ザ・レポート(2)

けらいのひとりもいない王様

けらいのひとりもいない王様をレポートします。
こちらは私の、昨年買ってよかったCDno.1です。
発売当時、14歳の子供の私は「たまじゃないしな、友部さんって知らんしなぁ…」という若さゆえの不安と経済力の無さから購入を見合わせ、それからずーっと寄り道をしていました。いろんなタイプの音楽にはまりつつ、たまも横目で気にしながら。
あれから11年、偶然このCDに出会い、何じゃこりゃーっでした。音もいいし全然古くない!最前線やんかー!と思いました。たまだから、友部氏だからとかじゃなく、とにかく大好きで何回も聞きました。
本当は14歳の自分に買ってあげるつもりで購入したのですが、当時に買ってなくてよかったと思います。当時の私はたまをアイドル視していたので、もしかしたら友部正人という人を否定したかもしれません。
昨年このアルバムを買って以降、たまのいろんな作品とたくさん触れ合ったり友部氏の作品やライブにも行くようになりました。それから石川氏の書物やたまについて聞いたり読んだりしているうちにどんどん世界がひろがりました。
と、いう私の節目となるアルバムなのでした。これからたまや今まで聞き逃した素敵な音楽と出会えたらこのアルバムのおかげなのです。(まっきん)

(本人より)確かに友部さんも万人受けの音楽とは言えないと思うし、特に若い人ですんなり聞ける人の方がむしろ少ないかもね。でも今年は俺も友部さんの主催するポエトリー・リーディングのイベントに呼んでもらえたし、パスカルズのライブもよく来てくれて、飛び入りゲストで歌ってくれることも多いし、相変わらず交流は盛ん。友部さんもはまると、全部のアルバムを手に入れたくなるアーティストだもんね。あの坂本龍一を見い出したのも実は友部さんだしね。

「たまのやってみました」

浩二さん浩二さん連発してしまい大変申し訳ありませんでした!!存じておりましたのに最初の変換でうってしまいました。お詫びを込めまして今後は浩司さんと呼ばせて頂きます!!

月刊カドカワのいつだかの号の「たまのやってみました」でCD工場に行かれてましたね。それで浩司さんが帽子と作業着が妙に似合っていると突っ込まれておりました。確か4人でレニークラヴィッツだかのCDを梱包されてた気がします。ロボットほしいですよね!ロビタみたいなのいいなあ!(ぶう)

(本人より)「たまのやってみました」あったな~。他にも東京タワーを外階段で登ったり、蕎麦を打ったり、陶器を作ったり。あっ! そういえば「活け花をやってみました」では今を時めく假屋崎先生に直接教わったんだ。で、俺が花の枝に他の花を切ってブランコかやじろべえのようにゆらゆら揺れる作品を作ったら「これは画期的だわっ!」と誉められた。不器用な俺が誉められた数少ない思い出だな~。

たまとの出会い~彼らの音に触れる編~


忘れもしない高2の冬休み。近所のゲオに暇つぶしに出かけた時に私は「たま」に出逢った。中古CDのコーナーに「さんだる」は100円で売られていた。
当時の事は年齢的にリアルタイムではなかったため、たまのことはあまり知らず、「一発屋のコミックバンド」というとらえしかなかった。
「どうせ、コミックバンドだろうな~。ま、失敗しても痛くない金額だし、おもしろいの好きだし、買ってみるか」と、たまの人達には実に申し訳ない値段ときっかけで、その日ひょんなことからたまは家にやって来たのである。
しかし、CDをかけた瞬間、私は驚愕した。

なんじゃいこれはっっっ・・・・

そう、これが私の「たま」に関する最初の衝撃である。
不可解な歌詞とそれに似合わない軽快な旋律、一方はうだるような絶妙なリズム、変な声で変な歌詞なのにとてつもなくきれいなハーモニー、耳をすませば聞こえてくるある人の合いの手。
今まで聴いていた音楽が全て根本から覆された衝撃。
なんだこいつら!?すごいぞ。っつーか全然コミックバンドじゃねぇじゃん・・なんかこえーよ。こわくてたまんねーよ。ぶるぶるぶるー。すぐさま私は新品の「きゃべつ」と「ひるね」を買いに走った。4人の中年男達が見事に17歳の乙女のハートを打ち抜いてしまったのである。おかげで私は、夜な夜な布団にくるまってたまを聴いてはぶるぶる身悶えるちょっと危ない高校生になってしまった。
友達を捕まえてはたまのことを熱弁、半ば強引にCDを聴かせ、カラオケにいけばまじで熱唱。寝る前にはたま。ごはんにもたま。口を開けば「曼珠沙華」。実は高校の卒業文集に「おなかぱんぱん」の歌詞の一部を引用したりもしてしまった(石川さん、ごめん)。友達にも無理やり覚えさせて歌わせたりもしてしまった。ちなみにその時に友達のお兄ちゃんから「野球」を借りていまだに返していない。

