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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

俺じゃない! (夢でしかない!)

先日、夢を見ました。自転車で転ぶ夢でした。大ケガではなく、転んだ姿勢で通行人と目が合って笑い合うみたいな感じの夢だったです。

次の日。現実世界でのこと。出かけ先の建物から出る時。歩きだったのですが、自転車と歩きの違いはあれど、正夢となり、雨上がりの入口で、ステーン! そのまま目の前のカフェのテラス席の男性の目が合い、自分もその人も笑っていました。夢とほぼ一緒。そこで40年前の出来事が思い出されたのです。

小学校4年の時。この頃は毎週土曜日に近所の祖父母宅の家に泊まりにいくのが恒例になっていました。家は昔ながらの造りで、玄関は屋根はありますが外のようになっています。(ここが今回のキモです) 

寝る時は入ってすぐのリビングに祖父と姉、私はリビングを出て玄関を通って反対の扉の先の部屋を通ってまた先の部屋の隣の部屋で祖母と寝ていました。トイレはその途中にあるのでリビングからは行くのが少し面倒になっています。

そんなある土曜日、私は珍しく祖父の寝るリビングで寝ていました。姉が来なくて私一人だったのかもしれません。

私はその夜、夢を見ました。大がしたくなりトイレに行きたいのに、この部屋を出て歩いて扉を開けて部屋を通ってまた・・・ なんてのが面倒で、出て目の前の玄関の地面に大をしてしまう夢です。

朝。「おい! 誰だこんなとこにウンコしったのは! タケシじゃないのか!」と祖母。

本当にウンコがしてありました。しかし私は夢を見ただけです。

「おれじゃないよ。犬じゃないの?」 と言い張りました。確かに野良犬はここに来れます。

ここでウンコした夢は見たけど、とは言えませんでした。結局怒られることもなく、片付けた記憶もないので祖母が掃除したのでしょう。

誰にこの話をしても、「それ絶対夜中に自分でウンコしたんだよ」と言われますが、私は夢しか見ていません。していないと信じています。(猪熊猛 2024/4/29)

(寸評)どうか俺を殺す夢だけは見ないでくれ...。6ポイント。

放射線状のアレ

小学生の頃の運動会で、竹の棒2本を持って手ぬぐいをねじりハチマキにしてナントカ節〔忘れました〕を踊る演目がありました。後で気付くのですが私の使っていた手ぬぐいは、たまに母がリンゴジュースを作ってくれる時にリンゴを搾るのに使用していた物でした。
ある日の運動会練習で学年みんなで運動場に整列していたら、先生が白い手ぬぐいを広げて皆に見せながら「この手ぬぐい落としたのは誰ー!?」と言いました。それは甲子園の歴代優勝校の名前が書かれた手ぬぐいで、中心から外側に向かってウンコ色の放射線状のシミがついた小汚いモノでした。
なんじゃアレ、汚ねえ手ぬぐいだな~!と思った瞬間気付きました。「俺の手ぬぐいやんけ~~!」...も、物凄く恥ずかしい...と思いながらも無視する勇気はないので皆の前でその手ぬぐいを受け取りに行ったのであります。
リンゴのシミってウンコ色になるんですね!踊りの練習では手ぬぐいをねじって使っていたので、それが洗ってない昔のおしめみたいな状態だとは認識していませんでした。..お母ちゃんもっとキレイな手ぬぐいはなかったのか~い!?という懐かしい思い出でした。(ひももん 2024/4/29)

(寸評)本当はトイレットペーパー代節約のために、その手ぬぐいでゴシゴシと母ちゃんが拭いてたりして...。5ポイント。

父ちゃんも男だね(波照間エロマンガ島宅編)

2024年4月2日のひももんさんの投稿にインスパイアされた「父ちゃんも男だね」波照間家編です。

2024年1月期のTBS系ドラマ「不適切にもほどがある!」(宮藤官九郎脚本)は1986年と2024年とをタイムスリップして、お互いの年代の社会世相を描くドラマになっていました。主人公の小川市郎(阿部サダヲ)は1935年生まれ、1986年時に年齢50歳だった設定の公立中学の体育教師役です。この設定を見て驚いたことがあって、主人公の阿部サダヲと私の亡父は役上同い年だったということ。つまり1986年、50歳の頃の私の父について色々思い出したというわけです。

