ザ・レポート(3)


街で見かけた石川さん

よくいく飲み屋の料理人です。
この写真はあまり似ていないかもしれませんが、実物は結構石川さん似だと思います。(名無しさん)

(本人より)いや、似てる。一瞬自分かと思った。一体どこのお店なんでしょう?

パリのライブ

掲示板に書いてあったパリでのパスカルズの映像見ました。パスカルズというよりマスタのプロモーションビデオのようでしたね。でもさすがマスタ、言葉がなくてもあのきれのある動きと表情は世界に通用するんですね、すごかったです。でも私としてはもうちょっと知久さんが写っていると,,,あ、失礼しました~。(パイナップル)

(本人より)あれは誰が撮ったのかもよくわからないんだよね。カルティエ財団の人かな? でもまぁ、俺以外ほとんど動いてないのでとりあえずなんだかよくわからないけど動いているものを撮ったんじゃないかと(笑)。ちなみにいつまであのページがダウンロード出来るのかは分からないけど、観てない人にもう一度アドレス書いておきま~す。でも1曲まるごと6分も観られるとは凄いね。パスカルズ未見の方は是非!上部のcette videoというところをクリックするとダウンロード出来るよ~ん。→http://www.blogotheque.net/article.php3?id_article=848

「たま」という船に乗っていた



 おもしろかったです。石川浩司全開の一冊でした。
たまのそれぞれの時代の裏話・表話はおもしろくて、ところどころに「おー、すれすれ!」と思わず声に出して言ってしまうような箇所があったりして、最後に近いところではちょっとホロリとさせられたりもして、もう友達がいなくなるくらいお腹パンパンです。ごちそうさまでした!

・・・で、何回か読み返すうちにどうしてもコレをお願いしたい!ということがわきあがってきたので書かせていただきます。
   
 ぜひ、次の本を書いて下さい。
内容は、この世の中のあれやこれや、森羅万象に関することを石川浩司が語り尽くすといったものを希望します。
 今回の本は石川さんが「たま」について書いた本で、その「たま」は石川さん1人ではなくて知久さんや滝本さんや大勢の人たちが関わったものなので、当然のことながらあちらこちらに配慮をしながら書かれていることと思います。そうではなくて、石川さんの思いや価値観などがそのままどーんと赤裸々に語られているものを読みたいと思ったのです。
例えば、HPの「王様」の項目一つ一つを目次にして石川さんが一言、というだけでも、おもしろい本になるのではないかと想像してついでにニヤニヤしてみたりもするのですがいかがなものでしょうか。(わにこ)

(本人より)いや~、書きたいね。書きたいけど問題はそれを出版してくれるところがあるか、ということにつきるね。結局「ちゃんとした出版社から本を出す」というのは「ミュージシャンがメジャーからCDを出す」のとほとんど同じぐらいの意味なんだよね~。なので自分の本を出したいと思っている人は日本だけでも何万人もいて、でも実際出版される可能性というのはかなり低い確率なわけねー。
 で、俺も実際本は今までに何冊か出してはいるんだけど、これがベストセラーとかならもちろん「次回作」というのがあるんだけど、正直たいして売れてね~のよ(涙)。
 俺は実際タイにいたので読めなかったんだけど、掲示板に『書評誌「本の雑誌」1月号の私のベスト3というコーナーで、大槻ケンヂさんが「たまという船に乗っていた」を挙げていましたよ!』なんてのもあったり、よしもとばななさんにも「すべてが好きな本」とか評価はそこそこもらえることはあるんだけどねー。でもこれは別に俺だけじゃなくて「たま」や「パスカルズ」も評論家や表現活動をしている人などからはそれなりに評価だけはもらってきているんだよね。だけど「評価が高い=売れる」では必ずしもないのが辛いとこなんだよね~。
 で本の話しに戻ると、今出版業界はそれこそインターネットの影響とかで出版社も書店もどんどん潰れていっているかなり厳しい状況なので「販売部数が見込めるものしか出せない」とはっきり言われたこともある。
 なのでよっぽど大衆受けする面白い企画のものじゃないとかなり厳しいだろーね。
 あとは誰か出版社に勤めていて「売れる売れないにかかわらず、石川の本はわしが出したる!」という剛の者はおらんかぁぁぁぁっ!! 
 ・・・とりあえずホリエモン、連絡待つ。


