謎の戦争博物館と、カブラギの日越友好

 さて、ついに帰国の日がきてしまった。といっても、本日は午後11時の便なので、丸一日使える。最後のベトナムは、各自バラバラに好きなところに出かけることにした。
 俺はまず、健さん、くす美さん、カブラギと「戦争博物館」というところに向かった。
 入り口には、ほんのひと昔前まで現役で動いていた戦闘機や戦車がおいてある。意外にちゃちっぽいものなんだなー。
 入場料を払って館の中に入ると、戦争の悲惨さを伝えるなかなかに凄惨な写真や絵、そして米軍の枯れ葉剤による、奇形胎児のホルマリン漬けなどが展示してあった。
 ところがはっきりいって、さほどショックの少ない自分がいた。
 というのも、もともと「こういうものがあるんだろうなぁ」という予備知識もあったし、なにより日本での原爆博物館等、もっとエグイものをすでに見てきているからだ。
 エグイもの好きの健さんも、
「もっとすげえの今まででも見てきたからなー。思っていたよりも刺激ないなー。」
 という感想をもらしていたが、俺も同感だった。
 などというと、「刺激?なんて不謹慎な!」という意見もあろうが、そもそも刺激を与えようとしてこういう博物館は出来てるのだからしょうがない。理由づけはいろいろあっても、結局「こんなに悲惨で凄いデショ」という気持ちが根本にないとは言わせない。そしてそれは「戦争の悲惨さを伝える」という意識と繋がっているともいえるし、同時に興味本位という面も多分にある。
 これを見て「どんな形であろうが戦争はいけない」という事を思う者もいれば、「もっとすげえホルマリン漬けはないのか?」と思う者もいる。というか、同じ人間がどっちも思ったりすることだってある。それが人間なんだからしょうがない。どっちの気持ちも嘘じゃないもんなー。しかしどうであれ、「何かを考える」きっかけにはなるわけだから、それはそれで役割を果たしているともいえる。
 ここには、大勢のベトナムの小学生が来ていた。おそらく、課外学習だろうか。その子らにはきっと死体の写真やホルマリン漬けはショックなものだったろう。でも、俺達はさきほども言ったようにあまりショックではない。「経験」が邪魔をしているのだ。
 「経験」したり「慣れる」ということは、もしかしてあまり素敵なことではないのかもしれない。

 さて、俺が興味を引いたのは、戦争当時のいわゆる日本の「ベ平連」の送った寄せ書きみたいな布。おそらく学生が、「ガンバレ」みたいなことを書いた物で、それが「日本からの応援メッセージ」みたいな形でガラスケースに入れて展示されてる、というのがちょっと変な感じがした。
 そしてみやげ物の売店に行って、俺達は初めてちょっと驚いた。
 アルミの缶ジュースを切って作ったヘリコプターのおもちゃや、何故かコブラ酒、なんてみやげものに混ざって、どうやら米軍が使っていたと思われる機関銃の薬莢が売っているのだ。3ドルだ。
 おいおい、やっぱり別に戦争反対というわけではないんかい!? 弾を買って一体、何をしろというんだい、ベイビー!?
 さらに、中庭にも建物があるが、なんだかここは少し様子が違う。
 ヘタクソなオッサンの絵や、魚の絵がカラフルに壁に踊ってる。
 そう、それはベトナム名物水中人形劇の劇場だった。名物なのは良いけれど、なしてよりによってここに!?
 おそらく、「はいはい、辛いもの沢山見せちゃったわね。ここらで、ほのぼのした気分にさせてあげるわね。水の中で人形が踊るわよ、ほら、魚や龍や、お姫様が踊るわ。あぁ楽しい。」ってな優しさから設置されたように思える。
 って、・・・気分ぐらい自分の力で変えるわい!
 でも、とにかく30円ぐらい払って入ってみた。
 中は客席が100席ぐらいの小さな劇場。7,8人の客が先に入ってる。
 と思ったら、俺達が入った途端その客達は大あわてで立ち上がり、そしてステージの横へドタドタとかけていった。そう、客だと思ったのは、全員ここの人形使いやスタッフだったのだ。
 結局、客は俺達だけ。がらーんとした空気の中、それでも質の悪い音楽テープが、ベトナムの民謡みたいなものを、流し始めた。
 水中人形劇はかって、ハノイで見たことがある。ここより大分立派な劇場で、音楽演奏もすべて生演奏。水の張られた舞台に、人形使いが幕の後ろから、時には下に潜って人形をあやつる。木で出来た人形がコミカルにかくかく動くさまが、なかなか愉快な出し物だ。
 もともとは田舎の農閑期の祭りで、水辺などで行われていたものらしいが、今じゃ立派な観光資源だ。
 さて、今回のは2,30分の短い物だったが、俺はその中の出し物の「水の妖精」に出てくる人形が大層気に入った。
 ただ、両手をかくかく広げて踊るだけの単純な出し物だが、なんたって出てくる人形の表情がかわいい。それが集団で出てきて、笑顔を見せながら踊るもんだから、もっ、コケティッシュ〜〜〜・
 最後、幕に引っ込むところでは、ちゃんと客にお辞儀をしてからするする引っ込んでいく。もっ、礼儀正しい〜〜〜・
 ホームビデオを回したのだが、他の出し物はバッテリーの減りも怖いので、ちょこっと雰囲気を撮っただけだったが、この女の子達の踊りだけは、フルに押さえてしまった。もちろん、帰国してからも時々見ては、つぶやいている。
「もっ、かっわいい〜〜〜・」

