テキトー日記05年2月(1)
2月1日(火)
帰りのバンコクまでの飛行機の手配等する。暑い国にいると一日ひとつ何かするとやれやれ今日はもうこれでおしまいおしまい~という気分になる。でもなんかそれが自然。こんな気候で日本式に働いたらのーみそが耳からどんどん垂れるから注意。
「えびす」でつげ義春と相原コージ読みながらタイ太麺焼きそばとビール。
ホテルに戻る前にスーパーでファンタのスイカ味を見つける。しかしそこには「ジャパニーズ・メロン」という文字が。そうかスイカは「日本のメロン」という認識なのね。しかも天下のファンタが言ってるんだから間違いないだろう。
「日本人はこんなでけえメロン食うだか!」
「よっぽど腹ぁすかせてるんだな」
「しかし日本人はこれをメロンだと思って食べてるだか。田舎者だな、ガハハハッ!!」
と思われてるかもしれんな……。
夜は延々パスカルズの最新作「どですかでん」を流しながらビール飲みながら読書。やっぱこのCDいいわ~。何度繰り返しても聞き飽きない。初めてのCDとかゆーんならともかく、もう数十種類のCDに関わってきているので「自分がかかわっているから」というだけじゃないと思うな~。つまみはひまわりの種。
萩原朔太郎「田舎の時計 他十二篇」読む。
2月2日(水)
バーガーキングで読書。夜はそこそこ涼しいからよいのだが、昼間はやっぱり南国。どーしても「冷房があり」「長時間いても誰も気にせず」「パソコンとかを開いていても誰も関心を示さない」のは欧米チェーンのハンバーガー屋しかない。ないんじゃ~っ。
今回は特に観光で来たわけではなく避寒でなおかつ俺の最も好物のマッサージが安価でとことん受けられる、というのが目的なので自分的な日常は変わらなくていいのだ~。もちろん自然に変わる部分はそのまま船にそっと乗せるけどね。
夜はまた部屋でひとり酒。つまみはもちろんひまわりの種さっ!
東海林さだお「ショージ君の南国たまご騒動」読む。
2月3日(木)
「えびす」で日記原稿書きなど。日本カレーをオーダーしてみたが、たぶんインスタントだと思うが、ルーが冷たい……。冷たいカレーを食ったのは久しぶり。というか初体験かも。一所懸命福神漬けとかおまけのポテトサラダの小皿とか付けて頑張っているのじゃが……。やはりカレーはも少しあっためた方がいいぞ。
でも英語を知らないので「モア・ホット」などと言うと冷たいままでただ香辛料だけすげー辛くなって出てくるだけと勘違いされると思って黙っていた。黙っていたともさ。
夜はインターネットのチャット仲間と久しぶりに下品な会話とかしてストレス解消!!
なんせ、日本語での会話はここ二週間して誰ともしてないからな~。文字とはいえ、こういう場が外国にいてもあるのはストレス発散に非常に良い。特に女性でもガンガンに下品な会話についてくるというか積極的に押されるぐらいのメンバーが常にあっという間にそろうので嬉しひ。俺のチャットに来る奴はみんな、素敵な奴らだぜっ!! ほとんど会ったことはないがなっ!!
スーパーでグリーンピースの缶詰を買ったが、これが最近のプルトップではなく、本当に缶切りでガリゴリ開けるタイプのやつ。で、栓抜きに缶切りもついているのだが、なんとっ!! プルトップに慣れてしまった俺は缶切りの使い方を忘れていたっ!!
そーいや子供の時以来、缶切りで缶詰開けるなんて30年振りぐらいだもんなー。しかも不器用だし。
結局なんかよくわからないけど強引にひとつ豆が通るだけの穴を開けたが一粒ずつポトポトとしか出てこない。こんなことしてたらおじいさんになっちゃうよ~。
と、ハッと気づいた頭のいい俺は反対側に空気穴を開けて缶はグチャグチャだけど無事豆を取り出すことに成功した。人間、やれば何でも出来るなっ!!