「つっこんでみました。」




自分で言うのも何だが、俺はよくつっこむ。(ただ「ツッコミ」というよりか、単なる「揚げ足取り」なのかもしれない。)その中で個人的に気に入っているツッコミが「たまかよ!!」である。「声が異常に高い奴」「ボーズ頭の奴」「ランニングシャツを着ている奴」「アコーディオンを弾いている奴」。人生でのべ30回ぐらい言っているが、悲しいことに一度もウケていない…。
そもそも俺の周りで「たま」を知っている奴はほとんどいないし、知っていたとしても「さよなら人類」と「あっけにとられたときの歌」をつまみ程度に知っているだけである。確かに、俺自身がつまらないという根本的な理由もあるのかもしれないが…。
腹が立ったので、夏場に俺がボーズ頭にして、ランニングを着て、膝までのズボンを履いて学校に行ったが、誰も「たま」という言葉を口にせず、友達から「戦時中かよ!!」というツッコミが返ってきた…。
だが、俺は絶対に止めねーぜ!!ウケたら報告します!……よく考えたら、俺のツッコミでウケたことってほとんど無いかも…。(フィールドオブウンコ)

(本人より)フィールドオブウンコが何才なのかは知らないけど「学校」と言うことは少なくとも10代か大学生でも20代前半か。でもなんせ「たま」がテレビとかによく出ていたのってもう15年ぐらい前だからな~。ま、25才以上じゃないとリアルタイムでは記憶に残ってないだろうな。逆にインパクトだけはあったみたいなので30才以上の人ならちょっと説明すれば好き嫌いはともかく「あぁ、あれね」とは言われるんだけどね。
 この間も中学の同級生から突然メールが来たので返事を書いたら彼の息子さんが「え、お父ちゃん、あの缶ジュースの人と知り合いなの!?」という反応だったらしいからね。確かに最近テレビや雑誌に出るとしたらほとんどそれだもんなー。「缶ジュースの人」かぁ・・・。
 とにかく「誰にもわからないものまね」とことん続けてくれいっ!!

「害虫」



レンタルショップでDVDを借りて「害虫」を見た。とうとう見ましたよ!!俺は父方の実家から送られてきたミカンを食べながら鑑賞していたのだが、いきなり手首を切るシーンだったのでミカンを吐きそうになった。「石川さんはどこで出てくるのかなー。」と期待しつつ見ていると、不気味な笑いと共に石川さんが登場。石川さんがどのようにしてストーリーに関与していくのか期待しつつ見ていると、仲間のアパートの部屋を間違えるシーンからまったく出てこなくなったので、「脇役中の脇役だなー。」と思っていると、終盤から出てきたので何故か安心した(笑)。
石川さんの演技そのものは味があって良かった。でも、内容はある意味凄かった。主人公が下落する一方だったからなー。何よりエンディングが衝撃的!!エンディングで良い物が何も残らない映画って俺の見た映画の中では「害虫」ぐらいかも…。
あと、放火したあとキュウゾウさんが一人取り残されるが、勝手にその後を予想してみた。恐らく、そのあとキュウゾウさんは逃げて、それなりに暮らしていくと思う。(フィールドオブウンコ)

(本人より)元々の脚本では実はあの放火の後パトカーが来てキュウゾウは逮捕されるんだよね。で、そのシーンも実際撮影もしたんだよね。だけど多分編集段階で「この部分は物語上なくてもいいんじゃないか」ということでカットになったと思うんだよね。
 で、俺はいいんだけど可哀相なのは警察官役の人。せっかく俺の巨体をひきずるシーンを汗水垂らして熱演したのにそこしか出てないから結局映画には登場してないんだよね。ま、映画ではよくあることなんだろうけど。他にも結構時間をかけて撮ったものの最終的に使われないシーンというのもあったしね。