そんな中で思い出したのは、父の持っていたアダルトビデオのこと。父の部屋のビデオ棚の奥深くにVHSのポルノビデオを隠し持っていることを私は知っていました。家族のいない時にそこに忍び込んで23歳くらいの私は物色してそれを再生していました。父親の性的趣味について見ると、なんかギャル系が好きだったみたいで、土曜の深夜は日本テレビ「海賊ちゃんねる」という深夜下品番組でピンク女優の田代葉子さんの「行ってミルク?」コーナーを観ている音声が隣の部屋からよく聞こえてきました。「あーこんなのが好みだったんだー」と驚きました。
そんな「父ちゃんも男だね」波照間エロマンガ島宅編でした。皆さんの家のお父さんの「男」の話も聞いてみたいでごわす。(波照間エロマンガ島 2024/4/29)

(寸評)雑誌はあったなー。古新聞の間に隠して捨てようとしたのを嗅覚で発見! まあそらあ見ますわなあ。性欲無くば子は生まれない。6ポイント。

小学5年時、他クラスとの野球の試合にて・・・。

小学5年生のときクラスの有志で野球部を作って、放課後や日曜日など、他のクラスとよく試合をしました。そこで見かけた他のクラスのおバカさんを思い出したので投稿します。
クラスの児童が作った野球部ですから、成人の教師やコーチがいるわけではありません。強いていえばキャプテンを務めるリーダーがプレーイングマネージャーということで、自分は守備打撃もやりつつ、監督として他の児童もコーチするというふうにしていました。ところが。

他クラスとの試合にて、「あれ?」と思ったことがありました。あるクラスの野球部には、一人の児童が監督だけやっていて、自分は試合に出場しない男子がいたのです。で、彼はベンチやコーチャーズ・ボックスにて、選手へ指示を出していたのです!これは間抜けでしたね。プロ野球の監督やコーチのごとくカッコつけて振る舞っている様子を見て「バカじゃねえの」と私は呆れました。野球やりたくないのか、こいつは。野球場に来ても守備打撃はおろかキャッチボールさえしない。
私はいつまでもその「監督」のことを忘れませんでした。

他のクラスの選手と話してみると、「彼は野球理論の天才で確固とした信念で指示を出している」と分かったようなことを言っていましたよ。馬鹿ですよねー。子供の野球は「ごっこ」であるはずなのに、彼は「監督ごっこ」に魅せられていたんですね。そんな小学校の野球チームで発見したおバカさんでした。(波照間エロマンガ島 2024/4/29)

(寸評)ボールボーイごっこ、補欠ごっこ、観客ごっこ、飲み物売りごっこ・・・いろいろ出来そう! 6ポイント。

置いてきぼりのおバカ

1992年夏、異業種交流の社会人サークルの仲間の総勢40人くらいで長野県のアルプスの方へ大型バスを繰り出して出かけたことがあります。私は幹事のひとりだったのですが、昼は自然の中のアスレチックパークで大いに遊び、夜は宿泊したロッジからバスで15分ほどの屋外レストランでバーベキューを楽しみました。会は2時間ほどぎっしりメニューで飲んで歌って弾けました。私は会計を済ませたあと、ちょっとお腹が痛くなったのでトイレに用を足しに行きました。ほんの5分程度のことです。トイレから出てくると、もぬけの殻。仲間はバスに乗って宿に帰ってしまいました。当時は携帯電話もLINEもない時代です。バスに乗ってから私の不在に仲間が気づいて、そして引き返して私をピックアップするのに、なんと30分以上もかかってしまいました。みんな酔っ払っていたのんで私がいないことを全く失念していたんですね。私はショックでした。そしてもうちょっと存在感のある男になろう、と思いました。存在感が出たのかどうかはわかりませんが、それから置いてきぼりを食ったことは一応ありません。そんな置いてきぼり案件について。(波照間エロマンガ島 2024/4/29)

(寸評)でも良かった。もしも波照間エロマンガ島の不在に仲間が気づかなかったら、今でもそのバーベキュー場で還暦を迎えていたかも...。6ポイント。

助走(女装)しろよ!

