ザ・レポート(5)


今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「たま」「突然段ボールなどとの共作」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
 既に何かに発表したもの(ミニコミ、ホームページ、掲示板等)の再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メールにて題名「レポート」でお願いします。1点5ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな~っ。
 尚、一応「レポート」なので最低ひとつ100文字以上が望ましいです。例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ~ん。

「おいしいうそがいっぱい」は「安心」

石川さんのソロアルバム「おいしいうそがいっぱい」の、全体的な感想は「安心」と言う感じです。
やっぱり日本は音楽の価値をチャートで決めちゃう傾向の強い国みたいで、どこへ出かけてもテレビをつけてもラジオをつけても、ファッショナブルな、よく整った差し支えの無いような音楽ばっかり。
若手バンドの中でもアクの強めの人たちもいるけど(曲中に突然長台詞の入る「サンボマスター」、ごく普通の日常を妙な視点から表現する「キャプテンストライダム」など)、彼らの曲はちーともヒットしない。
たまや筋少が人気を博していた頃の日本の音楽シーンは、もう少しマシだったぞー!と言いたくなるような状況。今の邦楽はつまらない!
そんな時代でも、このアルバムを聴いていると「周りがどうだろうが、好きな音楽を聴いていればいいんだ」という自分の気持ちに賛同してくれるような曲ばかりで、ものすごく「安心」します。
ここのところ色々とハードな毎日なのですが、そんな日常の中における一種の安定剤的存在にもなってもらっています。
苦しい事、辛い事ばかりじゃない。ノホホンお馬鹿な世界に、このアルバムさえあればいつでも浸れて、ほんとに助かります。これからも毎日、「おいしいうそがいっぱい」を頼りに頑張っていく所存であります。
文章がへたくそでゴメンナサイ。以上でした。07/6/1(ジェット)

(本人より)時々俺のCDやソロライブを見た人に言われるのは「な~んだ、人間って何してもいいんだと思って、なんか自由な気持ちで楽になりました」という言葉。まぁ俺は逆にそれ以外な~んも出来ないのだが。俺の歌を聴いて安心してくれるってすごい嬉しい。理解してもらえてる気がして。
 昔、故・高田渡氏がパスカルズを観に来てくれた時、俺が例の如くお馬鹿なパフォーマンスがらみで演奏していたら渡さんから「石川、もっとやれ~!!」のでかい叫び声が客席から届いた。渡さんは生き方はともかく歌は割と渋めだったので「あんまりふざけてるんじゃない!」と言われてもおかしくないと思っていたのに、真逆な声援をもらってすごく嬉しかった。それから数年で渡さんは惜しくも亡くなられたが、あの掛け声は俺の耳から離れることはなく「一生、思う存分馬鹿をやったる!!」という思いにさせたのである。
 なので今後も死ぬまで俺は基本的に馬鹿なことしかしません。渡さん、ありがとう。

「たまが好き」

私がたまを知ったのは9歳の頃で、ファンになったのは16歳でした。
家のビデオテープに録画されていた紅白で演奏するたまを観て衝撃を受けたのです。このとき初めて演奏するたまを見たのだと思います。9歳の頃の記憶はあまりないし世間についても疎かったので「さよなら人類」は聞いたことがありましたが、たまの活躍はほとんど知りませんでした。
衝撃を受けてから、学校の帰りにCD屋さんを何軒も回ってたまのCDを買い集め、ファンクラブにも入りました。でもその頃の私は高校生で地方に住んでいたので、ファンクラブの会報に載っているライブの告知をいつも悲しい思いで読んでいました。
それから最近までたまの活動を知らずにきましたが、気づけばたまが解散していて驚きました。離れていた自分が悪いのですが、すごく後悔しています。どうしてずっとたまを見続けてこなかったのか。タイムスリップしてやり直したいです。
…そういう訳にもいかないので、これからはそれぞれの活動を応援していきたいと思います。
たまが解散しても、ずっとたまが好きです。 07/6/1(若様)