川口リリアメインホールのたまライブ



川口リリアメインホールにて行われた、「竹中労さんの別れの音楽会」のときのこと。
私は音楽会が開かれることを知らずにいたが、友人が招待状を持っていて、誘われたので行くことにした。

たしか招待状には「気持ち程度の香典を包むことで、何人でも音楽会へ参加できる」という内容の文が書き添えられていた。その音楽会のステージでたまの演奏がはじまった。演奏曲こそ忘れてしまったが、とても厳かに聞いていたのを憶えている。会場は竹中氏を悼む人々で埋め尽くされていた。このまま静かに会が終わりを迎えるのかと思っていたら、最後には竹中氏の愛した沖縄の曲にのせて、場内の人々が席を立ち、めいめいに踊りだした。しんみりすることなく、賑やかに氏を送り出そうという気持ちがあふれていた。私は友人と座ったままその光景に圧倒されていたが、とても素敵な音楽会だったと思う。(杏)

(本人より)確かオープニングの出番で「らんちう」の「♪よ~っ」の掛け声とともに緞帳が開いてイベントが始まったと思う。でも何か別の仕事があったのか自分達の出番が終わったらすぐ出なくちゃならなくて、イベント自体は見てないんだよね。短い付き合いだったけど竹中さんは絶対どこからか今でも見ている。そんな気がしてしょうがないんだよね。

渋谷ラ・ママのたまライブ



このライブハウスは店内にドカーンとでかい柱があって場所によっては見づらかっとおもいます。

私は幸い座って見ることが出来ました。ライブの最後のほうで「妊娠・ラマーズ」に扮した、たまの4人がでてきて、「すーはっは、すーはっは」と歌い、最後に石川さんが「出産!」としめくくった記憶があります。これには場内大爆笑。柳原さんの「牛歩ブルース」も良かった。「たまが昔このライブハウスに自分たちに曲を入れたテープを持っていったらダメだった」というお話もされていたと思います。「妊娠・ラマーズ」また見たかったな・・・(杏)

(本人より)確かシークレットライブだったかな? たった一回で解散した妊娠ラマーズ。腹にみんな何かつめて妊婦として出てきたんだよね。

中野サンプラザのたまライブ



確か、たまがメジャーデビューして、その翌年だったと思います。

中野サンプラザでのライブの日、恥ずかしながらグレープフルーツにひとつづつ、たまのメンバーの顔を黒マジックで書いて差し入れしました。友人と裏口に行って「プレゼントを渡してほしいんですが・・・」と言うと、当時マネージャーだった渡瀬さんがわざわざ出てきてくださり、「メンバーに渡しますよ」と約束してくださいました。ライブがはじまり暗いステージにメンバー4人登場。すると知久さんが私の渡したグレープフルーツをステージに持ってきて、そばに置いてライブがスタート。すごく嬉しかったです。(杏)

(本人より)時々差し入れが本番前に届いて、舞台の上の小道具で使えそうなものがあると俺も持っていって例えば「南風」の間奏とかのパフォーマンスで使ったこととかあったなー。あの頃マネージャーだった渡瀬さんも10年ぐらい途中ブランクがあったけどひょんなことから復帰して結局たまの最後も看取ってくれたもんなぁ。で、今はパスカルズのマネージャーなので結局なんかずっと今でも一緒に仕事してるんだよね~。これぞ腐れ縁。たまが唯一、人の結婚式で演奏したのも渡瀬さんの結婚パーティだったしね。

川崎クラブチッタたまライブ



確か、2回ライブがあったと思います。1度目はたまのライブ。2度目は又別の年で、オールナイトでいろんな芸能人と一緒だったと思います。福山雅治や爆風スランプ他10組以上で、司会が当時アイドルの千葉麗子(現在は会社を立ち上げているとか…)。私は友人と早い時間から会場に行って周囲をぶらついていました。ライブが始まってたまが出てくるのはいつかいつかと首を長くして待っていると、やっと登場。数曲演奏後舞台袖に去っていかれました。その後別の芸能人を見ていましたが、たまが又ステージに出てくるのかドキドキしていましたが出て来る様子なし。「きっと帰っちゃったんだよ」と友人とショボーーンって感じでした。実際はどうっだったんでしょうか。オールナイトで最後までいらしたんでしょか。ちなみに司会の千葉麗子さんは真夜中のワイワイガヤガヤライブ中、ロビーで若い男の子たちとトランプして遊んでました。めちゃくちゃだー。(杏)

