テキトー日記04年12月(1)
12月1日(水)
12月じゃ~っ!
おいおい、さっき年始の挨拶の首をニッコリとあげ終わったばかりだというのに、早すぎるぅぅぅ~。うううーっ。うううーっ。うーうーうううーっ。ううっうーっ。
時間は年とともに山頂の一滴の水から川に流れ、船頭さんが粋に歌をうたう急流下りのように早く流されてゆくものだの~。というか、多分時間は同じだけあってもあらゆる初体験の事や、今までの亜流以外の新しいことを経験する機会がどんどん少なくなるから、脳が、
「こんなこと、記憶しておく必要ねーや~。くっだらねぇ~っ。捨てちゃえ~っ、オヒョヒョヒョッ!」
と判断して、毎日があっという間に忘却の彼方にとピョヨヨヨヨーンとすっ飛んでいってしまうんだろーなー。
それに10歳の時の1年間はその人の人生の10分の1だけど、43歳の1年は43分の1だもんな~。そういう風な時間比較で考えれば確実に一年間が短くなっているのは全く道理なんだよな~っ。
ともかく彼岸の大海に出るまでのわずかな時間をなるべく笑って過ごしたいもんじゃのう。というか無理にでも笑ったるんじゃいっ!! 無理笑いから本当の笑いが生まれることもあるからな。ドワッハッハッハ~!!
甲賀三郎「贋紙幣事件」読む。
12月2日(木)
先日、芝居の劇中で使われる歌をCD化しようとレコーディングで1曲歌ってきた。但し発売は会場のみでまたすごく安く売りたいらしく、工場にだすとコスト的に赤字になってしまうのでどうやら一枚一枚パソコンで焼くらしい。まぁ自主制作ではありがちのことなのだけど、稽古の合間をぬって公演までの一週間と迫ってる時期に、若手の役者達がお金にもならないのにこつこつと創作物を作っていく。やっぱり物づくりの基本だよな~。俺はその姿勢は好きだなー。それにしてもCDが簡単に自宅で作れるようになったなんて、ちょっと子供の頃には考えられなかったことだニャ~ッ。あっ、だいたいが子供の頃はCD自体がなかったが。
塔島ひろみ「楽しい『つづり方』教室」読む。
12月3日(金)
今年は何かと自然災害が多かったけど、実は地味だったけど今後ヤバイんじゃないかと思うものがひとつある。
地震でちょっと印象が薄れてしまったけど、同じ新潟で起きた「キノコで死亡事故」。あのキノコって地元では昔から普通に食べられていた物だったらしい。それが暑さなどの気象変化によりキノコ内ストレスがイライライライラムギームギーと溜まって「毒キノコ」に仮面ライダーのように「トオォォッ!」と変身してしまったらしいね。
で、今後考えられるのはキノコだけじゃなくあらゆる食物にもそれが起こりうる可能性があるんじゃないかってことなんだよね~。米とかあらゆる野菜やもしくは食用動物魚鳥とかまで。狂牛病や鳥インフルエンザなんてのももしかしたら、何らかの関係があるのかもね。
まぁ素人が思っただけなので杞憂ならいいんだけど、世の中何が起きるかわからんからな~。食い物のない世界はさぞかしつまらんだろーなー。って、その前に餓死じゃい!
飽食のツケが餓死。ガシ~ン!
若山牧水「山寺」読む。
12月4日(土)
俺が小学生の頃、つまり30年ぐらい前ってみんな冬場は青っ洟垂らしてたよね。でも最近すっかりそんな子供はみなくなった。あれはなんでだろう。衛生環境か?そんなに変わってないような気がするんだが。というか全体の環境はより酷くなってるような気もするが・・・。
やっぱり21世紀だからだろうか。俺達の子供の頃って「21世紀」ってすんごい未来社会を想像してたもんな~。街は高層ビルだらけで空中カーが走って、旅行といえば宇宙旅行みたいな。でもなってみたら意外に地味だった。青っ洟の子供がいなくなっただけだった。
もしかしてそのうち「昭和博物館」みたいなのが出来たら、青っ洟の子供の蝋人形とかが町の風景として作られるのかもなー。でも本当になんで青っ洟子供って霞のように消えてしまったんだろ?
