ザ・レポート(52)
今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「ホルモン鉄道」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
既に何かに発表したもの(ミニコミ、ミクシィ日記、ホームページ、掲示板等)の再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メールにて題名「レポート」でお願いします。おおよそ10行程度まで5ポイント、それ以上は10ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな〜っ。
例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ〜ん。
「たま」という船に乗っていた 増補改訂版(双葉社)
ようやく入手して読み終わりました。
かつて、この自伝がネットで公開されており、私が「たま」に興味を持ち始めたころ、ググって石川さんのホームページにたどり着いたときに初めて読んだのが、第八章「船からひとり降りた」でした。柳原さんが辞めるくだりをよんで胸が熱くなったのですが、今回、あらためて再会し、自分の中でたまを好きになり始めた頃の思い出を確認できたことが、まず嬉しいです。
「書き下ろし『たま』という船を降りてから」(P259〜)の部分は増補。では『改定』はどの辺なんだろうなあ…とは気になって調べようとしたものの、石川さんのホームページでは非公開になっているし、ぴあからでていた旧版も手に入らないので、不確かな記憶をたどるしかないのですが…
いわゆる「放送禁止用語」に関してはマイルドにされているようです。旧版では「なぜ表現規制をしたがる勢力があるか、その理由は、怖くてとても俺には言えない」とか、不穏なことが書いてあった気がする。あと名古屋のデパートでラジオの公開録音に出た時のくだり(P179)も、石川さんが「音が大きすぎて×××になってしまいました」と、のたまえば、知久さんが「この人××ですからしゃべれません!」とノッてきて。この掛け合いがリズムが良くて印象に残っていたんですが、これも消されてしまった…というか…「ブルブルバリバリバキューンバキューン」と、いかにも石川さんっぽくて、本の中から音が聞こえてきそうな規制音が今回の改訂版では上書きされております。
この辺は、石川さんの心境が変化したのかなあ‥「たまの本」を読むと、竹中労さんですら必要に応じて伏字にされたりと苦労されているので、やむを得ないのかなという気も。
あと「おいどん、ドラムなんて大っ嫌いでごわすっ!」(P127)は、旧版だと「ワシ、ドラムなんて大嫌いじゃけん」だった気がする。
「それ九州じゃなくて広島じゃろ!」とツッコんだ記憶があるので…(でも福岡だと「○○じゃけん」って言うから、このツッコミは私の浅慮でしたが…)
ただ、私の記憶もいい加減ですし、あらためて読み終わってみると、ときに笑ったり、ときに切なくなったり、前に読んだ時と、読後感は変わってないので、あまり新旧の比較をしても意味がないかもしれませんね。
だから、この増補改訂版が決定版!ということで。おそらく一番乗りのレポート投稿とさせていただきます。(kobataka)
(本人より)おおっ、よくぞ気づいてくれた! そう、元のものから改訂版は結構文章が変わってるのです。
ただ、これは僕の意志では無いです。出版社から「コンプライアンスが厳しくなり、20年前にはOKだった表現が今はできなくなってる」と言われ、編集者とひとつひとつ相談をして、言葉や表現を書き換えたのです。いったん書き換えた後も、さらに上の部署から「ここも替えて欲しい」との要請もあったりして、相当な箇所を替えざるを得ませんでした。
なので、本当に自由に書けるのはこのホームページくらい。
大手出版社は、昔は大丈夫な言葉も今は使えないものが非常に多くなってる、という事実を認識せざるを得ませんでした。
5月20日高木純追悼ライブ
5月20日に西八王子Cafe&Bar arcadia(以下アルカディア)でミュージシャンのシバさんが発起人となり高木純追悼ライブ「いつもの酒場の2階の窓に」が開催されました。
高木純さんとは東京・西八王子駅からほど近い場所にあるアルカディアという1000枚以上のレコードを保持する都内有数のロックカフェを始めた方で2021年9月3日に69歳でこの世を去られました。今年で3回忌にあたります。
高木さんは大学卒業後、会社勤めをしながら開業資金を貯め、1978年11月18日に現在地からすぐ先の甲州街道(国道20号線)に面した場所にアルカディアをオープンされました。この初代アルカディアはライブの中で石川さんも触れていましたが、「たま」がナゴムレコードから出したアルバム「しおしお」のジャケット裏の写真が撮影された場所としても有名です。
八王子経済新聞によると、その後旧店舗があったビルが老朽化で取り壊される事になり2008年6月に休業して現在地に移転し、同年9月5日にリニューアルオープンしました。この現在のお店は昭和6年に建てられた織物工場の建物を改装してカフェにしたもので、現在築90年を超え建物自体がアンティークと化しているとても素敵なカフェです。
