあったト書を文字通りブツブツと口にしていると「女優富田望生さん」は、見慣れない不思議な佇まいの喫茶店の存在に気付きます。「あれ?こんなところに喫茶店あったっけ?」と恐る恐るドアを開けてみます。お店の名前は「物豆奇」(ものずき)。東京・西荻窪に実在するアンティークな不思議な佇まいのレトロな喫茶店ですが、映画の中では物語を司る不思議な空間に生まれ変わっています。「女優富田望生さん」がドアを開けると、そこには無数のメガネが天井から吊り下がっている、摩訶不思議な異世界的空間が広がっていました(実際の「物豆奇」にはメガネはぶら下がっていません)。「女優富田望生さん」が「メガネだあ」と不思議そうに眺めていると、そこに店主役の写真家・齋藤陽道(さいとうはるみち)さんが現れ、「女優富田望生さん」にセロハンテープで作られた紙のメガネを渡し、手話で「かけてみるように」と促します(齋藤さんは都立石神井ろう学校卒業のアーティストです)。「女優富田望生さん」は店主役の齋藤陽道さんに言われるまま、恐る恐るメガネをかけてみると・・・
というのがこの映画のオープニングです。ドキドキするようなオープニングですね。そして「女優富田望生さん」がメガネをかけた刹那、そこには全くのアートな異世界が広がっていました。天空には竜のような見た事もない超巨大な生物「双頭ドロー・ウーゲ」(福井誠さん作品)が異形を横たえています。そのインパクトは絶大です。「女優富田望生さん」がメガネを外すと「双頭ドロー・ウーゲ」は見えなくなります。しかし再びメガネをかけると、「双頭ドロー・ウーゲ」はしっかりその超巨大な身体をビルの間からのぞかせているのです。こうして「女優富田望生さん」は異世界への扉となるメガネを通して旅立っていくように物語は案内され、天空の超巨大「双頭ドロー・ウーゲ」の下、パスカルズご一行が楽器を弾きながら行進していくというビジュアルインパクト絶大のオープニングが始まります。ここから、映画全編を通して、パスカルズの素晴らしい楽曲が流れて映画の世界を形作っていきます。伊勢朋矢監督が「これはある意味音楽映画」と舞台挨拶で仰られていましたが、その通りこれはパスカルズの音楽映画という一面も兼ね備えていると言えるでしょう。何と言っても随所にパスカルズのメンバーが降臨してきて、「女優富田望生さん」並びに観ている私達を芸術の世界にいざなうのですから。
「女優富田望生さん」はここでメガネを通して不思議なオブジェに変容した不思議な東京タワー(木村全彦さん作品)に歩みを進め、不思議なエレベーターガールに案内され、エレベーターの先の異世界へと飛び込んでいくのです。と言いたいところですが、普通の映画なら。ここまで、観客には「女優富田望生さん」は異世界に飛び込んだ異世界譚として物語は提示されているように見えます。
しかし。しかしなのです。ここから先、「女優富田望生さん」はある段階までずっとメガネをかけているのですが、そこで展開するのは異世界ではなく、現実世界を生きる「アール・ブリュット」作家の方々の世界なのです。これは何を意味するのでしょうか?「アール・ブリュット」とは映画チラシに「フランスの画家ジャン・デュビュッフェによって1945年に提唱された芸術の概念。『生の芸術』の意味で、既存の美術や流行などに左右されず、衝動のままに表現した芸術をいう。英語では『アウトサイダーアート』とも呼ばれる。ちなみに本作で使用しているアート作品はすべて本物である」と記載されてあります。すなわちこの映画「日日芸術」の「芸術」とは「アール・ブリュット」「アウトサイダーアート」の事なのです。この後、「女優富田望生さん」は、落ち葉を使って折り紙のように動物を作る渡邊義紘さん、音符を使ってひたすら鳥の絵を描くミルカさん、本作で重要な役割を果たすメガネをひたすら何万個も作り続ける高丸誠さん、毎朝自分の顔をコンビニのコピー機でコピーを取る井口直人さん、筑波山の麓で有機農業してパフォーマンスする自然生クラブ(じねんじょくらぶ)の皆さん、ひたすら黒のボールペンの細かい円で落ち葉を表現していく杉本たまえさん、最初と最後が全て一本の線で繋がっていて、まるで迷路のように空間を模っていく曽良貞義さん、そして自分の家の壁という壁全てに作品を描いてしまった小林伸一さん、と「アール・ブリュット」の芸術作品世界に邂逅していきます(他にも尾澤佑貴さんの不思議な自動車「スバル360」、「女優富田望生さん」のマネージャーがこの顔になってしまった青木尊さんの不思議な顔「ウララちゃん」、富田さんが「地球」と名付けた井村ももかさんのボタンのオブジェ「水色の玉」、まるで縄文時代の土偶を想起させるような澤田真一さんのトゲトゲのオブジェ「無題」など沢山の作品が映画を彩ります)。
