ザ・レポート(12)


今まで石川がかかわってきた全ての活動、つまり「ソロ」「パスカルズ」「たま」「突然段ボールなどとの共作」等のライブ、CD、ビデオ、またテレビ、ラジオなどのマスメディア、演劇、書籍、ニヒル牛、コレクション、すごろく旅行、このホームページ、その他とにかく俺がかかわってきたありとあらゆる表現活動の感想、評論、思い出等を募集します。
 既に何かに発表したもの(ミニコミ、ミクシィ日記、ホームページ、掲示板等)の再録も自分で書いたものであれば0Kです。批判やお叱りももちろん構いません。他の人のプライバシーの侵害や、特殊なケースを除き、基本的に全て採用します。何についてのいつのもののコメントかをなるべく分かりやすくして、メール(ミクシィメッセージの方がより嬉しい)にて題名「レポート」でお願いします。1点5ポイントです。裏話等や本人のそれに対する意見や感想なども付けていくつもりなので、気軽に応募して下さいな~っ。
 尚、一応「レポート」なので最低ひとつ100文字以上が望ましいです。例えば俺本人も知らない「こんなとこに載っていた」情報及びその感想とか「すごろく旅行を実際やってみた思い出」など俺にインスパイアされたものでもOKですよ~ん。

不思議な「たま」との縁

私が若かったころ、「地下生活者の夜」といライブを見に行った時にもらったパンフのコピー誌がとてもおもしろくて気に入りました。
特に家でうだうだするという内容のマンガが大うけでした。そのパンフは今もとってあります。

それは一回きりでその何年か後、当時流行りのイカ天で「らんちう」をきいたとたんに目がくぎづけで、あれよあれよとイカ天キングになりましたね。あの当時テレビへの露出が多かったのは、ありがたかったです。なぜなら私は子育て中で、テレビがなければ「たま」に出会うことは出来なかったでしょう。それはさておき、その時「石川浩司」あれ?地下生活者のパンフのひとか?うわ?偶然だなと思ったのでした。なかなか行かれなかったけど「たま」のライブ3回くらい行けました。いい映画だからぜひ見てくださいという不思議な映画を上映してからライブが始まったり、マンダラだったと思うけど、ライブの後ふつうにメンバーがうろうろしててドキドキしたこととか楽しい思い出です。「たま」はそれ自体が演劇的な雰囲気を持っていたので、劇中楽団みてみたかったです。ケラさんの「GUNS AND ROSES」はみたのですが、ケラさんの演劇は私の好みではありませんでした。

それからファンクラブも止めてしまい、(柳さんがいなくなったせいかと思います。たまでの柳さんの価値が大きかったんでしょう)ライブも家から遠いせいもあり行けなくなり、テレビで消息をきくこともなくなったころ、不思議な縁でまた石川さんを見つけたのです。
 それは私が愛読していたマンガ雑誌にでした。大竹サラさんというマンガ家さんのエッセイマンガに、な、なんと石川さんが登場したのです。私の好きな物はなんとなく石川さんにつながっているんだと思うとうれしくなりました。知久さんもいる「パスカルズ」の活躍もサラさんのエッセイで楽しく読みました。でも私、パスカルズの音まだ一度もきいてないのです。最初はどのCDをきいたらいいと思いますか?ニヒル牛もいつか行きたい所です。すごろく旅行のアイディアには、すごく感心します。石川さんに私の話を読んでもらえるのがうれしいです。 はじめましてのかーやより

(本人より)おぉ、まだ初期の頃の「地下生活者の夜」に来ていたとは、オヌシ、通じゃのう。
パスカルズは入りやすいのは「パスカルズが行く」かな。でもちょっとロックっぽい方が好きなら「どですかでん」かも。
どっちもハズレはないと思うよ~ん。ニヒル牛でももちろん売っているので、是非合わせてどーぞ!

「たま」に出会いました。

この間何気なくCMを見ていたら、小さい頃からなんとなく聴いていためばえ教室の
「背伸びしてつかまえた玄関の取っ手の向こう側」
という詩が、突然頭の中に伝わってきて、
素直な単語だということと、実は深いところに感動して、 とても気になり調べたら「たま」の教室という歌でした。 とても素朴で温かい歌でした。

演奏をしている映像を見たら、リコーダーを吹いていたり、 アコーディオンを弾いていたり、缶を鳴らしていたり、擬音を叫んでいたり、楽しいアートのようでいつの間にか完全に「たま」の世界感にはまっていました。
そして、石川さんのHPに辿り着き、たまという船に乗っていた を読みました。
読み終えた今は、生い立ちから旅立ちまでずっと一緒に見てきたような気分です。
より、たまの音が素朴で人間臭く感じられる様になりました。
ドラムセットは元はゴミだったんですね。ピアニカの風船は弾きながらでも歌えるように開発したものだったんですね。
音楽の原点を作っていたんですね。心にとても響きます。 どこでもツアー、見たかったです。

「たま」のCDは今は殆ど廃盤で聴く事が出来ませんね。 そのろく は近々再発されるみたいでとても楽しみです。
私の様に、最近出会った人間でも、発売された頃と同じジャケットを見ながら、同じ選曲の全てのCDをいつか聴けるようになると良いな。
たまという船に乗っていた も活字で大切に読みたいです。

ニヒル牛、楽しそうですね。私もイラストを描くのが好きなのでいつか出展したいです。 (min)

(本人より)たまのCD、後期の地球レコードの物ならほとんど買えるよ。でもまだ見てないなら「たまの最期!」のDVDかな、最初に買ってもらいたいのは。
現物が見たいならニヒル牛へ。通販もやってるよ~ん。
まだこれから、と言うことは逆にいろいろ楽しめていいな! ふふふ。

世田谷美術館で、パスカルズを初めて見た

08年4月26日
 CDはアホみたいに繰り返し聴いていたけれど、ライブは初めて。まだ見ぬ遠距離恋愛中の恋人のような存在だった、パスカルズ!ついに観れる!開演より随分前に到着。
野外はもうすでに一部の楽器がセッティングされている。空は曇りだけれど、周りには木々が生い茂っていて、東京とは思えないくらいのんびりした場所。「こんな場所でパスカルズを観られるんだ!」とわくわく。リハーサルがはじまる。ただし石川浩司(以下ファザー)はリハーサルに不要なスターなので、ふらふら踊ったり、私のマッサージを受けたりしていた。リハーサルでもかなりの満腹感を味わっていたのだけれど、まだまだパスカルズの魅力はこんなものじゃなかった。本番でそれを思い知らされる事になる。

 リハーサル終了後、ファザーが持参していたレジャーシートを控え室に敷いて、マッサージをする。(注:私はファザーにマッサージの腕を見出され、タイ式マッサージを勉強中なのです)施術中、「雨で屋内になったって知ってる?」とパスカルズのメンバーの方が知らせにいらっしゃる。「え!しらない!」とファザー。外へ行くと、なんと大雨。会場は屋内になり、辺りは騒然としている。
私はじゃまっけにしかなれそうにないので退散することにした。するとロビーには、全国各地からパスカルズやたまを愛してやまない友人たちが二十人以上も集っていた!初めて会う顔、久々の顔。いずれも「友よ!会いたかった!」というような面々。会場と同時に、一同で石川浩司前を占拠。 会場は超満員!座る事ができず、入り口から顔を覗かせる人が溢れかえっている。すごい、すごい!

 30分押しで、パスカルズの皆さんが登場。そして演奏スタート!!・・・が、ファザーはいない。私は3曲目に登場するという旨を事前に聞かされていたのだけれど、 左隣に座った先輩はそれを知らなかったので、「ダディがいない!!」という面持ちでキョロキョロなさっていたのを、私は忘れまい(笑)。3曲目、ファザー登場。初体験に投稿したものと、内容が重複するので割愛するが、ファザーの登場に私は完全にK.Oされてしまった。パスカルズにおけるファザーの重要性は想像を絶するものだった。ファザーのパーカッションやパフォーマンスが入ることによってパスカルズはより一層自由さを増し、観る者たちに喜びや楽しさを与えてくれるものに変貌を遂げるのだった。リハーサルのパスカルズで満足していちゃいけなかった!マラカスでパーカッションを叩く、マラカス大破。ゼンマイ仕掛のイモムシのおもちゃをタムドラムの上で遊ばせる。クラッカーを鳴らす。「横を、タダ乗り」という駄洒落をかます。メンバー紹介では、着ていたゴミ袋を引き裂く。ああ、もう、ファザー、なにやってるんだーー!おかしくて楽しくてたまらないじゃないかーーー!!

 パスカルズの音楽を聴いている間は一時も退屈せず、緊張もせず、ただひたすら嬉しくて楽しい時間でした。マツさんの「最後の曲です」という言葉にふと我にかえり、「やだやだーーー!」泣き喚きたい衝動にかられました。
退場するも、すぐに熱い熱いアンコール!私も「手が千切れても構わないわ!」と言わんばかりに、感謝を込めて激しく喝采を送らせて貰いました。ショックと感激のあまり、ライブを終わった直後マトモに会話ができなかったほど。

 パスカルズがもっともっともっともっともっと多くの人に観られる事を、ライブを観る前と比べ物にならないほど、強く願っています。私は老若男女問わず、自信をもってパスカルズのライブをお勧めしたい!!!!!!ちょっとでも「観てみようかな?」と思っている人は、ぜひぜひ足を運んで欲しい!後悔することは絶対にありません。もし後悔するとしたら、今までパスカルズを見てこなかったことを後悔してしまうと思う。私はこれからもパスカルズの音楽を聴かずにいられないでしょう。「たま」には間に合わなかったけど、「パスカルズ」には間に合ってよかった!!! (桃玉)

(本人より)ねっ、良かったでしょう?
たまとはもちろん歌ものも少ないし微妙に違うジャンルかもしれないけど、根底に流れる自由に音を楽しむ精神はむしろたまを上まっているかも。
まだ未見の方、今度は7月3日の俺の誕生日にちょうどライブあるので、是非来ておくれ~!

「どん底」で、劇中役者・石川浩司を見た

 先輩ことさっちゃん、数時間前に初対面を果たした広島の三味線ボーイうきうき、そして私の3人は、芝居「どん底」を観る為に渋谷はシアターコクーンにいた。芝居を観る前に私たちには一足早く乗り込み、「パスカルズを北海道に呼ぼう!」のチラシをこの日の公演チラシに折り込む、という作業が課されていた。黙々とこなしているところ、ヒゲ面の石川浩司(以下、ファザー)が現れた!チェンマイ以来なので、ほぼ2ヶ月ぶり。浮浪者の役作りのためのヒゲとの事だったが、私と先輩は「こっちのが格好良い!」「ヒゲがある方が浮浪者に見えない!」「浮浪者というより悪漢!」と大好評(?)だった(笑)。うきうきは「本当にうきうき?」と言われてた。

 チラシ折り込みを終え、先輩の宿にて3人で歓談。M次郎ちゃんに電話をしたり。そんなこんなで、すぐ開演時間。すぐ近くの席にゲイノー人が沢山いて、さっすが東京、と田舎者は思った。消灯パスカルズの音楽「走れ廻れ(どん底バージョン)」とともに開演!それがが痺れるほど素敵で、芝居の世界に入り損ねそうになるほどだった!

