ザ・レポート(52)


今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「ホルモン鉄道」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
 既に何かに発表したもの(ミニコミ、ミクシィ日記、ホームページ、掲示板等)の再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メールにて題名「レポート」でお願いします。おおよそ10行程度まで5ポイント、それ以上は10ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな〜っ。
 例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ〜ん。

石川浩司生誕祭2023

2023年7月8日(土)吉祥寺MANDA-LA2で石川浩司生誕祭が開催されました。
夫婦で初参戦です。このレポートは備忘録的にまとめてあり、長文になります事をお許し下さい。
吉祥寺MANDA-LA2は石川さんもライブで話されていましたが、「たま」のために作られたライブハウスで、石川さんによると1987年6月30日の曼荼羅新店(MANDA-LA2)開店記念前夜祭に「たま」が出演して演奏しており、以来、「たま」並びに元「たま」の4人のソロライブの拠点的なライブハウスとして現在に至っているという事です。
もともと1971年に埼玉県浦和市(当時)で創立し、1974年に吉祥寺に移転して日本で2番目に古いライブハウスとして誕生したのが吉祥寺曼荼羅。「たま」も1986年6月に初めて吉祥寺曼荼羅でライブをしています(「『たま』という船に乗っていた」より)。ライブハウスというのは和製英語で、日本固有の形態であり、意外にも日本文化と言う事が出来るでしょう。そもそも1970年代前半まで、ライブやライブハウスという物言いは日本に存在していなかったという事です(昔は全てコンサートと呼んでいた)。そのライブハウス発祥の地の一つである吉祥寺曼荼羅で、「たま」は定期的にライブを行っていましたが、お客さんも増えて手狭になったため、「たま」のために作ったのが吉祥寺曼荼羅新店ことMANDA-LA2という事で、石川さんにとっても大変縁の深いライブハウスという事です。
その後、曼荼羅グループは1997年9月に同じく吉祥寺にSTAR PINE’S CAFEをオープンしており、こちらはPascaLsの拠点的なライブハウスとなっています。 トルコのカッパドキア石窟修道院をイメージしたという吉祥寺曼荼羅に対し、地層が隆起するような亀裂の入ったステージの壁が特徴的なMANDA-LA2。一度見たら忘れられない素敵なライブハウスです。
そんなMANDA-LA2で開催された2023年の石川さん生誕祭は「すべて無に帰す62歳」と銘打たれ、生誕祭として今年で15回目を迎えるとの事です。初めて石川さん生誕祭が開催されたのは石川さんが48歳の年の2009年7月2日にMANDA-LA2での「石川浩司生誕前夜祭」からで、以来14年、MANDA-LA2に毎年様々なアーティストが集い、石川さんの誕生日をお祝いしてきました。今回も4組のアーティストが集まってくれました。
18時の開場で中に入ると、双葉社編集者の平田昌幸さん、原田高夕己先生、小骨トモ先生が物販ブースにいらっしゃいました。当然ながら持参した漫画版「『たま』という船に乗っていた」の小冊子に小骨トモ先生、本の方に原田高夕己先生のサインを頂きました。本当に嬉しかったです。平田さんにお伺いすると、漫画版「『たま』という船に乗っていた」第2巻は、来年には出るのではないか、という事でした。
18時30分開演となり、まず始めに前説として「クドウヒロポとピーポーズ」の皆さんが登場!メンバーはこの生誕祭主催のクドウヒロポさん。「赤帽さん」というユニットを組んでいる内田俊輔さん(今回はハイチュー配布係)と、まゆたんさん。そしてエレキギターのじろうゆさんこと吉田仁郎さん。じろうゆさんのエレキギターはこの後、大活躍する事に!
今回はクドウヒロポさんが初めてベースに挑戦!そして内田俊輔さんも初めてドラムに挑戦!という初々しい編成でした。
楽曲は今回のために作られた、世界の諸問題を全て石川さんに解決してもらおうという歌「全て無に(62)帰す5秒前」と「赤帽さん」の歌「しあわせ」を披露。ここで今回の主役の石川浩司さんを呼び込むも全く反応なし。何度も呼びかけるも石川さんが出てくる気配がなく、ざわつくメンバーと会場。そしてとうとう「偽物でいいから出てきて!偽物の石川さ〜ん!」と会場みんなで呼びかけると「偽物の石川で〜す!」と本物の石川さん登場!(ややこしい!)そして皆で「石川浩司生誕祭のうた」をセッションしました。この歌は会場にも歌詞が配られ、みんなで合唱しました。

続いて登場はピアニストのamamoriこと雨森梨沙さん。
国立音楽大学ピアノ科卒業のamamoriさんは最初に「たま」の石川さん楽曲「リヤカーマン」をカバー。amamoriさんのTwitterのトップには「手癖で速いだけ」演奏がアップされていますが、「リヤカーマン」におけるamamoriさん自慢の高速の指遣いは圧巻でした。私は常々ピアノは打楽器だ、と思っているのですが、ピアノが打楽器である事を存分に味わえるamamoriさんの演奏でした。石川さんの楽曲がamamoriさんのピアノと歌声でこんな世界になるんだ!と感動しました。
そして行き先はまさかの上野?その先が気になる「逃避行」、楽しいバックパックの歌「バックパックハック」と続き、ここで石川さんが登場して「彼女はワニを飼っている」「パセリが枯れた!」をセッション。特に「彼女はワニを飼っている」での石川さんの「庭には二羽ワニがいる」と繰り返される即興詩が面白過ぎて最高でした。そもそもワニは一匹二匹と数えますし。
最後は「たま」の石川さん楽曲「カニバル」をセッション。amamoriさんは過去何度も石川さんと共演されていますが、石川さんの楽曲を石川さんとセッションするのは初めてと、ものすごく緊張していました。しかしその卓越した技術により、演奏するのが難しい「カニバル」を見事石川さんとセッションされました。amamoriさんの「たま」愛が詰まったステージでした。

3番手で登場は全身網タイツの地獄シャンソン歌手蜂鳥あみ太=4号さんとピアニストの大和田千弘さん。当初予定されていたピアニストの佐藤真也さんが急遽お休みになりピンチヒッターで登場の大和田千弘さんですが、あみ太さんとは元々「女豹タッグ」というユニットを組んでおり、今回は久しぶりに「女豹タッグ」結成での参加となりました。
デビュー15年目という蜂鳥あみ太=4号さんは見た目の全身網タイツに目を奪われがちですが、彼の真骨頂は「目」です。歌っている最中に発せられるあの「目」の眼力に魅入られたら、その瞬間あみ太ワールドに一瞬で引きずりこまれます。それはあたかも歌舞伎における市川團十郎の「にらみ」の如くです。そしてそんなあみ太さんの立ち居振る舞いもまた、まるで歌舞伎の所作の如くでした。彼は歌っている最中でも、指先に至るまで所作が行き渡っており、もはや「歌舞伎シャンソン」と名付けたくなるほどです。そんなシャンソン歌手が今までいたでしょうか。しかし蜂鳥あみ太=4号さんは、見た目とは裏腹に気配りの優しい思いやりの超絶変態紳士です。
そんな蜂鳥あみ太=4号さんに対するは愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻を首席で卒業という実力者の大和田千弘さん。あみ太さんを向こうにまわして一歩も引けを取らないどころか、あわよくば喰ってやろうと眼光鋭くあみ太さんを狙っているピアノ捌き。全身をダイナミックに使って鍵盤を叩きに叩くその姿は「演」奏者という言葉がピッタリです。
そんな「女豹タッグ」のお二人は木蓮の残り香が印象的な「木蓮タンゴ」、歌の中では人を殺められるという「我をも忘れる恋狂い(LammaBadaYatathanna)」、そしてボリビアの壁の中に埋められる女性の歌NoMeOlvides(Cueca)「私を忘れないで」、まさかのポーランドのアッチの粉もんの歌「オピウム(阿片のワルツ)」、7拍子で奏でるブルガリアの「踊る肉団子のホロ」と圧巻のステージを披露。
ここで石川さんが登場してイスラエルのお別れの歌「シャローム」、そして最後にロシアの「二つのギター」をセッション。ボルテージが上がり、汗だくになってどんどん服を脱ぎ捨てていくあみ太さん。最後はトレードマークの網タイツも脱ぎ捨てて裸一貫で勝負に出た蜂鳥あみ太=4号さんに対し、石川さんは何と背後から抱きつき攻撃という誰も予想していなかった体当たりセッションを敢行!あみ太さんの鍛え上げられたボディをまさぐる石川さんの手の動きにあみ太さんが身悶えるというまさかの(以下自粛)。これ配信してたはずなのですが、無事配信されたのでしょうか。しかもあみ太さんの汗で石川さんの白いシャツはグショグショの濡れ場に(以下自粛)。
実は石川さんと蜂鳥あみ太=4号さんは過去何度も代々木Barbara等で共演しているのですが、私も含め今回初めてあみ太さんを見たという方も多かったようです。途中、客席に乱入し存分に暴れ回るなど一度見たら一生忘れられないあのパフォーマンスは今回の生誕祭で最大のインパクトを与えたと言っても過言ではないでしょう。ちなみに蜂鳥あみ太=4号さんはこの1週間後の7月15日に「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」でテレビ出演を果たすという怪挙(?)を成し遂げています。

次に登場はワタナベイビーさん。「ホフディラン」の一員であるワタナベイビーさんは「たま」ファンなら知らない人はいない方です。何と言っても2003年10月31日吉祥寺STAR PINE’S CAFEでの「たま」解散ライブ最終日に、柳原陽一郎さん脱退後に初めて「さよなら人類」を演奏する事になった原因の張本人なのですから。
満を持して登場したワタナベイビーさんでしたが、まさかのいきなりギターの弦が切れるアクシデント!ワタナベイビーさんは焦りに焦っていました。そんなに焦らなくても良いのに、と思うくらい焦っていましたが、じろうゆさんのエレキギターを貸してもらい、それでライブを乗り切る事に。しかし、それがかえって良い味を出す事になりました。
10年前にお子さんが産まれて作ったというほっこりソング「育児研究中」、初めてファンレターをくれた方を歌にした「サガラミドリさん」とエレキギターながら味わいのある歌を歌ってくれた後、石川さん登場!ワタナベイビーさんの「ホフディラン」デビュー曲「スマイル」をセッション後、ここから「たま」の楽曲のオンパレード!
ワタナベイビーさんはピアノに移り「家族」からの「さよなら人類」という原曲が同じ(同一のフリーセッションで生まれた曲の後半と前半)という2曲を続けて披露。これにはみんな本当に驚きです!この2曲の流れは初めてだったのでしょうか?ワタナベイビーさんが「家族」から間髪入れず「さよなら人類」を演奏し出した時、石川さんは「聞いてないよ!」というリアクションだったのですが、あれは本当に聞いてなかったのか、仕込みだったのか気になるところです。 続いて「東京パピー」「学校にまにあわない」「まちあわせ」と石川さん曲を披露!ワタナベイビーさんのおかげで、石川さん単独では演奏出来ない「たま」の曲が聴けるのはファンとしても有難い限りです。ちなみに「学校にまにあわない」はこの日から2週間後の7月22日深夜のNHK「おげんさんのサブスク堂」で星野源さんに紹介されました!星野源さんは大絶賛されていましたね!