しかし、これは物語を考える上でものすごく重要な事なのですが、そこは異世界ではありません。徹底的に皆が生きとし生ける現実世界なのです。だからこそ、この映画はドキュメンタリー映画としての要素が色濃くあります。異世界が見える不思議なメガネをかけて旅している「女優富田望生さん」のはずなのに、その旅で出会うもの全て、徹底的な現実世界です。その徹底的な現実世界で日々生み出される「芸術」に、「女優富田望生さん」は邂逅していくのです(富田望生さんが舞台挨拶で仰られていましたが、だからこそ劇中で富田望生さん本人と役としての「女優富田望生さん」との間に揺らぎが生じていきます。チラシにもあるように「どこまでがドラマで、どこからがドキュメンタリーなのか?」という揺らぎです)。そう言えば「女優富田望生さん」がかけている不思議なメガネにはレンズが入っていません。ある意味、ただのフレームなのです。ただのフレームなので、そのフレームを通して見える世界もまた、眼球と地続きの、変わらぬ現実世界なのです。これはつまり、こういう事なのではないでしょうか?この映画が不思議なメガネを通して提示している世界とは、一見異世界であるように見えて、その実、私達が普段見えていない、いや見ようとしていない現実の「芸術」世界である、という事なのではないか、という事です。この逡巡の中で富田望生さんは「世界はひとつじゃない ああそのまま ばらばらのまま 世界はひとつになれない そのままどこかにいこう 気が合うと見せかけて 重なりあっているだけ 本物はあなた わたしは偽物」と星野源さんの「ばらばら」を口ずさんでいます。これはこの作品のテーマである「あなたの目に世界はどう見えていますか?」という問いかけに対する逡巡です。それは自由でバラバラな芸術の世界だったのでした。
ここで翻って「アール・ブリュット」「アウトサイダーアート」の意味に触れてみますと、この映画のプロデューサー牧野望さんによると「正規の芸術教育を受けていない、市井の人たちによる創作や表現」との事です。この「正規の芸術教育」というのが大問題です。「正規の芸術教育」では、落ち葉を使って折り紙は折りません、音符を使ってひたすら鳥の絵を描きません、フレームだけのメガネを何万個も作りません、毎朝コンビニで自分の顔をコピーしません、筑波山の麓で有機農業してパフォーマンスしません、黒のボールペンでグルグルしながらひたすら葉っぱの絵を描きません、一本の細い線で迷路のようにひたすら空間を埋めていったりしません、そして自分の居住空間の壁という壁、物という物に絵を描いていったりしません。教育とは何でしょう?教育とは「あれしなさい」「これしなさい」「あれしてはいけません」「これしてはいけません」というルールにはめ込んでいく作業でもあるように思います。それは他人と暮らす「社会」を生きていく上で、必要になってくるルールと言えましょう。特に現代はどんどん複雑な社会となっており、そんな複雑な社会を生きていく上では、教育は必要不可欠なものになっているのかも知れません。
しかし、こと「芸術」に関して、「あれしなさい」「これしなさい」「あれしてはいけません」「これしてはいけません」というルールは必要不可欠なものなのでしょうか。ここで冒頭の「女優富田望生さん」に提示された台本の1ページ目の「やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ」という「じゃがたら」の江戸アケミさんの言葉が思い起こされてくるのです(これは元「じゃがたら」メンバーのOtoさんによると「いかにそのひとらしく生きることができるかというメッセージ」との事です)。およそ複雑な現代社会に於いて「自分の踊り方で踊ればいい」を実践出来るシチュエーションがどれほどあるでしょうか。私達は自分達が思う以上に無意識のうちに「あれしなさい」「これしなさい」「あれしてはいけません」「これしてはいけません」という枠に雁字搦めになっていて、本来なら見えるはずの超巨大な「双頭ドロー・ウーゲ」も見えなくなっているのかも知れません。これは富田望生さんが舞台挨拶で仰られていましたが、いつの間にか「直感力」が無くなっている、という事なんだと思います。自分の直感的にこうだ!を表現するに至る前に「あれしなさい」「これしなさい」「あれしてはいけません」「これしてはいけません」に引っかかり、自分の直感は不発に終わります。自分の直感で自由にバラバラに「踊りたいように踊る」という事が出来なくなっているのです。
つまるところ、この映画は「芸術」とは本来「あれしなさい」「これしなさい」「あれしてはいけません」「これしてはいけません」的なものではなく、自由でバラバラに「自分が踊りたいように踊る」ものであり(これはまさに石川さんが映画パンフレットで「筑波山麓でのロケは平和そのものだったなあ。誰に指示されるでもなく、演奏者も踊り手も個人個人自由に自己表現して、でもそれが結果的にひとつの大きな輪になってどんどんドンドン広がっていく」と語られたそのもので、この映画のクライマックスシーンでもあります)、その事を富田望生さんが「女優富田望生さん」役として出演して多くの「アール・ブリュット」作家と触れ合っていく中で、気付いて成長していく、という富田望生さん成長物語ロードムービーでもあるのです(実際、2020年に東京藝術大学大学美術館で開催された特別展「あるがままのアート〜人知れず表現し続ける者たち」で「アール・ブリュット」作品に触れた東京藝術大学OBの方は「芸術教育を受けた自分達が作る作品って何なんだろう?」と自問自答してしまったそうです)。
