ザ・レポート(37)


今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「ホルモン鉄道」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
 既に何かに発表したもの(ミニコミ、ミクシィ日記、ホームページ、掲示板等)の再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メールにて題名「レポート」でお願いします。おおよそ10行程度まで5ポイント、それ以上は10ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな〜っ。
 例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ〜ん。

2017年 6月18日 新松田(神奈川県)cafe & bar nika「石川浩司ソロライヴ」

自分にとっては、今年初の久々の石川さんライヴでした。
当日券で、のんびりと入店したにも関わらず、ずうずうしく一番前の組立式パーカッションセットの目の前の特等席に座った。
お店は、あたたかい雰囲気のある素敵なお店でした。
オーナーママさんの笑顔も素敵。
店内をキョロキョロしているうちに、オープニングアクトのスケベ兄弟さんの気持ちいい演奏が始まりました。
石川さんも一緒にパーカッション叩くとは思わなかったので、何だかちょっと得した気分になりました。

その後、待ってました!石川さんソロライヴの、はじまりはじまり〜!
大きく分けて三部構成になっており、一部は「カブラギの教え」「毛虫おじさん」「リヤカーマン」「ボケ」等 会場に、お客さん達の笑い声が響き渡るような楽しい曲が中心でした。
もちろん私も、楽しい楽しい♪

続いて第二部は、曲ではなく「トークライヴ」でした。
予備知識が全くなかったので、「えっ!トーク?マジ?ラッキー!」というのが最初の感想でした。
自分にとっては、ちょうど一年前の赤尾充弥さんと二人でのトークライブ以来だ。ヒャッホー!
ラジオでも、ライヴのMCでも、私は石川さんのちょっとした「おしゃべり」を聞くのが、これまた大好きなのです。
お店のお姉さんが、大きなプラカードを会場のお客さん全員に、よく見えるように掲げながら店内を歩いてくれています。
(このプラカードに、「トークのメニュー」が定食屋メニューのようにズラリと書かれている)
「占い師」「増えたキンタマ」「名古屋の寝床」「恐怖の歌舞伎町」「猫釣り」。。。等々
もう気になるメニューがいっぱいでした。
お客さんから注文のあった「メニュー」の小話を石川さんがしてくれるのですが、どれも本当に面白かったです。
人生経験豊富って、すばらしいですね!(もちろん、その時は激痛だったり、正常な精神だったら全然笑えない事もあるのですが、それでも経験は宝だな〜!そして、楽しく聞かせてしまう石川さんって、やっぱり凄いな〜。なんて、ぼんやり思いながら聞いていました)
こういった注文形式の、「小話トークライヴ」って、時々やられているのかな?
もしあったら、また行きたいな。

石川さんワールドに浸っているうちに、あっという間に第三部。
最後の部では、「オンリーユー」「メメントの森」「玄関」「ラザニア」「夜の牛たちのダンスを見たかい」といった 胸にギュンギュン突き刺さる、言わずと知れた名曲ばかりを熱唱。
この日は、何故だか特に「オンリーユー」にやられました。
改めて、なんていい歌なんだ。。。。
体質的に目からは、あまり涙が出ない人なのですが、心は感動に震えていました!

三部構成の、とっても贅沢なライヴでした。
終演後のお店での打ち上げにも、ちょっと参加させていただきました。
お料理も、お酒も、と〜っても美味しいお店でした。

行って本当によかったな!
とっても楽しい一日でした♡(7月4日の蟻)


(本人より)遠路はるばるありがとー。
実はこれは出前ライブで、主催者が出前ライブのメニューから「歌とパーカッションセッションとシークレットトーク」を選んだのでこういうライブになったのですね。
出前ライブだと主催者により色々とイベント内容のカスタマイズが可能なのです。もちろんリクエストも極力受付ます。
小学三年生の女の子と一緒にやった「ムーン・リバー」もリクエスト。良かったよね〜。

ポパイのインテリアブック・POPEYE 特別編集「マイルーム改造最強マニュアル」(1998.8)マガジンハウス

1ページに渡って石川さんの家が紹介されています。いやいや隣のページまで侵食しているから全部で1pと1/4くらいかな。
侵食部分は、鴨井。石川さんのお気に入りでいろいろなものが飾られています。
紙面には、物々交換の顔が書かれているシャベルが。

ご近所からは「顔の家」と呼ばれている家の家賃は10万円。ん、現在と変わらない。
住んで3年というのに、家の寿命が来るのが先か、コレクションがあふれ出すのが先かと不安な石川さん。なんだかんだで取材当時から20年が過ぎてまーす(笑)。
古すぎるので電源が20Aより増やせず電子レンジとエアコンは同時にオンできません。我が家も電子レンジとオーブントースターを同時に使用するとブレーカーが落ちます。

ところがところが御大がお座りになっている部屋はなかなかおしゃれなんです。押入れを改造した、木を基調にした机とテーブルとフローリング。
古いPCの隣にキーボード。PCのトップ画面は何気なく石川さんの顔が。操作にはなんとマウスが!
木のデスクに貼られているのは、マスクコレクション。
本棚には「麺日記」と「納豆辞典」。
CDは、壁に釘みたいのを打ち付けてそこへ何枚も重ねて吊るしています。
滅多に見ることのできない石川宅が見られて楽しかったです。(わいわい)


(本人より)はははっ、まだそこに住んでてその部屋で今もこれを打ってるよん。
もっとも取材が入らない時はもちろん部屋はもっとメチャクチャなのはご愛嬌〜。

『シスコと生きる』

塔本シスコさんという50を過ぎてから素朴な絵を描くようになった女流画家です。軽い脳梗塞になった後、リハビリを兼ねて絵を描くようになったそうです。この本を読むまで塔本シスコさんのことは全く知りませんでした。
生誕100年を記念して制作された画集に石川さんが詩を寄稿されています。
石川さんの紹介は「パスカルズ、歌うたい、役者」。歌うたいというのがいいですねえ。なんか村上春樹の小説に出てきそう。

詩は「花しょうぶの精」。花しょうぶのシスコさんの絵に添えます。

どどんどんどんどどんどん!
おやおや花の精があちらこちらから ひょひょいひょいひょい顔を出しているぞ
今日はちょいとおめかしをして しょうぶの間をちょこまか行ったり来たり
虫にいちいち区別がつかない様に 顔の区別はつかないけれど
みんななんだか楽しそう ふうわり ふうわり ふわふわり
やって来る来るやって来る夏がまたまたやって来る
そう、夏がやって来る夏がやって来る夏が
春に狂い死にした人も
昔のようにちょっとはにかんで
「ただいま」って言っている
「おかえり」って僕は言う
カラフルにくるくるまわるよおとこのひともおんなのひとも
花の向こうのもっと先で戦争やってる
きっと大砲も鳴っている
だけどもここは花畑 花しょうぶが咲き乱れている
聞こえるのはクスクスとした微かな笑い声だけ それだけ

体が不自由だった 産まれて良かったね
みんなに馬鹿にされた 産まれて良かったね
親に捨てられた 産まれて良かったね
死んだ方がましだと思った 産まれて良かったね
産まれて良かったね 産まれて良かったね 産まれて良かったね

やって来る来るやって来る夏がまたまたやって来る
おやおや 花の精があちこちからひょひょいひょいひょい
ひょひょいひょい
ひょひょいひょいひょい ひょひょいひょい

どどんどんどんどどんどん!
(石川浩司「「花しょうぶの精」『シスコと生きる』、pp.48-49)

ラザニア・・・。

使用文献:『塔本シスコ生誕100年記念 シスコと生きる』(ギャルリー宮脇、2013)(わいわい)


(本人より)うんうん、ラザニアがまだ曲になる前に詩としてあってここに書いたんだっけ。
俺も忘れてた。「ただいま」「おかえり」はその後に玄関という歌になった元でもあるね。
使い回し〜。

大人とメディア(『週刊アスキー』2008/2/5号「R40」)

大槻ケンヂさんとの対談です。
当HPでも石川さんは、テレビはカットが多いと苦言を呈されていますが、大槻さんの「テレビに映っていることはウソしかない!」に「うんうん」と返事をしています。明らかに意図のある人が編集していると。
石川さんをテレビでお見掛けすると、少したどたどしくしゃべっているのが気がかりだったのですが、ちゃんと喋ったところはカットされて、山下清と同じような口ごもっている部分は残っているのですね。

最近のテレビは「モザイクだらけ」「観客笑いの多用」「台詞テロップ」「クライマックスCM(CMまたぎ)」「同じシーンの繰り返し」「***に許可を取っています(演出、注意、マネしないで等)ばかりです。
私は、そのため最近ではアニメやドラマ、NHKドキュメンタリーを評価するようになってしまいました。これでアニメやドラマも、バラエティや情報番組と同じようなことをしたら、完全に愛想をつかすかもしれません。
こういうことを考えると、生放送って何気に凄いのかもしれませんね。
もっともTV業界の人もこんなことにはとっくの昔に気づいていて「スポンサーのため」「クレーム対策」「BPO対策」「個人情報対策」で仕方なしにいろいろ入れているのかもしれませんが、視聴率ありきというのが根底かも。その視聴率は趣味の多様化で、相対的に低下しているので、なんとかしなければ・・・とでしょうね。

石川さんと大槻さんは「テレビに演出させられている」「テレビに編集されている」と話が続いていきます。
そして
・テレビをまるごと信じない
・真実とウソの割合を考えてみる
・自分なりの判断で人を見る
とまとめています。

使用文献:大槻ケンヂ『40代、職業・ロックミュージシャン』(アスキー新書、2013)(わいわい)