中学2年時、体育祭でクラス対抗4X100メートルのリレー競技の時に起こった出来事を突然思い出しました。
第2走者だった私は、第3走者のOくんとバトンタッチするためにテイクオーバーゾーンに近づいてきました。ところが。
Oくんは助走をせずに私がOくんに追いついたところから助走を始めたのです!
(こいつ、ルール分かってんのか!アホが!)と心の中で叫びました。その前にさんざ練習したはずなんだけどな。
当然、私とOくんは折り重なって転倒してしまい、順位はビリッけつに終わりました。

私はめちゃくちゃ腹が立ちOくんを罵倒しました。「おい、バカ。なんで助走しなかったんだよ!練習したじゃんか!助走しろ」

ところがこの話にはオチがあって、そのあと陸上トラックに沿った場所にあるクラスの応援スペースで、男子は上半身学ランに下半身は女子から制服のプリーツスカートを借りたスタイルでクラスごとに応援合戦をするのですが、そこでOくんはどういうわけか女子からメイキャップ道具を借りて白塗りにお化粧して登場してきたのです!
なんと、Oくんはリレーでの失敗を取り戻そうと、私の「助走しろ」と叫んだ言葉をなぜか「女装しろ」と勘違いしたようで、化粧して応援に参加したんですね。私は相当Oくんを追い詰めていたようです。アップセットしたOくんはミスを挽回したかったようで。私は「助走」と言っただけなのにな、「女装」と勘違いして必死に応援したという話です。(波照間エロマンガ島 2024/4/29)

(寸評)それをキッカケに彼の人生に大きな転換点を作ったかもしれない!? 6ポイント。

父ちゃんも男だね

中学生の頃のある日、夜の0時前くらいだったか父に尋ねたい事があって、両親がいるフスマ1枚隔てた隣の部屋に入りました。

電気は消えた状態で母はもう寝ていて、父は布団に横になってテレビのリモコンを持っていましたが、なぜかテレビは消えている状態でした。私が「何しようと?」と父に近づくと、父が「アレ?アレ?」と言いながらリモコンのボタンをデタラメに押しているので、私がリモコンの電源ボタンを押してテレビをつけてあげました。すると画面には『アダルトビデオ人気ランキング』みたいなコーナーが音量を消した状態で流れていました...。

父ちゃんゴメン!察してあげれば良かった!でも父ちゃんもテレビを消すんじゃなくてチャンネルを変えれば良かったのに、焦ってそこまで頭が回らなかったのね。

気まずい瞬間でしたが、父がチンコ出してそばにティッシュの箱とか置いてなくて良かったです~。(ひももん 2024/4/2)

(寸評)その時の父ちゃんが何歳かは知らないけど、62歳、まだまだやってる。男は死ぬまでやる! やる! やる!
こっそりとな...。7ポイント。

〇〇〇シャブらせろや!

数年前の私はとにかく尖っており、ある日TwitterにてSixTONESに対し呼称の件でめちゃくちゃ突っかかってくるとあるローリング・ストーンズファンに対し懲らしめようとこんな文章を送りました。
「そんなことよりちんぽシャブらせろや!」
なんでこんな怪文書を送ったのか、恐らく半分ウケ狙いで書いたのかも知れません。
そしてその人たちから返信は来なかったものの、私のフォロワーがあんたローリング・ストーンズファンからやべぇやつだと思われてるよというツイートをしてたので、早速見てみたら私のツイートがその人達に晒されてて、「やっぱりSixTONESファンはやべぇな」、「ちんぽシャブらせろだなんて……私にはちんぽないのにどうシャブらせるんだろうねぇ」とツイートしていました。
結局そのローリング・ストーンズファンに対し怪文書を送るおバカなことはそれっきりです(ラメール・ローラ 2024/4/2)

(寸評)そもそもラメール・ローラが女性か男性かもわからないのだが「・・・えっ、いいんですか? それでは失礼して」とチャックを降ろす人がいたらどう対処していたか気になる。7ポイント。

またまた日本人カラオケキャバレーに

しばらく仕事が忙しくて遊んでなかったのですが、先日久々にカラオケキャバレーに行ってきました。そこではいつものようにハッチャけまくりました。スナック・キャバレー遊びは2000年代半ば、40代の頃に緊縛師匠のA氏に薫陶を授かって以来、風俗よりもずーっと好きな遊びです。パスカルズが音楽を担当した2019年7月度のドラマ「凪のお暇」に出てきたスナック「バブル」は日本で遊んでいた頃のことを思い出しましたわー。10年近くやっていたキャバクラ嬢の送りの仕事をしている時からもキャバクラ嬢を観察してましたが、酒を飲んでも「酒に飲まれず」、きっちり顧客サービスで売り上げを立てているところは尊敬に値しますね。プロは凄いっす。
さて、今回の教訓はタッチする手は五本指でなければならないこと。どういうことかというと人差し指一本は絶対にダメです。手を開いてじゃんけんの「パー」の形だったら、いくらでも触ってもいいんですが、一本だとしゅるるるるるると洞窟の茂みに入ってしまうので、これはシッペされてしまいます・・・。そんなことを学びました。あーー、楽しいな。この手の店はパタヤにはほとんどないので、終の住処はやっぱりバンコクなのかな。(波照間エロマンガ島 2024/4/2)

(寸評)五本指でもあっという間にしゅるるるるるると洞窟の茂みに入ってしまう人もたぶんいるよなあ。なんたって五本指は赤ちゃんの頭より小さいからなあ。7ポイント。

意地でも竿は見せない

ある日 某駅でタバコをすおうと喫煙所に行きました
しかし いつも満員なのに今日はガラガラ
なぜ?

