バイクのおっちゃんと、リゾート

 ほどなく、列車は終点のファンティエットに到着した。結局、3時間近く待って乗り換えて、30分で着いてしまった。
 この町は海辺の町だ。最近、観光開発がされ、女性週刊誌で言うところのイワユル、「アジアの新しいリゾート・スポット」なのだ。ここで日本じゃ俺達にゃ、高くて到底味わうことのできない「ちょっぴり、リッチじゃなーい。ンフフフフ。」のリゾートライフを味わう予定なのだ。

 なので、みんな今までの埃でドロドロになっていたホーチミンや、ましてや猿に強姦されたビンチャウ温泉などとはちょいと違う、「はーい、リッチなジャパニーズが、リゾートしに参りましたの。おほほほほほ。」モードになっていた。
 「あら、送迎の車は来てないの? じゃあ、タクシーでホテルに向かいましょ。おーほっほっほっほ。」
 そうハイソな気分一杯で、ファンティエットの駅前に降り立った。
 しかしそこで俺達を快く出迎えたのは、10数台の小汚いバイクに乗ったおっさん達だった。
「おー、乗れや、乗れや!」
「その姉ちゃんは、こっちだ。ほれほれ。」
 待ったーっ!! リゾートは気分が第一だ。はなっからこれでは、今までと変わらない、いや今まで以上に地元民密着パターンじゃねえか! いや、何も地元民密着パターンが嫌、と言ってるわけじゃない。もっとも密着し過ぎるのは嫌だけど。ただ、今回のここ、ファンティエットの町だけは、気分をかえる為に来たんだから、ちょいと勘弁しておくれよー。
「いや、俺達、人数も多いから、タクシーで行くから。」
 しかし、バイクのおっさん達はただ、にやにやするだけだった。
「タクシー?乗れるもんなら、乗ってみな。」
 とでも言っているようだった。
 ちょうど今、駅前にはタクシーがいない。のろのろ駅から出てきたので、その間に、出払ってしまったのだろうか。それにしても、どこがタクシー乗り場なのかもよくわからないので、健さんが駅員に聞きにいった。
 その間、駅前にいるとバイクのおっさんがヤイノヤイノうるさいので、公園のようなところに逃げ込んで皆でかたまっていた。
 ほどなく、健さんが戻ってきた。しかしその表情はすぐれない。そして健さんは皆の方をくるっと向いて、口を開いた。
「・・・さぁ、みんな、好きなおっさんのバイクを、選べ。」
 おいおい、俺達はバイクは嫌だって。ひとりづつ別れてバイクのおっさんにしがみついて行くのは、嫌だって。
「今、駅員に聞いてきたんだけど・・・ここには、タクシーはおろか、バスすら、ねえ! つまり、このおっさん達の背中にぴったり、体をくっつけていくしか、俺達は生きていけねえんだ。」
 ようやく、おっさん達の余裕の表情がわかった。そういや、まわりを見渡しても4輪の車は全く見かけない。排気音がうるさいバイクと、荷物を満載にした自転車が気ぜわしく行き交っているだけだ。しかしホテルまでは10数kmは離れている。荷物を持っていてはちょいと、歩けない。
「さぁ、乗った、乗った。」
 歯っかけのおっさん達が、自分のバイクの後ろのシートをバンバン叩く。シートからバフンと、埃が舞う。
「さぁ、あんたはこっち乗れ。」
「そこのお嬢ちゃんは、こっちだ。」
 そんな中、R君にだけには声がかからない。というか、
「じゃああたし、このバイクでいいや。」
 と自ら乗ったシートに、その持ち主のおっさんはさり気なく、
「あぁ、あんたは・・・あっ、あっちのバイクに乗った方がいいんじゃないか。」
 と根拠なき大推薦を受けていたのだ。
 つまり、はっきり言うと、R君は他の女性陣より、ひとまわり体積が大きい。それは、日本人より少し小柄な体型をしているベトナムのおっちゃんには、「プチ・ガリバー」に見えたのかもしれない。
 そもそもR君は俺の妻なのだが、よく一緒に歩いていると、「妹さんですか?」と言われるのだ。おいおい、夫婦は血は繋がっていないっつーの。
 結婚して10年、同じように、食って遊んで寝て食って遊んで寝て食って遊んで寝てを繰り返してぐーたらくーたら暮らしてたら、ほとんど同じ人間になってしまったのだ。体型も顔も、喋ることも全部そっくりになってきてしまったのだ。しかるに、俺と同じ体型では、できれば他のバイクに乗ってもらいたい、というおっちゃんの切実な気持ちも、わからないではない。
「えっ?このバイクでいい?そ、そうか。わかった。」
 悲劇のおっさんを含め、7台のバイクが7人を乗せて走りだす。
 おっさん達の運転は極めて荒っぽい。「よっしゃー」なんて言いながら、てきとーに舗装された道路をゴンゴン、他のバイクとレースを繰り広げる。
「ほおりゃ、わしの馬力を見てみい!」
「なんの、こっちは重い人乗せてるんだ。しょうがなかっぺや!」
「お尻ペンペーン。くやしかったら、ついてこーい!」
「なにくそっ、どっこい!」
 もちろんヘルメットなんて小洒落たものはない。振り落とされて頭がぱっかり割れるのは嫌だから皆、必死になって煙草臭い、そしてこの地方名産のニョクナム(魚醤油)のにおいのするおっさんの背中にぎゅうと抱きつくしかなかった。
 町を外れ、郊外の一本道に出る。自転車や人々を蛇行運転しながらひょいひょいと抜いて、小高い丘を越えると、やがて目の前に南シナ海が現れた。ほどなく、ホテルに。なんとか誰も頭ぱっかり割れることなく、到着した。