(本人より)こんな対談やったっけ・・・忘れてる。
でも意見は今もほとんど変わらないね。
テレビもその他のマスメディアも誰かの意図が必ず入っている。
ついつい忘れがちだけどそこは都度都度に思い出した方がいいだろうね。

ブレのない人生(『週刊アスキー』2010/10/19号「R40」)

こちらも同じくケンヂ浩司の大槻さんとの対談です。
大槻さんは、石川さんを「前衛、アングラ、アバンギャルド」と称しました。楽曲は、GReeeeNは絶対歌わない曲だと。 移動式パーカッションを駆使する石川さん。無印良品で売っていた紙パイプ、ジョイント、キャスターを使って・・・(笑)。
パーカッションを叩きながら、どこにでも動いていってしまう。
ホルモン鉄道についても述べられています。
80年代にいた「なにやってんだ、これ?」バンド。それがそのまま中年になったと、大槻さん大笑い。

石川さんに免疫がない人が来たら・・・子供に対して「トラウマになれ〜」。
ここでのまとめは
・ゆるぎなく、わが道を行く
・自分のなかで振り分けをする
・コラボで変化を付けてみる
でした。

使用文献:大槻ケンヂ『40代、職業・ロックミュージシャン』(アスキー新書、2013)(わいわい)

(本人より)ああ、確かに。
ホルモン鉄道、若い時にこういう感じのことをやってみるバンドは今でもいると思うけどそれを何十年も継続しているバンドは少ないと思う。
パスカルズもホルモン鉄道もイシマツもえんがわも、それぞれそれでしか出来ないことが詰まってるから楽しいんだよね。
ソロはもちろん、どのユニットも少しでも長く今後も続けていけたらいいなあ。

チェンマイにてインターネットラジオ(2010年2月14日)

波照間エロマンガ島です。石川浩司さんのいろいろなジャンルでの天才的表現力に接したとき、脳天を稲妻に打たれたような驚天と感動を幾度も体験してきました。しかし、億劫なためそれをすぐレポートを書き起こすことができません。そのうち時間ばかり経ってしまい記憶が薄れていきます。せっかくこの「ザ・レポート」というコンテンツがあるので、感動したそれらの体験を書き出していきたいです。

というわけで今月はボーナス月間なのですが、早くも半月過ぎたものの、何か書きたいのですが何も書くことができずに手をこまねいていました。わたしは「過去のインフォメーション」をさかのぼり、観覧したライブはなかったか確認してみました。ふと、ある項目にわたしの名前がでているのを見つけビックリしました。以下の案内です。

■2010年2月14日(日) チェンマイよりネットラジオ

「ウキュピラジオ in チェンマイ」

夜10時〜終了未定
URL→http://std1.ladio.net:8070/zarusoba62.m3u
DJ・ざる
ゲスト・石川浩司/波照間エロマンガ島
※チャットバー・ウキュピと連動します。質問等はそこでどうぞっ!

おぉ、こんなのありましたねぇ。
2月のチェンマイではネットラジオをはじめ、ユーストリームで動画生配信放送など何度もしたことがありましたよー!

まずこの年、2010年2月の「チェンマイ逃避組」はどんな内容だったか振り返ると、参加者が異常に多く、一時期は20名前後チェンマイに集まる事態となっていました。20名もいると夕食会もいきなり店に入ることはできないので、あらかじめ参加希望者を確認し昼のうちにレストランを予約することが多かったです。多くの人は、チェンマイオーキッドホテルの隣にある敷地内に5棟くらい5階建ての建物が建ち並んでいる団地みたいなアパートにデイリーで宿泊しました。

2月第1週は集中して人は来ていましたが、第2週、第3週と参加者は日本に帰国してじょじょに減っていきました。ネットラジオを行なった2月14日は第1陣がほとんど帰国して、翌週20日前後からやってくる第2陣のくる直前の「谷間」の時期で、チェンマイ在住のわたしのほかは1ヶ月間逃避中の石川さん、当時学生で長逗留していたZくんの3名だけでした。

夜待ち合わせ時間にZくんの部屋へ行きました。Zくんのパソコンにインストールしたネットラジオのソフトで放送します。ソフトの使い方を簡単に教わるとさっそく石川さんはだいたい何をしゃべるか構成表を書こうとノートを取り出しました。いかにフリートーク主体とはいえおおまかな構成を決めておかないとすぐにトークは煮詰まってしまうとのことで、素人のわたしは勉強になりました。ほどなくして予告していた午後10時になり、ネットラジオは始まりました。

(以下、その日の日記からばっすい)
最初10分間軽快にトークを飛ばしていたら、連動しているチャットに何も反応がないので、よく調べてみるとソフトのスイッチが入ってないというお間抜け放送事故が発生!一気にトーンダウンした(笑)。 でも気を取り直して、またスタートの挨拶をして自己紹介から始めていった。

チェンマイでの日々について、逃避組について、食べ物について、すごろく旅行について、などなど3人で熱く語った。途中、石川さんの生歌まで登場!(これは激レア也)最後は質問コーナーでチャットに書き込まれた質問に回答していった。約2時間後、放送終了後はそのまま飲み会となった。(ばっすいここまで)

そう、こんな感じだったんです。
いま思い出しましたが、曲をかけているあいだ、次はどうするか話し合っていると、チャットに「話し声聞こえてますよ」と書かれました。Zくんはマイクのレベルを下げてなかったのですね(笑)。これは超恥ずかしかったー。アホやなー。
でも、石川さんのフリートーク、ライブのMCのようで楽しかったですー。途中でボケたり、わたしやZくんにツッコミ入れたり、だてに30年以上ステージに立ち続けてない人だなー、と感心しました。あれから7年経ちますが聴いた人いるのかな?

また機会があれば、石川さんをゲストに迎えてネットラジオでおしゃべりをしてみたいです。(波照間エロマンガ島)


(本人より)ああ〜、こんなのもあったねー。
チェンマイでは他にもユーストリーム配信なんかも何度もやったなあ。
ラジオごっこ(?)楽しかったねえ。
「これを聴いてる(チャットで話してる)◯◯さん、チェンマイきちゃいなよ!」
(ちなみに◯◯さんと面識は無し)と冗談で言ったら一週間後だかに本当にチェンマイに遊びに来たのも面白かったなあ。
また機会があったらやろうかね〜。

野のなななのか

この曲を初めて聞いたのは石川さんのライブだった。パスカルズでやっている映画の曲のセルフカバーだと聞いたが、石川さんはギター1本で弾いてられた。
作曲はあかねさん、作詞は石川さんとのこと。何度か聞く機会があり、CDも出されてある程度イメージは定着した。

何年か後、Youtubeであかねさんの動画を検索していたら、あかねさんがこの曲を歌っている動画を発見。連鎖的にパスカルズの動画も見つけた。
どこか幻想的で遠い未来を思わせるメロディーやサウンド。最初の石川さんのバージョンのイメージとのギャップも合わせて、非常によく聴いた一曲だ。パスカルズのものはサビの部分コーラスが石川さんに加え知久さんも歌ってられた。

イシマツのライブでは、あかねさんのキーで石川さんがこの曲を歌っているのも聞いた。このバージョンも本当にハマりそうだ。(Sankaku)


(本人より)元々この曲は前半のインスト部分はマツさんの作曲で俺がソロで歌ってる後半部分はあかねちゃんの作曲。
なので映画の為に二曲を合わせて一曲にしたんだよね。
ちなみにそれまではライブでうつおさんが一度だけ歌っただけだと思うのだがその時の仮のタイトルは「こだま」だったね。

ウヒョヒョヒョヒョ 石川浩司

電車の中にある週刊誌の中づり広告のようなポスター。
石川さん50歳とあるから2011年ごろの物だろうか。入手したのは当時まだやっていたニヒル牛2だった。

まだ石川さんが、ランニングシャツを解禁される前の物。石川さんの歌の歌詞や題名が羅列されている。(『ウララ』の「安住の地はガムの銀紙の中だ」はこれで覚えた) 中づり広告の特徴がよくとらえられていて、遠くから見ると本当にそのもののようだ。
石川さんが行ったライブハウス、書籍や連載物の名前、そして出生年や場所などが記されていて、その歴史が垣間見える。(Sankaku)


(本人より)ああ、これは確か週刊誌の中づり広告をパロディにしたイラストレーターの作家さんの作品。
絵葉書形式で販売してたんだったっけかな?
よく出来てた作品だね。

朝日新聞 2014.8.17 朝刊

たまには楽器を作ってみよう♪

新宿区の都健康プラザハイジアで行われた「ガラクタ楽器団」の記事です。
たぶん記者は「たま」と「たまには」をかけたのだと思います(たまあるある)。
子供たちは紙コップやストロー、ペットボトルなどを組み合わせ色を塗り楽器を制作。
石川さんの指導のもと、カエルの声や、草原の音など音符に取らわれない自由な演奏を楽しんだそうです。
参加者の母親は、
「設計通りに決められたものではなく自由につくられるというやり方はとてもいい」
と感想を語られていました。
よく林間学校などで、葉っぱや木を使って楽器を作り演奏などをしたことを思い出しました。
大人になると、なんでもかんでもお金を出せばモノは生えますが、小さい頃は自分でいろんなものを作っていましたよね。
夏休みのイベントですし、子供たちはよい夏休みの思い出になったことでしょう。(わいわい)


(本人より)これはここ5、6年(もっとかな?)の恒例行事。
今年もまたやる予定っす。
主催が新宿区という俺にしては珍しい自治体からのイベントオファーなのよねん。

朝日新聞 1996.12.12 夕刊

「どっこい『たま』はいきている」

「さよなら人類」、紅白にも出場。バブルの絶頂期、一気に時代を象徴するグループとなり、あっさり忘れられたたま。 あれから6年、どっこい「たま」は、当時と同じマイペースな足取りで生きています。