それは行ったらわかりました
そこには金玉ぶらりんホームレスがシケモクを吸っていたのです

ジャンパーで意地でも竿は見せない心意気に感銘を受け 私は通報を控えました。

そしてタバコは普通に吸って吸い殻入れに入れました。
ホームレスは恨めしそうにこちらを見ていました(ズミ天 2024/4/2)

(寸評)今度はその人の右の金玉と左の金玉の間からタバコを出して「これぞニコチン」と言ってみてください。
しかし今回の「おバカ」4本とも下ネタ! ♪あんたも好きねぇ〜 7ポイント。

子供の頃の性癖リターンズ

子供の頃の自分。それはあらゆる場面、授業中や休み時でも嫌なことがあると反応のままに感情を爆発させたり〔当時のニックネームは発狂と言われてました〕、または爆発させぬまでもずーっとその感情を心の中に抑え込んだりするがあまり、それが耐えられなくなり学校帰りの通学路や部屋の中などで、「ぎゃーーー!!!!」と走りまくり叫びまくる狂人一歩手前の性癖を持つ児童でした。いや、もう狂人の領域に入っていたのかもしれません。特に今でもよく覚えているのは自分の部屋の窓を開けて世間に向けて「あー!!!」と叫ぶのが好きだったこと。これはなんだったのでしょうね。家族も怖がって私のそんな性癖を咎める者はいませんでした。そんな自分が成人した現在。。。

仕事がうまくいかなくて失敗したり、何か感情が抑えられなくなると、私は子供の頃の西壁が蘇るがごとく、一人の場所で絶叫してしまうのです。これは誰にも言ったことがない性癖だな。危ないな、ということは自覚しています。そして、Crazy Ken Bandのリーダーの横山剣さんも小学生の頃、似たような人間だったと聞き、「同じような人間がいる!」とみょうに親近感の感情を覚えました。そんな子供の頃の性癖は一時期治ったけど、初老になってまた再発したという話。(波照間エロマンガ島 2024/3/15)

(寸評)あるある。さすがに人前では無いけど俺も時々ひとりの部屋で「ざけんじゃねえっ!」とか大声出すことあるよ。なので壁の薄いマンションには住めないのだ。「どうしました?」とかお隣さんから聞かれたら「いえっ・・・・ちょっと演技の練習を・・・」とか真っ赤になって説明するとこまで想像してしまうから(笑)。7ポイント。

女子トイレ

今から40年前ほどの話です。ある一瞬の出来事を私一人だけが偶然目撃したという話です。心霊現象ではありません。しかし、後から考えるとこの話は色々解釈できるかもしれないので、その解釈とともに40年間私の中でこの体験をたゆたわせてきました。イニシャルを使いますので固有名詞は想像してください。以下に書いていきます。

1983年頃、かよっていた大学に1960年代に脚光を浴びた新時代演劇運動の代表的旗手三人のうちの一人である演出家、STさんが講演に訪れました。STさんは山の中で俳優・スタッフなどと共同生活をし、極限まで肉体と精神を追い込み、それまでとは新しい演劇を生み出すという、うんちゃらかんちゃらメソッドで有名になった演出家で、その門下からは現在も活躍する「狂気女優」S石K子さんなど多くの俊秀を輩出しました。
STさんの講演はめちゃくちゃ面白かった記憶があるのですが、40年も経っているので何を話されたかはまったく覚えていません。ただ講演時間中に講堂を抜け出して別の場所で用事にあたっていた私が、その「出来事」を目撃したのです。

それは、STさんが女子トイレを出て、講堂に戻っていく瞬間でした!

