石ヤンのテキトー日記00年4月

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4月23日

 一労働者の俺の、今日のゴトはまず木箱のヤスリかけだ。まぁ、ちょっと遅刻しちまって、作業場に着いたのが午後3時過ぎで、それから朝飯その場でかっくらってたので、まぁ飯場の連中にゃ評判悪かったわな。でもしょうがねえ。腹が減ってイクサが出来るもんかね。ってまぁ、イクサってほどの作業はしねえけどな、カッカッカ。でも聞いてくれよ。俺だって気ぃ使ってアイス買ってきたもんさ。「ほれ、食え」って。ま、フルーツアイスっていう昔のホームラン・バーみたいな懐かしい感じの60円のアイスだったけど、いきなりみんなに「まずい」と言われたぜ。人の買ってきたもんに「まずい」はねえやな、おい。ちったあ言葉を選べ、ってんだよな。お互いもういい年なんだから。まぁ俺もケチッて60円のじゃなくて100円のにすりゃ、拍手喝采浴びたかもしんねえけど、労働者があんまり贅沢しちまったら、金持ちが何していいかわからなくて、困っちまうからな、カッカッカ。そうそう、俺もヤスリ使いはダイブんまくなったけど、まだまだ木屑が目や鼻の穴にボンボン入りやがるぜ。でも手袋だぁ、マスクだぁは、シャラクセエから、やんねえ。あぁ俺ぁ、やんねえ。

 2時間もしねえうちに日が暮れてきちまった。そりゃそうだよな。3時過ぎの出社はさすがにいけねえやな、カッカッカ。反省、反省と。でも今日の仕事はそれで終わりじゃねえんだ。漫画喫茶に行ってコーヒーかっこみながら石ノ森章太郎の「HOTEL」読んで一休みしてから、夜は別現場だ。西武線の上石神井から都バスに乗って、西荻窪の毎度おなじみ「ニヒル牛」だぁ。できた箱を積み上げてあーでもねぇ、こーでもねぇって、ま、あれだ。ミーティングって奴だな。アメリカ人の言うところの。いつのまにか、ガス管とかが金ピカに塗られていて、そんなとこ豪華にして、どうしよっていうんだよな、カッカッカ。それから明日粗大ゴミを取りに来る、ってんでデケエ棚をうんこら外に運んでな、今日の仕事は仕舞いだ。ま、労働者の一日なんて、書くほどの事もねえやな。あとは家帰って、酒かっくらって、寝るだけだぁ、カッカッカ。それだけだぁ、カッカッカ。

4月22日

 妻と「いただきストリート2」2回戦やる。はっきりいってこのゲーム、もう数千回遊んでる。そして何度やっても勝てば嬉しいし、負ければ悲しい。しかし勝ち過ぎると妻の機嫌が悪くなるのでビクビクするし、負け過ぎると、人生すべてを投げ出したくなるほど、悲しくなる。いずれにせよ、ほとんどお金を使わずに感情を動かせるので、ゲームって、面白いな。みんなも一生やればいいのに、ゲーム。

 さくらももこ編集の「富士山」2号が出ていたので、コンビニエンスで立ち読み。「川越に行く」というページ(2/9の日記参照)では、俺と(さくらさんの)父・ヒロシのツーショットの写真ばかりで、まるでふたりで親子旅行に行ったかのようだ。なんせさくらさんは、自分の顔出しはしないからな。でも本当はスタッフはじめ、7人ぐらい人はいたのになー。

4月21日

 砧スタジオで「たけしの誰でもピカソ」の久しぶりの収録。でもなー、前にも書いたかもしれないけど、中学の時、その素晴らしい不器用の才能から美術でクラスでただひとり「1」を取ったことのある俺がなんで審査員で呼ばれているんだろー。作品を出す人はみな、俺よりよほどプロなのにな。でもまぁ、アートはプロだけのもんじゃないからな。音楽もそうだけど。シロートが勝手に何やろうが自由だし、シロートがどう審査しよーが自由だもんな。だから、「ニヒル牛」も自由、ってことさ。シロートじゃなきゃ出せない、すげー作品をニヒル牛は待ってるゼ。あと思ったのは、作品単体で面白い物も確かにあるけど「こんな人が作った」という、つまり作家のキャラクター込みで、面白さが倍増するものもある。そーいえばピカソもダリも、キャラが立ってるもんなぁ。そういう人は、やっぱり「私が作りました」というのもちゃんと提示した方が絶対いいってことだ。それによって、より作品への興味や見方自体も変わってくるしな。
 楽屋で高城剛さんと少し話をする。

 夜「オースティン・パワーズ・デラックス」をビデオで見る。くだらなくって面白い。サイケの時代がまたリバイバルでこないかな。あとやっぱ、俺、陽気なコビト、好きだ!