 ファザーのことは忘れるくらい舞台に魅入ってたら、場面が切り替わるときに登場。待ってました!!小学生が自分の机を運ぶような格好で、パーカッションセットを持っている。そのときの先輩の興奮っぷりを、私はきっと忘れまい(笑)!そういえば、ファザーがしょぼたまやパスカルズで使用しているパーカッションセットを叩くのを見るのはこれが初めて。震えるほど感激した。演奏は「 ア ッ ! 」という間に終わってしまい、うっそぉ、出番、もしやこれだけ!?とやや心配になった・・・。けれど、後半セリフはないものの舞台に登場したり、最後の大合奏では舞台中央に鍋を叩きながら現れるなど、大活躍っぷりを見せてくださり、大満足でした。うーん、よかった。芝居も面白かった。文字通り、どん底に突き落とされたけど・・・・。(桃玉)

(本人より)あれはストーリー的には救いのない話だったよね。もっとも作者はゴーリキーだからね。
今回は久しぶりにほぼ劇中バンドだけで出演。パスカルズと同様、演奏部分は基本的に俺はフリーだったので楽で楽しかったな~。
俺も芸能人いっぱい見た!(笑)
ちなみにWOWOWで7月放送、DVD発売もあるようだ。

パスカルズ@どんとこい2005(藤沢・時宗遊行寺)

(mixi日記にアップしていたレポを追記しました。) 2005年5月21日、藤沢の遊行寺でパスカルズを観てきました。初めての生パスカルズ、最高に興奮しましたー!!
「どんとこい 遊行寺春の音祭り」という音楽イベントの中にパスカルズが出演したのでした。
このイベントは、2000年1月にハワイで亡くなったミュージシャンのどんとの魂を偲びトリビュートするライブイベントで、今回で5回目の開催になるそうです。
お寺の境内の段差部分をステージにして、低い部分は客席になっていました。そのほかには定番のフリーマーケットや物産展なども行われていました。
出演バンドはたくさんありましたが、その中で、小嶋さちほ with どんと院バンドというのがひときわ印象的でした。小嶋さちほさんはZELDA以来、20年ぶりくらいで肉眼で見たんじゃないか(笑)。さちほさんが息子さんたちと一緒に組んだバンドで本格的なロックを演奏していました。
来ていたお客さんは、なんだかインド系というか、チャイハネ系というか、昔のヒッピーみたいな人たちが多くいて、ちょっち違和感ありましたけどね。

そんな中、パスカルズは夕方近くになって登場しました。 もともと遊行寺は「踊り念仏」で有名な一遍上人から数え四代目の呑海上人が、1325年に建立した時宗の総本山であります。それから700年の時を経て、現代に踊り念仏は蘇ったのでしょうか。石川浩司さんは、何かが憑依して乗り移ったように境内を駆け回り、超絶ダンスをしていました。最高に笑いました。感動しました。
姉さん巻きにバンダナをしたボーカル&トイピアノの女性が可愛かったです(注・そのときはあかねさんとは知りませんでした)。「だんだん畑」は心洗われる曲でした。
たくさんの感動をありがとうございました。(波照間エロマンガ島)

(本人より)このイベントは毎年恒例で、先日もツアー帰りでまだボーっとしている中、やってきました~っ。
生前のどんととは数回会っただけだけど、オーラが半端じゃなかったなぁ。まぁオーラというか服装もプライベートでも同じだったので、井の頭線の車内で見かけた時は何か派手過ぎて声がかけられなかった(笑)。
39才での急逝だもんね。確か柳ちゃんと生年月日が全く一緒だったんだよね。ということは俺よりひとつ下か。
ちょっと早過ぎたな、ダンナ。

08.04.26 世田谷美術館 パスカルズライブ

私にとっては、初めてのパスカルズの生音であります。
用賀駅に15時過ぎに着いたはずなのに、バス待ち&バス移動で55分かかってしまって、やっとの思いで美術館にたどり着いたときにはもう演奏が始まっていました。
15時前くらいから雨が降り始めてしまったので、野外の予定が急に講堂での演奏に変わり、その準備のために開演が30分ほど遅れたのだということを後から知ったのですが、それでも16時にたどり着いたときは講堂の外まで人があふれかえっていて、人垣の隙間から顔を出してのぞいてみたものの、見えるのは客席だけで、左手奥の方向で演奏しているパスカルズを見ることはかなり難しい状態ではありましたが、最前列にいるマツさんや、終始動いている石川さんは頑張れば何とか見えるような感じでした。
先月の知久さんライブで購入していた「ハイセンスシューズ」からの選曲のようでした。
パスカルズはCDで聴くよりも生で聴いた方がずっと迫力があって、ワクワクゾクゾクするような興奮と楽しさで音や雰囲気を紡いでいて、人垣の隙間でぎゅうぎゅうと詰まった状態で聴いているのではなく、もっとゆったりのびのびと聴いていたいなぁと思いました(遅れて来ておいて贅沢ですが)。
合間合間のトークが、どなたが話しておられるのかわからない状態で聞いていたので、てっきり知久さんの声!と思っていたら、ようやくちらっと見えたときに話していらしたのがマツさんだったことがわかりました。お二方の話し声が似てるなーと思ったのは私だけなのでしょうか。
石川さんもお間違えになるというあかねさんとうつおさんを見てみたかったのですが、やっぱり人垣の隙間でぎゅうぎゅうだったので、本当に一瞬だけしか見ることができず、あっ似てるかも、くらいの認識しかできませんでした。
最後の方で石川さんが衣装の話をされていたときに、ようやく全体のお姿を拝見することができまして、ビニール袋にたくさん赤ちゃんの写真を貼り付けた衣装を被っておられ、「フランスのツアーに行ったときにできるだけ持って行く衣装を軽くしたいので、使い捨てできるものを考えました」という話を披露されると、客席はおおウケでした。
結局パスカルズの全体像は見ることができなかったけれど、生音の迫力に感動することはできたので遅れてでも聴くことができてよかったです。(梅桃ひよ子)

(本人より)用賀だったら歩いて15分、タクシーだったらワンメーターで5分で着いたのに。都会のバスを信用しちゃいけないよ~(笑)。
そうそうこの日は元々は野外でゆったりやろうとサウンドチェックまで済んでたのに、突然の雨で急遽講堂に移ったんだよね。
ゴミ袋服はこの日が初お目見えというかお試しで、ヨーロッパツアーでも大活躍。なんせ俺は人一倍動き回るので汗をかくのだが、ツアースケジュールがハード過ぎて洗濯する時間がほぼないので「使い捨て衣装」という苦肉の策を考えたのだ。
サウナスーツ代わりにもなるのでダイエット効果も期待!?
ツアーから帰ってきたら「ガリガリ浩ちゃん」になってるかも・・・。

08.04.27 潮風王国アートフリーマーケット 石川浩司ソロ&夢のしょぼたま再結成

このイベント開催に、石川さん知久さん滝本さんのお三方がそれぞれソロで出演されるという話を聞いたとき、たまファンなら誰でも「一瞬の夢」を抱いたのではないかと思います。私もその話を耳にして騒然としたひとりであります。
ただ、開催場所が房総半島の南端、千倉であり、九州から出てくるというにはあまりにも遠い距離、参加はしたいけどここまで遠いとムリだなー、とはじめは参加者の動向やイベントの詳細等を見守ることに専念しておりました。しかしそのうちに、解散から5年間、1度も集まったことのない3人が集まるということや、移動距離は長いものの詳細を調べると費用もそれほどかさまずに済みそうだということ、全国からたまファンの仲間達が続々と集結を決めているということが後押しとなって、矢も盾もたまらず、私も参加することを決意しました。

当日は朝の8時くらいまで雨が降っていて、これは野外開催はムリなんだろうなぁ、残念・・・と思っていましたが、それからしばらくして雨は止み、昼に近くなるにつれて晴れ間も見えてきて、フリーマーケットも盛況の中、午後を回ったころに1番手、石川さんのソロライブが始まりました。
セットリストは、
・ひとり闇鍋
・夏のお皿はよく割れる
・ガウディさん(withうきうき)
・ぼけ
・冥王星
・オンリーユー
ギターがうまく鳴らず、ウキュラーな。さんとふたりでうんせうんせとチューニング。
明るい野外での「ひとり闇鍋」もまた違った感じがして、「夏のお皿はよく割れる」のらっきょうトークも面白くて、笑いながら聴けました。
「ガウディさん」では、広島の三味線弾きうきうき君とのセッション。
三味線はもちろんコーラスも上手だったので、石川さんとのハーモニーを存分に堪能させていただきました。
「もう、そういう年齢にさしかかっておりますが」とのトークで始まった「ぼけ」では何と、秘密兵器空き缶を使ってギターを鳴らす(スライド?)というワザを駆使。 初めて見たので、こんなワザもあるのか!と感動してしまいました。
そして昨年散々話題になった「冥王星事件」と「太陽系から冥王星削除」のネタを交えての「冥王星」。
さらにさらにそのネタを踏まえて「人のことをパクったとか言ってますが自分も人の曲の歌詞をアレンジして作りました」と言いながら最後の曲「オンリーユー」を演奏。この曲は初めて聴いたのですが、歌詞が泣ける歌で、周囲を見ると、感涙してる人たちが結構いました。
海辺の晴れ間と潮風をバックに初めて聴いたソロライブ、すごくよかったです。
もっとパフォーマンスがすごいのかと思っていたけれど、むしろ聴かせる感じのライブだったので、ちょっと意外だなと思いました。

続いて、Gさん知久さんのソロライブと続くわけですが、お二方とも曲の合間のトークに石川さんの話題があり、その話題でお客さんの笑いをさらっていっていました。その間石川さんはステージ右側のベンチに腰かけ、2人のソロ演奏を聴きながら、かわるがわる訪れるファンの方のサインや写真撮影などに応えている姿も見えるのもいいなぁー、なんて思っていました。
そして知久さんの最後の曲が終わると、
「せっかく3人そろったので、ちょっとだけやります」のかけ声から、夢の3たまが実現!!
途端に客席が騒然となり、いやがおうにも興奮度は高まります。
ドキドキドキドキ・・・最前列で見ていたので、この瞬間を半径1メートル以内の距離で見られるなんて、まさに夢!!
しばしセッティングに時間がかかるようなので「うきうき(むきむき)君~せっかくだから何かやってよ~」の知久さんのフリにより、沖縄民謡「安里屋ユンタ」の一番を三味線にて披露。セットしながら石川さんや知久さんが口ずさんで、思いがけないセッションとなりました。
「石川さん、リズムキープだけお願いね」
「リズムキープが苦手なんだけど」
「Gさんが風船のつけ方を忘れている」
「久しぶりに使うからパーンと割れて破裂するかも」
な~んていう会話を経て、いよいよ解散から5年ぶりのしょぼたま演奏開始!!
まずは石川さんの「ラッタッタ」。
しょぼたまといえば「ラッタッタ」ってくらい、私の中では定番なのですが、まさかこれが間近で見られるとはっ!!!
そ・し・て、私の目の前で、「おしり、まっっっ、ぷたつ」!
感激で声が出ない!もうワクワクゾクゾクっっ!!
そのゾクゾクがメンバーにまで伝播したのか、終わるはずのところで終わらない(笑)
その興奮のまま次は知久さんの「あるぴの」。
「あるぴの」のしょぼver.は初めて聴いたので、おおおおおおおおおおおおおっっっ、とさらに興奮。
「あるぴの」は「たまの最期」では斉藤さんが鍵盤を鳴らしていたので、Gさんも弾けるんだ、そしてしょぼver.で弾いたときはこんな感じなんだと鍵盤をじっと見つめていました。
そして、3曲目は私の大好きな曲「ハダシの足音」。
演奏開始前に知久さんが「ちょっと待ってちょっと待って、えーと」と、ギリギリまで念入りにチューニングをしていました。
これもしょぼver.で聴くのは初めてだったのですが、通常はピアノなんだけどしょぼver.になるとGさんはギターになるのかぁ、ほおおおお~と思いながらじっくり聞き入りました。違うバージョンでもいい曲で、これがたまだあああああああっ!!ってひとり興奮しながら、サビの手前で知久さんのあのマンドリンの音色に感動して泣いちゃいそうになりました。
ひとり1曲の持ち歌をすべて終了すると、
「今日一緒になってぱっとやったように感じるでしょう?でもちゃんとリハーサルしたんです」
「結構忘れたりしちゃってたんだよね」
「俺たちはかわいたぞうきんなので、これ以上は絞っても何にもでてきません」
「じっと立ち尽くすだけのオヤジです」
というトークの後に退場しようとしたところ、会場からはアンコールの嵐。
「あの曲なら・・・」という期待がみんなの中にも私の中にもあったのでしょう。
ふたたび3人が出てきてくれて、「じゃ、あれやろっか」と、知久さんがギターを抱え、Gさんがおもちゃ箱の中からおもちゃを探し、何と何とステージの前に、最前列の私のところから50センチと離れていないところまで出てきてくれて、みんなの期待通り、「ゲンゲンゲロゲロゲゲゲロロ~♪」と「まちあわせ」のギターが静かに鳴り始めたのでありました。
イカ天でグランドキングをとったあの曲を間近で聴ける、興奮度がいよいよ頂点に上り詰めます。
知久さんが奏でるギター、Gさんが鳴らすキューピーやおもちゃの音、そしてサビになると、「粉がついてる、口の周りにハムカツの~」のところで他のメンバーにからんでいく石川さん、すべてが目の前で繰り広げられて、興奮と嬉しさで言葉も出ませんでした。そして、1番が終わって2番が始まるあの「ん~~~~~~~、うっっっっっ、ゲ~ンゲンゲーロゲーロ・・・」の「タメ」が見られたのが幸せ!!!そこからは息もつかせぬ早さで唄い上げて、「あ~ん、もうちょっとぉぉぉ~」と思わせるほどの余韻を残しての終わり方が心憎いな、と思いつつ、夢の3たま公演は幕を閉じたのでした。
終了後は、お約束の物販とサイン&握手&写真撮影会。初めて3人のサインをコンプリートして、石川さんとはとてもいい写真が撮れ、おまけにサインを頂いたときに何も聞かずに「うっぴーさん江」と書いて下さったのがとっても嬉しかったです!(梅桃ひよ子)