   さて、ここで、
「駅に写真を撮りにいくんだ、へへへへ。いろんな列車が走ってるかな、へへへへへ。あー鉄道だーっ、へへへへへ。」
 という鉄道マニアのカブラギと、
「川向こうのスラム地区に行って、ディープ世界を満喫してくるぜ」
 という健・くす美と別れ、ホテルに戻ってチェック・アウト。ようよう体調が戻ったR君と、外に出る。
 数日前、バインセオを食べにいった帰り、タクシーで夜、町を走っている時に見えた五重の塔みたいな建物があった。それが、ライトアップされていて、ド派手な様相をしていたので、そこを探してみようということになった。地図を広げてみる。確か、ロータリーのある角にあったことを思い出し、あたりをつけてタクシーで向かってみる。しかし「ここでっせー」と言われたところには、それらしきものはない。仕方なく、そこいらを散歩することにした。
 しばしにぎやかな表通りを歩いていたが、ひょいと裏道に入ると、途端にやすらぎと味わいが戻ってくる。ベトナムの路地裏はなんだかとても素晴らしい。細道から細道へと、面白そうな物がありそうな方へ曲がっていく。洗濯物がはたはたはためく中、子供達やバイクが音をたてて通り過ぎる。人間という動物の匂いが濃厚になる。風が吹いて、砂ぼこりやゴミが瞬間、宙を舞う。おばさんが家の前にしゃがみこんで、なにやら鍋をぐつぐつ煮ている。わりと高級そうなマンションの住人でも、飯は道に椅子を出して食っている。シャツ一枚の男が、ビルの上の窓から、ただ下の道路をのぞいて煙草を一服している。
 と、別の大通りに出た時、ふいに探していた五重の塔が見えた。
 夜見た時は、ギンギンのライトに照らされて遊園地のようなイルミネーションだったので、どんなヘンテコな寺だろうかと思ったが、昼間見るとわりと普通の寺だ。中に入ってみる。
 と、袈裟をまとった、ちょっぴり頭の悪そうな細い目の若い僧侶が出てきて、仏像を見せてくれるという。靴を脱ぎ、階段をあがる。僧侶の方は素足でペタペタ先に登っていく。足の裏が見える。上からの眺めは良かったが、これといって見るべきほどの物はなかった。いくらかのお布施をする。

 それからスーパーなどひやかして、「ふたごレストラン」に行く。ちなみにここはきのうの「ふたごレストラン」とは違う店である。
 実はきのう、R君の体調が悪かったので、俺とR君以外の人はフォーを食いにいったわけだが、その帰りになんと別のふたごレストランを見つけてきたのだ。中に入って「今、別のふたごレストランにも行って来たんだけど、ここは姉妹店なのか」と聞くと、「とんでもない。こっちが本家のふたごレストランで、あっちはニセモノだ!」という。
 まぁ、どっちも実際ふたごがいることはいるわけだから、「ニセモノ」ということはないけど、これは日本でも多い「本家・本元・元祖」の戦い、ということか。ちなみに俺がインターネットで控えていたのはどうやらこの店の方だったので、この店の方が古いのは確かかもしれない。尚、どっちも店の名前は「SINH DOI」。シンドイ店である。
 しかしこんなにふたごレストランが次々出来るといのはどういうことだ? 誰しも頭の中をよぎっるのは、枯れ葉剤かなんかの影響があるのか、ということだ。さもなければ、こんなに次々とふたごというものが集まるのものだろうか!? まさか「ベトナム特産ふたご」っていうんじゃあ・・・さすがに怖くて聞けなかった。
 カブラギ達は「この店の方がいいふたご(?)が集まっているよ」と言っていたのだが、昼間のせいか、さほどいいふたごは集まっていなかった。