4月20日

 突如風邪を引き、打ち合わせの予定をキャンセル。だいたい俺が風邪を引く時は予兆があるのだが、今回は突然意味無く熱が出たのでなんのことかわからず「あれーっ、世界がなんかフワフワしてて、雲の上をお散歩しているみったーい」とちょっとメルヘン入った。熱でふくらはぎが痛くなり、妻にマッサージしてもらう。風邪が不幸度50だけど、マッサージは幸福度100なので、差引で計算すると幸福度50なので、ちょっぴっと、幸せ。

4月19日

 今日も箱づくり。単純作業の木工仕事などしていると、まるで刑務所に服役して、作業所で作業をまじめにして、少しでも刑期を減らしてもらおうと考える受刑者のような気分だ。「看守さんがこっそり見てるぜ、ほら、あっしら、こんなにまじめにヤスリかけしてまっさーっ」ってなもんだ。でも、確か1ヶ月働いて出所時の「手当」が3000円ぐらいしかもらえないと言う。ということは一日100円か。時給にしたら・・・と話していると島田さんが「でも、3食風呂付き、宿泊付きじゃないか」というので、「そーかーそれなら悪くないかー」とも思いかえす。  しかし、こういう仕事らしい仕事は久しくしてなかったので、疲れるけど、結果がやればやっただけ出てくるので、なかなか爽快な気分のところもある。曲作りやライブだとそういうわけにはいかないからな。特に曲作りは苦労して作った物ほどなんかいじくり過ぎて面白くなくなってしまったり、逆に鼻歌の延長でポポンと作った曲の方が評価されたりするしな。ライブも完璧に近く演奏ができた時ほど、アンケートでは「今ひとつハプニングがなくて面白くなかった」とか、書かれるしな。

4月18日

 島田家でニヒル牛で使う箱づくり。といっても、もちろん釘打ち等の高度建築関係の仕事は出来ないので、釘を打ち付ける前の予備ボンド付けとか、できた箱のヤスリかけ等大勢に影響ない部分が俺に与えられた仕事だ。冗談抜きで俺に釘打ち等の超高度建築関係の仕事をやらせたら大変なことになるからな。その事実を話そう。
 昔、小学校の家庭科の時間に「今日は雑巾を縫いましょう」というような課題を与えられたことがあった。恐れをまだまだ知らなかった俺は「よーし、いっちょやったるかぁ」と腕まくりをしたもののだ。他のクラスメイトと同じにな。
 ・・・しかしその授業が終わった時、俺はもはや一匹のそう、ニヒル牛になるしかなかった。授業時間約45分、クラスのみんなの手には真新しい雑巾が。少々ぶ格好な物もいたが、とにかく雑巾がみんなの手に。しかし、俺の手には、45分かかってもまだ糸が通っていない針と、何度も何度もチャレンジしては切り、チャレンジしては切った唾でフニャフニャになった糸が、虚しくにぎられていた・・・。
 フニャフニャの糸・・・それは「不器用」という特殊才能を持った物にだけ与えられる、悲しみの勲章のようなものだ(ニーチェ)

4月17日

 自転車置き場に自転車ない。自転車置き場に自転車ない。俺の自転車どこ行った。まさか自転車だからって自転をしてどこかに行ってしまったとでもいうのか。鍵もちゃんとかけてたのに。自転車置き場に自転車ない。自転車置き場に自転車ない。俺の紺色の自転車。ずーっと自転車置き場を見て回るが、武蔵砂川の駅の自転車置き場には自転車が千台以上もある。離れたところにいたずらで置かれたらもうわからない。自転車置き場に自転車ない。自転車置き場に自転車ない。盗まれたのか? それともしばらく置きっぱなしだったから、どっかに移管されたか? でも防犯登録はしてないからなー。何故なら、俺は実はずぼらだったから。自転車置き場に自転車ない。自転車置き場に自転車ない。しょぼん。
 事務所でメンバーと打ち合わせ。

