ザ・レポート(16)


今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「ホルモン鉄道」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
 既に何かに発表したもの(ミニコミ、ミクシィ日記、ホームページ、掲示板等)の再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メール(ミクシィメッセージの方がより嬉しい)にて題名「レポート」でお願いします。おおよそ10行程度5ポイント、それ以上は10ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな~っ。
 例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ~ん。

2011年8月16日(火) シャキーン! (Eテレ7:00~7:15)

番組内の歌コーナーで、『パスカルズ』の演奏を聴くことができました。
アンちゃんという女の子とラッキーという犬を主人公にした新曲、『アン・ラッキー』(作詞:ブルースカイ 作曲:サキタハヂメ うた:あやめちゃん 演奏:パスカルズとサキタハヂメ)です。
岡本将徳さんによるかわいい女の子とトボけた感じの犬のアニメーションと共に、楽しい音楽が3分30秒に亘って流れました。
スローなテンポで始まるも、『ところがどっこい おったまげ~!』すぐにパスカルズ・ワールド爆発の楽しいハイテンションの曲調に。
曲の途中には効果音として口琴、そして石川さん演じる犬の鳴き声が1・2・3・4・5回。曲の締めには更に『ワオ~ン!』と遠吠え。
マルチな才能を発揮される石川さんでした。
あやめちゃんの歌が入っていないインストゥルメンタルを、ぜひパスカルズのライブで聴きたいです。(デクノボー)


(本人より)サキタハヂメさんとは元々彼の「はぢめにきよし」というユニットとたまがジョイントライブをやってからの付き合い。
彼がまさにオーケストラの指揮のようにコンタクトを振る中、パスカルズは演奏した。

当初犬の鳴き声はラストの一発だけの予定だったが、俺が「せっかくなのでいろんな犬の鳴き声やるから、適当にいいのを選んで使ってください」と言って出来たのを聴いてみたらおったまげ~!
各番で使われていたのであった。

2011年9月16日(金) ミュージックステーション 25周年スペシャル (テレビ朝日系19:00~21:45)

1985年から2011年までの5年ごとのシングル売り上げランキングBEST20を発表 Mステ名場面を大公開!! と銘打っての放送内容でした。

まずは、秘蔵映像でつづる名曲100選1986-2011 から。

1986-1990 最も売れた20曲 より、第19位 たま「さよなら人類」1990年6月1日O.A. の映像が流れました。
テーブル席にて浅香唯さんの隣に座る、ランニング姿の若い石川さん。その後方に、左から柳原さん、Gさん、知久さんが直立不動(3人は立ったまま)で並ばれています。

タモリさん:『石川くん、あれだね。俺らの小さい頃の友達に似てる!!』

 石川さん:『昔ね、飲み屋に行ったらね、何か変なおじさんがやって来てね、「おう!」とか言って(カット)50年前とまるっきり変わらないんじゃないかって言ってました。』

タモリさんを筆頭にスタジオは大爆笑。その後、サビの部分の映像へ。機材トラブル(事故ではなく故意)により、不自然にマイクにギターを近づけ歌われる知久さんの姿。
さよなら人類('90/5)▷たま 57.5万枚 音楽番組「いかすバンド天国」出身 90年の年間4位を記録したデビュー曲 の説明が入ります。
画面右上のワイプには拍手をする倖田來未さん、キョトン顔のAKB48、大爆笑の福山雅治さんの顔が抜かれています。
19時08分34秒~19時09分20秒までの僅か46秒の映像でしたが、テレビの大画面で過去の映像を観る機会はとても貴重で、また懐かしい思いがしました。
ただ、知久さんが体を丸めて歌わなければならなかった理由が一切説明されなかったことは、非常に残念でなりません。(デクノボー)


(本人より)この番組は見てないけど、時々出るよね、この手の懐かし番組に。
あのギターの音が出なかったのは焦ったなぁ。
なんせ生放送の歌番組なんてほとんどないからね。
今じゃ演奏でテレビに呼ばれることもほぼなくなったのでトラブルも起きない・・・。

早くパスカルズかホルモン鉄道かイシマツかソロで出た~い!
またトラブル起こしたるぅぅぅっ!(笑)。

週刊少年サンデー 1990年 14号/3月21日号 (1990年3月7日㊌発売・定価190円)

なんと! 『たま』が少年誌の表紙&巻頭グラビアに登場!

表紙には、知久さん(左上)、柳原さん(右上)、石川さん(左下)、Gさん(右下)の、お互いに顔を近づけたアップの写真です。
そして表紙の紹介には、『面白くって、たまらない!! はじめまして たま です。 新企画!サンデースパークグラフ[ザ・イチ押し'90]発進!! 巻頭オールカラー13ページ!! 噂のスーパーバンド‟たま”って何だ!?』の文字が躍ります。

3ページ ザ・イチ押しグラフ'90 地球のみんな‟たま”を聴け!! の文字のバックでは、雪のかまくらで暖をとる笑顔の4人。4人とも褞袍(どてら)を着ていますが、石川さんだけ下はランニングに半ズボンの様子。

4~5ページ 道のむこうから やって来た これが最新型バンドマン!? の文に、雪の中に佇む無表情の4人の姿。知久さんだけは、ケン玉の剣先を鼻に突っ込んでいます(笑)。

6~7ページ 20人ほどの地元の子供たちと一緒に記念撮影(右上)、雪の積もった屋根の上でシェ~!?のポーズをとる4人(右下)、この姿形から「ウケねらい」とか「お笑い」とか思ったらおおマチガイ。と紹介されつつも、赤い番傘を差し蓑(みの)を着ておどけてみせる4人(左半分)。
ところがなんと! この豪雪の中での撮影にもかかわらず、お決まりというか何というか、石川さんはランニングに短パン姿! 寒そーっ! ・・・でも笑顔。

8~10ページ 広告

11ページ たまの【不思議な世界】 いちど読んだらわすれられない ライブに入れない、レコードが手に入らない!! の3色カラーページになっています。下には「たまLIVEに300名様をご招待!!」の大体的な宣伝文句。

12~13ページ 【たまのひとびと】 メンバー紹介がされています。右より、知久寿焼 [生年月日ほか、趣味・将棋(漢字が書いてあるので、頭が良さそうに見えるから)] 「へんだった・・・」これは、Gさんが初めて知久くんを見たときの印象 などの紹介が続きます。

柳原幼(陽)一郎 [生年月日ほか、趣味・ひたすら飲み続けるコト(しまいには笑ってる自分が見えてくる!)] 15年前(当時12歳)、NHK『あなたのメロディー』に『南極の歌~白瀬中尉の冒険』という歌を作って送ったのが始まりです。高校のとき、図書館の司書さんに惚れてしまい、それからはもう愛に生きようと思ってるうちに、いいかげんなヤツになってしまった・・・ など。

石川浩司 [生年月日ほか、趣味・缶飲料の空缶などの蒐集。] ランニングの白が、ボクの清潔感や若々しい躍動感を表しているんです など。

滝本晃司 [生年月日ほか、趣味・人の観察(特に家族づれはオモシロイ。家族の会話を想像してみると、楽しさがつきない。Gさん(呼び名の理由は不明)] うまくすれば、きっとものすごくモテる、かっこいいヤツになったのに、道をまちがえてギターなんか弾き始めちまった と柳原さんの分析。中学1年の夏に、友人宅でギターを手にしたのが音楽を始めたきっかけでした など。

14~15ページ 【たまのおしごと】 各メンバーの担当と誌上ライブの様子が、写真と記事で紹介されています。総立ち現象などは起こらず、お客さん全員が思い思いに聴いている。メンバー全員が作詞・作曲を手がけている。
「ネタを作るつもりで」(柳原さん)
「気分で」(知久さん)
「そろそろ新曲出さないとヤバいと思ったら作る」(石川さん)
「いつも頭の中でメロディーがぐるぐる回ってる」(滝本さん)

【たまがスキ!!】 有名作家さんがインタビューに答えられています。
吉本ばなな(作家)「友達のさくらももこがたまの超熱狂的ファンなので、彼女の家でイカ天を勝ちぬいてゆく様をビデオで見たのです。とくに、名曲『ロシヤのパン』に触れたときの感動は忘れられません。」

高橋留美子(漫画家)「驚きました。初めてテレビで見た時は、まずはそのルックスに。で、わたし好みの心地よい暗さがあって、これはいいぞと。『らんちう』が気に入ってます。」

とり・みき(漫画家)「なにをかくそう、私はたまとこの前一緒にお酒を飲んだのである。石川さんは『もうマブダチだぜ』と言ってくれた。」

16ページ 【たまのできるまで】 たまのメンバーの変遷や、LP「しおしお」・SP「でんご」の紹介がされています。
そして、あの井上陽水さんからの直筆メッセージが。

 たま様
 どんな季節であったのかは
 今はもう忘れてしまいましたが
 友部正人の本の出版記念パーティーで
 初めてお目にかかった夜のことは
 覚えております。
 あれから季節の変わり目ごとに
 「たま」のコンサートへの招待状を
 いただきながらも なんやかやの諸事情で
 身動きがとれず 失礼を続けております。
 そして時は多少流れ、あなた達は
 TV番組に出演され、多くの人々が
 「たま」に興味を持ち始めたことを
 私は大変喜んでおります。

 私のこの字、あなた達「たま」に
 共通する世界があるでしょう?

             井上陽水

知久さんが書かれるような字体で、可愛らしく書かれていました(微笑)。

17ページ 【たまのうた】 さよなら人類の歌詞と楽譜(柳原さんの直筆指導入り)が掲載されています。

 にさんかたんそを ← でだしはのっそりトホホのホ。

 どんてんもようの ← ど~んて~んと発音

 ゆれながら ← だんだんはやく

 のらいぬはぼくの ← 急に明るく いじらしく

 チャラチャラ と ← 巻き舌など使って強調のこと

 きょう じんるい ← パーンと気分変えて

 ついた よー ← よほお~という感じ

 なる日 もー ← もほお~という感じ

 よー(間奏) ← すきなことせよ!

 サルになる よー ← サルになって あわれだな~という感じで

18ページ 【そしてたまは・・・】 3月12日・13日の読売ホールは2時間でソールド・アウト。おっとっと、あきらめるのは早いぜ。
「しおしお」は品切れのまんま。でも、5月5日の子供の日に「さよなら人類」が発売決定 の告知。

そして、読者プレゼント! サンデー独占 たまLIVEに300名様(ペア150組)をご招待!!
併せて特製テレカを300名、特製Tシャツとポスターをそれぞれ200名にプレゼント!!

の、当時の景気の良さを伺わせる大盤振る舞いの内容。発送をもって発表にかえさせていただきます。

以上、当時の『たま』が如何にアイドルだったのかを思い起こさせてくれる一冊でした。
『たまの映画』DVD発売に際してAKB48と肩を並べたことは、何ら不思議な事ではなかったのだとお分かりいただけたのではないでしょうか。(デクノボー)


(本人より)まずは、よくぞ書き写した。ご苦労っ!(笑)。
そうそうあの頃はなんせ俺たちにスタイリストが付いていた!
まぁ俺はほとんど関係なかったが(笑)。
まさにアイドル扱いだったな~。
でも「ランニングの白が、ボクの清潔感や若々しい躍動感を表しているんです」は冗談で言ったんで「(笑)」とか付けて欲しかったな~。意味がなんかちょっと違う。

でもかまくらの中でのランニング一丁はマジで寒いので良い子はまねをしないように!