ここでワタナベイビーさんの出番は終わりとなり、じろうゆさんのエレキギターを引き継いでいよいよ石川さんのギターソロ!しかも今回は何とエレキギターソロ!たぶん石川さん史上初めてのエレキギターソロなのではないでしょうか。しかしこれがまた良い塩梅なのです。本日の観客は超レアなステージを目の当たりにする事が出来ました。
石川さんはエレキギターを手に「おじいさん」「ZAN」そしてPascaLsのバンマス、ロケット・マツさん作曲の「手」を演奏。
最後に2020年4月に旅立たれた音楽仲間の山下由さんとPascaLsの三木黄太さんを思って作られた、感動的な「ピンクの象」を熱唱されました。この歌は多くの方の心の琴線に触れたようです。

石川さんのギターソロの後は全員で「石川浩司生誕祭のうた」をセッション。アンコールでは「たま」の「全裸でゴ・ゴ・ゴー」を全員でセッション!何とここで蜂鳥あみ太=4号さんは、鍛え上げられた自慢のお尻で尻太鼓を披露!今日は「ホルモン鉄道」ではなかったので、石川さんは脱いで対抗しませんでしたが、いつか石川さんとあみ太さんの尻太鼓の共演も見てみたいものです。こうして非常に素晴らしく、濃いメンバーで開催された石川浩司生誕祭はあっという間にフィナーレを迎えました。
最後に全員でステージ上で記念撮影!インパクト絶大で、一生忘れられない思い出深いライブとなりました。
来年の石川浩司生誕祭はどんなステージになるのか、今から楽しみです。(りんりん)


(本人より)今年の生誕祭も楽しかったなあ〜。毎年、僕とクドウヒロポくんとでゲストを選ぶのだけど、amamoriさん、ベイビーくんと今年はたま曲多め。まあ現在「『たま』という船に乗っていた」の漫画も連載している途中だし、原作の復刻版もつい最近出たばかりだからね。年によってはたま時代の曲を一曲もやらないこともあるから今年はそういう年だったということかもね。
あと最近ピーポーズで毎年出演してくれるマサ子さんのまゆたんも、イカ天からの付き合いで嬉しいねー。昨年のこの生誕祭で内田くんと会ってお互い赤い帽子を被っていたことから、単に冗談でビジュアルユニットとして「赤帽さん」を組んだのが発展して、今やちゃんと音楽ユニットとしても活動していて、そのキッカケになったのもなんか嬉しいね。いろいろとみんな繋がって広がっていけばいいなあ。

「OKINAWA JINTA(ウチナージンタ)」大工哲弘(1994)と「蓬莱行 exo-PAI PATIROHMA」大工哲弘(2003)

先日、同じ大工哲弘さんのCD『ジンターナショナル』をご紹介したところ、石川さんから「『ウチナージンタ』にも参加してるよ」と教えていただきました。 早速探してみたのですが、公式では品切れで、まず入手に苦労しました。
隣県のブックオフに入荷したとの情報が載ってたので、電話して在庫確認と取り置きを頼んだものの「申し訳ございません。見つからないです。」との回答。 でも、あきらめきれずその店に行ってみたら、見つけました!なんと「軍歌」コーナーにありましたよ。どういう勘違いやねん!店員さんもこれでは探せるわけがない。
石川さんはいくつかの曲にパーカッションやコーラスで参加しています。そして「さよなら港」では渾身の“叫び”を聞くことができます。でも、なんて言ってるのかはよく聞き取れない。すいません(汗)
2枚組の大作「蓬莱行 exo-PAI PATIROHMA」。こちらは、石川さんのコーラス参加は「つれなのふりや」。2枚目のトップを飾るノリノリの曲。そして「参加ミュージシャン総勢31名 !」が売り文句になっているこのCD、クレジットを見てみると、金井さん、三木さん、松井亜由美さん、うつおさん、大竹サラさん、クリィスチーヌさん、坂本弘道さん、スペシャルサンクスであかねさん・・・
と、パスカルズの皆さんがほぼ参加しています。ロケットマツさんがプロデューサーのお一人なので、そういうつながりか・・・と納得。
そして1枚目の最初の曲は「ハートランド」。これもパスカルズや知久さんのライブでおなじみですね。かなり雰囲気が違うオクノ修さんの原曲を、関島岳郎さん(マツさん同様プロデューサーの一人)がこの大工哲弘さんのためにアレンジしたもの。ここから、またいろんなところで演奏されて広がっていくきっかけになった曲。
人と人とのつながりから作品ができ、その作品をCDとして記録する。その営み大切さ。こうして、名曲が次代に引き継がれていくのだなあ、と思ったところです。(kobataka)


(本人より)ほへ〜、こんなにパスカルズの面々が揃ってるって、今初めて気がついた! まだパスカルズを結成する二年前だから、この頃は僕はマツさん自体も知らなかったなあ。僕がこのCDに関わることになったのはマツさんではなくて、同じくプロデューサーだった梅津和時さんだったからね。大工さんもちょっと前にNHKの沖縄のドラマとかにも歌い手として出てたみたいだしね。武道館やナゴヤ球場なんかでもセッションしたんだよなあ。楽しき思い出。

パスカルズ横浜横浜大行進!