4月16日

 「ニヒル牛」へ。今日はスタッフや友達など10人以上が集まってにぎやな作業だが、もっぱら男が壁貼り等肉体労働、女は飾り付けの相談等。もちろん俺は男女を超越したセックスレス・・・いや、バイ・セクシャアールな存在なので、ちょこっと壁にボンドをはみ出して塗って「石川さんよー」と眉間に皺を寄せられたと思ったら、女性陣の中にさっと逃げ、「あらあら」と飾り付けに余計な手出しをしてみて「えー、違うでしょー」と手をパチンとはたかれてみたり、あっちへうろうろこっちへちょろちょろのかわいい子犬のような存在だった。「本当に、役に立たないんだからっ!」と皆は言うが、プロデューサーは常に全体を監視しとかんといかんからな。しょうがないんだな。
 ちなみにこのあいだ、「ニヒル牛」の領収書をもらうのが恥ずかしい、と書いたが、今日買い物に行ってきたR君は宛名のところを「ニヒル牛」と言ったつもりが、「ニギル牛」と書かれていた。にぎって、どうする。

 夜はみんなで西荻窪のジャズマン御用達の中華料理屋「美華」へ。ここは中華料理屋ではあるが、なじみになると何も言わなくても、次々旨い料理をマスターが勝手に出してくれる。今までちょっと苦手だったミミガーが、はじめておいしいと思った。さんざ飲んで食ってひとり1400円。マスター、人が良すぎるぜーっ。

4月15日

 渋谷セブンス・フロアーにて、「しょぼたま四月バカンス東京篇」昼・夜2回公演。ゲストにチューバの関島岳郎。くだらないところはとことん馬鹿馬鹿しく、でも、しまる所は割としまったのでなかなか良いライブだったのでは。関島さんのチューバもしょぼたまの「しょぼ」の魅力は消さずに、低音だけがうまく入ってくるので、なかなか相性がいいと思う。外は雨。激しい雨。ライブハウスの近くはラブホテル街。次々と若者が元気に入っていくのをみて、なんだか懐かしくなった。そーいや、ラブホテルなんてしばらく入ってないよなー。あれは青春だったんだなー。

4月14日

 100円ショップに行き、網焼き器を購入。といっても魚を焼くわけではなく、ステージで網焼き器を竹の棒でこすって音を出すのだが、金沢で調子に乗ってやっていたらバラバラに分解してしまったからな。今度は楽器として、もう少し辛抱強く生きろよ、網焼き器。

 そのまま町をうろうろして、ジュースの新製品探し。だけど去年あたりから、ジュース業界の主役は、すっかりペットボトルにと取って代わられたので、缶ジュース業界はちと寂しい。
 コンビニエンスに行っても、完全に缶とペットボトルの比率は逆転してしまった。缶ジュースコレクターにとっては誠に由々しき事態だ。果たして缶ジュースに未来はあるのだろーか。あっという間に前世紀の遺物と化すのなんて、この世ではそう珍しいことではないもんなー。アナログ盤のレコードがCDに取って代わられたのも、ほんの10年前なのに、もうそのCDすら、いつまで持つかわからないメディアだしなー。あんまり関係ないかもしれんが。
 しかし確かに、ペットボトルの方が便利だ。途中まで飲んでもまた蓋をして冷蔵庫に入れられるしな。まさかホットは駄目だろうと思っていたのも、翻されたしな。でも、コレクションとしては、ペットボトルは今ひとつ面白くないんだよなー。これは瓶にも言えることだけど、ペットボトルとか瓶は中身の飲料の色も込みで残せるならいいけど、そうはいかないからなー。とすると、「売っている時の状態」とは空き瓶や空きボトルは明らかに違ってしまうからなー。その点、缶は外見はほとんど変わらないからなー。でも、最近俺も何も新製品がない時は、ついついペットボトル、買っちまうんだよなー。しかも缶と20円違いぐらいで、容量はグッと増えるから、お値打ち感もあるしなー。こんな俺は、缶ジュースコレクター界からは、やっぱり「裏切り者」と呼ばれるんだろーか・・・。たのむ、いきなり刺客を寄越して「グサッ」だけは、勘弁しておくれ。

4月13日

 またまた「ニヒル牛」で今日は天井のペンキ塗り。でも天井はなかなか難しいぞ。きのうの壁のようにはいかないぞ。何故なら、ペンキのしぶきが、自分の顔とかにモロに落ちてくるからな。いつのまにか顔面白塗りになっていて、前衛舞踏とかをクネクネ踊りだしたくなるぞ。って、そこまで白くなる前に顔は洗うけどな。

 途中で、買い物に行くことに。洗剤や、タワシを買いにだ。そして問題は領収書だ。
「領収書、下さい」
「はい、お名前はなんとお入れしますか?」
(か細い声で)「にひる・・・」
「はっ!?」
「カタカナでニヒル・・・」
「ニヒル!? ニヒルですか!?」
「はい、それに漢字でウシ・・・あのーっ、馬や牛の牛・・・」
「はっ!? 『ニヒル・・・牛』でいいんですね!?」
「はっ、はい・・・」(本当は、『ニヒル牛』と書いて『にひるぎゅう』と読むんです、といいたいが、もちろんそんな勇気はない)
 うーむ、領収書をもらうのがこんなに恥ずかしいだなんて。でもその分、覚えやすいネーミングだとは思うのだが・・・。うーむ。