しかし、今思い返せばそんな私でもまだまだだった。滝本さんの曲だけが唯一の鬼門、18歳という年齢ではあの世界観は到底理解し得なかったのだと思う。私は他のCDを見て、柳ちゃんがすでに脱退していた事を知ることになる。今となってはまじで懺悔だが、「柳原さんの曲がないんなら、もういいやー。」とその時の若き自分は思ってしまった。
衝撃は宙に浮いたままいつしか3年の月日が過ぎていったのである。(さっちゃん)

(本人より)確かにコミックバンドと思われてたこと多かったな~。ちゃんと聴いてくれれば分かるんだろうけど、普通はテレビとかの印象だけで世間も自分も決めちゃうしね。でもそれは俺でも同じこと。サザンオールスターズだって最初はコミックバンドと思われてたからね。ま、俺のランニング姿が悪かったんでございます(笑)。
 あと柳ちゃんの脱退はメンバーも当時は残念に思ったけど、その後の柳ちゃんの音楽を聴くと、やはり音楽性的に一緒にやるのは難しかったのはファンの人も納得してくれたと思う。

たまとの出会い~実際に会っちゃった編~


あれから3年。私の中のあの衝撃はだいぶ鎮火していき、年に数回思い出したようにCDを出してきては、適度に聴く生活を送っていた。(懺悔・滝本さんの曲はとばしていた)
そんなある日、地元・札幌のデパート「ピヴォ」のタワレコに行った時、インストアライブにたまがくる、という看板を偶然みつけた。「へぇー!!!」と一応驚いたが、当時看護学生の3年生だった自分は実習やらなんやで死ぬほど忙しい毎日を送っていたので、「・・・その日になっても行きたい、と思えたら行こう・・・」と考えていた。それほど当時は忙しく心にゆとりがなかったのだ。
「明日になっても行きたかったら・・。」と念を押して。

当日、私はピヴォにいた。「どうせタダだし、せっかくだから・・・」 そんな気持ちで友達と話しながらタワレコに着くと、少しだけ見覚えのあるおっさん達がなにやらあわただしく準備を始めていた。

本物だ・・

本物が練習を始めた。本物はバッグからたくさんのカラフルなおもちゃを取り出した。横では風船が膨らまされている。一体何が始まるの・・!!?

本物のたまを目の前で見た瞬間、あの時の衝撃が走馬灯のように蘇り、私の体を前へ前へと押し出し、瞬く間に目に星を100個程輝かせた。
石川さんの口からは液体と化したパトスが飛び散り、知久くんが被っていた滝本さんのロシア人の帽子に至っては本物の髪と勘違いをし、「この人の生え際って・・???」と目を丸くしたのだった。
ライブ終了後、1番インパクトのあった「ラッタッタ」が入った東京フルーツを買い、サインをもらうために列に並ぶ。まさかこんな事態が訪れるとは。アルバムは主要の三枚しか知らない。今歌ったのなんて丸ごと知らない。
どうしよう、まじで(歌と同じで)やばい人たちだったら・・・。っつーか何話せばいいの!!?こ、こえーよ、勢いで並んじゃったけど、こえーよっ・・・・。
遂に自分の番が回ってきた。動くたまを野球でしか見たことがなかったため、石川さんには
「じゅ、13年前と変わってませんね・・・」
とオマヌケなことを言ってしまった。知久君にも何と言っていいかわからず
「つ、月夜の散歩が好きっす・・・」
と、滝本さんに至ってはほぼ予備知識ゼロなのでなにも言葉が浮かんでこなかった。
相当気まずかった。ちなみに石川さんは「顔はね。体はボロボロだけど(笑)」と返してくれた。