高木さんはクラウドファンディングで資金を募り、2019年5月1日に「ロックカフェという生き方『アルカディア』の40年」(揺籃社)を出版されました。これはアルカディア40周年にあたり、どうしても出したかったという自伝的な本との事です。この本には「たま」についてもページが割かれており、1988年に「たま」がアルカディアに初登場して以来の歴史も綴られています。
今回、追悼ライブに参加するにあたり、この本を購入して読み進めると、高木さんが学校の先輩にあたる事が分かりました。学校の先輩が西八王子でこんな素敵なお店をやっていたなんて恥ずかしながら全く知らず、アルカディアに来たのもこの日が初めてになったのです。
13時30分の開場後、お店一推しというカレーとジンジャーエールを頂いて準備万端。
追悼ライブは急遽企画立案されたという事ですが、たくさんのアーティストが来てくれました。
14時30分に開演しトップバッターはアルカディアの近所にお住まいというアコーディオン奏者のアラン・パットンさん。この日は自転車で来たというアランさんは「帰り道にアルカディアにふらっと寄ってお酒を飲むのが楽しみでした。閉店間際でも高木さんは快く迎えてくれて、お店に知らない人がいると高木さんが呼んで必ず紹介してくれた」と話してくれました。古今東西世界広しと言えどもアコーディオンの上で人形(ボブ錦)に相撲を取らせる人はアランさんただ一人でしょう。
次に登場は斉藤哲也さんと神田珠美さんの音楽ユニット「さいたま」。斉藤さんは元「たま」のサポートメンバーで「パスカルズ」にも参加していた事もあり、石川さんとは旧知の仲でこの度石川さんを加えた「さいこうたま」という新ユニットが6月23日にデビュー。
「さいたま」のお二人は「高木さんはライブ中でもよく声をかけてくれた。さすがに曲中はあまりなかったが、曲が終わると声をかけてくれて、今日はお客さんを高木さんと思って皆さん声をかけて下さい」と思い出を語られました。斉藤さんのピアノと神田さんのヴァイオリンが奏でるハーモニーはアルカディアの空間に染み渡っていくようでした。
そしていよいよ石川浩司さんが登場。冒頭のアルカディアで「しおしお」のジャケット撮影をした話やメジャーデビュー後、1990年6月9日に立川市民会館で「たま」がシバさん、友部正人さん、あがた森魚さんと「さよなら20世紀」ライブをした時に舞台挨拶で「高木純さんです!」と呼び込みをしたら、ものすごい笑顔でノリノリで登場してこられた話などエピソードを話してくれました。
最初にその「しおしお」の隠しトラックだった「まちあわせ(アルカディアバージョン)」を歌われ、「ZAN」「メメントの森」「野のなななのか」等と続いていき、高木純さんの前年の2020年4月に旅立たれた音楽仲間の山下由さん・パスカルズの三木黄太さんを思って作られたという「ピンクの象」、最後は「ラザニア」を魂込めて歌われました。少なくとも私には石川さんの魂の叫びのように聴こえたのです。
石川さんの後は御年79歳の佐藤GWAN博さん。「アルカディアにはシバさんに連れてきてもらった。高木さんにはシバの友達だという事で良くしてもらった」と話すGWANさん。印象的な「南風」や8分かかるという「あかんぼ殺しのマリー・ファラーについて」は圧巻でした。「ふにゃらら」でのお客さんとのやり取りも楽しかったです。
知久寿焼さんは「高木さんは笑顔がすごい」とやはり笑顔について言及。「電柱(でんちう)」「らんちう」に続いて高木さんがよくリクエストしてくれたと「くだもの」「いわしのこもりうた」を歌い、超過密スケジュールで限界だったという1991年の「たま」『ひるねでグ〜』ツアーでの高木さんとのエピソードを紹介してくれました。
「月がみてたよ」「ちいさなおはなし」の後はCMで有名な「うどんかぞえうた」を披露し、最後にこれまた高木さんが好きだったという「おるがん」で締めくくり。
大トリはシバさん。「朝10時から来ていて眠くなっちゃった」とジョークを飛ばすと「バイバイブルース」を奏で、「国道20号線の港町」「酒」「あの娘は今日も帰らない」などしっとり歌いながら4年間ほど働かせてもらったというアルカディアや高木さんの思い出話をたっぷり聞かせてくれました。
中でも地元にも関わらずアルカディアの存在を知らなかったシバさんが仕事の打ち合わせで初めてお店に来た時、かかっている音楽に「おっ!」と思って、高木さんに「高田渡は知ってるか?シバは知ってるか?」と聞いたら、高木さんが得意げに「もちろん知ってるよ」と言ったので「シバは僕です!」と言ったら高木さんがびっくり仰天したという二人の出会いのエピソードが面白かったです。
歌の終盤、シバさんが感極まって涙された姿に高木さんへの万感の思いが推察されました。
最後はシバさん定番の「愛の国道20号線」。冒頭に紹介した通り、国道20号線は西八王子アルカディアのすぐそばを走る国道です。この歌の途中にシバさんが今日の出演メンバーを呼び込み、知久さんと石川さんが勢いよくステージに参入。知久さんは口琴で参戦。石川さんが何か叩けるものはないかと店内を物色する姿が印象的でした。それに続き残りのメンバーもステージに勢揃いして皆で「愛の国道20号線」をセッション。たぶんこれは事前の打ち合わせも何もなく、その場で決めたセッションだと思うのですが、お客さんの手拍子も一体となって盛り上がって最高潮に達したこのグルーブはきっと高木さんにも届いたはずです。