2023年6月20日(火)、初めてパスカルズのライブに行ってきました。
パスカルズとの出会いは2023年4月27日。パスカルズのメンバーだった三木黄太さんの祥月命日に行われた吉祥寺スターパインズカフェでの「PascaLs 〜しあわせのようなもの〜」映画完成上映会です。
しかしこの時は石川浩司さんと大竹サラさんが都合で参加されなかった事と、ミニライブだったという事もあり、パスカルズフルメンバーでのちゃんとしたライブに行くのは今回が初めてとなりました。
会場は横浜駅みなみ西口から歩いて5分の場所にあるサムズアップ。「はまれぽ」によると今年で25周年を迎えるサムズアップは自身もギターを奏でる佐布仁之(さふひとし)さんという方が1987年に横浜駅から1kmほどの横浜浅間町でバーBUDDYというお店を出したのがルーツで、その時のキャパは30人だったそうです。1994年8月に現在もある横浜駅みなと西口すぐの場所にキャパ60人のグリル&バーのお店ストーブスを始めました。現在、ストーブスの入り口のドアは2007年8月4日に閉店したBUDDYのドアが移設されているという事です。
そして1998年に念願叶ってストーブスと同じ建物の3階に100人以上のキャパを誇るライブハウスサムズアップがオープンしました。
私と妻は西八王子アルカディアでの高木純さん追悼ライブに参加した翌日、横浜そごうで開催されていた「さくらももこ展」を見に行きました(さくらももこさんによる「たま」の絵の原画があるかと思って行ったら残念ながらありませんでした)。その帰りに下見を兼ねてサムズアップとストーブスにやってきました。
サムズアップはライブハウスなので、ライブがないと閉まっていますが、ストーブスはグリル&バーなので、いつも営業しています。
調べてみるとサムズアップとストーブスはフィッシュバーガーが名物との事で注文すると、パクっと口には入らないほどの大きなバーガーがやってきました。ここのフィッシュバーガーは魚と海老のすり身で出来た、ハニーマスタードがアクセントとなって何とも言えない味わいと歯応えの絶品です。
さて、サムズアップは横浜駅みなみ西口を出て、幸橋を渡ったすぐの相鉄ムービルの3階にあります。特徴はステージに対して横長に展開する客席。丁度、ステージをぐるりと取り囲むような構造になっています。その結果、ステージと客席の間に距離を感じない、サムズアップならではの素敵なライブ空間が生まれる事になりました。
パスカルズは2002年からほぼ毎年定期的にサムズアップでライブを開催しており、吉祥寺スターパインズカフェと並んで、ホームグラウンド的ライブハウスなのかも知れません。
さて、6月20日当日は18時30分の開場と同時に入店し、私と妻はさっそくバーガーとフィッシュ&チップスと辛口ジンジャーエールを注文しました。サムズアップのライブ案内には必ず、お腹を空かせて来て下さいと書いてあるので、私達夫婦はしっかりお腹を空かせて来て、開演までの間にサムズアップのご馳走を堪能しました。
さて、19時30分を少し過ぎて、パスカルズの皆さんが登場しました。今回はメンバー13人にサポートの関島岳郎さんを加えた14人の編成です。そして、トイピアノの桐生あかねさんが宣言していたようにサムズアップのステージには14人乗り切れないので、バンマスのロケット・マツさん、金井さん、知久さん、原さんの男性弦楽トリオ、そしてパーカッションの石川さんの5人はステージからはみ出して客席に張り出しです。特に石川さんに至っては客席に埋まるような配置となっていました。
この編成配置の時点で、楽団が客席にせり出している事で、サムズアップにおけるパスカルズの音楽空間形成に多大な影響を与える事になりました。
さて、パスカルズを語る上でよく「多幸感」という言葉が出てきます。映画「PascaLs 〜しあわせのようなもの〜」でも出てきました。パスカルズのライブに行く前に4月27日の吉祥寺と5月13日の田端と2回この映画を観て、私はずっと考えていました。パスカルズの「多幸感」とは何ぞや?と。その答えにいつか辿り着きたい、とずっと考えていました。
しかし今回、初めてライブを目の当たりにして、その答えが分かった気がしました。
すなわち、パスカルズのライブとは祝祭空間だったのです。パスカルズのライブは壮大なお祭りです。パスカルズの祝祭空間に人々は集い、寿ぎ、多幸感に満ちていくのです。鍵盤ハーモニカやトイピアノ、また打楽器パートが2人もいたり、果ては100均のオモチャをかき鳴らすという他のバンドには絶対に見られない比類なきスペシャルな編成のパスカルズは、そこから奏でられる音もまた、スペシャルです。それは言わば、雑多な音の織りなすハーモニーが紡ぎあげていくお祭りの縁日のような感覚を私達に呼び起こします。
そんなパスカルズにあって、石川さんはご自身の存在をトリックスターと自認されておられます。今回、石川さんは曲中にビスケット缶を手に客席に闖入し、舞を舞っていました。その姿を見て、何人かのお客さんは神の姿と捉えました。
石川さんは、パスカルズのトリックスターであり、祭りの神であり、祝祭神だったのです。石川さんは楽しそうに舞をまわれながら客席を練り歩き、人々に福をもたらしていきました。そんな石川さんの姿を見ていると、日本の古来の祭りとはこういう感じのものだったのかな、と思わずにはいられませんでした。
こんな事を書くと、何を大袈裟な、とか小難しく考え過ぎだ、というご指摘を受けるかも知れません。しかし、これは至ってシンプルなものです。
私は昔ピアノを習っていたので、より痛感するのですが、いわゆる西洋音階は、5線譜で定められており、様々なルールの元に楽譜が成り立っています。楽器も決められたもので演奏します。それ自体は素晴らしい音楽の世界ですが、いわばフォーマットとしての音楽の部分があります。
しかし、石川さんは目についたものを片っ端から鳴らしていきます。音が鳴るものなら何でも良いのです。ロケット・マツさんのすぐ後ろで、ひたすら鎖をジャラジャラさせていた時もありましたし、自らのパーカッションセットを叩きながら次々にバラしていったりもしました。叩くものがなければ自分の身体を使って音を出せば良いのですし、何なら腹太鼓という石川さん秘蔵の素晴らしい古来からの楽器も存在します。これは極めて原初的な音楽の姿ではないでしょうか。そんな謂わゆる近代音楽の枠を超越してくる石川さんの振る舞いは、現代人にとって、原初的な、何か懐かしい福の神のように映るのかも知れません。
そんな自由自在なトリックスターの石川さんですが、石川さんとステージのメンバーとの間に隔たりがありません。石川さんとステージのメンバーは地続きです。石川さんが、メンバーの中で浮いているのではなく、トリックスターとしての石川さんがパスカルズ本体の分神として機能しています。つまり、祝祭神としての石川さんをパスカルズは内包しているのであり、パスカルズそのものが祝祭装置であり、そこから発せられる全ての音が、周囲を祝祭空間と化していくのです。
また今回のサムズアップにおけるパスカルズの陣形は、最前線に石川さんを配置し、いつでも客席等に打って出られる陣形となっており、本当によく出来たフォーメーションでした。さらにパスカルズのメンバーをぐるりと取り囲むサムズアップの構造が、祝祭空間としてのパスカルズをより際立たせていました。
パスカルズについて語るといくら語っても語り足りませんが、いくつか印象的な事を列挙します。
私達夫婦が座ったテーブルに、後からある妙齢の女性がやってきました。彼女と、同席になった男性の会話から、彼女が音楽ライターの安藤さやかさんである事が分かりました。安藤さんは、過去に「たま」や「パスカルズ」についてコラムを書かれた事もある気鋭の音楽ライターさんで、私が個人的に大好きな音楽ライターさんでもあります(パスカルズのホームページから安藤さん執筆のコラムにリンクが貼られています)。直近ではギターの金井太郎さん親子のディスクレビューを公開され、ご本人より推薦されております。当日はお仕事ではなくプライベートで来られたとの事。
本当に個人的ですが、安藤さんに生でお目にかかれて興奮しました。何故なら、これは当日、安藤さんにもお話ししたのですが、「たま」や「パスカルズ」は言語化するのがものすごく難しい音楽だと思うのです。少なくともこの2つの音楽について、納得の出来る文章に出会った事はあまりありません。しかし、安藤さんは、この言語化不可能とさえ思える「たま」と「パスカルズ」について、適切な言葉と表現を与え、私自身の言語化出来ない部分を氷解させてくれました。
そんな安藤さんですから、どんな百戦錬磨のベテラン音楽ライターさんかと思ったら、本当にまだお若くピチピチの音楽ライターさんだったのです。私は驚愕しました。この若さからどうやったら「たま」や「パスカルズ」を適切に表現する言葉を紡ぎ出せるのか、と。
興奮した私は、失礼を承知で、千載一遇のチャンスとばかりに安藤さやかさんにサインをお願いし、安藤さんは当日のチケットに小さな字で彼女曰く人生初のサインを認めてくれたのでした。この事は一生忘れないでしょう。
さて本題に戻り、本日、印象的だったのは、ギターの金井さんに、隣の知久さんが終始イタズラを仕掛けていた事。手持ちのミニペットボトルを金井さんの頭上に近づけて楽しんでいました。何というか、知久さんは絶好調でした。
そして、特異な演奏を奏でるチェロの坂本さん。ステージ右奥に陣取っていましたが、本日も定番の電動マッサージ機演奏や火花全開演奏など、終始キレッキレでした。他のライブに比べてもキレッキレだったようです。 あと、忘れてはならない石川さんも、絶好調でした。石川さんの絶好調さは、その振る舞いについて全てを言語化しない方が良いだろう、というくらい全てが神がかっていた、と申し上げておきます。
さて、途中、演奏された「ムコリッタ」は、荻上直子監督の映画「川っぺりムコリッタ」の劇中曲に知久さんが歌詞をつけたもので、映画では採用されなかった歌です。本当に個人的な事なのですが、荻上直子監督は学校のすぐ上の先輩であり、彼女の「かもめ食堂」「めがね」等の世界観が大好きだった私は、そんな荻上直子監督の世界と、パスカルズの世界が融合したこの「ムコリッタ」という曲を生で聴いて、思わず涙が出てきました。普段、「ムコリッタ」を聴いても泣かなかったのですが、生演奏でクリティカルヒットをくらったのかも知れません。
「のはら」では今回サポートで入った関島さんのリコーダーテクが全開でした。海外でも人気が高いという「のはら」の関島さんソロパートは、もう流石!と言うしかありません。リコーダーってああいう音が鳴る楽器だったんだ!と驚きです。関島さんは、なんてったって「栗コーダーカルテット」のメンバーでもあります。
「花火」では、坂本さんの火花が炸裂!どこに演奏中に火花を散らすバンドがありましょうか。無礼講という言葉がありますが、これはフォーマットを崩す、という事でもあります。お祭りに無礼講は付き物です。しかしまた、一見混沌に見える無礼講からも、新たなフォーマットが構築されていくのでしょう。そんなお祭りの象徴である「花火」という楽曲で、坂本さんが無礼講のように振る舞い、まるで花火を演出してきるかの如く発する火花は、あたかも破壊と創造を表しているかのようでもあり、これこそがパスカルズが祝祭バンドであり、お祭り実演バンドであり、祝祭空間創造バンドである、という証左でありましょう。
ライブの最後はギターの金井太郎さん作曲の「希球」を演奏。思わず体が動き出したくなる(と言うか、パスカルズのライブ中、ずっと体は動いていたのですが)本当に素敵な曲です。
さて、今回のライブで忘れられない出来事がありました。ライブの終盤、石川さんがステージの中央を指差して「あ、三木さんがいる!」と叫んだのです。すぐさま目の前にいた知久さんがツッコミを入れ、それを見ていたロケット・マツさんも「何言ってんだよ」と突っ込んでいました。
でも、石川さんには三木さんが見えていたんだと思います。もしかして姿が見えていたのかも知れないですし、また姿が見えていなくても、三木さんの存在を感じられていたのだと思います。
石川さんは、三木さんは常にパスカルズと共にある、と言いたかったのではないかでしょうか。三木さんと共にパスカルズは有り、パスカルズと共に三木さんは有る。
そして知久さんとロケット・マツさんに突っ込まれて、困った顔をした石川さんは「だって、しょうがないよ」と言ったのですが、それに対しすぐ知久さんが「ノートも鉛筆も消しゴムも」と「たま」の「学校にまにあわない」の一節の当意即妙の呟き。知久さんは間髪入れずに即、呟いたのです。まさに当意即妙とはこの事です。
これは知久さんは小声で呟いたので、ほとんどのお客さんには聞こえなかったのかも知れませんが、私は今回のライブで、この三木さんに纏わる細やかなエピソードが、最も印象的で忘れられないものとなりました。
さて最後の「希球」が終わり、一度メンバーは退場、観客の万雷の拍手でアンコールとなり、メンバーが再び入ってきましたが、トリックスターの石川さんは手に崎陽軒のシウマイ弁当の赤い包み紙を持って現れ、踊りながら入場し、観客を一気に沸かせていきました。これはさすが石川さん!と思わず唸りました。イタズラ神としてのトリックスター石川さんの本領発揮です。普通はこんな事考えないですよね。考えないし、万が一考えても普通はやりません。シウマイ弁当の赤い包み紙で観客を沸かせられるのは世界で石川さんだけです。
そしてここでドラマ「凪のお暇」から「田舎の騎士道」の演奏とあいなったのですが、誰一人ある事に気づかないまま演奏は進んでいきました。
「田舎の騎士道」の演奏が終わって、バンマスのロケット・マツさんが、やっとドラムの横澤龍太郎さんがいない事に気がつきました。誰一人、龍太郎さんの不在に気がつかないまま、演奏していたのです。観客も気がついてなかったと思います。もはや観客のみならず、メンバーでさえもパスカルズの魔法にかかってしまっていたのかも知れません。
ここで、龍太郎さんの捜索開始です。会場のどこにも見当たりません。とうとうロケット・マツさんがマイクで龍太郎さんにどこにいるのか業務連絡で呼びかける始末。そして、やっと横澤龍太郎さん登場!お土産のお茶でも作っていたのでしょうか。龍太郎さんはお尻フリフリしながらドラムに向かい、観客は大喝采!もはや狙ってやってるのかと勘繰りたくなるほど、こんなハプニングをもパスカルズは動力としていくのです。
龍太郎さんも揃ってのアンコール2曲目は「さんぽ」。
拍手は鳴り止まず、ダブルアンコールとなり、松井さんからは4月27日のラストに演奏した「ハートランド」との声も上がりましたが、次回のライブ日程が決まっていないので、バンマスのロケット・マツさんが定番曲の「Taking Dog Fields」を選曲。
この曲は石川さんが「初心者がパスカルズを聞くならまずこの曲」と紹介された事もある曲ですが、金井さんの奏でるエレキギターが印象深い叙情的な出だしとは裏腹に、中盤からの秩序と混沌、破壊と生成は観る者を圧倒します。この曲の織りなす何層もの音階はそのまま壮大なる大団円となり、パスカルズサムズアップライブはグランドフィナーレとなりました。
観客の拍手は鳴り止みませんでしたが、物語の進行をつかさどるトリックスターとしての石川さんが「もう出来ません!」とお祭りの終了を宣言し、これにてついに祝宴はお開き。ライブに来た皆さんはもう本当に多幸感に包まれていました。私達夫婦と同じテーブルだった安藤さやかさん達も、もう言葉もない、という感じでただ感動していました。「もうこの多幸感を表現する言葉は見つからない」という感じでした。この多幸感をいつまでも、いつまでも味わっていたい、この多幸感にずっと、ずうっと浸っていたい。そんな素敵なライブでした。
残念ながらパスカルズの次のライブの日程はまだ決まっていないとの事。 次の宴が開催の折には、万難を排して駆けつけたいと思うのです。(りんりん)