そしてその日、ライブがあるということを知ったのだが、彼らの口から出てきたのは「琴似のコンカリーニョ。」私の住む町だ。コンカリーニョまでは自宅から徒歩5分。これにはたまげた。たまだけにたまげた。たまが琴似にくる。なんてとんでもない事件だ。私は一旦帰宅し、親に「ちょっ、ちょっと、赤れんがのとこに、行って、来るわっ・・」とコンカリーニョめがけて爆走した。(赤レンガの喫茶店・・コンカリーニョと隣接している店で、重要記念文化財に認定されている建物)「100円だし」「どうせタダだし」という気持ちが遥か彼方、お山の向こうへ強烈なスピードで消え失せていった。

初めてのライブがどんなに新鮮で、どんなに心を惹きつけるものか、今の私には遠い過去のことのようだ。どの曲も知らない、彼らがどんな人物なのかも知らない、ただたまの作り出す音とたまという人達に猛烈な興味が湧いた。それが全ての始まりだったように思う。

ライブ終了後、1番気になった曲は「南風」だったのだが、何も知らない私はどういうわけか「落語」と聞き間違え、物販で渡瀬さんに「落語っていう曲が入ってるのはどのアルバムですか!?」と爽やかに聞いてしまった。今となってはかなり恥ずかしい出来事だ。渡瀬さんは「落語!?・・そういう曲はないけど・・でも、ありそうだね!わかる気するよ!!」とフォローしてくれた・・。ま、「お経」があるぐらいだ。間違っても許されるだろう。私はたまのファンとしてたった今産声をあげたばかりの赤子だ。
そして、その時一緒に買ったのはネパールでのライブビデオ。その後私は毎日毎日狂ったようにそれを見続け、そこで初めて滝本さんの曲と真剣に向き合うこととなる。自力でこのホームページにも辿り着いた。それからの私は今まで知らなかったのが嘘だった、とでもいうように「たま」に関するありとあらゆる知識を水を吸い上げるように吸収していったのである。(さっちゃん)

(本人より)歌の内容のようにヤバイ人達だったら、小心者の俺自身が怖くてバンドにいられないよ~。俺もいろんな人と共演したり会ったりしたけど、ヤバそうな歌をうたっている人ほど普段は真面目で礼儀正しい人が多いね。ミュージシャンじゃないけど、唯一本当に「テレビのままだ」と思ったのは・・・ガッツ石松だけ(笑)。

たまとの出会い~追っかけになった編~


それからの私の勢いは凄まじいものがあったと思う。元々熱中するとそれしか見えなくなってしまう、という性格がそうさせたのか、ファンクラブに入り、手に入るCDは全て集めた。手に入らないものも全て熟知し、来る日も来る日もたまのことを考えていた。

そんなある日のことである。
「たまの暑中見舞い  at吉祥寺スターパインズカフェ」
このホームページでそんな文字を見つける。
「行きたいな~・・・・いいよなぁ東京はよぅ。なんでも観放題じゃないか・・・ん??あっっっ!!!夏休みじゃないか!行けばいいんじゃん!!!!!!」
頭の中で漫画のように電球がピカーン、私はすぐに東京に行くことを決めた。今思うとけっこうな冒険だったように思う。花の都・大東京。ひとりでたまを見に行く。大冒険であった。札幌では体験しようのないうだるような暑さと人、すっかり夏ばてになってしまい、3日間かなり具合が悪かった。
でも吉祥寺に着くと不思議なほど元気になり、心の底から3日間のライブを堪能できた。そこでまた知らなかった曲を知り、彼らのキャラクターを知り、たまへの想いは凛として上昇気流に乗ったまま私は札幌へ帰った。
その後も私はお正月ライブ、ダンダンブエノ、ドントラ、ファンクラブツアー、個々のライブにととにかく精力的に東京へ出かけていった。(実は正月ライブに行って、危うく留年しかけた。ライブ最終日の翌日が進級を決める補習だったのだ。遅刻しておいて実は朝五時に新宿から登校しました、なんて死んでも言えなかった。唯一打ち明けた友人は先生に嘘をついてくれた。ちなみに無事に卒業した。)

初めて東京まで追っかけをした時から、私の心の中にあった思い。
「これを観にいかなかったら絶対に後悔する。待ってても絶対来ないし、来ないんなら自分から行くしかない。私もたまもいつどうなるかわからん。」
私はいつもそう思って何かにとりつかれたかのように東京通いをしていた。まるでわずかその一年後に彼らがそれぞれの船を出すことがわかっていたかのように・・。(さっちゃん)