トータル6時間を超えた今回の高木純さん追悼ライブ。感動がいっぱい詰まった最高のライブでした。この日の事は一生忘れないでしょう。私はこの時までアルカディアの存在を知らず、学校の先輩である高木さんにも生前お会いする事はありませんでしたが、そんな私がこのライブに来る事になるとは縁とは不思議なものです。
定期的に取材を受けられ、発信していく事でそれが私の目に触れ、今回参加するきっかけを作って下さった石川さんには感謝しかありません。(りんりん)
(本人より)高木さんとは、アマチュアの頃からお世話になってたからねー。近年も、斉藤くん、神田さんと一緒にセッションで出させてもらったり。
でも逝くのはちょっと早かったけど、こんな音楽会も開かれて、いい人生だったんじゃないかな。きっと向こうでもあの笑顔で、ゆっくりと、いい音楽を聴いていると思います。またね。向こうで次会えるのをのんびりと待っててください。
「PascaLs〜しあわせのようなもの〜」5月13日シネマ・チュプキ・タバタ舞台舞台挨拶
この映画は2020年4月27日に長野県伊那市で59歳の若さで旅立っていったPascaLs(以下パスカルズ)のメンバーだった三木黄太さんの追悼ライブの模様をメンバーのトークと共に収めた映画だ。
三木黄太さんは石川さんによると、TVチャンピオンの「家具職人選手権」などにも何回も出場し、毎回決勝に残るほどの日本有数の家具職人で、その一方、1995年からパスカルズでチェロを担当する音楽家でもあった。
パスカルズによる追悼ライブは無観客で2021年4月27日に、有観客で2022年4月28日・29日にそれぞれ吉祥寺STAR PINE'S CAFE(以下スターパインズカフェ)で開催された。
この映画を観るのは今年の4月27日以来2回目だが、この映画を通して、パスカルズのライブを観ているというよりも、むしろ映画を通して儀式に参加している感覚を覚えた。
三木さんを追悼するパスカルズをスクリーンの外から傍観者的に眺めているというのではなく、あたかもスクリーン席という参列席から私達もパスカルズと一体になる不思議な感覚だ。
これは何だろう、パスカルズのメンバーが巻き起こすグルーブがスクリーンを突き抜けて私達を包み込んでいるような、そんな感覚だ。
舞台挨拶の中でリーダーのロケット・マツさんは「初期パスカルズは輪っかになって観客を取り囲むように演奏していた」と話された。
奇しくも映画の中での最初の吉祥寺スターパインズカフェでの演奏形態は輪っかの形をしており、初期パスカルズのフォーメーションに近いものであったようだ。演奏中のメンバーの顔がアップで映されるので、観ている自分達もその輪っかの中にいる錯覚を覚える。
伊勢監督はマツさんの「パスカルズは演奏中に風が吹いている」という言葉を紹介された。映画の中で確かに風は吹いていた。パスカルズの演奏で風はメンバーの間をゆるやかに駆けめぐり、そしてスクリーンを通り抜けて、映画を見ている私達観客の間も吹き抜けていくのだ。
映画の中で何回も象徴的に映し出される鳥の飾り。メンバーは泣きながらあの飾りの下が三木さんの席なんです、と話されていた。劇中で演奏される「鳥のうた」の時、石川さんから語られた言葉は、三木さんが鳥になって、翼を持って大空に羽ばたいていったように観客に思わせるものだった。
5月13日に上映された会場は東京・田端のシネマ・チュプキ・タバタという日本一小さな映画館だが、映画館のHPによるとこの「チュプキ」という言葉はアイヌ語で月や木漏れ日などの「自然の光」を意味するという。この映画ではそんな自然の光に照らされて、羽ばたく鳥が何回も映し出される。ちなみにアイヌ文化で一番偉い神様は鳥の神様(シマフクロウ)とされる。そんなアイヌ文化の名前を持つシネマ・チュプキ・タバタでこの映画を見ていると、三木さんを鳥の神様と共にあの世に送り届けるという壮大な儀式に参列しているように思えてくるのだ。アイヌ文化ではあの世もこの世と同じように生活しているという。だから向こう側の世界で使うようにこの世の道具を送り届ける儀式がある。
あの鳥の飾りの下には三木さんのものと思われるチェロが置かれてあった。あのチェロは三木さんの手元に届いただろう。三木さんはきっと、向こう側の世界でも楽しく家具を作ったり、音楽を奏でているに違いない。
この映画を観ていると、おそらく人類が音楽を生み出して以来、旅立っていった人を送る儀式はかように音楽をもって送り続けてきたのだろうと思わずにはいられなかった。
「故人を偲ぶ」という言葉があるが、故人の追悼とは、いつまでも忘れずにその人の事を覚えている、という面もあると思うし、これは私自身がモットーとしている事でもある。
伊勢監督は「映画や音楽は偶然が重なって出会う事もある」と仰っていたが、今回、不思議な縁の結びつきでパスカルズが映画化され、それがまた不思議な縁によって新参者の私の目に触れる事となった。
話がそれるので詳細は省くが、三木さんと私を引き合わせたのは石川さんだ。きっかけは4月15日の石川さんのインタビュー記事だ。この記事に興味を持った私は4月27日の吉祥寺と、そして5月13日の田端に足を運んだ。
