ザ・レポート(53)


今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「ホルモン鉄道」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
 既にどこかに発表したものの再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メールにて題名「レポート」でお願いします。投稿ひとつ10ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな〜っ。
 例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ〜ん。



三上寛VSホルモン鉄道!

モルタルレコードの頃から 11月にホルモンやるよー! と友人から聞かされており 夏の宿泊ライブで全貌が明らかになったこのライブ

ずっと楽しみにしてました。

思えば たまを聴いた繋がりで三上寛さんを聴き始め そのドス黒さ 混沌 ヘビー級のパンチラッシュの如くの歌い方に文字通りノックアウトされてしまいました

閑話休題

仕事上がりに横浜駅から東京へ
これがまぁ迷った迷った 

入口で大谷氏が現れなければ 見逃していたでしょう…

お客さんからもらったミカンを食べたり ジュディさんに 新松田 辻堂事件(詳しくは初体験のどこかに書いてあります)を話しました

ライブハウス七針は地下の階段を下ったところにありました

まずはホルモン鉄道
最初からパンツ姿で現れてました

一曲目は豆腐 久々に聞いたなぁ

そして定番の包茎ジョナサンやハゲアタマ
大人な世界のオスペルなどが繰り広げられ
新曲コーナー

大谷氏は靴下泥棒(これは実は 何周か前のフライングティーポットで聴いてた。かわいらしい名曲)
石川さんは 入院したときに作った遠足
ジーンとくる曲でした

そして夜の牛たちのダンスを見たかい と 大晦日で〆

休憩中 喫煙所に行ったら なんと三上寛さんが!!
銘柄やらパイプの話ができて嬉しかったです

そして登場の三上寛さん
語りがほんとうにおもしろい
お〇〇この話やら尺八(大人の意味ね)の話などうんうんとうなずき 時には笑い 飽きさせないMCでございました

聴きたかった夢は夜ひらく(余談ですが 私がギターを始めて初めてカバーした曲がこの曲だったりします) あしたのジョーなんて嫌いだ… マンモス西やおやっさんのほうが好きだ これ生で聴けてよかったです

そしてホルモン鉄道とのセッションもあり!
かっこよかった

そして大谷氏と三上寛さんのセッション 街でも披露
いいなぁ…

終演後 三上寛さんの新作(かっこよかった!!)とトリビュートアルバム(よっしゃあ!!)を買い サインを頂きました

そして写真撮影と大谷夫妻らとは今年は最後なので年末のご挨拶をして帰宅。

帰りは友人の山さんと途中まで帰宅
本当は東京駅まで歩きたかったのですが 酷い股擦れでそこまで歩くとやばいと思い 途中の八丁堀から帰宅

余韻に浸りながら 電車での時を過ごしましたとさ(ズミ天)


(本人より)俺は三上寛さんとは6、7年ぶりだったかなー。若い頃の叫び歌いは無くなったけど、年齢なりに叫ばなくても感情を表現できる歌い方を身につけていて流石と思ったな。帰り際の「また会おう」の握手の力強さに感動した。
ちなみにホルモン鉄道、大谷はパンツだったけど、俺はベトナムで買った薄い半ズボンで、パンツは下にまだ履いてたよん。あと新曲も評判悪く無かったようでホッとした。大谷のようにどんどん新曲が出来るタイプじゃないからねー。

9月30日(土)栃木県宇都宮市「OYA KODAMA HIBIKI」並びに10月1日(日)知久寿焼さんモルタルレコードワンマンライブ

「どうしてこんな事になったんだ?」私は、一人、電車の中で頭を抱えていた。心の中で泣き腫らしていた。私の後悔と慚愧の念を乗せて、電車はガタゴトとゆっくり南に向かって進んでいた。宇都宮とは反対方向に。「どうしてこんな事に。どうしてこんな事に」私はいつまでも心の中で呟き続けていた。

2023年9月30日(土)、私達夫婦は栃木県宇都宮市に向けて、千葉県北西部を走る私鉄東武鉄道アーバンパークライン(千葉県民は誰もアーバンパークラインなんて言わない。全員東武野田線と言う)で北上していた。東武アーバンパークライン、すなわち東武野田線は千葉県船橋市から柏市、流山市、野田市を経て埼玉県春日部市を経由し、埼玉県さいたま市大宮駅までを結ぶ東武鉄道の路線である。2014年4月1日より東武アーバンパークラインという愛称が付いた(千葉県民は誰もその名では呼ばないが)。
この日、私達夫婦は栃木県宇都宮市大谷石採石場跡地稲荷山で行われるスパイルロック主催の野外フェス「OYA KODAMA HIBIKI〜芸術で魅せる栃木の自然Vol.6」に参加するため東武宇都宮駅に向かっていた。千葉県から栃木県宇都宮市に行くには、東武アーバンパークラインを北上して大宮経由で東武宇都宮駅に行くのが断然安かった。JRに比べて時間はかかるが、バリバリの庶民である私達夫婦にとって、絶対選択必須の路線であった。
さて、かつての劇団演目「怪盗スパイルロック」から名前を取ったという演劇集団が元となっている栃木県のイベント団体スパイルロックが、コロナ禍で活動を制限されている文化芸術団体に対し、新たな活動形態として栃木県の広大な自然を舞台に音楽と文化芸術を融合した活動をと企画した「芸術で魅せる栃木の自然」は、2020年12月12日(土)に第1回目が栃木県宇都宮市の若竹の杜・若山農場で開催された。以後、2021年11月13日(土)にVol.2が若竹の杜・若山農場で開催。2022年9月17日(土)に若竹の杜・若山農場で開催されたVol.4では石野卓球さんやスチャダラパーらが出演。前回2022年10月22日(土)のVol.5は今回の開催場所でもある大谷石採石場跡地稲荷山で開催され、声優の古川登志夫さんらが出演された。今回で通算6回目となるイベントである。
このイベントには石川浩司さん・大谷氏withとっちゃんの「ホルモン鉄道」、知久寿焼さん、石野卓球さん(「電気グルーヴ」)、「D.M.P」、砂原良徳さん(通称マリンさんex「電気グルーヴ」)という超豪華メンバーが参加するという事で、私達夫婦は8月4日の発売初日からチケットをゲットし、チケットはなくさないように石川浩司さんの書籍に挟んで楽しみに待っていた。「ホルモン鉄道」に知久寿焼さんに、かつて「たま」が所属していたナゴムレコード繋がりの電グルメンバー(マリンさんは元ではあるが)、そして「D.M.P」と、どんな化学反応が起こるのか、お互いカラミはあるのかないのか、これはもう絶対に参加しない訳にはいかない超絶レアイベントであった。
当日は9月30日15時の「ホルモン鉄道」に始まり、最後のマリンこと砂原良徳さんが終わるのが20時30分で、さらに帰りのシャトルバスが出発するのが21時20分という流れだった。当然、野外フェス当日は千葉に帰ってこれる終電(もちろん普通電車)が存在しないのでそのまま栃木県宇都宮市に宿泊し、翌10月1日には埼玉県熊谷市のモルタルレコードでの知久寿焼さんのワンマンライブに参加する予定だった。
しかし、野外フェス前日の9月29日(金)20時2分、大谷氏より【悲しいお知らせ】と題して「ホルモン鉄道」の欠場が発表され、同21時57分に主催のスパイルロックより、石川浩司さん発熱により「ホルモン鉄道」欠場が正式に発表された。石川浩司さんの発熱に関しては、HPの更新が遅れて体調不良が予測されていたので、まさかライブ欠場までとは!と石川浩司さんの体調が非常に心配になった。
主催のスパイルロックより「ホルモン鉄道」欠場が正式発表された時、私は眠りにつこうとしていた。そして私は寝ぼけ眼で「ホルモン鉄道」欠場という事は、チケットが払い戻しになるのかと思った。実際にはチケット規約にアーティスト欠場の時も払い戻しにはならない旨記載されていたのだが、私はちゃんと規約を読んでいなかったのだ。そのため、チケットが払い戻しになるかもと考えた私は、ライブ当日がその時悪天候でしかも雷雨の予報だったので、野外フェスで長時間雨に濡れると体調を崩すと思い(しかも雷の恐れもあった)、宿泊費もかかるので、ここはやむなく宇都宮行きは回避して、翌日の知久寿焼さんの熊谷モルタルレコードワンマンライブに備えた方が良いかとぼんやり考えていた。
そのまま眠りについてしまった私は、翌朝チケット規約を確認した妻から、チケット払い戻しはない旨を聞いた。幸い、天気予報は前日の雷雨予報から曇り時々雨に変わっていた。私は事前にライブに行く準備をしていなかったので、急いで身支度をし、午前9時前に千葉の自宅を出発した。13時30分に予約してあるライブ会場までのシャトルバスがJR宇都宮駅東口より出発するので、移動時間(徒歩約20分)も考慮して12時30分頃に東武宇都宮駅に着く予定の電車で宇都宮に向かった。