(本人より)確かイベントの方は泉谷しげるさんの企画で最後までいて打ち上げにも行った。泉谷さんとたまで「鉄腕アトム」セッションしたんだよな~。懐かしい~。

沖縄ジャンジャンたまライブ



初めて沖縄ジャンジャンでライブがあった時と、その翌年(翌々年?)にあった時と、各3公演くらいあったと思いますが、全公演見ました。一度目の公演のとき、国際通り沿いのジャンジャン傍にある、ホテルエメラルドに滞在。ここのホテルにはたまのメンバーも泊まってました。朝、銀行に行ってホテルのエレベーターに乗ろうとしたら、開いたエレベーターから柳原さんが降りてきてビビリました。この公演の時、友人らと昼間ひめゆりパークに行ったりしました。(たまが以前にそこでロケをして「サボテンアイスを食べた」とあったので)サボテンアイスは苦かった・・・。それからはじめてトーフヨーを食べたり、王様の耳はロボの耳にも書きましたが、天使と呼ばれる方と写真を撮ったり。

2度目の沖縄公演のときは、地元の女性がライブ中ステージで柳原さんのほっぺにチューして、ファンが「ぎゃー」という場面もあったり。お金もないので、当時スカイメイトという割引を使って飛行機に乗って行ってたので不便でした。空席がでないと乗れなくて、離陸ギリギリまで待たされて。はぁ~、若かったな~。(杏)

(本人より)あの「ほっぺにチュー」の人、地元の人だと思って当時ファンクラブの会報とかにもそう書いたんだけど、後日大阪のファンの人だったという事が判明。やっぱり大阪、コテコテやな~。でもステージにいきなりあがってきた時は「刺される!」と一瞬ビビったけどな。

開運こにてんてん



日本テレビの深夜に放送されていた番組にたまが出ているのを知ったのは、当時のたまファンクラブ「虚言クラブ」の会員証と会報が送られてきたときでした。ショックで次の放送からはかかさず毎週楽しみに見ていました。もちろん見ていない分は友人にダビングしてもらって。井の頭公演でのロケや、サンシャイン水族館、手相を見てもらったり、どこかの公園で麺博士や納豆博士がでてきて、大変面白かったです。あの公園がどこなのか、当時はとっても知りたかったちっぽけなイチファンでした。ある日の放送分で原マスミさんがお出になったとき、皆さんでスケッチブックに絵を書いておられましたが、石川さんの絵、 原マスミさんや知久さんに突っ込みをいれられてましたね。普段使われることのない文字を絵にしていたと思います。石川さんの説明、あのとき私にはよーくわかりました。あくまでもイメージで、あまり使われることがないということが。番組の裏話が是非聴きたいです。お願いします。(杏)

(本人より)いろんな博士(まぁわけわかんない人が多いだろうからばらすと全部俺)が講義をしていたのは新宿西口の中央公園だね。で裏話としては、途中まではなんかわからずにそこそこ楽しんでやっていたんだけど、あるメンバーが「ちょっとバラエティぽいものはしんどい」ということで演奏を見せる、ということに途中から切り替えたんだよね。で、しばらくしたら番組自体終了したね(たまがレギュラーで出ていたのはその番組の1コーナー)。

