石ヤンのテキトー日記00年9月(1)
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9月16日(土)
カブラギ遊びにくる。うちの夫婦にとって、もっとも気のおけない、と言おうか、全く気を使わない友人だ。この年になればいくら長年の友人といっても、それなりに最低限の「一緒にいる」という礼儀があるものだが、カブラギだけは、遊びに来たといっても、各自勝手にテレビゲームをしてたり、漫画を読んでたり、寝転がってたり、たまにくだらないジョークを言ってクククク笑ったり、おならをプーとしたり、さらに気が向けばマージャンをやったりという関係で、とても楽だ。普通、家族でももう少し気を使うからな。これもカブラギの人徳、というものか。もしくはちょっと臭いの強い空気みたいなものか。お茶ももちろん出さないしな。欲しけりゃ、勝手に入れな、という感じだ。
で、3人でゴロゴロしていて、偶然テレビをつけたら、ちょうどオリンピックで、柔道でヤワラちゃんが出ていた。スポーツにほとんど興味のない俺達だが、さすがに最後の決勝戦の一本勝ちだけは「カッコイイ!」と叫んでしまった。非国民なので、「日本」ということでは応援しないけれど、個人は応援するぞ。
結局「ニッポン、チャチャチャ!」とか言って自国を応援するけれど、それは何故かというと、結局「自分の拡大版」を応援しているからなのだと思う。自分→家族→親戚や町内・学校や会社などの組織→地元→県→日本という順番で。始めの方から順に、より「自分と近い存在なのだ」という意識で。そしてそれは別の言い方をすれば「よく知っているから」ということなのだと思う。つまり「よく知っているから、事情がわかっているから」感情移入もし易くなるわけだ。他の選手に比べても、ヤワラちゃんをさらに応援したくなるのは、情報としてたいていの日本人はヤワラちゃんの顔や、今までの経歴等も知っているからだと思う。
で、その応援への感情移入だが、これが良い形だとオリンピックになり、悪い形だと戦争ということになると思う。
しかし、オリンピックを見てて、外国人選手でも応援したくなる時がないだろーか。それはたいていの場合、なんらか(主にテレビだろうか)で特徴のある選手が紹介されたりして、特殊な事情などの情報を知った時だと思う。そんな時、その選手が自分にとって「近く」なるのだ。
だからもしも少しでも「戦争をなくしたい」と思うなら、テレビやインターネットなどで各国の情報をより身近に取り上げ、知識的に「近く」すればいいんじゃないかなー。せめて「県」ぐらいの位置に。そうなれば感情移入が日本だけではなく分散され、戦争意欲がちょっとはしぼむんじゃなかろーか。相手の国に知っている事や人がたくさんあればあるほど、むやみやたらに「憎んで殺す」事がしにくくなる、と思うのだがどーだろーか。もちろん戦争の問題はそんな簡単なことじゃないが「相手を知り、『近く』なる」ということが、ただむやみやたらに念仏のように「戦争反対」のお題目を一心不乱に唱えるより、遥かに有効な方法ではないかと思うのだ。結局、よく知らなかったから当時は「鬼畜米英」だったわけだからな。
その点で、たけしの「ここがヘンだよ日本人」というテレビ番組は、画期的な番組だと思う。あの番組をたまに見ていると、世界にはいかにいろいろな価値観や根深い習慣や宗教があるのかがよくわかるし、「そーか。今まで知らなかったから、ただただ目の敵にしていたけど、そういう事情なら、わからんでもないなー」とか「今まで日本にいて常識と思っていたことが、必ずしも世界にとっての常識じゃないんだなー」ということを分かりやすく見せてくれるバラエティ番組だからだ。特筆すべき番組と思う。
夜、島田さん、クニちゃんを誘って5人で「びっくりドンキー」というファミリーレストランで夕食。デザートに甘いものを最初に注文しておいた(なぜなら、俺たちが店に入ったのが10時少し前で、10時を過ぎて注文すると、10%の深夜割増しがつくので、最初にまとめて注文しておいたのだ)ら、食事後3~40分しても来ないので文句を言ってキャンセルしたら、全員の食事が200円割り引きになっていた。もしかしたら、マニュアルに書いてあるのかもしれないな。「待たせて、文句を言われたお客さんには料金を割引く事」と。別にスゴンダわけじゃないのにねー。もっとも俺達がスゴンでもちっともスゴミにならなくて、苦笑されるだけかもしれないけど・・・。おかげで、帰りに不二家によってその浮いたお金でケーキ買う。結局、デザートが食えなかったので、「別腹」を満たしたいのよねー。でもうちの夫婦以外は、3人とも太っていない。何故なんだーっ!! みんな、平等に太ろうぜぇーっ!