あとつまみはひまわりの……。
椎名誠「ばかおとっつあんにはなりたくない」読む。
2月4日(金)
去年R君と来て「チェンマイ1うまい」とふたりでお墨付きを付けた「レジーナ」へ。
ここはガイドブック等でも載っているのを見たことがない穴場。ビーフシチューのビール煮込みとイエローカレーを取る。やっぱりうまい。そしてさらに料理を引き立たせているのが店構え。川に面していてそこからの風が気持ちいい野外レストランなのだ。近くにやはりリバーサイドの有名レストランは何軒もあるが、ここはレトロ調。今日俺の座ったテーブルは巨大な木造のミシン机だった。そして客が多くないのでなんかの~んびりとした気分になる。足元、鶏コケコケ歩いているし。
と、何故そんなにおいしいのに客が多くないかというと、入り口が怪しいからだ。古い木造の風変わりな彫刻とかが乱雑に置かれていて、ちょっと薄汚れた骨董美術店に見えるからだ。エキセントリックというか、R君の故郷所沢の方言で言うところの「おへんなし」な物がいっぱいなので、ニヒル牛作家の一部は狂喜するが、一般の人には「なんか汚ねぇ置物がいっぱいだなぁ」と思われ、その奥に旨いレストランが隠れていることに気づかないからだ。
もっとも、この店自体が逆にあまり観光客にドカドカ来てもらいたくないように思ってるような気もする。それくらいゆったりした昔ながらの時間を大切にしている空間なのだ。
下川裕治「アジアの弟子」読む。
2月5日(土)
通っているマッサージ屋にはナッちゃんとリーさんというふたりの女の子がメインでやっているのだが(ちなみにタイのマッサージ師で男性は見たことない。天真爛漫なナッちゃんは25才リーさんは32才。今日はリーさん。
でリーさんの田舎はメーホンソンというところで出稼ぎに来ているという話しは以前に聞いていたのだが、さらに話しているとどうやらお姉さんが病気か怪我かわからないが、下半身不随かなんからしくて働けず、とにかくリーさんの仕送りだけで暮らしているらしいのだ。別に愚痴めいた感じではなく淡々と話していたが。お母さんは3才の時にお父さんは5才の時に亡くなったとのこと。ちなみにメーホンソンという町はタイとミャンマーの国境にある町で、基本的に山岳民族で成り立っているので、リーさんもその末裔だと思われる。
で、帰り際にチップを40バーツぐらい渡すのだが「アンド・フォー・ユア・シスター」と言って100バーツプラスして渡す。
「アリガト、アリガト」
の涙声を聞いてちょっと自己満足。280円でトゥビー偽善者。
織田作之助「放浪」読む。
2月6日(日)
パスカルズ聴きながら飯を食いにいくのも面倒くせーと夕方までベットツインでふたつあるのでそこをゴロゴロ。
IQが50ぐらいまで下げてボーッとすると気持ちええわいーっ。
半月経って、体が南国仕様になってきた感じだニャ~ッ。
永井豪「デビルマン」全五巻読む。小学生の頃読んだことがあると思うのだけど結末を忘れていて30数年ぶりぐらいに読んだが……。
主人公のラストの姿には思わず誰でもこう言うぞ。
「……おいおい」
夢野久作「オンチ」読む。
2月7日(月) 路上に日本列島が落ちていた。
今日も別に……。その国に初めて来た時はなんでも珍しいから「ほぉ~」と思って日記に書いたりするが、タイとかはトランジットも入れると相当来ているので、もう何が珍しいかわからなくなってきている。写真なんかでも初めての時はバシャバシャ撮ったけど、今回も一応カメラ持ってきているものの「こういう市場の写真はもう前に撮ったしな~。」とか思ってなかなか被写体が見つけられない。
ま、今回は「何でも見てやろう!」ってな感じじゃなくてかって知ったる町の再訪で暮らす感じでのんびりしているのだからまーいいっちゃーいいんだが。それでもなんかやっぱり新鮮さがないとちょっといかん気もするね~。旅に限らず何事もねー。
松本大洋「ピンポン」全五巻読む。
渡辺淳一「メトレス 愛人」読む。
2月8日(火)