であるならば、ここで言う「アール・ブリュット」が「アウトサイダーアート」という言い方をするならば、「インサイダーアート」とは一体何なんでしょうか。この映画が私達に圧倒的な現実として訴えかけてくるのは、非教育的な「アウトサイダーアート」こそが、根源的な芸術そのものを私達に感じさせてくる、という事です。それは私達が幼少時には皆、持っていたはずの感覚であり、それが大人になるにつれて、いつの間にか消えてしまっているもの、見えなくなってしまっているもの、という事なんだと思うのです(幼少時には何も考えずに描きたいから描く、歌いたいから歌う、踊りたいから踊る、という事が出来ていたのです。そこに「意味」なんて必要ありませんでした。内なる「直感力」で自由でバラバラに「自分の踊り方で踊ればいい」が出来ていたのです)。プロデューサーの牧野望さんも指摘されていますが、この「アール・ブリュット」という芸術分野で障害を持った作家さんが多く活躍されている、というのは極めて象徴的な事だと言えるでしょう。
富田望生さんが劇中で「女優富田望生さん」役としてかけていたあのメガネは、異世界ではなく現実世界しか見えないが、しかしまた、その現実世界そのものを、私達が実は見えていない、という構造を露わにしている舞台装置でもあった、という事でしょう。だからこそ、物語の終盤で「女優富田望生さん」はメガネを外しても、世界がそれまでとは違って観えたのです。そしてその変化は、「女優富田望生さん」を演じた富田望生さん本人にも起こっていたのでした(この時の様子を伊勢朋矢監督は舞台挨拶で「富田さんの目がキラキラしていた」と表現されていました)。だからこそ富田望生さんはこの作品を「宝物だ」と力説されたのだと思います。富田望生さんの人生そのものにも大きく影響を与えた素晴らしい映画と言えるのではないでしょうか。その集大成として、最後に富田望生さん自ら真っ白なキャンバスに作品を描くシーンがありますが、「自分が踊りたいように踊る」感じでキャンバスに描き続けた富田さんは体感では創作時間が1時間くらいに感じたそうですが、実際は3時間を超えており、撮影スタッフの皆さんが水を流す音がマイクに入らないようにとトイレを我慢するのが大変そうだった、という撮影秘話を舞台挨拶で話してくれました。その創作の過程で富田望生さんが着ていた真っ白なガウンは絵の具でカラフルに彩られ、そのカラフルなガウンを着て、映画のラストシーンで富田望さんはパスカルズのメンバーや皆さんと共に「自分の踊り方で踊る」事が出来たのでした(これは富田望生さんが女優として、これからどう生きていくかという事に関わる根源的な問題だったのです)。
ちなみに芸術の「芸」の字は元は「くさぎる」と読み、草を刈り取る意味との事です。それに対し、旧字の「藝」の字は「植える」という意味で、ある意味正反対の言葉です。この映画において、この字をそれぞれ当てはめるならば、「芸」の字の「芸術」は草を刈り取るように整備し、教育された既存の芸術体系「インサイダーアート」を指すと言えるかも知れません。それに対し「藝」の字の「藝術」は、まさにこの映画で取り上げられた「アール・ブリュット」「アウトサイダーアート」、「やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ」を体現している「藝術」と言えるのではないでしょうか。その「藝術」は既存の「芸術」のように刈り取られ、整備されたものではない、自由でバラバラなものです。しかしながら、その世界は、私達が忘れてしまっていた根源的な「何か」を思い出させてくれ、私達の心に「何か」を植えていってくれる、私達の心に「何か」を育んでいってくれる、そんな素敵な世界なんだと思います。そして、ここが非常に重要な事ですが、その「藝術」の世界を「藝術」の集団たるパスカルズが楽曲で彩っている、という事であり、この作品で「藝術」とパスカルズの音楽は奇跡の邂逅を成し遂げている、という事です。劇中では永畑風人さん、ロケット・マツさん、坂本弘道さん、知久寿焼さんが「藝術」の世界への扉を開く道先案内人の役割を果たされます。まるでこちらの世界とあちらの世界の狭間を生きるこの世ならざるものの存在であるかのように(個人的にロケット・マツさんがどうやって姿を消したのか気になります)。そしてパスカルズのメンバーみんなが楽器を奏でるトンネルを富田望生さんが通るシーンは、本当にこちらの世界とあちらの世界を繋ぐトンネルのように見えるのです。さらに筑波でロケット・マツさん、原さとしさん、堀口紗与さん、石川浩司さんが自然生クラブの方々とコラボされるシーンは私達をゾクゾクさせてくれますし、何と言ってもパスカルズメンバーと皆さんが歌って踊る大団円シーンは圧巻の大迫力です。必見の感動シーンですね。
ただのアーティスト紹介ドキュメンタリー映画にとどまらない、この世界の根源的な「何か」を全編パスカルズの楽曲で彩りながら私達に示してくれる、「日日芸術」はそんな素晴らしい映画です。新宿K's cinemaでは4月13日(土)から4月26日(金)まで、毎回伊勢朋矢監督とパスカルズ他出演者の皆さんが舞台挨拶して下さいます。映画で取り上げられた作家さん達の作品もロビーに展示されており、実際に自分の目で観る事が出来ます。内容盛りだくさんのパンフレットも販売されています。その後、5月11日(土)から5月17日(金)まで横浜シネマ・ジャック&ベティで、5月16日(木)から5月28日(火)まで東京・田端のシネマ・チュプキ・タバタで公開との事です。是非、皆さんに一度は見ていただきたい、素晴らしい映画です。私ごときの拙いレポートではとてもではないが表現し切れない、素晴らしい世界が広がっています。
この映画を見終わった後、空を見上げた時「双頭ドロー・ウーゲ」は見えているでしょうか。(りんりん)