それとも俺達の記憶という名を冠した脳の想像の産物・共同幻想で、青っ洟子供なんて実は最初から世界のどこにも存在してなかったのかもしれない・・・。
モーパッサン「頸飾り」読む。
12月5日(日)
来年年明けに弁士をやらせてもらう喜劇映画研究会から小包が届いた。てっきりチラシかと思ったら、入っていたのは厳重な梱包の中「紙カップに入った180mlの泡盛」そして「やきそばさん太郎」(ベビースターのさらにしょぼいもの)3ケ。ムムム、さすが喜劇映画研究会。贈ってくる物の意外性からしてまさに喜劇也。大変ありがたく頂戴いたしました!
ただ、何故わざわざこの時期に? お歳暮だろーか……? それからこれって郵送料の方が確実にかかってるよな……。
ウサギにツノ、おおたか静流さんとの弁士、がんばります!
中村うさぎ「穴があったら落っこちたい」読む。
12月6日(月)
芝居の会場入り。なんだかんだで忙しい。でも若手の人達はおそらくほとんど寝ずに舞台作り等していると思うと頭が下がって地面をゴリゴリ掘って温泉湧き出ます。ひ弱なオッサンはなるべく体力温存に努めるしかないのよー。すまんのー。ヨボヨボ。
池田菊苗「「味の素」発明の動機」読む。
12月7日(火)
掲示板にも書いたけど、投稿ポイントを付けていたファイルが突然「妖怪ファイルムシャムシャ」に食われて消失。絶対捨てるはずはないのだが、スマン。でもパソコンってこういうことがあるから怖いね~。かといって全ての書類を毎日保存もちょっと難しいし。とりあえず100ポイント以下の投稿者は何とか調べて自分のポイントをメールで送って下さいなー。ランクイン目前の人もいたからな。あと「投稿王」もこれからランクに入っている人の今週分はメール等をひっくり返して調べるけど、明らかに違うと思ったらこれまたメール下さいな。よろしゅ~っ。
佐々木味津三「老中の眼鏡」読む。
12月8日(水)
さて、本日から「マカブルタンツ」(死の踊り、の意。原作はミヒャエル・エンデの「夢の中の夢」)という公演の始まる「中野光座」は俺が高円寺に住んでいた頃は、服を身につけない女の人が出る映画館で、よく自転車でシャコシャコ観に行ったものだ。もう多分10年以上前には映画館としては廃館になったものの、味のある劇場として内装も古いまま残っている。
しかし服を身につけない女の人が出ていた同じ場所に俺が立つとはなぁ。ビートルズがやった武道館のステージに立った時以来の感激だな~。ちなみにマツさんはキーボードを持たなかったらメイクが激しくて誰だかまずわからないという、これまた滅多なことでは観られないものも観られるぞ。ただ、メイクが落ちきらず真っ白な眉毛と顔中の金ラメで電車に乗って帰る姿はちょっと怖かった・・・。
新美南吉「海から歸る日」読む。
12月9日(木)
いや~参った。昨日が芝居の初日だったのだが、初日が無事開いた安心感からか、夜帰宅している途中で急に疲労がドッと押し寄せてきて、家に帰ったら激しい筋肉痛でもうほとんどまともに体が動かなくなっちゃって、朝方にはもう自力で立ち上がることも出来ず、熱も39度も出て、もうどーにもこーにもならない状態になって救急車呼ぶかどうか迷ったが、それは止めたものの、妻に何時間もマッサージしてもらったもののそれでも駄目で、何と昼の公演の出演キャンセル。這ってでも行かなきゃならないのに、這うことすら出来ないもどかしさ。
実はデビューした頃から疲労がたまる長いツアーや大きな仕事がひと段落すると、緊張の弛緩から、必ず体のどこかに異変が起きる。たいていは発熱などだが、手が全く動かなくなったり歩けなくなったりとどんな症状が出るかわからず、医者に行って検査等してもいつも「原因不明」。で、時間が経つとコロリと何事もなかったように直る。
よーは自律神経系のものだと思うのだが、本番中に来たのは初めて。年令と急に寒くなった季節的なものも原因かもしれないが。