NHKホールたまライブ



この会場での公演はすべて見ました。初めて行った時、紅白の会場ってもっと広いと思っていたのに、実際中に入ると会場はテレビほど大きくないなという印象でした。(ライブの内容は残念ながら、たまライブに通いすぎたためどれがどれなのかわからなくなってます。すみません)ライブ終了後、ごった返す会場ロビーではじめて小俣さんを見ました。周囲の人が気づいて、小声で口々に「おまちゃんだ、おまちゃんだ」って言ってました。このころは会場外にダフ屋が沢山いて、しつこい位に「チケット買うよー」と声をかけられたり。チケットないときはダフ屋を当てにして、ダフ屋から買ったこともありました。そういえば、初のグローブ座公演のとき、フライデーにたまが載りましたね。チケットが10万円で売れるとかで。(杏)

(本人より)NHKホールはその名の通り「紅白歌合戦」や「おかあさんといっしょ」などのNHK番組でも出たね。でもキャパ的にはやはり中野サンプラザや渋谷公会堂とかよりは多かった。確か4000人弱くらい。当時は武道館やドーム以外の純然たる「ホール」では東京では一番大きかったんじゃなかったかな?

夕張公演たまライブ



「王様~」にも書きましたが、夕張ライブ。筋肉少女帯、ゴーバンズ、クスクス、ニューロティカなどとジョイントでした。これは前日に北海道入りして当日は一列目で見ました。後日、北海道のテレビで放送されたらしく、一列目の私も映っているはずです。(見てないけど)後ろから押されて、おなかに鉄棒みたいなパイプが当たり、いたいのなんのって。筋肉少女帯、ニューロティカのファンは動きが激しかったですね。宿泊ホテルは会場傍の、ホテルシューパロ。出演バンドの皆様もこのホテルでした。なのでライブ出演バンドとのいろんなハプニングがあったので書きたいのですが、あまり書くと私が誰なのか当時のたまファンの方が見ていたら分かってしまうので控えたいと思います。うううっ。(杏)

(本人より)確か俺は他のバンドのリハーサル時間かなんかはひとりでふらっと地元の美術館とか見にいってたな。すぐ顔ばれしたけど。

多摩川沿いたまライブ



場所をよく憶えていないのですが、多摩川沿いの特設ステージで真夏にたまライブを見ました。あの辺の地区の催しだったのでしょうか。前日に友人宅に泊まり、数人で出かけました。知久さんの「そんなぼくがすき」のときの最後に柳原さんがいつもなら「カニばさみしないで~」とか歌っていたのを、このときのイベントキャラクターにちなんで「かっぱのたまたろう~」と歌ったと記憶してます。(杏)

(本人より)確か本番直前に主催者から自然保護を訴えるような文章をステージで読んでほしい、とか言われたけどやんわり断った。別に問題のあるメッセージではもちろんなかったんだけど、なんか特定の政治や宗教にかかわる可能性のあることは出来るだけ避けたい、というのがあったんだよね。特に俺に。

日比谷野外音楽堂たまライブ



ここも2年くらい続けてやったと思いますが(記憶が薄れてます)、多分2度目の時です。いつも地方在住の私と友人らはチケットを取るために渋谷文化村にあるチケットぴあに並んでいました。渋谷109にもぴあはありますが、結構人が並ぶので文化村は穴場でした。とはいえのんびり出来ません。発売日前日の夕方くらいから徹夜です。大抵ほかのアーティストと発売日が重なり、全国一斉発売なのですから1番目に並ばなければ意味がないのです。夜はダンボールと毛布に包まり朝を迎えて路上生活者のようです。友人など、寝てる間にチケット代2万円(人から頼まれた分)を財布ごと盗まれたりしました。さぁ、発売時間が迫ると紙に希望ライブを記入して、それをぴあの窓口の人が回収します。するとそこのキーボードに打ち込むお兄さんが常連の私たちに「今日は頑張るよ~、たまだね。よしっ」と気合を伝えにきます。10時!早業で打ち込むお兄さん。「ジジッ、ジジッ」打ち出されるチケット。「よし!取れました、たま野音、席は一列目3,4,5番です!」お兄さんもいい席が取れた時は誇らしげ。私たちも「きゃーっ、ありがとうございますー」なんて喜んだものです。

そして、「中秋の名月、たまの野音ライブ」当日を迎え、うっきうきでライブを楽しんだのでした。そのライブの記事が新聞に載って、その新聞も買いました。(杏)

(本人より)新聞が出た時ということは確か事務所を辞めて自分達で会社を作った時だね。野音はイベントとかも入れると4,5回以上はやってるんじゃないかな? 柳ちゃん脱退後の初めてのちゃんとしたお披露目ライブも確か野音だった。メリィさん・斉藤君・栗原さん・川口君などにサポートしてもらった。

〇友部正人&たま 開明座  〇たま 諏訪市ライブ(市民会館?)