ホルモン鉄道10周年記念パーティライブ@ビストロサンジャック

2006年8月14日(月)、ホルモン鉄道の10周年記念ライブを観に行きました。会場は当時荻窪にあったビストロサンジャック。
この夜は、お下劣アナーキー&センチメンタルパンクの決定盤CD「ホルモン鉄道」が世に出て10周年の記念ライブとのこと。私にとっては初めてのホルモン鉄道でした。
友人と談笑しながら開演を待っていると、どこか遠くのほうから「♪ほほほほほーるもん」という歌声が聞こえその声がだんだん大きくなってきました。ホルモン鉄道の石川浩司さんと大谷氏の登場です。しかしステージとおぼしきスペースにはマイクスタンドやギターアンプはありません。なんと、生音でライブを行なったんですね。その後、ホルモン鉄道や石川浩司さんのライブをよく観るようになり、PAシステムを使わないライブを観るのは当たり前になったので今は特に珍しさは感じませんが、そのときは「なんじゃこりゃ?!」と衝撃を受けたものでした。大衆芸能とはもともと自分の声が届く範囲で行なわれていたんだなぁ、とパフォーマンスアートの原初の形を見たというのは大げさでしょうか。
ライブは石川さんの持ち歌、大谷氏の持ち歌を数曲づつ弾き語りし、そしてホルモン鉄道の曲を演奏するような構成で進行していきました。途中、おぐりゆかさんがゲストで登場し、おぐりさんのサポートメンバーで来られた女性の方がやけにセクシーな衣裳でエレキギターを弾いていたのを目の前すぐのところで観たことが印象に残っています。エレキギターの女性は乾電池で駆動するポータブルのギターアンプを肩から下げていました。このライブで唯一の電気楽器でした。
さて、初めてのホルモン鉄道の感想はというと、40代半ばのおっさん二人が下ネタ満載の中学生のメンタリティーのような下品な内容の歌を歌い続けるのを聴き、こちらは腹筋が痛くなるほど笑ったあと、やがて怒涛の感動が押し寄せてくるような不思議なライブでした。「コレハダイスキダ」と。 最前列の席だったので短パンの石川さんの膝小僧が黒ずんでいるのが見えました。これはたま時代から何十年にも渡り、立て膝の状態で楽器を演奏し続けたからできたからと後から聞き、やり続ける男の勲章だと感動しました。黒ずんだ膝小僧を見せながら「ちんぽ、ちんぽ~」とか歌うから、尚のことかっこよかったです。
さて、余談ですが、そのライブで私はホルモン鉄道のほかにもう一つの「初体験」がありました。ライブの開演を席で待っているとき、遅れてやけに派手な洋服を着た女性がひとりでやってきて席につきました。洋服が派手というよりかはその女性と服自身が一体化しているかのような強い個性で、どこでそんな服買ったのだろう?と思わせるような回顧調の洋服を身に着けていて印象に残りました。その女性こそ誰あろう、2011年、大正百年とともに彗星のように世の中に認知されブレイクした、日本モダンガール協會の淺井カヨさんでした。淺井カヨさんとはその後、親しくさせてもらうようになり、その生き方、思想に強く影響を受けています。私の尊敬している女性のひとりです。(波照間エロマンガ島)


(本人より)まさかレポートに見せかけた淺井カヨさんへの告白では!?
それはともかくあぁ、まだサンジャックが荻窪にあった頃かぁ。
考えてみればホルモン鉄道も足掛け15年もやってるんだなあ。
たまは結成から解散まで19年。ライブ頻度は違うとはいえそれに近づいて来たなぁ。
ちなみにたまが最初にライブをやった時の仮のバンド名が「かきあげ丼」。
そしてその対決バンドが「ハンバーグ弁当」だったのだが、このハンバーグ弁当のリーダーが誰あろう大谷だったのだ。
同い年の、友達。

2005年9月15日 おしゃべりバー「定休日」にて石川浩司さんと初めて会ってお話する

私が石川さんと初めてお会いしたのは2005年9月15日(木)です。あるイベントの席上でした。
以下、そのイベントの口上文より(当ホームページ過去のインフォメーションには載ってないと思うので貴重です)。

(業務連絡)
おしゃべりバー「定休日」開催~っ!
定休日にこっそりニヒル牛2に忍び込み、酒など酌み交わしながら石川浩司とくだらないお喋りでもしませんか?
期日9月15日(木) 雑談テーマ「旅行とか」
  9月29日(木) 雑談テーマ「音楽とか」
会場 ニヒル牛2(西荻窪駅徒歩7分)
料金 2500円(各種酒、ソフトドリンクなど飲み放題+軽いつまみ)
  ※おしゃべりの為、各日限定10名様とさせていただきます。

同年mixiで石川さんと知り合い、mixiの日記でこのような募集があったので、物好きな私は行ってみようと思い立ち、15日の回に応募したのでした。
当日、仕事を終えた私はちょっと遅れて会場のニヒル牛2へ着きました。初めてのニヒル牛2でした。表側が閉まっていたので裏から入りました。
もうすでに会は始まっていて、参加者は半分以上はそろっているようでした。石川さんを含め全員と初対面だったのでちょっと緊張しました。その中には後年、「2月チェンマイ逃避組」の常連メンバーとなり、親しくさせてもらっている人が2名も含まれていることはそのときは知る由もありません。人の縁って不思議ですね。
自己紹介するときに恥ずかしかったことを覚えています。なぜなら私のハンドルネームは「はてるま・えろまんがしま」という奇天烈な名前だからです。今でこそ、このハンドルネームに慣れ、名乗るのに抵抗感はなにもありませんが、そのときはこのハンドルネームで参加した初めてのオフ会だったので緊張してしまったのだと思われます。
雑談は石川さんが気をつかってくださり、いろいろ話をまわしてくれたので、楽しく過ごせました。
若干1名、酔っ払って絡みまくるすごい個性的な男の人がいたことはとても印象に残っています。彼とは石川さんつながりを離れてその後も何度か酒席でいっしょになり、そのたびに他の飲み会参加者の方とやりとりするのをウォッチングする機会に恵まれましたが、ふだんはノミの心臓なのに飲むと気が大きくなってまわりに迷惑をかけてしまうという人だということが次第にわかりました。それはこのレポートの趣旨から離れますのでこれ以上は書きませんが(苦笑)、でも面白かったです。

石川さんの第一印象は、まわりに気を使う、腰の低い、普通の大人の人だなぁということでした。ステージ上での狂気をはらんだパフォーマンスの印象が強かったので、尚更そう思ったのかもしれません。あと、人との距離感が近いと感じました。ぜんぜん気取ったりせずファンの人と同じ目の高さで、話に興味をもってくれたり、喜んだり、冗談を言ったり、からかったりするスタンスって凄いなと思いました。あんな有名なミュージシャンなのに、こんなに気さくでフランクに話してくれるなんて。この飲み会イベントから石川さんのことがより好きになり、ますますファンになっていきました。そんな思い出のあるイベントでした。 (波照間エロマンガ島)


(本人より)あー、それをやったのは覚えてるけど「定休日」というタイトルだったこととか忘れてたな~。でもまだ6年なんだ。もっと遠い昔のような気がしてた。
波照間エロマンガ島さんとはその後チェンマイに彼が来た時ちょっと一緒に散歩して、それから彼が逆にチェンマイに住むことになってすっかりこちらがお世話になってるので、なんかもっと古くからの友人の気持ち。
チェンマイではさらにいろんな人と深く知り合ったしね。スケベな意味ではなく(笑)。
どんなことから人間関係は発展してその後それによって自分の運命がどう面白く変わるかも分からない。
これだからジンセーやめられぬのだよね~!

2011・8・16「パスカルズワンマンライブin晴れたら空に豆まいて」&9・16「なんじゃもんじゃ会in六日町八ツ峰養魚」

    パスカルズライブは主人と中2、小5の娘と4人で行きました。家でCDやDVDで聞いたり見たりしてたけど、初めての生パスカルズにみんな大興奮。大体、柏崎からのイナカモンなので代官山というオシャレなところにきただけでもう頭はくらくらしていました‥。「プネウマ」でピンクのはたきが出たり、坂本さんのチェロが大変なことに(こげくさい‥)なったり、知久さんの声にしびれたり、バイオリンのおねえさンたちにうっとりしたり、あと、なんといっても石川さんの「6月の雨の夜チルチルミチルは」がすてきでした。バンマスのマツさんもかわいらしい(失礼!)おじさんで、「やっぱりパスカルズサイコー!」な夜になりました。翌日は仕事だったのでライブ後に夜行バスで帰りましたが、仕事中も顔がしぜんにニタニタしてしまい大変でした(笑)。

なんじゃもんじゃのほうはわたし一人で。柏崎在住のわたしでもびっくりするほど会場の宿はすっごい山の中!。宿に着くと、もうロビーでビールを飲んでるお若いお姉さん二人。お客さんかなと思ったら、なんとちくわ定食のメンバー。なんで、たまを聞くようになったの?と聞くとイカ天の再放送を見て、とか親が聞いててとか‥。おかあさんのお歳は?というと、46歳という答えにまたびっくり。ああ、自分も歳をとるわけだ、と思いました(悲)。一部は石川さんのソロ、二部はちくわさんと、企画してくださったT2さんとのセッション。おいしいご飯と楽しいライブで夢のような時間でした。帰ってから家族に「いーなー!行きたかったよー!」と、散々うらやましがられました。お世話になった皆さん、本当にありがとう!楽しかった!。(natsuko)


(本人より)俺の両極端を見た?
パスカルズでは俺は演奏中心で、ソロは歌中心だもんね。
結構混雑の都会のステージと少人数和気あいあいの田舎の舞台とね。
遠路はるばるありがとー!
モア幼稚で下品な俺が見たい際はホルモン鉄道にもご乗車下さい。よろしくお願い致しま~す!

地下生活者の夜~青木タカオ感謝祭

去る8月14日、夜の予定がぽっかりと空き、そうだ1000ポイント使って石川さんに晩御飯奢ってもらおう!と思いついた。さっそくメッセージでお願いしたところ、石川さんは普通にお仕事だった。前日がホルモン鉄道だったので、てっきりオフだと思い込んでいたが、「地下生活者の夜」であった。
地下生活者の夜…その存在を知ったのは20年前に読んだ『たまの本』だ。あからさまに怪しげな人達が集っているらしいその集まりは、当時の私にとって逆にきらびやかな世界だった。
その集まりがその時に正に催されており、電話で会場に訊くと入場はできるという。
これは千載一遇のチャンスに違いない!ということで、あたふたと阿佐ヶ谷を目指した。
会場は阿佐ヶ谷駅から徒歩5分ほどの小さなライブハウスだった。ライブハウスに行くこと自体、2年前のたま再結成ライブ以来で、若干緊張しながら会場のドアを開けた。
左手に小さな受付、フロアには30脚くらいの椅子が置かれ、さっくりとお客さんが座っていた。そして、手を伸ばせば届くようなステージで。石川さん、大谷さん、健さんの寸劇が繰り広げられていた。それは第一部の最後の催しだったようで、第一部終了を告げた出演者の面々は、スタスタとフロアに降りてきて、その辺で知り合いの人と談笑したりしている。
これまで経験した石川さんやたまやパスカルズのライブは、一心不乱に曲に聴き入り、時として黄色い声をあげるようなお客さんでびっしりのものばかりだったので、そのアットホーム感にちょっと戸惑った。スタッフのような方に促されて真ん中の席に座ったところで、第二部が始まった。
石川さんと大谷さんの軽妙なトークで、青木さんの歌を歌う人たちが順番に紹介され、ピアノやウクレレやギターやコントラバスを奏でながら好きな歌を歌っていく。
「青木タカオ感謝祭」に来ていながら、私は青木さんの顔も歌も全く知らなかった。ただ、そこで初めて聴いたメロディや歌詞は、胸の底の底にある何かを静かにゆさゆさと揺さぶるものだった。
地下生活者の夜が最初に始まった同じ頃、自分は地方都市の大学生で、仲の良かった歌好きの仲間と小汚いアパートに集まりギターに合わせて好きな歌を歌っていた。一番ギターが巧かったヤツは岡林信康に傾倒しており、感情をこめて「チューリップのアップリケ」とかを聞かせてくれた。そんな時代があったことが、青木さんの歌でだんだんと思い出されてきた。
引き込まれたのは、大谷さんの歌声と、健さんの歌声だった。
大谷さんの、全てを包み込むような深い歌声は、陳腐な表現であるが時間が経つのを忘れさせられるほどだった。健さんの歌は、とても情熱的で有無を言わさずにその世界に連れて行かれた。
そして、青木さんと大谷さんのデュオ、狩人よりも素晴らしかった。
最後の青木さんの歌は、とても自然で、でも言葉に生き生きとした力があって、歌声は優しいながら迫力があって、これまで聴いたことのない素敵な歌だった。
「地下生活者の夜」は、とても大人の、深い深いライブだった。

(レポートでありながら曲名や出演者名が出てこずの申し訳ありません。石川さん、完全に浮いていたミーハーな客の写真撮影に応じてくださりありがとうございました。私も大人の仲間入りができるようにがんばりす。) (わにこ)

(本人より)青木さんをはじめ、ほとんどの出演メンバーが30年来の友人。
なのでちょっと身内的なイベントの要素もあったかもしれないけど、楽しんでもらえたなら嬉しい!
ちなみに俺は一番最初に歌ったのでそれは観てないのだな(笑)。

ちなみに投稿王のポイントプレゼントは詳細をよく見てもらえると書いてあるのだが、食事会は平日に限る、なんだよね。あと遅くとも前日までに連絡お願い。何故ならその日たとえ空いていたとしても、妻が昼間のうちに晩飯の買い物を済ませている場合があるので。
ともかく今後も宜しくお願い致しま~す!