それから家でニヒル牛の打ち合わせをしばし。それからR君、カブラギとマージャンして、朝、ビールもとい安い発泡酒を飲んでカブラギと田村信のギャグマンガについて話す。酔っぱらっているのでふたりでゲラゲラ小学生のようなくだらないギャグを思い返して、笑う。俺たちもうすぐ、40才。
9月15日(金)
今日は金曜日だけど、祭日だ。敬老の日だ。ということをすっかり忘れて図書館へ。閉館。この仕事をしていると、曜日や祭日がほとんど関係ないので、たまにドジる。で、図書館でわかっているはずなのに、またやっちまった。そうだ。にっくきマクドナルドだ。
「確か今日は金曜日だから、大丈夫だよなー」
とマクドナルドに行き、
「チーズバーガー2個。持ち帰りで!」
と、「ポテトもご一緒にいかがですか!?」なんて言わせる隙も与えず強い口調でまくしたてた。
「はい。お会計の方、337円です」
「グ・・・グェッ!」
一瞬カエルのような鳴き声が口から吐き出そうになったが、必死でこらえた。
(そうか、今日は祭日だった。半額じゃなかった。ふたつで168円じゃなかった。敬老の日だった。くそう。ジジィめ~ ババァめ~ 老人め~ )
と老人を恨んでもしょうがない。が、とにかく手にしっかり握りしめた100円玉2個を店員に悟られないようにそーっと財布に戻し、500円玉を出した。なんといっても、俺、「損」が大嫌いなんだよー。「得」が大好きなんだよー。最初から納得しているんならもちろん337円だって決して高くはないよ。でも、一回168円と信じたその瞬間から、その倍額を支払わなくちゃならない、っていう事実は俺をクラクラさせるんだよー。ほんっと、心では、泣いてたよ。半額じゃないなら、ハンバーガーじゃなくったって全然かまわなかったんだからよー。よー。よー。よー。(こだま)
夕方は缶ジュース整理、夜はニヒル牛の作品づくり。今回は、『100円ショップに売っていた中国かどこかで安く描かせた風景油絵画に落書きしてポップ絵に変身』『極太ロウソクにアウトサイダー画を描いて釘を3本ぶっ刺す』『木の虫籠に自分が新潟県の田舎の「いしかわかじや」の前で撮った写真を閉じ込める』作品。元はみんな100円だが、安くは売らないね。なんてったってゲージツだからね。ピカソの何億もする絵だって、画布代だけだったら、二足三文だものね。ゲージツは高いよー。覚悟しとけよー。800円から1500円ぐらいつけてやるともさ! つけてやるぜ!
9月14日(木)
図書館行って本とCD借りて、整体に行って電気治療とマッサージしてもらって、漫画喫茶で飯を食ってから、電車に揺られてバスに揺られてニヒル牛で打ち合わせ。さらに家に帰ってこのホームページの更新など。「ニヒル牛」コンテンツが出来てから、写真取り込みとかが結構大変なので、ニヒル牛と、この日記と、あといくつかのコンテンツしかなかなか更新できない。本当はどのコンテンツも、もっとがんがん更新したいのだが・・・だって、オネムになっちゃうんだもの。浩司君、ったら。
9月13日(水)
スタジオで月例会のリハーサル。サポートのアキラさんは、千葉の奥の方、つまり本人もこの日記を読んでいるようなので本人名誉の為ハッキリは書けないが、超ド田舎に住んでいて、スタジオまで車で2時間半ぐらいかかるのだ。本日は3時集合だったので「ちょいと遅れるかな」と思って1時頃出たら、なんと事故渋滞で着いたのは7時近く。6時間の通勤とは、他人事ながらかわいそー。でもアキラさん、遅刻に関しては、全然気にする必要はございません。なにせ「たま」には「チコクン」の異名を取る知久君大先生がおらせらせらせらせますから。
岸本葉子の「アジア発、東へ西へ」読む。
9月12日(火)
西荻のスタジオでアルチューランのリハーサル。ダンス、ボディペインティング、巨大切り絵、映像、演奏、歌、パフォーマンスが渾然一体となった来月やるイベントに、ゲストで呼ばれているのだ。
進行表を見せてもらうと、『「自我の目覚め」から徐々に解放へ』とか、ちょいと抽象的哲学的ムズカシ的ニュアンスで書かれているので、ちょいとビビって、