(本人より)いやいや圧巻の熱い長文感想ありがと! サムズアップは確かに独特のステージ形態なので「ここでしか生まれない」音楽というか、ステージがあるんだよね。これは他のライブハウスやホールなどでは体験できない音空間かも。俺のパーカッションにはマイクも付いてないので、ボーカル以外は完全生音だしね。
そうそう、あと安藤さやかさんはとっても若いんだよね。たまがデビューした頃はまだ精子と卵子にすらなってなかったほどに。こんな若い人の心にも響くバンドができたやはり一番の功労者はバンマスのマツさんかな。マツさんが選ばなければ、こういうメンバーの布陣にはならなかったろうしね。
まだ日にちは決まってないけど、年末に次のライブをやる予定で現在メンバーのスケジュール調整をしています。しばしお待ちを!

「いしかわさんといっしょ!vol.8」

2023年6月16日に「いしかわさんといっしょ!vol.8」に参戦するため初めて代々木Barbaraに行きました。
「Live Walker」によると、代々木Barbaraは2005年7月にオープンした代々木Bogaloo(ブーガルー)が前身で、2011年にオーナーが変わり、2013年に現在の代々木Barbaraという名前になったそうです。
2015年から勤務されている、外山あおいさんが2019年4月1日から店長を務められています。外山あおいさんは、とやまあおい名義で石川さん達と2020年10月からMont.Barbaraというユニットを組まれている方としても有名ですね。
代々木駅西口から歩く事5分。地下深くに代々木Barbaraは鎮座しておりました。事前にネットで階段をかなり降りるとあったので、確かに階段をそれなりに降りた所に入り口がありました。
入り口入ってすぐ左手が受付カウンターで、ステージの方を見ると石川浩司さんがフロアでノートパソコンとにらめっこされておりました。
「石川浩司さんがいらっしゃる!これが噂に聞くほぼ一日中パソコンと向き合っているという石川浩司さんのお姿だ!」私は緊張しましたが、カルーアミルクを頼むと、石川さんの邪魔にならないように椅子に座って開演を待ちました。
ステージに向かって右側に司会席があり、本日の司会を務められるお笑い芸人の伊藤じゅんさんがスタンバイされておられました。 とてもアットホームな雰囲気で素敵なライブハウスだと思いました。
また代々木Barbaraでは「投げ銭ポストカード」というシステムがあり、ライブ終了までに購入すると、希望のアーティストがサインを書いてくれる、というとてもスペシャルなポストカードです。
私も今回、投げ銭ポストカードを購入し、後日、石川さんの素敵な直筆サイン入りポストカードが届きました。
さて代々木Barbara presents「いしかわさんといっしょ!」は2022年1月18日に第1回が開催され、以後2022年8月31日、9月16日、10月13日、11月30日、2023年4月13日、5月25日と続き今回で8回目。
当初は「オンガクデハナソウ」という企画だったそうですが、石川さんがパーカッションセットを会場に置いたままにしていたので急遽「いしかわさんといっしょ!」というセッション企画に変更され、そのまま現在まで続く名物企画になったそうです。
石川さんのギターソロに加え、4組のアーティスト並びに石川さんとのセッションが見れる贅沢な企画です。
本日のトップバッターは石川浩司さん。
この日の石川さんのソロパートを一言で表すならば「躍動」でした。石川さんはとにかく躍動してらっしゃいました。ステージ上を縦横無尽に躍動してらっしゃいました。何というか絶好調でした。
最初にご自身唯一のサマーソングという事で「夏のお皿はよく割れる」を披露。時事ネタもブッ込んで、もはや演劇の一幕を観ているかのような錯覚を起こすほどの白熱の演奏でした。
「マトリョーシカ」での曲紹介で、かつて訪れたシベリアのマガダンという街で歩いているのは全部マトリョーシカというお人形で、街の人口の大半がマトリョーシカだ、というお話に私は笑い転げてしまいました。その光景を想像すると、完全にホラー映画になります。いつか誰かが、そんなMVを作ってくれないかと思いました。
次にパスカルズのリーダー、ロケット・マツさんとのユニット「イシマツ」の楽曲「手」、引き続き「メメントの森」を歌われました。「手」は、マツさんから「手」というタイトルで楽曲が送られてきたが、石川さんがそれに手と全然関係ない歌詞をつけた、という話がとても興味深かったです。
ここまであっという間に時間が過ぎ、最後に名曲「ラザニア」を歌われて石川さんのギターソロは終了。
個人的には石川さんの躍動を肌で感じ、その躍動はセッションにも続いていくのでした。
石川さんとセッションされるアーティスト1番目は浜洋介さん。右足でフロアタム、左足でハイハットを踏みながらギターを奏で、今までライブを観て驚いたのは「たま」とポール・マッカートニーだという浜洋介さん。憧れの石川さんとセッション出来るという事でかなり緊張されていました。浜洋介さんの海外旅行における「トラブルはトラベル」のエピソードはとても印象に残りました。
次に登場は横浜出身の丸山永司さん。丸山永司さんは「『たま』という船に乗って」刊行記念トーク&ライブにも行かれたというガチの「たま」ファン。中でも「ガウディさん」が大好きで、もし石川さんがこの日歌っていたら、満足しきって帰っていたと話されましたが、石川さんはこの日は歌われなかったので、残ってライブをしてくれました。とても優しい声でギターを奏でていました。
3番目に登場はピアノ弾き語り重量級肉食系腐女子ことKYOKOさん。音大声楽科大学院修了のKYOKOさんは圧倒的な歌唱力を響かせてくれました。KYOKOさんは「石川さんは今日の共演者は全員初めましてです、と仰ってたけど前に一度代々木Barbaraで対バンしてます!」と衝撃の告白!KYOKOさんに「忘れてた〜!」と言われ、石川さんはタジタジでした。
4番目に登場は仙台出身のピアノ弾き語りの遊佐春菜さん。遊佐春菜さんも石川さん同様、様々なユニットに参加されており音楽の原体験が「たま」と「かぐや姫」だという事で、石川さんが「はじめまして!」と挨拶されると遊佐春菜さんは「いえ、共演はこれが3回目です」と本日2回目の衝撃の事実を明かされました。石川さんはひっくり返りそうになってましたが、共演は10年前の事でもあり、また非常に多くのアーティストと共演されている石川さんなので、すぐに思い出せなかったのだと思われます。
4人のアーティストと石川さんのセッションを目の当たりにして、石川さんの凄さをひしひしと感じました。4人が4人とも全く違う音楽を奏でるのですが、石川さんはその全てに見事にセッションされていました。セッションというより、何と言えば良いのか、セッション相手のアーティストと2人で新しい世界を構築していくような、そんな感じを受けました。
セッション相手のアーティストが奏でる音楽に対する石川さんの答えはこうだ!という感じでしょうか。音楽を通じてのアーティストとの対話とでも言いましょうか。
しかも、その石川さんの答えというのが、こちらが「こう来るだろうな」という予想を外していく、良い意味で裏切っていく、未知の新しい世界だったのです。
石川さんはよくリハーサルには出ずに、いわゆるぶっつけ本番の中から音楽を生み出すと言われていますが、それはまさに予定調和的な予想出来る世界ではなく、初めて出会う無からの構築の世界なのかも知れません。
さて、感動のセッションが終わると最後に出演者の皆さんと司会の伊藤じゅんさんがステージ上で記念撮影。
素晴らしいライブも終わり、私は石川さんがライブ中に仰られた通り、漫画「『たま』という船に乗っていた」を持参していたので、サインをいただくためにカバンから取り出し、準備をしていました。すると、私が取り出した「『たま』という船に乗っていた」を目をまん丸くして凝視している方がいました。今回の出演者の丸山永司さんです。
丸山永司さんは、ライブ中、原作版の「『たま』という船に乗って」を持参したのでサインをもらうと言っていたのに、シャイなのでまだもらわず椅子に座ったままだったのです。そこで私は丸山さんと話をして、石川さんにサインをもらいに行きましょうと促しました。
私の順番が後になると、丸山さんが気をつかって石川さんとゆっくり話が出来ないと思ったので、私が先にサインをいただいて次に丸山さんにゆっくり時間をとってもらう事にしました。
丸山さんは私がサインをいただいて帰ろうとすると「え!もういいんですか?」とやはり気をつかわれたので、「どうぞ、ゆっくり石川さんとお話しして下さい」と促して会場を後にしました。
後日、丸山永司さんのTwitterには石川さんにサインをもらって、沢山話も出来た、と嬉しそうに2ショット写真があげられており、本当に良かったなと思いました。「今日世界一幸せなのは間違いなく僕」という丸山さんの言葉に全てが集約されているのではないでしょうか。
今回のライブで痛感したのは、やはり「たま」は多くのミュージシャンの方に多大な影響を与えたという事と、今でも「たま」を愛する方々が、石川さんとセッションされて、本当に心の底から喜んでる、という事です。眼前でその姿を拝見して、こちらも感動しました。そして今でも多くの方々に影響を与え続ける石川さんは凄いなと思いました。
今回で8回目を数える「いしかわさんといっしょ!」ですが、まだまだ末永く続いて、まだまだ沢山のアーティストの方々とセッションされると良いなと思いました。
ちなみに次回の「いしかわさんといっしょ!」は8月2日(水)開催との事です。(りんりん)