「王様の話題91 たまに演奏してもらいたい場所」にもSCOTさんの投稿でありますが、私もこの開明座閉鎖前のライブに行きました。お金がないので、友人のお兄さんが急遽レンタカーを借りて、「みんなを連れて行ってあげる」と申し出てくれたのです。宿泊費も何もないので4人で行ったのですが、水道水でみんな頭を洗ったり、車で寝泊りしました。当日朝早くから並んでいると、松本市縄手通り商店街の、かっぺ○さんという方が気さくに声をかけてくださいました。

取り壊すのが惜しくなる、いい雰囲気の映画館の一列目でライブをしっとりと満喫。

ライブ終了後、開明座の外にいると、かっぺ○さんが「打ち上げにいっしょにくる?メンバーもいるよ」と声をかけてくださいましたが、いちファンの私たちは滅相もないので遠慮しました。(あぁ、なんて気さくな方だ)

開明座のとなりもやはりレトロな感じの映画館があり、そこのおばさんとも昼間仲良くなり、その映画館の中で60年代、70年代のスクリーンという雑誌をみせてもらったりしました。

翌年、同じ長野県の諏訪市の市民会館だったか、たまライブがありました。

開明座のときと同じ顔触れで会場へ。するとライブの始まる前か、終わったあとか記憶は定かではありませんが、客席にかっぺ○さんが訪れたのです。私たちを見つけるなり「あーよかった、あなたたちがまた今年も来ると思って…」と、ある写真をくださいました。それは昨年、開明座前で友部さん、たま4人とスタッフで撮ったものでした。「あなたたちが来たらあげようと思ってさ」とわざわざ私たちを探してきてくれたのでした。そのとき、会場内でかっぺ○さんと記念に写真を撮りました。、その写真はいまもアルバムに大切に貼ってあります。(友部さんとたまの写真は友達が代表でもらって、そのうち焼き増ししてもらうつもりがまだしてもらってません。催促しなきゃ!)(杏)

(本人より)あの映画館も良かったよね。俺もレトロ好きだからな~。松本の町も俺はかなり好きなんだよね~、何故か。そういえば縄手通りを壊してきれいにする、とかいう馬鹿な提案を聞いたことがあるけど、まさかなくなってないよね? あそこなくなったら松本の魅力半減だよ。

TTCホール たまトークショー

(都内)

このホール、ネットで検索しても出てこなくて、でも確かにホール名はあっているはずです。
いい席を確保するため、2日前に会場へ。すると会場の方が出てきて、一番に並んだことを証明するために名刺をくださりました。夜は危険な場所なので、2日前から私たちが並んだということにして当日、名刺を持って来て下さいと言われました。会場の方、迷惑な客ですみませんでした。店頭発売の場合、当時はそうでもしないと前のほうで見るのは不可能だったのでやってしまいました。

そして当日、開場時間まで時間があるので友達と複数でホール内にある喫茶店へ。
すると、たまのメンバーが4人、スタッフ2,3人とお茶してるじゃありませんか!メンバーの近くの席しか空いてなくて、すんごい緊張しながら平静を装いコーヒーを飲みました。見回すと、ほかにも数組たまファンが店内にいます。スタッフのひとりが「宮沢りえ、脱いだんだ」(写真集サンタフェ記事)と新聞を広げると、柳原さんがすんごい反応してました。すぐ近くにいたので聞こえてしまうし、見てしまいました。ごめんなさい。