(本人より)凄いね。札幌からそれだけ観にくるのは。地方の人って結局チケット代の他に交通費や宿泊費もかかるから、一回のライブといっても何万円もかかるんだよね。なんか時々そういう話しを聞くと本当に申し訳ない気持ちになったけど、それはライブで「それでも来て良かった!」と思わせることしか出来ないからね。がんばったつもりだよ~。でも、今読んで気が付いたけど、最後の年はある意味バリエーションにとんだステージが多かったね。

たまとの出会い、そして別れ~船が出港した編~


「解散」の二文字が薄緑の封筒から透けて見えたあの日。悲しさとともに、私の中にはある種の達成感があった。
1年間、たったの1年間だったが、夢中で追いかけた日々、初めて真剣に愛した音楽、いとおしい4人の中年男。そう、最初の言葉どおり、悔いのない1年間を過ごすことができた。解散も自然の流れだと受け止めることができた。悲壮感はない。ただ明るい光がキラキラと揺らめいているだけだ。
そしてこれはある意味で始まりだとも思った。解散したたまは三者三様好き勝手に飛び散り始め、今度はそれぞれを追いかける私の新しい日々が始まったのだ。
また私の心を動かしたのはたまだけではなかった。たまをきっかけに様々な表現活動に出会った。演劇のおもしろさ、へんてこな文化、へんてこな音楽、東京という街の顔、いろんなものが楽しくてしょうがない。それは清流となりどんどん私の中に流れ込んでいく。たまという木は大きく枝葉を広げていく。
いつしか日本の各地に知り合いもでき、地元にも様々な形でたまのメンバーを支持し、敬愛する人達がいることを知った。友達も影響を受けてファンになってしまった。
あの日、「さんだる」を手にとっていなかったら。あの日、タワレコ前を通り過ぎなかったら。今、私はどんな毎日を送っていただろう。ちょっとした偶然が重なり合って、ちょっと不思議な人生になる。
私はたまが好きだ。これからもずっと。
さて、今度は誰を観にいこうか、ついでにあのお芝居が観たい、あの店にも行きたい。ワクワクしながら航空券を買いに走る日がまた来る。(さっちゃん)

(本人より)少しだけでも人の人生に影響を与えられたとしたら、表現者にとってこれ以上の喜びはないね。たぶん4人とも形や回数は変わっても、何らかの表現活動を止めることはないと思う。というかそれしか出来ない俺達だから。今後も活動を遠く近く見てやって下さいな。あんな凄いメンバー達と一緒に長年やれて、俺にとって「元・たま」は本当に誇りです。

「文通相手への手紙」~たまへのLOVE LETTER~ (その8)



解説:これは「たま」初期の柳原さんが加入していた頃、私が、学生と主婦の2名の文通相手に送った手紙です。(多少プラーバシーに配慮してあります)
なお、文面中に出てくる自主カセットテープやライブテープなどのダビングは、いっさいお断りします。問い合わせなどはご遠慮下さい。 ◆◆たま大好き主婦◆◆

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@@(主婦)様     1991年8月8日
先日はビデオを送っていただき ありがとうございました。
後ろの方の番組も、全部見たことないものだったので、ありがたかったです。
特に、少年王者館のものは、別の側面を見られたようで、よかったです。
それにしても、ライブハウスツアーのころは、本当に過酷なスケジュールだったのですね。「たま」のみなさん、お疲れさま。

6月のライブハウスでの貴重な録音、本当にうれしかったです。
4月のツアー終了後、ほとんど入ってこない情報に、なんだかがっくり落ち込んでいた時期だったので、ただただ感激してしまいました。

4者4様の新曲。

◇やっぱり知久さんは、完成度高いですよね。
でもちょっと意外な曲。
「キス」だの「君しかいない」なんて歌っちゃって。
ラブソング、いやだって言ってたのに、心境の変化か境遇の変化があったのかしらと考えてしまう。

◇滝本さんの曲
・・・好きなんだけど、オーイ、歌詞が聞き取れないんだよ。(毎度のことなんだけど)これで歌詞カードを見たりすると、エッ? こんな言葉だったのと、驚くこと間違いなし。