(本人より)僕もそもそもこういう類に昔から親和性が高いというのは偶然じゃあないよなあ。大量生産されてない素人の個人的アートが置けるニヒル牛を作った大きなきっかけは、スイスのローザンヌでその名もズバリの「アール・ブリュット」という美術館を見て、どんな高名な美術家の作品より「感情の圧」の衝撃を受けたことだし、「日本のアウトサイダーアート」というDVDのナレーションなんかもさせてもらってる。
パスカルズもどこか「デキソコナイの行進」のようで、そのデキソコナイの部分が人間の最も面白い部分だと思ってる。デキソコナイが無かったら、地球はなんてつまらないんだろう。無理してデキソコナイを作るのは違うが、大丈夫、人間全部何らかのデキソコナイで、ただそれに、そしてその魅力に気づいてない人がたまにいるだけなんだから。我々デキソコナイたちは、その存在だけでブラボーなのだっ!

「たま」の本



この度「たま」の本を図書館で読むことができました。
たまを緩く推し初めた頃、この本地元の図書館に置いてないかなと地元図書館のホームページで検索かけたらヒットしたものの、後日図書館に行ったら既に貸し出されていたのでさらに数週間後リベンジして、無事読むことができました。
最初のモノクロ写真を見て、知久さん髪が普通だ!石川さん長髪でスリムだ!と興奮してましたね。
早速本編となる文章を読んでいきましたが、竹中先生難しい言葉使ってるなーと思いつつも最後までスラスラ読めていきました。
やはりたまメンバーの返答を見るのが楽しいというところもあったかもしれません。
そして「さよなら人類」は50万以上売れると書かれてあったのを見て、たまという船に乗っていたに書かれてあったことと一緒だ!と興奮、というか先にたまという船に乗っていたを見たからこそ、このエピソード知ってる!という感じで最初から最後まで楽しく読むことができました。(ラメール・ローラ)


