石ヤンのテキトー日記00年9月(2)

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9月30日(土)

 夜7時ぐらいまで録音をしてから車で甲府に向かう。10時過ぎから清水宏さんの「Pさせて」というラジオ番組にゲスト出演。清水さんは昨年ナイロン100゜Cの芝居の打ち上げで知り合ったが、テンションが物凄く高い。ずっと汗が額から垂れっぱなしなので、出演しててもそっちの方が気になってついつい汗を拭いてあげたくなってじぃっと見てしまった。でもラジオを聞いてる人には、そのくらいで普通なのかもしれない。でもなんせ「(時間の)空白が開くと放送事故になるので」決して口を閉じる事が許されず、なんでもいいから喋り続けなければならない、というと、どーしてもこういうテンション人間になってしまうのかもなー。
 夜中、明日ライブをさせてもらう「ハーパーズ・ミル」に到着、離れの新しいログ・ハウスに泊めてもらう。

 内田百聞の「ノラや」を読む。猫のほのぼのとしたエッセイだと思ったら、「老人が、いなくなった猫について何年間もボロボロ泣いて待ち続ける」という、ある種「ここまで女々しさを出し続ければ、ご立派」と言いたくなるほどの文章で、ちょっと驚いた。なんせ、作者自身が「あまりの悲しみの為に」校正も一切出来なかったというほどの悲しみのくれようなのだ。ま、それをそのまま出版してしまう、というのもある種大先生の凄さだが。
 ちなみに内田百聞の「阿房列車シリーズ」は俺の読んだ紀行文の中でも最も好きな作品だ。事件など何もおきず、些末な事だけでこれだけ面白く人に読ませる物が書けるんだなー、と感動したものだった。少しでも文章を書く人は、読んで損はないと思う。

9月29日(金)

 睡眠時間はたっぷり取っているはずなのだが、なんせ普段朝寝て昼頃起きる生活を20年近くしているので、「朝起きる」ということだけで、昼頃には眼がトロ~ンとしてきてしまう。
 しかもレコーディングというのは、案外他の人がテンポを機械で計ったり、チューニングしたり弦を張り替えたり、録音機材の接続などで、待ち時間が多い。なのでついついうとうとしたと思ったら、物凄い地響きで眠ってしまったらしい。おかげで一曲録音出来てしまった・・・。
 どういうことかというと、俺のいびきがあまりにでかいので、「これを使わない手はない」ということで、他のメンバーがマイクを持って来て、その俺のいびきの横でトイピアノや鈴で演奏を付けて、インストルメンタルの曲を一曲完成させてしまったのだ。
 本人の意識は全くないのに、ちゃんとクレジットには俺の名前に「いびき」と入るこのアルバムの発売は、年末の予定だ。楽しみに待つように!

9月28日(木)

 レコーディングの為、河口湖に合宿へ。朝8時スタジオ集合だったが、遅刻。列車で行く場合はセッティングの都合上、11時頃出ればよいのでちょっと時間が開いてしまったので、事務所でひとりレコードを聞きまくる。アナログレコードは、プレイヤーが各自の自宅にはもうなく、事務所にだけあるので、レコード盤はみなここに持ち寄ってきているのだ。
 まだ俺が長髪の油っぽい高校生の頃夢中になって聞いていて、今は聞かなくなったプロコル・ハルム、グランド・ファンク・レイルロード、ブラック・サバス、バッド・カンパニーなどをかける。たったひとり広い事務所のソファーに寝そべって、懐かしくも安らぎの時間をふいに持った。ゴロッと転がった窓から見える空がやけに青い午前中の奇妙な時間だった。懐かしロックの数々はCDを買い直すほどではないが、旅から帰ったら、例のnapsterでダウンロードしてみようっと。

 途中知久君と合流して、河口湖の駅には1時頃着く。駅を出て後ろを振り向くと、見事に一点の曇りも無い富士山がそれこそズドドドドーンと「どうだっ!!」と言わんばかりに立っていて、「おぉ、あっぱれじゃ!」と殿様気分で扇子でもパタパタ扇ぎたくなった。やっぱり富士は日本一じゃなーっ!
 録音は以前ライブもやったことのあるステラシアターというところの一室。小さめの体育館、といったところだ。音の残響の関係で、天井の高い所で録ろう、ということでここまでやって来たのだ。