 空間プロデューサーとして、店内の指揮を取ってくれているくす美さんは、もらい物・拾い物上手だ。きのうは、おそらく『ちかん「に」注意』かなんかのデカイ看板の「に」の鉄の文字板だけが朽ち果てていたので、持ち主の許可をとってもらってきた。これはニヒル牛の頭文字の「に」にも通じるので、店の外に立てよう。そして今日は古いミシン台をゴミ捨て場から拾ってきてくれた。これはカウンターの机としよう。黒光りした懐かしい木のミシン台で、なかなかかっこよいぞ。

 夜中、近所の漫画喫茶に行く。サービス期間中なので、1時間100円で、飲み物飲み放題、漫画読み放題の上に、ひとりずつ個室状になっていて、マッサージシートで1時間肩揉まれ放題、有線放送やテレビゲームもし放題。さらに、古い雑誌は「ご自由にお持ち帰り下さい」で4冊ももらってきたので、夫婦二人で210円(消費税込み)で大満足。最近の漫画喫茶の充実振りは、世界的にみても、おそらくトップクラスのコストパフォーマンスだな。

4月12日

 「ニヒル牛」へ壁のペンキ塗りをしにいく。実は本格的にペンキ塗りするのは、生まれて初めて。でも、はけでスーッとうまく塗れると、結構、快感。たっぷりのペンキをつけてスーッ、たっぷりのペンキをつけてスーッ、と、ほらほらあっという間に違う色の世界が俺の手によって作られていく。あぁ、まだ俺の知らないこんな素敵な世界もあったんだなぁー、まだまだ、世界は広いやーっ。もしもまだ体験したことのない人がいたら、一度やってみると良いぞ。たっぷりのペンキをつけてスーッ、たっぷりのペンキをつけてスーッ、テレビゲームなんかよりも、よっぽどはまるかもよ。シンナーのほどよい匂いもいいしな。
 後、「はるばる亭」へ。絶妙な味のしらすの和え物、イカと苦旨いカニ味噌、とうがらし泡盛をかけたゴーヤーチャンプル、とろとろの豚の角煮。どれも本日も絶品也。

4月11日

 久しぶりに自宅でのんびり。午後からは散歩がてら、自転車で隣町まで行き、大好きな100円ショップをのぞいて、「楽器になるもの」「ニヒル牛に作品の素材として使える物」探し。道中、桜がきれい。風で花びらが飛んでて、いい感じ。でもいわゆる「花見」とかは本当は好きじゃない。「石川さんって、花見とか好きでしょ」と思われがちだが、好きじゃない。理由は、意外と寒いから。寒い中、桜だけをつまみに酒を飲むより、あったかい室内にいて寝転がってる方が好きだから。
  あと、実は「祭り」とかもあんまり好きじゃない。何故なら、おみこしとか、伝統的な行事とか、結構かったるいから。ちらっと見たり、露天をひやかしたりするぐらいなら好きなんだけど、「丸一日、祭りにつきあう」とかは全然興味ない。結構、飽きちゃうんだよね~。さらに言えば「打ち上げ」や「飲み会」も嫌いじゃないけど、2時間でいい。たま~に延々飲みたいモードになることもあるけど、それは本当にたま~にで、たいがい人と一緒にウダウダ飲んでだべったりするのは2時間ぐらいで良くて、あとは地方だったらひとりでホテルの部屋に戻ってゴロゴロしたり、東京だったら妻の元に帰ってゴロゴロする方が好きなんだよなー、俺って男はよー。