(本人より)ライブご来場ありがとう! ぶっちゃけBarbaraではあんまりお客さんが動員できないんだよね。ワンマンとかなら100人近くのお客さんを動員できるような人でも、5組で30分ずつ、と言うと「他の出演者知らないし興味ないから、ワンマンの方に行くわ」と。出演者もどうしてもワンマンライブの方を宣伝したいから、なかなか集客が厳しいんだよね。もっとも、俺はこういう形でいろんな若手ミュージシャンとセッションする機会があって刺激もあるし面白いんだけどねー。
それにしても今回の出演者はおそらく全員たまがデビューした頃は生まれてもいなかった人がほとんどで、そんな世代が違う人にまで何かを与えられたということは本当に嬉しいね。
この「いしかわさんといっしょ!」も体力が続く限り、そしてお店の企画が続く限りはやりたいシリーズだね。

「たま」という船に乗っていた 増補改訂版(双葉社)

 ようやく入手して読み終わりました。
 かつて、この自伝がネットで公開されており、私が「たま」に興味を持ち始めたころ、ググって石川さんのホームページにたどり着いたときに初めて読んだのが、第八章「船からひとり降りた」でした。柳原さんが辞めるくだりをよんで胸が熱くなったのですが、今回、あらためて再会し、自分の中でたまを好きになり始めた頃の思い出を確認できたことが、まず嬉しいです。
「書き下ろし『たま』という船を降りてから」(P259〜)の部分は増補。では『改定』はどの辺なんだろうなあ…とは気になって調べようとしたものの、石川さんのホームページでは非公開になっているし、ぴあからでていた旧版も手に入らないので、不確かな記憶をたどるしかないのですが…
 いわゆる「放送禁止用語」に関してはマイルドにされているようです。旧版では「なぜ表現規制をしたがる勢力があるか、その理由は、怖くてとても俺には言えない」とか、不穏なことが書いてあった気がする。あと名古屋のデパートでラジオの公開録音に出た時のくだり(P179)も、石川さんが「音が大きすぎて×××になってしまいました」と、のたまえば、知久さんが「この人××ですからしゃべれません!」とノッてきて。この掛け合いがリズムが良くて印象に残っていたんですが、これも消されてしまった…というか…「ブルブルバリバリバキューンバキューン」と、いかにも石川さんっぽくて、本の中から音が聞こえてきそうな規制音が今回の改訂版では上書きされております。
 この辺は、石川さんの心境が変化したのかなあ‥「たまの本」を読むと、竹中労さんですら必要に応じて伏字にされたりと苦労されているので、やむを得ないのかなという気も。
あと「おいどん、ドラムなんて大っ嫌いでごわすっ!」(P127)は、旧版だと「ワシ、ドラムなんて大嫌いじゃけん」だった気がする。
「それ九州じゃなくて広島じゃろ!」とツッコんだ記憶があるので…(でも福岡だと「○○じゃけん」って言うから、このツッコミは私の浅慮でしたが…)
 ただ、私の記憶もいい加減ですし、あらためて読み終わってみると、ときに笑ったり、ときに切なくなったり、前に読んだ時と、読後感は変わってないので、あまり新旧の比較をしても意味がないかもしれませんね。
だから、この増補改訂版が決定版!ということで。おそらく一番乗りのレポート投稿とさせていただきます。(kobataka)


(本人より)おおっ、よくぞ気づいてくれた! そう、元のものから改訂版は結構文章が変わってるのです。
ただ、これは僕の意志では無いです。出版社から「コンプライアンスが厳しくなり、20年前にはOKだった表現が今はできなくなってる」と言われ、編集者とひとつひとつ相談をして、言葉や表現を書き換えたのです。いったん書き換えた後も、さらに上の部署から「ここも替えて欲しい」との要請もあったりして、相当な箇所を替えざるを得ませんでした。
なので、本当に自由に書けるのはこのホームページくらい。
大手出版社は、昔は大丈夫な言葉も今は使えないものが非常に多くなってる、という事実を認識せざるを得ませんでした。

5月20日高木純追悼ライブ

5月20日に西八王子Cafe&Bar arcadia(以下アルカディア)でミュージシャンのシバさんが発起人となり高木純追悼ライブ「いつもの酒場の2階の窓に」が開催されました。
高木純さんとは東京・西八王子駅からほど近い場所にあるアルカディアという1000枚以上のレコードを保持する都内有数のロックカフェを始めた方で2021年9月3日に69歳でこの世を去られました。今年で3回忌にあたります。
高木さんは大学卒業後、会社勤めをしながら開業資金を貯め、1978年11月18日に現在地からすぐ先の甲州街道(国道20号線)に面した場所にアルカディアをオープンされました。この初代アルカディアはライブの中で石川さんも触れていましたが、「たま」がナゴムレコードから出したアルバム「しおしお」のジャケット裏の写真が撮影された場所としても有名です。
八王子経済新聞によると、その後旧店舗があったビルが老朽化で取り壊される事になり2008年6月に休業して現在地に移転し、同年9月5日にリニューアルオープンしました。この現在のお店は昭和6年に建てられた織物工場の建物を改装してカフェにしたもので、現在築90年を超え建物自体がアンティークと化しているとても素敵なカフェです。
高木さんはクラウドファンディングで資金を募り、2019年5月1日に「ロックカフェという生き方『アルカディア』の40年」(揺籃社)を出版されました。これはアルカディア40周年にあたり、どうしても出したかったという自伝的な本との事です。この本には「たま」についてもページが割かれており、1988年に「たま」がアルカディアに初登場して以来の歴史も綴られています。
今回、追悼ライブに参加するにあたり、この本を購入して読み進めると、高木さんが学校の先輩にあたる事が分かりました。学校の先輩が西八王子でこんな素敵なお店をやっていたなんて恥ずかしながら全く知らず、アルカディアに来たのもこの日が初めてになったのです。
13時30分の開場後、お店一推しというカレーとジンジャーエールを頂いて準備万端。
追悼ライブは急遽企画立案されたという事ですが、たくさんのアーティストが来てくれました。
14時30分に開演しトップバッターはアルカディアの近所にお住まいというアコーディオン奏者のアラン・パットンさん。この日は自転車で来たというアランさんは「帰り道にアルカディアにふらっと寄ってお酒を飲むのが楽しみでした。閉店間際でも高木さんは快く迎えてくれて、お店に知らない人がいると高木さんが呼んで必ず紹介してくれた」と話してくれました。古今東西世界広しと言えどもアコーディオンの上で人形(ボブ錦)に相撲を取らせる人はアランさんただ一人でしょう。
次に登場は斉藤哲也さんと神田珠美さんの音楽ユニット「さいたま」。斉藤さんは元「たま」のサポートメンバーで「パスカルズ」にも参加していた事もあり、石川さんとは旧知の仲でこの度石川さんを加えた「さいこうたま」という新ユニットが6月23日にデビュー。
「さいたま」のお二人は「高木さんはライブ中でもよく声をかけてくれた。さすがに曲中はあまりなかったが、曲が終わると声をかけてくれて、今日はお客さんを高木さんと思って皆さん声をかけて下さい」と思い出を語られました。斉藤さんのピアノと神田さんのヴァイオリンが奏でるハーモニーはアルカディアの空間に染み渡っていくようでした。
そしていよいよ石川浩司さんが登場。冒頭のアルカディアで「しおしお」のジャケット撮影をした話やメジャーデビュー後、1990年6月9日に立川市民会館で「たま」がシバさん、友部正人さん、あがた森魚さんと「さよなら20世紀」ライブをした時に舞台挨拶で「高木純さんです!」と呼び込みをしたら、ものすごい笑顔でノリノリで登場してこられた話などエピソードを話してくれました。
最初にその「しおしお」の隠しトラックだった「まちあわせ(アルカディアバージョン)」を歌われ、「ZAN」「メメントの森」「野のなななのか」等と続いていき、高木純さんの前年の2020年4月に旅立たれた音楽仲間の山下由さん・パスカルズの三木黄太さんを思って作られたという「ピンクの象」、最後は「ラザニア」を魂込めて歌われました。少なくとも私には石川さんの魂の叫びのように聴こえたのです。
石川さんの後は御年79歳の佐藤GWAN博さん。「アルカディアにはシバさんに連れてきてもらった。高木さんにはシバの友達だという事で良くしてもらった」と話すGWANさん。印象的な「南風」や8分かかるという「あかんぼ殺しのマリー・ファラーについて」は圧巻でした。「ふにゃらら」でのお客さんとのやり取りも楽しかったです。
知久寿焼さんは「高木さんは笑顔がすごい」とやはり笑顔について言及。「電柱(でんちう)」「らんちう」に続いて高木さんがよくリクエストしてくれたと「くだもの」「いわしのこもりうた」を歌い、超過密スケジュールで限界だったという1991年の「たま」『ひるねでグ〜』ツアーでの高木さんとのエピソードを紹介してくれました。
「月がみてたよ」「ちいさなおはなし」の後はCMで有名な「うどんかぞえうた」を披露し、最後にこれまた高木さんが好きだったという「おるがん」で締めくくり。
大トリはシバさん。「朝10時から来ていて眠くなっちゃった」とジョークを飛ばすと「バイバイブルース」を奏で、「国道20号線の港町」「酒」「あの娘は今日も帰らない」などしっとり歌いながら4年間ほど働かせてもらったというアルカディアや高木さんの思い出話をたっぷり聞かせてくれました。
中でも地元にも関わらずアルカディアの存在を知らなかったシバさんが仕事の打ち合わせで初めてお店に来た時、かかっている音楽に「おっ!」と思って、高木さんに「高田渡は知ってるか?シバは知ってるか?」と聞いたら、高木さんが得意げに「もちろん知ってるよ」と言ったので「シバは僕です!」と言ったら高木さんがびっくり仰天したという二人の出会いのエピソードが面白かったです。
歌の終盤、シバさんが感極まって涙された姿に高木さんへの万感の思いが推察されました。
最後はシバさん定番の「愛の国道20号線」。冒頭に紹介した通り、国道20号線は西八王子アルカディアのすぐそばを走る国道です。この歌の途中にシバさんが今日の出演メンバーを呼び込み、知久さんと石川さんが勢いよくステージに参入。知久さんは口琴で参戦。石川さんが何か叩けるものはないかと店内を物色する姿が印象的でした。それに続き残りのメンバーもステージに勢揃いして皆で「愛の国道20号線」をセッション。たぶんこれは事前の打ち合わせも何もなく、その場で決めたセッションだと思うのですが、お客さんの手拍子も一体となって盛り上がって最高潮に達したこのグルーブはきっと高木さんにも届いたはずです。
トータル6時間を超えた今回の高木純さん追悼ライブ。感動がいっぱい詰まった最高のライブでした。この日の事は一生忘れないでしょう。私はこの時までアルカディアの存在を知らず、学校の先輩である高木さんにも生前お会いする事はありませんでしたが、そんな私がこのライブに来る事になるとは縁とは不思議なものです。
定期的に取材を受けられ、発信していく事でそれが私の目に触れ、今回参加するきっかけを作って下さった石川さんには感謝しかありません。(りんりん)


