ホテルに戻って、荷物整理をする。さぁ、チェック・アウトしなければ。タランチュラと、化け物ねずみと、鹿飲み大蛇と、ムカデと、アブと、カエルよ、さようなら。たくさんの気持ちの悪い生き物達よ、思い出をありがとう。そういって、部屋を出ようとした時だ。突然、部屋のドアが向こうからサァーッと開いた。
「おいおい、一応、夫婦者の部屋なんだから、開ける時はノックぐらいしろよ。俺が精力絶倫だったら、どうするつもりだ!」
と言おうとして、振り返った。
しかしそこにいたのは、毛むくじゃらの、きょとんとした一匹の猿だった。
「・・・おめえか。」
きのう、ここに着いた早々に会った、あの、はぐれ猿だ。
「もう、俺達ぁ出るから。おめえも達者でな。じゃあな。」
そういって部屋を出た。
そして全員のチェック・アウトも済み、フロントを出たその時だ。いきなり、その猿がまた俺達の目の前に現れた。
「おいおい、滅多に客が来ないから、淋しいのかい。」
そういいかけた時、突然、ぼーっとそこいらで煙草をふかしていたカブラギの背中に、猿がシュッと、飛びのった。
「うっ、わわわわわわ」
そういったかと思うと、カブラギは突然の出来事に、背中を何故か猿が乗りやすいようにちょこんと丸めたまんま、硬直してしまった。
もちろん友人である俺は、
「大丈夫か、カブラギよ!」
と言いながら、すばやく持っていたハンディのビデオカメラを回し始めた。
そしてその後、信じられないような光景がみなの目の前に繰り広げられたのだ。
カブラギの背中に乗っていた猿は、徐々に頭の方にと飛び移り、なんとカブラギの頭に向かっていきなり激しく腰を使い始めたのだ!
「そこは、違うーっ!」
みんなが叫んだが、猿はもう無我夢中だ。
バンッ バンッ バンッ バンッ
カブラギの頭に腰を打ちつける音だけが静かに温泉宿にこだまする。
バンッ バンッ バンッ バンッ
猿は恍惚の表情になってその動作を激しく繰り返す。
「わわわわわっ!」
カブラギが、思わずのけぞる。
バンッ バンッ バンッ バンッ
カブラギの頭は、なにか猿だけを狂おしくさせる魔性のホルモンでも分泌しているのか?
バンッ バンッ バンッ バンッ
それともメス猿と同じ臭いがするのか?
バンッ バンッ バンッ バンッ
しかし、そうこうしているうちに、猿もようやく自分の間違いに気付いたようだ。そして、それを激しく恥じたようだ。
「俺が今、腰を打ちつけとるんは、メスやない! しかも猿のように見えるが、猿でもない! さらにはこれは、股間でもない!」
しかし猿は自分の失敗を素直に認めようとはせず、すべてそれはカブラギのせいと言わんばかりに、
「ウッキー!」
といって、カブラギの腕に噛み付いた。
「イテテテ、イテ、イテーヨ!」
ようやっとカブラギから離れた猿はしかし、このままでは治まりがつかない。腰のカクカクも、止まらない。
と、今度はやおら上杉あやに駆けよると、上杉あやの持っていたビニール袋を奪って、一目散に逃走した。
「あっ、馬鹿! あたしの大事なみやげ物!」
上杉あやが、怒鳴る。
猿は途中で、ビニール袋から中身を取り出し、また走る。
そこには陶器のドラえもんの貯金箱が。
もっと正確にいうと、ドラえもんと、ドラミちゃんの間に子供のドラえもんジュニアがいる、という3体がくっついた形の貯金箱だった。
ドラえもんは、一体いつそんな近親相姦夫婦生活をして子供が生まれたんだ?