 ホテルはひと部屋約8000円ぐらい。ひとり頭だと4000円。もちろんベトナムでは高価だが、日本で4000円じゃ、今や民宿のおばはんにも、「えっ?4000円しか持ってないって?あんた、わたしが後家だと思って馬鹿にしてるんじゃないんだよ!」と、塩とともに門前払いをくらわされるところだ。まぁ、せいぜいが駅前サウナのカプセルホテルで、足をつるのがいいとこだ。
 しかしここはベトナム。アジア経済の宝幸にどっぷりと漬かる。
 まずは似合わないだろうがなんだろうが、リッチな気分に浸ろうと早速、それぞれの部屋に落ち着く。みな、海に面した二棟づつのコテージタイプで、なかなか広々とした作りだ。
 トイレの便器の水たまりにまで、白い花がふたひら、浮かんでいる。おシャレ・・・なのか?
 テラスに出てみる。すぐ目の前が砂浜で、水着のまま出られるようになっている。と、隣のコテージから、くす美さんのつぶやく声が聞こえてきた。
「すっごい、ス・テ・キ・・・・。」
 待ったあぁぁぁ! 確かあんたは、「えぇぇぇぇー、リゾート地に行くのー!?」ってな感じのフマンタレブーを、口にしてたじゃないか。
「あたし、スラムとかの方がいいな。」とかのたまってたじゃないか! なにがハートマーク付きの「ス・テ・キ・・・・」だ!
 でも、確かに俺もリゾート地というところに初めて足を踏み入れるまでは、リゾートなんてと、馬鹿にしきっていた。いや、軽蔑していたといっても過言ではない。
「なんだぁ?リゾートだぁ?へんっ! 軟弱者がよ! こちとら旅の通なんでい。プールなんて市営プールで充分でい! トロピカルカクテル?へんっ! 男の夏は生ビールにトコロテンでい! カラシもたっぷりくちびる腫らしてヒリヒリでい!!」
 てな風に思ってた。しかし、初めてバリ島に行った時、
「んっ!?・・・ここがリゾートっていうやつか。けっ。」
「・・・チェアーに横になり、しばしまどろむか、せいぜいな。」
「ふーっ、喧噪もなく、ただ風だけが通り過ぎる、っていうやつか。」
「青い海に白い雲・・・なにも約束のない時間・・・てか?」
「・・・むむっ」
「むむむむっ。」
「おんや?」
「・・・ということは、だ。」
「・・・最高じゃん。」
「これって、最高じゃん。」
「ぐーたらな俺には、最高じゃん。」
「・・・なに、今まで肩肘張って突っ張っていたんだ俺は。」
「考えてみりゃ、俺ってぐーたらじゃん! 楽が一番好きなんじゃん! じゃ、これじゃん! リゾート、もらいじゃん!」
 と何故か「じゃん」とビックリマークの多い言葉使いになってしまう程、なんだかリラックスしてしまった。ちょうど仕事がすごく忙しい時に休みが出来てふっ、と行ったせいもあるかもしれないが。いやあ、何ごとも経験だな、と。
 それ以来、アジアの旅のスタイルとしては、都市、田舎、リゾートをそれぞれバランスを持って回る、と言うのが定番になった。どれかオンリーになっても、なんだか飽きてしまうというか単調になってしまって疲れるものだ。せっかくなら、いろんな楽しみを全部楽しみたいのだ。路地裏も楽しければ、冷房の効いたリゾートも楽しい。屋台もチャレンジしたければ、コース料理も食べてみたい。つまり、極端な物はどちらも試してみたいのだ。何故なら、極端なものの中には、馬鹿馬鹿しいことが介入してくるので、どちらもおかしいからだ。
 ちなみに先程のくす美さんと上杉あやはリゾート初体験。一気に気分がお姫様になっているのがまるみえで、これまた馬鹿でおかしかった。