私は電車に揺られながら「ホルモン鉄道」欠場は本当に残念に思ったが、知久寿焼さん他、豪華なメンバーが残っているので、とにかくライブを楽しもうと考えていた。気になるのは天気だ。前日の雷雨予報の確率は低くなったが、まだまだ雨が降る可能性は高かった。私は宇都宮で雨具を買わなければならないなと、ぼんやり考えていた。私は荷物の量を考えながらカッパが良いかポンチョが良いか悩んでいた。そうして、カバンの中の荷物に考えを巡らしていたところ「あれ?そう言えばチケットどうしたっけ?」とふと思った。
その瞬間、私は恐ろしい事実に気づいた。大事に石川浩司さんの書籍に挟んでおいたチケットを取り出した記憶が一切存在しないのだ。チケットを書籍から取り出した記憶がない、という事はチケットはまだ石川浩司さんの書籍に挟まったまま、という可能性があった。それが事実ならば、つまりチケットは私の自宅に置いたまま、という事だ。私は真っ青になり、慌ててカバンの中を捜索した。カバンのどこにも、チケットを挟んだ石川浩司さんの書籍も、チケット本体も見当たらなかった。私は、何回も何回も、チケットを探し求めてカバンの中を漁りまくった。でも、どれだけ探しても、私が求めているチケットは姿を見せる事はなかった。
私は顔面蒼白になった。私は生まれてこのかた、ライブチケット(というかチケットの類い全て)を自宅に忘れるなんてバカな真似はした事がなかった。睡眠時の夢でライブチケットを忘れてしまう、という悪夢を見た事は何回かあるが、実際にチケットを忘れた事はなかった。寝ている時の夢でそんな悪夢を見る度に、目を覚まして「ああ!夢で良かった!」と胸を撫で下ろしたものだったが、その悪夢が、この日とうとう、人生で初めてついに現実のものとなったのだ。
とにかく、チケットを所持していない以上、私達夫婦はこのままではライブ会場に入れない。一刻も早く対応を決めなければならなかった。丁度その時、電車は東武アーバンパークラインの運河という駅に着いた。運河駅は利根川と江戸川を結ぶ利根運河にある駅だ。運河駅はこの時、文字通り私達夫婦の運命を分ける河の場所となった。この運河駅でチケット忘れに気がつかなければ、本当に取り返しのつかない事になっていたのである。
私は即断即決で自分がチケットを取りに自宅に戻る事にし、妻はそのまま東武宇都宮駅に向かってもらう事にした。チケットを挟んだ石川浩司さんの書籍の場所は私しか分からないからだ。
時間は間もなく午前10時になろうとしていた。私は妻とはJR宇都宮駅で落ち合う事にし、運河駅で妻が乗った電車を見送ると、私はすぐさま自宅に戻るべく反対側のホームに移動した。とにかく自宅に戻り、チケットをゲットしなければ話は始まらない。私は9時56分運河発船橋行きの電車に飛び乗った(何か西村京太郎みたいな話になってきたが、当時の私にそんな余裕は全くない)。
私は自宅に着くまでの間に、どのルートで宇都宮に行くか決めなければならなかった。今の私に求められている事は、自宅でチケットをゲットした上で、死んでもシャトルバスの出る13時30分までにJR宇都宮駅に着く事だった。そのためには手段を選んでいられなかった(会場の大谷石採石場跡地稲荷山はJR宇都宮駅からはかなり遠く、この時間帯では路線バスもなくシャトルバス以外に交通手段はなかった)。
まずは一番安く移動出来る東武鉄道でのルートを調べたが、もう今の時間からでは東武鉄道を使ってJR宇都宮駅に行くのは不可能になっていた。次に調べたのはJRを使ってJR宇都宮駅に行くルートだ。しかし、これも今の時間からでは東武鉄道よりも速いJR普通電車をもってしても、13時30分までにJR宇都宮駅に着くのは不可能であった。それほどまでに、千葉県から栃木県宇都宮市は遠いのだ(地図で見るとよく分かるが、同じ関東と言えども全然近くはない)。
私は泣きそうになっていた。否、ほとんどもう泣いていた。「何でこんな事になったんだろう」私は後悔の念でいっぱいになった。人生で今まで一度たりともチケットを忘れるなんて事はなかったのに!ライブチケットを忘れるという事は、新幹線のチケットを忘れたり、飛行機のチケットを忘れたりするのと同じ事であった。そんな大事なものを忘れるなんて!
私は、「ホルモン鉄道」欠場で、このライブのチケットを払い戻ししようかと邪念を起こしてしまった事を死ぬほど後悔した。私は、チケット払い戻しが出来ないのに規約も読まず、ライブ参加に対して全力で向かう姿勢を取る事を怠ったのだ。だからこそ、いつもなら必ず行う前日にチケットをカバンに入れて確認する、という作業を今回に限ってしなかったのだ。何という愚かな事であろうか。これは発熱でこの日、欠場を余儀なくされた石川浩司さんに対しても失礼な事であった。
もう今からでは自宅に戻った上で13時30分までにJR宇都宮駅に着く普通電車はない。それでも13時30分までにJR宇都宮駅に死んでも着かなければならない。そんな不可能と思えるミッションを達成するために私に残された唯一の選択肢は「新幹線」であった。 「新幹線」。「しんかんせん」。私達庶民夫婦にとって禁断の乗り物であった。私達夫婦は普通電車で千葉県から旅して四国を一周するような人間なのだ。「新幹線」なんてブルジョワが乗るものだ。「新幹線」に乗るのに、一体いくらかかると思ってるんだ。しかし、背に腹は代えられない。
私は恐る恐る、当初のそのまま東武鉄道を使って向かった場合と、「新幹線」を使ってJR宇都宮駅に向かった場合の金額の差額を算出してみた。優に5000円は超えていた。私は卒倒しそうになった。5000円なんて、チロルチョコ500個分である。ここで言うチロルチョコとは、まだ1個10円だった頃の、古き良き時代の昭和のチロルチョコである。消費税なんてクソったれ制度は存在しない良き時代の話である。昭和の人間は皆、物事の価値を判断するのにチロルチョコ換算を行なっていた。当然の話だ。
私は子供の頃、大人になったらいつかチロルチョコを大人買いしたいと思っていた。5000円出せば、チロルチョコが500個買えたのだ。夢のような話ではないか。チロルチョコ500個なんて、食べても食べてもなくならないのだ。「あと何個食べたら、なくなっちゃうな」なんてつまらない心配をしながら食べる必要がないのだ。1日1個食べたとしても、1年以上チロルチョコを毎日食べ続ける事が出来るのだ。夢のような話ではないか。しかし私が大人になる間に、天下の悪法消費税が導入され、チロルチョコはいつの間にか倍額の20円に値上げされていた。もはや5000円出しても、チロルチョコは250個も買えないのだ。当初の個数とは250個以上の差がある。これは本当に致命的な事であった。私はどうして、チロルチョコがまだ1個10円だった時に、大人買いをしなかったのだろう。悔やんでも悔やみ切れない。これは私の人生最大の汚点であった。
そしてこの、「新幹線」を使う事による5000円以上の差額というのは、別の見方をすれば、ライブ1回分のお金が軽く飛ぶ、という事でもあった。ライブに行くために家計を何とかやりくりしている庶民夫婦の私達にとって、これはあまりにも致命的な損害であった。「チケットを忘れさえしなければ、チロルチョコ500個買えたのに(昭和換算)。否、ライブ1回多く行けたのに!」
私は、自ら招いた大惨事に涙した。みすみすチロルチョコ500個をドブに捨てる羽目になったのだ(昭和換算)。このお金で、好きなライブをもう1回、満喫出来るはずだった。「今月はもうお金が足りないから、このライブは諦めないとな」と思って行くのを諦めたライブを、1回多く、観れたはずなのだ。チケットを忘れさえしなければ!私は自宅に向かう電車の中で頭を抱え込んで涙した。「何という愚かな事を!何という愚かな事を!」
これも全て、「ホルモン鉄道」欠場を聞いて、天候の心配をして安易にチケットの払い戻しを考えた私の愚かさのせいだった。野外フェスたるもの、雨が降ろうが、槍が降ろうが、参加するのが野外フェス参加者の務めである。そんな野外フェス参加者なら、全員が持っていて当然の気概を、私は持ち合わせていなかったのだ。これは野外フェスの神様が私に与えた天罰なのだ。
私は悔やんでも悔やみ切れなかった。自分の愚かさが死ぬほど腹立たしかった。しかしここでまず大切な事は、とにかく自宅に戻りチケットを間違いなく持った上で、「新幹線」を使ってでも13時30分までにJR宇都宮駅に死んでも到着する事であった。
問題は「どこから」、「新幹線」に乗るか、であった。JR宇都宮駅は幸い東北新幹線の停車駅であり、その東北新幹線はJR上野駅とJR大宮駅を通っていた。ここで私にとって選択肢は大きく分けて二つあった。一つは、自宅からJRで上野駅に向かい、上野駅から「新幹線」に乗るルート。もう一つは自宅から東武アーバンパークラインで大宮駅まで行き、そこから「新幹線」に乗るルートであった。シャトルバスの出発時刻は13時30分であるが、ギリギリだとヤバイし、何より主催者から「10分前にはバス乗り場に来て下さい」と案内があった。そこで13時20分までには着くよう「新幹線」を調べてみた。
JR上野駅からJR宇都宮駅までは乗車券1980円、特急券2300円であった。一方、JR大宮駅からJR宇都宮駅までは乗車券1340円、特急券1870円であった。距離が違うので、乗車券の差額は仕方ないにしても、特急券の430円の差は大きかった。チロルチョコ43個分だ(昭和換算)。ここまで読まれた読者の方は、たかがチロルチョコ43個と言うなかれ。チロルチョコを笑う者はチロルチョコに泣くのである。て言うかチロルチョコ43個を一度に食べた方は存在するのだろうか?もし、読者の方で「我こそは一度にチロルチョコ43個を食べた強者なり!」という方がいらっしゃったら、是非、一筆したためて石川さんのHPに投稿されたい。
さて、JR上野駅からだと乗車券の差額640円も含めて総額1070円余計にかかる。もちろん「新幹線」の乗車時間がそれだけ長いので、普通電車に比べて駅に止まらない区間が長くなる分、時間は稼げるのだが、1070円に見合う時間短縮のメリットがなければJR大宮駅から「新幹線」に乗った方が良い事になる。チロルチョコ107個分だ(昭和換算)。結局、JR上野駅から乗っても、JR大宮駅乗車に比べて特段の時間短縮にはならなかった。それならJR大宮駅から乗った方が得策だ。チロルチョコ107個分(昭和換算)は庶民には痛手である。
こうして、より安く済むJR大宮駅ルートを選択した私は、全速力で帰宅して石川浩司さんの書籍に挟んであったチケットをゲットし、全速力で駅に向かって電車に乗り、東武アーバンパークラインで北上してJR大宮駅から「新幹線」に乗る事が出来たのである。そして13時4分、東北新幹線やまびこ209号仙台行きでJR宇都宮駅に到着し、無事、妻と合流した(西村京太郎みたいな話だが、特にダイヤのトリックは存在しない)。
「新幹線」という総額チロルチョコ500個分(昭和換算)を超える痛すぎる代償を払った私ではあったが、おかげでシャトルバスに間に合い、13時30分、JR宇都宮駅東口を出発して一路、会場に向かった。バスに揺られる事、40分。14時10分にシャトルバスは無事、大谷石採石場跡地稲荷山の野外フェス会場に着いた。
しかし、その直後の14時12分、石川浩司さんの奥様のある様より石川さん入院の発表があったのである。ところが、よりにもよって、野外フェス会場となった栃木県宇都宮市の大谷石採石場跡地稲荷山は電波状況が悪く、私達夫婦はしばらく石川浩司さん入院の情報を確認出来なかった。

野外フェス会場となった大谷石採石場跡地稲荷山は、栃木県宇都宮市の名産大谷石の産地で、石切場になっており、テレビの特撮物の撮影にも使われた事があるという(1982年6月11日(金)放送の「宇宙刑事ギャバン」第12話にも使われ、特に1981年1月28日(水)放送の「ウルトラマン80」第42話では、高さ27mの大谷平和観音の後光で怪獣を倒すという直接的な使われ方をした)。すぐ隣には有名な大谷磨崖仏があり、私はここには小学校の修学旅行で来て以来、約40年ぶりに訪れる事になったのだ。野外フェス会場に着いた私達夫婦は早速受付を済ませ、野外フェスあるあるの受付済みの印であるバンドを手首に装着して、ステージの手前のずっと後ろ側にレジャーシートを敷いて本拠地とした。そしてこの日、開演前だけ解放されるという大谷石採石場跡地の現場を見学しに行った。 大谷石採石場跡地の現場は2カ所あり、1カ所はステージに向かって後方左手の、階段を登った所にあった。そこはまるで神殿のような構造になっており、外に向かって空いた大きな穴からは、ステージを見下ろす事が出来た。大きな穴は2カ所あり、それぞれ近づいて見学出来たが、高所恐怖症の私にとってなかなかヘビーな場所であった。それでも普段見る事が出来ない不思議で素敵な神殿のような空間に魅了された。
私達夫婦は、その神殿みたいな所から出ると、そのまま観客席からステージに向かって後方右手の、今度は階段を降りていく穴に入っていった。この穴は、先程の神殿みたいな場所とは違って、まるで洞窟のように地下に広がっていた。こんな凄い空間が地下に広がっているなんて!本当に素晴らしいロケーションだった。
私はこの素晴らしいロケーションを眺めながら、「ホルモン鉄道」のお二人なら、このロケーションをライブで存分に生かすだろうな、と想像していた。石川浩司さんなら絶対ライブの最中に穴に向かって入っていっただろう、と考えたりもした。
そうして私達夫婦が採石場跡地を堪能し、本拠地レジャーシートでのんびりしていると14時50分に知久寿焼さんが会場に姿を見せた。この日、知久寿焼さんは「ホルモン鉄道」欠場に伴い、15時30分からの60分間に出演時間が変更されたのだ。知久寿焼さんは渡瀬恵さん達スタッフの皆さんと、私達夫婦と同じようにまず神殿みたいな所に登り、次いで地下の洞窟みたいな所に降りて見学されていった。私達夫婦は、知久さんが上の神殿みたいな場所の穴から私達がいるステージ方向をずっと見下ろしているのを下から見上げながら「知久さんは高所恐怖症じゃないのかな?」とぼんやり考えていたりした。