4月10日

 本日は帰京すればよいだけなので、最後の温泉に。内田お薦めの小松市郊外の「だるま温泉」というところに行く。まさにつげ義春風「いい温泉」のたたずまい。受付に行くと、受付のうしろはすぐそのまま、その主人であるじっさんの部屋になっていて、こたつと生活用品が雑然とおいてあり、おそらく孫が描いたであろう「おじいちゃん」の絵が壁に画鋲で貼ってあった。
 早速風呂に入ると、風呂は家庭用のポリバスを大きくしたような感じで、そこにホースが2本、とめどなくお湯を流している。風情は別にないが、お湯はいい。すぐにお肌がツルツルになっていく感じだ。
 マネージャーの溝端さんが窓を開けると、すぐに庭で何かの作業をしていたらしいじっさんが顔を出してきた。
「あんたたち、群馬から来たかね」
 どうやら内田の車のナンバープレートを見たらしい。しかし、内田はすでに5回以上この温泉に来ていて、その度に群馬ナンバーのプレートを見られて、同じことを聞かれるらしく、
「いや、だから僕はこのあたりの○○に住んでいてぇ」
 というと、ようやく思い出したらしくじっさんは、
「あぁ、あぁ」と頷く。
「今日は、東京から友達を連れてきたんです」
 と、じっさんはそれには答えずに、
「この間、この温泉を、もちっとなんとかしようと銀行に行ったんだが、銀行の野郎渋チンで、ちっとも金を貸してくれん」
 そりゃ、この場末の廃屋に近い温泉を見れば、誰だって金は貸さないだろう。
「このお湯、ええですねぇ」
 と今度はマネージャーがふってみる。が、それにも答えず、
「息子は『だるま食堂』ちゅうのをやってるんだが、うまくいかんでな。ま、孫がこの温泉をなんとかしてくれるのを期待してるんじゃが・・・」とのたまう。
 おそらく、通常の神経を持った孫なら、いくらおじいちゃんのことが好きでも、
「俺、ちょっと東京に用事があるから」
 とかなんとか理由をつけて、ここは絶対に継がないと思うが・・・。
 しばらくして風呂からあがると、じっさんは床の小さな塵みたいなものを所在なさげに拾っていた。
「いつも清潔にしとかんとな・・・」
 とか言っているが、清潔に気を使うんなら、その前に、アイスクリームの冷凍庫の中に入っているいついれたかわからない、しかもなんだかもわからないグチャグチャなナマ物のビニールや、その上の埃だらけの鷹の剥製や奇妙な置物を片づけた方がいいんじゃあ・・・。
 しかもこの温泉の外には、なんだかよくわからないリサイクルセンターのような売店があって、欠けた茶碗や、使いかけの100円ライターや、サボテン柄の変なアロハや、誰のかわからない背広や、人形の首なんかが置いてあったり、駐車場の端には、宿泊も出来るようにテントの設置場所なんかも設えてある。じっさん、いろいろ考えたんだな、というのはわかるんだが・・・。
 湯上がりでオロナミンCかなんかを飲んでる俺たちに、じっさんは少しずつその人生を語りかけてきた。
「わし、昭和10年に釜山から連れてこられた。その船賃がいくらと思う」
「えっ? あっ、当時の物価がわからんので、ようわかりませんが・・・」
「18円。18円で釜山から小松まで来たんじゃ」
 じっさんどうやら「小松製作所」で最初働いていたらしい。一種の強制連行みたいなものか。
「この手を見てみい」
 じっさんの手はでかく、節くれ立っている。小指も太く、少し変形している。
「あぁ、ごつい手ですねぇ」
「わし、その頃、『一馬力』、呼ばれてた」
 どうやらツルハシとかを毎日振っていて、怪力だ、という事を言いたいらしい。が、『一万馬力』とか『百万馬力』じゃなくて『一馬力』と呼ばれていたのが、またリアルだ。
「でも戦争で働くところもなくなってしまってな。戦後はすぐ、駅前でオデン屋始めた。あの頃はみんな腹減ってたんで、よく売れた・・・」
 どうやらただ相づちを適当に打っていると、じっさんの人生は今日一日かかっても聞ききれない感じだったので、適当な間があいたところで、
「それじゃ、僕等はこれで・・・」
 と切り上げてきたが、もしかしたらじっくり話を聞いていれば、短編小説のひとつぐらい物にできたかもしれない。雨もぽつぽつ落ちてきた。俺たちはちょっとなごり惜しかったが、じっさんを、だるま温泉を後にした。

 小松から東京まではなんだかんだで約8時間。もっと遠い九州や北海道なら逆に飛行機を使ってしまうので時間はかえってかからない。さすがに北陸は、まだまだ東京からは遠い土地だった。

4月9日

 大谷たちを含め6人で雑魚寝してたら、いつのまにか朝には隣に四国から来たというやっぱりヒゲをはやした同類の人がひとり増えて眠ってた。どうやら成瀬家は全国のヒッピーのたまり場らしい。俺たちはあんまりヒッピーではないが、アマチュアの時からお世話になった人にはその手の人が多く、「ヒッピー界」は横のつながりが強いので、話をしていると、初めて会った人でも必ず知り合いとのつながりにぶち当たり面白い。
 名物の朴葉味噌の朝食をごちそうになり、成瀬家前の珍しい「無人せんべい販売所」でせんべいを買ったりして、高山の町に行き、スタッフの知り合いの絵本屋に行く。「くさいくさいチーズぼうや」という絵本のタイトルが気に入り、購入。