なんか数時間寝ては起きて何かちょっとテレビ見たりしてまた寝てまたちょっと寝ては食パンなぞモソモソ食ってパソコンでおにんこのCDとか繰り返し聞いているうちにまた寝てしまうといった極上南国お気楽生活。
近所のスーパーで夜のおつまみ用に豆腐と厚揚げとか買ってくる。本当はチーズが食いたいのだが、日本より高いのでこりゃ手がでませんわな。
そんな継ぎ接ぎで寝ている間の夢。
知久君なんかと何かのCMソングを作るという話しが来て知久君が先導してアレンジをがんばっているのだが、なんか芳しくないという噂。俺が誰かに「知久君は自分が納得したものしか出さないんだよね~。例え締め切りに間に合わなくても」ってな話しをしていたら、渡り廊下のすぐ横の庭に知久君が土の中に半分埋まって顔とか手や足の一部分だけが出ている。俺はちょっと焦って「あ、悪口言っているわけじゃないよ。知久君のこだわりについて話してたんだよ」と弁解するが、知久君はまるで気にしていないで埋まってる。
森本薫「みごとな女」読む。
2月9日(水)
マッサージのサービスでインターネットが無料なので、久しぶりに親父のホームページを見てみる。そもそもは6年程前親父が70になった時「ボケ防止に」ってなことで「パソコンでホームページとか作ると面白いよ」と言ったのがきっかけで始めたのだが、これがさすが俺の親というか息子が思っている以上にはまって、最初は趣味である登山や旅行の記録を写真とともに伝えるページだけだったのが、次に自分が研究していた虫に関してのエッセイ的論文を載せたり、自叙伝とかのコンテンツも出来、正直息子の俺も知らない一面なぞもあり「いいじゃん」とか言っていた。
ところが今日見てみたら「最近の自分の散歩コース」と「太極拳」についてのコンテンツが増えていた。「最近の自分の散歩コース」には元国家公務員の生真面目さというか何というか「私は毎日健康の為に49分歩いているのですが」などと書かれている。49分って……。細かすぎるわいっ! 普通なら「一時間弱」とか「50分程度の」と書きそうなものだが。しかしもしも毎日ぴったり49分の散歩をコースがいくつかあるにもかかわらずピッタリ守っているのだとしたら、それはそれで凄いので俺の中での親父凄さ度が+3は上がるがな。(後日「40分」と打ったつもりが指がずれたので即座に訂正した、と親父から連絡あり。む~ん、残念)
あと太極拳もここ10年ぐらい町の公民館の教室か何かでやっているらしいのだが、これの型の説明とともにどうやら動画が見られるらしい。さすがに異国のネットカフェで親父の「トォォォォォッ!!」などという声がこだましたら周りの耳目を一気に集めるのでクリックは日本に帰ってからすることにしたが。
でも何はともあれ、まぁ縁起は悪いがもしも親父がポックリいくようなことがあってもこういうものがいつでも閲覧出来るのは、何より故人が風化しないでしかも例えば七代先の孫までが「へ~、私のおじいちゃんってこんな人だったんだ」とより理解出来るのはいいと思うな~。一般人でも気軽に音声動画付きの個人史を残せるようなものだから。
ということで今後も親父よ、どんどんコンテンツを増やして息子の知らない一面も見せてくれ。とりあえず童貞喪失の話しでも! ……って、あまりそれは読みたくないわ。
気が向いて覗いてやろう、という酔狂な人がいたら是非掲示板にでも何か書き込んでやって下さいな。多分喜ぶので。(微妙な親孝行……。)
夜中、台湾の衛星テレビを見ていると「日本通選手権」みたいなのをやっている。といってもタレントみたいな人達なので本格的な「日本通」というわけではないようなバラエティ番組。台湾の若者さが東京チームと大阪チームに分かれてクイズで対戦するのだが「平井堅の○○という曲の主題歌になったドラマの主演女優は誰か?」なんて俺でもまぁーったくわからん問題が「もー、そんな誰にでも分かるサービス問題出さないでよ~!」ってな感じで皆苦笑して答えてた。ちなみに他のジャンルのほとんどの問題も俺には「?」の連続だった。
日本の事でわからないことがあったら今後台湾人に聞いた方がいいな……。
トルストイ「イワンの馬鹿」読む。