「あの~僕、くだらない事やおふざけみたいな事や馬鹿馬鹿しい事やデキソコナイのような事しか出来ないんですけど~。大丈夫でしょ~か」
と聞いたら、
「それが駄目なら、石川さんをゲストに呼ぶはずないでしょ!」
と言われてしまった。ごもっともでごぜーますー。そりゃそうだよな。本当に堅いイベントだったら、俺がステージに出てきただけでガラガラ崩れて台無しだものな。その辺はバッチリ自意識あるので、今後も楽しくいろんな物を壊していけたらなー、と思っています。
帰りは「又右衛門」でよろしくの乾杯。
9月11日(月)
終日、「20世紀の終わりに」レコーディングとミックス。
晩飯を食いに近くの定食屋へ。ここは前にGさんと来た時、同じ焼肉定食を頼んだところ、調理の最後におばはんがソースをドバドバかけて「ソース焼肉定食」と名付けた方がいいね、と話したところだ。俺はソースが好きだから別にいいが、Gさんは
「焼肉にソースはないべ~」
と言っていた。
今日は最初、野菜炒め定食にしようと頼んだが、気がかわって、レバー炒め定食に変えた。
と、
「野菜は食べられるかい?」
とおばはんはわざわざ聞いてくれる。
「はい」
と答えたが、そもそも野菜炒め定食を最初頼もうとしたぐらいなんだから、食えるに決まってるじゃないか。カウンター席なので作るのを見ていた。レバーを炒めて、野菜を入れて、ニラを追加して、塩コショウで整えて、ソースを・・・「ソ、ソースを!?」ドバドバドバーッ。
これじゃ「ソースレバー炒め」じゃないか!!
野菜を食えるかどうか聞く前に、ソースは何にでも入れていいかどうか、お願いだから聞いてくれいっ!!
仲井戸麗一(チャボさん)の「だんだんわかった」を読む。ビートルズを頂点とした「ビートルズ的な物」で青春時代が塗り込められていくさまが、同感、同感という感じだった。俺はチャボさんのようにビートルズと時間は共有できてなくて、実際は追体験なわけだけど、多分ほとんど同じような興奮状態は与えられていると思う。ビートルズは俺も今でも聞くが、他の音楽と違ってもう何百回も聞いてるのに、基本的に全然古くならない(特に後期作品)。時代的にはそれより新しいはずの、ビートルズメンバー個々の解散後のソロ作品はしっかり古くなっているのにだ。なんでだろ。不思議だなー。
9月10日(日)
終日、「20世紀の終わりに」レコーディング。
帰りの電車が途中まで知久君と同じなのだが、一日中一緒にいるので、今さら話すこともないので隣の席なれど雑誌を読み始めると、知久君も鞄の中をごそごそやり出したので、本でも読むのかと思ったら、小さなタッパーに入れたツノゼミをじいいいっと、いつまでも飽く事なく見ている。(彼はツノゼミという虫の採集マニアなのだ)でもツノゼミはとても小さい(蠅をひとまわり小さくしたぐらい)なので、はたからはその餌にしている葉っぱをただ見ているようにしか見えない。タッパーに入れた葉っぱをいつまでも電車の中で見続ける男。・・・ちょっと、危ない。
アラーキーと奥さんの対談写真集「東京は秋」を読む。新宿ゴールデン街に行く遊歩道って、チンチン電車の線路の痕だったんだなー。対談集だけれども、あとがきではもう奥さんは亡くなっていて、その写真と相まってとても切ない。たまたま最近つげ義春関係のホームページの掲示板で、つげさんの奥さん(藤原マキさん)もやはり昨年亡くなった事を知り、それもとても切ない。
もちろんどちらの奥さんにも直接会った事はないが、ふたりとも奥さんの存在が作品にまでとても影響を与えていると思うので、その作品が好きな俺には、今後また写真や漫画でふたりがそれぞれ素晴らしい作品を発表してくれたとしても、やっぱり無くなってしまう要素も絶対にある気がする。だから寂しい。だから切ない。
このふたりの作品には、ある種同じような哀しさが昔からつきまとっている。もしかしたら、奥さんが先に亡くなってしまうことを、ふたりとも遥か出会いの頃から予感でもしていたかのように・・・。
9月9日(土)