(本人より)まぁ今までメンバーり誰かふたりずつの組み合わせでステージに立てば必ずセッションしているんだから、3人揃って何もしないということはないです。
一応シークレットなので人から聞かれたら「さぁ、どうでしょうね」と口を濁しておりましたが。
なんか終わった後、知り合いのファンの人を見たら燃え尽き症候群になってボーッとしている方が何人かいらっしゃいましたね~(笑)。
案外本人達が一番冷静だったかも。
それにしても山口マオさんの企画じゃなければ、多分やることはなかったな。
みなさん、マオさんにお礼を言いましょう。

08.04.28 なんじゃもんじゃ会in鵜原

千倉行きを決めた時点ではまだ決まっていなかったこのイベントを、千倉への集結に合わせて企画してくれたのは、桃ちゃんでした。
最初は千倉→東京への移動時間がかかるし、東京に行ったらまだ行ったことのないニヒル牛2へ行ってみたかったので、時間を空けて最終の飛行機を予約しておいたのですが、丁度このイベントが開催されることになり、本当に偶然ながらいいタイミングで参加することができました。

前日の興奮冷めやらぬまま、千倉での宿「六治郎」を後にし、徒歩で歩くこと10数分でバス停へ。
バスに揺られてさらに10数分、千倉駅に到着。
時間があったので、朝食をとってない人は朝食を買ってとったり、駅に足湯がついていたので足湯に入ってみたり、仲間同士で談話したりしました。
前日の宣伝もあってか、当日参加する人たちが何人か合流し、一行を乗せて、電車は鵜原へ。
鵜原駅に到着すると、まずは桃ちゃんの号令で写真撮影をしてから、石川さんの先導で、トンネルをくぐって鵜原理想郷というハイキングコースへ。
もう何年も経験していないハイキングをしかもほとんど寝てない状態でありながらやっているわけですが、不思議と疲れは感じません。
えっさえいさと上のほうまで登ると、広々とした野原があって、前方には広大な海も見える絶景に、一行は目を奪われたり写真撮影に興じたり身体を休ませたりしていました。
しばらく休憩した後、なんじゃもんじゃ会第1部「天使メニュー」の始まりです。
披露されたセットメニューは「気狂い笑い」「腕おなら」「写真撮影」「生ついたー」「田中角栄」。
「気狂い笑い」見たいと言った一言から実現した「気狂い笑い」につられて爆笑し、終了して素に戻る瞬間また爆笑しました。
「写真撮影」では、デジカメ片手に長蛇の列を作り、それぞれが思い思いのポーズを指定して写真を撮っていました。
後姿の写真があったり、恋人風の写真があったり、「ついたー」をしながら撮ったり、変顔で撮ったり、乳もみ写真があったり、抱き合ったり、マンガのポーズをしたり、写真を撮ってもらう人はもちろん、周囲のギャラリーも楽しめる写真撮影でした。
中でも一行に大人気だったのが、モボ&モガの写真で、写真撮影の廻りにまたその様子を撮影しようとする写真撮影の面々が集まり、何台のカメラが稼動していたのかわからないほどでした。宿でも撮ることのできなかった、貴重な石川さんのハダカも撮影することができました。
「田中角栄」が石川さんに憑依して出てきたネタは、何と私のネタでした!!
これにはびっくりして、嬉しはずかしでキャーキャー言いながらも、とてもとても思い出に残るひとコマになり、終了後に思わず石川さんに「ネタにしていただいてありがとうございます!」とお礼を言っちゃいました。
第1部終了後は場所変えのため移動。
予定場所を釣り人に占領されてしまったため、山を下りて、海辺の岩の上をステージに第2部へ。
ピアニカ&コーラスに桃ちゃんを、前日に引き続き三味線&コーラスをうきうき君が担当して演奏開始。
最初の曲は、「ジンガは静かにしなさい」3人で「ジンガジンガジンガジンガ・・・」とコーラス。
私は結構遠い距離から聴いていたのですが、それでもよく聞こえるほど、石川さんの声はよく通っていました。
2曲目は、桃ちゃんの「プップー」で始まる「リヤカーマン」。
またいいタイミングで下半身が食いちぎられている魚が浮遊していて、それを「下半身はごはんの用意」なんて突っ込んでみたり。
3曲目は、リクエストで実現した「魚」。
「これ唄うの10年振りくらいなんだよなー」と言われていた石川さん、最初少し詰まったりしていたものの、ペースを戻してからは最後まで唄いきっていました。「まちあわせ」と同じく子どもの頃にたくさん聴いた曲なので、生で聴けて嬉しかったです。
4曲目は、私の好きな「汽車には誰も乗っていない」。
ベースラインが特徴的で、それも結構難易度のある曲だと思うので、これを三味線で再現していたうきうき君の腕前に惚れてしまいました。
5曲目は「東京パピー」。
演奏前に「リンリンリンリンリンリンリンリン電話のベルが鳴る~」のところをみんなで唄って下さいと言われたので、思いっきり唄ってちょっとだけでもセッションした気分になれて、とても気持ちがよかった。
6曲目は、前日に引き続き「まちあわせ」。
時間の都合(というかほとんど私の都合)でこの曲が最後になったけれど、2日連続でこの曲が聴けて十分満足しました。
鵜原でのピクニックライブの終了後は、勝浦で石川さんを囲んでのお昼タイム。
飛行機の時間の都合で少ししかいられず、みんなにお別れを言う時間もなかったし、石川さんと握手する時間もなかったけれど、ピクニックなんじゃに参加出来て幸せだったな~って帰り着いてからもニヤニヤしている私なのでした。(梅桃ひよ子)

(本人より)本当は時間があれば「手掘りトンネル」にもみんなを連れて行きたかったんだけど、残念時間切れでした。
ちょっとしたピクニックなのにスーツケースとか持っている人もいて、かなり異様な一団に見られたろうな~。

そして梅桃ひよ子さんが飛行機の時間が迫っていたのでひとりだけもの凄いスピードで丼をかっこんだ「ひとりかきあげ丼早食い競争」はこの日の参加者の誰にも深く記憶に残ったでしょう。
あなたに、新たにたまの結成時の伝説のバンド名「かきあげ丼」の名前を差し上げます。
♪ひとりバンド~ 飯をかっこむ~
と歌ってください・・・。

対談 石川浩司×よしもとばなな

2004年5月8日付の朝日新聞で石川さんとよしもとばななさんが対談をしています。私は、ばななさんの著作を十数冊ほど持っている程度にはばななフリークなので、この両者の顔合わせには相当な高揚感をおぼえました。
 石川さんとばななさんは以前からの知り合いということもあり、対談の様子はかなりリラックスした気取りのないものになっています。活字なので二人が喋るテンションや間合いなどはわからないのですが、それでも二人の波長が合っているなあという空気感が伝わってくるのです。
 話の内容も自然に噛み合っていて、二人とも、メジャーなものばかりが独占的に幅をきかす風潮からこぼれ落ちる感性に目を向け、そういう感性をこそ必要とする人たちの存在を強調しています。石川さんもばななさんも、それぞれ「たま現象」「ばなな現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こし、ご自身の作品が国民的レベルで鑑賞された経験を持ちながら、その感性はメジャーな階層からズレたところに親和しているのです。

 対談中で最も心に残ったのは、「大変な思いをしてこそ、いいことが待っている… そういう考え方苦手なんだな。がんばれば素晴らしい結果が待っているなんてウソ」というばななさんの発言を受けて、石川さんが大いに共感を示すくだりです。二人は、世間でもっともらしく語られる「努力すれば報われる」「お金があったら幸せな生活ができる」「頑張ればいい恋愛に巡りあえる」といった定説に懐疑的なまなざしを向けます。石川さんの「世間の“がんばれ”にだまされてストレスで死んでいくんですよ。だれの策略なんだろね」という言葉は、世の中を支配的に牛耳る価値観に鋭くツッコミを入れていて痛快です。
 世間のマジョリティの価値観に馴染めず、理不尽なまでに過剰なストレスにさらされて生きている人々にとって、石川さんやばななさんのような表現者の存在は、宗教的な意味ではなくもっと日常的なレベルで大きな救いとなっているでしょう。
 ばななさんが、たまの活動について、初期よりも「東京フルーツ」など後期のほうが好き、と語っているのも印象的でした。(仮面次郎)

(本人より)ばななさんは、たまのメジャーデビューのライブに来ていただいて以来の付き合い。実際はそんなに頻繁に会っているわけではないけど、気持ちのどこかに似ているところがあるんだろうね。
常識なんて本当、社会生活においては無視するまではいかないけれども、せいぜい参照する程度のことと思うな。
なんせ鬼畜米英が一晩で「アメリカさんよ、ありがとう」に変わっちゃうんだからね、常識なんて服は。
それを盲信するなんて本当に馬鹿らしいことだと思うなー。

ちなみにどうしてもデビュー時が一番CDも売れたし、ヒット曲なども入っているから初期のアルバムが評価されることが多いけれど、俺もアルバムの完成度としては後期の方が高いと思う。
個人的には時間が経って冷静に聴いてみると「いなくていい人」というアルバムがベストかもしれないと俺は最近思うなー。
このアルバムは現在もニヒル牛や地球レコードの通販等で手に入れるのは容易なので、まだ未聴の人は是非聴いてみて欲しいな。

2008年4月8日 パスカルズ@吉祥寺スター・パインズ・カフェ

というわけでパスカルズのライブを観に行ってきました。会場のスター・パインズ・カフェに到着すると2月にチェンマイで知己を得たマイミクさんたちと再会し、開演まで談笑して過ごしました。

開演時間になりメンバーが次々に現れてきました。知久さんはじめ、バイオリン隊、チェロ隊、ラッパ隊、ギター・バンジョー隊のみなさん、ドラムの横沢さん、トイピアノ&ヴォーカルのあかねさんなど、お馴染みの不動のメンバーです。最後にバンドマスターのロケット・マツさんが登場しました。「あれ?!」周りのお客さんは言葉にはならない、疑問符的なため息を吐いたのを私は見逃しませんでした。そうです、われらがスター、石川浩司さんが出てこないのです!!「石川さん出ないのかなー」あちこちでそんなささやき声が聞こえてきました。マツさんは石川さんの不在にはまったく触れずに、ちょこちょこっとあいさつをして、曲を始めました。前半の5曲くらいは石川さんのパーカッションのないまま曲が進んでいきました。曲の合間に隣のマイミクさんに「石川さん出てきませんねぇ、今日休みなんですかね」と聞くと、彼女は「いや、そんなはずはない。今朝5時までチャットしてたんだから」と笑って答えました。

そんなこんなでライブが進行していくと、やっぱり期待は裏切りませんでした。ある曲の演奏中にマツさんが「それでは紹介しますー、いしかわーこうーじー!!」と唐突に石川さんを紹介したのです。ところが、マツさんが何度紹介しても石川さんはステージの出入り口から現れませんでした。「あれ、段取りミスなのかな?」と思っていると、不意に背後に人の気配を感じ、客席の後方から石川さんが踊って登場してきました。さすがは石川さん、ツカミは怠りありません。つばなし帽子を目深にかぶりお面を後頭部につけグレイのコートを後ろ前に着て、前後ろ反対の格好で入ってきたのです。これには場内大爆笑でした。ステージに上がって1曲終わるとコートとお面を脱いで「いやぁ、これ暑いんだよね」と言ってまた笑わせました。かくして石川さんも入れて全員揃ったパスカルズで演奏は続きました。

マツさんによると、いつも国内のライブハウスでやるときはたいてい休憩を入れて2部構成にするのだけれども、来月行くフランスツアーのことも考えて今回は休憩なしでやりますとのことでした。「そのかわりドリンクの注文は(店の売り上げに)大事なのでしてください。トイレも行ってください」といつものゆるい調子でマツさんはのたまいました。

今回特筆すべきは、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の舞台「どん底」のために書き下ろした曲を演奏したこと。ロシアをイメージしたそうで、20世紀現代音楽風、プロコフィエフみたいなアブストラクトテイストな曲で面白かったです。ところがこの曲は諸般の事情により芝居には使われなかったようで、マツさんは落胆というか残念がっていたのが印象的でした。そこはそれ大人なので、笑いのオブラートに包み込んでいましたが・・・。

あと石川さんのパフォーマンスで気がついたのは、3月にやった「わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋」(通称・「天使」)でお客さんのリクエストに答えて毎日やり続けた「あえぎ声」と「気狂い笑い」という演目を、ある曲で積極的に取り入れていたこと。あれは毎日やってついに自分のもち芸にしたんだな、と確信しました。もちろん場内は大爆笑、今これを書いている時点でも思い出し笑いするほどです。

全体的な感想としては、大好きなパスカルズのレパートリーを生で聴くという、何物にも代え難い気持ちよい体験であったことは間違いないのですが、あえて苦言を呈するならば、石川さんのいない前半と登場してからの後半のメリハリ感が弱い感じがしました。生意気言って申し訳ありませんが、石川さんのいない前半のパスカルズが「何かが欠けた」魅力の少ない演奏に感じてしまったのです。石川さん無しということを意識した選曲やアレンジなど、もう一工夫欲しかったかな、とも思いました。
とはいえ、今現在、パスカルズが世界でもっとも好きなバンドであることは間違いありません。また、機会を作って観に行くつもりであります。 (波照間エロマンガ島)

(本人より)そうそう、この日は今回のツアーの構成の演出の為の実験的なライブでした。
最初から客席から出ることはマツさんと相談して決めておいたのですが、敢えてマツさんにステージ後方から呼び込んでもらい、でもそちらから出て来ず、ふいをついて客席から現れるという演出でした。
マツさんに「あれ・・・浩司が出て来ない!?」という演技出来るの?と聞いたら「俺だって役者として犬をやったことあるんだ。大丈夫!」と言うことで、これは無事成功でした。
果たしてヨーロッパでの反応は如何に!?