 夜9時頃まで録音作業をして、宿泊は車で少し走って山中湖のアイネ山荘という小奇麗なログハウスのようなところ。そしてなんと今回はメンバー・マネージャーの他に、自ら賄婦をかって出たタマキさんもいるので、食事は充実。タマキさんは元RCサクセションのマネージャーなどもやっていたが、現在は阿佐ヶ谷で「8039」という飲み屋を経営している。もちろん友達ではあるが、別の言い方をすれば「料理のうまいバーのママさん」付きなのだ。うーむ、豪勢なレコーディング合宿じゃーっ。本日はタコの空揚げやシーザーサラダ、鍋物など。旨し、旨し。

 ひとり部屋だったので矢野由美子編・訳の「ベトナムの民話」という本を読む。内容は、だいたい神様が枕元に立って、そのお告げどおりにすると・・・ってな話しばかりで今いち単調だったが、ひとつ印象に残ったのは、悪い継母が神様に罰を与えられ、森の中でオランウータンに体を引き裂かれて死ぬ、というところだった。オランウータンって、人の体を引き裂くんだ・・・。こっ、怖いじゃないか。

9月27日(水)

 スタジオへ。テレビ東京の番組の録画収録。なんでも、タレントの釈由美子さんがたまのファンで、以前はファンクラブにも入っていたという。という関係でコメントと一曲演奏。
 しかし俺も確かダウンタウンの番組かなんかで釈さんを見て、「こっ、この人は!?」とその天然ぶりに圧倒されたので、そんな釈さんがたまの事を好きとは、嬉しかった。さらにボインで、もう言う事なしだな。「天然」は才能だからな。まさに「タレント」だ。その「天然」に磨きをかけることがあっても、決して「普通になろう」なんて努力はしてくれるなよ! 頼むぞ!!

9月26日(火)

 整体に行ったあと、島田家にてニヒル牛の箱作り作業。
 玉村豊男の「東京おろおろ歩き」読む。田舎者(筆者)が花の東京に出ておろおろしている様子をちょっとアイロニカルに、ユーモアに書いた作品。生きた魚を調理するのは「生魚」とか「活け造り」とか表現するのに、収穫してとっくに時間の経ってもう「死体になった」野菜を「生野菜」とはこれ如何に、という話しが面白かった。野菜だって生き物、もいだその瞬間に食べてこそ、というのは確かに魚や肉と同じかもしれないなー。

 夜はnapsterでhenry cowとかDoorsとか落としながら、10日もたまっちまったこの日記を書いている、っていう寸法さ。・・・もう朝じゃーい。コケコケコーッ!!

9月25日(月)

 「フロムエー」のすごろく旅行の取材で、江ノ電へ。今回は読者等も参加してくれた。海辺でニンジンを生かじりしてパーティしたり、駅前で奇妙なダンスをしたり、マッド・サイエンティストの家でお茶とお菓子をごちそうになったり・・・詳しくはとにかく、雑誌を読んでくれっ!

9月24日(日)

 「アウトサイダー風・顔4つ目覚まし時計」という作品を作ってニヒル牛へ。しばらく店内にいると、橘高さんやってくる。橘高さんは俺の20年来の友人だが、アイロニカルな人なので、そしてもちろん俺も基本的にはアイロニカルなので、ぱっと顔を見合わせても、まずは何の声も発しない。実際は友達と言っても数年ぶりに会ったので、
「お久しぶり」
 とか、
「よおっ、珍しい!」
 とかの言葉が妥当なのだろうが、そんな予定調和な言葉は、とても恥ずかしくて発せない微妙な友人関係なのだ。
 なので、R君が
「なんで、ふたりとも挨拶しないのよー、変だよー!」
 と言われても、まずは相手の出方を見て牽制しあう。
 無言力は向こうの方が強いので、俺が負けて言葉を発する。
「・・・『たまきび君』(昔、橘高さんの描いたミニコミ漫画)も持ってきてよ」
「あぁ・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「石川君、ちょっと変わったんじゃない?」
「いや、変わってないよ」
「そうか・・・」
「・・・・」
 他人から見たら可笑しいかもしれないが、これが俺たちにとっては最良のコミュニケーションなのだ。なかんづく、ふたりだけで旅行に行ったこともある。その時も、会話はまぁ、こんなものだった。でも、これでいいのだ。
 ちなみに橘高さんは「完全な殺人者顔」ということで身内ではつとに有名だ。ほとんど表情も動かず、暗くて皮肉的な目つきからそう言われている。しかし今日も家から2時間近く走ってカセットテープを3本持ってきただけだ。ちなみに、そんなシニカルな顔なのに途中で自転車のまま植え込みに突っ込んだ、と淡々と言っていた。そして帰りにはお約束事のように半分閉じかけたシャッターに頭をガシャーンとぶつけてのけぞっていた。シニカルな顔のままで。・・・俺はそんな不器用人間がたまらなく、好きだ。というか、人は完璧になるほど、人としては魅力的じゃなくなるのはもうみんないいかげんわかってるんだから、もっと正直にブザマを目指せばいいのに。だって、その方が面白いじゃないか。「死」と同等の価値があって、人として最後まで残るのは「面白い」ということだけだと思うな。まじで。その他の方は、うんこでもナイフとフォークで御賞味下され。