15時30分になり、知久寿焼さんのステージが始まった。知久さんは冒頭、「ホルモン鉄道」の欠場に触れ、石川浩司さんについて「いや〜惜しい人を亡くしました」と冗談を言われた。たぶんこの時点で知久さんは石川浩司さんが入院して病院の先生に診てもらっているのをご存知だったのだと思う(この時点で私達夫婦は石川浩司さん入院をまだ知らなかった)。
ライブでは「むこりった」「おるがん」「金魚鉢」「らんちう」「電車かもしれない」など10数曲披露してくれたが、中でも私が嬉しかったのが「ロシヤのパン」を歌ってくれた事だ。「ロシヤのパン」は「たま」の楽曲の中で私が最も好きな曲の一つだが、知久寿焼さんは私が今年行くようになったライブの中ではそんなに歌われる機会がなく、この日を除くと8月の八王子でのライブで歌われたのみであった。そんなレアな「ロシヤのパン」を聴く事が出来て、私は宇都宮に来て本当に良かったと思った。
ライブ終わりに知久寿焼さんはまた「ホルモン鉄道」について触れ、「ホルモン鉄道」が見たくてタイのチェンマイに行く予定をずらしたんだけど、「ホルモン鉄道」が来れなくて残念ですと話された。そして石川浩司さんについてまた「いや〜惜しい人を亡くしました」と本日2回目のお悔やみの言葉を述べられた。「いや、死んでないけどね」と会場の人々は突っ込む。知久さんは続けて「石川さんは今日のライブに向けて今週ライブ入れずに体調整えてたみたいだけど、熱が出ちゃって残念ですね」と述べられ、さらに石川さんに「体調管理がなってない!」と笑いながら喝を入れられた。そして「でも一番しょんぼりしてるのは石川さんだから。しょんぼりして、可愛い感じになってるのかな?」と欠場を余儀なくされた石川さんを気遣われた。
知久さんの様子を見ていると「ホルモン鉄道」が来れなくなって、本当に残念がっておられるようだった。それほど知久寿焼さんは「ホルモン鉄道」を楽しみにされていたのだ。知久さんはこの日の朝7時43分に当日券情報のポストで「ホルモン鉄道欠場残念だけどしょうがない。たのしみにしてたんだけどなあ…」と心境を吐露されていた。
そもそもこの野外フェスに当初、知久寿焼さんの名前はなかった。この野外フェスに「ホルモン鉄道」や石野卓球さんが出る事を知った知久さんが、モルタルレコードの山崎さんに「見に行っていいか?」と尋ねたところ、「見に来るくらいならそのまま出演してくれ」と打診され、その流れで翌日の埼玉県熊谷市のモルタルレコードでのワンマンライブ開催も決まったという。そして「ホルモン鉄道」を見るために、9月に予定していたタイのチェンマイ旅行を10月にずらすまでの事をされたのだ。そこまでしてやってきた宇都宮に「ホルモン鉄道」の姿はなく、いわば取り残された形となった知久寿焼さんは本当に寂しそうだった。
私はこの知久寿焼さんの話を聴いて、知久さんは本当に「ホルモン鉄道」が好きなんだな、と思った。そして、知久さんにそこまで愛される「ホルモン鉄道」って本当に凄いユニットなんだな、と改めてその存在の大きさを知る事となった。
知久寿焼さんの次に「たま」のナゴムレコード時代の仲間でもある石野卓球さんが出てこられた。知久寿焼さんは、石野卓球さんとは「ヒカシュー」の巻上公一さんの結婚式以来30年近くぶりに会ったとの事で、後でモルタルレコードの山崎さんとのスリーショット写真がSNSにアップされていた。
私は、知久寿焼さんは自分の出番が終わって石野卓球さんに挨拶した後、てっきり帰られたと思っていたのだが、知久寿焼さんは帰っていなかった。何と石野卓球さんのステージの時に、石野卓球さんの音楽に合わせて、観客に混じってビール片手に踊っておられたのだ。私は、私の目の前で石野卓球さんの音楽に合わせてビール片手に踊る知久寿焼さんの姿に感動した。知久寿焼さんの踊る姿なんて滅多にお目にかかれるものではない。そして、もし、この場に石川浩司さんがおられたら、どんなに楽しく知久寿焼さんと遊んでおられただろうか、とその時にはもう実現しようのない情景を妄想した。そして少し泣けてきた。わずか一週間前に、「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブであんなに楽しくライブをされていた石川浩司さんがこの場にいないのだ。まあ、それはもう言っても仕方のない事なので、とにかく数日で石川浩司さんの熱が下がる事を私は願っていた(この時点で私達夫婦は石川浩司さんの入院をまだ知らない)。 石野卓球さんのステージは18時に終わった。陽が落ちて、あたりはすっかり暗くなっていた。休憩時間の間、私達夫婦は本拠地のレジャーシートに座って、やっと電波が入ったスマホをチェック出来た。そして、スマホをチェックして、石川浩司さん入院という恐ろしい情報を初めて目にしたのだった。次の「D.M.P」のステージが始まろうとする18時29分の事だった。
私達夫婦は混乱した。え?どういう事?石川浩司さんが熱が出たのは数日前のはず。そもそも野外フェス欠場は前日に発表されたのに、なぜ今日になって入院?一瞬、頭をよぎったのは、石川浩司さんはよく熱が出る方との事なので、いつもの発熱だと思って様子を見てしまったのかな?という事だった。それにしても入院なんて。この時点で情報が圧倒的に足りていなかった。でも、奥様のある様の様子が、それほど取り乱しておられる感じではなさそうだったので、とりあえずすぐ生死に関わるような事態ではないのかも知れないと考える事にした。とにかく病院で適切な処置を受けられ、早期に回復される事を願うしかなかった。
さて、あたりが真っ暗になってからの「D.M.P」と砂原良徳さんのステージでは、プロジェクションマッピングでステージ後方の大谷石の岩壁に映像が映し出され、暗闇の中に浮かび上がる映像と音楽の最高のマリアージュとなっていた。そして、そんな中、さすがにもう絶対に帰っただろうと思っていた知久寿焼さんが、最後のマリンこと砂原良徳さんのステージの時もまだ観客に混じって音楽に合わせて踊っておられたのだ。知久さんはこの野外フェスを心底楽しんでおられるようだった。そして、そんな知久寿焼さんの姿を見るにつけ、ここに石川浩司さんがおられたら、どんなにか楽しい宴が繰り広げられたのだろうか、とどうしても思ってしまうのだった。 こうして、大谷石採石場跡地稲荷山で行われた野外フェス「OYA KODAMA HIBIKI」は大成功に終わり、私達夫婦はシャトルバスで宇都宮市街に戻って宿にチェックインした。私達がシャトルバスに乗っている間、石川浩司さんは旧Twitterに「僕は内臓のいろんな病気で緊急入院したよー。」と22時8分に投稿された。2〜4週間の入院になるという。心配ではあったが、とにかく石川浩司さんには意識があり、SNSに投稿出来る状態ではある事が分かっただけでも収穫であった。しかし、それでもアップされた写真に映る複数の管が気にはなった(点滴とかたくさんされたようだ)。

翌10月1日(日)は16時から埼玉県熊谷市のモルタルレコードに於いて知久寿焼さんワンマンライブがあった。しかし、私達夫婦にはその前にどうしてもやらなければならない事があった。それはこの日の午前9時15分に石川浩司さんもポストされていたが、今年12月26日(火)に文京シビックホールで開催されるPascaLsのライブのチケットをゲットする事であった。そのチケットはこの日の午前10時より各プレイガイドで発売される事になっていた。いわゆるチケット争奪戦「10時打ち」である。「10時打ち」とは多くのライブのチケット販売開始時刻が午前10時のため、お目当てのアーティストのライブチケットを巡って、多数のファンがスマホを手に争奪戦を繰り広げる文字通り戦争である。
石川浩司さんと知久寿焼さんが所属するPascaLsは今年6月20日(火)を最後にライブを行っていなかった。7月に予定されていたフランスツアーがキャンセルになったり、8月18日にチェロの坂本弘道さんが山で滑落して腰の骨を折ったりで、ライブが出来なかったのだ。つまり今度の12月26日のライブが今年下半期唯一のPascaLsのライブになるのだ。私達夫婦はPascaLsのチケット「10時打ち」に備え、早めにホテルをチェックアウトして、東武宇都宮駅近くの電波がたくさん入りそうな場所で待機していた。
この日、PascaLsのチケットはイープラスとローチケとぴあで発売される事になっていた。しかしイープラスは発売直前まで申し込みページが表示されなかった。そこで、私達夫婦は私がぴあを、妻がローチケを担当してアタックする事にした。
午前10時になった。私と妻は10時0秒になると同時にスマホにアクセスする。私が担当したぴあはアクセスが殺到してなかなか申し込みページに繋がらなかった。私が妻に「ローチケはどう?」と聞くと、妻は「申し込みページに入れたよ」と答えた。これで一安心だ。まだ10時になったばかりのこのタイミングなら、良い席が取れそうだ。私は妻が申し込みを完了するのを隣で待っていた。
しかし、妻はいつまで経っても申し込みを完了しなかった。様子がおかしいと思った私は妻に「まだ申し込み完了しないの?」と聞いてみた。すると妻は「まだ申し込み出来ていない」と答えた。そんなはずはない。申し込みページに入ってから何分経ったと思っているのだ。心配になって私が見てみると、何と妻はローチケの申し込み確認ページで、王様に服を着せられないで難儀していたのだ。私は目の前が真っ暗になった。
ここで説明しておくと、ローチケでチケットを申し込みする場合、機械で自動申し込みされるのを防ぐため、王様に服を着せたり、王様に王冠をかぶせたり、フライパンに目玉焼きを乗っけたり、アーティストにマイクを持たせたり、と様々な種類の確認ページのパターンがあるのだ。確認ページと言っても、指で画像を押さえて服や王冠や目玉焼きを所定の位置に移動させるだけの簡単なものなのだ。その誰にでも出来る、ものすごく簡単な、王様に服を着せる、というただそれだけの事を妻は出来なかったのだ。
私は妻にローチケを担当させたのを死ぬほど後悔した。妻は確かに最大高低差807m、累積標高4767mの奥武蔵ウルトラマラソン78kmを制限時間以内に完走している強者マラソンランナーではあるが、致命的に不器用だったのだ。私は妻の不器用さを、この時まですっかり忘れていた。
妻は悪戦苦闘の末、やっと申し込みを完了した。しかし、王様に服を着せるのにあまりにも時間がかかり過ぎたため、私達夫婦にもたらされたのは、本来あの時間に申し込みページにアクセス出来たならゲット出来たはずの良席ではなく、可もなく不可もない席であった。私達夫婦は「10時打ち」に敗北したのだ。否、王様の服に敗北したのだ。