しかし今は、そんな疑問を考えている暇もない。
上杉あやは「もっおぉ! この馬鹿猿!」とかいいながらも、時折「キィ!」と歯茎を丸出しにして威嚇する猿には、なかなか近付けない。
そこで、勇気あるビデオカメラマンの俺は、どんどん近づいていった。
よく、カメラマンが戦争地帯などで、すぐ横で爆発や発砲があるのに、決してレンズから目をそらさないで、弾に当たっておっ死んでしまう気持ちが、よくわかる。
カメラを覗いていると、現実があっという間に虚構の世界へと変われるのだ。つまり、本物がすぐそこにあるのに、レンズを通すことで、単なるテレビ番組の視聴者に成り下がれるのだ。これはとても不思議な感覚だ。
猿は相変わらずドラえもんファミリーを手に持って、中からなんか食い物でも出てこないかと、逆さにしたり、振ってみたりしている。
「あたしのドラえもんが、壊れちゃうぅ!」
上杉あやが叫ぶ。
騒ぎをかけつけて、ホテルの人達も何人か出てきた。ほっ、これで取ってもらえる、と思ったら、ホテルの人もビビッて、近づこうとしない。女性従業員など、のこのこ出てきたものの、猿に「チィィィ!」と威嚇されると、キャアキャア言ってカブラギの背中に抱き着いて逃げまどって、カブラギが突然自分にふってわいたどえらいハッピーに口元がニンマリとしていたけど、そういう問題じゃないだろう!
おめえらが飼っている猿じゃねえか! なんとかせんかい!
と、そのうち猿はドラえもんからは何の食い物も出てこないことに気づくと、ポーンと、そこらに放置してどっかにウキキィと行ってしまった。
俺はそれを拾いあげると、上杉あやに渡した。
「はい、取りかえしたよ。」
逃げまどって現場から遥か離れていた上杉あやは、俺に、
「石川さん、取ってくれたんだ。ありがとうーっ!」
と「猿からあたしの宝物を取りかえしてくれた勇気ある人」という感じの羨望の眼差しで見た。
・・・それで、良い。
そんなこんなで、最後までいろんな生物に苦しめられたビンチャウ温泉とも、いよいよ離れる時がきた。
英語のわからない運転手も、時間通りバンの中で待っていてくれた。ちなみに、きのう車をレンタルする時に、「運転手の宿泊代」も一応、入っていたのだ。でも、絶対にこいつは車の中で寝てたに違いない。何故なら、宿泊施設は俺達が泊まっていたこのホテルしか、このあたりにはないんだから。おっさんの顔は、見なかったぞ。
温泉の近くはしばらく畑ばかりの純田舎。
時折、牛飼いが牛を道じゅうに広げてて、車がきても、たいしてあわてることなく、牛を追い立ててて、減速運転になる。
でも、どんな田舎のたとえば林の中でも、ちょっとした喫茶店とかがあるのがかっこいい。
みんなハンモックの上でぐーたら昼寝なぞしながら、目覚めるとお茶で、退屈な午後にトロケテる。
ニワトリの鳴く声と、くだらない家族がいる。
肥溜のにおいと、しょうもない世間話がある。
空には雲。
山は緑。
蟻だけが自分の足元を忙しそうに何かを運んでる。
ふぁぁぁ・・・・・・。
やっぱ、これが幸せ、ちゅうもんでしょう。
これが幸せじゃないなら、幸せってなんなんだ?
ホーチミンまでは約3時間。ようやっと着いた時、ずっとトイレを我慢していた上杉あやは、思わずこういった。
「今度ベトナムに来る時は、おしめ買ってこようっと!」
・・・車の中でみんなとわいわい話している時、突然、ジョーッとするんかい! ごく普通のこととして、尿道を全開にするんかい!
それぐらいなら、何故、途中で降ろしてもらわんか!