あわわわわ・・・これ新聞の記事ですので怒らないでくださいね。

石川「アマチュア時代からすでに12年。自然と役割が出来上り、何となくお互い遠慮していた面もある。3人になってそれぞれがやりたいことをぶつかけあい、楽しみが広がった」
知久「正直、最初は解散も考えた。でも3人とも演奏者としてとても特殊な人たちでしょ。なくしてしまうのは忍びなかった」
滝本「大きな波が去っても残ってくれた人もいるし、その後気に入ってくれた人もいる。たぶんあのヒットがなくてもぼくらのやり方は変わらなかったと思う」

レコード会社の変更、ちびまる子ちゃんのタイアップ、どこでもツアーでのニューヨークやパリでの公演。パナソニックグローブ座でのメンバーのソロライブや天野天街監督の短編映画「トワイライツ」上映の話も。

「中途半端に古いものとか、消えていくものをひきとめたいという心が強いのだろう」と石川さんは話しています。

私も消えゆくものは凄い気になります。夜行列車とか、過疎になって住民がいなくなった島、古代の蘇我氏のその後とか戦国期の追放された大名とか、そのあとどうなっちゃったのかなあ・・・と気になって調べたことも。
白虎隊とか、源義経とか、西郷隆盛とか、滅びゆくものがなんか好きなのかもしれません。(わいわい)


(本人より)まあ「さよなら人類」だって終末感あったしね。
そういうところが気になるところが共通だったのかもしれないね。

朝日新聞、1990.7.14 夕刊

現代にうたう悲しい詞 フラフフの「存在」自覚 大ヒット「たま」

全員20歳代の作り出す曲のリズムは軽快だ。が、歌詞はどこか悲しくて、失われた時や記憶の中の世界に思いを誘う。現代にうたう「メメント・モリ(死をおもえ」か? この若い人たちの、「死」に近しい感覚は何なのだろうか。

メンバーそれぞれが自分の歌について説明しています。近しいという言葉が新鮮。
知久さんは「おるがん」
柳さんは「さよなら人類」
Gさんは「日本でよかった」
石川さんは「学校に間に合わない」です。
石川さんの言葉、
「なんかさ、死の事考えていると死なないような気がする。今日死ぬんじゃないかって考えていると、思っていることで今日は免れるんじゃないかって。それでね、僕は死ぬのがわかったら、インド人になる。インド思想では、死っていうのは存在するものある通過点にすぎないっていう考え方をするでしょう。通過するだけだと思えばラクかもな。夢? いまでもよくみます。学校にまにあわないっていうような夢は、よく見ますよ」
哲学ですな。

私は今でも、試験が後1分で終わりになるのにマークシートが埋められていない、選択問題が選べていない、記述は何も書かれていないいう夢を見ます。
あとこの記事の中で、Gさんが浪人していたというのを初めて知りました(笑)。(わいわい)


(本人より)流石に最近は学校の夢はほとんど見なくなった。
代わりにライブの始まる前の夢をよく見る。
展開は同じでもうすぐライブなのに楽器を忘れたとか壊れてるとか。
深層心理にそういうのの不安感があるんだろうね。

朝日新聞、2001.7.18 夕刊

「ホラー劇 青山円形劇場プロデュース「室温 ――夜の音楽」(演劇)

内田伸一郎さん、中島朋子さん、近藤芳正さん、佐藤アツヒロさんらが出演。

この舞台に大きな深みを与えているのが、俳優としても印象的な演技を見せているのがたまの音楽。
死の予感をはらんだ透明な歌声は、舞台上の世界を超えて、不条理な事件の犠牲となったすべての死者に対するレクイエムのように響いた、と語られていました。

たまはレクイエムだったのか。。。(わいわい)


(本人より)この演劇は後にテレビドラマにもなった。
主役はジャニーズの人たちで俺たちも演奏のイメージカット的にところどころ出演した。
千葉の銚子にロケに行ったなあ。

2017.5.12 PM11 雨のキタからミナミへ車中で2人っきり

では千倉に続いて5月の大阪梅田ムジカジャポニカでの「誰とでもセッションライブ」のアフターのお話も、調子に乗って書いてみましょう。
(※登場する会話はあくまで私のふやふやした記憶に基づくものですので、実際に喋っていたこととは若干ニュアンスが異なるかもしれませんのであらかじめご了承くださいませ。)

この日のライヴ前には曇天ながらも降雨はなかったのですが、夜が深まるにつれ雨も増してきて、10時頃にはかなりの勢いになっていました。
石川さんは大きなパーカッションセットの入った鞄をお持ちですから、雨に濡れては大変です。
当初は地下鉄の終電の時間をお店の方に確認していらしたのでそっちでお帰りのご予定でしたのでしょうがこの雨。そこで先のレポートでもしたためましたがギター抱えて終電で帰ることを厭ってたまたま今回は初めて車で会場(近くの地下パーキング)まで来た私、ここは石川さんさえよろしければ私が車で天王寺のお宿の近くまでお運びしますよ、と申し出たわけなのです。

はじめは「いやいや・・・」と遠慮なさっていた石川さんですが、雨の様子を見てこれはヤバイな、と思われたのか、再度の私の申し出に「・・・いいの?」と微笑みつつおっしゃいました。会場から駅まで、大荷物を抱えて雨の中を歩くにはすこし距離がありましたからね。

ギター抱えてあわてて地下駐車場まですっ飛んで行こうと思ったら冷静なて〜お〜さんが「ギター置いていったら?」とご助言、そらそうだ此処に戻って来るんだもの(笑)、なにも雨に晒すこっちゃねぇ。ありがとうございます。私が出るタイミングで常連の着物のSちゃんとて〜お〜さんもお帰り。お気を付けて!

さてお店の方に「この前の道、一通(一方通行)ですよね?」と確認のうえ傘を差しわちゃちゃと駐車場へ、大阪市内の地図をちょいと閲してムジカ横へパーク。ギターと石川さんの大きな鞄を車内後方に収めて再度地図を確認。

オポ「すいません普段あまり大阪市内を運転しないもので、ちょこっと確認だけさせてくださいね」
石川さん「うん、地下鉄の堺筋線に沿って南に向かってくれたら大丈夫だよ」

さすが地理感覚に長けていらっしゃる石川さん。ただ雨の夜なので曲がるとこだけは間違わないようにしなくっちゃね。

石川さん「明日の四條畷(しじょうなわて・大阪東部の地名)のイベントに呼ばれたから今回もムジカのライヴを入れたんだけど、このイベント(マンドリン演奏家・でゅおめいぷる)ようこさんにピッタリのイベントなのにライブが被っちゃったんだよね〜」
オポ「ほんとですよね、目と鼻の先(中崎町・創徳庵)にいらっしゃるのに残念です。あっ、明日土曜は歯いひゃの予約がはいっへまひへ、四條畷行けないんれふ、ほんほふいまへん」
石川さん「ははは、そうだったね」

さっきまで(終演後)は皆さんに気を遣ってただただ会話を聴いてるだけでしたがもう今は密室で2人きりですから(笑)石川さんを独占してお喋りし放題。へへへ、タクシー役を買って出た役得ですね。まぁ石川さんは運転の不安なおかしなファンになかば強引に車に乗せられたうえ一方的に喋られてお困りだったかもしれませんが(泣笑)。

オポ「石川さんとのセッション、ほんとは「魚」じゃなくて「みみのびる」の方を中心に練習してたんです」
石川さん「あ〜、「みみのびる」は厳しいかな〜。「魚」は最近真黒毛ぼっくすで演ったから思い出せたけど、「みみのびる」は解散してから全然演ってないもんね」
オポ「えとですね、「ちくわ定食」さんと2014年になさってるんですよ」
石川さん「あ、そっか」

天神橋筋に右折で入り、堺筋に入るまで南下します。

石川さん「また今日と千倉の分もレポート投稿しなくちゃね(笑)」
オポ「そうなんですよもう時間かかっちゃって、まだしばらくかかりますのでご了承ください」
石川さん「長くなり過ぎるなら何部かに分けて投稿してくれたらいいよ〜」
オポ「ええ、1日目ホルモン、2日目は石川さんソロとたまで3部に分けて鋭意執筆中です(笑)。でも私もいい加減でしゃばり過ぎですからね〜」
石川さん「いやいや、投稿待ってるよ」
オポ「最近はYさん、Oさん、Tさん、Iさん、Rさん達がたくさん投稿してくださって嬉しいです」
石川さん「そうだね。でもなかなかライブまでは来てもらえないんだよね〜、1回くらいは来てくれたんだけどなかなかみんな忙しいみたいだね」
オポ「ああそっか、ライヴだけ、チャットだけ、投稿だけ、って方も多いんですね(私は全部やってるけどそれはつまり相当こじらせたファンということの証左に他ならないなぁ)」

雨の中、車は順調に南方向一方通行の堺筋に入ります。

オポ「投稿仲間といえば千倉ではじめてHさんとお逢いできました」
石川さん「ああ、あの男4人の厭〜な部屋でね(笑)」
オポ「あんまりな言い草です(笑)、仲良くマッサージの仕掛け合いとかしてたんですよ」
石川さん「NさんとかSやは凄いよね、関東のライブにたくさん来るからほぼクイズだけでもうかなりポイント貯まったもんね。Sやとか文章ものも期待したいんだけど」
オポ「私が言うのもおかしいですが、個性的なファンの方が多いですよね〜。ほんとに私にだけは言われたくないでしょうが(笑)」
石川さん「Eさんは本物の変態だからね。会えば紳士なんだけど」
オポ「素晴らしい(笑)、永遠に敵う気がしません。私は所詮仮面変態です」