私達夫婦は敗北感に打ちひしがれながら、宇都宮を後にした。私達は東武鉄道で東武動物公園、久喜を経て埼玉県の羽生駅までやってきた。そこで秩父鉄道に乗り換え、13時45分に熊谷駅に到着した。雨が降ってきていたので、雨宿りも兼ねてそこで昼食にした。 14時20分になり、丁度熊谷駅のJRのホームに高崎線が入線してきた。開場までそろそろ1時間前になるので、モルタルレコードに行く準備をしようかなと思ったところ、いきなり雨足が強くなった。雨雲の塊が丁度熊谷駅の頭上に来てしまったのだ。私達夫婦は雨具を持ってきていなかった。雨雲レーダーだと、ほどなく雨雲は抜けるはずだったので、もう少し雨宿りする事にした。でもどれだけ雨宿りしても、雨が止む気配はなかった。しびれを切らした私達夫婦は、熊谷駅の駅ビルの中のお店で傘を買い、会場のモルタルレコードに向かった。
モルタルレコードは2001年1月11日(木)に前身の「新星堂熊谷駅ビル店」のショップバイヤーから独立して埼玉県熊谷市に開店し、1階がショップ、2階がライブハウスとなっていて、狭くて急な階段を登った先にあるライブ会場は、さながら屋根裏部屋を想起させるものとなっており、ものすごく味のある独特なライブハウスだ。ライブ運営だけでなく、自身のレーベルも持ち、まちおこし的イベントにも積極的に取り組む気鋭のライブハウスである。開場は15時30分の予定であったが、雨が降り続いていたので、モルタルレコードの方が気を遣って15分ほど早めに外で並んでいる人を1階のお店の中に入れてくれた。でも2階のライブ会場はまだ知久寿焼さんが準備中との事で、私達はしばらく1階で待機させていただいた。
やがて16時になり、モルタルレコード2階のライブ会場で、知久寿焼さんワンマンライブが始まった。知久寿焼さんは昨日に引き続き入院中の盟友石川浩司さんについて何か話すかと思っていたが、何も話されないままライブは進んでいった。昨日の野外フェスはもともと石川さんは「ホルモン鉄道」として出演予定だったので言及して然るべきだったが(「ホルモン鉄道」欠場に伴い知久寿焼さんの出演時間も変更になったので)、今日は知久寿焼さんワンマンライブなので、あえて二日連続で言及はされないのかな、と思っていた。
そうして「鐘の歌」「わかばのかんむり」「学習」「あるぴの」「らんちう」など2時間以上にわたるワンマンライブが終わりに近づき、アンコールになった時、知久寿焼さんは突然石川浩司さんの事を語り始めた。この二日間で3回目となる恒例の「いや〜惜しい人を亡くしました」のお悔やみに続き、石川浩司さんの思い出話を話してくれたのだ(いや、石川さんは死んでいないが)。
石川浩司さんは昔、フランスに行った時、現地の方に何と13歳だと思われたというのだ。ちなみに知久さんは23歳だと思われたらしい。この時、知久寿焼さんは26歳だったという事で、まあ近い年齢に見られていたが、知久さんより4歳年上の石川浩司さんはこの時、30歳だったはずなのに、13歳に見られたというのだ。知久寿焼さん26歳の時のフランスという事は、これは1991年のフランスのトゥールーズでの「たま」海外レコーディングの時の話だと思われる。
さらに知久さんは、石川さんが漫画家の蛭子能収さんと初めて対談した際に蛭子能収さんに本気で中学生だと思われた、というエピソードも披露してくれた。蛭子能収さんは石川浩司さんを見て「中学生じゃないの?」とビックリされていたそうだ。
これは石川浩司さんが当時、ぷりっぷりの可愛い童顔であった事を示すエピソードだと思うが、そもそも知久寿焼さんがご自身のライブで元「たま」メンバーの「たま」時代のエピソードを話されるのを個人的に初めて見たので、これは知久さんなりに入院されている石川浩司さんへのエールと感じられた。知久さんは「石川さんが早く良くなるといいですね」とエピソード披露を締め括られた。

ライブが終わり、会場を出る時にモルタルレコードの山崎さんがいらっしゃったので「また宇都宮で野外フェス開催して下さい」とお願いすると、山崎さんは「すみません宇都宮は今年で最後なんですよ。また僕の知り合いの所などでイベント考えてますんで」と答えて下さった。そうか、もう大谷石採石場跡地稲荷山では野外フェスは開催されないのか。とても素敵なロケーションだっただけに開催されないのは残念であるが、また別の場所でイベントが開催される事に期待したいと思った。とりあえず今回叶わなかった知久寿焼さんと「ホルモン鉄道」の対バンは絶対実現してほしいと思った。こうして私達夫婦は埼玉県熊谷市を後にし、私にとって色んな事があり過ぎた波瀾万丈の二日間は終わりを告げた。
この後、10月12日(木)に石川浩司さんは無事退院され、10月26日(木)からはライブにも復帰された。退院されても、再びライブが出来るまで回復されるかどうか大変心配していたので、これは本当に良かった。またライブで石川浩司さんの楽しい姿を見る事が出来るのだ。本当に、本当に良かった。(りんりん)


(本人より)すまんかった〜。俺もこのフェスはとても楽しみにしていて、まさか宇都宮じゃなくて救急車で病院に搬送されるなんて思ってもいなかった。ホルモン鉄道にとっても初めての野外フェスになるはずだったしね。しかも実はこの日、別件でテレビ取材も入っており、宇都宮で空き缶探しのロケなどもやる予定だった。ぶっちゃけ、フェスとテレビでこの月の一番大きな収入の日だったのに、まさか逆に莫大な医療費を払うことになるなんて...。
とにかくもう入院はコリゴリなので極力健康に気をつけようという指針になったので、このタイミングでその気持ちを得られたのは良かったと思うことにした〜。
あと蛇足だけど、たぶん僕も王様に服を着せられません...。不器用な人には親近感覚えちゃうな!

「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブ 於「松籟荘」

これは「ホルモン鉄道」バージンのいたいけな初心者夫婦が、いきなり初めて「ホルモン鉄道」一泊ライブに参加してしまった全記録であります。なぜ参加したのかから備忘録的に細かく書いてあるので長文注意です。
2023年9月23日(土)24(日)に山梨県南都留郡忍野村「松籟荘」(しょうらいそう)にて「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブが4年ぶりに開催されました。場所は富士五湖の山中湖の北西、約5キロの風光明媚な所で国の天然記念物忍野八海のすぐそばです。
「ホルモン鉄道」は石川浩司さんと富山県在住の盟友大谷氏(ひろゆきさん)によって1996年に結成、同年8月1日にファーストアルバム「ホルモン鉄道」をリリースし、爾来サポートの大谷氏の奥様のとっちゃんさんと共に日本中に27年にわたって驚愕の世界を届けてきた伝説のユニットです。大谷氏と奥様のとっちゃんさんとの出会いは、1982年春に池袋駅前で行われていた青木タカオさんの路上ライブに石川浩司さんと大谷氏が行っていると、そこにとっちゃんさんも来ていたのが出会いという事で、かれこれ40年来の付き合いとなり、大谷氏ご夫妻にはお孫さんもおられるのですが、ちなみに大谷氏の奥様敏江様に「とっちゃん」と命名したのは石川浩司さんとの事です(この1982年11月から始まった「地下生活者の夜」を石川浩司さんより1990年5月から引き継いだ青木タカオさんによると、1982年春にやったライブの後に石川浩司さんが「山村さん(とっちゃんの旧姓)、名前は?敏江?じゃあ、とっちゃんだ!」と秒速で決めたという事で、とっちゃん歴も40年以上となるのですね)。
「ホルモン鉄道」一泊ライブは、石川浩司さんのインフォメーション履歴によると温泉一泊ライブとして2018年8月25(土)26日(日)に長野県下諏訪「中川旅館」にて、そして2019年8月17日(土)18日(日)に山梨県河口湖「八木崎園」にてそれぞれ20数名規模で開催され、いずれも満員御礼大盛況でした。
2020年7月11日(土)12日(日)にも群馬県安中市「湯沢館」にて開催予定でしたが、コロナ禍のため中止になってしまいました。このため今回の忍野村での一泊ライブが2019年以来4年ぶりの「ホルモン鉄道」一泊ライブとなったのです。
今回は5月18日に石川浩司さんがMont.Barbaraで万座温泉ライブに行ってきた!とツイートしたところ、大谷氏がそれに呼応され「『温泉一泊ホルモン鉄道ライブ』を4年ぶりにやろうじゃないか」と呼びかけられ、それに石川浩司さんが「具体的に決めようぜ」と返され、トントン拍子に決まっていったようです。
そして5月30日に大谷氏より告知があり、翌5月31日には詳細が発表され、6月1日より申し込み開始となったのでした。