(本人より)高木さんとは、アマチュアの頃からお世話になってたからねー。近年も、斉藤くん、神田さんと一緒にセッションで出させてもらったり。
でも逝くのはちょっと早かったけど、こんな音楽会も開かれて、いい人生だったんじゃないかな。きっと向こうでもあの笑顔で、ゆっくりと、いい音楽を聴いていると思います。またね。向こうで次会えるのをのんびりと待っててください。

「PascaLs〜しあわせのようなもの〜」5月13日シネマ・チュプキ・タバタ舞台舞台挨拶

この映画は2020年4月27日に長野県伊那市で59歳の若さで旅立っていったPascaLs(以下パスカルズ)のメンバーだった三木黄太さんの追悼ライブの模様をメンバーのトークと共に収めた映画だ。
三木黄太さんは石川さんによると、TVチャンピオンの「家具職人選手権」などにも何回も出場し、毎回決勝に残るほどの日本有数の家具職人で、その一方、1995年からパスカルズでチェロを担当する音楽家でもあった。
パスカルズによる追悼ライブは無観客で2021年4月27日に、有観客で2022年4月28日・29日にそれぞれ吉祥寺STAR PINE'S CAFE(以下スターパインズカフェ)で開催された。
この映画を観るのは今年の4月27日以来2回目だが、この映画を通して、パスカルズのライブを観ているというよりも、むしろ映画を通して儀式に参加している感覚を覚えた。
三木さんを追悼するパスカルズをスクリーンの外から傍観者的に眺めているというのではなく、あたかもスクリーン席という参列席から私達もパスカルズと一体になる不思議な感覚だ。
これは何だろう、パスカルズのメンバーが巻き起こすグルーブがスクリーンを突き抜けて私達を包み込んでいるような、そんな感覚だ。
舞台挨拶の中でリーダーのロケット・マツさんは「初期パスカルズは輪っかになって観客を取り囲むように演奏していた」と話された。
奇しくも映画の中での最初の吉祥寺スターパインズカフェでの演奏形態は輪っかの形をしており、初期パスカルズのフォーメーションに近いものであったようだ。演奏中のメンバーの顔がアップで映されるので、観ている自分達もその輪っかの中にいる錯覚を覚える。
伊勢監督はマツさんの「パスカルズは演奏中に風が吹いている」という言葉を紹介された。映画の中で確かに風は吹いていた。パスカルズの演奏で風はメンバーの間をゆるやかに駆けめぐり、そしてスクリーンを通り抜けて、映画を見ている私達観客の間も吹き抜けていくのだ。
映画の中で何回も象徴的に映し出される鳥の飾り。メンバーは泣きながらあの飾りの下が三木さんの席なんです、と話されていた。劇中で演奏される「鳥のうた」の時、石川さんから語られた言葉は、三木さんが鳥になって、翼を持って大空に羽ばたいていったように観客に思わせるものだった。
5月13日に上映された会場は東京・田端のシネマ・チュプキ・タバタという日本一小さな映画館だが、映画館のHPによるとこの「チュプキ」という言葉はアイヌ語で月や木漏れ日などの「自然の光」を意味するという。この映画ではそんな自然の光に照らされて、羽ばたく鳥が何回も映し出される。ちなみにアイヌ文化で一番偉い神様は鳥の神様(シマフクロウ)とされる。そんなアイヌ文化の名前を持つシネマ・チュプキ・タバタでこの映画を見ていると、三木さんを鳥の神様と共にあの世に送り届けるという壮大な儀式に参列しているように思えてくるのだ。アイヌ文化ではあの世もこの世と同じように生活しているという。だから向こう側の世界で使うようにこの世の道具を送り届ける儀式がある。
あの鳥の飾りの下には三木さんのものと思われるチェロが置かれてあった。あのチェロは三木さんの手元に届いただろう。三木さんはきっと、向こう側の世界でも楽しく家具を作ったり、音楽を奏でているに違いない。
この映画を観ていると、おそらく人類が音楽を生み出して以来、旅立っていった人を送る儀式はかように音楽をもって送り続けてきたのだろうと思わずにはいられなかった。
「故人を偲ぶ」という言葉があるが、故人の追悼とは、いつまでも忘れずにその人の事を覚えている、という面もあると思うし、これは私自身がモットーとしている事でもある。
伊勢監督は「映画や音楽は偶然が重なって出会う事もある」と仰っていたが、今回、不思議な縁の結びつきでパスカルズが映画化され、それがまた不思議な縁によって新参者の私の目に触れる事となった。
話がそれるので詳細は省くが、三木さんと私を引き合わせたのは石川さんだ。きっかけは4月15日の石川さんのインタビュー記事だ。この記事に興味を持った私は4月27日の吉祥寺と、そして5月13日の田端に足を運んだ。
「縁は異なもの味なもの」という言葉があるが、今回この映画に出会えた事で、それまで全くパスカルズや三木さんという存在を知らなかった私だが、少なくともそんな私の中で「三木黄太」という存在はずっと生き続ける事になった。奇しくも4月27日は私の誕生日間近なので、私は毎年春が来て自分の誕生日が近づく度に三木さんを思い出すのだ。
5月13日の田端での上映が終わって、舞台挨拶で石川さんはスクリーンを振り返りながら「いいバンドですね」としみじみ語られた。本当にいい映画だし、パスカルズは本当にいいバンドだ。
この映画を一人でも多くの人に観てもらいたいと思うし、またパスカルズの演奏を一人でも多くの人に聴いてもらいたい、と思わせる素晴らしい映画だった。
伊勢監督は「この映画はラブレターだ」と仰った。この映画を見れば、どんどんパスカルズを好きになる。どんどん三木さんやメンバーを好きになる。そんな素敵な映画だ。
この映画に出会えた事に感謝したい。
上映後、リーダーのロケット・マツさんと石川さんは持参した鍵盤ハーモニカで一曲披露してくれた。私達にとってとても贅沢な時間だった。
終了後のサイン会でファンとのやり取りの中で「これからも末永く頑張って下さい」的な言葉をかけられた石川さんが「もう歳だから」と言われていたが、どうかそんな事は言わないで、まだまだ元気に音楽を奏でていって下さい。(りんりん)


(本人より)観覧ありがとー! ライブシーンがほとんどの音楽映画なので「曲が終わると拍手しそうになっちゃった」という人もいました。パスカルズはフランスとかの方が認知度が高いので、そっちでも上映できたらいいね、と監督と話しました。
たまに引き続いてパスカルズもドキュメント映画になったのは嬉しかったなあ。後々まで残るものね。
そして是非本物のライブにもお越しあれ。僕とマツさんだけの、より自由度の高い「イシマツ」もよろしくねっ!

パスカルズ しあわせ のようなもの

5/13に田端シネマチュプキでのパスカルズ上映に行きました!
大きな画面でパスカルズの音楽を聴けて、とてもよかったです。チュプキ初めて行ったのですがよい映画館でした...。
映画を観て、私も楽器やりたい!という気持ちになりました。皆さん、楽しそうで見ていて羨ましくなりました。
パスカルズはすごく詳しいという訳ではなかったので知らない曲もありましたが、ずっと楽しめました。生で聴きたくなった。。。

マツさんのMC、おもしろかったです。劇場にいたお客さんたちも笑ってました。
私は特に、メンバー達のお話しているところをみられたのが嬉しかったです。
音楽は聴きますが、演奏している方々の会話は見たことがなかったのでパスカルズの空気感を知れてよかったです。映画を観てメンバーたちを前より知れたように思います。

それから、伊勢監督、石川さんとマツさんの上映後トーク...
(°_°)石川さんだ!!同じ次元にいるー!!すごい!!喋ってる!!歩いてる!!と興奮してしまいました。
あと石川さんが服を着ていて新鮮でした。いや、初めて見たかも....
そして想像していたよりずっと、石川さんがしっかりしていて驚きました。(すみません)かっこいいです。
マツさんとの鍵盤ハーモニカの演奏もよかったです。演奏を聴けるとは思ってなかった。小学生のときに吹いたきりの鍵盤ハーモニカ....引っ張り出してみようかな。あんなに綺麗に音があわさるんですね。長いあいだ一緒に演奏してるとやっぱりお互いが楽器みたいに感じるんですかね。マツさんが劇中三木さんのことを体の一部みたいだとおっしゃっていましたが..。
おふたりで話しているところが可愛らしかったです。マツさんは石川さんのことを浩司って呼ばはるんですね。なかよし。イシマツの演奏もいつか聴きに行きたいと思いました。

サインをいただけるとも思っていなかった......。
可愛いサインありがとうございます。緊張して見てることしかできなかったけど...。初めてサインもらいました。人に。手ぬぐい壁に飾ろうと思います!

劇中で、パスカルズは遊びの延長でやってきたところもある〜というようなことをおっしゃっていたのですが。そこがとてもいいなと思いました。
次にパスカルズの演奏を聴く時は、ライブで、がいいなー!映画行けて良かったです!(ばびごん)


(本人より)ランニング姿じゃなくて人前に出たのは久しぶりかも。直前までどうしようか迷ったけど、まぁ映画の後の簡単なアフタートークだから、ここは普段着のままで気負わず出ようと。
パスカルズは基本的にみんな仲良しです。まあ30年以上続けていて、海外ツアーなんかだと一ヶ月も一緒にいるからねー。大人になってからの友達、いいもんです。
次は是非ライブで。待ってるよ〜!