4月26日に初のパスカルズライヴへ行ってきました。

今回のライヴは横尾忠則さんの展覧会のオープニング・イヴェント、ということで、世田谷美術館で行われました。 朝10時にチケット販売ということで、朝7時起床、8時の電車に乗っていきました。
7時起床と言っても、チケット入手の為遅刻できないと緊張してしまい、ほとんど寝ないまま出発しました。
9時過ぎに用賀へ到着し、歩いて15分くらいの世田谷美術館へと向かいました。
もうチケット買えなかったらどうしよう…。
と心配でしたが、無事にチケットを入手しライヴの始まる時間まで用賀駅前を歩き回ったり、公園でキャッチボールをして時間を潰してました。

ライヴの始まる1時間前くらいに会場へ行ってみると、パスカルズのメンバーがリハーサル中でした!!
今回は野外ライヴなので、リハーサルが観られてしまうのです!
正直自分はパスカルズの曲は1曲しか知らなかったのですが…たまのファンなので、目の前にいる知久さん、石川さんを見て感動してしまいました。
本物がいるよ~!

ライヴ開演の少し前に雨が振ってきてしまい、当初野外ライヴの予定でしたが、屋内でのライヴへと変更されました。
正直チケットは残ってるんじゃないかと思っていたのですが、チケットはソールドアウトで、チケットを求める人達が大勢いたのにビックリしました。
自分達は70番台だったのですんなり入れました。 チケット買えて良かった。

いざライヴが始まると、1曲目から感動して鳥肌が立ってしまいました。
演奏力があり、人数も多いので迫力あります。
「かもめ」という曲、かっこいいです。

最初は石川さんがいなくて、どうしたんだろと思っていたのですが、その後まさかの登場に大笑いしてしまいました!
石川さんは黒いごみ袋を着て登場したのです!ごみ袋には赤ちゃんの写真がたくさん貼ってありました。石川さんの登場に場内は爆笑&拍手喝采でした~。
なんでもごみ袋はツアー用の使い捨て服との事。
さすがスター。考えることが違います。

その後もスターは踊ったり、シンバル倒したり、おもしろトーク炸裂したり、観ていて飽きないです!「横をタダ乗り」には感心してしまいました(笑)
スターの壁への頭突き(演奏?)が最高でした。パーカッショニスト石川浩司に終始しびれました!
気がつけばライヴの間ほとんどスターしか観てなかったです。

今回一緒にライヴ行ったのは、20歳の「たま」も「石川浩司」も知らないやつだったんですが、最後にはすっかりスターに魅了されてました(笑)

ライヴは大体1時間半くらいの内容でした。
笑って感動しての最高の内容でした。
ほんと行って良かった
次回も行くぞ。(さぶ)

(本人より)楽しんでもらえて嬉しい~。
サウンドチェック、リハーサルまですませた後の移動は実はてんやわんや。特にPAは状態がすべて変わってしまうからね。
しかも生楽器が多いので野外と室内では音の鳴りも全然違うしね。
でもそこは、アマチュア時代からたまとパスカルズのほとんどのPAやレコーディングをしてくれた最強のスタッフ、おまちゃんこと小俣君。動じることなく、淡々とやってくれました。グッ、ジョブ!

そんなおまちゃんですが、現在これを書いているツアー中は基本的に俺と同室。
すまん、今宵も俺のイビキで眠れぬ夜を過ごさせてしまう・・・。

2008年3月27日 石川浩司 山下由withライオンメリィinMANDA-LA2

ライブハウスで石川浩司を観る。一番最近の石川浩司といえば、チェンマイのホテルのベッドの上でゴロゴロしていた姿と天使の姿で同じくゴロゴロしていた姿だったので、ステージで照明に照らされた石川浩司が観られると、私は意気揚々とライブハウスに向かった。
山下由さんのステージで突如、私服にチェンマイで買ったお面をつけて登場。正直めちゃくちゃこわかった。トレンチコートにお面。…一昔前の変態の姿じゃないか!しかもお面の両目の穴が微妙にズレており、片目の穴から見えたのは目じゃなくて顔面の皮膚だったのが、怖さを倍増させていた。
私はこの人のために、毎日必死に働いて給料を稼いでいるのか…少々感慨深くなった。
そして石川浩司のステージが始まった。ステージ衣装はチェンマイで着ていたTシャツに海パンだった。タンバリンもチェンマイで購入したものだった。う~ん。共に旅行した仲間としてはそれだけでかなり嬉しかった。
しかし、石川浩司が登場してすぐに、私は異変に気づいた。
ステージから甘いかほりが…なにーーー!!!フェ、フェロモンが!フェロモンが復活しているではないか(号泣)!!!
(注釈:今年2月.、チェンマイ滞在中に、石川浩司は突如謎のフェロモンを発し始めた。一体どういうわけか、滞在中体から終始甘い香りを放っていた。石鹸や洗剤ではなく、結局その甘い香りの原因はわからずじまい。そして日本に帰ってからその甘い香りは消えてしまい、前日の「わっかをなくした天使のおっさんの昼寝屋」というイベントでは、その匂いがもうないことを、私が身を持って確認した。それなのに!)
いや、フェロモンのことは置いておいて、ライブレポートに戻る。いかんいかん、またもや恍惚の表情になるところであった。
メリィさんのピアノで歌った歌は「家族」「ラッタッタ」「ジンガは静かにしなさい」「学校にまにあわない」など、たま解散後、私にとって石川浩司のライブで聴くのは<初めての曲がたくさんあって、めちゃくちゃ感激した!!メリィさんのピアノのアレンジが本当に素晴らしかった。
そして「学校にまにあわない」で突如山下由さんが乱入。ああ、これが乱入か・・・。「ヒストリー・オブ・たま」で若き石川浩司のステージに山下さんが乱入してくる映像しか観たことがなかったので、こんなささいな瞬間も私にとっては素敵すぎるハプニング!!
そしてそして…間奏で何をするかと思ったら、抱き合った二人が…キスを(号泣)
いやああああ!!そんなもの見たくない!!い、いや、むしろ見たい!見たいぞーー!!うおおおーーん!!
とてつもない嬉しさと興奮、「石川さんって、こんなこと(キス)もするのか…」という少しの落胆(?)を抱えながら、私は最前列でステージを堪能した。そして最後の「誰も起きてこないよ」はギター、ドラム、チェロも加えたスペシャルバンド。とてつもない迫力とガンガン迫ってくるフェロモンで私は完全に我を失っていた。もう心の中は「うわあああ!!」と叫びたい衝動に駆られたすごくいいライブだった…。今まで観たどのライブとも違うスペシャルな夜だったと思う。これからも私は石川浩司に魅せられるのだなぁ…と思った。

ちなみに抱き合った山下由さんがライブ終了後「僕もフェロモン感じましたよ!」と言っていた。 (さっちゃん)

(本人より)あぁ、俺もキスなんかしたくなかったんじゃ~!
だけどそれ以外咄嗟に何も思いつかなかったのじゃ~。しかも山下さん舌まで入れてくるし。ステージで口キスしたの初めてかも。ほっぺなら何度もあるけど。
・・・でもステージの上なら、なんでもします、あ・た・し。

2008年 わっかをなくした天使のおっさんの昼寝屋(最終日)

行ってきました!初めての天使。しかも札幌からはるばると…。
予備知識は極力つけずに見たかったので、事前の天使に関する日常クイズは読まないよう目をそらし、ミクシィの天使に関する日記は極力スルーし、最終日に臨みました。
メニュー、こんなにあるとは!しかも店内、狭っ!あ!ステテコからパンツが透けて…。

そんな天使に私が注文したものは「気狂い笑い」。目の前で天使がとにかくキチガイのように爆笑してくれる、というものです。
これがなんと、めちゃくちゃおもしろいわけです。爆笑している人を見ているとつられて笑ってしまう、ということはよくあると思いますが、相手は気が狂ってますので、つられ笑いももっとひどいわけです。笑いすぎて涙出ました。ぼろぼろ出てくるぐらいです。日常ではなかなかここまで笑えません。でも目の前の天使はもっと爆笑しています。
その他には「田中角栄」とはなんだろうと注文してみることにしました。ものまねだと思い込んでいたのですが、本物の角栄さんが数分間だけ、天使の体に憑依してきたのです。角栄さんは天使の体を借りて、私にありがたいお言葉を言ってくださいました。嬉しかったです。
「咳き込み」は天使が目の前でリアルな咳をするだけです。リアルでした。あまりにリアルすぎたので、一瞬妙な空気になりましたが、その感じが楽しかった、というかそれがよかったです。
他には、生で聞いたことのない『豆腐』を歌ってもらい、一緒に写真もとってもらいました。そして土下座をしてもらいました。
歌って、笑って、咳き込んで、写真撮られて、憑依されて、土下座かぁ…。なんてバラエティに富んだ展示なのでしょう!観にいった甲斐があったというものです!
そして、最も驚いたのは「即興お題歌」です。客がその場で出したお題に歌をつけて歌うというものです。これがまたすごい。ほんとにその場で一曲完成してしまうのです。
明るい歌、さみしい歌、歌のイメージもテンポもそれぞれが即興で作ったとは思えない、個性豊かな歌でした。
特に「私、一年留年しましたが、今年無事社会人になりました。これで歌ってください。」というお題を出した女の子がいましたが、その方に歌った歌が(細かい歌詞などは思い出せませんが)実に感動する作品でした。
やっぱこの人、天才じゃーん!!ああ、これでますます虜になっていく・・・・。 (さっちゃん)

(本人より)たぶん「即興お題歌」の時が俺の脳が一番フル回転している時だろうな。時々なにも思い浮かばなくて頭から煙がブスブス出てる時は「♪ラララ~」で誤摩化しま~す。

初めての普通に客席

今年の1月、大阪中津のコモンカフェで生の石川さんを発見いたしました。

店に入ったら客席に普通に座っていたので、『一線ひけ!』と思いましたが挨拶すると笑顔で挨拶仕返してくれたこのおっさんにはまりました。俺が中学生の時、当時のブームは『朝シャン。』朝にシャンプーするって言う訳のわからないブームだった。朝シャン用シャンプーなんて物もあったな。で、毎朝シャンプーしながら『さよなら人類』を歌っていた俺。『あるぴの』で更にたまの実力がわかる。その石川さんが客席に・・・

3月21日、新幹線で前日からの泊り込みでニヒル牛に辿り着きました。
少し道に迷いながらも見つけたニヒル牛。 『ほんまにこの店に石川さんいてるんかなあ』と、恐る恐る中へ。 ケツを向けて寝ている天使を発見。『このおっさん・・・』心が叫んだ。
 気狂い笑いを連れが早速、注文。俺はゆっくりカフェのほうじ茶をたのむ。
 ほうじ茶は2種類あってどちらもお菓子付き。 しかし値段が2倍も違うやんけ。香りだけが違うらしい。誰もが安い方頼むで。
 石川さんは気狂い笑いをしている。『アッハハーこの部屋に人が6人もいる。俺入れて7人だ!!八ツ八ツはー 笑』 この人、プロだ。
続いて『咳き込み』を注文。コホコホ・・・  ゴッホゴッホ。
続いて気狂い笑いを注文。『アッツハッツハー ダブルで気狂い笑いを注文だなんて アッツハッツハー』 やはりプロである。

何やかんやで『生アカペラ学校に間に合わない』注文用のフライパンをタイコにしとる。『写真』『トーク』などを注文。 ほんまに大阪から行ってよかった! 満足じゃ。 がんばれおっさん。(YOJI)

(本人より)ほうじ茶は月とすっぽんがあって、すっぽんは普通のほうじ茶だけど、月は日本で一番高級なほうじ茶を使ってます。さらに月はお湯を継ぎ足して二杯目も飲めます。お菓子の内容も違いま~す。なので月とすっぽんくらい差があるという意味ね。ということで圧倒的に高い方(月)に注文入りま~す。

天使に会いに行った。~「わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋」

2008/3/16(日)。
天気のよい暖かな日曜日の今日、 西荻窪にあるニヒル牛2に天使に会いに行った。
初ニヒル牛2である。

JR総武線に乗り西荻窪駅につく。
哀愁漂う非常に自分好みの商店街をしばらく歩くと、 やや住宅地に入るところで目的地のニヒル牛2についた。

恐る恐る入ると、 店内には14、5人の人がいる。
ギャラリーの所から一段上がりると喫茶エリアに。
そして、壁側の一畳程のスペースに天使の寝床が。

しかし、そこはモノケのカラで、天使はまだ居ないとの事でちょっと店内を見ていると、いつの間にやら天使が寝ていた。

他のお客さんが様子見しているので、ススス~と奥に行って勇気をだして始めオーダーを頼む。

カン!!