STさんはトイレで何をしていたのかは分かりません。おそらく個室トイレで用を足していたと思うのですが、それが小便であったのか大便であったのかは知るすべもありませんでした。ただ私は用便を足していたとは思えず、別のことをしていたと全く根拠はないですが想像していたのです。
男子トイレの横に女子トイレがあったので、どう考えても勘違いして女子トイレに入ったとは思えず、確信犯的に女子トイレに入っていたのだと思います。しかし、理由は一切わからないのです。その刹那、STさんが女子トイレから出てきたということだけは、確信を持って言うことができます。

この出来事はそれから40年後の今日に至るまで、たまぁに記憶の表層部に登ってきては「あれはなんだったのだろう」と反芻させられるのでした。そんな大学の女子トイレから出てきたSTさんを偶然目撃した話。(波照間エロマンガ島 2024/3/15)

(寸評)それはもしや覗きで捕まった・・・いやいや違うか。いずれにしろ映画監督や演出家にはその手の人が多い印象。何らかの人が驚く表現活動をする人には、それなりの余罪もあるというか繋がってるというか・・・。ねえ。7ポイント。

二段階右折しないおバカ自転車

あれはいつだったろう。日本の地方都市で自動車を運転していた時のこと。
四つ角交差点の信号が赤だったので、停車して青になるのを待っていた。すると、左側からママチャリ自転車に乗ったおばさんが交差点に突入してきた。
交通法規では自転車は二段階右折、つまり一旦信号を渡り右側に方向転換してから右折することが定められているのだが、このおばさんはどういうわけかそれを守らず、自動車と同じく道路の右折レーンの先頭に止まり、右折専用信号の青を待っていたのだ!
これは危険すぎる光景なのだが、そこはかとない間抜け美も持ち合わせていて、爆笑してしまった。「何やってんだ、おばさん」と思わず呟いた。私は窓を開けて「危ないよ、あっちあっち!」と手を振って叫んで方向を指し示したのだが、全く理解できなかったようで、そのまま信号が青に換わると右折して走り去ってしまった。完全に道路交通法違反な運転者であった。そんなおバカな光景を突然思い出した。(波照間エロマンガ島 2024/3/15)

(寸評)自転車って微妙な位置のことあるよね。車道を走らねばならぬのに、信号機では歩行者道路に入って歩行者用信号機に従わねばならぬとか。道によっても違うので未だに戸惑うことあるな。6ポイント。

創意工夫の青春

好奇心旺盛な私は、今までいろんな物を試してきました。〔特に若い頃は..〕中学生の頃トイレットペーパーの芯を加工した作品を作った時は、トイレに行ってる間に出かけていた父が帰ってきてガッツリその作品を見られましたが、優しい父は何も言いませんでした..。あとは風呂のマットの隙間とかタオルでぐるぐる巻きにしたりとか、熱帯魚の餌の円柱状の入れ物などなど...。しかしどれもしっくりこないし全然良くない。風呂のマットなんてヒリヒリして痛いだけでした。そして結局最後は慣れ親しんだ手を使ってしまうんですね。考えたらバカ過ぎるな~と我ながら呆れます。...何のお話かは、ご想像にお任せします。(ひももん2024/3/15)

(寸評)神様が最初から一番の優れものを用意してくださったんじゃ。感謝せい。7ポイント。

やらしいぎなた読み

このコーナーにある過去の作品を読んでいたら、タイトル名が「フレッシュマンコンサート」というものを見つけ、瞬時に私は(このタイトルからマンコって言葉を見つけた!ウルトラマンコスモスやビックリマンコラボみたいな感じのタイトル名で草草の草)と勝手にやらしい方向でぎなた読みを発動させてしまいましたがその本文を読んでみると、「そのコンサートのパンフレットの題名にイタズラとしてコとンの間にイを入れた」というエロイ感じの内容だったので、なんだか私の心の中を見透かされたような気分がし心の中で悶絶してしまいました。(ラメール・ローラ 2024/2/27)

(寸評)気づく人は気づく。気づかない人は気づかずに一生を終える。 昔、ニュージーランドのオークランド(Auckland)に行った時も、即座に「AがFに変わったら、大変な国になるな」と思ったが、まわりを見ても誰もそれに気づいた人はいないようだった。5ポイント。

放屁フェチ爺さん

これは私の会社の同僚が仕事先から帰る途中の話です。
いつも利用してる電車の駅のベンチに座り電車を待っていたら、杖をついたお爺さんが隣に座ってきたんですけど、お尻を同僚の方に向けるというかなり不自然な座り方でした。
するとそのお爺さんが急に「ブッ!」と大きめのオナラをしてきたので同僚が呆気に取られてました。
するとそのお爺さんは移動し、若い女子が2人座っているベンチの方へ移動し座ったと思ったらその子達になぜか尻をむけまた大きめのオナラをしました。
その後2回ほどオナラの音が聞こえたので合計4回は聞いたとも言っていました。
しかも最後の音が高確率で実が出てそうな音だったみたいです。
最初はふと出てしまいやすい腸系の病気なのかなとも思っていたそうですが、複数の若い子にワザと尻を向けて出していたことを考えたら絶対にそういうフェチの人なんだろうなという結論を出しました。
ちなみに臭いは一切なかったのと、電車の中でやらなかったのとで笑い話として処理することができたみたいです。(ラメール・ローラ 2024/2/27)