「ジンターナショナル」大工哲弘(1996)

大工哲弘さんは八重山民謡の第一人者ですが、沖縄民謡に限らず様々な歌を様々アーティストとコラボしています。
このCDは楽器やコーラスで「たま」が参加していると聞いて購入しました。
コーラスといっても、あまり目立たないだろうなあ…と思って聞いていたのですが、『ストトン節』で「花のつぼみの女学生〜」に「ジョガクッセイッ!」と、合いの手を入れているのは、もうこれはハッキリ石川さん!?
それで、もう一回よくよく聞いてみると、てっきり女性の民謡歌手が歌ってるのかと思っていた4番の「好いて好かれて相惚れて〜」は、知久さんが歌ってたり、さらにさかのぼって2番の「一月稼いだ金持って〜ちょいと一晩通ったら〜」は大工さんの声じゃなくって、石川さんのねっとりした歌声だったり。
他にも『生活の柄』『揃った節』『六調』で石川さん、知久さんのコーラスが、それぞれの個性を発揮しつつ曲になじんでいました。もちろん、知久さんはギター・マンドリン、石川さんはパーカッション、滝本さんはベースでもいくつかの曲に参加しています。
このCDは1996年発売ですが、今もオフノートというレーベルの通販で購入可能です。
気になった方はぜひ。
今までクイズしか参加していませんでしたが、初めて文章物の投稿です。今後とも折を見て投稿していきたいと思いますので、よろしくお願いします。(kobataka)


(本人より)実は、これより前の「ウチナージンタ」というアルバムにも俺はひとりで参加していて、それが割と好評だったので、次の「ジンターナショナル」ではたま全員が呼ばれたんだよね。武道館や名古屋球場などのデカい会場でも大工さんとはセッションしたなあ。普段はダジャレ好きの愉快なオヤジさん。

2023年4月14日OA「富田望生の日々是芸術」〔BSプレミアム〕

タイの旧正月休暇の時期、石川さんHP「インフォメーション」に紹介されていた番組。時間があったので視聴した。
最初はあまりノリきれなかったが、入った骨董品店で手作りメガネを富田さんがかけた瞬間から話がとつぜん疾走し始め、ぐいぐい引き寄せられて内容に没入した。メガネの作者の方のインタビューが始まり、この作品のフォーマットが明らかになった感を得た。そしてそこからいろいろなアーチストと出会っていく「アートの旅」が綴られていった。ドラマとドキュメンタリーが交錯する手さばきは好きなタイプの展開だ。アーチストへの出会いの水先案内人がパスカルズというのもステキ。ロケットマツさん、知久寿焼さん、坂本弘道さん、原さとしさん、石川浩司さんなどがアーチスト紹介に絡んでいく。時にダンス対決をし、時に道案内をし、時に野原でみんなで自由に踊り回るの、いいね!
主演の富田望生〔とみた・みう〕さんは初めて知ったが、「役者・富田望生」役を演じきっていた。みずみずしい感性が魅力的な役者さんだった。彼女の台詞や演技を通して紹介されたアーチストたちのなんと魅力的に映ったことだろう! また、パスカルズは大林宣彦監督の「野のなななのか」の「野の楽師」と同じような役割の楽団役で、カメラの前を横切り一列に合奏しながら出演者と共演するパフォーマンスを見せてくれた。
最後に紹介された自宅の壁にとつぜん絵を描き始めた小林伸一さんのくだりは、多分ディレクターの取材VTRのみで、富田さんは同じ画面に映っていなかったが、最後に「2022年XX月XX日」というテロップが出た瞬間に、「あ、この人死ぬな」とわかってしまった。人の死を創作の道具に使ったようで、そこだけは感心しなかったことは一筆書いておく。
あと、富田さん、パスカルズや自然生クラブの皆さんが野外で自由に踊るシーンがあるのだけれど、その前後のどこかに、正確な言葉は忘れたがファンク・ロック・バンド、JAGATARAの故・江戸アケミの言葉「踊りなんて自由にやりゃいいんだよ」的なテロップが出たのにも唸らされた。江戸アケミが死んで30年以上も経つのに、彼のことを忘れていないクリエーターがまだここにいた事実に感動した。じゃがたらのライブをこの目で観てからもう40年くらい経つんだなー。
いわゆる「アイトサイダー・アート」について扱った作品と言えるのだろうが、私にとってはとても新鮮に楽しむことができた作品だった。(波照間エロマンガ島)


(本人より)筑波山麓にロケに行き、アーティストの人たちと踊ったり、楽しかったな。チェンマイ行きの関係でロケには半分くらいしか出られなかったけど、面白い作品に出させていただきました。
ちなみに今公開されている映画「パスカルズ〜しあわせのようなもの」の監督の息子さんがこの作品の監督。親子でパスカルズを追っていてくれている。有り難し!

モルタルレコード たま曲縛りライブ

さて 遂にこのときがやってきましたよ
生でベイビーさん しかもたま曲縛りライブ

熊谷で伊集院さんのラジオ聴きながら歩いていると
ふと私の前で通せんぼをするチューリップハットおじさんが
よーく見ると石川さんでした。ビックリしました。
軽く談笑後、ごはんを食べに行きました。

しばらく店前で待ってると顔なじみの常連さんが
そこにワタナベイビーさんも通りかかりちょこっと挨拶。

人がぞろりぞろりとやってきてOPEN

モルタルレコード恒例 階段のところでの頭ぶつけありで会場へ。

すっと某新興宗教の鐘を差し出すHさん(あえて伏字)

そして時間まで常連さんと再度談笑していたら石川さん、ベイビーさん入場

一発目 牛小屋
ベイビーさん 基本はキーボードを弾かないとのことでしたが ツイッターに上がってたイマジンのカバーなど素晴らしいプレイヤーだと思います。
そしてよんよこよんよこコールもあって楽しい

そして2曲目 方向音痴 ベイビーさんのギタートチリ連発 それをフォローする石川さん。
そう、これこそライブなのだ

ベイビーさん、石川さん半分ずつボーカルのふたつの天気、鐘がなります東京パピーなどを挟み
ついに来たのが 柳原さん直伝の お経
あれはカバーが非常に難しい。特に冒頭部分。

夏の前日演奏後、同名の漫画があったとトークでお話しされていましたが。これは吉田基已先生の漫画ですね。画家志望の男と画廊の女の恋愛マンガ(’直接的な性描写もちょこっとあり いわゆる女性向けの漫画です)。ちなみに数冊持ってます。ちなみにGさんのとある曲のオマージュと思われるシーンもあります。探してみて下さい。

ちなみにここは広島では海にうつる月だったそうですね。
まったくの余談ですが、ライブの帰り道にみてたとあるゲーム実況者さんが、音楽ゲームで海にうつる月のサビの部分を再現して演奏してて、なんかシンクロシティを感じました。

そして学校に間に合わない(「たま」という船に乗っていたの宣伝込み)からのらんちう これはしょぼたまの黄金パターンですね

そして1ラウンドでノック・ミー・ダウン(意味がわかるとちょっとエッチですね)、日曜日に雨に続き、質問タイム。
そしてその間にお手洗いに行ってる人の配慮で時間合わせの即興ソング。
これ、なかなかいい感じでしたよ。

そして家族からのさよなら人類で一回引っ込み。
アンコールは恒例のスマイル。やっぱりいい曲だなぁ・・・
そして指がつりそうになるまちあわせで再度引っ込み。

それでもアンコールの拍手は鳴りやまない。
裏のカーテンから顔だけ出した石川さん。
そして再びステージへ
「えー この世の中便利なもので、ツイッターにセットリストというものがあがっておりまして・・・・」(確かこんな感じ)
というわけでアンコールでおなじみのおやすみいのししを歌ってホントのおしまい。

終演後、ベイビーさん、石川さんの新譜にサインをしてもらい、モルタルの前でタバコを吸ってた初めてライブに来たお兄ちゃんらと語らい、 駅前喫煙所でこれまた初めてライブに来たお姉ちゃんと語らい。
心温まるライブでした。

そしてこれを書いてる4/10 ツイッターに生誕祭の告知が。
出演者にワタナベイビーの文字が。
これは・・・ もしかしてまた・・・ 
もしそうなら非常にうれしいな。

次も二人で暗躍してくださいね!!(ズミ天)


(本人より)ライブ会場って結局同じ趣味の人が集まってるから、いろんな同好の士とのお喋りも楽しいよね。さてさて今後はどういう展開になるかな?乞うご期待!

「たまの映画」 〔2010年 今泉力哉 監督作品〕

劇場公開以来約13年ぶりの鑑賞。BSの日本映画専門チャンネルで今泉監督の全作品特集があり、劇場版第1回監督作品の今作も放映されたのだ。そういえば13年前はもうタイに住んでいたのだけれど、一時帰国のタイミングでちょうど公開していて、テアトル新宿に2回観に行った。2回観たのはもちろん1回観て面白かったからに違いないのだけれど、今回再度観て今泉監督と被写体「たま」との距離の絶妙さに感心した。それは2009年今泉監督が元たまのメンバーに取材したソースを中立的視点にたって、うまく編集しているその「姿勢」を、観客が感じられる構成になっているから、ということがまずあげられると思う。それを最初に感じたのは、最初に現在の〔2009年当時の〕3人のメンバーの活動を映像で紹介し、そのつぎに彼らの言葉をインタビュー形式で順番に紹介していく丁寧さにそれを実感した。うーん、いいね。そしてその編集の気持ち良さに観客のわたしたちもぐいぐい引き込まれていく。合間に3人のソロの楽曲も染み入るように映画内に響いていく、そんな構成だった。また、何回となく居酒屋での長尺の石川さんの語りが挿入されるのだが、そこには2月のチェンマイで何度もお会いした石川さんファンの人たちが何人も映っていて、懐かしい想いでいっぱいになった。懐かしいといえば、山梨の温泉旅館で行なわれたホルモン鉄道ライブにも、石川さんと家族全員が交流を持っているたまファンの親子3人が映っていて、そこに当時0歳の男児の赤ちゃんが客席に乱入した石川さんと絡むくだりがあるのだが、彼はその後14年経って今年4月には中学3年生になるというのも時の流れの速さを感じたのであった。
というわけで、映画というメディアは、「時間」を定着させるメディアであることを再認識した今回の体験だった。(波照間エロマンガ島)


(本人より)もうこの映画からも13年も経ったのかあ〜。やってること変わらないなー。でも監督はすっかり売れっ子に。そして写っている子供の成長を見ると、やっぱり時は経ったのだなと感じてしまうね。
今年、パスカルズのドキュメント映画も公開されました。まあさすがにタイでの上映は難しいと思いますが、機会があったら観てくだせえ!