フライパンを叩くと若干ビクっと動いて、寝床からモサモサ天使の登場~。

シーツのような布をまとい、軍手の羽の生えた天使
下に履いてるステテコは裏返し(指摘すると天然で履き間違え)

おおお~~~~~~~~~~~~~~
この福耳、間違いなく石川天使さんだーーーーーーーーー

写真と曲(オンリーユー)を注文。
素敵な笑顔で写真をパシャ。
そして一曲。
注文の一曲はラブソング:オンリーユー。

おんり~ゆぅぅ~~~ ♪

おおーー石川さ・・天使の歌声だ~~~~~~

店内の外にも聞こえるようなおおきな声で目の前で歌ってくれてる。
いやー素敵だ素敵過ぎて笑顔がこぼれる。
曲は弾き語りでフルコーラスで歌ってくれた。

立て続けにオーダーが殺到する。

この日は東西の小学生コンビが注文を連発し、色々とパフォーマンスやなにやら見ることができた。
店内にはハズカシがり屋さんが多かったせいか、もじもじしていたので、いい呼び水になったのではないだろうか。

結局この日は
写真
曲:オンリーユー
ハグ
しっぺ
しりとり
はらおどり
親父ギャグ
曲:待ち合わせ
をオーダー。

いやー素敵だった。

それに、この店に居る人達が(おそらく皆知り合いの人ばかりなのだろうが) 、多分10分話せば友達になれるような感じの人ばかりで大変居心地が良かった。

大変満喫。
脳みその普段使っていない所が活性化された感じ。
そして・・なんというか・・猪木的パワーというか、なにか得体の知れないパワーを頂いた気がした。
すばらしいイベントだった。
明日も生きるぞ!!!! (てつたろう)

(本人より)そう、最初は様子見というかなんかで不思議な空気が生まれて10分くらい誰も何も頼まなかったりするんだよねえ。こっちに視線が注目しているのは分かるのだが。そいで誰かひとりが意を決して頼むと、立て続けに注文が来る。そういうものなのかもね~。日本人的なのかもね~。

わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋 2008

3月15日、夫と二人で「わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋」に行ってきました!京都から、このイベントのためだけに行きました♪

高速バスで出発し、5時半頃にニヒル牛2に付き、入ってみるとすでにけっこうな数のお客さん達が。 そして何とあるさんは、6月に私一人で「わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋」に行った事を覚えていてくれて、声をかけてくれたのが嬉しかったです。

今回のおっさん天使は、白いシャツとステテコ(?)の上に、シーツを巻きつけ、軍手の羽をつけた姿でした。前回より敷き布団が分厚くなっていたのが、微笑ましかったです。

夫が「おなかパンパン」の演奏を注文したら、石川さんが夫ににじりよりながら「うひょひょひょひょ♪」と歌ってくれたのには大うけでした。夫の額に脂汗が(笑)あと「お告げ」も面白かったです。石川さん流人相占いという感じで、けっこう当たっていたかも。この日の人気メニューでした。

他の方の注文した「即興歌」も、即興とは思えない完成度の高さ!帰りのバスの中で、夫と石川さんに即興してもらうとしたらのお題の話でもりあがっていました。

そして、クイズにもなっていた「なまら屋」のお料理も、とっても美味しかったです。たこの刺身が特に…♪石川さんの「5年前日記」にも載っていた、うわさの夢のケーキ、フォンダンショコラも美味しかったです。私には、石川さんがあるさんのためだけに頑張ってフライパンで作った、フォンダンショコラもどきこそ夢のケーキですがね(笑)

今年は二人なので、きわどそうなメニューも注文する勇気がわいてきて、色々楽しませてもらいました♪「気狂い踊り」とか「腹触り」とか、裏メニューで生「ヒゲのある暮らし」(振り付け付きの生ほんとだよ♪が聴けた!)などなど!

終了の8時には、お店の中は人でぎゅうぎゅうになっていました。

おっさん天使がまた見られて良かったです。とっても楽しい体験を、ありがとうございました♪(ぴよまる)

(本人より)毎回京都からありがとー。確かに「おなかパンパン」でにじりよっていったら、だんなさん額から汗流してました。
お馬鹿な企画で一緒に遊んでくれてありがとー!

パリ パスカルズライブ(2006年7月)

パスカルズの2006年夏のヨーロッパツアーのパリライブに行ったレポがあるのでUPします。たまたま同時期フランスを旅行していて運よく観ることができたしだいです。(mixi PASCALコミュのコメントを加筆修正)

パリ初日のParc de Choisy(7月20日)に行ってきました!
フランス旅行の最終日だったのでとってもいい思い出になりました。パリでパスカルズを見られるなんて夢のようです。

当日のお昼頃に会場の下見に行ったところ、公園のどこへ行ってもそれらしき機材がまったくないので、本当に今日はここでやるのかなー、と半信半疑な気持ちでその場を去りました。で、夕方開場時間に再び来たらサウンドチェックをやっているのが聴こえてきて、一安心しました。もしかして日にちを間違えたかも、という不安も大きかったのです(汗)。

実はそれまで連日35度以上の記録的猛暑でまったく雨も降らなかったのに、その日にかぎって午後になっていきなり夕立が降り、しかもすぐに止んでちょっとクールダウンし、爽やかなとても気持ちのよい野外コンサートになりました。

受付を済ませるとすでにお客さんは6~7割はうまっていました。一段高くなったコンクリートの平面をステージにして、客席は土の上に直接腰をおろすようになっています。お客さんの目の前でメンバーがサウンドチェックをしていました。バンマスのロケット・マツさんがリードしてメンバー一人ひとりのマイクテストを行っています。日本ではけして見られない貴重なものを見させてもらいました。後から聞くと夕立があったのでリハーサルの時間が大幅に遅れたそうです。

だんだん人が集まってきてサウンドチェックの間にほぼ百人くらいになりました。お客さんは9割9分以上がフランス人。日本人の姿はほとんど見ませんでした。

サウンドチェックが終わるとメンバーはいったん楽屋に戻り(ステージの後方にテントが建っていました)、約15分後に司会者のアナウンスに紹介されメンバーが再登場、いよいよコンサートが始まりました。知久さん、松井亜由美さんが不在だったと思います。

最初にいきなり、石川さんがマイクに向かって、日本語で口上を述べ出しました。以下のようなことを言いました。~今日はコンサートに来てくれてありがとうございますー。今日は突然大雨が降って開演が遅れてしまいすいませんでした。もしかしたら私たちメンバーをはじめ、お客さんも全員感電死するかもしれなかったんですよー。それはそれで面白かったかもー、あっはっはー・・・・・・。(意訳)
フランス人の観衆にはまったく伝わってなかったと思いますが、私は声を出してげらげら笑ってしまいました。
曲が始まると、もうお馴染みのパスカルズの世界にぐいぐい引き込まれていきます。音楽は世界共通言語だということを再認識しました。素晴らしい音楽は世界どこで聴いても感動するんですね。案の定、石川さんのパフォーマンスはフランスの子どもたちにも大人気で、ステージを下りて会場中を走り回ってる石川さんのうしろを子どもがついて行くという、とても楽しいステージでした。
ロケット・マツさんのたどたどしい英語の曲紹介やMCも非常にチャーミングでした。
「だんだん畑」は知久さんがいないので石川さんとあかねさんのツインVOCALで、これまた不思議な歌世界を現出させていました。
で、いつものようにグルーヴの中に身を置いていると、ひとりでに身体の中のあちこちの細胞が活性化し妄想幻想の類いが視覚を侵食しトリップしたような好い気分になっていきました。気がつくと最後の曲になっていました。

幸せな体験でした。

メンバーの皆様、スタッフの皆様、素敵なコンサートをありがとうございました。ツアーもあと少しですね。道中無事祈念しておりまする。 (波照間エロマンガ島)

(本人より)あれは実は危機一髪だったんだよね。雨が結構激しく降っていて野外だったので、直前までスタッフが「中止にするか?」と悩んでいたイベントだったので良かったー。
パリでは企画でパリ市内の五カ所で野外ライブをやるというしょっぱなの日だったんだよね。
おかげで他の会場も盛況、終始笑いの絶えないライブでした。

風景が浮かんできた『たま』という船に乗っていた

はじめましてこんにちは。
『たま』という船に乗っていた、読ませていただきました。

自分はノンフィクション物が好きで、なかでも「自伝」を読むのが大好きです。
人にそれぞれに歩んできた道があり、そこには人それぞれの物語りがあります。
大好きだったあの人がこんな道のりを歩んでいた・・
映画を見るような感情が湧きあがります。

大好きだった「たま」の物語・・・・
当時中学生であった自分はイカ天をみてからファンになり、最初の週から5週目まで祈る気持ちで見ていたものです。
何度も何度もCDも聴き返しました。

当時「たま」の曲を聴いてるとき、また頭の中から聞こえてくるとき、僕の見ているこの風景を「たま」の皆さんが見たらはどんな風に感じるだろうか・とか良く考えていました。

この本は色んな風景が浮かんできて、色んな思いを感じました。

それは、たかだか34年しか生きていない自分の想像の範囲内でしかなく、当時の石川さんをはじめ、メンバーの方の混乱ぶりなどはとてもとてもすごいことなのでしょう。
高円寺 三岳荘の住人から日本一の有面人に・・いやはや大逆転とは、こんな風に起こるんですね。

そして海外レコーディングを行ったり、ニューヨークでライブを行ったり。(ちなみに自分の嫁はニューヨークにまで行ったツワモノファンです)
そして、柳原さんが降りて・・
3人になって、
そして解散へ。

・・・・・
本を読んだ読後感は椎名誠の「哀愁の街に霧は降るのだ」の平成版のようでした。
セツナ面白くて・・そしてドラマチック。

とにかく素敵でした。
そしてそれだけにあとがきの詩が泣けてくる・・・。
何回でも読み返したいです。

そして、その後の石川浩司物語が読みたいと思いました。
ところどころで昔のお話とかされてますが、是非にと思います。
そして、そんな石川さんの物語を実際に見れるように、パスカルズや色々な石川さんの活動を見に行きたいと思いました。

最後に今回HPにて公開ありがとうございました。(てつたろう)

(本人より)俺も歌をうたう時、音楽から喚起されてなんらかの「風景」が聞いている人それぞれに思い浮かべばいいな~、と思ってやっているのでまさに嬉しい反応っす!
その後の石川浩司物語だけど、さしたるドラマチックなことはないけれど、今、その同人誌を作ってくれている人がいます。しばしお待ちを・・・。

「たま」が出演したCM

「たま」が出演したテレビCMで最も世間的認知度が高く映像的インパクトがあったのは、やはり川崎製鉄のCMだろうと思います。
 川崎製鉄のCMには何バージョンかあって、「たま」のメンバーひとりひとりの顔と曲を個別にクローズアップしてくれたところが非常によかったです。個人的に最もウケたのは、「たま」のメンバーがジャングル風呂につかっているバージョンです。密林の中に湧いたらしい露天風呂に「たま」の4人が動物達と気持ちよさそうに入っているのですが、石川さんがランニングシャツを着たまま入浴してるのがめちゃくちゃ笑えます。ほかのメンバーはちゃんと裸になっているふう(もちろん下半身などは着衣だったでしょうが)なのに、石川さんだけいつものランニング姿… この珍妙で絶妙な光景を見るたびに笑いをこらえきれませんでした。あれだけ情報量の多い映像空間の中で、どんな動物にもどんな情景にも負けない石川さんの存在感に脱帽です。

「月刊現代」1990年5月号では、このCMの舞台裏話をとりあげています。撮影は3月15日、調布の大映スタジオに巨大なジャングル風呂を作って行なわれた、とあります。「たま」のメンバーのほか、本物のゾウ、アライグマ、サル、イヌ、オウムなどを揃えたのですが、動物達がぜんぜん言うことを聞かず、さらにアライグマが実は泳げなくて溺れてしまった、と撮影の苦労話が披露されています。また、このCMは「登場編」と「展開編」があって、卵から生まれた「たま」の面々がいろいろな世界を探検していく設定で、その発想はドラクエから採ったそうです。私は、ゾウやイヌ達との混浴は合成かも?と思ったことがあるのですが、「たま」と動物達は本当に混浴していたわけですね。