ホーチミンでは、「ベトナム乱暴紀行」(金角&銀角著・スターツ出版)で、「ベトナムで一番うまかった!」と書かれている、焼きハマグリの屋台近くに車をつけてもらい、早速ムシャブリつく。すごくでかいハマグリで、おまけに身がプリプリしている。さらに、ムール貝に似た貝をゴマとニンニクで焼いた物がこりゃまた、絶品。こんなうまい貝、食ったことない。思わずその場ですっくと立ち上がり、
「んまいんまいー、んまいぞーーーー!!」
と、両手をブルンブルン振って、駄々をこねたくなった。そして、
「おかわり!」
テーブルの上に巨大な貝塚を築いた。
道路に面しているので、そこらにたむろしている浮浪少年が、「なんかくれよ」と手を差し出す。だめだめと何度も首を横に振ると、そのうちあきらめ、今度は単なる遊び道具として、俺の腹を指や手で突つき始める。前にも書いたように、ベトナムにはデブがいないので、「デブの腹」は滅多に遊べない遊び道具なのだ。俺もそいつはしょうがないと、協力してボヨンボヨンさせて遊ばせてやる。
それからまたファム・グー・ラオ通りに戻り、ホテル探しをする。最初に見たのは奥まった路地の小さな民宿のようなところ。ホーチミンで一番安いホテル街といわれるこの界隈でも、最も安そうなホテルだ。老夫婦が経営してて、崩れそうな鉄の外階段をエッチラオッチラ登る。外には、トタンを張り継ぎした家々の屋根に、洗濯物がカラフルにはためいている。どこかの部屋からは、アラブ人が何人かこちらをみて、手を振っている。ちなみにおひとり様300円くらい。俺はここはここで面白そうだなー、と思ったが、得体の知れない虫が沢山いそうなのと、なにより門限がありそうだったので、パスする。
一番ここに来たがっていたくす美さんは、案内をする老夫婦の遥か後からついていき、老夫婦がそちらを見ていないのをいいことに、バチバチ写真を撮りまくり、「中が充分に見れて、チープな装飾品の写真も撮れたから、別に泊まらなくてもいい。」とヒジョーに利己的な発言をしていた。
結局数軒見て、全員テラス付きでひと部屋1000円、カブラギ以外は2人で入るので、ひとり頭500円というホテルに落ち着いた。
ホテル選びは、とにかく我が妻のR君が強力だ。英語力は中学生程度なのに、笑顔と、そして欧米人並みのオーバーアクション身ぶり手ぶりのプッシュプッシュプッシュで、あっという間に値引きをさせてしまうのだ。
このホテルも、一旦部屋を決めた後、部屋に冷蔵庫が付いていなかったのをダシに、
「他の部屋にはついているのに、なんでこの部屋には冷蔵庫がないの? それじゃ、もっとディスカウントしてくれなきゃこまるわ! 私達だって慈善事業で泊まるわけじゃないんだから!」
と迫ったら、
「値段はこれ以上下げられないから・・・うーん、わかったよー。じゃ、やけだ! この部屋使ってくれい!!」
と、同じ値段で、スペシャルルームをあてがわれた。もちろん冷蔵庫もついているし、ベッドも何故か3つもあった。
R君は「ウッシッシ」とかいいながら、ベッドの上ではねている。
それから、夕方の町に繰り出す。観光客も多いベンタイン市場というところでは、上杉あやが「わーっ、かわいいっ!」と、「どこで着るんだよ!」と突っ込みを入れたくなるようなスケスケのネグリジェにはまっている。おめえは、ほとんど乳丸見えか。
カブラギもなにやら腕時計を買っている。
聞くと、きのうまで持っていた腕時計をなくしてしまったというのだ。
「いやー、いくら探してもないんだよー。」
「高かったの?」
「いやーわからないんだよー」
「なんで?」
「道に落ちてたの拾っただけだからー」
って、カブラギ、おめえは本物のおもらいさんか。
R君も馬鹿にする。
「カブ、時計なくしたんだ。馬鹿だねーっ。そういえば、カブの時計、きのうカブの部屋で見たよ。あの時はあったのにね。でも、拾った時計ならいいじゃん。」
「えっ?どこで見たの?」
「カブの部屋のテーブルの上だよ。なんか、だんなの腕時計に似てるなー、と思って。・・・あれっ?」
「えっ?なあに。」
「・・・ていうか、だんなの時計がなんでこんなところに?と思って・・・」
「思って?」
「・・・私のポケットに、入ってる。」
また少し歩いて、町の中心のレックスホテルに到着。何故かR君は途中で買わされた、でかいハンモックをかついでいる。なんでやねん!