ヒカシューの「20世紀の終わりに」というカヴァーアルバムにたまが参加する事になり、その曲のアレンジをスタジオでする。なんでも同じ曲を10組以上のアーティストが競演するのだという。最初から最後まで同じ曲、というカヴァーアルバムも珍しいのでは。演奏者によって、アレンジによって同じ曲がどこまでヴァリエーションが出来るのか、見ものだ。いや、聴きものだ。
ちなみにヒカシューは今さら説明の必要もないだろうが、巻上公一率いる80年代の日本のニューウェイブの旗手的バンド。ということで、そもそもの曲が一回転捻ってあるので、かえってアレンジが難しい。もう一回転したら、ただの歌謡曲的アレンジになってしまうしなー。「音頭」とか「演歌」とかにしたらおかしいだろうけど、一回聴いたら飽きちゃうだろーしなー。うーむ。
数日前の子猫が、家のすぐ横にいるらしく、チーチー鳴いているのが聞こえるが、姿は見えず。親猫の為に用意したミルクやチーカマはきれいさっぱりなくなっているというのに・・・
親猫よ、かわいがるから、一匹ぐらいよこしんしゃーい! お願いよーん。しまいにゃ、俺もそのうちチーチー鳴きだすよっ!!
9月8日(金)
接骨院のあと、いつもの漫画喫茶に。通いつめて、やっと村上もとかの「龍」を25巻まで読む。俺は漫画を読んでても、景色のシーンとか出てくるとジーッと浸って見てしまう方なので、なかなか巻が進まない。ほとんど毎日のように来て、半月以上かかった。でも、これまだ完結してないので、続きが気になるよー。龍は中国の大きな大きな大地で、なんとかやっていけるのか!? そして「てい」は女優としてさらなる飛翔があるのか!? うーむ、たぶんハッピーエンドになるとわかっていても、大河漫画はハマるとドップリになってしまう。俺たちが上海で何気無しに入って遊んだ「大世界」にもあんな暗黒の歴史があっただなんて・・・。
家に帰ってから義姉推薦の山村修「気晴らしの発見」を読む。と、その中に梶井基次郎の「檸檬」の話しが出て来て、久しぶりに再読してみたくなった。確か文庫本は家にあったはずだが、押し入れの箱の中で、そこから探し出すのはとても大変だ。
ということで、「青空文庫」というホームページに行き、無事読むことが出来る。このホームページは相当お勧め。作者が死後50年たった、著作権の切れた作品が、なんとみんなただで読めるのだ。俺は文字サイズを120%にして大きくして、読み易くして読んだ。みんなも、モニターで多少見づらいのを我慢さえすれば、かなりの本が読めるぞ。知ってて損はないぞ。
9月7日(木)
近所の接骨院に、肩凝りを見てもらいにいく。と、医者はひと言、
「こりゃ、ひでえ!」
いや、別に複雑骨折しているわけでも、グチャグチャの性別不明死体でもないんだから、
「こりゃ、ひでえ!」はないと思うのだが、とにかく前に別の整体師にも言われたとうり、相当体が歪んでいるらしい。おかしーなー、変な姿勢で太鼓を叩いているわけでも、奇妙な踊りをクネクネと踊っているわけでも、ただ会話するだけでも不自然に体が動いてしまうわけでもないのに。・・・って、あれが原因か!?
むふぅ。しかしあれは仕事だからなぁ。「俺自身を見せる」という俺の。
「できれば毎日、最低でも週3回は通って下さい」
と診断を言い渡される。
実はこの接骨院は友達の紹介で、きのうすでにR君が行っているのだ。
その時も、
「奥さん、結構ひどい肩凝りですねー」
と言われたらしく、俺に
「どうよっ!? あたしだって凝ってるんだからね! 自分ばっかり『凝ってる』ことを自慢しないでよねっ!!」
と言われていたので、
「じゃあ、毎日通え、と言われたか!?」
と聞くと、そこまでは言われていないと言って、悔しさに歯ぎしりしている。
「ほっほっほ。ふふ~ん、そうだろう!」
となんとなく俺は自分自身が勝ったような錯角に陥った。
が、よく考えたら体ボロボロってーことで、完敗してるんじゃねーか。
あーあ、でもまさに40の峠目前にして日々の病院通いか・・・とほほほ。まっ、マッサージされるのは何よりも好きだから「治療」と思わず、エステ気分で楽しもっと。何事も考えようだからな。そして快楽にふけってても「治療ですから仕方ないんです」と言い訳できるしな。よしっ、いいぞっ、俺の体! フレーッフレーッ!