 さて、今日は金沢へ。でも、もちろんその前に本日の温泉は「楽今日温泉」。はじめみんな、ラッキョウ温泉、ラッキョウ温泉というのでどんな風に書くのかと思ったら、こんな字とは。ここも目の前に川が蕩々と流れていて景色がよい。まだ新築の温泉で、建物も立派。きのうとはうって変わって若者も多い。湯船につかっていると、後からひとりの親父さんが入ってきた。と思ったが、よおく見ると知久君でちょっとビグウッとした。なんかいつも近くで「知久君だ」と意識しながら20年近くも見ていたから気が付かなかったが、ちょっと客観的に見たら、本当、そこらにいるただの親父じゃないか。ということは知久君より3つ年上の俺は・・・うむっ、考えるのはよそう。

 金沢の今日の会場は「もっきりや」。「もっきりや」といえばご存知、つげ義春の漫画の一編だ。お店をやっているチヨジがお客から乳を揉まれても5分間我慢し続ければ赤い靴を買ってもらえる、という山の中の一杯飲み屋の話。しかしここは町の中のちょっとシャレたジャズのライブハウスだ。
 「月のひざし」という割としみじみとした曲を演っている時、突然知久君が何の前触れもなく演奏を辞めた。「えっ!?」と俺とGさんが知久君をあわてて見ると、ここのお店は一階にあり、尚かつ前の道路を通る人がガラス越しに見える感じになっていて、知久君が唄っていたら、通行人が手を振ったので、思わず振り返してしまったという。・・・そんなん、ありかい!
 まぁ、俺も「青空」という曲で竹で魚型の網焼き器をこすって音を出していたら、途中で網焼き器が完全にグワシャンと分解しちまってお手上げ状態になってしまったので、なんにも言えないが・・・。終了後、おそらく初めて来たお客さんに「今日はいろいろハプニングがありましたねぇ」と言われたが、答えよう。「しょぼたまは、一回あたり平均3回以上のハプニングが、売りのバンドです!」と。
 終了後は、金沢から30分ほど離れた小松の山の中にある内田家に泊まりに行く。

4月8日

   午前中は、ちょうど富山市で行われていた「チンドン祭り」を見物。これは全国のチンドン屋さんが一堂に会するお祭りで、2月に九州で共演したアダチ宣伝社の人たちとも再会。
 車は両側に山が迫る41号線を南下する。岐阜県に入って少しすると、「割石温泉」という看板が出ていたので、山道を曲がって行ってみる。ここも公共施設だが、老人センターが併設されているので、きのうとはうって変わった雰囲気。湯船はとにかく老人たちで一杯。こぶしを使って、浪々と唄っている親父もいる。お湯に浮かんでいるのが湯ノ花なのか、老人の乾いた皮膚なのかは詮索するのをやめにして、しかし、立派な玉袋を持った老人が多くビックリする。椅子に座っているのに、玉袋が床にペタンとついちゃってる人もいるのだ。俺も竿のことはともかく、玉袋は昔から人よりちょっぴりデカイ、という自負があったのだが、床にはまるでつかない。まだまだ修行が足りない若輩者、ということだろうか。精進、精進。

 さて、今日の会場はそもそも飛騨高山の「ピッキン」というライブハウスだったのだが、向かいの家に不幸があったとかで、葬式の最中にドンチャンやるわけにもいかず、急遽場所がその近くの画廊「遊朴館」に変更になった。しかも個展真っ最中で、ライブの為にステージ付近の作品はどかしていただいたが、400万円ぐらいの屏風とかも脇にあり、調子にのってスティックでも飛ばしたらエライことになるのでちょっとビクビク。今日も大谷がゲスト。アンコールになり、大谷と「雨の日のサーカス」という曲をジョイントしよう、と打ち合わせていたが、急遽知久君が「薄口」という曲をやりたいと言いだし、ステージの上でゴニョゴニョ相談するも、決まらず。と、突然意を決した大谷がマイクをつかむや、「それでは・・・『忘れ物』という曲をやります」って、何の候補にものぼってない曲やんけっ、それはっ!! 一同、ズッコケる。
 今日は友達の成瀬家に泊まらせてもらう。成瀬さんとマネージャーの溝端さんは、顔がほとんど同じで「兄さん!」「弟よっ!」とやっていた。