たまの映画DVDBOX

やっとたどり着けました。

さる5月末日、某アマゾンにてたまの映画DVDBOXを予約。
待つこと1ヶ月強の7月2日。
近所のセブンイレブンにて商品代金入金完了。アマゾンより出荷手配済みのメールが届く。
7月4日、郵便局より不在票投函あり。
同日Pm8:00、玄関の呼び鈴とともにご来光される。

「たまの映画」を見たら、ここに感想を書くんだと決めていました。
やっと、やっとその時が来て、何から書いていいのやら整理のつかないままmixiをつないでいます。

実はたま歴は浅く、たまの映画が上映されていたときには、まだ興味がありませんでした。
たまの知識・・・中学生のころ見ていたイカ天。その中の”聴き心地のよい音楽”それがたまでした。

月日は流れ、たま不在のまますっかり大人になったあたしは、家族同然な親友の自宅で親友の友人の福岡ライブDVDを鑑賞していました。

「この顔に星つけてる人ね、結構すごいとよ。イカ天でキングになった事あるんだって。秋山さんっていうんだけどさ。」

そんな何気ない親友の一言、イカ天という懐かしい響きに取りつかれてしまったあたしは、記憶を探るべく、自宅に帰り秋山さんを検索しました。

彼の所属していたバンドはマルコシアスバンプ。 ユーチューブで検索をかけて出てきたのは、、、なぜか「たま」でした。

そう、たまファンの方ならだれもがご存じであろう、イカ天キングをかけたバトルの相手でした。

突然の再会となった、石川さんの「まちあわせ」

衝撃でした。毎日ローテーションしていたCD群を放置したまま、徹夜でひたすらユーチューブ検索しました。

大人になって出会ったたまは、あまりにもどかんと入り込んできて、一瞬にしてその存在は強大なものとなりました。
そして、パスカルズにたどり着く、必然。

たった今年の4月の話です。

すっかりたまの検索におぼれる日々を送っていました。
ほんの直前まで「たまの映画」なるものが上映されていたことも知りました。
一足遅かったことがとても残念で、ショックで、DVD発売が決定した時は、発売日が息子の誕生日ということもあり、これを買うのはあたしの使命、な勢いで予約をしていました。

あの音楽を、あの世界を作った人たちはいったいどんな人たちなんだろう。
このどうしようもない魅力はなんなんだろう。

そんなことを思いながら、いや思ってないかな、これからはじまる娯楽にわくわくしながら、いそいそとビールとつまみをセットして、DVDを再生しました。

正直、たんたんと。
気が付いたら終わってました。

いつまでも、どっぷり入り込んでいたくなるような、一緒になぞっていきたくなるような、そんな感覚のまま、DVDは終わりました。

3人は天才でした。
やりたいことを笑顔で遂行する、天才でした。

音楽はもちろんのこと、それ以上に自分遊びの天才でした。

彼らのようになりたい。
あんな表現者になりたい。
形は違えど、0からものを作るはしくれとして、そう思いたどり着いたDVD。

ちがう。ちがう。

あたしは一生彼らに憧れ、ファンの一人として魅了されていたいんだ。

石川さんは最強のエンターティナーだった。
ホルモン鉄道を見ていた4歳児が、けらけら笑って腹太鼓をマスターした。
15才の娘が、移動するパーカッションを食い入るように見つめ、すっげ、とため息をもらした。
9歳の娘は夜の牛のダンスを創作してしまった。
あたしは、おいしいおいしいお酒を飲んだ。いつもの、缶ビールで。

知久さんはいつも思い出す、家族みたいだった。
その声はあんまりにも気持ちよさそうで、本当に気持ち良くなってしまった。
見ていたら、声を出したくなった。だから一緒に歌った。
すごくいい声で、いい歌を歌えた気がした。
忙しくって走り回って用意した平日の朝は、なかったことになった。

滝本さんはイケメンだった。
公園で横に止めてある自転車ですら、滝本さんによりそっているように見えた。
頭の中で流れている音楽を、頭の中で聞いてみたくなった。
ベランダに出て、ひたすら夜の曇った空を眺めてみたくなった。
その音の流れは今夜の夢をきれいにしてくれた。



「柳原さんの声は宝物」


切なくなってあったかくなって、さみしくもやわらかい、涙がでました。




どんなに何かを切望しても
人はそれぞれ過去を作り今に生きる。

今の連続で変化してゆく環境に
今も同じスタンスで今を遂行してゆく、そんな天才を目の当たりにして


解放。


かっこいいことはかっこわるくて
かっこわるいことはかっこよくって

自分だけかもしれないその感覚に
疑問を持たずに遂行したくなった。


まずは、同じ時代で、よかった。


ありがとうございます。


当面、生パスカルズを見に行くためのシュミレーションが日々の栄養ですが
そのうち、友達になっちゃうんだ、って本気で思ってたりします。
だってこんなに大好きなんだから。

もう何度もこのDVDを見るでしょう。
そのたび、その時々で変化し、また違った気持ちが芽生えてくるでしょう。

それがこの映画の魅力で、それがたまのメンバーの魅力なんだと
「今は」思いました。

今をいつくしみたい。

長く、なりましたので、
このへんで送信して、過去の記録に。 (まねき猫!)

(本人より)ありがとー。気持ちが伝わるよ。
他のメンバーは分からないけど、俺と友達になるのは簡単っす。
出前ライブをやるか、2月にチェンマイに来ちゃえばいいのです。
基本は俺は来る者拒まず、去る者追わずなので。
もちろん例外も時にはあるけどね。

そうそう、マイミク申請、投稿してくれたからOKですよ。メッセージに書いた通り一度拒否扱いにしちゃったので、もし希望があれば再申請してくださいね。よろしくー!

2011年6月7日(火)なんじゃもんじゃ会@西明石・cafe春らんちゅう

家からちょっとチャリで頑張って行く程度の距離に、「春らんちゅう」というまったりできるカフェがある。→http://momohei.blog73.fc2.com/
何度か行ったことがあり、ブログもたまに覗いてはいたのだが、サボリ心があって「まあ、近いしいつか行こう」と思ってたら、だいぶ長いこと行かずじまいだった。ちなみにそこはスパゲティとケーキがおいしい。紅茶もこだわってる。

そんな折、そこで石川さんのライヴを開催するという告知が載っていた。
「ウホッ、電車もバスも使わずに行けるのか。便利だ。行こう」と即決。
というか、そのカフェはこのサイトのチャットが縁で知ったお店なのだ!

ライヴやら質問コーナーやらあって面白かった。
やっぱ声量がはんぱない。そりゃあプロだからね。そりゃあそうだ。何をいまさら。
セットリストの中の一曲に「ガウディさん」があったのだが、初めて聴いた中一の頃、アルバム「犬の約束」を買ったらこの曲が入ってて、何故か怖くて怖くてたまらなく、アルバムを机の奥に2、3年封印していた。
得体のしれない不安や恐怖を歌わせたら天下一品。たぶん、聴きなれないコード進行やシュールな歌詞がショッキングだったんだろう。
あのアルバムは全般的に無意識下のトラウマをほじくられる感じがする。

そんでセッションのコーナー。
お店のオーナーが私が弾き語りをやってることを知っていたので、「じゃあ、石川さんとセッションすればいいですよ」と声をかけていただく。
さらに、「なんかオリジナル曲やってください」と言われ、「うわあああ、どないしよう!どないしよう!」とテンパりつつ、私の代表曲(にならざるを得なかった)「雲固珍々」を、まさかのジャム。
私がアコギとボーカル、石川さんがパーカッション。
おいおい、相手は恐れ多くも、あの紅白にも「ガキの使い」にも出たことある有名人だぞ。ドマイナーなアマチュアバンドマンの私と気さくにセッションして下さるスターの器の広さに、涙もちょちょ切れる思い。

さらに、最後には「さよなら人類」と「おやすみいのしし」をオーナー(G&Vo)、オーナーの友人(Ba)、スター石川(Per)、それから、私もキーボードで参加。当日ぶっつけでやったので、私だけグダグダ。あとで映像見たら気絶するレベルの下手さだと思う。
アンコールに「どっこいしょ どっこいしょ」を。掛け声は上のメンバー+もう一人いたキーボードの女の子。また私が失敗してばかり。瞬発力のいるコーラスだ。私、どんくせー!
でも、一緒にやれる機会なんてそうそう無い。こういう時、音楽やっててよかったと思う。

だいぶ貴重な夜だったよなー、なんてニヤニヤしながら打ち上げに参加し、そのままお店でごはんを食べる。

色々と話してるうちに、オーナーやお客さん同士で「たまのコピーバンド組むか」という話になった。バンド名は石川さんに考えてもらった。お店の名前をもじって「はるらんち」。
自転車で帰ろう。と外に出たら、おい、黒い雨が降ってんじゃん。「ただちに影響がない」っていずれ影響があるってことだろう?ぬー。ぬー。 (くすもと明子)


(本人より)マスターからも「あの日のライブを録画したのを繰り返し見てます。是非第二回目もよろしく!」的なメールももらった。
またオリジナルもやろうぜ。
今度は「珍個雲々」というのはどーでっしゃろ!?

『「たま」という船に乗っていた』を読みました

『「たま」という船に乗っていた』を読みました。読んでいて、泣き笑いになったり、笑い泣きしそうになりました。石川さんの冷静で、繊細な目(目線)や心が、透けて見えました。船は、自由にゆらゆらまっすぐ進み、わかれたことを感じました。一瞬の夢の中を仲間とこぎ、次はそれぞれが一瞬を今こいでいる。今も。

突然ダンボールさんをしれたのも、嬉しかった。
あと斉藤さんのことも、知れて良かったです。斉藤さんの工夫があり、たまがきもちよく舟こいでいた

1979年うまれの私は、たまさんがテレビにでていた時は、まだ子供でいかてんを知りません。当時はちびまる子ちゃん、江戸川乱歩が大好きなまえがきにある同じく不器用な小学生でした。私が六歳くらいに結成しててびっくりしました。でも今聞けたり好きだったり口ずさむことを愉快に感じます。パスカルズも

大学生の時CDやさんで「いなくていい人」をふいに買いました。だから三人がたまと思いました。好きになり、お金をためてナイロン100の劇のたまさんを見に行きました。

本を読んで、印象的だったのは、みんなの出会いです。それぞれ好きなことをしたいし、していたから、心のアンテナがチリチリと響き集まって自然にたまをつくったのだなとかんじました。そしてそれを色濃く記憶しているのが、鮮やかにみえました。(あとがきでみんなに確認した、というのも、なんだかいいなと思いました)
たまの船を自由に登り降りしたのも、自然な流れなのだと思いました。そして、このホームページで石川さんがライブみてね!CDよりライブ!というのも、みんなソロになりおんなじ心かもしれないな。今は四国の山ですが、きっとライブにいきたいです。今しかみられないものがあるから。不器用なまま大人になりましたが好きを仕事にしてたのしくも苦しくもあるけど、愉快です。この本は、みずみずしい。なにかわからないけど、うまくいえないけどそんなものがつまっている。
石川さんの自分では小心者といいつつも、ふところぶかいとこも。しめくくりはおくさんがとなりで笑っている。今も。

本で復活があったらいいなと思いました。

「たまの本」も読みました。石川さんに好好爺さんにみえた竹中さんは本の中に「これはたまへの僕のフアンレターだ」とあり、一瞬一瞬のたまや竹中さんご自身の今一瞬をすこぶるな愛情もって、刻んだものだと感じました。たまのみんなも、竹中さんとのおしゃべりが、たのしそう。たのしい船だから、しみじみ圧倒される、個性の船ができた。だれもまねできない。船だけのものが、今は四艘の舟になった。

テレビパソコンないので、携帯電話のちっこい画面で、こちらのホームページを最近みつけのぞいていましたが、本読めきもちよかった。私もつげ義春やヤンシュバンクマイエルがすきで、少し嬉しいきもちになりました。友部正人さんも好きで、「ふあ先生」「ぼくの猫さん」がとくにすきで、石川さんが猫さんの作曲としり、うきうきしました。最近に知りました

ニヒル牛は、高知新聞に記事があり、しりました。
初めて、投稿しました
本が、楽しかったので、伝えたくなってしまいました
さようなら(ぽ)


(本人より)本は絶版になったけどホームページで無料公開して良かったな。
時々こういう感想をもらうとそう思う。
先日の「たまの映画」を観た人にも是非読んでほしいな。
もちろん本人が主観で書いている部分も無意識にはいろいろあるだろうけれど、とりあえず事実関係はほぼ間違いはないから。他のメンバーにも確認してもらったからね。