 晩ごはんはホテルのレストランにて。
 おぉ、久しぶりにフォークとナイフを手に持つぞ。おぉ、テーブルが自分のティッシュで拭かなくてもきれいだぞ。おぉ、給仕が上半身もちゃんと、服を着ているぞ。というか、足がサンダルじゃなくて、靴だぞ。さすが一流ホテルだ。
 建設業の健さんがエビをおごる、というのでブラックタイガーをバリバリバリーとか食う。もちろんデザートにチョッコレイトケーキとかも取るぞ。リゾートだからな、当たり前だぞ。
 それから、腹ごなしに階下のプール・バーに行き、ビリヤードを打つ。
 ゲームにあぶれたクニちゃんは、カクテルをたのんでる。
 そして格好良く飲もうとして、マドラーをストローと間違えてチューと吸ったりしている。
 俺とR君もあぶれたので、ダーツをやる。勢い良く投げて、横の壁とかに激しく突き刺さって、あわてて引き抜く。
 ビデオムービーでは「Mr.ビーン」をやっている。

 ・・・しかしよくよく冷静に考えてみると、一体なんなんだ、これは!?
 これは、ありなのか?
 ほんの数時間前、ここの最寄り駅ともいうべきファンティエットの駅前は、この地方の中心都市だというのに、タクシーやバスはおろか、車というものも走っていないような町だった。
 そこにはこういっちゃ悪いが、日本の感覚でいえば、ドヤ街にいるようなおっさんが、ただ暇を持て余してくっちゃべってるだけ。ろくに舗装もしてない道に、ゴミが散乱して魚醤油の独特の臭いだけがプンとするような土地。
 それとここは、あまりにも世界が違い過ぎる。だって、俺は今、ダーツやビリヤードやってるんだぞ。カクテル飲みながら。
 地元の人は、すぐそこに住んでいるのに、たぶん、一生遊びに来ることはない場所。
 例えていえば、東京のど真ん中の皇居とか、フェンス越しの米軍基地みたいなものか。いや、法的に入れない、というわけではないから、修道院に女子校か。いつでもその外壁は見れるけど、中はうかがいしれないところ。外界とは全く違う世界が広がっているところ。
 そんなところに今いる自分が、なんだかとても不思議な気分だった

世界一の食堂

 次の日も、リゾート三昧。本当は午前中は全員でファンティエットの町に出かけようか、と言っていたのだが、案の定、ホテルで用意できるのは乗用車が一台だけで、とうてい全員は乗れないし、バイクは怖いので、女性陣達だけが町に買い物に出かけた。
 で、そのあいだ俺達「日本の夏---下町のおっさん3人衆」、つまりふたりのデブとひとりの貧弱は、プールでキャハキャハ言って犬かきし、プールの中に設えられたバーで、水中の椅子に座って、ビールなぞウホッホ浴びたりして、本当にリゾートに来ている白人金髪ボインボインレディース達に、眉をひそめられたりしてた。
 そうこうしているうちに、女性達が昼の弁当など買ってきた。まぁ、しかしその弁当はあまりにもニョクナムの臭いがきつすぎて、「うーむ。臭いーっ。」と唸って半分残してしまったけど。