◇石川さんの曲
たしか知久さんあたりが、「働かなきゃならない人は、歌、できないんですよね」と言っていた気がするが、「たま」から見る働くサラリーマンは、おお、こうなるのね、という感じ。
メロディーが好きです。

◇柳原さんの歌
ウーン、いまいちだなあ。
まあこの人は、たくさん作ってたくさんボツにするタイプだそうなので、まあいいか。
どんどん歌作ってね、と応援しておきましょう。
「床屋はどこだ」ニューバージョンは、思わず子どもと踊ってしまいましたが、以前の「さるぼぼ」に入っていた、情けない歌も捨てがたい味があります。

オフがあけた後、「たま」のみなさん、ちゃあんと生きていたのねと、確認できただけでも、本当によかったです。

8月18日(日)佐久音楽祭のチケットを取りました。
子どもの体調が悪くなければ行けそうです。
今年の夏は、8月初旬に夫の夏休みにあわせ、家族で泊まりがけで出かける予定を組んでいたのに、子どもが二人ともおたふく風邪にかかってしまい、すべてキャンセル。
5月の連休の予定も、子どもの発熱でだめになたし、今年は病気の当たり年です。
まあ、でも考えようによっては、幼稚園のうちに、しかもいっぺんにおたふく風邪が終わってしまったので、いいとしましょう。

9月28日の川崎のチケット取りました。発売日の6時を過ぎてから、時刻表を調べてみたら、なあんだ、川崎と東京って東海道線を使えば近いじゃないと発見。
新幹線が東京まで開通したことでもあるし、夜中の12時頃までには、うちにかえりつけるだろうと、電話をかけてチケットを頼んだ次第です。

うちの電話を、プッシュ式のホームテレホンに取りかえたので、再送ボタンを押すだけだったので、とっても楽でした。
15分足らずで通じたのかなあ。
中野サンプラザのときは、ダイヤル式の黒電話をちょうど1時間回し続け、グローブ座の時は、公衆電話のプッシュボタンを2時間押し続け、ほとほといやになったころ、やっと通じたので、それと比べれば夢のようです。
おお、文明の利器よ!! と思わず、真新しい電話機に感謝してしまいました。

佐久と、川崎と、渋谷と、すべてが子どもの体調が頼りの出たとこ勝負ですが、なんとか行きたいもんだなあと、心待ちにしている毎日です。
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(本人より)Gさんは歌詞がいっぺんでは「あれ? 何て歌ってるんだ?」と思わせるようわざと工夫しているところがある、と本人から聞いたことがある。詞の普通切らないようなところで区切って、言葉の途中の変なところからまた歌い始める。これはGさんの「言葉」に対する素晴らしいこだわり。詩人としての表現法のひとつだね。

「文通相手への手紙」~たまへのLOVE LETTER~ (その9)



解説:これは「たま」初期の柳原さんが加入していた頃、私が、学生と主婦の2名の文通相手に送った手紙です。(多少プラーバシーに配慮してあります)
なお、文面中に出てくる自主カセットテープやライブテープなどのダビングは、いっさいお断りします。問い合わせなどはご遠慮下さい。 ◆◆たま大好き主婦◆◆

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@@(主婦)様    1991年9月6日(金)
お手紙ありがとうございます。
それにしても、@@さんのところには、いろいろな情報が入ってくるのですね。
「事務所の人にでも知り合いがいるのかしら?」と不思議になってしまいます。
9月8日はやっぱり、あきらめます。
ライブハウスまでは、とても行かれない。
やっぱりホールコンサートで我慢します。

ライブハウスと言えば、学生さんに、1987年9月25日の、マンダラ2のテープをダビングしてもらいました。(柳原さんの、ビーズのひびき、キララは夜の三等星という曲が聞けるというので)まだ、こんなに大騒ぎになる前の、ライブの雰囲気、とってもいいのですね。

私は、満月ブギの途中の柳原さんのアドリブ 「アー、満月、満月、どうして歌は満月の歌しか思いつかないの。満月。満月。だっていつも夜空に照ってるんだもん」これを聞いたときは、「掘り出し物だ!」と思わず感激してしまいました。
マリンバの歌の中では、「たたけ僕のマリンバ、魂のたたかい。しりぞくことできない。ダイナモまわして、筋肉使って、今夜まわすのさ、マリンバ」なんていう言葉が出てくる。
キララ・・の中では、「負けないで、貧乏なんかに負けないで。・・・負けないで、北風なんかに負けないで」 という言葉が出てくる。
やけに、柳原さん、力が入っているんだなあと、感心してしまう。