「縁は異なもの味なもの」という言葉があるが、今回この映画に出会えた事で、それまで全くパスカルズや三木さんという存在を知らなかった私だが、少なくともそんな私の中で「三木黄太」という存在はずっと生き続ける事になった。奇しくも4月27日は私の誕生日間近なので、私は毎年春が来て自分の誕生日が近づく度に三木さんを思い出すのだ。
5月13日の田端での上映が終わって、舞台挨拶で石川さんはスクリーンを振り返りながら「いいバンドですね」としみじみ語られた。本当にいい映画だし、パスカルズは本当にいいバンドだ。
この映画を一人でも多くの人に観てもらいたいと思うし、またパスカルズの演奏を一人でも多くの人に聴いてもらいたい、と思わせる素晴らしい映画だった。
伊勢監督は「この映画はラブレターだ」と仰った。この映画を見れば、どんどんパスカルズを好きになる。どんどん三木さんやメンバーを好きになる。そんな素敵な映画だ。
この映画に出会えた事に感謝したい。
上映後、リーダーのロケット・マツさんと石川さんは持参した鍵盤ハーモニカで一曲披露してくれた。私達にとってとても贅沢な時間だった。
終了後のサイン会でファンとのやり取りの中で「これからも末永く頑張って下さい」的な言葉をかけられた石川さんが「もう歳だから」と言われていたが、どうかそんな事は言わないで、まだまだ元気に音楽を奏でていって下さい。(りんりん)
(本人より)観覧ありがとー! ライブシーンがほとんどの音楽映画なので「曲が終わると拍手しそうになっちゃった」という人もいました。パスカルズはフランスとかの方が認知度が高いので、そっちでも上映できたらいいね、と監督と話しました。
たまに引き続いてパスカルズもドキュメント映画になったのは嬉しかったなあ。後々まで残るものね。
そして是非本物のライブにもお越しあれ。僕とマツさんだけの、より自由度の高い「イシマツ」もよろしくねっ!
パスカルズ しあわせ のようなもの
5/13に田端シネマチュプキでのパスカルズ上映に行きました!
大きな画面でパスカルズの音楽を聴けて、とてもよかったです。チュプキ初めて行ったのですがよい映画館でした...。
映画を観て、私も楽器やりたい!という気持ちになりました。皆さん、楽しそうで見ていて羨ましくなりました。
パスカルズはすごく詳しいという訳ではなかったので知らない曲もありましたが、ずっと楽しめました。生で聴きたくなった。。。
マツさんのMC、おもしろかったです。劇場にいたお客さんたちも笑ってました。
私は特に、メンバー達のお話しているところをみられたのが嬉しかったです。
音楽は聴きますが、演奏している方々の会話は見たことがなかったのでパスカルズの空気感を知れてよかったです。映画を観てメンバーたちを前より知れたように思います。
それから、伊勢監督、石川さんとマツさんの上映後トーク...
(°_°)石川さんだ!!同じ次元にいるー!!すごい!!喋ってる!!歩いてる!!と興奮してしまいました。
あと石川さんが服を着ていて新鮮でした。いや、初めて見たかも....
そして想像していたよりずっと、石川さんがしっかりしていて驚きました。(すみません)かっこいいです。
マツさんとの鍵盤ハーモニカの演奏もよかったです。演奏を聴けるとは思ってなかった。小学生のときに吹いたきりの鍵盤ハーモニカ....引っ張り出してみようかな。あんなに綺麗に音があわさるんですね。長いあいだ一緒に演奏してるとやっぱりお互いが楽器みたいに感じるんですかね。マツさんが劇中三木さんのことを体の一部みたいだとおっしゃっていましたが..。
おふたりで話しているところが可愛らしかったです。マツさんは石川さんのことを浩司って呼ばはるんですね。なかよし。イシマツの演奏もいつか聴きに行きたいと思いました。
サインをいただけるとも思っていなかった......。
可愛いサインありがとうございます。緊張して見てることしかできなかったけど...。初めてサインもらいました。人に。手ぬぐい壁に飾ろうと思います!
劇中で、パスカルズは遊びの延長でやってきたところもある〜というようなことをおっしゃっていたのですが。そこがとてもいいなと思いました。
次にパスカルズの演奏を聴く時は、ライブで、がいいなー!映画行けて良かったです!(ばびごん)
(本人より)ランニング姿じゃなくて人前に出たのは久しぶりかも。直前までどうしようか迷ったけど、まぁ映画の後の簡単なアフタートークだから、ここは普段着のままで気負わず出ようと。
パスカルズは基本的にみんな仲良しです。まあ30年以上続けていて、海外ツアーなんかだと一ヶ月も一緒にいるからねー。大人になってからの友達、いいもんです。
次は是非ライブで。待ってるよ〜!
「ジンターナショナル」大工哲弘(1996)
大工哲弘さんは八重山民謡の第一人者ですが、沖縄民謡に限らず様々な歌を様々アーティストとコラボしています。
このCDは楽器やコーラスで「たま」が参加していると聞いて購入しました。
コーラスといっても、あまり目立たないだろうなあ…と思って聞いていたのですが、『ストトン節』で「花のつぼみの女学生〜」に「ジョガクッセイッ!」と、合いの手を入れているのは、もうこれはハッキリ石川さん!?