9月23日(土)

 今日は一日中土砂降りの雨。テラスには出られないが、今日も読書三昧。山田和の「インドの大道商人」は20年かけてルポルタージュした労作。インドにはまだ俺は行った事がないが、ネパールには二度行っており、インド国境近くも行っているのでなんとなく雰囲気はわかる。異星人はロケットで出かけていかなくても、いくらでもインドにいることがわかるような本だ。一個の果実だけを売る為に3日間ただ路上に座り続けている商人とか。明らかに価値観の違うところは、充分に異星だ。
 松本十穂の「中国国境列車紀行」も面白かった。ベトナム、北朝鮮、ロシア、カザフスタン、モンゴルと、中国から各国境を列車で越える旅だ。ご苦労さん、という感じだ。
 夜はフロムエーの原稿書きなど。

9月22日(金)

 昼間はこれぞ自由業。(ただし他にもいろんな言い方が出来る。ミュージシャン、自営業、著述業、会社役員、店舗プロデューサー、美術評論家? どれも嘘じゃないけど、一番正しいのは『無職』のような気も・・・いや、違う! 俺だって働いている! は・ず・だ)図書館、整体、漫画喫茶と自転車でキコキコまわってから、夕方から八王子の事務所で打ち合わせ。

 この夏は図書館によく行ったので、まるで文学青年のようだ。今日読んだ本は二冊。まずは津野海太郎の「歩くひとりもの」。シングルのまま40を越えた、一種の老人論、死生論。
「すべての人が例外で、例外がすべて」
 という一節が「そーだ、そーだ」とひとりシュプレヒコールだった。
 もう一冊は、俺の師匠、といえばもうおわかりの事と思うが、山下清先生の「ヨーロッパぶらりぶらり」。
 ヒコーキに乗ったところ、突然騒ぎだし、何事かと思ったら、
「こんなに舵をどんどん上げていったら、そのうち地球の外に出てしまう。操縦士さん、早く舵を戻してください!」
 とあわてていたり、パリのキャバレーで清の持っている扇子を取られたかわりに、キャバレーの女たちが次々と自分の尻を突き出し、
「その代わり、触っていいわよ~ん」
 と言われて困惑して2、3触ったら、
「固い尻なので、もうたくさんです」
 と断ったり。あぁ、心が洗われるエピソードがたくさんで嬉しかった。やっぱり俺の師匠やで~。(何故か関西弁)

9月21日(木)

 ライブの後は特に肩が凝る。整体の先生に「こりゃすごい」とか言われながら揉んでもらう。俺の肩は、ただの鉄か木か。
 所沢の駅前で「リサイクルフェア」がある、というので自転車キコキコこぎながら行ったところ「ブランド・リサイクルフェア」で中年のおばはん汗だく大集合で全く俺に関係なし。しかたなくまたキコキコ家に戻ってきて、テラス(人工芝敷詰め済みだゼ! オッホッホーッ!!)でこの夏の定番、アジア気分の読書。ちゃんと飲み物とか用意してリゾート気分に浸るぜーっ。でも読んでいる本は鈴木了司の「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」だけどな。
 この本を読むと、まだまだ世界中では「トイレ」という存在自体ない地域がたくさんあって、「大小便はトイレでするもの」という常識さえ、先進国だけの物だということを知る。
 また、著者がインドに観光旅行に行った時、「トイレに行きたい」と言ったら連れていってもらったところが、ただのコンクリートの部屋。便座はおろか、穴さえどこにも開いてないので、
「どこですればよいのか」
 と問うと、
「どこでも良い」
 と言う。つまり、どこでしても、し終わったら、たちどころにカーストの身分の低い物がスコップを持ってそれをすくって捨てにきてくれるというのだ。
 一見、すごい偉そうだけど、結局ビニール袋持って散歩に連れてきてもらった犬コロと同じだな。