2月10日(木)
今回の旅行に出発直前、友部さんに会ったのでチェンマイに行く話をしたら、
「それじゃ、市内から駅に向かう途中にある市場の焼きバナナ屋のおばちゃんによろしく言っておいてよ」
と言われたので行ってみることにする。
まぁ単なる冗談だとは思うんだけど、友部さんは時々冗談なんだか本気なんだか区別がつかない時があるので、
「石川君、焼きバナナ屋のおばちゃんによろしく言ってきてくれた?」
と聞かれて、
「いやぁ、行けませんでしたよ、ははは!」
と言った途端、突如友部さんの顔が般若になり頭からは角が、口元からは牙がニューッと出てきて、
「頼んだのを忘れたのか! そういう奴はこういう目に会うんじゃあっ!!!」
という声を最後に俺の首は引きちぎられ、引き離された胴体から噴水のように吹き出る血をゴブリゴブリと音をたてて飲み「グハハハッ!! 馬鹿者めがっ!」と満足げに呵々大笑する友部さん……。
という目に会う可能性もゼロではない。
そこで早速行ってみたが、ちょうどその日は市場が休みだったのか行った時間帯が違ったのかほとんどやっている店がなかった。それでもうろうろしていると一軒というか屋台だから一台のバナナが置いてある店を発見した。確かにおばちゃんがそこで暇そうにしている。しかし前述の通りほとんど人がいないので、バナナは置いてあるものの「焼きバナナ」の店かどうかも判然としない。もしかしたら餃子のように「蒸しバナナ」「水バナナ」などの店かもしれない。
そしてもし、
「ドウユーノウ・ミスタートモベ?」
などと言って、相手が英語がわからずしかもたまたま運の悪いことに「トモベ」がタイ語ですんごい卑猥な言葉だとしたら(ちなみにネパールで「知久」が卑猥な言葉だという事実があった。これ本当)、いきなり近くにいた強面のオッサン達に囲まれ、
「おいお前、今、俺達のマドンナに何と言った! ええっ!!」
という声を最後に俺の首は引きちぎられ、引き離された胴体から噴水のように吹き出る血をゴブリゴブリと音をたてて飲み「グハハハッ!! 馬鹿者めがっ!」と満足げに呵々大笑する市場の皆さん……。
という目に会う可能性もゼロではない。
ということで俺はちらと横目で見ただけで通りすぎてしまった。
友部さん! よろしくは言えなかったけど一応彼女の元気は確認してきたので、どうかどうか俺の首を引きちぎり、引き離された胴体から噴水のように吹き出る血をゴブリゴブリと音をたてて飲み「グハハハッ!! 馬鹿者めがっ!」と満足げに呵々大笑するのだけは勘弁して下さい……。
原田宗典「大サービス」読む。
2月11日(金)
いつものマッサージ屋へ。今日は早い時間(お昼頃。南国はどこも夕方からが活気づくのでお昼頃はまだ開いてない店も多い)に行ったらいつものナッちゃんとリーさんがふたりとも暇そうにしていて(あとで聞いたところこの日の口開けの客だったらしい)、
「どっちにする?」
と受付の人に聞かれたが、ま、俺としてはナッちゃんの方がちょっとうまいのでそっちが希望だったけど、そう答えるのもリーさんに悪いかなぁ、と躊躇していたらリーさんが、
「ナッちゃん、行っておいで」
と指示して俺はナッちゃんの後についていった。
するとマッサージの部屋に入った途端ナッちゃんは声をひそめて、
「今後もしこういう事があったら、リーを指名してあげて。私と違ってリーは実家に仕送りしてあげなければならないから。約束して!」
と言ってきた。
ふたりともほのぼのいい子じゃのーと思った。
そうだ、今日はR君の誕生日だ。バンドのツアーや、祭日でもあることからなかなか一緒にいられる機会がないことが多い日だが、今年はなんと俺はタイに、R君はアメリカに居る。しかもどちらも仕事ではなく単なるお気楽遊び。
はいはい、どうせうちの夫婦は地獄行きですよ。
永井豪「けっこう仮面」全三巻読む。
夢野久作「いなか、の、じけん」読む。
2月12日(土)
タイの缶ドリンクは見かける限り全て飲み干してしまったので、久しぶりに自分の好きな飲み物が飲めるビッグチャンス到来!