ここで今日は、あの天然ハプニング・ウーマンのクニちゃんと待ち合わせだ。クニちゃんは何度か海外旅行は経験しているものの、ひとりで来るのは初めて、ということで、ちゃんと着くかどうかが不安だった。
しかし、案ずることはなく、クニちゃんはタクシーで意気揚々とやってきた。ただひとつ、でかいリュックサックをトランクから出す時、タクシーの運ちゃんが手伝ってくれないのが気になった。
「あの運ちゃん、不親切だねー。女ひとりなんだから、荷物ぐらい降ろしてくれればいいのにね。」
「いやさ、空港出たら、いきなりタクシーの人達に囲まれたわけよ。だからその足でポリス・ボックスにまっすぐ行ったわけ。『わたしは囲まれた』って言って。」
「はぁ。」
「それで、そこから覗いて一番安全そうなタクシーを探して乗ったわけよ。」
「はぁ。」
「そうしたら、町まで16万ドン(1600円)というわけよ。」
「はぁ。ま、そんなもんかもね。俺達も値切って、でも人数超過で1500円だったから。」
「えっ?それでとにかく、『ベトナムではすべてボラれる。ベトナム人は全員泥棒。』と思って、半額の800円じゃなきゃ、乗らない、っていったわけよ。」
「はぁ。」
「そしたら、『わかった。メーター出すから、とにかく乗れ。』というの。」
「はぁ。」
「それで、今降りたら、メーターが1000円以上出てるわけよ。」
「はぁ。」
「で、『あたしは800円、って言ったからね。それ以上はビタ一文出しません』と言ったわけよ。問題ないでしょ?」
「いや、でもメーターは1000円以上出てたんでしょ?」
「出てたけどさぁ、関係ないよーっ。そして、降りる時800円ピッタリ払ってバッと出てきちゃったら、荷物も出してくれないのよ。やんなっちゃう!」
「・・・荷物積んだまま、発進されなかったことを有り難く思うんだな。」
実際、次の日合流した健さんは、同じレックスホテルまで、2000円でやってきている。800円と1500円と2000円。一体、正しいのは、誰だ?
女性がひとり増え、4人になってしまった途端、いきなり女性達はショッピング・モード、というか買い物おばさんにと急激に変化してしまった。
アオザイのオーダーメイドって、おめえら自分の体型は、まったく見えないんかい! 鏡、無視かい!
「素敵な小物・」って、おめえらになんの関係があるんじゃい!
どうやら、ベトナムでのショッピングは女性陣には相当魅力的らしい。
本来、プチブルを憎み、
「国内旅行する時は、あたし、洞窟とかに寝袋で寝るから。」
とさり気なくのたまうワイルドな魅力のくす美さんまでが、オシャレ雑貨屋で、
「えっ?この手織りのランチョン・マットのセットが1600円?しかもこんなオシャレな藤のバッグつき?」
というや、顔を紅潮させ、目をハートマークにして思わず衝動買いさせてしまう力を持っているのだ。
つまり、中国とかのように「物は悪いが値段は安い」じゃなくて、「洗練されているのに、値段が安い」のだそうだ。俺にはよーわからんが。
折からのアジア・ブームで、エスニックな物も随分日本で出回ってるので、日本での値段がわかるだけに、よけいに、
「止まらないわ、止まらないわ。買いだわ、買いだわ。ウッキー!」
って、猿かおめえらは。
しかしそんな女性陣が、浮き足だって店を出た時、店員の声が後ろから聞こえた。
「誰か、お荷物、お忘れでないですか。」
はっと見ると、ベトナムに着いたばかりのクニちゃんが、何故か手ぶらで、アホ面で先頭切って、鼻を赤くして歩いている。
おめえは、家からパジャマのまんま週刊誌買いに出る、ノーテンキ主婦か!