その後、喫茶店から関係者の方しか入れないところへメンバーは去ってゆき、ふと私たちのそばに当時月刊たまぷくろ編集長の宮永さんが通りかかって、「宮永さんだ」と小声で言うと、聞こえたらしく、私たちに歩み寄って「あのさ、不思議に思ってて聞きたいんだけど、ぼくの顔ってみんなどうやって知ったんだろう。ぼくが宮永ってことよく知ってるね」と数分私たちと気さくに話をしていかれました。どうやって知ったかは忘れました…。

TTCホールはライブではなく、トークショーでしたね。他の日にはボ・ガンボスのどんとさんの名前もあったと思います。
その日、開場の方の名刺を持参した私たちは、ありがたく一列目でトークショーを見たのでした。(杏)

(本人より)むむむ・・・まったく記憶にナッシング~。たまでトークショーなんかやったっけ。でも見ている人がいるんだからやったんだよね。そっくりさんとかじゃないよね?

国立音楽センターたまライブ

(開場名があってるかわかりません)

ここのライブは多分、大学関係にしか宣伝していなかったようで、ほとんどのファンには情報が伝わっていなかったと思います。それでもわたしの友人から、「たまがライブをするらしい」という情報をいち早くききつけ、電話で予約すると一ケタの入場番号を予約できて、喜んだのを憶えています。さすがに当日までには広まり、席が埋まるくらいファンが駆けつけて来てました。確かライブで柳原さんが「宣伝しなかったのに、顔触れがいつものファンなので不思議だ」というような内容のことをおっしゃっていたと思います。(杏)

(本人より)アヒー、これも記憶にないなぁ。お~い、出てこい、記憶ちゃーん!

名古屋市民会館~広島アステールプラザたまライブ



ひるねでグーツアーだったか、ホールきゃべつツアーだったか忘れましたが、たまのライブがすべてという日々を送っていた私たちは、関東(自宅)から名古屋ライブへ行き、そのまま次の日に行われる広島へもたまライブを見に行くということをしてお金を使いまくっていた時期がありました。もう中毒でした。狂ってました。ツアースケジュールが発表されると、行けない会場を消したほうが早いくらい出かけました。そのためだけにバイトに精を出しました。

名古屋はライブを見て、泊まるお金がないので友人ら5人くらいで繁華街にいました。すると朝方、地下にあるキャバレーっぽい店の従業員の男の人が2人、道にしゃがみこむ私たちに、話しかけてきて、「寝てないんだったら店の中で寝る?」と営業の終わった店内の、派手な赤いソファーに寝かせてくれました。短い時間でしたが助かりました。

朝になり、今度は新幹線で広島入りです。この日はライブを見てから、友人(女同士)とラブホテルに泊まりました。お金のない私たちには、ラブホは安く上がる寝床でした。

いま、あのスタミナはどこへ・・・

あ~、ほんとに、「あのころ、き~みは~、わかかぁった~」って感じです。(杏)

(本人より)お互いにね。あの頃のツアーはライブのあと打ち上げしてそれからメンバーで徹夜麻雀して昼間の移動の時だけ寝てたもんな~。今やったら天国に召されてしまいます。

熊谷ヴォーグたまライブ



ここは、突然ダンボールとたまのライブ。
確か、1列目か2列目のど真ん中で見たと思います。はじめて突然ダンボールの演奏を聴いたのがここのライブハウスでした。メンバーがここのライブハウスが気に入られたようで、またここでやりたいと、おっしゃってましたね。(杏)

(本人より)「おなかパンパン」をセッションしたな~。で、この打ち上げで俺が突然段ボールと一緒にCD作るという話しがはじめて出たんだよな~。でもそんな突然段ボールのボーカルの蔦木栄一さんももう逝ってしまったもんな・・・。