(本人より)竹中さんは「反骨のルポライター」の異名を持って、芸能界とか政界に鋭く斬り込む論客として有名だったね。その竹中さんが癌に犯され余命を知りつつ最後に書いた(実際遺作になった)のが僕らの本だとは悲しいけれど有り難かった。それほどまでに当時素人上がりだった僕らを認めてくれるなんてね。
竹中さんの没年は63歳。あと2ヶ月ちょっとで僕もその歳になる...。

おかやんの思い出

2014年、2015年頃、私は日曜日に西荻窪のニヒル牛に遊びに行くことが多く、ニヒル牛2〈2015年末に閉店〉で店番をされていたRさんのお母様〈おかやん〉とよくお話をさせていただいておりました。

特段、変わった事や特別な事柄は無かったのですが、おかやんに話の相手をしていただき、私も楽しませていただきました。おかやんもそのご年齢の割には頭も良く達者な方。私の職場の上司に似通った所があり、一度その人たちと会ってみたらどうかと思い、私の職場の喫茶店をお教えしました。一度だけ、おかやんはその喫茶店に来てくれた様ですが、あいにくその時の私は仕事で外に出かけておりました。所長とは話が合ったらしく、おかやんを所長が道案内にして差し上げたそうです。

いつの頃からか、おかやんもニヒル牛の店番に上がることは少なくなり、2023年年末にこの世を旅立たれたとのこと。

優しくて頭も良かったおかやん。「もしもその日が来たら・・・」の言葉通り、私も覚悟を決めていた所はありました。
2016年の改装後のニヒル牛でRさんとおかやんの2ショットを写真に撮れたことがありました。Rさんは写真の意味が分からなかった様子でしたが、おかやんは私の意図をすぐに分かってくれたみたいでした。

おかやん様、また生まれ変わって出会えることがあれば、お話のお相手をよろしくお願いします。【2024年1月12日〈金〉かしこ】 (Sankaku)


(本人より)おかやんは本当に作家さんやお客さんに愛されていた。地方からの方など「東京のお母さん」的に思ってた人も大勢いたろうな。とても優しく、でも時に厳しく作品の置き方などを指示することも。作家さんやお客さんにこっそりお菓子とかを「ほら、これ食べな!」と配っていたことなども、亡くなってからいろんな方からの思い出で知った。最高に素敵な義母でした。



映画 窓ぎわのトットちゃん



封切られて1ヶ月ほど経過した1月8日。ようやく、窓ぎわのトットちゃんの映画を観にいくことができました。
実を言うと、トットちゃんに触れるのはこれが初めてだったりします。学校の図書室などで何度か接する機会はあったと思うのですが、なんとなく読まないまま今まで過ごしてきたのです。
そのため、ストーリーにちゃんとついていけるかが少し心配でもありました。
しかし、結論から言えばその心配は杞憂で、あっという間にトットちゃんの世界に引き込まれていきました。

「映画の冒頭から石川さんの声が聞けるらしい」という話は聞いていたので、まずはそこをチェック。著者でありトットちゃんご本人でもある黒柳徹子さんのナレーションを経て聞こえてきたのは……。
「自由が丘〜 自由が丘〜」
おお、確かに石川さんの声! あまりの駅員っぽさにスルーしかけたけど、これは間違いなく石川さん!
その後、トットちゃんに話しかけられ、相手をする駅員さん。後々にも何度か登場しましたが、トットちゃんにとって節目となる日にはいつも必ず、あの駅員さんが登場していたように思いました。

トモエ学園での日々の描写については、もう素晴らしいの一言。
曲がりなりにも人と関わる仕事をしている身からすると、あれほど自分らしく自由に過ごすことができる空間って、築き上げるのも維持するのも、本当に大変なことだと思うのです。先生方のご苦労が伝わる様子も端々に感じ取れました。そんな中で生徒たちが伸び伸びと育っていく様は、じんわりと感動を覚えました。
それだけに後半、少しずつ自由じゃなくなっていく様を観るのは心苦しかったですが。
ともあれ、トットちゃんこと黒柳さんが過ごした幼少期を映像を通して追体験できたことは、とても意義があることだと思いました。
遠くないうちに、今度こそ原作の本も読んでみようと思います。