 午後は海に出たが、風がなんとも強い。
 水着を着て海に入っていたR君と上杉あやが、「波とたわむれる、いい女達」を演出しようとして、「波にモミクチャにされて浜辺をゴロゴロころがるトド二匹」になっている。
 浜辺に立っていても、砂がバチバチ目に入って、体にもバチバチ突き刺ささって、みなで「イタイイタイイタイ」とのけぞる。なんでこんな罰ゲーム受けなあかんのや!
 ビデオのポーチは何か悲しいことでもあったのかすごい勢いで遥か彼方に走り去っていくし、それを追いかけてクニちゃんが変な足のあげ方で走り去っていく。
 なので、泳ぐのはあきらめて、散歩に出ることにした。

 ホテルを正面から出ると、すぐ横にホテルの送迎バスがあった。
「なんだ、こんな立派なバスがあるんじゃねえか。送迎しろ、送迎!」
 と言おうとしてよく見てみると、車体は立派だが、タイヤがひとつもないことに気づいた。車体は見栄をはって張り込んで一所懸命買ったものの、そこで車両費が尽きてしまって「チックショー!」ということか。
 もしくは競合する別のホテルがタイヤだけごろごろ転がして盗んでいき、「これで奴等困ってしまうぞ。ウッシシシシシシ!!」というチキチキマシン猛レース並の小癪な嫌がらせか。
 どちらにしろ、ホテルとして、もうほんの少しだけ努力してタイヤを取り付ける事をお勧めしたい。がんばれよ。

 赤茶けた砂丘が道の横にずっと連なっている。
 透明なカニが、まるで幻か、風のように道路を横断している。
 大人用の自転車に、黒髪の少女がすごく無理な姿勢で乗っている。ペダルに足をかけると、全く身長が足りなくて、サドルが頭の後ろにある。つまり、前輪とサドルの間に、体を沈めて強引にこいでいるのだ。
 その子は俺達が珍しいのか通りすぎたと思ったら、またヒューッと戻ってきて、みんなの格好のカメラモデルになっていた。少女も、自分が写真に撮られるのが嬉しいのか、にこにこ笑顔を向ける。空が抜けるように青い。

 面白い装飾のある家があったので、お寺かなんかだと思い、ビデオカメラを抱えて俺がひとりでなかにずんずん入っていった。
 するとそこはどうやら装飾好きのただの民家で、
「ありゃ、人の家か!」
 と思った途端、不審侵入者に対して、突然二匹の犬が俺に向かって「キャーンッ!!」とすごい勢いで飛び出してきた。
「ヒャーッ」と走って全速力で逃げてくる俺を見て、上杉あやが、
「あたし、漫画以外で初めて見たよ。本当に犬に追いかけられて、人が逃げまどうの。」
 と爆笑された。