などという他愛無い会話をしているうちに堺筋は天王寺動物園のある茶臼山にぶち当たります。

オポ「あれっ、これ右の方がいいのかなぁ」
石川さん「いや左でいいよ。もうちょっと南でまた右に曲がってくれたら」
オポ「あっこの辺、こないだ天王寺のステーキ屋でまた食べ過ぎてから梅田まで歩いた時に通ったから判りますわ」
石川さん「ははっ、またネタにして投稿して〜。あ、ここの信号越えてから右ね」
オポ「どの辺まで西へ行きましょうか・・・」
石川さん「左にファミリーマートがある所に停めてくれたらいいよ。あっここここ!」
オポ「すいません、Uターンしましょうか」
石川さん「いいよいいよ、やー助かった。ありがとね!」
オポ「いえいえ、お役に立てて光栄です」
石川さん「またセッションしようねっ!」
オポ「はい! お気を付けて、おやすみなさい!」

傘を差し、大きな荷物を抱えて夜のドヤ街へ消えていく石川さん。
私は脳内に響き渡る最後のひとこと、「またセッションしようねっねっねっねっねっ(残響音)」にズキュンとなり(笑)、しばらく余韻を楽しんでいました。社交辞令だろうが構うもんですか(笑)。ああ、素晴らしい一日だった・・・・・・。家にはAM1:00になる前に帰り着けました。

いろいろお話が出来て楽しかったです! 狭い所はお好きでないのに半ば強引に私の車にお乗りいただいて恐れ入ります。
またのご来阪、お待ちしておりま〜す! (オポムチャン)


(本人より)他愛のない会話まで覚えてるんだなあ。記憶力の鬼やな!
今度は女の子も乗せて関西ドライブ連れてって!(笑)

2017.4.29 千倉・おとなの修学旅行

さてさて長ったらしい割に内容のない(泣笑)いつものライヴレポも済みましたから、ちょっとそれに付随する石川さんにまつわるこぼれ話でもいたしましょう。

一日目、日も暮れて夕飯を終えたところ打ち上げ会場らしき場所から宿に向かわれる石川さんをお見かけし、どうやら同じ方向のご様子なのでぷらぷら同行させていただくことに致しました。

千倉の空は都会の灯りに濁されておらず真っ暗で、同じ大阪からやって来た着物の・・・いやこの日は訳あって白いレースのワンピースのSちゃんと浜辺のブロックに掛け上がり「わー星めっちゃ綺麗ーー!! 海どこまでも真っ暗で 広いーー!! 千倉スゲーーー!!!」とハイテンションではしゃぐ40前のおっさん。

そのうち私と投稿仲間のHi-さんと石川さんの3人になり、この日のライヴの感想やこのHPのことなどお喋りさせていただきました。

このあと宿の男部屋で、同じ宿の皆さんと飲み会を開催する、とのこと。私はあまり自分のことをよく知られていない集団では縮こまってしまってじょうずに溶け込めないのですが、せめて面識のある投稿仲間のnewguineaさん(以下にゅーさん)、0さんと前述のSちゃんくらいならお話しできるかな・・・ なんてぼんやり思っていました。

ただ宿が遠いファンの皆さんをお車で送迎するついでにお酒用の氷を買いに行ったにゅーさんが帰ってくるまで開催はおあずけ。みんなその間にお風呂お風呂、私はなんと脱衣所でこの日大活躍なさったカブラギさんと入れ違いになりました。ワォ感動。健さん(今回はお見えでなかったです)やカブラギさんという石川さんの曲中でしか存在を知らなかったレジェンドの方々にお逢いできるなんて(笑)、私は果報者です。

無事にゅーさんもお戻りになり、飲み会スタート! するとなんと驚くことに、石川さんも宿飲み会の情報を聴きつけて、明日の出演者である原マスミさんと共に会場である我々の男部屋においで下さったのです!!! な、ななななんとい うレアイヴェントの発生!! そのうえ女性陣は短い白ワンピースのSちゃん達を除けばほぼ皆さんお風呂を済ませて浴衣姿。生脚パラダイス。こ、こんなすごい場所に居ても、い、いいのかなドキドキドキ。私はなんとツいているのでしょう!?

果たして石川さん原さんご両人とも、もうどこかで出来上がってから来たのか口を開けば嘘か下ネタ、みたいな感じになっていました(笑)。
ビールだか缶チューハイだかを片手に、場の流れを読みつつ発言する石川さん。

原さんとにゅーさんが「乳輪」と「乳暈(にゅううん)」の違いについて皆にレクチャー(笑)されていると、

石川さん「肛門もあの周りの色のついた部分、『肛暈』って言うんだよね。(「ウソォ!?」の声)ホントホント、ちゃんと載ってるから調べてみて」

なんて言いだすもんだから周囲は「へぇ〜〜そうなんだ」、と騒然、Sちゃんも必死で調べますが・・・

石川さん「そんなのウソだよ〜〜ん」

全員ズッコケ&爆笑。まんまとやられました。
Sちゃん「本気で調べてもうたやんか(笑)!!」

石川さん「カブラギの苗字は鏑木、って書くってみんな思ってるでしょう。じつは違うんだよ、過剰にブラを着用してるって書いて過ブラ着・・・」
(※↑正確なボケは憶えていませんがこんなノリのお話でした。めっちゃ真剣な顔で。)

カブラギさん「途中から何が言いたいか解ったけどくだらなすぎてツッ込む気も失せたわ」

このやりとりに腹を抱えて笑う私ほか数名。なんで息をするように口から出まかせが生まれるのでしょう(笑)。

あぁ、にゅーさんが用意してくださった葡萄の缶チューハイが美味しい、ちょっと私も回って来たな。それにしても女性陣が湯上り浴衣姿が多く色っぽい。その中でも浴衣でない尋常な寝間着の女性に対して「〇〇はいつ色気が出るの?」と失礼な(笑)ことをおっしゃったり、ワンピース姿でチラチラ中身を見せつつ通るSちゃんに対しては「・・・ブルマ穿くなよ〜〜」と直球勝負(笑)。男性陣全員の(!?)意見を見事に代弁してくださいました(笑)。また西日本からおいでになった某女性は派手に酔っぱらっており、男女かまわず乳を揉みまくるという破廉恥スイッチが発動、しかしそれにまるで動じない強者Sちゃんは揉まれつつ石川さんとトーク。「・・・・・・いや・・・ 揉まれてるけど。・・・いいの?」とこれにはさすがの石川さんも動揺(笑)。すげぇなKさん。僭越ながら私もすこしお揉みいただきました(笑)。そしてそんな健全に乱れた酒宴で私とNさんは偶然同時にすてきな光景を目の当たりにし、チラリズムにおけるシチュエーションの大切さとチラとモロにおける精神の揺れ幅など大変高尚なお話をいただき爆笑していました。大変よかった。来た甲斐があった(笑)。すいません下衆なおっさんで・・・・・・ お心当たりのある方は今後見かけても無視してください(泣笑)。い、いや、ちゃちゃちゃんとZさんとギターの話とか真面目なことも喋ってたんだからねっ(誰に弁解しとるのだ)!! 放送できないものを露出なさった方はいらっしゃいませんでしたのでご安心ください(笑)。

1時をまわったところで明日もステージの石川さんはふらっと姿を消されたかと思うと数分後、「寝ま〜す」と一言、宿へお戻りになりました。その後もたのしいおとなの修学旅行とも言うべき酒宴は3時まで続き、私はふらふらになりつつテキトーに布団を敷き、「朝は6時に起きて場所取りしなきゃ」とおっしゃるにゅーさんに「いやいやいや・・・」と無理やろ、とツッ込もうとして眠すぎて半端な物言いになったりして昏倒、結果7時半に小鳥のちゅんちゅら囀りで目を醒ましたのでした。まだにゅーさんはお眠りでした(笑)。明け方近くまでバカ騒ぎして宿の皆さん近隣の皆さん、ほんとすいませんでした・・・・・・

翌日も歌われるというのに、遅くまでお付き合いいただいてありがとうございました! 流石の即興師の話術を堪能させていただきました(笑)。ライヴとともに思い出に残る、石川さんと過ごせた夢のような、たのしいたのしい夜の宴でした。 (オポムチャン)


(本人より)千倉はまたこれも楽しいんだよね〜。
みんな同じ宿に泊まりだと終電の時間も気にしなくていいし眠くなったら部屋に戻ればいいし。
そう言えば去年は俺の部屋に女子が大挙して押し寄せてダベってたところ、そのムンムンの女性の気配を察して知久君もやってきたなあ。
またいつか宿泊付きライブ、やりたいね!

2017.4.30 Art Free Market in 千倉 たま at 道の駅・ちくら潮風王国

夢のような千倉2日目。朝から続いた滝本さん・石川さん・知久さんの元たまのお三方・はじめての原マスミさんの出番が終了。
このあとのタイムスケジュールに記された「サプライズ」。果たして私の思った通りの事態が巻き起こるのでしょうか。それとも敢えて裏切って来るのでしょうか・・・・・・??