(本人より)今はCDやDVDという、ある種タイムスリップできるものがあるからね。地球レコードのものはニヒル牛でも通販してま~す。よろしくん。

石川さんのホームページの「『たま』という船に乗っていた」を、読みました。

最近「たま」を聴き始めたばかりで、「この人達は、どういう人なの!?」と謎に思っていたので、たまの当事者の方が書かれた文章を読むことができて、すごく嬉しかったです。
ありがとうございます!!
「たま」を初めて聴いたのが、小学校低学年の時に、家族で乗っていた車のラジオから流れてきた「さよなら人類」でした。
その時、「え!?何かわからないけどすごくかっこいいな!」とびっくりして、耳をすまして聴きました。「文明が進みすぎると人間は退化していくのかな」と真剣に考えました。
今もそうですが、たまをを聴くと今まで見たこともない世界が広がって、ひきこまれるのです。
けど、親の反応が悪かったのと、音楽から漂ってくる雰囲気が「あんまし深入りするな」といいたげな硬派な感じがして、「興味はあるけどこわくて近寄れない孤高のクラスメイト」という感じで、そのままになっていました。

それが、今になって、結婚した夫がCDを3枚も持っていた事が判明!しかもそらで歌えるほど…。普段クラシックやジャズを聴いている人なので、驚きましたが、今は二人で「たま」の話題で持ちきりです。
当時のみんなで歌っている姿を見たいのに、DVDが発売されていないのが残念です。
けど、ソロも含めて他にも色々なCDは出ているようなので、そちらにも手を出そうかと思ってます。
もっと早くにちゃんと聴いていればなあ!と思うのですが、そんなことを言っていても仕方がないので、今出会えたことを喜ぶ事にします。
突然、長々とすみませんでした。
これからも、面白いことを追求していって下さい!07/6/1(ぴよまる)

(本人より)一応、ラストライブのDVD「たまの最期!」は出てるので観てね~ん。

「『たま』という船に乗っていた」を読んで思ったこと。

読み終わった日から、何度も感想を書こうとチャレンジしているのですが、ちっともまとまりません…
それに読み返すと、最後のほうで必ず、泣いて眠ってしまいます…
思っていることを全部書いたら、本が一冊出来てしまいそう(もちろん量だけ、質はなし)なので、短かめにまとめてみます。

興味深い出来事、心に残る言葉、もちろん沢山ありましたが、
「肉体の死は死じゃない」という言葉が頭から離れません。
大好きな「たま」の形はもうないけど、たまの音楽は私の中にしっかりと根付いていて消えることはないです。
たまの魂(シャレじゃないですよ)は生き続けています。死なないんです!
喜ばしいことに、メンバー全員が個々に音楽活動を続けてくれていますし。これ本当に嬉しい!
だから私は後ろを振り返りませんよっ!
「たま」の断片を探していることは否定できませんが、たまだった人達のこれからを見続けていくことが、今の私にできることだと思います!よし!!

と、がんばって前向きにまとめてみました。
でも…知久さんの「俺、たまを辞めます」あたり~最後のデキソコナイまでは、やっぱり何回読んでも泣いてしまいますねぇ。
「それはただの棒だよ」で号泣です。(デキソコナイはきっと私のことです)
泣きのポイントがおかしいですね。アッハッハー
とにかく私が言いたいのは、石川さん。何度も死にかけながらも生きててくれて、ありがとう!!!
大好きです。(のっち)

(本人より)形あるものはすべて壊れるのは世の習わしだし、それが自然なことなんだよね。もし今でもたまをむりやり続けていても、おそらくは新しい面白いことは出来てない可能性が高いと思う。その意味では知久君の「俺、たまを辞めます」はやっぱりある意味正しかったと思うな、表現者としては。
ビートルズ解散後にジョン・レノンが後世に残る「イマジン」を発表したように、俺達も何かできるといいのだけれど。