そこで俺が選んだのは……ミリンダのルートビアの大ペットボトル!
ルートビアと言っても昨今日本で「ビール味のノン・アルコール飲料」と言われているものとは違うのでピンと来ない人が多いであろうが、よーするにドクターペッパーやガラナジュースなどをさらにさらに薬臭くしたような東南アジアの人達だけが好む飲み物である。大手のミリンダがペットボトルで発売しているぐらいだからそのポピュラーぶりはわかると思うが、多分日本人の90%は、
「うげげげげぇ~!! こんな薬臭いもの飲めるかぁ~!!」
と声を荒げ己の陰毛を掻きむしるであろう。
まぁルートビアにも飲料会社によってかなり差があるが、ミリンダはかなりキツイ逸品。ちなみに日本では沖縄にだけA&Wというメーカーが常時販売している。
でも俺は好きなのよね~。この薬臭さが何とも。やっぱり俺の祖先は南の島から椰子の実にでも乗ってドンブラコッコスッコッコ、コッコはいつ音楽活動復帰するのかな、ってな感じで流れ着いたのだろーか。
本山賢司「のんきに島旅」読む。
2月13日(日)
得体の知れない鳥のような大きな鳴き声が部屋の中からする。姿は見えないが、時とともに別の場所から聞こえてくるということは俺の見えないうちに部屋の中を移動しているということか。鳴き声の大きさから想像するとダチョウぐらいの大きさであっても不思議ではない。俺が別の方を向いているのを確認してシュッと素早く移動しているのか。
一体どんな姿の生き物なのか。もしくは生き物ではないもっと恐ろしいものということも……。
ともかく肉食じゃないことを祈る。
夏目漱石「硝子戸の中」読む。
2月14日(月)
マッサージを終えて店を出てしばらく歩いていると、
「コージ!」
とナッちゃんが俺の元に慌てて走ってくる。
そういえば今日はバレンタインデーだった。
はっ、もしやこのまま、
「チョコレートを買う時間がなかったので、もっと素敵なものをあげる。あなたの部屋に連れていって……。」
という可能性も。ムムム、帰国が迫っていることも話したので情が抑えきれなくなったのか!? さすが情熱的な南国女性だ!
どうするどうする、チェンマイ妻のた、誕生か?
「マッサージ代、払い忘れてるよ。2時間分200バーツねっ!」
……はい。
東海林さだお「ずいぶんなおねだり」読む。
2月15日(火)
髪の毛が伸びて来たので帰国前に床屋に行く。
昔ながらのいかにも「散髪屋」という風情の店があったのでドアのノブを廻して入ろうとしたが、ドアが開かない。中に店主らしき親父も暇そうにカレー食っているしおかしいと思いガチャガチャやっていると、店主や入り口のあたりでチェスのようなもので遊んでいた老人達も集まって来てガチャガチャやるが全く開かない。
思えば、これが前兆だったのだ。ここで「それじゃ、また今度来ます」ってな顔をしてあきらめていればあんな身の毛もよだつようなことは起きなかったのだ……。
どうしても開かないとわかった時、ひとりの男が俺の袖を「こっちに来い」と引っ張った。そこは店の裏側で、家の中を通り抜けて店に入れと言うのだ。ちょっと雑然とした台所などを通り抜け、家庭の中から床屋の店先に。
理容用の椅子に座らせられたものの、店主は立ちながらカレーを食べ続けていた。この時すでに作戦を練っていたのかもしれない。
やっと食い終わり丁寧に食器を洗ってから散髪屋用の白衣をのんびり着けて、いよいよ散髪開始。
俺は外国で髪を切る時はいつも頭全体を指しながら、
「オール・セイム・ショートカット、2mmプリーズ」
と言っている。ま、「丸刈り」のことなんだけどまさか「サークルカット」じゃたぶん混乱するだろうからな。カッパのようにされる気もするし。