原さんの終曲「人間の秘密」というとてもすてきな曲にセッションで参加された石川さんと知久さん。弾むパーカッションと「ワーーーーイ!!!」という叫び声が痛快。しかしこの原さんというお方は知久さんが影響を受けただけあってたまファンもなんだか魂を持っていかれそうになる恐ろしいお方です。「History of TAMA 15」でたまの4人とセッションしていた「夜の幸」をはじめて観たときもこれはアブナイ、と思いましたからね・・・。

そんな原さんのステージの後、石川さんがだしぬけに知久さんに語りかけます。以下正確ではありませんがそんなニュアンスの会話があったと思ってくださいませ。

石川さん「ねぇねぇ知久くん知久くん(棒読み)」
知久さん「(けだるそうに)はいはいなにー?」
石川さん「このあとなんか3人でセッションするみたいだから滝本くんもステージに呼んでいい?(棒読み)」
知久さん「はいはい」
石川さん「はい、では滝本くんも呼んで3人でたまやります。予定調和ーー!」

観客の大歓声とは裏腹に非常にやる気のない感じのお2人(笑)。どうも3人での演奏を一番やりたがってるのは滝本さんみたいですね(笑)。
もともと再結成には肯定的ではなく「予定調和」がお好きではない石川さん、ご本心としては望んでいない此度のセッションかもしれませんが・・・
それでもそんな気持ちは一旦心の底にしまっておきましょう、リアルタイムでたまを見られなかった私にとって、お三方が揃って演奏をなさる姿を観る機会はおそらくこれが一生のうちで最初で最後なのですから。

入念にサウンドチェックをなさる知久さん。大きな風船を抱えた滝本さん(笑)。いや大事大事、これがないとピアニカを弾きながらコーラスが執れませんからね。そして陽の光と潮風を受け飄々とその時を待つ、石川さん。

まさか命あるうちに見られるとは夢にも思わなかった光景が、いままさに動き出そうとしています。

はじまる演奏。「♪僕の未来はぁ〜〜・・・」おぉ・・・・・・「安心」です。知久さんの弦、滝本さんの鍵盤。そして中盤にさしかかり、ついに三人の音がひとつに重なります。
「どんっ」
石川さんの太鼓がアンサンブルに入った瞬間、ここに来るまでにたくさん積み重ねてきたあらゆる工程が、すべて、すべて報われました。
お三方にも、きっと喧嘩のようなこともあったでしょう。口には出さないにせよ。
時を経て、それはいまたのしいけんかの思い出になったでしょうか。
この演奏を聴いた限りでは、きっとそうだろうな、と私は思いました。

得難い幸福の余韻冷めやらぬうちに我らが石川さんのヴォーカル曲です、「ラッタッタ」! この躍動感・・・!! 私も生意気にも石川さんとこの曲をセッションさせていただいたことがあるのですがもうそんなものは言うにも及ばず遠く及ばず、この3人でしか出せない空気がたしかにあるのです。石川さんの歌声はもうCDそのままと思えるくらいにあの頃のままで、即席的にセッションしただけとは思えないくらいブランクを感じませんでした。感動して涙のひとつでも出るかと思ったら曲世界の楽しさに没入した私は老婆とバク転こそしませんでしたがノリノリで身体をくねらせておりました。兎にも角にも、楽しいのです。大好きなのです、この曲。テンポが速いので途中ちょいちょいメンバーがトチるもそこはご愛嬌、曲終後石川さん「ね? 歳を経て『わびさび』が出て来たでしょう?」と問いかけ会場爆笑。さすがです。

滝本さん風船を困った挙句観客に預けて(笑)、「青空」。ソロでもカズーとギターで歌われましたがリードは知久さんのカズーかハーモニカだったかな? 滝本さんのけだる心地よい歌声に知久さんと石川さんのハーモニーが絡まるよろこび。この曲は石川さんもユニゾンではなく個々でコーラスをするので和声アンサンブルの広がりが気持ち良い。ああ、この空はなぜこんなに青空なの? まったくです。果てしなく澄んだ4月終わりの空。奏者にあわせてか鳶も3羽飛んでいます。笑顔で絶妙なシンバルを鳴らす石川さん。3曲目にしてすでに至悦の極み。

風船を取り戻し(笑)「あるぴの」。3人のユニゾン。コーラスに回ると高音がよく伸びる滝本さん。正確にオクターヴ下で支える石川さん。知久さんは初日よりも調子が良さそうです。「あるぴのく〜〜ん!」の声を聴いて、私はひとりでたまの音楽と一緒に千倉の海の上を歩いているような浮揚感に包まれました。

「学習」。知久さんの音頭調のリズムにはほんとうに石川さんのパーカッションがよく似合います。ベースはないけど楽器と声の重なりがDVD「たまの最期!!」を彷彿とさせます。編成はアコースティックなのに豊潤なバンド音。こんな遠いところまで家族を打ち捨てて一人で来てしまった、きみをゆるしてあげるよ。と、言ってもらっているような気持ちになってきました(笑)。

もうたま後期で好きな曲ばかりでたまらんなぁ、「レインコート」。ピアノがないので滝本さんはギターですね。懐かしいのに新しい・・・。サビの石川さんのパーカッションから、どっ、と景色が広がります。ああ・・・ こういうことだったのか・・・・・・。これが石川さんの、たまの世界の魅力だ。きっと他のドラマーではこの風景は見えなかった、そういう感じだぞ。

「ハダシの足音」、これまた滝本さんギターヴァージョン、知久さんは久々というマンドリンをお弾きになります!
6/8拍子のリズムを真剣に時に愉しそうに打つ石川さんの表情に見入ってしまいます。なんでギターでピアノの替わりができるのだ滝本さん。なんでマンドリン弾きながらハーモニカでべつの旋律を吹けるのだ知久さん。メインヴォーカルに添う石川さんのユニゾンはなんでいつも力強くなのにやさしいのだ。素晴らし過ぎるじゃないか。いまおんなじ星の上、おんなじ空の下で九州たま会を開いている皆にも届けたい。

たしか石川さんから「僕たちのことを歌った曲です」とアナウンスされた(笑)「デキソコナイの行進」。聴いてる側としては多少のミスは久々なのでご愛嬌、と思うのですが演じていらっしゃる側からすると納得いかない部分ってあるんでしょうね絶対。でもいいんです、今日だけは特別な日だから。このセッションがもしかすると本意ではないかもしれない石川さんには申し訳ないですが今日ばかりはどんな形であれ私にとっては最高の宝物ばかりなのですから。陽気だけどせつない曲。「♪気にしない 大丈夫だよ」のフレーズがデキソコナイの心に沁みる。空には鳶がクルリと輪を描きました。今日が終わるとまたてんでバラバラ、またいつか行進になる日が来てもそうでなくっても、私はこの日たしかに観た行進のことをきっと忘れないでしょう。

ここからなんと! 滝本さんはあの稀少なベースを弾かれるようです!! ついに「しょぼたま」から『ほぼたま』に!!! 過去にここ千倉で同じことは恐らくなかった・・・はずです。私は、私はなんという幸運の持ち主なのでしょうか?? しまいに本当にバチが当たりそうです(笑)。

「ロシヤのパン」のオープニングでベースがいわゆる「どぇとと」を奏でると、悲鳴に似た歓声が上がりました。なんという歓喜、法悦。生で石川さんの「クネクネェ〜〜」を聴けたのはくねくねおっさん冥利に尽きます。はじめてだったんです。生。知久さんが「ハモりもどんどん入ってね」的なことを観客におっしゃったので、私も遠慮などせずに客席から柳原さんのパートを歌います。最後もちゃぁんと低いラで「♪ロシヤのパンを焼く〜〜〜」とやりました。 なんですかこれは? ベース付のたまの皆さんの演奏にハモりを付けられる空間。ありえない。なんという幸せ。

ここでアレやろっか、と知久さん滝本さんが相談、なんとなんと「学校にまにあわない」のイントロのギター&ベースが始まりました! これには石川さん虚を突かれたようで一瞬あわてますがすぐに気を切り替えてスタート! 知久さんも援護射撃で「♪夢うつつ、作業現ー場!!」絶叫!! 絶叫!!! みんながワクワクしてた石川さんの語りの手前で弾く音がわかんなくなっちゃった滝本さん、知久さんに教えてもらいながら演奏をなんとか続けます。そこで石川さんの語りは・・・・・・ 「だって、しょうがないよ・・・ もう初老なんだから・・・・・・」とおじいちゃん手前であるメンバーの記憶力をネタにアドリブを展開、校長先生も大きな花火も登場しないままおじいちゃんネタで爆笑をとり続けました、とさ(笑)。

この辺で石川さんのMC。正確なセリフは忘れちゃいましたが、こんな感じだったと思います。

石川さん「去年のここでの同じイベントで知久君が『次3人でやる時はあの世で』って言ってたんですが、今年こうしてまたここでやってるのは去年の幻を見続けているか、それともホントは北〇△のミサイルが落ちてきてみんな死んじゃっててあの世に来ているかのどっちかです(会場笑・※この千倉のライヴの2017年は、年初から北〇△がバンバンミサイルを打ち上げていて国内に緊張が走っていました)。何年かごとにこの3人でやるのがお約束みたいになってきてるのもどうかと思うけど、いつも僕たちを呼んでくれる主催の山口マオさん(アルバム「ろけっと」のジャケットをご担当)へのお礼と、無料とはいえここまではるばる来てくれた皆さんへのご褒美のつもりです!」
会場万雷の拍手。

そして。3たまとして最後の曲として選ばれたのは「星を食べる」。またしても悲鳴に似た歓声。響くギター、唸るベース、躍るパーカッション! 姿かたちはずいぶん変わられましたが、26年前、中学生の頃テレビで視た、CDで聴いた、あの日のたまが、私の脳裏に蘇りました。
万感の想い。
ゆうべは食べられそうなくらい星がたくさん夜空にうかんでいて、それはそれはきれいだったのを思い出しました。「♪ラララランラランララ・・・・・・」の合唱は、いつまででも聴いていたかった・・・・・・・・・