私達夫婦は大の旅行好きです。特に忍野八海はまだ行った事がなく、いつか行きたいと憧れていた場所でありました。また私にとって「ホルモン鉄道」はいつか行ってみたい憧れのライブでした。私もこの万座温泉からの一連の流れは把握しておりましたので、妻に「今年、久しぶりに『ホルモン鉄道』一泊ライブを山梨県忍野村でやるみたいだから行ってみない?」と誘ってみたところ、妻は即答で「無理」と返事しました。この時点で妻が持っていた「ホルモン鉄道」の情報は「たまの映画」に出てきた裸体で腹太鼓を打ったり、尻を叩いたりしている石川浩司さんと大谷氏の衝撃映像のみであったので(つまり「正調腹太鼓音頭」)、そんなハードルがエベレストほどにも高いイベントに、しかも一泊で参加なんて絶対無理無理無理!という事でした。「ホルモン鉄道」の一泊ライブなんて、どんな破天荒な衝撃の儀式が行われるか、想像だに出来ませんでした。石川浩司さんと大谷氏のお二人が全裸で踊り出す恐れがありました。
私も「それじゃ仕方ないな」と思っていたところ、一泊ライブは6月5日に早々に定員に達したとの事で、やっぱりこういう濃いイベントは熱心な百戦錬磨の常連の先輩方が行くものだと思い、そのままになっておりました。
その後、7月28日に栃木県宇都宮市の大谷石採掘場跡地稲荷山で9月30日(土)に開催されるフェス「OYA KODAMA HIBIKI」に「ホルモン鉄道」が出演する事が発表され、「ホルモン鉄道」単独ライブでなく、また石野卓球さんなど他のアーティストも出演するため、会場のホルモン濃度も薄いだろうと、参加する事を決め、早速8月4日の発売初日に夫婦でチケットをゲットしました。
こうして、私達初心者夫婦にとって初「ホルモン鉄道」が9月30日(土)に決まり、のほほんとしていたところ、9月5日に大谷氏より「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブキャンセルのお知らせがありました。妻に「『ホルモン鉄道』民宿一泊ライブ、空きが出たよ、行こうよ!」と誘うと相変わらず返事は「無理」一辺倒でした。このキャンセル枠もすぐに埋まり、やっぱりこういう濃いイベントはちゃんと熱心なファンで埋まるものだ、と納得しました。
そして、さらにのほほんとしていたところ、9月10日に大谷氏より2度目の「ホルモン鉄道」一泊ライブキャンセルのお知らせがありました。私はもう一度妻に「キャンセル出たから行ってみようよ」と誘うと、妻は「私達みたいな一度も『ホルモン鉄道』のライブに行った事のない初心者が行ってはいけない。大変な事になる」と断りながらも無理一辺倒からは違った回答をしてきました。私が「そんなの、うちら会場のすみで小さくなっていれば大丈夫だよ。忍野八海、すごく良いところだよ」と言うと、妻は「それでもダメだよ」と言いました。 こうして私達夫婦が押し問答している間に2度目のキャンセルもすぐ埋まり、やはりこの手の濃厚なイベントは常連の先輩方が行くべきものだ、と納得しました。
そうして、さらにさらにのほほんとしてライブ開催まで1週間を切った9月18日、とうとう大谷氏より3度目の「ホルモン鉄道」一泊ライブキャンセルのお知らせがありました。午前8時46分の事でした。この時の大谷氏のキャンセルのお知らせは今までとは異なり「急募」と銘打たれ「さあ、迷ってたあなたに最後のチャンスです!」と煽りの一文が挿入されていました。かなり直前でのキャンセルでしたので、大谷氏も危機感を持たれたのだと思います。大谷氏の奥様のとっちゃんさんもリポストされました。私達夫婦はこのお知らせをすぐ確認しましたが、どうせすぐ埋まると思い、そのままにしておきました。
すると午前10時11分、石川浩司さんが大谷氏のキャンセルのお知らせをリポストされ「キャンセル→満席→キャンセル→満席→キャンセルの繰り返し。再度満席に!」とアピールされました。私はこれは埋まらないとマズイかなと思うようになりました。
そしてお昼の12時55分、大谷氏より決定的なお知らせがありました。「個室用意します。新婚旅行にでも如何でしょう?」というものでした。私達夫婦はこのお知らせに心を奪われました。過去2回のキャンセルのお知らせはいずれも若干名というアバウトなものでしたが、この3回目のキャンセル告知は「個室用意します」という私達夫婦には大変魅力的な文言だったのです。しかも私達はピチピチの新婚とは言えませんが夫婦です。大谷氏のかなりターゲットを絞った煽り文句は私達夫婦の心を大きく動かしました。しかもこのお知らせを石川浩司さんがすぐさまリポストされたのです。
私はダメ元で妻に「『ホルモン鉄道』民宿一泊ライブ、キャンセル出たよ。個室あるって。忍野八海良いところだよ。行ってみようよ」と誘うと、妻は何とあっさり「キャンセル枠が埋まらなかったらいいよ」とOKしたのです。やはり個室の存在が大きかったようでした。
そうして、キャンセル枠が埋まらなかったら申し込みしようとなり、夕方になり夜になっても大谷氏からはキャンセル枠埋まりました!の発表はありませんでした。この間、念のため妻に何度も参加意思の確認を行いましたが「キャンセル枠埋まらなかったら行っていいよ」と参加の気持ちに変わりはありませんでした。
そして夜遅くなっても大谷氏よりキャンセル枠が埋まった発表がなかったため、9月18日23時10分についに、とうとうまだ個室が空いていたら、と「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブの申し込みをしたのです。たぶんこの時点で大谷氏は既にお休みされていたのでしょう、この日は返事のメールは来ませんでした。
大谷氏から返信があったのは翌9月19日午前7時56分でした。大谷氏より「おおー、ありがとうございます!」とお言葉を賜り、これで私達初心者夫婦は「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブに何の経験もなく、いきなり参戦する事が確定したのです。午前8時6分に大谷氏よりキャンセル分の予約発表がなされ、石川浩司さんも「再々再度満席!」とリポストされました。元々2日前までキャンセル可能ですとなっていましたが、この後、当日までキャンセルは出る事なく、満員御礼にて「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブが石川浩司さん、大谷氏ご夫妻含めて総勢25名で開催される事になりました。
こうして2023年の「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブの参加者の最後のピースを私達夫婦が埋める事となったのですが、参加が決まった以上、準備をしなければと過去の一泊ライブの様子を調べてみました。すると衝撃的な事実が判明したのです。過去のライブでは百戦錬磨の常連さんが16時の受け付けを終えるやいなや宴会を始め、ライブが終わった後も翌午前2時まで皆で飲み明かしたというものでした。私はこの情報に接して顔面蒼白になりました。無理だ!こんな百戦錬磨のオオカミ達の群れに放り込まれたら小心者でビビリの私達初心者夫婦は死んでしまう!
丁度このタイミングで大谷氏より宿泊に当たっての注意事項のお知らせメールが来たので、思い切って大谷氏に私達夫婦は今まで「ホルモン鉄道」のライブに行った事がない、大谷氏のライブにも行った事がない、石川浩司さんのライブは何回か行った事があるがそんな初心者が「ホルモン鉄道」一泊ライブをどうしたら生きて乗り切れるかとご教示をお願いしました。
すると大谷氏は石川浩司さんのライブに何回か行っているのであれば大分免疫が出来てると仰られ、一泊ライブも旅行みたいな感じでゆるゆるだから全然大丈夫ですよ、と丁寧にご教示下さいました。
この大谷氏の優しい心遣いにホッと安心した私達夫婦は、当日に向けて諸事準備を進めていきました。

そして9月23日(土)当日。いよいよ「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブ当日です。当日はあいにくの雨模様でしたが、私達夫婦は百戦錬磨のオオカミ達の群れに向かう小羊達の気分で千葉を出発しました。しかしここでちょっとした出来事が起こりました。マラソンランナーでもある妻が9月23日は秋のマラソン大会に向けた30キロ練習の予定日になっているからと言って、JR中央線大月駅の2つ手前の鳥沢駅で降りて、そこから忍野八海まで富士急行線沿いに30キロ走っていくというのです。しかもずっと登り坂で標高差700メートル以上も登っていくのです。完全に頭がおかしいと思いました。どこにライブ当日に会場まで30キロ走っていくという人間がおりましょうか。そんな人間、日本中どこ探してもいません。確かに妻は千葉の山の中を走破する房総半島横断70キロレースを見事完走している猛者ではありますが、何もライブ当日に30キロ走る必要はないではないですか。ちなみに妻はライブ翌日の9月24日(日)早朝にも「松籟荘」から山中湖まで往復10キロ走りました。完全に頭おかしいです。結局、妻も百戦錬磨のオオカミ達と変わらない、小心者のビビリな憐れな小羊は俺一人だけだ、と私は一人寂しく電車で忍野八海に向かいました(妻は30キロ走るために私よりかなり早く出発したのです)。
千葉から普通電車に揺られる事、4時間半近く。富士急行線の富士山駅までやってきました。そこからバスで忍野八海まで向かいます。途中道路が混んでいて、予定より少し遅れて16時頃「松籟荘」最寄りのバス停「えびす屋前」に着きました。そこで降りたのは全員ライブ参加者だったと思います。たぶんですがエーツー2コさんも同じバスでした。エーツー2コさんとは初めましてですが、直前にエーツー2コさんが一泊ライブでスタッフを務めますと顔写真をSNSにアップして下さったので、お顔を存じ上げておりました。

30キロ走ってきた妻とは近くのローソンで合流しました。ローソン側の大通りから「松籟荘」に入ったのですが、入り口が分からず悪戦苦闘しました。ネットで見た「松籟荘」には玄関があるはずなのですが、ローソン側からの大通りからでは見えないのです。何とか向こう側に行こうと仕方なくまず建物の左側の細道を入った私達夫婦はどんどん狭くなる悪路に足を取られながら進んでいきました。途中、窓から玄関が見え、エーツー2コさん達がいるのが見えました。「私達はここにいるよ!」とアピールしましたが、誰にも気づいてもらえません。そこから先はちょっとした崖のようになっていて先に進めません。皆さんは目の前にいるのに、私達は会う事が出来ない。見えているのに皆さんのいる所にたどり着けないのです。何かホラー映画のような展開です。ここは魔空間忍野城なのでしょうか?目の前のエーツー2コさんの笑顔が永遠の距離に感じました。まさかの民宿敷地内での遭難です。
そのまま進むと悪路(宿の名誉のために言っておきますが、これは通路ではなく建物脇の細い空間を私達夫婦が通路だと思って勝手に突き進んだだけなのです)で死んでしまうと判断し、遭難した時の基本である「来た道を引き返す」を実行する事にしました。何とか悪路を引き返し、元の場所にたどり着いた私達夫婦は丁度出てきた宿のご主人に道案内され、やっと皆さんがいる玄関にたどり着く事が出来ました。ローソン側からだと建物の右側の細い通路を抜けないと玄関に出られないのです。
そうして、やっと玄関に入り、そこにおられたエーツー2コさんに案内されてようやっと受け付けまでたどり着きました。受け付けに来た私達夫婦はビックリしました。何とそこには石川浩司さん、大谷氏ご夫妻が皆さん勢ぞろいしていたのです。私は緊張で硬直しました。大谷氏は初対面であるにも関わらずいきなり私に「○○さんですか?」と言われさらにビックリしました。おそらく消去法で、男女二人連れはもう私達夫婦しか残っていなかったのだと思います。
大谷氏は優しく話しかけてくれたのですが、石川浩司さんと大谷氏ご夫妻を前に緊張しまくった私は手元がおぼつかなく、財布からお札を落としてしまうという大失態を演じてしまいました。冷や汗をかきながら、何とか入金完了すると、何ととっちゃんさんが食堂の場所とライブの場所とお風呂の場所を案内して下さいました。すると何をとち狂ったのか、妻がとっちゃんさんに「明日の早朝5時半に外出したいんですけど良いですか?」と聞いたのです。とっちゃんさんは「良いと思いますよ」とお答えになりました。妻はとっちゃんさんを宿の女将さんと勘違いしたのです。後で妻を思いっきり叱りましたが、しかしながら、この件に関しては妻にも言い分があるかも知れません。なぜなら、これより少し前に他の参加者の方が宿に着いた写真をネットにアップされたのですが、そこにはどう見ても宿のご主人が出迎えをしているとしか思えない大谷氏の姿が写っていたのです。つまり、大谷氏ご夫妻の宿への馴染み方が尋常ではなかったのです。これは宿のご主人、女将さんと勘違いしても致し方ないと言わざるを得ません。
こうして、受け付け入金も済ませ、2階の個室に着いた私達夫婦はやっとひと息つく事が出来ました。大月駅の2駅手前から30キロ走ってきた妻は早速24時間開いているというお風呂に汗を流しに行きました。私は夜のライブに向けて体力温存する事にしました。この時点でどこかの部屋で既に宴会が始まっていたかどうかは分かりませんでした(どうやら0次会宴会は行われなかったようですが)。