グローブ座 たまライブ



ここはそれぞれ各年末に三度?!だったか、複数回公演がありましたね。最初の年の公演のとき、(デビューの年)歩いて開場入りする石川さんと柳原さんに握手していただき、感激!次の年末公演はたま4人の公演と、それぞれソロの公演もありました。もちろん石川さんのソロ、拝見しました。一階席の5列目あたりで見たと記憶してます。石川さんが顔にガムテープを貼って演奏したのはこのときだったでしょうか。(記憶が…)衝撃的でした。三度目の柳原さんがたまを脱退する直前のグローブ座公演、これも一階席で見ました。なんだかとても感慨深かったです。(杏)

(本人より)そんなグローブ座も今じゃジャニーズのものか。俺達もホールでの公演回数ではおそらくここが一番多かったので思い出深いねー。ちなみにステージの上の大きなひだひだの黒幕は会場の物ではなく、俺達だけの大道具だったんだよね。

草月ホール、渋谷パンテオンたまライブ



草月ホールで、開場前、順番に並んでいた時のことです。数日後にひかえた渋谷パンテオンのチケットがなっかた私たちに、チケットを売ってくれるという20歳くらいの女性が現れたのです。(チケットが売り切れで買えなかったことがありました)パンテオンライブ当日に入り口で待ち合わせることになり、草月ライブのときは仲良くしていました。

 パンテオンでのライブはメシャーデビュー後、初のオールナイト公演でした。開場が映画館だけあってホールとは違った雰囲気を楽しめました。…それはいいとして、当日チケットを売ってもらおうと入り口で待てども待てどもあの女性が現れないのです。そしてとうとう開演してしまい、仕方なく、当日券の立ち見チケットを買って中に入りました。その女性が売ってくれるはずのチケットの席番号は教えてもらっていたので、先にそこに座って女性を待ちながらライブを堪能していると、開場係員の男性が「すみません、お客様、こちらのお席はあちらのお客様のお席ですので」と言ってきたのです。振り向くと、あの女性が立っていました。「あ、待ってたんだよー」と声をかけると不振な人を見るような表情で私たちを無視するのです。係員の人にも説明しました。でもその女性は目を合わせず席に座り、聞こえないフリを貫き通してました。私たちはそこに突っ立っているわけにもいかず、たまのライブ中だというのにロビーに出てこみ上げる怒りをこらえて、少しの間頭を冷やしました。そして中に入り、朝までライブを楽しんだのでした。いまでも思い出すと、アホらしくてアホかーと叫んででんぐり返しをして階段から転げ落ちたりしてます。(杏)

(本人より)まーお客さんにもいろんな人がいたから、いろんなこともあったんだろーね。時々そういうお客さん同士の事での苦情がこちらにも「なんとかして下さい!」なんて来ることもあったけど、でもほとんどはメンバーがどうすることも出来ないことだったなぁ。

たまの最期やっと購入(遅)



ついこの前の話。
CDはだいぶ集めたんだけど、実は私はまだたまの演奏している姿を見たことがなかった。
ファンになったのも解散後だったし、さよなら人類をテレビで見たのも小さいころだったから、殆ど記憶が残っていなかった。

でも、ついに手に入れた。たまの最期のDVD!

地球レコードのHPで注文してから3日間、いつ届くかと思うとそわそわして、夜も眠れなかった私。(実話。汗)
玄関をたたく音と、「お届けものでーす」の声を聞いたときは心が躍った。
早速つけてみると、そこには動くたまの姿が・・・(涙)
はじめて見た演奏するたまの姿は本当に楽しそうで、素敵で、全員かっこいくて、うるうるきた。

「ああ、日によってせりふがこうやって違っていたんだな~」とか、「この曲はこんな振りがあったのか」とか、いままでよりもう一歩、たまのことを知ることができて、今すごく幸せ。
今なら死んでも良い!ってくらい幸せだけど、(笑
まだ知らない今までのたまや、これからのメンバーの活動がたくさんあるから、もっともっとたくさん知りたい。

たまの音楽に出会えて本当によかった。(りあ)

(本人より)なにせライブバンドだったからね。俺も「毎回最低ひとつはいつもと違う今日一回こっきりの事をしてやる!」という気持ちでライブはのぞんでたしね。それだけはいつもがんばったつもり。ま、逆にそれでガタガタになることもあったがな・・・(笑)。


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