「宝島」の「月刊たまぷくろ」では、「たま」本人がこのCMの裏話を打ち明けていて楽しいです。ゾウのウンコが浮いたり、ラマが胃液を吐いたりと大変だったようです。通常、温泉には様々な成分が含まれていて相応の効能があるわけですが、ゾウのウンコやラマの胃液が混じった温泉はディープすぎて勘弁願いたいですよね(笑)

「週刊文春」1990年12月13日号でデーブ・スペクターと「たま」が対談したときも、このCMの話題が出ています。なぜ川崎製鉄みたいな旧態依然としたオジン企業のCMに出たのか、と問うデーブに対し、石川さんが「特定の一個人ではなく4人をそれぞれ生かして使ってくれる企業のCMを選んだ」と丁重に答えています。それを聞いたデーブは、「CMを撮る前に川崎製鉄の工場を訪問して、流れ作業の素晴らしさに感動したわけではないんだ」と、いかにもデーブらしい頓珍漢な言葉を返します。柳原さんは「オレが社長だったら、やっぱりたまをCMに使わないね」と笑います。それにしてもこの対談、編集されて活字になっているから対談が成立してるように見えますが、現場ではデーブの喋りが暴走して、「たま」のメンバーが話す余地が少なかったんじゃないのかな、と推測しております。

 川崎製鉄のほか、「たま」が出演したCMというと、「たま」初のCMとなったアルバイト北海道が思い当たります。私はこのCMをリアルタイムで見ていないのですが、灰色っぽい大きな岩だらけの場所で「たま」が『ジャバラの夜』を演奏していて、純粋に楽しそうだなあと思えるものでした。あとになって、このCMのロケ現場が沖縄だと知り、ちょっとびっくり。アルバイト北海道のCMなのに、位置的に北海道の対極にある沖縄でロケをしたなんて、なんだか意外で面白いですね。このCMのメイキング映像みたいなものを見たとき、那覇空港に着いた「たま」のメンバーがみんな厚着をしていて寒そうだったため、「ああ、このCMの撮影は冬に行なわれていて、本州じゃ相当寒い時季だったんだなあ」と認識したのです。どしゃ降りの雨に降られたりもして、大変なロケだったんじゃないでしょうか。撮影の合間に石川さん達が食べていたビーフジャーキーが、なかなかおいしそうでした(笑)

 それから、農協のCMが面白かったですね。本物の「たま」だけでなく、子どもが扮装したチビ「たま」が登場して、素朴なのにシュールな世界が展開されていました。チビ「たま」を見たリアル「たま」のメンバーは、「自分らに似てる~!」「ぜんぜん似てない~」などとお感じになったのでしょうか(笑) でも、このCMをよく見ると、リアル「たま」とチビ「たま」が同じカットに収まっているところがないので、完全に別撮りで、両者の対面はなかったのかなとも思えます。(仮面次郎)

(本人より)まぁCMとはとんとご無沙汰ですが、そういえばデビュー当時は色々ありましたなー。確かGさんが引っ越す時、その借家の持ち主が農協だったのだが「自由業の人は収入が不安定なのでお断りさせていただきます」と言われたらしい。
あの~、お宅のCMに出てるもんなんすが・・・。

なんじゃもんじゃ会inチェンマイK玉さん邸

人生二度目のなんじゃ主催。でも今回はさっちゃん先輩とのW主催なので、荷も少々軽いというものです。アッハッハー!

開催までの経緯
・先輩と私、チェンマイ行きを決める。一緒に飲んだときに「チェンマイなんじゃしたいね!」という話に。
・ファザーに相談、妄想が実現することに。
・打ち合わせの末、mixiで会場を募り、投げ銭制のライブという形態に決定。
・チェンマイ在住の翻訳家、K玉さんが「ウチでどうぞ」とメールで名乗りをあげてくれる。そのメールにはK玉さん邸の様子も映った動画が添付されていた。豪邸だった!
・mixiで告知、チェンマイ在住の方から旅行者まで、観覧者を募る。

・・・という運びでありました。

 2月12日会場下見
ファザー、そしてライブで共演してくれる「水中、それは苦しい」のアナーキー吉田さんと共に、K玉さん邸へ下見。想像以上の素晴らしい家で、3人とも目がキラッキラになる。 

 2月22日ライブ当日
 私は主催者兼コーラス担当で一日中雑用したりはしゃいだり踊ったりだったので、細かい事は忘れてしまった!覚えていることは、ステージから見るお客さん(日本人:外人:子供 7:1:2)が、満面の笑みだったこと、「夏のお皿はよく割れる」の「もーいーかい」をどちらが先に言うかアナーキーさんと打ち合わせしてなくて冷や汗モノだったこと、「ボケ」でパーカッションとしても使っていたペットボトルがテーブルから次々落ちていったこと、「オンリーユー」が歌われたときの会場の空気、そしてアンコール「デキソコナイの行進」。いつもライブ終了間近に感じる「ああ、もう終わってしまう!」という淋しさに代わって、「この時はこのままずっと続くんじゃないか」というような幸せな終わり方だった。「バイバーイ!」と言いながらファザーとアナーキーさんが去っていくと、子供たちもそれを一斉に追っていった。

 ファザーのライブはいつも幸せになるけれど、今回の幸福感もまた別格でした。この場に立ち会えて本当に良かった!!K玉さん、アナーキーさん、先輩、日本やタイ各地から来てくださった皆さん、そしてファザー、本当にありがとうございました。コーラス、頑張ったけれどイマイチでスミマセン!!!!!!(謝罪逃げ)(桃玉)

(本人より)俺もあんなにリゾート調の広い家で出来て、ライブハウスとはひと味もふた味も違う気持ちのいい感覚だったな。「初めてのタイでのソロライブ」でもあったしね。
あと、今回はミクシィだけで会場の決定から50人近いお客さんの集客まで出来たのも凄いと思ったな~。一番いい活用法をしたかもね。
主催者の桃ちゃん、さっちゃんには特に感謝!

石川浩司+アナーキー吉田+現地ミュージシャン突然セッションライブ

チェンマイにある日本風居酒屋「HATENA?」にて。
 お店の従業員の方が「チェンマイなんじゃの会場にいかがですか」と名乗りを挙げてくれたのだが、僅差で他の会場に決まってしまっていたので、「せめて行くだけ行ってみよう」と足を運ぶことに。このお店では普段から「たま」のCDがかかっていて、タイの人たちも意味もわからず口ずさんだりしているそうな。

 店の入り口には色とりどりの提灯がぶら下がり、内装も現代アート風で洒落ている。皆で食事をしていると、お店の方がひとりの男性を「彼は地元で最も有名なギタリストで、ぜひ石川さんとセッションをしたいと言っているのですが」と紹介してくれた。彼もたまファンだという。そのことをファザーにお伝えすると、「やろう」といって下さる。大慌てでビデオを回した。

 ギターに、鍋やビン、食器などのありあわせパーカッションで音をのせるファザー。スティックは菜箸!それでもファザーが叩きはじめると完全に楽器になってしまう。どんどん呼吸が合っていって、ところどころで歓声が巻き起こる。
でも、なんといってもファザーが
 ♪マイペンラ~イ (タイ語で「大丈夫」の意)
と唄いだしたのにはビックリするやらおかしいやら!

 一曲セッションが終わった後は「水中、それは苦しい」のアナーキー吉田氏にパーカッションを交代。ファザーは「疲れたから俺は踊るから」と。アナーキーさんのパーカッションも、さすがファザーの影響で始めたというだけあって、自由で面白い!ファザーは「疲れた」と言っていたにも関わらず、ビールびんを叩き割ってしまったり、腹に絵を描いたり、そして  ♪チェンマイ サバーイ!(「チェンマイ気持ちいい」の意)
と唄ったり、「余計に疲れるんじゃ・・・」と思わずにいられない見事な暴れっぷりだった。

というわけで、すっばらしく楽しい即興ライブだったのだけれど、肝心「ウチの店でライブしませんか」のメールをくれた人は仕事が押してしまい、観る事ができなかったのだった・・・。ああ、なんて気の毒なんだろう!! (桃玉)

(本人より)名前も知らないギター弾きだったけど、何の打ち合わせもしていないのにブレイクがピタリと決まったりするとお互い思わずニヤリ。これぞ音楽は国境を越えるですな!
 まぁ俺の音楽とは菜箸で鍋やヘルメットを叩くことだが・・・。

さくらももこ「富士山」第2号 さつま芋の町川越

「富士山」はさくらももこさんが編集長をつとめ書き下ろしをして作られた雑誌で、このコラムはさくらさんがあるさんとの話の中で「川越なら石川さんが詳しいから」ということで石川さんの御案内で川越紀行が綴られることになったようである。
全7ページのコラムの文中石川さんのお言葉は、
「川越は、さつま芋が嫌いな人にとっては地獄のような街ですよ」
「さつま芋がとれなくなったらこの街は全滅するだろうなぁ」
という強烈な二言だけなのだが、一緒に載せられている写真は何枚もあり父ヒロシとの2ショットはかなりほのぼのした雰囲気が醸し出されている。
しかし、さつま芋の街川越に来てその紀行を書いたコラムであるはずなのにもかかわらず、話の中心はなぜかさくらさんが大奮発して買った28,000円のやかんであり、色んな人に高すぎると突っ込まれるのだが、それでもめげずに購入に踏み切ったさくらさんの強いこだわりが楽しかった。
さすがはさつま芋の街「いも餃子」「いも天ラーメン」はとても読む者の興味を引いた。
石川さんの写真の後ろに書かれていた「ぽくぽく」が気になって調べたらこれもやっぱりさつま芋のお菓子だということらしい。
まさに芋づくし、「さつま」の隣に住んでいる私もいつか川越の芋づくりの恩恵にあずかってみたい。
とりあえず、明日のおやつは焼き芋にしようと思ってしまったコラムだった。(梅桃ひよ子)

(本人より)さくらさんとはもちろん何度も会っていたが、漫画のキャラクターとも言える「生ヒロシ」に会えたのが嬉しかったなぁ。そして川越は本当にイモ芋いもだけでテッテ的に押していた町だったなぁ。
ちなみに「富士山」の第3号か4号にはニヒル牛のことも載っており、基本的に写真NGのうちの妻がドドーンとアップで載せられてしまっていた(笑)。

けらいのひとりもいない王様

このアルバムはたまと友部正人氏との共作で、「きゃべつ」の後に発売された。
折良く高校合格のご褒美でようやくCDプレーヤーを所有できた私は第1号としてこのアルバムを購入したので、初めて買ったCDアルバムということにもなる。
当時15歳の小娘にはフォークはなじみにくかったので、一番最後の曲でたまが作曲したという「ぼくの猫さん」ばかり聴いていたのだが、現在改めて聴き返すとどの曲もしっかりたま色になっていて、2曲目「ガーディナーさん」のきれいなマンドリンの音色や6曲目「反復」のベースのリズムがとても印象的に感じられた。
7曲目の「けらいのひとりもいない王様」の歌詞「王国は王様の入っていけないところにある」「男の子は家族の入っていけないところにある」「女の子は男の子の入っていけないところにある」に「あぁ~」とうなずかされた。最もわかっているつもりの事柄がわかっていないことは往々にしてある。そのことを思い浮かびあがらせてくれる詞である。友部さんの詩は深い。
また、「ぼくの猫さん」で使われていた「ぼよ~んぼよ~ん」の音が口琴だったこともわかって、その時から口琴の音聴いてたんだと、今だからこその発見があって興味深く聴くことができた(歌詞カードにはJaw Harpと書かれていたが当時中学生の私は理解できていなかった)。(梅桃ひよ子)

(本人より)「ぼくの猫さん」はこのレコーディングの際、友部さんが作詞した歌詞に4人で「作曲競争」をして何故か俺が優勝してしまった作品。なので作曲・たまになっているが、正確には作曲は俺ひとり。
その他の曲の選曲は友部さんの作品に一番詳しい知久君が主にした。
「ガーディナーさん」の出だしのコミカルな「♪ガーディナーさんガデッ」の繰り返しの部分もめずらしく俺がアレンジした。

ツアーパンフレット 「たまのひるねでグー」

夫の実家にあったもののひとつです。

アルバム「ひるね」のキャラ(?)が表紙のパンフレット。
嬉しかったのが、折込付録の1990年の「たま」のみなさんの毎日のスケジュールと、所々にある本人たちのコメントです。

31時までレコーディングなど、ぼんぼん出てきて、ハードそうな日常です。休日もほとんどなく、不定休だし…。そんな中でもみなさん、マイペースでやっておられるようなコメント達でした。Gさんが滑り台の写真撮影にはまっているとか、石川さんがマネージャーの事をのびちゃんと言ってかわいがっている事など。