19時20分になり、早めに食堂に向かうと、既にほとんどの方が集まっていました。私達夫婦は末席に座り、19時30分より大谷氏、石川浩司さんよりご挨拶があり夕食タイムとなりました。大谷氏からは宿泊にあたって「大声を出さない」「歩きタバコをしない」「立ち小便をしない」など重要な諸注意があり、また今回のライブは「フォークソング同好会」として宿の許可を取っていると話され、どよめきが起こりました。何か大谷先生と石川先生引率の修学旅行みたいな雰囲気でした。総勢25名、男女比は半々。とても楽しかったです。
さて、夕食の方は多くの方がSNSにアップされていたのでご覧になった方も多いと思いますが、宿特製のメンチカツと鮎の塩焼き、お刺身、豆腐、野菜のマリネ、さらにはお蕎麦、デザートにブドウと大変ボリュームがあり、とても美味しかったです。お腹いっぱいになりました。
腹ごしらえが出来たところで食堂奥の母屋の大広間にて19時50分よりライブ開催が告知されました。私達夫婦はそのまま宴会になっても良いように事前にローソンで仕入れたお酒とおつまみを持参して会場入りしました(これは大谷氏よりお酒飲みたい方は持ち込みOKとの事なので、あらかじめローソンで買ってきて下さいと案内がありました)。

会場となった母屋の大広間は、何というかザ・昭和という感じでした。仏壇に神棚に床の間の掛け軸にご先祖様の遺影の数々。そして年季の入った柱時計。欄間を埋め尽くす夥しい量の表彰状。全てが会場の舞台装置として機能していました。当然これら昭和の舞台装置は石川浩司さんと大谷氏によってライブ中に存分にフル活用される事になりました。そんな昭和の舞台装置満載の会場で告知時間より少し遅れて20時丁度にライブ開始となりました。
そのライブ開始も、動いていないと思っていた柱時計が20時になって突然鳴り出すという衝撃のスタートで、大谷氏は若干ビビっておられました。そんな素敵な会場で先陣を切られたのがスタッフとして受け付けも務められたエーツー2コさんです。エーツー2コさんは真っ赤なチャイナドレスを身に纏い、マイクなしアカペラというなかなか難しい環境で「いまいちのビーナス」「頭地蔵」「パラダイス」の3曲を歌ってくれました。
「頭地蔵」ではご利益あるかもと客席を練り歩き、ご自身の頭を撫でさせるパフォーマンスを繰り広げられましたが、時間の都合なのか半分まで来たところで引き返してしまい、私達夫婦はエーツー2コさんの頭を撫でる事が出来ずご利益なしで大変残念でした(笑)。次回は是非可能であれば客席全員に頭を撫でさせてもらいたいと思います。
最後の「パラダイス」では「股から血が出るパラダイス!」と一度聞いたら忘れられないフレーズを絶叫され、髪を振り乱しながら多大なインパクトを与えていきました。
普段はステージでマイクを通してのパフォーマンスをされておられるようで、民宿の大広間でのマイクなしアカペラはなかなか大変だったと思いますが、かえってそれが何かの儀式のようなパフォーマンスになり、最後はもはや「ホルモン鉄道」召喚の儀式のようになっていてとても良かったです!エーツー2コさんはこの後も袖に残って「ホルモン鉄道」でも随時タンバリンで参加されていました。

エーツー2コさんの次はいよいよ「ホルモン鉄道」の登場!まず最初の「意味無し笛」では笛が一つしかなくて「俺も笛を吹きたい!」と笛の順番待ちになっていて面白かったです。続いて石川浩司さんの「マトリョーシカ」からの石川浩司さん無茶振りの大谷氏「富士山数え歌」。石川浩司さんの無茶振りは恐怖ですね。いつどこで被弾するか分かりません。そんな中、何とか「富士山数え歌」を1から10まで即興で歌い切った大谷氏は流石でした。
3曲目は名曲「包茎ジョナサン」。数々の逸話を残す「包茎ジョナサン」ですが、ここは「ホルモン鉄道」のファンしかいない民宿ですので、存分に歌われていました。曲中ずっと石川浩司さんが大谷氏の股間を凝視されていたのが面白かったです。
続いて「リヤカーマン」「弱いプロレスラー」。「リヤカーマン」では「のーしんとーマン」の所で大谷氏が実際に床にうつぶせになり、石川浩司さんが大谷氏の頭を掴んで「顔がわからない」と連呼され、とても面白かったです。次に石川浩司さんの「おじいさん」からの「ZAN」。この流れでも残尿のところでずっと石川浩司さんが大谷氏の股間を凝視されていて爆笑でした。
さらに「俺は潜水夫」「夏のお皿はよく割れる」「叔母の財布」「ハゲアタマ」「どうでもワルツ」と続き前半戦終了、ここで休憩となりました。「夏のお皿はよく割れる」は高速道路にお墓を立てるからのらっきょう売りからの由美かおるさんが割愛されていました。まあ長い曲なので時間の都合もあったかも知れません。
途中では大谷氏が欄間に飾られている夥しい表彰状を見ながら「俺も表彰してほしい!」「俺も感謝状がほしい!」と叫んだり、石川浩司さんが仏壇に手を合わせに来たり、縦横無尽に昭和の舞台装置を駆使してまわられて流石と思いました。
普段私はライブの最中はお酒は飲まないのですが(ワンドリンクのお酒は開演前に飲み切ってしまうので)、今回の「ホルモン鉄道」だけはお酒を飲みながら聴くべきと思い、持ち込んだアサヒスーパードライ500ml缶をグビグビ飲みながら心ゆくまで楽しみました。

第二部のスタートは大谷氏の奥様とっちゃんさんの歌2曲。「よるの鳥」と「家」を素晴らしい歌声で歌ってくれました。何かこのような民宿で聴くのがまた、しんみりとしてとても良かったです。
次に「エチケット番長」そしてこれを元に柳原幼一郎さんが「さよなら人類」を作った言われる「ムーンライトアポロララバイ」。この曲の時かよく覚えていませんが、大谷氏が石川浩司さんが本を出したと紹介され、漫画になって今、フィーバーしていると本の名前を「『たま』が船に乗っていた」と言ってしまったのです。それを石川浩司さんが聞き逃すはずがありません。「『たま』という船に乗っていた」だよ、お前読んでないだろ?と大谷氏に詰め寄り大爆笑でした。大谷氏は「ちゃ、ちゃんと読んだよ!」と狼狽え、面白かったです。大谷氏によると、漫画化された事で地元富山県でもたくさん本屋に並び、地元の年配の方は大谷氏に「漫画に出てたね!」と声をかけてくれるそうです。でも地元の若い人は全然声をかけてくれない、と大谷氏は残念そうに話されていました。
続いては石川浩司さんと2020年4月に亡くなられた盟友山下由さんがやられていた「ころばぬさきのつえ」のテーマ。「月にスッポン住んでいる。犬も警察よけてゆく。豚に真珠はよく似合う。馬も念仏聴いている。ころばぬさきのつえ!」という素晴らしいテーマソングでした。
ここで大谷氏より衝撃の発表がなされました。何と30年間温めてきてまだ発表していない新曲を披露するというのです。場内は騒然としました。大谷氏「それでは聴いて下さい!『金玉を太陽に』!」この日、「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブに参加した人は幸せでした。至福の時でした。ただ私は「金玉を太陽に」の歌の最中、今までどんなに石川浩司さんに曲中いじられても顔色一つ変えなかった鉄壁の防御を誇るとっちゃんさんがずっと笑っていたのを見逃しませんでした。
「金玉を太陽に」の衝撃冷めやらぬ中、富山の温泉を歌った「境鉱泉」。ここでは石川浩司さんより、温泉好きな大谷氏が2015年の立ち寄り温泉ガイドブックを持ち歩いており、そこには載っていた「忍野温泉」がこの8年間の間に無くなってしまった悲しいエピソードを即興歌にして紹介されました。場内大爆笑でした。そして大谷氏が歌っている間、石川浩司さんは立ち寄り温泉ガイドブック2015のページを観客に披露してまわりました。めちゃくちゃ面白かったです。後日ネットで調べてみたら「忍野温泉」は洋館風の建物の素敵な温泉だったのですが、残念ながら閉館になっておりました。
次に「夜の牛達のダンスをみたかい」最後にちょっと時期的に早いけど「大晦日」を歌ってライブ終了となりました。
アンコールでは大谷氏が年季の入った鉛筆削りを取り出して「削り節」を披露。鉛筆削りは一つしかないので石川浩司さんと交互に削っていきました。石川浩司さんが鉛筆を折りまくって削っていく様が何か怖くて面白かったです。さらにその削った鉛筆で自分のほっぺをチクチクしたり、大谷氏をチクチクしたり、アンコールに於いても「ホルモン鉄道」の勢いは止まりませんでした。
こうしてほぼ2時間にわたる「ホルモン鉄道」ライブは終了!最後にこのライブのオチを言おうという事で、大谷氏より石川浩司さんに振られましたが、オチを考えている石川浩司さんの顔が観客席を見ながら邪念に満ちていくのを私は見逃しませんでした。「絶対石川浩司さんはオチを観客に振ろうとしている!」私は石川浩司さんの無茶振りの恐怖に怯えました。そして、いよいよ石川浩司さんが観客にオチを振ろうとした素振りを見せた刹那、大谷氏が邪念を知ってか知らずか、石川浩司さんの肩を叩き「おまえが言わなきゃダメだ!」と念押しされました。たぶんですが、観客の皆さんは大谷氏に救われたように思います。
大谷氏の念押しを受けて、改めてオチを考えた石川浩司さんは、大谷氏に向かって「じゃあ仰向けになって寝てくれ」と依頼し、大谷氏はこれに従い素直に仰向けになって寝転びました。すると、石川浩司さんはやおら大谷氏の股間に跨ると「きんたまが船に乗っていた!」とオチを披露してくれました。場内大爆笑です。流石、石川浩司さんです!この手の事をさせたら石川浩司さんの右に出る人はいないと思います。

こうして楽しかったライブはほぼ2時間も行われたのに、あっという間に終わってしまいました。こんなにライブを短く感じた事はありませんでした。名残惜しい気持ちでいっぱいでした。「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブなんて、どんな恐ろしい黒魔術の黒ミサのようなおどろおどろしい儀式かと想像していたのですが、全然そんな事はなく、むしろ大変和やかに和気藹々と進んでいきました。全裸になる事もなく、それどころか上半身裸になる事もなく、これは会場の問題もあったのかも知れませんが、今年は大人し目だったのでしょうか。まあ今回「フォークソング同好会」という事で宿にライブ許可取られたようなので、脱ぐ訳にはいかなかったのかも知れません。「正調腹太鼓音頭」もやりませんでしたし。しかし大谷氏秘蔵の「金玉を太陽に」宇宙初公開など、レア中のレアイベントとなりました。「どうやったら金玉を太陽に透かしてみる事が出来るのだろう?」と思惟するだけで深遠なる宇宙の思索となりましょう。
引き続き、お楽しみの飲み会という事でしたが、会場となった母屋の大広間が22時までしか使えないという事で、改めて会場を変えて男子部屋となっている宿の大広間で開催する事になりました。そのまま母屋の大広間で飲み会ならば、とローソンでお酒とおつまみをたくさん買い込んだ私達夫婦でしたが、一旦部屋に戻って出直す事にしました。
と、部屋に戻ったところで、捻挫していた私の足の痛みが限界に達しました。今日の長距離移動に耐えられなかったようです。私は飲み会で壁にもたれながら皆さんが楽しそうに話をしているのを、ただ黙って見ているのが好きなのですが、足の痛みに苦しみながら参加するという訳にはいきません。深夜の飲み会を楽しみにしていたのですが(百戦錬磨の常連参加者の方々が石川浩司さんや大谷氏とどんな面白い話をされるか、怖いもの見たさもありました)、泣く泣く断念する事にしました。そうして、階下で皆さんが楽しく飲み会をしているのに思いを馳せながら痛み止めを飲み、ライブの余韻に浸りつつ眠りにつく事になりました。