4月7日

 朝起きると、さすが北陸、関東よりだいぶ寒い。朝ごはんに、と出してくれた納豆もカチンコチンに凍っている。なので、午前中はリハーサルの予定だったのを変更、温泉に入りに行くことに。車で何軒か回るが時間が早すぎたり、立派すぎる温泉センターで値段が高かったりとなかなか手頃なところがない。ようやく教わったのは、近くの呉羽山というところにある公共施設「呉羽ハイツ」だった。ここは「田舎の公共施設って、どーしてこんなに立派なのが多いのかなー。金の使い道がなんか違うんじゃないかなー」と思わず感嘆するほど新しく、上品な感じで庭や廊下が飾られている。とても広い浴場に、しかし客は俺たちだけ。一面の大きな窓からは日本海が遙かに望め、まさに絶景かな。露天風呂やアロマ風呂、ジェット風呂などもま新しく、脱衣所のマッサージ機も無料。しかも最新式の奴で、肩に、背中に、腰に、効く効く。この「マッサージ機」業界はなかなかに進歩していて、昔の片手で大きなハンドルを回すようなのとは大違いだ。まるで本物のマッサージ師に揉んでもらってるような微妙な動きが再現できていて、「マッサージこじき」の俺としては、ただただウンウンとうなずきながら随喜の涙を流すのみだ。

 昼は高岡でラジオを一本やってから、「もみの木ハウス」へ。大谷をゲストにしょぼたまのライブ。MCでは、大谷もGさんも自分の娘が中学生になったことを報告。俺と大谷とGさんは年が同じなので、俺に中学生の子供がいても全然おかしくない、ってことか。しかもそんな話をしていたら、この「もみの木ハウス」のマスターも同い年で、なんと結婚3回、子供6人で、一番上はもう大学生だとか。うーむ、もう「おじいちゃん」になってもちっとも不思議じゃない年なのか、俺は。でも全く想像できんなーっ。うーむ。
 アンコールでは鉛筆削りをふたつ持参してきたお客さんがいた為、レコーディング以外一度もやったことのない「削り節」を急遽俺と大谷で披露。ちなみにこれは鉛筆削りに一生を捧げた男達の歌で、楽器は鉛筆削りで鉛筆を削るゴリゴリという音だけ。もちろん歌詞を覚えているはずもなく、ほとんど即興で唄う。

 打ち上げはどこに行こうか、という話になった時、大谷が自慢そうに「富山にはおいしいラーメン屋があるで~。『くるまやラーメン』っていうところでさー」というので、全員で「それは全国チェーンじゃい!! 富山まで来て食うもんじゃないわっ!!」と突っ込みを入れると「えっ、うそ、嘘だろ~!」の声。結局「大ちゃんラーメン」を食い、大谷の家で ごろごろしながら酒を飲む。

4月6日

 車でたまのメンバーとマネージャーの4人で富山へ。車中のBGMは知久君の口琴。大谷と待ち合わせして、「富山シティFM」でラジオを一本収録。
 後、「藤の木鉱泉」という温泉へ。築何年かわからないが、相当古い建物で、町はずれの普通の集落の中にポツネンとある。受付に行くと、老婆がひとり座っていて、「もうお仕舞いだよ」という。営業時間は9時までで、今はもう8時50分なのだ。せっかく来たので「さっと浴びるだけですから」というと、「そうかい」と渋々OKも、瞬時に「1750円」(ひとり350円)と老婆なのに計算は異様に早い。タオルを持ってきてなかったので「貸しタオルありますか?」と聞くと、これまた即座に「売るのなら、あるよ」で全員タオルを買わされる。暗い廊下を、途中神棚など拝みながら何度も曲がって、ようやく浴室に。脱衣所の「当館の由来」を読むと、『何代か前の当館の主人の枕元に、「温泉が沸く」との神のお告げがあったが、修行が足りず、そのお告げの意味が理解できなかった。そこで次の世代の者が修行を積むと、また神が現れ、「3回井戸水が枯れるが、さらに堀り進むと、温泉が沸きでる」でその通りに掘ったら、温泉が吹き出てきた』とのことだ。
 浴室はあまり大きくなかったが、「滝の湯」がちょうどいいぬるさで、激しく肩にお湯が落ちるので、マッサージ効果バツグンで、ついつい場所の取り合いになった。買わされたタオルは色落ちが激しく、何回絞ってもお湯がソーダ水のように青くなる。そしてこれが今回の「四月バカンスしょぼたま北陸篇~温泉三昧の旅」の幕開けだった。富山市から少し離れた大谷家にて宿泊。