 歩いていると、「海の家」のベトナム版みたいな、掘建て小屋で、簡単な食堂になっているようなところが結構多い。ヤシの木の中に点々とある家の、半分以上がそんな感じだ。
 と、とある一件の食堂の前に、その異変はあった。あれほどこの町で見なかった4輪の車が、何台もその前に止まっているのだ。
「んっ、これは・・・。」
「どういうことだね。明智君?」
 そして店の中を覗いてみると、何やら何組かのグループが、楽しそうに飲み食いしている。しかも、まわりにも沢山食堂はあるのだが、他の店には、全く客の人影もない。
 でもその時はまだ、晩までしばし時間があったので、ホテルに一旦戻り、散歩に付き合わないで昼寝を決め込んでいたR君に、そんな店があったことを報告した。
 すると、R君は、
「そういえば、亜古ヤン(R君の姉で、フリーライターとしてベトナムの本等も共著で出版するほどのベトナムフリーク)が、ファンティエットに、世界で一番おいしい食堂がある、とか言ってたよ。きっとそこだよ! 絶対だよ!」
 と興奮気味に話した。
 俺達も興奮してきた。
「世界で一番かぁ!」
 しかし、後日亜古ヤンに、
「いやぁ、亜古ヤンが世界で一番だっていう食堂に俺達も行ってきたよ。」
 と言うと、
「へっ?世界一?なにそれ。あたしファンティエットでは、風が強かったんでホテルから一歩も出なかったよ。世界で一番の食堂なんて話、そもそもあたし、したこともないよ。」
 ということで、よくあるR君の脳の完全な創作だったのだ。
 しかし、今となってはもその脳の創作は、素晴らしい予知夢だったのかもしれない。
 言おう。
 そこは、世界で一番うまい食堂だったのだ。
 というか、単純にうまいとこだけならもっと上はあるかもしれないが、コストパフォーマンスからみたら、本当に世界一を付けても、あながち間違いではないかもしれない。
 食堂に行った俺達はまず、メニューもないようなところなので、いきなり生け簀を見せてもらった。
 そこには、蟹、海老、鯰、そして新鮮な魚がうようよ無造作に放りこまれていた。
 もちろんメニューもないので値段もわからないが、
「せっかく海辺に来たんだし、少しぐらい値がはっても、いっちまえ!」
 といきまいて次々に指差し、魚を選んだ。
 食堂は、オープン・エアで、つまりは屋根はあるけど壁もないようなつくりで、でもここには、ワインもちゃんと冷えていた。
 このワインが冷えてる、というのがベトナムとしては結構、ポイントが高い。
 そもそもフランスの植民地だったので、フランス文化の影響は色濃く受けていて、朝はしっかりフランスパンのサンドイッチが主流なのに、何故かあまりワインは見かけない。
 もちろん、高級レストランにはあるのかもしれないが、一般の食堂ではやはり、ビール、そうでなければビアホイしか置いてないところがほとんどだった。
 そのビールでも冷えている可能性は五分五分。冷蔵庫というものがまだまだ普及しいないのだ。その場合、ビールをたのむと、グラスに山盛りの氷が入ってくることになる。
 しかるに、こんなところで冷えたワインがいけるとは、思っていなかった。
 そして次々に料理が運ばれてきた。
 まず、白身魚が、まるでフグのうす作りのように並べられ、それをゴマとニンニクであえてある。それをライスペーパーに包んで食べる。これがメチャウマ。本来、あまり魚好きではない俺も、こいつばかりはカブラギが隙なく繰り出す箸を「おのれは!」とパーンと払いのけ、むさぼり食う。
 そして来ましたーっ。蟹に海老ですよー、みなさんーっ。まるでチェリーボーイが初乳首を眼前にした時のように、つかむのももどかしく、殻を破る。としまった身が、プリプリ出てきた。そこをガブリッ。豪快にかぶりついた。
「うまいっ!!」
 すぐに追加チューモン。
「蟹、海老、蟹、海老、蟹、海老、ウヒャヒャヒャ。」
 健さんも、なんだかもう、おかしくなっている。
 あまりの量なので、店員もせっせと殻を剥くのを手伝ってくれている。もはやテーブルの上はもう、蟹と海老の殻だらけ。大虐殺の動かぬ証拠。手と足だらけ。考えてみりゃ、グロテスクな生き物だわな。
 そういえば、鯰もたのんだんだけど、まだ来てないなーっ。クニちゃんに、ちょっと店員に聞いてきてくれと、たのむ。
 しばらくして、クニちゃんが戻ってくる。
「鯰、作ってなかったよーっ。」
「聞いてきたの?」
「えーっ、店員が誰もいないんで、調理場へ行って、鍋が煮立ってたんで、その蓋を開けて中を見てきたんだよ。あたし達の鯰じゃなかったよーっ。」
 蓋、勝手に開けちゃ、いっかーん!!

 さて、お会計。死ぬほど生け簀から蟹や海老を運ばせたんじゃ、さすがに取られるだろう。ワインもビールも、たんと飲んだしな。
「えーと、ひとりあたり800円。」
 て、天国はここにあった!!