拍手の渦のなか。
感無量、とはこういう気持ちのことを言うのでしょう。
遠かった。大変だった。でも、それらはすべてこの瞬間のためにあったのです。
無理をしてでもこの場所に辿り着けて、ほんとうによかった。家族、ライヴ仲間の皆さん、投稿仲間の皆さん、そして知久さん・滝本さん・石川さんに大いなる感謝を。

じっくりその後の原マスミさんを加えてのスペシャルセッションを楽しみたかったのですが私はバスの時間が迫っておったため、ステージを横から眺めていました。
原さん「えーぼくは4年ほど、キーボードでたまに在籍したんですけど・・・」
と嘘ばっかり(笑)。その原さんをヴォーカルに迎えての「326」、新鮮でした。

最後は4人で「まちあわせ」。石川さんのねちっこい歌声にからむギター。その余韻を噛みしめて、私は少しずつバス停に近づきます。

今年に限り奇跡的にこの時期の休みが取れた私。
もう、この3人が揃った演奏を聴くこともないでしょう。
この千倉に来ることも。
でも、大丈夫。
バスの時間を気にしつつも、私の心は、とても穏やかに、満たされていました。
一生分の、最初で最後のたまを、私はこの地で全身で吸い込みました。
これ以上望むものなど、何がありましょう。

この2日間のすべての出逢った方々とすべての音楽達に、あらためて、ありがとうございました。
さぁ、次は大阪の石川さんライヴだ! と、私は微笑んで、南総里見号に乗り込み東京駅を目指したのでした。(オポムチャン)


(本人より)千倉のイベントは度々出てはいるけど3人での二年連続は初めてじゃないかな?
当初この日はホルモン鉄道のニューアルバムのレコーディング作業をやる予定だった。
ところがそれが決まりかかった時、大谷がメールで聞いて来た。「そういえばこの時期おめーは千倉で今年はライブは入らないのか?」
そういえばそうだ、と思ったが去年も呼ばれたので二年連続は無いだろうと思ったがとりあえず確認のメールをマオさんにしてみた。
すると「今年も出てくれる?石川くんが出てくれるなら知久君やGさんにも声かけるから」という返事。
それがキッカケで実現。
なので今回の影の功労者は大谷。大谷の質問がなかったら実現しなかった。
今後もいつかあるのか、それともこれが本当の最後かは、誰にもわからない。
遠路はるばる、ありがとさん!

朝日新聞2014.2.8 夕刊一面

  (あのときそれから)平成元年「イカ天」バンドブーム バブルに咲いた天国のあだ花(1989年)

イカ天を懐かしく紹介している記事です。
ここにたまのことが書かれています。
「この日、『たま』は2番目に登場した。坊ちゃん頭にちゃんちゃんこを着たボーカル。ランニング姿のパーカッショニスト。曲目は『らんちう』。どこかおどろおどろしいリズム。非日常的な歌詞に吸い込まれた。『たま』は翌年デビューしオリコンのヒットチャート一位に輝く」

氏神一番さん、ジャクソン井口さん、萩原健太さんのコメント。そして石川さんのコメントも出ています。

初めて『イカ天」に出演したときは、完奏させてほしい、とだけ願っていました。1回目の「らんちう」はアングラ感丸出しだったので、2回目はポップ調の『さよなら人類』にしました。グランドキングがかかった5回目はインディーズ界で有名なマルコシアスバンプ。勝てないと思いましたし、みんな野心もなかったので、『落ちて終わりにしよう』と決めました。ハムカツを食べている男をスケッチ風に描いた『待ち合わせ』(ママ)という曲。ぼくがアカペラで歌い、知久寿暁(ちくとしあき)がギターを弾くだけ。いたずら心でみんなをこけさせようとしたのですが、優勝してしまいました。
イカ天に出てからは環境が一変しましたね。町に出ると「たまだ!」と指をさされたり、追いかけられたり。テレビや雑誌、CMの仕事で忙しく、周りを見る余裕もありませんでした。武道館ライブや紅白歌合戦に出演しましたが、年末年始は休みたいというのがメンバーの本音でした。自由も制限され、放送禁止用語のようなきわどい詞はすべてダメに。CDのジャケットも望んだイメージと違うこともありました。
「たま」は2003年に解散し、それぞれソロ活動を始めました。現在の収入の要は出前ライブです。もし、あのとき売れなくても、ずっと音楽を続けていたと思います。ライフワークですから。

 と述べられています。たまは、バンドでありがちな「女の子にモテたいから」「お金持ちになりたいから」「音楽界を制覇したいから」というのではないというのがここから分かります。
 他に紹介されていたのは、「BEGIN」「FLYING KIDS」「THE NEWS」「カブキロックス」「人間椅子」の名前も。面白いのが驚きの「GUEEN」(笑)。そして「サイバーニューニュー」ではなく「メカエルビス」がなぜかバンド名として書かれていました(笑)。(わいわい)


(本人より)ああ、朝日新聞にそんなコメントしたかなあ。
誰もレポートしてないけど朝日新聞に一番大きく俺が載ったのはよしもとばななさんとの対談。
あの新聞どこに行ったかなあ。

週刊アエラ(2004.9.27号) B級カルチェラタン 高円寺

高円寺を紹介している記事です。
この中に石川さんが出ています。

バンド・たまのランニング、パーカッショニストの石川浩司も高円寺が長かった。
4畳半の部屋、トイレ共同、風呂なし。カギはいつも開けっぱなし。そのうち友人たち15〜16人が常時とぐろを巻くたまり場になる。アルバイトから帰ると、見たことのない男が部屋で寝ていて驚くこともあった。
「ミュージシャンの卵だけじゃなくて、漫画家の卵や絵描きの卵、役者の卵もいて、ここは養鶏場か?という感じだった」
とあります。

また「GRASSROOTS」は、
ソファーにくつろいだり、グラスをながめながらおしゃべりしたり。クラブというより、だれぞの部屋だ。音楽やアートや写真や芸術の、「なんだか分んないものが好き」な人間が集まる部屋なのだ。石川浩司が鍵なしで開けっぴろげていたような。
とも。

まるでニヒル牛みたいなクラブ(?)ですね。
あーそういえば田舎や離島では家に鍵はかけませんよね。
また大学近くに一人暮らしをしている友達のところはいつも仲間のたまり場になっていて、1Kくらいしかないのにそこで酒飲んだり、鍋パーティをしたり、サークルなどの荷物置場になっていたり、本人は迷惑なのでしょうがいつもみんなで賑わっていました。(わいわい)


(本人より)鍵かけてなかったのはなんせ盗まれる物が何も無かったからね。
そして常に人が出入りしてるから泥棒が入る隙がなかった。
と思ったらその友達が泥棒でレコード200枚くらい質屋に売っぱらわれていた・・・。

朝日新聞1999年11月13日夕刊 芸能面 常に独自の道を行く「たま」が結成15年

「同じアコーステック楽器を使う『ゆず』と、ファンもかなり重なるようですが、僕らにさわやかさはない」とリーダー格として紹介されている石川さんが言われています。
さ、さわやかさがない・・・。
ファン層は、ゆずと重なっているのかあ。
たまも五輪のテーマソングを一度歌ってもらいたかったものです。
音楽を商品として考えていないため、年下バンドの人気をよそに独自路線をゆき、新作「ゆめみているよ」の紹介も。
さらに、10000本のジュース缶コレクターやサイコロ次第の「すごろく旅行」のお話まで。
三人は「自分が納得する面白いことだけ」をやっていきたい、と。
石川さんの望みは「大好きな遊びをお金にかえて、一生を終えたい」のが石川さんの望みだそうです。

好きなことをやって生活が出来て食っていけるというのは、我々凡人が望んでいてもなかなかできることじゃありません。
たまの三人、いや四人は、それを達成することが出来て、とてもうらやましい限りです。
うむむむむ、やはり才能と、チャンスは大事なのですねー。(わいわい)


(本人より)いや、一番大事なのはズバリ、アイデアと本当に好きなことへの継続力だと思う。

2017.5.25(木) イシマツ 学芸大学APIA40

私個人としては2回目のイシマツ。前回のライブにはドラムの石塚俊明さんがいらっしゃいました。サウンド的にも豪華だった前回に比べ純粋に2人だとどうなるのか。
やはりライブで大切なのは音の充実。これが本当に2人なのかと思えるくらいに充実してました!小道具を使ってステージで遊ぶ石川さんと、ピアノのマツさん。会場のアピアはマンダラ2よりも広いのですが、ゆったりと充実したサウンドを聞けました。イシマツオリジナルの歌や演奏。前衛音楽のような怪しいパフォーマンスもお手のもの。3曲続けてやることが多くあり、マツさんのピアノ演奏もディープでした。
石川さんがイシマツで初めてとの曲、「メメントの森」も自然に決まっていました。また、マツさんが一人で歌唱された「一人になりたい」もありました。
草原を駆け抜けるようなピアノ演奏に加え、最後の曲は「326」。まるで初めて聴くような心地でした。マツさんのピアノ演奏はクラシックの様な厳格さと親しみやすさがあって本当に心地よかったです。

また、会場のライブハウス「APIA40」もなかなかいいところでした。残念ながらお気に入りのビーフシチューライスはなくカレーライスを注文しましたが、人参がとてもおいしかったです。
最寄り駅の学芸大学駅は、今度ライブイベント関係なしに行ってみようと思います。石川さんたちを追っていると本当に楽しい所に行けて感無量です!!(Sankaku)


(本人より)イシマツというユニットはパスカルズやホルモン鉄道のようなある意味のわかりやすさは無いが、俺の中でもそれらと同じ比重で気に入ってるユニット。
お客さんも本当の音楽好きと心にしみる変なもの好きな人が来ている感じ。
帰りに駅までパーカッション運んでくれてありがとね!