なお、「劇中に4たまらしき4人が登場するらしい」という噂があったのを終盤に差し掛かる頃で思い出し、慌てて探してみたところ、知久さんと柳原さんと石川さんらしき人物はなんとか見つけ出せました。が、Gさんらしき人物はとうとう分からずじまいでした。(たちつ亭と〜助)


(本人より)なんかいい役をやらせてもらったな〜と思った。そんなにセリフは多くないけど重要な役。作画総監督の金子志津枝さんがたまファンで良かったなー。昭和の懐かしい物もいっぱい出てきて懐かしく、季節の風景が素晴らしく描かれていてストーリー以外にも見どころ多かったね。

ニヒル牛

こんにちは。今回初めて石川さんのホームページに投稿させていただきます。今、ニヒル牛からうちにかえってすぐこの投稿を書いています。初めてニヒル牛をお訪ねしてあるさんとお話する機会がありその際「ホームページ見てます」とお伝えしたところ、「投稿もしてよ」と言ってくださったので『ザ・レポート』に書こうという決断に至りました。ニヒル牛作家の方々の箱の中で不思議な世界観を醸す作品が所狭しと並べられていて、どの方向を見ても作品ばかりであらゆるところから物の力を食らって目眩がしそうでした。そのうちのいくつかの作品を石川さんのCD「鉄塔の墓場」と一緒に家にお迎えした訳ですが、その日から一週間経たないうちに石川さんのホームページを覗いている友達を伴って再来店するほどハマってしまいました。店員さんに構われなくて、程よく狭い店内の雰囲気がステキでした。一回目にニヒル牛にお邪魔したときに手に入れた「鉄塔の墓場」のDVD で石川さんが演奏していた場所に立ってみたらなんだか感慨深く思えました。『ラザニア』を聴いたら、自分の悩んでいることを全て許されたような気持ちになって、石川さんが「天才」と呼ばれていることに納得がいきました。ニヒル牛の存在を知ったのは最近ですが、色んな人によってちょっとずつ作られている濃い空間だなあと感じました。あるさんの気さくな人柄にもとても惹かれたので、もっと通いたいです。初投稿失礼しました。(寿甘)


(本人より)おおっ、ニヒル牛を気に入ってくれて嬉しい。奥のスペースでは数週間で企画展示も変わるので是非。ちなみに2024年1月は作品がお得に買えるバーゲンと福袋、人気作家の山中奈緒子(「鉄塔の墓場」のジャケット画の作者)の絵画の展示などしてるよん。いつかライブにも来てねー!

12月10日 石川浩司とザ・ツリーポットで遊びましょ 大久保・ひかりのうま

石川浩司、入院——。
この衝撃的なニュースは、東北地方に住むとある田舎者の耳にもバッチリ届きました。そして報せを耳にした田舎者は、真っ先にこう思いました。
「しまった! これはひょっとすると、この先ライブに参加する機会を永遠に逃したかも……?」

田舎者が初めて石川さんと対面したのが、しょぼたま瞬間的復活ライブ。もう15年も前の出来事になります。そこで初めて対面し、ご挨拶させてもらったのも、懐かしい思い出です。
それから数年間、田舎者は何度か他のライブにもこっそり参加し、楽しませてもらっていました。
ところが、ここ最近はとんとご無沙汰となっていたのです。それは、田舎者がいつの間にか学生から社会人になっていたこと、多方面に興味が赴いていたこと、ここ数年でよく分からない感染症が流行ったせいであっぷあっぷしていたことなど、いろいろな要因が重なったこともあるでしょう。
とにかくかつてほどの熱量を失い、「そのうちに」と思っていた時期が、田舎者——即ち僕には確かにありました。

そこへ冒頭の報せ。そしてそれを聞き激しく後悔したのも、冒頭の通り。
ひょっとすると、この先石川さんと会うことが叶わないかもしれない。退院された後も今後の症状次第でどうなることか。いや大変なことになった。どうにかして過去に戻れないものか……。とにかく悔いました。
とはいえ、その後の石川さんの回復度合いについては、このサイトの各所に記された通り。救急救命室から一般病棟へ、そして一般病棟から退院された後、わりとすぐにライブにも復帰され、さらにその後各種数値が正常値に落ち着いた報告を聞いて、心底安堵しました。
良かった。まだライブに参加できる。まだ縁があった。本当に良かった。とにかくホッとしました。