四国は最近はなかなか行く機会がないが、以前はツアーマネージャーが高知の人だった時代もあったので、他の土地よりも良く行ったな。
久しぶりにまた行きたいな~。

2011年5月20日~25日「わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋 2011」inニヒル牛2

21日土曜日のはなしです。
西荻窪のニヒル牛2に行くと、早速天使がなにかやっていました。
それを終えると天使は寝床へ。
おどおどしながらも店の奥の方へ行くと、石川あるさんがいました。
しばらく立ち見で見ていました。昼寝を。
オーダーの仕方などを見ていると、別のお客さんがオーダーしていました。
あるさんにすすめられて、会計表みたいなものを取りに行きました。
そして頼んだのが「学校にまにあわない」でした。
とてもよくて、初めての生石川さんに感動しました。
他のお客さんがオーダーをたくさんされるので、それは無料で見ることができてとても得でした。
石川天使が歌われていたので、とてもよかったのが、「ひとり闇鍋」、「リヤカーマン」、「夏のお皿はよく割れる」の3曲でした。
リヤカーマンはとても楽しい歌でした。夏のお皿はよくわれるは混沌としていて、夢を見ながらにして現実世界をさまよっているようなそんな不思議な歌でした。
そのあとこのホームページで知り合っていたひととも会うことができました。
その人は、自作の楽器とハーモニカで石川さんとセッション的なものをしてくれました。
曲はリヤカーマンです。
楽器が鳴らないなどのトラブルがありましたが、それを石川さんが歌にしてくれてそれはそれでよかったです。
とても貴重な体験でした。
来年は友人を連れて行きたいです。(加藤陸)


(本人より)ありがとー。
天使は一応俺じゃないという設定なので、知り合いがいてもあまり普通の挨拶などは出来ずに知らないふりなどをしなくてはならない、ということもあるんだよね。
まぁその割には俺の持ち歌を歌うので設定はテキトー曖昧なのだが(笑)。

でも天使イベントは、ニヒル牛2では次回出来るかちょっとわからないんだよなぁ。
音の苦情がきちゃったからね。110番されちゃったから。
もっともその電話をして来た人はちょっと変わった人で、以前も「あの店から僕の部屋に幽霊を送り込まれた」とか110番するようなことが何度も会って、おまわりさんも分かっていて、
「私は個人的には問題ないと思うんですが・・・110番があると一応調査しないといけない義務がありまして・・・」と苦笑していたけどね(笑)。
とにかくまたいろんなイベント等、気軽に参加してね~!

2011/05/15名古屋 ロジウラのマタハリ春光乍洩 10周年記念ライブ番外編! 石川浩司ソロ

 会場のCafe「ロジウラのマタハリ 春光乍洩」は、Gさんがよくライブを行なっているお店ですが、石川さんのライブは初めての開催でした。私が石川さんの姿にナマで触れるのは、今年1月17日、名古屋のシネマスコーレで上映された『たまの映画』舞台挨拶のとき以来です。

 石川さんは、まず自己紹介から入りました。「僕はかつて「たま」というバンドをやっていました。Gさんのように二枚目でもなければ、知久くんのように技巧派でもありませんが、1人で何とかやっています」と語ってから、“1人”がテーマの曲『ひとり闇鍋』を披露。これがライブの1曲目となりました。
 この曲は、タイトルを聞くだけでも「1人で闇鍋って(笑)」とその光景が反射的に頭に浮かんで笑いと哀感をおぼえるのですが、石川さんが歌い出すと、「ひとりかくれんぼ、って!」「ひとり結婚で、新郎も新婦も俺だなんて~!」と畳みかけるように笑いを呼び起こされ、それとともに、「切ないなぁ」「わびしいなぁ」という気持ちにもさせられます。笑いと切なさの同時発生・同時進行という稀有な感覚にみまわれるのです。
 最近は、この曲をCDで聴いていると、「ひとり組み体操~♪」のくだりの「ピラミッド作りたかった だけどできたのはスフィンクスだった」というところが特に笑いのツボに入ります(笑)

『エチケット番長』のときは、「ふだん2人以上でやる曲ですが、今日は1人なので…」ということで、お客さんが「エチケット番長~♪ エチケット番長~♪」とバックボーカルを合唱。石川さんは、「シャイな人もいると思うので強制はしませんが、それでも合唱に参加したいという場合は、口パクをしてください」と、強制されることを強く厭う石川さんらしい頼み方で、この曲への参加を促しました。
『エチケット番長』を歌う途中で、石川さんが「ついた~!」を挟み込んでくれたのは、イカ天でたまを知った世代として実に感動的でした。

『ウララ』をナマで聴けたのも最高! 私は『ウララ』が大好きで、この“レポート”のコーナーに「『ウララ』が引き起こす心理」なる評論文を投稿したこともあるくらいです。
 今回の『ウララ』は、たま時代のものと詞は同じで曲はまったく違う、というバージョンでした。
私は、『ウララ』の詞がとても気に入っていて、評論の対象も主に詞の部分だったので、その詞を別の曲で聴けたのは新鮮な喜びでした。

 石川さんが、若いお客さんにイカ天のシステムを説明する場面がありました。「5週連続でイカ天キングとして勝ち抜くとグランドイカ天キングになり、メジャーデビューできた」…。そして「年末の紅白へと上り詰めていったのです! お客さんの中にも音楽をやっていて、将来は紅白に出場したいと思っている人もいるかもしれません。これから歌うのは、イカ天で5週目に歌ってグランドイカ天キングを勝ち取った曲です。ですから、これから紅白を狙っている人は、この曲を参考にしてください」
 そんなことを熱烈に語ってから歌い始めた曲『まちあわせ』は、「ゲンゲンゲロゲロゲゲゲロロ~~♪」と脱力的に始まるのですから大いに笑えます。で、「粉がついてる口のまわりにハムカツの~♪」というくだりで最高潮に盛り上がり、「でも便利より不便の方がだいぶいい~♪」と、一理あるなと納得させられる言葉で締めくくられるこのタイトな構成がいつも素敵です。

「もうすぐ50歳になるので懐古的になりがちですが、やはり未来を向いて生きていきたい」と言ってから歌われた『ぼけ』。たしかにこれは未来の方向を向いた歌、未来志向の歌なのですよねー(笑)
 サザンの活動休止でサマーソングに飢えている人へ贈られた石川さんのサマーソング『夏のお皿はよく割れる』……。この曲で語られるラッキョウの曲線美に対するエロティックな目線は、たしかに夏を感じさせます(笑) 
 毛虫おじさんのゾワゾワとナメクジおばさんのヌメヌメがシンクロしてありえない新感触を突きつけられる『毛虫おじさん』。さらには、『秋の風』『冥王星』『悪代官』『ガウディさん』『オンリ・ユー』など……。

 石川さんが若いころ作った詩の朗読もありました。石川さんの朗読パフォーマンスというと、私は2008年ニヒル牛で開催された「夜の教室・メキメキえんぴつinニヒル牛」を思い出します。そこで石川さんは、トラウマ童話作家と呼ばれる大海赫先生の作品を朗読したのでした。

 アンコールは、ロジウラのマタハリの店主お2人をコーラスに加えた『どっこいしょ どっこいしょ』。店主さんたちのコーラスが途中でつかえたら最初からやり直し、成功するまでやり続ける、という過酷な条件でしたが、2回目で見事成功! すばらしいです。

 こうして、この日のライブは幕を閉じました。(ライブの曲は、順不同で紹介しました)
 ライブ後は、残ったお客さん10人ほどが石川さんを囲んで、“石川さんと語らう会”(ライブの打ち上げみたいなもの)に。お酒やドリンクを飲みながら、ライブの感想を伝えたり、質問したり、たま関係の思い出話を語り合ったりして盛り上がりました。残った10人の年齢は、下は10代の女の子から、上は、たまがイカ天に登場する前からライブに行っていたという年季の入ったファンの方まで、実に幅広かったです。世代の異なったファンの方々から聞くお話は新鮮でしたし、同じ時代を過ごしたファンの方とは思い出が合致したりして心が高揚しました。そして、石川さんが皆さんの質問に真摯に楽しく答えておられる姿が素敵でした。
 私が藤子不二雄のファンということで、石川さんが『ジャングル黒べえ』の話などを振ってくださったのも、個人的に嬉しかったです。

   2時間ほどのライブに加え、語らう会も2時間あまり続き、なんと贅沢で楽しくてすばらしいひとときを過ごせたんだろう!と感無量です。
 私はこの日、1人でライブに参加したのですが、帰り道は他のお客さんがたとお話しながら駅まで歩きました。音楽やパフォーマンスをやっておられる方もいて、石川さんのライブを体験して強く刺激を受けたり鼓舞されたりしたと、熱く語っておいででした。 (仮面次郎)


(本人より)ライブで人と知り合えてそれが広がっていくのは楽しいよね。
広くない会場だからこその醍醐味だよね。一緒に打ち上げ出来るのもね。
マスターとママさんの 『どっこいしょ どっこいしょ』の二回目で成功は見事。
実はあれは見かけより難しくて、いつもはもっと突っかかることが多いんだよね。
特にミュージシャンは何故かなかなか出来ないという不思議現象が起きるんだよね~。

マタハリ十周年記念ライブ番外編!石川浩司ソロ 11/5/15

マタハリさんでのライブ。Gさんのライブは行ったことはあったけど、石川さんのライブは初めてでした。
まず一番びっくりしたのは、ギターさえも使わないボーカルだけの曲があったこと。
これはもはや曲じゃなくて「語り」というジャンルに入るんじゃないかと思います。

客いじりについては予想どおりでした。前列がいじられやすいと聞いて、ビビりな私は後ろのほうに座ろうかと思ったけど、ちょうど空いてたので結局一番前の席になりました。
まちあわせのとき、友達が「粉がついてる」と石川さんにものすごく言われていて、「私はいじられなくてよかった」という気持ちと羨ましい気持ちがごっちゃになった複雑な気分でした。

石川さんは、たま時代の曲から現在の曲までいろいろやられてましたが、私はウララが一番よかったです。たま時代のより好きです。
他にはどっこいしょとかも良かったです。歌詞がすてきです(笑)
でも、個人的にですが、たま時代の石川さんの曲はやっぱり電子音バリバリなってた方が好きだったりします。

最後に、少しだけですが打ち上げみたいなのに参加させていただいてとてもうれしかったです。
ただ、デビュー当時からのたまファンの方々の話にはついていけませんでした。
そのときは私は生まれてなかったので羨ましい限りです。過ぎたことを悔やんでもしょうがないですが。

もし、またライブに行くのなら今度はパスカルズに行ってみたいと思います。
お金貯めたらいつか東京に行きたいです。(カナザト)


(本人より)サンキュー。親に連れられたわけでもない単独の16歳の女の子がまさかふたりも最前列にいるとは。
下品な歌をうたっていいものだろーかと思っちゃったよん(笑)。
弾き語りバージョンのウララはコード進行がシンプルな分、歌詞が聞き取り易いのかもしれないね。
たま時代の電子音バリバリって何かと思ったら「汽車には誰も乗っていない」とかなんだね。
あれはメリィさんと一緒の時なら出来るかもしれないな。
ともかく、まだまだパスカルズ、ホルモン鉄道、イシマツなどいろんなライブ見に来てねっ!