それで、もう一回よくよく聞いてみると、てっきり女性の民謡歌手が歌ってるのかと思っていた4番の「好いて好かれて相惚れて〜」は、知久さんが歌ってたり、さらにさかのぼって2番の「一月稼いだ金持って〜ちょいと一晩通ったら〜」は大工さんの声じゃなくって、石川さんのねっとりした歌声だったり。
他にも『生活の柄』『揃った節』『六調』で石川さん、知久さんのコーラスが、それぞれの個性を発揮しつつ曲になじんでいました。もちろん、知久さんはギター・マンドリン、石川さんはパーカッション、滝本さんはベースでもいくつかの曲に参加しています。
このCDは1996年発売ですが、今もオフノートというレーベルの通販で購入可能です。
気になった方はぜひ。
今までクイズしか参加していませんでしたが、初めて文章物の投稿です。今後とも折を見て投稿していきたいと思いますので、よろしくお願いします。(kobataka)
(本人より)実は、これより前の「ウチナージンタ」というアルバムにも俺はひとりで参加していて、それが割と好評だったので、次の「ジンターナショナル」ではたま全員が呼ばれたんだよね。武道館や名古屋球場などのデカい会場でも大工さんとはセッションしたなあ。普段はダジャレ好きの愉快なオヤジさん。
2023年4月14日OA「富田望生の日々是芸術」〔BSプレミアム〕
タイの旧正月休暇の時期、石川さんHP「インフォメーション」に紹介されていた番組。時間があったので視聴した。
最初はあまりノリきれなかったが、入った骨董品店で手作りメガネを富田さんがかけた瞬間から話がとつぜん疾走し始め、ぐいぐい引き寄せられて内容に没入した。メガネの作者の方のインタビューが始まり、この作品のフォーマットが明らかになった感を得た。そしてそこからいろいろなアーチストと出会っていく「アートの旅」が綴られていった。ドラマとドキュメンタリーが交錯する手さばきは好きなタイプの展開だ。アーチストへの出会いの水先案内人がパスカルズというのもステキ。ロケットマツさん、知久寿焼さん、坂本弘道さん、原さとしさん、石川浩司さんなどがアーチスト紹介に絡んでいく。時にダンス対決をし、時に道案内をし、時に野原でみんなで自由に踊り回るの、いいね!
主演の富田望生〔とみた・みう〕さんは初めて知ったが、「役者・富田望生」役を演じきっていた。みずみずしい感性が魅力的な役者さんだった。彼女の台詞や演技を通して紹介されたアーチストたちのなんと魅力的に映ったことだろう! また、パスカルズは大林宣彦監督の「野のなななのか」の「野の楽師」と同じような役割の楽団役で、カメラの前を横切り一列に合奏しながら出演者と共演するパフォーマンスを見せてくれた。
最後に紹介された自宅の壁にとつぜん絵を描き始めた小林伸一さんのくだりは、多分ディレクターの取材VTRのみで、富田さんは同じ画面に映っていなかったが、最後に「2022年XX月XX日」というテロップが出た瞬間に、「あ、この人死ぬな」とわかってしまった。人の死を創作の道具に使ったようで、そこだけは感心しなかったことは一筆書いておく。
あと、富田さん、パスカルズや自然生クラブの皆さんが野外で自由に踊るシーンがあるのだけれど、その前後のどこかに、正確な言葉は忘れたがファンク・ロック・バンド、JAGATARAの故・江戸アケミの言葉「踊りなんて自由にやりゃいいんだよ」的なテロップが出たのにも唸らされた。江戸アケミが死んで30年以上も経つのに、彼のことを忘れていないクリエーターがまだここにいた事実に感動した。じゃがたらのライブをこの目で観てからもう40年くらい経つんだなー。
いわゆる「アイトサイダー・アート」について扱った作品と言えるのだろうが、私にとってはとても新鮮に楽しむことができた作品だった。(波照間エロマンガ島)
(本人より)筑波山麓にロケに行き、アーティストの人たちと踊ったり、楽しかったな。チェンマイ行きの関係でロケには半分くらいしか出られなかったけど、面白い作品に出させていただきました。
ちなみに今公開されている映画「パスカルズ〜しあわせのようなもの」の監督の息子さんがこの作品の監督。親子でパスカルズを追っていてくれている。有り難し!