○「たま」という船に乗っていたを読んで○

私が「たま」を知ったのは13歳。イカ天ブームの真っ只中でした。
本でいうと四章から九章の「たま」を観ていた事になります。

あの頃、アイドル雑誌の明星に「たま」のポスターが付いていたんですよね。
友達に協力してもらい、切抜きをたくさん集めた事を懐かしく思います。
(出ている雑誌が多すぎて、集めるのが大変でした)
中学女子が読むには少し早い(?)宝島を毎号買っていたので耳年増にもなりました^^;

ファンクラブの会報に自分の描いたイラストが載って大喜びしたこと。
初めてホールでの演奏を聞いた時、皆さんの雰囲気に圧倒されていつの間にか呼吸を止めて見入っていたこと。
月例会ライブの距離の近さに驚いたこと。

本を読みながら、今まで忘れてしまっていたことが一気に甦ってきました。
初恋の人を思い出すような、甘酸っぱく切ない気持ちになりました。

その後、自身の環境の変化で「たま」とは無縁の生活に。
解散を知ったのは友人からの情報でした。
不思議なもので、解散を知った途端にまたライブが観たくなってしまうんですね。
それまですっかり遠のいていたクセに、勝手なものです。

可憐なセーラー服の乙女から、スーツ姿の社会人へ。
本当に「たま」にはお世話になりました。
ありがとうございました。

現在は、皆さんソロで活躍されていらっしゃるそうで。
只今上の子が3歳、お腹には今年の秋に産まれてくる予定の赤ん坊。
ソロライブを拝見できるのはまだまだ先になってしまいます。

…大丈夫ですよね?観れますよね?
たとえ10年先でも『魅せて』頂けると確信しています。では。(こはる)

(本人より)10年先でも魅せていたいね。でも未来のことは神様だってわからねーだからなぁ。
明星にポスターなんか付いてたんだ。知らなかったな。それじゃまじでアイドルじゃん。
笑っちゃうね~。ぬははははははははっ!

初めてテレビでたまを見た

ちびまるこちゃんのエンディングが「あっけにとられた時のうた」だったときに、一度(一時期?)だけ「たま」ご本人たちの映像が流れた事があり、私はそれで初めてたまを見ました。まだ小学生だったと思います。

「普通じゃない人がテレビにでてる・・・・」

大のおとなが、坊主頭のランニングでヘンなものを叩いてる・・・!そんな「普通じゃない人」が、一見普通の人とバンドを組んでいるということが、当時の私には信じられないことでした。
その映像はアッという間に終わってしまい、それこそ私はあっけにとられっぱなしでした。 (桃玉)

(本人より)あぁ、そんなのもあったね。本当はそのままプロモーションビデオにしたかったんだけど、よく考えりゃもろに番組のエンディングテーマなわけで、ちゅーことは他の局では一切流れることはなかったんだよね~。おまぬけ。

「たまという船に乗っていた」レポート

全編楽しく読ませていただきました。
私はイカ天でノックアウトされてたまにイカれてしまったので、色々と思い出すことも多く懐かしかったです。
自主制作テープをダビングしてもらって誇らしげに聴いていたことや、たまに会えるのではないかとしょっちゅう高円寺や吉祥寺をウロウロウロウロしていたこと、たまがいいと言っていた場所にはとことん出かけていったことや、イカ天大賞観にお母さんと一緒にいったことや、CMを全部録画していたこととか、知久さんの髪型にしちゃって学校で隣の席の男の子に「こ・・・・恐い・・。」とつぶやかれたこととか、あまりに家に居るときに延々とたまのビデオをつけるものだから父親と大喧嘩になったこととか、懸賞でポスターとかTシャツ当てたこととか(今も母が着ています)、 いろんないろんなことを思い出しました。
もう、たまの船の周りで石川さんたちに水しぶきを浴びせながら大騒ぎして泳ぎ回っていたのですね。