そして、石川さん曰く「シリーズおっさんと語る」では、メンバーそれぞれがたまと関わりのあるおっさん達と対談しています。

石川さんはこのホームページでもおなじみの「建さん」と対談。
この方が知久さんの先輩だとは知らなかったです…。しかも、石川さんは体が超弱くて、五歳までに肺炎を五回もしていて、肩こり以外で医者に見放された事が2回もあったとは!お身体、大切にしてくださいね。(ぴよまる)

(本人より)「ひるね」のツアーはたまのツアーの中でもかなり過酷だった記憶がある。確か40日近く家に帰れなかったのではなかったかな。
「ひるねくん」は俺が描いたキャラだが、「がきデカ」(こまわり君)で一世を風靡した山上たつひこ先生に「この線は、素人の描いた線ではないっ!」と誉められたのが嬉しかった。
健さんは、今年の夏に出る予定の俺と大谷氏のホルモン鉄道のレコーディングミキサーとして現在も活躍してくれている。

石川浩司ソロライブレポート 1998/11/21 シュークラブ

「なんかの冗談でしょ?」思わずつぶやいた。
石川さんが完全ソロライブをする事に対して、ではない。
人がいないのだ。午後4時30分。
おかしい。おかしいです。どうしてなんですか?
それでも、夜の闇が近づくにつれ、少しずつ一人、また一人と集まってきた。
開場は6時半。開演は・・・たぶん7時だろう。
7時をちょっとすぎた頃、石川浩司登場。
ランニングではなかった。冬だし。
カーキ色の上着にオレンジの犬の絵がついたTシャツだった。
石川さんはビールを飲み始めた。ラッパのみだ。
ライブが始まったのは8時ごろだった。
まずは「ウララ」。ソロ・バージョンだった。
しかもギター弾き語り。
次が「はげあたま」。
3曲目「夏のお皿はよく割れる」で石川節炸裂。
「やっぱり石川さんはすごいなぁ」と思った。
「卵ぜんぶ割っちゃった~♪」のあとのアドリブがよかった。
うまいんですよ。
子供が泣いてる様子を的確にあらわしている。と思った。
もしざぶとんがあったら10枚差し上げたい気持ち。
4曲目、石川さんが椅子に座った。丸い椅子だった。
「かぶらぎの教え」はおもしろかった。
ちなみに石川さん曰く、「かぶらぎは仮名ですので」(笑)。
歌の後、とてもおもしろい話を聞けた。
しかし、「この話はインターネットとかながさないように」とくぎをさされたので詳しくお伝えすることはできません、すみません。
「さわり」の部分だけを言うと、ベトナムは物価が安くておいしい食べ物がたくさんあるそうな。
「オンリー・ユー」(カバー)は感動した。
日本語詞は石川さんだったのだが、 もう、つぼ直撃!くぅぅぅ・・・って感じだった。
だって「オンリー・ユー死なないでよ~♪」だよ!?
「生きてておくれ、オンリー・ユー♪」だよ!?
その次の「汽車には誰ものっていない」がまたよかったのよ。
かっこよかったのよ。「ガウディさん」は迫力だった。
それにしても石川さんはよくしゃべってたなぁ。
たぶん完全ソロで誰にも頼れないという事が彼をそうさせたんだと思う。
「ラッタッタ」は笑った。
歌の後「ラッタッタ」も収録されてるマキシシングルが、12月に「たまのお歳暮」もしくは通信販売で発売されるという事をきいた。
さりげなく老人問題に迫った?「ボケ」をうたい、再びしゃべりまくる石川さんだった。
そしていよいよ石川さんエンジンは全開しつつあった。
「四十のますかき」→ 「おっぱい少女」→「誕生日」→「秋の風」と問題作(笑)が続く。
ちなみに「四十のますかき」は二十歳の時に作ったそうだ。
「おっぱい少女」は35歳で作ったらしい。
「むしろ退化してるな」と彼はつぶやいた。
「誕生日」(歌う前)では拍手があったけど、それはあまりにもわずかだったのか
「そんな、鳥が羽ばたくような拍手はやめてくれ」と言った。
私は、「もう少し元気に拍手すればよかったなぁ」と少しだけ反省した。
と、言うのも、このうたはすごくすきなうただったからだ。
「秋の風がふいてきたんだねぇ」というせりふの後、ついにあのうたが登場した。
そう、「秋の風」。
あ、題名だけみて判断するとえらいめにあうかも。だってさ・・・
「ち*ぽ」って言葉が出てくるんだもん。(ああ、書いちゃった)
この後、石川さんはスリル&サスペンスな世界へ
足を踏み入れようとしていた。
はたして石川浩司は暴走しつづけるのか?まて、次号!(つづく)

(本人より)開場2時間前にはまだ人は集まりません(笑)。それはともかく驚いたのは10年前なのに選曲が今と変わってない・・・ヤバい、ぼちぼち新ネタ、いや新曲を作らねば!
でもなかなか「昔の自分」を越える作品が思いつかないのよね。どーしましょ。

衝撃の新展開!37歳の挑戦!

気がつくと、石川さんは椅子の上にいた。
まさに「スリル&サスペンス!!(叫び)」(by石川浩司)だった。
椅子はぎしぎしと音を立てていた・・・。
なぜ、石川さんが椅子の上に登ったのか?わからなかった。
「そんなおおげさな」という人がいるかもしれない。
だが、石川さんは高所恐怖症だった。
それでも、彼はうたった。「冥王星」を。そして・・・事件は起こった。
あと数十秒でうたが終わる、ちょうどその時。
石川浩司の声が、ぴたっととまった。
「あれ?なんだったっけ?」歌詞が飛んだのだろうか。不安がよぎる。
おそらく、あの椅子と同じくらい、彼の心はゆれていただろう (あくまで推測です)。
どうにかこうにかピンチをのりこえ、最後の曲になった。
「こぞうの・・・という歌ですが、『小僧の』ではなく、『小象の』です」
こうして、ライブは終わったかに見えた。
だが、石川浩司が去った後も、アンコールを求める拍手はやまなかった。
数秒後、彼は再びあらわれた。それこそが「答え」だった。
「コード一つのうたはもうなくなってしまったので、『カラオケ』ならぬ『からうた』をする」と、彼は宣言した。
「みんな、頭の中でおもいうかべてくれ」
そして、「全裸でゴ・ゴ・ゴー」は始まった。
「からうた」は・・・成功した。「みんな、最高のプレイだったぜ!」
そのまま、「音頭その一」「その二」に突入。
「あとは、みんなでのみましょう!」その言葉と共に、ライブは終わった。

(完)

あとがき うーん、レポをなんとなく物語風にしようとして失敗してしまった感がありまくりですね(汗)
あのライブ最高でした^^
一生の思い出になるなと思いました。 (あきびん)

(本人より)「冥王星」は歌詞途中で忘れ率No1です。何故なら曲にテンポがあって、しかも同じコードなので、のーみそから時々歌詞が届くのが間に合わないのです(笑)。
でも、今後理科の教科書から消える運命にある冥王星は、俺だけでも歌っていかなければいかんなっ!!

しょぼたま

「しょぼたま」という形態は、石川さんの自著「たまという船に乗っていた」でも懇切丁寧に説明されているのだが、「どこでもドア」ならぬ「どこでもバンド」を形にしたもので、そのため通常よりもずっとシンプルな楽器構成になっているというもの。
ベースがピアニカやトイピアノになったり、ギターがウクレレやミニギターになったり、パーカッションがかなり縮小されていたり。
しかし楽器が省エネであっても、音は決して省エネではなく、むしろ妥協のないシンプルの極致であると言っても過言ではない。
奏でられる音の数が全体的に少なく、寂しい印象も受けるかもしれないが、逆に構成数の少ない音がストレートに耳にぶつかってくるので、より印象的に音楽を聴けるとも言える。なので、ドライブでノリノリというよりはむしろ、家でリラックスするときに聴くのがピッタリな1枚である。
CDを聴いてみると、1曲目が「月のひざし」で、前奏もなく、知久さんの低めの声とギターのシンプルな音が叙情的に入ってくるので忘れられなくなるくらい鮮明で、印象の強い出だしになっている。本当に「夢の中で会って、忘れられない」感じである。
既発曲のアレンジである「ガウディさん」「ぎが」などもオリジナルにくらべて遜色がない。個人的に「ガウディさん」は、トイピアノのきれいな音がオルゴールのように印象的で、こちらの方が好きである。
しょぼたまアレンジの大きな特徴はシンプルの極致であると述べたがもうひとつ、インストのアレンジにも力が入っているということである。
滝本さん作の「ふくろうくん」、知久さん作の「あるファバット」はインスト曲であるが、妥協を感じさせない、唄がなくても聴き応えたっぷりの曲になっている。
また、「ひまのつぶしかた」でも登場した石川さんの「あっかんべー太郎」は、しょぼver.としてこのアルバムに登場した。
知久さんの「ぎが」や「おおホーリーナイト」はクリスマスソングであり、しょぼver.の音がこの感じに合うので、クリスマス気分を盛り上げるのに聴いてもまた味があって良いのではないだろうか。11月下旬に「ニヒル牛」でこのアルバムを購入し12月に聴いたらピッタリだなぁ~と個人的には感じられた。(梅桃ひよ子)

(本人より) アルバム「パルテノン銀座」あたりから徐々に(チープな)シンセサイザー等で多重録音を加え、ある種ライブでは完全には再現出来ないサウンド作りを楽しんできた。
その反動で今度は徹底的に簡素化した、PA設備のないところでも手軽に演奏出来るスタイルとしてしょぼたまが生まれた。柳ちゃん脱退以来のサポートキーボードも用いず、言ってみればオリジナルメンバーだけで完全に演奏出来る姿がしょぼたまだった、とも言えるんだよね。
故・矢川澄子さんの家を借りて、合宿状態で録音したのが懐かしい。

しょぼたま2

「しょぼたま」と同じ楽器構成で収録された楽曲の第2弾であり、同時に「たま」としても最後のアルバムとなった(インディーズ再収録の「ナゴムコレクション」を除く)1枚である。
このアルバムは劇中曲としてまとめられたものであるので、インストものやカバー曲が大半を占めるが、前作以上にアレンジがより緻密になっていて、バッハの「BWV1065」やガーシュウィンの「How Long Has This Been Going On」などの高度なクラシック曲がしっかりたま色にアレンジされている。特にピアニカやカズーをこれだけクラシックに印象深く遜色なく持ってこられるのはすごいと思うし、最初はインストものばかりのこのアルバムを「物足りないだろうなー」と決めてかかっていた節があるので、その分余計にノックアウトされ、今では完全にお気に入りの1枚となっている。「たま」の曲を聴かなかったら、ピアニカを「子どもが学校で使う楽器」以上に思えなかったのではないだろうかと思うと、何でもないと思いがちな身近な楽器の音の拡がりを発見し感じさせてくれる才能に溢れているのだなと思わずにはいられない。
6曲目「improvisation15.JAN.2003」では口琴など様々な楽器や音を多用していてかなりインパクトのある楽曲となっているが、途中で「OK牧場」と聞こえてしまう箇所がある。あれは何の音だろうか。
9曲目「カカポ」は、滝本さん知久さんの合作で、シンプルながら可愛らしさのある曲となっている。
10曲目「電車かもしれない」は、しょぼver.のシンプルな音色が唄の感じとあいまってよりしみじみと聴けるお気に入りの曲である。
12曲中唄が入っているのは4曲だけだが、唄がないインストの方がより印象的であり、たまの世界も十分に味わえ、物足りなさなどは全く感じない。
そこもまた「たま」の才能であり魔術であり、その美点を最後で活かしきった点においては満足であったと言ってよいだろう。(梅桃ひよ子)

(本人より) たま最後のアルバムは、当初特にCD化する予定がなかったのだけれど、芝居の音楽を頼まれアレンジ、演奏しているうちに「これはなんか、音源も残しとかないともったいなかんべ~」というような感じになりCD化した。ひよ子さんが書いている通り、インストをメインとしたかなりたまの中でも異色のアルバム。
ちなみにこれを録音している時はまだ解散話は出ておらず、このアルバムがラストアルバムになるとは、本人達も知らなかった。

東京フルーツ

昨年「たま」に再燃した際「たまの最期!」DVDとともに速攻で購入した1枚である。
石川さんご本人をはじめ、ネットのレビューなどでも説明されているが、「音」アレンジの凝った曲とシンプル構成の「しょぼたま」曲がミックスされて収録されているので、後期3たまを知るための最初のアルバムとしてはオススメの1枚となっている。
「音」アレンジに凝った部分の曲は、ロック調からポップ調と幅が広く、「しょぼたま」アレンジとの対比がくっきりしていて、その違いを楽しむもよし、比較してどっちが好きかを悩みながら聴くもよし、という感じである。
ベースの低音が非常に印象的な「とかげ」、「たま」ではこれまで聴くことはほとんど少なかったロック調の「カボチャ」、ポップでストレートなラブソングが一見「たま」らしくないと感じるも、パーカッションをマラカスで叩くという奇想天外な発想はいかにも「たま」ならではと感銘を受けてしまう「夢の中の君」などは、こだわりの「音」アレンジを非常に楽しめる。
一方で、シンプルなしょぼver.の「安心」「ラッタッタ」は聴いていて癒されるし楽しい。
実際の「ラッタッタ」は、身長よりも高い位置にあるシンバルを石川さんがえっさほいさと飛び跳ねて打つので、ビジュアルだと数倍楽しめるが、CDでも「そうやって演奏しているのだろう」と想像しながら聴いていても十分楽しめるだろうと思う(収録時は飛ばなかったかな??)。
そしてちょうどアルバムの中間くらいに位置する「ハダシの足音」「いわしのこもりうた」では音の響きと唄の世界により深く引き込まれ、時には涙してしまうほどしみじみと聴くことができる曲となっているので、様々な方向から聴いて楽しめることができるのではないだろうか。
このアルバムで一番すごいと思ったのは、パーカッションをマラカスで叩き、高い位置にあるシンバルを跳んで鳴らすという石川さんの演奏形態の拡がり方である。一張羅のドラムセットをスティックでかっこよく鳴らすというだけの固定観念では到底思いつきもしない形態に衝撃と感銘を受けずにはいられなかった。(梅桃ひよ子)

(本人より) 「いなくていい人」とこの「東京フルーツ」は後期たまを代表するアルバムだと自負している。たまを聞いている、といっても多くの人はデビューアルバム「さんだる」から3枚目の「きゃべつ」ぐらいまでしか知らないという人も多い印象なので、是非後期のアルバムも聞いてもらいたいものだ。というか現在も絶賛発売中なので、聞いておくれ~!