 すっかり満足して、懐中電灯片手にホテルに戻る。
 ホテルまでの道は街灯もなく、みんな、影になってとつとつと、歩いていく。
 向こうから走ってきたバイクのヘッドランプが当たった時だけ、R君やくす美さんや健さんになる。
 ただ海の音だけが聞こえる。

 ホテルに戻ると夜中まで、そこだけぼーっと光に浮かんでいるプールで犬かき競走してR君の異常な早さに驚いたり、ビリヤードして、「あと一球入れたら帰るから、精算して。」とバーテンに言ってから、延々球が入らなくて精算書を持ったバーテンを20分横で立たせてたりと、最後のリゾートをムハハハと満喫する。

 次の朝、ようやくチャーターできたバンで、ホーチミンまで帰ることにした。その前に、午前中はこの近くのムイネーという小さな港町をまわつてもらうことにした。
 バンを運転する兄ちゃんが、エリック・クラプトンをかけた。窓の外には、これみよがしな南国の風景。椰子の木の間に、ニッパヤシで作られた風通しのよい家。漁港にはカラフルな旗を立てた小舟がずーっと並んでいる。もちろん、雲ひとつない青い空に、あくまで蒼い海、のおいおい、夢に出てきそうな、もーどこを切っても金太郎飴、じゃなくて、どこを切っても南の国だ。
 しかし、あれっ?こんな感じ結構最近よく見てるぞ、と思い返してみたら、深夜テレビのBGM番組だ。普通の放送が終わった後、朝の番組の間の時間つなぎで、よく風景だけが淡々と写される中、イメージ音楽が流れている、まさにあれそっくり。
 って、こっちが本物か。本物すぎて、嘘にしか見えない。

 ムイネーの市場のあたりで降ろしてもらって歩く。小さな市場だが、市場歩きはやはり楽しい。でも、やけにここは黒が基調になった食べ物が多い。米も黒米、砂糖も黒砂糖・・・って、すげえ数の蠅が米や砂糖にたかってるんだよ!
 虫がとにかく嫌いなR君が、「ひゃあっ!」と言ってのけぞる。
 でも、地元の人は全く気にしていない。蠅がたかったままの揚げ物とかを、払おうともせずに、その場でムシャムシャうまそうにやっている。おいおいそこに行くのはアゴ髭のおっさんかと思ったら、蠅が口にたかったおばはんかい。って、そこまでじゃないけど。
 まぁ、慣れてしまえばどうってことないんだろうけど。
 日本人はあまり調理場を見ないで、物を食べる事が多い気がする。でも例えばファミリーレストランやなんかだって、テキトーにやっている所は、落とした物だろうが腐りかけた物だろうが、「かまやしねーよ。どーせ俺が食うんじゃねーんだ。」と平気で出すと聞く。というか、俺が調理場にいても、やるね。
 きれいな皿に盛られているので気づかないが、そっちの方がよっぽど怖いともいえる。
 ただ、本当は腐ってないのに「これは腐ってるんだぞ。」と思って食べるのと、実際は少々腐ってても何も気づかずに食べるのでは、「腐ってる」と思い込んで食べる方が腹を壊す可能性は高い。イメージで頭が「これは毒だぞ。」という信号を出して腹がおかしくなることは、案外多いのだ。蠅も、たしかにバイキンを運ぶのかもしれないが、注意しすぎてピリピリ神経質になるぐらいなら、その「腹壊し危険度」はあまり変わらないよーな気がするな。

 なんだか華やかな店がある。ウインドウには、ケーキにつける妙な飾りの人形や、ブーケ、写真立てなどが置いてある。これはベトナムの他の地域でも見たぞ。そう、結婚屋だ。いわゆる、結婚式にまつわる物がすべて揃っている。中に入ると、もちろんウエディングドレスも吊り下がっている。
 ここで、まだ独身の上杉あやの目が怖いぐらいギンギンに輝き始めた。
「うわっ、かっわいーい、このウエディングドレス! あたし買っちゃおうかなーっ。」
 待ったーっ! 相手もいないうちからウェディングドレスは早すぎるーっ。ウェイティングドレスならわかるが・・・。
「だってぇ、きっと安いよ。日本だったらレンタルの料金で自分のものになるんだよーっ。」
 いや、まあそうだけど、ビデオじゃないんだから。落ち着け。
 いきなり入ってきて「カワイー! カワイー!」と鳴く新種の上杉あやという動物に、店のおばさんも苦笑を隠さない。