しかし、テレビで持ち上げられるほどになると、こんなにもややこしい世界に取り込まれるのですね。
自分では体験することのない世界の話なのでとても興味深く読ませて頂きました。
特に、音楽番組なのに無音で演奏、というのはかなりショックでした。
そういうのを通過しても変わらずにいるみなさんは流石だと思います。

と、1つ確信したことがあります!
私は小学生までは絶対に遅刻も寝坊もしない、真面目な人間であったのに、たまに影響受けてから「ゆるくいい加減に生きてもいいんだ」と思ってしまい、不登校の人を抜かしたらトップレベルの学校サボり屋になってしまった気がしていたのですが、 石川さんの「雨の日と風の日は外に出るのがカッタルイ」発言を読み、私は確信しました。
私も全く同じ理由でサボり、高校はギリギリ日数で専門学校に至っては見事に留年致しました。
たまのせいです!石川さんのせいですよ!!!
多感な頃にほんとーーーにガッツリ影響受けてしまったのですから!
責任取って、どうぞこれからも楽しい活動を、お待ちしております。(ことり)

(本人より)はい、楽しい活動以外の活動は生命にかかわらない限り一切しないで一生を遊びつくしたいと思っております。今後もよろしくで~す!

「『たま』という船に乗っていた」を読んで

 清々しい読後感でした。
 「そろそろ降りようよ」「うん、そうだね」という感じ。
 そんな簡単なことではなかったのでしょうけれど、私はそんな風に感じました。
 実は私、たまはバンドである必然性があるのかな、と思ってました。
 ひとりひとり活動しながら、時々4人、または3人でやればいいんじゃないかな、と。
 それに、私がたまを好きになったのは、柳原さん脱退後なので、3人の方が私には自然です。
 4人の頃は、もちろんCDでしか知らないけど、完結し過ぎているような気がします。
 3人になってから、色んな人がサポートするようになり、風通しがよくなったような。
 最後に「死について」。
 「死に方ではなく、生き方でその人を評価しなさい」と書いた小説家がいます。
 その通りだと思います。(鈴)

(本人より)たまはバンドと言っても全員ソロだったということで、ユニットに近かったんだよね。それぞれちゃんとやりたいことがあっての前向きな解散で、今でもみんな活動しているのが象徴してるでしょ。これからも観に来てくださいね~!

「いい加減にしろ!!!!!」

ちょっと違うかもしれませんが、ここで謝っておかなければ・・・。
たまの、あるライブの楽屋入りの時、そして多摩川でのイベント出演の待ち時間の時、無断で写真を撮ってしまいました。
多摩川での方は、滝本さんは娘さんと遊んでいて、知久さんは車の中。
そして石川さんと柳原さんはトイレに行く時だったようで、何故かテニスウエアで超ミニスカート姿の女性が先導して歩いていました。
他のファンの方がカメラを持って近づいていったので、私と友人も近づいてシャッターを押しました。
今考えればいきなり写真を撮るなんて非常識極まりないですが、当時はそんなチャンスなかったので無我夢中でした。
すると超ミニスカートの女性が鬼の形相で「いい加減にしろ!!!!!」と怒鳴ったのです。
悪いのは私達ですが、柳原さんは「おぉ~怖!」な表情をしてました。
石川さんはあまり表情を変えることはなく(きっと、うるさい子達だな、もしくはトイレまでついてくるなんてエッチ!とか思っていただろうと思いますが。)、そのまま歩いていました。
あの女性には、「女の色気でたまの皆さんを悩殺よ!」的なイメージしか持てませんでしたが、超ミニの意味がわかりませんでした。
あ、じゃなくて、勝手に写真撮ってごめんなさい。売りはしませんでしたが、申し訳ない事をしました。

ちなみに滝本さんの娘さんがライブ中に私と友人の横に来て、あのクリクリっとした目でじっと見てきました。あまりの父親似にビックリ!直後ステージに目を移すと、その父と知久さんがビックリしていました。今何歳になっているんだろう。(秘密の座席)