(寸評)その性癖、最後は実じゃなくて精が出たやもしれんな...。6ポイント。

半押しと老眼

先日久々に福岡の中洲へ行く機会がありました。そこで見知らぬオジ様オバ様の団体の方々に結構しっかりしたデジカメを渡され写真を撮ってくださいと頼まれ、正直苦手なんですが小心者の私は断れずに引き受けました。
以前働いていた職場では客から写真撮影を頼まれても、だいたい『写ルンです』で簡単だったので対応できたのですが、今回は私が禿げ頭を隠すため帽子を被っていてナウなヤング〔死語〕に見えて話が通じると思ったのでしょう。そのデジカメを渡される時「このボタンを半押しで枠が出てピントが云々」と説明されたのですが、【半押し】ってそんな高等技術を高校中退のワタクシに..と思いつつデジカメの画面を見ながら頑張って撮影しようとしました。.....老眼で画面が見えん全然わけわからん...!
ここ数年は若い頃の感覚で何かをしようとした時、老眼がかなり進んでいることに気付くことが多いのです。私は焦りましたが、まあ勘で何とか撮影はしてみました。
オジサンにデジカメの画面を見せながら「す、すいません私は目が悪いので〔老眼..〕自信がないのでもう一回撮りましょうか?」と言うと、大丈夫です、ありがとうございました。と皆さんに何回もお礼を言われましたが、実は上手く撮影できてなくて後から何か文句を言われているのではないか?とず~っと気になっていたのでした...という不器用で心配性な私のお話。(ひももん 2024/2/27)

(寸評)「ははっ、ボケて写って当たり前じゃ。私らもうこの世界の住人じゃないのだから...」6ポイント。

「シカト」の言葉の意味が変わった瞬間を体験

1978ー80年頃、私が高校生時分の話です。
首都圏や横浜市界隈でよく使われていた若者言葉のスラングに「シカト」もしくは「シカトする」という言葉がありました。花札の10月の絵柄である鹿が、ソッポを向いているところから名付けられた、文字通り「無視する」という意味でした。
私は何時ごろからかは忘れましたが、この言葉を覚え、ごく普通に使っていました。

ある時、校内の通学バスの乗車方法で問題が起こりました。私の通っていた私立の高校は、学校敷地内のバスロータリーに小田急線と東急田園都市線の2方向の私鉄駅まで行く始発終点の公共バスのバス停があり、下校時にはそこから始発便が発車していました。ところが、いつの間にか一部の上級生がバス停の先頭付近に割り込みをし、列に並ばずに乗車するのが常態化してしまったのです。早くバス停にやってきて列を作った下級生は、後から来た上級生に割り込みされて、バスに乗れなくなったことが問題視されました。その割り込み乗車のことがいつの間にか「シカト」と呼ばれるようになったのです。つまり、ルールを無視〔シカト〕して割り込み乗車する行為自体が、意味が転じ私の通う高校ではそう呼ばれるようになったというわけ。
これは下級生の告発により学校で問題化しました。そして「シカト」乗車ができないように、バス停には割り込み防止の柵が設けられました。
そんなはるか45年近く前のはるか昔のローカルなおバカな事象を思い出したので投稿します。(波照間エロマンガ島 2024/2/27)

(寸評)それに近いことは俺もあったなー。そのシカトは「ルール無視」という意味でも使われてたな。5ポイント。

フォルクスワーゲン・ビートル

1987年25歳くらいの頃、夜遅く大学時代の親友が私のアパートを訪ねてきました。
彼は中古のフォルクスワーゲンのビートル・タイプ1〔カブト虫〕を購入したので、私に見せに来たのです。早速近くを軽くドライブしました。年式はだいぶん落ちるのでエンジン音は大きく、でもそれなりに楽しい乗り心地でした。彼は当時放送局に勤めていましたが、数年後に早くも独立、乗り換えた車は同じくドイツ車の縦目のベンツですから、いきなり30歳前後で大金持ちになって、彼方に行ってしまいました。以来30年以上に渡り業界で活躍し、世界的なメディアアーチストになっています。
ドライブを終えるとアパート5階の私の部屋でお茶を飲んで談笑、しばらくして彼は帰っていきました。