とにかく今まで、メンバーが多い為必ずしも毎回全員参加にはならないパスカルズのライブは休んだ事あったけど、それ以外のライブ・芝居等でリハーサルとかはともかく本番に出られなかったのはおそらく20年以上の様々な舞台活動で今回が多分初めて。なんとか演出家のマサオさんが代役を務めてくれて舞台は行われたのでホッとしたが。ちなみに夜の公演には「これ以上は迷惑かけられん」と文字どおり妻の肩を借りながら這っていった。
一応「こういう時だけはプロ意識」と自分に言い聞かせて舞台に出たら、そこはそれ、テンションがあがって一時的に麻痺するので、一応お客さんにはばれない程度には芝居は出来たと思うが……。
でも今後の自分の仕事にはちょっと重いことだ。何せほとんど予期なく突然そういう状態になるので、他の人を巻き込んでいる特にこういう芝居とかの仕事は他の人に多大な迷惑をかけてしまうので、簡単に受けることが出来ないと思うと不安が募る。単発ならまだしも、毎日公演のあるものは特になー。たまたまのバッド・タイミングだったことを祈るばかり。さすがにちょっとトホホだね。
さくらももこ「まるむし帳」読む。
12月10日(金)
本日は一回公演。本来なら出演者と「一杯行きますか~」ってな感じの日なんだろーけど、それどころじゃないのでとにかく俺もメイク半落としの無気味な顔で電車に乗り込みすぐに帰宅。
寺田寅彦「夏」読む。
12月11日(土)
一応舞台は出られるものの、着替えが体が曲がらず自力で出来ない。最初はマツさんに頼んでズボンとかははかせてもらったが(完全にハンディキャップマン)、途中で一度衣裳替えがあるのだが、出番の関係でマツさんはじめ楽屋に手伝ってもらえる人が誰もいない状態になってしもーた。
そして俺はズボンをはきかえる為に、誰もいない楽屋で自分の体を芋虫のようにゴロゴロ転がしながら「前衛舞踏風ズボンはきかえ」をしていた。多分、誰かが途中で来たとしても、ドアの隙間からすんごい格好で這いずりまわりながらズボンを上げ下げしてウオウオ言いながらひとりでもんどおりうっている俺を見たら、何かとてつもない悪霊にとり憑かれた人間の姿として、恐怖でドアをそっと閉めることだろう……。
たかのてるこ「モロッコで断食」読む。
12月12日(日)
昨日は連日の昼夜公演の為、劇場の近くのビジネスホテルにひとりで泊まった。
そしてフロントでチェックインしようと用紙に名前を書こうと思ったら、何と指先が麻痺してボールペンを持つ手に力が全く入らず字が一切書けない~。と、いうことはだ。つまり箸も持てないちゅーことね。せめて食堂で飯とビール一本ぐらい飲もーと思っていたのに、こんな状態じゃ食堂でどんな事態が起きるかもわからない。
「はい、アーンして。僕の作ったご飯、全部食べてくれなきゃ、駄目よん!」
と箸を俺の口に運んでご飯を食べさせてくれる優しい優しい店長のいる店も知らんしなぁ……。
で、そこは泣く泣くパンとか手づかみで食べられるものを買ってきてしのいだのだが、今日もまだ指先に力が全く入らず(ちなみに手は動くので舞台上でのパーカッションとかは叩ける)、それがトンデモナイ事態をひきおこしてしもーた……。
本番の途中で20分ほど出番のない時があるのでトイレに行ったのだ。
「小」だったのだが、衣裳でストッキングを穿いている関係から全部ケツ丸出しにせねばならないので、個室に入って用を済ませ、さて出ようと思ったその時だ。
この劇場は来年の3月に取り壊しが決まっている劇場なので要はメンテナンスとかがほぼ何もされていない。で、トイレも中側のノブがなくなっており、ネジだけが残っているので、中に入った者はその細いネジを指先で回さないとドアが開かないのだ。
もちろん通常の状態なら、別にどうということもないことなのだが、ペンで字も書けない状態でネジに手をかけたが、全く力が入らず、何とノブがまわらない。つまりトイレに自己軟禁してしもーたのだっ!!