(本人より)俺達の直接のスタッフに超ミニスカートの女性は記憶にないので、おそらくイベントの主催者側の人かな。全然覚えてないけど。
写真は微妙だったんだよね~。特にあの頃の時期は。俺は基本的に「勝手に撮ってくれ~い」なんだけど誰もがそういうスタンスじゃないしね。あと俺でもやっぱりあんまり体調良くない時とか撮られたくないもんなぁ。あと隠し撮り風のもちょっと嫌だね。
でもまぁ最近はそんな大挙してドドーッということもないので、普通に「写真いいですか?」とマナーを守って声をかけてくれれば、よっぽど急いでない限り断ることはまずないけど。
Gさんの娘はもう成人したはずだね。

「たま」という船に乗っていた、を読ませていただきました。

2日おき、石川さんのひとりでアッハッハをクリック、 更新が待ち遠しい日々でした。
ありがとうございました。

インターネット上で、読んだために、 本をひらいて読んだ印象とちょっと違うかもしれませんが、 たま結成と初期の活動の章はわくわく、 メジャーデビュー後の繁忙期の章はきびきび、 最後の方はなんだか切なくなって、 あとがきで嗚咽でした。

地球は丸いから いつかまた会おうね バイバイ

は、高校生の私に衝撃を与え、以来ずっと大好きな歌詞でしたが、 この言葉を最後にもってくるなんて‥
つらくて、つらくて。

眠りに落ちる境界線で、 知久さんがいつか死んでしまったらという仮定がよぎり身体中がこわばって、絶叫して、昨晩は眠れませんでした。

一介のファンに過ぎない私のくせに、言いたかったこと、どうしても伝えたかったことはあって、それを何も言えないまま、早々に知久さんがいなくなってしまったら、どうしたらいいんだろうって。

なんだか、 私が1番怖れている世界の台等をシュミレーションされたかのようなショックを、『「たま」という船に乗っていた』から受けました。

なんとなーく未練はあるけどまーいいわー
という死なら構わないけれど、

自分なりの世界との付き合い方が崩壊した状況に追い込まれても尚生きているような恐怖、がよぎってしまって、 この本はすきだけど、怖くてしばらく読めそうにないです。 (るみ)

(本人より)知久君はメンバーの中では一番若いし、健康にも気を使ってるので事故でもない限り一番長生きすると思うけどね。ちなみに知久君とは「パスカルズという船」には今でも一緒に乗っているんだよね(笑)。

「たま船」読み終えました!

お忙しい中アップしてくださってありがとうございます。
色々な事が頭の中を駆け巡ってて言葉にするのが難しいですが、たとえ解散後だろうと、たまを好きになれて本当によかった、 今になって強く思います。
あと「瞬間は永遠」「肉体の死は死じゃない」など、 石川さんが語られるからこそ激しく感銘を受けました。
石川さんの生き様が大好きです!
どんどん真似して、アッハッハーと笑いながら生きて行こうと思います! (桃玉)

(本人より)俺は笑うために生まれてきたからね。

たまのCD

私はたまのファンを辞めてからブランクがあり、今になってCDを買っています。
たまファンの10数年来の友人に「こういうCD出たよ。」と聞かせてもらってはいたものの、やっぱり欲しい曲は自分で持っていたい。
そこで今年、浅草のお祭りでの知久さんのライブをじっくり聴き、CDを買おうと決めました。
しかし、多々並ぶCDから選ぶのは至難の業。
何とか2枚に絞りこみ悩んだ挙句、スタッフの女性に「どっちがオススメですか?」と伺いました。
そして「こっちです。」と決まったのが「汽車には誰も乗っていない」でした。
知久さんにサイン(しかも名前まで入れてもらいました。)をしてもらい、その日はサインを眺めていました。
おっと!これはサイン色紙ではなく、CDだった!
聴いてみると懐かしい、たまの音楽でした。
インストを聞いた事がなかったのですが、とても楽しく気に入りました!今ではエンドレスで聴いています。
次はどのCDにしようか考え中です。今更ですが・・・。(秘密の座席)