そう。それは、まだ、ホテルにチェック・インしていないクニちゃんの、全ての荷物が入ったでかいリュック・サックだった。
本日の晩飯は、ベトナムに来て今回初めての、地元人間絶対来ないレストラン「タンナム」にて。11ドルのディナーは、日本なら「ジョナサン」の和風ハンバーグセットぐらいの値段だが、50円でフォーが食える国では、
「よういうわ! 飯の中に、ようさん金粉が入ってるとでもいいまんのか。そうじゃなきゃ、そんな値段の高い食い物が世の中にありまっかいなーっ。おたく、馬鹿いってまんなーっ。わっはっはっはーっ!!」
と笑われそうな、とてつもない代物だ。次々に運ばれてくる料理に、「ウォッフォッフォッーッ」と笑いながら、みんなさらにデブに磨きをキュッキュッキュッとかけていった。
こんな国じゃなければ、こんな王侯貴族気分は一生味わえずに、気取ったOLのハイヒールに、本人も気づいていないうちに踏みつぶされて死んでいくアリンコのような俺達だ。
止めるな、止めてくださるな。今夜だけは、いぢ汚い夢を覚まさないでくだされ~。
さて、せっかくだから、ホテルへは来た道と違う道を通って帰ろうと路地をくねくね曲がっていたら、道に迷ってしまった。明かりがついている方があったので大通りかと思ってそちらへ行ってみる。
と、突然裸電球と、ものすごい人。しかもなんだかごっつう生臭い。
そして喧噪。おっさんと子供とおばはんと老人と若者と。おいおい、今、夜中の11時過ぎだぞ。一体なんなんだここはーっ! ベトナムの奇祭「真夜中生臭プウ~ン祭り」か! と思ったら「おらおらおら、邪魔だよ!」という感じで、みたこともないでっかい赤い魚を何人かがかりで運んでる。
そう、ここは魚市場だったのだ。そしてまさに今がその最も活気づく時間だったのだ。
いろんな魚や貝や氷や段ボールや生臭い物に囲まれながら、
「一体俺達はどこにいるんだー、ホテルはどこじゃー。生臭いーっ。」
と叫んでた。
次の日。朝飯は翌日の鉄道のチケットを取りがてら、バック・パッカーの間では超有名なシン・カフェで取る。この「カフェ」とは、文字どおりの軽食も取れるカフェであるのと同時に、そこに集う外国人に格安なバスツアーを提供する旅行会社のオフィスも兼ねている所が多い。
昨年も、日帰り8ドル、という値段のメコンデルタツアーに参加した。バスで往復3時間のミトーという町に行き、大きめな船、手こぎ船、モーターボートといくつも船を乗り換えて、ジャングルを散策したり、ココナツ飴工場を見学したりした。
昼飯や、途中でのお茶やハチミツ酒などもついてこの料金には、なかなか満足した。
ちなみに、このツアーで出色だったのが、通称「ヤシの実教団の島」だ。
そう遠くはない昔、ヤシの実だけを食する、というストイックな宗教がこの島にあった。残念ながら、あまりにストイック過ぎたのか、それとも、
「よく考えてみたら、なんでわしらヤシの実だけ食べてんねん!」
と、遅まきながらハッと気づいたのか、今はもう信者はいない。
だけど、その寺だけがぽつねんと残っているのだ。赤青黄に塗られた数々のカラフルな建造物の中、おやっと目を引くのが、そのキッカイな御神体だ。
その御神体とは、ズバリ、「アポロ」なのだ。そう、アメリカ合衆国のロケット。アポロチョコレートのアポロ、だ。
教祖が、月をこの世のパラダイスだと思ってしまい、そこに連れていってくれるアポロは、まさに神様の乗り物じゃないか!! こりゃありがたやーありがたやーと、御神体にしてしまったのだ。変な塔の横に、子供の夏休みのでかく作り過ぎちまった工作のような「APOLLO」と書かれたロケットがくくり付けられているのだ。
寂れてしまった今となっては、誰もがもの悲しくなること請け合いのトンマ物件だった。
今回はそんなツアーではないが、明日行こうと思ってるファンティエットという町までの鉄道切符を手配してもらう為に来たのだ。
もちろん駅に買いに行く、という手はあるのだが、長蛇の列に並ばなければならなかったり、ぼられたり、またサイゴン駅というのがそもそも町外れにあるので、そこまでの交通費や時間を考えると、カフェに頼んだ方が確実で格安なのだ。
さて、今日の午前中は、チョロン地区というホーチミンの中華街の、ビンタンという市場に行く。ここはとにかく馬鹿でかい。よく、どこの国に行っても「華僑の人海パワーはすげーなー」というのが、ここでもあてはまる。「そんなに商品並べて、売り切れるのに何百年かかるんじゃいーっ!」と思わずナギナタで飛び込んでいきたくなるような圧倒的な物の数で、それは人に襲いかかる。
そして早速犠牲者が出た。上杉あやだ。ものの20分間ぐらいのあいだに、小牛が入りそうなぐらいでかい藤のバッグに、溢れんばかりの布、バッグ、財布などを詰め込み、完全に目がいってしまってる。
しかもおめえが手に握りしめてるのは、バッタ物を逆に売りにしている、手書きのヌード・ジッポーじゃねえか。おめえはおっさんかーっ。
「ここ、楽しいじゃーん! あはははーっ!」
まさに物欲の奴隷となって、買い物しまくってる。しかしちょっと待ったーっ! おめえは「物価安いから、大丈夫だよね。」と言って、交通費以外は5万円位しか持ってきてなかったんじゃねえのか? いくらなんでもこの調子でいったら、途中で飯代もなくなるけど、道端の草を齧って旅を続けるというんだな? よーし、いい度胸だ。
ちなみに彼女は一応いろんな人のおみやげ用にこれらを大量入荷したのだが、帰国後、あまったものをフリーマーケットで売っぱらったところ、ベトナムでの購入額の5~6倍の値段をつけるも、飛ぶように売れたという。おめえはいつからバイヤーになったんだ!!