2017.4.30 Art Free Market in 千倉 石川浩司 at 道の駅・ちくら潮風王国

さぁさぁ2日目。朝からふらふらです。
何故ならこの日の未明3時半まで宿の男部屋で最高にたのしいおとなの修学旅行のような飲み会が展開されており、しかし前日4時起きの私はもはや意識朦朧で3時頃からは壁にもたれてほげほげしていたのです。ようやく皆さん撤収し、よろよろ布団を敷きそのまま気絶、気が付くと朝日がさわやかに窓を差し、時計は7時半でした。ぉお・・・ やった、4時間も寝られたぜ。廊下で誰かが言いました。宿の方から「8時までに朝食を摂ってくださいね」、と言われたとのこと。ひょぁっ、寝不足のうえ飯まで喰いそびれては今日1日持たぬぞ。あわてて階下へすっとび鯵の開きの朝ごはんを頂戴し、顔面にワセリンを塗ったくって潮風王国のステージへゴー。わやや、すでに最前列は早朝からつわもの達におさえられていました。まぁ歴史的瞬間とはいえ私は最前列で見ることにこだわりはなく、最低限の姿が見えて音が聴ければそれで構わないので宿の皆さんから少し離れた空いているベンチへ腰掛けました。根っからのはみ出しっ子気質。

風童子さん、合唱団キララさん、踊りのお姉さんの桜の傘が綺麗だったロッサさんらの演奏を楽しみつつ合間合間でお昼を買ったりお土産を買ったり。このとき買ったおいしそうなピーナツ煎餅を滝本さんの演奏時にがぶりとやった途端、悪くしていた歯の仮被せの詰め物が取れてしまい、以降半泣きで演奏を聴いていました。あほだ。またこの日だったか前日だったか忘れましたが、石川さんが滝本さんの演奏の曲と曲の合間に「よっ! 滝本!!」と威勢のいい声援を贈っていらっしゃったのがとても印象的でした。なんか幸せでした。

前日と同じぼわんとした幸福感に包まれて滝本さんの出番が終了、ついに石川さんのソロコーナーです! イェィ!!

石川さん「あっども、さっきの滝本晃司君と同じバンドにいました石川です。昨日は富山から来た同い年のオッサンと2人でパンツ一枚でやってたんですがそのオッサンは今日は帰っちゃったので、ひとりでやります」

みたいなMCがたしかあったと思います。ツカミのトークがいつも楽しい。石川さんはどんなライヴでも毎回その時々の状況・客層に合わせてみんなにわかるように丁寧な説明でお話をされるところがお人柄がうかがえてますます大好きになります(笑)。
えー、いつもの流れならここから各曲ごとのくどぉい感想に入るんですがもう私石川さんのソロライヴの曲に関してはこれまでここで書きすぎて来たので(笑)、ちょいとさくさく気味にいきますね。

オープニングを飾るのは「ひとり闇鍋」。昨日は2人だったのに今日はひとりぼっち、という孤独感を表したそうです(笑)。出だしにはもってこいの曲。

お日様カンカンさながら夏のようなこの日、石川さんの必殺サマーソング「夏のお皿はよく割れる」。3番の展開が破天荒すぎて大好き(笑)。らっきょ売りとの問答の最中にふと石川さんから「この人はこの時点でお爺さんや道路公団のことはもう完全に忘れています」という解説が挿入されまたも会場大爆笑。

滝本さんがGさんからリアル爺さんになってこの会場でお孫さんも見た、というお話(だったっけ?)からポップでシュールな「おじいさん」。笑えないネタでも全力でニッコニコで歌いかけてこられるのでもう笑っちゃわざるを得ないという恐ろしい曲(笑)。

その滝本さんが「この曲イイネ」とお褒めになった、という「マトリョーシカ」! 去年の千倉でのペコメガネさんご撮影のジャケットが素敵な4曲入りCD-Rも出てるから宜しくね♡ と宣伝も。この曲だったかなぁ、アドリブで客席においでになっていたなんのこっちゃい西山。さんをイジってたのは(笑)。西山さんは先日インターネットラジオで石川さんを知久さんをお招きして生配信をなさった方です。

曲を作るとなぜか死にまつわる曲がたくさん出来てしまう、ということでご友人がなくなられた時に出来た曲「メメントの森」。生と死は表裏一体。逆を言うとみんな生き続けてたらこの世はないわけですよね。深い。石川さんの死生観は。

このあたりから泣かせ曲の連続ですね。映画とパスカルズの説明から「野のなななのか」、絶叫するように歌うのがせつない。
「ガウディさん」、エンディングでアドリブのセリフから突如ギターが止み、「もう僕は約束が無くっても、大丈夫です」と噛みしめるように呟いてお終い、というのが新鮮でカッコ良かった。
しずかな立ち上がりの「青い靴」。青い海と空に溶け込む綺麗な石川さんのファルセット。すっかりソロでも定番になって嬉しい。
この辺で「玄関」も演奏された気がするなぁ・・・ 昨日だったかも? なにしろエンディングのコードがこの時だけAmではなくCで、ガラッと雰囲気が変わって感動したのを憶えてるんですが、あれは白昼夢? 大阪の5月のライヴではAmでした。
「オンリー・ユー」究極のラヴソング。永遠が終わるその日がくるまで、僕のそばにいて、愛する人よ。
締めはやっぱり「ラザニア」。最近のエンディングの定番になってきましたね。曲の終盤ちかくにマイクなしで大音量で客席にむかって「生まれて!! よかったねーーー!!!」とやさしい笑顔で叫んでくださるのがほんとうに胸いっぱいになるのです。実は喉がそれほど強くないとおっしゃる石川さん、なのに身体を張って生まれてきたことをノーマイクで全力で肯定してくださるのです。

じつは幸せって、ほんとに身近なそこらじゅうに溢れているのですね。ちょっと視点や考え方を変えるだけで。それが石川さんの教え。
それに気づかせてもらえた私は、この日その場に居られたことがとても幸せでした。

ホルモン鉄道、ソロと2つの顔を見せてくださった石川さん、連日素敵なステージをありがとうございました!!
・・・と、石川さんの出番はこれにて終了、ではなさそうなのですね、どうやら。タイムスケジュールの「サプライズ」ってなんじゃろなぁ〜、気になるなぁ〜(笑)。このあとの知久さんとはじめての原マスミさん、お二方ともとってもよかったです。そして・・・・・・ (オポムチャン)


(本人より)千倉のイベントは入場無料なので、俺にちょっと興味は持ってくれてもライブをわざわざお金出してライブハウスまで観に来るほどじゃない、というお客さんも多い。
なのでここでホルモン鉄道やソロを見せられるのはとてもいい機会なんだよね。
最近はたまをリアルタイムで知らない人たちも食い入る様に観てくれることも多い。
マオさんには毎回感謝だな〜

2017.4.29 Art Free Market in 千倉 ホルモン鉄道 at 道の駅・ちくら潮風王国

さてさてそろそろあの感動の千倉から一カ月が経とうとしていますから、遅ればせながらもレポートでもこしらえようかと存じます。
ただねただね、当日はほとんど前の日の夜寝てないことでの妙な高揚感、ほぼ知らない皆さんに混じっての鑑賞という緊張感、とんでもねぇ遠方まで来てしまったという不安感、そして片道7時間強の長距離移動と空腹と強烈な日差しによる物理的な疲労感とがごっちゃごちゃになってなんかすごい精神状態だったので、記憶が曖昧なんですね(笑)。お越しになっていた方がどこかにセットリストを上げていらっしゃったのを拝見しまして、今回はそれをもとに記憶の引き出しを掘っくりかえしてみましょうかしら。

初日のこの日は我らが石川さんは富山からはるばる車でおいで下さった大谷氏&とっちゃんさんとホルモン鉄道としてご出演。私も会場に入ってすぐに岩陰に潜み、ふつうのシャツの上から投稿仲間さん謹製のホルモン鉄道Tシャツを装備してやる気満々、めでたくパーフェクトキチガイの出来上がりです。

渋滞に巻き込まれながらも無事滝本さんのご出演には間に合い、生涯3度目の生滝本さんを堪能。空に精巧な鳶のカタチの凧が上がってるなぁ、と思たらホンモノでビックリした。続いた知久さんも入念に音合わせをしてからの演奏、こちらはパスカルズを除けば生涯2度目の生ソロ知久さん。6弦をわざとたるませて「どゎぉん」と太鼓のように使っていらっしゃったのが凄かった。
この知久さんの出番で「らんちう」の「♪な〜なめけん〜すぅい〜〜」のあとに客席からきちんと腕を「1,2,3,4ッ」と声は出さねど上げ下げしていた石川さんがあまりにキュートで抱き締めたくなりました(笑)。
こちらのお二方はあまりネット上で感想をどうこう書かれるのがお好きでないとのことなので、ここらで切り上げますね。

さーぁやってきました「♪ホッホッホッホッホールモン、ホッホッホッホッホールモン・・・・・・」
大谷氏「ホルモン鉄道ォォオオーーーー!!!」
石川さん「出発、進行ォォオオーーーー!!!」

我らがホルモン鉄道が野外イベントに登場するのは(たしか)これがはじめて!! たしかに野外で演るにはいささか問題のある曲目が目白押しですが(笑)。会場の親子連れに向かって、
「皆さん大丈夫ですよ、ホルモン鉄道は恐くないですよ〜」
とフォロー。ほんまに大丈夫かいな(笑)!? ドキドキ。