たまの映画@下高井戸シネマ

たまの映画、二回目。
東京ではこれが最後の上映とのことで、急ぎ下高井戸まで行ってきました。上映後、知久さんと、ピアニカを持って歩いてきてくれたロケット・マツさんによるセッションライブもあったためか、客席はほぼいっぱい。

たまの映画、やっぱり面白かった。堪能しました。
この作品、地味だし、一歩引いていてつかみどころがないし、昔のたまの映像や柳原さんの登場を期待していたたまファンには、あまり評価が高くないみたい。
とくに、4たまへの思い入れの深い人には、この映画はなんともつまらない、肩すかしなものに思えるらしい。
惜しいことです。
「たま」に対する思い入れのありようは、個人によって大きく違っていて、それがこの作品の評価にもつながっている、それが残念。

「たま」という素材をどういう風に扱うか。
これはなんとも難しい。
それだけ「たま」はかつて多くの人々を幻惑したのだと思う。

私は「たま」はファンのものではないし、ずっとそうではなかったと思っている。
四人がそれぞれ、自分のやりたいことを追求していった結果としてできたのが「たま」である、と。

けれど、「たま」を好きな人は皆、なにか自分の大切なものを「たま」に投影する。強烈に。
竹中氏しかり、矢川さんしかり。未だにたまを自分の神様だと仰ぐファンの人たちもそう。
多かれ少なかれバンドなんてそういうものなのかもしれないが、たまの場合、その力が抜きんでて強いのではなかろうか。
その向こうに己の一番深いところにあるものを見る、そういうことがしやすい音楽。
それは四人が徹底的に客に媚びない―――ある意味どうでもいい―――要するに、自分のやりたいことだけやっていたバンドだったから、そして、切磋琢磨しあう相手は自分以外の三人で、客ではなかったからかもしれない。
サービス精神が旺盛な石川さんでさえそうだ。
石川さんは、常に客を楽しませよう、笑わせようとするけれど、そこには「自分が」相手をどうこうしようという気持ちがない。
石川さんはステージに立つと個を捨てる。しかしそれは客へのアピールではなく、自分をなくしてその場に同化する類のものだ。
個の押しつけがない、―――やりたいことだけやる―――たまは、実は人を洗脳することのないバンドだ。
だから、ある種の人々は、そこにいるととても心地よく、軽く息ができたのではないか。
なんとなく他人にはまりきらない人たち、息苦しい人たち。故に表現せざるを得ない人たち。

柳原さんにだけは、私は、人に働きかけようという意識を感じる。それが4たまの特別なバランスだったし、だから柳原さんが抜けたのは無理もないことだったのかもしれない。  

やりたいことだけ。

この言葉は決して甘いものではない。やりたいことと現実の折り合いをつけるのは厳しいものである。のみならず、人は誰かの期待に応えようとせずにはいられないからだ。
他人の期待を捨てるのは並大抵のことではない。
……でも、この映画の三人はそれぞれのやり方でそれをクリアしている。
昔のライブ映像もなければ柳原さんもいない、かつて「たま」を神様のように思っていた人には、確かに物足りない内容だと思う。「たまの映画」ではないじゃないか、と言うかもしれない。
だが私は思う。この映画は「たま」への思い入れ、という期待にまるで応えていない。だからこそまさに「たまの映画」なのだ、と。
私はこの映画が好きだ。
石川さんと知久さんが猫を追いかけていたり、滝本さんが公園で煙草を吸いながら他愛もない質問に答えていたり。
それらをただ眺めているだけで、しみじみと心が温かく、しあわせな気持ちになってくる。それは私が、期待に応えない人が生きられる世界を欲しているからなのだろう。
彼らがそこに生きて歩いているだけで、この映画には価値があると思う。

特に好きなシーン
・知久さんが路地に入っていってファンの人をまいた話をするところ
・石川さんのことを嫌いという人に対して、「悲しくなっちゃう」と言うメリィさん
・なにを聞かれても淡々と受け答えする公園のGさん全部
・「俺泣いちゃうよ」                   

ところで、最後の「ちょっと今ココだけの歌」で知久さんが歌詞を間違えているような気がするのですが、あそこが採用されたのはわざとなのかな。それとも誰も気がつかなかったとか?(蓮)

(本人より)流石に洞察力深し。物書きになることお薦め。
「たま」とはそういうものだったのかもね~、言われてみると。
知久君、歌詞間違えてるんだ。もちろん公開までに本人も何度かチェックしているので、気づかなかったか、もしくは「これはこれでいい」と思ったんだろうね。

2011・1・21 イシマツ+タキモト@南青山MANDALA

『キン肉マン』に出てくるキャラクター「アデランスの中野さん」はこう言いました。「これは、女房を質に入れてでも見なあかんな!」と。
イシマツとGさんのライブが決まったと知ったとき、俺はまさに中野さんの心境でした。※女房は質には入れられなかったので、一緒にライブに行きました。

第一部はイシマツ
なんだか演劇を観ているような気分でした。主役を演じているのは石川さんなのだけれど、ステージを操っているのはマツさんのピアノで。マツさんがピアノで脚本を書いて、それを石川さんがパーカッションで演じる。そんな芝居を見ているようでした。

第二部は滝本晃司さん
海に浮かんでいるような歌声とメロディ。ちょっと気を緩めたらそのまま眠りに落ちてしまいそうだけれど、気を緩めることができない。そんなシュールな世界を満喫。

そして第三部、イシマツ+タキモト
Gさんの曲で、いつもよりちょっとだけ真剣な表情でパーカッションを叩く石川さんが印象的でした。(いつもはふざけて叩いてるっていうわけじゃないですよ)
俺は「たま」の頃の(特にGさんの曲での)石川さんの、ストイックにリズムを刻むパーカッションが大好きです。最近の石川さんはめっきりアドリブ色が強くなってはいますが、ああいう決まりごとのフレーズをストイックに叩き続ける演奏を長年していたからこそ、あの技術が身に付き、そしてその技術があるからこそ、今、あれだけのアドリブでの演奏ができるのだと思います。
そして何よりも感動したのが、石川さんとGさんの息がぴったりだったということです。『リアカーマン』の最後や『まちあわせ』など、タイミングを合わせるのが難しそうな曲でも2人はぴったりと合っていました。実際、マツさんは少しタイミングがずれてしまっていたりもしたのだけれど、石川さんとGさんは何の合図もなしでぴったりと合うのです。さすが、長い間一緒にバンドをやり、何百回、何千回と演奏をした曲のタイミングは、時間がたっても体が覚えているのでしょう。特にバンドの中でもリズム隊であった2人だから、なおさらなのでしょうね。
そして、やっぱりマツさんのピアノもすごくよかったです。石川さんとGさんの演奏をしっかりと支えながらも、それを「たま」にしてしまわないマツさんの存在感。石川さんとGさんが揃い、下手をすると「たまを懐かしむライブ」みたいにもなってしまうところですが、マツさんの演奏はそうではありませんでした。しっかりとマツさんの色が主張されていて、「元たま」のライブではなく、ちゃんと「イシマツ+タキモト」の演奏になっていました。それは『たまの映画』が過去を懐かしむものではなく、今を見せるものであったのと同じように、俺にとってはとても嬉しいことでした。
もし、次回イシマツ+タキモトのライブがあれば、女房を質に入れてでもまた観に行きたいです。(DO)

(本人より)確かにアドリブが出来るようになったのは、たまの約20年間で基本ブレないリズムを叩き込まれたというのは絶対にあるな。
元々は決してリズム感がいい方ではなかったが、それでも20年間、毎日のように叩いていれば少しは上達する。
そしてGさんとの息が合っていたなら、それもリズムと同様、長年の経験というものだろう。
時間がなければ産まれないものもある。
それだけは若い時いくら性急に習得しようとしてもなかなか難しいものなのかもしれないね。

2010・12・4 「石川浩司vs清水宏 地獄のディナーショー」@西荻窪「THE“ロック”食堂」

  きちがい【気違い・気狂い】�精神状態が正常でないこと。狂気。乱心。また、その人。�ある物事に熱中して心を奪われること。また、その人。(『広辞苑』より)

あの2人は、明らかにキチガイでした。そして、2人が発する音や言葉に熱中し心を奪われた、客席にいた全ての人たちも、まぎれもないキチガイでした…。

最初に現れたのは清水さんでした。頭に頭巾を巻いたおばちゃんに扮して、ものすごい勢いで客席を煽り立てました。そして清水さんが客席のみんなに託したミッション。それは「石川さんがかつて経験したことがないくらいのスタンディングオベーションで、石川さんを迎えろ(※特に男性陣は強く黄色い歓声をあげること)」でした。清水さんの指導の下、何度もスタンディングオベーションの練習を繰り返しました。
そうやって呼び込まれた石川さん。超こまってる。スタンディングオベーションの中でただひたすら苦笑。そしてギターを肩に掛け、歌いはじめました。
前半はコミカルな曲が中心。清水さんに触発されたのか、石川さんもとてものってる感じでした。俺は『夏のお皿はよく割れる』に感動をし、思わず店員さんにらっきょうを注文すると、今までは食わず嫌いでらっきょうを食べたことのなかったうちの妻も、思わずひとつ摘み上げ、まじまじと眺めてから、それに噛り付いていました。

2部は清水さんのコーナー。相変わらず勢いがすごい。たった一人であっという間に会場を自分色にしてしまうパワーは、まるでミック・ジャガーのようでした。内容としては、「みんな、俺を永ちゃんだと思って迎えてくれ」とか、「俺が畳を投げるふりをするから、みんな避けるふりをしてくれ」など、今思うと何が面白かったんだろうというようなことばかりでしたが、なぜか今思い出しても笑いが込み上げてきます。

そして、第3部は石川さんと清水さんの「キチガイセッション」。客席からお題を募集しながら、ひたすらノープランで演奏し、歌い、しゃべる。何かに取り憑かれたかのように歌う2人。それに取り憑かれた客席の人たち。それはまさに地獄絵図でした。地獄で行われるディナーショーでは、いつもこんなキチガイセッションが行われているのかと思うと、恐ろしくて、恐ろしくて…。
とにかく最初から最後まで笑いっぱなしで、顔の筋肉が痛くなるほどのライブでした。

【セットリスト】
○オープニング 清水さん
○1部 石川さん
1.ひとり闇鍋
2.カブラギの教え
3.カイボーするなら(+清水さんとしりとり)
4.毛虫おじさん
5.夏のお皿はよく割れる
6.悪代官
7.ヤギ殺したな
8.秋の風
9.オンリーユー
○2部 清水さん
○3部 キチガイセッション(お題募集)
(DO)

(本人より)とにかく流石ひとりで日比谷野音を満杯にするだけのパワーを持った男、清水宏。
即興スキルが半端ではない。ま、セッションと言っても音楽的要素よりも芝居的要素の方が強くなるのは当然の事だが、いつもミュージシャンとのセッションには慣れている俺も、次にお互いどうなるかの展開がスリルを感じながらも面白くてしょうがなかった。
これはどうやら第二回もありそうな気配だな。

そして影の立役者はこのイベントを企画し、尚且つ後ろのスクリーンに曲などに合わせて次々効果的な映像を映し出してくれたデニス氏。
実は当日本番直前に「カブラギの教えの4番に『清水の教え』を思いついたんだが」と言うとリハーサルで清水さんがちょっと席を外した僅かな間に『清水の教え』の映像を作ってくれたりもした。
今年一発目のライブでDVDにもなった「石川浩司生前葬2010」を企画ししてくれたのもまた、彼であった。

そして「地獄ディナー」をこの日の為に作ってくれたシェフの七尾さんにも賛辞を送りたい。このディナーの創作過程はコチラで見られるので是非覗いてみてくださいな!

「たまの映画」inTAMA映画フォーラム映画祭

  今年12月25日から公開の新春映画「たまの映画」を、TAMA映画フォーラム映画祭で先行上映するということで、一足お先に観に行ってきました。(ちなみに、この「TAMA」は多摩のことで「たま」とは関係ありません) 映画の中身は、元たまのメンバーの3人の今を描いたドキュメンタリー。
近すぎず、遠すぎず、絶妙なスタンスでリアルな今を映し出しているように感じました。今泉監督がたまについて詳しく知ったのはこの映画を撮ることが決まった2年程前だそうで、ちょうど俺がたまにハマりだした時期と同じとういのもあり、たまに対する距離感が近かったというのもあったのかもしれません。とにかく、すごく愛情を持って撮られているのに熱くはなりすぎていない、ちょうどいいバランスだったと思います。
映画の中では、俺が初めて石川さんのライブに行った時の円盤での映像や、初めて知久さんのライブに行ったマンダラ2での映像など、俺自身にとっても懐かしい映像もいっぱいでした。
話には聞いていたものの、実際にはなかなか目の当たりにすることはできない「知久さん遅刻」の瞬間もしっかりと映されていました。
たまの解散について石川さんが語るのを聞いて同じテーブルにいた美女が感極まり涙を流すシーンで、最後に彼女が言った一言はとても印象深いものでした。
俺は10代、20代はほぼ洋楽しか聴かず、30歳にしてようやくたまの魅力に気づきました。リアルタイムでたまを観ることができる世代でありながら、生のたまを観ずに過ごしてしまたことを悔やむと同時に、いろいろと遠回りをしてからここに辿り着くことができて逆に良かったとも思っています。そして、この「たまの映画」も、「たま」を描いたものでなく、「以前、たまのメンバーであった3人のソロミュージシャン」を描いたものであって、なんだかとても嬉しく思えました。

上映後には、Gさん、今泉監督、上田誠さんのトークショー&Gさんの歌もありました。
初めて生で見るGさんは、とてもイケメンでした。「たまのランニング」や「たまのキノコ頭」のお二人は、今はもうランニングを着ていなかったり、キノコ頭ではなかったりしますが、「たまのカッコいい人」は今でも健在でした。
でも、そんなGさんも「この映画を観て、改めて石川さんってカッコいいなって思いました」と言っていました。
プロレスのリングの上で奥さんの水着を身にまとい、サマソニでたまをポロリした話を誇らしげにする、そんなカッコいいおっさんに俺もなっていきたいと思いました。(DO)