4月5日

 夕方、「ニヒル牛」に行くが誰もいず。内装をやっているはずだけど、俺は社会的には、「役立たず偏差値80」なので、何もできない。せいぜい、またフレーッフレーッと人の応援をしたり、「あっ、足元危ないよっ!」と言ってみたり、「缶コーヒーでも買ってこようかっ!」と気さくに言ってみたりしたかったのだが、誰もいなくては、ひとりでペンキを縦横無尽に塗ってワッハッハーッと笑い転げる、というわけにもいかない。
なんせ「お店」というものは「現実」なので好き勝手はヤバイからな。文章ではどんなこと書いたって、そう、例えば突如「ウゴッ、ウゴブブブブブブブゥーッ!!」と書いてみたって、ほら、なあんとも平気でしょ。もしくはそれをステージでやってもステージの上は非現実的空間、ということに俺はしてるので「あ゛む゜み゛ぅぅぅーっ」となんとも形容しがたい言葉で唸りながら踊り狂っても全く良いのだが、現実ではそうはいかないからな。まぁ、もちろん「ニヒル牛」もオープンしたらそれはそれで非現実的空間にしようと思ってるのでいいのだが、準備段階だけは最低限の現実だからな。しょうがないのでしばらく店内にポツネンと立ち尽くしてから、トイレにだけ入って、そっと誰にも気づかれないように帰る。

4月4日

 一日インターネットの更新や、「ニヒル牛」の宣伝を他人の伝言板を借用して書いたりする。昼、「インドメン」というカラフルなパッケージに魅かれてカップ焼きそばを食うが、俺のお得意料理(?)の「生麺のうどんにレトルトカレーをドバッとかけてそのままかき混ぜて食う」のと、ほとんど同じだった。深夜テレビ映画で「デッド・ゾーン」というのを見る。それから「おそ松くん」を読みながらチューハイを飲む。「おそ松くん」にはギャグの中に時々感動ストーリー物が入っているので、酔っぱらっているとよく感動して涙で頬がグショグショになったりする。はたから見られたら、ちょっと恥ずかしいのでここだけの話だぞ。なんせ、「おそ松くん」だからな。内緒だぞ。

4月3日

 一日、「TVBros.」の原稿書き。夜、ビデオで映画「大魔神」を見る。「おなかパンパン」という自分の歌で、「うしろはふりむくな 大魔神 気がつくぞ」という歌詞を使っておきながら、ちゃんと見たことはなかったのだ。でもやっぱり大魔神に気がつかれてこっちにやって来られたら、すごい怖いものだ、ということがわかったので、よかった、よかった。みんなも、大魔神には気づかれないように人生をおくれよ。

4月2日

 今日もニヒル牛。作りつけの棚を壊す。といっても、俺はみてのとーり、天才的な不器用な才覚を持っているので、もっぱら実働より、みんなの応援をフレーッフレーッとしたり、脚立をどかしたり、コーヒーを買ってきたり、「そこに立っていると、危ないぞぉ!」と言ってみたり、取った木枠に出ているクギを危なくないようにトンカチで横倒しにするなど、地味な作業。棚はあまりに大きくて解体できないので、この廃棄処理だけは業者に頼もうと見積もりに来てもらったら「6万円」と言われ、丁重にご帰宅してもらう。

4月1日

 相模大野のタワーレコードでインストア・ライブとサイン即売会。どーやら俺のボーカルマイクは機械の故障で入ってなかったらしいが、狭い会場で、俺の声はでかいので、ほとんど関係なし。
 夕方から西荻窪のニヒル牛へ。今日から正式に場所を契約したのだ。まずはサラの状態にする為、汚れた壁紙はがしから。予算がないので、業者には頼まず、全部自分たち(友達5,6人)でやらなくてはならない。つらいけど、初めての店づくりはちょっと楽しい。
 夜は「はるばる亭」(西荻窪)「8039(パオサンキュー)」(阿佐ヶ谷)と飲み歩く。「はるばる亭」は最近贔屓の、とても旨いつまみを出す店だが、いつも満員でやっとこさ入れる状態なので、これ以上客が増えると俺が困るので、場所は教えない。「8039」は元たまのマネージャーの上杉あやが今日はママ。この店は他にもRCサクセションの元マネージャー等、友達関係が日替わりでやっている店なので気が楽。場所は阿佐ヶ谷駅南口左手マクドナルド脇の「一番街」を5分歩いたエロ本自販機前の店。カウンターしかないが、安いぞ。知久君もたいがい夜いるぞ。ただしただ飲んだくれてるだけなので、知久君だけを覗きにくるのはかわいそうなので、やめてやってくれ。「石川のホームページを見てやってきた」と言ってくれれば、もれなく「あら、そうですか」と言われるサービスあり。久しぶりにベロベロに酔っぱらって下品なこと言って楽しい。しかし帰りの代行タクシー代は2万円。ちょっとトホホ。


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