 と、そこにひとりの老紳士が杖をついて店に入ってきた。痩せてはいるが、ハットをかぶって白い顎髭を伸ばした、中々小粋な紳士だ。実はこの老紳士は俺達が来る前からすでに店の前あたりにいたのだが、1分間に10cmぐらいしか動かないので、そういう生き物だと思ったら、いつのまにか俺達と一緒に店の中に入っていたのだ。
「でもじいさん、ここは結婚道具屋だぞ・・・なんか間違ってないか!?」
 老紳士は、R君の方を見ると、何ごとかつぶやいている。でももちろん言葉もわからないし、そもそもモゴモゴなのでそれがベトナム語なのか、それとも英語を喋ってくれてるのかも判別しない。
 そこでR君がノートを取り出すと、やおら嬉しそうに何か書き始めた。そして、「ほれっ」という感じでノートを見せてくれた。
 ただの図形が3つ、描かれていた。
 R君は、こわばった微笑みを彼に返した。
 しかし老紳士はこくん、と満足気にニッコリうなずくと、静かに店を出ていった。
「・・・ど、どういう意味なんだーっ!!」


ぶきっちょ君とふたごレストラン

 約5時間の快適なドライブ。バイクの後ろに乗っている女の子は、みんなヘルメットの代わりにノンと呼ばれるすげ傘を被っている。通り過ぎる小さな町々は、どこもやけに教会が多い。大きな川を渡ると、向こうに高層ビル群が見える。ホーチミンに戻ってきた。

 さて今日は、でかいお面やら、数10枚のせんべいを預かってもらっていたフォン・グー・ラオのホテルに立ち寄ってから、中国系の「ホアン・デー」というホテルに向かった。
 宿泊費の交渉もすみ、荷物を部屋に運ぶ段になって、おやっと、魅惑的なホテルマンがいることに気づいた。通称「ぶきっちょ君」だ。
 ぶきっちょ君はまず、みんなの荷物をまとめて、小太りの体をヒーフー言わせながら、エレベーターの前に運んだ。そしてゆっくり自分の尻のポケットから、妙に白いハンカチを出して、あっという間に額にこぼれ出した、玉のような汗をぬぐいはじめた。
 俺達も、荷物に次いでエレベーターの前に。
 しばらくその前で、
「えーっと、日本円にすると、ひと部屋いくらだ?」
 なんて話しながら待つ。
 しかし、いつまでたってもエレベーターは来ない。
 ぶきっちょ君は、まだ汗をぬぐってる。
 と、上杉あやが気づいた。
「エレベーター、ボタン押さないと来ないんじゃあ・・・」
 そして、ぶきっちょ君のすぐ横のボタンを押すと、すでにとっくの昔にドアの向こうに待機していたエレベーターは、スーッと開いた。
 はっ、と驚くぶきっちょ君。あわてて荷物をエレベーターの中に積めはじめた。今の名誉挽回とがんばって、積みはじめた。ただ、力まかせに勢いだけで入れるので、荷物をガンガンエレベーターの壁にぶつけて、どでかい音を立てて、俺達の眉をひそめさせた。
 そして、荷物と一緒に人も乗り込む。と、「いてっ!!」の声。
 くす美さんが、ドアに完全に挟まれてる。
 挟まれてちょっとスリムになったくす美さんがそこにいる。
 なんと、ぶきっちょ君がにこにこしながら、まだ乗り込んでいないくす美さんの為に、「開」の代わりに「閉」をその太い指で押したのだ。
「あっ・・・あっ・・・」
 しかしぶきっちょ君は英語も出来ないので、あやまる言葉も知らず、また目を、まん丸にしている。
 俺とR君は、レストランの場所等フロントに聞いていたので、少し遅れて部屋にあがると、さきほどぶきっちょ君が持っていった荷物はもちろん届いておらず、それからバラバラにあっちの部屋やこっちの部屋に行っていた荷物をかき集めに奔走した。
 そして次にエレベーターを使おうとした時は、
「今度は俺がボタン押してやるぜ!!」
 という鼻息も荒いぶきっちょ君の意気込みは良かったが、なんか人間の通常の動きと違う角度からボタンを押したので、またもやボタンを押す前に、人の頭をガンッ、とカチ割っていた。
 ついでにいうと、ドアマンのはずなのに、俺達がこのホテルに外から戻ってきた時、ついに一度もドアを開けるのは間に合わなかった。ドアを開けて俺達が勝手に入ったあとに、何故か遠くの廊下から汗を垂らしながら走ってくるぶきっちょ君が、いつも見えた。
「・・・もう、入ったから、いいです。」