(本人より)そうそう、監督はそもそもたまをそんなに知っていたわけじゃないんだよね。たぶん一般の人と同じで「さよなら人類」くらいしか予備知識がなかったと思う。
実際、監督も、それを誘った映画会社のプロデューサーもまだ20代。リアルタイムでは知る由もない若さだからね。

それにしても昨日のヤフーの動画ニュースで「たまの映画」へのアクセスがキムタクの「ヤマト」を超えて日本一だったとか。なんでじゃ???
その勢いでお客さんも入ってくれて、地方でも公開が決まるといいな~。

10.10.14 イシマツinラ・カーニャ

秋の風
サーカス
宇宙のワルツ
オンリー・ユー
温泉
リヤカーマン
Hit Run
テーマ�

(休憩)

ウララ
水曜日~無題
月の船
夜の牛たちのダンスを見たかい
真夜中の子供
by this river(絵)
海馬のワルツ
誰も起きてこないよ

(アンコール)

326
タイトル不明


 セットリストですが、マツさんが紙に書いていたものを参照させていただきました。
 ……なので、この曲名が正確なのかどうかはわかりません(たぶん違う)。
 それから、前半でやるはずだった曲を何故か一曲飛ばしてしまったらしく、アンコールの最後でそれを演奏してくれました。

 ラ・カーニャでのイシマツライブは二回目、イシマツとしてはこれで五回目のライブでした。
 私が見に行ったのはこれで三回なのですが、……。
 いい!やっぱりイシマツはいいです!
 文句なく楽しい、そして完成度が高い。それなのに自由で、何が起こるかわからなくて、目が離せない。リラックスできるのに、心地よい緊張感がある。
 そういう矛盾した特性が無理なく同居しているのです。
 この日は平日だったせいかお客さんが少なく、なんだかとても勿体ない気がしました。
 ただ、少ない客で見るのがまた何ともいい感じなんですよね。プライベートな楽しみという趣で。席をぎちぎちにしてたくさんお客を入れるようなライブではなく、あくまでひっそり、個人的に楽しみたいライブという雰囲気なのです。
 だから、お客さんが少ない今のうちなら、ものすごく贅沢な時間を過ごせます。
 全力でおすすめ!

 ライブの後で石川さんに伺ったのですが、石川さんもマツさんも、相手をぎゃふんと言わせようとしてアドリブを入れる、そうすると負けじと相手から予想していないリアクションがくる、……まさに真剣勝負、丁々発止のやりとりが繰り広げられているそうです。
 さもありなん。

 歌と楽器の構成を順不同であげてみますと、

・石川さんのソロ(ギター)
・石川さんの歌とマツさんのピアノ(または鍵盤ハーモニカ)
・マツさんのピアノと石川さんのパーカッション(おもちゃ含む)でインストロメンタル
・マツさんのピアノに石川さんがアドリブで語る
・マツさんと石川さんで二人鍵盤ハーモニカ

 こんなところでしょうか。
 曲は、マツさんのインスト曲やたま時代またはソロの石川さんの曲。
「温泉」や「海馬のワルツ」など、イシマツでしかやらない石川さんの歌もあります。
 二人鍵盤ハーモニカでは、石川さんは完全な即興で演奏、手だけでなく頭やお腹まで使って鍵盤を鳴らします。そのうちマツさんもアドリブになってきて、ついにはステージを降り、二人で踊りながらでたらめに吹いたり。
 これが毎回、すごく可笑しい。
 今回は、石川さんが後ろからマツさんを抱きかかえて(笑)マツさんのお腹で鍵盤を鳴らしたり、踊りながら会場の外に出て、外から窓に楽器を入れて吹いたり。最後には、マツさんと石川さんで、鍵盤ハーモニカのあの空気を入れる管(正式名称わからず)を取り換えて相手の鍵盤の音を鳴らそうとかしてました。(これはどちらかの鍵盤がうまく鳴らなかった)
 それから、マツさんが石川さんに即興でやるお題を与えて、好き勝手にやらせるというコーナーがありまして、この日は「ラ・カーニャの壁にかかっている沢田としきさんの絵を題材に語れ」というものでした。石川さんは語り終わった後、自分の語りがクサ過ぎたと恥ずかしそうにしていましたが、メルヘンな感じでよかったです。


 ところで、イシマツの音楽についてちょっと語らせて下さい。
 イシマツがなぜそんなにいいのか。

 身近な物を使って音を鳴らす、という人間にとってプリミティブな行為が、石川さんの手にかかると、より高いレベルの「音楽」となって昇華され、誰もが幼少時に感じていただろう音に対する希求をダイレクトに思い出させます。
 でもそれは子供の遊びや民族音楽などと違って、より普遍的な、誰にでも共感できるレベルにまで高められているのだと私は感じます。
 石川さんはいつも音で遊んでいるのだけれど、イシマツは二人しかいないので、パスカルズと違ってその遊びは曲の一部ではなく、曲のメインとなる。
 そのせいか、イシマツで演奏するとき、石川さんはいつにも増して真剣に音を楽しんでいるように見える。
 そして、パスカルズと違うのは、石川さんが自分の音に集中しているというところ。
 パスカルズのようなバンドの中では、石川さんは他人の出す音に集中している。そうやって、その“場”のエネルギーを体現しているのだと思います。
 石川さんの、そういうシャーマン的なスタイル、一番目立っているようでいて実は一番共演者を立てているといういつものスタイルが、イシマツではちょっと違っていて、マツさんの楽曲と演奏が、石川さんのソロ以上に「石川さん」を前に出し、その魅力を引き立てているような気がするのです。

 二人の演奏が合わさると、可笑しみ、洒脱、哀しみ、哀しみの影がある明るさ、といったものが感じられてくる。
 石川さんの曲は時に下品ですけど、マツさんとのユニットだと下品さを感じず、それがエスプリとかユーモアに成っている。
 二人のユニットは、最小構成のサーカスのようです。
 まさに、「音のサーカス」。
 サーカスは楽しいだけではなく、奇妙で怪しく淋しく、いかがわしいもの。でもそこにはなにか、遊園地とは違ったもの、夢や幻想へと続く扉がある。
 ディ●ニーランドは夢の国ですが、あれは行って帰ってくるための場所。夢の世界で楽しく安全に遊ぶ、そのために金を払うところです。
 サーカスはそうじゃない。行ったら、あの天幕の中から帰って来られないかもしれない。

 サーカスも基本的には楽しいものには違いないんだけど、サーカス的なもの、異形のものへの恐怖や憧れ、現実存在に対する不安───、というのは、石川さんの音楽の根本にあるものだと思う。
 そしてなにより、マツさんの演奏と楽曲が、その石川さんの個性である怖さと楽しさ、コミカルな部分とシリアスな部分を純粋な形で引きだしているように感じます。
 石川さんはもちろんすごいんだけど、イシマツの凄さはやっぱり、マツさんなんだろうなあ。
 うーん、マツさんは本当に、ただものではない。
(石川さんが「フリークス」のとんがり頭に似ているというのは周知の事実ですが、マツさんもあの映画に出ててもおかしくない)
 ちなみにパスカルズの場合は、どちらかというと遊園地のような気がします。それも、極上の遊園地。最後に花火も上がるし。

 とにかくイシマツは一度見るともういっぺん見たくなる。やみつきになります。
 私は石川さんの曲の中では、「誰も起きてこないよ」がベスト3に入るほど好きなので、マツさんのピアノでこれを聴くことができるのが本当に嬉しい。
 「汽車には誰も乗っていない」とか、「カニバル」とかもやって欲しいなー。(蓮)


(本人より)流石の稀代の評論家。
自分でも分からない自分のことがより分かりました(笑)。

マツさんが秀れたオーガナイザーだということはパスカルズでも立証されているけど、ここでもまた。
あれだけ癖のある人たちをまとめる力というのは本人が思っている以上に誰にも出来ないことなんだよね。
どうしても生活の為にはマツさんも人のバックとかをやることが多いけど、やっぱりより本領発揮はパスカルズであり、イシマツだと思うんだよなー。

俺もこのユニットはイメージ的にホルモン鉄道と対極の感じで好き。
来年はさらにイシマツやりたい。
あ・・・でもその為にはもっと集客しなければ。
でも集客したら「秘密のサーカス」の雰囲気が薄れるのか~。
むむむ、二律背反、難問じゃあ!

10/10/19 「秋の風ライブ」

ほぼ半年ぶりのライブで、昨年末の新曲ライブでのオリジナル曲も聞きました。
ただし、去年末に聞いた時とは、若干の変化がありましたね。

初めて聞いたのが、突然段ボールとの4曲のコラボ曲。2曲づつ、カラオケをバックに1人で歌うのと、故蔦木栄一氏のボーカル入りの曲に合わせて歌うという形でしたね。
他の元メンバーも含めて、普段のソロライブでは演奏しながら歌うというスタイルがほとんどでしたが、今回は珍しく演奏はせずに小さな空気人形を使ったアクションなどが目白押しでした。
そのせいか、個人的には今までのソロライブより、新鮮に見えました。

「カイボーするなら」では、「親善のため」ということで、お客さん&お店のマスター・店員さん全員による、しりとりが行われました。
しかし、お題を決めなかった一方で、40人以上と交互にしりとりをするとなると、案外時間が掛かるものです。
更に自分の番でなければ、すんなりと言葉が出てくるものですが、いつもながら、目の前でギターの音が高く響き始めると、緊張してなかなか出てこず、「ん」で終わる言葉をつい言ってしまったこともありました。
運悪く、出てきた言葉は「ん」で終わらなかったものの、お下劣な言葉でした。ま、他にも下品な言葉を言った方がいらっしゃったから、まあいいか~。

そんなこんなで、久々のライブの醍醐味を鑑賞できた一夜でした。(Hi-)

(本人より)俺も久々の完全ワンマンソロだったな~。
ロック食堂のシェフと相談して決めた「秋の風定食」も良かったでしょう。
打ち上げも朝まで楽しかったね。
あ、韓国からキムチのおみやげありがとねー!

10/09/10 KURAGE TRAVOLTA 2010『SPECIAL39S』

9/11の金曜日に、下北沢440へ
ベーシストかわいしのぶさん主催のバースディライブ「KURAGE TRAVOLTA 2010『SPECIAL39S』のライブを見に行ってきました。

今回のライブの個人的目玉は、なんといっても豪華な面々によるライブセッション!

・かわいしのぶ(やなちゃんライブでもおなじみのベース)
・長見順(やなちゃんとも度々ライブやバンドを組む、ブルースが格好いい個性ある歌い手さん)
・外山明(今のやなソロパーカッションの第一人者)
・らいおんめりぃ(たまのサポートでも同じみ)

ここに石川さんが混じるという、

たまふぁんでやなソロ大好きな自分にとっては、やなちゃん系バンドと石川さんが組み合わさる(しかも場所は440!)
まさに夢の取り合わせ豪華オールスター異色の競演でした。

内容はというと、もうこれが失禁寸前の予想以上のすばらしさでした。

たま曲は
ラッタッタと学校に間にあわないでしたが、ラッタッタで、らいおんめりぃさんのピアノでの前奏にまずしびれました。

前奏がシングルCDに入っているラッタッタバージョンで聴いたのが初めてだったのですごくおしゃれかつ斬新に感じました。
さらには、石川さんは完全ボーカルでなんと外山さんがパーカッションというなんというかすごく贅沢なラッタッタでした。

学校に間に合わないもめりぃさんがたま時代さながらにピアノでサポートしていてコーラスもばっちり。
さらにはベースでかわいさんのコーラス(どーしても見てしまうの部分とか)も可愛らしく、メンバ間の呼吸ピッタり。

アレンジもたまアレンジて解散以来、初めてたまに限りなく近い学校に間に合わないを聞けたんじゃないかなあ。

上記2曲のほかに、オンリーミーとか秋の風などソロの曲もたくさんやってくれ石川ファンとしても凄く聴き応えのあるライブでした。

今回のようなライブ形態(フル編成バンド)で生で石川さんの曲を聴いてみて、 (石川曲をライブでバンド編成で聴けたのが今回が初めてというのがあるのかもしれないけど)

改めて石川さんの曲もバンドになると何倍、何十倍にも曲が映えるなあと実感。
秋の風なんてソロ史上一番豪華だったのではないでしょうか?(笑)

他にも石川さんと外山さんのパーカッション対決(石川さんが移動式パーッションで外山さんの前に移動して叩きあいをした。)など 2時間のライブでだれるところがまったくなく本当に見所満載でした。
今回のライブは、観客はおそらく50人足らずで、非常に少なかったけれども(前日予約でさえ整理番号17番)、内容は反比例級で満員でもおかしくない内容だったし、今回のライブに来ていなかった石川ファン、たまファンは本当にもったいなかったと思います(爆)。