 さて、もうあとベトナムにいられるのも半日。欲望に忠実になりましょう、ということで「マッサージこじき」の俺はR君を誘ってまた例の盲人学校に行ってマッサージを受けることにした。結局、今回の旅行ではマッサーで2回、盲人学校で2回の計4回もマッサージを堪能した。
 ただ、俺は去年当たった「手抜き親父」にまた当たってしまい、イマイチだった。手抜き親父は5分位人の体を揉むと飽きてしまい、ふらふら煙草を吸いに外に出たり、同僚とやたらおしゃべりをしてから、またふらふら戻ってくる。おいっ、仕事なんだから、ちったあ気い入れて揉まんかい! 目が見えなくったって関係ないぞ!
 それと、俺の肩や腰を揉む前に、弛んだ腹の肉をつまんでふひぇふひぇ笑うな。しかも3分おきに。
 ま、こういうのも誰に当たるか、結局、人だからなー。いい人に当たると、実に素晴らしい時間になるんだが。ま、気弱だからもちろん文句なんて一言も言えないけどなー。

 それから名もないヒンズー教のゴテゴテした教会をのぞく。タイルのカラフルさが素晴らしい。ヒンズー教の神々は、杖を持った象だったり、えらそうな顔をした猿だったり、単なる牛だったりするのがおかしい。そして屋上に出てみると、いろんな神々が掘られた仏塔があるのだが、そこで髭をはやしたおっさんも何人か掘られているのだが、すべてそのケモノ神の立つ土台を一所懸命ささえる役目を担っているのだ。
 おっさん、人間に生まれてきたことを恨まずに、がんばれよ。

 それからその名も「バクダン」という物騒な名前のアイスクリーム屋で、一旦集合。クニちゃんと上杉あやは、また中華市場へと朝から行ってきたという。あの喧噪の市場が、
「だって宝の山じゃん!」
 ということらしい。
 カブラギは、また顔が赤くなっているので、
「またビアホイ2リットルか?」
 と聞くと、
「いやー、違うんだけどさー。鉄道の写真撮ってたら、ちょうど外のテーブルで食事してたおやっさんに捕まっちゃって、酒だメシだ、っておごってもらっちゃってね。へへへへ・・・。」
 と、つくづく地元と交流する奴だな。

 それから再度みなと別れ、今度はひとりで町へ。結局、本屋やスーパーを覗いて、猫が玉を転がしながら歩く電池のおもちゃとか、マズソーだけどコレクションだから仕方ないや、の缶ジュースとかを買い漁ってホテルに戻ろうとしたら、突然のスコール。
 ホテルまではさほど距離もないので歩いて帰ろうと思っていたが、このひどい降りでは、傘もさせないといった感じだ。しょうがなく、タクシーを拾う。ところが、このタクシーがなんとワイパーがいかれていて、まったく微動だにしない。
 でもフロントガラスにマシンガンのように雨は叩きつけられるので、前の景色はなにも見えない。おいおいこの状態で車を走らせるんじゃなーい! と思ったがタクシーの運ちゃんはおかまいなしだ。
 なんせ、前に見えるのは、街の電飾の部分だけがカラーににじんだ、ただの油彩の抽象画なんだぞ。何もやってないのにトリップ感覚。これは夢の世界のタクシーか、おい!
   さすがに時速は約5kmとスーパー低速だったが、それでも怖い。なんちゅうタクシーじゃい。
 しっかし「ワイパー」というものが車にとって、いかに重要かを思いしった。あれ、半分お遊びの感じで右へ左へ動いていたわけじゃないんだなー。車に乗らない俺は、ひとつ勉強になった。