月刊カドカワ(90年9月号)の年表と照らし合わせてみると、「1987年、夏の活動ぶり。この頃のバンド活動は困難を極めた。レストランの仕事を終えて柳原が戻るのが、夜の11時半・・・(略)・・・高円寺に4人が集まって夜中の12時から3時まで練習。滝本は徹夜のまま仕事に向かうといった強行スケジュールだった」

その文章を読んで、柳原さんも必死でたたかっていたのね。いいかげんなばかりの人生ではなかったんだ(アハハ、ゴメン)なあんて考えて、やっぱりうれしくなってしまいました。
なんか息づかいまで聞こえてきそうで、ライブハウスの演奏っていいなあと、しみじみ思いました。
・・・それにしても、こう書いてくると、私の感激の仕方はもっぱら柳原さんを中心に、大いに偏重していますね。
オイ、他の人も大好きだよ!!

ホールコンサートといえば、川崎公演の9月28日(土)、どうも行けなくなりそうです。
予約の送金をして何日かたってよく考えたら、子どもの幼稚園の運動会の前日だったのです。
今年は委員になっているので、土曜の午後に準備の手伝いをしなくてはならないし、翌日の日曜日も、早めに行かなくてはなりません。
こんなことならスケジュールをよく確認して、市川の方を頼んでおけばよかったなあと後悔しています。

月刊カドカワの 「ほうるきゃべつ」スケジュールというのを見たら、11月2日、渋谷公会堂。
うーん、最終日というのも、とっても魅力的です。
いっそ、11月1日の方はあきらめて、11月2日に乗り換えちゃおうか、なんて考えたりもするのですが、やっぱり最初の予定通り、NHKで我慢しましょう。
1ツアーあたり東京1回、まあ、そのあたりが分相応なところです。
うちを3時頃には出て、夜中12時過ぎまで戻れませんから。
ツアーの本数が少ない時には、遠すぎて会場に行かれない人だっているんですものね。

ところで、8月18日の佐久音楽祭には、行って来られました。
ちょうど日曜日だったので、夫に自動車に乗せてもらって、家族4人で行って来ました。
夫はコンサートの時間、他で時間をつぶしてこようかな、なんて言っていたのですが、結局いっしょに会場の中まで行ってくれました。

クラシック演奏のあと、17:10から友部正人さんの演奏です。
アンコールもなしで、さっと司会の人が終わらせてしまいます。
17:50からは「たま」の出番です。

たまの出番になった途端、それまでみんなシートに座って聞いていたのに、最前列にいって立ってしまう人が大勢出てしまいました。
つられてシートに座っていた人も、前の方から順々に立ってしまいました。
1曲目の終わりごろには、会場中の後ろの方まで、かなり多くの人が立ち上がってしまいました。

滝本さんは白のTシャツに、例の石川さん風の、ダボダボの半ズボン。
夏の屋外の演奏は、あの服装に決めているのかしら。
それにひきかえ、知久さんは、長袖。・・・暑さを感じにくい体質なのね。

「ロシヤのパン」から、新曲「ぼくはヘリコプター」というやつ。
長野県の人っておとなしいのです。
もっと後ろの方の「マリンバ」とか、のりのいい曲のときでも、大歓声をあげるわけでもないし、せっかく立っているのに体でリズムをとったりするわけでもないし、ボーっと立って、手拍子をしているだけなんですよ。
もっとも、「たま」のためだけにお金を出して集まっているわけではないから、しょうがないか。
一人、30代くらいのお父さんが。2~3歳くらいの子どもを肩車しながら、手を取り、子どもを動かしながら、親子でのって踊っているのが印象的でしたが、目立っていたのは、その人ぐらいだなあ。

あと、新曲は知久さんの曲。柳原さんは「きみしかいない」と紹介していましたが。
知久さんは、「靴屋さんに買い物に行くとき、サイズがない時に、これしかないんですよっていうようなもんです」と照れていました。