さてホッとしたところで着目したのが、石川さんが入院後より繰り返し発言されている、「また会おう!」という言葉。
「『また』とは、果たしていつなのか?」
少し考えましたが、これはすぐに答えが出ました。「今」だと。
過去を悔いても仕方ないし、未来は誰にも分からない。となると、「今」行けるライブに行って会うことこそが、また会うことに違いない。よし、会いに行こう。
こうして、直近のライブスケジュールと自分の予定とを照らし合わせ、一番タイミングがちょうど良かった、大久保・ひかりのうまのライブへの参加を決断したのでした。前置きが長くてすみません。

当日。
ひかりのうまに到着したのは、開場時間の少し前でした。列に接続しているうちに時間となり、次々と受付を済ませた観客が会場内に入っていきます。
僕もその流れに乗っかりながら、少しずつ少しずつ会場内へと入っていきました。
すると。徐々に明らかとなる会場内に見覚えのある坊主頭が。
……石川さん!?
なんと石川さんとザ・ツリーポットのお二人、お店のカウンター席で待機し談笑されていたのです。
少し驚いたものの、そういえばこれまでにも開演前にバッタリ、ということはあったような。それにこれは、開演前に挨拶するチャンスでもある。そうなると、取り急ぎ席を確保の上、挨拶に向かわなければ。
そう思い直しドリンクを受け取っていたところ。なんと石川さん自ら、こちらの方につかつかと歩いてくるではありませんか!
そして僕の肩をポンと叩き、
「久しぶりだね!」
と声をかけてくださったのでした。
お、覚えててくれたんだ……。

なにしろ、僕が最後に石川さんの勇姿を目の当たりにしたのが、宮城県七ヶ浜町で行われたパスカルスライブ。今から5年ほど前のことです。
そしてこの時だって、石川さんにろくに挨拶することもできないまま、会場を後にしていました。即ち、石川さんと実際に顔を合わせ話をするのは、実に十数年ぶりとなります。
顔を忘れられてても仕方ないよなあ、と思っていたところで、この対応。本当に本当に、感激しました。そして、止まっていたような気がする十数年の時が、ようやく動き出したような、そんな感覚を覚えたのでした。
石川さんに席を案内され、座ったすぐ隣には、初対面のりんりんさんが。初めましての挨拶をさせていただき、初対面とは思えないほどあれこれ色々とお話が盛り上がったところで、開演時間となりました。

まずは、ザ・ツリーポットのお二人から。
結論から言うと、このお二人はとてつもない才能を持っている! と強く思わされました。
担当が決まった上でそれぞれギター・ピアノを饒舌に弾くことは序の口として、曲中にコロコロと楽器を持ちかえ演奏する表現力(覚えてる限りだと、ピアニカや鉄琴、大正琴、リコーダーなどを演奏されていました)、セリフやMCを挟みながらも正確にリズムを刻みつつ演奏するテクニック、ハーモニーの綺麗さ、練りに練られている歌の世界観、と、目を見張る凄まじさに満ち溢れていました。
途中お二人でカバーしたたまの「電柱」も、完全にこのユニットで再度料理し直し、自分たちのものにしているように思いました。
初めて拝見拝聴しましたが、実に素晴らしかったです。ひょっとすると将来、この方々の楽曲やパーソナリティーが世間を賑わすことがあるかも……? まるで、たまが世間に認知された時のように。

休憩を挟み、いよいよ石川さんが登場!
最初に演奏した「マトリョーシカ」。これを聴いて、僕は驚かされました。それはズバリ、
「石川さん、本当に病気した!?」
ってことになります。
普段不器用を公言している方とは思えないほど、テンポよく疾走感に満ちたギターのカッティング。なんだったら、僕が一所懸命通っていた十数年前よりも、さらに進化している感じすらしました。
ここまで格好良くジャカジャカと早弾きをされてしまっては、「どこが不器用なんすか!?」と、問い詰めたくなっても、仕方ないですよね? 仕方ない、ってことにさせてください。それほどに、格好いい幕開けでした。