 そういえば、ぶきっちょ君はくす美さんがフロントに預けた子供ほどの大きさがある人形を、黙って「うわぁ」と抱きしめていたのも、俺達は見逃さなかった。
 ぶきっちょ君、合格。君はいい味だ。

 部屋には、日本の旅館に泊まると、卓袱台の上に最初からお茶と饅頭が用意されてるような要領で、ココヤシとみかんが置いてあった。さすがはベトナムだ。ココヤシは薄皮を剥いた状態で、さらにカチ割らねば中が飲めない。一応ナイフがついていたので、R君が挑戦する。
「うがっ・・・むぐっ! こっ、これ切れない!」
「やめろ、R君! か、顔の血管が1cmも浮き出てるぞ。」
 固過ぎる! ココヤシの皮がめくれる前に、手の皮がズルリと剥けてしまうわい! もしくは、ココヤシの汁が吹き出る前に、額の血管から血がピューッと吹き出てしまうわい!
 結局、ボール遊びをするしか、使い道のないココヤシだった。

 実は、この旅行に出る前に、インターネットでホーチミンでなにか面白いところはないかいなー、と探していたところ、とあるホームページに、「ふたごだらけのレストラン」という記事があった。ちょいとフリークスっぽくて面白そうだと、住所を控えておいたのだ。
 確かこのホテルからそう遠くない場所だという気がしたのでフロントに聞いてみると、
「おぉ、ツインズレストランならすぐそこだ。」とすぐにわかって教えてくれた。メモしていた場所とはなんとなく違うが、ふたごのレストランがそういくつもあるはずがない。道順を聞いて、行ってみた。

 思っていたよりも立派なレストランは、さすがにふたごだらけだった。美少女キャラのウエイトレスにカブラギが「へへへーっ」と無気味な笑いをうかべて近づいていって、
「写真を撮ってもいいよねー。」
 と迫って、向こうも商売なので、
「なんかあなた、薄気味悪いですよ。」
 とも言えずに写真の餌食になったり、同じ顔したボーイに給仕させたりした。俺達の友達にも、うつおとあかねというシンガーのふたごがいるが、是非ここに就職させて専属歌手にでもなってもらいたいものだ。
 さて、物の道理「他に売りのある食い物屋はまずい」で、ここもやっぱり味はイマイチだった。たくさんのふたごも見れたし、そこそこの感じで外に出たが、みんな腹がまだ満たされていない。
 そんな中途半端な状態でホテルに帰ったら、おそらくカブラギや健さんは、部屋の壁土とかカーテンとかを「アギー」と言って食べだすはめになりそうだ。
 でも、それはいくら温厚なベトナム人でも、「悪霊退散!」と銃でズドンと退治されるはめになってしまうので、フォーでも食べていこうかという話になった。しかしその時、R君が「ちょっとなんか気持ち悪い」といいだした。
 ふたごを見過ぎて、ふたごあたりをしたのか?理由は不明だが、体調が悪いようだ。
 こいつは妻の一大事だ!
 フォーなんて食ってる場合じゃない。すぐに一緒にホテルに帰ろう。でも、念の為、本当に念の為、聞いてみた。
「フォーを食ってからじゃ、だめだよね・・・。」
「・・・・。」
「さあ、急いで部屋に帰るかぁ! ・・・み、みんなはフォーを! 素敵なフォーを! おいしいフォーを! さようなら、さようならみんなぁ!」
「・・・いつまで、みんなを見送ってんのよ!」
 部屋に戻ってみると、なんだか熱もあるようだ。しばらくして、皆が帰ってきた時、クニちゃんに風邪薬や熱さまシートをもらう。
 どうやら、旅も終わりに近くなり、軽い疲労が出たようだ。
 手足をマッサージして薬を飲むと、ようやくR君は寝息を立て始めた。

 俺はゆっくりドアを後ろ手に閉めると、カブラギの部屋へ、急いだ。
「カブラギ、なんか食いにいこうぜ。」
「えーっ、だって晩飯食った後、フォーも食べたし、もう食べられないよー。」
「そこの中華レストランに酢豚定食があったよ。」
「おっ、行こう!」
 って、こっちから誘っていてなんだが、おめえの体は熊の冬眠用の貯蔵庫か!


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