徐々に迫る自分の出番。
しかもトイレはちょっと離れたところにあって、物音が聞こえるとしたら、たぶん唯一近くにある「年配者用楽屋」だけ。しかし本番中なので常に人がいるわけでもない。
でもとにかく出なくてはならないので、俺はドアに体当たりして誰かに察知してもらうしかなかった。さすがに本番中なので大声はまずいと思ったのだ。
ピエロ姿でドーンドーン。
ピエロ姿でドーンドーン。
ピエロ姿でドーンドーン。
あぁ、もう袖に行かなければ! 次は俺のパーカッションでオッサン達が陽気に踊るシーンなのだ。このままでは、俺のトイレのドーンドーンに合わせて陽気に踊ってもらうことになってしまうぅぅぅぅっ!
そんなん嫌やあぁぁぁっ!
と、その時耳のいい若手の役者さんがやっと気づいてくれ、ドアを開けてくれ救助されて、慌てて舞台に。なんとか危機一髪で間に合った……。
ちなみにその時、実は「年配者用楽屋」にはマツさんがいたらしいのだ。でも、
「芝居やっているというのにこんな時間から、隣のビルかなんかで工事かなんか始まったんだな~。非常識だな~っ。」
とボーッとその音を聞いていたらしい……。
正岡子規「ベースボール」読む。
12月13日(月)
はい、いきなり元気ないつもの石川君に復帰~っ!
自律神経(だと思う)的なものはいきなりなるけど、いきなり直る。なのでいきなり酒も飲む飲む。なんたって、芝居はうまい酒を飲む為にやってるんだからな。本末転倒したらあかんもんな~っ。ガハハハッ、おねーさん、もう一本!
芥川龍之介「トロッコ」読む。
12月14日(火)
しかし今回のアクシデントは本当に役者さんやスタッフに迷惑をかけて本当に申し訳なかったのだが、ひとつだけ怪我の巧妙があった。
それは、俺が一回穴を開けた時に代役をやってくれたマサオさんだ。何と、俺が復帰しても舞台に出ている。最初は「俺を気づかって、俺がもし舞台上で急に何らかのトラブルがあった時の為に一緒に出てくれてるのだ」と感激していた。いや、実際そういう面もあったのだろう。しかし、公演が続いていく度に「俺、ここも出るから~」と出番がどんどん増えていってる……。
つまり代役をやるまでは脚本・演出家に徹していたのだが(ちなみに演劇セミナーなどで講師などもやっている)元々の役者魂が俺の代役を引き金に爆発してしまったらしいのだ。でも、マサオさんは元々いい味出す個性派役者でもあるので、結果的にお客さんにもマサオさんにも良かったと思うニャ~ッ。良かった、良かった。
フレディ松川「老後の大盲点」読む。
12月15日(水)
遂に楽日。一週間で12回公演というちょっとハードなスケジュールで自分的には問題起こしてしまったけど、総合的に楽しかった! 本番中の半ばあたりでは俺と大久保鷹さんのふたりが一瞬素に戻ってフリートークをする、というか勝手にしてしまっている所があって、それが日を追うごとに長くなったり、演奏とか演技とかも微妙に即興で変えたりと「バット男」とはまた全然違う感じの舞台だった。芝居は内容的にはちょっと難解と言われたこともあったけど、観にきてくれた人、大丈夫さっ! 何故なら俺もマツさんも実は「ここってどういう意味なんだろうねー。……ま、いっか!」と内容よくわからないままやっていたからさっ!
そして初めて全員揃っての40人ぐらいの大打ち上げ。印象的だったのは酔っぱらって若手の役者ふたりが喧嘩になりそうになって、みんなで止めた時。
「演劇に喧嘩はつきもの」と思っている年配の役者陣達は、誰ひとり立ち上がろうともしない。俺もなんか妙に懐かしい思いで、むしろ「若い時は何かと喧嘩したよなぁ……。」とおもわずフフフと見てしまった。
とにかく、お疲れさま~っ。
山本文緒「そして私はひとりになった」読む。
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