家に帰って下川裕二編の「笑うアジア」読む。アジアでの笑えるハプニングばかりが紹介された紀行文集だ。
俺も昔、中国で「笑える」・・・いや「笑われる」ハプニングがあった。
さる山奥の観光地に行った時、よぼよぼのバーサンが俺に近寄ってきて、そしてこう言った。
「この500円玉2枚と、千円札を交換してくれんかのぅ」
そういって、500円玉2枚を俺に見せた。
その頃の中国には、兌換券という物があり、外国人が使う紙幣と、中国市民が使う紙幣が違っていた。で、どうやら何らかでこのバーサンは500円玉2枚を手に入れたが、市民の使える紙幣に両替する為には、コインでは駄目で、紙幣同士でなければ代えられないらしいのだ。
「500円玉じゃ駄目なんじゃ。この絵葉書もつけるから、何とか駄目かのう」
しかしこっちにすれば、500円2枚でも同じ千円だから、絵葉書分だけ、得なわけだ。
「あっ、いいっすよっ!」
俺は気軽にそれに応じた。まずは千円札を渡す。絵葉書をくれる。と、ちょっとバーサンがモジモジしているようにも見えたが、さして気にもせず、
「じゃあ、500円玉の方を・・・」
と言うと、バーサンはコイン2枚を俺にパッと握らせた。
と、その途端である。
それまで歩くのもヨチヨチっだったバーサンが、いきなり物凄いスピードで後方に走り始めたのだ。
「・・・!?」
一瞬なんのことかわからず、でも何か嫌な予感がして、俺は自分の手の平を開けてみた。
すると、そこには確かに2枚のコインがあった。・・・但し、500円玉とちょうど同じぐらいの大きさの、価値的には10分の1くらいしかない、香港のコインがっ!!
確かに最初は日本の500円玉だったのだ。それが、いきなりすりかわっている!
「こっ、こらっ!!」
俺は怒ってバーサンの走っていく方を見た。すると、バーサンはとても老人とは思えない脚力で、山をピョーンピョーンと跳ねながら登ってもう、とてもとても小さな姿になっていた。
それを見ていたまわりの観光地のみやげ物売りのおっさんやおばはん達は、同情するわけもなく、まんまと騙された俺を、指差してゲラゲラ笑っていた・・・。
「さ・・・猿ババァめっ!」
俺は、騙された恥ずかしさで顔を赤らめながら、くやしまぎれに、そうつぶやくことしかできなかった・・・。
9月6日(水)
事務所へ。Gさんの沖縄みやげの紅芋カステラなどつまみながら、年末に出す予定のアルバムの打ち合わせなど。
この夏売り出した「ミレニアム福袋」の中に「当り」が入っていた人に、メンバーから直筆ハガキが届く、というのを書く。まず知久君が最初に描いたのだが、ハガキ9枚のうち、ボーッとして、4枚を逆さに描いている。
・・・こいつ、ホンモノだ。もしくはカンボジアボケか!?