その後、突然段ボール+石川浩司の音源のカラオケで「ワカラナイ」や「準備体操」を全身を使って歌ったり、「ハゲアタマ」の3番の出だし「中耳炎」の「チュ」でちょうど正面にいた僕に向かってチューの顔をしてきたりと、様々な歌・パフォーマンスが続きます。イシマツから生まれたとされる「手」も、かなりの好みでした。
そんな楽しいソロコーナーが続いた中で演奏された、しんみりした新曲こと「遠足」は、かなり沁みました。
前々から、僕が死について漠然と思っていたことを、歌にしてくれた。そんな気がしました。その上で、あの曲調。
以前、この曲のタイトルを募集された時に僕も応募しましたが、僕が提案したタイトルではとてもカバーしきれないような奥深さを、いざ曲を聴いてみた時に感じた次第です。
この詞、そしてメロディーには「遠足」が一番しっくりくる。そう確信し、名付け親であるひももんさんの素晴らしいセンスにも、拍手を送りたくなったのでした。

石川さんのソロコーナーが終わり、再び休憩を挟んだところで、いよいよ2組のセッションコーナーです。観客全員が驚くほどの石川さんの大声から始まりました。
まずは「緑の小鳥」という、ザ・ツリーポットの曲から。石川さんはひたすら風船を膨らまし飛ばしたり(1個割っていましたが)、おもちゃを鳴らしたり、スティックを両手にお店の太鼓から何から叩いて回ったり。
この曲の間奏で、3人でしりとりをするところがあったのですが、その中で「牛小屋」から石川さんが「柳原陽一郎」と繋いでいたのは、思わずニヤリとさせられました。
その次、これまたザ・ツリーポット歌唱によるたまカバー「夕暮れ時のさびしさに」もお見事。知久さんのイメージを引きずりすぎないザ・ツリーポットの表現力に、これまた圧倒されました。その一方で、石川さんのあの馴染み深いコーラスも、健在でした。
続く石川さんボーカルの「家族」から、とうとう最後の一曲。ザ・ツリーポットの曲である「すてきなあなたに」が始まりました。
「大好きな人を思い浮かべながら聴いてくださいね!」のMCから始まったこの曲は、確かに誰かと一緒にいたくなる気分を掻き立てる、楽しい一曲でした。
するとこの間奏で、石川さんが何やらゴソゴソと。取り出したのは、手紙。後で聞いたところによると、ここで誰かに宛てた手紙を読んでほしい、と指示があったんだそうですね。
この手紙の宛先が、ひかりのうまの店主でもあるマルタさんだったのです(実はこの時、初めて店主がマルタさんであることを知って大いにビビっていました)。
その手紙の内容としては、かいつまんで書くと「長いこと付き合いがあるマルタさんと今なお付き合いが続いており、さらにこうやってライブを開催できている。これが本当の幸せの形ではないでしょうか」といったところ。
思わず、そうだよなあと頷いていました。ましてつい先日まで、体調を崩していた石川さん。この手紙の内容はかなりの実感がこもっているように思えました。
その幸せに同居させてもらったことにまた幸せを感じつつ、ライブは無事終了したのでした。

今回のライブについての感想を端的に表すと、石川さんがソロコーナーの最後に歌っていた、「ピンクの象」の一節を拝借することになります。
この歌は亡くなった山下由さんや三木黄太さんを想っての歌だと、MCで話されていました。僕も歌詞の内容から非常に納得しましたが、その上で、

  時は決して戻らない
    あの日あの時何してた……

この詞こそまさしくここ何年かの自分のことだと、勝手ながら重ね合わせていました。何しろ、危うく冒頭の後悔が現実になるところでしたから。
とはいえ、かようにパワフルなパフォーマンスを披露できるほどに回復し、今回僕もライブに参加できたという事実。時が決して戻らない以上、やはりお会いするべきは、後回しにした未来ではなく「今」だったんだな、と強く実感したのでした。
今後、どれほどの頻度になるかは分かりませんが、なるべくたくさんの「今」を見つけ、再び石川さんの活動の隅っこに参加させていただければと思っています。
ということで、石川さん。またお会いしましょう。死なない人はどこにもいないと分かっちゃいますが、どうか、なるべく死なないようにお気をつけて。(たちつ亭と〜助)


(本人より)遠路はるばるありがとー。東北の缶ジュースいろいろありがとー。投稿再開ありがとー。お互い生きててありがとー!