 さて、ホテルには続々みなタクシーで戻ってきた。午前中に別れた健さんに「スラムどうだった?」と聞くと、
「いやー、延々シクロのおっちゃんがついてきて、乗らないのにどこまでも勝手についてきて、時折何か説明みたいなことを勝手に喋って、あげくの果てに『案内料くれ』とかいいだしたので、くす美が突然でかい声だして、『いいかげんにしなさい!』って怒鳴ったら、ピューと走って逃げていったんだよ。」
 くす美さんは普段結構無口でおとなしい感じがあるので、そういう人間が豹変すると怖い、というのは万国共通のものだろう。
 R君、クニちゃん、上杉あやも、みやげ物てんこ盛りで帰ってきたが、カブラギの姿がまだない。
「また、マッサーの家にいっちまったんじゃねえだろーなー。タクシーが拾えなかったのかなー。」
「でもこのスコールじゃ、歩くのは不可能だしねー。」
 とその時、向こうの方からレインコートを着た独特な特徴のある影が近づいてきた。でかい鼻。間違いない、カブラギだ。
「あいつ、この雨の中、歩いて来やがった。」
「なんかカッコイイぞ、カブラギ。」
 俺達は拍手でカブラギを出迎える。台風ばりの雨の中を、
「タクシーなんて甘っちょろいもの、拒否!」
 とよどむことなく歩いてきた、我らのヒーローだ。
「いやー、ごめん、遅れちゃって。3人で雨宿りしてたもんだから。」
「3人?」
「いやーさー、あんまり雨がひどいもんだから、露天のテントの下にぱっ、と逃げたんだよ。」
「あぁ、あの雨じゃね。」
「そしたら、そこの店の人と、あと同じく雨宿りしている人がもうひとりいて、それで3人。」
「ふんふん、それで3人で雨宿りしてたんだ。」
「ところが、そこに大風がピューと吹いてきて、テントが崩れた!」
「ええっ!?」
「そこで3人はそのテントにくるまって、雨が弱まるのを待った、って寸法さ。」
「・・・はぁ。」
「なんか楽しかったなぁ。3人でテントにくるまってて。ふふふふ。」
 と、ついには地元の人と、まさに肌を重ねるほど触れあった、フレンドリィなカブラギであった。


ディスコ寺院で雑念払い

 最後の夕食は少し豪華に行こう、とわざわざフエ(ベトナム中部の町)料理の店を予約していったが、ここは俺にはおいしくなかった。
 さて、飛行機までまだもう少し時間がある。
 ガイドブックにちょっと怪し気な写真が載っていたダイヤック寺というところに向かう。
 寺の入り口は小さいが、中に入るとまずは数メートルもあるでかい布袋様がお出迎え。塩化ビニールの布袋様のお面をそのままでかくしたような、ツルツルの顔だけの仏像だ。
 と、境内がなんだかがやがやしている。ひょい、と中を覗いてみると、大勢の人が読経に参加している。
 と、俺達も手招きされて、中に入れと言われる。
 中は反響の良い空間で、ギンギンのエコーを利かした読経に、派手派手なイルミネーションが仏像のまわりを激しく点滅し、まるで六本木のディスコ空間。ミラーボールすら回ってる。しかしそこにまじめな信徒達が一心不乱に拝んだり、なにかブツブツつぶやいたりしている、一種異様な雰囲気になっていた。
 さらにけばい鳳凰がいたり、猿の神様がいたり。そのどれもが、赤青黄のイルミネーションに包まれてピカピカしている。
 壁には、亡くなった家族と思われる、古ぼけたセピア色の写真がずらりとこちらを見ている。
 その圧倒的な空気に、みんなも、一瞬ポカンとなってしまった。
 俺達も後ろの方に行って拝む。本当はカメラをバシャバシャ撮ったり、ビデオをジージー回したいところだけど、とてもそんな軽薄な感じではない。そこでみんな遠慮気味に、カメラを「・・・パッシャ」と撮ったり、ビデオをシーーーーッと回したりした。
 と、俺達のすぐ横で、仏壇のところにある鐘をそのまま100倍位に大きくした鐘を鳴らしていた白い服を着た老婆が、俺達にもこれを突け、と言う。
 木鎚のようなバチを渡されたので、それでガーン、と突く。
 俺は一応打楽器を商売にしているので、読経の間合いの絶妙なところで、
「ここだ!!」
 と突いたつもりだったが、誰もそんなことには全く気づいてくれなかった。
 みんなもガーンガーンと突く。と、その老婆がちらと鐘の中を見た。
 見ると、沢山のお金が投げ込まれていた。おおっ、そりゃそういうことだよなー。
 でもここは本当に老婆がそちらをチラと見なくても、充分お賽銭を入れたくなるような雰囲気で、上杉あやに思わず、
「心が洗われる。」
 というくされ陳腐な言葉を吐かせたり、クニちゃんが、
「邪念が消えた。」
 などと、とんでもなくスットコドッコイな大誤解をさせる力を持っていた。
 ちなみに、R君が例の調子で本堂を出た途端、そこにあった自転車をガンガラガッシャーンとでかい音立ててひっくり返した時も、そこにいた信者はR君に向かって何故か一心不乱に拝んでいた。
 相当に「すべてを許そう」という信心深い人達か、もしくはその自転車をひっくり返した音までもが、なにか素敵な神の御告げと受け取る、相当にわけわかんなくなっちゃってる人達だ。
 さらにこちらへどうぞ、ということで本堂の隣にある、どうやら陶器の破片を固めて作ったと思われるガウディ調の十重の塔に登ったが、残念ながら電気が消えていてよく見えなかった。
「いやあ、最後を締めるにふさわしいとこだったね。」
 とつるつるした顔の健さんが言うほど、へなちょこ度においても、また濃空間的にも、一見の価値のあるところだった。