石川さんの「おなかパンパン」
柳原さんが、「おなかパンパン 友達いない 一人のパーティー 背骨が曲がる」というところで、ふりをつけていました。

滝本さんの新曲はありませんでした。
でも、「むし」がよかったです。
信州の夕暮れに、木々の中にすいこまれていくみたいで。

それと、全体的に照明がきれいでした。曲の調子にぴったりあわせて、ライトの色とか、数とか変えたりもしていました。

最後に、友部さんもいっしょに「あいてるドアから失礼しますよ」を演奏しました。
またもや、曲が終わった瞬間、司会の人が出てきて 「たまのみなさんでした。ありがとうございました。セットチェンジのため、お時間をいただきます」などと言い、アンコールと叫ぶ暇も与えず、石川さんのパーカッションセットなどを、さっさと片づけてしまいました。
アーア、がっかり。
1時間の予定だったのに、ぴったり45分で終了してしまいました。

そのあとプログラムは、山下洋輔、白井貴子と続くのに、会場の人は、ゾロゾロ、ゾロゾロ帰りだし、残った人は三分の一もいなかったのではないかしら。
なんか、お客さんがまばらになってしまいました。
「おお、たまの人気、絶大なり!!」

考えてみれば、私がたまの演奏を聞いたのは、4月20日のNHK以来ですから、4ヶ月ぶりの再会です。
ウーン、あとは、秋のツアー、アルバムの発売を、大いに楽しみにまっていましょう。

(本人より)イベントは他の出演者もいるから、大きいイベントであるほどかなりきっちりタイムスケジュールが組まれていて仕方ないんだよね。最後のバンドならともかく、途中のバンドでアンコールをしてしまうと、慣例的にそれ以降のバンドにもアンコールを認めることになり、結果時間が押してしまう。会場によっては公共施設など特に終演の時間がきちんと決められていて、最悪、時間が押したおかげで、最後のいわば「トリ」のバンドが予定の半分しか演奏出来なくてお客さんからクレームの嵐が来ることもあるしね。

バット男


観ました!ニヒル牛のHPのあるさんの日記に書いてあった「妖精のような浮浪者」がまさにそのとおりだ!と思いました。(あ、いつもあるさんの店番日誌もげらげら笑いながら読ませてもらってます)想像してたより重い感じのお芝居だったんですけど、石川さんが出てる時だけは会場全体ががらっとなごむ感じですごく存在感があって、お芝居のめりはりとしても良かったです。あとあの最後にバットが上からたくさん落ちてくるのは驚きました。あれは本物ですよね? (あずき)

(本人より)本物、本物の金属バット。あれ最後にしか出てこないからお客さんにはわからないけど、実際は芝居中もずっと上に吊るされているわけで、もし本番中に地震でもあったら、舞台上で全員死亡という可能性もあるスリルある芝居でした(笑)。

おいしいうそがいっぱい


もちろん初回限定バリューセットにしました。石川さんのサインつきノートが貰えるからです。わくわく♪
郵送されてきた封筒を見てビックリ!私の住所氏名は石川さんご本人の直筆?!うぎゃぁ!封筒大事にとってあります!
実は最初にCDをかけたのは、朝の掃除時でした。るんるん気分でお掃除しよ~ってCDかけたら、もう動けなくなっちゃいました。ラジカセの前で歌詞カードを見つめて仁王立ちです。石川ワールド恐るべし・・・・
いえいえ、秋の風の歌詞は知っていたんです。「チン○~♪」と連呼することは密かに有名?ですしね(笑)
なにより「たま詩集」ではじめてみた時衝撃を受けました。チン○の連呼ってことじゃなく、この子供の切なさや哀愁がたまらなく印象的でした。勝手なイメージなんですけど、原爆の爆心地近くにいた少年(5歳くらい)が爆風で体が引きちぎられながら、次第に高熱により蒸発してしまう一瞬のさまを描いた風景を思ってしまうのです。チン○のしょぼくれた少年は何がなんだかわからないうちに消えていく・・・あぁ哀しい。
「たま」時代は暗い歌詞を明るく歌い飛ばす傾向があったので、この曲も明るいテンポかと思いきや・・・!期待を裏切ってメチャクチャ侘しいじゃないですか(笑)。歌は聴いてみないとわからないですねぇ。いい感じです。この曲調は大人向けな気がします。
2曲目、カイボーするなら。大好きです。特に気に入ってるのが「僕イヤラシイ♪」ってところです。中学生くらいの青少年の青臭いイヤラシサがするような歌い方が大好きです。
3曲目、おいしいうそがいっぱい。まったりしてます。もったりしてきます。2・30年前位の薄暗い喫茶店や場末の小さいバーでの1コマが目に浮かんできます。
4曲目、オンリーユー。名曲です。切ないです。
5曲目、ゴリラの面。広がりすぎた空~♪からの歌詞がいいなぁ。
6曲目、40のマスカキ。ぼそぼそ言ってるから何言ってんのかと思いきや(笑)
7曲目、一人闇鍋。聞きながら大笑いでした。「挟まって動けない!」ってところが特に笑いました♪時々本当にありそうです。
8曲目、わしゃゴキブリだ。曲も歌詞も歌い方も大好き!このCDでは一番好きで、高速飛ばしながらリピートかけてました(笑)
9曲目、緑の沼の男の子。曲の前半と後半でガラっと変わる、そのギャップがイイですね。何故か私の頭では、緑の沼に住む緑色の男の子が緑色の顔を楽しそうにして永遠にお舟遊びしています。
10曲目、誰も起きてこないよ。しょっぱならかインパクトのある歌詞で、狂った世界観が素敵な名曲です。最期の「誰も誰も誰も誰も」は、ずっと「誰も(ダレモ・ダレモ・ダレモ)←エコーもどき」だと思っていたのですが、歌詞をよく見ると違っていたようです。曲があると気にならないのに字で見ると連呼に圧倒されました!!