「たまという船に乗っていた」

言わずもがな、石川さんの書かれた「たま」という19年の歴史を記した著書である。残念ながら著書そのものは見つけることが未だできていないが、石川さんのあたたかいご高配のおかげで、何とHP内でタダ読みできるという恩恵にあずかり、とても面白く読ませていただいたので、お返しとはならないかもしれないが、ここにレポートを記したい。
石川さんらしい文章で、メンバーの一員の目線で書かれた19年の歴史、「たまの本」で知っていた事件等もあったが、石川さんならではの目線から改めてそのことを語られると、多面的にその当時を振り返ることができ、より深く「たま」の歴史を知ることができた。特に石川さん、知久さん、柳原さんお三方の出会いは「たまの本」では昔のモノクロ写真と簡潔な説明で書かれてあったが「たま船」では、当事者である石川さんの目線から詳細に語られているので、その当時の写真を思い出しながら、こういう風な感じであったと読み進めていくと、より面白く感じられた。
「たまの本」が「記録」であるとすれば、「たま船」はさしずめ「講談もしくは談話」といったところだろうか。
昨年末のイカ天SPで初登場時の様子が放映されたのは記憶に新しいところだが、そこで知久さんが「たま」の名前の由来を問われ「猫に名前がなければ”タマ”とつける、それと同じ」と答えていたが、まさに同じ会話を「たま」結成時に、しかも石川さんの発案でされていたのだ。これは、「たま船」を読まなければ気づけないことである。私もそうだったが、テレビを見ていた人は場当たり的な回答だと思っていた人が多かったのではなかろうか。「たま」に限ってそんなことはないのである。改めて、この場を借りてお詫びしたい。
また、柳原さんの解散発言も、95年の脱退前に初めて出たことではなくて、滝本さん加入前に一度出た話であることも「たま船」で初めて知った。
もしあの時滝本さんが応募せず、誰も「たま」のベース希望者が出ていなかったとしたら、「たま」はイカ天で世に出る前にもう消えてしまっていたのかもしれないのだ。ベースを弾けない滝本さんが、たったひとり応募してきたことで「たま」はそれから17年継続し続けたのだからこれは結構奇跡的な出来事だったのかもしれない。これで「たま」が世に埋もれてしまったら、あの「たまブーム」もなかったし、私も出会うきっかけを逸していたかもしれないと思うと、ここで継続を決めてくれた滝本さんと他のお三方には感謝せずにはいられない。
「たまブーム」の頃の話も、「たま」らしい目線から舞台裏がのぞけたので面白かった。他のアーティストだったら絶対こんなに面白くは語ってくれないだろう。
一番興味深く読めたのは、ブームが下火になってからあとの、地球レコード設立から柳原さん脱退、新生3たま・しょぼたま始動、そして解散までのさまざまな話だった。その頃私自身も「たま」から離れてしまっていたので情報も乏しかったし、だからこそ同じメンバー目線で語られた言葉がひとつひとつ「そうなんだ~」と頷かずにはいられない内容だった。
ジャンケンで勝った者が社長ね、とジャンケンをし、勝った滝本さんが社長に就任したこと。 ブームが下火になっても、変わらず、毎年コンスタントにアルバムを出しライブを続けていたこと。それが「たま」らしさのひとつの要素を担っていたのだと思う。
どこでもツアー中の石川さん落下事件、NYライブ中の石川さん看板激突事件。いつもハプニングの「被害」に遭うのは石川さんであるらしい。それでも石川さんは常に全力でハプニングを楽しもうとするから素晴らしい。時には命がけで。
「たま」の音楽のでき方。リリースされた曲と違うイメージの原曲「どんぶらこ」「おやすみいのしし」「さよなら人類+家族合体版」を是非聴いてみたいと思った。
「しょぼたま」結成秘話。あれだけシンプルな楽器編成で完成度の高い曲を奏でられるバンドが「たま」の他にどれだけ存在するだろうか。
そして「3たま解散」の過程。
一度「解散」の話が出るも一旦はコラボという活路を見出すことで解散を回避したものの、ソロ集団であるバンドの宿命を覆すことはできず、結果、2003年10月解散となってしまったこと。解散ライブでは知久さん本人が「言いだしっぺ」と言われていたが、「たま船」を読むと、知久さんばかりでなく3人が3人ともにすでにその境地に達していたのだということを知った。
ファンとしては複雑極まりない心境だが、当人方からしてみれば、解散は起こるべくして起こったことなのだろうな、と「たま船」を読んでいるとそのように思わずにはいられなかった。
あとがきに載せられた「デキソコナイの行進」の詞を見て、目からうろこが落ちた気分だった。
あの歌は、ただのコミカルな歌ではなかったのだ。
「地球は丸いから いつかまた会おうね」の「いつか」が来ることを心のどこかで思いながら、私はこの歌を聴き、また再び「たま船」を読むのだろう。(梅桃ひよ子)

(本人より) ちなみにこの本はメンバーにも出版前に読んでもらい、僕の記憶の間違いなども訂正してもらったので、個人的な思い込みなどの少ない、かなり正確な事実が記されているはず。
最近新しくたまファンになった若い人などは、無料なので是非気軽に「バッカでぇ~!」と笑い転げて読んでもらえれば幸いだなー。

万博・パスカルズ

2005年5月。 愛知万博開催の中、パスカルズの演奏が行われました。

万博、興味ないとか言いながらも折角だからと朝から来てしまい、歩きまわってヘトヘトになりながらもライブの時間が近づくにつれ元気いっぱいに。
山道をへいこら登りながら到着したのは、自然いっぱいのこじんまりした野外ライブ会場。

リハーサル。我らが石川さんはパスカルズだとリハーサルいらないと聞いていたのでたぶんまだ居ないかな、と思いつつも覗いてみたら、、、おおお、歌ってらっさる!真剣な眼差しで! あ!これ、さっき万博内の広告で見た、「どんどんドングリの歌」って曲だわ、きっとそうだ!
(後に頂いた歌詞カードには、永六輔さんの直筆コピーで「どんぐりのうた」となっていました。)
歌詞だけ見たときには想像もつかなかった曲。パスカルズが演奏すると、石川さんが歌うと、こんなに素敵になるのね、、、と感動しっぱなし。いい曲です。結局、リハーサルと第一部、中京女子大の可愛いおねいさん達と一緒に歌った第二部、計3回も聴けました。

無料ライブだったのもあり、第一部と第二部、お客さんはだいぶ変わっていましたが、演奏曲は違うし、第二部ではまるでちんどんやのように演奏しながら入ってきて舞台に上る様子や、石川さんの客席に下りてで踊るパフォーマンスなどいろいろ観れました。第一部と同じだと思って帰っちゃったお客さんもいるだろうと思うともったいないです。

最後の方には立ち見客を含めた客席全体から、自然に手拍子が湧き上がり、大変盛り上がりました。
アンコールもあって大満足!

パスカルズを生で観たのは初めてでしたが、野外での演奏がとても似合っているバンドのように思えました。
だんだん日が暮れていく中での楽しい音の連なりがどこか物悲しくもあり心地よくもあり、心に残っています。

本当に楽しいライブでした。
会場でCDやグッズを売ってくれたらもっと良かったのに~、と思いましたが。(許可が下りなかったようです。)

地方に来てくれるのはもう当分ないと言っていたので、貴重な生パスカルズでした。
万博圏内に住んでて良かった!(Rio)

(本人より) 「どんぐりのうた」は坂本九の一連の作品などでも知られる故・中村八大さんが最後に作曲した作品で、歌われる人をずっと探していた歌である。それをその曲の管理をまかされていたらしい「どんぐりの会」の人達がパスカルズを指名してくれ、晴れて万博で発表することが出来た。嬉しくも記念すべき曲であった。

石川浩司観察日記1日目 (石川浩司特集同人誌予告編。発行は08年春頃予定)

 このHPの「チャットバーウキュピ」でマスターこと石川浩司氏に「チェンマイおいでよ~」と誘われた事を機に、2月の大半をチェンマイで過ごす事を決意した。そのころの私は少々疲弊していたので、良い気分転換にもなると思ったのだ。
 それに私は生粋の石川浩司ファンである。ファンを通り越してキチガイと言われる事も少なくない。目標は石川浩司の専属整体師兼マネージャーである。とにかく石川浩司の一挙一動が面白くてたまらないのだ。誘われて行かない手はない。お金もなんとかかき集め、2月5日夜、チェンマイ着。

 ゲストハウスには難なく到着する事が出来た。しかしゲストハウスに予約が入っていなかったのは青天の霹靂だった。「ココニ タイザイチュウノ イシカワコウジ ハ ワタシノ トモダチ デス!」というようなことを必死で喋った気がする。幸い空室があったので宿泊は可能だったが。

 荷物も整理しきらないうちに、とにかく「着いたーーーーーー!!!」と言いたかったので、石川氏滞在中の202号室へ。ノックをし、壁に寄り添って隠れる。石川氏の「?」という表情を見たら満足したので、「着きました!」とご報告。青いTシャツに下は赤いアロハの水着という出で立ちで、「おお・・・・本気だ・・・」と妙な気持ちになった。
 既に到着していたこのHPの先輩(・て・)さんと合流し、タイスキの店へ。地元の人がよく利用するような道路に面したお店で、椅子もぐらぐら、テーブルには穴が開いている。イマイチ異国に来たという実感は得られず。しかし注文をするときに石川氏が「スリー ビアー プリーズ」などと仰るので思わず「英語しゃべれるんですね!」と感嘆した。しかしどう考えても感嘆するほどの事は言っていない。
 タイスキをつつきながら、先に到着なさっていた栗コーダーカルテット川口さんとそのお母様と叔母様の話、チェンマイの鉄道事情の話、私の道程で起こったことなどを話しながら食した。タイスキを食べる器が、おままごとで使う食器よりも安っぽいプラスチック製なのには笑ってしまった。

 部屋に戻り、チャットをするもパソコンが上手く動いてくれない。それでもたどたどしく慣れ親しんだ面々に「無事着いた!」と報告することができた。
 それぞれ部屋に戻る時に石川氏に「マッサージしましょうか?」と訊くと「疲れてるからいいよ」と仰っていたのに、チャットでは「今日マッサージしてもらってないから疲れた」というようなことを仰るので、「遠慮しないでくださいよ!」とすぐ部屋まで飛んで言った。そう私はこのためにチェンマイまで来たと言っても過言ではない。普段は札幌なので数ヶ月に一度しかお会いできないのに、2月中は数十秒でお会いできる距離にいるという事が現実として飲み込めなかった。久しぶりに揉む肩は、やはり地球には存在しないような固くて妙な感触だった。(2月5日)

※続きは写真や絵を交え、同人誌で発表する予定をしております。ご協力してくださる方がいらっしゃいましたら、momoto1187@yahoo.co.jpまでにお気軽にメールでご連絡ください。(桃玉)

(本人より) 桃玉ちゃんはじめ、今回のチェンマイは10人近いミュージシャン友達やファン友達との滞在になり、毎日様々なハプニングで今日も楽しく過ごしている。
でもあと約1週間で帰国。ううっ、帰りたくないよ~!


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