で、俺としてはただバリカンで一気に何も考えず刈って、最後に生え際あたりをちょちょっと揃えてくれればいいのだが、これがなかなか通じない。
いや通じないことはないのだが、そもそも「丸刈り」というカットが存在しない国が多いのか、何か日本とは違うことになってしまうことが多いのだ。
韓国だか台湾だかではどう説明をして「オール・セイム」を繰り返しても結局角刈りになってしまった。そして今回はなんとNBAの選手のように、頭の中央部分だけ微妙に長い髪型になってしまった。でも店主が真ん中あたりを一所懸命クシとバリカンを使いながら整えていたので「まータイ風ということでこれはこれで今回はいいか~」と俺も思ってあえて難癖はつけなかった。
しかし恐怖の時間がその後に来るとは、一体誰が予想し得ただろうか。
次に店主は椅子を倒し、ひげ剃りを始めた。日本では最近カット専門のところに行くことが多いのでひげを人に剃られるのは久しぶりだ。顔剃りもやってくれ、耳の産毛剃りなぞ久しく忘れていた快感だった。
と、その剃刀が首のあたりに来た時だった。
突如、店主が、
「ワハハハッ!!」
と狂ったように笑い出したのだ。
その剃刀はピッタリと俺の首の動脈あたりにあった。
皆も知っているであろう。首の動脈を剃刀でひと掻きすればどういうことになるかは。
そういえばこの店主は年の頃60過ぎといったところか。
60年前といえばそう、第二次世界大戦。日本軍はタイの人達を奴隷のように扱いミャンマーとの間に殉職する者など顧みず山岳鉄道などを作ったりしていた時代だ。
その頃この主人はまだ子供だったろうが、大人達が日本人にどんな酷い目に遭わされているかはトラウマとなって残っていたのかもしれない。父親が殺されたかもしれない。何の罪もないのに。
時代は変わった。
しかし人の心というものはそうそう変わるものではない。
彼は60年という長きに渡って日本人への復讐を考えていたのに違いない。
しかしチェンマイという日本人観光客が多く訪れる場所に居を構えても、古ぼけた時代遅れの床屋に入ってくる日本人はいなかった。
彼はそれでも待った。待ち続けた。
そして遂にその積年の恨みを晴らす日がやってきたのだ。
(日本人が来た。遂に日本人がやって来た。……親父!!)
数々の思いが去来する中、思わずこれから始まる残虐な死の祭典に狂ったように笑いだしてしまったのであろう。
俺は観念した。
日本人として生まれてしまった以上、天罰の対象に選ばれてしまったのはしょうがない。そして今いわば眼前10cmのところに銃口が来て引き金に手がかかっている状態なのだ。
グイッ。
刃先が喉の奥底までズブズブと入っていく嫌な感触を覚えた。
そして主人は無表情のままその剃刀を横にスーッと滑らかにすべらせた。
一瞬の間もなかった。
俺の血液は噴水のようにシューッと音を立てて天井にビシャビシャとトマトケチャップのように当たった。
必死にもがこうとする俺。
しかし意識は鼻先の方からツーンともの凄い勢いで遠のいていった。
最後に走馬灯のように見えた幻覚は、出来立てのどこかの駅のホームの立ち食いそば屋で「へいっ、お待ち!」の親父の声とともに出された湯気のたった俺の最も好きな「天玉そば」だった……。
……?
いや、違う。
今のは俺自身の幻覚だった。
しかし剃刀は喉元にあり、主人が「ワハハハッ!!」と洪笑しているのは現実だ。
剃刀に当たらないように俺はゆっくり首をまわし主人の目の先を追った。
……テレビの中でタイ語に吹き替えられた「一休さん」がトンチをきかせていた。
松尾スズキ「大人失格」読む。
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