かくいう俺も、物物物物物物物物物物物物物物物物に囲まれているうちにわけわかんなくなって、気づいた時には、笛を吹くと紙のニワトリが羽根をバタバタさせるおもちゃ10個、グルグル回すとカチャカチャ玉乗り猿が音を出すプラスチックのおもちゃ10個、すっごい怖いのび太が駒で付いている「ドラえもん動物園すごろく」、すっぽり頭に被るお祭り用のでかいニヤニヤピンク顔中国面などを胸にかかえていた。ちなみにこれ全部合わせて、約400円。いくらチープ物ばかりといえ、日本で買ったら5千円はしまっせー。うっはっはー。ま、役に立つようなものは、ひとつもないがな。
てな感じで皆、買い物に狂ってる時、カブラギだけはさしたる買い物もせずに、戻ってきた。「こいつ、意外と冷静じゃんか。」そう思って顔を見ると、なんと顔が真っ赤だ。いくら中華街では赤が縁起がいいからって、自分の顔を真っ赤に染めることはなかろうに。
「いやーーーはははーー酔っぱらったよーーい。うへへへぇ!」
と、上機嫌だ。
おいおい、それぞれ別れて買い物しようと、30分かそこら別行動しただけなのに、おめえはなに、午前中から飲んだくれてんだよ!
「いやあ、喉乾いたなーっと思ってたら、ビアホイっていう看板があったんでちょっと入ってみたんだよ。うへへへへぇ。」
ビアホイとは、ビールを少し薄めたようなもので、ベトナム庶民のアルコール飲料だ。ビールよりも、だいぶ安い。
「それで一杯、っていって言葉わかんないから、指一本出したんだよ。そしたら、でかいピッチャーで、2リットル来ちゃってさあ。どうやら、ビアホイって、ひとりで飲むものじゃ、ないらしいね。うへへへへぇ。」
「それでね、もったいないから、腹ガボガボになったけど、ここで残して『ベトナムのビールはまずくて、全部は開けられねえのか!』って思われたら嫌だから、頑張って飲んだんだよ。うへへへへぇ。」
「さすがに薄くても、すきっぱらだったしね。うへへへへぇ。」
「なんか、気持ちいいよ。この市場、気持ちいいよ。うへへへへぇ。」
・・・うるさい!