 夜は今話題&問題になっているnapsterというのをやってみる。これはインターネット上で野放しにされているMP3データ(要するに、既製曲の音楽データ)を自由に検索して、自分のパソコンにダウンロード(コピー)することが出来る、というものだ。著作権上違法ともいえるし、「個人で楽しむ範囲で、売るわけではないから問題なし」という所でケンケンガクガクになっている。さらにはnapsterというのはただの検索プログラムなだけであって、よーするにCDをダビングできるからといって、カセットデッキを訴えることが出来るか、という問題なのだ。雑誌に載っていたとおりにまずは「モーニング娘。」でやってみる。但し、外国のソフトなので「morning musume」と入れなければならないが・・・。しかしものの数秒で数十曲がリストアップ。まだ発売されたばかりの新曲もあったのでクリックすると、3分でダウンロードできてしまった。うーむ。この検索システムがあれば、全曲とはいかないが、かなりのヒット曲はただでダウンロードすることができるぞ。こいつは、はまりそうだ! 違法と決まって取り締まられる前に、たっくさんダウンロードしちゃおうっと。(ちなみにMP3だと、CD-ROM1枚に、100曲以上入れられる。しかし、ただのCDデッキでは聞けず、MP3のソフトが入っているパソコン等でしか聞けない。ただし、現在は。)

9月20日(水)

 南青山でたまの月例会ライブ。渋谷で地下鉄に乗り換える時、本当は160円の切符で良いのに、間違えて190円買ってしまった。30円は返金してくれなくていいから、せめて外苑前の自動改札機を通る時、他の人とは違ってファンファーレがなるとか、粗品のティッシュが出てくるとかの「ありがとう」の気持ちがほしかったな。営団地下鉄さんよ、考えておいてくれ。

 俺は実はあまり興味がないのだが、Gさんと知久君がちょうど今、生で行われているオリンピックのサッカーの結果が気になっていて、でも中途半端に知らされるのはいやだといっているので、ライブの初めに、「お客さまの中で、サッカーの結果を何らかの形で知ってしまった人がいても、決して声には出さないで下さい。ふたりがあとで録画でテレビを見るのを楽しみにしていますので。万一お客さまがその結果をお声を出して知らせるような事があった場合、ライブはその時点で終了いたします」という馬鹿馬鹿しい宣言をして開始。相変わらず俺は「南風」で鐘を被って「鐘男」になってダンスをしたり、楽しい。でも一番緊張するのは実は「箱の中の人」という曲。曲の後半がテンポの早いパターン演奏なのだが、これが手が馬鹿になりそうなのだ。みんなも、例えばひらがなの「す」が、はてこんな形で良かったのかいな、という疑問が突然わいてくることはないだろーか。見なれた文字のはずが、なんか全然違う形だったような気がしてくる、ということが。

 パターンの演奏をしていると、それと同じで、はて、本当に右手がタンバリンを叩いて、次に左手がフロアタムを叩いたと思ったら、すかさず小太鼓を右手で2回で良かったのかな、と思ってしまうのだ。いったん疑問がわいてしまうと何か全然違う気になってわけわかんなくなって、かえってメチャクチャになってしまうので、なるたけ何も考えないようにしなければならない。しかし何も考えないといっても、回数とかは数えていなければならないので、こいつの脳の調整が大変に難しい。テンポがゆっくりの曲なら、自分に「いやいや石川君よ。そうじゃないぞ。そのまま叩いていれば良いのだぞ」とか言いくるめる時間(といっても、0・5秒ぐらいの世界)があるのだがなー。

 帰りには西荻のニヒル牛に寄って、11月頃増やす予定の箱を、段ボールでサンプルで作って並べる作業等をスタッフと12時近くまでする。

9月19日(火)