モルタルレコード たま曲縛りライブ
さて 遂にこのときがやってきましたよ
生でベイビーさん しかもたま曲縛りライブ
熊谷で伊集院さんのラジオ聴きながら歩いていると
ふと私の前で通せんぼをするチューリップハットおじさんが
よーく見ると石川さんでした。ビックリしました。
軽く談笑後、ごはんを食べに行きました。
しばらく店前で待ってると顔なじみの常連さんが
そこにワタナベイビーさんも通りかかりちょこっと挨拶。
人がぞろりぞろりとやってきてOPEN
モルタルレコード恒例 階段のところでの頭ぶつけありで会場へ。
すっと某新興宗教の鐘を差し出すHさん(あえて伏字)
そして時間まで常連さんと再度談笑していたら石川さん、ベイビーさん入場
一発目 牛小屋
ベイビーさん 基本はキーボードを弾かないとのことでしたが ツイッターに上がってたイマジンのカバーなど素晴らしいプレイヤーだと思います。
そしてよんよこよんよこコールもあって楽しい
そして2曲目 方向音痴 ベイビーさんのギタートチリ連発 それをフォローする石川さん。
そう、これこそライブなのだ
ベイビーさん、石川さん半分ずつボーカルのふたつの天気、鐘がなります東京パピーなどを挟み
ついに来たのが 柳原さん直伝の お経
あれはカバーが非常に難しい。特に冒頭部分。
夏の前日演奏後、同名の漫画があったとトークでお話しされていましたが。これは吉田基已先生の漫画ですね。画家志望の男と画廊の女の恋愛マンガ(’直接的な性描写もちょこっとあり いわゆる女性向けの漫画です)。ちなみに数冊持ってます。ちなみにGさんのとある曲のオマージュと思われるシーンもあります。探してみて下さい。
ちなみにここは広島では海にうつる月だったそうですね。
まったくの余談ですが、ライブの帰り道にみてたとあるゲーム実況者さんが、音楽ゲームで海にうつる月のサビの部分を再現して演奏してて、なんかシンクロシティを感じました。
そして学校に間に合わない(「たま」という船に乗っていたの宣伝込み)からのらんちう これはしょぼたまの黄金パターンですね
そして1ラウンドでノック・ミー・ダウン(意味がわかるとちょっとエッチですね)、日曜日に雨に続き、質問タイム。
そしてその間にお手洗いに行ってる人の配慮で時間合わせの即興ソング。
これ、なかなかいい感じでしたよ。
そして家族からのさよなら人類で一回引っ込み。
アンコールは恒例のスマイル。やっぱりいい曲だなぁ・・・
そして指がつりそうになるまちあわせで再度引っ込み。
それでもアンコールの拍手は鳴りやまない。
裏のカーテンから顔だけ出した石川さん。
そして再びステージへ
「えー この世の中便利なもので、ツイッターにセットリストというものがあがっておりまして・・・・」(確かこんな感じ)
というわけでアンコールでおなじみのおやすみいのししを歌ってホントのおしまい。
終演後、ベイビーさん、石川さんの新譜にサインをしてもらい、モルタルの前でタバコを吸ってた初めてライブに来たお兄ちゃんらと語らい、
駅前喫煙所でこれまた初めてライブに来たお姉ちゃんと語らい。
心温まるライブでした。
そしてこれを書いてる4/10 ツイッターに生誕祭の告知が。
出演者にワタナベイビーの文字が。
これは・・・ もしかしてまた・・・
もしそうなら非常にうれしいな。
次も二人で暗躍してくださいね!!(ズミ天)
(本人より)ライブ会場って結局同じ趣味の人が集まってるから、いろんな同好の士とのお喋りも楽しいよね。さてさて今後はどういう展開になるかな?乞うご期待!
「たまの映画」 〔2010年 今泉力哉 監督作品〕
劇場公開以来約13年ぶりの鑑賞。BSの日本映画専門チャンネルで今泉監督の全作品特集があり、劇場版第1回監督作品の今作も放映されたのだ。そういえば13年前はもうタイに住んでいたのだけれど、一時帰国のタイミングでちょうど公開していて、テアトル新宿に2回観に行った。2回観たのはもちろん1回観て面白かったからに違いないのだけれど、今回再度観て今泉監督と被写体「たま」との距離の絶妙さに感心した。それは2009年今泉監督が元たまのメンバーに取材したソースを中立的視点にたって、うまく編集しているその「姿勢」を、観客が感じられる構成になっているから、ということがまずあげられると思う。それを最初に感じたのは、最初に現在の〔2009年当時の〕3人のメンバーの活動を映像で紹介し、そのつぎに彼らの言葉をインタビュー形式で順番に紹介していく丁寧さにそれを実感した。うーん、いいね。そしてその編集の気持ち良さに観客のわたしたちもぐいぐい引き込まれていく。合間に3人のソロの楽曲も染み入るように映画内に響いていく、そんな構成だった。また、何回となく居酒屋での長尺の石川さんの語りが挿入されるのだが、そこには2月のチェンマイで何度もお会いした石川さんファンの人たちが何人も映っていて、懐かしい想いでいっぱいになった。懐かしいといえば、山梨の温泉旅館で行なわれたホルモン鉄道ライブにも、石川さんと家族全員が交流を持っているたまファンの親子3人が映っていて、そこに当時0歳の男児の赤ちゃんが客席に乱入した石川さんと絡むくだりがあるのだが、彼はその後14年経って今年4月には中学3年生になるというのも時の流れの速さを感じたのであった。
というわけで、映画というメディアは、「時間」を定着させるメディアであることを再認識した今回の体験だった。(波照間エロマンガ島)
(本人より)もうこの映画からも13年も経ったのかあ〜。やってること変わらないなー。でも監督はすっかり売れっ子に。そして写っている子供の成長を見ると、やっぱり時は経ったのだなと感じてしまうね。
今年、パスカルズのドキュメント映画も公開されました。まあさすがにタイでの上映は難しいと思いますが、機会があったら観てくだせえ!