宮脇俊三の聞き語り半生記「私の途中下車人生」を読む。著者は鉄道紀行作家だが、それにしても子供時代の事をよく覚えている。「その時、、私は何時何分の列車に乗り・・・」なんて、いくら好きだからといって、覚えすぎなんじゃなかろーか。俺なんて子供の頃の事なんかほーんと、断片でなおかつ景色的にしか覚えてないぞ。しかもともすれば、それは後から聞いた人の話しとか、自分の強い思い込みとかによって修正が加えられた「創作思い出」の可能性すらあって、「真実の記憶」なんてほんっとに少ない。やっぱり俺はそーとーの馬鹿なのかにゃー。
ちなみにこんな風に日記をつけてるのも、あまりにも記憶があやふやな事が多すぎるので、少しは手がかりを残しておかないと、ほんま、まずいでー、という気持ちが書かせている部分も多分にあるのだ。ま、自分で書いていても「俺こんなことしたっけか」なんてのも平気であるけどなー。やっぱり俺はのーたりんかなぁ。あっはっはー、まぁいいやーっ。
9月5日(火)
夜、始めて「チャット」というものをやってみる。ニヒル牛関係のページで主催してくれた人がいたので、どんなものかいなーと、参加してみたのだ。と、これが結構楽しい。電話とも、直接会うのとも違う不思議なコミュニケーション。ひとり部屋で酒を飲みながらも、目の前の「文字」だけは確かに人間が相手。電話では1対1だし、直接会うと何かと気を使って面倒だったり、店に入ってお金がかかったりするが、ここでは基本ルールさえ守っていれば、トークだけが純粋に楽しめる。向き不向きはあると思うが、俺にはなかなか面白いコミュニケーションの方法だった。
と、その「チャット」をやっている間に事件が起きた。
台所に酒のつまみを取りに行こうとしたら、何か「チーッ チーッ」という小さな鳴き声がするのだ。
「???」
と思って、台所脇の物置き部屋を開けてみると・・・
なんと、子猫が4匹生まれている。もちろん家では今、猫は飼っていないので、そこらへんをうろついている野良猫が勝手に入りこんできて産んだのだ。俺があわててR君を呼んできて一緒に覗くと、親猫が少し離れたところで「フーッ フーッ」と威嚇している。
俺たちも最近、友達の家で猫と遊んだりして、久しぶりに「猫飼いたい熱」が上がってきていたところなので、「これは神様からの授かり物だっ!!」と息巻いた。
真っ白が3匹に、茶トラが一匹。特に茶トラの奴はかわいい。まだ目も開いていないような状態だ。
早速、段ボールにタオル、それから俺のお古のランニングなどを敷き詰めて子猫達の家づくり。親猫はまだ遠くの方で威嚇しているが、茶碗にミルクも入れてきてあげた。あんまりいじっていても親猫が怒るだろうと、そのまましばらくほっておくことにした。
すぐにチャットに戻り、現場からの生中継をする。
元々結婚してから数年間、猫を飼っていたのだが、この家に5年ほど前に引っ越してきた時、この家が気に入らないのか、もう充分に親猫なのに何度も布団の上とかで粗相を繰り返すので、ちょっと怒った所、どこかに家出してしまった以来の猫なのだ。
なんだか俺もほくほくと嬉しい気分になってしまい、ついつい酒もすすみ、チャットの最後の頃は何を書き込んでいるのかもわからなくなってしまった。それはともかく、朝方になり、寝る寸前、もう一度だけ子猫を見て、幸福に寝に入ろうと思った。
段ボールの箱の中に、子猫は一匹もいなくなっていた。どうやら親猫が危険を感じ、一匹づつくわえてどっかに運んでいってしまったらしいのだ。
・・・俺は、しょんぼりした。
9月4日(月)
急に涼しくなる。俺の皮膚は「夏・冬ニ季用」にしか製造されていない。つまり、春とか秋とかいう、男らしくない中途半端な甘っちょろい季節には対応していない仕様なのだ。口の悪い人は「鈍ーいっ」とかひどいことを言うが、実際、「あちいっ!」か「さみっ!」しか俺にはないのでしょうがない。なので、すぐにハンテンを出して冬仕度。オコタも、もうすぐですよ。
赤塚不二夫の自伝「いま来たこの道帰りゃんせ」を読む。つげ義春との交流が面白かった。まだふたりとも貧乏漫画家だった頃、しょっちゅうふたりで部屋で議論をするのだが、つげ義春が
「君は自分のやりたい事(芸術)を選ぶのか、それとも商業主義を選ぶのか!?」
で話が決裂して、
「君とは絶交だ。もうニ度と会わんっ!」
と言って、しかしその次の日にはまた何事もなかったようにふらりと現れたりするのだ。なんかこういう関係っていいなー。
あとは「すごろく旅行」の原稿書き。曲も作ろうとしたが、うまくいかず。ずっとスランプだニャー。
9月3日(日)
昼間は缶ジュースの整理。物置きから出して、ほこりまみれになりながらやる。しっかし、全体、日本は落ち着きがない! ヨーロッパとかだと、数年経って行っても、ほとんどデザインが変わってなかったりするが、日本は同じような商品でも、バンバン「新種」を出す。まぁコレクターに取っては嬉しいことだから別にいいが、「定番」というものを作ろう、という気があまりなくて、「次!」「また次!」という風に新製品を出していくんだよなぁ。そいであまりに出すもんだから、だんだんわけわかんなくなっちまって、時々とんでもない「そんなネーミングで、売れるかー!」という一般市民には嘲笑され、コレクターにはよだれ物のすぐ消えるレア・アイテムが出ちまうってわけだ。ちなみにこの傾向は、最近、韓国・台湾でも見られる。
夕方からニヒル牛へ。今回は「アート福袋」を作ってみた。先月まで3000円以上で売っていた作品がまとめて1000円だ。どうだ! 何!? 売れ残った物を詰め合わせただけじゃないかって!? ・・・と、とにかく思わぬみっけ物があるかもしれないぞ! 全部俺の直筆だ。印刷なんて近代的なことはしていないぞ。なのでどれも完璧一点物ばかりだ。やばい、売り切れ仕舞いだ。急げ!