一旦ホテルでシャワーを浴びてから、とにかく女性陣は今日は買い物心に火がついたので、命果つるまでまた買い物してくる、というので、俺とカブラギは男ふたりで外に出た。
確かに、くうだらない買い物は楽しいが、一日中回る体力は男にはない。まずは近所の食堂に入って、一杯やることにした。酒も安いし、暑いから、ビールもうめえ。と言っても一杯やってるのは俺の方で、カブラギはすでに今日、10杯はやっている。
ビールと、フライドチキンのつもりで頼んだのが何故か「鳥しょうが焼き定食」でライスまでついてきてしまったが、かまうこたない、食え食え食えと、とにかくそれで飲んでいると、外に突然のスコール。これでは出られないと、ラム・パイナップルとかをさらに優雅に飲んでベロンベロンの午後。男同士で飲んでいると、どうしても女の話になる。
「で、おめえの付き合ってた彼女、どうしたんだよ。」
俺がカブラギに聞く。
「えっ!? ・・・あぁ。あっ、まだ付き合ってるよ! うん、まあ、今年はまだ会ってないんだけどね。」
ちょ、ちょっと待て。今年はまだ会ってない、って、正月が明けたばかりじゃないぞ、今は。あと2カ月で今年も終わる、10月下旬だぞ。
「それに、電話したら、親が出て、◯◯子は今、ここには住んでおりません、っていうんだよ。変だよなー。」
いや、変なのはおめ・・・
「でも、かわいいんだよなぁ。・・・ふひゃっ!!」
・・・もう、何もいうまい。
さて、ようよう雨もやんだので、ちょっと歩いて、今度は盲人学校にマッサージを受けにいくことにする。入り口に大きな杖をついた人のデザインが描かれている。250円でチケットを買い、風通しのよいベッドが並ぶ部屋に通される。
となりでおっさんが「おぉおぉ」感極まって呻いているが、怪しい雰囲気のところでは全然ない。しごくまじめな場所である。「ZEN」でのマッサーも良いが、店の中だと、どうしても体を完全に寝かしてはできないので、これまた「マッサージこじき」にはたまらんのだ。
今日は特にテクニシャンで、最初に軟膏みたいな薬を背中に塗られる。と、背中がカッと熱くなる。
「うっ、オヌシ、秘薬を塗ったな。ワシをどうする気じゃあ。」
その返事も得られぬうちに、入念に首、背中、腰、くるっと回って手、足。うおおおあああ。そして最後は顔面マッサージ。人に体を揉まれるのは、どうしてこんなに気持ちいいんだろう。ふっひえー。マッサージ機がいくら進歩しても、「気」が出る人間の指先には、決してかなわないんじゃあ。
終わってしばし表の運動場で、盲人の生徒達が歌のおねーさんの指導に沿って童謡をハミングするのをベンチにぼけっと座って聞いていたが、カブラギが一向に現れないので、入れ違いになったかと思い、歩き出す。
今日は4時に健さんとレックス・ホテルで待ち合わせなのだ。
レックスホテルの前にたどり着くと、ホテルの前のベンチに、もう健さんは座って待っているのが見えた。
しかもなにやら、己の顔の2倍以上はある馬鹿でかいせんべいにガジガジかぶりついていて、とても頭が悪そうだ。
むこうもこちらに気がつくと手を振ったが、口からせんべいは離さない。
隣に座って、来た道のりの話など聞く。と、それまでなんとなく遠巻きに見ていた物売り達が、何故か一斉に俺達に近寄ってきた。
「こりゃ、いいカモのようよ。」
「太った日本人がふたり。しかもひとりは巨大せんべいを食う馬鹿。ひとりは坊主頭の馬鹿。」
「あり金全部巻き上げちゃいましょうよ。」
「そうしましょ、そうしましょ。」
と、あっという間に7,8人に囲まれる。うさぎのどでかい風船、コカ・コーラのアルミ缶で作った野球帽、発色の悪い絵はがき、その他どーでもいいおみやげ物のオン・パレードで、それぞれの売り子がわからねえ英語やもっとわからねえベトナム語で、べえらべえら捲し立てる。
「い、いらねぇー!!」
と怒鳴っても、多勢に無勢。完全にぐるりと囲まれ、商品をピタピタ頬に押し付けられ、立ち上がることすら出来ないデブふたりの悲しさよ。
と、その時、健さんが機転を利かした。
「せんべい、食え!」
売り子の中には子供も多かったので、バリンと割ったせんべいには、すぐ何人かがウォーッと、食らい付いた。
「今だ、逃げろ!!」
そういうや、デブふたりはフーフー走ってホテルの中へ。ようやく売り子達をまいた。
フロントの椅子に、泊まりもしないのに、ふんぞり返ってみなを待つ。まぁ、ホテルのロビーなんざ、公共施設だからね。泊まらなくても、なんも気にせず使ってよいはずじゃーっ。ふーっ、冷房がひえひえで気持ちええわい。ついでにトイレも済ませておく。なめても平気そうな便器なんて、ベトナム中探したってなかなかないからな。って、いくら俺でも本当になめやしないから安心してくれ。
ほどなく、缶ビールをラッパ飲みしながら、カブラギ登場。飲みすぎだっつうの。R君、くす美さん、上杉あやも買い物袋を抱えて登場。もちろんクニちゃんは人より大分遅れて、
「えっ!? みんな早いじゃーん! さっきまで隣で買い物してたのに、なんでー!」
って、みんな腕時計ぐらい持ってるんじゃ!!