そうして夜もすっかりふけた午前4時前、携帯電話の目覚ましで私は目が覚めました。今、フランスで開催されているラグビーワールドカップの世界ランキング1位のアイルランドと2位の南アフリカがグループリーグで激突するという屈指の好カードが9月24日(日)午前4時から始まるのです。この日の早朝に山中湖まで10キロ往復ランニングする妻はまだぐっすり寝ています。まだあたりは真っ暗で、しんと静まりかえっています。さすがに飲み会組ももう寝てしまったのでしょう。過去の一泊ライブでも起きていたのは午前2時まででしたし、何より今日、石川浩司さんや大谷氏ご夫婦達は小淵沢のフィリア美術館で開催されている「原マスミ展覧会」最終日に出かけられるとSNSで聞き及んでいます。きっと皆さん、小渕沢行きに備えて早々に飲み会を切り上げ、ぐっすり眠っておられるに違いありません。
そう思いながら、私は携帯でアイルランド対南アフリカの試合情報を見ていました。すると、宿の廊下の奥の階段の方から、何か物音が聞こえてきました。「こんな時間に何だ?」と私はビビリました。私が耳をそばだてていると、それは何か「ぞぞっぞぞっ」という音に聞こえました。どうやら空耳ではなさそうです。しかもそれはこの世のものとは思えない得体の知れない物音で「ぞぞっぞぞっ」と2階に向かってゆっくり近づいてくるのです。私は背筋が一気に凍りつきました。妻はまだぐっすり寝ています。つまり、この時点で、この世のものとは思えない得体の知れない物音を聞いているのは私一人なのです。 これを読んでいる方は「誰かがトイレに起きただけじゃないの?」と思われるかも知れません。しかし、宿のトイレは1階と2階それぞれにあり、それぞれの階で用を足せますから、この午前4時前の時間帯で階段を上ってくる合理的理由は全く見当たらないのです。暗闇の中で、私はその得体の知れない物音の主を「お化け的なモノ」と判断しました。
しかも「そのお化け的なモノ」は「ぞぞっぞぞっ」とこの世のものとは思えない得体の知れない物音で階段を上ってくるのです。私はこの宿に来た時、遭難しそうになった事を思い出しました。ここは間違いなく本当に魔空間忍野城なのかも知れません。
そうして「そのお化け的なモノ」は「ぞぞっぞぞっ」と音を立てて、とうとう2階までやってきてしまいました。私が息を殺して布団の中でじっとしていると、「そのお化け的なモノ」は何とこちらの部屋に向かって「ぞぞっぞぞっ」とこの世のものとは思えない得体の知れない物音で近づいてくるではありませんか!妻はぐっすり寝ていて起きる気配はありません。私は泣きそうになりました。しかも私達夫婦がいる部屋は2階の角部屋になっており、もし万が一「そのお化け的なモノ」に襲われた場合、私達夫婦に逃げ場はありません。私は恐怖で身体が硬直していました。「そのお化け的なモノ」に気付かれないよう、物音一つ立てず息を殺してじっとしていました。もはやラグビーワールドカップアイルランド対南アフリカ戦どころではありません。 「そのお化け的なモノ」はこちらに向かってゆっくり「ぞぞっぞぞっ」とこの世のものとは思えない得体の知れない物音で近づいてくると、やがて私達の部屋の近くで止まりました。
「この部屋に入ってくるの?この部屋に入ってくるの?この部屋に入ってくるの?」と私が完全に泣きそうになっていると、「そのお化け的なモノ」は私達夫婦がいる部屋のすぐ隣の部屋に「ぞぞっぞぞっ」と入っていきました。私達の部屋のすぐ隣の部屋は空き部屋のはずです。「そのお化け的なモノ」は空き部屋に入って何をするというのでしょう。しばらくすると隣の部屋からはこの世のものとは思えない得体の知れない物音がガサゴソと聞こえてきました。「そのお化け的なモノ」は隣の空き部屋で一体何をしているのでしょうか?誰か人間でも襲って喰っているのでしょうか?魔空間忍野城的念慮に囚われた私は恐怖でいっぱいになりました。私は妻を起こそうとしましたが、恐怖で身体が動きません。まるで金縛りに遭っているかのようです。でも意識ははっきりとしているのです。
私が恐怖で顔を引き攣らせて動けないでいると、やがて隣の空き部屋からはこの世のものとは思えない得体の知れない物音はしなくなりました。「隣の部屋で一体何が起きているのだろう?」と私が恐怖におののいていると、やがて隣の空き部屋からはこの世のものとは思えない大きなイビキの音が鳴り響いてきました。
どうやら「そのお化け的なモノ」と思っていたのは、お化けではなく人間だったようです。これは一安心です。誰かが寝るために2階に上がってきて、空き部屋に入って寝られたようでした。私は一気に恐怖から解き放たれ、どっと疲れが出てきました。
私が恐怖から解放され、布団でぐったりしていると、隣の部屋からはこの世のものとは思えないイビキの轟音が鳴り響いていました。「一体隣の部屋にいるのは誰なんだ?」私はこの世のものとは思えないイビキの轟音を聞きながら、これはもしや、あの某PascaLsのヨーロッパツアーで伝説となった、宿の外の道路まで鳴り響いたという石川浩司さんのイビキなのではないかと一瞬思いました。
一瞬思ってから、「いやいやそんなはずはない」と思うに至りました。だって石川浩司さんはゆうべ夜遅くまでほぼ2時間にわたって精力的なライブを行っていたのです。しかも今日は石川浩司さんは小渕沢まで出かけるのです。そんな状況下で午前4時まで起きているなんて、とうてい考えられません。過去の一泊ライブでも飲み会は午前2時までだったのです。これはきっとどなたか男性参加者が2階に上がってきて眠られているに違いない、という結論に達した私は、この世のものとは思えないイビキの轟音を聞きながら、心ゆくまでラグビーワールドカップアイルランド対南アフリカ戦を堪能しました。
やがて午前5時になり、妻が起きました。まだ隣の部屋からはこの世のものとは思えないイビキの轟音が鳴り響いていました。妻はイビキの轟音を聞きながら支度をし、昨日とは打って変わって晴れた空の下、山中湖に向かって走り出していきました。
アイルランド対南アフリカの一戦は、一進一退の攻防が続きましたが、最後はアイルランドが逃げ切り13-8で勝利しました。痺れる一戦が終わった丁度その頃、山中湖までランニングに出かけた妻が6時過ぎに帰ってきました。私は妻に「南アフリカ負けちゃったよ」と言いましたが、妻はラグビーワールドカップの試合結果に一切興味を示しませんでした(妻は自分はマラソンランナーのくせにスポーツには一切興味がありません。私が19試合現地観戦に行った2019ラグビーワールドカップ日本大会ですら1試合もテレビ観戦すらしていないのです)。
ランニングから帰ってきた妻は朝風呂に入りに行き、妻がお風呂から戻ると交替で私が朝風呂を頂きました(24時間風呂は一つしかないため)。大変良いお湯で気持ち良かったです。私が朝風呂から戻ったタイミングで廊下で声が聞こえてきました。どうやら大谷氏が起きてこられたようです。大谷氏は今までぐっすり眠っておられたのでしょう。やがて大谷氏の話し声は私達の部屋の近くまで来ました。そして私達の隣の部屋に入っていったのです。そう、あの「そのお化け的なモノ」と私に思われた方がこの世のものとは思えない轟音のイビキでお眠りになられていた、あの部屋です。
私が「どうして大谷氏が隣の部屋に来たのだろう?」と不思議に思っていると、何とそこから聞こえてきたのは石川浩司さんの声だったのです!私は「ウソでしょ?」と驚愕しました。石川浩司さんは午前4時まで起きていたというのでしょうか?信じられません!しかし大谷氏と石川浩司さんの会話で石川浩司さんが間違いなく午前4時まで起きていたという事が分かりました。何という事でしょう!石川浩司さんは昨夜22時までほぼ2時間のライブをこなした後、翌午前4時まで起きておられたのです。何という62歳でしょうか!まさか他の方も午前4時まで起きていたというのでしょうか?
その疑問は午前8時30分からの朝食の時間で氷解しました。周りの参加者の方々の会話で午前4時まで起きていた事が分かったのです。皆さんどこにそんなエネルギーをお持ちなのでしょうか。私はある意味感動しました。そしてもう一つ私が感動したのは、あの「そのお化け的なモノ」と思っていたのがお化けではなく石川浩司さんであり、私は伝説の石川浩司さんのイビキを拝聴する事が出来た、という事です。そんな事、こういう機会でなければ絶対に出来ません。私は、この「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブに急遽参加を決めて本当に良かったと思いました。あ、宿の朝食も鮭、ハム、目玉焼き、納豆、ヨーグルトで大変美味しかったです。特に鮭は絶品でした。

こうして本当に楽しかった「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブはあっという間に終わってしまい、午前10時のチェックアウトの時間になってしまいました。丁度皆さん玄関前に集まっていたので、記念写真を撮ろうという事になり、皆さんと記念撮影をしました。記念写真は参加者の方がSNSにアップして下さったので拝見する事が出来、とても良い思い出になりました。
この日は昨日とは一変してほぼ快晴の素晴らしい青空となり、富士山が雄大な姿を見せてくれていました。この後、私達夫婦はローソン側から、石川浩司さんや大谷氏ご夫妻達皆さんは下の駐車場側から徒歩で忍野八海に行きました。ローソン側からだとかなりぐるっとまわって忍野八海に着きました。現地で石川浩司さん、大谷氏ご夫妻達ご一行に遭遇し、大谷氏ご夫妻には「9月30日の宇都宮のライブに行きます」とご挨拶させて頂いたのですが、朝食時に大谷氏が「朝の散歩で忍野八海に行ってきたけど下の駐車場からだとすぐだよ」と言っていたのを私はすっかり忘れていました。皆さんは下の駐車場からすぐ着いたのですが、私達夫婦はわざわざローソン側から遠回りして忍野八海にやってきたのです。でも忍野八海は素晴らしい所でした。雲一つない快晴でくっきりと映る富士山をバックに、本当に水がどこまでも澄んでいて、水深8メートルあるという湧水口では深い底まで見えて怖かったです。観光客もたくさん訪れていました。
石川浩司さん、大谷氏ご夫妻達ご一行はこの後、小渕沢のフィリア美術館の「原マスミ展覧会」最終日に行かれ、原マスミさんご本人にもお会いされた様子がネットにアップされておりました。私達夫婦は忍野八海を午前11時半のバスで出発し、一路千葉に向けて帰っていきました。
こうして、「ホルモン鉄道」バージンの私達初心者夫婦は初めて「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブに参加させて頂いたのですが、もう本当に楽しかったです!何というかすごく和やかに、和気藹々と温かい気持ちで楽しい時間を過ごす事が出来ました。夢のような時間でした。欲を言えば、深夜の飲み会に参加して、皆さんの楽しいお話を是非聴きたかったのですが、それはまたの機会という事で、もしまた次回「ホルモン鉄道」民宿一泊ライブが開催されたら万難を排して参加したいと思います。
開催にあたりまして、種々御尽力賜りました大谷氏ご夫妻と石川浩司さんには心より感謝申し上げたいと思います。(りんりん)

(本人より)詳細レポートありがと! りんりん夫妻が来たのはわかりました。俺は人の顔は覚えられないけど「いつもマラソン大会のTシャツを着てるのがりんりん」と覚えているからです。「あとでゆっくり話そう〜」と思ってましたが、ライブ後の飲み会に顔が見られなかったので「あれ、常連のお客さんが騒いでいるので、ちょっと入りづらかったかな?」と反省しましたが、足の調子が悪かったんですね。
普段はライブハウスだとホルモン鉄道と言えどもマイクの前で歌うのだけど、ここはマイクもアンプも一切なし。本当の生声、生楽器のみで演奏、でもだからこそライブ中に動き回ったり、変な格好で歌ったりも出来るのが、最高に楽しいっす。ノーマイクをここまでフル活用できるバンドもなかなかいないのではないでしょうか。楽しんでくれたようで嬉しいです!
そうそう宇都宮フェスは中止になりごめんなさい。でも、この忍野民宿のライブが「人生最後のライブ」にならなくて本当に良かった〜。また次回があったら、今度はゆっくり飲みましょう(それにしても、奥さんの、りんりん以上のマラソン魂、凄い...)。

ホルモン鉄道 一泊旅行ライブ

きーたんだよ来たんだよ♬
たまの映画でやってたホルモン鉄道一泊ライブ!!