閉店時にいたR君・亜古ヤン・青木さんとラーメン食って帰る。マーボー丼ととんこつラーメンのセットが700円だったので、それぞれ通常の半分くらいだろうとタカをくくってたら、そのままニ品がドカンッ! と出てきて空気を入れたカエル腹。あぁ、ちょっとだけダイエットした体重が、リバウンドしていくーっ! 戻っていくーっ!
9月2日(土)
記録的な暑さ。テラスに出て(家は借家だけど、2階にテラスがあるのよね~。う~ん、ゴージャス)下川裕二の「海外路上観察」を読みながら、すっかりアジアのバックパッカー気分。氷入りのウーロン茶にだって、ストローさしちゃうもんねー。この人も長年バックパッカーをやってきた人だけど、さすがに30も後半を過ぎると、安宿がきつくて、中級ホテルに泊まってしまうという。うーん、わかるなぁ。気持ちは若いままだけど、体がついていかないんだよねー。なあんか、違ってきちゃうんだよねー。
「若者よ、若いうちに馬鹿者はとことんやっときなさい!」
・・・って意見言うようじゃあ、もう俺も「超」のつくオッサンだなぁ。いや、オッサンどころか老人かもな。はぁぁぁぁぁ・・・それはそれでいいかぁ。
午後は図書館へ行ってB52'sとニルヴァーナのCD借りてくる。これでも俺にとっては「新しい」方の音楽なんだけど・・・ダメ? ちょいとは腰もクイクイ動くぜ! 3分くらいはな! ゼイゼイ。
9月1日(金)
今は一応夏のオフ期間で、知久君はカンボジアに虫捕り、Gさんは家族で沖縄にバカンスに行ってしまったけど、俺はひとり家でウダウダ読書など。図書館から借りてきた根本りつ子の「ネパール凡人紀行」を読む。と、なんだかネパールに帰りたくなってしまった。「行く」のではなくなんとなく「帰り」たくなる。なにかそんな回帰的な魅力がネパールにはある気がする。
あとはインターネットでせめてもの室内旅行。俺が毎日覗いているところは、まず掲示板。もちろん自分のHPのUKYUP(ウキュピ)伝言板。それから俺の音楽関係の友達が最も多い地下生活者掲示板。ニヒル牛のファンの方が作ってくれたニヒル牛交流BOARD。そして「地球レコードHP」はなくなってしまったけど、ここだけはしぶとく残っているデジたま伝言板。そして最近は、突然段ボールやつげ義春、ネパールの掲示板なども覗いている。なるべくくだらない事でも書ける事がある時は、コメントを残すようにしている。その方がレスとかあって、次の日見る愉しみも増えるからなー。
それから、やはり日記をアップしている人が気になる。地下生活者代表の青木孝夫、たまのサポートの鈴木アキラさん、写真家の尾中さん、楢橋さん夫婦。そして知り合いではないけど、宇多田ヒカルの日記も一応チェック・・・。日々更新されていると、読みがいもある、ってなもんだ。
あとはニュース類。TBS、フジは見のがしたニュースも動画で見られるのが良い。ついつい気になる芸能ニュース、ヒットチャートも何故か見てしまう。あとはマックのニュースや、フリーのダウンロードもたまに出物がある。あと暇な時はアイルランドの路上とかをリアルタイムで見たりもしている。
あとは知りたい事があると、検索システムもよく使う。とんでもないところに飛んでしまうことも多いが、なかなか面白いぞ。
ところで「デジたま伝言板」に書かれていたので見て来たけど、どこが主催しているのかちっともわからないが、「男性タレント人気投票」で俺が断トツの1位だという。おいおい、その割にゃあ、ファンレターもプレゼントも最近どこからも来ないが・・・だいたい、俺はタレントか!? うーむ、インターネットには謎が多い・・・。
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