「俺は潜水夫」からライヴはスタート。テンポよく意味不明な大好きな曲。石川さんのパーカッションの音がポコトントントテツテチンチン、軽やかに千倉の海と空に広がります。嗚呼、ほんとうにここまで来てよかった。

続いて「毛虫おじさん」。おもちゃで茶々を入れる大谷さんがかわいい。ゾワヌメで散々責めまくっといて弱り果てた大谷さんを置いてけぼりにして曲に戻るという黄金パターン、いつ観ても笑ってしまいます。

おおっ、さきほどソロを終えられた知久さんが加わります! しかしまさか野外でこの曲を歌う日が来るとは・・・、「包茎ジョナサン」。子供さんのあまたさんざめく潮風公園で、知久さんノリノリでギターとハモりをかまします。とっちゃんさんもいつもと変わらず淡々とピアニカ。やってもうた。素晴らしい。
最近のホルモンライヴの流れではこの曲のあとにMr.ベースボールが登場するのですが流石に千倉はアメリカからも遠かったらしく(笑)Mr.も今回はお越しではありませんでした。

さぁEテレにも登場し日本全国に名を知られた(笑)「正調腹太鼓音頭」! 高らかに空を翔ける石川さんのタイトルコールに鳶も動揺。ほーれぺっぺっっぺぺっっ、ぺっぺっっぺぺっ・・・ 屋外での尻太鼓はいささか配慮してか尻面積控えめ!?(笑)

「意味無し笛」。千倉の海にも鳴り響く。あくまで意味なく。いい。とてもいい。
この辺りの曲のさなかに全身金塗りの謎の河童が現れ、こちらをギロリと見ます。あまりの気味の悪さにしばらく戦慄いていましたが舞台から飛び出した石川さんと対峙したり愉快な展開に。
河童さんは曲中にも突如炎を噴いたり大活躍、子供らが群がっていました。炎の影響か首もとからお腹にかけて金塗りが消え失せて地肌が見えていました(笑)。

ここでなんと新曲の告知! ニューアルバム「哀愁のホルモン鉄道」という4枚目のアルバムのなかの一曲「オシャレな太陽」を披露してくださいます!! またこのライヴでこの曲のプロモーションヴィデオを撮影するらしく、我々観客もノリノリでお願いします、とお願いされました(笑)。これまでのホルモン鉄道には無い雰囲気の曲で、昭和〜な感じ。まだあまり歌詞を覚えきってない感じのお2人が(私的に)愛くるしい振付で踊ります。新世紀のオシャレの突端だぜ、これは。

へんてこなコード進行が曲世界の不思議さを際立たせているこれまた名曲「セロテープ」。大谷さんもノリノリでいつもより高音が多めの歌い回し、キレキレの石川さんのパーカッションは今回も痺れます! そしてあくまでも淡々粛々とピアニカを操るとっちゃんさんもクールだ。

久々に聴けて嬉しい「カブラギの教え」には、なななんとご本人さんが上半身裸でカップ焼きそばを両の掌に携え登場!! ワォ!! はじめてお姿を拝見した!! 曲に合わせて妖しく鋭く舞う姿は流石石川さんの旧知のご友人、といたく感動しました(笑)。

ここらでホルモン鉄道きっての癒しソング「境鉱泉」。すこし傾いてきたお日さまの下、FとGmのコードのみでゆったり流れる時間。なんと言う幸せなひととき・・・・・・
ラストは「雨の日のサーカス」。知久さんがふたたびアンサンブルに加わり、メロディックなギターでサーカスに彩りを添えます。石川さんはやかんに鎖を入れてジャラジャラ云わせながら舞台後ろの陸に揚げた船・千倉丸に乗船、黄金河童さんとともに船上からゆらゆら揺曳してカオスかつ感動的なエンディングに(笑)。このなんでもアリ感、まさにサーカス。

終点到着と思いきやここはやはりアンコール。私の愛する「夜の牛たちのダンスを見たかい」をさっきのメンバーで。混沌を窮めるアドリブの前奏も毎回違う趣で興奮するし、この曲は知久さんのギターが入ると本当に切なさが際立ちます。16時前の和らいだ陽の光のなか、たしかにそこに夜の牛たちが踊っていました。

非常に新鮮でした。
ただでさえ開放的な存在であるホルモン鉄道が野外でその魅力を炸裂させ、千葉県の端っこにたしかなユートピアを作り上げたのです。
ただまぁ「オスペル」や「悪代官」は一般のお客様に配慮して歌われなかったようですが、おもいきりジョナサンで「♪セックス上手〜〜」言うてもうてますもんね(笑)。生尻も出して叩いてるしね(笑)。そこはパンクを感じましたね。今回も素敵な演奏をありがとうございました!!

太鼓と踊りの「バディニャ」さんの演奏を聴き終わり1日目終了。有り難くねじ込んでいただけた会場最寄りの宿で晩御飯まで長旅の疲れを癒そうと同部屋の初めてお逢いした投稿仲間・Hi-さんと背中〜腰のマッサージを仕掛け合いちょいと休憩、来たるべき夜に備えたのでした・・・。(オポムチャン)


(本人より)文中にある通り、意外にも20年を超えるホルモン鉄道の活動で野外は初。
いつもジメジメした夜の室内が白日の野外で展開。でも動き回れる範囲が広くて楽しかったなあ。
ちなみに「正調腹太鼓音頭」は主催者の山口マオさんから直々のリクエストでした〜。

『バンド臨終図巻』(文春文庫、2016)

今回レポートするのは2016年に出た『バンド臨終図巻』です。2010年にも河出書房新社からハードカバーとして出ている本ですが、新しくバンドを追加して再編集したものです。執筆陣は速水健朗、円堂都司昭、栗原裕一郎、大山くまお、成松哲。
解散したバンドや解散とは正式に明言していないものの解散に近いバンド、また解散したけれど再結成した191バンド(国内114、海外77)を収録しています。
この手の本にしては珍しく、出典がきちんと明記されています。
残念なのは作者の一部にフリーのライターが混じっていることです。できれば全員音楽評論家でまとめてほしかった。 最初に書かれているのはハナ肇とクレイジーキャッツ、次がザ・ビーチ・ボーイズで、三番目がザ・ビートルズでした。

さてさてたまですが、底本は『「たま」という船に乗っていた』が当てられていました。
柳さんが脱退し、たまは3人となりました。20周年を目前にしての解散。もともとロバート・ワイアットのような先進的な音楽を目指していたものの、飽きが来て、知久さんの脱退宣言をもとにそれじゃということで解散になりました。しかし完全な別れでなく、山口マオさんの声掛けにより再び3人が集まります。復活期間は、2008/4〜8.とあり、おそらく千倉と10年後チケット2008.8.8のことを再結成としたのでしょうね。

尚、見落としがあるかもしれませんが、いか天に出たバンドの中で書かれているバンドはたまとブランキー・ジェット・シティだけでした。
また地球レコードを立ち上げた理由として、「放送禁止用語」や四つ足の「ヨン」が歌詞カードから削られたことも書かれていました。

参考資料、速水健朗他4人『バンド臨終図巻』(文春文庫、2016)(わいわい)


(本人より)この本のことは全く初耳。
俺の本を底本にしてるなら連絡ぐらいくれるのが筋のような気もするが・・・。
メンバーが生存、ましてや活動している人たちには直接取材してほしかったね。微妙に間違ってるからね〜。

2016.7.3(日) 石川浩司 生誕祭 MANDA-LA2

私自身、2回目となるこの生誕祭。毎回変わる出演メンバーに良くも悪くも期待が高まる。関西方面からの来客もいて本当に大きなイベントなんだと実感した。
石川さんへのお祝いの万葉集も配られていた。ライブハウスでの開場前の音楽80年代後半、つまり私が子供の頃のNHK「おかあさんといっしょ」にかけられていた音楽。「にこにこぷん」なんかなつかしかったなあ。

共演者は「野獣のリリアン」「左右」「原マスミ」。オーソドックスなロックスタイルの「野獣のリリアン」に対し、一人がバスドラムを足で叩きながらベースギターも演奏する2人組の「左右」はかなり変わったユニットだった。石川さんのパーカッションでの共演もスリリングだった。
お待ちかねは原マスミさん。たまとも共演したこともあるせいかやはり石川さんと一番馴染んでいたような気がする。 今年も石川さんの新作CD−Rが発売され、そこから石川さんのソロコーナーはピックアップ。その前に新曲を2曲やった。「おじいさん」、そしてまだ未完成のままだという「ネクタイ」は結構カッコよかった。その後CDの曲順に曲目を披露し、アンコールは全員登場で、たまバージョンの「ウララ」を演奏した。

やはりライブの盛り上がりは、音の数や音量では思った。エレキギター1本の原さんやアコギ1本の石川さんもきちんと盛り上がりを感じるのだ。シンパシーというのだろうか。そういうものがあれば、何でも楽しめる様だ。

ライブ終了後はお正月に続いて、またも打ち上げに参加した。今度は前に行き損ねた『中華街』だ。前の店の方がテーブルと部屋を陣取れて個人的にはよかったが、こちらもこちらで良かった。(Sankaku)


(本人より)生誕祭は今回は野獣のリリアンで出演してくれたクドウヒロポ君が毎年全面主催。
俺はなんとなく出演者の希望を伝えるだけで後のすべての作業をしてくれている。
ちなみにクドウヒロポ君の奥さんが「たまの映画」のプロデューサーであり、現在の俺のマネージャー。
なので夫婦で俺のスタッフとして動いてくれてるんだよね〜。感謝!