 荷物を預けていたホテルに戻って、そのまま空港へ向かう。俺が乗った方の車は、通称「ビクビク君」が運転していた。まだ年も若そうだ。俺達がドアを開けて乗った途端、
「あっちゃー、外人だよ。ど、どうしよう、お、俺。ビクビクビク。ベトナム語以外、全然わかんないんだ俺。ビクビクビク。え、エアポートってなんだっけ。ビクビクビク。あっ、荷物を持っている・・・外人・・・く、空港か! ビクビクビク。空港に違いあるまい。ビクビクビク。で、その前にホテルだな。ホテルカードはもらったけど、なんか全然どこだかわからないやー、ビクビクビク。ビクビクビク。ビクビクビク。」
 で、ホテルの場所がわからなくて、何度も車を止めて露天の女の子に道を聞いたり、グルグル同じところを回ってて、「そこの角だ!」と俺達が言っているのに緊張してわけわかんなくなってて、俺達の方も見ずに剛速球で直進して、なのにビクビクしていた。
 でも、なんか憎めないんだよね。こういう、弱点がはっきり見えやすい人。
 っていうか、結局なんか好きなんだよね、どこか抜けてたり欠けてたりする人が。

   考えてみると、人は抜けてたり欠けてたりしたところを懸命に補おうとしたりする。
 完璧に近づこうとする。
 抜けてたり欠けてたりすることは人として良い状態じゃないと思っている。
 でも、ちょっと立ち止まって考えてみる。
 本当にそうか?
 人の面白いところは、実は逆にその欠けた部分なんじゃないのか?
 欠けたところこそ、最も重要なんじゃないか?

   俺は、デキソコナイが好きだ。
 だって、デキソコナイは人を笑わせてくれるもの。
 とんでもないドジや、誰も思いつかないような失敗をしでかしてくれるもの。
 そして、俺はもしかして、そんなくだらない、ばかばかしいことでゲラゲラ笑ったりする為に、自分が生まれてきたのかもしれないと思うことがある。
   となると、むしろ。
 むしろそんな事を次々と起こしてくれる人間の方が俺には重要なのだ。それが俺の人生にとって、もっとも意味ある人達なのだ。
 欠けた歯でフヒェフヒェ笑う、マッサー。
 4万ドンもらえると思ったがうまくいかなくって、泣き出しそうなシクロ乗りのおっちゃん。
 ムオンマンの、酔っ払い男。
 同じく、ムオンマンのダウン症の女の子。
 ぶきっちょ君。
 ビクビク君。

 むしろ。
 むしろデキソコナイを。
 デキソコナイの方に価値を。
 俺は本当にそう思っているのだ。

 そういや、カブラギもくす美さんも上杉あやも、クニちゃんも健さんも、そしてR君も俺も、みーんな、どこか欠陥品だもんなー。

 ホーチミンの町を、「びくびく君」が運転するタクシーが、空港に向かって走っていく。
 びくびくしながらも、クラクションだけはちゃんと鳴らす。
 ピーーーービビーーーー!!
 パパーーーー!!
「ナントカカントカ!!!」
「カントカナントカ!!!」
 クラクションが、この街のBGMであるかのように飛び交っている。
 怒っているのか普通の会話なのか、人々の話声がその中を交叉する。

 もうすっかり夜もふけたというのに、路地はうまそうな湯気をもうもうと立てた露天でまだ埋まっている。
 そんな人ごみの中に、ベトナムに生まれたはずのもうひとりの俺が、笑いながらうまそうに物を食っているような気が、ふと、した。


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