是非とももし同じようなメンバーでのライブがあるときは、是非とも皆さんにも行って頂きたいです!
なんとなく意地が悪くなってしましたが
本当に意地悪言ってもいいと思えるくらい(笑)いいライブでした!(きゅうり)


(本人より)ありがとー。俺も面白かった。さすが全員ベテランだよな~!
たま時代のテイストが好みなら、時々やる真っ黒毛ぼっくすとのセッションなんかもお薦めかも。
へっぽこぴーとか青い靴とか、10人以上のバックバンドでやるので、これまた気持ちいいのだー。

10/08/13 ホルモン鉄道@西荻『theロック食堂』

小田急線で新宿へ行って、中央線に乗り換えて西荻窪で降りて、そこから少し歩いた『ロック食堂』でホルモン鉄道という不思議な電車に乗った。そんな、夏のある日の話です。
輪島功一ボクシングジムの隣、デビッド・ボウイのポスターが貼ってあって、その横にはダッチワイフが立っています。僕らは乗車券を手に、ダッチワイフのその横の入り口を開いたのでした。
中では車掌さんが僕らを迎えてくれました。そして僕らの切符にハサミを入れてから、僕らにひとつずつ弁当をくれました。「ホルモン弁当」と書かれた弁当でした。ホルモン焼きそばがたっぷりと入ったその弁当を食べながら、僕らは発車時刻を待ちました。
しばらくすると辺りが暗くなり、遠くから声が聞こえてきました。それは「ホ、ホ、ホ、ホ、ホールモン。ホ、ホ、ホ、ホ、ホールモン」という、なんとも怪しげで、でもどこか陽気な歌声でした。その声はどんどん近付いてきて、やがて僕らの前に二人のおっさんが姿を現したのです。
Tシャツに短パン姿のふたり。ぽっちゃりとした声の大きい方が石川さん、いかり肩で少し恥ずかしそうにしている方が大谷さんという名前でした。ふたりは仲が良いのか、悪いのか、よくわからない感じでホルモン鉄道発車の掛け声を上げ、そして列車は走り出したのです。
ホルモン鉄道は、僕らをいろんなところへ連れて行ってくれました。途中ではアメリカから来たキチガイ・スラッガーも乗ってきました。境鉱泉という萎びた温泉宿にも行きました。日本古来の伝統芸能「腹太鼓」も観ることができました。無理してオナニーもしていました。
ふたりの運転はとても探り探りな感じでした。いつも大谷さんは石川さんを見て笑っていました。「こんな変な奴、生まれてはじめて見た」っていうくらい大爆笑をしていました。きっとふたりが会うのは今日がはじめてだったのでしょう。だって何十年も一緒にいるふたりが、互いのことを見てあんなに面白がれるはずがありません。きっと彼らも僕らと同じように、偶然、ホルモン鉄道に乗り合わせてしまったのでしょう。だからふたりはあんなにも行き当たりばったりな感じで、だからこそあそこまで楽しそうに運転をしていたのだと思います。
ギターの弦が切れて、列車は終点に着きました。本当にここが終点なのかもよくわからないけれど、そこでホルモン鉄道は停車をしました。ステージの上にはバラバラに分解されたパーカッションと、弦の切れたギターが残されていました。僕らはしばらくそれを眺めながらビールを飲みました。
ロック食堂の外に出ると、やっぱりそこは西荻の町で、ダッチワイフがあって、デビッド・ボウイのポスターがあって、輪島功一ボクシングジムがありました。しかし、振り返っても、そこにはもう線路なんて無かったのです。僕達はさっきまで確かに列車に乗っていたはずなのに、その線路は跡形もなく消えてしまっていたのです。もしかしたら、そこにははじめから線路なんてなかったのかもしれません。でも、僕達は確かにホルモン鉄道に乗ったのです。だって、今でもあのふたりの歌声と、奇声と、笑い声が、耳の中に残っているのですから。(DO)


(本人より)夢か現か・・・。
とても非現実的な体験をしたんだね。
そういえば俺の腹が何故か真っ赤になっているんだ。
まるで何百回も素手でピシャピシャ叩いたようなあとが。
一体あれはなんだったのだろう。
たぶん今年の猛暑が見せた共同幻覚かもしれない・・・。

10/7/18 パスカルズ@遊行寺

どうやら梅雨も明けたらしい灼熱の太陽の下、パスカルズのライブを観に藤沢の遊行寺へ。
石川さんのライブに通うようになってもう1年がたつというのに、実はパスカルズのライブは初めて。なぜかいつもパスカルズのライブの日ばかり都合が合わず、1年の念願が叶った俺にとっては「ドキドキドキリコ初パスカルズ」記念日でした。
遊行寺の境内ではフリーマーケットや骨董市が開かれていて、しばらくそれを眺めていたのだけれど、「こりゃ暑くてたまらん」ってことでビールを買って、木陰で鳩とたわむれながらライブが始まるのを待ちました。
そろそろライブのある本堂に入ろうかなと入り口へ進むと、石川さんと遭遇。夏の石川さんの定番になりつつある赤い海水パンツにTシャツ姿で出番を待っていました。
そして、本堂に入りいよいよライブスタート。
スペースの関係で、ひとりだけステージから少し外れた立ち位置になってしまい淋しそうだった石川さんですが、さすがライブが始まればその存在感はハンパなかったです。窓が数ヶ所開けられただけの蒸し暑い本堂で、踊り、歌い、そして叩く。両腕にタトゥーを入れたパンク少年達もびっくりするほどの、超一流のパフォーマンスでした。
はじめて観る生のパスカルズは、本当に衝撃でした。夏休みの午前中に聞く蝉の鳴き声のような、アナーキーでノスタルジックな音。そのはじめの音が鳴った瞬間に全身に鳥肌が立ち、あとはそのテンションやグルーヴにただ飲み込まれていくだけでした。正面にはパスカルズ、振り向けば阿弥陀如来像。なんとも不思議な空間で、うまく表現ができないけれど、とにかくただひたすら“ハッピー”な時間を過ごすことができました。
小さい子どもが石川さんを見て怖がって泣いていたけれど、俺も涙がでそうなほど感動をしたライブでした。(DO)

(本人より)初パスカルズおめでとー!
DOは最近よくライブに来てくれているので、てっきりもう何度も見ているのかと思った。

そう、確かにパスカルズのライブって平日が多いんだよね。
この日も3人欠席だったので、たぶんこの3人が休日NGなのかも?
しかもその3人がどちらかというとメンバーの中では俺寄りの立場。
つまりパフォーマンスやサウンドでかなり特異な存在感を示す3人なので、是非フルのパスカルズも観てほしいっ!
さらに世界が広がってるよん!

俺や知久君とかも、普段のソロライブなどはボーカルが中心なのに、パスカルズは基本インストバンドなので、逆に楽器で思う存分遊べるから、やってても最高に楽しいっ!
これをきっかけに是非パスカルズワールドを堪能してくださいな~っ!

7月3日「石川浩司生誕祭」&7月4日「ニヒル牛とニヒル牛2」

7月3日の「石川浩司生誕祭」へ。
これは行っておかないと後悔する!無職の暇こいてる今のうちに行っておけ!そして何より、自分の音楽活動や生活する上で、何かのヒントや勇気が得られるかもしれない!と夜行バスのチケットを手配し、前日の夜、兵庫から出発。
朝7時に新宿に着いた後、友達と会ったりふらふら歩いたりで時間をつぶし、MANDA-LA2へ。

どんなことをしでかしてくれるんだろう。早く開演してくれ。それだけだった。
しょっぱなからぶっ飛んでたドタマ・カチ・ワルド。ボーカルの子が藤子漫画に出てきそうだ。石川さんの出番が少なかったのが少し残念。

次の今井二郎さんは、もう想像の斜め上を行きすぎた。いきなり手足の動くライオンの人形を動かし「♪猫の王様ライオン~ガオー!」と即興らしき歌を歌ったり、歌詞を段ボールに描いて読みながら歌ったり、謎の絵に後ろからライトを当て、「♪エロス~」と歌う。その横で石川さんが「あっは~ん」と喘いでいる。なんだこの危ないおぢさんたちは!素敵すぎる。
文字通り、「すきなよ~にすれば」だった。何の躊躇いも、薄っぺらいカッコつけた様子もない。なんだか体裁を取り繕うのに必死な自分が恥ずかしくなった。

真黒毛ぼっくすは石川浩司メドレー。演奏がしっかりしてるので、聴いてて楽しかった。ホーン隊のいるバンドはサマになる。
そしてフロントの石川さんが誰よりも一番楽しそうに歌っていたのが印象的だった。

ラストのイシマツは初めて見たが、やはりパスカルズ同士ということで息がぴったり。今更ながら石川さんのパーカッションの技術は本物だと確信した。
プロに巧いと言うなんて、オードリー・ヘップバーンに「あんた美人だね」と言うぐらい野暮な話だが、本当にリズム感がバッチリだし、独特のセッティングから来るサウンドは誰にも出せないんだから仕方ない。
そして「オンリーユー」は何度聴いても泣いてしまう。清志郎さんのバンド、THE TIMERSの「Day Dream Believer」の日本語訳詞に匹敵すると思ってる。
アンコールの「かにばる」が恐ろしく素晴らしかった。

翌日、ネットカフェで過ごし、眠れぬカチカチの体で西荻窪にいた。
念願の「ニヒル牛」へ出向く。そして、やっと奥様のあるさんにお会いできた。とても気さくな方で、このお店が続いてるのはあるさんの人徳に違いない。
噂通り色んな雑貨やCDなどが売っていた。ほとんどがクリエーターを夢見る若者の手作りで、「うお、すごい!」というものから全く興味の無いものまで色々あった。「涅槃交通バス」と書かれた地獄行きの路線図入りのTシャツと、うさぎさんの絵のバッジを買う。そして前日に売り切れてた石川さんの生前葬のDVDも。
また、「ニヒル牛2」にも行ってみた。そこではあるさんのお母さんが店番をしていた。
しばらくしたら石川さんが店に入ってきた。どうやら荷物を取りに来たようだ。びっくりしたが、DVDにサインを頂き「ではまた今度~」と言い、ヒーローは出て行った。
2でも雑貨などが売ってて、さらに軽い飲み物を頼める。襟のデザインが素晴らしいシャツがあったが入らなかったので泣く泣く断念。その代わり、漫画家の奈知未佐子さん作の「れんこんハンバーグの作り方」のレシピが描いてあるTシャツを購入。どうしても風呂に入りたかったので、お母さんに「この辺に銭湯はありますか?」と訊くと、すぐ近くに「文化湯」という銭湯があったので、お母さんに案内して頂き行った。やっと足を伸ばせたー。ふう。
入浴後は、たぶん関西にはもう売ってないドクターペッパーを飲む。うむ、薬臭くて美味い。
またお店に戻ってしばらく雑談した後、夜行バス出発場所の新宿へ。

帰りたくなかった。あんな楽しい日々が毎日続けばいいと思った。でもそれは無理だ。残念な気持ちを抑え、渋々バスに乗り。帰宅。リュックが重かったのは、荷物や買ったものだけのせいじゃないかもしれない。(くすもと明子)


(本人より)遠くからサンキュー!
少しでも今後の創作活動の刺激になったなら、こんな嬉しいことはない。
癖のある出演者と絡むのは実に楽しい。
もうジジイだから何やってもあんまし怒られないし(笑)。

今度は是非、関西でも何か愉快なイベント企画しておくれ。
なんせ君も相当癖のあるミュージシャンっぽいので(笑)。

'10/6/5 富山ホルモン鉄道ライブ

富山には友人がいる・富山は絶対に美味しいもの天国に違いない・きとかっちゃんにもまた会いたい・ 大谷さんの本拠地でのホルモン鉄道・・・・!
ということで、車でのらりくらり6時間かけて富山ホルモン行ってきました。 感動の富山初上陸は富山が「ようそこ富山へ」とか看板で言ってくれないので気付かぬうちに富山INしてしまいましたが、空が広く広く、美しい立山連峰が連なっていてとんでもなく素晴らしい所でした。魚も激しく美味しく、こればかりは同じ海沿いですが太平洋側の静岡県は日本海の富山に負けたな、と思いました。私が富山に住んでいたら毎日狂ったみたいに魚介類を食べ続けるでしょう。