(本人より)「汽車には誰も乗っていない」と比べてスタッフが落としたのが何のCDだったか気になる(笑)。でも人に聞いてもことごとく「たまで一番好きなアルバム」が違ったりするので、どれがあなたに一番かは本人にしか分からないなー。曲なんかでも人によって「これだけは飛ばして聴いちゃいます、すいません」と「この曲がたまの中で一番好きです!」が同じ曲だったりすることもあるからね。要は全部買わにゃあ駄目ちゅうことで。おこづかい貯めて買ってくださいなー。

たまという船に乗っていた 第二章を読んで。

ををををををををををををををを!
私にとっては、「あの人登場」という感じでとても盛り上がった章でした!
その人とは、ずばり、山下由さん!
・・・・もですが、もちろん他のメンバーも。
こぉーんな古くからの付き合いなんですね。
私は、今の友達と、そんな先までずっと仲良くできるだろうか。
いろんなところでライブをやった話も、 どきどきわくわくで読ませていただきました。
このコーナー、めまぐるしいスピードで更新されてますね!
置いてけぼりにされないよーに、ついてくぞーっ!!(りあちゃん)

たまという船に乗っていた 第三章を読んで

とうとう滝本さんの登場だぁっ
小俣さんも加わり、「たま」のかたちができあがりましたね!
読んでいて、わくわくの連続でした♪
病院勤めの裏話も、面白かったー。
何か入れる時は要注意ですね!(笑
それから、結婚。
まず買ったものが「ファミコン」。
ふたりのプロフィール「100年一緒に遊ぶ」。
素敵です。
今も、お二人で毎日遊んでいらっしゃるんでしょうか。
仲睦まじく、理想のご夫婦です。(りあちゃん)

たまという船に乗っていた「第四章」を読んで

当時まだ小学校低学年だった私は、 当然ながらイカ天という番組は見たことがなく、 こうしてあとになって話に聴くだけでも、 すごくわくわくします。
それが、たまのメンバーである石川さんがよしとするかはわからないけれど、 今はインターネットのyoutubeなんかで動画まで観られる!
いい時代に生まれました。
・・・ほんとは、たま全盛期にライブにいけるくらいの頃に生まれたかったけど。
まちあわせで、ギター一本石川さんだけランニング、残りのメンバーは全員タキシードで無表情で歌う姿はyoutubeで観ましたがあれ、大好きです。
ありゃ勝ち抜きもしますわよ。
ともかく、そんな経緯があって、「たま」があり、今の個々の活動があり、私のような、ファンがあるわけなんですね。
命果てるまで応援する覚悟なので、私より長生きしてください、石川しぁんっ!! (りあちゃん)

たまという船に乗っていた「第五章」を読んで

Wくんに惚れそうでした。
喋り方は本当にああなんですか?(笑
ぜひ一度デートして、 直進型のドライブをして、 UFO観測をして、 ふたりでこっそりAVでもみたいものです。
番組の裏側事情なんかも面白かったにゃー。
知久さんのギターが出なくなっちゃったのはyoutubeにも落ちてましたね、見ましたよ。
うちの母なんかはリアルタイムでみていたようです。
それにしても、どれをとっても私には羨ましい裏話ばかりでむきーっでした。
私がもう少し早く生まれていたら、リアルタイムでたまの番組が観れたり、 生のライブにも行けたんだろうか。 こればかりは、運命ですねぇ。。。おろろん。(りあちゃん)

たまという船に乗っていた 第六章 を読んで。

恐怖の館、こわいですね~~~~
それが日本語の伝わらない外国での出来事だってんだから、 さらにさらにこわいですよね。
それにしても知久さんの海外での怪しまれようは 気の毒ながら笑えますね(笑
ちなみにうちの弟も見た目が怪しいという理由だけでとっつかまって散々調べられたりしてました。
気の毒ながら笑えます。にひひ。(りあちゃん)

たまという船に乗っていた 第七章を読んで

ひとことでいうなら「うらやましい」。

あたしも、たまのアイドル時代にファンとしてコスプレしたりうちわ買ったりしたかったお!!!><、
やおい本買ってハァハァしたりあわよくば自分で描いちゃったりしたかったお!!!><、

とにかく、ファンになったのが解散後4,5ヶ月という私なのでこういう話は訊くだけでも羨ましいものです。
あまりにも羨ましいので今度のライブでは、乱入して殴ったりキスしたりしてやろーと思うので覚悟しておいてくださいましね!!!