ところが。それから20分以上に渡り、階下の道路からものすごい轟音を付近に撒き散らかしてアクセルをふかす音が聞こえてきました。間違いなく彼のフォルクスワーゲンがなかなかエンジンが不安定で発進できず、エンジンテストしていたのです。「まだ出発しないのかよ」と私は呆れながらもその騒音を聞いていました。やっぱり中古車はダメだな、とその時私は思いました。そのアパートの3軒隣は大相撲の藤島部屋だったので、藤島親方〔初代貴乃花〕も女将さんの紀子さんも「うっせいなー、寝られないよ」とぼやいてたんだろうな、と想像しましたよ〔笑〕。
そんな、ワーゲンビートルが巻き起こした轟音の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 2024/2/27)

(寸評)急に暴走族気分を味わいたくなっただけやもしらんね。5ポイント。

夏合宿の惨劇

これは私が大学のサークルに入る1年前の話です。
サークルで夏合宿があり、そこで先輩達は様々なことを楽しんだ後宿泊先のコテージで深夜遅くに飲み会をしたそうです。
そしてその中の1人(当時大学1年の下っ端)がベロベロに酔っ払い全裸になりました。
それだけならまだしもなんとその人はトイレにいると勘違いしたのかそのまま脱糞してしまいました。
まさかの事態に阿鼻叫喚となり先輩達は慌ててその人の出した大便をすぐさま処理したそうです。
そして夜が明け、合宿の思い出として集合写真を撮ることになったのですが、その脱糞した人は先輩曰く(酔いが覚めて自分がやらかした一連の騒動を覚えていたのか)死んだような顔になっていたとのことです。
こうして合宿が終わってその人はすぐサークルを辞めたそうな。
私が大学入学するのが1年早ければあの惨劇を目の当たりにすることになってしまったのかなとふと思ってしまいました。(ラメール・ローラ 2024/1/30)

(寸評)大学一年って現役入学ならまだ未成年で本来なら酒を飲んではいけない年齢だけど、ぶっちゃけ昭和時代はそんなの暗黙の了解で先生とかでさえ誰も止める人なんていなかったよね。それはともかく、まだ酒に慣れてない飲み初めの頃はみんな自分の酒量が分からずに、とんでもなく酔っ払っちゃう人もいたよね。なのでそんな事件もよくあったね。まあ脱糞では人は死なないから良かったけど、お酒の飲み方も勉強して自分の限度を知ることも必要だよね。6ポイント。

誰が悪いのか?それはS君です。

中学2年の頃の下校時、友達数人と話しながら国道の横断歩道を渡っていました。数メートル前方には同学年のS君が歩いていたのですが、そのS君が横断歩道を渡り終わろうとした時、突如豪快なローリング・ズッコケをかましたのです。
当然私たちは大爆笑しました。そして「ナイスズッコケ!」「受け身の練習?」などとツッコミを入れてS君と一緒に笑い合おうと皆が思っていたはずです。しかし、S君が起き上がりなぜか私たちの方を見ずに前に歩き出したと思ったら、急にクルっとコチラを振り返り私たちの方に向かって来ました。
その瞬間私たちは自分の目を疑い凍り付きました。S君だと思っていたその人は、3年生の全然知らない人だったのです。〔同学年では見ない顔で体格的に判断〕
その先輩は私たちの目の前まで来ると、固まっている私たちをしばらく睨みつけた後、踵を返して去って行きました。
少しの沈黙の後、私たちは一斉に「S君かと思ったーー!」「俺もそう思った!めちゃくちゃ似とった!」と言い出し、皆がその上級生をS君だと勘違いしていた事が判明しました。
あの先輩は自分が転んだ姿を下級生に爆笑されたことが悔しかっただろうと思います。本当に申し訳ない事をしてしまいました。しかし知らない上級生だとわかっていたら、私たちは心の中では笑っても声に出して笑うことはなかったはずです。では誰が悪いのか?それはS君です。先輩の後ろ姿にソックリなS君が全て悪いのです。
どうかあの名も知らぬ先輩にこのHPを見てほしい。そして誤解があった事を知ってほしい。そんなおバカな中学時代の思い出。(ひももん 2024/1/30)