と、こんな素敵な土地でのライブは、これまた素敵すぎるギャラリー兼建築事務所な「ガラスのピラミッド」。
ライブの日は丁度、作家さんが作った絵画や陶芸、洋服等の展示が行われていました。
そんな中の「誰かのうちの居間」みたいなところでライブがスタート。
富山で活躍されている「第七警察(セブン警察)」さんがトップバッターで登場し、私は恐れ多くもその時点で存じていなかたったのでポカーンと観ておりましたが、ライブが始まったとたん引き込まれて私もみんなも、もう、デスメガネ!!セブンさんにはもうちっと近いエリア、せめて東京でもライブやってくれないだろうかと思うほど面白くて心をキャッチされてしまいました。
第七警察さんはひとり組みテクノさんなのですが、80年代テイストを持ち込んだ現代テクノで、とても面白かったです。映画も(いい意味で)イカレた映画を観ていて、またオタクトークをできぬものかとまた切実に会いたいです。

そして、とってもとってもとってもまた会いたかったきとかっちゃん(きときとバハマ)は嬉しいお知らせを乗せてピコピコバハマで登場。
彼と彼女はなんていつも笑顔で素敵なんでしょう。本当に素敵な二人です。そよ風みたいなんですよ?!
私には絶対的に繰り出せない素敵さです、きとかっちゃん。
きとかっちゃんの音楽を聴いていると胸が温かくなって、いつも何キリキリしていたんだろうーって気持ちになります。
友人夫婦も十分面白い方々なのですが、富山って面白い人が一杯いるんだなぁって、そういうのも考えると本当に素敵な土地だって心底思いました。
氷見の銀杏餅もべらぼうに美味しかったし。富山に住んでもいいわってか引っ越しちゃいたいくらい富山は素晴らしい土地です(しつこい)。

そして、大好きで仕方ないホルモン鉄道・・・・・!!
私が普段好んで聞いている音楽はわりとパスカルズととても近くってパスカルズも大好きなのですが、石川さんがかんでいるソロ以外では、それでもどうしてもホルモン鉄道が胸が痛くなるくらい大好きです。
歌自体は放送禁止まみれでガス屋が我が家を訪れた際は「ホルモン鉄道が流れないプレイリストを・・・!」 と必死にかからないプレイリストで音楽流したりしているのですが、大谷さんと石川さんが本当に仲良しでもう、なんでかわかんないけど可愛らしくって、たとえ「せんずり数え歌」と聴いていてもなんだか胸が一杯になってしまいます。
石川さんも、大谷さんも、とっちゃんも、本当に大好き、大好きです。
この旅では、石川さん・大谷さん・とっちゃん・きとかっちゃん・第七警察さんという、自分自身で表現してやっていっているアーティストの方々と一杯一杯はなしをして話を聞かせてもらうことができて、自分として今どう活動していこうかと悩み倒している最中だったのもあって、本当に一杯エネルギーもらって、本当に行ってよかったなっていう富山の旅になりました。
帰りたくないし、みんなもどこにも行かないでずっと一緒にいて!って泣いて大暴れしたいくらい、帰っていくのが辛かったです。
本当にみんな大好きです。一杯音楽も表現もお話もくれて、本当に有難うございました!
私も、がんばります!!
と、やや暑苦しくて気持ち悪いですがほんとに嬉しかったことりでした。
最後に、主催のきとかっちゃん、本当に有難うございました。きっと、今年はまだ半分も過ぎてないけど、今年一番に自分の糧になったし、一番行ってよかったところだったです。年内、抜くことはないでしょう。
ほんとにありがとう!!(ことり)


(本人より)わざわざ静岡から富山まで、日本の中央を横断して来てくれてありがと~。
そもそも富山ではイカ天の放送がなかったので、たまの認知度も他の土地と比べると低いんだけど、そんなこと関係なく盛り上がったねー!
初対面のセブン警察も、何の打ち合わせもなく本番でいきなりステージにあげていろんなことやらせた。
若手をいぢるのはジジイの楽しみじゃわい(笑)。

そういえば大谷家に一緒に泊まったのも楽しかったね!
実にきさくなミュージシャンとファンの関係(笑)。
とっちゃんも「ことりは面白いね」と言ってたよん。フフフ。

'10/4/18 イシマツライブ

個人的には2度目のイシマツライブでした。
会場は、古い洋画の1シーンをそのまま切り取ってきたかのような、大変雰囲気の良い酒場でした。渋い雰囲気、というのは恐らくああいう場所のことを言うのでしょうね。
ステージと僕との距離は、およそ1メートルほど。かなりの至近距離です。ライブをこんな至近距離で見ることはほとんど無いので、それだけで緊張しちゃいました。うひゃ~、こんな近くで見ちゃっていいんだべか~、と戸惑ったりしました。

石川さんとマツさんの掛けあいは、やはり見事と言うべきものでした。マツさんが奏でるピアノやピアニカの秀麗な旋律と石川さんによるパーカッションやオモチャや歌による独特な味わいが絶妙に絡み合い、そして会場が持っている渋い雰囲気が相まって、何か1つの劇を見ているような、そんな気分になりました。
特に、2人の演奏によって構成されるインストゥルメンタル曲に、そんな要素を垣間見ることが出来たように思います。マツさんによる演奏。石川さんによる、たぶん即興であろう、パーカッションや百面相やおもちゃ鳴らし。歌詞が無い分、こちらで曲のイメージを勝手に想像してしまい、そこで展開される風景は時に楽しく、時に面白く、時にしんみりとさせられるものがありました。これもまた、イシマツの醍醐味なのではないかと思います。
今回は個人的に初めて聴く曲が多く、「毛虫おじさん」や「海馬のワルツ」、「僕はねむい」など、新しい曲を楽しむことが出来たのが凄く嬉しかったです。反面、以前にも聞いたことがあるマツさんのソロ曲、石川さんによる「326」、最近の常連曲である「夜の牛達のダンスを見たかい」など、馴染み深い曲を堪能することも出来、実に楽しい一時でした。

下北沢という都会の一角にある地下のライブハウス。そこでは2人のアーティストが、あらゆる手段をもって曲を表現していました。そしてそれは、しばしそこが都会の一角であることを忘れさせるかのような、数多の風景を見せてくれたのでした。(たちつ亭と~助)

(本人より)パスカルズと違ってイシマツはふたりきりなので「ちょっとここでひと休憩」がない。
もちろん歌詞のある歌以外は俺はほぼ全部即興なので、相当神経は張り詰めているだろうなあ。
でも終わった後は、心地よい疲れが「仕事した!」感に浸れる。

なんせ、ライブ以外は俺って何もしないクズだからな・・・。
ま、クズ好きなんすが(笑)。

'10/4/17 大谷臨時楽団

「ホルモン鉄道」でも演奏している曲達から、今回初めて聴いた大谷さんの新曲達まで。今回の石川さんは、どちらかと言うとパーカッションやコーラスに徹する事が機会が多いように見受けられました。もっとも、それでも石川さんの存在感は絶大なのですが。

ライブは、ホルモン鉄道の曲から始まりました。「正調腹太鼓音頭」、「意味なし笛」、「キチガイスラッガー」などなど…。おっさん7の時の「スーパーホルモン鉄道」も見かけた「馬鹿馬鹿しい凄さ」は今回も健在でした。ホルモン鉄道の曲を演奏している間は、常に微笑ましい気分になってしまって途中途中きっかり笑ってしまうという、そんな感じでした。 各メンバーのソロコーナーを挟み、徐々に大谷さんの新曲を多分に含み始めます。
実を言うと、この時聴いた曲は初めて聴く曲ばかりでした。しかし、だからといってそれに抵抗があったかというとそんなことはなく、むしろすんなりと曲の世界に引き込まれていったように思います。
これは、大谷さんの曲がもともと「様々な心地よい感情」をこれでもかとばかりに引き出したものであることに加えて、石川さんを初めとした楽団員の皆様の演奏がそれをさらに引き立てたことが大きな理由ではないか、と考えました。

大谷さんの曲は、「あなたとライオン」にしても「ヘビー級のレストラン」にしても「うすくち」にしても、曲の雰囲気がまるっきり異なります。それでいて、これらの曲が互いに反発することなく、1つの大きな流れとして心地よく聞き続けることが出来ます。これだけでも素晴らしいことだと思います。
そこに、楽団員それぞれの楽器やコーラスが入ることにより、魅力がさらにさらに増しました。

今回の大谷臨時楽団では、大谷さんの曲という母体に個性的なメンバーが「その人にしか出せない魅力」で味を付け、変幻自在な味わいを楽しむことが出来ました。 (たちつ亭と~助)

(本人より)「遊び仕事」の最たるものだよね。
こういうことが仕事になって、本当に幸せっす!フフフッ!

2010.4.17 吉祥寺MANDA-LA2 大谷臨時楽団ライブ

4月も中旬になるというこの日にはなんと、前日夜から未明にかけて雪が降るという自体に!
ライブの中でのとっちゃんさんの「1月のおっさん7というイベントでも雪が降って交通が閉ざされるということがあった。大谷氏は悪天候をつれてくるようだ」とのMCが思い出される(笑)

 マンダラ2の並び位置は入り口からちょっとはなれたところだった。並び位置から入り口が見えるとこまで来るとそこからホルモン鉄道のお二人が出て行くところを目撃。ウーン、この近距離間って何かが麻痺していくようだ、うれしいけれど。ちなみにこういうときの演者って一体どこに行くんだろう。結構楽しい謎だ。1時間もある長い待ち時間のなかで他のお客さんは酒を飲んだり、夕食したり、当日券もあるから立ち見も出たりでとにかく盛況。
やがて「ホルモン鉄道のテーマ」で開演。知久さんが「見習い」としてへんな踊りで絡んでいたが大谷曰く「意外と頼りない」(笑)。
「正調腹太鼓音頭」や「意味なし笛」をやったけれど、悲しいかな、舞台が狭くて飛び回れず、山梨の舞台を見たものにとってはほんのちょっと残念。
「キチガイスラッガー」ではおっさん7に続きまたシンバルの天辺に突き刺さるバッド・・・。
 ホルモンが終わってソロコーナーに突入。
原さとしさんのステージはちょっとトラウマになるほど凄かった。なんとモンゴル民謡[ホーミー]で歌い始める原さん。恐ろしく吸引力のある歌を2曲披露(2曲目は知久さんがサポート)。
とっちゃんさんの「そっと咲く花になる」はその清楚な人柄がにじみ出るいい歌だった。
そして石川さんと知久さんのステージは個人的にはサプライズ!「夜の牛たちのダンスを見たかい」石川さんはお悩み相談でかまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の詞を引用して悩みに答えられたことがあって、そんな感じの口説くような歌かなと思っていたけれど、こういう予想ってやっぱり裏切られるんだな。
知久さんの「すいか畑」も聴けた!石川さんがセッションによばれてパーカッションとサブボーカルを勤め・・・うわっ、今つまんねー事考えちゃったよ!!(泣)

休憩を挟んで大谷楽団の演目は「忘れモノ」から。最新作「保存盤」からほとんどピックアップ。大谷さんのCDは「あなたとライオン」しかもってないけれど、結構その中から出ていて安心した。「セロテープ」や「しかられて」でテンションは最高潮に!!大谷さんってあんな激しい歌を決して奇をてらわずに素の状態から作るからそこが〔鬼才〕と呼ばれる所以なんだろうなあ。
そして「魂の呼び声」「夢の出口」は深く人生を考えさせられる歌だった。「境鉱泉」といいこういう歌があるから大谷さんへの支持は不動のものになっていくのだろう。

またまた拍手を待たないアンコールを終えて舞台はお開きに。ダブルボーカルどころかカルテット・ボーカルを堪能できた素晴らしいライブだった。
ちょっとおもしろかったのが原さんのMC。なんと原さんと大谷さんは高校が同じでしかも年は二つ違いだったとのこと。大谷さんが学園祭でライブをやっていらして、それを見て原さんは音楽の道を志すきっかけになったのだそうだ。大谷さんはモテモテだったそうだが、本人にはそれを否定。なんかよくおんなじ場面を見たことがあるぞ!!![Sankaku]

(本人より)それぞれ、まぁ年もいってるからソロでもそこそこ見せられるけど、全員一丸になった時は「技術ではソロほどの卓越したものは見せられないかもしれないが、感情の自由さは比類なき最高度!」。
これはやはり長年一緒にやってきたからこそ出来るものなんだよね。
いくらベテランでも同じ時を10年、20年一緒に過ごしていないと出来ないツーカーのものというものがある。
この面白さは、他のところでは決して出来ないものなので、今後も機会をみてやれればな~と思うね。
なので、そういうちょっと特殊な物が見たければ、この手のイベントは見逃せない。
お客さんも、年季の入った人が多かったかも?(笑)。


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