今回は私も参戦ジャイ!!

新松田駅から松田駅に乗り換え(目と鼻の先だったが 一時間に一本しかない電車なのでくるまで少し離れた喫煙所で待機) 御殿場駅へ 途中キオスクのお姉ちゃんやおまわりさん バスカウンターのおばちゃんを経由しようやくバスへ
長い長い道のりでした
山に登るに連れて雨も強くなりました

1時間半後(そんなに時間がかかったとは思わなかった 景色見てるだけで楽しかった) 目的地のバス亭に到着
チェックインまで2時間半 暇なので水族館へ
金運の上がる金魚コーナーやチョウザメ スッポンなどを鑑賞しつつ 時間つぶし

そしてトンボ帰りで民泊へ(入口が普通の民家で入るのにちょっとドキドキした)

家の人の案内で裏手にある宿へ
既に色んな方が
お金渡して とっちゃんからお風呂の説明を受けうだうだ
途中 バイク組や神社によって来る友人(ガッツあるなぁ…)を待ってたりお酒を買いに行ったりしました。
全員揃った所で一安心

そしてびっくり 友人からいいちこの誕生日プレゼントが!!(8/23は私の誕生日です プレゼントさ年中無休お待ちしております)
これは嬉しかったなぁ!!大好きなお酒だ!!

みんな揃ってお時間が来たところ出お夕飯
お刺身定食は非常に美味しかったです
大谷氏も「腹ペコできてねー!」とおっしゃってたのでその通りでした。
ライスも美味しい!!

ごちそうさまのあとは お待ちかねのライブ
  奥の広間にて。

まずはエーツー2コさんのアカペラソング
股から血が出るパラダイスや 客席に乱入し頭を撫でてもらうパフォーマンスの頭地蔵(余談だが このとき女性のお客さんが おもっきしケツをひっぱたいてのは笑いました)など ダイナミックな歌でもりあげます  

そしてとっちゃん
夜の鳥 やっぱり好き 魂とかも好きなんですけど 夜の鳥の迫力ある世界は本当にかっこいい!!

そしてお待ちかねのホルモン鉄道
意味無し笛やマトリョーシカ 夏のお皿はよく割れるなどの定番ソングから
幻のムーンライトアポロララバイ(!?)や大谷氏の30代の頃の替歌「金玉を太陽に」 そしてけずり節等 ここでしか見られない幻の音楽目白押しでした 

そして最後のオチにちょっと笑い終了

そしてここからが本番
夜の夜通し宴会!!お酒ガブガブ おつまみパクパク
あんなことやこんなことまで… 嗚呼書けない

結局4時頃まで宴会をし 石川さんが眠ったのを同時にお開きになりました

あまり寝ずベロンベロンのまま朝ごはん
その後は有志で忍野八海にでかけたりしてました(私は気力がなく断念)

そしてみんなで記念写真をパチリ
一部の方は原マスミさんの原画展に行きましたが 私は気力がなく帰宅

総評
いやー こんなたのしいところなら もっと早く行きたかった!!
また来年も開催してください!!(ズミ天)

(本人より)なんか昔たまでやってた「ファンクラブツアー」(国内5回、海外5回開催)のミニ版みたいな感じなんだよね。ライブはもちろんだけど、ご飯も飲み会も朝の散歩もずーーーーーっとお客さんと一緒(ライブとご飯以外は強制ではありません)。年に一回はこういう交流会的な一泊ライブ、こちらも楽しみなんだよね〜。
最近は宿も持ち込みに寛容になってきたからやりやすいしね(今回「持ち込みOK、但し夜中にコップ洗えないので、紙コップでお願い、と言われた)。民宿貸切、というのも「ここに泊まってる人、全員ホルモン鉄道を観にきた人」という感じで他のお客さんに気を使わなくてもいいしね。来年も開催したら是非また遊びに来てねー。

2023/08/27 Wコージ 昼夜 京都

紫明会館 しかもWコージときたらいかない理由はなあい!!

というわけで夜行バスに乗ってやってきました
まぁその前の工程でいろいろやらかしをしてるのですがまぁそれは割愛して…
東屋で待ってたら Mさんとばったり少し話して紫明会館へ
お昼は後ろの番号でしたが比較的前の席に着席
石川さんのリヤカーマンからスタート
今回は昼夜共に新作のCDからセレクト しかもダブりなし!!
石川さんのスタンダードナンバーはどれを聴いても落ち着きます
Gさんは昼はむし(蟲笛付き) 夜はおなじみとなりの黒猫でスタート 夏の曲を多めにやっておられましたね
物販では奥さまが売り子。
2ni パスカルズ そして 「リバー、流れないでよ」のサントラ予約をしました
そしてお待ちかねのWコージ
たま時代の曲マシマシでお送りしてましたね

話す内容がなくなって 質問コーナー
Gさんの水筒の中身はというクエスチョンに 答えは麦茶
とっさに石川さんが「それでは 麦茶をもう一杯!!」といったときのびっくり感はすごかった(無論ジョークなので演奏はしてません)

そして学校に間に合わないでの たま再結成してもいいんじゃないかという話題
質問コーナーでも客席から来年40周年ですがとのお言葉(よく知ってるなぁと思った)

なんかイベントあったら駆けつけるよ!!

そして唐突に始まったクイズコーナー
昼と夜 石川さんの何かが違う という間違い探し 答えは… 配信を見て!!

昼のアンコールはビートルズのGirlのカバー
夜のアンコールはムーンリバーのカバー
そして、夜はダブルアンコールで、まちあわせも!!

こりゃ配信で見なくっちゃねぇ!!

終演後 石川さん Gさんにサインを貰いました
後ろに行列ができてなかったら Gさんとも写真撮影したかったけど まぁしゃあなし!!
心に焼き付けよう

結論
昼夜 どっちもみるべし!!昼しか参加できなかった方も夜配信みましょう!!損はしないよ!!(ズミ天)


本人より)まだギリ間に合うかな?是非配信観て〜。珍しいよ〜。同い年の長い友達とやったよー。

Mont.Barbara渋谷ズンチャカ野外ライブ

「石川浩司生誕祭2023」の翌日7月9日(日)に渋谷で開催された渋谷ズンチャカの「愛のステージ」Mont.Barbara野外ライブに夫婦で行ってきました。
この日は13時からTOHOシネマズ池袋で元「たま」の滝本晃司さんが音楽を手掛けた映画「リバー、流れないでよ」の舞台挨拶があり、終了後、そのまま渋谷に移動してきました。
渋谷に着いた時、雨がパラパラと降っており、お天気が心配でしたが、会場となった渋谷駅ハチ公口からすぐの宇田川交番前には沢山の人がつめかけていました。
渋谷ズンチャカとは、2014年のプレイベントから始まった、まちが舞台の「みんなでつくる」音楽フェスで、コロナ禍を経て、今回4年ぶりに渋谷の街中での開催となったそうです。
石川さんのMont.Barbaraは、宇田川交番前の「愛のステージ」に15時45分から登場!雨雲を吹き飛ばす元気なステージを繰り広げてくれました。
「山越え谷越えあなたに会いに行く」Mont.Barbaraは代々木にあるライブハウス代々木Barbaraの店長とやまあおいさんと、ギターの安田太さんのユニットに、パーカッションの石川浩司さんとピアノのもぉりぃさんが加わり、2020年10月に結成されました。今までに3枚のアルバムを出しており、今度4枚目のアルバムを出されるという事です。
そんな精力的に活動中のMont.Barbara ですが、2023年7月のライブはこの日の渋谷ズンチャカの野外ライブ1本だけ、という事で、これは行かない訳にはいきません。池袋の舞台挨拶が終わると、ダッシュで電車に乗り込み、渋谷に駆けつけました。
夫婦で会場に着いた時には雨がパラついてはいましたが、後でアップされた写真で確認すると、約50人もの観客が熱心にステージに見入っていました。
サウンドチェックで楽しい「GO!GO!」を歌った後、まず1曲目は思わずビールが飲みたくなる幸せの歌「ギター」。
ここでメンバー紹介となり、一通り紹介の後、石川さんがとやまあおいさんを紹介しながら「この人代々木Barbaraっていうライブハウスの店長なんでね、こんな顔してものすごい権力もってるから、渋谷でこの人泣かせたら大変な事になります」と言っていたのが最高に面白かったです。その後にとやまさんが「渋谷区は私が・・・何でもないです」と言ってみんな爆笑してました(註:代々木Barbaraは渋谷区代々木1丁目にあります)。
2曲目はMont.Barbaraの本拠地代々木を通る黄色い電車の歌「総武線」。ここで石川さんは笛を取り出し、吹き鳴らしながら、ステージを所狭しと駆け回りました。
最後は「Mont.Barbaraのテーマ」。皆さんの歌声と演奏が冴え渡りました。
16時までの15分という短い時間であっという間に楽しい時間は過ぎていきましたが、この日初めてMont.Barbaraを見た、という方も多かったようで、きっと観客の皆さんの心にMont.Barbaraの楽曲は残ったと思います。
ここで、ついに青空が!本当にMont.Barbaraの皆さんは雨雲を吹き飛ばしてくれました!差し込む太陽の光の中、渋谷を後にしました。
Mont.Barbaraの皆さんで本当に印象的なのは笑顔です。こんなに笑顔が似合うバンドがいるのか、というくらい皆さんの笑顔が素敵で心に残ります。
次回はいよいよ8月11日の山の日、代々木Barbaraに於いてMont.Barbara初のワンマンライブという事です。(りんりん)


(本人より)おっ、このライブも来てくれたんだね。無料の野外ライブはたまたま通りかかった通行人が立ち止まって観てくれたりして、その人が最後まで聴いてくれたりすると楽しいんだよね〜。「あれ、たまの人!?」とか言われたりもしたけど。まだまだやってますよー!
「笑顔が似合う」嬉しい言葉だねっ!