 昼、4ヶ月振りに刑事来る。(5/8の日記参照)どうやらまだ犯人が捕まっておらず、なんと俺まで指紋を取られる。店に一度しか行ったことがなく、被害者に一度も会った事のない俺がだ。
「俺じゃねー、俺はやってねー、冤罪だーっ!」
 と叫ぼうと思ったら、
「すいません、一度でも店に来た事のある人の指紋は、逆に外していかなけりゃならないんで全員取らせてもらっているんです。今もう、1800人も指紋取らせてもらってるんですよ」
 との説明。でも1800人も指紋を合致させて取り除いていくなんて、気の遠くなる地道な作業だよなー。
 「ところで、おたく有名人なんですよねー。ちびまる子ちゃんとか、やってたでショ。」
 とか言われて、別にそういう事だからじゃないと思うのだが、
「お手数かけました」という事で何故か図書券1500円分とサンドイッチもらう。
 ・・・カツ丼じゃ、ないんだな。

 午後からはスタジオでリハーサル。
 往復の電車が約2時間あるので、ちょうど文庫本が一冊読める。本日は斉藤政喜の「シェルパ斉藤のいきあたりばっ旅4」を読む。俺のすごろく旅行にも似た、毎回変なテーマを設けての旅行の紀行文。旅行中、偶然自分の本のファンの盲目の人の家に行き、それ以降自作の本の朗読に目覚める話が面白かった。俺も実は筑摩書房の「すごろく旅行のすすめ」は横浜の方の図書館で盲人用の朗読テープになっている。まじめそうな女の人が朗読しているのだが、そこは俺の本だ。文章中に多々、「ちんかす」等下品な言葉が出てくるが、動じずに淡々と読んでいて、おかしいやら、かわいそうやら、おかしいやら。

 夜中は、ニヒル牛のチャットをやっていると、なんと俺のiMacのボディの中に、チャバネゴキブリがはいずりまわっている。スケルトンなので、いやでも見えてしまう。まさかマックも、こんなことでユーザーがスケルトンの苦痛を味わうことになるとは、想定していなかったろーなー。しっかし、ゴキブリが入りそうな穴はどこにも開いてないのに、一体どこから入ったんだ! ということでその話題でチャットは逆に盛り上がってしまい、明日ライブだというのに、朝の6時までやってしまう。ちなみにゴキブリは、2時間ぐらいでどこからか這いずり出てきた。

9月18日(月)

 終日リハーサル。Gさんの新曲のアレンジ等やる。

 谷川晃一の「ガラクタ桃源郷」読む。アウトサイダーアート関係の本はまだまだ少ないので、貴重だ。表紙はネパールのミティーラアートだった。

9月17日(日)

 朝までカブラギと「ミギャー」とか「ズモモモーッ」とか田村信の擬音を発しながら遊んでいたので、起きたのは夕方。カブラギと回転寿司に行く。回転してくる寿司って、冷静に考えたらやっぱりおかしいもんだよなー、とか思いながら皿を取っていく。店にいる客全員が同じようにどこからともなく(って、調理場からだけど)やってきて目の前を通り過ぎていく皿をシュタッシュタッと取っていくのって、やっぱ変だよなー。老人とか、動作が物凄く緩慢な人はマグロ取るつもりでそのあとに何故か流れてきてしまったデザートのプリンの皿とかを掴んでしまい、しかし一度取った皿は再び戻すのは厳禁という回転寿司の掟から、涙ながらにプリンをツルッツル食べるはめに陥っている人も絶対にいるに違いない。

 R君が仕事から帰ってくるのを待ち、また本日もマージャンの素敵な堕落&娯楽ライフ。明日は仕事なので、カブラギの帰る終電ギリギリまでやっていたら、何故かその回だけ「南入」になってしまい(マージャンのルールで、勝負がつかなかったので、延長戦になること)終電逃す。勝負の方が終電より大事だからな。って、負けている時だけは強気になる夫婦であった。そして「南入」の策略にまんまとはまったカブラギは徐々に勝ちを減らしていった。「フフフ、じゃあ夜も更けてきたのでこの回でボチボチお開きにしますか」負けが少なくなってきた時、鬼のうちの夫婦がつぶやいた時だった。「・・・国士」カブラギの声が静かな室内にこだました。(ちなみに国士とは正確には『国士無双』と言い、マージャンで最も大きな上がり手。野球で言えば、満塁ホームラン。牛で言えば松阪牛。将軍の位で言えば大将。)「・・・」うちの夫婦が無言になって、今までの人生を悔い改めたのは、ゆうまでもない。

 「すごろく旅行」の原稿の締めきりを思い出し、あわてて書く。


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