『嵐を呼ぶいちご狩り』
久々の早稲田リネン
ベロベロに醉いながら到着
一時間半ほど常連さんと話して入店
さてハナはpagtas
短い曲で畳み掛けるスタイルが素敵
あとエフェクターかけたエレキギターも素敵でした
続きまして 水中、それは苦しい
はっちゃけMCのジョニーさん ポーカーフェイスの二人
でも歌になるとパンク!パンク!
アコースティック楽器だけでもこれだけかっこよいパンクができるという見本ですね!
実は水中は大学時代から知ってたのですが、なかなかライブに行けなかったため 今回が初めて
曲はCDで聴いてたけど やっぱ生の迫力はすごい!!
そしてホルモン鉄道
出囃子がトラックミスでアタックNo.1になってたのはご愛嬌
今回は水中とジョイントした ホルモン鉄道、それは見苦しいが!!
これがまぁかっこいいのだ!!
エチケット番長のときに大谷氏の荷物をぶちまける
これもパンク
ミチロウさんの豚の頭を客席に投げるのオマージュだろうか?
そして最後はグダグダ でもかっこよく終わりました
いやぁ 水中とのジョイントはまたやって欲しいっす!!(ズミ天)
(本人より)荷物ぶちまけあり、尻見せあり、紙の包丁で惨殺あり。だけどもホロリの曲も。また水中とロックなホルモン鉄道やりたいな〜。
2020年12月27日アップロード
飛び出し坊やが手を振ってくれる「膳所」の町〔地味町ひとり散歩 6〕
「ひとりを楽しむ」をコンセプトにしたウェブメディア、DANRO。石川浩司さんはここで2020年から「ひとり散歩」の連載をしています。第1回冒頭にこのひとり散歩のコンセプトが以下のように説明してあります。
「この新連載は、普段あまり取り上げられることのない『地味目な町』をひとりでヒョコヒョコと散歩して、目についた光景をスケッチしてみようというものです。」
この言葉の通り、この3年余りの間に「地味目な町」を多く紹介してくれました。
その中で今回私が取り上げるのは、滋賀県大津市にあるJR西日本の膳所〔ぜぜ〕駅周辺。大津駅からJR琵琶湖線で一駅行った駅だそうです。この地味町でどんな出会いや発見があるのでしょう。ワクワクしながら読み進めていきました。
コラムを読む前に、わたしの抱いている当地への先入観を先に書いてみます。
〔1〕わたしは琵琶湖に行ったことがないので、地勢はまったくわからない。
〔2〕ただし中学の修学旅行で行った比叡山延暦寺に観光バスで登っていく坂の途中で、霧の合間から巨大な琵琶湖の湖岸線が見えた記憶がある。
〔3〕その風景は水上勉原作で田坂具隆監督、佐久間良子主演で映画化された「湖の琴」にて散見することができた。
〔4〕わたしの大学時代の恩師で現代美術作家の菅木志雄さんの配偶者、作家の富岡多恵子氏がこの地に引っ越し、1891年に起こったロシア皇太子が日本人警官に襲撃された「大津事件」を取材し「湖の南ーー大津事件異聞」という著書を刊行したこと。わたしは雑誌連載中に読んでいて、襲撃した津田三蔵巡査の人間像について興味を持っていた。
〔5〕2011年10月発生した「大津市中2いじめ自殺事件」で取り沙汰された、いじめ被害を訴えていたのにそれを無視した大津市教育委員会や地元の風土について。
そんな先入観を持ちながら石川さんのコラムを読んでみると、当然ですがそんなことはまったくおくびにもあらわれない、のどかで平和な地味町の画像と文章が続いていきました。それに加え、昨今はみうらじゅんさんやタモリ倶楽部でもよく取り上げられている「飛び出し坊や」の脱力系看板の数々の紹介によりますますそれらが加速していき。さらには石川さんは散歩し疲れたので近所の銭湯に入り、そこで売っていたTシャツを買いました、というような感じでコラムは終了。うーーん、面白いけどなんだかなぁな気分。旅人ではまったく知りえないものの、その土地にどろどろと巣食っている怨霊・地霊はあるわけで、その「わからないが何かある」気配をちょこっとだけでも確認できてよかったです。
最後に。他にわたしが大津市についてここ10年くらいで何かつぶやいていないか検索すると、以下のつぶやきがヒットしました。2012年8月2日のTweetより。文芸評論家の饗庭孝男氏の著作の読書感想が書かれていました。
饗庭孝男 「故郷の廃家」読了。滋賀県にルーツをもつ饗庭氏の自叙伝であるが、叔父が大津市の教育長になった、という記述にはドキッとさせられた。当然、現在取り沙汰されている大津市のいじめ事件とは60年くらい時間がずれているのだが、それでも滋賀県の県民性や地勢など繋がりを想起してしまった
滋賀県の県民性が見つけられるんじゃないか、という恣意的な読書をしていましたね。わかるわけないのに、とも思いますが、そんなことを2012年頃は考えていたようです。(波照間エロマンガ島)
(本人より)基本的に事前に何も調べず、そこで偶然見た物や感じたことなどだけを取り上げてるからねー。歴史的に蘊蓄のあるものは、いくらでも他の人が書いて溢れてるから。