『嵐を呼ぶいちご狩り』

久々の早稲田リネン
ベロベロに醉いながら到着
一時間半ほど常連さんと話して入店

さてハナはpagtas
短い曲で畳み掛けるスタイルが素敵
あとエフェクターかけたエレキギターも素敵でした

続きまして 水中、それは苦しい
はっちゃけMCのジョニーさん ポーカーフェイスの二人
でも歌になるとパンク!パンク!
アコースティック楽器だけでもこれだけかっこよいパンクができるという見本ですね!

実は水中は大学時代から知ってたのですが、なかなかライブに行けなかったため 今回が初めて
曲はCDで聴いてたけど やっぱ生の迫力はすごい!!

そしてホルモン鉄道
出囃子がトラックミスでアタックNo.1になってたのはご愛嬌
今回は水中とジョイントした ホルモン鉄道、それは見苦しいが!!

これがまぁかっこいいのだ!!

エチケット番長のときに大谷氏の荷物をぶちまける
これもパンク
ミチロウさんの豚の頭を客席に投げるのオマージュだろうか?

そして最後はグダグダ でもかっこよく終わりました

いやぁ 水中とのジョイントはまたやって欲しいっす!!(ズミ天)


(本人より)荷物ぶちまけあり、尻見せあり、紙の包丁で惨殺あり。だけどもホロリの曲も。また水中とロックなホルモン鉄道やりたいな〜。

2020年12月27日アップロード
飛び出し坊やが手を振ってくれる「膳所」の町〔地味町ひとり散歩 6〕

「ひとりを楽しむ」をコンセプトにしたウェブメディア、DANRO。石川浩司さんはここで2020年から「ひとり散歩」の連載をしています。第1回冒頭にこのひとり散歩のコンセプトが以下のように説明してあります。

「この新連載は、普段あまり取り上げられることのない『地味目な町』をひとりでヒョコヒョコと散歩して、目についた光景をスケッチしてみようというものです。」

この言葉の通り、この3年余りの間に「地味目な町」を多く紹介してくれました。
その中で今回私が取り上げるのは、滋賀県大津市にあるJR西日本の膳所〔ぜぜ〕駅周辺。大津駅からJR琵琶湖線で一駅行った駅だそうです。この地味町でどんな出会いや発見があるのでしょう。ワクワクしながら読み進めていきました。

コラムを読む前に、わたしの抱いている当地への先入観を先に書いてみます。
〔1〕わたしは琵琶湖に行ったことがないので、地勢はまったくわからない。
〔2〕ただし中学の修学旅行で行った比叡山延暦寺に観光バスで登っていく坂の途中で、霧の合間から巨大な琵琶湖の湖岸線が見えた記憶がある。
〔3〕その風景は水上勉原作で田坂具隆監督、佐久間良子主演で映画化された「湖の琴」にて散見することができた。
〔4〕わたしの大学時代の恩師で現代美術作家の菅木志雄さんの配偶者、作家の富岡多恵子氏がこの地に引っ越し、1891年に起こったロシア皇太子が日本人警官に襲撃された「大津事件」を取材し「湖の南ーー大津事件異聞」という著書を刊行したこと。わたしは雑誌連載中に読んでいて、襲撃した津田三蔵巡査の人間像について興味を持っていた。
〔5〕2011年10月発生した「大津市中2いじめ自殺事件」で取り沙汰された、いじめ被害を訴えていたのにそれを無視した大津市教育委員会や地元の風土について。

そんな先入観を持ちながら石川さんのコラムを読んでみると、当然ですがそんなことはまったくおくびにもあらわれない、のどかで平和な地味町の画像と文章が続いていきました。それに加え、昨今はみうらじゅんさんやタモリ倶楽部でもよく取り上げられている「飛び出し坊や」の脱力系看板の数々の紹介によりますますそれらが加速していき。さらには石川さんは散歩し疲れたので近所の銭湯に入り、そこで売っていたTシャツを買いました、というような感じでコラムは終了。うーーん、面白いけどなんだかなぁな気分。旅人ではまったく知りえないものの、その土地にどろどろと巣食っている怨霊・地霊はあるわけで、その「わからないが何かある」気配をちょこっとだけでも確認できてよかったです。

最後に。他にわたしが大津市についてここ10年くらいで何かつぶやいていないか検索すると、以下のつぶやきがヒットしました。2012年8月2日のTweetより。文芸評論家の饗庭孝男氏の著作の読書感想が書かれていました。

饗庭孝男 「故郷の廃家」読了。滋賀県にルーツをもつ饗庭氏の自叙伝であるが、叔父が大津市の教育長になった、という記述にはドキッとさせられた。当然、現在取り沙汰されている大津市のいじめ事件とは60年くらい時間がずれているのだが、それでも滋賀県の県民性や地勢など繋がりを想起してしまった

滋賀県の県民性が見つけられるんじゃないか、という恣意的な読書をしていましたね。わかるわけないのに、とも思いますが、そんなことを2012年頃は考えていたようです。(波照間エロマンガ島)


(本人より)基本的に事前に何も調べず、そこで偶然見た物や感じたことなどだけを取り上げてるからねー。歴史的に蘊蓄のあるものは、いくらでも他の人が書いて溢れてるから。
琵琶湖は今までにライブ関係などでそこそこ見てるから、自分的には湖に対しては新たな驚きというものはなかったすねー。でも滋賀県は琵琶湖抜きでは語れないしね。

2023年1月24日アップロード
下北沢の兄弟「上北沢」にはボブ・ディランが似合う〔地味町ひとり散歩 28〕

京王線上北沢駅付近を散歩した石川さん。「下北沢の兄弟」とタイトルに書くセンスは、相変わらず流石ですね。私は東京生まれですが、城南エリアの東急線沿線で成育したので、京王線は馴染みが薄いのですが、上北沢というとすぐに想起するのが精神科を内包した都立松沢病院。戦前戦後の文学作品によく登場した名前で覚えています。北杜夫「楡家の人びと」でも名前は出てきた記憶が。その松沢病院の敷地内にある将軍池を散歩中に発見し、写真に収めていただいたことには刺激を受けました。将軍池の名前の由来となった葦原金次郎〔あしわら・きんじろう〕という明治期から昭和初期まで生きた人は、当病院に入院していた患者として有名で、自称「天皇」「将軍」と名乗っていたことは存じておりました。実はわたしは彼の人生に以前より興味を持っていまして、根本敬「ミクロの精子圏」〔「亀の頭のスープ」所収、1990年上梓〕に登場する吉田佐吉は、この人物から性格造形をしているのではないかと密かに思ってました。
また立ち寄ったスーパーマーケットでボブ・ディランの「ハリケーン」が流れていたという記述にも驚かされました。

2021年9月17日の大谷氏のTweetに以下のものがありました。すぐに私はレスをして、何ターンか会話をしました。
〔引用ここから〕
大谷氏:「ハーバード大学のボブディラン講義」という本を読んでます。大学に行ってない私はいささか難しい本ですが。よくここまで細かく分析するなあと感心しながら読んでます。私は70年代以降のディランはほとんど歌詞は気にせず聴いてます。

小職:私もそうです。1975年アルバム「欲望」から先行シングルカットされた「ハリケーン」を全米トップ40で聴いたとき、なんとなく興味をもってシングル盤を買ったのですが買った後にこの曲がアフリカ系アメリカ人ボクサーのルービン・カーターの冤罪事件を歌った曲であることを知りました。中学1年でした

大谷氏:昨年、たまたま喫茶店で「ハリケーン」が流れ、全くディランを知らない娘が「めっちゃカッコイイ曲ですね♪」と言った事がありました。確かに。まあ、それもいいかなと。歌詞は興味ある人が読めばいい。凄い歌詞ですが。中一とは早いですねー。私は高一だったかも〔引用ここまで〕

そんな上北沢の地味町散歩に出てきたディランの「ハリケーン」の関連情報を最後にピックアップしました。(波照間エロマンガ島)


(本人より)俺もボブ・ディランで持っていたレコードは唯一「欲望」だったけど、あれは良かったなあ。「サラ」とかね。「コーヒーもう一杯」はたまで「麦茶をもう一杯」と替え歌カバーしたら、結構YouTubeで評判になったみたい。ほぼ即興。
あと「将軍」はおそらくギリギリだった。案内板の写真があるから載せられたけど、もしそれが無かったら絶対編集でカットになってた。今までもそういう部分が「これはコンプライアンス的に使えません」といっぱいカットになってるので(笑)。

リヤカーマンin鉄塔の墓場 〜石川浩司ひとりで唄う〜

ニヒル牛ライブに外れなし
今回も波乱のライブ

開始から音が割れてる というよりAMラジオみたいなみょんみょんした音した音

でもそれが鉄塔の墓場という場にはピッタリだな と思いました

鉄塔のおばけってくだりがおもしろかったです
しかし スタッフが休憩して原因究明

即興みょんみょんソングなどで繋ぎます

そして復旧からの曲は 声をミョンミョンさせるハゲアタマ。
ウララと続き またミョンミョン

「今回は特別なミョンミョンライブです!」
なるほど今回は特別なライブだったのか
我々は歴史の生き証人だったのだ

他の方もおっしゃられてましたがカメラアングルが素敵!!

オンリー・ユー ピンクの象 ラザニアで締め
泣かせますねぇ

昨今の高画質 高音質ライブもいいですが 手作りのこういうライブも落ち着いて見られるので好きです

またニヒル牛ライブやってくださいね!!(ズミ天)


(本人より)配信、うまくいかなくてスマン。二日間で直して、今はアーカイブでちゃんとしたの観られます。
今回はPAなどは通しておらず、配信カメラに付いているマイクだけで拾ってるので、当然音質の細かい調整などはできないので原因不明なんだけど、結局カメラに問題はなく、配信を通していくうちにどこかでおかしくなっちゃったんだよね。
配信はまだまだ完璧とは言えず、3年間毎日配信しているライブハウスでも、リードボーカル以外の音を配信ではマイクが拾ってなかったりってことも最近もあった。会場では他のマイクもちゃんと音が出てるので、気付きにくいんだよね〜。
是非アーカイブで完全版を観てやってくだせえ〜。