たま時代の石川さんより、男くささを感じました。ドライブには適してます。眠気も吹っ飛びますし、同乗者の笑いを誘えます(笑)
放送禁止用語は、秋の風くらいじゃないんですか?カイボーするならもまずいかな。ゴリラの面・ひとり闇鍋あたりは大丈夫じゃないのかな・・・。
CD「ホルモン鉄道」・「ワカラナイ」も聞きました。それと比べるとライオンメリィさんの影響なのか、妖しさの中にもポップさを感じます。これはアンダーグラウンド好き以外にもにもうけますよ!多分(笑)!!
長い割には非常につたない文章で申し訳ないのですが、CD面白かったよ!の声を届けたく投稿しま~す。(きぃ)

(本人より)実はこのアルバムのほとんどは「たま」以前の19,20才頃の作品なんだよね。だから青臭いところもあって、たま時代は何となく歌えなかったんだけど、40過ぎたら逆に「あれはあの時にしか作れなかったものだなー」と吹っ切れて、録音出来た。だから「自分にとっての記録」としての意味もあったんだよね~。なので次にアルバムを出すとしたらまた全然違うものになると思う。って俺が思うだけで聞いている方には何ら違いがないかもしれんが(笑)。

写真集「きゃべつ」


写真集で西瓜さんと対談されていましたがあれは本当に西瓜さんを目の前にしてしゃべり続けたんですか?西瓜さんはお話されてなかったので浩司さん二人分話さなきゃいけないししかも一方的で答えも返ってこないしそれであれだけの話題が出せておもしろいのはすごいです!やっぱり一人噺上手なんですね!(ぶう)

(本人より)やったやった、スイカを目の前にして。いや、雑誌とかなら普通に誰かと話そうと思ったんだけど、写真集なのであえてちょっと変わったことをしてみたくて。それにしても写真集出したんだもんなぁ……。完璧アイドルだよなぁ(笑)。ちなみにロケは鳥取近辺と大阪で主にやったな~。

ロフトプラスワンのイベント


はじめて応募します。私は石川さんとイタチョコシステムの両方のファンだったので、すごく嬉しかったです。掲示板も見てました。でも石川さんのアイデアをあっという間にゲームにしてしまうラショウさんも凄いですね。当日はパソコンが動かなくてちょっとハラハラしました、けれど、その分おしゃべりがたくさん聞けて良かったです。で、あのゲーム絶対欲しい!!あんな変なゲームやはり石川さんとラショウさんが組んだからできたんでしょうね。そしてシリーズ化でもっと作ってほしい!!と思いました。待ってますよ!! (ちゃんこなべーこん)

(本人より)俺も楽しかったな~。イベントもそうだけど、作っていく過程も掲示板で「公開制作」でアイデアを出しあって。で、いつもイタチョコのゲームって基本がモノクロなのに、ちゃんとカラー実写でパイナップルの玉乗りとかして客が歓声あげたりして、あのチープさが好きなんだよね~。商品化はラショウさんだのみなところはあるけど、俺もやれることあったらどんどんやるつもり。よし、来年はゲーム作家だっ!


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