・・・嘘です大人しく客席で拍手しながら呑んでます。(りあちゃん)

たまという船に乗っていた 第八章 を読んで

歯磨き男、「答える必要はない」男、いろんな人が面接に来るんですね。
受かる気あるんかい!!!w とつっこみながら 楽しく読ませていただきました。

「よん」
が差別用語というのは、たしかにポカホンタスですねー。
ヨンさまはどうなんだろう。
名前自体差別用語じゃないか。
○ンさまとか、伏せるべきじゃないのか。

ヤナちゃん脱退は、ファンになったのが解散後であるはずの私でさえ読んでいてすごく寂しいショッキングなお話でした・・・。
だけど、「たまはいつでも自由な場所でありたかった」というメンバーの心意気、いちファンの私なんかが、曲げられるものではありませんね。
寂しいけれど、3たまも私は大好きです。

ヤナちゃん、船旅おつかれさまでした。(りあちゃん)

たまという船にのっていた 第九章 を読んで

曲作りの工程、楽しく読ませていただきましたー。
かなしいずぼん、一番好きな曲なんですが、ヤナちゃんが重なるとこやコーラスとかって知久さんが考えたんじゃないんですね!
みんなでなんとなく創っていったかんじなのかな?
楽しそうでわくわくします。

ニューヨーク、倒れてきたのがベニヤ板でほんとによかったですね(^^;
CDでしかきいたことがないのでどのへんだかよくわからないんだけど、、、
とりあえず盛り上がったようでなによりです(笑
ネパールのお話は、ちょっと、笑った(笑
そうかー。
演奏・演技のあとに拍手をする習慣のない国があるんですね。
そりゃあ、そうですよね。
世界は広いなぁ。(りあちゃん)

たまという船に乗っていた 第十章 を読んで

読んでいて本当に泣いてしまいました。
今も現在進行形で涙が流れてとまりません。
知久さんの「やめます」発言、
石川さん、Gさんの暗黙の了解、
ワタナベイビーの乱入さよなら人類、
「やめないで」の歌声、
ファンの涙、
脱ぎ置かれるランニング、
ファンの叫び、
だけど決して振り返らない石川さん・・・

「たまの最期」のDVDを買って、はじめてうごくたまを見たときのことを思い出しました。
あのときも、泣いた。
ベイビーの乱入さよなら人類には、臨場感バリバリで感動した。
石川さんの最期の「ついたー!!」、
湧き上がる拍手の嵐、
感動して感動して止まなかった。

寂しい。
寂しいよぉぅ。。。
たまのライブに行ってみたかったよぉぅ。
再結成してほしいよぉぅ。
あたしは馬鹿だから、素直に言っちゃうよ。
再結成、再結成して欲しいんだよぉぅ。

涙が止まりません。

たま、だいすき。

泣きの話のあとで書きづらいけど、 そうそう、ガキ使、youtubeかなんかでみましたよ。
「ああ、困ってるな、これ」と思いました。
だって石川さんそういうキャラちゃうし(汗
まっちゃん浜ちゃんが期待してるようなりアクションはとれないよぉぉぉ(^^;(りあちゃん)

たまという船に乗っていた あとがき をよんで

地球は丸いからいつかまた会ってください。
よろしくおねがいします。(りあちゃん)

(本人より)各章ごとの細かい感想ありがとう。じっくり読まさせてもらいました。これからもよろしくね!


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