琵琶湖は今までにライブ関係などでそこそこ見てるから、自分的には湖に対しては新たな驚きというものはなかったすねー。でも滋賀県は琵琶湖抜きでは語れないしね。
2023年1月24日アップロード
下北沢の兄弟「上北沢」にはボブ・ディランが似合う〔地味町ひとり散歩 28〕
京王線上北沢駅付近を散歩した石川さん。「下北沢の兄弟」とタイトルに書くセンスは、相変わらず流石ですね。私は東京生まれですが、城南エリアの東急線沿線で成育したので、京王線は馴染みが薄いのですが、上北沢というとすぐに想起するのが精神科を内包した都立松沢病院。戦前戦後の文学作品によく登場した名前で覚えています。北杜夫「楡家の人びと」でも名前は出てきた記憶が。その松沢病院の敷地内にある将軍池を散歩中に発見し、写真に収めていただいたことには刺激を受けました。将軍池の名前の由来となった葦原金次郎〔あしわら・きんじろう〕という明治期から昭和初期まで生きた人は、当病院に入院していた患者として有名で、自称「天皇」「将軍」と名乗っていたことは存じておりました。実はわたしは彼の人生に以前より興味を持っていまして、根本敬「ミクロの精子圏」〔「亀の頭のスープ」所収、1990年上梓〕に登場する吉田佐吉は、この人物から性格造形をしているのではないかと密かに思ってました。
また立ち寄ったスーパーマーケットでボブ・ディランの「ハリケーン」が流れていたという記述にも驚かされました。
2021年9月17日の大谷氏のTweetに以下のものがありました。すぐに私はレスをして、何ターンか会話をしました。
〔引用ここから〕
大谷氏:「ハーバード大学のボブディラン講義」という本を読んでます。大学に行ってない私はいささか難しい本ですが。よくここまで細かく分析するなあと感心しながら読んでます。私は70年代以降のディランはほとんど歌詞は気にせず聴いてます。
小職:私もそうです。1975年アルバム「欲望」から先行シングルカットされた「ハリケーン」を全米トップ40で聴いたとき、なんとなく興味をもってシングル盤を買ったのですが買った後にこの曲がアフリカ系アメリカ人ボクサーのルービン・カーターの冤罪事件を歌った曲であることを知りました。中学1年でした
大谷氏:昨年、たまたま喫茶店で「ハリケーン」が流れ、全くディランを知らない娘が「めっちゃカッコイイ曲ですね♪」と言った事がありました。確かに。まあ、それもいいかなと。歌詞は興味ある人が読めばいい。凄い歌詞ですが。中一とは早いですねー。私は高一だったかも〔引用ここまで〕
そんな上北沢の地味町散歩に出てきたディランの「ハリケーン」の関連情報を最後にピックアップしました。(波照間エロマンガ島)
(本人より)俺もボブ・ディランで持っていたレコードは唯一「欲望」だったけど、あれは良かったなあ。「サラ」とかね。「コーヒーもう一杯」はたまで「麦茶をもう一杯」と替え歌カバーしたら、結構YouTubeで評判になったみたい。ほぼ即興。
あと「将軍」はおそらくギリギリだった。案内板の写真があるから載せられたけど、もしそれが無かったら絶対編集でカットになってた。今までもそういう部分が「これはコンプライアンス的に使えません」といっぱいカットになってるので(笑)。
リヤカーマンin鉄塔の墓場 〜石川浩司ひとりで唄う〜
ニヒル牛ライブに外れなし
今回も波乱のライブ
開始から音が割れてる というよりAMラジオみたいなみょんみょんした音した音
でもそれが鉄塔の墓場という場にはピッタリだな と思いました
鉄塔のおばけってくだりがおもしろかったです
しかし スタッフが休憩して原因究明
即興みょんみょんソングなどで繋ぎます
そして復旧からの曲は 声をミョンミョンさせるハゲアタマ。
ウララと続き またミョンミョン
「今回は特別なミョンミョンライブです!」
なるほど今回は特別なライブだったのか
我々は歴史の生き証人だったのだ
他の方もおっしゃられてましたがカメラアングルが素敵!!
オンリー・ユー ピンクの象 ラザニアで締め
泣かせますねぇ
昨今の高画質 高音質ライブもいいですが 手作りのこういうライブも落ち着いて見られるので好きです
またニヒル牛ライブやってくださいね!!(ズミ天)
(本人より)配信、うまくいかなくてスマン。二日間で直して、今はアーカイブでちゃんとしたの観られます。
今回はPAなどは通しておらず、配信カメラに付いているマイクだけで拾ってるので、当然音質の細かい調整などはできないので原因不明なんだけど、結局カメラに問題はなく、配信を通していくうちにどこかでおかしくなっちゃったんだよね。
配信はまだまだ完璧とは言えず、3年間毎日配信しているライブハウスでも、リードボーカル以外の音を配信ではマイクが拾ってなかったりってことも最近もあった。会場では他のマイクもちゃんと音が出てるので、気付きにくいんだよね〜。
是非アーカイブで完全版を観てやってくだせえ〜。