(寸評)その先輩、悲しかったろうな。お察しします。そしてこのHPを見るという奇跡よ、起これっ! 6ポイント。

小っ恥ずかし体験・埼玉県長瀞〔ながとろ〕町ラフティングツアーにて

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。
今から20年ほど前のことです。埼玉県長瀞町の荒川上流にて友人たちとラフティングツアーに行ったことがありました。
ラフティングとは急流の河川をライフジャケットやヘルメットを装着し、ゴムボートに5〜6人で乗り込み、プラスチック漕ぎオールで方向を調整しながら疾走するというレジャーであります。合計5〜6回行ったかな。超ストレス発散になる遊びでした。何ヶ所か行きましたが、一番河の流れが強くスリル過多、生命の危険を感じるほどだったのが、群馬県水上市の奥利根川のラフティング。谷川岳の雪解け水の勢いはすごく、途中白波が立っている箇所があり、そこを滑るのは危険なので、ボートを降りて河岸を数十メートル下流に歩いて移動し再開したほどでした。〔以前そこのポイントで事故が起こったんだなと想起しました〕
今回はその中、長瀞でラフティング遊びした時の私のおバカドジ話を恥ずかしながら告白いたします。

季節は夏だったと思います。荒川の流れは秩父山系の雪解け水がまあまあ速かったものの、途中で平地気味の箇所を通るので、オールを漕がなければ前に進まない場所があったんですね。長瀞に行かれた方は記憶にあるかもしれませんが、岩畳〔いわだたみ〕と言われる大きな岩が自然の浸食で折り重なっているエリアの近くです。ここに3〜4メートルの高さの崖があったのです。ツアーのコンダクターはゴムボートを係留し、20人くらいのツアー参加者を崖の上に誘いました。「あそこから飛び降りると気持ちいいですよー」と。
すると皆我先に崖の上に駆け上り、次々に飛び降りました。水深は深いので飛び降りても平気です。私も周りに釣られて崖の上に登りました。しかし。ところが。なんということでしょう。

私は足がすくみ、崖の上から飛び降りることができなかったのです!!

周りの小学生などはきゃっきゃ言いながら、何回も飛び降りています。私の友人も「あいつは何やってんだ、ビビってるのか」という視線を投げかけながら、足がすくみ飛び降りられない私を見ていました。
「かっこわりぃー!」と内心思う私。しかし、心臓ばくばくで足が前に進まなかったのです!

しかし、7〜8分経ちもうボートが出る時間が迫っていたので、本当に勇気を振り絞って、一歩踏み出しました。ところが自分でも感じたのですが、ジャンプ力が足らずに踵〔かかと〕がスレスレで岩に触れて落下したのでした。河岸に上がると友人が「危なかったよ。もうちょっとで岩に足が触れてた。そうしたらやばかったね」と言うではないですか!
いや、怪我はなくて何よりでしたが、ツアー客全員に見守られながら最後の一人として飛び降りたのは、小っ恥ずかしかったですねぇ。

そんな長瀞ラフティングで崖からなかなか飛び降りられなかった私のおバカ体験でした。(波照間エロマンガ島 2024/1/30)

(寸評)中途半端にやっちゃう方が危険なことってあるんだよね。まあ、俺にも絶対できないので気持ちはわかるが。というかそういう趣味の人とそもそも遊ばないで生きてきた...。6ポイント。

「だら」と「ずら」

学生時代、長期休暇になると地方都市で時を過ごす機会が何年かありました。
ある年は友人のつてで静岡県静岡市でアルバイト、またある年は親戚のつてで山梨県甲府市でアルバイトしました。
そこですぐに気がついたのはしゃべり言葉の違い。静岡の人は「〜だら」と頻繁に言い、甲府の人は「〜ずら」と頻繁に言ってました。まだインターネットも無く衛星放送も無い頃で、日本全国の言語習慣文化が明確に統一してない時代です。私は「あー、この人は清水次郎長と同じ言葉を喋ってる」とか「あ、この人は黒駒の勝蔵と同じ言葉を喋ってる」なんてことを思ってました。当時は廣澤虎造の「次郎長三国志」ばかり聞いていましたので。お国訛りがその人間の人となりを映す重要な要素だったんですね。意識せずに言葉を話していることに、ある瞬間急に笑いが込み上げてきたことがありました。方言って面白いって思ったんです。(波照間エロマンガ島 2024/1/30)

(寸評)今はテレビ、そしてネットのおかげでどんどん方言は消えてるよね。でもそれとは別に「若者言葉」みたいなのが、新たな「時代方言」として残るのかもねー。6ポイント。



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