全員揃ったところで、名物のバインセオを食いにいく。これはベトナム風お好み焼きだ。パリパリの卵の中に、エビや肉、もやしなどいろんな具が入っている。名物の店はちょっと町外れにあるので、みなでタクシーでいく。人数が増えたので2台でゴー。
と、店について待つが、2台目がなかなか来ない。「道に迷っちゃったのかなー。それとも強盗タクシーでどこかに連れ去られちゃったかなー。メコン川に沈んじゃったかなーっ。もう2度と会えないのかなーっ。」と思って約15分、なんとカブラギを先頭にトコトコ歩いてやってくるではないか。
「どうしたんだよー」と聞くと、
「タクシーが自転車をポーンと、はねちゃってさー」とのこと。
命に別条はないようだが、警察とか来て暇人とか集まって犬とか吠えてごちゃごちゃしてきたので、そこで降りて歩いてきたのだという。
そりゃ、あのめったくたの道路事情で事故が起きないのなら、生出ししたって子供は出来ないぞ。って、違うか。
そこではバインセオの他にも揚げ春巻き、生春巻き、焼肉、プリンなど、テーブルに載った瞬間になくなっていく。そのあまりのがっつきの早さには、店員も苦笑を隠さなかった。
プリンは卵の味が全然違うので、去年ここに来た時は「これが本物のプリンか! 今まで、30年以上わしゃ、騙されてたんかいーっ!!」というような衝撃の味だった。でも今回食べたらそれほどの衝撃はこなかった。去年の衝撃で期待し過ぎてしまった為か?それなら良いが、まさか去年より味が落ちたのか?
日本や欧米並に、味覚だけは劣化しないでくれよ、ベトナム。
それから帰りにまたスーパーに寄る。スーパーは良い。なんだかんだいっても、欲しいもんをじっくり見て選べるし、値段交渉のわずらわしさもない。「旅の通じゃねえなー」と言われようが、もともと人との 交渉が苦手な俺には、スーパーやコンビニエンスストアは最高である。
だって、駄目なんだよねー。目とかばっちり見られて、「ヤスイ、ヤスイ、センエン、センエン」とか迫られると。それだけで物も見ずに逃げ出したくなっちゃうんだよねー。昔から勉強でも仕事でも強制された途端にやる気が失せていく俺だし、しかも、たいていみやげ物屋のおばちゃんとかは、典型的な物を勧めてくるから、俺のようなブランド大嫌いバッタもんだーい好き、なんてヒネクレ趣味には合わないのよねーっ。
上杉あやはかねてから欲しがっていたゴマせんべいを自分会議の結果通り20枚、大量に抱えて馬鹿丸出しだ。
俺はコレクションである缶ジュースや、わけのわからんデザインのお菓子やら買って、R君のものと一緒にレジすると、意外に値段が張る。「おんや?」と思うと、ブドウがひとパック350円している。R君がカゴに入れたやつだ。
「R君、ずいぶん値の張る果物買ったねぇ。」と言うと、
「えっ!? 35円じゃなかったの?ひゃあ、また桁ひとつ間違えた!!」
食品の物価はだいたい日本の10分の1なので、3500円の高級ブドウだ。ちなみにR君の「桁が未だにわからない感覚」が翌朝、事件をひき起こすことになるのだが・・・。
さて、3500円のブドウは一体、どんなデリーシャスな味がするのだろうか。食べてみる。
「・・・・普通のブドウでしたーっ。」
たぶんこっちでは滅多に取れない、日本でいうところの南国の珍しいフルーツみたいなものなのであろう。そういやあんまり、町の人がブドウなんて食べてるとこ見たことないもんな。もったないので「高級、高級。3500円、3500円!」と呪文のように唱えて自分達を洗脳して、高級感に浸った。